映画の脚本を書いて、ひとりの女の子と出会った話。 (112)


これまでやってみたいことはたくさんあったけど、
大抵はどれもうまくはいかなかった。

ギターを練習してみては変な音がすると一蹴され、
漫画を書いては絵が下手だとなじられたりもした。
恥ずべきことに、俺には圧倒的に「センス」が足りなかった。

空を飛んでみたいとパイロットを目指してみたり、
Jリーガーやプロ野球選手になろうと考えたこともあった。
だけど、どれもうまくはいかなかった。

途中で投げ出したことを数えだしたらきりがないけれど、
そんな俺でも珍しく続いたものといえば、大学時代のサークル活動くらいだった。

当時、俺は映画の脚本を書いていた。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1723705113


それは、いわゆる映画研究会ってやつだった。
部員は全員合わせても、十人程度だったから
内輪で楽しむような活動しかしてなかった。

部室なんてあるわけもなく、普段は空き教室に集まって
そこで映画の話をするくらいのものだった。
ほとんどが堕落した人間の集まりだったな。
ただ、話してみるとわりと気のいい奴が多かった気はする。

その年、誰かが言い出したかは覚えてはいないけど、
学園祭に映画を撮ろうという話になった。

そんな軽い気持ちで始めるものではないんだろうが、
その時は止めるのも野暮だろうと思ってしまった。


監督をやりたい奴、撮影をやりたい奴、
思い思いに手を上げて、トントン拍子に決まっていった。

ただ脚本は、というところで一向に話が進まなくなった。

要するに誰もやりたがらなかったわけだ。
理由は単純で「責任を取りたくないから」ということだった。

そんなわけで誰もが顔を見合わせていたところで、
コンペで決めようということをそのうちの1人が言い出した。

全員が適当な話をひとつだけ書いてきて、
それを元に脚本家を決めようという魂胆だった。

つまりは、それがきっかけで俺が指名される羽目にもなったわけだ。


決して、俺の話は手放しに褒められたということでもなかった。

要約すれば、深夜、男の部屋に家出した女がやってきて、
近くのGEOで借りた古いレンタルビデオを
2人して朝まで見るだけの物語だった。

ただ、周りの意見を集約すれば、
ど素人にしてはまだすっきりと
まとまっているなくらいの評価だった。

俺にはさっぱり良さがわからなかったけれど、
そういった後押しもあって、俺もついには断ることができなかった。


さて、各々が準備を進めていくうえで、
俺の作業には大した余裕は与えられてなかった。

配役を決めるにしたって、まずは脚本が必要だ。
機材が整うまでの二週間ほどで書き上げなければいけなかった。

俺はすぐさま頭を抱えた。
そもそも、どういう話がウケるのかもよくわかってなかったんだ。


三日ほど経ってもルーズリーフは真っ白のままだった。
その時は焦りもあったが周りの期待に応えれないということも含めて、
微かな虚しさを感じていたな。

大学の構内でコーヒーを片手にベンチに座り込んでいた時、
ふいにひとりの女が目に止まった。

おそらく今年入ったばかりの新入生だったと思う。
ここ数日ほど、昼休みになると俺と同じように
一人で構内の広場にやってくるような女だった。


何かが気になったわけでもないが、
そいつのことを何気なく観察することにした。

煮詰まって他にやることがなかったからだとしても、
今思えば気味悪がられてもおかしくはないだろうな。

だけども俺は、手始めに彼女のことを
ルーズリーフに書き出してみることにした。


彼女の外見をまとめるとこんな感じだ。
・ヒツジのような癖がある髪質
・一見するとおとなしそうな印象
・背丈は160センチくらい

どちらかといえば華やかっていうよりかは
学内でも目立たないタイプの女だったな。
そいつはベンチでぼやっと空を眺めていることが多く、
チャイムが鳴るとそそくさと学内に戻っていくような奴だった。

たぶん友達がいないんだろうな、とすぐに察することができた。
大学では「初めて」に躓くと大抵その後も立ち行かないもんだ。


俺はそのとき、彼女の大学生活を想像して
ひとつのストーリーを書いてみることを思いついた。

無断で何をやってんだと言われても仕方ないが、
だけどそれくらい煮詰まってたんだよ。

ただしそんな何気ない気持ちで書きはじめていくと、
先ほどまでの停滞が嘘のように文字が次々と紙に起こされていった。
周りから期待をされているわけではないと頭では分かっていても
適当に終わらせるのは性分ではなかったんだ。



結局、おれはその一週間後には脚本を完成させていた。



仕上がった原稿を監督に見せてみたが、
反応は思いのほか悪くない評価であった。

「このヒツジって言うのが主人公?」
「ああ。覚えやすいだろ」
監督は「まあ」と微妙な声をあげた。

「この子が金属バットで大学の窓を叩き割るのは痛快だと思う」
「俺もそこが好きなんだよ。憂さ晴らしって感じがして」
「普段からそんなこと考えてたのか?」

その問いに俺は思わず、苦笑した。


「……で、役者はどうするんだ?」
先ほどから気になっていたことを何気なく尋ねた。

「だいたい決まってるよ」監督は煙草の煙を吐いた。
「だけど主役がまだだ。誰かいい奴いないかな」

俺は少しだけ考えるそぶりをしてみる。
思い浮かんだのは広場にいた寂しげな女の子だった。

「実はモデルにした女の子がいるんだよ」

「モデルって?」

「この映画のだよ。話したこともない子だけど」

そのことをやけに食い気味に聞かれたが、
俺は適当にあしらって詳細は話そうとはしなかった。


だから、その子が研究会にやってきた時は流石に驚いたな。
どこから連れてきたんだよって思わず言いそうになってたくらいだ。

ヒツジと呼ばれた女の子は皆に礼儀正しく挨拶をしていた。


撮影は脚本を用意してから少し経ってからスタートし始めた。
カメラもキャストも準備が整えばわりとスムーズに進むらしい。

舞台をわざわざ大学にしたのも移動が面倒臭かったからだ。
もっとも、俺がやる仕事はほとんど終わっていたんだけどな。

「ちょっといいですか?」

近くのベンチから撮影を眺めていると声をかけられた。
振り返ると、ヒツジが立っていた。

彼女と話すのはこれが初めてのことだった。


「何か用?」と俺は言った。

「はい。映画の内容のことで質問があって」

「それなら監督に聞けばいいじゃないか」

「でも、あなたがこれを書いたんですよね?」

「……まあ」

俺は適当にあしらうつもりだったんだが、
彼女はそれでも俺に聞きたいことがあるみたいだった。

実を言えば、彼女とはあまり顔をあわせたくなかったんだよな。


ヒツジは俺の隣に座ると、両手に握りしめた台本をじっと見つめていた。

「これって私をモデルにされているんですか」

「ああ」

「どうして私だったんですか」

「と言うか、そんなこと誰から聞いたんだよ」

俺がそう言うと彼女は向こうで声をあげてる
監督の方を指さしていた。

俺は思わずちいさくため息を吐いた。


「悪かったとは思ってるよ」

「え?」彼女は首を傾げていた。

「別に巻き込むつもりじゃなかったんだ」と俺は弁明をした。

「たまたまアンタが目に止まったんだ。俺も追い詰められてたんだよ」

「なるほど」と彼女は頷いていた。

意味はよくわかってなさそうだったが、
俺もこれ以上この話を続ける気はなかった。


「どうして映画の誘いを受けたんだ?」
そう尋ねた矢先に、そろそろ撮影を再開すると
誰かの声が聞こえてきた。

「別に断ってもよかったじゃないか」
それは俺の口から言うべき言葉ではなかったが、
その時は心底不思議に思っていたんだ。

「たしかに、そうですよね」
彼女は少し困ったような顔で笑っていた。

「でも、上京してから知り合いなんて1人もいなかったんですよ」

俺は思わず彼女の方に目を向けていた。


「だから素直に嬉しかったんです。はじめはもちろん驚きましたけどね」

ヒツジはこの春に大学に進学をしたが
人見知りな性格のためかあまり環境に馴染めずにいたらしい。

「映画の経験は?」彼女は首を横に振った。
「……全然です。本当に私でいいんでしょうか」
「まあ、そんなに深く考えるなよ」

そもそも俺達だってまともに映画を撮ったこともないんだ
そう言うとヒツジは小さく笑い声をあげていた


「それなら私も頑張れそうです」
彼女はそう言ってベンチから立ち上がった。

「そろそろ戻ります。お話し聞かせてくれてありがとうございました」

丁寧にお辞儀をする彼女に
俺は手を振って別れを告げた。

その時はなんだか不思議な気分だったな
人が殻を破る瞬間ってのは、
案外あっけないもんなんだなと感じたんだ


それから、意外にも撮影はトラブルなく順調に進んでいった。

ヒツジは初めこそ演技に慣れてはいなかったが
少しずつセリフを飛ばすことも減っていった。

気がつけば研究会の連中とも仲を深めていた
たまに彼女から声をかけられることがあったが
話すのは決まって取り止めのないことばかりだった。



その日は、空き教室に俺と彼女だけが残っていた
ちょうど撮影も終わりを迎えようとしていた頃のことだ。



「ここの人達を通じて友達がたくさんできましたよ」

「変な連中ばっかりだろ」

「そうですね」
彼女は口元を隠して笑いを堪えていた。

「先週末、傘を持ってくるのを忘れちゃったんですよ」

「あの大雨の日か」その日は交通機関も影響を受けたんだよ

「ええ。学内で途方に暮れていたら、ある人からタライを渡されました」

「タライ?」彼女はちいさく頷く


「私もどうしていいか分からなかったんですけど、
気付いたらその人はもういなくなっていたんです」

「それで?」と俺は尋ねた

「その日は真っ青なタライをかぶって帰りました」

「周りから変な目で見られたろ」

「ええ、それはもう」

俺たちは顔を見合わせると、少しばかり声をだして笑った。


「先輩は最近どうですか?」

「そうだなあ」俺は一度頭を巡らせてみる。

「本ばかり読んでいたよ。おかげで単位を幾つか落としそうだ」

「……ちょっと嬉しそうに見えますけど」

俺は思わず彼女の方を一瞥して、
それからこほんと咳ばらいをした。

「時間の使い方が絶望的に下手くそなだけだよ」

「そういうものでしょうか」

「ああ」と俺は一度だけ頷いた。

「真似はしない方がいい。仕送りも止められるからな」

そう言うと、ヒツジはくすくすと笑っていた。
どうしてか彼女のあどけない表情を見るのは嫌いではなかった。


「だけど、それならどうして映画研究会に入ったんですか?」

「入学したての頃は文芸部に入ってたんだ。だけど肌に合わなかったな」
思えば、あの頃は本を心から楽しめていなかったんじゃないかな。
きっと気が合わなかったんだよ。

「それから、ここの連中に誘われたんだ。最初は断ったんだけどな」

「意外と居心地がよかったわけですね」

その質問には、なるべく曖昧な返事をしておいた。


「なあ、ひとつ聞いてもいいかな」

「はい。なんでしょう」

「どうして親元を離れて上京なんかしたんだ?」

ヒツジはきょとんとした表情でこちらを見つめていた。


「そんな大した理由はないですよ」
それとなく彼女は窓の外に視線を移した。

「何となく、背伸びしてみたかったんです」

「背伸びって?」

「んー」
彼女はちょっと悩んだような声を出していた。

「きっと、引っ込み思案な自分を変えようって思ってたんですよ。

あの時は、地元から抜け出せば何かが変わるかなって勝手に思ってました。
でも、そんな単純なものではなかったんですよね」


「変わる必要なんてあったのか」俺は彼女に尋ねた。

「どうしてでしょうね。あの時は焦りがあったのかもしれません」

「焦り?」

「ええ。無意識に周りの子たちと自分を比べていたんだと思います」

なんとなく彼女が言いたいことが分かる気がしていた。
西日に照らされた肌が、じりじりと焼かれていくような気分だった。


「映画を引き受けたのも、その理由のひとつだったんです」

「後悔はしてないのか」そう言うと彼女は首を縦に振った

「そうですね、きっと良いものになりますよ」

俺もそう思うよ、と言うとヒツジは無邪気にわらっていた。



映画が完成したのは、それから一か月ほど経ってからのことだった。


いったん、ここまでです。

おつ
きたい

>>33
ありがとうございます、最後までがんばります


試写会に呼び出された時、なぜだか気分は変に落ち着いていたな。
ある意味、腹を括ったという方が正しかったのかもしれない。

研究会の連中も全員そろって、暗がりの空き教室に集まっていたんだ。

スクリーンの準備が整うまでの間、あてどなく視線を泳がせていると、
たまたま椅子に座るヒツジと目が合った。

彼女は俺に気づくと、何やら胸に手を置いて小さく深呼吸をしてみせた。
どうやら緊張しているということだけは伝わってきた。

何かを言ってやりたかったけど、その時はちょっと野暮だと思ってしまった。
俺は椅子に腰かけて静かに上映を待っていた。


映画は大体30分ほどの作品だった。

上京したばかりのヒツジという女の子を巡る
その物語は映像としてスクリーンに映し出されていった。

それは、とても純朴な恋の話だった。

東京の生活に嫌気がさした彼女は、同じような境遇の男に出会う。
"落第生"であるふたりは自然と互いに寄り添い合うようになり、
それからは大学での「最悪な思い出」を10年後の自分に残すために、
お互いのことをカメラで撮り合うようになっていく。

食堂でコーヒーを服にこぼした時のことや、
講義で教授に質問されてうまく答えられなかった時のこと、
些細な失敗の記録が積み重なるたびに
ヒツジはどこかささやかな幸せを感じるようになっていった。


映画のエンドロールが流れる頃には
気がつけば俺は心を打たれていた。

ただの素人の集まりが作った作品であることは確かだった。
だけど、そんなことも忘れてしまうほどに
透明感のある彼女の演技に見惚れてしまっていたんだ。


「映画、悪くなかったろ」と監督は言った。
俺は何も言わずに一度だけ頷いた。

「あんな風にまとめたんだな」
俺が奢った缶コーヒーを片手に、
彼は何かを思い出すように瞼を閉じていた。

「映画だなんて、割と無謀だと思ってたんだけどなあ」

「今度の文化祭に出すのか?」

「ああ、空き教室はもう抑えてある。あとは集客だけだよ」

SNSを使うことも提案したが、交友関係の狭い俺たちには
当日のビラ配りが最適だという結論になった。


大学の文化祭は、毎年11月の初めに行われる。
学祭の開催中は、学内の同好会にも自由展示として空き教室の使用許可が出る。

ただし、俺たちは端っこの余り物しか用意されていなかった。
日ごろの成果を考えると妥当な判断だったはずだ。

俺はヒツジとペアになってビラ配りをお願いされていた。
ふたりで二百枚を捌く必要があった。俺は思わず小さくため息を吐いた。

「けっこうな枚数ですね」隣で彼女が声をかけてきた。

「ああ。今日1日で終わらないかもな」

「余った分は持って帰りましょうか」

「何に使うんだ?」

「ルーズリーフの代わりです」

真面目だな、と言うと
「そんなことないですよ」と彼女は首を振った


「今月は仕送りを止められてしまったので」

「何かあったのか?」

「ええ。本ばかり読んでいたらこの有様です」

「それは災難だったな」
ヒツジに本を勧めたのは他でもない俺の仕業だった。

「先輩のせいですからね」

「いい本に出会えたんだ、感謝しろよ」

「わたし、これでも優等生だったんですよ。どうしてくれるんですか?」

「実はこの前また面白い本を見つけたんだよ」

「やめてください、また単位落としちゃいます」
彼女は耳を塞いで俺の声を遮るように首を振っていた

その姿に俺は思わず腹を抱えて笑いそうになった


ビラ配りは朝方から正門のあたりで始めた。
俺は淡々と無心で紙を配っていたが、
ヒツジは客に声をかけるために辺りをあちこち駆け回っていた。

「なあ、休憩にしないか?」

昼頃になって俺がそう尋ねると彼女は首を傾げた。

「だけどまだ終わってませんよ」

「いいんだよ。腹も減ったし」

「それもそうですね」

こんなに働いたんだ、あとは適当に過ごせばいいだろう。
俺たちはそのまま出店の食べ物を買いに向かった。


「あの、もしかしてヒツジさんですか?」

適当に入ったクレープ屋で
赤いキャップを被る女の子に声をかけられ、
俺たちは思わず目を合わせた

少し遅れて彼女は「はい」と小さく頷いていた。

「映画見ましたよ、まじで最高でした」

これはサービスです、と店員はアイスを付け加えてくれた。

「次回作も期待してますね」

隣を見ると彼女は呆けたままその場に突っ立っていた。
見かねた俺がかるく肘でつつくと、
ヒツジは「ありがとうございます」とぎこちなくお礼を口にしていた。


「……すみません、ああいう時どうすればいいか分からなくて」
休憩所に設けられた椅子に座ると、
彼女はそんなことを呟いて隣で項垂れていた。

「いつも俺と話す時みたいに振る舞えばいいだろ」

「どういうことですか?」

「ちょっと図々しく笑ってればいいんだよ」
ヒツジは拳を作ると、そのまま俺の肩をかるく叩いた。

「図々しいは余計ですよ」

「堂々と、って言おうとしたんだよ」

「ほんとですか?」

「ああ、クレープ一口食べるか?」

「……食べます」
彼女はそのまま俺のクレープを半分ほど食べた。


「映画の評判は割と良いみたいだな」
ちらほらと飛び込んでくる感想は賞賛のものが殆どだった。

「そうみたいですね」

「上映料を取ればよかったって監督が嘆いてたよ」
これでもう午後はビラ配りをする必要もないだろうな

「次回作まで期待されちゃいましたね」

「ああ。だけどまあ、映画は今回限りだろうな」

「そうなんですか?」
ヒツジは少し上擦った声を出した

「元々、卒業前に何かやりたかっただけなんだ」
来年からは就活が始まる、俺も研究会で活動することは少なくなるだろう

「最後にいい思い出ができてよかったよ」


「もう脚本は書かないんですか?」

「さあ、どうだろう」
正直なところ、もう書く気はなかったけれど
彼女にそれを伝えるのはどこか気が乗らなかった

「研究会にはたまには顔を出すよ」

「そうですか」
ヒツジはそう言うと、やけにしおらしくなって
どこか遠くを見つめていた。


俺は彼女の横顔に何かを言いかけたが、
そのままその言葉を飲み込んだ。

彼女になんて言えばいいのか
俺にだって分からなかったんだよ

クレープを握りしめて俺たちは
ベンチに隣り合って座ってたんだ
そん時は無性に情けなくなって仕方なかったな


「……実を言うと、はじめは出るつもりはなかったんです」

「え?」俺は思わず彼女の方を見た。

「映画のことですよ。断ってもよかったんです、本当は」
ヒツジは自分の手元をじっと見つめていた

「だけど、先輩の脚本を渡されて、気持ちが変わりました」

「大袈裟だな」
そんなことないですよ、と彼女は言った。

「本気でこんな風になれたらなって思ったんです」

俺はふと大学の隅っこでひとりで過ごしていた
彼女の後ろ姿を思い出した。


「……すこしは変われたか?」と俺は尋ねた

「そうですね、ほんのすこしだけ」
ヒツジはそう言って爽やかに笑った

「それならよかったよ」

俺はたぶんその時のことをずっと後に
振り返ることになるだろうなと思った。

それくらい、彼女のことがすごく眩しく見えたんだ



――そうして、文化祭は終わりを迎えた。



年が明けてから暫くして俺は就活を始めた
たまに研究会に顔を出してたんだが、
ヒツジとはあまり出会うことはなかった

元々特に面白味のない人生をやってきた俺が
簡単に仕事にありつけるわけなかったんだ

だからその時は必死だったさ、他に何も手につかないくらいにな。
だけども、そんな風に限界まで追い詰められて初めて
自分がどうしようもない人間だと知ることが出来たんだよ

ありもしない志望動機を考えて、
二度と使うこともない資格をいくつかとって、
擦り切れそうなくらい色んなところで頭を下げたな。



そうこうしているうちに春になり、
無事に出版社の内定が決まったころ、
俺は風の噂でヒツジが学校を辞めたことを知ったんだ。



「どういうことだ?」
内定祝いの場で久しぶりに研究会の連中と会ったんだ。
初めは耳を疑ったよ。俺はビールを片手にそいつを問い詰めたんだ。

「お前には話していると思ってたよ。
 俺も詳しくは理由を聞いていないんだ」

びっくりした、というよりもどこか喪失感の方が大きかったな。
俺はその場ですぐに彼女に連絡をしたけど、
しばらくしても返事はかえってこなかったんだ。


俺がヒツジの行方を知ったのは、もう少し後の話だ。

彼女は「あの映画」の出演を機に、演劇部にはいったそうだ。
細かい部分は分からないが、彼女はそこで女優のスカウトを受けた。

それがきっかけで、大学を辞めた。それだけの話だった。


研究会の中でも彼女の噂は、度々飛び交っていた。
ろくな話をしないことに嫌気がさして
俺はいつしか飲み会にも顔を出さなくなった。

大学の連中と会わなくなって、俺はしばらく部屋に閉じこもった。
ひたすら本だけを読んでいたな。何となくそれが心地よかったんだ。

逆に言えば、そうでもしてないと
頭がどうにかなっちまいそうになってたんだ。

後悔ってものはどこまでいっても
消えないようにできてるんだよな


大学を卒業してからは、あまりの忙しさに
毎日吐きそうになりながら働いてたよ。

終電まで仕事をして、フラフラの身体で
家に帰って、玄関で寝るような生活だった

同窓会の話を聞いたのは、それからちょうど
1年ほど経った頃だったかな

その時はなにも考えずに断ろうとしてたんだ。
だけど、幹事の奴に言われたんだよ。
「ヒツジも来るみたいだぞ」って

俺は散々悩んで、ついには参加することに決めたんだ。


渋谷の飲み屋で待ち合わせをしてたら
懐かしい顔ばかりがやってきたけれど、
くだらない話をしてるうちに
すぐに打ち解けることが出来たな。

そうこうしているうちに時間になって、
店に入ろうかというタイミングで、
駅の方から走ってやって来た女の子がいた。

誰かがその子に手を振るので、
俺は目を凝らしてよく見てたんだ。

「遅れてごめんなさい」
それがヒツジだと分かるまで少し時間がかかったな。
それくらい、丸っきり違ってたんだよ


俺以外にも久しぶりに会う奴らが多かったみたいで、
ヒツジの周りにはたくさんの人が集まっていたんだ。

「すげー綺麗になったよな」
その中のひとりが彼女のことを褒めていた。

あの頃の彼女を知る人が見れば、
誰もがそんなことを言うんだろうな。

俺はそれをどこか遠巻きに見ていたんだ。
どうしてか彼女に気軽に話しかける勇気がなかったんだよ。
情けないよな、本当に。


いったん飲み会が終わって、
各々が二次会に足を伸ばそうとしていた。

俺もそれにならって次の場所に向かおうとしたんだが、
誰かが俺の袖をかるくひいたんだ。

「先輩、お久しぶりです」

振り返ると、ヒツジが俺の方を見つめていた。
俺は一瞬言葉を失っていたな。酔いさえもさめたみたいだった。


「ああ、久しぶり」
ようやく絞り出した声はどこか上ずっていた。

「もしかして、怒ってませんでした?」

「怒る?」俺は首を傾げた

「だって、連絡返してなかったから……」
彼女はそのままその場でうなだれていた。

「そんなことで怒ったりしないだろ」

「そしたらどうして今日は話してくれなかったんですか」

「……家に口を忘れてきたんだよ」

「なるほど、そうでしたか」
そう言ってくすくすと笑う顔は変わっていなかった。


「二次会にはいかないのか?」

「ええ、明日も撮影があるので」

「そっか」

「よかったら一緒にかえりませんか」

「え?」俺は思わず聞き返した

「決まりですね、行きましょうー」
答えを聞くこともなく、そのまま彼女は俺の背中を押していった

いつの間にか、彼女のペースにつられてしまっていた。


夜道を歩くその距離は、ちょうど一人分の隙間があった。
俺はなにやら夢見心地のような気分だった。

「そういえば、明日は撮影って言ってたな」

「そうなんですよ。いま映画を撮っているところなんです」
彼女は両手でカメラの形をつくってみせた。

「女優をやってるんだってな」

「ええ。まだまだ修行中ですけど」

「……なあ、どうして急に大学を辞めたんだ?」
俺はその場で立ち止まって聞いた。

先を歩くヒツジはこちらを振り返った。
国道を走る車が、俺たちのそばを過ぎ去っていった。


「わたしがいなくなって、寂しかったですか?」

「はぐらかすなよ」

「先輩の方こそ、ごまかさないでください」
彼女はそう言ってこちらに近づいてきた。

「わたし、今日は先輩に会いに来たんですよ」

ヒツジはじっと俺の方を見つめてきた。


「俺に?」

「そうです」彼女はちいさく頷いた

どうして、という言葉を飲み込んで
「俺もだよ」とこたえた。

「本当ですか?」彼女は不安そうな声でそう言った

「嘘を言ってどうするんだよ」

「たしかに、そうですよね」
ヒツジはやけにおかしそうに笑っていた。


それから俺たちはコンビニで酒を買い、
公園のブランコで、ささやかな二次会をすることにした。

はじめはお互いに探り合うような会話をしていたけれど、
時間が経つにつれてあの頃のような距離感にかわっていった。

今でも週末は本を読み続けていること、
演劇部を通じて今の事務所を紹介されたこと、
大学をやめて親にひどく怒られてしまったこと、
どれも初めて聞くことばかりだったんだ。

だけど、たったそれだけのことだったとしても、
少しずつ彼女のこれまでが分かっていくような気がして、
俺はそれが心底うれしかったんだよ。


「ちゃんとした女優になるまで、
 先輩とは会わないつもりだったんです」

「それはどうして?」

「さあ、なんででしょうか」
彼女はそう言って少しだけ押し黙った。

「たぶん、こわかったんですよ」

「こわかった?」

「ええ、相談もしてませんでしたから」

「俺ってそんな風に見えてるのか」

「そうですよ。自覚なかったんですか」

「ああ。はじめて知った」
俺たちは互いの顔を見て、それからしばらくわらった。


「もう、脚本は書いていないんですか?」

「そうだな」

「そうですか」彼女はすこしだけ寂しそうな顔をみせた

「たまに夢を見るんですよ」

「夢?」

「そうです。また、先輩の映画にでる夢です」

「それは楽しそうだな」と俺はわらった

「ええ、ぜったいたのしいですよ」
そう言って彼女は酒をひとくち飲んだ。

あともうすこしなので、最後までお付き合いください。。

みてるよ

おつ。こういうの久々。楽しみに続きまってます。

【訃報】声優・田中敦子さん死去。61歳。攻殻機動隊「草薙素子」コナン「メアリー・世良」Fate「キャスター」ベヨネッタ、スパロボα~OG「ヴィレッタ」Vガンダム「ユカ・マイラス」鉄血のオルフェンズ「アミダ・アルカ」ジョジョ2部「リサリサ」呪術「花御」フリーレン「フランメ」など★2 [Ailuropoda melanoleuca★]

まだ?

『協力版オンリーアップ with親友』
▽Steam(PC)Chained Together
×天狗ちゃん(川上マサヒロ)
×よっちゃん(鈴木義久)
わっちゃん(WAS)
(19:59~)

https://www.twitch.tv/kato_junichi0817

続き待ってる


そうしてしばらく話をしていると
そろそろ終電の時間になろうとしていた。

「そろそろ行きましょうか」と彼女は言った。

俺が頷いて立ち上がると、ヒツジはそっと俺の手を握った。

「急にどうしたんだよ」

「これが最後なので、生きている確認をしました」

「最後?」俺はわけも分からず聞き返した。

「ええ。実はうちの事務所、意外ときびしいんです」

ヒツジは、今日の飲み会も事務所に黙って来ていたんだよ。
俺はそんなことも知らずに、のうのうと今まで過ごしていたんだ。

その時は、憂いを帯びた彼女の表情を
じっと眺めていることしかできなかったな。



「また会えてすごくうれしかったです」

「……俺もだよ」
枯れそうな声をなんとか振り絞って答えたんだ
周りの喧騒すらもひとつも耳には入らなかったな

「私のこと、忘れないでくださいね」

「ああ」

「最後にキスでもしますか?」

彼女はそう言ってこちらを見つめてきた。
俺は少し困って、代わりにその頭をやさしく撫でた。



「言っただろ、今日は口を忘れてきたんだ」

「たしかに、そうでしたね」

ヒツジはくすくすとおかしそうな顔をして、
それから俺の手をそっと離した。

「今日はありがとうございました」

「こちらこそ」

「それじゃあ、また」

「ああ」




彼女はそうやっていつもみたいに笑って、
その場から去っていった。



ひとり取り残された俺は、
次の日も仕事があるっていうのに
その場所で酒を飲んでいたんだ。

さっきまで隣に彼女がいたことなんて
その時にはもう幻みたいに思えてたんだな

今さら悲しむ余裕もなかったんだ。
いっそ雨に降られでもしたらよかったのにな



その後の生活は悲惨なものだったな。
仕事をして、寝るためだけに家に帰るような生活を続けてたんだ。

あの時こうしていれば、なんてそんなことを
考え始めると少しずつ心がすり減っていく気分だった。
要するに、これらはすべてボタンをひとつかけ違えた、
そんな些細なことの積み重ねの結果だったんだ。

思い返せば何もかも間違いだったのかもしれないと
そんな後悔ばかりを抱えながら生きていたよ。




そんな風に毎日焦燥に駆られる生き方にも次第に疲れていって、
いよいよ限界を迎えたころ、俺は会社を辞めることにした。



数年勤めた仕事から距離を置いたら、
もしかしたら何かが変わるかもしれないと
そんな淡い期待を抱いていたんだよな。

だけども、部屋でひとりで過ごしていると
悪い想像ばかりが頭を占めていくんだよ。

俺は殻に閉じこもるようにカーテンを閉め切って、
ずっと本だけを読んでいたんだ。
それでもどこか満たされなくて、
ついにはそれすらも辞めてしまったんだ



生きる指針すら失ってしまった俺は、
週末にふらっと近くの公園に訪れると
ぼんやりと湖の方を眺めたりしてたんだ

そしたら10代くらいのカップルがその辺で
手を繋いで愛を囁き合ってるんだよ。
それを眺めてる俺はなんて惨めなんだろうって思ったよ

だけども、本当の意味で幸せな瞬間ってのは
傍から見ている方がはっきりと分かるもんなんだよな

俺にだって、そんな時間が確かにあったんだと思う。
そんな時、いつだって思い出すのはヒツジと過ごしたひと時だった。



今更彼女とのことをどうにかしようとは考えていなかった、
それでも彼女のために「何か」を行動すべきだという思いに偽りはなかった。

だから、秋晴れの真っ新な空を眺めているうちに、
頭のなかが段々とクリアになっていったんだ

それは、成すべきことが分かった、
という感覚にも近かったんだろうな



それからしばらくして、
俺はまたあの頃みたいに脚本を書き始めたんだ

何枚も何枚も、ひたすらに文字を連ねていく、
ただそれだけの作業に時間を費やす生活だった。
寝る間も惜しんで、毎日俺はそれを続けていたんだ。

不思議と疲れは感じなかったな。
仕事もしていなかったせいで時間だけは有り余ってたんだ。

それでも何かに打ち込めるという状況は
ある側面では救いのようにも思えてたんだな

目が覚めている間はそのことばかり考えてたよ。
そうでもしないと余計なことが頭を埋め尽くしそうで怖かったんだ。



だから、脚本が出来上がった時は
達成感というよりも終わってしまった、
という気持ちになってたな。

俺は本の山に囲まれた部屋で横になって、
そのまま天井を見上げてたんだ。

何のためにやってたのかも分からなかった。
体もボロボロになって、声もまともに出なくなっていた。

思い返せば、そんな風に身を削ってまで
何かをやり遂げたってことも
今までほとんど経験がなかったんだ



くだらないことだけども、その瞬間、
俺ははじめて真っ当に生きてると思えたんだ。

なぜだかその喜びを誰かと分かち合いたくて
俺は深夜にも関わらず電話をかけた。

きっと、寝不足で頭がおかしくなってたんだな



「……もしもし?」
向こう側からは、やけに眠そうな声が聞こえてきた。

「寝てたのか?」

「そりゃあ、いま何時だと思ってるんですか」

時計を見ると既に1時を回っていた。
ふつうの人間ならもう眠ってる時間だよな



「悪かったよ、急に電話して」

「私も先輩じゃなかったら出てませんよ」

「声が聞きたくなったんだ」と俺は言った

「本当に先輩ですか?」

「疑ってるのか?」

「私の知ってる人なら、そんなことは言いませんよ」

たしかにそうかもな、と心の中で相槌を打った。
俺だって自分のことはよくわかってないんだ



「……でも、うれしかったです」

「え?」

「もう二度と話せないかと思ってましたから」

「そんなわけないだろ」

「ええ、そうですよね」
電話越しに、囁くようなヒツジの笑い声が聞こえてきた。



「さっきまで、脚本を書いてたんだ」

「え?」彼女は少しだけ驚いていた

「それで、ふと話したくなった。本当にそれだけだよ」

「だけど、もう書かないって言ってたのに」

「気が変わったんだ。なんでだろうな」

「なにかあったんですか?」

「さあ。だけど、書いているときは、
生きてて一番幸せだった瞬間を思い出してたよ」

それがヒツジとくだらない話をして笑ってる時だったと言うと、
彼女はまたおかしそうにくすくすとわらっていた。



「そんなことを考えていたんですか?」

「ああ、不思議だよな。もうずっと会話もしてなかったのに」

「そうですね」

そんなことを彼女に伝えたのは初めてだったんだ。

どこか遠くで踏切の音が聞こえたような気がした。
それで俺もヒツジもちょっとの間、お互いに黙ったままでいたんだ。



「私、先輩の脚本よんでみたいです」
口火を切ったのは彼女からだった

「脚本を?」俺は改めて尋ねた。

「はい」

「家に送ればいいのか?」

「住所を教えるのは禁止されているんですよ」

「メールで送ればいいか?」

「あいにく私用のアドレスを消されてしまいまして」

「それじゃあどうするんだよ」

「カフェで待ち合わせをしましょう」

「……はい?」
俺は思わず喉の奥から声を出した。



「行きつけの喫茶店がありまして。そこなら人も来ないでしょう」
あまりにも彼女の態度が平然としているので
ちょっと待て、と俺は口をはさんだ。

「もう会わないんじゃなかったのか?」

「ええ、私もそのつもりでしたよ」

「それならどうして?」

「……えーと、つまりですね。気が変わったんです」

それから、彼女はこほんと咳払いをした
俺はその時になってようやくその意味を理解できた



「なるほど、気が変わったのか」

「そうです」

そう言ってから、俺たちは次第におかしくなって、
しばらく二人で笑いあった。



「事務所に怒られないのか?」

「さあ、ばれたらすごく怒られるでしょうね」

「俺も綱渡りに付き合わされるわけか」

「そうですよ、一蓮托生です」

いい言葉だな、と言いかけて俺はそれを飲み込んだ。
気づけば、随分と話し込んでしまっていたようだった



「今日はもう寝ようか」

「そうですね」

「……それじゃあ、また」

「はい、また連絡しますね」

「わかった」
俺はそう言って電話を切った。



静寂が訪れてから、ふとさっきまでのことを思い返していた。

彼女と話した、本当にたったそれだけのことのはずなのに、
まるで世界が丸っきり変わってしまったかのようにも思えた

だけども俺にはそれくらい大きな出来事だったんだ。



それから、ベッドに横たわると俺は瞼を閉じた。

思えば最近まであんまり寝てなかったんだ、
頭もぼんやりとして正しく機能してなかったな。
だけども、それすら今はどうだってよかったんだ。

起きたら部屋を掃除しよう、それから仕事も探そう。

カーテンの隙間からは、月明かりが差し込んでいた。




そして、久しぶりに会うヒツジのことを考えながら、
俺はそのまま深い眠りについた。



——それから、何やら色々なことがあったが、
それら全てが些末な出来事で片づけられてしまうだろう。

ただ、その中でもひとつだけ付け加えるとすれば、
俺がいまだに脚本を書いているということに違いない。

何の因果かはわからないが、俺は脚本家の道を選んだ。
自分には出来るわけがないと高をくくっていたが、
始めてしまえば案外と続くもんなんだよな。



あれからヒツジは大々的に女優としてデビューをした。
世間的には空前の人気作を呼び起こすような
ヒットメーカーとして広く知られているのだろう

けれども彼女は今でも当たり前のように家にやってくるし、
手料理をつくっては盛大に失敗して丸焦げにしてしまうし、
深夜にふらっと二人でレイトショーを見にいくような関係を続けていたんだ


続き来てた!嬉しい


その日の帰り道、ふいに彼女が俺の手を繋いできた。
俺は思わず周りを見渡して、それから彼女の顔を見つめた。

「急にどうしたんだ?」

「特に理由はないですよ」

「そんなことはないだろ」

「よくわかりましたね」と彼女はわらった。

「まあな」

「実は報告がありまして」

「報告?」
俺がそうやって聞き返すと、
ヒツジは一度だけ頷いた



「今度、先輩の映画に出ることになりました」

「え?」俺は思わずその場に立ち止まった

「頑張ったんですよ、これでも」
たくさん褒めてください、とヒツジは付け加えた。

「びっくりしてたんだよ」

「で、今の心境は?」

「うれしいよ、すごく」

やったー、と言ってヒツジはそのまま
俺の胸に飛び込んできた。



「私もうれしいです、すごく」

「今日は素直なんだな」

「いつも素直じゃないですか」と彼女はこたえた。

「どうだったかな」

「先輩って意地悪ですよね」

「そんなこともないだろ」

「さあ、どうでしたかね」
そうして、ふたつの影はひとつに重なった



「……誰かに見つかったらどうするんだ?」
呆気にとられた俺は、思わず彼女の方を見つめた。

「それはその時にまた考えましょう」
けれども、ヒツジは特に気に留める様子もなかった。

「それに、わたし達なら大丈夫ですよ、きっと」

それは何の根拠もなかったけれど、
俺はどこか腑に落ちた気分になった

「さあ、行きましょう」
それから、彼女は俺の手を引いて歩き出した。



「せっかくなので、今日はお祝いでもしませんか?」

「ああ、酒でも飲もうか」

「いいですね、ついでに映画も観ましょう」

「さっき観たばかりじゃないか」

「わかってないですね。それがいいんですよ」

「そうなのか?」と俺は尋ねた。

「そうですよ。覚えておいてくださいね」

「わかったよ」
そう答えると、彼女はやけに嬉しそうにわらっていた



その日の帰り道は二人で昔話をした。

ちょうど大学生くらいのことだ、
俺たちは偶然にもめぐり合って、
映画を撮って、少しばかり仲良くなった。

あの頃、女の子はどこか物憂げな顔で
ベンチに座って空を見上げていた

それはどこまでも透明で、美しいものに見えた。
始まりは本当に、ただそれだけのことだったんだ。


おわり

思ってたよりも長くなっちゃったんですが、
見てくれた方々ありがとうございました。

よかったら、数年前に書いた夏のお話も読んでみてください

5000円払って、彼女の1時間を買った話。
5000円払って、彼女の1時間を買った話。 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/i/read/news4ssnip/1485084336/)


こういうSS久しぶりに読んだわ

おつ。よかった。またそのうち書いてくれ!


前作も読んでた

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