渋谷凛「夏がはじまる」 (21)
太陽が完全に姿を隠して、真っ暗になった浜辺を人工の光が照らす。
その光を頼りに、スタッフの人たちはてきぱきと機材を運んだり、ステージを解体したりしている。
ほんの一時間前に私が歌って踊っていた場所は、鉄の骨組みがあるのみで、もう跡形もなかった。
「終わっちゃった……なぁ」
呟いて、ストローに口を付け、スポーツドリンクを飲む。
この気温では熱くなっちゃったかな、と思ったけれど、ステージ前に飲んだ時と変わらずしっかりと常温で管理されていた。
プロデューサーが日の当たらないところに置いておいてくれたのだろう。
こういうとこ、ほんとにマメだなぁ、などと考えながら、ふたくち目を飲みこんだ。
汗を流して、疲れた体に塩分と糖分が染み渡る。
自然と、ふー、と息が漏れてしまった。
「お疲れさん。風邪ひくぞ」
そんなところに、声と共にばさぁっと雑に頭から大きなタオルケットをかけられた。
こんなことをするのは一人しかいない。
私がタオルケットから顔を出すより先に「ちょっと」と抗議した。
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○
やはり、というか何というか、私にタオルケットをかぶせてきたのはプロデューサーだった。
「ほら、くるまって。日も沈んで気温も落ちてきたんだから」
間髪入れずに、私を簀巻きにしようとしてくる。
流石にやられっぱなしでいるわけにもいかず、椅子から立ち上がる。
その拍子に膝の上に置いていたスポーツドリンクの入ったボトルが砂浜へと落ちてしまった。
「あ」
気付いたときには既に遅く、中身のほとんどは砂に吸い込まれていた。
「あーあ。せっかく俺が用意したのに」
「そもそも私が落とす原因を作ったのはプロデューサーでしょ」
「?」
「そんな顔してもダメだから。っていうか、スタッフの人たちに挨拶は終わったの?」
「ああ、うん。ごめんな、そんな格好で待たせて」
プロデューサーはどこかバツが悪そうに、私から目を逸らして、言う。
自身の今の格好を思い出して、そういうことか、と得心した。
ビキニ風の衣装にミニ丈のパレオを纏っただけの姿だから、目のやり場に困るのだろう。
「午前中に普通の水着も見たのに、なんで今更恥ずかしがるわけ?」
ちょっとからかってやるか、と悪戯心がふつふつと沸いてくる。
「別に恥ずかしがってるわけじゃない。それに、風邪ひかれちゃ困るのも事実だろ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと。それと、向こうに履くもんと羽織るもん、それから靴用意してあるからな」
「ん。ありがと、上から服着ちゃったらいよいよ見納めだけど、もういいの?」
目の前に躍り出て、くるりと回って見せる。
回転に伴って、パレオもひらひらと舞った。
「いいから早く着てくる!」
またしてもプロデューサーは私にタオルケットをかぶせ、その上で追いたててきた。
○
用意してもらった上着を羽織り、パレオを外してズボンを履く。
着替えと言っても、全て上から着るだけなのですぐに終わってしまう。
手早く荷物をまとめて、プロデューサーのもとへと戻った。
「よし、じゃあ行くか」
「うん」
ざくざくと砂浜を踏みしめ、今日の宿泊先であるホテルへと向かった。
○
「そういえば、さっき見てなかった?」
「何を」
「脚。私の」
「見てない」
「嘘ばっかり」
「朝に海で遊んでた時も見てたでしょ」
「見てない」
「正直に言えばいいのに」
「あんまりからかうと夜ご飯なしだからな」
「そんなことしたらちひろさんに言いつけるからね」
「勘弁してください」
「それはそうとさ。ご飯、どんなの?」
「んー。フレンチじゃないかなぁ。小部屋みたいなの用意してくれる、って」
「あれ、ビュッフェじゃないんだ。看板出てたやつ」
「ビュッフェだと今日のライブに来てた人もいるだろうから。すぐ隣のホテルだし」
「あー……」
「つーわけで、我慢してもらえると助かる」
「ううん。っていうか、わざわざ特別待遇までしてもらっちゃって申し訳ないな」
「そんだけ有名になったってことだよ」
「そうかな」
「そうそう。それと、夜ご飯なんだけど」
「うん」
「予定ではあと十五分後」
「そういうことはもっと早く言って」
○
息を切らしながらチェックインを済ませ、鍵を受け取る。
「プロデューサーと部屋、別なんだね」
「当たり前だろ。一緒だったら色々問題あるし」
「まぁ、そっか。それじゃあ、さっき言われたところに再集合でいいんだよね」
「うん。ドレスコードとかないから、普通の格好しておいで」
「そもそもドレスなんて持ってきてないよ」
「それもそうか」
そうしてプロデューサーとはフロントで別れ、鍵に記されている自分の部屋へと向かう。
エレベーターに乗り込んで、部屋番号と同じ階のボタンを探すと最上階らしいことがわかった。
目的の階に到着して、廊下をずんずん進んでいく。
どうやら私の部屋は一番奥のようだった。
最上階、最奥。
今日泊まる部屋は、とんでもなく豪華だった。
○
煌びやかな装飾に溢れた部屋の中に、ぽつんと私のキャリーバッグが置いてある。
その中から着替えと化粧ポーチを取り出した。
まずは手早く着替えを済ませて、それから今日使った衣装はできるだけ皺にならないように畳む。
次に化粧ポーチを手に洗面所へ行って、軽くメイクを直す。
さぁ、準備は完了だ。
私が何人横になれるのだろうか、というサイズのベッドに化粧ポーチを置いて、部屋を出た。
○
指定されていた部屋の前に着くと、既にプロデューサーは待っていた。
「スーツのままなんだ」
「ああ、着替えるの面倒で。凛は朝の服じゃないんだな」
「うん。汗かいちゃったし変えたんだ。……どう?」
「何を着ても似合う」
「てきとー過ぎないかな」
「嘘は言ってない」
「はいはい」
軽口を叩き合いながら、ホテルの人の案内に従って部屋へと入った。
○
ホテルの人が引いてくれた椅子に腰を下ろし、薔薇の形に折られたナフキンを広げ膝の上に置く。
芸能人として活動する中で、こういう場での食事の経験がないわけではないけれど、やはり恐縮してしまう。
正面の席にいるプロデューサーはというと、ワインのメニューを見せられていた。
そして、何やら話したあとでホテルの人は下がっていった。
「飲むの?」
「飲まないよ。断った。付き人も兼ねてる以上、まだ仕事中ですから、って。」
「大人の事情、ってやつ?」
「そうそう。体裁上ね。ノンアルコールのスパークリングワイン出してもらうことにしたから、それで乾杯しようか」
「ライブの大成功を祝して、って?」
「君の瞳に、でもいいけど」
「恥ずかしいから絶対やめて」
○
やがてホテルの人が戻ってきて、ボトルの底面を持ち器用にワインを注いでくれた。
ぺこりと一礼して、下がって行ったのを見計らって二人してグラスを手に持つ。
「じゃあ」
「うん」
「君の瞳に」
「ライブの成功を祝して、でしょ」
訳の分からない問答をしながら、かちんとグラスを合わせた。
風情も何もあったものではないな、と思った。
○
それから間もなくして料理が運ばれてきた。
オードブルに始まって、デザートに終わるまで。
一セットずつ減っていく銀器と、いつまでも減らない軽口の応酬。
ごちそうさまでした、と手を合わせるまでずっとそんな調子だった。
○
食事を終え、プロデューサーと別れて、部屋へと戻ると、一気に疲れがどっと押し寄せた。
そういえば、今日は朝は遊んで、夜はライブして、と盛りだくさんだった。
瞼はどんどん重くなっていく。
自分の力で瞼を持ち上げられる内に、メイク落としてお風呂入ろう。
そう思って、化粧落としを手に、部屋のお風呂へ向かった。
バスルームに入ると、またしても面喰った。
まさかのジャグジーで、すごく広い。
さっきまでの眠気が吹き飛んでしまった。
これは入らなくてはもったいない、と給湯ボタンを押した。
○
お風呂が沸くまで、探検のつもりで部屋をうろちょろと見て回る。
カーテンを開けて外を眺めると、そこには夕方にライブをした砂浜と海があった。
オーシャンビューだ。
すごい。
出てきた感想はあまりにも幼稚なものだった。
そこへ、間もなく給湯が完了する、という意味の電子音がバスルームから響く。
待ってました、と向かおうとしたその時、ノックの音が飛び込んできた。
○
時計を見やる。
二十一時過ぎ。
こんな時間に誰だろう。
不審に思って、チェーンロックをかける。
そこに再度ノックの音が飛び込んできた。
「凛ー、まだ起きてる?」
○
プロデューサーは先ほどのスーツ姿とは打って変わって、Tシャツに短パンとラフな姿だった。
「どうしたの? わざわざ部屋まで来て」
私が尋ねると、プロデューサーはにっこりと笑う。
そして、後ろ手に隠していたらしいものを、掲げてみせた。
「じゃん。これなんだ」
「……花火?」
「そう、花火。やっぱ夏だし」
「今から?」
「だって明日には帰るし」
「お風呂、沸かしちゃったんだけど」
「でも花火、やるでしょ?」
返答はわかってる、と言わんばかりのどや顔だ。
でも、やらないという選択肢はもう私の頭にはないのもまた事実で。
「まぁ、うん。やるけど」
こう返事する他なかった。
「ほらー」
○
メイク、落とさなくて良かった。
ちょっとだけそう思った。
○
今日何度目かの砂浜へと降りる。
花火を両手に持ってぐるぐる回しているプロデューサーを見ていると、どちらが大人なのかわからなくなった。
しかし、見ているとやりたくなるというものだ。
私も両手に花火を構えて、火をつけた。
しゅー、と音を立てて吹き出す花火を振り回す。
私がはしゃいでいるのを見て、プロデューサーは何かがツボに入ったのかお腹を抱えて笑っていた。
○
そうして、大量にあった花火は線香花火を残して、二人で全て使い切ったのだった。
名残を惜しみながら、お互い最後の線香花火に火をつける。
控えめなぼんやりとした光は、ゆっくりとゆっくりと勢いを増す。
ぱちぱちと火花を散らし、最も勢い付いたところで、ぼとりと落ちた。
「あ、終わっちゃった」
「終わったなぁ」
「あのさ」
「また花火やりたい、って話?」
「なんでわかったの?」
「なんとなく」
「そっか」
「またやろう。あと十回くらい」
「それは多くないかな」
「いけるいける。まだ夏は始まったばかりだし」
「……だといいね。ふふ」
○
まだまだ夏は始まったばかり。
今年の夏もきっと、話題に事欠かないくらい盛りだくさんなものになるだろう。
そう確信している私がいた。
おわり
よし埋まれ
おつ!
おつー
おつおつ
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