たまたま生まれた姿が猫だっただけで、僕は自分が人間であることを知っている。
「おい新入り、まただんまりかお前」
「だって皆何も言わないじゃないか、何だあの集会」
「ああいうのが必要なんだよ、社会の慣習なんてそんなもんだ」
「無用の用ってやつ?」
「なんだそりゃ」
姿が猫だから食べるものも猫だし、行くのも猫の集会。
声もにゃーんだ。
この地区一帯をシメているボスの後をついていきながら、また僕は人間の事を考えていた。
いつになったらこのスラム街を抜け出して、本当の人間として生活できるのだろうか。
「にゃーん」
忌々しい自分の声。
『我思う故に我あり』と言っても『おちんちんびろんびろーん』と言っても人間には同じ鳴き声なのだ。
一体どういう変態な神さまのいたずらか。
「おいノラ、ぼさっとしてんな」
「待ってよボス」
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期待
「うわ、ゴミ箱なくなってる」
「何匹か人間が入り込んだのを見たって連中がいてな、昨日確認に来てみたらこのザマよ」
違うよボス、人間の数え方は匹じゃなくて人だ。
心の中でそっと訂正して、僕は目の前に目をやった。
不法投棄なんて当たり前だったから景観は多少よくなったろうが、重要なのはそこじゃない。
昨日までたっぷり入っていた残飯が、完全に消滅している。
「たぶん、モールズの居場所をなくすためだ」
「モールズゥ?」
ボスは怪訝な顔をしたが、僕は構わず続けた。
「こないだまでロブとかいうお爺さんだの、オムゥとかいう若いやつだの、僕らと一緒に残飯を漁ってる人間がいたじゃないか。あいつらがたまに上町に行っては悪さしてるから、自治会が動いたんだ」
「半分も分からんが、要はあいつらのせいなんだな?! どこ行きやがった、見つけ出して顔中めちゃめちゃに引っ掻いてやる!!」
「だからボス、追い出されたからもういないんだってば。 それより、新しいご飯探さないと」
僕はたまたま、他の猫より賢く生まれた。
それは僕が自分の事を人間と自覚した一つの理由だ。
他の猫が知らないことを知っていたし、きっと人間になれば他の人間じゃ出来ないこともやってのける自信があった。
「なんでそんなに詳しいんだ?」
ボスが聞いてきた。
そしてこれがもう一つ、僕が自分を人間だと思う決定的な理由。
「噂で聞いたんだよ」
人間たちのな。
僕は、人間たちの言葉を理解することが出来る。
続けて
モールズというのは家のない貧乏人の蔑称だ。
スラム街にも階級があって、家のあるやつとか服を持ってるやつとか、各々の持ってるものでカーストが決まる。
モールズはその最下層で、仕事もないから一日中残飯漁りやがらくた拾いを続けてなんとか生き延びている。
「しかしこのスラム街に自治会なんてものがあったとはな」
「自治会はもちろん上町のやつらだよ、ボス。スラムにゴミまで管理できるお金はないさ」
もちろん、ゴミなんかのために動く団体もない。
「これからどうする?」
「とりあえず集会だな」
「だからあれ皆喋んないじゃん……」
『これからどうする?』という自分の言葉に、少し舌がひりっとした。
賢さでボスに気に入られてから半年、そろそろここらの地区では顔が利くようになった。
猫の世界ではすでに十分に生きられる。
人間になるために、僕はこれからどうする。
――――――
――――
――
「こらハル、あくびしている暇があったら教科書を読みなさい」
「……すみません、先生」
ボクはあくびを噛み殺して、それから深くため息をついた。
退屈と戦うのは人類の永遠の使命であると言っても過言ではない。
母の腹から出てきて17年を経た今、僕は自分の人生に『退屈』というタイトルをつけた。
教壇の前では平凡な丸縁メガネをかけた平凡な女教師が、教科書を片手にしきりに何か叫んでいる。
おっぱいがでかいから男子から陰ながら人気の教師だが、同性からみればそれがどうした。
手元のノートにずっと置いていたペンの先から、インクが汚くにじみ出た。
ボクの視界の中で動くものと言えばそれくらい。
ずっと下を向いているとまた先生の怒号が飛んできそうだが、僕は机に突っ伏した。
「やれやれだぜ」
小さく呟く。
何の力もない学生の、なんと生きづらいことか。
隣で真面目に授業を聞いているのはわが友、エマ。
すっと通った鼻筋に、日光に照らされた金色の髪が薄くかかっていた。
「麗しいな」
「は?」
小声でエマが返す。
「どうだい、今から一曲」
「フラム先生がこっち見てるからお断りするわ」
「えっ」
慌てて姿勢を正す。
「冗談よ。それよりあなた、顔によだれついてるわよ」
「ついたんじゃない。つけてるいるのだよ」
顔を拭って、ボクはまた寝た。
足元まで入った風で、最近春仕様になったスカートの端がひらひらと動いていた。
「どうだった?」
「山積みの課題で済んだ」
「それは済んだって言わないでしょうよ……」
放課後の鐘がなり、ボクはようやくフラム研究室を後にした。
先生はお説教を生きがいにしている一面があるので、それを聞くのも生徒の役目だと諦めている。
「なんか考えてるんでしょうけど、注意されたのに眠り続けていたあなたが悪いのよ」
「もちろん、ボクが悪いよ」
「ホントに分かってんのかしら。待たされる私の身にもなってよね」
頬を膨らませた優等生エマは、フラム先生とは違い同性の目から見ても美しかった。
ボクがもし男だったら今すぐに紳士の皮を脱ぎ捨て、襲い掛かってしまうだろう。
と思う事が、この一年で74回ほどあった。
「先に帰ればよかったのに」
「いつも一緒に帰ってるじゃない。 今さら一人でなんて、なんだか気持ち悪いわ」
75回目。
ボクはエマを性的な目で見ながら家路についた。
「ちなみに何の課題?」
「『多重魔法陣展開の順序とその理由』」
「ざっと羊皮紙20枚はいきそうね」
「エマぁ……」
「もう、いつもそうなんだから。 これで最後だからね?」
泣きつくとエマはまた頬を膨らませた。
ボクはそっと76回目をカウントした。
「あ、猫だ」
エマの声にふと道端を見ると、灰色に黒線のシマ猫がいた。
「かわいー! にゃんにゃん、ちっちっ」
「あーやめとけエマ、あの男は。ありゃあその辺のメスをことごとく孕ましたヤリ○ンだ」
「ちょっ、はぁ?! 急に下品な事言うのやめてくれない?!」
エマは顔を真っ赤にしてボクに怒鳴った。
そんなに言われても事実なんだからしょうがない。
「ほらチ○ポ、あっちいけ、しっしっ」
「ちょっ……あなたねぇ……!」
ボクが手をひらひらと振ると、猫は興味がなさそうに裏路地に消えていった。
今夜もどこぞで雌猫をナンパするのだろう、好きにしたらいい。
「ハル! あなたよくそんな恥ずかしい事つらつら言えるわね!」
「だから事実なんだからしょうがないじゃんって」
ボクは親友のエマに言ってない事が一つあった。
「事実だかどうだかはどうでもよくって! その……、チン、とか、そういうの女の子が平気な顔して言っちゃいけません!」
「いつもの事じゃん、ボクの品を高めるのはもう諦めてよ」
エマの顔はまだ林檎のようだ。
「どこで覚えてくるのかしらそんな言葉」
「噂だって」
ボクは、猫の言葉を理解することが出来る。
――――――
――――
――
「おい新入り」
「なーにー……?」
あくび交じりにボスに尋ねる。
もう朝か、昨日は結局ゴミ箱探しで一日潰したな。
結局スラム街のはずれにもう一つゴミの溜まり場があったからよかったけど、そこで疲れてボスと眠ってしまったんだった。
「この辺知らねぇ猫がうろついてやがる。 シメに行くぞ!」
「朝っぱらから元気だねェボスは」
「新入り、てめーも参戦しろ」
「僕は戦闘要員じゃないって何度言ったら分かるのさボス。 あといつまで新入りなの僕」
「新入りは新入りだ。いいから行くぞ、面白そうな獲物がわんさかいたんだ」
「ボスだけで行ってきてください。 雑魚は大人しくあなたの帰りを待ってます」
「おい二度寝すんな新入りィ! 起きろォオ!」
僕は耳をおなかの方まで丸めた。
何で食べ物探しに来ただけなのに、僕が縄張り拡大に協力しなきゃいけなんだ。
第一アンタ一匹でその辺の猫なんか束になっても敵いやしないんだから。
ボスの怒号を子守歌に、僕はまた眠りに落ちた。
「……ん」
目を覚ますと太陽は真上に来ていた。
ボスはまだ戻っていないようで、辺りは静かだ。
日の光に照らされたゴミ山が、寝ぼけた目にキラキラと反射する。
まぶしいな、と思って僕はのそりと起き上がった。
「……少し歩いてみるか」
ボスが帰るのは夕方頃だろうから、僕もそれまでに戻ればいい。
僕はゴミ山を下りて、昼下がりのスラム街へ出かけた。
スラム街のイメージは汚いだの臭いだの様々だろうけど、ここら一帯はその中ではマシな方だ。
自治会の介入にしてもそうだけれど、景観を大切にする方針の上町がよくスラム街に介入してはゴミの処理や廃墟の整備なんかを行っていた。
とは言え上町とスラムの関わりなんて高が知れてるから、僕ら猫の生活には大して影響がない。
と思っていた矢先にゴミ箱が消えているのだから、ニャン生何が起こるか分からないものだ。
あくび交じりに散策を続ける。
流石に猫を取って食う程の飢えはこの「マシ」スラムにはないようで、たまに通りかかる人間は気味悪いものを見るような目で僕を見るだけだった。
黒猫がそんなに珍しいか、貧乏人め。
今は汚れて黒に見えるかもしれないけど、ホントは灰色に黒なんだぞ、カッコいいだろ。
心中で毒づいてから先を行く。
いきなり「肉だ!」なんて言いながら襲い掛かって来ないだけ、東の方よりは「マシ」か、と考えることにした。
蔑視には慣れっこだ。
「おお」
そのうち開けた場所に出た。
賑やかな声に、スラムでは見た事のない色とりどりの服、家、食べ物。
考え事をしているうちに僕は、いつの間にか上町の方まで来てしまったようだ。
初めて見るけれどこれは、恐らく「市」だ。
スラムには色や音はなかったのだろうか、と錯覚するほどの鮮やかさに頭がくらくらした。
この肉球をびりびりと伝わる振動!
「うぉおっ!?」
急に横から何かが飛び出してきて、慌てて飛び退いた。
加工された鉄製の輪っかが物凄い速さで通り過ぎていく。
「こらぁ猫、轢かれても知らんぞ!」
輪っかは見上げると大きな箱のような形をしていて、箱の先頭に乗ったおじさんが叫んでいた。
まだ心臓がばくばくいっている。おじさんが何て言ったのか聴こえなかった。
なにこれなにこれ。
元々好奇心の強い方だという自覚はあったが、こうも知らないモノ尽くしだと何から手を付けていいやら分からない。
よく見ればさっきの輪っかに箱が乗ったやつはそこらじゅうを走り回っていて、そのうち一台の中には白い服の大きなおばさんが乗っていた。
「ははぁ、あれが乗り物か」
話は聞いておくべきだ。
あの輪っかが鉄とかいうピカピカした黒いカタマリで出来ていることも、人間が言っていたことだ。
確かああいう見た目をしていた。気がする。
「さぁさぁさぁ、そこのお嬢さんがた!こいつはちょっとやそっとじゃお目にかかれねぇ特別中の特別! 東はウィードランドからの3000里をはるばる渡った白花の化粧!」
「美味しい美味しいブドウ水だよ! 今なら1エイガ―で一杯無料!!」
「よってらっしゃい見てらっしゃい! 奇術師ギドの贈る一大サーカス! ギドサーカスの入口はこっちだよ!!」
全ての人が何を言ってるか分かるから、僕の頭は尚更混乱した。
もし人間になったとしたら、毎日この絨毯爆撃のような情報の雨の中で生きていかなければいけないのだろうか。
全身の毛が逆立って、僕はぶるりと身震いをした。
「あーやめとけエマ、あの男は。ありゃあその辺のメスをことごとく孕ましたヤリ○ンだ」
その時、品のない声が聞こえた。
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