記念写真を貴女と共に (17)
大学に入って始めた一人暮らしにも、一年を過ぎると馴れてきた。
最初はホームシックになりそうだったけど、お隣の人が良くしてくれたお陰で乗り越えることができたし。
夕御飯を作りすぎたから良かったらどうぞ、なんていうことが現実で起きるとは、高校生の自分は思ってもいなかった。それも、相手は美人のお姉さんだなんて。
お隣のお姉さんは大学で見かけるどんな女性より綺麗だし、話してて楽しいし、魅力的だった。早い話、憧れを――いや、恋慕の情を抱いてしまうくらいには。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1474185271
大学の夏休み、帰省して遊び呆けて来た俺は、疲れを感じながらアパートの階段を上っている。9月の夕方とはいえ、太陽の陽は弱まることを知らないようだ。
暑い、暑い、でもやっと涼しくなってきた。それでも暑い。
意味のない文句を心の中でぼやいていると、やっと自室の階に到着した。たかが三階、されど三階。
自室のドアを久しぶりに開けると、むわっとした熱気。18年住んでいた実家に帰ったときとは、ちょっと違う懐かしさだ。これはこれで、嫌いじゃない。
着替えの入ったボストンバッグを床に置き、冷房と電気をつけてベッドに寝転がる。新幹線と在来線を乗り継いで、片道五時間の道のりは中々に辛い。
夕飯どうしようかな。昼も電車の中で軽く食べただけだからお腹は空いている。でもやっぱり、疲れたな。
ピンポーンというインターホンの音で、ビクッと目が覚めた。冷房と電気を点けたまま、どうやら寝落ちてしまっていたらしい。電気代……考えるのはやめておこう。
除き穴から来客を見てみると、予想通りそこにいたのはお隣のお姉さん。綾さんだった。
「こんにちは。お久し振り……ですね?」
ドアを開けながら挨拶をすると、彼女も「こんばんは。おかえりなさい」と返してくれた。
「今日、帰ってきたの???前を通ってたら電気が点いてたから、つい」
「あー、はい。帰ってそのまま寝ちゃってました」
「あらら、お疲れさま。それじゃ、夕ご飯はまだなのかな?」
「そっすねー、まだです」
「じゃあ、ご飯食べに行かない???お姉さんと一緒に」
お姉さんと一緒に、っていう言葉は茶目っ気ありげに笑いながら言い足していた。綾さんと俺で???いいの?
今までにも食事は何度かご一緒したことはあったけど、それはどちらかの部屋の中での話だ。
「良いんですか?」
「ん、話したいこともあるしねー。準備できたらインターホン鳴らしに来るね。それじゃ、またあとで」
その言葉を残して、彼女は自室に向かっていった。えっ、本当に?
大学付近の地域なんか、味なんか気にせず騒げるような居酒屋と、溜まり場になるファミレスくらいしか無いと思っていた。
綾さんが連れていってくれたのは、洒落た雰囲気のイタリアンレストランだった。こんなお店があるなんて、自分じゃ見つけられなかっただろう。
「えっと、私はボロネーゼ。あと赤ワイン……合うやつって何かあります??あったらそれをグラスで」
何度か来たことがあるという彼女は、慣れた感じで注文を進めていく。
「マサくんは???同じので良い?」
イタリアンなんてそうそう食べないし、そう問いかけてくれて助かった。二つ返事で返すと、店員さんが「畏まりました」と言い残して去っていく。
「飲むんですか?」
「週末だしね。せっかく、外食に来たんだから。たまには贅沢。マサくんは???もう20は越えてるんだっけ?」
「一応、先月で。綾さん、誕生日いつでしたっけ?」
「私は今月末。あ、いくつになるかは内緒だよ」
うふふ、とウィンク混じりで返された。
「あー、そうなんですね。もうすぐだ、おめでとうございます」
「あはは、だんだん誕生日が嬉しくない歳になってきてるんだけど」
「そうですか? お綺麗だなー、綾さんのお隣に住めて嬉しいなー、っていつも思ってますけど?」
「うまいなーっ、将来は営業さんかな? 今日のお会計は綺麗なお姉さんに任せなさい!」
そんな軽口で、二人で笑いあった。実際、こんな風に話せるようになるまで一年くらいかかったんだけど。
「マサくん、実家どこだったっけ?」
つい半日前までいた場所を返すと、彼女は唸った。
「遠いなー……想像もつかないや」
「綾さんの地元はどこなんですか?」
返ってきたのは、俺とは真逆の地域だった。
「不思議なもんだよねぇ、住む場所も違って、歳も違って、何かの偶然で部屋がお隣で……」
「出会う運命、ってやつですか?」
運命、で区切ったのはくさすぎて恥ずかしくなったから。
「あはは、そうね。出会う運命……っていうのも、ロマンティックかな」
呟いた綾さんは、何だか普段とは違う雰囲気に思えた。哀愁を帯びているというか、何というか。
「話したいこともある」って言ってたし、何かあったのかな。期待というより、不安が来てしまう。……いや、期待もしてるんだけどね。
「話したいことって何ですか」と口を開こうとすると、パスタが運ばれてきた。
予定外に、ワインも一つ。
「あー、そっか、同じものでって頼んだからワインまでセットで来ちゃったんだ」と、納得したように綾さんは呟く。
「ワイン、飲める?」
困ったように投げ掛けられたその言葉は、何だか子供扱いされてる気がして悔しくて。
「飲めます」
法的には、だけど。
ワインを飲んだことはまだない。ビールはどうにか飲める。あとは酎ハイとかカクテルとか、ジュースみたいなものしか飲んだことがなくて。
ただ、子供扱いされるのが悔しくて、綾さんの前では背伸びしてでも大人でいたかった。
それこそが子供っぽいとは分かっていても。
綾さんは面白そうに微笑みながら、グラスを掲げた。
「お帰りなさいのマサくんに、乾杯」
口に含んだワインは少し苦くて、今までに飲んだことのある酒よりアルコールも強く感じた。
むせそうになるのを堪えて、何でもないふりをしながら飲み込んでいく。
綾さんは「んー、やっぱり美味しい~」と、一人言なのか投げ掛けなのか分からない言葉を呟きながら、どんどん口に運んでいく。
会話という会話をせずに食べる綾さんにつられて、俺も黙々と食べ進める。
気がつけば、あっという間にお皿が空いてしまっていた。ワインはまだ、少し残っている。
「ご馳走さまでした」
目の前の綾さんが、手を合わせて呟いた。視線をあげると、ワインが残っているのを見てニヤニヤし始めた。
「ワイン、苦かったかな? マサくんもまだまだ、子供だねえ」
「そんなことないですよ。美味しかったから、ついチマチマ飲んじゃっただけで」
そう言って、グラスに残ってた分を一気に煽る。うっ、やっぱりちょっと苦い。
「ご馳走さまでした」
飲み干して、呟いた。
綾さんは面白そうに笑いながら、音が鳴らない程度に小さく手を叩いている。
くそぉ、バカにしてるな。
まだ飲みたいと主張する綾さんに付き合って、レストランを出るとバーに向かった。
「ね、マサくんはこういうところだと何飲むの? ていうか、来たことある?」
お子ちゃまだもんね、と言い足してくるあたり、もう彼女は酔っているのだろうか。あんまり飲ませずに帰ろう。
「ジントニックとかですかね?」
「じゃ、私もそうする」
注文を済ませると、綾さんは無言になった。
珍しいな、普段は割と話好きなイメージなのに。本当に飲みたくて来ただけなのかな。
「あの、話したいことって……」
出掛ける前に言われたことを問おうとすると、彼女は「え、私そんなこと言ったっけ?」と真顔で返してきた。
「言いましたよ、何なんだろうって心配になったんですから!」
「えー、それたぶん『マサくんと話したいな』って言ったのを聞き間違えてるよ、きっと」
そう言われてしまうと、それが本当にそうだったのか確認できないのが辛い。
まあでも、いいや。何もないなら何もないで。楽しいし。
バーで飲みながらどうでもいいような話をしていたら、あっという間に時間は経ってしまっていた。
そして何より、酔いも回ってしまっていて。
お会計で財布を開こうとすると「おね~さんにぃ、まーかせーなさぁい」と言って聞かないから、お言葉に甘えることにした。
泥酔している綾さんを、泥酔一歩手前の俺がどうにか連れて帰っている。まったく、どっちが子供なんだか。
手すりをもってアパートの階段を上る綾さんを、二段下くらいで見守りながらゆっくりと上がっていく。
どうにか三階までたどり着くと、俺の一つ奥の部屋のドアの前で立ち止まった。
まさか鍵をなくしたとか言われないよな、なんて下らない心配。
酔っぱらいのはずの綾さんは、顔をあげた。その視線は、さっきまでより少し強く見える。
「マサくん、あのね。私、引っ越しするの。遠くに転勤なの。サヨナラだね」
昨晩の綾さんの言葉を反芻させながら、二日酔いになりかけの頭を動かしていく。
「マサくんが帰省してるうちにね、辞令が出たの」
「今月いっぱい、夏休みが終わる頃かな? それまでには、もう行っちゃうの」
「寂しくなるね」
そう言って、彼女は自室に入っていった。
あれは酔った俺の聞き間違えだったんじゃないだろうか。綾さんが俺をからかっているだけじゃないのだろうか。そう思いたい自分がいる一方で、それは確実に違うと分かってしまう自分もいる。
あんなに真面目な目をした綾さんは、もしかしたら初めて見たかもしれない。素面の時ですら、もっとおちゃらけている印象だったのに。
「今月いっぱい、か」
今はもう九月半ば。ということは、あと二週間もせずに彼女は旅立ってしまうらしい。
だからと言って、俺に何ができるのだろう。行かないで、一緒にいたいです、なんて引き留める肩書を、俺は持っていない。持っていたとして、それを言うようだとそれこそお子ちゃまだ。
何がしたいんだろう。何をすればいいんだろう。
気持ちの整理がつかないまま、バイト先のカフェに向かった。俺の気持ちを代弁してるのか、雨模様。
「お、マサだ。そっか、昨日帰って来たんだっけ?」
「うぃす。お久しぶりです」
ドアを開けてすぐに声をかけてきたのは、店長のヒサシさん。30歳になる歳に脱サラして、昔から夢だったカフェを開いたらしい。同じ大学の卒業生ということもあってか、結構俺を可愛がってくれている。
「今日、シフト入りたい?」
「そのつもりで来たんですけど」
「今日、こんな天気だからお客さん少なくてさ。それに、お前も何か疲れてそうじゃん?」
疲れてる……というか。
「あー……二日酔い気味、かもしれないっす」
「そんじゃ、今日は早めに店閉めよう。予約もないし、バーも開けない。きーめたっ」
幸か不幸か、お客さんは誰もいない。ヒサシさんはついさっき俺が明けたドアに向かい、鍵をかけてしまった。こういうところ、個人経営で緩いよなぁ。
「何々、戻って早々に二日酔いって、何かあった? やけ酒? 祝い酒?」
「いや、隣のお姉さんに付き合って……」
「あー、綾ちゃん? だったっけ」
綾さんの話自体は、何度かヒサシさんにもしたことがある。好きとかそういうのは隠してるけど、そういう人が隣に住んでる、くらいには。
「何、そういう関係なの?」
「いや、違うんすけど……」
「仲いいねぇ。それで、二人で飲みに行って? それで?」
興味津々、といった感じでヒサシさんは俺の言葉を待つ。
「いや、それだけですよ」
「えーっ。そこから何か始まるのが男女の関係の基本でしょうが」
「始まるも何も、始まらずに終わりますから」
つい、自傷気味にそんな言葉が漏れてしまった。
「ん、何、どういうこと?」
「引っ越すらしいんですよ、綾さん。転勤で」
続きはないのか…
てすと
うむ
うむ
?
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません