安部菜々「ナナの名は」 (58)

「ナナちゃん、お誕生日おめでとう!」

「…………ありがとうございますみくちゃん」

「ど、どうしたにゃ。なんか元気ないけど」

うぐっ。今日はお祝いの言葉を言われるたびに、みんなから怪訝な顔をされてしまう。

「いえ、この年になると誕生日が来るたびにどうも胃が痛くなって……」

「菜々ちゃん、みくと 2 歳くらいしか変わらないのにおばちゃんみたいなこといってるにゃ」

ズキン。

「と、とにかくありがとうございます、みくちゃん。ナナはこれからも永遠の 17 歳として がんばりますよっ!」

「さすがナナちゃん! みくも負けてられないにゃ」

みくちゃんの無邪気な笑顔を見ていると、ちくちくと心が痛む。

「ナナは電車で帰るのでここでお別れですね。今日もレッスンお疲れさまでした!」

「お疲れ様! また明日もよろしくにゃ!」

あれだけ激しいレッスンをした後にも関わらず元気に去っていく若々しい後ろ姿と、疲れ 切った自分を比べてしまい、

「……ハァァ」

肩に掛けていた荷物がずり落ちた。

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5月15日。

私、安部菜々の誕生日。

アイドルとして346プロにスカウトされてから 1 年。
みくちゃんのような同僚のアイドルや応援してくれているファンの中には、ナナのことを本当に17歳の高校生だと信じている人もいる。

だけど。

今朝、お母さんから来ていたメールを見る。

ナナはピッチピチのJK、などではなく。

『菜々 28歳の誕生日おめでとう!』

今日で28歳。もう三十路に近い年をした大人なのだ。

ナナが高校を卒業して以降、今も住み続けている6畳 1 間の小さな家。

ウサミン星。

ずっと寝ていると体が痛くなるほど薄い布団に、小さなぼろいお化粧台。
他にも必要最低限のものしかない(置く場所もない)このアパートを拠点としてアイドル活動を続けている。
もっとも拠点地としても、事務所からは 1 時間以上かかるなど利便性という点ですら救いようがない有様ですけど。
ごろんと畳に横になると黄ばんだ天井が視界に入る。

28歳。

別に誕生日が嫌いというわけでもないし、みんなに祝ってもらえることは素直にうれしい。

先月、地元の同級生が結婚するらしい、とお母さんから聞いたことを思い出す。
ナナの年齢を考えれば、決して珍しいことじゃないし、すでに子宝に恵まれている子だって何人も知っている。

ただ、そういった話を聞くたびに、ぼんやりと考えてしまうのだ。

もし、もしもナナが――

「……もう寝よう」

ライブまであと 1 週間。誕生日だからと気を抜けるわけもなく、もちろん明日もきついレッスンが待っている。

「おやすみなさい」

おやすみと言ってくれる人がいないことに。ほんの少しだけ寂しさを覚えながら。

明かりを消して、布団にもぐりこんだ。

ナナがアイドルになりたいと思うようになったきっかけは、一本のアニメだった。
そのアニメに出てくるお気に入りのキャラクター。その役を演じていたのが、当時売り出し中だったアイドル。
今思い返しても演技そのものはとても上手とはいえないものだったと思う。
それでも、一生懸命に元気な声で演じていて、それがあまりにそのキャラクターにぴったりで、ナナは彼女の声が大好きだった。

それから彼女がアイドルをしていることを知って、ライブを見に行って、アイドルに憧れて。

「しょうらいのゆめはあいどるになることです」

彼女のように誰かの憧れになれるようなアイドルになりたい。
そう思うようになるのに時間はかからなかった。

アイドルになりたい。そう思ったのはよかったけど現実はそう甘くなかった。

高校に入学してから出し続けた志願書は悉く却下され、オーディションにたどり着けたときも結局は不採用。
高校を出た後もメイドカフェのバイトで生計を立てながら、地下アイドルを続けているうちに、27歳になってしまっていた。

「メイドカフェの昔からのお客さんは、どんどん来てくれなくなっちゃうし~。同僚も結婚していくし~! ナナだけが置いてけぼり~!」

もう潮時なのかな、と心が折れかけて思わず叫びそうだったそのとき、

「うちでアイドルやりませんか?」

プロデューサーさんと出会って、ナナはやっと、やっとアイドルになれたのだ。

ジリリリリン。

ジリリリリン。

うるさいなぁ。

けたたましい機械音を止めようと音の発震源であるベッドの上の丸い物体を触る。
物体の表面には 8:30 というデジタルの文字が書かれている。なるほど、どうやらこの物体は目覚まし時計らしい。

……8:30?

さぁーと頭の中が冷えていく。あれおかしいな、7 時にタイマーセットしていたはずなのにああ今日レッスン早いのにやばい遅刻する、朝食は諦めてはやく着替えてお化粧しなくちゃ!

「……あれ?」

妙な違和感を覚えて、手元の時計を見る。
この目覚まし時計、ウサミン星にある目覚まし時計と全然違う。

目をこすってあたりを見渡す。
それだけじゃない。
ナナが寝ていたのは布団じゃなくてベッドだし、壁際に置かれている化粧台はうちのと比べ物にならないほどちゃんとしたものだし、そもそも部屋にいたっては 6 畳1間どころか 畳すらない洋室ではないか。

「……ここどこ?」

どこからどう見てもウサミン星じゃない。

……

ふむふむなるほど。頭が冴えてきた。この異常な事態から導きだされる真実はひとつ!


どうやらナナは夢を見ているらしい。

せっかく昔から欲しいと思っていたふかふかのベッド。夢の中とはいえめったに味わえないこの幸せをもうすこしだけ感じていたい。

さて、もうひと眠りしよう。それじゃ、おやすみなs


『♪♪♪』

今度は耳障りな機械音ではなく、かわいらしいメロディがナナの睡眠を邪魔する。

机に置かれているスマホから鳴っているみたい。発信主を見るとやはりナナの知らない名前だった。

「……………………」

10秒まてど鳴りやむ気配はない。とりあえず出てみることにした。 さて、どんな人が出てくるか。

ピッ。

「もしもs」


「ちょっと菜々、今どこにいんの!」


「あわわ」

予想もしなかった大きな声に驚いて、スマホを落としそうになる。

え~と。んん? ナナの名前を呼んだってことはナナの知り合いなのかな?

「今日はあたしと早番の日でしょ! まさか寝坊したなんて言わないでしょうね!!」

「ええと」

うーん、でもやっぱりナナはこの人のこと知らないと思う。そして言っている意味もわからない。うちのプロダクションに早番なんてありましたっけ?


「言い訳なら後で聞くから早く来て! 課長に嫌味言われてもしらないよ!」

うーん。なにがなんだか全然わかりませんけど、このまま黙っていてもだめっぽい。


「あの~すみません」

しょうがない。もし知り合いなら怖いですけど覚悟を決める。


「その、どちら様でしょうか?」

「…………………………」

意を決して尋ねたその質問は、たっぷりと沈黙が続いた後に、


「はぁああああああああ!?」

今までで 1 番の大声を生みだしたのだった。

「……うう。疲れた」

自分の家(ウサミン星ではなくて今日朝起きた家)に帰って早々、着替えもせずにベッドにダイブする。

「なんだかすっごくリアルな夢」

この夢、どうやらナナはとある企業の OL、という設定らしい。
あのあと電話主の同僚(らしい)に会社まで連行され仕事をするように言われたのだが、なにをすればいいのかまった くわからず、終始ぷんぷん怒っていた同僚の手を借りることでなんとか事なきを得た。

「はやく寝よう」

あまりにリアルで途中で勘違いしそうになったけれど、ナナはアイドルであってもちろん OL ではない。
つまりこれはナナの思っていた通り夢なのだ。

夢を見て疲れるなんて言語道断。明日のレッスンにも影響でたら大変ですし。


でも。


「こんな生き方もあったのかなぁ」

もしナナが途中でアイドルを目指すのを諦めていれば。
もしアイドルを目指そうと思わなければ。

こういう生活を送っていたのかもしれない。


……なんて、いまアイドルやってるナナが考えてもどうしようもないことですけど。
この夢が覚めればいつも通りきついレッスンが待っている。

夢のなかで寝るというのもなんだか不思議だけれど、ふかふかのベッドは疲れた体にほどよく睡眠を誘い、瞼は勝手に閉じていった。

「うう、疲れた……」

とりあえず寝巻に着替えた後、ふかふかベッドに身を預ける。

あれから 2 日。

夢だと思っていたこの不可思議な現象はまだ続いていて、ナナはいまだに OL をやるはめになっている。
メイドカフェで働いていた知識などまるでいかせない事務の仕事はナナの精神を着実にすり減らしていた。

それに加えてこれ。
今日、自宅のポストに入っていた奇妙な手紙。


『近いうちに答えをききにいきます』


これだけしか書かれていない。差出人の名前さえなかった。


「ほんとになにがどうなってるの」

さすがに今さら夢だと思うほど能天気じゃない。だとすればドッキリ? それにしてはどうにも手がこみすぎている気がする。


そういえば、

「事務所のほうはどうなってるんだろう」

あまりに異常な事態に疲れ、肝心なことを忘れていた。
もう 3 日も事務所に行っていない。
ライブまで 1 週間を切っている状態での無断欠勤。
それなのに事務所からは連絡が来ないし、そもそもナナのスマホには事務所やアイドルのみんなの連絡先が入っていなかった。


なにかとんでもなくまずいことがおこっている気がする。
慌てて346プロダクションのホームページを開き、所属アイドル一覧を探す。

……

赤城みりあ

赤西瑛梨華

浅野風香

アナスタシア

そして、


「うそ」



綾瀬穂乃果。


「どうして」

この状況はいまだにまったく理解できない。

でももうはっきりと認めなくちゃいけないことがある。

ここは私が知っている世界ではないということ。

そして。


「どうして、私の名前がないの」

今のナナはアイドルじゃないということ。

アイドル『ウサミン』は、この世界には存在しない、ということを。

修正するところがあるので、今日はここできります。

初投稿で、しかも普段文章を書かない人なので見苦しいところもあると思いますがよろしくお願いします。


「いやーこうやって集まるのも久しぶりだよね」

「高校卒業してからみんな揃うことなかったからね」


 5年ほど前。高校のときに一緒に遊んでいたメンバーで久しぶりに集まったときのこと。


「あたしは××会社の面接落ちて、結局△△会社で働いてんだけど上司がやばくてさ」

「私、公務員。仕事楽って聞いてたけど嘘じゃん普通にしんどい」

世間話が終わると次第に今の自分たちの近況報告になった。フリーターの身分であるナナは少し肩身が狭い。ううう、どうにかナナにその話題がふられませんように!


そんなことを考えていると、

「あのねみんな」

それまで静かだった友人が覚悟を決めたように手を挙げる。
昔からあまり言葉数が多いほうではなかった女の子。
彼女がなにを言うのかは知らないけど、話の流れが変わるならありがたい。
バレないように胸をなでおろしながら、彼女の言葉の続きを待つ。


「私、今妊娠してるの」


「………………」

……え?

「えええええ!? あんた結婚してたの!」

知らなかったのはナナだけじゃないみたいで、みんなも目を丸くしてくいつく。

「ううん。子供が出来ちゃって。再来月結婚式やる予定なの」

勉強なんてからきしでよく先生に怒られていた友人たち。

「マジ! 結婚式呼んでよね」

大人しく目立つことが苦手で彼氏なんて存在とは無縁だった彼女。

「ねえ旦那どんな人!」

だけど、今まで学校の同級生とだけ思っていたみんなが、会社とか結婚とかそんな話題で盛り上がっている。

そんな彼女たちがどこか遠い存在のように思えて。



「……」

ナナは、一人呆然と見ていることしかできなかった。


「考えられるのは 3つね」

昨日のパニック状態のまま出勤したナナを心配してくれていた同僚に問い詰められ、つい自分が置かれている状況をつい口走ってしまった。
彼女はまるで新種の生命体を見る目でたっぷりとナナを凝視したあと、腕をつかんで職場の近くのファミレスに連行した。
この世界のナナはなかなかにアグレッシブな友人を持っているらしい。


「1つ目はあんたの頭がおかしくなった、という可能性。あたしはこれだと思っているわ。いきつけの病院紹介しようか?」

ドリンクバーで作成したらしいオリジナルドリンクを飲みながらひどい仮説を披露する彼女。
麗奈ちゃんがいたずらでつくったドリンクを飲まされて以来、オリジナルドリンクにはちょっとしたトラウマがある。


「2つ目は元々いた世界からあんたが平行移動してきた可能性。SF 映画みたいにね」

相談に乗ってくれてはいてもあまり真面目に考えてはいないのがありありと伝わってくる。
もっとも自分はこの世界の住人じゃないんです、なんてアニメや映画で出し尽くされたネタのようなことを言われても信じてくれる人は少ないだろうけど。

この仮説を聞いたとき二人の人物の顔が思い浮かぶ。

だけど、志希ちゃんは化学専門だし、さすがの晶葉ちゃんにもこんなことができるとは思えない。



「そして 3つ目は」

彼女はスラリと伸びた指をナナに突き立てる。




「あんたがアイドルやっていた思っている世界のほうが夢で、今ここで OL やってる世界のほうが現実という可能性よ」

「!!!」

思いもがけないその仮説に叫び声をあげそうになる。

胡蝶の夢。
現実だと思っていたものが夢で、夢だと思っていたものが現実で。

アイドルになっていた現実が実は夢で、OL として働いている夢が現実だと彼女は言う。

やっとの思いでアイドルになれて。レッスンの後は筋肉痛ですごく大変だったけど、事務所のみんなやプロデューサーさんと一緒に頑張ってきたアイドル生活。
それがすべて夢だったなんて。
そんなこと、そんなことあるわけが……。



「菜々、あんた疲れているのよ。ショック受けてるとこ悪いけど平行世界なんてあるわけないでしょ。冗談抜きにマジで病院いったほうがいいかもね」

動揺して声が出ないナナを同情したように軽く肩を叩く。


「〇〇くんももうすぐ結婚できるって張り切っていたのに、これじゃどうなることやら」

「……〇〇さん?」

また知らない名前。この話の流れだとまたナナの知り合いみたいですけど。

「やっぱりあの人のことも忘れてるのね」

彼女は大きなため息をついてナナを指さすと、



「あんたの婚約者よ」

とんでもない爆弾を落とした。




「そういえばナナは今、なにしてるんだっけ?」

予想だにしなかった友人の出来ちゃった婚の衝撃も一通り落ち着き、コーヒーを飲んでいると、とうとうナナにその話題がふられてしまった。


「ええと」

ううう、どう答えたものか。別に悪いことをしているわけでもないのに口ごもってしまう。


「そういえば菜々、高校の時アイドルになるって騒いでたけど、もしかしてまだオーディシ ョン受けて落ち続けてます、とかだったりして」

「えーなにそれ」

あはは、と笑いがおこる。
きっと冗談のつもりなんだと思う。自分たちが当たり前に仕事をしているのに、アイドルなんて夢を、いまだに追いかけているわけなんてないと。

それでも、彼女の冗談と笑っているみんなを見ていると、心臓をつかまれているような、そんな気持ちになる。


「…………え? もしかしてマジだったり?」

なかなか答えないナナを訝しむ視線が集中する。ええい。覚悟を決めてっ!


「ええと、…………うん」

意を決して答えた瞬間。
先ほどまでのにぎやかな空気が嘘のように。

しんと静まりかえった。


「あー」

まず聞こえたのはどこか気まずそうな声だった。

「そ、そっか。菜々ほんとにアイドル目指してたもんね」

同情するような視線。

「まあ、菜々かわいいしいつかどっかには受かるでしょ」

慰めの言葉。

「うんうん。受かって有名になったときはサイン頂戴ね」

なんだろう。この空気、すごく嫌だ。

「こ、この前のオーディションはいいところまでいったから次はたぶん大丈夫! ええと、 ほ、ほら! ――ちゃんはっ。いま働いてるって言ってたけどやっていけそう?」

これ以上、この話はしたくなかった。別の話題を切り出すと、彼女たちも明らかにホッとした顔をしてその話に乗ろうとしている。
そんな様子がまるで自分が異分子のような、そんなふうに思えて、ナナは……。


…………。

でも。
これでもうナナについての話はしなくていいはず。ひとまず山場は乗り超えることができたんだ。


そんなナナの安堵は、



「菜々ちゃん、本当にそれでいいの?」

思いがけないところから壊された。声の主は妊娠を発表した大人しいあの子だ。


「そ、それでいいの、ってどういう」

「菜々ちゃん、本気でアイドルになれるってまだ思ってるの」

「ちょ、ちょっと! あんたいきなりどうしたの。やめなって!」

友人たちの静止の声も聞こえていないのか、彼女はナナの目をまっすぐに見つめてまくしたてる。

「就職活動もしてないって。菜々ちゃんのお父さんやお母さんだってきっと心配してるよ。他の子はみんな就職してるのに自分の娘だけはなんで違うのって」


頭がくらりとする。
彼女の言っていることは、きっと正しいのかもしれない。


「そんなのダメだよ。今からでも遅くないからはやく諦めて仕事探そう?」


 だけど、お願いだから。


「だいたいアイドルになんてなれるわけないよ」


 ……やめて。


「それになれたとしても」


 お願いやめて!



「アイドルになるのも一苦労してるような菜々ちゃんが、アイドルとしてずっと使い続けてもらえるわけないでしょ」



「あたし普段テレビ見ないから、気がむいたときにテレビをつけたら、この前まで人気あった人がいなくなってて、代わりに見たこともない人がいつの間にか人気者扱いされてるってことよくあるのよね」

この世界に来てから 1 週間後の昼休憩。弁当を食べながらいきなりそんな話をする彼女にとりあえず頷いておく。
急に人気が出ることもあるが、逆にいきなり人気がなくなりテレビから消えることもある。
そういったことは芸能界では特に珍しいことではない。
もともと芸能関係のお仕事は需要過多。一時的に人気がでたとしてもその代わりになれる存在はいくらでもいるのだ。


「菜々はさ。アイドルやってた時いくらぐらい稼いでた?」

いきなり突拍子もないことを聞かれる。
彼女は話を飛躍させることがよくあるが、この数日の付き合いで慣れてきた。

「えーと……確か先月はこれくらいだったと思います」

彼女は頬を引きつらせながら目を丸くする。

「へ、へぇ~。アイドルって思ってたよりは儲かるのね」

ふふん。これでも一応売り出し中のアイドルですから。


んん、と咳払いすると彼女は先ほどとうってかわり真面目な顔つきになる。


「で、さっきの話よ」

「なんの話ですか?」

「芸能界での人の入れ替わりが激しいって話」

あの話続いていたんですね。

「もし菜々が本当にここじゃないところでアイドルをやってたんだとしたらさ」

彼女はお箸をおいてナナの目を見つめる。



「菜々はこっちの世界に来てよかったんじゃないかと思ったのよ」



「…………へ?」


思わず間抜けな声を出してしまったけれど、彼女は気にした様子もなく続ける。





「あたしさ。昔、漫画家を目指してたんだよね」


「何度も何度も応募しては落選して。大学 4 年のときもそのまま漫画家目指すつもりだったんだけど、親から漫画なんぞで飯が食えるかはやく就職しろ! って怒鳴られてさ」


ペットボトルを傾けるとさきほどまであったはずのお茶が残りわずかになっていた。


「はじめはあたしの人生に口出しするなって言い返してたんだけど。ほら、周りはみんな内定決まっていってさ。あたしだけ
なにも職が決まってなくて。このままこの生活続けてたらどうなるんだろうって不安になって。もしなれたとしても無名のまま終わるじゃないのかって」


彼女の肩はわずかに震えている。


「怖くなったの」


震えながらも言葉は続く。

「ここの給料ってナナがさっき言っていた額よりは少ないけどさ。それでも女一人生きていくには全然こまらないのよ。だから、最近は漫画家あきらめてよかったんじゃないか、っ て思うようになってきたの」



『アイドルになるのも一苦労してるような菜々ちゃんが、アイドルとしてずっと使い続けてもらえるわけないでしょ』


ドクン。
体から嫌な汗が吹き出てくる。


「もしかしたらやりたいことできてた菜々に嫉妬しているだけかもしれないし、余計なお世話なのかもしれないけどさ。アイドルっていつ仕事なくなるかわかんないんでしょ。だったら」


水を飲みたい。ペットボトルを傾けても水滴すら落ちてこなかった。ペットボトルはいつの間にか空になっていた。

ナナの喉とは対照的に潤んでいる彼女の瞳にはナナの姿がはっきりと映っている。



「ここで働いて生きてくってのもいいんじゃないの?」


「おかえりなさい」

昼の会話で重くなった足を引きずって自宅に帰ると、フードを被ったいかにも怪しい人がちょこんと座ってナナを待っていた。


「……あなたは誰ですか」

不思議と驚かずそう尋ねることができた。自分のなかの許容量を超える事態が発生するとかえって冷静になる、という言葉が今なら よーく理解できる。もうナナは頭の中はパンパンだった。


「答えをききにきました」

ナナの心境など知らぬと言わんばかりにポツリと呟かれたその言葉で、



『近いうちに答えをききにいきます』

そんな手紙が入っていたのを今更ながら思い出す。


被っているフードで声が聞き取り辛いが、なんとなく女性のような気がする。
座っているためはっきりとしないが背丈もナナと大差なさそうだし。

それよりも、この意味がわからない状況で、あの意味深な手紙とこの言葉。


「あなたは今のナナの状況のこと、知ってるんですね?」

ある程度の確信をもって彼女に尋ねると、

「元の世界に帰りたい?」

一切のためらうことなくあっさりとナナの求める答えが返ってきた。


「し、知ってるんですね! お願いします。早く私を」

「その前にまずは質問に答えて」


ナナに訊きにきたという答え。これに正解すれば今まで通りの世界に戻れるということなのだろうか。 ……うん。大丈夫! これでも 28年生きてきましたし、最近はクイズ番組の勉強もしてましたから絶対に負けませんよ!

ナナの意気込みを察したのか、彼女は少し緊張した様子ですぅと深呼吸をすると、




「あなたの名前はなんですか?」


そんなことを宣った。


「ナ、ナナの名前ですか! ええと、『安部菜々』ですけど」

もしかしてこの世界のナナは安部菜々ではなくて別の名前だとか?
いや会社からは普通に「安部さん」とか「菜々」って呼ばれていましたし、もしかしてトンチクイズなんでしょうか……。

困惑しているナナをしばらく無言で見つめた彼女は、



「ダメ」



小さくそれだけ呟くと立ち上がり、ナナを無視して玄関に歩き出した。


「ちょ、ちょっと待ってください! なにがダメなんですか! 私の名前は間違ってないと思うんですけど!!」

彼女は振り返ることもせず歩き続け、


「お願いします! 私をもういちどアイドルに」



バタン。

ナナの言葉は、玄関の閉まる無情な音でかき消された。


すみません。いったんここできらせていただきます。

改行などで読みにくい点などあればご指摘いただければ幸いです



「菜々、とにかくしっかり寝てから、一度病院に行ってね。はやく元気になって戻ってきて」

「……はい。ありがとうございます」

ピッ。

昼休みにわざわざ電話をくれた同僚に感謝しつつ通話を切る。



あれから 1 週間が経った。
以前からのミスに加え、ぼーとしてばかりだったナナを心配した彼女が上司に相談した結果、こうして自宅で休養することになったのだ。

ごろんと横になって天井を見る。天井にはシミひとつついていない。

おそらくナナは、私は元の世界に戻る最大のチャンスを失った。
しかし、そもそも私は本当に元の生活に戻りたいのだろうか。


もちろんアイドルは好きだ。歌うのも、踊るのも、バラエティで仕事をするのも。

大好きだ。だけど……。




『このままこの生活続けてたらどうなるんだろうって不安になって。もしなれたとしても 無名のまま終わるじゃないのかって』


『怖かったの』



彼女の言葉がずっと頭のなかで響いている。私はウサミン星人という、いわゆるイロモノアイドル的なキャラクターだった。
けれど、みくちゃんみたいな猫キャラアイドルや、蘭子ちゃんや飛鳥ちゃんみたいな中二病キャラまで、あの事務所だけでも独特のメンツが揃っている。私は決して珍しいアイドルではない。


『アイドルになるのも一苦労してるような菜々ちゃんが、ずっとアイドルとして使い続けてもらえるわけないでしょ』



同じ事務所の渋谷凛ちゃん。彼女はアイドルを目指していたわけではなく、街中で何度もプロデューサーさんにスカウトされ続け、今の事務所に所属することになったらしい。

女性から見ても目を奪われるほどの容姿。凛とした佇まい。天性のパフォーマンス力。

彼女はその才をいかんなく発揮し、今や事務所随一の人気アイドルになっており、最近では歌手にならないか、なんて誘いもきているらしい。



アイドルをやめたあと、女優になる人、歌手に転向した人、いろいろな人がいる。
だけど、それは才能のある人だけが選べる選択肢。
努力どうこうで解決できることではない。

例えばすでに歌手への道が開いている凛ちゃんのように。
例えば結局最後までオーディションには落ち続け、プロデューサーさんに出会わなければメジャーデビューさえできなかった、
私のように。


若ければ芸能界を止めて第二の人生を歩むこともできるかもしれない。私よりも年齢が上の人もたしかに事務所にいる。
だけど、例えば川島さんは元アナウンサーだったり、早苗さんは元婦警さんだったり、みんななにかしらの職からアイドルに転職した人ばかり。経歴の近い心ちゃんもドラマのエキストラ役などのしたことは何度もあるらしい。
過去に実績のある彼女たちなら、きっと進むべき道はどこかにある。


経歴も才能もなにもない私とは、彼女たちとは違うのだ。


そんな私がもし、アイドルをやめることになったら……。


…………。


今の、この世界の生活は。安定した収入が手に入って、そしてもうすぐ結婚するはず(らしい)の婚約者もいる。
数年間アプローチをしてくれていたほどには私のことを想ってくれていて、それに加えてとて も優しい人らしい。
どこからどうみても順風満帆な生活。




「これでよかったのかなぁ」


自分しかいないこの部屋でナナの質問に答えが返ってくるはずもなかった。

質問といえば、あのフードの女性。結局あれはなんだったんだろうか。同僚に「私の名前ってなんでしたっけ」と訊いたら真っ青な顔になって病院に連れていかれそうになったので、やはり私は『安部菜々』で間違いない。
だったら一体なんで?




「……お片付けでもしようかな」


なにもやりたいことはないし、外に出る気力も湧いてこない。
ここ2週間ほどずっとドタバタしていたため、部屋のなかは物が散らかしになっていた。
部屋をきれいにすれば少しは気持ちの整理がつくかもしれない。


そんなことを考えながら部屋の掃除をしていると、


「あれ? このノート」

ボロボロになっている1冊のノート。私が子供のときに書いていた日記帳が出てきた。


昔の私はどんなこと書いてたんだろう。
気分転換がてらぺラリと表紙をめくってみる。






――きょうはらいぶをみにいきました。








△△会場。
私が事務所にスカウトされ、はじめてアイドルとしてライブをおこなった場所。



――らいぶがはじまるときれいなひとたちのなかに ななのだいすきなあのひとがいました

当時人気だったアイドルの前座として呼ばれただけの仕事。



――きれいなふくをきたあのひとはとてもかわいくてすごいとおもいました

それでも、ほんとうに少しだったけど、ナナを応援するために来てくれた人もいて。がんばれーって声が聞こえてきて。



――ななもいつかあの人みたいな

ライブが終わった後、楽しそうに笑って拍手をしてくれているお客さんを見て。



――かわいいあいどるになりたいです

ああ。やっぱり楽しいなって。
アイドルになってよかったなって。



「ハァハァ」

気がつくと着替えることもせず寝巻のまま、この会場まで走ってきていた。
がくがく震える足にめいいっぱい力を入れて扉を開ける。

あのとき盛り上がっていた会場は。

人っ子一人おらず、しんと静まり返っていた。



「………………」

足から力が抜けへなへなと座り込んでしまう。

アイドルになるまで辛かった。なってからも辛いことばかりだった。

それでも、


「…………うぅ」


もう一度歌って、踊って、みんなとレッスンしたい。 もう一度ファンのみんなにがんばれと応援されたい。




「うわあああああああああん」


どうしようもなく涙が溢れてくる。

いやだ。
いやだよ。
私はまだ、アイドルを――



小さな人影がかすんだ視界に映る。

「……」

あのとき部屋にいた、あのフードの女性がナナを見下ろしていた。


「……怖かったんです」

彼女はじっと黙って私の言葉を聞いている。


「みんな大学生活を楽しんでいて。恋愛もして。就職活動も苦労して。仕事の愚痴を言いあって」


みんなに置いていかれた時間はもう取り戻せなくて。


「私だけなにも進んでいないような気がして。私だけ、ひとり置いていかれてっ!」


彼女たちの背中を追いかけていたら今度は若い子たちに追い越されていって。

それが、どうしようもなく苦しくて。




「もう一度ききます」


彼女は静かにあのときと同じ、



「あなたの名前はなんですか?」


だけどあのときよりも優しい声で問いかける。



「……ナナは」

理想的できれいでみんなから祝福される道。
この世界の『安部菜々』はきっとそんな幸せな道を歩むんだろう。


「ビビッと、ウサミン星、から電波を、受信」


みんなに置いていかれるのは怖い。
でも、私が。
ナナが本当に怖いのは――



「永遠の、17歳! ウサミン星から、やってきた、アイドル、ウサミンです!!!」



仲間と一緒にレッスンして、ファンのみんなから応援されるあの幸せな瞬間。
それを失うことなんだ!


どれだけ泥だらけで、みっともなくて笑われたって。


ナナは『アイドル』でいたいんだ!


「………………」

どこか嬉しそうに微笑んだ彼女はゆっくりとフードをとった。

そこにいたのは。



ピンク色で意匠をこらしたかわいらしい衣装。


透明で美しいクリスタルのシンデレラの靴。


そして、ぴょこんと頭につけたうさ耳。




ずっと憧れ続けた、ナナの姿が。


アイドル『ウサミン』の姿が。



ナナの夢が、優しく微笑んで、そこにいた。


彼女は静かに何も言わず手を差し伸べてくる。

ああ。きっと。
きっとこの手を取ればまた本来の生活に戻るのだろう。

アイドルとしての忙しいあの日々に。


「いいの?」

彼女にはナナの気持ちなんてお見通しだろう。


「急に人気がなくなって仕事がこなくなるかもしれないよ? これから年をとっていって もずっと永遠の17歳を名乗り続けることに耐えられる? 結婚だってできないかもしれな いよ? みんなと違う生き方をしていかなくちゃいけないんだよ? いいの?」


この世界のナナは、
仕事も安定していて。後ろめたい過去なんてなくて。人生を共にしていくパートナーもいて。
普通なら誰もが選ぶだろう、幸せが約束された未来。
それを、この手を取れば失ってしまう。


「もちろんです!」

それでも。
そんな不安を吹き飛ばすように、彼女の目を見て大声で誓う。


きっとこれからも。
アイドルをクビになって路頭に迷うんじゃないかと怯えることはあるし、アイドルになるまでの空白に苦しむことも、誰かが結婚をしたと聞くたびに寂しい気持ちになることもきっとある。
そんな生活がこれからもずっと、ずっと続いていく。
でも、それでも全然かまわない。

だって。


「ナナは」

あのときから、今も、そして、これからもずっと。



「アイドルが大好きですから!」


アイドルは、ずっと、ナナの憧れなんだから!


彼女の手を握る。
ふいに視界が歪みよろめくと、彼女は優しく支えてくれた。


「大丈夫」

背中をなでてくれる優しい手つきがとても心地いい。


「あなたが頑張ってきたこと、ずっと頑張っていること。みんなちゃんと知っているから。
頑張ってるそんなあなたのことが大好きな人は必ずいるから。あなたはひとりぼっちじゃないんだから」


――だから大丈夫だよ。


そのささやきと共に薄れていく意識の中で。
小さな手でペンライトを持って一生懸命に応援している女の子。
幼いころのナナが、にこにこと笑ってがんばれと叫んでいる。

そんな姿が最後に見えた、気がした。





エピローグ





「菜々さん。そろそろ出番ですよ。ファンレターはまた後でゆっくり見てください」

「あっはい。わかりました。今行きます!」

プロデューサーさんから呼び出しがかかり慌てて楽屋を出る。
346プロ恒例の定例ライブ。今日来てくれたお客さんには、ナナを応援するためにきてくれた人もいて、なかにはこうしてファンレターを持ってきてくれる人もいる。

うう~もう泣きそう。最近年のせいか涙もろくてなって。

……ううん。泣いたらお化粧くずれちゃいますし、泣くのはライブが大成功したとき、ですよね っ。プロデューサーさん!



「菜々ちゃん、次出番ですよね。頑張ってください。私も応援がんばります!」

「ありがとうございます卯月ちゃん。ううう、ちょっと緊張してきました」

「大丈夫だよ」

ナナの不安を一蹴したのは艶やかな黒髪だった。

「菜々さん、今回のライブにむけたレッスン誰よりも頑張ってたでしょ。だから絶対に成功するよ。……私も負けないから」


それだけ言うと踵を返して去っていった。


……ありがとう凛ちゃん。もちろんナナも負けませんよ!



大きな歓声と拍手が聞こえる。
どうやらナナの前のユニットのステージが終わったらしい。スタッフさんが手を挙げる。

……よしっ! 気合を入れて!




「菜々さん、楽しんできてください」


「はいっ! 行ってきます。プロデューサーさん!」


「スタンバイ 5 秒前」


あの世界で気を失った後。
懐かしいアラームで目が覚めると、黄ばんだ天井がこちらを見ていた。

狭くて小汚くてそして懐かしいナナの拠点、ウサミン星に帰ってきた。

時計を見るとデジタル表記で 5 月 6 日 7:00 の文字。
2 週間以上あちらの世界にいたのがうそのように、事務所に行くといつも通りレッスンがあって、それからもあの世界に行く前となんら変わらない生活が続いた。


「4 秒前」


あの世界は本当にあったのか。
それとも全部夢だったのか。
そんなことは関係ない。


ナナはあのときアイドルであることを選んだ。
ただそれだけなんだから。


「3 秒」


ナナはどこまでもお馬鹿で、ドジで不器用で、才能なんてなにもなくて。
代わりなんていくらでもいるかもしれないちっぽけな存在かもしれない。
今感じているこの幸せな生活だって明日急に終わってしまうかもしれない。


それでも、今やるべきことは一つ。


「2 秒」


目の前のライブを全力で楽しむ、ただそれだけ。
それが不器用でなにもできないナナにできる、たったひとつのことなんだから。


他の誰でもない、ナナを応援しに来てくれたファンのためにも。


ナナを支えてくれているプロデューサーさんや事務所のみんなのためにも。


あのとき一度は間違ったナナを見捨てないで優しく支えてくれた彼女のためにも。


ナナを応援してくれた小さな私のためにも。


そして、




「1 秒」


散々迷って、結局この道を進むって決めた、ナナ自身のためにも!







「みなさーん、おまたせしました! 永遠の17歳! みんなのアイドル、ウサミン! 今日も頑張りますので、応援よろしくお願いしまーす! キャハっ」






『ななちゃんへ

このまえおかあさんとらいぶをみにいきました
きれいなふくをきて いっしょうけんめいおどってる かわいいななちゃんがだいすきです

きょうもななちゃんにあえるのとてもたのしみできました

がんばってください


ななちゃん


わたしもいつか ななちゃんみたいな


すてきでかわいいあいどるになりたいです』

京太郎「ウサミン17歳の誕生日オメデトウ」

菫「後輩17歳の誕生日オメデトウ私も夏の大会に出てるのに何故か17歳だ本当は18歳だ」

誠子「17歳でアイドルとか憧れますモバマスに私に劇似にマシュ風浜風弘世菫様風的場様私風爆乳後輩と御茶会を開きたいです」

照「誠子もスッカリSUMIRE宗教の総長とかしたな」

尭深「モバマス次元に私の妹がいると聞いて」

淡「私の本名は諸星古海ちゃんです」

24歳叔父さんですプリキュアオールスターズとアイカツオールスターズの百合展開を早く劇場版長門死す上映される前に上映しろよ


以上でおわりです。

初投稿でいろいろと拙いところもあったと思いますが、お付き合いくださりありがとうございました。

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