ほむら「想いの結晶」 (220)

魔法少女まどか☆マギカ-叛逆の物語- の続きを、妄想で書いたものです。
「始まりの物語」「永遠の物語」「叛逆の物語」その他関連作品のネタバレを含みます。
暇な方、よければお付き合いください。

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手に入れたのは孤独。
それでも私は満足だった。
一度ならず二度なくした命を、こうして彼女のために使えるのだから。

誰もが私を非難する、私のしたことは間違いだと。
たった一人それを受け入れてくれると思った彼女も、また答えは同じだった。
そのことに私は大きく揺らいだけれど、またどこかでそれを予想していたのか、理解することは容易かった。

それでも私はこの想いを貫こう。
あの子を呪いに縛り付けた世界など、絶対に許さない。受け入れない。
それさえ叶うなら、私はもう、何も要らない。

深い紫に沈んだ結晶を撫でると、脈動するように表面が波を打った。
怪しく光るそれは、変質した魂の容れ物は、私が神様に叛逆して、堕ちたことの証。
この想いで埋め尽くされた、とてもあたたかい闇に。


―――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――
―――――――――


眠りを必要としなくなったのはいつからだろうか。
魔法少女としての力を手に入れてから、だと思うけど、それでも暇を見つけて布団に入るようにはしていた。
そうしないと、恐怖で闇に呑みこまれてしまいそうだったから。

今となっては、闇は私そのもの。
慈しみこそすれ、恐れる道理など無い。
日が沈んでからは、見滝原を見渡せるこの丘の上で、時間を潰すようになった。

眠くもないので、別に不都合があるわけでもなし。
私の作りだした世界を眺めて、ただ時々目を閉じて開いて、を繰り返す。

とはいえ、別に、暇と言う訳でもない。
魔獣が湧けば使い魔に指示を出すし、時には自ら潰しに行くこともある。
そして、こんなことも、たまにはある。


「夜遊びかしら。美樹さやか」

「……誰が好き好んで。こいつらを差し向けたの、あんたでしょ」


声のする方へ振り向けば、そこに居たのは一人のクラスメイト、元、円環の鞄持ち。
美樹さやかが、私の使い魔を足元に引き連れて立っていた。
表情に浮かんで見えるのは、戸惑いと、若干の怒りと、敵意。
私に向けられたそれを感じて、口元が笑いのかたちにねじ曲がる。


「あら、困った子たち」


はぐらかすように答えて、手をゆっくりと招聘の形に二度動かす。
無邪気な声を上げて走り寄る使い魔たちを、あやすように撫でてあげた。
いくつかは弾けて闇に溶け、いくつかはまた楽しそうに私から散って行く。
その後姿に目線をやり、わざと美樹さやかを無視するような素振りを見せてやれば、分かりやすく彼女は苛立ちを隠さない。


「あんた、一体何なのよ。こいつら一体何なのよ」

「そんなに疑問に思うものかしら。私はとてもこの子たちを信頼しているけど」

「質問に答えてよ。あんた一体何なの」


ちょっと怒気を含んだ声で美樹さやかが繰り返す。
この問答も何回目だろう。
夜が訪れて、彼女が私の力に囚われるたび行われる問い掛け。

決まって安い挑発を浴びせれば、彼女はいつもその答えに辿り着く。
まあ、きっとまたすぐに忘れてしまうのだけど。
だからいつものように、私はその言葉を口にした。


「知ってるでしょう?」

「……そうだ、あんた、あんたは……あたしの、あたしたちの、敵で」



悪魔。
嗤うように、彼女の言葉を引き継いだ。


空間は歪み、私たちの戦いの場へと移る。
高層ビルの屋上あたりがいいかな。
うん、それがいい、そうしよう。

美樹さやかを伴い、降り立った地に吹き荒れるビル風が、私の身体を吹き抜けて濁った力の奔流になって、世界を隔離する壁となっていく。
今日の結界はちょっとご機嫌斜めかもしれない。
前から少し時間が空いてしまったからだろうか?
ちゃんと手加減しなきゃいけないんだけど。

閉ざされた世界の中に佇む魔法少女に声を掛ける。
この現象が何かなんて分かる訳もないだろう。
彼女に蘇っている記憶は、あの時に決別の証として宣言したこと、ただそれだけだ。
だから。



「いらっしゃい、美樹さやか」


「目的も存在も何も分からなくていい。でも、確かに私はあなたの敵」


「ただ、倒せばいい――そうでしょう?」


彼女の性格上、面倒なことがないのは楽でいい。
目の前の魔法少女が剣を構えたことを確認して、私も両の手を闇にかざす。

世界そのものと同化する私に、あなたが勝てる日は来るのかしら?
そう声に出さず呟いて、目の前に迫る敵意の塊に向かい力を解き放った。



「適当に運んでおいて頂戴。佐倉杏子には見つからないようにね」


使い魔に気絶した美樹さやかを担がせて、端的に指示を与え、また私は空を見上げる作業に戻った。
もうすぐ時は暁。
仄暗い霧を浮かべた空が、やがて金色の光を吐き出すだろう。

さあ、長い一日が、また始まる。
永遠にも等しい時に浸ろう。
あの子の傍で、あの子の彼方で。


そして、朝。
歩き慣れた通学路を行けば、通り過ぎていく人波の中に、見知った顔もいくつかある。

私が勝手に覚えているだけで、あちらは私のことなど覚えているはずもないけど。
群衆のざわめきと靴の鳴らす足音の合唱に紛れて、そんな彼女たちの声が聞こえてきた。


「こら、そんなに大きく口を開けて、はしたないわよ」

「なぎさは眠いのです……昨日の夜、マミお姉ちゃんがイタリア紀行番組なんて見つけるから悪いのです」

「う、確かにそれは私のせいだけど」


良く見知った顔の一つ、巴マミと話すもう一人は、改変の折に初めて知った存在。
私がまどかと一緒に引きずり下ろしてしまった、円環の理の一部。
幸か不幸か、因果なもので、こうして巴マミとよろしくやっている。
美樹さやかとも違い、これといって私に対してのアクションがないため、特に意に介することもなく放置している。
まあ、寂しがりのくせに強がりなあの人の隙間を埋めてくれるなら、むしろ苦労が減ってありがたい。


用もない、適当に歩を緩めてやりすごそう。
使い魔たちが後ろから私の背中を蹴っているのを無視しつつ、顔をゆっくり下に落とす。
落とそうとして、視線を受けた。
首を返してみれば、その感覚は消えていて、彼女たちは言葉を互いに交わしているのみ。


「……? どうしたの?」

「なんでもないのです」

「じゃあ行かなきゃ。あなた、今日は朝礼でしょ」

「めんどうなのです……遅刻しても」

「ダメに決まってるじゃない」


視線の主と思われる少女は、私の返す視線を意に介さず駆けていく。
私たちよりも一回りどころか二回りも小さいその後姿が、何を考えているのかは分からない。
自分の足が止まっていることに気付いた上、後ろからこれでもかというほど聞き覚えのある声が聞こえてきたので、そこで思考は中断した。


「さやかちゃん、眠そうだね」

「んー、なんかねえ。よくわかんないんだけど、最近睡眠不足気味で」

「授業中寝てばっかいるから夜寝れねーんじゃねーの?」

「あんたと一緒にすんな!」


賑やかな声に急き立てられるように、私は歩幅を広めて前に進む。
何よりも耳を捉えて離してくれない声に後ろ髪を引かれるけれど。
それは押し[ピーーー]。

ぐしゃりべちゃりと、私にまた赤い実がぶつけられる。
誰にも見えないその赤が視界を埋めて鬱陶しい。
耳に下がる結晶を撫でて心の平穏を保ちながら、ゆっくりゆっくり流れる風に逆らって歩いていく。
涼しかったはずの春の空気は、いつの間にか蒸し暑く変わっていた。



「……出来ました」

「あら、ええ、よく出来てますね。ではお昼休みにして結構ですよ」

「きりーつ、れい、ありがとうございましたー」


やる気のなく、それでいてやたらと早口な美樹さやかの号令によって、昼前の授業が切り上げられる。
私はと言えば、ホワイトボードの前に立って自分の書き上げた解答をぼんやりと眺めていた。
およそ中学で習うべき範囲を遥かに逸脱したそれは、この世界に与えた歪みの証。

間違いが無いことをもう一度確かめて、訪れた昼休みの喧噪の中に紛れながら、自席へと戻った。
ほんの少しだけ優越感を抱いてしまうのは、責められて然るべきだろうか。
机に突っ伏している佐倉杏子を見て、そんなことを思う。

またトマトが飛んで来たけど、これはどの部分に反応してのものだろうか?
投げて来た使い魔を一瞥してみると、そちらには何人かのクラスメイトが居て、ちょうどこっちを見ていたものだから面倒くさい。
悲鳴のようなものを上げて、ぱたぱたと駆けていった。

そんなに私の目つきは悪いのだろうか?
まあ、その方が不都合もなくていいのだけど。



「ぁ、あの」


そんなだから、私に声を掛けてくる奇特な存在なんて、ほとんど皆無に等しい。
ごくごく稀に、ごくごく限られた何人かの物好きが、それを試みるくらい。
聞こえなかった振りをして、通り過ぎてしまうこともある。
ただ、この声の持ち主にだけは、それはできなかった。


「ほむ……ら、ちゃん」


それが誰のものかなど、頭に介する必要はない。
いつ聞いても、その声は私の心を鷲掴みにして、思考を無理やりに止めさせるのだから。
心臓が大きく一度揺れる。
呼吸も止まって全身から汗が噴き出す。
見えないように背中で隠して、心臓のあるところを鷲掴みにした。
震えがおさまったことを確認し、表情を整えて、振り返る。



「何かしら」


続く言葉を、いつかのように言いかけて、そこで切る。
ちゃんと、それを、言い切らなきゃ。
簡単なことじゃない。
でも、私には、それを言う資格なんて、ないから。


「鹿目さん」


音を立てて続け様に潰れた赤い何かが、私の顔を染めていく。
こればかりは咎めようもないだろう。
そんな目線の先にいるまどかは、かわいらしいお弁当箱を抱えて、戸惑いながらも声を絞り出した。


「あ、あの、えっとね?よかったら、お昼ご飯、一緒にできたらな……って」


どもりながらも最後まで言葉を口にした彼女。
自信なさげに手元を小さくこねくり回しているのが、何とも言えず彼女らしい。
また、その後ろで美樹さやかが、何とも言い難い表情をしているのに気付いて、少しおかしくなってしまう。
思わず口元が綻んでしまい、自覚して目線を下に落としながら、唇を開く。


「そうね、気持ちはありがたいのだけど」


大丈夫。
私の返すべき言葉は決まってる。
表情に揺らぎは無い。
声も震える事は無い。
息を一つ吸って、答えよう。


「遠慮するわ。あなたとお友達の時間を、邪魔しては悪いから」


背を向けて、歩き去る。
振り向きざま、私の顔面へと綺麗にトマトが吸いこまれた。


そのお昼休み、学校の屋上で、だらりと手を投げ出す美樹さやかに佐倉杏子、それを呆れ半分で見ている巴マミと、まどか。
そんな四人を私は、遥か高く聳え立つ鉄塔の上から覗き見ていた。


『なあさやか、今日ノート取ってた?あたし途中から象形文字に見えてきて』

『いや、もうちょっと無理だわあれ。わけわかんないってば』

『美樹さん、二年生の内からあきらめちゃダメよ。三年生になったらもっと難しくなるものなんだから』

『あはは……わたしも、耳が痛いです』


みんなの声は耳元から聞こえてくる。
別に、そのために昇った訳じゃなくて、いつものようにここに来ただけだから。
ああもう、トマトうるさい。

鉄塔に背をあずけて、座り込んだ。
しばらくそのままで、じっとしていた。


四人の他愛ない会話が、ぶつりぶつりと聞こえてくる。
それを邪魔する風と、強烈な直射日光も、大した問題ではない。
世界の外にある太陽は、とてもゆっくりと動いている。

時間の流れなどに、この瞬間を邪魔できようもない。
ゆっくりと手を空にかざして、天上に鎮座する熱の塊を握り込むように力を込めた。


『そういやさ、まどか、さっき、ほむらの奴に何か言ってた?』


耳元から不意にこぼれた佐倉杏子の声で、私の動きは停止する。
寝てたのならそんなところまで耳聡く聞き止めなくてもいいだろうに。


『あ、うん……お昼ごはん。一緒にって誘ってみたんだけど、断られちゃった』

『あいつ、前からずっとそうだよ。あたしが誘ったこともあるけど、だめだったし』

『暁美さんのこと?』

『ああ。マミも知ってるんだっけ?』

『私と言うか、この学校中で知らない人はいないんじゃないかしら。有名人よ、あの子』

『そーですなあ。才色兼備で文武両道、どこか闇を背負ったような立ち居振る舞い……マンガのキャラかっつーの!』


まあ、あたしは苦手だけどね。
そんな一言が誰にも聞こえないほど小さく付け加えられたことを、私は喜ぶべきなのだろう。
一度切れた会話に安心して、全身に走った緊張感を緩めようとする。
その時に、まどかがまだ会話を引き継いだ。



『うん、なんか……上手く言えないんだけど、なんていうか、ほむらちゃん、すごいんだけど』


『いつ見ても、どこか、寂しそうで』


『声、かけてあげなきゃ、いけないかなって……』


一言一句、紡がれるたびに、私の胸は掻き毟られる。
そんな優しさを、かけてもらうつもりはないのに。
視界が明滅して揺れるけど、それは私のものではなく、世界そのものが揺らいだことによるものだった。
必死に耳元の宝石を握りこんで、その衝動を抑え込む。
息も荒い私をよそに、あの子たちの会話は、まだ続いている。


『鹿目さん、優しいのね』

『わたしも転校してきて色々不安だったけど……最初に声かけてくれたの、ほむらちゃんだったんです』

『ふうん。まあ、あたしは面倒くさいから、どっちでもいいけどさ』

『ちょっと、何言ってるのかはよくわかんなくて、怯えたりもしたけど……悪い人じゃないかな、って』

『……しょうがないなあ。まどかのそういうお人よしな所、昔から、本当に昔から、変わってないもんね』

『そ、そうかな……』


ええ、本当に変わってない。
それが人を傷つけることもあるのに、どこか暴力的なまでにあなたは優しい。
だから、私は――――



「こんな所で、何をしているのです?」


膝を抱え、思考に溺れていた私の頭は、不意に掛けられた一言で現実に呼び戻される。
それは中継された声ではなく、自分の真後ろから響いたもの。
聞き覚えは、あった。


「どうやって登ったのかは分からないけど、もし怖くて降りられないのなら、なぎさが助けてあげるのですよ」

「……そう、有難い申し出だけど、その必要はないわ」


百江なぎさ。
彼女こそどうやって登ったのかと聞いてみたいが、それを問う前に、中指の紋章に気付いた。
よく考えてみると、美樹さやかも魔法少女としてこの世界に落としてしまったのなら、それは道理だろう。

彼女に、円環の記憶があるということはないだろう。
ほとんど接点がないだけに、どう扱っていいかも分からないのが、不気味ではあるが。
ひとまず後ろは振り向かずに、手に力をもう一度込めて、世界の揺らぎをおとなしくさせた。



「お勤め御苦労様。目に見える範囲に魔獣はいないから、お昼休みが終わる前に戻りなさい」


わざわざ関わりを持つ必要なんてないだろう。
言って、私は彼女の視界から消える。
鉄塔の上から、地面に向かって、さかさまに落ちて行く。
驚いた風な気配を感じたけれど、私の言葉の意味が分かるなら、無理に追って来ると言うこともないだろう。

落ちて行く世界はもう安定していた。
これからのことを思うと、楽観出来たものではないけれど、どうしたものか。
風を切りながら、身体をひねって見滝原中の屋上へと目をやる。
彼女たちはまだ談笑に興じている。


「…………!?」


はずの、一人。
偶然か必然か、彼女だけが、不意に首をこちらに向けた。
これだけの距離があって、尚も私のことを確認できる視力は、褒めてあげるべきか。

その邂逅は一瞬。
座ったまま顔を引き攣らせる彼女と、逆しまに落ちて行きながら笑う私。
つくづく、因果なものだと、思う。
声を上げて全員に気付かせることもなく、固まっていてくれて、ありがとう。
そんな気持ちを素直に、笑いに込めた。

さて、何食わぬ顔で午後の授業に出てやろう。
彼女はどんな顔をして私に接するのだろう。
暗い楽しみが出来たことを自覚しながら、私は地面に向かって加速する。



結局、その日、それ以上の接触は無かった。
美樹さやかが、屋上で見たことを追求してくることも、無かった。
身構えてはいたものの、ありがたくはあったかもしれない。
時は間もなく夕暮れ。
魔獣が活発に動き始める、欲望の渦巻く街の夜明け。

いつもの丘の上で、私は街を遍く眺める。
魔獣たちが生まれては消え、生まれては潰されを繰り返しているのは、私の使い魔と、彼女たちによるもの。
この街に居る魔法少女は、四人。
美樹さやかと佐倉杏子、巴マミと百江なぎさ。
今、彼女たちは、風見野との街境あたりに湧いた魔獣と交戦しているようだ。


「そろそろ仕事よ。さっさと行って来なさい」


彼女たちは相応に消耗しているし、グリーフキューブもそれなりに消費するだろう。
声をかけた相手に、傷だらけの風貌を無理やり整えさせて、戒めから解放した。



「僕たちの仕事だ。言われずとも行くさ」

「あら、口答えなんて生意気ね」


人差し指を縦に下ろすと、そいつは真っ二つに斬り割かれる。
せっかく直してあげたのに、バカな子ね。
あなたの言う所によると、もったいない、そうなんでしょう?

まだ何かを言いたそうにしているそいつの口を、無理やりに閉じさせて、送り出した。
私とあなたの上下関係など、もう痛いほどに理解しているでしょうに。
あなたの意志も何も、私の前どころか、この世界では無力なのだから。


「さて、私も行きましょう」


そいつの影が消えたことを確認して、私も立ち上がる。
黒い翼と悪魔の装丁を身に纏い、たった一人で向かう場所。
魔法少女たちは使い魔たちが誘導してくれているだろうから、それを邪魔する者はどこにもいない。


降り立った場所、あの子が暮らす家の屋根の上で、私は周りを一瞥する。
半分ほど落ちた陽が、木々や家の影を長く伸ばして、世界を黄金色と黒の二色に染め上げていた。

その中に混じる、白色の異物。
世界の歪みを正すための存在。
二度の改変を受けた世界が遣わした、人々の負の感情を吸って具現するモノ。
魔獣。

標的は、まどか。
世界を変えてしまい、本来なら概念として昇華したはずが、私の手によって落とされたため、今はただの人間である彼女。
魔獣からすれば、これほど分かりやすい標的もないのだろう。
そして。


「私は悪魔。世界の理を乱し、蹂躙するモノ」


「あなたたちを理の存在だとするなら、私が敵対するのは当たり前よね」


「いらっしゃい。残らずこの手で滅ぼしてあげる」


この瞬間だけは、私が私であると、心の底から実感できる。
ああ、なんて楽しいのだろう。
信念のままに、破壊を振り撒くのは――――

翼を広げて、想いの向かうままに力を爆発させる。
黒い奔流は逆巻きながら、あの子の暮らす場所だけを無風にして、魔獣を飲み込み噛み砕いていく。
中に居るあの子は何も気付かない。
どうか、そのままで。


ひとしきり暴れ終えると、日は完全に暮れてしまっていた。
風は無く、音も無く寝静まった見滝原の街を駆けて、帰るべき場所へと帰っていく。
楽しい時間は終わり。
また明日と、小さく言い残して。

手元に残った大量のグリーフブロックを遊ばせて、結局使い魔に放り渡す。
今の私には必要のないもの。
彼女たちに適当な形で渡してやればいいだろう。
そんなことを思っているうちに、いつしか一山作れるほど貯まってしまっていたが。
意識を自分自身に戻すと、ふと言葉がこぼれた。


「……寒いとは、一応感じるのね」


夏の盛りも過ぎて、夜の帳が下りた頃。
眠気も食欲も無くなってしまった私でも、まだ気温の変化くらいは分かるらしい。
きっとそれも、無くそうと思えば、無くしてしまえるのだろうけど。

そんな、いつになく空が綺麗な夜。
半分に欠けた月を遮るものは何もなく、仄かな光が街に、そしてあの丘に降り注いでいた。
遠目に見てもそれと分かる人影が一つ。
どうやら今日のフルコースは、まだ終わりではないらしい。


「遅かったじゃん」

「待っていてくれたのかしら。奇妙なこともあるものね」


青い騎士の足元には、バツの悪そうにした使い魔が隠れている。
構わず手を振って迎えてやった。
ひとしきり撫でて満足させてやったところで、美樹さやかが口を開く。


「ここに来ないと、どうしても思い出せないんだよね」


「あんたが悪魔だってこと。学校じゃ、何とも言えない不信と不安があるだけで、あんたも何をするでもなし」


「ねえ、あんたさ、何で悪魔なんて名乗ってんの?」


「あたしたち魔法少女が戦う存在は、魔獣。で、悪魔なんて聞いたこともない」


「それとも何か、関係でもあるわけ?」


私の定位置で立ちぼうける彼女の表情は見えない。
質問を受けた私は思わず思考に耽る。
そういえば、その関連性なんて、考えたこともなかったけど。


「面白い質問をするのね」


「そうね、私は――――」


囁きながら、言葉を巡らせる。
つい先ほどまで蹴散らしていた理の存在。
世界の歪みを与えた根源を消し去るため、世界が生みだしたワクチンとでも言うべきか。
歪みを与えたのはまどか。
彼女にそんな行動をけしかけたのは、概念たらしめたのは、そう、他の誰でも無い。
世界を渡り、因果の糸を幾重にも巻き付けて、意志を与え、力を与え、手段を与えたのは、たった一人。
答えは自然と湧いた。



「生みの親」


途端、爆発するような勢いで、力が噴き上がる。
ああ、それはきっと必然だった。
私が、悪魔を名乗ったことは、偶然ではなかった。

何もかもの元凶として、世界の在り様をぐちゃぐちゃに乱した挙句、結果に納得がいかないとテーブルをひっくりかえす。
まるで駄々をこねる子供のよう。
自嘲は留まる事を知らず、それに呼応するように闇は私の周りを取り囲んで光を侵食していく。


「……そう、よくわかったよ」


そう呟き、剣を構える美樹さやかが視界の端に映った。
それでいい、私に余計な慈悲なんてかける必要は無い。
あなたたちが私を共通の敵と認識してくれるなら、それ以上のことは無い。

さあ、ダンスを踊りましょう。
相手があの子じゃないのは残念だけれど、あなただって、十分に素敵よ。



「まあ、これくらいでいいわ」


結界を解き、力尽きて倒れ伏す魔法少女に目をやる。
きっといつものように気絶しているのだろう。
そのまま放っておいてもいいのだけど、あの子の悲しむであろう様子を思い浮かべて歩み寄る。
せっかくの遊び相手を、簡単になくしてしまうのも味気ないし。

ソウルジェムは力の消費でやや濁っている。傷は欠片もない。
使い魔を呼び、さっき預けた黒い結晶を受け取って、穢れを取ってやろうとした所で、
腕を掴まれた。

一瞬の困惑も顔には出さず、笑う様にその反抗を受け止める。
随分と今日は手ごたえがないと思っていたが、どうやらこの瞬間のために、回復に力を注いでいたらしい。
それくらいはしてくれないと、楽しめないか。


「何で、助けるのよ」


「何であたしを殺さないの。あんたが魔獣の親玉なら、あたしはあんたの敵なんでしょ」


「言ってることとやってることがむちゃくちゃじゃん。あんた、本ッ当に、何なのよ」


絞り出された言葉に感じられるのは、戸惑いと怒り。
握られた腕に力が込められるのを感じ、それをあえて振り解かずに顔を見下ろす。

視線に、不思議と敵意は感じられない。
いや、それを押し殺そうとしているような感じ。
理解できないものを理解しようとすることに意味はあるのか。
私のしてきたことなど、誰に分かるはずもないと言うのに。


「知りたい?」


意地悪な問い掛けに、彼女は沈黙と睨み付ける視線で返した。
今すぐにでもその命を手折られてもおかしくないのに、随分と気丈なことだ。
でも、いつだって、あなたはそうだったわね。


「人間の好奇心って、残酷なものよね」


「知らなくていいことも、知ろうとせずにはいられない。いつだってその先には後悔しかないのに」


「記憶って厄介よ。一度思い出してしまえば、囚われて、動けなくなる」


「今の満ち足りたあなたに、それを背負う覚悟はある?」


繰り返す問い掛けにも、合わせる視線は揺るがない。
羨ましいほどの強さだった。
一度顔を逸らして、空へと向ける。
そこには半分に欠けた月。
真っ二つに割られた世界。
私にそれを拒否する理由はない。
立ち塞がるなら、叩き潰すだけ。
折れてしまうなら、それだけのこと。


「じゃあ、返してあげる」


「あなたがあなたであったことの証明を」


「運が良ければ、思い出せるかもしれないわね」


見上げた視線を下ろして合わせて、距離をそのまま詰めていく。
接触してしまいそうなほどに。
最初は意味の分からない体でいた彼女も、ようやく気付いたらしい。
困惑やら何やらが混ぜこぜになった表情で抵抗しようとするけど、私の使い魔たちがきっちりと押さえ込んでいる以上、無駄骨に終わるだけだ。
がっしりと頭の後ろに手を入れて、そんな儚い足掻きを断ち切らせて、唇を動かす。


「残念ね。こちらでも良ければ喜んでそうしたのだけど」


吐息がかかるどころか、相手の口腔へと入っていくほどにまで接近してやっと、名残惜しく頭の位置をずらす。
向かった先は首筋。
真っ白な肌に向かってキスを落とした。
そのまま、強く吸って疵を残す。
唇を離せば、そこには綺麗な黒百合が咲いていた。

これ見よがしに口の周りを舌で舐めながら、私の作ったそれと、彼女の顔を交互に眺める。
それはさしずめ、悪魔の口付けとでも呼ぶべきか。
まだ何をされたのか理解できていない彼女は、目をぱちくりと動かすだけ。



「何……あんた、一体、何を」


ようやく口をついたらしい言葉も、現状の不理解を表すのみ。
身体で理解させた方がいいのかもしれない。
目を瞑っていればよかったのにと、内心で息を吐きながら、人差し指を唾液で濡らし。


「これは、あなたの絶望」


「この世界を怨み、呪い、憎んだ証」


「ほら、こんな風に」


そして、黒く綺麗に咲いた傷へと挿し入れる。
途端に身体がびくんと跳ねて、彼女の口はこの世のものとは思えない悲鳴をこぼし始めた。



「っ、あ」


そんな彼女を見て、私は何を感じたのか。零れた声は何なのか。
すぐに指は引き抜いたけれど、なぜかその先端は震えている。
返す手をまた伸ばそうとして、止めて、戻した。
一方、使い魔たちが何人か吹き飛ばされるほどの力で暴れていたのもどこへやら、彼女はただ肩で荒く息をしているのみ。
一気に濁ったソウルジェムへ紫色の石をあてがいながら、聞こえているかも分からない言葉をかける。
振り払うように頭を揺らしてから。
声は幸いにも、いつもと同じだった。


「かつてあなた達魔法少女が、希望の果てに辿り着いた存在がこれ」


「そのさらに果て、想いの行き着く先に居るのが、あの子と、私」


「来れるものなら、来てみなさい」


返事はなかった。
とはいえ、無理もないだろう。
黙って濁りを取り終えると、運ぶように指示を下した。

貯めておいたグリーフキューブが、とりあえず無駄になることはなさそうだ。
草葉の陰に転がしておいたインキュベーターに向かって使用済みのそれを放り投げながら、そんなことを思う。
どう繕っても、口元が歪んでしまうのは、隠し切れないようだけど。

時間がありませんで、いったんここまでです。
>>11が残念なことになってますが、「押し殺す」です、ごめんなさい。
一週間以内には完結させますので、よろしくお願いします。


堕ちて来た世界。
仄暗い肌寒い闇に包まれた、どこまでも続くような一本道。
天井にも壁にも床にも、一面に散りばめられた嘆きと歓びのシルエット。


「暁美ほむら、君の歩んできた記憶だよ」


言われるまでもなく、その感情は私のものだった。
手に取ったそれは、私の瞬間の想いを燃やして、焙り出して、儚く消える。
そして、私の中から、消えていく。


「ここは、希望を願い、呪いを生んだ、魔法少女のためだけの結界だ」


「君の過ごした幾多の世界、数多の想い。君の力となったそれらを全て、忘却して、消し去るための場所」


一歩、前に進んだ。
踏み付けた記憶の欠片が、通り過ぎた記憶の欠片が、一つ、また一つ、燃えて、溶けて、消える。
私の心が、何かを無くしていく。


「一歩。それが、君のかつて過ごした一日だ」


「足を進める度に、君は過去を忘れていく。希望も、絶望も、何もかもすべて」


「それでも君は進むんだろうね。この魔女から世界を取り戻せなければ、いずれ辿る末路は同じだ」


暖かい想いも。

冷たい想いも。

私が抱えて生きてきた、全ての記憶が、追憶の果てに、忘却の果てに、消えていく。

奪った命。

救った命。

恨んだ。恨まれた。感謝もされた。怒られもした。

そのすべてをせめて忘れまいと、この心が折れようと背負い続けると、繰り返す時の中で誓ったはずなのに。

そのすべてが、消えていく。


どの欠片にも浮かび上がる一人の少女。

私の全てを捧げると定めた存在。

泣いて、笑って、怒って、喜んで、その全ての表情が掻き消えて、後には何も残らない。

それを悲しいと思う感情すら、私の中から消えていく。

私はそのすべてを忘れていく。

たった一つの祈りを守るために、その祈りすらも忘れて、私は歩いていく。

結界の最深部へと。


合唱が聞こえる。

合奏が聴こえる。

来訪者を歓迎する交響曲が、狂ったように鳴り響く。

一瞬とも無限とも付かない歩みの果てに。

私はそこへと辿り着く。



「さあ、舞台は整った」


「世界に忘れ去られることを望み、世界の全てを忘れ去った、君という存在が迎える結末」


「僕が、見届けよう」


もはや意味の分からない言葉が耳を通り抜けて、私はのろのろと耳に触れる。
そこには一つの感触があった。
どうしようもないほど薄くなって脆くなって、力を込めれば壊れてしまいそうな結晶。
力を、込めた。
弱々しい光が、私を薄く包んだ。


形を為したのは、たった一つ、折れた片翼だけ。
それ以外の何も無かった。
それでも十分だった。

焦点の合わない視線を持ち上げて、目の前に聳える巨大な何かへ合わせる。
微かに感じる力は、今にも尽き果ててしまうのだろう。
それでも私は、この右腕を掲げて、力を込めようとしていた。



「戦う意志を示せるだけで、驚きだよ」


「君の魂にすら刻み込まれたその感情はやはり、僕たちには制御しきれないものだったんだろうね」


「けど、それまでだ」


「全ての因果、呪いを繋ぎ合せた復讐。君がどんな存在であろうとも、神にも等しい存在であろうとも、その願いは叶えられる」


「僕たちの手によって」


大きな触手が、横薙ぎに振るわれた。
一瞬、視界がそれで埋まり、また開けて、そこには肘から先のない私の右腕があった。
傷口からは、光と闇が粒子になってこぼれていく。

悟ってしまう。

終わりなんだと。

膝から崩れ落ち、残った左手で、わずかな力を振り絞って、耳からその欠片を千切り取る。
私の大切な、何よりも大切だったはずのその宝物。
見る影もないほどに痛めつけられて、そうであった証すら喪って。


ただ、その瞬間は一緒にと、

掌に握り込んで、

胸にかき抱いて、

目を閉じた。

落とした瞼の裏の暗い世界が、光を遮って、より暗くなる。

何かが風を切る音が大きくなって、迫って来て、その存在を間近に感じる。

何もない虚無の彼方へと、私の存在は、潰されて、消えていく――――




「させないよ!」



それは、来ない。
代わりに来たのは、耳を打ったのは、ここにいたどれでもないはずの、声。
聞いた記憶は、もうない。
けど、なぜか。
懐かしかった。



「バカな……美樹さやか、君が、どうして!」

「魔女の結界に魔法少女が居て、それの何がおかしいってのさ!」


開いた目に飛び込むのは、蒼い騎士。
小さなそれと、大きなそれ。
巨大な甲冑が、巨大な脳味噌と組み合って、少女が一人飛び回って、触手を次々と切り落している。


「違う、魔法少女なら、この結界を動き回れるはずがない!」

「そうね、正確に言うなら今のあたしは、魔法少女じゃない」

「……忘却の力も受けず、魔女の力を駆って、そうか、君は、円環の」

「結界が綻んで助かったのは、あんただけじゃなかったってこと。あれだけ言われてトドメもささないそこの悪魔が、あの子に繋がる口まで置いていったしね!」


そう叫びながら飛び回る少女の首元には、何故だかこの目が捉えたそこには、白と黒が綺麗に半分ずつ咲いている。
そして、剣を空に突き立てた。
なにもないはずの空間。
そこに刺さった切っ先は、五芒星を描いて虚空を割る。
空間の破片を飛び散らして、なにもなかったはずの世界から、さらに少女たちが飛び出して来た。
私と、立ちはだかる敵を、遮るかのように。


「遅っせーぞ、さやか!」

「そう言わないの。私たちだけじゃ入れなかったんだから」

「円環の鞄持ちを名乗るなら、それくらいさっさとこなしてくれないと困るのですよ」

「……ありがとう、さやかちゃん。おかげで、間に合ったよ」


降りて来た少女は四人。
三人は思い思いに武器を構え、戦場に立つ。
一人は私の元へと駆け寄って、私のことを、抱き締めた。


「ばか、ほむらちゃん」


「一人になっちゃダメって、あれだけ、言ったのに」


言葉の意味は分からない。
でも、瞼から透明な液体が溢れて、頬を伝って、零れていった。



「二人とも、後ろには下がっても大丈夫ですが、絶対に前には進まないで、なのです。あそこで戦えるのは、今は、さやかだけ」

「下がるって、冗談言ってんじゃないよ」

「そうね。だって後ろに引いちゃったら、あの子たちを守れない」


言うや否や、私たちと彼女たちの間に、槍が十文字に組み合わさりながら生えてくる。
槍の一本一本にはリボンが巻き付いて、光を纏い、壁を作り、何かを立て続けに受け止めた。
黄金色に光り輝くそれは、とても眩しい。


「……みんな、すごいのです。普通なら足がすくんで動けないような相手なのに」

「ま、あの時の延長だ。あいつ自身を相手に戦えなんて言われるよりは、よっぽどいい」

「正直、怖いわよ。それでも、あなたたちと過ごした時間を奪われることの方が、よっぽど嫌だから」

「なぎさも、です。絶対に負けないのですよ、時間稼ぎの大役、果たしてみせるのです」



壁の向こうから声が聞こえて、そしてその声は絶える。
残されたのは、私と、一人と、一匹。
静寂を裂いて口を開くのは、私を抱きしめている少女と、白い小動物のような何か。


「キュゥべえ」

「君は、円環の理そのもの、という解釈でいいのかな?」

「力は無いし、切り離された人間としての存在でしかないけど。全部思い出したよ」

「なら、君にも分かるだろう。時間稼ぎをして、それでどうなるものでもない」

「そうだね。全ての魔法少女を消し去ったら、かつて魔法少女だった私たちを消して、そして」

「魔法少女を生み出した僕たちもまた消して、その果てに彼女自身も消えるだろうね」


淡々と言葉が継がれていく。
肩越しに紡がれるその会話に割り入ることは、できない。


「あなたたちは、それでいいの?」

「触れてはいけないモノに手を出した報いだろう。それ以外に手段が無いなら、それはきっと僕たちの義務なのさ」

「じゃあ、その義務」


わたしが、貰うね。
そう聞こえた一言で、私の体が何故だか震えた。
それを感じたのか、抱き締める力はまた強くなって。
彼女はまた言葉を続ける。



「魔法少女の呪いを、引き受けるのはわたし」


「そのために、ほむらちゃんが与えた歪みを、元に戻す。わたしは人間としてのわたしを還して、あの子を呪いから救う」


「世界はまた魔獣と魔法少女の戦いで続いていって、あなたたちも変わらずに魔法少女と寄り添う」


「それじゃ、だめかな」


震えは次第に小刻みに、大きくなって、何かを私に伝えようとする。
でもそれが何か、もう私には分からない。
空っぽの私に訴えかける空っぽのはずの私の魂に、私は何も応えられない。


「悪い提案ではないね。でも、それを僕たちが受け入れるとして、どうやって成し遂げるつもりだい」

「そのための力は、あなたが持ってる」

「そうか。君は人間として、その存在を切り離されたんだったね」

「できるよね」

「うん、できるんじゃないかな」


その声を区切りに、私から一人が力を抜いて、立ち上がる。
満たされていた感触が抜け落ちていくことを嫌がって、彼女の裾を掴む。
行かないでと、言おうとしたけど。
私はもう、それを伝えるための言葉も忘れている。



「……ア、ァ」


生まれたての私が漏らしたのは、ただの音。
彼女の服を掴んで引っ張って、首を振って、ワガママを言うだけ。

その子の力に抗えなくて。
両腕で引っ張って、引き戻そうとするけど、私の右腕はもうそこになかった。
バランスを崩して私は前のめりに倒れ込む。
掴んだ手もあえなく、ずり落ちて地面を強かに打つ。



「ごめん」


「わたしもね、わたしのワガママを通すの」


「そんな状態のほむらちゃんを見ていられない。たとえその先の未来をあなたが望まないとしても」


「最後に、ゆっくり話そう?」


「だから、ここで、待ってて」


膝を折り。
地に伏し、頭を必死に持ち上げる私に目線を合わせて。
涙を溢しながら彼女は私にそう語りかけて、また立ち上がる。
私を追い抜いて白い小動物が、そこに駆けていく。


何かを言おうとした。
何も、言えなかった。


「――――――――」


そして、眩い光が視界を焼く。

私の守ろうとしたもの何もかもが、消えていく。

代わりに、私を包む暖かい何かが、私の意識を優しく奪って、この世界に、満ちていく。



声が聞こえる。
何人くらいだろう。
私がよく知っているはずの声。
そのことに気付いた時、私の瞼はいつしか、見開いていた。


「……起きた?」


開けた視界に飛び込んで来たのは、光。
眩しくて何も見えなくて、一瞬視力を失う私に、声が飛ばされた。
光源と私を遮るように、一人の少女が私を見下ろす。
やっと像を移すようになった瞳が、最初に捉えるのは、魔法少女になった彼女。


「……まど、か」

「おはよう、ほむらちゃん」


膝枕をしてもらっていたことに、今更ながら、ようやく気付く。
上体を起こすのを手伝ってもらい、周りを見渡せば、そこは私の箱庭の頂点、あの丘だった。
そこには全員が揃っていた。
美樹さやか、巴マミ、佐倉杏子、百江なぎさ、そして、まどかと、私。

ふと気が付いて目をやれば、自分の右腕が確かにそこにある。
あれほど長く長く寄り添った、魔法少女の衣装に身を包んで。
それからまた、まどかを見た。
その姿が意味する所を理解して、私はまた、この子に守られてしまったことを、悟る。


「どうして」


「また私は、あなたを、守れなくて」


「それなのに、あなたは、私の、ことを……」


怒りとも悲しみともつかない声が、形をもらって口から出ていく。
こんなにも弱い私が、ただ恨めしかった。
何をしたって、どんな姿になり果てたって、それだけを守り通すと誓ったはずなのに。

きっと今から、あなたはまた消えてしまうのだろう。
全ての絶望を引き受けて、魔法少女たちを見守りながら、無限の刻を過ごしていくのだろう。
目の前にいるのに。
手を伸ばせば届くはずの距離が、こんなにも遠い。


「あなたはどうして、そんなに強いの」


「耐えられないよ。私には耐えられなかった」


「たった独りで、独りだけで、全ての想いを背負って、絶望することも許されないで、ずっと、ずっと……!」


それを代わりに決意したはずの私は、どうしようもなくみじめだった。
泣いて、叫んで、嫌がって、抗って、それしかないと分かっていても抵抗して。
あなたと別れたくないと吠える私自身を必死に抑えつけていた。
そんな風に、穏やかに笑うなんて、とても、できなかったのに。

思い出した哀しみに囚われて、また涙を流す私を、まどかが胸元に抱き寄せた。
そこで大粒の涙を流す私に、まどかは諭すような声を掛ける。


「ううん、わたし、そんなに強くないよ」


「わたしだって、辛いし、怖いし」


「ほむらちゃんが与えてくれた時間、心の底から、嬉しいって感じたもの」


その答えは、いつかここで聞いたものと同じだった。
でも、答えにはなってない。
だってそれなら、今のあなたのその表情は、ありえないものだから。

察してくれたのだろう。
私の頭を優しく撫でて、まどかはまた言葉を継ぐ。


「愛してくれたから」


「パパ、ママ、大切な人たちみんなが、そして誰よりも」


「ほむらちゃんが、わたしのことを、こんなにも愛してくれたから」


「だから、今度はわたしが、みんなのことを愛したいって思うの」


「この誓いがどんなに辛くても、みんなのくれた勇気が一緒だから、きっとわたしは負けずにいられる」


それはとても高潔な想い。
強く、優しく、私なんか及びの付かないくらい、手の届かない所まで昇って行ってしまった証。
それが私とあなたの違いだと言うのなら。


「っ、そんな、それなら、あなたをそうやって送り出してしまうくらいなら、私は、あなたを」

「嫌いに、なっちゃう?」

「――――ッ、う、バカ、バカ、バカ……!」

「……ごめん、いじわるだったね」


腕を抗議の形にして、まどかの胸を叩き続ける私に、力は無い。
何を言っても、きっとこの子の決意は変わらないのだろう。
私を暖かく包み込んでくれるこの愛は、私だけには留まらなくて、きっとこの世界すべてに向けられたものなんだ。


どれだけ時間が経っても、私から流れる涙は止まらない。
涙と鼻水でぼろぼろになった顔に、まどかがハンカチを押し当てて、拭ってくれた。
そして、言った。


「ほむらちゃん、わたしね、気付いてたこと、あるんだ」


「でも、見ない振りをしてた。それを聞いたら、きっとわたしは躊躇っちゃうと思って」


「そのせいで、きっとこうなっちゃったんだと思う」


「だから、聞かせて欲しいんだ」


「あなたの本当の想いを、その口から」


私の全てを突き動かした、その衝動、その欲望。
ずっと心の奥底に秘め続けた、たったひとつの想い。
いつしか伝わらないと諦めた。叶わないと決めつけた。
きっと今も、それを口にしたところで、まどかを待ち受けている運命は、変わらない。
まどかの決意を、変えてしまうような力は、ない。


それでも。
届け、この愛。



「私ね、まどかと一緒に居たい」


「まどかと一緒に笑って、泣いて、この世界を生きていたい」


「私の世界は、まどかが開いてくれたの。世界の綺麗な所も、醜い所も、みんなまどかが見せてくれた」


「だからお願い。私の傍を離れないで、私と一緒に生きて」


包み隠さない私の想い。
あなただけに捧げる私の愛を。
どうか、受け取って。


まどかの目にも、涙があった。
悲しそうに、笑っていた。



「ほむらちゃん、わたしね、嬉しいよ」


「こんなわたしを、こんなにも欲してくれて、すごく幸せ」


「そして、ずるいわたしを許して」


「嬉しいけど、甘えたいけど、わたしは、わたしのために、その言葉に勇気をもらって、あなたの元を離れます」


「どんなに愛してもらっても、欲してもらっても、やっぱり、わたしは、わたしの想いを、裏切れ、ません……」


そして、泣いてしまった。
泣いている私が今度は、まどかを胸元に引き寄せて、また抱き締めながら泣き暮れる。
想いは通じて触れ合ったけど、すれ違ってしまう。

私は私のために。
まどかはまどかのために。
譲れない一線があって、二つの歯車は決して噛み合わない。



「気は、済んだ?」


どれほどの時間が経っただろう。
どれほどの涙を流したのだろう。
目が真っ赤に脹れ上がるほど泣いた私たちに、そう声が掛けられた。


「……さやかちゃん」

「そろそろ、お呼びみたいよ」


ほとんど二人同時に、呼び掛けに振り向いてみれば、そこには宙へと浮かび上がった美樹さやかと百江なぎさが居た。
そして、私の腕の中に居るまどかも、上に向かって引っ張り上げられる。
まどかは私の服を掴んで、抵抗した。
それが何を意味するかって、分かってるはずなのに。


「まどか」

「っ、わたし、まだ、ほむらちゃんと、お話しないといけないこと、いっぱい」

「いいの。私は私の想いを、今度こそちゃんと伝えたから。あなたの想いも確かに、受け取ったから」


そう言って、指を優しく解いた。
誰よりもそれに驚いた顔をしているまどかに、顔を合わせる。
不思議なほど、これまでにないほど、私の表情は穏やかだった。
そして、宣言する。


「諦めないよ」

「え、っ」

「あなたの願いも、私の願いも。あなたに救ってもらったこの命を賭けて、かなえる道を探してみせる」


そう。
私の憧れたあなたは、誰よりも強く、優しく、気高かった。
決して折れない希望を抱いて、その願いを叶えようとするあなただからこそ、私はこの想いを持つに至ったのだから。
私もまた、それに相応しいほど、強くなろう。
どんな困難があったって、乗り越えて、その未来を掴めるほどに。
こうしてようやく、回り道をして、遠回りをして、想いを伝えあった今。
怖くなんて、ない。



「まどかも、いつか、言ったよね」


「魔法少女は、夢と希望をかなえるんだって」


「私たち、魔法が使えるんだよ。奇跡を起こせるんだよ。それなら、私が諦めない限り、不可能なんてあるわけない」


手を、まどかの前に差し出した。
それが何を意味するのか、まどかはすぐに理解してくれて。
三度、そのリボンは、持ち主を変えて私の元にやって来る。


そして、首を振って、空に浮かぶもう二人に目をやった。
まどかだけじゃなく、彼女に、私は言わなければいけないことがある。


「美樹さやか」

「なんだよ、もうまどかのことはいいわけ?」

「いいわけないでしょう。でも、私はあなたに、謝らなきゃ」

「どれのことさ」

「全部。あなたに弱い私を重ねて、傷を抉って、その挙句助けてもらって。何を言っても、きっと足りないでしょうけど」

「……いいよ。あたしだって、そのおかげで気付けたこと、あるんだからさ」


そう言って、彼女はまどかの方を向いた。
首元にもう、私の口付けはない。
それでも彼女は、その感情を受け止めていた。


「あたしの抱いた呪い。全部、まどかに押し付けちゃったけど」


「きっと、その呪いも含めて、あたしなんだ。悲しくても、痛くても、きっと」


「こんなこと、贅沢かもしれないけど……あたしたちが、それを受け止められるくらいまで、傷を癒せたなら」


「あたしたち魔法少女に、その呪いを還してあげてくれないかな」


「まどかだけに背負ってもらうんじゃ、不公平だよ。あたしたちだって、希望を願った対価を、ちゃんと払わなきゃ」


その言葉を受けたまどかは、少しだけ衝撃を受けたような顔をして、そしてすぐ、満面の笑みに変わる。
心強い言葉だった。
まどかのその表情がきっと、すべての答えだった。


「なぎさは、なんかないの?」

「なぎさは、マミや杏子、みんなに沢山のものをもらったのです。欲しかったもの全部を与えてくれたのですから、未練なんてないのですよ」


言葉を不意に受けた巴マミと佐倉杏子が、不意にたじろいだ。
良く見れば二人とも、泣いていた。
当たり前か。
こっちの世界で、パートナーとして寄り添っていた相方が、消えてしまうんだから。

在るべき所に帰って行くもう二人に、それぞれに声を掛ける。
先に口を開いたのは、佐倉杏子。



「さやかは、やっぱり、あたしを置いていくんだな」


「まあ、いいよ。ほんの少しの間だけど、いい夢見せてもらったからさ」


「また会えるよね。その時、楽しみにしてるからさ」


そう言って後ろを向いた。
きっと泣いているんだろう。
それを見せたがらないのも、また彼女らしい、のかな。



「なぎさ、いえ、べべと呼ぶべきかしら」


「私の孤独を、埋めてくれてありがとう。折れそうな時に、傍で支えてくれてありがとう」


「私はきっともう、一人で意地を張ったりしないわ。約束するから、安心して」


巴マミはずっと前を向いていた。
必死に涙を堪えて、それでも言葉の後半はひどい涙声だった。
最後まで前を向いていたいとするその強さは、きっと彼女が変わった結果、得たもので。


三人を包む光は強くなり、だんだんと空へと昇って行く。
その時が来たんだろう。
ごしごしと目元を擦って、ともすれば震えてしまいそうになる声を絞って、力の限り、伝える。


「さよならは、言わない」


「この空の下のどこかで、私たちはずっと戦い続ける」


「決してあなたたちのこと、忘れたりなんかしない。この想いを、なくしたりなんかしない」


「あなたたちのことを、独りになんか、絶対にしない」


「だから、いつかまた」


そして、風が吹いて、光は昇って、彼女たちを包んで、消えていく。
残される私たちは、風を受けて、光を受けて、そこに立つ。
交わした約束を胸に抱いて、私たち自身の力で、足で、立ち続ける。


―――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――
―――――――――


雲ひとつない、どこまでも透明で、青い空。
それを見上げながら、抜けていく風を受けながら、私はこの丘に座っていた。
時折それが強く吹いて、私の髪とあの子のリボンを楽しそうに踊らせて、またどこかへ消えていく。
飛ばないように抑えつけるのが、心苦しく思えてしまうほど。

あの子が溶けた風。
羨ましいくらいだった。



「……それにしても、本当に、どうすればいいのかしら」


くるくると回るリボンを手の中で遊ばせながら、そんなことを呟く。
頭を悩ませる無理難題は、当然のように、あの時に宣言したこと。

無限に時間があると言っても、それは私たち、魔法少女だけ。
いつまでも無為に過ごしていれば、彼女たちが戻って来る世界が、なくなってしまうかもしれない。
そして、あんなことを言った癖に、策なんて何も思い付いていない。

でも、それを考えるのは、私一人ではなかった。
巴マミも佐倉杏子も、それを願って、一緒に考えようと申し出てくれたから。
今日もこれから、巴マミの家で作戦会議。
時計の針がそろそろ待ち合わせ時刻を指しそうなことに気付いて、私は重い腰を上げようとした。



「きゃ、っ」


そして、一際強い風が吹く。
優しく、それでいてとても強く私の髪を乱す粒子の奔流は、あろうことか、あの子のリボンを宙に舞わせた。
いくらこの風が愛おしくても、それを奪われてはたまらない。
いたずらに手をすり抜けていく彼女を追いかけて、立ち上がって、身体を後ろに向けた。

私の目の前で、リボンは吸い込まれていく。
そこに立つ一人の少女が、優しく広げる掌の中に。
声が、響く。


「わたしね」


「いいよって、言われたんだ」



「概念になったわたしに、人間として生きたわたしの証を返して、わたしは消えてしまうはずだった」


「そう思ってたんだけど、それを終えても、わたしはそこに居たの」


「ほむらちゃんの世界で、魔法少女になってからのわたしは、どこにも行かずに、そこに居たの」


「それからね、いいよって言われたんだ」


「わたしがわたしを迎えに来るまで、ほむらちゃんと、みんなと、この世界で、笑って、泣いて、生きて、いいよって――――」


胸を叩く声。
何よりも求めた声。
時を超えて存在する円環の理に、魔法少女として全うする一生など、きっと砂粒程度の時間ですらないのだろう。
だからきっと、そんなわがままも、許してもらえたんだろう。

そんな理屈は、もうどうでもよかった。
この身に感じる温もりは、まやかしでも、まぼろしでもない。
長い長い旅路の果てに勝ち取った、奇跡という名前の、想いの結晶。



「まどか」


「行こう。みんな、きっと待ってる」


「明日も、明後日も、その先も、きっと未来が、私たちを待ってる」


この先に、何があるのだろう。
きっとそれは、誰も知らない。
見たことのない未来を、迎えに行こう。

叛逆の物語、色々な解釈があって、色々な続きがあるのだと思いますが、自分の考えた拙いお話はこれで終わりです。
ありがとうございました。


すごく面白かった。
ちゃんと悪魔してて、それでいてしっかりと本編の続きにもなっていて救いもあってめちゃくちゃ良かった。

もし他にSS書いてたなら是非読んでみたいので教えて欲しい。

>>207

ほむら「あなたの欠片を」
ほむら「幸せになりたい」
まどか「勇気を」
まどか「おやすみ、ほむらちゃん」

この辺りになります。
二年以上前のものもあるので、がっかりさせてしまったら、すみません。

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