雀明華「スタンド・バイ・ミー」 (35)
月曜日
「サトハ、このお札だらけの箱はどうすればいいですか?」
「後で寺に持っていくから、入り口の横に固めておいてくれ……こらネリー!小判をこっそり持っていこうとするな!」
「サトハ!この服の詰まった箱は?」
「それは上等な反物だからとっておく。そこに置いたままにしてくれ!」
辻垣内家の蔵の中で、質問と怒号が入り乱れます
今は夏休み
数時間前のことです
故国へ里帰りに行くこともなく日本の夏で退屈を持て余していた、私こと明華とハオとメグとネリー
臨海女子の寮の私の部屋でちゃぶ台を囲みながら花札に興じていると、サトハから電話がかかってきました
サトハの「我が家に集え暇人ども」という号令のもと、私たちは東京郊外の辻垣内邸にやってきました
私とメグはすでに訪れた事がありますが、ハオとネリーは初めて目にした辻垣内邸に目を丸くしています
辻垣内邸には、まず広大な土地とそれを囲う塀があります
塀の中には日本庭園が広がり、石畳でできた道の奥に純和風の屋敷があり、母屋や離れなどが連なっていて、典型的な日本のお屋敷といった感じです
私も初めて目にした時にはあまりの荘厳さに目を丸くし、思わず持っていた日傘を落とし傘の露先をメグの目に刺してしまいました
ネリーの「サトハと結婚すれば逆玉の輿……」という呟きを尻目にあたりを見回すと、庭の左手から何やら物音がします
そこには、大きな土蔵があり、頑丈そうな扉が開いています
すると、中から智葉が出てきました
「はるばるよくきてくれたな。ネリー、ハオ、明華、メグ」
実に大儀そうにいうサトハ
「暇を持て余していたから構いませんけど……その格好はどうしたんですか?」
ハオがサトハに尋ねます
今のサトハは、頭にタオルを巻きタンクトップにカーゴパンツという、ガテン系の姐さんといった格好をしています
「蔵の整理をしていてな。お手伝いさんたちが盆の帰省をしているから、私がやっていたんだ」
「……つまり、私たちを呼んだのは」
メグの言葉に、智葉はニヤリ。と笑います
「その通り。蔵の整理を手伝ってくれ」
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◇
などという事があり、私たちも動きやすい服に着替えて辻垣内家の蔵の整理をしているのです
埃だらけの蔵の中で、要るもの要らないもの寺に持ってくものなどを仕分け、運び出す作業
明治時代以前から続く火消しの家系という辻垣内家の蔵の中は、様々な物が乱雑に詰め込まれています
巻物や壺、ダルマや鏡台や琴などわかりやすいものから、ガスマスクや大量の注射器など何故ここにあるのかわからないもの
オリハルコン製の爪切りや織田信長が愛用した耳掻きなどの怪しげなもの、果ては鞘に札が貼られた刀や口紅で真っ赤に塗られた手鏡などの意味不明なもの等様々です
何故文句も言わず私たちが蔵の整理を手伝っているかというと、理由は二つ
一つは、手伝ってくれたら盆の間は辻垣内邸で寝泊まりしてもいいと言われたからです
臨海女子の寮の六畳間でぼんやりと過ごすくらいなら、ニッポンヤシキで寝泊まりしてみたいものです。雀卓もあることですし
二つ目は、蔵の中から好きなものを一つ持っていっていいと言われたからです
よくわからないものばかりですが、中には掘り出し物の一品があるかもしれません
それを探すためにも、私たちはせっせせっと蔵の中を整理していました。もしかしたらそれがサトハの狙いだったのかもしれません
かくして夕方、夕焼けが辺りを真っ赤に照らすころ。私たちの作業は終わりました
「ありがとうみんな。よくやってくれた」
再び大儀そうにサトハがいいます
「それでサトハ、約束のものデスガ……」
「もちろんわかっている。この蔵の中から何か好きなものを持っていくといい」
わつ。と歓声をあげ、私たちは蔵の中へと入っていきます
蔵の中で整理しているときに、予め目星をつけておいたのでしょう。三人ともすぐに目的のものを手に取ります
ハオは卑弥呼が使っていたという鉄扇を。メグは縄文時代のカップラーメンを。ネリーは和同開珎の詰まった甕(真鍮製の偽物なのでおそらく値打ちはありません)を選びました
私はというと、平賀源内の作った電子レンジか、葛飾北斎の描いた漫画版三国志にしようか悩んでいました
すると、ふわっ。と一陣の風が吹きました
「わっぷ……」
私の長い髪が風に煽られ天使の翼のようにはためき、目や口の中に入ってきます
私のこの長い髪はわりと邪魔なので、短くしようかと思わない事もありません
けれど風になびく長い髪というのは風神としての演出に必要不可欠なので、この長さを保っているのです。例え一回の入浴でシャンプーを一本消費するほど燃費が悪くても
などと関係ない説明を誰にともなくしていると、蔵の中でゴトン。と何かが落ちる音がしました
風で何か落ちたのかしらん。と思って蔵に入り、音のした場所を見ると、一冊の和綴じ本が落ちていました
表紙はボロボロで、土色の表紙をした本に橙色の紐が巻き付けられています
そして表紙には紙が貼られ、〔絡繰覚書〕と達筆な字で書かれています
和紙でできたザラザラの表紙を撫でると、不思議と心が落ち着きます
紐を解き中を見てみると、日本語でよくわからない事が書かれています
けれど、内容はわからなくともこの本の装丁には何かしら刺激されるものを感じました
例えていうなら、古き良きフランス屋敷を目にした時のような。もしくは木箱に詰められたツヤツヤと輝く高級イクラを見た時のような
ようするに、クラシック的な感傷と高級感への憧憬です
「ミョンファは何にするの?」
小さな身体で甕を抱えたネリーが、よたよたと歩きながら近寄ってきます。その辺に置いておけばいいのでしょうが、どうやら片時も離したくないようです
「私は……この本にします」
葛飾北斎の三国志演義と平賀源内の電子レンジに後ろ髪とそこに付着する一本分のシャンプーを引かれながらも、私はこの本に決めました
「うわー。なんかすごいカビ臭い本!」
鼻をつまみながら眉をしかめるネリー。子供にはこの風流さがわからんのです
「なるほど……お前たちの欲しいものはそれらか」
サトハは若干頰を引きつらせなが言います。あげるのが惜しいほどの希少品を私たちが選んだからなのか何故欲しがるのか理解できないガラクタを私たちが選んだからなのかはその表情から察することはできません
「とりあえず風呂の用意はしてあるから入るぞ」
くるりと踵を返し、屋敷に向かうサトハ。くるくるとカップ麺を回してるメグとヨタヨタと甕を抱えたネリーが後に続きます
私とハオも三人の後に続いて歩いていると、鉄扇を指先で器用にくるくる回していたハオが、私が手に持っている本を覗き込んできます
「随分と古い本ですね。何が書かれているんですか?」
「さあ……私にはよくわからない内容で……。ハオは読めますか?」
ハオは本を受け取ると、鉄扇で頁を捲ります
「表紙に書かれているのは、からくりおぼえがき……ようするにジャパニーズギミックノートですね。内容は……よくわかりませんが、日本の昭和初期の物だと思います」
ハオが鉄扇で指した一文には「時既ニ遅ク、日本敗戦濃厚。カネテヨリノ計画ニ移ル」と書かれています。どうやらこの人物は、かの有名なパシフィックウォー末期に、日本の敗戦を悟ったようです
けれど、計画とは一体なんでしょう
◇
「はぁー。ゴクラクゴクラク」
私は湯船に浸かり感嘆の息を漏らします。今日1日の疲れと身体中に染み付いた埃とカビが、お湯の中にジンワリと溶け出ていくようです
辻垣内家の風呂場は広く、洗い場も4つあり、今はそのうちの一つでネリーがシャンプーハットを装着しています
湯船も6人くらいはゆうに入れる大きさで、私とハオとメグがノンビリと浸かっているのでした
サトハは「夕食の準備をしてくる」と言ってカラスの行水の如くさっさと出ていってしまいました
「ミョンファー!髪洗ってー!」
「はいはい」
私は湯船から立ち上がり、ネリーの背後につき、手のひらにシャンプーを出します
「メガン、背中流しましょうか?」
「あ、いいですね。お願いシマス」
わっしゃわっしゃとネリーの髪を洗っていると、他の二人も何やら洗いっこを始めたようです
実は私は普段からネリーの頭を洗っているわけではありません。けれど、大衆でお風呂に入ることで、このような雰囲気が生まれたのでしょう
人と人の間の壁を取り払い、絆を結ぶ。美しきかな日本文化
最後に桶でお湯を流しシャンプーを落とすと、ネリーは子犬のように頭をプルプル振ります
「ありがと、ミョンファ!」
そういうや否や駆け出して、サトハがいないのをいい事に湯船にダイブするネリー。どうやら私の髪は洗ってくれないようです
湯船で泳ぐネリーを眺め、苦笑を浮かべながら、私は新品のシャンプーのボトルに手を伸ばしました
◇
よくポヤポヤしているとネリーに言われる私ですが、浴衣を着るとさらにポヤポヤした気分になります
お風呂から出た後、私たちは用意されていた浴衣に着替えました
ゆったりとした意匠に心を落ち着け、無防備な服を着る事の開放感と肩の力が抜ける脱力感があるのでしょうか
このヒラヒラした薄い布一枚に、どれほどの魔翌力が秘められているのでしょう
ハオはゆったりと着こなしています。流石は同じアジア人。でも香港は元イギリス領だったと思いますが
メグは袖をたくり、いかにもといった豪快さの様相です。ネリーはダボダボの袖と裾を引きずりながらてこてこ歩いています
「全員着替えたか?」
私たち全員が浴衣を着終わった頃、サトハがやってきました。彼女は墨色の着物に身を包み、旧家のお嬢様か極道の姐さんといった感じです
「食事の準備はしてある。ついてこい」
颯爽と着物を着こなし悠々と歩を進めるサトハに着いていくと、八畳ほどの部屋に通されました
部屋の中には五つのお膳が置かれており、その上には絢爛な日本料理が拵えていました
「わぁ!すごい!全部サトハが作ったの!?」と、諸手を挙げて喜びながらネリーが駆け寄っていきます。上座に
ネリーの脇を抱えてやんわりと上座からどけながら、サトハは私達に好きな席へと着くように促します
席に着き膳の上の料理を改めて眺めます。天ぷら、鮎の塩焼き、小うどん、茶碗蒸し、茄子の漬物……日本の粋を凝らした料理が見事に並んでいます
箸をチンチン鳴らすネリーに囃し立てられ、私たちは合唱をし、食べ始めました
天ぷらはサクッとした衣とぷりっぷりの海老や夏野菜の食感が味を引き立て、鮎の塩焼きはこざっぱりした魚の味が舌の上でほろほろと溶けていきます
茶碗蒸しはぷるっと食感と出汁の味に、銀杏や椎茸、蒲鉾が様々な味のハーモニーを奏で、茄子の漬物は口の中がサッパリすると同時に味わい深い野菜の旨味を舌に浸透させます
ネリーとハオとメグも、満足そうに舌鼓を打っています。サトハはお猪口に銚子で注いで何かを飲んでいますが、おそらくあれは白湯でしょう
しかし、どうしても私が美味しいと思えないものがありました
それはうどんです
麺をちゅるるんと吸っても、いまいち味がせず、小麦粉の塊を食べてる気しかしません
「どうしたの、ミョンファ。うどんが嫌いなの?」
顔をしかめながらうどんを食べている私に、ネリーが聞いてきます
「いえ、そういうわけでは……」
サトハの手前、お茶を濁したが、どうやら私がうどんを苦手としている事は一目瞭然だったようで
「ミョンファは麺類の味わい方がわかっていまセン」
メグにも見抜かれていたのです。それにしても、麺類の味わい方とは一体どのようなものなのでしょう
「うどんも蕎麦も、そしてラーメンも。麺と同時にスープの味と風味を味わいマス」
そう言って、メグはズルズルッ。と音を立てて麺をすすります
「こうして麺と同時に空気を通しながら食べる事で、出汁の風味を味わう事ができマス」
得意げな顔で講釈するメグ。多分わかってないのにわかったような顔で「その通り」と頷くネリー
なるほどと納得できるものがありました
私は誇り高きフランス淑女。気品正しく礼節を重んじ目上には敬意を示し年下には優しき態度で接しお年寄りには席を譲り信号は青になってから渡りトイレを出たら電気はしっかり消し水道の水は使ったらしっかり止めています
つまり。音を立てて食事をする。という事をした事がなかったのです
しかし、郷に入れば郷に従うのもまたマナー
フランス淑女としての誇りを一旦傍に置き、ここは日本流の食べ方をする事にします
箸で麺を掴み、一気にズルズルッ。と
「けほけほ!」
「ミョンファ!?」
ズルズルッ。と汁が気管に入ってむせてしまいました
日本料理は奥が深いようです
◇
深夜
私は尿意を催し目を覚ましました
隣ではネリーがお腹を出してぐっすり眠っています
私たちは先ほどの部屋で食後の片付けが終わったあと、布団を敷きました
その後修学旅行よろしく寝る前に布団の上で様々な話に興じていましたが、夜更かしするとサトハが修学旅行の引率の体育教師よろしく怒りに来ないとも限らないので、ほどほどの時間で眠りにつきました
私はネリーの布団をかけ直したあと、トイレに行こうと思い襖を開けましたが、暗闇の中、ぼうっとした灯りに照らされた廊下を見て、二の足を踏みます
夜の日本屋敷というのは不気味な感じがします
私は誇り高きフランス淑女ですが、自然文学主義者ではありません。ですからこのような不気味な情景にも、毛を刈られた羊のように身体をプルプルさせてしまうのです
そういえば以前、サトハが「欧米は血と悲鳴を怖がり、日本は人と水を怖がる」と言っていました。水が怖いというのはどういう事なのでしょうか
隣で眠るネリーを起こして一緒についてきてもらおうかとも思いましたが、徳川埋蔵金だの平将門の財産だのなんだの幸せそうな寝言を言っているのでやめました
メグかハオについてきてもらおうかとも思いましたがやっぱり眠っている最中に起こすのは忍びないのでやめます
覚悟を決め、一人でトイレへと向かう事にしました
◇
日本のトイレには凄まじくおどろおどろしいイメージを持っていましたが、幸い辻垣内邸のトイレは普通に広く明るい様式のトイレでした
そして、来るときは気がつかなかったけど、いつの間にか私の手には、蔵で手に入れた絡繰覚書があります。どうやら寝惚けて手に持ったまま廊下を歩いていたようです
それにしても、不思議な本です
この本に目をつけたのは、本の偶然と気まぐれです
けれど、なんとなく私にはそれが必然のように思えてならないのです
まるで、運命の歯車が噛み合ったかのように。もしくは、カラクリ装置のネジが巻かれたかのように
「あら?」
思索を巡らせ廊下を歩いていたら、全く見知らぬ場所に立っていました
「ここは……どこでしょう?」
家の中で道に迷ってしまいました
辻垣内邸は驚きがいっぱいです
右を見ても左を見ても似たような廊下が続いていて、どっちに行けばいいのかわかりません。屋内までもが画一的なデザインで統一された日本屋敷の弊害です
ひとまず手頃な襖を開けてみると、だだっ広い畳の部屋が広がっているだけでした
隣の襖を開けても、似たような感じです
向かいの襖を開けると、そこには髪の長い女性が立っていました
「ひっ……」と悲鳴をあげそうになるも、よく見たらただの木像でした
左手を水平にして胸の前に差し出し、右手に鍔がVの字になっている短剣を掲げた女性の像です
聖女のような彼女の姿を眺めていると心が安らぐようですが夜の日本屋敷で彫刻と向き合っているという客観的事実がやはり恐ろしくなり、私は部屋を後にしました
とりあえず縁側にでて、屋敷の周りを巡る事にします。いずれ玄関に着けば、そこからの部屋の場所はわかるはずですから
しばらく縁側を歩いていると、月明かりに照らされ縁側に腰をかける黒髪の女性の姿が見えました
見間違えるはずもなく、サトハです
「こんな時間にどうしたんだ、明華」
こちらを一瞥し、驚いた様子のサトハ
「サトハはどうして?」
家の中で道に迷ったなどと言えるはずもなく、話を逸らします
すると、サトハは遠い目をして「……少し、昔を思い出してな」と呟きました。お盆と蔵の中の整理。サトハにも、何かしら思う事があったのでしょう
私はサトハの隣に腰をかけて、月明かりに照らされた日本庭園を眺めます
とても静かで雅な時間が流れています
日本は静を重んじ、欧米は動を重んじる。という話を聞いた事があります
夜を背に月のスポットライトを浴び、時が止まったかのような静謐な時間を湛えつつも、そこにさやけき空気が流れているこの空間は、まさしく日本の「静」を象徴するものです
そして、何も言わずとも目の前の感動を隣にいる人と分かち合う事ができる。というのは、国境に関わらず、人が皆持ち得る感情です
しばし私たちは情景を眺めていました
すると、サトハは私が手に持った本に気づきました
「その本……本当に欲しかったのか?」
「サトハはこの本が何なのかわかっているんですか?」
「わかりもしないのに渡すわけないだろう。それは私の曾祖父さんの書いた本だ」
最後のページを見てみろ。というサトハの言葉に従い本を開くと、そこには一枚の写真が乗っていました
そこには、三人の男性が写っています
真ん中の男性は、切れ長の瞳に凛々しい表情を湛えた男性で、どことなくサトハに似ている気がします
右の男性は恰幅のいい中年で、気品と教養の深さが漂っています
左の男性は面長で、神経質そうな雰囲気を携えています
「その真ん中の男が私の曾祖父さんでな。私が生まれる前に既に亡くなっていたんだ。その時にこの本は処分してくれ。と息子……私の爺さんに頼んだらしいんだが、なんとなく処分する気になれず、とっておいたらしい」
なるほど。それならハオの昭和初期に書かれていた。という言葉と合致します
「その曾祖父さん……辻垣内 時永(つじがいと ときなが)って言うんだが、とても変わり者でな。若い頃は世界中を放浪していたらしい。当主になってからは日本からは出なくなったらしいが、それでも奇行が目立ったらしい。家の者を全員母屋から追い出して、三ヶ月かけて屋内の襖を全部張り替えたり畳を真新しくしたり、変な彫刻を置いたりしてな」
写真の理知的な面影からはそのような感じはしませんが、切れ長の瞳にはどことなく好奇心に満ちた光を感じます
「そんな破天荒な人だったけど、近くに住んでいた貴族の月神 小太郎(つきがみ こたろう)にはよく可愛がられていたらしい。彼も月神氏を慕ってんだと。ほら、その写真の右の人だ」
なるほど。この恰幅のいい男性は貴族でしたか。この気品も頷けます
「この左の男性は?」
「知らん。遊び仲間の誰かだろう……それにしても、なんの本かもわからずに選んだのか」
サトハが呆れたような目で見てきます
「その、なんとなくこの和綴じの雰囲気にアンティーク的なものを感じて……」
「つまり、骨董品が欲しかっただけか……」
サトハは私を見た後、再び庭園へと目を向けます
なんとなく、非難されているように感じました
確かに私はこの和綴じ本の雰囲気に惚れて、この本を選んだのです。内容は二の次なので、さして深く興味を持つ事も、読む気もありませんでした
けれど……表面上だけでなく、中も読み込めば、何らかの感動や味わいがあるのかもしれませんね
さながらうどんの風味のように
奇行だらけの辻垣内 時永
貴族の月神 小太郎
彼らにまつわるこの本を読み解いてみよう。そう、私は夜の庭園を眺めながら思いました
これが、私の小さな物語の始まりです
部屋に戻るとネリーは「滝夜叉姫が……」と呟きながらうなされていました
火曜日
辻垣内邸で目を覚まし、朝ごはんをモリモリと食べた後。私は街をブラブラと歩いていました
サトハが「シャンプーの新品のボトルを一本使い切った大馬鹿はどこのどいつだ!」と不動明王のように怒り狂っていたので、辻垣内邸から逃げ出したのです
ほとぼりが冷めるまで適当に散歩することにします
真夏の東京の日差しは強く、日傘をさしていてもジメジメした熱気に辟易します
シブヤなどでやたらスカートが短かったりノースリーブの少女達が多いのは、この高温高湿の極東島国の気候における日本の伝統衣服でしょうか
しばらく歩くと、空気が変わりました
道端に、古本屋があったのです
その先に目を向けると、また古本屋が。その先にもまたまた古本屋が
ずらりと並ぶ本屋の道。どうやらここが、かの名高き古本屋街、神保町のようです
私はてくてくと本屋の古本屋街を歩きます
年季の入った紙の匂いが、なんとも心地の良いノスタルジーとして鼻孔をくすぐり、胸の中へと充満します
不思議なもので、古本が並んでいるというだけで、空気が凛と引き締まり、涼しげな気分になれます
そういえば、ハオはこの辺りの古道具屋でアルバイトをしていると聞いたことがあります
今日も朝はやくから辻垣内邸を出ていったので、アルバイトに行ったのでしょう
場所は以前聞いたことがあります。神保町の花屋と喫茶店の間の路地の突き当たりにあるとか
探してみると、その花屋と喫茶店はすぐに見つかりました
店先に食虫植物を陳列した禍々しい花屋の角を曲がると、狭い路地に出ます
路地を歩くとすぐに突き当たり、古道具屋「舞々堂」にたどり着きました
木製の古い扉を開けると、カランカランと心地の良い音がします
「いらっしゃいませ……って、ミョンファでしたか」
古時計やダイヤル式の電話機やコケシが並ぶ棚の奥、店のカウンターの内側には、ハオが椅子に座って店番をしていました
何やら難しそうな中国の本を読んでいたようで、退屈そうにしています
「お邪魔でしたか?」
「いえ。誰もこないから退屈でした」
パタン。と本を閉じるハオ。繁盛はしていないのにアルバイトを雇う余裕はあるみたいです。もしくはこの古道具屋には毎日のように借金取りか地上げ屋が来るので、用心棒としてハオを雇ったという可能性もあります。黒尽くめにサングラスの屈強な男達を、さながらカンフー映画のようにハオがばったばったとのしているのでしょうか
などとぷかぷかした妄想を浮かべている間に、ハオがカウンターの内側から一冊の手帳を取り出しました
「これは?」
茶色い革製の、無骨で重厚な手帳。なにやらおどろおどろしい不気味な雰囲気が漂っています
「これはーーとある殺人事件を調査した際の記録らしいんです」
ハオはいたずらっ子のような笑みを浮かべて答えます
殺人事件とは何やら不穏な話です
「けれど、結局その事件の真相はわからないままで、誰かこの謎を解いてくだい。と締めくくられているんですよ」
未解決の殺人事件を記した手帳ーー不謹慎ですが、凄く面白そうです
この手帳を読み、安楽椅子探偵のように真相を解いてみるのもまた一興
私は手帳を開きます
『私は、ある殺人事件の真相を追っている。私の妻を殺した犯人に、罪を償わせるために』
なるほど、どうやら本物のようです
続きを読んでみましょう
『色々捜査した結果、犯人と思われし男が一人だけ候補に挙がった。妻をストーキングしていた「跡尾 憑流(あとお つける)」という男だ』
……?犯人はすでにわかっているのですか
『しかし、彼には犯行時刻に鉄壁のアリバイがある。それを崩さねばアイツを犯人だと告発することができない。警察も動いてくれない』
なるほど。アリバイ崩しですか
『改めて奴の犯行時刻の証言をここに書いておく』
『「あの夜、私は仕事で大阪にいましたよ。新大阪駅の近くにあるホテルです。チェックインしたのが夜の11時過ぎで、それは警察の調べではっきりしています。また荷物を部屋まで運んでもらう時にボーイと話しましたから、警察がそのボーイに私の写真を見せて、本人だったと確認しているはずです。
そりゃ犯行後、急げば犯行現場の軽井沢のホテルから大阪まで間に合いますよ。死亡推定時刻はその日の夕方5時から夜の9時の間でしたっけ?信越本線で長野まで約1時間、長野から名古屋まで篠ノ井線と中央本線で約3時間、名古屋から大阪まで新幹線を使っても約1時間。待ち時間を考慮して、5時に軽井沢から出ればなんとかなります。
ところがじつはだめなんです。というのはですね。私は4時まで東京の会社にいたからなんです。土曜日ですが、休日出勤していました。守衛さんが証明してくれます。帰りに挨拶しましたから。
さて会社を4時に出ると、上野駅に着くのはせいぜい4時半。上越新幹線にのっても軽井沢のホテルに着くには6時40分頃になるでしょう。あなたの妻を殺して、再び軽井沢駅に戻ると、7時半近くになっているはずです。これだと長野経由で大阪に向かうには遅すぎます。
じゃあいったん東京に帰るのはどうかというとですね、そこから急いで新幹線を使っても、東京に着くのは早くて9時半。こうなるともう新大阪まで行く新幹線はありません。
それに、あったとしても「のぞみ」でも2時間半かかるから、着くのは12時過ぎになっちゃいます。
つまりですね、私には完璧なアリバイがあるということなんです」』
私はそっと手帳を閉じました
入り口からカランカランと音がしました。お客さんがやってきたようです
「ここが古道具屋アルカ?」
新たなお客さんはキツネのような糸目にナマズのようなヒゲを生やし、中国人の民族衣装を身にまとった男性です
彼は脇目も振らずカウンターに歩み寄ってきました
「オネーサン。いいもの持ってきたアルヨ。高く買い取って欲しいネ」
怪しいです
いかにも怪しげだけれど怪しすぎて過ぎて逆に怪しくないのではという怪しげな判断を下してしまいそうになるほど怪しげな人です
「いらっしゃいませ。拝見させてもらってもよろしいでしょうか?」
しかしハオは品の良い笑顔を崩しません。さすがの香港淑女です
「ワタクシが持ってきたのは……これネ!」
そう言って彼がカバンから出したものは、全長30センチほどの、聖女を象った白銀色の置物でした
美しいことは美しいのですが、所々ーー特に背中の部分の色が剥げていて、見窄らしいです
「……随分と見窄らしいですね」
「失礼ネ!」
私が率直な感想を漏らすと、目を釣り上げてプンプン怒ります。怒ってもあまり怖くないのはユーモラスな彼の外見の美徳でしょう
「この置物は、天女からの贈り物ね!」
「天女……ですか?」
胸を張って自慢する男性。恐らく妄想癖があるのか幻覚をみたかでしょう。アル中っぽいですから
「……どう言うことですか?」
そんなアル中に、冷静に、淑女的に尋ねるハオ
「私の話を聞いて欲しいアルヨ。少し長くなるネ」
そういって彼は手頃な椅子に座ります。私も興味が湧いたので、適当な椅子に座って聞くことにしました
これは今から二十年ほど前の話アルヨ
当時の私は10歳の無垢な少年だったアル
ぷくぷくとしたあどけない容姿に頭脳明晰眉目秀麗、博識で正義感が強く将来有望な少年だったアル
そんなワタクシは、父親の隠し持ってた青少年用の本を勝手に友人に売り捌いてしまい、怒り狂った父親から逃げるように家の外へと散歩にでてたネ
国の未来と宇宙の神秘に想いを馳せながら適当に歩いていたら、いつの間にか道に迷ってしまったアル。ワタクシが住んでいたところはマカオでもかなりの田舎だったから、あたりに雑木林やらなんやらがいっぱいだったネ
しかしワタクシは道に迷っても動じないアルヨ。常に腰を据え達観し、何があっても焦らず動じずが信条だったアル
なのでそのまま雑木林をブラブラと歩いてたアルが、急に視界が開けたアル
そこはあたり一面に深緑色の草原が広がり、蓮の浮いた綺麗な池の側には小さな一軒家があって、壮観だったネ
今でもあの光景は忘れられないアル。まるで極楽浄土へと迷い込んだ気分だったネ
そして、池の側に屈んで、池の水で手を洗う少女に気付いたアル
私は誘蛾灯に惹かれる蝶のように、フラフラと彼女に近づいていったアル
私が近づくと、彼女もこちら気付いたようで、驚いた顔でこっちを見たアル
驚いたのは私の方もネ。さっき何があっても動じないと言ったけど、この時ばかりは私も狼狽えたアル
何故なら彼女は、この世のものとは思えぬほど美しい容姿をしていたアルから
まるで太陽の光を拒絶したかのような真っ白な肌に、ほっそりとした顎
真夏だというのに長袖を着て長いスカートを履いていて、そこから覗く華奢な手足は、触れれば脆く崩れるようなガラス細工のようネ
その人間離れした容姿に、わかりやすく端的に予想通りのことを言えば、ワタクシは一目惚れしたアル
美しい少女に出会い一目惚れをして動揺したワタクシだけれど、彼女の方もまた、私を見て動揺した様子アル。きっとお互い、同じ気持ちを抱いていたアルネ
その証拠に、紳士的に声をかけて自己紹介してた後、二人で池に並んでとりとめのない雑談に耽っていたけれど、彼女はチラチラと私の顔を見ていたネ
そうして別れ間際、彼女は家の中に入って、この聖女の置物を私にプレゼントしてくれたアル
今日の出会いの記念に
けれどーーーーーー私の出会った事は、村の誰にも言わないでください。と
そんな、神秘的で儚い事を言う彼女と、私は別れたネ
家に帰ったら父親に顔の形が変わるほど殴られたアル
翌日、私はまたその場所に行ったアル
前日道に迷ったワタクシだけれど、一度行った場所は忘れないのが自慢ネ
けれど、家には誰もいなかったアル
その次の日も行ったけど、誰もいなかったアル
その次の日も
その次の日も
ワタクシの住んでいた村は治安が良くない所だったから、心配だったアル
当時も、強盗が押し入っただの空き巣に入られただの男性の放置死体だの夫婦喧嘩で妻を殺しただの、色んな事件が起きていたアル。警察も手一杯ネ
だから、何かの事件に巻き込まれたのかと思って、家の中に入って調べる事にしたね
家の中は明らかに誰か住んでいた痕跡があったアル
でも驚いたのは、その家にワタクシくらいの年の少女が住んでいた。という痕跡がまったく無かった事ある
そこには、初めから少女なんていなかったかのように
あれはワタクシの白昼夢だったのかと思ったけれど、聖女の置物は私の手元にあるネ
きっと彼女は、たまたまあの場所に居合わせた、この世の者ではない、天女のような存在だったアル
「きっと彼女は今、空の向こうにいるアルヨ」
そう言って、途中でハオが出したお茶をすすりながら、話を締めくくりました
天女が贈ってくれた聖女の置物。なんと素晴らしいものでしょう。ロマンチックな話に思わずワクワクしてしまいます
「なるほど……」
一方、ハオは鉄扇を閉じたり開いたりしながら怜悧そうな美貌を崩さず思案顔です
「というわけでオネーサン。この天女のくれた置物。買ってチョーダイ」
……?
なぜそのような大切なものを売りに出すのでしょうか?
私だったら部屋に飾っておき、たまにこの聖女を見つめて過去の一目惚れの記憶へと想いを馳せます。そしてやがては結婚し嫁入り道具としてこっそりと荷物に忍ばせ、旦那に「それどうしたの?」と聞かれると、当時の事を思い出しまるで秘密を共有するいたずらっ子のような笑みを浮かべながら「ふふふ。内緒です」と言いいたいです
そしていずれ娘が産まれ、成長して大人になり婚約者を連れてきて「お前のような奴に娘はやらん!」と言い張る旦那を娘と共に説得。しぶしぶ旦那は結婚を認め、娘にも子供ができます
やがて時が過ぎ私が揺り椅子に座っていると孫がやってきて「おばーちゃん。あれなあに?」と聖女の置物を指差して聞いてくるので「あれはねーーーーーー」と昔話を聞かせるのです
などと当初の疑問から大きくかけ離れた妄想に耽っていましたが、パチン。とハオが鉄扇を閉じる音が響いた事で、我に帰りました
「申し訳ありませんがーーこの置物はただの古い置物。それ以上の価値を見出せません」
ハオは凛とした声で告げます
「だからーーーーーー買い取れません」
私は首を傾げます
殺人事件を記した手帳を手元に置いておくくらいなのですから、曰く付きの聖女像も買い取りそうなものですが。なんなら私が欲しいくらいです
「曰く付きの品物とかに興味ないアルカ?」
「いえ、その置物は、ただの人間の少女が渡したものです。当然、天女のものではありません」
ハオはピシャリ。と鉄扇を彼の鼻面に突きつけます。もしあと数センチズレてたら鼻の骨が砕けていたでしょう
「……私の話が作り話と言いたいアルか」
「さういうわけではありません。脚色はあるでしょうが、概ねあなたの身に起こった話は信じています」
ハオは鉄扇をキセルのように口元に持ってきます
「ただ、その上で、これにはなんら価値が無い、と言っているのです。これから説明しましょう」
まるで推理を披露する探偵のように間を持たせるハオ
「肌が白くほっそとした顎。華奢な手足。確かに子供の視点から見て思い出も美化されれば、それはこの世ならざる絶世の美少女でしょう」
しかし。とハオは断ります
「恐らくそれは……家に監禁され、碌に食べ物も与えられなかったからだと思います」
まさかの推理に私はあんぐりと口を開けます
絶世の美少女のカラクリは、たんなる欠食児童だったのですから
「親に虐待されていたのか、親元から売り飛ばされたかのどちらかでしょうね」
淡々とした冷徹な推理
しかし、これで家に少女の痕跡がないのも頷けます
まともな人間の扱いされていなかったのですから。当然服などの私物も与えられていなかったでしょう
「けれど、この方が出会ったのは家の外ですよ?監禁されてないじゃないですか」
私は的を射た反論をします。伊達にピエールのファンはやってません
「いえ……その時ばかりは状況が違ったのです」
的外れだよワトソン君。と言いたげなハオ
「恐らくその時、彼女を監禁していた人物は殺害されていたんです。恐らく、その少女本人に」
今度こそ顎の骨が外れるほどあんぐりと口を開けてしまいました
「だからこそ、彼女は外に出たんでしょう。池で手を洗っていたのは、返り血を洗っていたんです。あなたを見て動揺したのも、当然一目惚れへではなく、殺人事件を起こした直後だったからです」
にべもなく初恋の思い出を粉砕するハオ
チラチラ見ていたのは、あなたを口封じするチャンスをうかがっていたからでしょう。と付け加えます
しかし彼は動揺した様子を見せず、無言でハオの推理に聞き入っています。何事にも動じないという彼の弁は本当のようです
「そして……その凶器こそが、この聖女の像です。殴り殺した凶器を隠すために、恋惚けた少年にこれを渡して逃げ出したんでしょうね」
鈍器のような凶器が見つからなければ、事件に追われて手一杯の警察は、豆腐の角に頭をぶつけたようななんらかの事故死として扱うでしょうから。と香港のホームズは推理を続けます、そういえばホームズはイギリス人ですから、香港とまったく関係がないわけではありません
「けれど、そんな事をするよりもそのまま自分で持ち去った方が手っ取り早いんじゃないですか?」
誰かに託す方がよほど危険な気がします
「その少女の身にもなってください。当時のやつれた少女の身では、この置物を持ち歩くには辛過ぎます」
確かに、これはなかなか重いです。重い想い出です
「かと言って家の中に置いてたり、近場に捨てたりすれば、すぐにバレます。だから一か八か、彼に渡したんでしょう」
つまりーーーーーー天女との淡い恋の思い出は、その実、殺人犯に凶器隠蔽の片棒を担がされた。という話だったわけです
なんと報われない話でしょう。いくらなんでも可哀想です
「……というか、あなたは薄々気付いていたんじゃないですか?」
「……バレてたアルか」
彼はため息と共に、沈鬱そうに言葉を発しました
「でなければ、大切な思い出の品を売ろうなどとは考えませんし、側から聞いた私でさえわかったんですから、大人になってから当時の事を思い返せるあなたが気付かないハズがありません」
私は話を聞いてても一片たりとも気付きませんでした
「いや、オネーサンの推理通りに全部気付いたわけじゃないアルヨ?ほんと、可能性程度だったアル」
まるで神父に告解する迷える子羊のように、もしくは探偵に動機を語る犯人のように、とうとうと喋ります
「けれど、その可能性はずっと頭に引っかかって……だから、悩むくらいならいっそ手放して忘れようと思ったアル」
彼は気付いたんですね
思い出の中の天女が、ただの殺人犯だった事も。贈り物が、凶器だった事も
「でも、オネーサンに推理して貰って、全部判明してスッキリしたアルヨ。アリガトネ」
彼はカラカラと笑いました
「礼には及びませんよ。こちらこそ、貴重な体験を聞かせていただきました」
優雅に一礼するハオ。まさしく英国紳士のようです
「それじゃ、ワタクシはこれで失敬するアルヨ」
そう言って荷物を担ぎ、彼は出口へと向かいますが
「……と、そうだ。お礼にいい物をあげるアルヨ」
踵を返して再びこちらにやってきました
彼はカウンターの前に着くと、カバンから緩衝材に包まれた品を取り出します
カウンターに起き緩衝材を剥がすと、中から一体の日本人形が現れました
「これは私がかつて日本人から貰った人形で、〔紫蓮人形(しれんにんぎょう)〕と言う名前アルネ」
夜を湛えた墨色の髪に、赤色や黄色の蓮華模様が刺繍された紫色の着物を着た、眼が覚めるような美しさの人形です
カウンターの上に置かれたシレンちゃんは、可憐な美貌を振りまき、まるで舞台の主役のように佇んでいます
「これをあなたにあげるネ!」
アルアルさんはシレンちゃんをハオに差し出します
「……いりません」
にべもなく拒否するハオ。項垂れる男性。心なしかシレンちゃんも残念そうな顔をしています
これほど可愛らしい人形をくれると言っているのに断ったら、もったいないオバケがでちゃいます。そしてシレンちゃんに憑依して真夜中に日本人形がやってくるのです。怖いです
「ミョンファ、欲しいんですか?」
シレンちゃんを物欲しげに見つめていたのがバレました
しかし誇り高きフランス淑女として、他人への贈り物を横取りするわけにはいきません
「じゃあそっちのオジョーチャンにあげるアルヨ。ワタクシの話を聞いてくれたお礼ネ」
なんと
これが曲がる角にはぼた餅というやつですか
「可愛がってあげて欲しいアルネ」
そう言って今度こそ、古道具屋から出ていきました
どうでもいいけどハオはオネーサンで、私はオジョーチャンですか。私の方が歳下に見えますかそうですかそうですか
「ところでハオ。名推理でしたけど、ホームズ作品とか好きなんですか?」
堂に入った名推理をするハオは、アンティーク物を置くこの古道具屋の雰囲気と相まって、まるで中世イギリスの名探偵のようでした
「いえ、ホームズにはそこまで興味はありません」
ハオは鉄扇を広げます
「私が好きなのはーーーーーー諸葛亮です」
そう言って鉄扇を羽毛扇のように携えました
ちなみに辻垣内邸に帰り玄関を開けると、サトハが仁王立ちしていました
私はシレンちゃんと共に正座してひたすらサトハにお説教されたのでした
.
水曜日
お昼頃。私は東京の街を、日傘をさしてぽてぽてと歩いていました
今日はみんなそれぞれ用事があるらしく、私は一人退屈を持て余していたのです
お昼頃まで畳の上に寝そべり絡繰覚書を読んでいたのですが、漢字とカタカナばかりでほとんど内容がわかりません
頭の中がゴミ屋敷のようにゴチャゴチャしてきたので、留守番をシレンちゃんに任せ、気晴らしに外にでてきたのです
相変わらずニッポンの夏はジメジメしています。しかし湿度は高くとも喉は乾くので、私は目に留まった自動販売機へと近寄りました
つめた~いの飲み物に、オランジーナを見つけ、顔をしかめます
かつて自販機でオランジーナを見かけた時、「フランス的国民炭酸飲料」の広告を見て郷愁に浸り、一も二もなくボタンを押して購入しました
しかしプルトップを開け口に含んですぐ、ぺふっ。としてしまいました。炭酸は苦手なのです
久しく忘れていましたが、オランジーナは炭酸飲料でした。自動販売機には「あったか~い」「つめた~い」の他に「しゅわしゅわ~」も付け加えるべきです。そうすれば私のようなぺふっとなる人も減るはずです
同じ手には引っかかりません。私は午後の紅茶を購入し、コクコクと流し込み、喉を潤します
水分を補給すると、今度はお腹が空きました
イクラをぷちぷち。っと食べたいところですが、以前くら寿司に行って大変な目に遭いました
お寿司の皿の周りにバリアーが張ってあったのです
カウンターについた私は、バリアーの前で呆然としました
両脇の人たちはあっさりバリアーを解除し次々とお皿を取り出していますが、私にそのような技能はありません
結局ガリだけをひたすら食べて、お店の人たちの「何しにきたんだあのフレンチ」という視線を浴びながら帰りました。疎外感。これが国境
結局、パン屋さんでサンドイッチを買うことにしました。パン屋のお婆ちゃんがいずれイクラサンドを作ってくれる事に期待します
◇
公園の木陰のベンチにちょこんと腰をかけ、サンドイッチをハムハムと頬張ります
サンドイッチはサンドウィッチ公爵がゲームの片手間に食べれるように開発したと聞きますが、このような美味しいものを片手間に食べるのは勿体無いです
私はサンドウィッチを食べ終え、一息つきます
公園では、未来ある若人達こと小学生が、カンケリをしています。このような暑い日差しの中でも元気に駆け回る姿には脱帽です
そういえば、以前臨海女子の間で、カンケリが話題になりました
その日は雨が降っていたので、いつか晴れた時にやろう。と言いながら、結局やってません
いずれカンケリをする時が来るかもしれないので、予習をしておいた方がいいかもしれません
カンケリに混ぜてもらおうと思い立ち上がったその時でした
公園の隅で、シートを広げ路上販売している青年が目にとまりました
カンケリのことを忘れ、興味本位で近づいてみます
紺色の浴衣に身を包み、布で口元を覆った店主の肩には、可愛らしいインコがとまっています
そしてシートの上には、小鳥さんやおサルさん、カエルさん、タヌキさんなど動物の玩具が置かれています
『お嬢さん、興味あるのかい?』
シートの上の玩具を眺めていると、店主の肩にとまったインコさんが喋り出しました
私はびっくりしてインコを見つめます
『ははは。驚かせてしまったね。私の名前はネモ。語り部インコのネモだ。こっちの辛気臭いのは久々津。人形師の道家 久々津(どうけ くぐつ)』
口元を布で覆った店主は、無言で会釈をします
『彼が全く喋らないものだから、私が代わりに喋っているのさ』
なかなか饒舌で紳士的なインコさんです
私もフランス淑女として、自己紹介します
「私は明華。雀明華です」
インコに自己紹介をするという貴重な体験を得ることができました
「ところで、これらは一体なんですか?」
『この子たちは全てカラクリ人形だよ』
カラクリ……確かニホンの伝統工芸で、ギミック・パペットの事でしたっけ
『たとえば、そこのタヌキを横に倒してごらん』
ネモさんに言われた通り、私は丸々としたタヌキさんを、横にコテン。と倒します
すると、タヌキさんは一人でに起き上がりました。これがオキアガリコボシというものでしょうか
しかし、起き上がっただけではありません。そのまま反対側に倒れ、再び起き上がり反対側に倒れる。を繰り返します
タヌキさんは左右にゆらゆらと楽しそうに揺れています。私もタヌキさんに合わせて左右に揺れます
しばらく楽しそうに揺れていましたが、久々津さんがタヌキさんを掴むと、ようやく動きを止めました
「ただのオキアガリコボシではないようですね」
ここまで長い間揺れる玩具を見るのは初めてです
『その通り。ゼンマイと砂鉄が中に仕込んであり、それによって長い間揺れているのだ』
なるほど。メトロノームのようなものでしょうか
「そのおサルさんは?」
私が尋ねると、久々津さんはスッと螺子を取り出し、おサルさんの首に挿し、回します
螺子を抜いておサルさんから手を離すと、おサルさんはスクッと立ち上がり、コサックダンスを始めました。器用なものです。おサルさんも人形師さんも
その後も、ネモさんと久々津さんは様々なカラクリを見せて私を驚かせてくれました
歌う小鳥さん。丸くなって転がる猫さん。空中に跳び三回転して着地するカエルさん
髪の長い女性の人形が四つん這いで近付いてきてゆっくり立ち上がった時は、思わず悲鳴をあげたほどです
『お嬢さんくらい良いリアクションをくれると、こちらも披露し甲斐があるよ』
ネモさんは満足そうです。久々津さんも心なしか満ちた目をしています
それにしてもーーーーーーこの人、どこかで見た気がします
じーっと彼の顔を見ていると、ふいっ。と顔を逸らしました
彼は何かを誤魔化すように手の中で螺子を弄びます
「そういえばさっきから、ずっと同じ螺子を使っていますけど、全部同じ螺子で動くんですか?」
『彼の家は代々カラクリ人形を作っていてね。その頃から螺子の形もデザインもずっと変わっていないんだよ』
やはり久々津さんの代わりにネモさんが答えます
要するに、道家家のカラクリ人形は全て一つの螺子で動かすことができるという事です
久々津さんは無言で螺子を差し出します
その螺子は、赤い塗装に美しい彫刻が施された螺子で、惚れ惚れするほど美しいです
久々津さんがパンッと手を合わせ、両手を広げたかと思うと、いつの間にか手の間に細いチェーンが伸び、先ほどの螺子に通されていました。どうやら手品もできるようです
久々津さんは無言で両手を伸ばし、チェーンを私の首にかけてくれました。ちょっとお洒落な螺子のペンダントです
「ありがとうございます」
私がニッコリ微笑むと、照れたように顔を背けました
『キザな事するねぇ』
ネモさんがからかうようにピーヒョロロロと鳴きます
『さあ、そろそろ店仕舞いだ。お嬢さん。お帰りなさい』
ネモさんがそう言うと、久々津さんはシートと人形を片付け、トランクにしまい込みます
カラクリ人形に見惚れている間に、気がつけばもう夕刻になりました
『では、縁があったらまた会おう』
羽根を振るネモさんと会釈をし立ち去る久々津さんを、私は手を振って見送りました
公園で遊んでいた子供達も、みんな帰っていくようです
ぼーっと眺めていると、子供の一人が、買い物帰りの様子の母親と手を繋いで帰っていく姿を見ました
あの子は、母親とどんな話をしているのでしょうか
きっと家に帰った後は、ご飯を食べながら、両親に今日あった事を嬉々として話すのでしょう
そして、明日は友達と何をして遊ぼうか考えながら、布団の中でゆっくり眠りにつくのでしょう
夏の夕刻というのは、どうしてこうもうら寂しい気持ちになるのでしょうか
「あ、ミョンファだ!何してんのこんな所で……え!?なんで急に抱きついてくるの!?わっぷ……来るし……え?お母さんに会いたい?ははーん。さてはホームシックだね!いいよ!ネリーに存分に甘えなさ……だから苦しいって!ギブギブ!」
私はその日の晩、ネリーを抱き枕にして眠りました
.
木曜日
「もうすぐで着きマスヨ」
メグが私に声をかけます。私は、後少しの道のり。と日傘を握り気合をいれます
私はメグと一緒に町中をキビキビと歩いていました
お昼ご飯を食べた後。私がシレンちゃんの髪を梳いていると、メグがやってきて私をお茶に誘ったのです
行き先はメグの行きつけのお店らしく、メグは迷いのない足取りでそこへと向かっています
メグの行きつけの店とはどんな所なのでしょう
いかにもアメリカンな感じで、美味しいコーヒーを出すのでしょうか。もしくはメニューにカップ麺があるのでしょうか
そこでふと、私の脳裏にとある可能性が浮かびます
美味しいコーヒーとカップ麺を所望したいなら、コンビニに行って挽きたてコーヒーとカップ麺を購入し、イートインスペースで飲み食いすればいいだけです
もしかしたら、私はイートインスペースの広いコンビニに案内されているだけなのかもしれません
まさかの可能性に私が慄いていると
「ほら、あそこデス」
メグは道の先を指さしました
幸い、そこにはコンビニの看板はありませんでした。しかし、その店の入り口を見て私は目を見張ります
『DIANA』と書かれたお店の看板の下にある入り口の扉は胸から腰にかけてまでしか存在しないスイングドアでつまりそれは俗にいうウエスタンドアで端的にわかりやすく言えば西部劇の酒場のような扉です
「さ、入ってくだサイ」
堂に入った様子で西部劇のガンマンのように中へと入るメグ。私も恐る恐る中へ入ります
店内もまたいかにもといった様子で、間接照明の薄暗い空間の下、円形のテーブルが配置され、正面のカウンターの奥では、お酒のボトルが並んだ棚の前で渋そうなバーテンダーさんがグラスをきゅっきゅと拭いています
「メグ、ここって荒くれ者の集う所じゃ……」
「大丈夫デス。ランチタイムはただの喫茶店でスヨ」
迷うことなくカウンター席についたメグの隣に、私も腰掛けます
「ブルーマウンテンをくだサイ」
「私はミルクを」
このまま雰囲気にのまれてラム酒やバーボンやマティーニや月桂冠を頼もうかと思ったりもしましたが、私は誇り高きフランス淑女。日本でのお酒は二十歳からです
バーテンダーさんはコーヒーメーカーにお湯を注ぎ、抽出している間に『本内牧場 産地直送』と銘打たれた1リットルほどの牛乳瓶をとりだし、優雅な動作でグラスへと注ぎます。牛乳にも拘りがあるとは素晴らしいお店です
「どうぞ。パリジェンヌのお嬢さん」
パイプオルガンのように重厚なバリトンボイスで私の前にミルクを差し出しすバーテンダーさん。続いてメグの前にもコーヒーのカップを置きます
ミルクを一口飲んでびっくりしました。とても甘くて美味しいです
「どうでスカ?ここの飲み物はどれも美味しいでスヨ」
そう言ってメグは自分も挽きたてのコーヒーを飲みます。ブラックで飲めるのは大人っぽくて羨ましいです
コーヒーを飲んで落ち着きを取り戻した私は、改めて店内を見渡しました
円形テーブルのうちの一つでは、和服を着た二人の老人が向かい合ってチェスに興じています
また、カウンターの端では大学生くらいの青年が、コーヒーを飲みながら水滸伝を読んでいました
店内の右側にはステージのようなスペースではピアノ、尺八、馬頭琴、タブラによる合奏が行われています
総合的に見てもはやどこの国にあるのかよくわからないような酒場に迷い込んだ気分です
とはいえ、店の雰囲気は落ち着いた感じで、西部劇の酒場というよりイギリスのバーといった趣です
「マスター。最近景気はどうでスカ」
馴染みの居酒屋にやってきた常連客のような質問をするメグ
「まあ、ボチボチですね」
グラスを拭きながら整ったヒゲの下の口で苦笑するバーテンダーさん。さっきからずっと同じグラスを磨いていますが、まるでそれがバーテンダーのあるべき姿だとでも言いたげな佇まいです
「そういえばこの店には雀卓もあるんデス。メンツが揃えば打てるんでスガ……」
そう言ってメグは辺りを見回しますが、みんな何かしらに夢中のようで、麻雀な付き合ってくれそうな人はいません。バーテンダーさんとか凄く強そうな感じがするんですけどね
「ま、代わりにこれで遊びまショウ」
カウンターの上の籠に手を伸ばすメグ。籠の中にはオセロや将棋、UNO、ハゲタカのえじきやゴキブリポーカーなど様々なゲームが入っています
メグはその中からトランプをとりだしました
「二人でできるトランプのゲームって何かありましたっけ?」
「確かに……なんとなく取り出しましたケド、特に思いつきませンネ」
ババ抜きは論外ですし、大貧民も二人じゃ盛り上がりに欠けます
何より、ただでさえローカルルールが猥雑としてるのに、アメリカとフランスではどれほどローカルルールでごった返すかもわかりません
ちなみに私のところのローカルルールは砂嵐スペ3殺し5飛ばし7渡しナナサン革命9リバース救急車10捨てイレブンバック連3階段縛り連3マーク縛り2アガリジョーカーアガリ禁止でした
二人してうーん。と首を捻っていると
「では……ポーカーかなどいかがでしょう」
バーテンダーさんがグラスを起いて提案します
「私がディーラーをします。チップはそうですね……このナッツにしましょう」
バーテンダーさんもといディーラーさんは2つの小皿を取り出し、そこに10個ずつナッツを注いで私たち二人に差し出します。このナッツをぽりぽり摘みながらミルクを堪能できれば、素晴らしいひと時になるはずです。これは是が非でも勝たなければなりません
「ミョンファはポーカーのルールは知っていますか?」
ふんす。と気合を入れる私にメグが問いかけます。そういえばルールを全く知りません
「手札5枚から、カードを入れ替えて役を作り、勝負するゲームでスヨ」
そう言ってメグはナプキンの裏にペンできゅっきゅと役の作り方を書きます
要するに、シンプルな麻雀。といったところでしょうか
「ただし、麻雀と違って先に役を作れば勝ち。ではなく、互いに役を作ってから勝負するんデス」
その後、コールやらレイズやらの説明をしてくれました。例え手が弱くても怯えず強気でレイズして相手を降ろす事もできるし、手が強くてもあからさまに喜んでいると、賭け額が低いうちに相手が降りてしまい勿体無いなどなど
つまり、相手に手を悟られることない無表情。ポーカーフェイスが必要となる。という事です
「それでは始めましょう」
しゃらららら。とショットガンシャッフルでトランプを混ぜていたディーラーさんが、私とメグの前にトランプを配ります
「ではーーーデュエル!」
◇
結果からいうと私はボロ負けしました
常に強気なメグに押し負けたのです
「んー。勝利の後のコーヒーは格別でスネ」
優雅にコーヒーを飲むメグ。悔しいです。次こそ負けません
なんとなしにトランプを眺めていると、とある事に気がつきました
「ダイヤの王様だけ、剣じゃないんですね」
「ん、ほんとでスネ」
横からメグも覗き込みます
クラブ、ハート、スペードのキングはみんな剣を持っているのに、ダイヤのキングだけ斧を立てかけています
「それは『ファケス』と呼ばれる、古代ローマの斧で、権力者の権威の象徴なんです」
優雅にバーテンダーさんが解説します
「トランプのキングにはそれぞれモデルとなる人物がいるんです。クラブがアレクサンダー大王。スペードがダビデ王。ハートがカール大帝。ダイヤがジュリアス・シーザー……カエサルです」
なるほど。一つ賢くなりました。今度ネリーに教えてあげるとしましょう
「このハートのキング……なんで自分の頭に剣を突き刺しているんでスカ?」
言われてみれば、自分の頭に剣を突き刺しているようにも見えます。私はただ剣を振りかぶっているようにしか見えなかったので、なんとバイオレンスなキングでしょう。としか思っていませんでした
「その通り、自分で頭を突きさしているので、ハートのキングは『自[ピーーー]るキング』と呼ばれています。もっとも、カール大帝は自殺などしておらず、むしろ70歳の大往生でしたが」
なるほど。トランプというのは奥が深いです
その後もバーテンダーさんは、トランプに関する面白い知識を幾つか披露してくれました。私とメグは、夢中でその話に聞き入りました
「それにしても、随分とトランプにお詳しいんですね」
おそらくトランプクイズ大会があれば優勝も狙えるでしょう。そんな大会があればですが
「トランプもこの店も、曽祖父の趣味だったんです。テーブル遊戯ができるカフェを作りたい。という」
バーテンダーさんが相変わらず数寸違わないグラスを磨く態勢のまま説明します
「曽祖父から……という事は、随分と昔からある店なんですね」
「そうでもありません。せいぜい昭和中期からです」
グラスを拭く手を止め、カウンターの中をゴソゴソと探ります
「当時の私の曽祖父は財閥……貴族のようなものでしたが、かつての大戦の敗北で財産のほとんどを没収されてしまったんです。そして残された財産で、この遊戯ができる喫茶店を開いたんです」
そう言ってバーテンダーさんは、カウンターの内側から写真立てを取り出します
「この写真の人物が、私の曽祖父です」
私は写真を覗き込み、驚きました
写真に写っている、優雅さと気品と教養を携えた、恰幅のいい男性に見覚えがあるからです
「月神……小太郎」
その写真に写っている人物は、絡繰覚書の写真に写っていた貴族、月神小太郎さんなのです
どうやらあの立派な紳士はその後、財産を没収されてしまい、喫茶店の店主になっていたようです
「そういえば、曽祖父が没収された財産はかなり少なかったらしく、財産をどこかに隠した。と噂されたそうです。結局政府やGHQが色々調べても隠し財産は見つからなかったみたいですが」
大戦と隠し財産……
何かピンとくるものがあります。もう少しで、何か……
「それはそうとミョンファ。オセロをしませンカ?」
何か気づけそうだったけれど、オセロの誘いに私の考えは霧散し、オセロに飛びつきました
ちなみに今度は私が勝ちました
メグの黒い駒を全部真っ白にしました
金曜日
私は辻垣内邸の客室に座り、絡繰覚書を読んでいました
サトハから聞いた話と、昨日、DIANAーー月の女神の名前ですから、月神とかけているんですねーーで聞いた話を念頭に本を開くと、ある程度内容を推察しながら読むことができます
ざっくり言えば、大戦で日本の敗亡を予感した月神小太郎は、辻垣内時永に頼んで財産を隠したそうです。ようするに、埋蔵金のようなものです
しかし、その場所がわかりません
この本はあくまでその過程を記したものですし、誰かしらに見つかり密告でもされたら台無しになるからか、計画自体も随分と婉曲な言い回しで記されています
一体どこに埋蔵金が隠されているのでしょうか
まあ、とりあえず本についての物語がわかったのでよしとしましょう
私はパタンと本を閉じました
「ミョンファー!ミョンファー!これ見てー!」
ネリーがバタンと襖を開けました
「どうしたんですかネリー……って、なんですかその格好は」
客間に飛び込んできたネリーは、ヒトシ君人形のような服を着ていました。アマゾンかバミューダトライアングルに探検にでも行くのでしょうか
「ふふふ。見つけちゃったんだよ。宝の地図を!」
そう言ってネリーは得意げに手に持った古い紙を私に見せます
その紙は、地図……というよりはどこかの家の見取り図のようです
「どこでこの地図を?」
「月曜日にサトハにもらった古銭入りの甕があったでしょ?あの中に入ってたの」
なるほど。確かに古銭の中に埋もれていた地図なら、宝の地図っぽいです
「でも、この地図はどこの家の見取り図なんでしょうか」
見る限り、随分と広い家のようです。けれど、これだけではどこの家のものかはわかりません
「ふっふっふ。ミョンファは鈍いねー。ネリーは一目でわかっちゃったよ」
腕を組みドヤ顔をするネリー。かわいいですね
「この見取り図はね。この家ーーサトハの家の地図なんだよ」
ふむふむ。なるほど。この家で迷子になる私にはわかりませんでしたが、確かにそれっぽいです
「で、このバツ印がある部屋に宝があるんですね」
「うん!きっとそこには沢山のお金があるはずだから、早く行こ!」
ネリーに急かされ私は立ち上がりました
◇
「それじゃあ、私が隊長で、ミョンファは隊員一号だからね。私の事は隊長って呼ぶように!」
「はいはい」
ばってんがついていた部屋。それは月曜日の夜に私が迷い込んだ部屋でした
ネリーが襖を開くと、あの時と同じように、短剣を携えた女性の像が凛々しく佇んでいます
この部屋にお宝が隠されているのでしょうか。けれど、どこにもそれらしきものは見当たりません
「怪しいのは、この女性の像ですね」
「うん。何かの仕掛けがあると思うんだけど……」
私とネリーは女性の像を隅から隅まで調べます
すると、彼女の左足首に文字が彫ってある事に気がつきました
「えーっと、『stニノ』……?どういう意味なんでしょう」
ファイティングニノの仲間でしょうか
「ん……?ミョンファ、ニノって言った?」
「ええ。ここにstニノと……」
私が答えると、ネリーは慌てて女性の顔に向き直ります
「わかった……この人、聖ニノだ」
聖ニノ?
「サカルトヴェロにキリスト教を伝えたえらーい人だよ。教科書でちょっと見た事あるけど、間違いないよ」
なるほど。それでネリーはピンと来たわけですね
それにしても、グルジアの偉人の名前を使うということは、サトハがネリーに向けた何かしらのメッセージなのでしょうか
「確か聖ニノは、右手を葡萄十字を持ってて左手にナントカって本を持ってたハズだけど……」
今私たちの前に佇んでいるニノ氏は、短剣しか持っていません
「ブドウジュウジ……って何ですか?」
「グルジアの十字架で、こんな形をしてるんだけど……」
そう言ってネリーは宙に指で形を描きます。それは十字架の水平部分が下へ垂れ下がった形状の十字架でした
あからさまにわかりやすい仕掛けです
私は鍔がブイの字の形をした短剣を掴み、逆さまに持たせました
「わぁ!やるな隊員一号!」
ブドウジュウジの完成です
けれど何も起きません
「十字架は完成したから、後は本かぁ……」
ネリーはじーっと私が手に持った絡繰覚書を見つめます
関係ないだろうと思いつつも、ニノ氏の左手に絡繰覚書を持たせて見ました
すると、ガコン。という音が畳の下から響き、カラカラという何か滑車か歯車が回る音と、水が流れる音が聞こえます
そして、重厚な音を立ててニノ氏の像が動き出しました
「こ、これは……」
「地下へ続く階段ですね……」
ニノ氏の動いた後には、地下階段が現れたのです
この本が関係するという事は、この像の仕掛けを用意したのは辻垣内時永氏でしょう
彼は色んな国を渡り歩いていたみたいですから、ニノ氏の事を知っていても不思議ではありません
そしてこの先にあるのは、月神家の埋蔵金に違いありません
「よし!じゃあ隊長に続いて降りるように!」
そう言ってネリーはワクワクしながら階段を降りていきます。あんなに慌てて、転ばなければいいのですが
私もネリーに続いて階段を降ります
地下に降りると、真っ暗で何も見えません
ネリーが懐中電灯を点けると、辺りを見回すことができました
どうやらそこは、炭鉱みたいな地下洞窟のようです
「いかにもマイゾーキンがありそうだね」
そうでしょうか
「よし、じゃあしゅっぱーつ!」
意気揚々と進むネリー。私もそれに続きます
◇
炭鉱はあまり整備がされていないような、ほぼ自然の洞窟そのままでした。どうやら彫ったわけではなく、元々あったものみたいです
幾つか分かれ道があったり、パズルを解かないと開かない扉や特定の松明に火を灯さなければ開かない扉がありましたが、私は絡繰絡繰に隠されたページの番号や行間や頭文字に秘められた暗号のアルゴリズムのエンコードをアルデンテがペペロンチーノをして次々と解いていきました。この辺りは長くなるので省きましょう
かくして、私とネリーは最深部にたどり着きました
重厚な扉の両脇に、金剛力士像が立っています
「うーん……だめだ、開かない」
可愛らしい細腕で扉を押し開こうとしたネリーでしたが、扉はビクともしません。ここも何かしらのパズルを解かないと開かない仕掛けのようです
左の金剛力士像を見ると、台座に文字が彫られています
『放置人形 开花 』
「中国語でしょうか……?ここにくるまでに人形なんてありましたっけ?」
「んーん。見てない。こっちには何か書いてないの?」
ネリーに促され今度は右側の金剛力士像の台座を見ます。ここにも文字が彫られていました
『Cherchez la femme』
「これはわかります。フランス語ですから。直訳すると、『女を探せ』ですね」
「女……このボタンのどれかかな」
ネリーは文字の下の七つのボタンを眺めています。それぞれのボタンには文字が彫られていますが、英語で書かれているようなので私には読めません
「ま、テキトーに押してたらそのうち当たるよね!」
そう言ってネリーはテキトーに選んだボタンを押します
ポチッ。と音がし出した瞬間。私は背後に風が流れるのを感じました
「ネリー危なーーーーーー」
いい終わらぬうちに、ヒュンッと鋭い音が私の横を通り抜けます
背後から飛んできた矢が、ネリーの頭に向かいーーーーーー頭上を素通りしました。ネリーが小さかったので当たらなかったようです
「ひ……へへへぇぇぇ……」
流石に今のトラップにはネリーも肝を冷やしたようで、地面にへたりこみます
「ネリー。ここは一旦戻って、改めてここを探索しましょう」
今度は落とし穴や鉄球やギロチンの罠が来るかもしれませんし、人形の謎だって解かなければいけません
「うん……わかった」
しゅん。とした様子でネリーは私の言葉に頷きます
「ねえ、ミョンファ」
「なんですか?」
「その……怖いから、手をつないでいい?」
私はにっこりと頷き、ネリーの手を握りました
◇
「何してんるんだネリー、そんな格好で。世界ふしぎ発見ごっこか?」
洞窟からでてきて客室に戻った私達を、サトハは怪訝な顔で眺めます
「まあいい。とにかく二人ともそこの浴衣に着替えて、玄関に集合だ」
そう言ってサトハは客室から出ていきます
用意された浴衣は、ここにきて以来ずっと着ていた部屋着のようなものではなく、煌びやかな色合いと可憐な模様入りの綺麗な浴衣でした
「わあ!ネリーにぴったし!」
ネリーは赤色の浴衣を掴んで自分の身体に合わせます。部屋着の時のようにダボダボではなく、ネリーにぴったりのサイズとなっていました
私はもう一つ用意されていた紫色の浴衣に手を伸ばします。緑色と白色の綺麗な装飾が入った浴衣でした
ネリーはすでに探検家服を脱いですっぽんぽんになり、着替えています。私もすぐに着替え始めました
◇
玄関に着くと、サトハとハオとメグが待っていました
三人とも、綺麗な浴衣に身を包んでいます
「それじゃあ、行くか」
そう言って外に出たサトハに、私達は続きます
外に出ると、もう黄昏時でした。あたりから子供の声と、どこからか太鼓の音が聞こえます
そしてサトハに先導されたどり着いた場所は、近所の何某神社、しかしいつものような寂れた神社ではなく、あたり一面に提灯と屋台が並んでました
「ほお、夏祭りですね」
私たちの他にも浴衣を着た子供や大人たちが歩いています。これがジャパニーズサマーカーニバルというものなのでしょう
「それじゃ、8時まで自由行動だ」
サトハはそう言い残して近くの焼きそば屋に向かいます。焼きそば屋の人たちは「お疲れ様です姐さん!」と言ってサトハを迎えました
ちなみにネリーはすでに姿を消しています
「んー。美味しそうな匂いがいっぱいでスネ」
メグは辺りに満ちた食欲をそそる香りを胸いっぱいに吸い込みます
私も彼女の真似をしてすぅーっと香りで胸を満たします。焼きそばやたこ焼きのソースの香ばしい香り、ベビーカステラやたい焼きの甘い香りが私の中へと満ちていきます
私たち三人は、日本の夏を堪能するため、祭りの雑踏へと足を踏み入れました
◇
ものの数分でメグとハオとはぐれました
人混みの中でいつの間にかはぐれてしまったようです
気がついたら隣にいたのはハオでもメグでもなく、全然知らない人でした
私は先ほど買ったヒョットコのお面を装着し、りんご飴をペロペロ舐めながら一人でぺたぺたと歩きます
それにしても、舞々堂もかくやというほど面白そうな露店で満ちています
たこ焼きや焼き鳥、おっきな綿菓子の露店は私の食欲を刺激し、金魚すくいやお面、動物のオモチャの露店は私の好奇心を刺激しますーーーーーー動物のオモチャ?
「あら、久々津さんにネモさん」
動物のオモチャの露店を開いていたのは、一昨日公園で出会った人形師の久々津さんと語り部インコのネモさんでした。相変わらず久々津さんは紺色の浴衣に布で口を覆い、ネモさんは凛々しい顔をしています
『おや、風神のお嬢さんではないか』
ネモさんは私の事を覚えてくれたいたようです。鳥頭というわけではなさそうですね
久々津さんは相変わらずの無言で私に会釈をします
「ネモさん達もお祭りに出ていたんですね」
『うむ。夏祭りというものはいい。香具師がそれぞれの出すことのできる最高のものを披露し並び立つ事で、祭りの一体感を作り出す。そして祭りの参加者たちは露店を眺め歩きながら、日本の夏を堪能するのだ』
相変わらず饒舌に滔々と語るネモさん
私は周りの露店を眺め廻します
浴衣を着た人たちが和気藹々と食べ物を買ったり遊戯に耽り、その楽しそうな姿をお店の人たちは満足そうに眺めています
そういえば、ネモさんも久々津さんも、一昨日は人形のカラクリを私に披露してくれました
どうやら、職人というそういうものらしいです。皆んなを愉しませるのが好きなのです
すると、小さな子供がこっそりと久々津さんの背後に近寄りました。久々津さんもネモさんも気付いた様子はありません
「えいっ!」
掛け声と共に、子供は後ろから久々津さんの布を剥ぎ取ります
「こらっ!」
私が怒ると、子供は一目散に逃げていきました。どうやら夏祭りの熱気と興奮は、いたずらっ子の悪事も助長するようです
しかし、そんな事はどうでもいいです
布を剥ぎ取られ慌てて地面に落ちた久々津さんの素顔を見た時、私は気付いたのです
彼の顔はーーーーーー絡繰覚書の最後のページの写真の、左に写っていた男性にソックリなのです
「あの、この人に見覚えはありませんか?」
布を拾い口元に巻いてようやく落ち着きを取り戻した久々津さんに、私は絡繰覚書を取り出して写真を見せます
写真を見た久々津さんは、目を見開きます
『この男性は、久々津の曽祖父、道家 界雷(どうけ かいらい)だな』
ネモさんが解説します
確か久々津さんの道家家は、代々カラクリ技師でした。つまりーーあの辻垣内邸の洞窟のカラクリを作ったのは、この写真の左側の男性、界雷氏なのでしょう
久々津さんが、懐から写真を取り出し、私に見せてくれてます
それは人形を抱いた彼の曽祖父、界雷氏の写真でした
しかし私が注目したのは、彼が抱いている人形です。なんとその人形は、先日私が手に入れた人形。紫蓮人形なのです
財産を隠した月神小太郎
辻垣内邸のカラクリ仕掛けの洞窟を作り出した道家界雷
彼の抱いた人形と、金剛力士像の人形の文字
他国を渡った辻垣内時永と、様々な国を知らなければ解けないカラクリ
全てが一つに繋がりました
彼ら三人によって隠された埋蔵金
その計画が、この絡繰覚書だったのです
その時、空気を震わせる大きな音がしました
振り返ると、破裂音と共に夜空へ大きな花火が開きました
暗い夜空へと咲く花火に、私は無言で見惚れます
暗い夜空へと咲く花火に、私は無言で見惚れます
やがて夜の花はパチパチと音を立て、消えていきました
しかしまた新たな花火が上がり、夏の夜空を彩ります
次々と夜空へ打ち上がっては消える花火に、私も、そして周りの人たちも動きを止めて眺めます
やがて、花火は終わりました。その後も暫く私は花火の余韻に浸っていました
「あ、ミョンファ。ここにいたんですか」
花火の感動でいつも以上にぽやぽやとしていた私の元へ、ハオがやってきました
『おや、風神のお嬢さんのお友達ですかな』
「い、インコが喋った……」
さすがの香港淑女のハオも、ネモさんには驚いたようです
その後、私たちは神社の入り口へと集まり、やってこないネリーを探し出し、辻垣内邸へと帰りました
その日の夜は、私はなかなから寝付けず縁側でぼーっと日本庭園を眺めていました
あのお祭りの熱気を浴びた後、家に帰ると、言いようのない寂しさに襲われたからです
まるで、華々しく咲いた後に、火花となってパチパチと消える花火のように
.
土曜日
「まさか我が家の地下に、こんな洞窟があったなんてな……」
サトハは信じられないものを見るように、洞窟を見回しています
さすがのハオも、興味深げに辺りを見回しています。メグはというと、すぐに順応して悠々と歩いていました
そして、そんな私たちを先導するネリー隊長
夏祭りの翌日。私はサトハとハオとメグを誘い、ネリー探検隊を五人に増やして再び地下坑道へと挑んでいました
辻垣内時永は各国を回った御仁でした
故に自分しか解けないよう各国の知識が必要な仕掛けを張り巡らせたのです
しかし、私たち臨海女子のメンバーでなら、解けるはずです
かくして、私たちは再び金剛力士像の前に着きました
「女を探せ。でスカ……」
メグはボタンの上の文字へと目を向けます
「それぞれpride、greed、envy、wrath、lust、gluttony、slothでスネ」
「あ、それネリー知ってるよ!漫画で読んだことある。七つの滞在だよね」
私も読んだことがあります。たしかそれぞれ傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。でしたっけ
女を探せ。なら一番近いものなら色欲でしょうか?
「ーー女を探せ。なら」
金剛力士像に圧倒されていたサトハが、口を開きます
「envyだな」
「どうしてですか?」
「嫉妬は、漢字ではこう書く」
そう言ってサトハは地面に文字を書きます。嫉妬。確かに両方の漢字に女の文字が入っています
ネリーが嫉妬の文字を押すと、ゴゴゴと重厚な音を出して金剛力士像が動きました
あとはもう一方の像です
「ハオ、そっちにはなんて書いてあるの?」
ネリーがもう片方の金剛力士像を調べていたハオに尋ねます
「人形を置け。花を咲かせろ。です」
人形、花……おそらく、紫蓮人形の事です
私はあらかじめ用意していたシレンちゃんを金剛力士像の手のひらの上に載せます。しかし何も起こりません
「置く場所が間違ってるんでしょうか……?」
「そういえば、紫蓮人形って名前なのに紫色なのは服の生地の方で、蓮華の模様は赤と黄色なのどうしてでスカ?」
メグの質問ももっともです。名前の通りなら紫色の蓮が描かれているはずです
「その、道家界雷氏はカラクリ技師だったんだろう?ならその人形にも何かカラクリがあるんじゃないのか?」
サトハの言葉に従い、私はシレンちゃんを手に取り仔細に眺めカラクリを探します
すると、うなじの部分に小さな穴を見つけました。ここに螺子を刺して回すのでしょうか
けれど、肝心の螺子がーーーーーーいえ、あります
私が首にかけているペンダント
久々津さんが私にくれた、カラクリを動かすための螺子
道家家のカラクリ人形は、代々この螺子を使ってきたとネモさんが言っていました
だから、これでも動くはずです
私が首にかけていた螺子をシレンちゃんのうなじの穴に刺すと。ぴったりと合致しました
螺子を回してから離すと、シレンちゃんの着物の裾がぶわっと上に広がりました。脱衣する人形という極めて変態的なカラクリなのでしょうか
しかし、シレンちゃんは緑色の長襦袢を着ています。シレンちゃんがそのまま座ると、襦袢の裾が床に広がりました
上に広がった裾は傘の骨のようなものが仕込んであるのか、そのまま上半身を包み込み、シワをつくりました。あたかも、蓮華の花のような姿に
これは、人形が紫色の蓮華へと変形したカラクリだったのです
紫色の花が咲いたのち、もう一方の金剛力士像も動き出しました
そして、奥へと続く扉が開いたのです
「おたから!おたから!」
奥の部屋へと駆けていくネリー。私たちも後を追います
その空間には、幾ばくかの千両箱が置かれていました
「ごたーいめーん!」
ネリーが蓋を開くと、そこにはーーーーーー
◇
私は辻垣内邸の縁側でぷかぷかと空を眺めていました
結局、箱の中は空っぽだったのです
つまり、とっくの昔に月神小太郎氏に変換されていました
よくよく考えれば、時永氏はこの絡繰覚書を処分してくれ。と言っていたのですから、もう必要ない、つまりほとぼりが冷めたからすでに月神小太郎氏に返し終わったら後だったのです
そもそも扉を開く鍵であるシレンちゃんを手放している時点で、もう用済みだったという事です
ネリーはがっくり肩を落としていました。まあすぐに元気になるでしょう
私は久々津さんがくれた螺子のペンダントを眺めます
この一週間。絡繰覚書に関して様々な体験をしました
そして、私たち5人は最後の扉を開きました
このペンダントは、最後の扉を開けるに至った一週間のカケラです
皆と共に過ごした、この一週間の証です
夏は楽しくもあり、寂しくもあります
けれど、このペンダントがあれば、私はこの一週間を思い出すでしょう
その思い出は、私を元気付け、しるべとなるはずです
fin
謎解きかと思った
おつなり
おつ!
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