佐久間まゆ「まゆもやるくぼですけど!!」 (106)






 ──あなたにとって『アイドル』とは?






SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1514455358

 いまから一年ほど前のこと。

 
『佐久間まゆ、読者モデルを電撃引退! アイドル事務所に所属!』

 
 表紙を飾ることもあった売り出し中の読者モデル、佐久間まゆの突然の移籍。
 
 どうしてやめるの? 佐久間頼むから辞めないでくれ! まゆもう一度考えなおしてみたら?
 
 仲の良かったモデル仲間やマネージャーさん、クラスメイトにパパやママ。いろいろな人から質問攻めにあったり、モデルを続けるようなんども説得されたりもした。
 
 応援してくれていたファンからの反発もすごかったみたいで、うちにも苦情の電話や手紙が送られてきて大変だったんですよーと、ちひろさんに言われたこともありましたっけ。いつも通りニコニコの笑顔で。あれってもしかして怒ってたんでしょうか。
 
 ともかく。私、佐久間まゆのアイドルへの転身はいろいろなところで話題になっていたみたい。


 モデルのお仕事が嫌になったわけじゃない。カメラマンさんが撮ってくれた写真にはまるで別人のように綺麗な自分が写っていていつもわくわくしてたし、応援してますって送られてきたファンレターはいまも大事に引き出しにしまっている。

 

 
 アイドルになってからは大変なことばかり。
 
 モデルで培ったビジュアルやもともと得意だったボーカルのレッスンははじめからそれなりにこなすことはできたけれど、もともと運動が得意じゃない私にとって、ダンスだけは鬼門だった。そもそも動きのキレ以前に踊りきる体力が足りなくて、毎朝の走り込みをして体力をつけることでなんとかレッスンについていけている、というのがいまの現状。
 
 純粋に憧れてアイドルになったみんなと、アイドルそのものには興味の薄かった私とではモチベーションもぜんぜん違っているわけで、お仕事やライブに対する熱意に置いていかれそうになって慌てたこともありましたっけ。
 
 とにかく、この一年間はとっても大変できつくて。弱音を吐きたいほどつらいこともたくさんあった。
 

 
 でも。それでも後悔だけはしていない。
 アイドルになって、この事務所に居ることができて、ほんとに良かったって心の底から思う。

 
 
 
 だって、運命に出会ってしまったんですもの。

 
 プロデューサーさん。
 
 私の、運命の人を見つけてしまったんだから。

 
 
 
 プロデューサーさんはとっても素敵な人。いつでも一生懸命にお仕事をがんばってくれている大きな背中。いつもは真面目なのに時々どうしようもないいたずらをしちゃう子供っぽいところもあるお茶目でかわいい性格。そしてにこりと笑ったときのドキドキしちゃうあの笑顔。

 
 しかもお若いのに(もちろん私のほうが年下ですけど)とっても優秀。どれくらいすごいかっていうと一年もしないうちに私をCMにも出れる売れっ子アイドルに育ててくれたっていえばわかってもらえるでしょうか。
 そんなことをあの人に言ってみると、

「それは俺がすごいんじゃなくて、元々まゆが有名だったからだよ」
 
 なんて謙遜していましたけれど。プロデューサーさんはほんとうにすごい人で尊敬しちゃう。
 


 プロデューサーさんに出会ったあのときから。
 この人と歩んでいきたい……ううん、一緒にならなくちゃいけないんだって思ったんだから。
 
 プロデューサーさんがいてくれたからがんばってこれた。
 プロデューサーさんが傍にいてくれる。プロデューサーさんが私のことを見てくれている。
 
 私にとって、それがいちばんの幸せだったから。
 
 アイドルとして過ごしたこの一年間は、ほんとうに夢のような世界だった。



「まゆちゃん、落ち着いて聞いてください」
 
 だから聞き間違いだと思った。そうであって欲しかった。



「今、連絡があって」
 
 だって、幸せだったから。





「プロデューサーさんが……病院に搬送されました」

 
 
 いつまでもこの日々は続いていくんだって。そう信じていたかったんだから。






 🎀
 
 それはどこにでもあるような一通の手紙だった。
 
 アイドルとして佐久間まゆが売れ出しはじめたころ、事務所に送られてきたそれはプロデューサーさんの机の上にぽつんと置かれていた。
 ファンからの贈り物は危険なものではないかチェックがされてから、ようやく私たちの手元にやってくる。俺が許可するまで勝手に中を開けるなよと散々注意されてきたし、これまでずっと守ってきた。あの人に嫌われたくありませんでしたから。
 
 なのになぜでしょう。なぜかあのときはその手紙がどうしても気になって、プロデューサーさんが席を立ったすきにこっそりと手にとってしまった。
 興味本位でプロデューサーさんとの約束を破ってしまった。だからきっとこれは神様からの罰なんだと思う。手紙を開くとでかでかと書かれた文字が視界に飛び込んできた。
 


『裏切者』



 どうしてモデルをやめてアイドルになんかなったんだ! ふざけるな! いままで君を追いかけてきた俺の気持ちを考えてみろ!
 
 一方的な罵倒の言葉が綴られていた。
 
 手が震えてくしゃりと音が鳴った。そういえば、モデル辞めたことに怒っている人たちが掲示板にいろいろ書き込んでるみたいだけど大丈夫? と頼んでもないのに教えてくれた親切な人がいましたっけ。なんてことをいまさら思い出す。


 裏切者。
 
 その言葉が頭のなかで繰り返される。
 たぶん端から見ればなんて理不尽なんだってきっと思う。こんなの気にしちゃだめですって言ったかもしれない。
 
 だけどこのとき、私は否定する言葉を見つけられなかった。
 
 プロデューサーさんのためだけにモデルを辞めた。そのためにいろいろな人たちに迷惑をかけた。
 それは間違いないたしかな事実で、裏切りと言われても仕方ないことだと思ってしまったから。

 
 
 モデルの私を応援してくれていたファン。同僚だったモデルのみんなにマネージャーさんたち。

 
 もしかしたらいまも、自分勝手だった私のことを恨んでいるんでしょうか。


 
 そんなことを思い出したのは、病室の机の上に置かれてある手紙を見たからかもしれない。
 見舞いに来た人たちが置いていった手紙。中には見知った名前もあった。
 もちろん中身は見ていない。それでもプロデューサーさんへの想いがそれぞれ綴られているだろうということだけは手に取るようにわかった。
 
 ちょっとだけ嫉妬しちゃうけれど、みんなに愛され慕われている、この人がとても誇らしい。
 ……誰にも渡しませんけどね。


「ですよね、プロデューサーさん」

「………」

 
 
 営業に向かう途中、階段から転げ落ちて意識不明の重体。

 
 ちひろさんからそう伝えられたときは私も一緒に倒れるかと思った。幸い峠を越えて命に別状はなくなったものの、プロデューサーさんはいまだに目を覚まさない。

 
 
 プロデューサーさんのあの優しい笑顔が見れなくなってから、もう三日が経つ。



「……いろいろお疲れでしたもんね。ゆっくりお休みになってください」
 
 脳に異常はないそうです。だからすぐに目を覚ましますよ。
 
 慰めるようにちひろさんはそう言ってくれたけれど。
 このまま目を覚まさないんじゃないか。もうあの笑顔を見れないんじゃないか。なんて嫌なことばかり考えてしまう。
 
 そんなのいや。絶対にいやです。
 左手首につけた赤いリボンを握りしめる。

 
 
 あなたがくれたこのリボンに誓ったの。

 運命の赤い糸で結ばれますように。これから先もずっとあなたの側にいられますようにって。
 
 ねぇ、プロデューサーさん。お仕事はまゆがなんでもやります。あなたはなにもしなくていいです。
 あなたのためならどんなにつらいことでもがんばりますから。
 
 だから早く目を覚まして。がんばったら頭を撫でていっぱいほめて。いつものように楽しそうな笑顔を見せて。

 
 
 「まゆ」ってあの優しい声で、また私の名前を呼んでください。

 
 
 時計を見ると五時をまわろうとしている。もうすぐレッスンの時間。遅れるとトレーナーさんに怒られてしまう。


「今日はこれで失礼します。また明日も来ますね」
 
 ぎゅっとプロデューサーさんの手を握ってから、病室を後にした。

 🎀
 
 あの日から、私はとんでもなく忙しい日々を送っている。
 だって、いままでプロデューサーさんがしてくれていたお仕事を、自分でやっていかないといけなくなったんですから。
 
 営業のように私に出来ないお仕事はちひろさんや他のプロデューサーのみなさんが手を貸してくれている。
 でも当然彼らにも自分たちの仕事があるわけで、私に負担の比重が重くなることは避けられなかった。
 
 少しだけお仕事の量を減らしましょうか、というちひろさんの提案を断った。
 そんなことをするとあの人が悲しむから。
 みなさんの迷惑にならない限り、自分でできることは自分でやっていきたい。
 そして帰ってきたプロデューサーがびっくりするくらいに輝いていていたいんです、って。

 
 
 だけど、言うは易く行うは難し。いままで簡単そうに見えていたことがやってみるととても難しい。

 
 特に大変だったのはスケジュール管理。
 いままでは時間に余裕を持って臨むことができていたものの、それは車という交通手段があったからで、電車や自転車で行こうとするとぎりぎりになることが多かった。相手先との打ち合わせもダブルブッキングにならないかとか神経を使ってばかり。
 
 そしてなによりアイドルである以前に学生。当然学校もある。
 体も心もへとへとになる慌ただしい生活。それが一週間ほど続いたときのことだった。


「ちひろさん……その子は?」
 
 いつも通りプロデューサーさんのお見舞いに行ったあと事務所に着くと、ちひろさんの隣にちょこんと腰かけた女の子の姿があった。
 森に住み着いている妖精のような雰囲気をまとっている、どこか童話の世界に出てきそうな少女。見たことのない、少なくともこの事務所のアイドルではないのは間違いないはず。
 
 私に気づいたらしく、不安げに揺れる瞳と目が合った。

「ううう……」
 
 その子は目を逸らしたかと思えば、近くにある机の下に潜りこんでしまった。

「森久保乃々ちゃん。今度からうちのプロダクションに入ることになっていた新人アイドルです」

「なっていた?」
 
 首を傾げると、ちひろさんは困ったような顔で机の下を覗きながら続ける。

「まゆちゃんのプロデューサーさんがスカウトしていたんですけど」

「プロデューサーさんが……」

「はい。ですけどいまはプロデューサーさんがあんなことになって。本当は今日からアイドルとしてレッスンをはじめることになっていたんですけど」

「も、もりくぼは別にアイドルになりたいなんて言っていないんですけど」
 
 いまの言葉に今日二度目の首傾げ。アイドルになりたいわけでもないのに、どうしてスカウトに応じたんでしょう?


「二か月後に事務所の定例ライブがあるじゃないですか。実はプロデューサーさん、その場を利用して売り込むために乃々ちゃんをライブに出演させようとしてたみたいなんです」

「……歌やダンスの経験は」

「まったく、です。急にこれなくなったモデルの代理をやっているところを見つけてきたらしくって。アイドルのアの字も知らないみたいです」

「それで二か月はちょっと……」

「難しいでしょうね。ごめんなさい乃々ちゃん。今回のライブは見送りになると思います」

「ですから……もりくぼはライブなんて無理なんですけど……」
 
 プロデューサーさんがいなくなって、この事務所はみんながいっぱいいっぱい。
 これ以上他のことをやる余力なんてみじんも残っていない。
 だから乃々ちゃんのステージは諦めるしかない。
 いまじゃなくても機会はいくらだってある。
 ちひろさんの言っていることはもっともなのだと思う。

 
 
 ふいにプロデューサーさんの顔がちらついた。

 あの人のことは私がいちばんよく知っている。
 
 飄々としているようでとっても真面目な人。
 この子のデビューが遅れてしまったことを知ったら、きっと自分のせいだと責めてしまう。
 プロデューサーさんが悲しんでしまう。
 
 ……それだけは嫌。


「まゆに考えがあります」
 
 しゃがんで机の下の乃々ちゃんを引っ張り出す。

「えっ。あっ、あの……」
 
 これから私がやろうとしてることは無茶なことなのかもしれない。
 ちひろさんの言う通り今回は諦めたほうがいいのかもしれない。
 
 それでも。
 
 あの人には悲しんでほしくないから。笑っていて欲しいから。
 
 プロデューサーさんにはずっと幸せでいてほしいから。

「プロデューサーさんが戻ってきてくれるまでのあいだ……」
 
 だったら私ががんばればいい。
 帰ってきたプロデューサーさんが笑っていられるような環境を私がつくっていればいいだけ。
 
 ドクン、ドクン。
 うるさい心臓を無視して、乃々ちゃんの肩を抱いて、ここに宣言します。





「まゆが、乃々ちゃんのプロデューサーになります」
 



 事務所がしんと静まりかえる。
 
 ちひろさんが。乃々ちゃんが。その場にいた事務所の誰もが息をのんでこちらを見つめるなか。

 
 
 この日。私、佐久間まゆは森久保乃々ちゃんのプロデューサーになった。

今日はここで切ります。 
地の文ばっかりで読みづらいかもしれませんがお付き合いいただければ幸いです。

まゆかっこよすぎる

めっちゃたのしみだ

 🎀
 
 アイドルに一番必要なものは体力だ、とプロデューサーさんに口酸っぱく言われてきた。
 なにをするにも体力なくてばてるようじゃ話にならないぞ、って。

 例えば三十秒くらいのCMの撮影の場合。
 監督がオッケーを出すまでなんどもなんども同じシーンを撮り直して、そのたびになんどもなんども同じ動作を繰り返す。
 単純作業って一見簡単そうに見えるけれど、集中しながらの長丁場になるとこれがとにかく疲れて、帰りたいってなんど思ったことか。
 
 他にもつらいお仕事はいっぱいあったけど、やっぱりいちばんきついのはライブ。
 踊りながら歌う。
 ファンが最もアイドルに求めているパフォーマンス。
 
 それこそ杏ちゃんや志希ちゃんみたいな天才でもない限り、プロとしてのステージを見せようとすると数え切れないぐらいの練習がいる。一曲マスターするのだけでもものすごく大変なのに、ライブではこれを何曲もしなくちゃいけない。
 巧さ以上に最後まで踊りきる体力が必要になる。



「森久保。お前はいつまでそこで寝ているつもりだ。ライブまであまり時間がないんだろう。はやくレッスンの続きをやるぞ」
 
 呆れたようなトレーナーさんの視線の先には、床に向かって女の子がぜいぜい息を吐いている。

「も、もう立てません……むりです、むーりぃー……」
 
 トレーナーさんは大きなため息をついたあと、私を横目で見た。

「佐久間。お前は森久保のプロデューサーなんだろう。ぼけっとしてないでなんとかしろ」

「は、はい!」

 
 

 森久保乃々ちゃんプロデュース生活六日目。
 
 プロデューサー。
 
 もう一週間くらいからかいも含めてそう呼ばれることがあるけれど、その度にむずむずしちゃう。
 自分から名乗っておいてなに言ってるのって話かもしれませんけど。
 それでもやっぱり、私にとってのプロデューサーはあの人だけだから。

「乃々ちゃん。あと一回やったら今日は終わりにしますから。もうちょっとだけがんばりましょう」
 
 へたりこんでいる乃々ちゃんにしゃがんで手を差し出す。びくりと顔をあげて一瞬だけちらりと合った瞳は、すぐに逸らされた。

「は、はい……わかりました、まゆさん」
 
 そう言ってそのまま目を逸らしながら、私の手を掴んで起き上がった。

スレタイ見て自分を森久保乃々だと思い込んでる佐久間まゆか、ポタラでまゆと乃々が合体したssかと思ったら全然違った

 
 森久保乃々ちゃん。
 
 十四歳の中学生。
 
 その年齢からしても小さくて、触ると折れてしまいそうな身体。
 整った顔立ちにくるりと丸い目をしていてとてもかわいらしい。
 常におどおどしている様子はなんだか子リスを思い出しちゃって、守ってあげたくなるってこんな子のことを言うんでしょうか。プロデューサーさん、もしかしてこういう子が好みなのかな?
 
 冗談は置いておくにして……いやほんとに冗談ですよ。乃々ちゃんに嫉妬なんてしてません。ってなんでこんな言い訳みたいなことしてるんでしょうか。
 
 ごほん。とにかく乃々ちゃんははっきりと言って美少女だった。売れっ子アイドルですってテレビに出ていても全然不思議じゃないぐらい、とってもかわいい。
 
 でもそれは見た目は、のお話。


「も……もうほんとにむりです。むーりぃー……」
 
 曲が止まると、とうとう床に倒れてしまった。
 
 乃々ちゃんはプロデューサーさんが言うアイドルに一番必要なものを持っていなかった。
 すなわち体力がなかった。それはもう絶望的なほどに。
 体力不足を指摘されてきた私が言うのだから、この子は相当な筋金入りかもしれない。
 
 それに加えて乃々ちゃんはとってもシャイなのか、頑なに目を合わせようとしない。
 はじめは私が嫌われているのかなと落ち込んだけれど、他のみんなにもそうだと知って少しだけ安心……はしちゃいけないんでしょうけど、でもちょっとだけホッとしたりして。
 
 私たち相手でこうなのだから、握手会のことを考えると頭が痛くなりますね、とちひろさんがボソッと漏らしていたのは昨日のこと。
 
 せっかくこんなにかわいいのに。乃々ちゃんはアイドルに向いているとはとても言えなかった。


 そういえばはじめて会ったとき、アイドルになりたいわけじゃない、なんてことを言ってましたっけ。
 
 それならどうして。

「ねぇ、乃々ちゃん」
 

 どうしてアイドルを続けているの? 
 やめようって思うことはないの?
 

 言いかけたその言葉を飲み込む。
 
 私は乃々ちゃんのことをほとんど知らない。
 乃々ちゃんの趣味も好きな食べ物も休日どうして過ごしているのかも、いま好きな人がいるのかも。
 私はなんにもこの子のことを知らない。
 
 だって私たちは出会ってまだ一週間も経っていないんだから。
 
 プロデューサーさんはどうしてましたっけ。
 私と出会ったばかりの頃。
 事務所に押し掛けてきた私に、プロデューサーさんはなにをしてくれてましたっけ。


「乃々ちゃん、明日オフですよね?」
 
 あの人との出来事は昨日のことのようにぜんぶ思い出せる。
 もちろんあの人がなにをしてくれたのかもぜんぶ。
 小首をかしげている乃々ちゃんにそのうちのひとつを口にしてみた。


「まゆと、デートしませんか?」

 🎀
 
 ワイワイと騒がしく大学生ぐらいの集団が通りすぎていった。
 斜め前にはベンチに腰掛けたカップルが仲睦まじくお話していたり、子連れの夫婦が楽しげにレストランの中に入っていったり。
 休日のショッピングモールはとにかく人が多い。
 プロデューサーさんに連れてきてもらったときも同じくらい人がいてすごいなって思ったのを覚えている。
 
 いまは外に出かけるときは春奈ちゃんおススメの普段はかけない眼鏡で変装しているのだけれど、それでも時々ばれてサインを求められることもあって、遊びにいくのもちょっと大変。
 プロデューサーさんのおかげでそれだけ有名になったってことだから、とっても嬉しいことではあるんですけど。


「うう……人が多い」

「乃々ちゃんはどこか行きたいところとかありますか?」
 
 乃々ちゃんは変装はしていない。まだデビューもしていないのだから当然かもしれませんが。

「もりくぼ……あまりこういうところは来ないので……」

「そうですね……それならとりあえずいろいろ見て回りましょうか」

 

 それから人ごみにはぐれないようにしっかり手を握って、いろいろな店を見て回って二時間。
 インドア派らしい乃々ちゃんは少し疲れたようにベンチに座っていて、その両手は二つの袋をぎゅっと握っている。
 
 乃々ちゃんについてわかったこと。
 
 ひとつ。
 
 ちょっと優柔不断なところがあること。
 乃々ちゃんに服を選んであげてたとき。

「乃々ちゃんはどっちが好きですか?」
 
 緑と青の色違いのワンピース。
 派手さはないけれど、小動物のような可愛らしさがある乃々ちゃんにはよく似合っている。
 元読者モデルが言うんだから間違いありません。
 
 乃々ちゃんはううと三十秒ぐらい交互にためつすがめつしたあと、遠慮がちに私を見た。

「まゆさんはどっちがいいと思いますか?」
 
 少し悩んで緑のほうを選ぶと、じゃあそれがいいです、と緑のワンピースをレジまで持っていった。

 結局最後まで自分で選ぶことはかった。

>>25
最後の行。
結局最後まで選ぶことはなかった、の誤りです。申し訳ありません。


 もうひとつ。
 
 詩が好きだということ。
 本屋さんで詩集を真剣な顔で見つめていた乃々ちゃん。

「詩、好きなんですか?」
 
 びくりと振り向いて顔を真っ赤にわなわなして、コクリと頷く。

「まゆも好きですよ。詩集は持っていませんけどね」

 
 
 まだあげ初めし前髪の

 林檎のもとに見えしとき 
 前にさしたる花櫛の 
 花ある君と思ひけり

 

 以前どこかで聞いたことのある詩のワンフレーズ。
 多くを語らずいろいろな想いを表現する。それってまでとっても素敵。
 つい日記にプロデューサーさんのことを書きすぎちゃうことが多いから、こういうところは見習わないと。

「まゆさんも……?」

「はい。とっても素敵だと思います」

「そ、そうですか……」
 
 驚いたようにこちらを見つめたまま、わずかに口元が緩めて言った。

「同士ができて少しうれしい……かも」


 
 それらの出来事を頭のメモ帳にしっかり書き込んでいると、隣から視線を感じた。
 乃々ちゃんはまゆの左手首をじっと見ている。いえ、もっと正確にいうならば。

「このリボンがどうかしましたか?」

「すごくかわいいって思ってたんですけど……まゆさん、そのリボンいっつもつけてるのはなんでだろうって……すみません」

「もうっ。謝ることじゃないですよぉ」
 
 もうなんどもなんども事務所のみんなにされてきた質問で、答えているのはいっつも同じ言葉。


「これはまゆがはじめてお仕事をしたときに、がんばったご褒美だ、ってプロデューサーさんからもらったものなんです」
 
 もう二週間近く見ていないあの優しい笑顔が頭をよぎった。

「プロデューサーさんといつまでも一緒にいられますように。この赤い糸でずっと結ばれますようにって。まゆは、このリボンにそう願掛けして、いつも身に着けるようにしているの」
 
 だからこれはとっても大切な、私の宝物。

「……ちひろさんから聞きました。元々はモデルさんだったのをやめてアイドルになったって。……まゆさんは……プロデューサーさんのために、アイドルになったんですか?」

「そうですよ」
 
 即答、迷うことなく言葉がでた。

「だってプロデューサーさんはまゆの運命の人なんですもの。プロデューサーさんがアイドルのプロデューサーだったから、まゆはアイドルになったんです」

「……」
 
 びっくりしたように目をぱちくりさせている乃々ちゃんがどう思ったのかはわからない。
 時計を見ると一時を回っていた。ベンチから腰を上げて手を差し出す。

「さあ、まだデートは終わってませんよ。次はどこに行きましょうか?」


 


 あいくるしい人に会えたから永遠を。
 
 これは愛の歌。
 たとえ想いが届かなくてもあなたといつも通りに過ごしたい。
 
 以前、事務所が誇る京都出身和服美人こと小早川紗枝ちゃんと歌ったユニット曲。
 
 この歌を歌っているといつも切ない気持ちになって泣いちゃいそうになる。
 この人はこれからどうなんだろう。
 愛する人の傍でどんな気持ちで笑っているんだろう、って想像してしまって。
 それはきっと私には耐えられないから。だからとても胸が苦しくなる。

 
 
 ショッピングが終わって、次はカラオケ。

 ちょうど小腹がすいてくる頃合い。
 ここならご飯を食べながら座って遊べるし、なにより乃々ちゃんが歌っている姿を見てみたかった。
 
 曲を歌い終わるとぱちぱちと控えめな拍手が鳴った。

「まゆばかり歌ってちゃダメですね。はい、乃々ちゃんどうぞ」
 
 マイクを差し出すと乃々ちゃんは首を激しく横に振った。


「もりくぼには無理です……。ボーカルレッスンでさえだめだめなのに、一曲まるまる歌うなんて……」

「今日はレッスンじゃなくて遊びに来てるんですから、気にせず歌いましょう」

「もりくぼ、カラオケなんてはじめて来ましたし……やっぱりむりです、むーりぃー」

「乃々ちゃん、だめですか?」
 
 私はしゃがんで少し見上げるように乃々ちゃんを見つめる。
 上目遣い。プロデューサーさんにお願いするときもこうするとあたふたしてしてくれる。
 ちょっとずるいかもですけど、私のとっておき。

 
 
 乃々ちゃんはあわあわと口をもごもごさせたあと、


「その……まゆさんが一緒に歌ってくれるなら……」
 
 やっぱり目を逸らされたままだったけれど、か細い声でそう言ってくれた。
 
 自分でも顔がにやけてるのがわかる。


「ありがとうございます、乃々ちゃん」

「でもぜんぜん期待しないでください。もりくぼなんて……音痴で運痴でだめだめで……。まゆさんみたいになんでもできるわけじゃありませんから……」
 
 なんでもできる? 私が?
 あまりに的外れなその言葉に首をかしげていると、乃々ちゃんは続けて言った。

「そもそもまゆさんは自分から事務所に乗り込んでまでアイドルになったのに……もりくぼはいまもなにも目的もないままですし……いつもみなさんに、ご迷惑ばかりおかけしていて……」
 
 ああ、やっぱり。心のなかで相槌をうつ。
 
 乃々ちゃんの一番弱いところは体力不足じゃなくてこの自信のなさ。
 体力はいまからがんばればどうとでもなるけど、性格はそう簡単に変えられない。
 これさえなくなれば、この子はきっとすごいアイドルになれるはずなのに。

「……乃々ちゃんはモデルの代わりをしていたところをスカウトされたんでしたよね?」

「はい……断ろうとなんどもしたんですけど、結局断り切れなくて……」

「アイドル、やめたいですか?」

 びくりと乃々ちゃんの体が跳ねた。
 
 なんだろう。なんだかとっても悔しくなってきた。

「もちろん乃々ちゃんがやめたいって言うならまゆは止めません。まゆがちひろさんに話をつけます。だからアイドルを続けるかどうか、乃々ちゃんが決めていいんですよ」

「…………」


 どれくらい待ったかわからない。

「ほんとは怖くて、逃げだしたくて……いっぱいいっぱいなんですけど……」
 
 もじもじしながら乃々ちゃんは口を開いた。

「もう少しだけ……アイドル、続けてみようと思います」
 
 ふぅと無意識に息がこぼれる。
 その答えに安心している自分に少しだけ驚く。
 
 私、乃々ちゃんがアイドルを続けてくれて嬉しいと思ってるんでしょうか?
 
 たしかにさっきは悔しくなったけれど、それでも乃々ちゃんの世話をすることはとっても大変なのに。
 諦めてくれたらきっと楽になれるのに。

 
 どうして? 
 プロデューサーさんのためだから? 
 一度引き受けたお仕事だから? 
 それとも──

 
 首を横に振る。
 いけない。今日は遊びに来たんでした。しんみりとした空気を換えるためにポンと明るく手を叩く。


「はい、この話はここでおしまい。早く歌いましょう」

「あうう……。忘れてなかった……」
 
 なにを歌おうかな。探していると、ふとある曲に目が止まった。


 うふふ。よしっ、これにしましょう。
 
 それは恋の歌。
 あなたと毎日こうして大好きって言い合いたい。
 少女の恋慕がぎゅとつまっている、プロデューサーさんが私のためにつくってくれたデビュー曲。
 
 まさに私のためにあるような歌で、こんな歌を用意してくれるプロデューサーさんってやっぱりすごい人だと思う。
 
 かわいらしいメロディが流れてきて、乃々ちゃんにもマイクを握らせて歌う。

 
 
 やっぱり声は消えそうなくらい小さかったし、音程はちょこちょこ外れているところもあったけれど。

 
 ちらりと横を見ると潤んだとってもきれいな瞳がそこにあった。
 真っ赤な顔をさらに赤くして横に背ける様子がかわいくてつい笑みがこぼれる。
 

 乃々ちゃんとのこのデュエットを忘れることはないだろうと。そう思った。


最高かよ

 🎀
 
 森久保乃々ちゃんプロデュース生活三週間目。

 
 
 ペンを転がして椅子にもたれかかるとギィと悲鳴が鳴った。

 
 とりあえずは解き終わった二次関数のプリントをファイルにはさみ、学校に持っていくのを忘れないよう、ファイルをかばんに入れた。

 睡魔が襲ってきてまぶたが重くなる。

 学校が終わるとお見舞いに行き、そのあとお仕事に行ったり乃々ちゃんと一緒にレッスンをしたりして、それが終わるとこれからの打ち合わせ。
 寮に帰るころにはもう遅く、特別に門限を免除してもらっている寮母さんからいただいた差し入れを食べながら学校の宿題や明日のスケジュールの確認をする。
 
 夜更かしは美容の敵、と日付が跨ぐころにはベッドの中に潜り込むのが習慣だったのに、ここ最近はあまり睡眠時間がとれていない。
 
 頬を叩いて眠気を飛ばす。
 
 ……よしっ。気合を入れなおしてスケジュール帳を開く。

 
 

 
 明日はいよいよライブに向けた乃々ちゃんの本格的なレッスンがはじまる。 
 まだ完全に基礎ができているわけではないけど、ライブまであと一か月に迫っている。

 急ピッチではあるものの、いまから取り組まないとどう考えても間に合わない。やはり日程は相当にきつきつだった。
 
 ちひろさんやトレーナーさんは大丈夫だろうかと心配していたけれど、私は頷いた。
 
 一緒に遊びに行ってから乃々ちゃんは以前に比べてがんばってくれるようになって、着実に力をつけている。
 
 課題だった体力はまだまだではあるけど、今回の乃々ちゃんの出番は彼女自身のデビュー曲の1曲のみ。
 それならなんとか乗り切れるはず。
 相変わらず目を合わせてくれることはないけど、ライブではさして問題ないでしょう。
 
 楽曲の歌詞と振り付けは乃々ちゃんの意見を取り込みながら昨日ようやく完成させた。
 
 柔らかいメロディにポエムチックな歌詞で、乃々ちゃんらしい楽曲に仕上げられたと思う。
 その雰囲気に逆らわず振り付けも穏やかなものに合わせることで、いまの乃々ちゃんでもなんとか演じきれるものになっているはず。


 ただそれは単調だということでもある。
 
 四分近くもあるステージで緩慢すぎる演出だとファンは飽きてしまう。
 だから普通は「わぁ」と見惚れるようなパフォーマンスを入れることが多い。
 その楽曲独特の振り付け、といえばわかりやすいでしょうか。


「どうしましょう」
 
 ここ数日、今回の楽曲にそういうのを入れようかずっと頭を悩ましている。

 
 サビ前に二回ターン。
 
 ターンって簡単そうに見えるけれど、きっちりと綺麗に回るのは初心者にはとっても難しい技術のひとつ。
 
 パフォーマンスの質は間違いなく上がる。
 でも難易度もそれと同じか、それ以上に難しくなってしまう。
 ただでさえ、乃々ちゃんに与えられた時間は短い。


「どうしましょう」
 
 もう一度呟く。
 
 安全をとるか、リスクを承知で挑戦するか。
 
 それからもうんうんとしばらく考えて部屋の電気を消すころには、時計の短針は二時を回っていた。

 🎀
 
 凛ちゃんからもらったお花を花瓶に挿す。
 
 まるで本物のように瑞々しいお花だけど造花なんですって。
 凛ちゃん曰く、本物のお花だと水やらなくちゃいけないし、花が散ったら掃除が大変でしょ、とのこと。


「プロデューサーさん、ここに置いておきますね」

「……」
 

 今日はいつもと違ってレッスン帰り。
 いつもは学校が終わったその足で病院に行くけれど、時々レッスンと前後してお見舞いすることもある。
 
 花を挿すときに濡れた手のひらをハンカチで拭って、椅子に腰を下ろしながらプロデューサーさんの手を握る。

「今日の乃々ちゃん、とってもすごかったんですよ」
 
 寝ているプロデューサーさんに今日の業務報告をすることにした。


 …………
 ………
 …
 
 本格的なレッスンは、まずは振り付けを覚えることからはじまった。
 なにをするにもまず覚えていないと話にならない。
 ひとつひとつの動作は簡単でも、次は動きはこうだからと意識すると忘れしてしまうなんてよくあること。
 
 残された時間は多くない。どれだけ早く覚えられるかが大切だった。

 
 それで、乃々ちゃんはどうだったかというと……。


「なかなかやるじゃないか」

 結論から言うと、乃々ちゃんは振り付けのほとんどを一日で覚えた。
 
 いつもクールなトレーナーさんのあんなに驚いた顔なんてはじめて見たかもしれない。
 
 乃々ちゃんも一緒にこの振り付けは考えていたわけで、ゼロからのスタートではなかった。
 まだ覚えきれていないところもあるし、パフォーマンスとしてはお客さんに見せられるレベルにはほど遠い。
 しかもこれを踊りながら歌うというハードルもまだある。
 
 先はまだまだ長い。
 
 でも、それでも初日でここまでできるなんて。


「すごい……ほんとにすごいです、乃々ちゃん!」
 
 うれしくてつい乃々ちゃんの手を握りしめると、真っ赤な顔であわあわと口を動かして、

「あ……ありがとう、ございます」
 
 そしていつものように目を逸らされた。

「たしかに大したものだ。ここまでできるとは正直思っていなかった。少なくとも三日はかかると思っていたんだがな」

 
 
 やった!

 
 自分が褒められたようにうれしくなる。
 トレーナーさんはそんな私に気づいたのか、ごほんと咳ばらいをして真面目な顔になった。


「だが、まだできていないところもたくさんある。特にサビ前はやはりというかまるっきりできていないな」
 
 その言葉で私も気を引き締める。

 
 
 サビ前。


 結局私はターンをいったん振り付けに入れてみることにした。
 
 すぐにできるとは思っていない。
 もしできそうならやってみることにして、難しそうなら元の振り付けに戻そうと思っていた。
 

 見たところ、本番に間に合うかどうかは正直微妙、というのが私の感想。
 
 ターンは体を支える軸足がとっても大切で、そういうのは一朝一夕で身につけられるものじゃない。
 どれだけ基礎をつみこめられたかが動きのキレにつながる。
 乃々ちゃんの曲はそこまでキレが要求されるものではないけれど、それでも難しいことにはかわりない。
 
 実際にやってみた乃々ちゃんは、回るどころかすてんと転んでしまった。


「乃々ちゃんはどうしたいですか?」
 
 安全をとるか、リスクをとるか。
 
 迷ったら乃々ちゃんに決めてもらおうと思っていた。

 この曲はほかならぬ、乃々ちゃんの曲ですから。


「……」
 
 乃々ちゃんはしばらく考えていたあと、一瞬だけちらりと私を見て言った。

「この振り付け……まゆさんが考えてくれたんですよね」

「はい。そうですよ」
 
 睡眠時間たっぷり削ってがんばったんですよ、と心の中で付け加える。

「まゆさんは……もりくぼにできると思いますか?」

「できます」
 
 そんなことほんとはわからないのに、はっきりとそう言いきった。




「乃々ちゃんならできます。だって……まゆの育ててるアイドルなんですもの」

 
 
 ぼーと私を見つめる乃々ちゃんを見てると気恥ずかしくなって、熱くなった顔をそらす。


「でもそんなこと気にしなくていいんですよ。乃々ちゃんがやりたくないなら別にやらなくても……」

「もりくぼは」

 
 
 私の言葉をさえぎって、ぎゅっと両手をにぎりしめながら。


「もりくぼは、ほんとにだめだめで……このダンスもうまくできないかもしれないですけど……」

 
 
 きっと彼女なりの葛藤があったんだと思う。

 ほんとはやりたくない気持ちが少なくないだろうってことも、これまでの付き合いでなんとなくわかる。
 
 それでも、いつもよりも弱弱しく震える声ではあったけれど。


「それでも……やってみようと、思います」
 
 かすかに口元をほころばせて、たしかにそう言ってくれた。


 …
 ……
 ………

 面会時間終了を知らせるアナウンスで意識が引き戻された。
 
 窓を見ると空はもう真っ暗。
 寮母さんの許可はもらっているとはいえ早く帰らないと。


「それじゃ、失礼しま──」

 
 
 ぐらりと眩暈がした。

 椅子をつかんでなんとか倒れるのは堪える。
 
 ……ううん。やっぱりもっと寝ないとだめかもしれませんね。


「大丈夫。ちょっと足が引っ掛かっただけですよ。心配しないでください」
 
 プロデューサーさんに聞こえていないのはわかっているけれど、ちょっと言い訳してみたり、なんて。


 🎀
 
 森久保乃々ちゃんプロデュース生活1か月目。
 
 正確には明日でちょうど1か月。
 別にねらったわけではないですけど、出会ってちょうど一か月の明日。

 
 
 乃々ちゃんにイベントでMCの人とトークをするお仕事が入った。

 
 
 乃々ちゃんのアイドルとしての初仕事が、ついにきた。

 
 
 トークといっても出番はちょっとだけみたいですし、軽い段取り程度しか教えられていない。

 それでも乃々ちゃんの初仕事だって喜んでいると、乃々ちゃんは青ざめた顔で、

「アドリブなんてむりですむーりぃー」
 
 あわあわしながら机の下に潜りこんでしまって、説得するのに三十分かかったなんてことがありましたけど。
 
 なんにせよ、いま私たちにできることはないみたい。
 
 今日はレッスンをお休みにして、あのときみたいに乃々ちゃんとカラオケに遊びに行くことにした。
 おもしろかったのは乃々ちゃんが眼鏡をかけてきたこと。

「変装です……!」
 
 そう言って、ちょっと得意げに胸を張る姿がとってもかわいくて、思わず抱きついてしまった。


 
 それからふたりでひとしきり歌って、ああ楽しかった、ラストにあと1曲歌いましょうってときになって、大切なことを思い出した。
 いけない。忘れるところでした。
 かばんから包装紙に包まれた箱を取り出す。

「乃々ちゃん、これをどうぞ」

「え? な……なんですか、これ?」

「いままでがんばってくれたご褒美と、明日お仕事デビューのお祝いです」
 
 乃々ちゃんは驚いたように目を丸くしたかと思えば、くしゃりと顔を歪ませた。
 震える手で受け取ってくれたあと、ぎゅっと箱を抱きしめた。


「ご褒美……お祝い……。もりくぼ、いつもご迷惑ばかりかけているのに……」

「開けてみてくれますか」
 
 こくん、と頷いて包みを解いていく。



「……わぁ」
 
 箱から出てきたのは1本のリボン。
 淡い緑色、乃々ちゃんの優しいイメージカラーにぴったりリボンだった。


「まゆがつけてるリボンをかわいいって言ってくれたので、乃々ちゃんに似合いそうなのを選んでみました。……いや、ですか?」
 
 乃々ちゃんはゆっくりと何回も首を横に振って、リボンを両手で優しく包んだ。

「そんなこと、ないです。すごく……うれしいです。ありがとうございます」
 
 泣きそうな声でそんなことを言われると、なんかこう、ええと、照れるじゃないですか。
 
 ごほんと咳払いをする。


「さあ、もうすぐ時間ですし、最後にもう1曲ふたりで歌いましょう。乃々ちゃん、選んでください」

「……えっ、もりくぼが選ぶんですか……。ええと……それなら……」

 
 
 
 
 最後になんの曲を歌ったのかはふたりだけの秘密にしよう。

 ただノーヒントっていうのもあれなので、そうですね……。
 
 歌っているあいだ、誰にも見せられないくらいニコニコしていた、というのは大ヒントかもしれませんね。
 
 うふふっ。

 🎀
 
 そして、お仕事当日。
 
 舞台袖でじっと待っているのも手持ちぶさになって、ついスマホをちらちら見てしまう。
 
 自分のときはまったく気にもしなかったのに、昨日は自分のことのように緊張してなかなか寝付けなかった。
 それはやっぱり、といっていいのでしょうか。
 乃々ちゃんも同じだったようで、だいぶ眠たそうにしてたのがちょっと心配だったりする。
 

 ……ううん。いけませんね。
 
 すーはーすーはー。
 
 そわそわする気持ちを静めるために深呼吸をする。
 
 イベントまであと一時間。
 もうすぐがちがちに緊張している乃々ちゃんが用意された衣装に着替えてこちらに来るころ。
 彼女が来るのをじっと待つ。
 

 
 …………。
 ……。
 
 あれから十分待った。
 乃々ちゃんはまだ姿を見せていない。
 
 乃々ちゃん、どうしたの?
 

 バタンとドアが開いて、スタッフさんが慌てた様子で入ってきた。
 
 いつまでも現れない乃々ちゃんにしびれをきらして控室に入ると、そこに彼女の姿がなかった。
 そう説明されて、頭の中が真っ白になった。
 乃々ちゃんがいない? どうして?



「あの子、逃げたんじゃないか」
 
 誰かのその言葉を皮切りに、現場がざわざわしだした。

「たしかにすっごく緊張してたみたいだし」

「おいおいどうするんだよ!」

「早く代役の用意を──」



「違います!!」
 

 叫んだ拍子にくらりと視界が歪んだ。
 
 膝から地面に着地して、鈍い痛みが走る。
 よりにもよっていま眩暈がしなくてもいいじゃないですか。
 でもいまは気にしてる場合じゃない。
 ズキンと痛む膝に力を入れて立ち上がる。


「乃々ちゃんは逃げてなんていません!」
 
 たしかに乃々ちゃんは自信がなくて、失敗したらどうしようってことばかり心配している臆病な女の子だけど。
 
 でもそれは自分が傷つくのが怖いからじゃない。
 
 自分のせいで誰かに迷惑をかけたらどうしよう、がっかりさせたらどうしようって、心配しているのはいつも人のことばかり。



「乃々ちゃんは必ずここに来ます!」
 
 乃々ちゃんは誰とも目を合わそうとしない。
 
 目を見てお願いされると断れないから。
 
 真剣にお願いされたら、優しいあの子はきっとその人の希望を叶えてあげたいと思ってしまうから。
 
 でも自分に自信がなくて、自分にはその人の気持ちを裏切ってしまうと思ってるから、だからあなたは目を逸らす。

 
 
 私が出会ってきたなかで、最も臆病で、びっくりするほど優しい女の子。

 
 それが森久保乃々という女の子。
 
 だから、みんなが困っているこの状況で、優しいあの子が逃げ出すわけなんてない。



「だって、乃々ちゃんはまゆの──」


 
 コツリと足音が聞こえた。
 
 振り向くと、そこに乃々ちゃんがいた。
 これから怒られるのを覚悟した子供のように俯いて、乃々ちゃんが立っていた。
 その姿がきっちりとしたステージ衣装とあまりにミスマッチで、こんなときなのに思わず笑いそうになる。


「ほんとは来るつもりじゃ……なかったんです……」
 
 ぽたりと地面に水滴が落ちた。

「きっとうまくできなくて、怒られて……みなさんのご迷惑になるって思ったから……引き返そうとしたんです」
 
 今日は雲ひとつない快晴なのに、ぽつぽつと乃々ちゃんの真下にだけ雫が落ちている。

「でも、まゆさんの声が聞こえて。必ず来ますって言ってくれて……。いま行かなかったら、まゆさんがきっと困ると思って……そしたら気づいたらここに来ていて……」


「乃々ちゃん。迷惑なんかじゃありませんし、まゆにだったらいくらでも迷惑かけたっていいんです。」

「どうして……」

 
 目元を赤くした乃々ちゃんが顔をあげる。 
 もうっ。それ以上泣くとせっかくのお仕事なのに、かわいい顔が台無しになっちゃいますよ。


「どうして……まゆさんはそこまで優しくしてくれるんですか?」

「そんなの決まってるじゃないですか」
 
 涙で濡れているまなじりを指で拭ってあげて、あたりまえのことを言った。




「まゆはあなたのプロデューサーですから」



 
 …………
 ……
 …

「ありがとうございました!!」
 
 スタッフさんに挨拶をして、会場を後にする。
 はじめはちょっといろいろあったけれど、ステージは無事に進行し、乃々ちゃんの初仕事は成功に終わった。
 
 ささやかだけどどこかで打ち上げパーティーでもしようって話になって、事務所に向かっていた。

「今日はおつかれさまでした。トーク、すごくよかったですよ」

「あうう~。つかれました……」
 
 もう1度がんばりましたね、と言ってその小さな頭をなでてあげる。
 
 ほんとうにおつかれさまでした。
 
 乃々ちゃん。あなたは私の──


 プルプルとスマホが振動した。ちひろさんからの電話だった。


「もしもし」

「まゆちゃん、お仕事は終わりましたか?」

「はい。終わりましたけど……」

「いいですか。落ち着いて聞いてください」
 

 あの日、プロデューサーさんが倒れたあのときと同じ言葉に、ドキンと心臓が跳ねる。
 
 まさか……。





「プロデューサーさんが、意識を取り戻しました!!」

 
 
 まゆさん! という乃々ちゃんの声を振り切って走り出した。

 
 すでに空は暗くなっていて、疲れた様子の仕事帰りのサラリーマンたちを避けながらズキンと痛む足を動かす。


 プロデューサーさん。プロデューサーさん。プロデューサーさん。
 
 ようやく会える。やっとあなたとお話できる。やっとあの笑顔を見ることができる。
 
 プロデューサーさん。あなたがいないあいだ、まゆはがんばりました。
 
 あなたがいままでしてくれていたお仕事もひとりでやってきました。
 あなたがスカウトしてきた子もしっかりお世話をして、今日初仕事をしっかりこなしました。
 
 ほめてもらえるかな。がんばったなって頭をなでてくれるかな。

 
 
 病室につくとドアの前にちひろさんが立っていた。

 
 私に気づくとぎょっとした顔をした。

「ま、待ってくださいまゆちゃん!」

「プロデューサーさん!」
 
 ちひろさんの制止もいまは気にならなかった。
 
 この扉の先にプロデューサーさんがいる。早く会いたい。
 
 いまの私にあるのはそれだけだった。
 
 ここが病院だなんてことも頭から消えていて、勢いよくドアを開ける。


「プロデューサーさ──」
 
 その胸にとびこもうとドアを開けた先には。
 女の人がプロデューサーさんに抱きついている姿があった。

 
 
 
 ……。

 
 え?
 
 頭がフリーズした。まったく意味がわからなかった。
 
 ええと、すみません。これはどういうことなんでしょうか。


「ううっ……ぐすっ」
 
 女の人がプロデューサーさんに抱きつきながら泣いていて、プロデューサーさんはその人の頭を優しい顔をしながら撫でていた。
 

 まるで幸せなカップルのように。


「あっ……」
 
 言葉が出てこなかった。
 目が覚めてよかった。心配したんですよ。まゆがんばりました。
 言いたいことはいっぱいあったはずなのに、いま言いたいことはそのどれでもなかった。

 
 ねぇ、プロデューサーさん。
 その女の人はだれですか?

ここで一度きります。
たぶんあと1、2回の更新で終わると思います。
もし読んでくださっている方がいれば、このままお付き合いいただければ幸いです。

これはきつい

あいくるしい

 🎀
 
 きゅっきゅっと床を踏む音が響く。
 
 もうライブまで残り二週間。
 
 そろそろ仕上げにはいらないといけない頃合いで、今日もトレーナーさんの厳しい指導を受けながら練習を続けている。
 
 乃々ちゃんのパフォーマンスはほとんどよくできていた。もちろん改善の余地はいくらでもあるけれど、少なくともデビューとしては十二分だと思う。
 
 ただ一点を除けば。


「あうっ」
 
 足が絡まって乃々ちゃんは尻もちをついた。

「やっぱりサビ前が鬼門か」
 
 トレーナーさんの厳しい声色に焦りを覚えてしまう。
 
 サビ前に二回のターン。
 
 乃々ちゃんはいまだに成功できていなかった。

「あそこ以外は申し分ない出来だ。ただもう時間がない。森久保、ほんとにこのまま続けるか、それとも諦めて簡単なほうに戻すか。そろそろ決めておけ」
 
 乃々ちゃんはおどおどしながら、私を見た。


「も、もりくぼは」

「できます」
 
 乃々ちゃんの言葉を遮ってトレーナーさんに言う。


「乃々ちゃんならできます」
 
 トレーナーさんはじっと私を見たあと、ため息をついた。

「最後に決めるのはおまえたちだ。だがはっきり言おう。私はやめておいたほうがいいと思っている。それにもうじきプロデューサー殿が戻ってくるんだろう? 一度相談してからでも遅くはあるまい」

 
 ズキンと心臓が痛くなった。
 
 プロデューサーさん。
 
 大好きな響きのはずなのに、いまはその言葉を聞くだけで胸が苦しくなる。

 
 
 

 あの日以降、プロデューサーさんのお見舞いには行けていなかった。
 
 行けばプロデューサーさんにも、あの女の人にもきっと迷惑になっちゃうから。
 
 もしこれが少女漫画だったなら。
 
 あの女の人は彼女なんかじゃなくってお姉さんだったりして、なんだまゆの勘違いだったんですね、ってハッピーエンドになってもいいのに。


「俺の婚約者だ」
 
 現実はそんなことなくて。
 
 気まずそうに隣にいる女性を紹介するプロデューサーさんの顔が、いまだに頭から離れない。


「……乃々ちゃんのプロデューサーはあの人じゃなくてまゆですから。乃々ちゃん、時間がありません。早くレッスンの続きをやりましょう」

「は……はい」
 
 あのとき私がプレゼントした緑色のリボンを揺らしながら、乃々ちゃんは立ち上がった。

 

 今回のライブに、私は出演できなくなった。
 膝の傷が思ったよりも深かったみたいで、この程度大丈夫ですと言ってみたけれど、

「膝を怪我した人を出すわけにはいきません」と話を聞いてもらえなかった。
 
 だから、私にできることは乃々ちゃんのプロデュースしかなかった。
 
 だから、早く乃々ちゃんにターンを成功してもらわないといけなかった。

 
 
 そうじゃないと、私はなんのためにアイドルを──




──まゆさんは……プロデューサーさんのために、アイドルになったんですか?
 

 あのときの乃々ちゃんの言葉を思い出す。
 
 乃々ちゃんに言ったことは嘘偽りない本心だった。
 
 プロデューサーさんの側にいるためにアイドルになった。
 プロデューサーさんのためにお仕事をがんばった。
 乃々ちゃんのプロデュースだって、そもそもプロデューサーさんが帰ってきてくれたときに笑っていてほしかったからはじめたことだった。

 だけどプロデューサーさんには婚約者がいて。まゆはあの人に振られることもなく失恋した。
 
 だったら。

 

 私はなんでアイドルを続けているの?





「森久保!!」
 
 トレーナーさんの鋭い声にはっとして、顔をあげる。
 
 頭が真っ白になった。
 
 ベッドに横になって眠りつづけていたプロデューサーさんの姿に重なった。
 
 ああ……。なんで、そんな、いや。



「乃々ちゃん!!」
 
 目の前で額に大量の汗をかいた乃々ちゃんが、苦しそうに床に倒れていた。

 🎀
 
 プロデューサーさんからもうすぐ退院するぞと連絡がきたのは昨日のことだった。
 
 さすがに早すぎませんか、と聞くとどうやらだいぶ無理をしてお願いしたみたい。
 
 ライブの準備で忙しくなって、退院当日にお迎えするのが難しかったので、今日のうちに最後のお見舞いに行くことにした。
 
 今日はレッスンもなかったというのに、鉛をつけたように足が重い。

 
 あのあとしばらくして乃々ちゃんは目を覚ましたけれど、大事をとるように言われて明後日までレッスンはお休み。
 
 ごめんなさい、と泣きながら謝る乃々ちゃんに私はなにも言えなかった。
 
 あなたはなにも悪くないのに。
 ほんとうに悪いのは──
 

 そんなことを考えていると、病室の前に着いていて、息を吐く。
 できればいまだけはあの婚約者の人はいませんように。



「プロデューサーさん。やっぱりまだ安静にしていたほうがよろしいのでは?」
 
 中から女性の声が聞こえて、ドアから離す。
 あの女の人じゃない、ちひろさんの声だった。


「先生からもそういわれましたけど、でもライブまでもう時間がないじゃないですか」

「しかし……」
 
 そっと耳をすませて二人の会話を聞く。

「私たちもサポートしますし、今回はまゆちゃんに任せてみてはどうですか? 乃々ちゃん、このまえのお仕事も評判よかったみたいですし。まゆちゃん、プロデューサーさんのためにがんばってくれているんですよ」


「だからです!」
 
 プロデューサーさんは叫ぶように言った。


「普段からまゆに頼りっぱなしで。俺はただの役立たずなのに、あの子の人気のおかげでいままでなんとかなって。そのたびにすごいですって言われて」

「……」

「あの子の気持ちも知ってるのに。婚約者がいて、まゆの気持ちに応えてあげられないのわかっているのに。俺はそれに気づかないふりをして、まゆの気持ちに甘えていたんです」

「……」

「だからせめて仕事でその気持ちに応えようと寝る間も惜しんでやってきたのに、こんなときに倒れて……」
 
 あっ……。

「これ以上、まゆに迷惑をかけるわけにはいかないんです。俺が、やらないと……」

 

 ああ。
 そうか。そうだったんだ。
 
 私のせいだったんだ。



「ごめん、なさい……」
 
 私が想いを寄せるたびに、あの人はその想いに応えようとして。
 
 私があの人のためにがんばろうとするたびに、あの人もがんばろうとして。
 
 結果として、プロデューサーさんは倒れてしまった。
 


「ごめんなさい」
 
 もし私がプロデューサーさんのためにがんばろうとしなければ、あの人はいまも笑ってお仕事をしていたんでしょうか。
 もし私がアイドルにならなければ、いまごろ乃々ちゃんも倒れることもなく、いまよりももっと輝いていたんでしょうか。
 もし私がプロデューサーさんのことを好きにならなければ──。
 
 なんていまさら考えてもどうしようもないのかもしれませんけど、ひとつだけたしかなことがあった。

 
 

 私は、ここにいちゃいけないんだ。

 

 ドアに額を押し付ける。
 
 どうしようもなくわがままな自分が嫌になる。
 
 いまさら言ったってどうしようもないのに。
 あの人に聞こえていないとわかっているのに。
 こんなこと思う資格なんてあるはずないのに。
 
 それでも、最後にどうしても言いたいと思ってしまった。



「愛しています。プロデューサーさん」
 
 好きになって、ごめんなさい。
 

 涙は流れなかった。
 私には泣く権利すらなくなっていたのかもしれない。

 🎀
 
 翌日、ちひろさんから乃々ちゃんの担当をプロデューサーさんが引き継ぐという連絡がきた。
 
 結局あのまま押し切られるなんて、ちひろさんにしては珍しいなぁ。
 なんていつもならくすっと笑っちゃうはずなのに、いまは少しも笑える気がしなかった。
 
 これから先のことを考えてちひろさんにいくつかのお願いをしたあと、服を着替えて家を出た。
 赤いリボンはつけていかなかった。


 向かう先はレッスンルーム。
 もしかしたらちひろさんから連絡はされているかもしれないけど、一応トレーナーさんに引き継ぎの報告をしておくべきだと思ったから。
 
 部屋の前までくると、かすかに床を踏む音が聞こえた。
 
 もしトレーナーさんがいなくても、中にいる人に言伝を頼もう。
 
 そう思って、扉を開けた。


 
 緑色のリボンがひらりと舞っていた。


「……あっ、まゆさん」

「どうして……」
 
 トレーナーさんはいなかった。
 
 そこにはレッスン着に着替えて、汗を流している乃々ちゃんだけだった。
 腕にはこの前プレゼントしたあのリボンをつけている。
 
 どうして……。
 今日までレッスンはお休みのはずなのに。


「す……すみません。ほんとはいけないことだとわかっているんですけど……もうライブまで時間がないので、次の人がこの部屋を使うまでのあいだ、使わせてもらおうと思って……」
 
 腕につけたリボンをぎゅっと握りしめて、口元を緩めながらそんなことを言う。
 
 ……だめ、ですよ。乃々ちゃん。


「もりくぼのせいでレッスン中断して、すみませんでした……。このままだと、またまゆさんにご迷惑をおかけすると思って……」
 
 もう、無理なんてしないで。


「その……もしよかったらですけど、もりくぼに教えてもらえたら──」



「やめてください」
 
 乃々ちゃんの笑顔が固まった。

「前に言いましたよね。まゆ、プロデューサーさんのためにアイドルになったって。それなのにあの人ひどいんですよ。婚約者までいるのに、まゆの気持ちを知ったうえで弄んでいたんです」

「まゆ……さん?」

「あの人のためにアイドルになったのに。あの人が手に入らないなら意味がないじゃないですか。だから、アイドルをやめることにしました」

 

 ちひろさんにはしばらくのあいだ、疲れたからお仕事を減らしてもらうように頼んだ。
 いきなりお仕事をやめても、できるだけみんなの迷惑になりたくなかったから。
 
 なんて、これもただの私の自己満足。
 
 いろんな人に迷惑をかけ続けてきたろくでなしは、最後まで自分勝手に事務所を去っていく。
 
 モデルのときと同じ。裏切者と指をさされて、みんなに恨まれる。
 
 ただ、それだけの話だった。


「乃々ちゃん、知ってましたか? 明日から乃々ちゃんの担当はプロデューサーさんになるんですよ。まゆはもうあなたのプロデューサーじゃないんです」
 
 ズキンと心臓がいたい。

「レッスンはだめだめですし、初仕事は逃げ出そうとしますし、プロデューサーさんのためにいやいやがんばりましたけど、今日で終わりです」

 違うと叫びたくなった。
 視界がぐらりと歪んで、そのまま倒れればいいのにと思った。



「もう乃々ちゃんのお世話をしなくなって清々します!」

 
 
 最低な叫びが部屋中に響いた。

 
 もう、消えてなくなりたかった。
 
 覚悟を決めて顔を上げると、乃々ちゃんの大きな瞳と目が合った。
 ぽろぽろと涙を流していた。
 
 こうやってはじめて真正面から見る乃々ちゃんの瞳はとってもきれいで。
 ずっと見たかったはずなのに。
 見ていると心臓が握りつぶされるように痛くなって、目をそらした。


「おい、森久保。そろそろ時間だぞ」

 部屋に入ってきたトレーナーさんと入れ替わるように、振り向くことなくその場から逃げ出した。




 それからライブ当日までの二週間のあいだ。
 私と乃々ちゃんが顔を合わせることは1度もなかった。

ちまちま更新で申し訳ありません。
次で最後になると思います。

つらい でもとても良い

めちゃくちゃ多いですが修正あげていきます。

>>4
 いつもは真面目なのに時々どうしようもないいたずらをしちゃう子供っぽいところもあるお茶目でかわいい性格
  ↓
 いつもは真面目なのに時々どうしようもないいたずらをすることもあるお茶目でかわいい性格


>>12
 森に住み着いている妖精のような雰囲気をまとっている、どこか童話の世界に出てきそうな少女。見たことのない、少なくともこの事務所のアイドルではないのは間違いないはず。
  ↓
 森に住み着いている妖精のような雰囲気をまとっている、どこか童話の世界に出てきそうな女の子。
 見たことのない、少なくともこの事務所のアイドルではないのは間違いないはず。


 その子は目を逸らしたかと思えば、近くにある机の下に潜りこんでしまった。
  ↓
 そして目を逸らしたかと思えば、近くにある机の下に潜りこんでしまった。


>>24 
 いまは外に出かけるときは春奈ちゃんおススメの普段はかけない眼鏡で変装しているのだけれど、それでも時々ばれてサインを求められることもあって、遊びにいくのもちょっと大変。
  ↓
 いまは外に出かけるときは春奈ちゃんおススメの普段はかけない眼鏡で変装しているけれど、それでも時々ばれてサインを求められることもあって、遊びにいくのも大変。


>>27
 多くを語らずいろいろな想いを表現する。それってまでとっても素敵。
 つい日記にプロデューサーさんのことを書きすぎちゃうことが多いから、こういうところは見習わないと。
 ↓
 多くを語らずいろいろな想いを表現する。それってとっても素敵。
 私は日記についプロデューサーさんのことを書きすぎちゃうから、こういうところは見習わないと。


>>32
 私、乃々ちゃんがアイドルを続けてくれて嬉しいと思ってるんでしょうか?
  ↓
 私、どうして乃々ちゃんにアイドルを続けてほしいと思ってるんでしょうか?

>>41
 弱弱しく→弱々しく

>>43
 トークといっても出番はちょっとだけみたいですし、軽い段取り程度しか教えられていない。
 ↓
 トークといっても軽い段取りしか教えられないくらい、出番はちょっとだけみたい。


>>71
「もう乃々ちゃんのお世話をしなくなって清々します!」
  ↓
「もう乃々ちゃんのお世話をしなくてよくなって清々します!」


以上です。
次回更新分はこのようなことがないよう気を付けます。
申し訳ありません。

 🎀
 
 ドームを貸し切ってのライブなんていつぶりだろう。
 
 定例ライブはいままでもおこなってきたけれど、ここまで大きなドームでのライブは数えるほどもなかったと思う。
 ライブまで三十分をきったころには、客席はいっぱいに埋め尽くされていた。

「おお。すごい人の数だな」

「……嬉しそうですね」
 
 わくわくした様子のプロデューサーさんにできるだけそっけなく返事をする。
 こうして優しく話してくれているあいだにもこの人が苦しんでいる。
 私にはこの人と笑いあう権利なんてなかった。

「今日はなんたって乃々のデビューだしな。緊張してるが、それよりも楽しみだ。……おっと、そうだ」
 
 ファイルから一枚の紙を取り出して、手渡してきた。

「今日のセトリだ。確認しておいてくれ」

「……まゆは出ないじゃないですか」

「いいから見とけって」
 
 そう言って紙を押し付けると、部屋から出ていった。
 
 まずこの事務所の稼ぎ頭のアイドルたちが全体で歌ったあと、それぞれのソロ曲やユニット曲が続く。
 
 乃々ちゃんの出番は中盤。
 いちばん心理的に負担がないところに配置してもらっている。
 
 別に見なくてもセトリは頭に入っているのに。
 そう思って、なんとなしに紙を見てみた。



 森久保乃々の名前は紙の一番下。
 彼女の出番はソロ曲のトリになっていた。

「なん……で」
 
 いまさらなんでこんな変更がされているのかわからなかった。
 よりにもよって新人アイドルを最後に持ってくるなんて。
 しかもこんなに大きなドームで、たくさんのファンの前で。
 
 無理だ。トリの重圧に乃々ちゃんが耐えられるわけない。
 
 ライブがはじまるまでなら、まだ変更できるはず。
 プロデューサーさんに早く抗議しに行かないと。



「なんて言いにいくつもりですか?」
 
 どこかから声が聞こえた。

「あなた、あの子にどれだけひどいこと言ったのかわかってるの? この期に及んでそんなことを言いにいけるなんて思っているの?」
 
 ここには私以外に誰もいない。

「あなたに、あの子に関わる資格なんてありませんよ」
 
 私をかたどったなにかが、心のなかで哀れな私を嗤っていた。

「あなたはあの子やプロデューサーさんたちを傷つけてきた、最低な人間なんですよ。それに……」
 
 そのなにかは嗤いながら、泣いていた。




「あなたはもう乃々ちゃんのプロデューサーじゃないんですから」

 

 ああ。そうでしたね。
 
 私は、もう、乃々ちゃんとなにも関係がなくなっちゃったんでした。

 

 呆然と立ち尽くしているあいだに、ライブははじまり、イベントも進んでいった。
 
 そして、いよいよソロ曲のラスト。
 
 乃々ちゃんの出番がやってきた。

 🎀
 
 スポットライトがつくりだす光のサークル。
 
 その光の輪のなかに、乃々ちゃんが立っていた。
 
 明るい緑色の衣装に身を包んだ彼女を見ていると、森に住んでいそうって第一印象を思い出す。
 
 会場がざわめきはじめた。
 ソロのトリなのに出てきたのは見たこともない女の子なんて、ファンの人たちからすればびっくりするのも仕方ないと思う。
 
 マイクを握っている手がかすかに震え、下を向いて俯いている。遠目からも緊張しているのがありありとわかった。

「乃々ちゃん……」
 
 いますぐにでも駆けつけたかった。
 その手を握ってあげたかった。
 
 でもそれはできない。
 私にはその資格はないから。
 
 私はもう乃々ちゃんのプロデューサーじゃないんだから。

 
 

 顔をあげて大きく深呼吸をした乃々ちゃんは一瞬こちらを見て、


「え?」
 
 まるで安心してください、というようににっこりと微笑んだ。
 
 その優しい表情のまま、前を向く。体の震えはとまっていた。


 そして、曲が流れだす。
 
 あいくるしい彼女に似合う、柔らかくかわいらしいメロディ。
 
 その曲調にぴったりのかわいらしく、だけどしっかりとした意志の強さも感じられる歌声で歌いあげていく。
 大きな動きではないけれど、軽やかに舞うように踊っている。
 
 観客は息をのむのも忘れて、ステージを見つめていた。
 
 びくびくして、すぐにばてて、むりですとばかり言っていた女の子はいま。ひとりのアイドルとしてステージに立っていた。
 
 二週間前よりも格段にパフォーマンスの質があがっている。
 きっとプロデューサーさんのアドバイスの賜物なんだと思う。
 
 なぜかちくりと膝が痛くなった。

 
 
 そして、曲はいよいよサビ前。

 
 練習のとき、ついに見ることができなかった、二回のターン。
 だけど心配はしていなかった。
 
 だって、乃々ちゃんは私のことなんてもう嫌いになったはずで。
 そんな私が考えたあの振り付けをするわけなんてなかったから。
 そのためにあんなことを言ったんだから。
 
 だからなにも心配する必要なんてない。
 そう思っていたそのとき、

 
 

 乃々ちゃんは右足を軸に左足を蹴って、くるりとターンをした。


「どうして……」
 
 私の動揺を置き去りに、乃々ちゃんは軸足を切り替える。
 
 練習でもここまではできていた。問題はその次のターン。
 どうして乃々ちゃんがこの振り付けをしているのかはわからない。

 
 
 でも、お願い。成功して!

 
 

 もう1度勢いよく右足で床を蹴って、くるりと一回転。
 わずかにぐらついた体をぐっとこらえて持ち直して、続きのステップに入った。


「やっ……」
 
 口を押えて、叫びそうな衝動を飲み込む。

「ふぅ、よかった」
 
 隣でプロデューサーさんが息を吐いた。

「乃々のやつ、俺やトレーナーさんがやめておけといってるのに、あれをやると言って聞かなくてな。わざわざ居残りまでして、あのターンを練習してたよ」

「え?」
 
 やめろと言ったのに聞かなかった? 自主練をしていた?
 どうして? なんのために?

 
 私の困惑をよそに、乃々ちゃんは華麗に踊りながら、あいらしい歌声を響かせる。
 乃々ちゃんのもつ雰囲気と緑色の衣装もあって、まるでいまステージにいるのは妖精ではないのかと錯覚させられるほどに、彼女は美しかった。
 会場にいる誰もが、森久保乃々というアイドルに、ただただ見とれていた。
 
 緑色の妖精は曲が終わるまで、私たちを魅了しつづけた。

 


 曲が終わり一瞬の静寂が訪れたあと、万雷の拍手が乃々ちゃんに注がれてた。
 乃々ちゃんは息を吐きながらもじもじとして、ぺこりとお辞儀をした。

 こみあげてくるものをぐっとこらえる。

 よかった。ほんとうに、よかった。
 ありがとう。……ごめんなさい。
 これでもう、思い残すことはなにも──




「もりくぼ……ほんとうはアイドルになるつもりなんてありませんでした」



 
 ……え?

「まだアイドルになって二か月しか経っていませんけど……ほんとうにきつくて、なんどもやめたいって思いました……。歌もダンスもなにも出来なくて……みなさんに迷惑をかけたらどうしようってことばかり考えてしまって……」

 会場が大きくどよめいた。
 なにを言ってるの乃々ちゃん。

「でも言ってくれたんです。何回失敗してもなんどもなんども、大丈夫、乃々ちゃんならできますって」

 そう言いながらポケットからなにかを取り出した。
 
 それは──。

「がんばったらがんばりましたねって。ちゃんとできたときはすごいですって褒めてくれて……。もりくぼ、それが忘れられなくて。すごく嬉しくて……」

 
 まるで衣装に合わせたように淡い緑色をした、乃々ちゃんにぴったりのリボン。
 
 いままでのご褒美として乃々ちゃんにプレゼントした、あの緑色のリボンだった。


「その人はいま、とってもつらいことがあって落ち込んでいて……。なにかできないかってずっと考えたんですけど、だめだめな私にできることはなにもなくて……」
 
 乃々ちゃんはそのリボンを手首に巻き付ける。

「だからせめていままでのお礼がしたくて……わがままかもしれませんけど、もう一曲だけ歌わせてください」
 
 そして、すぅ、と息を吸って、叫んだ。
 



「いまのもりくぼは、やるくぼですけど!!」

 
 その叫びとともに曲が流れだす。


「あっ」
 
 思わず声が漏れた。
 
 それは恋の歌だった。
 
 プロデューサーさんが私のために授けてくれたもの。
 
 乃々ちゃんと一緒に歌ったこともある、私のデビュー曲だった。

 
 声はかすれはじめていた。
 動きは全然できていなかった。
 もう一曲踊る体力なんて、もうすでになくなりはじめていた。

 
 
 それでも、額にびっしょり汗をかきながら、幸せそうに彼女は歌っている。

 
 大好きだよ、と。彼女はささやいている。

 
 
 この曲を歌おうなんて思ったのは、乃々ちゃんに決まっていて。

 サプライズのように二曲連続で歌うために、ラストに自分を持ってきたのも乃々ちゃんが頼んだに違いなかった。



「…………」
 ああ。だめなのに。
 
 私の足は、勝手にステージに向かっていった。

 

 
 乃々ちゃん。
 あなたをプロデュースしているあいだはほんとうに大変なことばかりだった。
 
 自分ひとりでいろいろなことをしなくちゃいけなくなったし、あなたは臆病だったり体力がなかったりで世話がかかったし、しかも大好きな人に振られちゃうし。

 
 
 でも。それでもがんばってこれたのは、がんばろうって思えたのは。

 
 あなたのことが大切だったから。
 いつでも人のためにがんばろうとするあなたのことが大好きだから。
 だから、いままでがんばってこれたんです。

 
 
 ねぇ、乃々ちゃん。あなたも同じだったんですか?

 
 自分のステージでいっぱいいっぱいだったはずなのに。
 ほんとは震えるくらいステージに立つのが怖いはずなのに。
 それでもいまここで歌ってくれているのは。
 私がいなくなることのほうが怖いって思ってくれてるからなの?

 
 
 あなたも、私のことを大切だって思ってくれているからなんですか?


 


 
 緑色のリボンがふわりと舞った。

 
 
 乃々ちゃんは私が来ることをわかっていたみたいに、にこりと微笑んでマイクを差し出してくる。


 
 ああ。ほんとうに私はどこまでもずるくて卑怯みたい。
 
 ほんとはステージに立つ資格なんてないかもしれないけど。
 
 それでもいま、いまだけは。


「まゆは……」
 
 みんなに応援してほしいの! だからお願い!






「まゆもやるくぼですけど!!」

 
 
 きっと演出だと思っているだろう会場から大きな歓声がおこる。





 


 わかっていました。
 
 プロデューサーさんが私のことを女性として見てくれていないってこと。
 あなたはプロデューサーで、佐久間まゆはアイドルだから。
 あなたと私は結ばれないってこと。
 
 ほんとはずっと前からわかっていたんです。
 
 私の恋は愛する人を傷つけて、大切なみんなに迷惑をかけて。
 
 だったらこの歌はだれに歌えばいいの?
 私にこの歌を歌う資格があるの?
 
 わからない。なんにもわからなかった。

 
 
 それでも、歌いたかった。

 
 

 私がいなければ、いまごろプロデューサーさんに支えられてもっと活躍できて、倒れることもあんなにひどいことを言われることもなかったはずなのに。
 ほんとは恨まれても嫌われても仕方ないはずなのに。

 
 
 こんなどうしようもない私のことをプロデューサーって呼んでくれたから。

 
 あなたのプロデューサーがこんなろくでなしなんて思われてほしくなかった。
 私の担当アイドルは、世界でいちばん素敵なんだってみんなに教えたかった。
 たとえ資格がなくても、あなたのリボンは私と繋がっているって思いたかった。
 
 こんな私を慕ってくれるあなたが大好きだから。
 
 いまだけでいいから。
 

 大好きだよって、叫ばせて!

 
 曲が、終わった。
 
 それと同時に、乃々ちゃんが胸に飛び込んできた。
 
 小さな頭をぎゅっと抱きしめる。



「私、ここにいてもいいの? 乃々ちゃんと、一緒に、アイドル続けてもいいんですか?」

「ぐすっ……もりくぼは、一緒に……いてほしいです……」

「そう……ですか」
 
 割れんばかりの歓声がとぎれるまで。
 
 胸のなかでしゃくりあげている、とっても大切な、私の担当アイドルの頭をずっと撫でつづけた。






──エピローグ──


 🎀
 
 ──このまえのライブは素晴らしかったですね

「みなさんが応援してくれたおかげで、とってもいいライブができたと思います。ありがとうございます」

「もりくぼはちゃんとできていたかわかりませんけど……少しでも楽しんでもらえたのなら、それで満足、です」



 ──森久保さんのステージに佐久間さんの曲を歌うサプライズもありましたね。ファンのみなさんもびっくりしたと思いますが

「まゆもびっくりしました。乃々ちゃんが企画して、事務所で知らなかったのはまゆだけだったみたいなんです。できれば教えてほしかったですよ」

「あうう……。あのときはそれしか思いつかなくて……すみません……」

「うふふ。冗談ですよ。ありがとうございます、乃々ちゃん」
 


 ──佐久間さんは森久保さんのプロデューサーをやっていたということですが

「はい。でも、乃々ちゃんに教えていたはずなのに、まゆのほうがいろいろなことを教えてもらっちゃって、どっちがプロデューサーだかわかんなくなっちゃいました」

「まゆさんにはほんとうに、お世話になりました……。いまもお世話になりっぱなしですけど……」
 


 ──とても仲良しなんですね

「はい! オフのときには一緒に遊びに行くんですよ」

「なかよしです……戦友です」



 ──ありがとうございました。それでは最後に質問です。


 …………
 ……
 …

 🎀
 ありがとうございました、とお礼を言って、事務所を出ていく記者さんを見送る。
 足音が遠くなっていき聞こえなくなったあと、乃々ちゃんがへなへなとソファーに腰を下ろした。


「つ、つかれました……」

「乃々ちゃん、お疲れ様でした」

「もりくぼ……あまりちゃんとお話できませんでした……」

「そんなことありませんよ。記者さんも言ってたじゃないですか。乃々ちゃんのインタビューすごくよかったって」

「うう……それはそれではずかしいぃ……」
 
 うふふ。がんばりましたねと頭を撫でてあげる。

「それにしても最後の質問の答え。まさか乃々ちゃんと被るなんて思いませんでした」

「うっ……」

「プロデューサーとアイドルって似るんですか、って言われて、まゆ、とってもうれしかったです」

「ううう~~。……あっ、そ、そういえばプロデューサーさんが、インタビューが終わったら来いって言ったいました……。行きましょう」

「もうっ、待ってくださいよぉ」
 
 笑いながら、足早に逃げていく小さな後ろ姿を追っていった。


「新しい子とまゆたちでユニット、ですか?」

「うん。今度うちに来ることになったその子とお前たちの三人でユニットを組んでもらおうと思ってる」

「あ……あの、怖い人じゃないですよね」

「大丈夫だぞ乃々。お前と一緒でどっちかといえば地味でおとなしい子だ」

「そ、それならなんとか……」  

「ただ」

「ただ……?」
 
 いたずらを思いついているときの顔をしてたっぷりと溜めたあと、ネタ晴らしをするように言った。


「テンションが高くなると、急にヒャッハーーって叫びだすことがあるだけだ」

「ひいいいいいい。むーりぃー」
 
 乃々ちゃんは悲鳴を上げると、机の下に潜り込んだ。

「プロデューサーさん。あんまり乃々ちゃんを怖がらせたら駄目ですよ」

「おっ、さすが乃々のプロデューサー」

「もうっ。からかわないでください」

「あはははは。わるいわるい」
 
 愉快そうに笑うプロデューサーさん。その横顔を見て改めて思う。

 

 やっぱり私はあなたが好き。
 あなたには大切な人がいて、だから早く諦めなきゃってわかっているのに。
 それでも、あなたを見るとどうしてもドキドキするし、胸がとても苦しくなる。
 おバカな私は、どこまでもあなたのことが大好きみたい。

 
 でもね、プロデューサーさん。知ってますか?
 
 あなたがこの事務所に連れてきてくれて。あなた以外にも大切なものができたの。


「あれ? まゆ、それは?」

「これですか? 乃々ちゃんがプレゼントしてくれたんですよ」
 
 ね、乃々ちゃんと振り向くと、恥ずかしそうに唸る声が机の下から聞こえた。

「なにをプレゼントすればいいのかずっと考えていたんですけど思いつかなくて……。ご迷惑じゃなければいいですけど……」

「ううん。そんなわけありませんよ。すごく、すっごくうれしいです」

 
 
 ほんとうにうれしい。ずっと、大切にしますね。


「と、それよりもふたりとも。そろそろ時間大丈夫か?」
 
 時計を見ると五時をまわろうとしていた。
 もうすぐレッスンの時間。
 遅れるとトレーナーさんに怒られちゃう。

「いけない遅刻しちゃう! 行きましょう乃々ちゃん」

「うう……まゆさん、引っ張らないで~」
 
 乃々ちゃんを抱えるように机の下から引っ張りだして。
 
 いってらっしゃい、というちひろさんの言葉を背に、事務所を飛び出した。


 
 きっとこれから先もつらいことはたくさんあって。
 
 みんなに迷惑をかけたり、傷ついたり傷つけられたりして。
 その度に泣きそうになっちゃうこともあるかもしれません。
 
 後ろを振り向くと乃々ちゃんと目が合って、ふたりで笑いあう。
 
 でもこの手を握っている限り、きっと大丈夫。
 いつまでもどこまでも、ずっとずーっと一緒にがんばっていけますから。

 
 

 まるで私の気持ちに同意してくれるように。

 
 
 二本の緑色のリボンが、ゆらゆらと仲良く揺れていた。









 ──あなたにとって『アイドル』とは?


「「大好きな人と繋いでくれる、運命の糸です」」







 おしまい。



以上となります。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

乙乙。年の瀬にいいもの読ませてもらいました

良かった乙
アンダーザデスクはイイゾ~

年の暮れに良いもの読ませて貰った


来年もアンダーザデスクをヨロシクゥ!!

おつおつ とても素晴らしかった

いいまゆくぼだった

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