いったいこれで何回目だろうか。
まさか今回は雨水をぶっかけられることになるとは……。
びしょびしょになったスーツの重さを感じながらそんなことを考える。
「……すみません。また私のせいでプロデューサーさんにご迷惑を……」
「…………いや、気にしなくていいよ」
「……ごめんなさい」
まぁ、車がはねた水から担当アイドルを守れた、と考えればプロデューサーとして恰好もつくというものだ。あはははは…………。
ため息を堪えるのが精いっぱいだった。
「やっぱり……」
担当しているアイドルの少女――白菊ほたるの吸い込まれそうな黒い瞳と目があう。
「プロデューサーさんは呪われてしまったみたいです」
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♦
俺がこのアイドル事務所に勤めることになってもうすぐ十年になる。
別にアイドルが好きだったわけではない。
趣味も将来の夢もなく、親や学校の先生に言われるがまま大学まで進学し、この事務所も知人に紹介され、流されるようにこの仕事に就いただけである。思い返せば自分で何かを決めたことなど数えるほどもなかった人生だ。
多種多様な業界の人と渡り歩いていかなければならないプロデュース業という世界。
人と接することが得意というわけでもないが、仕事と割り切ればなんとかなるだろうという自信はあった。
実際、俺が担当したアイドルは Aランクにこそなってはいないが、アイドルとしてそれなりの知名度を獲得していったし、プロデューサーになって後悔をしたことは一度もなかった。
あの子に出会う前までは。
彼女との出会いは今から1カ月前に遡る。
白菊ほたる。
13歳にしてはやや高い背に、年相応に幼い顔つき。くるりと丸い大きな目とボブカットの髪型があどけなさを醸し出している。
一方、頼りなく揺れていてどことなく陰りも見える大きな瞳、所在なさそうに縮こまっている小さな姿。
喪服のように全身黒い服を着ているからかもしれないが、どことなく薄幸な雰囲気をまとっている。
いろいろな子と接してきたが、彼女はこれまで見たこともないタイプだ。
「私と一緒にいると不幸になります」
はじめて会ったとき、彼女は懺悔するかのように自分の不幸について静かに語りだした。
例えば、1歳のときに父親が会社でミスをしてクビになったこと。
例えば、運動会などで自分が入ったチームは一度も勝ったことがないこと。
例えば、この事務所に来るまでに所属していた事務所は、すべて倒産していること。
社長から渡されたプロフィールに書かれていたため事務所の件については知っていた。 彼女が芸能界に入ってまだ1年。その短い期間に起こった出来事としてはあまり異常なこ とであった。 『疫病神』 業界内において、彼女は悪い意味で有名になっていた。
社長がどういうつもりで彼女を迎え入れたのかはわからないが、俺からすればただいつものように仕事をこなすだけである。
だいたいこの年にもなって『疫病神』だのそんな風説にしたがう趣味があるわけでもない。
この子がなんであろうと、今まで通りの方法でプロデュースしていけばいい。
そんな呑気な考えをあざ笑うかのように、白菊ほたるはその不幸ぶりをいかんなく発揮していった。
トレーナーさんが急に風邪をひいてレッスンができなくなったり、一緒に営業に行こうとすると車のタイヤがパンクしていたため、大慌てでタクシーを拾わなければならなくなったり。
そして、今回のように雨水をぶっかけられそうになったり(結局被害に遭ったのは俺だが)。
その度にすみません、と申し訳なさそうに謝られるものだから居心地が悪いことこの上ない。
疫病神。
彼女を担当するようになって1カ月。この言葉の意味をようやく理解した。
彼女の担当は断るべきだったか。
10年のプロデュース生活ではじめて、そんな後悔を覚えているかもしれない。
「プロデューサーさん、ここ間違ってますよ」
「げっ、ほんとだ。すみません」
データの入力ミスを事務員のちひろさんに指摘される。今までこんなミスしたこともなかったのになあ。
「これもほたるの不幸のせいですかね」
あはは、と笑いながら冗談をとばすと、不謹慎ですよと怒られた。
♦
芸能活動を1年続けていただけはあり、基本的なことはしっかりできていた。
華奢な見た目に反して体力もあったし、ボーカル・ダンス・ビジュアルなどのレッスンも、トレーナーさんがニコニコで報告してくるほどにはよくできている。
「お疲れ様。よくできてたよ」
「……ありがとうございます」
どこか自信なさげな顔をしているほたる。うーん、心なしか練習しているときは楽しそうにしていたんだが。
不幸体質の他にこの自信の無さが、ほたるの大きな欠点だった。
見た目はいい、才能もある。
ただ、アイドルを目指そうなんて人間は我の強い連中ばかりだ。
いろいろと運のない生き方をしている故なのかもしれないが、この気の弱さでアイドルの世界を生き抜いていけるとは思えなかった。
「なあ、ほたるはどうしてアイドルになったんだ?」
ずっと疑問に思っていたことだ。この気の弱さのくせに、事務所が3回もつぶれるといったハードな体験をしながら、なぜアイドルをやろうと思い続けているのか。
「……私が小さいとき、デパートの屋上でアイドルのライブをやってたことがあるんです」
昔に思いをはせているのか、ほたるは遠い目をしている。
「お客さんもまばらで、私もそのときはアイドルに興味なかったんですけど……嫌なことが あって落ち込んでいたので、気分転換にでもなればと思って見ていくことにしたんです」
まだ駆け出しのころは、顔を憶えてもらうためにデパートの屋上を借りてミニライブをやることは珍しくない。
そのアイドルの子もおそらく新人だったのだろう。
「歌は正直上手ではありませんでした。ダンスもあまりキレはなかったと思います」
言葉と裏腹に、ほたるの瞳は今まで見たこともないくらい輝いていた。
「でも、彼女はすごく楽しそうに踊っていて。彼女を見てると、だんだん私まで幸せになってきて。ライブが終わったあと、お客さんからいっぱい拍手をもらって嬉しそうに笑っている顔がとても素敵で、私もこの人みたいなアイドルになりたいって思ったんです」
「なるほど」
予想してたよりもよくある話だった。
しかし、これだけ大変な思いをしているのに、今もアイドルになりたいと思えるものなのか。
一度もなにかに憧れたことのない俺には、ほたるの気持ちを理解することはできなかった。
♦
スタジオ内がざわついている。
アイドルたちがトークをする番組。
ほたるもこの番組に出演することになっていたのだが、収録中に機材になにやらトラブルが起こったらしく、今日は撮影が中止になったのだ。
ちらちらと視線を感じる。
ほたるが悪い意味で有名であったことを思いだした。
お前たちがいるからじゃないか、と言わんばかりに見られても、別に俺たちはなにもしていないのだからどうしようもない。
「大丈夫か?」
「……はい、大丈夫です。すみません」
いや、そんな辛そうな顔をされると、こっちまで気分が重くなるんだが。
「ほんとにあんたがいるとロクなことが起きないわね」
振り向くと、スラリと背の高い少女がこちらをにらんでいた。 ほたると同じく出演予定だったアイドルだ。
「あんたのせいで前の事務所がつぶれたっていうのに、よくもアイドルを続けられるものね。その心根だけは褒めてあげる」
そうだ思い出した。ほたるがいた3つ目の事務所、彼女はそこに所属していたアイドルの一人だったはずだ。そのあと別の事務所に移籍したんだったか。
「あんたと一緒にいれば、オーディションは落ちるわ、収録は中止になるわ、いろいろあったわね。ほんとロクでもない疫病神」
軽蔑と怒りが混じった視線に、ほたるは青ざめて下を向いている。
「あんたのせいで、あんたさえいなければ、今ごろあたしだって……」
「ほたるは別に関係ないだろ」
さすがにこのまま黙って見ているわけにもいかず、口を挟むことにした。
「なに? あなた、あいつのプロデューサー?」
白けた目で俺とほたるをしばらく見ていたが、フンと鼻をならして踵を返した。
「そいつと一緒にいるとロクな目に遭わないわよ。せいぜい後悔しないことね」
もう充分巻き込まれてるよ。心のなかでそう呟きながら去っていく彼女の後姿を眺めた。
そのあと、手洗いから10分近く経って戻ってきたほたるの目元は赤くなっていた。
今まできつい態度をとられるたびに、こうやって人知れず泣いていたのかもしれない。
泣くほど辛いのに、なんでアイドルなんて続けようと思うんだ?
なんで辞めようと思わないんだ?
それを尋ねる気はおきず、気まずい空気のまま駐車場に向かった。
♦
時刻は 18 時を過ぎている。
トレーナーさんと今後の打ち合わせをしようと思っていたのだが、事務処理にだいぶ手間取ってしまい、予定よりもだいぶ遅くなってしまった。
レッスンルームの使用時間は原則 17 時までなので、もしかしたらもう帰ってしまっているかもしれない。
着くと俺の不安をよそに、レッスンルームの明かりはついていた。
よかった、どうやらまだ中にいるらしい。ホッと息を吐きながら、部屋に入る。
しかし、そこにいたのはトレーナーさんではなく、
「ほたる、なにやってるんだ?」
他にだれもいないなか、ひたすらステップを踏んでいるほたるだった。
「あっ……お疲れ様ですプロデューサーさん」
「レッスンの時間はもう終わっているだろう。なんでまだここにいるんだ?」
「実は今日のレッスンでうまくいかなかったところがあって……お願いしてトレーナーさんが戻ってくるまでの間、居残りさせてもらったんです」
「プロデューサーはお仕事はできますけど、おもしろみのない人ですね。まるでマニュアル通りに動くロボットみたいです」
かつて担当していたアイドルにそう言われたことを思い出す。もう就業時間が過ぎたからと彼女のレッスンに付き合ってほしいという話を断ったときだった。
それから仲もギクシャクして、俺は彼女の担当を外れることになった。
上司の命令を守り、社内の空気を乱さず、しっかり仕事をこなせることのなにが悪いのかと今でもそう思う。
ただ、自分でなにかをしたいと思ったこともなく、漫然と過ごしている自分の生き方に、どこか空しくを思っているのも、また事実だった。
「それに私レッスン好きなんです。レッスンしていると、自分もアイドルなんだなって実感できて」
少し浮ついた声で話すほたるを見て、大きくため息をつく。
しょうがない。このまま無視して帰るのもあれだし、どうせトレーナーさんに用があったんだ。
「トレーナーさんが帰って来るまでレッスンに付き合ってやるよ。ほら、もう一度やってみろ」
ほたるは驚いたように大きな目を一層開いたあと、
「……ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をした。
まったく、どうして俺はこんなこと引き受けてしまったのだろうか。
ステップの踏み込みがあまい! ワンテンポずれてる!
ほたるのダンスに逐一注意を飛ばしながら、
「……♪」
楽しそうに踊るほたるは、トップアイドルたちに負けないくらいにとても輝いて見えた。
♦
不幸は突然やってくる。
それは仕事が終わり、二人でパーキングに向かう途中のことだった。
二人で話をしながら歩いていて、急にほたるが空を見上げたかと思えば、
「危ない!」
いきなり鋭い声を発して、目の前を歩いていた男性を突き飛ばした。
その直後、
ガシャーン!!
さっきまで男性が立っていたところでなにかが砕け散った。
昼の喧騒はしんと静まり返り、誰もがほたるたちを見ていた。
「ほたる!! 怪我はないか!!」
あまりの事態に呆然としていたが、慌ててほたるに駆け寄る。
これはもしかして植木鉢だろうか。こんなものが直撃していれば間違いなく命はなかっただろう。
「……私は大丈夫です」
少し膝を擦りむいただけで、目立った怪我はしていないようだった。とりあえず一安心する。
「すみません。あなたもお怪我はありませんか?」
声をかけると、倒された男性はしばらく目を白黒させていたが、粉々になった植木鉢を見て事態を把握したらしく、顔をしかめながら立ち上がった。
「いや助かったよ。危うく死ぬところだった」
「……すみません。私のせいでこんなことになってしまって」
男性は申し訳なさそうに頭を下げているほたるを不思議そうな目で見ていた。
「君のせい? むしろわたしは君のおかげで命拾いしたんじゃないか。ほんとうにありがとう」
それからしばらくの間、男性は困惑しているほたるに、何度も何度もお礼を言い続けた。
「そういえば、なんであのとき植木鉢が降ってくるってわかったんだ?」
なぜ知っていたかのようにあのタイミングで、植木鉢落下を予測できたのか。その答えが気になってしかたなかった。
「ほんとになんとなくです。なんかありそうだな、って思って上を見たらほんとになにか落ちてきました」
超能力者じみたことを簡単に言うな。もしかしたら、不幸体験の経験値がたまって、危険察知スキルを身につけているのかもしれ ない。今後のためにそのスキルの習得法、教えてもらいたいものだ。
「ともかくほたるが無事でよかったよ。心臓が止まるかと思ったぞ。あまり無茶するのはや めてくれ」
「……すみません。私のせいで、あの人にもプロデューサーさんにもご迷惑をかけてしまって」
しゅんとした顔をする。ちょうどいい機会かもしれない。 前から思っていたことを言ってみる。
「そのすぐに「私のせいで」とか「すみません」って言うのは止めにしよう。プロデューサ ーとしては注意せざるを得ないけど、お前の行動は立派だったよ」
小さな形の良い頭をなでてやると、こそばゆそうに目を細める。
「ポジティブ思考だ。植木鉢が降ってきたのはお前のせいじゃない。むしろお前がいろいろ不幸な目に遭ってきたからこそ落ちてくることを察知できて、あの人は助かったんだと考えよう」
「ポジティブ思考……ですか」
「今回だけじゃない。なんかトラブルがあっても無理やりいい方に考えていくんだ。いつも辛気臭い顔をしていたら、それこそ不幸の方から寄ってくるぞ」
本やテレビから仕入れた話だが、俺が言うと途端に胡散臭く聞こえるのはなぜなのか。
ほたるは俺の顔をまじまじと見たあと、
「ふふっ」
口元に手をあてて笑った。
「な、なんだよ。人が真面目に話しているのに」
「すみませ……いえ」
「ありがとうございます、プロデューサーさん」
♦
ポジティブシンキングが功を奏したのか、あれからほたるは着実に結果を出していき、ついに B ランクアイドルにまで昇格した。 番組出演などの仕事も増え、ファンもだんだん増えてきており、いまや注目のアイドルの一人、といっても過言ではない存在になりつつある。
不幸に遭う回数も以前より減ってきて、ほたるが笑っている姿を見ることも多くなった。
そして、正直に白状すると、俺自身、この生活を楽しいと思うようになってきた。
ほたると仕事をするのが楽しくて仕方がない。
ほたるとのプロデュース生活はこの調子で順風満帆に進んでいくだろう、そう疑わなかった。
この日、社長に呼び出されるまでは。
「君、今朝発売された週刊誌を見たかね」
「週刊誌ですか? いえ読んでいませんが……」
軽く息を吐いた社長から、一冊の冊子を渡される。
『白菊ほたる 人気売り出し中のアイドルは不幸の死神!!』
大きな見出しで書かれた文字が視界に飛び込んでくる。
家族のこと、学生生活のこと、所属事務所が倒産したこと。他にも俺すら知らないほたるの情報までが、数ページにわたって書かれていた。
『関係者 A「白菊は同業者からも嫌われていて出演 NG の子も――』
『同級生 B「あの子と一緒のチームにいるといっぱいミスがおこるんです』
………
……
…
「……」
あまりのことに言葉がでない。雑誌を持つ手に力が入っていたらしく、ページがくしゃりと音を立てた。
「それともう一つ。白菊くんの記事を書きたいというオファーが来てね、それを受けてもらおうと思っている」
「……このタイミングで、ですか?」
「うむ。〇×会社のお偉いさんから話がきてね。仕事の関係上、断るわけにもいかなかったんだよ」
「……しかし」
「わかっている。白菊くんの魅力について記事を書きたいと言ってはいたが、間違いなくこの話題について聞かれることになるだろう」
だったら断ってください、なんでほたるがまた傷つかなくちゃいけないんですか。
仕方のないことだとわかっている。
〇×会社といえばうちの事務所とも縁がある大手の出版社だ。そこからの依頼を断れば、今後の関係にヒビが入るかもしれない。
でも、ほたるの辛そうな顔を想像すると、どうしても納得がいかなかった。
「ともかく、しばらくはこの手の輩がつきまとうかもしれん。うっとうしいとは思うが、極力相手をしないで無視するように。いいね」
♦
――週刊誌に書かれていることは本当ですか!
――事務所が倒産していますが、白菊さんはなにか関係あるのでしょうか!
――なにかコメントをお願いします!
社長の予想は当たっていた。
この数日、ほたると仕事に行くたびに、群がってくるマスコミをかわしていく日々が続いている。
「大丈夫か?」
「…………大丈夫です」
嘘だ。気丈に笑いながらも顔が青ざめている。
なんでなんにも悪くないほたるが、こんな顔をしなくちゃいけないんだ。
なんでこんなに頑張っている子が、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
あまりの理不尽にどうしようもないほど怒りを覚える。
「ほんとうに大丈夫ですよ、プロデューサーさん」
俺の心中を知っているかのようなことを言い、軽く手を握ってくる。
「これも私が有名になってきたから、ですよね。プロデューサーさんが言っていた、ポジティブ思考です」
ほたるはもう一方の手でサムズアップをする。
「……そうだな。それにこういう週刊誌のネタなんてすぐに消えるからな。すぐに元通りに戻るさ」
繋いだ小さく震えている手を強く握り返してやること、それが俺にできる唯一のことだった。
♦
「彼女を担当しているとき、はじめの頃は代わりたいと愚痴をこぼしていたこともあったらしいね」
「はぁ、確かにありました。すみません」
最近社長に呼び出されることが多くなってきた。別に悪いことなんてしてないが、入るたびに緊張するのでできるだけやめてほしい。
「いや説教をしたいわけではないよ。君にはそれだけ大変な思いをさせてきたと思ってね」
わざわざ労いの言葉をかけてくれるために呼ばれたわけでもないだろう。
社長がなにを言いたいのか、いまいち話が見えない。
「特に今回は例の記事の件でいろいろ苦労させているからね。彼女の担当をしてもいいという人を探してしたんだが、ようやく見つかったんだ」
ドクンと心臓が跳ねた。
まさか。
「君には彼女の担当を外れて、別の子を任せたいと思ってる」
視界がぐらりと揺らぐ。
以前に比べると不幸に遭う数は減ってきた。とはいえ、いまだに1週間に1度はなにかしらのトラブルに巻きこまれているし、社長の言う通り、今はマスコミの露払いや、例の取材の件もある。
あれだけずっと頭を痛めてきた、この不幸の数々から解放されるんだ。
願ってもない申し出じゃないか。答えなんて決まっていた。
「いやです」
断られるとは露ほども思わなかったのだろう、社長は目を丸くして俺を見ている。
「ほたるはこれからも俺に担当させてください。お願いします」
だが、一番驚いているのは他ならぬ俺自身だった。
なんで俺は頭を下げているんだろう。
なんで俺はこんなことを言っているんだろう。
なんで俺は、いつからこんなにも、ほたるをプロデュースしていきたいなんて思うようになったんだろう。
社長は、今まで自分の意見を言ったこともなかった部下の初めての反抗に、
「……そうか。まかせたよ」
どこか楽しそうに笑って許可をだしてくれた。
♦
「明日も朝早いからな。しっかり睡眠とっておけよ」
「わかりました。おやすみなさい、プロデューサーさん」
ほたるはペコリとお辞儀すると、寮に入っていった。
マスコミに囲まれるようになって以降、ほたるをひとりにするのは危険と考えて、こうして車で送迎をするようになった。一時期より数は減ってきているものの、やつらはまるで忍者のように物陰からにゅっとあらわれることもあるため油断できない。
さすがに寮にまで押しかける不届き者がいなかったのは、せめてもの救いだ。
「帰りますか」
まだ会社でやらなければならない仕事が残っている。事務所に戻るべく車のエンジンを入れようとしたそのとき、
コンコン。
窓ガラスを叩く軽い音が聞こえた。窓ガラスの向こうではスーツを着た男性が、すみませんと口を動かしてこちらを見ている。
まったく知らない顔だ。こんなところで俺に話しかけようとするやつなど、心当たりはマスコミぐらいしか思いつかないが。
「……どちらさまでしょうか?」
このまま無視するか一瞬悩んだが、万が一のことを考え応じることにした。
「お忙しいところすみません。ほたる……白菊ほたるさんのプロデューサーの方ですよね」
そしてどうやら、
「はじめまして。私、以前の事務所でほたるさんをプロデュースしていた者です」
これはその万が一というやつだったようだ。
♦
「本日はよろしくお願いしますね~」
できれば来てほしくなかった、インタビューの日。
〇×会社から寄こされた記者はどことなく軽薄な男だった。
うちの事務所の応接室、そこで取材を受けているほたるを部屋の片隅から見守る。
これまで何度か取材を受けたこともあるほたるは、記者の質問につまることなくスラスラと答えていった。
このまま何事もなく終わるか、と胸をなでおろした、そのときだった。
「え~白菊さんはご自身が不幸であると書かれた記事をご存知ですか?」
ほたるの身体がビクッとわずかにはねた。
ついに来たか。いつでも間に割って入れるように準備する。
「事務所もここが4つ目で、今まで所属していた事務所は全部つぶれたとか」
「……はい」
「他にも、お父様が会社を急きょ退職されたりなど、白菊さんの周りではいろいろ大変なことがたくさん起こっているらしいですね」
「……」
さっきまでと比べて明らかに口数の少なくなったほたるを恰好の的だと思ったのか、記者の質問はエスカレートしていった。
「これらの騒動と白菊さんは、本当に関係ないんですか?」
ほたるは俯き、肩が震えている。
「白菊さんがいなかったら、なにも起きなかったんじゃないんですか?」
……やめろ。
「周りに迷惑をかけてまで、アイドルを続けることに罪悪感はないんですか?」
ガタンッ!!
男が椅子から勢いよく吹っ飛んだ。
右の拳がじんじん痛む。
なにが起こったのか理解できず、呆然と自分の拳を見る。
殴ったのか? 俺が?
「あんた、殴ったな!」
頬を押さえた記者の男がギロッとにらみ、
「このことは記事に書かせていただきますよ! 覚悟してください!」
ヒステリックな声でそう言い残して、逃げるように部屋から出て行った。
やってしまった。
怒りにまかせて殴るなんて、社会人として取り返しのつかないことをしてしまった。
だがなぜだろう。何回あの場面に出くわしても、同じことをしている姿が容易に想像できた。
「プロデューサーさん……」
記者の質問責めから解放された安堵からか、それとも暴力をふるった俺への恐怖からか。
静かに涙を流しているほたるを、ただ眺めていることしかできなかった。
すみません
一度きります
今日中に残りも投稿します
おつ
期待
>>2
十年→10年
細かいですが、他と表記がずれているので訂正です。
♦
暴力沙汰を起こした以上、責任をとるのが社会人として当然だ。
せめて、これ以上会社やほたるに迷惑をかけないよう、社長に事態の経緯を説明して、退職届を提出した。
ここで少し押し問答があったが、「とりあえず預かっておこう」となんとか受け取ってもらうことができた。
会社のお偉いさんが訴えにくるのだろうか。それとも、警察が傷害事件の犯人として捕まるのだろうか。
自分のことのはずなのに、あまり興味がわかなかった。
気がかりなのはほたるだ。
落ちつきかけてきたマスコミが、「白菊ほたるのプロデューサーが傷害事件をおこした」とまた騒ぎ出すかもしれない。
ほたるに恨まれても仕方がないことをした。
ほたるを担当したいと言ってくれていた人がいたことが、せめてもの幸いだった。
大丈夫。しばらくは俺のことを持ち出されて、いろいろ言われるかもしれないが、ほたるはもう人気アイドルなんだ。すぐにまたいつも通りに戻るさ。 そのときに隣にいるのが俺じゃないだけの違いだ。大した問題じゃない。
チクチクと痛むどこかを無視してそう思うことにした。
ぷるぷるとスマホが振動した。ちひろさんからの電話だ。
「もしもし」
「プロデューサーさん大変です! ほたるちゃんが!!」
危うくスマホを落としそうになった。
♦
「……ごめんなさい」
慌てて〇×会社に行くと、応接室に通された。
ちひろさんたちが止めるのを無視して、この会社に乗り込んだところ保護され、その保護者代表として俺が呼ばれたらしい。
「なんでこんなことをしたんだ」
「……」
「確かにあの記者はろくでもない奴かもしれない。でもカッとなって殴っちまった俺が悪いんだ。そんなことわかってるだろ」
もしかしたら、この心優しい女の子は、あの記者に会って俺が殴ったことを許してもらおうとでも思ったのかもしれない。
ただ、謝って許してくれるような甘い世界じゃないことは、ほたるも十分知っているはずだった。
「……楽しかったんです」
そう呟いたほたるの目には涙がたまっていた。
「プロデューサーさんとお仕事をするようになって、応援してくれるファンの人たちもできて、がんばったらトレーナーさんやスタッフの人たちもお疲れさまと言ってくれて、プロデューサーさんもほめてくれて。こんな私でも……あのとき見たアイドルみたいに、誰かを幸せにできるんじゃないかって」
けれど、自分には泣く資格がないとでもいわんばかりに、涙をこぼすのを懸命に堪えていた。
「なのに……あの記者の人の言う通りでした。私どうしたらいいかわからなくて、謝ることしか思いつかなくて。なのに、また私のせいで……プロデューサーさんにまた迷惑かけてしまって」
それでも声の震えはひどくなっていって、
「嫌だったんです。こんな私を支えてくれた……プロデューサーさんにまで、嫌われるのが……怖かったんです」
そしてついに、
「ごめ……んなさい。ごめんなさい。こんなことになってごめんなさい。アイドルになりたいなんて思って……ごめんなさい」
大粒の滴が溢れだし、彼女の頬を濡らした。
「幸せになりたい、なんて思って……ごめんなさい」
ああ、そうか。ようやくわかった気がした。
なぜこれだけ不幸な目に遭いながら、白菊ほたるはアイドルになりたいと思い続けているのか。
なにかあるたびに、疫病神だと体よく責任を負わされ、そうしたことが当たり前になってきたら、冗談半分で言ってくるやつもいて、そのたびに落ち込んで泣いて。アイドルになってからもトラブルばかり続いて、この世界でも心無いことばかり言われて。
でも、それでも、諦めきれなかったんだよな。
ほたるがいてくれてよかった、って言ってほしかったんだよな。
お前が憧れたアイドルのように、自分も誰かを幸せにできるんだってことを証明したかったんだよな。
「ほたる」
ほたるの元担当を名乗っていた男性に会ったときのことを思い出す。
ただ経営が傾いていただけなのに、なんの関係もないほたるにひどいことを言ってしまっ
た。自分に何か言う資格はないかもしれないが、あの子のことをよろしくお願いします、と なんども頭を下げていた。
「お前は確かに運が悪いかもしれない。でもな、それはただお前がどうしようもないほど間が悪いだけなんだ。お前は運がないばかりに、そんな場面にばかり出くわしてしまうだけなんだ」
トレーナーさんが風邪をひいたのだって、タイヤがパンクしたのだって、植木鉢が落ちてき たのだって、そんなのはただ、ほたるがそのときにその場に居合わせてしまっただけだ。親父さんがクビになったのだって、一緒に組んだチームが勝てなかったのだって、お前のせいで起こったんじゃない、ただの偶然だ。
証明? そんなのできない、ただのポジティブ思考だ。文句あるか。
「ほたるは疫病神なんかじゃないよ」
少なくとも俺は不幸になんかなってない。
お前が頑張っている姿を見たら、俺も頑張ろうって思えた。楽しいって思えた。
人の言いなりでなんにも生きがいのなかった俺が、社長に逆らってまではじめて自分からなにかをしたいと思うようになった。
お前をプロデュースしたいって思えた。
「お前の担当になれてほんとうによかった」
ほたるに会えて、俺は幸せだった。
「ほたる。アイドルになってくれて、ありがとう」
顔をくしゃくしゃにして胸に飛びこんできたほたるの背中をなでてやる。
この会社のお偉いさん、あと5分でいい。もう少しだけ部屋に入るのを待ってもらえないだろうか。
だって……中学生の女の子と一緒に泣いてるおっさんの姿なんて、誰も見たくないだろう?
♦
「「あっ」」
あれからしばらくしたあと、部屋に入ってきた人物を見て思わず二人して声をあげた。
「やあ、久しぶりだね」
にこりと朗らかに笑うその人は、ほたると歩いていた時にあやうく植木鉢に当たりかけた、あの男性だった。
「ど、どうしてあなたがここに?」
「どうもこうもここはわたしの会社で、一応社長やってるからね」
まぁあと数年で退職するんだけどね、と頭をぺちぺち叩きながら笑っている。
この人がこの会社の社長さん? 混乱していた頭が冷えていく。
「この度は御社に大変なご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした!」
隣にいたほたるも頭を下げる。
元はと言えば俺の短慮が引き起こした事態だ。俺なら訴えられてもいいし警察に突き出してくれてかまわない。
だがどうかこの子は、ほたるだけは勘弁してもらえないだろうか。
「頭を上げてほしい。君たちさえよければ、今回我々は取材をしなかった、プロデューサーの君も我が社の社員に手を出さなかった、白菊さんもここには来なかった、ということにしたいのだが、どうかな?」
「……え?」
予想外の展開に頭が追いつかず、間抜けな声が出てしまった。
「いま話題になっているアイドルの新しいネタをつかんだと聞いて見てみたら、あのときわたしを助けてくれた子じゃないか。それに今回の件は、うちの社員のマナー違反からの起こった事態だ。こんなこと知られれば我が社の責任問題に関わるし、そもそも命の恩人に迷惑をかけるほど腐ってはないつもりだ」
思わずほたるを見ると、当の本人は目を丸くしてただ驚いている。まさか、あのときのほたるの行動が、こんな結果を生み出すとは。
「願ってもないお話です。ですが、ほんとうによろしいのですか?」
「わたしとしては構わないが、……ふむ、そうだな」
老人は少し考えるように顎を撫でたあと、カバンから色紙をとり出し人の良い笑みを浮かべた。
「では、未来のトップアイドル、白菊ほたるのサインを、今のうちに一ついただいておこうか」
♦
事務所の定例ライブ。
ほたるはこのライブで、今日センターをつとめることになっている。
機材に問題がないかは再三再四確認済み、もう俺にできることはすべて終わった。
「そろそろ出番だぞ。準備は大丈夫か?」
「は……はい」
「ご両親もわざわざ駆けつけてくれたからな。気合いれていけ」
「ううう……」
少し意地悪しすぎただろうか、ちょっと心配になったが、
「はい、とても緊張しています……でも、すごくわくわくしています」
ポジティブ思考ですっ、と笑うほたるを見るに、それは杞憂のようだ。
「……ほんとうにありがとうございます、プロデューサーさん」
ほんのり頬を赤らめて、少しモジモジしているほたる。
「こんな私を諦めないでくれて……」
疫病神といわれ、自分に自信が持てず、暗い顔ばかりしていた少女は、
「私のプロデューサーさんになってくれて、ありがとうございます!」
にっこりと笑みを浮かべ、太陽のように輝いていた。
「…………プッ」
「プロデューサーさん?」
「あはははははははは」
「もう……笑わないでください」
ぷぅと真っ赤なほっぺを膨らませているほたるに、あのときのお返しだよ、と頭をなでた。
プロデューサーさんは呪われてしまったみたいです
懐かしい、あのときのほたるの言葉を思い出した。
ああ、どうやらお前の言う通りだったみたいだ。
俺はとっくの昔に白菊ほたるに呪われてしまったらしい。
だって、ほたると一緒なら。
雨水をぶっかけられようとも。
上から植木鉢が降ってこようとも。
職を失いかけようとも。
なんど躓いたって、どれだけ悪意に晒されたって、どんなことが起こったって。
どこまでもキミと歩んでいきたい、なんて思ってしまうんだ。
「楽しんでこい、ほたる」
「はい、行ってきます。プロデューサーさん!」
ほたるはワァァァァと歓声の渦巻くステージへ。
これから歩んでいく、幸せへの第一歩を踏み出した。
以上となります。
お付き合いくださりありがとうございました。
もしよろしければ、以下の過去作も読んでいただければ幸いです。
『安部菜々「ナナの名は」』
安部菜々「ナナの名は」 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1495037663/)
『【モバマス】30秒で読めるさちあす劇場』
【モバマス】30秒で読めるさちあす劇場 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1496156710/)
『我那覇響「自分がトライアドプリムスのメンバーに?」』
我那覇響「自分がトライアドプリムスのメンバーに?」 - SSまとめ速報
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えがった……良かった…
良かった
乙乙
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