渋谷凛「最後はだいたい、いつもこんな感じ」 (7)

 鳴り止まぬ歓声と万雷の拍手に背を向け、私はステージを後にする。
 確かな熱さを感じるほどに眩しいスポットライトは太陽のようで、まだ体が熱を帯びていた。


 当然ではあるが、舞台袖はステージの上と比して暗い。
 その暗さに目が慣れるのを少し待って、段差に気を払いながら通路を進む。
 やがて開けた場所に出れば、たくさんのスタッフの人が控えていてくれて、私の到着を見るや寄ってくる。
 もう幾度となく見た光景ではあるが、いつもカーレースのピットインみたいだ、と思う。
 流れるような手際でピンマイクが外れたと思えば、次の瞬間にはぎゅうぎゅうと私の足を締め付けていたブーツがするりと脱げる緩さになっている。

 ぺたりと素足を下ろすと既に私の背後には椅子があって、第一陣のスタッフさんが去ったと思えば、そのすぐ後ろで待機していたメイクさんたちが今度は汗や時間経過で崩れてしまったお化粧の修正を始める。
 自分で自分にお化粧をするのと、他人にするのとではかなり勝手も違うはずなのに、速さと正確さ、その両方を兼ね備えたメイクさんたちは瞬く間に私を綺麗にしてくれた。

 スタッフさんたちは、私が「ありがとうございます」とお礼を言うと一様に花が咲いたように微笑んで、照れくさそうに会釈をして去っていく。
 たくさんたくさん助けてもらっているのは私の方なのに、お礼を言ったことに対して何故かお礼を言われることもしばしばある。

 やや誤解を招きそうな表現ではあるけれど、お礼の言い甲斐がすごくあった。

 そんな、くすぐったいような気持ちを押し込めるべく頬の内側を甘く噛んで、立ち上がる。

 そのまま、私の衣装替えのために用意されている一室へと入り、これまた驚きの速さで着替えが完了する。
 普段も、これくらいで出かける準備が終わったらいいのに、なんて能天気なことを考えながら再び舞台袖へと戻る私だった。


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 アンコール。
 アンコール。
 アンコール。

 舞台袖にまで響く、何百何千、何万もの声が会場を揺らしている。
 スタッフさんたちは相も変わらず動き回ってくれていて、私の周囲では衣装さんやメイクさんが最終調整をしてくれている。

 衣装さんに、メイクさん。
 機材を扱ってくれているスタッフさんに、会場の内外で様々に私のライブを助けてくれているスタッフさん。
 思いつく限りのお仕事を挙げてみても、途方もない人数の人たちが、私たった一人のライブのために、力を尽くしてくれている。

 ああ、それと。もう一人。

「スポーツドリンク渡し係さん」

「……なにそれ」

 私の隣にいつの間にか立っていたプロデューサーは、ストローの挿してあるスポーツドリンク片手に、きょとんとした顔でこちらを見る。

「んーん。こっちの話」

「よくわからないけど……はい、これ。いつもの」

「ん。ありがと」

 手渡されたそれに口をつけ、ごくりと飲み下す。
 爽やかな甘さが喉を駆け抜けて、ぱちんとスイッチが入ったような感覚になった。


「最高のステージだったよ」

「ふふ」

「え、面白いこと言ったつもりはないんだけど」

「いつも同じこと言うから」

「ああ、うん。……そうかも。でも事実だから」

「知ってるよ」

「そうか」

「ちなみに、なんだけど」

「?」

「その最高、今から更新されると思うよ」


 プロデューサーへスポーツドリンクを返す。
 すると彼は下がって行って、交代でスタッフさんが私にピンマイクをつけるべく近付いてきてくれる。


「じゃあ、いってきます」


 言って、遠ざかるプロデューサーを見やる。
 彼は頷いて、びしりと親指を立て「いってらっしゃい」の形に口を動かした。


 さぁ、もうひと踏ん張りだ。




 ポップアップに弾かれて、再びスポットライトが燦々と射すステージの上へ。

 風船が破裂したような音と共に金色のテープが舞って、最高潮に達した歓声がモニターイヤホンを貫いて、私に届く。


 今日こそが人生最高の日、とでも言わんばかりの笑顔を湛えている人や、感動のあまり涙を流している人、ファンのみんなの顔が空中ではっきり見えて、いっそう気を引き締める。


 重力を忘れ空中に漂っているかのような錯覚さえ抱いてしまう、スローモーションの景色はやがて実際の速度を取り戻し、私はステージに降り立った。

 ヒールの靴が衝撃をびりりと足に伝えるのと同時に「アンコールありがとう。お待たせ、みんな!」と精一杯の声を客席へと放った。


「このツアーも今日が最後。私も、みんなも後悔のないように」


 すぅ、と息を吸い込む。


「盛り上がろうね」


 私のこの一言を受けて、巨大なスピーカーから音楽が押し出され、客席一面の蒼色が波打つ。
 やれ、と頭で命じたことが指先にまで通る、十全に自分を操縦している感覚。
 加えて、私が腕を振り上げ、客席を煽ればファンのみんなはそれに応えてくれる。
 この全能感に、しばし酔いしれるとする。




 鳴り止まぬ歓声と万雷の拍手に背を向け、私はステージを後にする。
 確かな熱さを感じるほどに眩しいスポットライトは太陽のようで、まだ体が熱を帯びていた。

 当然ではあるが、舞台袖はステージの上と比して暗い。
 その暗さに目が慣れるのを少し待って、段差に気を払いながら通路を進む。
 やがて開けた場所に出れば、たくさんのスタッフの人が控えていてくれて、私の到着を見るや寄ってくる。

 もう幾度となく見ているし、本日二度目となる光景ではあるが、やはり私はカーレースのピットインみたいだ、と思うのだった。


 そんな中で、少し離れた場所で、私のその様を眺めているプロデューサーにふと気が付く。

 満足そうに笑みを浮かべて「おかえり」の形に口を動かす彼がいた。


 私はその返事として、口を「ただいま」の形に動かして、軽く笑顔を見せる。
 つもりだったのだが、今の舞い上がった気持ちに表情までもが引っ張られてしまい、いーっと歯を見せた満面の笑みになってしまうのだった。

 それに若干の恥ずかしさを覚えていたところ、突然プロデューサーは自分の左胸を両手で抑えるようにして膝から崩れ落ち、「たはー」とでもいうような仕草をする。


 プロデューサーの隣にいる、偉いスタッフさん――幼稚な表現ではあるけれど、このライブに関わってくれているスタッフさんたちを取り仕切っているスタッフさんなので、そう言うほかない――が、それを愉快そうに眺めて「なんて言われたんですか」などと訊ねていた。


「愛してる、って」


 私を身軽にするべく周囲で動いてくれているスタッフさんの一人に、胸元のピンマイクを指しながら「落ちてますか?」と口パクで聞く。

 スタッフさんがすぐさまそれを確認してくれて「大丈夫です」と言ったのを受けて、私は精一杯「ただいま、と言ったので勘違いしないでくださいね」と声を張り上げた。


「あと、プロデューサーは後で覚えてて」


 そう付け加えるのも忘れない。





おわり

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