クリスタ「いつか私も追いつくからね」 (97)
注意
地の文あり(クリスタの一人称)
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死に急ぎ野郎。
訓練兵になってすぐ、不名誉なあだ名が、ある人に付けられた。
誰が言い始めたのか、正確な事は誰も知らない。
ジャン辺りだろう、と何人かは言っていたけど、証拠はない。
誰も、私も調べようとはしないし、知りたいとも思わないけれど。
犯人を見つけ、どうしてそんなあだ名を付けたの? と問い詰めたところで、広まってしまったものは、もうどうしようもないのだから。
死に急ぎ野郎。
普通の人の視線に立てば、彼の言動はまさしく言葉通り。
そこは否定できない。
自殺願望者が目指す兵団、奇人変人の巣窟、なんて言われている調査兵団。
彼はそこを目指していると、入団式の日に言ったらしい。
大勢の人間に囲まれながら、誰かに遠慮する事も、臆する事もなく。
らしい、と言うのは、私がとある用事でその場にいなかったため、間に人を挟んで耳にしたから。
もっとも、後日、ジャンとの喧嘩中、本人が調査兵団希望を口にしてたので、私も直接聞けた。
もちろん、死に急ぎ野郎なんてあだ名の意味は、それだけではないけれど。
死に急ぎ野郎。
そう呼ばれる彼だけど、私の目には死に急いでいるように映らなかった。
むしろ、誰よりも逞しく生きようとしている。
少なくとも、私は彼の事を知る度にそう思った。
夢がある。
これもジャンとの喧嘩の途中で、彼が口にした言葉。
詳しい内容はその時言っていなかったけど、私はわかった。
その夢を叶えるために、全力で生きているのだろう、と。
私とは真逆の気質を持つ少年。
死にたいと願う私とは。
彼には少なからず関心がある。
関心と言うよりも、好奇心かな?
どっちにしろ、彼の事が気になった。
どんな経験をしたのか、彼の夢とはなんなのか、そしてなにより、彼の金色の瞳には世界がどう映っているのか。
けれども、彼との接触の機会はなかなか訪れなかった。
貴重な食料も喉を通らなくなるほど厳しい訓練。
無理やり胃に流し込んでも、戻してしまう日なんてザラ。
毎日毎日、へとへとになるまで動かされるため、顔見知りになったユミルやサシャとすら、僅かな会話しか出来ずに寝てしまう。
彼と話すどころか、友好の輪を広げるような体力すら、残す事は困難だった。
そんな状態の日々が、しばらく続いていた。
無論、彼から私への接触もなく。
けれど、会話自体はなくても、観察はしていた。
観察って言い方は、ちょっと大げさかもしれない。
視界に入った時、ぼんやり眺めている程度だから。
ジャンとの喧嘩に関してもそうだけど、彼の行動は、良くも悪くも目立っているからね。
しかしある日、予想外にも彼が私に話しかけて来た。
訓練後、厩舎の掃除をしている時だった。
エレン「えっと、お前がクリスタ・レンズ……でいいんだよな?」
それが私に向けられた彼の最初の言葉だった。
いきなりの事で呆けていると、彼の傍にいたアルミンが、もう、と言って彼を叱る。
アルミン「話しかけておいて、お前呼ばわりは失礼だよ。ごめんね。僕はアルミン・アルレルト。で、知ってると思うけど、こっちは――」
エレン「エレン・イェーガーだ。悪かったな」
クリスタ「あっ、ううん。気にしないで。それより、私になにか用?」
どこか微笑ましい二人のやり取りのおかげで、驚きによる放心状態から立ち直った私は、そう尋ねた。
世間話をするために来た、とはどうしても思えなくて。
残念だけど、私とエレンたちは、そんなに親しい間柄じゃない。
ほぼ初対面、と言った方が正確。
エレン「クリスタは馬術がすごく上手だって聞いたんだ。だから、コツとか教えて貰おうと思ってな」
アルミン「訓練中だと、訓練兵同士で教え合う時間はあまりないからね。こういう時間を利用して、色んな人に聞いているんだ」
エレン「お礼ってほど大した事じゃねぇけど、掃除を代わるから頼むよ」
そう言ってエレンは、頭を下げた。
少し遅れてアルミンも。
慌てて、そんな事しなくても教えるから頭をあげて、とお願いするとエレンたちは笑顔を浮かべた。
とても幼い、けれど年相応の表情。
訓練兵になって、二、三ヶ月ほど経つけれど、初めて見た彼の姿だった。
仲の良い人には、普段もこんな顔をよく見せてるのかな?
エレン「ありがとう! じゃあ、早速教えてくれ」
クリスタ「でも、大したは事教えてあげられないかも」
アルミン「なんでも良いよ。何々をどういう風に注意してやってる、って感じで」
クリスタ「うん、わかった」
なるべくわかり易いように言葉を選びながら、私は話した。
乗馬中に向ける視線や意識の事から、厩舎の掃除中、馬にどう気を遣うか、なんていう些細な事まで。
エレンとアルミンは、疑問があれば私に質問していたけど、どんな事を話しても不満そうな素振りは見せなかった。
彼らは、用意していた手帳にペンを走らせているだけ。
面白い、期待
クリスタ「――っと、大体こんな感じ」
そう言って、私は終わらせた。
いきなりの事だったから、全部話す事は出来なかったかも。
大まかには教えられたとは思うけど、なにかしら、伝え忘れがあるはず。
それらは、思い出した時にメモを取って、後で渡そうっと。
エレン「ありがとうな。助かった」
アルミン「気にしてなかった事も知る事ができて、すごく為になったよ」
クリスタ「感謝されるほど大層な事じゃないよ。それより、一ついい?」
エレン「なんだ? 俺らで答えられる事ならなんでも言ってくれ」
クリスタ「エレンたちはどうしてそこまで訓練に熱心なの? 貴重な休暇も潰してるって聞いたよ」
エレンとアルミンは顔を見合わせた。
変な質問だったのか、心配になる。
訓練兵の誰もが疑問を覚えている事だと思っていたけど。
エレン「意識の差、じゃねぇの?」
アルミン「うん。僕らは別に熱心にやってるつもりはないからね」
エレン「むしろ、してない方がおかしいだろ。俺らは訓練兵なんだぜ?」
当たり前の事をやっているだけ。
エレンたちはそう言った。
当たり前のように。
ううん、ようにではなく、それが当然だと疑わず。
やっぱりと言うべきか、エレンは異質なんだと私は感じた。
エレンの影に隠れて目立っていなかったアルミンも。
それが純粋に羨ましい。
私にはない、彼ららしさ。
その片鱗を、私は直接垣間見た気がした。
クリスタ「答えてくれてありがとう」
他にも聞きたい事があったけど、私はお礼を言ってやめた。
エレンたちと話す切っ掛けは得たんだ。
少しずつ、彼らを知って行こう。
なんて、この時気楽に考えたせいで、後に失敗だったと思う破目になっちゃったよ。
エレン「こっちこそ、改めてありがとな。じゃあ、掃除の続きは俺らが引き継ぐから、寮に戻って休んでてくれ」
クリスタ「そ、そんな! いいよ、これは私の仕事なんだから」
アルミン「これは僕らなりの恩返しなんだ。受け取って貰えないかな?」
私の性格を知ってか知らずか、ずるい言い方だった。
断れるわけもなく、じゃあお願いね、と私は遠慮気味に言った。
おう、とエレンは胸を叩いた。
ゆっくり休んで明日も頑張ろうね、とアルミンは微笑んだ。
二人の屈託のない笑みを向けられて、うん、と私は頷き、厩舎を後にする。
この日から、私はエレンたちと話すようになった。
相変わらず訓練は大変で、あまり会話は出来ないけど、少しずつ仲良くなったと思う。
途中、エレンの家族であり、アルミンの幼馴染であるミカサとも、二人の仲介のおかげで、普通に話せるようになった。
ミカサは本当に凄い。
なんでも出来て、屈強な男の子にも負けない。
総合成績は常にトップ。
女の子の間では、ミカサに憧れている人も多い。
もちろん、私もその一人。
けど、ミカサは他人を見下したりせず、常に同じ目線で接してくれる。
お願い事をすれば、嫌な顔一つ見せないで、大抵の事は頷いてくれた。
私はそんなミカサに甘えて、格闘術の時間、ペアを組んで貰っている。
私なんかでは、ミカサの訓練相手になりはしないけど、少しでも彼女のようになりたかった。
ユミルとサシャにそう話したら、無理だ、って笑われちゃったけど。
そんなある日、格闘術の訓練の途中、一部が少し騒がしかった。
ミカサと一緒に訓練を一時中断して、そちらを見てみる。
中心人物は、エレンだ。
彼だけではない。
ライナーとアニもいる。
その二人の傍で、エレンはお尻を空に向けてひっくり返っていた。
なにがどうなってあの体勢になったのか、すぐには理解出来なかった。
でも次の瞬間、私でもわかった。
アニが、蹴りと投げを複合したような技で、一回りも二回りも大きなライナーを倒す姿を見て。
体を起こして、アニに話しかけているエレンを見た感じだと、特に怪我とかはしていなかったみたい。
ライナーもすぐに立ちあがってたし、アニはある程度手加減してたのかな?
そうであってもなくても、アニにあれだけの技術がある事に驚いた。
私と身長はあまり変わらないのに。
クリスタ「アニって、あんまり話した事なかったけど、あんなに凄い事が出来たんだね」
ミカサ「私も初めて知った。アニ、格闘術の時間は、極端なほど手を抜いていたから」
頷いて私は肯定する。
エレンもライナーも格闘術の訓練の成績は上位。
二人とも五本の指には常に入っている。
その二人を軽々とあしらった。
少なくとも、さっきの光景を見た限りだと、格闘術の順位はエレンたちを追い越すはず。
勿体ないなぁ、と私はアニを見つめた。
ミカサ「クリスタ、そろそろ再開しよう」
クリスタ「うん。今度はミカサがならず者役、お願いね」
ミカサ「わかった」
木製の短剣を持って姿勢を低くしたミカサに向かって、私は教わった通りに構えた。
その日の夕食時、またエレンとジャンが言い争いをしていた。
エレン「お前、おかしいと思わねぇのか? 巨人から遠ざかりたいがために、巨人殺しの技術を磨くって仕組みをよ」
ジャン「まぁ、そうかもしれんが、それが現実なんだから甘んじる他にねぇな。俺のためにも、この愚策は維持されるべきだ」
二人はすぐにヒートアップして、椅子から立ちあがった。
私はそんな二人に視線を向けず、考える。
今の今まで疑う事さえなかったけど、エレンの言う事はもっとも。
ジャンもそれはわかってるはず。
だから愚策なんて言い方をしたんだと思う。
どうしてなんだろう?
どうしてこんな仕組みになったのかな?
憲兵団に必要な技術は、知識と格闘術、あと移動用の馬術くらいが主なのに、どうして格闘術の成績はあまり点数にならないんだろう?
ユミル「珍しいな、クリスタがあいつらの喧嘩を止めに行こうとしないなんて」
クリスタ「その度に、ユミルが邪魔するでしょ?」
ユミル「当然だろ? あんな馬鹿共のせいで、私のクリスタが怪我でもしたらと思うと、心配で心配で」
ユミルは大袈裟に涙を拭う真似をした後、私を抱きしめた。
訓練兵の中で一番仲良く出来ていると思う彼女だけど、本心はわからない。
いつもこんな感じにふざけているから。
今回は真面目に答えてくれるかな? とちょっと心配しながら私は問う。
クリスタ「ユミルは、どうして立体機動の点数が高いか、知ってる?」
ユミル「技術を衰退させないためだろ? 内地って餌がなきゃ、調査兵団の連中しか使わねぇ立体機動を、わざわざ覚えようするやつなんていねぇよ」
なるほど、ユミルの言う通りだと思う。
仮に格闘術の評価が高く、立体機動が低ければ、それぞれの訓練に対する意識は現状と反転する。
立体機動は、移動だけでも常に命の危険が伴う技術だ。
安全を考えて、怠ける者が続出するかもしれない。
でも、と私は思う。
もし立体機動の評価が低かったとしても、少なくとも一人は、技術を得るために努力するだろうと思った。
巨人を殺す、夢を叶える、それらのために。
その人物は、口論の末にジャンを投げ飛ばした。
昼間見た、アニの技を使って。
ユミル「ほう。死に急ぎ野郎のやつ、いつの間にあんな事が出来るようになったんだ?」
珍しくユミルは感心していた。
なんだか、私が嬉しくなる。
いつも辛口なユミルに、彼が認められたと思うと。
どうして、嬉しくなったんだろ、と疑問を覚え、すぐに答えは出た。
ううん、元々答えはあった。
私が、エレンの生き方に、エレン自身に憧れている、って。
彼のように考えて、彼のように言えて、彼のように行動出来る人間に。
エレン「お前、それでも兵士かよ」
ジャンにそう言ったエレンの姿は、この場の誰よりも強く見えた。
技術ではなく、固く、鋭く、ひたすら真っ直ぐな意志によって。
その後、教官が姿を見せ、ミカサによって、ジャンが倒れた時の大きな音の原因は、サシャの、その……ほ、放屁、って事になった。
ユミルが手で口を押さえながら肩を震わせて、必死に笑うのを堪えている。
もう、ユミルは。
……確かに、ちょっと面白かったけど、サシャがかわいそうでしょ?
エレンへの憧れを自覚した次の日から、劇的な変化が……まぁ、あるわけでもなく、いつも通りの日常が過ぎる。
起きて、訓練をして、少しエレンやユミルを含めた同期の人たちと話して、夜は泥のように眠る毎日。
気付けば、二年目の春が訪れていた。
昨年の冬、雪山の訓練でユミルと色々あったりしたけど、それ以外は大体そんな感じだった。
訓練兵としての一年間で変わった事と言えば、交友関係が広がったくらいかな?
サシャやエレンのおかげで、ミーナとか、ハンナとか、コニーとか、ライナーとか、他にも色々な人とお喋りできるようになった。
ユミルやミカサは、言い方は悪いけど、自分から他人と仲良くなりに行く性格じゃないから、二人が広げる輪に乗っていた。
私もだから、人の事は言えないけど。
あっ、それと、多少体力にも余裕が生まれた。
大変な事には変わらないけど、休暇を利用して、街に足を運べるくらいには。
そして、今日は一ヶ月ぶりの休暇。
ユミル、サシャの二人と共に街を歩いていた。
お給金で買い食いするサシャに付き合う程度だけど、それでも楽しい。
事前に情報を集めているみたいで、サシャが教えてくれるお店の食べ物はどれも美味しいし。
その努力をもっと別の事に回せよ、とユミルは言ってた。
サシャには悪いけど、私も心の中で同意しちゃった。
だってサシャったら、物覚えは悪くないはずなのに、座学で居眠りをしたりするもん。
けど、食以上に努力する事なんてありません! って本人は断言してた。
サシャは本当にもう……。
サシャ「あっ、あれってエレンじゃないですか?」
サシャが指差す方向は、街にあるベンチ。
色んな人がちょっとした休憩に使うそこに、エレンが座っていた。
どこか退屈そうに、空を見上げてる。
ユミル「あいつ一人か? アルミンとミカサはいねぇみたいだな」
サシャ「珍しいですね、エレンが一人でいるなんて」
クリスタ「エレンが街にいる事自体、珍しいけどね」
エレンは入団してから、休みの日も自主練に励んでいる。
故に、訓練以外では、街どころか、訓練施設から出る事自体、数えられる程度しかない。
以前、コニーやライナーたちが、街に遊びに行こうぜ、と誘ったらしいけど、それさえ断るくらい。
今日はなにか用でもあったのかな?
にしては、酷く退屈そう。
サシャ「エーレーン! そこでなにをしてるんですかー!?」
ユミル「声かけるのかよ……」
クリスタ「いいじゃない。不都合があるわけでもないんだから、ね?」
ユミル「そりゃそうだけどな」
やれやれと肩を竦めるユミルと共に、サシャに続いてエレンの方へ歩を進める。
エレンはと言うと、サシャの声で私たちに気付いたらしく、怠慢な動作でこちらに顔を向けた。
エレン「なんだ、お前らも来てたのか」
サシャ「美味しいお店の情報を得ましたので」
クリスタ「エレンは街にどんな用があるの?」
エレン「用なんてねぇよ」
退屈そうではなく、エレンは不機嫌のようだった。
私たちと話す事さえ面倒そうだ。
眉間に深い皺が寄っている。
私は思わず首を傾げた。
用もないのに、エレンがここに来るわけがない。
でも、その動機が見えない。
なんでだろう?
ユミル「なら、なんでお前はここにいるんだ?」
私の代わりに――ってわけじゃないと思うけど、ユミルが質問してくれた。
俺だって好きでここにいるわけじゃねぇよ、と前置きしてエレンは答える。
エレン「偶には街の活気を浴びるのもいい、とか何とかアルミンとミカサに言われたんだよ」
サシャ「意外ですね。エレンならそんな事を言われても、全力で拒否して一人で自主練でもやるんじゃないか、って思ってました」
エレン「最初はそうしようとした。けどな『どうしてもエレンと一緒に行きたい』なんてしつこく言われたら、付き合うしかねぇだろ?」
アルミンとミカサの粘り勝ちだったみたい。
結果、エレンの目つきの悪さが通常の三倍増しになっちゃってるけどね。
ユミル「でも、アルミンとミカサはいねぇな。どこ行ったんだ?」
エレン「飲みもん買って来るってよ。そろそろ戻って来るんじゃねぇの?」
サシャ「二人が離れた隙に帰らないんですね」
サシャらしいと言えばサシャらしい発想。
残念と思った方がいいのかわからないけど、その考えは思い浮かばなかった。
エレン「流石にそれは出来ねぇよ。必要ねぇとは思ってるけど、あいつらは俺のためにこうやって誘ってくれたんだからな」
ユミル「そこまでわかっていながら、なんでお前はそんなに機嫌悪そうなんだよ」
エレン「時間がもったいねぇだろ? 走って体力作りをしたり、木人や巻藁に拳を突いたり、刃で素振りをしたり、いくらでも出来る事はあるんだからな」
サシャ「訓練馬鹿ですねぇ」
エレン「馬鹿って言うな。体動かしてた方が落ち着くんだよ。……余計な事、考えなくても済むし」
……。
そうか、そうだったんだ。
エレンは焦ってるんだ。
早く、一人前になりたいと。
早く、目標を達成したいと。
エレンは良い意味での異端者で、私なんかとは全く違うのだと思ってた。
ううん、思い込もうとしていた。
けど、蓋を開けてみれば、やっぱり私たちと同じ人間で、不安はやっぱりある。
だから、エレンは休まない。
ひたすら体を酷使し続ける。
努力で覆い隠すために。
エレンの今の姿を見て、私はそう思った。
的外れかもしれない。
でも、そう思うとなんだか穏やかな気持ちになった。
遠くにいると思ってた人が、実はすぐ傍にいたような安心感があって。
サシャ「体を壊しても知りませんよ?」
エレン「ほっとけ」
不貞腐れるように、エレンはそっぽを向いた。
いつだったか、エレンの笑顔を見た時のように、年相応の幼さがあって、私の頬は自然と緩む。
アルミン「あれ? 三人も街に来てたんだ」
その声の先には、紙コップを両手に持ったアルミンと、同じ物を一つ握っているミカサがいた。
エレン「遅かったな」
ミカサ「そんなに時間はかかっていない。エレンは少し短気」
エレン「あぁ、そうだよ。俺は短気だよ。悪かったな」
アルミン「あはは。とにかく、お待たせ。はい、これはエレンの分だよ」
エレン「ありがとな」
ユミル「私たちの分はないのか? 気が利かねぇな」
アルミン「予知能力者じゃないんだから、流石にいなかった人の分は無理だよ」
エレンに紙コップを渡したアルミンは、苦笑した。
うん、本当に無茶だよね。
アルミン「それで、三人は街になにをしに来たの?」
アルミンが私たちに質問している間に、ミカサはエレンの隣に座った。
ミカサもマイペースだなぁ、と思いながら、私は答える。
クリスタ「輪切りの芋とベーコンをバターで炒めた食べ物を売ってる露店の話を、サシャが聞いたらしくてね。そこに向かってるの」
サシャ「肉と香辛料が入っているので、それなりに値段は高いらしいですけど、味は本物って噂です!」
ユミル「ついでに街をフラフラとな」
私たちの話を聞いて、最初に反応したのはアルミンではなく、ミカサだった。
彼女が、アルミン、と口にすると、アルミンは頷いて応えた。
それだけじゃ、二人の考えは読めない。
なんのやり取りなんだろう?
エレンは興味なさそうだけど。
アルミン「多分、僕たちもその露店を目指してるんだ。○○って看板があるお店?」
サシャ「それです! そのお店です!」
ユミル「なんだ、目的地は一緒なのか」
クリスタ「そうみたい」
サシャ「こうして顔を合わせたのも何かの縁ですし、一緒に行きましょうよ」
アルミン「僕たちはいいよ。エレンもいいよね?」
エレン「どうでもいいから、さっさと行って、さっさと帰ろうぜ」
本当にどうでもよさそうに言い、エレンは紙コップの飲み物を口にしながら立ち上がった。
ミカサも少し遅れて腰をあげる。
私とアルミンは苦笑しながら、拳を空に突き上げて先陣を切るサシャに続き、露店に向かった。
目的のお店は、辿り着いた時には二十人以上の人で列が出来ていた。
私たちがその列に加わっても、すぐ後ろに人が並ぶほど人気みたい。
お店の前に貼られている金額は、サシャが言ってた通り結構高いにもかかわらず。
その人気の一つに、出来たてを口に出来るという点です、とサシャ談。
火に薪を足し、目の前でお店の料理人がフライパンを揺すっている。
私も初めて見る、移動式調理設備が、露店に設置されているから出来るとの事。
流石に洗い場まで井戸の水を引っ張るのは無理だったらしく、洗い場担当の人たちは、忙しなく近くの井戸を往復していた。
コスト削減か、お皿とスプーンは使い捨てじゃないみたいだから。
待っている間、香り続ける芋とベーコンとバターの香ばしい匂いは、非常にお腹を刺激していた。
サシャは時折涎を啜っているけど、気持ちがすごくよくわかる。
アルミン「美味しそうな匂いだね」
エレン「期待してなかったけど、少し楽しみになって来た」
先程まで嫌々、渋々を隠そうともしていなかったエレンでさえ、目を輝かせて露店を眺めていた。
そんなエレンを、ミカサはどこか微笑ましそうに見つめている。
普段の行動からわかってた事だけど、こうしてみると、ミカサはエレンをとても大切に思っているんだなぁ、と改めて思う。
暫くして、私たちの番になると、サシャが元気良く注文した。
サシャ「おっちゃん! 六人前! ベーコンを分厚く切って下さい!」
はいよ! と調理をしている人は気前よく答えてくれた。
アルミ製のお皿に盛られた料理とスプーンを渡され、辺りを見回す。
少し離れた場所で、ユミルが座っているのが見えた。
ユミルは、大きな樹の根元に生えている芝生の上で、胡坐を掻いていた。
女の子なのに、はしたないよ、その座り方。
そんなユミルに歩み寄りながら、ふと思った。
ユミルと一緒に場所取りをせず、私たちと一緒に列に並んだ時点で、エレンは露店の匂いに惹かれていたのかもしれない、と。
その事をエレンに伝えたら、治った機嫌がまた悪くなるかもしれないし、口には出さないけどね。
ユミル「へぇ、思ってたより美味そうだな」
エレン「ほら、これがお前の分な」
ユミル「ん」
クリスタ「ユミル、運んでくれたエレンにちゃんとお礼を言わないと」
エレン「んなのいいって。いただきまーす」
ミカサ「いただきます」
アルミン「いただきます」
それぞれそう言って、料理を口にする。
ちなみに、サシャは座るなり、真っ先に食べ始めていた。
ユミル「あいつもああ言った事だし、私らも食べようか」
クリスタ「もう」
一応不満っぽく言ってみたけど、実のところ私も早く食べたかった。
スプーンで芋とベーコンをすくう。
芋は一度茹でていたのかな?
炒めただけとは思えないほど、柔らかかった。
零さないように私は口に含む。
意識する必要もなく、笑みを浮かべてしまう美味しさだった。
お肉を食べるのは久しぶりだから当然としても、食べ飽きている芋も美味しい。
舌を刺激する香辛料も、多過ぎず、少な過ぎず、見事にマッチしている。
しっかりと味わうため、なるべく多めに噛んでから飲み込んだ。
日頃溜めていた疲労が、胃から癒されるようだった。
たった数分で終わる食事。
けれど、私たちはそれよりずっと長い間、幸せな気分を味わった。
人の幸せは食事から、なんてどこかの誰かが言っていたらしいけど、今なら頷ける。
高い金額の割に、量はあまりなかった。
お腹がいっぱいになったとは、誰も思っていないはず。
それでも、余りある幸福感があった。
エレンとクリスタの討伐数1のポーズが似ていると言う話しが。
チーム死に急ぎが進撃するのか!
けど、それは一緒に食べる人次第、と言う事を私は知っている。
どれだけ美味しい料理を口にしたところで、一人では寂しい。
誰かがいても、相手が自分を認識しようとさえしなければ、温かい料理も冷たくなる。
私は感謝した。
辛いとしか思わなかった血のおかげで、こんなにも温かい人たちに囲まれた事を。
そして祈る。
少しでも長く、こんな日々が続きますように。
訓練兵団を卒業しても、いつまでもこんな関係でいられますように。
誰にも気付かれないように、私はひっそりと自嘲する。
今でも――むしろ今だからこそ、誰よりも早く、この世界から退場する事を望む自分がいると気付いて。
目の前で壊れて悲しい思いをするくらいなら、自分が最初に壊れてしまえばいい。
そう思う私が、私の中に在った。
更に月日は流れ、解散式の日。
訓練兵として、すべき事はやり終え、私たちは今日を迎えた。
ユミルやサシャ、ミカサやアルミン、そしてエレンや他のみんなと一緒に、色々な事を教え合った。
残した事はない――と言えばちょっと嘘。
まだまだ学ぶ事は残っているはずだから。
それでも、一人の兵士として認めて貰える程度には成長したはず。
けど、驚いたよ。
私が十番になるなんて。
解散式の途中、こっそりとユミルに視線を向けるけど、彼女は私を見ようとはしない。
きっと、ユミルがなにかをしたんだ。
彼女が私に劣る部分なんて、馬術以外はないのだから。
ううん、それすら怪しいかも。
ユミルが真面目にやれば、私が勝る点なんて、なにも思いつかない。
どうして?
……きっと、ユミルは私に憲兵団に行って欲しいと望んでいる。
どうしてそこまで私の事を気にかけているのか、いまだにわからないけれど。
でも、私は憲兵団に行かない。
私が望む場所は、そこにないのだから。
だから、ごめんね、ユミル。
解散式が終わり、晩餐。
今までのご飯からは考えられないご馳走が用意されていた。
賑やかな時間だった。
皆、笑顔を浮かべて料理を口に運び、談笑している。
サシャもコニーと一緒に憲兵団に行く事を喜んでいた。
一際喜びを表現していたのはジャンだ。
元々、エレンが調査兵団を望んでいる事並に、憲兵団を強く希望していたから、大声で笑う事も仕方ない。
『人類の砦』という美名を全否定する気持ちもわかる。
だって、それが普通なのだから。
ジャンの言う事は間違いではなく、普通の人からすれば、むしろ正しい。
けれど、そんなジャンを一蹴する人がいた。
やはり、というべき人物。
エレンだった。
先の口減らしとして戦った者たちによって得た、情報と言う希望の事を話した上で、エレンは言う。
エレン「俺には夢がある。巨人を駆逐して、この狭い壁内の世界を出たら、外の世界を探検するんだ」
初めて聞いたエレンの夢。
タイミングとか、私の粘り弱さとか、色々な要素がマイナスに噛み合って、結局尋ねられなかったエレンの夢を私は知った。
エレンらしい、無謀で無茶で、でも光に満ち溢れている。
きっと、エレンに一番近いアルミンとミカサ以外は、外の世界を探検するなんて、考えた事すらないだろう。
羨ましいなぁ。
初めてエレンと話した日と同じ事を思った。
やっぱり羨ましいよ、エレンの生き方が。
私の気持ちなんて知らない当の本人は、ジャンと殴り合いの喧嘩を始めているけどね。
結果、ミカサがエレンを、フランツとハンナがジャンを制し、とりあえず無事に治まった。
ミカサがエレンを担いだまま外に出る。
遅れて、アルミンも二人の後を追った。
聞きたい。
私は強く思った。
エレンがどうしてそこまで外の世界を望むのか、直接。
自分でも気付かない内に、私は立ちあがっていた。
体が先に動いてたみたい。
ユミル「……エレンたちの所に行くのか?」
クリスタ「うん」
ユミル「なにをしに?」
クリスタ「エレンたちに……ううん、エレンに聞きたいの。エレンの目に、世界はどう映ってるの、って」
そうか、と言って、ユミルは水を口に含む。
それ以上、言及しようとはしない。
私が行く事を止めようともしない。
ただ、私について来る様子もなかった。
行って来るね、と言い残して、私も食堂を出た。
エレンたちはすぐに見つかる。
食堂を出てすぐ近くにいた。
けど、声はかけられない。
エレンたちが駐屯兵団の男性と話していたから、躊躇われた。
話し声は聞こえないけど、知り合いのようだと、なんとなく雰囲気で察した。
と、急にエレンが頭を抱えて、地面に膝をつく。
私が駆け寄った時には、エレンは気を失ってしまっていた。
そして、ミカサやアルミン、駐屯兵団の男性と共に、エレンを男子寮へ運ぶ事となった。
翌日、エレンが目を覚ましたと聞き、私は男子寮に向かった。
流石に入る事には抵抗があり、入口の前で待っていると、エレンはベルトルト、フランツ、アルミン、そしてミカサと一緒に姿を見せた。
ミカサは男子寮の中に入ったんだ、と苦笑する。
エレンが、男子の寮に入ってくんじゃねぇよ、とミカサに怒鳴っているところだった。
ミカサはと言えば、どこ吹く風、エレンの叱りを完全に聞き流している。
エレン「あっ、クリスタ」
エレンも私に気付いたようで、彼から声をかけてくれた。
エレン「昨日は悪かった。クリスタにも迷惑をかけちゃったらしいな。アルミンとミカサから聞いた」
クリスタ「ううん、気にしないで。それより、休んでなくて大丈夫?」
エレン「もう何ともねぇよ。んな事より、朝飯食いに行こうぜ」
エレンの顔色は悪くない。
食欲もあるみたいで、本人が言った通り、体の調子は悪くはなさそうだった。
私はその事に安堵して、頷く。
ユミルとサシャ、ハンナも加わった食事中、私は考える。
どうすれば、エレンから話を聞ける状況になるかを。
昨晩はエレンに聞けなかったけど、今日はなんとか尋ねたい。
今のように大人数がいる場で聞く事には照れとかがあるから、最善はエレンと二人っきりの時。
妥協点は、エレンの他に、ミカサとアルミン、あとユミルとサシャの四人が居る時が精一杯かな?
ミカサとアルミンは、エレンの事を誰よりも知っているだろうし、ユミルとサシャは訓練兵の中で最も気心が知れてるから平気。
それ以外の人は、今回はちょっと、ね。
さて、どうしよう。
今日の予定は、街の見回りの後、固定砲整備。
それらが終わると、配属兵科を決める時間となっている。
固定砲整備は班が違う上に、数人で固まるからダメ。
休憩中は、エレンと二人になれるとは限らない。
経験則では、休憩時間が一番難しいし。
配属兵科を問われる時間は論外。
しかも、決まるとすぐにそれぞれの説明で時間が取られる。
となれば、二、三人で動く街の見回りなら都合がよさそう。
それとなく、エレンが誰と回るかを尋ねてみた所、フランツとハンナだった。
食事の終わりを見計らい、フランツとハンナに交代出来ないかと聞いてみたら、あっさり頷いてくれた。
勝手に班を変えるなんて、三年間の訓練兵生活で初めての事だったから緊張したけど、よかった。
フランツ「まさか、クリスタがエレンの事をね」
ハンナ「少し意外だね」
了承を得た際、二人はニヤニヤしながらそんな事を言ってた。
なんの事だろう?
とりあえず、お礼を言って、集合場所に向かう。
キース教官から改めて注意点を説明され、解散すると、すぐにエレンに声をかけた。
変更の旨を伝えると、そうなのか、とだけ言う。
特に問題もなく、私はエレンと二人になる事に成功。
暫くは真面目に街の見回りをして、タイミングを見計らい、私は尋ねた。
クリスタ「……あの、エレン。ちょっと変な事を聞いてもいい?」
エレン「ん?」
クリスタ「そのね、エレンはどうして外の世界を探検したいの?」
言えた、と心の中でガッツポーズをする。
やっとエレンの中核を知る事が出来るのだから、喜んでも仕方ないよね?
ここまで遅くなった言い訳をさせて貰えるのなら、エレンが一人の時って本当に少なかったんだもん。
不思議と、エレンの周りには人が集まるからね。
次がある、次がある、って悠長に構えてて、こんなに時間がかかった私は相当とろくさいと思うけど。
エレン「どうしてって、探検したいからだけど?」
クリスタ「え? 具体的な理由とかはないの?」
あまりの単純明快さに戸惑っていると、具体的な理由なぁ、とエレンは呟いた。
エレン「アルミンの本で俺は知ったんだ。外の世界には不思議な物が山ほどあるって」
海と呼ばれる広大な塩水、炎の水、氷の大地、砂の雪原、他にもたくさん。
話し始めて熱が入ったのか、エレンは饒舌になって、それらの事を語り出した。
新しい発見を自慢する子供のように嬉々として。
不意に我に返ったらしく、ゴホン、とわざとらしい咳をエレンはする。
エレン「まぁ、つまりだ。知ったんだから見てみたいだろ? 理由はそれだけ」
見た事がないモノを直接見たい。
要約すると、そういう事だった。
私は、ふふっと思わず笑ってしまう。
エレン「なんだよ。クリスタも笑うのか?」
クリスタ「あっ、ごめんなさい。変な夢だと思ったわけじゃないの。ただ、微笑ましいなぁ、と思ってね」
エレン「なにが違うんだ、それ」
クリスタ「私なりにわかり易く言うと、エレンにも可愛いところがあるんだなぁ、って事かな?」
エレン「意味わかんねぇよ」
怒らせてしまった。
エレンの歩く速度が少し早くなって、私は置いて行かれないように歩幅を大きくする。
クリスタ「エレンの事を馬鹿にしたわけじゃないの。むしろ、心から応援してる。この気持ちだけは信じてくれないかな?」
エレン「そうかよ」
クリスタ「うん」
エレンを動かす根源は、色褪せない純粋な好奇心と憧れ。
どれだけ辛い現実だろうと、堪えて、それでも叶えようとする意志。
詰まる所、今まで見て来たエレンが全てだった。
エレンに裏はなく、全部曝け出していたんだ。
不変。
それこそエレンの強さの秘訣だったんだね。
私はどうだろう?
きっと振り返れば、私の歩んで来た道は歪んで歪んで、直線の部分なんて一つもない。
これが私が羨ましいと思って憧れる、エレンとの違いなんだと、私は認識した。
気付くのが遅かったのか、早かったのか、この時の私はそれすら考える事もなく。
今日、五年ぶりに超大型巨人が出現すると、知る由もなく。
トロスト区の壁が壊されて、私たち訓練兵も中衛部として出陣するようになった。
そして、私は知る事となる。
私自身の本質に。
それは、座ったまま気を失っているアルミンを発見した時の事だ。
私と同じ班だったコニーが必死に呼びかけて、アルミンは意識を取り戻した。
途端、頭を抱えて、悲鳴に近い声で自分を罵倒する。
それだけで充分だ。
私は察する。
あぁ、死んだんだ。
心が冷えていた。
悲しみはなかった。
どれだけ努力しても、どれだけ意志が強くとも、巨人の前ではいとも簡単に無に還る。
涙一つ、浮かばない。
それどころか、恐らく私の口許は緩んでいるはず。
何人もの友達が、なにより憧れた人が死んでも、なにも感じない。
自分は、これほどまで醜い存在なんだと知って。
我に返った時、ユミルとコニーが口論をしていた。
このままじゃいけないと思い、止めに入った。
クリスタ「みんな気が動転しているんだよ。急にたくさんの友達が死んでいくんだもん……仕方ないよ」
白々しい。
どんな言葉で擁護されても、私は許される存在じゃない。
それを再確認した。
生きていていい人間じゃないんだ、って。
死ぬべき人間なんだ、って。
アルミンが後衛に向かった事を確認した私は、命令通り、前進しながら望む。
どんな巨人でもいい。
出来る限り、むごたらしく殺して欲しい、と。
早く。
もう、私と言う存在を認識したくはなかった。
はやく、はやく。
同じ班の人たちの制止を無視して、全速力で進む。
ハヤク、ハヤク、ハヤク。
そして、目の前に巨人。
私に向かって伸ばされる、巨大な手。
刃を振る気なんて、ない。
捕まり、食べられる一連の作業。
ただ、それだけ。
さぁ、私を食べて。
私の望む未来まで、あと数秒もかからない。
――はずだった。
捕まる直前、横からの強い衝撃を受けて、私は空中でバランスを崩す。
結果、巨人の手は、私がいるはずだった場所の空気を握り締めるだけ。
その光景をぼんやり見つめていた私の体は、地面に叩きつけられる事もなく、誰かに抱えられていた。
その誰かは、近くの建物の屋根に移動して、私を降ろした。
ユミル「ボサっとしてるんじゃねぇよ」
誰かであったユミルは、私を見下ろしながら言った。
酷く、苛立った目の色をしている。
コニーたちの姿はない。
私について来たのは、ユミルだけのようだった。
私(クリスタ)の事は自分に任せろ、とユミルが言ったのかもしれない。
……どうでもいいか、そんな事。
クリスタ「……ごめんなさい」
なんとか絞り出して、私はそれだけ口にする。
ユミルは舌打ちをして、本部に視線を向けた。
私もつられるように顔を向けて、見た。
十数体の巨人に占拠されている本部を。
ユミル「あれじゃ、普通にガス補給をする事は出来ねぇな。ここで待ってろ。動くんじゃねぇぞ」
ユミルはそう言うと、屋根から降りた。
彼女が向かったのは、死体が転がっている場所だ。
そこで、下半身が残っている死体から、ボンベをいくつか引き抜き、巨人に襲われる前に戻って来た。
ユミル「補給しろ。もうすぐ住民の避難も終わって、撤退の合図が出るはずだ。ガス切れで壁を登れませんでしたじゃ、話にならねぇ」
クリスタ「でも、私は――」
ユミル「やれ」
有無を言わさない言葉だ。
ユミルに視線を向けられるだけで、口を紡いでしまう。
死ぬ事より、ずっと恐ろしいユミルに、私は従った。
ガスの補給を終えると、ユミルの言った通り、撤退の合図が出る。
後ろを見ずに登れ、と言われ、その通りに実行した。
壁を登り切り、街を一望する。
生き残ってしまった絶望を覚えながら。
ふと、見えてしまった。
街の屋根に取り残されている兵士たちの小さな姿を。
彼らが壁を登って来ない理由はすぐに理解した。
ガス欠だ。
危険地帯から脱出できるのに、あんなに大勢が壁を登らない理由は、他に考えられない。
近くにいた上官に、今すぐ補給部隊を送るよう申し出たが、却下。
私が行きます、と言っても却下。
それどころか、壁の内側に降りて待機していろ、と命令された。
なおも喰らいついたけど、許可が下りる事はなく、ユミルが肩に手を置き、私は唇を噛んだ。
リフトを使って降りる途中も、降りてからも、ユミルと会話する事はなく、私は待機命令に従い、膝を抱えて座った。
ユミルは私の傍から離れようとはせず、腕を組んで壁に寄りかかっている。
見張られているみたいで、いい気分じゃない。
実際、ユミルは見張っているんだろうけど。
私が死なないように。
ユミルは私は死にたがっている事を知る、唯一の人だから。
どのくらい経ったのかな。
街に取り残されていた仲間たちが戻って来た。
多くの人たちが、安堵と恐怖の混ざった表情を浮かべている。
だけど、ジャンやライナーたち、一部の人らの表情は暗い。
いや、固いと言うべき?
少なくとも、他の人たちとはなにかが違った。
ジャンが口にした、守秘義務に関わっている事は間違いなさそう。
次の瞬間、壁の内側で、一発の砲声が轟く。
兵士たちの声で、周囲がどよめいている中、ライナーが真っ先に動いた。
立体機動で屋根に登り、砲撃が打ち込まれた場所へ向かう。
アニやジャン、ベルトルトも。
私も続こうとした。
もしかすると、巨人が入って来たかも知れない。
でも、ユミルが私の腕を掴み、止められる。
ユミル「行く必要はねぇよ。巨人だとすれば、私たちに連絡がねぇのはおかしい」
クリスタ「でも、もしも……」
ユミル「そのもしもの時のために、今は休む事が最優先だ。違うか?」
クリスタ「……うん」
私たちに、トロスト区の街へ続く門の前に集合するよう命令が出たのは、もう少し経ってからの事だった。
ピクシス「注! もおおおおおおく!」
壁の上から響く大きな声。
見上げると、ピクシス指令の姿があった。
そして、指令の隣にいる人物を見て、私は言葉を失う。
コニー「エ、エレン!?」
見間違いなんかではなかった。
三年間、共に同じ訓練をして過ごし、私が憧れた、エレン・イェーガーその人だった。
司令官がなにかの話をしているけど、耳に入らない。
そんな事、どうでもよかった。
エレンが生きている。
私にとって、それが何よりも重要だった。
立体機動装置の柄を握り、トリガーに力を込めてアンカーを射出しようとした。
今すぐ、エレンの元に向かうため。
でも、それもユミルよって阻まれた。
クリスタ「離して! 私は! 私は、エレンに謝らないといけないの!」
ユミル「落ち着け! 落ち着いて私の話を聞け!」
鼻息荒く喚き散らし、私はユミルを睨んだ。
そんな私とは対照的に、ユミルは淡々と話す。
ユミル「今はダメだ。指令の話を中断させたら、全体に支障が出る」
その代わり、と言ってユミルは続けた。
ユミル「終わったら行くぞ。おい、馬鹿と芋女、お前らもエレンと直接話したいよな?」
コニー「そりゃ……なんで生きてるのか、とか、巨人化って何なのか、とか、聞きたいし」
サシャ「でも、勝手に動いたら、罰則があるんじゃありませんか?」
ユミル「そん時はそん時だ。嫌なら私らだけで行く」
コニーとサシャは、少し考えた末に、行く、と答えを出した。
仲間だから、直接エレンの声を聞きたいという理由で。
三人の会話の間に、私も少し落ち着いた。
コニーの言葉に、疑問を覚える事ができる程度には。
クリスタ「巨人化って?」
ユミル「指令の話を聞いてなかったのか? エレンは巨人になる事が出来るんだと」
クリスタ「そうなんだ」
ユミル「……驚かねぇんだな」
クリスタ「これでも驚いてるよ。けど、今はそんな事に頭を使う余裕がないだけ」
早く、エレンの元に向かいたい。
私の頭を占めているのは、それだけだった。
死んでくれ、と指令が話を終えた瞬間、私たちは近くの建物の屋根に登り、なるべく高い位置から壁の上を目指した。
勝手に動くな、と上官や先輩方から言われたけど、そんな言葉で止まる気なんてない。
そして、私たちは無事に壁の上に到着する。
もちろん、歓迎されるわけがなく、上官たちによって、エレンに近付く道は塞がれてしまっているけれど。
クリスタ「指令! 私たちはイェーガー訓練兵と同期で、仲間で、友人です! どうか、数分だけでも彼と話をする時間を下さい!」
ユミル「罰なら後で幾らでも受けます。なので、よろしくお願いします」
コニー「えっと、お願いします!」
サシャ「お願いします!」
馬鹿な事を言っていないで元の場所に戻れ、と上官方から怒鳴られる。
それでも、私たちは頭を下げ続けた。
そのおかげか、ハッハッハ、と指令は笑い声を口にする。
ピクシス「良き友に恵まれてるようじゃの、エレン訓練兵。さほど時間はやれんが、少しばかり話して来るがよい」
エレン「……ありがとうございます」
敬礼を一つ、エレンは私たちの方へ歩み寄る。
私たちの前にいた上官方は、それだけで顔を引きつらせ、道を開けた。
巨人化の話はどうやら本当のようで、この上官方は、実際に目撃したのだろう。
エレン「……お前ら、無事だったんだな」
ユミル「おかげさんでな」
コニー「そんな事より、巨人化って何の事だ? お前、巨人だったのか? 人間滅ぼすのか?」
エレン「滅ぼさねぇよ。巨人になれるって方は、本当だけどな」
サシャ「もしかして、巨人を殺してた巨人って、エレンだったんですか?」
エレン「それは覚えてねぇんだ。ミカサやアルミンから話を聞いた限りじゃ、そうらしいけどな」
ユミル「とにかくだ。お前は私たちの知ってるエレンで良いんだな?」
エレン「あぁ。証明する方法はねぇけど……」
コニー「証明する方法……そうだ。俺から質問するぞ? 本物のエレンだったら答えられるはずだ」
エレン「それで納得できるんなら、なんでも聞いてくれ」
コニー「ジャンの面はどんな感じだったか、覚えてるか?」
エレン「馬面だろ?」
サシャ「私がなんて呼ばれてたか、知ってますか?」
エレン「芋女だ。入団式の最中、芋齧ってた事も覚えてるぞ」
サシャ「自分で質問しておいてなんですが、両方忘れて下さい」
エレン「無理だっての。あんな衝撃事件、忘れたくても忘れらんねぇよ」
コニー「本当に、エレン……なんだな?」
エレン「だからそう言ってんだろ?」
サシャ「全く! 心配かけさせないで下さいよ!」
コニー「そうだ! 生きてるならもっと早く出て来い!」
エレン「悪い悪い」
私の知っているエレンが、私の聞いていた声で、なにも変わらずコニーたちと話している。
今更だけど、これは夢のような気がしていた。
私にとって都合のいい夢。
目が覚めれば、再び灰色の現実を見る事になる夢。
でも、そうではなかった。
私の背を押すユミルの手の感触が、確かにある。
ユミル「話したい事があるんだろ? おい、馬鹿、芋女、その辺にして後はクリスタに譲れ」
コニー「馬鹿じゃねぇよ!」
サシャ「芋女って呼ばないで下さい!」
ユミル「うるせぇ! 少し黙ってろ!」
三人が睨み合っている間に、エレンは私の方へ二歩進み、口を開いた。
エレン「俺に話したい事って何だ?」
クリスタ「その……」
言わなきゃ、ごめんなさいって。
何に対して?
エレンが死んだと聞いても、悲しまなかった事に対して?
自分から死のうとした事に対して?
それとも両方?
もしくは他のなにか?
わからなくなって来た。
けど、謝らないと。
謝らないといけないのに、声が出ない。
視界がなんか歪んで来た。
世界が滲んで、エレンがまともに見えない。
声も出ない。
なぜか、嗚咽は漏れるのに。
あれ? なんで私は泣いてるんだろう。
なんでなんだろう?
エレン「泣くほど心配させちゃったのか? あ~、悪かったよ」
私にもわからない。
そう言いたいのに、本当に声が出ない。
立っているのも辛くなって来た。
なんで私の体は、こんなにポンコツなんだろう?
エレン「ほら、泣き止めって。俺はこうして生きてるんだから、な?」
私も涙を止めたいよ。
けど溢れて来るんだもん。
私じゃ、どうする事も出来ないんだもん。
でも、どうしてかな?
こんなに情けないのに、ちゃんと謝れてないのに、死んじゃった人たちがみんな生き返ったわけでもないのに、なんでこんなに胸が温かいんだろう。
どうしてかなぁ……?
リコ「おい、もういいだろ! 作戦を伝える。早くこっちに来い!」
離れた場所からエレンを呼ぶ声が私にも聞こえた。
舌打ちをして、もう少し時間にルーズになれよ、とユミルが呟いた声も。
エレン「はい! そういうわけだ。お前ら、死ぬんじゃねぇぞ?」
コニー「俺らが死ぬわけねぇだろ」
サシャ「そんな事気にしてないで、エレンは自分の事に集中して下さい」
ユミル「お前が今回の作戦の要なんだからな。失敗すんなよ」
エレン「おう!」
エレンの胸を叩く力強い音が聞こえた後、目の前から足音が遠ざかって行った。
少しずつ、一歩ずつ。
……このままじゃダメ。
私はなに一つエレンに伝えられてない。
せめて、一言だけでも。
そう思って、精一杯息を吸い込む。
むせそうになるまで、沢山。
そして、僅かに溜めて吐き出す。
おもしろい支援
クリスタ「エレン、死なないで! 絶対にッ!」
エレン「……あぁ」
振り返る事はなかったエレンの背中を、私は見送る。
それだけしか出来ない事が、辛く、苦しく、悔しい。
まだぼやけている視界でも、エレンが向かう先にミカサとアルミンがいるのはわかった。
二人は、エレンの隣にいる事が出来るのに……。
強く、強くなりたい。
私はそう思った。
エレンと同じ世界が見る事が出来なくとも、ミカサやアルミンと同じく、彼の隣に立てるように。
その後、何らかのハプニングはあったようだけど、エレンは門の穴を塞ぐ事に成功した。
犠牲は多い。
でも、人類が初めて巨人に勝った。
奪われた領土を取り戻したんだから。
なのに、最大の功労者であるエレンは、監禁された上に裁判にかけられた。
内容は、エレンの命の価値について。
人類の希望となるか、害になるかを決めるのだろう。
やっぱり私は、その裁判に参加する事が出来なかった。
結果を聞くだけの立場。
今はそれを受け入れよう。
私に力がないのだから。
裁判への参加を認められていたミカサとアルミンから、直接結果を聞いた。
エレンは調査兵団の一人として、一応認められたみたい。
一応、と言うのは、まだ憲兵団によって処刑される可能性もあるという事。
エレンを処刑させるわけにはいかない。
絶対にさせるもんか。
配属兵科を問われる日、調査兵団希望者を募る場で、団長であるエルヴィン団長が途方もない計画を口にした。
他に方法はないとはいえ、聞き方によっては、自殺目的の行進とも思える内容だ。
次々と同期の人たちはこの場を離れて、最終的に残ったのは、十人ちょっと。
サシャは、涙を流して怖がっている。
コニーは、全てを諦めたような言葉を口にしている。
ジャンは、悪態を吐いている。
他の人たちも、言葉こそ口にしないけど、表情が沈んでいた。
気持ちはよくわかる。
彼らの頭には、巨人に食べられる自分たちの姿が、途絶える事なく流れているはずだから。
私もそう。
でも、私は震える事も泣く事もなかった。
死にたいと願うだけの以前なら、そうなっていたかもしれない。
もっと酷かったかもしれない。
巨人の襲撃中も、襲撃後も、悲惨で凄惨な惨憺たる現実を突きつけられたのだから。
けど、今は目標がある。
譲れない目標が。
それを達成するためには、もう泣いてる暇なんてない。
壁の上でなにも言えなかった差が、泣いてばかりだった差が、ミカサやアルミン、なによりエレンとの距離。
一秒でも早く、その差を埋めてみせる。
これは面白い…!
心に来る物があるな…!
壇上の隅に、フードを深く被ったエレンの姿があった。
彼に顔を向けながら、私は思う。
待っていて欲しいとは望まない。
いつまでも、今までのように走り続けて欲しい。
その上で、いつか私も追いつくからね、エレン。
終わり
書きたい物を書いたらこうなった
読んでくれてありがとう
乙
めっちゃ良かった
乙
面白かった。読み耽ったわ
安易に恋愛に持って行かないのが良かった
続きが読みたい!
いやーよかったわー
やっぱエレクリだわー
乙
良いもの見せてもらった
このSSまとめへのコメント
久しぶりにいい作品に出会えた
クリスタかわええよな
続編希望です!!
乙です=^_^=