あいさつ回りから帰ってくると、事務所は慌ただしい雰囲気になっていた。
若い女の事務員は俺を見ると、その薄化粧の顔を気まずく歪めた。
「如月さんが屋上で、その……とにかく早く屋上に」
いらだたしい気分で非常階段を上る。運動不足の身体が悲鳴を上げた。
漸く屋上の扉の前まで来ると、もう、息切れしてしまってまともに身体を動かせなかった。
暫く背中を丸めて荒くなった呼吸を整えてから、扉を開けた。
P「よう、何してんだ」
千早「……近付いたら、飛び降ります」
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曇り空のジメジメした空気の屋上。
俺の担当するアイドル、如月千早はフェンスのてっぺんにしがみついていた。
手を離して、バランスを崩したら、ビルの下までまっさかさまに落ちてしまうだろう。
それなのに、彼女の声は少しも震えていなかった。
P「……馬鹿じゃねぇのか」
千早「プロデューサー、あなたは言いました。
二枚、アルバムを出した後は好きにさせる、と」
P「好きにさせるとは言ってない」
千早「……三枚目以降は私もプロデュースに参加させると」
P「そうだ、そうそう。そう言った」
千早「嘘をつきましたね」
P「睨むなよ。考えていた状況が、予想とは違ったんだ」
千早「もっともっと稼げると?」
P「端的に言えばそうかな」
千早「……これ以上あなたの操り人形でいるのは我慢できません」
P「我慢できなくて、それで、死ぬのか?」
千早「…………」
P「……給料、増やすか?」
千早「約束通り、次のアルバムから選曲、
プロデュース等に参加させてください」
P「考えてやるから、とりあえず降りてこいよ」
千早「嫌です。要求を呑んでくれるまでは降りません。
要求を呑んでくれなかったら飛び降ります」
P「面白いギャグだな」
千早「どっちだって、降りるのは同じですね」
P「……どう頑張っても次のアルバムからは無理だな。悪いけど。
大分日程も詰めちゃったし」
千早「…………」
P「となると、その次からってなるけど」
千早「……そのくらいは譲歩しましょう」
P「俺は、お前を参加させる気はない」
千早「飛び降ります」
P「よせよ」
千早「嫌です。死にます」
P「……良いけど、飛び降りたら俺も後追って飛び降りるぞ」
千早「……脅しのつもりですか?別に構いませんよ。
私、あなたみたいな拝金主義のリアリスト、嫌いですから」
P「俺だって、お前みたいな甘ったれのロマンチストは嫌いだよ」
千早「……前のプロデューサーは、もっと私のこと考えてくれた」
P「…………」
千早「売り上げだけじゃなくってもっと、他の大事なこと、見てくれた」
P「あいつはあいつで悩んでたよ」
千早「あなたに彼の何が……」
P「結局全然売れなくて、あいつは県外の事務所に異動……。
はっきり言えば、ここを追い出された訳だ」
千早「……私のせいだと?」
P「そうは言ってない。ただ、実力不足だったんじゃないかと」
千早「…………」
P「お前は素質も才能もあったよ。あいつもよく褒めてた」
千早「……仲良かったんですね。意外です」
P「まぁ、他のやつよりは余計に交際してた」
千早「…………」
P「……飛び降りる気持ちは残ってるか?」
千早「十分に。今すぐにでも逝けます」
P「じゃあ、俺も準備しないとな」
千早「……本当に後を追うつもりですか?」
P「お前が行く先、行く先、付いてって、今度はあの世で金儲けだ」
千早「最低ですね……」
P「お前みたいな金の卵を、簡単には手放せない」
千早「私のこと嫌いじゃないんですか」
P「嫌いだよ。それとこれとは別だ」
千早「…………どれくらいかかりますか」
P「……何がだよ」
千早「私がセルフプロデュースを任せてもらえるのは」
P「……今は土台作りだ。ファンの確保だけじゃない。
あちこちにコネを作って、その時が来て、好き勝手出来るように」
千早「…………」
P「それから、お前の技術も念頭に置かないとな。
全盛は多分、四、五年後だろう」
千早「それじゃあ」
P「そうだな、三年くらいは待ってもらう」
千早「三年……」
P「三年。お前のピークが始まる。その頃にはもう、
売上のことは考えなくていいくらい稼げてるだろう。多分」
千早「…………」
P「待てるか?それとも、今ここで死んだって、俺は構わない」
千早「あの世までついてくるんでしょう?」
P「そのつもりだ」
千早「そんなの嫌ですよ。死んだ後もあなたと一緒だなんて」
本当に嫌そうに言って、彼女はフェンスを降りた。
埃を払い、服の皺を伸ばし、身繕いをして俺の前に立つ。
千早「良いですよ。三年くらい我慢してあげます。
でも、今度約束破ったら、本当に飛び降りますから」
P「今度は大丈夫だ。多分」
千早「三年、金儲けに付き合ってあげますよ。
その後は私の自由にします」
P「お前は最初から自由だよ」
千早「……戻りましょう。みんなに謝らなきゃ」
P「頑張ってくれ。俺はまだ仕事が残ってる」
千早「一緒に謝ってくれません……?」
P「何で俺まで」
千早「あなたは私の担当でしょう」
P「…………」
千早「お願い」
P「分かった。分かった。一緒だ、うん」
千早「ありがとうございます」
P「じゃあ、行こう」
千早「はい」
終
乙
たまにはこういうブラックな部分を垣間見ることのできるSSもいいね
新鮮な展開だな
乙
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