森久保乃々「机の下のお友達」 (8)
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平常心、平常心だ。息を吸う時は静かに長く。吐き出す時はゆっくり細く。
物音一つも立てないように全神経を集中し、まるで周囲の空気に同化するように、自分自身の存在を消す――。
自分には、それができるのだと言い聞かす。『森久保乃々は、完全に気配を消すことができるのだ』と。
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「今度のも、乃々にピッタリな仕事だと思うんだ」なんて、
畜生笑顔を浮かべたプロデューサーの元からいつものように逃げ出して。
普段は誰にも利用されてないような、物置同然になっている部屋を見つけることができたのは幸運だった。
鍵もかかっていなかった室内には、古くなった事務机や積み重ねられた段ボール。
壁際に押し込められた書類棚には錆びが浮き、そこら中に降り積もった埃の厚みが、
この部屋が長い間使われていないことを物語っていた。
室内が埃っぽかったせいだろうか? 乃々が可愛らしい咳を「こほん」と一つ。
部屋の中をぐるりと見回すと、隠れるように机の下へ。
普段から手馴れているためか、その動きはとてもスムーズで無駄も無い。
「ひ、ひとまずここに隠れれば……!」
そうして、物語は冒頭へと戻るのだ。
部屋に入って最初に覚えた息苦しさも、慣れてしまえばなんてことはない。
どことなく侘しい部屋の雰囲気も、かえって心地よい気すらしてくる。
仄暗い机の下でスカートを押さえ、体育座りでうずくまりながら、乃々はぼんやりとそんなことを考えていた。
――プロデューサーの前から姿を消して、どのくらいの時間が経っただろうか?
自分以外は誰もいない空間というのは、時間の流れをあやふやにさせる。一時間か、二時間か。
ふと気になった乃々が携帯を取り出してみると、なんてことはない……
彼女がプロデューサーの前から逃げ出して、まだ三十分も経っていなかった。
「……電話もない」
乃々の眉が、不機嫌そうに少し上がった。
プロデュースが始められてすぐの頃はこうして自分が逃げ出すと、携帯には多くの着信やメールがあったというのに。
最近ではプロデューサーの方も慣れたもの。
いくら連絡を寄越しても乃々が返事を返さないことを悟ってからは、その数も数えるほどになり。
「そうやって連絡をする間に、心当たりを片っ端から探した方が早いじゃないか」とは、いつだったか彼が言ったこと。
「それに俺が担当してるのは乃々だけじゃあないんだから。……なるべくなら、こういうことで手を焼かせないで欲しいな」
……なんと無責任な大人なんだろう!? その言葉を聞いた時、乃々はそう呆れたものだ。
嫌がる自分を半ば強制的にこの世界に引っ張り込んでおいて、活動が軌道に乗り始めた途端、
新しくやって来た後進の育成に力を注ぐのかと。
『もっと自分を大切に扱うべきだ!』そんなことを面と向かって言えない彼女は、彼の手を徹底的に焼かすことに決めた。
これはその為の逃走であり、彼女にとっての闘争でもあった。
それとは別に、逃げる自分を必死になって追いかけるプロデューサーを恋人に見立て、
まるで少女漫画のヒロインのような気分を味わっていたという隠された理由もあったりはするのだが……。
その時、乃々の憤りがテレパシーとして伝わりでもしたのだろうか。
スマートフォンの画面にピコンと、メールが届いたことを知らせるポップが浮かんだ。
プロデューサーからの連絡が来たのかと慌てて画面を覗き込めば、そこにはたった一言――――『寂しい?』
「……なんですか、これ?」
不可解な文面に首を傾げる。
他には何も書かれていないそのメールに気を取られていると、乃々の隠れている部屋の扉が、ギィッと音を立てて開かれた。
突然の来訪者に慌ててしまい、携帯を取り落とす乃々。
そのまま床に落ちたスマートフォンは、扉を開けてやって来た人物の足元へと転がり止まる。
「あっ……」
彼女の前でそれを拾い上げながら、乃々と目を合わせたのは青白い肌をした少女だった。
……確か、白坂小梅とか言ったっけ? 自分より一つ年下だという話だが、パンクな見た目と言うべきか。
片目を隠した特徴的な髪型に、普段着は黒や紫を基調としたパーカーやジャケット。
それにピアスや、ドクロをあしらったシルバーのアクセサリーを身に付けた攻撃的な服装は、
女の子らしいゆったりフワフワな服を好む乃々とは正反対。
ついでにいつも一緒にいる人たちも、乃々が苦手なロックでサバサバとした性格の人ばかり。
担当も違う相手なので、普段は遠目でその姿を眺めるぐらいしかなかったが――。
「これ……お、落とした、よ?」
初めて言葉を交わす小梅は、乃々が抱いていた印象とは大分違った少女であった。
まず、声が小さい。大きな声の人を相手にすると、
それだけで萎縮してしまう乃々にとっては、これはとてもありがたいことだった。
「どうも……ありがとうございます」
スマートフォンを受け取りながら、乃々が小さく頭を下げる。
すると小梅は、口角だけを上げるなんとも独特な笑みを浮かべると。
「び、びっくり、しちゃった。ここには普段……人は居ないから」
クスクスと笑う小梅の姿に若干の近寄りがたさを感じながらも、
この子と自分は、案外波長が合うんじゃあないだろうか? なんてことを乃々は考え始めていた。
趣味やファッションが多少違えど、それだけで人は人を拒みはしない。
最初は取っつきにくいように思えても、話してみれば案外すんなりと打ち解けられたりするものだ。
そうして乃々が「アナタも、逃げ出して来たんですか?」なんて、彼女に質問しようとした時だ。
「なにか、悩み事でも……ある? ……その子が、そんな顔をしてたって」
乃々の口が開くよりも先に、小梅がそう言ってしゃがみ込む。
その綺麗な瞳で真っ直ぐに覗き込まれて、恥ずかしさと驚きから、思わず視線を逸らした乃々は――
――そこで初めて、自分と『相席』していた存在に気がついた。
次の瞬間、乃々の口から出たのは質問ではなく悲鳴であった。
そうして真っ青な顔になった彼女は目の前の小梅を勢いよく突き飛ばすと、
一目散に部屋の外へ逃げ出して……後に残された小梅が「ああ……言っちゃった」と残念そうに呟く。
「せっかく、友達が増えそうだったのに……」
以上、おしまいです。なんとなく浮かんだ一発ネタ。
お読みいただき、ありがとうございました。
えっ、終わりなのか
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