棟方愛海「交錯公演 ライバル!」 (89)
あたし、アマミタウンの棟方愛海。
14歳になって自分のポケモン、レジロックを手に入れたあたしは幼馴染で親友の七海ちゃんとキサラギシティへ向かっている。
目指すは志希さんの待つポケモン研究所!
「なんて、冒険っぽく言ってみたけど、わりとよく行くよねキサラギシティ」
「隣町れすしね。七海は先週も買い物で行ったれすよ」
お喋りをしながらあたしたちは自転車をこいだ。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1559305774
棟方愛海「交錯公演 めざせポケモンマスター」
棟方愛海「交錯公演 めざせポケモンマスター」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1534123765/)
の続き
海と山しかないアマミタウンと比べてキサラギシティは割と都会だ。
あくまで田舎基準での割となので高い建物などはないけれど、アマミタウンよりは品ぞろえのいいお店が並んでいる。
「でもポケモン研究所なんてあったっけ?ジムはあったと思うけど」
たしかほのおタイプのジムがあったはずだ。
あたしはポケモンバトルに興味がなかったから、ジムリーダーの顔も知らないけど。
でもそれ以上にポケモン研究所があるなんて話は聞いたこともない。
「七海も知らないれす。志希さんは研究所の場所は言ってたれすか?」
「聞いたよ。でもその場所ちょっとおかしいんだよね」
七海ちゃんに志希さんから教わった研究所の場所を伝えると、七海ちゃんも思案顔になった。
「うーん?まあ、行ってみればわかるれす」
「そうだね」
あたし達はスピードをあげてキサラギシティへと向かった。
『ここはキサラギシティ。夢へ羽ばたく目覚めの町』
町の入口にある掲示板を横目に走り抜け、目的地に到着したのだがそこはあたし達もよく知る場所だ。
「ここ、植物園だよね?」
キサラギシティの名物の一つ、キサラギ植物園。
あたしも七海ちゃんも学校の社会科見学などでお世話になったことがある場所だ。
逆に言えばそれぐらいでしか入った覚えはない。
「この中で会おう、ってことなのかな?」
入場料払うのやだなあ、とあたしが思っていたら七海ちゃんが声をあげた。
「愛海ちゃん、これを見てくらさい!」
七海ちゃんが示した入口看板には当然ながら『キサラギ植物園』と書かれている。
「よく見るれす。『キサラギ植物園』の後に小さく『兼、一ノ瀬研究所』って書き足してあるれすよ」
「え?それってつまりどういうこと?」
「説明しよー!」
植物園の入口が開き、中からあたし達を呼んだ張本人、志希さんが白衣をひるがえしながら現れた。
「もともとここはあたしの研究所だったんだ。でもあたしが失踪や旅で留守にしまくってる間に植物園にされていたんだなー、これが」
「乗っ取られてるじゃないですか!?」
「もともと研究のために色んな珍しい植物を育ててたから、一部を一般開放する案はあったんだけどね。めんどくさくて放置してたら研究員達の間で勝手に決まっちゃった。ま、いーけど」
「いいんれすか」
けっこうやばい問題な気がするけど。
『研究所兼植物園』じゃなくて『植物園兼研究所』なところとか。
そんなあたし達の心配をよそに、志希さんはずずいと近付いてくる。
「そんなことより、おはよう諸君。さっそくキミ達のポケモン見せてっ」
植物園関連をそんなことと本人が流したのでこちらも追及はせず、あたしはレジロックを、七海ちゃんはチョンチーをボールから出す。
出てきたポケモンに志希さんは目を輝かせて、まずはチョンチーに寄った。
「チョンチーだ!この辺だとあまり生息してない子だよ。別の地方の子かなー」
「はい。漁をしてるお父様が捕まえてきてくれたれす」
「そっかー。はすはす」
七海ちゃんの返事を聞きながら、志希さんはチョンチーにぐいっと顔を近付ける。
「なるほど。くんくん。あ、嗅いでもいい?すんすん」
「もう嗅いでるれす……いいれすけど……」
うんざりとした顔で七海ちゃんが了承する。
「本当に愛海ちゃんみたいなヘンタイさんが他にもいたんれすね」
「ちょっ、あたしは匂い嗅いだりしないよ!?」
「嗅ぐか登るかの違いれす。同じれしょう」
「いやいや。あたし達の行いにはそれぞれ異なる意味や目的があって」
「聞いてないれす」
塩対応、もとい潮対応な七海ちゃんにガックリしながら志希さんを眺める。
チョンチーのヒレの付け根に顔を突っ込んで匂いを嗅いでいる白衣美女。
けっこうきつい絵面だ。
というか今あたし達がいるのは植物園兼研究所の目の前、つまり外。
町の中心部からは離れた場所にあるとはいえ、地元の人が通りかからないかハラハラする。
こんな姿を見られたらこの町で生活できないだろうに。
もしかしてよく失踪するのってそういう理由なのだろうか。
「あ、愛海ちゃん……」
七海ちゃんがひそひそと声をかけてきたので振り向くと、少し離れた道を地元民らしきおじさんが歩いていた。
「やば」
志希さんを隠すべきだろうか、いやもう遅い。
おじさんは志希さんを見て、チョンチーを見て、あたし達を見た。
そして、すべてを察した顔をしたあとに「うちの町の者が申し訳ありません」と言いたげに頭をさげてから去っていった。
「……町のみんなにバレてるんれすね、志希さん」
「まあ、人目をはばからず野生のポッポに顔うずめるような人だからね」
あたし達が呆れていると「ふんふん。なるほどなるほど」という声とともに、満足げな志希さんがチョンチーから顔を離す。
「生まれてまだ半年ぐらいかなー。健康体だよ。すっぱい味が好みみたい。今の環境にはまだ戸惑ってるけど、悪い気はしてない感じー」
「え?」
急に始まった志希さんの話にあたし達はポカンと口を開けてしまう。
「わかるんれすか?匂いを嗅いだだけで」
「匂いを嗅いだからねー」
七海ちゃんの問いかけに志希さんはにゃははと笑う。
「匂いには情報がつまってるんだよ。どれだけの時間を過ごしてきたか、どんなものを主に食べてきたか、ストレスをどのくらい感じているかとか」
なるほど?
試しに七海ちゃんの匂いを嗅いでみたけど、何もわからなかった。
あと頬を叩かれた。
「あたしの研究所ではポケモンと匂いに関する研究を主にしてるよ。半分以上趣味みたいなものだけど」
そう言って笑う志希さんは、さっきまでのただの匂い好きなヘンタイさんのイメージを払拭する雰囲気を纏っていた。
「志希さん、すごい人だったんれすね」
七海ちゃんも見る目が変わっている。
あたしも登り心地をテーマにしたポケモン博士になれば七海ちゃんにすごいと言ってもらえるだろうか。
「さて、じゃあ次はキミ!にゃはは、土の匂い!」
チョンチーを堪能した志希さんは次のターゲットであるレジロックに張りつくようにして匂いを嗅ぎはじめていた。
「ざ……」
レジロックも大人しく嗅がれている。
「レジロック、抵抗しないれすね。チョンチーだって少しは嫌がったれすよ」
「家であたしが撫でたり掴んだり揉めるか試したり色々してるから、慣れてるんじゃない?」
「抵抗しても無駄だと悟ってるんれすね……」
七海ちゃんが憐れみの目をレジロックに向ける。
あたし流の愛情表現なのに。
「そういえばちゃんとご飯あげてるれすか?レジロックが何を食べるのか、というかそもそも物を食べるのかもわからないれすれど」
「市販のポケモンフーズをあげてるよ。フーズを両手で掴んで顔に近付けたと思ったら、いつの間にか消えてるからたぶん食べてるんだと思う」
「軽くホラーれすね」
何も食べてくれない方がホラーだから、食べてくれるなら問題ない。
「それにしても匂いであんなにたくさんのことがわかるんれすね」
「ねー。志希さんってもしかしてポチエナより鼻いいんじゃない?」
「えー、それは流石にないれすよ」
あたし達が世間話を続ける間も、目の前では志希がレジロックの匂いを嗅いでいる。
「はすはすはすはす!すごい!この子、こんなのはじめて!はあ!たまんない!はすはすはす!!」
見てられない。
「うわぁ……」
さっきは尊敬の目をしていた七海ちゃんも改めてヘンタイさんを見る目になっている。
嗅がれてるのがあたしのポケモンじゃなかったら今すぐこの場を離れて他人のフリをするのに。
「登山してる愛海ちゃんもこんなれすよ」
「いやいやいや!?ここまで酷くないでしょ!?」
「……」
「マジ?」
「マジれす」
「……えっと、友達でいてくれてありがとう七海ちゃん」
「どういたしまして」
「これからも迷惑かけるけどよろしく」
「あ、治す気はないんれすね」
「うん」
好きなものの前でテンション上がっちゃうのは仕方ないよね。
「はぁ、よかったぁ……」
しばらくして、志希さんが恍惚とした表情でレジロックから離れた。
とりあえず嗅ぐのは終わったらしい。
と思ったら急に志希さんの様子が変わった。
「体を構成する岩は全部匂いが違ったのは……というか右肩の岩、フタミ島の岩がたしか同じ匂いだったような……もしかして色んな地方の岩が集まってできている?だとしたら……たしか文献では……」
ぶつぶつと難しそうな独り言を呟く志希さん。
志希さんの顔がヘンタイさんの顔からポケモン博士の顔になる。
自分だけの世界に入った志希さんに置いてかれたあたしと七海ちゃんは顔を見合わせる。
「邪魔しちゃ悪いし、目的は果たしたから帰る?」
「そうれすね。何か買い物してから帰りましょう」
歩き出したあたし達に、志希さんから待ったがかかる。
「まだ続きあるから帰らないでー」
歩きだしたあたし達に志希さんからストップがかかる。
ぶつぶつタイムは終わったらしい。
なんとなくわかったけど、志希さんは興味やスイッチの切り替えが異常に速いらしい。
まわりの人はついていくの大変だね。
「まだ見せたいものがあるんだー。というわけでついてきて」
志希さんに続いてあたし達は植物園の中、スタッフオンリーと書かれた扉の中へ入る。
てっきり植物園の事務室かと思いきや、入った部屋にはたくさんの本やよくわからない薬品が飾ってあって、まるで研究所の一室みたいだった。
「研究所だよー。一応ね」
そうだった。
そして部屋の中央にある机の引き出しから、志希さんは手帳のような機械を二つ取り出す。
「これはポケモン図鑑。図鑑をポケモンに向ければそのポケモンについて噂話から研究報告まで、判明している情報がわかる優れものだよー。ほら」
志希さんがチョンチーに図鑑を向ける。
すると図鑑にチョンチーの画像、身長、体重などのデータと簡単な説明が表示された。
『暗い海底ではいつも点滅している触手の明かりだけが通信手段』
「触手ってこれ?へえ、チョンチーのこれって通信に使うんだ」
「七海は知ってたれすよ」
続けて図鑑をレジロックに向ける。
『全身が岩でできていると言われている』
「見ればわからないそれ?」
「そのまんまれすね」
「レジロックはまだあんまり資料がないからねー。これから増えていくはずー」
どことなく嬉しそうな志希さんはポケモン図鑑を一つずつあたし達に手渡した。
「じゃあこれはキミたちにあげちゃおう」
「え!?」
「いいんれすか!?」
こんな貴重そうな機械をこんな簡単に貰っていいんだろうか。
「いいよー、他にもあるし。他にも二人ぐらいにあげてるから」
そういうことなら貰っちゃおうかな。
「ただし、ちょっとお願いがあってー」
やっぱり来たか、と身構えるあたし達を志希さんは笑いながら図鑑を操作してみせる。
「図鑑は調べるだけじゃなくてデータを収集する機能もあるんだけど、これで健康診断みたいなこともできるんだー」
志希さんが図鑑を改めてチョンチーに向けると、図鑑に『正常』と文字が表れた。
「健康状態のチェックも兼ねて、できれば毎日、せめて週に一回は手持ちのポケモンに図鑑を向けて状態を測っておいてよ。で、たまにここにくるかパソコンでデータを送ってほしいなー」
つまりレジロックやチョンチーのデータを経過観察したい、という話らしい。
断る理由はないし、健康状態を把握することができるというのならこちらからお願いしたいぐらいだ。
あたしも七海ちゃんも快く了承した。
「うんうん、第一目標が達成できて志希ちゃん満足。じゃあ、ここからは次の話なんだけどー」
志希さんの目がキラリと光った。
「キミたち旅に出てみる気、ない?」
急に何の話だろう、と困惑するあたし達に志希さんは話を続ける。
「あたしがポケモンと匂いに関する研究をしてるのは言ったよね。だからその図鑑には匂いを分析する機能もついてるんだー」
「匂い?」
「匂いはすごいよー。森の香りを調べれば、そこに住んでいるポケモンやどんな果実がよく食べられているかだってわかっちゃう」
「匂いだけで、れすか?」
「うん。それでね、キミたちには軽く地方一周を旅して、途中で通った街や森や道路の匂いを分析していってほしいんだー。分析って言っても、その図鑑を持って歩きまわるだけでいいから。あとは見かけたポケモンに図鑑を向けたりしてくれたら嬉しいなー」
それが事実なら、本当にただ移動するだけでよさそうだ。
問題があるとすれば、地方一周は全然軽くはないってことかな。
世間一般的に、ポケモンを手に入れた子供が旅に出るという話は多い。
でもそれはあくまでポケモンとどこまで行けるか試してみよう、という腕試しのようなものであって半分以上の子供は数日間の『冒険』をした後に自宅へ帰っている。
ましてや地方一周するような子供はそうそういないし大人だっていない。
地方を回ろうなんて本気で考えているのは、それこそ各地にあるポケモンジムに挑んでポケモンリーグチャンピオンになろうと思っていたりするような目標のある人だけだ。
それこそ、ポケモンリーグチャンピオンになろうと家出するように旅立っていった幼馴染の忍ちゃんのような人だ。
今頃どうしてるだろうか。
また会えたら、あの意外とガードの緩いお山に……、っと話がそれた。
ともかく旅は大変だから、ちょっと躊躇してしまう。
それは七海ちゃんも同じことだろう。
と思ったけど、隣にいる七海ちゃんを窺ったら目を輝かせていた。
「行くれす!」
七海ちゃん!?
「七海は前々から旅に出たいと思っていたれす。旅に出て、いろんな場所でお魚を釣りたいと。だからこれはチャンスなんれすよ」
そういえば七海ちゃんはそんなことを言っていた気がする。
そうか、七海ちゃんそっち側かあ。
「というか、愛海ちゃんがこの話に乗り気じゃないのが意外れす」
「え、なんで?」
「だって旅行れすよ?」
「旅行?」
「はい、旅行れす。べつに愛海ちゃんは忍ちゃんみたいにジムを巡るわけでもないんれすから、柔らかいポケモンに会って触れたらいいなあ、ぐらいれしょう?」
「…………たしかに」
旅行。
そう言われると、一気にあたしの中にあったイメージが柔らかくなっていくのを感じる。
どうも忍ちゃんの影響で、旅のことを試練とか修行とかそういうお堅いイメージで捉えてしまっていた。
でも冷静になってみたら、難しく考える必要なんてなかったんだ。
「そうだね。七海ちゃんの言う通り、旅行先で柔らかくてふわふわなポケモンに出会えるかもしれないし、柔らかくてふかふかな女の子に出会えるかもしれない」
「女の子は言ってないれす」
「あたしも旅行に行くよ!目指せお山マスター!」
「お山は目指さなくていいれす」
あたしと七海ちゃんの旅立ちが決まった。
話がまとまって、志希さんに旅に行く意思を伝える。
「あ、行ってくれるの?志希ちゃんが自分でやるのはメンドーでたぶん途中で飽きるから、助かるー」
飽きるって言ったよこの人。
「それならキミたちにはポケモンをあげないとね」
あの二人にはあげて愛海ちゃん達にあげないのは不公平だしー、と言いながら志希さんは棚に飾ってあるモンスターボールを三個取り出した。
「この中にはそれぞれ、くさタイプのチコリータ、ほのおタイプのヒノアラシ、みずタイプのワニノコが入ってるよ。この中から好きな子を一匹あげよう」
そして志希さんはボールを床に投げて、三匹のポケモンが出てくる。
頭に葉っぱの生えたチコリータ。
ボッと背中から炎を出すヒノアラシ。
口を大きく開けているワニノコ。
どの子もぬいぐるみみたいで可愛い。
この三匹の中から好きな子を選んでいいなんて!
「七海はワニノコにするれす」
二匹になった。
七海ちゃん選ぶの速くない?
「七海は名前に海が入ってるれすから。水タイプはいただきれす」
愛海も海入ってるけどね。
ともあれ、チコリータにするかヒノアラシにするか選ばないといけない。
ここはやっぱり抱き心地で決めるべきだ。
志希さんに了解をもらって、まずはチコリータから抱きしめる。
しっとりとした手触りが指になじみ、頭の葉っぱからはほんのり甘い香りがした。
感想、とても良い。
「……はぁ」
「愛海ちゃん?感慨深げにため息なんかついてどうしたれすか?」
「いや、ポケモンって柔らかかっただなあって。最近は暇さえあればレジロックの固い頭を撫でてたから忘れてたよ」
「ああ、レジロックの頭がちょっぴりテカってたのはそういうー」
「どんだけ撫でてたんれすか……」
面白がる志希さんと呆れる七海ちゃんの視線を浴びながら、チコリータを床に戻す。
そしてヒノアラシに背中から火を出すのを止めてもらってから、両手で抱きしめた。
「ふわぁぁ!?」
抱きしめた瞬間、変な声が出た。
さっき三匹をぬいぐるみのようだと言ったけど、ヒノアラシは柔らかい毛が全身に生えていて本当にぬいぐるみそのもののような抱き心地がした。
しかもそれだけじゃない。
ほのおタイプだからか、さっきまで背中から火を出していたからか、体がほんのりと暖かい!
柔らかくて暖かくて、ずっと抱きしめていたくなる。
あたしの心は決まった。
「あたしヒノアラシにする!はぁん、なんて素敵な抱き心地!」
「よかったれすね、愛海ちゃん。でもちょっと」
ヒノアラシはぎゅーっと抱きしめるほどに温もりが伝わってくる。
ああ、これが幸せなのかもしれない。
「愛海ちゃん、あんまり抱きしめるとヒノアラシが苦しそ、あ」
「ヒノッ!」
「あついっ!?」
ヒノアラシが背中から火の粉を出して、あたしの抱きしめは中断させられた。
「あちち。ごめんね、あんまり抱き心地がよくて夢中になっちゃった」
「ヒノッ、ヒノッ」
ヒノアラシに謝るあたしに七海ちゃんが可哀想なものを見る目を向ける。
「こんな調子で大丈夫なんれすか……」
「ワニャ……」
ワニノコも同じ表情でこちらを見ている。
七海ちゃんもワニノコと仲良くなれそうでなによりだね。
さて、志希さんにレジロックを見せてポケモン図鑑を貰って、旅に出ることになってヒノアラシを貰って。
じゃあ次は、いったん家に戻って、お母さんとお父さんを説得して旅に出る許可を貰ってこないと。
「ちょっと待つれす」
うちの両親は納得してくれるだろうか、と考えながら歩きだしたところで七海ちゃんに呼び止められた。
ああ、そういえば買い物して帰る約束だったね。
「それもあるれすけど、違うれす。今貰ったワニノコとヒノアラシでバトルしましょう」
……え?
「ポケモンと旅をするということは、ポケモンバトルは避けて通れない道れす。野生のポケモンと戦ったり捕まえたり、トレーナーさんとの挨拶代わりに戦ったり」
「う、うん……」
「愛海ちゃんがバトルに乗り気じゃなかったから今までは特に誘わなかったれす。でもせっかく同じ条件のポケモンを貰ったんれすから、七海たちもトレーナーデビューすべきだと思うれす」
「それは、わかるけど……」
七海ちゃんの言うことはわかる。
以前にも言われたけれど、新しい柔らかポケモンを捕まえるためにはバトルは必要だし、女の子のトレーナーとお近づきになるにはポケモンバトルは必要だ。
わかってる、けど。
足元でこちらを見上げているヒノアラシを見る。
こてり、と首をかしげる姿はとても可愛くて、可愛すぎて。
あたしは手を伸ばし、今度は苦しくさせないように優しく抱き上げた。
手にぬいぐるみのようにふわふわとした感触と生き物の温もりが伝わってくる。
「ごめん!わかっててもムリ!!」
こんな子を戦わせることなんてできない。
ヒノアラシを抱えたまま、あたしは走る。
棟方愛海は逃げ出した!
「愛海ちゃん!?わっ、相変わらずムダに足速いれす!」
「ごめんなさーい!!」
キサラギシティの中をあてもなく走って、あたしは小さな公園を見つけてベンチで一息ついた。
「はあ……暑い……」
ポカポカしたヒノアラシをずっと抱きしめながら走るのはさすがに暑かった。
あと普通に重さで腕が限界。
「というか、これからどうしよう」
思わず逃げてきちゃったけど、何も解決しない。
トレーナーとしてバトルするのは当然のことだし、そこを拒否していては何も始まらない。
「なんてことぐらいわかってるけどさあ」
ベンチに座らせたヒノアラシの頭を撫でる。
もともと細い目をさらに細くして、気持ちよさそうにしている。
こんなふわふわなポケモンをどうして戦わせることができようか。
じゃあレジロックならいいのか、ってそういう話じゃないんだよ。
そうじゃなくて。
「はあ……」
どうしてポケモンバトルなんてするんだろう。
みんなポケモンが好きなのに、どうして戦わせるの?
そんな深いため息をついて項垂れるあたしに、頭上から声がした。
「あの、大丈夫?ずいぶん辛そうだけど……?」
「え?」
見上げると、目の前に母性溢れるお山、じゃなかった優しそうなお姉さんがこちらを心配を心配そうに見つめていた。
「……ちょっと抱きしめてさせてもらっていいですか?」
「え?えっと?」
「失礼します」
お姉さんに抱き着いた。
優しい柔らかさがあたしの疲れた心と顔を包み込む。
あとめっちゃいい匂いした。
ミンミンウサミン
愛海は元気になった。
「そう、初めてのバトルで……」
美優さん、というそのお姉さんはあたしの話を親身になって聞いてくれた。
志希さんとも知り合いらしい。
やっぱりあの人、有名人なんだね。色々と。
「別にね、ポケモンバトルを危険だーとか思ってるわけじゃないんです。ポケモンセンターとかあるし。ただ、どうしてポケモン同士を戦わせるのかわからないです」
あたしの疑問に美優さんは「そうね……」と少し考えた後に、モンスターボールを一つ取り出して投げた。
「ガディッ」
出てきたのはあたしも知ってるほのおタイプのこいぬポケモン、ガーディだ。
ガーディの頭を撫でながら美優さんはいくつかの単語を呟く。
「ひのこ、かえんぐるま、ほのおのキバ、かえんほうしゃ、フレアドライブ」
「それは?」
「ガーディが成長したら覚えていく技よ。今はまだ生まれたばかりでひのこしか使えないけど、レベルが上がればもっと強力な技を覚えていくわ」
「へえ」
「どうしてだと思う?」
「え?」
急な問いかけにあたしは考える。
どうしても何も、覚えるのだから覚えるとしかいえないと思うけど。
「そうね、彼らは覚えるわ。トレーナーがいようと野生であろうと関係なく、ただ成長するだけで強い技をいくつも。野生で生きるうえではそんな強い技は必要ないのに」
「必要ないの?」
「野生の生き物の目的は相手を倒すことじゃなくて、生き延びることだから。本来、というのが正しいかはわからないけど、本来なら攻撃手段なんてダメージを与えて相手に手強いと思わせるだけでいいの。そしてそれはひのこがあれば充分なはず」
「でもひのこぐらいじゃたいしてダメージを受けない強い相手がきた時はどうするんですか?」
「その時は戦ったりせず逃げて、そんな強い敵がいない場所へ群れごと引っ越すわ。そこで勝てるために強くなろうなんて、する必要がないもの」
これは受け売りの話だけどね、と美優さんは微笑む。
美優さんの話はなんとなくだけどわかる。
わかるけど、わからない。
だって実際にはたくさんの技を覚えるのだから。
それがどういう意味を持つのだろう。
「ポケモンたちは、バトルをするようにできてる生き物ってことですか?」
「そう断言はできないし、するのは危険だと思うわ。ただ、私はこの話を聞いた時にポケモントレーナーの役割がわかった気がするの」
美優さんは優しい眼差しのままに言った。
「理由はわからないけど、ポケモンはたくさんの技を覚えるわ。可能性を秘めていると言ってもいい。ポケモンバトルには使えるけど生物として生きるのには不要なものも含めて。だからこそ」
美優さんの眼差しに強い光が宿る。
「そんなポケモンたちが全力を出せる場を作ってあげるのがトレーナーの役割だと思うの。成長したポケモンが新しく覚えた技を危なげなく披露できて、他のポケモンと競いあえる環境を作ってあげる。そうやってポケモンを導くのがトレーナーだと私は信じているわ」
「それがポケモンバトルなんですか?」
「きっとね。今のところ、それが一番ポケモンたちが全力を発揮できる場になっているみたいだから」
美優さんの言葉にガーディはどこか誇らしげな顔をしている。
美優さんなら自分の全力を十分に発揮してくれる、自分を任せられるという信頼を感じる顔だ。
あたしはどうだろうか。
あたしはヒノアラシがふわふわで暖かくて可愛いから、そんなヒノアラシが戦うのが嫌でここまで逃げてきたけれど。
ヒノアラシはその時、どんな気持ちだったんだろうか。
「あたし、ヒノアラシが戦うの嫌だったんです。でも、ヒノアラシの気持ちは全然聞いてなかった。全部あたしの都合で決めて……」
「だったら今聞けばいいわ。まずはそこから、ね?」
美優さんの言葉に背中を押されて、あたしはベンチで丸くなっているヒノアラシを見た。
「ねえ、ヒノアラシ。ヒノアラシはバトルしたい?」
「ヒノッ!」
あたしの言葉に、ヒノアラシはグッと力を込めるポーズをとる。
「そっか。わかったよ」
ぬいぐるみじゃあ、ないんだもんね。
「だったら行こうか。美優さんもありがとうございました」
「ええ。バトル頑張ってね」
美優さんに頭を下げてから、あたしはヒノアラシをボールに入れて研究所へ向かった。
研究所に戻ったら、七海ちゃんが志希さんとコーヒーを飲みながら待っていた。
「あれ、早かったれすね」
予想外にのほほんとした様子に謝罪の言葉を必死に考えていたこっちの気がそがれる。
「怒ってないの?」
「こうなることを予想してなかった七海にも落ち度はあるれすし。志希さんとお喋りできて楽しかったれすよ。それで、もういいんれすか?」
七海ちゃんの言葉にあたしは頷く。
「うん。もう大丈夫。あたしはポケモントレーナーだから」
「少し見ない間にずいぶん雰囲気が変わったれすね。でも七海も負けないれすよ」
研究所の外に出て、お互いにあたしと七海ちゃんはボールを構えて向かい合う。
そして同時にボールを投げた。
「いって、ヒノアラシ!」
「いくれす、ワニノコ!」
あたしのヒノアラシと七海ちゃんのワニノコのバトルが始まった。
まず、あたしはヒノアラシに指示を出さないといけない。
これがあたしのトレーナーとしての第一歩だ。
ヒノアラシへの指示はええっと、その。
「ヒノアラシ!…………なんか頑張って!」
あたし以外のみんながズッコケた。
「愛海ちゃん、さすがにその指示はどうかと思うのれす」
でも指示といってもわからないし。
「図鑑を見れば憶えてる技がわかるよー」
コーヒーを片手に志希さんがアドバイスをくれる。
どれだけ便利なんだろうこの図鑑は。
図鑑を見ると「たいあたり」と「にらみつける」が表記されていた。
なるほど、じゃあ改めまして。
「ヒノアラシ、たいあたり!」
あたしの声に従ってヒノアラシがワニノコに向かってぶつかる。
攻撃を受けたワニノコは弾き飛ばされるがすぐに体勢を立て直した。
「ワニノコ、にらみつけるれす!」
すかさず七海ちゃんの指示が飛ぶ。
にらみつける、はヒノアラシも覚えていた。
対抗してあたしも指示を出す。
「ヒノアラシ、こっちもにらみつける!」
ワニノコとヒノアラシがにらみあう。
「ワニノコ、もっとにらみつけるれす!」
「ヒノアラシ、こっちも負けずににらみつける!」
ワニノコとヒノアラシがさらににらみあう。
「もっとにらみつけるれす!」
「もっともっとにらみつける!」
ワニノコとヒノアラシがますますにらみあう。
「もっともっともっとにらみつけるれす!」
「もっともっともっともっとにらみつける!」
ワニノコとヒノアラシがまだまだにらみあう。
「ワニノコ、ひっかくれす!」
「もっともっ、え!?あ、ヒノアラシもひっかく!あ、じゃなくて」
急に指示を変えた七海ちゃんにあたしは戸惑ってしまい、ヒノアラシも動揺している。
そこにすかさずワニノコのひっかくがヒノアラシに炸裂した。
「ヒノッ!?」
先ほどのワニノコ以上にヒノアラシは吹っ飛んで、そのまま倒れた。
「バトル終了。七海ちゃんとワニノコの勝ちー」
志希さんの声とともに、あたしはヒノアラシに駆け寄る。
「大丈夫!?ヒノアラシ!?」
「ヒ、ヒノー」
ヒノアラシはぐったりとしている。
「ごめんね、ヒノアラシ」
こうしてあたしの初戦は無様な完敗に終わった。
バトルの後はポケモンセンターに行けばポケモンの怪我を治してもらえる。
あたしのヒノアラシはもちろん、七海ちゃんのワニノコも預けることになった。
「ごめんなさいれす」
待っている間、七海ちゃんが謝ってきた。
「謝らなくていいよ。バトルなんだもん」
「そうれすけど、ちょっと勝ち方が大人げなかったれす。愛海ちゃんがバトルに慣れてないのを狙いうちして」
「それこそ、あたしが未熟なのが悪かったんだから謝らないでよ。というか、七海ちゃんだってバトル初心者でしょ。あたしがそれ以下だっただけで」
「そうなんれすけどね」
その後は七海ちゃんと今回のバトルについて反省会をした。
反省点多すぎるけど。
これからはせめて手持ちのポケモンの技は把握しておくようにしないと。
「七海ちゃん」
「なんれすか?」
「次は負けないよ」
「望むところれす」
あんなに嫌がったバトルなのに、今では次を考えている自分にちょっと笑いながらも再戦を誓う。
次こそは。
そう誓って努力することにはお山登りでなれている。
「もしかしたら、お山登りもポケモンバトルも一緒なのかもね」
「それは違うれす」
ヒノアラシ達が回復したのでポケモンセンターを出たら、なんと美優さんが待っていた。
「そろそろバトルも回復も終わったころかな、って来てみたの。少し不安だったけど、でもその様子だと心配ないみたいね」
「ありがとうございます。七海ちゃんに完敗しちゃったけど、でもあたしは大丈夫です」
それから七海ちゃんと美優さんは初対面なので紹介をする。
「この子は七海ちゃん。あたしの幼馴染で親友でお魚が好きな女の子。この人は美優さん。とても優しいお姉さん」
「よく知らないんれすね?」
そういえば美優さんのことよく知らない。
また知らない女の人に迷惑かけて、と七海ちゃんにお説教されるあたしに苦笑して、美優さんは自己紹介をしてくれた。
「初めまして七海ちゃん。私は三船美優。このキサラギシティのジムリーダーです」
え!?美優さんジムリーダーだったの!?すごい!
「そんなに大したものじゃないけれど。ほのおタイプのポケモンがメインのジムをやっているから、よかったら二人も挑戦してみてね」
美優さんの言葉に反応したのは七海ちゃんだった。
「今から行ってもいいれすか?」
「え?七海ちゃんジムに挑戦するの?」
「今は愛海ちゃんに勝っていい波がきてるれすよ。それにほのおタイプなら七海の手持ちは有利れす」
すっかりやる気な七海ちゃんに美優さんは微笑みながら「なら一緒に行きましょうか」とジムまで案内してくれた。
『キサラギシティ ポケモンジム リーダー 美優
ゆうびで おあつい おねえさま』
「…………」
「あの、その看板はポケモンリーグの人達が勝手に書いたもので、あまり見ないで……」
美優さんに急かされてジムの中に入ると急に大きな声がした。
「おーっす!みらいのチャンピオン!よく来たでごぜーますよ!」
入ってすぐのところに小さな女の子が立っていた。
「ありがとう仁奈ちゃん。すぐにバトルするからこっちのお姉さんと一緒に観戦席に移動してね」
女の子の名前は仁奈ちゃんというらしい。
このジムに所属している子なのだろうか。
「わかったですよ。じゃあお団子頭のお姉さんもこっちくるです」
仁奈ちゃんに連れられて、バトルフィールドの横にある観戦席に座る。
そしてフィールドでは美優さんと七海ちゃんが向かいあう。
「さあ、七海の航海の始まりれすよ!」
七海ちゃん、それ決め台詞にする予定なの?
…………。
「負けたれすー」
バトル後、そこにはあっさり負けた七海ちゃんの姿が!
ワニノコだけでなくチョンチーも、美優さんが繰り出したガーディ(たぶんさっきあたしが見た子だ)に翻弄されて負けていた。
「あれ?みずタイプってほのおタイプに強いんじゃなかったの?」
あたしの疑問に、一緒に隣で見ていた仁奈ちゃんが答えてくれる。
「有利でごぜーますよ?でも有利ってだけで絶対じゃねーです」
「ポケモンの育ち具合でどうにかできるってこと?」
「それもありやがりますけど、今回はちげーです。七海お姉さんのチョンチーなら強さは十分だったですよ」
それならトレーナーの差だろうか?
でも七海ちゃんはちゃんと技を指示していたように見えたけれど。
「たしかに七海お姉さんはみずでっぽうとかの技の指示は的確でごぜーました。でも美優お姉さんはそれに加えて、相手の技をどう避ければいいのかの指示もしてやがりました」
言われてみれば、美優さんはチョンチーのみずでっぽうが来た時などにガーディへ「右に走って」や「ジャンプして」などと声を出していた。
「まだバトルに慣れてないポケモンはどう動けばいいかもわからねーです。だからトレーナーがまわりを見て指示を出してあげないといけねーですよ」
トレーナーって大変だ。
「逆に何度もバトルして信頼しあったポケモンなら、トレーナーの指示がなくてもトレーナーが思うとおりに動いてくれるようになるですよ」
「バトルって難しいんだね」
ポケモンバトルの奥深さをあたしは感じることになった。
「ありがとうございました」
「ありがとうございましたれす」
「ええ、こちらこそどういたしまして」
本日二度目の回復を終えたあたし達はこれからの話をする。
「七海ちゃんはジムに挑戦してジムバッジを集める予定なのかしら?」
「どうれすかね。七海はポケモンリーグは目指してないれすし」
「そう。でも旅に出る予定なのよね?だったらジムには顔を出すといいわ。みんな優しい人だからきっと何か力になってくれるはずよ」
確かにせっかく地方をめぐるならジムリーダーに会ってみるのも楽しいかもしれない。
あ、そうだジムといえば忍ちゃんはここのジムバッジをゲットしたのだろうか。
「美優さん。ちょっと聞きたいんですけど、このジムに忍ちゃんって子が……あれ?何あれ?」
忍ちゃんについて尋ねようとして、少し離れた建物から煙があがっているのが見えた。
というか、あの建物って。
「研究所の方だわ!」
研究所は黒い服を着た四人組に襲撃を受けていた。
ニュースで見たことがある服装だ、たしかあれはロケット団。
ポケモンマフィアとも呼ばれる犯罪者集団だ。
そして四人のうちの一人、帽子を深く被った少女のリザードンが志希さんのフシギバナと相対していた。
帽子少女の顔は見えないけど、年齢はあたしや七海ちゃんより少し上ぐらいのようで、残り三人のロケット団についても同じくらいの歳の女の子に見える。
「あ、美優さん来てくれたんだー」
いつもの軽い口調で、しかしフシギバナとリザードンのバトルから目を離すことなく、志希さんが声をかける。
「志希ちゃん、大丈夫?」
「んー、ちょっとマズイかも。今戦ってる子でいっぱいいっぱいで、他三人は手が回らないっていうー。強いのはこの子だけみたいだから、他任せていい?」
「ええ」
美優さんはボールを二つ取り出して頷いた。
それを見たロケット団のうち戦っていない3人の方に焦りが広がっていく。
「げ、ジムリーダーまで来ちゃったよ。これ大丈夫カナ?」
「あれ?あのお団子の子、レジロックの時に見た子じゃない?」
「本当に加勢しなくて大丈夫ですか?」
ロケット団のうちの一人の言葉を帽子少女は強く拒絶した。
「いらない。むしろ絶対にしないで。みんなはアレを持って先に行って」
「そこまで言うなら、わかりました。では皆さん行きましょう」
「いや、ジムリーダーのおかげで私たちも無事で済むかわからない状況だよ?」
そう言いながら逃げようとするロケット団三人の前に、あたし達が立ちふさがる。
「行かせません」
美優さんはボールを二つ投げて、ウインディとヘルガーを繰り出した。
そして小声であたし達に囁く。
「愛海ちゃん。七海ちゃん。時間を稼ぐだけでいいから、一人だけお願いしていいかしら」
あたし達は頷いて、ボールを投げる。
「お願い、レジロック!」
「行くれす、チョンチー!」
あたしの二度目のバトルは絶対に負けられない状態で始まった。
あたし達の相手をすることになったのは、四人のロケット団のうち、すらっと姿勢のいい女性だ。
お山のサイズは85。
油断することなく見つめるあたし達の前で、ロケット団(B85)は礼儀正しく頭を下げた。
「ロケット団の穂乃香と申します。よろしくお願いします」
「え、愛海です」
「な、七海れす」
ロケット団にまさか名乗られるとは思わなかったけど、名乗られたからにはと名乗り返す。
あたし達の名乗りに、もう一度ぺこりと頭を下げてから穂乃香さんは口を開いた。
「愛海さん。七海さん。これは提案なのですが、戦わずに私を逃がしてもらえないでしょうか」
「へ?」
まるで良い提案といった風に言ってくるものだから、一瞬あたし達も飲まれかけたけど流石にそれは飲めない。
「お二人はまだトレーナーになったばかりのようにお見受けします。わざわざむやみににポケモンを傷つける必要はないと思いませんか?」
バレてる。
なんだろう、素人臭さみたいなのがあったりするんだろうか。
実際、素人だから仕方ないけど。
とはいえ素人だからといって、戦わない理由にはならない。
あたし達が退く気がないのを見て、穂乃香さんは小さくため息をついた。
「わかりました。ではお相手しましょう。……スピードスター!」
「え?」
穂乃香さんがポケモンを出すのを待っていたあたし達の後方から、レジロックとチョンチーに向かってスピードスターが降りそそいだ。
「ちょ、ちょっと待っ!?」
慌てて振り向くと、ゴルバットが空から勢いをつけて飛びかかってくる姿が見えた。
「ゴルバット、つばさでうつ」
穂乃香さんの指示を聞いたゴルバットはさらにスピードを上げて急降下し、レジロックとチョンチーを攻撃した。
「チー!?」
「ああっ、チョンチー!?」
ゴルバットの猛攻にチョンチーはたまらず倒れてしまう。
「まずは一体」
穂乃香さんが呟く。
「ふ、不意討ちなんてずるいですよ!」
抗議するあたしに、穂乃香さんはゾッとするほど冷たい口調で返す。
「当然です。私はロケット団ですから。そしてこれは試合ではありません」
穂乃香さんは鋭い視線でこちらを見る。
「本物の戦いですよ。さあ、どうしますか?まだ抵抗するというのなら、こちらも考えがありますが」
その声は丁寧な口調で、しかし邪魔するならば容赦しないという圧力があった。
今までのあたしの人生で感じたことがない、目の前にいるのは本物の犯罪者なのだと理解させる圧だ。
怖い。怖い。怖い。
肌から伝わってくる危険信号。
これ以上この人に関わってはいけない。
関わったら酷い目にあうと、あたしの日常が壊されると全身が伝えている。
そしてその被害はあたしだけではなく、あたしのポケモンにも及ぶ。
ああ、ダメだ。
あたしの中で何かが凍っていくような感覚がする。
あたしは目の前が真っ暗に……。
「ざざ、ざ……」
あたしの耳に、声が届いた。
声に導かれて、前を見る。
そこにはレジロックが立っていた。
ゴルバットのスピードスターとつばさでうつをくらったというのに、まったく怯む様子もなく。
いつの間にか、あたしと穂乃香さんの間に立ち塞がっている。
おかげで穂乃香さんの姿が見えない。
「ざざ……」
見る必要がない、と言っているようだった。
「ざ……」
ちゃんと見ろ、と言われているようだった。
だからあたしは見る。
レジロックの背中を見る。
今もまっすぐ敵を見据えているあたしのポケモンを見る。
レジロックは戦うつもりだ。
だったらトレーナーとして、あたしがすべきことは。
「行くよ、レジロック!」
「ざ……!」
指が震えるのを握りこぶしを作って抑える。
トレーナーとしてあたしがすべきこと、それは。
ポケモンを信じて戦うこと!
「レジロック、チャージビーム!」
すでにレジロックの使える技は確認済みだ。
もう技を間違えたりはしない。
レジロックから撃ち出された電気が光線のようにゴルバットを襲う。
「ゴルバット、こうそくいどう!」
しかしゴルバットはスピードを上げてチャージビームをひらりと避けた。
「ゴルバット、かみつく」
素早さはそのままに、ゴルバットがレジロックに噛みつき、そしてすぐに距離をとる。
離れたと思ったら、また飛び掛かってレジロックを攻撃して、そして離れる。
それが何度も繰り返された。
ヒットアンドアウェイ。
前から、後ろから、横から、様々な方向から飛びかかってくるゴルバットのスピードに対応できず、レジロックは一方的な攻撃にさらされている。
「ざ……ざ……」
「レジロック!てっぺき!」
あたしは慌ててレジロックに防御をあげる指示を出した。
これでゴルバットの猛攻に耐えることができれば。
と思ったのだけれど、次の瞬間レジロックが取った行動は攻撃だった。
「ざ……!」
レジロックの周囲に大量の岩が浮き上がり、ふたたび噛みつこうと近付いていたゴルバットを下から突き上げた。
「あれは、げんしのちから!ひこうタイプのゴルバットには効果抜群れす!」
後ろで見ていた七海ちゃんが言うとおり、岩の直撃を受けたゴルバットはそのまま地面に落ちて気絶した。
「そんなゴルバットを一撃で……!」
穂乃香さんが驚いているが、それ以上に驚いているのはあたしだ。
「え?てっぺきは?」
「いらなかったってことれすね」
「……ま、まあ、勝てたからいいよね」
「そうれすね」
こうして少しもやっとした感じを残しながらもあたしは初白星をあげたのだった。
愛海達が戦っている間、志希のフシギバナと帽子少女のリザードンのバトルはさらに密度を上げていた。
フシギバナがとっしんするとリザードンは空を飛んで交わし、勢いのついたフシギバナは街路樹をへし折って止まる。
リザードンが追い打ちにかえんほうしゃ放つと、フシギバナはつるのむちで街路樹を投げてそれを防ぎ、同時にはっぱカッターをリザードンに放つ。
リザードンがはっぱカッターをすべてきりさくで叩き落したかと思えば、はっぱカッターに仕込まれていたやどりぎのタネが開いてリザードンの腕に絡みつく。
しかしそれをリザードンは自分の腕ごとひのこで燃やしてやどりぎを焼き払う。
一連の動きをフシギバナもリザードンもトレーナーの指示がないままにやってのけている。
志希も帽子少女もポケモンへの指示は最低限に、起点となる動きにだけ声を出すに留めている。
ポケモンはトレーナーの意図をくんで動き、トレーナーは必要な時に必要な判断のみを伝える。
それは紛れもなくトップレベルに立つ者同士の戦いだった。
「やっぱり強いね志希さんは」
帽子少女が声を出す。
それに志希は笑みで返す。
「キミも、予想以上に強くなってるね。このままだと、あと半年もしたら抜かれちゃうかも」
それは今はまだ負けないという挑発の言葉にも聞こえるが、志希がそれをただの事実として言っているだけだと、そういう性格だと理解している帽子少女は苦笑するしかない。
「今の志希さんは、でしょ?半年したら志希さんはまた強くなってるくせに」
「まあねー」
フシギバナとリザードンの苛烈な戦いから一時も目をそらすことなく、両者は軽い口調で語り合う。
そんなどこか楽しげとも言える空気を変えたのは、帽子少女の言葉だった。
「志希さんには感謝してるよ。アタシに旅に出るきっかけをくれた」
帽子少女はリザードンが入っていたボールを握る手に力をこめる。
「尊敬もしてる。結局、一度だって志希さんにバトルで勝つことはできなかったよね」
帽子少女は目の前で広がるバトルを見つめる。
その瞳はどこか違う過去の光景を重ねているようだった。
しかし過去を振り返るのは一瞬だけにとどめ、帽子少女の双眸は現在を見つめる。
「でも、今はアタシの方が強い!!」
少女は叫び、左腕を天に掲げる。
瞬間、リザードンが眩しい光に包まれた。
志希は気付いていた。
帽子少女の左腕に不思議な見た目の腕輪が装着されていることも。
リザードンが帽子少女の腕輪に似た雰囲気の石を首からさげていたことも。
きっと何か秘策があるのだろうと考えていたし、志希もあらゆる可能性を想像して楽しみにしながらすべてに対応できる策を練っていた。
はずだった。
帽子少女の腕輪とリザードンの石が共鳴して、リザードンが光に包まれた後。
そこには志希の想像をも越えた光景が広がっていた。
光が弾け、現れたのはリザードンのようでリザードンでない、見たこともない別のポケモン。
皮膚は黒くなり、口からは青い炎が噴き出ている。
他にも所々変化があり、まるでもう一段階進化したかのようだった。
「何、それ……?あたし、そんなの知らない……。リザードンがさらなる進化した?いや、むしろ」
想像の範囲をはるかに越えた事態を前にした瞬間、志希はトレーナーではなく科学者の顔になる。
そしてその一瞬を見逃す帽子少女ではない。
「メガリザードンX!ブラストバーン!!」
「っ!?フシギバナ、ハードプラント!」
咄嗟に志希は技の相打ちを狙う。
しかし反応が遅れた代償は大きく、フシギバナはブラストバーンの直撃を受けて、倒れた。
それは決して記録に残ることのない、帽子少女が初めて志希に勝利した瞬間だった。
…………。
「逃げられちゃいましたね」
愛海の言葉に美優は小さく頷く。
志希に勝利した帽子少女はメガリザードンXにほのおのうずを指示。
美優達と4人のロケット団との間に高く燃え盛る炎の壁が作られ、炎が消えた頃にはロケット団の姿は消えていた。
「全然役に立てなかったれす。申し訳ないれす」
頭を下げる七海を美優はなだめる。
「謝らないで。むしろまだトレーナーになったばかりの子をこんな戦いに巻き込むことになって、二人ともごめんなさい」
本当に、心から申し訳ないと思う。
ジムリーダーという看板を背負っておきながら、まだ初心者の二人をロケット団と戦わせてしまった。
大事に至らなくてよかったと思うと同時に頭に浮かぶのは、愛海が持っていたレジロックというポケモンについて。
レジロックのおかげでゴルバットを倒すことができたことは、本来喜ぶべきことだけれど、それでも美優には一点気がかりなことがある。
バトル中、ゴルバットの猛攻に対して愛海が「てっぺき」での守りを指示した際に、レジロックはそれを無視して「げんしのちから」を使って攻撃をしたことだ。
実際、これはレジロックの判断が正しい。
素早いゴルバットの攻撃は見た目は激しいものだったが、レジロックにはほとんど効いていなかった。
わざわざてっぺきで守りを固める必要などなく、それよりも攻撃をすることがあの場では正解だ。
そしてレジロックはそれを理解していた。
あのレジロックは、おそらくかつて誰か別のトレーナー、それも優秀なトレーナーの手持ちだったのだろう。
だからレジロックは前のトレーナーだったらどうするかを考えて、それを最適解として行動する。
元が他のトレーナーの手持ちだったポケモンにはよくある話だ。
でもそれはレジロックが愛海を本当の意味でトレーナーとは認めていないことに他ならない。
愛海とレジロックが本物のパートナーになるには、愛海がレジロックにとって自分の判断を任せられるトレーナーにならないといけない。
今のままだと、いつか二人は手痛い敗北をすることになるだろう。
愛海の行く末について、美優は心の中で案じる。
でもこれは二人が乗り越えなければならない問題だ。
だから美優は別の問題について思考をまわす。
それは、公式の試合ではないとはいえ志希が負けたという問題。
一ノ瀬志希の敗北、それはこの地方で大きな意味を持つ。
「だって志希ちゃんはポケモンリーグ現チャンピオンだもの」
ポケモンリーグ現チャンピオンの敗北。
しかも相手はロケット団となると、世間に与える不安は計り知れない。
出来ることなら箝口令をしいて内密にしておきたいが、可能だろうか。
……当の本人は負けたこと自体には大して興味なさそうだけど。
バトルが終わってから、志希は最後に見たリザードンの進化について研究者の顔でずっと考え事をしている。
こちらとしてはロケット団に何を盗まれたのかを確認したいのに、今はまだ話かけることはできなそうだ。
それだけでも頭が痛くなる事態だが、美優が本当に懸念する問題はさらにその先にある。
志希に勝てるほどの実力をもったリザードンの使い手なんて、美優には一人しか思いつかない。
数年前のある日、久しぶりに地元に戻ってきた志希が「志希ちゃんは旅に出ます!」とフシギダネを連れだって宣言した時。
志希からヒトカゲを貰い、同時に旅に出た女の子がいた。
美優のジムバッジを手に入れるため、何度負けても挑戦を繰り返して、ついに勝利した笑顔の眩しさが印象的だった努力のトレーナー。
ポケモンリーグのチャンピオンになるという夢に向かって努力を続けて、すべてのジムバッジを集めた時にくれた電話で聞いた声が本当に嬉しそうだった。
ポケモンリーグの予選1回戦で運悪く志希とあたり、誰よりも志希に肉薄したものの惜敗したけれど、その瞳は再戦のための光を宿していた生粋のチャレンジャー。
美優が知る中で二番目に強く、誰よりもまっすぐなトレーナー。
そんな彼女がロケット団に入っているなんて。
「なにかの間違いよね、忍ちゃん……」
…………。
アキヅキシティは地方一の蔵書数を誇る図書館で有名な街だ。
その図書館の神話コーナーに、三人の少女の姿があった。
マグマ団のメンバー、幸子と紗枝と友紀だ。
三人は伝説のポケモン、グラードンの情報を求めて本を漁っていた。
「そもそも伝説のポケモンの情報が図書館にあるんですか?」
幸子の疑問に、友紀が周囲に配慮した小声で答える。
「話が伝わってるから伝説なんでしょ。だったら本になって図書館にあってもおかしくないんじゃない?」
「そうどすな。友紀はんの読んどるプロ野球名鑑には載っとらんと思うけど」
「でも伝説の選手なら載ってるよ?」
「なにが、でも、ですか。ポケモンを探してくださいよ。その本も棚に戻して」
幸子の注意に、友紀は「はーい」と気の抜けた返事をして本を戻しにいく。
「まったく。あれで最年長なんて」
「幸子はんは真面目で偉いなあ。可愛い可愛い」
「フフーン、そうでしょうとも。もっと褒めていいんですよ」
紗枝の可愛がりに幸子は気をよくする。
もっとも、友紀が真面目に調べ物をしないことに幸子はたいして怒っていない。
図書館で伝説のポケモンについて情報が得られるとそもそも考えていないからだ。
友紀の言う通り、伝説として伝わっている話ならば伝説のポケモンについて本の形でまとめられていてもおかしくない。
本になっているなら、図書館に置いてあっても不思議ではない。
でも、それだけだ。
公開された情報で伝説のポケモンにたどり着けるなら、すでに他の人が捕まえているはず。
だからこの調査は無意味に終わると幸子は考えているし、それは幸子にとって都合がよかった。
現在、幸子はアクア団とマグマ団という対立する組織両方にひょんなことから加入してしまっている。
どちらも犯罪行為も辞さない過激派組織なので、幸子は友人を含めて穏便に過ごしたいと思っていたある日のこと。
アクア団にいる友人達は伝説のポケモンのカイオーガを、マグマ団にいる友人達は伝説のポケモンのグラードンを捕まえたいと言い出した。
突拍子もない計画を聞かされた時は焦りもした幸子だったが、今は落ち着いている。
だってそんなの無理に決まってるのだから。
こんな計画をあっさり了承して、幸子達に単独行動の許可を与えた両組織の本部はどうかしてると思う。
幸子達にできることなんて、せいぜい今のように図書館で本を読んだり、縁のある土地を巡ったりするのが関の山。
でも逆に言えば、そんな活動を続けているうちは犯罪行為が起きることもない。
その間に友人達のやる気を削いで団から抜けるように仕向けられれば完璧だ。
「……よし!」
「幸子はん?なにがええの?」
「え、いや、ただやる気を出してただけです」
「ふふっ、幸子はんはほんに団の活動に熱心どすな」
違う、と言いたいけれど我慢する幸子。
そんな幸子の前に「ねえねえ、これ見て」と一冊の本を持った友紀が現れた。
「これ、偉人のコーナーにあった本なんだけどさ」
「友紀さん、また野球選手ですか?」
「違うよ。あのね、伝説のトレーナーっていうのがいたんだって。これはその人についての本みたい」
「トレーナー?ポケモンやなくて?」
「うん。読んでみるね」
その本にはある一人の女性トレーナーの話が記されていた。
数百年前、人と人、ポケモンとポケモン、人とポケモンが争う戦乱の時代に一人の少女が現れた。
最果てにあるという孤島『ウサミン島』から来たと自称する奇妙なその少女は、ある特異な体質を持っていた。
それはポケモンをなだめる力。
理由は不明だが、我を忘れるほどに暴れていたポケモンでさえ少女の前では穏やかさを取り戻した。
少女の纏う香りがポケモンの祖先が住んでいた土地の記憶を呼び起こすためだと研究者の間ではいわれている。
体質の真相は不明だが、彼女はその能力を戦乱の時代を終わらせるために使用した。
人に怒り暴れるポケモンの怒りを鎮め、争いあうポケモンどうしの戦いを止め、ポケモンを恐れる人には恐れる必要はないと行動をもって教えてまわることに尽力したという。
少女のまわりには多くのポケモンが集まり、その中には伝説と呼ばれるポケモンたちも見受けられたという。
伝説のポケモンととも歩み、戦乱の時代において人とポケモンの関係を修復するために生きた少女はいつしか伝説のトレーナーと呼ばれるようになった。
「すごい話ですね。伝説のポケモンを複数従えた伝説のトレーナーですか」
幸子は軽く呆れていた。
そもそも伝説のポケモンが実在するかわからないのに、それを従える伝説のトレーナーなんて、空想の空想みたいな話だ。
くだらない、と一笑に伏すこともできる話だったが、友紀と紗枝は強く興味を引かれているようだった。
「このトレーナーについて追っていけばグラードンが今どこにいるかとかわかりそうじゃない?」
「どうやろうか。伝説のトレーナーはんの手持ちにグラードンがいたとは限りまへんし。でも調べたら面白そうやなあ」
まったくこの人達は、とすっかり乗り気な年上二人に呆れる幸子。
しかし、実のところ幸子も興味がないわけではなかった。
伝説のトレーナーが実在したとは思えないけど、でも夢がある話なのは確かだ。
そしてなにより、夢物語を追っている分にはきっと問題行動をすることにはならない。
「なら、調べてみましょうか。この伝説のトレーナーさんについて」
幸子の宣言に二人が同意する。
「まあ、調べるいうても、この図書館で調べるんどすけど」
「やることあまり変わりませんね」
「ねー、どうせなら本人に会えたら楽なのに」
「もう、そんな何百年も前の人が生きてるわけないじゃないですか」
友紀の冗談に幸子が笑った。
その時はまだ笑える冗談だった。
…………。
とあるアパートの一室にて。
一人の少女が同居人の帰りを待っていた。
今日は大事な試合だとかで、朝も緊張した面持ちで出掛けていったけれど果たして結果はどうだったのだろうか。
少女にはポケモンバトルのことはよくわからないけれど、頑張り屋なあの子ならきっと勝つに違いないといつもより豪華な夕食を準備してしまった。
作っているときはノリノリだったが、冷静になると本当に大丈夫だったのか不安になってくる。
もしもの時は再戦祈願のパーティーにしよう、と少女が覚悟を決めたと同時に、玄関の鍵が開く音がした。
パタパタとスリッパの音をさせて少女が出迎えに行くと、立っていたのは同居人の少女。
帽子を深くかぶっていて、表情が読めない。
「おかえりなさい、忍ちゃんっ!」
努めて明るい声で少女が迎えると、同居人の忍は反対にいつもより低いトーンで返事をした。
「……ただいま、菜々ちゃん」
それだけ言って、忍は靴を脱ごうともしない。
これはやってしまったか、と菜々が内心ハラハラしていると、忍の足元に雫がこぼれた。
「し、忍ちゃん!?あ、あの……」
「菜々ちゃん。アタシ、勝ったよ」
忍の声は震えていた。
「アタシ、志希さんに勝ったよ。ずっと勝ちたいって思ってて、やっと。本当は喜んでいい状況じゃないかもだけど、ねえ、菜々ちゃん。今だけは」
忍が菜々を見上げる。
帽子が落ちて、今まで隠していた泣き顔があらわになった。
「今だけは、勝ったこと喜んでいいよね」
菜々は忍の後ろに手を回し、優しく抱きしめる。
「もちろんですよ。おめでとうございます、忍ちゃん」
忍が何か菜々にも話せない事情を抱えていることは菜々も察している。
それでも、ライバルに勝った嬉しさはきっと純粋な物だから。
誰よりも忍のそばにいる菜々は、誰よりも忍の勝利を祝ってあげたいと、そう思った。
忍の涙が収まるのを待って、用意された豪華な夕食を前に忍がまた泣きだしたのでもう一度収まるのを待って、夕食をすませた後のこと。
「これ返すね」
と忍はバトル中に身に着けていた腕輪とリザードンが持っていた石を差し出した。
「キーストーンとリザードナイトX。志希さんに勝てたのはこれのおかげだよ。本当にありがとう」
「いやいや、それは忍ちゃんにあげたものですから。忍ちゃんが持っていてくださいよ。ナナが持っていても、役に立ちませんし」
拒否する菜々に、忍は少し困った顔をする。
「役に立たないことはないでしょ?菜々ちゃんの記憶の手がかりなわけだし」
菜々には忍と出会うまでの記憶がない。
とある遺跡で菜々が倒れているところを忍が見つけて保護したのが、二人の出会いだ。
身元の手がかりになるのは、唯一覚えていた「ナナ」と呼ばれていたという記憶と、手に持っていた虹色に光る謎の石。
しかし忍が石に触れた瞬間、石は二つに割れてキーストーンとリザードナイトX(後に忍と菜々が命名)になってしまった。
「……アタシのせいで記憶の手がかりじゃなくなっちゃったんだよね」
「そんなに落ち込まないでください。ナナは気にしてませんし。それよりもおかげで忍ちゃんは強くなったんですから結果オーライですよ」
「まさかあの石にリザードンを進化させる力があるなんてね」
出会ってから同棲生活を始めてしばらくしたころに、偶然気付いた石の持つ不思議な力。
何度も実験して、練習して、モノにしたのはつい最近のことだ。
「本当に、どういう由来の石なんでしょうねソレ」
「まあ、そのへんは志希さんが解明してくれるよ。それを見込んでバトルしたところもあるし」
「今日戦った人、ですよね?そんなにすごいんですか?」
菜々の疑問に忍は顔を輝かせて反応する。
「もちろん。今回勝てたのだって、メガリザードンXの能力ももちろんだけど、志希さんの好奇心を引き出せたからだし。たぶん次も同じように戦ったら対策取られてて負けるはずだよ」
次は負ける、という話でも忍は楽しそうに話す。
忍が本当にポケモンバトルが好きなのがうかがえて、菜々は何故か嬉しくなった。
こんな平和な日々がずっと続けばいいのに。
…………。
志希さんの研究所でヒノアラシを貰ったり、バトルしたりした数日後のこと。
あたし、棟方愛海は七海ちゃんの家の前に来ていた。
あの後家に帰ってから、どうにか両親を説得して旅に出る許可を得た。
そして今日は七海ちゃんと一緒に旅に出る日。
だというのに、七海ちゃんが待ち合わせの場所に来ないのだ。
だから七海ちゃんの家に来たわけだけど。
七海ちゃんのお母さんが七海ちゃんに似たカラカラとした笑顔でこう言った。
「あら、愛海ちゃん。七海なら、昨日のうちにもう旅立ったわよ」
「…………へ?」
「はい、これ。明日愛海ちゃんがきたら渡すように七海から言われてた手紙よ」
貰った手紙には『一緒に旅してたら研究の効率が悪いから、七海は別のルートで行くれす。愛海ちゃんと旅先で出会うのを楽しみにしてるれす』と書かれていた。
いやいやいや。
確かにあたし達は街の香りを調べるために図鑑を持って旅をするわけで、それで図鑑を持つ二人が一緒にいたら効率悪いのはわかるけど。
「七海ちゃんそういうの気にする人じゃないでしょ!これ絶対自分が好きなルートで旅したいから一人で行ったやつだよ!」
あたしの幼馴染がマイペースすぎる件。
七海ちゃんらしいけど、時と場合を考えてほしいな!
楽しみにしてる地元料理の話とか、ロケット団のお山にどこか見覚えがあることとか、話しておきたいことがあったのに。
今頃どこかの川や海で釣りをしてることだろう。
待てよ、だったら今から急げば追いつけるかもしれない。
「こうしちゃいられない!おばさんありがとう、あたし行くね!」
「頑張ってねえ。無理だけはしちゃダメよ。あと七海によろしくね」
「うん!」
あたしは走ってアマミタウンを飛び出した。
ポケットモンスター、縮めてポケモン。
あたしとポケモンたちの前に、壮大なポケモン世界の謎と冒険が待っている。
あたし達の前に待っているのは山、それとも谷。
あたし達の旅は始まったばかりだ。
愛海が出発してしばらくして、浅利家のリビングから声がした。
「愛海ちゃんは行ったれすか?」
「ええ。でもどうしたの?わざわざ嘘までついて。一緒に行けばよかったのに」
「これは必要なことなんれすよ」
「愛海ちゃんに?」
「七海にれす」
「ふーん」
志希の研究所に行った日。
愛海が七海とのバトルを拒否して逃げ出している間、志希と二人きりになった時のこと。
七海はずっと聞きたかったことを訊ねていた。
「どうして七海にも図鑑をくれたんれすか?」
「……」
志希は答えない。
七海がもう答えを持っているとわかっているから。
無言に促されて、質問した七海が自分で答える。
「愛海ちゃんがレジロックの匂いを嗅がせてくれたから。それは愛海ちゃんと、ついでにその友達に図鑑をあげてもいいぐらいの価値があったから。違うれすか?」
「……」
無言を肯定ととらえて、七海は続ける。
「一応言っておくけど、ついででも図鑑をくれたことには感謝するれす。でも教えてほしいれすよ」
「……」
「レジロックってなにものなんれすか?」
問われた志希は、今度は無言で返すことはしなかった。
カップにコーヒーを注いでテーブルに置く。
「先に言っておくけど、実際は図鑑はそんなに価値があるわけじゃないんだー。精密機械だしそれなりにすごい物だけど、タダで人にあげたこともあるくらいだからねー」
七海ちゃんにも期待してるんだよ、と志希なりのフォローが加えられる。
「それでもまあ、愛海ちゃんには悪いけどちょっと騙したのは確かだよ。本当に研究って意味で価値をつけるとなると、レジロックの匂いは図鑑程度じゃ釣り合わないから」
一口だけコーヒーに口をつけて、志希はその味に満足そうにする。
「だってレジロックは伝説のポケモンなんだから」
「伝説の……!?」
伝説のポケモン。
七海も聞いたことがある。
そして聞いたことしかない。
実在するかしないかもわからない、おとぎ話に出てくるポケモンだ。
「レジロック。かつて大陸を引っ張ったといわれる伝説のきょだいポケモンのレジギガスが作った三体のポケモンのうちの一体だって」
「ポケモンが作ったポケモン!?そんなのがいるんれすか!?」
「にゃははー、信じられないよねー。だから誰も存在を信じていなかったんだけど、今回その存在が証明されたっていうー」
「……!」
「レジロックがいるってことは、レジロックを作ったレジギガスも、一緒に作ったらしい他の二体のポケモンもいるんじゃない?っていう話になったりー。レジギガスをパートナーにしてたっていう、伝説の……まあ、ともかく、けっこう連鎖的な反応が起きるすごいことなんだよねー」
七海は研究者じゃないけれど、たぶん七海の想像以上にレジロックが貴重な存在であることはわかった。
「だったらよく旅に出そうとしたれすね」
映画とかだと、珍しいポケモンは怪しい研究機関に捕まって実験されてるものだけれど、やはり現実にはないということか。
「いやー、そういうのも少し考えたんだけどー。それじゃ自然の姿を調べられないしー」
なくはないらしい。
「もう、そういうことはしないって決めたからねー」
過去にはあったのか、と七海は思ったけれど、志希の瞳が深い色をしていたので踏み込まないことにした。
その後も七海と志希はいくつか言葉を交わし、途中で七海は思いついたようにある質問をした。
「ところで志希さん。地方一周するルートは決まってたりするれすか?」
「んー?別に決まってないよー。全部の町をまわってくれればあたしは構わないっていうー」
志希の言葉に七海はニヤリと笑う。
「だったら、七海は愛海ちゃんとは別行動で違うルートをまわるれす」
「それは、研究のサンプル的にもこっちは歓迎だけど、いいの?」
「はいれす。たぶんこのまま愛海ちゃんと一緒に旅したら、七海はお刺身のツマになっちゃう気がするのよねー」
きっと今頃、公園か何かで項垂れている幼馴染を想いながら、七海は決断する。
「七海と愛海ちゃんは幼馴染で親友で、ライバルれすから。たまにはこういうのもいいれしょう」
そして七海は愛海が旅立った次の日にアマミタウンを出ていった。
愛海と七海、二人の旅はまだ始まったばかり。
次回予告
あたし、アマミタウンの愛海!
七海ちゃんに置いていかれて急ぐあたしは、ついにキサラギシティよりも先にある未知の街へ。
レジロックとヒノアラシがいるから寂しくないけど、やっぱりお山が恋しいよ。
そんなあたしが出逢ったのはわざわいポケモンのアブソルを連れた女の子。
私といると不幸になりますよ、だなんて言ってるけど何のことやら。
あなたみたいな可愛い女の子に会えて不幸なわけがないじゃない!
さあ、お近づきにお山を!
え、それどころじゃない?この街に災いが降り注ごうとしている?
じゃあ、お山は災いをなんとかした後で!予約したからね!いいね!?
次回『交錯公演 OK!』
素敵なお山に登れる予感……!
おしまい!
複数の視点で同時に話が動いていくのやっぱりいいね!
M団A団がどう話に絡んでくるのか今から既に楽しみだわ
【デレマス】半熟娘。うっとりと快楽に溺れる幼い肉体――性奴隷に堕ちるまで
【デレマス】半熟娘。うっとりと快楽に溺れる幼い肉体――性奴隷に堕ちるまで - SSまとめ速報
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