ヴィーネ「私が魔王で勇者はガヴで」(24)

「はぁ……」

店内の視線は一ヶ所に集まっていた。

カウンター席。数分前に来店したその絶世の美少女に。

腰まで伸びた漆黒の黒髪、背は高めだが芸術の世界から飛び出てきたかのような完璧すぎるスタイル。
それでいて、どこか幼さを残している顔立ち。

年は17、8といったところだろうか。

あと数年もすれば人類で彼女より美しい女性はいなくなる、店の客たちは本気でそう考えていた。

男性陣は誰もが声を掛けようと機会を伺っているようで、けれどそれができずにいるのは、今までこんな美しい少女を見たのが初めてだったからだろう。

周囲の目が釘付けになっていることも気にせず、少女はカウンターに座ると同時に、憂いだ表情で溜め息をついた。

ここは酒場だ。
だが、絵画の世界の住人と評されたその美少女は、周囲の予想に反してただのホットミルクを注文した。

酒場のカウンターに座る美しい女性とミルクという、アンバランス極まりない光景が更に独特な空気を形成する。

要は浮いているのだ。

この国では15歳を過ぎれば飲酒を許される。

そして彼女はどう見ても15を過ぎているのだから、酒場にいることは不思議なことではなかった。

手にしているのがホットミルクでなければ。

「魔王なんて滅びればいいのに。いっそ潰そうかしら……」

注文以外で、可憐な少女の口から飛び出した最初の言葉はそれだった。

周囲は凍り付いた。

最近世間では新魔王の話題で持ちきりだ。
現魔王が病で崩御したというから人々は騒然となったのだ。

勇者が手にかけなくとも、不死の魔王は死ぬ存在なのだと人間社会が周知したのだから、情報が洩れた魔界も当然慌ただしさに包まれていた。

そして彼女――ヴィネットは次期魔王候補筆頭だ。

けれど候補とは名ばかりで、既に魔界は彼女を魔王として承認してしまっている。

魔王の養子であるヴィネットが、なぜ魔王となれたのかは実にシンプルだ。

答えは彼女の桁外れの魔力にある。

膨大な魔力によって魔王に見込まれ、無理矢理養子とさせられたヴィネット。

だからといって虐待されたわけでもなく、逆に欲しいものは何でも与えられたし、生活に何の不自由もなかった。

むしろ恵まれていたと言えるだろう。

魔界では魔力こそ強さの象徴。
強い者が魔王となる。

ただそれだけの理由で彼女は……ヴィネットは、若くして魔王となってしまった。

しかしその心中は複雑で、こうして人間界の酒場でミルクを飲んでいるのも単なる現実逃避からなのだが、魔王を憎む気持ちは勇者に負けない程度には持ち合わせていた。

育ての恩などない。
残忍な前魔王は彼女の本当の両親を殺したのだから。

「マスター、何か軽食お願い」

どこまでも透き通った美しい声だ。

未だ恋も知らないヴィネットに、魔界で愛するものなどもういない。

ヴィネットの世話役として、また友として仕える側近のサターニャが、唯一ヴィネットが嫌いになれない存在。

そんなサターニャに魔王代行を押し付けているのは、サターニャが魔王という肩書きに憧れを抱いているからで、彼女が望むなら一生魔王でいてくれても構わないとすらヴィネットは思う。

「魔王が憎いの?」

気づけば隣に立つ金髪の少年が、凛とした声でヴィネットに訊ねる。

「そうね。魔王は存在自体が災害だもの」

サターニャを倒したいのではない。

ヴィネットは魔王という肩書き、暴虐の悪しき因習を破壊したかった。

度々人間界に侵攻する魔族は誰もが残忍だ。

人間を殺し、犯し、壊し、存在を蹂躙する。

魔族でありながらも、ヴィネットはまともな正義感を持った少女だ。

広大な資源を有する魔界が、人間界に侵攻することの無意味さを知っている。
痛感している。

徒に人を殺すべきではない。

人はいつしか魔王を討つ力を手にした。
勇者と呼ばれる存在を。

ヴィネットはそれは仕方ないと考える。
人間を殺すのなら、逆に殺される覚悟がなければならない。

人間たちの身を守るために生まれたのが勇者ならば、『勇者を生んだ責任』は我々魔族にある。

「じゃあさ、魔王退治に協力してくれない?」

少年は言った。

彼が腰に差しているのは、女神の加護を受けた聖剣。

……そうか、彼が勇者か。
ヴィネットは納得する。

「いいわよ」

今が平和なのはサターニャのおかげ。

サターニャが魔族を抑えてくれていなければ、今頃戦争になっていても不思議ではない。

彼女だけは助けてもらおう。
その時がきたら私が斬られればいいのだから。

魔王は自身の最期を迎えるとき、後継者に魔力を託せる。
それこそが魔王たる圧倒的存在の力の秘密。

ならば誰にも託さずに死ねばどうなるか?

それは魔界への裏切りではあるものの、本当の意味での魔王の死ではないだろうか。

終わりにしよう。

この少年が私を倒すその日まで、私が彼を育てよう。

「魔王をやっつけちゃいましょう」

ヴィネットは満面の笑顔で答えた。

それを見て頬を赤く染めた少年は、自らをガヴリールと名乗った。

「私はヴィ……ヴィーネよ。よろしくね、ガヴ」

咄嗟に愛称を口にする。
なぜそうしたのかはわからない。

「よろしく、ヴィーネ」

それが二人の運命の出会い。

そして少しだけ時は流れた。

二人の出会いから2ヶ月ほど経ったある日。

勇者一行は未だ帝都に滞在していた。

「起きなさいガヴ!いつまで寝てんの」

「もう少し寝させて……」

あれから色々なことがあった。

私――ヴィネットとガヴは、冒険を続けている。

人助けをしつつ、魔王を倒すために鍛錬は欠かさない。

「ほーら、気持ちのいい朝よ」

「……ヴィーネがキスしてくれたら起きる」

「馬鹿言ってないで起きなさい」

あれからすぐに、ガヴは私に懐いた。
毎日私にべったりだった。

無条件で信頼され慕われ、ガヴの姉になったような心境だが、悪くないと思っている自分がいる。

ガヴは普段は男装しているけれど、本当は可愛い女の子。

だから同じベッドで寝るなんてしょっちゅうだし、勇者として頼りないガヴは、私が見ていないと不安になる。

すっかりお世話役に落ち着いた私と、私に頼りっきりのガヴ。

魔界にいた頃には考えられないほど、私の心は安らいでいた。

冒険がずっと続けばいい。

いつか決定的な決別の日を迎えるその時まで。

ガヴに斬られるのならそれでいい。

今が幸せだ。

「ねぇガヴ?」

「なに?」

「最近私を頼りすぎじゃない?……もしも私が魔王だったらどうするのよ?」

「ヴィーネが魔王とかあるわけないじゃん」

「もし私が敵になったらちゃんと斬れる?私ガヴが心配なのよ」

ガヴは笑った。

「何があってもヴィーネは斬れないよ」

この子は優しすぎる。

「駄目よ。私が敵でもちゃんと斬らなきゃ」

「そんな心配してくれるヴィーネがさ、私の敵になるわけないから。だから心配するだけ無駄じゃん」

倒すべき相手を信頼する。それはとても危険なことよ?

「私が魔王ならガヴは死ぬわね……」

「ヴィーネが魔王なら私を殺せないでしょ」

「たしかにそうね」

言い返せない。

ガヴが抱きついてきた。

「ヴィーネがいなくなるくらいなら、私は魔王退治を諦めるよ」

それはきっと本心から出た言葉なのだと、私は否応なしに理解してしまった。

私がいてはいけない。

彼女をダメにしているのは私だった。
わかっていたのに。

勇者と魔王は決して相容れない。

私を殺しなさい、ガヴ。

今日、私たちの冒険を終わらせよう。

私はガヴの目を盗み、魔力で自分の遺体を作った。
よくできている。

ヴィーネは魔王に殺されたことにしよう。

『貴様の相棒は始末してやった。魔王』

岩に刻んだ文字。

私はお忍びの旅を終え、人間界を去った。

ガヴの障害になりそうな魔族は全部私が始末した。

ガヴは簡単に魔王城までたどり着くだろう。

サターニャには身分を隠して人間界に潜伏するよう命じた。

全てを知る頃には私はこの世にいない。

魔王の甲冑を装着するのは初めて。
私だって女の子だもん。

可愛くないな。
こんな死に装束。

文句は言えないか。
こうしなければ顔を隠せないもの。

ガヴは魔王を討つ。
その正体が私とは気付かずに、私は先に消滅するのだ。

ガヴ、貴女が斬るのは親友の私じゃない。

憎き友の仇である魔王を討つの。

勇者は女神の加護を得る。
けれど力にはいつだって代償がつきまとう。

勇者は力を得た瞬間から、魔王を討てなければ自身の身体が崩れ、消滅する呪いが掛かっている。

それは女神と魔王だけが知っている残酷な真実。

ガヴ、貴女は生きなきゃだめ。

生きて。

時が過ぎていく。
毎日友のことを想った。

短くて、あっという間なのに。
楽しかった。
ガヴとの思い出の日々。

「魔王!!!」

扉が吹き飛んだ。

「貴様だけは赦さん!貴様だけは!!!」

嬉しい。
私のために怒ってくれているんだ。

ごめんね、ガヴ。
ごめん。

「ああ、あの小娘か。最期まで「ガヴだけは助けて」とみっともなく懇願してたっけなァ」

「貴様がヴィーネを語るな!!!」

剣がぶつかり合う。

「あの小娘、お前のためならと喜んで私の靴を舐めたよ。身体まで捧げたバカな女だ」

「黙れぇぇぇ!」

ガヴの渾身の一撃が……私を貫いた。

「バカ……な……」

これでいい。

刃は深く、私の胸にまで届いた。

もう助からない。

魔王として最後に、束の間でも幸せな時間をくれて……ありがとう。

その場に膝をつき、壁に寄り掛かる。

口から血反吐を漏らしながら、私は最期まで悪を貫くために奮起する。

誤算だった。
ガヴが仇の、魔王の顔を見ようと甲冑に手をかけた。

間に合わない。

「う……そ……ヴィー……ネ……なん……で……」

ああ……ごめんなさい……ごめんなさい……ガヴ。

「だっ……て……ガヴ……優し……から……魔王……私……斬れな……じゃ……」

「喋らなくていい!喋らなくていいから!回復しなきゃ!血止まってよ!」

無駄よ。
この傷じゃもう助からない。

「あり……がと……ガ……ヴ……」

「嫌だ!ヴィーネ待って!ヴィーネ!ヴィーネ!!」

魔王は死んだ。
後継者も現れず、魔王の力の消滅が確認された。

世界を救ったガヴリールは英雄となった。

英雄となって初めて、ガヴリールは自身に掛けられていた呪いを知った。

なぜヴィーネが私の前から去ったのか。

なぜヴィーネは私に討たれようとしたのか。

「……私を護るためだったんだな」

全てが灰と化し、唯一遺された形見は――私が気まぐれに贈ったペンダント。

手紙すらなかった。
私に正体を知られぬまま、私に友を斬ったと思わせないよう、何も遺さず逝くつもりだったのだろう。

それでもこのペンダントだけは外せなかった。

「私が贈ったから……なんて解釈は都合がよすぎかな?」

きっと間違っていない。

ヴィーネは自分の死期を悟ってからも、最期まで私のために……私を生かすことだけを考えてくれていた。

「私こそありがとう、ヴィーネ」

澄みきった青空に別れを告げる。

私の大好きな――天使のような魔王に向けて。

「っと……こんな感じでいいのかな?」

SSを書き終えた私は、静かにPCの電源を落とした。

ヴィーネ「ガヴと私の切ないラブストーリー。ガヴへの愛に殉じるって素敵じゃない?」

ニヤニヤが止まらない。

ヴィーネ「私を喪ったことで一生心に私を刻まれたガヴ……ロマンよねぇ」

ヴィーネ「腰まで伸びた漆黒の黒髪は盛りすぎだったわ。反省ね」

ヴィーネ「あぁガヴぅ……ガヴとちゅっちゅしたいよぉ」

私はガヴの部屋に向かって歩き出す。

今日のご飯は何にしようかしら。

ガヴ、喜んでくれるかな?

大好きだよ、ガヴ。

Happy End

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