【アイマス】真「目を閉じて見るハッピーエンド」 (96)

《A side:大嫌いだから愛しくて》

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 菊地真、17歳

 私と一緒にアイドルデュオとして活動している女の子。

 3ヶ月ほど前から髪を伸ばしはじめていて、ボーイッシュさが前面に出ていた1年前より女の子らしくなった。
「真は男性ファンからの手紙も増えてきたな」と、プロデューサーが嬉しそうに報告してくれたのは一昨日の話だったかな。


 真ちゃんは運動神経がバツグンでいつも元気な、快活さを絵に描いたような性格をしている。

 正義感が強くてちょっと空回りすることもあるけれど、そんなところも含めて周りの人達からは愛されている。

 私にだって優しくしてくれる。食事やショッピングに誘ってくれて、いつだって友好的な態度で接してくれる真ちゃんは本当に良い人なんだろうな、と思う。

 でも……私はそんな真ちゃんが大嫌いだった。

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「雪歩ちゃん大好きです。これからも頑張ってください」

「ありがとうございます。応援よろしくお願いしますね」

 歌詞カードにサインして手渡しながら、微笑んでファンの方と受け答えする。隣では真ちゃんも同様に手を動かしながらファンに笑顔を見せていた。

「大好き」かぁ……
 ファンの人に好いてもらえるのは嬉しい。それが仕事なのだから。
 だけど、好意を直接伝えられるのは苦手だった。それには理由があるのだけれど……

 次々と入れ替わりでサインを求めてくるファンへの対応に忙殺されて、思考は中断された。


 それから1時間程してシングル発売記念のサイン会を終えると、プロデューサーは「今日はこのまま2人を家まで送るよ」と言ってくれた。私と真ちゃんは素直にその提案を受けて車に乗り込む。

 距離が近い私の家の方に先に到着する。別れの挨拶をして私が車を降りると、真ちゃんがプロデューサーに「あ、ボクも降ります。雪歩と約束があるんで」と言い出した。


「突然だな。一人で帰れるのか?」

「心配しすぎですよ。もう子どもじゃないんですから」

「高校生は十分に子どもだよ。あまり遅くならないうちに帰るんだぞ」

「わかってます。お父さんみたいなこと言わないでください」

 真ちゃんは車を降りてドアを閉めると運転席の窓際に駆け寄り、プロデューサーに舌を突き出した。

 プロデューサーは苦笑しながら窓越しに私たちに軽く手を振り、車を発進させて去っていった。


 ……私はというと、二人が話している間何も言わずに立ち尽くしているだけだった。突然の真ちゃんの発言に違和感を覚えて、なんとなく口を挟むタイミングを逃してしまったからだ。

『雪歩と約束があるんで』

 私は、真ちゃんが人に嘘を吐くところを初めて見た。存在しない“約束”を、真ちゃんはまるで天気の話みたいに平然と口にした。

 私にはすぐに分かる嘘を私の前でいつもと同じ様子で言える真ちゃんが、全然知らない人のように感じられた。

□□□□□□□


 嘘には敢えて触れないで、私はまるで本当に“約束”があったかのように振舞い真ちゃんを自室に案内した。

 これが私のくだらない処世術だった。嘘を指摘して、もし二人の間の雰囲気が悪くなってしまったら、アイドル活動にも支障が出てしまうかもしれない。

 それなら、無難な会話を重ねて気分良く真ちゃんに帰ってもらった方がいいに決まってる。

「約束」なんて嘘を吐くくらいだから何か大事な話があるんだと思ったけど、私の部屋を面白そうに見て周る真ちゃんは世間話しかしてこなかった。

 その時になってようやく気付いたけれど、真ちゃんが私の家に来るのはこれが初めてだった。


 私のアルバムを発見した真ちゃんは興味深げに写真を見ながら、時折質問を投げかけてきた。

 私はそれに答えながらも、早く真ちゃんが飽きてくれないかな、と考えていた。自分の写真を見るのは苦手だった。

 アイドルの考える事じゃないな、と心の中で苦笑する。

「アルバム見てても思ったんだけどさぁ」

 真ちゃんが視線をアルバムに向けたまま言葉を発する。

「雪歩って笑顔作るの下手だよね」

「…………」

 なんて言葉を返すべきか分からなかった。やっぱり今日の真ちゃんはおかしい。相手を傷付けるようなことを言う人じゃないはずなのに……

 そう、私は動揺と共に傷付いていた。今までひた隠しにしてきたコンプレックスの外殻に触れられたことに。


「今日のサイン会でも隣にいてヒヤヒヤしたよ。あんな笑顔じゃファンにいつ愛想尽かされてもおかしくないよ?」

 ほら、こんな風に笑うんだよ、と真ちゃんは笑顔を作った。
 それはファンの女の子達が黄色い歓声を上げるいつものスマイルそのものだった。

「……なんで分かったの?私の笑顔が全部作りものだって……」

 真ちゃんの膝の上で開かれたままのアルバムに無意識に視線が引き寄せられる。そこには中学生の頃の私が笑顔で写っていた。

 一人で、或いは友達と一緒に。何枚も、何枚も。写真のために、笑いたくもないのに作られた表情で。

 私は自分の作った笑顔を見るのは嫌いだった。

 でも、他の人にはわからないように完璧に笑顔を作っているはずだ。写真を見ても笑顔がおかしいとは思えない。それなのに真ちゃんが気付けた理由が分からなかった。


「なんでって……」

 真ちゃんはフフッと笑みを零した。心底面白そうに。

「ボクも雪歩と“同じ”だからさ」

 “同じ”?真ちゃんが……私と?

 思わず真ちゃんの目をジッと見つめてしまう。すると、真ちゃんはもう一度完璧な笑顔を見せた。

 この笑顔が私と“同じ”だって言いたいの?それとも、もっと根源的な部分まで……?

 ……確かめてみよう


「あのね、いくつか質問してもいい?」

「構わないよ」

「……真ちゃんは私のこと、好き?」

「んー、好きでも嫌いでもないかな」

「じゃあ、これから好きになる可能性はある?」

「無いと思う。たぶんね。これまでがそうだったから」

 質問の答えを聞く度に、胸がドキドキしてきた。
 もしかして、本当に私と“同じ”なのかも……

 あぁ、ダメだ。もう我慢できない。

「……私が『恋人になってほしい』って言ったら、どう思う?」

 心臓の鼓動がいつもより早いせいで、自分が生きていることを今更のように意識できた。


 そんな私の言葉を聞くと、真ちゃんは少し苦笑した。

「ボクから言うつもりだったのに、先に言われちゃった」

 あぁ……真ちゃんが、私の求めていた人だったんだ。
 頬を何か熱いものが流れ落ちていく感触で、自分が泣いていることに気付く。

「キス……してもいい?」

「どうぞ」と、真ちゃんが両腕を開く。恐る恐る歩み寄ると体を軽く抱き寄せられて、真ちゃんの方から唇を重ねてきた。

 数秒にも満たないファーストキスを終えると、距離の近さに改めて驚いてしまい、私は顔が更に熱くなるのを感じた。


「真ちゃん、『好き』って言ってほしい……」

 自分の言葉に自分で恥ずかしくなって、私は真ちゃんの首元に顔を埋めてしまう。

 それなのに、真ちゃんは私の耳元に口を寄せて、「雪歩、大好きだよ」と優しく囁いてくれた。

 声色で、嘘だとわかる。
 なんて優しい嘘。

 涙目になりながらも今度はしっかりと真ちゃんの目を見つめる。

「私も大好きだよ」

 知らないうちに私は笑顔になっていた。作りものじゃない自然な笑顔を他人に向けるのはいつ以来だろう。

 私の嘘は、ちゃんと伝わったのかな?
 大丈夫、真ちゃんは私と“同じ”なんだから……。ほら、笑顔で私を見つめ返してくれてる。

 安心感で満ち足りた気分の中、今度は私から真ちゃんに唇を重ねた。

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キリがいいので今日はここまでで終わります。
もし読んでくれてる人がいたら意味がわからないところで終わってて申し訳ない。
明日の夜に続きを書きます。

支援

読んでくれてる人がいて良かった。
続き投稿します。


「萩原さん、好きです。付き合ってください」

 男の子からの告白は、いつだって私の気分を重くさせた。

「私はあなたを好きになれません」と、本当の気持ちを伝えても意味は無い。「付き合ってみなければわからない」と不確かな未来に期待した言葉を吐かれるだけだった。

 けれど、私にはわかる。だって、私は今まで誰も好きになった事が無いから。

 人を好きになる方法がわからないのに、どうして人を好きになれるんだろう。


 数度目の告白を断った後、私は煩わしさから「萩原雪歩は男性が苦手」だということにした。

 これは効果があって、告白される頻度は激減した。
 もし告白されたとしても、断る理由がハッキリしているから頭を使わずに済んで楽だった。

 友達がオーディションに応募したのが切っ掛けでアイドルになったけど、始めてみるとアイドルは私に合っていると思えた。

 アイドルは全ての人に平等に愛を与えなきゃいけない。その約束を破って、特定の人にだけ愛情を向けた時ファンの心は離れていってしまう。

 私は誰も好きにならない。だからこそ誰にでも平等に愛情を与えられる。本当の気持ちは無くても、“与えている振り”はできるんだ。


 アイドルとしての生活は今までよりも嘘に塗れていた。
 恋さえ知らない身で愛を語る歌を数え切れないほど歌った。笑顔を作る機会は何倍にも増えた。

 笑顔を作る度、(私は幸せになれない)という想いは強まっていった。

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 世界には愛が溢れている。

 外に出ればそこかしこにカップルや夫婦が歩いているし、恋愛をテーマにした作品は飽きられもせずに今この瞬間にもどこかで作られている。

 何よりも、私はお父さんとお母さんが愛し合った証明としてこの世に存在している。

「雪歩も恋愛した方がいいよ。男子が苦手なんて言わないでさ。たぶん、人間の幸せは恋愛の中に詰まってるんだよ。こんなに幸せな気持ちになれるなんて、私だって思ってなかったんだから」

 アイドルになる何ヶ月か前、初めて彼氏の出来た友達は興奮気味にこんな言葉を漏らした。

 私は曖昧に答えながら、それなら私は一生幸せになれないなぁ、とボンヤリと考えていた。


 私は別に感情が無いわけじゃない。

 両親は好きだ。友達も好き。可愛らしい子猫が好きだし、お茶も好き。ただ、それ以上の段階の「好き」が欠落していた。

 友達に付き合って恋愛映画を見る度に、(なんでこの映画に登場する人達は相手のことを想うあまり泣けるんだろう)と不気味にさえ思った。

 私には愛情を表現できる人達がエイリアンに見えていた。私は、産まれてきてからずっとエイリアン達の中で暮らしている。

 ……いや、私だけがエイリアンなのかな……

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 孤独だった。

 愛情を知らない私は、周りにそれを悟られないために必死で生きてきた。おかげで笑顔だけは上手くなった。

 家族から愛されて過ごしてきたし、友達には優しくしてもらった。そういった「幸せな人生」と呼ばれる要因の一つ一つが私には息苦しかった。

 いじめや虐待を受けていれば、人間不信になったせいで人を好きになれないんだ、と自分に言い訳も出来たのに。

 何一つ不自由なく生きてきたのに人を愛せないのは、私が欠陥品だという証明に思えて仕方がなかった。

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 そんな私にとって、真ちゃんの「ボクも雪歩と“同じ”だよ」という告白は正に青天の霹靂だった。見知らぬ惑星で同じ人間を見つけたように。

〈まさか、そんなのあり得ない。
明るくて元気が良くて、男の人からも女の人からも愛される真ちゃんが私なんかと“同じ”なわけない……〉

 あの告白の後でも、頭の片隅では私のネガティヴな部分が反抗を続けていた。

 けれど、告白の言葉を思い出せばそんな疑念はすぐに吹き飛んだ。私と“同じ”じゃないとあの言葉は出てこない。

「あなたを好きになれないけど傍にいてほしい」なんて支離滅裂で我が儘な想いは、同じ気持ちを持つ人間同士でしか理解できないだろう。

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 告白されるのが嫌なのは、相手が私に愛情を求めてくるから。
 告白してくる男の子はきっとこう考えてる。(今は片想いだけど、いつか俺のことを好きになってくれるはず)、と。

 でも、そうはならない。愛情の天秤は一方に傾いだままいつまでも動かない。

 私はそんな時、誰も愛せない自分を直視させられて劣等感や罪悪感に苛まれた。

 だから、もし私が付き合うとしたら“私を好きになれない人”しかいないと朧げに想像していた。そうすれば、人を愛せない私でも天秤は釣り合う。私も劣等感を感じずに済む。


 理屈に合わないことを考えているのは自分でもわかっていた。私を好きじゃない人が私と付き合ってくれる理由がない。

 それでも……私は誰かに傍にいて欲しかった。

 眠れない夜にはふと考えてしまう。私はこのままずっと一人なのかと。

 人を愛せないのだから、結婚はできないと思う。それは仕方ない。高校生になる頃には諦めに似た気持ちを抱くようになった。

 でも、私がお婆ちゃんになって、死ぬ直前に隣に誰もいない場面を想像するとひどく哀しくなった。死ぬまでの孤独に耐えられる程、私は強くはなかったんだ。

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 真ちゃんというパートナーを得て、私は変わった。

 付き合ってからすぐに私たちは恋人の真似事を始めた。本当に恋人になったのに“真似事”と言うのは変な気もするけれど、そうとしか言いようがない。

 デートやセッ◯スの最中、私達は時々自分の意思とは関係なく「普通のカップルがやりそうなこと」を好んでやった。愛を表現する言葉や行動を意識して多く使った。

 私達は確かめたかったんだ。特別な関係でしかできないそれらの振る舞いが、愛情自体とはなんの関係も無いと。


 何度体を重ねてみても真ちゃんに愛情を覚えたりはしなかった。真ちゃんだってそう。ただ、快楽だけが存在していた。

 私の体を知り尽くした真ちゃんに感じやすい部分を弄られながら、耳元で中身の無い愛の言葉を囁かれるのが好きだった。そんな時、私は“愛”には何の意味も無いと安堵した気持ちになって、快楽だけに身を任せることが出来たから。

「私も愛してるよ」と言いながら絶頂を迎えると、日常で常に感じている倦怠感から解放されるような気がした。

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 私は、私が嫌いだ。

 他人を愛せない自分が嫌い。
 ファンに嘘の言葉と笑顔しか見せられない自分が嫌い。
 愛せないのがコンプレックスな癖に、恋人達の振る舞いをバカにして安心しようとする卑怯な自分が嫌い。

 そして、そんな自分を一方で愛しいとも思っている自分が、何よりも……

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 真ちゃん

 真ちゃんが私と同じだと知った時、私がどんなことを考えたか知ってる?

(あぁ、可哀想な人だな)って思ったんだよ。

 そしたら急にあんなに嫌いだった真ちゃんが愛おしく思えてきたんだ。

 その時に気付いたの。私が真ちゃんを理由も無いのに嫌っていたのは、無意識に真ちゃんに自分と同じ匂いを感じていたからじゃないか、って。

 私は、私が嫌いだから。

 嫌われる理由としては笑っちゃうくらい理不尽な話だよね。ごめんなさい。
 でも、私はそんな気持ちを気取られない様に気を付けてたから、真ちゃんは知らなかったかもしれないね。


 真ちゃんと付き合って気付いたことはもう一つあって……

 私は可哀想な真ちゃんに恋人として話したり触れたりする時、真ちゃんを通して自分を見ていたの。

 真ちゃんは私を映す鏡なんだ。私の語る「愛してる」は、他ならぬ自分に向けた言葉だった。

 私は、弱い私を愛してあげたかった。

 こういう気持ちも自己愛って言うのかな?気持ち悪いよね。
 でも、どうしようもないの。私の皮膚の薄皮一枚下には透明な膜が合って、その中には誰も入って来れない。

 自分の中にポッカリと空いた穴を埋められるのは、自分しかいないの。


 もう、真ちゃんがいない生活なんて考えられない。孤独な時間がどれほど空虚なものなのか、私は知ってしまった。

 どうしようもなく哀しくて
 どうしようもなく虚しくて
 だから、どうしようもなくあなたが愛しい。

 真ちゃんは私の分身だから。私の心の穴から出てきたあなたが只々愛しい。
 そう扱う事でしか、私は満たされなくなってしまった。

 自分でも不思議なんだ。こんなに真ちゃんが愛しいのに、気持ちが愛情に変化したりはしないことが。

 たぶん、この気持ちは“愛”なんて綺麗なものじゃなくて、“依存”に近いんだと思う。麻薬に手を出してしまって、止めたくても止められない人の気持ちが今なら分かる。


 自分でも分かってるんだよ。こんな恋人の真似事を続けても何にもならないって。一瞬だけ満たされた後、一人になった時はもっと虚しくなるだけなのに、止められない。

 だって、たった一瞬だけ満たされるその瞬間が、人生で一番幸福な時間だから。自分から幸せを手放せるほど、私は強い人間じゃない。

 麻薬なんかに例えられたら、真ちゃんは怒るかな?
 でも、お互い様だよね。真ちゃんも同じ様に私を利用して虚しさを埋めてるんだから。

 尋ねてみたことはないけれど、私と“同じ”ならそうに違いない。言葉になんかしなくても、私達は解り合える。


「真ちゃん」

 体を重ねている最中、世界中でただ一人私を幸せにしてくれる人の名前を呼ぶ。

 それだけで、真ちゃんは魔法使いのように私が求めてる言葉を与えてくれる。

「雪歩、愛してるよ」

 いつも通り感情の込められていないその言葉を聴いて、私の中の欠けた部分が満たされるのを感じた。

「私も。私も愛してるよ、真ちゃん」

 熱っぽい口調で喋っていると、不意に目頭が熱くなった。

 理由のわからない涙を堪えながら、私は微笑む。幸せから生じた表情を真ちゃんに見せる。すると、真ちゃんも笑みを返してくれた。

 この瞬間が永遠に続けばいいのに。
 馬鹿げていても、愚かだと思われても、私が幸せを感じる手段はこれしかないのだから。二人だけの閉じた世界で、私の幸せは完結しているのだから。

 叶わない夢と知りながら、その事実から逃げる為に、私は愛しい人に重なるように身を寄せる。

 二人の鼓動のリズムが合っていることに気付いて、私はまた一つ、この世界にまだ生きていてもいい理由を見つけた気がした。

前編の雪歩視点終了。
後編の真視点に移る。


《B side:目を閉じてみるハッピーエンド》


 萩原雪歩、17歳

 ボクと一緒にアイドルデュオとして活動している女の子。

 その儚げで柔らかな雰囲気から守ってあげたい気持ちになるらしく、特に男性からの人気が高い。

 アイドル活動を始めた当初は男性恐怖症のせいで仕事に支障を来たす事も少なくなかったけれど、1年以上の活動を経てその恐怖心も少しは薄れてきたらしい。

「雪歩もだいぶ男性とのやり取りが自然になってきたな」と褒めるプロデューサーに対して曖昧な笑みで返す雪歩。

 そんな雪歩をボクはジッと見つめていた。


 雪歩は嘘を吐いている。
 いや、嘘に塗れている。

 雪歩の「男性恐怖症」というのは嘘で、単にその嘘を少しずつ無かったことにしようとしているだけなのだ。

【仮面】の存在がそれを証明している。

ーーこれは、ボクがそんな雪歩に恋をする物語だ。

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 唐突な話で信じられないだろうけれど、ボクは他人の嘘を見る事ができる。

 これは相手が嘘を吐く際の癖を見抜く技術が優れているって意味じゃなくて、ボクは相手を見れば話の内容が本心かそうでないかを確実に見分けられるんだ。


 その能力に関して一番古い記憶として残っているのは幼稚園の頃。

 幼いボクは来たるクリスマスに向けてサンタさんへ手紙を書いていた。

「おおきなクマのぬいぐるみがほしいです」と声に出して文字を書いていると、近くにいた幼稚園の先生が「真ちゃんは良い子だからきっとサンタさんが持ってきてくれるね」と話しかけてきた。

 嬉しくなって見上げた時の先生の顔は今でも覚えている。

 まず真っ先に異変に気付いた部分は目だ。先生の顔からは目が失われていた。
 より正確に言うと、そこに目がある事はわかるのだけど、眼球が薄い皮膚で覆われたかのようになっていて視線や感情が全く読み取れなくなっていた。


 次いでボクは、先生の鼻の穴や口の中までもが目と同様に薄い皮膚で塞がれたようになっている事に気付く。

 その様子を例えるなら……ショーケースに並んだマネキンをイメージしてもらえると分かり易いかもしれない。
 マネキンは顔の凹凸からパーツの判別はできるけど、細かな感情までは読み取れない。それと同じ状態だ。

 幼いボクは単純に先生の変化に疑問を持ったようで、顔がおかしくなってる理由を先生に尋ねた。

 すると、先生の顔が通常のものに戻り、怪訝な表情が露わになった。

 幼心にも自分が言ってはいけない事を口走ったと気付き、それ以来ボクは顔の変化について誰かに話すのをやめた。

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 中学生になる頃には、ボクは自分に与えられた能力を完璧に理解していた。

 嘘を見抜く能力と言えば分かり易いけれど、これは何も言葉にだけ反応する訳じゃなくて、本心を隠したり偽ろうとする意図があればちょっとした仕草にも敏感に反応する。

 そして、その人が真実を隠したいという気持ちが強ければ強いほど肌の色が肌色から黒に近くなっていくという特徴がある。
 何気ない嘘なら肌色のまま、バレたら困る嘘なら黒色という風に。

 ボクは他人が嘘を吐く時に顔が変化するこの現象を、便宜上【仮面】と呼んだ。


 ただ、この能力が役に立つかと言われればそうでもない。別に目に見えなくても他人が嘘を言っているかどうかくらい分かるからだ。
 周りのクラスメイト達だって相手が嘘を吐いているかどうかはある程度察しているようだし、わざわざ見える必要性は感じられない。

 ポーカーなんかの一部のギャンブルには有効だろうけど、対等じゃない勝負には興味が無かった。

 どうやらこの世界に神様はいないらしい。
 ゲームや漫画のように超常的な存在が能力を与えられた理由を説明してくれるはずもなく、ボクは坦々と日常を過ごしていた。

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雪歩と出会う場面まではいきたかったけれど今日はここまでです。
明日の夜に続きを書きます。

おつ

ヤってる時に感じてる演技をされてもバレバレなのか

演技ならバレますね。
ただ、雪歩の演技はどちらかといえば言葉やキスやハグなんかの表面的な行動に向けられていて、感じ方に関しては素のままのイメージです。


 765プロのアイドルになったボクは、事務所の他のアイドル達にほとんど嘘が無い事に逆に驚いてしまった。
 芸能界っていうのはもっと裏表が激しい業界だと思っていたのに、どうやらココには奇跡的に心の綺麗な人が集まっているらしい。

 特に嘘が少ないのはやよいと美希だ。やよいはその純粋さ故に、美希はその奔放さ故に。
 ボクは嘘を吐けない事が必ずしも美徳だとは考えていないので、ある意味では心配にもなる。

 反対に、嘘が多いのは伊織。と言ってもアイドルとして猫を被ってるだけだから、そこに悪意は無い。寧ろその清々しい程の嘘の吐き様には好感すら抱いてしまう。

 765プロにある嘘は、思いやりや気遣いといった優しさから生まれるものばかりだった。そんな雰囲気の良い事務所の中では誰もが自然と笑顔でいられる……ある一人を除いては。

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 彼女の存在は初めから異彩を放っていた。

 ボクがアイドルとして765プロに初めて出勤した日。
 紹介のために集められたアイドル達を見渡している最中、ソファに座る少女を見てボクの視線は束の間その一角に縫いとめられた。

 ーー【黒い仮面の少女】が膝上に慎ましく両手を揃え、ソファに座っていた。

 まだ名前も知らない他人をずっと見ているのは不自然なので、ボクは無理矢理そこから顔を背け自己紹介を始めた。
 話している間も視界の端で彼女の顔を捉えていたけれど、黒く染まったまま変化がない。

 明らかに不可思議な状況にボクは困惑した。

 何故仮面が現れる?彼女は黙って身じろぎもせずに座っているだけで何もしていない。嘘を吐く行動もしていなければその必要性も無い。

 しかも、黒い仮面だなんて……他人に絶対にバレたくない嘘を吐いている時にしか現れない色だ。彼女は何を隠しているんだ?

 それが黒い仮面の少女ーー萩原雪歩との出会いだった。

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 初めての出会いから数日が過ぎても、雪歩の素顔が露わになることは一瞬たりとも無かった。その理由がまったくわからないボクは嫌が応にも雪歩に注目してしまう。

 当たり前の話だけど、嘘だけで他人と会話するなんて不可能だ。天気の話やこれからの仕事の話で嘘を吐いてもすぐにバレてしまう。
 それなのに何故雪歩の仮面は一瞬も剥がれないのか……その理由は見当もつかなかったけど、雪歩の素顔を見る機会はすぐに訪れた。


 初めてのダンスレッスンの日、ダンススタジオの壁一面を占める姿見の中に雪歩の素顔は映し出されていた。

 これが仮面のルールのうちの一つだ。
 仮面はボク自身の目で相手を直接見ないと現れない。鏡やテレビを介して見れば、相手が嘘を言っていようがいまいが常に素顔のままだ。

 剥がされた仮面の中身は、勝手に頭の中で想像していた顔とだいぶ違っていて驚いた。

 常に嘘を吐いている人間なんて猜疑心の強そうな疑り深い目をしているものかと思っていたけど、初めて目にする雪歩の顔は温和そのものだった。
 性格の柔らかさや可愛らしさを感じさせる顔で、アイドルとしてこれから人気が出そうだと直感出来た。

 レッスンの合間、数名のアイドルと一緒に談笑している雪歩の様子を伺う。

 鏡を見ると、春香の話に笑っている雪歩が映っている。でも直接雪歩に視線を向けると、その顔は黒い仮面に覆われている。また鏡に目をやると、嘘を吐いているようには見えない自然な笑顔の雪歩が見える。

 そんな行為を何度か繰り返すうちに、純粋な好奇心が頭をもたげてきた。
 雪歩がそれ程までに仮面の裏に隠したいものって何なんだろう。

 他人の秘密を暴こうとする下品な振る舞いを、ボクは交流を深めるためだと自分に言い訳して正当化した。
 自分が中身を探ろうとしているものがパンドラの箱だとも知らずに……

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 雪歩に興味を持ってから数ヶ月後、ボクたちはプロデューサーにアイドルデュオとして活動すると告げられた。

 何故この二人なのかとプロデューサーに尋ねてみると、「二人に似た雰囲気を感じたからだ」という答えが返ってきた。

 ボク達が似ている?
 女の子らしさを体現したような雪歩と、よくボーイッシュだと言われるボクが?

 このプロデューサー、仕事は出来るみたいだけどたまに変な発言をするんだよね……

 だけどこの状況は好都合だ。
 格好の口実を得たボクは雪歩を食事やショッピングに誘い心の距離を縮めようと努めた。

 しかし、やはりと言うべきか、雪歩は一筋縄ではいかない。

 たしかに以前と比べれば仲は深まったと言えなくもないけれど、それは雪歩の想定する範囲での仲の良さでしかない。
〈同じ事務所のアイドル〉から〈同じユニットの片割れ〉になった、だからその分だけ表面上の親密度を上げた、雪歩にとってはただそれだけの話なんだ。

 押したら押した分だけ引き、逆にこちらが引けば関係が悪くなり過ぎないように元に戻そうとするきらいが雪歩にはある。
 同じユニットになって仲良くなろうとしても、黒い仮面は相変わらず一瞬たりとも消えなかった。

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 ある日の早朝、洗面台で顔を洗いながらボクは思い悩んでいた。
 仲を深めるために試行錯誤してみても雪歩の堅牢な心の扉はビクともしない。

 正攻法じゃダメなんだ。そんなやり方には雪歩は慣れきってるに違いない。何か別方向からのアプローチを考えないと……

 洗顔を終えてタオルで水滴を拭っていると、鏡に映る自分の姿が目に入った。

…………!

 ある突拍子も無いアイデアが浮かんでくる。
 雪歩は“他人”には決して心を開かない。だったら、“自分”ならどうだ?

 今しがた思い付いたアプローチ方法の成功率はほとんど無に等しく思えた。ただ、何もやらなければ雪歩の仮面が剥がれる可能性は確実にゼロだ。

 ボクは次に雪歩と二人きりになれる機会に作戦を実行すると心に決めた。

□□□□□□□

見てるよ
はよ

ありがとう。
しばらくの間切れ切れの投稿になりそう。


 シングル発売記念のサイン会の後に、その機会は訪れた。

「今日はこのまま2人を家まで送るよ」と言うプロデューサーの言葉に甘え、ボクと雪歩は社用車の後部座席で揺られていた。

 サイン会場からの距離が近い雪歩の家に先に寄ると説明された時、ボクの直感が囁いた。今が好機だと。


 雪歩の家の近くで車が停められる。

 別れの挨拶をして車を降りる雪歩に合わせてボクも口を開く。

「あ、ボクも降ります。雪歩と約束があるんで」

 全くのでまかせだった。
 しかし、その真偽のわからないプロデューサーは「一人で帰れるのか?」と、的外れな質問を返してくる。

「心配しすぎですよ。もう子どもじゃないんですから」

「高校生は十分に子どもだよ。あまり遅くならないうちに帰るんだぞ」

「わかってます。お父さんみたいなこと言わないでください」

 ボクは車を降りてドアを閉めると運転席の窓際に寄り、プロデューサーに舌を突き出した。

“アイドル菊地真”はそういう行動をするからだ。

 プロデューサーは苦笑しながら窓越しに軽く手を振り、車を発進させて去っていった。


 雪歩に視線を向けると目が合った。けれど、何かを言おうとして口を開いては閉じてを繰り返している。
 黒い仮面越しにも戸惑いの感情が伝わってきた。

 ボクの嘘に対してなんと言っていいかわからないのだろう。仕方なくボクの方から次の行動を促してあげる。

「それじゃ、雪歩の部屋に行こうか」

「あ……う、うん」

 釈然としないものを感じているだろうに、雪歩の返事にはホッとした雰囲気が感じられた。

 他人と揉め事になるくらいなら自分が我慢する。雪歩はそういう人間だった。

 雪歩の脳内ではさしずめ(私の知ってる真ちゃんと違う)といった疑問が渦巻いているんだろう。
 だけど、それはボクのセリフだ。ボクと話している黒い仮面の君は誰なんだ?

 ボクは今日、本当の雪歩に会いに来たんだ。

□□□□□□□


 雪歩はボクの嘘には触れず、本当に友達が遊びに来たかのように振る舞った。
 雪歩の部屋に案内され、しばらく雑談を交わす。

 整理整頓の行き届いた部屋だ。あまりにも想像通り過ぎて面白味がない。
 と、思っていたけれど、本棚の最下段に興味を惹かれるモノを発見する。

「雪歩」と大きくサインペンで書かれた背表紙。手に取ってみるとアルバムであることがわかった。
 パラパラとページを進めていくと、赤ん坊の頃から現在までの雪歩の写真が収められているようだ。

 ボクはどんな状況で撮られた写真なのかを雪歩に尋ねながら写真を過去のものから順に見ていった。
 写真を通して見る人物には仮面が映らない。ボクは雪歩がいつから仮面を被っているのかを見極めたかったんだ。


 赤ん坊や幼児の頃の雪歩は……無邪気に笑っている。

 小学生の頃……現在のような大人しい性格は既にこの頃から形成されていたらしい。どの写真にも慎ましく映っているけれど、その表情にはまだ作為的なものは感じられない。

 そして中学3年生に差し掛かる頃……ようやく雪歩の表情に違和感を覚えてくる。“仮面”という答えが見えているボクだけが捉えられるであろう、ほんの些細な表情の変化。
 雪歩に尋ねてみると、それは修学旅行の写真だという。数人の友達と一緒に笑顔で映っている写真……作り物の笑顔の写真。

 ボクは今が好機と考え、言葉の矢を放った。


「アルバム見てても思ったんだけどさぁ、雪歩って笑顔作るの下手だよね」

「…………」

 雪歩は明らかに困惑して、言葉を詰まらせる。
 ボクから悪意のある言葉を向けられるのは初めてだから無理もない。

「今日のサイン会でも隣にいてヒヤヒヤしたよ。あんな笑顔じゃファンにいつ愛想尽かされてもおかしくないよ?」

 心にもない台詞を続け様に放つ。
 雪歩の作る笑顔は完璧だ。ファンも、仲間のアイドルも、プロデューサーも、偽物だなんて誰も思いもしないだろう。

 正攻法では揺らがない雪歩の心に踏み入るためには多少のはったりも必要だった。


「ほら、こんな風に笑うんだよ」と、ボクも自信のある作り笑顔を見せる。

 何かを躊躇うように考え込んだ後、雪歩はいつもより低いトーンで言葉を発した。

「……なんで分かったの?私の笑顔が全部作りものだって……」

 掛かった!
 ボクは獲物が釣り針に食いついたのを感じて内心ほくそ笑んだ。いや、もしかしたら本当に笑っていたかもしれない。

「なんでって……ボクも雪歩と“同じ”だからさ」

 さて、ここからが本番だ。
 ボクは心の中で気合を入れる。

(他人を信じない雪歩も“自分”なら信用するんじゃないか?)という発想から思い付いたのがさっきの台詞だった。

 つまり、「私はあなたと同類の仲間です」とアピールする作戦だ。

 ……作戦だなんて言うのもおこがましいか。なんせボクは雪歩の抱える秘密について何も知らない。
 それなのに“同じ”だと証明しなければいけないのだから、気を抜けばすぐに会話が食い違うだろう。

 全アドリブで劇に出るような緊張感の中で、雪歩が口を開いた。


「あのね、いくつか質問してもいい?」

「構わないよ」と、ボクは余裕のある振りをする。

「……真ちゃんは私のこと、好き?」

 好きか嫌いかの二択……いや、本当にそうなのか?
 同類だとアピールするのなら雪歩の思考をトレースするんだ。雪歩のボクに対する印象を想像して質問に答える。

「んー、好きでも嫌いでもないかな」

 雪歩にとってボクはその他大勢の他人と変わりない存在だ。

「じゃあ、これから好きになる可能性はある?」

「無いと思う。たぶんね。これまでがそうだったから」

 これも雪歩の立場で想像したものを正直に答える。ただ、この答えで正しいのかは不安が残る。普通のコミュニケーションとして考えれば間違いなくアウトだし。


 ーーだけど、次の雪歩の言葉は思いも掛けないような性急なものだった。

「……私が『恋人になってほしい』って言ったら、どう思う?」

 途端に、ボクは勝利を確信した。
 雪歩の声色や仕草から微かに感じる恥じらいと怯えの感情。この問いへの答えは間違いなく“YES”が正解だ。

 頭の片隅では違和感が警鐘を鳴らしている。
 前二つのボクの回答と今回の質問はあまりにも噛み合っていない。ボクは雪歩に「好きじゃない」と言っているのに何故雪歩はこのタイミングで告白めいた質問をするのか?

 疑問は尽きないけれど、そんな違和感に付き合っている暇は無い。返答が遅すぎると雪歩に怪しまれる。解答がわかってるのに途中式を理解する必要があるだろうか?

 早く、早く答えないとーー


「ボクから言うつもりだったのに、先に言われちゃった」

 何もかも知っているかのように演技をするのは痛快だ。ただ、そんな感情は雪歩の顔を見て一瞬で吹き飛んでいった。

 そう、“顔”だ。

 黒い仮面は知らぬ間に消え去り、鏡や写真越しでしか見た事のない雪歩の顔がボクの目の前に表れていた。瞳からほろほろと流れ落ちる涙を添えて。


「キス……してもいい?」

「どうぞ」なんて、無責任な言葉が勝手に口から溢れ出す。

 状況の変化のスピードにまるで付いて行けてなくても、体に染み付いた“アイドル菊地真”が反射的にボクを動かした。

 恐る恐る、といった様子で雪歩が歩み寄ってくる。

 そういえば、ボクは雪歩の心を開きたかっただけなのに、なぜ恋人になんてなってしまっているんだろう。
 疑問について考え込む暇は当然無く、ボクは諦めて流れに身を任せた。

 恋愛ドラマで見たヒロインの相手役のように、雪歩の身体を抱き寄せてキスをする。初めてのキスの相手は女の子だと言ったら過去の自分は信じるかな。

 数秒して顔を離すと、雪歩が顔を真っ赤にしていた。

 ボクは失望の感情が表に出ないように細心の注意を払う。“黒い仮面の少女”は特別な存在だと思っていたのに、これじゃあ普通の女の子と変わりない。

 ……勝手に期待して勝手に失望するなんて、ボクの1番嫌いな事じゃないか。


「真ちゃん、『好き』って言ってほしい……」

 ボクが自戒している間に雪歩が次の言葉を発していた。自分で言った台詞に照れているのか、赤面を隠すようにボクの首元に顔を埋めている。

 雪歩の耳元に口を寄せて「雪歩、大好きだよ」と優しく嘘の言葉を囁く。求められた台詞を言うだけでいいなんて、なんて楽なんだろう。

 すると、雪歩は涙で潤んだ瞳をこちらに向けて嬉しそうにこう言った。

「私も“大好きだよ”」

 たった今目にした映像に、頭をガツンと殴られたような衝撃を受ける。
 “大好きだよ”の6文字の間だけ雪歩の顔が黒い仮面に覆われたのだ。

 “大好きだよ”は嘘?
 それなら付き合ってほしいと言ったりキスの催促をしてきたのは何だったんだ?

 理屈が合わない。訳がわからない。


 これだけでも混乱の極みにあったボクに更なる追い討ちがかけられる。

 それは特別でも何でもない……

 笑顔

 肉眼で初めて見る、鏡越しやテレビや写真で見る作り笑顔のどれとも違う……萩原雪歩の本当の笑顔。

 その笑顔を見た瞬間にーーきっと他人に話せば笑われてしまうんだろうけどーーボクは雪歩に恋をした。

 恋なんて感情を今まで知りもしなかったくせに、抱いた瞬間には(これが恋なのか)とわかるくらいに強烈な衝撃が身体を貫いたんだ。

 それくらいに初めて見る雪歩の笑顔は泣きたくなるほど無垢で……抱きしめたくなるほど儚かった。

 頭は既に処理の限界を超えて停止していた。
 ただ、それを悟られまいと表情だけは笑顔をキープする。

 雪歩の微笑みをたたえた顔が近づいてくる。
 2度目のキス。今度は雪歩からの。

 ショートした思考回路は、恋した相手からキスをされるまでの早さならきっと自分が世界で1番に違いないなんて、間の抜けた事を考えていた。

□□□□□□□

キリがいいので今日はここまで。
同じ場面をそれぞれ別視点で書いてみるのを1回やってみたかった。
読んでくれている方が飽きてなければいいんだけど。
それではまた明日続きを書きます。

飽きるほど長くないしへーきへーき

そう言ってもらえると助かる。
それでは続き投稿します。


 雪歩と恋人としての……いや、恋人ごっこの日々を過ごすうちに、雪歩の口から仮面の裏に隠されていた想いがポツポツと語られ始め、あの違和感だらけの告白の日の疑問が徐々に紐解かれていった。

 雪歩の抱える最大の秘密。それは〈他人を愛せない〉こと……らしい。
 正直に言ってしまうと、ボクはそれを聞いて拍子抜けしてしまった。(そんなつまらない事で黒い仮面が…?)と、訝しみさえした。


「世界中の人達が愛情を知っているのに、私達だけが愛を知らない」

 ある日の雪歩の言葉だ。
 この言葉を語る雪歩の表情は暗く塞ぎ込んでいた。

 “世界中の人達が愛情を知っている”?
 ボクはこの台詞を聴いた時に危うく吹き出しかけた。何をバカな事を。

 カップルや夫婦がみんな100%の愛情によって結ばれているなんて、仮面の見えるボクにはとても信じられない。

 そこには打算や見栄、妥協、世間体なんかの不純物が多分に混じっているはずだ。全てのカップルや夫婦が一生添い遂げるわけじゃないだろう?

 みんなは“愛情を知っている”んじゃない、“愛情を知っていると思い込んでいる”だけなんだよ。
 みんな、自分すら騙して楽しく生きているんだ。

 本物の愛情だけで動ける人なんて、ほんの一握りしかいないんじゃないかってボクは思ってる。
 それこそ聖人君子と呼ばれる様な人だけだ。


 だから雪歩、まるで罪人であるかのように悩む必要は無いんだ。
 “人を愛せない”なんて大した事じゃない。
 ボクだって恋なんてしたこともないけど、それを悪いと思った事は一度もなかったよ。

 そんな風に、過去のボクなら言えたのに……

 今のボクには言えない。自分の恋する相手にこんなセリフを言える程ボクは恥知らずな人間じゃない。

 これは何の悪い冗談なんだ?
 本当に愛情を必要としている人間には与えず、一度も必要としていなかったボクに与えるなんて。

 神様がいるとしたら余程の皮肉屋らしい。

□□□□□□□


 雪歩と過ごす日々には天国と地獄の両方が混在している。

 手を繋ぐ、抱きしめる、キスをする……そんな単純な行為の一つ一つが心を幸せで満たしていく。
 恋をするとこんなにも簡単に満足感が手に入るのかと驚くばかりだ。

 そして、天国は同時に地獄をもはらんでいる。
 ボクを幸せにする雪歩の行為には、なんの感情も込められていない。


 キスやハグのような恋人じみた行動をするワケは、要するに駄々っ子だ。
 欲しくて欲しくて仕方のないものが手に入らない雪歩は、愛情を侮辱することで心の平衡を保っている。

『酸っぱい葡萄』に出てくるキツネじゃないんだからさ……と呆れた振りをしたいけれど、心は思った通りには動いてくれない。

 雪歩がボクに「好き」と言う度に、黒い仮面が現れる。ボクを“好きじゃない”という何よりも確実な証。

 ボクはそれを見る度に、心に実体が存在する事を確信する。
 猛禽類が持つような鋭い爪が心をガリガリと抉り取っていく痛みを確かに感じるからだ。

 だけど勿論、雪歩は何も悪くない。
 全ての始まりはボクの嘘。
『ボクも雪歩と“同じ”だから』

 その嘘を信じ、雪歩も嘘を吐いた。
 そしてボクの嘘は嘘ではなくなった。

 ボクの「嫌い」という嘘
 雪歩の「好き」という嘘

 嘘で成り立つ関係だ。
 真実など、どこにもありはしない。


 雪歩にとってボクは“自分を決して好きにならない”から価値がある。
 もし、ボクが自分の本当の気持ちを吐露すれば深く傷付き、必ずボクから離れていく。

 そうすれば雪歩は無機質な“黒い仮面の少女”に戻ってしまう。ボクは肉眼では二度と雪歩の素顔を見られなくなるだろう。

 それだけは……絶対に避けなきゃいけない。

 雪歩はいまだにボク以外の人前では黒い仮面を被ったままだ。

 過去のボクは何故雪歩が黒い仮面を常に被っているのか疑問に思ったけれど、今ならわかる。

 雪歩は他人を愛せない自分を偽る為にいつも嘘を吐いてきた。
 そんな自分自身の存在を、雪歩は嘘だと思っている。

 自分自身の存在が嘘だと……

 それを悟った時、悲しくて悲しくて涙が止まらなかった。

 もう二度と雪歩を独りぼっちになんてさせやしない。
 そのためなら、嘘なんて幾らでも吐いてやる。

□□□□□□□


 少しだけ昔の映画の話をさせてほしい。

 中学生の頃、『マトリックス』という映画を観た。たしかテレビで再放送していたんだと思う。

 簡単にあらすじを説明すると、自分の生きる世界がコンピューターによって創られた架空現実だと知った主人公が現実の世界で目覚めて、コンピューターに支配された過酷溢れる世界を救うため戦う話だ。

 この世界では人間はコンピューターの養分としてカプセル内で培養され、架空現実という夢を見せられている。


 この映画を観てボクは大切な教訓を得た。

 “嘘はバレなければ真実になる”

 ボクはつい、映画内では描かれなかった人々について考えてしまう。
 コンピューターの養分として架空現実の中で一生を終えた人達だ。

 架空現実に囚われた人達を見て(可哀想だ)と思うのは、真実を知る者の驕りとしか言いようが無い。
 ボクからすると、架空現実の中で何の疑問も持たずに死んでいった人こそが幸せな一生を過ごしているように思える。

 嘘を最後まで貫ければ他人を幸せに出来るんだ。

 勿論、この映画の世界では嘘が悪意を隠すために使われているから何もかもが幸せだとは言えない。

 だけど、使う人によってはただ正直に生きるだけよりも多くの幸せを生み出せるかもしれない。

 これは嘘と共に生きなければいけないボクにとっては大きな救いだった。
 嘘は“悪”じゃない。他人を救うためにも使えるものなんだ。

□□□□□□□


『二人に似た雰囲気を感じたからだ』

 雪歩と体を重ねている最中、唐突に一つの台詞が頭の中で響いた。
 ……誰に言われたんだったかな?

 あぁ思い出した、プロデューサーだ。
 たしか、ボク達をユニットにした理由を尋ねた時の返答だったはず。

 あの時は(どこが雪歩と似てるって言うんだ?)と一笑に付したけれど、今にして思えばボク達には一つだけ共通点があるのかもしれない。


 ボクはこの目で直接見た人しか仮面の有無を確認できない。

 だから、この世で一人だけ仮面を見る事が出来ない人物がいる。それはこのボク自身だ。

 “黒い仮面の少女”
 雪歩をそう呼んだのはボクだけれど、自分自身がそうでないなんてどうして言い切れる?

 ボクは仮面が見えるようになった幼い頃から“他人の求める自分”を作り上げる事に腐心してきた。
 上手く生きるためには敵を作りにくくて多くの人から好かれる人格になった方が都合が良いからだ。

 仮面を見て答え合わせが出来るボクは微調整を繰り返して今の“765プロのアイドル菊地真”に辿り着いた。それこそがボクを覆う黒い仮面なんだろう。

 プロデューサーがボク達の秘密に気付いてる可能性は絶対に無い。
 ただ、プロデューサーは職業柄か他人の機微に聡いところがある。嘘を吐く者に共通する雰囲気を感じ取って『似ている』と評したのかもしれない。

今日は終わり?

ごめん昨日は寝落ちしてた。
続き投稿していきます。


 物思いに耽っていると、隣で横になっている雪歩がねだるような表情を見せた。
 その表情の意味をよく知るボクは、いつもの様に雪歩に身を寄せてキスをする。

 キスというのは不思議な事に、唇が触れ合うだけなのに相手の愛情の多寡がわかってしまう。
 雪歩の柔らかな唇は、何の感情も伝えようとはしてくれない。
 だからボクも、感情が込められないように精一杯自分の気持ちをセーブする。幸せになれるはずの行為なのに虚しさが募るばかりだ。

 だけど、もしかしたら気持ちをセーブする必要なんて無いのかも。


「真ちゃん」

 雪歩がただ名前だけを呼ぶ時は例の言葉を求めているというサインだ。
 ボクはついさっきの思い付きを試してみる。

「雪歩、愛してるよ」

 いつもはセーブしてる感情を言葉に乗せて、本気で伝えた。
 もしかして……という期待半分。
 雪歩がどう受け止めるのか若干ドキドキしたけれど、結果は予想通り。ボクの言葉を受けて喜んでいる。

 ボクの言葉を嘘だと全面的に信じ切っているから……


 フィクションではたまに、『言葉にしなくても想いが伝わる』というセリフを耳にする。
 現実的な人であれば『言葉にしなくちゃ想いは伝わらない』と言い返すかもしれない。

 でも、現実はもっと残酷だ。

 言葉にしたって想いは伝わらない。
 雪歩は自分のイメージの中にある“自分を好きにならない菊地真”しか見ようとしない。ボクの本当の気持ちなんて知りたくもないだろう。

 肌が密着するほど近づいても混ざり合うことが決してないように、幾ら言葉を交わしてもボクたちは永遠に分かり合えない。


「私も。私も××てるよ、真ちゃん」

 いつからだろう。雪歩から好意の言葉を向けられる時に反射的に目を瞑るようになったのは。

 ボクを好きじゃない証を、黒い仮面を見るのが怖かった。

 その代わりに目を閉じて目蓋の裏に映し出すのは、ボクの運命を変えたあの時の雪歩の笑顔。
 目を閉じれば見える幸せな光景が嘘の言葉と混じり合って、本当に愛されているような錯覚を与えてくれる。

 たぶん時間にすれば1秒に満たない間だけ現実から目を背ける。
 つかの間の幸福を得た後、雪歩の様子を窺うと微笑みをこちらに向けてくれていた。
 その理由はわからないけれどボクも同調して微笑みを返す。

 この時間が永遠に続けばいいのに。
 嘘と苦しみが同居しているとしても、ボクは雪歩と一緒にいられるだけで幸せなんだ。


 それなのに、ある不安が頭の一部にこびり付いて離れてくれない。

『人を好きになる方法がわからないのに、どうして人を好きになれるんだろう』

 雪歩がかつて漏らした言葉。
 今まで誰かを好きになった事が無いのだからこれからも好きになれない……と、雪歩は考えている。

 だけど、ボクは知っている。ほんの少し前までは雪歩と同じだったボクはよく知っている。

 誰かを好きになるのに小難しい理屈は要らない。
 “その時”は思いも寄らないところから突然訪れる。訪れた時に“これだ”とわかるんだ。

 ボクが君のたった一つの笑顔に心をうたれた時のように、神様が引き金を引く時がきっと来る。

 その時が来たらボクの存在価値は無くなってしまう。それが何よりも恐ろしくて堪らない。


 自分の愛する人に愛する人が出来た時に手放しに喜べるような人を聖人君子って呼ぶのかな?
 だったらボクは聖人君子には絶対になれない。
 愛情はベタベタとした欲で汚されてしまっている。

 ただ、雪歩の傍にいたいんだ。
 誰よりも近くにいたいんだ。


 最近になってようやく気付いた事がある。
 どうやら神様は存在しているらしい。
 そして神様は、ボクが嫌いだ。

【仮面】なんて余計なモノが見えるのがその何よりの証拠だ。

 この世には
〈真実〉と
〈真実だと信じている嘘〉と
〈嘘〉がある。

〈真実〉は手に入れるのが物凄く困難で、それで幸せになるのは難しい。
 だから〈真実〉で幸せになれない人は〈嘘〉で幸せになるしかない。嘘が真実であると心から信じて、自分を騙すんだ。
 より簡単に手に入れられる〈真実だと信じている嘘〉でも幸せになれるのだから、人間はよく出来ていると思う。

 それなのに、仮面が見えるせいでボクには幸せになれる選択肢が一つ少ない。
 嘘か真実かを確実に見抜いてしまうボクには、嘘を真実だと信じるなんて不可能だ。
 “信じる”という行為は曖昧さが残された状況でしか出来ない。

 ボクが簡単に幸せになれないように神様は能力を与えたのだとしか思えない。
 だとしたらなんて意地の悪い神様なんだ。


 それでも……どうかお願いします。
 神様、一つだけ願いを叶えてください。

 ボクのこの、仮面が見える力を無くしてください。

 代わりに、雪歩が望む限り嘘を吐き続けると誓います。

 だからボクも雪歩の語る嘘の中に安心して浸らせてください。

 それ以上の幸せは望まないから……

□□□□□□□


【エピローグ】

 しばらくして、菊地真は仮面を見る能力を無くした。

 その結果、菊地真は望み通りの幸せを手に入れると同時に望外の幸せを手に入れる機会を永久に失うが、それを知る者は誰もいない。


これで終了です。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。

また唐突だな

自分としては書きたい事は書いたので満足してる。
エピソードの繋ぎ方が粗くて性急に見えるのは自分の力量不足。

おつ
おもしろかったよ

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