千早「オシロイバナ」 (22)
アイマス
あずちは
以上
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私は彼女の優しさを利用した。
私は彼女の優しさに付け込んだ。
私は彼女の優しさを裏切った。
私は彼女の優しさに縋った。
私は彼女の優しさを踏み躙った。
それでも彼女は優しかった。
それがどれほど私を傷付けるかなんて知らずに、それでどれほど私が救われるかなんて知らずに、彼女はただ当然のように優しく私を包む。
あずささん、早く私を拒絶して下さい。早く私を否定して下さい。
でないと、私はまた貴女に甘えてしまう。溢れて溢れてどうしようもない貴女への愛と、湧いて湧いて仕方ない自身への憎しみに溺れながら。
最初、彼女は他の人たちと同じように私の興味を引くものではなかった。
アイドルになってばかりの頃の私は他人にも自分にも価値を見いだせず、どうにか好きでいられたのは歌うことと歌を認めてもらうことだけだった。
歌の練習をして歌を披露する。日々の全てはその繰り返しで、他人と分かり合うことも、他人と楽しもうとすることも私はしようとしなかった。
そんな私と周囲との間には深い溝が広がっていった。
周囲からの孤立を感じた時、酷く落胆したのを憶えている。同じアイドルならば私の歌の全てを理解してくれるのではないかと、勝手に期待を抱いていたのだ。なのに、こんなものかと。
理解のしてくれない存在なら、私にとってアイドル事務所の同僚もクラスメイトも大きな差はない。私の損にも益にもならないただの他人。私の世界の外で生きる有象無象だ。
袖の触れ合うことすらしてやるものかと、学校と同じように此処でも歌以外を諦めようとしていた。
だが、皆は諦めを許さなかった。
最初に私の手を握ってきたのは春香という女の子で、双子が手を引っ張り、高槻さんが手を繋いだ。四条さんの手が背中を押して、萩原さんの手が肩に乗り、真の手が肩に回る。我那覇さんが笑いかけてくれて、美希に抱きつかれ、あずささんは頭を撫でてくれた。水瀬さんにはやる気がないと怒られ、律子には今のままではダメだと叱られ、プロデューサーには協調性を持てと窘められた。
最初は与えられる好意に戸惑い、かなり酷い態度を取っていた。手をはねのけ、挨拶は最低限に終わらせ、笑顔には何も返さない。怒られても叱られてもツンとして、本当に可愛くなかったと思う。
だけど、皆の温かさに触れ合っていくうちに他人に対して冷たくなっていた心には光が灯り、絡まっていた意固地と強がりの糸は解けて消えていった。
人が私を拒絶して距離を置いていたのではない。私が人を拒絶して距離を置いていたのだ。
理解してくれないのではなくて、私が理解させようともしていなかったのだ。
そんな自分の間違いにも気付き、段々と友情を育んで皆の輪の中に入っていく私を音無さんと社長は嬉しそうに見ていた。
ただの仕事場だった765プロは私の居場所となり、ただの同僚だった皆は仲間であり友達となった。
あずささんも、この時はまだ皆と一緒の仲間で、年上で頼れるお姉さんという存在だった。
それが好きな人に変わったはっきりとした瞬間は、恐らくないだろうに思う。
ゆっくりと憧憬が形を変え、尊敬は徐々に熱を持ちはじめ、友情の中には穏やかに愛情が生まれていく。
成果を一番に報告したい存在になり、彼女に褒めてもらいたくて頑張るようになり、子供扱いされることに一等落ち込んだ。頭を撫でてくれるたびに喜びが増え、抱きしめられる幸せが大きくなり、悩ましげに伏せられる瞳に心臓は早鐘を打つようになる。
気が付いたらあずささんのことを想い、気が付いたらあずささんを視線が追い、気が付いたらこれは恋だったのだ。
他人と親しく接するようになったのも久しぶりで、人を好きになるなんて初めてだった。その初めてが同姓という形で、余計に何をしていいのかが分からなかった。
自分で調べてみても、肩身が狭いことや体裁が悪いといったネガティブなことが沢山出てきて、少数の前向きな人たちはそういった社会の批判と戦えるだけの強い心、強い味方を持った人たちだった。
アイドルという立場も私の動きを絡めとる要因だった。
普通よりも社会の目に厳しく睨まれているこの業界。批判も拒絶も普通より厳しくなるだろう。
私はそれに耐えられるだろうか。皆は離れていかないだろうか。あずささんは泣いてしまわないだろうか。あずささんの夢を壊してしまわないだろうか。
そんな不安たちが私をがんじがらめに縛りあげ、私は恋に真っ直ぐになることにすぐに弱気になった。
そうして出した結論は、この片思いをし続けることだった。
誰に悟られることもなく、自分の中だけでゆっくりと枯らして行こうと。
実らせないと決めた初恋は、それでもとても輝いていた。日々に灯る幸せは増え、あずささんと居る一秒一秒が特別な意味を持って私の記憶になっていった。
充分だと思っていた。日常に落ちている愛しさを抱きしめられているだけで。
そして、その愛しさが何時か懐かしさに変わる時を待つだけで。
私は分かっていなかったのだ。恋一つにさえ臆病になって何も出来ない、そんな弱い心の人間が、恋一つの重みに耐えられるワケも無いことを。
恋は確かにキラキラと輝いていた。喜びはあちこちにあって、ふとしたことに嬉しさを感じた。
でもそれ以上に、恋は鬱々と暗くて、降り掛かる苦しみは重く、ふとしたことに心は妬けて痛んだ。
この恋は楽しいことばかりではない。
愛しさがいくら募ろうと相手へそれを送る手段はなく、自分1人で慰めては余計に惨めになる。そんな夜を何度も過ごした。
あずささんが撫でてくれることに幸せを感じた次には、その行為に友情以上の情が宿ることは無いのだと影で泣いた。
男性の人があずささんを厭らしく、なめ回すように見ることに怒りが全身を貫きかけること。あずささんが男性と笑顔で談笑している様子に身を焼かれそうになること。
一度や二度では済まないだろう。
結婚の相談も信頼されていると思えば嬉しかったが、笑顔と誠意の裏でどれほど耳を塞いでしまいたいと思ったことか!
彼女の口から「早く結婚したいのだけれど、どうしたら良いのかしら?」なんて言葉が出るのだ。こんな苦痛なことはない。
「千早ちゃんは誰か良い人知ってる? 千早ちゃんが紹介してくれる人なら、安心して会える気がするの」
そう言われた日は、無神経なことを言うあずささんへの怒りと、安心される誰かに対する黒い嫉妬のままに「私じゃダメですかっ!!」と叫びそうになった。
面へ出さないように正にも負にも激しく荒れる感情を嚥下し、制御して平静を保つことは、暴れ馬にしがみついて必死に宥めているようだった。
限界だった。力がもうない。手綱を握るのでさえ気力頼みで、その気力もふと抜けてしまいそうになる。そうなれば、わたしの感情は行動や態度に簡単に出て、私の気持ちも周囲に見えるようになるだろう。
臆病な私には、それが何よりも嫌だった。恐怖もそうだ。不安もそうだ。それらが未だに私をきつく縛っていたのだ。だから、痩躯になっても恋を明かすことが出来なかった。
明かせないならば、終わらせてしまえば良いと考えた。この恋に、私の初恋に終止符を与えてあげようと。彼女に嫌われて、それで恋なんて消してしまおうと
だから、私は彼女の優しさを利用した。
あずささんの部屋の前で、さも傷付き弱り果てたふうにしゃがんで彼女を待った。そうすれば、彼女が家にあげてくれると分かっていたから。
私は彼女の優しさに付け込んだ。
彼女が何を尋ねてきても答えず、ただ一言「一緒に居たいです」と言った。困った笑みを浮かべても、それでも彼女は許してくれると知っていたから。無理に聞き出すより、話してくれるのを待つ人だと知っていたから。
彼女の優しさを裏切った。
自分が眠るまで優しく私を撫で続けてくれた手を縛りあげ、抵抗出来ない彼女の唇と純潔を奪った。もっとも、縛らなくとも彼女は抵抗しなかったろう。私が傷付くことにこんな時でも躊躇う人だから。縛ったのは、私が肉欲のままに犯すことを示すため。愛なんて無いんだと、そう誤解して欲しかったから。
好きな人にあげるつもりだったファーストキスを奪い、結婚する人にあげるつもりだった純潔を散らした。
あずささんは傷付いただろう。ショックを受けただろう。私を嫌いになってくれただろう。
これで良いんだと、零れそうになる涙を必死に隠しながら、何度も何度も乱暴に抱いて疲れ果てた私は、最後に腕を縛る紐を外すと彼女に覆い重なるようにして倒れた。
そうして迎えた次の日。私は、私一人しかいないベッドの上でベーコンの焼ける香りをかぎながら目覚めた。
寝起きというのは何とも間抜けで、最初自分の家でないことも忘れ、見慣れぬ部屋の様子に狼狽えてしまった。
あずささんの部屋だと整理がつき始めた頃、台所からエプロン姿のあずささんがやってきた。手にフライパンを持ち、アスパラガスのベーコン巻きを皿に移していく。机には既にクロワッサン、スクランブルエッグ、ヨーグルト、カットされたバナナが並び、飲み物にコーヒーがある。これが最後の品らしかった。
そんな家庭的な姿に暫し見惚れてしまう。昨夜あれだけのことをしたのに、この人と暮らせたら幸せだろうなと思ってしまった。私は恥知らずだ。
「あら、千早ちゃん。目が覚めた?」
「は、はい」
「よく眠れたかしら」
「はい」
「あ、そうだ。勝手に用意しちゃったのだけれど、千早ちゃんは朝はパンで大丈夫?」
「だいじょうぶ、ですけど……あの、あずささん?」
「なぁに?」
「なにも、言わないんですか?」
余りにもあずささんは普通だった。昨夜のことは全て私の行きすぎた想いが作り出した妄想劇だと疑ってしまいそうになるほどに。
でも、目が貴女の裸を記憶している。耳が貴女の甘い声を覚えている。指が貴女の肌を忘れていない。
あれは確かにあったことだ。
「千早ちゃんは、私に何か言って欲しいのかしら?」
口が開きかけて止まる。最低だと言って欲しい。嫌いだと拒絶して欲しい。そうすればこの恋が終えられる。
でも、そう言ってしまえば私が一計を案じたことを、私が彼女を愛していることを認めてしまうことになる。
優しい彼女は私を許すだろう。優しい彼女は受け入れてくれるだろう。
でも、そんなの一番望んでいない。同情で彼女を手に入れるなんて。それよりも、嫌われた方が良いからとこんなことをしたのに。
「いいえ……、あずささん。何も、何もありません」
「そう、ならご飯にしましょう。早くしないと冷めちゃうわ」
私は彼女の優しさに縋った。
あれはただの過ちだったと忘れ、私との関係は何も壊れていないとしてくれる彼女の優しさに。
それは私の片想いがとうとう着地点を見失ったことにもなるが、罪を受けていると思えば身を裂く怒りも、身を焼く妬みも耐えられた。
でも、時々私は彼女の優しさを踏み躙る。
あずささんへの愛が溢れて溢れてどうしようもなくなる時、私は彼女の家へ上がり込み、自身への憎しみが湧いて湧いて仕方ない時、私は彼女を抱いた。その度に救われ、その度に酷く傷つく。
あずささんは何も言わないし、誰にも言わなかった。私が犯す過ちは、彼女がそっと拾って抱え込み、世界は歪なく回っているように見せかけてくれる。
だから、私も世界は何不自由なく回っているように思い込ませてもらった。
分かり切ったことで、所詮これは先延ばし。この関係の未来は罪悪感に潰された私の破滅か、拾いきれなくなったあずささんの崩壊だ。
でも私には関係を切れない。私は妥協してしまった。歪でも、あずささんの特別になれるこの関係に。叶わぬなら、着地点は此処でも良いと思ってしまった。
だから、終わらせるのはあずささんです。一言嫌いだと言って下さい。私を拒絶して下さい。私を否定して下さい。貴女が崩れてしまう前に。
でも、優しい彼女がそんな発言をすることはなく、日数だけが悪戯に過ぎていった。
そんな私たちに転機を持ち込んでくれたのは、意外にも律子だった。
「おはよう、千早ちゃん」
「おはようござ……えっ?」
ある日、朝早くに呼ばれて事務所に向かうと、髪をばっさりと切ったあずささんが居た。
「あずささん、その髪は?」
「似合うかしら?」
「似合い、ます。その、とても。でも、どうしてそんな急に」
「竜宮小町の話は知ってる?」
「知っています。律子が、新しくチームを率いるって」
「私ね、律子さんに声をかけられたの。他には、亜美ちゃんと伊織ちゃんも」
「えっと、おめでとうございます……で良いんでしょうか?」
「ふふふっ、ありがとう」
「でも、どうして髪を……。まさか、律子の指示で?」
「違うわ。髪を切ったのは、覚悟を決めようって思ったからよ」
「覚悟?」
「律子さんの声に応えたい。伊織ちゃんの夢を叶えてあげたい。亜美ちゃんの笑顔を欠けさせたくない。そのためには、今のままじゃダメだと思ったの。私も変わらなきゃって」
「じゃぁ、それを示すために切ったってことですか?」
「えぇ。それと、髪が短いと若く見えるでしょ? 伊織ちゃんも亜美ちゃん若いから、私一人が浮かないようにしないといけないって思って」
「……そう、ですか」
心が騒ぎ立つ。文句が土砂のように流れ込んでくる。
どうして何の相談もしてくれなかったんですか! 竜宮小町のことも! 髪を切ることも! 1人で悩んで1人で決めて! 私には話す必要も無いってことですか! 私じゃあずささんを支えてあげることは出来ないってことですか! 信頼は無いんですか! 私は貴女の力になりたいんです! 私は貴女の全てを知りたいんです! 私は貴女を愛しているんです! こんなに苦しいほどに! あずささん! あずささん! あずささん!
苦しい。愛が溢れて。憎しみが湧いて。怒りに焼かれて。あずささんへのも、私へのも、全部全部混ぜ合わさって、重く沈みこんで、呼吸が止まりそうで、心臓が焼けてしまいそうで。息を吐こうとするたびに思いが口から零れだしそうで、長く燻れば燻ぶるほどに不満が飛び出してしまいそうで。
だから、私はあずささんを押し倒した。
消したい消したい消したい。こんな想い、こんな感情、こんな言葉。
あずささん、抱かせて下さい。貴女に溺れさせて下さい。一時でも忘れさせて下さい。壊れてしまいそうなんです。
あずささんの唇を見つめる。
何時ものように、過ちの始まりに合図のキスを。優しくない、乱暴なだけの深いキスを。
あずささん、今日も貴女は悲しんでくれるだけでいい。私が全部します。私が全部したことにして下さい。目を瞑り我慢して下さい。それで終わります。
だから、口づけを。
そっと顔を近付ける。
近付けて、重なる前に止まる。あずささんの目は私を見つめたままで、あずささんの手は優しく、だが力強く私の胸を押していた。
あずささんの唇が動く。
「ダメよ、千早ちゃん。もうこんなことはしちゃダメ」
それは、初めてはっきりと言葉にされた拒絶の言葉だった。
その一言、その一動作、ただそれだけで、私の心の中で騒ついていた感情の濁流がストンと何処かへ落ちていった。
残ったのは、何も無い白い箱一つ。
すっきりしたような、空虚だけが残ってしまったようでいて、安心したような、深い悲しみに落ちてしまったようでもあった。
「はいっ」
笑いそうになりながら、泣きそうになりながら、重い恋から解放されたような、想い人から離されたような調子でそれだけ零すと、ふいに目頭が熱くなった。
きっと、空いてしまった部屋を埋めようと涙が注がれだしたのだ。
それが溢れて溢れて、いまに流れてしまいそうになっている。
いま泣いてしまえば、彼女はまた私を受け入れてしまうかもしれない。それはダメだ。彼女が決意してくれてようやく終わりそうなんだ。私がムダにしたくない。
そう思い立ち去ろうとした私をあずささんの腕が捕まえて抱き寄せる。
「待って、千早ちゃん。私の話を聞いて」
耳元で柔らかく紡がれる声。私を包むように抱き締めてくれる身体。背中に回された手。短くなった髪の毛。肩に顔を寄せて、胸が重なり合う。心音がお互いに響き、伝わる呼吸の鼓動にあずささんの生を感じる。
あぁ、こんな時でも彼女は優しく温かいのだなと思った。
「はい……、あずささん。聞きます。話してください」
目を閉じる。口を閉じる。あずささんが話したいと言うんだ。今はただ聞こう。
「いつか止めなきゃって、ずっと思っていたわ。このままだと、千早ちゃんが壊れちゃうんじゃないかって気がして。だって、千早ちゃんはいつも苦しそうにしていたから。ずっと、罪悪感を感じているみたいだったから。でもね、止める勇気が出なかったの。何を言っても私が悲しくなりそうで、何を言っても千早ちゃんを傷付けてしまいそうで……。
ごめんなさい、臆病で。止めなくても、千早ちゃんはいっぱい傷付いていたのにね。私のせいで、辛い思いをさせたわ」
いいえ。いいえ、あずささん。謝らないで下さい。誤らないで下さい。
辛かったです。苦しかったです。沢山傷付きました。沢山悲しみました。
私たちの関係は歪で、私たちの世界は不自由でした。
でも、幸せだったんです。歪でも不自由でも、貴女の傍に居れたこと。それが、何よりも幸せだったんです。
「でも、ようやく勇気が持てたの。こうして、変わろうと思える機会をもらってね。だから、言うわ。もうこんなことはしちゃダメ」
「はい」
「こういうことは、ちゃんとした関係になってからじゃないとダメ」
「えっ……」
「言って、千早ちゃん。私のこと、どう思ってる?」
ダメだ。溢れる。
空っぽになった胸腔にあずささんへの愛が注がれ、耐えた涙も、貯めた想いも全部が溢れ出てしまいそうだ。
良いと思ったのに。終わって良いと思ったのに。そんなことを言われたら、私は抑えられない。注ぎ口を。全部を押し流してしまう川の流れを。自分の言葉を。
諦めなくてもいいと思えてしまえば、それに縋ってしまう。それに希望を見てしまう。だって、だって私は貴女のことが、こんなにも
「だいっ好きですっ……、あずささん」
溢れる。もう止まらない。想いが身体の外に出てしまう。
涙が彼女の肩口を濡らし、しがみつく指の先が震える。
言葉が零れる。
好きです。大好きです。愛しています。ずっと好きでした。ずっと愛していました。理由なんて無い。ただあなたが好きなんです。ただ愛しているんです、あずささん。好きで好きで、苦しいほどに。
嫌って欲しいと思っていました。辛いだけの片想いなら、もう消してしまいたかったんです。私は、私の臆病の為にあずささんに酷いことをしました。
でも、貴女は私が思っているより優しくて、私が思っているより大人で。私はそれに甘えて、もっと酷いことをしてきました。
私は臆病で、卑怯で、愚かで。本当なら、想いを伝える資格はありません。気持ちを口にする権利がありません。
でも、止まらないんです。溢れて溢れてどうしようもないんです。
好きです、あずささん。貴女の全部が知りたいんです。私の全てを知って欲しいんです。貴女の全部が欲しいんです。私の全てをあげたいんです。
好きです。大好きです。愛しています。あずささん。
渡した。今まで言葉にすることなく、歪んだ方法で押さえ込んでいた私の想い。言葉にして、それでもまだ足りない好きの気持ち。
あずささんの言葉を待つ。私の好きは重いだろうか。私の言葉は望んでいたものだろうか。私の気持ちは拾ってもらえるだろうか。今さら虫のいいことだろうか。
不安と希望で胸が痛い。一秒一秒が重く、硬い。
「千早ちゃん、こっちを向いて」
あずささんの声が私を促す。でも無理だ。彼女の目に見つめられる勇気がない。
「千早ちゃん」
ぐずっている私の顔をあずささんの手が包む。肩から引き剥がされ、強くて優しい瞳に向かい合わせられる。顔を背けたくて、目を瞑ってしまいたくて、でも吸い込まれるように見つめて離せないあずささんの瞳、あずささんの視線。
「あずさ、さん……」
伏せられる瞳。そっと顔が近づいてくる。あずささんからしてくれる初めてのキス。柔らかくて、優しくて、温かくて、愛しい。
「ありがとう、千早ちゃん。私も好きよ」
そう言って微笑んだあずささんは何よりも綺麗で、ただ美しくて。私も答えたいのに、私も笑いたいのに、私も大切なキスを貴女にしたいのに。
だけど、涙が溢れ出して止まらなかった。嬉しくて、幸せで、心地よくて。
長く、長く、私はあずささんの名前を呼びながら、あずささんに包まれて泣いた。
「ごめんなさい」
まだ少し鼻声だ。
「あら、どうして謝るのかしら」
「いえ、服を濡らしてしまったので……」
「もう、これくらい良いのに」
なんだか随分と泣いた。そして随分と恥ずかしいことを沢山言った。今日だけで涙も言葉も全部出てしまったような気がする。でも、あずささんと一緒に居れたらどちらもまた自然に出てくるのだろうな、と思う。嬉しかったり、悲しかったり、幸せだったり、温かかったりで。
「あの、あずささん……、私、顔を洗いに……」
泣いて泣いて泣いたのだ。今の私の顔はまぶたが腫れ、涙の跡が頬に残り、ひどく滑稽になっているに違いない。そんな顔を長く見られたくなくて立とうとするが、背中にあずささんの手がまわったままだ。腰を軽く揺すってみるも、解ける気配はない。
「だーめ」
それどころか、逆にさらに強く抱きしめられ、私の鼓動とあずささの鼓動が近くなる。
あずささんが私のことを好きだなんて、本当に信じられない。抱きしめてくれるあずささんの熱が、髪を梳いている指の優しさが確かに今を現実と教えてくれているのに、夢をたゆたっている感覚が抜けない。
私は幼稚で、そのせいであずささんを傷つけているばかりだったから。あずささんはその優しさで私を突き放せないだけで、私のことを憎んでいると思っていた。憎んでなくても、情なんてもうとっくに消えてしまっているものだと。
私は不誠実だ。疑念を抱いている。好きな人の好きの言葉を素直に受け入れられないでいる。あずささんが悪いのではなく、私が私のしてきたことが許されることを信じられないのだ。
この気持ちを口にすれば、あずささんはきっと悲しむだろう。どんなに巧みに着飾った言葉を並べても、結局は信頼していないことへの言い訳になってしまう。
あずささんを悲しませたくないという大義名分で、私の心の中にしまっておくことも出来る。
でも、それこそ不誠実で不道徳で、何よりも自身の感情からの逃げだ。その逃げに救いがないのはよく分かっている。いつか気持ちの泥濘に沈む日が来て、いつかあずささんを傷つける。逃げの果てに待つのは、同じ過ちの繰り返しだ。
もう、逃げたくない。
あずささんが好きと言ってくれるからこそ、私はこの言葉を口にしないといけない。あずささんに好意を受け取ってもらえて、あずささんに好意を与えてもらって恥ずかしくない人になる為に。
「あずささん、聞いてもいいですか?」
「なぁに?」
「どうして私を好きなったんですか? あなたに自分の想いを暴力的にぶつけることしかしなかったこんな私を……」
声が震える。心が恐れを持っている。
あぁ、如月千早という人間はどこまで傲慢なのか。あなたを信頼していないと宣っておきながら、嫌われたらどうしようと本気で怯えているのだ。
「千早ちゃん、私のこと信じてくれないの?」
あずささんの声音に弱気が混じる。当然とも言えるその反応に私は出せる言葉もなく、俯いて下唇を噛んだ。
「ふふっ、ごめんなさい。千早ちゃんが可愛いから、ちょっといじわるしちゃった」
一転して明るい気配を含んだ声に顔を上げると、ぺろっと可愛らしく舌を出したあずささんがいた。
私は真面目に話していて、恐らくあずささんも真面目にそうしている。私が暗くなるのを見て、明るく振舞ってくれているのだと思う。みんな真面目だ。でも私は冗談だったのかと安堵をつく前に、普段見ることのないあずささんの子供な表情に胸の奥がきゅっと跳ねる音を聞いた。
「千早ちゃんは私のこと勘違いしてる」
一つ柔らかく笑んで話を始める。
「私は流されやすいし、優柔不断だってよく言われるわ。でも、いくら痛みに同情したからって、好きでない人に体を許すなんてことはしない」
「それって……」
「確かに悲しかった。千早ちゃん、私の気持ちなんか考えてくれないんだもの。だけど、嫌じゃなかった。」
「本当……ですか?」
なら、私は、私たちは始めから同じ道を見つけていたということになる。
なんとも随分と遠回りをしていたことだ。私が最初に道を間違えなければ、私が最初にほんの少しだけ傷つく勇気を持てていれば、こんなに長く一人ぼっちで歩かずにすんだのに。こんなに長く彼女を一人にさせずに済んだのに。
いまさらもう遅い悔いが上がってくる。
「本当よ。確かめてみる?」
耳元で声が囁く。呼吸が肌をくすぐる。心臓が早い。
「確かめてって……」
そういえば私とあずささんはソファに寝転んだまま抱き合っていて、今さらながら肌がしっとりと蒸れるほどに密着していることを意識する。シャンプーとリンスとソープと、そしてあずささん自身の香りが一番近くにあって、大きいあずささんの胸が私との間に挟まれてその均整を崩して広がっている。自分の鼓動が煩い。
「い、いま、ですか?」
声が震える。緊張している。期待している。唾を嚥下することも、まばたきすることも意識して行わないと忘れそうになる。
「さぁ」
指が頬に触れる。顎を撫でる。唇をなぞる。
「どうかしら?」
潤み細められた瞳は熱を帯び、ほんのりと赤くなった肌が艶かしく、意地悪に笑う口端から赤い舌が覗く。右手の指は私の脈を計るように手首に巻きついていて、左手の指が背骨に沿って移動していく。押し倒したときに乱れた髪が妖艶な色を見せながら額にかかり、ソファの黒の上に伸びている。
残酷だ。この状況で私に選択をさせようとしている。そして、何を選んでも受け入れるつもりでいる。
この人はこんなに小悪魔な仕草をするひとだったろうか。小悪魔な表情が怖いくらいに似合う人だったろうか。
「あずささん……」
唇を寄せていく。あずささんが目を瞑る。
私は、こんなに呑まれやすい人間だったろうか。あずささんは本当はヴァンパイアで、魅了でも使ったんじゃないかと疑いたくなる。いま、私の目に映るあずささんは一等甘そうだ。
私も目を閉じる。今度は過ちじゃない。優しくて、深いキスを奉げたい。
合図まで5、4、3、
「はいさーい、みんな! 今日も頑張って……うわぁぁぁぁぁあ!」
「きゃぁぁぁぁぁ!」
説明をしよう。我那覇さんが事務所にやってきた。ソファで抱き合い、触れるか触れないかまで唇を近づけている私達を見つけて叫んだ。それにつられて私も叫んだ。あずささんは特に驚いていない。
「ちっ、千早たちっ、事務所でなにしようとしてるんだ!」
「ち、違うの我那覇さん! これは別にやましいことじゃなくて!」
嘘だ。さっきまでの私は至って不健全だった。
「ホントか!? なら、なんで二人はあんなに近づいてたんだよ!」
「そ、それは……! ほ、ほら、あずささんも誤解だってこと言ってください!」
うまく言い逃れが出来なくてあずささんに助けを求める。
「響ちゃん」
「な、なにさ、あずさ」
ひとつため息をして、私を強く抱きしめたあずささんがにこりと笑って答える。
「ちょっとお邪魔だから、少しだけ外で待っていてくれないかしら」
凍った。凍てつかされたと言うべきか。私と我那覇さんの時も思考も一瞬だけ完全に動けなくなった。
「うぎゃー! や、ややや、やっぱり不純じゃないかぁー!!」
「あ、あずささんっ!!」
顔が羞恥で熱い。
忘れていた。この人はたまにでなく、みんなの肝を抜くようなことを言う人だった。
「あら~、私なにかおかしなこと言ったかしら~」
なのに、本人ばかりが一人平然としているのだ。
あぁでも、そんなところも好きです、あずささん。
好きです。大好きです。愛しています。
これかもずっと。
終わり。次は明るい亜美真美を誰か書いてくれ
野暮なこというと千早はあずささんの歌を聴いて765入り決めたんじゃなかった?
>>18
まじか。無知が恥ずかしい。出家してくる
このSSまとめへのコメント
72この終わり