ジャン「ブギーポップは笑わない」(116)

『ジャン・キルシュタイン』

ブギーポップのことは、今思い出しても複雑な気分になる。
思い出すのは大抵一人のときで、同じ顔をしたミカサ・アッカーマンを見ても連想することはない。
それはつまり、俺がアイツを独立した人間として認めてしまったからだ。
出会って2週間程度の付き合いしかなかったが、これからも忘れることは無いだろう。
他の誰にも重ね合わせないように、自分だけの思い出の中の人物として。

まぁ、思い出なんて言っても、せいぜい崖の上で1日1時間にも満たない間、会話した程度しかないのだが。

「キルシュタイン君、キミはミカサ・アッカーマンに好意を持っているんだね」

他人事のように言うソイツが、他の誰でもないミカサなのだから面食らう。
人の心の細かい機微は気にしない性格のようだ。
それも仕方ないのかもしれない。アイツの敵と比べれば、人の心の動きなど小さすぎる。
なんと言っても、世界の敵と戦っていたのだから。


2週間前

休暇日だからって、昼寝なんてするもんじゃない。
独り言を呟きながら星明りを頼りに建物の外に出る。春先と言っても、夜風はまだ冷たい。
眠くなるまで散歩でもするつもりで出たが、すぐに戻ることになりそうだ。
3年間の訓練期間を経て、ようやく解散式が目前に迫っている。ここで風邪をひくのも馬鹿らしい。

(ん? ……誰かいるのか?)

ふと見上げた崖の上に、誰かいるような気配がした。
星明りがあるとはいえ、ほとんど真っ暗で何も見えないが、一瞬だけチカっと光った気がする。
しかし、こんな時間にわざわざ崖の上にまで上る酔狂な奴はいないだろう。
もし、何かいたとしても獣の類だ。気にするほどではない。
自分にそう言い聞かせて、寒さに負けて建物の中に戻る。
布団に包まれると、眠気を伴って体が温まった。意識が吸い込まれる直前に、
暗闇の中で崖の上に見えたシルエットを思い出す。

(そうだ、暗闇の中で、更に暗い影が。地面から棒が伸びているようなものが……)

しかし、まどろみの中の記憶は、翌朝には忘れてしまっていた。
そのことを思い出すのは次の日の夜、昨日より早い時間だった。

水汲みの当番をようやく終わらせて部屋に戻ろうとする際に、ふと崖の上を見上げる。
昨日のあれは、何かの見間違いだったのだろう。そう思いたくて視線を移しただけだった。

「……っ!」

そこに、確かに見えた。地面から生える棒のようなシルエット。
見間違いではない。明らかに獣の類ではない。明確な不審物。
本来ならば、教官に知らせなければならない事態のはずだ。

しかし、自分の足は吸い込まれるように崖の上へと向かって歩き出していた。
(まさか、な)
本当に、どうかしていたとは思う。暗闇に立つ、そのスラっとした影が、知り合いに見えたのだ。
己が思いを寄せる、訓練兵の中の一人。ミカサ・アッカーマンに。
彼女は、黒髪が綺麗な女性だ。美しいと思う。だから、その黒髪と影と重ねたのかもしれない。
我ながら変態的だとは思う。しかし、その思慕から生まれた妄想は、中々大したものだった。

「やあ、星が綺麗だね」

どこか、とぼけるように”彼”は声をかけてきた。その顔は、まさしくミカサのものだと言うのに。



それから、30分ばかり話をした。

「お前は、こんなところで何をしているんだ?」
「見張っているのさ」
「一体、何を」
「世界の敵を」
「それは……巨人のことか?」
「僕にも分からない。僕は自動的だから、世界の敵に反応して浮かび上がっているだけなんだ。
 どこからとも無く現れて、浮かんで消える。だから名前をブギーポップと言う」

何を言っているのか分からなかった。ただ、冗談や悪ふざけでやっていないことは確信した。
そもそも、見張るためだけに真っ黒いマントを羽織って、縦長の筒のような帽子まで被る必要が無い。
よくよく見れば、マントには鋲だかバッヂだか分からない、金属がいくつか付いている。
昨晩、一瞬だけ光ったのはこの金属が月明かりに反射でもしたんだろうか。

一人称もミカサなら”私”というはずだ。男のように”僕”と言ったりはしない。
ならば、これは一体何の真似だろうか。色々考えたが、あやふやな憶測しか浮かばなかった。
闇夜に紛れて、彼女の幼馴染であえるエレンを監視しているという考えもあったが、
思いついた瞬間に却下した。そんなことが、あっていいはずがない。うらやましい。

「今日はもう、戻ることにするよ。ここは冷える。君も早く戻ったほうがいい」

「ああ、そうするよ」

「出来ればでいいんだけど、このことは他の人には黙っていてもらえないかな」

「誰かに知られると困るのか?」

「僕は別に。ただ、この体の持ち主が、変な目で見られるかもしれない」

それなら今更だ、心配には及ばない。と思ったが口にはしないでおいた。

「お前は明日も、その見張りに来るのか?」

「その必要があるからね」

「……そうか」

「心配しなくても、ミカサ・アッカーマンの知り合いには見つからないようにしているよ」

「俺に見つかったじゃねぇか」

「それもそうだ。気をつけるよ」

おどけるように言うと、笑っている様な泣いている様な、左右非対称の表情を浮かべた。
そして黒尽くめの服をどこかに隠して、何事も無かったかのように宿舎に戻っていく。

恐らく、精神的な疾患なのだろう。誇大妄想というヤツだ。
家族として暮らしていたエレンなら、あるいは幼馴染のアルミンなら、
ミカサの症状について何か知っているのかもしれない。
もし知らなくても、アルミンなら調べた上で適切な対応をとることが出来るだろう。

しかし相談はしなかった。はっきりと約束したわけでも無いのに、”彼”のことを誰にも言わなかった
そして次の晩も、見つからないように宿舎を抜け出し、”彼”の元に向かったのだった。

「やあ、今日は暖かそうな格好だね」

相変わらず、とぼけるように話しかけてくる。

「お前のことを、いろいろ考えたんだ」

「それは光栄だ」

「お前は、ミカサの心にいる幻影なんだと思う」

「幼少のミカサ・アッカーマンを引き取った医者も、そう思っていたようだ」

「だから、アルミンやエレンがそのことを知らないはずがない」

「どうだろうね。そこは僕の知るところではないよ」

「知っていて、こんなところをほっつき歩いているのを許しているなら、
 多分、そんなに大したことじゃないんだろう」

「いいや、大したことなんだ。なんせ、世界の敵が出現するかもしれないんだから」

ふざけた台詞を真面目くさって言う。どう見ても妄想に取り付かれた患者だ。
医者に見せたほうがいいだろう。解散式も近いが、入院が必要なのかもしれない。

しかし、自分の中で、好きな女の子と2人きりでいる時間というのを、天秤にかけた。

「お前のその話に、つきあってやるよ」

思春期特有の病気に違いない。暫くすればなりを潜めるはずだ。
命の危険は無い。もしそうならエレンやアルミンが放っておかない。
散々、心の中で言い訳を繰り返す。

「そうかい、ありがとう。というべきなのかな」

昨日も浮かべた、左右非対称の表情だ。闇夜よりも更に深い、漆黒の双眸に見つめられる。
言葉遣いこそ男のようだが、顔はミカサだ。帽子で隠れているが、黒髪もそのまま。

「き、きにすんなよ!」

上ずった声が出てしまう。

「君は、良いヤツなんだね」

「は? どこがだよ」

「きっと、他に人にも分かってもらえるときが来るさ」

「なんだよ、それ」

本当に良いヤツなら、教官に報告して病院に引き渡すはずだ。
自分が良いヤツのはずなんか無い。自分だけの都合で、ミカサの病を見ぬ振りをしているのだから。



ブギーポップとは、他愛の無い話しかしなかった。
最初こそ、ミカサと合う話題を見つけようとしたが、どうやら趣味趣向も本人とは違うようだ。

「キルシュタイン君は、総合成績6位なんだろう。すごいじゃないか」

「1位のヤツに言われても、嫌味にしかならねえよ」

「そうは言っても、僕と彼女は切り離されているからね」

「今更だが、何か無いのか。立体機動中の斬撃を効率的に繰り出す方法とか。教えてくれよ」

「言っただろう。切り離されているんだ。彼女の知識や感情は僕の知るところではないよ」

「そういうもんなのか」

「そういうものなのさ」



「今のお前は、エレンやアルミンのことを知っているのか?」

「ミカサ・アッカーマンの家族や友人として、認識している」

「まるきり他人みたいだな」

「彼等と思い出を積み重ねてきたのは、他ならない彼女だ。僕ではないよ」

「お前は、それで寂しく無いのか?」

「……君は本当にいいヤツだなぁ」

「だから、何だよ。それ」



「だからよ、エレンを含めて総合成績5位以上の奴等ってのは、化け物揃いなんだよ」

「ほぅ、だけど君だって6位なんだろう?」

「5位と6位の間に、差がありすぎる。生まれ持った差があるとしか思えない。
 ……いいや、忘れてくれ。ただの泣き言だ」

「構わないさ」

「他のやつに言っても、嫌味にしか聞こえないからな。お前相手だと、話しやすいよ」

「そいつは嬉しい言葉だね」



「お前の言う、世界の敵ってのは具体的に何なんだ?」

「僕にも分からない。ただ、間違いなく居る」

「お前が、自動的だからか」

「そういうことだね」

「もうちょっと、巨人だとか化け物だとか、分かりやすいものなら良かったのにな」

「こればかりは仕方ないさ。僕の都合に合わせてくれるわけじゃない」

「お前は、その世界の敵とやらを倒したら、いなくなっちまうのか?」

「そうだろうね。僕は泡のように浮かんで消える存在だ」

「それは……何だか寂しいな」

「僕は元々、居ないはずの存在だ。この体はミカサ・アッカーマンに返すのが正しいのさ」

「そうなんだけどよ」

「君が僕のことを覚えていてくれるなら、それで十分だよ」

そう言って、ブギーポップは口笛を吹き始める。
雄雄しい曲調なのに、口笛だからかどこか物悲しいような曲だった。

「なんて曲だ?」

「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲。やたらと派手で騒々しい大昔の曲さ」

「聞いたことねぇな」

「君たちは、そうだろうね」

「いい曲だな」

ブギーポップはそれに答えず、口笛を吹き続けた。
音色は風に流され、どこへともなく消えていく。
胸が締め付けられるような感情を覚えて、正体を探ろうとする。
恋愛感情とは別の、ぽっかりと穴が開いたような喪失感。
きっと、彼と離れたくないと思っているのだろう。
結局、自分はミカサに対するものとは全く別の意味で、彼のことが結構好きだったのだ。

崖の上でブギーポップに会うのは、これが最後となった。



解散式を目前に控えた日。超大型巨人がトロスト区の扉を破壊し、壁内に侵入してきた。
これを迎え撃つ為、訓練兵団を含む各兵団が討伐に参加する。
多くの犠牲と、エレンが巨人化するという成果を得て、初めて人類は巨人から領地を取り戻した。

今は、回収した遺体を焼いている。
誰とも知れない、同期だったかもしれない肉の塊が燃えていく。
この中に、顔を半分に食われたマルコの死体も入っている。
過去に交わした会話を思い出しながら、炎を見つめていると、
ミカサが近づいてくるのが見えた。

「エレンについての取調べは、もういいのか?」

「キルシュタイン君、お別れだ」

相変わらずの無表情だったが、直ぐにミカサではないと分かった。

「ブギー……そうか」

お別れと言った。きっと、もう二度と会うことは無いのだろう。
トロスト区奪還戦で、自分がミカサと離れている間にも色々あったのだろう。
エレントの関係にも変化があったのかもしれない。
そういった諸々が、結果的にミカサの心理状態に良い変化をもたらしたに違いない。
病気は、治ったのだ。わざわざ別れを告げに来るなんて、律儀な病気だが。

「君との逢瀬は、数少ない楽しみだったよ」

「逢瀬って、あのなぁ……世界の敵は、いなくなったのか?」

「まぁ、自滅したようなものだったよ」

「そうか……」

結局、世界の敵とは何だったのか。巨人が壁内に入り込み、これを撃退した。
確かに、世界の危機だったに違いない。
だが、ブギーポップの言う世界の敵は、そういったものではないと思う。

「元気でな。っていうのも変だな」

「君こそ、元気で」

「ああ、何というか。今まで、ありがとうな」

最後に例の左右非対称の顔になると、どこかへ行ってしまった。
きっと、ミカサはここへ来たことも覚えていないだろう。
これからもエレンの世話を焼いて、うっとおしがられる様を世間に披露するに違いない。

それを想像して、悔しいとか、羨ましいという気持ちは、不思議と無かった。
軽く笑いが漏れる。何のことは無い。

「おい……お前ら……所属兵科は何にするか、決めたか?」

倒された世界の敵というのは、他の誰でもない、自分のことだ。
ミカサの世界に踏み込む敵は、もういない。ブギーポップに倒された。

「オレは決めたぞ。俺は、調査兵団になる」

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幕間

薄汚い布切れを身にまとい、人目につかないように裏路地を選んで歩く。
人目で不審者だと分かるが、そのおかげで誰も近寄ろうとはしなかった。
注意深く観察するものがいれば、その不審者が子供であることに気づいたはずだ。

「うぅ……」

彼は、内からこみ上げる衝動を我慢していた。
人として、越えてはいけない一線を守ろうと勤めていた。
本来ならば、さっさと壁の外にでも行けばよかったのに、
我慢までして、それでも人のぬくもりを求めていた。

雑踏、会話、窓の明かり、そんな物の側にいるというだけで、
人であることを続けられると思い込もうとしていた。
しかし、もう限界のようだ。思うように体が動かない。
細い路地に積み上げられたゴミ山に身を預けて、目を閉じる。

どうやら、自分はここで終わりのようだ。
ロクでもない人生だったが、かろうじて人として生きられた。
これでいい。これ以上、何を望むものがある。
意識が遠のき、彼の体は休眠状態に落ちる。
意識の無いままでも何日かは持つだろうが、構わない。
このまま死ぬだけだ。眠るように。

しかし、ゴミ山と一体化して2日後、彼の体は唐突に目覚める。
芳醇な香り、全身の細胞が活発化する。
思考が追いつかないが、体が勝手に動く。
獣を思わせる動きで、建物の壁を跳ね回りながら、そこを目指す。
宙に舞った体が目標を定めたとき、やっとそれを視認した。

暗い、路地裏に立つ女。その前に倒れている男。
男は水溜りの中に沈んでいるように見えるが、直ぐに血溜りだと分かった。
倒れた男めがけて、勢いも殺さずに着地する。
少なくない血が跳ねる。女の足元に血がついた。

「な、何!? 誰!?」

叫ぶように呼び掛けられる声も解さず、血溜りに口を付ける。
ゴクゴクとのどを鳴らし、一心不乱に血液を飲み下した。
まだ足りない、零れ落ちた分だけではなく死体に残った血液も飲まなくては。
都合よく首がパックリと割れているので、そこから血液を吸い取る。



突如、目の前に降り立った影は、ごくごくと喉を鳴らす。不自然なほど、飲み続ける。
いくら大量に出血しているからと言って、いくら首が切れているからと言って、
これほどこれほど飲み続けることが出来るだろうか。
その疑問に答えるように、横たわった肢体がカサリと音を立てた。
そちらを見やると、既に下半身が燃え尽きた灰のように、粉末状に変化している。
次第に上半身も服の重みに潰れ、ぱさっと音を立てて崩れた。

この正体不明の獣は、血液を飲んでいたのでは無い。
恐らく、この死体に含まれていたあらゆる水分。
いや、もっと根源的な命そのものを啜っていたに違いない。
ぎらぎらと活力に満ちた瞳が、こちらを見つめている。



全身が潤い、意識が明確になる。犬のように四肢を地に突き、傷口から血液を啜る己を自覚する。
せっかく、堪えていたのに。死ぬ寸前まで、我慢していたのに。
生存本能に突き動かされて、人を食らってしまった。
まだ温かい肉体から漂う血の匂いが、官能を誘う。
喉の潤いが全身を喜ばせる。全身の毛穴の一つ一つが開くのを感じる。
身を振るわせる充実感と、人の道を外れてしまった悲しみで、涙が溢れる。

「う、う、うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお」

悲鳴のような雄たけびをあげ、彼はもう戻れないことを心に刻む。



彼が貪る死体を作った、殺人犯であるところの彼女は、ただそれを見つめながら、
今までに覚えの無い高揚感に胸を打ち震わせていた。

一目惚れだった。



(つづく)

今日はここまで。おやすみなさい。

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『クリスタ・レンズ』

ブギーポップは女の子だけの噂だ。男の子には教えてはいけないらしい。
とは言っても、私がその噂を知ったのは、噂が広まってから大分経ってからだった。

私は、苛められている訳では無いけれど、どこか他の子に避けられている。
根本の原因としては、私自身が”いい人”だからだと思う。

理由あって生家に戻れなくなった私は、どこにも居場所が無い。
自分の居場所を守るために、”いい人”であり続ける必要がある。というのは建前。
自己満足、欺瞞、偽善、色々と言い方はあるだろうけれど、これはもう癖だ。
困っている人を見ると、”いい人”として、手を伸ばしたくなる。
出合った頃のユミルには色々と言われたけれど、そのうち諦めたのか何も言わなくなった。

そんな”いい人”は、中々周囲に馴染めない。多分、気を使われているんだろう。
(サシャが一時期、私のことを神様とか呼んでいたのも原因だとは思うけど)
僅かばかりの友人を得て、女の子らしい会話をするには、かなりの時間を要した。
女の子だけの噂話というブギーポップのことを知るのは、訓練兵になってから2年も経ってからのことだ。

「ほへ? 聞いたこと無いんだ。ブギーポップのこと」

間抜けな声を出して、ミーナが驚く。女の子の中でも特にムードメーカーだ。
恐らく彼女にとって噂話なんていうものは、一番最初に耳に入ってくるのなんだろう。

「うん。聞いたこと無いな。何それ……怖い話?」

「まぁ、怪談といえばそうかな。超絶美少年の死神でね。
 その人が、それ以上醜くならないよう、一番美しい瞬間に殺しに来るの」

「そうなんだ……怖いね」

うっとり、と言わんばかりの表情で語るミーナは、耽美主義なところがある。
でも、そういったモノに憧れる気持ちは良く分かる。死にたいとは、常々思っているから。

「ケッ、くっだらねぇ。死んだらお仕舞いだろうがよ」

吐き捨てるようにユミルが呟く。彼女は、斜に構えたような物の見方をする。
そのくせ、言うことは前向きなことが多いんだから、良く分からない。

「まぁ、でも。クリスタちゃんが、怖くて眠れないっていうなら、一緒に寝てやってもいいぜ?」

あと、やたらと私にアプローチをかけてくる。本気でそう言った趣味があるとは思ってはいないが。
”いい人”でいたいけれど、なるべくならそれには応えたくない。

「一目だけでも見てみたいよね。超絶美少年だよ」

年頃の女の子としては、そっちに憧れるほうが普通なんだろうか。
私は、美しく死なせてもらえるなら、そこに強く惹かれる。

「ねぇ、ハンナもそう思わない?」

「えー。フランツには敵わないわよ」

「あーはいはい。聞いた私が馬鹿でした」

命短い乙女は、少なからず恋をする。ハンナは、同期生のフランツと付き合っているらしい。
夜中にコソコソと部屋を抜け出すのを見たのは、一度や二度ではない。
いつ巨人が襲ってくるか分からないご時世だ。
ハンナ以外にも付き合っているという人たちの話は、何回かミーナから聞いたことがある。

微笑みながらミーナとハンナの会話に相槌を打つ。たまにユミルがちょっかいを出してくる。
本当にブギーポップがいるなら、今、殺しに来てくれればいいのに。

「クリスタは何か聴いたこと無い?」

「あ、ごめん。何の話?」

「ちゃんと聞いてよねー。また出たんだって。脱走」

「え、また?」

入団当初こそ荷物を纏めて逃げ出す人を頻繁に見たが、一度訓練を受け入れてしまえば、
後はそれを繰り返して錬度を高めていくだけだ。逃げ出す理由は薄い。
あるとすれば、目に余る悪事を働くか、成績順位に絶望して開拓地を希望するかだ。
どちらにしても、正規の手続きで退団すればいい。わざわざ逃げ出す必要は無い。

「うん、定期的に出るから、何か理由があるのかなって話」

「何か嫌なことが合ったのかな」

「良い子ちゃんのクリスタは、何か力になれたら、とか思ってんだろうけどな、
 やめとけよ、そいつらは自分で選んで逃げ出すことを選んだんだ。後ろ髪を引っ張るんじゃねえ」

ユミルは私を牽制するように言う。彼女は私よりも私のことに精通しているのかもしれない。

「まぁ、私がいなくなるときは、せめてお別れくらいは言うよ」

いなくなる気なんか無いだろうミーナは、朗らかに笑いながら言う。
私が、彼女達の様な健康的な、まっとうな生き方をすることを想像してみる。
ミーナのように明朗活発に、ハンナのように恋に燃え、サシャのように食事を楽しむ。
なんだったら、アニみたいに男の子を蹴り飛ばすのもいいかもしれない。

……ユミルの呆れた顔が浮かんできた。よっぽど向いていないようだ。
少しだけ、愉快な気持ちになった。




「ねぇ、アニは聞いたことある? ブギーポップの話」

格闘訓練中、アニとペアになった際に聞いてみた。
最初は時間潰しにウロウロしているだけだったアニも、エレンと一悶着あってから
積極的に訓練に参加するようになって、たまに私の相手もしてくれる。

「美少年で、死神で、一番綺麗な瞬間に殺しに来るんだって」

「アレは、そんなもんじゃないよ」

まるで見てきたように言う。結構、ノリが良い性格なのかもしれない。


「死神じゃないとしたら……何なの?」

「正義の味方だよ、アレは」

思わず噴出しそうになった。

「うふふ、アニも冗談を言うんだ」

「冗談なんかじゃ……まぁいいや」

ぐいっと体が引っ張られたかと思ったら、青い空が見えていた。

「ほら、油断してても受身は取りなよ。怪我じゃ済まないことになる」

いつの間にか、投げられたらしい。

エレンやライナーのように投げ飛ばされないで、宙を舞った後に抱きかかえられていたようだ。
所謂、お姫様抱っこ。

「おい、何やってんだ、こらぁ!」

「ユミル、だ、大丈夫だから! 怪我とかしてないから」

凄い勢いでユミルが飛んできた。そのままの勢いでアニに食って掛かる。
止めないと、喧嘩するかもしれない。

「今の、私にも教えてくれよ、私もお姫様抱っこしたい!」

「アニ、教えなくていいからね!」

心配して損した。アニは呆れた顔をして、そのまま行ってしまう。

「よし、じゃあ私と組もうか」

にたり、と効果音が出そうな顔でユミルが言う。
私も呆れた顔をして行ってしまうことにした。

それにしても、さっきのアニは冗談にしては迫真の演技だった。
正義の味方というのも妙だ。その場では面白かったけど、話の整合性が合わない。
もしかすると、冗談ではなく本当にアニはブギーポップに会ったことがあるんだろうか。

正義の味方というからには、悪人に襲われたところを助けられたり……それは無いかな。
アニなら自分でどうにかしそうだ。

アニは美人だけど、助けを待つお姫様というよりは、自分で危機を切り抜けるハンターみたいな方が似合う。
ユミルもそういうタイプだ。何があっても生き延びそうな気概を感じる。
お腹のすいたサシャは、思わず悲鳴を上げるほどの迫力があるし、あんまり同期にヒロインはいないようだ。
特に、ミカサは正しくヒーローという感じがする。背も高いし、顔立ちも凛々しい。

彼女達は、皆とても強い。生きる意志に満ち溢れていると思う。
私だけは、そうではない。美しく死にたいと願い続けている。
成績が急に良くなってきたのも、何かの間違いだろう。憲兵団には、もっと相応しい人がいる。
ブギーポップに殺されるのに相応しいほど、私は美しくなれない。


考え事をしていたら、いつの間にかミカサが目の前にいた。

「あ、ミカサ。一緒に組む?」

「クリスタ・レンズ。君が震えながら抱えているその秘密は、ただの湿気た爆薬だ」

「え?」

突然、意味の判らないことを言われた。

「君には既に大切な人間がいるんだろう。ならば、その人の為に生きるべきだ」

「ちょっと、どういう……何を言っているの?」

「人が生きるのは、過去でも未来でもなく、今この時だけだ。後にも先にも何も無い」

何をミカサは言っているんだろう。いや、何を知っているんだろう。
まさか、私の出自について、どこでそんな……決してバレない様にしていたつもりだ。
一緒にいるユミルにだって、それについて漏れた様子は無い。


「だから、怪我を怖がっていないで、強い肉体を作るべき」
「え……?」

「さっきも、アニに気を使われて抱きとめられていたけれど、本来ならば自分で受身を取らなければいけない」

「え、あ、うん。アニにもそう言われた」

あまりにバカバカしい。考えすぎ、物語の読みすぎだ。そんなこと、あるはずがない。
いくらミカサをヒーローに当てはめてたからって、妄想にも程がある。

やっぱり私は、全然”いい人”なんかじゃない。
こんなにも、後ろめたい。隠し事をして生きている。


「ので、これから投げ飛ばすから、受身を取って欲しい」

「え?」

受身は上手くなった。ユミルは暫くプリプリしてたけど。

でも、もし本当に、私の抱えたこの秘密が、ただの湿気た爆薬で、実は何でもないものだとしたら、
私は、生きることが出来るんだろうか。

美しく死ぬ以外の、生き方を選べるんだろうか。

他の誰でもなく、自分自身の為に生きることが。

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幕間

「僕は出来損ないの怪物だ。放っておいてくれ」

「そんなこと無いわ。あなたはとても素敵よ」

ボロボロの布切れをまとった少年の体を、少女が拭いている。
年の頃は同じくらい。少年の方はドロまみれだ。

「あら……ボロボロなのに怪我は無いのね」

「そういう風に出来ている」

「やっぱり素敵ね」

「やめてくれ、望んでこうなったわけじゃない」

少年は拒否するが、少女は構わず彼の世話を続ける。
何を言っても無駄と悟り、少年もポツポツと境遇を話し始めた。

2年前の壁の崩壊と、その後の口減らしで、家族を失ったこと。
孤児を受け入れる施設に行ったこと。そこでの虐待のこと。
定期的に、施設の子供が「出荷」されていたこと。
自分も「出荷」されたこと。

「どこに連れて行かれたの?」

「分からない、内地のどこかだ」

「そこで、何をしていたの」

「”何か”をされていた」

「どういうこと?」

「君も見ただろう、僕の異常な姿を。おぞましい姿だ」

憎々しげに呟く。しかし、彼にとって唾棄すべきあの姿は、彼女にとって大切な思い出となっている。

「ええ、覚えているわ。あなたのカッコいいところ」

「君は、感性が狂っているのか。それとも僕と同じように誰かに処置でも受けたのか?」

彼女は元々、内地の貴族だった。古来から伝わる、壁の外にまつわる書物、文化を管理する一族として優雅に暮らしていた。
しかし、かねてからの書物の流出、その後の壁崩壊のゴタゴタに巻き込まれて、家は没落した。
決して器量が良いとは言えない彼女は、足手まといとして家族から捨てられ、内地から追い出される。
かつての栄華も失い、その身を売って日銭を稼ぎ何とか生きていた。

いつの頃からか、そのまま相手を殺したほうが手っ取り早いことに気づき、
適当な相手を見つけては、声をかけ、裏路地までついてきたところを殺して、
財布を奪っては逃げるということを繰り返したいた。

彼が怪物であるならば、彼女は化物だろう。
しかも、彼のような養殖ではなく、天然だ。

「僕は、異常な肉体を手に入れる代わりに、人を食わなければ生きられない存在になった」

「私は生きるために、人を殺していたわ。私達、相性がいいわね」

「君は、やっぱりおかしいよ」

「うふふ、そうかしら。貴方ほどではないかもね」

彼は次第に心を開いていったが、彼女は最初から全力で傾倒していた。
自分の生まれた理由、これまでの経験、全てが彼に出会うためのものだったと確信していた。
二人の歪に捻じ曲がった精神が、パズルのピースのようにピタリと当てはまり、
お互いに無くてはならないものとなるのに、さほど時間は掛からなかった。

「あなた名前は? あるんでしょう?」

「あったが、忘れた。薬を沢山打たれて、思い出せないんだ。何か新しく付けてくれないか」

「そうね。じゃあ、カフカなんてどうかしら」

「何かにちなんだ名前かい?」

「ええ、ずっと昔の作家の名前」

彼女は、たまたま家の管理していた書物の中に、その名前があったことを覚えていた。
主人公が毒虫となり忌み嫌われる作品が代表作だが、何を思ってその名前を付けたのかは、彼女にしか分からない。
もしかすると、自分を捨てた家に対する彼女なりのささやかな復讐だったのかもしれない。

「そうか。僕にぴったりかもしれないな」

彼の言葉に、歳相応の少女らしい笑顔で頷いた。

「それなら決まりね。貴方は今日からカフカよ」



(つづく)

今日はここまで。おやすみなさい。

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