おそらく自分は、普通の人生を送れない。
なんとなくそう意識し始めたのは、たぶん中学生の時だったと思う。
放クラの活動が軌道に乗ってきて、アイドルをすることにも慣れてきた頃、周りの同級生たちが部活を始め、それまでお遊びだったクラブ活動とは打って変わって、本気で「大会」を目指すような部活動を始めて、なんとなく感じ始めた。
もちろんあたしは部活動はどこにも入っていなくて、アイドル活動で成果を出すことで特例として認められていた。他のみんなにその話をするときは、ちょっと誇らしい気持ちだったのを覚えている。普通じゃない、特別な優越感。
でもわがままなことに、同級生たちと競い合う時間を、ちょっと羨ましく思うこともあった。
蝉が鳴いている。その蝉の声と同じくらいの音量で、吹奏楽部が練習している音が聞こえてくる。
高校の教室は校門から遠いところにあって、中庭を通っていると、教室で練習している吹奏楽の音がよく聞こえる。こんなに大きな音を出す楽器より大きく聞こえる蝉の鳴き声って、すごい。
なんとなく「あー」と声を出してみると、芝生を踏む自分の足音が、消えてしまったような気がした。
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プールの横の自動販売機で、いちごオレのボタンを押した。ガコン。暑い。夏休み直前の日差しはシャツの中まで蒸すような暑さで、日焼け止めを塗っていなかったら今頃どうなるのだろうと冷や汗が流れる。夏はドラマの撮影があるのに。
同級生が使っているのよりも良い日焼け止めで肌を守っても、暑いものは暑い。ほんとは水の方がいいのだろうけど、甘いものを飲みたい気分だから今日は仕方ない。
このあとダンスレッスンがある。この甘味の分は後から取り戻せばいい。一口含むと、炎天下の自販機で冷やされたいちごオレは口の中から身体を冷やしてくれた。ここだけ冷房が効いたみたい。罪悪感があるからか、あんまり甘くはなかった気がする。
スマホで時間を確認すると、待ち合わせの15分前だった。プロデューサーさんが来る前に、いつものコンビニに着いておきたい。
高校に入ってすぐ、夏葉さんが車で迎えにきてくれたことがあった。当然、あんな目立つ車が高校に来たら高校生は大騒ぎになる。
夏葉さんは慣れてるからか、ものともしてなかったけど、あたしはなんだか恥ずかしくて、助手席に乗りながら次からはコンビニにしてください、と言った。それ以降、事務所の人が高校に直接来ることはない。
多分、それが普通の高校生だから。
「おつかれ果穂、水飲むか?」
待ち合わせの5分前なのに、コンビニのいつもの場所に車は止めてあった。外からは中が覗けないようになってるけど、ナンバープレートで覚えてるからすぐ後部座席のドアを開ける。
「いいです。持ってるので」
喉が渇いているのを見透かされたみたいで、ちょっとムッとしてしまう。プロデューサーさんは「そうか、」と水をカバンにしまいながら、ちょっと何か言いそうにしたあと、前を向いた。あたしは音を立ててドアを閉めた。
いちごオレを買ったことがなんだか悪いことのように思えて、何を持っているのか聞かれるのかとドキドキしている。多分この人はそんなことでは怒らないけど、この人に引け目を感じる自分がちょっと嫌だ。
「暑いな、今日も」
露骨に話題を作るプロデューサーさんを、このまま無視したらどうなるのかちょっと想像してみる。たぶん、自分で返事をしながら車を出すんだろうな。
ちょっと前のあたしならすぐに返事をしてたと思うけど、最近はなんだか、ちょっとプロデューサーさんにムッとなることが多い。
なんだか、距離感にムズムズするのだ。喉が渇いているのを当ててきたこともそうだし、
「日焼け止めは塗った?」
あたしの予想より、あたしのことを考えてくれてる行動をするし。
「もうすぐ撮影なんですよ」
「はは、それもそうだな」
答えた後、もっと優しく返事をしてもよかったのでは、と自分の中でちょっとぐるぐるする。でも冷たく突き放したことにスッキリしてる自分もいる。なんなんだろう。
喉が渇いたのでいちごオレを飲もうとしたけど、プロデューサーさんに見られるのがなんだか嫌で、代わりにスマホを開いた。学級委員からクラスのグループに、明日の日課が送られてきている。すぐに画面を閉じる。
「じゃ、ちょっと早いけど行くか」
「はい」
なるべくそっけなく返事をして、あたしはスマホを眺めるふりを続けた。黒い画面にあたしの顔が写っている。クラスの他の子より日焼けしていない白い肌。眉間に皺が寄っているのが、ちょっと気になった。
「果穂! 今日は早いのね!」
少し遅れてレッスン室に入ってきた夏葉さんが、元気に声をかけてきた。
「はい、今日は短縮授業の日なので!」
そのことはプロデューサーさんには伝えてなかったのに、車はいつもより早い時間に来ていた。もしかしていつもあんなに早いのかな。ちょっと眉間に皺が寄るのを感じて、すぐに頭を振る。
最近は放クラ5人が揃うことは少なくなってきていた。夏葉さんは大学を卒業してから本格的にドラマなんかに出るようになったし、樹里ちゃんや凛世さんは大学生で、ちょこ先輩は専門学校に通っているから、また活動時間がバラバラになってしまっていた。
ちょこ先輩とレッスンの時間が被ることはほとんどない。久しぶりに会いたいな。でも口には出さない。もう子供じゃないんだから。
小学生の頃は、子供ながらに5人は生活リズムがバラバラだと思っていたけど、今思うとあの時期は、比較的5人で活動できる時間は多かったのだ。
放課後のクライマックスは、気付かないうちに過ぎているのかもしれない。
レッスンが終わっても、まだ蝉は鳴いていた。人通りの少ない道を選んで事務所に向かいながら、夏葉さんとアイスを齧る。
「果穂はもうすぐ夏休みかしら?」
「そうです! でもその前に、お盆特番の収録で凛世さんとお泊まりロケがあります」
「羨ましいわね」
ラムネのアイスを齧りながら、夏葉さんはお淑やかな笑顔を見せてくれた。美人。
夏葉さんは大学を卒業したあたりから、あたしたちがお菓子を食べてても何も言わなくなっていた。むしろ、こうして一緒に食べることの方が多い。この時間も大切にしてくれているのかもしれない。
「夏葉さんは映画の撮影、どうですか?」
「順調よ! 昨日は1つ目の打ち上げがあったわ」
同時に何本撮影してるんだろう。打ち上げがあるということは、撮影が順調なのは本当なのだろう。
放クラ5人で活動していた頃は、お仕事の人たちと打ち上げをすることはほぼなかった。当時はそれが当たり前だと思っていたけど、今考えれば、お酒が出る場にあたしたちが行っても邪魔になると遠慮してたんだと思う。夏葉さんか、プロデューサーさんが。プロデューサーさんはああいう性格だし、あたしたちを送ったあとに1人で顔を出していてもおかしくはないけど。
そう思うと、夏葉さんは成人したての時期にあまりお酒の場に顔を出さなかったということになる。凛世さんは、大学生になってすぐは新歓に呼ばれた話をよくしてくれていた。
「夏葉さんは」
「ん?」
「……夏葉さんは、普通の大学生活、送りたかったですか?」
「普通の大学生活ね」
少し含みがある言い方をして、夏葉さんはアイスの下の方を齧った。もうかなり溶けてきてる。
「なんか、お友達とお酒飲んだり、サークル活動とか、してみたり」
「そうね、もちろんそこそこに充実はしていたけど、アイドルを始めてからはその機会は減ったわね」
「寂しかったり、しませんでしたか?」
もともとがアイドルのあたしと違って、夏葉さんは途中からアイドルになったんだ。だったら、感じる差はもっと大きいのかもしれない。
「なかったわね」
人差し指が冷たい。アイスが溶けてきていたから、あたしは急いで下の方を齧る。
「だってそのぶん貴女たちと一緒に過ごしていたし、両立もできていた自負があるわ」
「そう言われるとなんだかくすぐったいですね」
「あら、素直に感謝しているのよ?」
なんですかそれ、とちょっと照れ隠しをするように早歩きをして、続く言葉を思い付かなかったから、誤魔化すようにアイスの最後の一口を食べた。
「それに、普通の大学生活って何なのかしら」
「え?」
「大学生はこれまでと比べて自由な時間が増えるし、私はそれをアイドルにあてただけとも言えるわ」
「なるほど」
「もちろん小学生からアイドルをしていると、また普通とは違った生活なのかもしれないけどね」
「普通とは、違った」
おうむ返しをしてみると、その言葉は思ったより口の中で重く響いた。
普通とは、違った。
「でも普通じゃないってことは、特別ってことよ」
「特別?」
「そう! せっかくなら、特別な時間を生きてみたいとは思わない?」
そう言うと、クラスのみんなが見てるドラマの主演女優は、アイスの最後の一口を齧った。
「あら、このアイス、当たり外れがあるのね」
特別な時間を生きる。もしそれを選んでしまっていたら、それを選んだ人からすれば、普通の時間は特別なものになるのでは。
「果穂はどうだった?」
「あたしは……」
冷えた人差し指で、アイスの棒をひっくり返す。
「あ、当たりです」
今日の待ち合わせは、あたしの方が早かった。
待ち合わせ時間の10分前、コンビニのいつもの位置にプロデューサーさんの車はなかった。ちょっと嬉しい。胸を張るような気持ちになる。
「おう」
「樹里ちゃん!」
コンビニの中でぼーっと涼んでいると、後ろから声をかけられた。
「なんでこんなところに?」
「近くで収録あってさ。ほら、ラジオの」
「あー」
樹里ちゃんはラジオのレギュラー番組を持っている。生放送ではないから、月に1回まとめて収録して、それをずっと繰り返してる。アイドルを始める前はラジオというと生放送だと思っていたけど、録音しておくのが普通らしい。
「果穂拾うついでに、アタシも事務所まで送ってくれるって」
「なるほどです!」
なんとなく会話が途切れる。店内だしそれでいいのだけれど、なんだか手持ち無沙汰で、そういえば渡したいものがあることを思い出した。
「樹里ちゃん、これあげます」
「え?」
カバンから制汗剤を取り出す。CMの収録をした時、スポンサーの人から貰った物だけど、あたしにはなんだか匂いが合わなかった。
「サンキュー?」
あげるのは誰でもよかったけど、誰かと思い浮かべたらなんとなく樹里ちゃんだった。あさひさんも貰ってくれそうだけど、こういう香りがするものは冬優子さんが管理してあげてそう。
「果穂、スカート短くね?」
「そうですか?」
スカートの裾を摘んでみる。他のクラスの子と、そんなに変わらないと思う。むしろ記憶の中の樹里ちゃんはもっと短かった気もするけど。
「脚が長いのかもな」
「急に褒めても何も出ませんよ」
「今制汗剤でてきたばっかだろ」
「そうでした」
話に花が咲きそうになったけど、2人とも笑う前にここが店内だってことを思い出して、どちらからともなく外に出た。蝉の声が顔にぶつかってきて、蒸し暑い空気がアスファルトから登ってきている。
「あー」
でも樹里ちゃんの声を聞くと、外に出た方が話しやすそうだな、と思った。店内は涼しいけど、暑い外の方が気兼ねなくおしゃべりできる。
「あ、果穂ちゃん!」
樹里ちゃんの車の話を聞いていたら、学校の方からクラスの子が駆け寄ってきた。
「友達?」
「はい」
「おう」
樹里ちゃんは気を遣ってくれたのか店内に戻って行って、代わりにクラスの子が私の隣にやってきた。
「ごめん、さっきの人大丈夫?」
「うん、平気だよ」
思ったより、クラスの子達はあたしが放クラのメンバーといても反応しない。プライベートだとなんとなく変装してるから、マネージャーの人なんかと勘違いしてくれてるかな。
「実は文化祭の件で相談があって……」
「文化祭?」
文化祭は夏休み明けのはず。たしか9月とか。
プロデューサーさんは気を遣ってくれているのか、あたしの学校行事の日は絶対に仕事を入れない。ありがたいと言えばありがたいけど、そういうところもなんだかちょっと。
「そう、私生徒会だから、もう準備始まってて」
「そうなんだ! 大変だね~」
ははは、と汗が浮かんだ笑顔を見せる彼女は、どこか誇らしそうだった。
文化祭当日はきっと参加させてもらえるだろうけど、クラスごとの出し物の準備はそうも行かないと思う。ウチのクラスは何をするんだろう。お化け屋敷かな。喫茶店かな。
文化祭は準備の期間が本番のようなところがあるけど、お仕事で放課後抜けてしまうあたしは、きっと本当の意味での文化祭には参加できない。あたしにとっての、特別な時間。
「相談って?」
「そう! 実はね、文化祭で有志のライブコーナーがあるんだけど、そこで果穂ちゃんに一曲披露してもらえないかなって……!」
「ライブコーナー?」
文化祭のライブコーナー。中学の時もあったし、なんとなくイメージはつく。
放クラや事務所のみんなとしていたようなライブとは訳が違うけど、あれはあれで独特の雰囲気があって、すごく盛り上がっている印象がある。
「楽しそう! ……あ、でも」
「もちろんリハとかは免除でいいよ! 本番だねぶっつけとかでも全然良いんだけど……やっぱ難しいかな?」
わからない。あたしとしては参加してみたいし、準備に関われるなら、それはきっと特別な時間になる。
「事務所の人に聞いてみるね!」
「ありがとう~! 絶対盛り上がる!」
「まだわかんないよ~でもあたしもやりたい!」
ちょっとワクワクする。もちろん本番は2ヶ月くらい先だけど、いつもしてることを、いつもと違うところでするのはワクワクする。
それに、特別な時間を共有させてもらえるかもしれない。あたしにも、普通の高校生みたいな、
「在校生のアイドルが文化祭でライブなんて、普通じゃできないからね!」
「……褒めても何も出ないよ~?」
「そんなんじゃないって! じゃあ、私はこれで!」
そう言うと、ちょうど様子を伺いにきた樹里ちゃんと入れ違いに、クラスの子はコンビニに吸い込まれていった。
「話は終わった?」
クラスの子に会釈をしながら、樹里ちゃんが隣に立った。
「はい! 文化祭で、ライブしてくれないかって……」
「お、いいじゃん。アタシも出ようか?」
「騒ぎになっちゃいます」
トークライブとかしてみるか~と樹里ちゃんが笑いながら、飲むか、と水を差し出してくれた。帰れなくなっちゃいますよ、と答えながら、一口飲んで樹里ちゃんに返す。
気が付かないうちに、喉が渇いていたらしい。冷たい水が喉に染みた。
蝉の声が耳に響く。
「お、アイツ来たよ」
樹里ちゃんの目線を追うと、プロデューサーさんの車が遠くの信号に引っかかってるのが見えた。窓が黒くて中は見えないけど、きっと運転席から手を振っているのだろう。見えないのに。あの人がそういうことをするのは、なんとなくわかる。
「駐車させるのもあれだし、あそこまで行くか」
「そうですね」
駆け出そうとして、ちょっと胸に引っかかることがあったので、ローファーをアスファルトに擦らせる。
「果穂?」
「ちょっと、言い忘れたことが」
踵を返して、コンビニに駆け込む。クラスの子はレジに並んでいた。
「果穂ちゃん?」
「あのね、さっき隣にいた人……誰かわかる?」
横目で雑誌のコーナーを見てみる。樹里ちゃんが表紙の、女性向け雑誌が目に入る。
「? マネージャーさん?」
「あのね、西城樹里だよ!」
「え!?」
あっと驚く顔がおかしくて、またね! と声をかけてから、振り返って待ってくれてる樹里ちゃんを追いかけた。
そうだ。あたしは普通の高校生じゃない。西城樹里とお友達の、アイドルの高校生だ。
みてる
島村卯月「普通って何でしょうか?」
プロデューサーさんに文化祭の話をすると、ずいぶん嬉しいそうに返事をしてくれた。久しぶりにあたしから話を持ちかけた気がする。
「ただ歌う曲によってはちょっと権利の問題とかで難しいかもだから、一応相談してほしい」
そこは失念していたけど、頼んできた子はあたしが自分の曲を歌う前提で頼んできていると思う。高校の文化祭なんだから気にしなくてもいいと思いつつも、本人が歌うとなるとちょっとわけが変わってくるのかもしれない。
やっぱり文化祭のライブでも、ちょっと特別扱いになってしまうのかな。
「でも安心したよ、果穂が文化祭楽しみにてるみたいで」
話をすぐ終えられるようプロデューサーさんが出かける直前に相談を持ちかけたのに、あの人はニコニコと扉の前で話を続けた。
「遅れちゃいますよ」
「ははっ、そうだな、じゃあ歌う曲がわかったらまた教えてくれ!」
いつもみたいにそっけなく返事をしたつもりだったのに、プロデューサーさんの声はいつもより嬉しそうだった。
どうてあたしが話しかけただけであんなに嬉しそうにしてくれるんだろう。ファンの人でもないのに。
蝉が一段とうるさい。でもそれに混じって聞こえてくるせせらぎの音が爽やかで、街の中にいるよりずいぶん涼しい音がした。
「お盆特番として芸人の方々がアフリカの方で危険なお祭りに参加してますので、そのVTRの合間に、杜野さんたちが山奥で夏休みを満喫している、という映像を使いたく……」
「すごい緩急ですね……!」
あたしは週末を使って、凛世さんと泊まりがけのロケに来ていた。お盆に特番が組まれるバラエティ番組で、そこで使うVTRの1つを凛世さんとあたしで出演できることになった。
「では、わたくしは……シンプルに楽しめば良いと……」
「はい、基本的にこちらで用意したレジャーを凛世さんらしく楽しんでいただければそのまま映えますんで」
凛世さんはあの雰囲気がウケてバラエティに呼ばれるようになり、天然な発言を期待される凛世さんらしい仕事が増えていた。今日はワンピースを着ているけど、やっぱり和服よりもこっちの方が大人に見える。
「承知いたしました」
スタッフの人から改めて説明を受けて、凛世さんはあたしの方を振り返った。
「では、果穂さんと凛世のトークを撮れれば良いと……」
「はい! いっぱいお話ししましょう!」
この番組で泊まりのロケと聞いて身構えていたけど、思ってたより楽に過ごせそう。番組が求めている凛世さんの個性を、あたしがどれだけ引き出せるかにかかっている。
とはいえ、凛世さんもそのことはわかっているはずなので、あたしが相槌を打ちやすいように話を運んでくれるはず。人に聞かれても問題ないような、いつもみたいなお喋りをすればいい。
顎に汗が垂れる。ぼーっとその感覚を楽しんでいると、揺れた汗は地面に落ちて、一滴のシミを作った。
河原の砂利に汗が吸い込まれていくのを見て、暑いですね、と呟く。耳鳴りのように響く蝉の声は不快ではなかったけど、背中に張り付く汗の感覚はないほうが気持ちいいだろうな、と思った。
「ほんと、昼間だと河原でも暑いですね。一旦車に避難しましょうか」
スタッフさんがそう言ってくれたので、凛世さんと揃って河原を歩いた。身体半分で浴びる水飛沫は冷たいけど、上から降り注ぐ日差しが顔を照りつけるのでちぐはぐだった。
そうちえば、来週の今頃はもう、夏休みだ。
最初のレジャーは魚釣りだった。
入り組んだ渓谷の中でも流れが穏やかなところがあって、そこは木が屋根になっているので1日中魚釣りができるスポットということだった。
「凛世さん、ミミズつけてあげましょうか?」
「いえ……苦手ではありませんので……このくらい……」
もちろん手袋はつけていたけど、あたしはちょっと嫌だった。普通だったらスタッフの人が付けてくれるだろうけど、今日は凛世さんとあたしの2人がのんびりしてる映像が欲しいわけだから、当然画角に他の人が入ってくることはない。
一度に1匹全部使うのは勿体無いので、針に付けた後に千切って使っていたけど、ミミズ潰す感覚がぶにゅっとしていて気持ち悪かった。凛世さんか閑雅にこなしている。平気なのかな。
「凛世さん、釣りってどれくらいします?」
「地元にいた頃は、しておりましたが……最近はあまり……」
「する場所もないですもんねぇ」
のんびりと話すように心がけながら、他愛無い話をゆっくりと続けていく。日陰なので汗をかくことはなかったし、蝉の声は変わらないのに空気は涼しくて快適だった。
魚は全然かからない。
台本はあるにはあるけど、途中の会話は基本的にアドリブで任されている。
「地元はどこでしたっけ?」
鳥取だったと思う。
「鳥取で……こざいます」
「鳥取かぁ……釣りできる川とかあったんですか?」
「えぇ……鮎の……手掴みなども……」
「鮎を手掴みですかっ?」
ちょっと想像してみて、凛世さんなら案外上手に捕まえそうだな、と思った。
凛世さんはそういうところでは、顔色ひとつ変えずに誰よりも必死になるところがある。放クラ5人で遊んでいた頃もそうで、夏葉さんが提案する無茶に真っ先に飛び込んでいたのは凛世さんだった気がする。今となってはもう、あやふやな思い出だけど。
その後はのんびりと凛世さんが話をしてくれて、あたしがそれに相槌を打ったり、たまに質問したりして、決まった時間が過ぎたらスタッフさんが合図が来た。
やっぱり杜野さんは喋るだけで面白いから助かります、と気さくなスタッフさんが話しかけてきて、凛世さんがうふふと喜んでいた。
あたしはそれを聞いてなんだか誇らしくなった気がして、こめかみに浮かんだ汗を二の腕で拭った。涼しくても汗は流れる。
「じゃあ次は川下りの体験があるので、休憩を挟んだ後……」
スタッフさんの指示に返事をしながら、凛世さんとあたしはまた河原を歩いた。荷物が多かったら車まで運ぼうかと思ったけど、魚は1匹も釣れなかったのでその必要はなかった。
顎に汗が垂れる。ぼーっとその感覚を楽しんでいると、揺れた汗は地面に落ちて、一滴のシミを作った。
河原の砂利に汗が吸い込まれていくのを見て、暑いですね、と呟く。耳鳴りのように響く蝉の声は不快ではなかったけど、背中に張り付く汗の感覚はないほうが気持ちいいだろうな、と思った。
「ほんと、昼間だと河原でも暑いですね。一旦車に避難しましょうか」
スタッフさんがそう言ってくれたので、凛世さんと揃って河原を歩いた。身体半分で浴びる水飛沫は冷たいけど、上から降り注ぐ日差しが顔を照りつけるのでちぐはぐだった。
そうちえば、来週の今頃はもう、夏休みだ。
最初のレジャーは魚釣りだった。
入り組んだ渓谷の中でも流れが穏やかなところがあって、そこは木が屋根になっているので1日中魚釣りができるスポットということだった。
「凛世さん、ミミズつけてあげましょうか?」
「いえ……苦手ではありませんので……この程度は……」
もちろん手袋はつけていたけど、あたしはちょっと嫌だった。普通だったらスタッフの人が付けてくれるだろうけど、今日は凛世さんとあたしの2人がのんびりしてる映像が欲しいわけだから、当然画角に他の人が入ってくることはない。
一度に1匹全部使うのは勿体無いので、針に付けた後に千切って使っていたけど、ミミズ潰す感覚がぶにゅっとしていて気持ち悪かった。凛世さんか閑雅にこなしている。平気なのかな。
「凛世さん、釣りってどれくらいします?」
「地元にいた頃は、しておりましたが……最近はあまり……」
「する場所もないですもんねぇ」
のんびりと話すように心がけながら、他愛無い話をゆっくりと続けていく。日陰なので汗をかくことはなかったし、蝉の声は変わらないのに空気は涼しくて快適だった。
魚は全然かからない。
台本はあるにはあるけど、会話の中身は基本的にアドリブで任されている。
「地元はどこでしたっけ?」
中四国地方だったと思う。
「鳥取で……こざいます」
「鳥取かぁ……釣りできる川とかあったんですか?」
「えぇ……鮎の……手掴みなども……」
「鮎を手掴みですかっ?」
ちょっと想像してみて、凛世さんなら案外上手に捕まえそうだな、と思った。
凛世さんはそういうところでは、顔色ひとつ変えずに誰よりも必死になるところがある。放クラ5人で遊んでいた頃もそうで、夏葉さんが提案する無茶に真っ先に飛び込んでいたのは凛世さんだった気がする。今となってはもう、あやふやな思い出だけど。
あんなに鮮明に覚えていると思っていた記憶も、小学生の頃のものなんて、もうぼんやりと靄がかかったようにしか思い出せなくなっている。今この時間も、時間が経ったら忘れてしまうのかな。
でもそうか。今はカメラが回ってるから、きっと会話のどこかは映像として残る。それを見返せばまた思い出せるかもしれない。普通とは違う、あたしの特権だ。
その後はのんびりと凛世さんが話をしてくれて、あたしがそれに相槌を打ったり、たまに質問したりして、決まった時間が過ぎたらスタッフさんが合図が来た。
やっぱり杜野さんは喋るだけで面白いから助かります、と気さくなスタッフさんが話しかけてきて、凛世さんがうふふと喜んでいた。
あたしはそれを聞いてなんだか誇らしくなった気がして、こめかみに浮かんだ汗を二の腕で拭った。涼しくても汗は流れる。
「じゃあ次は川下りの体験があるので、休憩を挟んだ後……」
スタッフさんの指示に元気よく返事をしながら、凛世さんとあたしはまた河原を歩いた。荷物が多かったら車まで運ぼうかと思ったけど、魚は1匹も釣れなかったのでその必要はなかった。
その当たり前を持ち続けて欲しい、と言われたことがある。誰に言われたのかは覚えてないけど、頭に強く残っていて、さっき夢の中でそれを思い出した。
時計を見ると深夜2時。夜中に目が覚めて、無性にお腹が空いたので旅館に備え付けてあった冷蔵庫を開けてみると、冷凍スペースにアイスが入っていた。2個入りの、だいふくのアイス。夕方スタッフさん達と別れる時に、お風呂上がりにでもどうぞと差し入れで貰ったものだ。
減量中だったらどうするつもりだったんだろう。
昼間はあれからいくつか川や山でレジャーを撮影して、夜は旅館でご馳走を食べさせてもらった。VTRで使う時は、芸人さんたちが現地でゲテモノを食べている映像を流しながら、ワイプであたしたちが美味しいものを食べる映像を流すらしい。
あたしたちだけいい思いをして申し訳ないけど、いくらテレビに出る出番が増えたってあたしたちはアイドルだ。そういう立ち位置にいることは承知している。
広縁に座って、少しだけ窓の障子を開けてみる。月明かりが思ったより眩しくて、すぐにパタンと閉じた。丸い木のテーブルにアイスを置く。すぐ食べたら硬いから、しばらく置いておこう。
最近食欲が無性に湧いてくる。お母さんからは成長期ね、と言われて納得したけど、プロデューサーさんに同じことを言われるとちょっともやもやした。そういうことを女の子に向かって言わなくたって。
昔はちょこ先輩がやたらご飯を食べることに驚いていたけど、今だとなんとなくわかる。身体が大きくなるのにご飯が必要だって、おなかが言っている。毎日こんな時間に食べたらダメかもだけど、眠れない夜くらい、ちょっと悪さをしたってバチは当たらない。
「……眠れないのですか?」
突然声をかけられて、喉の奥でヒュッと音がなる。気がついたら、凛音さんが目の前に座っていた。びっくりした。
「ごめんなさい、起こしちゃいましたか」
「いえ……凛世も……枕が合わず……」
あたしは別に枕が合わないわけではなかったけど、ちょっとさみしかったからほっとした。凛世さんとは、無言が続いても気まずくないから落ち着いていられる。
やっぱり凛世さんは和服が似合う。旅館のパジャマのことを正確になんて呼ぶのかは知らないけど、寝起きなのにきっちりと浴衣を見に纏った凛世さんは、昼間よりも馴染み深くて、ちょっぴり子供に思えた。
初めて出会った頃の凛世さんより、あたしはもう大人なんだと思うと、ちょっと変な気分になる。今の自分が、記憶の中の凛世さんより大人びているイメージがわからない。それとも、記憶にもやがかかっているだけで、実際の凛世さんはもっと子供だったのかもしれない。
その凛世さんが、おもむろに折り紙を机の上に置き、丁寧に折り目をつけはじめた。
「なんですか、それ」
「折り紙で……ございます……」
どこから、と思っていると、テレビの下の台に入っていた、と答えてくれた。あたしが起きたことに気づいてここに座ったと思っていたのに、音も立てずにいつのまに取ってきたんだろう。でも凛世さんだし。そういうこともある。
凛世さんが赤いものを一枚くれたので、あたしも何か折ることにした。赤い折り紙。もともと赤は好きだったけど、アイドルになってからは自然と自分が身につけるものは赤を選ぶようになっていた。
赤といえばヒーローの色だったけど、いつの間にか、赤はあたしの色になっている。
「それは……?」
「よく飛ぶ紙飛行機です」
折り紙で紙飛行機を作ると、あり得ないほどよく飛ぶ。
事務所で作ってもらって、学校の昼休みにみんなに自慢したことを覚えているけど、誰に教わったんだっけ。あさひさんとかかな。あさひさんな気がする。あの人はこういう不思議なことをたくさん知っている。
「アイス、一個食べますか?」
「いえ……先程いただきましたので……」
「じゃあ食べちゃいます、内緒ですよ」
「ふふ……このような時間に……」
蓋を開けると、アイスはまだちょっと硬かった。早すぎたな。
でもお腹が空いたし、いつまでも待っていると明日の朝起きるのが辛くなってしまうから、早く食べてしまいたい。
「それは……プロデューサーさまもお好きな……」
「そうですね」
昔、よく1つ分けてもらってた気がする。当時のあたしは嬉しかったけど、貰いっぱなしなのはよくない気がして、自分がアイスを選ぶ時もこれを選んでプロデューサーさんと半分こしていた。特に好きなわけでもなかったけど。
「そういえば……」
「?」
アイスを思い切って一口で頬張ると、凛世さんが顔を上げた。
「あの方からお聞きしたのですが……文化祭で、ライブをすると」
すぐに飲み込むのは大きいし、急いで噛むと歯の奥がキーンとしたので、頭を縦にブンブンと振って答える。
凛世さんがふふふと笑う。なんで口に入れた途端に質問してくるんですか。
「ま、まだ、決まってはないんですけどね」
急いで飲み込んで返事をすると、凛世さんはまたにこりと笑って障子の方に目をやった。別に急いで飲み込む必要はなかったな。
「友達に、誘われて、やらないかって」
「そうですか……」
「凛世さん、高校の文化祭って、その」
「……はい」
「普通に楽しめてました?」
「…………」
凛世さんはちょっとだけ私の目を見て、障子に手を伸ばした。細い指が半紙を撫でる音を立てる。薄暗い部屋に、半紙が擦れる音だけが響く。
「そうですね……凛世には、普通はわかりません」
落ち着いた声音で、凛世さんがゆっくり喋る。この人は放クラや事務所のみんなの前だと、言葉を選ぶように間を開けて喋ることが多い。けれど、みんな自然とそのあと言葉が続くのかそうでないのか、わかっていた。
凛世さんの言葉を遮ってしまうことは、あまりないと思う。
「そもそも……自分が変わっている、ということは……承知のつもりです」
東京から出てきてすぐも、自分1人で何もできないことを思い知って、そこであのお方に助けられたこともあります。
プロデューサーさんが絡むとちょっと早口になる。
「アイドルになり、高校が変わっても……凛世は周りの皆さんが歩み寄ってくれることで……受け入れていただけました」
凛世は変わらず、普通にしていただけなのに、と、懐かしそうに目を細めている。綺麗な顔だ。
「凛世はおそらく、周りからすれば変わり者……特別です……ですが、それでもみなさんは……普通に扱ってくださいました」
一呼吸おく。
「それは、普通なのか、特別なのか」
凛世には、普通はわかりません……と、ハの字の眉毛をもっとハの字にして、困ったように凛世さんが笑う。それにつられて、はは、と困った笑顔を返す。
「酔っ払いのたわごとでございます、聞き流していただけると……」
そういえば凛世さんは、お夕飯の時に梅酒を飲んでいた。カメラの前では頬を赤らめていたけど、そんなに酔った様子はなかったし、ずいぶん時間が経っている。
「わかりました」
でもたぶん、凛世さんがそう言うならそうなのだと思う。
凛世さんは元から特別だ。それは自他ともに認められていることだし、凛世さんはそれを武器にしている。
気にしている様子もあるけど、それを受け入れてもらえてるし、現に今日もその凛世さんの「特別」が撮りたくて、お仕事ももらっている。あたしは凛世さんの隣にいただけだ。
凛世さんと比べたら、自分はなんて普通なんだろう。さっきまで自分が特別で、普通のことを何も知れないなんて傲慢なことを考えていたけど、案外自分みたいな人間は、特別でもなんでもないのかもしれない。
特別であることを自覚すること、普通であると言い聞かせること、どっちが正しいのだろう。
凛世さんがすっと障子を開く。暗い広縁に、薄青い月明かりが差し込んだ。
「開けるだけで、明るい部屋になりましたね」
「ええ……今宵はずいぶんと……月が……」
「綺麗ですね?」
「ふふ……」
残りのアイスを頬張ると、さっきよりもずいぶん食べやすくなっていた。柔らかいし、ちょっとぬるくなってる。
でもちょっと背中が冷える気がして、でもまだ寝る気にはなれなくて、壁にかけてある寝巻き用の上着を肩に羽織った。
「凛世さんも上着、いりますか?」
「はい……では」
夏の真ん中でも、夜の山奥は冷える。
「ありがとう……ございます」
月明かりに照らされる凛世さんの顔は、お化粧をしてないのに綺麗で、特別だな、と思った。綺麗ですね、とあたしが言うと、凛世さんはにこりと目を細めた。
その当たり前を持ち続けて欲しい。誰かの言葉をふと思い出した。
月曜日は普通に学校があった。日曜日も夕方まで撮影があったから家に帰ったのは夜になり、微妙に疲れが溜まったままの登校になった。まぶたの裏に疲れは溜まってるけど、夏休み前だから、とこのスケジュールを受け入れたのはあたしなので仕方ない。
2時間目が終わって、お昼まで我慢できそうになかったので菓子パンを齧りながらスケジュール帳を確認していると、生徒会の子が話しかけてきた。
「果穂ちゃん、例の件なんだけど……どうだった?」
「あ、それなんだけどね!」
あたしはすぐに顔を上げて、曲のことはまだわからないということを伝えた。プロデューサーさんと言っても伝わらないので、事務所の人に許可は貰えたよ、と伝えた。
「じゃあ予定も空けてくれそうなんだ! 果穂ちゃんしかしたらお仕事かな~って思ってたから嬉しいな」
「あたしもそこは安心! 数学が2時間ある日は休んでもいいけど行事の日はね~」
「水曜日はマジでスルーしていい日だよね」
数学が2時間ある日は水曜日だったんだ、となんとなく別のことを考えながら、休み時間いっぱいその子とお喋りをしていた。部活をしていないからグループに入れないんじゃないかって不安に思ってた時期もあったけど、案外教室では部活以外の繋がりも多い。あたしとしては助かる。
また曲のことが決まったら連絡するね、もしかしたら夏休みになるかも、と伝えると、生徒会の子はわかった~と嬉しそうに席に戻っていった。そういえば締切とか聞いていないな、と思ったけど、まあ高校の行事なんてそんなものなのかもしれない。なるべく早く決めればいいかな。
放課後は雑誌の撮影があった。これが終われば3日お休みがある。学校はあるけど、放課後の時間が空くだけでずいぶん楽になる。寝溜めしておかなくちゃ。
プロデューサーさんとの待ち合わせはまだ余裕があったけど、今日もあたしが先に着いておきたかったので少し急いで学校を出た。何か飲み物でも買おうかと思って鞄を開けると、この間のいちごオレが入っていてちょっとげんなりした。多分、もう飲めなくなってる。でも捨てるのを人に見られるのはダメだし、家まで待って帰ろう。
コンビニまで行くと、待ち合わせの10分前なのに、いつもの場所に車が停めてあった。ナンバープレートが同じだから間違いない。早すぎる。
たぶんプロデューサーさんは水か何か用意してくれているだろうけど、この喉の渇きをあの人に潤してもらうところを想像すると、なんだかムッと思うところがあったので、車に気づかないふりをして少し小走りにコンビニに駆け込んだ。
少し急ぎ目に水を選んで、レジに急ぐ。小腹が空いてる気がしたけど、これから撮影だし、少しでもお腹を引っ込めておきたくて我慢した。
案外、少し食べただけでも印象は変わる。今日の衣装は浴衣だと聞いてるけど、着付けの時にお腹にタオル巻かなくていい、なんて言われたら、ちょっと嫌かもしれない。
この間夏葉さんに教えてもらったスマホ決済でお会計を済ませて、コンビニの自動ドアをくぐる。蝉の声は頭の中まで響くようで、姿も見えないのにどこから聞こえてくるんだろう、と視線を泳がせた。地面から陽炎が上がっている。もし地面があんな風にぐにゃぐにゃしてたらバランス取るの難しそう。
コンビニで水を買ったのが知られたら、なんだかあの人への当てつけみたいなので、プロデューサーさんの車からは死角になる位置で1口だけ水を飲んで、小走りで車に向かった。後部座席のドアを開ける。
「おつかれ果穂」
「お疲れ様です」
今日の撮影はちょっと遠い。車に乗っている間は宿題でも進めようかな。でも頭を使うなら甘いものが食べたい。やっぱ何か買えばよかったな。
「さっき買ったやつだけど、チョコ食べる?」
ミラー越しに目が合う。すぐに目を逸らす。
「いりません」
撮影は驚くほどスムーズに終わった。本当は待ち時間があったけど、あたしの前の子が機嫌を悪くしてしまっていて順繰りにあたしの撮影が先になった。お仕事で機嫌を悪くするなんて、子役の撮影でもあったのかな。
「いやぁ、果穂ちゃんまた背伸びたねぇ!」
「はは、小宮も育ち盛りですので」
「昔からスタイル良かったけど今年はもう浴衣がバッチリ映えるねぇ、大人顔負けだよ!」
「ありがとうございます、お褒めいただいたと伝えておきますよ」
扉の外でプロデューサーさんと誰かが話しているのが聞こえて、控え室からちょっと耳を澄ませていた。
今年はまた身長が伸びた。昔はみんなと違うこの見た目が嫌で仕方なかったけど、どうやら身長が高いのは便利なことらしいと気づいてからは、そうでもなくなった。この歳にしては、ではなく、もっと広い範囲で武器になる。
現に、今着せてもらっている浴衣も高校生が着るには少し大人びている。こう言ってはなんだけど、たぶんクラスの子が来たら浴衣に着られているような印象を抱いてしまうと思う。あたしも背伸びをしてなんとか着ているだけだけど。
今年はプライベートで浴衣を着る機会があるのかな。せっかくなら何処かで着て、みんなで遊びに行きたたい。ちょこ先輩はしきりに太った太ったと言うけど、浴衣を着ると急に細く見えるから面白い。
「果穂、入ってもいいか?」
ドアをノックされて、全然問題はなかったけど、あたしは「少し待ってください」と声を張って、5秒くらい待って「いいですよ」と扉に話しかけた。
「お疲れ様、今日の撮影もバッチリだったな」
「ありがとうございます」
「スタッフの人も褒めてくれてたぞ、後から撮影した大人のモデルさんよりずっとお淑やかだったって」
あの人、大人だったんだ。大人なのに周りに迷惑をかけるなんて、そんな生き方自分が苦しくないのかな。
「よかったら買い取るかって言われたけど……どうする?」
「これですか?」
「うん。このまますぐ帰れるし、はづきさんが着付けできるから遊びに行く時も着れるぞ」
「うーん」
改めてくるりと鏡を見てみる。久しぶりに髪を下ろしているので普段とは随分印象が違うけど、白地に赤とオレンジでアサガオが描かれている浴衣は自分でも似合っていると思うし、凛世さんも持ってなさそうだった。
「ちょっと欲しいかもです」
「じゃあ言ってくるよ。そのまま帰れるけど、どうする?」
「着たままで大丈夫です」
「わかった。よく似合ってるもんな、それ」
プロデューサーさんが小走りで出ていったので、あたしはまとまっていた荷物を肩にかけて、先に衣装さんたちに挨拶を済ませておいた。
最近は1人で挨拶に向かっても「しっかりしてるね」と言われることが少なくなった。自分が大人に近づけてる感覚がして、悪い気分ではなかった。
着替えがないぶん早く帰れると思ったら、帰路で渋滞に捕まってしまった。
「ごめん……まだしばらく抜けそうにないな」
「プロデューサーさんは予定ないんですか?」
「今日はもうないよ、果穂は?」
放課後に予定があることなんてない。窓のところに肘をついて、聞こえるか聞こえないかの音量で「別に、ないです」とだけ返事をしておいた。
プロデューサーさんは聞き返してこなかったから、たぶん聞き取れたのだと思う。
浴衣で帰ろうとしてしまったから、長いこと車に乗っていると姿勢が崩せなくて腰が痛い。こんなことなら時間をかけてでも着替えてくるべきだった。
外はかなり混んでいる。ふと歩道に目をやると、あたしに似た浴衣を着ている人が目に入った。
浴衣?
「もしかして夏祭りやってるのかな」
「みたい……ですね」
意図せず声音が上がってしまったので少し抑えつつ、私も同じことを考えていた。この辺りで渋滞なんてほぼないし、近くでお祭りでもあるのかもしれない。
「よかったら寄っていかないか?」
「見つかったら面倒じゃありませんか?」
歳が離れているとはいえ、親子ほどの年齢差もない。1番嫌な誤解をされるかもしれないと思うと、行ってみたい気持ちがそれに押し負けてしまう。
「意外にお祭りって人の顔見ないんだ」
凛世の時も意外に問題なかったんだよ、とプロデューサーさんはちょっと楽しそうにハンドルを握り直していた。いつの話だろう。凛世さんは小柄だし、あまり見つからない印象はある。
「ただ無理にとは言わないし、疲れてるならやめておく……?」
あたしが黙っていると、プロデューサーさんはミラー越しにこちらを伺ってきた。
この人も、今は事務所のみんなが大人だし、一緒に行ける人がいないのかもしれない。この性格だし友達はいるだろうけど、これだけ仕事をしているのを見ていたらプライベートで遊ぶ暇もないのかもしれない。
本当は早く帰りたかったけど、あんまり邪険にするのは良くない気がして、ミラー越しにプロデューサーさんの顔を見た。目が合う。なんかこそばゆくて、すぐそらす。
「いいですよ」
なるべく優しく応えようとしたけど、自分が思ってるよりぶっきらぼうな声が出てしまった。プロデューサーさん傷付いてないかな、ともう一度ミラーを見ると、また目があって、
「じゃ、ちょっと車停めるとこ探すな」
嬉しそうでホッとした。
あたしがこんな態度でいても、この人は機嫌を悪くしない。
よく考えると、さっき機嫌を悪くしたモデルさんを身勝手だと思ったけど、それはプロデューサーさんに対するあたしの態度もそうなのかもしれない。さっきはあたしやスタッフの人が帳尻を合わせて撮影が遅れないようにしたけど、この車の中では、プロデューサーさんが帳尻を合わせてくれているのかもしれない。
どうしてそんなにしてくれるんだろう。
娘ほど歳は離れてないけど、兄妹というほどでもないし、従姉妹や姪でもない。プロデューサーさんにとってあたしは、ちょっと特別なのかもしれない。
ウィンカーの音に耳を澄ませていると、外からヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。頭の中を覗かれているような気がして、あたしは小さく咳払いをした。
あーすきすき
すみません
明日には続き投下します
待ってます
普通、普通ってなんだ?
に○か「小学生なのに身長は160越で、バストが80ある女の子じゃないのはたしか」
「……って、福丸さんが」
小糸「ぴゃっ?!」
車を停めた場所から5分程で、屋台が並ぶ河原の景色が見えた。焦げたソースの匂いがたちこめて、その中から砂糖の甘い匂いも漂ってくる。お腹すいた。どこからか太鼓や笛の音も聞こえてくる。でもこれは音質的にスピーカーのやつだな。
「何か食べたいものあったら言ってな」
「特にありません」
子供扱いされてるみたいでムッと答えてしまったけど、言ってから少し後悔した。お腹すいてるのに。撮影が早くなったせいでケータリングも食べ損ねたし、屋台に並ぶ文字がいつもより魅力的に思える。
あたしが変な意地を張っているせいで自分が目の前の食べ物を逃したと思うと、なんだか情けなくてしゅんとした。
「うわぁ、見てみなよ果穂、金魚掬いの屋台が2つ並んでる」
あたしが目頭を熱くしてたのに、プロデューサーさんは目を輝かせて屋台の方を見ている。今年で幾つになるんだろう。でもそういうところがかわいいって、前に凛世さんが言っていた。かわいいかな。若いとは思う。
人混みの中、プロデューサーさんのスーツの背中を眺めてて、いつもより自分の目線が高いな、と思った。浴衣のまま来たから靴が厚底なのもあるけど、やっぱりまた背が伸びたのかもしれない。
いつだったか、プロデューサーさんと公園で身長の話をしたことを思い出した。たぶん、W.I.N.G.に優勝する前。あの頃のあたしは自分がまだまだ大きくなると思っていたし、この人の身長が平均より高いことなんて意にも介してなくて、「プロデューサーさんよりも背が高くなっているでしょうか」と言った覚えがある。
全然そんなことなかった。今だって厚底を履いているのに、この人の頭のてっぺんは見えやしない。いくらあたしの身長が高くても、男女の差は簡単には埋められない。
一段とソースの匂いが濃くなって、やっぱお腹すいたし、どうしよう、と思い始めていると、おでこからプロデューサーさんにぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
思ったより早歩きをしていたらしく、前髪が崩れていないかすぐ手で確かめた。
「果穂、たこ焼き一緒に食べないか?」
「たこ焼き……」
屋台に寄ろうとして、この人が立ち止まったらしい。食べたかったけど、さっき「いらない」と言った手前、ここで喜んで欲しがるのはちょっと恥ずかしかったので、
「半分なら」
と自分でもよくわからない強がりをしてしまった。
「じゃあ買ってくるよ!」
でもあたしの機敏なんて気にしていない様子で、プロデューサーさんは「はぐれないようにね」と言って、流れを割って屋台の方に向かった。
あたしも見失わないように背中を追いかける。浴衣や甚兵衛の人が多いから、スーツは目立つ。でもあたしは浴衣に紛れてしまうから、あたしが見失うわけにはいかなかった。
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プロデューサーさんがカバンから水を取り出してる。先に水飲むのかな。じゃああたしが先にいただきますって言っちゃえば食べてしまってもいいのでは……でもさっきいらないですと言った手前、それはなんか違う気もするし……
「でもよかった、果穂も文化祭を楽しめそうで! 普通のみんなみたいに」
「…………」
割り箸を持つ手が固まった。
雑踏の音が急に遠くなる。
地面に触れてる部分が冷たく感じて、喉が渇いていることに気付く。
普通のみんなみたいに。
「本当にそう思いますか?」
「え?」
「普通のみんなみたいに、」
普通のみんなみたいに、文化祭を楽しむことができると、あたしは思えない。お仕事があるから放課後の予定は埋まってるし、それだと文化祭の準備は参加が難しい。
誘ってもらったライブだって、それはあたしが普通だからじゃなくて、アイドルだからなのは間違いない。アイドルがクラスにいるから珍しくて、特別だから、きっと声をかけてくれた。それは嬉しくないわけじゃないけど、なんだか、ちょっと。
あたしはアイドルになったことについて、一切後悔はしていない。
ないけど、やっぱりたまに考えてしまう。もしアイドルになっていなかったら、あの日公園でプロデューサーさんと出会わなければ、今何をしていたんだろう。部活は何を選んだのかな。高校も、もしかしたら別の場所に通っていたかもしれない。
眠っている時、学校にいる夢を見ても、いつのまにか現場にいる。部活をしている夢は、体育と授業と変わらない。知らないから、想像だってできやしない。
普通を楽しんでいる友達を見ると、たまに羨ましくなる。放課後にどこに行ったとか、部活の先輩がウザいとか、夜遅くまで通話したりとか。
もちろん、普通の人たちからすれば、あたしがしている経験は羨ましいものなのかもしれない。特別なことは普通味わえないことで、特別な体験をさせてもらいながら普通
も望むなんて、とんだ我が儘だってことはわかっている。
でも、やっぱり、あたしが普通でなくなるきっかけになった人に、普通のみんなみたいに、と言われると、頭の中のつっかえが外れてしまったみたいに色々込み上げてしまって、
「ごめんな、果穂」
浴衣の袖が涙で濡れていた。
いつのまにか目頭が熱くなって、視界を揺らす涙を止められなくなっている。プロデューサーさんはこっちを見ないで、ごめんな、と言った。
「おれさ、果穂から普通の人生を奪ってしまっているかもって、不安に思うことがあるんだ」
「…………」
熱い涙は夜の風で冷えて、鼻を啜ると、芝生の匂いが濃くなる。
「他のみんなもそうなけど、果穂は特に、スタートが早かったから」
遠くから、もうすぐ花火が始まるというアナウンスが聞こえてくる。会場から拍手が響いて、より一層雑踏の音が強くなる。
「初めて声をかけた時は、正直、小学生と聞いて驚いたよ。でもやっぱり、それを含めても、おれは、果穂はあの時点で特別になれると思った」
あの時点で、特別になれると思った。
「特別になれる人は世界でも一握りで、あの時出会えたことが嬉しくて、おれは果穂に特別になって欲しいと思った」
プロデューサーさんの声にも熱がこもっていて、こんな声を聞いたのは久しぶりで、あたしは足元がおぼつかないような感覚で次の言葉を待った。
「でもそれはつまり、果穂から普通を奪ったのは、おれだ。だから、」
だから、ごめん。
たぶん最後は、そう言っていた。大きな花火が打ち上がって、少し遅れて音が爆発する。その爆発と一緒に、プロデューサーさんの声は一瞬途切れてしまったけど、それでもあたしにだけははっきり聞こえた気がした。
ああそうか。
花火がまた上がる。心臓を揺らすような音が体に響いて、その一瞬だけは自分が世界から切り離される。
あたしも元から、特別だったんだ。
夜空に広がる花火はコンサートの演出のようで、これを作っている人は、今日のために何日もかけて準備したのだろうな、と思った。
文化祭でライブをする人だって、学校の中ではほんの一握りで、あたし以外の出演者の人だって特別だ。あたしはたまたまその中でもアイドルだってだけで、それは相対的に特別だってことにすぎない。もしその日のライブにプロのロックバンドが参加したら、あたしはその人たちに比べて普通になる。
眼下に並ぶ屋台の人だって、誰がどんな経緯で屋台をやっているのかさっぱりわからない。あたしとは遠い人生の人たちで、あたしからすれば特別な人たちだ。
何が普通なんて、あたしにはわからない。その場その場で、たまたまその時だけ特別になるかもしれない。
それを言うならば、
「プロデューサーさんも、特別ですよ。あたしの中で」
この人だって特別だ。
父でも兄でもないのに一緒にいるし、でもあたしのことはある意味誰よりもわかってくれてる。感謝もしてるけど、なんだかこそばゆい。素直になりたくない。
こんなことはっきり聞かれるのは恥ずかしいから、花火が邪魔してくれてる時に、こそっと口にした。プロデューサーさんは「そうか」とだけ答えた。
花火が途切れる。
「あたしはプロデューサーさんの中で、特別になれてますか?」
今度は聞こえるように、プロデューサーさんの方を見て尋ねる。
「ああ、もちろん」
目が合う。逸らさない。
「じゃあ、良かったです」
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>>51
ミス
たこ焼きを受け取った後は、どこか座れる場所を2人で探した。どこも人が多くて、ベンチなんかはロープが巻いてあって使えなくなってる。ザクザクと人混みを歩き、屋台を少し抜けると、レジャーシートがたくさん敷いてある場所に出た。
「これから花火が上がるのかな」
「かもですね」
河原は一面場所取りがしてあって座れそうになかったけど、道路側の土手は傾斜になっていて、レジャーシートは並んでなかった。一定の間隔を空けて、いろんな人が座ってる。親子3人組だったり、友達数人だったり、カップルだったり。会話してる様子から何となく関係はわかる。
クラスの子たちは、クラス友達とお祭りに来たりするのかな。花火をみたりするのかな。
あたしだって、放クラのみんなとお祭りに出かけたことはある。小学生の時は近所の友達と縁日に行ったことだってあるけど、おめかしして、電車に乗って、同じ部活の友達や、気になる男の子なんかとこんな場に来た記憶はない。
普通の高校生は、誰とお祭りを楽しむんだろう。あたしとプロデューサーさんは、どんな関係に見えてるんだろう。
「芝の上に直接……になるけど、浴衣大丈夫?」
話しかけられて、はっと意識がこっちに戻ってくる。
疲れているのかもしれない。考え込むとボーッとしてしまう。
「平気です、たぶん」
別に汚れても問題ない。もう今年はこれで最後かもしれないし。
2人で少しづつ人混みを離れて、程よく人目につかない場所に座り込んだ。プロデューサーさんは予備のハンカチを地面に敷いてくれて、あたしはその上に座った。
>>56
「そういえば文化祭だけど、曲は使ってもらって大丈夫だって」
たこ焼きのパッケージからベベンと音を当てて輪ゴムを外しながら、プロデューサーさんは思い出したように言った。
「ただなるべく撮影とかは禁止にして欲しくて、あまり音源が流れないようにだけ注意して欲しい感じで……」
「わかりました、生徒会の人に確認してみます」
「うん。でもまあ高校の文化祭だし、あんまり向こうも気にしてないみたいだから好きにやってくれていいよ。せっかくだしね」
「はぁ」
あたしは空返事をしながら、プロデューサーさんがビニール袋の上に置いたたこ焼きをどのタイミングで食べればさりげないか考えるのに必死だった。お腹すいた。橋は2本あるけど、プロデューサーさんが1つ取った後にさりげなくつつこう。
>>54
普通の人生が何なのかはわからないけど、あたしは自分にないものを欲しがりすぎてたのかもしれない。
夏葉さんほど周りが見えるわけでもないし、樹里ちゃんほどかっこよくもない、凛世さんほど綺麗でもなければ、ちょこ先輩みたいにみんなを楽しませることができる自信もない。あたしは普通の人間だ。
けど、たまに、あたしが特別になれることだってある。この人の中で、あたしは特別だ。
花火が鳴る。頭の中のもやもやを全てさらっていくような大きな音がして、体の芯を大きく揺らす。
「普通って、何なんでしょうね」
「……わからないな」
プロデューサーさんは困ったように笑ったけど、その声はさっきより少し明るい気がした。たぶん、あたしも同じだ。
普通って、何なんでしょうね、と口にしても、最近心にあったモヤモヤがもう生まれてこないことに、シャワーを浴びた後のような爽快感があった。
「でも普通の高校生は、おれみたいなおじさんと夏祭りには来ないかもね」
今さら気にし始めたのか、プロデューサーさんはあたりを見渡しながらそう言った。みんな花火を見ていて、誰もあたしたちのことなんて見ていない。
この空間の中では、あたしもプロデューサーさんも普通だ。
「自分でおじさんって言うの、やめたほうがいいですよ」
「えっ」
いつもみたいに突き放してるわけじゃなく、ちょっと自分でも優しすぎるかなというくらいの声音で返事をする。
抱えていた膝を芝生の上に投げ出すと、綺麗な浴衣を着ていることを思い出した。帯にしまっていた割り箸を取り出す。
「プロデューサーさん、」
花火がまた上がって、大きな爆発が頭の中のモヤモヤを拭い去ってくれる。
「たこ焼き食べてもいいですか?」
反抗期の小宮果穂ぉ!
こんな放クラが書けるようになりたい
おそらく自分は、普通の人生を送れない。
なんとなくそう意識し始めたのは、たぶん中学生の時だったと思う。今は目の前に並ぶ面子を見て、ある意味改めてそう思ってる。
「タッチパネルで注文するのって結構ややこしいよな」
「あら、樹里の機械音痴はこんなところでもきいてくるのね!」
「いいだろ別に」
「果穂さんは……何を……」
「じゃあオムライスでお願いします!」
「よく食うな~」
夏休み初日、珍しく事務所に集まったあたしたち放クラは、この後予定がないけどすぐ帰るのも勿体無くて、誰からともなくファミレスに足を伸ばしていた。
「ここのドリンクバー、いちごオレあるって!」
「いちごオレってそんなに喜べるものなんですか?」
ファミレスを提案したのはちょこ先輩だったかもしれない。ファミレスはたくさん食べられるから良い。食べない人はちょっとで済むし。
今朝レッスンを終えて、事務所に戻ると久しぶりにちょこ先輩と顔を合わせた。
「果穂、またお姉さんみたいになって……!」
「そんな親戚の人みたいな」
そこまで会わなかったわけでもないのに。せいぜい2週間くらいだ。でも、あたしもずいぶん会ってなかった気がする。ハグでもしたい気分になったけど、それは恥ずかしくてやめておいた。
その後も忘れ物を取りに来た樹里ちゃん、荷物を取りに来た夏葉さん、スケジュールの確認に来た凛世さん(プロデューサーさんに会う口実だろうけど)と順々に事務所にに集まってきて、自然とソファで話が盛り上がっていた。
「事務所に放クラが集まるなんて、最近あんまりなかったな」
「プロデューサーさんもそう思います?」
「ははっ、もうみんな個人で仕事もらえるくらい大きくなったもんなぁ」
「たまには5人での仕事も欲しいなぁなんて……」
「智代子の番組に呼んでみるか」
「ほんとですか!?」
「放クラが集まっても身内ノリになるだけだろ」
プロデューサーさんもデスクから楽しそうに話しかけていたけど、あさひさんの送迎があるということで名残惜しそうに事務所を後にした。
あさひさんの舞台は来週から本番らしい。チケットを貰っているから、そろそろお花屋さんでスタンドの予約をしておかなくちゃ。楽しみだな。
「じゃあ行ってきます、果穂、あとでチェイン確認しておいてな」
「わかってます」
結局、あたしはプロデューサーさんの目を見て話せたのはあの日がまた最後になった。次の日から何か変わるなんてことはなかったし、見透かされてるような言動にモヤっとすることに変わりはない。
「最近車移動多いんだって?」
凛世さんがソファの裏から夏葉さんの髪を三つ編みにしているのを眺めていると、樹里ちゃんがあたしに話しかけきた。
「なんですか?」
「いや、アイツがさ」
樹里ちゃんの目線はプロデューサーさんのデスクに向いている。空になったコーヒーカップが放置してあって、出かけるなら流しに出しておけば良いのに、と思う。そういうところもなんだか目に付いてしまう。
「あー……はい」
たしかに、最近はなるべく車移動がいいと希望を出していた。電車で移動するよりも会話する機会が少ないのが単純な理由だけど、それに加えて、
「プロデューサーさんと電車乗ると……その、あたしを窓際に立たせてくれるよう気を遣ってくれるのがなんだか、ちょっと……」
「なるほどな~」
気を遣ってもらってるのはわかるし、それ自体は嫌ではないんだけど、それにムッとしてしまってる自分が子供なこともわかる。それがむず痒いのだ。
樹里ちゃんはちょっと考えて、困ったような笑った。
「それはちょっとわかる」
>>63
困ったような
↓
困ったように
「何々、何の話?」
「わっ」
ちょこ先輩が後ろから抱きついてきた。しっかり拭いてるとはいえ、レッスンの後なのに。
ちょっと身じろぎしながら目線を上げると、みんなあたしの方を見ていた。
「え……なんですか」
「果穂にもそういう時期ってくるのね」
「ええ……もう子供ではございませんから……」
「ませちゃって~」
「いや、なんですか」
「プロデューサーさん寂しがってるよ?」
普段はあまりこういうこと言われないのに、さっきのあたしの態度が露骨すぎたのか、みんなちょっと楽しそうにあたしに話しかける。もう少し優しくしてあげてもよかったかな。
みんなの視線が別に嫌ではないけど、なんだかむず痒くて、あたしはソファの後ろからあたしを抱いているちょこ先輩の腕をパシパシと叩いた。
机の上のコーヒーカップに目をやる。
みんながあたしのことを可愛がってくれてるのはわかる。でもそれと同じように、みんなはプロデューサーさんのことも違った意味でかわいがっているのも何となくわかる。それはベクトルが違うけど、あの人の性格がなせる信頼関係だなと思う。
そういう生きる上手さも、なんだかたまに気に食わなくなる。別に嫌いではないけど、今はちょっと目を合わせたくない。
でも今はそれで支障はないし、たぶん、いつかはまた楽しく話せる日が来ると思う。あたしは落ち着かなくて、ペットボトルの水を一口飲んだ。さっきプロデューサーさんに貰ったやつ。
「果穂はホワイトソーダでよかった?」
「はい! ありがとうございます」
凛世さんたちがドリンクバーから帰ってきて、器用に3つグラスを持ったちょこ先輩があたしの前に氷が入ったグラスを置いた。
ホワイトソーダをカルピスで薄めたやつ。炭酸は飲みたいけど、喉に悪いからレッスンの後は薄めて飲んでる。ちょこ先輩、覚えていてくれたんだ。
夏葉さんは真夏なのにあったかいコーヒーを啜っていて、一段と大人に見えた。
「ファミレスのコーヒーってある程度美味しいのよね」
「ある程度って大事だよねぇ」
ちょこ先輩があたしの隣に座りながら、グラスにたっぷり入ったいちごオレをこぼさないように慎重にテーブルに置いていた。
「樹里さんには……こちらを……」
「なんだよこれ」
凛世さんはおぞましい色のジュースを樹里さんに渡していた。
「本日のドリンクです」
「あってたまるか」
文句を言いながらも、樹里ちゃんは黒ずんだ液体を普通に飲んでいた。凛世さんはドリンクバーで遊ぶけど、ちゃんと美味しいものを持ってくる。でも樹里ちゃんが黒ずんだ液体を飲んでいる絵面は変だった。
「いちごオレってゴクゴク飲んじゃうから勿体無いけど、ファミレスだといくらでも飲めるからいいよね~」
ちょこ先輩はもう半分くらい減ったいちごオレを嬉しそうにテッシュの上に置いていた。夏場の冷たいグラスには、もう結露ができている。
「でもちょこ先輩もご飯注文したんですよね?」
「うん? そうだけど」
「いちごオレってご飯に合うんですか?」
ちょこ先輩は水を取りに行った。
「アタシも水取りにいく」
「いえ……お手を煩わせるなど……凛世が新しいものをお作りいたしますので……」
「今度は普通で頼むぞ」
樹里ちゃんを奥に押しやった凛世さんが、また嬉しそうにグラスを持ってちょこ先輩を追いかけた。
楽しいな。
放クラで集まるのも久しぶりだけど、お友達とこうして何でもない時間を過ごすのも久しぶりな気がする。最近は誰か1人と会うことはあっても、数人で会話するなんてことがあまりなかった。
あたしにとっては普通の時間だけど、よく考えると、この歳の差で遊ぶような集団って、あまり想像できない。自分達以外だとどういう関係で集まるんだろう。
あたしが16歳で、夏葉さんが24歳。その間の年齢もバラバラで、同じ地区に住んでいたとしても、ランドセルを背負っていた時期すら被らない人だっている。こうしてここにいるのが不思議だ。特別な関係だと思う。
でも、あたしの人生にとっては普通の関係だ。あたしはこの人たちと出会う人生しか知らないし、当たりだと思う。
いつかのアイスの棒を思い出す。そういえばまだ交換していない。この後、解散する前にみんなでコンビニに寄ろうかな。
「そうえば、果穂、文化祭でライブするんだって?」
「はい! まだ何歌うかは決めてないんですけど」
「それ、私たちも放課後クライマックスガールズとして出られないかしら!」
「え?」
「マジで?」
樹里ちゃんとは何となくそんな話をした覚えがあるけど、真面目に考えたことはなかった。そうか。曲を使っていいなら、ちょっとくらい5人で出てもいいのかもしれない。
「もちろんサプライズ登場にはなると思うけど」
「事前に公表してたら文化祭が大変なことになっちまうよ」
「どうかしら!」
「楽しそうです……!」
プロデューサーさんに相談してみて、許可をもらえたら生徒会の子に相談してみよう。今頃何してるかな。もしかしたら同級生とファミレスでお喋りしているかもしれない。
羨ましくはない。だってあたしも今、ユニットメンバーとファミレスでお喋りしている。あたしなりの普通の時間がある。あたしはこれでいい。これがいい。
「お待たせ……いたしました……」
ちょこ先輩と凛世さんが帰ってきた。ちょこ先輩は水だけど、凛世さんはまた変な色の飲み物を持っている。
「また真っ黒じゃねぇか」
普通のジュースでいいって言ったのに、と樹里ちゃんがテッシュで作ったコースターの上に黒い液体を置く。
「いえ……今回はコーヒーは混ざっていないので……」
「さっきのは混ざってたのかよ」
コーヒーとジュースって合うんだ。あたしは自分のジュースを一口飲んで、普通にホワイトソーダを入れてもらってよかったと安心した。
「ですので……これは普通のジュースです」
「普通ではないだろ、この色は」
あたしが見つめていたことに気づいたのか、凛世さんがはっとこちらをみた。
「果穂さんもご所望でしたら……」
いや、別にいいです、と笑って、あたしは樹里さんをみた。見た目は変だけど、それを飲んでる表情は別に平気そうだ。中身は美味しいのだろう。
ニコニコしてる凛世さんに、あたしは笑いながらツッコんだ。
「普通って、なんですか?」
おしまい。
おつ
非常に良き
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