曜「あなたに出会えて」 (74)

突然ですが私、渡辺曜は、朝から靴磨き活動中であります!

といっても、ここは沼津じゃなくて、日本の外のとある街の中なんだけどね。


―――なんで?って、それはまた別のお話。


そんなことより、よかったら君もどうかな?
いつでも歓迎っ。お代はお気持ちの分だけだよ!


曜「ヨーソロー!元気っ娘曜ちゃんの、靴磨きはいかがですかーっ?」


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1509886285

Aqours全員登場です。
多分シリアス長編。よろしくお願いします。

第一章 “ノクターンと踊る街”



街の大通りを歩く人々はもう上着を羽織って、冷たい秋風にしかめっ面。


手袋を忘れた子供が手のひらをこすり合わせながら、私の横を走ってすれ違っていった。


梨子「…………はぁ」


寒さも相まって私の足取りは重い。



歩道の紅葉した木々はもう半分も葉を落として、少し寂しげに冬の訪れを告げていた。

ようりこなら読まない
短編集じゃないよね?

>>4
わざわざ書くな

「―――元気っ娘曜ちゃんの、靴磨きはいかがですかーっ?」



そこに、一人の少女の温かい声。


毎朝、少女の声は大通りに響く
陰鬱な街の空気を晴らしていくように


この街では日本人は歓迎されないから、彼女に靴磨きを頼む人なんてほとんどいない。


それでも彼女は、毎朝そこに立っていた。

Aqoursメインのはどれもつまらないからなぁ

長編書いて打線入り狙いたいラブライブ板の人間かな

いつもなら、その声に背中を押されて学校へ向かうところ。


けれど、特別に憂鬱な今日の私は、ついに彼女の声に吸い寄せられてしまったらしい。

―――いや、きっと誰かに縋りたいだけだ。
快活そうなあの少女が、その誰かに適当そうに見えただけ。


そんな罪悪感に躊躇いつつも、声をかけてみた。



梨子「おはようございます」ペコ

曜「おはようございます!靴磨きですか?」


梨子「ええ、この靴をお願いできるかしら」


曜「はいっ、よろこんで」ビシッ


梨子「……なんで敬礼までしてるのか謎なんだけど、よろしくね」


曜「っあはは、すみません。つい癖で」エヘヘ


いや、どんな癖よ。
なんだか思っていたより不思議な子ね。

梨子「時間はどれくらいかかるのかしら」


曜「うーん……この感じだと10分ほどですかね。もしかして靴磨きは初めてですか?」


梨子「そうだけど、どうして分かったの?」


曜「靴は口ほどにものを言うもので」ドヤッ


梨子「へぇ……それはすごいわね」


腰に手を当てて、いかにも誇らしげな素振りが微笑ましい。


曜「時間の方は大丈夫ですか?」


梨子「10分ね。構わないわ」


曜「それじゃ、その椅子にかけてください」


梨子「はい」ストッ

曜「……最初に汚れ落としていきますね。台の上に右足乗せていただけますか?」


梨子「ええ」


曜「では、失礼します」スッ


そう言うと、かばんから必要な道具を取り出……さず、ガサゴソと私の目の前で漁り始めた。


曜「あちゃー、ブラシどこやったっけ………あ、あった」


梨子「大丈夫なの?」


曜「だっ、大丈夫!です!」


梨子「本当かなぁ」


曜「腕には自信がありますから、安心してください」フフン


できるかい。

それでも、今は彼女の無邪気さがとてもありがたかった。

期待
気長に待つぞ


曜「これからどこへ行かれるのですか?」シュッ


梨子「……学校です。実は、ここに寄ったのはただの気分で」


曜「ええっ、てっきり社会人の方かと」


梨子「よく言われます。大人びているって」


曜「落ち着いた雰囲気があって綺麗で、大人って言われても違和感ないですよ」


梨子「そんなことないですから」


曜「ありますって!本当に羨ましいです」


梨子「やめてくださいよ。それよりあなたこそ、とてもお若く見えますよ」


曜「私は今17です。いろいろあって高校には行っていないんですけど」


梨子「そうなの?同い年じゃない」



たわいも無い話をしながらも、彼女の手は一切止まっていない。

素人目にも動きに無駄がないのが感じられる。


曜「なんだか不思議な感じですね」


梨子「確かに。同い年の女の子に靴を磨いてもらうなんて」


曜「友達の靴を磨いてあげてるみたいです」


梨子「……案外それも、的外れじゃないかも」ボソッ


曜「えっと、もしかして今までにお会いしたことありましたか?」アセアセ


梨子「ないわ。会うのは今日が初めて」


曜「でも、友達って」


梨子「……毎朝ね、学校へ行くときあなたの声を聞いて元気を貰っていたから」

梨子「私にとっては、友達みたいな感じがするの」


曜「そうだったんですか」


梨子「変……よね」


曜「全然っ!むしろ私の声が誰かの力になっていたなら、それほど嬉しいことはないですよ!」


梨子「よかった、ありがとう」


曜「それは私の台詞ですよ。はいっ、片足できました!」


梨子「わぁ、ほんとにピカピカになってる……すごいわね」


曜「小さい頃からお父さんの靴を磨いてきたので」エヘヘ


梨子「へぇ、お父さんは何をされているの?」


曜「航海士でした」



でした?今は違うお仕事なのかな。

……いや、ここはあまり踏み込むべきではないのでしょうね。


曜「それじゃ、逆足もやっていきますねー」スッ


梨子「ええ、よろしく」



それからは、寒くなってきただとか、公園の紅葉が綺麗だとか。


世間話と、布が擦れる心地よい音と共に、時間は穏やかに過ぎていった。


曜「―――よしっ、こっちもできましたよ!」


梨子「とっても素敵ね。流石だわ」


曜「私の手にかかれば、こんなものですよ」エッヘン


梨子「もう、調子に乗っちゃって」ニコッ


曜「……やっと笑ってくれました」


梨子「私、今まで笑ってなかったの?」



愛想笑いのひとつは浮かべたつもりだったのだけれど。


曜「はい。ここへいらっしゃったときもとても辛そうで、心配で」


梨子「それじゃ、またあなたに助けられちゃったわけね」


曜「そう言われるとなんだか照れちゃいますけど」


梨子「本当にそう思ってるわ……はいっ、これはお代ね」


曜「どうもー、ってこれ多すぎですよ!」


梨子「そうかしら」



彼女はお金を見るなり、それを私の目の前に突き返してきた。


曜「こんなに貰えませんって」



梨子「ううん、これで合ってるわ」


曜「どうして……」


梨子「さっき言ったでしょ?今までもずっと、あなたの声に支えられてきたって」


曜「でも」


梨子「いいからっ。こういうときの好意は受け取っておくものよ?」


曜「……なんだか悪いなぁ」


手の上のお金と私の顔を交互に見つめる彼女は、とてもよくできた困り顔。

思わず先を案じてしまうくらい、素直で優しい少女。



梨子「ここで生きていくには、あなたはいい人すぎるの。いつか後悔しちゃうわよ」


曜「……じゃあ、貰っておきますね」


梨子「そ、それでいいの」


彼女はやっと、多めのお代をそっとポケットにしまった。



曜「ところで、ちゃんと学校には間に合うんですか?」


梨子「それは」ビクッ


曜「はい」



梨子「……間に合わないわ。今から行っても確実に遅刻でしょう」


曜「えっ、それまずくないですか?靴磨きなんてしてる場合じゃなかったんじゃ」


梨子「―――別にいいのよ」


曜「全然よくない気が……時間も確認したのに」


梨子「さっき私、これから学校だって言ったわよね」


曜「そうですね」


梨子「本当はね、行く気なんて全然ないの」


曜「……どうかされたんですか?」


上目遣いでのぞきこまれると、その優しさに甘えてしまいそうになってしまって

私は無理やり、彼女に背を向けた


梨子「話すと長くなるし、今日はさようならね」


曜「そう、ですか」


梨子「またお願いするわ、ばいばい」



手を振り、荷物を持って歩き出す

今日も街をぶらつこうかな

といっても、毎日辿り着く場所は決まってるんだけど



曜「――――やっぱり待ってください!!」




梨子「……仕事はどうしたの?」


曜「今日は靴磨きはおしまいです」


梨子「どうして」


曜「だって、もうノルマ達成しちゃいましたから」フフン


梨子「ダメじゃない、こういうときにちゃんと稼いでおかなきゃ。余裕ないんでしょう?」


曜「そうですけど、これじゃ友達じゃなくてお母さんみたいですよ?」クス


梨子「うっ……とにかく、そのお金は大事に使うのよ?」


曜「もちろんです!」


梨子「それで、用はなに?」



曜「今日は学校行かないんですよね」


梨子「ええ」

別に今日だけの話じゃないわ。と心の中で付け加える。




曜「それじゃ、私と一緒に遊びませんか!?」



梨子「…………は?」


曜「ですから、一緒にあそ」


梨子「いやいや、何でそうなるのよ」


曜「仕事ないと暇だからですよ」


梨子「だったら仕事しなさいってば」


曜「お金ならここに」スッ


梨子「私、そんなつもりで多く払ったわけじゃないのよ?」


曜「でもこれ、今は私のお金ですし」


梨子「」


ダメだこの子。なにを言っても引く気配がない


梨子「……もういいわ、勝手にしてよ」ハァ


曜「やったぁ!」


梨子「それで、なにして遊ぶわけ?」


曜「え?」


梨子「一緒に遊ぶんでしょう?」


曜「それは考えてなかった……」


梨子「えぇ……」


曜「えと、海に行ったりとか」


梨子「もう冬になるけど」


曜「プールに行ったり」


梨子「ここにはないし、泳いでばっかりじゃない」


曜「じゃあ、カラオケに行ったり……」


梨子「その、からおけっていうのは何?」


曜「カラオケ知らないんですか!?」


梨子「聞いたこともないわ」


曜「……あっ、ここ日本じゃないんだっけ」アハハ


梨子「きっといいところなのね」


曜「最高ですっ!」


梨子「うん、それで何して遊ぶの?」


曜「あ“」



振り出しに戻っちゃったわ……
これじゃいつまでたっても決まらないじゃない

彼女はうーむと頭をひねって考えているみたいだけど、そのうちお昼になっちゃいそう




梨子「……とりあえず歩かない?」


曜「そ、そうですね」



そして私達は、通りに広がる紅葉のカーペットの上を歩き出した


さっきとは違ってしばらく無言になり、落葉を踏みしめる音だけが、並んで歩く二人の間に静かに響く



曜「あの、ひとついいですか」


梨子「なに?」


曜「お名前が知りたいです」


梨子「……梨子よ」


曜「りこさんですねっ」


梨子「そうよ、曜さん」


曜「なんで私の名前を!?もしかして占い師さんですか?」


梨子「いやいや、毎朝名乗ってるじゃない。元気っ娘曜ちゃんって」


曜「あ、そうでした」テヘ


梨子「ほんとに天然なのね……」


曜「私なんてまだまだですよ~」


梨子「別に褒めてないから」


曜「はは……それともう一つ」


梨子「質問はひとつだけじゃなかったの?」


曜「どうしても気になって」


梨子「そう」


曜「本当は私なんかが聞くべきじゃないのかもしれないですけど、いいですか?」


梨子「………なに?」


曜さんは一呼吸おき、やがて意を決したように口を開く

聞かれることは分かっていた


曜「なぜ今日、学校に行かないんですか?」


梨子「さっき長くなると言ったでしょう?」


曜「時間ならたっぷりあるじゃないですか」


梨子「……別に、ただ気が向かなかったのよ」


曜「嘘ですね。そんな辛そうな表情で言われても説得力ないです」クルッ


彼女は立ち止まり、少しだけ後ろを歩いていた私に向き直る



梨子「仮にそれを話したとして、曜さんはどうするの?」


曜「分かりません。でもきっと助けると思います」


梨子「どういうこと?」


曜「放っておけないんですよ、梨子さんのこと」


梨子「あのね、別に誰もそこまでしてなんて頼んでないの」


曜「いいえ、梨子さんは救ってほしいと願っていたはずです」

曜「私がそう感じるほどに、一目見たときからあなたはひどく悲しげでしたよ」


梨子「そんなことっ」


曜「そして、他人の私はほんの少し縋ってしまうには適役だった」

曜「違いますか?」


梨子「……違うと言ったら?」


曜「それでもそうだと言います」




曜さんは無邪気さをそのままに、少し申し訳なさそうに私を見つめている


梨子「……とっても鋭いのね」


曜「ただの勘です。それに私、見て見ぬふりはできないので」


梨子「それでも、どうしてそこまで」



曜「……ただ、嬉しかったからです」


梨子「なにが?」


曜「梨子さんが、笑顔を見せてくれたのが」



彼女の瞳は、どこまでも強くまっすぐに私を捉えている


どうやら私の気持ちはもう、何かにもたれ掛かることを拒めるほど強くはないみたいだった




梨子「―――見せたいものがあるの」


曜「っ!はい!」パァッ


―――――


辿り着いたのはピアノ店

店はガラス張りになっていて、商品は外から見えるようになっている。



曜「わぁ……ピアノばっかり」


梨子「ここはスタインウェイの本店。世界でも名実ともにトップの老舗よ」


曜「よく来るんですか?」


梨子「ええ、ふと気がつくとここにいたりするの」


曜「これが、梨子さんの見せたかったものなんですね」


梨子「そうよ。素敵でしょう」


曜「はい、本当に」キラキラ



堂々と輝くピアノに、曜さんの目はそれに負けじと輝いている


そんな彼女を見ていると、胸が苦しくなった

まるで、在りし日の私を見たようで



梨子「……私ね、ピアノやってたの。小さい頃からずっと」


曜「今はやってないんですか?」


梨子「うん、やってない」


曜「そうですか」


梨子「……お話、聞いてくれる?」



ほとんど吐露するように語ってしまうのかもしれない

夢中で駆けていたあの日々のことも、道端に立ち尽くしている今のことも




曜「もちろんですっ」ニコッ



それでも不思議と嫌な気がしないのは、このローファーに目が眩んでしまったからに違いないわ



きっとね。


雰囲気凄く良い


―――――


私はピアノが大好きだったの
ピアノが人生だったと言っても障りがないほどにね


内気で思ったことを言えない私の代わりに、喋ってくれているみたいだったから


練習を休むことは一度もなかった
毎日、風邪をひいたときですらピアノにかじりついた


それから何年か経って、コンクールにも出るようになったわ


最初はとても緊張したけど
練習のかいあって、賞を取ることはいつしか当たり前になった


親も友達も先生も、みんなが褒めてくれる


『すごいね、上手だね』って



もっともっといい音を弾きたい。素晴らしい曲を弾いてみたい。

私は、ますますピアノが大好きになった



ずっとそうやって鍵盤を追いかけ続けるだけの日々を過ごしていたかったけれど


人生を揺さぶる出来事っていうのは、必ずしも劇的ではなくて、


それは私にも平等にいえることだった


それは中学校に入学して間もない頃のこと


つまりね。なんでもない昼休みに、学校の階段で足を滑らせて落ちてしまったの


ついた手がひどく痛んで、嫌な予感に何も考えられなくなって


大事に至らないことを祈りながら、すぐにお母さんと病院に向かったわ


こういうとき、どうしてか現実は概して残酷で


カルテは淡々と、そして無残に私を引き裂くように告げたの


…………右手の指が3本、折れていると


それでも奇跡中の奇跡、軽傷すぎるほどだったと医者は語ったけど


私にとってそれが大嘘だったと気づくのに、そう時間はかからなかった


私の指は、元の形に戻らなかったから


鍵盤を押していると、疼くように折れた指が痛むようになった


それでも、私にはピアノしかなかったの

諦めるもんかって、また必死に練習してコンクールに出たわ


もちろん両親には止められたけど、ほとんど無理やりに反対を押し切ってね


……もちろん結果は惨敗


賞をとるどころか、
一曲を弾き切ることすら出来なかった


『仕方ないよ』


そうみんなから言われて、それがたまらなく悔しくて、やりきれなくて

私の10年の努力があっけなく無に帰ったのが、認められなくて


こんなことなら、頭でも打って何も考えられなくなった方がずっとマシだったと思った


………正直、今でも思ってる


だからもう、逃げるしかなかったの

もうすぐ大人になるんだからちゃんと勉強しなきゃって、取っておきの言い訳つきでね


でも結局、私には最後までピアノしかなかったのよ


白と黒の鍵盤を追いかけるだけの日々が、寝ても覚めても、どれだけ追いやっても頭の隅に居座り続けて

何度諦めようとしても、心のどこかにはいつもピアノがあった


ピアノのことは忘れようと通っていた高校にも、だんだん行けなくなっていった


結局私は、

ピアノと向き合いきることもできず、別の道に進む覚悟も持っていなかったの


―――――


梨子「そんな不運で中途半端な弱虫が、私」


曜さんは目を閉じ、すこし考えるような素振りを見せる


曜「……梨子さん」


梨子「なに?笑ってもいいのよ」クス


曜「笑ってなんかあげませんよ。それに、梨子さんは逃げてないです」


梨子「……私のお話聞いてた?」


曜「はい、ちゃんと全部聞いていました」


梨子「ならどうして」


曜「本当に逃げた人間は、もっと楽になるはずですから」


梨子「何が言いたいの?」


曜「あなたが今辛いのは闘ってるからで、逃げないからじゃないですか」


梨子「……」


その時、大きなトラックが店の前に停まった

同時に店の中から大勢人が出てきて、慎重にピアノを運び入れている


梨子「……」

曜「……」


私はそれを、ただじっと見つめた

梱包の隙間から見えたマークは、忘れられるはずもない、思い出のもの


梨子「―――ビンテージの最高級品よ。昔行ったコンサートで聴いた音色が、今でも頭に残っているの」


曜「そう、なんですか」


店の奥へとピアノが消える瞬間まで、私は目が離せなかった


梨子「ずっとあの音色を手に入れることが夢だった。……もう叶わないけどね」


私は右手を広げて、歪になった指を見つめる


曜「梨子さん……」


梨子「お話は終わりよ。お腹も減ったし、カフェにでも行かない?」


曜「……はい」



私だって、あのピアノがあれば誰よりも上手く弾けるのに


そんな負け惜しみをしてしまいそうで、早くお店に背を向けたかった



―――――


梨子「はぁ……やっぱりあのピアノだけは、私にとって特別なのよ」


曜「そうみたいですね」


梨子「……運命みたいだから。きっと気のせいでしょうけど」


曜「運命、ですか」


テーブルにはパンが並び、コーヒーを片手にぽつりぽつりと言葉を継ぎ足す

店内に流れるボサノバも重苦しく感じた


曜「お話は終わりじゃなかったんですか?」


梨子「だって、こんなところで見られるなんて思わなかったから」


曜「……よほど思い入れがあるんですね」ニコ


梨子「そうよ。簡単には手に入らないからこそ、あれを追いかけるのはとても楽しかった」


曜「でも今はあの店にある。試奏だけならできるんじゃないですか?」


梨子「私だって弾いてみたいと思うわ。それだけを目指してやってきたんだから」


曜「だったら」


梨子「でも無理なの」


曜「指のことですか?」


梨子「いえ、あのピアノはその程度で諦められるほどに収まる価値ではないわ」


曜「なら、どうして」


そう。結局私の夢は叶わないまま

梨子「さっきあのピアノは展示されずに店の奥に運ばれた。つまり、もう商品ではないのよ」


曜「……」


梨子「もう新しい買い手はついていて、調律して確認の試奏をしてもらって。明日には引き渡しでしょう」


曜「そんなっ」


梨子「……最後に見られただけでも奇跡なのよ。あなたが誘ってくれたおかげね」フフッ


曜「そうかも、しれないですけど」


梨子「なんであなたがそんな顔してるの、コーヒーさめちゃうわよっ」


曜「……本当にいいんですか?」



―――あぁ。本当に、この子はどうしてそこまで。


梨子「……良くないわよ。いい訳ないじゃないっ!」ガタッ


梨子「やっと、やっとたった一つ憧れだったピアノに出会えたっていうのに!……試奏どころか、近くで見ることすら叶わないのよ」


曜「……」


梨子「せっかく諦めようとしてるんだから、邪魔するようなことを言うのはやめて欲しいの」


曜「……すみません、出すぎたことを言いました」


梨子「……いいわよ。気にしないで」


私も強く当たりすぎたかもしれない

曜さんがあまりに分かりやすく気落ちするものだから、余計にコーヒーが苦かった


曜「……きっと私は、心のどこかで幼馴染を追いかけているんです」


梨子「幼馴染?」


曜「困っている人を見ると絶対に放っておかない子で」


梨子「あら、あなたにそっくりじゃない」


曜「えへへ、そうですかね。千歌ちゃんっていうんですけど、本当に可愛くて素直で」


梨子「むしろ清々しいほど惚気けるわね……」


曜「千歌ちゃん大好きなので!」


梨子「うん、分かったから落ち着いて?」


曜「そして、彼女は諦めが悪いんです」


梨子「……本当にあなたにそっくりみたい。まだ何かあるの?」


曜「あのピアノを弾く方法なら、一つ残ってますよ」


梨子「っ……!」


曜「盗むんです」


梨子「何かと思えば普通に犯罪じゃない!というか、そんなこと出来ると思うの?」


曜「そりゃ、あんな大っきなピアノ盗むのは無理ですって」


梨子「じゃあ盗むって」


曜「音をです」


梨子「……どういうこと?」


彼女はまるで取っておきの秘策でもあるかのように、たっぷりと間を開けた



曜「……店に忍び込んでちょっと弾かせてもらうんですよ」ドヤ


梨子「やっぱり犯罪じゃない……」ガクッ


曜「でも、これは不可能じゃないですよ?」


梨子「いやいや、あんな高級品ばかりのピアノ店よ。警備だって厳重でしょう」


曜「さっき店の中を見た時は監視カメラ多くなかったですよ?まぁ、あんな大きいものバレずに盗もうって方が無理な話ですし」


梨子「あなたいつの間にそんなところまで見て……というか、鍵はどうやって突破するのよ」


曜「おっ、さては梨子さん。ノリノリですね?」


梨子「うっ……は、話だけでも聞いておこうと思って」


曜「やっぱり弾く気満々じゃないですかー」


梨子「……私だって報われたいもの。弾くのがだめなら近くで眺めるだけでも構わない。どうしても、あのビンテージじゃなきゃいけないのよ」


曜「わがまま言いますねー……でも、梨子さんが本気なら、私は全力で助太刀いたしますよ!」


梨子「犯罪なのに」


曜「確かにそうですね」


梨子「ね?だからやめるなら今……」


曜「でも私は、ちょっとくらいずるをして報われたって、梨子さんならバチは当たらないと思いますけどね」



……その言葉に私はほだされてしまった

ほんの一滴でも。一度歩みを止めてしまった道をもう一度歩いてみるには、その言葉は十分すぎて。


―――私は、報われたかったのだ


梨子「……本当にできると思う?」


曜「きっと出来ますよ!作戦会議といきましょう」


お洒落なカフェの一角で女の子2人が不法侵入の計画を練るという、アンバランスな光景が広がる

話し合いはどこか浮き足立ち、ランチのパンは一向に減る気配を見せなかった



曜「まず、決行は深夜3時が望ましいですね」


梨子「店の付近の人通りが一番少なくなる時間帯、ってことね」


曜「その通りです!」


梨子「ところで、どうやって店に入るの?」


曜「まずはもう一度店に行って下見をしましょう。そして―――」

今回はここまでです、次回投下まで少し時間があいてしまうかもしれません。
よろしくお願いします。


―――――



曜「……梨子さん、梨子さんっ」


梨子「あっ、曜さん」スタタ


曜「いよいよですね」


梨子「……ええ、そうね」


私たちは決行の30分前にピアノ店の近くの公園で待ち合わせた


曜「計画通りにいきましょう」


梨子「ねぇ、やっぱり肝心の侵入がピッキング一番勝負なんて……」


曜「他に何があるんですかっ。きっとうまくいきます、大丈夫です!」


梨子「その自信はどこから来るの?」


曜「私、意外と器用ですから」


梨子「それはあなたの靴磨きを見ていれば分かったけれど、それとこれとは話が別じゃ……」


曜「やったこともありますよ?」


梨子「どこでよ……というかそれはそれで問題なんじゃ」


曜「とにかく大丈夫っ!梨子さんは今日、ひとつの夢を叶えるんです」


梨子「……ええ、そうね」


作戦の決行まではまだ時間がある。特に何をするわけでもなく、店の様子を伺った

そのうちに私は、怖いような、待ち遠しいような複雑な気分になり、曲がった指を訳もなく見つめる


曜「……梨子さん」


梨子「なに?」


曜「弾く曲は決まっていますか?」


梨子「ううん、そもそもこの指じゃ昔弾けていた曲もまともに弾けないと思うから」


曜「……」


梨子「もしちゃんと弾けなくても、あのピアノを見られるだけで十分満足なのよ」


曜「きっと弾けるはずです」


梨子「…うんっ。今日はせっかくのステージなんだから、頑張らなきゃ」ニコッ


観客は二人だけ

私に歩き出すきっかけをくれた少女と、
あの日歩くのを諦めてしまった私のための

たった一曲のステージ


曜「あの、ご無理はしないでくださいね」


梨子「ここまで来て何言ってるの?」


曜「ありゃ。梨子さんったらもうすっかり乗り気ですよね」


梨子「中途半端にやったら捕まるもの」


曜「確かに」


梨子「あなたこそ、今日知り合ったばかりの人とこんなことするなんて。私よりよっぽどお馬鹿してるわよ」


曜「はは、おっしゃる通りです」


梨子「何かあったの?」


曜「梨子さんには、関係ないですから」


梨子「……似たやり取りをさっきやった気がするけど」


曜「立場は逆になっちゃいましたけどね」


曜さんは静かに口元を緩ませた
紅潮するように紅く染まった葉が夜風に揺れている


曜「……千歌ちゃんに、会いたいんです」


梨子「あなたの幼馴染よね。会えていないの?」


曜「はい。2年前に日本を出た時からずっと」


梨子「そっか」


曜「気がつくと、彼女の姿を思い浮かべていて。何度も思い出を追いかけて」

曜「私、やっぱり彼女なしじゃだめらしくて」


梨子「……」


曜「だから絶対にまた会うために、私は生きていなきゃいけないんです」


重い言い回しに違和感を覚えつつも、彼女の表情が私にそれを深追いすることを躊躇わせた


梨子「なら、なおさらこんな所で油売ってる暇ないんじゃないの」


曜「梨子さんを放っておけなくて」


梨子「おせっかいさんね。どうなっても知らないんだから」


曜「それが私の性なんですよ」


梨子「……でも、それならあなたにぴったりの曲があるわ」


曜「へぇ、それは楽しみです」


梨子「まだ弾くなんて言ってないわよ?」


曜「えー?意地悪言わないでくださいよ」


梨子「ふふ、ごめんなさい」


これから私達は世界一の音を盗むというのに、不安とは程遠い会話をしているのが可笑しい


曜「……さあ、そんなこと言ってるうちにもう時間ですよ?」


梨子「それじゃ、行きましょう」


曜「はいっ」スッ


時計の針は、ぴたりと決行時間を指している

私達は黒のローブを羽織り、真夜中の街へ溶けていった

今回はここまで。

いいね

よくないね

みてるよ


―――――



街灯一つない真っ暗な夜道を駆け抜ける

道端ではボロ切れを着て倒れている人達を見かけた。多分、物乞いか麻薬中毒者。


……ろくでもない街だなぁと思う


曜「―――店の前まで来ましたね」


梨子「本当に上手くいくの?」


曜「やってやりますよ。ちょっと集中しますね……」スッ


曜さんは針金をかばんから2つ取り出し、鍵穴に差し込み始めた


曜「うーん……」カチカチ


大通りの片隅に甲高い金属音が響く

誰かが向かっては来ないだろうかと、背中の嫌な汗が止まらない


曜「っこう、でもないかぁ……」


梨子「……」


曜「よっと……って、あれ?」カチ


梨子「どうしたの?」



曜さんは拍子抜けたような顔で振り返った


曜「あの、梨子さん」クルッ


梨子「どうしたの?」


曜「……この鍵、開いてるんですけど」


梨子「…そんなはずないわ」


曜「いえ、開いています。確かめてください」


梨子「えぇ?うーん」


うまく状況を飲み込めないまま、ドアノブを捻り軽く前に体重を預けると

ドアは高い音をたてて……開いた


梨子「―――は?」ガチャ


曜「ほら」


梨子「いや、ほら?じゃなくて」


曜「どうかしましたか?」


梨子「どう考えてもおかしいじゃない!どうして開いてるのよ!?」


曜「…?ラッキーですしいいじゃないですか」


梨子「ラッキーって、そんなこと」


曜「たまにはこれくらいのことがあったっていいと思いますけど」


梨子「でもっ、あまりに上手くいきすぎてる気が」



曜さんは躊躇う私を、笑顔を消して刺すように見つめる


曜「梨子さん」


梨子「……」


曜「私達は史上に残るピアノの音を盗むんですから。ここはラッキーだと割り切るべきです」


梨子「ラッキー、なのかな……」


曜「そうです。ラッキーです」


梨子「うーん、でも……」


曜「そもそも、これほどのリスクを背負っておきながら前に進むのをやめる選択肢なんて、あるわけないじゃないですか」



―――逡巡。


梨子「……そう、ね」コクッ


報われたい、たった一つの気持ちが私の足を動かした。

あともう少し、夢のピアノまで扉一枚だけだという事実に、私の危機意識は最早機能していない

それを自覚してなお、あのビンテージへと向かう足を止めることはできなかった。


梨子「よし、それじゃあ行くわよ」


曜「はい、あとは頑張ってくださいねー」


梨子「……え?」


曜「どうしましたか?」


梨子「一緒に、来てくれるんじゃないの?」


曜「それは出来ませんよ。外の様子を見張っておかないといけませんから」


梨子「あ……そっか。そう、よね」


ここからは一人……か


ううん、当然よ。どこまで他人を巻き込めば気が済むのかしら。

一人で進まなきゃ。私は―――


曜「梨子さんっ」


梨子「っ、なに?」


曜「ちゃんと私も聴いています。思いっきり弾いてきてください!」ニコ


梨子「……うん、ありがとう」



入口まで音が届くはずなんてないのに。

いつだって、彼女は彼女らしかった

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