伊織「えっ」
やよい「伊織ちゃん、何でかわかる?」
伊織「え、いや……そりゃあ、あれよ。あれ」
やよい「あれって?」
伊織「…………」
伊織「あ、あれよ! 法律よ! 法律でそう決まっているからよ!」
やよい「法律って、刑法第199条のこと?」
伊織「え? ああ……うん。それよ、それ」
やよい「でも、刑法第199条は『人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。』って定めてあるだけだよ?」
伊織「えっ……」
やよい「別に『人を殺してはいけない』って定めてあるわけじゃないかなーって」
伊織「そ、そうね……」
伊織「って、いやでも、人を殺したら死刑になったりしちゃうってことは……結局、人を殺すのがいけないことだからでしょ?」
やよい「そうかな?」
伊織「そ、そうよ! そうじゃなかったら死刑になったりするわけないじゃない?」
やよい「じゃあ、何で人を殺したらいけないのかな?」
伊織「だからそれは法律で……あれ?」
やよい「法律はあくまでその国の規範意識を明文化したものだから、結局、法律に先立つ規範があるんじゃないかなーって」
伊織「! そ、そうよ! それだわやよい! 規範意識の問題なのよ!」
やよい「規範意識っていうのは、いわば社会通念と同義だよね」
伊織「うんうん」
やよい「じゃあ何で、『人を殺したらいけない』っていう社会通念があるのかな?」
伊織「えっとだからそれは……皆がそう思ってるからでしょ?」
やよい「そうだね。皆がそう思ってるから、それが規範となり、国会で明文化されて法律になるんだよね」
伊織「そ、そうよ! それがええと、あの……」
やよい「民主主義かなーって」
伊織「そうよやよい! それが民主主義なのよ!」
やよい「じゃあ、伊織ちゃん」
伊織「な……何かしら? やよい」
やよい「もしも、この国の皆が『人を殺しても良い』って思っていたとしたら、少なくともこの国においては『人を殺しても良い』ってことになるよね?」
伊織「えっ、いや、それは……違うんじゃないの?」
やよい「なんで?」
伊織「えっ」
やよい「この国の人みーんなが、そう思っていたとしたら、それはもう社会通念っていえるんじゃないかなーって」
伊織「そ、それはまあ……そうかもしれないわね」
やよい「とすれば、それはすなわち規範でもあるわけだから、その規範が明文化されたら法律にもなりうるんじゃないかなーって」
伊織「え、いや……法律になりさえすれば何でも良い、ってわけでもないんじゃない? 法律だって、良くない法律とかもあるでしょ?」
やよい「かつての治安維持法とか?」
伊織「そうそう」
やよい「じゃあ、その国の社会通念ともなりうるほどの価値観があったとしても、なおそれを否定するだけの絶対的な価値観がありうるってことかな?」
伊織「そうじゃない……かしら。だって、多数決で何でもかんでも決めていいってわけじゃないでしょ?」
やよい「確かに法律は多数決で作られるよね」
伊織「うん」
やよい「でもだからって、何でもかんでも作っていいってわけじゃない」
伊織「うん」
やよい「ということは、法律の背後にある国民の社会通念にも、良い社会通念と悪い社会通念とがある」
伊織「そうそう!」
やよい「……じゃあ、その良し悪しを分ける基準って何なのかな」
伊織「えっ」
やよい「そもそも、良いか悪いかって誰が決めるのかな」
伊織「それは……国民、でしょ?」
やよい「国民の大多数が? つまり多数決?」
伊織「……あ、でも多数決で何でもかんでも決めちゃうのは……って、あれ?」
やよい「国民の多数決で作った法律の良し悪しを、国民の多数決で決めたって……『良し』にしかならないよね」
伊織「……そ、そうね……」
やよい「じゃあ、どうしたらいいんだろう?」
伊織「うーん……」
やよい「答えは簡単!」
伊織「えっ」
やよい「国民の多数意思に左右されない機関が判断したらいいんだよ、伊織ちゃん!」
伊織「? そんな機関があるの? どこに?」
やよい「……日本国憲法第81条」
伊織「えっ」
やよい「……『最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。』」
伊織「裁判所? 裁判所が判断するの? 法律の良し悪しを?」
やよい「うん。それがいわゆる違憲立法審査権かなーって!」
伊織「あ、ああ……違憲立法審査権ね! うんうん!」
やよい「さっき伊織ちゃんが言ったみたいに、多数決で何でもかんでも決めていいってわけじゃない」
伊織「うん」
やよい「だから、多数決が誤った方向に暴走したときのための歯止めとして、裁判所が違憲立法審査権を持ってるんだよ」
伊織「そういうことね」
やよい「国民の多数決で法律を作るのは立法権。その立法権を抑制するのが司法権」
伊織「うん」
やよい「そして立法権が作った法律を実際に行使するのが行政権」
伊織「そうね……って、あ! それって……」
やよい「そうだよ伊織ちゃん。これが三権分立かなーって!」
伊織「公民の授業で習ったわ!」
やよい「権力を三つに分けたのは、こうやって互いの抑制・均衡作用を実質化するためかなーって」
伊織「権力の一極集中は危険だものね」
やよい「そうそう。まあ実際、今の日本の立法権と行政権はかなり近いんだけどね!」
伊織「そうなの?」
やよい「日本は議院内閣制を採用してるからね、伊織ちゃん!」
伊織「あ、あー、議院内閣制ねー。うんうん」
やよい「まあでも、その話は今日はちょっと置いておくね」
伊織「うん」
やよい「要するに、国民の多数決で法律を作るんだけど、それでもなお、その法律が間違ってるって判断がなされる場合があるってことなんだよ、伊織ちゃん!」
伊織「えっと、それを判断するのが裁判所で……」
やよい「そうそう」
伊織「その権限が違憲立法審査権ってことね! にひひっ♪」
やよい「そうだよ、伊織ちゃん! そこで次の問題なんだけど」
伊織「う、うん」
やよい「裁判所は、何を基準にして法律の良し悪しを判断すると思う?」
伊織「基準? 基準っていうと……」
やよい「言い方を変えれば、どういう規範を使って判断するのかなーって!」
伊織「それは、えっと、法律の良し悪しの判断だから……法律? じゃないわよね……」
やよい「じゃじゃーん! 高槻やよいのヒントターイム! いぇい!」
伊織「えっ」
やよい「実はさっき、私はほとんど答えに近いことを言いましたー!」
伊織「えっ、そうなの?」
やよい「ちなみに、伊織ちゃん自身も言ってるよ!」
伊織「ええっ!?」
やよい「ヒントは、裁判所の持つ権限の名前……」
伊織「? それは違憲立法審査権……あ、違憲……憲法?」
やよい「うっうー! 正解でーっす!」
伊織「あー、そっか……さっきやよい、モロに『最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。』って言ってたものね」
やよい「えへへー、そういうこと!」
伊織「……つまり、裁判所は、法律が間違っているかどうかを、憲法を規範として判断する!」
やよい「そうです!」
伊織「その権限の名前が、違憲立法審査権!」
やよい「そうです!」
伊織「にひひっ♪ そういうことだったのね! やよい!」
やよい「うっうー! そうです! 伊織ちゃん!」
伊織「はいたーっち!」
やよい「いぇい!」
伊織「にひひっ♪」
やよい「うっうー!」
やよい「じゃあ伊織ちゃん、次の問題だよ!」
伊織「にひひっ♪ このスーパーアイドル伊織ちゃんに分からない問題なんて無いわ! 何でも来なさい!」
やよい「具体的に、裁判所は憲法をどんな風に使って法律の良し悪しを判断するのかな?」
伊織「えっ」
やよい「ちゃんとした物差しを持っていても、その目盛りの読み方が分からなければ正しく使えないかなーって!」
伊織「そ、それはあれよ。憲法だから、えっと……9条?」
やよい「実際の違憲訴訟で9条が使われることはまずほとんどないかなーって」
伊織「えっ、あ、ああ……うん」
やよい「憲法9条は戦争放棄、つまり平和主義を謳った条文なんだけど」
伊織「平和主義! これも公民で習ったわ!」
やよい「でもね、日本国憲法の主たる理念はあと二つあるんだよ! 伊織ちゃん」
伊織「えっと、それ確かこの前の期末で覚えたわ……。平和主義と……国民主権!」
やよい「そうだね。今9条と並んでホットな話題の96条に、その理念が現れてるかなーって!」
伊織「96条?」
やよい「憲法改正の条文だよ、伊織ちゃん!」
伊織「あ、ああ、憲法改正ね」
やよい「憲法は国の在り方そのものを規定する規範だから、それを変えるのは国民自身の意思によらなきゃいけないってことだよ、伊織ちゃん!」
伊織「あ、あー。だからそれが国民主権ってことね!」
やよい「そうそう。国の在り方を決めるのは国民自身じゃないとね!」
伊織「うんうん」
やよい「で、最後の一つの理念なんだけど……」
伊織「えっと……平和主義、国民主権……あ! 思い出したわ! 『基本的人権の尊重』!」
やよい「うっうー! 正解でーっす!」
伊織「にひひっ♪ これくらい、スーパーアイドル伊織ちゃんにかかればお茶の子サイサイよ!」
やよい「そしてこれが、さっきの違憲立法審査権において一番重要な理念かなーって!」
伊織「そうなの?」
やよい「うん。さっき私言ったよね。『その国の社会通念ともなりうるほどの価値観があったとしても、なおそれを否定するだけの絶対的な価値観がありうるってことかな?』って」
伊織「あ、ああ……うん」
やよい「これを違憲立法審査権の話に置き換えると、『その国の社会通念ともなりうるほどの価値観』っていうのは、国民の多数決によって明文化された社会通念……つまり、法律」
伊織「うん」
やよい「そして、『なおそれを否定するだけの絶対的な価値観』っていうのが……」
伊織「あ! それが『基本的人権の尊重』ね!?」
やよい「うっうー! 正解でーっす!」
やよい「たとえ多数決による決定であっても、憲法によって保障された基本的人権を侵害することは許されない!」
伊織「だから、基本的人権を侵害するような法律は、違憲立法審査権によって排除されるってことね!」
やよい「そうです! もう分かっちゃったなんて、流石は伊織ちゃんかなーって!」
伊織「にひひっ♪ 言ったでしょ? これくらい、スーパーアイドル伊織ちゃんにかかればお茶の子サイサイだってね♪」
やよい「で、話を戻すと」
伊織「うん」
やよい「たとえこの国の皆が『人を殺しても良い』って思っていたとして、実際に『人を殺しても良い』っていう内容の法律ができたとしても」
伊織「うん」
やよい「そんな法律は、基本的人権を侵害するものとして許されず、国民の多数意見の影響を受けない裁判所の違憲立法審査権によって排除されることになるかなーって!」
伊織「なるほどね……ちなみにその場合、憲法のどの条文に違反することになるのかしら?」
やよい「憲法の理念そのもの……って言いたいけど、強いて挙げるとするなら13条かなーって」
伊織「13条?」
やよい「日本国憲法第13条……『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』」
伊織「あー、13条ね。うんうん」
やよい「少なくともこの憲法13条がある限り、『人を殺しても良い』なんていう内容の法律は許されないかなーって!」
伊織「確かに……そうね」
やよい「ちなみに伊織ちゃん」
伊織「ん?」
やよい「さっき私言ったよね? 憲法は国の在り方そのものを規定する規範だって」
伊織「うん」
やよい「つまりこの13条も、この日本という国の在り方を規定する規範のひとつなんだよ、伊織ちゃん!」
伊織「ええとつまり……個人の生命や、幸福を追求する権利は最大限に尊重されるべき、っていう規範ね!」
やよい「そうだよ! だからこの国では、人を殺しちゃいけないんだよ! 伊織ちゃん!」
伊織「なるほどね。むやみに他の人の命や、幸福を追求する権利を奪う権利なんて……誰にも無いものね」
やよい「うっうー! そういうことです!」
伊織「あれ? でも……」
やよい「ん?」
伊織「さっき、やよい言ってたわよね。憲法の改正は国民がするって」
やよい「言いました!」
伊織「ええとじゃあ……憲法改正で、『個人の生命や、幸福を追求する権利は最大限に尊重されるべき』っていう規範そのものが改正されちゃったら、どうなるの?」
やよい「あー」
伊織「憲法の改正も、結局は国民の多数決でできるのよね? そうだとすると、結局、最後は多数決ってことになっちゃわないかしら?」
やよい「憲法改正の限界論だね」
伊織「あ、やっぱりそういう議論はあるのね」
やよい「うん。無制限に改正できるとする無制限説がある一方、基本的人権の尊重とか、憲法の理念の根幹部分に関する改正はできないとする制限説とかがあるかなーって!」
伊織「なるほどね。じゃあ見解によっては、『人を殺しても良い』っていう規範が憲法になることもありうるのね」
やよい「うん! 憲法は国の在り方を規定する規範そのものだから!」
伊織「そういう憲法、そういう国にするのも、その国の国民の自由……ってことね」
やよい「そうだね。そう考えると、確かに最後は、その国の国民の多数決で、国の在り方をどうとでも変えられる、ってことになるね」
伊織「なるほどね……まあでも、それは仕方のないことなのかもね」
やよい「あ、じゃあ伊織ちゃんは無制限説?」
伊織「いや、そういうわけじゃないけど……でも、もし本当に、この国の皆がそういう価値観を持つようになって、そういう内容の憲法に変えよう! って大多数の人が思うようになっちゃったら……それはもう、そういうことなのかなって」
やよい「そうだね……まあでも、もしそんなことになったら」
伊織「なったら?」
やよい「私と伊織ちゃんは、とっとと外国に逃げよう!」
伊織「……えっ?」
やよい「日本国憲法第22条2項……『何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。』」
伊織「あ、ああ、そういうこと……」
やよい「もちろん、この条文が改正されちゃう前に、ね!」
伊織「ふふっ……そうね!」
やよい「でもね、伊織ちゃん」
伊織「何? やよい」
やよい「私はね、何があっても……13条とか、憲法の理念の根幹に関わるような条文が改正されるようなことだけは、絶対に無いって思うんだ」
伊織「あら、えらく自信ありげね」
やよい「うん! だって私、この『個人の生命や幸福追求権の尊重』っていう理念も、この国の人達も大好きだから……だから、この国の人達の大多数が、これを否定するようになるなんて、ちょっと思えないかなーって!」
伊織「……そうね、それについては、私も同感だわ」
やよい「えへへ」
伊織「……それに、憲法といえば、9条とか96条とかばかりに目が行きがちだけど……それ以外にも、この国の在り方そのものが顕れている条文は、沢山あるのよね」
やよい「はい! だから、憲法改正で熱くなる前に、一度、今の憲法の全部の条文を読んでみるのも悪くないかなーって!」
伊織「どんな条文かも知らないで、それを変えるか変えないかなんて議論できないものね」
じゃあ犯罪者を処刑するのはだめじゃないのかと水を差してみたりする
やよい「今の憲法を知ったうえで、変えるべきところがあるのなら、変えたらいいんじゃないかなーって!」
伊織「憲法は国の在り方そのものだから……時代によって国の在り方が変わるなら、憲法もまた、変わることになるものね」
やよい「そういうことです! まあでも、変わってほしくないとこもあるけど……」
伊織「『個人の生命や幸福追求権の尊重』ね?」
やよい「はい! だって、これがもし変わっちゃったら、自分で自由に幸福を追求することもできなくなっちゃうし……」
伊織「そうね……ちなみに、やよいはどんな幸福を追求するの?」
やよい「私? 私はね……」
伊織「…………」
やよい「この先何があっても、伊織ちゃんとずーっと仲良く一緒にいられることかなーって!」
伊織「!」
やよい「伊織ちゃんは?」
伊織「わっ、私も……やよいとずっと仲良く一緒にいられること……よ」
やよい「本当!? 伊織ちゃん!」
伊織「ほ……本当よ」
やよい「うっうー! 嬉しいですーっ! はいたーっち!」
伊織「は、はいたーっち」
やよい「いぇいっ!」
伊織「い、いぇいっ」
やよい「……えへへへっ!」
伊織「も、もう……ふふっ」
やよい「…………」
伊織「…………」
やよい「……ねえ、伊織ちゃん」
伊織「……何? やよい」
やよい「もしたとえ、この先、この国の在り方が変わっちゃったとしても……」
伊織「…………」
やよい「……ずっとずーっと、一緒にいてね?」
伊織「……ええ、もちろんよ。やよい」
了
>>67
やよい「うっうー! 憲法13条に『公共の福祉に反しない限り』って書いてあるのは、そういう場合はまた別、ってことなんですよ!」
伊織「あー、公共の福祉ね、うんうん」
やよい「この『公共の福祉に反しない限り』っていうのは、簡単に言うと、他の人の人権を侵害しない限り、って意味なんです!」
伊織「あー、つまり、たとえば人を殺した人は、他の人の生命という人権を侵害したわけだから……」
やよい「そうです! その場合は『公共の福祉』に反したということになり、自分の人権(生命や身体の自由)を侵害されても仕方ないってことかなーって!」
伊織「それが死刑や懲役刑ってことね」
やよい「そういうことです!」
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