真「キミの、モンタージュ」 (23)


春香「雰囲気が好きなんだよねぇ」

真「うん、いいお店だね」

 ボクは765プロという事務所に所属して、アイドルをやっている。
 その事務所から電車で2駅ぐらいのところにある喫茶店に、友人のアイドル・春香と一緒にやってきていた。

店員「こちら、メニューになります」

真「あ、ありがとうござい……」

店員「……? あの、なにか?」

真「い、いえっ! なんでもっ」

 店員さんからメニューを受け取ろうとして、手が何度も空を切った。
 春香が苦笑いをして、メニューをかわりに受け取る。


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春香「あのバイトの店員さん、この間私が落としたお守り、取っておいてくれたんだ」

真「へ、へぇ……そう、なんだ」

春香「真? どうしたの?」

真「いや……なんでも」

 窓際の席、横においてある観葉植物を撫でる。
 ボクは、初めて自分の耳が赤くなっていく音を聞いた。ような……気がした。

春香「……暑いの?」

真「ううん、大丈夫。メニュー、見ようよ」

春香「それもそうだね」


真「うーん、どれがおいしいの?」

春香「私は、いつもアイスティーとレアチーズケーキだよ。
   すっごく合うんだぁ」

真「じゃあ、ボクはそれで」

春香「私も、いつものメニューにしようっと。……すみませーん」

店員「はい、少々お待ちください」

 男の人だけれど、少し高めの声。
 店員さんは、そんな声だ。

春香「レアチーズケーキと、アイスティー2つずつ。以上です」

店員「かしこまりました」

 店員さんが真横で注文を伝票に書いている間、
 ボクはずっと俯いていた。木のテーブルの模様を目で追っていた。


春香「……真、もしかして体調悪いの?」

真「へっ? い、いやいやっ! ぜーんぜん。元気は、有り余ってるよ?」

春香「それにしては、あんまり元気そうじゃないけど……」

真「気にしないでっ」

春香「そう? ……事務所じゃあ、普通だったもんね。大丈夫か」

真「そうそう」

春香「そういえば、ついに来るらしいプロデューサーさん、明日の午後だって」

マッキーか


真「へぇ」

 765プロダクションは、アイドル候補生が多い中、
 社長の気に入るプロデューサー候補が居ずに、ほとんどがデビュー出来ずにいた。

春香「はやく私も、竜宮小町みたいになりたいなぁ」

 竜宮小町というのは、同じ事務所で早くデビューしたユニットだ。
 伊織、あずささん、亜美。プロデュースは、元アイドルの律子が行っている。

真「そうだね、歌を歌って、踊って、いっぱいテレビに出て」

春香「美希の言葉を借りるなら、”キラキラ”したい」

真「そうだねぇ。美希は多分、プロデューサーが来たらすぐにデビューできると思う」


春香「美希は才能があるけど、やる気があんまり……」

真「やる気さえあればなぁ」

春香「ヘンにやる気があって、他に移籍とかされても困るけどね」

真「ははっ、確かに」

 アイドルの事務所に入ったはいいものの、プロデューサーが居なければ
 オーディションに出るための曲も、衣装も、決められない。
 ボク達は正直、困っていた。


 店員さんがやってきて、アイスティーをボクの目の前に置く。
 春香は、アイスティーを置かれて軽く会釈をしていた。

店員「お待たせしました、アイスティーです。ケーキは、もう少々お時間をいただきますね」

春香「はーい」

 店員さんがペコリと一礼して、離れていく。

真「……顔が、見らんないや」

春香「……ねえ、真。もしかしてさ」

真「うん?」

春香「あの店員さんに一目惚れでもしちゃったんじゃないの?」

 春香はいたずらに笑う。”冗談”を言ったつもりなんだろうか?


 これは一目惚れなのかな。

真「わかんない、わかんないけど」

春香「……」

真「わけが分からない、胸の痛みってヤツがさ」

春香「…………あるの?」

真「うん」

春香「…………」

 春香がストローを使って、アイスティーを一口。


春香「……そっ、か」

真「……ボク、普段こんな気持ちにならないんだけどねぇ」

春香「……恋、だと思うよ」

真「正解がないと、安心出来ないんだよね。どんなことにも」

春香「……正解?」

 アイスティーの味が口の中に広がる。
 ほんのりと、レモンの香りがした。

真「……これって、恋なのかな?」

 他のお客さんの上品な笑い声が聞こえる。


春香「……私は、分からないな……。ごめんね、真」

真「いや、いいんだ。ボクもよくわかってないし」

春香「あっ、来たよ」

真「…………」

 店員さんがやってきた。顔は見ていないけれど、
 腰の辺りに付いている『マキハラ』という手書きのネームプレートがある。

店員「お待たせしました、レアチーズケーキです」

 先に、ボクの目の前に置かれた。相手の顔も見られずに、軽く会釈をする。
 春香は店員さんの顔をちらっと見ていた。


 店員さんが去って、春香が「真」とボクを呼んだ。

真「……なに?」

春香「顔、見られた?」

真「いや……見てない」

春香「どうして……」

真「なんだか、恥ずかしくて……」

春香「ていうか、顔も見ていないのに一目惚れしたの?」

真「声、で……」


春香「声……」

真「……いいよ、別に」

春香「良くないよ!」

真「食べよう? ケーキ」

春香「むぅ…………いただきます」

真「いただきます」

 フォークを手にとって、さくっと切る。
 一口。

 甘みが口の中にスッ、と入ってきた。
 上品な甘さだ。


春香「やっぱり、美味しいなぁ。このケーキ」

真「うん、美味しいね」

春香「真、また一緒に来てくれない?」

真「もちろん」

春香「店員さんもいるし」

真「…………」

 急に恥ずかしくなった。

真「恋をするつもりなんて、これっぽっちも無かったから」

 自分の心に覚悟がないんだ。

春香「……そういう時に限って、恋しちゃうもんらしいよ。学校で友達が言ってた」


 アイスティーとレアチーズケーキは、おしゃべりと共に消えていった。

春香「そろそろ、出ようか。事務所に戻ろうよ」

真「そうだね。お仕事はないけれど……」

春香「もー」

真「あっ、これお代ね」

春香「うん。じゃあ、2人分払っちゃうね」

 春香と外食をした時は、ボクの分を事前に春香に渡すのが、
 なんとなくのルールになっていた。

 意識したこともなかったけれど、今回はとても助かる。
 あの店員さんにお釣りを渡されると、手が震えてしまいそうだ。
 ……顔も見ていないのに、おかしな話で。


 春香がレジに立っているのを、喫茶店の入口から見る。

 ふと、携帯電話に手が伸びた。
 カメラ機能。ボクはほとんど、使ったことがない。

 レジを打つ横顔だけでも、収めたい。
 シャッターに指を伸ばす。

 画面に店員さんが写って、少し手が震えた。
 それと同時に、小さな小さな、シャッター音がした。

店員「ありがとうございました」

春香「また、来ます」

 春香がこっちに向かってくる。


春香「お待たせ」

真「うん」

 携帯の画面を見る。先ほど撮影した写真を、見る。
 ……使い方を知らなかったから、ピンぼけだった。

春香「……? それは?」

真「……店員さんと、春香」

春香「写真撮ったの?」

真「ピンぼけだけどね」

春香「……なんだか、真がとっても可愛く見えるよ」


真「へっ!?」

 変な声が出た。
 駅の改札が見えてくる。

春香「恋する乙女、って感じじゃん」

 春香は冷やかすように、甘い声だった。

真「あはは……」

 ボクは携帯のふたを、ゆっくりと閉じた。


 その後、事務所でも、家でも、あの写真を見ていた。
 ピンぼけで、顔は見えない。あの時、少しだけ見た横顔から、
 脳内で勝手にモンタージュを作る。

 ……見ていないから当たり前だけど、思い出せない。

 恋をしているのだろうか。
 恋をしたことがないから、分からない。
 分からないけど……。

 ——もう一度、あの店員さんに会いたい、って思った。

 次の日の朝、ボクは事務所に寄らず、直接喫茶店に行ってみた。
 10時。春香は昨日、このお店は9時半からやっていると言っていた。


 ドアを押して、店内へ。
 若い女性が「いらっしゃいませ」と、席へ案内してくれる。

 店内を見渡す。若い男性の店員さんが居なかった。

真「すみません」

女性店員「はい」

真「アイスティーを、ひとつ」

女性店員「かしこまりました」

真「あと……すみません、マキハラさんっていう店員さんは」

女性店員「マキハラ君は、昨日で辞めちゃったんですよ。
     お仕事の出来る人だったから、大変です。……お知り合い、ですか?」

真「い、いえっ!」


 女性の店員さんの「ごゆっくりどうぞ」という声は、あまり響かなかった。
 ほとんどお客さんの居ない、店内。
 モーニング用のメニューがテーブルにおいてある。

真「はぁ……」

 思わず、溜息が漏れた。

 ボクのハートを盗んだあの店員さんは、もうどこかへと行ってしまった。

 運ばれてきたアイスティーを、考え事をしながら4分ほどで飲み干し、
 ゆっくりと店を出た。


 ホームで電車を待っていると、携帯が震えた。
 春香からの着信だ。

真「もしもし」

春香『もしもし、真? 今、どこ?』

真「駅だよ。これから、事務所に行くよ」

春香『今日は新しいプロデューサーさんが来るんだからねっ!』

真「ああ、そうか」

 今日だ、プロデューサーが来るのは。
 すっかり忘れていた。それほどまでに、店員さんのことで頭がいっぱいだったんだ。


春香『事務所で、待ってるからね』

真「うん」

 電話が切れる。
 携帯のふたを閉じると、電光掲示板の文字が変わり、接近音がした。

 ……忘れよう。
 そのほうが、きっといいんだ。

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