のあ「……たいせつなものは、目に見えない」 (13)

・アイドルマスター シンデレラガールズの二次創作です。
・ト書き形式ではなく、一般的な小説形式です。人によっては読みにくいかもしれません。
・約3000字、書き溜め済みです。数レスで終わりますので、さっと投下します。

前置きは以上です。お付き合いいただけると嬉しいです。

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 ブラインドを下ろした窓に、西日が射し込んでいた。
 隙間から入る橙色の光が、今の時間を告げている。

 事務所の休憩室。
 テーブルに寄せた椅子のひとつに座って、彼女は本を開いていた。
 一時間ほど前に今日のスケジュールを消化し終わり、幾分早く彼女は暇を持て余した。
 そのまま帰路に就いてもよかったのだが、折り悪くプロデューサーはおらず、
 ちひろも緊急で出払うことになり、流れで留守番めいた立場に落ち着いている。
 
 別に事務所の鍵が掛からないわけでもない。
 ただ、他の誰かが戻ってきた時や来客があった時、とりあえずでも対応できる人間がいないと困る、という話だ。
 ちひろはすぐ帰ってくるとのことだったが、具体的にいつかはわからない。
 不在を任せられる状況にいたのは、彼女だけだった。

「………………」

 憂うような横顔のまま、ゆっくりとした速度でページをめくる。
 微かな衣擦れと紙が立てる音。
 静寂に程近い空気の中、遠くの軋みを彼女は聞き取った。
 本を閉じ、テーブルに置いて腰を浮かす。
 休憩室の扉を挟み、玄関へ向かうと、
 そこでおそるおそる室内を覗き込もうとしている小柄な人影を見つけた。

「あ……の、のあさん……こ、こん、ばんは」
「……こんばんは、小梅」

 無表情のままの挨拶返しに、一瞬小梅はびくっと肩を震わせたが、
 一応安心したらしく、流し場へ向かうのあの後を追いかけた。
 ポットの電源を点け、棚から茶葉を取り出したのあは、手際良く急須に適量を入れる。
 彼女の正面、お盆の上に並べられた湯呑み茶碗はふたつ。

「……仕事は、終わり?」
「は、はい……さっき、プロデューサーさんに、車で送ってもらって……」
「貴女……女子寮、だったかしら」
「あとで、また……む、迎えに来るから……て」
「そう……なら、しばらくは、ここにいるのね」

 やがて、ふつふつと旧式のポットが鳴り始める。
 急須に湯を注ぎ、しばし蒸らしてから、のあはお盆を持ち上げる。
 結局手伝う隙もなく、今度は休憩室へと歩いていくのあの背を、小梅は申し訳なさげに再び追った。

「……今更だけど……お茶は、平気?」
「だ……だいじょうぶ、です」
「……どうぞ」

 先に腰を下ろした小梅の前に、のあが受け皿に乗せた湯呑み茶碗を置く。
 器の七割ほどを満たす液体は、透き通った薄い緑の色だ。
 手指の隠れた袖で器用に両手持ちをし、控えめに口付ける。
 唇を濡らした茶は熱かったが、まだ子供舌な小梅にとって程良い苦さだった。
 ほぅ、と一息吐くと、いつの間にか隣にのあも座っている。
 片手にはカバー付きの本。
 細い指先が少しこなれたページを開くのを、小梅はじっと見つめていた。

 ——小梅からすれば、彼女は『あまりよく知らない人』だ。
 仕事でもほとんど一緒にならず、遠目に見ることはあっても、なかなか話す機会がなかった。
 同じ事務所に所属するアイドルでも、そういう相手は何人かいる。
 仲良くなりたい、という気持ちも勿論あるが、
 一回り近く年上の人間に対して、いったいどんな話題を振ればいいのか。
 アイドルになっていくらか改善されたものの、
 まだ他人と話すのが苦手な小梅には、難易度の高いことである。
 視線を誤魔化すようにまた一口茶を飲み、小梅は意を決した。

「のあさん……な、なんの本、読んで……るんですか?」

 答えてもらえないかも、と内心びくびくしていたが、
 どうやら彼女も話題に困っていたらしく、思いの外優しい手つきでカバーを外し始めた。
 外しながら、

「……LE PETIT PRINCE」
「る、ぷ……?」
「……星の王子さま、と言った方が……伝わるでしょうね」
「あ……聞いたこと、あります」

 向けられた表紙には、散りばめられたきいろい星と、まるい岩のような星。
 そこに咲く数輪の花と、煙を噴く小山。
 そして灰色の地面に立つ、金色の髪の男の子が描かれている。
 サン=テグジュペリ作、星の王子さま。

「どんな……おはなし、なんですか……?」
「……ほんとうにたいせつなものは何か。……少なくとも私にとっては、そういう意味を持つ本よ」
「……ほんとうにたいせつなものは、なにか」

 のあの言葉を、小梅は噛みしめるように繰り返した。
 全く内容の説明にはなっていない気もしたが、興味は惹かれる。
 軽く身を乗り出した小梅に、のあは本を開いて中身を示した。
 めくられるページのところどころに配置された、素朴な挿絵。
 書かれた文章を細かく読む余裕はなかったが、ひらがなの多さに、
 児童文学の類だという当たりはついた。

「貴女も、読んでみる?」
「え、えっと……私、あんまり本、読んだこと、な、ないです……けど」
「……それは私も同じだった、と言うべきかしら。
 こうして、今まで知らなかったものに……触れるようになったのは、
 私の居場所が、ここだと気づいてから」
「…………?」
「……プロデューサーのおかげ、ということよ」

 僅かに表情を和らげたのあに、そんな風に笑うんだ、と小梅は思った。
 クールで、格好良いけど、触れにくい人。
 そういうイメージを持っていたが、訂正すべきかもしれない。

「……じゃ、じゃあ、その……お借り、します」
「ええ。読み終わったら、また言いなさい」

 閉じた本にカバーを付け直し、それを小梅に手渡す。
 いくつかのページには開き癖がついていて、背表紙は微妙に擦り切れた箇所もあった。
 きっと何度も読み返したのだろう。
 小梅は胸に本を抱き、たどたどしく感謝の言葉を告げた。
 そう、と短く頷いたのあが、減っていた小梅の茶を注ぎ足す。
 部屋の寒さで冷えたのか、立ち昇る湯気は控えめだった。
 しばらく続く無言の時間。
 顔を合わせて早々の気まずい雰囲気こそなくなったものの、やはり共通の話題は見つけ難い。

「……あ、あの……のあさん」
「……何?」

 結局先に折れたのは小梅の方だった。
 預かった本を目前に掲げ、表紙を見つめる。

「どうして……この本、読もうって……思ったんです、か?」
「……本を読むこと自体に、初めは意味などなかったわ。それを選んだのは……星の名が、私の目に留まったから」
「星……好き?」
「美しく、輝くもの……けれど、届かないもの……。だからこそ、求めたくなる。……夢と同じね」

 かつての高峯のあは、明確な夢を持たなかった。
 星に向かって手を伸ばすことはあっても、自分の、あるいは他人の内に輝きを見出すことはなかったのだ。
 遠いからこそ、眺めるだけで止まる。
 もし、届きそうな場所に星があるのなら——
 掴めるかもしれないと、思えてしまったのなら——
 それを望むのは、決しておかしくないだろう。

 本の中で、王子さまはこう言う。
 人はみんな、違った目で星を見てるんだ。
 それは行き先を示すものであったり、ちっぽけな光にしか思わない人もいる。
 えらい学者の中には、難しい問題にしてる人もいる。
 お金の話に持っていく人だっている。
 けれど、きみにとって星は、そのどれでもないはずなんだ……。

 もし、夜空に輝く星のひとつに、王子さまがいるとしたら。
 きっとそれだけで、見上げた光は特別なものになるだろう。
 他人はおかしなことだと言うかもしれない。
 でも、どんなに“おとなたち”が否定したところで、少なくともそれは「ぼく」にとっては、ほんとうのことなのだ。

「私も……貴女も。いつか、彼となら星にさえ届くかもしれない。……そう、願う心こそが……力。
 ……その本から、私が改めて、学んだことよ」
「……プロデューサーさんを……し、信じてるんですね」
「……貴女が彼に寄せる気持ちと、同じくらいには」

 ようやく、ほんのちょっとだけ、だけど。
 小梅は、のあのことがわかった気がした。
 クールで、格好良くて——けれどほんとは結構熱くて、やさしい人。
 うれしさに小梅の頬がちいさく緩む。
 と、表の方から物音が響いてきた。

「あ……プロデューサーさんの、声……聞こえる……。あの子も、き、来たって……」
「……戻ってきたようね」

 一度何もない方向に小さく袖を振り、とてとてと駆け出した小梅に微笑ましさを感じながら、のあも休憩室を後にする。
 そろそろちひろも、帰ってくる頃だろう。
 だから彼女は、仕事を終え、あとは小梅達を送っていくだけの彼に向かって、こう願うのだ。
 これからの話をするために。
 高峯のあが欲しいものを、掴むために。

「……仕事が終わったら……スケジュール、空けておいて」

 wish upon a star——星に願いを。
 貴方もまた私の星なのだと、今日も彼女は告げる。

以上になります。
本文内にて出典の参考にしたのは、岩波書店の2000年オリジナル版ですが、
もし『星の王子さま』という物語に興味のある方は、
青空文庫で読める『あのときの王子くん』をオススメします。大変素晴らしい日本語訳でしたので。

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高峯のあ(24)

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白坂小梅(13)

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