喫茶店の扉を開けた私をカランカランとカウベルが歓迎する。
そういうところもなんだかアンティークチックで、ここが『知る人ぞ知る』なんてうたい文句で『多くの人』に知られてる理由なんだろうな、と。一人納得する。
さて、店員さんはどこなのかな?
私が入口で突っ立ってると、奥から慌てた様子で店員さんがやってきて、「1名様ですか?」と聞いてくる。
いつもなら「いいえ、5人です」って答えるんだけど、あいにく今日はお一人様。
私は小さく「はい」と返して店員さんの案内で席へと向かって行く。
さて、一人寂しくだけど優雅な時間を過ごそう、そう思っていた時――――視界の隅に銀色の光がちらついた。
「あれ?」
店員さんの案内から外れて、私はその銀色へと近づいていく。
窓際の二人掛けのテーブルについている彼女はこちらに気づいた様子もなく、黙々と本を読んでいる。
そして、私は彼女の目の前に立ちその名を呼ぶ。
「逸見さん?」
「え?」
彼女は―――逸見さんは驚いた様子で私を見上げ、
「武部、沙織さん?」
少し、たどたどしく私の名前を呼んだ。
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・・・・・
「まさか逸見さんもこの喫茶店にいるなんて」
「前に読んだ雑誌にここが載ってて、今度の寄港地がこの町だって知ったから寄ってみようって思ったのよ」
「奇遇だね、私もだよ」
今更だけど逸見さんの許可なく同席しちゃったけど大丈夫かな?
なんて思ってしまうも肝心の逸見さんは特に気にした様子もなさそう。
なんだか拍子抜けというか、神経質な人だと思ってたんだけどそういう訳でもないのかな?
「あなた、いつもの5人組じゃないのね」
「うーん、今日はね。みんな用事があって私一人なんだ」
「そう、寂しいわね」
「あはは、意外とそうでもないよ?だって、一人ならそれはそれで色々出来るしね」
「あら、意外ね。あなた、どんな時でも人と一緒じゃないと嫌だってタイプに見えるのに」
「そりゃあ遊びに行くなら友達と一緒が良いけど、だからって別に一人じゃ何もできないってわけじゃないんだよ」
というか既に一人で色々楽しんできたところなんだから。
服も本も化粧品も散々見尽くして私の両手は既に紙袋で満載なのだ。
「へぇ?いいじゃない。一人か皆かのどっちかしか無い人よりよっぽど好感持てるわね」
びみょーに棘の生えた言い方に苦笑いしてしまう。
でもなんだろう、初めて会った時みぽりんにしていた嫌味よりもよっぽど親しみやすさを感じる。
それは多分、逸見さんの表情があの時よりもずっと柔らかく、悪戯っぽく微笑んでいるから。
だからだろう、私たちの会話は淀みなく続いていく。
「逸見さんも買い物帰りなの?」
「私はただの暇つぶしよ。地元以外に寄港した時は、たまーにこうやって適当な喫茶店で本を読んでるの」
「うーん優雅……ていうかオシャレ……」
「……そんなカッコいいものじゃないわ。本当にただの暇つぶし」
逸見さんはなんだか気まずそうな、後ろめたそうな表情をする。
どうしてなんだろう。
彼女の言う通りただの暇つぶしだとしても、そんな表情する理由なんてないだろうに。
「友達と遊んだりとかしないの?それこそ、地元以外なら色々新鮮だろうに」
「しないわけじゃないけど……ただ、今日はね」
「……?今日は何かあるの?」
「……ああそうだわ、あなたに一つ聞きたいことがあったのよ」
それは、強引な話題転換。
だけど逸見さんがそれを望んだのなら、私はそのまま聞いてあげようと思った。
「何?」
「あなた、どうして戦車道を始めたの?」
モテたいから。
そう即答しようと思ったものの、流石にそれは直球すぎるかな……と思い一瞬口ごもってしまう。
それを質問の補足を求めたと解釈したのか、逸見さんは続けていく。
「あなたあんまり戦車とかに興味持つような人には見えないから」
「ああそれは間違ってないというか、実際戦車道始めるまでは全然興味無かったよ」
「ならなんで?」
「うーん……はじめたの自体はみぽりんが困ってたからなんだけどね」
生徒会の人たちに戦車道の履修する事を強制されて、みぽりんは本当に困っていた。
色々あってそれでも戦車道をするって決めたみぽりんを少しでも助けられたらって。
そう思って私は履修届を提出したんだよね。
「でも、戦車道に興味を持った理由はモテモテになれる!って聞いたからかな」
「あのねぇ……」
口が滑ったとはこのことだよ。
さっき躊躇った本音がスルリと口から漏れてしまい、予想通り逸見さんの表情に棘が生えてくる。
「や、やっぱり逸見さん的には不純な動機になる?」
恐る恐る尋ねると逸見さんはフンと鼻を鳴らし視線を私から窓の外へと向けた。
「そりゃあね。……まぁでも、そこにいちいち突っかかるつもりもないわよ。良妻賢母の育成は戦車道の理念の一つなんだから。それを目指す過程で結果としてモテるってのはあるでしょうね」
「でも実際のとこはね……」
「悲しい事言うんじゃないわよ……」
切実な実情に逸見さんも同情してくれたようだ。
いや今思えばあの勧誘PVは良い事しか言ってないというか、強めに言うならプロパガンダってやつだったと思う。
それを信じた私がバカだったのかもしれない……
まぁ別に戦車道履修した事を後悔してないから良いけどね。
「逸見さんは彼氏とか作らないの?」
正直、こうやってみると逸見さんはとても綺麗だと思う。
透き通るような白い肌、陽射しで煌めく銀髪。
吊り上がった瞳は彼女を怜悧に映す。
私が知ってる限り黒森峰の中でも一番目立つ容姿をしていると思う。
そんな逸見さんだ、男の人なんて簡単に捕まえられそうなものなんだけど。
「作る作らないの前にうちは女子高よ。出会いも何もあったもんじゃないわ」
「そうなんだよねぇー……だからこそ!女の子はもっと積極的に動かなくっちゃいけないと思うの!!逸見さんも頑張ろ!!」
「いや私はまだ彼氏とかいいから……」
同じ目標に向かって走る同志として固い握手を求めるも、逸見さんは全力で距離を取ってくる。
逸見さんの今時の若者っぷりに私は警鐘を鳴らす。
「ダメだよそんなんじゃ!!逸見さんみたいなのが仕事にかまけて、挙句気づいたら未婚の四十路とかなるんだから!!」
「失礼な子ね……まぁ、大学に行ったら考えるわよ。少なくとも高校のうちは戦車道に集中するわ」
「もー、そうやって後に後にってして行き遅れても知らないんだからね!!」
「あなたは私のなんなのよ……」
逸見さんが呆れたようにため息を吐いた辺りでちょっと一休み。
ミルクとシロップ多めに入れたアイスコーヒーを一口飲む。
逸見さんも同じようにコーヒーを飲み、私たちの間に静寂が戻ってくる。
「ちょっと意外だったな」
会話の口火を切ったのはまたもや私。
何かを見つけたのか、ぼーっと窓の外を眺めていた逸見さんは再び私に向き直る。
「逸見さんって思っていたよりクールというか、こんな風に落ち着いて雑談できる人なんだって。もっと怒鳴ってばっかかと思ってた」
「なんであなたにガミガミ言わないとダメなのよ……」
「だって今まで会った時はいっつもつんけんしてたし」
正確には、『特定の人物』に対して。
今日この喫茶店で再び会うまで私の中の逸見さんのイメージの8割は戦車道喫茶でのアレのせいなのだから。
残り2割は大学選抜戦での印象。
そのどれも逸見さんはつんけんしてて、嫌味ばかり言っていた。
でも、今目の前にいる逸見さんはいきなり同席した不躾な私に対して落ち着いてて、だけどおざなりじゃなくて、時折柔らかく微笑むとても……とても良い人のように見える。
そんな対照的というには極端な彼女の様子を疑問に思ってしまう。
「それは……戦車道の時だからでしょうね」
「戦車道の時はつんけんしちゃうの?」
「そこはね、どうしても。試合前とかはピリピリするものなのよ」
「ふーん、そんなものなのかなぁ」
納得、というほどではないものの逸見さんなりの理由があるのだという事は分かった。
よく考えたら桃ちゃん先輩も廃校が撤回されるまではいっつもピリピリしてた気がするし、
案外そういうものなのかもね。
なんて思っていると、逸見さんがじっと私を見つめている事に気づく。
「……でも、今のわたしが穏やかなのは……たぶん、あなたから戦車道の匂いがしないからかしら」
「匂い?でも私……たまに油臭いなーってなるけど……」
「そういう匂いじゃなくて、なんていうか……雰囲気とか、空気とか」
「空気?」
「私ね、戦車道やってる人はなんとなーくわかるのよ。歩き方とか、ちょっとした言葉選びとか。そういうのをひっくるめて匂いって事」
へぇーそういうのあるんだぁ……
言われてみるとみぽりんってパッと見ぽわぽわしてるけど運動出来るし戦車道の試合になると雰囲気変わるしでなるほど、わかる人にはわかるって事なのかな?
「うーん、確かに私まだ戦車道初心者だしね。戦車道やってます!って感じに見えないのはその通りなのかも」
「それで優勝チームの一人なんだからまったく……」
逸見さんは呆れるように、不貞腐れるようにコーヒーを口に含む。
「それで、なんで戦車道っぽくない人と話すときはクールなの?」
「……戦車道関係が入るとどうしても気を張っちゃうのよ。試合や練習中はもちろん学校でも……いえ、学園艦にいるとね」
逸見さんは私から視線を外し窓の外を見つめる。
その先にはここからでもわかるぐらい大きな船、黒森峰の学園艦がある。
だけど母校を見つめる逸見さんの瞳には諦めているかのような儚さが映っていた。
学園艦は私たちにとっての学校であると同時にそこに住む家でもある。
生徒のほとんどが親元を離れてて、一年の大半をそこで過ごす。
そんな学園艦に乗っていると気を張ってしまうというのならば、逸見さんが気を休められる時はいったいどれほどの時間なのだろうか。
それを想像した瞬間、私は胸が引きつるような痛みを覚えた。
「……それじゃあいっつも気を張ってるって事じゃん」
「……別にそれが嫌ってわけじゃないわよ?その緊張感があるからこそ試合の時楽しいんだから。……ただ、時々肩が凝っちゃうのも事実だけどね」
「なら、どうするの?」
逸見さんはふんと鼻を鳴らすと、少し強張った微笑みを見せる。
「だから、たまに寄港すると気を休めるためにこうやって一人で街を歩いてるのよ。今日は変なのに絡まれちゃったけどね」
「もー!そういう言い方はないでしょ!」
「それはお互い様でしょ?まぁ、とにかくあなたと話してるとあんまり気を張らなくて自然体になっちゃうのよ」
少なくとも、私が彼女の安らぎを邪魔したわけではないという事がわかって、安堵する。
でも、それはあくまでマイナスでは無かったというだけで、逸見さんが普段気を張ったままだという事は変わらない。
他人の私が心配するなんてのはおこがましい事なのはわかっているけれど、それでも。
どうしても気になってしまう。
「……辛くないの?」
「ご心配なく。もう慣れたわ」
また、諦めたように笑う。
それがなんだか見ていられなくて、私は無理やりトーンを上げて、明るい風に話す。
「じゃあさ、私もこのまま戦車道続けていったらいつか逸見さんは私と話すときもイライラガミガミするようになるのかな」
「流石に他所の子にそんな事はしないわよ……でも、そうね。やっぱり嫌味っぽくはなるでしょうね」
「そっかー。じゃあ今日はゆったりな逸見さんと話せる数少ない機会なんだね」
「……そうね」
すると、会話を切るように逸見さんはアイスコーヒーに口を付ける。
黒くて冷たい液体が彼女の中に流れ込むのを、崩れる氷の音色が彩る。
そして逸見さんはグラスを置くと、じっと何かを考えるように黙り込む。
1分、いやきっと10秒にも満たないだろう。
静寂が引き延ばした時間は私に緊張感をもたらす。
途切れた会話の糸端を探そうと私が口を開いた時、逸見さんが静かに声を出した。
「……私がたまに一人になるのはね、息継ぎしたいから」
「え?」
「学園艦にいる時の私はずっと海の中にいるの。深くて広い海の中に」
「……」
随分詩的な表現。
私が言ったらきっと笑われるだろう。
だけど彼女の容姿とその声色が、その詩を嘘っぽくなく、安っぽくない。確かなイメージを私にもたらす。
「その海の中を泳ぐのは楽しいわ。自分でその海に飛び込むことを選んで、自分の力で泳げるから」
人魚。そう人魚だ。
海の中を、逸見さんは泳ぐ。
今の彼女のように嬉しそうに、楽しそうに微笑みながら。
「その海を仲間と共に泳ぐのは楽しいわ。同じ志を持っていて、同時に競い合うライバルで。その子たちがいるから、私も負けてられないって頑張れる」
それはきっと紛れもない本心で、彼女が彼女足り得る柱の一つなのだと、その微笑みで確信できた。
だけど、その表情からふと笑みが消える。
代わりに彼女の顔を苦悩、あるいは諦観のような表情が覆っていく。
「でも、どんなに好きでも、どんなに楽しくても、どんなに頑張ってても。酸素が欲しくなるの。海からでて、大きく呼吸したくなるの」
喉が詰まったように逸見さんは声を無くす。
それを無理やり押し流すように、声を出す。
「苦しくて、苦しくて。自分の吐いた泡(あぶく)さえ掴もうと手を伸ばす。そうやって限界になった時。私は、一人になるのよ」
「……」
「たぶんきっと、普通の人はそんな事無いのでしょうね。日常の中でちゃんと息抜き出来て、私みたいに必要に駆られて休息するなんて事無くて。一人で過ごすのはただそんな気分だからってだけで」
先ほどの穏やかなものとは違う自嘲するような笑み。
締め付けられるような胸の痛みを覚える私をよそに、逸見さんは視線を窓の外へと移す。
「さっきね、遠目にうちの学校の生徒が見えたのよ」
そう言って羨ましそうに目を細める。
そこにはもう人影は無くて、だけど逸見さんの瞳には先ほどの光景が焼き付いているのだろう。
「友達と一緒に、楽しそうにお喋りしながら。きっと知らない街を楽しんでた」
それは、普通のことだ。
誰もが当然のように、当たり前のように。
友達とお喋りをして、遊んで、一緒の時間を過ごす。
「きっと小梅もレイラも小島もツェスカも。そんな風に今日という休日を過ごしてる」
なのに、逸見さんはその『当たり前』に自分を含めない。
余りにも悲しい独白を終えた逸見さんは、私に向き直ると嬉しそうに微笑む。
「だから、今日はあなたと出会えて良かった。私の休息を生きるために必要なものじゃなくて、
ただただ無為な、ただただ普通な、なんて事のないお喋りの時間にしてくれたから」
呼吸する。
それは普通の事で、当たり前のことで、逸見さんの言う通り必要に駆られてするようなものじゃない。
その『普通』で、『当たり前』を逸見さんは諦めているのだろうか。
美術館の絵画のように。美しいと思っていても、自分が触れていいものだとは思わないのだろうか。
それを……私がどうこう言う権利があるのだろうか。
だって逸見さんはもう、それを受け入れているから。
私が彼女の内面を推し量ろうとして黙っている姿を、どう思ったのだろうか、逸見さんは申し訳なさそうに目を伏せる。
「……ごめんなさい、変な事言ったわね。忘れてちょうだい」
「なら、私は逸見さんが落ち着ける方法探すね」
「え?」
唐突な提案。
その意味を計りかねたのか逸見さんの喉から調子の外れた間抜けな音がでる。
「黒森峰の学園艦って大きいんだしここみたいに雰囲気の良いカフェとかきっとあるって!無いなら無いでお香とか、カラオケとかでいっぱい歌ってスッキリしてからとか!」
「ちょ、何言ってるの?」
「え?だから、逸見さんが学園艦にいてもイライラしない方法」
とりあえず『黒森峰 カフェ 雰囲気』で検索してみて出てきたランキングの一位から調べてみる。
あ、ここ良さそう。
私はスマホを差し出すも、逸見さんはその手をそっと払いのける。
「だから、何でって。あなたにそんな事してもらう筋合い―――」
「……ずっと張り詰めてるのが辛くないわけないよ」
「……」
「逸見さん、こんな風に落ち着いてすごせる日が一年にどれだけあるの?寄港して、何の用事もないからって一人になれる時がどれだけあるの?」
座り直した逸見さんは、だけど気まずそうに目を逸らす。
でも、耳はこちらを向いているのだから問題ない。
「私は、あなたがどんな風に学園生活を送ってるのか知らないよ。あなたが、何を思って日々を過ごしているのか知らないよ。だってあなたとまともに話をしたの、これが初めてなんだから」
そう、初めてなんだから。
あなたの第一印象は凄く悪くて、みぽりんはあなたは悪くないって言ってたけどそんなの知らなくて。
だけど、だけど。
「でもね、だからって、そんな諦めたような顔されて何とも思わないわけじゃないんだよ」
ここであなたを見つけた時。
「逸見さん、戦車道が好きなんでしょ?」
一人で本を読むあなたを見た時。
「だから、黒森峰に入ったんでしょ?」
なぜか、みぽりんが重なったから。
「ならさ、もっと長く、もっとたくさん楽しめるように色々考えようよ。私も一緒に考えるから」
そっと、彼女の手を取る。
細くて、白くて、冷たい手。
そんな彼女の手に、私の温もりが流れ込む感覚がする。
逸見さんの瞳はいつの間にか私を見つめていて。
戸惑って揺れる瞳に私は微笑みかける。
それで観念したのだろうか。
逸見さんは呆れたようにため息を吐いた。
「それ、あなたに何の得があるの?」
「んー……そうだなぁ。ここみたいな素敵なカフェを巡る口実ができるとか?」
「そういうのはお友達に頼めばいいでしょ。それに……一緒にお茶したって私は面白い話なんてできないわ」
「なら、私が喋るよ。私、話のネタならいくらでもあるし」
「でも……」
「ならさ、」
今度は私が身を乗り出す。
「私と、友達になってよ」
逸見さんは驚いて目を丸くする。
気づいたんだけど逸見さんって結構表情コロコロ変わるんだね。
「友達と遊ぶのに、お喋りするのに、心配するのに、理由なんか要らないでしょ?」
そうそう、最初からこうすればよかったんだ。
赤の他人にするお節介するよりも友達にお節介する方がお互い楽なんだし。
逸見さん相手だから変に遠慮しちゃってたけどみぽりんの時も私はこうしたんだから。
「だから、友達になろうよ。私と、あなた。今日この場で」
逸見さんは、考え込むように口に手を当て目を閉じる。
ふと、その手で隠された口元から息が漏れ、柔和な弧を描く。
くっくっと笑いをこらえきれない様子の逸見さんは、やがて大きく深呼吸をして、私に向き直る。
「なるほどね……あの子が懐くわけだわ」
逸見さんは何かを呟くと、さっきの私のように、いやそれ以上に身を乗り出してくる。
「武部さん」
鼻先がぶつかりそうなぐらいの距離。
吐息が唇に触れる。ていうかまつ毛長っ…!
私がいらぬドキドキに苛まれているのに逸見さんは澄ました表情のまま、私を文字通りの至近距離でじろじろと眺める。
「あなた、人たらしね」
「へ?」
逸見さんは悪戯っぽく笑うと、乗り上げた身を席に戻す。
「あなたならきっと、素敵な彼氏が見つかるわよ。応援してるわ」
「え、あ、ありがとう……」
なんだかよくわからないが逸見さんはとても楽しそうだ。
対して私は血流の良くなった顔を冷やそうとアイスコーヒーを一気にあおる。
残りのコーヒーを飲み干し、名残惜しそうな氷の音と共にコップを置く。
「それじゃあ、早速考えましょうか」
「え?」
「私が息抜き出来る方法。あなた、そういうの沢山知ってそうだしぜひともご教授願おうかしら」
逸見さんの瞳に映るのは期待。
それに応えるのが彼女にお節介した私の義務だ。
私は彼女に見えないようテーブルの下でぎゅっと拳を握り、いざ!と口を開く。
「……うん!それじゃあまずはね――――」
楽しいデートも楽しい遊びもまずは計画から。
それがまた、楽しいのだ。
・
・
・
気づいた時、太陽が水平線に近づき茜色が窓から差し込んでいた。
「あら、もうこんな時間」
「え?ホントだ戻らないと」
今から学園艦に戻るとだいぶギリギリになっちゃう。
本当はもっと余裕をもって帰るつもりだったのに。
「なんだか、いつもより早く時間が過ぎた気がするわ」
「友達と喋ってたらそんなものだよ。こないだなんて華と話してたらさ!」
「はいはい、その話はまた今度。とりあえず出ましょうか」
危うくお喋りに入りそうになった私を制し逸見さんは一足先にお会計へと向かって行った。
・
・
・
「あ、待っててくれたんだ」
お会計を終えた私を逸見さんはお店の前で出迎える。
正直、もう帰ってる可能性も考えてたから、ちょっとだけ安心する。
「いくらなんでもそんな真似しないわよ」
「あはは、そうみたいだね」
「……それじゃあ、お別れね」
「言い方なんかそっけない」
「うるさいわねぇ……」
めんどくさそうに毛先をいじる逸見さん。
その時、何かを思い出したようにカバンからスマホを取り出した。
「武部さん、スマホちょっと貸してもらえる?」
「え、うん」
スマホを渡すと逸見さんはお互いのスマホを何やら操作をして私に返してきた。
画面を見ると、そこには『逸見エリカ』の文字と連絡先。
「お言葉に甘えて、暇にな時は連絡するわ。都合が合ったならまた会いましょう」
今度は気恥ずかしそうに髪をいじる逸見さんは、なんだかとても可愛らしくて。
思わず威勢よく返事をしてしまう。
「……うんっ!」
「それじゃあね。今日は楽しかったわ。次がいつあるかはわからないけど」
そう言って逸見さんは去っていく。
「あ……ま、待って!!」
私も、お別れの言葉を言おうとしたのに、なぜかその背中を呼び止めてしまった。
逸見さんは振り返って不思議そうにこちらを見つめる。
「何?」
「えっと……」
「?」
何やらもごもごと言いよどむ私に疑問符を浮かべる逸見さん。
まずい、『なんかわからないけど呼び止めちゃった』って言ったら変な子だと思われてしまう……
私は必死に頭の中をぐるぐる回す。
だけど何の話題を出せばいいのか。
わかんない。なんで?なんで呼び止めたの?
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
焦りと混乱で目が回ってきた時、私の口は反射のように何かを叫んだ。
「え、えりりんっ!!」
「はぁ?」
突然謎の単語をぶつけられますます疑問符を強める逸見さん。
だけど、私は畳みかけるように連呼する。
「えりりん!!えりりん!!あなたはえりりん!!」
「いや私そんなご当地マスコットみたいな名前じゃないけど……」
知っているがそういう事ではなく。
私は無理やりこねくりだした理由を吐き出す。
「そうじゃなくてあだ名!!エリカだからえりりん!!」
「あだ名って……急に何よ」
ごもっともな話だ。
でも、吐いたなんとやらは飲み込めない。
何よりも、私は理由を見つけたから。
「せっかく友達になれたんだから、ね?」
「……あなた、距離詰めるの速すぎない?」
それは自覚している。でも、でも。
それが私の良い所。……なんだと思う。
「友情に時間は関係ないよ!!」
「強引ね……まぁ、いいわよ」
「じゃあえりりんも私の事をさおりん!って呼んでね」
「じゃあね武部さん」
「むー……」
ノリが悪いというかノリが固い……
私が唇を尖らせると、逸見さんはふっと微笑む。
そして、
「……またね、沙織」
これで勘弁して、と。
小さく付け加える。
「……うん。またね、えりりん」
それで十分だよ。
大戦果だよ。
私たちは微笑みあって、えりりんは去っていく。
小さくなっていく背中を眺めながら次はいつ会えるのかなって考えていると――――えりりんが戻ってきた。
「……どうしたの?」
今度は私が疑問符を浮かべる。
逸見さんは挙動不審というか所在なさげな感じでせわしなくつま先で地面を鳴らす。
もう一度尋ねようかと思って口を開いた時、えりりんは恥ずかしそうに小さな声を出した。
「…………よく考えたら、帰る方向同じだったわね」
落ちる夕日は並んでたたずむ二隻の学園艦を彩っている。
学園艦ほどの大きい船が入れる港なんてこの辺りには一つしかない。
考えれば当たり前の事だ。
つまり、そんな事に気づかないぐらい楽しかったのだろう。
私も、えりりんも。
「っ……あははははっ!」
「わ、笑わないでよ!?」
顔を真っ赤にするえりりんがおかしくて、私は余計に笑ってしまう。
ひとしきり笑った後、私は不貞腐れるえりりんにお誘いをかける。
「なら、さ、一緒に帰ろっか?」
えりりんは返事をせず、そのまま帰り道をゆっくりと歩き出す。
その後を私もゆっくりと歩いていく。
さて、帰り道はどんなお喋りをしようかな?
・
・
・
日は過ぎてある日のお昼休み。
場所は学校の食堂。
私はいつものようにあんこうチームの皆とお昼を食べていた。
「武部殿ー」
「ん?何?」
はす向かいに座ったゆかりんに呼ばれ私はそちらを向く。
「いえ、先ほどからスマホが気になってるみたいですから」
「ああ、今ちょっと友達からのメールの返信待ち」
「他の学校のですか?」
「うん、そうだよ」
そう言うとゆかりんだけじゃなく、みぽりんもわぁと可愛らしい声を出す。
「他校で武部殿が仲良さそうなのと言うと…………候補が多すぎて絞れませんね」
「沙織さんみんなと仲良くなれるものね。羨ましいなぁ……」
「沙織の場合は顔が広いというよりただお節介なだけだ」
口々に褒めてくるゆかりん&みぽりんに私がふふんと胸を張ると麻子がいらぬ横やりをいれてきた。
「そういうのは一人で起きられるようになってから言って。今日だって三回もモーニングコールしたのに遅刻したでしょ」
「むぅ……」
言い返してやると麻子は言い返せないようで、黙って日替わり定食へ箸を伸ばす。
「それで、メールの相手はどなたなんですか?」
隣で山盛りのラーメンとチャーハンを食べてる華がそう尋ねてくる。
「んー……内緒」
「なんですかそれー」
「もったいぶるなー」
「意地悪はダメですよ?」
ブーブーと不満の声が上がるものの私は断固としてNOを突き付ける。
「私たちの知らない友達?」
「いやみぽりんたちは良く知ってるだろうけど……本人の希望でね」
私としてはさっさと紹介してあげたいのだけど……散々口うるさく言われてしまったので。
気にしすぎだなぁとは思うものの、私が彼女に抱いていた第一印象を思うと、やっぱり順序というものは必要かなと納得している。
なので、みぽりんたちには内緒。という事なのだが、心当たりが無いせいか、華が困ったように頬に手を添える。
「あら……私たちが何か悪い事でもしたのでしょうか?」
「そういうんじゃなくて、なんというか……恥ずかしがり屋さんだから?」
「私たちが良く知ってて恥ずかしがり屋さん……えっと……」
みぽりんは記憶の中から該当者の検討を付けているのか、考え込みだす。
思ってたよりも掘り下げてこようとするみんなをどう捌こうかと悩んでいた時、スマホが軽快な音楽を奏でた。
画面に映る名前は最近登録されたばかりのもの。
メールを開くと、私のとは全然違う絵文字もスタンプも何もない簡潔な文章でこう書かれていた。
『こっちも確認取れたわ。黒森峰も今度の土日近くに寄港するわね。
とりあえずよさげな喫茶店いくつか見つけたからどこに行くか決めといて。
でも予定があるならそっちを優先しなさい。
それと、あなたのお友達と一緒はNGよ。私、友達の友達と気兼ねなく遊べるほど社交的じゃないから。
それで良ければ返信頂戴』
「……ふふっ」
あんまりにも『らしい』文面に思わず笑ってしまう。
そんな私に気づかず、みぽりんたちはあれやこれやと『謎の友達』の正体を当てようと議論していた。
「恥ずかしがり屋なら猫田さん?」
「ねこにゃー殿はうちの学校だから違いますよー」
「なら、知波単の福田さんでしょうか?」
「福田さんも恥ずかしがり屋とはちょっと違うんじゃないかなぁ」
「うーん誰でしょうか……」
やがて、議論が行き詰ったのかみぽりんが私に助けを求めるような視線を向けてくる。
「何かヒントを貰えますか?」
「ん?そうだなぁ……たぶん、話すとイメージが変わる人、かな?」
「つまり私たちが持ってる印象とは違う人か」
「えーそれじゃあ絞れませんよぉー」
結局みんなは正解が見つけられない様子だ。
まぁあんまり意地悪してもあれだしこれぐらいは言ってあげてもいいかな?
「いつか、ちゃんと紹介するよ。たぶん、きっと、すぐに」
そう遠くないうちに、彼女は何の気兼ねも無く海の中を泳げるようになるだろうから。
終わりです。
沙織さんは誰とでも仲良くなれるなぁって書いてて思いました。
読んでくれた方ありがとうございました。
乙乙
良いものを読ませてもらった
これは良い逸見
おつ!
デート編もまってるぞ!
乙ー
凄く良かったです
乙
乙、どっちも引き出せてるし
続きはよ
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