鷺沢文香「待つ」 (62)
わたしは、東京のある駅にいました。人をお迎えにあがるのでもなく、古本屋に出向いくのでもなく、ただ、駅の冷たいベンチに座って、改札口をぼうっと眺めていました。
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これは私の、ひそかな娯楽です。他愛のない、ごっこ遊び。今日は人間をきらいな女を気取って、誰かを待っていました。いえ、待っている“ふり”なのですが……。
この“ごっこ”を始めたのは、お仕事が忙しくなり始めた頃でした。心当たりのない誰かのために、身を粉にして働くようになった頃、わたしはつかの間、こうして別人になりきって気をまぎらわすのです。
ですが今日のごっこは、わたしにしては上出来で、出来すぎてきました。人間をきらいな、いえ、人間をこわがる女のふりは。
私は、あまりお仕事が好きではありません。清楚で前向きな女のふりをして、かけらほどもない感謝の言葉を世間様に述べて、歌いたくもない歌を歌って、踊りたくもないダンスを、精一杯踊っていると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような、苦しい気持ちになって、死にたくなります。
もっとまとめて書き込んでもいいんじゃね?
俺はその方が読みやすい
読点多い
世の中がいやなくせに、世間様に媚びを売る女。最低の女。そんな考えが頭のなかをぐるぐると回って、私はとうとう自分がいやになります。そして、こんな不埒な女に喜んで、手を叩いている世の中が、いっそう、きらいです。
改札口からは、表情のない人々が吐き出されて、わたしの前を通り過ぎ、思い思いの方向へ散っていきます。わたしに声をかける人はいません。
ひょっとしたら、彼らはわたしの正体を知っているのかもしれない。そうして、心のなかで、わたしをあざ笑っているのかもしれません。
いよいよわたしはつらくなって、このごっこ遊びをやめようとしました。ですが、やめられるはずはないのです。だって今の私は、人様の前で真人間ごっこをしている私より、はるかに私らしいのですから。
ハッピーエンドなら期待
わたしは待っているふりを続けます。かび臭い、しめった温かさに包まれた本屋での出会いをなかったことにしたくて、あの女衒めいた男の甘言におどらされた自分が情けなくて、私は一心に待ち続けています。
人間でなくともいい。私のいのちを差し上げたいと思えるような何か……。
でも、この遊びにも終わりがくる。ポケットの懐中時計が無遠慮に立てる音を、うつろな気持ちで聞きながら、わたしはあきらめとも、安心ともつかない気持ちで、また改札口を眺めました。
そう、私はもうすぐ世間様に媚びて、お金をいただいて、平気な顔で嘘をつく女に戻ることができる。言いたくもない挨拶を、いい加減に言って、それに喜ぶ世間様をあざ笑って、時々こうやってまた、ごっこ遊びをする。
その事実にぞっとする私、鷺沢文香が人非人だと知っている、たった1人の女も、じきに東京のどこかに隠れてしまう。残されるのはかしこいふりのキザな女と、朝がすぎても自信のない女。
人でなしでないから、真剣に嘘をついて、真人間のふりができたのよ。本当の人でなしは、こんな女をつかまえて、世間様に嘘をつかせたあの男。ああ、生意気、生意気。
いいや、ちがう。わたしはこんなことしたくなかった。わたしはただ、「みんなを愛したい」、美しく生きたいと思って、世界で二番目の嘘つきに騙された哀れな女。
どっちに転んでも、わたしは悪くない。ああ可笑しい、可笑しい……。懐中時計が間の抜けた音を立てて、こわがりな女はどこかへ去って生きました。もう、ふたたびお目にかからなければ、よいのですが……。
わたしはすっくと、まるで挫折をしたことがないような気持ちで立ち上がりました。そして、けちな用心深さでわたしを見るひとびとを、申し訳なさそうにかきわけて、駅に入っていきました。
えらそうに切符を買って、自信なく改札を通り過ぎて、わたしは駅のホームに立ちました。もったいぶったように周りを眺めて、おとなしく電車を待ちます。
しばらくして、かんかんかん、と遠くで音がします。その音を、またぼんやり聞いていると、ふとわたしは、ぱっと明るい、素晴らしいものを見つけた気持ちがしました。
死のう。
でも、いますぐではいけない。世間様にご迷惑がかかってしまう……。すぐに申し訳なさが込み上げてきて、わたしはおとなしく、やってきた電車に乗りこみました。電車の中はがらんとしていて、小さい男の子とその母親らしき方のほかには、誰もいませんでした。
わたしは、ちょうどその男の子の正面の席に、腰を下ろしました。真っ赤なほっぺが、車窓からさしこむ陽光に当てられて、てらてらと光っていました。わたしは、それがなんだか可笑しくて、にっこりしました。わたしの方を見た男の子も、にっこりと笑いました。
わたしは、いましがた思いついた素晴らしい考えを、この幼子に打ち明けたい気持ちになりました。いえ、できることなら、この街中のすべてのひとに伝えたいのです。けれど、わたしはほんとうの気持ちをおおきな声で言うことができません。わたしが人様に胸を張って言えるのは、嘘だけなのです。
だから、可愛らしい、わたしにさからわない小さな子どもをつかまえて、自分の気持ちを打ち明けようと思いました。
太宰か
母親がうつらうつらしているのを見計らって、わたしはそっと男の子に顔を寄せました。乳臭いような、すっぱいような香りがしました。
「…わたしは、死のうと思います」
ぼんやりと、そう告げると、男の子は子どもらしく目をまあるくして、「どうして」と言いました。この年ころの子どもには、何を教えても、どうして、どうしてが返ってくる。それが、わたしには一寸うれしい。
「…わたしは、もう嘘をつくのが嫌になりました…。…死んでしまえば…口をきかずにすむ…でしょう」
男の子は、また、「どうして」と不思議そうな顔をしました。
「…世間様をだまくらかして、お金をもらっている自分が…きらいです。いえ…こんな女に手を叩いて…喜んでいる世の中が…いやなのです。
…わたしが死ねば、世間様は自分がおろかものだったことにきづいて…すこしは綺麗になるでしょう…?」
男の子は、わけもわからないくせに、うなずいていました。わたしはやりきれなくなって、この子のほっぺを両手でつつみました。
ひとにふれている、というよりは、血の通った肉のかたまりをもてあそんでいる気持ちになりました。
「あなた、私の子に」
目を覚ました母親は、ぎょっとした顔でわたしを見ました。わたしは、彼女を憎む気持ちと気恥ずかしさで、ぱっと飛びのいて、別の車両にぱたぱたと走りました。
そして、ぐうぜん扉がひらいたので、わたしは見知らぬ駅のプラットフォムに逃げこみました。すると、なんだか、あの男の子や憎々しい母親のことなど、どこかへ通りすぎってしまって、わたしはけろりとしていました。
けれども、わたしの、誰かに打ち明けたいという気持ちは、やっぱり意地が悪く、わたしはまごつきました。わたしは、「お父さん」と小さな声でつぶやきました。
父に電話したい、文香のことを教えて差し上げたい、と胸が痛くなりました。わたしは、父の店の手伝いをして、合間に本を読んでいる時が、一ばん楽なのです。
父は、社会の落伍者です。献身的な妻と、文香のことなど、まるで考えもしないで、ある時「会社がいやになった」と言って本屋を始めました。そのせいで、わたしは、ふつうの女の子がするような遊び、ぜいたくができませんでした。だから、わたしは父親に気を遣わず、かえって本当の気持ちを打ち明けるころができたのです。
父の本屋。濃褐色の木棚に、本が腕を絡ませあって、頭をおしつけあって、ぎっしり詰まっている。日当たりがわるくて、いつも冷んやりとして気持ちがいい。
無機質な木棚と、人間よりもなかみが、肉が詰まった本でできた、ぶ厚い壁の中で、父に、文香の秘密を教えたい。
あなたの娘は東京へ行って、みだらな女になりました。内容のない美しさと、嘘つきで、文化人を気取った男の方々から、お金をいただいています。自分の、本が好きという気持ちも、なんでもないような顔をして、お仕事の道具にしています。
わたしはきっと、岩屋の中で、外の世界に焦がれている女になった方がよかったのです。そうすれば、やみくもに人様をうらんだり、世間様に申し訳なく、死にたくなるようなことも、なかったでしょう。
父の顔を想像すると、胸がどきどきして、苦しくなります。復讐したい、そう思いました。
気取った女にふさわしい死に方。なにか思いつくと、わたしは、にっこりするようになりました。特にかご一杯に黄桃がもられて、つやつや輝いているのを見ると、やっぱり、という気持ちになります。
ああでも、それは意志薄弱というかんじがして、やっぱりいやだ。もっと可笑しい、しゃれた死に方を、懸命にかんがえなくてはいけない。
たとえば…、たとえば、あの女衒に基地でのコンサアトをもちかけて、お国のために身を粉してはたらく兵隊さんたちの前で歌を歌うのです。そして、コンサアトがたけなわになった頃、急にわたしは静かになって、「万歳」とぼんやりと言った後、腹を切って死んでみよう。
ああでも、介錯をしてくれるお方がいらっしゃらない。こんな、不埒な想像をしている女と、一緒に死んでくれるお方が、わたしにはいらっしゃらない。でも、けっこう面白い。
「鷺沢さん、何かいいことでもあったんですか?」
めざとく、橘さんがわたしにたずねました。
「…昨日…読んでいた小説のことを思い出して…すこし…おかしくなって…」
橘さんは、立派な人です。抱きしめると、甘い、肉の香りがするけれど、わたしよりも、ずっと立派な女の子です。なので、彼女は、わたしが嘘をつくに値する人間です。
「それって、どんなお話なんですか!」
橘さんは、身を乗り出して、わたしの嘘に真剣になりました。ああ、困る。
「………山椒魚が」
わたしは、なにぶん嘘をつくのがお仕事ですから、とっさにでも、言葉がでてきました。
「…ある一匹の山椒魚が…大きくなりすぎて……自分のお家から…出られなくなってしまったんです。…山椒魚は…はじめは強がって…ほかの魚を笑ったり…ばかにしたしたりする…だけど…やっぱり外に出たくて…でも、出れなくて…」「鷺沢さん、何かいいことでもあったんですか?」
こんなからっぽの、窮屈なわたしの話を、橘さんは、一生の大事のような顔で、聞いていました。
※すみません。ありすが会話に割り込んでおりましたので、訂正して、31から続けます。
「それって、どんなお話なんですか!」
橘さんは、身を乗り出して、わたしの嘘に真剣になりました。ああ、困る。
「………山椒魚が」
わたしは、なにぶん嘘をつくのがお仕事ですから、とっさにでも、言葉がでてきました。
「…ある一匹の山椒魚が…大きくなりすぎて……自分のお家から…出られなくなってしまったんです。…山椒魚は…はじめは強がって…ほかの魚を笑ったり…ばかにする…だけど…やっぱり外に出たくて…でも、出れなくて…」
こんなからっぽの、窮屈なわたしの話を、橘さんは、一生の大事のような顔で、聞いていました。
「…そしてある日…外の景色を見ているのが…つらくなって…山椒魚は…唯一動かせるまぶたを…とじてしまうんです」
わたしは、そこで、お話を終えるつもりでした。ですが、橘さんは、何か、“おかしい”顔をして、わたしを見つめているので、わたしは、居心地がわるくなって、言葉を続けました。
「…昔の私は……外の世界に出るのが…こわい…臆病な女の子でした…。…でも…勇気をふりしぼって…お家から…出られなくなる前に……このお仕事を始めて…みんなに…ありすちゃんに出会って…私の物語が…動きはじめたんです。…そのことが…うれしくて…」
これで、いかがでしょうか。橘さんは、肩を震わせて、いまにも泣き出しそうな、でも、笑っているような顔をしていました。
「私も、私も鷺沢さんと出会えて、うれしいです!!」
橘さんは、わたしを抱きしめてくれました。わたしは、彼女から、かすかに乳の香りがするのをおぼえて、彼女に告白してみようか、と、ふと思いました。
あなたの目の前にいる女は、とんでもない見栄っぱりの、嘘つきです。息をすって、はくように嘘をつき、たちの悪いことに、本人は、嘘をつくことを、申し訳なく思っているのです。
一方で、わたし程度の女がつく嘘に、感動して、お金をくれたり、わたしを抱きしめたるする、ちゃちな世の中が、いっそう嫌いです。
こんな風に打ち明けたら、橘さんは、どんな顔をするだろう。
ああでも、いけない。彼女のような立派な人には、最後まで嘘をつかなければいけない。そうして、わたしが死んだ後に、こんな女に騙されていた自分を、反省して頂かなくてはいけない。
結局、わたしは何も言わず、橘さんを抱きかえすこともしませんでした。人でなし。どこかから、そんな声がきこえたような気がしました。ですが、ほんとうの人でなしは、こんな立派な人に、もっと優しい言葉を吐きかけて、抱きしめるような人のことではないでしょうか。
やはり、わたしが秘密を打ち明けられるのは、父だけなのでしょう。急いで電話したい、できることなら、父のもとへ行って、直接文香のことを教えて差し上げたい。
ああでも、それは、自分の死に方をきちんと決めた後でなければ、格好がつきません。みっともなく、死にたい、死にたいと訴えて、一向に死なない女を見たら、父は文香のことをお嫌いになってしまう。
すべてを打ち明けて、すみやかに事をなそう。そして、一人娘を東京へ送ったこと、父が後悔してくれたら、うれしい。
そんなことを考えて、わたしは、また、にっこりしました。橘さんも、にっこり、笑ってくれました。
あくる日、1つの小事件がおこりました。わたしのお友達、わたしの被害者が、死のうとしました。会社のなかにある寮の、自分のお部屋で、手首をきったそうです。そうして、あの人が気を失っているところを、お友達が見つけたそうです。あの人は、そこそこの地位におりましたので、わたしは新聞の一面でそれを知りました。
賞賛と軽蔑の気持ちが、いっしょに湧いてきました。竹を割ったようなお人だから、きっと、死のうと思った、その瞬間にきったのでしょう。その思い切りのよさが、わたしには羨ましい。わたしは死のう、死のうと思っても、ああでもない、こうでもない、とぐずぐずしている。
ですが、会社のなかで死ぬなんて、止めてください、と、言っているようなものではないでしょうか。自死というものは、もっとおだやかに、1人か、2人ぽっちでやるべきでしょう。きっとあの人には、本気で死のうという気持ちがなかったのだ。人目を浴びたい、心配されたい、そんな下心があったにちがいない。
あの人の、我が身可愛さのせいで、わたしはまた、ぐずぐずする。わたしが、うんと悩み抜いて、素晴らしく、茶目っ気のある死に方をしても、わたしは2番目にすぎない。低俗きわまりない、業界の闇、という言葉の中に、わたしの死はうもれてしまう。わたしは、わたしのいのちをかけて、わたしの正体と、世間様ご自身の正体を、世間様にきづいてもらいたい。そうして、もっとよい世の中になればいい。
わたしの革命が、1人の女の、つまらない、見栄ときまぐれのせいで、台無しになる。わたしは、全身がぞっと、つめたくなりました。
わたしの周りは、しばらくあの人のことで、ざわめいていました。可哀想、なにか力になれたかもしれない、そのような憐憫と後悔のなか、わたしひとり、ちょっぴりの羨望と、激怒をかかえていました。
おおきな声で、彼女たちに伝えてあげたい。あなた様方は、かんちがいをしています。あの人は、弱者。弱さをすっかり表に出して、弱さを売り物にしている人間。こういう弱者を、皆さん、われわれは積極的にいじめるべきなのであります。
ああでも、そんなことを口に出せば、わたしはギリシアの哲人のように、彼女たちにとりかこまれ、弾劾されて、全身の皮をむかれてしまうかもしれない。だからわたしは、当たらずさわらずのお世辞を言って、かなしくって涙が出そう、という顔をしながら、うろうろしていました。
ただ、ゆかいなこともありました。わたしのお知り合いに、木村さん、多田さんというお二人がおりまして、その多田さんが、忌まわしい小事件のあと、木村さんに「カァト・コバァンは、どうして死んだのかな」、とたずねました。木村さんは、「カートのことは、カートにしかわからない。ニルヴァーナの狂信者やQ、ローリング・ストーンが、どんな言葉でカートを語っても、それは評価であって、事実じゃない」と返しました。
それでも、多田さんがしつこく、「なつきちは、カアトをどう思う?」と尋ねると、木村さんは、「大ばか野郎」とだけ言いました。
わたしは、一寸はなれたところで、かなしい、かなしくってしょうがないわ、という顔をしながら、その話を聞いていました。きっと木村さんは、わたしの第一発見者になってくれるでしょう。彼女のおっしゃる通り、自死をえらぶような人は、みんな、大ばかものなのですから。
それから、ほとぼりが冷めるまで、わたしはいいかげんに仕事をし、また時々、ごっこをしていました。雨がふってもいないのに、レエン・コオトを着て、東京のまちを歩いたり、檸檬を買って、いたづらに鬱が治ったような気持ちになってみたり、わりあい、たのしく過ごしました。騒ぎの元凶をおとづれて、口先ではあの人をなぐさめて、心中では、大ばか、意気地なし、弱虫、と憤ってみたりもしました。あの人が、キザに「生きてみるよ……君のために」なんて、言うものですから、Die,top idol,die という言葉が、口から出そうになりました。軽はずみに生きるくらいなら、軽々しく死ぬべきではないでしょうか。
父に電話したい、打ち明けたい、という気持ちは日増しにつよくなっていきました。わたしの周りには、立派な人しかいらっしゃらない。正直な気持ちを、誰にも言うことができない。いわば、東京のまちすべてが岩屋になってしまったように、窮屈なのです。
ああでも、決意が固まらないうちに、父と話すのは、なんだかわたしが、父を愛しているようでみっともない。わたしは、父をにくんでいます。だから、いつも正直に、お父さん、きらい、と言い続けてきたのです。わたしは、父にだけは嘘をつきません。なにせ、嘘をつくに値しない、落伍者なのですから。
また、わたしは、自殺志望者が集まるサイトをおとずれるようになりました。そこで、神経衰弱者たちをなじったり、小粋な死に方がないものか、さがしてみたりしました。ぼんやりとではなく、確固とした意志で死のう、そんなお方はいらっしゃらないのだろうか、と、なかば失望し、なかば優越感をもって、さまよっておりますと、「今年の6月13日、ぼくは玉川で入水自殺する。きっとする」という書き込みがありました。スクロオルすると、「彼女ができないから自殺する」、と続いていました。わたしは、このひとと一緒に死にたい、ふと、そう思いました。愛人もいらっしゃらないのに太宰の真似事、それが、なかなか自虐めいておもしろく、かえって、その邪魔をしたいとかんがえたのです。
わたしは、そのお方に、「わたしが山崎富江になってあげる」、と、お返事をしました。
ですが、明後日、わたしに、あるお仕事がまい込んできました。あの、何もかも見透かしたような目をした女衒が、「文香、きみに、おあつらえむきの仕事がある」、と言って、乱暴に、紙の束をわたしてきました。「2017年桜桃忌〜太宰治を偲ぶ〜」、と、つまらなく、俗っぽい文字がならんでいました。
わたしは、ぎくり、としました。この男は、すべてを知っているのではないだろうか。わたしの生き方をねじまげ、今度は、わたしの死もねじまげてしまうのではないか。恐怖と戸惑いが、胸の中を、ひたひたになるまで充しました。わたしがだんまりしていると、女衒は、「この仕事はいやか」、と申し訳ないような、あなどるような表情をしました。わたしは、つい意地になって、「是非…やらせてください…」、と、答えてしまいました。女衒は、勝ち誇ったような顔で、「ありがとう。実はもう、文香がやりたがっていると、先方に伝えてしまっていたんだ」、と言いました。
刺そう、と思いました。でも、この女衒がいなければ、生きていけない人もいるのだ、と、我慢しました。しょうがなく、わたしは、6月いっぱいは生きていよう、と決めました。えせ太宰は、可哀想だけれど、1人ぼっちで、死んでいただくしかない。鷺沢文香が詐欺をした、と、どなたかは、お笑いになるでしょうか…。
それから、わたしは、死に方を考えるのが、おっくうになってしまいました。なにを思いついても、なにをやろうとしても、あの女衒がきっと邪魔をしてくる。そんな強迫観念に取りつかれて、わたしの、死のう、という気力が、うばわれてしまったのです。
こうやって、わたしがまごついているのも、女衒の計算なのかもしれない。いや、そんなはずはない、と私は、13日にはなまるがついている、6月のカレンダアを破り捨てました。
収録の日、私は、暗鬱とした気持ちで、スタヂオにむかいました。えせ太宰、自分の行く末についてかんがえると、どうしようもなく、つらい気持ちになりました。それにくらべれば、脚本が、太宰追悼をかたった、迂遠な自殺防止キャンペエンであったことや、わたしの言葉が、すべて括弧つきで囲まれていることなど、まるで小さなことのように感じました。
「346プロ様」、と書かれた部屋に入ると、なぜか、橘さんがいました。「…ありすちゃん…どうして…」、と、尋ねると、「鷺沢さんの出演を見学して、バラエテイの勉強をしようと思ったんです!」、と、不自然なほど、元気に答えてくれました。わたしを手本にしない方がいい、と言うのは、ひどいことのような気がして、それから収録まで、わたしは橘さんと、太宰氏について、他愛もない、なかみのないお話をしました。橘さんは、なぜか、自分がうつるわけでもないのに、そわそわしていました。
収録が始まると、わたしは、鷺沢文香ごっこ、と心中でつぶやきました。作品をしらない出演者達にかこまれて、脚本どおり、でしゃばらず、よけいなことは言わず、収録はつつがなく、すすんでいきました。わたしは、えせ太宰にことを想いました。もういまごろは、玉川上水にとびこんでしまったのでしょうか。それとも、あの書き込みはうそっぱちで、わたしひとり、ぐずぐずと悩んでいるのでしょうか。
話が「黄桃」にさしかかると、突拍子もなく、父についてたずねられました。これは、脚本にありません。けれども、わたしは、即興の達人でありますから、仕事が忙しくて会えないことやら、家族愛やら、感謝やら、もったいぶったように、言いました。すると、司会のお方が、「いま、お父さんに会いたいですか」、と、尋ねてきました。わたしは、「…会いたくありません…いまは…まだ…恥ずかしくて」、と答えました。
、
司会のお方は、しつこく、「テレビの前のお父さんに、なにか言ってみたら」、と、えらそうに、指図してきました。父はテレビを持っていないし、わたしにも、見せようとはしませんでした。子どもがだめになる、と、えらそうに言って、実は、テレビを買うお金がなかったのです。わたしが実家へお金を送っても、意固地になって、テレビを買おうとしない、と、母は嘆いていました。
だから、自分の言葉が、父にとどくとはおもわず、わたしは、「…お父さんの…おかげで…私は…立派なアイドルに…なることが…できました…。お父さん…ありがとう」などと、思ってもいないことを、また繰りかえしました。
そして、次に、「太宰の孫」というコオナアになり、わたしは、祖父の命日に、孫を呼びだすのか、と、ひややかな気持ちになりました。ですが、出演者が登場するはずのカアテンを見て、わたしは仰天しました。そこにいたのは、私の父だったのです。
父は気恥ずかしいような、不安がっているような顔で、そこに立っていました。出演者の皆さまは、わたしのほうをみて、いやらしい、寒気する笑みを浮かべていました。
遅れて、ぱたぱたと、橘さんがやってきました。ちいさな腕に、「ドッキリ大成功!」という、ボオドをかかえて。わたしは、橘さんをつきとばして、スタヂオから逃げだしました。わたしの人生は、いま、台無しになった。そんな事実を、両手にかかえきれず、私は走りました。
倒れこむように、電車にのって、わたしは玉川上水駅を目指しました。
スタヂオからはなれていくと、わたしは、きっと死のう、気持ちになりました。きっと、あのお方が待っている。待っていてほしい、と思いつつ、わたしは、太宰の石碑の前に、たどりつきました。そこには、1人の男の方が、たたずんでいました。彼は、わたしにきづくと、愛想のよい笑顔をうかべ、近づいてきました。「きっとくると、信じていたよ」、と、何もかもを見透かしたような目をして。「どうして」、と、わたしは、腰を抜かして、その場に倒れました。「文香、仕事をほうりだすなんて、だめじゃないか。せっかく、おれとありすが、お膳立てをしてやったのに」、と、女衒は、嬉しそうに言いました。
「…どうして…わたしを死なせてくれないんですか…」、と、わたしはうめきました。女衒は、笑みをうかべたまま、「文香に死ぬ気がないからさ」、と、答えました。
「文香、おれは知っているんだ。おまえには自信がない。作家なり、誰かが言葉の責任を担保してくれなければ、ろくに話すこともできないし、考えることもできない。だから、お前の考えは手に取るようにわかる」。
「わたしは…死ぬつもりだった…ずっと…前から」、と、わたしが言うと、彼は「それじゃあ」、と、わたしに、カッタアを渡しました。「おれはまだ、リストカットっていうのを、見たことないから、ここで一杯やりながら、ゆっくり見物するよ」。
わたしは、一歩もうごけず、「…どうして…こんなひどいことを…」、と、ほとんど悲鳴のような声で、たずねました。女衒は、からりとした声で「弱者ぶるやつは、徹底的にいじめるんだろ」、と答えました。
わたしは震えるカッタァの刃先を、女衒にむけました。彼はいたって、余裕綽々と、「その殺意は誰のものなんだ?」と、わたしに尋ねました。
はいずるように女衒にちかづいて、わたしはカッタアを虚空に振りまわしました。女衒は、わたしを冷たく見下ろしながら、「おまえは死にたがっていた。だが、おれが邪魔をしたから、死に損ねた。そうやって、すべておれのせいにして、生き続ければいい」、と、諭すように言いました。
わたしは、カッタアをはなしませんでした。すると、女衒は、わたしの手を握って、カッタアを取り上げようとしました。わたしはそれを見計らって、自分の喉へ、刃先を深々と突き刺しました。
人殺し、そう言おうとしましたが、間の抜けた空気の音と、おびただしい血が、喉から吹き出すだけでした。不思議と、痛い、という感じはしませんでした。
女衒は、ひどくおどろいた顔で、ぱっと手をはなしました。わたしは、前にたおれこみ、その衝撃で、刃が、首の中の、硬い場所へと到達しました。視界がまっくらになり、わたしは、全身の力がぬけていくのを感じました。これで、終わる。そう思うと、身体が宙に浮かぶような感覚を覚えました。
結局、わたしは、いいかげんに生きて、いいかげんに死んでしまった。ぼんやり、そう思っていると、わたしは、身体に冷たい水がかかっていることと、誰かが、わたしを抱きかかえていることに気づきました。
わたしは、ふれられている場所が、熱くなるのを感じました。このひと、わたしと一緒に、死のうとしている。水音が大きくなっても、なお感じる、あたたかさに、わたしは「待っていました」、と、そう思いました。
6月19日、木村はつまらなそうに、新聞の夕刊を眺めていた。そうして、「大ばか野郎ども」、とだけ言って、新聞をくしゃくしゃにして、くずかごに捨ててしまった。
おしまい。
とんでもない駄作を書いてしまった。死にたい。
すばらしい
過去作あったら教えてください
はじめて書きました。
拙い作品ですが、見てくださる方々がいて嬉しいです。読点が多いのと回りくどい表現は、太宰リスペクトですので、悪しからず。
つまらなければ、「SSつまらん太宰死ね」と書きこんでください。
ちなみに現在の玉川上水は浅すぎて自殺ができませんので、本物の鷺沢さんはこれからも生き続けることでしょう。
面白かったのでぜひこれからも書いてください
これはなんか原作があるのかな?
文香の振りをした叔父さんの娘の話って事でいいんだろうか
太宰以下、いろんな作家の作品をミックスしています。
きっと、読む人によって印象は変わるでしょう。
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