小日向美穂「グッバイ、ネヴァーランド」 (143)
小日向美穂さん、誕生日おめでとうございます。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1576422846
「いーやっふー!」
「きゃー!」
「きゃっふー! あはは! 楽しい!」
カモメがキューキューと鳴きながら空を飛び、心地よい潮騒を裂くようにジェットスキーが爆音を鳴らし航跡波を引く。邪智暴虐の王様が如く無茶苦茶な運転だけど咎めるものは誰もいない。
「あー、最高! って美穂大丈夫? 目が回っているけど」
「だ、大丈夫だよ……響子ちゃんで絶叫マシンは慣れているから……」
満足するまで海の上のツーリングを楽しんだ加蓮とは対照的にタンデムしていた美穂は頭の上にカモメとひよこがキューキューピヨピヨと飛んでいるようだ。
「おーい、美穂ー」
「プロデューサーさぁん……フラフラします……でもあまり見ないでください……水着はやっぱり恥ずかしいです」
「あ、すんません」
カメラもないし何回も水着を着ているのに未だに慣れそうにないみたいだ。そういうところが実に彼女らしい。
「ぷはぁ! 大和亜季、ただいま帰還しました!」
「わっ! 亜季さんすごっ、また大物取ってるじゃん」
「アッハッハ! これで無人島サバイバル企画が来てもバッチリでありますな!」
ブクブクと水面から泡ができたと思えば今度は亜希がモリを片手に浮かび上がってきた。鋭いモリの先には美穂の顔よりも真っ赤な真鯛が刺さっている。どんどん海の女としてのスキルが上がっていっているな、そのうちシーラカンスも仕留めて来るんじゃないか。
「スイカが冷えました! みんなでスイカ割りしましょう!」
やや小麦色に日焼けした卯月が先ほどまで海で冷やしていたスイカを抱えて持ってくる。お化けという単語が頭につきそうなほど大きく、遠くから見ればかぼちゃと間違えそうだ。
「やや右であります!」
「いやっ、ちょっと行き過ぎたかな?」
「そのまままっすぐですっ」
「ここですね……。えいっ!」
ぴにゃこら太アイマスクで視界を奪われた肇が勢いよくバットを振り下ろす。見事パカっと割れたスイカの中から元気な赤ちゃんが……なんてことはないけども、赤々とした果肉と星のように散りばめられた黒い種のコントラストが食欲をそそる。
「あ、食べてもスイカの皮は捨てないでくださいね! 胡麻和えにしたら結構美味しいんですよ。晩ご飯のおかずに使いますよ!」
「へぇ、そうなんだね。さすが響子ちゃん」
「せっかくですし、写真撮りませんか?」
「わっ! 真鯛が息を吹き返したであります!」
「きゃあ!」
やいのやいのとスイカを食べながら藍子のカメラでパシャリ。毎日撮っている写真はこれで20枚目くらいだろうか。一
昨日はみんなで雪だるま大会を開いて、昨日は梅の花の下で写真を撮った。明日は何があるのかは分からないけど、言えることは1つ。全てがでたらめな小さなこの世界においては、過去から未来へと流れる時間なんてハナっから存在しない。
そもそも1秒1分1時間1日と細かく均等に刻まれた時間なんてものは、俺たち人間が勝手に決めつけたものなんじゃないかとすら思ってしまう。だとすれば、そいつはいい加減なものだ。なんせ人間それ自体がいい加減ででたらめな存在なんだから。我ながら不釣り合いなまでに哲学的なセリフが浮かんできて自嘲気味に笑ってしまう。
カレンダーを何回めくろうとも12月15日が続き、目が醒めればまた新しい12月15日が始まる。増えていく写真には気まぐれなほどに色とりどりの季節と俺たち。そんな異常事態でも何一つ不満すら抱かないようなネヴァーランド。俺たちは今、そこに囚われていた。
「12月15日、朝のニュースです。世界レベルのアイドルヘレンさんが今日未明アトランティスを発見し」
いつものようにコーヒーを飲みながら朝のニュースを見る。存在自体が神話レベルであった超古代文明アトランティスの存在を証明する遺跡を見つけた! とヘレンさんがインタビューを受けている。最近あの人見ないなとは思っていたが、まさかアトランティスを発見していたとは。文字通り歴史に名を刻むとは流石だ。
「しまった、帰りに卵買わなきゃいけないな」
エッグトーストでも作ろうかと思って冷蔵庫を開けると卵が品切れ中だということに気づく。仕方がないから普通にパンを焼いてマーガリンを塗る。
「おはようございますっ」
「やあ、おはよう悠貴。今日も早いね」
朝食を済ませて会社に向かおうと家を出て少し歩くと、このあたりをランニングコースにしているらしい悠貴と鉢合わせる。吐く息は白く雪が降りそうなほど寒い空の下、既に結構な距離を走ってきたらしい悠貴の身体は湯気が出ているようにも見えた。
「毎日の日課ですからっ。あ、でも今日は私だけじゃないんですよ?」
「ん?」
悠貴は後ろを振り向く。少し遅れてやや眠そうに走ってくる美穂がやってきた。
「美穂、おはよう」
「おはようございます……プロデューサーさ……プロデューサーさん!?」
「やっ」
バッチリ目が覚めたらしい。しかしそんなに驚かれると少し凹むな。
「な、なんでプロデューサーさんがいるんですか!?」
「なんでって家この辺だしね」
むしろ美穂がここにいる事がびっくりだ。事務所の寮はここから二駅離れた場所にあるけど走って気軽に来れる場所ではない。
「逆に美穂がなんでここに?」
「えっと、昨日悠貴ちゃんのおうちにお泊まりしたんです」
「はいっ。いつもは私の方が美穂さんのお部屋に泊まるんですけど、今回は逆なんですっ」
「へぇ」
美穂と悠貴はソラーナ・チーカというユニットを組んでいて2人の波長が合うこともあってか姉妹のように仲が良い姿がファンにも好評だ。ピンクチェックスクールやMasque:Radeとは違った一面を見せて、結成して一年も経っていないのに早くも2人のオリジナル曲を待ち望まれている。
「こうやってみると、本当に姉妹みたいだね」
「身長なら私が妹になっちゃいますけどね」
まぁ世界一有名な配管工兄弟も緑の弟の方が身長高いし変な話じゃない。
「じゃあ私たちは行きますねっ」
走り出した2人を見送り時計を見る。まだ少し時間に余裕があるけど早めに会社に着く分には悪い話じゃない。俺も悠貴見習って走って会社に行くべきかなと電車に揺られながら考えるのだった。
「はい、そこまで! 各自明日に向けて無理する事がないように!」
「ふぅ……」
「はい、お疲れ様」
「ありがとうございます、プロデューサーさん」
本番前日ということもあってかレッスンは短めだったが朝のジョギング疲れからか美穂はややぐったり気味だ。スポーツドリンクを渡すとゴクゴクと喉を鳴らして飲む。
「プロデューサーさんから見て、私たちどうでしょうか?」
「どうでしょう、というと? ライブうまく行きそうかってこと?」
「はい。その、やっぱりまだ緊張しちゃうんです。明日が本番だって思うと。もう18歳になるっていうのに」
18歳までのカウントダウンが残り12時間を切った彼女は少し不安そうに答える。小日向美穂という女の子の最大の個性ははにかみ屋というところだ。
恥ずかしがり屋で緊張しいだけど、かといって内気な女の子かと聞かれるとそんなことはない。むしろ熊本の女は強い、という自己暗示にも似た矜持を持っているくらいだ。
「今の君は緊張すらも楽しめる。違うかな?」
その言葉に偽りはない。ドキドキして爆発しちゃいそうな心臓の鼓動すら、彼女を高まらせるビート。いつの間にか緊張すらもスパイスにしていたのだ。だから弱点なんかじゃない、美穂にとっての立派な個性だ。
「17歳から18歳になっても、見える世界はすぐに変わらないよ。なんせ、今と未来は過去の積み重ねだからね」
我ながら良いことを言った気がする。なんて言っちゃうと台無しだけどこれは学校の先生の受け売りだ。授業内容はほぼ覚えてないのにこの言葉は妙に記憶に残っていた。
「昨日まで、ううん。ほんの少し前までの美穂を信じてあげて。そうすれば自信が生まれないかな?」
「はい、なんだか気持ちが楽になった気がします。そうですよね、これまでの私を信じてあげなきゃですもんね」
「それは良かった」
「ありがとうございます、プロデューサーさん。これまでも、これからも。改めてよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
美穂のモチベーションは高まっているように見えた。ありがとう、数学の高橋先生。関数は役に立たなかったけど貴方の言葉がアイドルの心を救いました。
「ところで、プロデューサーさんはどんな18歳だったんですか?」
「え? 俺?」
「ちょっと気になっちゃって」
思いもよらぬカウンターに少し驚く。そういや自分の青春時代の話あんましたことなかったな。
「美穂が期待してるほどの18歳じゃなかったぞ? 進路なんてまともに決まってなかったし、ただ何となく……昔からアメリカに憧れがあったから英文学科に入って、今に至る」
いつか見たハリウッド映画のスターと一緒に仕事がしたい! なんてふんわりと思ってたくらいで、明確なビジョンなんてものはなかった。だから入った英文学科は自分が思っていたものと違っていて苦労したものだ。最後の方は遊び呆けて卒業も怪しかったし。この仕事だってバイト中に社長の気まぐれでスカウトされたようなものだ。英文学科ほぼ関係ないよな、うん。
「私は……ちょっとだけ、期待していることがあるんです」
「うん?」
「昔の話なんですけどね。おばあちゃんの家に遊びにいった時、話してもらったんです。18歳になったおばあちゃんが体験した、不思議なお話ーー。その物語には少し年上の男の人と女の人が出てくるんですけど……摩訶不思議で愉快なお話だってんです。だから私にも、不思議な出来事が起きないかなって。ちょっぴり、期待してます」
今でも美穂は寝る前にファンタジー小説なんかを読むことがあるらしい。それはもしかしたら、幼少期のおばあちゃんの話を聞いた影響なのかもな。
「っと、そろそろいかなきゃだな。じゃあ美穂、俺は加蓮を迎えにいくよ」
「はい。ありがとうございました」
レッスンルームを出てその足でアクセルを踏んで撮影スタジオまで向かう。クリスマスまで10日を切った街はあちらもこちらも浮かれ切っており道頓堀に投げられたあのおじさんもサンタ衣装。夜になれば並木通りにはイルミネーションの色とりどりの光が非日常を演出する。サンタクロースの正体を知って10年以上経ってるのにこの時期が訪れると無条件に楽しい気持ちになってくる。もしかしたらまだ、内心サンタさんがプレゼントくれることを願ってるのかな。
「うー、寒い」
「今日は今年一番の寒さって言われてるしな。よくジョギングしたもんだ」
スタジオから出た加蓮はさっきから寒い寒いと同じワードを繰り返している。寒いと言っても暖かくなるわけでも夏が来るわけでもないので手のひらサイズの幸せをお裾分けしてやる。
「へぇ、気が効くね」
「気配りができて当たり前の業界で揉まれたもんで」
別に振らなくても大丈夫なのだけど加蓮は渡したカイロをシャカシャカと振っては揉み続けている。
「そうそう。先輩だけどようやく熱が下がったらしいから明後日には復帰できそうだって」
もともと俺は加蓮の担当ではなく、先輩プロデューサーが面倒を見ている子だ。この業界で生き抜くためのノウハウは全て先輩から叩き込まれたもので、面倒見の良い性格というのもあって俺は親しくさせてもらっていた。自然と先輩の担当アイドルとも交流は増え、特にこの北条加蓮は俺が担当している美穂と同じユニットを組んだこともあるのでそれなりに仲が良い。
「私がいうのもなんだけど結構熱が長引いたね」
「無理を言わないの。今年のインフルはタチが悪いらしいし先輩の場合正直過労気味だったから余計ね。残されたみんなからしたら良い迷惑だったかもだけど、2週間くらい休めてよかったと思うよ?」
インフルエンザと言っても1週間あれば熱は下がるだろうが、先輩は相当うなされていたらしく丸々2週間熱が下がらず寝込んでいたそうだ。当然その間事務所に来ることはできないし、年末年始の撮影も控えているアイドルに移そうものなら洒落にならないことになる。その間彼が担当していたアイドルを同僚のみんなで分担して面倒見ることになっていた。俺が加蓮の送り迎えをしているのもそういう事情があったのだ。
「それより明日だよ? 美穂へのプレゼント、決めた?」
「あー、まぁ、うん」
「わかりやすいリアクションありがとう」
ジトーっと呆れたような目でこちらを見ている。返す言葉もありません。
「美穂の方は手作りのケーキくれたのにね」
「うぐっ」
俺の誕生日の為に美穂はわざわざケーキを作ってくれた。お菓子作りの得意なアイドルのみんなに手伝ってもらったとは言っていたけど、彼女の真心がこもったケーキは今まで食べて来たどんな食べ物よりも美味しく甘かった。俺もお返しをしないとな、と考えてはいたのだけど仕事の忙しさにかまけたり年頃の女の子へのプレゼントに頭を抱えたりしているうちに気付けば誕生日まで24時間を切っていた。
「加蓮さんや、この後暇だったよね」
「言っとくけど私は美穂ならなんでも喜ぶよーとか言わないからね?」
「恩にきります。あとでポテト奢るよ」
「私イコールポテトって方程式それはそれで気になるんだけどなあ」
とか言いながらも加蓮はおもちゃを見つけたみたいにキラキラしてる。こりゃあ一筋縄じゃいかなさそうだ。
「なぁ加蓮?」
「んー?」
「これ、違うんじゃないか?」
鼻歌まじりに軽やかなステップを踏む加蓮は右に左にクリスマスムード全開のショップを行き来しては買い物に興じる。最初は美穂のために探そうって名目だったのにクリスマスセールの甘い謳い文句に釣られては財布が緩くなっているらしい。
とはいえそれは加蓮に限った事じゃない。モールには多くのお客さんがいて、中にはトナカイのツノを生やしたカップルもいる。ハロウィンと間違えてるんじゃないかと思ったけど、どこかのショップで買い物をしたらトナカイの帽子が貰えるみたいだ。恥ずかしげもなく被るカップルもこの空気に当てられておかしなテンションになっているのだろう。
「クリスマスまでに別れなきゃ良いけどね。真っ赤なお恥のトナカイさん……」
「そういうこと言わないの」
俺よりもきついこと考えてるなこの子!!
「それとも私たちもトナカイになる?」
真っ赤なお恥を受け入れろとのたまうのか。
「それともの使い方を間違えてるぞ。それはそうと聞きたいのだけど、なんで俺が荷物持ちしてるの?」
一方で俺の両手には彼女の買った買い物袋が増えてゆく。その姿はクリスマス前にプレゼントをかき集めるサンタクロースにも見えただろう。いや、むしろ忖度苦労すというべきか。美穂の誕生日プレゼントを買いに来たはずなのにあれれおかしいぞぉ。ひょっとしたらこの子先輩にも荷物持ちさせてるのか。周囲の視線がやや気になるが帽子と眼鏡とマスクで変装している加蓮には気付いていないようだ。目元と口元を隠せば案外隠し通せるものだったりする。
「仕方ないよ、私マイクより重いもの持てないから」
「はいはい、よく言いますよ……ん?」
ふと目線を横にやるとファンシーショップの中、恋人のように肩を寄せ合うクマのぬいぐるみと目があった。2匹とも仲の良さをアピールするみたいにハートの小物を持っている。
「加蓮さん加蓮さん、あれなんかプレゼントにどうですか」
「コックリさんみたいに言わないでよ。でもクマのぬいぐるみかぁ。美穂好きだもんね。でもプロデューサーさんとあのクマ言うほど似てるかな?」
加蓮的にも評価は悪くなさそうだ。ファンシーショップだなんて柄じゃないけど近くでみないとわからない。ちょっとした異世界に入ると先程のクマさんたちが持っていたハートの小物はちょっとしたケースになっていてアクセサリーや鍵なんかを入れるのに良いかもしれないな。
「グッドチョイスなんじゃない? 私が美穂なら喜ぶよ?」
「じゃあこれにするか」
「プロデューサーさんと美穂で片方ずつ持とうって言ったら美穂顔真っ赤にして喜ぶと思う。あっ、もしかして両方渡すつもりだった?」
すみません、そのつもりでした。
「ふんふんふーん」
ショッピングを心ゆくまで楽しんだ加蓮は満足げにフライドポテトを頬張る。片手にポテト、もう片方の手には参考書を持って。
「テスト勉強?」
「学校のテストはもう終わったよ? これは番組の企画用。読んでみる?」
「えーと、どれどれ?」
そういやみんなテストの結果で一喜一憂してたっけか。加蓮に渡された参考書をペラペラとしてみる。
「加蓮、秘書になるの?」
「そっ。私たちの冠番組の企画で16歳でも取れる資格を取ろうって話になって。前に別の資格は取ったんだけど、その二弾ってところ」
秘書検定が16歳から取ることができるなんて知らなかった。実際資格を取ったところで加蓮は忙しい身だからあんまり活かせない気も……。
「んげ……」
「どうしたのプロデューサーさん」
プロデュースの参考になるかもしれないから帰りにでも秘書検定の参考書買おうかなと思っていたらメールが届く。差出人は部長。滅多にメールなんか送ってこないのに至急戻って来いって何があったんだ怖い怖い。
「部長から呼び出しくらった」
「あらま。なんかやらかしたの?」
「いやまさかそんな……ことはないと、思う……」
振り返ってみたけど部長の雷が落ちるようなことはしていないはずだ。
「てなわけですまん加蓮! 俺は事務所に戻る!」
「えっ、ちょっと!? この服どうするの!?」
「今タクシー呼んだからそれで持って帰りなさい!」
「流石に準備が早い!」
タクシーはいつでも呼べるようにすること、先輩からの教えだ。後ろからブーブー言ってくる加蓮に心の中でもう一度謝り急いで事務所へと戻った。
「申し訳ありませんでした。心当たりがありませんが申し訳ありませんでした」
「いきなり謝られても困るんだが」
「申し訳ありません」
「だから謝らないでくれないか」
部長に呼び出された俺は会議室に入るなり華麗に謝罪を決めたがどうやら別に求められてなかったらしい。謝罪ハットトリックをかれいにきめて椅子に座る。
「こほん。まどろっこしいのは苦手でね、本題を単刀直入に言わせてもらう。君にはこの事務所を代表して、ハリウッドに行ってもらいたい」
「は、はい? ハリウッド……?」
窓から差す夕日の眩しさに瞬きする。一瞬閉じて開いた目に映る光景は紛れもなく現実だ。俺が、ハリウッド……?
「二泊三日の研修とかそんな感じですよね?」
「それくらいの時間じゃ何も得んだろう。1年間、きっちりアメリカで学んで来なさい。そしていずれはアメリカとアイドルたちの活動の橋渡し役になってほしい」
「いやいやいや! どうして俺」
どうして俺がと聞こうとするも答えはその前に自分の中で出る。そうだ、そもそもこれは俺が望んだことだ。
「ハリウッド……」
なんとなく目指していた憧れだった。だけどこう現実のものとして目の前に差し出されると嬉しさと戸惑いが入り混じった複雑な感情が生まれてしまう。おかげで仕事終わりに買おうと思っていた卵のことはすっかり頭から飛んでいってしまった。
研修期間が1週間程度なら俺は喜んでハリウッドの土産屋に置いてあるオスカー像を買って帰って来た事だろう。未来の主演女優賞小日向美穂、なんて粋なメッセージを送ったりして。それくらいで十分だったのに。
「さすがに長いよな」
だけど1年となると途端に及び腰になってしまう。言葉の壁は怖くない。アメリカで待つであろう困難も恐れているわけじゃない。だけどどうしても俺の心に強く根付いた存在がいた。
「美穂はどう、思うんだろう」
外では躾の足りていないご近所さんのブルドックが吠えていて心地よい睡眠の邪魔になりそうだ。来年頭にあるライブの資料を作成しているうちに時計の針が一番上で重なった。彼女にとっての、新しい1年が始ま……る……。
「んん……」
ザザーン、ザザーン。アラームの音が部屋に響く。最近のアラームはすごいんだな、波の音と一緒に潮の匂いすらしてくる。というか……。
「暑っ!?」
めちゃくちゃに暑い!! 暖房が壊れたのか!? 寝苦しくなり思わず目が醒める。
「あ、あれ……?」
だけどおかしい、俺はまだ夢の中にいるみたいだ。昨日部屋の中で寝たはずなのに、浜辺のど真ん中で寝てたなんて。あ、カモメが鳴いてる。
「なーんだ、夢か……」
夢の中でも夢を見るなんてまるで美穂みたいだ。気を取り直して寝る……。
「んなわけあるかあああ!!」
額に垂れる汗もこの冬に相応しくない暑さもカモメの水兵さんも潮の香りも波の音も全て現実だ。俺は寝ぼけてそのまま地球の裏側に来てしまったのか? そんなトンチキな事を寝ぼけ頭で考えてみるが周囲一帯を見渡しても海と砂浜。ご近所の皆様も居なくなってしまった。登校する子供達の元気な声も目に見える全てのモノに吠えるブルドックの鳴き声も何もかも重い砂に覆われ消えてしまったのか。
「あっ、いましたっ! プロデューサーさん!」
何がどうなったのかさっぱりなまま頭を抱えていると遠くから俺も知っている声が届いてきた。
「悠貴!」
ハワイで買ったアロハシャツを着て砂浜を走って来る彼女の姿は実に絵になる。MVの撮影かと思ったほどだ。
「な、なあこれどうなってるんだ?」
「わからないですっ。昨日は本番前にしては珍しく早寝しちゃって、その分早起きできたから少しジョギングしようと思ったら」
両親の姿はなく悠貴1人だけ。しかも外はなぜか夏模様になっていたからアロハシャツに着替えたらしい。だが話を聞くと俺と違って家はあったみたいだ。
「みんなにも電話をかけたんですが携帯は圏外で繋がらなくてっ。プロデューサーさんの家の場所は知ってたから、もしかしたらって思って走ってきたんです」
「そうか……」
あまりの展開にすっかり忘れていたが俺の携帯も使い物にならないようだ。じゃあなんだ? ハリウッド映画みたいにたった一夜で人類が滅んで、俺と悠貴だけが生き残ったってか?
「なんじゃそりゃ、笑えないっての」
あまりに突飛もない展開にその場に座り込んでしまう。こんなんじゃアメリカどころじゃない。俺達はこれからどうすれば……。
「! プロデューサーさん、あれ!」
「へ?」
悠貴は何かを見つけたように遠くを指差す。
「おーいでありまーす!」
道とも呼べない砂の上を灰色のジープが走ってくる。
「プロデューサー殿! 悠貴殿! ご無事でしたか!」
「亜季!?」
ジープの運転席から飛び出すように降りた亜季はこの異常事態でも変わらずパッと敬礼をする。あまりにシームレスにされるものだから俺と悠貴もつられて敬礼してしまう。
「お乗りください! みんな事務所に集まっておりますので!」
「みんなって……俺と悠貴以外にもいるのか!」
「はい! とにかく戻りましょう。一度本部に戻って作戦会議です!」
「本部って……何にせよ乗ろう悠貴」
「はいっ」
何が何だかさっぱりだが事務所に行けばみんなに会えると聞いて一安心していた。周りの砂に隠れていた俺の私物や服をかき集めてジープに乗り込む。そしてどうかこれが悪い夢でじきに醒めてくれる事を心の底から祈るのだった。
「プロデューサーさん! 悠貴ちゃん!」
「美穂! 無事だったんだな」
「はいっ。朝起きたら外がすごいことになってて、寮の子もほとんどいなくなってたんです……私、もう何がなんだか分からなくなっちゃって」
「無理もないよ。俺だって意味不明すぎて混乱しそうだ」
美穂と話しているとぞろぞろと無事だったみんながやってきた。島村卯月と五十嵐響子、藤原肇、そして。
「みんな事務所に来ていたんですね……良かった、他にも人がいて」
「ね、ねぇこれどうなってるの? 意味がわかんないんだけど」
「俺だって訳がわからないよ……」
事務所に来る途中で見かけた狼煙の元に走って行った亜季が拾ってきた高森藍子と北条加蓮。
「美穂ちゃん、他のみんなは……?」
「ううん、わからないの。多分寮にいたのは私と卯月ちゃんと響子ちゃんと肇ちゃんだけだと思う」
「卯月ちゃんも?」
藍子に聞かれて俺も違和感を覚える。響子と肇は地方から上京して寮暮しだから分かるけど、卯月は実家暮らしなのにどうして寮に。
「昨日響子ちゃんのお部屋に泊まってたんです。日付が変わったら美穂ちゃんのお誕生日を祝おうって思ってこっそり隠れてたんですけど」
「もしかして日付が変わるくらいで急に眠くなった?」
「はい! プロデューサーさんもなんですか?」
「同じだよ。いきなり電源が切れたみたいに眠くなった。他のみんなはどう?」
「すみません、私は昨日早くに寝てしまったので……」
「私もですっ」
「私もいつも日付が変わる前には寝るようにしてますね」
早寝していた肇、悠貴、藍子はイマイチピンと来ていないようだけど、0時になったくらいで強烈な睡魔が襲ってきた。まるでその時間になったら何かが始まるのを隠すかのようで、意識と瞼はあっという間に落ちてしまった。
「いやしかし見事でありますな。この状況で狼煙を上げて助けを呼ぶとは。恥ずかしながら私ですら混乱して思いつきませんでした」
状況が一切飲み込めず、一回り年下の悠貴の前で無力にも膝をついた俺とは対照的に、藍子と加蓮は煙を起こして存在をアピールするという手段を取った。今時の女子高生は授業でサバイバル術も学ぶのだろうか。
「加蓮ちゃんのアイデアなんです。公園の草木を集めて、ライターで火をつけて。こんなにうまく行くとは思いませんでしたけど」
やはり全部が全部砂となって海に飲み込まれた訳じゃないようだ。
「というかなんでライター持ってたんだ」
「あ、これ? 私のじゃないよ。プロデューサーさんの。あの人禁煙する禁煙するって言っても目を離すとモクモク吸ってるからライター取りあげたの」
私が吸うわけないじゃんと言いたげだ。
「まあ100円くらいで買えちゃうからあんま意味ないんだけどね」
「だけどそれが役に立つなんて、先輩さまさまだな」
「それは言えてる。ところで私も気になってたんだけど、その車どうしたの? 亜季さんのマイカー?」
「いえ、その……非常に申し上げにくいのですが……このジープは近くの砂浜で失敬したものです。もちろん近くにはその旨を書いたメモを貼っておりますが……」
亜季は心底申し訳なさそうに話す。
「あの、亜季さんがプロデューサーさん達を迎えに行っている間に私たちでこの辺を散策したんですが、社用車が何台かありましたから返してきても良いかと」
「なんと、左様でしたか肇殿。ではそうするように致しましょう。鍵はお持ちですか?」
「ああ、一応スペアの鍵も持ってるからこれを渡しとくよ」
肇の話を信じるなら足はなんとかなりそうだ。電車が使えない今、人の気配の消えた街東京を生き抜くためには車が必要不可欠だ。人の車を使うのは抵抗があったが社用車なら話は別。所属アイドルの危機を救うためにも使わせてもらおう。
「とりあえず……他にも誰かいないか探したいけど頼みの綱がこれじゃあなあ」
携帯は圏外で使い物にならない。
「携帯電話、使えませんもんね。みんな大丈夫かな……」
「大丈夫ですよ卯月ちゃん。アトランティスを見つけちゃうアイドルが所属してる事務所ですよ? みんながそう簡単にいなくなるなんてありませんから!」
「そうだよね、ありがとう響子ちゃん。こんな状況でも、笑顔で頑張ればいいことありますよね!」
このトンデモ状況でもみんなは前を向いている。この子たちは俺が思っている以上に強いんだ。
「ところで。携帯といえばずっと気になっていたのでありますが」
「ん?」
「日付、おかしくはないですか?」
亜季に言われて携帯を見てみる。圏外なことに気を取られていたが、ロック画面に出ている日付は。
「12月15日……? 昨日じゃないか」
他のみんなの携帯を見ても15日だ。
「昨日の時点で携帯が壊れたのか? でも時間はなんだこれ!?」
1から59までの数字がビンゴゲームみたいに目まぐるしく変わっている。明らかに正常な携帯電話の挙動じゃない。あまりにでたらめで、めちゃくちゃだ。
「あれ! 時計台が!」
美穂が指差す先には事務所のシンボルともいえる時計台は拷問器具と形容するのがふさわしいくらいに針が高速でグルグル回っている。これじゃあ時間なんてわからない!
「と、とにかく! まずは何か食べましょう! みんなお腹空いてますよね? 腕によりをかけて作っちゃいますよ!」
「響子さん。じゃあ私も手伝いますね」
とはいえこんな状況でも腹は減る。響子と肇は何を作ろうかと話しながら事務所の食堂へと向かった。
「あのさ、何か食べるのはいいんだけどガスとか水道……通ってるの?」
「……その時は大和亜季先生にサバイバル飯をご教授願うか。じゃがいも、1から育てような」
「そこまでポテトジャンキーじゃないからね私」
じゃがいもひとつひとつに名前つけそう、って言ったら足を踏まれるだろうか。やめておこう。
結論から言うと、不思議なことに事務所の中は電気も水道もガスも生きていた。それどころか食材の備蓄も豊富にあり、賞味期限もまだ先だ。
「食は存外簡単に確保できましたな」
不本意ながらサバイバル状態に陥った俺たちだったが神様はそこまでエゲツない真似をする気はないらしい。食事と最低限のライフラインは用意してくれているようだ。
「いきなり荒廃した未来に来た! って感じじゃなさそうだ」
映画の見すぎと言われればそれまでだけど、さっきまで真面目にその節も考えていた。そうこう考えていると美味しそうな匂いが漂って来た。お腹の虫も遠慮なくぐうぐうと鳴り出した。ほら、俺以外にも。
「わ、私じゃないですよっ!?」
そのリアクションは自白してるようなものだぞ、美穂。
「とりあえず手分けして周辺の散策をしよう。車が運転できるのは俺たちだけだな」
社用車は複数台あるが免許を持っているのは俺と亜季の2人だけだ。
「あのっ、私もゲームセンターのカーレースなら出来るから運転出来るかもしれませんっ」
「悠貴、気持ちは嬉しいけど流石にそれは無理があるかな……」
無意味だろと言われるかもしれないが、異常事態とはいえアイドルのみんなにはルールを守って欲しかった。それにゲーム感覚で運転されるわけにもいかないしね。
「あとここに待機する子たちも必要だから……くじ引きで分かれようか」
食堂の割り箸にペンで三色の色を塗り簡単なくじを作る。順番に引いてもらって3つに分かれる。
「えーと、俺の車に乗るのが美穂と藍子」
「私の車に乗るのが響子殿と悠貴殿」
「私と卯月と肇が待機組だね」
待機組の加蓮たちは目印になるように狼煙を上げる準備を始める。俺たちも見落としのないように探索をしないとな。
「ピンクチェックスクール綺麗に分かれちゃいましたね」
「そうだな。でも藍子とだってユニット組んでるだろ?」
「はい。私たちマグナウィッチーズです」
美穂と藍子はマグナウィッチーズというユニットを組んでいる。直訳すると偉大なる魔女たち、と言ったところだろうか。元々はハロウィンの時期に魔女の格好をした二人が一緒に仕事をしたことが始まりだ。尖ったアイドルの多いうちの中ではわりかし正統派な2人が組んだユニットは活動の機会が多いわけじゃないけどもコアな人気を集めている。
「いつかはまた2人での仕事もとってくるつもりでいたけど……」
カボチャよりもスイカの方がムードに合いそうな炎天下の中車を走らせる。いつも聞いていたカーラジオは何も流れず静かな車内というのは地味に新鮮な気持ちだ。
「なんだか、魔法にかかったみたいですね」
去りゆく海を眺めながら藍子が呟く。魔法か、ほんとそうだよな。
「魔法がかかったのは俺たちか。それとも」
この世界そのものか。考えても仕方ないか。
「そういえば、今の美穂ちゃんの言葉を聞いて思ったんです」
「ん?」
「ここにいるみんなって、美穂ちゃんと一緒にユニットを組んでたりでお仕事した子だなって」
「えっ? 卯月ちゃん、響子ちゃん、藍子ちゃん、加蓮ちゃん、肇ちゃん、悠貴ちゃん、亜季さん……」
指をおり数えて本当だと声を上げる。
「亜季さんだけはユニットってわけじゃないけど……他のみんなはそうです!」
ここにいるアイドルは確かに美穂とユニットを組んだ子がほとんどだ。ピンクチェックスクール、Masque:Rade、マグナウィッチーズ、フェアリーテイル*マイテイル、ソラーナ・チーカ……。これは偶然なのか?
「でもそれなら、美嘉ちゃんや他のMasque:Radeのメンバーがいないです」
ここにいるみんなと、いないみんな。あるなしゲームのような何かが共通点としてあるのだろうか。それにその中だと亜季の存在がイレギュラーだ。確かに以前美穂と一緒に廃校になる学校の思い出作りに行ったけど、そこで歌ったわけじゃないしそれならば奏がここにいるはずだ。
「……でも、亜季って美穂と同じ誕生日だった、よね?」
「あっ!」
他の誰よりも大きな共通点があったじゃないか。美穂も亜季も12月16日生まれ、明日が誕生日だ。いや、本来なら今日が誕生日のはずだったのだけど時間が無茶苦茶になった今、日付なんて人が定めたカテゴライズなんて意味がないのかもしれない。
「お疲れ様であります、プロデューサー殿。何か発見がありましたか?」
「いや、こっち側はずっと海しか見えなかった。それどころか、地図だとこの辺りか? そこから先は海で阻まれたみたいになっていて、進めなかった」
車を走らせて1時間くらいだったか。まるでゲームの背景みたいに大きな海が行方を遮って先に進めなかった。距離にするとどうだろうか。周りに船がある様子もなく、これ以上の探索は難しいと悟った俺たちは藍子のカメラに映った大きな鯨以外の土産を持って帰ることができなかった。
「亜季の方は?」
「はい。こちらもある程度行ったら海が広がっていて先に進めませんでしたが……大きな発見がありました。隣駅のショッピングモールなんですが、どうやら生きてるみたいなんです」
「なんだって?」
隣駅のショッピングモールといえば昨日加蓮と一緒に美穂のプレゼントを買いに行った場所だ。折角買ったクマのぬいぐるみはジープに乗る前に探してみたけど見当たらず、砂の中に消えてしまったのだろう。しかしモールが稼働していたなんて。
「誰かいたんですか?」
「いえ、我々もそれを期待しましたが……やはり人の気配はありませんでした。ですが食料品や衣服といった生活必需品には困らないでしょうね。併設されている家電量販店のマッサージ機も使えるみたいでしたし」
「そうですか……」
「すみません美穂殿。一応お店の中の目立つところにこの事務所に人がいると張り紙をして来たのでそれを見た人がこちらに来るかも知れません。待機組はどうでしたか?」
「待機組も誰かくるかなって思って待ってましたが誰も来ませんでした。もしかしたら、今ここにいるのが全員……なのかもしれません」
「肇……」
肇は沈痛な顔で答える。折角お腹を膨らませて前向きになろうとしたのに、なんでこうも現実はままならないんだ。
「今日のところはもう休んだ方が良いかもしれないな」
「そうですね。これが悪い夢ならば、明日には元通りになるはずですから。生活の拠点は女子寮にしましょう。私たちは空いている部屋をお借りするとして、プロデューサー殿も来られますか? いや、その方が良いかと」
「ええ!? 俺も!?」
確かに俺の住んでたアパートは砂と化して生活拠点はないけども。でもだからって女子の秘密の花園に土足で踏み入るのは……。
「別に私たちは気にしませんよ? ね、美穂ちゃん」
「ええ! そこで私に振る!?」
響子からのパスをお手玉している美穂は少し俺の目を見て顔を赤らめて、
「よ、よろしくお願いします!」
「こちらこそ?」
互いに深々とベッドバンキング。なんだこの展開。
「あはは! 何それ、同棲するみたい」
「ど、どどどど同棲!? 同棲!?」
冷やかす加蓮をトマトみたいに顔を赤く熟れさせて追いかける。落ち込んだり恥ずかしがったり女の子ってのはなかなかに忙しいな。
部屋割りはもともと住んでいた子らはそのままで、引っ越し組は二階と三階の空き部屋に分かれることになった。美穂、響子、肇は元々三階で悠貴と俺が三階の部屋を、卯月と藍子と加蓮と亜季は二階の部屋を使うことになった。
「ふぅ……ん? 肇、悠貴、どうした?」
空き部屋に荷物を置いてもう少し散策をしようかと考えていると2人が部屋の前で何やら考え込んでいる姿が見えた。
「この部屋は?」
「芳乃さんの部屋なんですけど……その、見てもびっくりしないでくださいね?」
「何が……!? な、なんだこれ!?」
ガチャと空いた部屋の中は和風な調度品で揃えられている。それ自体はおかしな話ではない。真ん中に依田芳乃の等身大石像がなければ、の話だが。
「これ、芳乃なのか? 石像……?」
「そうみたいです。その、さっきこの部屋から変な音がして。通りかかった肇さんと一緒にのぞいたら、芳乃さんの像が置かれてたんですっ」
ゲームのバッドステータスに石化ってのをよく見るけど、まさか目の当たりにしてしまう日が来るなんて。
「……一応聞くけど芳乃に自分の石像を愛でる趣味は」
我ながら脚線美でしてー、と恍惚の表情で石像を舐め回すように撫でる芳乃を想像してみたけど無理がある。
「そんな変な趣味は持ってませんよ……多分」
「芳乃さんがいくらミステリアスな人でもここまでじゃないですっ」
「ですよねー」
親しき仲でも話せない趣味はあったりするけども、芳乃に限ってそんな胡乱な趣味はないだろう。じゃあこれは一体なんなんだ? 芳乃もこの世界に最初からいたのか? だけどバジリスクかコカトリスにでもハチあって石にされた? もしそうならば、女子寮だって安全じゃない。用心するに越したことはなさそうだ。
「しかし芳乃の石像か」
神殿に飾れば崇め奉る人が集まりそうだな、と不謹慎なことを考えると顔に出ていたのか肇と悠貴はやや引いた顔をしている。
「でももしかしたら他のみんなも芳乃みたいに石像があるかもしれないな……後でみんなで手分けして部屋の中見てもらっていいかな? 流石に俺が何度も何度も女の子の部屋開けるわけにはいかないからね」
変なことしちゃダメですよ、と2人は釘を刺して部屋を出る。石像に触れても声を上げる様子はない。いや、もしかしたら。
「じー……」
「じーっ……」
「……変なことしようとしたわけじゃないです、はい」
部屋から出たと思った2人が不埒なものを見る目で俺を見つめていた。決して胸を触ったら復活すると考えたわけじゃないです、はい。あまり長居すると余計怪しまれそうだから俺も出る……。
「……たー、…を……る……してー……」
「えっ?」
今、芳乃の声がした? 振り返るもそこにあるのは一歩も動かぬ石像。色々起きすぎて疲れているのかな俺……。
「亜季さん、このカレーですけどスパイスをどんな配分で入れたんですか? 今後の為にも教えてください」
「お嫁さんにしたいアイドル殿堂入りの響子殿にそこまで言われるとは! いやはや、ネイビー冥利につきますな!」
「オレガノ、シナモン……あと何でしたっけっ? ヒトリデデキルモン?」
「カルダモンですよ、悠貴ちゃん」
夜は亜季が作ったカレーを食べる。金曜じゃなくてもカレーを食べるんだなと聞いたら疲れた時にはこれが一番であります! と返って来た。まぁ確かに体が弱りつつある時ってなんだか無性にカレーを食べたくなるし、作り置きも出来るから良いかもしれないな。毎晩だと流石に飽きるけど。亜季だけに。
「何か面白いことありました?」
「へ?」
ちょっとうまいこと言えたって顔をしていたのだろうか。美穂の頭の上にハテナが浮かんでいた。
「コホン。それで肇、さっき見てもらったけど、どうだった?」
「他の部屋も見て回ったんですけど、芳乃さんの部屋以外もぬけの殻って状態で」
「ってことは芳乃の石像だけが寮の中にあった、と」
やはり他のみんなも石像になって部屋にいる、なんてことはなかったらしい。でもなんで芳乃だけが?
「うーん……」
「どうしたの美穂、何か考えごと?」
カレーにも手をつけず頭を働かせる美穂を見て加蓮が俺の代わりに聞いてくれた。
「芳乃ちゃんがここにいるのって、変じゃないですか?」
「ん? どういうこと?」
「確か芳乃ちゃんって泊まりで地方のロケに行ってましたよね。美嘉ちゃんと李衣菜ちゃんと一緒に」
「あっ、そういえば」
美穂に言われて気付く。そうだ、芳乃達は今その2人と一緒に九州の方まで泊まりで行っていたんだ。
「芳乃さんだけ石像になって送り返されて来た、ということでしょうか?」
少なくとも俺たちは着払いで石像を受け取った覚えはない。
「いや、もしかしたら美嘉と李衣菜も……?」
ロックなアイドルがロックな像になるなんて笑えないぞ。
「美嘉ちゃんは埼玉で、李衣菜ちゃんは東京ですよね? 明日家にまで行ってみても良いかもしれません」
「卯月の言う通りだな。明日見に行ってみよう……って思ったけど俺あの2人の住所知らないぞ」
事務所にデータはあるはずだが待機組が言うには電気は通れどもパソコンまでは見ることが出来なかったらしいから調べようがない。
「あの、プロデューサーさん。私2人の家に泊まったことあるので、なんとなくですけど場所憶えてますよ?」
「私も分かるよ? 2人いる方が何かと便利じゃない?」
「ほんとか美穂、加蓮。じゃあ明日ナビゲートお願いするよ」
「はい、任せてくださいね」
「はーい」
なんにせよでたらめな世界にだって何かしらのルールがあるはずだ。それが彼女を中心に動いているものだとしても。
「東京でも、こんなに星が見られるんだな」
人工の光はほとんど消えた元都会の砂浜の上を満点の星空が見守っている。えっと、あれがデネブアルタイル……。
「ベガですよ、プロデューサーさん」
「美穂。そうだったね」
美穂が指差すのは夏の大三角形。12月に見られるものじゃない。異常気象で暑いなんてわけじゃなく、時間が加速して夏に来てしまったみたいだ。
「こうやって2人で星を見るのも半年ぶりくらいですね」
「そうだな……」
初夏の川のせせらぎが聞こえて来るようだ。あの時、俺は今まで知らなかった美穂の色んな一面を知ることが出来た。意外とおばあちゃんっ子だったり、川でイワナの掴み取りをするくらいに子供の頃はわんぱくな子だったり。担当として一緒に過ごす時間が多くて小日向美穂博士を勝手に自認してたのに、今なお新しい彼女は増えていく。そしてこれからもそんな彼女の誰も知らない部分がどんどん生まれて来るはずだったのに。
「早くこんな悪い夢から醒めないと」
「えっ?」
彼女、ううん。アイドルのみんながいるべきステージはここじゃない。大人として、彼女達のファンとして。俺がこの世界の真実を暴くんだ。そう強く誓ったのに。
「プロデューサーさん……これ夢なんでしょうか?」
「なあ美穂。俺のほっぺつねってくれないか?」
「あの、私のほっぺもつねってもらって良いですか?」
2人向かいあってダンスを踊るように手を伸ばし互いのほっぺたを少し強めに引っ張る。
「いふぁいふぇす……」
「俺も痛い……」
実に古典的な手法だけど目の前の現象を納得するには充分だ。さて、昨日俺は夏の大三角形の下美穂としばしの間語り合った。彼女が欠伸をしたあたりでお開きにして自分の部屋に戻ってすぐに寝たのだけど。
「美穂ちゃん、プロデューサーさん。何やってるんですか?」
「うふひひゃん」
パジャマ姿の卯月が部屋から出て来る。特に慌てた様子もないあたり、多分窓の外を見てないのだろう。
「卯月、窓の外見てみ?」
「え? 何か見つかり……美穂ちゃん、ほっぺたつねって貰って良いかな……?」
窓を挟んだ外の景色は相変わらずの海だ。しかし昨日までの海とはわけが違う。不意に演歌の歌詞が流れて来そうなほどの雪景色。たった一晩で砂浜は雪で覆われてしまったのだ。
「もうなにがなにやら……」
12月なんだから雪が降るのはなんらおかしいことじゃない。こんなに積もるのかと聞かれたらたった一夜で降り過ぎな気はするけどまぁ許容範囲だ。ほんの数時間前まで、夏の大三角形が見えるくらいの夏日和だったことに目をつぶれば。
「早起きしてジョギングしようと思ったんですっ。でも流石にこんなに雪が降っていたら難しいですね」
一晩あければ悪い夢が醒めてくれることを期待していたのに、待っていたのは余計意味不明な光景。女子寮ごと北国にワープしてしまった感覚に陥ってしまうが周りの風景は昨日と変わりがない。
「今日李衣菜殿と美嘉殿の家に行くんでしたよね? しかしこの天候、まともに運転できなさそうですが冬用タイヤの用意はあるのですか?」
「ああ、それならご心配なく。社用車のタイヤはいわゆるオールシーズンタイヤってやつだからこれくらいの雪でも問題はないはずだよ」
「なるほど! 流石プロデューサー殿、いざという時の準備はバッチリでありますな!」
そこまで褒められるとこそばゆい。というか別に俺がタイヤの準備をしたわけじゃないしな。
「とりあえず朝ごはんを食べたら一度車を出してみるよ。誰か見つけたら拾っていけば良いし」
天候も天候なため今日のところは周辺の探索をなしにして、俺たちだけで李衣菜と美嘉の家に向かうことになった。ただ懸念事項が一つ。
「風邪ひかないかとか心配してる顔してる」
「バレたか
今でこそステージで激しいダンスも踊りバラエティ番組でロードランナーの上を走ってクイズに答える加蓮だけど、昔は身体が強くなく入退院を繰り返していたそうだ。本人は大丈夫大丈夫と言ってはいるが……。
「みんな過保護だって。それに今頗る体調良いから大丈夫だよ、風邪なんかひくわけないって」
「しんどくなったらすぐに言うんだぞ? 加蓮に風邪引かせようものなら先輩に何をされるか」
インフルエンザウイルスを絶滅させる勢いで殴りかかって来ることは確かだろう。
「えっと確か、この辺りだったよね」
「あれあれ! 表札にも多田ってあるよ」
案外李衣菜の家は事務所の近くにあった。加蓮と美穂を車内に残してチャイムを鳴らす。ピンポンとチャイム音が響くも出て来る気配はない。というか他の家同様誰かが住んでいる空気ではなかった。
「出て来ませんか?」
「何回か鳴らしてるんだけどね……っておい加蓮!?」
加蓮がドアノブを回すとガチャリとドアが開く。
「私たち李衣菜のお母さんとも面識あるし部屋分かるから」
「うーん、空き巣みたいな真似はしたくないけど……」
「怒られたらごめんなさいって謝れば済む話だよ、こんな状況ならそれくらい大したことじゃないでしょ」
加蓮の言うとおりもし多田家の皆さんが命の危機に瀕していたら? と最悪一歩手前の可能性が過ってしまい2人と一緒に中に入る。すみません、お邪魔します。
「高そうなヘッドホン持ってるって聞いてたからそうかなって思ってたけど、結構良い家に住んでるな」
「李衣菜ちゃんカレイの煮付けも作れるしコーヒーも入れれるし……普段はロックロックって言ってますけど、育ちが良いんですよ? お父さんとお母さんの教育が行き届いてるんでしょうね」
「まあ礼儀はしっかりしてる子だしな」
「遠まわしに私は慇懃無礼だーって言ってない?」
「言ってないし言葉を選ぶよ。せめて歯に衣着せぬって言わせて」
往々にしてロックスターという人種は不思議と育ちが良かったりする。音楽を始めるってなるとそれなりにお金がいるから当然の帰結と言えばそうなのかもしれない。いずれにわかと笑われた彼女も歴史に名を残すロックスターになるのかもしれないな。
「李衣菜の部屋にも……いないか」
部屋という部屋を探して回ったが石像の一つもありゃしない。そりゃあ一般家庭に自分の姿を象った石像があれば怖いけどもさ。分かったこといえば李衣菜の部屋はすみずみまで掃除が行き届いているということくらいか。響子が見たら不満を覚えそうだ。
「李衣菜ちゃん……」
美穂は机の上に置かれていた写真を見ている。真紅のドレスを見に纏う5人はステージ上のアンニュイな表情を忘れて笑っている。「愛」や「運命」から解き放たれて少女らしく笑うみんな。そこにいたはず3人は、この世界にいない。
「大丈夫だって美穂。李衣菜もまゆも智絵里もみんなどこかで私達のこと探してるよ。大体あのまゆだよ? プロデューサーさんと添い遂げるまで死なないって。ね?」
「ね? って俺に言われても」
机の下にいたり車の中にいたり。まゆは俺が行く先行く先に先回りしていたし、それが当たり前になっていた。正直困ることもあったけど……不思議と今、寂しさを憶えていた。
「次は城ヶ崎さんちに行こう」
多田家にアポなしで乗り込んだことをもう一度謝って再び雪道を走らせる。朝よりかは降る雪の量も減って来て、このまま車を降りて2人と雪合戦をしたい気持ちになるけどそれは一旦置いておいて目的地へと向かう。雪景色の中どこまでが東京でどこからが埼玉なのかの境界線も曖昧になってくる。まぁこの状況じゃ47都道府県なんてカテゴライズは無意味だろう。甲子園もサッカーの全国大会も出来やしないんだから。そもそも俺を合わせてようやく野球チームが一つできるくらいだしな。プレイングマネージャーだ俺。
「やっぱ美嘉も莉嘉もいないか」
城ヶ崎家も探索してみたけど真新しいものはない。姉妹の石像は当然ないし、強いて気づいたことと言えば美嘉の部屋にミニうえきちゃんが飾ってあったことくらいだ。
「お前は何か知らないのか?」
「シラナイ」
「そうか」
ウヨウヨと揺れるミニうえきちゃんに語りかけてみるけどやはりなにも分からなさそうだ。
「美穂、それは……」
「前に行った美郷小学校のみんながライブを見に来てくれたときの写真です。みんなでツインテールになって……楽しかったなあ」
子供たちに囲まれツインテールの3人は優しい笑顔を浮かべている。子供たちにとって彼女たちと過ごした時間は何よりの宝物だったはずだ。美穂も一緒になって埋めたタイムカプセルを開ける未来が来ることをきっと楽しみにしていたはずなのに。
「のぶくんもミッちゃんももっともっと、遊びたかったよね……」
家族、友人、出会った人たち。みんなもどこかにいると信じたい。だけど俺たち以外の人がどこにもいない世界は残酷なまでにその可能性を奪っていく。諦めて受け入れろ、そうすれば楽になる。そう言っているみたいだ。
「プロデューサーさん。私車に戻ってるから……美穂のこと、お願いね」
「分かったよ」
加蓮はこちらに目配せをして先に部屋を出る。美嘉の部屋で美穂と2人という奇妙なシチュエーションをうえきちゃんだけがニヤニヤと見ていた。
「これ使いな」
「えぐっ……ありがとうございます……ごめんなさい、プロデューサーさんのハンカチ借りちゃって」
白いハンカチに涙が染みる。なに、ハンカチの方も俺に使われるよりも女の子に使ってもらった方が嬉しいに決まっているさ。
「私、ずっとみんながいるって思ってたんです」
涙が混じりながら、ゆっくりとゆっくりと美穂は話し始めた。
「卯月ちゃんや響子ちゃんがいて、美嘉ちゃんや李衣菜ちゃんたちがいて、プロデューサーさんがいて。アイドルになって出会った人たちと、これからもずっと一緒に頑張って行くんだって。そう、思ってました」
これならもずっと。その言葉の重さにズキリと胸が痛くなる。そんな俺の表情を見ることなく美穂は続けた。
「もっと沢山の曲を歌って、もっと沢山のお芝居をして、もっと沢山の仲間たちが増えて。わがままかな? って思うけど……そんな毎日を過ごせたら、きっと楽しいって。でも、みんないなくなっちゃいました。今いるみんなだって、明日になれば」
「美穂!!」
考えるよりも先に身体が動いていた。頭が冷静になってようやく、怯える小さな身体を抱きしめていることに気付いた。
「プ、プロデューサーさん……」
「美穂、俺はここにいるよ」
「えっ?」
「卯月も響子も加蓮も……事務所に残っているみんなも、俺も。確かにここにいる。美穂だって同じだよ、身体の暖かさが何よりの証拠だ」
俺も一度だけ考えたことがある。プロデューサーとして働いてアイドルを導いている俺が夢の世界の住人で、夢の中にいる無数の俺の方が本物なんじゃないかって。胡蝶の夢、とはまた違うけども……慣れない哲学的なことを考えたものだから、頭がこんがらがって翌日熱を出したっけか。美穂にとって大事なオーディションの日だったのに俺は寝込んで先輩プロデューサーに彼女のことを託した。結果は合格だったけど、願わくは俺も合格を知って美穂と一緒に喜びを分かち合いたかった。額を燃やすような熱と悔しく情けない気持ちが、紛れもなく現実にいるんだと教えてくれたんだ。
「俺は……絶対に美穂の前からいなくならない。約束する、だから美穂も俺の前からいなくならないでくれ」
互いに抱きしめる腕の強さが増す。結局のところ、俺たちは寂しがり屋な生き物だ。だからこそ互いに手を取り合い心の隙間を埋め合う。
「嘘ついたら、辛子蓮根丸かじりですからね」
本当は既に一つ嘘をついていた俺は、辛子蓮根にかじりつかなきゃダメなようだ。
「……」
「……」
運転席と助手席に並んで座る俺と美穂は会話もなく、お互い顔を赤くしていた。我ながらよくもまぁあんな臭い台詞を吐いたものだ。気まずそうなオーラを出している俺たちを後部座席に座る加蓮はへー、ふーん、そうかぁ、と単語を発さず1人納得したようにニヤニヤしている。これは当分2人しておもちゃにされそうだ。
「コホン! 俺たちのことはともかくとして、結局何の成果も得られなかったな」
埼玉まで来て分かったことは結論俺たち以外の人はいないこと。芳乃の石像やでたらめな時間や気象を説明するに足りるものは一つとしてなかった。両家のテーブルの上にメモを貼っておいたけど、家が近い李衣菜はともかくとして埼玉から事務所まで歩いて来るのはいくらカリスマギャルでも無理がある。下手に動かない方がまだ安全だろうな。
「ヒャッハーしてるモヒカンがいた方が良かった?」
「そうとは言ってないけども」
んな世紀末を望むほど荒んではない。
「なあ卯月。何やってんの?」
「見ての通り、雪ぴにゃこら太です! 肇ちゃん、陶芸やってるから雪だるま作るのも上手なんですよ」
「幼き頃から大雪が降ると祖父に雪だるまの作り方を教えてもらったものです」
「それじゃあ写真とりますね。はい、チーズ。良い笑顔です」
帰って来た3人を迎えてくれたのは雪遊びに興じるみんなだった。
「待っているだけだと退屈でありましたので! 吹雪もおさまったので折角だから遊んで気を紛らわそうって話になったのです」
とは亜季の談。まぁ、アイドルと言っても本質は10代の女の子。雪が降ればテンション上がるし雪だるまも雪合戦もやりたいよな。
「で、響子が作ったその……実に味のある雪状物体は」
「見ての通り、ねこですよ?」
「耳長くね?」
「ねこですよ?」
「……ねこですね」
「ねこでした」
時々俺たちの目と響子の目に映るものがちがうんじゃないかとホラーな気持ちになってしまう。
「それでプロデューサー殿。何か発見は」
「いや、何にもなかったよ。あったのはミニうえきちゃんくらいだ」
「そうですか……尚更芳乃殿の石像の存在が謎でありますね。私はこのような性分故、芸術には疎いのですが……何かを生み出すとき、そこには理由があるはずなんです。あの石像からはそれが読み取れませんな……」
一体誰が何のために? いや、そもそも「誰」と呼んでいい存在なのだろうか。たった一夜で冬と夏を行き来させ俺たちから時間という概念を破壊したそれの所業は、神と呼ぶにふさわしいまであった。
「なんにせよ腹が減ってはなんとやら! 昨日のカレーがまだあります! 一晩寝かしたカレーは絶品でありますからね! 毎日が金曜日!」
カレーが嫌いな人はいない。亜季のランチはカレー宣言にみんな声をあげて喜ぶ。昔聞いたことがあるがカレーは出来立てよりも一晩寝かせた方が確かに美味しくなるらしく、科学的な根拠もあるそうだ。一度冷ましたカレーを温め直すことで熟成が進行して旨味が出るんだとか。
「でもプロデューサーさん。昨日今日で夏からいきなり冬になりましたけど……私たち、本当に一晩だけ寝てたんでしょうか?」
「えっ?」
藍子のふとした言葉に心臓が掴まれた気分になる。
「私、よくみんなから藍子ちゃんはゆるふわしてるとか、一緒にいると時間が経つのがゆっくりになるって言われるんです。だからもし、その逆もあるとしたら」
寝ている間に何度も何度も太陽と月が追いかけっこをしていたら?
「時間が加速しているってことか? そんな、浦島太郎みたいな……」
だけどもし、俺たち全員が竜宮城にいたとしたら? 誰一人として、何百年の歳月が過ぎ去った事に気が付かなかったのらば。突拍子もない可能性が頭をよぎるがそんなわけないだろと言おうとしたその矢先。
「いや、藍子殿の指摘は間違ってないと思われます。昨日寝かしたカレーが数日間放っておいたみたいになっていて……とても食べられる状況ではありませんでした」
亜季は明らかに参りましたと言いたげなくらいに表情が暗い。
「事務所の時計台がめちゃくちゃなテンポで時を刻んでいるのは、故障や演出なんかじゃなくて本当のこと、なのかもしれませんね」
「じゃあちょっと待った。食材はどうなるんだ!?」
藍子や亜季の話が正しいならば、あれだけ備蓄されていた食料も腐っているはずだ。
「それが……妙なんです。朝は気付きませんできたけど……昨日は書いてた賞味期限が全部消えてて、しかも食材が増えていたんです」
「増えてた!? 誰かモールに買い出しに行った?」
誰の手も上がらない。
「いえ、これだけあれば当分持つよねってなって特にそんな話にはなりませんでしたよ」
響子も身に覚えがないといった具合だ。そりゃそうだろう。今は雪やコンコンあられやコンコンと歌い踊れるくらいだけど、俺が車を出した時は吹雪いてたんだ。モールになんて行きようがない。どうやらこのサバイバル、食事に関しては何者かの干渉を受けて死なないようにできているらしい。
「鍋の素なんて昨日ありませんでしたし……何がどうなってるんだろう?」
トマト鍋、キムチ鍋、ごま豆乳鍋、中には季節外れのココナッツ鍋なんて変わり種まで。野菜も肉も揃っているし見たところ秋をすっ飛ばすくらい寝かせたカレーみたいに食べられないといった見た目ではない。
「あのっ。せっかくのお鍋なんですし、みんなで好きな入ものを入れて鍋パーティーでもしませんか?」
「美穂……」
次から次へと襲いかかる信じられない情報に振り回されて辛くしんどいのは美穂だって同じなはずなのに。なんとかこの場を盛り上げようと頑張っているその姿に俺は安心すると同時に誇らしく思えた。熊本の女は強い、その矜持に偽りはない。
「賛成。もうさ、いっその事こと開き直ってこの状況楽しんだ方が健康的だと思うよ。どうにもならないからこそ、ね」
「それが良いかもしれませんね。私が楽しんでいたらみんなここに来るかもしれませんし、芳乃さんも元に戻るかも」
まるで日本神話の一幕だ。とはいえ加蓮の言うことには一理ある。ここから抜け出す選択肢をくれないのならば、逆にこのでたらめな日常をエンジョイしなきゃ勿体無い気すらしてきた。どういうわけか至れり尽くせりの準備はしてもらっている。結局何事も楽しんだモン勝ちなんだ。誰と勝負してるんだって話だけど。
「ふぅ……」
お腹いっぱい鍋を堪能した俺は1人外で眠気覚ましのコーヒーを飲んでいた。ブラックコーヒーなんて普段飲まないけど、眠気を飛ばしてくれそうなものはそれしかなかった。時間はわからないけどそろそろ今日が終わる頃合いだろう。
「おや、プロデューサー殿も同じ考えでありましたか」
「亜季……ってなんだその格好」
雪の降る中これからサバゲーを始めるのかってツッコミ待ちな格好をしている。かなり本格的な防寒装備をしたうえでその手にはエアガンを持っている。
「プロデューサー殿も使いますか?」
「いや、遠慮しとく」
とはいえ。俺も亜季のように武器になりそうなものを持ってくるべきだったかもしれない。
「俺たちが寝てる間に秋が過ぎて冬になったのなら、起きている間に何かわかると思ったんだ。それに食料を新しく取り替えてるってなれば」
「はい。私たちが寝ている間に行ったのでしょう。そしてそれはおそらく単独犯の行動ではありません」
いくら俺たちがぐっすり寝ていたとしても、1人であの量の食料を食堂まで持って行き来するのは無理がある。常識が通じない世界で何を言うんだと言われそうだが、相手が人間であるならその行動を予測立てる事が可能だ。
「藍子からカメラも借りてきた。逃げられたとしてます何か手がかりを撮れたら良いけど……」
「日付が変わるまでまだ時間がありそうですね。少し話でもして待ちましょう」
「そうだね。担当外ってこともあったから亜季とこうやって話す機会あんまなかったしな」
「いつぞやの企画以来でありますな。月並みな言葉ではありますが、美郷小学校のみんなの思い出の1ピースになれたことを心から誇りに思っております」
「それは良かったよ。亜季を選んだ俺の選択は間違ってなかったみたいで」
冷めかけのコーヒーを片手に話は弾む。亜季のお兄さんと同い年だと言うこと、好きなシュワルツェネッガーの映画はコマンドーで台詞はほとんど暗唱できること、元に戻ったらサバゲーに参加しないかと誘われたこと。成人した男女が雪の中なんてロマンティックなシチュエーションなのに話題のどこを探してます色気もへったくれもない。だけど女子校のクラブの引率の先生状態になっている今、馬鹿みたいなことも言い合える亜季の存在はありがたかった。
「プロデューサー殿、そろそろでありますな」
「ああ、奴さんをとっ捕まえるとしますか」
緊張感を伴う息は白く、静寂の中俺と亜季は息を殺して隠れる。すぐに写真を撮れるようにシャッターボタンに指をかける。隣の亜季もいつでも発砲できる状態だ。
「ふぁーあ……あ……れ? 急に眠く……」
「亜季? おい、亜季っぐ……!」
しかし俺たちの目論見は外れてしまう。ブラックコーヒーを飲んで追いやっていたはずの睡魔が唐突に襲いかかる。催眠術にかかったみたいに目蓋は重力に引っ張られて、俺と亜季は雪の中に倒れて眠りについてしまう。最後に見たのは大きく輝く冬の大三角形だ
「……サーさんっ! プロデューサーさんっ!」
「んん……」
「やった、目を覚ましましたっ!」
翌朝、体を揺らす悠貴の声に目が覚める。それと同時に自分でも驚くくらい汗をかいていることに気付いた。
「プロデューサーさん、どうしてこんなところで寝ていたんですか?」
「こんなところ……ああ、そうか。あの時」
昨夜のことを思い出す。眠気覚ましのコーヒーを飲んでまで身構えていたのに亜季と一緒に睡魔に襲われてしまって、そのまま雪の上で寝ていた……ん?
「悠貴。雪はもう溶けたのか?」
「はい。というよりもう……春ですねっ」
雪のベッドは草花に覆われてうららかな春の日差しが眩しい。そりゃそうだ。春なのに冬の厚着着てりゃ汗もかく……。
「嘘だろ……また時間が加速したのか」
「流石でありますなシュワちゃん……ですが不肖大和亜季、鍛え抜かれたボディは……ぐぅ……ぐぅ」
風に揺られて飛んできた桜の花びらが夢の中でシュワちゃんとボディビル対決をしている亜季の額にくっついたのだった。
「はい、プロデューサーさん」
「ありがとう美穂」
シャワーを浴びて美穂が入れてくれたコーヒーを頂戴する。いつも俺が事務所で飲んでいる姿を見ていたからか俺が言わずとも砂糖を入れてくれる。昨日は寝てしまわないようにブラックコーヒーを飲んだけど、基本的には砂糖を3つ入れないととてもじゃないけど飲めないくらい子供舌だ。あれだけ苦いをして結局眠ってしまい苦々しい気分だ。
「まさか眠ってしまうとは……不覚! 私まだまだ鍛錬が足りぬということですな……!」
いくら身体を鍛えてマッチョになったところで催眠術じみた睡魔には勝ちようがないぞ。
「しかし今度は順当に春がきたか」
相変わらず周りは海だけどあちらこちらで桜の木が存在感をアピールしている。始まりと別れの季節の象徴である桜だけど、12月15日が繰り返されるこの世界だと異質でしかない。
「やはり今日も12月15日……これじゃあ私と美穂殿は歳を取る事ができませんな」
亜季は寂しげに漏らす。ただ去年よりも一本多く蝋燭を立てることも出来ないのか。
「お花見しよーよ! はい!」
「やはり桜を見ながら飲むお酒は別格でありますな!」
「まだまだ料理はありますからね! どんどん食べてくださいね!」
「はい、チーズ。ふふっ、良い写真が撮れました」
桜が満開で咲いているならやることは1つ。誰が言いだすでもなくお花見の準備を始めて厨房に立つ響子はかなり張り切っていた。それこそまたもや誰かしらが追加していた食材をも使い切りかねないくらいだ。
「お金を払わなくても具材が来るんですから使わなくちゃ損ですよ!」
とは響子の談。将来ちゃっかりしたお母さんになりそうだ。だけど未成年がほとんどなためかこんな世界にもコンプライアンスなんて概念があるのか、珍しいチーズを置いてたりするのにお酒はどこにもない。あっても料理酒ぐらいだ。そこで俺と亜季はショッピングモールに行き花見酒をカゴに入れて持って帰ってきた。もちろんお金は払っている。こう言う時だからこそルールは守るべきだ。
「プロデューサーさん、どうぞ」
「ありがと、美穂」
担当アイドルにお酌をしてもらえる。他に変えがたい幸福だ。
「美穂殿、随分と慣れておりますな」
「うちの家系がみんなお酒強くて……親戚の集まりがあるとよくお酌をしていたんです。そのせいで辛子蓮根とかのおつまみが好きになっちゃって」
美穂のお酒のつまみ好きは割と有名で、未成年でお酒が飲めないにも関わらずお酒の強そうなアイドルランキングで上位に食い込んでるほどだ。呑兵衛アイドルの皆様とおつまみの話で盛り上がっていたって報告もあるくらいだしね。
「美穂は何飲む?」
「えっと、じゃあオレンジジュースを……」
いくら強そうだからってお酒を入れるわけにもいかないので、コーラの滴が少し残った紙コップにリクエストされたジュースを注ぐ。潮風とほのかな桜の香りに混じって柑橘のみずみずしい匂いがふわり。
「今度は」
「うん?」
「私も一緒にお酒、飲みたいです」
「……そうだね」
お花見に喧騒に消えた彼女の願いをなんとか叶えたい。俺は強く拳を握った。
「プロデューサーさん、寝相悪いね」
「一応聞くけど加蓮。今の季節は?」
「見ての通り、夏だけど?」
昨夜夜桜を楽しみつつ見張っていたけどやはりと言うべきか突然襲われた睡魔に負けて朝になる。照りつけるような太陽の暑さ、水着から見せる眩しいふともも、ふともも、ふともも。
「すけべな目してるー」
「寝起きはこんな顔だっての」
「そんなプロデューサーさんにサプライズがあるんだけど」
「ほう」
加蓮は悪戯っぽく笑うと桜の木に視線をやる。
「桜の精霊でも捕まえた?」
「まさか。ほら、早く出ておいで美穂」
美穂の名前を呼ぶも木の後ろからひょっこり見えるアホ毛が揺れて、大丈夫ですと励ますような卯月の声に対応してうーっ、と恥ずかしそうに悶えるだけだ。
「ちょっと待っててね」
加蓮はそう言うと木の裏に隠れている美穂と何か話している。行っちゃえ行っちゃえと囃し立てる加蓮and卯月とまだダメまだダメと繰り返す美穂。
「きゃー! 美穂の足元にフナムシの行進!」
「きゃあ!?」
可愛らしい悲鳴と共に美穂が転がるように木の裏から出て来た。水着で。
「あっ」
「え、えっと……足元にフナムシが……」
美穂は足元を見るがそこにフナムシは1匹たりともおらず、木の裏から出てきた加蓮と卯月が笑っていた。加蓮は悪戯が成功した子供のように、卯月はあははと困ったように笑っている。
「加蓮ちゃんー!」
「見間違いだったかな? でもいいの? プロデューサーさん、美穂の水着に釘付けだよ?」
「み、見ないでくださいー!」
顔を赤らめ恥じらい身をもじらせる。水着で。大事なことなのでワンモアセッ、水着で。
「見られちゃったあ……」
「あー、うん。俺のスーツ貸すから、それ着たらまだマシでしょ」
「す、すみません……」
スーツの上着を貸すと美穂は身体を隠すようにまるまる。しかし美穂が水着なんて、プライベートだとわからないけど……初めて見たな。
「いや、つーかなんで水着あんのさ」
「早起きして外見たら絶好の海日和になってたから、寮のみんなを起こして亜季さんの運転でモールまで水着買いに行きましたとさ」
なら起こしてくれてもよかったんじゃないか? 俺ずっと夏草の中で寝てたんだぞ。
「あ、でも美穂ちゃんだけはぐっすり寝てたから……これ似合うかなーって水着をみんなで選んだんですよ」
「卯月ちゃん、ちゃんと起こしてよー!」
顔を赤くしてポカポカと卯月を叩く。その度にスーツに隠れた水着の胸元を結ぶリボンが揺れてなんだかちょっとセクシーだな。
「何回も起こしたけど起きなかったから……でもプロデューサーさん、似合っていますよね?」
「うん。美穂にぴったりだと思うよ」
「そ、そうでしょうか……?」
おずおずとスーツを脱ぎピンク色のフリルがふわりと風に揺れる。色気よりもかわいさに振れたそれは小日向美穂という女の子が初めて着るオシャレな水着としては満点だった。流石みんな、美穂のことよくわかっている。
「褒めてくれたのは嬉しいですけど、あんまりじろじろ見られると恥ずかしいので……うう……早く秋が来て……」
まだ朝も早い時間だろう。秋がくるのはもう少しあとだ。
「ぷはぁ!」
「美穂、亜季が来たけど」
「その秋じゃないですっ! って亜季さん! それどうしたんですか?」
秋の代わりにやってきた亜季はそのダイナマイトなボディを魅せる水着……ではなくボディのラインがくっきりとしたウェットスーツを着ていた。そしてその手に持たれているのは銛。明らかにひとりだけ海での遊び方の趣旨が違う。
「ショッピングモールに売ってありました! 実は私、テレビで見た素潜りでの銛突きに憧れていたのです」
恐らくとったどー! ってフレーズでお馴染みのアレだろう。
「しかし都会の海は濁っていて海の中の魚ははっきり見えず、銛突きには不向きでした。しかし、ご覧ください! この透き通るような海の青! まるで沖縄の海をそのまま持ってきたみたいではありませんか!」
紺碧に広がる海に白い波。確かに東京の海ってよりかは南の島を囲む海のようだ。
「熊本の海もこんな感じでした。なんだか懐かしいなあ」
美穂は懐かしむように朝日が輝く海を見ている。既に他のみんなは海で遊んでいたらしく、やけに本格的なフォルムをした水鉄砲を片手に撃ち合いに興じていた。
「美穂さんも泳ぎましょうっ!」
「ま、待ってー!」
可愛い妹分に誘われて美穂は海へと走っていく。あっ、転んだ。
「あの、プロデューサーさん、ちょっと手伝ってほしいことがあるんです」
「ん?」
プールの監視員みたいにみんなを見守っていると肇が声をかけてきた。格好こそは水着だが泳いだり水鉄砲で遊んでなかったからかあまり濡れてないようだ。
「少し車、出してもらっていいですか?」
「いいけど……服はちゃんと着てね?」
「あっ」
さては肇、今水着を着ていたこと忘れてたな
「ここって朝来たんじゃなかったの?」
肇が行きたがっていた場所はショッピングモールだった。でも朝美穂以外のみんなは亜季の運転で水着を買いにきたはずだけど……。
「……その、あまり他の人に聞かれたくないと言いますか……私もできることなら信じたいんですが」
「肇?」
キョロキョロと周囲を警戒して真剣な眼差しで俺を見据える。
「昨日の夜ですが……寝る前に芳乃さんの部屋に入ったんです。石のままですけど、部屋くらいは綺麗にしてあげようと思って。掃除したんですけど、なかったんです」
「なかったって?」
「法螺貝です」
法螺貝といえば芳乃のトレードマークだ。初めて彼女を事務所で見た時、和装の小さな女の子がぶおおおおおお! とブブゼラみたく響かせてたもんだからびっくりして蒲田行進曲よろしく階段から転がり落ちたのも今じゃいい思い出だ。
「あの法螺貝ってお婆様から受け継いだ特別な法螺貝みたいで、いつも肌身離さず持っていたのですが」
「ちょっと待った。確かに芳乃の部屋で石像を見つけた時……そうだ、法螺貝なんてなかったぞ」
つまりあの石像は単純に芳乃を基にしただけで本物の芳乃は別のところにいるのか? それとも……。
「誰かが持ち去った、か」
「そう考えてるんだな」
「はい。あの石像は芳乃さんです。プロデューサーさんも聞こえませんでしたか? 時々、誰もいないはずなのに声が聞こえるんです」
やっぱり、あれは幻聴じゃなかったのか?
「それともう一つ。思い出したのはついさっきなんですけど……最近山紫水明で活動してた時、芳乃さんが言っていたんです。何か良からぬ気が近づいていると」
「良からぬ気……? いきなりオカルトな話になってきたな」
いや、今俺たちがいる状況がオカルトそのものなんですけどね。
「もしそれが今の状況だとしたら……」
「良からぬ気とやらが仕組んだってことか」
「はい。残念ながらそれが何かまではわかりませんが」
「このこと俺以外に話した?」
「いえっ。これについてはプロデューサーさんに最初に話しておきたかったのもありますが……これ、みんなにも話さないで欲しいんです。その、あまり考えたくないですけど……」
「その先は言わなくてもいいよ。肇の考えていることは理解できたから」
「すみません、プロデューサーさんに辛い役目を背負わせてしまって」
肇は優しい子だ。いや、彼女だけじゃない。うちの事務所のアイドルはみんな個性的でクセがあって中には尖に尖った子もいるけど、シンデレラの冠がつくように心優しい子ばかりだ。だからこそ、そんな優しい子の中に人を石にして時間と空間をも自在に弄ぶ悪魔が紛れているなんて考えたくもなかっただろうに。
「よく言ってくれたね肇。ありがとう、俺も気を付けておくよ。さてと、何も買ってこないんじゃみんなに怪しまれるな」
どうせなら楽しいものを買って帰ろう。夏、楽しいもの楽しいもの……。
「そうだ、花火でも買って帰ろうかな。肇も欲しいものがあれば言ってごらん」
「えっと、それじゃあ……――はダメでしょうか?」
「うん? ダメじゃないけど、何に使うんだろ?」
肇と一旦別れて車で待ち合わせをする。どこから仕入れたのか花火コーナーが作られており、過ぎゆく夏をいくつもの火花で彩ってくれと言わんばかりだ。何袋か買って車に戻るが肇はまだ戻っていないようだ。これまたどこから補充されてるのかわからない自販機から炭酸ジュースを取り出して喉を潤す。喉で弾ける黒いソーダ水は星をも隠す夜空のようだ。
「すみません、お待たせしました」
「いや、俺もさっき戻ったとこだから。ジュース飲むかい?」
「良いんですか? ではお茶を」
緑茶を取り出して肇に渡す。お茶を持っていない方の手には何やら文具屋の名前が書かれた袋が。なんだろう、陶芸に必要なのかな。
「プロデューサーさん、肇ちゃん! どこ行っていたんですか」
「いや、悪い悪い。せっかくの夏なんだし、これ買っとかなきゃと思ってね」
「花火だー!」
花火の袋を出すとみんな目をキラキラと輝かせる。本当にこの中に、芳乃を石にして俺たちの時間と空間を無茶苦茶にした奴が紛れているのか――。そんな人狼みたいな真似をしたくはないが、気付いた時には噛まれてましたなんて冗談じゃない。
「肇殿! ちょうど良かった。先ほど言っていた」
「亜季さん。それは向こうで……」
俺が車を出す前からあの2人は何か話していたらしい。ヒソヒソと話しているけど、さっき俺に話したことを亜季にもしているのかな。
「どうしましたか? プロデューサーさん、難しい顔をして」
「いや、なんでもないよ……ねえ、美穂。スーツかしたのは俺だけど、暑くない?」
やはり水着は恥ずかしいのか美穂はまだ俺のスーツを羽織っている。
「やっぱりプロデューサーさんに見られるのは恥ずかしいですし……それにプロデューサーさんが近くにいるように感じて……ってわ! 何言ってるんだろ私! 今のは忘れてください!」
「お、おう」
「忘れてくださーい!」
忘れてみほたんビームなるものが飛んできたので全力で忘れるよう努力してあげるとするか。
「しかし寮の中にバーベキューセットがあったとはね」
「前に女子寮のみんなでバーベキューパーティーをやったんです。その時買ったんですよ」
海で遊び倒して空かしたお腹を満たすなら、やはりバーベキューだろう。肉を焦がす香ばしい匂いとジュージューと焼ける音はここにいる全員に等しく食欲を配っていく。
「こーら悠貴、野菜もちゃんと食べなきゃダメだぞー?」
「えっと、これはお肉と野菜を別々にして食べようって思ったんですっ!」
言い訳がましく野菜を食べる悠貴の顔が苦味を増す。やっぱり肉とピーマンは一緒に食べないとな。
「藍子、写真撮ってばかりだと写らないでしょ? 撮ってあげるからカメラ貸してごらん」
「えっ? じゃあ……」
日常の風景の写真をよく写していたが、自分が撮られるのは少し不慣れなようだ。ちょっぴりぎこちなくピースを作っている。パシャリとフラッシュを焚けば眩しくて目を瞑ってしまった?
「撮りなおす?」
「いえ、プロデューサーさんが撮ってくれた写真ですから。そのままにしておきます。少し恥ずかしいですけどね」
そのまま雑誌になんか載せられないような写真だけど、藍子はふふっと笑ってくれている。
「五十嵐家特製のバーベキューソースですっ! プロデューサーさんも使いませんか?」
「特製? 普通のと何が違うんだろう」
フンスと鼻息は大きく自信ありげな様子だ。さて如何な物かと肉につけて口に入れる。
「おお、これは……本場の味っぽい!」
本場に行ったことがあるわけじゃないのにそんな感想が出てしまう。
「そうなんです。前にネットで調べて作ったんですけど、アメリカのバーベキューソースに近いみたいでメアリーちゃんも喜んでたんです」
深いコクがあるのに甘すぎずちょうど良い。よく焼けたお肉に絡み合うにんにくと燻製の香りがより一層食欲を誘う。
「私にも分けてよ。あっ、これ美味しい。ポテトにも合うね」
加蓮はやはりというべきかお肉よりもトルネードポテトに夢中なようだ。両手にポテトを持ってカリッとサクッの食感を楽しんでいた。
「たーまやー!」
「かーぎやー!」
市販の打ち上げ花火だから星空まで高く咲くわけじゃないけど、やっぱり轟音と共に花火が広がる音はいくつになってもテンションが上がる。周りに誰もいないのをいいことに俺たちは夜遅くまで花火に興じた。近所迷惑だー! と怒鳴り込んでくる人がいたらいたで俺たちにとっては朗報だし、そういった意味もあって娯楽とサバイバルを兼ねているのだ。
「美穂、ちょっと借りるよ」
「あっ、プロデューサーさん」
パチパチと小さく燃えていた美穂の花火から火を移すと火花が咲いてリズミカルに音が鳴り始める。
「美穂は打ち上げ花火に行かなくて良いの?」
派手に火花散る打ち上げ花火に一瞬目をやるけどすぐに消えそうな線香花火に視線を戻した。
「どちらかというと、私こっちの方が好きなんです。小さくても最後まで頑張って輝こうとしていて……うまく言えないんですけどね」
「いや、分かるよ。美穂の言いたいこと。俺も同じ考えだと思うからさ」
打ち上げ花火の音にかき消されて小さな火花の声は聞こえない。だけど最後まで咲き続けようとした線香花火がほんの一瞬だけ見せた石ほどの大きさもない残り火が綺麗で、その瞬間が永遠に続けば良いなと思ってしまったんだ。
「部屋の中で寝てて良かった」
12月15日がリセットされた朝、外は雪は降っていないが吐く息が白くなるくらいには寒く冬が訪れたようだった。前もそうだったけど夏が来た後は秋をすっ飛ばして冬が来るらしい。
「俺まで風邪ひいたら不味かったもんな。ほら、美穂」
「すみません、ありがとうございます……クシュン!」
昨日遊び疲れて気温の急な変化に身体がびっくりしたのだろう。朝なかなか部屋から出てこなかった美穂を起こしに行くと熱を出して寝込んでいる彼女がそこにいた。食材は豊富なのに薬の類がなかったので、ショッピングモールのドラッグストアへの買い出し亜季たちに任せて俺は美穂のそばで看病していた。
「響子が作ったものに比べたら大したものじゃないかもしれないけど……」
「そんな、私のために作ってくれた気持ちがすごく嬉しいです」
「良いってことよ」
「プロデューサーさん、お父さんみたいです」
「お、お父さん? まだそんな歳じゃないんだけどな……」
「ふふっ」
慌てる俺を美穂は笑うけどその声に元気はない。
「ねえ、プロデューサーさん」
「ん?」
「私が眠るまで、手を繋いでいてくれませんか?」
俺は無言で彼女と手を繋ぐいだ。熱を出した時はどうしても心が弱気になってしまう。中には学校が休めるぜヒャッハー! って子もいるだろう(俺がそうだった)けど、アイドルのみんなにとっては喜んでいる場合ではない。レッスンを休む、ならトレーナーさんに怒られるくらいで済むけど、折角取ってきた仕事を熱を出して休んでしまえば他の誰かに取られてしまう。一人一人が代わりのないオンリーワンのアイドルだ、なんて聞き心地の良い事を言ってみても結局いなくなればいなくなったで代わりの人が出てくる。
もし今、俺たちがここにいる間他のアイドルが別の空間で活動を続けていたのなら。彼女たちの代わりも台頭してきて元に戻った時には手遅れになってやしないか。
「すぅ……すぅ……」
そんな俺の不安をよそにいつの間にやら美穂は安心しきった寝顔を見せている。
「大丈夫。俺は君を最後までプロデュースするよ」
「すぅ……」
無防備すぎて悪戯したくなるけど起こしてしまうと悪いよな。枕元のプロデューサーくんに俺との役目を代わってもらって部屋から出ることにした。
「なぁ、芳乃。君は一体何があったんだ」
帰ってきた亜季から薬をもらい美穂の部屋の中に入れておく。扉を開けることがしても彼女は気付かないくらいに深い眠りについていた。みんなは寮にいても退屈だという事で、加蓮の提案で遠くまで遊べそうなところを探しに行っているそうだ。つまりこの寮にいるのは俺とおやすみ中の美穂、そして石像となった芳乃だけ。窓のカーテンは閉まっていて暗くなった部屋の中、ポツンと立っている芳乃は寂しそうに見えた。
「肇も悠貴も心配してる。でもどうすりゃ良いんだ……?」
女子の部屋なので俺はあまり入ることがなかったけど、同じユニットで活動を共にする機会の多い肇と同時期に入所した悠貴は交代交代で芳乃の様子を見にきていたらしい。この異常な状況を楽しもうと思っても、やはり芳乃のことが気がかりなのか心から楽しんでるように見えないときもあった。特に肇はこの中に全ての元凶が混じり込んでいると考えてるから尚更だろう。
プロデューサーとしていろいろなトラブルに対処してきたし何度も頭を下げてきたけど、流石にアイドルが石になったのは初めての体験だし世界ひろしと雖も俺くらいだろう。魔法の杖とかあらゆる呪いを解く薬草がこの世界にあれば話は早いのだけど、当然そんなものを用意してくれているわけがない。俺がこの世界の創造者ならそうする。素人推理だけど、あえて芳乃を石にして俺たちを見守る以外の選択肢を奪ったことに意味があるように思えた。
逆に言えば、芳乃さえ戻ることができればこの異常状況から脱出できることが可能ではないだろうか。
「いや、待てよ」
芳乃は肇に何かが起きそうな事を話していた。予め何か知っていたのなら、俺たちに対してヒントを残してたりやしないだろうか。万が一自分の身に何かあったとしても、対処できるように。
「……すまん芳乃、ちょっと探させてもらうよ」
女子の部屋を探るのは気が乗らないし本当なら肇に頼むのがベターなんだろうがチャンスは今しかない。頭の中の芳乃が構わないのでしてー、と言ってくれたと信じて探索を開始する。
「ん……?」
これ見よがしに机に置かれた封筒が目についた。送り主は……芳乃のばばさま?
「ダメだ、中身が抜かれている」
探し回ったけども中身と思しき手紙はない。もしかしたら誰かが抜いたのだろうか。
「何やってんの? プロデューサーさん」
「えっ? 加蓮?」
探し物に夢中になっていて気が付かなかった。開いたままの扉の向こうでコート姿の加蓮が訝しげに見ていた。
「えーと、これはだな……芳乃の部屋を掃除していて」
「そうは見えなかったけど? ま、なんでも良いけど。あんまりそういうことすると嫌われるよ?」
「肝に命じておきます。というか加蓮、もう戻ってきたの?」
「本当はもう少し車走らせるつもりだったんだけど、急に車の調子が悪くなって。それで引き返してきたの」
「マジか」
窓を見ると車が戻ってきて亜季が頭を抱えている。あとで車の様子でも見ておいてやろう。
「美穂の様子は?」
「まだ寝てるかも。でも薬ももらったから明日には良くなってるかな」
「明日って言うには時間が飛びすぎてるけどね」
そう考えれば、少しの風邪や熱は文字通り寝たら治りそうだな。スキップした時間の中で苦しんでいるその子には悪いけど。
「っと私も部屋に戻ろっと。プロデューサーさんに荒らされてたら嫌だし」
「してないって」
ニヤニヤ笑いながら言ってるあたり本気ではないと思いたい、うん。
「昨日はすみません、熱出してみなさんに迷惑かけちゃって」
「気にしないで美穂ちゃん。私たちが体調悪くしたら、その時はお願いね」
「うん。卯月ちゃん、ありがとうね」
春夏冬のループがまた一段落付き春が訪れる。この世界では秋を抜いた三季と呼ぶべき状態なのだろう。春夏冬、秋ない、商い……?
「商売人かっての」
春夏冬二升五合なんて良い迷惑だ。とはいえ、この頃には俺たちみんな現状に慣れてしまい大きな発見もないため衣食住の完璧なサバイバルに適応し始めていた。
「今日の朝ごはんは洋食ですよ!」
朝起きてご飯をみんなで食べて各々時間を潰して。
「ワンツー! ワンツー! 藍子、ちょっと遅いよ! 悠貴はワンテンポ速い! 肇は視線をぶらさない!」
「「「はい!」」」
トレーナーさんの見様見真似でアイドルみんなのレッスンをしたり。やっぱり見てくれる人がいなくても身体は動かしておくほうが良いだろう。余計なこと考えずに済むからね。
「ではこれより射撃訓練を始めます、! ここでは私が教官であります! 話しかけられた時以外口を開くな! 分かりましたか!?」
「イエスマム!」
「……何やってんだ?」
レッスンで疲れてるだろうに、今度は暇を持て余した亜季がショッピングモールのミリタリーショップから調達してきた電動銃をみんなに配って軍隊ごっこをしている。
「麻美子と沙織を間違えた! はい!」
『麻美子と沙織を間違えたー!』
珍妙なミリタリーケイデンスを歌いながら訓練は行われる。アイドルは戦場に立つ存在じゃないのだけど、みんな思いの外楽しんでるのか大和亜季軍曹の元立派なアーミーとして成長しているようだ。……間違ってる気がするけど。
一晩あければ夏がやって来る。亜季は素潜りにすっかりハマったらしく朝起きて準備運動をするとすぐに夏の煌めく海の中に飛び込んでいった。元は都会だった海で何が取れるんだろうと思ったが、どうやら世界中の魚が集まっているらしい。亜季が言うには今のところサメのような危険な魚はいないそうだ。サメなんて現れたらサバイバルの難度がいきなり高くなるしな。いや、食材は勝手に来るから別に海に潜る必要もないのだけど。
「……これだと……」
「なるほど、了解であります。もう一度海に潜ってまいります!」
ただ、夏の日だけ肇と亜季は何やら話しているようだ。何か欲しい魚でもいるのだろうか。
「卯月ちゃん焼けたね」
「えへへ……日焼け止め塗ってもちょっと焼けやすいみたいです」
「ほら、美穂ちゃんも一緒に泳ぎましょう!」
「わわっ! 響子ちゃーん!」
美穂は相変わらず水着が恥ずかしいらしい。逆にここで恥ずかしくなくなるくらい夏を過ごしたのなら、リアルの撮影でも緊張しなくなるんじゃなかろうか。
「プロデューサーさん、面白いもの見つけたよ」
「面白いものって……ジェットスキー!?」
「さっきここに流れ着いてきてたみたい」
意外すぎる漂着物を加蓮は興味津々に見ている。
「鍵ささってるから動かせられるかも」
「待った待った! そいつ動かすには免許が……」
「この免許証が目に入らない? なんてね」
加蓮の手にはこれでもかと言わんばかりに水上バイクの免許証を見せつけて来る。バラエティならババン! とSEが入るくらいのドヤ顔だ。
「……なんで持ってんの?」
「番組の企画でとったんだ。まだ放送してなかったけどね」
そう言えば秘書検定受ける前に一つ合格してたみたいなこと言ってたけど、水上バイクの免許だったとは。16歳から取れるのかと感心したけど普通二輪免許も16から行けるし、水上がついただけくらいのハードルなのかもしれないな。
そして一晩あければ冬が来る。寝る前シャワーを浴びたらヒリヒリすると言っていた卯月もいつもの肌に戻っている。窓の外は大雪で一寸先すら見えない。とてもじゃないけど外で遊ぼうって気にはならなかった。
「それで芳乃の部屋から何か見つかった?」
各々時間を適当につぶして夜になる。俺と肇は寮の中にあった囲碁をパチパチと打ちながら芳乃の部屋の話をしていた。あの時加蓮が現れたから打ち切ったけど、芳乃の部屋の中にまだ何かあると俺は見ていた。そこで彼女と交友が深く。部屋に入ってもおかしくない肇に芳乃が残したメッセージを探してもらっていたのだ。しかしことはそう簡単にはいかない。相手は嫌味な性格をしてる割には用心深いらしく、現状を打破出来そうなものはほとんど持っていかれたそうだ。もしかしたら俺たちが強制的に眠ってしまう間に芳乃の部屋を漁ってたりするんじゃないか?
「でも、一つ気になるものがあったんです」
「気になるもの?」
「はい。見つけにくいところに隠してたんですが……これです」
そう言って肇は小さな鏡を俺に渡す。
「鏡か。やけに古そうだけど」
手鏡ほどのサイズではあるがかなり年季が入っていそうだ。同時にひとつ、この鏡の使用法が分かった気がした。
「肇は知らないかもしれないけど、昔俺がプレイしたゲームに真実の姿を表す鏡があったんだ」
「真実の姿、ですか?」
「言ってしまえばモンスターがいくら上手に化けてしまおうが、コイツが写せば立ち所に真実の姿を晒すってやつなんだけど」
周辺にいるアイドルたちをこっそりと鏡に映す。俺の方からは見えないが、肇にはどう映っているか見えるはずだ。
「どうかな」
「いえ、皆さん特に怪しい様子はなかったです」
「むぅ……違ったのかな?」
いい線行ってたと思うんだけどな。
「いえ、ゲームのことはわかりませんが、鏡については私も同じことを考えたんです。昔祖父から聞いたことがあるんです。浄玻璃鏡、って聞いたことがありますか?」
「じょーはりきょー?」
聞いたことのないワードなためかなりアホみたいな発音になってしまう。肇はそれに笑うことなく続けた。
「ざっくりと言ってしまえば、閻魔大王が持つその人の真の姿や罪を暴く鏡なんですよ」
「え、閻魔大王!?」
思いもよらぬ言葉が飛んできた為びっくりして声が大きくなってしまう。なんだなんだとみんなが俺の方を見る。
「う、現川焼!」
「ええ? き、キツツキ?」
「清水焼」
「なんだ、しりとりでありますか。いきなり閻魔大王と言い出すから何事かと」
「あはは……しりとりを肇としててね。肇ったらなんたら焼きで返してくるから手ごわくて手ごわくて……煩かったよね、声のトーン下げるよ」
肇のアドリブに助けられたけどやや強引な気もする。ただそれに納得したのかみんなそれぞれの関心ごとに移動したみたいだ。
「プロデューサーさん……」
「すまんすまん」
ぷくーと頬を膨らませて怒っている。かわいい。というか現川焼って咄嗟に出てくる言葉じゃないよね、さすが陶芸アイドル。
「幼い頃、祖父の大切な茶碗を割ってしまったことがあって……知らないふりをしていたんですけど、祖父は浄玻璃鏡の話をして、ウソをついていたら閻魔大王に地獄に送られるって驚かされて……。すみません、話がそれちゃいましたね。閻魔大王にも限らずですが古来より鏡には真実を暴く力があると信仰されていました。芳乃さんが簡単に見つからないように隠すくらいです、この鏡にはそれだけの力があると思うのですが……」
「力が足りてない、とか?」
「えっ?」
ふと頭に浮かんだ推測を言うべきか悩んだが、とりあえず前に進むためにも話した方が良さそうだ。
「いや、ほら。古い鏡ってことは長い年月の間に魔翌力やら妖力がなくなっちゃったってことでしょ? つまりなんらかの方法でその魔翌力を貯めなおせば……例えば」
「例えば?」
言っては見たけど思いつかない。考えろ、こういう時ゲームや漫画ならどうしている?
「あたっ!」
「プロデューサーさん!?」
考え事をしていると頭に何かが当たりコロコロと転がる音がした。
「野球のボール?」
「すみませんっ、プロデューサーさん!」
足元に落ちていたボールを拾うと悠貴と卯月が謝りながらやってきた。2人とも手にはグローブをはめてある。
「悠貴ちゃんとキャッチボールをしてたら暴投しちゃって」
「それで俺の頭に飛んできたのか。外が大雪だから仕方ないけど、屋内でやると危ないから気をつけろよ?」
ボールを投げるとふんわりと半月のような軌道を描いて卯月のグローブの中にストンと入った。
「うん……? 卯月?」
「はい? 呼びまし」
「そうだ! 月だ!」
いや、それだけだとまだ足りない!
「満月だ!!」
「! それ、正解かもしれません!」
2人で慌てて窓越しに夜空を仰ぐ。まだ雪は降り続けていて月なんて見えやしない。
「くそ、すぐに満月にはならないか」
「ですがひとつ、突破口ができたかもしれません」
「ああ。明日になってこの記憶がなくなってる、ってことがなければいいけど」
「あのー? プロデューサーさん? 肇ちゃん? 私、何かしたのかな……?」
困惑する卯月をよそに鏡は俺がこっそり預かることになった。出来る事は満月の夜まで隠し通しすこと。そして、犯人の目星をつける事だ。
それからどれほどの朝と夜がやってきただろうか。満月の夜はなかなか訪れず、その度に俺と肇はため息をつき眠りにつく。そして朝が来ては銃声と変な掛け声が飛び交う中夜を待ち、空を見上げて落胆する。枕につくときには明日こそ、と満月の夜が来ることを心から願うのだ。
「ふぅ……」
スイカ割りをしたり捉えたはずの真鯛が暴れたり夜はスイカの皮の胡麻和えが意外に美味しかったり。夏休みの1日もそれが3日に一度訪れるのなら秋は来ずとも飽きが来てしまう。子供の頃は永遠に夏休みがあれば良いなと思っていたし、大人になった今でもずっと休みたいと思っていた。だけど結局のところ、休みというのは勉学や労働という生活の基盤たる義務の上に成り立つものだ。今ある仕事の日を全部休みにしたって行き着くところはずっと仕事をしているのと同じこと。終わらない休日なんて、いずれ苦痛に変わってしまう。この世界を仕掛けた犯人はそれを理解していないのだろう。良かれと思っていたのかは分からないけど、迷惑な話……
「こら、プロデューサーさん!」
「あたっ!」
考え込んでいると響子にポカリと頭を叩かれる。
「今日はみんなでお掃除の日ですよ? ほら、プロデューサーさんも!」
「あ、ああ……悪い、考え事してました」
「最近考え事してること多いけど、何かあったんですか?」
「いや、ちょっとね」
響子からもらったハタキでその辺の埃をとる。食材とか電気代やら水道代は用意してくれる割には掃除はしてくれないらしい。だからこうやってたまに大掃除をすることになっていた。陣頭指揮をとっているのはもちろんと言うべきか響子だ。
「もう、プロデューサーさんがお掃除しないとみんなしませんよ?」
響子はプリプリと効果音がつきそうな怒り方をしている。
「アッハッハ、まるで休日のお父さんとお母さんでありますな!」
「亜季さん!? もうお父さんとお母さんだなんて……」
「おーい、響子ー? 響子さーん?」
「パパって呼んだほうが良いですか?」
「パパと呼ばないで!」
響子は悪ノリにノリノリだ。
「もう、響子ちゃんったら」
「むー……」
どこまで本気かわからないけど奥さんモードの響子を卯月はにこやかに見守っているが美穂は少し不満げな表情だ。
「あの、美穂? これは響子の悪ふざけというか」
「プロデューサーさんの馬鹿っ」
「うぐっ!?」
やや不機嫌そうに何処かにいく。あっ、こっち振り向いた。あっかんべーした。かわいい。
「あーあ、美穂怒っていっちゃったね」
加蓮は呆れたような顔をして掃除機を転がしている。ゴミを吸い取る音が必要以上に大きく聞こえたような気がした。
「ちょっと私も遊びすぎましたね」
響子も悪いことしたなって顔をしている。それが俺が聞いた彼女の最後の言葉だった。
五十嵐響子がどこにもいない。そのことに気付いたのは朝ごはんの時間になっても響子の姿が見えなかったから。あれだけご飯を作ることに楽しみの生きがいを感じていた彼女が何も残さずいなくなるなんておかしい。部屋の中にも入ったけど荒らされた形跡もなく、それどころか寝る前に飲んでいたのであろう少し残ったお茶のペットボトルがつい数時間前まで普通にいたことを示唆していた。
「響子ちゃん、どこに行ったんでしょう?」
「分からないけど……外、って事はないと思いたいな」
夏の次には冬が来る。寮の外に出してくれないみたいに吹雪がビュービューと吹いていてとてもじゃないけど外に行ったとは考えられなかった。防寒具を身に纏ったとしても、あの痛々しいほどの白い世界に飛び込むのは自殺行為だ。
「私が悪かったのかな……」
「美穂……」
「みんな、いなくなってしまうんでしょうか。卯月ちゃんも、プロデューサーさんも!」
そんな事ない! と口にする代わりに後ろから体を抱きしめる。
「何度でも言うよ。俺は最後まで君のプロデューサーだ」
だから絶対に、君の前からいなくなってならない。
「……」
「……」
「……ご、ごゆっくりー?」
「わわっ! 違うの藍子ちゃん! カメラ向けないでー!」
美穂は顔を真っ赤にして元気を取り戻して藍子とゆったりした追いかけっこをくり広げる。
「参りましたな、プロデューサー殿」
「ああ。他のみんなは?」
「響子殿がいなくなってショックを受けてますが……加蓮殿が何とか盛り上げようとしております。彼女たちのことは加蓮殿に任せておきましょう。後でフライドポテトでも揚げてあげましょうか」
亜季もいつものように気丈な態度をってわけにはいかないみたいでやや顔に疲れが見える。
「亜季も休んでおきな。響子の手がかりは俺で探してみるよ」
「すみません、お願い致します」
元気のない敬礼を残して亜季は自分の部屋に戻っていった。彼女のことだ、少し筋トレをすれば気分も晴れると思いたいが……。
「責任感じているのかな」
響子がいなくなった理由はひとつ検討はついていた。口には出さずとも、亜季も薄々と感じていたのかもしれない。一度振り返ってみればはっきりしていたことだ。この世界に囚われているメンバーは、大きめのユニット活動や仕事で美穂と一緒になったことがある子達だ。つまり言ってしまえば。それぞれ横のつながりは薄くとも美穂を中心とした輪の中に入っていた。
そしてそこから響子は弾き出された。いや、元の世界に強制送還されたと言うべきだろうか。
「肇、少し良いか?」
「プロデューサーさん。ちょうどよかった、私も話したいことがあったんです」
家事担当だった響子がいなくなったから必要なものを買い出しに行くと言う名目で俺と肇は車を走らせた。吹雪の中車を走らせるのは危険だったが、他のみんなに聞かれるわけにもいかないので致し方ない。肇にカイロを渡すと加蓮と同じようにシャカシャカ振り始めた。
「響子がいなくなったのは……美穂にとって都合が悪くなったからだと思ったんだ」
「! プロデューサーさん、それって」
「いや、美穂が犯人とは思えない。あの子はそんな卑劣なことをする性格じゃない」
美穂にとって相性の良いメンバーが集まっていることを考えれば、彼女が犯人である可能性は低いと考えられる。そして俺と夫婦ごっこをした響子がいなくなったこと。消去法で考えるなら、美穂以外の誰かになる。
「まるで厄介オタクだな」
美穂にとって都合の良い世界を作るため、その立場を脅かしかけた響子を排除する。随分と歪んだファンもいたもんだ。
「厄介……なんですか?」
「ごめん、なんでもない」
肇にはイマイチ分からない世界の話だったようだ。そのままの純粋な君でいて、うん。
「でも美穂さん以外って……結局何も分かっていないのと同じなんじゃ」
「……いや、1人目星はついているんだ」
「えっ?」
これまでを振り返ってみる。誰も彼も怪しく見えてきたけど、もしかしたらという子はいた。ただこれといった物的証拠はないし、何より満月はまだ訪れない。お前が黒幕だと言っても、はぐらかされるだけだろう。
「結局満月の夜を待つしかない、か」
恐らく向こうも俺の行動に気付きつつあるだろう。ならば騙し比べだ。満月の夜まで仲良しごっこを続けてやる。そしてその真実の姿を鏡に写してやるんだ。
待ち焦がれた満月の夜は案外早くやってきた。2日後の夏の夜、セミの鳴き声が響く中まん丸とした満月が空に浮かんでいた。
「悪いね、ちょっと話があったんだ――加蓮」
呼び出された加蓮はこれから寝るところだったのか寝巻き姿だ。夏の夜の暑さで少し汗をかいているみたいでまたシャワー浴びなきゃと言っている。
「こんな時間に呼び出すなんて。もしかして告白? 美穂が見たら傷つく」
「なあ……お前は誰だ?」
「は?」
【加蓮の姿をしたそれ】は困惑の表情を浮かべる。
「お前は誰だって……北条加蓮だケド……」
「なるほど、誤魔化すのか。悪いけどこっちには名推理をするほどの証拠もない、だから強行突破でやらせてもらうぞ! 肇!」
「はい!」
「そ、それは!?」
木の裏に隠れていた肇が満月の光を目一杯取り込んだ鏡で加蓮を映す。
「きゃあ!!」
加蓮の姿をした何かは苦しみだしその場で蹲る。
「みんな、出てきて良いよ」
「全員いたの……?」
隠れていたのは肇だけじゃなかった。寮にいたみんなが、加蓮の真実の姿を目撃している。もう言い逃れができない。
「な、なんで私が偽物だってわかったの……?」
「それは俺の灰色の脳が」
「プロデューサー殿、素直に総当たりで試して最後に残った加蓮殿が引っかかっただけと話したほうが」
「うぐっ! で、でも、一応加蓮が犯人じゃないかとは思ってたぞ! だってあの時、加蓮は自分の部屋に戻るよりも先に芳乃の部屋に来たはずだ」
「!」
そう、肇には1人目星がついていると答えたがあの段階では誰が犯人かはわかってなかった。ただ、加蓮のことが怪しいと思っていたのは事実だ。芳乃の部屋でヒントを探していた時、加蓮はすぐに芳乃の部屋に現れた。【わざわざ自分の部屋がある二階じゃなくて、その上にある芳乃の部屋に】だ。それにあの部屋はカーテンが閉まっていた。窓越しに怪しい影を見たなんて言い訳は通用しない。
「もしかしたらあの時車が不調になった、というのも俺が芳乃の部屋を漁ってると思って妖力か魔法を使ったんじゃないか?」
「そして何って言ったか憶えてるか? 荒らされてたら嫌だから自分の部屋に戻ろっと。そんな感じのことを言っていたよな」
「それって自分の部屋に戻らず、真っ先に三階の芳乃の部屋まで来たってことだよな? あの時は慌ててたから気にならなかったけど……よくよく考えればおかしなことだ」
それでも総当たりをしてまで加蓮を最後の容疑者にしたのは……悪友のような距離感にいた彼女のことを黒幕だと思いたくなかったからかもしれない。結局その期待は裏切られてしまったわけだが。
「なるほど……結構やるじゃん……」
「加蓮の姿を保ってられないみたいだな。声ががさがさだぞ? さあ正体をあらわせ!!」
「し、正体を知りたい? そんなに知りたいなら……見せてあげましょう」
「きゃあ!」
「肇!? 大丈夫か?」
バリン! と鏡が割れる音がすると同時に加蓮だったモノは立ち上がりその本性を見せ……。
「えっ……?」
「不思議な世界に招待する、ショータイムを始めましょう……ふふっ」
「か、楓さん……?」
誰もが目を疑った。そこにいたのは、事務所の誇る歌姫で駄洒落とお酒が好きなお姉さん――高垣楓だったからだ。
「あら? そんなに驚きませんでしまか? もっと大袈裟なリアクションを期待していたんですけどね。例えば……」
「アンビリィバボゥーー!! まさか加蓮さんが楓さんだったなんてショックだぜーー! ……みたいな? フヒッ」
「って正体は輝子さんだったんですね? って違いますよ! 黒幕はこの、カワイイボクですからね!」
「……違うよ? 本当は私だよ? あの子もそう言っているよ?」
わけがわからなかった。次から次へとアイドルの姿に変わって混乱する俺たちを嘲笑う。
「お、お前は何なんだ!?」
「お前にお前と呼ばれるとは心外ですね。まぁ、良いでしょう」
「#北条加蓮の真の正体に一同驚愕#涙が止まらない」
「生まれ落ちた時よりこれと言った呼び方は与えられませんでしたが……昔ある女に付けられた名前を名乗るとしましょう……」
「夢邪鬼、と――」
文香の姿をしたそれは夢邪鬼と名乗り持っていた本を見せる。
「! 加蓮ちゃん!」
そこには山ほどのポテトに囲まれて恍惚の表情をしている加蓮がGIF画像のように動いていた。
「いつから……加蓮ちゃんだったんですか」
藍子の口振りからは隠しきれない怒りを感じる。彼女がここまで怒るなんて、正直一種の感動すら覚えるくらいだ。
「最初から加蓮お姉さんの気持ちになっていたですよー」
「っ!」
無邪気にくるくる回る仁奈の姿をした夢邪鬼は残酷な表情で笑い、藍子は表情を歪ませる。同郷で同い年ということもあってキャラクターは真逆だけど2人の間には他のみんなとは違う友情があった。異常事態に陥ってひとり取り残された藍子が最初に頼ったのが加蓮だったという事実が物語っている。それをコイツは演じて弄んでいたんだ!
「加蓮ちゃんを! どうしたんですか!?」
「落ち着きたまえ、彼女は無事だよ。姿を借りるお礼として楽しい夢を見てもらってるだけさ……ってこれじゃあ君たちはともかくとして、見ている人には今誰になっているかわからないか」
あい「これでわかるかな?」
「? 何を言っているんだ?」
笑美「気にすることあらへんあらへん! そちらさんには関係あらへんことやし。それより、答え合わせ。したいんやろ?」
あずき「それじゃあみなさんお手を拝借! ネタバラシ大作戦!」
ゆかり「一つ目。なぜ皆さんがこの世界に飛ばされたのか」
飛鳥「実にシンプルさ。それは君たちが彼女と親しいからね。それ故にこのセカイに連れてきたのさ」
飛鳥の姿に化けた夢邪鬼は美穂を指差す。さっきまで探偵役はこっちだったのに、立場が逆転している。
「ど、どういうこと」
「それはこっちも予想してたよ」
「プロデューサーさん……?」
「ごめん、美穂が困惑すると思って言えなかった……」
ヒントにしては露骨すぎるほどだった。選ばれたからには意味がある。ランダムだとしても美穂と関係のあるアイドルばかり選ばれるのはおかしい。この世界の中心にいるのは美穂だと推測するのは容易いくらいだろう。
奏「こほん、続けて良いかしら?」
夢邪鬼は渾身のネタバレが既知の事実だったことにも気にせず続ける。
アナスタシア「本当は美嘉と李衣菜も連れてくる、予定でした。でもпомеха……邪魔されちゃいました」
七海「まさか依田の孫娘があれほど力をつけていたとは思わなかったれす~」
依田の孫娘――2人と一緒にロケに行っていた芳乃のことだろう。
「お前、芳乃のことを知っていたのか」
拓海「けっ! 忘れたくても忘れられるかよ! あの巫女め……隔世遺伝で全く同じ顔をしやがって! ほんと忌々しい血だぜ」
どうやら夢邪鬼と芳乃のばばさまの間には浅からぬ因縁があるようにも見えた。
「なるほどな、お前昔ばばさまにやられたんだな」
麗奈「や、やられたんじゃないわよ! 戦略的撤退! あの時巫女だけだったらこの夢邪鬼様がフルボッコにしてたわ! それをあの芸術家かぶれが邪魔したのよ! こっちは娘の夢を叶えようって思ってただけだってのに!」
杏「えーと……名前は……なんだっけ。あれも歴史ある名字だったと思うけど、思い出すのも面倒だしいっか」
雪美「話戻すね……2人を夢に取り込もうとしたら……ぶおおおお….うるさかった……」
きらり「こっちが知らないうちに鍛えていたのかぁ、すーっごく、苦戦しちゃったにぃ!」
比奈「いやー、あの時は本当に祓われると思っちゃったっス。孫にもやられるなんて夢邪鬼一生の不覚っス。でも」
肇「この姿になれば動き止まったんです。ふふ、結局人は顔なんでしょうね。その隙をついて依田の孫娘を石にしてこの世界に閉じ込めたんです」
「そんな……芳乃さん」
「っ!」
「もうやめろ!」
「! プロデューサー殿!」
全く同じ顔、声をした夢邪鬼の言葉に肇は涙を流し悠貴は苦々しく夢邪鬼を睨む。傷つくアイドルを小馬鹿にしたように鼻で笑う夢邪鬼に殴りかかる。
有香「押忍!」
「がはっ!」
だけどそれは軽やかに交わされて正拳突きを喰らわされる。鳩尾を確実に狙った一撃は重く立ち上がれないほどの苦しみが襲い掛かった。
麗奈「や、やられたんじゃないわよ! 戦略的撤退! あの時巫女だけだったらこの夢邪鬼様がフルボッコにしてたわ! それをあの芸術家かぶれが邪魔したのよ! こっちは娘の夢を叶えようって思ってただけだってのに!」
杏「えーと……名前は……なんだっけ。あれも歴史ある名字だったと思うけど、思い出すのも面倒だしいっか」
雪美「話戻すね……2人を夢に取り込もうとしたら……ぶおおおお….うるさかった……」
きらり「こっちが知らないうちに鍛えていたのかぁ、すーっごく、苦戦しちゃったにぃ!」
比奈「いやー、あの時は本当に祓われると思っちゃったっス。孫にもやられるなんて夢邪鬼一生の不覚っス。でも」
肇「この姿になれば動き止まったんです。ふふ、結局人は顔なんでしょうね。その隙をついて依田の孫娘を石にしてこの世界に閉じ込めたんです」
「そんな……芳乃さん」
「っ!」
「もうやめろ!」
「! プロデューサー殿!」
全く同じ顔、声をした夢邪鬼の言葉に肇は涙を流し悠貴は苦々しく夢邪鬼を睨む。傷つくアイドルを小馬鹿にしたように鼻で笑う夢邪鬼に殴りかかる。
有香「押忍!」
「がはっ!」
だけどそれは軽やかに交わされて正拳突きを喰らわされる。鳩尾を確実に狙った一撃は重く立ち上がれないほどの苦しみが襲い掛かった。
「! プロデューサーさん!」
「大丈夫だよ、美穂……」
早苗「今のは正当防衛だから無罪よ? 話は最後まで聞くこと、さもなきゃもっとシメるわよ?」
マキノ「どこまで話したかしら? 依田芳乃を封印したところまでだったわね」
乃々「でもこちらもダメージを受けて……本当はもう少し人を連れてくるつもりだったんですけど……美嘉さんと李衣菜さんを諦めてこの世界を作ったんです……言うなれば世界の創造主、かみくぼです」
時子「これで理解できたかしら? 二度説明しろってグズの言葉は聞かないわよ」
「……なんで」
時子「アァン?」
「なんで、私なんですか……!」
「美穂ちゃん……」
美穂を中心とした人間関係を閉じ込めたこの世界には、美穂自身の意思はなかった。美穂だって巻き込まれた被害者だ。
みく「あんまり急かしちゃダメにゃ。そのネタバラシは今からするんだから」
都「そもそも、この世界を本当に願ったのは誰か? 真実は一つです。そうですよね、美穂さん! ババン! 決まった!」
「私は! こんなこと願ってません!」
茄子「それは今の美穂さんが、過去の美穂さんだからですよ?」
「過去の……私?」
奈緒「まだ分からないのかー? この世界を作り上げたのは……」
美穂「私、なんだよ?」
夢邪鬼が語る衝撃の事実。美穂がこの世界を願った? 作った? コイツは何を言って……。
美穂「プロデューサーさんは気付かないんですか? 私と【私】の違いに」
「気付かない……?」
夢邪鬼が化けた美穂はガッカリしたようにため息をつく。本物の美穂と偽物の美穂。2人を交互に見比べてあることに気付いた。
「未来の美穂……なのか?」
美穂「正解です、プロデューサーさん」
僅かな違いであるが、偽物の美穂の方が大人な化粧をしている。背も髪も少し伸びて、さっきの瓜二つだった肇と比べると違いはハッキリしていた。
美穂「私が望んだから……この世界は作られたんです」
春菜「これは実際に見てもらった方が早いですね。あ、3D映像用のメガネありますけど使いますか?」
パチンと指を鳴らすとどこからともなくカラカラと映写機を鳴らす音が聞こえて寮の壁がスクリーンとなりカウントダウンが始まる。そして俺は思い出したんだ――。
続きはちょびちょびやってきます。今日中に完結させたい……
面白いよ 頑張って
「ん? 卯月からメール?」
12月16日になってすぐ、卯月から画像付きのメールが届く。ピンクチェックスクールの3人が写っていて、真ん中に座る美穂は「本日の主役」と書かれたタスキをつけている。
「仲良いなぁ」
微笑ましい光景にさっきまでの悩みも忘れてふふっと笑う。俺も美穂におめでとうと送ろうとするが、今あちこちから来ててパンクするかもと思うと手が止まる。
「気晴らしにテレビでも見るか」
なんとなくテレビをつけるとちょうどのタイミングで映画が始まる。筋肉モリモリマッチョマンの変態がテレビの中を画面狭しと大暴れするあの映画だ。伏線なんて難しいものはなくひたすらアクションと爆破に振り切ったエンターテインメントだけど、俺はこういう映画が好きだった。結局最後まで見てしまい、美穂にメールを送ろうとしてももう寝ているかもしれない。どちらにせよ明日直接言ってあげた方が喜ぶかな。それに、プレゼントも渡さなくちゃいけないしな。
「おはようございますっ!」
「おはよう美穂」
「ふふっ、良い天気ですね!」
誕生日を迎えたからか卯月と響子と楽しい時間を過ごしたからか朝から美穂はテンションが高い。
「本当は昨日すぐに言いたかったけど……美穂、誕生日おめでとう」
「えへへ、ありがとうございますっ。私も18歳になりました」
昨日は18歳になることに不安を抱いているようだったけど、いざ迎えてみると不安よりも嬉しさや未来への期待が勝っているみたいだ。
「昨日からみんなからおめでとうって言われて、今日だけは私が主役でも良いですよね?」
「ああ、思う存分主役になっておいで」
「はいっ!」
この調子だと今日のライブも良いテンションで乗り切れそうだな。
「ああ、そうだ。美穂、俺か」
「プロデューサーさーん! ちょっと良いですかっ?」
プレゼントを渡そうとするとちひろさんに呼び止められる。
「呼ばれてますよ?」
「っと、行かなきゃ。悪い美穂、また後で」
美穂も他のアイドルに呼ばれて誕生日を祝ってもらっているようだ。既に両手に持ち切れないほどのプレゼントをもらってあわあわとしている。かわいいな。
「すみませんね、美穂ちゃんと仲良くしてたところ邪魔しちゃって。今度の新年ライブの資料を確認しておいて欲しくて」
ライブの当日だというのに先のライブの資料にも目を通さなくちゃいけないとはな。
「あの、それと……風の噂で聞いたんですけど」
「……ハリウッドのことですか?」
ちひろさんはあははと笑って肯定する。俺は話した覚えないのだけど情報が早いな。
「アイドルのみんなは」
「美穂ちゃんたちは何も知らないと思います」
多分ですけど、と付け加える。まぁあの子の場合知ってしまえば顔に出ちゃうもんな。
「プロデューサーさんは受けるおつもりなんですか?」
「まだ答えは出せそうにないですよ」
なんせ急な話だ。部長もそこまで急いでいるようには見えなかったが早く答えを出さなくてはいけない。それはつまり、美穂にも早く話す必要があることを意味していた。
「ハリウッド研修、他のプロデューサーさんも行きたがってますからね。プロデューサーさんが断れば他の人に話が行くだけですけど」
「こんな機会、滅多にありませんからね」
アメリカで一年過ごす。どれだけお金がかかるかは分からないが東京で生活するのとは訳が違う。負担となる諸々の費用は事務所が出してくれる、というのも魅力的だった。誰だって他人のお金で食べるご飯が美味しい。衣はともかくとして住に関わるお金も殆ど払ってくれるのなら、断る理由なんてどこにあろうか。
「プロデューサーさんは正しい選択をしてくれると信じていますよ」
「それは……ハードル上がりますね」
ちひろさんの言葉は言外に間違えるな、と言っているようにも聞こえた。
undefined
「ハッピーバースデー! 美穂ちゃん!」
「わわっ! ケーキ!?」
本番のステージは冬の寒さに負けないくらいの熱気に包まれていた。アイドル、ファン、スタッフ。ここにいる誰もが美穂の誕生日を心から祝ってくれていた。美穂もそれを感じてくれていたはずだ。そんな中でステージの上にやってきたクマの顔を象ったケーキには驚きも一塩だろう。こっそり用意してくれた3人も満足げだ。
「みなさんにいつもプレゼントもらってばっかりで……まだ、私からプレゼントできてませんけど……絶対にお返ししますから! 待っていてくださいね!」
大丈夫だよ美穂。俺たちもみんな、君からたくさんの物をもらっている。
「今日のライブすごく楽しかったです……! みんなにお祝いしてもらって……幸せです!」
ライブが終わり宴もたけなわ。気を遣ってくれた藍子達はタクシーで帰宅し、車の中には俺と美穂だけ。何の気なしにつけたカーラジオからはしっとりとしたクラシック音楽が流れている。
「あの、プロデューサーさん」
「もし良ければ、もう少し私のわがまま聞いてくれませんか?」
「あんまり遅くならなければね」
良い子はもう寝る時間だ。だけど今日くらいは少しらい夜更かししたって怒られないだろう。
「美嘉ちゃんが読んでた本に載ってたんです。冬の夜景が綺麗な場所だ、って」
それはいわゆるデートスポットの一つだ。カリスマギャルが買うような雑誌に載ってしまった時点で穴場という言葉は消えてしまう。俺たちの他にも何組かカップルがいたけどみんな星空と隣の恋人に夢中なようでこちらに一切の興味を向けやしない。アイドルの小日向美穂がいるぞ! と叫んでも然程気にはならないだろう。
「えっとあの星がベテルギウスだから……プロデューサーさん、冬の大三角形ですっ!」
「へぇ……」
夏や冬の大三角形は小学校で学んだ記憶があるけどはっきりと見たのはこれが初めてかもしれない。あまり理科の授業が得意じゃなかったのもあるけど、星にそこまでのロマンを感じなかったのもある。一方隣に座る美穂は意外にも星と星が紡ぐ物語に興味があるようで、あれはこの星、それはあの星と饒舌だ。
「美穂は星が好きなんだ」
「意外ってよく言われるんですけどね。私、お日様だけじゃなくて星空も好きなんですよ? 地元のですけど、プラネタリウムのスタンプカードももってたり。えへへ」
正直この夜になるまで俺も知らなかった新事実だ。名前の通りの日向ものだと思っていたけど夜空に憂いの表情を見せる一面もあるなんて。
「東京でもこんなに綺麗に星が見えるんですね。熊本の星空が恋しくなっちゃうな」
「仕事がひと段落したら、一度地元に戻ろうか。親御さん達も美穂の話聞きたいだろうし」
年末年始は仕事が詰まって忙しいけど、それが終われば少しは時間が出来るはずだ。僅かな間でも地元の友達やご家族と過ごす時間を作ってあげないと。
「その時は」
「ん?」
「プロデューサーさんも一緒にいてくれると、嬉しいです。私が育った街とか、綺麗な星空とか。もっともっと、私のこと知って欲しいんです」
周りの恋人達の真似をするように美穂は俺の身体に肩を寄せる。
「暖かい……。こうやっていたら、私たちも見えるんでしょうか? その、こ、恋人なんかに」
「見えるかも、ね」
「うぅ……恥ずかしいです……」
「ははは……」
最初にしてきたのそっちやーん、と心の中でツッコミを入れてやる。
「じゃあ俺から、恥ずかしがり屋の恋人にプレゼントを……開けてご覧」
「は、はいっ」
リボンをほどき箱を開けると中から2匹のクマさんが現れた。
「わぁ……! これ、かわいいです」
「加蓮にも手伝ってもらって選んだんだ。俺にしてはいいチョイスかなーって思うけど」
「最後にこんな素敵なプレゼントがもらえるなんて……今日は最高の日です!」
そんなに喜んでもらえるなんて。くすぐったいけど嬉しいな。
「この子たちって恋人同士、なんでしょうか?」
「そうかもね」
親子かもしれないし兄妹かもしれないしその逆かもしれない。だけど美穂はこの2匹の関係性にロマンティックを求めていた。それはきっと、この満天の星空がくれたムードのおかげなんだろうな。
「わっ」
「えへへ、恥ずかしいけど……ずっとこうしていたかったの」
「美穂……」
俺の体に抱きつき甘える美穂を振り解くことが出来なかった。かわいくてずっと一緒にいた女の子に好意を抱かれているという事実は頭がクラクラするほど甘美で、同時に俺はこの子から離れられないと感じてしまった。
「そっか、お前アメリカに行くの断ったんだな」
数日後、俺は部長にアメリカ研修の件を丁重に断った。部長はそうか、と一言残してそのあとすぐインフルエンザから復帰したばかりの先輩に話を持ちかけたそうだ。
「俺もアメリカには行きたかったからな」
「加蓮も本場のポテト食べてみたいって言うかもですよ」
「ははは、違いない……なあ」
「はい?」
「これか?」
「ぶっ!!」
先輩は小指を立てる。そしてそこから伸びる赤い線は俺の心臓に使っていた。
「分かりやすいな、お前」
「いきなりそんなこと言うからですよ」
「まぁ、おたくらでちゃんと向き合って決めたことならなんも言わないけどよ……あんまり酔いすぎるなよ」
「……肝に銘じておきます」
この時、俺は先輩の話をきちん受け止めておくべきだったんだ。
「プロデューサーさん、お疲れ様です」
「お疲れ美穂。良い演技だったよ、監督も褒めていた」
「えへへ、練習した甲斐がありましたね」
ふにゃりとはにかむと美穂は少し背伸びをしてアピールをする。褒めて欲しい時の合図だ。俺は彼女の今に手をやり子供を褒めるみたいに撫でてやる。アイドルとプロデューサーの関係に一つ新たな関係が追加されてから美穂は俺に甘えることが増えた。身体をひっつけたり、ご飯を食べている時は餌を待つ雛鳥みたいになってみたり……彼女なりに世間一般を理解しようとした結果なのだろうけど、なんだか子どもっぽくて不思議とほっとしていた。
何より俺に褒められたいという欲求がモチベーションになってか、18歳になってからの美穂は目覚ましい。オーディションに出れば役を勝ち取りステージの上では緊張していたあの頃の姿はどこへやら、ハキハキとしたMCをやりとげる。まあ、人間だから失敗することもあるけどそれすらもアドリブに組み込んであっという間に立ち直す。今まで眠っていたポテンシャルが途端に解放されて押しも押されもせぬトップアイドルへの道のりを歩んでいた。シンデレラの靴を履く日も近い、そう思っていたのにーー。
「……さて、申し開きは?」
「週刊誌の記事の、通りです」
明確なようで曖昧な関係に甘え続けた俺たちを待っていたのは一寸先の闇だった。大きなライブが終わったあと、俺の部屋に行きたいと言った彼女を招き入れる瞬間をパパラッチれていたんだ。うんたら砲だなんて頭の悪い言葉は面白おかしく拡散されて、願わない形で美穂はトレンドになってしまった。
「やってくれたね」
「申し訳ありません」
頭を下げる俺を部長は忌々しげに見ている。いつかの日、謝らなくていいのに謝った俺を彼は呆れながら笑っていたけど、俺の謝罪なんか一文の価値もないと言いたげに冷たい瞳だ。
「君が彼女を大切にしていたことは知っているし、君も彼女は理想的なアイドルとプロデューサーだった。だからこそ残念だ、アイドル小日向美穂の価値を、君が地に落としたのだよ」
それからのことはあっという間だった。プロデューサーとしての大罪を犯した俺は左遷を命じられ、アイドルとしての信頼を裏切った美穂は女優としての道を歩むことになった。美穂にとって演じる仕事は一つの夢であった。だけどアイドルとして中途半端に終わってしまった彼女は、女優としてなかなか芽が出なかった。結局は心地良い関係に甘えた結果、俺たちは失敗してしまったのだ。テレビで見る助演女優の表情は憂いを帯びている。消せもしない後悔を抱いた、女の顔だった――。
未央「みほちーとプロデューサー、2人の甘い恋が生んでしまった悲劇……っ! それが現実だったの」
愛梨「18歳になった美穂ちゃんは大人になれたと思ったんです。そしてそれを、大人であるプロデューサーさんは否定せず曖昧なままにしちゃいました」
蘭子「ゆえにこの永遠の楽園(ネヴァーランド)が生まれたのだっ!」
楓「こんな運命が来るくらいなら、子供のままでいた方がよかった」
凛「美穂がそう望んだから、永遠に18歳にならない世界が作られたんだ」
周子「ま、アタシがこの子を選んだのには別の理由があったんだけど……強い後悔は興味深い世界を生んでくれると思ったんだよね」
周子の姿をした夢邪鬼は昔を懐かしむように遠くを見る。満月に照らされ一番星をつかむように手を伸ばすその姿は、偽りなく塩見周子そのものだった。
菜々「おかげで私も永遠の17歳のままですけどね! キャハ!」
「私……とんでもないこと……」
真相を明かされて俺たちは言葉を紡げなかった。一番ショックなのは美穂だろう。自分の、いや自分たちの甘さが悪い未来を生んでしまい……目をそらして幸せなまま過ごすことを選び、彼女にとって大人への一歩への象徴であった18歳になることを切り捨てた。きっと未来の彼女だってそんなつもりはなかっただろう。ありえもしないifを少しだけ、望んでしまっただけ。そしてそれを夢邪鬼によって歪んだ形で再現されてしまった。ネヴァーランドだなんて聞こえはいいけど、ここは後悔に囚われた美穂を閉じ込めた牢獄だった。
「少し待つであります」
「亜季?」
エアガンを装備した亜季が徐に前に出る。銃口は菜々さんの姿をした夢邪鬼の額に向けられていて、いつでも発砲できる状態だった。
「ここにいるアイドルは……入所時期もバラバラであります。悠貴殿や芳乃殿は比較的新しく入った子でありますし、私も入所したのは二人より少し前です」
夢邪鬼が化けた千夜とあきらも、今年になって入ったばかりの子だ。……今年になって?
「にもかかわらず……さっきの映像では美穂殿と悠貴殿が最初から一緒に活動していたではありませんか」
「あっ! 本当ですっ! 私と芳乃さんが入所したのって……あれ?」
そうだ。悠貴と芳乃が入所したのは……。
「5年前だ……」
だとすればおかしい! 17歳の美穂と共演しているなんて! なんで、今まで気付かなかった? まさか、そんな。
「はい。そして私がアイドルになったのは、その1年前であります。だけど不思議なことに、今の今……美穂殿が作った世界の真実が明かされるまで疑問に思っていませんでした。誕生日を迎えても歳をとっていないのは……私たち全員であります!」
亜季の推理に全員がハッとする。そうだ、おかしいんだ。初期から事務所にいた美穂、卯月、藍子、加蓮。その半年後くらいに入ってきた肇。それから亜季、悠貴と芳乃。時系列でまとめるならば……第一回総選挙に参加していた5人と、それ以降に入った3人。総選挙は今年で8回やっている。にも関わらず……俺たちは歳をとっていない。みんな、プロフィールに書かれた年齢のままなんだ。
「えっと? こんがらってきました」
「ものすごくざっくりと言うと! 俺たちは何年経っても歳をとっていない! そのくせ総選挙やアニバーサリーライブの数字は増えていっている! 要は……サ◯エさん時空だ!」
「サ、サザ◯さん!?」
卯月は情報量の多さに混乱しているようだ。無理もない、だってこれまで当たり前のように思っていたことがおかしいと認識した時、自分がいた世界が揺るいでしまうのだから。
「これも説明してもらうでありますよ! 夢邪鬼!」
りあむ「分かったから分かったから! その銃口おろしてくれよぉ……」
夏樹「さっきは自分たちの選択に後悔した美穂が作り上げた夢の世界って言ったけど、あれには合間があるんだ」
「つまり現実とこの世界の間に、何かがあると言いたいんだな」
茜「正解です!!! 美穂さんの願いを聞き入れた私は事務所の人間全員を夢の世界に取り込んだんですよ!!」
「……は?」
事務所の人間、全員を……? コイツは何を言って。
志希「アイドル、事務員、プロデューサー達。全員夢の世界に案内して箱庭を作り上げたってわけなのだー」
ありす「美穂さんは18歳になって大人になることを後悔していました。だから誰ひとり歳を取らないことに違和感を持たない、永遠のアイドルの世界をプロデュースしたんです……そうですね。名前をつけるとしたらこうでしょうか?」
アイドルマスター、シンデレラガールズ――。
「なんだよ、それ」
夢邪鬼はまるで俺たちを登場人物にしたゲームを作り上げたかのように話す。
莉嘉「美穂ちゃんが望んだ世界は美穂ちゃんだけ引き入れても仕方なかったんだ☆だってアイドルってみんながいてこそでしょ?」
みりあ「事務所ごと夢の世界に送ってそこで新しいアイドルとしての一歩を踏み出してもらったんだよ!」
千枝「でも一気にみんな連れて行くと怪しまれると思ったから……何回かに分けてアイドルを登場させたんです」
桃華「あるアイドルはクリスマスに」
瞳子「あるアイドルはお正月に」
ちとせ「あるアイドルは大々的に宣伝されて☆」
みちる「フゴフゴフゴ! んがぐぐっ! けほっ! 世界がループしていることに気付かせないようにしたんです!」
雫「でも総選挙とアニバーサリーライブまでは誤魔化せないので、世界をループさせながらも数をこなしていったんですよー」
紗枝「全ては、美穂はんを夢から醒めなさせないため、どすえ」
荒唐無稽だが信じるほかなかった。俺たちは総選挙もライブも全ては応援してくれているファンのみんなのためにやっていると思っていた。だけど真実は違った。ただ1人、美穂を夢の世界に繋ぎ止めるためだけに全てが動いていたのだ。
「じゃあ何故その世界を破壊して私たちだけを送り込んだのでありますか!?」
P「はぁ、これはアイドルの姿になっていうわけにはいかないよな」
ため息をついて夢邪鬼は俺の姿に化ける。
P「8年分さ、世界をループしてきたわけだけど……正直俺の方が限界きたんだよね」
「限界だと?」
P「飽きちゃったってこと。ロイヤルランブルみたいに小出しにアイドル出したり、色々世界に介入して来たけど……やっぱり何にも事件が起きないと退屈しちゃうわけよ」
「なんだよ……それ……」
美穂を誑かしておいて、なんで言い草をするんだこいつは。同じ顔で言われるだけに余計怒りが湧く。
P「色々考えたんだよ? 例えばコラボって名目で他の夢から人連れてきたり」
仮面の男「例えば私や」
熱血教師「例えば俺!」
音痴なアイドル「例えば俺とか」
次から次へと見覚えのない人物に化ける。
P「でもまぁ、結局のところマンネリを脱却するには足りなくてね。そこでテコ入れを考えたのさ。それがサバイバル編。彼女とその周りの人間を集めて衣食住が揃ったゆるーいサバイバルをしてもらおうと思ったの。そうすれば彼女の本当の……っと、今は関係ないか」
P「そして彼女と特に親しいアイドルを選んで新しい夢の中に引き入れたってわけ。だからみんなは夢の中でさらに夢を見ているってこと、ややこしいか?」
「明晰夢、ってやつでありますな」
P「まあ、そんなところだな。ちなみに秋が来ないのは今度は飽きないようにって意味を込めたダブルミーニングだったけど気付いてた?」
つまらない冗談に笑う余裕すら俺たちにはなかった。
P「ただ俺も誤算があった。遠方ロケに行っていた美嘉と李衣菜を引き入れようとした時、依田の孫娘の強襲を食らってしまった。驚いたことにあの娘はループする世界の中、違和感に気付いて力を貯めていたそうだ。俺も痛手を負って、やっとのことで石像にしてやったけどこれ以上引き入れるのはキツいと判断したのさ」
夢邪鬼は法螺貝をクルクル回しながら話す。俺たちが何にも気付かず夢の世界でループしている中でも、芳乃はただ一人反撃の時が来るのを待っていた。誰にも話せず、孤独な戦いだったのだろう。そんな中、肇と悠貴と交流を深めた。同じユニット、同期として慕ってくれる2人の存在は大きかったはずだ。そして同時に、この繰り返す世界を元に戻すための理由となっていたはずなのに。
肇「8年間。何にも触れずこの瞬間を待てば良かったのに」
悠貴「情が生まれちゃったんですねっ。だから」
芳乃「封印されたのでしてー」
「もう十分であります! これ以上わけのわからない夢惑いごと聞かされたら混乱するだけ! よく聞くであります! 夢はいつか醒めるからこそ尊いもの! それがわからないウジ虫はここで」
パンッ! とエアガンの発砲音が響く。それと同時に、亜季の身体が光に包まれて消えてゆく。
「あ、あれ? 私、消えちゃうでありますか?」
「亜季さん!」
P「エアガンなんかで倒されるほど弱くはないんだけどさ、俺に反抗したペナルティだ。夢の世界から消えてもらうよ。ま、ネヴァーランドに大人は不要だしね」
自分と同じ声をしているとは思えないほど冷酷で狂気のこもった声。身体が薄くなる亜季を捕まえようとするも擦り抜けてしまう。
「亜季っ!」
「いやー、すみません皆さん。功を焦ってしまいましたな。どうやら私はここまでのようであります……! ですがみなさんならきっと……悪い夢から醒めることが出来るはず……! 美穂殿! 一足先に現実に帰ります! だからその時は……」
一緒に誕生日を祝いましょう――。彼女は最後にそう残して消えていった。エアガンだけを残して。
「てめぇ!!」
P「おっと!」
「きゃあ!」
我慢の限界だった。自分が消えてしまうこともお構いなしに俺は忌々しく笑うもう一人の俺に殴りかかる。だけどそれもかわされて、俺と立ち位置が変わり美穂を捕まえる。
「美穂ちゃん!」
「ダメです卯月ちゃん!」
夢邪鬼に飛びかかろうとした卯月を藍子が静止する。
「離してください!」
P「大人にならないネヴァーランドを望んだのは君だ。俺は君の本心に従ったまでなんだけどなぁ……まぁいいや。もうこうなったら新しい夢を作るしかないな……というわけで、せっかく生き残ったみんなは引き続き新しい夢に招待するから大人しく待ってる事だよ」
「美穂ぉー!!」
美穂を抱えた夢邪鬼は当たり前のように空を駆け上り見えなくなってしまう。取り残された俺たち5人はただただ目の前で繰り広げられたタチの悪いイリュージョンに呆然とするしかなかった
「……えぐっ、美穂ちゃん」
「卯月……」
当たり前だと思っていた日常すら夢だと明かされたことよりも、目の前で美穂がさらわれたことの方がショックだったようだ。卯月の顔からは笑顔が失われ、親友の名前を呼ぶことしかできなかった。
「こんな時、響子ちゃんがいてくれたら……2人で悲しみを分け合えたんでしょうか」
ずっと一緒にいると信じていたピンクチェックスクール。そりゃあいつかの未来それぞれの道を歩む日が来たかもしれないけど……歪んだ夢の案内人によって2人がいなくなってしまった今、卯月を励ます言葉は思い浮かばなかった。
「みんなも、辛いよな」
残された他のみんなも同じだろう。気のおけない正反対の友達であった加蓮が偽物だった藍子、自分たちの存在が芳乃の動きを止めてしまい取り返しのつかないことになってしまった肇、悠貴。そして俺も、目の前で亜季が消されてしまったことにやり場のない怒りを感じていた。
『みなさんならきっと……悪い夢から醒めることが出来るはず……!』
亜季が最期に残した言葉が重くのしかかる。俺たちに本当にできるのだろうか。相手は夢の世界を自在に操れるプロデューサーときた。対して俺たちはアイドルとプロデューサーという肩書が役に立たない一般人ときた。このまま夢邪鬼が作る曲解された幸せな夢に溺れるしか選択肢はないのか……?
「……いや、そんなこと認めない」
何後ろ向きになっているんだ、俺。約束したじゃないか。最後まで美穂をプロデュースするって。大きく息を吐いて覚悟を決めた俺はスーツを整えてからて立ち上がる。
「プロデューサーさん……どこに行くんですか……?」
「美穂を助けに行く」
「無茶ですよ! そんなことをしたらプロデューサーさんだって……私たちの前からいなくなってしまいます」
卯月の声は必死だった。もう誰もいなくなって欲しくない、と言外に言っているようで。それは俺も同じなんだろう。
「美穂との約束なんだ。あんなやつに美穂の夢はプロデュースさせてやらない。なに、大丈夫だよ。俺は死なないさ」
「どうしてそう言えるんですか?」
「……多分、美穂がそう望んでくれるから、かな?」
夢邪鬼によってプロデュースされた夢と言っても、本来の持ち主は他ならぬ美穂だ。だから美穂が心からこの世界を否定するのなら……全てが終わるはずだ。
「なに、もしダメでも……君たちだけでも返すようにするよ。土下座だってなんだってしてやる」
4人の静止する声を聞かず、俺は車を走らせた。満月の夜、おそらくもう日付は変わっているだろう。だけど俺は眠くなんかない。夢邪鬼からすれば最後の夜を楽しめって言いたいのだろうか。
「ハッピーバースデー」
ここにいない2人の主役にメッセージを送り夢邪鬼のもとに向かう。今までなかった遠くに見える城ーー。そこに2人がいる、そんな気がしていた。
「夢邪鬼! 美穂を返してもらいに来たぞ!」
誰もいない夜の城はファンタジーさも薄れて却って不気味だ。こつ、こつと俺の足音が響く中、突然周りのライトが点灯した。
「ホントしつこいね、あんた」
「ははっ。自分でも分かってるだろ? 俺に化けているんだから」
「ははっ、違いない」
プロデュースの心得その1。心からシンデレラにしたいと思える女の子が現れたら何度でも何度でもアタックすること。しつこい? 通報された? それがあって初めて一人前だ!
「美穂は無事なんだろうな」
俺の質問に夢邪鬼はやれやれとわざとらしくため息をつく。
「あのね、俺が彼女を傷付けるような真似をするとお思い? 丁重に取り扱って今は眠ってもらってるよ」
夢邪鬼の視線の先は城の頂上だ。その中で大きなベッドの中で眠る美穂を見つけた。
「朝起きれば、世界は変わっている。それまでの辛抱さ。そうさね……次のプロデュースは学園ものでもする? ラブコメもいいし、バトルロワイヤルも悪くない。いや、実はアイドルが化け狸や化け狐でしたってのも面白いな。いっそのこと、最初からアイドルをやり直して人生を描く? それとも、スーパーロボットに乗る? RPGの世界に行く? お空に飛ばす? プロデューサーさんはなにがお好み?」
「お前をぶっ飛ばす!」
「うおっと! 手が早いなあ……学習しようぜ」
勢いよく飛びかかるが馬跳びの要領でかわされてすっ転んでしまう。
「だーかーら、一般男性如きに俺は止められないっての。自分の立場わかるよう努力しようよ……ねぇ!」
「ぐっ!」
倒れ込んだ俺の顔を足で踏みつける。虫を踏み潰したかのように興味なさげに俺を見下すその表情は他人をどこまでも見下した顔だった。
「勝算もないのにカチコミに来て。良い年してるんだから勇敢と無謀の違いくらい理解しようよ。じゃあなプロデューサーさん、そこで世界が変わるの見てろよ。ちゃんとした人間として出してあげるつもりだったけど、夏に沸く蚊としての役割を……」
「まだ俺は諦めてないぞ……」
「……チッ。邪魔なんだよ!!」
「あごっ!」
足を両手で掴み引っ張ろうとする。忌々しげに俺を一瞥した夢邪鬼は何度も何度ももう片方の足で俺のお腹を蹴る。
「しつこい! んだっての! モテないぞそんなんじゃ!」
どれだけ蹴られようとも、どれだけなじられようとも構わない。こいつの足止めができるなら何でも良かった。
「ああ、もう! 鬱陶しいことこの上ないなぁ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
一瞬夢邪鬼の指が光ったかと思うと足を掴む手に強烈な熱が刺さる。あまりの熱さに俺は手を離してしまった。
「幸せな夢を見せてやるってんだから争うなよ! 何でそんなに現実を求めるんだよ!」
「お前には分からないだろうさ……!」
傷つくことのない幸せな世界。確かにそんなものが選べるのなら、厳しく間違いだらけの世界なんて選ぶ理由がない。だけど違ったんだ。あの時俺は、美穂を信じるべきだった。互いの夢に向かって走り出すべきだったんだ。アイドルを言い訳に使い甘えてしまった。その結果、夢は呪いとなりねじ曲がって世界が狂ってしまった。
「俺たちは前に進まなきゃいけないんだ……夢ばかり見てきたお前なんかには、分からないか。一度アイドルをプロデュースしてみろ! このすっとこどっこい!」
「うるさいうるさいうるさい! もうあんたは不必要だ! この世界に置き去りにしてやる! 永遠に悪夢を彷徨え!」
あちこちでポンッと爆発が起きたと思えば禍々しい顔つきをした大量のぴにゃこら太が現れた。その手にはチェンソーやら日本刀やら物騒な獲物が持たれている。とても良い子には見せられない、エゲツない光景だ。
「ぴにゃあ……ぴにゃあ……」
心なしか声もドスが効いてる。やばい、完全に仕留める気だ。
「い、いやこれはちょっと……手心をですね」
「問答無用! やっちまいなー!」
大量のぴにゃこら太が走って追いかけてくる。美穂、俺もうダメかも……。
「プロデューサーさーんっ!!」
「へっ?」
「ぴにゃあああああ!?」
死を覚悟したその時だった。けたたましいエンジンの駆動音が近づいてきたかと思えば、明らかに法定速度を無視したミニバンがぴにゃこら太の群れを轢き飛ばした。その姿はミサイルのようで、運転席から興奮した様子の悠貴が顔を見せた。
「ゆ、悠貴!? なにしてんの!?」
「決まってますっ! 私たちも美穂さんを助けにきたんですっ!」
ドアがリズミカルに開いたと思うと電動ガンを装備した卯月、肇、藍子が飛び降りて一斉に撃ち始めた。
「どういう光景……?」
戦争を知らないはずの子供たちが銃を片手に持ちぴにゃこら太を相手に大立ち回りを演じている。文字に書き起こしてみたら余計意味がわからない。
「というか悠貴が運転したのかこれ!?」
そういやゲーセンで運転のやり方は知ってるって言ってたけども!
「ハワイで教えてもらいましたっ!」
わぁ眩しいくらいのドヤ顔だ。
「いや! ハワイでも13歳は運転できないから!」
「緊急事態でしたからっ! 法定速度? 破っちゃいましたけど……サラダの野菜食べますからっ!」
いや、野菜のないサラダってサラダと言えるのか? というツッコミは一旦置いておいて。これはあれだ、緊急避難というやつだ。つまり悠貴はお咎めなし! 今回に限り!
「危ない、プロデューサーさんっ!」
「ぴにゃあ!?」
「……えぇ」
上から飛びかかってきたぴにゃこら太を悠貴は見事撃ち抜く。
「……どこで学んだのそれ」
「ハワイで学びましたっ!」
「便利だねハワイ!」
ハワイで学んだ(らしい)悠貴はともかくとして、銃がこれ以上なく似合わなくて却って絵になってる3人が当たり前のようにぶっ放してるのはどういう。
「亜季さんの置き土産です」
「亜季の……? ああ!」
そういえば亜季の指導でみんなサバゲー演習やってたな……まさかここで役に立つとは! 大和少尉に敬礼!
「勝手に殉職させないであげてください!」
「わるい、ついノリで」
藍子は怒りながらノールックでぴにゃこら太たちを撃ち落としている。やってることがプロの仕事そのものだ。意外な子が意外な特技を持っていたとはな。
「亜季さんの弔い合戦です……!」
いや、藍子も殉職させてるやないかーい
「きゃああ!」
「! 卯月!」
「わわっ! こないでくださーい!」
ふと振り返ると卯月のもとに何十匹のぴにゃこら太が迫りかかろうとしていた。一体一体撃ち倒すものの多勢に無勢、4トンハンマーやら丸太やらを装備したぴにゃこら太に襲われ……!
「ぴ、ぴにゃああああああ!!」
窮鼠猫を噛むとはいうけども、窮地に陥った卯月が選んだのはぴにゃこら太の泣き声を全力で真似をするという明後日の方向に振り切ったものだった。だけど、奇跡は起きるものだ。
「ぴ、ぴにゃあ?」
「ぴーにゃー」
「ぴにゃ! ぴにゃあ!」
「……藍子、あれなんて言ってるかわかる?」
「……さぁ?」
やぶれかぶれで真似をしたはずだったが、奇妙なことに効果はあったらしくあれだけ殺気立っていたぴにゃこら太たちが手を取り合い踊り出す。中心にポツンと座り込んでいる卯月も信じられないって顔をしている。
「芸は身を助けるってやつ、か?」
例えば大泥棒の孫なんかは元の役者さんが亡くなった際、後任に物真似芸人が選ばれたなんてエピソードもある。卯月のやけに上手なぴにゃこら太の物真似が奇跡を、いや必然の結果を呼び寄せたのだ。
「邪魔しやがって! まとめて蹴散らしてやる!」
『ぴぃぃぃぃにゃああああああ!!!」
夢邪鬼にとってもアイドルたちの介入は予想外だったらしい。大きな稲光が光ったかと思うと、何十倍もの大きさがあろう大きなぴにゃこら太が上から降ってきた。まるで怪獣映画のそれのようで、ご丁寧にも声にエコーまでついている。
「な、なんじゃありゃあ!」
「特大のぴにゃです!」
「見たまんまだね!!」
銃を撃ち込むもビッグサイズぴにゃこら太には効果がなくモフモフとした身体が全て飲み込んでいってしまう。
「ぴぃぃぃぃにゃああああああ!!」
「はっはっはっはー! いいぞー! 踏み潰せー!」
「わぁ!!」
特大ぴにゃこら太が一歩歩くだけでズドンと大きな音と共に地響きがする。こんなんじゃ立っているのも精一杯だ!
「どうすりゃいいんだあいつ!? って肇! 何してるんだ!?」
ズドンと揺れる車の上に立ち、肇は空を仰ぐ。白い法螺貝を手に持って。
「その法螺貝っ!」
「亜季さんに素潜りでとってきてもらった、とっておきの法螺貝です! この時のために、用意していたんです。一発逆転の切り札を!」
「!? お、お前えええええ! 何をしている! やめろおおお! その娘をつぶせええええ!!」
法螺貝を見た途端夢邪鬼は途端に焦りだし特大ぴにゃこら太に命令して肇を潰そうとする。しかし肇は焦ることなく大きく息を吸い込み法螺貝を吹いた。
「おはようの時間です、芳乃さん!」
『ぶおおおおおおおおおおおおおお!!!』
古来より、法螺貝は大きな力の象徴であった。特にインドの叙事詩においては名だたる英雄たちの傍らには常に白い法螺貝があり、彼らが法螺貝を鳴らす時、戦いの始まりを告げ的は恐怖に慄いたという。
「――てー……」
「お、おおっ!」
「でしてーーーーーー!!!!!」
そして狂乱の夢の中、肇が鳴らした法螺貝は大いなる力を呼び起こした!!
「芳乃さんっ! ってあれ?」
悠貴は唖然とした顔で見上げている。石像になっていた芳乃が車の中で光ったと思えば次の瞬間、どんどんと大きくなっていき天にも届きそうなほど巨大な姿を見せたのだ。
「そなたー、久しぶりでしてー」
「お、おう、久しぶり……随分と大きくなったね」
親が知っている依田芳乃は151cmと小柄だったが……法螺貝の音で復活した芳乃はその何倍ものビッグサイズだ。例えるならば、だいだらぼっちの類だろうか。肩に乗っている肇の姿はさながらロボットアニメのパイロットのようにも見えた。
「育ち盛りでしてー」
「ソ-ダネ」
育ち盛りの六文字で片付けちゃいけないレベルだ。いくら真面目にやってとしてもここまで大きくはなるまい。ただ、特大ぴにゃをも見下ろすキョダイマックス芳乃の存在感は圧倒的だ。先ほどまで猛威を奮っていた特大ぴにゃも相手が悪いと判断したのか逃げ出した。あっ、海に沈んでいったぞ。わざわざ親指立てて。
「ででんでんででんー」
身体は大きなっても中身は同じなようだ。ちょっとほっとした。
「芳乃の石化を解く方法が法螺貝なのはまあ分からなくはないけども……あっ」
どうやってと聞こうとしてパズルのピースが揃う。さっき肇は亜季が取ってきたとっておきの法螺貝と言っていた。そして一つ、心当たりがあった。肇とショッピングモールに行った時、彼女は画材店の袋を持っていた。前に聞いたことがあるが……楽器としての法螺貝はそのものと石膏があれば作ることができるらしい。肇はあの時、芳乃を復活させるため法螺貝を一から作ろうとしたのだろう。
「私が未熟なばかりにー、夢邪鬼に好き勝手させてしまいましたがー、もうお痛は許しませぬー。必ずおぬしを止めー、この悪夢を終わらせましょうー」
ばばさまのー、名にかけてー。と決め台詞? を言い放った。
「あっ、私も芳乃さんと一緒です。おじいちゃんの、名にかけて! んん?」
決め台詞は疑問符をつけながらいうもんじゃないぞ。
「あ、あのっ、芳乃さん! その、私も肩に乗せてください!」
小さなぴにゃ達は卯月の鳴き真似で盆踊りを踊り、襲いかかるぴにゃも藍子にスナイプされている。多少余裕が出来てきたからか分からないが悠貴は能天気にもそんなことを言い出した。
「たかいたかーい」
「きゃー!」
満月に届きそうなほど大きな少女の肩の上で2人の少女が座っている。アニメのエンディングっぽいな、うん。さっき迄の緊張感が台無しだ。
「ぐぐぐぐ……! 依田の孫娘めどこまで俺の邪魔する気だ! こうなったら……!」
追い詰められた夢邪鬼は何やら呪文のようなものを唱えている。
「juvdashavnothinpeelleskafbadudachechigaw astauxtekalonshamilupvevuvenivanovafle……」
言葉の意味はわからない。だけどその先にあるのが良からぬことだというのは険しい表情の芳乃を見て理解できた。
「! ここからは危険でしてー。2人とも、危ないので下におりましょー」
何かを察した芳乃は肩に乗っていた2人を安全なところに下ろす。
「な、なんだぁ!?」
「まとめて捻り潰したるばい!!」
夢邪鬼の体から強大なオーラが溢れ出して、鮮烈な光を放ち巨大なその姿を現す。
「って鈴帆ぉ!?」
巨大化した芳乃よりも大きく禍々しい気を放つ夢邪鬼の姿は上田鈴帆のものだった。超弩級サイズのケーキの着ぐるみを身に纏い、芳乃につかみかかる。
「もういっぺん封印しちゃる!!」
「むー、負けないのでしてー」
互いに取っ組み合う姿は大怪獣バトルと形容するほかなかった。絵的にはかなりゆるいがケーキの蝋燭の火は周りのぴにゃを焼き尽くし、溢れ出るオーラは周りの砂埃を巻き上げ大きな砂嵐が発生した。
「悠貴! みんなを連れて避難するんだ!」
このままだとみんなが巻き込まれてしまう。俺以外で車を動かせられるのは悠貴だけ。もう法律がどうとか言ってる場合じゃない。彼女にみんなを託すことに決めた。
「ええ!? でもプロデューサーさんと芳乃さんがっ!」
「俺と芳乃なら大丈夫だ! 頼んだよ!」
「わかりましたっ! みなさん、車に乗ってください!」
「その前にプロデューサーさん、これを!」
「えっ?」
新しく生まれた凶悪顔のぴにゃこら太達を狙撃しながら藍子は何かを投げてきた。
「! これって」
「さっきの映像を見て思ったんです! 今が12月16日なら……これが鍵になるはず!」
「ありがとう、藍子!」
「しゃしぇんよ! 行くばい!」
落としてしまわないように強く持つ。その光景を横目で見た夢邪鬼はさらに大量のぴにゃこら太を召喚し、俺を仕留めようと命令をする。
「ぴにゃああああ!!」
「卯月!」
今この世界で一番大きな音を出そうってくらいの気合のこもったぴにゃ鳴き真似。車の窓から高らかに叫ばれた鳴き声にぴにゃ達は足を止める。
「今のうちに! プロデューサーさん、美穂ちゃんを絶対に! 取り返してくださいね! ぴにゃあ! ぴにゃあああ!!」
「みんな……! ありがとう!」
「そなたー、わたくしのことは気にせずー、なすべきことをー」
「美穂さんを、よろしくお願いします! 帰ったらケーキを皆で食べましょうね! ぶおおおおおお!!」
「肇さんの法螺貝の音でー、力が漲るのでしてーーー」
酸欠になることもお構いなしに肇は法螺貝を吹き続け、芳乃はさらに強大なオーラを見に纏う。
「! ああ、分かった! 必ず美穂を連れて帰る!」
俺が今なすべきことは一つだ。美穂が眠る城まで全速力で駆け抜けた。
「美穂! ……えっ?」
ぜぇはぁ息が切れながらもなんとか城の頂上まで辿り着いた俺を待っていたのは、眠り続ける美穂達だった。
「美穂が……たくさん?」
「簡単に返すわけがなかやろ!」
「! 夢邪鬼! 芳乃と戦っているんじゃ」
城の外では変わらず芳乃と鈴帆による怪獣大戦争が行われている。じゃああれはダミー!?
「全く依田の孫娘め……忌々しいことこの上ない……」
俺と同じ姿に変わった夢邪鬼は強い怒りを俺に向けている。
「見ての通り、ここには今沢山の小日向美穂がいる。さぁプロデューサー、君に本物の小日向美穂がわかるかな?」
いくつもの衣装を身に纏った美穂がショウウィンドウのマネキンのように並んでいる。それら夢邪鬼の作った繰り返される世界の中で着たものだ。可愛らしいピンクの衣装、妖しさすら覚える深紅の衣装、クールに決まった黒い衣装。それらに近づくたびに、美穂との思い出が博物館の映像展示品のように再生された。失敗も成功も全部、全部。
「制限時間は特にないけど……それまで依田の孫娘が持つかな?」
「芳乃!?」
城の外ではボロボロになりながらも鈴帆の猛攻を受け続ける芳乃の姿があった。炎で焼かれクリームに体を取られて倒される。何度も法螺貝を吹いて芳乃を応援していた肇も限界が来たのかグッタリとしている。
「くそっ……!」
「ほう。なるほどあの娘……ふふふ、はははは!これも何かの縁なんだろうな。まさか60年前の雪辱を今晴らせようとは!」
夢邪鬼は何かを言っているが俺の耳には入ってこない。
「さあ早く選べプロデューサー! お前の小日向美穂の未来を! そして俺に見せろ! 悪夢に陥る絶望した顔」
「分かったよ」
「……何?」
「分かったって言ったんだ」
そう、これは難しい話なんかじゃない。例え夢の中で作られた、いつか消えてまう思い出だったとても……俺たちが歩いてきた道のりは嘘で塗り替えることはできない。
「この美穂も! その美穂も! あの美穂も! 全部全部! 本物の小日向美穂だ!」
「なぁ!?」
その瞬間、すべての美穂が一つの光に集まっていき、寝ぼけ眼の少女がそこに現れた。
「あれ……? プロデューサー、さん?」
「おはよう、美穂。って言ってる場合じゃなかったな」
まったく、呑気な眠り姫だこと。
「どうしてだって顔してるな、夢邪鬼。さっきも言っただろ、一度キチンと人をプロデュースしてみろって。人間ってのは表に見える一面だけじゃないんだ。弱かったり強かったり、正しかったり間違ったり……昨日見た姿と今日見た姿、明日見る姿が違っても……全部その人を作り出す要素なんだ! 間違いなんてない、丸ごと本当なんだ!」
美穂は強い。そして弱い。それは両立し得ないように見えて、表裏一体だ。
「俺たちは間違えてしまった。だけど、夢の世界に甘えるほど……弱くはないんだよ」
「ぐっ……! 何故永遠を否定するんだ……! 全てが叶う夢の世界から出ようとするんだ!? くだらない喧騒の中に、帰りたがる!」
「あの……私からも、良いですか?」
一つ欠伸をして眠気を何処かに追いやった美穂は夢邪鬼を優しい瞳で見つめる。
「私が甘えてしまったから、夢邪鬼さんにも辛い思いをさせてしまったんですよね。ごめんなさい」
「美穂……」
責めることをせず深々と頭を下げた美穂に夢邪鬼も困惑の顔色を隠せずにいる。
「プロデューサーさん。本当はあの時、知っていたんです。アメリカに行く話があったこと」
「えっ?」
「私も知るつもりはなかったんですけど、たまたま事務所の人が話してるの聞いちゃって。だから私のそばにいるって星空の下で誓ってくれた時、すごく嬉しかったんです。だけどそれって、プロデューサーさんの本当の夢を手放すことだって気付いていたのに……私は甘えちゃいました」
そしてその結果、俺も美穂も望む未来を掴むことができなかった。
「でも何回も繰り返される日々を過ごして、やっと分かりました。私たちはどんなに苦しく大変な明日が待っていたとしても、甘えちゃダメなんです。力強く進まなくちゃいけないんです。昨日よりも今日、今日よりも明日。もっともっと素敵な日にしたい。だからもう、ネヴァーランドは必要ありません。夢邪鬼さん……今まで、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました」
もう一度、夢邪鬼に頭を下げる。歪んでしまった夢すらも慈しむように、感謝するように。本当に、この子は強いんだ。
「ああ、畜生。どうして君は……彼女と同じ顔で同じことを言うんだ……」
「えっ?」
夢邪鬼の顔から憎悪が消える。泣きそうで、笑いそうな顔は例えるならば、自分を振った相手を応援するように見えた。そうか、あいつも……俺と同じだったんだな。初めて同じ顔のあいつの事が理解できた気がした。
「美穂を幸せにしたかったのは……嘘じゃないんだな」
「……夢ってのはさ、楽しいものなんだよ。辛い現世を忘れさせてくれる、刹那の幻想。俺は生まれた時から夢の世界の住人で……何人もの人に夢を見せてきた。……みんな歪んでおかしくなっちまったけどな」
きっとあいつもそのつもりはなかったんだ。『夢』と『邪気』。どうあがいてもその2つは切り離すことができず、あいつは暴走してしまった。恐らく、俺たちには想像もつかないくらい長い時間――自分の存在意義に苦しんでいたんだ。そんな夢邪鬼にとって美穂は……最後の希望だったのだろうか。
「ったく、何わかった顔しているんだ。腹立つ」
「同じ顔だろ」
「違いない。なあ、プロデューサー。もう分かってるんだろ、この世界の終わらせ方」
「ああ。なんせ今日は、美穂の誕生日だからな。わざわざケーキまで用意しておいてさ」
「ふっ、どうだか。良いのか? 夢から醒めた先、人類が滅亡していたら? あんたらはアダムとイブだ。それなら楽しくみんなのいる夢を見続けた方がマシだ、違うかい?」
俺たちの目の前に美味しそうなケーキが現れる。きっと世界中の美味しいを詰め込んだ素敵な味がするのだろう。だけど、俺たちには過ぎたものだ。
「そん時はそん時、考えるよ」
そうかい、と一言残して夢邪鬼は消えた。同時に城の外で戦っていた巨大芳乃VS巨大鈴帆も決着がついたらしい。巨大鈴帆は天使の着ぐるみで天に召されていく。
「どうやら、わたくしどもの役目は終えたようでしてー。一足先にー、現世でお待ちしておりますー」
大きなままの芳乃の手に乗った藍子、肇、悠貴はこちらに手を振りながら光に包まれていく。そして崩れゆくネヴァーランドには、俺と美穂だけが残された。
「一度あげたプレゼントをもう一度あげるのって何だか気恥ずかしいけど……受け取って下さい。美穂、ハッピーバースデー」
「……はいっ!」
番いのクマは俺と美穂の手に分かれる。自然と手を繋いだ俺たちは優しい光に包まれて、18本の蝋燭はは消えた。
続きは23時ごろから、もうすぐ終わります
再開します
「……ーさん、プロデューサーさんっ!」
「はっ!」
「星空の下で寝たら風邪ひいちゃいますよ」
目を開くと心配そうに見ている美穂と満点の星空が瞳に映る。どうやら少し眠っていたらしい。ここのところあんま寝られてなかったしな……。
「ごめん美穂、寝ちゃってたみたいだ」
「星のこと知りたいって言うから折角教えてあげたのに……でも、普段見られないプロデューサーさんの寝顔を見られたんで良しとします」
「しないでくれ!」
「ふふっ」
悪戯っぽく笑う美穂を見ると毒気が抜かれる。
「寝坊助なプロデューサーさんはどんな夢を見たんですか?」
「夢? うーん、なんだろ、妙に頭ん中ぼやけてると言うか。でも……楽しい夢だった気がするよ」
「私と同じ、ですね、」
「同じ?」
「あっ、いや! えっと、それは」
なんだ、美穂も寝てたんじゃないか。時計を見ると12月16日がもう少しで終わりそうになっている。今から寮に送ると怒られそうだけど、変なところに泊まるよりかはマシだ。っと、その前に……。
「ああ、美穂。誕生日プレゼントがあるんだ。開けてご覧」
「わぁ……かわいいですっ! ありがとうございます! クマさんが2匹……えへへ」
心からの笑顔を浮かべる美穂を見て心が痛くなる。言わなきゃいけない、分かっている。例えそれが彼女の誕生日に水をさす真似だとしても。
「プロデューサーさん?」
「このクマは2匹で1セットだったんだ。だから……そのっ」
アメリカに行って夢を叶えようと思う。そう言うだけなのに、次の言葉が紡げない。言ってしまえば全てが終わってしまう、そんな気すらしていた。結局、美穂が心配なんじゃない。俺が美穂から離れられないーー。
「プロデューサーさん。私は熊本の女です、だから強いんです。そして……私が好きな人も、強いんです」
「美穂……君は」
美穂は女の子のクマを俺に渡す。
「だから言わせてください。思いっきり夢を、叶えてきてくださいっ。あれ、どうしてかな? こんなこと、本当は言いたくないのに……ずっとプロデューサーさんがそばにいるって思っていたのに……」
優しい笑顔に星のような涙が浮かぶ。
「本当に君は、強くて俺の自慢のアイドルだよ」
指輪を交換するように、俺は男の子のクマを美穂に渡した。
「寂しくなんか、ないんですからねっ……!」
泣き虫な2人を冬の大三角形が見下ろしていた。
「そっか、アメリカ行っちゃうんだ。プロデューサーさんが嫉妬しそう。あの人もアメリカに行きたいって言ってたし」
「インフルエンザで休んでなければ、先輩に話が行ってたかもね」
「気にすることないよ。あの人なら事務所に頼らなくても自力でアメリカくらい行っちゃうからさ」
「それもそっか」
翌日、スタジオまで加蓮を送る最中昨日の顛末を話した。揶揄われるのが分かってはいたけど、色々と世話をかけたし話しておくのが筋だと思ったんだ。
「先輩にはまだ話してないけど、俺がアメリカに行っている間美穂のプロデュースを頼もうと思うんだ」
「良いんじゃない? 私も美穂ともっと仲良くなりたいと思ってたし。でもアメリカから帰ってきた頃には、私プロデュースでもっと可愛い女の子になってるかも?」
「ははは、そりゃ楽しみだ。そん時はたくさんポテト奢ってやるかな」
「あー……それなんだけど当分ポテトは食べたくも見たくないかも……」
「……はい?」
今この子、なんと言った?
「昨日見た夢がひたすらポテト食べ続ける夢で、最初のうちは良かったんだけど途中から胸焼けしてきて……最終的にはポテトの海に溺れたところで目が覚めたんだ」
それはなんと言うか……御愁傷様?
「やっ」
「これはこれは! 美穂殿のプロデューサー殿! 本日もトレーニング日和でありますね!」
加蓮を送った後、モールによってちょっとした買い物をしてきた俺はレッスンルームで筋トレをしていた亜季を捕まえる。
「珍しいでありますね、部署も違うと言うのに私に何用でしょうか?」
「用ってほどではないんだけどね。昨日、誕生日だったでしょ? 本当は昨日祝うべきだったけど美穂のバースデーライブやらで忙しかったから……1日遅れだけど、おめでとう亜季」
「なんと! 私の誕生日も覚えてくれたのでありますか!」
「そりゃ担当と同じ日だからね」
大切な子と同じ誕生日だから多分忘れようがないだろうな。
「ほー! これはアメリカ陸軍少尉の階級バッジではありませんか! いやはや、不肖大和亜季、軍曹と呼ばれることはあれども少尉と呼ばれたのは初めてでありますな! ……あの、ひょっとしてプロデューサー殿の中で私が殉職したとかない、ですよね?」
「いや、そんなつもりはないよ!?」
「アッハッハ! 冗談であります!」
なんでかは分からないけど並んでいるバッジの中から自然とこれを選んでしまっていた。まぁ、あれだな。殉職するように見えないし、二階級特進レベルの武勲を立てたってことで!
「のわっ!」
「わっ! すみません資料を見たまま歩いてて」
「いや、俺も考え事してたからあいこだ……おや、見ない顔だなぁ」
ぶつかって地面に落ちた資料を必死でかき集める姿は昔の俺のようだ。
「はい。新しく入社したプロデューサーでして。モットーは無邪気に夢を見ようってことでして」
「無邪気に、ねえ。ん……この子」
「はい、赴任してすぐにアイドルをスカウトして来いって言われたんですが、以前オーディションで不合格だったこの子が少し気になりまして」
名前は羽田リサ、か。何とは言わないけど年齢の割に大きなものをお持ちだ。
「アリなんじゃないか? 良いかい、新人くん。もし断られても、本当にその子をシンデレラにしたいと思ったら通報されること覚悟でアタックだよ」
「はい! 勉強させてもらいます! ……ったく、いきなり先輩ずらしてるよ」
「うん? なんか言った?」
「い、いえー! では俺はこれで失礼します! はっはっはー!」
新人プロデューサーは慌てて廊下を駆け抜けていった。しかしなんだろうか。初めて会ったはずなのに初めてな気がしないぞ。気のせいか。
「お疲れ様、って何見てるんだ?」
事務所のリフレッシュルームに入ると藍子のカメラを悠貴と肇の3人で見ているようだった。
「あっ、プロデューサーさんっ! 良いところに」
「どうかしたの?」
「藍子さんのカメラ、おかしくなっちゃったんです」
「はい。いつのまにか撮った記憶のない写真がたくさん入っていて……それも、夏の海とか冬景色とか桜とかバラバラなんです」
藍子が見せてくれた写真にはこの3人の他にもピンクチェックスクールや加蓮と亜季、そして俺が写っていた。勿論俺にも写真を撮られた記憶がない。それはみんなも同じらしい。
「謎だな」
「はい、謎なんです。でも、不思議と……嫌な気持ちではないんです。知らない写真なのに、私なんだか身に覚えがある気がして」
「私も藍子さんと同じです。悠貴さんは?」
「私もですっ!」
俺もだ。この中に写っている俺たちは嘘偽りなく楽しそうな笑顔をしている。
「もしかしたら、未来の話だったりして」
そんな楽しい未来なら大歓迎だ。
「そなたー、そなたー」
撫で撫で、撫で撫で。
「どうしてわたくしの頭を撫でてるのでしてー?」
撫で撫で、撫で撫で。
「なんでって……なんでだろ?」
撫で撫で、撫で撫で。
「こうすればもっと芳乃が大きくなる、とか?」
撫で撫で、撫で撫で。
「むー、今のわたくしの姿はそれはそれで需要がありましてー。代々依田の血は背が低くー、くすぐったいー」
撫で撫で、撫で撫で。
「しかしー、パッと消えましたー。邪な気がー」
撫で撫で、撫で撫で。
「わたくしは記憶が存じませんがー、もしかしたらー……、いえ。わたくしの目で見たものが真実でしてー」
撫で撫で、撫で撫で。
「……しゅおおお」
あっ、撫ですぎたからかふにゃふにゃしてる。心なしか法螺貝の音もなんだか頼りない。
「そなたはいじわるでしてー」
そう言わないでくださいな。今度なんか奢るからさ。
「プロデューサーさん、アメリカ行っちゃうんですね」
「1年だけの予定だけどね。でも、向こうでの活動が認められたら……もっと長くなるかもしれない」
お昼ご飯を食べようとするとちょうど食堂に向かうピンクチェックスクールの3人と鉢合わせる。昨日の今日ってこととあって、美穂はやや俺の顔を見るのが恥ずかしそうだ。
「それじゃあ寂しくなりますね。プロデューサーさん、頑張り屋さんですから」
「ははは。そうだなぁ……でも、海を跨いでもみんなと作って来た思い出は消えないと思ってる。みんなが日本で頑張ってるから、俺も向こうで頑張れる気がするんだ」
夢を叶えるには大切なものをなくさなければいけない時もある。それを恐れては前に進めないのも事実だろう。だけど俺はわがままな人間だ。
「あの! 私、英語も演技も歌もいっぱいいっぱい勉強しますから……! その時はまた、私をプロデュースしてください!」
そしてその性格は、俺の自慢の担当アイドルにも伝染してしまったらしい。
「じゃあ美穂ちゃん、家事も勉強しなきゃですね! 良いお嫁さんになるにはまず家事からです!」
「ええ!? 響子ちゃーん! そこまではまだダメ、じゃなくて言ってないよー!」
「ふふっ。プロデューサーさんがアメリカに行って寂しくなりますけど、私たちは大丈夫ですっ!」
「そうだな……」
いつの日は美穂の夢と俺の夢が交わる時が来るのだろうか。その時は……2人で未来を作っていかなくちゃ、だな。
『おばあちゃんへ、お変わりなくお元気に過ごしていますか? この前は野菜を送ってくれてありがとう。新鮮な野菜のおかげで、この冬は風邪をひかないで過ごせそうです。本当にありがとう。最近はアイドル活動の合間合間に英語と家事も勉強するようになりました。いつかの未来、大切な人のそばにいるために、私は頑張っています。近々その人と一緒に実家に一度帰ろうと思います。もちろん、この手紙のことは内緒でね。これからもっと寒気なってくるけど、身体に気を付けてね。美穂より』
「おや……」
封筒の中に一枚の写真が同封されていることに気付いた。大きなケーキと一緒に笑顔で写っている。孫娘のアイドル仲間と隣にいる男性はプロデューサーだったか。なるほど、いい顔つきをしているじゃないか。美穂が想いを寄せるのもよくわかる。
ただ私の気を引いたのは彼ではなく一緒に写っている2人の女の子だ。法螺貝を持った和装の女の子と小豆色の作務衣の少女――。2人を見た時、いつか見た夢の世界の大冒険を思い出した。だって2人とも、おばあさんとおじいさんに顔つきがよく似ているから。
「これも縁、なんだろうね……」
懐かしくなって自然と笑みが浮かべる。美穂が帰ってきた時、また話してあげよう。夢邪鬼と夢の世界に囚われた私達の冒険のお話を。
以上になります。久しぶりに速報で投下したのでトリップ忘れて新しく作りました。
美穂ちゃんの誕生日を自分なりに祝うことができました、お付き合い下さった方ありがとうございました。
以上になります。久しぶりに速報で投下したのでトリップ忘れて新しく作りました。
美穂ちゃんの誕生日を自分なりに祝うことができました、お付き合い下さった方ありがとうございました。
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません