結衣「そんなに泣くなって…」京子「だって…だって!」(662)

「京子。お前なんでそんなにラムレーズン好きなんだ?」

毎週土曜日。
その曜日は七森中学に通う女子中学生、歳納京子にとっては喜ばしい曜日であった。

それはお小遣いやら甘い物など目に見える至福に満ちる曜日ではなく、心で喜びを味わう曜日だ。

それほどまでに京子に潤いを与えてくれる土曜日であるが為、日曜日から金曜日は些か退屈を覚えてるが無論、決して溜め息が洩れるほどではなく、勉強し友人と戯れる日常はとても楽しい。

しかし彼女には土曜日があまりにも眩しすぎる。
それは同中学の幼馴染で現在一人暮らしの船見結衣の家に泊まる曜日だからである。

首を長くして待った一週間ぶりの土曜日。
京子のハミングは気分に乗じて鳴り止まないでいた。

一か月前に落ちたやつの立て直しです

結衣の家に泊まる。
それは誰かが決めたわけでもそして指図したわけでもなく普遍として決まっている出来事である。

泊める船見結衣もまたそれを自然に思い、泊まる歳納京子もまたそれを当然と思い、この約束された揺るぎない土曜日は幕開けるのだ。

そんないつもの土曜日の食後のデザート。

結衣の突然の質問にラムレーズンを喜々として頬張っていた京子のスプーンが思わず止まってしまった。

別に他人の好き嫌いを言及したいわけではないが今回は聞き捨てならない。


結衣の声に『なんでそんなものが好きなんだ』と感じさせる、呆れ返ったような溜め息が混じっていたからである。
これは親友と言えど許されない愚行だ。

「こらこら結衣。今の言葉で全国5000万人のラムレーズン愛好者を敵に回したぞ!」

まるで宣戦布告のように告げるがビシッと突き出したのは指ではなく溶けかけたラムレーズンの盛ったスプーンであったのは少々不格好だった。

「全国5000万人もいるのかよ…」

「いや知らないけど――もぐもぐ」

「適当かよっ」

――と、いつものように『はっはっは』と他愛のない会話に花を咲かせる。

そんな会話をする一方、京子は結衣の問いを自問してみた。

なんで私はこんなにまでラムレーズンに対し積極的になるのだろう――。

物事に対してよく食指が動く方ではないということは自分自身がよく理解しているのに。


ラムレーズン。
鼻をくすぐる香り高いラム酒の中でじっくりと漬け込まれた上質のレーズンをふんだんに使用したアイスクリーム。

コクのあるなめらかな舌触りのアイスクリームと、濃厚な味と香りのラムレーズンが生み出す上品で洗練されたその一品は京子の舌をたちまち虜にさせたものだ。

しかし味だけでここまでラムレーズンをよく食べるようになるだろうか。

山ほどある大好物の中でなぜラムレーズンだけが?
彼女の代名詞であるラムレーズンとじっと睨めっこするが答えが浮かぶはずもなかった。


一般的なアイスとは一線置いた極彩色の器が冷気によって生じた霜により、ふやけていく様。
アイスクリームがとろみのある液体へ融解していく様。

多彩な表情をするラムレーズンの全てを観察してみるがヒントすら浮かばない。

「溶けちゃうぞラムレーズン」

思いのほかじっくりと見ていたのだろう。
頬杖をついてやっぱり呆れたような口調で結衣は言った。

「…結衣も食べる?」

「いーよ。京子の食いっぷり見てるとお腹が一杯になったから」


テーブルの上には空になったラムレーズンがすでに2つ転がっていた。

前述しているがこれは食後である。
温厚な結衣が呆れるのも頷けるというものだ。

しかしそんな結衣へ目も呉れずに京子は至福の表情でいつもの台詞を言う。

「ラムレーズンうめぇ~!」

今日だけでも耳にたこが出るほど聞いた言葉。

やっぱり呆れ返った溜め息がまた出た。


結衣と京子が就寝する頃には辺り一面すっかり黒一色に上塗りされ、静寂に包まれていた。

ちなみに結衣の家に布団は一つのみである。
それゆえに眠っている無意識の状態での布団の取り合いが絶えることはない。

そして勝率は京子が格段に勝っている為、結衣は暖を求めて京子に密着したまま朝を向かえることが多い。
翌朝、まるで男女の情事のような格好に二人して赤面することもまた彼女たちの一種の楽しみだ。

実際、どちらかが床で眠れば窮屈な思いをしなくて済む話なのだが生憎、二人にそんな自己犠牲の精神はないらしい。

それがゆえに二人は川の字に並び、互いの体温で温め合うように仲良く眠っているのである。


そしてどこからともなく流れてくる虫の鳴き声は丁度よい子守唄となり、二人を眠りへ誘う。
結衣の静かな寝息は虫たちのハミングと重なり、広大な夜の世界へ溶け込んでいった。

ご覧の通り、結衣は京子が発する人肌の暖気に安堵感を充足させ熟睡中である。

しかし一方の京子は結衣と同じく熟睡ではあるが決して安眠ではないようであった。

夢を見ているのか「うーん…」と低い唸り声を上げる。
気付けば彼女の額には無限を思わせるほどの汗が溢れていた。

『……よぉ』

――これは。

『…てよぉ』

――見覚えがある。

『みんなやめてよぉ!』


暖かな陽光が春の息吹を感じさせてくれるそんな爽やかな季節。
急ぐ足取りをそっと止めてくれる美しい桜のある公園を間断なく、ぱたぱたと鳴らし、小さな足を大きく広げて女の子は走っていた。

その足取りに子供らしい無邪気さを感じさせてくれるが、しかしその女の子の表情に無邪気などという甘気は微塵も見られない。

その女の子。
現在、揉め事の渦中である。


『っく…うぅ…っ。ひっく…!う、わぁぁん。結衣ぃあかりちゃーん。助けてぇぇ…』

その女の子は、木の枝を持ち愉悦に浸った三人から逃げていた。

これだけの情報だけでも深刻な虐めの様相を呈してるのが分かる。

――この光景は。

京子は追憶した。

――泣き虫で弱虫だった幼い頃の私だ。もしかして私は過去を夢の中で思い出しながら見ているの?

夢とは言えど第三者の目から見る自分の光景は何とも言えない気持ち悪さがあった。


『うぅ…っ。やめて、やめてよぉぉ』

三人が京子の哀願に耳を貸すわけもなく、つんつんと木の枝で執拗につつく。

しかしその三人の攻撃にはたいした威力が見られない。
京子自身も泣くばかりで痛がる素振りは一瞬もない。

つつくと言うより触ると言った方がしっくりくるかもしれない。

『やめてぇ…ひっく…!っ…うぅ…』

しかし三人の虐めは身体を創傷させることが本来ではない。

三人の内一人が言う。

『うっわー。歳納菌がべったり付いたー!食らえ!』

すると三人は京子に触れた箇所を『歳納菌』と名付け、三人同士でなすりつけ合い始めた。

実に子供らしい貧困な発想の虐めと今ならあしらえれるが、当時の京子にとって自分が菌として扱われる屈辱は堪え難いものであった。

京子の充血した目からは枯れるほどの滂沱の涙が溢れていた。


決まって京子はここらで激烈に声を荒げて泣き叫ぶ。

そしてだ。
決まってここらで小さなヒーロー達は激烈に声を荒げてやってくるのだ。

『うちの隊員を虐めるなぁー!』

『おやびん。今日こそ、けちょんけちょんのギタギタにしてやりましょうぜっ!』

船見結衣、赤座あかりである。
彼女にとってこの時の二人は当時夢中で応援していたウルトラマンよりも大きく、逞しく見えたに違いない。

京子の表情に、ぱぁっと光が差した。


『必殺っ!超ウルトラハイパーデリシャスあかりキーーック』

高らかに技名を叫んだのとほぼ同時にあかりの肩から生じた衝撃はどんっという鈍い音をたてた。

いじめっ子の三人の内の一人の持っていた木の枝の位置をそのままにその子の体だけが後ろへ飛んでいく。

『きゃー!あかりちゃんサイテー』

尻餅をついた拍子に砂利が食い込んだのか、苦虫を噛み潰したような険しい表情をする。

その表情に勝利を確信したのか、あかりは調子をぐんぐん上げた。


『へっへーん。あかりを怒らせちゃったそっちが悪いんですぅー!』

綿密な計画こそ練られていない無鉄砲な行動であったが、見事な逆転劇である。

しかし反動でジンジンと肩は痛んだ。
だがこの程度で京子を守れるのならば痒いものだ!

『あかりのキックは一撃必殺だよ。16文キックだなんて目じゃないんだから!』

そう言って鼻を高くし、えっへんっと年相応に膨らんだ胸を大きく反らした――とここまで読んで違和感があるだろう。

……あかりの猛攻はキックとは名ばかりの特攻じみた単なる体当たりである――とまだ違和感は払拭されていないだろう。

そう、圧倒的なあかりの存在感。
まるで存在感そのものを具現化したような目立ちっぷり。

デリシャスの意味をまだ理解していないそんな幼少時代。
あかりの存在感は誰よりも突出していた。


――そうだ。この頃のあかりは存在感に富んだ子だったっけ。

今では見る影のないあかりの黄金時代に傍観者である京子は思わず笑い転げてしまっていた。(あかりごめん!)
ゲラゲラと一通り抱腹絶倒したところで当然の心理が働く。

――結衣はどうだったっけ。

事実の過去とはいえどもう何年も前であり覚えてはいない。

それに虐められていた頃の思い出など誰も覚えていたくもないだろう。


結衣に視線を向けた瞬間京子は驚愕し、そして高揚した。
あかりが一人を倒して悦に入っていた間、結衣はすでにもう二人を泣かせていたからである。

結衣の右手は硬く硬く握られた拳が静かにそこにいた。

『おとこおんなが本気で殴ったぁぁ…』

『痛いよぉぉ…』

『だぁーっ!うっさいうっさい!京子に手を出すからこうなるんだぞ!』

怒りが心頭に発したのか結衣は、幼さの残った声を精一杯に低くし叫んた。

そして有無を言わさず必死な表情で京子を抱きしめる。


『言~~っちゃれこ~ちゃ~れ。せ~~んせぇ~に言っちゃろぉ~!』

あかりと対時したその子はすでにケロっとしており、指差しで結衣を懐かしいフレーズで脅していた。

その言葉にさらに噴火し躍起になったのか、結衣は怒りの篭った言葉で会話を紡いだ。

『言いたかったらいくらでも言え!ほらさっさとどっか行けよっ!しっ!しっ!』


言い終わるや否や、結衣はまるで塩でも撒くかのように全神経を利き腕に集中させ、渾身の膂力で砂や砂利を三人に投げつけていた。

背を向けて逃げる算段をしている三人に砂や砂利は、ぱらぱらと容赦なく音をたてて撃たれる。

その間も京子は結衣の腕の中であり、二人は目の前の三人は疎か、空気でさえも介入できないほどに密着していた。

『覚えてろ!おとこおんな!』

そんなよくある悪役の捨てゼリフを吐きながら三人は一目散に走り去っていく。
まるで落ちる所まで落としてやる!――と物語った炎を眼に宿して。

彼女たちの逆襲から救われるのか、はたまた掬われるのか。

全ての答えは後日である。(後日のことも京子はやっぱり覚えていないようだ)


『うぅ…っ。ひっく…結衣…。結衣ぃ……怖かったよぉぉ…!』

嵐が去った直後。
恐怖と屈辱が臨界点を超えたのか感情がどっ――と涙として京子の小さな眼から溢れ出ていた。

嗚咽に喉枯らせ、涙に頬汚し、涎に唇を湿らせ京子は『っ――――!』と声にならない泣き声を結衣の腕の中で叫ぶ。

『もう大丈夫だよ…。京子』

水分を含んだ結衣の服が肌にぴったりと張り付く。
まるでシャワーを浴びたように濡れたが結衣はそれを喜々として受け入れていた。

不快感なんて微塵も感じてはいないだろう。


そんな京子と結衣の一方、あかりは京子のあまりの怒号の泣きっぷりに思わず声をかけることすら逡巡してしまっていた。

先程述べた文章を踏襲するならば、三人は疎か、空気でさえも、ましてやあかりでさえも介入できないほどに密着していた――と言える。

そしてようやく捻り出したあかりの言葉が次の一言だ。

『京子ちゃん…大丈夫…?』

こんなテンプレートな一言をかけるのがやっとなほどに京子は凄まじい状態であった。

『…あっ。来てくれてたんだあかりちゃん…』


今の京子には雨に耐える仔犬にも似た哀愁を感じさせた。
そしてさらに付け加えるなら、雨に打たれた痛みを忘れるように主人にたっぷり甘える仔犬のようでもある。

吐息が耳元を撫ぜたまま、結衣が京子の頭から背にかけてゆっくりと摩る。

京子はさながら仔犬のような順直な姿勢で瞳を閉じ、結衣の愛撫を受けていた。
安堵感が満ちていくのか、次第に京子の愛らしい笑顔が戻り始める。

もう一度あかりが問う。



『京子ちゃん…大丈夫…?』

『…うん!結衣が三人全員を倒して私を守ってくれたんだぁ』

『……』

あかりの活躍は視界に入ってなく、さらに記憶は捏造され補完されていた。
存在感はあっても不憫さは今昔と変わっていないようである。

『結衣――』

京子は本当に本当に嬉しそうに言った。

『大好きっ!』

……あかりは?と声が洩れそうになったが、ここでは言わないほうがいいだろう。
あかりにはそんな気がした。


「――はぁ…はぁ…」

夢から覚めると枕は尋常でないほどの汗でびっしょりと湿っていた。
頭髪を越え頭皮まで湿り気を感じるほどである。

そんな京子の容体を心配してか結衣は明かりを点け、夜目に慣れてた細目で顔を覗き込んでいた。

「大丈夫か京子…。随分うなされてたけど…怖い夢でも見ちゃったのか?」

過去を夢として傍観する。
まぁ怖いの部類に入るだろうか。

「まぁ…ちょっと……怖かった」


瞬間。
そう、結衣の顔を見たその瞬間。

かぁぁ――という擬音が似合うように突如自分の頬が紅潮していくのが分かった。

体の芯から熱が皮膚という皮膚を粟立たせるように登り詰めてくる。

「……なんでそこで赤くなる」

「し…知らん!」

咄嗟に、緊張した時は人間をカボチャと同列と思えばいい、という自己暗示を思い出した。

…くそ、迷信か。
自分の体なのに紅潮が止まらない、止められない。

「手繋いでやろうか?」

「う…うん」

今の結衣を見つめるとあの頃の結衣と重なった。


記憶の奥底に埋っていた虐められていた頃の思い出と、結衣へ抱いていた淡い感情が同時に去来する――。

何を引き金に過去を思い出したのかを考えてみるが、残念ながら思考が働かない。
考えれば考えれるほどに結衣がちらつき、思慕の情にも似た感情がきゅんと絶妙な強さで京子の胸を絞めつけた。

妙な息苦しさを感じた。
しかし――その息苦しさが不思議と心地良く感じるのは何故だろうか。

「おやすみ――京子」

…もう何も言わないでくれ。

ドクン…!ドクン…!
波打つ速さが加速する。

ドキドキが止まらないんだ。


「寝ちゃったか…」

実際はギュッと硬く瞳を閉じ、寝たふりをしているだけである。
しかしあまりにも強く瞳を閉じていた為、眉間に皺が寄っており結衣にはまたも悪夢に苦しんでいるように見えた。

現に藁にも縋るかのように結衣と繋いだ手を強く握ってくる。
しかし実際は、緊張により力が入っただけだが結衣がそれを知る由もない。


それは結衣なりの純粋な優しさだった。

少し体を横にし、自身の頭を京子の年相応に膨らんだ左の胸元へと乗せ、下半身は巻きつくように交差させて寄り添う。

抱き枕をヒントに閃いた行動だった。

情事を終えた男女のような桃色の光景に思わず結衣自身が頬を朱に染まったが、京子が安心するならと自身を説得し抱きしめる。

またも結衣を握る手に力が入った。

「おやすみ――京子」

照明を落としたのち結衣の寝息は割とすぐに聞こえた。

どうやら安心して眠りについたのは結衣の方だったようであり、幸せそうな寝顔がそれを物語っている。

「…おやすみ――結衣」

一日ぐらい寝なくても大丈夫だろう。

鼓動は京子の中でいつまでも轟音に響いていた――。


日曜、月曜、火曜、水曜、木曜、金曜。

あの日以来、京子はあの不可解な夢を見なくなっていた。
そもそも自身の過去を夢として見る経験自体が稀有な出来事であり、そう何度も体験していたら良からぬことの兆候に思え――怖い。

「でも悪い体験じゃなかったなぁ…」

「なんだ京子。またその話か?」

金曜日。
いつも通り娯楽部でたっぷり体を酷使し、遊んだのち京子と結衣は並列して帰路についていた。

楽しく感じる時ほど時間は早く感じるものであり、先程まで燦燦と光っていた蒼天はいつの間にやら夕日の鮮やかな茜色に変わっており風が橙一色に染まった雲を彼方へと押し進んでいた。

まるで一枚絵のような風情ある空の下、彼女たちは歩いていた。


結局、あの日京子は覚悟した通りに眠れぬ夜を過ごした。
ずっと不動のまま、気をつけの姿勢でピンっとしていたらしい。

翌朝、結衣は普段なら布団を失い京子に密着しているはずの自分が京子と仲良く、ましてや布団も寝る前と同じ状態であったことに少々疑問を抱いていた。

目にたっぷりの隈を蓄えた京子を見た結衣が何故眠れなかったのかを質問した。

そして事細かに夢の詳細を話すと結衣も恥ずかしがっていた。
ちなみに結衣自身もよくは覚えてはいないようだったが断片的には覚えている様子であった。

「全然悪い体験なんかじゃないよ。おかげで結衣にゃんのこと惚れなおしちゃったし!」

「結衣にゃん言うな」

そう言って結衣が京子を軽く叩く。

「いってー!」と京子が微笑みながら走る。

「明日の支度してくる。ラムレーズン買っておいてねー!」

「ったく…。じゃあいつも通り買っておくから来いよー」

「あいよ!また明日ー!」

「また明日ー」

持ち主の心情を表すように2つのローファーの音が賑やかに鳴った。


「ご馳走!いやーやっぱり結衣のオムライスは天下一品だね。これは店に出せるよ」

土曜日。
緩やかに弧を描く彼方の山に陽が沈み出す午後六時頃。

口紅のようにべっとりとトマトケチャップを付けて京子は子供のように、はしゃいでいた。

やはり彼女にとって土曜日は一週間の内で最も楽しい一日であった。
漫然とただ日々を過ごす毎日であるからこそ結衣と一夜を共に過ごすこの一日がここまで光るのかもしれない。

「お粗末さま。おいおい口拭けよ、京子」

「わかったぁー」

洗い流すように締めにコップ一杯の水をゴクリ。
これは次の――食後のデザートへのステップである。

「コップで洗うなっ!」

「さぁ結衣!ラムレーズンの時間だ!」

パカッ、ピリッ、シャリッ、パクッ。
蓋を空け、ビニールを破り、スプーンで掬い、そして食す。

京子の迷いのない手馴れた一連の動きにはむしろ感動さえ覚える。

結衣の興味の薄い視線に逡巡することなく京子は「くぅ~!」と旨味に身を悶えさせていた。

「くぅ~!何かこう胃の底から湧き上がるものがあるよね。この一杯の為に生きてる!みたいな」

「お前は居酒屋の親父か――はぁ」

聞き慣れた溜め息がまた聞こえた。


「ねぇねぇ結衣。今日もあの夢見たら面白いと思わない?」

前回唸り声を上げ、挙げ句の果てには一睡もできなかった一日を彼女はすっかり忘れている様子である。

純粋な好奇心がその他の感情を埋めていた。

「気になるけど…また京子を抱き締めるのは勘弁だぞ。いくら親友と言えどあれは恥ずかしいものだ」

「じゃあ無理やりにでもあの夢見るね。私の背中…預けるぞ!」

嘆息。

「はいはい…。しっかり抱き締めてやるから安心して寝な」


いつも通りに互いの体温を感じる窮屈な布団の中、結衣と京子は瞼を閉じる。

虫の鳴き声、シーンと聞こえる静寂の音、頬撫でる互いの吐息。

すべてが眠りに繋がっていく――。

と、意識のなくなりかけた矢先。
京子は手のひらに触れるか触れぬかの柔らかい人肌の感触を感じた。

結衣が京子に手を重ねてきた。
握るではなく重ねるというのはやはり京子を安堵させることを第一とした彼女なりの優しさと同時に恥ずかしさなのだろう。

親友と言えど手を絡ませるという行為に羞恥を抱き、遅疑しているのか結衣の手は少し震えていた。

「怖くなったらまた抱き締めてやるからな…京子」

あまり聞かれたくなかったらしく、囁くように結衣は口にした。
蚊の鳴くような声で言ったが生憎、周りは水道から垂れる水滴すらよく聞こえる静寂の常闇。

一言一句はっきりと聞こえた。

「また頼むね…愛してるよ結衣にゃん」

「結衣にゃん言うな…」

しばらくしたのち、まるで天空に投擲されたかのようなフワッとした感覚が襲ってきた。


まるで自分自身が雲にでもなったかのようにふわふわと、風の赴くままに身を遊泳させていく――不思議な不思議な感覚。

自然と口は半開きになり、目は虚ろになっていった。

京子はすぐにそれを『兆候』と感じ取った。

やはり結衣の家に泊まったことが引き金なのか――などとそんなことを考えてる暇もなく映像が視界に一気に飛び込んでくる。

夢の傍観が再び始まるのであった――。


『しばらく京子と話さないことにするから』

それは突然、結衣の口から告げられた言葉だった。

心の拠り所を結衣とあかりにしか持ち合わせていない弱質な京子にとってその言葉はあまりにも辛辣。
そんな弱い立場であることをよく知ってる結衣がそんな言葉を告げてたことにしばらく京子は呆然と立ち尽くしてしまっていた。

『そういうわけだから…じゃあね京子』

吐き捨てるように告げ、結衣は無情の精神で背を向けた。


『いや…その結衣――ま、まま待ってよっ!』

京子の声に結衣は脇目も振らず駆け抜けていく。
当時の虚弱な京子にとって凄まじく茫洋に思えた公園を結衣は一瞬にして抜け出して行った。

『やだ…!やだ…!待って、待って結衣!』

はぁはぁと荒く、肩で息をしながらもやっとの思いで公園を抜けるとそこには誰もいなく、虚空だけがただただ京子を待っているだけであった。

彼女はすでに彼方なのか、京子の双眸には何も映らなかった。


何かを掴もうと、そして残そうと伸ばしていた腕が脱力した。

この場に残そうと伸ばした腕。
皮肉にもその場に残ったのは千切れんばかりに伸ばした腕の痛みと京子のみであった。

『結衣ぃ…結衣ぃ……結衣ぃ…』

『結衣』――という単語しか頭に浮かばない。
いや、むしろこの単語だけを残して語彙は失われたような感覚である。

そして京子はまた呟く。

『結衣ぃ…!』

積み上げてきた何かが崩れる音が彼女の中でガンガンと響いていた。


翌朝。
目覚まし代わりの燦燦たる朝日と小鳥の囀りによって京子は目を覚ました。

部屋全体に広がる斜光に瞳を細める。

『…朝になっちゃったんだ』

普段ならハミングでも奏でたいほどに清々しく感じる朝なのだが今はそう思えない。

不快感が煮え立つバツの悪い目覚めであった。

『学校…行きたくない』

親友に見捨てられた自分が学校へ行く理由が見つけれない。
重い溜め息と共に机に置かれた赤いランドセルを見つめてみるがギラギラと視界を攻撃し、直視できなかった。


食事が喉を通らない。

どうやら今朝は母が腕によりをかけてるらしく執拗に『美味しい?』と質問攻めしてくる。

やはり普段であったら完食したのち、おかわりと大きな声を出しているだろうが今は箸が進まない。

母に申し訳ないが京子にとっては空疎な朝飯であった。

食卓に座ってまだそう時間は経っていないが京子の食膳からはカチン――っという箸を置く音が虚しく木霊した。

『…美味しくなかった?京子』


目に見えて母が落胆する。
そんな母の表情を見ていると京子は途轍もない罪悪感に苛まれた。

『…早く支度なさい』

すでに母は手際よく食器を片付る作業に差し掛かっていた。
特に何かを言う訳でもなく母は黙々と皿にラップを巻いていく。

『…ごめんなさいお母さん』

母のこんな表情を見るくらいならやはり無理やりにでも食べておくべきのかもしれない。

京子は人知れずそんな後悔を抱いた。


やけに重く感じた教室の扉を開くとすでに結衣は席に着いていた。

何かをするわけでもなくただボーっと上の空で虚空を見つめている。
まさに心ここに非ずという感じであった。

『あ…っ。結衣…お、おはよう』

口角を不自然な形で吊り上げ、堅い表情で京子は言い慣れたはずの挨拶を口にする。

『………』

――無視。
だが面白いことに視線は一心に京子を見ている。

そんな状態で何も言わないのだ。
昨日告げた言葉を忠実に果たすことに怒りを通り越し、むしろ清々しさを覚えるほどだった。

『結衣…私なにかした…?お願い言ってよ。私直すから…』

――無反応。
あいかわらず視線はこちらをじっと見つめたままである。

『結衣ぃ…』


すでに京子の小さな瞳からは大粒の涙が溢れていた。

長年連れ添った結衣には分かる。
それはいじめっ子の三人に対しいつも流す涙であり、彼女の声無き悲痛の叫びであることを。
親友へ対して流す涙ではないことは容易に推察がついた。

――ごめんよ。京子…。

しかし結衣は感情を殺し、それでもなお京子を無視し続けるのであった。


『……』

京子自身もそれ以上は何も応えず。
いや応えられず、重い足取りのまま自身の席へ向かっていった。

登校中、押し潰されそうなほど重く感じたランドセルを机に置く。
どうやらランドセルは実質的には軽かったようでコトンっという乾いた音が鳴った。

そんな老婆のような小さな背中を結衣はじっと見つめていた。

先程と同じく表情こそは変わらなかったものの、心の中では『ごめん』を何度も何度も哀叫しており張り裂けそうな想いであった。

――が。
結衣は決して表情には出さない。


これは二人共が望んだものではない。
しかし京子も結衣も、望んだことのない不穏な毎日に溜飲が下がらないでいた。

手を伸ばせば触れられる距離なのに遠く感じてしまう、このもどかしさが結衣にとっては反吐を催した。

だが…!
京子を最優先に考える気持ちが先走り、京子に触れたい欲求はグッと抑止させられる。

それは結衣なりの純粋な優しさだった。

ある日のことである。
あかりが京子に一つ告げた。

『結衣ちゃん…最近傷が増えてない?』


やんちゃで少年のような無邪気さを持ち合わせていた結衣である為、元々生傷が絶えない子ではあった。

『今日は木から落ちたぞっ!』『今日はドッジボールでぶつかったぞっ!』『今日はーー』『今日はーー』……と結衣は毎日、自身の武勇伝を作り続け京子とあかりを楽しませていた。

時折、洒落にならない事故も体験していたが結衣は笑い話に変えて話していた。

しかしそんな結衣であったが一箇所だけ傷が少ない部位がある。

顔だ。
しかし最近、顔の傷が増えているのである。


そもそも人間には防衛本能というものが兼ね備えられており、普通躓いたら転けるが、決して顎を打つことはない。
衝撃を緩和させようと必ず先に手が前に出るである。

躯体のもっとも脆弱な部位である顔を本能的に守る本能。
それは俊敏かつ正確な判断、行動に比例して高度な物へとなる。

つまり普段から数多くの危険を体験しており、生まれつきの運動神経の高さを誇る結衣の防衛本能は同年代以上ということだ。

現に結衣は怪我という怪我を全て最小限に抑えれていた。

そんな結衣に顔の傷が急激に増えるだろうか?

答えは簡単であった。

『多分…故意に傷つけられてるんじゃないかな』

あかりは京子の表情を伺うように、たどたどしい口振りで言った。


話題が結衣のことというもあり、京子は食い入るようにして傾聴していた。

しかしあかりの言葉はにわかには信じ難いものであった。

…いや。
ただ単純に信じたくないだけでなのかもしれない。

そもそも結衣が自分と同じ境地になるなど、考えたことすらない。
京子と違い肝が座っており、婀娜っぽさはないがそれをマイナスと思わせない少年のような屈託のない笑顔。

彼女を非難する箇所などどこにも見つからなかった。

『結衣に限ってそんなこと――』

――ある訳がない。
そう言おうとした矢先、何かが胸に引っかかり言葉を詰まらせた。

重大な何かを忘れている、そう思ってならなかった。


喉元まで言葉は登ってきているが声にならないでおり、もどかしさに頭を掻き毟りそうになっていた。

京子は必死に頭を回転させ、そして詮索した。
京子と結衣を繋ぐ、虐めへと発展する重大な何かを。

『あ……っ』

一頻り考えのち、思い出は脳裏に去来した。
まだ浅い思い出である。

あの時の光景が脳裏でビデオテープのように鮮明に流れた。


言い終わるや否や、結衣はまるで塩でも撒くかのように全神経を利き腕に集中させ、渾身の膂力で砂や砂利を三人に投げつけていた。

背を向けて逃げる算段をしている三人に砂や砂利は、ぱらぱらと容赦なく音をたてて撃たれる。

その間も京子は結衣の腕の中であり、二人は目の前の三人は疎か、空気でさえも介入できないほどに密着していた。

『覚えてろ!おとこおんな!』

そんなよくある悪役の捨てゼリフを吐きながら三人は一目散に走り去っていく。
まるで落ちる所まで落としてやる!――と物語った炎を眼に宿して。

彼女たちの逆襲から救われるのか、はたまた掬われるのか。



『あ……っ!』

『…痛。あいつら加減ってものを知らないのかよ』

同時刻。
結衣はそんな愚痴を洩らしつつ帰路についていた。

ボーイッシュな彼女には似合わないでいた赤いランドセルには、陽光を浴び水気を失った泥がこびりついており、皮肉にも黒いランドセルを連想させるその配色にはしっくりとくるものがあった。

まだ幼少期と言えど少々やり過ぎだ。
しかしこれは子供らしい無垢な心を表していると言ってもよい。

善悪の判断も薄く、歯止めを知らず、ただ楽しいから虐める。
いや多分虐めているという感情はなく、ただ遊んでいるとしか思ってないのでないだろうか。

楽しいから虐める――。
実に単純であり、子供らしい無垢が伺える行動である。

夕日の陽光が頬の生傷にはジリジリと焼けるように沁みた。

『また…転んだって言うか』

嘘も方便。
親に心配は掛けられない、そして掛けたくない。


結局彼女たちの逆襲からは救われず、掬われる形になったのは自明の理だろう。

言わずとも一面に散りばった生傷がそれを嫌というほど物語る。
あの日の翌朝を皮切りに毎日が彼女たちの鬱憤晴らしとなっていた。

あの日の翌朝――。
結衣が大口を開けてまだ眠っていた時間帯のことである。

うるさいほどに電話が鳴っていた。
結衣の母が朝食の匂いの染みたエプロン姿で受話器を取る。

『はい、もしもし船見でございます』

『もしもし。先日お宅のお子さんに泣かされた娘の母です。ちょっとお時間頂けますかねぇ』

鼻息を荒くし、その母は言った。

『お宅は一体どんな教育をしてるんですか』


86 = 1 :
『え、ちょっと待ってください!仰ってる意味よく分かりませんが…』

『言葉の通りですけど。理解できないんですか?嘘でしょ』

『あの…うちの結衣がお宅のお子さんを泣かせてしまったってことですか…?』

『そう言ってるでしょ。二度手間取らせないで頂戴』

言葉だけでも立腹しているのが分かる。

『泣かせ…も、申し訳ございません!』

『はぁ。謝れば丸く収まるとでも思ってるんですか』


その後、結衣の母は何時間も何時間も電話越しの見えない相手に思わず頭を下げていた。

しかも一人だけでは終わることなくもう二人の母からも電話は来ており、結衣が下校してきた時にもまだ電話越しに頭を下げていた。

やっと三人の電話が終わった頃、すでに日は沈んでおり、辺り一面は常闇に包まれていた。

結衣は母から呼び出しを食らうのは当然であった。

『結衣…なんで三人の子を虐めたの』

虐めた…?
その言葉には少し引っかかった。

『違うよ。京子が虐められてそれで私がやっつけたんだよ』

『え?あの母親…結衣に虐められてたって言ってたわよ?』

…根も葉もないことを吹き込まれていた。


あれからしばらくしたのちすぐに生活に異変が現れた。

『おはよー』

結衣がいつも通りにクラスメートに挨拶をした。

『………』

――無視。
だが面白いことに視線は一心に結衣を見ている。
そんな状態で何も言わないのだ。

『おはよー…』

――無反応。
あいかわらず視線はこちらをじっと見つめたままである。

まるで自分が京子に接した時のようであった。
口ではなく目で語るようにじっと静かに見つめてくる。

皮肉にも京子が感じた悲哀の感情を結衣は今、感じた。


『船見さん。ちょっと来てくる?』

呆然と立ち尽くした結衣の後ろに口角を吊り上げて笑うあの三人がいた。

その破顔一笑には子供らしさは微塵も感じられない。
彼女たちの笑顔の裏側には怒気が見え隠れしており、ぞくぞくと不快な悪寒が結衣の矮躯を巡った。

『どう?学校来てびっくりした?』

その第一声が全てを語っていた。



『お前らなんかやったなぁっ!白状しろっ!』

使い慣れない低音の声で咽せそうになりながも必死に結衣は言った。

しかし『はいはい』とぞんざいに宥められる。

『言ったでしょう。覚えてろ、おとこおんな――って!』

三人が有頂天になり笑う、笑う、笑う。

『なんか吹き込んだなっ!現にお前たちのお母さんはデタラメばっかり言ってたぞ』

『そりゃあデタラメ言ったもん。当たり前じゃない』

『そう当たり前だよ』

『デタラメ言ったもんねーっ』

やはり保護者だけでなくクラスメートにもデタラメを吹聴していた。
針小棒大もいいところだ。

『あ、あとさ。一つ言っておくけどこれからあんまり歳納と赤座さんには関わらない方がいいよ?』

『なんでだよ』

『みんなが嫌いな船見さんが歳納と赤座さんと関わってたらみんなどう思うと思う?』


『本当に痛いなぁ…』

あれからしばらく帰路を歩いていたが一向に痛みが引く気配がない。

そろそろ転んだの一点張りが厳しくなる頃合いだろう。
こうも毎日毎日転んだと言われて懐疑心を持たない方がおかしい。

『はぁーっ。なんか帰るの嫌だな…』

夕日を見つめていると自然と溜め息が洩れ、帰ることに億劫になっていた。

そんな心身ともに疲れていた時である。

『――衣ちゃーん!』

『?』

聞き慣れた声が結衣を呼ぶ。
その声の主は幼さの残った声を腹から出し、ぱたぱたと駆ける足音がこちらへ近づいてきた。

『結衣ちゃーーんっ!』

呼ぶ声は一つだが足音は二つだった。

一人は腰まで伸ばした髪を風に靡かせ、頭の両端に特徴的なお団子を結んでおり小さな腕を大きく振っていた。

『あかり…』

もう一人はあかりと同じく腰まで流れるような髪を伸ばしており、あかりに腕を引っ張られ走っていた。

『京子…』

頑なに無視を続けてきた結衣であったが気付けば彼女たちの――いや親友の名前を口にしていた。

それほどまでに彼女は疲弊していたのかもしれない。


そんな風に結衣が感傷的になっていた時、走る勢いをそのままに、あかりが飛び込むように結衣に抱きつく。

『結衣ちゃん捕まえたぁっ!』

『ふゃっ!』

不意打ちにより言葉にならない声が出たのはご愛嬌。
それほどまでに結衣に会えたことはあかりにとっては歓喜そのものだったというなのだろう。

まるで戯曲のように大胆に、そして大袈裟にあかりは全身で、歓喜を表した抱擁をした。

『……』

そんなあかりと結衣を京子は一歩後ろでただ見つめる。
あかりのように続きたいが京子は慌てふためき、躊躇している様子であった。

京子はあの時の結衣の冷めた視線を思い出して、

『あ…あ、あかりちゃん。結衣が怒っちゃうよ…』

と言ったが、しかし――。


『こらこら…あかり』

京子の言葉とは裏腹に結衣は満更でもない表情を見せた。
困ったような口振りではあったものの――結衣は笑う。

…その光景が京子にとってたまらなく羨ましく、それと同時に妬ましかった。

しばらく忘れていたいつも通りの見慣れた結衣の笑顔。
それを一番近くで眺められるあかりを京子は羨望の眼差しで眺め、そして嫉妬した。

『結衣ちゃんが無視ばっかするからあかりと京子ちゃん寂しかったんだよ』

『ね?京子ちゃん』とあかりが京子へと振り向く。
しかし京子にとって結衣は自分を捨てた存在、自分のことが嫌いだという偏向が拭えずにいた。

『確かに……寂しかった…』

結衣の目を見ようとすればするほどに目線が揺れ動く。

どうしても結衣を直視出来ず、あかりの目を見て京子は言う形となった。

『じゃあーあかりが京子ちゃんの分も結衣ちゃんを抱きしめるーっ!』

そう言って結衣の頬と自身の頬を合わせ、あかりは摩った。

『痛っ!』


思わず声が飛び出した。

『…ごめんね!傷痛かった?結衣ちゃん』

苦虫を噛み潰したような表情をし、ちょうど先程出来たばっかりの自身の生傷を軽く摩る。

『あ…うん。さっき転んじゃってさっ!』

『いつもの子――だよね?』

『え…』

唐突にあかりは告げた。

『この子』から先は何も言わなかったが鳩が豆鉄砲を食ったような様相を見る限り、結衣には十分に伝わっているようだった。

あかりは結衣から腕を離し、面と向かって話す。

『あかりと京子ちゃんも分かってるんだよ。あとは何であかりたちを無視するようになったかだけ教えて?』

『…分かってたのか』

『分かったのはさっきだけどね。あかり結衣ちゃんに会えて舞い上がっちゃって言うの遅れちゃったよ』

『そっか…』

結衣は瞼を閉じ、思い出すように経緯を語る。


『そっか…あかりたちと結衣ちゃんが話してるとあかりたちも虐められちゃうって思ったんだ。結衣ちゃん…辛い思いさせてごめんね』

『ううん。別にいいよ』

『じゃあ、あかり帰るから京子ちゃんと結衣ちゃん仲良くしてねっ』

『え。帰っちゃうのか?』

『うん。あかりね、京子ちゃんが結衣ちゃんのことをだ~い好きなの知ってるんだぁ。…だからあかりは帰るよ。それにあかりはいっぱい結衣ちゃんと話せたからもう十分。京子ちゃん、結衣ちゃん。また明日ね』

あかりは気づいている。

虐められる度に京子は結衣へ傾倒し、依存していることを。
いつもいつも仔犬のように結衣に甘えていることを。

そして先程、自分を羨ましがったことを。

あかりには京子の傷を癒すことはできない。

京子には――結衣がいることを。


歳納京子、船見結衣。
二人はあかりの厚意を無下にすることは出来ず、共に帰路についていた。

しかし久方ぶりに二人っきりになった為か以前のような会話など生まれるはずもなくただ時間だけが過ぎていく。
いつの間にやら鮮やかであった茜色は薄暗い鈍色に変わり始めていた。

しばらく雑踏の中を固い表情で歩んでいたのち、轟く靴音の中に京子の声が聞こえた。

『…と……ら…で』

しかし周りの靴音に掻き消され蚊の鳴くような声となっており、うまく聞き取れない。

この沈黙を破る、突破口へと成り行くであろう発言。
結衣は是が非でも聞きたかった。


結衣は体ごと京子へと傾け、傾聴する。

その大胆な行為に京子は思わず体を反らしたが、結衣は京子が退いた分だけまた近づいた。

離れては近づき、また離れては近づく(結衣自身、若干楽しんでる様子である)。
そのような不毛な連鎖をしていれば次第に互いの鼻先が触れるのは至極当然のこと。

ピトっという擬音が似合った鼻先の接吻に少しバツの悪そうな様相で京子は眉を上げた。

『あ、ごめん…京子』

…思わぬ開口一番となってしまったのであった。


相変わらず眉を上げる京子ではあるが、しかし表情には出さなかったものの内心喜んでいた。

結衣がじゃれてきた。
自分のことを嫌いだとばかり考えていた京子にとってそれは歓喜そのものであった。

以前ならば透かさず抱きついてそのままじゃれていただろうが…しかしまだ素直になれないでいる自分がもどかしくて堪らない。

心のどこかで――まだ怯えてる。

『京子ごめんって…。そんなに怒んないでよ…』

肩を窄めて自省した様子。
そんな結衣に対し京子は何かを言うわけではなく、半ば話を打ち切るようにして結衣へと手を伸ばした。

声と手を震わせて、

『…と……ら…で』


小刻みに声と手を震わせることは通常ではない。
そう思い結衣は京子の表情を覗くが顔は下へ向けられており、長めに伸ばした前髪が京子の表情を隠す。

辛うじて唇が見えたが緊張しているのか横一文字に結んだままで微動だに動かさなかった。

不思議と手を差し出し、頭を下げるその姿にはさながら『付き合って下さい』と告白している青春の面影を感じさせる。

『京子?』

…いや京子にとってそれは告白そのものだったのかものしれない。

『わ…私のこと…』

京子は音を立てて唾を飲み込む。
縫われたように動かさなかった唇を開け――言葉の続きを紡いだ。

『私のこと…嫌いじゃないなら……手繋いで?』


『っ!』

緊張で舌が回りきらなかったのか。
語尾が少し上がったことに恥ずかしさを覚えた様子で、京子は隠れていた表情をさらに隠すように伸ばしていた手で顔を覆った。

指の間から覗かせる下唇は噛み締められている。
そんな京子の愛らしい光景に対し結衣は、この場には似合わない笑顔を見せた。

綻ぶような和らげな笑顔というよりも眩しいまでの清々しい…そう、いつもの笑顔を。

『お前って本当、可愛い女の子だな』

そう言ったきり結衣は何も言わなかった。

それは京子がさらに緊張して体を竦めた為でもあるかもしれないが事実は定かではない。

ただ一つ言うならばこれもまた結衣の純粋な優しさ――である。


しばらく雑踏には顔を綻ばせた人々が絶えないでいた。

少女というよりも少年と言った方がしっくりくる端正で凛とした顔立ちの少女。
流れるような長い髪を風に靡かせ、女性らしい艶めかしさを見せるが、小動物のような弱々しい足取りに愛らしさを醸す少女。

そんな真逆の二人が大きなランドセルを揺らし、手を繋いで歩いている―ー。

多人数で混み合う中、人々の柔らかい視線は一点に集まり、少女たちを見送っていた。

人ごみを抜けた後、少女たちはやっと口を開く。
思わず注目され息が詰まったのか、少女たちはわざとらしいほどに深呼吸をしてみせた。

『注目されちゃったね、結衣』

『変な感覚だった』

『うん…変だったね』

『……』

『……』

『注目されるってのは変な感覚だったけど私は京子と居れたから嫌じゃなかったよ。京子は?』

『……』

『おいおい…黙らないでよ』

『……』

『……』


『……』

『……』

『京子』

『…なに?』

『さっきから顔赤いけど大丈夫?』

『……』

『…京子?』

『……』

『……』

『……夕日が明るいからね』


『え…夕日?』

『そう。夕日』

『……』

『……』

『…そっか』

夕日はすでに彼方の山へと沈んでおり、茜色の空は鈍色になっている。

――現在、日没であるが少女は追及しなかった。


しばらく歩いたのち二人の少女は公園に辿り着いていた。
見慣れた、急ぐ足取りをそっと止めてくれる美しい桜のある公園。

そこは前回例の三人組に虐められた場所である。

『…さ!早く行こっか、京子』

場所を移そうという提案はいつもの結衣の優しさであったが京子は首を横に振った。

それどころか、しっかりと握りしめた手を引っ張り京子は公園に足を踏み入れる。

『公園に入ってもいい?』

結衣の表情を窺うように少し上目遣いに京子はそう言った。
そもそも結衣がこの公園を拒むのは京子を想ってのことであり、結衣自身が拒む理由は一つもない。

むしろ京子が入りたいと願うならば喜々として入りたいぐらいである。
それに、先程から潤んだその瞳でじっと見つめられては断れるものも断れないというものだ。

――公園に入ってもいい?
結衣は不安に濁らせた京子の声を反芻させる。

一呼吸、間を置いたのち結衣は声を出すことなく返答するからのように無言のまま、瞳を細めて微笑んだ。

その無言の返答の意図を汲んだのか、京子もまた微笑む。


入り口を十数歩進めば、そこはいつかと同じ光景のままであった。

『ねぇ結衣。ここであったこと…覚えてる?』

『私が今まで京子絡みのことで忘れたことあった?』

今でも瞼を閉じれば鮮明に思い出せる。
怒号の泣きっぷりを晒す自分とそれを抱き締める結衣。

『…えへへ。嬉しいや』

照れ臭そうに手を繋いでいないもう片方の手で頬を掻く京子を横目に、

『それに京子があんなに泣いてたんだ。忘れる方が難しいよ』

『あれは自分でもびっくりだったんだよね。だって翌日目が腫れちゃってたし』

後日、まるで殴られたかのように腫れ上がった京子の瞼をネタに例の三人組がまた虐めたのは別の話である。

『でもあの日、不思議と気分は良かったんだよね』

結衣にとっては意外な言葉であった。

『なんで?』

『大好きな人が側にいてくれたからっ!』

『変なこと言うなって』

『へへ…照れちゃった?』

『…ばーか』

…京子が結衣を握る力を強めた。


京子が手を強く握ってくるのは決まって緊張している時である。
ぎゅ――っと繋いだ手の握力は弱まる気配はなかったが、虚弱な京子の力は赤子にも等しかった。

しかし今日ばかりは何故か潰れてしまいそうな握力を感じた。

頬を朱に散らし、強張った表情で京子は、

『今の言葉…嘘じゃないよ』

緊張に声を震わせる。

『私、結衣のことが好き…だ、だ大好きなんだっ!』

まだ緊張に声を震わせてる。
しかし結衣が真っ先に着目した点は内容ではなく口調であった。

取って付けたような下手な男言葉…まるで結衣のような――。

『その男言葉…私の真似?』


この場合、内容より口調に注目するのは御門違いというものであるが、しかし京子にとってそれは至極どうでもよかった。

内容、口調どちらをとっても彼女の告白に間違いはないのだから。

『…うん。結衣の真似っこ。男言葉って案外難しいね。じゃないて…難しいぜぇ!』

わざわざ訂正したのは良かったが、こうも違和感ある男言葉を堂々と話されて、耐えられる我慢強さを結衣は持ち合わせていない。
京子の張り詰めた面持ちとは裏腹に結衣は破顔した。

『…ふふ』

この状況に決して似合わない一笑。
仲違いになってもおかしくないものであるが不思議なことに、京子の表情はひどく穏やかなものであった。

それどころか咎める様子もなく、京子もまた破顔したではないか。

『…ぷぷ』

『…ふふ』

固く閉じた唇から僅かに空気が洩れ始める。
互いが同じく笑いを堪えていることを一瞥したのち、彼女たちは吹っ切れた。


『あっはっはっ!』

『あっはっはっ!』

どこからともなく湧き上がる笑いは饒舌に声を噴き上げ、止まらなかった。

余談ではあるがこの日、京子は腹から笑うことを生まれて初めて知った。
しかしこの笑いは京子の覚悟を決めた告白を潰える形となって得た笑いであることを忘れてはいけない。

言い返せば結衣が『あまり京子の告白に興味を示さなかったから』こそ得ることの出来た笑いである。
本来、真剣な空気を醸した告白の場で笑う奴などいない。(中にはいるかもしれないが稀有である)

しかし決して結衣が京子を嫌い、厭っているという訳ではない。
むしろ嫌いと思うこと感情自体なく、ただ単純に100%で好きであろうが、京子でいうところの『好き』と結衣でいうところの『好き』――果たして全く同じ意味合いであろうか。

実際。
今回の京子の告白は結衣にとっては嬉しいものである。

しかしあまり興味を示す素振りを見せなかったのは、何故か。


それは結衣にとって京子が自分を好きになってくれることは、以前に戻ったという認識でしかないからだ。

マイナス分が本来の状態に戻ったことは喜ばしいことだが仰々しく態度に表すものではなし、それに結衣にとって二人の関係は好きでいて当然と考えている。

なれば京子からの好きという告白も――結衣の中では当たり前のことを聞いただけの話。

さらにいうならそもそも二人の好きは相違している為、決して交わることはないのだ。
そして追い討ちをかけるように更なる壁が二人に聳えているのを京子はまだ気付かない。



二人とも――同性である。



『ははは。やっぱり結衣と居たら楽しくてしょうがないや』


笑いが下火したところで京子は言った。
結衣が申し訳なさそうな面持ちで自身の頬を引っ掻く。

『なんか笑っちゃってごめんね!』

『ううん。全然大丈夫!だってこんな結衣だからこそ私は好きになったんだから』

改めて好きと言われ、照れた様子で再び頬を引っ掻く。

そんな照れが手伝ってか、結衣の頬がほんのりと朱を帯びる。
少年のような風格である結衣の少女の部分を合間見せた一瞬であった。

『ふふ。結衣可愛い』

『茶化すな、馬鹿』

言葉こそは清澄ではないが結衣自身も京子同様、無邪気に一笑してみせた。
無邪気な一笑をそのままに京子は言葉を紡ぐ。

『そんな格好良くて可愛い、私の大好きな結衣に――私もなりたいんだ』

それは単純な好きの延長線としての憧れなのかもしれない。

『私も結衣みたいに強くなりたい』

『私は…強くなんかないよ』

これまでのすべては表面ばかり強く見せた
虚勢にすぎない。
京子を守る為に熱くなることも、暴力を振るうことも、陰湿な虐めに耐えるのも、実のない空威張りである。

『結衣が無理して頑張ってるのは知ってるよ』

『だったら尚更だろ。私が他人だったらこんな上辺だけ繕ったような船見結衣になんかなりたくないよ』

卑下をするように語るがそれが結衣の美徳であることを本人は気付かない。

『うーん。私、頭の巡りが弱いからうまく言葉に出来ないけど…結衣と一緒にいたいから結衣みたいになりたい…んだと思う!』

京子の道筋の立たない話に結衣は眉をひそめた。

『ごめん。どういう意味?』

『え…っと。結衣みたいになりたいってのは…結衣のように強くなったら結衣と一緒にいられるようになるから!』

京子自身もうまく言葉に出来ないのか、自身の言葉にしっくりこない様子で頭を掻く。

『だからよく分かんない――』

半ば結衣の言葉を遮るように勢いのまま、京子が口を開く。

『私が強くなったら、私を庇って無理しなくなるでしょ?』

饒舌。

『それに同じぐらい強かったら結衣を助けられるし、私も戦える!もう私を庇って傷ついてほしくないよ!』

饒舌、饒舌。

『結衣のことが好き…好き!大好き!だから…だからもう私を一人にしないでよ。明日からまた結衣にとって辛い時間が始まるけど、私も結衣の隣で辛い想いをしたいんだよ…。強くなるから…強くなるからぁ…隣に居させてよ…』

饒舌、饒舌、饒舌。

涙ぐみ今にも泣き出しそうに声を荒げる。
すべてが偽りない本心であることは京子の涙の張った瞳が代弁していた。

ぎゅ…っと。
それ以上何も語ることなくただただ飲泣する京子を結衣はあの時のように、優しく抱擁し胸に沈めた。

いつかと同じ二人だけの黙が流れる。

『……ごめん。早速泣いちゃったね』

小刻みにランドセルを揺らせる京子に一瞥して、

『京子は強くなくていい。やっぱりそのままでいいよ』

結衣の言葉に『えっ』と短く吐きつつ、沈めていた顔を上げた。
思わぬ言葉に唖然としたのか開けたままの塞がらない口のまま上目遣いで結衣を見つめる。

『どうして…結衣…』

結衣の気持ちとは裏腹に言葉が空回りをする。
今にも泣き出しそうに曇らせた京子の表情を霧散させるように結衣は宥めるのであった。

『私はお前の為に強くあろうと決めたんだから。…困ったもんだよ。お前という存在が独り立ちしたら私はすぐに駄目になってしまう』

京子の一方的な依存ではないということは少なからず京子を驚かせた。

時折。
自分があまりにも結衣に依存するものだから、疎ましく思っているのではないかといつも危惧していた――が違った。

自分を嫌っていること、自分を疎ましく思っていること。
潰されそうなまでに重荷であったこの悩みは――すべて杞憂の苦しみであった。

『でも…でも!』

京子は本当に結衣のように強くなりたいと切望していた。

いくらそれが自分を守る為だけの虚飾の強さであったとしても、京子は構わなかった。
寂しい想いをすることないよう結衣の隣に居られるだけでいいのだから。

『でも!』

京子の言葉に結衣が会話を紡ぐ。

『でも…隣にいてくれ』

自然と京子は黙った。
水を打ったように静寂が過ぎる。

『…馬鹿。下手に黙られたら恥ずかしくなるだろ』

『……ごめん』

そう言って京子は表情を隠すように再び結衣の胸へ顔を沈める。

『私だって寂しくなるさ。それに京子が言うほど私は強くないよ。案外、お前よりも弱虫かもしれないよ?でもね。背中越しのお前が私をそうさせてくれないんだよ。いつもいつも赤ちゃんみたいに泣いて、喚いて私に助けを呼ぶしさ。本当にどうしようもない奴だよ、お前は』

言葉を紡ぐ。

『だからこそ…だからお前を守らせてくれ。私はお前がいないと骨抜きになってすごく弱くなっちゃうぞ。泣いちゃうぞ。…だからずっとずっと守ってやるっ!』

京子がそうであるように結衣もまた京子に依存しているのだろう、いや存外。
結衣の方が強く依存しているのかもしれない。
互いが互いを求め合っているからこそ、二人は支え合えているのだ。

『あ。言い忘れてた』

そう言って結衣は何かを思い出したかのようにわざとらしく手のひらをポンっと軽く叩いてみせた。

一向に動く気配がなく、表情を見せない京子の耳元へ囁く。

『私も好きだぞ。京子』

そう言って結衣は静かに腕を廻し、京子を包む。
布一枚を隔てて伝わる体温は熱いほどに暖かく、火照っているようであった。

『わ…私も』

そう言って結衣は目線だけを起こし、上目遣いで、

『……好き』

『泣きながら言うなよ』

『…泣いてないよ』

胸の部分の生地はいつかのように水分を含み、肌に張り付いていた。
短い微笑を浮かべ、結衣は京子の涙を指で掬う。

『泣いてる』

『…なんでだろう』

そう呟く京子の瞳は未だに潤んでいる。

『今なら誰も見てないよ』

鈍色であった空はいつしか常闇となっており、散りばめれ輝く星々の黄金色が黒にはよく映えていた。

一部とは言わず全身に闇が包み、影が覆いすべて暗がりになっていく様、表情だけは確かに明るい。

『もう泣かないって決めたのに』

『京子は京子のままでいていいよ。私が守ってやるから…あ。まだ言い忘れてた』

『なに?』

『…けどやっぱりいいや』

男言葉忘れてるぞ、なんて今言うところで銓無きこと。
結衣にとっても京子にとっても今はこのままが良いに違いはない。

『…変な結衣』

『そうだね』

『でもそんな結衣も私は好きだよ』

『えへへ…ありがとう』

そう言ったのち一連の動作であるかのように京子が胸に顔を沈め、結衣は喜々として抱き締める。

しばらくの間、静謐だった公園には子供の咽び泣く声が響いていたという。

終始。
声にならない潰れた声で、ずっと同じ言葉を発していたらしい。

しかし残念ながら詳細は夜空が如く闇の中である――が確かに聞こえた単語が二つある。

『す』と『き』。
言い換えせば、この二つ以外は何も知らない。
幼さの残る声で一心不乱に発していたらしいが、事実は定かではない。

更に言うならば、どちらの少女がそう言っていたのかも不明である。

そう言えば――面白い言葉も聞こえた気がする。
何でも『ごめんね』という呟きが何度か聞こえたらしい。

しかし空耳ということも否めないが。

…公園での真実を知ってるのは二人の少女と夜空のみであり、我々が介入する余地はない。

これ以上は、黙して語らずである。

中学二年生である現在の歳納京子には幼少時代の船見結衣の面影が重なって見えることがしばしばあった。

取って付けたような男言葉、挑みかかるような雰囲気、一つ一つを挙げていけばキリがない。

しかし言うならば、歳納京子のすべてが幼少時代の結衣を去来させる特徴が上塗りされてあるということ。

牛歩であるが、つまりは切望してやまなかった結衣のようになりたいという権化が現在に当たるということである。

長い期間、埋められていた虐められていた時の記憶と共に掘り返された、結衣へ抱いていた淡い感情と、本当の自分の姿と気持ち。

ありとあらゆる『本来』が去来した現在――。
歳納京子、船見結衣を軸に、バランス良く均衡を保っていた娯楽部の皆と生徒会の皆との関係が崩壊するのは……もう少し先の話である。


「はぁ…はぁ…」

荒い息遣いと共に京子は夢から目を覚ました。


「はぁ……はぁ……」

加速した呼吸を徐々に落ち着かせる。
不思議なことに深呼吸を数回したのち落ち着きはすぐに取り戻せた。

「………」

前回とは違う妙な冷静さがあった。
心臓を直に掴まれるような息苦しさも前回同様感じるが、やはり心地良い痛みであり、何ら苦ではない。

巨大な夜に一人、瞼を開けて、黒い塊のような虚空を見つめる。
何かをする訳でも、何かを考える訳でもなく――言ってしまえば何ら意味合いを持たない行為を京子はした。

柄にもない落ち着きように思わず自分自身を苦笑してしまいそうであった。

「夢…かぁ…」

夢と嘯けど、あまりにもリアルな感覚が未だに拭えないでいた。

結衣に抱き締められた感触が夢から覚めた今でも抱き締めており、そして去来した淡い篝火は京子の胸をじりじりと焦がし始めたのである。


「結衣…」

重ねたままの手はすっかり汗ばんでおり、皺だらけであった。

老婆のように凸凹となった指を申し訳なく、秘めやかに這うように摩る。

結衣に触れるなど京子にはありふれた日常であったが、今回はそうでない。

触れれば触れるほどに愛おしさが駆り立てられ、猛る想いであった。

心の芯が熱を帯び、ぞくぞくと音をたてて、何かを粟立ててゆく。

京子にとってこのような感情は生まれて初めてであり、どのように対応すれば良いのか分からず、しばらくは自身の欲するままに従順し結衣の手を摩ることにしていた。

「…また怖い夢見たの?京子」

凸凹となって表面積が増えた為が鋭敏となっており、結衣は目を覚ました。
半ばに開いた瞳を擦り京子を見つめ、結衣もまた指の愛撫を始める。

「また夢を見たか?」

「うん」

「怖い想いした?」

「…どうだろ」

曖昧な返答で答えを濁す。
自身の過去を第三者の目から覗くことは少なからず怖いことではあるが、あくまでもそれは『怖い体験』である。

しかし彼女の中の『想い』はまた別の感情が支配している。

京子は自身の体を少し横にし、『く』の字のように結衣の右側に寄り添い、足も巻きつくように互いを交差させ、全身余すところなく結衣に触れる。

京子は溢れる感情を抑えること出来ないでいた。

「味わうなら『怖い想い』が良かったかもしれない…」

結衣にとって意味深なその言葉を残し、京子は愛おしさを充足させたのち、深い眠りについた。

結衣を握る力が強くなったのはもう言わずのことである。

1/3書き終わった

その日、杉浦綾乃は自身が全校生徒の見本となるべき立場である生徒会副会長であることをすっかり忘れた様相で廊下を駆け抜けていた。

何度か先生に注意はされた様子ではあるが彼女の足は止まらない。

ただただ無我夢中であり、はぁはぁという自身の荒い呼吸だけしか彼女の耳には届いていなかった。

「はぁ!はぁ!」

綾乃の代名詞である腰まで伸ばした長いポニーテールが左右に大きく揺れるその姿は、人知れず彼女の必死さを代弁していた。

――今回こそは!
彼女の心を駆けるその一言だけが運動不足で笑う膝をひたすら突き動かしていた。

本日は七森中学の伝統とも言える期末テストでの総合順位上位十名の名簿が張り出しの日である。

なればこそ綾乃が逸るのも少し頷けるかもしれない

綾乃が着くよりも先に張り出された掲示板の前には雑踏が混み合っており、歓喜する者と落胆する者の二極に分化させられていた。

「やったわ~!」

そんな雑踏の中、一際目立つ様子で池田千歳は満面の笑みを浮かべ、飛び跳ねていた。
大きな眼鏡を上下に揺らし、特徴的な関西訛りの強い言葉を饒舌に。

もちろん隣でバツの悪そうに睨む者がいたが彼女は気にする素振りをせず、純粋な喜びに陶酔していた。

「頭いいって罪やわぁ」

次の角を曲がれば張り出しのある掲示板である。

曲がる直前、聞き慣れた親友の『やった』という咆哮に少女はすでに自身の勝利を確信していた。
今回のテスト勉強は『嫌や!嫌や!』と拒絶する、特徴的な関西訛りの強い少女を巻き込んでの強制スパルタであった。

共に勉強した相方が勝利ならば、自然と自分も勝利していると信じて疑わなかった。

――今回こそは!

キュッと上履きを鳴らせ、角を勢いよく曲がる。

――学年一番に!


「あ、綾乃ちゃん!こっちや、こっち」

柄にもなくはしゃぐ少女へ綾乃が駆け寄る。
肩で息をしており、顎が出るが反比例して加速していった。

「千歳おめでとう!」

千歳は綾乃をハイタッチで迎え入れた。

「いやいや。ほんま綾乃ちゃんのお陰や。あ、それと綾乃ちゃんの順位は」

「ま、待って!自分で見るから」

「うん、ちなみにウチ三番やったで」

「三番か…なら私、歳納京子、千歳が妥当かしら」


スレタイ見て真っ先に
結衣「そんなに泣くなって…」
京子「だって…だって!」
京子「結衣の腕がっ!!」
結衣「安いもんさ腕の一本くらい」
結衣「京子が無事でよかった」
だと思ったのに

おはようございます

綾乃自身、京子との実力は伯仲しており結果はいい競り合いであると思っていた。

しかし現実はそうは甘いものでなく、圧倒的実力の差を見せつけられることになる。

「と…歳納京子……満点…」

綾乃は引き攣った表情でそう呟いたのち、力なくぺたんと床に腰を下ろした。

「だ…大丈夫やで!綾乃ちゃん。綾乃ちゃんだってほぼ満点みたいなもんやん」

「……三連敗」

「……」
いつも以上に本気で取り組んだテスト勉強であった。
自分自身で言うのも可笑しなことかもしれないがもうあれ以上の本気は出せないだろうと思う。

それほどまでに打倒、歳納京子を掲げていたが、いとも容易く打ち砕かれたのであった。

「もう!どうやったら歳納京子に勝てるのよおおおお」

綾乃の叫び声が木霊した。

「あの京子先輩が三連続一位って何気に凄くないですか!?」

放課後。
京子が三連続学年一位であることがちなつには堪らなく意外であったらしい。
興奮は下火することなくそのまま娯楽部へ向かい、結衣へそう話していた。

「あぁ、凄いよね。二年生もその話題で持ち切りだよ」

「なかなかやりますよね京子先輩。慕うのは結衣先輩だけって心に決めてたんですが、思わず京子先輩も慕ってしまいそうですよ」

決して京子のことを慕っていない訳ではないが、普段ちなつはそういう発言は滅多にしない。
何故なら少しでも京子を褒めると容赦なく『ちなちゅー!』の声と共に京子が抱き着いてくるからである。

「…って。こんなこと言っても京子先輩来ませんよね」

「大丈夫来ないよ。あいつまだ学校を休んでるから」

「まだ休んでるんですか…。もう今日で二週間目ですよ?少し以上じゃありませんか?」

「うん…。こんなに休むなんてちょっとおかしいよね」

結衣ですらも京子の登校拒否の原因は知らないし聞いてもいない。
まずそもそもが京子自身、結衣と会うこと自体も拒否しているらしく、家に行っても門前払いを食らい続けている。

「それに…あいつちょっと様子がおかしいんだ」

「それどういう意味ですか?」

真剣な表情へ移し替わる結衣を見てちなつもまた真剣な表情で傾聴する。

「まぁ最後に会ったのがテストの日だったんだけどさ。その…なんていうのかな。すごく大人しかったんだ」

まず結衣が驚いたのは挨拶からだった。

「月並みな挨拶だったんだけど…婀娜っぽくてとっても丁寧だったんだ」

それは普段の京子からは考えられないものだった。
どこか探るようにたどたどしくしており、『おは…よう』と途切れ途切れの口ぶりであったのだ。

「なんでそんなに恥ずかしがってるんでしょうかね」

「いや、それが分からないんだよ。あと執拗に私に構ってくるんだ」

「普段からじゃないですか」

「いや普段とは全然違う。まず私に対する接し方がまるで違うんだ」

『ねぇ結衣』と静かな口ぶりで甘えるように寄り添ってくるのだ。
それは休み時間の度にであるから、本当に甘えているのではなかろうか。

しかし結衣には京子のそんな接し方には既視感があった。

「まるで幼少期の京子みたいに甘えてくるんだよ」

今から書きます

「幼少期の京子先輩…ですか?あぁそう言えば話してくれましたね。確か京子先輩って泣き虫だったんでしょ?」

随分前にちなつには自分たちの幼少期の頃のアルバムを見せて話したことがあった。

「でも今の京子先輩には幼少期の面影は微塵も感じられませんよ」

「うん…でも確かなんだよ。口ぶり、態度――全てが昔の京子みたいだった」

「幼児退行ってやつですかね」

「…わかんない」

「えー?でもあかりと話した時は普通だったよ?」

ずずっと茶に舌鼓を打ちながらあかりは答えた。

「あ、あかりちゃん居たんだ」

「ひどい!」

と一連のツッコミを済ませたのち結衣はあかりに問うた。

「本当に普通だった?」

「うん。いつもの京子ちゃんだったよ」

それならば実に妙な話になる。
結衣にのみそのような態度を取るというのだろうか。

それならば前回の京子は演技であり、いつもの悪ふざけの類ということなのだろうが、しかし――結衣にはあれが到底、演技には思えなかった。

「うー…ん」

いつの間にやら結衣は沈んだ表情で考え込んでしまっていた。
思わず場の空気が悪くなったのを察知してか、ちなつはその場で立ち上がり一声を発した。

「えーい!仕方ないですね。ここは世紀の美少女こと吉川ちなつちゃんが一肌脱ぎましょう!」


「何するの?ちなつちゃん」

結衣の問いにちなつは、ふふんと胸を張って短く笑ってみせた。

「こういう面倒な時には馬鹿騒ぎが一番です!ということで善は急げ。京子先輩の三連続学年一位も兼ねて明日、一献傾けましょう!私がなんか美味しいお菓子作ってきます」

馬鹿騒ぎ。
京子の好きそうなことであり、それならば元気が出るだろうと結衣はちなつの意見に頷いた。

「確かちなつちゃんはお菓子作るのが上手だったよね。是非京子に振る舞ってやってくれ」

「本当は結衣先輩の胃袋を掴む為に練習してたんですが仕方ないですね。腕に縒をかけて作ってきます!」


「あかりも大賛成―!」

「……」

「……」

「…あれ?」

「あかりちゃん居たんだ」

「いまのは絶対わざ――」

「たぶんいないだろうけど歳納京子――!」

不意に。
あかりの言葉を遮断するように綾乃がひどい形相で部室の扉を勢いよく開ける。

そしていつも通り『お邪魔します』とりつぎに言う千歳も後ろにいた。

「あ、ごめんなぁ。赤座さん」

「…いえ慣れてますから。はは」

綾乃は千歳がなぜ謝っているのかが皆目つかない様子で怪訝そうな顔つきを示したがそれも一瞬であり、またすぐにひどい形相に戻った。

「あかりも大賛成―!」

「……」

「……」

「…あれ?」

「あかりちゃん居たんだ」

「いまのは絶対わざ――」

「たぶんいないだろうけど歳納京子――!」

不意に。
あかりの言葉を遮断するように綾乃がひどい形相で部室の扉を勢いよく開ける。

そしていつも通り『お邪魔します』と律儀に会釈する千歳も後ろにいた。

「あ、ごめんなぁ。赤座さん」

「…いえ慣れてますから。はは」

綾乃は千歳がなぜ謝っているのかが皆目つかない様子で怪訝そうな顔つきを示したがそれも一瞬であり、またすぐにひどい形相に戻った。


>>199
×

>>200

「京子がいないって分かってるじゃん、綾乃」

結衣に的確なツッコミを入れられ少しバツの悪そうに綾乃は眉を挙げた。

「叫ばずにはいられなかったのよ!もうなんなのあの人は!」

地団駄を踏んで激昂するがこの場合御門違いであるが綾乃にはそんな余裕は有馬温泉である。
この時期の綾乃はやたら成績のことでぴりぴりしており、関係のない一年生組の二人にも原因は読めた。

「もしかして杉浦先輩。成績のことですか?」

ちなつがにこやかに話しかける。

「それ以外にここへ来る用はないわよ。あー!なんで勉強してる雰囲気のない歳納京子が一位なのよー」

「ちょうど良かったです!明日私たち京子先輩を慰める兼祝うの会を開くんですよ。杉浦先輩もご一緒にいかがですか?」


ちなつの行為は火に油を注ぐ行為であり、それこそ罰金バッキンガムである。

「え。そ…そんなの嫌に決まってるじゃない!」

そんなきつい口調とは裏腹に綾乃の頬は紅潮した。
もう二週間も京子を見ていなくて安否が気になり生徒会の仕事が手につかなくなっていた頃合いの綾乃にとっては幸甚な知らせであったが一蹴する。

素直になれない自分自身にちょっぴり後悔しながらも綾乃は踵を返した――が、しかし。

この絶好の好機を千歳が見過ごすわけがなかった。

「綾乃ちゃあ~~ん」

背を向ける綾乃の手を千歳は尋常でない膂力で引きとめた。
恐る恐る千歳の面持ちを覗いてみるともうすでに恍惚の表情をしており、鈍い真紅の光沢を放つ鼻血が一滴、下唇に付着していた。

「眼鏡を外す前やにすでに一滴出てもうたんや。これは…これは…大豊作の予感や!綾乃ちゃん歳納祝ってやろ?純粋な気持ちで!」

「もうすでにあなたが純粋な気持ちじゃないじゃない…」

「吉川さーん。綾乃ちゃん明日行くやってええええ!」

「言ってないわよー!」

事実。
成績が負けたという理由で娯楽部の門扉を開けたのは口実である。

ただ単純に京子の安否を聞きに来ただけなのだが思わぬ収穫に帰路につく綾乃の口角は上がったままで下がらなかった。

「良かったなぁ。綾乃ちゃん」

「まったく…余計なことはいくら千歳と言えど罰金バッキンガムなんだからね!…でも――」

性根が腐ってるとまでは言わないまでも、自分のこの素直になれない意固地な態度は本当に面倒くさいものだ。

でも――。
でも――。

そう残したままの言葉に会話を紡ぐ。

「でも――ありがと…ね」

意固地な綾乃の精一杯の感謝の言葉である。

「ふふ。どういたしまして」

>>212
これ4回目だったりする

>>214
実は5回目だったりするのだよ

一見、元の日常に戻れそうな進歩に見えるがすべては真逆に作用している。

戻れそうであるが、実際は戻ることはなく。
直りそうな関係は、実際は直ることはない。

バランスよく保っていた均衡はすでに瓦解を始めており、漸進的であった一歩は明日加速し、そして崩壊する。

渦中の中心は揺るぎなく歳納京子であり、原因もまた歳納京子である――が、しかし彼女を咎める非はない。

残念ながらこの約束された道筋を変える術はない。
それは結衣、あかり、ちなつ、綾乃、千歳はもちろん歳納京子本人でさえ、書き換える事はできないのである。


そして時間は無情にも早々と『今日』を『明日』へと変えるのであった――。

全部書き終わってから投下したほうがいいんじゃないか?

「ごちそうさまでした。じゃあ学校行ってくるね」

外は肌寒い秋風が舞っていた。
京子にとって二週間ぶりの太陽はじりじりと起き抜けの身を焦がすようで、思わず季節外れの暑気払いを考えてしまう。

しかし不思議と不快感はない。

むしろ爽やかな清々しさすら感じていた。

「おはよう。京子」

>>222
最後まで書いてた書き溜めを消してしまって書き溜めする力なくなった

何故ならば目の前には結衣がいるからだ。
ただ結衣がそこにいるだけなのに――本当にただそれだけなのに京子の心は潤み、愛おしさが充足されていった。

「久しぶりだね――結衣」

久しぶりに聞いた自分の声はとても静かで、とてもたどたどしく、とても弱々しかった。

もう以前の天真爛漫な自分は思い出せない――まるで自分が自分でないような感覚である。
変な言い方ではあるが、まるで生まれ変わったようであった。

しかし今の京子にとってはそんなこと至極どうでも良かった。
本来の自分が去来し、何もかもが幻想的に思える日常の中で――確かにこの胸は熱い。

「さぁ学校に行こうか、京子」

差し出された結衣の指を京子は絡ませるように握る。

「…うん」

京子はいつかと同じ、無垢な子供のような可愛らしく笑ってみせるのであった。


あの頃をなぞるかのように結衣と京子は手を繋いだまま学校へ向かっていた。

時折、京子がぎゅっと強く握ってくる時があり、険しい表情になるが結衣は何も言わなかった。
京子とは切っても離せない腐れ縁であり京子が手を強く握ってくる時は緊張している時だと知っているからである。

「えへへ…緊張すると強く握っちゃう癖がまだ直んないや。……ごめんね」

「お前にとっちゃ久しぶりの学校だからな。だから緊張が解れるまで握ってていいよ」

そう言って結衣は空いたもう片方の指で京子の指を触れるか触れぬかの絶妙な位置で這うように摩る。
京子が学校を休んだ原因を知る由もない結衣は京子の容体がぶり返しにならないよう、優しく接した。

「大丈夫か?」

「…うん。頑張る」

緊張しているのは学校に行くことではなく結衣が隣にいるからであることを――結衣が知るはずもない。

鳴り止まぬ鼓動と冷めぬ火照った体躯をそのままに、京子は悟られぬように静かに歩いていった。

「しかしお前よく学校行く気になってくれたな。嬉しいよ」

ちょっと風呂で頭さっぱりさせてくる
長くなってほんとごめん

スピード上げます

再開します

はい

「結衣が昨日電話でいっぱい『明日は来い京子』『明日は来い京子』って釘を押したからだよ。正直怖かったんだからね」

そう言って京子は短くクスリと笑ってみせた。

実際、当日になっても京子自身がいなかったら慰めるものも慰められないし、祝えるものも祝えなくなる為無理をしてでも来てもらわなくては困るのだ。

ちなみにだが、本日開催される会は京子には黙秘である。

「はは。でも京子が来てくれて本当に嬉しいよ」

「そう言ってもらえるとこっちも嬉しいな」

事実、結衣からでなければ学校へは行かなかったと思う。

しかし事実、本当に結衣に会いたかったかと問われれば返答は難しい。

本来の自分を見る前の京子と本来の自分を見た後の京子。
ただでさえ今現在の『自分がどっちなのかが分からない』のだ。

幼少期の自分と中学生の自分の混合が今と自分となっていることは至極どうでもいいのだが、結衣に会うことでどちらかに完全に傾倒してしまうことが怖かった。

ベストは中学生の自分に戻ることだが、胸の中の熱い恋心がそれを拒絶している。
かと言って幼少期の自分になることがベストかと聞かれればそれはやはりNOだ。

しかしこの感情を忘却することが果たしてベストだろうか?

この感情を捨てるということは本来の自分を捨てることにも等しいのではないだろうか。

――結衣に会えば私はどちらになるのだろう。
そんな賭けに淡い感情を乗せて――京子は結衣に寄り添い歩く。

「ねぇ…結衣」

「なんだ?」

「…あかりちゃんの所には行かずにこのまま学校へ行こうよ」

「え、でもあかりは律儀にちゃんと待ってると思うぞ」

「……結衣と歩きたい」

いつものようにまたぎゅっと強く結衣の手を握り締める。

「しょうがないな。じゃあ今からあかりに連絡するよ」

「ごめんね」

「別にいいって」

そう言って結衣はポケットから携帯を取り出した――時、妙な違和感が胸に詰まった。

眼を細めて、微笑みながら結衣の腕に抱きつく京子を尻目に見つめる。



――今さっき京子。あかりのことを『あかりちゃん』って呼ばなかったか!?

京子があかりのことをあかりちゃんと呼んでいたのはちょうど幼少期の頃でありそれ以来口にしてはいない。
現在、中学生の京子が『あかりちゃん』と呼ぶことなどありえないことだった。

やはり思った通りに今の京子は幼少期の頃に退行している!

「どうしたの?結衣。あかりに連絡した?」

「いや…今からする…けど」

「そっか」

そう言ったのち京子は再び結衣の腕に抱きつく。
そしてそのまま二人は学校へ向かっていくのであった。

京子のいる学校はとても懐かしく、そして楽しい。

――となるはずであったがいざ学校に連れてきてみれば懐かしくもなく、楽しくもなかった。

顔見知りのはずのクラスメイトとの会話には終始、口籠っておりそれでいて態度もどこか余所余所しいものであった。

それでいてまともに会話をするのは結衣のみだ。
しかし会話と言っても世間話の類とは全くことなる。

ひたすらに「結衣」「結衣」と猫撫で声で甘えるばかりである。

目の前にいるのは歳納京子のはずだが歳納京子には到底思えない異様な雰囲気であった。

もうこの際はっきり言うならば――それは歳納京子の形をした『別人』だった。

「結衣~!」

そしてまた休み時間ごとに京子は結衣に甘えるように寄り添っていくのである。


他人に拠り所を持たず結衣のみにしか居場所がない弱質な存在。

目の前で微笑む京子は紛れもなく幼少期の頃の京子そのものであった。

「京子…。お前本当に京子か!?」

「何だその漫画でよく見るような台詞は?ほれほれ、ちゃーんとプリチーな京子ちゃんですよ~」

そう言って京子は頭と腰に手を置き、腰をくねっと捻って艶な格好をする。
そのような結衣ならば恥じらうような格好を平気でやってのける今の京子は遍く知られている歳納京子だ。

…実に不可解なことあるが時折、中学生の素の京子が垣間見ることができるのである。


「あ…そ、そういえば京子!今日娯楽部来てくれないか!?火急の用事とかないよな」

京子本人よりも結衣自身がこんがらがり本題へ飛んだ。

京子を慰める兼祝う会への招待である。

「ん?そうだな。せっかく学校に来たんだし娯楽部に行ってみるか!」

「あ…あぁ。是非そうしてくれ。あと今日は二人っきりだぞ」

嘘である。
京子に会の存在を微塵にも感づかせない為の方便だ。

「え…!」

瞬間。
京子の頬は朱一色に染まり、緊張した様子で自身のブラウスを強く握りだした。

『二人っきり』という言葉に反応したのだろう。

「あ、あぁ!大丈夫、大丈夫!変なことはしないって」

宥めるように優しい声色でそう言い、京子の固く閉まった握りこぶしを摩った。

「…うん。取り乱してごめんね。じゃあ今日の娯楽部は楽しみにしておくね」



十一時まで書き溜めしてそこから一気に吐き出すことにする

今これ半分くらい?

>>291
半分もいってません
焦ってます

放課後。
緩い弧を描いた彼方の山へ沈む秋の夕日が辺り一面を茜一色に染め上げていく。

「わぁ!綺麗」

名も知らぬ虫の喧しい鳴き声に包まれて、京子はまるで初めて見るかのように娯楽部へ続く飛び石の上で夕日を眺めて黄昏がれていた。
余談ではあるが以前の京子は夕日を見向きもしたことがなく、風流を解さない花より団子である。

「いつもと一緒じゃん」

「いいの。綺麗なものはいつ見ても綺麗なんだから」

やはり結衣の調子がいまいち上がらず溜飲が下がらない。

随分吐き忘れていた懐かしい溜め息が思わず洩れる音がした。

結衣にとって今日はとても永く感じた一日であった。

京子との接し方には誰よりも長けていたが今回ばかりはどう対処していいかが皆目つかない。
甘えだしたかと思えば急に元に戻って悠揚迫らぬ態度で接し始めるなどと予測ができない。

周りが困惑しないようにできるだけ京子に付きっきりに行動をしていた為か思わず神経が磨り減った。
…人知れず疲労困憊する結衣もまた、まるで幼少期の頃のようである。

「ほら早く来い。早く部室に入るぞ」

そう言って結衣は半ば京子の話を打ち切るように強引に京子の袖を引っ張る。

「強い、強い!自分で歩くってば」

「ほら、もたもたしないの」

結衣が尻目に部室の周りに佇む深々とした茂みへ視線を送るとちなつが『早く行け』と言わんばかりに部室を指さしている途中であった。

今回の会は京子には完全黙秘のサプライズで行う会である。

それ故に会が始まるまでは決して見破られてはならない必要があった。

ちなつの一分ばかしで練った綿密な会の順序はこうだ。
まずもっとも京子が信頼を寄せている結衣が部室まで誘導し部室にてしばらく談笑に花を咲かせる。

そして油断しきった所へちなつ、あかり、綾乃、千歳で祝うという単純明快な綿密とは名ばかりな計画である。(自分はなんて天才なんだとちなつは自画自賛していた)

「京子ちゃんなかなか入らないね」

「んもう!こんな時に限って風流に魅入るとかふざけないでくださいよ!」

「なんだか今日の歳納京子ひどく落ち着きがあるわね…」

「OK。いつでも眼鏡は外せれるで」

「あ、結衣先輩が強引に京子先輩を引っ張りだしましたよ。そのまま早く行ってください!」

「京子ちゃんちょっと慌てふためいてるね」

「よっしゃ。この日の為にうちは鼻血を溜めてたんや!」

「…この会の決行が決まったのは昨日よ。千歳」

「よし。ちゃんと部室に入りましたね」

「どれくらい経ったら行くの?ちなつちゃん」

「十分ぐらいの頃合いが安心アンコールワットじゃない?赤座さん」

「あぁ結衣先輩だったらさっきの吹いていましたね」

「あと十分かぁ。えぇで!焦らされるのも百合好きの嗜みや」

「千歳。あなただけ目的が違うわよ」

「もうそろそろ頃合いですかね。では皆さん盛大に京子先輩を慰め、祝いましょう!」

「おー!」

「綾乃ちゃんは歳納さんに何上げるん?」

「て…手作りのプリンよ。ラムレーズンはさすがに作れないしね」

「ふぅ~ん。そうなんやぁ」

「なんでニヤニヤしてんのよ!」

「まぁまぁ皆さん。ここは結衣先輩と京子先輩の会話に聞き耳でも立てて落ち着きましょう」

「うん。そうだね…って。ちなつちゃん!?」


「どうしたの?あかりちゃん」

「いや。人の話を盗み聞きはさすがに良くないよぉ」

「ってあかりちゃんが言ってますけど結衣先輩と京子先輩の百合トークが聞けるかもしれない池田先輩はどう思いますか?」

「赤座さん。ごめんやけど私も聞くわ!」

「えぇー!」

「って池田先輩が言ってますけど京子先輩のプライベート話が聞けるかもしれない杉浦先輩はどうしますか?」

「ち…千歳と吉川さんが行くなら…私も」

「えぇー!」

「ってことであかりちゃん行くよ!」

そう言ってちなつは実に嬉しそうな笑みを浮かべ、溢れんばかりの御手製のお菓子を抱きかかえて茂みから飛び出した。

「どうしたの?あかりちゃん」

「いや。人の話を盗み聞きはさすがに良くないよぉ」

「ってあかりちゃんが言ってますけど結衣先輩と京子先輩の百合トークが聞けるかもしれない池田先輩はどう思いますか?」

「赤座さん。ごめんやけど私も聞くわ!」

「えぇー!」

「って池田先輩が言ってますけど京子先輩のプライベート話が聞けるかもしれない杉浦先輩はどうしますか?」

「ち…千歳と吉川さんが行くなら…私も」

「えぇー!」

「ってことであかりちゃん行くよ!」

そう言ってちなつは実に嬉しそうな笑みを浮かべ、溢れんばかりの御手製のお菓子を抱きかかえて茂みから飛び出した。
甘い香りを漂わせ四人は気付かれぬよう、忍び足で部室の門扉まで行き、そして喜々とした表情で聞き耳を立てる。

その瞬間――。
バランス良く保っていたすべての者との均衡が瓦解し始めたのであった。

「私――結衣のことが好きなの」

それは紛れもない京子の声であった。

>>327
×

>>330

まだ終わらんのか?

>>333
結衣と京子の部室内での会話が終わったらちょうど半分

次回からそうするわ

長ー

>>1だけど1、2時間ぐらい寝ていい?
あわよくば書き溜めもしてくる

ただいま

コトン――っと静かに戸を閉めたのち久しぶりの娯楽部が堪らなく嬉しいのか、京子は何度も何度も部室を見渡していた。

「どうだ?懐かしいだろ。ほらちょっと座ってな」

そう言って結衣はローファーを脱ぎ、普段ならちなつの仕事である茶を淹れ始める。

ちなみに今回京子に振る舞うのは実家から持ってきた香気が高い甘味のある優良な煎茶である最高級の玉露だ。
すでに茶葉そのものの香りからして市販のものとは違う。

「そんな高級品に舌が覚えたら従来のお茶が飲めなくなっちゃうよ」

「その時はまた淹れてやるさ。…よしできた。さぁ積もる話もあるだろうし、ちょっと話そうよ京子」


沸き立つ芳醇な香りが鼻孔を擽る。
そして『きょうこ』と達筆に書かれた専用の湯呑へと手を伸ばし京子は包み込んだ。

「温かいなぁ」

「飲まないの?」

「結衣が淹れてくれたんだから飲むに決まってるよ。けど茶柱が立ってなーい!」

「ふふ。お前は相変わらずだな」

そう言って結衣は玉露を飲んだ。
礼儀正しく決して音を立てることなく静かに飲む結衣は実に教養があるように窺えた。

「ふぅ」と舌鼓する結衣の唇は程よく潤っており、血色の良い淡い朱色となっていく様がとても艶であり婀娜っぽく、可愛らしかった。
そんな結衣を眺めていると自然と京子の下腹部からは熱が帯びており、ぼこぼこと音を立てて愛おしさが粟立つのが京子自身にも分かった。

…抑えることを忘れていた。

「ねぇ……結衣。今から話すこと聞いても引かない自信ある?」

そう真剣な口調で京子は結衣を上目遣いで見つめて、

「絶対だよ?絶対!」

と、再度確認し、念を押す。
相手の顔色ばかり気にするくせに自分のやりたい、したいことは決して曲げない意固地な一面も幼少期の京子を去来させる一つであった。

「…引かないよ。なに?」

頭いてー

「え…とね。その…!その…」

言葉がうまく声にならないでいた。
震える唇を噛み締め、京子は自身のブラウスを強く、強く握りだす。

「京子」

そう言って結衣は京子の固い拳を優しく摩り、いつかと同じように抱擁した。
しかし結衣の純粋な優しさはすべて真逆に作用しており、京子の鼓動はさらに加速する羽目となり、やはり全てが裏目に出る。

「京子。大丈夫だから落ち着いて」

「違う!違うの!結衣がいるから緊張しちゃうの!」

「え…」

すると京子は半ば暴れる形で結衣の手を振り解き、距離を取った。
呼吸もすでに荒くなっており、握った拍子に盛り上がった痕の目立つブラウスもさらに乱雑に皺だらけとなって乱れている。

少し愁いの帯びた瞳で結衣は、

「京子は私のこと…嫌い?」

「それも違うの!もう分からない…。本当に自分自身が何をしたいのか分からないよ…」

そしてそのまま京子は頭を抱きかかえるようにして身を縮めた。

「何があったの…京子…」

「最近おかしいの。時々自分が分からなくなっちゃうんだよ…引いちゃうよね」

「引いてないよ。だから落ち着いて、京子」

頭でも撫でて宥めてやりたいが先程の京子の言葉がそれを止める。

「大丈夫だから。な、落ち着いてくれ京子」

「え…とね。その…!その…」

言葉がうまく声にならないでいた。
震える唇を噛み締め、京子は自身のブラウスを強く、強く握りだす。

「京子」

そう言って結衣は京子の固い拳を優しく摩り、いつかと同じように抱擁した。
しかし結衣の純粋な優しさはすべて真逆に作用しており、京子の鼓動はさらに加速する羽目となり、やはり全てが裏目に出る。

「京子。大丈夫だから落ち着いて」

「違う!違うの!結衣がいるから緊張しちゃうの!」

「え…」

すると京子は半ば暴れる形で結衣の手を振り解き、距離を取った。
呼吸もすでに荒くなっており、握った拍子に盛り上がった痕の目立つブラウスもさらに乱雑に皺だらけとなって乱れている。

少し愁いの帯びた瞳で結衣は、

「京子は私のこと…嫌い?」

「それも違うの!……引かないで聞いてね?」

そしてそのまま京子は頭を抱きかかえるようにして身を縮めた。

「私――結衣のことが好きなの」

>>386
>>388
×

>>389

頭痛い
ちょっと9時まで消える

「え…」

扉一枚隔てて聞こえたその言葉に逸早く反応したのは綾乃である。
その声は紛れもなく京子の声であり、京子へ対して淡い感情を抱いている綾乃にとってその言葉は驚嘆せずにはいられないものであった。

恋愛ごとにはよく当たって砕けろ――とよく聞く、がしかし。

当たる前から砕け散った。

「何やら面白い雰囲気になってきましたね。まだ入るのは見送りましょう」

ちなつは綾乃が京子を気にしているのは知っていたがそれが本気であることは知るはずもないことである。
ちなつの無邪気な笑顔と共に出された提案に綾乃は虚ろな口ぶりで「そうね」とただ発する以外にほかはなかった。

私――結衣のことが好きなの。
そう言った京子の頬は火照っているようであり告白したことを後悔しているのか目線は少し下がっていた。

そして怯えたような口ぶりで、

「…引いてない?」

「引いてないよ」

その言葉に京子の目線が上がる。

「本当に!?」

「本当」

優しく結衣は言ってみせた。

「はぁぁー。良かったぁぁー」

それは京子にとって押し潰されそうなほどに感じていた重荷が外れた瞬間であった。

ずっと息が詰まっていたこともあり、京子は大きく息を吐いてみせた。

「ずっと怖くて言えなかったんだ…」

「何をそんなに怖がってたんだよ。私たちが好きであるのは当然じゃないか」

「じゃあ…結衣は私のことはどう思ってる?」

結衣はもちろん即答する――友達として。

「当然好きだよ」

それはいつかと同じ、京子の告白とまったく流れであり、まったく同じ結末である。

そこでいつかと同じ京子の告白の結末を一言一句そのまま踏襲してもう一度綴ることにする。
つまりは――幼少期から何も発展はしていないのだ。



それは結衣にとって京子が自分を好きになってくれることは、以前に戻ったという認識でしかないからだ。

マイナス分が本来の状態に戻ったことは喜ばしいことだが仰々しく態度に表すものではなし、それに結衣にとって二人の関係は好きでいて当然と考えている。

なれば京子からの好きという告白も――結衣の中では当たり前のことを聞いただけの話。

さらにいうならそもそも二人の好きは相違している為、決して交わることはないのだ。
そして追い討ちをかけるように更なる壁が二人に聳えているのを京子はまだ気付かない。



二人とも――同性である。



このことを知る由もない京子の空回りが、今からすべてを崩すことになる。

はい

「じゃあさ!じゃあさ!」

そう言って子供のようにはしゃぎながら京子は結衣の手を握った。
一瞬、結衣が身構えをするが、京子の結衣を握る力は優しく、柔らかな手つきであった。

今の京子には緊張する要素が一切ない。
自分は結衣が好きであり、結衣も自分が好きである――なんて錯覚を信じて疑っていないのに、緊張する必要性があるだろうか。

あまりの嬉しさに、無邪気にはしゃぐ勢いをそのままに京子は口走る。

「じゃあさ!私たち付き合っちゃおうよ!」

京子はもう結衣以外、何も見えなくなっていた。

しかし饒舌に語る京子とは裏腹に、結衣はまるで豆鉄砲を食ったかのような表情で京子に応えるのである。

ただ一言「え?」――と。

「…え?、ってどういう意味…」

そして京子もまた鳩が豆鉄砲を食らったような表情を見せる。。

「いや、いやいや。京子、私たち同性だよ?」

「え、いや…確かにそうだけど」

結衣の言っている意味が京子には理解できなかった。
互いが互いに好いてるのならば性別の壁など超えれると思っていたのであるが、現実は京子のそんな幻想など無情にもあっさりと打ち砕く

「でも…でも…さっき私のこと好きって……」

「…友達としてに決まってるだろ。」

つまりは幼少期に結衣が『好き』って言っていたことは友達としてであり、現在に至るまで長い間埋まったこの淡い感情は――まったくの無意味ということになる。

「嘘だよ…やだぁ………そんなのやだ!やだ!」

二人の心の真実を理解した今、これは『結衣のことが好きでいた』本来の自分をすべて否定されたことに等しいことである。
そしてさらに言うなれば、結衣に淡い感情を抱いていたこの数十年は一体なんだたんだということにもなる。

すべては実のない空虚な空回りにしか過ぎなかったのである。

本当に――。
今までの歳納京子の人生とはなんだったのだろうか。

「そんなのやだ!やだ!やだ!やだ!やだ!」

「きょ…京子!」

つまりは幼少期に結衣が『好き』って言っていたことは友達としてであり、現在に至るまで長い間埋まったこの淡い感情は――まったくの無意味ということになる。

「嘘だよ…やだぁ………そんなの…やだ!やだ!」

二人の心の真実を理解した今、これは『結衣のことが好きでいた』本来の自分をすべて否定されたことに等しいことである。

そしてさらに言うなれば、結衣に淡い感情を抱いていたこの数十年は空虚なものであったということにもなる。

すべて…ただ空回りしていただけに過ぎないのだ。

本当に――。
今までの歳納京子の人生とはなんだったのだろうか。

「そんなのやだ!やだ!やだ!やだ!やだ!」

「きょ…京子!」

>>421
×
>>422

結衣が宥めようと京子を抱き締めようと試みるが、京子は頑是ない子供のように泣き喚いて暴れだす。

それこそあの日を去来させるように、嗚咽に喉枯らせ、涙に頬汚し、涎に唇を湿らせ京子は『っ――――!』と声にならない泣き声を叫ぶのである。

何もかもが幼少期をなぞっており、現在の京子の行動すべてが結衣の想い出の端をつついてくる。
もう目の前の京子は想い出の端に眠っていた幼少期の京子そのものであった。

「…うっ…ひっく、うぅ……やだぁ!やだぁ!」

本来の自分を否定された京子の涙は止まることを知らず、枯れるまで溢れていた。

その時、開けるには遅すぎたその戸を綾乃は開けた。
そしていつもの甲高い声で「歳納京子――!」と名を呼ぶのであるが、その光景に彼女はただただ絶句した。

「ぅ…ひっあ…綾乃…?」

眼前には瞳に涙を張らせた綾乃を先頭にあかり、ちなつ、千歳と並んでいた。

「と、歳納…京子……あなた…」

…決して過度な期待を抱いていたわけではない。
この会を皮切りにもっと仲良くなれればな――とこの程度の期待であった。

しかし、現実は仲良くなるどころか、自分の好きな人が告白し、フラれて泣いているのである。

直接的でないとしてもこれは自分のことはまるっきり眼中にないと物語っているに等しいことだ。

ただ仲良くなりたかっただけだった…本当にただそれだけだったのに。
火急として突きつけられたこの現実を受け止める綾乃の心境を代弁するかのように、綾乃は無言のまま、ただ涙を流していた。

「そんなに泣くなって…」

結衣が綾乃の涙に気づき、京子に諭すように言う。

「だって…だって!」

そんな結衣の言葉に京子は、嗚咽の混じった声で答える。

眼前には瞳に涙を張らせた綾乃を先頭にあかり、ちなつ、千歳と並んでいた。

「と、歳納…京子……あなた…」

…決して過度な期待を抱いていたわけではない。
この会を皮切りにもっと仲良くなれればな――とその程度の期待であった。

しかし、現実は仲良くなるどころか、自分の好きな人が告白し、フラれて泣いているのではないか。

直接的でないとしてもこれは自分のことはまるっきり眼中にないと物語っているに等しいことだ。

ただ仲良くなりたかった……本当にただそれだけだったのに。

火急として突きつけられたこの現実を受け止める綾乃の心境を代弁するかのように、綾乃は無言のまま、ただ涙を流していた。

「そんなに泣くなって…」

結衣が綾乃の涙に気づき、京子に諭すように言う。

「だって…だって!」

そんな結衣の言葉に京子は、嗚咽の混じった声で答える。

「だって…だって!……女の子なんだもん…」

>>429
×

>>430

もう書き溜めストックは無くなったの?

>>437
とっくの昔にな

「………」

…その言葉はその場にいた皆にとって衝撃的であり、一瞬皆が息を呑んだしまうものであった。

「もうやだぁ…家に帰るぅ!」

しばらく流れた静寂を劈くように京子は声を張り上げ、勢いよく立ちあがった。

「待って京子」と結衣が呼び止めるが京子にはもう何も聞こえてはいないだろう。

「きょ…京子ちゃん落ち着いて!ほら、美味しいお菓子いっぱいあるから一緒に食べよ!」

部室を飛び出す京子をあかりは呼び止めようと抱きかかえられないほど大量のお菓子を見せたが京子は見向きもしない。

しかしそれでも執拗に京子を呼び止めようとあかりは必死な表情でお菓子を見せた。

「もう退いてよ!あかりちゃん!」

そう言って半ば強引に京子は懐かしい呼び名と共にあかりを突き飛ばした。

ちょっと離脱
4時までに帰る

ID違うけどさっきのは>>1です
では今夜は最後まで行けるよう頑張ります

知り合いからiPhoneを借りて即興で書いた

窓一枚を隔てた向こうの景色は夕日の温かい陽光が一面を茜色に染め上げており、風情があって実に美しいものある。

僅かながらに窓から入ってくる斜光を京子は鬱陶しそうに手で影を作り、顔面を覆った。

もしもこの斜光を壊れる以前の自分が浴びていたらどんな反応するのか――もう今では皆目つかない。

「はぁ……」

帰路ではしゃぐ小学生の声がひどく耳障りに思え、溜め息が自然と洩れた。

京子は今日も何もしなかった。
これは比喩や例えではなく本当に何もしていないのである。

強いて何かをしていると、こじつけるのならばただただ虚ろな視線で自身の部屋の天井を眺めていることのみであろうか。

それはひどくつまらないものでありブレイクタイムと言うにはあまりにも長すぎる、空疎な一日だ。

「はぁ……」

あの日。
京子は結衣に会うことで自分は『幼少期の自分』『中学生の自分』に傾倒するのか自分なりに試していた。

結果としては――。

「京子ごはんよ。降りてらっしゃい」

一階からは食事の芳しい香りと共に母の呼ぶ声がした。

いつも通りの優しい声に京子は導かれるように静かな足取りで廊下を降りていく。

ギシギシと床は鳴るが以前よりも断然音が小さい。
動くことは皆無であるのに日に日に軽くなっているようであるが、不思議と何も感じないでいた。

「今日は京子の大好物ばかりよ。さ、たんと召し上がって頂戴」

食卓にはいつもと変わらない両親の笑顔があり、テーブルの上には京子の好物が湯気を立てて待っていた。

テーブルいっぱいに敷かれた料理のどれもが一時間ばかしで作れるような簡易なものではなく手間と時間が掛かるものばかりであり、それでいて豪勢であった。

「ありがとうお母さん」

すでにやり方を忘れた笑顔で京子は言ったのち食卓についた。

近くで見れば見るほどに料理の一つ一つが凝っており、色使いも綺麗なものであった。

腕に縒りをかけて作っているらしい。
何故…与太郎な自分にここまでしてくれるのであろうか京子は不思議でならない。

いくら実子であったとしてもここまで世話をしてくれるのも可笑しな話である。

毎日、毎日。
それが通常であるかのように部屋に籠ってばかりで家族団欒ですらも儘ならない状態だ。

「どう?美味しい?」

なのにどうしてこんなに結衣のように優しく接してくれるのだろう。

母の問いに対しても京子は返事することなくただ黙々と食事をしていた。

「ふぅ…まったく。そんな意固地な所まるで『昔の京子』みたい」

そう言って母は軽く微笑んだ。

「…どういう意味?」

実際、京子本人は今の自分は『幼少期の自分』でもなく『中学生の自分』でもない怠惰な一面が突出した、また別の新しい自分であると思っていた。

しかし母は「懐かしいわ」と想い出を探るように遠くを見つめており、京子本人である自分と違う意見に多少の疑問を抱いた。

「全然違うよ」

「ううん。もうまるっきり昔のあなたよ

「ねぇ京子。あなた小学校の頃、一度だけ結衣ちゃんと仲違いになったことは覚えてる?」

突如、母が口にしたその話題が一体何のことなのかはすぐに分かった。

小学校の時京子を虐めていた例の三人が結衣を脅し、無視され続けられた時のことであり、まさに夢で見た内容であった。

「うん。覚えてるよ」

「あの時は『結衣が私のこと嫌いになってる』って毎日バツの悪そうにしてたわよね。…それも覚えてる?」




翌朝。
目覚まし代わりの燦燦たる朝日と小鳥の囀りによって京子は目を覚ました。

部屋全体に広がる斜光に瞳を細める。

『…朝になっちゃったんだ』

普段ならハミングでも奏でたいほどに清々しく感じる朝なのだが今はそう思えない。

不快感が煮え立つバツの悪い目覚めであった。

『学校…行きたくない』

親友に見捨てられた自分が学校へ行く理由が見つけれない。
重い溜め息と共に机に置かれた赤いランドセルを見つめてみるがギラギラと視界を攻撃し、直視できなかった。



「…覚えてるよ」

厳密には知っていると言った方がしっくりくるが、ここで夢の話をしても詮無きことである。

「あらよく覚えてるわね。じゃあ…朝ごはんを残したことは?これは難しいわよ~」



食事が喉を通らない。

どうやら今朝は母が腕によりをかけてるらしく執拗に『美味しい?』と質問攻めしてくる。

やはり普段であったら完食したのち、おかわりと大きな声を出しているだろうが今は箸が進まない。

母に申し訳ないが京子にとっては空疎な朝飯であった。

食卓に座ってまだそう時間は経っていないが京子の食膳からはカチン――っという箸を置く音が虚しく木霊した。

『…美味しくなかった?京子』

目に見えて母が落胆する。
そんな母の表情を見ていると京子は途轍もない罪悪感に苛まれた。

『…早く支度なさい』

すでに母は手際よく食器を片付る作業に差し掛かっていた。
特に何かを言う訳でもなく母は黙々と皿にラップを巻いていく。

『…ごめんなさいお母さん』

母のこんな表情を見るくらいならやはり無理やりにでも食べておくべきのかもしれない。

京子は人知れずそんな後悔を抱いた。



「それも覚えてる。あの時も今日みたいに腕によりをかけてご飯作ってくれたよね」

意地悪問題を出す子供のように母はあくどく微笑を浮かべていたが、京子が回答を言うのに一切の逡巡を見せなかったことに驚いた様子で目を丸くした。

すべての出来事は突如見た夢から始まっているのだ。

夢の出来事を忘れるはずがなかった。

「すごーい!もう何年も昔のことよ?さすが学年一位の頭ね」

そうやって母は少し意地悪そうに笑ってみせた。
「お母さんこそよく覚えてるね」

「京子の初めての反抗だったからね。そりゃ嫌でも覚えるわよ」


「ねぇ京子。今私が言った昔の京子の想い出…今のあなたみたいじゃない?」

「…別に」

「そういう意固地な所が同じって言ってんの」

そんな母の言葉にやっぱりバツの悪そうな様子で京子はご飯を掻き込む。

会話はそれ以上は無く、それ以降はカチャカチャと食器が鳴るのみであり異様な家族団欒であった。

頑是として何も発することなく意固地になって黙々と一連の動作のように食事をする京子の前で母は、結衣にも似た深い溜め息を一つ吐いた。

それはかつて結衣の家で京子がラムレーズンを喜々として二つ平らげる時にも聞こえたものにひどく類似していた。

「見兼ねた。あなた結衣ちゃんがいないと本当につまらない子ね」

「もう結衣の話は聞きたくない!」

叩きつけるように皿へ投げつけた箸が反動で宙に舞う。

「あ…」

思わず勢いよく箸が飛んでしまい、申し訳なさような態度で母を短く見つめる。

「そうやって人の顔色ばっかり疑う所とか益々、昔の京子ね」

「もういいから!」

拾おうかとも思い少ししゃがむが母は相も変わらず黙々と食事していることが癪に障り、勢いをそのままに箸を蹴り飛ばしてやった。

質素な音が二、三回鳴る。
それでも母はただ黙々と食事をするだけで京子の愚挙に対しても咎める素振りすら見せかった。

「結衣ちゃんは京子のことを誰よりも分かってるわ。現に無視をされてた時もあなたのことを一番に考えてたらしいじゃない。京子は意固地だからすぐに結衣ちゃんを悪と決めつけてたけどその結衣ちゃんがいたから今の京子がいるんじゃないの?」

「だからなんで結衣の話ばっかりするの!」

「あなたが今、結衣ちゃんに対して悩んでるからよ」

京子の行動は何も変わってはいなかった。
あの時もにこにこして家を出て行って、『結衣が私のこと嫌いになってる』と泣きながら帰ってきた。

そして今回も全く一緒なのである。
結衣が来てくれると、一時間も鏡の前から離れず身嗜みを整えて、にこにこしながら家を出て行って、泣きながら帰ってきたのだ。

まるであの頃をなぞるかのようにすべてが動いていくようである。

「結衣ちゃんならきっとまた京子を助けてくれるわよ」

「……もう寝る!」

「おやすみなさい。また明日ね」

軽くなった体重で床をギシギシ言わせ京子は階段を駆け上がった。

「ほんと…意固地な子」

明日は土曜日である。
毎週土曜日には京子が泊まってくることもあり、結衣は金曜日に買い物をする習癖が拭えないでいた。

もう毎週金曜日買い物をしておかなければ体が落ち着かない。

「はぁ…また買い過ぎちゃったな」

そう言って結衣は二人前もある食材の前でどう調理しようか頭を抱えていた。

作ることには慣れているが問題は食べ切ることだ。
もうそろそろこの習癖を改善しなくては過食と余計な出費が嵩張るばかりである。

「む。ちょっとお腹の肉が摘まめるぞ…」

年頃の女子高生にとっては死活問題である。

明日は土曜日である。
毎週土曜日には京子が泊まってくることもあり、結衣は金曜日に買い物をする習癖が拭えないでいた。

もう毎週金曜日買い物をしておかなければ体が落ち着かない。

「はぁ…また買い過ぎちゃったな」

そう言って結衣は二人前もある食材の前でどう調理しようか頭を抱えていた。

しかし作ることには慣れている――が、しかし問題は食べ切ることだ。
もうそろそろこの習癖を改善しなくては過食と余計な出費が嵩張るばかりである。

「む。ちょっと最近お腹の肉が摘まめるようになってるぞ…」

年頃の女子高生である結衣にとってそれは死活問題であった。

>>528
×

>>529

女子中学生の間違いだわ

そして最も腹にも出費にも嵩張ってしまうものはある。
買うのを何度も自粛しようと試みるがレジまで来てからやはり戻って買ってしまう。

ガザガザという擬音が似合うようにレジ袋の奥へ手を進ませ冷気を探る。

「まったく…ラムレーズンなんて好きじゃないのに」

ラムレーズンが好きな好事家な京子はいないがこればかりは致し方なく、財布の紐が緩む。

「明日は土曜日か…」

元々ラムレーズンは好物の類ではない。
それに拍車を掛けるように一人で食すのだから物寂しさが加味して不味くて堪らないのだ。

「……土曜日か」

すでに結衣は吐き慣れた溜め息をまた吐いていた。

土曜日がこんなに憂鬱な存在になるなんて結衣はかつて一度も想像したことはなかったし、想像する必要性もなかった。

だが、こんな形で味わってしまったことに益々溜飲が下がらないでいた。

長い風霜。
京子の『好き』の意味を気付いてやれなかった自分がもどかしく、そして腹立たしい。

確かに同性という壁はとても高く超えられるものではないが、せめて――気持ちだけは汲んでやりたかった。

そんな悔いがあるのか、あの日見た頑是ない子供のように泣く京子の姿が頭からこびり付いて離れないでおり、寝ても覚めても京子のことがただただ心配である。

「ふぅ…」

深い深い溜め息が止まることを知らず、またもそうやって吐いたのちラムレーズンの買い置きが入った冷凍庫に凭れた。

ふと物思いに耽っていると携帯には一通のメールが届いたようでバイブの音を立てていた。

ちなつからである。

余談ではあるがちなつの打つ文章はとても礼儀正しく、気分がいい。

文面には、
夜分遅くに申し訳ありません。もしお邪魔でなければですが、明日の土曜日にあかりちゃんと共にお泊りに行ってもよろしいでしょうか?――と書かれていた。

「明日か…」

元々予定も入っていなかったしそれに、土曜日を一人で過ごすのはもう勘弁であった。

結衣は即座に返信ボタンを押して『待ってます』と一言送ったのち携帯を閉じるのであった。

明日は土曜日である。
京子がそれに気付いた時はベッドに入って瞳を閉じた瞬間であった。

誰とも会わない毎日ではあるが土曜日だけは無償に誰かに会いたくなる。

それは結衣と種類は違えど同様な習癖であり、京子もまた落ち着かなくなってしまう。

「土曜日か…」

以前の自分にとっては一週間の内で一番輝いていた曜日がただ天井を眺める一日になってしまうと思うとさっそく溜め息が出た。

「会いたいよ…」

言い聞かせるように本音を呟き、自身の手の甲へ接吻すること以外にこの溢れんばかりの愛おしさを冷ます術はなかった。

なんか疲れで考え方が変態チックになってきたデュクシデュクシ

ちょっと書き溜めさせてくれ
12時に股来る

というか以前失敗したならなぜ
書き終えてから立てないのか理解できんのだが

>>577
200までは書き溜めてたんだよ

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