記念写真を貴女と共に (17)

大学に入って始めた一人暮らしにも、一年を過ぎると馴れてきた。
最初はホームシックになりそうだったけど、お隣の人が良くしてくれたお陰で乗り越えることができたし。
夕御飯を作りすぎたから良かったらどうぞ、なんていうことが現実で起きるとは、高校生の自分は思ってもいなかった。それも、相手は美人のお姉さんだなんて。
お隣のお姉さんは大学で見かけるどんな女性より綺麗だし、話してて楽しいし、魅力的だった。早い話、憧れを――いや、恋慕の情を抱いてしまうくらいには。

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大学の夏休み、帰省して遊び呆けて来た俺は、疲れを感じながらアパートの階段を上っている。9月の夕方とはいえ、太陽の陽は弱まることを知らないようだ。
暑い、暑い、でもやっと涼しくなってきた。それでも暑い。
意味のない文句を心の中でぼやいていると、やっと自室の階に到着した。たかが三階、されど三階。
自室のドアを久しぶりに開けると、むわっとした熱気。18年住んでいた実家に帰ったときとは、ちょっと違う懐かしさだ。これはこれで、嫌いじゃない。
着替えの入ったボストンバッグを床に置き、冷房と電気をつけてベッドに寝転がる。新幹線と在来線を乗り継いで、片道五時間の道のりは中々に辛い。
夕飯どうしようかな。昼も電車の中で軽く食べただけだからお腹は空いている。でもやっぱり、疲れたな。

ピンポーンというインターホンの音で、ビクッと目が覚めた。冷房と電気を点けたまま、どうやら寝落ちてしまっていたらしい。電気代……考えるのはやめておこう。

除き穴から来客を見てみると、予想通りそこにいたのはお隣のお姉さん。綾さんだった。

「こんにちは。お久し振り……ですね?」

ドアを開けながら挨拶をすると、彼女も「こんばんは。おかえりなさい」と返してくれた。

「今日、帰ってきたの???前を通ってたら電気が点いてたから、つい」

「あー、はい。帰ってそのまま寝ちゃってました」

「あらら、お疲れさま。それじゃ、夕ご飯はまだなのかな?」

「そっすねー、まだです」

「じゃあ、ご飯食べに行かない???お姉さんと一緒に」

お姉さんと一緒に、っていう言葉は茶目っ気ありげに笑いながら言い足していた。綾さんと俺で???いいの?

今までにも食事は何度かご一緒したことはあったけど、それはどちらかの部屋の中での話だ。

「良いんですか?」

「ん、話したいこともあるしねー。準備できたらインターホン鳴らしに来るね。それじゃ、またあとで」

その言葉を残して、彼女は自室に向かっていった。えっ、本当に?

大学付近の地域なんか、味なんか気にせず騒げるような居酒屋と、溜まり場になるファミレスくらいしか無いと思っていた。

綾さんが連れていってくれたのは、洒落た雰囲気のイタリアンレストランだった。こんなお店があるなんて、自分じゃ見つけられなかっただろう。

「えっと、私はボロネーゼ。あと赤ワイン……合うやつって何かあります??あったらそれをグラスで」

何度か来たことがあるという彼女は、慣れた感じで注文を進めていく。

「マサくんは???同じので良い?」

イタリアンなんてそうそう食べないし、そう問いかけてくれて助かった。二つ返事で返すと、店員さんが「畏まりました」と言い残して去っていく。

「飲むんですか?」

「週末だしね。せっかく、外食に来たんだから。たまには贅沢。マサくんは???もう20は越えてるんだっけ?」

「一応、先月で。綾さん、誕生日いつでしたっけ?」

「私は今月末。あ、いくつになるかは内緒だよ」

うふふ、とウィンク混じりで返された。

「あー、そうなんですね。もうすぐだ、おめでとうございます」

「あはは、だんだん誕生日が嬉しくない歳になってきてるんだけど」

「そうですか? お綺麗だなー、綾さんのお隣に住めて嬉しいなー、っていつも思ってますけど?」

「うまいなーっ、将来は営業さんかな? 今日のお会計は綺麗なお姉さんに任せなさい!」

そんな軽口で、二人で笑いあった。実際、こんな風に話せるようになるまで一年くらいかかったんだけど。

「マサくん、実家どこだったっけ?」

つい半日前までいた場所を返すと、彼女は唸った。

「遠いなー……想像もつかないや」

「綾さんの地元はどこなんですか?」

返ってきたのは、俺とは真逆の地域だった。

「不思議なもんだよねぇ、住む場所も違って、歳も違って、何かの偶然で部屋がお隣で……」

「出会う運命、ってやつですか?」

運命、で区切ったのはくさすぎて恥ずかしくなったから。

「あはは、そうね。出会う運命……っていうのも、ロマンティックかな」

呟いた綾さんは、何だか普段とは違う雰囲気に思えた。哀愁を帯びているというか、何というか。

「話したいこともある」って言ってたし、何かあったのかな。期待というより、不安が来てしまう。……いや、期待もしてるんだけどね。

「話したいことって何ですか」と口を開こうとすると、パスタが運ばれてきた。

予定外に、ワインも一つ。

「あー、そっか、同じものでって頼んだからワインまでセットで来ちゃったんだ」と、納得したように綾さんは呟く。

「ワイン、飲める?」

困ったように投げ掛けられたその言葉は、何だか子供扱いされてる気がして悔しくて。

「飲めます」

法的には、だけど。

ワインを飲んだことはまだない。ビールはどうにか飲める。あとは酎ハイとかカクテルとか、ジュースみたいなものしか飲んだことがなくて。

ただ、子供扱いされるのが悔しくて、綾さんの前では背伸びしてでも大人でいたかった。

それこそが子供っぽいとは分かっていても。

綾さんは面白そうに微笑みながら、グラスを掲げた。

「お帰りなさいのマサくんに、乾杯」

口に含んだワインは少し苦くて、今までに飲んだことのある酒よりアルコールも強く感じた。

むせそうになるのを堪えて、何でもないふりをしながら飲み込んでいく。

綾さんは「んー、やっぱり美味しい~」と、一人言なのか投げ掛けなのか分からない言葉を呟きながら、どんどん口に運んでいく。

会話という会話をせずに食べる綾さんにつられて、俺も黙々と食べ進める。

気がつけば、あっという間にお皿が空いてしまっていた。ワインはまだ、少し残っている。

「ご馳走さまでした」

目の前の綾さんが、手を合わせて呟いた。視線をあげると、ワインが残っているのを見てニヤニヤし始めた。

「ワイン、苦かったかな? マサくんもまだまだ、子供だねえ」

「そんなことないですよ。美味しかったから、ついチマチマ飲んじゃっただけで」

そう言って、グラスに残ってた分を一気に煽る。うっ、やっぱりちょっと苦い。

「ご馳走さまでした」

飲み干して、呟いた。

綾さんは面白そうに笑いながら、音が鳴らない程度に小さく手を叩いている。

くそぉ、バカにしてるな。

まだ飲みたいと主張する綾さんに付き合って、レストランを出るとバーに向かった。

「ね、マサくんはこういうところだと何飲むの? ていうか、来たことある?」

お子ちゃまだもんね、と言い足してくるあたり、もう彼女は酔っているのだろうか。あんまり飲ませずに帰ろう。

「ジントニックとかですかね?」

「じゃ、私もそうする」

注文を済ませると、綾さんは無言になった。

珍しいな、普段は割と話好きなイメージなのに。本当に飲みたくて来ただけなのかな。

「あの、話したいことって……」

出掛ける前に言われたことを問おうとすると、彼女は「え、私そんなこと言ったっけ?」と真顔で返してきた。

「言いましたよ、何なんだろうって心配になったんですから!」

「えー、それたぶん『マサくんと話したいな』って言ったのを聞き間違えてるよ、きっと」

そう言われてしまうと、それが本当にそうだったのか確認できないのが辛い。

まあでも、いいや。何もないなら何もないで。楽しいし。

バーで飲みながらどうでもいいような話をしていたら、あっという間に時間は経ってしまっていた。

そして何より、酔いも回ってしまっていて。

お会計で財布を開こうとすると「おね~さんにぃ、まーかせーなさぁい」と言って聞かないから、お言葉に甘えることにした。

泥酔している綾さんを、泥酔一歩手前の俺がどうにか連れて帰っている。まったく、どっちが子供なんだか。

手すりをもってアパートの階段を上る綾さんを、二段下くらいで見守りながらゆっくりと上がっていく。

どうにか三階までたどり着くと、俺の一つ奥の部屋のドアの前で立ち止まった。

まさか鍵をなくしたとか言われないよな、なんて下らない心配。

酔っぱらいのはずの綾さんは、顔をあげた。その視線は、さっきまでより少し強く見える。

「マサくん、あのね。私、引っ越しするの。遠くに転勤なの。サヨナラだね」

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