妹「こんなに」 (10)

姉「ただいま」

がちゃんと大きな音をたてて、姉が帰ってくる。
私はその音を聞こえない振りをして、リビングのソファーに身体を横たえ漫画の続きをめくった。
廊下を歩く姉の足音は、リビングの前を通り過ぎようとした。けれど、控えめにリビングの扉が開かれて、私は「ただいま」とお姉ちゃんが再度そう言うのを聞いた。

妹「……」

姉「……お母さんは?」

それでも答えない私に、姉は別の言葉を投げてよこした。
今度は完全に、私に向けた質問だった。
ちらり、とソファー越しに姉の顔を見てやった。姉は困ったような顔をして視線をうろうろ泳がせていて、私が見ているのに気が付くと、その視線は今度ははっきり私を捉えた。
私はそれを振り払うかのようにわざとらしく目を逸らすと、「知らない」とただそれだけを答えた。

姉「……そっか」

「おかえり」とも言わず、ぶっきらぼうに答えた私の返答、それなのに姉の表情は途端柔らかくなる。
それがまた、気に障る。
どうして、と思う。

姉「じゃあ、ご飯は私が作るから待っててね」

私は、答えない。けれど姉はもう私の返答がないのがわかって、というよりも、それに関しては絶対に異論を言わせないというようにすぐリビングの扉を閉めたのだった。
姉の足が、自身の部屋へ軽やかに向かうのを聞きながら、私は読んでいた漫画をパタンと閉じ投げ出すと、目をつむった。
詰めていた息が、一気に外へ吐き出された。

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姉は、昔から私に対して甘かった。
甘いというよりも、過保護というほうが正しいのかもしれない。

なにがあっても私の味方で、私が中心にまわっているみたいで、いつまでたっても妹離れせずにここまできた。
学校だって自分が行きたいから選んだわけじゃないと、私はよく知っていた。
今通っている大学も、ただ家から通える範囲だったからという理由だけだ。姉は単に私と離れるのがいやだからだと言い切った。

実際、行きたいところがあったのかどうかは知らない。姉はそんな話は一度もしてくれたことはなかった。
もしかしたら考えたこともなかったのかもしれない、とも思う。

だからこそ、私はそんな姉をうっとうしいと感じるようになっていた。

妹「……嫌い」

大嫌い、と静かになった家の中、それでもどこか意識してしまう姉の存在に向かって、私は呟いた。

こんなに、こんなにも大嫌い。
だから、お姉ちゃんだって私のこと、嫌いになってくれればいいのに。



昔から、こうだったわけじゃない。
姉の過保護な面が表立って見えてくるようになってから、少しずつ、私の姉に対する態度が変わっていった。

姉はいつでもどこでも優等生だった。
誰がどう見たって立派な姉で、はじめは、そんな姉が私を大切にしてくれることが純粋に嬉しかった。

私にとって姉は、自慢の姉だったのだ。

たぶん、物心がつく頃には両親が離婚し、私たち姉妹を引き取った母親が働きに出るようになったからだと思う。
姉はそれ以来、ずっとずっと私の面倒を母の代わりに見てきてくれた。
愛情を、ひたすらに、私が真正面からわかるくらいにずっと、注いでくれていた。

けれど、歳を重ねるにつれてその存在が私をつきまとうようになる。
私という存在に、おおいかぶさろうとする。その愛情が、私の前の壁となっていく。

「あなたのお姉さんはとってもいい子だったし、あなたのこと自慢の妹って言ってたのよね」
「あの子の妹なのだもの、期待してるわね」

そんな、ことばかり。

私は、あの人とは違うのに。
嫉妬というよりも、自分という存在が姉によって引き上げられていることに憤りを感じていた。
勝手に一人歩きする、「あの人の妹」というある意味完璧にも思われているような自分の存在が、そうして必死にそれを演じようとしている自分自身に対して、嫌気がさすようになったのだ。

高校生になってから、私はできるだけ姉とは顔を合わせないようにした。
ちょうど姉も大学生になったばかりで、忙しくなってきたところだったのだ。

最初は姉を無視することは気が引けて、お互い忙しいことで顔を合わせないでいられるのが気楽だった。
けれど新しい生活が落ち着き始めると、姉はいつもどおりに私に接しようとした。
初めて姉の「ただいま」に答えなかったとき、姉が何事もなかったかのようにリビングの扉を閉めて、けれど見えた横顔があまりにも悲しそうだったことを、今でもよく覚えている。

それを見てから、私は今度は逆に、このままなにも話さないで無視するほうが、いっそ気が楽なのかもしれないと思うようになった。

姉の悲しい顔を見るのが、好きなわけじゃない。
できれば、見たくないというのが本音のはずだ。だけど、それでもこうしなければ、姉は、本当に私の傍をずっとくっついて離れないのではないかと、思ったのだ。

そう、だから。

姉「今日は、いつもよりも味を濃くしてみたんだけど」

妹「……ふーん」

静かな食卓。
これが近頃の当たり前の風景になっている。

幼い頃二人で決めたルールで、食事をするときはテレビをつけないことになっていた。
それでも笑って囲んでいた食卓は今はどこにもなく、今はただ重苦しい沈黙が支配するなかを、姉は時々はっと気付いたかのように言葉を発する。

姉「あ、ちょっとこの大根、大きすぎちゃったな」

白いご飯に、今日はぶりと一緒に煮込まれた大根。それから姉お得意のきんぴらごぼうに味噌汁。
どれも美味しいはずなのに、どこか味気ない。
さっさと食べてしまわなくてはならないのに、いつもいつもすぐには全て喉を通っていかなくて、結局姉の独り言のような声を聞いていることになる。

妹「……」

姉「……」

けれど、今日の姉はいつもよりも少し静かだった。
私が答えないことはもうすでにわかりきっていることで、姉も、そして私も、黙々と箸を口に運んでいた。

——なんか、へんなの。

最後の一口を食べ終えたとき、私はそう思った。
けれど、訊ねることはせずに席を立つ。
「ごちそうさま」は小さな声で。
姉の「おそまつさまでした」と言う声を背中に聞き、私は自分の部屋に閉じこもろうとした。

リビングを出る前、姉は言った。
「あのね」
私はそれも、聞こえない振りをした。

今日は以上
こんな感じで続いていきます

それではまた



期待してます



突然、家を知らない男が出入りするようになった。
それは本当に突然のことで、私ははじめ、いなくなったはずの父親が帰ってきたのかとすら思った。(父の顔もその素性さえも知りはしないけれど)

この間、姉の様子がおかしかったのはこういうことだったのか、と。
私は、理解した。
あのとき「あのね」と姉が私を呼び止めようとしたのは、きっと彼ができたことを私に伝えるためだったのだ。

妹「ただい——」

今日も。
その男が家に来ていた。
今日は私が委員会で少し遅くなったとはいえ、普段は私より少し後に帰ってくる姉も、もちろんいた。

姉「あ、おかえり!」

玄関に並べられた男物の靴を、じっと睨みつける。
私に気付いたのか、リビングの戸が開き姉が顔を出す。
私はそれを無視して靴を脱ぎ捨てると、ずんずんと歩いて自分の部屋に入った。乱暴に戸を閉めてやると、ようやくイライラしていた心が少し落ち着いた。

姉はいつまでも彼のことについて話したがらなかった。
それは、私が聞かないからだったのかもしれない。
それでも、姉があえて彼の話を避けているのは明白だった。

聞こうかと思った日もあった。けれど、そのたびに私は口を開くことができなくなる。
「あの人は、なんなの」
そう言った途端に、姉の答えが、私の中のなにかを、壊してしまいそうな気がしたのだ。

だから、訊ねられなかった。

今日は一体、いつ帰るのだろうか、あの男は。

私は制服のままベッドに横たわって、思う。
突然現れて、この家に当然のように馴染んでいる男。私は彼が気に食わなかった。

普段は夕飯を食べる頃にはいなくなる。
けれど今日は、その頃になっても帰る気配はなかった。
その代わりに、部屋の扉がノックされる。

姉「ごはんだよ、一緒に食べよう?」

姉の、声がする。
「一緒に」?
私はそっと寝返りをうって、「いらない」と返した。それしか、答えようがなかった。

姉「……いらない、って」

妹「いらないから」

姉「でも」

妹「ほっといてよ」

今にも泣きそうな、姉の顔が容易に想像できた。
姉は、「——ラップしておいとくね」
それでも気にしてないというような声で。ぱたぱたとリビングに戻っていく音がして、私はもう一度、くしゃくしゃになった布団の布を抱いて寝返りをうった。

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