ヒーローとその姉(オリジナル百合) (130)

いつも以上に見切り発車です。それでも良ければ。




目の前に鬼がいた。
当時、小学4年生だった私にはそう見えた。
その鬼は私よりもうんと背が高くて、金切り声でキンキン叫んでいた。
鬼は、私よりも3つ上の女の子で、私と私の隣にいた鬼の弟の右頬を平手で殴って、
ついで、私を睨み付けた。

「ひろ君に、悪い事教えないで! 分かった?!」

私は泣きながら、もはや何を喋っているのか自分でも分からないくらい嗚咽を漏らしつつ、

「ごッ……な……さ……ィ」

と、何度も何度も謝った。
隣のひろ君(当時、小学1年生)もすりむいた頬をさらに真っ赤に照らし、私にしがみつきながら謝った。
私たちが何をしでかしたのかというと、放置自転車に二人乗りしただけだった。
今でも、あれのどこがいけなかったのか、と思い返すと腹立たしい。
冒険。冒険だ。ロマンだ。怪我だってするさ。
あのドキドキを彼女は理解しようとさえしなかった。堅物ってあんな感じなんだろう。
そして、それから、私は彼女と一切コンタクトを取らなくなった。
弟のひろ君とは今でも悪友である。
と、過去を遊覧していた私は、改めて現実を見直した。

「あ……お久しぶりです」

とびきりの余所行き声。
私は自分の顎がひくついたのが分かった。
目の前にいたのは、私よりも頭2つ分は小さい、子鬼だった。

おかしい。笑ってしまうくらいだ。
今の今まで、絶対に会わないようにしていたのに。
ひろ君から聞き出した情報によって、彼女と絶対に接触しない怪しげな裏路地を使ってきたのに。
いや、そもそもこれは本当に彼女だろうか。
だって、これは、あまりにも、

「小さ……」

呟いた瞬間、鳩尾に頭突きを食らった。
間違いない。この手の早さは、

「うぐッ……ちあきさん……や。間違いない……」

この推定身長140cm前半くらいのこんまい少女は、恐らく大学1年生になっているであろう森久保ちあきさんだ。

「ちあきさんですけど、何か不満があるの?」

その背丈に似あう可愛らしい声で、ドスを利かせるちあきさん。

「ありませ……ん」

私は膝をついて、ちあきさんの前になぜかひれ伏すようなポーズでしゃがみ込んでしまった。
ふいに、煙たい匂いがして顔を上げる。

「ごめん、絵(かい)ちゃん」

「い、いいよ……想定してた」

ひろ(正義)君が、足元で何か踏みつぶしつつ言った。
見ると、ひろ君の顔は真っ赤に腫れていた。
ああ、そういうことか。
こいつ中1のくせにタバコ吸いやがったのか。
合点がいった。
ひろ君は半ば笑いながら、二歩、三歩後ずさって、

「ごめん、姉ちゃん、俺呼ばれてるから先行くねッ」

と両手をポケットに突っこんだまま、繁華街に向かって走っていった。

「ひろ君、待ちなさい!」

ちあきさんが地面に落ちていた空き缶を拾って、放り投げる。
綺麗な放物線を描いて、コーンッ、と見事にひろ君の頭に当たる所、さすがと言うべきか。
けれど、小さく悲鳴をあげながらも頭を抑え、ひろ君は人込みに消えていったのだった。

ちあきさんが吐いた溜息が頭上から降って来た。

「あの子は、ほんとに……」

私も、とばっちりを受ける前に立ち去りたい。
何も見てません。
何も知りません。
音も無く、後ずさりする。

「絵ちゃん、どこ行くの」

「え、えー……私、ちょっと塾に」

「そんな柄じゃないでしょ。久しぶりなんだから、ちょっと弟のことについて聞きたいんだけど」

「それって、思い出話って言うよりも、取り調べみたいな」

「違いますけど」

森ガールみたいな可愛い服装の癖に、警察官が現行犯を捕まえた時の表情で、両手を拘束される。

「わ、私何も知らないよ? ひろ君と最近つるんでなかったし」

腕力自体はそんなにないのに、この拘束力はなんなのだろうか。

「じゃあ、それまでのことでいいから教えなさい」

ひえっ。

この規格で、なんて迫力。
目力が強い。おめめパッチリだし。
あと、真顔。
これ、最強。
私は立ち上がって、ふにゃっと笑ってその威嚇をやり過ごす。

「知らないんだよ、ホントに」

「ふうん?」

疑うようにちあきさんが鼻を鳴らす。
いや、知ってる。
ひろ君の悪事で知らないことはない。
彼がなぜ赤茶に髪を染めて、悪の道に染まったのかも。

「嘘、つくの?」

「嘘じゃ……」

「なんで?」

「あの」

「誰のため?」

「えと」

こちらが明らかに上から見下ろしているはずなのに、見下されているようにも感じてしまう。

「誰のためにもならない嘘は、無意味だわ」

眠いのでここまで

しいて言うなら、ちあきさんのためでもあるけど。
それは私の口から話すことじゃない。

「知らないってば」

ちあきさんは全く納得していない様子で、

「そお」

と呟いた。
この人と喋ると動機と息切れがする。
悪い意味で。
ほら、手に汗がじんわり。
逃げたい。

「そ、それじゃあさよなら」

「あ、ちょっと」

制止の声は無視して、私も繁華街の方に走り出す。
追いかけてくる気配はなく、私は振り返らずにもの凄く遠回りをして帰宅した。

私も、ひろ君も、ちあきさんもみんな成長した。
だから、あの時ちあきさんが叱った理由もちゃんと分かってる。
それでも、私はあれから年上の女性がダメになった。
今日ちあきさんが目の前に現れたことで改めて確信に変わった。
彼女のせいだと。
間違いなく。

次の日から、私は別ルートで高校に行くようにした。
暗がりの苦手なちあきさんが絶対通らないだろう道だ。
と、そんなひねりを入れて変に身構えるから、予想のしないことも起こる。

「あら、絵さん珍しい」

「こんにちわ、渚先生」

27歳。女。英語の教師。

「絵さん、こっち通らないでしょ? どうしたの」

「え、えっと、いつもの道でカラスに襲われて」

とっさに出た嘘が、口元をひきつらせる。

「まあ大変」

自転車を支えていた手を口元に当てる。
ベージュのスーツが、まさに年上感を際立たせる。
緊張してきた。
直視できなくて、私は先生を視界に入れないようにする。

「絵さん、この間美術の先生が怒ってたけど知ってる?」

「あ、はあ」

「白紙で出したって聞いたけど」

「あー、はい」

「なんでかな」

と、諭すように問う。
私は、先生の間ではちょっとした問題児であった。
なぜなら、先生の大半は女性で年上。
その辺の背景のように見えている時もあるけど、授業などで存在を意識してしまったらもう大変。脂汗が出る始末。
誰に相談することもできず、とにかくこいつはひねくれているのだと大体の先生が出した結論はそれだ。

「先生の顔、あんまり上手く描けなくて。名前負けって言うか。私、絵心ないんですよね」

年上が苦手うんぬんは置いといても、私は絵を描くことは苦手だった。

「完璧にしようとしなくていいのよ? 可愛く描けなくても、可愛く描くことが目的じゃないんだから」

渚先生が励ましのつもりで私の手を握る。
やだッ―――。
思わず、手を払いのける。

「絵さんッ?」

先生も驚いて、目を丸くした。
ごめんなさい。
悪気は無いのです。

「ごめんなさいッ」

私は後ずさりして、渚先生を置いて学校へ向かった。

教室は楽園だった。
なにせ、全員が同い年だからだ。
何の気負いもしなくていい。

「幸せ」

友人の桜田ちゃんの胸の中で言った。
おかっぱ頭でマ〇コデラックスみたいな体型をしている子だ。

「私のおっぱいに包まれて?」

「うん」

抱き着いた感触もぽよんとして気持ちい。

「昨日と今日とさ、心臓に悪い事ばっかりだったから」

「何かあったの?」

桜田ちゃんは、私の顔をその分厚い脂肪でさらに包む。
苦しい。

「ぷはッ……んん、うん」

彼女は私の弱点を良く知っている。
だから、そんな歯切れの悪いただの相槌でも事情を察してくれたのか、

「そうかそうか」

と頭を撫でてくれた。

「怖かったか?」

「怖かった」

桜田ちゃんはその脂肪で何もかもを包み込んでくれるのだ。
女神だ。

「でもねえ、絵ちゃん」

「うん」

「私が思うに、その森久保さんとやらを克服しないと、世の中に出たら大変だと思うよ?」

「き、急に何」

「急って言うか、中学から思ってたんだけどな」

「獅子が子を突き落とすやつなの?」

「何言ってるのか分からないけど、絵ちゃん先生に相談する気もないんでしょ? だったら、元凶を叩かないと一生そのまんまだよ」

「桜田ちゃんが養ってくれるんでしょ」

「いやだよ」

「なんでッ」

「私、ペットは秋田犬って決めてるから」

小錦みたいな桜田ちゃんの横に秋田犬か。
やばい、似合いすぎるし、それは見てみたい。

「ええッ……じゃあ使用人とか」

桜田ちゃんに呆れた目を向けられるのだった。

中学の時、担任もバレー部の部活の顧問も男性だった。
副担任とか副顧問とかは女性だったけど、ほとんど関わることはなかった。
それに、なんとなく怖いなあと感じるくらいで、そこまで確かな拒否反応があるけではなかったのだ。
けれど、高1になり同級生も別々の学校へ行くようになって、環境が大きく変わった。
私を守る見慣れた人間達がいなくなった。
上級生や先生に、特別何か圧力をかけられたり、苛めを受けたりしたわけではない。
それでも、私の言動を指摘されて否定されるのではないかと怖いのだ。
だから、ネズミみたいにこそこそこそこそして。
上を見ないように、這いつくばってる。

だからそっとしておいて。
という風にはいかない。
現実は厳しい。

「絵ちゃん」

放課後。
校門に小学生らしき人影がいて、私の名前を呼んだ。
桜田ちゃんを盾にして、私は答えた。

「なにさ、ちあきちゃん」

「こらこら、絵ちゃん」

桜田ちゃんが、私の首根っこを掴んで後ろから引きずり出す。
やだやだやだ。

「ひろ君、あれから家に帰ってないの」

「え、ホント?」

漸く顔を上げて、ちあきちゃんを盗み見た。
眉根を寄せて、不安そうにも怒っているようにも見えた。

「絵ちゃんの所に行ってない?」

「ううん、来てない」

「そっか……」

今にも泣きそうな表情。
とんッ、と急に背中を押されて、つんのめる。

「ちょ」

桜田ちゃんが慰めてやれよと言わんばかりに顎をくいくいと動かしていた。
いや、だって、この人元凶で、大学生なんですけどッ。
と、アイコンタクトしてみた。
通じるわけもなく。
桜田ちゃんは両手を振って私たちを残し去っていく。

「あ、そうだッ、親戚の家とか」

「もう、電話した。中学の担任にも話した。でも、いなかったの」

「家出かなあ」

ぼそりと言った単語はちあきさんにかなりのダメージを与えたのか、
よろよろと正門の柵に寄りかかる。
ひろ君とちあきさんのお母さんは小さい頃に亡くなっていて、
お父さんも県内だけれど単身赴任でいない。
昔から責任感の強い人だったけれど、特にひろ君に対しては誰よりも過保護だった。

眠いので、今日はここまで

おつ

守られてばかりのひろ君。ましてやまだ中学1年生。
心配になるのも当たり前なんだけど。それがひろ君の心を塞いでしまったなんて分かったら、ちあきさんは何を思うだろう。
正義と書いてひろなんて呼ばれる彼の思春期真っ盛りの心境を、家族の誰が理解できるのだろうか。
いつも家で一緒にいるちあきさんにはきっとわからない。
彼は今やアンチひろ君なのだ。
全ての正義は彼にとってちあきさんなのだ。
お分かり頂けるだろうか。
ねえ、ちあきさん。

彼女がよろめきつつ、私の手を掴む。
反射的に払いのけそうになるのを堪えた。

「一緒に探して。思い当たる所全部行くから」

「全部って……私、そんな知らないよ」

大きな瞳で、私を真っ直ぐ見る。

「弟が危ない目に合ってたらどうするの!」

ぴしゃりと大声で叫ばれ、体が固まる。
これだ。顔を背けたくなる。
言いようのないプレッシャー。
ああ、もお!

「そんなこと言っても無理だよ! 私ちひろさんの近くにいたら……いたら」

「いたら何?」

※上のレス訂正「そんなこと言っても無理だよ! 私ちあきさんの近くにいたら……いたら」

「いたら何?」

まるで小学生がお空はどうして青いのとでも聞くような無垢な表情――に見える所が憎い。

「う……」

ダメだ言えない。
桜田ちゃんの言葉が蘇る。
元凶を叩かないと――。
知らないよ、そんなの。
どう説明したら分かってくれるの。
何を吐き出したら、解決できるの。

「その、動悸が……」

「え、私のこと好きなの?」

「違うよ! 怖いの!」

「怖い?」

「あ」

寝ます

言ってしまった。この後の関係性が悪くなると分かっているのに。
別に、親しくなろうともしてないけど。
桜田ちゃんが発破かけるから。
ちあきさんがキョトンとしている。
私は後悔と共にしゃがみ込んで頭を抱えた。

「ご、ごめんなさいッ」

ほとんど反射的。

「絵ちゃん……」

変に思われたよね。
一度縛っていたものが解けると、後は口が動く動く。

「しょ、小学生の時に怒られてから……ずっとトラウマって言うか、ちあきさんにまた怒られると思ったら怖くて……そばにいると体が強張ってさ」

ぶつぶつと地面に向かって話かける私。

「でもね、絵ちゃん」

ちあきさんが言う。

「はい……」

「それは、怒られるようなことをする絵ちゃんとひろ君が悪いんじゃないの?」

ごもっとも。

「私が二人を怒る義務や権利があるわけじゃないんだよ。二人が危ないことをして、いなくなるのが嫌なだけ……」

そんな風に思ってくれていたんだ。
あ――今ならいけるかも。
少し顔を上げる。

「ねえ」

「ひゃッ」

どさりと尻もちを着いた。
すぐ目の前にちあきさんが座っていた。

「だから、ひろ君は私にいつも見張られてるように感じちゃったのかな……そうなのかな」

制服の襟首を掴まれて揺さぶられる。

「ちょ、ま、やめ」

「ひろ君、ごめんね! お姉ちゃんが悪かったからッ」

左右に視界が踊る。
この細い腕になぜこんな怪力が宿っているのだろう。

寝ます

おつおつ

「落ち着いてッ」

独り言のように叫ぶ至近距離のちあきさんに耐えきれなかったのか、意識が徐々に遠のいてく。
ブラコンだとは思ってたけど、ここまでとは。

「絵ちゃん……?」

ああ、やっぱり無理だった。
体が全力で拒否してる。
ちあきさんという存在を受け入れられない。
アーメン。
私の記憶はそこでいったん途切れた。

――かすかに音がした。

「あ、起きた」

白い天井が目に飛び込む。
ここは、見知った我が高校の保健室だ。

「先生、起きました」

「あら、良かった」

ちあきさんがベッドの脇の椅子に座っていて、その隣に保健の先生。
その光景にひっくり返りそうになりながら、私は目を瞬かせた。
保健の先生のしわくちゃの手がにゅっと伸びてきて、頭に触れる。

「大丈夫? 気分悪くない?」

「は、はい」

保健の先生は、私の母親と同じくらい。40代、50代の女性だと警戒心はあまり沸かない。

「絵ちゃん、私のこと分かる?」

ちあきさんが眉間にしわを寄せる。

「分かるよ。ちあきさんでしょ」

「1足す1は?」

「2。バカにしてるの?」

「だって急に倒れるんだもの」

「それは……」


「私の事が怖いの?」

真顔で問われて、私は布団をそろそろと顔まで引っ張った。

「はい……」

5秒くらい無言。
そして、ため息。

「なんでよッ」

「そう申されましても――」

布団のせいで声がくぐもる。

「はい? なに? 聞こえません」

泣きそう。

「もっと、優しく喋ってよ」

「優しくって言われても、無理よ。これが普通だもの」

「そんなんだからひろ君に逃げられるんだよ」

「絵ちゃん、やっぱり何か知ってるのね」

私はさらに深くベッドに潜った。

「言わないと、ベッドの中に入るけど」

なんて酷い。
と思っている内に、片足を突っ込んで、私の体を蹴り始めた。

「あ、痛いッ痛いッ」

「薄情しろ」

「い、言います。言いますから蹴らないで」

「ん」

口を開きかけた所で、すっかり蚊帳の外になっていた保健の先生が言った。

「元気になったなら、帰りなさい」

ごもっとも。

寝ます

よいぞ

続きを

まってる

わたくしも待っていますわ

ageんなsageろ

高校を後にして、ちあきさんからやや距離を取るように歩いた。本当はそのまま帰宅する予定だった。
なのに、ひろ君の中学校に一緒に行ってと言ってちあきさんが聞かなかったので、今、私は彼女の隣にいる。

「絵ちゃん」

「なに」

「車、ぶつかるよ」

「ひゃ!?」

あまりに離れ過ぎて思いっきり車道に出てしまっていたようだ。
急いで横っ跳び。
白のワゴン車が真横を抜いていく。
びっくりした。

「もー、何してるの」

ちあきさんが私の手を取った。

「こっち側歩いたら」

と、車道の反対に誘導する。

「ひいいッ」

ちあきさんの手をまたもや払いのける私。

「私は痴漢か何かなわけ?」

「ごめんってば! でも、無理なの!」

「無理無理言わないでよ、傷つくから」

「私だって、好きで……こうなったわけじゃないよ!」

声が大きくなる。
ちあきさんも負けず劣らず声を張り上げた。

「私のせいって言いたいのッ?」

そうだよ。
そうだって言ってるのに。
分からず屋。
小学生みたいなちあきさん相手に、私は逃げ腰で頷いた。

「……はあ」

溜息。

「触ってたらそのうち慣れるでしょ」

と、私の腕に抱きついた。
気づかなかったけれど、ちあきさんからは甘いベリー系の匂いがした。
私は声にならない叫びを上げた。

>>29~ 
ありがと
眠いので寝ます

結局、3歩下がって慎ましい妻のように歩いた。
あれやこれやと私が小言を言うものだから、ちあきさんも拗ねるように何も言わなくなってしまった。
暫くして中学校に着いてから、職員室にいたひろ君の担任にもう一度尋ねてみたけれど、結局一度も顔を出していないとのこと。
先生も心配している様子だった。ただ、それ以上にちあきさんが青ざめていたので、

「クラスの子に行きそうな場所を聞いてみます」

と提案してくれた。

「できる限り早くお願いします」

深々と頭を下げるちあきさん。
彼女は自分の携帯の連絡先を教えて、何かあったらここにかけて下さいとお願いしていた。
それを、私は職員室のドアの影から見守っていた。
ちらちらと他の先生に怪しまれていたのは言うまでもない。
それもそのはずで、先生の大半は若い女性が多く、私には耐えきれそうにない空間だったのだ。

1文書くのも起きてられないのでまた!

こういうマイナスから始まる関係大好きなんだけど、多くはそのマイナス部分がギャグっぽくて残念だったんだ
けどこれはその辺しっかりしてて凄く続きが読みたくなる

好奇の目で見られているのも分かったので、ちあきさんがこちらを振り向いたと同時にいそいそと玄関へ向かった。

「ちょっと、置いていかないでよ」

「早く、帰らせて……」

「待ってって」

引き止めようとして、ちあきさんが私のブレザーのすそを掴む。
この人は。
全く理解していないみたいだ。
むしろ、わざとやってるんじゃないの。

「教室、見ていきたい」

「ひろ君の?」

「そう」

嫌だったけれど、しぶしぶ方向転換した。
廊下を進み、階段を登って渡り廊下を東に進んだ所にひろ君の教室があった。
どうして知っているのかと聞いたら、授業参観で来たことがあるということだった。
弟の授業参観に出席する優しいお姉さん。
世間から見たらそうなのかもね。
弟からすると、まあまた違うのだけれど。
教室には誰もいなかった。
ひろ君の机の中はからっぽ。
ちあきさんは鼻息を漏らした。

「いじめられてるのかしら……」

「どの辺を見て、そう思ったの?」

「参観日の時に、からかわれてたのよ。それも女子に」

ひろ君の机に突っ伏して、ちあきさんがぽつぽつと話す。

「うん」

「私のこと彼女だとかって言って、それでひろ君顔真っ赤にして照れてた」

「へえ」

「それから、暫く私とも口を聞いてくれなくなったし、髪の毛も染めちゃうし……先生には呼び出されるし、大変だったんだから」

「それは、大変だったね……」

私はちあきさんからおよそ3メートル程離れた所で、天井を仰いだ。

「あの女子を捻り潰しておけば良かったわ。ひろ君の純情を弄んで許せない」

「それ、聞いたけどさ……実際、張り倒したんでしょ?」

「ええ」

私はひっくり返りそうになる。
その時の話を、ひろ君に愚痴られたことがある。
絶対来るなと言っていたのに、参観日に来たこと。
自分が好意を寄せている女子にからかわれて、あらぬ誤解を受けたこと。
その意中の相手をちあきさんが張り倒したこと。
二人そろって職員室に連行されたこと。

だいたいそんな真相。

「あのね、ちあきさん」

ちあきさんが顔を上げる気配がしたので、私はそのまま天井に向かって話した。

「たぶん、ひろ君が出てったのは……」

ガラッ。
教室のドアが開いた。
首だけ動かすと、女子生徒が立っていた。

「あ」

ちあきさんが机と椅子を盛大に揺らして立ち上がった。

「おまえ……」

おまえって。
大学生が中学生におまえって。
怖いから止めてあげてよ。

女子生徒は、ちあきさんを見てぶるぶると震えてたいた。

「ひ、ひろ君の……お姉さん」

「ど、どうどうッ、ちあきさん!」

「ガルルッ」

ケモノか。

「ご、ごめんね。ひろ君、見なかった?」

彼女は首を振った。

「知らないですっ、ごめんなさいっ」

ハムスターみたいにぷるぷる震えて、彼女は扉にしがみつく。
もお、また小さい子にトラウマを植え付けてるんだから。

「ちあきさん、ここにはいないみたいだからもう行こう」

「そうね……」

女子生徒を横目で睨みつける大学生。
止めてあげてください。

中学校には何の手がかりもなく、その後、通学路や街のゲーセンなど思い当たる所は全部回った。それでも、ひろ君の足取りは掴めず、私達は家に戻ることにした。やっと解放されると思ったのも束の間、

「さっき、何て言おうとしたのよ」

前を行くちあきさんが肩越しに振り返る。
さっき?
ええと。

「教室で、ひろ君が出てったのはって……」

あ。

「えっと、あのその、怒らないでよ?」

「はいはい」

「ひろ君が出てった原因は、ちあきさんのブラコンにあるじゃないかなって……」

「それのどこがいけない?」

取り付く島もないとはこのことかしら。

「もお、真面目に聞いてよ」

「私は、最初から真面目なんですけど」

とは言っても、ちあきさんと長話するとこっちの精神の消耗が激しすぎる。

「電話する。家に帰って電話するから、また後で」

「え、ここで話してよ」

「無理」

「なーんでよ?」

「ちあきさんと話してると動悸がやばいから」

「絵ちゃんて、ホントに私の事好きね」

「違う!」

この小学生モドキ、ポジティブ過ぎる。

「そんなんだから、ひろ君出て行ったんだよ。ちあきさん、ちょっと頭冷やした方がいいよ」

あ、ちょっと言い過ぎたかも。
恐る恐るちあきさんを見やる。
案の定、私を睨みつけて、両手を振り上げて掴みかかってきた。

「うひゃあっ?!」

「なんで、そんなこと言うのよっ。ばか! 絵ちゃんのばか!」

「は、離れてよっ!?」

「べーっ」

子どもか!
年下だったら良かったのに!
体が金縛りみたいに動けなくなる。

「どうしたのよ」

ちあきさんが不思議そうに言った。

「動けません」

新しい症状だ。
きっと脳の処理が追いつかなかったに違いなかった。

と、携帯の着信音。

「ひろ君だ……」

「なにっ?!」

バカ正直に言って後悔。
ちあきさんが私のブレザーのポケットにかぶりつく。

「くすぐったい……っやめ」

「これか」

「か、勝手になにして」

ちあきさんは携帯を耳に当てた。

「もしもし、ひろ君!? 今、どこにいるの!?」

『姉ちゃん!?』

「学校にもいかないで、帰ってきなさい!」

『やべっ――プッ』

「切ったの?! こら、ひろ君! もおおお!?」

私の携帯を地面に叩きつけんばかりに叫ぶ。

「絵ちゃん!」

「はいッ」

「どうして、連絡取り合ってるの教えてくれなかったの!」

「た、たまにだよ」

「知らなかったわよ?」

「知られたくなかったんじゃない?」

「どうしてよ」

私は言うか言うまいか悩んで、やはり今後のためにもと思い口を開いた。

「ちあきさんさ、重いよ。ひろ君は、ちあきさんのお人形じゃないんだよ」

私自身、厳しい視線を送る。
高校生の私が何を生意気言ってるんだと言われるかと思ったが、

「なによ……だって」

ちあきさんの右手から、ミシリと音がする。

「ち、ちあきさん」

「まだ、中学生なのよ……誰が守ってあげられるの? 私しかいないじゃない」

せっかく、カッコいい名前をつけてもらったのに。
中学生だからってなんだって言うの。

「そんなことない。ひろ君には友達もいるし先生もいるし、好きな女の子だっているんだよ。ひろ君しかいないのはちあきさんの方じゃん。ちあきさん、もっとひろ君以外のことに興味持たないと」

「そんなこと……」

私とひろ君の冒険は、確かにいつもちあきさんが見守っていてくれた。
でも、いつまでもと言うわけにはいかないよ。
ひろ君の初恋をぶち壊してしまった罪は重いんだよ、ちあきさん。
不意に、ちあきさんの体がもじもじとし始めた。

「どうして……絵ちゃんに、言われなきゃッ……いけないの」

泣きそうになっていた。

鬼の目にも涙。
そんなことわざが脳裏を横ぎっていく。
私の知っているちあきさんなら、ここで一発頭突きでも発射するのに。
私の知っているちあきさん?
それは、何年前の話?
私こそ、ちあきさんにいつまで振り回されているの。

「な、泣くことないじゃんか……」

驚いて、心拍数が上昇した。
はたから見ると小学生を泣かしたように見えるのかな。

「絵ちゃんに……嫌われてるのに……その上、ひろ君も離れていったら……私、耐えられない」

「嫌ってなんかないよ」

「うそつき……」

ほんとだよ。
縛られてるだけで。
自由になりたいとは、私もひろ君も思っているかもしれないけど。

今のちあきさんは、可哀想だった。ブラコンで、重くて、可哀想。
私はこれまで年上の女性に怯えて、もっと優しくして欲しいなんて思いながら生きてきた。
なのに、私の一番よく知っている年上の女性が、路上で顔を赤らめて泣いている。

「嫌わないでよぉ……」

なんてことを言いながら。
まさか、そんなはずない。

「違うって」

慰めようにも、体はやっぱり拒絶している。
だって、しょうがない。
怖いんだから。
なんか、こう、体に刻み付けられてるものがあるんだ。
とかなんとか言い繕ってみる。
そう、言い繕っている。
だって、ずっと怖いと思っていた存在がこんなに脆いものだったなんて、あまりにも拍子抜けで。
私は一体何に縛られていたんだろう。

「あの、ちあきさん……」

「なに……」

「家、来る?」

と提案できたことは驚くべき成長だった。

家に帰ると、夕飯の支度をしていた母がちあきさんを見かけるなり、あらー、綺麗になったわねーとか、
久しぶりねー、ひろ君元気ー? とか、お鍋そっちのけで質問攻めするのでさっさと二階に上がった。

「はあ」

息を漏らし、部屋の扉を閉めた。
部屋の真ん中に立つちあきさんをまじまじと見つめる。

「どうしたのよ」

「え、や、確かに綺麗になったよね……ちあきさん」

「褒めても何も出ないけど」

「ええっと、うん、いらないけど」

「なんですって」

ええ、何で怒るのさ。

「ウソです。いります」

「何もないけど」

うわ、殴りたい。
心の余裕が生まれている自分にちょっと感動。

「ちあきさん、ちあきさん」

私は手をこまねく。
ちあきさんが訝し気に、私のすぐ近くまで寄ってくる。
恐る恐る、私はちあきさんの手を取った。
指先からびりびりと電流が流れる。
鳥肌が背中をぞくりと震わせた。

「うわ?!」

さっと手を離す。
これはまだ早かったみたい。

「絵ちゃん?」

「そっか……ちあきさんなんて、小学生みたいなもんだよね」

「おい、こら」

「そっか、そうだったんだ……」

「誰が小学生だ」

「近くにいても大丈夫だ……こんなの初めて」

「聞いてる?」

「聞いてる、聞いてる」

「どこがよッ」

「私、ちあきさんのこと漸くちゃんと見れたよ……良かった、私、ちあきさんのこと嫌いじゃない……嫌いじゃないよ」

あの頃は怖くても、大好きな近所の幼馴染のお姉さんだったんだから。
嫌いじゃない。その言葉を受けて、ちあきさんはほっとしたのか少し笑った。

「なら、いいけど」

寝ます

いいぞぉ

話が動いてきたな
すごい期待

大丈夫。
そう、自分自身に言い聞かせる。
もしかしたら、明日になったら私の世界が一変しているかもしれない。

「絵ちゃん、ひろ君のことなんだけど……」

ちあきさんをベッドの端に座らせて、私はビーズクッションにどさっと腰を落とした。

「暴走族とかに入ってるんじゃないかしら。ああいう悪影響って……」

タバコの件のことを言ってるのだろう。そういう発想に及ぶのは仕方ないと思う。
眉根を寄せ、髪を掻き上げる。

「あ、絵ちゃんはやってないでしょうね」

「私? しないって」

苦笑い。一度、ひろ君に誘われたことがあるからだ。
ちあきさんの心配する顔に、思わずどきりとする。
お姉ちゃんと二人きりの生活。
何か刺激が欲しかったのだろうか。
いちいち干渉されないように、お姉ちゃんの手の届かない所へ行ってみたかったのか。

ただ、こうやってちあきさんを見ていると、心配をかけさせることがいかに周りを不幸にさせるのか改めて理解できた。

「絵ちゃんはお姉さんなんだから、ひろ君が道を外れようとしたら引き止めてくれなきゃ。小さい頃も、一緒になっていたずらばっかりしてさ、こっちの身にもなって欲しいってものよ。昔、三輪車で池に入ろうとしたときは心臓止まるかと思ったんだから」

小言が始まってしまった。
私は、あー、とか、うん、とか適当に流す。
興が乗ってきたのか、ちあきさんは私がすっかり忘れていた記憶なども引っ張り出してきた。

「小さい頃役割分担したじゃない。私が、お父さんで、絵ちゃんがお母さんで、ひろ君が子どもで」

「したっけ?」

「したわよ。覚えてないの?」

「ちあきさん記憶力いいね」

「あの頃の二人、可愛かったんだから」

「今は?」

「今は、可愛くない」

「ひどい」

「とにかく、絵ちゃん、次電話かかってきたら、帰るように説得して」

「一応、頑張ってみるけど」

「一応?」

睨まれる。

「ごめんって、でも、条件が一つある」

一呼吸くらいおいて、

「言ってみなさい」

ちあきさんが言った。

「帰ってきたら、ひろ君に必要以上に干渉しない事」

「む」

「無理じゃない」

言いそうな台詞を先読みして、ぴしゃりと私は叱った。
ちあきさんが項垂れる。

「それ止めないと、今後も同じようなことが発生します」

「困る……」

「よねえ?」

「でも、生きがいがなくなるんですけど……それはどうしたらいいんですか、絵ちゃん」

「趣味とかないの」

「ない」

「好きな音楽は」

「童謡?」

「好きな人は」

「いない」

「大学でサークルでも入りなよ」

「やだ」

この人は!


「私、面倒見切れないよ」

「私だって、面倒見られるよりもお世話する方が好き」

「……まあ、この件についてはまた今度にしよ。埒が明かない」

そうやって、無為な時間が過ぎていった。
ひろ君からの電話は待っても待っても来なくて。
夜も更け、ちあきさんが家に帰ると立ち上がった。
ちあきさんは、帰っても一人だ。
それを想像すると、ひろ君には早く帰ってあげて欲しいとも思う。

「連絡きたらお願い」

「了解」

私は笑って手を振る。
ちあきさんの姿が見えなくなった頃に、私は携帯を取り出して家の中に入った。
かける先は、もちろんひろ君だ。
何回かコールがかかり、繋がった。

「あ、ひろ君?」

『絵ちゃん……ごめん』

暗い声。

「ちあきさん、すっごい心配してるよ」

『知ってる』

「今、どこ?」

『……駅裏』

「迎えに行った方が良い?」

『うん……できたら』

「できたら?」

『5万くらい持ってきて欲しい』

「……なんで」

私はその後、電話をかけるんじゃなかったと深く後悔した。

「待って、ちょっと整理させて」

『うん』

ひろ君の話はこうだ。
片想いの子に誘われてホテルに入ったけど、上手くできなくて、シャワーを浴びて帰ろうとしたら、その子もいなくて、なぜか合計金額が7万になっていた。
2万くらいはあるけど、足りないから持ってきて欲しい。
訳が分からない。

「しちゃったの?」

『してない。脱いだけど、してない』

脱いだのか。

「あほ……」

『うん……』

ちあきさんもひろ君も、どうしてこう不器用なのか。

「ちょっと、待ってなよ……」

『ん……』

今にも泣きそうな男の子の声は、どうも母性をくすぐられた。
私は通帳の残高を確認し、こつこつと溜めていたお年玉を切り崩すことを数秒悩んで決めた。

壊れてるのは、お姉ちゃんだけじゃなくて弟の方もなのかなあ。
と、夜道に自転車を駆り、そう思った。

着いた場所は、ラブホテルだった。
普通のホテルじゃないのね。
電信柱の影から、建物を覗く。
四方八方、人気が無くなったのを確認して、こそこそと入口へ。
エレベーターで、教えてもらった部屋に向かう。
もわっとして、湿ったような熱さ。
あと、なんだろこの匂い。
芳香剤かな。甘い。
それに混じって、たばこの匂いがした。

扉についてるインターホンを押した。
早く出てきて。こんな所見られたくない。
扉が開いた。
ひろ君が、よれたTシャツを羽織って、憔悴した表情で出てきた。

「絵ちゃん……」

「これ、お金」

「うん……」

部屋には、注文されて手つかずのフードが机の上に並べられていた。
食べる気持ちにもなれなかったのだろう。

「俺のさ……」

ボタンを押して、会計を済ませるひろ君がぽつりと言った。

「初恋……最悪」

私も、こんな酷い話は見たことも聞いたこともないよ。

下り専用のエレベーターで、二人沈黙して外に出た。
ひろ君にかける言葉が見つからず、私は彼の頭をぽんと叩いた。
ワックスでガチガチでざらざら。
ホテルのネオンに照らされて、赤茶の髪が燃えているように見えた。
怒っているようには見えなかった。
悔しいとか、恥ずかしいとか、まあそんな感じかな。

「ひろ君!」

聞き覚えのある声。
まさか、

「姉ちゃん……」

「後をつけて来てみれば、どういうこと?!」

帰ったんじゃなかったの。
ちあきさんが駆け寄って、ひろ君の頬っぺたを殴った。
グーで。
それなりに身長さのある二人だったが、ひろ君はよろよろと尻もちを着いた。
私もひろ君を擁護できず、呆然とそれを眺める。

「いってえ……」

よれたシャツの襟首を、ちあきさんが掴み上げる。

「あんたは、何してるの!?」

ちきあさんが叫ぶ。
ホテル街の闇に、甲高い声がよく通った。
ひろ君は顔を上げない。

「絵ちゃん」

「は、はい」

「どういうことか説明して」

私はすまないと思いつつ、簡単に話した。
ひろ君はぴくりとも動かず聞いていた。

「ひろ……!」

初めて見る、ちあきさんの表情。
怒っているような、希望を失ったような。
期待を裏切られたような。

「何がしたいのよ……」


「俺は……さっさと家を出たい。それだけだよ」

「あんたは、まだ中学生なのよ?」

「分かってるよ! 分かってるから、もう、俺に構わないでよ! 姉ちゃんが、俺の周りの人を傷つけてるんだ……知ってる? 絵ちゃんは、姉ちゃんのせいで年上の女性がトラウマになった。ろくに授業も集中できないんだってさ! 俺の小学校の時の友達、姉ちゃんが叱ってから音信不通なんだよ? それから、教室で姉ちゃんが張り倒した子……俺の初恋だった」

ひろ君は、ちあきさんの手を払い退けた。

「姉ちゃんのせいだ! 全部、姉ちゃんが悪いんだよ! こんなんだったら、父さんとこに行けば良かった! もう、俺に構うな! 消えてくれ!」

ひろ君もちあきさんも酷い顔で涙をぼろぼろ流していた。
二人の応酬が、人を集め始めていた。
息を荒げて、ひろ君は言いたいことを言い終えたのか、

「帰る……」

一言言って、踵を返した。
ひろ君の溜まりに溜まっていた怒りを浴びて、喉がからからになっていた。
呆然と立ち尽くすちあきさんに声をかける。

「あの……」

私は、目を一度瞑って、決心して彼女の手を握る。
が、するりと離れてしまった。

「反抗期ってやつ?」

ちあきさんが言った。

「そうかもね」

何か慰めの言葉を探す。
見当たらない。

「あのね……」

彼女は、頭を抱えて、

「死にたい」

と呟いた。

わんわん泣くちあきさんを私の部屋にもう一度連れ帰るのは苦労した。
橋を見かけたら飛び込もうとするし、線路を見かけたら立ち止まるし。
それはそれは大変だった。
それはもう、私の中の年上女性観がどんどん切り崩されていくくらいには。

お風呂に入って、ベッドの端でミイラみたいにシーツに包まって動かない彼女に、

「ココア飲む?」

と尋ねる。
音もなく、体を揺らした。
お湯をコポコポコップに注ぐ。
かき混ぜて、机の上に置いた。

「ちあきさん、できたよ」

無言。
私はテレビをつける。
見たいドラマの時間だったから。
一匹狼の医者の話。
ずずっとココアをすする。
オープニングが流れ始める。

「絵ちゃん」

「うーん?」

くぐもったちあきさんの声。

「ごめんなさい……」

ひろ君に叱られただけで、この有様。

CMに入った。もう一度ココアをすする。甘い。
私はこの数日で、ちあきさんの様々な表情を見た。
怒ったり、泣いたり、笑ったり。
忙しい人だった。
私よりもずっと繊細で、大人っぽくない。

「ぷっ……」

可笑しい。
笑われたのに気づいたのか、ちあきさんがのそりとこちらを向いた。

「私こそ、ごめんね」

どうしてあんたが謝るのよ、と言いたげに私を見やる。

「ちあきさん……ちあきちゃんが怖いなんて言って」

言い直すと、照れ臭かった。
ひろ君。絵ちゃん。ちあきちゃん。
そうやって呼んでいた頃が懐かしい。

「何いまさらちゃんづけで呼んでるのよ……」

ぶっきらぼうに、また転がった。
心なしか嬉しそう。

「ちあきちゃん、私たちにはひろ君が変っていくのを止められないんだよ。寂しいと思うけど。ひろ君だって、いつか守りたいなって思う人が現れるんだから」

ちあきちゃんがいつまでもひろ君を守ってちゃいけないんだよ。






ひろ君が自分で正しいかどうか判断できない時は、さっきみたいに叱ってあげればいいけど。
彼には彼のペースがある。やり方がある。
明日、ちあきちゃんが家に帰ってもきっとひろ君は口を利いてくれないだろうけど。
待ってあげてね、ちあきちゃん。

「ちーあきちゃん」

私は芋虫みたいなちあきちゃんに近づいて、抱きしめた。

「ちあきちゃん言うなっ」

「よしよし」

「よしよしじゃない! どうして、怒らないのよっ。あんたは、もっと私に言うことあるでしょっ? ちゃんと言ってくれなきゃ、分からないんだから……」

「んー、じゃあ、ちあきちゃんには罪を償ってもらおうかな」

「な、なによ」

「抱っこさせて」

「はい?」

「たぶん、ちあきちゃんにずっと触ってれば私のトラウマ無くなると思う」

もぞもぞとちあきちゃんの両脇から腕を出して、がっちりホールドした。
テレビの見える位置に移動。
両足の間に座らせて、顎を頭の上に置いた。

「なにこれ」

顎下からちあきちゃん。

「実は、一回やってみたくて」

脂肪の神、桜田ちゃんの抱き心地には敵わないが、湯たんぽみたいだ。

「あんたも変な子よね」

「私、実はひろ君が羨ましかったんだ。ちあきちゃんはいつもひろ君、ひろ君って、私はのけ者だった」

「そんなつもりは……」

「ないよね。いいの、私が勝手に拗ねてただけだよ」

小さい頃の話だよ。
今は、まあ、ちょっとはそういうこともあったかも。

「思えば、私さ、片想いみたいに……」

そう、片想いみたいに。
年上の女性を見ては、ちあきちゃんのことを思い出していた。
動悸がして、居ても立ってもいられなくて。

「ちあきちゃんのことばっかり考えてたなあ。うーん、やっぱり、私ちあきちゃんのこと大好きだったんだよ、そうだそうだ」

ちあきちゃんがもじもじしていた。

「恥ずかしいから、そういうの」

「えー、ちゃんと言わないと分からないって言ったの、ちあきちゃんじゃん」

ちあきちゃんの脇腹をくすぐる。
すぐに仕返しされた。
ドタドタとベッドの上で暴れる。
見ようと思っていたドラマはいつの間にか後編が始まっていた。
二人分のココアが波打つ。

ずーっと私を縛っていたもの。
あの日のちあきちゃんの匂い、声。
今は、どうしてか、心地いい気さえする。
本当はこうしたかったんだ。
仲の良い姉妹のように、じゃれ合って。

「ひろ君とも早く仲直りしてね」

「頑張る……」

「頑張って、お・ね・え・ちゃん」

ちあきちゃんの頬に、人差し指をつぷりと刺した。

「なーんか、ひっかかるんですけど」

「そう?」

「ま、いいけど」

その晩、ちあきちゃんを抱き抱えたまま眠ってしまったようで、
翌朝に、寝違えて首が痛いと抗議されてしまったのだった。

ちあきちゃんは早々に、家を出て自宅へ戻っていった。私は寝ぼけ眼でそれを見送った。
私は1時間後くらいに、のろのろと着替えて、高校へ向かった。
ちあきちゃんを避けるためにわざと通っていた路地に差し掛かる。

「あら、絵さん」

カラカラと車輪を鳴らせて、渚先生。

「おはようございます」

もう大丈夫だろうと思って、彼女の目を見た。

「あ」

蛇に睨まれたカエルの気持ちを味わった。

「せ、先生、先に失礼します」

ぎこちなく、駆け出す。
治ってない。
ウソ、ちあきちゃんを克服したと思ったのに。

教室と言う名のオアシスに駆け込むなり、私は小錦な桜田ちゃんのおっぱいに飛び込んだ。

「……ほっ」

「ほっ、じゃないわ」

「やっぱり、私、ここが一番落ち着く」

「問題は解決したの?」

「うーん、概ね」

「そりゃ、良かった」

「根本的には何も変わってないかも……しれないけど」

桜田ちゃんが笑う。

「もし、ずっとそのままだったら、秋田犬の次に可愛がってあげる」

秋田犬の次か。
ありかもなー。
いや、ないない。

1時間目の後に、ひろ君からラインがきていたのに気が付いた。
どうやら、ちあきさんとちょっとだけ仲直りできたようだ。
良かったね。二人とも。

トイレから出て、私は微笑ましい気持ちで携帯をポケットに入れた。
と、目の前に渚先生。英語のノートを抱えて、ゆらゆらしていた。
危なそうだなと思ったけど、今朝と同じような状態になるのが嫌で素通りしようとした矢先、

「あ」

彼女は躓いて、ノートごと廊下に雪崩れ込んだ。
タイトスカートの破れる音と共に。
顔面を擦りむいていそうな態勢だった。

「やだ、私……ッ恥ずかしい」

独り言を呟いて、渚先生が慌てて立ち上がる。
ストッキングも線が入ってしまっていた。
先生はすぐにノートを拾い集め始めた。ややあって、私の視線に気が付いたのか、振り返る。

「み、見た?」

おでこと鼻を真っ赤にしていた。
私は頷いた。
先生は拾い上げたノートで、ゆっくりと顔を隠し、両目だけ出して言った。

「誰にも言わないでね……」

「いやです」

「絵さん?!」

「ウソです。言ったりしません」

なんだ、この先生。
こんなに可愛かったっけ。
と、私は彼女の瞳をしっかりと見れていることに気が付いた。


もしや――。
ギャップ萌え?
と、私は思い当たるのだった。



おわり

エロくしたかったけどできなかった。
読んでくれてありがと。

まだいけるよなぁ?

どっちに転んでも年の差百合で美味しい
はやく続きを

力尽きたので、選択式ノベル風に安価で続けてみます


1、先生を助ける
2、授業に遅れるので先を急ぐ


安価?

安価出せてなかった


安価>>75(株ったら?)

携帯からむずかしいな

安価>>76被ったら↓

1

「先生、このノートどこに運べばいいですか」

「え、職員室だけど……いいのよ、授業に遅れるでしょ」

「そうなんですけど、でも、先生……その恰好で廊下を歩くのは……」

第一、スカートが破れて下着が見えそうになっている。
先生はスカートの端を抑えた。

「替えの服とかあります?」

先生は顔を赤らめて、首を振った。

1、自分の体操服を持ってくると提案する
2、自分のスカートを貸すと提案する
3、他の先生に助けを求めに行く


安価>>79(被ったら↓)

2

「あの、もし良かったらスカート貸しましょうか。私、下に短パン履いてるので」

「だ、大丈夫だからっ」

と断られたのだけれど、一応脱ぐ。

「職員室に行くまで履いておいた方が……」

先生はかなり迷った末に、私の手からスカートを受け取った。
ノートを半分に分けて運ぶ。先生は、私の後ろに隠れるようにして、廊下を進んだ。
職員室の前に来た頃には、予鈴のチャイムが鳴った。

「先生、私、もう行きますね」

「え、あ、絵さん」

「それ、また今度返してください」

引き止められたけど、短パンは寒かったので、持ってきていたジャージをさっさと履きたくて私は教室へ戻った。
渚先生が私のスカートを普通に履けてしまったことに関して、一抹の驚きを感じつつ、会話らしい会話ができたことにも感動を覚えていた。

「嬉しそうじゃん」

桜田ちゃんが席に着く私に言った。

「うん」


寝ますわ

おやすみ
次は安価競える時間でまた

次は安価参加したいな

人がいたら安価します

居ますよー

食わず嫌いだったのかも。
なんて、独りごちる。

「そう言えば、スカートは?」

桜田ちゃんが尋ねた。

「渚先生が履いてる」

彼女は大きく首を傾げたのだった。



放課後。
桜田ちゃんと帰ろうと思って、玄関を出た時だった。

「絵さん!」

渚先生だった。
スカートは履いてない。
代わりに先生もジャージだった。
いつもタイトスカートで、いかにも女教師な恰好だったので、なんだか体育の先生みたいで笑ってしまう。

「ごめんなさい。呼び止めちゃって。これ……」

恥ずかしそうに、右手にぶら下げていた紙袋からスカートを取り出した。

「お洗濯に出そうかとも思ったんだけど、替えのものがなかったらいけないと思って確認しにきたの」

「え、私持って帰るんで大丈夫です」

紙袋をそのまま引っ掴んだ。

「だめよ」

と、二の腕に軽く触れられた。

「ひァっ」

小さく飛び跳ねる体。
先生もびっくりしていた。

「痛かった? け、怪我してるの?」

「そ、そういうんじゃないんですけど」

あれ、おかしいな。やっぱまだだめか。
何か上手い言い訳をと思っていると、

「せんせー、絵さん最近女性関係でもめてるそうなので相談に乗ってあげてください」

桜田ちゃんが突然のカミングアウト。

「ちょ、ちょっと桜田ちゃん!?」

「そろそろ、一人くらい相談しておかないとさ……、あんたホントに卒業できなくなっちゃうよ」

と珍しく険しい表情。

「あ、いや、その……」

解決してきてるというか、未だというか。
あとちょっとっぽいというか。

「何か、相談事があるなら……先生で良ければ」

前々から良く注意を受けられている私を気遣うように先生も言った。
確かに、味方が居れば学校でも上手く立ち回れるけども。
私は悩んだ。


1、じゃあ、お言葉に甘えて
2、なんでもないです

>>88(被ったら↓)

1

「じゃあ、お言葉に甘えて」

確かに、もう一人で抱え込んで苦しむ必要なんてない。
だって、こうやって話ができるくらいになったんだから。
もはや、体の条件反射的なもので、嫌気があるわけでもないし。
先生は、私の言葉を聞いて少しほっとしたような微笑みを浮かべた。

「それじゃあ、ちょっと職員室に行きましょうか」

「え」

「どうしたの?」

「あー、他の先生には聞かれたくないです」

「大丈夫、荷物を取りに戻るだけなの。進路指導室が開いてたと思うからそっちで」

私は軽く頷いた。
担任の先生とも上手く喋れてないのに、渚先生とは波長が合うのか話しやすい。
ちょっと抜けてる所があるせいかも?

桜田ちゃんの計らいで、私は進路指導室のソファーに埋もれるように座っていた。
対面で座ると緊張すると言ったら、横ならどうかと言われて立ち上がられてしまったので、すぐにこう言った。

「わ、私、年上の女性がトラウマなんですっ」

「え」

先生が、ぴたりと止まった。
まるで、そこだけ時間が停止したみたい、とはこのことか。
先生は立ち上がって、座ろうか歩き出そうか迷った挙句、座った。

「ええと」

きっと質問とか用意していただろうに、意表を突かれた先生は人差し指を立てて、

「どうして?」

と簡単に聞いた。

可愛い仕草ですね、と質問と全く関係のないことを考えながら、
私はとある日の幼馴染の話をし始めた――。




「それで、さっきも、飛び跳ねて……すみません」

話し終えて、玄関での奇妙な行動の動機を理解した先生に、ぺこりと頭を下げる。

「変な子ですよね……」

「ううん、こちらこそ……気づかなくて、ごめんなさい」

気づけなくて当然だとは思う。

「突然だとびっくりするんです。分かってて触られたりすると、そのまま耐性がついたりし出したんですが」

「そうなの……」

先生の反応があまりにも薄い。
うー、先生に変人と思われているような。
やっぱり言うんじゃなかったかな。
後悔。

「分かってたら、大丈夫なの?」

先生は私の弱点でも探っているんじゃないかというくらい、目を細めた。
疑っている?

「は、はい」

「……いい?」

「え?」

「触ってみてもいい?」

先生は、意外と大胆だった。


1、い、いいですけど
2、だ、だめです


>>93(被ったら↓)

寝ます(被ったら↓)

2

おつ

おつ

ちあきさんはもう出てこないのかな

>>97
93が先生のフラグを折りましたので、先生ルートがいったん回避されました

「だ、だめです。慣れてきてるだけで、もしかしたら倒れるかもしれません」

「そ、そうなの? そんなデリケートな問題なのね……」

先生はますます疑わし気だ。ちょっと手のひらが汗ばんできた。
からかってるんじゃないんです。
本当なんです。
私のために、渚先生が悩んでいる。
どうしよう。ちょっとどころかかなり汗掻いてきた。
ちあきさんの時は、色々あったから平気だったのかな。
正面から、私の事だけを考え、見られている。それが、だんだんときつくなってきた。

「それなら、やっぱり病院とかでちゃんと診て頂いたほうがいいんじゃないかしら」

先生は学校の近くの病院名をいくつか挙げる。

「そ、そうですね」

緊張のせいで、教えられた病院の名前が右から左に流れる。覚えられない。
適当な相槌を打ってやり過ごす。

先生ルート意外と厳しいのなw
少なくとも四回選択肢ミスったらフラグ折れるのか

>>100
あと、1のその時の気分ですw

「男の人は大丈夫?」

「それは、はい……」

全く、問題ない。
むしろ、なんの感情も沸かない所が問題かも。

「同い年の女子も大丈夫? 年下も?」

「問題ないです……」

先生は、まだ色々聞きたそうに口を開きかけたが、

「ねえ、もしかして今、辛いんじゃ?」

私は正直に頷いた。
呆れられただろうか。
心配そうに覗くその瞳が怖くなってきた。
ドキドキしてきた胸の部分に手を当てて、立ち上がった。
先生が呆然と見上げている。
部屋の狭い感じは、家の自室と同じくらいなのに。
もう無理だった。

「ソ、ソーリー……先生」

自分でも情けない声を出して、

「絵さんっ」

先生の声を無視して逃げた。

ああ、みんな男の人だったら良かったのに。
というか、みんな男だと思って話せばいいのかな。
そもそも、男と女の何が違うんだろう。
外見?
脳の構造?
腕力?
みんな桜田ちゃんみたいだったら、平気なのに、きっと。
こんなんで生きていけるんだろうか。
私は鼻をすすりながら、帰宅したのだった。


2、3日、私は今度は渚先生の通らないルートを選択して登校した。
先生は廊下ですれ違うと気づかわし気にこちらを窺ってくるのだけど、気づかないフリをしてやり過ごした。
ある夜、ひろ君から電話があった。
お風呂上りの牛乳をぐびぐび飲みつつ、子機を片手にリビングのソファの上に座る。

「え、ちあきさんが熱?」

『うん、なんか、たぶん、俺のせい』

「今度は何」

『あれから、毎日、一日中、気遣ってる。俺に話しかけないように……それで、たぶん知恵熱みたいなの出た』

「はあ?」

極端な話に、牛乳をこぼしそうになる。

あのブラコンは本当にやることが極端だな。
それだけ、愛してるってことなんだろうね。

「でも、良かったじゃない。ひろ君離れし始めてるってことだよ」

『そうなんだけど、調子狂うし……それで、絵ちゃんに頼みたいことあってさ』

「うん、何」

『俺、明日ちょっと家に帰るの遅くなるんだ。学校の帰りに、姉ちゃんがちゃんと寝てるかだけ確認して欲しいんだ。窓から覗いたら分かるようにカーテン少しだけ隙間空けておくから』

あんたもシスコンだな。
と、ツッコミたくなった。

1、見るだけなら
2、桜田ちゃんと映画に行く予定で……
3、先生に呼ばれてるの。自分で見に行きなよ

>>105(被ったら↓)

いち

「見るだけなら、まあ」

『助かる』

「てか、どこ行くのひろ君は」

『先輩が、バイク乗せてくれるって』

「補導されないようにね」

『へーい』

失恋の憂さでも晴らしに行くのだろうか。

「そう言えば、5万」

『あ、はい』

「あ、はい、じゃないから。ちゃんと返せこの野郎」

『も、もうちょっと待って』

「待って出てくるものなの? ちあきちゃんに相談……するわけないよね」

『絶対無理』

ひろ君は、今月中には必ず、と何度も取り立てられた借金滞納者みたいなことを言っていたのだけど、
私は気長に待つよ、と返答して電話を終えた。
ちあきちゃんが熱かー。
何か持って行こうかな。
ただ、渚先生の件もあって、私は少し警戒もしていた。
治ったり、治っていなかったり。
ちあきちゃんに会いたい気持ちもあるけれど、その実、やはり体が強張る感じも拭えていない。
弱くて頭の悪い自分を見透かされてしまう。
鋭い眼光を、頭の中で何度もリフレインさせてしまうのだ。
それがいけないのだと、ネットにも書いてあった。分かっている。
でも、一度不安の回路が開いたら、光通信よろしくどんどん別の不安回路に接続されていくのだった。

今日はここまでー

ちあきちゃん久々で楽しみ

いいぞお

次の日は朝から曇天だった。天気予報では雨または雪。
昼休みに桜田ちゃんと雪が降りますようにと祈ったのが天に通じたのか、
学校からちあきちゃんの家に行く途中で、白い埃みたいなものが腕について、鳥の糞かと思って慌てた。

「あ、雪」

紺色のコートにどんどん引っ付いていく。
空を見上げると鼻の中に雪が入ってきた。

「っくしゅん!」

コートのフードを頭に被る。
積もったらいいのに。

「雪だるまつく~ろ~」

小声で歌う。
その声が角を曲がって来た小学生にしっかり届いていて、
まじまじと見られてしまって恥ずかしいったらありゃしなかった。

私がちあきちゃんの家の前に着いた頃には、私のコートが漂泊されたみたいになっていた。
使われてなさそうな車庫の奥の階段から庭に入って、裏の方に周り、カーテンの隙間から中を覗いた。
ベッドの上には誰もいない。トイレかな。ざくざくと砂利を踏む。近隣住民に、不法侵入のストーカーと勘違いされそう。
反対側のリビングの方は、灯りはともされていなくて、暗がりの中、ちあきちゃんの姿を探す。

いた。
ソファの上。
クッションかと思ったら、ブランケットに身を包んだちあきちゃんだった。
うずくまっているようにも見える。

「え、だ、大丈夫……?」

恐る恐る、ガラス戸をコツコツと叩く。
ちょっと覗くだけにしようと思っていたのに。
予想外の事態に、私は焦った。

「ちあきちゃん?」

小さな体がピクリと動いた。
顔だけ上げてこちらを見ている。
だるそうだ。
ぶるぶると震えつつ、這うようにこちらに向かってくる。

「む、無理しなくていいよ」

とガラス越しなので聞こえてないのか、カーテンが開け放たれた。
戸を開けて、ちあきちゃんが言った。

「寒いから、早く入って」

苛立ち気味だった。

「は、はい」

玄関からじゃなくていいのか、と聞くこともできずに、
私はそこに靴を脱いで転がりこんだ。
中は暖房が効いていて、冷え切った手足がじんと痺れた。
ちあきちゃんはまたソファの元の位置に戻って体を縮こませる。

「……大丈夫?」

「大丈夫に見えるなら、眼鏡かけた方がいいんじゃない」

相当機嫌が悪い。
というか、しんどいのだろう。

「絵ちゃんこそ、コートびしょびしょになるよ……」

「え、あ」

急いで袖やら裾やらの雪を手で払って戸を閉める。
ちあきちゃんが力なく物干しスタンドを指さした。
あそこに掛けておけと言うことらしい。

「……何しに来たの」

手袋もついでに乾していると、ちあきちゃんが言った。

「熱出たって聞いたから」

「ひろ君に聞いたの?」

「うん」

「そ、暇なのね」

「なんか、さっきからトゲある」

「だって、絵ちゃんはひろ君と喋ってるでしょ。ずるい。ひろ君もずるい。二人は普通に話せるのに……私だけ、仲間外れだし。どうしてよ」

ソファの背に隠れて、ちあきちゃんがどんな顔で言ったのか分からない。
でも、きっと年上の癖に、可愛い仏頂面をしているに違いなかった。
元凶はちあきちゃんなんだけど、それを言うほど私も子どもじゃない。

「ごめんね。そういうつもりじゃないからね」

ソファーの正面に周り、

「ちあきちゃん」

小声で呼ぶと、手でしっしっと払われる。

「ところで、なんでここで寝てるの」

「ひろ君の帰り待ってるのよ……」

「今日は夜まで帰らないって」

ちあきちゃんの体がぴくりと動いた。
何か叫ぶかと思ったが、その気力もなかったらしい。
ほんとに、こんな人が怖いだなんて。
大きな赤ん坊みたい。

いかん、寝ます

良い…

一転してちあきさんにグイグイ行くのがすばらしい

ちあきちゃんは、ちゅうー、とネズミのような鳴き声を発して、

「絵ちゃんはいつまでいるの」

「ちょっと様子見に来ただけだから、すぐ帰るよ」

「そうなの……」

言って、しんと黙る。
少し、息切れしてる感じ。

「ね、デザートにマンゴープリン買ってきたけど食べる? 口に合うか分からないけど」

「うん……」

「今、食べる?」

「う……んん」

どっちだ。

「ちあきちゃん、しんどい?」

「……ん」

話に聞いていたより、かなり重症じゃない?

「ひろ君に家にいてって言えば良かったのに」

「……あんたが言ったんじゃない。ひろ君以外に目を向けろって」

「もしかして、ちあきちゃんがひろ君に頼んで、私を呼んだの?」

「そうよ」

「偉い」

「偉くないわよ」

彼女の頭に手を置いた。
ゆっくり撫でる。
大丈夫。
ふいに、腕を掴まれる。
力は無くて、くにゃりと折れた。

「部屋で休もうよ、ちあきちゃん」

「おんぶして……」

それは無理。

「しっかりしてよ、大学生」

でも、その弱弱しい姿を見れて私は満足もしていた。
悪く言えば、気味が良かったのかもしれない。
もっと苦しめばいいのに。
ウソウソ。
私、そんなキャラじゃない。
そうだよね。

「ねえ、絵ちゃん、今日は……しないの?」

彼女が言った言葉が聞き取れなくて、

「え、何?」

聞き返す。

「ほら、ぎゅっと……してくれたじゃん」

熱に浮かされて、ちあきちゃんが恥ずかしい台詞を吐いている。
後ろから抱き付いたことだと悟った。

「あれ、すごく落ち着く」

「やだ、どしたの。甘えん坊」

ソファの上でもじもじしていて、ちょっと可愛いかもしれない。

「したら、部屋で休む?」

「うん」

今なら、たぶん大丈夫かな。
ソファの上に座らせてもらい、ダンゴムシのようなちあきちゃんに起き上がってもらう。
細い胴回りに手を交差させて、抱きしめてあげた。
温かい。
今日は甘い匂いはしない。
動悸もほとんど無くて。
経過は良好。
抱き心地がふわふわで、酔ったように私は肩に顔を埋めた。

「絵ちゃん……温かい」

「ちあきちゃんもだよ」

「昔、逆にひろ君にしたら、突き飛ばされた」

「そりゃそうだよ」

熱があったのに、私はちあきちゃんと昔の話をした。
ちあきちゃんに泣かされた話。
ひろ君がおねしょした話。
私がちあきちゃんの家にお泊りに行った時に怖くてすぐに家に帰ってきた話。
でも、ちあきちゃんが送ってくれたっけ。
過去の思い出には、いつもひろ君とちあきちゃんがいた。
ちょっと前まで、思い出しても気が滅入る事の方が多かった。
それを正直にちあきちゃんに伝えてから、

「私、ちあきちゃんにお礼を言わないといけないことばかりだったね」

「……馬鹿ね」

私が思っていた以上にちゃんと繋がっていたのかもしれない。
何を怖がっていたのか。
そんなに怖いものなんてなかったのに。それを確かめずに。
トラウマ何てそんなものかな。

「……小さい頃の事なんだから」

それだけ言って、ちあきちゃんは私の体にまた体重を預けた。
うん。
その程度の過去。
私が思うより、幸せだったんだろう。
将来に不安もなく、目の前の事だけが全てだった頃。
誰かを傷つけたとか傷つけられたとか。
許すとか。
いちいちそんなことも考えなくても良かった。

「絵ちゃん? どうしたの?」

「うん……」

「泣いてるの?」

「……少し」

「なんで」

「分からない」

きっと、私の心は人よりだいぶ大げさ過ぎる。

気が付いたら、私は眠っていた。
ちあきちゃんの膝の上に頭を置いて、彼女の手を握っていた。

「病人より先に寝る?」

「ごめんね」

私は小さく笑う。
怖い?
ううん。
嫌い?
ううん。

「……」

自分の頬を触ると熱を持っていた。
トラウマじゃなければ、この昂ぶりはなんだろうか――。






おわり

ということで、終わりです
また機会があれば

終わりか...残念だ


特に関係ない話なんだけど
女教師x女生徒が見たいなぁと思いました

第2部を楽しみにしてるよ

乙です ラビットの方も楽しみにしてます

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