――加蓮の部屋――
ほんの少しだけ欲張りたくなった。この寂しさは、代償だ。
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レンアイカフェテラスシリーズ特別編です。
<過去作一覧>
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「膝の上で」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「最初にカフェで会った時のこと」
~中略~
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「のんびり勝負のカフェで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「朝涼みのカフェで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「七夕のカフェで」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「ひまわり畑のカフェで」
23時30分を回った頃に、藍子に電話をした。
ベッドに寝転がって、コールしている間に瞼が重たくなる。一瞬だけ眠りに堕ちそうになって、上半身を跳ね起こし顔を横に振ったところで藍子が電話に出た。
『……加蓮ちゃん? どうしたの?』
「ん……。別に、心配されるようなことじゃないよ」
前髪が数本垂れてくる。スマフォを右手に持ち替えて、左手で髪を整えて。
「こんばんは、藍子」
『こんばんは、加蓮ちゃん。……ふふっ』
「いきなりどしたの?」
『なんだか、おかしいなって。こんばんは、って加蓮ちゃんに言うのも、電話であいさつするのも……なんとなくおかしくなっちゃいました。ふふふっ』
「……あはははっ」
電話先の声から水気のようなものがする。藍子もお風呂上がりなのかな。お風呂から上がって、髪を乾かして、のんびりしていたら私から電話が来た、だったりして。
『加蓮ちゃんも、笑ってます』
「藍子につられたんだよー」
『じゃあ、もっと笑っちゃおうかな? そうしたら、加蓮ちゃんももっと楽しい気持ちになれますよね』
「何それー」
『あはははっ』
「……もー。だから、何それ。……ふふっ」
何がおかしいのか分からないままに、私達は笑う。
アイドルという立場柄、演技で笑顔を作ることはある。それだけじゃない。表情を作っていることの方が多い人生だ。
でも今は、逆に真顔になる方が無理だった。
喉の奥の方から上がってくる衝動が和らいだと思ったら、また藍子の笑い声が聞こえてきて、お腹が自然に引っ込んでしまう。そうしたらまた藍子も笑う。
ほんの少しだけ堅くなっていた肩から、みるみる力が抜けていくのが分かった。思い切ってベッドへ仰向けになる。
『加蓮ちゃんっ』
ぐっ、と藍子の声が近くなった気がして、すごくドキドキした。
それから、向日葵畑で好きって言ったこととか、電車の帰り道とか、その次の日に事務所で藍子と顔を合わせた時にそっと目を逸らしちゃった時のこととか、とにかく色々なことが頭を走り抜けて、思わず太腿をこすり合わせてしまう。藍子が、また私の名前を呼ぶ。左手と右手の人差し指に、釣り上がるような力が入った。
慌てて跳ね起きる。大丈夫大丈夫、と早口気味に言う。かなり不審がられたけどそれ以上は何も言われなかった。
『…………』
「……、」
端が引き攣る口は無理矢理に緩めよう。バクバクする心臓は押さえつけえよう。
私、ちょっと急ぎすぎだ。ううん。急ぐ、とも違うのかな。なんだろう。藍子のこと、笑えないや。
『……それで、加蓮ちゃん? こんな時間に、どうしたんですか?』
「…………」
『加蓮ちゃん……?』
部屋を見渡す。私室用のミニサイズクローゼットの左端、パジャマを入れているスペースが少しだけ開いたままになっている。当たり前だけど、そこへ目を凝らしても、私の助けになってくれるものとか、私の求めてるものとか、そんなもの何も見つからない。
大きく息を吐いて、次に声を出した時には、私はいつもの私だった。……と、思う。
「ううん。ちょっとだけ話さない? それとも、もう寝るつもりだった?」
『お話するのは大丈夫ですけれど……。あ、でも、さっきお風呂に入ったばかりで、もうちょっとしたら寝ようかな? とは、思ってましたよ』
「ビンゴっ」
『ビンゴ?』
「なんでもなーい。じゃあ、ちょっとだけ話そうよ。って言っても、ネタも何もないんだけどね」
スマフォを左手に持ち直して部屋を出る。7月下旬にしては肌寒い。素足のままじゃ冷たくて、足早に階段を駆け下りていく。
『いいですよ。……改まって言うと、なんだか変な感じ』「そう?」
台所ではお母さんが何かしてた。片目で見流したから何してたか分かんないけど。
『私たち、いつもどうやってお話してましたっけ?』「さぁ?」
冷蔵庫の中から缶コーヒーを1本取り出して、片手でタブを開ける。一口啜るけど砂糖の塊みたいに甘かった。
『加蓮ちゃんがかけてきたんだから、加蓮ちゃんがお話をしてください』「私ー?」
お母さんがこっちを見る。いる? と手を振って聞いてみたら冷たい目を向けられた。仕方ない、自分で飲もっか。
「そうだねー……。じゃあ、せっかく"こんばんは"って言ったんだし。夜ならではの話をしようか」『夜ならでは……?』
部屋に戻って、クローゼットからミニソックスを取り出した。ついでに開きっぱなしだったパジャマコーナーは閉めておく。
スマフォを左手から右手へ。右耳に当てる。落ち着かなかったから、左手に持ち直す。藍子の声のする方向がころころと変わる。
「そうそう。お昼じゃなかなか……ね? 言いにくいこととか話しにくいネタってあるでしょ?」
『え、っと……あ、あはは。加蓮ちゃん、それって――』
「例えば――夏のお布団のこととか、今日見る夢の予想とか」
『……、へ?』
「え? だって眠くもない昼に寝る時の話ってあんまりしないでしょ? 家具屋さんに行ったらするかもしれないけど。夜ならではの話題でしょ?」
『え、あぅ』
「あれあれー? 藍子ちゃんは何を想像したのかなー?」
『……もうっ!』
スマフォから顔を離して、私は思いっきり笑った。声が伝わったのか、藍子がまた何か喚く。きっと今頃は顔を真っ赤にしてるに違いない。
うん。ノルマ達成っ。やっぱり私は、ううん、私達はこうでなきゃ。私1人が独りで浮き沈みするなんて、何も面白くないもん。
両手両足への血流が濃く体感できた。初夏特有の暑さに見舞われて、ソックスは足の指先で脱ぎ散らかしちゃった。
『大丈夫だから~! ――もう。加蓮ちゃんが変なこと言うから、お母さんが来ちゃいましたよ。どうしたの? って』
「藍子のお母さんが? うるさくしすぎちゃったかな。まだいる?」
『加蓮ちゃんと電話中って言ったら、ほどほどにね、って言って戻りました』
「ふーん。そっかー」
藍子のお母さんかー。
藍子のお母さんと言えば、優しい雰囲気でほんわりしてて、だけどたまーに藍子をからかってるっていうか、笑って見透かしてるみたいな、そんな雰囲気の人だよ。
ご飯を作ってくれることも多い人で、うちのお母さんとはぜんぜん味付けが違うけど、少なくともうちのお母さんよりは美味しい物を作る。あっ、これはどっちにも話してないことだけどね。
私もよく、藍子の家に行った時に話をする。楽しそうに生きている優しい人、って感じかな。うん。藍子のお母さんだもんね。
最近ではちょっとは緊張しなく……いや、まだ慣れてないかも。人の家の親って、どうしても……。
とにかく。とても親切にしてくれるから、ちょっと悪い気になることもあるけど、藍子が大丈夫って言ってるから、きっと大丈夫。
「暑いねー……」
『扇風機、置いていないんですか?』
「クーラーでいいかなって。今年はなんとなく置かない気分」
『クーラーの温度をひかえめにして、扇風機で部屋の空気が流れるようにしたら、すっごく気持ちいいんですよ~』
「そうなんだ。えー、扇風機? 扇風機ー……。うち古臭いのしかないんだよねー」
『扇風機と言えば、この前ショッピングモールに行ったら、可愛いのが売ってました。形も縦に長いから、あんまりスペースを取らないみたいで』
「藍子の部屋、意外と物多いもんね」
『はい。今度、買ってもらうんです。お母さんにっ』
ちょっぴり意外。藍子がお母さんにおねだりをするなんて。でも1年に1回ならいいのかな?
ふと、首元に嫌な感触があった。蚊と思って叩いてみたけど、違った。
ドライヤーで乾かしそびれた毛先が首筋の汗にへばりついてる。パジャマの襟のところで強引に拭き取ってしまおう。
『ふわ……』
「……ごめん。眠いよね」
『ううん、大丈夫。……逆なんです。加蓮ちゃんとお話してたら、なんだか、いつもの気分になっちゃった……』
「いつもの気分?」
『カフェで、のんびりしてる時間……。くすっ。いつもなら、眠たくなんてならないのに。ちょっぴり、リラックスしすぎているかもしれませんね』
「夜だしお風呂上がりだもん。っていうか藍子、カフェでも結構寝てることあるでしょ?」
『えぇ?』
「よく膝の上ですーすーってなってるじゃん。私の膝の上で」
『……お世話になってます?』
「何それー」
『加蓮ちゃんの膝の上で眠っている時って、すごくふわふわな夢を見るんですよ』
「そうなの?」
『はい。雲の上にいる夢や、もふもふの羊さんが出てくる夢……』
「へー……。私にも、ゆるふわパワーが宿っちゃったかな?」
『そうかもしれませんね~。えへへっ』
「……ま、藍子はよく寝るよね」
『そ、そんなには眠っていないと思いますよ?』
「そうかな。よく店員に寝顔を見られたりしてるじゃん」
『えっ、あ、えっとそれはっ』
「店員さんそっと離れてくれるけど、ちょっと口元緩んでるんだよねー」
『わ~っ!?』
「寝起き顔も見られたり」
『おいうちをかけないで~っ!!』
店員の反応も、見られた時の藍子の表情も。思い浮かべるだけで笑ってしまうから。二の腕の辺りにまで汗が浮き上がってきて、パジャマの袖を思いっきりまくった。
それでもまだ暑い。部屋の窓を開ける。都会の夜騒と一緒に夏の始まりの風が流れ込んでくる。
窓枠に飛び乗って、大したことじゃないけど、悪いことやってる気分。口角がぐぐっと上がる。いい子ちゃんの藍子の目の前でさ。これ見よがしに悪い子を演じるだけで、大げさに反応してきて――
あぁそっか。今は藍子が目の前にいないんだよね。
『ふうっ……。よかった、お母さん来なくて。も~、加蓮ちゃん?』
「……、あはは」
『加蓮ちゃん……?』
「いや、なんていうのかな――」
窓枠から見える月は少し霞んでいて、そのすぐ近くに1つだけ星が見える。建物の隙間から向こうには人工の光が点在していて、都会の夜に眠りはないことが分かる。
藍子もまた、その中の1人で。
今こうして眠ることなく私と話している。
そして足を運べば会える距離なんだ。星の彼方の人じゃない。遥か遠くにいる訳でもない。近くにいる。
ヤバイ。
藍子の所に行きたい。
「…………、」
『加蓮ちゃん? 加蓮ちゃ~ん?』
藍子が私の名前を呼んでる。藍子が私を呼んでる。
顔を見たい。目を見たい。一緒にいたい。一緒の場所にいたい。一緒にお布団に入りたい。
言葉とか、話題とか、そういうのいらないから。
暑い。
この場所は私には毒だ。
窓枠から飛び降り後手で窓を閉める。埃をかぶった学習机の端っこにあるクーラーのスイッチを押す。濁った風が入念に手入れした髪を荒らしていく。
感情の高ぶりを受け流すように、私はヤケクソ気味に笑った。
いや。分かってたことなんだよ? 分かってて電話してるんだから。私も馬鹿だよね。ホント。
「……なんでもなーい。窓を開けても暑かったから、思い切ってクーラーつけちゃった」
『そこまで暑いですか? 今日は、どちらかというと涼しい夜な気が……。もしかして加蓮ちゃん、体調が』
「ないよ」
『でも、』
「大丈夫大丈夫。あと、なんかちょっと余計なこと考えちゃって。そしたら興奮……興奮ってほどじゃないけど。少しだけ暑くなっちゃった。ごめんね? 藍子と話してる途中だったのに」
『ううん、それはいいんですけれど……』
「ま、もし何かあったりしたら――」
『……あったとしたら?』
「藍子が悪い」
『なんで!?』
がっ、と音が聞こえた。藍子が勢いづいて前のめりになったとか、かな?
うんうん。私達はこうでなきゃ。
藍子が落ち着くまでの間、スマフォを耳から離して時間を見る。
あと……5分くらい。
ゆるふわ空間がスマフォ越しにも発動してくれて助かったよ。たぶん、10分が限界。それを越えたら、もうきっと我慢ができないから。
『もうっ。訳分かんないです、加蓮ちゃん』
「分かんないんだ。いつもは余計なことまで察するクセにー」
『……電話越しだと、なかなかわかりませんよ。加蓮ちゃんが、何を考えてるのか』
「ふうん」
『今日最後の、小さな発見ですっ』
電話越しだと分からない、なら――
……心臓の周りに、ちいさなちいさな針玉を詰め込まれたみたいな、僅かな痛みが生まれた。
罪悪感をごまかすように、私は唇を舐めた。
「電話越しじゃ分かんないんだ?」
『……あはは。だって、声だけしかありませんから。加蓮ちゃんの顔、見ることができないから』
「そっかそっかー。電話じゃ分かんないんだー」
『加蓮ちゃん? また、何かたくらんでる?』
「ないない。相槌打ってるだけだよ?」
その辺に散らかした靴下を履き直す。ちょっと行儀が悪いけど、足の指先でちょいちょいといじって。ぱんぱん、と足の裏を叩き合わせる。
それから半分開いたカーテンと、その向こうに広がる空を仰いだ。
大昔に読んだ何かの物語にあった、窓から部屋を抜け出すシーンを思い出す。
あれを読んだ時、すごいなぁって思った。当時の私の世界は病院の中の、小さな病室にしかなくて、そこから窓を通して見える光景に地面は遠くしか映ってなくて。飛び降りたら間違えなく死んじゃうよね。だから物語のキャラクターはすごいなぁ、怖くないのかなぁ、って、冷静に思ったことがある。
今の私には、それだけの力があるのかな?
見抜くことができなくても、見抜いてくれたら。
藍子が背中を押してくれたら――
『次に会った時は、絶対に見抜いちゃいますからねっ。加蓮ちゃんの考えてること!』
駄目かぁ。
私はスマフォに向けて「ばーか」って罵った。向こうで藍子がまた何か喚く。
電話越しに望みすぎたかな。
やっぱり、直接言えばよかったかな。甘えてもよかったのかな。
声を聞いたから、あなたに会いたくなりました、って。
「じゃあ私は藍子の考えてることを見抜くね。そうだっ。次にカフェに会う時までにさ、お互い隠しごとを1つ持っていかない?」
『もしかして……それを見抜く、勝負ですか?』
「おっ、今目を輝かせたでしょ」
『そ、そんなことありませんよ~? でも……その……。け、景品は?』
「乗り気じゃん。アンタいつからそうなって……前にも言った気がするこれ。ま、テキトーでよくない?」
『適当でいいんですね。じゃあ、それも考えてきますね』
あ、これちょっとスイッチを強く入れすぎたかもしれない。負けてられないね。
瞼の奥に、熱が篭もる。
『勝負って、次にカフェで会う時でいいんですよね? 明日は……その』
「うん。明日は、そういうのはなし。それとも、物足りない?」
『ううん……。明日は、ゆっくりしたいです』
「私はいいけど他の子達がゆっくりさせてくれないかもしれないよ?」
『それなら、疲れちゃったら、加蓮ちゃんのところに行っちゃいますね』
「私、最初から最後まで藍子の横を独占しちゃおっかなー」
藍子が苦笑いを繰り返したところで、なんとなく言葉が続かなくなる。
左足が床を叩いていることに会話が途切れて初めて気付いた。手首の血管もいつもよりくっきり浮き上がってる。
やっぱり藍子への電話は今日をもって最後にしよう。左手を伸ばしても何も掴めないこととか、目の前に誰もいないこととか、あの独特の雰囲気が感じられないこととか、自覚すればするほど身体に毒だ。
口を閉ざすと、藍子も押し黙った。
何かを待っている時間。限られたコミュニケーションの中でも、それだけは共有できる。
1分が経って、2分が経過して、針の音が、かちっ、と揃う。
私と藍子が、同時に息を吸った。
そして。
「誕生日おめでとう、藍子」
『ありがとう、加蓮ちゃん』
7月25日0時0分00秒。その瞬間に言いたくて。
ほんの少しだけ、欲張りたくなった。この寂しさは、代償だ。
「ふうっ。……うんっ」
『加蓮ちゃん、もしかして……これを今、言ってくれるために、電話を……?』
「そーいうこと。あー、落ち着かない。やっぱりこれヤダ。電話なんてしちゃ駄目だね」
『え~っ。電話のお喋りも楽しいなって思い始めてたのに。……あっ、加蓮ちゃん。もしかして』
ヤバッ。電話越しに感覚が鈍くなるならあと12時間くらい気づかないままでいなさいよ!
『……寂しくなっちゃいましたか?』
「ならない。ならないから切るわよ。早く寝ないと明日があるし」
『加蓮ちゃん』
「明日ほら、パーティーでしょ? 明日じゃなくてもう今日か。アンタの。主役が寝てたら話にならないでしょ?」
『加蓮ちゃん?』
「はいおやすみ。おやすみ! 誕生日おめでと! またあとでね!」
髪の後ろを手で引っ張られるような感覚を振り払いながら通話を切った。途端に藍子からメッセージが飛んでくる。「寂しくなっちゃったんですよね?」って。
トークルームを消し去ってスマフォを布団の足元側へ投げて電気を切った。布団に入って目をぎゅっと瞑った。口から思いつく限りの罵倒を並べて架空の藍子にぶつけまくった。
だけど全身が脈打つ。無意識のうちに手と足が動きそうになる。私の方こそ眠るまで時間がかかりそうだ。
ああもう、やっぱり電話なんて金輪際するものかっ。
【おしまい】
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