「式、お前は黒桐のことを愛してるか?」
トウコに幹也のことを愛しているかと尋ねられて、オレは即答することが出来なかった。
黒桐幹也。
地味な癖に真っ黒で妙に目立つ男。
オレの数少ない知人で、変なやつだ。
どのくらい変かと言えば、こんな風に。
「僕には式が必要だ」
きっぱりと何ら迷いなくオレのことが必要だと幹也は口にする。その意味がわからない。
たしかに幹也はおかしな奴だけど、逸脱はしていないから世の中に馴染むことが出来る。
その点、オレは完全に向こう側の人間で、この先どれだけ長く生きようとも馴染めない。
「トウコ、オレは社会不適合者なんだ」
「おかしなことを。生まれながら社会に適合し得る人間がもしも存在するならば、それは恐怖だ。得体の知れない化け物だろうさ」
それはトウコなりの励ましなのだろう。
蒼崎橙子。稀代の人形師として業界内では有名人らしいが、それは世を忍ぶ仮の姿。
正体は胡散臭い魔術師でまさに魔女である。
生身の人間てあるオレよりも魂の根本からよっぽど逸脱しているトウコという存在は、オレにとって救いであり、向こう側との境界線の狭間を明確に示してくれる道標でもある。
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「だいたい、社会に適合した人間ほどつまらない存在はないぞ。そしてそれこそが彼らにとっての誇りで、逸脱していない自分に酔っている。一度も交通違反すらしたことがない人生だけが取り柄など、虚しいだけだろう」
果たして本当にそうだろうか。
別に羨ましいとは思わないが、立派だ。
それを誇ることは確かに虚しいだろうけど。
「交通違反をしたら偉いのか?」
「まさか。落伍者に堕ちるだけさ。そしてそれこそが、人生の醍醐味と言える」
プカリと紫煙を吐き出しながら、トウコは戯言をほざく。人生なんて語る資格ない癖に。
「橙子さん。まるで逸脱することを格好良いみたいに言わないでくださいよ。式が真に受けたらどうするんですか」
「幹也。君もクルマに乗るようになればわかるさ。法定速度を守ることがいかに退屈か」
「僕は日常にスリルを求めてませんから」
「おや? それならどうして式のような存在を傍に置きたがる。抜身の刀みたいな女だぞ」
「式にだって、多少は癒しが存在します」
む。多少とはなんだ。失礼なやつめ。
オレはいつだって物静かでマイナスイオンを発生している。絶対零度かも知れないけど。
「つまり君は式に癒しを求めているのか?」
「おかしいですか?」
「おかしくはないが滑稽だな。まるでジェットコースターに乗りながら茶でも飲んでいるかのようだ。まあ、黒桐なら平気そうだが」
「それ間違いなく、馬鹿にしてますよね?」
黒桐幹也は馬鹿だ。トウコの見解は正しい。
「要するに、幹也はオレを乗りこなしたいんだろ? さながら暴れ馬を調教するように」
「乗りこなすって、君ね……」
オレを嗜める幹也を、トウコが茶化す。
「それは是非とも見物してみたいものだ」
「下品ですよ、橙子さん」
どうしてそういう発想に至るのか。
さっぱりわからないオレがおかしいのか。
こうした下品な発想こそが常識であり、だから逸脱しているオレには理解出来ないのか。
「幹也、ちょっとオレの上に乗ってみろ」
「は?」
「オレもそういう気分になるのか試したい」
頭の中だけで考えても埒があかない。
実践してみれば、物事ははっきりする。
そう思っての要請だったのだが、それこそが逸脱した発言らしく、幹也は断固拒否した。
「嫌だよ。気軽に試すことじゃない」
「そうか。それもそうだな」
「なんだ。期待して損した」
あっさり幹也の言葉に納得したオレに、トウコは不満そうにしていたが、こういう行為はやはり両者の合意が必要不可欠であることくらいは理解出来るので、その常識に従った。
「どうだ、トウコ。オレは常識人だろ?」
「まったく。おかげで私は退屈極まりない」
トウコはさも退屈そうに煙草をふかす。
ポワポワと煙で円を作る様はまるで絵に描いたような退屈ぷりで思わず笑ってしまった。
「トウコは死に急いでいるのか?」
「生憎と、私は死には無縁でね」
「なるほど。だからこそ、退屈なのか」
「そゆこと」
人より寿命が短い者はその分、他の者よりも密度の濃い人生にしたがるのは道理である。
その逆に、人より寿命が長い者もその分、他の者よりも濃い人生を望むのかも知れない。
「トウコこそ誰かを愛してみたらどうだ?」
「特定個人のみを愛するのは私には難しい。人形師の性か、ついコレクションしたがる。きっと、代わりが存在しないということに耐えられないのだろうな」
まるで他人事のようにぼんやりと自己分析するトウコは大人で、少し羨ましかった。
この女は少々頭が沸いているけれどいつだって理性的で、自分自身を客観視している。
オレにもそう出来ればこの先もう少しまとも人生が歩める気がするが、なかなか難しい。
「橙子さんは意外と臆病なんですね」
「黒桐。大人はみんな臆病者なんだ。君たち若者よりも失う悲しみを知っているからね。だから歳を重ねるごとにつまらない存在へと成り果てる。無論、私は例外だがね」
別に誇るでもなくトウコは自らを例外だと言う。それが、この女が逸脱している証拠だ。
「私はね、黒桐。そんなつまらない存在になりたくなくて、自分の代わりを作ったのさ」
蒼崎橙子は稀代の人形師。所謂天才である。
その腕前はついに『自分と寸分違わぬ人形』を作り出す域まで達した。完全なる贋作。
本物と見分けのつかないこの女は間違いなく偽物で、本物よりも本物らしく生きている。
「後悔とかしてないんですか?」
「今のところは平気かな。つまりそれはこの先も平気だということだ。私は私だからね」
ある意味、究極のナルシストなのだろう。
誰にだって自分自身に不満は存在していて、もしも人形を作るならばそれを修正せずにいられぬ筈で、だんだんと自分を失っていく。
なのにトウコはありのままの自分をそっくりそのまま作り、自分として生活している。
そんなこと、オレには絶対に無理だと思う。
「なんなら式の人形を作ってやろうか?」
「要りませんよ、そんな悪趣味な」
む。なんだ、その言い草は。悪趣味だと?
「あ、ごめん。別に式の外見に文句を言ったつもりはなくて、あくまでも僕は橙子さんの提案が悪趣味だと思っただけで……」
「等身大の式人形。売れると思うけどなあ」
「売るな」
この女は本気で売り出しそうなので一応、釘を刺しておく。するとトウコは不敵に笑い。
「ちなみに式は黒桐の人形は要らないか?」
「幹也の?」
「やめてくださいよ、トウコさん」
オレは少しばかり考えて、結論を出した。
「やめとく。すぐに壊しちまいそうからな」
「あははっ! それはたしかに目に浮かぶな」
「だからやめてくださいよ、トウコさん!」
きっと幹也の人形はすぐズタズタになる。
ギリギリで持ち堪えている衝動が顔を出す。
そしてそんな自分にオレは自己嫌悪を抱いて、死にたくなる未来までくっきり見えた。
「お前は本当に難儀な性格をしてるね、式」
「ほっといてくれ」
「命を奪わずにはいられず、かと言って命なき物も愛せない。それはとても辛いことだ」
知ったようなことを。とはいえ的確だった。
だから何も言い返せなくて、押し黙る。
そうさ。オレはおかしい。異常者なんだ。
「しかし、それはお前の優しさでもある」
ポンと項垂れたオレの頭に手を乗せてトウコが慰めてきた。幹也の前で子供扱いするな。
「命なき物を愛することが出来る程に逸脱してしまえば、それこそ終わりだからね。その境界で踏み留まっているお前は偉いよ」
「やめろ」
拒絶の言葉を口にするも、執拗に頭を撫でるその手を振り払うことが出来なかった。
こんなオレにすら理解出来るほどに、トウコの手つきは優しくて、温かったから。
だからされるがまま、オレは反抗を諦めた。
「なるほど……流石は橙子さん。そうすれば、式は大人しくなるのか。勉強になるな」
「黒桐はもう少し女の扱いを勉強したまえ」
何を感心しているんだ、この男は。
今にもメモを取り出しそうなくらい熱心に見学している幹也はデリカシーに欠けている。
こういう部分がこいつの足りないところだ。
「幹也、あまりジロジロ見るな」
「あ、ごめん。つい、式が可愛くて」
こういうところも良くない。最悪だ。
さも当然のように可愛いとか言うな。
そう言われてオレが喜ぶような性格ではないことを知ってる癖に、どうして口にする。
ジト目をしつつ、逆に問いかけてやった。
「幹也はイケメンと言われたらどう思う?」
「え? ひとまず何か裏があると疑うかな」
「ならひとに同じことを言うのはやめろ」
「なんで? 僕は全然イケてるメンズではないけど、式は可愛いじゃないか。だから僕は」
「うるさい! もうあっちいけ!!」
こいつは本当にこれだから。まったく。
これさえなければ、オレだって少しは。
ほんのちょっとは、素直になれるのに。
「黒桐。今のは君が悪いぞ」
「ちぇっ。はいはい。悪者は大人しく、コンビニでお詫びにアイスでも買って来ますよ」
「うむ。良い心がけだ。私はガリガリ君で」
「子供か、あんたは」
「なんだと!? 黒桐、君には当たりが出たらもう1本の楽しみがわからないのか!?」
「はいはい。ちなみに式は……」
「オレは要らない」
「いつものハーゲンダッツだね。了解」
要らないって言ってるのに。ああ、もう。
分からず屋の幹也め。なんだその笑顔は。
パシリの癖に何でそんな嬉しそうなんだ。
「じゃあ、行ってきます」
「さっさと行け」
「経費で買うなよ」
「ケチ」
軽口を交わして、幹也が伽藍の堂を出る。
室内にはオレとトウコが取り残された。
そこでようやく、さっきからうっとおしかった頭を撫でる手を払うことに成功した。
「触りすぎだ」
「お前の髪があまりに綺麗で、ついな」
「トリートメントなんてしたことないぞ」
オレの髪なんかよりも、トウコの少しくすんだ赤い髪のほうがずっと綺麗だと思った。
「あれ? 式、君だけかい? 橙子さんは?」
「帰った」
コンビニでアイスを買って帰ると、伽藍の堂には式だけが居て、何故か眼鏡姿だった。
「その眼鏡はどうしたのさ?」
「トウコに借りた」
珍しく思って尋ねると、どうやらその眼鏡は橙子さんの物らしく確かに見覚えがあった。
「たしかその眼鏡をかけると、魔眼の力が弱くなるんだっけ?」
「ああ。つまり、今のオレは普通の人間だ。どうだ、幹也? オレは普通に見えるか?」
「いや、いつもと違うから逆に新鮮に見えるよ。それはそれでありだと思うけどね」
「ちぇっ。せっかく無理言って借りたのに」
率直な意見を口にすると式が拗ねたので、すかさず好物であるハーゲンダッツを出した。
「ほら、ストロベリー味だよ」
「要らないって言ったのに」
「でも、君はこれが好きだろう?」
「オレは冷たい物が嫌いだ」
それはきっと嘘ではないのだろう。
式は冷たい物が嫌いで甘い物はわりと好き。
しかし冷たくないアイスなど存在しないし、わざわざ砂糖水を舐めるほどに甘い物が好きなわけでもない。そんなところだと思う。
それでも式がアイスを食べるのは、きっと。
「ほら、早くしないと溶けちゃうよ」
「チッ……急かすなよ」
僕が買ってきたアイスが溶けてしまうのか忍びなくて、だからこうして食べてくれる。
そんな式の素朴な優しさに、僕は癒される。
「橙子さんの分はどうしようか」
「お前が食えばいいだろ」
「いいのかな?」
「いいだろ別に。先に帰ったあいつが悪い」
2人で並んで事務所のソファに座ってアイスを食べて、残ったガリガリ君をどうするか悩んでいると、式はあっさりそう結論付けた。
式の言い分はもっともで、所長には悪いけど従業員として責任を持って処理しようと思ったところで、いきなり式に押し倒された。
「式、どうしたの……?」
馬乗りになった式を見上げて、尋ねると。
「幹也が悪いんだぞ」
「僕が何かした?」
「オレのこと、可愛いとか抜かした」
「だって、君は本当に可愛いから……」
「なら、こうされるのも嫌じゃないだろ?」
もちろん、嫌というわけではない。当然だ。
僕は式のことが好きだから、拒絶はしない。
けれどお互いの同意は必要不可欠だと思う。
「式は嫌じゃないの?」
「押し倒したのはオレだ」
「それが君の意思なのかを聞いているんだ」
僕にはとても、式が乗り気だとは思えない。
「別に、こんなのどうってことないだろ。流れに任せて、あとはなるようになるだけだ」
「たしかに、そうかも知れないね。僕には経験がないからわからないけど、きっと君の言う通りどうってことない行為かも知れない」
「ならつべこべ言うな」
「いいや。言わせて貰う」
たとえ、それが何でもないことだとしても。
僕らくらいの年頃の男女が普通にしていることだとしても。いや、だからこそ僕は思う。
「僕は君を大切にしたい」
僕は両義式のことが好きだ。愛している。
彼女に抱くこの気持ちは別に大袈裟なものではなく、具体的にどこがどう好きなのかと尋ねられると困ってしまうけれど、全体的に満遍なく、特にこれと言って特筆なく好きだ。
何気ない彼女との日常こそが、僕は愛しい。
「僕はね、式。別にこんなことをしなくても、ただ君の隣に座ってアイスを食べているだけで幸せなんだ。おかしいだろう?」
「……ああ。幹也、お前はおかしなやつだ」
ようやく、式が笑ってくれた。僕は嬉しい。
「わかってくれたなら、そろそろどいてくれると助かる。僕だって、男だからね。脊髄反射的な衝動は流石に我慢出来ないから」
「どうして我慢する必要があるんだ?」
「どうしてかな。たぶん自己満足だと思う」
衝動を理性で制御することで、自分は彼女を大切にしていると錯覚し、満足感を覚える。
そんな僕を、式は憐れだと思うだろうか。
「幹也の言ってることはさっぱりわからん」
「式、君にはわかる筈だよ」
両儀式は、たしかに難儀な性格をしている。
先程所長が言った通り、衝動を堪えている。
命を奪いたいという欲求。さぞ辛いだろう。
きっと今すぐ腰のナイフを抜いて、僕の喉笛を掻っ切りたい衝動に駆られている筈だ。
「たしかにオレは今、我慢している」
「じゃあ、尚更この体勢は良くないね」
「いや、残念ながら『好都合』だ」
ずいっと、端正に整った顔を近づけて嗤う。
「幹也。お前にオレはどう見えている?」
「式はいつだって綺麗で、可愛いよ」
「懲りないな、お前は。だが、そうじゃない。今日のオレはいつもと違うだろう?」
いつも違うところ。相違点。すぐに気づく。
「もしかして、その眼鏡のことかい?」
「ご名答。眼鏡のおかげでオレにはお前の死が見えてない。だから込み上げる衝動も大したことはないってわけだ。理解したか?」
なるほど。理解した。しかし、疑問がある。
「じゃあ君は今、何を耐えているんだい?」
「そう、そこが問題だ。それこそが本題だ」
式が嗤う。僕の上に乗って勝ち誇るように。
「君は……まさか」
「なんだ、こんな時だけは察しがいいな」
薄々、わかってはいた。僕は察していた。
式のことだから、きっと何かあるのだと。
別に、スリルを求めていたわけではない。
僕はただ、彼女との日常が好きなだけだ。
「嬉しそうだな、幹也」
「そう見えるかい?」
「ああ、そのまま人形にしたいくらいだ」
僕はきっと今、嗤っているのだろう。
眼前の式と同じように、酷く歪に。
まるで鏡合わせのように、僕らは嗤い合う。
「これは橙子さんの入れ知恵かい?」
「いや。オレなりに自分の衝動と向き合って出した答えだ。もっともトウコにはお見通しだったみたいで、席を外してくれたけどな」
余計なお世話ですよ、所長。
大人なら止める立場でしょうに。
まあ、あの人が止めるわけないか。
「それで、これから何をするつもりだい?」
「今更、言う必要があるのか?」
「当ててみせようか?」
「好きにしろ」
当てて欲しくて堪らないといった様子で、式は待ち望む。僕はお望みの答えを口にした。
「君はおしっこがしたいんだろう?」
「大正解だ、幹也」
ああ、やはり。これだから、式は大好きだ。
「まったく、式は困ったひとだね」
「そんなオレのことが好きなんだろ?」
「うん。困ったことにね」
互いに困ったように笑って、軽口を交わす。
もちろん、内心は全然困ってなどいなくて、むしろ大歓迎なのが困り物だ。やれやれ。
「幹也。お前も大概、異常だよな」
「君の傍に居るには大変なんだよ」
「なんだよ、オレのせいだってのか?」
「別に迷惑だと思ったことはないよ」
「ふん。幹也はつくづく、ズルい奴だな」
式の言う通り、僕はズルい人間だ。
まともなふりをして、実は狂っている。
挙句に開き直っているから余計タチが悪い。
「ごめんよ式。君はそんな僕が嫌いかい?」
「黙れ。そういうところだぞ、幹也」
「うん……ごめん。ありがとう、式」
「チッ……いいから、目を瞑れ」
式は優しいから、僕はそんな君に甘える。
それがズルさだと知った上で尚、抗えない。
中性的な両儀式には、不思議な母性がある。
「なんだ、幹也。キスされると思ったか?」
「まさか。キスの際に目を閉じるようなマナーを、君が気にするとは思ってないよ」
「いちいちひとを馬鹿にするをやめろ」
「ごめん。そんなつもりはなかった」
「ふん。とにかく、覚悟はいいな?」
「ああ。いつでもどうぞ」
一般的にキスの際に目を閉じるのは、最中に相手の顔を見ないようにする配慮である。
夢中になるあまり、半目だったり白目となっている可能性があるので、見ないほうがお互い幸せとも言える。それが、一般論である。
とはいえ両儀式にはそれは当て嵌まらない。
それは別に式が逸脱しているからというわけではなく、ただ単純に性格的な理由だ。
たとえばキスの際に僕が半目だったとしても式はそれを笑うかも知れないが気にしない。
だから僕も、彼女に笑われても気にしない。
「なあ、幹也」
「なんだい、式」
「オレはたしかに、キスの最中に自分がどんな顔をしてようが気にしないような、ムードもへったくれもないような奴だけどさ」
「うん」
「それでも……おしっこしている時くらいは、見て欲しくないと思う恥じらいはある」
「うん……それでこそ、式だ」
やっぱり式はとても可愛い女の子だと思う。
「でも、同時に見て欲しい気持ちもある」
「式……」
「だからお前が望むなら特別に見てもいい」
ゆっくりと目蓋を開く。式と目があった。
心なしか、いつもよりも顔が赤い。照れだ。
そんな照り焼きの式を、僕は愛しく思う。
「やっぱり式は可愛いよ」
「三度目だ、幹也。もう許さない」
「じゃあ、君は僕をどうするつもり?」
式は嗜虐的に嗤って、舌舐めずりをした。
「幹也におしっこをぶっかけてやる」
「それは怖いな」
「嘘つけ。悦んでいる癖に」
僕は別に、特殊な趣味なんて持っていない。
この悦びは単純に、君と寄り添えたからだ。
逸脱している式に近づけたことが、嬉しい。
「幹也は変態なのか?」
「そうかも知れないね」
「変態は嫌いだ」
「アイスクリームみたいに?」
「ああ。早く食べないと腐っちまう」
だからと、式は僕の頬を撫でて、告げる。
「気が向いたから、お前を愛してやろう」
「まるで橙子さんみたいな口ぶりだね」
「トウコみたいな浮気者と一緒にするな。オレが愛するのは、お前だけだよ、幹也」
それはまるでプロポーズみたいで。
僕には到底口に出来ない、愛の囁きだった。
そんな格好良い式に、僕は惚れ直す。
「よかった」
「この状況でどうして安心しているんだ?」
「式がひとを愛せるようになってよかった」
僕は心からの安堵していた。同時に嬉しい。
式のそれは酷く歪なものかも知れないけれど紛れもない愛であり、確かな愛を感じた。
「こんな形でお前を愛するオレを、オレは軽蔑する。まったく、どうしてこうなった」
「いいじゃないか。僕は君を受け入れるよ」
そう言って笑ってみせると式が小さく呟く。
「……好き」
「え? なんだって?」
「……聞こえている癖に。バカ幹也」
罵倒とデコピンをされ、むず痒さを覚えた。
「オレも安心した」
「どうしてだい?」
「こんなオレのことを幹也は嫌いになるんじゃないかと思って、ちょっと怖かったんだ」
言われて気づく。式の細い指先が震えてる。
「式、手を」
「ああ。離すなよ、幹也」
「うん。僕は絶対に君を……離さない」
指を絡めるように手を繋ぎ合って時を待つ。
「幹也、そろそろ……」
来た。お待ちかねの時間だ。いや、焦るな。
「大丈夫。僕のことは気にせずに、式のタイミングでしていいから。僕は君に合わせる」
「悪いな。そうして貰えると、ありがたい」
やはり、行為の最中はタイミングが重要だ。
お互いに息が合わなければギクシャクする。
だから僕は式の一挙一動を見逃さず構える。
「幹也、やめるなら今のうちだぞ」
「君のほうこそ、今更びびってるだろ」
「別に。ただオレは、お前が可哀想で……」
ああ、式。やはり君は優しい。そんな君を。
「式のことを見つけられた僕は幸運だった」
「探し物は、お前の数少ない特技だからな」
「うん。ここまでくるのに大変だったけど」
「幹也は鈍感だからな。それは自業自得だ」
僕の特技は失せもの探し。
とはいえ、僕は探偵にはなれない。
洞察力が足らず、結論を見出せないから。
そんな僕でもここまでくれば答えがわかる。
「式、そろそろ限界だろう?」
「ああ。もう今にも出ちまいそうだ」
「排泄衝動を我慢する必要はないよ」
「ああ、我慢しなくていいのか。わかった」
ふっと、式が穏やかに微笑み、尿が滴った。
ちょろりんっ!
「フハッ!」
あれ、おかしいな。この上なく奇妙である。
この伽藍の堂には僕らしか居ない筈なのに。
誰だろう。今、愉悦を漏らした、痴れ者は。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
耳障りな哄笑が、事務所にこだまする。
式の顔が珍しく羞恥に赤く染まっていく。
つまり、馬鹿嗤いしてるのは彼女じゃない。
ちょろろろろろろろろろろろろろろろんっ!
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
それにしても、うるさいな。
式の清らかな排尿音が台無しだ。
誰だか知らないけれど……君、少し黙れ。
「幹也、いくらなんでも嗤いすぎだ」
ん? それはいったい、どういう意味だろう。
僕は今、思いきり眉を顰めている筈なのに。
この煩い哄笑を、迷惑だと感じているのに。
「まあ、お前が愉しそうで良かった」
僕が愉しんでいるって? またまたご冗談を。
「幹也、気づいているか?」
ああ、気づいている。僕は犯人を知ってる。
「お前、嗤いながら糞を漏らしてるぜ」
「フハッ!」
嗤っているのは僕で、そして脱糞していた。
ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
参った。僕にこんな一面があるとは。
いつの間にか僕もすっかり逸脱者だ。
橙子さん曰く、落伍者に成り果てた。
「ふぅ……いっぱい出たな」
「うん。式、君のおかげだよ」
僕も式もいっぱい出した。充実感が満ちる。
「幹也、なんかオレ、眠くて……」
「式もかい? 実は僕もなんだか眠くて……」
眠気を訴えた式が、そのまま覆い被さった。
「このまま、少し寝る」
「うん。じゃあ僕もひと眠りしようかな」
急激な睡魔によって、目蓋が重くなる。
目を閉じると上に乗る式の重みと、温かさと、心臓の鼓動がより近くに感じられた。
「幹也、オレを離すな」
「うん。わかった。約束する」
固く手を握り合ったまま、僕らは眠る。
それがまさか永遠の眠りとは露知らず。
微睡の淵に沈んだ意識が消えて死んだ。
「もう沢山だ」
ザクリと、ナイフが突き刺さる。
その痛みに悲鳴をあげることはない。
だって僕らは、命なき人形だから。
「トウコ、お前は趣味が悪すぎる」
伽藍の堂の地下工房で人形のやり取りをモニタリングしていた式が耐えかねて、先程飛び出して行って、そしてすぐに戻ってきた。
返り血ひとつ浴びずに綺麗なものである。
「この結末は私にとっても予想外だよ」
「嘘つけ」
嘘なものか。流石の私も理解に苦しんだ。
「私はお前と黒桐を完璧に模した人形を作り上げた。その結果がよもやこんな末路とは」
「オレは明確な悪意を感じたぜ」
式の言い分はもっともだ。
たしかにこれはあまりにも酷すぎる。
儀式の途中で何者かの妨害を受けた感触はなかった。つまり、人形に細工されていた。
「なるほど。コルネリウス・アルバか」
「誰だ、そいつ? 弱そうな名前だな」
「私の古い知人でね。奴は私を憎んでいる」
時計塔時代の同輩の嫌がらせと結論付けた。
「悪かったな、式。コルネリウスには後で私から特製の下剤入りピザ煎餅を送っておく」
「やっぱりお前の仕業なんじゃないのか?」
失礼な。私は人形の排泄に興奮は覚えない。
「まあ、そう怒るな。見世物としてはなかなかだっただろう? お前だって文句を言いつつも結局最後まで観ていたわけだしな」
「オレは気にしてないからいいけど幹也は違う。見ろ、トウコ。幹也のあの怯えぶりを」
促されて、地下工房の隅を見やる。 すると。
「式はおしっこなんてしない。式はおしっこなんてしない。式はおしっこなんてしない」
そこには黒桐がしゃがみ込んでいて、まるで現実から逃避するように壁に向かって自己暗示の言葉を呟いていた。メンタルが弱いな。
「式、お前の出番だぞ」
「オレに何をしろって?」
「何でもいいから、黒桐を慰めてやれ」
そう指示すると、式は嫌そうに顔を歪めて。
「なんでオレが。トウコが何とかしろよ」
「残念ながら無理だな。あそこまでダメージを受けた黒桐を癒せるのは式、お前だけだ」
そんな私の診断を受けて、式は溜息を吐き。
「わかったよ。やるだけやってみる」
心底ダルそうに黒桐に近づき、肩を叩いて。
「黒桐、こっちを見ろ」
「……?」
「悪く思うなよ……んむっ」
「!?」
問答無用で彼の唇に式は自分の唇を重ねた。
「ぷはっ……どうだ幹也。正気に戻ったか」
「あ、ああ……おかげさまで」
「そいつは結構」
究極の気つけ薬を処方した式はドヤ顔で私を見やり、偉そうな口調で自慢をしてきた。
「どうだ、トウコ。オレは常識人だろ?」
「ああ、良くやった。今回は私の完敗だよ」
素直に負けを認めると、式は珍しく満面の笑みを見せて喜んだ。負けたのに嬉しくなる。
「普段から、その素直さがあればな」
「うっせ。幹也みたいなこと言うな」
黒桐だけでなく、誰だってそう思うだろう。
両儀式には可愛げが不足気味であり、欠乏症になる前に定期的に補給するべきである。
「ふん。どうせオレは可愛くないさ」
「その反論は黒桐にして貰いたまえ」
私が式を甘やかしても彼女の為にならない。
彼女のような存在には黒桐のような存在が必要不可欠であり、それは共依存状態とも言えるが、それこそが日常を紡いでいく。
事務所の片付けをしていて、ふと気づく。
「どうした、トウコ。やけに嬉しそうだな」
すっかり溶け落ちたアイスの棒は、当たり。
「ふふ。私は存外、このいくつもの奇跡と偶然によって積み重ねられた日常という名の螺旋を気に入っているらしい」
「なに格好つけてんだよ」
「それが大人の義務だから仕方ない」
「なら義務ついでに聞かせてくれ。どうして人形の幹也がオレの人形に尿をかけられて脱糞したのかを」
「黒桐は探し物が得意だから見つけたのさ」
「見つけたって、何を?」
「逸脱した者の傍に居る方法を、ね」
「ふうん。ま、それで納得しといてやるよ」
逸脱した式の傍に居るために。
愛する彼女を決して、離さないように。
そんな私の脱糞考察に式は納得したらしい。
【糞の境界 脱糞考察】
FIN
おつ
読ませる文章なのが悔しい…途中まで気付かなかった
悔しい…
このSSまとめへのコメント
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