【艦これ】鳥海は空と海の狭間に (982)

・かなり長くなる。のんびりお付き合いいただければ。
・地の文多め。SSというより小説に近いかも。
・過去に木曾を沈めてしまった提督と、そんな提督の秘書艦になった鳥海の話。


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――これは私と司令官さんのおわりとはじまりの話。





私たち艦娘と人類の敵。それが深海棲艦。

正体も目的も分からないまま、私たちは争っていました。

大義名分があるとすれば、それは生きるため。死なないため。殺されたくないから。

戦争に日常を織り込んだのか、日々の営みの中に争いが入り込んできたのか。

私がこの世界に生を受けた時には、もう争うのは当たり前になっていました。

始まったことはいつか終わります。

戦いの終わらせかたなんか分からなくて、それでも終わると漠然と信じていた。それが私でした。

けれど分かっていたところで過程が変わったとしても、結果は変わらないのかもしれません。

運命なんて不確かな言葉は信じていませんが、避けようのない出来事がある。そう思えてしまうんです。

結果が決まっているのに過程がいくつもあるのか、それとも過程がいくつあっても一つの結果に行き着いてしまうのか。

いずれにしても、私たちはその時々で最善を尽くそうとしていました。

それがどんな結果を迎えるにしても。



それでも――たまに考えてしまうんです。

あの作戦がなければ。もし司令官さんが前線に出ていなければ、一体どうなっていたんだろうって。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



提督にとって初めての実戦だった。

艦娘を取りまとめるようになってから二年ほどが過ぎているが、今回の作戦まで戦場に出たことがなければ、爆撃に晒されたのも初めてだった。

提督は自身の体が震えてるのには気づいていたが、それが武者震いなのか恐れのせいなのかは区別がついていない。

出雲型高速輸送艦、その一番艦である出雲。それが彼の今の仮住まいというべき城であり艦で、目下の攻撃目標にもなっていた。

爆撃を避けるために艦長が取り舵を行い、提督はといえば手すりを掴んで左に傾ぐ体が倒されないようにする。

艦橋にまでたこ焼きと呼ばれる深海棲艦が使用する艦載機の爆音が響いていた。

それだけ迎撃機や対空砲火を突破して艦隊を攻撃してくる敵機の数が多いためだ。

艦娘が使用する烈風や彗星とも異なるエンジン音は絶え間なく空気を吐き出しているようで、さながらモーターが熱暴走してるような音だった。

出雲には電探や探照灯の類を除いて武装を積んでいなかった。

理屈は不明なままだが人間が行う攻撃は深海棲艦には通用しない。

ならばと火災の原因となり得る武装や弾薬を初めから装備しないのは当然の帰結だった。

もっとも出雲型は艦娘を艦載機のように運用するのも想定しているので、艦娘用の弾薬は積み込んでいるので可燃物は積み込んでいる。

「右二十、戻せ!」

回頭が終わる前に艦長はすでに次の転蛇を命じている。

提督の立場は艦隊司令官だが、艦の行動は艦長に任せるのが原則で口出しはしない。

さほど年が離れていない艦長だったが場慣れしていて、実務に長けた人間なのは航海を通して提督には分かっていた。

命を預けるに足る人間、と提督は全てを任せることにしていた。



左から右への慣性に振り回されながら衝撃に備えて踏ん張り歯を食いしばると、何度も足下から突き上げてくる縦揺れに見舞われる。

揺れはするが直撃弾ではない。それでも体を弄ぶ振動は心地よいものではない。

高速と言えど出雲は艦娘より巨体で敵機にはいい的だ。にも関わらず艦長の操艦は見事で、一度も直撃弾を受けることはなかった。

空襲の勢いも衰え、投弾を終えた敵機も引き返し始める。

提督は次の展開を考え、雲龍か龍鳳の彩雲に送り狼をやらせようと決める。

その前に艦隊の被害確認が必要だと思い立った矢先だった。

見張り員を務める妖精から声のような意思が頭に届く。敵機を発見したと。

艦橋からも三機のたこ焼きが迫ってくるのが見えた。

摩耶が慌てて撃ち上げ始めた対空機銃の火線が、最後尾にいた機体を捉えて火を噴かせる。

しかし残る二機は対空砲火をすり抜け、黒い塊を切り離す。

黒い塊――爆弾を見ながら、提督には確信めいた予感が去来した。

これは当たると。

そして――出雲をそれまでとは明らかに違う揺れが襲った。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



一章 と号作戦



新年を迎えてから一週間。

クリスマスに正月と、横須賀鎮守府に訪れたにわかに浮き足立ってにぎやかな日々はあっという間に過ぎていった。

まだ鎮守府のそこかしこに浮ついた空気は漂っているが、提督や艦娘を取り巻く環境はいつまでもそれに浸っているのを許してくれない。

トラック泊地攻略作戦、頭の字を取って『と号作戦』。その発令が三月中旬に予定されているために。

「鳥海、椅子はこの辺りまででいいの?」

「ええ、横に広く取った方が前を見やすいでしょうし」

鳥海を始め夕張や明石といった艦娘、他に何人かの手伝いの艦娘に妖精たちが、ドックに椅子や映写用の機材を持ち込み設置を進めている。

この日は府内で作戦会議――実際は内容の確認にも近いが、行う予定だった。

参加するのは哨戒や遠征任務に携わってない艦娘全員で、それでも百名を優に超えている。

作戦室ではそれだけの人数を収容できないので、ドックに椅子や機材を持ち込むことに。

準備が終わる頃になると提督も顔を出す。

白色の二種軍装を着込んだ二十代の男。外見にはあまり特徴が見受けられない。

階級章は准将を示している。元々この階級は制定されていなかったが、深海棲艦による侵略が始まったのをきっかけに准佐とあわせて正式に制定されていた。

「会場はこれでいいですか?」

「ああ、助かる」

鳥海は提督の補佐役である秘書艦を務めている。

二十歳前後といった容姿で、フレームレスの眼鏡に深紅の瞳、絹のような黒髪を流していた。

翠緑と白を基調にした明るい色合いのジャケットとスカートという組み合わせで、改二と呼ばれる上位艤装と一緒に支給された制服である。



「あの、司令官さん」

提督の呼ばれかたはいくつかある。

多くの艦娘は提督と呼ぶが、鳥海のように司令官という呼び方も多いければ、それらにクソとかクズと呼ばれる本人曰く素敵な修飾語をつけて呼ぶ者もいる。

「本当にあの話もするんですか?」

「話すのが筋だろ。顰蹙は買うだろうが」

「司令官さんがそれでいいのなら構いませんけど……」

鳥海は言葉を濁すが、言外では提督に翻意を望んでいたのも確かだった。

提督も鳥海の本心には気づいていたが、あえてそこには口を挟まない。代わりに気楽な調子で言う。

「色々あったよな。俺はもう提督に任命されて二年は過ぎたし、鳥海も秘書艦になって一年ぐらいか?」

「そうですね……色々ありましたね」

「初めからすごかったよな、鳥海は。言うこと聞かない島風にビンタしたり、摩耶と演習中に殴りあったりとか」

「あ、あれは……!」

鳥海は顔を赤くする。実際に誇張でもなんでもなかったが、鳥海からすれば結果は別にして、過程のほうはできるだけ忘れておきたい類の話だった。

しかし彼女も言われてばかりにはならない。

「司令官さんだって木曾さんとの一件で大騒ぎを起こしてるじゃないですか!」

「違いないな」

あっさりと提督はいなしてしまう。

鳥海としては的確に急所を突いたつもりだったが、提督からすれば急所以前に反撃ですらなかった。

提督は愉快そうに鳥海に笑ってみせる。



「俺も鳥海も、みんなだって多くのことを体験してきてるし、中には変わったなって思うやつだっている。だから大丈夫、って言いたいんだ」

「私はいいんです。司令官さんを信じてますから。でも、みんなが指輪をどう思うかまでは……」

「出たとこ勝負だな」

提督の言葉に鳥海は笑い返す。この人は自分を曲げないんだと、そんな風に再確認して。

口にこそ出さないが鳥海も提督の変化を感じていた。

たとえば以前の提督ならこういう時に、半ば不安を隠すように特徴的な含み笑いをしていたが、それをしなくなっている。

理由を尋ねた鳥海に、提督は木曾との間に踏ん切りがついたと答えていた。

鳥海は木曾とも仲がよかったが、その話には深く踏み込まなかった。

二人には二人の事情があって、それはいくら鳥海でも簡単に立ち入っていい話じゃないのは理解していた。

というのも提督と木曾の関係というのは、沈めてしまった艦娘とその生まれ変わりの艦娘という間柄だからだ。

それが元で『事故』が起きるぐらいにはこじれた関係だったが、それは今では解消されたように鳥海の目には映っている。

鳥海からすれば、提督と木曾の二人は旧知の仲のようだし、『事故』を経てむしろ互いに余計な遠慮をしなくなったようにも感じていた。

だから彼女は提督に限らず、変化そのものに肯定的だった。



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一同が集まったのを見て、提督がと号作戦の説明を始める。

「すでに知っての通り、この作戦はトラック諸島を深海棲艦から解放し、速やかに拠点化するのが目的になっている」

設置したスクリーンにトラック諸島の地図が映し出される。

艦娘たちに馴染みのある四季島など和名としての表記ではなかった。

また敵の規模を示すバーが島々の横に描かれていて、春島と夏島を中心に深海棲艦は陣取っているのが分かる。

他にも近海を遊弋する深海棲艦の集団もいくつか確認されていた。

「まずは数次に渡り、危険な威力偵察を行ってくれた天龍、龍田、球磨、多摩、飛鷹、隼鷹。並びに朝潮型の面々に感謝する」

提督が深く頭を下げると、思い思いの声が返される。

「ま、こういうのは経験値が物を言うし、なんたって世界水準だからな」

「意外と優秀な球磨ちゃんにかかれば朝飯前クマ」

「つまんない任務じゃなくてよかったわ。こういうのでいいのよ、こういうので」

「多摩はコタツで丸くなっていたかったにゃ……」

ざわめきにも似た声が一通り収まってから、提督は説明を続けていく。




と号作戦の完遂は戦略上の観点で必須とされた。

深海棲艦の主立った侵攻ルートはソロモン方面の南太平洋からになっている。

トラック諸島を奪還することで太平洋の制海権をより強固にし、同時に深海棲艦の活動範囲を大幅に制限する目論見があった。

それだけに、と号作戦は敵地への上陸作戦として計画されていて、攻略後はいかに迅速に拠点化するかが鍵とされている。

「まずは海上戦力と陸上の基地航空隊を撃滅し、その上で春島に上陸作戦を敢行する」

艦隊は大きく三つに分けられている。

正規空母を中核とした機動部隊。基地航空隊に先制攻撃したあとは有機的に動いて敵艦隊の撃破を目指す。

戦艦を中核とした水上打撃部隊。これは夜陰に乗じてトラック諸島に艦砲射撃を加えつつ、必要に応じて敵艦隊の撃破も。

そして上陸船団を含めた輸送艦隊とその護衛艦隊となる。

作戦では陸軍の一個師団が上陸作戦を行う。師団の人員は施設の設営隊や保守要員が多数を占めている。

構成もさながら上陸部隊の規模が小さいのは、陸戦の発生が想定されていないためだった。

というのも人の手では深海棲艦を傷つけられないから、そちらにはあまり力を入れられない分、人員を絞ったという事情がある。

妖精からの情報で火炎放射器の類なら深海棲艦でも怯ませるぐらいはできるらしく、火炎放射器で武装した特殊部隊も帯同するがそれも一部でしかない。

いずれにしても決定打にはならないため、船団護衛を務める艦娘も一緒に上陸する予定になっていた。



「それと今作戦では俺も出雲に乗艦して水上打撃部隊に加わる。よろしく頼む」

提督は文字通りの司令官として陣頭指揮や戦況分析、上陸後には泊地設営の指揮も執る手筈になっていた。

また打撃部隊で運用される出雲型輸送艦には、先行上陸のための装備や資材も積み込まれている。

提督は一同の反応を窺うが、すでに話し合っていたこともあってか反対の声は挙がってこない。

といっても表面的な反応なのを承知していて、少なからず不服に思う者がいるのも理解している。

提督が前線に出るという判断には、艦娘たちの間でも当初から意見が割れていた。

意思決定のできる責任者を、危険な前線に帯同させるのは本末転倒じゃないかというのが反対理由だった。

実際、提督の身にもしものことがあれば、作戦の遂行どころか今後の鎮守府の運営にも支障が生じてしまう。

加えて作戦の統制をする以上は、敵の勢力圏内であっても無線を使わなくてはならない。

隠密性を捨てるだけでなく、単独での自衛が難しいのも反対理由に上った。

これが平常の作戦なら艦娘も提督を海に出させなかっただろう。



しかし基地設営の対応は彼女たちには荷が重過ぎるし、そもそも誰もそのやり方を分かってない。

陸軍に丸投げしてしまっては臨機応変な対応ができなくなってしまうかもしれないし、艦隊や輸送船団への被害によって作業の優先順位も変わってくる。

そうなってくると提督に頼るのが一番だと、そんな結論に行き着いていく。

と号作戦に合わせて、妖精によって既存の装備が大幅に更新されたのも提督の起用を後押しした。

特に電探や通信周りの機能が大幅に更新されていて、一足飛びかそれ以上に性能が向上している。

というより向上しすぎてしまい、艦娘たちが前線で交戦しながら処理できる情報量を超過していた。

ここでも白羽の矢が立つのは提督で、一歩引いた位置にいるのだから指揮を執るなり適切な情報を選り分けて与えればいいという話になってくる。

こういった事情で、今回の作戦は提督に出張る意義は大いにあった。

艦娘たちもそれらの点を踏まえて話し合い、その話し合いも結局のところはある一点に集約する話でもあった。

提督の身の安全をどこまで重視して、何よりも優先させるのかと。

その線引きと境界を見定めようとしている内に彼女たちは決めていた。

提督にも同じところで同じだけの危険を背負ってもらおうと。



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「作戦に当たって、絶対に撃破してもらわなきゃならない相手がいる」

画面に上空から見下ろす形で撮られた白い女の映像が現れる。

女の頭には角が生えているが、粒子の粗い映像では表情や目つきまでは判別できない。

威力偵察のさなかに彩雲が撮影してきた映像で、そこでは白い女が手を振り上げる。すると女の周囲の地面から深海棲艦の使う艦載機、通称たこ焼きが生成されていく。

彩雲は迎撃を避けるために後退したので、この映像はここまでだった。

後の偵察で陸地に陣取ったまま戦艦と同等以上の砲戦能力も有しているのも分かっている。

白い女は深海棲艦で、姫という仮称で呼んでいた。

最初にそう呼び出した艦娘の一人は鳥海で、たとえば彼女などは姫という単語からいつかの島風を叱る原因となった海戦を思い起こす。

その戦闘で沈めた深海棲艦が姫に許しを求めるようなことを言っていたのを覚えていたからだ。

深海棲艦の言葉というのは意味を為してない場合が多いが、今ではそうとも言いきれないのではと考えるようになっていた。

「大本営は正式にこの相手を姫級と定め、この女を港湾棲姫と名づけた。港湾棲姫を撃破するのが作戦の鍵だ。こいつは他の深海棲艦と違って陸上でも活動できるらしいからな」

この港湾棲姫を除いて陸上で長時間活動できる深海棲艦はそれまで確認されていなかった。

「港湾なんて名前がついたが、要塞を相手にすると想定して動いてもらいたい。そして俺たちの手元にある姫の情報は限られてる」



一通りの説明を終えた提督は、作戦の質疑応答に移る。即座に長門が手を挙げた。

「港湾棲姫とやらだが、陸上にいるならやはり三式弾で攻撃するのか?」

「そのつもりだが場合によっては徹甲弾も使ってもらう。戦艦と同じ火力なら、打たれ強さも最低そのぐらいは見積もらないといけないし装甲を抜けなかったら話にならないだろ」

長門が納得したように頷くと、今度は夕立が手を大きく振る。

「島には陸軍の人たちが上陸するっぽい?」

「そうだ。施設を建ててくれるのは彼らなんだから、あまり失礼のないように」

「じゃあ陸軍さんと仲良くしておけば部屋を豪華にしてくれるっぽい?」

あっけに取られたような反応を周囲の面々がする中、すかさず白露が乗っかっていく。

「じゃあ白露型にはいっちばんいい部屋を作ってもらわないとね」

「ちなみに白露型は打撃部隊に就いてもらうから陸軍さんとは接点薄いぞ」

「そんなぁ……」

うなだれる白露に睦月が勝ち誇る。

「にゃしし。これは護衛輸送のエキスパートである睦月型の一人勝ちなのね」

そもそも部屋の造りが優遇されるわけないだろう、とはその場の大多数が思ったことだった。

その後もいくつかの質問が続いて一通りの質問が出揃ったであろうところで、提督は咳払いを一つ。

「最後に一つだけ聞いてほしい」




提督がある物を全員に見せる。指輪だった。

妖精が作った物で高練度の艦娘が身につけることで、その効果を発揮し艦娘たちにさらに力と伸び代を与えるということ。

そして、その契約を『ケッコンカッコカリ』と呼ばれているのを提督は伝える。

その話を聞いて艦娘たちは、いよいよ提督と鳥海がそのケッコンを結ぶのかと思った。

二人の関係は鎮守府では公然の秘密だった。

二人の関係をどう感じるかは個々人によって分かれるが、とにかくそういう話なのだと誰もが予想した。

しかし、そういった予想にそぐわないことを提督は言い出す。

「この指輪を近い内に全員に配る。だから、あれだ」

提督は一息。おもむろに正座すると両手を付き、額が床に付くまで頭を下げる。

いわゆる土下座だった。

「みんな、俺とケッコンしてくれ!」

艦娘一同は固まった。事前にどんな話をするのか相談されていた鳥海も例外ではない。相談こそ受けていたが、こういう言い方と行動に出るとはまったく想像していなかったからだ。

固まる艦娘の中から、いち早く足柄が柳のように左右に体を揺らして立ち上がると、提督に指を突きつける。

顔を赤くした足柄は一同の思いを代弁した。

「ケッコンどころかジュウコンじゃない!」

ひとまず、こんな形。
週に一回は更新していきたいと思います。

一瞬オーラロードが開かれたのかと思った

またキミか
本当に鳥海を愛してしまっているなあ

>>17
きらめく光にうたれることはないのです

>>18
褒め言葉ですね! ありがとうございます(末期



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



提督の要求はすぐに波紋を呼んだ。

何か事情があるのだと斟酌する見方もあったし、指輪のメリットを好意的に受け止める声もある。逆に困惑や反発、遠慮といった否定的な意見も多い。

いずれにしても混乱を招くのを提督は承知していたので、一人か二人ずつとの面談を随時行う形にしていた。

すぐに長蛇の列を作って順番待ちになった面談で、最初に提督の前に現れたのは色違いのセーラー服を着た姉妹だった。

多摩と木曾の球磨型姉妹で、次女の多摩はショートヘアーにあどけなさを残した顔立ちをしていて、末女の木曾は右目を眼帯で隠し黒い外套を肩にかけるという格好をしている。

二人は応接用のソファーに深々と座ると早々に木曾が切り出す。

「で、どうしてあんなことを言いだしたんだ?」

「ハーレムを作ってみたくなって」

「それ、冗談でも本気でも大井姉には言わないほうがいいな」

「大井は純だから、そういうのを毛嫌いするにゃ」

提督はその様子が容易に想像できて乾いた声で笑う。

大井は球磨型の四女で、あまり容赦のない性格をしていた。

提督の反応に木曾は呆れたようだった。

「笑い事かよ。改めて聞くけど理由があるんだろ」




「理由も何も、俺は誰にも沈んでほしくない。だから自分にできることなら、できる限りやろうと思ったんだ」

「そのための指輪ってことか? だったら他の言い方はなかったのか。指輪の効果だけ話してケッコンカッコカリか? それは伏せとくとかさ」

「それはそうなんだが、秘密にしてたらどこかで発覚した時に騒ぎになるだろ」

「もう騒ぎになってるぞ。訓練は遅れて始まるわ、集中できてないやつもいるわで神経質になっててさ」

木曾は言葉を切ると、考え込むように両腕を組む。

少しだけ間を置いてから再び話し出す。

「……騒ぎ自体はまあいいんだ。俺を振っといてケッコンなんて勝手をよく言ってくれたなって思ったけどな」

「……すまない」

提督としては他に言いようがなかった。木曾もそれは分かっているのか、盛大にため息をついた。

ため息はそのまま執務室の空気に見えない重圧を上乗せする。

「提督の考えは分かったし、それが俺たちのためなのも理解はできるんだ。提督を支持するって意味でも、俺だって……俺みたいなやつほど指輪を受け取ったほうがいいとも」

「だけど受け取りたくはないんだろ」

「わりぃ、もう少し考えさせてほしい」

「いいんだ。俺が無神経なんだから」

「本当に無神経なら、初めから命令って言っておけばよかったにゃ。そうすれば誰も断らないにゃ」

多摩が言葉を引き継ぐ。



「提督は甘いにゃ。しかもずるい。自分も納得してないくせにケッコンしようなんて。なのに選択の権利をこっちに残すなんて身勝手にゃ」

「そうかも……いや、そうだな」

「まったく提督らしいから多摩は受け取るにゃ」

「うん……ん?」

真顔になって聞き返す提督に、多摩は猫なで声のように穏やかな声をかける。

「何を驚いてるにゃ。多摩は納得したからカッコカリしてあげるにゃ。信じてあげるんだから、もっと感謝するにゃ」

「いいのか?」

「くどいにゃ。多摩の気が変わらないうちに指輪を渡すにゃ」

「ああ……でも指輪はまだこれからなんだ」

「それはがっかりにゃ……代わりに何かお礼をよこすにゃ」

「多摩姉……あんま、がっつくのはどうよ?」

緩くなった空気に木曾も表情を崩していた。

提督も相好を崩して思いつきを口にする。

「じゃあ……よし、かつお節をやろう」

「やったにゃー! って多摩は猫じゃないにゃ! かつお節なんかで!」

「いらないのか」

「ほしいにゃ!」

木曾は保留、多摩はかつお節と指輪を後日受け取るということで話が付いた。

部屋を出る段になって、木曾が提督に話しかける。

「できることをやるって話だけどさ、何かあったのか?」

「あったと言えばあったのかな」

「そうかい」

提督が曖昧にぼかすと、木曾も深くは掘り下げようとはしなかった。

それでも提督は思い返していた。きっかけに当たる出来事を。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



薄明の空の下、枯れた姿を剥き出しにした桜並木が続いてる。

そんな味気ない景色に囲まれた車道を提督たちを乗せた軍の所有車が走り抜けていった。

年明け後の三月に予定されている、と号作戦の会議のために霞ヶ関にある海軍省に出向していた。

会議は翌日からで、この時に移動している理由はそれとは少し違う。

宿泊先の旅館に移動し、そこで人と会う約束になっていたためだ。先方の一方的な都合による約束で、相手が誰か分からない。

きな臭い動きを提督は感じるが、普段から中央とは遠い位置にいる身ではその正体は掴めなかった。

提督は寒々とした景色が流れていくのを見ながら、ガラスに映る自分の姿を目に止める。

普段と代わり映えしない格好だったが、一つだけ違う点があった。戦功を示す甲種勲章も垂らしている点だ。

馬子にも衣装。そんな感想を抱く提督の隣には秘書艦の鳥海が座っていた。

話しかけず、鳥海という艦娘を提督は振り返る。

鳥海はいわゆる艦娘で高雄型重巡の四番艦、それが彼女だ。




艦娘とは何か、という質問は少々厄介だった。

三度の世界大戦の内、二度目の第二次大戦時に使われた軍艦が女の姿を模して生まれ変わった存在。そう目されている。

実際のところははっきりしていない。

彼女たちが当時の軍艦の記憶――艦そのものというより、乗員たちの記憶や言動も内包した集合知のような記憶を有してるのは確かだ。

かといって、彼女たちの性格が必ずしもその背景に引きずられてるわけでもない。

そして人間と変わらない姿であっても、彼女たちは人間とは体の作りが違う。

艦娘の存在こそ世間に知られているが、軍機に関わるために詳細は伝わっていない。

それ故に巷では艦娘たちの様々な噂や推測、時には風説も流れるが、そのほとんどが真に受ける類のものではなかった。

そして提督は彼女たちについて確信して言えることがある。

艦娘は信頼できる、と。



「見てください司令官さん。大売り出しですって。あれはデパートって言うんですよね」

少しはしゃいだ様子の鳥海につられて、提督も彼女が見ている側に視線を移す。

鳥海は普段通りの翠と白のセーラーだが、車内なので帽子は脱いで膝元に置いていた。

弾んだ声が質問を続ける。

「もうすぐクリスマスで、すぐ後は歳末ですよね。やっぱり売り物も安いんですか」

「どうかな。物品の流通が安定したのも今年に入ってからだから」

提督はそう答えてから、なんとも味気ない答えに思えて付け足す。

「この時期は個人商店でもあそこに見えるようなデパートだろうと、いい物を売り出そうとするんだ。歳末が近いし、なんて言ったって縁起物で一年の計は元旦にありとも言うだろう」

「はい」

「ところがいい物はやっぱり高いし、安くなってても高い物は高いから、体感的には逆に高くなってるように感じるかもしれないな」

「なるほど……そういうのは知識しかないから参考になります」

そう言うと彼女はまた車外に視線を戻す。

「さっきから外を楽しそうに見てるな」

鳥海は嬉しそうに頷く。




「普段は航行しても海と空しか見えないじゃないですか。陸はやっぱり珍しいですよ」

その言葉から提督には一つの想像が浮かんでくる。

鳥海が背を向ける形で海に立っている。彼女の先に広がるのは青い空、白い雲、穏やかな波間、そして彼方の水平線。

狭間にある者とは人間――そんな由来で己を名乗ったのは空海だと思い出し、鳥海と空海という言葉は似てると連想する。

そこに過去の高雄型につけられていたというあだ名を思い出す。先人もおそらく同じような連想をしたのだろうと考えて。

「鳥海法師」

「……知ってて言ってるんですか? その呼び方は今聞いてもどうかと思います」

「後光が差してそうなのに」

「でも高雄夫人、愛宕姫、摩耶夫人と続いての法師なんですよ。私だけなんだか違いますよね」

鳥海は窓の外に視線を戻してしまう。

窓ガラスに映る鳥海の顔を見て提督は自然と笑ってしまい、同時にもしも人目がなければ抱き寄せてしまいたくなる衝動に駆られる。

熱を上げるってのはこういうことか、と胸中で呟くに留めた。




そうして車が向かった先は料亭も兼ねている古い旅館で、高級将校が利用する場所には見えない外観をしていた。

街道から外れた側道の脇に位置しているのも印象の悪さに一役買った。

茶色の建物は汚れた藁を寄せ集めたようで、屋根はまるで光を映さないような黒さだった。

どうかすると廃屋のように見えてしまう店構えで、屋号を示す看板が辛うじてそこが旅館だと伝えている。

もっとも草書体をさらに崩したような文字で書かれているので、何を書いてるのか二人には読めなかった。

その外観に提督はさすがに警戒した。

「すごいですね」

そう鳥海は言う。どうすごいと思ったのかは分からないが、少なくとも怖がってる様子ではなかった。

身の危険に繋がらないなら恐れる必要はない、とでも考えているのか。

運転手を務めていた少尉は逃げるように帰ってしまい、しかも出迎えに現れた女将が痩せ細った幽鬼のような女ならば余計に不気味に感じるのも仕方ないはずだ。

女将は最低限の言葉を交わすと、提督たちを丁重に奥座敷にまで案内した。

余計な言葉を交わさないのは女将の性分なのか、二人の身なりから立ち入らないほうが賢明と判断した処世術かは判断が付かない。

提督と鳥海と奥座敷で二人になると、見えない荷物を下ろすように脱力した。

明かりは電灯がちゃんと点いた。ろうそくの火で明かりを灯しそうな気配だったが電気は通っている。

「一体こんな所でどなたにお会いするんでしょう」

「さあな。こんな場所を選ぶんだから物好きだろうが」

それ以上に内密に済ませたいという意図を提督は感じていた。



「物の怪や鬼の類が出てきても、ここなら俺は驚かないよ。案外やんごとなき身分の御方かもしれないし」

そう言いながらも彼は自身の言葉をまるで信じていない。

そういった人間が会いたがるような理由を持ってないと、そう考えているからだ。

「会ってみれば分かりますよね。それにしても……」

鳥海は楽観的に考えているが、古い旅館の言わば出てきそうな雰囲気には思うところはある。

「司令官さん、もしお化けが出てきたら鳥海を守ってくれますか?」

「あー……鳥海が逆に守ってくれると信じてる」

「そこは守ってやるって言うところですよ」

「ちっとも怖がってないのにどうして守るんだ?」

「もう……」

口を尖らせる鳥海に提督が笑い返すと、彼女もまた笑い返してきた。

「そういえば明日の会議では准将とお呼びしたほうがいいのでしょうか?」

「普段通りで構わないよ。准将なんて怪しい階級だし」

鎮守府ではもう馴染んでいるが、准将という階級は制定されてまだ日が浅い。必要に迫られて制定された階級でもあった。

制定には華々しい理由があったわけでなく、むしろ世知辛い事情がある。

深海棲艦との戦いでの多く戦死者を出してしまい、その遺族への給付金が発端だった。

膨大な戦死者の数は天文学的な給付金へと繋がり、そこで新たに准将と准佐を設け特進後の階級をそこに収められるようにし給付金を少しでも抑えようと試みられた。

半ば詐欺に近い所業ではあったが、深海棲艦の苛烈な攻撃が結果的にそういった矛先も逸らした。

加えるなら、提督の場合は箔をつけるために准将という位置に据えられたというのも。

ハンモックナンバーが低く出世街道から外れている若輩者を早いうちから正規の将官になどしたくないという年長者の都合だ。

急場の階級であるため准将が将官か佐官かという点も曖昧だった。が、彼が特進しても少将で止まるのは容易に想像できる話だった。そのための准将という階級だ。



「それに鳥海が普段通りに呼んでくれると安心できるんだ」

「安心ですか?」

「ああ。鳥海の声は優しいからな」

「優しい……やさしい……」

鳥海は呟くと考え込むように俯く。ちょっとしてから顔を上げる。

「ありがとうございます。司令官さん」

鳥海の話し方は早すぎず遅すぎず、すんなりと心に落ちてくる。

そういう所を彼は気に入っていたが、同時に単に惚れた弱みではないかとも考えていた。

それから他愛のない話をしていると料理と酒が運ばれてきた。和食のコースに日本酒とビールという取り合わせらしい。

そして店構えに反して、料理は至極まっとうだった。

料理が並び終わって程なくして、二人に会いに来たという人物も姿を見せる。

白の帽子とセーラー服の少女。妖精だった。

明るい色の髪をした妖精は白猫をどうしてか吊すように持ち上げている。




「はじめまして提督さん、秘書艦さん。わざわざご足労頂きありがとうございます。どうぞ楽にしてください。無礼講というのでお願いします」

妖精は勝手に座るので二人も向かい側に座った。

基本的に妖精は人語を口で介さないが、この妖精は例外だった。

しかし、それ以上に提督は猫が気にかかっていた。白猫は座った妖精の太ももに下ろされてはいるが相変わらず吊されている。

妖精も猫も笑っているように見えたが、真意を読み取れない表情とも取れる。

そもそも猫が本物なのかも定かではなく、彼は聞かずにはいられなかった。

「その猫は?」

「混沌の象徴。平たく言えばマスコットです」

煙に巻かれているのかもしれない。そうして猫を気にしてはいけないのでは、と思い至った。

解放された猫は膝の上で丸くなる。

「それと今日はもう一人来ています。秘書艦さんにも関係のあることです」

「私にですか?」

「どうぞ入ってください」

妖精に促されて入ってきたのは提督も鳥海もよく知っている顔の艦娘だった。

そして、いるはずのない艦娘でもあった。

「なんで……!」

鳥海が驚愕の声を上げる。

その艦娘は提督を見て、それから動揺する鳥海と見つめ合う。

艦娘は本当に嬉しそうに微笑む。

「はじめまして。私が、私も鳥海です」

二次改装前のセーラー服を着た鳥海がそこにいた。

今夜はここまで

面白い
期待

好き勝手にやってるだけでも、そう言われるのは嬉しいのです
今夜もだらだらと




「やっぱり驚きますか?」

「なんだこれは。どうして鳥海が二人もいる?」

提督は二人目の艦娘という前例をよく知っている。

しかし同一の艦娘が二人同時に存在するとは想像していなかった。

「お二人をお呼びしたのは今後のことや彼女について話しておきたかったからです」

そう言いながら妖精は箸を手に取る。

「まずは食べながらにしませんか。冷めてしまいますし」

「話を先にしてくれないか」

「お腹空きましたが……見ての通り、彼女もまた鳥海です。木曾を沈ませたあなたには初めてではありませんね」

「……ああ」

その一言に猫が耳を立てて体を起こす。裏にある感情を読み取ったようだった。

一方、提督の手には鳥海の手を重ねられた。

案じる顔に見上げられるのを提督は視界の端に捉え、自分の感情を抑える。

鳥海が提督の代わりに訊いていた。

「もう一人の私が木曾さんと同じなら、私たちには本者も偽者もないんですね?」




鳥海が代わりに訊くと、妖精も提督と鳥海を交互に見てから答える。

「気分を悪くしたのなら謝りますがそうです」

臆した様子もなく妖精は答える。

今の木曾は言わば二代目で、先代に当たる木曾は過去の海戦で沈んでいた。

二代目は先代の記憶と感情を部分的に引き継いでいて、それが問題を引き起こしもした。

「あなた方がご存じのように二人とも本質的には同じ存在だと言えます。個々の人格や体験は別ですが、鳥海という艦娘であるのに変わりありません」

「じゃあ……」

鳥海は新顔の方に向き直る。話し始めるまでに間があるのは、どう呼ぶのか決めかねたからだ。

彼女は相手を名前で呼ぶことに決めた。

「鳥海。あなたは私の記憶や気持ちを共有してるの? 私にはそんな感覚がないけど」

「一方的に私が知ってた、というのが正しいみたいです。私が二人目として形を為すまでなら、あなたに何が起きてどう感じてきたのか……それは分かってるつもりですよ」

新顔の鳥海は笑う。

両者は同じような顔に同じ声をしているが、よく知る者が見れば笑い方や目線の動きなど微妙な仕種はなんとなく違うようには思える差異がある。

それでも二人はよく似ていて、一緒にいるから違いが分かるだけかもしれない。

たとえば服を入れ替えてしまったら区別がつかないのではと、提督は一抹の不安と難しさを感じた。




「最近になって二人目の艦娘が増え始めてきています。睦月型や特型駆逐艦、それに大淀など」

「大淀って軽巡の大淀か? そもそもウチにもいないのに」

「彼女には我々と人間との橋渡しをやってもらっていましたので。と号作戦に合わせて、そちらには二人目の大淀が配備されるはずです」

戦力の増強はありがたい話だった。と号作戦を考えれば戦力の底上げを図れるのなら、それは歓迎すべきだった。

その時、猫が気の抜けるような声で鳴いた。

「もう食べますよ」

周りなどお構いなしに妖精はついに料理に手をつけ始める。

二人の鳥海は提督の顔を見る。意向を伺うような顔に苦笑するしかなかった。

「俺たちも食べようか」

緊張していると損をしているような空気になっている。

だったら、そんな空気に乗っかってもいいじゃないかと考えて。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



食事が一段落した頃を見計らって、鳥海たちは互いに二人だけで話したいと言いだした。

妖精は初めからそのつもりで、提督としても断る理由はなかった。

外に行くという二人に、提督は風邪だけは引かないように伝えると鳥海たちは連れたって部屋から出て行った。

必然的に提督と妖精が一対一で話すことになるが、後に残された提督と妖精、そして猫はしばし無言になる。

しかし提督はこれはいい機会だと考えて妖精にある疑問を投げかけた。

「艦娘と深海棲艦が何者か、ですか?」

「ああ。それに妖精もなんなのか教えて欲しい」

妖精は真意の読めない笑顔のまま、猫の腹を撫で回していた。

「難しい質問ですね。人間に人間とは何かを問うてるのと同じです」

「人間だったら万物の霊長だったとか、朝昼夕で足の本数が変わる生き物だと答えられる」

妖精は逆に聞き返す。

「それを知ってどうするんです?」

「分かれば戦いの終わらせ方も見つかるかもしれないだろ」

猫を撫でていた妖精の手がしばし止まる。

表情は笑顔が張りついているが、頭のほうでは提督の発言を吟味している。

そして、また聞き返した。

「終わらせていいのですか?」




その問いかけは提督の虚を突いた。しかし、彼もすぐに気を取り直して言い返す。

「当たり前だろ」

「しかし艦娘は兵器と見なされています。特にあなたたち人間はそうであるのを求めている」

「確かに世論はそうだろうし、艦娘たちだって自分たちが兵器なのを否定しないよ」

むしろ艦娘たちは兵器という自己を肯定している。彼女たちにとって軍艦の依り代であるのは当然であって、兵器としても同様だった。

「抑止力という概念はありますが、結局のところ兵器というのは使われてこそ意味を持つのです。戦争が終われば艦娘は存在意義を失うのでは」

「兵器でしかないなら、そうなるだろうな」

艦娘たちは確かに兵器だが、それは側面の一つに過ぎないし、側面は本質の一面であって全てではない。少なくとも提督はそう捉えている。

「そんなことを言い出したら兵器でもないのに、それを扱って戦いたがる人間はどうなるんだ」

どうしようもない暴力性を秘めて、自分は無害だと謳いながら拳を振り上げ銃を手に破壊を命じることもできる人間は。

兵器以上に兵器らしいじゃないか。小さく吐き捨てると、提督は頭を振った。

彼にはこのやり取りがひどい茶番に思えている。

妖精は質問をするばかりで、提督の疑問にはまだ何も答えようとしていない。




「……俺はお前とは駆け引きを楽しむつもりなんてないよ。だから言っておく。戦争なんざなくったって艦娘はもう好きにやってける」

「それは興味深いですね。彼女たちには人権さえないのに」

「そんなのも要らないさ。人に合わせる必要がない」

妖精は笑顔のまま首を傾げた。

本当は分かってるだろうに、と提督は思う。

深海棲艦との生存戦争は人間が欠けてもやりようはあるが、艦娘や妖精が欠けては成り立たない。

万物の霊長。そこにいるのは艦娘か深海棲艦か、あるいは妖精たちか。

いずれにしても深海棲艦が姿を現した時に、人間はその座から転落していた。

「艦娘はとっくに人の手でどうこうできる相手じゃないし、そうでなくたって……艦娘は艦娘だ。権利は押しつけられるものじゃない」

これではまるでパラノイアだと提督は思い、悪友の軍医の悪癖が移ったのかもしれないと自嘲した。

「提督さんは今、己の一存で人という種の存亡に関わる話をしているのかもしれませんよ」

「笑えるな。たかだか一人の意思で人が滅ぶものかよ。人間は抗う生き物だしな」

話が逸らされているのを自覚し、提督は軌道修正しようと試みる。

「なんにせよ物事はいつか終わらせなくちゃならない。深海棲艦との戦いは人間が始めたわけじゃないが、落とし所は見つける必要がある」

「見つからなければ?」

「おそらく負ける。俺たちは深海棲艦についてほとんど分かってないんだぞ」




妖精が何事か言い出す前に、すぐ提督は言い足す。

自身の問いかけの出発点を。

「俺はもう誰にも沈んでほしくない」

提督が艦娘を率いるようになってから、先代の木曾を除いて戦没艦は誰もいない。

それを提督は奇跡のような確率だと思っていたし、奇跡というのがいつまでも続くわけもないと分かっている。

妖精は提督を見ている。その瞳は水底のようだった。

「秩序と混沌」

急に妖精は話の繋がりが分からないことを言い出す。

戸惑う提督に妖精は言葉を続ける。

「光と影、朝と夜、私と猫。プラスとマイナス。どういうことか分かりますか?」

「……表裏一体?」

「そうなんです。我があって彼があり、彼がありて我もある」

提督は思い浮んだままに言っただけだが、妖精が望んだ反応だった。それでも妖精と猫が反対というのは提督にも分からなかったが。

「艦娘と深海棲艦も本来ならそういう関係でした。今は均衡がだいぶ崩れてしまいましたけどね」

「さっきの喩えで考えるなら、どっちが欠けてもおかしくなるのか」

「はい。そして我々が双方についてお答えできるのはそれだけです」

「もったいぶった割りには生かせるような情報じゃなさそうだな」

「ええ、お恥ずかしい限りです」

変わらない表情のまま妖精は言う。

これ以上は教える気がないと自白しているぐらいだから、本当は恥じてないのだろうと提督は思う。




「我々についても多くは語れませんが目的は提督さんと同じです。彼女たちを失いたくはありませんし、幸せになってもらいたいのです」

「まるで親みたいだ」

皮肉だった。通じたのかは定かではないが妖精は頭を振る。

「我々はそのような大それたものではありませんよ。私たちはただ艦娘のために存在しているだけで」

「私たちの中には人間も含まれているのかな」

「どうして、そのようにお考えを?」

「さっきも言ったが人間がいなくても艦娘たちは成り立つからだ。でも、その逆は……」

妖精は猫を撫でながら少しの間を置いて言う。

「我々なら支配には興味ありません。流儀でもないので。もしかして提督さんは人間嫌いなのですか?」

「……博愛主義者じゃないのは確かだ」

「あなたがもし自分たち人間を軽んじているなら悲しい話です」

変わらない表情で妖精は言う。言葉だけで考えれば同情してるようだった。

「人間はそんなに大層な生き物じゃないぞ」

「そうですか? 我々も艦娘もあなた方から学ぶ点は非常に多いです。なぜ二人目以降の艦娘が生まれてきたんだと思いますか?」

それは提督が知りたいことの一つだった。彼は分からないと正直に答える。

「生きていたいという想い。そこに可能性が加わったためです」

「可能性?」




「提督さんや他の艦娘たち、その他の多くから何かを学び、何かを感じ、いかに考えていくか。その積み重ねが艦娘という存在を豊かにし、同時に新たな可能性を模索するきっかけになるんです」

妖精は手品のようにどこからかサイコロを取り出す。

その手が転がすサイコロは一の目を出し続ける。

「初めはどんなに振っても同じ目しか出てこないのが艦娘でした。それが彼女たちの成長に伴い様々な目が出てくるようになります。サイコロでいえば六ですが、それもすぐに足りなくなる」

妖精は別のサイコロも出していく。十面、二十面、三十面、百面と形と大きさを変えたサイコロが次々と。

「これでも足りなくなる。だから二つ目なんです」

妖精は同じ数のサイコロをもう一度出して並べていく。

「あなたの秘書艦で考えてみると、今のあなた方は互いに切っても切れない関係になっているのでしょう。そうして育まれる可能性がある一方で、提督さんという存在がいない鳥海という可能性は消えてしまう。だから新しい鳥海が生まれてきた」

「……違う人生を歩むために? 艦娘なら人生じゃなくって艦生か?」

「言い方は別にして、その通りです」

妖精の言葉を信じるなら、という前提で提督はその話に納得した。

彼女たちは同じ名を冠して、異なる目を通して世界を見ていくのだと。生きて興味が増えていけば、それだけ別の可能性を求めて。

「切っても切れないといえば、秘書艦さんは指輪をしていないんですね。条件は満たしているはずですが」

妖精は別の話を振ってくる。




一つだけある指輪は鎮守府の執務室に置いたまま、他には誰も存在すら知らないままになっている。秘書艦の鳥海も例外ではなかった。

「カッコカリなんて言ってもケッコンだ。おいそれと渡せるもんじゃない」

「そうですか……彼女たちの身を案じてくれる提督さんであるのなら、我々としては渡しておくのを勧めますよ」

提督は何か言い返そうと思って言葉を呑み込んだ。

指輪を渡さないのはカッコカリという艦娘を無視して人間の都合を前提にしたようなシステムと、妖精に対する言い様のない不安が理由だった。

その一方で身を案じるなら、という部分は引っかかった。もし彼女たちの伸び代が増して強くなるのなら、それは戦場で彼女たちを助ける要素になるはずだと。

それに彼は感じてはいた。自分の不快感と有るかも分からないリスクを盾に、最善を尽くすのを拒んでいるのではないかと。

生じた葛藤を察したように妖精は言う。

「私たち妖精は、艦娘のために存在していると言っても過言ではありません。艦娘や提督さんを騙すような真似はしません」

提督は考える。

信じる信じないは保留にしても、指輪を渡すという選択はもっと真剣に考えたほうがいいのかもしれない。

少しでも後悔したくないのであれば抵抗感などは些細な問題になるのかもしれない。やらない後悔よりもやる後悔、

提督が答えが出せないまま、妖精はまた別の話題を投げかけていた。




「ところで、あの二人を同時に運用できそうですか?」

「同じ艦娘同士で? 反対だな。無理ではないけど俺なら避ける。符丁で区別をつけられるが、それでも同じ艦娘が複数という構図は紛らわしくて混乱を招くだろうし」

そもそも同じ顔をした相手が近くにいるというのは耐え難いことのように提督には思えた。

妖精は感心したように頷くと、猫の前脚辺りを掴んで顔を隠すように吊し上げる。

「提督さんはどうして我々が人間を立てるのか疑問に思っているようですが、今のが答えです。我々には人間の持つ価値観による判断が重要なんです」

「人は……俺は間違えるぞ?」

「学ぶのに正解はないと考えています。そろそろ二人が戻ってきそうですね」

結局、提督からすれば分かったこともあれば分からないままのこと、かえって悩まなくてはならないことまで出てくる有様だった。

「提督さん、我々はあなたを提督に据えたのは正解だと思っています。何かあればできる限り力を貸しますので」

そして……提督は最後の言葉に関しては、あまり信じていなかった。

今夜はここまで
添削で省いたけど、鳥海たちは初体験の感想とか妙な方向の話をしてます

省いちゃダメなトコ省いちゃったか

テンポがあまりよろしくないので削れるところは削らないとね……
ここで変に説明ぶっ込もうとしなければよかったのかもですが



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



提督が面談を行う一方で、執務室の外では鳥海が順番の整理を行っていた。

あまりに列が長くなりすぎたので、現在は記帳式に切り替えて次の一組だけ待たせる形にしている。

待ち時間はまちまちで一組目の多摩と木曾が十分ほどで済んだかと思えば、その後の妙高と足柄は一時間近く話し込んでいた。

こうなってくると鳥海も待つ艦娘も暇を持て余すので、雑談に花を咲かせることになる。

「印象変わりましたよね。髪型は……変わってないと思うんですけど」

「そうかしら? 確かにお下げにまとめる髪は増やしてみたんだけど……変?」

「いえいえ。ボリューム感が出て余裕の表れみたいというか、よりおおらかに見えると言いいますか」

「ふうん、じゃあ今までそうじゃなかったと言いたいのかしら?」

「まさか。叢雲さんのそういう鋭いところは変わらないんですね」

「あら、ありがとう。褒め言葉は丁重に受け取るわ」

鳥海の向かい側に駆逐艦の少女、叢雲が椅子に座っている。

改二艤装への更新に合わせて変わった印象について二人は話していた。

叢雲はタイツに包まれた足を組み背筋を張った姿勢で、利発そうな表情と相まって様になっている。

それでいて張り詰めた気配は微塵もなく、同じ艦娘からも厳しい性格と評されることが多い叢雲だが、今の様子からではそう見えない。




「ところで鳥海はこの件をどう思ってるのよ」

「私ですか?」

「もしかして自分には関係ないって思ってない?」

「ええ……そこまでは」

「あんたねえ……」

叢雲は顔を手で押さえると頭を振る。それでも、すぐに気を取り直す。

「もしかして司令官と私たちが納得するかの話だと思ってない?」

「違うんですか?」

「ううん、あってる。でも判断材料には鳥海も入ってる。だから無関係でもないのよ」

そういうものでしょうか、と鳥海は曖昧な笑みを浮かべた。

そういうものよ、と叢雲は神妙に答えた。

「いい? 例えばそう……磯波とかね。指輪にもカッコカリにも興味あるの。でも、あんたと対立してまではと遠慮するような子よ」

鳥海が考え込むのを見て叢雲は話を続ける。

「他にも例えば……高速戦艦のKとしましょうか。そのKは常日頃から、あいつが好きだと公言してて」

「たとえですか?」

「――たとえはたとえよ。まあ、今回の一件でそういう子も望めばカッコカリできるわけ」

「そうなりますね」

「で、司令官と鳥海で固まっていた仲にも割り込める――そういう望みを持つかもしれない。望みがあるなら諦めない。それが艦娘じゃない?」

「……そうかもしれません」

「だから、あんたがどう思うかも無関係じゃないのよ。主に火種って意味でね」

「……それなら私の答えは簡単です。私は司令官さんの意思を尊重します」

「他の子を優先するようになったとしても?」

叢雲はわざと挑発するように問いかける。

対して鳥海は穏やかに微笑み返した。




「月並みですけど信じてますから」

「何それ、正妻の余裕ってやつ?」

「そういうのじゃありませんよ……でも信じたいだけの理由はあります」

「あー、はい。ごちそうさま。それだけ聞ければ十分よ」

叢雲はたとえという形で聞いたが、彼女もまた遠慮という立場を選ぼうとしていた。

しかし鳥海の様子から、それは懸念だと判断して話を受けようと決める。

少しだけ緩んだ気持ちが叢雲の口を軽くしていた。

「ったく、何があればそこまで言えるんだか」

「気になりますか?」

叢雲はここでちょっと嫌な予感がした。

「別にそこまでは……」

「せっかくだから聞いてくださいよ。司令官さんと何があったか。デートに行ったんですよ。たぶんデートだったと思うんですけど」

「本当にいいから。そういうのは摩耶とか島風とか他にちゃんと聞いてくれそうな人が」

「今ここで話したくなったんです。だめでしょうか?」

もっと強く断るべきだったと叢雲は気づいたが後の祭りだった。

何せ彼女たちは暇を持て余している。

「あれは先日の……」

「あ゛あ゛あ゛あ゛」

藪蛇だったらしい我が身を嘆いて叢雲はあられもない声を上げた。




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─────



と号作戦の会議はつつがなく終了していた。

詳細な作戦計画より発動までの段取りや戦力の配備計画、作戦完遂後にいかにトラック諸島を拠点化し運用していくかを主眼に置いて議論されたためだった。

投入される戦力は横須賀鎮守府に在籍する全艦娘に加えて、それまで未配属だった艦娘が年明けすぐに多数組み込まれることになっている。

加えて改二艤装への更新や新装備の導入も推し進められる。

手薄になる本土の守備には二人目以降の艦娘が就き、また妖精による陸上航空隊も各地に設立、配備されるのがすでに決まっていた。

この陸上航空隊はトラックにも配置されることになっており、と号作戦の輸送艦隊に積み込まれる。

輸送艦の手配から人員の選定、配備など含めて三月中旬を目処に作戦が発動する形で会議はまとまった。

そうして提督と鳥海は来た時と同じように公用車で移動していた。

外の景色を見る鳥海の横顔に提督が話しかける。

「トラックが任地だってな。まるで明智光秀だ」

「そうですか」

至極素っ気ない返事を鳥海は寄越す。

提督は気後れしたが、それでも話し続ける。

「光秀は本能寺の変を起こす直前、信長に領土を転封されてるんだ。まだ毛利領……敵地の国に。奪還もしてないトラック泊地鎮守府提督なんて肩書きの俺とぴったりじゃないか」

「ええ」

「まあ、光秀の転封も後世の創作らしいけどな」

今度は何も答えなかった。鳥海は頑なに車窓から冬の空を見ている。

面白みのない話なのは提督にも分かっているが、彼女が反応しない理由がそこじゃないのも分かっていた。



「何が不満なんだ? 妖精に頼んどいた服のセンスか?」

今の二人は私服らしい格好に着替えている。街中に出るのに制服はあまりに悪目立ちしすぎるためだ。

提督の場合はシャツにズボンとありきたりの格好な上に、セーターを重ねてコートを羽織ってしまえば簡単に人混みに溶け込んでしまうだろう。

鳥海は淡いクリーム色のワンピースに緑のカーディガンを羽織っていて、色合いは普段の制服と同じだが受ける印象はずいぶん違う。

提督は妖精のセンスは決して悪くないと思っている。

いっそ鳥海の服装を評論すれば反応するだろうかと考え始めたところで、鳥海が口を開く。

「……理由はお分かりのはずです」

提督を見る鳥海の眉根は下がっていた。

鳥海は怒っているわけではなく心配している。顔を見れば明らかだった。

「俺が前線に出るのがそんなに不安か? それとも余計な重荷を抱えたくないのか?」

「両方ともです」

「まあ、そうなるな」

「司令官さん、私は真剣に……マリアナで補給するんですから、そのまま現地に留まってくれた方が。あそこにだって基地施設は……」

鳥海の言葉を提督は手で制す。

「と号作戦を完遂するには、俺も現地にいたほうがいいのは分かってるんだろ」

鳥海は言い返さなかった。

遠く離れた場所からでの指揮では判断材料を見誤ってしまうかもしれない。そうでなくとも命令の遅れというのを提督は強く警戒していた。



「迷惑をかけるのは承知してる。だが足を引っ張るだけのつもりはないよ」

「……それでも心配ぐらいしてもいいじゃないですか」

今度は提督が何も言えない番だった。

息苦しくなるような沈黙が続く内に目的地に着いた。

「ここって……」

「ショッピングセンターかな」

二人が立ち寄ったのは日本各地で増えつつある複合型のショッピングセンターの一つだ。

地域密着型の施設で四階建て。その手の施設としては規模としては小さいが、限られた時間を二人で見て回るには十分だと提督は判断していた。

車を降りて、まだ戸惑う鳥海の手を引いて中に入る。

二つのドアを潜れば、センターには家族連れから壮年の夫婦、三十絡みの主婦たちに友達同士の学生やら制服の店員たちと様々な人間がいる。

これで休日だったら人でごった返していたに違いない。特に今はクリスマスが近い。

「待ってください」

鳥海が立ち止まる。彼女としては大して力を入れてないのだろうが、それだけで前に引いていた提督の体が進めなくなる。

「どうすれば?」

「好きにするといい。見て回って欲しい物があれば買っていいし……ああ、金の心配はするなよ」



「では、お言葉に甘えて……」

そう答えるも、鳥海はまだ迷ってるようだった。

仕方のない話ではある。

彼女たち艦娘が市井に接点を持つ機会はほとんどなかった。

個人の買い物は専属の業者に委託して取り寄せるという形式になっている。

以前は提督も艦娘たちの娯楽も兼ねて、鎮守府の敷地内に一般の店舗などを誘致できないかも考えていたが実現はしていない。

軍機の保守と民間人の安全を保障しきれないという二つの問題を解消できないとされたからだ。

それでも提督はそれ自体は諦めていない。トラック泊地での構想も考えているが、まだ絵に描いた餅と変わらない。

鳥海はしばらく立ち止まっていたが、やがて歩き出す。

行き先も歩幅も彼女に任せようと提督は決めた。

最初に立ち寄ったのはファンシーショップだった。

たぬきなのか熊なのか魚なのか、明るい色使いで彩られている掴み所のない顔をしたキャラクターたちが所狭しと並んでいる。

時代や戦況によってはこういうキャラでさえ戦意高揚のために利用されたりするが、主張に妥協しないキャラたちからはそういう様子を微塵も感じない。

それはたぶん好ましいのだろうと提督は思った。日々の苦労を癒すための存在にあまりに似つかわしくないと思えたからだ。

鳥海は文房具やタオルなどの生活用品が並ぶ中を抜けて、ぬいぐるみコーナーに向かう。

だれた顔をしたぬいぐるみを手に取る。切り身のぬいぐるみらしい。



「切り身ってなんだ……」

「摩耶がこういうの好きなんですよ」

「摩耶様の意外な側面ってわけか」

「意外ですか? 天龍さんもこういうの集めてますけど」

さらりと秘密らしいことを聞かされて提督は反応に困った。

同時に、鳥海からでさえこうして秘密は漏れていくのだから恐ろしい話だとも思った。

「愛宕姉さんにはこれがいいかしら」

今度はパンツをはいた豚だった。色々あるんだなと提督は妙な感心をしていた。

「この二つ、よろしいでしょうか?」

「高雄にはいいのか?」

「高雄姉さんはこういうのをもらっても困ってしまうかもしれませんので。別の小物などを見繕ってみます」

高雄には後で日本酒の入ったチョコの詰め合わせを買うことになる。

「島風には連装砲ちゃんがいるし、何がいいのかな」

鳥海は楽しそうだった。しかし提督には気がかりもある。

「なあ鳥海。買うのは構わないんだが、自分の分も買ったらどうだ? さっきから誰かの分しか買ってないだろ」

「あ……せっかくだから、そうですよね」

鳥海は愛想笑いみたいな表情で提督をかわす。

これが駆逐艦なら何にするかで悩みはしても、買うのを迷いはしないだろう。

車内で見せていた不満が消えているので、提督としてはまず最低限の成果は収めているが。




「司令官さんこそ、どうしてここに?」

「こっちに来た時、デパートを気にしてただろ。場所は違うけど、こういうとこに連れて行ってもいいと思ったんだよ」

本当はもう一つ大事な理由があるが、それはすぐに行動に移す予定なので言わない。

この後も店を変えながら物色は続き、ショーウィンドウの前で鳥海が立ち止まる。

マネキンたちが冬物を着込んでポーズを取っていた。

鳥海は借り物の服を見て、聞かれるでもなく無言で頭を振る。

「普段からもっと服装に興味があったらよかったんですけど。司令官さんはどう思いますか?」

「俺はあまり気にしないけど、鳥海は気にしてもいいと思うぞ。もっと着飾ったり化粧してみたりだとか」

「そうですよね……あ、そういえば」

「どうした?」

鳥海はおかしそうに笑う。

「思い出したことがあるんです。軍艦の頃の話なんですけど、私に乗ってた人がある艦を厚化粧って読んだんですよ。その子もそれを覚えてて、今なら私を野暮ったいなんて言い返すのかなって」

「俺の知ってるやつか?」

「いえ、うちにはいませんね。いずれ会うかもしれませんけど」

鳥海は意外とこういう昔話はしたがらないので、提督には新鮮に映る。

「そうか。それにしても本当に興味ないのか?」

「興味ないというか……うまく想像できないんです」

鳥海は困ったように眉尻を下げる。




「私だって女子の端くれです。でも、私たちの普通を考えちゃうと……これでいいのかなって」

「いいじゃないか。まあ物は試しって言うし、買う物に悩んだ方が健全かな」

二人はブティックに入る。

こういう時、男がウンザリするほど女の品定めは長いと相場が決まっている。

あれこれ試着しては候補から外しきれず、悩みに悩んで予算の範囲内で妥協するというのが定番だと、提督はそう考えていた。

しかし鳥海はあれこれ服を選んでみても試着はせずに時間を潰していく。それも長続きしない。

結局、鳥海は何も買わなかった。

だからというわけではなかったが、提督はここで目的を果たすことにする。

「……これなんてどうだ?」

店を出てすぐ、彼は自分で買ったマフラーを手渡す。

自然に言ったつもりだが、内心では緊張もしていた。

提督は形が残る物を誰かにあげたり受け取るのは、ずっと避けてきたからだ。

形見になってしまいそうだという思いがあるからだ。実際、彼が受け取ったり預けた物がそうなってしまったことは続いた。

提督としてはそれを思い込みと認めて打破したかった。でなければ指輪を渡すことなどできないと。

だから、まずは慣れが必要だった。いきなり誰かに指輪を渡すよりも、もう少し軽い物で。

指輪の意味合いはもっと重くなるし、それを節操なく渡すことになるかもしれないのだから。

「これを私に……?」

「この季節は首元が寒いんじゃないかと」

受け取り、鳥海はじっと見つめる。

「男のセンスだから気に入らなかったらごめんな」

「そんなことありません……」

「本当はバルジ周りをどうにかしたほうがいいとは思うんだけど、お腹を見せてこその鳥海というか」

照れ隠しにしても他に言い様があるはずだが、提督には言葉が思い浮んでこない。



「……まあ気まぐれみたいなものさ」

もちろん嘘だが、今ならこんな嘘は嘘にならないと提督には思えた。

鳥海はおもむろに眼鏡を外すと、いきなりマフラーに頭を下げるように顔を押し当てた。正直、提督は面食らう。

「タオルじゃないぞ」

「わ、分かってます」

毛糸越しの声は少しかすれていて、どうしてそうなったか察しがつくと猛烈に叫びたくなった。

もちろん本当に叫ぶわけにはいかないので、取り乱して辺りをうろうろと歩き回る。端から見れば怪しい挙動であっても、彼もあまり冷静ではなかった。

「鳥海は最高だな!」

「い、意味が分かりません!」

鳥海は眼鏡をかけ直すと、そんな反論をしてくる。頬に赤みが差していた。

「このお礼は必ずします!」

「もうもらってるよ」

提督からすれば、そんな反応がもらえたなら十分すぎた。

そして提督はこの時、決心した。

「少しばかり話を聞いてくれないか」

提督は指輪の話、それを全員に配る気になったのを鳥海に伝えようと決める。

彼は自分なりの善処を尽くしてみようと決心していた。


ここまで。これで今週のノルマは達成
次回はさっさと戦闘から始めるか、ローマの話を差し挟むかは未定

ノルマは達成してももっと戦果を上げて良いのよ

乙ありなのです!

サンマ漁を強いられていた時を思い出したのは何故だろうか



備忘録を兼ねて艦隊編成。
特に補足がない場合は改二が存在する艦娘は改二とする。
順不同。


○水上打撃部隊
・高雄型
・妙高型
・プリンツ、ザラ
・武蔵、長門、陸奥
・伊勢、日向、扶桑、山城
・ビスマルク改・ローマ・リットリオ
・雲龍、龍鳳、飛鷹、隼鷹(いずれも艦載機は艦戦+彩雲)
・球磨型
・川内型
・島風、天津風
・綾波型
・白露型
・夕雲型
・Z1、Z3、リベ
・秋月、照月
・明石
・秋津洲
・潜水艦隊

○機動部隊
・雲龍型、グラーフ、大鳳を除いた正規空母。また鶴姉妹は改止まり
・千代田、千歳、祥鳳、瑞鳳(いずれも艦載機は艦戦+彩雲)
・金剛型
・とねちく
・五十鈴、阿武隈
・大淀
・阿賀野型
・暁型
・陽炎型
・朝潮型


○輸送艦隊
・天龍、龍田
・長良、名取、由良
・夕張改
・古鷹型
・最上型
・睦月型
・吹雪型
・初春型
・鳳翔、グラーフ
・あきつ丸
・瑞穂



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



月の沈み始めた夜空に、空とはまた違う色の黒点が多数浮かんでいる。

その正体は艦載機の集団だった。

トラック諸島から二百海里の位置より、艦娘たちの手により飛び立った海鷲の群れは烈風、彗星、流星の三機種を中核とした戦爆連合で述べ四百六十機に上る。

払暁になる頃、先導する彩雲に導かれた戦爆連合はトラック諸島の東側から侵入すると二群に分かれて、それぞれ春島と夏島の飛行場を目指していく。

深海棲艦側も艦載機の飛来を察知し、押っ取り刀で球状の迎撃機を上げ始める。

しかしその動きは新たに彩雲に搭載された電探により察知され、烈風の一団に素早く頭を抑えるよう指示を出す。

まだ高度も速度も上がりきらない深海棲艦の戦闘機を、烈風たちは急降下からの一撃で次々に撃墜していく。

その間隙を縫うように飛行場へ流星隊の水平爆撃が始まり、彗星隊は散発に始まった対空砲を狙って急降下爆撃を加えていく。

流星は五百キロ爆弾と八百キロ爆弾を装備した二種があり、五百キロ組が先行して爆撃を始め八百キロ組が後続して爆弾を投下した。

第一次攻撃は三十分とかからずに終息する。

艦載機側の被害は空戦と対空砲火により十五機を喪失。

一方、深海棲艦側は春島と夏島の飛行場を早々に使用不能に追い込まれた。

港湾棲姫から見れば復旧そのものは難しくなかったが、流星の投下した八百キロ爆弾の三分の一は時限信管がセットされていた。

それらは空襲後の二時間に渡り各所で断続的に爆発を起こすことになる。

いつ爆発するか分からない爆弾は飛行場を修復しようとする港湾棲姫を悩ませ、一時的に両島を放棄させた。

と号作戦の第一陣はこうして始まった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



と号作戦に当たり、妖精は従来の装備や設備の環境を大幅に向上させていた。

その恩恵を最も受けたのが彩雲であり、電探を搭載するようになりビデオ撮影した映像をリアルタイムで司令部施設へ送信できるようにもなっている。

彩雲から中継されてきた映像は艦隊旗艦を務める高速輸送艦『出雲』の作戦室スクリーンに映し出されている。

映像は黒煙を上げ穴だらけになった夏島の姿で、春島も似たような状況だった。

飛行場の損害では航空機の運用は不可能なはずだった。少なくとも人間の見地から考えれば。

「上手く行きすぎか?」

提督は独りごちる。

被害は最小限に、戦果は最大にというのは指揮官であれば誰しもが望む展開だが、実際に成立すると落とし穴が潜んでいるようにも彼は感じてしまう。

味方から挙った損害も含めて、第一次攻撃は一方的な成功と言っていい。

「まずは上々な滑り出し、ですかね」

出雲の艦長が提督に話しかけ、提督も頷き返す。

三十過ぎの長身の男で、日に焼けた肌は黒い。髪は海軍の規定に反して長いが、あまり手入れもされていない。意図してというよりは勝手に伸びてしまったという様子だった。

また彼は上手く隠しているが、左腕が思うように動かず不自由なのに提督は気づいている。

事前に艦長の経歴を見る機会があった提督は、艦長が深海棲艦との緒戦に参加し重傷を負いながらも生還したのを知っていた。

おそらくは後遺症があると推測し、手腕としてハンデを周囲には気づかせないのなら、蒸し返すような真似は必要ないと結論づけた。

提督が艦長に好感を受けたという点も影響はしているかもしれない。




「無線封鎖は、このままで?」

「ああ、次も予定通り対地攻撃をやってもらう」

機動部隊には第一次攻撃隊で十分な被害を与えたと判断し、かつ敵艦隊を未発見の場合は対地攻撃を行うよう事前に命令している。

ただし、この場合は烈風の比率を七割にし、烈風の半数を戦闘爆撃機として運用するよう指示していた。

提督としては、ただの一度の攻撃で基地施設を封じられるとは考えられなかった。

その点、烈風なら爆弾を投棄してしまえば通常の戦闘機として扱える。

攻撃隊の七割が戦闘機なら大きな被害は出ないだろうと提督は見込んでいた。

提督には懸念があった――深海棲艦のたこ焼きは長大な滑走路を必要としない。それは港湾棲姫を映した映像でも示唆されているし、艦娘が扱う艦載機でもそうだった。

春島と夏島の飛行場が最大規模の拠点なのは確かでも、各島に分散配備して航空機を隠している可能性は十分にある。

運用上の不備がないのなら、被害分散の目的でもやらない理由がなかった。

そうなると深海棲艦はまだ余力を残していることになるし、全島を目標にすると機動部隊の火力だけでは中途半端な戦果しか挙げられない。




「こちらはこちらの任を果たそう」

打撃艦隊としては敵地に艦砲射撃を行う必要があり、提督の座乗する出雲を含めた三隻の出雲型輸送艦は西進していた。

このうち電装を更新し指揮能力を強化しているのは出雲のみで、同型艦の丹後と相模は更新が間に合わず通常の機器のままだった。

三隻に艦娘は分乗し、また三隻とも先行上陸のための工兵が乗り込み資材も積み込んでいる。

打撃部隊には雲龍、龍鳳、飛鷹、隼鷹といった空母たちも組み込まれていて、彼女たちから飛び立った彩雲が進路方向に半円状の索敵網を敷いている。

敵艦隊を発見できないまま正午を迎える。

その間に機動部隊の彩雲からは第二次攻撃の様子が中継され、そこでは懸念通りにそれまで見過ごされていた島々から迎撃機が上昇するのが映されていた。

二百五十キロ爆弾を積んでいた烈風もそれらを一斉に海上に投棄し、迎撃態勢を整えていった。

この攻撃でも攻撃隊の被害は軽微だったが、攻撃そのものは不十分な結果に終わる。

一三一○。機動部隊が第三次攻撃の発艦を始めた頃、打撃艦隊も進路上に布陣する深海棲艦の艦隊を発見した。

ル級とタ級戦艦を合わせて十隻含んだ有力な艦隊で、ヲ級やヌ級も含んでいれば随伴艦も多い。

出雲の電探で確認された総数は百八に及び、それらに番号が割り振られていく。これらは艦娘たちにも共有される。

「出てきてくれたか。泊地にしかける前でよかった」

提督は安堵の息を漏らすが、まずは優勢な数で大きく敵艦隊を撃破しなくてはならない。

深海棲艦は主力の戦艦部隊を中央に置き、その両翼をリ級やチ級といった巡洋艦が固め、それぞれにイ級が付き従うという構図だった。




雲龍たちが直掩の戦闘機を上げる中、無線封鎖を解いた打撃艦隊は提督の指揮に合わせて艦娘たちも次々に展開していく。

「長門以下、武蔵、伊勢型、扶桑型は正面、敵戦艦を迎え撃て! 妙高型、綾波型、白露型も正面。戦艦部隊を支援しろ!」

深海棲艦が正面に主力を当てるなら、提督もそれに応じるしかない。

その一方で高速戦艦たちには別の命令を与える。

「ビスマルク、リットリオたちは右翼側から艦隊を攻撃、そのまま右翼の敵を撃破したら敵戦艦を長門たちと挟撃。球磨型、夕雲型もそちらに!」

横文字混じりの応答を聞きながら、提督は左翼側にも目を向ける。

「高雄型、川内型、島風、天津風、秋月型は左翼の敵を迎え撃て。主力を潰すまで戦線を支えるんだ!」

迎撃の戦闘機が編隊を組んで東の空に向かう間に、艦娘たちも布陣を整えて進撃を始めている。

その様子は出雲の艦上でも電探の輝点として確認できた。

動きとしてみるなら夕雲型の何人かが遅れ気味で、それは経験不足による緊張によるところが少なくない。

その点を指摘するのはこの時ではなかったし、この時の提督の役目でもない。今の彼は無事を願いつつ戦況の変化に目を凝らすしかなかった。




艦載機同士の空戦は、戦闘機の数で倍近い差をつけている艦娘側が圧倒し制空権を確保する。

途中から参加した瑞雲が爆撃に移るが、目立った戦果は挙げていない。

「武蔵、先行して砲撃を始めるぞ!」

最初に砲撃を行ったのは武蔵で、他艦よりもひときわ長い射程を生かした形だった。

武蔵の砲撃は護衛に付いていたイ級たちの頭上を飛び越えて先頭のル級に届くが、水柱を巻き上げるに留まる。

その一方で転用できる諸元のいくらかは出雲を介して、他の艦娘にも転送されていく。

武蔵が次発装填を終える前に、各所では最前衛を務める艦娘たちが砲戦を始めていた。

砲戦が始まって一分。

左翼側にいたリ級三隻の反応が次々に消えていき、今またイ級の反応も一つ消失する。残りはイ級が二隻だが、これもすぐに消えた。

他の二ヶ所でも優勢に戦闘を進めているが、左翼側の動きは輪をかけて早い。

そちらで先鋒を務めているのは鳥海、摩耶、島風、天津風の四隻だった。

「左翼側、戦況は?」

少し遅れて鳥海の声が届く。普段よりも張った声だった。

『敵部隊を潰走させました。こちらに被害はありません!』




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撃てば当たった。というのが短い砲戦における鳥海の感想だった。

弾道を計算し、それらに電探による補正や経験からの誤差を加えて撃つ。そういった砲撃を単発で連続して加えながら照準を調整し、挟叉を得られたら斉射に切り替える。それが砲戦の基本で、弾の無駄撃ちも減らせる。

しかし鳥海は初撃から斉射だった。

照準をつけている内に、当てられると直感したからだ。

最初の砲撃で鳥海に狙われたリ級は水柱に紛れて爆発の光が走り、少し遅れてから大爆発を引き起こした。轟沈だった。

深海棲艦の先鋒はリ級とイ級が三隻ずつという編成だったが、その一角を早々に失った形だ。

深海棲艦も何か尋常ではない様子を感じ取ったのか、鳥海に狙いを定め砲弾を放つ。

まだ当たらないと割り切っている鳥海は最後尾のリ級を目標に定める。

自動装填の兼ね合いで、彼女の主砲は十五秒に一度の砲撃ができる。

それを長いと取るか早いと取るか、少なくともこの時の鳥海はもどかしさを感じていた。次も当てられると予感していたからだ。

装填が終わるなり、鳥海はすぐさま斉射する。

右側に三基六門、左側は二基四門で計十門となる三号型二十センチ砲が干渉を避けるための誤差を加えて一斉に放たれる。それは最初と同じ結果を呼び込んだ。

「当たった!」

高揚の響きを乗せた鳥海は、二十六番が割り当てられた摩耶が撃ち合うはずだったリ級も狙いに定め、そのまま沈める。

その間に島風たちもイ級を沈め、相手を失った摩耶も残るイ級への砲戦に入ったため早々に勝負が付いた。




提督から状況を求める通信が入り、鳥海がそれに応える。

『もう沈めたのか?』

鳥海は少し迷ってから答える。

「計算通りに撃ったら当たりました」

提督が息を呑む気配が伝わってくる。

一分足らずに三隻撃沈という戦果は演習でもまず出ないし、鳥海にも経験のない話だった。しかも被害はない。

『左翼側、戦線を押し上げる。できるか?』

「はい!」

『まず左翼側を潰走させる。鳥海たちはそのまま前進。見つけた側から攻撃だ。後方の高雄たちは鳥海たちの支援。場合によっては、中央艦隊を側面から支援』

提督からの命令の下、再び彼女たちは動き出す。

――この海戦で艦娘側は数で劣っておいたが質の面では大きく優位に立っていたために、深海棲艦側を散々に打ち破る形で帰結する。


あっさりしてるけど、今回はこんな感じで
戦闘ってこんな感じでよかったんだったかどうだったか……

いいとおもうよ 乙

ありがとうございます。土曜に港湾戦ぐらいまで行けるかと思ってたけど、そんなことはなかった
書けたら続きを二十何時間か後にってことで



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



一六一○。

先の海戦を終えて補給や応急処置が進む中、出雲の対空電探が敵影を捉える。接触までおよそ四十分で艦娘たちの出撃や迎撃機の準備を済ますには十分な時間だった。

出雲型を中心とした輪形陣が三つ作られ、雲龍らから放たれた烈風は味方艦からの対空砲火に巻き込まれないように、さらに前方の海域にまで進出していた。

しかし敵機は少なくとも三百機を数えているので、航空隊の劣勢は確実だった。

出雲の護衛には摩耶と秋月型。夕雲型の高波から清霜までの五人に、戦艦では武蔵と扶桑、山城が就いている。

その中でも摩耶と秋月型は敵機の予想侵入方位に一番近い位置に陣取っていた。

摩耶は急造の僚艦となった秋月型の二人に話しかける。

「緊張してるのか、新人」

「はい! いいえ、問題ありません!」

言い直す秋月に摩耶は初々しさを感じる。

照月は姉と比べれば落ち着いていたが、それでも動作には緊張らしい硬さが残っていると摩耶は見て取った。

「二人はさっきのが初陣だっけか?」

「はい。ガンガン撃つつもりだったんですけど、気づいたら終わっちゃってて」

「あれは確かになぁ」

照月の感想に摩耶も頷くしかなかった。苦戦するはずと考えていた戦いは終わってみれば快勝だった。





「みなさんの動きがすごかったですけど、あれはやっぱり指輪の効果もあったんですか?」

「私たちもせっかくだからもらいましたけど、練度が足りてないみたいで」

摩耶は自分の左手をかざしてみる。手袋で隠れているが、摩耶の指にも指輪がはめられている。

作戦前に提督から指輪を受け取ったのは全体の三分の二ほどで、残りのは三分の一は断るか保留という形だった。

摩耶にも摩耶なりの葛藤はあったが受け取っている。

自分の感触や直前の戦闘での鳥海の戦果を思い返しながら答える。

「調子のよさはあるけど、大事なのは日々の訓練だな。これがあるからって簡単に強くなれるわけないだろ」

いかにも先輩らしい答えだと、摩耶はちょっと悦に入った。

秋月も感心したように摩耶を見つめる。

「やはり日々の積み重ねが最善ということですね。それにしても指輪……牛缶いくつ分なんだろう」

「秋月姉、その比較はどうかと思うな」

「そうかな?」

「え……そうだと思うけど……あ、そういえば出雲の守りってこれでいいんですか? 旗艦なのに他の艦より守りが薄いような」




話を強引に変えた照月だったが、その疑問は摩耶も配置割りを聞いて最初に感じていた。

「確かに配置についてる数は少ないみたいだな。ま、そんだけあたしらが期待されてるってことだろ」

摩耶は答えつつ、ここが敵機が狙いやすいように用意された穴だとも気づいていた。

「ったく旗艦のやることじゃないだろうに」

「どういうことです?」

「あんなんでも提督だから、しっかり守ってやんねーとってことさ」

照月が不思議そうな顔をしたのと同時に、夕雲型の中でも特に目のいい高波がいち早く報告してくる。

「敵攻撃隊、一時の方向に目視したかも! じゃなくて目視しました……です!」

それを受けて提督が艦隊全体に通信を入れる。

『日没までの時間を考えれば、これが最後の攻撃だ。総員の奮起に期待する』

「よーし、対空戦闘だ! 提督はあたしの後ろに隠れてな!」




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軽巡の那珂と川内は北の方角に目を凝らしているが、敵影はまだ見えてこない。

姉妹なので二人の制服は似通っているが、那珂は艦隊のアイドルを自称するだけあって自前のマイクを持ち込んでいたり、スカートをフリルに改造している。

姉の川内は黒い手甲や、吹き流しに似た白のマフラーを巻き、どことなく忍者を思わせる姿をしている。

気合いの入った摩耶の声を聞いて、那珂はくすりと笑う。

「おー、摩耶ちゃんってば張り切ってるねー」

「うんうん、分かるよ。陽が沈めば夜戦ができるからね!」

姉の嗜好にさっきとは違った意味での笑顔が那珂の顔に出る。アイドルとしてはなんとか許される範囲の笑顔だった。

「たぶん違うと思うよ?」

「夜戦やらないの?」

「そうじゃなくって……うん、お姉ちゃんはそのままが一番だよ」

「どういう意味さ、那珂ってばー!」




武蔵は両腕を組んで空を仰ぐ。重々しい艤装と相まって、その姿は正に威風堂々としている。

そのすぐ隣では清霜が同じように腕を組んでいる。彼女は小柄だった。

「武蔵さん、戦艦とはこのような時に何を考えるのでしょう?」

「さあな。戦艦と一口に言っても色々いる。日向なら敵のことを考えるかもしれないし、長門なら作戦について考えるかもしれん」

「なるほど。では武蔵さんなら?」

「私は……雷撃機をどれだけ引きつけられて、今なら魚雷に何本まで耐えられるかと考えていた」

「……清霜はたぶん一本だけです」

「ああ、こんな考えはよくないのだろうな」

武蔵は腕組みを解くと、清霜を見下ろし、それから片膝を崩して目線の高さを合わせ直す。

「清霜は戦艦になりたいんだったな」

「はい! いつか武蔵さんみたいな大戦艦になります!」

武蔵は清霜の灰色と紺色の髪を撫でる。清霜は嬉しそうにされるがままだった。

「えらいぞ。清霜ならいつか立派な戦艦になれる。だが、なるなら私のようではなく武蔵以上の大戦艦になれ!」

「はい!」





鳥海は自らの艤装を何度も見ては思案する。そんな鳥海に愛宕が話しかける。

「どこか具合でも悪いの?」

「いえ。私も摩耶みたいに対空機銃をもっと積んでみればと……でも、うーん」

「あらあら、鳥海ったら欲張りさんね」

「そう、ですよね。でも私も摩耶ぐらい対空戦闘が得意なほうが喜ばれるのかもって」

「うーん、お姉ちゃんはそう思わないけど。二人の長所が違うのは一緒に力を合わせなさいってことじゃない?」

言われて、鳥海は驚いたように愛宕を見る。

「大丈夫よ。あなたも摩耶も自慢の妹なんだから。ね?」

「ありがとうございます、愛宕姉さん。でも、なんだか物騒ですよ……その、お別れみたいで」

「もう、考えすぎよ! じゃあ、ぎゅっとしてあげるね。はい、ぱんぱかぱーん!」

「それはちょっと恥ずかしいです……って姉さん、アンテナ刺さっちゃいますよ!?」





高雄は遠巻きに鳥海と愛宕の様子を見て、額に手を当てて項垂れる。

「あの二人は何をしてるんだか……」

「いいじゃないですか。仲睦まじくて」

「そうよ。余裕があるのはいいことだわ」

妙高と足柄が高雄に応じるも、高雄は釈然としていないようだった。

「そうは言うけど、緊張感に欠けてるわ」

「あら、じゃあ緊張感のある話でもします?」

「妙高姉さんがそう言うと、ガチの話になりそうなんだけど……」

不意に高雄は妙高の指をじっと見つめる。

視線の意味に気づいて、妙高は苦笑した。

「本当に緊張感のある話になりそうですね」

「妙高はもらったのね……足柄は断ったの?」

「ええ、私はオコトワリ。うちは私だけよ」

妙高は高雄と足柄へ控えめに笑った。

「肩身が狭いですね」

高雄には、それがどちら側を指してるのか判断がつかなかった。




「高雄さんはどうしてもらわなかったの? あんまり断るイメージなかったから」

「足柄。人に大事なことを聞くのなら、まずは自分も相応の話をするのが筋というものです」

「う……それもそうなのかも。私は」

すぐに高雄が制止する。

「ちょっと待って。聞いたら話さないといけなくなるじゃない」

「そうなりますね……でも気になってるんじゃない?」

「もちろん」

高雄の様子に足柄は思わず吹き出した。

「ロハでいいわよ。私の場合、ケッコンって単に強さとか身を守るためだけに交わすんじゃないと思っただけ。なんていうの……想いが必要っていうの?」

「分かる……ような」

「提督に都合があるなら、私にだって都合はあるのよ。そんなに小難しい話があるんじゃなくって……そう! 愛のないケッコン生活なんて願い下げだわ!」

宣言すると足柄はかえって自信を深めたようで、満足げに何度も頷いていた。

高雄はそんな足柄の様子に目を伏せ、目を開けても二人とは目を逸らしたまま言う。

「私は……あの子の前で指輪している自分がどうしても想像できなかったのよ」

その声を聞いては妙高も足柄も何も言えなかった。




高雄は小さな声で妙高に訊く。

「あなたはどうしてなの、妙高」

「そうですね。思うところはあるけど肯定したほうがいいと思ったんですよ」

妙高は言葉を考え、選ぶ。

「このカッコカリは理由がどうあれ、提督の弱さが表われた形だと思うんです。人間的な弱さ、でしょうか。提督という立場で見るなら足を引っ張るような部分が」

足柄もこの話を聞くのは初めてだったので、真剣に妙高を見つめる。

「カッコカリを黙っていてもよかったはずなんです。ただ指輪を渡して、これで少し強くなれますと言えば十分でしょうから」

妙高は自分の指を確かめ、あくまで穏やかな調子で話す。。

「それをしなかった……できなかったのは提督の弱さだと思います。これがどういうものか知っていて、それを隠し通すのが辛いから秘密を暴露したんです。そうすれば、この話に乗った艦娘も秘密を共有して同意の上でと、一種の契約になりますからね」

三人は北の空を見上げる。敵影はまだ見えていないが、そろそろ近そうだと感じて申し合わせずとも離れていく。

妙高は二人にだけ聞こえるように通信を入れる。

「私はそういう部分も含めて肯定してあげないと、と思ったんです。カッコカリが提督の免罪符だとしても、提督が最良の提督じゃないにしても、私にはこれで十分だと思えたんです」

それが私の理由です。そう言ってのける妙高は笑っているのだと、顔を見ずとも高雄と足柄にも伝わった。


スレタイが鳥海は空と海と股間にって見えてふたなりものかと思ってしまった



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戦闘機隊の迎撃をかいくぐってきた深海側の艦載機の数はおよそ百あまり。

戦艦たちが敵集団に三式弾を撃ち込み、大輪の花のような弾幕をいくつも生み出す。

何機かが花弁に触れて爆散したり黒煙を引きながら落ちていくが、焼け石に水といった状態だった。

すぐに艦載機は二つの高度に分かれながら散開し、円を描くように艦隊の周囲を巡る。

重巡たちも三式弾での砲撃を始める中、出雲の電探は新たに南から接近してくる機影を探知していた。

その数はおよそ二百。当然だが敵味方識別装置の示す光点も味方機としては表示されていない。

『南方向より敵艦載機らしき反応あり。約二百。総員警戒されたし』

通信員の妖精が全艦隊に通達する。

奇襲こそ防げるが、戦闘機隊は前方海域の空戦から抜け出せる気配はなく、依然として危険な状態であるのに変わりない。

その通信を見計らったかのように、円を描いていた艦載機たちが戦闘行動に移る。

敵機が最も集中したのは出雲を中心とする輪形陣だった。

雷撃機は艦娘を、爆撃機はどちらも狙う形で次々と飛来してくる。

対する艦娘も高角砲や対空機銃を盛んに撃ち上げ、接近してくる敵機を撃墜していく。

特に出雲の前方に位置する摩耶と秋月型の砲火は熾烈で、攻撃機も寄り付こうとしなくなっていた。

その動きを察知して、摩耶が秋月たちに指示を出す。




「秋月、照月! お前たちは出雲の左右に回れ! 雷撃機に、それから衝突にも気をつけろ!」

「衝突!?」

悲鳴じみた声の秋月に、摩耶は怒鳴り返す。

「出雲とだ! ムチャクチャな操艦で動きが読めないんだよ!」

その操艦で何度も爆撃を避けてるのも事実だったが、護衛に就く艦娘からすれば位置取りにも苦慮する状態だった。

ぶつけられても大した損傷は受けないが隙が生じてしまうし、何よりも出雲の艦体が無事ではすまない。この場合、質量差は問題にならなかった。

「とにかく左右を頼む。後方は武蔵もいるはずだから、あっちはなんとかしてくれる!」

秋月型の二人は強張った顔で頷くと言われたようにする。

この頃になると艦隊から被害も少しずつ出始めてきた。

『武蔵さんが被雷! あ、でも対空砲火は健在です!』

『この武蔵が魚雷の一本や二本でどうなるものかよ!』

『すっごーい! さすが武蔵さん! 清霜も負けてらんないね!』

あっちは平気、と聞き流す摩耶にさらに別の声も聞こえてくる。

『顔はダメだってば!』

『那珂ぁ!』

川内の声に摩耶は一瞬、通信を切ってしまいそうになった。

ただそれは耳を塞ぎながら戦うのと同じになってしまう。

「クソが!」

摩耶は苛立ちもぶつけるように砲口を天に向ける。




秋月型が抜けて火線が薄くなったと見て、艦載機が新たに集まり始めていた。

摩耶は撃った。ひたすらに撃った。

終わってみれば摩耶は多数の艦載機を撃墜していたが、本人にそれを確認する余力がなかった。

散り散りに後退していくたこ焼きの数は襲来時の半分にまで減っている。

艦娘たちが一息つく間もなく、第二波が間近に迫ってきていた。

『敵増援を目視した。みんな注意して!』

『動きが速いなぁ……こっちが本命みたい!』

丹後を護衛している時雨と白露が通信を入れてくる。

摩耶は給弾に異常がないのを確認し、艤装の対空機銃が加熱しすぎていると感じた。

すぐさま摩耶は左側の艤装を海中に突き入れてから上へと思いっきり振り上げる。

巻き上げた海水がバケツをひっくり返したように摩耶に落ちてくる。

摩耶は濡れ鼠になるが、灼けた銃身も音を立てて冷やされていく。

「髪がゴワゴワになるから嫌なんだ……クソが!」

何度目になるか分からない悪態をつきながらも、その目には闘志がたぎっている。





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結果から顧みると、深海棲艦による第二波は水上打撃艦隊に大きな被害をもたらした。第一波の成果がほぼ空振りという結果の埋め合わせをするように。

それまでとは違う新型の艦載機が投入され、また多くが艦娘たちに直接襲いかかってきた。

初めに武蔵が被雷した。累計で三本目の魚雷に、さしもの武蔵も速度が落ちて対空砲火にも隙間ができた。

その穴埋めをしようとした清霜が次に急降下爆撃を受ける。清霜は武蔵の死角をカバーしようとするあまり、機動が単調になりすぎていた。

一発が至近弾、一発が命中弾となり左側の艦上構造物を吹き飛ばされ、スクリューがねじ曲がって速度が出せなくなる。

すぐに提督の命令で照月が両者のカバーに入り清霜はそれ以上の追撃を免れたが、武蔵には攻撃が続いて魚雷一発と三発の急降下爆撃をさらに受けた。

主砲の発射に影響はでなかったものの、艤装は中破した。

他でも被害が続く。

愛宕が立て続けに急降下爆撃の直撃を受け、艤装を大破させていた。愛宕本人は奇跡的にかすり傷程度で済んだが、今作戦での継戦は不可能となった。

妙高もまた敵の集中攻撃に晒され、魚雷一本と数発の至近弾を受けている。

深海棲艦の艦載機は迎撃機がいないと分かると機銃で追撃をかけてくるなど執拗な攻撃性を見せた。

第二波の攻撃は巡洋艦以下の艦娘を中心に被害が広がり、無傷で済んだのは片手で数えられるほどしかいなかった。

それでも艦娘側は奮戦したと言える。摩耶や秋月型、白露型を中心に多数の艦載機を撃墜し、武蔵以外の戦艦は健在だった。

何よりも喪失艦を出さなかった上に、出雲型輸送艦には一本の魚雷も一発の爆弾も落ちなかったのだから。

――最後の最後に出雲へ落ちた一発の爆弾を除けば。




─────────

───────

─────



提督は爆弾が出雲に向かって落ちるのを見た。

それまで敵弾を回避し続けてきた艦長の操艦も艦娘たちが展開する弾幕も無視して、初めからそうと決まっていたように黒い塊が左の後部甲板に落ちる。

出雲の艦隊が上から抑えつけられたように揺れた。

提督は無意識に手すりを握りしめていた。目は閉じない。走馬燈も見えなかった。

沈黙。

五秒が経ち、十秒が経った。爆発は起きない。

提督と艦長は申し合わせる間もなく、艦橋のガラスまで駆ける。艦橋からでも被弾箇所は見えた。

甲板には焼けたような穴が空いて、黒い塊が中心にある。

「不発弾……?」

提督は呟く。しかし自信はなかった。

自分たちが仕掛けたような遅延信管かもしれないし、ただの爆弾ではなく中から大量のイ級が這い出してきて乗員を襲い出すのではと思ってしまったからだ。

その時、艤装を背負った明石が駆け寄っていくのが上からも見えた。



工作艦の明石などは戦闘力には期待できないので艦内待機をしていた。

「危ないぞ、明石!」

「爆発したら、どこにいても同じでしょう!」

その通りだった。

明石は爆弾の様子を手早く確認すると、艤装のアームで固定し、クレーンで掴み上げる。

「艦長、速度を落としてくれ」

「は……了解です!」

出雲型はよく揺れる。それはこの状態では命取りになると提督は思った。

「このまま投げ捨てます。近くに誰も寄らないように言ってください!」

それは提督が言うまでもなかった。

明石は慎重に、しかしできるだけ早く舷側に寄って爆弾を投げ捨てた。

海中に投棄された爆弾はそのまま海の底へと沈んでいった。

提督は様子を見に戻ってきた艦長と顔を見合わせる。

「……くくく」

何がおかしかったのか分からないが提督は急に笑い出す。

艦長も同じような気分になったのか、釣られたように笑い出した。

それは密やかな笑いから、腹を抱えるような大笑いになるまで時間はかからなかった。


ここまで
やっと夜戦なのだわってことで、今週中にこの章は終われると思いたい

乙ありなのです。そして終わらなかったのです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



二三二○。

厚い黒雲に覆われ、月明かりの乏しい夜だった。湿った風が海の上を吹いていき、艤装の駆動音も風と波に呑まれていく。

藍より暗い闇の中を艦娘たちが黙々と進んでいく。鳥海率いる艦隊で、その数は三十四。

負傷者を収容している出雲型は後方海域で護衛と共に待機しているので、艦娘だけによる作戦行動だった。

鳥海と摩耶、高雄と足柄の重巡四人、それに川内型軽巡と六人の駆逐艦が前衛を務めている。

その後ろを武蔵を除いた戦艦部隊が続き、殿には那智と羽黒、球磨型と白露型と夕雲型の一部がついていた。

電探の技術が発達していても、夜陰に紛れての攻撃は今なお有効性を残している。特に航空機による攻撃を心配しないでいい点は大きい。

機動部隊の第三次攻撃時に復旧し始めていた春島は集中して叩かれ、港湾棲姫は夏島で姿を確認されているので、最初の攻撃目標は夏島に決まった。

以降、秋島と冬島にも砲撃を行って必要に応じて三島に再攻撃、あるいは西にある七曜島に艦砲射撃を加えることになった。

敵艦隊と遭遇した場合はこれも撃滅し、交戦の結果によって弾薬の消費量が多ければ帰投し補給を受ける手はずになっている。

あと十分ほどで戦艦たちが夏島を有効射程圏内に捉えようという時、砂を噛むような空電の音が艦娘たちのイヤホンに入ってくる。

空電の音は唐突に止まった。

『来ルナ』

その声に何人かが背筋を伸ばすように体を震わせる。

「ここまでやってきたのに冗談でしょう。ねえ?」

足柄が言い返す。この場にいる艦娘の総意でもあった。




『来ルナト……言ッテルノニ!』

最後通牒と取れる言葉から、きっかり十秒後。夏島から発砲の光が五つ生じる。

砲撃は鳥海たち前衛の頭上を飛び越えて、後方の戦艦部隊に着弾する。

付近は深海棲艦の庭になっていたこともあって砲撃の精度は高かった。直撃弾こそ出なかったが複数の艦娘に至近弾が出る。

「総員、戦闘用意!」

鳥海が無線封鎖を解くと、艦隊も一斉に目覚めたように応答する。

「二時と十一時方向の沿岸部に艦影発見! タ級ないしル級、少なくとも三! 他にも多数!」

「よく見つけてくれました、綾波さん!」

川内がすぐさま興奮した声で鳥海に聞く。

「夜戦? 夜戦だよね!」

「はい、夜戦です!」

「よーし! 那珂の敵も討つ!」

「敵って姉さん、那珂ちゃんは健在ですよ」

「そうだよ! 那珂ちゃんはピンピンしてるんだから!」

呆れる神通に、反論する那珂。しかし那珂の顔は包帯――川内のマフラーで覆われている。




「まるでミイラだね」

「覆面じゃない?」

島風と天津風が好奇の視線をそそいでいた。

川内は当然とばかりに答える。

「アイドルは顔が命なら、このぐらいはしておかないとさ。空襲の時には火傷もしたんだし」

「だからってやりすぎだと那珂ちゃんは思うな。ケガする前にケガしてるみたいで」

「ひとまず那珂ちゃんさんのことは置いてください」

話をさえぎり、確認の意味も込めて鳥海は伝える。

鳥海の艤装にいる見張り員も敵の居場所を捉え、おおよその距離を割り出していた。

「予定通り、島と港湾棲姫への攻撃は戦艦のみなさんにお任せします。その間、私たちは比較的近い十一時の敵艦隊から叩きます」

二時方面の敵には那智たちを当て、了解の声を聞いてから鳥海は続ける。

「混戦が予想されるのと陸上からの砲撃もあるので、探照灯の使用は控えてください。各隊、僚艦の位置を意識して常に互いがいるのを忘れずに!」

鳥海は一呼吸はさみ、そして声を張る。




「それではみなさん――」

「夜戦の時間だあああぁぁっ!」

「ちょっと姉さん!」

「いいんです。私も夜戦は好きですから。みなさん、存分に暴れてください!」

鳥海はすっかり乗り気になっていた。

神通はため息をつくような反応を見せるが、表情はどこか嬉々としている。

「……同類でしたか」

「夜戦が嫌いな艦娘なんていませんよ。摩耶、島風、天津風さん。行きましょう!」

「ああ、ずるい! 夕立、時雨! あたしに続け!」

「ナイトパーティーも素敵にしましょ!」

「那珂ちゃんの包帯が羨ましいね……あれなら雨が降っても汚れない」

「なんか物騒だよ、時雨ちゃん!? あとマフラーだからね?」

「遅れてますよ、那珂ちゃん!」

「私が妙高姉さんの分も働かないと……飢えた狼の実力、目に物見せてやるわ!」

「気負いすぎないでね、足柄。綾波と敷波は側面に!」

「綾波、あんたは言われた通り前に出すぎないでよ? 後ろを守るのも大変なんだからさ」

「分かってるよ、敷波。さあ行こう! まずは照明弾から!」

「ほんとに分かってるのかよ……」

戦意の高い前衛は当たるを幸いに深海棲艦に強襲をかけていく。




深海棲艦も数で押し立てて反撃を試みるが、勢いを止めるどころか逆に頭数を減らされていった。

鳥海は先行しながら通常の砲戦よりもさらに距離を詰めて、砲撃を加えていく。

タ級二隻をすでに沈め、今また魚雷を撃たれる前にチ級雷巡を藻屑の一つに変えている。

鳥海には敵の攻撃も集中していて、大口径砲の直撃こそ避けているがロ級やハ級といった駆逐艦の砲撃が何度か艤装を傷つけていた。

撃ち返す形で鳥海や護衛の島風たちの砲撃が、深海側の駆逐艦たちを逆に沈めていく。

鳥海はさらに別のタ級戦艦を見つける。赤いサメのような目をしたタ級は砲塔を巡らすが、すでに鳥海は射線上から外れていた。

戦艦と言っても全身が堅牢ではない。艤装で守られているが、ル級にしてもタ級にしても生身部分の下腹部より下は比較的脆い。

鳥海は砲撃を受ける前に十門の火砲をそちらに集中させる。

直撃弾を受けてタ級が姿勢を崩すと一気に肉薄し、互いの砲撃が交錯する形で撃ち合った。

かすめた砲弾が鳥海の髪を巻き上げる中、さらに直撃弾を受けたタ級は支えを失ったように海中に沈んでいく。

一息つく間もなく横から飛びかかってきたロ級を横転するように避けるなり、高角砲で海面を叩くように撃ち返して沈める。

鳥海は周囲を警戒しながら僚艦の様子を、そして戦場全体の戦況を確認しようとする。

摩耶と島風は複数の軽巡を沈め、天津風が援護に回りながらも行き足が遅れ気味になっているのを見てペースを落とすのも考える。

前衛の戦況は艦娘が押しているが、戦艦部隊が苦戦しているのは通信から分かった。

長門とビスマルクは損傷により戦列から離れ、日向とリットリオは主砲の一部が使用不能にまで追い込まれている。

『砲台は残り二つ。怯まないで!』

陸奥の号令の下、戦艦部隊は砲戦を継続している。




鳥海に合流した摩耶が訊く。

「どうする、あたしらも島に?」

「そうね……でも、私たちの主砲じゃ力不足かも」

その時、天津風が何かに気づく。

「待って、連装砲君が何か見つけたみたい。二時の方向、島に……あれって姫じゃない?」

戦艦部隊と砲台の砲戦は未だに続いていたが、天津風が見つけたのは間違いなく港湾棲姫だった。

姫はいくつもの砲塔を鈴なりにした艤装に似た装備を背負ったまま、物々しさに反して軽やかに着水する。

海に入った姫の周囲に呼応するように、金色に目を輝かせたル級とリ級も次々と姿を現す。

「逃げようって腹か!」

「そうはさせません! みなさん、姫を発見しました! 位置は――」

言い終える前にリ級の一隻が鳥海に探照灯の光を浴びせる。突然の強烈なハイビームに鳥海は顔を手で隠すが、間に合わずに視力を奪われた。

鳥海たちは一箇所に留まり続ける愚は犯さなかった。

すぐさま摩耶が前に出てリ級に砲撃を浴びせるが、リ級は照らすのをやめない。

そして鳥海だけにでなく、至る所で深海棲艦たちは探照灯を艦娘たちに向け始めた。

光の照射先は無作為だったが、照らされた艦娘たちには砲撃が集まってくる。




直感で縦横に動く鳥海を狙って、ル級とリ級の砲撃が追うように夜の海に黒い水柱を噴出させていく。

直撃こそ避けているが、破片や至近弾が艤装を叩きへこませ、アンテナを折り曲げ、ジャケットやスカートを痛めつける。

「っ……せっかく夜目に慣れてたのに!」

敵に集中的に狙われてる現状よりも、視力を一時的に奪われたのが鳥海の戦意をかき立てる。

港湾棲姫はわずかな護衛を伴って包囲を突破しようと移動を始めている。

摩耶の放った一弾が探照灯を放っていたリ級に直撃し沈黙させた。

すぐに別のル級が今度は島風を探照灯で浮かび上がらせる。

「おぅっ! やめてってば!」

島風はすぐに光の照射範囲から逃れるが、ル級はなおも追ってくる。

深海棲艦の狙いは明白だった。港湾棲姫を逃がすために進んで囮になって時間稼ぎをしようとしていた。

「鳥海、姫を追え!」

島風を狙うル級に砲撃しながら、摩耶が叫ぶ。

「けど!」

「けど、なんだ! こっちは三人でどうにかできる。だったら一番腕の立つやつが追ったほうがいいだろ!」

「そうよ。それにあたしにも活躍させてよ。あなたたちと戦えるって証明させて」

天津風が摩耶を援護する。

鳥海はそれでも躊躇ったが、迷いをすぐに捨てた。迷ってる時間が一番危険で無駄で、それなら動いたほうがいいと割り切って。

「ここはお願いします!」

「おう! とっとと片付けて合流するからさ」

鳥海は反転し港湾棲姫を追い始める。距離を取られたとはいえ、姫たちの速度は二十五ノット程度で十分に追いつける位置だ。

一方の摩耶たちは砲戦を行いながら、進路上に味方艦がいないのもあって雷撃に移ろうとしていた。

速度の優位性を生かして、斜め後方に回り込んで射線上へと突入を始める。




「……ねえ、天津風。さっきのどういうこと。証明したいって」

「今する話?」

三人はすでに雷撃体勢に入っている。ル級だけでなく、姫と一緒に現れた他の深海棲艦も射線上に収まっていた。

ル級たちは探照灯だけでなく反撃の応射も始めるが、砲撃は海面を叩くばかりだった。

あとは距離を縮めて発射すれば当たるのを祈るばかりだ。

少しの沈黙ののちに天津風は答える。

「島風と連携が取れるからって原隊から外されて組まされたのはいいけど、三人ともやたら練度高いし……」

「お前、そんなこと気にしてたのかよ」

摩耶の声が無神経に聞こえて、天津風は視線は敵から逸らさないが口は尖らせる。

「そんなことって何よ! あたしには十分な悩みよ。自分だけついてくのがやっとなんて」

「なんかごめん……」

「島風のせいじゃないわよ。あたしは泣き言ならべてる自分ともお別れしたいの!」

「ま、頑張りな。そういう気持ち、分からなくもないし」

「上等よ。いい風吹かせてやるんだから!」

そうして放たれた魚雷はル級や後方にいたリ級を足元から食い破った。

「やった! 見た、二人とも? あたしだってできるんだから!」

「うんうん!」

「よーし、油断せず行くぞ。こっちも姫を追わなきゃならないからな!」

実際には誰の魚雷が命中したのかまでは特定できないが、雷撃の成果は天津風に自信をもたらした。




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鳥海は港湾棲姫を右後方から追いつつ、各艦に現在地と姫を追ってるのを伝えた。

他の艦娘たちも姫を止めようと動くが、深海棲艦も持久するように動きが変わってくる。

港湾棲姫の護衛は一隻ずつ隊列から離れて、進路上の艦娘たちを砲戦に引き込んでいた。

ほとんどの艦娘たちが足止めを食らい満足に動けない中、鳥海は港湾棲姫を追う。

護衛が迫ってこないので次第に距離が縮まり始める。

砲戦距離には入っていたが砲撃は始めない。迎撃がないなら近づけるだけ近づいて――できれば雷撃の必殺距離まで到達しようと鳥海は考えていた。

その時、港湾棲姫が鳥海を振り返る。姫の背負う右側の砲塔が鳥海へ指向していた。

狙われている。という思いに鳥海の背筋に悪寒が走った。鳥海が斉射を、港湾棲姫が右側にある砲塔を撃ち放つ。

より弾速の速い港湾棲姫の砲撃が先に到達する。

正面、そして上から殴りつけるような振動が鳥海を襲う。

「うぁっ! やっぱり姫は手強いわね……」

鳥海本人は幸運にも悲鳴ですんだが、艤装は運に恵まれていなかった。

左舷側の二基の主砲は基部から吹き飛ばされ、高角砲群も全滅。

火災も発生し延焼を防ぎ鎮火するために、海水を使った自動消火装置も作動し始める。

火力の四割を失ったが、鳥海の体は無事だったし機関部にも損傷はなかった。

逆に港湾棲姫も砲撃を回避しようとするが次々と被弾していく。しかし当たった弾のほとんどは厚い装甲に阻まれ弾き返されてしまう。

装甲の薄い舷側に当たった一発だけは艤装に穴を開けたが、港湾棲姫の撤退を阻めるような損傷でもない。




『鳥海、こちらも姫を追撃するわ。状況を教えて!』

高雄の声が鳥海に届くと、すぐに位置関係を伝える。

鳥海は砲撃を続けながら弧を描くように転進して港湾棲姫の真後ろにつける。死角に回れば砲撃の手が弱まると考えて。

『損傷を受けましたが、まだ戦えます。それと強敵なので気をつけてください!』

『強敵なのは分かりきってることじゃない』

たしなめる声音に、鳥海は頭を冷やそうと胸中で思いながら進路を変える。高雄たちを含めた位置関係を考えて、港湾棲姫の真後ろから側面へと。

港湾棲姫は撃ち返してこないが、砲撃を避けるように向きを変える。

『今から姫をそちらに誘導できないかやってみます!』

砲雷撃で港湾棲姫の進路を誘導する。

港湾棲姫も砲撃を避けるように動くので誘導は不可能ではなかった。

しかし鳥海の胸中には疑念もある。

「どうして逃げるの?」

敵わなければ撤退する。それが当然でも、その方法が鳥海には引っかかっていた。

同じ撤退でも進路上の相手を排除しながら撤退すればいいはずだし、自分のような追っ手は邪魔なはずなのに、と。

回避行動にしてもそうだった。鳥海の砲撃がほとんど有効打になっていないのに避けようとしている。無視して突っ切れば、もっと早く移動できる。

弾か燃料が少ないのか、それとも経験が足りなくて判断を間違えているのか。鳥海は理由を推測するが確証に繋がる材料もなかった。

いずれにしても撃つと決めた以上、鳥海は無事な右舷側の主砲を撃ってから魚雷を放射する。

砲撃を避けようとするなら雷撃も避けようとするはずだが、包囲しようという動きに気づいていれば動きも変わるかもしれない。

港湾棲姫は雷撃から逸れる角度を取ると、そのまま直進する。正面から迫る高雄たちを突破する形だった。




高雄以下の砲撃を受けながら港湾棲姫も反撃する。最も火力があるのを足柄と見て取って、彼女に狙いを定める。

瀑布のような水柱に足柄の体が包まれるが、すぐにそれを突き破ってくる。

「まるで扶桑型じゃない! けどね!」

十門の主砲をかざす足柄は皮肉ではなく狼のようだった。

「このぐらいで足柄が怯むとでも!」

主砲を斉射。と同時にほぼ直線上に十六本の魚雷を二度に分けて放つ。足柄はさらに主砲を撃ち続ける。

徹甲弾に続けて撃たれ、痛みに身をよじりながら身を守るように港湾棲姫は両腕で頭と体を隠す。

高雄たちの砲火も殺到し、岩を切り出すように砲弾が港湾棲姫の身と艤装を削っていく。

そこに足柄の魚雷が到達し連鎖的に水柱を上げる。港湾棲姫が苦痛に叫ぶ。二射目の魚雷よる水柱がその声もかき消す。

足柄は勝利を確認していた。少なく見積もっても魚雷が四本は命中したと見たからだ。

沈んでいなくても大破間違いなしと見なして。

しかしそれは間違いだった。

「カン……ムス!」

港湾棲姫が足柄に向かって突進してくる。その速度はまったく衰えていない。

姫は目を赤く光らせ、かぎ爪のような両手にも赤い光をまとわせている。

間違いなく傷ついていた。白い体の至る所には黒い体液がにじみ、額の角は根本から折れている。

艤装らしき装備もねじ曲がったように見える主砲があるし、黒く汚れた穴もいくつか空いていた。

それでもなお港湾棲姫は健在だった。




「こんの!」

不意を突かれた形の足柄だったが主砲を浴びせる。

姫の体にまともに徹甲弾が命中するが止まらない。

港湾棲姫は激突するように迫ってくる。

「離れて、足柄さん!」

追いすがってきた鳥海が間に割って入る。

鳥海はとっさに左腕を盾代わりにしていたが、港湾棲姫の振り回した腕が鳥海の体を軽々とはね飛ばす。

「ああっ!」

「うにゃあー!?」

足柄が弾き飛ばされた鳥海にぶつかりながら、その艤装を掴んで倒れないように受け止める。

港湾棲姫は二人には目もくれずに再度の離脱を図る。

俯いた鳥海は詰まったような息を吐き出すと顔を上げ、港湾棲姫を睨む。

「ほうげき……砲撃です!」

鳥海が頭のアンテナに装備している探照灯で港湾棲姫を照らし出す。

闇の中で夜明けのような光が港湾棲姫の後ろ姿を露わにする。

禁止したはずの探照灯を使うのも、ここで打倒する必要があると感じたからだ。

素早く足柄が鳥海から離れ主砲を構える。鳥海もまた震えが残る右腕で艤装を操作する。

十六門の主砲が港湾棲姫の背中めがけて放たれ、後ろから撃たれた姫はそのまま海面に倒れ込むと海中に沈んでいった。

「やっ……てない! 潜られた!」

足柄が叫ぶ。そこに高雄たちも集まってくる。

「ねえ、ソナーで追えないの!」

「こんなに海が騒がしいのに、サンプリングもできてない音を拾えとか……やってはみるけどさ」

敷波が無愛想に答える。望みが薄いのは明らかだった。

「……ありがとう、助かったわ」

「い、いえ……」

足柄が鳥海に感謝するが、鳥海は俯いたまま声を抑えている。

「あなた……!」

鳥海の左腕は力なく垂れ下がっていた。左腕の骨は折れていた。


ここまで。もう一戦で一章も終わり
今週中には終わらせたいけど、そう書くと大抵延びるという現実

たまにこのスレは自分しか見てないんじゃないかと本気で思うことがあるけど、そうじゃないみたいで本当にありがたい

途中まで投下するので、続きは昼に投下して一章は終わりとなります



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



夜戦の結果を受けて三隻の出雲型は空が白み始める前に移動を始め、午前の間に深海棲艦の姿が確認されていない夏島への上陸が行われた。

上陸した工兵たちは荷揚げ用の場所を確保し、仮組みではあるが指揮所も設置し始める。

提督も出雲から降りて、陸軍側の士官たちと打ち合わせながら監督をする。

タオルで汗を拭う提督に黒い影が差しかかり、エンジン音が唸りを残して通り過ぎていく。

釣られて見上げると二式大艇が哨戒のために飛び立っていくところだった。

ようやく働きどころが来たと張り切っていた秋津洲の顔を思い出しながら、提督は汗をもう一度拭う。

トラック諸島は常夏の島々で、赤道直下に近いので紫外線も強烈だった。

あまりの暑さに提督は軍衣のボタンを全て外して開いている。見栄えを気にしていられない。

テントを張り巡らして負傷した艦娘のための安息所も用意し、今は突貫工事ではあるが飛行場を建設し始めていた。

出雲たちが運んでいたのは戦闘機隊だけだが、妖精たちの陸上航空隊を運用することで守りを固められる。

他にも地質調査が始まり、対空対水上電探の設置も始まった。

昼過ぎになると輸送艦隊の鳳翔から発した彩雲が書簡を投下していった。

前日未明にグアム島を出発した輸送艦隊は無線封鎖を維持し、提督もおおよその位置しか把握していない。




書簡は鳳翔直筆で輸送艦隊の現在地や予想航路、トラック諸島への到着予定、そして提督や艦娘の安否を気遣う言葉が書かれていた。

後でこの手紙を艦娘たちにも読ませようかと頬を緩ませる提督だったが、胸中には気がかりもある。

まず輸送艦隊の到着予定が真夜中だった点。根拠はなかったが厄介だと提督は感じた。

とはいえ輸送艦隊は高速修復材やそれを扱う専用の設備、艦娘用の弾薬や重油を満載している。

それらは一刻も早く使えるようにしたいのが本音だったし、夜間ならば艦載機の爆撃を心配する必要もない。

出雲型に探照灯を積んで夜間の作業を支援し、工兵たちにも深夜のためのローテーションを組んでもらえばいい話だ。

しかしもう一つ懸念があった。

機動部隊が朝になって深海棲艦の機動部隊を捕捉し撃滅している。

ただし新型艦載機を含んだ部隊ではなく、まだどこかにそれらを擁した部隊が残っていた。

偵察機を方々に散らせているが成果は出ていない。

逃がした港湾棲姫も含めて行方不明の深海棲艦たちがどう出てくるのか提督には読めなかった。

大勢は決したように思えるが、輸送艦隊を襲撃され大きな被害が生じれば形勢はひっくり返る。

提督は不安を抱えていたが、輸送艦隊に向けて「航海の無事を願う」と無線で応えた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



日の暮れたトラック諸島。

二百四十八ある島々のとある一島の海岸に女がいた。

明かりもなく闇に浮かぶ女はまだ少女と呼んでもいい外見だったが、太陽の下で見れば肌が病的なまでに白いのが分かるだろう。

深海魚と虫の中間のような外観の深海棲艦を帽子のように被り、またその皮膚はマントのように少女の背中にも伸びている。

煌々と輝く満月のような右目と人魂のように蒼く燃えるような左目の少女はヲ級と呼称される深海棲艦の空母で、まだ人類にも艦娘にも認知されていないが後にヲ級改として呼ばれる一人だった。

「ヲッ!」

ヲ級は闇に目を凝らしながら鳴くような声を発する。すぐ後ろには一人の女が横たわっている。

白い女、港湾棲姫だ。体は砲雷撃で傷つき、黒い血が体にこびりついて固まっている。

二人の肌の白さは陶磁のように美しいが、どこかで水死体を思わせる冷たさも有していた。

もっともヲ級は元より港湾棲姫にも息はある。港湾棲姫の豊かな胸が呼吸に合わせて上下していた。

「ヲッ……起キテ、クダサイ」

ヲ級は正面を見つめたまま、目を覚まさない港湾棲姫に呼びかける。

傷ついた姫を守るためにヲ級は一人留まり、護衛についていた。

港湾棲姫はそこで目を覚ますと、状況を察して体を起こす。傷のせいでその動きはゆっくりとしていた。




二人の前にある海面に波紋が広がっていく。

「手酷クヤラレタワネエ」

波紋の中心から二人の女が姿を現す。どちらも美しい女だが、一目で人間でないのが分かるほど異彩も放っている。

あざ笑うのは長い白髪とその一房をサイドにまとめた白い女。

美しい女であっても、目元や口元に隠しきれない嗜虐性が張り付いている。

黒く染まったセーラー服に甲冑と奇妙な取り合わせで、黒く塗られた艤装に腰かけていた。

艤装はサメさながらに伸びた艦首に巨大な口がむき出しで、単装砲と飛行甲板で身を固めている。

そのすぐ後ろに現れた女は、巨大な口と両腕を持ち両肩に三連装砲を載せた野獣を思わせる艤装を背負うように装着していた。

こちらの女は額に二本の角、胸元には黒い四本の突起が生えていた。

肌こそ白いが膝まで届く黒髪をなびかせ、黒のナイトドレスとチョーカーを身に着けている。

港湾棲姫やヲ級と違い、後から現れた二人は黒の女と呼べる見た目だった。

前者は空母棲姫、後者は戦艦棲姫として遠からず人類から呼ばれるようになる二人だ。

「セッカク助ケニ来テアゲタノニ無様ダコト。多クノ同胞ヲ失ッタドコロカ拠点一ツ守レナイナンテ」

「スマナイ」

「何カラ何マデ甘イノヨ。ダカラ艦娘ゴトキニイイヨウニヤラレル」

空母棲姫のそしりを港湾棲姫は甘んじて受け入れるしかなかった。

港湾棲姫と空母棲姫の間に立つヲ級は、ひたすら静かに空母棲姫を見ている。内に宿った敵愾心を表に出さないように努めながら。

そして空母棲姫の後ろに立つ戦艦棲姫も無言のまま深手を負っている港湾棲姫の姿をみつめている。

そうして物欲しげに吐息を漏らしたのには誰も気づかなかった。




「ソンナニ艦娘ハ手強イノカシラ。私ガ想像スルヨリ?」

「チカラヲ着実ニ蓄エテイタノハ間違イナイ。ソレニ人間モ過小評価シテイタ」

「人間! 他ニ言イ訳ハナクッテ、≠тжa,,」

空母棲姫は港湾棲姫の名を出すが、その名前は人間には発音できないし正確に聞き取れない言葉だった。

「事実ダ。我々ハ人間ニ対シテ、アマリニ無頓着スギル」

「フーン、マアイイワ。≠тжa,,ハオ供ト一緒ニ帰リナサイ」

「オ前タチハドウスル?」

「人間タチノ輸送船団ガソロソロ到着スルハズ。コノママ素直ニ明ケ渡スノハ面白クナイワネエ」

「私モ……一戦交エテミタイ」

それまで一言も発しなかった戦艦棲姫が意思表示をすると、空母棲姫も愉快そうに口元を手で覆う。

「今夜ハヤメテオキナサイ。負ケ戦ニ付キ合ウ必要ハナイワ」

「私ハ構ワナイノニ」

「イズレ相応シイ時ヲ用意シテアゲルワ。今ハ連レ帰ッテアゲナサイ」

戦艦棲姫は頷くと先導するように移動を始め、港湾棲姫とヲ級が庇いあうように続く。空母棲姫は笑みを浮かべたまま見送った。

三人が波間に姿を消すと、空母棲姫の周囲にいくつもの影が姿を現す。

直属の配下となるル級戦艦やリ級重巡。そして一番多かったのは二本角を生やした悪魔のような頭部を持った小鬼たちだった。

空母棲姫は早口で命じると、集まっていた深海棲艦たちは一斉に行動を始める。

それからしばらく空母棲姫は漂うに身を任せていたが、やがて手を空へと掲げる。

「サア、オ前タチ。役目ヲ果タシナサイ。ソノ身ヲ懸ケテ……フフフ、ソノ身ヲ捨テテ」

艤装の甲板を艦載機が滑り落ちるように飛び出しながら、次々と空へ舞い上がっていく。

渦を巻くように編隊を組む艦載機の集団は、凶事を誘う黒い風のようだった。


この辺りから人称が変わるのです
グラスホッパーを読んだ影響ってことで大目に見てください(´・ω・`)



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



日付が変わってしばらくしてから輸送艦隊が到着した。道中、妨害は受けなかった。

今は探照灯の光が照らす中、物資の積み下ろしが段階的に進んでいる。

提督はその作業を出雲の甲板上から眺めていた。といっても人が動いてるのを辛うじて認識できる程度だ。

日中に比べれば暑さは和らいでいるし、海風が吹いているので涼しい夜だった。

「今日は月が出てて、いい夜ね」

提督が後ろを振り返ると足柄がいる。休んでないのか、と真っ先に思う。

腕を組んで足音を響かせながら、五歩分ほどの距離を開けて足柄は隣に並ぶ。

「昨日は月が隠れて大変だったわ。ちょっと先も真っ暗で、ここから集積所ぐらい離れてたら見えなくなってたわね!」

提督は相槌を打つと集積所と足柄を交互に見た。

なんでこんな話をしているのか。というより何を言いたいのか。無理に話そうとしてるように提督には見えていた。

「何か用があって来たんだな?」

「う……まあ、そうなんだけど。提督にお礼を、謝ろうと思って」

「どっちだ?」

「じゃあ……謝ろうかな」

足柄は敬礼のように姿勢を正すと頭を深く下げる。教範で示されるような模範的な動きだった。

そのままの姿勢で足柄は言う。

「指輪のこととか港湾棲姫も逃がしちゃったし、ごめんなさい」

提督は言葉に詰まるが、すぐに頭だけは上げさせた。




「どっちも足柄が謝るようなことなんてあったか?」

純粋な疑問だった。

指輪は提督が一方的に言い出した話で、受け取りを断った足柄が悪く感じる必要はない。

むしろ作戦前に無用な混乱を招くような真似をした提督こそもっと非難されるのが筋だ。

港湾棲姫にしても交戦していたのは足柄一人ではないし、取り逃がした責任を負うのなら提督になる。

敵情の把握や見通しが甘く、装備の選定も不安定だった点は見逃せない。前夜の夜戦でも艦娘の支援をできていなかった。

結果を出せただけで、問題の発端は己の資質ではないかと考えてしまう。

「やっぱり足柄が謝ることは何もないな」

言い訳に聞こえなければと考えながら言う。

「この作戦は上手く勝てたんだ。それでいいじゃないか」

「うー……確かに勝ったけど、港湾棲姫も倒せてたなら完璧だったのに」

「そこまで望むのは望みすぎじゃないか」

「五分でよしっていうやつ? 勝てる内にどんどん勝ったほうがいいじゃない」

勝利が一番。きっと足柄が言いたいのはそういうことだろう。元から足柄は勝利にこだわっている。

と号作戦の目的はトラック諸島の奪還だ。そのために港湾棲姫の撃破が必須だったが、それは撤退させた段階で成功しているとも。

計画された形でなかっただけで目的という点では達成されていた。

何よりも提督が気に入っている点がある。

「誰も沈まなかったんだ。俺はそこに一番価値を見出してる」




負傷者はいるが戦没者は誰一人としていない。

当たり前のことだろうか。そう思ってないから気に入っている。

掛け値なしのいい結果。だが提督にも思う部分がある。

「しかし、なんだかな……もう少し色々できると思ってた」

「何、どうしたの?」

「反対も説き伏せて前線にまで出てきたのに大したことができなかった。ただの独り相撲だったかもな」

やれることが十あると思っていたら、実際には五とか六程度の成果しか残せなかった。

失望か落胆か、提督には自分というのが期待はずれという実感が広がっている。

「そんな風に悪く言うもんじゃないわ」

足柄は諭すように、子供に教えるように言う。

「提督がいなかった場合の結果は誰にも分からないのよ。提督がいても、私たちは誰も沈まなくてよかったんでしょ? だったら、いいじゃない!」

慰められてると気づいて、これで貸し借りみたいなのはなしだとも提督は思った。

足柄が横を向き、提督もそちらを見ると鳥海が近づいてきていた。

左腕を三角巾で吊るしているのに目が行くが、それ以外は普段から見る姿だ。

鳥海は提督とも足柄とも少し離れた位置から話しかける。

「もしかして、お邪魔でしたか?」

足柄はおかしそうに笑う。

「お邪魔虫は私のほうでしょ。そんなところにまで気を遣わなくていいのよ」

「はあ……」

鳥海は曖昧に答える。よく見ると右手にはラムネの瓶を二本持っていた。

「なんか色々話してたらすっきりしたわ。二人とも、お休みなさい」

言葉通りに機嫌よさそうに笑いながら足柄は提督と鳥海に手を振ると艦内に戻ってしまう。

その後ろ姿をしばらく見送ってから鳥海は提督のすぐ隣に並ぶ。




「どうしたんです、足柄さん?」

「カツを入れてもらってた。足柄だけに」

「はあ……?」

「今日はいい夜ってことだ」

鳥海はよく分からないとばかりに首を傾げた。

提督は一人でおかしそうに笑うと鳥海の右手に視線を落とす。

「そのラムネは?」

「長門さんに分けてもらいました」

鳥海は一本を提督に差し出しながら言う。

「一緒に飲みたいと思って……」

声のトーンが下がっていったのは折った左腕を意識したかららしい。

鳥海は上目遣いに提督を見る。

「司令官さん、私の分も開けてもらえませんか……?」

「喜んで」

いっそ口移しで、とは言わない。拒まれないのは分かっていたにしても。

片手でも開けられるのに、とも提督は言わない。

鳥海に甘えてもらえるのは悪い気がしなかったからだ。

提督は栓を開けた自分の瓶を鳥海のと入れ替える。鳥海は照れたように笑っていた。

「左腕は痛まないか?」

「大人しくしてる分には平気ですよ。響かせると痛くなりますけど」

「となると戦闘は控えたほうがいいな」

「……痛くなるだけですよ?」

「闘争心に溢れた秘書艦なことで……」

それでも今夜はもう戦闘はないはずだと提督は高をくくっていた。

日中に深海棲艦は一度も姿を見せず、夜間なら爆撃機が飛来する可能性も低い。

「今夜はゆっくり休めそうだ」

その予想は三秒後に裏切られた。

敵艦隊発見を意味するサイレンが出雲の艦内中に鳴り響いて。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



動ける艦娘たちを展開させて、出雲も今や自由に動ける状態になっていた。

発見した敵艦隊は南方から接近していて、秋島に設置した電探に引っかかった。

艦種はル級戦艦とリ級重巡とそれなり以上の大型艦、そして未確認の反応が大多数を占めている。

連日の戦闘を思えば小規模の敵だったが、襲撃のタイミングのよさと未確認の敵の存在は得体が知れなかった。

いずれにしても無視はできない。

こちらと同じように艦砲射撃を考えているのなら、この数でも十分に脅威だ。精度を考えなければ射程も長く取れる。

合流した輸送艦隊からも戦力を抽出して二十四人を先行させ、さらに十二人を備えとして送る。

左腕を骨折している鳥海も当然のように先行組に加わっている。

彼女の場合、艤装も左側の兵装を失ったままだが、それでも五割以上の火力を残していた。

提督は心配こそしたが、出撃を止めなかったし不安も口にしない。

提督にとって鳥海はいつだって信頼に応えてくれる相手だった。

「輸送船の退避状況は?」

出雲の艦長が苦い顔で答える。

島のほうでは灯火管制が敷かれているので、順調に進んでないのは提督も予想していた。

「思わしくないですな。エンジンを切っていた船もあって動きが鈍い」

「そういう船は後回しだ。動ける船から順次、艦娘に誘導させる。焦って船同士で衝突しなきゃいいが」

提督は空母を中心に陸に上がったままの艦娘たちがいるのも思い出し、そちらや工兵たちにも集積所や設営所から避難するよう命じる。




輸送船の退避が思うように進まない内に、敵艦隊に動きが生じた。

電探のスコープ上では、未知の敵ととされる輝点が一斉に増速し突撃してきた。

しかも、ばらつきはあるが四十ノット以上は確実に出ている。

艦娘の動きにも乱れが生じる。いきなり混戦に持ち込まれてしまっていた。

「鳥海、敵の情報を教えてくれ」

『敵は新種、小さな鬼です!』

敵情を伝える鳥海の通信が入り、提督はそれを全ての通信網と共有させる。

鳥海の輝点は戦線からやや離れて、状況を俯瞰しようとしているようだった。

『速度は約四十五ノット。島風より速いし、小さくて当てづらいです! 小口径砲と魚雷が多数! ル級からの砲撃も確認!』

回避と反撃を行っているのか、ここで通信が一度止まった。

小鬼と呼ばれた新種はいくつか反応を消失させていたが、先行艦隊を突破しつつある。

この速度差では一度でも突破されたら追撃は困難だった。射程外に抜けるまでは時間があるが、今回は大型艦が控えている。

鳥海からの通信が復旧する。

『機銃でも三式弾でも、とにかく弾幕を! 当たりさえすれば、どうとでもなります!』

「了解した。突破された分はこちらで対処するから、そのまま大型艦の迎撃を頼む」

提督は輸送艦の護衛についていた艦娘たちにも戦闘準備をさせ、輸送船の避難も急がせる。

時間の猶予はあるように思えたが、事は上手く運ばなかった。悪いことはすぐに続く。

『敵航空隊発見。約二百機』

秋島の電探が厄介な一報を伝えてくる。すぐに方位と高度も伝わってくる。

発見された機影は敵艦隊の後方より接近し、高度は三千まで上昇していく。電探の探知圏内に突然現れた集団だった。

提督はその動きから機動部隊の仕業だと確信した。実際には空母棲姫単独ではあるが艦載機が相手という点では間違えていない。

移動速度から夏島に到達するまで二十分程度しかない。




提督は陸に上がっている機動部隊に通信を繋ぐ。

「夜間戦闘ができる戦闘機を全部上げろ! 誘導はこっちでやる!」

『分かりました、稼動全機を発艦させます!』

「全機? やれるのか?」

通信に応じたのは赤城だが、提督の疑問に答えたのは加賀だった。

『みんな優秀な子たちですから』

「よし、当てにするぞ。着艦は夏島の飛行場を使えるようにしておく」

『無事に守り切れれば、ですか』

その通りだった。守りきるのは難しい。

小中規模の爆撃機ならまだしも、夜間にこれだけの数の艦載機から攻撃を受けるとは提督もまったく考えていなかった。

提督は妖精の航空隊にも時間の許す限り機体を発進させるよう伝える。

こちらは夜間戦闘もこなせる練度の機体は少ないが、地上に駐機したままよりはできるだけ空に上げておきたかった。それならせめて抵抗はできる。

「こんな真夜中にどうやって収容するつもりだ……いや、帰ってこなくていいのか?」

まさかとは思ったが、使い捨て感覚で出撃させた可能性に提督は怖気が走った。

「……被害を顧みない深海棲艦らしいやり口か」

推測でしかないが確信のように感じた。そして提督は反感もまた抱く。あるいは憤りを。

そんな相手にいいようにさせるのは提督としては面白くなかった。

だが現実には空海の両面から同時攻撃に近い形で狙われている。




被害は間違いなく生じ、提督にできるのはそれをいかに小さくするかの算段だけだった。

提督はふと足柄とのやり取りを思い返す。自分にとっての勝利とは何かを。そして、この作戦の目的を考えてみる。

どうすれば両立できるのか考え、提督は指揮官がやるべきでないことを思いついてしまう。

それは提督が反感と憤りを抱いた深海棲艦の手段とそう変わらないものでもあった。

やめたほうがいいと自制する内なる声を無視して、艦長に意見を求めていた。

命令でないのは自分一人の都合じゃないと、どこかで理解していたからかもしれない。

あるいは結託する仲間がほしいという心理かもしれなかった。

艦長は話を聞くと目を丸くして、それから口角を吊り上げて不敵に笑った。

「面白そうじゃないですか。提督殿には退艦していただきたいところですが」

「もう時間がない」

「ありませんな」

取って付けたような言い訳に艦長も乗っかる。

提督はすぐ妖精たちにも同じ話をした。

承服できないようなら退艦させればいいとも考えていたが、そうはならないとも踏んでいる。

提督は作戦前に会った妖精の言葉を信じていた。妖精は艦娘のためにあるという言葉を。

そして妖精たちからも賛意を得られた。



この間にも状況は進んでいる。

夜空では戦闘機同士の空戦が始まり、小鬼の集団も確実に迫ってきていた。

足元から伝わる振動が変わり、艦体が一度大きく傾いでから水平に戻る。

出雲は増速すると夏島から遠ざかるように針路を取る。

護衛についてた艦娘は連絡なしのその動きに出遅れた。

追おうにも出雲型の最高速は三十二ノットに達するので、駆逐艦であっても追いつくまでに時間がかかる。

出雲は夏島と接近してきた小鬼たちを横切るように進み、出し抜けに小鬼たちに探照灯を向けた。

イ級よりも小さく、それでいて禍々しい姿が浮かび上がる。

提督はその姿にヤギの頭をしているという悪魔を連想した。

小鬼は全てではないが、光に吸い込まれるように出雲へと向きを変える。

艦娘たちからは明かりを消すよう呼びかけられるが提督は無視した。

その代償はすぐに支払われた。

子供の金切り声のように甲高く笑いながら、小鬼たちは砲撃を始めた。

小口径砲でも装甲のない出雲には脅威だ。

殺到する砲弾が艦首から艦尾まで至る所を叩く。ハンマーで打ちつけるような衝撃に出雲の艦体は身震いした。

艦橋や缶室といった主要区画に命中しなかったのは幸運だった。

しかし砲撃は容赦なく艦体を痛めつけ、衝撃で提督は床に引き倒される。

倒れた拍子に額を切りつけ、血が早鐘を打つ心臓の鼓動に合わせるように勢いよく流れ出す。

提督は痛みを感じない。出血を自覚していても、分泌されたアドレナリンが痛みを忘れさせていた。




合流してきた護衛の艦娘たちも小鬼相手に砲戦を始めていたが、出雲の援護には回れていない。

その間にも予定通りに艦長は陸地に向かって舵を切る。攻撃で速力は落ちているが舵の効きは悪くないようだった。

よほどの強運に恵まれない限り、出雲が沈められるのは分かっていた。

敵を引きつけられるだけ引きつけて、あとは出雲を座礁させてしまおうという魂胆だ。

出雲一隻と引き替えに輸送船や集積所への攻撃をいくらか逸らせるのなら割に合う、というのが提督の出した損得勘定の答えだった。

その意図は理解してないが、小鬼の何人かは出雲の転舵に先回りをしてくる。提督は艦橋のガラス越しにそれを見た。

晒された横っ腹に雷撃をするつもりだ。それが分かっていても出雲からでは何も対処できない。

そこにさらに一発が命中し、出雲がその日一番の揺れを起こした。速力が見るからに落ちるのが分かった。

艦長が舌打ちをする。

「提督。覚悟はいいですか」

「ああ」

そんなのは初めからできている。と提督は思う。もう少しだけ持てば、とも考えたが。

とはいえ最初の砲撃を五体満足に乗り切れただけでも幸運だったのだと思った。

三本の魚雷が全て命中したら、この出雲はどれだけ浮かんでいられるか。一時間か、三十分か。それとも五分持たずに海中に引きずり込まれるか。

艦長には悪いことをした。体のいい巻き添えじゃないか。

死の危機に瀕すると走馬燈が見えるというが、そんなことはなかった。それとも、これから見えるのか。

何をもたついているんだ、あの小鬼たちは。外す距離でもないのに、そんなにのんびりしてたら――。

小鬼たちの横に赤い光が生じた。それは一つ一つは小さい光だったが数百はあった。束ねた火花が一斉に飛び散るような光景だ。

次の瞬間には火花は小鬼の魚雷に当たったのか、膨れあがるような火球を生み出した。

それは小鬼の体を呑み込んで、隣の小鬼にも爆発を連鎖させた。

三式弾が小鬼たちの間近で爆発したらしいと提督は気づく。

『薬指が……』

声が聞こえてきた。提督のよく知る声が。




『薬指がずっと痛くて、それで戻ってみたら……』

「鳥海……」

『あなたは何をやってるんです、司令官さん!』

砲撃の音が続く。小鬼を示す輝点の一つが消えていた。

『司令官さんは司令官らしく、ふんぞり返ってればよかったんです! それをこんなところまで出てきて!』

「怒ってる……よな?」

分かりきったことを聞いていた。聞かずにはいられなかった。

親に怒られると分かっていても話しかけないといけない子供の心境がこんなだろうか、と提督は場違いな想像をした。

『怒りますとも! だから!』

今や小鬼の脅威は遠のいていた。

数は依然多いのだが、この付近にいる小鬼に出雲を狙っている余裕はなくなっていた。

『だから、無事でいてください』

なんて声を出すんだ。これじゃとても敵わない、提督は心底から思う。

艦長がこの先どうするかを確認するように無言で見てくる。

どちらにしても出雲は座礁させるしかない。損傷を受けすぎていた。

あとはもう迎えに来てくれるのを待つしかなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



深夜に始まった戦いは夜の内に終わったが、状況が落ち着く頃には東の空が白み始めていた。

先の戦闘での被害は座礁した出雲と、輸送船二隻が沈没。一隻が炎上するも鎮火に成功。

夏島の被害は戦闘機隊が奮闘してくれたため被害は小さかった。

ただ包囲を突破した少数の機体は体当たりをしてまで攻撃してきたという報告が挙っていて、提督はその点に戦慄していた。

深海棲艦は襲撃が済むと早々に撤退していった。こちらを追い返すだけの戦力は初めからなかったらしい。

提督と艦長は甲板に出ていた。

座礁の影響で船体は斜めに傾いているが、歩くのに困るほどの傾斜ではない。

「よく無茶に付き合ってくれたな」

頭に包帯を巻いた提督は、無精ひげの目立ち始めた艦長に話しかける。

命令しておいて何を言ってるんだと、提督は自分で思ったが聞かずにはいられなかった。

「命令でしたので」

艦長はそう答えたが、程なく別の理由も付け加えた。

「別にフェミニストを気取るわけじゃないんですがね、少しは体を張ってるところを見せたかったのかもしれません」

なるほどと提督は思った。

男ってやつは単純で、女の前でなら少しはいいところを見せたくなる。

それは自分の立場がどうこうとか関係なく、もっと本能的なものだ。

艦娘が聞いたら呆れるか怒るかの二択になりそうだとも、提督は思ったが。

「提督こそ、あの時の艦娘とどうなんです?」

鳥海のことを言ってるのは明らかだった。

提督は左手を見せた。それで十分だと思ったからだ。

艦長は「ああ」と得心したような声を出した。

そちらこそどうだ、と聞き返しそうになって提督は思い留まる。

艦長の目が今ではない遠くを見ていたからだ。この質問は聞いたら最後、きっと地雷になるように提督には思えた。

代わりに違う質問をする。

「提督に興味はないか?」




二人目の艦娘が生まれはじめ、戦域もさらに拡大している。

早晩、鎮守府が複数設立されて地域ごとに分担されるようになるのは明らかだった。むしろ今までが遅すぎるぐらいだ。

だが人材はどうなのだろうとも提督は思う。

口利きできる立場ではないが具申はできる。

「俺らに拒否権なんてのはありませんよ」

「……そういう考え方もあるか」

話はこれで終わりだった。

鳥海を筆頭に迎えがやって来た。すぐ後ろでは高雄や摩耶がボートを曳航している。

提督は既視感に見舞われた。

ややあって、いつか想像した光景とダブったのだと気づく。

想像とはずいぶん違うが、鳥海は空と海の間にいた。

鳥海はこちらを見上げている。

どんな顔をしていいのか迷ってるみたいで、さっきから無事な右手が帽子と胸元を行ったり来たりしてる。

そうして鳥海は手を振ってきた。

怒られよう。そして謝ろう。

それで丸く収まるかは別でも、きっとそれが正しいのだと提督は思って手を振り返した。

ここまでで一章に当たる話はおしまい
この章が一番長くなりそうなので、この先はもう少し軽量化できると思います。たぶんきっと

全体の軸になるのは鳥海と提督ですが、次は白露とワルサメがメインの話となります
私の書く話は碌なことにならないのですが、お付き合いいただければ幸いです

おっつん

乙ありなのです
今週は放置しそうだったので、導入だけでも差し込んでおくのです



いっちばーん!

……あれ? もしかして一番じゃない?

まあ、そんなことだってたまにはあるし。たまには。

ところで影響ってあるでしょ。他の人とか事件とかで何かが変わるっていうあれ。

一番影響したのは誰かって提督に聞いたら、大体は親だろなんて言うんだよ。

艦娘の親ってなんなんだろうね? 妹たちは親じゃないし、向こうもあたしを親なんて見ないだろうし。

ああ、うんとね。別に親がどうこうって話じゃないの。

えっと、あたしにたぶん一番影響を与えた人がいてね。

んー……人っていうのは、ちょっと違うか。その子は深海棲艦だったから。

でも、やっぱりその子なんだよね。あたしを一番変えたかもしれないのって。

……や、変わったっていうか気づいた?

あたしはどうしたいのかとか、みんなはどんな気持ちだったのかって。

分かってるようで分かってなかったことに気づけたの。

だから、たぶんあたしが一番影響を受けた話。

あたしとあの子の、そしてみんなとの間にあったこと。

あたしはきっと忘れない。




二章 白露とワルサメ



その日、白露は妹たちと臨時の哨戒任務に就いていた。

トラック諸島近辺で不審な電波が感知され、その調査に駆り出されたわけである。

付近の海域では先だって海戦が生起していて、その際の深海棲艦の生き残りが電波の発信源と見られていた。

炎天下の空の下、白露は夕立と組んで小島の海岸線を調べていく。

「退屈っぽい」

「文句言わないでよ。あたしだって別に面白くないんだから」

「面白くない……もう夕立には飽きたっぽい?」

「なんなの、その誤解を招く言い方……夕立こそあたしに面と向かって退屈って」

「じゃあ、お姉ちゃん。水遊びしない?」

何がじゃあなんだろう。白露にはたまに妹がよく分からなくなる。

でも提案自体は悪くないじゃん。白露はそうも思う。

「いいねー。でもお仕事が先だよ」

「隠れてるのが姫級なら、さっさと出てきてほしいっぽい」

「深海棲艦の姫かあ。ちゃんと見たことないんだよね」

先日の海戦では港湾棲姫に続く二番目の姫級、駆逐棲姫の姿があった。

海戦こそ艦娘たちの勝利で幕を閉じていたが駆逐棲姫の撃破は確認されていない。

今回の電波も駆逐棲姫が救援を呼ぶために発した可能性もあった。




「夕立は姫とも戦ってたんだっけ。どんなやつなの?」

「黒くて白かったっぽい」

「深海棲艦って基本その二色だよね……」

夕立の返答に白露は力なく笑った。

本人には悪気が一切ないのを知ってるだけに、白露としては強く言い返せない。

「お姉ちゃん」

「何? まだ退屈とかっていうのはやめてよね」

「姫を見つけたっぽい」

夕立が言うように駆逐棲姫が浜に打ち上げられていたのが見えた。

ロウソクのように白い肌と髪、墨のようなセーラーにネイビーブルーのスカーフ。

仰向けの体からは手足が力なく投げ出されている。

あれじゃ日焼け確実だね、と白露は少し場違いな感想を抱いた。

「写真で見た姿に間違いないね……夕立」

「分かってるっぽい。みんなも呼ぶね」

夕立が油断なく主砲を向ける中、白露は浜に乗り上げる。近くに落ちていた流木を拾うと、それで駆逐棲姫を突いてみた。




「起きて。起きなさいってば」

返事がない。ただのしかばねのようだ。

白露はそんな決まり文句を思い出したが、実際のところ反応があった。

「ン……」

駆逐棲姫がうっすらと目を開ける。その目は白露を見たが、すぐには視界に映る光景を認識できなかったらしい。

目をしばたき、そうして置かれた状況を悟ったようだ。

「艦娘!」

何かをまさぐるような駆逐棲姫に夕立が言い放つ。

「動くな! 動いたら撃つっぽい!」

鋭い声に駆逐棲姫は沿岸の夕立に気づいて、素直に従った。

「……殺セ」

「いい覚悟っぽい」

本当に撃ちかねない夕立をすかさず白露が止めに入った。

「ちょっと待ちなさいって。そのつもりなら初めっから撃っちゃってるし」

駆逐棲姫が白露を見上げると、白露もその目を見返す。

この子の目ってそんなに怖くないんだ。




「あなたが抵抗しなければ、こっちも撃たないよ」

「……ナンデ撃タナイノ?」

「戦う力も残ってないんでしょ? それに敵だからって好き好んで撃ちたいわけじゃないし」

駆逐棲姫は顔を逸らすように夕立の方向を見る。

「あの子だってそうだから。まあ。やる時は徹底的にやるけどね」

「逆ナラ……沈メテタ」

「でも、今はあたしたちがせーさつよだつけんっての握ってるんだよね。だったら、あたしはあなたを連れ帰るよ。話も通じてるんだし」

白露は駆逐棲姫を怖いとは思わなかった。

でも、この子は怯えてる。というのは分かった。

逆ならと言ってたけど、逆ならあたしも怯えるなと白露は思う。

「でも深海棲艦の捕虜なんて無茶っぽい」

「だからって無闇に撃つのがいいわけないじゃない」

「むぅ……」

「捕虜って言っても、まずは提督の許可を取り付けるところからだけどね」

「お姉ちゃんがその気ならいいっぽい……」

夕立は渋々といった感じではあるが姉の言葉に従った。

駆逐棲姫は観念したようだ。初めから拒否権もない。

「……好キニシテ」

白露は提督の承認も取りつけると、他の妹たちも合流したところで駆逐棲姫をトラック泊地へと連れ帰ることになった。

白露は夕立と共に周囲を警戒しながら、駆逐棲姫に話しかける。

少しは警戒心を解きたい、という気持ちもあった。

「ねえ、あなたの名前は? あたしは白露。白露型の一番なの」

「……サメ……」

「ん?」

「ワル……サメ……」


ここまで。正直、今回からの話と前回までの話の順番を逆にしたほうがよかったんじゃないかと思ってる
もうだいぶ書いてしまったけど、今後はもっとキャラの掘り下げを中心に進めていきたいところ

乙ー

乙乙
面白い

乙ありです
いつもより多くて嬉しいのです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「――そんなこんなで駆逐棲姫、ワルサメを連れてきました!」

執務室では白露が提督と鳥海の前で説明を終えたところだった。

自信に満ちた白露の語りを前に、二人は感心したように何度も頷いていた。

「話は分かった。鳥海はどう思う?」

「そのワルサメを直接見ないことにはですが、私は白露さんの判断を全面的に支持します」

全面的に、ということはそれだけ信じてもらってるということ。

秘書艦さんにそうまで言われると、こっちも自信が湧いてくるね。

「ありがとう、秘書艦さん!」

「いえいえ。それに司令官さんも狙いがあって連れてくるのに同意したんですよね?」

「俺も深海棲艦には興味があるからな。でなきゃ連れてこさせないさ」

「ですが、本当によかったんですか? こういった事例は初めてだと思うんですが」

「つまり一番か……やったな、白露」

「やったー! いっちばーん!」

喜ぶ白露を鳥海は微笑ましく見つめていたが、すぐにそうではないと気づいた。




「……司令官さん」

「分かってる。これは深海棲艦に踏み込むいい機会だ。多少の危険を冒してでもやる価値があるはずだ」

「あの子、そんなに悪い子じゃないと思うよ」

白露は口を出していた。提督も頷く。

「責任を押しつけるわけじゃないが、俺もその点では白露を信じてるからな。ただ駆逐棲姫を信じてるわけじゃない」

まあ、それは仕方ないか。白露も第一印象だけで話してる点は自覚していた。

その時、明石から検疫や検査の結果が出て、ひとまず病原体やワルサメ自身の異常は見受けられないとの連絡が入った。

そうと決まればと三人はドックへと向かい、道すがら提督が言う。

「しかしワルサメか。白露型とは縁が深そうな名前だな」

「春雨みたいだよね」

白露型には春雨と山風という、未だに艦娘として確認されていない姉妹艦が二人残っている。

ワルサメという名はその内の春雨を意識させる名前だった。

夕立が突っかかるのも、その名前のせいなのかも。夕立が春雨を気にかけてるのは白露もよく知っていた。

「白露はワルサメから何か感じないのか?」

「感じるかって言われたって……分かんないものは分かんないよ」




「司令官さんは駆逐棲姫が春雨さんだと考えているんですか?」

「可能性としてはありだろ。木曾や大鯨――今は龍鳳がそうだが、海上で保護された艦娘もいるからな」

そういった艦娘の存在が、深海棲艦は艦娘の成れの果てという説の根拠になっている。

白露にせよ鳥海にせよ、その説は知っているが確認のしようもなければ確認する気も起きない話だった。

「そういえばワルサメに対して、白露を飴として誰かに――たとえば鳥海に鞭役をやらせてみたほうがいいか?」

提督はどちらに向けたのか曖昧な質問をしていた。

鳥海がそれに聞き返す。

「情報を引き出しやすく、ですか?」

「俺たちはあまりに深海棲艦を知らなさすぎるからな」

「……それは反対かな。あたしが仮に同じ立場だったら、そういうのはちょっと。面と向かって正直に話せばいいのに」

白露が鳥海を見上げると、鳥海は柔らかい表情をしている。

「だいたい秘書艦さんが鞭って人選がおかしいよ。人当たりのいい人なんだから、すぐにボロが出るって」

「じゃあ誰ならいいと思う?」

「普段からツンケンしてる人だから山城さんとかローマさんとか……待って。あたしがそう言ってたって言わないでね?」

あの二人、ちょっと怖いって言うか冗談通じないところあるし。

「山城さんもローマさんも真面目すぎるところがありますからね」

「鳥海がそれを言うのか……」




「ここは白露さんの言うように自然体で接するのが一番だと思いますよ」

「やっぱり、そうだよね!」

「ええ。下手に小細工をして裏目に出てしまっても意味がありません。司令官さんも私にはそういうことしませんでしたよね」

鳥海は指輪をなぞるように触っていた。

同じ物を白露も左の薬指にはめているが鳥海と白露、というより鳥海とその他では意味合いが違った。

白露は興味津々だった。

「提督はどんな感じだったの?」

「誠実で直球でしたよ」

「もっと聞かせて!」

「なあ、本人がいる前でそういう話はやめてくれないか」

提督は歩くペースを早くして二人の前を歩き出す。

白露は小声で鳥海に訊く。

「照れてるのかな?」

「照れてますね」

そんなやり取りが聞こえたのか聞こえなかったのか、提督は二人から逃げるように歩調を早めていった。

「もう、司令官さん。そんなに急がないでください」

鳥海は小走りで追いかけ始めた。

いいなぁ、と二人の背中を見ながら白露は思う。

とはいえ白露も置いていかれると困るので、すぐに駆け出して追いかけた。




ドックに着くと、ちょっとした人だかりができあがっていた。

手空きや非番の艦娘たちも集まってワルサメを見物に来たようだが、相手が深海棲艦の姫というのもあって取り巻く空気は重い。

提督が近づくと、それに気づいた艦娘たちが道を空けようと脇へ動く。

人だかりが割れるように動くと、提督、鳥海、白露の順にその間を進む。

渦中のワルサメはすっかり縮こまっていた。

すぐ隣で明石が医療キットをたたみ、ワルサメの後ろには夕立が艤装も外さずに見張っている。

いつでも実力行使に出られるのは明らかだ。

このぐらいの用心が必要なのも分かるけど、それを差し引いても今の夕立はちょっと怖いかも。

検査を終えた明石に提督が話しかける。

「この子がワルサメか。話せるか?」

「ええ、検疫も身体的にも異常がありませんので。まあ生身の深海棲艦を見たのは初めてなので、ひょっとしたらひょっとするかもしれませんが」

「構わない。何か起きるなら、もっと以前に起きてるはずだ」

提督がワルサメと目を合わせると、ワルサメは一歩引いた。提督の後ろでは鳥海が横に移動する――不審な動きを見せたらすぐにでも間に入れるように。

「ようこそ、ワルサメ。ジュネーヴ条約に則って……といっても知らないだろうし適用外だが、身柄の安全は保証したいと思う」

ワルサメは視線を落ち着きなくさまよわせ、白露を見つけると不安げにそちらを見つめた。

提督は提督なりに意図を察すると白露に言う。

「白露。妹たちと一緒にワルサメの世話をするんだ。詳しくは追って伝えるが」

提督はそこで夕立に視線を向ける。

「捕虜ではなく、あくまで客人に応対するつもりで頼む」

釘を差される形になった夕立は頬を膨らませるが、提督はそれを無視する形で集まっていた艦娘たちに向き直る。

「あまり必要以上に怖がるな。向こうだって俺たちが怖いんだ」


ひとまずここまで。書けたら今日の遅くとかに続きを投下
間に合わなければ土日に流れ込むかと思います

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



提督はワルサメを客人のように扱うと言ったが、その方針は必ずしも嘘ではなかった。

というのもワルサメを拘束しようにも艦娘の力を借りる以外に方法はなく、それならば監視を兼ねた世話役を付けた上である程度の自由を与えたほうがいいというのが提督の判断になる。

有り体に言ってしまうと拘禁よりも軟禁のほうが都合がいい、というわけだ。

もっともお目付役を言いつけられた白露型としては、そこまで分かって行動しているかは疑問符がついた。

少なくとも白露はお構いなしにワルサメと接しようとしている。

あたしだってあたしなりの責任感を持ち合わせているつもりだし。

ワルサメのやってきた晩、簡単な自己紹介などを済ませた白露型一同とワルサメは食堂に足を運んだ。

入り口の前に置かれた『味処 間宮』という木製の立て板を前にしてワルサメは立ち止まった。

「ココハ……」

不思議そうに文字を見るワルサメに白露は答える。

「間宮さんの食堂だよ。その看板は鳳翔さんが書いたんだけど、って言っても分からないよね」

「そもそもワルサメって文字は読めるんですか?」

海風の疑問にワルサメは首を傾げて答えると、夕立が冷ややかに言う。

「読めないふりかも知れないっぽい」

「あんたはまたそんなトゲのあることを」

「ふーんだ」

すっかり拗ねた調子の夕立に白露も困ってはいたが、納得し切れていない妹の気持ちも理解していたので強く怒れなかった。




「まあまあ、まずはお腹いっぱいに食べましょう! 幸せは満腹からです!」

あからさまに明るい声を出した五月雨は、歩きだした途端に立て板に足先を引っかけた。

盛大な音を立てながら立て板を倒し、五月雨は手をばたつかせながら額から床に倒れ込んだ。

「いったーい! なんでこんな……」

「ア、アノ……」

「ああ、うん。気にしないで。よくあることだから」

白露はそう言ったが、ワルサメは恐る恐るといった様子で倒れた五月雨に手を差し出す。

涙目になった五月雨がその手を迷いなく掴むとワルサメは五月雨を立たせた。

「ありがとう……」

「……イエ。足下ニハ気ヲツケテクダサイ」

二人のすぐ後ろでは、涼風が倒れた立て板を元の場所に立て直していた。

「ほんと気をつけろよなー。あんたも助かるよ」

ワルサメは涼風にまで礼を言われると、萎縮して俯いてしまった。

涼風は白露にどうしようと言いたげに顔を向けたので、白露はワルサメの空いた手を引いて間宮に入っていった。

九人はテーブルに座る。白露はワルサメと向かい合う席に、ワルサメの両隣には村雨と五月雨が座って夕立は一人で端に陣取る。




夕食時なので、全員ではないにしても鎮守府の艦娘たちも間宮に集まっていた。

そのため活気はあるのだが、空席もまた多かった。

「とりあえず、あたしとワルサメはお任せ定食にしちゃうから、みんなは好きなの頼んじゃって」

各々が何を食べるかを決めてる間、ワルサメは白露型以外の艦娘を気にしていた。

多くの艦娘たちもまたワルサメを気にしていた。提督がどう言ったところで簡単に、ましてや一日やそこらで変わるわけもない。

けど、これじゃよくないよね。白露は振り返るとワルサメの視線を追い、見ている相手について教えていこうと決めた。

「あれは武蔵さんと清霜だね。日焼けしてる眼鏡の人が武蔵さんで豪快な人だよ」

「ゴーカイ?」

「細かいことは気にするなって感じ? さすが大戦艦っていうか。手を振ったら振り返してくれるかも」

「……ヤメテオキマス」

ワルサメの反応も仕方ないか。まだ妹たちにも気を許せてないのに、まったく知らない武蔵さんに手を振れというのは難易度が高いだろうし。

白露がそう考えていると五月雨が自然と後を引き継いでいた。

「清霜ちゃんは私たちと同じ駆逐艦です。将来は戦艦になりたいって言ってますけど」

「艦娘ハ駆逐艦カラ戦艦ニナレルノ?」

「えーっと……それはどうでしょう? どうかな、涼風?」

「気合いがあれば大丈夫さ。いけるいけるぅ!」

「艦娘ッテスゴイ……!」

無理なんじゃないかなと白露は思ったが、敢えて訂正はしなかった。夢を壊してはいけない。




五月雨は意気揚々と紹介を続けていく。

「それから、あっちはイタリアのみなさんですね。リットリオさんにローマさん、ザラさんとリベちゃん。みなさん優しいですけど……ローマさんはちょっと怖いかも」

「あたしもあの人はちょっと怖いかなぁ。視線が冷たいっていうか」

白露が五月雨に同意すると、村雨も会話に入ってきた。

「それは二人がローマさんをよく知らないからだよ」

「そうなの?」

「水着を買いに行った時にご一緒させてもらったんだけどね」

「いつの間に……」

「ここは常夏の島だよ? それで一緒に選んでもらったんだけどセンスが洗練されてて勉強になったし、お酒のチョイスもいいし」

「そういえば村雨はワイン派だったっけ」

「ええ。それでこの前飲んでたらイタリア産のも勧められてね……その話はまた今度として、みんなローマさんを怖がりすぎなのよ」

「村雨にそう言われると、そんな気がしてきたよ」

「姉さんも今度話してみればいいじゃない。ってごめんなさいね、私たちばっかり話しちゃってて」

村雨がワルサメに話を振ると、彼女はゆっくりと首を横に振る。

「ミナサンノ話ハ聞イテルダケデ面白イノデ続ケテクダサイ」

「そう? じゃあ次は……あっちの窓側にいるのが木曾さんね。いつもはお姉さんたちといるんだけど今日は一人みたい」




白露は木曾をどう言っていいのか上手く思い浮んでこなかった。

「木曾さんは……なんていうか色々あった人だよね」

イケメン枠という言葉も思い浮んでいたが、白露の知る限りでは木曾は強さと弱さの同居している艦娘だった。

だから説明に困った。表層しか捉えていない説明になるのではないかと考えてしまって。

悩む白露の代わりに海風が言う。

「木曾さんにはメイド服を着せたい……私じゃなくて多摩さんが言ってたんですけど」

「木曾にメイド服ってどういうチョイス――」

ちょっと呆れたような時雨が言いかけて固まる。

白露たちも大体同じような想像をしていた。

時雨はどこか愕然としたように声にだす。

「アイパッチの美形メイド。マントは当然そのままだとして、黒のメイド服に白のエプロン。スカートの裾は当然短いしフリルもついてる……当然本人は照れている」

白露型の視線を一身に受けた木曾は、その異様さに気づいたが敢えて無視を決め込むことにした。

時雨は唾を飲み込んだ。

「結構、ううん。かなり有り?」

「多摩さンってすげーンだな……」

江風からもそんな反応を引き出せるんだから、それだけのインパクトがある。

実際に着せようとするのはかなり大変なのは白露も分かっていたが。

もう少し先まで書いてるけど見直したいので、今夜はここまで
それと乙ありでした

おつ!

乙☆

「メイド木曾」何というパワーワード・・・!?

乙乙

乙ありなのです。メイド木曾は需要に反して供給が少ない事象の一つだと思うの
今日の遅くにももう少し投下予定ってことで



「それにしても空席が目立つなぁ……仕方ないか」

白露は辺りを見渡しているとワルサメが不安そうに聞いてくる。

「私ガイルカラデスカ?」

「ううん、そうじゃないよ。もっと深い理由があるんだよ」

「深イ?」

「そ。深いふかーい理由がね」

実際はもったいぶるほどの理由じゃないのは白露にも分かっていた。

そして五月雨があっさりと漏らしてしまう。

「他の鎮守府ができて人が減っただけじゃないですか。今じゃ五十人ぐらいで、ここに来た時の三分の一しか」

「五月雨、そんなことまで言わなくていいよ」

時雨が口を挟むと、五月雨は慌てて口を閉じる。

五月雨が言わなくても、数日もすればワルサメにも察しがついてただろうし、そもそも攻撃をかけてきたのもこっちの頭数が減っていると分かってたからだと思うけど。

時雨はそのまま話を引き継いだ。

「今度はボクからもワルサメに紹介しておこう。あそこにいるのが扶桑と山城だよ」

時雨に言われてワルサメは扶桑と山城を見る。改造巫女服を着た二人の姿はワルサメに別の相手を思い出させた。

「大キイデスネ……」

「そう、扶桑と山城は大きいんだ。君の反応は見所があるね」

「≠тжa,,ミタイデス」

ワルサメの言葉に時雨のみならず一同は困惑した。すぐにワルサメも異変を察した。




「私、言ッテハイケナイコトデモ……?」

「ううん、そうじゃなくってね。名前だと思うんだけど、何を言ったのかちっとも分かんなくて」

白露の返事にワルサメはもう一度同じ名を出した。

「≠тжa,,」

「うん、それ。あたしたちにはちょっと早すぎるかなーって」

ワルサメは立ち上がると、手を上下させて体型を示すようにジェスチャーをする。それから額に手を当ててから前に伸ばすように突き出す。

その動きを何度か見てから白露は聞く。

「もしかして私たちが来るまでこの島にいた姫?」

「ソノハズデス」

「私たちは港湾棲姫って呼んでたけど」

「コーワン? コーワン……カワイイ名前デスネ」

「ちなみにワルサメは駆逐棲姫って呼んでるんだけど」

「コッチハカワイクナイ……」

「そうなんだ……」

白露にはよく分からない感性だった。




疑問が解けたところで時雨がワルサメに尋ねる。

「それで君からしたら扶桑たちは港湾棲姫に似ているのかい?」

「似テイルノトハ違ウカモ……デモ私ハ≠……コーワンヲ思イ出シマシタ。大キクテ優シイカタデ、私ヤホッポニヨクシテクレテ」

「ホッポ? 他の姫とか?」

「ハイ、コンナ小サイ子デ」

ワルサメは手のひらを下に向けて胸の高さで左右に振る。

嬉しそうに説明するワルサメへ時雨が少し踏み込んだことを聞く。

「そうなんだ……そういえば港湾棲姫は健在なのかい?」

「ハイ、元気デス」

「なるほどね」

と号作戦から四ヶ月が過ぎているが、港湾棲姫の安否は不明のままだった。この時までは。

ワルサメは余計な話をしたと悟ったらしく、椅子に座り直すと口を噤んでしまう。

乗せられたと思って、殻に閉じこもってほしくはないけど。

白露はそんな風に考えながらも話し続ける。そうしないと本当に騙しただけのようになってしまうと思えて。

「他にはあっちにいる着物の人たちが蒼龍さんと飛龍さん。もこふわしてそうなのが雲龍さんで三人とも空母だね」

「空母ハ苦手デス……」

「ありゃ、そうなのか。じゃあ、あっちの駆逐艦。島風と天津風に長波だね」

「着任した頃の島風はスピード狂って感じだったけど、ずいぶん丸くなったわね」

村雨が懐かしむように呟くと、それまで一言も発さなかった夕立がテーブルを叩く。

テーブルの足が軋む不協和音と一緒に夕立も立ち上がると白露を睨みつける。

「お姉ちゃん、いつまでこんなことやるっぽい」




白露は夕立が不満を抱いているのは承知していたが、この場で噴出するとは思っていなかった。

椅子に座ったまま白露は夕立を見る。

「いつまでって……晩ご飯が届くまで?」

「こんなの、すごくバカっぽい!」

唾を飲み込んでから、白露は気づいた。

緊張してるよ、あたし。

それはそうだった。夕立の雰囲気は戦闘中に敵に向けるそれに近い。

純粋な戦闘能力で評価すれば、夕立は白露型でも一番で駆逐艦という枠で見ても頂点を争える。

そんな夕立が穏やかじゃない雰囲気を漂わせれば、意識するなというのが無茶な注文だった。

「何が気に入らないの」

怖くない。と言ったら嘘になってしまうが、それでも白露は聞く。

夕立は他の艦娘たちからも注目を集めてるのにも気づいて、少しは落ち着きを取り戻していた。

それでも溜め込んだ感情を吐き出さないと、夕立の収まりもつかない。

「まず名前が気に入らないっぽい! 何がワルサメなの!」

「名前は関係ないんじゃないの、名前は」

「大ありっぽい! ふざけた名前! 春雨みたいで!」

「ハルサメ?」

不用意に口にしたワルサメを夕立は一睨みで黙らせる。




「考えすぎだよ、夕立。あたしも初めて聞いた時はふざけてるのかと思ったけど、それはあくまで白露型の事情でしょ」

妹を意識させる名前なんだから気にするなっていうのも難しいだろうけど。

「確かにお姉ちゃんの言うように、こっちの内輪事情ってやつっぽい」

「だったら……」

「でも、つい最近撃ち合ってたのに、今日になって仲良くご飯食べましょうなんておかしいっぽい!」

夕立はワルサメに視線を移すと、少し抑えた声で言う。

「駆逐棲姫はそう感じないっぽい? 夕立は何発か当ててやったっぽい。覚えてない? 夕立にも一発当ててきたっぽい。覚えてない? 何も感じないっぽい?」

恫喝じみた口調に白露の声も尖る。

「いい加減にしたら、夕立」

「待ちなよ。江風も夕立の姉貴に賛成。裏がないって決めつけンには早すぎないか?」

「裏ぁ?」

うわ、なんか変な声出た。これじゃ怒ってるみたいだと白露は思ってから、実際にあたしも怒ってるんだと考え直した。

江風はしまったという顔を少しだけ浮かべたが、すぐに振り払うように言う。

「たとえばスパイだとか」

「それっぽい。この子がスパイじゃない証拠とかもないのに、みんな気を許しすぎっぽい!」

二人の言い分に異を唱えたのは村雨だった。




「別にこの子の肩を持つわけじゃないけどスパイって線は薄いんじゃない? 話を聞く限りだと計画通りって感じじゃないし」

「自然なほうが本当っぽく見えるっぽい」

「それにしては偶然に頼りすぎって言ってるのよ。見つけたのがたとえば夕立と江風だったらその場で終わりでしょ? そんな運任せの工作なんてあるかしら」

「時雨張りの強運ならいけるっぽい」

「さすがにそういうのでボクを持ち出さないでほしいな」

「時雨はどっちの味方っぽい!」

「どっちの味方でもないし敵でもないよ」

時雨が呆れ顔をしたところで、海風が宥めるように言う。

「夕立姉さんもここは一回……江風も後でちゃんと話を聞いてあげるから、ね?」

「ここで全部話しておいたほうがいい気もすンだけど」

落ち着くタイミングを見計らっていたのか、伊良湖がポニーテールを揺らして席に近づいてくる。

伊良湖は夕立とワルサメは見ないようにしながら白露に聞く。

「用意はできたんだけど運んじゃってもいいかな?」

白露が夕立を見ると椅子に座ったので、運んでもらうよう伊良湖にお願いをする。




すぐに間宮も出てきて白露型とワルサメたちに夕食を配っていく。

白露とワルサメのお任せ定食は魚の開きがおかずで、アサリと小ねぎのみそ汁と小鉢が二つ。

開きはアジを使っていて間宮自家製。小鉢は青菜のおひたしとオクラをかつお節で和えた物だった。

白露型一同は先程までの様子はどこ吹く風で、息を揃えて手を合わせる。

「いただきます」

そんな様子にワルサメだけは困惑していたが、とにもかくにも手を合わせる。

次いでワルサメはアジの開きを真剣に見つめることとなった。

「コレハナンデスカ?」

「魚の開きだけど……こういうのは初めて?」

「魚ハコンナ姿デ泳ガナイノデ……神秘デス」

「そんな大げさな……」

みそ汁を飲んでいた涼風がワルサメに尋ねる。

「こんな時に聞くのもなんだけど、深海棲艦って普段は何食べてんのさ?」

「まさかに――」

「五月雨、それ以上いけない」

時雨が素早く制する中、おずおずとワルサメは答える。

「魚トカ貝トカ海藻ヲ……」

「海産物か。海は食べ物の宝庫だからね」

「アノ……コレハドウ使ウンデスカ?」

ワルサメは割れ物を触るように慎重な手つきで箸を持ち上げていた。



頭から丸かじりか?骨が丈夫になりそうだな

尻尾からかもしれない。そこら辺はご自由に想像してくださいって感じです
今更だけど深海棲艦について独自設定がマシマシになってます



「村雨、教えてあげて」

「いいけど、そういうのは姉さんの役じゃない?」

「あたしは決めるの担当だからです!」

胸を張って宣言する白露に、村雨は気の抜けたような笑顔で返す。

それでも村雨としては教えるのは満更ではなかった。

村雨がワルサメの手を取ると、驚いたワルサメは手を引っ込める。しかし、すぐに手をおずおずと元の位置に戻すと、村雨は箸を握らせる。

「まずお箸はこうやって持ってね……そうそう。いい感じ、いい感じ。次はね」

「串刺しにすればいいっぽい」

「エ? 刺スノ?」

「刺すんじゃなくて摘む感じ? 夕立は変なこと吹き込まないように」

「ぽいぽい」

適当な返事をする夕立をよそに、村雨は箸の使い方を丁寧にワルサメへ教えていく。

ワルサメは箸を開いて閉じるのを繰り返してから、開きの身を言われたように摘む。

「うんうん、飲み込みが早いわね」

感心する村雨が見守る中、ワルサメはほぐれた身を口に運ぶ。

一口噛んだ途端にワルサメの顔が晴れやかに明るくなる。




これ以上ないほどの満面の笑顔で何度も噛んで、味を存分に堪能してから飲み込んだ。

「オイシイ……」

ワルサメは満足したように深く息を吐く。

「ナンナンデスカコレ。同ジ魚トハ思エマセン」

ワルサメに振られた白露は村雨に聞き返す。

「開きだから干物だよね? 半分に切って外に干しとくんだっけ?」

「塩水に浸けたりとかもしてたような……」

「コンナ美味シイ物ヲ毎日食ベテルンデスカ?」

「毎日というか毎食?」

「ズルイ! ナンテズルインデスカ!」

白露たちの予想外の反応を見せながら、ワルサメは食事を再開する。

不意にワルサメの目から黒い体液が流れ出していく。

血の涙にしか見えないそれに、白露たちは悲鳴を上げて飛び上がるように離れた。

「ナ、ナンナンデスカ?」

食べ物を頬張っていたワルサメは、鼻にかかるような声を出す。




時雨がその様子に閃いて手を打つ。

「ボクらや人の涙は血と成分が同じなんだ。きっと深海棲艦も」

「じゃあ、これは泣いてるの?」

「たぶん深海棲艦の目には黒い原因の成分か色素を濾過するフィルターがないんじゃないかな」

「仮説をありがとう、時雨。そうだとしても、さすがにこれは驚いたよ」

「つまり……泣くほど感動しちゃったんですか?」

ワルサメは白露型の視線を気にしながらも食欲には勝てなかったらしく、食事をやめる様子はなかった。

そんなワルサメを見て江風が吹き出した。

「なンつーかさ……普通なンだな。深海棲艦も」

「血の涙が?」

「そうじゃなくって旨いもン食べたら喜ぶンだってこと」

「そんなの……まだ分からないっぽい」

夕立は否定するが、そこには少し前までの勢いはなくなっていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



ワルサメが鎮守府に保護されてから一週間。

一週間という時間で白露型とワルサメの距離も縮まっていて、江風はワルサメを受け入れるようになっている。

ただし夕立は前のような強硬的な面を見せないだけで、打ち解けようという素振りは見せていなかった。

昼下がりを迎えた頃、ワルサメが提督と話したいと言いだした。

いい機会かもね、と白露は相づちを打つとこの日の当番の海風と一緒に執務室に向かう。が、三人が着いた時にはもぬけの空になっていた。

「提督ってば、最近は暇になるとすぐにラウンジに行っちゃうんだから」

「でも、そのほうが平和ってことじゃないですか」

「それはそうなんだけどね」

白露たちはラウンジに向かう。そこは艦娘たちからは休憩室や談話室、待機場などと好き勝手に呼んでいる部屋だった。

トラック島鎮守府が設立された際に新設された部屋で、もちろんクーラーも完備。これが重要。この島って暑いからね。

すぐ隣には酒飲みの艦娘のためのバーも併設されている。

白露たちはすぐにソファーに座る提督を見つけ、提督もまた白露たちに気づく。

秘書艦の鳥海の他に島風と天津風、長波もいてソファーや椅子に座りながら何かを話し込んでいるところだった。

「提督ー。ワルサメが何か話したいんだって」




白露たちが近づくと島風と天津風が提督の正面にある椅子を空ける。

この一週間で艦娘側はワルサメに慣れ始めていた。少なくとも露骨に嫌悪感や警戒を向けられるようなことはなくなっていた。

白露が見る限り、ワルサメも感情を表情として出すようになっていたし、極端に萎縮してしまうような事態は減っていた。

それでも完全になくなったわけでもなく、時雨に紹介されて扶桑姉妹に会った時は背中に隠れようとしている。

扶桑姉妹が港湾棲姫に似ているとはワルサメの弁でも、直接会って話すのはやっぱり違うらしい。

怖がるワルサメの様子に「不幸だわ……」と呟く山城の姿は、相手が深海棲艦という点を除けば日常とあまり変わらない一幕だった。

ワルサメは場所を空けてくれた島風に礼を言うと提督の正面に座る。

白露はふと疑問に感じた。

「そういえばワルサメって島風たちと面識あったっけ?」

「イエ。遠クカラ見タダケデス」

「私たちも間近で見るのは初めてだね。よろしくってことでいいのかな?」

「そうしてもらえると、あたしは嬉しいかな」

「分かった。私は島風、こっちは天津風でこっちが長波」

「島風ハ知ッテマス。若イ頃ハスピード狂ダッタトカ」

「今も若いよ!?」

「スピード狂に反対するところだろ」

「この子、今でもそうだから」




そんなやり取りを交わしてる間に、提督はやや前のめりに姿勢を変えている。

ワルサメの話をちゃんと聞こうという態度かもしれないと白露は思った。

「提督ノ知恵ヲ貸シテホシイ。避ケテクル相手ト仲良クスルニハドウシタライイ?」

まじめくさった顔でワルサメの言葉を聞いた提督は、その意味を考えて拍子抜けしたらしい。

「姫様にそんな質問をされるとは思ってなかったな……白露たちは知ってたのか?」

「まさか。誰のことかは心当たりがあるけど」

どう考えても夕立しかありえない。

ワルサメも夕立とは仲良くしたいんだと、白露は少ししんみりとした。

「あたしたちってここにいないほうがいいのかな?」

「それならワルサメも話してないだろ」

「ハイ。ソレデ提督ナラドウスル?」

「そうだな……鳥海や島風たちならどうする?」




提督が話を振るとすぐに島風が手を上げる。

「はい、島風」

「頬を思いっきり引っぱたくの。バシーンって!」

いきなり提督の横にいた鳥海がむせたような咳をする。その反応に提督はおかしそうに笑った。

白露は二人の反応が分からなかったが、ワルサメが夕立にビンタをした場合の展開を想像して即断する。

「却下でお願いします」

「なんで!」

「たぶん血が降ると思うし……どうして島風はそんなことを思いつくのよ」

「実体験? 鳥海さんにはたかれたから、私たちは仲良くなれたっていうか」

「え……本当なんですか、秘書艦さん?」

「叩いたのは事実ですけど、別にそれで仲良くなれたわけじゃ……」

鳥海はしどろもどろに話し、長波が感想を漏らす。

「そこだけ聞くと島風が単なるドMとしか思えないな……ああ、あたしならドラム缶積んで一緒に輸送作戦にでも従事すれば、大抵のやつとは仲良くなれると思うぞ」

「悪くない案のような気がするけど、この子を外に出すのはなー……」

「今回は見送ったほうがいいだろうなぁ。はい、というわけで天津風の番!」

「うーん……私が教えてほしいぐらいよ。提督、なんとかしてちょうだい」

話が戻ってきた提督は自信を持って断言する。

「胃袋を掴むしかないな」


ここまで。そろそろ二章も折り返しなのであれこれ動く……はず?



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ワルサメが料理をするという案はあっさり採用された。
 厨房を使ってワルサメへの指導が始まり、白露は提督と鳥海と一緒にその様子を見学に来ていた。
 提督は少し心配そうな顔をしている。あんな自信満々に言ってたのに。
 でも、心配するのも分かる。白露たちと話す限り、深海棲艦には調理の概念が乏しいらしいと推測できる。
 当然ワルサメも一度だって料理をしたことがないはずだった。
 提督が鳥海に確認する。

「初心者だから、おにぎりとみそ汁なのか」

「はい。基本中の基本ですし、おにぎりなら練習用に作りすぎても糧食として持っていけますから」

「うん、いい考えだ。それに間宮もついてるんだから、滅多なことにはならないはずなんだが」

 意外だったのは、白露たちが場所を貸してもらうように頼みに来ると間宮が直々に教えたいと言い出したことだった。
 白露は一人で仕込みを続ける伊良湖に訊く。

「どうして間宮さんが教えてくれるんです?」

「それはあの子がいつもおいしそうに食べてくれるからですよ」

 伊良湖は間宮の代弁をする。

「性格診断なんかになると話半分ですけど、食べ方に性格って出ますからね。おいしそうに食べてくれる子への好感度は鰻登りですよ」

「分かります、おいしそうに食べてもらえると作った甲斐がありますよね」

 鳥海が同意すると伊良湖は自信を持って頷き返す。

「だから間宮さんも、ちょっとしたお礼のつもりなんだと思います」

「ほほー……なるほどなるほど」

 納得だね。あんな風においしそうに食べてくれる子はちょっと他に思い当たらないし。
 白露は何故か誇らしげに思えた。




「そういえば、あの子っていつまでここにいられるんですか?」

 伊良湖が提督に訊くと、提督は苦笑いを浮かべる。

「いつまでかな。海軍省も大本営もワルサメについては何も言ってこないんだ。どう扱っていいのか決めかねてるのかもしれない」

「そうだったんですか」

「足場を固める期間だと思えばいいさ。ワルサメも白露たちに懐いてるみたいだし」

「ふふん」

「なんだ、変な笑い声出して」

「提督にだけは言われたくないよ。せっかく提督の考えが分かったのに」

「俺の考え?」

「提督だってワルサメとか深海棲艦と仲良くしたいってことでしょ?」

「……平たく言えばそうだな。和解の芽が出てきたんじゃないかとは思いたいよ」

 そう答える提督に鳥海が異を唱える。

「そう考えるには些か性急すぎませんか? 確かにワルサメとは上手くやっていけるかもしれませんが……」

「鳥海の懸念はもっともだが、この一歩の差は大きいと信じたい」

「あたしもそう思いたいな」

ワルサメみたいな子がいるなら深海棲艦とだって仲良くやっていけるのかも。白露はそんな期待を抱いていた。




─────────

───────

─────



 白露は時雨と一緒に夕立を『間宮』に誘った。
 甘味を食べに、というのは表向きの理由で時雨には事情を話している。
 白露たちが注文をしている隣では、提督と鳥海が何食わぬ顔で座っていた。
 提督の前には手つかずのお汁粉、鳥海は器からはみ出そうなほど盛りだしたクリームあんみつを崩している。

「ずいぶん頼むじゃない」

「今日は時雨がしつこかったからおなかも空いてるっぽい」

「ボクもたまにはしっかり動きたいしね。夕立はいい訓練相手になってくれるし」

 おなかを空かせるのが狙いで時雨にも協力してもらったんだけどね。白露は内心で考えるが表には出さない。

「そういえば、たまには鳥海と演習したいっぽい」

「それはボクも同感だね。提督にだけ独占させておくのはもったいない」

 蚊帳の外にいたつもりらしい鳥海は戸惑っていた。
 鳥海はスプーンにすくったクリームを器に戻す。

「どうして私と?」

「上達するには手強い相手とやったほうがいいっぽい。その点、鳥海からなら一番学べるっぽい!」

「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど買い被りすぎですよ」

「そんなことはないさ。ボクからもお願いしたい。提督、どうかな?」

「水を差す気はないよ。というわけだから、今度付き合ったらどうだ?」

「そういうことでしたら……」




「でも時雨はまだしも、夕立が真面目に訓練するなんて」

「お姉ちゃんでも、それは聞き捨てならないっぽい!」

「あはは、ごめんごめん」

 夕立はサボったりはしないけど、基本訓練以外はあんまりしたがらなかったけど。
 白露が不思議に思った。

「私は迷いを捨てたいっぽい。そのためには強くなりたいし、それには動くのが一番ぽいって」

「へえ……ちゃんと考えてるんだね、夕立は。えらいよ」

「えへへ、ありがとうお姉ちゃん」

 やだ何、この子ちょろかわいい。
 白露は少しの間、夕立に見とれてから我に返る。

「そうだ、時雨はどうして?」

「雪風に差をつけられるのは面白くないからね。最後に模擬戦やった時は負け越してるし」

 ああ、そうだった。時雨ってこれで結構な負けず嫌いだったっけ。
 同じ幸運艦と評される雪風相手だと、尚のことそう思ってしまうみたい。
 雪風は陽炎型の大半と一緒に別の鎮守府に移っちゃったから、なかなか会う機会はないかもしれないけど。




「それにしても遅いっぽい。おなかがくっつきそうっぽい……」

「オ待タセシマシタ」

「待ってたっぽい――」

 夕立は給仕服のワルサメを見て固まる。
 ワルサメは恥ずかしいのか気後れしてるのか、おどおどした手つきで白露たちの甘味を並べていく。
 夕立が頼んだのは鳥海が食べているのと同じ物だった。
 そして最後に自分が作ったおにぎりとみそ汁を載せた盆を運んできた。
 おにぎりの数は四つで、みそ汁からは湯気が立っている。

「アノ……夕立ニ食ベテホシクテ作リマシタ」

 ワルサメはそれだけ伝えると一歩引く。
 夕立はというと、うろたえていた。
 白露と時雨は夕立の前に並ぶご飯を見て言う。

「取り合わせが悪かったかも」

「言われてみれば確かに。残念だったね、夕立」

 夕立は今になって何かに気づいたように慌てて首を振る。

「そうじゃなくってなんで……だいたい深海棲艦が作った物なんて」

 夕立が思わず言ってしまった一言は、それなりの重さを持ち合わせていた。
 ワルサメや白露はおろか、言ってしまった夕立も含めてその言葉に絡め取られてしまう。
 そんな空気を破ったのは提督だった。
 彼の手が夕立のおにぎりへと伸びると、一つを奪い取りそのまま食べてしまう。
 次に立ち直った鳥海が柔らかな声で言う。

「人のご飯を横取りなんてはしたないですよ、司令官さん」

「おいしそうだったから、つい」




 その言葉をきっかけに白露は時雨を見た。時雨もまた白露を見た。
 二人は同時に手を伸ばすと夕立のおにぎりを取ってしまう。
 四つの内三つを失った夕立は、まだ手を伸ばしていない鳥海と視線を絡ませた。
 場の空気を察した鳥海が手を伸ばそうとするが。

「これは渡さないっぽい!」

 早業で夕立は最後のおにぎりを確保していた。
 立ち尽くすワルサメと目と目を合わせ、夕立はおにぎりを一気に食べた。

「どう、夕立?」

 白露の問いに夕立が答えようとする。
 しかし白露はワルサメのほうに顔を向けた。

「あたしじゃなくって、あっちにね?」

 夕立はワルサメを見つめて、意を決したように言う。

「……おいしかったっぽい」

「……オカワリ、シマスカ?」

「食べてもいいなら……ほしいっぽい」

 ワルサメは嬉しそうに微笑んで、夕立は肩の荷が下りたようだった。
 白露はそんな二人を見て胸をなで下ろした。


ひとまず地の文の記述方法をいじくってみた
今週末は忙しいので、この更新でお茶を濁すとするのです

追いついた、好き

おつです

よいぞ・・・・よいぞ・・・

乙です

乙乙


いいぞぉ

おつ
なにこれかわいい

なんだ、この反応の数は。さすがは白露型だな!
でも話自体の方向性は……ともあれ乙ありなのです

見直しながらの投下なのでゆっくり目



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 夕暮れ時、白露はワルサメと二人で窓から外を見る。
 本当なら一人だけでワルサメのお目付役をするのは御法度だったが、白露が少しだけという条件で無理を言っていた。
 日中に強い日差しを投げかけていた太陽は、墨をかけたように黒い山の稜線に隠れるように沈んでいる。
 今ではダークブルーの夜空が、オレンジ色の残光を西に追いつめていた。夜が来る。

「空ニハコンナ色モアルンデスネ……」

「夕焼けなんて見慣れちゃってるんだけど、たまに見ると思い知らされた気になるんだよね。あたしたちってすごい所にいるんだって」

「海ノ果テニハ……」

 ワルサメは何かに思いを馳せてるみたいだった。

「今日ハアリガトウゴザイマシタ」

「ううん、あたしは何もしてないよ。ワルサメが自分で解決したんだから」

「デモ白露ガイナカッタラ、ドウニモナリマセンデシタ。初メテ話シタノガ白露デヨカッタ」

「あ、そうか。深海棲艦とちゃんと話したのってあたしが最初になるんだ」

 つまり一番。いっちばーん。うん、やっぱり一番はいいよね。
 気を良くして白露は今日の感想を訊く。

「楽シカッタデス」

「うんうん。今度はみんなで料理したいね。もっとワルサメの作ったご飯も食べてもらったりなんかして」

 白露からすれば、それはなんでもない口約束のつもりだった。
 ワルサメなら二つ返事で乗っかってくると思っていたけど、消え入りそうな声で聞き返してくる。

「ホントニ……イインデスカ?」




「ん? なんで?」

「ダッテ私ト白露タチハ敵ナノニ」

「でも、ほら。ワルサメは捕虜みたいなもんだし仲良くなれちゃったし……うーん……」

 自分の気持ちを白露は上手く伝えられない。
 白露なりの判断基準はあるが、それは言葉として出そうとすると漠然として要領を得なくなりそうだった。

「夕立とだって仲良くしたかったんでしょ? それってもう敵とか味方って話じゃないよ」

「ソウデショウカ……」

「そうじゃないの? ねえ、あたしともっと話そう。話してくれないと分からないけど、話してみれば分かることってきっとあるよね?」

 それは白露がワルサメと関わっていく内に実感し始めている思いだった。

「私ハ……白露ガ好キデス。他ノ艦娘ダッテヨクシテクレテマスシ、夕立トモモット仲良クシタイ」

「うんうん、みんないい人たちだよ。妹たちも提督や秘書艦さんだって」

「ハイ。見テイルト、ココニ熱ヲ感ジテクルンデス」

 ワルサメは自分の胸を両手で覆う。白い指がきれいだった。

「あたしたちって、そんなに変わらないってことだよ。艦娘とか深海棲艦とか関係ないんだから」

「デモ……ソウダカラコソ怖クナルンデス。今ガ満チ足リテルカラ……」

「怖がることなんてないよ」

 ワルサメは首を横に振る。今にも崩れてしまいそうな表情で。




「艦娘ハ私ノ仲間ヲタクサン沈メテル……コレカラダッテキット……」

「そんなの! 襲われたらやり返すしかないじゃん……深海棲艦がどれだけ人間を殺したと思ってるの!」

 責める気はないのに語気が荒くなる。
 ワルサメは視線を避けるように俯いた。

「ソウ、ナンデスヨネ……」

「最初に始めたのは深海棲艦なのに……そんなこと言うのはずるいよ……」

 戦争だから仕方ない。ありきたりに思える言い分で納得していいと白露は思わなかった。
 だけど他にどんな言い分で納得できるの?
 こっちが何もしなければ深海棲艦は何もしてこなかった? そうじゃないでしょ。

「ワルサメ。あなたは……」

 白露は言い淀む。けれども続きを言う。知らないといけない。

「今までに人を襲ったことはあるの?」

 ワルサメは言葉なく首を横に振った。
 やっぱり。意外でもなんでもなく、そんな気がしてた。
 過ごせば過ごすほどこの子は。ううん、たぶん初めて会った時から、この子に戦いには似つかわしくないと思えていたから。

「白露ハドウナノ?」

「そんなの……関係ないじゃない」

 そう言い返すのが精一杯だった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 かつて血みどろの戦いが繰り広げられた島。その海岸沿いに黒く壺のような建造物がいくつも建ち並んでいる。
 鋼材を大雑把に組み上げ樹脂で固めたような作りの壁は、人間が作った物ではない。深海棲艦による建築物だ。
 建築物はどれも同じ作りだが大きさはまばらだった。
 その中でも一際大きな建造物の中に丸い部屋がある。丸い円卓があり天井の光源も丸く、淡く青い光を全周に照らしている。
 例外も一人いるが、その部屋では深海棲艦の姫が円卓を囲んでいた。その数は七人。
 港湾棲姫以外はまだ人類に認知されていない姫たちだった。

「ツマリ≠тжa,,ハ総力ヲ挙ゲテ、ワルサメヲ奪還スベキト言ウノネ?」

「ソノ通リ」

 ≠тжa,,――すなわち港湾棲姫の主張を空母棲姫は確認した。
 トラック泊地を監視している潜水艦たちからは、ワルサメの反応を今でも感知できるとの報告が届いている。
 それを受けてワルサメをいかにするかというのが、姫たちの議題だった。

「≠тжa,,に賛成の者は?」

 一人の姫が機械仕掛けの黒ずんだ右手を挙げる。後々に飛行場姫と認定される深海棲艦だった。

「生存ノ可能性ガアルナラ、デキル限リ手ハ尽クシタイ」

 飛行場姫はそう言うが、二人に賛同する者は続かなかった。
 進行役を担う空母棲姫は面白そうに笑う。

「ナルホド。他ノ者ハ……反対トイウコトカシラ? 私モ反対ダワ」

「何故ダ?」

「簡単ナコト。反応ヲ確認シタトコロデ無事トイウ証拠ニハナラナイモノ。我々ガ人間ヲ捕ラエタラドウスル?」




 空母棲姫はますますおかしそうに笑う一方で、港湾棲姫からは表情が消えていく。

「第一、時間ガ経チスギテルワ。キットモウ手遅レ」

「デハ何モシナイト言ウノ?」

「ソウネエ。ソレデハ納得デキナイ気持チモ理解デキルワ。コウシマショウ」

 空母棲姫は立ち上がると二人の姫を指名する。戦艦棲姫と重巡棲姫だった。
 前者は黙々とし、後者は露骨に嫌そうな顔をする。

「我々デワルサメノ返還ヲ要求スル。ソレデワルサメガ無事ナラヨシ。返還ニ応ジレバナオヨシ。向コウガ拒否スレバ力尽クデ事ヲ為ス」

 空母棲姫のこの提案には、港湾棲姫が独断で動くのを防ぐ狙いもあった。
 結局、空母棲姫の提案は通り三人の姫を中心に出撃することになるのだが、ちょっとした要求をする者がいた。
 七人の中で一人だけ姫ではない深海棲艦、レ級だった。

「戦イニ行クナラサァ、アタシモ連レテッテヨ」

 従来のレ級のように黒いローブを被っているが、その目は流れ出る血を思わせる赤に輝いている。
 好戦的な笑みで頬を吊り上げる彼女だったが空母棲姫はやんわりと拒否した。

「9レ#=Cモ連レテイッテアゲタイケド、アナタガイタラ交渉ドコロジャナイデショウ?」

 空母棲姫はレ級をそれなりには評価していた。あくまで番犬の範疇としてなら、という前提つきだが。
 まだ数こそ少ないものの、レ級はいずれも一騎当千と呼べる戦闘能力を有している。
 特にこの場にいる9レ#=Cと呼ばれるレ級は図抜けた能力で、すでにレ級全体の束ね役になっていた。
 その能力といくつか姫と同じ特徴を有しているために、彼女は姫たちとの会合に参加する権利を有している。




「ヒヒッ、確カニアタシガイタラ殲滅戦ニナルカモダケドサァ」

「私ガオ誂エ向キナ戦場ニ連レテ行ッテヤロウ」

 レ級にそう言ったのは最後の姫、装甲空母姫だった。

「パナマ運河ノ防衛ニ手ヲ貸スヨウ頼マレテイル。アメリカノ艦娘ドモガ攻撃準備ヲシテイルラシイ」

「連レテッテクレルノカ! ヤッパ、アンタハイイヤツダナァ!」

「褒メテモ艦載機シカ出ナイゾ」

「新型? 新型カア!」

「働キ次第デハオ前ニモヤロウ」

 結論は出たと見て、空母棲姫は戦艦棲姫と重巡棲姫に向かって意味深に笑う。

「サア、我々モ出陣シマショウ。ワルサメノ尊厳ノタメニモ」

 とても本心には聞こえないその言葉は寒々しくて軽薄だった。
 港湾棲姫はそんな様子をただ黙って見ていることしかできなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 翌日の夜になっても白露は悶々としていた。それもこれも全てはワルサメとの会話が原因だった。

「うーん……」

 今は村雨と五月雨が様子を見ているので、白露は一人で悩む。

「でもなぁ……」

 白露型の部屋で白露はひたすらに悩んだ。

「ああでもないし……」

「お姉ちゃん、さっきからうるさいっぽい! 構ってほしいなら言ってほしいっぽい」

「夕立、それは直球すぎる。姉さんは脳天気だけど、あれで地味に繊細なんだ」

「時雨姉さんは毒っぽいです……」

「ちょっとー! 好き勝手言いすぎ!」

 白露は夕立、時雨、海風と順番に見ていく。
 長女というプライドは妹たちに悩みをあけすけに打ち明けるという真似を許さなかった。
 許さなかったが行き詰まっているのも確かで、遠回しに探りを入れるという抜け道を閃いた。
 ここは邪推とかされなさそうな夕立でいいかな。
 白露は夕立に質問する。

「夕立は今までに敵を何隻沈めたか覚えてる?」

「十から先は数えてないっぽい。なんで、そんなことを?」

「えっと……白露型で一番沈めてきたのって誰なのかなって。夕立か時雨だと思うんだけど」




「いや、そこは姉さんだと思うよ」

 夕立ではなく時雨が意外な答えを寄こした。
 信じられないといった思いで白露は聞き返す。

「うそ、あたし?」

「うん。だってボクや夕立は大物食いしたがるから目立つけど、数で言ったら姉さんだと思うよ」

「言われてみれば、そうっぽい。取り巻きを沈めてくれて、いつも助かるっぽい」

「さすが白露姉さんですね」

 礼を言う夕立や本気で感心しているような海風に対して、白露はぎこちなく笑い返した。

「……そう、あたしなんだ」

「いっちばーん、だね」

「あはは、いっちばーん!」

 一番あたしが沈めてるんだ。白露は笑顔を顔に貼り付けたまま部屋を出て行く。
 部屋に残っていたら、妹たちの前で馬脚を現してしまいそうで。
 白露は当てもなく歩く。思考も同じように出口の見えない袋小路に陥っていた。

「たとえ敵でも助けたい……かあ。電と潮。初霜も似たようなこと言ってたっけ」

 その三人はいずれも他の鎮守府に引き抜かれていったので、白露がすぐに話を聞ける相手ではなかった。
 こんな疑問を持ってしまった以上、誰かの話をもっとちゃんと聞いておけばよかった。
 後の祭りとは分かっていても白露は落胆する。
 この悩みが自分にとってどれだけ大事で、解決しないことには満足に戦えないと悟ってしまっていた。
 白露は窓から夜空を見上げる。



「あの三人は誰にも言えないでこんな気持ちを抱えて、それとも誰かに助けを求めてたのかな」

 あたしが知ってるぐらいだから、誰かにどんな気持ちか言いたかったり教えてほしかったのかも。
 この空の下であの三人は何を考えて、どうやってこの気持ちに折り合いをつけているんだろう。
 あたしってば悩める美少女だね。と白露は内心で茶化してみたが、乗ってくれる相手のいない軽口は面白くなかった。
 白露はため息をつく。声をかけられたのはそんな時だった。

「あら、こんばんは」

「あ、ああ! こんばんは!」

 部屋に戻る途中だった鳥海だった。白露はため息をついたところを見られてしまい、どうしようかと慌てていた。
 白露は声も出せずに口を何度も開け閉めする。
 鳥海はそれには何も触れずに横に並ぶと、同じように空を見上げた。

「すごい星の数ですよね。ちょっと頭がくらくらしちゃいます」

「あ……」

 白露も空を見直して、それまで見ていたはずの星々の光に圧倒された。
 自分がどの光を見ていたのかも曖昧になってしまうほどの数であふれている。
 こんなに近くが見えていない。遠くも見えていない。このままじゃダメなんだ。

「秘書艦さん、あたし……」

 どうしよう。こんなこと聞いてしまったら艦娘失格なのかも。
 鳥海は急かさず待つ。白露はたっぷり時間をかけて、迷いに迷ってから打ち明けた。

「秘書艦さんはどうして戦うんですか?」

「そうですね……艦娘だから、でしょうか。私たちの意義は戦うことにあるんですから」




 白露はいかにもだと思った。模範的で当たり障りのない回答。
 そんな白露の感想を汲んでいたのか、鳥海は言葉を続ける。

「これは建前みたいな理由ですね。突き詰めてしまえば、もっと色々だと思います。撃たれたくない、沈められたくない。単純に戦いたいだけという人だっているかもしれません」

「そんな人……」

 いるかも。何人かの好戦的な顔が白露の脳裏を過ぎった。

「もちろん、それがおかしいとは思いませんよ。戦う術をひたすら磨いて、それを発揮できないまま生涯を閉じる……それって心残りでしょうし」

「うん……」

「私はそうですね、初めから明確な理由なんてなかったと思います。好きだとか嫌だとか、そういうことは全然関係なくですね」

「今は違うの?」

「あまり聞かせるような話じゃない気もしますけど聞きたいんですよね?」

 鳥海は笑顔を崩さなかった。

「私には姉が三人いるのはご存知ですよね? 軍艦としての話をすると、同じ日にレイテで三人とも失ってしまって」

「あれ、けど高雄さんは確か終戦まで生き延びたんじゃ」

「ええ、五体満足ではなかったですけど。でも落伍した時点で私は助からないと思っちゃったんです。そそっかしいですよね」

 柔らかい語りで、冗談のように言う。
 こんな話をどうして笑いながら話せるのか、白露には分からない。
 分からないけれど、本当の意味で笑ってるわけじゃないのは分かった。

「あの時、私には何もできなかったんです。だけど今はこうしてまた艦娘として巡りあって、今度こそはと思ったんです」

「今度こそは……」



「ええ。それと司令官さんですね。私は……あの人と競争してるんです」

「競争?」

 鳥海は頷くが、どんな競争かは白露に教えなかった。
 ただこの時の笑顔は本当に優しそうだと思う。

「他にも島風とか伊良湖ちゃんとか、いつの間にか気づいたら周りのみんながどんどん大切になっていって、守らないといけないって思えるようになったんです」

 正しいと白露は感じるが、だけどとも思う。
 敵がワルサメみたいな相手だったらどうするんだろう。
 本当は戦わないでも済む相手かもしれないのに戦うしかないだなんて。
 白露のそんな思いを知ってか知らずか鳥海は言う。

「私の選択はもしかしたら……いえ、どんなに愚かでも私は戦います。いつか報いを受けるとしても、他に守る手段がないのなら」

「……提督やみんなのために?」

「司令官さんや皆さんと一緒にいたい私のためにも、です」

「……そっか。自分のためでもあるんだ」

「ええ。自分自身が欠けた理由というのは……きっと辛いですから」

 鳥海は深く息を吐く。充足感の伴った呼吸だった。
 そのまま鳥海は白露の手を取る。

「白露さんだって守りたい一人ですよ」

「あたし……」




 白露は俯いて鳥海の体に身を預ける。溜め込んでいた気持ちを震える言葉として一息に吐き出した。

「あたし、どうしたらいいんだろ……全然分かんないの。どうしたいかも分かんなくて……。
 これからだって戦わなくちゃいけないのに相手がワルサメみたいな子だったら、ううん、今まで沈めた深海棲艦もあの子みたいな子だったらって思うと……。
 あたしがやってきたことって間違えてたのかな……ワルサメを助けないほうがよかったのかな……もう、もうぜんっぜん分かんなくなっちゃって……」

 鳥海は白露が落ち着くまで、何も言わずに待った。
 しばらくして白露の様子が元に戻ってくると、鳥海はささやいた。

「私は答えを教えてあげることはできません。だから悩むだけ悩めばいいと思います」

「悩んでいいの……?」

「白露さんの悩みはあなただけのものですから。だから見つけてください。白露さんらしい一番の答えを」

 いいんだ。おかしくないんだ。こんなこと考えてても。
 白露は今の自分を否定されないどころか肯定されて嬉しかった。

「ありがとうございます」

 素直な言葉が白露の口から出る。

「あと秘書艦さん、提督みたいだよ?」

「え……それはなんとも言えない気分です」

「一応は褒め言葉のつもりだったんだけど……」

「私は別に司令官さんになりたいわけじゃありませんし」

 鳥海は微笑みながらも、困ったように手を振る。白露にはその気持ちはまだよく分からなかった。
 好きな人となら一緒になりたいって考えそうな気がするのに。
 けど、今はそれよりも。

「あたし……悩みむよ。これ以上ないってぐらい一番悩むんだから」

 まだ何も前進できてないのかもしれない。
 それでも白露の心はずっと軽くなっていた。





 ――二日後。
 トラック泊地の前に深海棲艦の姫たちが姿を現し、白露は自分の答えを示すことになる。
 そして白露は悩んでいたのが、自分だけじゃなかったのを知る。
 導いた先の答えが正しかったとしても、望む結果を得られるとは限らない。


今夜はここまで。
起承転結で言うと、今回の投下分で二章の転が始まってちょうど終わった形に
というわけで、次からの結は中途半端に投下していってもよろしくないと思うので、ちょっとばかり時間がかかってしまうかも

乙乙

おつ

乙ありです
一気にまとめて投下しようと思ってたけど、それはそれで大変そうな気が
というわけで土曜中の完結を目指しつつ尻を叩く意味も込めて、今日から金曜以外少しずつ投下してこうかと思うのです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 その日、提督は午前中からワルサメと話す時間を設けていた。
 保護という形で接触してから、すでに二週間が過ぎている。
 鳥海や白露、村雨の立会いの下、提督は深海棲艦や姫という存在について質問をしていき、いくつかの事実を知る。
 もっともワルサメも全ては語っていなかったし、提督もそれは承知の上だった。
 提督は聞き出せる範囲から仮説を立てていき、一つの推測に至る。
 深海棲艦の地上侵出というのは、どうやら人間が考えていたよりも困難らしい。
 それが戦況の突破口になるかまでは分からないが、闇雲の中に差した一筋の光明のように思えた。

「アノ、モウ一ツ」

 聞ける限りの話が済んだと提督が思っているとワルサメが言う。

「コーワンハ提督ヲ気ニシテイタ」

「どういう意味だろう?」

「ドンナ人間ガ艦娘ヲ束ネテイルノカト興味ガアルミタイ」

 なんだそれは、と提督は思う。
 興味を持たれてるなら、うまく立ち回れば接触もできるのか?
 提督の考えはサイレンの音で中断された。
 初めて聞いたであろう、けたたましい音にワルサメが痺れたように飛び上がる。

「ナンデスカ、コレ!?」

「ワルサメの仲間が近づいてきてるんだ」

 深海棲艦発見を知らせる第一報だった。
 提督はすぐに鳥海に出撃準備を始めさせ、戦闘配置で待機していた艦娘たちに先行するよう指示を下す。
 航空隊からも追加の彩雲が発進し、戦爆連合の発進準備が急ピッチで進められていく。
 提督は白露たちとワルサメを連れて作戦室に向かう。
 本来ならワルサメには見せてはいけない場所だが、それでも構わないと提督は判ずる。




 一行が到着すると敵情についての詳細が分かる。
 深海棲艦はトラック泊地を艦載機の射程圏内に捉えながら、ラジオの周波帯に乗せて通達を発信していた。
 要求は簡潔だった。
 速やかにワルサメの身柄を返還しろというもので、拒否した場合やワルサメが無事でないなら総攻撃をかけるという。
 時間までに返答がない場合も同様で、一三三○までに返答を求めていた。
 提督が時間を見ると、すでに午後一時を回っている。

「あと三十、もう二十七分か。余計な手立ては講じさせたくないわけか」

 偵察機が深海棲艦の艦隊に触接しているが迎撃はされていない。
 むしろ陣容を誇示しようとしているようだった。
 偵察機から転送されている映像には、深海棲艦の集団からやや離れた箇所に三人の姫が集まっているのが映っている。

「ワルサメ、あの姫たちについて教えてもらえないか?」

 ワルサメは三人いる姫の中から中央の一人を指す。
 一航戦の赤城と加賀を足したような髪型だと提督は思った。

「三人とも初めて見る姫だ」

「>An■■■……アナタタチ風ニ言エバ、タブン空母棲姫。コッチガ戦艦棲姫デ重巡棲姫」

 それからワルサメは画面の向こう側の空母棲姫を見ながら、ためらいがちに付け加える。

「怖イヨ、コノ姫ハ」

 警告と提督は受け取った。
 姫たちを除いても、全体の数は六十強。こちらの総数よりも頭一つは多い。
 どの艦種も赤か金色の光を発している強力な個体だけで固められていた。




「レ級がいないだけマシか」

 率直な感想だった。一人で複数の艦種の役割を担えるレ級の存在は、姫よりも厄介かもしれない。
 時間はもうあまりない。決断して行動に移る必要がある。
 深海棲艦の要求を呑むか呑まないか。そもそも信じられるか否か。
 戦いを選んでも避けても、満足のいく結果にはならないのかもしれない。

「ワルサメはどうしたい? 俺は君を返すべきじゃないと考えてるし、そのためなら総力を挙げて連中を叩き返すべきだと思っている」

「デモ……アノ姫タチハ強イヨ……」

 ワルサメは本心から艦娘たちの身を案じているようだった。

「分かってる。こちらも無傷というわけにはいかないだろうのも。それでも、戦うだけの意味はあると思ってる」

「ソレハ私ガ深海棲艦ノ姫ダカラ?」

「そうでもあるし、それだけでもない。俺たちとこうして意思の疎通ができてる相手だから、俺は守る必要を感じてる」

 極端な話、やり取りさえできるなら駆逐棲姫でなくイ級やロ級であっても提督は構わなかった。

「ただ、それはこちらの事情だ」

「提督、あたしは……」

「白露、今はワルサメと話してるんだ」

 会話に割って入ってきた白露を提督はすぐに制する。
 語調を荒げたわけではないが、白露は力なく引き下がった。
 艦娘の自由を尊重してるし多少振り回されても文句を言わない提督ではあるが、あくまで時と場合によりけりだった。




「もし深海に戻りたいなら止めないし白露だろうと邪魔はさせない。決められないならそれでもいいし、俺が言った以外の考えがあるならそれでもいい。今ここで決めてくれ」

 ワルサメは目をきつく閉じると真剣に考え始める。
 提督は深く息を吐いて待った。急かすよりも、自身にも落ち着くための一拍が必要だった。

「提督ハ私ヲ守ッテクレルンデスカ?」

「それが俺や艦娘を守ることに繋がるのなら」

「デハ深海ニ戻リマス」

 意を決したよう、力強くワルサメは提督に告げた。それからワルサメは白露と村雨も見る。

「私ガ戻レバ戦闘ハ避ケラレマス。ソレニミンナヲ説得シタインデス。私タチハ折リ合エルハズダカラ」

 ワルサメは明らかに白露を意識していた。当の白露は無言で見つめ返す。
 普段の白露ならここで何か言いそうだったが、今回はそうじゃないらしい。

「それでいいんだな?」

「ハイ」

 提督は作戦室に詰めている妖精に深海棲艦との通信を繋げさせ、その内容を艦娘たちにも聞こえるようにする。
 深海棲艦も通信に応じてきた。




『こちらはトラック島鎮守府を預かる准将だ。貴艦の要求を受け入れ、そちらにワルサメを返す』

 提督は時刻を確認する。

『ただし彼女が航行するための艤装を用意するのに時間がかかる。引き渡しには一七○○まで猶予がほしい。また護衛に艦娘をつけるが、そちらが戦端を開かなければこちらからも攻撃は行わない』

『イイトモ、護衛モ用意モ理解シタ』

 画面では空母棲姫の口が動いている。深海棲艦の艦隊を仕切っているのは間違いなかった。

『シカシ長スギル。一六○○ニハ返シテモラウ。ソレトコノ羽虫……アア、スマナイ。コノ偵察機以外ノ航空機ヲ差シ向ケテキタラ、ソチラノ主張ハ虚偽ト見ナシ攻撃スル』

『寛大な配慮と格別の理解に痛み入る。しかし一五○○まではこちらも動けない』

『一五三○マデハ待ツ』

 深海棲艦側から通信が切られた。
 各島の民間人が避難する時間も含めて、もう少し時間を稼ぎたかったがやむを得ない。
 それにしてもおかしなものだと提督は内心で苦笑する。
 これまでなら互いに見敵必殺と言わんばかりに問答無用で撃ち合っていたはずが、今はどちらもワルサメを巡って要求を押し通そうとしていたなんて。
 仮にふりだとしても奇妙なのには変わりない。
 あとは茶番でないのを願うばかりだったが、提督としてはあまり期待していなかった。
 一縷の望みを託すには、空母棲姫というのは疑わしい存在に映っていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 白露は妹の時雨、夕立を伴ってワルサメの護衛についていた。
 艦隊速力は二十三ノット。巡航速度よりも速いのは、この速度でないとワルサメの引き渡し時間に間に合わないためだ。

「ココノ波ハ穏ヤカデスネ」

 久々に外に出られたワルサメはそんな感想を漏らす。
 風を一身に受けて水上を滑るように進むワルサメは、今にも飛び跳ねそうなぐらい軽やかだった。
 ワルサメの艤装は意外なところから用意された。
 夕立が改二以前に使用していた艤装を、武装類を撤去して使っている。
 誰が最初に言い出したのか分からない方法だけど、試しにワルサメに装備してもらうと思いの外馴染んでいるらしい。
 白露は夕立に耳打ちする。

「よく夕立も渡す気になったね。改二艤装があるとはいっても、自分で使い込んできた艤装なのに」

「あの子ならいいかなって」

 白露の疑問に夕立は言葉少なに答える。
 夕立はワルサメには聞かれないように気を遣っているようだけど、別段嫌そうな顔もしていない。

「夕立はあの子にちょっと冷たくしすぎた気がするから、少しは恩を売りたくなったっぽい」

「ちょっとかー。だいぶだった気がするけどね」

「別に反省はしてないっぽい」

 まったく、この子も素直じゃないんだから。白露はそんな風に考えながら夕立から離れると前方に目を向けた。
 白露たちとワルサメは二つの艦隊に前後を挟まれている形になる。
 前方には水先案内人も兼ねた艦隊が先行していて、内訳は鳥海、武蔵、ローマ、島風、天津風、長波となっている。
 白露たちの後方にはトラック鎮守府に戦闘艦として籍を置く四十人あまりが続く。




「提督さんは護衛って言ってたけど、これじゃ総力戦みたい」

「実際そうでしょ。あの数の深海棲艦と戦うことになったら出し惜しみとかできないし」

 一触即発。そんな雰囲気の中でワルサメを返さないといけない。
 本当にこれでワルサメを無事に返せるのかな?
 白露は他の艦娘たちも同じ懸念を抱いているような気がした。


 しばらく航行を続けていると、深海棲艦の艦隊を目視できるようになる。
 深海棲艦が止まるように要求しているのが聞こえてくると、先頭を進んでいた鳥海が全員に微速まで減速するよう伝えてくる。
 完全に足を止める気はないという意図を白露も察した。
 白露がワルサメを見ると、少し前までの楽しそうな様子は消えていた。表情も強張っている。
 あの日の夕方以来、白露はワルサメとはあまり話していなかった。

「ミナサン、今マデアリガトウゴザイマシタ。私ハ私ニデキルコトヲシテキマス」

 それからワルサメは白露を見て、自分から話しかけてくる。

「白露、アリガトウ。楽シカッタヨ」

「あたし……」

 ワルサメとは、これでお別れかもしれないんだ。
 そう思うといても立ってもいられなくてワルサメを抱きしめていた。
 ワルサメもまた同じようにしてくれる。




「ゴメンナサイ……白露ニ酷イコトヲ言ッテシマッテ……」

「そんなことないよ!」

 今でも悩みは解消し切れていないが、白露はそれでワルサメを悪く思ったりはしなかった。
 白露が笑うとワルサメも笑い返してくるけれど、泣くのを堪えているような気がする。
 そう感じたのは白露がそんな気持ちだったからかもしれない。
 これ以上名残惜しくなってしまう前に、白露は微速でワルサメから離れていく。
 ワルサメは時雨と夕立にも一声伝えると最後に全体へ一礼をして、艦娘たちに背を向けて深海棲艦たちへと移動を始める。

「行っちゃったね」

 時雨が呟く。夕立とは違った意味で距離を置くようにしていた節があったけど、表情は冴えていない。

「仕方ないよ。あの子にはあの子の目的があれば居場所もあるっぽい」

「だから帰らなくちゃならない、か。姉さんはよかったの?」

「……よくない。よくないけど、ワルサメがそう決めたなら送り出さないと」

 白露は遠のいていくワルサメの背中から目を離せなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ワルサメは夕立の艤装を操っている内に、その艤装を扱っている自分をごく自然なように感じていた。
 今までがずっとこうであったような慣れ親しんだ感覚で、自身が望む微妙な動きにも明確に反応してくれる。
 艤装というよりも自分の体の一部であるように捉えていた。
 だからこそ三人の姫を前にして、艤装の反応がぎこちなくなるのも仕方ないのかもしれないとワルサメは考えた。

「戻ッテコラレタワネ、ワルサメ」

 薄ら笑いの空母棲姫を前にして、ワルサメは萎縮していた。
 ワルサメが白露たちから感じていた気持ちを感謝や郷愁のような前向きなものだとすれば、空母棲姫からは拒絶や敬遠といった後ろ向きの感情になる。
 夕立の艤装はワルサメの感情を如実に反映しているようだった。

「言イタイコトハイクラモアルケド、今日ノトコロハ帰リマショウカ」

「待ッテ。今日ダケジャナイ。私タチト艦娘ハモウ戦ワナイデイイカモシレナイ」

 ワルサメの言葉に空母棲姫は興味を示す。

「何カ根絶ヤシニスル作戦デモ?」

「ソンナノナイ。私ハ艦娘ヤ人間ト和解デキルノヲ理解シタ。コノママ争イ続ケルナンテ不毛スギル」

「ソレハ本気カシラ?」

 ワルサメが頷くと空母棲姫は信じられないと言いたげに頭を振った。
 論外、と重巡棲姫が呟く。戦艦棲姫は無言を貫いたまま哀れむような眼差しを向ける。




「信ジラレナイワネ」

 空母棲姫はおかしそうにくすくす笑う。ひとしきり笑うと、その眉が逆立っていた。

「艦娘ニ何モ感ジナイノ? 壊シタクナラナイ? 沈メテヤリタイトハ? 燃ヤシテヤリタイトカ!」

「感ジナイ! アナタタチガ戦ウカラ、私ダッテ戦ワナイトイケナカッタダケ!」

「ツマリ、ワルサメハ初メカラ戦ウ意思ガナイト?」

 ワルサメは唾を飲んだ。
 できるのなら、それまでの発言をなかったことにしたいとワルサメは思って――思いはしても本当に望んだりはしなかった。
 ワルサメは覚悟を決めて頷く。

「モウイイワ」

 空母棲姫は言うが早いか、艤装の20.3cm相当の単装砲でワルサメを撃った。
 直撃弾を受け、ワルサメは悲鳴ごと海面に叩きつけられる。

「ココマデ変節シテイタノハ残念ヨ。ヤハリ、オ前ハ姫以前ニ深海棲艦トシテモ相応シクナイ」

 空母棲姫からは怒りの表情は消え、代わりに唇を酷薄に吊り上げていた。
 すでに照準はつけられていて、単装砲はワルサメに向けられていた。




「≠тжa,,ニハ、ワルサメハスデニ壊レテイタト伝エテオクワ」

 港湾棲姫の名を聞いて、ワルサメの体に力が入る。
 彼女ならきっと話を聞いてくれて、しかも分かってくれるはず。そう考えて。
 ワルサメには何も打開策はなかったが、艤装がワルサメの意思を組んだように唸りを上げる。
 端から見れば艤装がワルサメの体を引きずるように動かして、空母棲姫が止めとばかりに放った一弾を避けてみせた。

「アラ? アラアラ、避ケテシマウノ? マルデ亀ネ。楽ニシテアゲヨウト思ッタノニ」

 引きつったように笑いだした空母棲姫だが、不意にワルサメから視線を外して横を向く。
 その方向から遠雷のような砲撃音が何度も聞こえてくる。

「ヤッパリ、ソウコナクテハ。見ナサイ、ワルサメ。艦娘ドモガ戦ッテル。オ前ヲ救イタイヨウネ」

 ワルサメが恐る恐る一瞥すると音だけでなく、水柱がいくつも立ち昇っては消え、時に爆発の閃光が混じるのも見えた。
 戦局はどちらが有利なのか、あるいは互角なのか。ワルサメには判断できなかったが、この戦いが止めようもない段階なのは悟った。

「戦ワナイデイイト言ッタオ前ノタメニ艦娘ハ我々ト戦ウノヨ。分カルデショウ? コレハ必然、宿命ナノヨ」

「私ノタメニ……」

「サア、助ケハ間ニ合ウカシラ?」

 空母棲姫は艦載機を発艦させないで単装砲でワルサメを狙う。あくまでもいたぶろうという魂胆を隠そうともしていなかった。


本当に土曜までに終わるんだろうか……ともあれ賽は投げられたってことで一つ

おつ

乙ありなのです
やっぱり土曜に終わってる気がしないけど、書けるだけは書いてしまわないと



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ワルサメが空母棲姫に攻撃されたのを白露は見た。
 なんで、という疑問はすぐに別の思いに消される。ワルサメを助けないと。
 動揺が広がる中、何人かの艦娘は素早く戦闘態勢に移行するが、その中でも最初に動いたのが白露だった。
 背中にマウントしていた主砲を外すと体の正面に固定するよう構える。

「総員、戦闘用意!」

 鳥海の号令が全員に通達されるが、その時にはもう白露は先行していた。

「一番最初に突撃するよ!」

 白露はそう叫ぶなり真っ先に先陣を切った。
 距離が近かったので、すぐに戦艦は砲戦距離に入る。
 互いの戦艦の砲撃が行き交う中を白露は進む。すぐ後ろには時雨と夕立もついてきている。
 敵艦隊を牽制するために、白露は両側面に向けて魚雷を放つ。
 命中は期待できなかったが、魚雷の進路から外れようとしてにわかに隊列に乱れが生じる。
 白露は敵艦の撃沈よりも、少しでも早くワルサメと合流することを優先した。

「白露さんの支援を――――」

 通信機から聞こえる鳥海の声は後のほうになるに連れてノイズが混じるようになっていた。
 電探の調子も急に悪くなる。遠方まで捉えていたはずが、輝点は消えて近くの敵艦の反応を捉えるのがやっとだった。

「電探が変?」

 それは白露に限った話ではない。時雨が通信を入れてくる。

「姉さん、電装系統がおかしい。深海棲艦の攻撃かもしれない」

 通信網にも影響が出ているみたいで、普段よりも声が聴き取りづらくなっている。




 改めて鳥海からの通信が一同に入る。いくらか音声が明瞭になっていた。

「先行する白露さんたちを支援しながら前進、ワルサメを救出します! ジャミングを受けていますが訓練を思い出して動いてください!」

「秘書艦さんの言う通りだね」

 元々、電探に頼りすぎないように訓練をこなしてきている。今だってその延長だって考えればいい。
 道具を当てにしすぎないっていうのは古い考え方なのかもしれないけど。
 その考えをゆっくり反芻している暇はなかった。
 突出気味の白露たちに砲撃が降り注いでくる。
 当てずっぽう気味に反撃しながら、視界を塞ぐような水柱を何度もかいくぐっていくと砲撃の手が緩んでくる。
 白露たちの後方から追いすがる鳥海たちが敵を引きつけ始めていたからだ。
 この間にワルサメに一気に近づこうとするが、ト級軽巡とハ級駆逐艦二隻が白露たちの行く手を阻む。

「時雨と夕立はハ級の二番艦を!」

 白露の指示は短いが妹たちに意図は伝わる。
 ト級の動きを電探でチェックしながら、より速いハ級から狙う。
 艦娘の主砲としては最小に近い12.7cm砲でも手で保持して撃てば、それなりの反動を感じる。
 慣れた反動を受けながら、主砲が次々に弾を吐き出していく。
 首だけで航行しているように見えるハ級も、側面の耳に見える部分から砲口を露わにして撃ち返してくる。
 互いの周りに砲弾が集まり海面を泡立たせるが、白露に集まる弾はすぐに減った。
 一発がハ級に命中し、砲戦能力を削いだ結果だ。

「このまま押し切っちゃえば……」

 瞬間、白露の脳裏に甦る。
 ――あたしが一番沈めてる。ワルサメかもしれない相手を。
 白露はハ級が健在な砲口を向けているのを見る。敵はまだ諦めていない。
 だったら撃つしかないじゃない。
 やられたらワルサメを助けられなくなる。妹たちだって危なくなるかもしれない。

「撃つしかないじゃない!」

 白露の砲撃がハ級にとどめを刺す。苦い思いを抱きながらも、そればかりに気を取られてられない。




「姉さん、後ろ!」

「分かってるって!」

 白露は時雨の警告より先に取り舵を切っている。
 それまでの進路上に水柱が連なっていく。
 両肩に砲塔を積んだト級が白露を狙ってきていたが、逆に側面から撃ち返していく。
 白露の砲撃が吸い込まれるように命中していき、ト級の左側の主砲をねじ曲げて発射不能に追い込んだ。
 そのまま回りきった白露は優速を生かしてト級の背後を取ると、右肩の主砲にも集中砲火を加える。
 衝撃で基部から浮かび上がった主砲が外れる。もう撃てないはず。

「これで十分でしょ! 帰りなさいよ!」

 白露の言葉にト級は嗤うように顔を歪めると、逆に猛然と向かってきた。
 十分想像できる行動だったが、白露の反撃が遅れる。撃ち返さないといけないのに撃てない。
 そこに時雨と夕立の砲撃が届いて、ト級を滅多打ちにする。
 悲鳴を上げる代わりにト級は腕を伸ばす格好で海中に没していき、白露は硬い表情でそれを見ていた。
 こうなってもおかしくないのは分かっていたはずなのに。

「姉さん、大丈夫?」

 周囲への警戒を怠らないまま時雨が尋ねる。
 努めて明るい声で白露は応じようとした。

「ありがとう、おかげで命拾いしたよ」

「それはよかった。でも……」

 時雨の歯切れは悪い。それもそうだ。
 きっと撃つのをためらっていたように見えていたのだろうから。実際に白露はためらった。

「ゆっくりしてる暇はないっぽい。敵が集まってきてる」

「よーし、急ごう。追いつかれる前に抜けちゃわないと」




 白露たちはワルサメと三人の姫たちへと針路を取る。
 針路上に他の深海棲艦は見当たらない。このまま抵抗を受けずに到達できそうだった。

「秘書艦さんたちを待ちたいとこだけど……突出しすぎちゃったかな」

「まあ鳥海たちもボクたちが先行できるようにしてくれてたから、それは問題ないと思うよ」

「鳥海たちなら追いついてくれるっぽい。それよりお姉ちゃんは戦えるっぽい?」

 率直な質問に白露が夕立を見ると、まっすぐに見返してくる。
 白露は周辺警戒をしながら、その視線から目を逸らす。

「お姉ちゃんはさっきからずっと苦しそうっぽい。それって何かに悩んでるからでしょ?」

 図星だった。言い返すつもりだったのに口ごもってしまう。

「それってワルサメを助けたら解消するっぽい? 夕立には分からないけど、お姉ちゃんには大切なことなんだよね」

「でも、あたしは!」

「何がでも、なのかは分からないけどボクも夕立に賛成だ」

「時雨までそんなこと言う!」

「言うさ。妹が姉の心配をして何がおかしいんだい?」

「心配って……」

「さあ。迷ってる時間はもうないよ、姉さん。ボクらはもうすぐ姫級たちからワルサメを助け出さないといけない」

「だから失望させるなって言いたいの?」

「失望なんかしないさ。だって姉さんは真っ先に飛び出したじゃないか。それって本当はとっくに心が決まってるんじゃないかな」

 時雨に言われて白露は気づいた。確かにその通りかもしれないと。
 白露は悩みそっちのけでワルサメを助けたいと思った。
 それは紛れもなく白露自身の心から生じた行動だった。




「大丈夫だよ。姉さんがそうと決めたことなら、ボクたちは信じてついていく」

 時雨の言葉に夕立まで頷く。揃いも揃って、こうまで言われたら引き下がれない。
 でも、この気持ちは悪くないどころか、むしろ清々しかった。
 白露は天を仰ぐ。大丈夫、できるできる。

「やってやろうじゃない! ついてきて、二人とも!」

「それでこそ姉さんだ」

「世話のかかるお姉ちゃんっぽい」

 妹二人の言葉を背中に白露は進みだした。
 それから三人は抵抗らしい抵抗を受けずに進む。
 白露たちが近づいてもなお、空母棲姫はワルサメを狙い撃っていた。
 ワルサメの体が水流に捕まった小枝のように弄ばれている。
 直撃させてないようだけど、裏を返せばそれだけ長くワルサメを苦しめていることになる。

「あいつ……!」

 許せない。そう思う白露だったが、すぐに悪寒を感じる。鳥肌も立っていた。
 戦艦棲姫と重巡棲姫のせいだと、すぐに気づく。
 二人の姫はワルサメと空母棲姫の間に立ち塞がるっている。
 一発も撃ってこないが、白露たちに気づいていて視線は三人を追ってきている。
 ただそれだけなのに、動きそのものを阻害してくるような重苦しさがあった。
 姫たちの視線は威圧感そのものだった。
 時雨がいつになく硬い声で言う。

「どういうつもりなんだ?」

「……外さない距離まで待ってるっぽい?」

 撃たれないまま接近できたのは好都合でも、意図が不明なのは不気味だった。




「姉さん、ボクと夕立で姫たちを牽制してみる。ワルサメのほうを」

「分かった。でも不用意に撃たないほうがいいかも」

「……そこは臨機応変にやるっぽい」

 時雨と夕立が白露とは別に横に逸れ、戦艦棲姫の側面から近づくような針路を取ったのを白露は見る。
 すると重巡棲姫が両者から離れるように移動を始めた。波に流されるように緩慢な動きで、どこかしら興味をなくしたようでもある。
 時雨たちが戦艦棲姫と対峙している間に、白露はワルサメへと一気に近づいていく。
 ワルサメは息も絶え絶えに海面に膝をついている。
 沈んでいかないのは艤装がまだ生きているのか、深海棲艦としての特性なのかは白露には判断がつかなかったし、どっちでもよかった。

「ワルサメ!」

「白露!? ドウシテ……」

「助けにきたに決まってるでしょ!」

 白露は空母棲姫に向けて砲撃するが、巨大な艤装に反して軽快な動きで空母棲姫は直撃を避けていく。
 逆に加速しだした空母棲姫は砲撃を受けながらもワルサメに急接近すると、その体を抱えあげて自身の体の前に突き出す。

「ワルサメを盾にして……!」

 白露が砲撃を急いでやめる。最後に撃った一弾がワルサメのすぐ横を擦るように行き過ぎた。
 空母棲姫が声を押し殺すように笑う。

「撃タナイノ、艦娘? コイツハオ前タチノ情報ヲ探ルノガ目的ダッタノニ」

「スパイだって言いたいの? そんな見え透いた嘘には騙されないよ!」

「ドウシテ嘘ト言エル?」

「ワルサメはそんな子じゃないし、あんたの言葉は薄っぺらいし」

 空母棲姫はつまらなさそう鼻で笑う。

「フーン、カラカイガイモナイ。モット右往左往シテクレタライイノニ」




 空母棲姫がワルサメの頭を掴み直すと、ワルサメの口から苦しげな声が漏れる。
 白露は主砲こそ向けているが撃てない。代わりに怒りをぶつける。

「人質なんて卑怯だと思わないの!」

「……ソコヨ、ソコガ分カラナイ。艦娘ガ深海棲艦ノ心配ヲスルノ?」

「当たり前でしょ。あんたこそ、どうして同じ深海棲艦にそんなことできるの!」

「コレハ私ガ思ウ深海棲艦デハナイ。ダカラ死ニ体ヲ盾代ワリニシタダケ」

 空母棲姫は掲げるようにワルサメを突き出してくる。
 体の所々から黒い体液を流してはいるけど、致命傷を負ってるようには見えなかった。
 つまり……助けられるってことだよね。

「その子を離して」

「ソウネエ……武器ヲ捨テタラ考エテモイイワ」

「ダメ……ソンナコトシタッテ……」

「黙リナサイ」

 ワルサメの髪を引っ張って、空母棲姫は無理やり黙らせようとする。
 すかさず白露は言っていた。

「待って! 言う通りにするから……」

 なんなの、この展開。映画やドラマじゃあるまいし。
 しかも、これって悪党……つまり空母棲姫は絶対に約束を守らないやつだ。
 こんな分かりやすい嘘に引っかかる主人公なんて、今までずっとバカだと白露は思っていた。
 しかし、今の白露はどうしてそうするのか理解できる。
 ワルサメを助ける可能性に賭けるなら、すがるしかない。




 白露が主砲を足元に落とすと、空母棲姫は遠くに捨てるよう言ってきたので言われた通りに投げる。
 艤装についている対空機銃も同じようにしないといけなかった。

「魚雷ハ?」

「とっくに使い切ってるよ」

 嘘じゃない。次発装填分も含めて道中で使い切っていた。
 こういう時、映画の主人公だったら武器を隠し持ってたり仲間が助けに来てくれるけど、どちらも期待できなかった。
 白露は武器を隠し持っていなければ、時雨と夕立もすぐには来れないはず。むしろピンチかもしれない。
 空母棲姫はいよいよおかしそうに笑い出す。

「ソウマデシテ、ワルサメヲ助ケタイノ? 一体オ前ニトッテワルサメハナンナノ?」

「なんだろうね……」

 空母棲姫に指摘されるまで、白露はワルサメをどんな存在と考えているのか気にしていなかった。
 それでも、すんなりと言葉が出てくる。

「あたしの、大切な友達だよ」

「……不可解ダワ。シカモ不快ヨ」

 空母棲姫は忌々しそうに顔を歪めると、ワルサメを突き飛ばすように押しやってきた。
 本当に解放してくると思ってなかった白露だが、すぐにワルサメに近づく。
 そうして空母棲姫がワルサメに向けて砲口を向けているのも見た。
 白露は叫んだ。自分でもよく分からない声で叫びながら、ワルサメを抱きかかえるようにして庇う。
 そうして衝撃に見舞われて、音も消えた。




─────────

───────

─────



 ワルサメの顔が間近に来る。

「白露! 白露!」

 ワルサメが名前を呼んでいる、と白露が意識すると他の感覚も戻ってくる。
 耳の痛みと一緒に音が戻ってくる。
 心臓がものすごい勢いで音を立てていて、外の音が聞き取りづらい。
 背中が焼けるように熱くて痛かった。
 艤装の損傷の程度が中破に当たると、白露の頭に自然と思い浮かんでくる。
 そして空母棲姫に撃たれたのを思い出して、当たり所がよかったんだと察した。
 重巡と同じ大きさの主砲弾が直撃したのに中破程度の被害で済んでるんだから。

「生カスモ殺スモ私次第。イイワァ」

 陶然とした様子で空母棲姫は白露とワルサメを見下している。
 白露はワルサメの手を借りながら体を起こす。痛くても体にはまだ力が入っている。

「どうせ……殺すんでしょ?」

「当然ジャナイ。オバカサンナノ?」

「二択ですらないじゃない……」

 白露は思い出す。ワルサメと初めて出会った時を。
 あの時、ワルサメには選択肢があった。
 もしもワルサメが死を望んでいたのなら……きっと望み通りにしたのだと白露はふと思った。




「ゴメンナサイ、白露……私ノセイデ……」

 ワルサメが白露にしがみついてくる。
 白露もまたうずくまるような格好でワルサメを抱きしめ返す。
 今のワルサメは白露から離れない。これもワルサメの選んだ選択肢なんだと思う。

「あたしなら……助けたい」

「白露……?」

 ワルサメと出会った時のように、今の空母棲姫のように誰かの命を握ってしまったのなら。

「あたしなら助ける。逆を選ぶんだから!」

 空母棲姫も自分との比較と気づいたみたいで、おかしそうに笑った。
 唇の端は冷笑で吊り上っている。

「ナラバ助ケタ亀ゴト沈ンデ逝キナサイ、艦娘!」

 白露はとっさにワルサメを後ろへと突き飛ばす。
 こんなのは時間稼ぎにもならないと思いながら、それでも何かせずにはいられなかった。
 両腕を広げて砲撃を、自分への止めを待ち構えた。


 ――しかし、その瞬間はやってこなかった。




 その原因は音だ。航空機のエンジン音が近づいてきている。
 空母棲姫の注意が空に向く。
 白露にもワルサメにも武器はなく、それ故に脅威なしと判断したに違いなかった。
 近づいてきたのは二機の烈風と彗星と流星が一機ずつ。
 どうして四機だけが飛来してきたのかは分からない。
 分かったのはわずか四機でも、艦載機を発艦させていない空母棲姫には脅威になりえるということだった。
 彗星が翼を振るような動きを見せると、四機は三つに分かれる。
 二機の烈風は増速すると20mm機銃を空母棲姫に浴びせかけていくと、空母棲姫の艤装に火花が散る。多少の傷がつく程度だが、牽制にはなっている。
 その間に流星が海面に接触しそうなほどの低高度まで降下し、彗星は左に横転しながら降下位置につこうとしていた。
 白露は彗星の尾翼に三本線が入ってるのを見た。

「羽虫ドモガ!」

 空母棲姫は烈風の銃撃の合間を縫って、無理にでも艦載機を発艦させようとしていた。
 もう白露もワルサメも眼中にない。目論見が台無しにされて焦りを隠そうともしていないように白露には見えた。
 そして白露は自分の間違いに一つ気づく。まだ武装が残っている。白露も今の今まで忘れていた武装が。
 白露は艤装から爆雷を取り出す。空母棲姫の艦砲を受けても誘爆しないでいてくれた。
 頭の片隅に陽炎型の嵐を思い出す。以前、何かの折に爆雷をどう放り投げるか実演していたことがあったからだ。
 多少うろ覚えであっても構わなかった。

「ただで、やられるかあ!」

 オーバースローで投げた爆雷はアーチを描いて、空母棲姫の艤装上の左甲板に落ちる。
 爆雷は偶然にも飛び立とうとしていた空母棲姫の球状艦載機を押し潰し、それにより勢いが殺がれ甲板から飛び出さなかった。
 左甲板の中央に留まった爆雷はそこで炸裂した。
 想定外の攻撃に空母棲姫の体が前につんのめり動きが鈍る。
 そこに彗星が急降下爆撃を敢行する。直角に見えるような鋭い角度からの逆落としだった。
 彗星は体当たりするのかと思うほどに急接近してから、爆弾を切り離し機首を上げて退避していく。
 投弾された爆弾は空母棲姫の無事だった右甲板に命中し大穴を穿った。
 さらに流星の雷撃が空母棲姫の右側に突き刺さり、盛大な水しぶきを生み出した。

「バカナ! タッタコレダケノ攻撃デ私ガ!?」

 わずか四機の艦載機と手負いの白露によって、空母棲姫の艦載機は封じられた。




「油断しすぎなのよ、空母棲姫!」

「オノレ、オノレェェ!」

 髪を振りかざして、それまでとは違う本気の形相で空母棲姫が向かおうとしてくる。
 しかし空母棲姫は突撃せずに素早く後進する。
 すると、空母棲姫が進むはずだった付近に砲撃が続いた。

「時雨、夕立!」

 二人は矢継ぎ早に回避行動を取る空母棲姫に砲撃を加えていく。
 空母棲姫は舌打ち一つを入れながら砲撃を回避していき、自身の体に直撃する軌道上の砲弾を両腕で叩き落とす。

「アノ二人ハ何ヲシテイル!」

「あっちならメガネーズが相手をしている」

 時雨が応じると、イヤホン越しにローマが声を張り上げる。

「誰がメガネーズよ、誰が!」

「はっはっは、我々以外にいるまい!」

 おかしそうに笑い飛ばしている声は武蔵だった。
 歯噛みするローマの顔を白露は自然と思い浮かべていた。

「何が面白いのよ……あんたも何か言ってやりなさい、鳥海」

「聞こえる、白露さん?」

「はい!」

「無視しないでよ!」

「まだ動けるなら、このままワルサメを連れて下がってください」

「了解! でも空母棲姫は……」




 空母棲姫は状況を不利と判断したのか、時雨たちの砲撃をやり過ごしながら後退し始めている。
 被雷した損傷で速力は落ちてるようだと白露は見て取った。

「時雨さんと夕立さんだけで仕留められそうですか?」

「……難しい、と思う」

 本気になったのか、飛行甲板を破壊する前後で空母棲姫の動きはまるで違う。
 一矢報いられたのも、どこかで姫に慢心があったのと幸運に恵まれたからこそだと白露は分析した。
 手負いの獣は手強いって言うけど、今の空母棲姫は正にそれだった。
 追い込んだようで本当は追い込めていないという予感がある。

「ではワルサメと撤退を。時雨さんたちはそのまま二人の護衛に回ってください。姫級の撃沈は初めから想定してなかったんですから」

 最後の言葉は言い訳、というよりは慰めのように白露には聞こえた。
 そこで通信は切れ、各々がそれぞれの行動に移っていく。
 白露はワルサメの手を取る。

「帰ろう、ワルサメ。こんなことになっちゃったけど、あたしはもっとワルサメと一緒にいたいよ」

 ワルサメは目に黒い涙をためていた。
 血の涙みたいで白露は少し苦手だったけど、今はもうどうでもよくなっていた。
 ワルサメは白露を抱きしめる。

「ウン……私モ白露ト、ミンナトイタイ……傷ツケテ、ゴメンナサイ……」

「いいんだよ……いいんだから」

 白露は痛む体を押して、ワルサメの頭を撫でていた。
 戦闘はまだ続いていたし、泊地まで撤退しないことには本当に安全とは言えない。
 それでも白露はこの日の戦いはもう終わると考えていた。


 気が緩んでいた、と言えるのかもしれない。
 白露もワルサメも、合流した時雨たちも気づかなかった。
 海中の脅威がつけ狙っていることには。


今夜はここまで
白露とワルサメだけに絞れば土曜に終われそうだけど……まあ延びてもいいか。自分の勝手な事情だし
頭が死んでるので誤字脱字があると思いますがご了承ください……

ああミスった

乙乙

乙です

上がってるのを見た時、良からぬことが起きたと思ってしまったチキンハートを許してほしい
今日になっても終わらなかったけど、近い内に終わらせるってことでそちらもご了承を



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 武蔵の体が水柱に包まれ、巨大なハンマーで殴られたような衝撃を受ける。
 やや遅れて武蔵の放った斉射が戦艦棲姫に到達する。
 同じように戦艦棲姫も巨大な水柱に隠れ、獣じみた艤装が痛みを訴えるように叫ぶのが海上に響く。

「……大和型カ?」

 砲戦の最中、戦艦棲姫が武蔵に通信を流してくる。
 そして武蔵は応じた。応じない理由がない。

「そうとも。大和型二番艦とはこの武蔵のことだ!」

「アア……アノ大和型トハ。良キ敵ニ出会エタ……」

「それはこちらも同じだ!」

 状況はなし崩し的に動いている。
 重巡棲姫を鳥海と駆逐艦たちが相手をする一方で、武蔵とローマの二人は戦艦棲姫を相手取るはずだった。
 しかし後方からの増援に対処するためローマが離れたので、戦艦棲姫には武蔵一人で当たっている。
 姫級との一対一は極力避けるよう申し合わせているが、武蔵からすれば望むところだった。
 先のと号作戦では港湾棲姫と戦う前に中破判定を受け主力から外れていたし、ワルサメを迎撃した時も相間見えることはなかった。
 武蔵にとって初めての姫級との直接対決で、その中でも戦艦の名を冠した姫だ。
 気合が入らないはずがない。

「武蔵ハ私ヲ沈メラレル……?」

 問いかけるような言葉を発しながら、戦艦棲姫の艤装が咆哮と共に砲撃を続ける。
 発射の爆風にナイトドレスを翻す様は魔女を思わせた。

「それが望みなら、そうしてやろう!」

 武蔵もまた攻撃の手を緩めたりはしない。
 艦娘としての武蔵は己の主砲を存分に振るう機会を何度なく得ていた。
 それでも今回の敵は戦艦棲姫。これ以上の相手というのは、まず望めなかった。




 二人の撃ち合いは殴り合いの様相を呈していた。
 すでに二人とも被弾して疲労や損傷が蓄積し始めているが、どちらも砲撃のペースは衰えないし撃つ度に精度も上がっていく。
 防御性能を頼りに回避は考えず、ひたすら相手に主砲を撃ち込んでより多くの有効弾を狙う。
 それが両者の戦い方だ。
 武蔵の放った主砲弾がもろに戦艦棲姫の腹部に直撃する。
 ル級やタ級ならまず耐えられない命中の仕方だったが、戦艦棲姫は含み笑いさえ浮かべる。
 逆に戦艦棲姫の主砲弾が武蔵の艤装に破孔を穿って浸水を引き起こす。

「さすがに手強いな。火力の優劣だけで勝敗が決まるわけでもあるまいが!」

 武蔵の表情には焦りはなく、むしろ戦闘を楽しんでいるように見える。
 ただし彼女は決して猪武者ではなく戦艦棲姫の戦力も分析していた。
 戦艦棲姫の主砲は長門型と同程度の大きさと見て取るが、貫通力はより優れているのを身をもって感じていた。
 長砲身の主砲なのか使用している徹甲弾の差かまでは分からないが、決して火力面で優勢に立っているとは思わなかった。
 それに何よりも発射速度の差は明確だった。
 照準の補正を加えても、五秒から十秒ほど速く戦艦棲姫は弾を撃ち込んできている。この手数の差は砲撃戦が続くほど響く。
 単独での勝負にこだわらなければ十分に勝機はある。
 それが武蔵の手応えだった。しかし今は一人だったし、この強敵との交戦は武蔵の血を滾らせるだけの理由にもなった。
 さらに直撃弾を受けたところで戦艦棲姫は言う。独白するように。

「……痛イノハ好キ。私ヲ満タシテクレル」

「貴様との砲撃戦はやぶさかではないが、そっちのケはなくてな!」

 言葉通りの表情というべきか恍惚としたように見える戦艦棲姫に、武蔵は初めて嫌悪感を掻き立てられた。
 武蔵は戦艦棲姫に好敵手と認めつつあっただけに、その認識の差は大きすぎた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 鳥海たちは二組に分かれて重巡棲姫に砲撃を加えていた。
 島風と天津風でペアを作り、鳥海自身は長波とコンビを組んでいる。
 二組は重巡棲姫に対し、一定の距離を付かず離れずで保っていた。

「ヨッテタカッテ撃ッテクレテ……」

 間断なく続く砲撃に重巡棲姫は頭を抑えながら呻く。
 重巡棲姫の主砲は、巨大な口を持ったウミヘビのような生物の眼部を砲身に置き換えたような特異な形状をしている。
 それを二つ尻尾のように体に巻き付けたまま、縦横に駆使しながら反撃を行っている。
 しかし命中精度は甘く、艦娘たちには一度も被弾が発生していなかった。照準を特定の誰かに絞りきっていないのも精度が甘い一因かもしれない。
 腰部の副砲も砲撃を始めるが、水柱を海面に発生させるだけの結果になる。

「……意外と弱い?」

「このまま押し切れそうね」

 島風と天津風がそんな感想を漏らす。二人には打たれ強いだけの相手、という感触だった。
 一方、長波は警戒心を隠さないまま鳥海に尋ねる。

「どう思う、鳥海さん?」

「この程度とは思えませんが……」

 長波にそう返す鳥海だが、鳥海もまた相手の強さに確信を持てなかった。
 ただ二人の懸念は外れなかった。
 重巡棲姫は体と尻尾の隙間からビンを取り出す。
 鳥海の帽子の上に見張り員を務める妖精が現れ、一時的に視力を強化する。

「あれは……お酒?」

 ラベルの銘柄までは読み取れなかったが、洋酒の類だと鳥海は見極めた。




 重巡棲姫は突然ラッパ飲みを始める。砲撃を受けているにもかかわらず。
 一本を飲み干すと、さらに別の二本目を取り出しあおり始める。

「なんなんだよ、あいつ……」

 長波が唖然とする。だが、砲撃の手は緩んでいなかった。
 重巡棲姫が飲んでいた酒瓶が砲弾の破片に当たって割れる。
 琥珀色の酒を体に被り、握っていた口だけが残ったビンを見つめた重巡棲姫は体を震わせ始める。
 歯を食いしばり何かにこらえていた重巡棲姫が――弾けた。

「ヴェアアアアア!」

 声にならない声で叫ぶ。
 その叫びは周囲の海面にうねりを呼び起こし大気を割るように打ち付け、下手な砲撃音以上の大音響となって鳥海たちの耳を襲う。
 あまりの音に鳥海たちは耳を塞ぐ。
 そうして叫びが収まった時、重巡棲姫の目には金色の光が生き生きと宿っている。

「ヤット酔イガ落チ着イタワ……」

「さっきのは迎え酒かよ……?」

 長波が呟く。呆れ半分、恐ろしさ半分と言った様子だった。
 重巡棲姫はその長波を睨みつける。

「見テイタゾ、私ノ酒ヲ台無シニシタノハオ前ダナ? デキソコナイガ頑張ッチャッテサア……イイ迷惑ダ!」

 とっさに鳥海は長波を守るよう前に出る。それまでと違い、重巡棲姫からはもはや危険な気配しかない。
 重巡棲姫は周囲を圧倒していた。

「高雄型ガ先カ? ソレトモ後ロノチビ二人カ、ソコノ愚カ者カ、ドイツカラ狙オウカ……強イヤツカラカ弱イヤツカラカ」

 そこで重巡棲姫はおかしそうに笑い出す。

「アア、出来損ナイナンテ、ミンナ私ヨリ弱インダ。誰カラデモ一緒カア!」

 本来の力を発揮しだした重巡棲姫が牙を剥いた。


全然話が進んでないけどここまで。重巡棲姫は色々と扱いに困る
次回更新はなるべく急ぐのと二章は終わらせたいと思います
最後になりますが乙ありでした

おつやで



とても面白い

乙乙

乙ありなのです
面白いって言われると、なんというか安心してしまう



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 戦闘そのものは継続していたが、白露たちはすでに戦域から離脱しつつあった。
 損傷のより大きいワルサメに合わせ十二ノット弱の速度しか出せていない。
 それでも追撃してくる深海棲艦は見当たらなく、白露は胸をなで下ろす。
 今は大回りに迂回する針路でトラック泊地への帰投を目指していた。
 負傷している白露とワルサメには、それぞれ時雨と夕立が引率する形で護衛に就いている。
 その時雨は白露の負傷の度合いに眉をひそめていた。

「姉さんは無茶しすぎだよ」

「しょうがないでしょ、こうでもしないとワルサメが危なかったんだもん!」

「それにしたって、もっと体を大事にしたほうがいいよ」

「心配性だなあ、時雨は」

 あくまでも、なんでもないと言うような態度を白露は取る。
 本当は心配をかけたのを反省している。
 ただ白露は自分で言ったように、必要があるから取った行動の結果なので悔いがあるわけじゃない。
 だから時雨にはあまり気にしてほしくなくて、そんな態度でいるのが一番だと思った。

「……そうだね。確かに姉さんの言う通りかも。うん、今は二人が無事だったのを喜ばないとね」

「そうだよ」

 時雨は表情を和らげた。白露もその様子に安心して口が軽くなる。

「はあ、帰ったら一番風呂に入れてもらお」

「じゃあボクは姉さんを丹念にマッサージしなくちゃ」

 時雨が指を揉みしだくように動かしてる。

「やだ、いやらしい」




「ボクは至って真面目なのに?」

 確かに真顔だけど、その動きはどうなの。
 時雨には遠慮願うとして、後続のワルサメと夕立を見る。
 二人は、というか夕立はワルサメとはあまり顔を合わせないようにしているみたいだった。
 それでも白露は知っている。夕立がワルサメに歩み寄ろうとしているのを。
 ワルサメの護衛を進んで買って出たのは夕立だった。
 それにワルサメへためらいがちに、だけど真っ先に言った言葉も覚えてる。

「……よくがんばったっぽい」

 そんな言葉を受けてワルサメもはにかんでたっけ。
 まだ二人には距離があるけど、少しずつ近づいているのは分かる。
 ワルサメの居場所は艦娘の側にあるのかもしれない。
 こんなことになった以上、深海に帰るよりもいいのは確かなはず。

「雨降って地固まるだね。これでよかったんだと思うよ」

「そうだよね」

 同じようなことを考えていたのか、時雨がそんな風に言う。
 時雨の言葉は雨にちなむ自分たちの名前と重なって、ぴったりだと白露には思えた。
 どこかで落ち着き始めていた、この空気は夕立の声で破られた。緊迫して険を含んだ声。

「夕立から九時方向より雷跡確認! 数は六で、お姉ちゃんたちに向かってる!」

 こんな場所での雷撃なんて、撃ってきたのは潜水艦以外にありえなかった。
 夕立は魚雷が自分たちに向かっていないのを見極める。

「掴まって、ワルサメ!」

「エエッ!?」

「早くするっぽい!」

 夕立はワルサメを抱きかかえるなり雷撃地点に出せるだけの速さで向かう。
 爆雷投射を行うためで、かといってワルサメを放置できないので、そうせざるをえなかったみたい。




 白露たちから見ると、およそ七時と八時方向の間になる角度から追尾してくる形での雷撃だった。
 狙われている白露は違和感が頭をよぎったが、今はそれを追求している暇はなかった。
 白い泡を吐き出しながら雷速五十ノットという高速で魚雷は迫ってきている。
 白露は魚雷と平行になるよう回頭を始めるが、損傷のせいで舵が重くてスクリューの利きも悪い。

「姉さん!」

 時雨が手を掴むと、自身に引き寄せるようにしながら射線外へと誘導する。
 本調子という前提はあるにしても、後ろからの魚雷なら回避はそこまで難しくない。
 距離を自然と取れるから、その間に回避機動も取りやすくて命中率もそれだけ下がる。
 怖いのは音響追尾や磁気反応型の魚雷だけど、そういうのは雷速が三十ノット程度だからやっぱりこの逃げ方で正解。
 ――ただ雷速五十ノットというのは、厄介なやつに狙われている証拠でもあった。

「こんな所にまでソ級が入り込んでるなんて!」

 深海棲艦の潜水艦で、これだけ速い魚雷を撃ってくるのはソ級しか確認されていない。
 夕立は雷撃点付近に来ると、ワルサメを近くに下ろしてから爆雷を投射していく。
 調定深度はたぶん百とか八十だろうけど、正確な位置までは掴めてないからソ級の撃沈は難しいはず。

「二人とも対潜装備は!」

「基本装備だけだよ。水上戦闘しか想定してなかったからね」

 時雨は冷静に答えるが顔は曇っている。
 ソ級みたいな手強い相手の場合は標準装備だけでなく、主砲を下ろしてでも対潜装備に特化させておかないと力不足になる。
 特にソ級は遭遇例こそ少ないけど、水中をほぼ無音ながら高速で動ける上に魚雷の数も多いのが分かってる。
 何よりも積極的に反撃も試みる攻撃性も、対潜狩りをする駆逐艦たちから恐れられていた。
 夕立の爆雷はすでに爆発し終わっていたけど、ソ級に被害を与えた証拠みたいなのは何も浮かんできていない。

「三式セットでも持ち込んでればよかったんだけど……」

「ない物ねだりっぽい」

「向こうも奇襲に失敗したから、すぐに次の攻撃は来な――もう来た! 三時方向に雷跡!」

 そう考えた矢先に次の雷撃が来る。白露が想定してたよりもずっと早い行動だった。
 今度の雷撃も白露たちを狙っていたが、先程とはほとんど逆方向から撃たれる。
 白露はまた時雨の手を借りて射線から脱した。
 時雨は白露から離れ周囲を用心深く警戒しながらも、二度目の雷撃点に急行し爆雷を投下していった。




「ソ級は二人いるね。一人にしては移動が速すぎる」

「みたいだね。二人に囲まれてるのは勘弁してほしいけどさ」

 夕立が通信を入れてくる。

「提督さんには対潜哨戒機を要請したけど、通じたかは怪しいっぽい」

「他のみんなも同様だね。救援は当てにしないほうがいいかも」

「提督なら基地航空隊を出撃させてるはず……でも、そうだよね。あたしたちの居場所が分かるとも対潜装備があるとも限らないか」

 あくまで自力で乗り切るのを考えなくっちゃ。
 そこで白露は先ほどの違和感を思い出していた。
 違和感は疑問として白露の頭に引っかかる。

「ソ級は一体誰を狙っているんだろ」

「どういうこと?」

「最初の雷撃って不自然だったでしょ」

 あの時、ソ級から見れば夕立とワルサメは側面を見せていて狙いやすかったはず。
 なのに遠ざかっている白露と時雨に向けて雷撃を行っている。
 それってつまりワルサメを狙ってなかったからじゃ?
 どうかな、ありえるの?
 空母棲姫はワルサメを沈めようとしてたのに、ソ級はそうじゃないなんてこと。
 白露は考え、悩んで気づいた。

「そっか。通信が通じにくいのは、何もあたしたちだけじゃないんだ」

 推測は立てられたけど、仮定とこじつけを前提にした都合のいい思い込みかも。
 それでも白露は筋は通ってると思えた。このまま動きが取れないよりかはいいとも。
 白露は他の三人に向かって言う。





「聞いて。このソ級たちはワルサメは狙ってないと思う」

「私ヲ?」

「二回目はともかく一回目なんか夕立とワルサメのほうがずっと狙いやすかったのに、わざわざこっちを撃ってきてる。
 この電波障害で深海棲艦もうまく連携が取れてなくって、そうでなくてもソ級は海中にばかりいるから通信の電波をキャッチできてないんだと思う」

「つまりソ級はワルサメを助けるために仕掛けてきてるっぽい?」

「たぶん空母棲姫のしたことも知らないんだと思う」

「姉さんの推測は正しい気がする。ということはワルサメの護衛は一回忘れてもいいのか」

「うん。あたしの推測が間違えてなければだけどね」

「でも、それが分かったからってどうすればいいっぽい?」

 問題はそこ。ワルサメだけ逃がしても、このソ級たちなら脅威にならないかもしれないっていうだけ。
 ワルサメを狙わないなら取り囲んで盾みたいにして……いやいや、それじゃ空母棲姫と同じになっちゃう。
 それに推測が外れてたら一網打尽にされかねない。
 ここは時雨の言うように、ワルサメの護衛をこの間は無視していいって考えられるんだから。

「時雨と夕立だけだったら振り切れるよね? あたしはワルサメと一緒にいれば、そう簡単には狙われないだろうし先にいってもらって助けを呼んでくるとか」

 すると時雨が反対してくる。落ち着いた声で、なんとなく試験の採点をされてるような気分。

「姉さんは大事なことを忘れてる。敵がソ級だけならいいけど、この先もそうとは限らない。それに護衛が姉さん一人になったら、ソ級はもっと積極的に襲ってくるよ」

 時雨の指摘はもっともだった。
 白露は内心で歯噛みする。もしも自分の損傷がなければ、もっと強硬的ではあってもワルサメを連れ出せていけるのに。
 逃げるのが難しいなら、やっぱりここでソ級たちと戦うしかない。
 改めてそう考えた白露にある思いつきが浮ぶ。妹たちはきっと反対する思いつきが。




「となるとソ級を沈めるか魚雷を撃てないぐらいの損傷を負わせるしかないかー。夕立はこのままワルサメをお願い」

「いいけど……お姉ちゃん、おかしなことを考えてるっぽい?」

 夕立が急にそんなことを言い出す。
 なんで分かるんだろう? 姉妹だから? それとも表情に出ちゃってた?
 白露にも分からなかったが、だからこそ白露は笑う。普段そうであるように明るく。

「まさか。ちょっとピンガーを鳴らすだけだよ」

「だめっ!」

 夕立は両手を握り締めて反対する。本気で反発しているのは表情を見れば分かった。
 白露が使おうとしているのは、いわゆるアクティブ・ソナーで自発的に音を発生させることでソ級の位置を特定しようとしていた。
 ただ、それは逆に白露の位置も露呈させ、ソ級がピンガーに反応して反撃してくる可能性は極めて高い。

「ほんと大丈夫だから。魚雷の命中率って知ってるでしょ? すっごく低いんだから。時雨からもなんとか言ってよ」

「ボクも反対だ」

「えー、時雨まで?」

 二人に反対された時にどうするかは考えてあった。
 時雨はじっと白露を見ている。そうすれば白露が考え直すと信じてるみたいに。

「このまま根競べをしてれば他のみんなも来てくれるかもしれない。無理をしなくてもいいはずだ」

「でも、それってソ級が大人しく待ってくれるならでしょ。それにあの敵の数じゃみんなだって余裕ないだろうし。時雨だってそう言ってたじゃない」

「だったらボクがやればいい」

「それは考え物だよ。時雨も夕立も損傷はないんだから、それは有効に生かさないと」

 説得は難しそう。
 というより白露が逆の立場なら、何をするにしても不穏な動きをしてたら反対して止めるだろうと思った。




「白露、危ナイコトハシナイデ。アナタニ何カアッタラ私ハ……」

 ワルサメまで、そんなことを言い出した。
 気持ちは嬉しいけど、他に方法が思い浮かばなかった。
 だったら勝手に始めちゃうしかないよね。

「あたしは自分が正しいと思ったことをやるよ。時雨も夕立も信じてくれるんだよね?」

「それは時と……」

 時雨が何かを言い出す前に、艤装からちょっと間の抜けた音が鳴る。
 甲高くて、空き缶を落とした時の音をもっと大きくしたような音が海中に広がっていく。
 時雨の表情が変わる。目を丸くして、生まれて初めて見た相手に驚いたみたいに。

「やっちゃった。あたしったら五月雨みたい」

 引き合いに出した五月雨には心の中で謝るとして、これでもう後戻りはできない。
 白露は艤装の主機を動かす。避けるためには同じ場所に留まっていられない。

「ずるいよ姉さん」

 時雨は心底そう思ったらしくて、悪い予感を確信してるようだった。
 ……なんで、そんな顔するかな。時雨みたいな幸運艦じゃないけどさ。

「なに考えてるっぽい!」

 夕立は今にも飛び出してくるんじゃないかと思った。
 そこにすかさず時雨の声が飛ぶ。

「待って、夕立!」

「なんでっ!」

「音を聞き逃さないで! 姉さんもワルサメもボクたちが守るんだ!」




 探知音は海中の二箇所から跳ね返されてきた。時雨が予想したようにソ級は二人いる。
 それぞれ離れた位置にいて、どちらも深度四十付近と意外と浅い位置にいた。
 攻撃に移るつもりだったのかもしれない。白露は叫んでいた。

「二人ともワルサメに近いほうを狙って!」

 ワルサメを狙ってこないというのは白露も頭では分かっていたが、万が一を考えるとそう言っていた。
 時雨たちが動く中、白露は二人が狙うソ級に向けてより範囲を絞ってさらにピンガーを使用する。
 感知したソ級の深度は深くなっていた。潜行してやり過ごすつもりらしい。
 より近かった夕立が対潜攻撃を始める。時雨もすぐに合流しそうだった。
 あとは二人に任せるしかなく、白露がもう一人のソ級にピンガーを打とうとする。
 だけど、そっちのソ級は身を隠さずに反撃に転じていた。
 六本の魚雷がすでに白露の針路を塞ぐように放たれている。
 白露は背を向けながら魚雷と角度を合わせようとするが、傷ついた艤装の動きは遅かった。
 どうしよう、と考える前に白露はピンガーを鳴らす。
 せめて二人目の位置だけでも特定しておきたかった。それがせめてもの抵抗だった。

「ワルサメ、二人を守ってね」

「ナンデ、ソンナコト!」

 白露はワルサメに通信を入れていた。どうして、ああ言ったのかはよく分かっていない。
 ワルサメの言うように、白露自身もなんでという思いだった。
 守らないといけないのは自分たちのほうなのに。
 白露は間近まで迫った魚雷を振り返る。軌道はまっすぐ白露に向かって伸びていた。
 当たると分かっていてもどうにもできなかった。
 だから、せめて歯だけは食いしばる。痛いのは分かってるから、少しでも我慢しようと。
 魚雷が足元に入る。信管が不発でこのまま行き過ぎてしまうのを、白露はほんの少しだけ期待した。
 だけど、そんなことは起きなくて――。




─────────

───────

─────



 白露が目を覚ましたのは、ふくらはぎに激痛が走ったからだった。
 肉を内側から上下左右に無理やり引っ張るような痛みに、白露の喉から悲鳴が漏れ出した。
 痛い。足が痛い。
 あまりの痛みに涙が浮かんできて、水を被ったような視界に時雨の顔が見えた。
 下から見上げる時雨の顔はすごく慌てていて、白露が見ているのにも気づいていない。
 時雨に抱きかかえられてるんだと、どうしてかすぐに分かった。
 白露は震えを抑えられない手を時雨の首に回す。

「あ、たし、あたしの足って」

 体を起こそうとした。時雨に支えられてるんだから、上半身の力だけでも難しくない。
 だけど時雨は目元を抑えてきて、体も抑えてくる。それに逆らえなかった。

「見るな、姉さん! こんな傷、バケツに浸かればすぐに治る! だから見なくていい!」

 目を覆われる前に見た時雨の唇は震えていて血の気が引いていた。
 ああ、そんなに酷いんだ。足。
 さっきまですごく痛かったのに、今はすごく寒かった。
 時雨が心配してる。
 でも大丈夫だよ。『白露』が沈んだ時はすごく熱くて息もできなかったんだから。逆なんだから。
 白露は自分ではそう口にしたつもりだったが、実際には何も声に出ていなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ワルサメは呆然としていた。
 耳に届くはずの音は全てがこだまのように遠くて実感がなく、目に映っているはずの光景は色あせて時間がずれたような進み方をしている。
 傷ついた白露は時雨に抱きかかえられている。
 波と血で濡れた顔、小さな体がうなされるように震えている。そして足。赤くて、もう足じゃない。
 ワルサメはよろめいた。
 これは全て自分が招いてしまった結果なのかと。
 その通りだ、と内なる声が肯定する。
 同胞のはずの姫たちと別離したのも、今こうして白露が傷ついて倒れたのも全ての端はワルサメ自身にある。
 どちらもワルサメ自身が望んでいた結果ではないが、ワルサメを取り巻いて起きたことには変わらない。

「終ワラセナイト……」

 何を、というのは出てこない。代わりにワルサメは別のことを考えていた。
 白露はワルサメを友達と呼んだ。友達が何かはワルサメも知ってはいる。
 他の深海棲艦で一番近い関係にいるのは誰だろうと考える。ホッポかもしれないと考えて、少し違うと思った。
 でも何が違うのか分からなくて、一つ分かったのはワルサメにとって白露は唯一無二だということ。
 それは夕立にも時雨にも言える。村雨だってそうだし海風だって同じだった。
 白露はワルサメに二人を守ってほしいと言った。
 なんでああ言ったのかワルサメには分からない。だけど、それは白露の望みなのは確かだと思えた。

「夕立トハモット仲良クナリタカッタナ」

 驚く夕立の顔を横目にワルサメは前に進み出す。
 ソ級と呼ばれている潜水艦型の内、一人はもう反応を感じない。
 残る一人は海底で息を潜めているらしかった。だけど諦めていないのは分かる。
 まだワルサメたちがこの場に留まっているのだから。

「……アリガトウ、白露。アリガトウ、時雨」

「何言ってるっぽい! こんなのまるでお別れじゃない!」

 夕立が隣に来てワルサメの腕を掴む。
 小柄な体からは想像できないぐらいに強い力だった。




「痛イヨ、夕立」

「離さないっぽい!」

「提督ヤ他ノミンナニモ伝エテ。短イ間ダッタケド楽シカッタッテ」

「自分で言ってよ!」

「私ハ深海棲艦。ダカラ大丈夫ダヨ」

「全然分かんないっぽい!」

「夕立、私ハ……戦ワナクッチャイケナカッタノ」

「夕立とあなたはこれからでしょ!」

「ゴメンナサイ」

 ワルサメは自身の腕を捻るように動かし、夕立の腕を振り解く。
 そのまま夕立の袖を掴むと、力任せに投げ飛ばす。
 どこにそんな力があったのかワルサメにも不思議だったが、夕立は海面を石切りの石のように跳ねた。
 ワルサメが使用している夕立の艤装が自然と体から外れる。
 それが正しいと、ワルサメの決意を後押しするように。
 海面を歩くワルサメの足が少しずつ沈んでいく。

「時雨も止めてよ! お姉ちゃんになんて言えばいいっぽい!」

 倒れた夕立が顔を上げて叫ぶ。
 時雨はワルサメを見て、抱えていた白露をより強く抱き寄せる。

「許して……本当は止めなくっちゃいけないのにボクは君を……」

「時雨ガ気ニスルコトジャナイヨ」

 ワルサメは笑う。その笑顔は儚げで、時雨と夕立の前から水面に消えていった。




─────────

───────

─────



 ワルサメは海底へと沈んでいく。
 深海棲艦の体が、細胞が沈み行く感覚を喜んでいるのを自覚しながらワルサメは深く落ちていく。
 潜水艦たちほどではないが、深海棲艦であるワルサメの体も海中に適応している。

 程なくしてワルサメはソ級を見つけた。
 白露が予想したように、潜航してきたワルサメに対してソ級は警戒感を抱いていないようだった。
 裏を返せば、あくまで艦娘に囚われている姫を助けるために攻撃を仕掛けてきたということになる。

 ソ級もワルサメに近づいてくる。
 動きらしい動きもないのにワルサメよりもずっと速かった。
 ソ級は長い髪を顔や体に巻き付け、右目だけが誘導灯のように怪しく光っている。
 人型の頭の上には扁平な魚のような外殻を身につけている。外殻には水上戦で用いるつもりなのか、小口径の砲が載っている。

 ワルサメに対してほとんど無警戒のソ級はすぐ側まで来た。
 ぐるりと回り体の無事を確かめたらしいソ級は、ワルサメの正面に戻ってくる。
 ワルサメは自分がしようとしていることにためらった。
 ソ級があまりに無防備で、何も知らされていないのは明らかだったから。
 そんなワルサメに決意をさせたのは、ソ級が頭上を見上げたからだった。
 攻撃を続行する意思を見せ、それが声としてワルサメの頭蓋に響いてくる。

 だからワルサメも行動した。
 両手で人型の首を握り締める。
 その異様さに気づいたソ級の口から空気が漏れる。
 ソ級の青い眼が揺れ、黒い筋が毛細のように浮かび上がっていた。
 驚きと恐怖が入り混じった顔でソ級はワルサメの腕を爪を立てて何度も引っかく。
 黒い血がワルサメの指から流れ出るが、ワルサメもまたさらに力を込める。
 ソ級は手足をばたつかせて暴れ、魚のような外殻が口を開く。そこからは魚雷が覗いている。
 ワルサメからすれば、魚雷を避けるのは容易だった。首を締め上げたまま、体を正面からずらせばいいだけだから。

 しかしワルサメはそうしなかった。
 自分を助けに来たはずの同胞を手にかけようとしている事実が、ワルサメからその意思を奪っていた。

 ワルサメはそのまま首を締め続ける。
 そして、それまで硬い抵抗をしていた何かが割れた。
 抵抗を失った首は柔らかかった。ソ級の口から拳大もある呼気の塊がいくつも出てくる。
 壊れた機械のようにソ級の口が上下に揺れる。
 そうして魚の口からは魚雷が滑り落ちるように転がり――炸裂した。
 小規模の爆発は、連鎖的にソ級が装備していた魚雷や砲弾を巻き込んで誘爆を引き起こしていく。
 水中爆発が二人の体を呑み込んでいった。


ここまで。続きは仕事から帰ってきたら投下します
今日間に合わなければ明日と、いずれにしても一両日中には終わらせますので

乙っぽいかも

乙ありですって!



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 戦艦棲姫はトラックの各基地から発進してきた陸攻隊を目敏く発見した。護衛の戦闘機も多い。
 空母棲姫以外にもヌ級やヲ級も数人引き連れているが、とても対抗できる数ではないと見て取る。
 すでに空母棲姫も後退している以上、それ以上の戦闘は下策と判断し残存の艦隊にも撤退命令を出す。

「名残惜シクハアルガ……」

「ここまで来て逃げるのか!」

 戦艦棲姫はそれまで砲撃戦を繰り広げていた武蔵に対して後進を行う。
 互いに満身創痍の状態だった。
 武蔵は三基の主砲の内、一基が伝送系の断線により使用不可。
 装甲の薄い主要区画以外は袋叩きにされて浸水や延焼を起こしている。
 戦艦棲姫も艤装口部の歯を何本も折られるか砕かれるかしていて、右肩側の主砲は旋回不能に陥るほどの損傷を受けている。
 姫自身の体も裂傷による出血で、ドレスを元の色とは違う黒みで汚していた。

「武蔵……アナタノ攻撃ハ重クテ痛クテ……素晴ラシイ時間ダッタ」

「はん、そんなに痛いのがお好きか?」

「言ッタデショウ。痛ミガアルカラ満タサレル。感覚ト存在ヲ実感デキル」

「知らん!」

 武蔵は稼動する二基の主砲を撃つ。戦艦棲姫は撃ち返してこなかった。

「痛みなぞ望まずとも向こうからやってくる。それをありがたがる気持ちなど分かるものか!」

「ソウ、残念」

 戦艦棲姫はおかしそうに笑う。

「本当ニアナタニハナイノ? 攻撃ヲ受ケレバ受ケルホド、救ワレルトイウ気持チハ?」

 武蔵は答えずに無視する。弾着の時間だった。
 戦艦棲姫の体が吹き飛ばされる。それまでとは違い、わざと踏みとどまらなかった。
 大きく吹き飛ばされた姫はそのまま体が水中に没していく。

「痛ミガ自ズトヤッテクルノハ……正シイ。相応シイ時ニ決着ヲツケマショウ……アナタガ痛ミヲ引キ連レテクル……ソノ時ニ」

「……相応しい時があるとは思えんがな」

 海中に潜られた以上、武蔵にも追撃する余力はなかった。
 武蔵は戦艦棲姫をいずれ倒さなければならない相手だと認識している。
 その一方、今まで出会ったどんな相手とも違う戦いづらさも感じていた。

「これが厄介事を背負い込むということか」

 大抵のことは笑い飛ばせる自負を持つ武蔵だったが、この時ばかりは勝手が違った。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 鳥海たちは苦戦していた。
 重巡棲姫は本調子を取り戻してからは、四人を相手取りながら一方的に攻勢に転じている。
 闇雲だった砲撃は狙いが不規則ながらも高い精度を発揮していた。
 四人の艤装には損傷が蓄積し、今ではいずれも中破に相当する損傷を受けている。

「出来損ナイ風情ガヨク動ク……」

 戦闘を優勢に推移させていた重巡棲姫だったが、彼女もまた攻撃隊の接近を察知していた。
 重巡棲姫は忌々しげに戦闘を継続し続けている四人を見ていく。
 姫は戦闘を継続し誰でもいいから沈めておきたいという欲求に対し、冷静な部分が撤退の要を認めていた。
 互いにまだ雷撃戦には移っていない。航空隊の攻撃も加われば予期せぬ被害を受ける可能性があった。
 また調子を取り戻すまでに無駄弾を撃ちすぎていたというのもある。
 残弾が少なく、ものの数分で撃ち切るという状態だった。
 弾が切れても素手で襲えばいいという発想はあるが、魚雷を持っているかもしれない相手に接近しすぎるの得策ではない。
 結局、重巡棲姫は感情よりも理性を優先させた。
 転回を行うと、包囲を抜けるために加速を始める。
 その動きに合わせて、最も厄介だと判断した鳥海に向けて砲撃を行う。
 鳥海は至近弾を受けながらも砲撃で応じる。

「逃げるんですか!」

「バカメ、ト言ッテヤロウ。見逃シテヤルノダ!」

 追撃したい鳥海だったが、彼女もまた追撃が困難なのを察していた。
 被弾が重なりながらも最初から最後まで最高速を維持していた重巡棲姫に対し、鳥海たち四人は三十ノットを超える速度は出せなくなっている。
 重巡棲姫は牽制と呼ぶには正確な砲撃を何度か行ないながら四人を振り切っていった。

「機嫌の悪い姉さんみたいなことを言って……!」

 鳥海は重巡棲姫の追撃を断念した。もっとも彼女たちの戦闘はまだ終わっていない。
 すぐに島風たちの被害状況を確認し、味方の援護に向かわなくてはならない。
 鳥海は白露たちの安否を気にかけたが、通信には失敗している。
 何事もなければいいけれど。そう思うも不安を拭うことはできなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「先に行くっぽい。お姉ちゃんをお願い」

 夕立が湿った声で時雨に言う。顔は時雨のほうを向かなかった。

「あたしは最後まで見届けるっぽい。誰かがいてあげないと、あの子がかわいそう」

 時雨は少しだけ迷って、白露の様子を見て踏ん切りがついた。

「……分かった。夕立は戻ってきてよ」

「うん、分かってるっぽい」

 夕立は時雨の艤装が唸るのを聞きながら、ソナーに耳を傾ける。
 海底からの音に声はない。しばらくすると爆発音が聞こえてきて、泡が立つ音が生まれた。
 その音も消えると、海には静寂が戻ってくる。波はとても穏やかだった。
 夕立は波に身を任せたまま待った。その時間はそれほど長くはなかったが、夕立はもっと長く続いてほしいと思う。
 海上に浮かび上がってきたものを見て、夕立は下で起きたことの結果を悟った。

「仕方ないっぽい」

 言い訳を口にした夕立は自己嫌悪する。
 それでも夕立は自分を必要以上に責めまいと決めた。それはワルサメの行為を台無しにしてしまうような気がしたから。
 夕立は目元を拭った。波がしぶいて顔にかかったからだと、そんな風に言い聞かせて。
 帰ろうとした夕立はすぐに異変に気づいた。それはほとんど確信めいた予感だった。
 桜色の髪をした少女が浮かび上がってきた。
 夕立は急いで少女に近づく。少女にはワルサメの面影があって、しかし肌の血色はずっとよかった。

「生きてる……」

 息もあるし脈も正常だった。
 服は何も着ていなかったので、夕立は艤装からハンモックを取り出すと少女の体に巻きつける。
 この子が誰とか何かは、夕立にとってはどうでもよかった。
 ただ、この少女だけは助けないといけないと思った。
 夕立は前に進み始める。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 白露が目を覚ました時、まだ新しくて白い天井が見えて、ほんの少しだけ戸惑ってから思い出した。
 ここはトラック鎮守府にある病室だと。そして、ここにいる理由も。

「ん……足はあるみたい……」

 白露は目を閉じ直して、何も見ないようにして足の指を動かしてみる。
 痛いところはないし、ちゃんと動いてるらしかった。
 この感覚が幻でなければ、と思って白露は体を起こす。
 白露はベッドに眠っていて、すぐ隣では時雨がベッドに頭を乗せて寝息を立てている。
 時雨を寝かせたまま、白露は足下の毛布をめくってみた。
 足の指はついている。というより、どこにも傷の跡はない。

「ん……姉さん?」

 白露の動きに気づいて時雨が目を覚ます。
 少しの間、無言で見つめ合った。

「ねえ」「あのさ」

 そして声が重なった。
 白露はここで少しだけ笑う。だけど、それは本心から出たような笑顔ではなかった。

「時雨から先に言って」

 別に気を遣ったわけじゃない。先延ばしにしたかっただけ。
 向き合わなくちゃいけないけど、やっぱり怖かった。

「足の調子はどうかな?」




「問題ありません! やっぱり酷かったの?」

「それはもう。バケツのお陰で直ったけどね。直ってしまったと言うべきか」

「何それ。時雨はあたしの足が不自由なほうがよかったの?」

 問いかけに時雨は意味ありげに笑い返してくる。

「まさか――ヤンデレじゃないだし。バケツさえあれば戦えるこの身にぞっとしただけだよ。まるで呪いみたいじゃないか」

「……あたしは五体満足のほうがいいよ」

 この体がたとえ戦うためにあるとしても。
 白露はそんな思いをため息と一緒に吐き出した。

「ねえ」「あのさ」

 また声が重なった。
 白露は笑った。今度はさっきよりも自然に出てきた笑いだった。同時に覚悟も決まった。

「今度は何?」

「えっと……調子はどうかなって」

「さっき聞いたこととどう違うのよ」

「あー、体全体とか気分の?」

「そうだね……うん、ワルサメは?」

 時雨は黙ってしまった。
 大丈夫、時雨の顔を見た時から分かってたから。
 時雨も話すつもりでいたのは分かってる。こういう役は自分の役みたいに背負い込んじゃって。




「ワルサメは……」

 白露は時雨の話を聞いた。それは短い話で、だけど白露にはワルサメの気持ちが分かってしまったような気がした。

「そっか」

 顔を両腕で隠して息を吸おうとするが、浅くて早くてなんだかうまく吸えないと白露は思った。
 分かっていた。分かっていたけれど、それでも期待はしていた。
 だって、そうじゃない。

「姉さん」

「あたし、あたしさ」

 白露は時雨の胸に顔を当てる。体を預ける。他にどうしていいのか分からなくって。

「いままでいちばんがんばったんだよ。でもうまくいかないよねぇ」

「……ごめんなさい」

「なんでしぐれがあやまるの」

「だってボクは姉さんが必死に守ってきたワルサメより、姉さんを選んでしまったんだ……姉さんの気持ちを分かってたのに」

「ずるいよ」

「ごめんなさい」

 白露も時雨も互いを抱き寄せた。二人とも傷ついていた。




─────────

───────

─────



 いつかは誰かの身に起こること。
 まだそんな風には割り切れなかったけど、それでもいつかそんな風に割り切っていかないといけない。
 白露はそんなことを思いながら、自分の頬を叩いた。
 鏡がほしかった。しゃんとした顔をしていたかったから。

「……どうかな、姉さん」

 時雨が聞いてくる。白露は真顔になって言う。

「時雨は目が赤い」

「えっ!?」

「嘘だよ。引っかかっちゃって」

「ひどいや、姉さん。でも、これなら会わせても大丈夫そうだね」

「会わせるって誰に?」

「誰って妹たちに決まってるじゃないか」




 時雨はまた意味ありげに笑うと、病室のドアを開ける。
 ぞろぞろと白露型の一同が入ってくる。
 海風と五月雨は心配そうな顔して、村雨と涼風は白露の顔を見ると笑い、江風は心配してるんだか安心したんだか殊勝な顔つきだった。

「夕立は?」

「あれ? 入っておいでよ、夕立」

「分かってるっぽい! さあ、あなたも来て」

「でも……」

「でももすともないっぽい!」

「すとってなんですか?」

「知らないっぽい!」

 夕立が入ってくる。その手は別の誰かの手を引いていた。
 その少女は白露型の制服を着ている。片手を夕立に引かれ、片手は白い帽子を押さえている。
 桃色の髪をしたその子は、ワルサメによく似ていた。
 その子は帽子を外すと、白露に向かって頭を下げる。

「はじめまして。白露型駆逐艦五番艦の春雨です、はい」





あたしは大切なものをなくして、大切なものが増えて、何が大切か思い知った。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 日差し除けとして設置されたパラソルの下、白露は沖合を見ていた。
 その顔には精彩が欠けている。

「はぁ……」

「ため息をつくと幸運が逃げると言いますよ、白露さん」

「あ、秘書艦さん。こんにちは」

 白露は鳥海に挨拶してから、視線を海に戻す。
 今は沖合で実戦形式の演習が行われている。
 組み合わせは夕立と春雨。結果はとうに見えているが、それでも春雨は少しでも夕立に食い下がろうと悪戦苦闘していた。

「一ヶ月ですか、春雨さんが着任してから」

「長かったのか短かったのか……よく分からないなー」

 春雨が着任してから、白露は少し気が抜けたような日々を送っていた。
 それは上手く隠せているようで、実は全然隠せていなかったのかもしれない。
 鳥海と話す機会が増えたのは、そういうことなんだと白露は思っている。

「夕立ってば春雨にべったりなんですよ。春雨も春雨で夕立にべったりで」

 夕立の場合、ワルサメに当たって上手く仲良くできなかった反動もあるのかもしれない。
 春雨がべったりなのは……夕立が好きだからなのかな。

「白露さんにはどうなんです?」

「あたしは……どうかな……まだ整理できてなくて」

 白露はどうしても春雨にワルサメの影を見てしまう。
 それは常日頃ではなくて、ふとした仕種や何気ない時に重なってしまっていた。
 だから白露はまだ春雨との距離を上手く掴めていない。




「秘書艦さんだったら、どうします?」

 抽象的で要領を得ない質問でも鳥海は真剣に考える。
 そして答えた。

「向き合って話します。春雨さんも不安でしょうし」

「春雨が不安?」

「当たり前のことだって話さないと伝わらなかったりするじゃないですか。話しても伝わらない時は行動で示したりとか」

「それって提督と秘書艦さんの話?」

「私より司令官さんと木曾さんの話ですね。お互いがいくら大事に思っていても、その気持ちを伝えられなかったらだめなんだと思います」

「そっか……そうだよね。あの子はあの子で、この子はこの子だもんね」

 分かってた。ワルサメを乗り越えていかないといけないのも。
 だから白露はその日、訓練を終えたワルサメを呼び出した。
 いつかワルサメと二人で夕陽を見た窓を前に、白露と春雨は並ぶ。

「ご用って……なんでしょうか?」

 春雨は緊張していた。春雨も不安というのは本当らしかった。
 白露は自分が少し情けなかった。妹を不安にさせる姉にはなりたくなかったから。
 肩の力を抜いて春雨を見る。春雨の顔にワルサメがダブっていた。
 でもごめん。今は春雨とお話したいの。あなたを絶対に忘れないから、今は大人しくしててほしい。

「春雨には余計な話かもしれないけど、どうしても話しておきたくてね」

 白露が声に出すとワルサメの影が春雨から消える。
 戸惑って、だけど白露に興味を持っている春雨の顔が残った。

「あたしの……あたしの一番大切だった友達のことを」

 白露は笑いながらそう言った。
 鳥海がいつか笑顔でレイテのを話してくれたのがどうしてか、やっと分かった。
 あたしは最後まで笑っていられないかも。それでも、できるだけがんばってみないとね。
 そして白露は春雨に語り始める。
 傷はいつか癒えていく。





 三章に続く。


日をまたいでしまったけど二章はここまで。
主役が誰か分からなくなりそうですが、三章からは鳥海と提督の話に戻る形になります。
そして冒頭の内容も回収することになるので……いわゆる鬱展開になるんでしょうかね? どうなんだろう?
なのでまあ、投下ペースよりも投下量を意識しての更新になってくるかと思います。

ここまでお付き合いいただいた方々には感謝を。
劇場版が始まってしまう前までには完結させたいですが、どうなるやら。

備忘録的な設定のような何か

以下は二章終了時点でのトラック島鎮守府の在籍艦娘。順不同。
ちなみに完結まで、このメンバーは固定となります。全員にスポットは当てられませんが。


○重巡
鳥海、高雄、愛宕、摩耶、ザラ

○軽巡(重雷装艦含む)
夕張、大淀、球磨、多摩、北上、大井、木曾

○戦艦
武蔵、扶桑、山城、リットリオ(イタリア)、ローマ

○空母
蒼龍、飛龍、雲龍、飛鷹、隼鷹、龍鳳、鳳翔

○駆逐艦
島風、リベッチオ

・白露型
白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、江風、涼風

・陽炎型
天津風、秋雲、嵐、萩風

・夕雲型
夕雲、巻雲、風雲、長波、高波、沖波、朝霜、早霜、清霜

○その他
明石、秋津洲、間宮、伊良湖

○基地航空隊/運用機種
戦闘機/疾風
陸攻・陸爆/銀河、連山(試作機を試験運用)
偵察・哨戒機/彩雲、二式大艇

無駄に分けてしまった

姫級との数度の戦闘を顧みて、鳥海を旗艦として第八艦隊を再編することに。
高速艦を中心とし砲雷撃戦能力に秀でた艦隊で、作戦の目的や戦況に併せて多目的に運用される戦力として扱う。
具体的には戦線への切り込み役や敵主力との決戦戦力、迎撃作戦時の遊撃部隊など。
任務内容に応じて、基幹戦力とは別の艦娘も加えて作戦に当たる。

基幹戦力は鳥海、高雄、ローマ、島風、天津風、長波、リベッチオとなる。

おつ
この話ほんと好き


素晴らしい

乙乙

乙ありなのです。お褒めも恐縮なのです!
やはり白露型はいっちばーんってことか



 私たちはすでに多くの別れを経験しています。
 過去の軍艦の記憶が、まるでこの身の出来事のように刻まれているんですから。
 その過去の記憶でさえ、私たちは自他をもう艦としては認識していなくて、今のこの姿として捉えてしまうのは変な気分ですが。

 私たちは姉妹や戦友を多く失いました。
 自分の見える場所で、あるいは知らない場所で。
 私は、鳥海は前線に引っ張りだこでしたが、それなりに長生きしたと思ってます。
 でも、それだけ死に触れる機会も多くて……姉さんたちや加古さんに天龍さん。知らない所でも在りし日の機動部隊や駆逐艦の子たち。
 気が滅入ってしまいますね……。
 ただ、これは私だけの話じゃなくて誰の身にも起きていた話なんです。

 目の前で沈まれるのと、自分のいない時に失ってしまうのはどちらが悲しいのでしょう。
 ええ、すごくバカな話をしてるのは分かっているんです。どっちも悲しいに決まってるんですから。
 だって結果は同じじゃないですか。
 立ち会ったからって看取りになるとは限らないですし、見てなくてもいなくなってしまった事実は変わらない。
 ……結局は変わらないんです。失うということには。

 いつかは別れの時は来てしまいます。
 生きているのなら、それはどうやっても避けようがなくて。
 それでも私は手を伸ばしたかったんです。特にあの人には。私の司令官さんには。
 約束をしていたんです。
 いつかあの人と交わした競争の約束。どちらがより長く生きていけるかの競争をしようって。
 私は勝つ気でいましたけど、そう簡単に負けさせるつもりもなかったんです。むしろ最後に逆転されるぐらいでよかったんです。
 だから私は……。




三章 喪失 


 トラック諸島の夏島に設営された飛行場に双発のジェット機が着陸する。
 機体は軍で採用されている国産の連絡機で、民間のビジネスジェットを流用している。
 唯一の乗客はトラック泊地を預かる提督その人だった。
 機体が制止し安全確認が済むと、鞄を持った提督が機外に降りてくる。
 すぐに迎えに来ていた艦娘、木曾が近寄って声をかけた。

「よ、久しぶりだな」

「十日ぐらいしか経ってないのに久しぶりはないだろ、木曾」

 提督は答えながら半ば今更の疑問を抱く。木曾の格好は暑くないんだろうか。
 アイパッチは仕方ないにしても、いつも通りの帽子とマントだ。気温三十度に届く夏島に適した格好には見えない。
 昼下がりの頃で、まだこの暑さは続く。
 当の木曾は涼しい顔をしながら笑っていたが、額は汗ばんでいるようだった。

「普段から顔を合わせてりゃ、十日ぶりだって久しいもんさ」

「それもそうか。しかし意外だな。てっきり鳥海が迎えに来ると思ってたんだが」

「おいおい、俺じゃ不満だってか?」

「そうは言ってないよ」

「冗談さ。それと、これでも鳥海直々の指名だからな」

 木曾はそう言いながら提督を車まで案内し、道すがらに言う。

「鳥海は第八艦隊の練成で忙しいんだ。提督の代理もこなしながらだったしな」

「……苦労をかける」

「それは俺じゃなくて本人に言ってやれよ。あと高雄さんと愛宕さんも手伝ってたし、うちの不肖の姉だってそうだし」

「みんなに埋め合わせが必要ってことだな」





 木曾は言わないが、手伝いの中には木曾自身も含まれているのだろう。
 何をしてやるか考えていると、木曾は近くに停めてあったシルバーのセダンに乗り込む。泊地の公用車として納入されたものだった。
 提督が助手席に座ると木曾はエンジンをかけてエアコンを入れると、冷気が顔や首筋を心地よく抜けていく。
 一息ついて木曾は隣の提督に尋ねる。

「横でいいのか? こういう時は運転席の後ろだろ」

「隣のほうが話しやすいじゃないか」

「物好きめ」

 口ではそういう木曾だったが満更ではなさそうで、声には親愛の響きが含まれているような気がした。
 それにしても運転席に収まった木曾を物珍しく思う。

「運転できたのか」

「当然だ。お前こそどうなんだ?」

「代わりに運転しようか?」

「……いや、いい。人の運転する車に乗るのはどうも落ち着かない」

「ペースが合わないってやつか。確かに衝突しないか怖くなることってあるな」

「それなのかな……ま、ここじゃ対向車も滅多に来ないし、そこまで神経質になることもないんだが」

 木曾は車を走らせ始めた。トラック泊地までは車でも三十分はかかる。
 運転は荒くないが、スピードはかなり出しているような気がした。
 海上と同じ感覚で速度を出しているのかもしれない。



「そういや昼は食べたのか? 機内食ってあったんだろ」

「いや。中途半端な時間だったし、間宮でざるそばを食べたくなった。天ぷらもあるといいんだが」

 おいしいものが食べたいなと思い、提督は今になって木曾の言葉を実感した。

「確かに久しぶりだな」

「何が?」

「普段はそんなに意識してなかったけど、間宮で食べるご飯が待ち遠しいと思えてな」

「それで久々か。食い意地の張ったやつめ。花より団子か」

 木曾は運転しながら愉快そうに笑う。すぐに次の話を振ってくる。

「横須賀はどうだった? 視察もできたんだろ?」

「ああ、いい提督みたいでみんな元気そうにしてたよ。向こうじゃ睦月型と特型なんかが二代目だった」

「へえ……天龍と龍田もあそこだよな。どうしてた?」

 本当に木曾は天龍が好きなんだな。
 そう考えると提督はちょっとおかしくなる。

「向こうでも二人とも駆逐艦たちに懐かれてたな。相変わらずというかなんと言うか……ああ、木曾が顔出すならトラック土産を忘れるなとさ」

 木曾は余所見はせずに、しかし唸る。

「トラック土産ねえ……名物とか特産品なんてあるか?」

「土でも持っていくとか」

「甲子園じゃないんだからさ」

 笑う木曾に釣られて提督も笑う。
 そうして提督は言う。おそらく木曾が一番気にしているであろうことを。



「査問会は……罷免されずに済んだ」

「そりゃ朗報だ。提督が続けられるようで何よりだよ。頼りにしてんだぜ」

「ありがたいな」

「なら、そんな浮かない顔しなくてもいいだろ」

「面白い話じゃないからな」

 そういう自分の声はまるでふて腐れた子供みたいだ。
 提督はそう考えながらも、思い出すようにぶり返してくる不愉快さを持て余していた。

「上は何が不満だったんだ?」

「ワルサメをみすみす失ったのがお気に召さなかったらしい。空母棲姫なんかと交渉せずに交戦すべきだったのでは、交渉するならもっと粘って相手の腹を読み取れなかったのかと」

「言うだけならタダってやつか。いる時は無視してていなくなったら文句を言うって、どんな料簡だよ」

 木曾も腹を立てたみたいで、不思議とそれを見ると冷静になろうと頭が考える。
 ただ自分の代わりのように怒っているようにも見える木曾に提督は感謝した。

「だが言ってることはもっともだ。俺の判断がワルサメを追い込んだのは確かだから」

 他にやりようがあったはず。そんなことは何度だって考えた。
 ワルサメを巡って交戦した海戦から一ヶ月あまり。
 件の海戦は今ではトラック諸島沖海戦と名づけられていた。
 これまで勝ち星を重ねてきた海軍と艦娘たちにとっては、負け戦と苦い結果を残している。
 主目標であるワルサメの保護に失敗し、艦娘たちも喪失こそなかったが白露を初め何人もの艦娘が中大破の判定を受けていた。
 対して深海棲艦へ与えた損害が少なかったのも、その後の調査で判明している。
 海戦で得られたものは小さくないが、それでも負けは負けだ。




「けどワルサメは自分の意思で深海に帰ろうとして、あんたはその意思を尊重しようとしただけだろ」

「尊重する前に止めるという発想はなかったのか、ということだ」

 実際どうだったんだ。俺はワルサメを止めるべきだったのか、あるいは空母棲姫の要求を守らないで挑発したほうがよかったのか。
 ワルサメを守るためにできたことはもっとあったはず。
 危険なのは分かっていたんだ。それとも、そんな当たり前さえ気づけないほどに俺は抜けているのか?
 今となってはどうにもならないが、どうにもならないからこそ提督は苦い気分で車外を見た。
 気分はほとんど紛れない。

「どうにも引きずってダメだな……春雨もいるって言うのに」

 ワルサメと入れ代わるように夕立に保護されたのが春雨だった。
 白露型五番艦を自認し、そこかしこにワルサメの面影を残している艦娘。
 木曾が前を向いたまま声だけをかけてくる。

「俺はあの二人が同時にいるなんてこと、ありえないと思ってるぞ」

 それには提督も同感だった。
 ワルサメと春雨が同一人物とは思っていないが、互い違いのような存在だとは考えている。
 だから気にするなと木曾は言いたいのだろうか。
 過程を考えれば、よかったなどとは思えない。
 かといって春雨の存在を否定するような考えも間違えてると思える。
 ならば結果を受け入れて進むしかない。
 よく言うじゃないか。世界は回り続けている。




「そういえば白露はどんな様子だ?」

「心配いらない。春雨ともちゃんと話してたし」

「ならよかった。俺が最後に見た時は心ここにあらずって様子だったから」

 鳥海がいやに気にかけていたっけ。
 白露との間に何かあったのかもしれないと提督は考えているが、本人たちの口から出ない限りは詮索するつもりもなかった。

「少しは気が楽になったか?」

 木曾の問いかけに笑い返そうと思ったら、出てきたのは苦笑いだった。

「そうだといいんだが……あんまり気が休まらないかもな。もう難題はそこまで来てるし」

「どういうことだ?」

「この作戦名には聞き覚えがあるだろ?」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 鳥海は提督に教えられた作戦名をおうむ返しにする。

「MI作戦ですか? ミッドウェーの?」

「ああ。数十年越しの第二次MI作戦と呼んだほうがいいかもしれないが」

 執務室で朝の仕事を始まる前に、提督がMI作戦が近日中に発令されると教えてくれた。
 MI作戦といえばミッドウェー島占領を狙った作戦で、旧大戦時での転換点にもなった戦い。
 そのMI作戦を強襲という形でまた行うらしかった。

「うちからも戦力を抽出してほしいと要請があってな。鳥海も指名されてる……というより、ここの主力を軒並みだ」

 内示という形ではあるが、トラック泊地からは戦艦と重巡、重雷装艦の全員、空母も龍鳳と鳳翔以外全て、駆逐艦も島風や白露型の上四人の姉妹などと主力の大多数を派遣するよう求められていた。
 こんなに出して大丈夫なんでしょうか、と鳥海は思うが聞かなかった。
 大丈夫でなくともやるしかないのだから。

「では雪辱戦というわけですね」

 『鳥海』もまた過去のMI作戦そのものには参加していただけに、悔いの残る戦いだと記憶している。
 作戦中に何をしたのかと問われたら、何もしていませんとしか答えられないのが当時の『鳥海』だった。
 参加するからには同じ轍は踏めないし、それぐらいの意気込みも必要だと判断する。

「でも、どうして今になって行うんですか?」

「それなんだが本土が空襲された」

「それって一大事じゃないですか!」

 色めき立って身を乗り出す鳥海に対し、提督は落ち着いて椅子に座っている。というよりも覚めた反応のように鳥海には見えた。
 提督が説明するところによると、一週間ほど前に深海棲艦の艦載機が少数で警戒網を突破して本土へ空襲を行った。




「被害らしい被害は出てないんだ。艦載機による空襲のみで数は少なかったようだし……ただ大本営や上層部の面子は丸潰れになった」

 それまで大本営や軍上層部は、艦娘の奮戦により今や前線は本土から遠く離れて脅威が去ったと強調していたという。
 それ自体に嘘はなくても誇張はあったみたいで、ところが空襲が起きた。
 深海棲艦が未だに健在で、戦争は続いてるという事実は国民に大きな衝撃を与えた。
 今の軍は国民に対してそこまで強くない。そうなると、どうしても汚点を拭う必要がある、と。

「そこで前から検討だけされてたMI作戦を実施することになったんだ。今回の敵は東から来たと見なされてるから、そっちの脅威を完膚無きに叩きのめしましたってね」

「それでMI作戦ですか……でも東ならミッドウェーより真珠湾を叩いたほうがいいのでは? というより向こうが健在なのにミッドウェーを叩いたって……」

「ミッドウェーでさえ遠いのに真珠湾は遠すぎるし、今回の作戦は政治的な理由が根っこにある。より勝率の高い作戦を成功させたほうが都合がいいんだよ」

「……戦略的判断ですね。私には難しくて分かりません」

 鳥海から出た皮肉に、提督はおかしそうに笑った。

「そう、戦略的な理由だ。どのみち命令なら従わなくっちゃならない」

 不本意に思っているのか、あまり提督の表情が冴えてない。
 納得はしてない、ということなんでしょうか。

「気がかりがあるんですか?」

「気がかりしかないよ。作戦の意図は分かるけど、政治的な判断を無視しても発動までの準備期間が短い。最前線の一つになるここから戦力を割くって発想も危うく感じるし」

 他にもMI作戦のための燃料や資材は、本来なら他で行われるはずの作戦を延期させて流用させるとのこと。
 提督の懸念はこの場当たり的な対応を批判するよう向いていた。
 だけど、と鳥海は考える。提督自身が口にしたように命令ならば従うのが道理で、何よりも提督の意見は知っている立場からの意見だと思った。




「司令官さん、事情はともあれ私はやったほうがいい作戦だと思います」

「というと?」

「後背を狙われるようでは、勝てる戦いだって勝てなくなってしまいます。それに民間人を危険に晒していい理由なんてどこにあるんですか?」

 提督は姿勢を正す。その動作がもっと話すよう促してる気がして、鳥海は話し続ける。

「昨年末、司令官さんは私をショッピングセンターに連れて行ってくれたじゃないですか。あそこは華やかで人々が笑いあっていて、私は好きです」

 司令官さんはあの中でどう感じたんだろう。
 鳥海は考え、今は自分の気持ちを伝えないとと思う。

「ああいう空気を守るというか保つというか……そういうのって大事だと思うんです。だからMI作戦にどんな事情があっても、その目的が誰かを守ることに繋がるのなら意味はあるはずですし、民間の方に軍の都合なんて関係ないのでは?」

 提督は感心するような目で見ていた。
 鳥海は急に気恥ずかしい気分になって視線を下げる。すごく青臭いことを言ってしまったような……。

「よく分かった。鳥海は正しいよ。どうも俺は物事を斜に捉えすぎてしまうのかもしれない」

「そんなことはないと思います……」

 司令官さんがそんな人だったら私は……そんなことは言わなくても分かると思った。

「止められないなら前向きに考えないとな」

 提督の表情が変わって、鳥海は安堵と緊張の入り混じった気分になる。
 これでこそ鳥海が司令官と仰ぐ人間だった。

「第八艦隊の様子は?」

「この一週間も引き続き練成に努めていたので、仕上がりは悪くないと思います」




 第八艦隊は深海棲艦の姫級との戦闘を前提に置いて新設された部隊で、砲雷撃能力を重視した快速艦による構成となっている。
 旗艦は鳥海とし、二番艦に高雄。以下にローマ、島風、天津風、長波、リベッチオと続く。
 姫級との決戦は元より、そのための戦線突破や防衛戦では遊撃隊として攻撃的に機能するのを求められての構成だった。

「後はできる限り、様々な状況を想定した演習を重ねて行くしかないかと」

「MI作戦が発令されたらパラオやタウイタウイに引き抜かれた艦娘たちとも一時合流する。彼女たちを相手にするといい」

「そうですね。慣れた相手よりも得られる点は大きいかと」

 第八艦隊に集められた艦娘は艤装の性能は高く練度自体も秀でているが、必ずしも泊地の中での最精鋭というわけでもない。
 練度で言えば駆逐艦なら白露型から入れ替えられるし、性能で考えると武蔵は外せないはずだった。
 この辺りは泊地全体の戦力バランスも考慮されているが、提督から見た運用上の都合も色濃く反映されている。
 例えば武蔵の場合は二十七ノットという中途半端に思える速力を敬遠されていた。
 また長波を除いた駆逐艦は艤装が特殊なため、性能がばらけて独自規格の部品も多い。
 そのために連携を取るのに苦労する艦娘が集まっている。
 つまり第八艦隊は精鋭であると同時に寄せ集め艦隊でもあった。
 それを思うと鳥海からは笑顔がこぼれ、提督は不思議そうに見返すこととなる。

「なんだか第八艦隊らしいなと思って」

 今も昔も雑多でまとまりのない艦隊という感じで。
 そこに誇らしさを感じてしまうのは何故でしょうか……。
 それからしばらく二人は来たるMI作戦に向けて話し合った。
 主力の大半が不在の間の防衛計画の草案が必要だったし、臨時の秘書艦も任命する必要がある。
 一日で全てを片付ける必要はないが急ぐ必要もあった。
 そういった話し合いを二人で進め、一段落したところで提督は鳥海に聞く。




「鳥海、俺はあの時……前の海戦でどうすればよかったと思う?」

 鳥海はすぐには答えなかった。考えていたために。
 査問会でどういうやり取りが交わされ、何を言われたのかは初めから聞かなかった。
 司令官さんは話したければ話すし、そうでないなら話さないから。
 悔やんでるようには見えなかった。でも無関心ではなく気にしている。
 折り合いをつける一言がほしいのか、それとも自分とは違う見方を知りたいのか、まったく違う理由から聞かれたのか。
 意を汲むことはできない代わりに、嘘偽りのない正直な気持ちを言う。

「申し訳ないですが私にも分かりません。ですが司令官さんは悪くなかったと思います」

 もちろん提督の決断が最適だったかは鳥海にも分からない。
 そんなこと、誰に分かると言うんですか?

「司令官さんはあの時、これが正しいと思ったんですよね。確かに私たちはワルサメを救えなかったと思います……ですが、どうしても悪い相手を見つけたいのなら、それは約束を反故にした空母棲姫ではないですか」

 提督は答えなかった。真っ直ぐに鳥海を見つめていて、そうして今になって鳥海は気づく。
 査問会に呼ばれたからじゃなくて、もっとそれ以前に提督は納得していなかったんだと。
 ワルサメを救えなかったからかもしれない。それとも、そうなるきっかけを作ってしまった自分を許せないのか、あるいはそんな自分を責めて?

「白露さんは乗り越え始めましたし、夕立さんは埋め合わせをしようとしています。司令官さんだって……前に進みたいんですよね?」

「俺は……」

 提督の声は言葉にならない。弱々しく俯くように目を逸らす。
 司令官さん。あなたは自分で考えてるよりもずっと優しい人です。
 あなたが提督である限り、呵責は終わらないのかもしれません。
 だから鳥海は言う。心からの気持ちを込めて。

「あなたは何も悪くありません」


短いけど、ここまで
もうちょっと量を書いてから投下したほうがいいのだろうか……
とりあえず冒頭陳述みたいな中身ですが、今回の章からもよろしくお願いします

乙ー

乙です

乙ですよー

乙ありだな
や、本当にありがとうございます



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 その室内に灯る光は淡かった。
 天井は白くおぼろげで、ほのかな温かみを発している。海中から空を見上げた時の光の色だと彼女は思った。
 壁や床が黒く塗り固められているのも、どこかで水底に似せようとしたのかもしれない。
 陸にいても、心はどこかで海に囚われたまま。
 あるいは海こそが自分たちの根源であり、どこにいても繋がりを忘れたくないという思いが喚起させるのか。
 望郷なのだろうかと考え、望郷とはなんだろうと思い浮かんだ言葉に彼女は疑問を抱く。
 彼女は――青い目をしたヲ級は自問に小首を傾げてみる。

「ヲッ」

 本人も無自覚な声とも音とも分からないささやきが漏れる。
 そんなヲ級に声をかける者がいた。港湾棲姫だ。

「マタ難シイコトヲ考エテルノ?」

「大シタコトデハアリマセン」

 ヲ級の正面、視線を下げた先に港湾棲姫が足を伸ばして座っている。
 その膝の上では別の姫が穏やかに寝息を立てていた。
 港湾棲姫やヲ級よりもずっと幼い少女で、肌も髪も新雪のように無垢な白さだった。
 前髪は短く切り揃えられ、一房だけ跳ねるように髪が飛び出ている。
 筆で刷いたような眉に丸みのある顔。
 深海棲艦は彼女をホッポと呼ぶ。
 港湾棲姫がホッポを見る目は穏やかだった。
 ヲ級もまたそんな二人を見ると、名状できない感覚に見舞われる。
 もどかしいような、放っておけないような。
 ただヲ級はその感覚がむしろ好きだった。

「ワルサメノコト、調ベガツイタヨウネ」

 今度はヲ級の横から声がかけられる。
 後に飛行場姫と呼ばれるようになる姫で、ヲ級を油断なく見ている。
 そんな飛行場姫に港湾棲姫が言う。




「マタ怖イ顔ニナッテルワ」

「ソンナツモリハ……」

 飛行場姫は自分の頬に触って表情を動かしてからヲ級に視線を向ける。

「ドウダ?」

「トキメクオ顔デス」

 飛行場姫は満足したのか、港湾棲姫に向けて胸を張って誇らしげな顔をする。
 一方の港湾棲姫はたおやかにほほえみ返していた。
 ふとヲ級は思う。この三人の姫はまるで本当の姉妹と呼ばれる間柄のようだと。
 外見に共通点が多いのも、ヲ級のその認識を強めていた。
 ただし深海棲艦に姉妹という見方は希薄だった。
 ヲ級自身、同型や同種と呼べる仲間は数多いが、そのいずれにも姉妹と感じたことはない。
 あくまで同じような姿形をした他の個体でしかなかった。
 飛行場姫が改めてヲ級に聞いてくる。

「サア、話シテクレナイ? 先ノ戦イデワルサメニ何ガアッタカ」

 ワルサメは帰ってこなかった。
 >An■■■、つまりは空母棲姫は、艦娘たちと交戦しワルサメは沈められたためだと説明している。
 しかし初めから空母棲姫を信用していない港湾棲姫と飛行場姫は、ヲ級を使って探りを入れていた。

「ワルサメハ初メニ>An■■■カラ攻撃ヲ受ケタ可能性ガ極メテ高イデス」

「ソレダト同士討チヨ……本当ニ?」

「戦闘ニ参加シテイタ者タチノ証言ヲ繋ギ合ワセルト、ソレガ一番アリエル話ニナリマス」




 飛行場姫は元より港湾棲姫も、この話を素直に受け入れられなかった。
 独善的で高慢な空母棲姫であっても、そこまでするはずはないとどこかで考えている節がある。
 なおも疑問を口に出そうとする飛行場姫より先に港湾棲姫が言う。

「先ニ全部説明ヲ……質問ハソノ後デ……ネ?」

 ヲ級は頷くと同胞からまとめた話を伝えていく。
 ワルサメが空母棲姫の攻撃を受けるなり、艦娘たちとの戦端が開かれた。
 その後、包囲を突破した艦娘たちがワルサメを奪還すると撤退していったが、それを最後にワルサメの反応は確認できなくなっている。
 ヲ級は淡々とした声で言う。

「私ハ>An■■■ガ大嫌イデスガ、故意ニ貶メルツモリハアリマセン」

「デハ……何カノ理由デ>An■■■ガワルサメヲ沈メタ?」

 飛行場姫の疑問に港湾棲姫が答える。

「ソウトモ限ラナイ……最後ニワルサメトイタノハ艦娘ノハズ。ソレハ確カネ?」

「ハイ」

「ソウナルト……艦娘ガワルサメヲ沈メタ可能性モアル……シカシ……助ケニ行ッテ、自分タチノ手デ沈メルノハ……不自然」

 ヲ級も港湾棲姫の見方に同感だった。
 彼女自身、自分が集めた話がどこかで食い違っているとも考えている。
 ただ、それゆえにヲ級は聞いた話を聞いた通りに語った。自分で話を作り上げないように。
 そこで飛行場姫が言う。自分の言葉が信じられないような顔をしながら。

「艦娘ハ……ワルサメノタメニ戦ッタノ?」

「理由ハ分カリマセンガ、ソノ可能性モ……」

 むしろヲ級はそれ以外の可能性を見出せていない。
 何が艦娘たちをそうさせたのかは理解できないにしても。




「ドウイウコト……ソモソモ何故ワルサメガ味方ニ撃タレル?」

「アノ子ハ……戦ウノガ好キジャナカッタ……」

 飛行場姫の疑問に港湾棲姫も正確には答えられない。
 ただし、そこに鍵があるとも港湾棲姫は考えたようだった。

「理由……人間? ソレトモ艦娘カ……コウナッテハ私タチモ独自ニ動ク必要ガアル……」

 港湾棲姫はヲ級と飛行場姫に目配せする。

「人間ハマタ大キナ作戦ヲ考エテイル。ソノ動キニヨッテハ>An■■■モ乗ジルツモリ……ダカラ私タチモソレニ合ワセル」

「……何ヲ考エテルノ?」

 飛行場姫は初めて不安そうな顔をする。
 港湾棲姫はそれに答えないでヲ級を見ていた。

「難シイ頼ミヲ聞イテクレル……?」

 ヲ級に是非もなかった。
 懸念をにじませた飛行場姫の顔は見えたが、港湾棲姫の頼みを断る理由はヲ級は持ち合わせていない。
 ヲ級にとって港湾棲姫は己の存在を懸けられる相手だった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 九月中旬。MI作戦が発令された。
 各鎮守府や泊地に散っていた艦娘たちは、それぞれ横須賀鎮守府かトラック泊地に集うよう命じられる。
 トラックにはパラオやブルネイ、タウイタウイから選抜された艦娘が集まり、二週間に渡る慣熟訓練の後にトラックを離れ横須賀組と合流。
 その後、作戦が本発動となりミッドウェー強襲のために出撃する計画となる。
 初めから全ての艦娘が横須賀に向かわないのは、深海棲艦の動きを多少は警戒したためだった。

 二週間という期間は瞬く間に過ぎていく。
 訓練最終日の夜になると作戦の成功と艦娘たちの無事を願い、立食形式のパーティーがトラック泊地の『間宮』で開かれた。
 提督からすれば久々に会う顔も多く、気兼ねなく話す機会を設けるための立食形式でもある。

 何人かとはそれ以前から話す機会もあったが、大半の者はすぐに訓練に入ってしまったし、話す機会があった艦娘とも実務的な話に終始してしまっている。
 このパーティだけで十分な時間が取れたとは言い難いが、近況の交換も兼ねて提督は話を聞いていく。
 元からトラックにいる艦娘たちとも話さないわけにもいかず、提督は常に誰かと話している状態だった。
 パーティが終わって艦娘たちが部屋に戻り始めるまでの三時間、提督は水に少し口をつけたぐらいで何も食べずに過ごしていた。
 妖精たちが後片付けを始めた段階になって、提督に声がかけられる。
 鳥海と、その姉の高雄だった。

「お疲れ様です、司令官さん」

「まさか本当にずっと喋りっぱなしとは……」

 笑顔の鳥海と、高雄はその中に少しの呆れを織り交ぜているようだった。
 そんな二人は手に食べ物の載った皿と飲み物を持っている。
 提督のために用意された物だというのは、二人の顔を見ればすぐに分かった。

「取っておいてくれたのか。夜をどうするか考えてなかったんだ」

「そんなことじゃないかと思いました」

「提督はもう少し自分の都合を優先させても構わないと思いますが」

「優先させた結果がこれなんだ」




 妖精が室内の後片付けをしているのを尻目に、元の位置に戻されたテーブルの一つに座る。
 正面の席に二人も座る。改めて見ると、二人が取り置いた料理は一人で食べるには多すぎる量だった。

「私たちも頂いてよろしいでしょうか?」

 鳥海がそう言ってくれたのは渡りに舟だった。
 三人で冷めてしまった料理に手をつけていく。

「しかし助かったよ。一食ぐらい抜いて大丈夫でも腹は空くからな」

「姉さんが取りに回ってきてくれたんですよ」

 どうです、と自慢するような調子の鳥海だった。
 高雄はすぐに口を出す。

「最初に用意しておこうと言ったのは鳥海じゃない。私は自分が食べる分と一緒に取り置いただけで……」

 高雄は何か口ごもってしまう。
 なんとなく歯切れの悪さを感じるが、その原因は提督にも分からない。
 この場で触れる話題とは思えず、引っかかりを残したまま他のことを言っていた。

「ということは高雄にやらせたわけか。姉をアゴで使えるようになったなんて、鳥海もしたたかになったじゃないか」

「もう、その言い方はどうかと思います……私が全部食べちゃいますよ?」

 怒ってるのか怒ってないのか、困りはしてもそこまで困らないことを言い出す。
 鳥海は言葉とは裏腹に笑っていて、高雄もそれに釣られて笑う。
 考えすぎだったのかもしれない。提督はそう思うことにして、三人での遅くなった夕食を楽しんでいた。
 しばらくすると『間宮』の入り口に、スミレの花のような色の髪をした艦娘が顔を出した。陽炎型の萩風だ。

「司令か鳥海さん、お時間よろしいですか?」

 萩風は肩で息をしている。もしかしたら、ここに来るまで探し回っていたのかもしれない。
 ただ、どちらか片方でいいということは緊急の案件ではないのだろう。




「私が行ってきます。司令官さんと姉さんはごゆっくりどうぞ」

 鳥海はそう言うと席を立ち、萩風と一緒にどこかに消えていく。
 その様子を見送った高雄が言う。

「萩風……嵐と一緒に秘書艦に起用したそうですね」

「鳥海がいない間の臨時だけどな」

 そこで提督はどこか懐かしく思い出す。
 懐かしむほど昔の話でもないが、そう感じてしまうのは現在に至るまでに多くの出来事があったからだろうか。

「鳥海を秘書艦にした時も、こんな感じだったような気がするな」

「あの時は……まだ私が秘書艦でしたね」

 高雄は目を伏せ、遠くを思い出すかのように言う。

「不向きな子に秘書艦をやらせてみたい……でしたっけ。それで、あの子が抜擢されるとは思いませんでしたけど」

「鳥海の場合は不向きじゃなくて、俺の興味みたいなものだったからな」

 高雄の言う理由で秘書艦を変えてみようと検討していた頃だった。
 深海棲艦のはぐれ艦隊を迎撃するために、鳥海を旗艦にした艦隊を当たらせて……そこで同じ艦隊にいた島風の独断に本気で怒ったんだ。
 あの時から、俺と鳥海の関係は始まったんだろうか。
 高雄型、というより艦娘全体で見ても鳥海は目立たない艦娘だった。
 大人しい優等生という印象で、それ自体は今でも変わっていない。
 ただ鳥海はそれだけじゃなくて、提督はあの時にそれを思い知らされたという話だった。
 本気で怒った鳥海は島風の頬を叩いた。しかし提督もまたある意味では叩かれていたのかもしれない。
 あの日、あの時。全ては小さな偶然の連鎖だったのかもしれない。今ではそれが一つの形になっている。
 あるいはこの形も誰かにとっての偶然の連鎖になって、何かの形を生み出すのかもしれない。




「……面白いもんだな」

「何がです?」

「ああ、悪い。独り言だから気にしないで」

 良い結果も悪い結果もどこかで繋がっている。
 俺は悪くない――か。
 そう簡単に割り切れる話でもないが、いつだってやることは同じだ。ならば、その言葉を信じてもいいじゃないか。

「鳥海なんですけど」

 高雄が急に言う。
 意識が逸れていたのに気づいて、他にも何か言っていたのかが提督には分からない。

「鳥海?」

 取り繕うように言うと、高雄は小さく頷く。

「あの子、よく提督を見ていますね。この調子だと食べ損ねるから、こっちでご飯を取っておかないとって」

「俺の行動が計算しやすいってことじゃないのか?」

 ああ、そういうことかと安心しつつ提督は応じる。
 しかし安堵の気持ちはすぐに消える。
 高雄の表情はどこか茫洋としているようだった。焦点が分からず、提督を見ているようで見ていないようにも思える目をしている。
 その目つきに提督は不安になる。




「私では同じ立場でも、そう考えられなかったと思います」

 高雄は表情を変えずに言う。
 提督は少しばかり返答に詰まった。
 仮にそうでも何の問題があるんだと言いたくなり、高雄がどうしてこんな話をしてるんだとも考える。

「なあ、そのさ……」

 もし鳥海に、妹に劣等感を抱いているなら、そんなことはないと言いたい。
 ただ、それをそのまま指摘しても逆効果にしかならないだろう。
 そもそも本当に劣等感があるのかも分からない。高雄は自分の気持ちの隠し方を心得ている。

「同じ判断と同じ見方しかできなかったら面白くないだろ」

 遠回しすぎるだろうか。
 手探りで進むのは嫌いじゃないが、それでも避けたい状況はある。
 たとえば、今この時のような相手の真意が分からず、どう転んでも袋小路に陥りそうな状態とか。

「それに鳥海は高雄が思うほどには完璧じゃないし、まだまだ助けが必要で――」

「そんなの提督がやることじゃないですか。提督でなくても摩耶もいるし木曾だっています。他にも……あの子はもう私の助けを必要とはしていません」

 高雄らしくない言い方だった。その物言いは冷たすぎないか。まったく高雄らしくない。
 そんなこと口にしたら、何がどうなら高雄らしいのかと逆になじられそうな気もするが。
 それとも鳥海を通して、俺に不満があるのだろうか。
 たとえばカッコカリの指輪のこととか……提督はそこまで考えても結論は出せなかった。
 提督は話せることだけを今は言う。




「それでも鳥海にとって高雄が大切な姉なのに変わりはないよ」

 鳥海が高雄をどう話すのか教えたほうがいいのかもしれない。
 第八艦隊を新設する時、どれだけ高雄が補佐についてくれるのを喜んだかを。
 だが提督はやめておくことにした。
 それは自分の口から語るようなことではない気がしたし、少しの時間と機会さえあれば解決すると分かっていた。
 その機会がこの場とは思えない。
 今は何を言っても素直に受け入れてもらえないか、高雄自身を苦しめてしまうだけのような気がした。
 提督はすっかり味気なくなった食べ物を口に運ぶ。
 時間が経ってふやけたようになった揚げ物だった。ある意味、この場にはぴったりの食べ物かもしれない。

「……すいません、こんな話をして」

「気にしてないさ」

 高雄は悄然としていた。抑えきれない感情なのかもしれない、高雄にとっては。
 提督は思う。どうにも自分にはあまり落ち込んでいられる時間もないらしいと。
 まあいいさと、胸の内で言う。今まで乗り越えてきたんだから、今回だって乗り越えていくしかないじゃないか。

「俺だって高雄を信じてる」

「そんなの……無責任です」

 仕方ないだろ。
 無責任に聞こえても信じてるのは本当なんだから。


短いですがここまで
今回の分でこの章の起に当たる部分は終わりでしょうか

おつ

乙乙

乙ありなのです!
少しだけ投下。夜帰ってきたら続きを投下したいとは思ってる



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 二週間の慣熟訓練を終えて、MI作戦に参加する艦娘たちは出雲型の輸送艦に揺られながらトラック泊地を発つ。
 提督は臨時秘書艦の嵐と萩風の二人を伴って、埠頭から艦影が見えなくなるまで見送った。
 潮風が穏やかなのは、航海の無事を表していると今は思いたい。

「行ってしまったか……無事に帰ってくるといいんだが」

「司令がここで心配しても仕方ないさ。みんな立派な艦娘なんだから、どーんと構えてなって!」

 嵐は腰に手を当てて勝気な笑みを見せる。笑い飛ばすまではいかないが、それでも十分に快活な笑い方だった。
 男前な嵐の発言に提督は力づけられたような気になる。

「頼もしい限りだ」

「へへ、でも気休めじゃないぞ。司令だってみんなを信じてるんだろ」

「ああ」

「俺や萩はどう?」

「変わらなく信じるさ」

 未熟なところもあるが、とは思っても言わない。
 嵐は力強く頷く。隣で話を聞いている萩風ははにかむように笑っていた。

「やっぱり心配いらないじゃんか。司令が信じる俺が大丈夫って言うなら、それは大丈夫だってことだよ」

 なるほど。嵐流の三段論法か。
 理屈ではないが、こういう考え方は悪くない。
 気分をよくしたところで二人を連れて引き上げた。
 艦娘たちがごっそり減って、書類周りとの格闘や事務仕事は大幅に減っている。しかし完全になくなったわけじゃない。
 航空隊を運用していれば燃料や弾薬は消費するし、夕張と明石が新兵器を開発すれば運用試験も発生してまた資材も動く。
 他にも食料の管理やら予算管理などもあって、どうあがいても書類というやつからは逃げられなかった。
 それでも仕事量は減っているので、細かい仕事が苦手だと思い込んでいる嵐に一度任せてみる。




「えー……こういうのかあ……」

「ぼやくな。午後になったら紅白演習なんだから、それまでに憂いは断っておきたいだろ?」

「そうだよ。がんばろ、嵐?」

 見送りの時と打って変わって、嵐は積まれた書類を前にげんなりとしていた。
 提督や鳥海からすれば少ないの一言で片付く量でも、日の浅い嵐には山のように高く見えるのかもしれない。
 嵐本人は細かい事務仕事は苦手だと思っているようだが、実際にやらせてみると逆だった。
 苦手意識があるのか好みでないのかは定かではないが、少しぐらいは実感を伴わせる形で払拭させておきたい。
 目安の時間をそれとなく伝えてから、提督は萩風を誘って別の資料を取りに行く。
 萩風の性格上、嵐を手伝いたくなってしまうかもしれないので引き離すのが目的だった。

「わざと嵐を一人にするんですか?」

「分かってるなら話が早い。少し付き合ってくれ」

 どうやら取り越し苦労だったらしい。
 二人で資料室に向かう。
 海戦の詳報や公式としての日誌を保管しているのだが、数はまだまだ少なくいくつも用意された棚はがらんどうのようになっている。
 骨組みだけの模型のようだと提督は思った。
 これはトラック泊地が設立されてから日が浅いという証明でもあった。
 探す物が少なく、資料室で目的の日誌をすぐに見つけてしまう。
 戻るには早すぎるので、明石の工房に顔を出すのがいいのかもしれない。
 そんなことを考えていると萩風に聞かれた。

「司令、どうして私たちを秘書艦に選んだんですか?」

「鳥海と話し合って二人に任せてみようって決めたんだ。もしかして重荷なのか?」

「いえ! そういうわけじゃないんですけど」

 萩風は慌てて手を振る。大人しくはあるが、変なところで物怖じしない節がある。
 だから、こういう疑問にもどんどん踏み込んでくる。




「球磨さんや多摩さん、同じ駆逐艦でも海風や夕雲も残ってるのに、どうしてその中から私たちなのかなって」

「単純に二人の働きに期待してるからだ。それに萩風も嵐も、いつまでもここにいるつもりはないんだろ?」

「それは……」

「俺としてはここに四駆を勢揃いさせるつもりはない」

 萩風は言い淀む。トラック泊地には陽炎型が四人いるが、少し他とは違う事情がある。
 まず天津風は僚艦不在の島風と組ませるために留まってもらっている。
 艤装や兵装をある程度、共有できている点も大きい。
 それから秋雲。彼女の場合は本人が半ば夕雲型のつもりでもあったので、どちらのいる側に行くかで話し合いになっている。
 挙句の果てにはネームシップとしての秋雲型を作ろうとまで言い出した。
 だが、これは陽炎と夕雲の猛反対にあって潰えている。長女には長女の矜持があるらしい。
 最終的に秋雲は自分の意思で、夕雲型のいるトラック泊地に残った。
 そして萩風と嵐は――。

「二人だって野分と舞風と一緒にちゃんとした四駆を組みたいだろ」

「それはもちろん……ですが」

 どうも萩風は煮え切らない様子だ。
 特殊とはいえ陽炎型二人が残ると決まった時、二人だけではバランスが悪いのではないかという話が持ち上がってきた。
 整備面でも駆逐艦なら二人よりもう何人かいたほうが、かえって部品の融通を利かせられるという。
 そういったこともあって、当時の陽炎型では最も誕生が遅くて練度も低かった嵐と萩風の二人も預かることになった。




「送り出す以上は色々覚えていってほしいんだ。秘書艦をまともに経験できる艦娘って案外少なくなりそうだし」

「お気持ちは嬉しいですけど、いいんでしょうか……ずっと司令のお力になれないのに、そこまでしてもらって」

「あくまで臨時だからな。ずっと力になってくれるって話なら、俺には鳥海がいる」

 だから気にするなと言ったら、萩風は頬を赤らめているように見えた。
 見間違いか? 今の話に萩風が恥ずかしがるような要素はなかったと思うんだが……なかったよな?
 ただの思い違いだろうと提督は気に留めないようにする。
 特に理由もなく棚から関係のない日誌の束を取り出すと萩風に押し付ける。

「ここにいた艦娘が他所に移っても活躍できるほうが俺は嬉しいし、そういうのは巡り巡って自分に楽をさせてくれると思ってる」

 他の鎮守府や泊地が成果を出していけば、トラック諸島への圧力は減るし担当海域だけに専念できるようになる。
 それは悪くない話だったし、トラック出身の艦娘は使い物にならないと思われるのもしゃくだ。
 そういった事情を差し引いても。

「ここを離れたとしても萩風も嵐も先は長いんだ。だったら色々教えてやりたいじゃないか」

 それは提督の正直な気持ちだった。
 提督は萩風に意味もなく押し付けた日報を返してもらうと元の棚に戻す。
 これこそ無駄だと思い、提督は乾いた声で笑う。

「そろそろ戻るか」

「はい! でも嵐は終わっているでしょうか?」

「終わってなかったらどうする?」

「どのぐらい残ってるか見て考えます。あとちょっとなら一人でがんばってもらいますし、たくさん残ってたら手伝って……その後、なんでそんなに残ってたのか聞いてみます」

 萩風は笑う。その顔はイタズラを企んでるような子供っぽさがあるように提督には見えた。
 嵐が絡むと、素の反応みたいな部分が見え隠れするらしい。



「嵐にももっと色々なことができてもらわないと、ですよね?」

「ああ、その通りだ」

 提督は自分の役目は艦娘に何かを教えていくことだと思っていた。
 ただ萩風を見て、それは少し違うのだと悟った。
 彼がやるのは教えることではなく、そうできる環境を作っていくことなのだと。
 猫といた妖精の話を思い出す。艦娘とは可能性の形なのだと。
 ならば自分は整えていくだけでいい。あとは艦娘は自分たちで自由に考えて思うように生きていく。

「ああ――そういうことか」

 提督はどうして提督であり続けたいのか、今になって分かった気がした。
 深海棲艦との戦争に終止符を打ちたいのかも。
 提督は見ていたかった。艦娘がどうなっていくのかを。そこに交わる人間に何ができるのかを。
 全ては可能性だ。この戦争はそれをいずれは飲み込んでしまうかもしれないから、終わらせたいと思うんだ。

「どうかしたんですか?」

 聞いてくる萩風に提督は答える。
 本音と誤魔化しが半分ずつだった。

「鳥海に会いたいと思って」

「司令。さっきお見送りしたばかりじゃないですか」

 萩風も今度は笑っていない。物忘れの激しい相手を見るような生暖かさが視線に含まれている。
 そんな眼差しを向けられては冗談とも言えず、提督は肩をすくめて資料室を後にするしかなかった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 月が雲に覆われて明かりの弱い夜だった。
 月明かり以外の光源がない宵闇の中、青い炎が人魂のように揺らめいて動く。
 炎は本物の火でなければ人魂でもなく、ヲ級の左目が燃えるがごとく輝いているためだ。
 青い目のヲ級は暗がりから空を束の間、見上げていた。
 ヲ級は夏島にある手つかずの藪に身を潜めている。
 ヤシ科の植物が地の底から天へと指を広げるように葉を伸ばし、赤や白の本来なら鮮やかな花は闇の中では影の塊のようになっている。
 藪とは言っても、人の背丈ほどもある草木が鬱蒼と生い茂っていた。
 森を凝縮したような藪だった。それが段々と地続きに広がっている。
 一口に藪とも森とも呼ぶにはあまりにも深かったが、身を隠すにも絶好の場所だった。

 ヲ級が夏島に侵入するまでには、かなりの時間を要している。
 日中は哨戒機からの発見をさせるために海底に潜伏し、日が沈んでからは潮の流れに沿って時間をかけて近づく。
 なんとか他の深海棲艦たちが動き出す前に島への上陸を果たし、目的の第一段階は達したという状態だった。

 ヲ級は喉をくすぐる渇きを感じている。
 深海棲艦のほとんどは陸生に適していない。彼女たちの多くは陸に上がると、猛烈な渇きに襲われる。
 例外が姫たちであり、人間のように適量の水さえあれば陸上でも支障なく活動できた。
 レ級や青い目のヲ級も陸生に対していくらかの適性を、あるいは耐性を有している。
 もっとも、あくまで多くの深海棲艦よりも適しているだけで姫たちほどではなかった。
 その時、ヲ級の頬に冷たい物が当たる。

 ヲ級は歓喜の声を漏らす。
 冷たい物は二度三度とヲ級の顔を叩くと、耳の奥で唸る音を立てながら一気に落ちてくる。
 雨――スコールだった。
 海にいる時ほどではないがヲ級は体が濡れるのを喜んでいるのを実感する。胸が躍っている。
 雨だけでも活力が戻るのは、陸上にある程度は適応している証明でもあった。
 やはり大半の深海棲艦はそうもいかない。深海棲艦にとって、未だに陸地は安住の地ではない。
 気力が充実したヲ級は移動を始める。できる限りトラック泊地に近づく必要があった。
 港湾棲姫が彼女に頼んだ使命は、そうしなくては果たせない。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 嵐と萩風は二人とも元から訓練には真面目だったが、秘書艦に据えてからはさらに熱が入っているようだった。
 基地航空隊を巻き込んでの防空戦闘から、不得意な夜戦訓練まで着実にこなしていく。
 充実した時間は着実に過ぎ去っていき、気づけばさらに二週間が経った。
 MI作戦の推移は秘匿されているので分からないが、すでに横須賀を出てどこかの海上にいるはずだった。
 頼りがないのはいい知らせでもないが、万事が順調に進んでいる。そんな日々だった。

 しかし実際には深海棲艦の蠢動を見落としていて、気づいた時には事態はまずい方向に進んでいた。
 始まりはタウイタウイ泊地への空襲だ。
 およそ二百機からなる編隊による空襲で、これにより同地に残っていた艦娘や基地施設に被害が生じる。
 敵戦力は機動部隊で、主力を欠いたタウイタウイ単独の戦力では撃退は困難と見なされ、すぐにブルネイやパラオからなけなしの戦力で救援の艦隊が編成された。
 深海棲艦はタウイタウイ周辺に留まる気はなかったらしく、救援の艦隊が到着する頃になると姿を消してしまう。

 同じ頃、マリアナに向けて進攻する深海棲艦の艦隊が哨戒機に発見された。
 哨戒機は撃墜されるまでに、総数は百を越えているとの通信を入れている。
 またワルサメを巡って生起したトラック諸島沖海戦で認知された三人の姫に複数のレ級を含んでいるとも伝えていた。
 正確な規模や数字こそ不明でも、これこそが本命の主力なのは間違いなかった。

「どうなってしまうんでしょう……」

 通信文を受け取った萩風の声は上擦って聞こえた。表情が硬く緊張した面持ちだった。
 普段は勝ち気な嵐でさえ、次々と入ってくる情報に気圧されたのか口数が少ない。

「やれることをやるしかないだろ」

 そう、やれることはある。しかし勝利に繋がる選択肢は少なそうだった。
 トラック泊地ではタウイタウイ空襲の一報の段階で、深海棲艦の襲来に備えて警戒を強化している。
 しかし、あくまでトラック泊地への攻撃を警戒したものであって、トラックを飛び越えていきなりマリアナを狙われるとは考えていなかった。
 旧大戦時のように飛び石をやられるにしても、先に攻撃はあるはずだと考えていた。




「連中にとっても、このタイミングでの主力の露見は誤算だったのかもな」

「早すぎたってこと?」

「ああ。もっと近づくまで隠れていたかっただろうからな」

 嵐の質問に頷きながらも提督は悩んだ。マリアナに支援のための戦力を出すかどうか。
 深海棲艦の動きには明確な意図がある。
 マリアナ攻略が第一目標で、そのためにタウイタウイへ陽動も行っている。
 それも主力の艦娘をどこも欠いているタイミングでの攻撃だ。
 こちらの動きを読んでいるのか、通信を傍受して内容を解析したのかは分からないが、すでに深海棲艦の術中に陥っている。
 だから提督にも分かっていた。マリアナへの支援が可能なトラック泊地が無視されるはずはないと。
 早晩、トラック泊地の動きを封じるために深海棲艦が姿を現し攻撃をかけてくるはずだった。

「やっぱりトラックが襲われるのは間違いないのかな?」

「俺が敵ならそうする。マリアナ狙いなら、どの程度の力を入れてくるかは分からないが」

 あくまで牽制を狙うのか、あわよくばトラック諸島の奪還を目指してくるのか。
 嵐と萩風の表情を改めて見て、提督は二人に笑いかける。

「そんな不安そうな顔をするな。四駆の名が泣くぞ」

「不安なんてそんな! ただ……ちょっとびびっただけだ!」

 それを不安と呼んでるんだ。
 しかし強がりを言えるのなら問題ないな。萩風も嵐の態度を見て少しは落ち着いたようだった。
 提督はすぐに命令を下す。




「萩風は各島の避難状況の確認を」

 トラック諸島には軍属の人間やその家族、あるいはそういった層を商いの対象と見なして新天地にやってきた民間人たちが少なからずいる。
 また、と号作戦実施の段階では不明で提督にも意外であったが、各島の内陸部には現地民が多く生存していた。
 タウイタウイが襲撃された段階で前者は島を脱するための輸送船へ、後者は内陸部に新たに建造された避難所へ向かうように避難勧告を出していた。

「嵐は残っている艦娘全員を作戦室に招集を。非戦闘艦娘にもだ」

 すぐ了解の返事をした萩風に対して、嵐は返事が遅れた。
 提督は噛んで含めるように言い直す。

「言っただろう、全員にだ」

 嵐は弾かれたように頷いた。
 二人の臨時秘書官が動く中、提督はマリアナ泊地に連絡を取って、向こうの提督に基地航空隊の運用状況を確認する。
 航空機用の燃料や爆弾の備蓄を聞き出し、それから先方へと提案した。
 翌日夜明けと共にトラックから敵主力艦隊へ航空攻撃を行うので、攻撃後の航空隊をマリアナの各基地で収容し運用してもらえないかと。
 トラックからでは片道攻撃になってしまうし、損傷機も出てくる。しかしマリアナに降ろせば残存機はそのまま戦力として運用できる。
 この提案は快く承諾されたが、本当にいいのかとも念押しされた。提督に言えるのは一つだけだった。

「マリアナを落とさせるわけにはいかないでしょう」

 結局はそこになる。
 トラックにも襲撃があると分かりきっているのに戦力を割くのは賢明ではない。
 しかしトラックを維持できたとしても、マリアナが陥落するようなことがあったら補給に支障が生じる。
 フィリピンやインドネシアを経由しての補給路はあるが、マリアナを失えばそれも脅かされるようになってしまう。
 そうなっては元も子もないし、旧大戦の二の舞はごめん被る。
 どちらか一方しか守れないならマリアナを優先して守ったほうがいい。それが提督の判断だった。
 提督はパラオにも救援要請を出そうとして思い留まる。
 パラオではすでにタウイタウイへ支援を行っていたのですぐには動けないし、そちらを襲った機動部隊が今度はパラオを狙う可能性もある。
 ――あるいは長駆してトラックを襲うかもしれないが。




 どちらにせよ、そんな状況で余計なプレッシャーを与えるような真似はしたくなかった。
 だからパラオには、これから民間人を乗せた輸送艦と護衛の艦娘が避難するとだけ伝えるに留める。
 最後に本土の大本営にMI作戦の中止と、参加艦娘をマリアナに急行させるよう具申した。
 それから提督は萩風から避難状況を聞き、作戦室で招集された艦娘一同と顔を合わせた。
 前置きを省いて艦娘たちに現在の状況とこれから想定される展開を説明していく。

「――以上の状況からトラック泊地はマリアナへ航空隊を派遣する。みんなには島の防衛艦隊と護送船団に分かれてもらう」

 提督は編成を伝える。防衛艦隊には球磨と多摩、夕雲型と龍鳳。
 護送船団には嵐と萩風に五月雨と春雨に改白露型。夕張と大淀。鳳翔に秋津洲。また大事を取って明石と間宮、伊良湖も護送船団と一緒に退避させる。
 ただし、と提督は付け加える。

「ここを襲撃する敵艦隊の規模によっては防衛艦隊もパラオまで退避してもらう」

 すぐに球磨が異を挟んでくる。
 球磨から伸びた一房の髪がクエスチョンマークのように提督には見えた。

「それじゃあトラックはどうなるクマ?」

「一時放棄して、こちらの戦力が整い次第に再上陸作戦を行う」

「提督はどうするクマ?」

「できれば拾ってもらいたいが、無理なら残って航空隊の指揮を執る。その後は避難所に隠れておく」

 あそこなら武蔵の砲撃にも耐えられるよう建設されてるし食料の備蓄もある。あくまで非常手段だが。
 球磨はため息をつくように言う。

「それなら時間稼ぎでもなんでもするクマ。提督がいなきゃ意味がないクマ」




「助かる。でも、まだ放棄すると決まったわけじゃないぞ。敵情を見て、その可能性もあるって話だ」

 球磨だけでなく、他の艦娘たちも見ながら提督は言う。
 言いながらも、実際にはどうだろうと思う。口ではこう言っていても撤退も端から視野に入れているのは。
 民間人を逃がすために護送船団を組織するとはそういうことだ。
 全ては相手次第か。勝ち目のない戦いはしたくない。

「他には……」

 そこで嵐が手を挙げる。
 促すと嵐は萩風と頷きあった。何故だか嫌な反応だと提督は思った。

「俺と萩も守備艦隊に入れてほしい!」

「私からもお願いします!」

 嘆願する二人に嫌な予感が当たったと提督は思う。
 理由によっては怒る。声を努めて抑えるよう意識して嵐に言う。

「嵐を巻き起こしたいからか?」

「ち、違う!」

 慌てて否定する嵐に重ねて問う。

「護送船団じゃ不満か?」

「それも違う!」

 強い否定に少し安心する。提督はそんな内心を見せずに言う。今度は萩風を見て。




「やつらにとって重要な戦いなら必ず姫かレ級がいるはずで、そいつらはもうマリアナで確認されている。どういうことか分かるな?」

「ここに来るのは主力じゃない……ということですか……?」

 自信がなさそうに萩風は言うが、その通りに提督は考えている。
 トラックに現れる深海棲艦はマリアナと比べれば、貧弱な艦隊のはずだった
 ただしトラック泊地に残っているのは、せいぜい二個水雷戦隊を編成できる程度の戦力と少数の航空隊でしかない。
 主力でないとしても撃退できる規模の敵とは限らなかった。
 それに何事にも絶対はない。未知の姫がいるかも知れない。

「だから今は大人しく――」

 提督の言葉を遮るように嵐が訴える。

「違う! 違うぞ、司令! 俺たちだってここを守りたい! 司令にとっちゃ俺や萩は外様かもしれないけど、ここは俺たちにも家みたいな場所なんだ!」

 萩風が畳みかけるように言葉を重ねてくる。

「私も嵐と同じ気持ちです。どうか私たちにも機会を……相手が主力じゃなくても戦うのなら命懸けで、ここを守るための戦いなら命を懸ける意味があると思います!」

 二人の気持ちは本物のようだった。
 そこまで言うのならやらせてみよう、と思う。一方でその判断は情に流されすぎてやいないかとも提督は考える。
 正直に言えば不安はある。だが迷う時間も惜しくて、折れたほうがいいと判断した。

「夕雲、そっちから誰か二人を嵐、萩風の両名と交代させる」

「ええ、そのほうがいいでしょう」

 話を振られた夕雲は怒るわけでも嘆くでもなく、おっとりと笑っていた。

「みんな、秋雲さんも……くじ引きで護衛船団に行く者を決めます。恨みっこなしでいきましょう」




 そうして代わりに選ばれたのが早霜と清霜だった。
 ひとまずの話し合いは終わり、後は作戦に備えるだけになる。
 全員を解散させた後に多摩が話しかけてきた。

「あの二人は球磨と多摩で面倒見るから安心してほしいにゃ」

 嵐と萩風を指してるのは明らかだった。

「苦労をかける」

「いいってことにゃ。それより提督も覚悟を決めるにゃ」

「なんの覚悟を?」

「また誰かを失う覚悟にゃ」

 そんなのはもうずっと前からできてるよ、多摩。そう見えてなかったとしても。



─────────

───────

─────



 深海棲艦が姿を見せたのは翌日の朝だった。
 発見された敵の数はおよそ二十でル級やリ級、ヌ級にチ級と多様な艦種からなる編成をしていた。
 バランスの取れた編成で、同時に厄介だと提督は思う。
 状況に応じて対応を変えられる柔軟性を持った艦隊だからだ。
 しかし望みもある。敵艦隊の編成は上陸を意図したものには見えず、あくまで牽制が目的のようだった。

「球磨、防衛艦隊の出撃だ。深入りだけはするなよ」

 嵐と萩風にも何か言おうかと思ったがやめた。
 球磨と多摩なら何かあっても抑えてくれるだろうと当てにして。
 提督は基地航空隊にも出撃を命じる。
 稼働機は連山と銀河が一二機、疾風が二十機という状態だった。
 マリアナに送った分がなければ、航空隊だけでも撃滅できたかもしれないが、それを考えてもどうにもならない。
 ここまで来たら艦娘や妖精を信じるしかない。それに状況は思ってたほどには悪くないんだから。
 何故だか指輪をはめた薬指が痛かった。


書くのおっそーい!
というわけで今回はここまで。長ったらしく書いてる割に話が動いてなくて申し訳ない
月曜には一つの山を越えてしまいたいところ

乙乙

乙乙乙

乙ありなのです……これは三段重ね?



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 曇天の空の下。どことも知れない海上をいくつもの輸送艦が波をかき分けて進んでいる。
 鳥海は輸送艦の甲板に立って、前方や後続の輸送艦の列や空と海を視界に入れていた。
 元いたトラック近海よりも肌寒く感じるのは、緯度がもっと高い位置にいるからだった。
 各輸送艦の周囲には直掩として駆逐艦の艦娘たちが交代で併走している。
 ジンベイザメとコバンザメみたい。大きさの対比だとそう思うけど、海に出てしまえば私もまたコバンザメだった。
 気を紛らわせようとあれこれ考えてみても、心配が同じ場所に落ち着いてしまう。心は近くよりも遠くに向いている。
 この数日、鳥海はぼやけた痛みを感じていて、痛みの出所をかざすように掲げた。左手の薬指を。

「やっぱり、まだ痛むのかしら」

 後ろからの声に鳥海は振り返る。高雄姉さんの声だと思いながら。
 予想通りに高雄が短めの髪を潮風に吹かれていた。

「太って指がきつくなったのかもしれませんね」

 嘘にもならない嘘を言っても、どちらも笑わなかった。
 前にも指が急に痛くなったことがある。と号作戦の折、司令官さんに危険が迫った時に。
 その時と比べると、今の痛みは弱くて急を訴えてくるような強さはない。けれども不安がじんわりと沁みてくる。
 意気込んで参加した自分の愚かしさを嗤うように。

「司令官さんに何も起きてなければいいんですが……」

「そうね……でも今は心配しても仕方ないわよ。それに私はあなたのほうが心配よ、鳥海」

「私がですか?」

 頷き返す高雄に鳥海は目を伏せる。
 痛みのこと――そして何か起きるかもしれないというのは、鳥海も周囲に話していた。
 今回の旗艦を務めている長門にも話は伝わり、その上で長門から艦隊司令部にも話が通ったがMI作戦は継続となっている。
 当たり前だった。
 根拠が一艦娘の勘でしかないのに作戦に変更があるわけがない。
 鳥海はそう自覚していたが、同時に苦しくもあった。取り返しのつかない状態に突き進んでるみたいで。

「悩むなとも迷うなとも言わないけど、海でそれを出されるのは怖いもの」

「そうですね……気をつけます」

「ええ。でも、ここで私に言うのは構わないわよ?」




 高雄はそう言うと相好を崩す。そんな姉に鳥海は安心した。
 ここで考え詰めるよりは話したほうが気が楽になるのも分かっていた。
 そうして鳥海が口を開こうとした時、艦列の先頭艦が回頭を始める。
 針路変更のためなのは分かるけど、ほとんど一周回るように動く。
 現在地が分からずとも西進しているのは分かっていた。これでは真逆で引き返す動きだった。

「どういうこと?」

 同じ疑問を抱いたらしい高雄が呟く。
 摩耶が慌てた様子で姿を見せる。

「鳥海、姉さんも!」

「何かあったのね?」

「マリアナへ転進だって。敵の大艦隊が現れたとか」

「それで転進を……このまま救援に向かうのね?」

 高雄の質問に摩耶は頷く。
 回頭が終わると輸送艦たちも速力を上げていく。
 少しでも速くマリアナに到着するためだろうし、状況はそれだけよくないとも。
 鳥海は摩耶に訊く。

「摩耶、トラックの様子は分かる? マリアナを狙うなら、あそこも無視はできないと思うけど……」

「ごめん、そこまではあたしも……」

「ううん、気にしないで。まずはマリアナから、でしょう?」

 こうなってしまった以上、マリアナに襲来したらしい敵を撃退しないことには話にならない。
 痛みは消えてないけど、このままMI作戦を遂行するよりずっといいと思えた。
 だけど痛みと共に生じた思いが今また戻ってきている。
 ……私は初めからここにいてはいけなかったのかもしれない。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 トラック泊地を出た防衛艦隊は複縦陣の隊形を取り、先頭には球磨と多摩が位置していた。
 球磨には萩風が、多摩には嵐が後続として従っている。これは球磨たちが名指しで指名したためでもある。
 さらに後ろを夕雲型が続き、間に龍鳳が入ってから殿を風雲と沖波が務めていた。
 艦隊の針路は東方。最後に発見された敵艦隊の予想位置に向けて行軍する。
 先頭にいた多摩は後ろの嵐を見て近くに来るよう手招きをする。
 それに気づいた嵐が加速して多摩に近づく。
 通信を介さずとも互いの声が聞こえるぐらいまで近づくと、嵐は減速して斜め後ろから併走する。

「なんです、多摩さん?」

 嵐の問いかけに、多摩は普段と変わらないひょうひょうとした様子で言う。

「改めて言っておくにゃ。海に出たからには球磨と多摩の指示には従ってもらうにゃ」

「分かってます」

「だったら、さっきみたいなのは当然なしにゃ」

 嵐は聞き返さない。多摩の言うさっきには心当たりしかない。
 それを裏付けるように多摩は付け加える。

「あまり提督を困らせないでやってほしいにゃ」

「……すいません」

 嵐は素直に謝る。
 神通や大井のように普段から厳しい艦娘よりも、多摩のような穏やかな艦娘に注意されるほうが嵐にはより失敗を痛感させた。




「昔、よかれと思って提督の命令を無視して行動した艦娘がいたにゃ。その艦娘は作戦を成功させたけど、提督や一緒にいた僚艦にも傷を残していったにゃ」

「……俺もその艦娘とおんなじだってことですか?」

「似てるところはあるけど違うにゃ。多摩はこの先、嵐が同じようになってほしくないだけにゃ」

「……覚えときます」

「忘れないでほしいにゃ。あ、あと外様って言うのもなしにゃ。提督はそんなこと考えて何かをやってるわけじゃないにゃ」

「そうですか? 俺や萩が秘書艦やってるのだって、その辺が関係あるんじゃ……」

「あったとしても外様がどうとかは関係ないにゃ。嵐が外様みたいな疎外感を持ってるのなら、それは嵐自身の問題にゃ。提督にどうこう言うのは違うと思うにゃ」

 嵐は言い淀む。嵐は別に疎外感を感じているつもりはないはずだったが、無意識で出てきた言葉なら暗にそう感じていたのだろうかと。

「ま、嵐ばっかりに言っても仕方ないにゃ。萩風にも言っておかないとにゃ。だから今は無事に帰るにゃ」

「はい!」

 敵艦隊に向けて進んでいく内に、先だって出撃していた龍鳳の攻撃隊が戻ってくる。
 トラック泊地の陸攻隊と協同して攻撃を行っていたが、戻ってきた数は十機にも満たない。
 それだけで攻撃隊の成果が芳しくなかったのが、うかがい知れた。
 収容作業に入った龍鳳に、トンボ釣りも兼ねた護衛に風雲と沖波が就く。
 すぐに龍鳳が攻撃隊の成果を伝えてくる。

「第一次攻撃は失敗です! 敵空母の艦載機はほとんどが戦闘機で構成されていました!」

「戦闘機ばっかりなんて、こっちの真似っこクマ」

「敵も学んでいるということですね……」

 球磨と夕雲がそれぞれ感想を口にする。

「こっちが空襲を受ける心配がないのはよかったかもにゃ」

「……だといいクマ」




 その後も敵との接触を求めての移動が続く。
 水偵は射出していない。満足に制空権も取れていない状況では、徒に落とされるのが関の山だった。
 予想接敵時刻が近づいた頃、水平線上に黒い塊がいくつか見えてくる。敵艦隊だ。

「球磨、何かみんなのやる気が出るようなことを言うにゃ」

「そんなのは球磨のお仕事じゃないクマ。でも、みんなに言っておきたいクマ」

 球磨は視線は正面から動かさず、張りのある声で一同に伝える。

「球磨たちは居残り組クマ。けれど練度では決してMI組にも劣ってないと思うクマ。それを今から証明しようと思ってるクマ……だから力を貸してほしいクマ」

 夕雲がすぐに笑い声に乗せて応じる。

「喜んで。私たちがいてよかったというところをお見せしましょう」

 いくつかの声が続く。意欲を見せる中には嵐もいた。

「そうさ、俺たちは今こそ巻き起こすんだ。嵐を。暗雲を吹き飛ばすような最高の嵐を巻き」

「ポエムはやめるにゃ」

「こ、これは抱負を語ったまでです! 抱負を!」

 顔を赤らめる嵐を多摩は面白そうに見ていた。

「……嵐はいじりがいがありそうにゃ」

 そんな艦娘たちだったが、彼我の距離が思うように近づかない。
 異変に気づいた多摩が呟く。

「……深海棲艦が退いてるにゃ?」

 距離が縮まらない理由は他になかった。

「警戒を厳に後退するクマ!」

 球磨の判断は速かった。深海棲艦のいる正面方向に注意しながらも艦隊に回頭を促す。




「警戒を厳に後退するクマ!」

 球磨の判断は速かった。深海棲艦のいる正面方向に注意しながらも艦隊に回頭を促す。

「後退ですか?」

 萩風が球磨に聞き返す。体の動きは命令に従っていた。

「後退クマ。球磨たちの目的は泊地を守ることであって敵艦隊の撃滅じゃないクマ」

 交戦しないままに球磨たちは引き上げ始める。
 前方から後方に変わった深海棲艦は送り狼をすることもなく、水平線上から姿を消していた。
 嵐は後ろを何度か振り返るが状況は変わらなかった。

「どういうつもりだったんだ、あいつら?」

「こっちと正面切って戦う気はなかったということにゃ。まんまと誘い出されても事にゃ」

「むぅ……」

 不完全燃焼、といった様子で嵐は不満げにうめく。
 次の機会があると言おうとした多摩だったが泊地からの緊急通信が届く。
 基地航空隊の偵察機が泊地南方で敵機動部隊の反応を感知し、敵は艦載機をすでに発艦させたとのことだった。
 艦載機の攻撃目標が泊地なのか、球磨たち防衛艦隊かは不明だった。

「龍鳳、戦闘機を上げる準備クマ! 艦隊陣形も輪形陣に変更、中心は龍鳳クマ!」

「タウイタウイを襲ったやつらかにゃ?」

 しばらくして続報が入り、この攻撃隊は泊地と艦隊の二手へと分かれたと判明した。
 その情報に萩風が泊地の方角を見つめる。遠目にも入道雲が差しかかっているのが分かる。

「提督や泊地は大丈夫でしょうか……」

「今はこっちの心配が先クマ。乗り切ったらすぐに泊地に戻るクマ!」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ヲ級が生い茂った藪からなる物陰から見守る中、空襲を行った艦載機たちが帰投していく。
 攻撃目標になった泊地の建物は外壁を砕かれ、抉られたように破孔がうがたれている。
 生物でいえば体内が露出し、内臓や血管を露わにしている状態かとヲ級は考えた。
 他にも敷地内にはいくつもの穴が作られ、火災も生じている。
 この様子では司令部機能にも影響が出ているかもしれない。

「>An■■■メ、余計ナ真似ヲシテクレル」

 事前の取り決めにより、トラック泊地への牽制は港湾棲姫が受け持つはずだった。
 しかし今の空襲はタウイタウイ泊地を襲撃した空母棲姫の手勢によるものだ。
 端から取り決めを守る意思がないということだった。
 いら立つヲ級だったが、消火作業の様子を目の当たりにして考えを改める。これは好機かもしれないと。
 小人のような妖精たちがホースやバケツを抱えて忙しなく立ち回る中、白い制服の男が現れたのをヲ級は遠くから見た。
 提督の姿を確認できたし、今の空襲でも無事だったのを確認できた。
 再攻撃があるかは不明だが、提督も何かしらの動きは起こすはず。
 その時こそが狙い目だとヲ級は考え、さらに待つことにした。

 消火作業が終わって小一時間が過ぎた頃、小さな車が列をなして泊地から出て行く。
 車の数は計六台で、装甲車のようだがサイズが小さい。

「アレデハ人間ハ乗レナイ……」

 明らかに大きさが合わない。運転しているのは妖精だと当たりをつけたヲ級は、どこに向かうつもりか興味を抱いた。
 一方で提督がいないのなら留まるべきだとも判断する。
 艦載機を放てば妖精たちの追跡も妨害もできるが、電探に捉えられる可能性が極めて高い。
 ここまで隠密裏に入り込めたのを確信しているヲ級としては、露見は可能な限り避けたいリスクだった。
 ヲ級の存在が発覚すれば、それまでの苦労が全てが水泡に帰してしまう。




 明らかに大きさが合わない。運転しているのは妖精だと当たりをつけたヲ級は、どこに向かうつもりか興味を抱いた。
 一方で提督がいないのなら留まるべきだとも判断する。
 艦載機を放てば妖精たちの追跡も妨害もできるが、電探に捉えられる可能性が極めて高い。
 ここまで隠密裏に入り込めたのを確信しているヲ級としては、露見は可能な限り避けたいリスクだった。
 ヲ級の存在が発覚すれば、それまでの苦労が全てが水泡に帰してしまう。

 ヲ級がさらに待つと雨が降り出した。
 顔に粒が落ちたと思ったら、それはすぐに耳を圧する大雨へと変わる。
 ヲ級は泊地に一気に近づくことにした。
 入り口の門は空襲の被害を免れたようで、コンクリート作りの外壁がそのまま残っている。
 物陰から飛び出したヲ級は素早く門の角に身を寄せ、周囲の様子を窺う。
 降りしきる雨の中に、他の生物の気配はなかった。

 その時、ヲ級の耳が打ちつけてくる風雨とは別の音を拾う。
 動物が身震いするような音、エンジンの駆動音だった。それも一台分だけ。
 ヲ級はその場で気配を殺すようにして待つ。
 渇きを感じていないのはスコールのためか、好機到来のための興奮かはヲ級にも分からない。
 呼吸を整えていると一台の車が門を抜けていく。
 銀の車ですれ違った時に運転席に提督が収まっていたのを確かにヲ級は見た。

 水上ならまだしも陸上では自動車の速度には敵わない。
 ヲ級は球状の戦闘機を一機だけ射出した。ここまで来たら勝負に出る。逃がすつもりはかけらもない。
 攻撃目標は提督の乗る車。その前方だった。
 車体に銃撃を命中させるわけにはいかないが、行く手も塞がなくてはならない。
 その点、ヲ級の艦載機は的確に使命を果たしたと言える。
 艦載機から放たれた機銃は、提督の乗る車の前面に着弾し泥を粉砕する勢いで巻き上げた。
 車はコントロールを失って道路から逸れると、太い木に衝突して停まった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 目を覚ました時、提督が最初に感じたのは頭を押さえつけるような痛みだった。
 何が起きたのか分からなかった。
 提督はエアバッグに覆い被さっていた体を起こすと、溺れかけた時のように速くなっていた呼吸をなんとか抑えようとする。
 手足はついていた。肩や腹に食い込んだシートベルトが痛くて、外すと少しだけ体が楽になる。

 提督は落ち着きを取り戻すに連れて何があったのか思い出し、すぐにでも車から離れなくてはいけないのを悟った。
 運転中に目の前が爆ぜたように見えて、ハンドルを切り損ねて道路から飛び出した。
 なんでそんなことになった?
 車から降りる時になって右足を痛めたのに気づいた。
 引きつる痛みに加えて熱を感じたが、提督は足を引きずるようにしながらも車から出る。
 降り出していた雨が瞬く間に服ごと体を濡らす。貼りつく服が今は重たい。
 幸いというべきか道はすぐ近くに見えた。

 空襲があったのを提督は思い出す。
 通信用のアンテナをやられて、艦娘たちと連絡を取れなくなった。
 それで他の場所に用意している臨時の指揮場に移るはずだった。
 妖精たちには日誌や作戦書を預けて先に出発させたんだ。臨時は臨時でしかなくて、使えるようにするには準備がいるから。
 必要によっては処分する情報も、自分で持ち歩くより妖精に預けたほうが確実だった。
 それから最後に見落としがないか確認してから車に乗って――。

「ヲ級……」

 車道に戻って泊地の方向を見て、提督は呟いた。
 青い幽鬼のような目をしたヲ級が、提督へと駆けながら近づいてくる。
 何故こんな所にヲ級がいる? 俺を狙ってる? 何が目的だ? 逃げられるのか? 艦載機の仕業か?
 いくつもの疑問を抱えたまま、提督もまた走ろうとする。
 そして倒れた。右足に力が入ってなかった。




「こんな、ところで!」

 両手をぬかるんだ地面に着いて体を奮い立たせると、たたらを踏むように走り出す。
 濡れた軍衣の鬱陶しさも、容赦なく叩きつける大雨も今は二の次だった。
 右足を引きずりながら、右の踵が地面に触れる度に膝まで痛みが走る。
 ヲ級は提督の何倍も速く近づいてきた。実際にはそこまで速くはないが、追われている提督からすればそれだけ圧倒的だ。

「止マレ」

「いや、だ!」

「逃ガサナイ」

 ヲ級の伸ばした手が提督の体をかすめる。
 闇雲に走る提督だったが、背中の圧迫感に思わず振り返った。するとヲ級の姿が消えていた。
 その時、安心するどころか悪寒が体中を突き抜ける。
 前を向き直ると、ヲ級がすでに回り込んでいた。
 ヲ級は置いてある荷物を取るような無造作で両手を突き出してくる。
 提督は右足をついた痛みのままに体を崩すと、その腕をかいくぐって横をすり抜ける。
 かいくぐった。と提督が感じた瞬間には地面に引きずり倒されていた。
 生温い感触が背中を押さえつけている。ヲ級の手だった。

「殺すのか!」

「ソレナラ、コンナ面倒ハシナイ」

 ヲ級が提督の体を俯せから仰向けにめくり、眼下に見下ろす。
 青い目からは提督は感情を上手く読み取れなかった。ただ、思っていたほどには凶悪そうには見えない。
 ヲ級は帽子のようにもクラゲのようにも見える外殻の口から、触手を使って何かを取り出すのを提督は見た。
 それが何かを見届ける間もなく、ヲ級が提督に顔を近づけ覗き込む。

「人間カ。オ前ハ何カ違ウノカ?」

 首筋に鋭い痛みが走ったと思うと、何かが流し込まれる。
 何かを打たれた。何かを。何を?
 提督の頭には鳥海が思い浮んだ。助けを呼びたかった。声は出てこない。息が吸えない。目の前が暗くなっていく。胸がつまる。
 まただ、と提督は思った。
 左の薬指が痛い。


フラグが立ちましたね。というわけで、ここまで
話的には色々引き返せなくなるところまで来たのでしょうか。続きはなるべく早く書きたいと思います

おつです

乙ありなのです
短めですが、ひとまず



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 マリアナでの戦闘が終息してから、MI組は補給と修理のためにマリアナ泊地に寄港した。
 そこで彼女たちが不在の間に何が起きたのかを知らされた。もちろんトラック泊地の状況も、提督のことも。
 そうしてトラック泊地に戻ってきた鳥海らMI組を待ち構えていたのは、破壊されて復旧途上の泊地だった。
 トラック泊地が空襲を受けてから四日目のことだ。
 合流を果たした艦娘たちは互いの労いもそこそこに、復旧の済んだ作戦室で当直を除いたほぼ全員が集まって情報交換を行うことになった。
 始まる前に鳥海は高雄に頼む。

「姉さん、代わりに説明してもらってもいいですか?」

「もちろん、それは構わないけど……」

「ありがとうございます」

 押し付けるつもりはなくても、端から見ればそう見えてしまうのかもしれない。
 高雄はそれについて何も言わなかったが、その表情には憂慮の色が浮かんでいた。
 姉さんがそんな顔する必要なんてないのに。鳥海はそう考えたが言えない。
 会議という形で情報交換は始まった。見渡す限り、MI組も残留組も表情は暗い。
 まずは高雄が代表して話す。

「どこから話しましょうか……まず私たちはMI作戦を中止してマリアナ諸島防衛へと転戦することになりました」

 MI組がマリアナの戦闘に参加したのは、トラックが空襲を受けた翌日の話になる。
 マリアナでの海戦は航空戦に終始し、MI組の出番は空母を除けばほとんど対空戦闘だけだった。
 この時点で深海棲艦の主力は基地航空隊やマリアナの残留艦隊との交戦もあって、少なからず消耗していた。
 戦況が変わったと見ると、マリアナ攻略を諦めて深海棲艦は速やかに撤退している。

「マリアナ防衛には成功しましたが、手放しで喜べるような状態ではありませんでした」

 高雄は一息つくと用意された水に口をつける。
 鳥海は高雄と目が合った。気遣われているように感じたのは、私が気遣われたいからかもしれない。
 そんな必要なんてないのに。鳥海は姉の視線から隠れるように目を伏せた。
 視界を塞いでいる内に高雄が話を再開する。




「マリアナ泊地の被害ですが、一言で言えば甚大です。航空機だけでなく艦娘にも戦没者が……」

 マリアナでは元の所属機とトラックからの合流と合わせて七百機近い航空機が投入されたが、数次に渡る攻勢で半数近くが未帰還。
 その後、修理不能と見なされた機体を含めると、合計で七割弱を失う結果になった。
 またマリアナに残っていた艦娘はいわば二代目以降の艦娘がほとんどで、戦闘経験の乏しい艦娘が大半だった。
 彼女たちは質でも量でも勝る相手に善戦したが、多くの戦没者も出している。その中には二人目の鳥海も含まれていた。

「こんな言い方はよくないのですが……こっちはみんなが無事で安心してます」

「……みんなでもないにゃ」

 聞かせる気があったのか定かではないが、多摩の声だった。
 ともすれば沈黙に包まれてしまいそうな空気の作戦室では、その声はよく通った。
 鳥海はマリアナで補給を受けた際に聞いた話を思い出す。
 二人目と同じ艦隊にいたという、やはり二代目の綾波型たちが鳥海に涙ながらに話しかけてきた。
 もう一人の鳥海は自らを囮にして、海域で孤立気味だった彼女たちが後退する時間を稼いだという。
 その結果、二人目は帰らなかった。
 綾波型たちは鳥海に感謝していた。しかし、そんな綾波型たちに何も言えなかった。
 それはあっちの鳥海の奮闘であって、私の働きじゃない。
 私に感謝なんてしないでほしかった。
 彼女は勇敢に戦って死んだ。彼女は何かを守れた。だけど私は。

「……向こうで休んどくか?」

 摩耶が小声でささやいてくるので鳥海も小声で答える。

「ううん、大丈夫」

「ならいいけど、無理すんなよ」

 無理なんかしてない。鳥海はそう思うが言わない。
 この数日で摩耶以外からも何度も同じようなことを言われて、何度も同じ答えを返してきたからだ。
 心配しないでほしかった。




「向こうも大変クマ……ここからはトラックの話をするクマ」

 高雄から話を引き継いだのは球磨だった。
 航空戦に終始していたのはトラックの防衛に就いていた艦娘たちも変わらない。
 泊地への攻撃は一度きりで、艦載機による泊地と防衛艦隊への同時攻撃だった。
 攻撃が分散されて一波当たりの機体数は少なかったが、それでも被害は出ている。
 何人かは空襲で負傷したが、いずれも空襲から三日も経てば治療は済んでいた。
 工廠やドックは重点的に守りを固められていたので、機能は損なわれていなかった。
 それでも泊地全体で見ると様々な施設が被害を受けている。何よりも――。

「……本当にすまないクマ」

 気づけば球磨が鳥海にそう告げていた。
 球磨の話の途中から上の空で聞いていた。だから何を言っているのか、頭には意味のある言葉として入ってこない。
 一つだけ、ずっと鳥海の頭の中を占めているのは。

「司令官さんはいないんですね」

 話を中断する形で言う。
 球磨は苦しそうに顔を歪めながらも鳥海から目線は逸らさなかった。

「……そうクマ」

 提督は空襲の際に行方をくらませていた。
 何があったのか詳細はまだ分かっていない。ただ深海棲艦が関与しているのは間違いなさそうだというのが、艦娘たちの見解でもある。
 泊地が空襲を受け司令部機能に問題が生じた。それから仮設の司令部に移動しようとしていたところまでは確認が取れている。
 その移動中に何かが起きて、道中で大木と衝突して乗り捨てられた車が発見された。
 また提督が移動しているはずの時間、島内でごく短い間だけ深海棲艦の艦載機の反応が対空電探に引っかかっている。
 誤報も疑われたものの、今となっては深海棲艦の介入を証明しているようだった。

「そんな顔はしないでください。今はできることから、司令官さんのことは後にしましょう」

「クマ?」

 球磨は心底驚いたように目を丸くする。
 鳥海は平静に見える様子で言う。




「泊地の復旧具合はどうですか?」

「あー……基地機能は妖精のお陰で復旧して、電気も水道も問題ないクマ。基地航空隊は大半がマリアナに行ったっきりだから稼働機はわずかクマ。当面の問題はそこクマ」

「ではマリアナ泊地に連絡して、戦闘機隊だけでも引き上げられるか要請……いえ、打診しましょう」

 艦娘だけで、本当にそんな要請をするのは越権行為になってしまう。
 あくまで形式は打診という形にしておく。
 司令官さんさえいればこんなことには……そう考え始めた鳥海は、その考えを頭から捨てるように意識する。

「まずは立て直しです。こんなところを襲われたら、ひとたまりもありませんからね」

 鳥海の意見に反対する者はいない。
 結局のところ誰もがどこかでそうするしかないのは分かっていたし、鳥海が率先して意思表明をしたのも後押しする理由になった。

 それから数日、鳥海は提督の代行として精力的に働いた。
 新任の提督の選定には時間がかかっているようで、しばらくは艦娘たちだけで泊地を管理する日々が続く。
 深海棲艦の活動は各地で見られない。大艦隊を動かすのは向こうにとっても負担というのが大勢の見解だった。
 トラック泊地ではパラオに避難していた艦娘たちも戻り、破壊された建物の修理こそ終わっていないが元の様相を取り戻しつつあった。
 それでも完全に戻ることはない。

 鳥海は執務室を間借りする形で、日々の仕事をしていた。
 定時を過ぎて日付が変わる付近まで仕事をする。
 当初は目に見えてあった仕事も日を追う毎に減っていき、ついには彼女の裁量でこなせる範囲は片付いた。
 残る問題は補給が届いてからなど時間が解決するか、越権でもしない限りは片付かない問題だけとなる。
 この数日よりは早く仕事を終えた鳥海は執務室の電気を消そうとして、急に寂しさに襲われた。
 息を詰めて、彼女は自分の情動が収まるのを待つ。
 激流のような衝動は耐えていれば静まる。鳥海は一度だけ目元を拭ってから深呼吸をした。
 口や喉が不自然に震える。それでも声を押し殺す。
 鳥海は左の薬指を握る。今はもう痛みを感じない。




─────────

───────

─────



 鳥海はあまり眠れない日々が続いている。
 睡眠時間が減りだしたのはMI作戦に帯同していた頃からで、当初は緊張のせいぐらいにしか考えていなかった。
 日が経っても解消せず、マリアナで提督が行方不明になったのを聞いてからはさらに悪化していた。
 それでも疲れが溜まれば眠気も催す。
 パジャマに着替えた鳥海はベッドに潜り込む。

 鳥海は夢を見て目を覚ました。
 夢の内容はいつも忘れてしまう。ただ提督がいたとは思っている……いたと思っていたかった。
 忘れたくないけど思い出したくない。そんな矛盾した気持ちを抱えて、また寝に入ろうとして上手くいかなかった。
 その日もあまり寝つけないまま起床時刻を迎えた。

 起きないと。そう考える鳥海の体は意思に抵抗して動かなかった。
 自分の体でなくなってしまったように自由が利かない。
 こんなの、ただの思い込み。そうに違いない。
 司令官さんがいなくて、苦しくて、ふて腐れたみたいになってるだけ。
 だから起きよう。今日も起きて司令官さんらしいことをして……らしいことって何?
 鳥海はベッドから跳ね起きた。
 つもりだった。実際には体は何もしていない。

 泊地の復旧はもう時間の問題で、鳥海が手を出せる部分はなかった。
 今までは泊地の復旧という目標を盾に、向き合うのを先延ばしにしていた事実が迫ってくる。




 提督がいない。誰にも知られずに消えてしまった。
 助けを求めていたのかもしれない。だけど私はそばにいなかった。
 なんで作戦に乗り気になってしまったんだろう。
 私はまた何もできなくて、見殺しにしてしまったんだ。
 鳥海は顔を手で覆った。消えてしまいたかった。

 あの子は沈んだ。戦って仲間を守るために。
 死んでしまえばお終い。だけど、あの子は自分の望みのために死力を尽くしたんだと思う。
 本懐を遂げた。そう言っていいのか鳥海には決められなくとも、もう一人の鳥海が懸命だったのだけは分かる。
 それに引き換え、私は何もできなかった。命を賭けられず、約束も守れず、失くしたのも認められないで。
 空の明るさが鳥海には目の毒だった。

 鳥海は思い出す。
 提督と初めて一夜を過ごした夜、お互いに長生きしようという約束を交わしていた。
 あの時、私は確かに希望に満ちていた。どんなことでも司令官さんと一緒なら乗り越えていけるんじゃないかって、信じていた。
 左手を掲げる。カーテンの隙間から入り込んでくる日差しが室内に明かりをもたらし、鳥海は飾り気のない指輪を見る。
 投げ捨ててしまえばいいのかもしれない。司令官さんは、きっとこんな私でも受け入れてくれる。
 でも投げ捨ててしまったら、私自身が二度と自分を許せなくなる。今でも許せてないくせに。

 大切な約束。
 そんなに大切な約束なら……私は絶対に司令官さんの側を離れちゃいけなかったんだ。
 消えてしまった提督。壊れた泊地。もう一人の鳥海。そして誤った判断。
 その朝、張り詰めていた鳥海の緊張がついに切れた。
 鳥海は情緒を抑えきれなくなり、失意の海に沈んでいった。


ここまで。今回の章の承まで終了。
全体通しても、この辺りが一番重たいんじゃないかと思ってますがどうなのやら
この空気はやや難儀なので、なるたけ早く進めたいとこで

乙乙

乙です

乙ありなのです
短いけど、さっさか投下していくのです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ノックの音で鳥海は目を覚ました。
 時間、と考えて倦怠感に見舞われる。
 さらに続いてドアを叩く音が部屋に転がり込む。部屋の鍵は開いたままだから好きにすればいいのに。

「高雄よ」

 姉さん、と言おうと口を動かそうとしても動作に対して声が続かない。

「入らせてもらうわ」

 ため息と一緒に吐き出されたように鳥海には聞こえた。
 鳥海は今更ながら自分がパジャマのままで、しかも毛布に包まったままなのに気づいた。
 どうしようと思い、別にどうでもいいという考えに上書きされる。
 普段の鳥海ならありえない考え方だったが、同時にそれは退廃的で魅力的とも感じた。
 高雄は入ってくるなり眉をひそめる。起床の時間はとっくに過ぎていたらしくて、それで様子を見に来たらしい。

「起きなさい。そうやって腐ってるつもり?」

 高雄は鳥海を見下ろしながら言う。下唇を噛む表情は怒っているとも悲しんでいるとも、あるいは悔しがってるようにも見えた。
 その視線に耐えられずに鳥海は顔を背けてしまう。
 鳥海は起き上がろうとしなければ、高雄も無理強いはしなかった。

「窓、開けておくわよ。締め切ってても体に毒でしょ。暑くなってきたら閉めて冷房を入れなさい」

「……はい」

「話せるなら、しゃんとなさい」

 責めるような言葉に胸が締めつけられる。鳥海は反射的に答えていた。

「ごめんなさい」

「鳥海」

「ごめんなさい」

 謝るばかりで鳥海は高雄を見ようともしない。




 高雄はベッドに手をつくと鳥海を上から覗き込む。

「謝るなら私の目を見て言いなさい」

「……ごめんなさい」

 高雄の表情が心配するよう不安げに変わる。
 ごめんなさい。もう一度言う。
 姉さんをそんな顔にさせる気も心配させる気もなかったんです。でも、どうしていいのかも分からないんです。
 鳥海のその気持ちは声にならなかった。
 言葉を詰まらせた高雄は妹から離れる。次にかけた言葉は優しい声だった。

「しばらく休んでなさい。あなたは今まで十分よくやったわ」

 高雄は背を向け、部屋から出て行こうとする。
 その背中に鳥海は辛うじて声をかけた。

「……十分ってなんですか」

 反発と呼ぶには弱々しい言い方だったが、少しだけ違う反応を鳥海は見せる。
 高雄は背を向けたまま立ち止まった。

「何も足りてないじゃないですか……姉さんだって分かってるのに」

 力が及ばないことはある。残念だけど。
 だからといって、それを認めていけるかはまったく別の話だった。
 もしも私が力を尽くした結果がこれで、それを十分と言うのなら……姉さんは残酷だ。
 高雄は何も言わないまま部屋から出て行く。
 今は時間が必要だと考えていたのかもしれない。あるいは愛想を尽かしているのかもしれない。
 無言の背中が出て行くのを鳥海は見送るしかなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 高雄が出ていってしばらくすると鳥海は眠った。
 疲弊した頭ではどんな考えも後ろ暗くなって、自分を責め立てて悪い方向にだけ直進していく。
 参ってるんだと考え、少しは気分も上向くかもという淡い期待も込めて鳥海は眠る。
 やがて目を覚まして、その日初めて見た時計は十二時を過ぎていた。
 昼時。しかし鳥海は空腹感がなかった。
 だから部屋を出て何かを食べに行こうという気にはならない。
 喉の渇きは少し感じた。でも、この時間に部屋を出たら他の艦娘に出会ってしまうかもしれない。
 どんな顔をしていいのか分からなくて、鳥海は部屋で大人しくしていようと決めた。
 すっかり汗ばんでいた。部屋の窓が開いている。そういえば姉さんが開けていったんだと、鳥海は思い出す。
 暖まってねっとりした外気が窓から入り込んできている。暑さに慣れているつもりでも暑いものは暑い。
 そろそろ閉めよう。それにはまず起きないと。
 少し乱暴なノックの音がしたのは、鳥海が上半身を起こした時だった。

「摩耶様だけどいるかぁ?」

「……いるわよ」

 本来の調子ではないが、朝よりはすんなり声が出てきた。

「お、よかった。邪魔するぜ」

 鳥海の返事も聞かずに摩耶は部屋に入ってくる。
 摩耶は一瞬たじろいだ。

「あっついな、ここ」

「クーラー入れるとこだったの。押してもらえる?」

 摩耶が頷きつつクーラーのスイッチを入れる傍ら、鳥海は立ち上がって窓を閉める。
 一度は立った鳥海だが、すぐにベッドの脇に座った。
 動き始めたクーラーがかすかな駆動音を立てながら、部屋に充満した熱を片隅に押し込もうと冷風を送り出してくる。




「何しに来たの?」

「ご挨拶だな。腹減ってるだろうと思って、おにぎり持ってきてやったのに」

「……おなか空いてないから」

「本当かあ? 意地張ってんじゃないの」

「張ってないよ」

「分かった。じゃあ、ここに置いとくからな。腹減ったら食えよ」

 摩耶は机の上にアルミに包まれた小振りな塊を二つ置く。
 それで帰るでもなく、摩耶は鳥海の部屋を物色するように眺める。
 鳥海はその動きを視線で追いつつ、どこか困惑したように言う。

「ここには摩耶の欲しい物なんてないよ」

「あたしの欲しいもんねえ……あたしが欲しいのは鳥海だ、なんつってね」

「意味が分からないよ」

 鳥海は少しだけ笑いそうになって、それに気づくと戒めるように唇を硬く閉じる。
 ほとんど視線を逸らしていなかった摩耶が腕を組んで首を傾げる。

「分っかんねえなあ。そこまでして、どうしたいんだよ?」

「……どういう意味?」




「自分を押し殺して、んな顔して。何が悲しいんだよ、鳥海?」

「何がって……そんなの決まってるじゃない」

「だったら教えてくれよ」

 挑発するように摩耶は体を前に乗り出す。
 鳥海はそんな摩耶に腹を立てる。普段なら流せることが、今はできない。
 生じた怒りを隠さずに言う。

「司令官さんがいないんだよ。どんなことになったのかも分からないのに……」

「提督のために笑いたくないってか? バカかよ」

 摩耶は感情のままに吐き捨てる。
 それは鳥海を動揺させた。摩耶の指摘は図星だった。

「お前が喪に服してるみたいになって提督が喜ぶような男かよ。それとも鳥海の中じゃ、あいつはそんなやつだったのか?」

「違うよ……」

 言い返した鳥海の声は消え入りそうだった。間違いを突きつけられていた。
 その様子を鼻で笑うように摩耶が言う。

「これじゃ浮かばれないな、あいつも」

「……殺さないで」

 鳥海は俯いて呟く。
 頭の中では摩耶の言葉が反響し、それは鳥海の自制を奪う。
 飛びかかるように摩耶の胸ぐらに掴みかかって壁に押しつける。
 摩耶は驚いたり怖がるどころか、逆に鳥海の目を見返してきた。




「司令官さんを勝手に殺さないでよ!」

「はっ、怒ったのかよ!」

「いくら摩耶だって!」

「お前がそんなんじゃ、あいつだって殺されてるようなもんじゃねえのか!」

「そんなの……!」

 ……分かってる?
 分かってるなら、なんで私はここでこうしてるの?
 俯いた鳥海の腕から力が抜ける。摩耶は鳥海の指を優しくほぐすように胸ぐらから外す。

「何が悲しいんだよ、鳥海?」

 最初と同じ質問。摩耶の声はあくまで優しかった。

「……出ていって」

 絞り出すように鳥海は言うと、摩耶が息を呑む気配がした。
 今はもう摩耶と、他の誰かと一緒にいるのが耐えられなくて鳥海は怒鳴っていた。

「お願いだから出ていってよ!」

 二人とも目を合わせようとしないまま、摩耶は何も言わずに部屋を出て行った。
 鳥海は独りになった部屋でベッドに身を投げ出す。頭の中は混乱していた。
 摩耶が言っていたことは正しい。でも、それを認めてしまったら……。
 そのうちに空腹感が出てきて摩耶が置いていったおにぎりを食べると、理由の分からない涙が出てくる。
 みっともないと鳥海は思った。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 愛宕が摩耶と出くわしたのは、摩耶が鳥海の部屋から出てきた直後のことだった。
 すぐに愛宕は摩耶に話しかける。

「様子はどうだった、摩耶?」

「ああああ愛宕姉さんか!」

「ちょっと興奮しすぎよ。どうしたの、そんなに慌てて?」

「あたしは別に慌ててなんか!」

 しどろもどろな摩耶に愛宕はおかしくなる。
 とはいえ、鳥海の部屋の前で身の上話を始める気はない。
 筒抜けになってしまうのは好ましくなかった。
 二人は歩きながら話す。

「それで何をそんなに慌ててたの」

「あたしは単に発破をかけようと思って……」

 摩耶はしょげたように事のあらましを説明する。
 愛宕はうんうん頷きながら話を聞いていたが、一通り聞くと気が抜けたように笑う。

「それはさすがに鳥海だって怒るわよ」

「だよなあ……けどさ、もう見てらんなくて」

 摩耶はやきもきしている。
 対する愛宕は穏やかな調子で言う。

「でも怒らせたのはよかったと思うわ」

「……そうなの?」

「怒る気力がないほうが重傷でしょ。まだ心は折れてないのよ」




「そっか……うん、ならいいんだけどさ」

「私も摩耶の言ってることは間違ってないと思うしね」

 愛宕がそう言うと摩耶は安心したらしく、口が軽くなった。

「……しかし怖かったなあ。やっぱ、鳥海は怒らせちゃダメなやつだ、うん」

「普段怒らない子が起こると怖いのは常識よ?」

「だな。となると姉さんも怒らせたら怖いわけか」

「試してみる?」

 愛宕は摩耶に向かって面白そうに笑う。あまりに普段と変わらない態度だった。

「遠慮しとくかな」

「あらあら、やっぱり摩耶は素直ね」

「やっぱりってなんだよ、やっぱりって」

 釈然としないというような顔をする摩耶だったが、ふと愛宕に尋ねる。

「そういや姉さんは会わないでいいの? それで近くにいたと思ったんだけど」

「そのつもりだったんだけど、話を聞いたら今はまだ行くべき時じゃないかなって。他に聞いておきたい話もあるし」

 愛宕は怪訝そうな顔を浮かべる摩耶と適当なところで別れると、提督の執務室に向かう。
 そこでは高雄が鳥海の代行をしていた。




「代行の代行、お疲れ様」

「ややこしい言い方ね。私に何か用?」

「野暮用かな。遊びにきたのよ」

「あなたねえ……」

 絶句する高雄を尻目に、愛宕は来客用のソファーに腰を下ろす。
 高雄は秘書艦用の席に座っている。手は動いていない。

「お茶は出ないの? コーヒーでもいいけど」

「自分で入れなさいよ。急須もカップも置いてあるんだから」

「私は高雄が入れてくれた飲み物がほしいの」

「そっちは品切れよ」

「することなさそうなのに」

 高雄は不満げな視線を愛宕に向ける。が、すぐに観念したように言う。

「その通りよ、やることがないの」

「本当にそうだったの?」

「あの子、できることは全部終わらせてたのよ……」

 あの子とはもちろん鳥海のことだった。
 高雄は嘆くように言う。

「できることは全てやってしまって、それで追いつかれてしまった」

「提督がいないということに?」




「ええ。本当なら、あの子が一番動揺してるはずだもの。何か起きてるって気づいてたから」

 愛宕も鳥海が異変を示唆していたのは覚えている。
 話を聞いた時は半信半疑だったが、今となっては鳥海が正しかったのを疑うつもりはなかった。
 もし信じていても……何も変わらなかったと愛宕は考える。だからこそ。

「悔しかったでしょうね……」

「ええ……今の鳥海を認める気はないけど、ああなってしまったのも仕方ないわ」

「そうだよねえ。私もそう思うよ」

「提督を失って一番悲しいのはあの子だもの」

 そうかもね、と愛宕も頷く。
 高雄の様子を見て、愛宕は意を決した。

「でも二番目に悲しんでるのはあなたかもしれないでしょ、高雄」

 その言葉に高雄は固まった。愛宕は続ける。

「気づかないとでも思ってたの? 私は愛宕だよ」

「……全然理由になってないわ」

 そう言いながらも高雄は愛宕の言葉そのものは否定しない。
 愛宕は座ったまま待つ。リラックスして気負った様子はどこにもない。
 高雄はやがて独白するように言う。

「私……提督と最後に話した時、あの子への嫉妬を話して……」

「うん」

「なんで、そんなこと話しちゃったのかな……こんなのが最後に話したことなんて、あんまりよ」

「いいよ、どんどん話そう。ここには私たちだけだもの。このぐらいはさせてよ」

 愛宕の言葉をきっかけに、高雄は堰を切るように内心を吐露しはじめた。


ここまで
もっとあれこれ書いたほうがいいのだろうかと思いつつ、これ以上増やすとくどくなりすぎる?
むしろ足りてない可能性もあるけど……ともあれ、次回は気合いが入れば木曜にでも

乙です

乙乙
色々知りたい気もするけど詰め込みすぎてもアレだしね

乙ありなのです。そして間隔が空いてしまったのに進んでない

>>370
やっぱりこのぐらいの塩梅で進めるのがいいみたいですね
書きたいこと優先で、変に増やすのはなしの方向で行きます



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 白露が時雨に連れてこられたのは、時雨が懇意にしている艦娘の部屋だった。
 紅白の巫女のような格好をした扶桑と山城の姉妹が白露たちを迎える。
 畳張りの室内に上がった白露と時雨は、座卓を挟んで扶桑たちと向かい合った。
 開口一番、山城は気難しさを感じさせる顔で問う。

「それで、どうして私たちの所に来たの?」

「ボクたちだけじゃなくて他の目線からの意見が欲しかったからだよ」

 山城の視線や物言いには相手を黙らせるような雰囲気はあるが、時雨は物怖じせず普段通りに話していた。

「つまり相談役? もっと向いた子がいくらでもいるじゃない」

「いいじゃない、山城。こういうのは頼られる内が華よ」

 扶桑は山城をたしなめると時雨から白露を見る。
 山城とは逆に柔和そうなほほ笑みが出ていた。

「時雨と言うよりあなたの相談なのかしら、白露?」

「はい。今日はよろしくお願いします」

 普段よりもかしこまった白露が頭を下げる。
 扶桑がすぐに手を横に振る。

「いいのよ、そんなに硬くならないで。普段通りの調子で話してくれたほうが嬉しいわ。時雨だって、あんなだし」

「ボクは自然体を心がけてるからね」

「分かりました……じゃなくって分かったね」

 白露が言い直すと扶桑は満足げに頷く。




「それで相談というのは?」

「秘書艦さんのことで」

 白露がそう告げると、扶桑と山城は顔を見合わせる。疑問を浮かべて。
 反対側の白露と時雨も同じように顔を見合わせる。こちらは話そうという合図で。
 白露が話し始める。

「秘書艦さんが塞いでるのは知ってるよね」

「当然じゃない……不幸だわ」

 山城の言う不幸が誰を指しての言葉なのかは、白露には判断がつかなかった。
 疑問をよそに白露は話を進める。

「あたしはすぐにでも秘書艦さんの相談に乗ったりとか、とにかくほっといちゃいけないって思ってる」

「ボクは反対に今はまだそっとしておくべきだと思ってる。参ってる時には何を言っても届かないだろうから」

「二人ならどう思うか教えてもらいたくて」

 扶桑と山城はしばし沈思黙考し、扶桑が白露に聞く。

「ワルサメのことがあって、そう考えてるの?」

「うん。あたしはすぐに春雨に会えたけど、それでもあの子のことはずっと考えてた。その間、秘書艦さんはあたしに気を遣ってくれてて、思い返してみると助けられてたんだなって」

「借りがある、ということかしら?」

「そんなに大それた話じゃないけど、お返しに何かはしてあげられるんじゃないかなって」




「時雨はどうして?」

「ボクはあの時期の姉さんを知ってるからね。姉さんは報われてるんだと思う。春雨がいるんだから。でも鳥海はたぶんそうじゃない。
 今の彼女を苦しめてるのは自責なんじゃないかって思えるし、それに鳥海は生真面目だ。そういう性格は……折れるとしんどいよ」

 時雨の言葉を受けて山城が漏らす。

「折れてるとは思えないけど」

「……そうかな」

 戸惑う顔の時雨に答えず、山城が改めて聞く。

「話は分かったけど、それでどうして私たちの所に?」

「言ったじゃないか。他の視点からの意見が欲しかったんだよ。こういう時、妹たちは聞くには近すぎる気がして」

 扶桑は頬に手を当てて思案する。そうして山城に言う。

「山城はどう思う?」

「私ですか? そうですね……」

 山城は白露と時雨を交互に見て、それから白露に向かって小さくため息をつく。

「あなた、私たちが時雨に肩入れするかもしれないって考えなかったの?」

「全っ然。普段の時雨から聞いてる限りじゃ、そんな人たちとは思えないし」

「安心してよ、褒めちぎってるからね」

「普段から何を言ってるのやら」

 さも当然という態度の時雨に、山城は言葉とは裏腹に満更でもなさそうだった。




「まあ、そうね。冷たい言い方になるけど、私は正直にどっちでもいいと思うわ。あの子はたぶん自然と立ち直れる子よ」

「どうしてそう思うんだい?」

 時雨が身を乗り出すように聞いてくる。山城の発言を使って白露を封殺しようとしているようだった。

「目力っていうか輝きっていうか……私が知る限り、鳥海には前進しようという意思を感じるもの。そういう子は立ち止まったとしても、自分からどうにかできるし」

「つまり、ほっといっていいってことだよね?」

「言ったでしょ、どっちでもいいって」

 山城は時雨の意見を肯定も否定もしなかった。そのまま食いつき気味の時雨でなく白露に向かって言う。

「境遇というか近い立場で考えるなら白露の言い分が正解かも。その点では私より、あなたの感性のほうが正しいんじゃないかしら」

 白露は自分の首を傾げる。

「むぅ……それって結局は好きにしなさいってこと?」

「その通り。大体あなたは私たちが何か言ったところで翻意するの?」

「ほんい?」

 白露が初めて聞く言葉のように聞き返すと、山城は苦笑する。

「反対されたらやめるの?」

「やめたくない。あたしはそれでも話したいから」

 言い切る白露に、山城は呆れと感心が混ざって苦笑いから自然な笑顔になる。

「あなた、やっぱり時雨のお姉さんね」

「え! 今のやり取りのどこにそんな要素が……」

 山城の言葉に時雨のほうが驚いていた。ひとまず山城は時雨を置いておく。




「けれど一つ言っておくわ。安易に鳥海の気持ちが分かったなんて思わないほうがいいんじゃない。私なら自分の幸を簡単に共有されたり共感されたくないもの」

「はい……」

「とにかく相談の答えなら私は以上よ。そこまで言えるのなら当たってみればいいじゃない」

「分かりました!」

「扶桑のほうはどうなの?」

 時雨に聞かれて扶桑は首肯する。

「私も山城と同じよ。こうするのが正解というのはないでしょうし」

「そう……」

「時雨、やっぱりあたしは話すよ」

「……分かった。ボクはもう止めないよ」

 時雨は山城を見る。その目は剣呑だった。

「あーあ、山城なら加勢してくれると思ったんだけどね」

「何が加勢よ。安易に肩入れするわけないのに」

「山城にはガッカリだよ。ボクより姉さんを取るなんて……」

「見て、山城。貴重な拗ね時雨よ」

「動物みたいに言わないでよ」




「時雨もこうなると形無しだね」

 白露型の姉妹の中でも時雨はからかう側に回るのがほとんどなだけに、逆にいじられているのは白露の目から見ても新鮮な光景だった。
 ふと白露は扶桑が窓の先へと視線を移しているのを見た。その先には空が広がっているだけ。
 白露の視線に気づいたのか、扶桑は白露にほほ笑みかける。

「空はあんなにも青いのに、鳥海の心は灰がかっているのではと思って」

「秘書艦さんの心も青いと思いますよ。同じ青でも雨降りの青かもしれないけど」

 あたしがそうだったから、と白露は内心で続ける。
 時雨はそんな白露の横顔を見ながら思わせ振りに呟く。

「……雨ならいつか止むさ」

「雨が降ってるなら傘を用意しなきゃダメじゃない」

 白露は当然のことのように言っていた。


朝早いのでこれにて中断。二十二時間後ぐらいにもう四、五レスぐらいは投下したいと思ってます



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 真夜中になると多摩が部屋を抜け出している。
 木曾がその事実に気づいたのは数日前からだった。
 北上と大井だけは大井の熱烈な要望によって二人部屋になっているが、球磨型はトラック泊地に移ってからは個室を割り当てられていた。
 木曾の部屋の両隣は多摩と北上・大井ペアとなっていて、隣室の音は聞こえてこないがドアを開け閉めする音は廊下から聞こえてくる。
 夜中に多摩が部屋から出ていく音を聞いても、初めは花を詰みに行ってるのかと考えて気にしていなかった。
 まどろみつつも完全には眠れていなかった木曾は、やがて多摩が一向に戻ってくる様子がないのに気づく。
 それが二日続いて、日中の多摩は眠そうであくびを隠そうともしていなかった。

「まるで猫クマ」

「多摩は猫じゃないにゃ!」

 夜中に抜け出しているらしいと気づかなければ、姉同士のやり取りも他愛ないものに過ぎないはずだった。
 多摩が何かを隠していると感じた木曾は調べてみる気になる。
 日頃の木曾ならそんなことはしないが、提督を失ったという時期が時期だけに多摩の身を案じていた。

 その夜も多摩が部屋を抜け出したのを確認すると、木曾も慎重に部屋を出ると後をつけ始めた。
 多摩と、その後を追う木曾は泊地を出て車道へ。
 月と星の明かりを頼りに二人は夜更けを進んでいく。
 道の両側に天高く伸びた木々が、腕を広げた怪物のような影を投げかけていても多摩は気にせず歩く。木曾も同じだった。
 しばらく歩いていくと多摩はある場所で立ち止まる。
 距離を置いたままの木曾は近くの茂みに隠れようかと考えたが、すぐに多摩が振り返らずに声をかけてきた。

「隠れなくてもいいにゃ、木曾」

「なんだ、やっぱり気づいてたのか」

「多摩を出し抜こうなんて修行が足りないにゃ」

「修行って何するんだよ」

 木曾は堂々と多摩に近づいていく。そして、この場所に見覚えがあると気づいた。




「ここって」

「提督が乗っていた車が見つかった場所にゃ」

 日中とでは見え方が違うが、確かにその通りだと木曾は思う。

「どうして……」

 木曾は理由を聞こうとして口を噤んだ。理由は提督絡みしかなかった。
 だから言い直す。

「あいつがいるのか?」

「いないにゃ。いるなら、とっくに連れてきてるにゃ」

「じゃあ、夜中にこんな所に来なくても」

「もしかしたらと考えてしまうにゃ。提督はまだこの森にいて、助けを待ってるんじゃないかって」

 多摩は木曾に顔を向けずに肩を落とす。

「多摩は夜目が利くし耳もいいにゃ。もしかしたら提督が近くにいたら分かるかもしれないにゃ」

「多摩姉……」

「本当は分かってるにゃ。提督がここにいないのは。これは未練にゃ」

 木曾はいたたまれない気持ちだった。
 しかし振り返った多摩はひょうひょうとしている。

「これじゃ忠犬ハチ公にゃ。多摩は猫なのに……猫じゃないにゃ! キソー!」

「俺はまだ何も言ってないぞ!」

 いきなりの多摩に木曾も慌てて言い返す。
 対峙した二人の均衡は多摩が笑い出したことで崩れた。




「鳥海には悪いことをしたにゃ。多摩たちは提督を守れなかったにゃ」

「……あいつはそんな風には考えないと思うぞ」

「そうかにゃ? そうかもにゃ……でも歴史は繰り返してる気がするにゃ」

 多摩の呟きの意味が木曾には分からない。

「どういう意味だよ?」

「木曾がいなくなった時みたいにゃ。あの時は提督が今の鳥海みたいだったにゃ」

 木曾は小さな疼痛を感じて、苛立たしげに胸元を指先で叩く。
 先代の木曾が戦没した時の話は、今でも木曾の気持ちを不安にさせることがある。

「前の俺の時か……けど、あいつはあんな鳥海は見たくないだろ」

「そんなのは当たり前にゃ。けど残されるほうは理屈じゃなくて、悲しいに決まってるにゃ。簡単に納得できてたまるかにゃ」

 多摩の口調は強く、少なからず木曾へも怒りが込められている。多摩もまた残される側だった。
 木曾は自分の失言に気づいたが、それには触れずに多摩に聞く。

「あいつは、提督はどうやって立ち直ったんだ?」

「自然にゃ」

「自然って……」

「他に言いようがなかったにゃ。提督は周囲と関わりを断って酒に溺れようとして、それが二三日続いて結局できなかったみたいにゃ」




「みんなはその時どうしてたんだ?」

「叢雲たちは何か言ったみたいだったけど、ほとんどは待ったにゃ。みんなもあの時は辛くて時間が必要だったにゃ。でも……」

 多摩が肩を落とす。その体はとても小さく見えた。

「本当は提督を無視しちゃいけなかったんじゃないかって、今なら多摩は思えるにゃ」

「無視なんかしてなかったんじゃ」

「提督は多摩たちに『苦しい』とは言わなかったにゃ。苦しくないわけなかったのににゃ」

「それは提督が言わなかっただけなんじゃ?」

「提督にとって打ち明けられる相手がいなかっただけかもしれないにゃ」

 その通りかもしれない、と木曾は思った。
 あの頃の提督にとっては、先代の木曾こそがその相手だった。

「傷つけば痛いにゃ。でも痛み自体は悪いものじゃない……多摩は言ってやりたかったにゃ。提督は悪くなかったって」

 それはもう叶わない。だからこその未練なのかもしれない。
 木曾は思い出す。悔いがあるなら仲間のために戦えと提督がいつか言っていた。
 夜が明けたら、できる限りすぐにでも鳥海と話そうと木曾は決めた。

「多摩姉。それでもあいつは望んでないと思うよ。お姉ちゃんも鳥海も、そうやって苦しむなんて。だって二人とも――」

 悪くないじゃないか。木曾は心からそう思っていた。


ここまで。ちょっと更新速度にばかり気を取られて、内容を疎かにしてしまっていると感じてます
製作速度も大切だけど、自分に一番求められてそうなのはそこじゃないと思うので、ちょっとペース配分を落としてやってこうと思います
できるだけ両立を目指したいですが、どちらかしか立てられないなら話に向き合いたいところで


期待してる

乙乙
多摩が良いポジションにいるな

ゆっくりで構わんのやで、待ってる


無理のないように書いてくれてOKよ

乙ありです
どうしても長く書いてると調子に浮き沈みが出てくるので、よくない時期が来ると苦戦してしまうので……



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海が目を覚ますと部屋の前が騒がしかった。
 ドア越しに何かを言い合う声が寝起きの頭を揺さぶる。
 誰が何を言ってるの?
 自分に関係ある話かもしれない。じゃなければ当てつけ……それは悪く考えすぎよ、鳥海。

 鳥海はベッドに張りついていた体を引き剥がすと、机の上に置いた眼鏡をかけた。
 掛け時計に目をやると針は八時半を指していて、朝の方なのは窓を明るくする光の加減で分かる。
 起床時間は過ぎていて、寝坊している事実に鳥海は胸の内で焦りを感じた。
 そう感じた自分自身に鳥海は驚く。気にする余裕なんてないと思っていたから。
 ドアの向こうからはまだ話し声が聞こえる。
 人の部屋の前で騒ぐには早い。そもそも騒いでいい時間なんてないけれど。

 昨日を鳥海は思い返す。
 高雄と話して摩耶と話して、それからというもの気力もなく何もできないで部屋にいた。
 かといって日がな部屋にこもってたわけではない。
 体は普段よりもずっと生理的な欲求に正直だった。倦怠に沈んでいようとしている心を非難するかのように。
 自らの醜態を安易に晒す気はなく、人目を避けながら部屋の外には何度か出ていた。深夜には湯浴みだってしている。
 秘書艦であるがゆえに泊地の基本的なスケジュールは全て把握していた。
 人が少ない時間帯に出歩いて、あとは誰にも会わないのを願うだけ。
 こんなつまらない願いは叶ってしまう。

 外ではまだ話し声が聞こえる。鳥海は足音を立てないようにドアに近づくと、自然と聞き耳を立てていた。
 声には聞き覚えがある。はっやーいとか、いっちばーんと言っている。
 島風と白露の声だった。何を話しているのかはくぐもった音のせいで聞き取れない、というより頭が理解を拒んでいた。
 どうしよう。
 迷いながら鳥海はドアノブに手を掛ける。
 二人に気後れしていた。
 今までなら気取らずに開けて挨拶を交わせばいいだけ。二人がこうして部屋の前で何か話してたことなんて初めてだけど。
 ベッドに戻って寝直す気はなく、かといってドアの向こうの二人を叱って注意しようという気はない。
 それができる立場ではあっても資格があるとは思えずに。
 だけど二人を無視してはいけない気もした。




 鳥海が悩んでいると別の声が聞こえてくる。
 島風たちに何をしているのかと聞いたのは木曾の声だった。
 四人目の声も続いて、それは愛宕の声だった。
 四者が何か話しているのが分かって鳥海はたじろいだ。
 ノブから手を離すと、あるはずもない逃げ道を探した。
 時間切れを伝えるようにドアを叩く音が響く。
 どうしよう。
 心が揺れていた。
 迷い、ためらって戸惑いながらも鳥海は言う。

「少し待ってください」

 鳥海は制服に着替え始める。
 追い返すつもりはない。というより追い返そうにも強引に入ってきそうな気がした。
 なんで着替えてるんだろう。高雄と摩耶と会った時は寝間着のままだったのに、今ではそれじゃいけないと鳥海は感じている。
 その理由が分からないまま鳥海は着替え終わる。
 息を詰めてドアを押した。
 廊下は明るくて足下が明るくなる。
 半開きにしたドアから、屈託なく笑う愛宕を見た。

「よかった、元気そうじゃない」

 愛宕は開けられたドアを最後まで開く。彼女の後ろからは島風と白露もいて挨拶をする。
 少し離れたところには木曾も立っていて、苦笑するように片手を上げる。
 鳥海は唾を飲み直してから聞く。

「どうしたんですか?」

 状況にそぐわない問いかけだと鳥海は思った。
 どうかしているから来てくれた面々に対して。




「お部屋におじゃましようと思って。いいよね?」

「それはその……」

 一歩引いて鳥海は渋るが、逆に愛宕は引いた分だけ前に進んでいた。
 つまり部屋の中に入る。

「大丈夫大丈夫、悪いようにはしないから。さ、みんなも入っちゃって」

「おじゃましまーす!」

「え、あの……」

 止める間もなく愛宕たちは雪崩れ込むように部屋に入ってしまう。
 鳥海は木曾に向かって助けを求める視線を向けるが、察してくれると思ったはずの視線は届かなかった。
 木曾は鳥海に耳打ちする。

「ま、諦めろ」

「ですが……」

 鳥海がはっきりした態度を取れない内に、三人からは遅れて木曾も部屋に入る。
 愛宕と白露が室内を物色し、木曾は窓を開け放つと窓際の壁に寄りかかってしまう。島風はちょこんとベッドの上に腰かける。
 あまりに自由な面々に鳥海は文句を言う気にもならなかった。

 居どころを失ったような気持ちの鳥海は、島風と目が合った。
 熱のある視線で、その目は何かを訴えかけてくるような強さがある。
 太陽を直視できないように目を逸らしてしまうと、外した視界の中で島風が頬を膨らませたように見えた。




「鳥海の部屋って小説が多いのね。きっちり並んでるし高雄みたい」

「活字ばっかり。マンガは置いてないのかな」

 愛宕と白露のほうを振り向くと、二人は部屋の本棚を眺めていた。
 本棚は五段式で文庫サイズだったら三百冊ぐらいは収まるはずで、今は隙間なく本が並んでいる。
 白露は推理小説のタイトルと難しそうな顔でにらめっこしていた。

「マンガは他の子が持ってるから読みたくなれば借りればいいですから。本当はもっと置きたいんですけど」

 置ききれなくなった分は提督の私室に移してある。
 そのどれもが本当に気に入っている本だった。
 本を読みたいという口実で訪ねられたし、もしも提督が興味を持ってくれるなら自分が好きな本のほうが嬉しい。
 提督は計算通りと言うべきか鳥海の置いた本を楽しんだ。そして鳥海が提督の部屋に行くのには口実なんて必要なかった。
 それは鳥海にとって甘くて痛い記憶で、思い出になりつつあった。
 どうしよう、苦しい。
 今の鳥海にとって提督との接点は刺激物になる。
 提督の私室はそのままになっている。
 だって、そうじゃない。あの人はまだ……。

「秘書艦さん、もっとぶっちゃけてみない?」

 白露がいたわるように言うも、鳥海はそっけなく返す。
 内心の思いは表に出ていないはずだった。

「私は正直なつもりですけど」

「それだったら」

 白露は手鏡を出すと鳥海に向ける。生気の薄い鳥海自身の顔が不安げに自分を見返していた。




「あたしでも愛宕さんでも他の二人でもいいし、鳥海さん本人にでもいいけど……本当にそう言えるの?」

 嘘はない。そんな嘘を鳥海は胸内で呟いた。
 白露は真剣な眼差しを向けていた。

「あたしはこれでも時雨には色々話しててね、ワルサメと春雨のことも。秘書艦さんにだって話したし。全部じゃないけど。
 でも話して聞いてもらえると、整理できて楽になることってあるはずだよ。洗いざらい話してなんて言わないけど、少しぐらいだったら」

 白露は手鏡をしまうと元気よく朗らかに笑う。

「あたし嬉しかったんだよ。気にしてくれる人がいて。だから秘書艦さんも自分がつらい時にはつらいって言ってもいいと思うの」

 愛宕は包み込んでくるように優しい顔で笑う。

「言いたいことは全部言われちゃったし、お姉ちゃんでいるのって大変ね。いいんだよ、少しぐらい楽にしたって。それとも私じゃ頼りないかな?」

 愛宕が手を広げると、反射的に鳥海が一歩引いてしまう。

「……やめてください」

 振り絞るように声を出す。体は身を守るように縮こまらせている。

「私なんかにそんな優しい言葉をかけないでください。平気なんです、ここに戻ってからだって秘書艦として動けてたんです」

「……普通にしてたのがおかしいのに」

 島風が伏し目がちに言う。膝の上に置いた手を硬く握り締めていた。

「確かに普通っぽく見えてたな」

 今や木曾は壁から背を離して直立不動の体勢で鳥海に眼差しを向ける。

「そうじゃないって島風は言いたいんだな?」

「うん。だって、あの鳥海さんだよ? いの一番に提督を心配してたのに、平気そうにしちゃって」




「俺たちが不安にならないように無理をしてたんじゃないのか?」

 木曾は島風に、というより鳥海に聞く。

「無理なんて……」

 していた。していなかった。どっちだろう。
 どっちにしても、いつものように振る舞うしかなかった。必要だと思ったから。耐えられなかったから。
 それは間違ってなかったはず。
 鳥海は首を横に振る。無理はしてないと言うつもりだった。

「どうすればよかったんですか」

 出てきたのは別の言葉だった。意図に反しているのに鳥海の口は滑らかに動く。

「司令官さんがいなくなって泣いてればよかったんですか。何もできない、寂しい苦しいって弱音を吐いてれば、みんなはそのほうがよかったって言うんですか。そうじゃないですよね!」

 呼吸と一緒に言葉を吐き出して、肩で息をしながら四人を見ていく。
 心がささくれ立っているのを鳥海は自覚している。それでも自制はできそうになかった。
 そんなに本心が知りたいのなら聞かせてあげればいい。望んだのはあなたたちなんだから。

「悲しんだって苦しんだって司令官さんがどこにもいないんです! だったら泊地を立て直して備えるしかないでしょう! 他にどうしろと」

「……どうしたらいいのかは誰にも分からないさ、鳥海」

 消沈したように木曾は言う。彼女の視線は憐れみの色を宿しているように鳥海は感じた。
 鳥海はその視線に反発していた。

「分からないなら私にこうしろとかああしろとか言わないでください! そんな目で私を見ないで!」

「秘書艦さん!」

 口を出してきた白露を鳥海は鋭く見る。

「白露さんはワルサメのために全力を尽くせたでしょう! 私は何もできなかったのに……」

「鳥海、あなた――」

 愛宕が手を伸ばすと、その手を鳥海は払う。




「やめてください! 司令官さんの身に危険が迫ってるのに気づいてたのに見殺しにしたんです!」

 見殺しに。勝手に殺さないで。摩耶には怒ったけど、本当は認めてしまっている。
 司令官さんはもう戻らない。そんな確信がある。それは殺してしまったのと同じだった。
 視界が歪みそうになって鳥海は目をきつく閉じる。

「なんで私はそばにいなかったんですか……司令官さんはMI作戦にちっとも乗り気じゃなかったのに、私はやる気なんか出しちゃって……」

 意欲なんか見せなければ、提督は理由をでっち上げて鳥海を近くに留めていたかもしれない。
 命令である以上、そんなことはないかもしれない。だけど、もしかしたらと鳥海は考えてしまう。
 もしMI作戦に反発していれば。初めからトラック泊地に留まっていれば。もっと積極的にMI作戦の中止を進言していれば。単身でもトラック泊地に向かっていたなら。
 巻き戻せない過程がまざまざと甦ってくる。提督を救うための、今を変える転機はいくつもあった。
 何よりも鳥海が思ってしまうのは。

「なんで私じゃなかったんですか……」

 鳥海は瞳をにじませて目を開く。行き場のない衝動を自身と、一番近くにいた愛宕に向ける。

「私が代わりに消えてしまえばよかったんです! もう一人の鳥海じゃなくて私こそ沈んでしまうべきだったのに!」

 愛宕は驚き目を見開く。震える声で辛うじて聞く。

「本気なの……?」

 鳥海は俯き、愛宕は唇を噛む。

「あの人を守れなかった私なんかが」

 鳥海の言葉が終わらない内に動く者がいた。
 二人の間に割って入った島風で、水気のともなった音が部屋中に異質な音を響かせる。
 平手が鳥海の頬を打っていた。
 島風から耐えるような声が出る。

「ふざけないで」




 一転して静まり返った部屋では、島風の喘ぐような呼吸が一番大きな音になっていた。
 顔を上げた鳥海に対して島風は頭を垂れている。

「本気で言ってるんだよね……鳥海さんは、冗談でそんなこと言う人じゃないから」

 鳥海は張られた頬に手を当てる。
 熱くて痛い。その痛みには覚えがあった。肉体とは別の場所に感じる痛みに覚えが。
 島風が顔を上げる。その目からは抑えきれない感情が形になってあふれ出そうとしている。

「提督がいなくなったのは自分のせい? 違うでしょ、そんなのは鳥海さんの思い上がり!」

「何が分かるんですか!」

 言い返す鳥海だが、島風の剣幕はそれ以上だった。
 島風は勢いよく首を横へ振る。白い頬が上気していた。島風は怒っている。

「分からないよ! 今の鳥海さんなんて分からない! 分かりたくない!」

 島風の頬が濡れている。湿り気のある声で島風は激情をぶつける。

「私たちだって提督を守れなかったんだよ! 悲しいんだよ! それなのに鳥海さんまで……そんなのひどいよ! いなくなっても誰も喜ばないのにひどいよぉ……」

 言われて鳥海は初めて、自分を見ていた愛宕の本当の表情に気づく。
 沈んでしまったほうがいいと言った時、今まで見たことないぐらい悲しい顔をしていた。
 そして島風は喉を震えさせながら見上げてきている。怒りの奥にあるものも鳥海は知っている。

「そんな勝手言うならっ……今度は私が、何度だってっ……」

 鳥海は自然と島風を抱きしめていた。心からの感謝を込めて。

「ごめんなさい……」

 島風はされるがまま声をかすれさせる。

「いたいよぉ……」

「ごめんなさい……」

 鳥海は自然と涙が出てきて、少し前に感じたみっともなさの正体に気づいた。
 あの涙は司令官さんのためでも他の誰のためでもなく、ただ自分のためだけに泣いていたから。
 私は私だけを憐れんでいた。自分しか見えないまま。




 島風が落ち着いてから愛宕が聞いてくる。

「これでもまだ、ここにいないのがあなたのほうがよかったなんて思う?」

「いえ……」

「よかった……あんな悲しいことは考えないでほしいな。あなたを心配してくれる人がいるんだから」

 愛宕は心底ほっとしたように言い、白露もそれに同調する。

「そうだよ、秘書艦さん。誰も誰かの代わりにはなれないし、なっちゃいけないんだよ。もっと自分を大事にしなきゃ」

 白露は快い笑顔で胸を張り、そして木曾がしめやかに言う。

「……俺たちの提督はいなくなっちまった。もし誰かが悪いっていうなら、それは誰かじゃないんだ」

 木曾の声に悔しさがにじんでいるのに鳥海は気づいた。
 ここに来てからずっとそうだったのかもしれないと、鳥海はようやく思い至る。

「鳥海があいつを失ったことを自分だけの責任みたいに感じてるなら、それは間違いだ。それは俺たちみんなが背負ってるんだよ」

 鳥海は頷く。
 木曾の言う通りだった。
 私は――いえ、私たちは。みんな司令官さんを失っていたんだ。
 いつから私は自分しか見えなくなっていたんだろう。
 目覚めた時に焦燥を感じたのと同じだ。
 何かを変えなくちゃいけない。心はそれを分かってしまっていた。憐憫なんて望んでいなかったんだから。
 ごめんなさい、司令官さん。私はもう悲しんでばかりいられないみたいです。
 鳥海は前を向こうと決めた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は立ち直り始めたその日の内に、少しでも多くの艦娘と話そうと思い立った。
 そこで真っ先に話そうと頭に思い浮んだのが高雄だ。
 提督の執務室で高雄はその日の仕事をこなしていて、鳥海が訪れた時には区切りがついていた。

「ご迷惑をおかけしました」

 鳥海は素直に頭を垂れる。

「本当にその通りよ」

 高雄の声には言葉とは裏腹にとげはなかった。

「ほら、顔を上げなさい。鳥海は吹っ切れたの?」

「いえ、そこまでは」

「でしょうね」

 顔を上げた鳥海が正直に答えると、高雄も得心したように頷く。

「私はあなたの姉でもあるし、第八艦隊で言えば副官になるのよ。もう少し頼りなさい」

「はい、姉さん」

 飾り気のない言葉だが、鳥海の気持ちは高雄に伝わったようだった。
 よかった。後味の悪い別れ方をしていたから。

「それで今日はどうするの? 仕事はほとんどないけど」

「今日も姉さんにお任せします。私はみなさんと話していきたいと思いますので」

「それなら今日だけと言わず、しばらくそうしててもいいわよ」

 鳥海は少し考えてから姉の提案を受け入れることにした。
 後任の提督がやってくれば、今までとは勝手も変わる公算が高い。
 今の間しかできないことがあるような気がしていた。摩耶にも謝らないと。




「私もあなたに言ってなかったことがあるの」

 高雄は神妙な顔で言い、鳥海は佇まいを正す。

「提督が好きだったの」

 鳥海は無言で高雄を見る。高雄の指にカッコカリの指輪はない。
 その意味は想像がついていて、鳥海は彼女なりに考えてから言う。

「……もしかしたらとは思ってました」

 これは嘘だった。もしかしたらなんて疑いではなく、違いないという確信を抱いていたから。
 もっとも初めから高雄の気持ちに気づいていたわけじゃない。
 鳥海も提督に思いを寄せるようになってから、高雄の示す反応の意味に気づいて察したというのが正解。

「姉さんは私を……」

「待って、何も言わないで。私の気持ちは終わっていないといけないものだから。私はあなたも好きなのよ」

 その好きの意味が違うにしても、どっちも代えがたいのは分かる。
 同じ気持ちを抱いているんだから。
 もし想いが同じなら、司令官さんと高雄姉さんが一緒になっていたら――少し考えてしまう。
 だけど想像が形にならない。
 想像できないんじゃなくて、想像したくないんだ。
 口でどう言って頭でどんな仮定を組み立てても、本当に司令官さんと他人の形を望んでいなかったということ。
 そこは私の居場所だったんだから。

「これからもよろしくね。私もあなたを当てにするわよ」

 鳥海は頷くと部屋を辞した。
 それから摩耶を探して謝って、不在の間に臨時の秘書艦を務めていた嵐と萩風とも話し、その後は手当たり次第だった。
 提督のこと、鳥海のこと、彼女たちのこと、将来のこと。話すことはいくらでもあった。




 その夜、鳥海はひっそりと部屋を抜け出し外に出る。
 空には青白い月が天に昇っていた。
 月明かりの降りてきた車道を鳥海は歩いて行く。
 そうして彼女は見つける。

「こんばんわ、多摩さん」

「にゃ? なんで鳥海がいるにゃ?」

 驚いた様子の多摩に鳥海は笑い返す。

「木曾さんに教えてもらいまして。詳しくは聞きませんでしたが」

「そういうことかにゃ。木曾も口が軽いにゃ」

「そんなこと言ってはダメですよ。木曾さんも多摩さんを心配してるんですから」

 多摩ははぐらかすようににゃあにゃあと言う。
 鳥海は多摩の隣に並ぶ。見えないものを探して、それはやはり見つかりそうにない。

「鳥海は何も悪くなかったにゃ」

 多摩は顔を向けずに、呟くように言った。
 夜に溶け込んでしまう声に鳥海は答えられない。
 多摩が続けて言う。安心するように。

「……やっと言えたにゃ」

「やっと?」

 聞き返すと多摩は鳥海を向いて笑う。

「ずっと言いたくって言えなかったことにゃ」




 多摩が天を仰ぐと、鳥海も一緒になって見上げる。
 自然と言葉が出てくる。

「悲しみの時も、病める時も健やかなる時も……」

「多摩は鳥海とケッコンする気はないにゃ」

「私もですよ。ただ西洋の宣誓ですけど、なかなかどうしていい言葉だと思って」

「……同感にゃ。理想はこうでなくっちゃいけないにゃ」

 現実は、死が私たちを分かつまで。
 鳥海はいつか感じたことを思い出す。

「私は……進もうと思います。司令官さんなら、たぶんそうしてほしいと思ってくれるから。信じたいんです。司令官さんなら私を信じてくれるって」

 これは別れの言葉になってしまうの?
 分かっているのは、何も投げ出す気はないということだけだった。
 怖くても変わっていくしかない。そうしないと無為になってしまう。
 鳥海は踵を返す。

「夜更かしは体に毒ですよ。ご自愛くださいね」

「分かったにゃ」

 鳥海は戻り始めてすぐに立ち止まると、多摩の背中に声をかける。普段よりも声を大きく張って。

「多摩さんも悪くないですよ」

 多摩の背中がぴくりと震える。空を仰いだままだった。

「うん、ありがとうにゃ」

 手を振り返す多摩を背に、鳥海は泊地へと戻っていく。
 胸の内にあるのは実感だった。
 提督がいないという痛みのある実感。進むしかないと決めた硬い実感。変わっていく自分への恐れという実感。

「私たちは分かたれてしまったのですか?」

 空に向かって聞く。
 分かれてしまうのは終わりの時だと鳥海は思っていた。
 だけど私は、私たちはまだ何も終わっていない。
 答えが見えないからこそ終われなかった。
 信じよう。積み上げてきたという、実感を。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 提督は目を見開くと息を吹き返す。
 そのまま咳き込みだすと急速に意識が覚醒していく。
 苦しげに喉を喘がせ、胸が膨らんでは潰れるかのように上下する。
 状況が飲み込めないまま、提督の体は溺れるように酸素を求めていた。
 しばらく荒々しい呼吸を続けていくと、徐々に正常な調子を取り戻していく。

 そうして提督は状況に思考を巡らし始める。
 すぐに思い出せたのは自分が何者かで、今はどこかで寝そべっている。そして青い目のヲ級に何かをされたということだった。
 震える手で体を触る。異常はないらしかったが、自信を持てないまま体を起こす。
 拘束の類はされていないが、足は素足で服も着せ替えられていた。
 深海棲艦がよく使用している脱色されたような色合いのローブだ。胸元がだぶついていて、提督は面白くもないのに失笑が出た。

 部屋は青白い光に照らされていて丸かった。
 入り口は開いている。というよりドアがなかった。その先は通路のようだが、どこに通じているかは見当もつかない。
 その入り口から誰かが覗いていた。
 白い顔に白い髪の少女が入り口の端から隠れるように見ている。
 提督と少女の目が合う。即座に少女は驚いて逃げ出す。

「ま……」

 呼び止めようにも声が出ないで代わりにむせた。通路の先に消えていく少女は後ろから見ても真っ白だった。




 追ったほうがいい。おそらく、あれは深海棲艦の姫だ。
 提督は寝台らしい場所から起き上がるが、平衡感覚が不安定だった。
 波に揺られるような感覚をこらえて、壁に手を突きながら白い少女のあとをできるだけ急いで追う。
 黒い蝋を固めたような壁と床で、触った感触は冷たいが走っても痛みは感じない。
 通路の奥に着くと、道が左に折れ曲がっていた。
 提督は曲がろうとして、すぐ足を止めざるをえなくなる。
 待ち構えられていた。

「港湾棲姫……」

「人間ハ私ヲソウ呼ンデイルノダッタナ」

 港湾棲姫は通路を塞ぐように悠々と立っていた。
 無表情でどんな感情や意図を持って対峙しているのか分からない。
 その港湾棲姫の後ろに隠れて、先程の少女がこちらの様子を窺っている。
 二人は似ていて、姉と妹のようでもあるし母と娘のようでもあった。
 そのせいだろうか、怖さを感じない。
 どうにもならないな。そう認めてしまえば、かえって腹が決まった気にもなる。

「ここはどこで、俺に何をした?」

 提督が思い切って聞いてみると、港湾棲姫はすぐに答えた。
 それは裏を返せば知られても困らない、ということでもある。

「君タチノ言葉デ言ウト……ガダルカナル島ダ。聞イタコトグライアルダロウ? ココハ我々ノ拠点ダ」

 ガ島を知らないはずがない。
 そこはかつての地獄の代名詞。今もそれは同じままらしい。





 四章に続く。


ここまで。これで全体の折り返しに届いたか届いてないかとかそんな感じです。
あとは坂を転がり落ちていくだけってことで。
次章も気長にお付き合い頂ければ幸いです。

乙乙

乙ありなのです!
深海組に関しては独自要素がマシマシです。今更ですかね?



 好奇心、猫を殺す。
 ことわざと呼ぶらしい。ことわざとは喩えらしい。
 喩えとは別の言い回しだそうだ。
 そう説明された時に、私は思った。
 艦娘は変わっていると。転じて言えば、彼女たちに影響を与えた人間を変わっていると感じたとも言える。
 思ったことなら直接言ってしまえばいい。もし言えないのなら、その気持ちは秘めておくべきだ。
 それを遠回しにでも伝える試みというのが、私にはよく分からなかった。

 今はどうだろうか。
 理解できたとは言いきれない。
 しかし、そういうものが生み出された理由もおぼろ気に分かるような気がする。
 必要と感情が反発した時、その折り合いをどうしてもつける必要があったのではないだろうか。
 感情とは声だ。内から沸き上がる声は種火だ。何かがきっかけで燃え広がる。

 好奇心、猫を殺す。
 これは人間の場合だ。
 私の好奇心は、人間を殺した。
 そう、深海棲艦の好奇心は人間を殺す。
 私の興味は、ある男を終わらせた。

 命は脆い。それは深海棲艦とてなんら変わらない。
 燃え広がれば、やがて灰になって燃え尽きるだろう。
 私は、我々は屍の上に立っている。折り重なるそれを犠牲や礎と呼ばれることがある。
 本当にそう呼んでいいのか、今になっても私には分からないままだった。




四章 深海棲艦


 空は高く、青の色が突き抜けるように広がっている。
 刺すような日差しが照りつけてきていた。目をすがめると、すぐ近くは海岸になっている。
 本当にここがガダルカナル島かは分からないが、南方の島の一つなのは間違いないようだった。
 提督は港湾棲姫と白い姫らしき少女に案内されて、ガ島の地を踏みしめていた。
 濃密な緑が多いせいか、トラックよりも蒸し暑い空気は湿ったように重くて体に貼りついてくるようだった。
 重苦しさを感じてしまうのは、自分の命を握る港湾棲姫の動向が読めないためか。
 あるいは、まだこの島には怨念が滞留してるように考えてしまうせいで。

「俺を外に出してもよかったのか?」

「何カ……デキルノ?」

 それはその通りだった。
 現在地が分かったところで、提督にはガ島から脱出する手立てがなかった。
 それを承知した上で港湾棲姫も屋外に連れ出したのだろう。

 白い少女が港湾棲姫のかぎ爪めいた手を握りながら提督を見ている。
 少女は奇異の視線、というよりは好奇の眼差しを向けてくる。
 居心地の悪さは感じないが、提督としてはどう受け止めていいのか困るところだった。
 ワルサメと話した内容を提督は思い出す。あの時、出てきた名前は。

「ホッポ?」

 白い少女は驚いたのか、港湾棲姫を壁にするように後ろに隠れてしまう。隠れきれていないが。
 この反応からすると、彼女がホッポで間違いないと提督は確信する。
 人見知りなのかもしれないが、この状況で怖がらないといけないのは俺じゃないのか。
 提督はいくらかの困惑を抱えたまま港湾棲姫を見ると、読めない表情を寄こす。




「ホッポヲ知ッテイルノカ?」

「ワルサメから聞いていた」

 正直に答える。するとホッポが顔を出す。
 丸い瞳がこちらの顔を覗き込むように見つめてくる。

「ワルサメ……元気?」

 ……なんだ、これは。どう答えるのか試されてるのか?
 ホッポは提督を直視している。港湾棲姫までもがまじまじと見つめてくる。
 提督は固唾を飲んだ。

「しばらくは一緒にいた。でも今は遠くに行ってしまったんだ」

 元気かどうかは提督には答えられなかった。
 港湾棲姫が聞いてくる。

「ワルサメニ何カシタノ?」

「話を聞いて話をしただけで悪いようにはしてない」

 ワルサメのことをどこまで知っているんだ。提督は考える。
 深海棲艦――あの時いた空母棲姫がワルサメを攻撃したことは、どう扱われているのか分からない。
 その事実はもみ消されて、艦娘たちの攻撃で沈んだことになっている可能性も高い。
 だとすれば恨んでくる理由は十分にある。
 しかし港湾棲姫はそういった負の感情を見せることなく言う。

「提督ヲ連レテキタノハ、ソノ話ガシタカッタカラ」



 どういうことだ。
 そのために俺をさらってきたのか。危険を冒してまで?
 提督はぼやくように呟く。

「……最初から招待状でも出せばいいものを」

 あながち嘘でもない。
 ワルサメから聞いていた話の限りでは、港湾棲姫となら接触してみてもいいと思っていた。
 それがこんな形で実現するとは、提督も考えてもいなかった。

「俺も港湾棲姫とは接触してみたかったが……」

「コーワン?」

 ホッポが疑問を浮かべるように口を挟んでくる。

「人間ヤ艦娘ハ私ヲソウ呼ブノ」

 ホッポの疑問に港湾棲姫はしっかり答える。
 ワルサメから聞いた港湾棲姫の名は文字化けした名前を無理やり呼んでるようなもので、人の身には発声できそうになければ頭も理解を拒もうとしてしまう。

「コーワン……コーワン! カワイイ!」

「エ……」

「コーワンコーワン、コーワンワン!」

 鼻息荒くホッポは盛り上がっている。
 どうやら何かの琴線に触れたらしく、港湾棲姫もその勢いにたじろいでいる。
 そのまま提督に助けを求めるような視線まで向けてくる。




「あー……ワルサメの話を聞きたいんだな?」

 上手くは言えないが調子が狂う。
 初めからあったかも疑わしい毒気と一緒に、提督は気が抜ける。
 ワルサメという深海棲艦を知っていたからこそ、そうも感じられるのかもしれない。

「ソレニ……艦娘ヲ束ネル提督トイウ存在ニモ興味ガアル」

 港湾棲姫はホッポの手を引きながら歩き出す。最初に来た建物の方向に向かって。

「部屋ニ案内シヨウ」

 大人しく従う以外の選択はなかった。
 外に出た時と同様に港湾棲姫が前に立って歩くが、その時とは違って今度はホッポが話しかけてくる。

「テートハテートクデイイノ?」

「ああ、提督は提督だからな」

 見上げてくる視線に提督は頷く。どういう受け答えだ、とも思わなくもなかった。
 ホッポははしゃいだ様子で聞いてくる。

「テートクハ、ゼロ持ッテル!?」

「ゼロ?」

「ブーンッテ、オ空ヲ飛ブノ!」

 手を広げたりばたつかせる手ぶりを交えて、ホッポはゼロが何かを提督に伝えようとしてくる。
 零戦のことか。今はどこも機種転換が済んでるから、運用しているところは残ってないかもしれない。




「ごめん、今は持ってないんだ」

 ホッポは残念そうにしょげる。
 正直に受け止めていい反応かが提督には分からない。
 無邪気さの陰で鹵獲して研究したいという意図があるんじゃ?

「速クテカッコイイノニ!」

 ……邪推しすぎなんだろうか。

「この子も姫なのか?」

 こちらを窺っていた港湾棲姫に聞く。

「見テノ通リ」

 肯定、ということか?
 どうにも捉えどころのない連中だと提督は思う。
 捕虜につけ込ませないためには、これが正解なのかもしれないが。

 港湾棲姫が誘導する形で三人はいくつかある建造物の一つに入る。
 大きさは違うが、どれも作り自体は変わらないように提督には見えた。
 太陽の下では黒い外壁の建物はさほど不気味さはなく、むしろ同じような建物がいくつもあるのは一つ一つの没個性を感じてしまう。

 建物の内外ではホッポと同じか、それよりも背の小さい小鬼たちが何かを運んだり衛兵のようなことをしている。時折、金切り声が聞こえて驚くこともあった。
 と号作戦の終盤に襲撃をしかけてきたのと同類のようで、どうもこの小鬼たちが艦娘でいう妖精と同じ存在らしい。
 深海棲艦なのに地上に拠点があるのは、これが一因なのだろうか。
 単にいくら深海棲艦と言えど、海底に何かを建造するのは楽じゃないのかもしれないが。
 ここまで踏み込んだ話は聞いても答えてはくれないだろう。



 あれこれ考えている内に通された部屋は小さな個室だった。粗悪な牢屋ではない。
 ただ内装を見ると、提督は首を傾げざるを得なかった。
 机と寝袋が置かれている。
 まず机は黒檀でできてるかのように重厚な作りで、細部にまで凝った装飾が掘られている。
 一方で寝袋は量販店にでも行けば容易に手に入りそうなもので、黄の蛍光色で存在を主張していた。
 この場所という条件を無視しても、高価であろう机とかたやありふれた寝袋という組み合わせは調和が取れていない。
 そんな提督の気分を察したように港湾棲姫が説明する。

「コレハカツテノ略奪品」

 姫が言うにはまだ深海棲艦が認知されてない頃、あるいは人類が独力で対処できると信じていた頃には船舶が当たり前のように航行していた。
 その頃に襲撃した艦船から、使えそうな物や興味を引く物があれば奪取していたという。

「コウイウ物ヲ欲シガル者ハイナクテ……変ワリ種ト言ワレタ……」

 表情が読めないと思っていた港湾棲姫だが、この時ばかりは気落ちしているように提督には見えた。

「……そう、しょげることもないだろ」

 提督は港湾棲姫を慰めるような自身に向けて苦笑した。

「俺は別に嫌いじゃない。こういう組み合わせも」

 机の上には文具など何も置かれていなかった。
 そういう発想が初めからないのか、自殺防止のための処置かは判断がつかない。

 「ヲ」と入り口から奇妙な声が聞こえた。
 提督は入口を振り返る。肌が自然と粟だち、首筋を無意識にさすっていた。
 青い目をしたヲ級。それから提督のまだ知らない姫級らしき女がいた。
 白づくめで港湾棲姫やホッポに似た雰囲気があるが、右腕は黒い義手のようになっている。
 姫は値踏みするように提督を上から下まで見ていく。
 しかし、すぐに興味を失ったように視線を外すと、港湾棲姫に向かって話しかける。

「目ヲ覚マシタンダ。危険ヲ冒シタ価値ハアリソウ?」

「ソレハコレカラ」




 新手の姫は提督をもう一度見た。こいつは慎重で油断がなさそうだ。
 それにあのヲ級。提督はトラック泊地で襲われ、首筋に注射を打たれたのを思い出していた。
 今まで普通にしていたし、体に異常はなさそうだが……。

「アノ時ハ……眠ッテモラッタ」

 ヲ級はその場で頭を少しだけ前に傾ぐ。
 謝罪のつもりなのかと提督は一瞬頭を過ぎる。

「アノ島カラココマデ遠イ……」

「眠る?」

 ヲ級が小さく頷く。

「ホトンド死ンデイタトモ。次ハモウ……同ジコトハデキナイ」

 どういうことだと疑問に感じていると、白い姫が言う。

「仮死状態ニスル薬ガアル。ソウデモシナケレバ飲食モデキナイ航海ニ人間ハ耐エラレナイダロウ」

 そんな薬をどうやって発明して効果を試したのかは知らないほうがよさそうだった。

「モットモ二度ハ使エナイ。今度コソ体ガ拒否反応ヲ起コシテ持タナイ」

「アナフィラキシーショックみたいなものか……」

「ソレニシテモ我々ヲ怖ガラナイノネ、人間」

 姫の言葉にヲ級も同意する。

「確保シタ時ハ……モット動揺シテタ」

「じたばたしてもどうにもならないと分かればな」

 それに、もしも艦娘たちが自分の最期を知る機会が会った時に、みっともないと思われるのは悔しく思えた。
 こんな状況で張るような見栄でもないだろうに。



「揃ッタ所デ……ワルサメノ話ヲシマショウカ」

 港湾棲姫は厳かに言った。
 人外の視線を集めて、提督はトラック泊地でのワルサメの話をする。断れる立場でもないが、話す内容は慎重に選んだ。
 ワルサメが白露たちとどう過ごして、どんな顔をしていたのか。夕立のために何をしようとしたのか。
 何を考え、何を思ったのかは分からない。ただ。

「ワルサメは戦うのには向いてなかったと思う」

 提督の言葉に港湾棲姫は満足したように頷く。
 ホッポは途中で驚いたような声を出したり俯いてしまったりと感情の表現が多かった。
 ヲ級と白い姫に関しては、表情らしい表情が出なかったように感じる。
 港湾棲姫は言う。その目はとても穏やかに提督には見えた。

「提督。アナタガワルサメヲ沈メサセタノ?」

 あくまでも港湾棲姫は穏やかだった。
 ただ返答いかんによっては、という物騒な気配も感じる。
 深海棲艦にとってワルサメの顛末がどうなっているのか提督には分からない。
 分からないから拉致されたのかと、提督は今更ながら実感する。

「白露は本気でワルサメを助けようとしていた。それが適わなかったのは……残念だ」

「質問ニ答エテナイヨウネ」

 白い姫が口を挟むと、黒い右手をこれ見よがしに胸の前に上げる。
 威嚇のつもりなのだろう。

「アナタガ言ッタノハ艦娘ノコトヨ。聞イテイルノハ、アナタガワルサメヲ沈メサセタカドウカ」




 こちらも二度目はなさそうだった。
 いっそ適当に答えたりはぐらかせば終わるかもしれない。そう考えた提督だったが、すぐに声が出なかった。
 代わりに艦娘たちを思い出して、胸が締め付けられたように感じる。
 もし自分が死んだら彼女たちは悲しんでくれるのだろうか。泣いてくれるのだろうか。
 鳥海は、と提督の頭を秘書艦の顔が過ぎって思う。
 嫌だと。悲しませるのも泣かせるのも。
 そう考えた瞬間、提督の腹の内から声が出る。

「俺も助けたかった。ワルサメはもっと生きなくちゃ……生きていていい子だった」

 港湾棲姫だけを見据えて言う。他の姫やヲ級の反応は目に入らなかった。
 生きていいとか悪いとかはないと思う。それでもワルサメはもっと生きてよかったはずだ。
 たとえ今が春雨だとしても、それとこれは別だ。

「だけど、俺の判断があいつは……だから間接的に沈めたのは俺かもしれない」

 言わなくてもいいことだったのかもしれない。
 それでも提督は言わずにはいられなかった。自棄になったわけでも諦めたわけでもなく、みじめっぽく捉えているように思えた自身の考えに反発して。
 港湾棲姫は提督の目を見つめて、一言伝えた。

「食事ヲ用意サセル」

 白い姫は港湾棲姫を横目に見たが何も言わなかった。
 ホッポは安心したように息を吐き、ヲ級はよく分からなかった。
 首の皮が繋がったのを理解しつつも実感はできないまま提督は聞いていた。

「俺をどうしたいんだ?」

「言ッタハズ。提督ニ興味ガアルト」

 港湾棲姫は告げる。
 こうして提督の軟禁生活が始まった。


ここまで
一度でいいからスウェーデンに行ってみたいなと思いました

乙です



面白い

乙です


奇妙な生活が始まる

乙ありなのです。進みが遅いのはご了承を……。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 青い目のヲ級は提督に向かって言う。

「人間ハ不便ダ」

「どうしてそう思うんだ?」

「火ヲ使ワナクテハ食事モデキズ、水モ濾過シテ真水ニ代エル必要ガアル」

 ヲ級は提督の監視役だった。もっとも陸生への適応の問題で定期的に海中に戻りたがる。
 提督としては外出の口実にもなるので、その度にヲ級の目が届く範囲、海岸沿いには連れ立って足を運ぶようになった。
 今は集めた枯れ枝でたき火を行い、ヲ級が捕ってきた魚を簡単に捌いて串を通してから火にかけている。
 提督はいい具合に焼けた魚をヲ級に差し出す。

「焼き魚は嫌いか?」

「コレハコレデ乙……」

 ヲ級は焼き魚を人間の口のほうで食べ出す。
 食う寝るところに住むところ。という縁起のいい言葉があるが、ガ島では食べる場所があっても食べる物は保証されていなかった。
 提督に用意された食事は生魚で、その魚はアジの親戚のような面構えをしていた。
 提督が最初にしなければならなかったのは、このままでは食べられないという説明だ。
 ワルサメが料理を知らない時点で想像がついていたが、深海棲艦にとっての食事は栄養の経口摂取以上の意味合いはないらしい。
 そのくせ人型の深海棲艦には歯を磨く習慣はあったのだから、提督としては奇妙だとしか言い様がなかった。

 結局、港湾棲姫たちに衛生面の問題で生魚を食べるのは危険だと理解してもらい、代わりに火を起こす許可を取り付けて今に至る。
 実際にはさらにヲ級に鱗を落としたり血抜きの説明もして、それからようやく食べる目処がつくという有様だ。
 それでも提督は不満を漏らさないし、不満とも考えていなかった。
 深海棲艦しかいないガ島で、しかも虜囚の身であっても食事を取れるのは十分に恵まれてると思えたから。
 この島で過去に起きたことを考えれば、十分に恵まれている。




 提督は頭の片隅でそんなことを思いながら、ヲ級に渡したのとは別の焼けた魚を口に運ぶ。
 味付けもなく骨っぽくって身の少ない魚だったが、やはり文句は言わない。
 ただ今後もこんな魚を食べ続けて、最後の晩餐がこれかもしれないと考えると気は滅入りそうになる。
 気を紛らわせるようにヲ級を見ていると、気になることがあった。
 提督の視線に気づきヲ級は魚を頬張りながら見返す。

「頭のそれはどうなってるんだ?」

 ヲ級は感情に乏しい顔で叩くように頭の上に触れる。
 そこには深海魚と帽子を足したような別の頭があり、側部からは白い触手が布のように垂れ下がっていた。

「……クッツイテル」

 白い触手が頭の上で波に漂う海藻のように揺れ出した。
 喜んでいるのか、どうやら前向きな反応らしい。
 帽子のような頭にも意思があるようだが、ヲ級としての主導権は少女が握っているらしかった。

 意識を取り戻してから五日が過ぎて、少しずつ提督にも分かってきたことがある。
 海岸沿いにいると他の深海棲艦を見かけることがあり、比較的穏やかな気質の者が多いようだった。
 ホッポが絡むと顕著なようで、海岸でホッポがイ級やロ級たちと戯れていて、港湾棲姫がそれを遠望しているのを見かけたことが何度かある。

「今日モ……イイ天気ダ」

 そんなことを言い出すヲ級も穏やかな性格と言えるのだろう。
 何を考えているのかはよく分からないが、どうも色々と考えているらしい。
 ヲ級が言うには、海上に出てくるのは港湾棲姫の麾下にいる深海棲艦で、空母棲姫などの影響が強い深海棲艦は海底にいたがるという。
 そのためか今はまだ空母棲姫本人や、それに近いという深海棲艦には出くわしていなかった。

 意外だったが、先の攻勢がどうなったかヲ級が教えてくれた。
 マリアナに展開していた空母棲姫を始めとした深海棲艦の主力は、MI作戦を実行するはずだった艦娘たちが帰還したために撤退したらしい。
 襲撃されたマリアナの被害は小さくないはずだが、MI組は無事のはずだった。
 つまりは鳥海も無事ということで……提督は感傷的になるのを自覚して考えるのを一度やめた。
 まだ、ここで弱みに繋がることを見せてはならないと。




 ヲ級の監視の下で何食わぬ顔で魚を食べていると、いつの間にかホッポと白い姫が近づいてきていた。
 ホッポの近くには港湾棲姫か、この白い姫のどちらかが必ず近くにいる。
 保護者のような感覚なのかもしれないと提督は思う。

「コンニチハ!」

 ホッポが挨拶をしてくるので提督も返す。
 白い姫は何も言わなければ応じてこない。警戒感を持っているのは当然だと思い、提督は特に気にしない。

「名前……提督ハ言エナイ。ソレモ不便」

 ヲ級が脈絡もなく声に出す。
 深海棲艦の名前を文字にしようとすると、言語体系がまったく違うのか発声そのものができないからか言葉にならない。
 ワルサメとホッポは例外らしかった。

「代わりに名前でもつければいいのか?」

「……嫌」

 じゃあ、どうしてそんなことをいきなり言い出すんだ。
 提督はこの掴み所のなさから霰や早霜を思い起こす。

「ヲキュー」

 ホッポがヲ級の手を引っ張りながら言う。
 どうもホッポは覚えた言葉を使いたがるようだ。
 提督にはホッポが何歳かは分からないが見た目相応の反応だと思えた。
 その一方で話したことを吸収するように覚えていく辺り、利発な子だとも思えた。
 人間の言葉を覚えていくのを、港湾棲姫や白い姫がどう考えているのかはさておき。

「ヲキューハヲッチャン? ヲッサン?」

「……ドチラモ嫌ナ気ガシマス。ナゼカ」

 それはそうだろう。理由を伝えるのには苦労しそうだったので、提督は黙っていたが。




 すると今度はホッポが白い姫の手を引く。

「名前! ナンテ呼ブノ?」

 白い姫はホッポの髪を撫で返す傍ら、提督には射抜くような視線を向けてくる。
 未確認の姫である彼女には仮称の名もないし、深海棲艦としの名も提督には理解できない。
 今までは名前を呼ばない形で誤魔化してきていた。

「ソモソモ私ハドウシテヲ級?」

「由来があって日本……俺がいた国にはいろは歌という古い歌があって、深海棲艦の呼称はそこから取ってるんだ」

 提督は三様の視線を受けながら話す。
 ホッポとヲ級は歌ってなんだろうと思ってそうだが、そのまま提督はいろは歌をそらんじてみせる。
 九九と同じで暗記して以来、そう簡単には忘れられそうになかった。

「ドウイウモノナノ?」

「決められた文字数で言葉を繋いで意味のある文にしてるんだ。しかもこれは全部違う仮名……音で表わしてるんだ」

「フーン」

 ホッポは分かってるのか分かってないのか。
 ヲ級の質問が続く。

「ソノ歌トヤラカラ我々ノ名ヲ?」

「そう。そこからさらに艦種ごとに分けてな。駆逐艦ならイとロ、空母ならヌとヲ」

 他にも新種が発見された時のために空きも存在する。
 例えば軽巡クラスならツ級。重巡ならネ級というように。
 レ級なんて例外もあるが……そういえばここにもレ級はいるのだろうか。幸いというべきか、未だに出くわしてないが。




 ホッポが改めて聞いてくる。

「デモ、コーワンハ違ウヨネ?」

「姫たちは艦種や特徴からつけてるんだ。実際に姫っていうのは他の深海棲艦とは少し違うんじゃないか?」

 提督の言葉に深海棲艦たちは答えない。言葉に詰まるような沈黙に彼女たちも答えを持ち合わせていないのかもしれないと提督は考えた。

「それはともかくワルサメも最初は駆逐棲姫という名前で呼んでた」

 もっともトラックでは途中から誰もそう呼ばなくなっていたが。

「そこの姫は港湾棲姫みたいに特徴か印象で名前をつけられるじゃないかな」

 それがどんな呼称になるのかは提督にも分からない。
 そもそも特徴もよく分からないし、それは聞くに聞けない内容だった。
 戦闘能力に直結するような話を嬉々として語るタイプには見えない。

「――サシズメ飛行場姫カ」

 白い姫は自ら言う。

「私ハ航空機ノ運用ニ長ケテイル。モチロン水上戦闘ニモ自負ハアルガ」

「……いいのか、そんな話をして」

「アイツヤソコノナドト呼バレルヨリハイイ」

 提督は納得すると同時に威圧もされた。




「以後は気をつける、飛行場姫」

 提督が確認の意も込めて謝ると飛行場姫からの視線はいくらか和らいだような気がした。
 特徴について話すということは、飛行場姫からすれば提督は問題にならない相手と考えているのかもしれない。
 現実問題として提督にガ島から脱出する算段はない。
 いくら知られたところで何も影響はないと考えているのかもしれなかった。

 提督は奇妙に感じた。
 現状を楽観視こそしていないが、そこまで悲観もしていない自身に気づいて。
 予想外の平穏だった。
 深海棲艦の拠点である以上、もっと口では言い表せないような目に遭ってもおかしくない。
 それが浜で魚を焼きながら姫を含んだ深海棲艦と雑談に興じている。
 違和感を抱きながらも、それを受け入れ始めているのを提督は実感している。
 そして考えてしまう。
 この連中とならばと、戦う以外の可能性を模索してみたくなる。

 しかし全ての深海棲艦がこうでないのは提督も承知していた。
 だからこそ受け入れつつある一方で、染まってはいけないとも強く思う。
 完全に気を許してはならない。この和やかな空気を壊したくないと考えてしまうとしても。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その遭遇は突然だった。
 港湾棲姫たちと出会ってから二週間が過ぎたその日、提督は寝袋に入って寝付き始めていた。
 部屋の外でいくつもの声が重なって聞こえるのに提督は気づく。
 いぶかしんでいると、部屋に声の主であろう一人が入ってくる。

「本当ニ人間ガイル」

 提督の姿を認めると、驚きとも軽蔑とも、喜びとも取れる声を出したのは空母棲姫だった。
 ワルサメを巡って生起したトラック諸島沖海戦を思い出して、提督は自然に跳ね起きると警戒する。
 あの時、通信とはいえ交渉のやり取りをしたのを覚えているのだろうか。
 悠々と歩き近づく姿は姫を気取っているようだった。いや、実際に姫なのか。
 空母棲姫のすぐ後ろから港湾棲姫が現れると、その肩を掴んで引き止める。

「余計ナ真似ハ困ル」

「アラ、余計ナンテ心外ネ。私ハタダ噂ノ真相ヲ確カメニキタダケ」

 空母棲姫は笑いながら肩に置かれた手を払うが、両者の間には無言の重圧があった。
 提督は居合わせているだけで息が詰まりそうになり、冷たい汗が吹き出してくる。
 この二人は仲が悪い。それもおそらくは致命的なまでに。
 さらに別の二人が部屋に入ってくる。飛行場姫と提督がまた知らない姫だった。

 知らない姫は一糸纏わない姿に見えるが、正確にはボディスーツのような物を着ているようだ。局所などが見えないということは。
 肉付きのいい体をしていて、妖艶な気配を振りまいている。
 人間を歯牙にもかけていないのか提督の視線には無頓着だった。
 提督も生理的な反応は示すが劣情は抱かなかった。むしろ本能的な危険を感じ取る。
 飛行場姫ともう一人が現れたことで、港湾棲姫たちの間にあった緊張感が薄らぐ。

「前ノ戦イデ妙ニ積極的ダッタノハコノタメ?」

 空母棲姫は顔で提督を指す。小ばかにしたような顔だった。




「ダトスレバ……ドウダト?」

「イエネ、アナタニモ深海棲艦トシテノ自覚ガアッテウレシイノヨ」

 もう一度空母棲姫が提督を見て、そこで提督は自分の正体に気づいてるのを察した。

「アレハ艦娘ドモノ司令官デショウ? 人間一人デモ利用価値ノアル人間ダワ。立場デアレ情報デアレ」

 知らない姫も口を挟んでくる。

「体モ貴重ダ。五体満足ノ人間ハ珍シイ。捨テルトコロガナイ」

「私ハソッチニ興味ナイケド、アナタガサラッタ人間ハ有用ナノヨ」

 提督の話を提督がいないかのごとく進めていく。
 彼女たちからすれば提督は人間か提督という単位の物に過ぎないのだろう。
 分かりやすくていい。気を許さなくていいことなのだから。
 ……しかし港湾棲姫や飛行場姫にとってもそうなのだろうか?

「コノ男ノ管理権ハ私ニアル。干渉ハヤメテモラオウカ」

 港湾棲姫から機械的な言葉が出る。
 二週間程度の接点しかないが、これが表層的な態度なのは提督にも分かった。
 それは裏を返せば、他の姫たちにも分かるということだ。
 膠着しそうな空気を破ったのは飛行場姫だった。

「込ミ入ッタ話ハ他デヤルベキデハ? ソノ人間ニハ耳ガアレバ目モアル」

「一理アルナ」

 飛行場姫に真っ先に賛意を示したのは見知らぬ姫だった。




「気ニスルコトガアルノ?」

 あざ笑う調子の空母棲姫だったが、他の三人に反対してまでとは思わなかったようで従っていた。
 四人は部屋から出て行く。
 出て行く間際、港湾棲姫が何か言いたそうな顔で振り返ってきたが何も言わなかった。
 あるいは提督にそう見えただけで、何かを言う気はなかったのかもしれない。

 事なきを得たが、提督を取り巻く状況は提督が考えていたよりもずっとよくないようだった。
 提督は自身の生殺与奪を握られたままなのを痛感する。
 なんとかしなくては。残された時間はそう多くないはず。
 空母棲姫が提督の存在を確認した以上、今後は監視の目がもっと強化されるはずだった。
 仮初めとはいえ保証されていた自由がどうなるかも分からない。

「俺にできること、俺にしかできないこと……」

 前者はまだしも後者はないかもしれない。それでも何かしなくては。
 しかし今夜はもう動きようがない。
 もどかしい気持ちを抱えながら、提督は再び寝袋に入る。全ては明日からだと自身に言い聞かせるようにして無理にでも眠りにつく。
 自然と見上げる天井には青白い照明が揺れている。
 水底から太陽を見上げると、このように見えるのかもしれない。
 ……深海棲艦は太陽が恋しいのだろうか。


いざ投下すると短いけど、今回はここまで
次はこのまま深海側の話を続けるか、鳥海たちにいったん話を移すかは思案中。順番が変わるだけで、どっちも書くわけですが

うーん面白い

好きにやっていいのよ キリがいい所でとか

おつ

乙乙
続きが気になる

乙ありなのです

>>433
了解でち。今までも割と好き勝手ですが
好きでもないことを何万文字も書けるほど、私はタフじゃないのです……

>>435
続きはねえ……私の書くことだから、ロクなことになりませんよ



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 明けて翌日。提督は朝一番に港湾棲姫の来訪を受けた。
 普段とは違いホッポもヲ級もいない。
 用があるのは空母棲姫たちとの接触があったからだろうと容易に想像できた。

「提督、私ト来テモラウ」

 告げられた声には提督の予想を裏付けるような硬さがあった。
 そうして提督が連れて来られたのはトンネルのような奥行きのある空間で、木箱や船舶の備品らしき物が集積されては不規則に置かれている。
 無機物の山は海に浮かぶ島々のように点々と奥へと繋がっていた。その先は夜の海のように見えなくなっている。

「ゴミ捨て場か?」

「君ノ目ニハソウ見エテモ、ココハ倉庫ヨ」

 過去に戦利品として略奪したという人間の物が保管されている、と港湾棲姫は提督に説明した。
 提督は手近な塊を見る。
 浸水、火災、あるいは砲雷撃による直接的な被害を受けたのか損傷が著しい物も少なくない。
 港湾棲姫は倉庫と言ったが、やはり半分はゴミと呼んでも文句は言われなさそうだった。

「俺にこれをどうしろと?」

「ココニアル物ノ用途ヲ教エテホシイ」

 提督は小さな声で呻く。
 迷いはしたものの、このぐらいなら構わないかと考えると説明を始める。
 用途が分かったところで利用できるかは、また別の問題でもあった。
 見つかったのは本であったりCDロムであったり、錨や無線機にデッキブラシ。他にも提督にも用途の分からない機械の部品など様々だ。
 港湾棲姫は提督の話を聞いている内に言い出す。

「以前ハ食料ヲ見ツケタコトモアル」

 過去には何度か缶詰などを発見したと港湾棲姫は言う。
 どんな種類の缶詰を見つけたのかは定かではなかったが、味は深海棲艦の間でも好き嫌いが分かれたらしい。
 他にも酒類が見つかったこともあり、ほとんどの深海棲艦は興味を示していないようだったが重巡棲姫だけは何故か違ったようだ。
 今では酒が見つかった場合は独占的に重巡棲姫が確保しているらしかった。
 もっとも、こういった略奪品自体が今は手に入らないとも。
 現在では海上航路は封鎖されているし、日本を中心に復活した航路は艦娘たちによって制海権が維持されている。




「教えるのはいいんだが、この量は一日や二日じゃ無理だ」

 一山を崩しきらない内に提督は言う。体感時間ではあるがニ、三時間かけても進捗は氷山の一角も崩せていない。

「コウイウ協力ヲ今後モ頼ミタイカラ」

 港湾棲姫はほほ笑むような顔をする。
 初めて見せる表情に提督は内心で驚いた。

「提督。コレカラモ我々ト人類……否、艦娘トノ戦イハ続クト思ウ」

 空母棲姫は悲嘆に暮れているように見えた。
 そう見えてしまうのは感情移入しているから、になってしまうのだろうか。

「我々ニモ人類ノ知識ヲ持ツ者ガイテモイイハズ。協力シテモライタイ。提督ガ我々ニモ必要ダト証明シタイ」

「……行く行くは深海棲艦のために働けって?」

 港湾棲姫を見返すと、彼女は頷き返してくる。

「私ハデキル限リ提督モ守リタイ。シカシ君自身ガ深海棲艦ニ有益ダト証明スレバ、誰モ手出シハデキナクナル」

「それがたとえ空母棲姫であっても?」

「深海棲艦ノタメニ。ソレガ彼女ノオ題目ダカラ」

 穏やかに思える港湾棲姫だが、空母棲姫に対してはトゲがあるようだ。
 ……これでも我慢しているのかもしれない。
 ワルサメの真相を知りたがったというのは、端から空母棲姫に疑いを持ってるということなのだろうから。
 だが、今この時に気にすべきはそこじゃない。




「艦娘と戦うために力を貸してほしいわけか」

「生キルタメナラ、他ニ手ハナイデショウ?」

 そして港湾棲姫はできうる限りの助力を約束してくる。
 叶うかは別として、この姫はその約束のために力を尽くしてくれそうだと思わせる魅力がある。
 ここで許される最大限の譲歩。きっとこれはそういう提案に違いない。だが。

「それなら断る」

「ドウシテ?」

「それをやったら俺はもう提督じゃ、司令官さんじゃいられなくなる」

 思い出す顔、声、優しさ、温かさ。そして痛み。
 大丈夫、何も忘れちゃいない。

「提督ハモウ……ココデハ提督ジャナイ。艦娘モココニハイナイ」

 だから折れてもいい。いない相手に筋を通す必要もない。
 港湾棲姫が言いたいのはそういうことなのだろう。
 ……本気でそう考えてるとは思いたくないが。

「ホッポは大事か?」

 提督の言葉に港湾棲姫は戸惑ったように頷く。

「当タリ前」

「俺にだってそういう相手がいる」

 港湾棲姫は押し黙った。共通項だと気づいたらしい。
 提督を説得できないと察したのか、港湾棲姫は別のことを言う。

「私タチハ似タ者同士?」

「どうだかね……でも会えたことはよかったと思ってるよ」

「……提督ヲココニ連レテコナイホウガ、ヨカッタノカモシレナイ」

「だから招待状を出せと言ったんだ」

 そうすれば、もう少しまともな出会い方と別れ方もできただろうに。

「提督……ワルサメノ話ヲモウ一度聞カセテ」

「それなら喜んで」

「デキレバ提督タチトドウ過ゴシタノカ、モット詳シク」

 暗い話よりも明るい話を。
 港湾棲姫がそう考えているかは定かではないが、提督としてはそう受け止めようと決めた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 翌日になると平常通りというべきか、ヲ級が監視役に戻っていた。
 ただ変化も起きている。
 屋外に出ると洋上から深海棲艦たちが遠巻きに見ている。
 いつもと様子が違うように思えるのは、粘っこい視線のように感じるせいだ。
 青空に白い雲という好天に反した気配だった。

「アレハ>An■■■ノ配下ダ」

「相変わらず何を言ってるか分からないが空母棲姫か。どうりで雰囲気が違うわけだ」

 深海棲艦を白と黒で表現するなら、今見える連中は黒に思えた。

「港湾の配下なら、もっと気ままに波間に漂っていて自然な感じがするな」

 あちらは警戒心を剥き出しにしていて余裕もなさそうだった。
 その警戒心が提督に対してなのか、空母棲姫に対してかは分からない。
 いずれにせよ提督の動向を監視しているのは間違いなかった。

「手でも振ろうか?」

「……ヤメテハ。向コウハ人間ナンテナントモ思ッテナイ」

 提督は素直にヲ級の忠告に従って、砂浜に腰を下ろす。
 するとヲ級は空母棲姫の名を苦々しげに漏らす。
 ヲ級はあまり感情を表に出してこないだけに、珍しい反応だと提督は思った。




「空母棲姫が苦手なのか」

「信用ナラナイ」

 はっきりと嫌悪感を露わにする。
 いよいよ珍しいと思いながら提督はヲ級を見上げて聞いていた。

「空母棲姫の何が気に食わないんだ?」

「アレハ……我々ノタメト言イナガラ、自分ノコトシカ考エテイナイ。独善的……」

 ヲ級の目の奥に青い光が灯ったように見えた。

「私タチハ駒同然……イヤ、駒ナラマダイイ。実際ハ捨テ石……平気デ見捨テル」

 自分や他の姫を見る目やワルサメにしでかしたことを考えれば、十分にありえそうな話だと思った。
 もしかしたら、このヲ級自身も過去にそういう目に遭ったのかもしれない。
 でなければ、ここまでは言えないのではないか。

「命を預けるには足りないってことか?」

「アソコニイル連中ノ気ガ知レナイ……ソレハ確カ」

 そう告げた時には、ヲ級は感情を抑えるのに成功したようだった。
 提督は内心の引っ掛かりを意識しながら聞く。

「港湾棲姫になら命を賭けられるのか?」

「ソウカモシレナイ……アノ方ヤホッポタチヲ見テイルト、長ク生キテホシイト思エル。ドウシテカ提督ナラ分カル?」

「分かるとも言えるし、分からないとも言えるな」

 曖昧な言い回しに提督は苦笑いする。




「自分より大事に思えるものがあって、そのためにならなんでもしたくなる気持ちは分かる。どうしてヲ級がそう思うのかまでは分からないな」

「ソウカ……難シイ……」

 ヲ級は無表情のまま首を横に倒すように傾げる。
 そのままの姿勢で彼女は提督に聞く。

「私ハ恨マレテイル……カナ?」

「誰に?」

「艦娘」

 提督が返答に窮していると、ヲ級は首を元の位置に戻して話し始める。

「今マデ……考エタコトナカッタ。提督ヲ連レテキタ……艦娘カラ奪ッテ。大切ナ物ヲ奪ウナラ……許セナイ」

 だから恨まれている、か。
 ヲ級の口調は淡々としているが、目に見えない葛藤があるのかもしれない。
 少なくとも帽子状の深海魚もどきの触手はしおれたようになっていた。
 どうだろうと考える提督に思い浮かぶのは鳥海で、彼女ならばと想像を巡らせる。

「謝れば許してくれるかもしれないぞ」

 冗談でも気休めでもなかった。
 鳥海ならそれで許すかも……そう考えてしまうのは美化しすぎかもしれない。
 それでも、と考える。何かを恨むよりも許すほうが彼女には似合う。

「本当ニ?」

「心から誠意を込めれば」

 ヲ級はあさっての方向を見る。
 吟味しているのだろう。提督はそれ以上、このことについて言えることはないと思った。
 ため息一つ吐いて、透けるような空の青と少し前よりも膨らんだような雲を見上げる。




「俺からも一つ聞いていいか?」

「ドウゾ」

「トラック諸島を攻略した時に、深海棲艦たちが港湾を逃がす時間稼ぎでもするように足止めをしてきた。あれはそういう命令でも出てたのか?」

 戦闘詳報を作成していた時になって気づいたことで、それまでの深海棲艦とは明らかに異なる動きを示していた。
 その理由は知っておいたほうがいい。
 港湾棲姫に対する判断として。

「私ハソノ時……別働隊トシテ動イテイタ。シカシ、アノ方……コーワンハソンナ命令ハ出サナイ」

「なら、あれは深海棲艦たちが自発的にやったのか?」

「私ガソノ場ニイレバ同ジヨウニシテイタ。勝チ目ガナク逃ガスタメナラ、コーワンガ望ンデイナクトモ」

「自己犠牲、か?」

「ソウイウ考エハ分カラナイ。シカシ私ハコーワンヲ優先スル」

 当然だとばかりにヲ級は言う。
 無自覚の献身か、徹底した合理的判断か。あるいは姫という存在に対する彼女たちの有り様とも呼べる可能性も。
 提督は内心の答えを保留して、思い浮んだままに言う。

「あの時の他の深海棲艦もそんな風に考えるなら、お前たちは仲間だったんだな」

「仲間……?」

「同じ目的や動機を持ち合わせて、そのために行動できるんだろ。それが何人もいるなら仲間じゃないのか?」

「ソウカ……私タチハ仲間ダッタノカ。考エタコトモナカッタ……」

 ヲ級はうなだれ、呟きが提督にも聞こえてきた。

「見ル目ガ変ワリソウ……」

 見る目が変わってきたのは提督も同じだった。
 意識の変化には気づいていたが、どう向き合うのかまでは決めかねていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 日が暮れた頃、飛行場姫が提督を訪ねてきた。
 提督は読んでいた洋書を閉じる。先日、港湾棲姫と見つけた物だった。
 欧州の伝承をまとめた入門本のような内容だった。
 英文で書かれていて全文を正確に読めるわけではないが、大まかな筋は分かる。暇つぶしにもってこいだった。

「珍しいな、ここに来るなんて」

 珍しいどころか、飛行場姫と一対一で向き合うのは初めてだった。
 いつもはホッポなりヲ級がどちらかの近くにいる。

「誘イヲ断ッタソウネ」

 開口一番、飛行場姫は言う。
 港湾棲姫との話を指してるのは分かったが、どういう意図で言い出したのかまでは声音や表情からは読み取れない。

「説得にでも来たのか?」

「私ハ彼女ホド、オ前ヲ評価シテイナイ」

 にべもなく言い捨てる飛行場姫に、提督は愛想笑いを返した。
 そんな提督に飛行場姫は独白のように言う。

「遅カレ早カレ、コウナルノハ分カッテイタ。アノ二人ノ対立ハ決定的ダッタ」

 あの二人、港湾棲姫と空母棲姫を指してるのは明白だった。

「俺が呼び水になってしまったのか?」

「ウヌボレルナ、人間」

 飛行場姫は鼻で笑う。のだが、思ったほど嫌らしさを感じないのは何故だろうか。
 この姫が表裏のない直情型に思えてしまうからなのか、提督にも判断はつかなかった。




「彼女ノ行動ガモタラシタ結果デ、提督ガ我々ニ与エル影響ハ微々タルモノニスギナイ」

「なるほど、それは気が楽だ」

「……シカシ、ソノ点デ提督ヲ少シ哀レニ思ウ」

「俺が可哀想?」

 そんな風に言われるのは心外だった。

「ソウダロウ? 巻キ込マレルダケ巻キ込マレテ、自分ノ最期モ選ベナイ」

「……そんなことはないだろう」

 飛行場姫に反発していたが、あとの言葉は続かなかった。
 しばらく両者の間に言葉はなかったが、やがて提督が聞く。

「もし対立が悪化したら港湾棲姫はどうなる?」

「……ワルサメト同ジコトニナルカモシレナイ」

 飛行場姫の声には怒気が含まれていた。
 深海棲艦内ではワルサメは艦娘によって沈められたことになっている。
 つまりは謀殺だ。

「ダガ、ミスミスソウサセルツモリモナイ」

 飛行場姫は黒い右手を震わせる。
 深海棲艦内のパワーバランスは分からない。
 このまま見て見ぬ振りをする手もある。
 そうすれば勝手に内側から自滅、どちらも消耗するのは確実。




 ……それを提督は嫌だと感じてしまう。
 ストックホルム症候群を疑った。
 深海棲艦を言葉の通じない敵として見なすのが難しくなって、今や肩入れしようとしている。

「港湾棲姫の庇護を失ったら俺は何をされるんだ?」

「……私ニモ分カラナイ。シカシ提督モ想像ハシテイルダロウシ、ソレヨリ酷クナラナイノハ望ム」

 楽に死ねますように、と言ってくれてるのだと提督は解釈して笑い声を上げた。
 飛行場姫が不審な顔をするのも気にならない。

「俺のやることは影響がないと言ったな?」

「確カニ」

 正直に受け止めてしまえば、それは結果を恐れずに行動できるということだ。
 変わらないなら、変えられないからこそ好きにすればいい。
 そして飛行場姫の言うことはきっと正しい。
 どう動こうと自分の身に起きる結果は変わらない。同じ予感を提督もまた抱いていたのだから。

「なら聞いてくれないか?」

 提督は自身の腹案を話す。思いついたのは最近のことだった。
 いぶかしげに聞いていた飛行場姫だが、その表情は次第に険しくなっていく。
 最後まで話を聞いた彼女の口から出たのは一言。

「正気?」

「ああ、提督らしい考えだとは思わないか?」

 飛行場姫はそれには答えない。




「誰カニモウ話シタノカシラ?」

「いや、飛行場姫が最初だ」

 思いついてから時間が経ってないというのもある。
 それ以上に、この話は誰よりも先に飛行場姫に聞かせたほうがいいとも思った。

「ドウシテ最初ニ? 私ニソンナ話ヲシタ理由ハ?」

 飛行場姫は緊張した顔のまま戸惑っていた。
 提督は偽りなく答える。

「飛行場姫が一番俺に対して肩入れしてないと思ったからだ」

「私ハ……コウワンモホッポモ守ルワヨ」

「一番の理由はそれだ。二人に不都合なことなら止めてくれる」

 だから、ある意味で提督は安心していた。
 自分にできそうなことをやるだけやってみればいいだけの話。

「アアモウ……言ウダケ言ッテミナサイ。話ス自由グライアルデショ」

 飛行場姫は戸惑いを隠せずに眉根を下げた顔をしていた。
 この姫は意外といいやつなのかもしれない。提督は遅まきながらそう思った。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 一晩経って、それで揺らぐ程度のことなら話す価値もない。
 提督は呼べ出す形になった面前に向かい合いながら考える。
 港湾棲姫、飛行場姫、ホッポ、ヲ級。
 四者四様の視線を浴び、それぞれの思惑を斟酌する。
 結局のところ、提督は提督にできることをしようとするしかない。
 それがどこであろうと。

 一息、提督は深呼吸する。
 言ってしまえば、もうなかったことにはできない。
 一笑に付されて終わるかもしれなければ、埋めようのない隔たりが存在すると証明するだけかもしれない。
 それでも提督は言う。
 彼は言う。彼女たちが決める。全てはそれだけだ。

「艦娘たちに亡命しないか?」

 言葉の意味が分かるだろうかと、ふと提督は思った。
 しかし言ってしまった以上はもう止まれない。
 今一度、賽は投げられた。


ここまで。おそまつさまでした

おつ



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 提督が目を覚ますと、白の二種軍装が用意されていた。
 拉致された当初になくなっていたと思っていたが、ヲ級が見様見真似で洗濯してみたという。
 洗剤もないし洗い方そのものが分からなかったのか、生地は不自然な硬さになっているし磯臭いのは気にしないことにした。
 それにヲ級の行動にはちょっとした驚きと、奇妙な感謝の気持ちのほうが強い。

 着替えてから一人で海岸まで歩いた。
 靴を脱いで裾も上げて海に少しだけ入ると、海水で口をゆすいでから指で歯を磨く。
 深海棲艦たちが沖合から見ている。ヲ級は関わるなと言ったが、もっと近づいてくればいいのに。

 提督は即席の釣り竿を海に投げる。
 餌はない。今更何かを食べても仕方ないし、今日ぐらい殺生から離れてもいいと思えた。
 途中で何度か雨に降られて、その度に近くの木陰で雨宿りをする。
 肌に当たる雨は生温かい。草いきれは濃すぎる。
 そうして陽が沈み始めるまで、提督は一人で釣り竿を垂らし続けた。深海棲艦たちは雨が降ってもそこに居続けた。

 部屋に戻った提督は、読みかけの本を消化し始める。
 最後になるかもしれない日の過ごし方としては悪くないのかもしれない。
 しばらくすると飛行場姫がやってきた。

「無事ニ抜ケタワ」

 それだけで意味を承知した提督は本を閉じる。
 全てがうまくいくかは分からないが、達成感が心中に広がっていく。
 できることは全てやれたと思えた。

「よかった。あとはうまくいくのを信じるしかないな」

 穏やかに笑う提督にを見て、飛行場姫は疑問を挟む。

「一緒ニ行カナクテヨカッタノ? ココカラ逃ゲル最初デ最後ノ機会ダッタノニ」

「港湾棲姫が俺を置き去りにするなんて、空母棲姫たちもすぐには考えない」




 港湾棲姫たちはもうここにはいない。
 ヲ級やホッポだけでなく、港湾棲姫を支持する深海棲艦たちも。
 二十人余りの大所帯になった彼女たちは、外洋での訓練を名目にガ島を離れてトラック諸島へと針路を取っている。
 人間や艦娘たちに保護を求めるために。
 飛行場姫が言ったのはガ島の哨戒圏を抜けたという意味だ。

「渡す物は渡してあるし、日中はずっと監視の目につく場所にいた」

 提督は左の薬指に視線を移す。今はもう何もはめていない。
 そこにあった指輪は港湾棲姫に伝言と一緒に預けていた。
 提督は頭を一振りすると、思い浮びそうになった顔を振り払う。無駄な抵抗だった。

「……後はもうなるようにしかならない。空母棲姫だか、あのもう一人の姫」

「装甲空母、ト呼ンダトコロカシラ」

「その装甲空母姫だかがいつ来るかって話だ。すぐこの後かもしれないし、明日か明後日かもしれない。もう早いか遅いだけなんだ」

「……ヤハリ分カラナイワ。留マッテ確実ナ死ヲ待ツヨリ、アガイタ結果トシテ死ヲ迎エルホウガ自然ニ思エル」

 それは、と言いかけて提督は口を噤む。
 理由は説明できるし言葉も形になってる。それでも提督は質問という形で返していた。

「飛行場姫こそ、どうして港湾たちと行かなかったんだ?」

「私ハ人間モ艦娘モ信ジテイナイ。デモ彼女モ止メラレナイ。ソレダケ」

「それだけ? 違うんじゃないのか」

「……マサカ怖ジ気ヅイタカラ、トデモ言ウツモリ?」

 飛行場姫はふくれたような顔をする。
 いつもの威圧と違うのは……もう俺に腹を立てても仕方ないと思っているからかもしれない。




「……これは賭けだったんだ。空母棲姫たちが港湾たちを阻止する可能性はあった」

「ソレハソウネ。提督ハ捨テ置イテモ困ラナイノダカラ」

「手厳しいが、その通りだ。意図に気づいたら俺を無視して港湾たちを追撃するかもしれない。だから飛行場姫は残ったんじゃないか?」

 いざという時に実力行使で足止めをするために。
 飛行場姫が港湾棲姫と同等の戦闘能力を有しているとすれば、それは絶対に無視できない相手となる。

「……ドウアレ、ソレハ起キナカッタ話ヨ」

 飛行場姫は濁すように話を断ち切った。それは認めてるのと同じだ。

「デモ今ノデ分カッタワ。提督ハ少シデモ目ヲ逸ラスタメニ残ッタ。ソコマデスル必要ハアッタノ?」

「この島に連れてこられた時点で、俺の命運は決まってたんだよ」

 運命の有無はさておいて、そうとしか言えなかった。
 港湾たちの逃亡が成功するかは、初動の段階で空母棲姫たちがどう動くかによる。
 空母棲姫たちの興味は提督――というより港湾棲姫が提督を気にかけている、という事実に向いているはずだった。
 今回の話はそれを逆手に取ったというだけ。
 港湾棲姫たちの中に提督がいれば目的は看破されて成功率は大きく下がり、いなければ逆に上がるというだけの話。

 提督としては空母棲姫たちの目を欺き襲撃を避けて、数日に渡る航海に耐えるという道筋を見出せなかった。
 ひとたび動きを察知されれば追撃隊が編成されるだろうし、空母棲姫ら自体が出向いてくる可能性もある。
 そして爆撃だろうが砲撃だろうが、至近弾だけで人間の体など紙のようにたやすく引き裂かれる。
 どうせ助からない命ならと提督はガ島に留まることにし、これは初めから決めていた。

「オ前ニヒトマズ感謝シテオコウ」

 飛行場姫はいくらか柔らかい表情になっていて、提督は死刑を宣告されたような気分だった。




「感謝される謂われはないよ」

 姫から目を逸らし、また視線を合わせる。
 こうして話ができる相手が近くにいるだけ幸運なのかもしれない。

「考えてみろ。俺からすれば、どっちに転んだって得をするんだ」

 港湾棲姫たちがガ島を離れた時点で、深海棲艦の戦力は減っている。
 脅威を減らせるなら艦娘たちの提督として、やるべきことはやったと言える。

「ドコマデガ本心カシラ」

 提督は答えなかった。
 結局、港湾棲姫たち深海棲艦にも彼は入れ込んでいる。
 愚かしいとどこかで思う一方、艦娘たちと港湾棲姫たちの戦いを望んでいないという気持ちは本物だった。

「一つだけ頼まれてほしい」

「言ッテミナサイ」

「港湾の庇護を失った以上、空母棲姫や装甲空母姫は間違いなく俺に何かしてくる」

 飛行場姫は何も言わないが、そこに否定が入る余地はない。

「俺は『尋問』に対する正規の訓練なんか受けてないから、口を割らせるのはそう難しくない。だから……」

 言葉を形にするのに少しだけためらう。
 しかし他に頼める相手はもういない。

「だから言いたくないことを言い出す前に俺を殺してほしい」

 飛行場姫は腕を組む。考えるようなそぶりに思案顔で言う。




「ソンナニ死ニタイナラ自分デ舌ヲ噛ンダラ。ソレデ死ネルハズヨネ」

「できるならそうする……でも怖いんだ。それに死にたくない」

 飛行場姫は眉をひそめる。

「矛盾シテイルワヨ、提督。死ニタクナイノニ殺サレタイノ?」

「そうでもないんだ。矛盾はしてない……俺には死を選ぶ覚悟がないんだ。自分で自分を、というのはダメなんだ」

 飛行場姫はしばし沈黙する。
 眉をひそめたまま飛行場姫は提督に問う。

「ソレハ……御国ノタメトイウモノ?」

「……間接的にはそうかもしれないが、そこまで夢想家じゃない。もっと直接的な理由だよ」

「艦娘ノタメ?」

 提督が頷くと飛行場姫は組んだ腕を解く。

「勝手ナ話ネ」

「承知してる。その上で頼んでるんだ」

「コノ私ニソンナコトヲサセヨウナンテ」

「言ったろう、覚悟がないんだ。誰かに殺されるのなら諦めもつくし割り切りもできる。だけど……」

「モウイイワ」

 飛行場姫は話を打ち切ると、いらだたしげに鼻を鳴らすように笑う。
 呆れとも怒りとも取れるが。




「合図ハ?」

 提督はとっさに言葉の意味が掴めない。
 飛行場姫が申し出を受け入れたと気づいて、提督は深く頭を下げる。
 一方の飛行場姫は提督から視線を逸らした。

「カレーが食べたい」

「カレー? 食ベ物?」

「ああ。世界が今日で終わるとしたら最後の晩餐は何がいいって質問があってな。一種の冗談なんだが」

 飛行場姫はまた難しそうに眉をひそめる。

「晩餐ッテ食事ノコト? 最後ニ何ヲ食ベタイカナンテ、ヨク分カラナイ悩ミ」

「分かる日が来るかもしれないさ」

「ソウカシラ……マアイイワ。提督ガソウ言ッタ時ガ、ソノ時トイウワケネ」

 提督は頷きカレーの味を思い出す。
 急に腹が空いてきて苦笑いをするしかなかった。

「そうそう、艦娘たちはみんなカレーが得意でな。味もばらばらなんだけど、どれも好きだ。ひどい目に遭ったこともあるけど……」

 比叡の作ったイカ墨カレーと、その翌日に食べさせられた磯風のカレーは……今となっては笑い話だ。
 とんでもなく場違いな場所に来てしまった。我が身の不幸を少しだけ呪いたくなる。

「誰ノカレーヲ食ベタイトカアルノ?」

 ……なんで、そんなことを聞くんだ。ぶちまけてしまいたい衝動を腹の内に留める。
 勝手に喉が鳴ってしまうので歯を食いしばった。ずっと考えるのを避けようとしてきたのに。
 俯く。顔を上げていたくないし何も見たくなかった。何も聞きたくもない。




「……会いたい」

「誰ニ?」

「鳥海にだよ!」

 抑えられなかった。
 今すぐにでも鳥海に会いたい。会って話がしたい。
 彼女の声が聞きたかった。司令官さんと呼んでくれる、あの優しい声を聞かせてほしい。
 でも知っている。ここに鳥海はいない。これが俺の現実だ。
 そして現実はいつだって待ってくれない。
 戦って、抗って、そうやって進んでいくしかないんだ。
 良いことも悪いことも待ってはくれない。

「……諦メナサイ」

 飛行場姫が立ち去ろうとする気配を感じて提督は顔を上げる。
 最期まで俺は俺であり続けたい。

「飛行場姫」

「今度ハ何?」

 うっとうしげな声。その背中に向かって提督は言う。
 少しぼやけた視界を気にかけるのはやめた。
 準備はとうにできているんだから。

「カレーが食べたい」

 飛行場姫は立ち止まる。
 聞き耳を立てるように、横顔が見えない程度だが顔が提督のほうを向く。
 もう一度言う。何度だって言ってやる。

「カレーが食べたい」

 飛行場姫はゆっくり振り返った。その目は冷たい輝きを放っている。


短めだけど、ここまで。続きはなるべく早く書きたいところ
それと乙ありなのでした

面白い

乙であります

乙ありなのです
キリのいいとこまでと考えてたら四章が終わってました

>>460
ありがとうございます



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 黎明時の静やかな海を、トラックへ向かう深海棲艦の一団が航行している。
 港湾棲姫たちでホッポや青い目のヲ級を初め複数のイ級やロ級、他にもチ級やル級など複数の艦種を含んだ総勢二十二名に及ぶ艦隊だった。
 輪形陣の中心には港湾棲姫がいて、彼女は寝息を立てるホッポを肩車している。
 港湾棲姫はからすれば軽いが、確かに体にかかる重みは彼女にある感情を喚起させる。
 港湾棲姫は思い返す。悔恨に導かれて。


─────────

───────

─────


 艦娘に亡命する。つまりは和解を目指す。
 港湾棲姫は提督の提案に心が揺らいでいた。
 というのも港湾棲姫たちを取り巻く環境を打破するアイデアに思えたからだ。
 心が揺らぐのは、そこに正当性を見出したからに他ならない。

 一方で提督の提案を受け入れるのも警戒した。
 この話は提督に――虜囚の立場に有利に働く話だからだ。
 提督に気を許してきているのと、この話に乗るのかはまったく別だった。

 港湾棲姫にとって意外なことに、飛行場姫が提督の話に食いついて質問を重ねていた。
 頭ごなしに否定はせずに疑問と疑惑を埋めていく。
 トラック諸島までどうやって向かうのか、空母棲姫たちを出し抜けるのか。艦娘たちとどうやって接触し、敵意がないと示すのか。
 提督はそれらの問いに答えを用意して、自身はガ島に留まるつもりだとも言う。
 どうして、そこまでする?
 理由は分からないが提案への警戒感は薄らいだ。
 提督は港湾棲姫たちを利用して、逃亡を図ろうとしているわけではない。

「艦娘タチハ……我々ハ受ケ入レル?」

 それまで黙っていたヲ級の発した問いは、一番の疑問であり問題だった。
 大前提への問いに提督は力強く頷いた。

「大丈夫だ」

 何を根拠にそこまで言いきれるのか。
 疑問への解を、納得するだけの材料を見出せずに、港湾棲姫はその時その場での返事を保留した。




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 港湾棲姫はホッポが身じろぎするのを感じて我に返った。
 ホッポは寝起きの声を出して目を開ける。

「……コーワン?」

「ココニ……イルヨ」

 今ではすっかりこっちの呼び方が定着している。
 港湾棲姫としては、ホッポが喜んでいるのならと進んで正す気はなかった。
 何より気に入り始めている。ホッポが言ったようなかわいらしい名前かはともかく、据わりのいい響きだとは思っている。

「マダカカリソウ?」

「アト二日ハ……」

 すでにガ島を発ってから一昼夜は過ぎている。
 その間、二十ノット近い速度で航行を続けていて、ガ島からはだいぶ離れたが道半ば。

「降リルヨ? コーワンモ休マナイト」

「私ハマダ平気……」

 港湾棲姫はホッポを離さない。
 過剰に急ぐ必要はないが、もう少しだけ空母棲姫に備えて距離を稼いでおきたかった。
 逃亡しているからこそ休息が必要になってくる。
 疲弊したまま艦娘と接触する気はなかった。
 もしもの場合、艦娘と交戦しなくてはならない。

 提督は和解できると太鼓判を押したが、港湾棲姫はそこまで楽観視していなかった。
 艦娘が抱いた怒りや悲しみという負の感情を、提督は過小評価しているのではないか。そのように懸念していた。
 そうではないと願い、提督の言う通りであってほしい。
 でなければ道を閉ざされてしまう。

「コーワン、怖イノ?」

 港湾棲姫の心中を察したような言葉だった。

「怖クナイ……怖ガッテモ……イケナイ」

 今や一団の存亡を預かっている。
 それを苦とは思わない港湾棲姫だが、緊張感や警戒心は消せなかった。



─────────

───────

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 考えをまとめきれないまま港湾棲姫は提督との話に再び臨んでいた。
 港湾棲姫の心の揺らぎは迷いに変じている。
 彼女は内心で提督の提案を是として受け入れ始めていて、だからこそ行動するか迷っていた。

「提督ニ都合ノイイ提案ダ」

 反対、というよりは確認のために出てきた言葉だった。
 提督はそれを否定せず認める。

「そうとも。しかし港湾たちにも悪くない提案だ」

「ドウシテ、ソウ言エル?」

「艦娘となら和解できるが空母棲姫とじゃ無理だろう。港湾が港湾である限り」

「私ガ私デアル……何ヲ言ッテイル?」

「君はワルサメと同じだ」

 提督は断じる。そのまま提督のペースに巻き込まれるように港湾棲姫は質問されていた。

「正直に言ってくれ。戦うのは好きか?」

「……必要ガアレバスルダケ」

 正直とは逆に遠まわしな答えに提督は笑う。そのまま彼は続ける。

「人間や艦娘が憎いのか?」

「ッ……モウ分カラナイ」

「だろうな。トラックを占領してから分かったことだが、君は現地住民に手出しをしないようにしていた」

 港湾棲姫は何も答えなかったが、それは事実だった。
 島内の奥に引っ込んでいれば関与しようとしなかったし、配下にも無視するよう伝えていた。




「どうして人間を無視したかは知らない。港湾が優しいからか、単に人間にさして興味がなかったからかもしれないし」

「初メカラ……ソウダッタワケジャナイ」

 人間を無視したのはホッポとワルサメの影響が大きい。

「生マレタ時カラ人間ニ腹ガ立ッテイタ……ダケド、ホッポヤワルサメト出会ッテカラ私ノ何カガ変ワッテシマッタ」

 行き場のない憤りも悲嘆も恨みつらみも、気がつけば薄らいでしまっていた。
 そればかりはきっと提督にも理解できないだろうと港湾棲姫は思う。

「だが空母棲姫はそんな深海棲艦を認めないんじゃないのか?」

 その指摘は正しい。
 空母棲姫たちはある意味で純粋だった。少なくとも港湾棲姫はそう考えている。
 持って生まれた感情や衝動に忠実であり、それこそが不可侵で正統な深海棲艦らしさと考えていた。
 だからこそ港湾棲姫とは相容れない。変化してしまった彼女とは。

「港湾はホッポが大事だと言ったな?」

「確カニ言ッタ」

「この先、艦娘とも同じ深海棲艦とも戦うしかない道は修羅道だ。ホッポに残したいのは、そんな道か?」

 修羅道の意味を港湾は知らなかったが、何を言いたいのは想像がつく。
 そして同時にそれは彼女の痛い部分を的確に突いていた。

「そうでなくともニ方面作戦は避けないと」

「窮地ダト……言イタイノ?」

「好ましい状況とは、とてもじゃないが思えないな」

 言われずとも分かっている。だからこそ提督の出した亡命という案に港湾棲姫は惹かれた。

「港湾、お前は今後も艦娘との戦いが続くと言ったな」

 確かに言った。提督を味方に引き込むために言ったが、認識としては誤っていない。
 すでに数えで二年は続いていて、今なお収束どころか激化の一途を辿ろうとしている戦争。
 始めてしまったのは深海棲艦。終わらせるのは……誰かも分からない。

「だったら終わらせてみないか?」

 本気の視線が港湾棲姫を見ていた。



─────────

───────

─────


 ホッポは港湾棲姫から降りた。
 彼女たっての希望で、そうなると港湾棲姫も無理強いはできない。
 もっとも肩車が終わっても、二人は手を繋いで併走する。
 ホッポの足元は水面から反発するように浮いていた。
 そうなる理由は二人の姫にも分からない。ただ自然にできてしまうことだった。

「ホッポハチョッピリ怖イヨ……デモ提督ハコーワンミタイダッタ」

 港湾棲姫は複雑な気持ちだった。
 彼女自身も提督に同じようなことを言っているが、いざ別の相手からそう聞かされると違和感になってしまう。
 私と彼は似ていない。そんな思いを抱きながらも口外はしなかった。

「ソレニ、ソレニネ? 怖イケド楽シミナノ。ワルサメノオ友達ガイルンダヨネ。会ッテミタイ!」

 目を輝かせてホッポは言う。
 それは今まさに昇り始めた太陽と同じ輝きだった。
 港湾棲姫は目をすがめ、しかしそんなホッポを愛おしく思う。
 ホッポが握る手に力を入れる。

「……ガンバロ、コーワン」

 励まそうとしてくれてるのだと港湾棲姫はそこで気づいた。
 港湾棲姫は意を新たにする。
 何があっても戦うしかないと。
 望みは分かっているのだから、あとは立ち向かうだけ。
 そうでもしなければ……報いられないと。




 その日、港湾棲姫たちは交代で休息を取った。
 睡眠と食事を済ませて活力を取り戻した彼女たちは、翌々日の午前にはトラック泊地の哨戒圏にまで進出した。
 しばらくして哨戒機に発見された一団は白旗を振り出す。
 提督から教えられたことで、交戦の意思なしを示す合図だと言われた。

「徹底抗戦……トデモ誤解サレナケレバイイノデスガ」

 青い目のヲ級が淡々と呟く。
 その点に関しては提督を信用するしかないと港湾棲姫は思った。
 頭上に張り付く哨戒機をそのままに、港湾棲姫は泊地への通信を試みる。
 和睦のための話し合いを求める旨を伝え、港湾棲姫たちはやや速度を落として泊地へ向かい続けた。

 提督から注意として、いくつかのことが挙げられている。
 哨戒機を攻撃してはならないし、こちらから艦載機を挙げるのも原則として控えたほうがいいと言われていた。
 不要な刺激を避け、交戦の意思がないのを証明するためでもある。

 ただ航空機の編隊が来るようなら、海底で身を潜めてやり過ごすようにも言われている。
 その場合、話し合いの余地もなく決裂したと言えてしまう。
 幸いというべきか、数時間が経っても交代の哨戒機しか飛来しなかった。

 昼を過ぎてから、港湾棲姫たちは針路上に黒い影がいくつもあるのを認めた。
 それが艦娘たちだと確信し、彼女はさらに近づいたところで配下に停止を命じる。

 港湾棲姫は懐を探り、提督に託された物を確認した。
 艦娘に渡してほしいと頼まれたのは指輪だ。
 誰に渡してもいいとは言われているが、できるならという条件で相手を指定されている。
 指輪の持つ意味を港湾棲姫は知らなくとも、それが提督とその誰かにとって大事な物なのは分かっていた。



 もしかしたら威嚇の砲撃ぐらいあるかもしれない。
 そう考えていたが、何も起きないまま艦娘たちが近づいてくる。
 港湾棲姫は増速し一人だけ突出した形になる。
 すぐにヲ級も後に続いて追ってきた。

「ホッポヲオ願イ」

「オ断リ……シマス。私モ行クベキデショウ……提督ヲ襲ッタ者トシテ」

 港湾棲姫はヲ級に反対されて驚いた。
 今まで彼女は無理難題でも従ってくれていたからだ。
 一抹の不安を感じる一方で、今まで尽くしてくれた彼女の意思は尊重すべきだと港湾棲姫は考えた。

「最後ニ提督カラ言ワレマシタ。今コノ時ニ艦娘トドウ向キ合ワネバナラナイカ……ココハ我々ニトッテ通過点ダソウデス」

「ソウ……」

 艦娘たちからも何人かが突出して近づいてくるのを港湾棲姫は認める。
 その中心にいる艦娘には覚えがあった。
 トラックでの海戦でしつこく追撃してきた艦娘だ。
 名前も知っていた。提督から聞かされていたからだ。
 港湾棲姫は思い返す。彼女の名はと――。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海はトラック泊地の艦隊を預かって、白旗を掲げる保護を求める港湾棲姫たちへの接触を図ろうとしていた。
 内訳は第八艦隊として編成された一団で、顔触れは変わらず鳥海に高雄、島風、天津風、長波。ローマにリベッチオとなる。
 加えて他には愛宕、摩耶と扶桑型の二人に残りのイタリアの艦娘たち、球磨型の五人に嵐と萩風という面々だ。
 また後方にはニ航戦を中核とした機動部隊も待機していた。

「どういうつもりなんだろうなあ、深海棲艦のやつら」

「それを見極めるのが私たちの役目よ、摩耶」

 摩耶の疑問に高雄が答えていたが、鳥海も同じ疑問を抱いていた。
 もしも司令官さんがいたら積極的に応じようとしていたのだろうけど……。
 思案する鳥海に島風が話しかけてくる。

「鳥海さん、大丈夫? 前の戦闘から一ヶ月ぐらい空いちゃってるけど」

「ええ、心配ありません。それに今回は本当に戦闘になるか分かりませんし」

「あ、そっか。そうだよね」

 島風は安心したように言うと離れていく。
 もしかすると鳥海が本当に戦えるのか、探りを入れられたのかもしれない。
 深海棲艦に怒りをぶつけられれば楽なのかもしれないけど、空いた時間はそういった衝動を静めてくれていた。
 撃つのにためらいはないけど、そこに余計な感傷を差し挟む気はない。
 接触までは少し時間があるのも手伝って、気が緩みすぎない程度にそこかしこで会話が生じていた。
 球磨が鳥海に話かけてくる。

「新任さんもいきなり難題で大変クマ」

 トラック泊地には先だって新任の提督が着任していた。
 新任といっても、鳥海を初め少なくない艦娘にとって必ずしも初対面という相手ではない。
 元は輸送艦出雲の艦長としてと号作戦にも参加していて、出雲に乗艦していた艦娘たちならば面識があった。
 司令官さんが元艦長とモヒカン頭の軍医さんの二人を、提督として推挙したという話を聞いていたけれど。
 その一人が巡り巡ってトラック泊地に着任したのは、奇縁を感じるような話なのかもしれない。

「のっけから深海棲艦が助けてくれー、だもんね。不思議な話だよ」

 北上が球磨の話に乗っかってきて、鳥海も頷いた。




「正直、ワルサメのことがなければ信じられなかったと思います」

「うんうん、それはあるよねえ。まー、あたしはワルサメってよく知らないんだけどさ。もったいなかったのかもね」

 もっと接点を持っておけば、ということなのかと鳥海は解釈した。
 北上と話しているためか、大井も会話に自然と入ってくる。

「でもワルサメを信じたのと、今回の件を同一視するのは早計じゃないです?」

「確かにその通りクマ。港湾棲姫とは交戦経験もあるクマ」

「だからこそ向こうも真剣とは言えるかもしれませんね」

 鳥海は答えつつ考える。
 港湾棲姫の狙いや本心がどこにあるのか見極める必要があるにしても、不安はさほど感じない。
 ワルサメという子は港湾棲姫という深海棲艦を信じていたから。
 それを早計と大井さんは言ってるとしても。
 大井がそういえば、と鳥海に聞く。

「新任提督といえば秘書艦を辞退してよかったの? あなた、結構こだわってたはずでしょ」

「それは司令官さんの秘書艦として、ですね。提督さんには提督さんの秘書艦が別にいるはずですから」

「そういうものかしら……ううん、確かにその通りかも」

 大井は北上のほうを見ながら何度も頷く。
 曖昧な笑顔で首を傾げる北上を尻目に、鳥海と球磨は力なく笑う。
 新任が着任してからの引き継ぎで、鳥海は秘書艦を辞退したいと伝えていた。
 表向きの理由としては、第八艦隊が継続するのなら旗艦として専念したいため。
 また前任との仕事に慣れすぎているために、新任のやり方には合わせない可能性があるから、ということにした。




 もちろん秘書艦を継続するのが、新任の判断であり命令ならば謹んで受けるつもりだった。
 現に今でもしばしば助言を求められる。
 それでも率直に言えば、秘書艦であるのは望んでいなかった。
 ……私は他の誰でもない司令官さんの秘書艦ですから。
 結局、新任は鳥海の要求を承認し、秘書艦の席は今なお空席のままになっている。

「北上さんが秘書艦になってもいいんですよ」

「あたし? うーん、あんま興味ないかな。大井っちなら秘書艦にも向いてると思うんだけどねー」

「北上さんの秘書艦なら喜んで!」

「や、あたしって提督じゃないから」

「この二人が秘書艦になったら泊地が傾いてしまうクマ」

 冗談を言う球磨に、軽い調子で北上が口答えする。
 和やかな雰囲気を保ったまま、艦娘たちは深海棲艦たちを電探の範囲内に収めた。
 砲戦距離に入ったが砲撃は行わない。
 艦娘たちは硬くなりすぎず、しかし緊張感を伴って進んだ。
 すぐに肉眼で目標を捉えると、鳥海は艦隊全体で共有している回線に声を吹き込む。

「島風、敵潜は?」

「ソナーには感なし。あそこにいるだけだよ」

「となると報告通り、数は二十二。初めて見る姫もいるし、戦うなら港湾棲姫が難敵だけど……」

「まずは相手の話を聞いて、でしょう?」

 補足する高雄に鳥海は頷く。




「まず私が先行して接触してみます」

 摩耶がすぐに反応する。

「だったら、あたしも行く。一人だけってのはさすがに危険だろ」

 摩耶のこういうところは頼もしかった。
 高雄もそれを認めると自らも志願するが、すぐに鳥海に反対された。

「姉さんはダメです。もしもの時に指揮を執ってもらわないと」

「そういうこった。高雄姉さんは大人しくしてなって」

「ならば私も行きましょう」

 名乗り出たのは扶桑だった。

「万が一を考えたら、戦艦の打撃力が必要じゃないかしら」

 鳥海は即座にもっともだと思った。

「お願いしてもいいですか? 心強いです」

「それなら姉様だけでなく私も!」

 すかさず山城が声を上げるので、鳥海も頷き返す。

「では、これで四人。みなさんはここで待機を。北上さんたちは甲標的を念のため展開しておいてください」

 それから鳥海は泊地と後方の機動部隊に向けて、港湾棲姫たちに接触すると伝える。
 あとは伸るか反るか。




「もしも私たちが撃つか撃たれるかしたら戦闘を始めてください」

「……そうはならないのを願うわ」

 心配そうに高雄が見送る中、四人は深海棲艦たちに近づいていく。
 程なくして深海側からも港湾棲姫と青い目をしたヲ級の二人が近づいてくる。
 双方は五メートルほどの距離を開けて相対すると、鳥海が口火を切る。

「あなたたちの要求を聞かせて」

 答えたのは港湾棲姫で、両のかぎ爪を開いてみせる。
 小細工もなく無防備だと証明したいらしいと解釈した。

「先ニモ伝エタ通リ、我々ニ交戦ノ意思ハナイ……保護ヲ受ケタイ」

「つまり亡命したい……ということ?」

「ソウ……ソシテコレハ……君タチノ提督ガ提案シタコトデモアル」

 予想外の名前が出てきて、鳥海は固まったように止まる。
 他の三人も動揺したが、立ち直るのは鳥海よりも早かった。
 扶桑が鳥海に代わって訊く。

「提督が? 一体どういうこと?」

「提督ハ我々ノ元ニイタ……」

「……いた?」

「提督ハ我々ヲ逃ガスタメニ残ッタ……」

 扶桑たちは不可解に思う。話しの繋がりが見えてこないためだ。




「初めから詳しく説明して。あなたたちに何があって、提督に何が起きているのかを」

 港湾棲姫は言われた通りに説明する。
 提督を拉致して拠点まで連れ去ったこととその理由。
 姫たちと提督がどう過ごしたかを話し、また彼女たちが空母棲姫と対立していることを。
 そして激突を避けるために提督の案に従って、艦娘たちに保護を求めていると。

「あいつはまだ生きてるのか!」

 摩耶が怒鳴るような調子で言う。
 港湾棲姫はそれに対して重々しく首を横に振る。

「最期ハ看取ッテイナイ……デモ彼ヲ守ルモノハモウナイ」

「だったら、どうして提督を連れて来なかった!」

「提督ガ……ソウ望ンダカラ」

 え、と気勢を削がれた声を出す摩耶に、港湾棲姫もまた俯き気味に言う。

「自分ガイテハ我々ノ逃亡ハ難シイト……アノ男ハ我々ヲ生カソウトシテクレタ」

「なんで……あんたら、深海棲艦だろ!? どうしてあいつがお前たちを助けるんだよ!」

 摩耶の悲痛な叫びが刺さる。
 港湾棲姫は唇を噛み、そして鳥海は顔を上げて疑問を投げかけた。

「数日前までなら司令官さんは生きていたの?」

「……エエ。提督ナラ確カニ生キテイタ」

「そんなのって……」

 鳥海は崩れ落ちそうになる。
 一ヶ月はあった。それが提督が消えてから今日に至るまでの期間。
 助け出すには十分すぎる時間があった。
 それなのに何も手を打てずに塞ぎ込んで……残された時間を無為にしていたなんて。




「やめなさい、自分のせいだなんて考えるのは」

 山城だった。冷たいと取れる言葉を彼女は言い放つ。

「私たちは深海棲艦の動向を把握できていなかったのよ。拠点だってどこかも分からないのだから……誰にも助けられなかったの。あなたがどれだけ提督を想っていたとしても」

 冷徹に聞こえる声とは真逆に、山城は労るような眼差しを鳥海に向けている。
 鳥海は感謝した。山城の言葉は胸に痛くとも、不器用な優しさがある。
 そこで港湾棲姫に見つめられているのに気づいた。
 視線が絡むと港湾棲姫は口を開く。

「アナタガ……鳥海デショウ?」

「どうして私の名前を?」

「提督カラ……コレヲ渡シテホシイト」

 港湾棲姫は右腕を背中に回してから、改めてかぎ爪を開く。
 その上に小さな指輪が乗っているのを見て、鳥海は慌てて飛び出ると手を伸ばしていた。
 奪うように取り上げると、指輪を両手で守るように抱きしめ距離を取る。

「なんでこれを!」

「提督ガ……ドウシテモ君二渡シテホシイト」

「司令官さんが?」

「ソレカラ……『アリガトウ』ト」

 鳥海は体を縮めるように震えると、歯噛みして俯く。
 そんな彼女の感情に反応して、艤装が独りでに動き正面に展開すると主砲が港湾棲姫へと指向する。

「これは司令官さんの形見で! 今のは遺言ってことでしょ!」

 鳥海が港湾棲姫を睨む。その重圧に押されるように港湾棲姫が息を呑んだ。
 両者の間では緊迫感が急速に膨れあがっていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 飛行場姫は考える。ここで提督の願いを聞き入れるかどうか。
 死を望むなら与えるだけの義理はある。彼女はそう考えていた。
 港湾棲姫たちに別の道を示したのは事実で、それは飛行場姫にはできなかったことだ。
 まだ結果は分からずとも、このまま留まり続けて訪れる結果より期待が持てる。
 だから望みを叶えてやっても――。

「……急グコトハナイデショ」

 気がつけば飛行場姫はそう言っていた。
 心の無意識が先延ばしを選んだかのように。

「それは困る!」

 提督が言い返す。
 飛行場姫は理解していない。提督がどれほどの意をもって頼んだのかを。
 深海棲艦の中でも特に強力な個体であるが故に、彼女は身に降りかかる死の気配に疎かった。
 飛行場姫の予想に反して時間はもうなかった。
 物々しい気配が近づいてくるのに気づき、彼女は部屋の入り口を睨む。
 空母棲姫と装甲空母姫が二人のル級を伴って入ってきた。

「アラ、イタノ」

 どこか挑発するような空母棲姫の言葉を無視して、飛行場姫は装甲空母姫に聞く。

「コレハドウイウツモリ?」

「羊ノ収穫時カナト」




「勝手ハヤメタホウガイインジャナイ」

「何故カシラ」

 険のある声は空母棲姫だ。
 二人の姫が自分を無視して話を進めようとしているのが気に入らなかった。

「≠тжa,,ガイナイナラ、誰モ提督ヲ守ラナイ。モシカシテ、アナタハ邪魔ヲスルノ?」

「マサカ」

 飛行場姫は提督を一瞥する。その時はとうに来ていたのだと彼女も理解した。

「私ハ彼女ジャナイ」

「ナラ構ワナイワネ」

 飛行場姫が道を譲るように脇へどくと、装甲空母姫が胸をなでおろしたように言う。

「助カル。私タチト違ッテ、ソッチノ二人ハ地上ニ慣レテナインダ」

 装甲空母の指した二人はル級のことで、すでに息が上がり始めている。
 進み出たル級たちは慎重に提督の両肩を掴むと立ち上がらせた。抵抗はない。

 飛行場姫は思う。人間は不思議だと。
 人間はあまりに脆い。
 だが、この脆い人間が深海棲艦を強く突き動かしもする。
 不思議な生き物だ。その考えを胸に飛行場姫は提督に聞く。




「……ソンナニ食ベタイ?」

「ああ、心残りだよ」

 提督が引き立てられて連れて行かれようとしている。
 背中が見えた。白い軍服。死に装束。
 そんなつもりはないのだろう。
 しかし――白に赤は映える。
 提督の体を貫いてから、飛行場姫はそう思う。

 機械仕掛けの右腕は背中から胸へと抜けて、間の筋肉や胸骨、そして心臓を外へと掻き出していた。
 こふっと息を吐き出した提督の口から血の塊がこぼれる。
 抉り取ったものを手放して腕を引き抜くと、提督の体が膝から前に崩れて倒れる。
 反った背中が顔を飛行場姫へと向けさせた。
 光を失っていく目は飛行場姫を見ているはずだが、本当は何を見ているのかもう分からない。

 飛行場姫は考える。
 望みは確かに果たした。これは提督が望んだ結果だと。
 しかしとも彼女は考える。
 提督の本当の望みは違ったのだろうと。
 誰も彼を知らない場所で、誰にも死に様を知られることがないまま消える。
 飛行場姫は胸の痛みを自覚した。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 痛みは一瞬だったが息苦しさは長かった。
 提督は自分の身に何が起きたのか、正確には理解できていない。
 ただ見上げた先の飛行場姫が約束を守ってくれたのだけは分かった。
 言葉の代わりに、喉には何かが詰まっていて息苦しい。
 感謝したかったのかもしれないが、もう思い浮かんでこなかった。
 だが、それもすぐに苦にならなくなる。自分が見ているものも分からなくなる。
 世界が色を失っていく中、なぜか昔を思い出していた。

 幼少期……八だか九だか十の頃。
 父親に言われた。俺は実の子ではないと。
 そんな気はしてた、と返した。意地を張って。
 本当の両親は父の知り合いらしかった。

 十四の時、本当の両親に会いたくないかと父に聞かれた。
 父はあなただと答えた。その時の父の顔は……もう思い出せない。
 その一年後、父が死んだ。大往生だ。
 まだ深海棲艦との戦争が始める前。たぶん父は幸せだった。

 その後、父と同じように海軍士官を志した。
 高官だった父のコネはあったのだと思う。
 さほど優秀な成績を残せなかった自分が兵学校に入学できて卒業までして、海軍に食い扶持を得られたのは。

 それから何年かして戦争が始まった。
 深海棲艦との一方的な戦い。
 同期も後輩も先輩もみんな死んだ。
 そして、なぜか提督に抜擢された。艦娘という怪しい存在の指揮官として。
 今ならあの妖精が一枚噛んでいたのではないかと思えるが、その時に知る由もない。




 初めて組んだのは生意気な駆逐艦だった。
 ただ、あの遠慮のなさは決して嫌いじゃない。でも生意気だ。
 その内、世界水準を自称する軽巡が増えて、他にもいっとう真面目な駆逐艦たちとめんどくさがりの駆逐艦がやってくる。

 全てが手探りだった。
 戦い、傷つき、その度に何かに気づいていく。
 艦娘は兵器であるが、同時に生きていた。
 苦しみ怯え、痛がって悲しむ。時には悩む。
 そして安らいで笑い、喜んで望みを語り、時に驚く。
 彼女たちにどう向き合うのか。本気で向き合うしかなかった。

 実働部隊の指揮官としては、俺には多少の適正があったらしい。
 やがて艦娘たちは増えていく。
 カニをこよなく愛する子、やたらおどおどしているけど優しい子。
 熊だか猫だか分からない軽巡姉妹。その中には心から頼りにするやつも出てきた。

 そして迎えた決戦。
 俺たちは勝って、一人を失った。
 それからも多くのことが起きていく。
 空いていた傷が塞がってきた頃、大切だった者と再開して――そして彼女とも出会った。

 ああ……最期に思い出せてよかった。
 ありがとう、俺は生きていた。
 ささやかな望み。
 この先も彼女と――鳥海と――




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 今にも暴発してしまいそうな鳥海は港湾棲姫に向けた主砲を下ろそうとはしない。
 一方の港湾棲姫はそれを甘んじて受けようというのか、微動だにしなかった。

「鳥海」

 静止するような摩耶の声にも鳥海は視線を向けない。
 分かっている。こんなことしたって、もうどうにもならないのは。
 撃って破局させれば気が済むという話でもない。
 それでも収まりのつかない気持ちがある。

「待ッテ……ホシイ」

 港湾棲姫に付き従っていたヲ級が両者の間に割って入る。
 鳥海の向ける砲口の前に立ったヲ級は手を広げながら言う。

「撃ツナラ私ニシテホシイ」

 それには港湾棲姫が驚きの声を上げる。

「何ヲ言ウ!」

「……イイノデス。艦娘ヨ、アノ男ヲサラッタノハ私ダ」

「そう……」

 鳥海は短く答えながら、ヲ級を観察する。
 ヲ級は無表情で思惑がどこにあるのか鳥海にもよく分からない。




「ドウシテモ許セナイナラ私デ手討チニシテホシイ。コーワンヤホッポタチハドウカ許シテ」

「……手打ち?」

「提督ガ最後ニ教エテクレタ。コウイウ時、人間ハ手討チニスルト言ウノダト」

 言葉の意味を考えて鳥海は小声で呟く。

「……人が悪いですよ、司令官さん」

 こうなるのを知ってか知らずか。
 ありがとう、の言葉と重なって何を求めているのか分かってしまった。
 気づいてしまった以上、叶えてあげたかった。それが最後に遺されたことならば。

「そうですね。どこかで終わりにしないと」

 鳥海の言葉にヲ級は顔を強張らせて目を見開く。
 一方の鳥海は息を吐いて肩から余計な力を抜いた。
 指輪は左手に収め、右手は自由にさせておく。
 艤装の静かな唸りをそのままに鳥海の体が前へと飛び出る。
 数歩分の距離を刹那の間に詰めると、右手が電光石火の速さでヲ級の頬を張った。
 その音に遠巻きに見ていた島風ら何人が思わず目を閉じる。港湾棲姫もホッポも反射的に目を閉じていた。
 ヲ級は呆けた顔で鳥海を見つめていた。

「希望通り、手打ちにしました」

 鳥海の言葉にヲ級は手を頬にやる。
 ややあってヲ級はとがめるような声を出していた。

「手打チトハ、コウイウコトデハナイハズ!」

「手で打ったじゃないですか……まだ叩かれ足りないんですか?」

「ソウジャナイ……ソウジャナクッテ……」

 尻すぼみになっていく声に、鳥海は小さな声で謝った。




「ごめんなさい。悪乗りしてしまいましたね……手打ちには和解という意味があるんですよ。古い意味で手討ちなら、確かに殺すという意味も持ち合わせていますが」

 鳥海はため息をつく。
 司令官さんは最期まで戦ってくれたんですね……それを台無しになんてできない。

「あなたたちを許せと言ってたんですよ、司令官さんは」

「ソンナノ……ダメ」

 ヲ級は駄々をこねるように首を振る。
 鳥海は眼を細め、声のトーンを意図して下げる。

「あなたはそんなに私に沈めてほしいの?」

「ダッテ……私ナラ許セナイノニ……」

「……私はあなたたちを知りません。でも司令官さんはあなたたちを助けたかった……あの人自身の命よりも優先して」

 白露さんがワルサメを守ろうとしたように、司令官さんもまた港湾棲姫やこのヲ級を守ろうとした。
 だったらどうするかなんて決まってる。

「私、鳥海はあの人の秘書艦です。ならばその想いを汲むのは当然じゃないですか」

 ヲ級はうなだれる。鳥海からそれ以上何も言うことはなかった。
 それから港湾棲姫を見る。緊張も警戒も解けていない顔が見返してくる。

「わだかまりが完全に消えたとは思わないでください……それでも、あなたたちの要求を聞き入れます」

「……感謝スル」

「まだ、それには早いですよ。どうなるか分からないんですから」

「ソレデモ……信ジテクレタ」

「それも含めて、これからのあなたたち次第では?」




 機会は作られた。
 でも私たちはまだスタートラインに立ったばかり。
 お互いのことは行動で示していくしかないと思えた。

「扶桑さん、提督さんに連絡してください。投降してきた深海棲艦を受け入れる準備をしてほしいと」

「ええ」

 本当なら鳥海は自分で連絡をするつもりだった。
 しかし緊張しきっていたのは彼女も同じで、気が張り詰めていたせいか一気に疲労感に襲われていた。
 そんな鳥海に山城が言う。

「鳥海。あなたは正しい判断をしたと思うわ」

「……そうだと思いたいです」

「姫は私と姉様で様子を見るわ。あなたは……少し楽にしてなさい」

 山城の視線は鳥海が受け取った指輪にも向いていた。
 泊地からの正式な命令となったことで、他の艦娘たちも深海棲艦を警戒しながらも誘導を始める。

「……ゴメンナサイ」

 ヲ級が見ていた。戸惑いを隠せず、それでも声を振り絞るようにもう一度謝ってくる。
 鳥海はどう答えていいのか分からず、首を横に振った。

「……やめましょう。私だって、あなたたちに何もしてこなかったわけじゃないんですから」




 人数の多寡で語る話じゃないのは理解している。
 それでも多寡で語ってしまえば、私のほうが多くを奪ってきている。
 まだ気持ちを整理できていないのは確かで、だけどこの子を恨むよりも他にやったほうがいいことがあると思えた。
 それが何かはまだ全然分からないけど……。
 鳥海は左手で握り締めていた指輪を両手で包み直す。そうしていないとなくしそうな気がして。

「よくがんばったな」

 摩耶がすぐ近くまで来る。鳥海はできる限りの笑顔を返した。

「分かってたから……白旗振ってたでしょ。あれだって受け入れてほしいってことじゃない」

 言いながらも鳥海は自分が見栄を張っているのだと思った。
 怒りも恨みもぶつけるのが筋違いだと思えて、それで分かったようなことを言ってるだけで。悲しい気持ちは残ったままで。

「摩耶、ごめん……」

 危ないとは分かっていても、航行中の摩耶に正面から体を寄せる。
 これも分かってる。摩耶なら速度を同期させてくれるって。互いの艤装の速度が微速にまで落とされる。
 今度はちゃんと甘えることにした。
 摩耶の体に収まるように頭を胸に押しつける。
 何も言わず摩耶は頭と背中に手を回すと、浅く抱き返してくれた。
 髪に触れる感触を気にしていれば、余計なことも考えずに済む。
 私は……声を押し殺す。
 小さな指輪が、今度こそ司令官さんをなくしたという現実を教えてくれた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 装甲空母姫は提督の亡骸を、彼女の占有空間へと運んでいた。
 そのあとに続くのは飛行場姫で、装甲空母姫に請われて足を運んでいた。
 空母棲姫は提督が死亡した時点で、彼への関心を失いル級たちと海底へと戻っている。

「ココハ……コンナ場所ガアッタノカ」

 飛行場姫の眼前にあるのは、言わば研究プラントだ。
 横倒しに並んだカプセルがいくつも入り口から奥へと連なっている。
 電力やその他よく分からないものを供給しているであろうケーブルが容器の上下から伸びていて、内部には液体が詰まっていた。
 そのいずれにも様々な艦種の深海棲艦が入っている。
 眠っているのか死んでいるのか飛行場姫には分からないが、ある言葉が自然と浮かんできた。

「保育器?」

「当タラズトモ遠カラズ。ココニ同ジ姫デ入レタノハ君ガ初メテ」

「ナゼ私ヲ?」

「誰カニ……知ッテホシカッタノカモシレナイ」

「コノ場所ヲ?」

 こんな薄気味悪い場所。そう内心で飛行場姫は付け加えていた。
 装甲空母姫は答える前に、提督の体を空いていたカプセルに入れる。

「何ヲシテイル?」

「誰カサンガ殺シテシマッタカラ、腐敗ダケハ抑エナイト」

「ソウデハナクテ、提督デ何ヲスルツモリダト」




 装甲空母姫は片眉だけを吊り上げて笑う。

「代償ヲ支払ッテモラウ。人間ノ体ニ」

 飛行場姫は得も言われぬ不快感を覚えた。

「死ンダ人間ダ。安ラカニ眠ラセテヤッテハ」

「ソウハイカナイ。コノママデハ我々ハタカガ非力ナ人間ニ、戦力ノ一角ヲ崩サレタコトニナル」

 装甲空母姫は冷ややかな目でカプセルを見下ろす。提督の死体を。

「コノグライノ代償ヲ受ケ取ッテモ割ニ合ウマイ。改造モデキレバイイケド……」

 飛行場姫は思った。いっそ提督が入れられた容器も壊してしまおうかと。それはまったく難しいことではない。
 衝動じみた行動を取る前に、飛行場姫は別の容器を見て驚いた。
 その中に浮かんでいるのは深海棲艦ではない。

「艦娘……?」

「ソウ、ソレハパナマデ交戦シタアメリカノ艦娘ダ。私ノ艦載機ヲイクツモ落トシタ……代償ダ。他ニモ色々ナトコロカラ回収デキテネ、コノ数ヶ月ハ戦闘ガ多クテヨカッタ」

 装甲空母姫は愉快そうに笑うが、すぐにその笑い声を消す。
 あとに残ったのは真摯な顔だった。

「知ッテホシイノハ……深海棲艦ガ直面シテルコト。我々ハ窮地ニ追イ込マレテイル。ソレト気ヅイテイナイダケデ」

 飛行場姫は息を呑んだ。知らずに自分が踏み入れているのは危険な場所ではないかと思って。

「ゴク少数デモ、生マレナガラニ不完全ナ個体トイウノハイタ。ソウイッタ個体ヲ用イテ色々試シタヨ。改造シテ巨大化サセテ実験兵器ヲ載セタリ、艤装ニ転用シタ例モアル。成功モ失敗モ様々デ」

「知ッテル。ソレトコレガドウ繋ガルノ!」

「セッカチダナ、君ハ」

 こんな話なんか聞いていたくないだけ、飛行場姫は内心で言い返す。
 一方で姫である以上、知っておかなければいけない話だとも考えていた。




「今デハ……深海棲艦ノ出生率ガ下ガッテイル。シカシ不完全ナ個体ノ発生率ハ反比例シテ上昇シテイル」

 飛行場姫は不審に思う。
 正確なデータとして把握しているわけではないが、それだけの変化ならもっと認知されている問題だと思えたからだ。
 その疑問をよそに装甲空母姫は話を続けた。

「モチロン今ガ過渡期トイウ可能性モアル。我々ノヨウナ姫ヤ9レ#=Cノヨウナ強靱ナ個体ガ生マレルタメノ」

「……デモ、ソウハ思ッテイナイ?」

「淘汰ニシテハ劣化ノ激シイ個体ガ多スギル。西海岸ナド酷イモノヨ。発祥ノ地ナノニ……ダカラコソカナ?」

 含み笑いをする装甲空母姫に、飛行場姫は胡乱げな眼差しを向ける。

「……信ジラレナイワ。ソレダッタラ、モット早ク気ヅクジャナイ」

「足リナイ者同士デ掛ケ合ワセテ、表面的ニハスグ分カラナイカラカナ。幸イ、我々ニモ小鬼ノ作リ出シタ修復材ガアル」

 聞かなければよかった、と飛行場姫は少なからず思った。
 装甲空母姫は完全な一体を用意するために複数の個体を切り刻んでは修復、欠けの生じた個体は対空砲台などへと改造していると言う。

「総数ハコレデ変ワラナイ。戦エナイ個体ニモ働キ場所ガアル」

 何か問題が、と問われているようで飛行場姫は絶句するしかなかった。
 おかしいと感じながら、どこがどうおかしいのかを指摘できない。
 浮かぶ理由が観念的になってしまい、それは不適切だと思えてしまう。

「ソウマデシテ……ドウシタイノ?」

「怖イカラ」

 装甲空母姫は真顔だった。その目は海のように茫洋としている。




「私ハ怖イ。遠カラズ我々ハ滅ンデシマウノデハナイカト。外ノ理由モ内ノ理由モ絶対ニ嫌」

「ダカラトイッテ……」

 このやり方が本当に最適解なのか。そうではないと思う。
 しかし代案を出せるほど飛行場姫は冷静ではなかった。

「艦娘ヤ人間ガドウ絡ムノ」

「アア、ソレハ簡単ナ話デ足リナイ部分ハ外カラ補エバイイ。閉ジタ輪ノ中デ行ウヨリ健全デショ?」

 なんでもないことのように言われて、飛行場姫はきびすを返す。
 装甲空母姫の行為は、深海棲艦の未来を見据えての行動かもしれない。
 それ故に止められないと思う。しかし間違えてると、どこかで感じてしまう。
 展示された標本のような同族や艦娘を見ると、飛行場姫は強烈な嫌悪感が生じてくるのを抑えられない。
 あそこにあるのは等しくモノで、一様に死にくるまれていた。
 無機質な冷たさの中から明るい未来が生まれるという展望が、飛行場姫にはどうしても想像できない。

 飛行場姫の足は自然と外へと向かい、そのまま夜の海へと飛び込んだ。
 海水に当たれば、少しは淀んだ気持ちが晴れるかもしれないと期待して。
 実際に効果はあった。
 覚めた頭でどうでもできないと判断する。何も止められないし変えられない。

 飛行場姫は水面に仰向けに浮かび上がると、星空を見上げる。
 提督を憐れに思った。
 艦娘を想い死を賭したであろうに、その死後に艦娘と戦うために利用されるとは。

「コンナハズデハナカッタ……ソウハ思ワナイ?」

 飛行場姫は思う。この世界は残酷なのかもしれないと。
 そして、それに一役買ってるのは彼女自身と言えるとも。
 飛行場姫はうんざりしながら、流されるままに体を波に任せた。





 五章に続く。

やりました


というわけで、ようやく冒頭の語りを回収
ますます人を選ぶ展開になった気がしますが、これからは後半戦ってことで


続きが気になる

乙乙
マジで面白い


まさかこうなるとは思わなかった
続きが気になる


やっと追いついた

>>493>>495
書いてる自分としては展開を読まれてると思ってます……

>>494
ありがとうございます、励みになるのです

>>496
お疲れ様です。四章までで二十万文字越えてしまってるので大変だったかと思います



 俺たちに魂はあるんだろうか?
 艦娘という我が身を顧みると、そんな疑問に行き当たることがある。

 艦娘は元になった艦の生まれ変わりって言われている。
 生まれ変わりなら魂があるという前提だろう。生きてなきゃ魂が宿るなんて考えはないはずだし。
 そもそも艦という無機物に魂が宿るのかって疑問もあるにはある。
 まあ、これは付喪神のようなもんなのかもしれない。

 俺には先代の記憶が多少なりとも残ってる。
 だから俺の場合は先代と混じってるって言ってもいいんじゃないかな。
 でも実際にゃ俺は俺だし、先代は先代だ。
 先代の記憶があるからって、それは俺自身の体験ってわけじゃない。

 あいつはあいつ、お前はお前。
 いつか言ってもらったことだけど、こういうのが正しいんだと思う。
 姿形が似ていて同一の艦娘として生を受けていても、同じであって同じではない存在。
 だから先代と俺がよく似ていたとしても、やっぱり俺たちは別物なんだ。
 たぶん、魂が違うんだから。

 艦娘に魂があるなら、魂を魂たらしめてるのは記憶なんじゃないかな。それも実際に体験した上での記憶。
 要は経験だ。
 だから記憶があったからって、それはそいつだって言えない。艦娘は軍艦じゃないし同型艦でもないってことで。
 なんで、こんな話をするのかって?
 ……まあ、あれさ。認めたくないんだ。

 俺たちは出会った。出会っちまったんだ、戦場で。
 俺が俺であるように、あいつはもうあいつじゃなかった。
 だって、やつには俺たちと過ごしたという体験はない。
 逆にあいつには俺たちと撃ち合った経験なんてないんだ。
 ……どうにも、こいつはいけないな。回りくどくて要領を得てないや。

 つまり俺たちは新種の深海棲艦と邂逅した。
 それだけなら、そういう話で済む。
 しかし俺はそいつから提督の気配を感じてしまった。

 ありえない話だよ。そう、ありえないんだと思っていたかった。
 あれは確かに深海棲艦だったから。
 だが魂がもしも記憶に根ざすなら……あの深海棲艦はやっぱりあいつでもあったんじゃないかって。
 俺はそれ認めたくないだけって話さ。
 実際やつは……やつも振り回されてたんじゃないかな。自分自身に、自分が持っていたモノに。




五章 咆哮の海


 港湾棲姫たちを受け入れてから一夜が過ぎた。
 その間、交戦の意思がない一団は積極的にトラック泊地からの要求や指示に従っている。
 元から受け入れるのも考慮して接触しただけあって、泊地としての対応も早かった。
 提督も港湾棲姫と通信を行い事の経緯や彼女たちの目的を改めて確認すると、今後に向けた当座の取り決めも交わしている。
 大本営からも近日中に人を派遣して話し合いを行うとのことで、それまで友好的な態度を取るよう言ってきたという。
 鳥海は思う。ここまでは司令官さんの計算通りなのかもしれない。
 この先どうなっていくのかは委ねられてしまった。

 翌日になって深海棲艦たちに夏島への上陸許可が認められた。
 提督さんと港湾棲姫の間で、改めて協議を行うために。
 もっとも上陸できるのは三人だけで、港湾棲姫にホッポと名乗る幼女のような見た目の姫、それに青い目のヲ級になる。
 他の深海棲艦は海からは離れられなかった。
 これは以前ワルサメからもたらされた情報とも合致している。
 砂浜では提督や何人もの艦娘が見守り、海上では二十名近くの深海棲艦が見送る中、最初に上陸した港湾棲姫がしみじみと言う。

「コンナ形デ戻ッテクルナンテ思ワナカッタ……」

 トラック諸島が深海棲艦の勢力圏だった頃、深海側の司令官を務めていたのが彼女だ。やっぱり思うところはあるんだと思う。
 続いて島に足を踏み入れたホッポが胸一杯に息を吸い込む。

「コーワン、匂イガ全然違ウヨ!」

「ソウ……ナノ?」

 少し戸惑い気味に港湾棲姫が言う。
 そんな彼女と鳥海はなぜか目が合った。
 いえ、私にも分かりませんが……そういえば、港湾棲姫はと号作戦の折に交戦したのを覚えているのかしら。
 あの時の夜戦で左腕を折られたんだっけ。今更持ち出す気はないけど左腕を思わず触ってしまう。
 当たり前の話だけど、港湾棲姫は私よりもホッポという姫を気にしていた。




「ココハナンダカ優シイヨ?」

「ソウ……ヨカッタネ」

「ウン!」

 子供をあやすようにほほ笑む港湾棲姫にホッポは無邪気に笑い返す。
 本当の親子みたいで、相手が深海棲艦であっても和んだ気持ちになっていた。
 だから司令官さんは彼女たちを助けたいと考えたのでしょうか……。
 最後に青い目のヲ級が上がってきたところで提督が代表して前に進み出る。

「先任の意向を受けて、あなたがたを受け入れたいと思います」

「感謝シマス、提督サン……」

 提督はそこで握手のために右手を差し出す。敬語を使ってるのも、彼なりの立場の示し方なんだろうと後ろから見ていた鳥海は考える。
 港湾棲姫は戸惑ったように提督の手を見ていたが、同じように右の手を開いて前に出す。
 彼女の手は大きなかぎ爪のようになっているから、お世辞にも握手には向いていなさそうだった。
 提督は港湾棲姫の人差し指と中指の二本を握って応じた。

「とは言ったものの喜ぶにはまだ早いかもしれません。先任や艦娘たちが認めたとしても、それは我が国の総意とは言えませんので」

「エエ……ソレデモ始メルコトガ……必要デス」

「そうですな……今はまずお互いがこうして出会えたのを感謝しましょう」

 提督の言葉に港湾棲姫も頷き返す。
 二人の様子を見ていたホッポが首を傾げる。

「コノ人モ提督?」

「ああ、提督って言うのは役職だからね。お姫様と一緒で何人かいるんだよ」

「フーン。アノネ、ホッポモ姫ナンダヨ。コーワントオンナジ!」

 嬉しそうに喋るホッポに提督さんは屈むと目線を合わせて褒めてあげる。
 できるだけ威圧感を与えないようにという配慮のようで、そういう気配りができる人らしい。




「では今後も含めて踏み込んだ話をするとして、そちらをどう呼べば?」

「イカヨウニデモ……私ノ名ハ人間ニハ認識デキナイ。デモ、コノ子ハコーワントイウ呼ビ方ガ気ニ入ッテル」

「コーワンハカワイイ!」

「それではコーワン、どうぞ泊地へ」

 提督が先頭に立って歩き出すと、それに従って鳥海たちも港湾棲姫たちも歩き始める。
 鳥海たち艦娘は護衛と監視を兼ねていたが、これまでの出来事からじきにそうする必要がなくなると察していた。
 それもこれも以前ワルサメと過ごしたからで、彼女の存在は深海棲艦への印象を変えるには十分だった。

 しかし、わだかまりもまた解消されていない。
 今まで戦ってきているのもあるし、何よりも司令官さんのことがある。
 先を見据えたいと考えていても、そこまでの割り切りができたなんて言えない。
 全てを水に流すには、お互いにまだ時間も理解も足りていないのだから。
 それでも今は言葉を交わすことはないけれど、これからは協調路線を取っていく。
 こうやって変わっていくのだけは確かなんだと鳥海には思えた。

 泊地の司令部施設内にある会議場で会談は行われた。
 最初から最後まで雰囲気は悪くなくて順調に進んでいく。
 会談の終わり際になって港湾棲姫が白露に会ってみたいと言いだした。ワルサメに良くしてくれていたと聞いていたからだという。
 そして提督は即答を避けた。
 この日の白露型は武蔵や空母たちと一緒に洋上へ訓練に出ている。
 訓練を中止して呼び戻すという手もあるけど、提督さんはそうはしなかった。

「今は洋上に出ているので戻ってきてから。それに我々も立ち会いますが、よろしいですな」

 確認というより条件の提示。港湾棲姫は頷いた。

「代わりと言ってはなんですが泊地を案内しましょう」

 提督のその一声で会談は終わりを迎えた。




 扶桑姉妹と夕雲型の何人かが引き続き港湾棲姫たちに付き添う中、鳥海はその任から外れた艦娘に含まれている。
 提督たちを見送ってから鳥海はため息をつくと、軽く頭を振る。
 それを高雄に見られていたのに気づく。

「お疲れね」

「昨日今日で色々ありましたからね。なんだか世界が変わってしまった気がします」

 気安く言ったつもりでも間違いではない。
 この数ヶ月で鳥海たちを取り巻く環境は大きく様変わりし、今もなお変わり続けている。
 激流に放り込まれたような我が身を顧みれば、疲れるというのが無理なのではないでしょうか。

「本当にそうね……」

 高雄も肩を落とすと鳥海と同じようにため息をついた。
 そんな二人に声がかかる。愛宕と摩耶だった。

「ちょっとー、二人とも湿っぽいわよ」

「だな。こんな時は間宮で息抜きしようぜ」

 摩耶は間宮券をちらつかせてみせる。

「いい考えね、ほらほら」

「もう、強引なんだから」

 愛宕が高雄の背を押していくが、高雄も満更でもなさそうにはにかんでいる。

「鳥海も来いよ」

 摩耶に促される。確かに名案かもしれないと鳥海も思う。ここは英気を養う時だと。




「うん。でもみんなは先に行ってて。工廠に用があるから先に済ませてくるね」

 鳥海は一人で行くつもりだったが、すぐに愛宕が手を挙げる。

「私も一緒に行きたいな!」

「別に面白い用事じゃないですよ? 先に食べていたほうがいいかと」

「それだと鳥海があとから食べてるのを眺めることになるかもしれないのよ。高雄には目の毒だわ」

「どうして私なのかしら」

「高雄ってばおなか周り気にしてるじゃない。食べ終わっちゃった後に見てたら、お代わりしたくなるでしょ?」

 愛宕は悪気のかけらもなく言う。
 高雄は一瞬頬を引きつらせたが、すぐにそれを表情から消す。

「人を食いしん坊みたいに言って……」

「でも事実でしょ?」

「それはそうだけど……」

「姉さんの腹はとにかく、工廠にどんな用があるんだよ?」

「うん……実はね」

 鳥海は指輪を取り出す。
 港湾棲姫の手を経ての私の元へとやってきた司令官さんの指輪。唯一の形見らしい形見になった指輪を。
 他の三人が息を詰める気配を感じながら鳥海は困ったように笑う。




「ペンダントにしてもらおうと思うんです。お守りの代わりに持っていたいので」

 指にはめるのも考えたけど、私と司令官さんではサイズが合わなかった。
 指輪は軍の装備に当たるから本来は返却しないといけないのでしょうが……どうしても、そうする気にはなれなかった。

「鳥海がそうしたいなら好きになさい。それにいいと思うわ」

 高雄が後押しするように言う。その表情は穏やかだった。
 愛宕も一緒に行く気はなくなったらしい。

「間宮で待ってるから、ちゃんと来てよね」

「もちろんです。摩耶のおごりですし」

「あんまりゆっくりしてると高雄姉さんが二人分食べちゃうかもしんないけどな」

「……摩耶?」

 抑えた声の高雄に摩耶が冗談っぽく謝ったのをきっかけに、鳥海は姉たちと別れて一人で工廠に向かう。
 工廠は司令部施設とは別の建物なので、鳥海は外に出てから歩いていく。
 何人かの妖精が装備や資材を確認する傍らを抜けていくと、工廠の奥で夕張が資材管理の帳簿に記入をしながら頭を捻っていた。

「今週の消費資材は……オーバー気味かあ。そろそろ成果も出さないといけないし……」

「夕張さん?」

 鳥海が声をかけると、我に返ったように夕張は立ち上がった。
 しかし相手が鳥海だと分かると安心したように胸をなで下ろす。




「なんだ、鳥海か。ああ、そうだ。資材の割り当てってもう少し増やせないかな?」

「どうでしょう。私も今は秘書艦じゃないですし」

「そっか……ごめん」

「いえ。いっそ夕張さんが秘書艦になっては? そうすれば資材の融通に悩まされないかと」

「私はこっちのほうが性に合ってるんだよね。秘書艦やってたら、工廠の仕事が疎かになっちゃうだろうし」

 工廠は夕張と明石の二人が中心になって機能している。
 得意な領域が微妙に違うのもあって、二人は協同して成果を挙げていた。
 もっとも開発される兵装の全てが実用に耐えるとは限らないが。

「やっぱり秘書艦って必要ね。ところで今日はどうしたの?」

「頼みたいことがあって」

 夕張は鳥海に椅子を勧めると、麦茶をコップに注ぐ。
 鳥海はそれを受け取ると、一口飲んでから話を切り出した。

「加工をお願いしたいんです。ペンダントのように」

 指輪を差し出すと夕張はそれを手に取って注視する。

「これ、提督の指輪かな?」

「はい。どうでしょう?」

「加工はできるし難しくもないけど」

 夕張は鳥海に一度指輪を返してくる。




「本当にいいの?」

 鳥海が頷くと、逆に夕張は困ったような冴えない表情になる。
 乗り気に見えない表情だけど理由が分からない。

「ペンダントってことは肌身離さず持っていたいということよね?」

「……はい。司令官さんとの繋がりがあった証明ですから」

 だからお守り代わりに。そして、あの人を救えなかった自分への戒めとしても。

「そこよ。ずっと持ってるなら戦闘中になくしちゃうかもしれないのに」

 夕張が渋っていた理由に鳥海は気づいた。
 戦闘の最中に失ってしまえば、今度こそ二度と戻ってこなくなる。
 わら山で針を探す、という慣用句があるけど海はわら山と比較できないほど広大で深奥なのだから。
 こうして鳥海の手元に指輪があることが、すでに奇縁の為したいたずらと言えるのに。

「私も前、提督から指輪はもらってるけど二人のはなんていうか特別じゃない。同じ指輪なのに本当に通じてたっていうか……だから、これは大切に保管しておいたほうがいいんじゃないかしら」

「それは考えました。というより最初はそのつもりだったので」

「だったら、どうして?」

 そこで鳥海は少しの間、沈黙した。
 夕張の言うように指輪を大事に取っておけば、鳥海が健在な限り二度と失われることはないかもしれない。
 しかしトラック泊地も決して襲撃とは無縁の拠点とは言えなかった。
 どこかに保管していても、敵の襲撃で灰燼に帰してしまう可能性もないなんて断言できない。
 だから手元に持っておきたい。
 理屈で考えればこうなってくるがそう言えなかった。

「司令官さんは私たちに感謝の言葉を遺していきました」

「そうみたいね……らしいっていうかなんていうか」

 夕張は寂しげに笑う。自分も同じような顔をしているのかもしれないと鳥海は思った。

「それで一晩考えてみたんです。あの人はどんな未来を思い描いてたんだろうって」

 見返す夕張は驚いたのか感心しているのか、相づちを打つように頷いてくる。




「何か分かったの?」

「いえ、残念ながら。でも司令官さんは私たちに期待してくれていたんだと思うんです」

 私たち艦娘が将来どう生きてどうなっていくのか。
 あの人はその点ではとにかく楽天的だったように今では思う。
 前途にどんな困難があっても、それを越えていけると信じているようで。

「これが司令官さんの代わりだなんて言いません。だけど……」

 掌に戻ってきた指輪に視線を落とす。
 これ自体はただの指輪だった。司令官さんが何を考え、どんな想いを込めていたとしても。
 それでも司令官さんは『ありがとう』の言葉と一緒にこれを託してきた。

「この指輪は私に教えてくれたんです。私たちが過ごした時間は無駄なんかじゃなかったって」

 だから私が望まない限り離したくない。
 大切だったことを忘れないためにも、先に進んでいくためにも。

「後生大事にしておくより私の近くでこれからを見届けてほしいんです。私が生きていく時間を」

「……あーもう、そこまで言われたら断れるわけないじゃない」

 夕張は今度こそ指輪を受け取り、鳥海は頭を下げた。

「何日か時間をちょうだい。最近面白い鋼材を開発できて――とにかく丈夫に作ってあげるから」

「当てにしてます」

「任せて。鳥海の艤装より丈夫にするから」

「それなら艤装のほうも丈夫にしてほしいです……」

「意気込みの話だよ」

 夕張は上機嫌そうに笑う。
 自信が覗いている笑みに、鳥海はもう一度礼を言ってから頭を下げた。
 後はできることをやっていくだけ。鳥海は人知れず気を引き締めていた。


短いけどここまで。少し人間関係の整理も兼ねて日常回っぽい話が続きます
今年も残りわずかですが、引き続きお付き合いいただければ幸いです

乙です

乙乙

乙ありなのです
短めですが一旦投下。続きは間に合えば今夜、だめそうなら月曜にでも



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 白露が港湾棲姫へ抱いた第一印象は大きいだった。
 実際に近づいてみると、つくづくそう思える。
 訓練が終わって帰港すると、白露は汗を流してから姫が待つ波止場に向かった。
 そして姫の両隣には扶桑姉妹が並んでいる。

「大きいね」

 隣の時雨も同じようなことを言う。
 指名されたのは白露だけだったが、時雨は勝手についてきていた。
 というより他の妹たちもこっそりと追ってきている。
 以前、時雨が扶桑姉妹を同じように評していたのを白露は思い出す。
 港湾棲姫の足にはホッポが隠れるようにしがみついているが、怖がっているわけではなく逆に好奇の眼差しを二人に向けていた。
 少し離れたところにはヲ級と夕雲たちがいる。

「あれがホッポか。あっちは見た目通りというか小さいね」

 白露が無言で頷くと時雨は続ける。

「しかし……あの三人はまるで山だね」

「山かあ。ちょっと分かるかも」

 一人が山なら、三人並べば連峰?
 別に大女って意味じゃないけどさ。

「白いし氷山ってところかな。並んでるとすごく大きいし。いや、一人でも大きいんだけど」

 言われてみると三人とも白い。氷山というのも分かる――冷たすぎる気もするけど。

「大きい……あれが巨乳。違うね、爆乳か」

「うん……うん?」

 時雨は何を言い出すんだろう。白露は不審そうに時雨を見た。




「なんだい、姉さん。その目は」

「大きいっておっぱいのこと?」

「他に何があるんだい?」

 さも当然のように言う時雨に、白露はげんなりとする。
 白露は時雨を置いていくように歩調を早めた。

「ちょっと! 何か言ってほしいな……」

 すぐに時雨も追いついてくる。白露は顔を向けず、声に呆れを乗せて言う。

「あたしは背とか体全体のことを言ってたんだけど……そっか、時雨ってばそういう子だったよね」

「ちょっと待って。ボクについて良からぬ誤解がある気がするんだけど」

「どの口がそれを言うの?」

 さっきのは完全に時雨の落ち度だと思うんだけど。
 間近に来て分かったのは扶桑が柔和な笑みを浮かべる一方で、山城は仏頂面をしていたということ。
 気を取り直して白露は挨拶する。

「あたしが白露だよ。それでこっちは時雨」

「ハジメマシテ、私ハ港湾棲姫……コーワン。ソレカラ、コノ子ガホッポ」

「ハジメマシテ!」

「それから私が氷山ね」

 ふて腐れたように山城が言い足す。
 白露は思わず肘で時雨を突いていた。
 あたしは知らないよ。この件では時雨と一切関わりがないという姿勢を貫こうと白露は内心で決めた。




「やあ、山城。今日も一段ときれいだ」

「見え透いたお世辞で懐柔できると思われてるなんて……やっぱり不幸だわ」

「あはは……」

 白露は乾いた笑いで誤魔化してから港湾棲姫に顔を向け直す。

「それで港湾棲姫が……」

「コーワント呼ンデ」

「じゃあコーワンがあたしに会いたいって聞いたんだけど」

 なるべく笑顔を意識して白露は話しかける。
 怖いという印象はなくても少しは緊張していた。
 ホッポが港湾棲姫から離れて前に出る。

「白露……ワルサメノオ友達?」

 見上げてくる顔はまっすぐ白露を見つめてくる。その目は何かを期待しているようだった。
 ワルサメがホッポやコーワンの話をしていたのを思い出す。
 その時のワルサメは二人を上手く伝えようと真剣だった。
 今ならその気持ちが白露にも分かる。きっとこの子は今と同じ目でワルサメを見ていたのだから。

「一番の友達だったよ」

「イチバン……」

「あなたがホッポね?」

「ウン……」

「あたしとお友達になろうよ」

 白露は手を差し出していた。
 ホッポは驚いた顔で固まったが、すぐに満面の笑顔と一緒にその手を握り返すと嬉しそうに振る。




「白露、ホッポトモオ友達!」

 あたしたちよりずっと小さな手だった。ホッポの白い手は見た目と違ってずっと温かい。
 港湾棲姫が頭を下げてきて、白露を驚かせた。

「オ礼ガ言イタカッタ……ワルサメノコト……大事ニシテクレテアリガトウ……ソレニホッポニモ」

「あたしは自分がしたいようにしてきただけで別に」

 こんな形で深海棲艦から感謝されるなんて思わなかった。
 なんでだろう。嬉しいのに……悲しかった。
 だって、ここにワルサメがいれば……あの子はきっとこういうところが見たかったんだと思えて。
 でも、この気持ちは表に出さないと決めた。もういないワルサメのためにも。

「それにしても、どうして白露とワルサメのことを知っていたのかしら?」

 扶桑の疑問に港湾棲姫が答える。

「提督ガ教エテクレタ」

「提督が?」

 一瞬どっちの提督か考えてしまったけど、前の提督としか思えない。
 でも、それならちょっと気になる。

「他にワルサメのことは何か言ってたの?」

「ココデワルサメガドウ過ゴシタノカ教エテクレタ」

「あたしの妹のことは?」

「提督ハ……必要以上ニ艦娘ノ話ハシタガラナカッタ」

 やっぱり春雨の話はしてないんだ。白露は確信した。
 たぶん情報の漏洩を嫌ってのことだろうとも。




「妹たちにも会ってくれないかな。紹介したいんだ」

 実を言えば春雨たちも隠れてこの様子を見ている。
 春雨は深海棲艦たちに会うのに戸惑っていた。自分がワルサメ――駆逐棲姫と互い違いでよく似ていると知っているから。
 でも遅かれ早かれ会ってしまう。同じ泊地にいて避け続けるなんて無理。
 それなら下手に時間を空けてしまうより、今の内に会ったほうがいいに決まってる。
 白露の声を待っていたように、残りの白露型一同が姿を見せる。
 コーワンもホッポもその中の一人、春雨に気づいた。

「ワルサメ!」

 ホッポが止める間もなく駆け出すと、春雨に飛びつく。
 春雨は腰の辺りに飛びついてきたホッポを受け止めたものの、手で触れて支えるのはためらっていた。

「コレハ……ドウイウコトナノ?」

「話せば長くなるんだけど」

 コーワンも戸惑っていた。白露はそんな彼女の手を取る。

「行こう、コーワン。春雨はあれじゃ動けないし」

 白露は返事を待たずにコーワンの手を引いていた。
 一方の春雨はホッポに抱きつかれてたじろいでいる。

「あの……私はワルサメじゃなくって春雨です。はひふへほのはです」




 春雨は恐る恐るといった手つきでホッポを体から離そうとするが、しがみついたホッポは離れない。
 むしろ万感を込めて春雨を見上げてくる。
 妹のさらに妹を見ているような気分だと、白露は思う。
 コーワンがすぐ近くに来たために、春雨の進退はいよいよ窮まった。

「あの……」

「アナタ……」

 春雨とコーワンは互いに口を開いて、上擦った呼びかけが重なる。
 視線を絡ませたまま今度は沈黙した姫を前に、やがて春雨は話し始めた。

「私、春雨って言って白露型の五番艦です、はい。姉は白露、時雨、村雨、夕立。妹は五月雨、海風、山風、江風、涼風――あ、山風はまだいないです、はい」

 普段よりも早口で春雨は言う。

「ワルサメのことは白露姉さんから聞いてます……私だけ彼女には会ったことないんです。入れ違いで保護されて……でも私はワルサメじゃなくって春雨で!」

 その時、春雨の頬を涙が伝っていった。

「あ、あれ……?」

 春雨は目元を拭うが、それをきっかけに次から次へと涙がこぼれ出す。

「なん……なんで涙が? 悲しくなんて、ないのに……」

 春雨は嗚咽をなんとか我慢しようとしているが、明らかにできていない。
 釣られたように顔をくしゃくしゃにしだしたホッポがコーワンを見上げる。
 つぶらな瞳には黒っぽい涙が溜まり始めていた。




「コーワンガ……泣カセタノ?」

「エ!? チ、違ウ! 別ニ何モ……」

 コーワンの言葉はホッポには届いていないようだった。
 春雨も限界が近いようで、震える声で夕立に助けを求める。

「夕立ねえさん……!」

 急に言われても夕立はどうしていいのか分からないのか、動転したように言う。

「お姉ちゃん、パスっぽい!」

 ここであたしに振らないで、夕立!
 内心を呑みこんで白露は言っていた。

「な、泣きたい時は泣いちゃうのがいっちばーん!」

 二人分の堰が切れて泣きじゃくってしまう。
 コーワンはそんな二人を前に、どうしていいのか分からずおろおろ混乱している。
 火でもついたかのようなうろたえ振りだけど、白露も置かれている状況としてはさほど変わらなかった。
 なだめようにも二人には白露の声が届いていないし、届いていたとしてもどうにかなるわけでもない。

「大惨事ね……不幸だわ。主に白露とコーワンが」

 山城さんが冷静に指摘してくるけど、助け船を出してくれるつもりはなさそうだった。
 二人の泣き声はいっそう激しくなってきて、あたしまで泣きたくなってきた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 私が最初に見たのは同じ深海棲艦だった。
 白くて長い手足に、頭は兜か鎧のような外殻に守られている。その一方で腰や胸の下は肌が露出していた。
 寒くはないのだろうか――私の格好も似たり寄ったりかもしれないが。

「オハヨウ……ゴザイマス」

 頭部に似合わず綺麗な声だと思った。
 その深海棲艦が手を伸ばしてきたので、私はそれを掴んで立ち上がる。
 どうすれば立ち上がれるのかは体が理解していた。それに従って体を動かせばいいだけ。

「状況……分カリマスカ?」

「イヤ、私ニハ何モ……」

 答えながら、他に誰かが私を見ているのに気づいた。
 私を立たせた深海棲艦の奥に二人の――姫と呼ばれる存在が立っている。
 言われずとも理解できた。相手が姫なのは。
 片方は私をせせら笑うように、もう片方は険しい目つきで見ている。

 そして警戒してしまう。
 この二人は私に害を為すかもしれないと。
 すでに何かされているのか。何かって何を?
 偏執狂なのだろうか、この頭は。

 私の戸惑いをよそに姫の片方が近づいてくる。
 何も着ていないようにしか見えないが、それはいい。
 唇を線にした薄い笑いは、私を値踏みしているようだった。
 私を立たせた深海棲艦は手を握ったままで、その力が強くなる。
 この姫が近づいてから、それは顕著だった。少しばかり痛い。




「艤装ノテストヲシマショウ。ソウソウ、私ノ名前ハ――」

 そこから先はほとんど聞き取れなかった。
 姫はそこで彼女の名や、どうやら一緒に私の名も口に出したようだったが。

「アナタノ名ヨ、声ニ出シテミテ」

 姫はまた何かを言い復唱を求めてきたができなかった。
 雑音や叫びを回らない舌で再現するのは不可能。
 その音は言わば壊れたテープを聞かされているようなものだ。
 ……テープとはなんだろう?
 私の頭は私の知らないことまで考え出す。
 生まれたばかりでも、この頭に知識はある。
 それにしては、この頭には私が知り得ない知識まで詰め込まれているような気がする。
 なぜそう思えるのかは分からないが……単なる思い違いかもしれない。

「ソッチノ彼女トイイ、名前ヲ認識デキナイノガ続クナンテ……出自ノ問題カ」

「出自?」

 姫は笑う。いくらかの嘲りも含まれている気がした。

「アナタタチニハ今ガアルジャナイ」

 何も教えるつもりはないようだった。
 しかし一理あるかもしれない。
 私がなんであれ、私は必要以上に私を知りたくないかもしれない。

「サア、来ナサイ」

 姫は背を向けて歩き始める。
 ついていくしかない。そして未だに手を握られたままだった。

「……アマリ強ク握ラナイデホシイ」

「……ゴメンナサイ」





 彼女はゆっくりと手を開いていく。
 私以上にさっきの言葉か、あの姫に対して何か思うことがあるのだろうか。
 仮面のようですらある頭部からは、表情が見えず感情を推し量ることもできない。

「握ルナトハ言ッテナイ」

 気づけば私は自然とそんなことを言っていた。彼女は首を横に振る。
 私は自分から彼女の手を取った。
 彼女をそのままにしておくのは……なぜか良くない気がして。
 私は手を引きながら、自分の歩調を確かめるように歩き始めた。
 前方にいる二人の姫の会話が少しだけ聞こえてくる。

「私モ行クノカ?」

「見タクナイ?」

「……責ハアルカ」

 私たちは通路を進む。天井には青白い明かりがあるが、ここは洞穴のように思えた。
 進んでいくと、それまでとは異なる深海棲艦がいた。
 黒いフードを被った深海棲艦だ。
 そいつは壁に寄りかかっていたが、姫たちに目配せしたようだった。

「好キニシナサイ。イツモノコトデショ」

 姫の声が聞こえてきた。面白がるような声だった。

「アリガタイ」

 そいつは壁から離れた。
 意外に幼い顔が笑みを張りつかせて、目を赤々と光らせて私を見ている。
 好戦的に見える表情に私は危険を感じた。




「危ナイ……」

 隣の彼女が警告しきる前に、私は手を離すと前へと踏み出していた。
 その時には向こうの深海棲艦も同じように私めがけて駆けだしている。
 ほとんど衝突するようにぶつかり合っていたが、互いに引きも倒れもせず押し合う。
 私はぶつかった直後に、そいつの手首を両手で押さえ込んでいた。

「生マレタバカリニシテハイイ反応ダヨ。気ニ入ッタ」

 そいつは楽しそうに笑っていた。悪気というものをまるで感じない。

「ダガ手数ハアタシノホウガ多イノサ」

 首に冷たくて太いものが巻き付いてくる。見ればそいつの体から尻尾が伸びて締め付けてきていた。
 巨大な口を持った尻尾の先端が顔のすぐ横に来ている。
 その気さえあれば噛み砕くのは簡単、ということか。

「ヒヒッ、怒ルナヨ。歓迎ノアイサツッテヤツサ」

 首への圧力が弱まり、尻尾が離れていく。
 これ以上をする気はないとみて、私もそいつから手を離した。

「ソッチノヤツハダメダメダッタケド」

 そいつは私を立たせてくれた彼女を見やる。こいつの判断基準はどうやら強弱らしい。

「オ前ハイイナ。名ハ? アタシハ9レ#=Cッテ呼バレテル」

「……何ヲ言ッテルノカ分カラナイ」

 正直に答える。すると後ろで様子を見ていた裸に近い姫が言ってくる。

「ダッタラ『レ級』トデモ呼ビナサイ」

「レ級?」

「ヒヒッ、十把一絡ゲカヨ」

「人間ハ彼女ヤ同種ヲソウ呼ンデイル。ソレナラ、アナタタチデモ言エルデショウ」




 確かにレ級なら言えるし分かる。
 レ級本人はその呼び方はあまり面白くないようだったが。

「名ヲ認識デキナイナラ、アナタタチ二人ハ人間ノ呼称デ呼ベバイイ。二人モ名無シガイルノモ紛ラワシイシ」

 改めて、その姫は自分たちの名を言う。

「人間ヤ艦娘流ノ基準デイエバ、私ガ装甲空母姫。コッチハ飛行場姫ダッタカ」

 その言葉なら理解できたので私は復唱した。
 すると装甲空母姫は満足げに笑い、やや距離を取ったままの飛行場姫は私から目を逸らした。
 やはり私は飛行場姫にあまり気に入られていないようだ。
 理由は分からないが、理由などないのかもしれない。人が人を嫌う理由など、意外に大した理由ではなかったりする。
 ……今、私は人間を基準に考えたのか?
 どちらにしても私とて彼女に理由のない警戒心を抱いている。お互い様というわけか。

「アナタタチハ新種ダケド姫デハナイカラ艦種ニ合ワセテ呼ビ方ガアルハズ。二人トモ重巡ノ艤装ニ適正ガアルケド、コッチノ彼女ハ軽巡ニヨリ適正ガアッタカラ」

「イロハ歌」

 急に後ろの飛行場姫が言い出す。

「イロハ歌……ソウ、ソレカラ名ヲツケテイルト確カニソウ言ッテイタ」

 誰が言っていたのだろう。飛行場姫の言葉からは分からない。
 ただ、その言葉は私に閃きを与えた。

「ソレナラ私ガ『ネ級』デ彼女ハ『ツ級』ニナル」

 私はまた私の知らない知識で話していた。
 ただ、これで決まった。私にはネ級という名がある。名と呼んでいいのか分からない名が。


ここまで。これでストーリーに絡むキャラは出尽くしです
さっき気づいたんですが、今日で初回投下からちょうど半年でした
始めた頃には今頃終わってるもんだとばかり思ってたので、もう少し気合い入れないとなと思った次第

乙です

おつ

乙乙

乙ありなのです!
年内最後の更新を



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 港湾棲姫たちがトラック泊地に保護されてから半月が過ぎた。
 先日になって大本営から使節団が派遣され、港湾棲姫との協議も済んでいる。
 鳥海は会談には参加しなかったが、議事録を取っていた夕雲から要旨は教えてもらっていた。

「要は何も変わらないということですよ」

 夕雲は苦笑いしながら前置きとしてそう言った。
 決まったのは港湾棲姫たちを守るためにも、彼女らの安全を脅かす存在に対して艦娘や泊地の基地機能が行使されるということ。
 つまり正式な保護対象として認定された形になる。

 大本営は深海棲艦の生態調査を申し込んでいるが、これは深海側から拒否されている。
 調査という名目で何が行われるのか分からないのだから、断るのも当然だというのが夕雲と鳥海の共通認識だった。

 一方で将来的に港湾棲姫たちが人間に害を為すのなら、実力をもってして排除することになっている。
 そういった事情もあって、当面はトラック泊地でのみ深海棲艦の滞在を認めていた。
 また深海棲艦たちもただ守られるだけでなく、可能な限りの協力を約束している。
 協力するといっても具体的な形は定まっていなかったが、港湾棲姫は自分が持つ情報をここに至って開示していた。
 深海側の拠点や勢力に関する情報で、それは新たな戦いの幕開けも意味している。

 深海棲艦の主力がガダルカナル島に拠点を築いているのが港湾棲姫により判明したが、艦娘たちもMI作戦にまつわる被害からすぐに動けないというのが実情だ。
 各鎮守府や泊地では戦力の増強、あるいは立て直しを図りながら、本土ではガ島を攻略するための作戦の実施に向ける準備が始まっていた。
 トラック泊地でも新提督による体制が固まりつつある中、艦娘やマリアナ救援で摩耗した基地航空隊の練成が進んでいた。




 他方、港湾棲姫ら深海棲艦は泊地の艦娘や人間に馴染もうと努力している。
 多くの深海棲艦は言葉が通じないなりに身ぶり手ぶりで意思表示をしようとしているし、中には発声の練習をしている姿も目撃されている。
 港湾棲姫も自らをコーワンと呼び、日常に少しでも溶け込もうとしていた。
 艦娘たちもそんな深海棲艦たちを受け入れ始めた頃、鳥海はある妖精と再開を果たした。

「お久しぶりです、秘書艦さん」

 第八艦隊内での紅白戦を終えて帰投した鳥海の前に現れたのは、白の帽子を被ったセーラー服の妖精だった。
 と号作戦前に本土を訪れた時に、二人目の鳥海と引き合わせてきた妖精だ。
 彼女は以前と同じように白い猫を吊すように持ち上げている。

「あなた……確か司令官さんと一緒に会った」

「ええ、十ヶ一月ぶりですか」

「もうそんなに……」

 鳥海は以前の夜を思い出して動揺した。
 あの夜、あの場にいた司令官さんも二人目の鳥海も、この世界のどこにもいない。
 一年に満たない時間なのに、喪失は確実に迫っていたと気づかされた。
 言葉をなくした鳥海に妖精は言う。

「こうなると次は私の番かもしれませんね」

 内心を見透かしたような一言はどこまでが本気か分からず、鳥海はあえて何も答えなかった。

「少しお時間よろしいですか?」

「ええ、ちょっと待ってください」

 鳥海は高雄に後のことを頼んでから、妖精とその場を離れる。
 妖精は他で話したいというので、鳥海は妖精が先導していくのに任せた。
 屋外に向かう道中で、妖精は自分から話を進めていく。




「今日は深海棲艦の見定めに。新しい提督さんにもご挨拶しておきたいですし、秘書艦さんとも少し話しておきたくて」

「話すのは構わないんですけど、私ならもう秘書艦ではありませんので」

「そうなのですか? 失礼しました。それでも鳥海さんと話しておきたいのは本当ですよ」

 妖精が猫を支えるように抱き直すと、猫はその顔を見上げてから体を丸めて目を閉じる。
 寝に入るような猫を見て、鳥海は表情を柔らかくする。

「好きなんですね、猫」

「いえ、特には」

 妖精はきっぱりと否定する。

「でも前回も一緒でしたよね、その猫」

「この子は悪さをするから懲らしめてたんです。そうしたら懐かれてしまっただけで」

 口でそう言っても嫌がってるようには見えない。
 何よりも猫が懐いてるのは自明だし、好きでもなければこの子なんて呼ばないでしょうし。
 鳥海は一種の照れ隠しなんだと受け止めた。

「それはそれとして今の秘書艦はどなたです?」

「今は夕雲さんですね」




 夕雲さんが会談の議事録を取っていたのも秘書艦に抜擢されたため。
 今の提督さんは左腕がいくらか不自由で、そこに最初に気づいたのが夕雲さんだった。
 何度か仕事の話をしている時に、夕雲さんが馴れ初めを話してくれた。

「最初はただのぶきっちょさんかと思っていましたが」

 夕雲さんは提督さんが食事を取る時に右手だけで全部を済ませようとしていたのが引っかかったようで、しばらく意識してみていたら左腕が変だと気づいたという。
 それからは目立たないように提督さんの手助けをしていたら、ある時に提督さんから秘書艦を打診されて今では彼女が秘書艦を果たしている。
 端から見ていて、今の夕雲さんはとても充実しているようだった。
 司令官さんと一緒にいた時の私もそう見えていたのかもしれない。鳥海は一抹のさみしさを覚える。

「ここにしましょうか」

 妖精が口にした言葉に鳥海は今に意識を向けなおす。
 二人と一匹の組み合わせは屋外のラウンジに出ていた。
 日除けのパラソルと一緒に置かれているテーブルに向かい合って座る。

「提督さんのことは残念でした」

 司令官さんのことを言ってるのは、聞き返さなくなって分かる。

「我々は提督さんへの協力を約束していました。しかし、それもできずにこんな結果を迎えてしまったのは残念です」

 妖精の表情は薄い笑顔から変わらない。
 この表情の見えなさはそのまま腹の内の読めなさに繋がっている。
 いまいち感情が見えてこないから、どうしても形だけの言葉のようにも解釈できるけれど。

「まだこれからですよ。司令官さんはいなくなってしまいましたが、あの人は私たちに後事を残していきました」

「深海棲艦ですか。上手くやっていけそうなのですか?」

「……そう願いたいですね」

 大丈夫だと鳥海には言えない。
 共存を目指すような形になりつつある一方で、その先が大丈夫と断言するのはあまりに楽観的すぎるように思えたために。




「率直に申し上げると予想外でした」

「ここに深海棲艦がいるのが、ですか?」

「はい。だからこそ我々妖精も戸惑っているのです。この変化をどう捉えるべきなのか」

 鳥海にもその気持ちは理解できた。
 楽観視できないのも根ざすところは同じ理由だ。

「我々にとって深海棲艦は脅威でした。しかし今の状況では必ずしもそう言いきれなくなっています」

 妖精は初めて無表情を鳥海に向ける。
 なぜだか、その目は助けを求めているように鳥海には見えた。

「本来なら提督さんに聞くところでしたが鳥海さんに聞きます」

「……どうぞ」

「今のあなたたちは深海棲艦を受け入れ始めていますね?」

 鳥海はしっかり頷いた。
 心を許したとは言えないにしても、受け入れられるようには努めていた。
 鳥海だって例外ではないし、むしろ提督との関係が深かった自分こそが率先して受け入れる必要もあるとさえ感じている。

「では、もしも港湾棲姫たちを撃てと命令されたら撃てますか?」

 妖精の質問に鳥海は素直な反応を見せた。戸惑いという反応を。
 戸惑っているからか、妖精の言葉は感情を欠いた他人事の声に聞こえた。

「人間が全てあなたの提督さんのように考えるわけではありません。深海棲艦を恐れ憎む者もいますし、深海棲艦もまたそんな人間とは相容れないでしょう」

「そうかもしれませんね……」

「あるいは港湾棲姫たちがそういった理由から人間を見限るかもしれません。いずれにせよ理想がどうであれ、火種そのものは消えないでしょう」




 言いたいことは分かるし、敵対した場合も想定されているのは知っている。
 この場は口だけでも撃てると答えてもいいのかもしれない。模範的な回答という意味では。
 だけど……簡単に撃てるとは言いたくなかった。
 言葉にした瞬間、それが現実になってしまいそうな気がした。裏を返せば撃ちたくないということでもある。
 かといって戦うのを嫌がってるわけじゃない自分も自覚していた。
 言葉が思うように出てこない鳥海に構わず、妖精は話し続ける。

「さっきも言ったように本当ならこれは提督さんに問う話でした。今まで人間を見てきましたが、時に理想や主義主張ばかりが先行すると本当に大事なものを犠牲にしてまで通そうとするのです。それは本末転倒ではないでしょうか」

「本当に大事なもの……ですか」

 鳥海は呟く。
 すでに私はなくしている。
 でも、そこには理想とか主義とか関係あったの? そうは思えない。
 だから難しく考えることなんてないと、鳥海は素直に答える。

「……その時にならないと分からないですよ、撃てるかなんて。状況だって分からないですし」

 よくよく考えると、この答えはあまりよくない。
 場合によっては命令を拒むと言っているのだから。
 それでも本心なのは間違いない。
 下手に追及される前に鳥海は付け足す。

「ただ、そうならないように力を尽くすのが私たちや港湾棲姫、それにあなたたち妖精もじゃないですか?」

「我々も?」

「客観的でいたいのかもしれませんが、あなたの言うことは少し……他人事に聞こえました。この世界に生きておいて、なんにでも他人事を決め込むのは……ちょっとずるいです」

 鳥海の指摘に妖精はなにやら感嘆の声を出して頷いている。
 しかし鳥海は恥ずかしかった。
 偉そうに言ったけど私自身が誰かを批判できるような立場でもなく。
 妖精は満足そうに笑っていた。
 その笑顔の意味を伝えることもなく、妖精は話を切り上げた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 陽光の照り返しを受けた海面が白く輝いていて、直視していると目が痛くなってくる。
 ネ級は意識して視線を上げた。そうすれば光を気にせずにいられる。
 艤装の適合を確認してからは、連日のようにツ級と共に洋上で様々な訓練を行っていた。

 この日は飛行場姫が用意した練習機の集団を相手に、回避行動や対空射撃の要旨を叩き込まれていた。
 およそ四時間ほど、朝から始まり正午を回ってからもしばらく続いた訓練は終わり、今は休止の時間に入っている。
 飛行場姫は相変わらず私を避けているが、訓練に関してはとても真摯だった。
 丁寧に諸々の説明をするし、実際に体が反応できるように時間をかけて付き合ってくれる。
 公私の二面的なズレの意味は未だに分からないままだが。

 ネ級の顔に水しぶきがかかった。
 原因はネ級の腰に装着されて背面へと伸びている艤装、その中核を為す二基の主砲だ。
 二基の主砲はそれぞれ海竜のような頭部に三門の主砲と黒い装甲壁を被せた姿をしている。
 ネ級とは別に自立した意識を持つ主砲たちは、ネ級の体に頭を押しつけていた。

「ソンナニジャレツカナイデ」

 ネ級の制止を無視して体をすり寄せてくるので、右の主砲へと手を伸ばす。
 主砲は被弾の危険が少ない下部には装甲がなく地肌が露出している。
 少し強めに顎の辺りをかいてやると、気持ちいいのか喜んでいるのが分かった。
 そうしていると左側もせがむように頭を押しつけてくるので、ネ級はそちらもかいてやる。

「仕方ノナイヤツラダ」

 硬い金属の感触は冷たく心地よいとは言えないが、ネ級は形ばかりの抵抗をして好きなようにさせていた。
 私の体からは粘性のある黒い液体が分泌されていて、それが主砲たちを汚してしまう。
 しかし主砲たちはまったく気にしていないようだった。
 すぐ近くにいたツ級が笑うような気配を見せる。

「懐カレテマスネ」

「少シグライ離レテクレテモイインダケド」




 答えながら艤装を身につけたツ級の姿を見る。
 連装両用砲を二基四門載せた艤装を、それぞれ両腕にグラブのようにはめていた。
 背部には航行を支援するための機関部を背負っている。
 やはり目立つのは両腕の艤装で、さながら巨人の腕のようになっていて物々しい。
 あの腕相手に殴り合いはしたくないとネ級は内心で思う。

「シカシ海トイウノハ静カナンダナ」

「エエ、ナンダカ落チ着キマス」

 風こそ吹いているが他に音らしい音はなかった。
 強いて言えば波が足に当たる水音や艤装のかすかな駆動音はあるが、それも私たちがいなければ存在しない音かもしれない。
 本当にこんな世界で戦いなんかやっているのだろうか。
 この空と海の狭間には静寂しかないのに。

「狭間……?」

 私の頭に突如として何かが思い浮ぶ。
 女だ。女が海の上に立っている。背を向けているので顔は分からないし、この後ろ姿も知らない。

「ネ級?」

 ツ級の声がこだまのように響く。その声のほうが現実感がなかった。
 私の前にいるのは緑と白の服を着ていて、黒髪の長い女。誰なのか私は、俺は、知らない、知っている。
 女の先には空と海、静かなる狭間。こことは違う、どこか遠い世界。
 私は何かを声に出していた。口が動くのを実感し、しかし声の意味が分からない。




「シッカリシテクダサイ……ネ級」

 体をツ級に揺り動かされ、私は現実に立ち返った。
 ツ級の表情は分からないが私を心配してくれているようだった。主砲たちも気遣わしげに顔を覗き込んできている。
 握られた肩が痛かったが、今の私の関心事はそこじゃない。

「大丈夫デスカ?」

「アア、私ハ一体……」

 白昼夢とでも言うのだろうか。
 私の頭に残った残像が今はとても遠い。実際に見た光景とは思えない……それは間違いないだろう。
 しかし現実味のない幻、そう呼んでしまうにはあまりに間に迫る引力があった。
 私の頭の中の誰かが見たのか、それとも想像したのか……私の知らない感情が何かを急き立ててくるようだった。
 ……頭の誰か、とはなんだ? 私はなぜそんなことを考える?

「名前ヲ……呼ンダヨウデシタ」

「名前? 誰ノダ?」

「……ソコマデハ。ヨク聞キ取レマセンデシタ」




 嘘だ。ネ級はすぐに察した。
 よく聞き取れていないのに名前だとどうして分かる。
 しかしネ級は問いたださなかった。
 ツ級がどう感じたのかは定かでないが、ネ級が知らないほうがいいと考えたのだろう。
 今はその配慮を信用することにした。
 ネ級が信用しているのはツ級と二匹の主砲だけだった。
 他の深海棲艦は意思の疎通が困難か、腹に一物隠していそうな連中だけだった。

「ツ級ハ私ヲ……知ッテイル?」

「……言葉ノ意味ガ分カリマセン」

 確かにそうだ。私だって同じようなことを聞かれたら首を傾げる。
 だが他に言い方が見つからなかった。
 私は時に自分が知り得ないことまで知っている。この頭には他の誰かがいると考えた方が自然に思えてしまう。
 ネ級以外の何がいるというのだ、私は。

「デモ……私タチハ元ハキット……」

 ツ級は何かを言いかけてやめてしまった。
 仮面のような顔は追求も気遣いも、全てを拒んでしまっているようだった。
 ネ級はツ級を見ていて、ある考えが思い浮んでくる。
 彼女もまた、もう一人の誰かに住みつかれているのだろうか。



─────────

───────

─────


 装甲空母姫は少し離れた洋上でネ級とツ級の訓練状況をつぶさに観察していた。
 隣では飛行場姫が同じように様子を見ている。
 互いに艤装を装備していて、どちらの艤装も体の左右を囲むように飛行甲板と砲塔が並んでいるという共通点がある。
 もっとも装甲空母姫は名の由来通りに飛行甲板が装甲化されているなどの差異も多い。
 違いが顕著なのは砲火力だろう。
 装甲空母姫が大口径の単装砲を片舷三門の計六門に対し、飛行場姫は小口径の連装砲を片舷二基四門の計八門を装備している。
 またこの場では装着していないが、飛行場姫の右腕に接続する形で運用する大口径砲を有した生体艤装も存在していた。

「君ガ指導ヲ買ッテ出タノハ意外ダッタ。気マグレデハナイノダロウ?」

 装甲空母姫の言葉に飛行場姫はぶっきらぼうに応じる。

「気マグレヨ」

「ソウ。君ガソウ言ウノナラ、ソレデイイ」

 装甲空母姫はあくまで自分のペースで話す。

「ツ級ハ艦娘ヲ基礎ニシタ個体。コッチハ改造ト呼ンダホウガ、イクラカ近イ言イ回シカモ」

「ソウ」

 関心がなさそうに飛行場姫は答えた。
 ただ、表面的な反応で内心は興味を持っている。

「私ノ知ッテル艦娘?」

「君、艦娘ニ知リ合イガイルノ?」

「……イナイワネ」

 他の姫たちは艦娘について……というより元になった軍艦についての知識を有してる場合がある。
 戦艦棲姫なら戦艦のことは知っているし、空母棲姫なら空母といった具合に。
 装甲空母姫はどうなのか、そういう話をしたことはないと飛行場姫は振り返る。




「アノ男――提督ヲ混ゼタ個体デ生キ延ビタノハ、アノネ級ダケ」

 当然言われたことに装甲空母姫は口をつぐむ。
 二人はしばらく無言で訓練を見ていたが、やがて沈黙に折れたのは飛行場姫だった。

「続キハ? 今ノ話ダトネ級以外ハ……」

「ヤッパリ気ニナッテル」

 含み笑いをしてから、何か言い立てられる前に装甲空母姫は口を開き直す。

「建造ト呼バレル手法デイクラカノ資材ト核ニナル素体、ソレカラ提督ノ部位ヲ小分ケニシテ混ゼテミタ。生マレ返ッタ個体ハドレモ健常ダッタガ、ホボ幼体ノ間ニ死ンデシマッタ。唯一、成体マデ成長デキタノガネ級トイウワケ」

 飛行場姫は説明の光景を想像して不快そうに表情を歪めたが、装甲空母姫は気にしていないのか気づいていないのか話を続ける。

「アレハ一番混ザッタ個体。頭ヲ丸々使ッタカラ」

「……ダカラ提督ニ準ズルヨウナコトヲ知ッテイタ?」

「断片デ無自覚ノヨウナ状態ダロウガネ。タダ限定的ニダガ有益ナ情報ハ引キ出セルカモシレナイ」

「ソウ都合ヨク話スカシラ」

「サテ……少ナクトモ隠シ立テハシナイハズ。彼女ハ深海棲艦ダカラ」

 飛行場姫は返事を控えた。
 何を聞いたところでやることは変わらない。
 できることならネ級を沈ませたくないのが、彼女の偽らざる気持ちだった。
 提督を殺したことは悔やんでいない――提督がそれを望んだのだから。

 だが、この状況を承服するかは別だ。
 納得のいかない部分があるからこそ、ネ級にできる限りはしてやろうと思っている。
 差し当たっては生存率を高めるための協力を。
 どうネ級と接していいのか分からないままだが、戦闘に関しては彼女の方に一日の長があった。
 ネ級、それにツ級もそうだが、飛行場姫はどこかで憐れみに近い感情を抱いている。
 飛行場姫は内心で自問していた。
 これは感傷なのだろうかと。


ここまで
それでは、よいお年を

乙です

乙ー

乙乙

良いお年を

乙乙

あけおめ
続き期待……

あけおめことよろなのです!
今年もご贔屓にしていただければ幸いです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は港湾棲姫たちと話す必要があると感じていた。
 妖精の問いかけが気になっていたし、最初の接触時以来ほとんど言葉を交わしていない。
 どちらも多忙だったのはあるが、それを口実に接触を避けようという気持ちが少しはあった。

 陸上にいる深海棲艦は三人だけで、まだ個室は与えられていないし将来的にどうなるかも分からない。
 今はそれぞれ個別に分けられて艦娘たちと相部屋という形になっていた。
 港湾棲姫は扶桑山城と、ホッポは白露型と、そしてヲ級は蒼龍たちと同じ部屋を使用している。
 これは素行の監視も兼ねている処置なのだけど、深海棲艦たちは不満には思っていないようだった。
 というより、どちらかといえば艦娘と接点が持てるのを歓迎している節がある。
 案外、彼女たちは社交的らしい。

 鳥海が赴いたのは扶桑たちの部屋だった。
 とにもかくにも深海棲艦を知るには、まず港湾棲姫を知るのが最も近道だと思えたから。
 部屋のドアをノックすると、中から扶桑が誰何の声をかけてきたので応じる。

「鳥海? 珍しいわね、ここに来てくれるなんて」

 扶桑がドアを開けると、部屋の奥で山城と港湾棲姫がちゃぶ台を挟んで何かしているのが見えた。
 掃除の行き届いた清潔な部屋で、本人たちの希望で扶桑型は和室を使っている。

「港湾棲姫、いえ。コーワンと少し話がしたくて」

「もちろん構わないわ、たぶん。でも少し待ってあげてくれないかしら」

 扶桑は鳥海を中へと案内しながら言う。
 山城と港湾棲姫はボードゲームに興じていて、集中している二人は鳥海に気づいていない。
 姉さんたちとやったことあるけど、なんという名前だったっけ……。
 名前は思い出せないけど、海戦をモチーフにしたゲームでルールと目的はシンプルだった。
 二人がやっているのは盤上に軍艦を模した複数の駒を並べて、それを相手より先に見つけて沈めていくというゲームだ。

「山城も私とならいい勝負ができるんだけど……」

 扶桑はすでに勝負は決したかのような言い方をする。




「あなたもやってみる?」

「いえ、今日は遠慮しておきます。熱中しすぎちゃいそうですし」

 計算だけではどうにもできない運の要素も大きいから、一度始めてしまうとついつい没頭してしまう。
 特にどちらかが負けず嫌いだと。そして艦娘というのは意外というべきか当然というべきか負けず嫌いが多い。
 それにしても艦娘と深海棲艦の姫がボードゲームをやってるのはシュールな光景なのかも。
 見守っていると港湾棲姫が山城の持ち駒を順調に沈めていき勝負は決した。
 山城さんには……運がなかったとしか言いようのない推移だった。

「また負けてしまうなんて……」

 肩を落とす山城に港湾棲姫は慰めの言葉をかける。

「今回ハ運ガナカッタダケ……」

「今回もの間違いでしょ……不幸だわ」

 山城が深々とため息をついたところで、港湾棲姫は苦笑する調子で顔を上げた。
 視線が鳥海と絡む。山城もそこでようやく鳥海に気づいた。

「鳥海……ダッタカシラ。イツカラココニ?」

「少し前からね。あなたと話したいって」

 扶桑の説明に港湾棲姫は落ち着いた顔で見返す。

「私たちは外したほうがいいかしら?」

「いえ、そういう話にはならないと思います」

 鳥海がかぶりを振ると、扶桑は座布団を敷いて座るように勧めてきた。
 左側に港湾棲姫、右に山城が見える場に座る。
 山城はそそくさとボードゲームを箱に片付け始めていた。




「コーワンにこちらの生活はどうか聞きに来たんですけど」

 心配する必要がないのは間違いなさそう。彼女はすっかり馴染んでいるようだから。
 港湾棲姫はほほ笑む。

「知ラナイコト、分カラナイコトハ多イ……シカシ、ソレモ含メテ充足シテイル」

 鳥海もつられたように笑い返す。自然とそうしたくなるような魅力を感じて。

「そうみたいですね。あなたたちには慣れない環境で苦労もあるかと思ったんですが」

「苦労……ソレハ違ウ。コレハ私タチガ未来ヲ望ンダカラ……」

 港湾棲姫は鳥海を見つめている。優しい目だと鳥海は思う。

「今ノ提督ニモ前ノ提督ニモ感謝シテイル……私タチダケデハ……コウハナラナカッタ」

「それなら教えてくれませんか? あなたはどんな未来を望んでいるのかを」

 どう答えるのだろう。鳥海は興味があった。
 この返答こそが今後の自分たちの関係を決定づけるはずだった。

「私ニハ付キ従ッテクレル者タチガイル……皆ヲ穏ヤカニ暮ラセルヨウニシテヤリタイ」

 ほほ笑みから一転して、引き締めた表情で港湾棲姫は答える。

「中デモホッポガ一番。ホッポガ笑ッテイラレルヨウニシテアゲタイ。アノ子ハ私ニトッテノ……」

 港湾棲姫はそこで言い淀む。
 言葉を探るような間を置いたが、彼女は続くはずの言葉を変えたようだった。




「以前、提督ガ私ニ言ッタ……ホッポニドンナ道ヲ残シタイノカト。私ハアノ子ニ笑ッテイテホシイ」

 母親みたいなことを言うんですね。内心でそう思う鳥海だったが口には出さなかった。
 親の情というのが想像しかできない身としては、コーワンのほうが艦娘より生き物らしいのかもしれない。
 それが彼女にとって褒め言葉になるかは分からないけど。

「大切なんですね、ホッポが」

「エエ、私ノ命ヲ賭セル。アナタタチニハ……奇異ニ見エル?」

「いえ。その気持ちは分かります。私にだって……」

 司令官さんがいた。だから分かるって断言していい。
 しかし鳥海は言葉を濁したままにした。
 名前を出したら責めるような形になってしまうかもしれなくて、それは望ましくない。
 責めるのも、その理由に司令官さんと口にするのも。

 続くはずだった言葉をなくすと、港湾棲姫もまた沈黙した。
 鳥海が見る限り、港湾棲姫はごく当たり前の――喜怒哀楽の感情を持っている。
 ならばコーワンは司令官さんに対して、人並みに罪悪感や後悔の念を抱いているのかもしれない。
 憂いを漂わせる顔を見ていると、そう思えてしまう。

 黙している二人に、扶桑が切り分けた羊羹を運んできた。
 小皿に載せられたそれを並べると、扶桑は鳥海の向かい側に座る。
 よく見ると扶桑と山城の羊羹は半分の大きさしかないのに鳥海は気づいた。
 しかし鳥海は触れなかった。客人への気遣いかもしれず、尋ねるのは無粋な気がして。

「わざわざ聞きに来たからには何かあったの?」

「頃合いだと思ったのもあるんですけど……」




 山城に訊かれて、鳥海は要領を得ない返事をしていた。
 どうするか迷ったが、妖精と話した内容を素直に打ち明けてしまおうと決める。
 下手に隠すと、不要な誤解を招いてしまうような気もした。
 妖精との話を一通り説明すると扶桑がため息をつくように感想を漏らす。

「ずいぶん意地悪な質問をされたのね。将来、コーワンたちと戦うかもしれないなんて」

「……イヤ、ソノ妖精ノ懸念ハ……人間ノ懸念? モットモダト思ウ」

 港湾棲姫は平静に見える様子で言う。

「今ノ我々ガ排サレナイノハ人間ニトッテモ価値ガアルカラ。ダケド私タチガ協力ニ応ジズ……アルイハ他ノ理由デモ危険ト見ナサレタラ……」

「可能性はある、と言いたいんですか?」

 鳥海の疑問に港湾棲姫は弱々しい笑みを投げかける。

「未来ハ誰ニモ……分カラナイ」

 それはそうかもしれないけど……。
 今度は山城がむくれたような顔をして言う。

「あなたはそれでいいの、コーワン?」

 自分は嫌だと言うような物言いに、港湾棲姫は俯きがちに答えた。

「ヨクハナイガ……必要トアレバ、ソウシナクテハナラナイ。ソレガ私」

「ここまできて、そうなるのは……不幸ね」

 山城から口癖のように出てくる不幸という言葉だが、今回のは鳥海も同感だった。
 やっぱり、そういう不幸な事態を避けられるようにしていくしかない。
 司令官さんが……ううん、これは私もまた望んでいるのだから。



 不意に扶桑が呟く。

「幸せって何かしら?」

 え、と鳥海は少し抜けた声を出した。
 その呟きが問いかけだと気づいたのは、扶桑が三人を順に見ていったからだ。
 まさか、そんなことを尋ねられるなんて考えてもいなかった。
 幸運とか不運という話は扶桑さんでなく山城さんがする話だとばかり。確かに扶桑さんにも幸薄いところはあるにしても。
 真っ先に山城が身を乗り出して宣言した。

「姉様とご一緒できるなら、いつでもどんなところでも幸せです!」

「ありがとう、私もそう言ってもらえるのは嬉しいわ。それで、さっきのあなたたちの話を聞いてて、二人は誰かの幸せを望んでるんだなって思ったの」

 私の場合は望んでいる、というより望んでいた。言葉にすれば小さな違いは、もう二度と変えられない。
 ……少しだけコーワンが羨ましかった。彼女にはまだホッポがいるんだから。

「でも気になったの。二人とも誰かの幸せと引き替えにできるなら、自分を捨ててもいいって考えてるようで。もし、そうならよくないと思うわ」

 扶桑は気遣わしげに二人を見る。

「今の私たちは……これからも何かの犠牲の上に立って生きていくことになるはずよ。こんな言い方が相応しいか分からないけど、それは仕方ないの」

 扶桑は深く息を吐き出す。物憂げな眼差しだが、同時に優しげでもあった。
 彼女は鳥海を見て、それから港湾棲姫に視線を定める。

「だからといって自分を犠牲にして、というのも違うんじゃないかしら。あの子の幸せにはあなたもいなくちゃだめでしょ?」

「ソウカナ……」

「そうよ。ホッポがあなたの幸せを望まないはずないでしょ? だからコーワンがホッポの幸せを望むなら、あなたも無事でないと。鳥海なら分かってくれるかしら?」




 いきなり話を振られた鳥海は驚き、しかしはっきりと頷いた。

「言いたいことは分かります……いえ、その通りなんだと思います。ホッポのためを思うならこそ、コーワンは自分も大事にしなくてはならないのでしょう」

 残される者の気持ちを考えれば。
 扶桑さんの言うように、もしもコーワンに何かあればホッポは悲しむ。それはきっと……どんな想いから生じた結果でも幸せではない。
 ……なら司令官さんは私たちの幸せを願いながら、私たちを不幸にしたの?
 違う。そうなんだけど、そうじゃない。考えがまとまらなくて言葉にならない。
 だけど私は……幸せとは言えないけど絶対に不幸でもないんだから。
 鳥海は自分の気持ちを整理できず、複雑な思いに囚われる。
 表情にそんな様子が出たのか、扶桑は鳥海を見据えて謝った。

「私こそ意地悪な話をしてしまったわね、ごめんなさい」

「いえ……」

 鳥海はそう返しながらも、釈然としていない顔をしていた。
 ……幸せってなんだろう。
 満足すること? 悲しまないこと? 思うがままにすること?
 はっきりとは分からないけど、私たちは誰かと関わっている……だから一方通行の想いは幸せに至らないのかもしれない。

 いずれにしても分かったこともある。
 港湾棲姫の動機というのは鳥海に共感できる理由だった。
 確かにコーワンが言うように未来は分からない。
 しかし彼女にホッポのためという理由があるなら、今この時を信用するには十分なのではないかと。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 日暮れ前に降り出した夕立のために、夜気は普段よりも湿っぽかった。
 雨露に濡れた夜の歩道を進み、鳥海は海岸へと足を運ぶ。
 なんとはなしに見上げると月には墨を塗ったような雲がかかっている。
 海外線にざっと目を通すと、波打ち際に彼女の探す相手――ヲ級がいた。

 砂を踏みながら近づいていくと、話に聞いていた通りヲ級は一人ではない。
 イ級が三人、整列するように波間にいる。
 ヲ級の後ろから近づいてくる鳥海に気づいて、イ級たちが一様に鳴くような声を出した。

「ヲキュー、ウシロウシロー」

 ゆっくりとヲ級が振り返る。
 暗い海を背景にした青い目に白い肌の少女は、どこか隔世の存在のように見えた。
 とはいっても彼女の声は現実のそれである。

「ドウシテ、ココニ?」

「飛龍さんに教えてもらったんですよ。夜はここで発声練習しているって」

 話を聞いた時、飛龍さんは夜遊びに行ってるだなんて言ってたけど。
 ヲ級は分かりにくいが小さく頷く。イ級たちは恥ずかしがっているのか警戒してるのか、波の中に体を半ば隠しながら鳥海とヲ級を見上げていた。

「ミンナ話シタガッテル。飛龍ガ発声練習ハ……コウスルノダト教エテクレタ」

 ヲ級は息を吸い込むと早口に言う。

「隣ノ牡蠣ハヨク客食ウ牡蠣ダ」

「よく柿食う客ですよ、それを言うなら」

 客を食べる柿なんて、どう考えても妖怪じゃないですか。
 柿の言い方が少し違う気がするのも気になったけど……もしかしたら貝の牡蠣を指してるのかも。
 どっちにしてもずれてる。



「……間違ッテル?」

「えっと、練習法はそれでいいと思います。言葉の意味が少し変なだけで」

「難シイ……」

 あまり表情の見えない顔でヲ級は言う。
 鳥海は気になったことを訊く。

「ヲ級はどこで言葉を覚えたんです? 深海棲艦って話せても、意味の通じないことを言うだけの場合もあるのに、あなたや姫は違うようだけど」

「アレハ……ココニ勝手ニ浮カンデクル」

 ヲ級は自分の頭を指し示す。頭の中で何かが、ということでしょうか。

「アノ時期ヲ過ギルト話セルヨウニナル……ダケド、アノ時期ハ一番生キ延ビルノガ難シイ」

「どういうことです?」

 ヲ級の物騒な一言に鳥海は眉をひそめていた。

「ソノ頃ダト体ガ戦闘ニ耐エラレルヨウニナル……ダカラ艦娘ト戦ウ……ソシテ多クハ沈ム」

 鳥海は息を詰めた。藪蛇だったのかもしれないと思い。
 ヲ級は淡々と言う。

「我々ハ海カラ生ジテ海ニ還ッテイク……摂理。気ニシナクテ、イイ」

 応えられない鳥海に、ヲ級はイ級たちへと向き直る。
 どちらも声を出さないまま、少しばかりの時間が過ぎた。
 ややあってヲ級がまた振り返ると、青い目がともし火のように揺れる。

「ズット考エテイタ。私ハドウシテココニイルノカヲ」



 鳥海は真っ直ぐ見つめられて、それまで予想もしてなかった言葉を急に思い浮かべた。
 案の定というべきなのか、ヲ級は予想通りのことを言いだした。

「鳥海、私モ一緒ニ戦ワセテホシイ」

 鳥海はすぐに首を左右に振っていた。

「その必要はありません。それに私たちの相手は深海棲艦なんですよ?」

 分かっているんでしょうか。
 同胞殺し、というのはどう受け止めていいのか見当もつかない。
 ヲ級は分かってると言いたげだった。分かってないはずなんてないのだと。

「私ハ私ヲ認メテクレタコーワンノタメニ戦ッテキタ。ソレハ正シカッタシ、コレカラモ変ワラナイ」

「そのコーワンは知ってるんですか?」

「話シテナイ……」

「それに仲間だった相手に銃を向けるんですよ……本当にいいんですか?」

「……私ノ仲間ナラ、ココニイルヨ。ココニイタ」

 ゆるやかに告白しながらヲ級は後ろのイ級たちに手を向けた。

「私ノ仲間ハ、ミンナココニイル……ソウ教エテクレタ人間ガイタ。ダカラ私ノ力ヲ……私ノタメニ使イタイ」

 鳥海は今一度、首を左右に振る。
 断るためではなく観念したという意味で。
 ヲ級のことはよく知らない。知らずとも、その言葉が真摯なのは伝わった。




「提督さんに私から進言してみます。どうするかは提督さんが決めることですけど……コーワンにはあなたから話して、自分で解決してください」

「感謝スル……」

「嬉しくないです……だって、きっとあなたにはつらいことですよ、ヲ級」

「コレデイイ……必要ナコト……私タチガ、ココデ生キテイクタメニ」

 ヲ級の後ろのイ級たちが鳴くと、ヲ級もまた短く鳴き返した。イルカのようだと鳥海は思う。
 悲しげに聞こえたのは、自分がそんな気分でいるせいかも。
 ……私たちはみんな不安なんだ。
 艦娘も深海棲艦も人間も妖精も。種がどうこうでなく、今の私たちはそれぞれが変化の岐路に立たされている。

 司令官さんはずるい。こんな大事な時にいないなんて。
 私たちにきっかけを与えるだけ与えて、自分はどこにもいないなんて。
 きっと私たちに未来を繋ごうとして……でも、司令官さん。私の未来にはあなたがいたんですよ。
 いてほしかったのに。
 不安でも、ううん。不安だからこそ私たちは戦わなくちゃいけない。
 私なら、私たちならどうするかを考えていかないと。




─────────

───────

─────


 トラック泊地では初の正月を迎えていた。
 前任を偲びながらも湿っぽさを望まないとも考えられ、また港湾棲姫たちがいるのもあって大々的に新年会が執り行われた。

 鳥海は十二月の暮れからしばらく、提督にもらったマフラーをかけていた。
 常夏の島では季節外れの防寒具だったが、彼女は年が明けるまでは頑なに外そうとしなかった。
 年が明けると、姉たちと一緒に新たに建てられた神社に初詣に行った。実は神頼みはしていない。

 木曾は天龍や龍田、まるゆに向けて年賀状を書いた。
 どこかでちゃんと顔を合わせて話そうと心に決めている。トラック土産は決まらないままだった。

 コーワンは扶桑たちと一緒におせち作りに挑戦している。
 彼女の作った料理の評判は上々で、コーワンもまた楽しそうだった。

 ホッポはお年玉の存在を知って、晴れ着姿の白露たちと一緒になって提督にせがみに行っていた。
 もっとも提督からは餅の現物支給しかなく、はぐらかされたのには気づかないままだった。

 白露はそんなホッポをほほ笑ましく思い、しっかり守ってあげようと思う。
 ワルサメの代わりをする気はないが、単純にホッポが好きだと言えた。

 ヲ級は艦種対抗の餅の早食い大会に、空母代表の一人として駆り出されていた。
 帽子のような頭と一緒に食べるのは有りか無しかで物議を醸したが、敢闘賞という形で決着を見ている。
 ちなみに優勝者の武蔵はそれ以上に食べていた。

 球磨と多摩は晴れ着に着替えたものの終始マイペースに過ごした。
 ただ二人は、今年こそは身近な誰かを失わないようにと願っている。

 島風はリベッチオや清霜たちと羽子板に興じた。
 トラック泊地の駆逐艦では年長者になる自分に気づいてしまい、しっかりしないとと内心で決意を固めていた。

 夕雲は年始は秘書艦を休業し、妹たちの面倒を見ている。
 あまり普段と変わらないと気づいてしまったが、それも悪くないと笑っていた。

 嵐と萩風は手違いがあって野分と舞風からの年賀状が年明け前に来てしまった。
 もう一度四駆を組みたいと決心したが、同時にトラック泊地から離れたくない自分たちにも気づく。

 それぞれが思いを秘めて迎えたその年。
 一月の後半に差しかかった頃、ガダルカナル島攻略に向けての作戦が開始された。


ここまで。次回からは久々の戦闘回となります

乙です

おつ


待ってる

乙乙

乙ありなのです
……こんなに間隔を空ける気はなかったので申し訳ないです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 コーワンからもたらされた情報により、深海棲艦の主要拠点はガダルカナル島にあると判明している。
 彼女から引き出せた情報を元に立案された作戦は廻号作戦と命名された。
 攻勢に出ていたはずが、いつの間にか守勢に転じていた現状を転換させたいという意味も作戦名には込められている。とのこと。
 もっとも作戦に参加する艦娘や人間の将兵からすれば、肝心の作戦の中身が重要に。

 廻号作戦の最終目標はガ島にいる深海勢力の掃討になるものの、そのためには継続的な攻撃により敵戦力を漸減していく必要があると判断された。
 しかしガ島はどの拠点からも遠すぎて、一番近いトラックからでも片道だけで二千キロを越えてしまう。
 そこで手始めにラバウル、次いでブインとショートランドを占領し拠点化することで、前線基地として運用しながらガ島の攻略を目指すことになった。

 トラック泊地から選抜されたのは鳥海を旗艦とする第八艦隊を筆頭に愛宕と摩耶、球磨型と嵐、萩風、武蔵。夕雲型とイタリア艦が全艦。
 空母の艦娘に至っては蒼龍、飛龍、雲龍、飛鷹、隼鷹、龍鳳、鳳翔の計七名がトラックに所属しているが、鳳翔以外の全員が作戦に帯同している。
 またトラック泊地そのものがラバウルの制圧後、基地航空隊を派遣する出発点として活用される手はずだった。
 さらに第八艦隊に帯同する形で、青い目のヲ級も加わっている。

 迎えて一月二十五日。
 ラバウルの占領はいざ始まると一日足らず、しかもほぼ無血で完了していた。
 ガ島方面から飛来した爆撃機や小規模の艦隊による攻撃こそ受けたものの、深海棲艦の抵抗は弱い。
 司令部からの命令で、この日の内に作戦は第二段階のブイン、並びにショートランドの制圧に移行した。
 ラバウルには一部の工兵と護衛艦隊を残して、基地航空隊を運用できるよう急ピッチで飛行場の建設が始まった。

 鳥海らトラック泊地の艦娘たちは先行しブーゲンビル島を通り越し、鉄底海峡を抜けて進攻してくる艦隊を迎撃することになっていた。
 初動こそ順調でも、この先は本格的な抵抗が予想されていた。案の定、これは現実となる。
 二十六日に入ってから鳥海たちは先遣艦隊らを二度の戦闘を経て撃退しているが、さらに後方に重巡棲姫と存在を示唆されていた装甲空母姫。
 さらに軽重それぞれの巡洋艦級の新種を擁した艦隊が控えているのを偵察機が発見している。

 この間にもガ島から飛来したと思われる爆撃機の大編隊がブインとショートランドに猛爆を行っていた。
 敵機の数は優に千機を超えていて、一部は鳥海たちにも流れてきた。
 またソロモン海方面にも迎撃を受け持っている艦隊があるが、空母棲姫と戦艦棲姫、複数のレ級からなる艦隊を発見したと知らせてきている。
 ここに至って、それぞれの戦場では主力艦隊同士がぶつかり合う構図を描き始めていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は微速で警戒航行を続けたまま空を仰ぎ見た。
 時刻は現地時間で一○二○を指している。
 日が高く昇っていて天候も快晴。
 しかし南海の空は雲量が多く、縦に膨らんだ厚雲が低高度まで降りてきている。
 きっと上空からの見通しは悪いはず。もっとも電探の発展は目視に頼らずとも、索敵を容易にさせている。
 そして、それは別に人類や艦娘だけに許された特権というわけでもない。
 艦娘も深海棲艦も互いの位置や目的を把握した上で作戦を遂行しようとしている。

 鳥海たちは二度の戦闘と一度の空襲を経てなお、ベラ・ラベラ島北方三十キロ付近に布陣していた。
 じきに現れる重巡棲姫たちを迎撃するのが、今の鳥海たちの任務だ。
 トラックの艦娘たちは状況の変化に即応するため、水上打撃艦隊と機動部隊とで大きく二つに分かれていた。
 機動部隊はヲ級を除いた空母陣に夕雲型の半数で構成され、出雲型輸送艦と行動を共にしおよそ百キロほど後方に控えている。

「鉄底海峡……行けなくはなかったのでしょうが」

「ソノ先ハガダルカナル……行ッテミル?」

 つぶやいた鳥海に近くにいたヲ級が反応する。鳥海はおかしそうに首を振る。

「やめてください、ヲキュー。それとこれは別なんです」

 自分で言ってから何がそれこれで別なんだろうと思ったが、今はガ島に行く気がないという意思表示ができれば十分だった。
 青い目のヲ級――ヲキューは重々しそうに頷く。
 彼女がよく見せる反応だった。話が分かっていてもいなくても。

 そんなヲ級だがトラック泊地に馴染むに従って、一つの問題が浮かび上がってきた。
 彼女をどう呼んで、その他のヲ級と区別するかという問題が。
 何か名前をつければ解決する話でも、当のヲ級が名前をつけられるのに抵抗があるようだった。
 かといってヲっさんだとかヲっちゃんではあんまりだ。
 結局、飛龍さんや隼鷹さんがアクセントを変えて、心持ち柔らかく聞こえるような呼び方に変えていたのが定着して落ち着いた。




 そのヲキューは第八艦隊に帯同――というより鳥海の隷下に加わる場合のみ戦闘に参加するのを認められている。
 表向きの扱いは義勇兵になっていた。彼女の背景はともかく、動機を踏まえると適切な扱いと言えそう。
 純粋に戦力という単位で考えても、ヲキューの存在は第八艦隊にとっても有益だった。

 一方で鳥海は察している。
 ヲキューが万が一を起こした場合は、自分の手で責任を取らなくてはならないのだとも。
 そんな最悪と呼べそうな事態が訪れるとは考えたくなかった。
 でも、何が起きてもおかしくないのだけは痛感している。
 鳥海は軽く頭を振って悪い考えを追い払うと、ちょうど二人の後ろからローマが声をかけてきた。

「ここはあなたには縁のある海域だそうね」

 鳥海がローマのほうを振り返ると、腕を組んで航行している姿が目に入った。
 ローマの艤装には黒くすすけた箇所がいくつかある。
 被弾した痕跡だけど、そこはさすがに戦艦。中口径ぐらいの砲弾ならたやすく弾き返していたのを見ている。
 二度の海戦ではいずれも先遣艦隊と呼べる程度の規模の相手で、水雷戦隊が中心になって攻めてきていた。

「鉄底海峡ですか? そこなら、もっとこの先ですし私より夕立さんや綾波さんの語り草だと思いますけど」

「そう? 大活躍したって聞いてるけど」

「ソウナノ?」

「軍艦の話ですし戦術的にはそうだったかもしれませんけど……」

 鳥海は言葉を濁しながら、自然と胸元にかけた提督の指輪を使ったペンダントをまさぐっていた。
 夕張さんがペンダントを完成させるまで二週間近くかかっていたが、その分だけいい仕上がりだとは本人の弁。
 デモンストレーションでクレーンとで引っ張ってみましょうかと言いだしたけど、それは丁重にお断りしている。
 鳥海は意識せずやっている行動に気づいて手を離す。今はもっと目の前のことに集中しないと。




「とにかく……次の戦闘が正念場になります。相手はあの重巡棲姫ですから」

 敵艦隊の数は四十を越えていて、数ならこちらの倍以上いる。
 すでに機動部隊の艦載機が敵主力艦隊へと二次に及ぶ攻撃をかけているが、消耗が激しい割にどちらの攻撃も成果は芳しくない。
 多数の戦闘機隊に事前に阻まれ、包囲を突破した攻撃隊も二種の新種による対空砲火のために大きな被害を被っていた。
 特にツ級軽巡は単身でハリネズミのような弾幕を展開し攻撃隊を阻んだという。
 いずれにしても攻撃隊の損耗が想定を超過しているので、第三次攻撃が最後になりそうだった。

「取り巻きを排除しながら私と姉さん。それに武蔵とで集中砲火を浴びせてやればいいのね」

「ええ。向こうはこちらの倍以上いますし新種もいるので、一筋縄ではいかないでしょうけど。それとヲキューには今回の戦闘から参加してもらいます」

「分カッタ」

「最初に機動部隊が航空支援をしてくれるので、それが済んでから艦載機を射出してください。いくらIFFで識別できるようにしていても、見た目は敵機そのものですから」

 先の二戦ではヲキューの存在を隠すために海中に身を潜めさせている。
 鳥海は彼女をできるだけ温存しておきたかった。
 ヲ級の艦載機による攻撃は確実に奇襲となる。本当に最初の一撃目に限れば。
 コーワンを始めとした一部の深海棲艦がトラックに身を寄せたと知っていても、ヲキューが戦列に加わってくるのは想定してないはず。
 仮に想定していても、それまでの戦闘で秘匿できていれば警戒心は薄れている。
 彼女の使いどころは今しかなかった。これから先はヲキューにも戦ってもらう。彼女の選んだ道として。
 そんな鳥海の気持ちを知ってか知らずか、ヲキューは今一度首を縦に動かす。

「分カッテイル……私ヲ使ッテミセテ」

 どの道、後に引けない。
 接敵予想時刻まで一時間を切って、鳥海は迷いのない声で戦闘準備を命じる。
 ローマとヲキューの二人は所定の位置に動くために離れていく。




「あの」

 離れる二人を鳥海は呼び止める。
 考えがあって声をかけたわけではなかったが鳥海は素直に言う。

「お二人とも頼りにしてます」

 ローマはかすかに目を見開き、すぐに視線を逸らすと頬をかく。

「……ふーん。ま、私はやるようにやるだけよ。ビスマルクだったら当然だとか言ってはしゃいでるんでしょうけど」

 ローマは少し早口になっているが、鳥海は指摘しなかった。
 ヲキューは頷かず沈黙を保った。ややあって気づいたように言う。

「任セロ」

 それからおよそ三十分あまりが過ぎた頃、鳥海たちの頭上に機動部隊の第三次攻撃隊が到着した。
 戦爆連合でその数は百五十機ほど。
 六人の搭載機数は四百機ほどで稼働率を八割と仮定すると、もう半数が失われたか使用不能になっていると考えられた。
 機動部隊は現在地を隠すために無線封鎖を続けているけど、攻撃隊の重い損害に苦い思いを抱いているのは疑いようもない。
 それでも猛禽のように上空を飛ぶ航空機の存在は力強かった。

「こっちは甲標的の展開終わったよー」

 北上からの通信に鳥海は了解と返す。
 所定海域から大きく離れなかったのは、北上ら重雷装艦の甲標的を使用するためだった。
 甲標的は特殊潜航艇とも言うべき小型の兵器で、事前に海中に展開しておくことで待ち伏せての雷撃を行える。
 こちらから進攻しての戦闘では使いにくいけど、あらかじめ待ち構えていられる今回のような状況では頼りになる。
 やれるだけの準備はできたはず。
 そうして数分後には電探が目視できるよりも遠くの敵艦隊の存在を捉えるも、すぐにジャミングの影響下に入り本来の機能を果たせなくなる。
 今になって鳥海は思う。今日は長くなりそうだと。




─────────

───────

─────

 電探で探知した頃には目視もできなかったが、今はもう敵の艦種まで判別できるようになっていた。
 決戦の口火は鳥海らの突撃と足並みを揃える航空隊によって切られる。
 なけなしの攻撃隊の血路を開こうと、果敢に烈風隊が乱舞する敵集団の中に飛び込んでいく。
 烈風が海鷲だとすれば、敵艦載機の集団は蜂だった。
 個々の性能では烈風の方が高くとも執拗に群がる敵機の群れは一機、また一機と烈風の数を減らしていく。
 制空権争いは劣勢。贔屓目に見ても拮抗していればいいほうというのが鳥海の見立てだった。

 しかし攻撃機隊もまた勇敢で、わずかな直掩機と共に次々と攻撃態勢へ入っていく。
 駆逐艦が急降下爆撃の直撃を受けて爆散したかと思えば、リ級重巡が航空魚雷の直撃を受けて海の藻屑へと変えられていく。
 投弾前に被弾して翼から火を噴きだした流星が、抱えたままの爆弾ごと深海棲艦に体当たりして果てていくのも見た。

「死に急ぐような真似なんか……」

 鳥海は航空戦の推移を苦しく思う一方で不審に感じていた。敵機の対空砲火は想像してたほどには激しくない。
 報告にあがっていたツ級がいないのかもしれない。
 動向を探るためにも観測機を飛ばしたいけど、制空権もままならなくてはすぐに撃墜されるのが関の山。
 不審を疑念として抱えたまま、鳥海は下命した。

「全艦、射程距離に入り次第、順次砲撃を開始してください! まずは敵艦を減らします!」

 返事を聞きながら鳥海もまた砲撃を開始する。
 ここまで来て弾薬を温存する気は鳥海になく、深海棲艦もまた砲撃を始めていた。

「役立タズドモ……マトメテ沈メロォッ!」

 回線に割り込んで重巡棲姫の大音量が広がる。
 敵艦隊の陣形は複縦陣を三つずつ並べたような状態で、中央の縦陣の最奥に重巡棲姫がいる。その後ろには三隻のル級が遅れながらも追従していた。
 深海棲艦の動きそのものは分かりやすい。
 一言で表わせば力押し。航空隊の攻撃を凌げば、あとは数を頼りに呑み込もうとしてくる。
 まともに相手をしては消耗ばかり強いられてしまう。
 そんな状況を変えたのは、航空攻撃が終了したのを見計らって投入されたヲキューの艦載機だった。




『調子ガヨケレバ六十機グライ飛バセル』

 そう語っていたヲキューだが、ざっと見たところ九十機は向かっていく。
 二番艦として鳥海の後ろに位置する高雄が苦笑するような響きで言う。

「聞いてた話より多いわね……」

「計算通りには行かないものです」

 嬉しい誤算だった。
 ヲキューの艦載機はどれもが戦闘爆撃機として使われていて、縦列の二列目以降にいる深海棲艦めがけて次々と攻撃をかけていく。
 見た目上は味方機と変わらないために、攻撃を受け始めた深海棲艦たちは隊列を崩していった。

 明らかに混乱し始めたところに、続けて左翼方向から甲標的の魚雷が敵艦隊の横腹めがけて突入していく。
 甲標的から放たれた魚雷は酸素魚雷でないため白い航跡が発生する。
 なまじ軌道が見えるだけに、狙われた深海棲艦たちを中心に恐慌をもたらしていく。
 不運な何隻かが魚雷の餌食になる間にも、ヲキューの艦載機は烈風に代わって制空権争いへと加わっていった。

 敵の足並みが乱れている間に混戦に持ち込んで流れを決定づける。
 鳥海は突撃の命令を出す一方で、戦場が混乱している隙に零式水上観測機を射出する。
 観測機は艦隊の上空を避けるように旋回し、敵艦隊の配置や動きを艦娘たちへと伝え始める。
 つぶさに敵情を伝えていた観測機だが、やがて重巡棲姫の艦隊から離れた位置にいる別の艦隊を発見した。
 ネ級とツ級を含んだ艦隊で鳥海たちの左方を突くよう迂回している、と伝えてきたところで通信が途絶える。
 撃墜されてしまったと見るしかない。

「新型には球磨たちで対処するクマ!」

「お願いします、ご武運を!」




 球磨たちの一団が砲撃を加えながら離れていくのを横目に、鳥海は中央の敵陣へと飛び込んでいく。
 砲撃を浴びせながら縦陣を割るように進むと、重巡棲姫までの道が一気に開く。
 敵が総崩れになったのではなく、意図して重巡棲姫と向かい合わせるような動きに感じられた。
 三方から攻められてはたまらない。

「イタリア組は左を、武蔵さんたちは右の敵を! 第八艦隊と愛宕姉さん、摩耶は私に続いて!」

 左右を抑えてもらっている間に重巡棲姫に一撃を与える。でなければ、その後ろにいる取り巻きの戦艦だけでも排除しておく。
 そんな矢先だった。

「雷跡確認! 右から来るぞ! 近すぎる!」

 長波からの警告の声、というより悲鳴が鳥海の耳に届く。
 雷跡を確認するより前に轟々と水柱が立ち上るのが見えた。それも二つ。
 被雷の水柱を見てどこから何がという疑問と、誰に当たったという恐怖とが同時にやってくる。
 ……命中したのが誰かは分かる。味方の位置は常に把握するよう務めているから。
 あの位置は愛宕姉さんと摩耶だった。

「潜水艦!? じゃない、甲標的みたいなやつよ!」

「摩耶さんの浸水がひどい! このままだと……」

 天津風と島風がそれぞれ伝えてくる。
 鳥海より先に摩耶と愛宕の切羽詰まった声が入った。

「クソがっ! あたしらに構うな!」

「そうよ、このまま攻撃を!」

 それは聞けない。鳥海は胸の内で即答すると言っていた。

「島風、リベッチオさんは摩耶、天津風さんと長波さんは愛宕姉さんを護衛しながら後退を」

「重巡棲姫はどうすんだ!」

 摩耶の怒鳴り声に、感情をできる限り抑えるよう意識して伝える。

「あいつは私と高雄姉さんが相手をします」

 告げてから鳥海は怖気を感じて、その場から弧を描くように大きく離れる。
 姿勢を立て直すと、やや遅れて本来の進路上に砲撃による水柱が林立する。そのまま進んでいれば確実にいくつかは命中していた。

「フフ……アハハ、イイゾ……当タッタノハ高雄型カ! レイテノ再現トイコウジャナイカ!」

 重巡棲姫はあざ笑いながら、海蛇のような主砲で砲撃してくる。
 最初の接触の時と違って素面らしかった。酔い潰れていれば楽なものを。

「私は触雷してない……あの時とは違う。鳥海の言う通りよ、あいつは私たちが相手をする」

 高雄の声は静かなのに聞き漏らせないような迫力があった。
 姉が何を言いたいのは分かっているし、同じ気持ちだったから。
 鳥海は短く息を吐いて胸元を意識する。もう取りこぼしたくない。だから戦うまで。

「やらせないわよ、鳥海。愛宕と摩耶を」

「ええ。もう誰も失うつもりはありません」


ここまで。導入しか書けてない感じですが、ここからはペースを上げていきたい所存

乙です

乙乙

乙乙乙

乙ありなのです!
ちと短めというか、あまり話が動いてないですが投下を



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 付き合いきれない。
 遠目に戦闘の状況を見た上で抱いたネ級の感想になる。
 それはネ級がツ級の他に二人ずつのイ級やチ級を率いて、計六人から成る即席の水雷戦隊を組まされた時と同じ気持ちだった。
 きっかけは装甲空母姫が次の戦闘に際して、自分ならどう行動するのか聞かれたためだ。
 その場には艦隊の総司令と言うべき重巡棲姫もいた。
 どこか試すような問いかけを不思議に思いながらも、自然に浮かぶままに答えていた。

「敵ノ大マカナ位置ガ分カルナラ別働隊ヲ用意シテ両側カラ牽制スル……頭数ハコチラガ多イノダシ。ソレニ艦娘トイウノハ輸送艦ト行動スルナラ、ソレモ叩イテシマイタイ」

 輸送艦を叩くには艦載機が必要、と言ってからネ級は二つのことに気づいた。
 まず装甲空母姫はともかく、重巡棲姫はネ級の話など聞く気はないのだと。
 もう一つは重巡棲姫はネ級を、そしてツ級も嫌悪しているということ。
 転じてネ級は一つの誤解にも気づく。飛行場姫は自分を避けてはいるが、どうやら嫌ってはいなかったらしいと。
 装甲空母姫が興味を、重巡棲姫は嫌悪を、飛行場姫は……ネ級は思い浮んだ感情をたとえる言葉を知らない。

 なんにせよ重巡棲姫が聞く気がない以上は話もここで終わるはずだったが、何を思ったのか装甲空母姫が自身の配下をネ級に預けてしまった。
 ネ級とツ級は装甲空母姫の直属という扱いなので、重巡棲姫を飛ばして融通も効くらしい。
 しかしネ級は思う。私に面倒を押しつけないでほしいと。事態に介入できない我が身をネ級は初めて鬱陶しく感じた。

 そして現在、重巡棲姫はしないでもいい消耗をしている。
 敵に動きがないのは、それが敵にとって適した場所だからだ。
 誘いに乗るのは構わないが無闇に突っ込んでいい理由にはならない。
 あるいは――姫という連中は総じて強い。にもかかわらず自分たちを基準に物差しをはかる。
 そうやって生じた食い違いがこの結果になるのか。

「ドウスル……ネ級?」

「行クシカナイダロウ」

 ツ級の問いかけにネ級は断じる。
 戦況がどうであれ無視する理由にはならないし、それに艦娘たちも放っておいてはくれない。




「抑エガ来タ。アレヲマズハドウニカ……」

 敵の艦種や出方を見極めようと、ネ級は艦娘たちに焦点を定める。
 ――どれも見たことのある顔だと感じた。
 相手は七人。駆逐艦と軽巡が二人ずつに、重雷装艦が三人。ネ級はそう確信していた。
 二人ずつが似通った服装をしているが、一人だけ黒い外套を幌のようにはためかせているのがネ級の興味を引く。
 その艦娘の顔を見て、ネ級の頭の中に何かの光景が去来したような気がした。
 それが何かを顧みる間もなく、ネ級の頭に電流が駆け巡るような鋭い痛みが走る。
 目の奥に生じた痛みに、両目を隠すように頭を抑えてうずくまった。
 速度を維持できずに落伍していくネ級に、ツ級が慌てて寄り添うように近づく。
 他の深海棲艦はネ級の異状に反応する素振りを見せるが、それ以上に艦娘に引かれるように接近していくままだった。

「ソノ目……!」

「目ダト……」

 ネ級は全身の血が逆流し、内蔵を締め上げるような正体不明の痛みに悶えていた。
 視界は霞がかった赤になり、口から漏れる呼気は沸騰したかのように熱い。
 食いしばった歯からは声にならない声が漏れ出す。凶暴な獣としての唸りが喉奥から震えてくる。
 ネ級の瞳が深紅に染まり、同じ色の光が体からも立ち昇り始めていた。
 犬歯を剥き出しにして、怒りに染まった形相を向ける。

「落チ着イテ……ソノ子タチモ怯エテイル」

 事実、主砲たちのか細い声が聞こえてきて、ツ級の巨人のような指が戸惑いがちにネ級の腕に触れる。
 払いのけなかったのは、まだネ級を一部の理性が押さえつけていたからだった。
 燃えたぎる衝動に駆られながら、ネ級は先行した形の四人に吠える。

「奥ノ三人ヲ狙エ! ヤツラガ最モ魚雷ヲ積ンデイル!」

 何故分かったのか理解できないまま、ネ級はツ級を置き去りにして水面を蹴っていた。
 火力を集中――とかすかに浮かんだ考えは霧の中へと消えている。
 重雷装艦を守るように正面に位置する四人――軽巡と駆逐艦が二人。
 ネ級は急速に距離を詰めながら彼我の砲撃音を聞いていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾は姉たちの会話を聞きながら、相手の出方を窺っていた。
 砲撃をしようにも、まだ適正距離とは言いがたい。

「魚雷撃つ前に命中するのはいやだよねー。や、撃った後でもやだけどさ」

「だったら口じゃなくて足を動かすにゃ」

「ごもっともで」

 気の抜けたやり取りだが戦闘準備は整っているし、自然体なのは余計な気負いがないからだと木曾は前向きに受け止めていた。
 球磨と多摩を先頭を併走し、その後ろに萩風と嵐が。そして北上、大井、木曾の三人が続く。

「怖いのは新型クマ。何をしてくるクマ?」

 新種、新型。艦娘でも、この辺りの言い回しはまちまちだ。
 どっちにしても未知数の敵で、警戒するなというのが無理な注文だ。
 ネ級重巡もツ級軽巡も対空戦闘に秀でているのは分かっている。特にツ級軽巡は。
 だが水上戦闘がどれほどのものかは実際に戦ってみなければ分からない。
 木曾はネ級と目が合ったような気がした。
 きっと気のせいだろう。そう思った直後、ネ級が後ろへと脱落していく。

「ん……?」

 木曾は出し抜けに胸への疼痛を感じた。
 弱いが確かな痛み。一時期は頻繁に感じていたが、やがて提督との関係が清算されて行くにつれて消えていったのと同じ痛みを。
 なんで、こんなところで。
 確かめるように胸元を握っていると、大井が目ざとく気づいた。

「ちょっと大丈夫なの?」

「ああ、なんでもないさ」

 連戦の疲れが取れていないのかもしれない。
 気に留めないことにした。その痛みは覚えている。だからこそ気にしてはいけないと。




「それより変だぞ、あのネ級とかいうの」

「不調ならこっちが助かるから、そのままでいてほしいんだけど」

 大井の声はどこか冷ややかで容赦がない。敵にかける情けはないとでもいうように。
 多摩は用心深く目を細めた。

「誘われてるかにゃ?」

「でも向こうの隊列は乱れてますよ?」

 萩風の指摘するように脱落したネ級に合わせてツ級も減速したが、イ級とチ級は前に先行しすぎているようだった。
 遠目だがネ級は苦しんでいるように見受けられる。普通の状態でないのは間違いなさそうだが。
 木曾は疼痛が治まっていくのを感じた。
 それを知る由もないが、意気込んだ声を嵐があげる。

「今の内に叩きましょうよ!」

「俺も賛成だ。こいつらを叩いたって重巡棲姫が残ってんだ」

 新型を沈めてはい終わり、というわけにはいかない。
 あくまで主目標は重巡棲姫だからだ。

「その通りクマ。さっさと蹴散らして合流するクマ」

「待つにゃ。様子がおかしいにゃ」

 動きを止めていたネ級から赤い燐光が瞬き始めていた。
 エリートなんて呼ばれ方をする強化個体がまとっているのと同じ赤い光だ。
 きっかけなんて分かりやしない。ただ厄介なやつだと直感した。




 そしてネ級が何事かを叫ぶと深海棲艦たちが一気に動き出す。
 ネ級が猛然と向かってくる中、イ級とチ級たちが砲撃を始めた。
 砲撃の飛翔音が近づいてくるが、同時に遠いとも感じる。
 実際に砲撃は木曾や北上の後方に大きく外れていた。
 それは二つの事実を暗示している。

「練度は大したことないようだが、真っ先に俺たちを狙ってきやがったか」

「北上たちはこのままイ級とチ級を頼むクマ。球磨たちは新型二人をやるクマ」

 球磨の指示に一同は応じると、迅速に隊列を組み直す。
 木曾は正面の敵たちを見据えながらもネ級が気になって仕方なかった。
 盗み見るように目を向ければ、ネ級は赤く染まっていた。比喩ではなく、自身が発する光のために。
 だが何よりも興味を惹くのは……なんだ?
 新型としての性能か、未知の強敵への好奇心。それとも危機感か?
 どれも違う。
 言葉にできない、というよりは認めてしまいたくない違和感。提督にまつわっていた胸の疼きが原因だ。

「……まさかね」

 浮かんだ疑念を形にしないように言葉で取り消す。
 イ級とチ級の練度が低かろうと余所見は余所見。油断は油断だ。
 それでもなお木曾はネ級を観察してしまう。

 細身の女だ。赤い光をまとっているが、深海棲艦らしい白い肌に白い髪、黒い衣服に艤装。
 顎の辺りが歯のような装甲に守られているようで、この点はヲ級に似ていると思った。
 武装は三連装二基の主砲が海蛇だか海竜のように背中の方から伸びてるようだ。こちらは鳥海たちと交戦している重巡棲姫と似ていた。
 大腿部にはどうやら副砲もついているらしい。ここからでは分からないが、どこかに魚雷発射管もあるはず。
 火力ならこちらの重巡組のほうが充実しているように思えるが、火力で全てが決まるわけじゃない。
 ネ級は一心不乱に球磨たちへと向かっていく。
 まるで獣のように。あいつには、あんな一面なんてきっとない……ないよな。




「さて、こっちはこっちでやりますかねー」

 北上の声に木曾の注意が正面へと引き戻される。
 物事には順序があって、今はネ級ばかりに気を取られている時じゃない。

「俺がイ級の露払いをやる。姉さんたちはチ級を」

 主砲の照準を先頭のイ級に合わせる。
 あいつ――前任の提督の代から、各艦とも運用する兵装の見直しが図られている。
 重雷装艦には性能の陳腐化した14センチ砲に代わって、イタリア組からもたらされた152ミリ三連装速射砲に改められていた。
 その火砲が猛然と砲煙をあげながら砲弾を吐き出していく。
 たちまちイ級が水柱に包まれ、二射目には命中の閃光が生じてイ級を無力化していた。
 北上も大井も、それぞれチ級への砲撃を開始している。
 木曾はとどめになる三射目を行いながら、すぐにもう一体のイ級へと狙いを変えていた。

 さして練度の高くないイ級なんぞ、正面から当たってしまえば怖い相手でもなんでもない。
 それはチ級にしたって同じだ。
 護衛を固められて魚雷をばら撒かれるだとか、混戦中に乱入されるだとか生かす方法なんていくらでもあるのに。

「お前らの指揮官は無能だな」

 俺たちには十分な装備を与えられて、実戦も訓練も多くの機会が与えられて。
 それもこれも相手を倒すためでなく、自分たちを助けるためにだ。

「望んでくれたやつがいたんだよ、俺たちにはさ」

 誰の救いにもならない言葉を木曾はつぶやく。
 砲戦はさほどの時間を要さず、木曾たちが圧倒する形で終わった。




 すぐに三人は転進する。ネ級とツ級が残っているためだ。
 球磨たちが苦戦しているのは通信のやり取りで分かった。

『何クマ、こいつ! 訳の分からない動きばかりするなクマ!』

『大丈夫なの、嵐!?』

『くそっ、やられた! 火が回る前に魚雷を投棄するぞ!』

『萩風、球磨と嵐を下がらせるから護衛を……うっとうしいにゃ、ツ級!』

 損傷した球磨と嵐を守る形で、多摩が矢面に立っていた。
 孤立していたツ級も今や砲戦に加わり、ネ級や球磨たちとは距離を開けたまま支援砲撃を行っている。
 対空戦闘を視野に入れた両用砲だからか、口径は小さいが矢継ぎ早に砲弾を送り込んでいた。

「……嫌なやつだ」

 ばらまくような撃ち方だが上手い。
 損傷している球磨と嵐の退路を塞ぐ狙い方で、命中せずとも動きを阻害する効果がある。
 水上艦への砲撃は相手の未来位置を予測して行うのだから、ツ級は球磨たちの動きを計算し予測しているのか。
 ……こいつはネ級ともまた雰囲気が違う。だが厄介なやつなのには変わりない。

「多摩ねえ、そっちの支援に入るよ!」

 窮状に北上の声から間延びした調子が消えている。

「こっちよりツ級を先に頼むにゃ!」

「りょーかい、任せちゃって!」

 北上と大井がツ級へと向かっていく。
 木曾もそちらに向かおうとして迷った。
 球磨や多摩を信用していないわけじゃない。退路を確保するためにもツ級は邪魔だ。
 しかし球磨たちを無視してはいけないという直感があった。
 木曾は決断していた。





「姉さんたち、ツ級は頼んだ!」

「ちょっと木曾! 勝手な真似は……!」

 大井が呼び止める声が聞こえてくるが、その時にはもう木曾は転進を済ませている。

「あのネ級は危険なんだ!」

 こんな理由で独断をやっていいわけがない。それでも――。
 木曾はネ級へと向かう。
 ネ級の速度はかなり速く、不規則な機動を見せている。
 球磨たちを二手に分断させ、集中砲火を浴びても怯む様子させ見せない。
 最初と違い、今は黒い体液を体にまとっているようだった。

 だが砲撃はでたらめだ。
 ネ級は獣のように首を巡らせながら、背中から伸びた主砲と大腿の副砲が乱射していた。
 ……違う、あれで狙いは絞ってやがる。
 損傷で動きの遅くなった球磨と嵐を主砲が狙いつつ、副砲は多摩と萩風に向けて撃たれていた。
 異質なのは誰か一人に絞らず、全員を同時に相手取ろうとしているかのような動きだ。
 戦力を削ぐという発想がないのか。
 そのお陰で球磨も嵐も健在なのかもしれないと思えば、木曾としてはそのままでいいと考えるしかない。

 木曾としては雷撃を当てて流れを変えたいところだが、下手に撃てば同士討ちの危険もある。
 縦横無尽に暴れるネ級がどこまで意図しているかは分からない。
 考えてる場合じゃないと自覚する意識が砲撃を始めさせ、すぐに一弾がネ級の主砲に当たるが装甲を抜けずに弾かれる。
 後方からの攻撃にネ級は素早く反応し振り返った。
 赤く染まった目が残光の線を引く。
 歯を食いしばったネ級が腹の内からゆっくりと声を震わせる。

「カン、ムス……カンムス! カンムスウウゥゥゥ!」

 海風に乗った叫びは遠吠えだった。
 衝動と敵意を露わにし、誇示するけだものの咆吼。
 目を見開き、木曾を凝視している。その目に浮かんでいるのは純然たる敵意だった。

「……違う! お前は違う!」

 今では痛みは完全に消えている。むしろ疼痛を感じた理由が分からなくなっていた。
 代わりに重圧が体中にまとわり付いていた。

「どうして、こっちに来たにゃ!」

「多摩姉、こいつはここで沈める! 沈めなくちゃならない!」

 叱責するような多摩に叫び返していた。
 そうとも、こいつはここで終わらせる。
 俺の疑念が確信に変わる前に、鳥海がやつに出会っちまう前に、俺自身の手でやる。
 木曾の表情に一切の迷いはなく、相対した強敵に対する固い決意が浮かんでいた。


ここまで。次はちょっと空きそうですが、一気にまとめて投下した方がよさそうな気がしてます

乙です

乙乙
良いところで切りおる……

乙乙

乙ありなのです
ちょっと見直しも並行しつつ投下を



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 島風はリベッチオと共に摩耶を守りながら敵艦と交戦していた。
 摩耶の艤装はひどく損傷していて、艤装の主機は咳きこむような音を出している。

「摩耶さん、浸水はどう?」

「鈍足なら排水が間に合うけど、これ以上は無理だな……クソが!」

「もー、マヤってば口が悪いー!」

「ほっとけ!」

 今の摩耶は七ノット程度の速度しか出せず、控えめに見ても艤装が大破しているのは確実だった。
 浸水により電装部もショートし、主砲の発射すらままならなくなっている。
 とはいえ、離れた位置にいる愛宕も含めて、体が五体満足なのは不幸中の幸いだと言えた。

 損傷している摩耶を狙わせないために、二人は敵艦に肉薄することで注意を引きつけていた。
 砲撃の威力が弱くとも近づけばそれなりに有効だったし、何よりも敵は雷撃を恐れてくれる。
 二人は代わる代わる一人が接敵し、もう一人が摩耶の周辺を警戒しながら敵を追い払っていた。

 それでも遠からず限界が来てしまうのは明白だった。
 迎撃の度に二人は傷ついていき、摩耶はそんな二人を見ていることしかできない。
 困難な状況にもかかわらず、二人の士気は高い。自らが傷つくのさえ厭わないように。
 だから摩耶は思い切って言う。

「なあ、あたしより愛宕姉さんを助けてくれないか?」

 見捨てていいから。言外に隠れている言葉が分からない二人でもない。
 島風とリベッチオは顔を見合わせていた。

「お前たちがあたしに付き合う必要なんかないからさ」




 島風は振り返ると摩耶の顔を見る。
 必要ならあるよ。その言葉は飲み込んで。

「んー……リベはどう思う?」

「えっ、リベにそれ聞いちゃうの?」

「だって私はそんなつもりないし……」

「リベだってそうだよ!」

「というわけだよ、摩耶さん。この話はこれでおしまいだね」

 摩耶が言い返す間もなく新手の砲撃が続けて来る。
 命中弾こそなかったが、今度は一隻や二隻でなく多数による砲撃だった。

「駆逐艦と重巡が二人ずつ!」

 敵影を確認した島風が素早く伝える。
 複数による攻撃は初期の混乱から立ち直って、統制の取れた行動を取り始めている証拠だ。
 弱気の虫が覗く摩耶より先に島風が言っていた。

「摩耶さんを諦めたら絶対に後悔するし」

「マヤも主砲ぐらい撃てないの? 手で装填するとかして!」

「無茶言うなぁ……けど、そんぐらいしないと死んでも死に切れないか……」

「だから死なないってー!」

 続く砲撃も外れたが、摩耶が吹き上がった水柱をもろに被る。
 それで摩耶も頭が少しは冷えたようだった。




「島風、連装砲ちゃんを一つ貸してくれ。やるだけやってみなくっちゃな」

「いいよ。でも、無茶はダメだからね」

 島風は振り返り、摩耶の目を見ながら言う。
 応じる言葉はないが、ヤケになった顔でないと島風は感じた。
 連装砲ちゃんの一つを送ろうとしたところで、第三者の声が入った。

『それには及ばないわ』

 耳のインカムから聞こえてきたのはローマの声。
 やや遅れて摩耶たちを狙っていた艦隊に横方向から砲撃が見舞われ、一発が重巡リ級を直撃し沈黙させた。

『よし、そちらに合流する』

 砲撃の手応えを感じた声を残して、ローマは通信を切る。
 戦艦砲を受けて、建て直しのためか敵艦隊が後退していく。入れ代わるようにローマが三人の前に到着する。
 決して無傷ではなく、折れ曲がった主砲も何本かあった。

「グラッチェー、ローマ!」

「ディ、ディモールトベネ?」

 島風はしどろもどろに答えると、ローマが軽くため息をつく。

「いいわよ、日本語で」

「なんでローマがこっちにいるんだよ、重巡棲姫は?」

「取り巻きに邪魔されてるうちに距離を取られてしまったのよ。だから、まずはあんたたちを助ける」

 そういう指示もきちゃったし、と小声でローマがつぶやくのを島風は聞き逃さなかった。

「愛宕のほうには姉さんと武蔵がいるから大丈夫よ。あんたはまず自分の心配だけをしてなさい」

 損傷の激しい摩耶を一瞥してローマは告げると、摩耶は食い下がるように聞く。

「じゃあ重巡棲姫はどうなるんだよ」

「鳥海と高雄が相手をしている。今は……!」

 ローマは再攻撃の様子を見せ始めた敵艦隊を睨むように見ていた。

「今あなたたちを守れって言うのは、まずここを支えろってことでしょ? やってみせるわよ、そのぐらい」

 姫を倒しても戦線が崩壊して、こっちが壊滅してたら意味がない。ローマが言いたいのはそういうことなのだと島風は解釈した。

「……早く落ち着かせないとね」

 そう応じる島風の内心では、鳥海への信頼と不安がせめぎあっていた。
 重巡棲姫の手強さは、じかに交戦した経験がある島風にも分かっていたから。
 あの二人はかなりの無理をしでかそうとしているはずだった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海、高雄と重巡棲姫との交戦は主戦場の横へ流れる形で続いていた。
 引き離したのか、引き離されたのか。その線引きは曖昧だった。
 というのも愛宕と摩耶から重巡棲姫を引き離すという点では鳥海たちの都合に適っていたし、二人を孤立させるという姫の意図とも合致していたからだ。
 だから、これは互いの意図が一致した結果。少なくとも鳥海はそのように現状を捉えている。

「役立タズドモ……沈メエェッ!」

 重巡棲姫が戦意を音量に乗せて砲撃してくる。
 正面に位置する鳥海と左方から攻める高雄は撃ち返しながらも、熾烈な砲火に邪魔をされて距離を詰め切れずにいた。
 砲撃の飛翔音が近づいてくるのを感じ、鳥海は右に針路をずらす。
 これで当たらないという確信は、五秒後に後方に生まれた水柱が証明していた。
 調子そのものはすこぶる良好だった。

「ペンダントのおかげかしら?」

 独語してから、それはちょっと違うような気がした。かといって間違えてるとも思い切れないのは胸の辺りに熱を感じるせいかも。
 でも、なんだってよかった。
 経験、直感、加護。思い込みでも何かが助けてくれると信じて、それが私自身の動きに噛み合っていい影響を与えてくれるなら。
 大事なのは後れを取らないという自信があるということ。
 側面を取っている高雄への狙いを減らす意図も込めて、鳥海は声を張る。

「私に当ててみなさい、重巡棲姫!」

「見下スナァ、艦娘!」

 それまで高雄も狙っていた主砲が二基ともしなると鳥海へ向く。白い肉塊のような主砲は、視覚が退化した竜をどことなく想起させた。
 倍になった殺気が砲炎の光を瞬かせる。
 それを消すように側方から放たれた高雄の主砲弾が重巡棲姫に命中するが、大した損傷にはなっていない。
 鳥海もまた回避運動を行いながら砲撃を続けるが、全弾が命中したとしても同じような結果にしかならないと予測していた。
 重巡棲姫の腰部にある連装副砲が速射を行い、突撃の機会を窺う高雄の出足を阻む。




「出来損ナイドモガ調子ニ乗ッテ!」

「火力が強い……重巡って言ってるけど戦艦並みじゃない!」

 高雄の評価は適切だった。
 火力もそうだけど打たれ強さも、並みの戦艦級を凌駕している。
 こちらは主砲の残弾は四割を切り、魚雷は一斉射分のみ。
 姉さんも魚雷は使ってないけど主砲弾は同じような状態のはず。
 無駄弾を使わなければいいだけ、と鳥海は高揚の続く頭で判断する。
 どっちにしたって撃てるだけ撃ち込まないと、まずこの姫は沈められない。

「……二度モ私ノ手ニカカルトハ……愚カナヤツ!」

「二度……?」

「マリアナデ沈メタヤツヨリハデキルヨウダガ、艦娘ハ艦娘ニスギナイ!」

「マリアナ? もう一人の鳥海を言ってるの!」

 問い詰める声に重巡棲姫は笑い声を上げた。

「ナンダ……知ラナカッタノ? 一人デノコノコヤッテ来テサア!」

 一人で。そう、その通り。二人目の鳥海は味方の撤退を支援するために単身で。
 そうして交戦したのが重巡棲姫だなんて思いもしなかった。
 だとしたら……これは仇討ち?
 思いもしなかった言葉が鳥海の頭を過ぎった。

「教エテヤロウカ! アノ出来損ナイガ、ドウヤッテ沈ンデイッタノカ!」

 重巡棲姫の高笑いが耳朶を打ち、鳥海は我知らず奥歯を噛む。
 事情があろうとなかろうと、ここで討たなくてはならない敵なのは承知している。
 それでも私怨のような感情が芽生えそうだった。
 しかし答えたのは鳥海ではなく、割り込んだ高雄の声だった。

「結構よ」




 高笑いを遮るように高雄が放っていた主砲弾が、立て続けに重巡棲姫へと落ちていった。
 より正確になった命中に、重巡棲姫は忌々しげに高雄を睨めつける。
 その毒々しさを高雄は正面から受け止めていた。

「あなたの口から鳥海を語ってほしくないもの。たとえ直接の妹じゃなくっても」

「死ニ損ナイメ……ダガ喜ブトイイ。今度ハ貴様モ妹トモドモ……水底ヘ送ッテヤル」

 白い肉塊のような主砲がまた高雄を指向するが、高雄もまた決して一箇所には留まっていなかった。

「私たちのことなんて何も知らないくせに!」

「不本意ダガ知ッテルトモ……タダ一人レイテヲ生キ延ビタ姉ハ、無様ニ終戦マデ生キ長ラエタモノノ……譲渡サレタ敵国ニヨッテ処分サレタ」

 重巡棲姫の顔に喜色が浮かび、さも愉快そうに言う。

「ミジメジャナイカ、艦娘! ダカラ沈ンデシマエエッ!」

「それは軍艦としての話じゃない! 知らないのよ、艦娘としての私たちを!」

 それに、と高雄が言い足すのを鳥海は聞く。

「無様ではあっても、みじめではなかったもの。戦うための誇りは失っていなかった!」

「誇り……」

 鳥海はつぶやき、もう一人の鳥海に思いを馳せた。
 あの子は仲間のために戦って、そうして沈んでいった。
 どう沈んだかなんて分からない。
 最期まで撃ち続けたかもしれないし、独りでいるのを悔やんで寂しがったかもしれない。
 沈んでいくのを嘆いて恐れたかもしれなければ、もっと生きたいと願ってもおかしくなかった。
 あるいは何もかもを受け入れて満足したか、自分の代わりに他の誰かが命を繋いだと信じて。

 全てが仮定で可能性だった。真実はあの子の内にしかない。
 そして……鳥海には確かに理由があった。彼女は使命を果たしたのだと思う。
 一つ。本当に一つだけ言えるのは。

「姉さんもあの子も……出来損ないと呼ぶのは許しません!」

 鳥海として、そこだけは譲れなかった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾と多摩の主砲がネ級を捉える。
 十字火線の交点となったネ級は複数の直撃弾を受けるが、構わずに木曾へと向かう。
 すぐに木曾も軸をずらすように移動しようとするが、そこに主砲が撃ち込まれていく。
 より正確になっていく砲撃により、至近弾を受けて艤装が悲鳴を上げる。
 木曾もまた撃ち返し続けるが、加速がつき始めたネ級は左腕を盾代わりに掲げて突進を続ける。

「カン……ムス!」

「島風並みに速いのに硬いときたか……!」

 木曾の放った主砲は左腕を抜けずに弾かれる。
 砲弾の破片と一緒にネ級の体液も落ちて、傷ついた白い肌が露出した。
 しかし、それもすぐに浸出したらしい体液が隠す。
 横から多摩の砲撃を受けながらも、強引に距離を埋めてきたネ級と木曾とが交錯する。
 接触したのは木曾が引き抜いたサーベルと、黒い体液にまみれたネ級の腕だった。

「っ……重たいっ!」

 木曾は刃先を通して伝わってきた痺れを伴った感触に顔をしかめる。
 生身の腕ではなく鋼鉄を切りつけてしまったような不快感だった。
 歯を食いしばったまま、木曾は距離を取りながらネ級の背へ向き直る。

 四つん這いの姿勢から、ネ級は振り上げた両腕を海面へ交互に突き立てながら右へ急旋回してくる。
 まるで硬い地面へ杭を打つかのような動きで、二基の主砲は慣性を打ち消すために左へと身をしならせていた。
 曲がりきったネ級は、そのまま這うように海面に爪を立ててから木曾へと向かっていく。

「海面を叩いて……沈みもしないで、どういう理屈だよ!」

 舌打ち一つ、木曾は砲撃で迎撃する。
 艦娘も艤装の効力で海に沈んでいかないが、それはあくまで沈まないだけだ。足場として使えるわけではない。
 こう接近されては不利だが、ネ級がそれを許さない。




「まったく獣みたいなやつにゃ!」

 それを多摩姉が言うのか、と出かかった言葉を口内に留めたまま木曾は撃ち続ける。
 ニ方面からの砲撃にネ級の主砲が多摩へと応射すると、悲鳴が飛び込んできた。

「にゃあ!」

「多摩姉!?」

 被弾したのか? それを確認する間もなくネ級が突っ込んできた。
 白刃と黒く染まった腕がぶつかりあって火花を散らす。
 斬れず、砕けず、押し合い、踏みとどまろうとする。

「こっちは光り物だぞ、ちったぁ怖がれ!」

 威嚇するよう木曾は叫ぶが効果はない。
 刃物を前にすれば砲撃のやり取りとは別の緊張が生じるもんなのに、こいつはお構いなしだ。
 見た目はサーベルでも、実際にはラフな扱いに耐えられるよう手を加えられている。
 そんな物に素手で挑むのは、どんな心境だ。
 よほど腕に自信があるか、単に見境がないのか。あるいは……恐れを知らない?

 数度の打ち合いを経て、ネ級の体液が堅牢さの理由だと木曾は見抜いた。
 粘性のせいなのか剛性も備えているのか、特殊な防護膜として機能しているらしい。
 さっきの急カーブもこれが機能しているのかと考え、しかし対処法までは思い浮ばなかった。

「――シイッ!」

 ネ級の主砲が木曾に向かって噛みついてくる。
 予想外ではなかったが警戒は薄れていた。
 左右同時の噛みつきを身を捻っていなすが、ネ級そのものが迫ってきた。

「ジャマ、スルナッ!」

 拳が振り上げられ、木曾は受けるしかないと直感した。
 右手でサーベルの刃先を下げた状態で握り、左腕を寝かせた刀身に添わせる。
 ネ級の拳が刃の上から衝突し、左腕が不気味な音を立てる。
 折られる――そう感じた時には体が後ろに弾き飛ばされていた。
 水面に二度三度と叩きつけられてから、木曾は姿勢を立て直しながら右へ転回する。追撃が来る。
 ……そう考えた木曾だが、追撃はこない。
 ネ級は木曾を忘れたように明後日の方向を見ていた。




「……ツキュウ」

 その声を残してネ級は木曾に背を向けて離れていく。
 合流する気だと悟り、阻止しようとした木曾が腕の痛みに苦悶の表情を浮かべた。

「バカ力しやがって……!」

 折れてはいないが、痛みと痺れで上手く力が入らなくなっていた。
 だが、それでも追撃の主砲を撃つ。
 必中の念を込めて撃ったそれはネ級に当たる軌道を描いている。
 しかし、思った形では命中しなかった。
 主砲の片割れが振り子のように揺れると、自ら砲弾へ当たりに行き本体への命中を防いでいた。
 装甲部分で受けたのか、主砲は何事もなかったかのように元の位置へと戻る。

「なろぉ……」

「すぐ追うにゃ!」

 飛んできた多摩の声に、木曾はそちらの様子も見る。
 多摩の艤装には大穴が開いていて、そこから白煙がくすぶっていた。

「大丈夫なのか、多摩姉?」

「見ての通りにゃ!」

「無傷ってわけでもないだろ」

「動くし撃てるにゃ。それより北上たちに連絡するから、すぐ行くにゃ」

 強がりかもしれない。だけど心強かった。
 ネ級を過小評価しているつもりはなかったが、見通しが甘かったのも否定できない。
 早く撃退するどころの話じゃなくなっていた。



─────────


───────

─────


 ネ級がツ級を視界に捉えた時、すでに彼女は苦境に立たされていた。
 北上と大井の連携はネ級から着実に戦闘能力を奪っている。
 左腕の砲塔群は沈黙し、主機にも損傷があるのか機動が鈍くキレがない。
 ネ級は残った右側の両用砲で応戦しているが、今や翻弄されている。
 振りきろうにも振りきれず、かろうじて雷撃だけはさせないようにするのが精一杯のようだった。
 そこまで見て取って、ネ級は主砲を撃つ。

 より近い大井が水柱に囲まれるが命中弾はない。
 ネ級の接近は知らされていても、北上たちは手負いのツ級への追撃の手を緩めなかった。
 すでに半壊していた左腕がさらに穿たれ、巨人じみた指が崩れて元のか細い指が露出するのを見ながら、ネ級は砲撃を続けながら横合いから割り込むように向かっていく。

「コノバハ……マカセロ……」

「ネ級……? ナゼ来タ……?」

 ツ級に指摘され、初めて自分が何をしているのかネ級は疑問に思った。
 しかし、その疑問もすぐにより大きな衝動の波に呑まれていく。
 狙うべき敵がいて倒すべき敵がいる。ツ級への意識が薄れ、目前の敵だけしか見えなくなる。

「サガレ……!」

 ネ級は誰に向けたかも定かでない言葉を吠えていた。
 主砲のみならず副砲も撃ちかけながら接近しても、まっすぐとした動きで北上たちはツ級への砲撃を続けていた。
 その時、二人の艤装から長い物がいくつも飛び出し海面へと落ちる。魚雷だ。
 誘われた。と頭の片隅が判断し、魚雷を探すが航跡は見えない。
 よくよく目を凝らすと、海とは違う黒色が高速で向かってくるのを見つける。
 酸素魚雷、片舷二十発の計四十発。
 それを知っているのを疑問に思うことなく、ネ級は網を張ったように疾駆する魚雷へ自分から向かう。




 焼きつく衝動が彼女に行動を促すと、体がその命令を実行するために体液が――血が甲冑のような装甲の隙間から漏れ出て足底へと流れていく。
 海面への反発を得たことで、踏み切りの要領でネ級は海面を蹴り上げ跳んだ。
 そうして魚雷を上から飛び越えたはずだったが、着水すると同時に脚に強い負荷がかかる。
 さらに後ろの海面で魚雷が爆裂し、海中からの衝撃波に押し出された。
 着水時に沈み込んだ足をより傷つけながらもネ級は止まらない。

「こいつ!?」

 大井が驚きの声をあげた。
 魚雷は喫水線下からの攻撃なのだから、要は直上近辺にさえいなければ無効化できる。
 想定外の手段で雷撃を凌がれた大井だが、切り替えは早かった。
 砲撃能力を損なったツ級からネ級へ砲撃を向け直す。

 着水時の負荷と足元からの衝撃で、ネ級は体を上下に揺らしたまま副砲を撃ちかける。
 しかし姿勢の不安定さは命中率の低下に繋がり、全弾が外れ副砲も動かなくなった。弾切れだ。
 大井の放った一弾が首元にある歯のような装甲を破壊する。
 それでも構わずネ級は大井へと低い姿勢で飛びかかった。

 ざわめきの収まらない海面に大井の体が腰から押し倒される。
 艤装の効力により彼女の体は沈まずに仰向けの体勢となり、かぶさるようにネ級がのしかかる。
 すでにネ級は右の拳を握り締めると腕を振り上げていた。

「あんたなんかに――っ!?」

 大井はとっさに手に持った主砲を向けるが、ネ級が素早く払い飛ばす。
 得物を失った大井はネ級と目を合わせ、思わず顔を引きつらせる。
 爛々と輝く目は血走っているようなのに、ネ級には表情がない。
 すぐに大井は腕を盾代わりにして頭を守り、無言のままネ級は拳を振り下ろす。
 そして――肉を殴りつける音が乱打され、暴力が繰り広げられた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「離れて! 大井っちからどきなよ!」

 五秒か、十秒か。さして長い時間はかからず北上が助けに入ってくる。
 大井を巻き込まないようネ級の主砲を狙い撃つ。
 主砲に連続して被弾し、回避のできない体勢はまずいと見てかネ級はすかさず離れた。
 北上が砲撃を続けながら、打ちのめされた大井の安否を確認する。

「大井っち、返事できる? 動ける?」

 矢継ぎ早に聞きながら、北上は大井とネ級の間に入り砲撃を続け、残る魚雷も引き離すために発射する。
 大井の体は小刻みに震えていた。左手は顔を隠すように置かれたままだが、口からは一筋の血が流れているのを北上は見る。
 一方のネ級は雷撃から避けるためにも距離を取り直しながら、ツ級が後退を始めているのを視界の片隅に入れた。
 その頃には木曾も追いついてきて、後ろからも砲撃を加える。
 倒れたままの大井の姿を見てか、木曾は無線に怒鳴っていた。

「大井姉は!」

「生きてるよ! 生きてるけど、よく分かんなくて……」

 北上に動揺した声を返されて、木曾も焦った。
 こういう反応は今までに覚えがなかったからだ。
 だが北上はすぐに言う。動揺の影は引っ込んでいた。

「とにかく、今はこいつだよ。こいつをどうにかしないと、大井っちを連れて帰れないし」

「ああ、分かっ――」

 木曾が答え切る前にネ級は動いた。
 背部に隠れた魚雷発射管が筒先を横へとスライドさせて発射体勢に入る。
 間を置かず北上に向けて魚雷を撃つと、ネ級は木曾へと向き直り砲撃と共に突出する。
 木曾が距離を保ったまま砲戦を継続しようとする傍らで、北上は最初から雷撃を避けるコースに乗っていた。




「こんな軌道だったらさー……」

 最初から自分なら撃たない。
 そう考えてから、北上はその軌道が厳密には自分を狙っていないのに気づき、急旋回すると後方へと引き返し始めた。

「……さいてーじゃん、あいつ」

 ネ級の狙いは動けない大井の方だった。
 そう気づいてしまうと、扇状に広がる魚雷の射界は当てずっぽうではないと分かる。
 軌道と雷速から概算すると、大井への命中を防ぐには誰かが間に入って代わりに盾になるしかなさそうだった。
 そして誰かとは北上以外ありえなかった。
 魚雷の命中率自体はかなり低くとも、今の大井には危険すぎる。

「それは困るんだけどなー!」

 北上の艤装が焦りが乗り移ったように咳き込むと、可能な限りの速度を出して魚雷の進行方向上へと回り込もうとうする。
 大井が弱々しい声を振り絞ったのは、そんな時だった。

「来ないで……来ないで、北上さん……」

「よかったよー。無事だったんだ」

 できる限り大井からも離れたかった北上だが、そうするだけの余裕がなく回り込めたのは大井のすぐ近くになってしまう。

「ガラじゃないのは分かってるんだけどさー、大井っちが逆の立場だったら守ってくれるよね。だからあたしもね」

 緊迫感のない軽口を言いながら、北上は息をつく。
 大井を抱えて動いても間に合わない。ならば、少しだけでも前で当たったほうがいい。

「ああ、でもこれ……絶対に痛いよねー……」

 北上は目を閉じた。痛いのは分かりきっていたから。




 そうして耳が一瞬聞こえなくなるような轟音と、足元が崩れてしまったような衝撃。そして横から海面に倒れる体を自覚した。
 ……それは北上の想像とは違った。

「……あれ?」

 思ったほど痛くない。というのが北上の感想だった。
 そんなはずないと思い目を開けると、向かい合うように倒れる大井の顔が正面にあった。
 血の気が薄くなった大井の顔に、何がなんだか北上には分からない。

「……は?」

 体を起こして、大井も起こそうと触って気づいた。
 大井が背中にひどい傷を負っているのに。
 回した手が赤黒い血で濡れている。

「……何やってんのさ……大井っち」

「よかった……北上さんが無事で……」

 本当に安堵したように大井は笑う。
 かばうはずが、かばわれた。北上は愕然とした。

「こんなのあべこべじゃん! どうして……!」

「だって……北上さんですよ……当然じゃないですか」

「こんな、こんなの嬉しくないよぉ」

 大井は少しだけ困ったようにほほ笑む。
 しかし、すぐに痛みのせいか表情を歪める。





「一つ……お願いしていいですか?」

「いいよ、なんでも言って」

「木曾を……助けてあげてください」

「でも、でも大井っちが……!」

「大丈夫です……当たり所がよかったみたいで。こうして話せてるじゃないですか……」

 力なく笑う大いに北上は何も言えない。

「それに多摩姉さんが拾ってくれると思いますから……向かってるんですよね……」

「うん……通信じゃそう言ってたから……」

「だったら心配いらないじゃないですか……」

「大井っち……私ね……」

 北上はそれ以上言わなかった。
 何を言っても泣き言になってしまいそうで、それでは大井の頼みを果たせないと思って。

「また……またあとでねー」

「ええ……北上さん……好きですよ」

「……私もだよ」

 それで二人の話は終わった。
 北上は木曾を助けるためにも、未だに戦闘を続けている二人の元へと向かう。
 中破状態でも向かっているという多摩には、大井の保護を頼んだ。
 まだ戦いは終わっていない。


─────────

───────

─────


 北上が遠ざかっていき、残された大井は空を仰ぐ。
 あとは大丈夫だろうと思う。
 まぶたが重い。ちゃんと次に目を開けられるのかは不安だったけど、大丈夫だと思うことにした。

「北上さんの楽天が移ったのかな……」

 北上とお揃いと思えば満更でもなかった。
 楽しそうに笑うと、顔にその余韻を残して大井は眠るように目を閉じた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾は遠方で立ち上る水柱を見た。
 遅れてやってきた衝撃波が水面を伝い足下を揺らしたような気がした。
 そしてネ級は目もくれない。気にもかけない。結果を知ってた以上、顧みる必要はないと言わんばかりに。
 それが木曾の怒りをかき立てる。

「……見ろよ」

 返答は主砲による一斉射だった。

「自分が何をやったか見やがれ!」

 砲撃をかいくぐり木曾も撃ち返す。

「お前のやったことだろ! 知らん顔してさあ!」

 すれ違った砲撃が木曾とネ級のそれぞれに命中する。
 木曾は主砲に被弾し、発射できなくなったそれを投棄する。
 ネ級は腹部や腕部に複数の命中弾を出すが、動きが鈍った様子もなくまだまだ健在らしい。
 ただネ級も弾を切らしたのか、主砲は威嚇するように口を打ち合わせるばかりだった。
 木曾は今一度サーベルを抜き、ネ級もまた木曾に向かって猪突する。

「せあっ!」

 木曾はサーベルがネ級の腕を打ち払い、蛇のように体を伸ばして突っ込んでくるネ級の主砲を側面に回り込んで避ける。
 返す形で突き入れられたサーベルを、ネ級もまた逆の手で逸らす。
 互いに足を止めず、ごく近い距離で攻防の応酬を繰り広げる。
 両者はどちらも中心になれないまま円を描くような軌道で、相手の死角を求めて攻撃を続けていた。

 膠着した状況が動いたのは、ネ級の右主砲が攻撃を空振りしたことだ。
 噛みつきが外れ、元の位置に戻ろうとしたタイミングを木曾は逃さなかった。
 主砲が引くのに合わせて、装甲のない下側を斬りつけるように払う。

 斬りつけられた主砲が悲鳴を上げて、ネ級が戸惑う。
 即座に木曾はネ級の右側を狙って攻撃を始める。
 やや遅れながらネ級も防御に回るが、主砲の片割れが崩れたことで綻びが見えた。

 木曾は左手でマントを破るように外すと、風上に回るのに合わせて叩きつけるように投げつける。
 視界を突然塞がれたネ級は、体を引くが動きが大きく鈍った。
 事態を飲み込みきれないままの声が吠える。

「コドモダマシガァッ!」




 まったく、その通りだよ。
 マントを引きちぎろうとする、その瞬間をついて木曾のサーベルがネ級の胸部を貫く。
 素早く手首を返して、さらに捻りこむ。
 ネ級がそれまでとは違う、明確な痛みを訴える叫びを上げる。
 サーベルを引き抜こうとする木曾だったが、ネ級の体にがっちりと食い込んでしまったのと左の主砲が逆襲してきたので素早く手放し離れる。

 ネ級が痛みに悶えながらもマントを引き裂く。
 赤い目はまだ戦意に燃え、武器を失った木曾へと向かう。

「直線すぎるんだよ!」

 木曾は迅速に体の左側を向けると必殺の酸素魚雷を投射する。
 こう近くては自分も無傷でいられる保証はなかったが、木曾は相討ち覚悟で撃っていた。
 至近距離で水柱が弾ける。木曾は左側のスクリューがねじ切れるのを感じた。
 空高く昇った水柱の余韻が収まらない内に、ネ級が水しぶきを突き割って飛び込んでくる。

 木曾は右手でサーベルを収めるはずの鞘を掴む。
 ネ級はどこかの砲撃で装甲が破壊されたために、白い顎が露出している。

「おおおおっ!」

 気合いを込めて狙い澄ました鞘を右から左へと顎に叩きつけた。
 顎を打たれたネ級は弛緩したように片膝を崩しかける。衝撃で脳を揺さぶられたために。
 木曾は素早く腕を戻す形で、逆側の顎も打ち付けた。
 今度こそネ級の両膝が崩れる。だが左の主砲がネ級を守るように木曾に噛みついてくる。
 すぐに身を引いた木曾だったが、鞘に噛みつかれ奪われてしまう。
 鈍った右のスクリューだけで下がる木曾は雷管の調子を確認するが、さっきの衝撃で動作しない。
 もう手持ちの武器は残されていなかった。




 昏倒したようなネ級だったが、ゆっくりと体を起こす。
 まだ目や全身から揺らめく赤い光は消えていない。
 そのネ級は頭をふらつかせながらも、木曾を見ようとする。

 まだ来るのか。
 そう考えた途端にネ級の首が前に倒れる。
 ネ級が鼻を押さえるが、指の隙間から黒い体液が流れ出す。
 タールのような重みを持った体液は、脈打つかのように次々にあふれていく。
 それが鼻血だと理解すると、木曾は気づいた。
 今までネ級の体を守っていたのは、ネ級自身の血なのだと。

 こいつは血を垂れ流しながら戦い続けていたのか。
 その精神性がどこから来るのかは木曾にも分からない。
 獣ならば傷つけば身の安全を考える。理性があっても同様だ。
 だったら、こいつにあるのはなんだ?
 攻撃本能? 自壊をためらわずに攻撃するのを本能などと呼んでいいのかよ。

「……おかしいぜ、お前」

 木曾は自分の声に憐れみの色が混じっているのに気づいた。こいつからすれば余計なお世話だろうに。
 ネ級から赤い光が消えていく。と同時に木曾は胸の内に疼痛が甦ってくるのを自覚した。

「お前は……誰なんだ?」

 木曾はネ級を見つめる。
 ネ級もまた見つめ返していた。混乱したような顔のまま口を開く。

「……キ……キ……ソ?」

「なん、なんで俺の名前を!」

 いや、ちゃんと言ったわけじゃない。何かの偶然かもしれない。
 ネ級は木曾の疑問に答えることはなかった。




「木曾、離れて。そっちに砲撃行ったから」

 一瞬、誰の声だか分からなかった。
 北上の声だとすぐに分からなかったのは、無線の調子も悪いのかもしれない。
 だけど無事だったと思い、待ってほしいとも考え、しかし何も言えないまま木曾は条件反射でさらに距離を取ろうとした。
 そうして飛来した砲弾が――ネ級の頭部を吹き飛ばした。
 正確には完全は吹き飛ばしてはいない。右目を蒸発させ右脳を海面にぶちまけ、重油のような体液を辺りに撒き散らせはしたが。
 ネ級の主砲たちがすぐにネ級の頭の前で盾になるように丸まる。

「とどめは刺させてもら――砲撃っ!?」

 木曾は近づいてきた北上と、それを襲う砲撃を見た。
 一度は後退したはずのツ級が戻り、北上へ牽制の砲撃を続けながらネ級に高速で近づいてくる。
 ツ級は木曾にも視線を向けたようだが、武装がないと見て脅威ではないと判断したのか撃ってはこなかった。
 すぐに辿り着いたツ級は、ネ級の体を左側に担ぎ上げる。ネ級の主砲たちは傷ついた右側も含めて、威嚇するように口を打ち鳴らす。

「待て、お前たちは……!」

「撃タセナイデ……」

 仮面のような顔から漏れた声は、それだけ言うと北上へ牽制の射撃を続けながら今度こそ戦場から逃れるように東の方へと後退していく。
 木曾は何もできないまま遠ざかっていく深海棲艦たちを見ているしかできなかった。

「なんなんだよ、お前たちは……」

 ぶり返した胸の痛みはもう遠い。
 出会った。出会ってしまった。もしかしたら出会ってはいけないやつと。
 木曾は放心したように水平線を見続けることしかできなかった。


色々ツッコミどころもありますが、ここまで
ネ級は補正がかかってますが、ユニーク個体とかで大目に見てもらえると……
ともあれ、次回の投下で五章も終わるかな。次は重巡棲姫戦ってことで

乙です


激戦だなぁ

乙ありなのです! 今回分で五章は完結となります

>>617
そう言ってもらえるとありがたいです。頭の中に浮かんでることを伝えきれてないところもあるのですが、できるだけ伝えられるようにはしていきたいです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 奔流から生じた飛沫が頬を打ちつける。
 鳥海は自身を包囲するかのような水柱を突き破って主砲で反撃する。
 しかし主砲弾は重巡棲姫の体に届く前に弾かれた。
 姫から伸びる太い尾のような主砲の仕業だ。
 盾代わりになって姫への攻撃を防いだ主砲が、返礼とばかりに砲弾を次々と吐きかけてきた。

「ドウシタ、モウ終イカ?」

「あの主砲をどうにかしないことには……!」

 主砲も副砲もどちらも脅威だけど、より怖いのはやはり主砲だった。
 火力面は言うに及ばず、姫の周囲を自動で警戒し防衛してくるせいで死角というものを感じさせない。
 攻略のためには、あれを潰すしかない。というのは頭では分かってる。
 問題はそのための手立てが限られていること。

「悔しいけど、私たちの火力だけではじり貧ね……」

 合流を果たしていた高雄はやり切れない顔をしていて、鳥海は慰めにもならないことを返していた。

「意気込みだけで沈めようとは思いませんが……」

 二人とも明確な直撃弾はないが、至近弾だけでも艤装の損傷は積み重なっていた。
 どちらも最高速は三十ノット程度まで落ち込み、心許なかった弾薬はさらに減っている。
 一方の重巡棲姫は人の体も含めて何度も被弾しているが、堪えたようには見られない。

 鳥海たちは少しずつ後退を始めている。
 ヲキュー艦載機から中継されて全体の戦況がどう動いたかは伝えられていた。

 三人の戦艦を中心にして、体勢を整えつつあった敵艦隊へと再攻勢をかけたことで海戦の勝敗は決しつつある。
 さらなる被害を受けた深海棲艦は散り散りになって各個撃破されるか、戦域外へと逃亡を図ることとなった。
 一方で新種に当たっていた球磨たちの艦隊は半壊状態に陥り、三人の戦艦もそれぞれ小中破といった損傷を被っている。




 鳥海は重巡棲姫と砲火を交える一方で、新たにいくつかの指示を送っていた。
 夕雲と巻雲には、愛宕と摩耶の二人を護衛しながら輸送艦まで後退するよう伝え、球磨たちにはザラと早霜、清霜の三人に護衛に回るよう言っている。
 そして武蔵と第八艦隊には、針路上の残敵を掃討しながら重巡棲姫に向かうよう指示を出した。
 想定していた経緯からはだいぶ変わってしまったけど、本来なら姫には可能な限りの総力で当たるはずだったのだから。

 だから、今はこのまま増援が到着するまでの時間を稼げばいい。
 それが鳥海と高雄の共通認識だ。
 ただ、それがあくまで二人の現状が悪化しなければという前提による考え方だった。
 厄介なのは鳥海たちと重巡棲姫は南東に向かう形で交戦を行ってしまったのに対し、愛宕たちを守る形になった他の艦娘たちは西に向かう形での戦闘を行っていた。
 彼我の距離は鳥海が想定していたよりも広がってしまっている。

「フーン……ドウヤラ私カラ逃ゲタイヨウネェ……!」

 背を向けているこちらの動きですぐにでも気づいていただろうに、重巡棲姫は今更とぼけたことを言い出すと増速して距離を詰め始める。
 砲撃も執拗に迫ってきた。
 回避のためにはどうしても横にも大きく動く必要が出てきて、それが時間のロスになって姫との距離がより近づいてくる。

「沈メ! 沈メエエエ!」

「くっ……!」

 主砲の斉射と副砲の乱射に見舞われ、回避行動に揺さぶられるまま主砲を指向する。
 狙うは副砲……せめて、あれだけでも!
 一発目が正確に右副砲の天蓋部を叩くと、続く二射目が同じ箇所に削り取るように命中すると副砲が止まる。
 もう片方も――と狙いを変えようとした意識が、横から聞こえてきた破砕音によって削がれる。

「ああっ!?」

「マズハ一人!」

 直撃を受けた高雄が行き足を鈍らせて、撃ち返す砲撃も右側の四門だけに減っている。
 一拍置くような間を開けてから、追撃のための砲撃を重巡棲姫も放つ。
 それは狙い済ましたように高雄に直撃する、そう鳥海は感じていた。




「姉さん!」

「ダメよ、鳥海!」

 そう言われながらも、鳥海は高雄の前へすぐに回り込んでいた。
 鳥海は左側の艤装――艦橋や通信アンテナなどの艦上構造物を模した装備が載った側を、自身の前へと掲げる。
 姫の放った主砲弾が連続して、そこに命中していく。
 艦上構造物がひしゃげ、その下にある装甲も衝撃に耐えきれずに弾け飛ぶと、破片が二の腕を切って鮮血が流れ出る。
 鋭い痛みに思わず傷口の近くを押さえてしまう。

「釣レタ! コレデ二人トモドモ!」

「そうはさせないと!」

 高雄が先んじて残る四門の主砲を撃つ。
 それは徹甲弾ではなく対空用の三式弾だった。姫の前面で弾けた弾頭から焼夷弾子が花火のように咲いて体を押し包む。
 艤装の装甲を抜けるような貫通力はないが、姫の体や髪に火が燃え移ると、たまらずに耳障りな悲鳴を残して海中に飛び込んだ。

「今の内に引き離すわよ!」

 高雄に促されて、二人は一気に後退を図る。
 しかし高雄の速力はさらに二十ノットそこそこまで落ち込んでいた。鳥海は先行しすぎないように速力を調節する。
 二人はそれぞれ被害状況の確認を済ませていた。

「私の通信網は全滅ですね……姉さん、以降の指揮や連絡はお願いしてもいいですか?」

「こっちにも無理よ。私ではあの姫から逃げられないもの……」

「私だって同じです。もう三十ノットも出せないんですよ」

「それでも、あなたのほうが戦力として確実だわ」

 高雄は言いつつ後ろを振り返る。
 重巡棲姫はまだ海面に姿を現していない。
 前に向き直った高雄の顔から、鳥海は悲壮な決意を感じ取っていた。
 次に高雄の口から出た言葉は実際にそれを裏づけていた。

「鳥海、私を置いていきなさい。あなたが他のみんなを連れてくるまでは持たせてみせるから」

「無謀です、姉さん!」

 即答していた。姉さんは何も分かってない……分かってるのかもしれないけど分かってない。




「このままでは二人とも沈められるわ。でも、あなただけなら……」

「姉さんがどうしてもそうする気なら私もご一緒します」

「鳥海……」

「考え直さなくてもいいです。姉さんがそうするなら、私もそうするまでですから」

 頑なすぎるのかもしれない。だけど、これは正直な気持ちでもあった。
 少しの間、二人は無言で進む。次は鳥海から話し始める。

「戦闘が始まってすぐに流星が特攻するのを見ました。仕方ないと思って……だけど、すごく嫌な気分でもあったんです。そうやって消えないでほしいって」

 ふと扶桑さんと交わした言葉を思い出していた。
 誰かの幸せには別の誰かも必要というなら……私には姉さんが必要で、姉さんにも私が必要……なんだと思いたい。

「考え直さなくていいなんて言いましたけど嘘です……私は司令官さんがいなくなってから、自分なんか沈んでしまえばいいって思ってたんです」

「あなた……そこまで思い詰めていたの?」

 高雄が息を呑む。その頃の話は申し合わせずとも、お互いにしないようにしてきていた。
 克服はしているつもりでも、まだ持ち出すのはつらく思えると感じていたから。

「でも怒られました。今なら分かりますけど怒られて当然でした。そんなことになっても、今度は他の誰かを悲しませるだけだったんですから」

「……そうね」

「私は……私たちはもう、みんな艦娘として知ってるんです。残される苦しさを……やるせなさを。だから簡単に背負わせないでください……どうか、どうかお願いします」

 鳥海は目を伏せ頭を下げる。
 高雄はそんな鳥海を見て、ぽつりとつぶやく。

「……怖かったのよ」

「え……」




「愛宕、摩耶と被雷して思ってしまったの。ああ、次は鳥海の番だって――それで私はまたひとりぼっちになるんだって。そうなるぐらいならって……」

 高雄は深く息をつく。悔いを全て吐き出してしまおうとするかのように。

「でも、そうじゃなかったのよね。あの姫に言ったこと……艦娘としての私たちを知らないって。私たちはもう艦娘なのよね」

 高雄は笑う。少しの自負と、姉としての寛容さを持ち合わせた笑顔を。
 それは鳥海が好きな表情の一つだった。

「自分で縛っていたのよ。軍艦としての出来事をそのまま、私自身に」

「姉さん……」

 その時、まだ後方の海面に弾着の水柱が生じる。
 慌てて振り返ると重巡棲姫が猛追してきていた。

「ヤッテクレタジャナイ……デモネエ!」

 姫の皮膚はやけどのせいかところどころが赤くなり、髪の端にも焼けた痕跡が残っていた。
 しかし三式弾をもろに浴びたにしては、軽すぎる負傷としか言えない。
 不意を打たれた怒りからか、金色の瞳はより一層輝いているように見えた。

「コンナ小細工ヲスルノハ……追イツメラレテルカラヨネェ……高雄型ッ!」

 重巡棲姫は喜色を浮かべながら追撃を始めてきた。
 せっかく引き離した距離がじりじりと詰められていく。
 あの姫が言うことは正しい。確かに私たちは追い詰められている。
 けれど。

「……悲観するには早すぎたみたいですね」

「ええ……ええ!」

 西方への進路上から進入してくる深海棲艦の艦載機の編隊が見えた。
 ヲキューの艦載機群だ。数は二十機ほどになっているが、頼もしいのに変わりはない。
 高雄はすぐにヲキューに連絡を入れて状況を確認する。

「距離は二〇〇〇〇ぐらいだけど、私たちと向こうの間に深海棲艦の残存艦艇が防衛戦を敷いてるって」

「足止めか分断か……どっちにしても、いやらしいですね」




 ヲキュー艦載機を迎え撃ちながらも、なお近づいてくる重巡棲姫を見て、鳥海は作戦を考え直していた。
 今のままだと合流するだけの時間は残されていない。仮に彼我が妨害をまったく受けなくても合流まで十分以上はかかる。
 あるいは逆襲に出れば……。

「姉さん、向こうの残存戦力はどの程度の戦力なんです?」

「……重巡が三、軽巡が四、駆逐艦が二だそうよ」

「大型艦はなし……できるかしら……?」

 どちらにしても姫には早晩追いつかれてしまうのなら、ここで雌雄を決するしかない。
 かといって自分が犠牲になる気も、姉さんを犠牲にする気もなかった。
 危険を冒すなら勝算がある形で。
 気づけば鳥海は胸元のペンダントに触れていた。
 心なしか熱を持ったように感じて、鳥海は意を決した。

「姉さん、弾着観測をお願いします」

「観測って、あなたの?」

「いえ、私ではなくて武蔵さんたちのです。三人の中から二人でいいので」

「武蔵たちの? もしかして……この距離から姫に砲撃させるの?」

「護衛をしてる島風たちには苦労をかけますが」

 鳥海は微笑んだ。これだけのやり取りでも、何を考えているのか分かってもらえているのだから。
 長距離からの艦砲によって、姫を直接攻撃してもらう。高雄が観測を行い鳥海が足止めを行えば、命中も十分に期待できるはずだった。

「待ちなさい! 弾が届くのと当てられるのは違うのよ」

「ですが、あの三人ならここでも有効射程内のはずです。それに重巡棲姫の動きなら、私ができる限り抑えてみせますし、姉さんなら……」

「やりたいことは分かったけど、それなら私も……」

「ダメです、姉さんは観測手に専念してもらわないと。私からは通信できないですし」




 鳥海の指摘に高雄は渋面を作る。
 言い分が正しいと認めながらも、簡単には納得できていない。そんな顔だった。

「本当にいいのね? 味方の砲撃に巻き込まれる恐れもあるのよ?」

「私なら大丈夫です。姉さんこそ、しっかり指示してあげてください。これから目になるんですから」

 その間にも重巡棲姫は艦載機を突破して、再び鳥海たちに迫りつつあった。
 高雄も意を決して、離れた第八艦隊の艦娘たちに作戦の説明をし始める。
 姫の放った砲撃はまだ外れたままだが、一射ごとに正確になっていく。

「次の弾着が終わったら行きます!」

「了解! 頼むわよ、鳥海!」

「頼まれました!」

 鳥海は後方を確認すると、浅く息を漏らす。
 高雄の横顔を見て、最後になるかもしれない言葉を伝える。

「姉さん。月並みですけど……信じてくれてありがとうございます」

「そういうのは無事に帰ってきてから言いなさい……」

「はい。でも姉さんもみんなも信じてますよ。でないと、できませんので。こんな無茶は」

 水柱が鳥海の前後に合わせて四つ生まれる。挟叉弾だった。
 このまま行けば次は直撃弾かもしれないが、鳥海は弧を描くように右回りで後ろへ――重巡棲姫へと向き直る。
 損傷による重心のズレを意識し、出力が落ちた缶の調子を気にし、艤装を失って手持ち無沙汰気味の左手でペンダントを握り締めた。
 大丈夫。すぐ後ろには姉さんがいて、もっと後ろには他の仲間もいる。私は一人で戦うわけじゃない。
 だから進む。だから下がらない。難しいことは何もないんだから。

「第八艦隊旗艦、鳥海! 行きます!」

 現時点での最大速力は二十七ノット。損傷により本調子ではないが、それでも普段以上に艤装が力強いように鳥海は感じていた。
 一度は開いた距離を自ら近づきながら、彼女は再び姫へと戦いを挑んだ。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 高雄から作戦内容を説明する通信を受けて、ローマは隊列の組み直しを指示していた。
 島風を先頭に駆逐艦が縦陣による突撃隊形を作ると、最後尾には火力支援のためにリットリオが就く。
 防衛線を形作る残存艦隊を撃破し突破するのが、彼女たちの役目だった。

 指示を出したローマは速度を二十ノットに合わせて武蔵と並走する。
 ローマの艤装は中破判定されるだけの損傷を負って速力が落ちているのもあるが、それ以上に砲撃諸元のズレを少しでも小さくするという理由のほうが大きい。
 二人が重巡棲姫への長距離砲撃を担っていた。
 最後列には艦載機を全て放ったヲキューがいる。

「私が第一、第二主砲で十五秒間隔で砲撃。その諸元を修正してから武蔵が一斉射。あとは順次斉射でいいわね」

「ああ、それでいい」

 砲撃の段取りを打ち合わせれば、あとは高雄からの砲撃命令を待つばかりだった。

「それにしても目視できない相手への砲撃なんて……」

 残存艦隊に対応するために、二人の前方に位置するリットリオが言う。
 驚いてるとも呆れてるとも取れる口振りだったが、武蔵はなんでもなさそうに笑い返す。

「電探射撃の応用と考えればいいさ。固定目標でないのが難しいところだが」

 例外はあるものの、艦娘と深海棲艦の砲雷撃戦は五キロ圏内で行われるのが常だった。
 艦娘の身長では水平線までの距離、およそ五キロまでしか見通せないためだ。
 しかし本来の有効射程距離はもっと長い。

 それを有効に生かせたのが、と号作戦時のような対地攻撃だった。
 もちろん海上でも、相手の位置座標が分かっていれば狙うことはできる。
 ただ対地攻撃の目標というのは固定目標かつ大きい場合がほとんどで、多少狙いから逸れても有効だが、深海棲艦相手となればそうもいかない。
 目視外の距離から狙うには小さく速すぎる。
 それを補うために観測機と電探を併用しての射撃を行うのだが、深海側のジャミング能力が増強されたのもあり安定性には欠けていた。




「姫の動きなら鳥海が抑えてくれるでしょ。観測も高雄がしてくれるから、その点は心配しなくていいはずよ。要は当てられるかは私たち次第よ」

 当然のように言ってのけるローマに、リットリオは感激したように言う。

「ローマがそんなに素直に人を評価するなんて……ザラにも聞かせてあげたい!」

 リットリオに言われてローマは頬を赤くする。

「っ……そんなことより姉さんはそっちをお願いね。私も武蔵も砲撃されようが雷撃されようが、こっちに集中したいから」

「うん、露払いも護衛もお姉ちゃんに任せて!」

「はぁ……姉さんってば調子いいんだから」

 そんな二人のやり取りを見聞きしていた武蔵はしみじみと言う。

「姉か……うん、姉妹とはいいものだな」

「他人事みたいに言って。あんたも姉さんと妹がいるんでしょ。有名な大和が」

 口を尖らせるようなローマに、武蔵は苦笑いで答える。

「艦娘になって、まだ一度も会ったことないんだ。だから、どんなやつかも分からん」

「……いつかは会えるわよ」

「そうだな。気が合うといいんだが」

 その話はここで終わった。今為すべきは別のことだ。
 ローマは改めて指示を出す。

「駆逐艦たち。あんたたちは残存艦隊を突破したら、鳥海と高雄の救援に向かいなさい。どうせ無茶しすぎて、護衛無しじゃ帰ってこられない状態になってるだろうから」




 程なくして、高雄からの砲撃命令が伝えられる。
 ローマは返答として、稼動する第一主砲を仰角を高めにして発射していた。
 それを合図にして島風たちも突撃を始める。
 最後尾にいたヲキューがローマたちの前に進み出ると、そのまま島風たちに追いすがろうとする。
 駆逐艦の縦列の中で最後尾にいた長波が近づいてきたヲキューに気づく。

「何やってんだい、ヲキュー? 後ろにいないと危ないぞ」

「私モ行ク……空母ガ飛ビ出シテキタラ……ドウ思ウ?」

「そりゃあ、いい的だとしか……囮でもやろうっての?」

「大丈夫……私ハ巡洋艦ヨリシブトイ」

「そういう問題かぁ? どうする、島風?」

 話を振られた島風は後ろを振り返るが、すぐに正面に視線を戻す。

「ついてくるのはいいけど、先行するのはなし。それならいいよ」

「アリガトウ……」

「それでいいですよね、ローマさん」

「……その子の好きにさせてあげなさい。面倒は嫌よ」

 無愛想に答えるローマだが、ヲ級の安全をまったく気にしてないわけでもない。
 ただ高雄からの砲撃命令が届いた以上、そちらに意識は切り替わっている。
 だからヲキューのことはひとまず他に任せてしまおうと考えた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は砲撃を交えながら、重巡棲姫へとより接近していく。
 砲火の応酬の中、重巡棲姫は愉快そうに笑う。

「ヤケニナッタカ!」

「あいにく水雷戦の本領は接近戦なので……!」

 迫る砲撃をかいくぐりながら、鳥海は砲撃を連続して重巡棲姫へと当てていく。
 肩や腹に当たった砲弾が姫の体を削り、金色の輝きを撒き散らす。
 すぐに二本の主砲が撃ち放しながら、姫を守るように前面に並ぶ。

 砲撃を避けつつ側面を取ろうとする鳥海だが、避けきれずに一撃を受ける。
 体ごと後ろに押し返されるような衝撃と、艤装が潰れそうになるのを骨に感じた。
 着弾の轟音が耳を襲い、肌にかかる水が熱い。明らかに不正な振動が体を揺さぶる。
 しかし鳥海は衝撃を振り切る。
 帽子や探照灯、衣服の端が衝撃で吹き飛んでいたが、大きな損傷もなく砲撃を凌いでいた。

「フン……艦娘ノ考エルコトハ同ジダナ……助カラナイト悟レバ……スグ突撃シテクル!」

「勝ちを捨ててるつもりはありません!」

「ナラバ、モウ一度沈メエ!」

 さらに互いに撃ち合う。鳥海の砲撃が姫の艤装の一角を削り飛ばすと、逆に姫からの砲撃を紙一重で避ける。
 すでに夜戦距離に入っているので、この先の被弾は一発でも命取りになりかねなかった。
 鳥海は深く息を吐く。緊張はしてるけど、体を強張らせる類じゃない。

 耳が自分とも姫とも違う砲弾の飛翔音を聞きつけた。
 それは空気を裂きながら、姫の後方の海面に落ちると三つの盛大な水柱を生じさせた。
 ローマさんかリットリオさんのどちらか……。
 水柱の大きさと太さからイタリア艦だと鳥海は当たりをつける。
 いつもより水柱が高く思えるのは、俯角がついてる影響かもしれない。




「戦艦砲ダト……狙イ撃ツトイウノカ、私ヲ……!」

 驚きと怒りなのか、重巡棲姫の声が震えている。
 鳥海は頭の中でカウントを始めた。この場で撃ち合う以上、弾着までの秒数を計算しておく必要があった。
 さらに数度の撃ち合いをしていると、次の砲撃が降り注ぐ。
 今度もイタリア艦からの艦砲射撃で、最初よりは姫に近い位置に着弾していた。
 そうしてやってきた三射目は前二つよりも激しかった。
 武蔵が放った四十六センチ砲は重巡棲姫の間近、そして鳥海の付近にも落ちた。
 九つの砲弾によって地震が起きたかのような揺れに見舞われるが、鳥海は引き倒されないようにこらえる。

「オノレ……同士討チガ怖クナイノカ!」

「怖くないわけないでしょう!」

 言い返しながら砲撃する。狙い澄まそうとしていた主砲の頭部に当たると、体勢を崩させる。
 もしも一発でも戦艦たちの主砲が誤って鳥海に命中しようものなら、鳥海も終わりだった。
 それでも鳥海は退こうとしない。怖いという気持ちより、ここで姫の足を止めるという意思のほうが強かった。

 互いに命中弾を出せないまま、さらに数度の砲撃が降り注ぐが水柱を立てるだけに終わっていた。
 こっちももっと攻めて足を止めさせないと。
 チャンスはやがて訪れた。
 徐々に正確になっていく砲撃から逃れようと、弾着のタイミングに合わせて姫は右に舵を切る――その時には鳥海も予想針路に向けて魚雷を投射していた。

 扇状に放たれた魚雷が姫の体の下に潜り込んで消える。
 一拍置いても何も起きない。外れてしまった……と鳥海の胸中に過ぎった瞬間、重巡棲姫の足元が爆発した。
 その衝撃にほんの短い間だが、姫の体が空中に投げ出される。
 鳥海は投げ出された足先が砕けたようになっているのをはっきりと見た。




 魚雷の爆発に翻弄された重巡棲姫が、鳥海に憎悪のこもった視線を向け、怒りに燃えた咆哮をあげる。

「キサマアアアアア!」

 大気を鳴動させるような大声に、鳥海は思わず両耳を押さえてしまう。
 初戦時からの対策として、耳のインカムから姫の声を打ち消す周波数が出るようになっていたが、実際は焼け石に水にすぎなかった。
 より大きな波である姫の声が他の音を呑み込んで、耳をつんざき苛む。
 その最中、重巡棲姫の主砲が鳥海へと狙いを定めるように動く。
 三半規管が揺さぶられたことによる酔いに似た不快感を我慢しながら、鳥海はなんとか舵を切りつつ主砲で反撃を試みようとする。

 だが、どちらも主砲は撃てなかった。
 両者の間にいくつもの水柱が生じたからだ。外れた主砲弾によるものだが、姫よりも鳥海の近くに着弾していた。
 弾着によって生じた荒波に鳥海は落ち葉のようにあおられる。だが、それによって姫の砲撃が外れていった。
 命拾いしたという思いを抱え、ふらつきをごまかすように頭を一振りすると鳥海は重巡棲姫に追いすがる。
 外しようのない距離からの砲撃が姫の体に少しばかりの傷を負わせ、姫の砲撃が右の艤装の側部についた主砲を基部から根こそぎ抉り取っていく。

「撃てるのはこれで四門……」

 魚雷も使い切って、主砲も連装砲塔を三基失っているから火力は半分未満。艤装もひどい有様になってる。
 それでも重巡棲姫もまた消耗し、鳥海よりも速度が鈍っていた。
 鳥海は側面に回り込みながら、小さくカウントを刻む。そろそろ次の艦砲が来るはずだった。

「五、四、さ――」

 鳥海の計算より二秒ほど早く武蔵の放った主砲弾が到達する。
 今度の砲撃は極めて正確だった。
 姫を包み込むように水柱が生じ、恨みがましい姫の声が砲撃音にも負けずに聞こえてくる。
 やがて水柱が収まった時、重巡棲姫は額の二本角の長い方が半ばで折れ、腕や体、そして白い主砲たちの至る所にもひび割れが生じていた。
 傷口から金色の光を流す姫は、なおも敵愾心を向けていた。

「ヨクモ……ヨクモ……ヤッテクレタナ! オ前ハココデ……!」




 重巡棲姫が鳥海に接近し、鳥海もまた下がるどころか前に出ていた。
 少しずつ速度を上げると、右手側から回り込みながら懐に飛び込もうと近づいていく。
 それを迎撃せんと重巡棲姫の主砲たちも動く。
 より近い左の主砲が鳥海へと急速に迫る。
 長砲身を角のようにして突っ込んできた頭を、鳥海は減速しながら左手と体を横から押し当てるようにしながら外へと受け流す。
 擦れた勢いで手袋が破れ、肌からは血が流れるのを痛みとして感じる。鮫肌のような感触だとぼんやり思う。
 それでも鳥海は右手で艤装を操作すると、残る四門を主砲の横に押し当てて――撃った。
 至近距離からの砲撃と爆炎を受け、主砲が海面に打ち据えられると痙攣して起き上がらなくなる。

「ヤッタナ、艦娘ゥ!」

 後退しようとする鳥海に向かって、残った右の主砲が砲撃しようと前へと動いてくる。
 ……そう。離脱するように見せれば、頭に血が上っている姫は必ず追撃に移ろうとする。
 足のスクリューを後進から前進へと切り替えると、鳥海は艤装を握った右腕を引き絞ると殴りつけるように前へと突き出す。
 その先には白い頭の口があり、連装砲の一基が口内へと押し込まれる。
 砲身をくわえ込んでしまった主砲が身じろぎし、姫が明らかにうろたえて目を見開く。

「これなら狙いは必要ないですね……!」

「ナッ……ヨセ、ヤメ――」

「主砲、てー!」

 重巡棲姫の主砲が後ろに引き伸ばされるように膨らむと、泡が内側から生じたように表面がぼこぼこと細かく浮き上がる。
 そうして膨張した肉塊が姫の腹付近の結合部付近から破裂すると、炎と金色の液体をまき散らす。
 連鎖的に起きた小爆発がそれもすぐに呑み込み、溶岩が出現したような大爆発が起きる。
 その爆発に鳥海もまた吹き飛ばされ、海面へと叩きつけられた。

 前後不覚に陥ったまま、鳥海はぼんやりと空を見上げる。
 しかし爆発の衝撃で、一時的に視力と聴力に支障をきたしたために、そうしていることさえ認識できないままでいた。
 至近距離での爆発は鳥海と艤装も摩耗させている。
 口内に突っ込んだ二門の砲身は溶断され、残る二門も爆発の衝撃で歪んでいた。
 艤装の損傷もいよいよ壊滅的で、かろうじて浮かんでいるだけだった。




 少しずつ意識を取り戻し始めた鳥海は、上空を砲弾が放物線を描くのを見た。
 それが砲撃だと漫然と思い、時間の存在を意識した。
 そんな鳥海の首に腕が伸びる。重巡棲姫の左腕だった。

「帰レナイ……帰レルカ分カラナイジャナイ……ドウシテクレルノ? ドウシテクレルノ! ドコニ帰レバイイノオオッ!」

 半ば錯乱した重巡棲姫が鳥海の首を締めると、その膂力で持ち上げた。
 かなり消耗している姫だが、それでも鳥海一人ではとても引きはがせないだけの力を残していた。
 混沌に揺れる目をしていた鳥海だが、急速に瞳が色を取り戻す。
 状況を飲み込みきれていない頭でつぶやく。

「重巡……」

「黙レエ! シャベルナア!」

 首が締め上げられ、鳥海は苦悶の声を漏らす。
 重巡棲姫の右腕や腹部は黒炭のようになっていて、そうでない部分も深いひび割れが生じていた。
 金色の輝きも薄れつつあり、腹部から繋がっていた二つの主砲は当然ない。

「マダ戦艦ガ狙ッテルノヨネエ……イイワ、沈ンデアゲルワァ……艦娘ガ艦娘モ沈メルノヨ」

 引きつったような笑い声を出すが、すぐに姫はむせてそれをやめる。

「弾着マデ何秒カ、計算シテミナサイ。ソレガオ前ニ残サレタ時間ヨ!」

「――あと二十秒」

 声を振り絞って鳥海は重巡棲姫の目を見返す。
 重巡棲姫は呆然としたような顔をしていた。予想外の反応といった風に。

「たぶん……こうしてる間にも十五秒を切ったわよ、重巡棲姫――あなたが終わるまで」

 宣告のような声を受けて、目覚めたように重巡棲姫は一転して怒りに任せた声を浴びせる。

「殺シテヤル! 今スグクビリ殺シテヤル!」

 喉が締めつけられて、体の内から鋼がきしんで瓦解してしまいそうな音が響いてくる。
 苦しそうに顔を歪める鳥海を前に、姫はけたたましい哄笑をあげはじめる。
 それでも鳥海は気丈に見返す。
 気づいたんだ。ここで終わるとしても、私はお前が望むような反応なんかしてやらない。




「沈メ! モロトモ沈メエエッ!」

 指に込められた力が強くなる。最期だとばかりに。
 その瞬間、爆ぜる音と風が生まれて姫の笑い声をかき消した。
 鳥海は首への圧力が緩むのを感じたが、同時に耳鳴りにも見舞われる。
 瞬間的に平衡感覚を失った体だけど、抱きかかえられたらしいのがなんとなく分かった。

「姉、さん」

 呂律が回ってるのか疑わしい声が出てくる。
 見上げた先の高雄の顔は凛々しかった。

「レイテの焼き直し? そんなことが本当に起きると? 起こさせると? バカめと言って差し上げますわ!」

「揃イモ……揃ッテエッ!」

「この私がいる限り、あんなことは絶対に繰り返させません!」

 今にも吠え出しそうな重巡棲姫に、高雄の主砲がダメ押しのように放たれ動きを封じる。
 怯みながらも重巡棲姫は吠える。怨嗟の声こそが己の証明だとでも示すかのように。
 重巡棲姫はもう一人の鳥海の仇で。姉さんたちや私を、他の誰かを沈めようとしている敵。
 だとしても……彼女を哀れに思った。思ってしまう気持ちを止められない。
 そう受け止めてしまう私の感情こそ、重巡棲姫は許せないのだとしても。

 ついに弾着の時間になった。
 大気を切り裂く飛翔音ごと、巨人の拳のような砲弾が降り注いでいく。
 そして私は確かに見た。重巡棲姫が砕かれて壊れていくのを。




─────────

───────

─────


「……こんな無茶をするのなら、一人で行かせるべきじゃなかったわ」

 高雄は鳥海を抱きしめるようにして言う。
 鳥海は言葉もなかった。代わりにできるだけの力を込めると姉を抱き返した。

「……提督がいたら、絶対に今のあなたを叱りつけるわよ。だから、あんな真似はもうしないで……」

 小さく頷く。約束はできない。でも姉さんの言ってることは正しい。
 やっぱり私は何も言えなかった。
 申し訳なくて視線を下げると、司令官さんの指輪が胸元で光っているのが見えた。
 あれだけの戦闘後でも無事なのには、加工してくれた夕張さんにひたすら感謝するしかない。
 ただ、太陽を照り返しているのか、いつになく光って見えるのが気になった。
 何かを訴えかけてくれてるかのようで。

 鳥海は気づいた。
 高雄の背後に金と白のまだらな姿が現れたのを。重巡棲姫の主砲だった。
 傷だらけの主砲は鎌首をもたげ大口を開く。
 高雄も危険に気づくが、鳥海はぽっかりと開いた口の中も金色に輝いているのを見る。

 ――だけど主砲は私にも姉さんにも届かなかった。
 錫杖を右手に握り締めたヲキューが主砲の頭を横殴りに弾き飛ばしていたから。
 最後の力だったのか、主砲は続いて何度かの振り下ろしを受けると、動かなくなって海中に没していった。

「ヲ……無事デ何ヨリ……」

「あなたこそ……」

 高雄が息を弾ませながら応じる。
 ヲキューは左腕を肩から流れる黒ずんだ血と一緒に垂らしていた。

「先に行くなって言ったじゃない! 被弾までしてるのに!」

 島風の声が聞こえる。無線ではなく、大きな声での呼びかけが。
 本当に戦闘が終わったんだと、私はやっと安心した。

「島風を……怒らせたらダメですよ……」

「ヲ……」

 困ったような顔のヲキューを見ると、なんだかおかしかった。
 ……結果で語るなら、この戦闘で私たちは初めて姫級の撃沈を果たした。
 だけど達成感はない……少なくとも私には。
 私にあったのは、ただただ疲労感とやり場のない倦怠感ばかりだった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ネ級はツ級に担がれたまま意識を取り戻した。
 ただし頭の右側を失っているために、半ば夢の中にいるようでもあった。

「私ハ……」

「ヨカッタ……起キテクレタ……」

「ツ級……オ前タチモ無事ダッタノカ」

 主砲たちが普段よりは控えめにネ級に頭をすり寄せてくる。
 ネ級は主砲たちを労うために手を伸ばそうとして、自分の体に剣が刺さったままなのに気づいた。胸から柄が生えている。
 断片的だがネ級は覚えている。自分が衝動に取り憑かれたまま、艦娘たちと交戦したのを。
 ネ級が動こうとしているのを察したのか、ツ級が言う。

「ココデ無理ニ抜イタラ……出血ガ止マラナクナル……カモ」

 ネ級はその言葉に従った。痛みを感じていないというのもある。
 目を閉じたネ級は代わりに強烈な眠気に襲われる。
 夢うつつのまま、意識できないままに言う。

「俺ハ……愚カナノカモシレナイ。大切ニシテイタモノヲ……自分カラ……私ハ……」

 傷つけてはならないものを傷つけてしまったのではないだろうか。
 まどろみの中にネ級の感情は溶け始めている。元より、ネ級はまだ後悔も悔恨も明確な形では知らない。
 ツ級はネ級の不安定さには気づいていたが、それを当人にも含めて口外する気はなかった。
 代わりに彼女は本心を覗かせた。

「ソレハ私モ同ジ……私ハキット元ハ艦娘ダッタ……アナタモソウダッタノ? ネ級……」

 ネ級は答えなかったが、ツ級の言葉はしっかり聞いていた。
 まどろみの中、艦娘という単語に刺激されてネ級はささやくように誰かの名を呼んだ。
 ツ級は確かに聞こえた、その名を呼び返してみる。

「チョウ……カイ?」

 ツ級は何故だか胸が痛かった。理由は分からない。もう一度声に出してみると、やはり痛いと思えた。
 一つ思ったのは、その名がネ級に根ざす何かと結びついてるということ。
 あの時――最後にネ級と戦っていた艦娘だろうかとツ級は考えたが、それは正しくないような気がした。
 名前が意味するところは分からないままだが、きっとネ級には重要な意味を持つのだろうとツ級は漫然と考える。
 その意味が分かった時、ネ級はもう手の届かない場所に行ってしまうのかもしれない。
 ネ級の主砲たちが小さく鳴く。不安げな声は潮風の中に消えていった。



 六章に続く。


ここまで
たぶん書いてなかったと思いますが、全部で七章仕立てになってるので残りは終盤戦です
あとはそれぞれが決着をつけていきましょうって、そんな感じで。長々となってますが、まずはここまでありがとうございました
もう少しだけお付き合いいただければ幸いです

乙です

乙乙
あともう少しか

乙乙
いよいよクライマックスか…

乙ありなのです。妙に空いてしまいましたが、そろそろまたがんばろうってことで……



 提督と艦娘、艦娘と深海棲艦。
 私たちにはいわば立場があります。どう出会うかは立場によって左右されるんだと思います。

 彼女と実際に出会ったのは戦場の最中でした。
 必然であれ偶然であれ、そんな場で出会ってしまえば何が起きてしまうかは……。
 私たちの間には血が流れるしかなかったのかもしれません。
 たとえ望まずとも。

 だけど、こうも考えてしまうんです。
 もう少しだけ違う出会いかたをして、ほんのちょっとだけ別の言葉をかけていれば。
 私たちには異なる可能性もあったのかもしれません。

 出会いがあれば、もちろん別れもあります。
 別れを決めるのは出会いかたじゃなくて、どう交わったかなんだと思います。
 もし違う交わりかたをしていれば、結末は違ったのかもしれません。
 ……別れが避けられないのだとしても。




六章 面影の残滓



 二月。日本なら冬の厳しい寒さが続きながらも春の兆しが見受けられる時期だが、赤道に近いトラック泊地では縁のない話だ。
 冷房のやんわり効いた執務室で、提督は秘書艦の夕雲から諸々の報告を受けていた。

「……以上が現在の各種資材の備蓄量になりますね」

「せっかく先代が貯蓄していた修復材をごっそり放出することになるとはな」

 ぼやく調子で言いながら、提督は差し出された報告書を前にため息をつく。
 つい数日前までトラックに寄港していたラバウル行きの輸送船団には燃料や弾薬は元より、食料や真水、衣類などといった品目に加えて、高速修復材が積み込まれていた。
 大部分は本土からの輸送品だが、修復材に限ってはトラック泊地が備蓄していた分もかなりの量が提供されている。

「各島に分散していた分まで回収しましたからね」

 夕雲はなだめるように笑ってから、つけ加える。

「でも向こうの戦況を考えれば仕方ありませんよ。それに先代でも同じようにしていたはずでしょうし」

「……やっぱりラバウルは苦しそうか?」

「夕雲たちトラック艦隊は無事に引き上げられましたが、苦しい状況のままだったのは確かですね。私たちもかなりの被害を受けましたし」

 言われて提督にはとある顔が思い浮んだ。
 ようやく艦娘の名前と顔が一致するようになっていた。

「大井が無事でよかった」

「ええ、もう少し応急処置が遅れていたらどうなっていたのか……」

「大井や鳥海、他も手酷くやられて……しかも、ウチの被害はそれでも軽い方だからな」

 ガダルカナル島の攻略を目指した廻号作戦は、第二段階であるブイン・ショートランドを拠点化するための進出を果たしていた。
 また二段階作戦時にベラ・ラベラ島近海やソロモン海側でそれぞれ生起した海戦では、重巡棲姫や複数のレ級といった多くの深海棲艦を撃沈している。
 しかしながら激しい戦闘により、ソロモン海側では歴戦の艦娘も含んだ少なくない数の喪失艦を出すなど被害もまた大きい。




「送り出すだけ送り出して、ただ待つしかないのも気を揉むな……先代が前線に出たがった気も分かる」

「提督。夕雲も先代が前線に出るのを嫌がった鳥海さんの気持ちが分かりますよ?」

 釘を差す一言に提督は曖昧に笑い返す。
 ラバウルのみならずブインとショートランドも抑えてはいるが、盤石とはとても呼べない状態だった。
 少なくない艦娘が現地に防衛戦力として留まる中、トラック所属の艦娘たちはトラックへと帰還している。
 ラバウル方面に戦力が集中しすぎていたし、輸送路の中継点であるトラックの守りが疎かになっていると判断されたために。

「ラバウルもせっかく占領したのにブインらともども毎日空爆されて、輸送船団の航路には潜水艦隊が跳梁するようになった。まさに消耗戦だ」

 状況をまとめた提督は、思い立ったように夕雲に聞く。

「あのヲ級改とでもいうような深海棲艦はどんな様子だった?」

「ヲキューさんですか? 不審な点という意味でしたら特には。むしろ積極的に協力していたぐらいですよ」

 夕雲は人差し指を口元に当てると、ほんの少しだけ目を細める。
 そうすると少女らしい見た目の夕雲に、大人の女としての色が立つように提督には見えた。

「何か気がかりでも?」

「いやなに、鳥海は自分で面倒を見ると言ったが、本当のところはどう見えるか他の意見も聞きたかったんだ」

「ああ……そういう。同じ船に乗りかかったからには一蓮托生ですよ。ここだけの話、初めは連れていくのもどうかと思っていましたけど」

 夕雲は悟ったように首を振る。

「でもヲキューさんも自分の居場所を守るためには戦うしかないのでしょう。ですから提督、あの子も夕雲たちとあまり変わりませんよ」

 提督は何か言いたげに口を開いたが、そこからは言葉が続かない。
 やり場がなさそうに提督は夕雲から視線を逸らしていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海たちは作戦室を借りて、廻号作戦の反省会を行っていた。
 先日の海戦に参加していた者だけでなく、扶桑と山城に白露型からは時雨や海風も話を聞こうと会に加わっていた。
 海図や航空写真を貼りつけたアクリル板の前で、鳥海が進行役をする。
 まずはヲキューの運用方法や海戦全体での行動の見直しとなり、やがてネ級とツ級の話題へと移っていく。

「ツ級からですが、実際に交戦した球磨さんたちからお話をうかがいたいんですが」

「何度か話が出てるけど防空巡洋艦クマ。摩耶が機銃で身を固めてるなら、あっちは両用砲で弾幕を張ってくる感じクマ」

「砲戦の時は速射でこっちの出足をくじいたり退路を塞ごうとしてきたにゃ。こっちの動きをよく見てたということにゃ」

 球磨と多摩がそれぞれの印象を語ると、球磨が後ろの席に座る北上と大井に振り返る。鳥海もそれを自然と目で追う。
 ちょっと前よりも二人の距離は、さらに近づいたように見える。たぶん気のせいじゃない。
 大井は先の海戦にてネ級の攻撃でかなり危険なところまで追いこまれていたが、なんとか九死に一生を得ていた。
 それが二人には作用しているのかもしれない。身近な存在がそばにいる大切さとして。

「北上たちはどう思ったクマ?」

「うーん、攻めるのは得意だけど攻められるのは苦手なのかも。あたしと大井っちで撃ち合ってた時はそんなに怖くなかったかな」

「二対一というのを差し引いてもそうでしたね。砲撃に専念されると厄介でも、早い内からしっかり狙っていけば、そこまで難しい相手じゃないはずよ」

「となると艦載機でしかける時が問題だよね」

 飛龍が横から言う。
 ツ級については、やはり艦載機への打撃力が大きいのが何よりの特徴になる。
 そして、これは分かったところで簡単に手を打てるような話でもなかった。

「もし敵艦隊にツ級がいたら、最優先で狙っていくしかなさそうですね」

「だね。無傷とはいかないだろうけど、ほっとけばほっとくほど被害が出るなら早いうちに叩いてしまわないと」

 それが艦載機への被害を減らすことになり、総合的には航空戦力の維持にも繋がるはずだった。
 ひとまずの結論が出たと見て、鳥海はネ級の話へと進める。




「ではネ級のことですけど……」

「強敵にゃ。いくら未知の相手でも、単体であそこまでやられるとは思わなかったにゃ」

「次に会ったらギッタギッタにしてあげましょうかね。そうするだけの理由もあるからねー」

 多摩と北上がすぐに声に出す。
 実際、ネ級の戦闘力は予想以上だった。
 先の海戦における球磨たちの被害は大井と木曾が大破、球磨と多摩、嵐が中破という惨状で、ほとんどがネ級からもたらされている。

「どういう敵なんです? データとかあれこれは拝見しましたけど」

 重巡棲姫と同じく自立した生き物のような二つの主砲に、三十八ノットはあろうかという快速に軽快な運動性能。
 特殊な体液をまとっているためか非常に打たれ強く、身体も強靱で四肢そのものが一種の凶器となっている。
 そういった性質からか接近しての戦闘……それも至近距離での戦闘を好むらしい。現に木曾とはサーベルと素手とで格闘戦を行っている。
 重巡棲姫との戦闘を振り返ると、自分との共通点を見いだしてしまうような気持ちで鳥海はなんとなく嫌だった。

 鳥海はそういった情報を挙げてきた木曾が、反省会が始まってからずっと黙ったままなのに気づいている。
 退屈してるとかではなさそうで、話はちゃんと聞いているようだけど。
 不審には思っても、話を振って聞き出すきっかけを見つけられずにいた。

「獣みたいなやつだったクマ」

「獣のように動くやつにゃ」

「動物っぽい姉さんたちがそれを……いえ、確かにその通りでしたけど」

 球磨、多摩、大井の意見は一致していて、鳥海は獣らしいという印象を強める。
 イ級のように人型と呼べない相手もいるけど、獣のように感じたことはほとんどない。
 そうなるとネ級はやはり異質なのかもしれない。




「そんなやつだから動きが読みにくいにゃ。いきなり狙う相手を変えたり、魚雷に向かって跳ねて避けようとしてたにゃ」

 多摩はそこで首を傾げ、鳥海は不思議に思った。

「どうしたんです?」

「……ツ級を守ろうという意思はあったような気がするにゃ。多摩と木曾と撃ち合ってたと思ったら、急に離れたところにいた北上たちに向かっていったにゃ」

「なるほどなー。言われてみれば」

 北上も大きく頷く。

「確かにネ級がこなければ、あと一押しでツ級を沈めていたはずだよねえ」

「となるとツ級の危険を察知して矛先を変えた……?」

「でないと説明がつかないにゃ。木曾はどう思うにゃ?」

「え? ああ……うん、たぶんそうじゃないかな」

 話を振られた木曾は驚いたような顔をしてから応じる。
 木曾さんにしてはずいぶんと歯切れが悪くて、これでなんでもないというのは無理がある。

「ちゃんと聞いてたにゃ?」

「聞いてたよ。あのネ級は確かにツ級を守ろうとしてたしツ級もそうだった……けど、それがそんなに特別なことかよ。深海棲艦だって僚艦の支援ぐらいやるだろ」

 どこか突き放すような調子だった。
 鳥海は木曾に訊いていた。

「何か気になることがあるんですね?」




「……鳥海は何も感じなかったのか?」

「いえ……」

 鳥海は正直に首を横に振った。
 こういう遠回しな言いかたを木曾さんがする時は、一種の決まり事がある。司令官さんの話をする時だけ。
 ……分からないのは、どうしてこのタイミングでそんな話が出てくるのかということ。
 寂しげに肩を落とした木曾だが、すぐに思い切ったように手を挙げた。
 鳥海が促すと木曾はすぐに話し始めた。

「俺が思うに、あのネ級は短期決戦型だ。おそらく高性能と継戦能力が両立できてないんだ」

「そう考える根拠は?」

「まず対空戦闘でどのぐらい弾薬を消費してたかは分からないけど、砲戦の途中で弾切れを起こしていた。一会戦で尽きるってのは、元の搭載量が少ないからだと思う」

「それは確かに早いですね……」

「それから、あの黒い体液だ。あれはたぶんあいつ自身の血だよ。これはヲキューにも訊きたいんだけど、あんたたちの血は装甲みたいに硬くなったりするのか?」

 後ろのほうに座っていたヲキューに視線が集まる中、彼女は否定した。

「ソウイウ話ハ聞イタコトガナイ……モシソウナラ……ネ級ガ特殊ナ個体ダトイウコト」

「そうか……でも俺は確信してるよ。あのネ級は血を流しながら戦ってるんだ。そんなやつが長時間戦えるとは思えないな」

 木曾の話はまだ仮説の域を出ていないが説得力がある。
 一度きりの交戦で断じるには早すぎるが、対策の指針にするには十分だった。




「つまり持久戦に持ち込んで消耗を待つのが一番、ということですね」

「……ああ。あいつもそれを知ってか知らずか、無理やり突っ込んできて混戦にしようとするんだけどな」

 鳥海の言葉に木曾は肩をすくめて応じる。相変わらず表情は浮かないままで。

「それにあいつはもしかすると……」

 木曾は何事かを言いかけてやめてしまう。
 俯きがちの顔は明らかに何かを隠している。
 しかし鳥海はこの場で追求しなかった。言いたくない以上は、あとで個人的に聞いたほうがいいと考えて。

「あなたからはどう、ヲキュー? ネ級とツ級について」

「……分カラナイ。ツ級トネ級ニハ会ッタコトハナイシ……聞イタコトモナイ」

 一通りの意見が出てしまうと、ネ級についての話はなくなった。
 反省会全体でも、あらかたの意見が出尽くした感があったので、これで打ち切りという流れになっていく。
 鳥海が終了を告げようとしたところで、いきなり木曾が席から立ち上がった。

「待ってくれ、やっぱりみんなに聞いてほしいんだ」

 木曾は居合わせた一同を見回して、そして鳥海を正面に見る形で止まる。
 その顔に焦燥をにじませて。

「あのネ級は……提督かもしれないんだ……」

 まるで助けを乞うかのように弱々しい声で告白した。


短いけど、ここまで。次はなるべく早く

乙です

乙乙

乙ありなのです。やはり短いですが



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 男と女がいた。男は人間で女は艦娘だった。
 二人はどこかの部屋で向かいあって話していたり、何かの紙片をまとめたりしている。
 またある時には別の場所で笑いながら何かを食べていた。
 声は聞こえてくるが、何を話しているのかはあまり分からない。
 それでも男のほうの考えは分かるような気がした。

 二人は港から海を見ていることもあれば、女が洋上で訓練しているのを男が遠くから眺めていることもあった。
 雨が降った日には並んで空を仰いで、夜空に星々が瞬けば祈るように天を見上げる。
 太陽が身を焦がすのなら、月は思いを研ぎ澄ませた。

 女が男に本を渡すと、男は一人になった時にそれを真剣に読んだ。楽しみながら考えて。
 あとになって女と本の内容をしっかり話しあっていた。

 話しあってといえば、海図と駒を前にどう動かすかで盛り上がっていたことがある。
 どちらかといえば女のほうが話したがっていて、男は疲れた顔を隠しながらも満更でもなさそうだった。

 必ずしも二人の間が順調とは限らない。
 意見がぶつかっているらしいこともあれば、男が女の過ちを指摘することもある。
 逆に女が男の落ち度をとがめるたり、二人揃って何かの失敗をしでかすこともあった。
 失敗は時として誰かの命を脅かすこともある。己であったり他者であったり。

 それでも二人は進んでいく。
 手が絡まれば心がふれあい、変化がもたらされていく。
 変化を受け入れれば、少しずつ自らも変わる。それはさらに別の変化を呼び込んだ。
 そうして男と女の間には時間が折り重なっていく。
 積み重なって育まれた想いは、輝いて見えた。

 ある時、男が女に何かを手渡した。
 それは小さくて丸い指輪で、他の艦娘たちも同じ物を渡されている。
 だけど、どうしてだろう。その二人の指輪だけは何かが違う。
 見た目は何も変わらないのに何かが……。

 やがて気づいた。
 これは私の頭の中にいる誰かの記憶なのだと。
 記憶は足跡だ。砕けてもなお色あせない思い出を拾い集めていく。
 私はそうして集めた記憶を夢見ていた――。


きた!



─────────

───────

─────


 頂点に昇った太陽が照りつく中、湿った風が体にぶつかっていく。
 火照った体を冷ましていく感覚を心地よいとネ級は思う。
 つい一時間ほど前まで装甲空母姫の下、複数のレ級たちと条件を変えながら模擬戦を行っていた。
 ネ級には新たに変化が現れていて、金色の光を体から発するようになっていたために。

「モウ体ハ大丈夫ナンデスカ?」

「見テタダロウ? モウイツデモ戦エル」

 身を案じてくるツ級の問いかけに頷く。
 ネ級が目覚めたのは、前回の交戦からおよそ三日が経ってからだった。
 治療用の溶液に満たされたカプセルに入れられていたため、早いうちから傷は治っていたが意識のほうは違う。
 艦娘の攻撃で頭をなかば吹き飛ばされたのは覚えていて、すぐに目覚めなくても無理はないと思えた。
 そのまま二度と目覚めなくても、おかしくないだけの傷を負ったのだから。

「マダ傷モ治ッタバカリナノニ……」

 模擬戦といっても使用するのは実弾だ。装薬量や砲弾の重量を減らし、弾頭も潰れやすいよう手こそ加えられているが、やはり当たれば沈まずとも傷つく。
 光を放つ個体は通常よりも高い性能を有し、さらに赤よりも金の光を放つ個体のほうがより強い。
 どれだけ性能が向上したかを確かめるための模擬戦で、ネ級は単体同士の戦闘ならばレ級が相手でもほとんどは優勢に事を運んでみせている。

 唯一、ネ級が最後まで優勢に立てなかったのが赤い光を放つレ級で、ネ級が意識を持ってすぐに初めて出会ったレ級でもあった。
 純粋に戦いを楽しんでるようなレ級たちの中でも赤いレ級は一際だ。
 その在り様はかえって純粋に思えて、どこかうらやましかった。



「ソレヨリモ……迷惑ヲカケタ。ツ級ガ助ケテクレナケレバ今頃ハ……」

「迷惑ダナンテ……私コソ……ネ級ガイナケレバ……」

「シカシ……」

 どことなく奇妙な空気になる。
 互いにかばいあうような言いかたになって、ネ級は収まりが悪かった。
 その時、潜っていたネ級の主砲たちが海中から飛び出ると、甘えるように鳴きながら身をすりつけてくる。
 今まで主砲たちは腹を空かせていたので、足元を泳ぐ魚を狙っていた。

「ソウダッタ……オ前タチモヨクヤッテクレタ。怯エサセテ……ゴメン」

 下腹部にあたる場所を掻いてやりながらネ級は言う。
 いつもならしつこく感じるふれあいも、変わらない態度の表れと思えばうれしかった。
 そんなネ級の顔にツ級は手を伸ばしてきた。艤装をつけていない彼女の指はほっそりとしている。

「右目ハ……治ラナカッタンデスネ……」

「ハガセバ……見エルカモ」

 ネ級の顔半分は今や固まった体液が甲殻のように貼りついている。
 頭の傷を隠すように広がるそれは右目にも覆い被さっていて、かさぶたのようにも思えた。

「コレハ戒メナノカモシレナイ……自制ヲ失ッタ愚カナ私ヘノ……」

 ネ級は先の戦いの全てを覚えているわけではないが、強烈な衝動につき動かされるままになっていたのは分かる。
 言うなれば――怒りや憎しみを根にした攻撃衝動に。
 しかし艦娘にそこまでの激情を抱く理由は今もって分からない。
 それだけに、何に起因するかも分からない感情に振り回されるのは恐ろしかった。




「……知ッテマスカ?」

 いきなりツ級はそんな風に聞いてくる。
 話は変わるけど、とまるで世間話というのをするような気楽さで。

「艦娘ハ金色ノ深海棲艦ヲフラグシップト呼ンデルソウデスヨ」

「赤イノハ?」

「エリート……ダッタヨウナ」

「ソレ……元艦娘ダッタカラ分カルノ?」

「……ソウカモシレマセンネ」

 苦笑いするような響きだが、ツ級の表情は仮面のような外殻に隠されて分からない。
 退却中に告白されたのは覚えている。
 ツ級は艦娘だった。
 ありえるのかは分からないが、少なくとも本人はそう信じている。
 ネ級としても否定できない。
 自分の頭の中にも別の誰かがいる。それは間違いなく、しかも彼女ではなく彼。




「ドウシテ私ニアンナ話ヲシタ?」

「アナタハ……話ヲ聞イテクレルカラ……私ヲ知ッテホシカッタノカモ」

 ネ級は返答に窮した。
 しかし打ち明けた思いは汲んでやりたいと思う。気軽にできるような内容ではないのだから。

「ネ級ハドウナノ? 私ガソウナラ、ネ級ダッテ……」

「分カラナイ。タダ……私ニモ原形ガアッタハズ。シカシ艦娘デハナイト思ウ」

 ネ級は彼の記憶を夢として見た。
 夢の常で内容はもう思い出せないが、自分が知りえない光景を見ているのは確かだ。
 そして彼が抱いたであろう思いも、おそらくは理解してしまった。

「ダケド……私ハ何モ知リタクナイ。ツ級モコレハ外シタクナイ……同ジコト」

 仮面のようなツ級の外殻にふれると、息を呑むような気配を感じた。
 私たちは向き合えない。己の影には。
 知ってしまったら、きっと自分ではいられなくなるから。
 いずれ向き合わねばならない時が来るかもしれないが、それが今とはどうしても思えない。

「コノ話ハヤメヨウ」

 まるで秘密を共有するように話す。
 もっとも、あの装甲空母姫が何も知らないわけがなかった。
 となれば秘密を共有した気になっていても、現実には掌の上でもてあそばれてるだけなのかもしれない。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ガダルカナル島にて四人の深海棲艦の姫たちと赤い目のレ級たちは、今後の作戦を決めるために一同に会していた。
 青い光で照らされた部屋には円卓があるが空席が二つ。
 港湾棲姫と重巡棲姫がいるはずの場所だ。

「次ノ攻撃目標ハトラック諸島ヲ提案スルワ。準備ガ整ッタラ、スグニデモ総力デネ」

 いわば円卓会議における空母棲姫の第一声がそれだった。
 飛行場姫は口を挟まずにいるつもりだったが、予想してなかった地名に聞き返す。

「トラック? ラバウルヤブインハドウスル? 抑エ込ンデイルトハイエ艦娘タチガ進出シテイルノニ」

「ダカラコソヨ。ラバウルヘノ補給路トシテ、アノ島ハマスマス重要ニナッタ。ソレニ空爆ヲ続ケ潜水艦隊ガイレバ、当面ノ封ジ込メハ簡単ヨ」

「ソレハソウデモ……」

「ソレニ、アノ島ニハ裏切リ者ガイル。アロウコトカ、私タチニ牙ヲムイタ」

 空母棲姫は控えめながらも声に怒りを含んでいた。
 先の戦いでヲ級が艦娘側に加わっていたという報告は飛行場姫の耳にも届いている。
 また、そのヲ級が港湾棲姫の腹心である青い目のヲ級だとも確信していた。

「人間タチハ我々ガスグニハ攻メテコナイト考エテイルデショウシ……何ヨリモ……仇ヲ討タナクテハ。善キ深海棲艦ノタメニ」

 空母棲姫が言っているのは重巡棲姫のことで間違いなさそうだった。
 傍若無人な空母棲姫であっても、重巡棲姫の喪失には思うところがあったらしく意外に思えた。

「彼女ハマサシク深海棲艦ダッタワ。ソノ彼女ヲ討ッタノガ、トラック諸島ヲ根城ニシテル艦娘タチラシイジャナイ」

 日頃なら嘲笑を唇の端に浮かべている空母棲姫だが、今はそれもない。
 それだけに本気で言ってるのだと飛行場姫は悟り、それ以上は何も言わずに引いた。




「アナタタチハドウ?」

「私ハ賛成ダワ。アノ島ニハ武蔵ガイルモノ」

 戦艦棲姫が静かに笑いながら支持する。

「イツカハ雌雄ヲ決ッシタイ相手……ソノ時ガキタトイウコトヨ」

 空母棲姫にというより、はるか遠くの相手に語りかけているような調子だった。
 好意的に考えれば、すでに先を見据えているということなのかもしれない。
 続いて装甲空母姫とレ級も賛意を示す。

「アノ島ヲ叩ク意義ハ大イニアル。デキルダケノ戦力ヲ用意シヨウ」

「戦エルナラ選リ好ミナンテシナイサ」

「イイ返事。アトハアナタダケダケド、ドウスル? コノ島ニモ守リハ必要ダケド」

 改めて問いかけてきた空母棲姫に飛行場姫は答える。

「……私モ行ク。総力デト言ッタノハ、アナタヨ」

 空母棲姫は驚いたような顔をすると聞き返す。

「ドウイウ心境ノ変化カシラ」

「フン……私ニモ思ウトコロガアル」

 理由は口にしなかったが、空母棲姫はすぐに満足したようにほほ笑んだ。

「ソウ、ナラ決マリネ。一週間以内ニハ進攻ヲ始メマショウ」

 誰も性急すぎるとの声は上げなかった。
 そのあとで装甲空母姫が新たに投入できる戦力についての説明を終えれば会議は済んだ。
 三々五々にそれぞれが散っていく中、装甲空母姫が飛行場姫に話しかけてきた。




「意外ダナ、君マデ帯同スル気ニナルナンテ」

「言ッタ通リ……アノ島ニハ私モ思ウトコロガアルノヨ」

「≠тжa,,ガイルカラ?」

「今モイルカハ分カラナイ」

 気のなさそうに飛行場姫は応じるが図星だった。
 トラック諸島には港湾棲姫やホッポたちがいる。
 しかし何があれば、深海棲艦が艦娘に協力する気になるのかが分からない。

 ヲ級が自発的に戦うのを選んだのか、それとも戦力として使われるのを強要されているのか。
 どちらにしても、争いを避けるためにガ島を去ったのは飛行場姫も知っている。
 だからこそ理由を知る必要がある。それも自身の目と耳で見聞きして確かめないと納得がいかない。
 事と次第によっては実力行使が必要で、今がそうだと飛行場姫は内心に結論づける。

「……ソレヨリ、アノ二人ハドウナノ?」

「二人? アア……ツ級トネ級」

「ズイブンヤラレタト聞イタケド」

「確カニ。シカシ初陣ダッタニモカカワラズ、向コウニモ十分通ジルノガ分カッテ満足ダヨ」

 飛行場姫は話を変えたかったのもあるが、二人を気にしていたのも確かだ。
 ネ級とツ級――少なくともネ級とは無関係だと言えないのが飛行場姫だった。
 あくまで表面上は無関心を装っていたが。
 それに対して装甲空母姫は意味ありげに笑う。内心などお見通しだとでも言いたそうに。




「イイデータガ取レタ……ソレダケニ惜シクモアルケド」

「惜シイ?」

「ネ級ノホウハタブン長クナイヨ。体ノ細胞ガ劣化シハジメテル」

 装甲空母姫の口は軽かった。大した話ではないように。

「……ドウイウ意味?」

「詳シイ因果関係ハ分カッテナイ……セッカクノ性能ガ負担ヲカケスギテルノカ……ハジメカラ不具合デモ抱エテタノカ……自覚ガナイノハサイワイトイウノカナ」

「ソウ……」

 彼女はしばし考えを巡らせてから装甲空母姫に申し出た。

「私ニアノ二人ヲクレナイカ」

 その申し出は装甲空母姫にとっても意外だったのか、真顔になって即答はしなかった。

「ドウイウ風ノ吹キ回シ?」

「次ノ戦イニ出向ク以上ハ、使エル護衛ガホシイダケ」

 あくまでも愛想なく飛行場姫は言い、装甲空母姫も吟味しているようだった。
 しかし判断はすぐに下した。

「イイヨ、構ワナイ」

「……アッサリ決メルノネ」

「全テデナイニシテモ、アノ二人カラハ有益ナ情報ハ取レテイル。ナクシタトコロデ私ハモウ困ラナイ」

 食ったような答えに飛行場姫は鼻を鳴らした。
 そこに装甲空母姫はつけ加える。

「君ニ使ワレルノガ楽トモ限ラナイ」

 うっすらと皮肉めいた笑みを見せていた。
 いら立ちを隠せずに飛行場姫は機械仕掛けの右腕を鳴らすが、装甲空母姫はおかしそうに笑うと立ち去っていった。
 一人残された形の飛行場姫はため息をつく。

「ソレニシテモ……因縁トデモ言ウノ……」

 トラック諸島を港湾棲姫が奪われたことから今の事態が始まったように思える。
 ワルサメの死に深海棲艦同士の対立、提督という人間にまつわる出来事と顛末。そして人間や艦娘を素とした深海棲艦。
 だとすれば、決着をつけるにもトラックは相応しいのかもしれない。
 始まった場所であるのなら、終わらせる場所としても。


ここまで。投下中に反応があってびっくり
次回なんですが、ちと今月が思った以上に忙しくなってしまったのと、話の展開にモチベが追いついてきてないとかで遅くなってしまいます
とはいえ、月末……どんなにかかっても今日から一ヶ月以内には投下するつもりですので、また見かけたら読んでいただければと思う次第

乙です

乙乙
総力戦に期待

乙です

おつでち

乙ー
楽しくなってきたな

たくさんの乙、感謝です
すごく空いてしまった上に話が進んでないけど、間隔空きすぎてしまったので少しだけ投下します



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 二月十八日。
 トラック泊地では、鳥海が総員起こしの前に目を覚ましていた。
 これは秘書艦を務めていた頃からの習慣なので、これといったな理由があるわけじゃない。
 夜の黒が抜け切らない藍色の空を窓から見ながら、なんの変哲もない朝だと鳥海は思った。

 服を着替えて身だしなみを整えながら、胸元のペンダントを包むように握る。
 司令官さんの指輪を使ったペンダントだけど、今は金属の冷たさしか感じない。

「……本当にあなたなんですか?」

 指輪に声をかけたところで何も答えてくれない。それでも聞かずにはいられなかった。
 ネ級の正体が提督ではないかという話。
 それに対する反応は艦娘の間でもまちまちだったが、多くは半信半疑だった。

 人間が深海棲艦化するのがありえるのか分からないし、それに木曾さん以外にそう感じた者もいない。
 ネ級の話を聞いたり航空写真を何度見ても、ネ級が司令官さんだとは感じなかった。
 だから鳥海はネ級が提督だと思えないが、木曾の話を勘違いだとも思えない。

 あの二人の間には特別な繋がりがあった。
 かつて沈んだ初代の木曾という艦娘を軸にした、司令官さんと今の木曾さんだけにある結びつき。
 それは私と司令官さんにはない別の繋がりで、それが何かを木曾さんに訴えかけたのかもしれない。
 私には分からない何かを。

 鳥海は握っていたペンダントから手を離す。
 熱が伝わっていても、何かを伝え返してくるようなことはない。
 それが悔しかった。
 もし木曾さんの仮定が正しいのだとすれば……それはあんまりだと思う。



 六時になって総員起こしのアナウンスを聞くと、七時には姉さんたちと一緒に間宮で朝食を取る。
 そして八時になれば編成割りに従って訓練や哨戒任務に赴いていく。
 これがトラック泊地における朝の流れ。
 この日は大規模な対空戦闘訓練があらかじめ組まれていて、鳥海もそちらに参加するのが決まっていた。

 というのも廻号作戦で機動部隊の艦載機は大打撃を受けて、機体の補充が完了していても平均的な練度は大きく落ちている。
 航空隊の練度を底上げするためにも、できるだけの手を打っておく必要があった。
 やがて昼に差しかかり、午前の訓練を切り上げてちょうど帰投した頃だった。敵艦隊発見を知らせる警報が届いたのは。
 発見したのは哨戒中の彩雲で、泊地からおよそ三百キロほど離れた南南東の海域で発見された。

 深海棲艦は彩雲に気づいていても、威容を見せつけるためなのか無視している。
 あまつさえ、これみよがしに艦載機の発艦を始めた。
 実際に泊地では伝えられた敵の規模に色めき立っていた。
 総数で三百に及ぶ敵艦隊は、まさしく大艦隊という以外に言葉がない。
 以前のMI作戦時にマリアナへ攻撃してきた時よりも、さらに敵の数は多かった。
 さらに四人の姫がいるのも確認され、主力が投じられているのは疑いようもない。

 深海棲艦は菱形の方陣を作るように大きく四つに分かれ、それぞれ姫が中核になっている。
 先陣には戦艦棲姫やレ級、ル級やタ級と高火力の戦艦が固まり、こちらから見た左右には装甲空母姫と飛行場姫が、そして最後尾には複数のヌ級とヲ級を従えた空母棲姫という形だ。
 左右の艦隊は護衛や支援を兼ねているようだけど、編成は意外と違うようだった。
 装甲空母姫が巡洋艦や駆逐艦を多数従えているのに対して、飛行場姫のほうは少数に留まっている。
 その代わりにネ級やツ級がいるのが確認され、こちらは少数精鋭の編成と見込まれた。

 また各姫に共通しているのは、球状艦載機をそのまま巨大化させたような艦と呼んでいいのかも怪しい物体が周囲にいくつも漂っている。
 従来の深海棲艦の倍近い大きさのそれは姫の守護が目的らしく、仮称で護衛要塞と名づけられた。

「相手が三百ってことは戦力比がざっと六対一……うん、苦しくなるね」

「間宮さんとか秋津洲みたいに戦うのが苦手な艦娘もいるんだから、もっときつい数字になるわよ」

 近くにいた島風と天津風がそう話しているのを聞き、そちらへ目を向ける。
 まじめな言葉とは裏腹に、二人には余分な気負いもなさそうだった。
 鳥海は口を挟まずに二人の話を聞く。




「まだ前回から一ヶ月も経ってないのに、よくこれだけの戦力を集めてくるよ」

「ラバウルやブインに投入されてる戦力が釘づけにされてる間に、この泊地を陥落させるつもりなんでしょうね」

「そうだとしても急すぎない? 向こうだって大艦隊を動かすのは楽じゃないはずなのに」

「あたしたちをそれだけ高く買ってるんでしょ。ありがた迷惑だけど」

 天津風の言うようにトラック泊地はラバウル方面への重要な補給基地であり、深海棲艦の亡命者であるコーワンたちもいる。
 よりガ島に近い地点まで進出されていてもなお……されているからこそ、この地に痛打を与えるだけの意味があるとも言える。
 投機的すぎる作戦にも思えるけど、他の鎮守府や泊地に援軍を出す余力はないはずだった。

『八艦隊と二航戦は正面を迂回し敵基幹戦力……空母棲姫への攻撃を。残りは先行した扶桑らと合流して敵艦隊の侵攻を食い止めろ』

 提督からの命令が通信越しに伝えられてくる。
 すでにこういった襲撃を想定して、いくつかの作戦案は検討されていた。
 この場合、敵正面に主戦力を投入しつつ、機動力と突破力に優れた第八艦隊と二航戦で敵主力へと側方、可能であれば後方から強襲をかける。
 皮肉な話ではあるけど、襲撃に乗じて司令官さんを失ったことでこれらの案はより仔細に詰められていた。
 想定外なのは、ここまでの著しい戦力差。

 それでも早いうちに発見できたので、迎撃の準備を整える時間はあった。
 基地航空隊がスクランブル発進し、当直に就いていた扶桑型と白露型はすでに先行して湾外に出ている。
 訓練から戻った鳥海たちにも、整備課の人員や妖精たちが燃料の補給や実弾への交換を大わらわで進めていった。

 鳥海は洋上に出ると、改めて第八艦隊と二航戦の面々と合流して敵艦隊を迂回するように右回りに針路を取る。
 他の艦娘たちもいくつかの艦隊に分かれると扶桑たちの元へと向かっていく。
 中でも摩耶は愛宕、ザラ、夕雲型から特に目のいい高波と沖波を連れて、先頭に立って進んでいった。
 真っ先に防空艦として対空砲火を集中させるために。




 この頃になると退避した彩雲に代わり、秋島のレーダーサイトから情報が次々に転送されてくる。
 敵機の数は優に千機を超えていて、これだけで基地と機動部隊で運用している航空機を合わせた数以上になってしまう。
 劣勢は火を見るより明らかだった。

「急ぎましょう。第二次攻撃ならまだ防げるはずです」

 鳥海の指示の元、艦隊が三十ノット近くまで速度を上げる。
 両艦隊の中で一番足の遅いローマに合わせた形になるが、本来なら十分に高速と呼べる速度でもこの時はもどかしさばかりが募った。
 向こうからも近づいてきているとはいえ、敵艦隊は遠い。
 二航戦の旗艦を務める飛龍が鳥海の横、声の直接届くところまで進んでくる。

「敵艦隊に突入するなら夕雲たちも連れていって。数は多い方がいいでしょ」

「夕雲さんたちはそちらの護衛です。気持ちはありがたいですけど離れさせるわけにはいきません」

 練度の面では申し分なくても、夕雲さんたちの一人でも欠かすわけにはいかない。
 今の二航戦は飛龍、蒼龍、雲龍の三人に夕雲、巻雲、風雲からなる護衛の六人で構成されている。
 正規空母三人に対する護衛と考えると、駆逐艦の三人は最低限の数でしかなかった。

「成否にかかわらず、この攻撃で全てが片づくとは思えません。だから二航戦の守りも不可欠なんです」

「……ま、確かに空母棲姫一人沈めれば収まる話ってわけじゃなさそうだしね。けど無理はしないでよね、今回の戦いも長丁場になると思うから」

「ええ、お気遣いありがとうございます」

 鳥海が頭を下げると、飛龍は針路上である東の空を見上げる。表情を曇らせながら。
 こんな時に限って、空は澄み切って晴れ渡っている。
 敵機は発見しやすいけど、それはまた敵機がこちらを狙いやすいということでもあった。
 今のところ鳥海たちが発見された様子はなく、基地から発した戦闘機隊が敵と接触したとの知らせもないが、それも時間の問題だった。




「ここから艦戦だけでも飛ばします?」

「そうしたいのはやまやまだけど、反復攻撃をしたいしもっと近づきたいね。それに相手の数が数だから母艦をしっかり叩いてやらないと。元をどうにかしないと勝ち目はないよ」

 飛龍の言葉に鳥海も頷く。
 これだけの戦力差がある以上、相手の中核戦力に狙いを絞って叩くしかない。
 ただ相手は姫級が四人もいて、そのいずれも中核と呼べる相手だった。
 鳥海は第八艦隊に帯同する形になっているヲキューへと話を向ける。

「ヲキューはこの戦力をどう見ます?」

「ガ島ノ防衛ニモ残シテイルニシテモ……限リナク総力ニ近イ……ハズ。本気ナノハ……確カ」

 ヲキューは急ごしらえで20.3cm連装砲を二基右腕に備えつけていた。
 対空戦用の措置で、あくまで自衛が目的なのと砲弾を持たせる余裕がないので三式弾しか載せていない。
 そのヲキューも空に目をやっていた。

「飛龍さん、ヲキューも二航戦のほうで見てもらうのはできますか?」

「こっちは構わないけど」

 ヲキューが驚いたように目を大きくする。

「置イテクツモリ……?」

「今回は難しい作戦ですからね。このまま飛龍さんたちと機動部隊として動いたほうがいいかとは」

 ヲキューは首を傾げたが、すぐに口を開く。
 納得してないのは明らかだった。




「鳥海ハコノママ……空母棲姫マデタドリ着ケルト思ウ?」

「飛行場姫あたりが立ち塞がってくるはずでしょうね」

 向こうにも電探もあるし制空権もあちらのほうが優勢。
 艦載機なら間隙を突けるかもしれないけど、それでも第八艦隊はそうもいかない。
 空母棲姫の艦隊に着くまでに発見されて、あちらとしては機動部隊への突入を防がなくてはならない。
 となると飛行場姫が針路上に移動してくるはず。少なくとも、どんな手立てであれ妨害は確実にされる。

「……ソレナラ私モ行ク。私ノ艦載機ハ役ニ立ツ……」

「安全は約束できませんよ?」

「ソンナノ……イツダッテ……ドコニイテモ……同ジ……分カリキッタコト」

 どうしても一緒についていくつもりらしい。
 そんなヲキューを見てか、飛龍さんは面白そうに笑う。

「違いないわ。それに案外さ、私たちと一緒にいないほうが安全かもよ? 深海棲艦も空母を優先的に狙うだろうから」

「飛龍さん、そんな不吉なことは……」

「だって分からないじゃん、何が起きるかなんて。魔の五分間なんて話もあるし」

 鳥海の心配をよそに、飛龍はあくまでもおかしそうに笑い飛ばしていた。
 そのまま笑い終わると自然に表情を引き締める。

「ま、それはともかくヲキューがいるかいないかじゃ、そっちも防空面じゃぜんぜん違うよね。本人だって希望してるんだし、いいじゃない」

「ソウ……ソレニ飛行場姫……アノカタナラ私ノ話ヲ聞イテクレルカモ」

 普段はあまり感情を声に乗せないヲキューだったが、この時は少し違うように聞こえる。
 なんというか熱っぽい。
 飛龍とも目が合って、向こうもそう感じたらしいと鳥海は察した。




「説得でもするつもりですか?」

「……必要ナラ。鳥海ダッテネ級ニ会エバソウスル……違ウ?」

「それは……そうかもしれませんね」

 鳥海ははっきりとはさせずに濁す。
 確かに話そうとはすると思い、しかし何をぶつけていいのかは分からないまま。
 それでも鳥海は、ネ級に会えば自ずと言葉が出てくると考えていた。
 もどかしく思うのは、何も敵艦隊と距離があるからだけではない。
 心の準備が完全にはできていないんだ。ネ級と……司令官さんかもしれない深海棲艦と向き合うための。
 それでも、と鳥海は思う。

「何も話さなかったら……伝えようとしなかったら、きっと後悔しますよね。ヲキュー、変なことを言ってしまってごめんなさい」

「……変ナコトハ言ッテナカッタ思ウケド」

「まあ、あれこれ悩んじゃうところは鳥海らしい気はするけど」

 よく分からないと言いたそうなヲキューに、飛龍は苦笑いするような調子で鳥海を見ている。
 鳥海は二人から視線を外すと、針路上の空を意識した。
 この空の下にはネ級がいる。
 泊地に迫る深海棲艦を撃退しなくてはならないけど、それとは別に彼女とも接触しなければならない。
 その結果どうなるかは分からないし、出会わなければと悔やんでしまう可能性もある。
 だけど、と鳥海は胸の内で切実に思う。
 会わなくては何も始まらないと。

 ほどなくして基地航空隊の迎撃機と深海棲艦の艦載機が接触して交戦に入ったとの知らせが届いた。
 戦闘が始まったのを知り、鳥海たちは無言になって進んでいく。
 もう接触まで、さほどの時間が残されていないのを肌で感じながら。


本当に短いけど、ここまで
次はなるべく間を置かずに投下したいところ。口ではなんとでも言えるというやつなので行動で示したいとこで

乙です

乙乙です

乙ありなのです
結局、また間が空いたのとぶつ切りで恐縮ですが



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 照りつける陽光の下、ネ級はツ級と共に飛行場姫の護衛に就いていた。
 総数で六十近い数からなる艦隊は姫を中心にした輪形陣を形作っていて、直径にして五百メートル四方へと広がっている。
 その中でもネ級とツ級は飛行場姫のすぐ前後に位置していた。
 他の深海棲艦が姫とは遠巻きになっている中、二人はそれぞれ三メートルも離れない位置を保ち続けている。

 飛行場姫の近くにはネ級とツ級しかいなく、装甲空母姫から各姫へ提供された護衛要塞も輪の外縁部に回されていた。
 戦闘が始まればこれだけの密着はかえって危険となるが、まだ最前列にいる戦艦棲姫と機動部隊を擁する空母棲姫の艦隊しかそれぞれ砲火と空襲に晒されていない。
 だから今はまだ静かなものだ。

 つい少し前まで飛行場姫は艦載機を発艦させていた。
 双胴の飛行甲板から飛び立っていたのは、いわば重戦闘爆撃機で他の艦載機とは違う。
 他機種の倍近い大きさをした球状に双発の翼を生やしている。
 本来なら地上運用を前提にした機体だが、大型の艤装かつ高い運用能力を持つ飛行場姫だけが海上での運用を可能にしていた。

 そうして飛び立って行った重爆隊述べ八十機は、第一次攻撃の中での第二波としてトラック泊地への空爆に向かっている。
 空母棲姫らの艦載機と入れ替わる形での攻撃になるはずだった。
 もっとも、こうした連携が取れるのも最初のうちだけだろう。
 以後は彼我の攻撃で足並みが乱れて、各々の判断で行動しなくてはならなくなってくる。

「以前……トイウホド前デハナイケド、私ノソバニハコーワントイウ姫ガイタ」

 急に話しかけられたのに驚き、ネ級は体を後ろへ流すように振り返る。
 飛行場姫は泰然とこちらを見ている。
 主砲たちは近くの姫に緊張でもしているのか、珍しく大人しい。
 そして姫の背中を守る形のツ級は表情こそ分からないが、聞き耳を立てて様子をうかがっているのではないかと思えた。




「コーワンハ……我々ノ元ヲ去リ、アノ島ニイル」

「トラックニ……?」

 ネ級が聞き返すと飛行場姫は神妙な顔で頷く。

「ソレニ彼女ノ配下タチモ。先日ノ海戦デハ艦娘ノ側ニ立ッテイタトイウ」

「話ニハ聞イテマスガ……」

 重巡棲姫と交戦した艦隊の中に、にわかに信じがたいが艦娘に混じってヲ級がいたという。
 同じ海域にはいたが接触はしていない。
 それが良かったのか悪かったのかは分からなかった。
 どちらにしても、あの日あの時の自分には関係のないことだったかもしれない。ネ級はそうも思う。

「ネ級ハソノコトヲ……ドウ考エル。ナゼ協力シテイルノカ……想像デキル?」

 こんな話を聞いてくるのは不可解だった。不可解といえば私たちを護衛に抜擢した理由も分からない。
 それについては姫はただ一言、気まぐれだと答えていた。
 となれば、これも気まぐれで片付けられる……単に話す気がないだけか。

「分カリマセン……私ハソノコーワンヲ知ラナイ」

 分からないという分かりきった答えを示すと、姫はネ級を見つめていた。
 怒るわけでも落胆するわけでもなさそうな顔を前にして、居心地の悪さを感じる。
 何かを言わせたいようで、しかしそれが何かは想像がつかない。

「タダ……艦娘ニ味方スルナラ……私タチノ敵デハナイノデスカ?」

「ソノ判断ヲシタイ……コーワンタチガ敵ニナッテシマッタノカ……ソレトモ助ケナクテハナラナイノカ」

 コーワンという姫がどんな相手かは分からないが、飛行場姫は簡単に諦める気はなさそうだった。
 おそらく楽な道にはならないと理解した上で。




「私タチニ何カ……サセタイノデスカ?」

 後ろから声を挟んできたのはツ級だった。飛行場姫は顔を向けずに言う。

「今モ言ッタヨウニ私ハ見極メタイ……モシ連中ノ誰カ出会エタラ接触スル……ダカラ私ヲ守リナサイ」

「姫ガソウ望ムノデアレバ……」

 ツ級の言葉にネ級も小さく頷くと、苦笑いを伴ったように言う。

「私ハ我ヲ忘レルカモシレナイ……」

「ナラバ……コウ覚エナサイ。オ前ノ使命ハ私ヲ守ルコトト。迷ッタ時ハソレヲ基準ニ考エナサイ」

「……妙案デスネ」

 飛行場姫の真意は図りかねる部分もあるが、闇雲ではない目的があるのはいいことだ。
 それに今では飛行場姫は、他の姫よりも私たちを気にかけてくれているように感じる。
 彼女を守るため、というのは確かにさほど悪くない考えかもしれない。

「トコロデ……コノ攻撃ガドウナルカ……オ前ハドウ考エル?」

「……分カリマセン」

 飛行場姫はこちらを直視していた。白い顔は笑わず、かといって怒るでも急かすでもない。
 ただ値踏みされているような気分にはなった。

「言ッテミナサイ、思ウママニ」

「デハ……ソレナリノ被害ハ与エラレルハズ……シカシ、コレデ十分ニ叩ケルカマデハ……」

 促す言葉にネ級は素直に従うと、そのまま根拠とした理由を伝えようとする。




「被害ヲ防グタメニ備エハシテイルデショウ……資材ヲ分散シテオクダトカ……拠点ノ守リヲ厚クシテオクダトカ」

 ネ級は自分ならそのぐらいはすると考える。
 そして被害を減らすための工夫をしたり策を練ったところで、攻撃から無傷で済むとも思えない。
 綻びというのは必ず生じるものだから。
 それが想定の範囲内に収まるかどうかだが、さすがにそこまでは敵情を想像できない。

「数デハ我々ガ有利……シカシ、ソレデ勝敗ガ決シテクレル相手ナラ初メカラ……コノヨウナ事態ニ直面シテイナカッタハズデス」

 トラック諸島を陥落させれば、おそらくラバウルらの維持はできなくなる。
 そうなれば戦線が下がってガ島への圧力は一気に弱まるだろう。
 いい話だ。それにこの戦力差なら十分に成し遂げられる。

 しかし、その後が分からない。
 一時的に優勢に立てたところで戦局そのものを覆すのは難しいのではないか。
 結局、喉元に食らいつかれているのは深海棲艦のほうなのだから。
 あるいはガ島を放棄してパナマ方面へ交代するという手もある。
 向こうに行ったことはないので、向こうの事情は知らないが。

「シカシ何ヨリモ……艦娘ガイマス。空母棲姫ハトラックヲ攻メ落トスヨリモ……艦娘トノ戦イヲ優先サセルノデハナイデショウカ」

 一度は衝動に身を委ねたネ級だからこそ推し量れる。
 おそらく空母棲姫は艦娘との決着を果たそうとするのではないかと。
 戦力を誇示するような態度もそれをどこか望んでいるからでは。
 逃げ隠れはせずに、この海で全てを。




「拠点ヲ叩クノモ重要デスガ……最後ハ艦娘トノ戦イデス。艦娘ガ残ル限リ、イカニ被害ヲ与エタトテ……向コウノ巻キ返シハ難シクナイデショウ」

「分カラナイ話デモナイ……我々ハ惹カレテイルノカシラ……」

 姫は何にとは言わなかったが、言おうとしたことは分かる。
 艦娘を無視できない。その執着とも言える感情は見ようによっては、確かに惹かれていると言い換えられるのかもしれない。

 ネ級は体を前へと向け直す。
 視界にあるのは海、空、水平線。
 この海の上には艦娘たちがいる。近いようで遠くかけ離れた存在が。
 だが、そんな艦娘に協力している深海棲艦もいる。
 ……どうだろう。もしコーワンとやらが自発的に艦娘に協力しているのなら、さほどの違いはないのか。

 ネ級は右目のある辺りに手をやる。代わりに触れた甲殻は冷たく、それでいて滑らかな肌触りだった。
 これは艦娘に執着している証、あるいは代償とも言える。
 なぜ、そうなるかは分からない……しかし逆説的に思うこともあった。
 決着を望んでいるのは私もまた同じだ。
 艦娘という未知の相手との。それでいて衝動を呼び覚ます相手と。
 そして、その術は戦うことしかない。
 それ以外を私は知らない。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 白露たちの戦いは敵編隊を迎え撃ったところから始まった。
 迎撃機を突破してきたのは、戦爆連合およそ六百。
 総力として正面方向へ投入された艦娘は三十人余りで、そちらへ襲来したのは三分の一の二百機ほどで、残りは泊地へと飛び去っていた。
 一人頭五、六機の相手と考えれば、そこまで多くないのかもしれない。
 少なくとも白露は、敵機をあまり多くはないと前向きに考えるようにした。

 飛鷹ら軽空母を中心にした輪形陣を組んで矢継ぎ早に対空砲火を打ち上げる中、敵編隊も散開すると全周を埋めるように襲いかかってくる。
 敵機は光に誘われる羽虫のように、対空砲火が盛んな艦娘により集中して攻撃を加えていく。
 白露は難を逃れたが、艦隊の矢面で弾幕を形成していた摩耶を始めとした艦娘が次々と被弾していくのを見聞きした。

 十五分近い空襲が終わった時点での被害は小さくなかった。
 摩耶を始め、十人近い艦娘が中破判定の損傷を受けて火力や速力を損ない、至近弾などでいくらかの損傷を負った艦娘も多い。
 次の空襲が来る前に艦隊を預かっていた球磨が、中破した者に護衛をつけて泊地へと下がるように令する。
 この辺はあらかじめ決められていたことで、手遅れになる前に応急修理を施すためだった。
 早め早めの修理をすることで長く戦える……というわけだけど、それは正面戦力が半減するということでも。

 そして現在。
 戦艦棲姫やレ級を擁した艦隊を迎え撃っていた。
 いくつかの艦隊に分かれて交戦する中、白露は扶桑、山城に取りつこうとする水雷戦隊を阻んでいる。
 その扶桑と山城は少し前まで複数のレ級と撃ち合い、今は白露たちの火力支援に回っていた。

 僚艦を組んでる妹たち――時雨、夕立、春雨、海風も孤立しすぎない程度に散開して、盛んに砲撃を加えている。
 何隻かは砲撃で撃沈したり追い払ってるけど、とにかく数が多い。
 一発撃つごとに少なくとも三倍量の砲撃が返されてくる。
 まともに当たった弾はまだないけど、至近弾だけでも装甲の薄い艤装には堪えてしまう。




「なんて激しい砲撃……」

 春雨がたじろぐ声を聞いて、白露はすぐに声をかける。

「足を止めちゃダメだよ。向こうの狙いはそんなによくないみたいだから」

「はい、白露姉さん!」

 元気のいい返事を聞きながら、白露も水平線付近の敵へと撃ち返す。
 早々に突撃してきた艦隊に魚雷をばらまいて撃退してからは、何度か突撃しようとしてくるものの距離を保っての砲戦が続いている。
 こっちが駆逐艦ばかりだから、近づくなら砲戦で消耗させてからと考えてるのかも。

「でもこれ、春雨じゃなくてもすごいっぽい!」

「雨は……いつか止むさ」

「砲撃のことを言ってるなら冗談になりませんよ……」

 妹たちのマイペースな声に思わず笑いそうになるけど、その時すぐ後ろに敵弾が落ちた。
 文字通りの冷や水を背中から浴びせられて、白露は濡れねずみになった体を身震いさせる。

「うぅ……帰ったらまずはお風呂に入らないと……」

 乾いた時に髪がごわごわする感触にはいつまで経っても慣れない。
 でも、今日のお風呂は順番待ちになっちゃうかも。
 それはそれでしょうがないけど、帰ったら一番最初にするのはやっぱりお風呂しよう。
 だって無事に帰るんだから。あたしも、妹たちも、みんなも。

「あんたたち、余裕そうね……」

「いいじゃない、山城。頼もしいわ」

 呆れたような声の山城に対し、扶桑は逆に面白がっているように聞こえる。
 この二人、特に扶桑はこの戦線を支える要になっていた。




「今日はなんだか調子がいいわ……!」

 扶桑の撃ち込んだ主砲が巡洋艦の一隻に直撃すると、一撃で轟沈させる。その余波が敵艦隊をかき乱す。
 確かに今日の扶桑さんはすごい。
 白露が合間に確認できただけでも、他にもレ級を二隻は沈めている。
 今もこうして敵の攻勢を的確に潰してくれていた。

 それでも白露たちは少しずつ押されるように後退していた。
 前衛に当たる艦隊だけが相手でもこちらの何倍もいる。
 相手を多少沈めたところで、それだけじゃ劣勢を覆せそうになかった。
 この戦力差から前線が下がるのは織り込み済みだったけど、計画通りとかでなくて単に押されているだけというのが正しいところ。
 今でこそ優勢でも、それは相手が被害を避けようとしてるからのようにも感じる。
 付け入る隙さえあれば一度ぐらいは押し返しておきたい。
 相手の出端をくじいておけば、この後の戦いも優位に運べるかもしれないし。

「こちらから打って出てみようかしら……」

 白露が思わず扶桑のほうを見ると、それに気づいた扶桑と目が合う。
 どうも同じようなことを考えていたみたい。
 扶桑が頷くと号令するよう片手を挙げた。

「このまま――」

 扶桑の近くに大口径砲弾がいくつも着水する。声をあげた矢先だった。
 明らかに戦艦砲による攻撃。

「姉様!」

「大丈夫よ! それよりも――」

「二時方向に戦艦棲姫を見ゆ――撃った!」




 時雨がいち早く伝えてくる。
 黒いドレスの女が巨大な双腕を持つ怪物を背中に抱えていた――遠目だと白露にはそう見えた。
 怪物の両肩だか腕には三門の主砲がそれぞれ載っている。
 そして姫の周囲を護衛要塞と名づけられた球体がたゆたうように守っている。そっちの数は三体。

「あれが戦艦棲姫……沈めれば流れを変えられるけど、どうかしら」

 言いながら扶桑はすでに姫のほうを見据えている。

「あの姫は私が相手をします。みんなは周りを……」

「あんな大物、一人でやろうなんてずるいじゃないか」

「そうです、姉様。私もお供します」

 時雨と山城が続くのを聞き、白露は他の妹たちに素早く指示を出す。

「あたしたちは支援に回るよ。他の敵の動きに注意してね」

 ここで見逃す手はない、よね。
 白露は球磨たちへと戦艦棲姫と交戦に入るのを無線に流したが、本当に伝わったかは確認できない。
 深海棲艦、特に姫級の周囲はワルサメを喪ったあの戦い以来、強力なジャミングを発生させているために。
 深入りしすぎて帰って来られない、なんてことにならないようしないと。


今回はここまで。予定としては月曜にここの残りを投下して、キリのいいとこまでやろうと思ってます
間に合わなかったら、その先の分まで書き足してもうちょいあとにって形になろうかと

乙です

乙乙

乙ありです。遅れてしまったけど場面が変わるとこまで追加で



 敵の動きも一気に攻勢に転じた。
 戦艦棲姫と護衛が砲撃しながら扶桑たちへと向かう一方で、それまで撃ち合っていた水雷戦隊も縦陣を組んで突撃隊形に移ってくる。
 扶桑の砲撃で中核の巡洋艦は沈んでいるが、改修型のイ級とロ級がまだ十隻残っていた。
 横から扶桑たちへ近づいて一撃離脱を図ろうとしているらしく、私たちがやるのはあれを阻止すること。

「夕立と海風は左から攻撃を、あたしと春雨は右から。目標は先頭のイ級で、そのあとは自分の判断で!」

 挟み撃ちの格好になるけど、敵は針路を変えようともせずまっすぐ進んでくる。
 こっちが駆逐艦だけなのと数の差があるから、多少の被害は無視して一気に突破するつもりらしい。
 あたしでもそうするかも。こっちの火力だけでは突撃を抑えきれずに突破できるはずだから。
 それでも先頭のイ級を叩ければ後続艦の足並みが乱れる。そこさえうまく叩ければ。

 主砲を両手で把持して、白露らは加速してきたイ級たちに砲撃を浴びせていく。
 互いに高速ですれ違いながら撃ち合い、かなり接近されながらも先頭のイ級に命中弾が出た。
 一度でも当てると行き足が鈍り、たちどころに命中弾が重なっていく。
 めった打ちにされた先頭艦を避けようと後続の二番艦が針路を変えようとするが、すかさずそこに目標を切り替えた白露の主砲弾が命中した。

「白露姉さん、前!」

 春雨の警告を聞く前に、危険を感じた白露の体は転蛇を行っている。
 二隻分の砲撃が白露を狙っていた。
 敵艦隊の最後尾にいた二隻のロ級が隊列から外れて向かってきている。
 足止めだけでなく、こっちも沈めるつもりなのは間違いない。

 砲撃を避けて春雨と一緒になって二隻を迎え撃っている間に、残りの駆逐艦が突破していこうとしてるのを感じる。
 そっちは夕立と海風に任せるしかないけど、二人だけで抑えきれる数でもない。
 今はどうしようもなく、まずは自身を狙ってくる二隻の相手をするしかなかった。
 こっちも春雨の協力があったけど、二隻を撃沈するまでに時間を食ってしまう。




「抜かれたっぽい、三隻!」

「ごめんなさい! 転進して追います!」

 夕立が怒鳴るように、海風はせっぱ詰まった声で言ってくる。
 こんな状況でなければ言ってあげたいけど、よくやってくれたよ。
 こっちが時間を稼がれてる間に、手負いが混じっているにしても二人は四隻を沈めてるんだから。

「あたしたちも行くよ、春雨」

 白露と春雨も今度は突破していった駆逐艦たちを追って、扶桑たちへと戻っていく。
 追いすがりながら砲撃するけど、今や左右へと散開した三隻の駆逐艦には思うように当たらない。
 その時だった。遠くに見える扶桑から、砲撃の発射炎とはまったく違う強烈な光が生じる。
 すぐに山城の悲鳴が飛び込んできて、いきなりの悲鳴に思わず飛び上がりそうになった。

「姉様!? 姉様!?」

「ダメだ、落ち着いて! 山城!」

 声だけじゃ詳細が分からないけど、かなりまずい状況なのだけは分かる。
 おそらくは艤装から白い煙が天に向かって立ち上り始めているのが、離れたここからでも見えた。
 白露は深呼吸して一拍置く。こっちまで動揺が移ったら収拾がつかなくなってしまう。

「何があったの、時雨!」

「姫の攻撃が扶桑に直撃! 出血がひどいし火も出てる!」

「私が前に……姉様の盾になる!」

「そんなに騒がないで、山城……まだ撃てるわ……!」

 血の気が引いたような扶桑の声が白露の耳に届く。そして戦う意思を示すように砲撃もしてみせた。
 だけど無理をしてるのは明らかだった。
 それにこれは三隻の駆逐艦たちにとって絶好のチャンスでもある。
 なんとしても止めたいのに、砲撃がまるで当たらなくて焦りばかりが募る。
 そんな焦りをあざ笑うように駆逐艦たちは扶桑さんたちに迫っていた。




 時雨が最後の壁として立ちはだかるけど、いくら時雨でも一人で三隻を相手にしながら守り抜くのは難しい。
 中央のロ級が時雨の砲撃に捕まると、後を追うように放ったこちらの砲撃がやっと命中する。
 体の破片をばらまくように海中へと没していく中、残り二隻となったイ級が時雨の左右を抜けていこうとする。
 すぐさま時雨がこっちから見て左のイ級へと魚雷を投射するのが見え、そのまま振り返りながら砲撃を続けていた。

「みんな、右のイ級に砲撃を集中して!」

 間に合わないかもしれない、と過ぎった悪い考えを振り払うように言っていた。
 それまで当たらなかったのが嘘みたいに、右のイ級に弾着の光が次々と生じる。撃沈まではあっという間だった。
 これで最後の一隻。そっちには時雨の魚雷も砲撃も行ってる。

 ――だけど、最後のイ級には雷撃はおろか時雨の砲撃も当たらなかった。
 虚しく上がる水柱の間を抜けるように横合いから接近したイ級は、扶桑へと雷撃を放って一目散に離脱していく。
 六条の白い航跡がまっすぐと伸びていき。

「避けて、扶桑!」

 時雨が叫ぶのがこだましても、それが無理なのは誰の目にも明らかだった。
 そうして扶桑を狙った魚雷が二つの水柱へと変じる。
 足元から致命の一撃を与えるそれが、本来の機能を発揮したということだった。
 初めて見る光景じゃない。今までだって何度もこうして敵艦を沈めてきたんだから。
 その光景に白露たちは言葉を失う。その場にあって一番最初に立ち直ったのが山城だった。

「姉様はまだ無事よ! 早く――」

 先の言葉は山城への命中弾でかき消された。
 鉄と鉄がぶつかって軋む異音が響いてきて、白露は弾かれたように声を出す。

「時雨、海風! すぐ扶桑さんの消火と後退を! 夕立は三人の護衛! 曳航してでも連れて帰るよ!」

 それぞれが返事をするも春雨だけが違う声を出す。



「ここからは砲撃よりも回避運動に専念して。一気に近づいて雷撃やっちゃうよ!」

 戦艦棲姫の狙いは激しく損傷した扶桑から、いまだに砲撃を続ける山城に代わっていた。
 周囲を取り巻いていた護衛要塞は二体に減っている。扶桑さんか山城さんのどっちかが沈めたに違いない。
 姫にも扶桑と山城の命中弾による痕跡があるものの、十分な損傷を与えているようには見えない。

 護衛要塞たちは大口を開けると、口内から鈍色の主砲がせり出してくる。
 三連装の砲口が上下に並んで大きさは重巡と同じ、と見て取った白露は要塞の正面から外れるように近づいていく。
 二人に向けての迎撃が始まった。
 海面を叩くばかりで後逸していく弾着を尻目に、白露たちは戦艦棲姫との相対距離を縮めていく。
 あの要塞は浮き砲台に近いんだ。陸上で言えば自走砲に。
 直線上にしか撃てないのを見て、白露は一気に近づこうと決める。
 やっぱり駆逐艦の小回りについてこれてない。

 護衛要塞の攻撃を避けながら戦艦棲姫の横を狙って近づくと、姫の艤装がわななくようにおたけびを挙げる。
 警告するような響きに、それまで山城への砲撃に集中していた戦艦棲姫がようやく白露たちを見る。
 どこか艶然とした顔をしていた姫が白露、そして春雨へと視線を流すと表情を変えた。
 小さな驚きを含ませたような声を発する。

「ワルサメ……?」

「違う! 私はワルサメじゃない!」

「沈メラレル……?」

「私は!」

 噛み合わないやり取りと一緒に、ごとんという音が波風に乗ってきた。
 魚雷発射管の安全装置が解除された音だった。まだ雷撃点には遠いのに。

「私は春雨です!」

 春雨の背負った二基の四連装魚雷発射管から八つの酸素魚雷が投射されていた。
 さすがに雷撃は危ないと考えているのか、戦艦棲姫は射線から離れるように回頭していく。
 あれじゃきっと当たらない。




「春雨、このまま離脱して!」

「でも……!」

「魚雷を撃ったらあたしたちの仕事はおしまい! 行って!」

 先走ってしまったのを春雨が気にしているのは分かっても、そっちに気を遣ってる余裕はなかった。
 雷撃を避けようとする姫を追う形で転進し、同航するように併走する。
 白露は護衛要塞の向きにも気を払う。
 自分が撃たれるのも離脱に入ったはずの春雨を狙われるのもたまったもんじゃない。

 白露はすぐに雷撃点を修正しようとし、逆にこの状態がいいととっさに考えた。
 新たな雷撃点をなかば直感的に導き出すと、姫の動きを先回りするように急行する。
 狙うのは戦艦棲姫の移動先であり、さらに姫を守るはずの護衛要塞によって白露が一時でも死角になる位置。
 大丈夫、通ってる。今しかない。背中に二段にして積んでいる四連装魚雷発射管、八門分を向ける。

「ここがいっちばんいい射線!」

 魚雷を投射。反動で押し出された体を白露はすぐに立て直す。
 八発の酸素魚雷は空を滑空するように着水し、一度は海底に潜り込んでいく。
 その後、ジャイロコンパスにより針路修正を行いながら浮き上がるのを白露は頭に思い浮かべる。
 予想通りの軌道を描く魚雷はそのまま疾駆すると、宙に浮かぶ護衛要塞の真下をすり抜けて、さらに先にいる飛行場姫に海底から食らいつく。
 それが白露の導き出した一番いい射線だった。

 そうして白露が見たのは想像とは違う光景だった。
 射線上の護衛要塞が勢いよく海底へと落下すると沈み込む。
 狙いは明らかだった。姫の身代わりになろうとしている。
 轟々と立ち上った水柱が、その狙いが達成されたという事実を証明していた。

 投射した魚雷の何本が命中したのか分からないけど、過剰な破壊力を発揮したらしい。
 護衛要塞の水中から飛び出ていた部分が、渦巻くようにあっという間に海中へと引きずり込まれていく。
 白露は雷撃を阻止されて、無意識の内に歯を食いしばっていた。




「危ナカッタ……トデモ言ッタトコロカシラ」

 戦艦棲姫は目を細めて白露を見る。
 口元には笑みを浮かべているが、嘲っている調子ではなかった。

「……思イ出シタ……アノ時……ワルサメニ会イニ来タ艦娘カ」

「だったら……何?」

 戦艦棲姫はただ白露を見ていた。姫のほうは撃たないが最後に残った護衛要塞が白露へと砲撃を始める。
 砲弾がかすめて体勢を崩しそうになった白露に姫は妖しく笑いかけた。

「……命拾イシタヨウネ」

 その言葉の意味が分からないまま最後の護衛要塞が中空で爆発し、海面へ落ちていく。
 砲撃だと理解して誰がと疑問が生じる間に、戦艦棲姫が遠くを見ていた。おそらく砲撃の来た方角を。
 白露が始めからいなかったかのように姫は独りごちる。

「手傷ヲ負ッテルンダ……ドウシタモノカシラ……本調子ノ武蔵ガヨカッタケド……デモ戦場デハ相手ヲ選ベナイ……ソウデショウ? ソウハ思ワナイ?」

 姫がどこまでも楽しそうに囁く姿に思わずたじろいだ。
 今の砲撃は武蔵が助けに来たものだと察し、同時に戦艦棲姫はその武蔵との邂逅を待ち望んでいたのだと知って。
 他のことが些事と言いたげな様子はひたむきであるようで、どこか歪に思える。
 戦艦棲姫という魔女が今なお何かをつぶやいてるのを、白露は恐れをもって聞いた。


ここまで。次はなるべく早くってことで……

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 武蔵は弾着を認めると、胸に詰めていた息を深く吐き出す。
 不思議なものだが手応えを感じていた。
 現に放った砲撃は護衛要塞を撃破している。
 あの要塞の場合、撃沈なのか撃墜になるのかは気になるところだが、障害の一つを排除できたのは間違いない。

「これで白露はひとまず安全だな」

「まだ棲姫が残ってますけど……」

 清霜と一緒に武蔵の護衛に就いている沖波が疑問を差し挟んでくる。
 眼鏡越しの視線に武蔵は笑い返す。

「やつ、戦艦棲姫の狙いはこの武蔵だ。今もこっちを見ている。ここにいる限り、優先的に私を狙ってくるだろうさ」

 自分の言葉を胸中で反芻した武蔵は顔をしかめる。
 戦ったのは一度きりだが、やつが妙な執着を示していたのは忘れていない。

「面倒なやつに目をつけられたものだ。ここで決着をつけてしまいたいが」

「清霜たちもいるし一網打尽にしちゃいましょうよ!」

 気を吐くのは清霜で、今にも肉薄して魚雷を叩き込みに行きそうな気配がある。
 それ自体は頼もしいし、さすがだと褒めてやりたいところだ。

「普通に考えれば単艦は狙い目だな」

 確かにこれは好機だ。
 これだけ手薄な状態で姫と相対する機会など、この先はもうないかもしれない。
 しかし清霜と違い、沖波は慎重な姿勢を崩さなかった。

「でも私たちは扶桑さんたちの撤退支援に来てるんだし……」

「だけど姫の射程内にいるんじゃ撃たれっぱなしになるよ? 安全確保のためにもここは!」

 清霜の言うことはもっともだが、沖波の言い分にも一理ある。
 敵を前にしての意見としては慎重すぎる嫌いもあるが、その敵の動きを大局的には掴み切れていない。
 航空隊は艦隊の上空を守るのが手一杯で、制空権はほとんど握られてしまっている。当然、こちらからの偵察は困難だった。




 すでに砲戦が始まってから三十分以上が過ぎている。
 両翼の敵艦隊が増援として現れたとしてもおかしくない頃合いではある。
 あるいは退路を抑える形で挟撃してくる危険がないとも言えない。

「……沖波の言う通りだ。敵の動きが不透明だし、何より扶桑たちをこんな場所で失うわけにはいかない」

 戦線を下げる必要がある、というのが艦隊をまとめる球磨たちの考えで武蔵も同感だった。
 このまま前線の維持に固執していては、孤立して各個撃破されかねない。
 それで方々で戦う艦娘たちの後退を助けるのが、武蔵たちが負っていた役割だった。

「戦艦棲姫は私が相手をする。二人は扶桑や白露たちを助けてやってくれ」

「待ってよ、武蔵さん。清霜も沖波姉様も戦えるよ?」

「戦えるからこそだ。私に何かあっても安心して託せる」

 言ってから武蔵は苦笑する。
 これでは遺言のように取られかねんな。

「もちろん、やつに後れを取る気などないぜ。何せ私は武蔵だからな」

 不安を感じさせないように武蔵が笑い飛ばすと、清霜と沖波も顔を見合わせてから武蔵の元を離れていく。
 戦艦棲姫は武蔵が射程内に入っているにもかかわらず、未だに撃ってこない。
 どうやら先制させてくれるようで、以前の交戦で痛みがどうとか言っていたのを思い出す。
 こちらを侮っているのではなく、単純にそういう相手なのだろう。

 しかし、それを差し引いても戦艦棲姫を相手にすれば、こちらもただでは済むまい。
 ここに来るまでの交戦で何度も被弾している。見た目はともかく艤装内の調子はさほどよくない。
 戦艦棲姫も決して無傷ではないが、これから相手をするにはやはり不安が残る状態だった。
 いずれは倒さなくてはならない相手だが、果たして今かかずらわうのは得策だろうか。

 そこまで考えた武蔵は、内なる弱気の虫を意識の外へと追いやる。
 こうして海に出てしまえば相手は選べない。時と場合もだ。
 ならばやってやるまで。上等じゃないか。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず……やらせてもらうぜ、戦艦棲姫」

 遠目に見る戦艦棲姫は笑いながら待ち構えているようだった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 トラック泊地に襲来した航空隊は述べ五百機あまり。
 戦闘機隊や艦娘を突破してからは、迎撃らしい迎撃を受けることもなく泊地を蹂躙していった。
 二波に渡っての攻撃は時間にすれば十五分ほどでしかないが、爆撃に晒される提督からすれば感覚が引き延ばされたような、もどかしい時間だった。

 秋島に設置されたレーダーサイトは真っ先に標的となり破壊され、夏島にある大小複数の飛行場にも爆弾の雨を降らせた。
 もちろん基地司令部にも空襲は及んだ。
 ただ航空隊は猛威こそ振るったが、泊地が有する全ての機能を不全に陥らせるには力不足だった。
 敵が冷静であれば、攻撃の成果は不十分と判断するはずだ。

 第一次空襲が収束してから、およそ五分。
 司令部に詰める提督は集まってきた被害状況を確認しながら、それぞれに対応のための命令を下していく。
 各飛行場への被害は小さくないが、すでに工兵や妖精たちによって爆撃痕を鉄板で塞ぐなどの応急処置が始まっている。
 人間の航空機も運用できる大型の飛行場は後回しにさせていた。
 今はまず戻ってくる基地航空隊を受け入れできる状態にし、迎撃機を再度空へ上げられるようにするのが急務だった。

 司令部施設や港湾周辺への被害が小さいのは幸いだった。
 攻撃の手こそ及んでいたが、元々これらの施設は堅牢に作られている。
 特に工廠などは設計上なら武蔵の艦砲にも耐えられるよう建設されていた。
 ただ、今回の攻撃はまだ一次空襲に過ぎず、二次三次と攻撃が続けばどれだけ被害が拡大していくのかは予断を許さない。

 対応に追われる提督の前にコーワンが現れたのは、そんな折だ。
 提督は怪訝な顔を向ける。
 泊地にいる深海棲艦たちには避難して身を隠すよう伝えていた。
 実態がどうであれ、提督からすれば彼女たちは守る対象なのだから。

「コーワン、まだ避難していなかったんですか?」

 思わず敬語が出てくるのは、コーワン相手にはそういう話しかたをしていたせいだ。
 それにコーワン本人にはそんな話しかたをさせる雰囲気もある。姫というのが肩書きだけではないかのように。
 コーワンは硬い顔つきで首を横に振る。
 泊地にいる間は穏やかな表情を見せることが増えていたコーワンも、さすがにこの時ばかりは違った。




「提督……私ノ配下タチモ……戦力ニ加エテホシイ」

 コーワンの言ってることが分かるだけに提督は聞き返す。

「待った、あなたたちは戦うのが嫌で亡命してきたのでは?」

「確カニ我々ハ戦イヲ避ケヨウトヤッテキタ……シカシ……コノママデハ守レナイ……戦況ガ思ワシクナイノハ分カル」

 コーワンは硬さを残したままの顔で憂う。
 難しい決断を迫られて、他には手立てが思い浮かばなかった時にするのと同じ顔だ。

「ココハ我々ヲ受ケ入レテクレタ……ダカラ……」

 守ろうとするなら戦うしかない。
 続くはずの言葉を想像して、それが出てくる前に提督は聞いていた。

「……深海棲艦の何人がそう言ってるんで?」

「……全員」

「全員?」

「私モ同ジ……戦エルノナラ戦ッテイル……」

 今になってコーワンが苦い顔をしている理由が分かった気がする。
 戦うのを部下に押し付ける形になってしまっているせいか。
 コーワンが泊地に現れた時に身につけていた艤装はここにない。
 大本営と交渉した際に研究目的で本土へと回収されていた。
 コーワンとしても戦う意思がないのを示す証明と考えたのか、二つ返事で応じている。
 深海棲艦たちの反乱に備えての措置でもあったのだろうが、事ここに至っては裏目に出てしまっている感が否めない。

「オ願イダ、提督」




 提督は溜めた息を鼻から深々と出す。体の節々に緊張と疲労が広がっているのを感じる。
 庇護対象として考えない場合でも提督には懸念があった。
 どこまで深海棲艦を当てにしていいのか。
 それは個人的な不安にも近く、不自由な左手に提督は視線を落とす。

 トラック泊地にいる深海棲艦はおよそ二十。
 これを艦娘と合わせれば戦力比は四対一にまで縮まり、六対一よりはずいぶんまともな数字に思えてくる。
 泊地を守り艦娘の被害を抑えようとするならば、答えは自ずと決まる。
 ……これも奇縁か。

「それなら深海棲艦たちは港を守ってほしい」

「……承知シタ」

「よろしく頼む、コーワン」

 提督は頭を下げていた。
 伸るか反るかの話で、どうするも何も受けるしかない。
 上手くいけば劣勢が少し好転し、下手を打てば劣勢がさらに悪くなるだけ。
 選択した結果のリスクと、何もしなかった結果のリスクを天秤にかけるという話。
 そして与えられた可能性には乗るしかない。というのが提督の持論だった。

「ソンナコトハシナイデ……」

 コーワンの制する言葉に提督は顔を上げると、そのまま咳払いをして気を取り直したように言う。

「一時間以内に第二次攻撃隊がやってくるはずだ。そこで少しでも敵機を減らしてほしい」

 艦娘たちとの連携も取ったことがないのに、いきなり増援には出せない。
 そんなことをすれば混乱を招いて逆効果になる恐れもある。
 ならば目の行き届きやすい近くにいてくれたほうがいいという判断だ。

「ヲキュータチデハ防ゲナイト……?」

「攻撃を遅らせたり、敵機動部隊に被害は与えられるはずですよ。だが阻止となると……」

 八艦隊と二航戦の働きには期待していても、二次空襲の阻止そのものは難しいというのが提督の見解だった。
 日没までに最低でも、あと一回は空襲に耐えなければならない。

 こうなってくると提督の懸念は海戦の推移だった。
 この戦いで泊地を守り抜けるかはこの空襲による結果と、艦娘たちに今の海戦でどれほどの被害が生じるか次第だ。
 前線はなるべく維持してほしいと伝えているが、それが不可能なのは分かっている。
 最終的には四人の姫級を撃破するなり、敵の主力に大打撃を与える必要がある。
 しかし、そのための打開策を未だに提督は見出せていなかった。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ネ級と出会ったらどうする?
 鳥海は自身に向けた問いかけに、まずは呼びかけてみようと答えを出していた。
 呼びかけてみて、伝えられるなら自分の気持ちを伝える。
 それが司令官さんに伝えたいことなのか、ネ級に問い質したいことなのかはっきりしなくとも。

 鳥海ら第八艦隊は空母棲姫の機動部隊を目指していたが、その途上で飛行場姫の艦隊に針路上に先回りされていた。
 敵の布陣は広く散開しているだけに迂回は困難と見て、鳥海は飛行場姫へと目標を切り替えた。
 散開しているなら、正面の戦力は薄く突破そのものは難しくないはずという計算もある。
 敵機動部隊への攻撃は後ろに控えるニ航戦に託し、鳥海たちは前衛にいた護衛要塞を撃破してすぐのことだった。

「見えた、飛行場姫だよ。それにネ級たちもいる」

 島風が目ざとく伝えてくる。鳥海も敵の陣容を確認する。
 飛行場姫の前後にはネ級とツ級が付き従い、他にも複数の重巡リ級と駆逐ネ級が周辺を警護していた。
 数で言えば、今のこちらとほぼ同数といったところ。

「飛行場姫にネ級……向こうから来てくれるなんて」

「どうする気、鳥海?」

 高雄に訊かれ、鳥海は自問と同じ答えを返す。

「ネ級に話しかけてみます。反応がなかったり撃たれてしまったら……それまでですが」

 会話は望めないかも。ネ級はすでに艦娘たちと交戦してしまっている。
 それでも、これはネ級に接触する好機だった。もしかすると最初で最後の。
 だから、それまでなんて簡単に見切りをつけてしまいたくない。
 諦めるなら諦めるなりに納得できるだけのことはやらないと。
 そう考えた矢先にヲキューが一人だけで突出していく。




「待って、ヲキュー! まだ相手の出方が……」

「気ヅイテタ? サッキハ私ヘノ攻撃ガナカッタ……空母ガコンナニ近クニイルノニ」

 言われるまでもなく、鳥海もそれには気づいている。
 護衛要塞はヲキューを攻撃対象とは考えていないようだった。
 だけど飛行場姫たちもそうだという保証はどこにもない。
 もう少し様子を見てからでも、と言おうとした鳥海にヲキューが振り返える。

「私ガ狙ワレタラ……モウ戦ウシカナイトイウコト……」

 普段は表情に感情を出してこなかったヲキューが、この時はほほ笑んでいた。自嘲するような寂しさを漂わせて。
 そんな顔をして。感情を出すなら、もっとちゃんと笑わないと。
 鳥海の内心を呑み込むように、砲撃の発砲炎が飛行場姫から生じた。

「鳥海、反撃するわよ!」

「少しだけ待ってください!」

 すでに砲戦距離に入っているローマを制すると、鳥海はあえて弾着まで待った。
 大気を切り裂く飛翔音を伴った砲弾が、鳥海らの前方に落ちていく。
 果たして飛行場姫たちは撃ってきたけど、ヲキューを狙ってはいなかった。
 この砲撃にもヲキューを鳥海たちと分断しようという気配を感じる。
 となるとヲキューの近くにいては、かえって流れ弾を集めてしまうかもしれない。

「反撃します! 目標は各自、臨機応変に判断してください。ただしネ級には私、飛行場姫にはヲキューが当たりますので、それ以外の相手をお願いします」

 敵艦隊も散開していく。
 あちらも各個撃破という方針なのかもしれないけど、こちらとしてもおあつらえ向き。
 すぐにネ級の未来位置と交わるよう舵を調整する。




 鳥海はペンダントに触れて深呼吸を一度。
 緊張している。高揚とは違う、不安に近い緊張。
 あのネ級が司令官さんだとは今でも思えない。
 なのに話そうとしている。それが正しいかは分からない。
 それでも私はあなたと話したい。あなたを知ろうと思っている。

「――聞こえますか?」

 暗号化もされていない通信帯域で鳥海は話しかける。
 どう呼べばいいのだろう。迷い、名前を呼ぶのはやめた。

「聞こえますか? 私の声が……私が分かりますか?」

 返事はない。分かってる。このぐらいじゃ何もしてないのと同じ。
 これだけ近いんだから聞こえているのは分かっている。

 ネ級の姿は前回の戦闘から少し変わっているらしい。
 右目のほうが例の黒い体液で隠されているようで、体からは金色の燐光がこぼれている。
 戦うことになれば、ますます強敵になってるのかもしれない。
 さらに鳥海は呼び続ける。ネ級は未だに砲撃の一つもしてこない。
 そしてネ級が応えた。

「私ニ言ッテイルノカ?」

 抑揚に欠けた深海棲艦の声に、鳥海は思わず言葉を詰まらせた。
 ネ級が問いかけを重ねる。

「オ前ハ私ヲ見テイル……ドウシテダ?」

「それは……あなたが司令官さんだったかもしれないから……!」

「司令官……?」




 苦い気持ちを噛みしめながら鳥海は言い返していた。
 ネ級が司令官さんのはずがない。それなのに私は何かにすがろうとしている。
 希望とも絶望とも言える、不確実な可能性に。

「そうです! 私は司令官さんの秘書艦で、高雄型四番艦の……」

「……馴レ馴レシイナ、艦娘!」

 ネ級が遮ると双頭の主砲が一鳴きして鳥海へと指向する。
 狙われてる。鳥海が反射的に主砲を操作しそうになるが、前方へと構えただけに留める。
 まだ何も伝えられてない。何も割り切れていないのに。

「私ハオ前ナド知ラナイ。私ニ何ヲ思オウト勝手ダ……何ヲ求メルノモ構ワナイガ……」

 ネ級の体から発している金色の光の明滅がはっきりしていく。
 戦闘体勢に入るように姿勢を低く下げると、ネ級の主砲たちが威嚇するように歯を打ち鳴らす。

「私ニオ前ヲ押シ付ケルナ!」

 拒絶の言葉とともに主砲たちが砲撃を放った。
 鳥海もまた転進し変速。回避のために蛇行するような機動を取り始める。
 戦うしかない? こうなるしかなかった?
 疑問に絡み取られながらも、それでもここで沈むわけにはいかないと強く意識する。

「司令官さん……いえ……ネ級!」

 砲弾が近くに落ちて、衝撃が体や艤装を震わせていく。
 ネ級はこちらを見ている。そこにある感情は読み取れないけど、一つだけ分かっているのは向こうは本気ということ。
 戦うしかない。その現実を嫌でも痛感するしかなかった。


ここまで。それと乙ありでした

乙です



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ネ級は表面上こそ平静を装っていたが、内心では少なからず動揺していた。
 それは交戦に至った今でも変わっていない。
 初陣と違って強烈な攻撃衝動には駆られていないが、今の状態を思えば逆に衝動に身を委ねられれば楽だったのにと思う。

「ナンナンダ、アノ艦娘……」

 巧みに砲撃を避けた眼鏡の艦娘は、速度を上げると後ろを取ろうと快速を発揮し始める。
 こちらも速度を上げ主砲たちが迎撃を続けるが、砲撃の瞬間を見計らったかのように艦娘は体を横にずらして変針してしまう。
 ことごとく、こちらの予測を外すように。

 距離はやや遠く、近づけば命中精度も上がる。
 当たらないなら当たる距離まで近づけばいいし、それができるのは分かっていた。
 そうしないのは、あの艦娘と間近で接触するのを警戒しているからだ。
 あの艦娘はどうしてだか心を揺さぶってくる。
 そして応射はまだ来ない。代わりに声が飛んでくる。

「もう少し話を聞いてください!」

「今更ダナ!」

 なおも艦娘は語りかけようとしてくる。この期に及んで。
 ともすれば、その声に引き込まれてしまいそうな己をネ級は自覚している。
 艦娘の声は誠実だった。そして、どこか切迫もしている。

 だからこそネ級は畏れを感じていた。
 できてもいない覚悟を求められているような感覚を味わう。
 私の動揺が乗り移ったように主砲たちも困惑しているのを感じる。
 さっきから砲撃がかすりもしないのは、それだけが原因ではないが。




「教えて! あなたは本当に……司令官さんだったんですか!」

「分カラナイコトヲ!」

「では……あなたはどうして私たちと戦うんですか!」

「バカヲ言ウ……私ハ深海棲艦ダ! 艦娘ト戦ウニハ十分ナ理由ダロウ!」

「私たちに協力してくれる深海棲艦もいます!」

 それは知っている。現に今、飛行場姫がそのヲ級の相手をしている。
 だが、それと私は関係ない。むしろ相手のペースに引きずられてしまっている。
 だから無視する。

「オ前コソ……艦娘ダカラ戦ウノデハ?」

 ……無視すればいいと思うのに、自分からそんなことを言っていた。
 そもそも初めから応じなければよかったのに、それができなかった理由も不可解だ。
 答えなくてはならないと、その時は感じていた。
 今もまたそうなのかもしれない。聞かなければならないと。

「……初めはそうでした。今でもそういう部分はあります」

 律義にも艦娘は答えてきた。
 こちらの攻撃を避けながら反撃はせず、しかし砲口は常にこちらを追っている。

「だけど艦娘だから、そんな立場だからというだけじゃありません」

「ナラバ……ドウシテ」

「私には今も以前も望みがありますから……」

「望ミ……?」

 ネ級は胸中でも、おうむ返しにする。
 よく分からない概念だと思い、それ故に自分に当てはめられない。




「私の名前は鳥海です」

「チョウカイ……鳥海カ……」

 名乗られた名を口の中で転がす。
 初めて聞くのに、ひどく大切なことのように聞こえる。
 そう感じてしまうのは、この頭のせいだろうか。私に宿るもう一人の影のせいで。
 司令官……それが私の頭にいるのか?

「あなたには何があるんですか、ネ級」

 何もない。
 即答に近い速さで浮かんでしまった答えにネ級は慄然とした。
 知らず歯を噛みしめ、今なおこちらを追いつめようとしながらも手を出さない艦娘に意識を集中する。
 戦うしかない。それ以外にないのに、それ以外を求めてくる。
 あの鳥海は未知だ。
 危険だと思う一方で、興味も引かれてしまう。それはあまり望ましくないのかもしれない。

「あなたの望みは……私たちと争うことなんですか?」

 知らない。
 分かるのは、このままでは私は動けなくなる。
 だから耳を閉ざし鳥海の動きにだけ注目し、主砲たちと意識を通わせるよう努める。
 相手の動きは速い。しかし私ほどではない。故に対抗できる。逃げ回るのをやめ、正面から向かい合う。

 主砲に二秒の間隔を空けて撃たせる。両大腿部の副砲もさらに数秒遅らせて予想した移動先に向けて発砲開始。
 鳥海が左右に動いて回避するが、副砲の射界に飛び込み被弾するのが見えた。

「どうしても戦うしかないんですか!」

「オ前ハ違ウノカ!」




 聞かれ、叫び、ネ級は今度こそ無視すると決めた。
 副砲での発砲を継続し、主砲たちには逆に射撃間隔よりも照準の補正に集中するよう伝える。
 鳥海は副砲の網から逃れたが、すぐに主砲弾に追い立てられた。
 足が鈍った様子もなく、一発二発当てた程度では大した損傷にならない。

「この……分からず屋!」

 ついに鳥海も撃ってきた。
 しかしネ級の意識は別のところにあった。
 なぜ、こうにも鳥海は私に感情をぶつけようとしてくる?
 そして、私はなぜ耳を傾けようとしている?
 その疑問は前後左右の四方を水柱で包まれたことで阻害された。
 挟叉、というよりも包囲されている。

「次は当てます……!」

 最後の警告だと言わんばかりの声。
 今の言葉に嘘はなさそうだった。
 この精度なら、初めから当てようと思えば当てられたということか。
 鳥海という艦娘は強敵だ。戦闘経験が豊富とは言えないが、それでも分かる。

「面白イ……ヤッテミロ」

 だが望むところだった。そうなれば戦うしかなくなる。
 分からないことを聞かされるよりも分かりやすくていい。
 身を焦がすような攻撃衝動は沸き上がらないが、そんなのはどうでもよかった。これは私の問題だ。
 その時、鳥海へと横殴りに砲撃が浴びせられ、彼女は逃れようと即座に面舵を切って離脱をかける。

「援護スル……」

 抑揚を抑えたツ級の声が割って入り、両腕の両用砲が火を噴く。
 広範囲にばらまくような撃ち方だが鳥海には当たらない。
 ツ級が追撃しようと、弾幕を張りながら鳥海との距離を詰めていく。
 一度は離脱した鳥海もすぐに体勢を立て直すと、視線と主砲をツ級へと向けるのが見えた。
 おそらく、この狙いもかなり正確なはずだ。




「離レロ、ツ級……オ前デハ鳥海ノ相手ハ無理ダ」

「アレガ鳥海……」

 こちらの声が届いているはずなのに、ツ級はなおも鳥海へと迫っていく。
 ネ級はツ級に急行しながら、主砲たちも砲撃を見舞う。
 命中はしないまま、鳥海はツ級へと狙いを定め、そして撃った。

 危険を察知したのか、ツ級が直前に右へと切り返す。
 しかし鳥海の砲撃は吸い寄せられるようにツ級に集まる。
 ほぼ同時のタイミングで到達した十発の砲撃がネ級の間近に落ちていき、何発かが違わず直撃したようだった。
 ツ級が頭を大きく振る。一弾が頭部に命中したらしいが、仮面のような外殻によって弾かれたらしいのは幸運だった。
 すぐにツ級も撃ち返すが、砲のいくつかは今の攻撃で沈黙したらしい。
 ツ級の前に先回りできたのは、鳥海の次弾が到達する前だった。

「何ヲ……!」

「アイツハ私ニ任セレバイイ」

 ツ級の声を背中に受けながら、ネ級は両腕を盾代わりに掲げる。両腕から粘性のある黒い体液が流れるよう、にじみ出してくる。
 鳥海の放った次弾が降り注ぐ。
 痛みと衝撃、そして熱さが渾然一体の激震となって体を襲う。
 それらは長続きはしないで、感覚の彼方へと押しやられて消えていく。
 ネ級は腕を開いて前屈みになると、単眼を明々と輝かせる。

「オ前ハ……ヤハリ私ノ敵ダ」

 初めからこうなるしかなかった。
 距離を取ったままの鳥海に見返され、ネ級は金色の眼差しを向ける。
 ツ級をやらせるわけにはいかない。
 頭の中で何かがざわついている。この判断は正しくないとでも言うように。
 もう一人の私にとってはそうかもしれないが、私にとってはこれで正しい。
 ……理由を持ち合わせないまま、私は自分にそう言い聞かせた。


短いですが、この辺で。土日使ってがんばりたい
ともあれ、乙ありでした

追い付いた
乙乙

乙乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ヲキューは飛行場姫と相対していた。
 周囲では艦娘と深海棲艦たちがそれぞれ一騎打ちに近い形で交戦し、こちらも構図としては変わらない。
 他と違うのは私は仮設の主砲を撃たなかったし、飛行場姫も砲撃こそすれど当てようとはしていなかった。

「当テテモ構ワナイノニ……」

「ソチラコソ……ワザト外シテイマスネ……」

 姫が本気で沈めに来ていたら、とうに海の藻屑へと変えられている。
 戦艦相当の大口径砲弾を撃ち込む合間に、飛行場姫が接触してきていた。
 深海棲艦同士の秘匿回線によるもので、傍受を警戒してだろうというのは推測できる。
 堂々と話しても不都合はないが、姫はそう考えていないらしい。

「……ドウシテ艦娘ニ与シテイル? 戦闘ヲ強要サレテルノデハ?」

「誤解ガアリマス……」

 警戒と戸惑いを漂わせた声に、秘匿回線を利用している理由が分かった気がする。
 ヲキューは静止するように大きく減速すると、両手を下げて体を開くような姿勢を取った。
 無抵抗の意思がないと示すために。
 飛行場姫も訝しげな顔をしながらも減速する。

「私モコーワンタチモ……何モ強要ナドサレテイマセン」

「……何モ起キテイナイノ? 質ヲ取ラレタトカモナク?」

「私ガココニイテ……同ジ深海棲艦ト戦ッタノモ……全テハ私ガ決メタコトデス……」

 ヲキューの言葉に飛行場姫は驚きの表情を浮かべる。
 予期していなかった反応らしく、飛行場姫は信じられないといった体で訊く。




「言ワサレテイル……ワケデモナイヨウネ」

「……ハイ」

「何ガソウサセタ?」

「コーワントホッポ……ソレニ彼女タチヲ慕ウ仲間ヲ守ルタメニ……コレガ最善ト思ッタマデデス」

 ヲキューにとってはごく自然な決断だった。
 説明しながらヲキューは思い出す。
 鳥海がこの決断はつらいものになると言っていたのを。
 そのときは漠然とそうかもしれないと思った程度だった。
 ヲキューも他の深海棲艦も同族意識というのは薄い。少なくともヲキューは少し前まで意識するようなことはなかった。
 しかし目の前に見知った飛行場姫が現れれば、警句の意味も理解してしまう。

「アナタコソ島ヲ離レテ、コンナトコロマデ来タノハ……コーワンタチヲ案ジタカラデスカ?」

「別ニ……コノ戦イガ分水嶺ダト……ソウ感ジタカラ来タダケ」

 素っ気ない返しだが指摘は正しい。
 ヲキューはそう判断すると、つらつらと言う。

「環境ヤ立場ハ変ワリマシタ……シカシ己ニ課シタ役割マデハ……変ワッテイマセン」

 コーワンは私が命を懸けていいと思える相手だった。
 ホッポは守りたいと思え、そして今なら連帯感を持ち合わせた者たちもいる。
 艦娘たちも私たちと向き合おうとしていた。

「私ガ決メタコトデス……誰ニ言ワレタ覚エナド……アリマセン」

 ヲキューの言葉を受け止めた飛行場姫が息を呑む。
 姫はそのまま直視するよう、油断のない眼差しを向けて訊く。

「オ前ハ深海棲艦ガ人間ヤ艦娘タチト……本当ニ生キテイケルト思ッテイルノ?」

「分カラナイ……コーワンナラ、ソウ答エルデショウ。私ニモ分カリマセン……デスガ尽力ハ惜シマナイツモリデス……」




 気がついてしまえば、私の周りには多くがあふれていた。
 自分よりも価値があると思えるものでいっぱいに。だから。

「思ウダケデハ……何モ分カリマセン……デキルカハ我々次第デモ……深海棲艦ト艦娘ハ同ジデハナイノデス……鏡写シノ……隣人ノ……」

 ヲキューはそこで言葉を詰まらせる。
 切迫した気持ちがあるのに、それが形になって思うように出てこない。
 言いたいことを言葉にするには、まだ語彙が足りなかった。

「……モウ一ツ訊イテオク」

 ヲキューが言葉を探している様を飛行場姫はまじまじと見ていたが、おもむろに切り出す。

「コチラニ戻ルツモリハアル?」

「アリマセン……」

「ソウ……敵同士トイウコト……」

 確認するような姫の呟きにヲキューは頷きかけて、すぐにやめた。代わりに言う。

「ドウカ……退イテハクレマセンカ? アナタトテ……コーワント争ウノハ望ンデイナイハズ」

「……冗談デショ。話ニナラナイ」

 心底呆れたとばかりの声。
 飛行場姫が強い視線と共に、巨大な顎のような艤装に載せた主砲をヲキューへと向ける。
 冷たく硬質な砲口が狙いを定めたのか、ある一点で静止した。
 動けずにたじろぐヲキューをよそに、飛行場姫は一蹴するように言い放っていた。

「提案シテルツモリナラ……自分ガ優位ニ立ツカ……我々ヘノ利ヲ示シテミナサイ」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海がツ級に向けて放った砲撃は間に入ったネ級に阻まれていた。
 ネ級の体に命中の閃光が生じ、黒い飛沫が爆発の中に別の黒色として混じる。
 今度は逆にネ級からの反撃が届き、艤装に砲弾が正面から衝突してのけぞるよう押し返された。
 追い撃ちをかけるようにツ級の連続砲撃が来る。
 広範囲に振りまいたような砲弾が、変則的な之の字を描いて避ける鳥海を追い立てていく。

「あなたたちとは勘が合うみたいですね……!」

 思わず鳥海は口に出す。
 予想通りの動き方をしてくれて簡単に当たってくれるかと思えば、すんでのところで回避して大きな被害に繋がるような当たり方にはならない。
 こちらもそうだし、向こうの二人にとってもそれは同じようだった。
 そのせいで被弾こそ重なっていても互いに余力を残したまま、体力を削り合っているような状態になっている。

 意図してできるような状態じゃない。摩耶や姉さんたちと模擬戦で撃ち合うと、たまにこんな状況に陥いる時がある。
 お互いになんとなく動きが読めてしまったり、機動が噛み合ってしまう場合に。
 だから勘が合うとしか形容できなかった。

「ソンナモノ……合ッテイルワケ……!」

 砲撃と一緒になって言い返したのはツ級のほうだった。
 事前の分析と違い、かなり積極的に攻撃をしかけてきている。
 弾幕を張りながら執拗に距離を詰めようとしてきていて、ずいぶん攻撃的な印象だ。

 ツ級からは攻めようという気迫を感じるけど、それが前に出すぎている。
 攻撃ばかりに気を取られて、どこか単調に思える動き。
 ならば、それに合わせるまで。予想針路上に向けて砲撃しつつ離脱を図る。

 こちらに迫りつつも後逸していく砲撃を横目に、支援に回っていたネ級が砲撃の未来位置へと先回りしていくのを見る。
 同じようにツ級の動きを先回りしているのか、それとも私の動きに合わせているのかは分からない。
 ただ、この砲撃もネ級が肩代わりするように当たっていく。
 怖いのは、やはり彼女のほう。
 さっきからツ級へ直撃しそうな砲撃を何度も防いでいるけど、動きが鈍った様子はまるで見受けられない。




「本当にツ級を守ろうとして……」

 木曾の指摘を鳥海は忘れていない。
 ――ネ級はツ級を守るよう行動する。
 前回の海戦と異なる点として、今のネ級は自身をコントロールしているらしい。
 ツ級から一定の距離を保ったまま、こちらに合わせて対応を変えてきている。
 いっそがむしゃらに突撃してきてくれるほうが、まだ楽だったのに。

「仕留メル……」

 ツ級がつぶやくのが聞こえてくる。
 仮面のような頭部の奥では敵意を向けているはず。
 ネ級の双頭の主砲もこちらを指向しているのを見る。
 左右に視線を巡らし逃げ道を探す。今回はよくないかもしれないという予感が急速に膨らんでいく。
 せめて、どちらか一方なら。そう考えた矢先だった。
 ツ級の背中に着弾の光が瞬き、体勢を崩すのが見えた。予想外の攻撃にネ級も視線を外して砲撃の手が止まる。

「こちら島風、今から加勢するよ!」

「いいところに来てくれました!」

 二人の深海棲艦の背後から、島風が三基の自立型連装砲を引き連れて高速で近づいてくる。
 見る見る近づいてくる島風が砲撃を浴びせていくと、ネ級たちの動きが乱れた。
 ネ級は私と島風のどちらを狙うかで、ためらったかのように交互に首を巡らし、ツ級も島風へと注意が逸れる。
 それは明確な隙だった。

「そういうことですか……ここで形勢を逆転させてもらいます!」

 この二人の弱点は戦闘経験の少なさでもあるんだ。
 今みたいに突発的な事態に直面すると、動きが硬直して対応が二手も三手も遅れてしまう。




 もしも私が同じ立場ならツ級を島風に当てる。
 島風と連装砲ちゃんたちを相手にしようとするなら、広範囲により速く砲撃できるツ級のほうが相性がいいはずだから。
 だからこそツ級を今一度狙う。ツ級を無力化して、その上でネ級と……決着をつけなくては。

 島風が注意を引きつけている間に、鳥海もまた四基八門の主砲を一斉射した。
 撃ち出された徹甲弾が放物線を描いてツ級へと飛翔する。
 遅れてネ級が鳥海の砲撃に気づくが、その時には砲弾は間近に迫ってた。

 島風を注視してたツ級も砲撃に気づいて振り返ろうとするが、それは命中の直前でもあった。
 一弾が巨腕じみた右の艤装に当たり、上段の砲塔を基部から抉るように弾き飛ばして空へと舞い上げる。
 別の一弾はツ級の足元に落ちて脚部を傷つけ、さらに別の砲弾が頭部の左側をかすめるように命中すると外殻の一部を削り取っていった。

「ツッ……!」

 ツ級は苦悶の声をあげるも、たたらを踏むようにしながら持ちこたえる。
 破損した外殻からはツ級の素顔が一部だけ露出していた。不健康なまでに白い頬と、赤い左目。
 ツ級が怒りに燃えたかのように睨み返してくるけど、どうしてか引っかかるような違和感を感じる。
 その理由を顧みる間はなく、ネ級からの砲撃が来ていた。

 回避するつもりだったのに向こうの砲撃も正確だった。
 頭を思いっきりはたかれたような衝撃を受けて、視界が一瞬真っ白になる。
 砲撃に煽られて、視界が戻った後でも平衡感覚が狂ってしまったようだった。
 痛いというよりも苦しかった。催した吐き気をこらえながら、鳥海は被害状況を確認しようと努める。

 その間にネ級は滑るように島風とツ級の間へと回り込むと、島風に突進していく。
 双頭の主砲たちは鎌首をもたげるようにしたまま鳥海に睨みを利かせている。
 ネ級が島風へと副砲を撃ち始めた。ツ級に比べれば密度は薄いが、それでもかなりの速射性能だ。
 島風は砲撃を上手く避けるも、後から追従する形の連装砲ちゃんたちはそうもいかなかった。
 一基が副砲の直撃を受けると砲身をひしゃげさせて停止し、別の一基は裏返るようにひっくり返ってしまう。




 そして島風とツ級は相対距離を詰めつつある。
 島風が接触を避けるように舵を切るが、ネ級もその動きに合わせてくる。まるで衝突を望んでいるかのような動き。
 密着されたらネ級に敵う道理がない。そして島風に引き離せるかは微妙なところに思えた。

「島風!」

「分かってるって!」

 すぐにネ級へと砲撃の目標を変えるも、ツ級からの攻撃も来ていた。
 構わずに一斉射。島風をみすみすやらせる気はない。
 こちらが砲撃を撃ち込むのと入れ代わりに、ツ級の砲撃が投網のように落ちてくる。
 鳥海が反射的に頭を下げて顔を隠すと、引っかき音を何度も響かせながら艤装が次々と叩かれていく。
 高角砲弾をそのまま撃ちこんで来て、それが命中前に破裂したらしい。
 主要部の装甲こそ抜かれなかったものの、装甲のほとんどない甲板部を破片でずたずたにされていた。

 逆に鳥海が放った主砲弾もネ級へと命中していく。
 双頭の主砲が盾代わりになって何発かを防ぐも、一発が主砲たちをすり抜けて背中に当たる。
 背中から突き飛ばされるようにつんのめるも、ネ級の勢いは止まらない。
 もう一撃浴びせようにも、ツ級の砲撃を避けざるをえなかった。
 タイミングを逸する。島風とネ級はもう近い。

 逃げて、と叫びそうになる。
 ネ級は副砲をつるべ撃ちにしていく。
 次々と見舞われる砲撃に島風がよろめき、ついに一弾が命中すると立て続けに命中が重なっていく。
 ネ級はそのまま動きが鈍った島風の背中を取ろうとしていた。

 ツ級の砲撃が来ていても、鳥海は強引に前へ出る。
 深海棲艦に妨害されて、機能を十全に発揮できなくなっていた電探が息を吹き返したのはそんな時だった。
 同時に声が割り込んでくる。

『コノ海域ニイル同胞……並ビニ人間、艦娘、トラック諸島ノ深海棲艦ニ告グ。双方、交戦ヲ中止セヨ……繰リ返ス……』

 おそらくは飛行場姫の声――ジャミングされてないのか、その声は明瞭に通っていた。
 戦闘の停止を呼びかける声に、島風の後ろを取るはずだったネ級がそのまま手出ししないで行き過ぎるのを見る。
 周囲での砲声も少しずつまばらになっていく。




 ツ級も撃ってこなくなったのを見て、鳥海は島風に近づきながら周囲に視線を巡らして状況の把握に努める。
 周辺の深海棲艦たちの砲撃は途絶え始めていて、鳥海も艦隊に砲撃を中止するよう伝える。
 深海棲艦が手を止めてるのに撃ち続けるのは、墓穴を掘る結果に繋がりそうだと感じていた。
 そうして双方ともに膠着する。

「各艦、被害状況を知らせて」

 鳥海は照準だけはネ級に定めたまま通信を流す。
 ややあって各々が被害状況を伝えてくる。幸いと言うべきで、島風の他には深手を負った者はいない。
 島風も傷つきながらも、連装砲ちゃんを抱えたままネ級から注意を逸らさないようにしていた。

「島風、怪我は……?」

「大丈夫です……他の連装砲ちゃんたちも拾ってあげないと……」

 損傷のほどは中破といったところで、島風本人は健在そうながら額から頬に伝った血が滴り落ちていた。
 ネ級たちへの警戒を解けないまま、鳥海も損傷した連装砲たちの回収に向かう島風を護衛するようについていく。
 その二人をネ級はいつでも攻撃できるように見ていた。

「……本気で撃ったんですね」

 気づけば口にしていた鳥海に、ネ級は驚いたように片目を丸くしたがそれもすぐに消えた。

「何ヲ当タリ前ノコトヲ……」

 当たり前……そう、確かにその通りだった。
 そんなの分かりきってたのに、どうして私は……。
 戦闘が中断したと見たのか、飛行場姫の言葉が変わる。
 姫は鳥海たちのみならず、泊地の提督や他の海域にも通信を流していた。

『スデニ我々ノ戦力ハ理解シテモラッタハズ。艦娘タチハ健闘シテイル……シカシ我々ハ精々三割程度ノ戦力シカ、マダ当テテイナイ……』

 その言葉を裏付けるように、外縁部にいたはずの深海棲艦や護衛要塞たちが水平線上に小さな影法師のように現れていた。

『必要以上ニ血ヲ流ス必要ハナイ……ユエニ要求スル。トラック諸島ヲ放棄セヨ。サスレバ我々ハ諸君ラヲ見逃ソウ』

 有り体に言えば降伏勧告だった。
 信じられない、というのが鳥海が真っ先に思い浮かべた答えだ。
 トラック泊地を放棄できるかという点を除いても、ワルサメと空母棲姫の顛末を知っていれば飛行場姫の言葉を素直に受け取るのは危うい。
 そもそも鳥海たちの一存で決定できるような話でもなかった。
 これは提督が決断しなければならないことだった。




 しかし、この提案が飛行場姫からもたらされたものというのは無視できない。
 飛行場姫と空母棲姫は違う。
 鳥海はやむなくネ級から視線を外すとヲキューの姿を探し求める。
 いた。二人は対峙している。ただ遠目には飛行場姫はヲキューを主砲で狙っているようにも見えた。
 脅されているのか見かけだけなのか。
 鳥海は艦隊内の無線でヲキューに問う。

「信じていいんですか? ダメならとぼけて」

「……アア」

 ヲキューは信用している。
 仮にこのまま交戦を継続するなら、鳥海たちとしては飛行場姫を一点狙いするしかない。
 その結果として飛行場姫を撃沈できる可能性は高いが、同時に鳥海ら第八艦隊も包囲されて壊滅する。
 改めて全体の状況を把握しているであろう提督から、回答が来るまでさほどの時間はかからなかった。

『貴君の提案は十分検討に値すると判じている。しかし急な提案であり、吟味するための時間をいただきたい』

『イイダロウ……明朝ノ○五○○……返事ハソコマデ待ツ……人間ト艦娘ノ賢明ナ返答ニ期待スル』

 明らかな時間稼ぎだけど飛行場姫は乗ってきた。
 話がとんとん拍子で進んでるけど、これは飛行場姫の独断ではないかという考えが鳥海の頭に過ぎる。
 これはきっと先延ばしでしかない。あの空母棲姫が素直に受け入れるとは考えられない。
 だけど、このまま戦闘を継続しても悲惨な結果しか待ち受けていないのは容易に想像がついた。

「ココマデカ……」

 ネ級がぽつりと漏らす。
 油断と警戒を隠さない様子は未だに臨戦態勢のままだと言えた。
 分かっていたのに。ネ級も私を敵と呼んで、私もまた司令官さんの面影を見出せずにいて。

「あなたは……やっぱりいないんですね……」

 連装砲ちゃんを回収していた島風が、その手を止めて見上げてくるのを感じた。
 ネ級は身構えるようにこちらを見続けている。冷え冷えとした眼差しで。
 程なくしてから提督からの後退命令が届き、それを復唱してからも鳥海の体から緊張感は解けなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 武蔵は朦朧とした意識の中で聞く。自然と肩でするようになってしまった呼吸が苦しい。

「戦闘ヲヤメロト……サテ、ドウシタモノカ」

 戦艦棲姫が誰に向けてか判別のつかない問いかけを口にする。
 姫は手傷を負っていた。体の所々に擦過傷があり、艤装を担う豪腕の獣もその両腕を不自然な形に歪め、曲げている。

 しかし武蔵の負傷はそれ以上で体から血が流れすぎていた。さらしを朱に染め、その色はなおも広がり続けている。
 傷だらけの艤装が風に煽られて、鋼同士が食い合うような耳障りな音が響かせる。
 ひび割れた眼鏡を通して、どこか虚ろになりがちな目で戦艦棲姫を睨みつけようとしていた。
 ……ダメだ、どうにも意識が上手く定まらない。
 そんな武蔵に戦艦棲姫は笑う。

「ハッキリ言ウト……アナタニハ失望シテルノ」

 嘲るような悲しむような、曖昧なほほ笑み。
 誰に向けたものなのか。と武蔵はぼんやりと思案するが、それも意識の混濁に呑まれて明確な形になれない。

「アナタハモット手強イト思ッテイタ……アノ名バカリノ戦艦タチト違ッテ……」

「扶桑たちのことを言ってるのか!」

 姫の言葉に武蔵の意識が少なからず覚醒する。
 仲間への侮辱は許せない。痛みも疲れもこの時ばかりは消え去っていた。
 戦艦棲姫は驚いたように目を見開くが、すぐに元の調子に戻る。

「サア……前ノ海戦デ沈メタ艦娘タチノコトカモ」

「貴様……!」

 秘密を打ち明けるように忍び笑いを漏らす。




 こいつは、と叫び出しそうになった武蔵だが、代わりに砲声が一面に響く。
 ただし、それは武蔵が放ったのではなく戦艦棲姫でもない。
 二人よりもはるかに小口径の、駆逐艦による砲撃だった。

「武蔵さん、今から助太刀するよ!」

「清霜か……!」

 白露たちと一緒に後退したはずだったが。
 いや、どうして戻ってきたのかよりも、こいつは清霜の手に負えるような相手じゃない。
 次々と撃ち込まれる砲弾が戦艦棲姫に命中し、撃たれた艤装が唸るように喉を鳴らすがすぐに姫がなだめるように制す。

「アラアラ……健気……セッカクノ提案……ゴ破談ニナッテモイイノカシラ……」

 涼しい顔で砲撃を浴びる姫は、砲撃を受けてること自体に気づいていないような調子で話を続ける。

「トニカクネ……コノグライシカ戦エナイナンテ……ガッカリ」

 戦艦棲姫は首を左右に振り、そして相変わらずほほ笑みを顔に貼り付けていた。

「モチロン……アナタガ最初カラ本調子ナラモット……ダカラ……私モ今回ハ見逃ス」

「なんだと……?」

「ダッテ……ソウジャナイ? アナタヲ沈メタラ……今度ハ誰トノ対決ヲ心待チニスレバイイノ? オ姉サンノ大和……ソレトモ妹サンノ信濃カシラ?」

 愉快そうに戦艦棲姫は笑っている。
 こいつは……この場で刺し違えてでも沈めたほうがいいのかもしれない。
 主砲を撃ち込もうとする武蔵だが、艤装が思うように反応しない。視界も端のほうからぼやけはじめていた。

「分カッテイルトハ思ウケド……アナタタチハアノ子ノ提案ニハ応ジラレナイ……コチラモ今ノママノ提案デハ済マサナイデショウシ」




 それでも見逃すのは……そのほうが戦艦棲姫にも都合がいいからか。
 武蔵はそこで重みに耐えかねるように片膝をついた。顔だけは戦艦棲姫を見上げる。
 清霜も武蔵に並ぶように追いつくと体を支えてくる。その目には涙がたまっているように見えた。

「武蔵さん!?」

「聞コエテイタデショウ……決着ハ預ケテアゲル……」

「そうじゃない! あなたは武蔵さんが怖いから逃げるのよ……!」

 精一杯の声が叫ぶのを聞く。
 やめさせないと。下手に挑発したら清霜の身が危険だ。
 一度はついた膝を立たせる。震えているのは足なのか体全体なのか、もう区別がつかない。
 恐れていた事態にはならなかった。少なくとも今は。

「デハ言ッテオコウカシラ……」

 戦艦棲姫はあくまでも笑っていた。この状況も楽しんでいるように。

「駆逐艦ノオ嬢サン、次モ武蔵ノ側ニイタラ沈メテアゲル……」

 隣で寄り添う清霜が息を呑むのを感じる。
 脅し文句ではあるが、ただの脅しではない。本当にそれをやろうという相手だからだ。

「私ガイル限リ……武蔵ニハ誰モ守ラセテアゲナイ」

 そうか。頭の片隅で思う。私は挑戦状を突きつけられたのだと。
 いや……そうじゃない、逆だ。
 脅威に挑まなくてはならないのは、他でもないこの武蔵のほうだ。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「……言ッタデショウ。要求ヲ通シタクバ優位ニ立テト」

 ヲキューに狙いを定めたままの飛行場姫が、どこか諭すように優しげに言う。
 しかし、それも束の間ですぐになりを潜める。

「黙ッテ退キナサイ……今ダケハ見逃シテアゲル……」

「次ハナイ……ソウイウコトデスカ……?」

 ヲキューの言葉に飛行場姫は何も答えない代わりに主砲の狙いを外す。
 飛行場姫の提案は深海棲艦たちの間にも波紋を呼んでいた。
 反対の急先鋒となると思われていた空母棲姫も、飛行場姫に追従する形で戦闘の停止を命じている。
 もっとも停戦に賛同したわけでなく、直前に二航戦の航空隊による強襲を受けて機動部隊が被害を負ったためだと飛行場姫は見ている。
 あくまで通信からでしか被害状況を把握していないが、予想外の被害を出して混乱しているのは確実だった。
 おそらく空母棲姫としては、追撃を防いで立て直しの時間を稼げるぐらいにしか考えていないだろう。

「……行キナサイ。人間ハ話ヲ受ケタ」

「……分カリマシタ。一ツダケ……教エテクダサイ」

 もしかすると、これがお互いに顔を突き合わす最後の機会になってしまうかもしれない。
 そんな考えを過ぎらせながら、姫は無言で頷く。

「我々ガ去ッタ後……提督ハドウナッタノデスカ……?」

「……知ッテドウスル」

「……艦娘ガズット気ニカケテ……真相ガ分カルナラ……教エテアゲタイ……」

「艦娘ノタメ? 変ワッタワネ、アナタ」

「ソウデスカ……? 私ハ……艦娘モ嫌イデハナク……ムシロ好キデス」

 飛行場姫はヲキューから目を逸らすように視線をさまよわせる。
 伝えるべきか迷い、しかし正直に答える。




「死ンダワ……私ガコノ手デ殺シタ」

 聞かされたヲキューは目立った反応を見せなかった。
 驚きもせず、微動だにしなかったのではないかとさえ思える状態で。

「ドウシテ……ソノヨウナコトニ?」

「彼ガ望ンダ……利用サレルノヲ防グタメニ」

 そこまで話してから、飛行場姫は提督との最後のやり取りを思い出す。

「ヲキュー……アナタハ最期ニ何カ食ベタイ……ソウ考エタコトハアル?」

「イエ……ヨク分カリマセン」

「私モヨ。ダケド提督ハ誰カノカレートイウ物ヲ食ベタイト言ッテイタ」

「……人間ヤ艦娘ニトッテ……食事ハタダノ栄養摂取デハナイノデ……」

「ヨク分カラナイ話ネ……デモ提督ガ……最期マデ提督デアロウトシテイタノハ確カ……ソシテ誰カニ会イタイトモ言ッテイタ……」

 その時に出た艦娘の名前は思い出せない。ヲキューならそれが誰かは当たりがついてるのかもしれない。
 そして飛行場姫は思う。自分は艦娘にとっては仇になるのだと。
 直接手を下したのは、他の誰でもない己なのだから。

「……伝エナサイ。モシ清算ヲ望ムナラ……私ハイツデモ相手ニナルト」

「分カリマシタ……シカシ……艦娘ハアナタガ想像シテイルヨウナコトハ望マナイト思イマス」

「……ドウシテソウ言エルノ?」

「私ガ……マダココニイルカラデス」

 ヲキューは頭を下げると、踵を返すように背を見せる。
 以前は見慣れていたはずの背中を飛行場姫は黙って見送るだけだった。


ここまで。乙ありでした。
一度追いつくと、あとは待たされるばかりなのです……。
次はなるべく早く……と言いたいのですがスイッチとゼルダ買えたので、どうなるのか察しがつく人にはついてしまうかも

乙です

乙乙

乙乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海たちが泊地に戻ってきたのは十七時を回ろうかという頃。
 空襲の難を逃れた二隻の出雲型に分乗し、三十ノットの強速に揺られながらの帰還だった。
 普段から荒波に揉まれがちなので船酔いになったりはしないけど、さしもの私たちも疲れ切っている。
 艦内のそこかしこでぐったりしている姿が散見されたとしても無理もなかった。

 泊地の近海ではコーワンの部下たちが警戒航行をしているのが見えた。
 私たちがいない間、彼女たちが泊地を守ってくれていたらしい。

 すぐにドック入りすると艤装の本格的な修理が始まり、負傷の治療にも傷の軽重を問わず高速修復剤が用いられた。
 陽が沈むまで、まだ一時間半近くある。
 せめて日が暮れるまでは安心しきれない。
 いつでも最出撃できるように警戒態勢こそ解けていないものの、深海棲艦の動きも今のところは収まっていた。
 だけど、これで何もかも元通り──とはならなかった。

「どうして姉様が目を覚まさないのよ!」

「ちょっ、落ち着いてくださいってば!」

 山城さんが夕張さんの両肩を掴んで食ってかかる。ただならない剣幕。
 夕張さんはドックでの現場監督をやっていて、今も治療の責任者を務めていた。
 いけない、と思った時には体が動いていた。
 白露さんと時雨さんもそう思ったのか、三人がかりで山城さんを引きはがすように抑える。
 夕張さんは怯えたような顔をしながら、身を守るように体をちぢこめていた。

「おかしいじゃない、治療は済んだんじゃないの!」

 鳥海ら三人がかりで抑えている山城だが、ともすれば制止を振り切ってしまいそうだった。
 扶桑さんの傷は修復剤で癒えているも、意識を失ったまま眠ってしまっている。
 胸が上下しているので息は間違いなくある。
 だけどこのまま眠り続けるんじゃないかと、そんな不安も抱かせる姿だった。




「姉様にもしものことがあったら――」

「少しは落ち着け。みんなもそう言ってるでしょうが」

 出し抜けに言ったのはローマさんで、いきなり山城さんの額を指で小突く。
 不意打ちに気勢が削がれたのか、山城さんが呆けたような顔をする。私もちょっと驚いた。
 ローマさんがため息混じりに見える調子で続ける。

「私も経験あるけど一日か二日あれば起きてくるわよ。大方、今は長い夢でも見てるんでしょ」

「でも……」

「でも何? 不安になるのは分かるけど、私の知ってる扶桑が見てたら今のあんたを……どうするんだろ?」

 最後のほうは自分でも分かってないようなローマの言葉に、山城の体から力が抜ける。
 山城がどこか憑き物の落ちた顔で周りを見て、それから最後に夕張と顔を合わせた。

「ごめんなさい……八つ当たりしてた……」

「え……ああ! いいんです、私は別にそんな……」

 こちらはまだ、どこかぎこちない笑顔で夕張も答える。
 緊張していた空気が和らいでいくのを感じ、鳥海たちも山城からゆっくり離れた。
 少し張り詰めすぎている部分はあるけど、今はこれでいいのかもしれない。
 鳥海は人知れずため息をつくと、ローマにだけ話しかける。

「ありがとうございます、ローマさん」

「別に……戻って早々、あんなの見せられたら気が滅入るだけだから」

 ローマはぶっきらぼうに答えると、そのままの調子で鳥海に訊く。




「そっちこそ平気なの?」

「私ですか?」

「ネ級と交戦したんでしょ。島風は怪我させられたんだし、あなたもその……気にかけてたじゃない。色々」

 言葉を探すように言う。ローマのそんな不器用に見える様子に鳥海は吹き出す。

「なんで笑うのよ……」

「いえ、ごめんなさい。でも収穫はありましたよ? ネ級は――ネ級でしかないって分かりましたから」

 今の言い方はちょっと不正確だ。分かったんじゃなくって認められた、が正しい。
 ふーん、とローマはどこか気のない返事をする。

「分かってるでしょうけど、あまり気負いすぎることもないから」

「ええ、お気遣いありがとうございます」

 ちょうどその頃になって提督さんがコーワンと一緒にドックまでやってきた。
 ここまで自分から来たのは、まだ今日の戦闘が終わったという確証がないからでしょう。
 提督さんも疲れているだろうに周りには感じさせないようにしたいのか大股で歩いていた。コーワンは唇を引き絞っているからか硬い顔つきに見える。

「みんな、そのまま聞いてくれ。少し前に空母棲姫が提示された要求を変えてきた」

 空母棲姫はこちらがトラックを放棄するだけでなく、コーワンやホッポら深海棲艦全員の身柄の引き渡しも要求してきていた。
 さらに期限も今日の二十一時までに縮められている。
 要求とはいっても、降伏勧告だったのは前から変わっていない。
 それでも飛行場姫の時はコーワンたちには触れず、不問にしようとしていた節がある。




「君たちの意見も聞かせてほしい」

「提督こそどのようにお考えでしょうか?」

 夕雲さんが先んじて尋ねる。その場にいる誰もが考えているであろう疑問だった。

「俺としてはここからの撤退はしたくない。ラバウル方面の友軍を見殺しにすることになるからだ」

 元から泊地の放棄を想定しての漸減作戦もあるにはあったけど、各地の戦力がラバウルに進出しブインとショートランドに橋頭堡を築こうとしている今では難しい案だった。
 一時で済むならまだしもトラック泊地を失えば補給路に大きな制限を受け前線への圧力が強まり、戦線を瓦解させかねない。
 ラバウルも潜水艦隊の脅威にさらされて、補給の成否はますます重要になっている。

「しかし、このまま戦い続けて徒にここの戦力を消耗させるのは、もっと愚かだとも思う。だから改めて他の意見も知りたいんだ」

 深海棲艦側の要求を呑むか否か。つまりは戦うべきか退くべきか。
 飛行場姫も言っていたように、昼の戦闘ではまだ深海棲艦も本腰を入れきっていなかった節がある。
 彼女の言葉を信じるなら、まともに当たれば私たちはやがて敵に呑まれてしまう。小さな波は大きな波に呑まれて消えるのと同じように。
 束の間だけ訪れた沈黙は、ありえないだろという摩耶の声によって破られた。

「大体さ、あの空母棲姫を信用するってのがおかしいんだ。あいつが前に何をしたのか覚えてんだろ」

「あいつはワルサメを撃った」

 鳥海は一瞬耳を疑った。今のは白露の声だったが、いつもの朗らかさがまったく感じられなかったからだ。
 明るさを欠いた声が続く。

「そんなやつをどうして信じられるの?」

「戦うしかなかろうよ。口でどう言おうが、やつらは本心では私たちの始末を望んでいる」

「姉様のことは別にしても、コーワンたちを差し出せということですよね? そんなの話にならないわ」

 武蔵さんと山城さんも白露さんに続く。
 三人の表情は一様に硬くて緊張感を伴っていた。その身を投げ打ってもいいとでも言うように。
 とはいえ、言いたいことは分かる。空母棲姫は要求を呑んだところで、それを守るとは思えない。
 すると多摩さんも手を挙げる。

「多摩も同感だけど、撤退そのものは視野に入れといたほうがいいと思うにゃ」

「島風も多摩さんに賛成です。帰ればまた戻ってこられるって言うし……」

 鳥海は考えをまとめようと自然と視線を下げた。
 誰もが戦うのを是としている。それは私だって……。




「鳥海さんはどうお考えですか?」

 夕雲に訊かれ鳥海は顔を上げた。
 注目が集まっている。こういうのには秘書艦を務めている間に慣れていた。
 だから胸を張る。みんなの意思も明白だから、私も素直に言うだけ。

「退路を確保している上でなら戦うべきだと思います。ここだけでなく、もっと大勢の命も懸かっていますから簡単には引き下がれませんしね」

 けれど、ただ闇雲に戦うだけでも意味がない。いかに相手が強大であったり因縁があったとしても。

「しかし、それで私たちに甚大な被害が生じるようではダメなんです。泊地を守り抜いたとしても、それで今後全ての戦闘が終わるわけじゃないんですから」

 もちろん戦いの風向きは間違いなく変わる。結果が勝ち負けどちらに転んだとしても。
 だけど勝っても負けても、こちらが共倒れになってしまっては意味がない。この先、進むことになろうと押し留まることになろうと。

「提督さんの言葉を拡大解釈するようですが、ここを失うだけなら後から巻き返しもできるはずです。でも私たちが多くの仲間を欠いたり……あるいはコーワンたちを失ったら?」

 ちょっとだけ間を置く。言葉の意味を少しでも考えてもらうために。
 いえ、みんなだって本当は分かっている。たぶん。
 
「思うに、それが私たちの敗北です。積み上げてきた今までとこれからを失うのと同じですから……だから負けないためなら戦うべきだと思っています」

 鳥海はペンダントを握る。
 あなたは生きた。わたしも生きている。生きるというのは可能性に立ち向かうこと……なんだと思う。

「どうやら……聞くまでもなかったか?」

 提督が声を発したのを聞き、鳥海はペンダントから手を離す。
 一同を見渡していき、それぞれの顔に浮かぶ気持ちを確かめていくようだった。
 提督は決然とした声を出す。

「夕張と整備科は修理が済み次第、すぐに夜戦の用意を始めてくれ。向こうは仕かけてくるぞ」

 その言葉を皮切りに、意思確認の場は作戦会議へと変わる。
 今夜の内に起きるはずの夜戦と、その後に来る決戦に向けての最後のすり合わせへと。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「マッタクヨクモヤッテクレタワネ……オ陰デイイ時間稼ギニハナッタケド」

「不満ナノカ感謝シテイルノカ……ハッキリシテモライタイモノダ」

 飛行場姫は空母棲姫に対して露骨に表情を歪める。
 元から虫は合わない。それを隠す気もないまま顔を合わせ続ける。
 深海棲艦はトラック泊地からおよそ四百キロ付近の位置を、四つの艦隊に別れる形で遊弋している。
 その中にあって、四人の姫は一堂に会していた。
 陽が暮れるまでおよそ一時間残っているが日中の攻撃は終わっている。

「感謝ナラシテイルワヨ? 降伏勧告ニシテハ……アノ条件ハ温スギルケド」

 飛行場姫は悪びれた様子も、気分を害した様子もなく応じる。
 別になじる気はない。ただ、やはり合わないというのを再確認するばかりだった。
 空母棲姫率いる機動部隊は飛龍たちの反撃で想定以上の被害を出している。
 飛行場姫が要求を伝え出す少し前の話だった。

「ダカラ……要求ヲ変エタノカ?」

「モット分カリヤスイ降伏勧告ニネ」

 空母棲姫は少し前に人間たちへと要求への返答を早め、コーワンたちも差し出すように通達している。
 どうあってもコーワンたちを始末しないと気が済まないらしい。

「別ニイイジャナイ。長々考エルヨウナ話デハナイモノ……尻尾ヲ巻イテ逃ゲ去ルカ……イサギヨク踏ミ潰サレルカ。ソレダケ」

 そこに戦艦棲姫も話に加わってくる。
 唇が伸びやかな弧を描いていた。今の状況を楽しんでいるらしいが、腹の奥底は分からない。

「アノ艦娘タチナラ継戦ヲ選ブ……キット……間違イナク」

「デショウネ……ソウデナクテハ面白クナイワ」




 空母棲姫はそこで装甲空母姫と顔を向ける。

「全体ノ被害状況ハドウカシラ?」

「戦闘ニ参加シタ艦隊デハ喪失ガ三割弱……損傷モ含メレバ倍ニナル。全体デハ二割ガナンラカノ被害ヲ受ケテイル」

 空母棲姫は口を閉ざすと真顔になっていた。
 さすがに想定を越えていたらしい。

「コノ戦力差デヨクモヤッテクレルワネ……」

「ブツケタ戦力モコチラハ少ナカッタ……トハイエ、モット積極的ニ我々モ動クベキダッタカナ」

「敵ニ与エタ損害ハ?」

「ハッキリトハ分カラナイ……シカシ割ニ合ッテイナイト思ウヨ」

 飛行場姫は空母棲姫が渋面を作るのを見る。
 しかし、すぐにその表情は消えていた。代わりにいつもの薄い笑いが顔に張りつく。

「今夜……予定通リニ夜戦ヲ行ウ……敵拠点ヘ攻撃ヲ仕カケ、艦娘ドモニモ消耗シテモラウトシテ……」

 夜間にトラック泊地に砲撃を実行するのは最初から決まっていたことだった。
 レ級艦隊を主力とした小規模な打撃艦隊で短時間に火力を集中させて速やかに帰還するというもの。
 レ級たちであれば中途半端な迎撃艦隊なら撃退できるし、大部隊が来るようなら速やかに撤退すればよかった。
 艦娘たちは迎撃の必要に迫られる時点で、休息の時間を奪われ負担を強いられるのだから実行して損はない。
 島の陥落を目指すのは、あくまで昼間の攻撃時という前提だった。

「ガ島マデ戻レソウニナイ子タチモ投入シマショウ」

 飛行場姫はその一言に固まった。
 ガ島まで戻れないというのは、つまり応急修理でもどうにもならずに大きな損傷を負っている艦を指している。
 思わず身を乗り出して空母棲姫へと問い質す。




「ミスミス死ニニ行カセルノカ」

「手ノ施シヨウガナイナラ有効ニ使ウ……モシ嫌ガッテ逃ゲルヨウナラ9レ#=Cニ片付ケテモラエバイイノダシ」

 9レ#=Cと言われて、赤いレ級を頭に思い浮かべる。
 あれはずいぶん好戦的な個体だ。空母棲姫の指示に嬉々として従ってもおかしくはない。

「怒ッテルノ? アナタト同ジナノニ」

「私ガ同ジ……?」

「アノ提督ヲ死ナセタデショ?」

「コノ話トソレハ関係ナイ……」

「アルワヨ……アナタハ望ミヲ叶エタノデショウ? 私ノ場合ハ死ニ花ヲ咲カセル機会ヲ与エテアゲルノ」

 当たり前のように言われて飛行場姫は唇を噛む。
 私とお前は違う、という声が出てこない。
 違いを説明できなかった。だから嫌いなはずの空母棲姫と自分が変わらないような気持ちを抱いてしまう。

「最期マデ本懐ヲ遂ゲテモラワナイト。アナタノ配下カラモ……」

「断ル。攻メ落トス気ノナイ戦イニ部下ヲ使ワセル気ハナイ」

「……マアイイワ」




 空母棲姫が改めて装甲空母姫へ話を向ける。

「……アナタオ手製ノ護衛タチモ投入シテ? 夜戦艦隊ノ被害ヲ少シハ肩代ワリデキルデショウシ……陸上攻撃ニモ向イテルハズ」

「護衛要塞カイ? モチロン構ワナイ」

「ヨカッタ、コウイウ時コソ使ワナイト……アレモ問題ノアル同胞ヲ切リ刻ンデ造ッタノヨネ?」

 装甲空母姫が真顔で空母棲姫を見返していた。
 空母棲姫は笑い、戦艦棲姫は話に無関心。私は二人の空母姫を傍観することにした。

「……ナゼ、ソレヲ知ッテイル?」

「秘密ノハズ……カシラ? 逆ニドウシテ気ヅカレナイト思ッテイタノカガ不思議」

「ナルホド……ドウヤラ君ヲ見クビッテイタヨウダ」

「イイノヨ? 評価ナンテ後カラ変ワッテイクモノ」

「ソレデ私ヲドウスル?」

「何モシナイワヨ? アナタハ何モ悪クナイモノ……私好ミデハナイヤリ方デモ……アナタハドッチツカズノ風見鶏デハナイカラ」

 飛行場姫は空母棲姫が視線を向けたのに気づき、眉間に皺を寄せる。
 ああ、なるほど。私だけがここにいるべき理由を本当は持ち合わせていないのかもしれない。
 奇妙な疎外感は話し合いが終わり、自身の艦隊に戻ってからもしばらく消えることはなかった。


ここまで。乙ありでした
終盤だし夜戦やらないで早々に決戦前夜みたいな話に入ったほうがテンポはいいのでしょうが、深海側からすれば夜襲しない理由もないよなと
そんなこんな

乙です

乙乙

おつー



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「コンナクソミタイナ作戦立テヤガッテ」

 赤い目のレ級は悪態をつく。
 同種である五人のレ級に露払いとして四人のリ級重巡を擁した艦隊を従えている。
 その後方には十基の護衛要塞と負傷を負っている深海棲艦たちが続く。
 レ級たちや護衛要塞が巡航速力であるのに対し、負傷を負っている艦は無理に速度を上げている状態で、それでも落伍していきそうな者もいる。
 そういう艦は初めから著しい損傷が認められる状態だ。
 総数で三十四に及ぶ艦隊はトラック泊地に夜襲を行うべく、夜の海を進んでいた。

 赤目のレ級はこの夜戦が気に入らなかった。
 作戦の目的には不満がない。泊地を叩くのも艦娘を相手にするのも、彼女からすれば望むところだ。
 トラック泊地の艦娘はかなり手強いとも認識している。
 日中の戦闘では十人いた同種の内、四人が戻ってきていない。今まで、一度の交戦でそれだけのレ級を失った覚えは彼女にはなかった。
 とはいえ、それもまた彼女からすれば問題にはならない。
 裏を返せば、相手に不足がないからだ。

 しかし手負いの寄せ集め艦隊がいるのは気に入らなかった。
 艦種はバラバラで、足並みはまるで揃わない。損傷の度合いもまちまちだが総じて酷い。
 この場での修復ができないと見なされた者だけが集められたと見て間違いない。
 それを裏付ける命令を受けている。
 そして、それこそが赤い目のレ級が最も気にいらない理由だ。
 督戦隊のような役目を押しつけられていた。

 赤い目のレ級は好戦的だ。しかし残虐な個体ではなかった。
 艦娘は一人残らず排除するべきだと思うし、それを邪魔するのなら人間は元より同じ深海棲艦であっても敵でしかない。
 だが彼女が監視し、沈むまで戦わせるよう言われた相手はそのどちらでもない。
 ただの深海棲艦たちだ。
 戦わせるのはいい。だが逃げ道を潰すというのは、まともな考えとは思えなかった。

 レ級には戦力を無為に消耗させるような方針が気に入らなければ、こんな令を下せる姫は底なしのアホなのかもしれないと思う。それも気に入らない。
 そして、こんな状況を招くほど抵抗している艦娘たちもやはり気にいらなかった。




「アーアー、チョット聞ケ、オ前ラ」

 レ級は無線で声を流す。
 傍受される可能性は気にしていなかった。

「トックニ気ヅイテルダロウガ……コノ中ニハ深手ヲ負ッテルヤツラガイル。自分ガ一番分カッテルンダロウガ……ソイツラハ助カリヨウガナイ……ダカラココニイル」

 レ級は息継ぎのために間を置く。

「嫌ガッテ逃ゲタラ沈メロッテ言ワレテルガ……コイツハクソダ……デモ艦娘トモ戦ワナクチャナラナイ」

 レ級は深海棲艦の雰囲気が変わりつつあると感じていた。
 以前よりも自分のような個体は減ったと彼女は考えている。身体ではなく気質の話だ。
 戦いに消極的な個体ガ増えた。つまらない連中だとは思うが、それ自体に不満はない。

「アタシラト付キ合ッテ死ヌカ……ヒッソリドコカデ死ヌカ……好キナ方ヲ選ベ。止メナイシ強要モシナイカラ」

 姫がどう言おうと気に食わないことは無視する。好きなように戦うだけ。
 赤い目のレ級はそう考えていた。

「ツイテクルナラツイテコイ。艦娘ハアタシラガ潰ス。遅レテクルヤツハ島ヲ直接叩ケ」

 もっとも艦娘もみすみす島を砲撃させないだろうとレ級は思ったが、それはそれだった。
 結局、隊列から抜け出す深海棲艦はいなかった。
 各々がどう感じているのかは、もう関係ない。
 粛々と進む艦隊の中で、レ級の口元から小さな含み笑いがこぼれる。

「存分ニ戦オウジャナイカ」

 やはり戦ってこその深海棲艦だ。こうでなくてはと、レ級は自身の意を強くした。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海たちが再出撃したのは二十三時を回ってすぐのことだった。
 トラック泊地では一部復旧させた基地航空隊の彩雲と共に、秋津洲に二式大艇の夜間飛行を敢行させて偵察を行っていた。
 その大艇が発見したのが夜襲を目的としているらしい艦隊だ。対空砲火の迎撃を受けて、避難しながらも発見の一報を送ってきていた。
 夜間なのと迎撃を受けて詳細な敵編成は分かっていなかったが、レ級を含んでいるらしいのと航速に合わせて二群に分かれていること。そして三十隻ほどの規模なのが伝えられていた。

 その知らせを受けて、泊地からも総動員で迎撃に当たっていた。
 敵の射程距離なども勘案して、戦闘は泊地から百キロ圏内を想定している。これなら出雲型で二時間以内に送れるし、戦闘後の回収や修理も速やかにできるというのもあった。

 二隻の出雲型に艦娘たちが乗り込み、鳥海は直掩として出雲型と併走している。
 自分から希望しての護衛で、夜風に当たって気を紛らわせたいという思いもあった。

 肉眼、電探どちらとも敵の姿はまだ確認できない。
 接触までまだ一時間はあると目されていても、互いの針路や航速が変わればズレも生じる。
 向こうも発見されたのは気づいている以上、油断はできなかった。
 海は凪いでいた。湿り気のある空気を吸い込んで、ゆっくりと胸から吐き出す。
 木曾さんから声をかけられたのはそんな時だった。

「半月か。夜戦には悪くない夜だ」

 世間話のような声に鳥海は頷く。
 外側に並んだ木曾は安全確認を済ませてから鳥海へと顔を向ける。

「天気も悪くない」

「そうですね。雨が降らないでくれそうなのもやりやすいですし」

 この近海では夜でも通り雨に見舞われる可能性がある。
 ただでさえ視認性の悪い夜戦を雨天で実行するのは、できれば避けたい展開だった。




「……悪いな。俺たち重雷装艦も夜戦に参加できればよかったんだが」

「そういう作戦ですし気になさらずに。明日は今夜の分も働いてもらわないといけませんし」

 明日の戦闘に向けて、泊地ではいくつかの作戦や編成案が出ていた。
 その中で採用された一つに、木曾さんたち三隻の重雷装艦を中心とした艦隊で後背から奇襲を仕かける案がある。
 深海棲艦は機動部隊を後方に配置する場合が多く、それを痛撃しようという目論見だった。

 ただ奇襲といっても無闇に後ろから近づくだけでは察知されてしまうので、相手の索敵圏外より戦闘が始まってから迅速に攻撃をかける形に訂正されている。
 そのこともあって木曾さんたちは今回の夜戦には参加せず、夜戦中も出雲型の護衛につきっきりになるのが決まっていた。
 この迎撃が終わったら独自に秋島まで進出して、翌日まで身を潜めて攻撃の機を窺うことになっている。
 上手くいけば成果は大きい。でも奇襲に成功しても、孤軍で戦い抜かなくてはならない。かなり危険な作戦だった。

「となると、俺らが上手くやれるかが問題か」

「そこはあまり心配してなかったので……」

「そいつは……責任重大だな」

 軽口でも言うような気楽さで木曾さんは応じていた。
 その調子に合わせるようにこちらも言う。

「天津風さんとリベさん……それにヲキューの面倒もよろしくお願いしますね」

「ああ……無事に帰すさ。問題ない」

「帰ってくるのはもちろん木曾さんたちもですよ?」

「まあ最善は尽くすさ。いつも通りにな」




 木曾さんたち重雷装艦と行動するのは、第八艦隊から抽出する形で天津風さんとリベッチオさん、ヲキューの三人が選ばれていた。
 この三人は木曾さんたちを護衛して、確実に敵艦隊へと突入させるためにいる。
 ヲキューは艦隊防空を含めて艦載機で多くのことができるので、突入が奇襲から強襲になっても艦隊を幅広く支えられると見込んでの抜擢だった。
 駆逐艦の二人は誰が行くかでちょっと揉めてから、この二人に決まったという経緯がある。

 最初にこの艦隊に志願したのは嵐さんと萩風さんの二人だった。
 それを天津風さんが説得して、リベッチオさんと二人で行くのを認めさせていた。
 私としては本人たちがそう希望するなら送り出してあげるしかない。

 木曾さんはなかなか私から離れていこうとしない。
 分かってる。本当に話したいことは別にあるからだ。

「聞きたいのはネ級のことですよね?」

 話を振ると木曾さんはおもむろに頷いた。

「レ級はいたってことだけど、ネ級のやつも出てきてるのかね……」

「どうでしょう……やっぱり私は何も感じなかったので」

「そっか……なら俺の勘違いだったのかもな」

「それはどうでしょう……でもネ級と実際に相まみえて分かりました。大事なのはネ級が誰かじゃないんです。ネ級はネ級なんですから」

 期待していなかった、といえば嘘になってしまう。
 木曾さんがネ級から司令官さんに通じる何かを感じたなら、私にだって同じことがあるはずだと思っていた。
 でも、現実には何もなかった。

「私たちが本当に気にしなくてはならなかったのはネ級が何者かではなくて、ネ級が何をするかだったんです。初めてネ級が姿を現した時は木曾さんたちを傷つけて……大井さんは沈められたかもしれない。今回だって島風を平然と撃ったんです」

 気づけば両手を握り締めていた。
 私はきっとどこかで期待して……期待することで目を背けようとしていた。




「……戦うしかないんです。そうしないとネ級は止められない。それに本当にネ級に司令官さんの一面があるなら……あの人なら望まないはずです。私たちを傷つけようなんて」

 司令官さんは私を……私たち艦娘を大切にしてくれていた。
 もし、それが自分の手で傷つけて壊すようなことになってしまっているのなら……。

「止めるためにも撃ちます。もし、これで苦しむんだとしたら全部が終わってからでいいです」

「……強いな、鳥海は」

「まさか……そんなはずありませんよ」

 私はネ級を司令官さんだとは思っていない。だけど、司令官さんかもしれないと疑っている木曾さんは信用している。
 だから、こうする以外に思いつかない。
 もしも木曾さんが正しいのなら……私は許されざる者なのかもしれない。

「俺は……正直、もう一度ネ級に出くわしたら戦えるか自信がないんだ。もちろんやらなきゃいけないのは分かってるし、本当に目の前にいれば撃てる……とは思う」

 木曾さんは自信がなさそうに言う。そんな彼女が羨ましかった。

「それは木曾さんが優しいからだと思いますよ」

「俺が優しい?」

「はい。木曾さんはネ級を助けようとしてるんじゃないですか?」

「……俺が優しいかはとにかくとして、そういう発想こそ優しいやつからしか出てこないだろうさ」

 木曾さんはなぜか面白そうに笑った。
 その顔には自信が戻っている。

「もしかしたら俺とお前のどっちか……両方とも間違えてるかもしれない。それでもお前は優しいって、俺には断言できる。そういうやつこそ、本当は強いんじゃないか?」


短いですが、ここまで。少し先のほうの話ばかり書いてたら、直近分で詰まってました……
そして初投稿から一年経ってました。当初は一年あれば終わるだろうと踏んでたのですが、ままならない
今年に入ってからペースが落ちてるのが響いてますね……そんなこんなですが、乙ありでした

乙です

乙乙
このレス数で残り書ききれるかの方が気になる

乙乙


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 日付は二月十九日に変わり、その頃には艦隊全体が洋上への展開を終えていた。
 鳥海もその中にいて全体の旗艦としての任も預かっている。
 三人一組の小隊に分けると、いざ戦闘が始まればそれぞれが独自の判断で当たるように伝えていた。
 上空では二式大艇が誘導と哨戒のために飛んだまま。夜戦が始まれば吊光弾も投下する手はずになっていた。

 頭数はこちらのほうがやや多いものの、決して優勢とは言えない。
 泊地に向かう深海棲艦は航速によって前後に分かれていて、特に脅威なのは高速艦で構成された前衛だ。
 五、六人のレ級が主戦力となっている上に、中核と見られるのはエリートに分類される赤い光を放つ個体だった。

 艦娘も二対一の比率で前後衛に分かれている。
 不幸中の幸いというべきか、前衛同士ならほぼ倍の人数で当たれた。

 夜戦の口火を切ったのは深海棲艦だった。
 レ級たちが一斉に砲撃を行うと、すぐに散開してこちらへの突撃を始めてくる。
 それぞれが単身だけど、夜戦という状況とレ級の性能を考慮すればかなり厄介。
 艦隊をかき回すつもりだろうし、隊列に下手に飛び込まれたら同士討ちの危険も出てくる。
 それを分かっていて、向こうも突撃してきているに違いない。

「各隊、各個に迎撃してください! 後衛は後続に注意を!」

 鳥海は無線で通達すると、さらにいつもと違う顔触れに声をかける。

「嵐さんと萩風さんは援護を。普段通りにやってもらえれば大丈夫ですから」

「了解! 天津たちの分までやってやるぜ!」

「は、はい!」

 嵐さんはともかく、萩風さんは少し頼りない返事だった。
 気負っていたり萎縮しているのかもしれないけど、今はそれじゃ困る。
 二人は木曾さんたちの護衛についている天津風さんたちの代わりとして臨時に編入されていた。




 隊列は鳥海を先頭にして、二人はその左右後方に位置して三角形を形作っている。
 夜間なので日中よりもやや間隔を広めになっていた。
 鳥海の前方、まだ離れた位置に弾着の水柱が生じると、萩風のほうが過敏に反応する。

「敵は……敵はどこ? 撃ち返さないと!」

「落ち着いてください、この距離ならまだ当たりません」

 鳥海は意識してゆっくりと言う。
 互いに相手の存在を把握しているとはいえ、今のが命中を期しての攻撃とは思えなかった。
 景気づけというか戦意を鼓舞するための砲撃なのかもしれない。
 月明かりの下を黒い影がいくつも踊り、その内の一つがまっすぐ向かってきている。
 再度の砲撃に浮かび上がった姿は、レ級と見て間違いない。

「近づいてくるレ級から叩きます。砲撃はもう少し引きつけてから」

 告げて、転舵も指示。
 鳥海の動きに合わせて嵐たちも続くが、やや動きがもたつく。特に萩風にはぎこちなさが見え隠れしている。

「萩、遅れてる」

「ごめん……」

 二人の小声でのやり取りが鳥海にも聞こえてくる。
 間合いの取り方も気になっていた。夜なので昼よりは距離を取る必要はあるが、それにしても間隔をもう少しぐらいは詰められる。
 でも、おかしい。訓練や日中では見受けられない硬さだった。
 どうしてと考えて、鳥海はあることを思い出す。

「……苦手意識ですか」

 司令官さんが以前言っていたこと。
 嵐さんは事務作業のような、こまごまとした仕事を苦手だと思い込んでいる。
 だけど実際はその逆で、細かい数字を管理するのは得意だった。

 そして嵐さんとは別に萩風さんにも苦手意識がある。夜戦への、夜への苦手意識が。
 司令官さんは払拭させたかったようだけど、結局できてないままだった。
 萩風さんを鈍らせているのは、それが原因と考えられる。




「司令官さんなら……」

 呟いてから、違うと気づいた。
 ここで考えないといけないのは私ならどう伝えるかだ。
 司令官さんはここにはいない。ここにいるのは私であり嵐さんであり萩風さん。
 あの人の言葉を借りようとしたって意味はない。自分の言葉で伝えないと。

 どう伝える?
 いきなり口出ししたぐらいで苦手を解消できるなら、誰だって苦労なんかしない。
 私は元から夜戦には抵抗感がないし、むしろ好きと言えてしまう。
 そんな私が何かを言ったところで、本当に分かってもらうのは難しい。

 でも、このままではだめ。何も言わないのはもっと悪い。
 不安は気後れや自信のなさを招き、ひいては行動や判断の遅れに繋がってしまう。
 それは命取りになりかねない。

「萩風さん」

「はい!」

「夜はあなたの敵じゃありません」

「え……?」

 レ級を警戒して顔を向けることはできない。
 だけど、萩風さんの戸惑った気配は顔を見るまでもなく明らかだった。
 懇切丁寧に説いてる時間はない。というより私もどう言っていいのか言葉が固まってない。

「あなたが夜を怖がってるのは知ってます。でも本当に怖いのは夜じゃないはずです」

「それってどういう……」

「夜戦がなんだってことだよ、萩!」

 嵐さんの声の直後に砲撃が落ちてくる。外れたけど、さっきより近い。これ以上の会話を遮ろうとしているようでもあった。




「俺とお前とで嵐起こしてやろうぜ、萩!」

「嵐……」

「次の砲撃に合わせて撃ち返します。あなたたちなら大丈夫ですよ」

 言葉としては気休めでしかないけど、率直な気持ちでもある。
 そもそも十分に訓練はしているし実戦だって何度か経験している。
 あとは余計な気負いさえなくせば、他の子とも遜色ない動きができるのは分かっていた。

 深海棲艦たちの背後で連続して青白い光が生じていく。
 二式大艇が投下した吊光弾によるもので、深海棲艦たちの姿が光の中に浮かび上がる。

「探照灯を三十秒使います! 照準が済み次第、砲撃開始です!」

 アンテナの左側に横付けしているライトから真っ直ぐ光が伸びる。
 吊光弾とは違う、暖色の強烈な光が近づいてきていたネ級を捉えた。
 黒いコートのような装甲に、白い肌が艶めかしくも危うげな色を出している。

 他の艦隊からも探照灯の光が伸びて、それぞれの目標を指示しているのが視界の端に入ってくる。
 あらかじめ夜戦をすると決めていれば、それに適した装備を持ち込むのは道理だった。
 もっとも鳥海の場合、探照灯は標準装備の一つではあったが。

 目標にしたレ級が光源――鳥海に向かって尾に装備された各砲を撃ちかけながら猛然と向かってくる。
 顔をレ級に向けたまま、鳥海は転蛇して回避を試みた。

 長門型相当の主砲が鳥海を襲い、副砲弾もそれに続く形で飛来する。副砲でさえ戦艦の主砲に準じた威力を有していて、重巡の主砲とは比にならない。
 鳥海の体がいくつもの水柱に呑まれて、探照灯の光軸も激しくぶれる。それでもすぐに無事な姿を見せると、今一度レ級に光を当て続ける。
 もっとも鳥海の息も荒い。今の攻撃に恐怖を感じないはずがなかった。

 この探照灯には標的にされやすくなる以外の問題もある。
 まず熱い。光源が頭から多少離れているとはいえ、髪や頬が焼けてしまうような熱気を感じる。
 また頭のアンテナに横付けされているため、頭の動きがダイレクトに反映されてしまう。
 つまり照射中は目標から顔を逸らせず、その間はどうしても周囲への警戒が疎かになる。




「照準完了! さあ、受けてみやがれ!」

 意気込んだ嵐の声を聞きつつ鳥海も砲撃を始めていた。初めから斉射。
 三人の砲撃が次々にレ級に収束すると命中の閃光と破砕音とが生じ、外れた砲弾により海面は沸騰したように弾けていく。
 めった打ちにされてるにもかかわらず、レ級もさらに反撃してきた。
 萩風の悲鳴じみた声が飛んだのは、すぐだった。

「赤いレ級が来ます! 左側、十時方向より!」

 探照灯を切ると、鳥海は素早く萩風の示した方向へと視線を向ける。
 吊光弾の光の中で、赤いレ級の姿は他の深海棲艦よりもいくらか目立っていた。

「これはよくないですね……」

 赤いレ級はなんの抵抗も受けないまま近づいてきていた。
 他の艦隊はまだ各々の相手から抜け出せずにいるからで、こちらも状態としては同じだ。
 合流前に交戦中のレ級を沈めようにも困難だった。
 多少の手傷は負っているけど、なまじ中途半端な手傷でかえって怖い。
 かといって赤いレ級を放置したままでいるのも危険すぎる。

 要はこのまま三人で二人のレ級を相手にするか、分かれて各個に一人のレ級を相手にしていくか。
 あれこれ考えてはみても答えは直感的に出ていた。

「二人はこのレ級をお願いします。私は赤いのを」

 どちらにしても危険な相手だけど、分断したほうがまだ戦いやすいと思えた。
 二人はどちらも固唾を飲んだような顔をして、萩風さんが訊いてくる。

「私たちに任せてくれるんですか?」

「ええ、もちろん」

 思うにこうするのが一番だ。気がかりがないと言えば嘘だけど、頼りにもしている。
 ここにいるのが天津風さんたちでも、きっと同じように頼んで同じように感じるに違いない。

「行ってくださいよ。こっちも四駆流の夜戦をやつに教えてやりますから!」

 威勢のいい嵐の声に後押しされる形で、鳥海は転蛇する。頼みました、ともう一度声に出せば後は振り返らない。
 嵐、萩風と赤いレ級との間に立ち塞がる形になった鳥海は、赤いレ級へと先制の砲撃を放つ。
 砲撃がレ級の鼻っ面を打ち据える。もろに砲弾を受けてレ級の顔が仰け反るが、何事もなかったように顔を向け直してくる。
 レ級の鼻からは黒い血筋が流れるも手の甲でぬぐい去ると、返礼とばかりの砲撃。
 襲いかかってくる砲撃の数は通常の個体のそれと変わらないが、威圧感はそれ以上だった。
 一撃でもまともにもらえば、それで戦闘能力を喪失しかねないし最悪も十分にあり得る。
 いくつかの至近弾を抜けた鳥海に、赤いレ級の声が無線を通して聞こえてくる。

「バラバラニシテヤル」

 怒ってるかと思いきや笑っている。
 その様に鳥海は確信した。
 このレ級は楽しんでいる。戦うのを。
 こちらも醒めた頭が、宣戦に応じる。レ級の注意を自身に向けさせるためにも。

「やってみなさい……できるならですが」

 今まで姫級といいネ級といい、難敵とは幾度も交戦してきている。
 このレ級もそんな手合いの一人。ならば退けるまで。


短いけどここまで。月曜に続き……はさすがにきついかもだけど目標ってことで
そして乙ありでした

>>761
まだ200レス以上残ってるので、なんだかんだで終わると思ってます
それと今のところ1レス当たり30行を目安に投下してるのですが、一度に投下できる上限はもっと大きいので、本当に足りなくなりそうならレス当たりの分量を増やせばいいと思ってます
余談ですが>>767なんかは普段の倍ほど詰め込まれてます

乙!

乙なのです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海さんが隊列から離れていくと、レ級は尾を上げて狙いを定めようとした。
 追撃の気配を見せるレ級に、萩風は嵐と一緒になって猛射を浴びせかける。
 一発一発の威力は小さくとも数が積もれば無視はできない。
 少なくともレ級の標的をこちらへと切り替えさせるだけの効果はあった。

 ぐるりと尻尾が向きを変えると砲撃してくる。
 すぐに散開して逃れると、数秒後に遅れて怒涛が生じた。

「あっぶな! 一発でも当たっちゃいけないやつかよ……」

 嵐の声にひやひやする。確かに私たちの艤装では装甲なんて有って無いに等しい。
 ただ駆逐艦という艦種で見れば、ほとんどの砲撃がそれに当てはまってしまう。
 どんな攻撃だって私たちには命取りになりかねない。
 お互いに撃ち合いながら嵐に言う。

「今はこのまま引きつけよう?」

「ああ、だけど……」

 何か言いたそうだった嵐の返事を聞く前に砲戦に引き込まれてしまう。
 レ級の砲撃はすぐに私に集中し始めていた。

 萩風は直撃を避けるためにも撃ち返して何度も針路を変え、速度もできるだけ落とさないようにしながら砲撃の合間を突っ切っていく。
 嵐は全速力でレ級の背中から横に抜けて離脱しながら主砲を撃ち込んでいる。

 レ級は被弾しても怯まないし、たまに嵐に視線を向けるだけで、火砲は相変わらず私を狙い続けていた。
 そうして気がつけばレ級に追いかけ回されるようになっていた。



 考えようによっては、これはこれで引き付けるのには上手くいってる。
 だけど艦隊全体からも引き離されてるかもしれない。
 執拗な砲撃を避けながら、しかも夜の海でそれを確認するのは至難の業だった。

 夜の海。確かに私は怖い。
 夜が敵じゃない。それがどういう意味かも本当は分かってるつもり。
 それでも今、私は自分の中にくすぶったまま消せない恐怖とも戦っていた。

「萩、反撃するぞ! このままじゃやられるのを待つだけだ!」

 嵐はある程度の距離を保ったまま、萩風と併走していた。
 その通りだと思う。ここで反撃に出ないと手の打ちようがなくなってしまう。
 頭ではそう分かってるのに、弱気の虫が出てきて胸中で甘言を囁く。
 このまま時間稼ぎをして、鳥海さんや他の誰かが助けに来るのを待ってもいいじゃない。

 いきなり目の前で白い閃光が広がった。遅れて浮遊感、それから落下、衝撃。自由が利かない。
 嵐が何か叫ぶのが聞こえてきたような気がしたけど、はっきりとしなかった。

「あ……」

 被弾したんだ。体感では一瞬だけど、本当はもっと長い間、呆けてしまっていたらしい。
 そして水に浮かぶ自分にも気づく。海面に仰向けになっているのか、きらきらした星空が目に入った。
 自分はまだ沈んでないんだ。つまり艤装は生きている。

 手袋越しに左手が水面をかき混ぜて足も動く。たぶん両足とも。
 体が動くのを確認しながら上半身を起こす。

 嵐とレ級との戦いは続いていた。
 どうして、と萩風は疑問に思う。レ級の狙いは嵐に移っているようだった。
 今なら簡単に沈められるのに。
 追撃がこないのは助かるけど、それで疑念がなくなるわけじゃない。




 起き上がろうとして気づいた。
 右の手首が曲がっていた。動いちゃいけない、おかしなほうへと。
 気づいたのが、きっかけになったんだと思う。
 いきなり刺激が、激痛が襲ってきた。

「ひあ……あ……」

 右手を押さえるようにしてうずくまる。痛いのは右手だけじゃなくて全身だった。
 熱くてたまらない。涙がどんどんあふれてくる。
 痛くて声を出そうとして、声にならない悲鳴みたいなのが口から出てきた。

 ……あんな考えをしたのがよくなかったんだ。誰かに押しつけるような考えをしたのが。
 嵐はレ級をなんとか食い止めようとしていたし、鳥海さんは赤いレ級を一人で抑えてる。他のみんなだってそれぞれ戦ってる。
 私は何もしないうちから当てにしてしまった。

 ずきずき手首が痛い。ここだけ自分の体じゃなくなってしまったような感覚。
 右手をかばうようにして立ち上がる。余計な力を抜くようにすれば、少しだけ痛みが遠のいてくれるような気がした。
 息を呑む。主砲は近くに落ちていたので、左手で把手を掴んで拾い上げる。
 もう間に合わないかもしれない。でも嵐はまだ戦ってる。それなら、やることは一つだけ。

 どんな命中の仕方をしたのか分からないけど、艤装の調子は予想外に快調だった。
 少なくとも戦艦砲が命中したとは思えないぐらいには。
 重心は不安定になってるし速力も落ちてる。それでも艤装に絞れば軽傷で済んでいる。

 萩風は嵐との合流を目指しながら、左手だけで主砲を構えて撃つ。
 普段はそこまで意識しない反動が今の体にはよく響いていた。
 砲撃は当たらなかったけど、レ級はこっちを見る。なぜか首を傾げるような仕種をしていた。

「嵐!」

「萩? 大丈夫なのか?」

「なんとかだけどね……」

「よかった……ああいや、まだ全然よくねえ状況だぞ!」




 嵐はレ級の砲撃を避けるように蛇行していた。
 被弾した様子はまだなくてほっとする。
 だけど、嵐の言うように苦戦したままなのには変わりない。

「正面からただ撃ち合っても……」

「俺に考えがある! 隙を作ればこっちのもんだ!」

「どうする気なの?」

 嵐には何か作戦があるみたいだった。
 悠長に話してる暇はないとばかりに、嵐は小刻みに転蛇して軸合わせするような動きを取る。

「正面突破するんだよ! 俺に続けえ!」

「聞いてなかったの!?」

 あんまりな嵐の言葉に唖然とする。
 こんなのは作戦じゃない。だけど嵐だって、そんなのは分かってるはずだった。
 だからレ級へとまっすぐ突っ込んでいく嵐に、遅れながらも続く。
 右手側にレ級が見える針路を取っていた。

 嵐の狙いはとにかく、右雷撃戦用意をする。損傷の影響は気になるけど雷管も正常に使えるはず。
 私たちの火力でレ級に有効打を与えるためには、肉薄しての砲撃か魚雷しかない。
 それに繋がるための隙を嵐は作ろうとしているのかも。というより、それ以外にありえない。

 後ろから見る嵐の背中は頼もしかった。
 そんな嵐がなんとかするつもりなら上手くいく。私はそのチャンスを逃さないよう集中すればいい。




 レ級は速度を維持しながらも、嵐を迎え撃ちながら直進している。
 近くに戦艦砲が落ちようと嵐の勢いは止まらない。まっすぐレ級へと突き進んでいく。
 二人が間近に迫った時だった。嵐とレ級との間に閃光が走る。
 後ろからでも分かる強い光に、レ級が苦悶の声をあげて顔を覆い隠す。

「どうだ、目に焼き付いたか!」

 さっきのは探照灯の光だ。嵐のバックルにも取り付けられている。
 嵐は接触を避けるように針路を外側へと変えて離脱すると、萩風もそれに合わせつつ雷撃を実行した。
 発射管から吐き出された四門の魚雷は、レ級へと伸びていってるはずだった。
 魚雷発射に合わせて舵を切っている萩風には、魚雷の行き先を目で追っている余裕はない。

 距離を取る萩風の耳に炸裂音、足元では衝撃波が行き過ぎていくのを感じた。
 命中したんだ。喜んだのも束の間、右手首の痛みがぶり返してくる。
 痛みにこらえていると、嵐が急転回していた。

「よし、このまま止めを刺してやる!」

 萩風は体をかばうように、大きめの円を描くように舵を切る。
 横目に見たレ級がどのぐらい傷ついているかははっきりしなかった。
 今も視力が戻っていないのか顔を押さえながら苦しそうな唸り声を出しながら、しゃにむに動いている。
 動きはそのまま、でたらめな回避運動になっていて読みにくい。

 再接近した嵐は雷撃を試みようとして速度を落とす。狙いをしっかりと定めるために。
 そしてレ級の尻尾がいきなり動いた。
 嵐に向けて主砲を撃ち込むと、直後に尾がしなるように海面を鋭く打ちつける。その反動で嵐のほうへと飛びかかるように動く。
 体ごと引っ張るような尾の動きに、レ級も目が見えないながらも従うように急発進する。

 嵐の周囲に砲撃が落ちる。直撃こそないものの小柄な体が、その衝撃に翻弄される。
 油断している様子はなかった。それでも嵐はその場から離れるのが遅れ、レ級に距離を一息に詰められる。

「嵐!」

「うわあっ!?」

 萩風が主砲を構えた時には、すでに遅い。
 レ級の尾にある口が牙をむき出しにして、横向きに飛びかかる。
 がきりばきりと金属の壊れる異音が響く。
 バックルの探照灯や対空機銃を噛み砕きながら、レ級の尾が嵐の腰に喰らいついていた。


いつの月曜か指定してないって、しらばっくれるのもどうかと思った次第
次回更新で夜戦は終わらせる予定。そんなこんなで乙ありでした

乙です

乙乙なのです



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 艦娘たちの後衛は愛宕を旗艦として摩耶、球磨と多摩に改白露型と夕雲型の一部から成る水雷戦隊だ。
 両陣営の前衛同士が交戦を始めた頃、愛宕たちは深海棲艦の後衛を阻むために進出していた。
 相手の後続艦隊について判明しているのは、様々な艦種による混成艦隊であるということ。二十隻余りの陣容で、二十ノットほどで西進を続けている。

 ちょうど彼我の前衛同士が交戦する海域と、泊地へと進もうとしている後続たちとの中間点にまで進んだ頃。
 前衛の劣勢が明らかになり、彼女たちは二者択一の選択を迫られていた。
 前衛艦隊の救援に向かうのか、トラックを狙う深海棲艦の後続にしかけるのか。

「どうする、姉さん?」

「そうねえ……」

 摩耶に訊かれて、愛宕は思案するように答える。
 愛宕は悩んだ。
 実のところ、愛宕の選択は決まっていた。決まっているからこそ悩みもしている。
 しかし気長に考えている時間はないし、悩む姿を見せてばかりもいられない。

「針路このまま、艦隊速度三十」

 泊地ではコーワンの配下たちが守りについているが、そちらも二十隻余りと敵とほぼ同数。
 丸投げしてしまうには心許なく、せめて一撃を与えて敵戦力を削ぐ必要があると愛宕は考えた。
 艦隊から復唱の声が続く中、摩耶が違うことを言う。

「本当にいいんだな?」

「いいも悪いもないよ。摩耶、復唱は?」

「針路このまま、艦隊速度三十。分かってるよ」

 渋い顔をして摩耶は復唱する。ふて腐れているわけではない、と愛宕は思う。
 それでも見かねたのか、球磨がそれとなく言う。

「どっちに行っても難しい決断クマ」

「それは分かるんだけどさ……クソ。ごめんよ、姉さん」

「別にいいのよ。摩耶の気持ちはよく分かるもの」

 この局面ではトラック泊地を守るのが最優先である一方、正面戦力である艦娘たちに被害を出すわけにもいかなかった。
 夜明け後の戦いでは一丸となる必要があると、そう愛宕は考えている。
 しかし、現実にはどちらか一方しか選べない。
 それならばと、愛宕は自分なりに俯瞰した視点で判断するしかなかった。

 そんな折、予期していなかった電文が愛宕たちの元に届いた。
 前衛艦隊からではないが、友軍の使う暗号で組まれている。
 発信元を確認すると愛宕は首を傾げた。

「マリアナの二水戦? どうして?」

 もちろん誰にも答えられないのだが、重要なのは電文の内容だった。
 二水戦はトラック泊地の救援のためにやってきたのであって、これより前衛の戦闘に加わると伝えてきていた。




─────────

───────

─────


「見えました、砲戦の光です! 周囲に敵影は見当たらず」

「承知しました」

 目ざとく報告してきた野分に、二水戦を率いる神通が応じた。
 戦闘海域は遠目には青白く色づいているように見える。
 吊光弾による明かりなのだが、周辺の宵闇にじわじわと侵食されていくような弱々しい明るさでもあった。

 さらに近づいていけば、雷でも生じたように一瞬の光が明滅しているのに気づくことができる。
 ただし、まばらではない。
 そこかしこで連続して瞬き、それはどこか闇に呑まれるのに逆らっているようでもあった。

 耳に当たる夜風に紛れて、音が遅れてやってくる。砲撃音。
 傍受できた通信によると戦況はあまり芳しくないらしい。おそらくは混戦になっている。
 神通は一息吐き出すと静かに、そして澄んだ声で命令を下す。

「雪風は左、吹雪は右から各隊を率いて味方の救援を。野分と舞風は私についてきてください」

 マリアナ所属の二水戦は神通を旗艦として雪風、野分、舞風の三人の陽炎型に、二代目の吹雪型と綾波型による特型駆逐艦たちの計十六人で構成されている。

「雷撃を行う場合は味方を巻き込まないように注意を」

 言うまでもないとは思っても、注意喚起というのは意識させる上で大事だ。事故というのは恐ろしいのだと神通はよく知っている。
 味方を巻き込む可能性がある以上、魚雷の使用には慎重を期すべきだった。
 かといって使用を下手に禁じてしまって、行動を狭めるのも下策と神通は考えている。身を守るための手段を奪う気はない。
 そうなれば、あとは各員の判断を当てにするしかなく、その点に関しては神通も信頼していた。

「それではみなさん、気を引き締めて参りましょう」

 夜に紛れながら、粛々と彼女たちは動き始める。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 自身を壊そうとする揺さぶりに、鳥海は歯を食いしばってこらえる。
 身近に迫った複数の至近弾による衝撃だった。
 撃ってきたのは赤いレ級。闇の中でも赤いレ級の姿は目立っていて、それは同時に健在という証左でもある。
 距離を保ったまま、しかも夜であっても楽しそうに笑っているのが分かる。

 夜の海を駆け抜けながら、鳥海も弾の装填が済み次第に撃ち返す。
 音速を突破した砲弾は、発射からほとんど間を置かずにレ級へといくつも命中する。
 ただし有効弾にはならない。
 ほとんどはコートのような装甲に弾かれている。一見柔らかそうであっても高い耐弾性を有していた。
 うまく体に直接当たっても勢いが衰えたようには見えない。

「さすがに戦艦というだけは……」

「褒メルナヨ……照レルジャナイカ」

 聞き耳を立てているかのようにレ級が反応してくる。
 見た目は華奢でさえあるのに驚くべき打たれ強さだった。それにこちらを茶化す余裕まである。
 守りに自信があるのか、赤いレ級はこちらの攻撃にはほぼ無頓着だった。

 唯一、火力の集中している尻尾への攻撃だけは避けようとしている。
 特にレ級の中でも小さい目標ではあっても、砲撃が終わる度に尾を海中へと潜ませてしまう。
 火力を損なってはいけない――というのは共通した認識らしかった。

 これが思った以上にいやらしい。レ級の尾には魚雷の発射口もある。
 砲撃の最中に忍ばせながら撃ち込んでくる可能性も捨てきれないだけに、常に雷撃への警戒も続けなくてはいけない。

「先ニ行キタキャ……モット近ヅイテコナイトサア……」

 このレ級は意外と何かを言ってくる。挑発なのか本音なのか、いずれにせよ聞き流す。
 砲撃には無頓着でも、こちらの動きには無関心ではないらしい。
 このレ級は早い内から、私たちの間に強引に割り込むようにしてきた。
 嵐さんたちとの合流を望んでないという意図があるのは確かだ。




 こちらのほうが優速であっても、こうなってしまうと突破は難しかった。
 それにうまく突破しても背中から撃たれてしまう状況には変わりない。
 向こうの戦況が分からないのも気がかりだった。
 こうして撃ち合ってしまえば、二人のレ級を同時に相手をできなかったのは実感として理解できるものの、分断されてもよくない。

 こちらの意図を察してか、レ級は針路上を常に抑えようとしていた。
 そのために動きは予想しやすく命中弾は稼げている。ただし装甲を抜けないせいで、いつまで経っても埒が明かない。

「不本意だけど言う通りかも……」

 このレ級は自身の能力を把握している。
 それが熟知なのか過信なのかは図りかねるけど、距離を縮めて有効弾を狙ったほうがいいかもしれない。
 最悪の場合は後ろから撃たれ続けるのも承知で突破するしかなかった。
 ただ、それは最後の方法だ。
 どちらにしても、このまま相手のペースに乗せられているようでは話にならない。

 体の向きや姿勢を微妙に変え、鳥海は針路の調整をする。
 行こう、前へ。そう決めてしまえば、艤装が意を汲んだように動きを表わす。
 体が前から押し返される感覚を受けながら、実際には後ろから突き出されるように進んでいく。

「来ルカア!」

 レ級の目が一際赤く輝く。喜悦に満ちたような顔は、三日月のように片側だけ吊り上がった唇のためか。
 そこまで観ながら鳥海の意識はレ級の尾を探る。まだ海面に出てきていないのを見て、本体へと主砲の斉射。
 命中。レ級は怯まない。巻き起こった爆風の隙間から尾が砲身を覗かせ、そして反撃。
 瞬間的に至近で弾けた奔流が後ろへと流れ去っていく。
 不正振動で舌を噛まないように、口を固く結ぶ。雷撃が来ないのを見定めつつ息を吸い直す。
 その頃には次発装填も完了している。発射速度なら距離の遠近には関係がない。




 すぐさま砲撃を浴びせる。斉射ではなく、およそ八秒間隔での交互射撃。手数ならば、確実に鳥海が優位に立っている。
 次々に送り出されていく砲撃。レ級に命中の閃光と火花も生じ、周りの海面も破片などでにわかに沸騰したようになる。
 並の深海棲艦なら圧倒できるはずの集中砲火に、さしものレ級もたじろいだようだった。

 このまま押し切りたかったけど、レ級は砲撃を受けたまま向かってきた。
 鳥海が舵を切って正面を避けるように動くと、レ級もそれに追いすがってくる。
 針路を塞ごうとしてた今までとは違う。もっと明確に対決しようという動き。

 鳥海は反撃をすぐ後ろに受けて、衝撃に体を貫かれる。
 崩れそうになる姿勢を踏み止まるように立て直すが、艤装の不調をすぐに感じ取った。

「やられたの? 速度が……」

 缶から咳き込んだような音が漏れ出すと、速力がみるみる落ちていく。
 速度計は二十七ノットを示していて、これではレ級を振り切るどころじゃない。
 しかし火力への影響は出ていなかった。

「避けて通れないなら……ここで一撃を!」

 鳥海はレ級から距離を取ろうとしたまま砲撃を続ける。飛翔した砲撃がレ級に当たっていき、やはり多くが弾かれていく。
 しかし、そこで変化が生じた。
 鳥海が放ったのとは別の砲撃がレ級に集まった。それも一つや二つでなく、つぶてのように降り注ぐ。
 別方向からの大量の砲撃は休む間もなくレ級を襲っていき、生じた水柱の高さから駆逐艦のものだと分かる。
 レ級が惑ったように顔と尾をそれぞれ四方へ巡らすのが見え、無線に通信が飛び込んできた。

「お助けします!」

「誰……?」

 聞いたことのある声だけど、すぐに声と名前が一致しない。
 もっとも味方の声だと判断した時には鳥海も次の行動に移っている。
 レ級への接近コースへと針路を変更。加勢してくれたのが味方の駆逐艦隊なら雷撃できるよう、レ級の注意を引きつけるべく動いていた。




 ところが意外にも、赤いレ級はあっさりと引き下がり始めた。
 砲撃を受けたまま背を向けると、尾がこちらに接近を拒むよう砲撃を行いながら退避していく。
 その思い切りの良さに感心する反面、誘い込むための罠ではないかと警戒心も湧いてくる。
 なんであれ深追いなんかしてる場合でなく、一刻も早く合流しないと。

 鳥海は主砲を撃ち続けたものの、赤いレ級の追撃はしなかった。
 増援の駆逐艦隊もそれに倣うように砲撃の手を止めると、鳥海を護衛するよう近づいてくる。
 ある程度、近づいてきてから鳥海は誰が来たのか気づいた。

「雪風さん?」

「はい、雪風です! お久しぶりです!」

 声を聞いてすぐに分からなかったのは今の所属が違うからだ。雪風はマリアナ所属だと鳥海は思い出す。
 そのまま雪風の僚艦たちを見て、鳥海は軽く息を呑む。
 雪風と行動を共にしているのは特型の綾波型の六人で、鳥海とはちょっとした面識があった。
 彼女たちは二代目の艦娘であり、やはり同じ二代目であった鳥海が過去にマリアナを奇襲された際に、自分の身を犠牲にして助けた艦娘たちだった。
 それぞれの挨拶がやってきて返しつつも、これはどういう巡り合わせだろう、と頭の片隅で思う。

「どうしてここに……いえ、それは後回しですね。今は嵐さんたちのところに戻らないと」

 気になることは色々あるけど、ゆっくり詮索している時じゃない。
 そこで雪風が目を輝かせるようにして、自信を持って言うのを鳥海は聞いた。

「ご安心ください! そっちには神通さんが行ってますから!」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 どこか呆然とした表情で嵐は自分の腰を見下ろした。体は自然と震えだしている。
 レ級の尾にある巨大な口が食いついていた。
 食らいつかれたのは一瞬のことで、気づいた時にはもう噛みつかれていた。

 白い石のような歯は牙というよりも杭のようで、バックルに取り付けた装備ごと押し潰すように締め上げてくる。
 無遠慮な圧迫に鋭い痛みが走って、我慢できずに呼気と一緒に声を吐き出してしまう。

「嵐!」

 萩が名前を呼ぶのが聞こえてきた。切羽詰った普段なら聞かないような声で。
 こいつはやばい。このままだと噛み砕かれる。というより――喰われるのか?
 その想像に肌が粟立った。
 戦場に身を置いてれば最期の想像なんていくらでもする。それでも喰われる最期というのは嫌悪感しかなかった。

「こんの……放せよ!」

 拘束から逃れようと嵐は口の両端を掴むと、なんとかこじ開けようと力を込めた。
 少しでも緩めば抜け出すつもりだったが微動だにしない。殴りつけても変わらない。
 それどころかレ級の尾は嵐をくわえたまま、鞭がしなるように縦横に激しく暴れだした。
 嵐の体がそのまま何度も海面に叩きつけられ、時には海中へと引きずり込まれる。

「やめて……やめなさい!」

 萩の声が聞こえて、遅れて砲撃音が続く。
 それからしばらくして、体を振り回す動きがようやく止まる。
 海面に引き上げられた嵐は、口から入り込んだ海水を喘ぐようにして吐き出していく。

「むちゃくちゃ……しやがって……」

 かろうじて悪態をつく。
 やっぱ……夜の海は怖いところだ。溺れさせられて今のは生きた心地がしなかった。
 呼吸を取り戻そうとしながら、嵐は周りの様子に目をやる。




 萩が片手でレ級に砲撃を続けている。
 尾が俺をくわえたままだからか、レ級はコートで身を隠すようにしながら萩の砲撃を受け続けている。
 そうしながらレ級は未だに両目を手で抑えて苦しそうにもがいていた。
 目を開けたって光の残像が視野に残ったままに違いない。それだけの光を間近で浴びせてやったんだから。

「嵐を放しなさい!」

 萩が必死に砲撃を続けている。俺をどうにか助けようとして。
 そんな萩のためにもなんとかしなきゃと思いながら、別の考えも思い浮かんでくる。
 俺がこうして拘束されてるから、レ級のやつは萩に攻撃できないんじゃないかと。
 それなら、このままでいたほうが萩の身は安全かもしれなくて……それってつまりだ。

「俺はいい……行ってくれ、萩。鳥海さんと合流するんだ」

「何を言ってるの!」

「こんなやつ……俺一人でも……十分ってことさ!」

 精一杯強がって見せる。
 自己犠牲なんて柄じゃないけど、このままじゃ二人してやられてしまう。
 だけど今なら萩は逃がせるし、それなら無駄死にじゃない。
 ああ、間違いないな。ただ喰われるよりずっといい。
 嵐は弱々しくも笑って見せる。

「頼むよ……カッコつけたいんだ……」

「いや。絶対にいや」

 萩風はかぶりを振ると、レ級ではなく嵐に叱責するような眼差しを向ける。

「どうしてだよ……」

「自分が沈んでしまうのを強く意識しちゃうのが夜の海……だから夜が怖いの」

「だったら……!」

「でもね、それと同じぐらい本当に怖いこともあるの……怖いことを怖いままにしてたらダメなんだよ!」

 萩風は動きが鈍いままのレ級の側面に回りこむと、尾の付け根を狙って砲撃を続けていく。

「だから諦めないで二人で帰ろう? それでも帰れないなら……その時は今度も一緒だよ」

 その言葉に衝撃が走る。
 萩風は嵐に笑ってみせた。それは先ほど自分がしてみせた顔つきと似ているようだと、嵐は悟った。
 俺たちはお互いに沈む覚悟ができている。
 そして俺は自分の身に代えても萩は助けようと、逆に萩は俺を助けようと考えている。
 自分だけが助かるなんて願い下げだとばかりに。




 嵐はしばし痛みを忘れ、代わりに胸の内に強い感情が湧き上がってくる。
 俺は大バカだ。
 こんなのは理屈じゃない。

「なんてことを言わせてんだ、俺は……」

 俺が死ぬってことは萩を殺してしまうってことでもあるんだぞ。
 そんなの我慢ならない。それこそ絶対にいやだ。
 俺たちはどっちも欠けちゃいけない。

「うああああっ!」

 いつまでも噛みついたままのちくしょうを思いっきり殴りつける。何度も握りしめた拳を振り下ろす。
 頬だとか歯だとか、どこかに少しぐらい痛みが通じる場所があるはずだ。
 とにかく叩く。叩き続ける。分厚いゴムを叩いてるようだった。
 握った拳が熱い。皮が擦りむけて血が出ていた。けど、それがなんだって言うんだ。

 ついに打撃が通じたのか、体を抑えていた歯が少しだけ緩んだ。
 すかさず左腕を体と歯の間に差し込むように入れて、腕を広げてこじ開けていく。
 レ級の尾も逃すまいと口を閉じようとするが、嵐の体が抜け出すほうが早い。
 口が勢いよく閉じた時には、嵐は後ろに尻餅をつきながらも逃れていた。

「やった! これで……」

 嵐が喜んだのも束の間だった。
 レ級の矛先が砲撃を続けていた萩風へと変わり、尾が主砲を撃ち込んだ。
 主砲の着弾に、萩風の体が大きく揺さぶられるのが嵐には見えた。

「萩!?」

「まだ大丈夫……!」

 すぐに返事をよこす萩だったが、艤装や服はボロボロで満身創痍という有様になっていた。
 もう一度撃たれたら次はどうなるか分からない。
 レ級もいくらか視力が戻ってきたのか、赤々とした瞳が二人を交互に見ていく。
 品定めしているような目つきだと思えて、嵐は歯噛みする。




 嵐のほうには武器らしい武器が残っていなかったし、拘束から逃れただけで満足な状態にもほど遠かった。
 打つ手なし、と浮かんだ考えを頭を振って追い払う。

「ただ指をくわえて待つだけなんて……ごめんだ!」

 萩と二人で生き延びるか、さもなければ……レ級の背中で爆発が上がったのはそんな時だった。
 無線が一度砂を噛むような音を出してから、懐かしい声を響かせる。

「ちょっとー! 二人とも早まらないでよ!」

「ここから先は私たちで引き受ける!」

 その声はよく知っている。こっちが問い返した声は上擦っていた。
 同じ陽炎型の艦娘で、第四駆逐隊を構成していた舞風と野分の声だ。

「舞? それにのわっちまで……」

「……のわっちはやめて、嵐」

 苦笑するような響きを残したまま、立て続けの砲撃がレ級に襲いかかる。
 レ級は後ろへと向き直ってから徐々に速度を上げていき、高々と上がった尾が発砲炎を目安に遠方への砲撃を行う。
 もはや脅威とならない嵐と萩風には関心を示していない。
 レ級の砲撃が来る前に、二人は散開しているのが嵐の目には見えた。

 あれなら当たりっこない。確信した嵐はレ級に再度の命中弾が生じるのを見る。
 今度は真横からの砲撃で、舞風からでも野分からの砲撃でもない。
 もう一人がレ級の真横から迅速に近づきながら撃ちかけていた。
 間近で一撃を浴びせたと思うと、あっという間にレ級の横をすり抜けて離脱。すぐに反転すると再度の攻撃を敢行する。
 発砲炎の光に浮かび上がったのは、やはり嵐の知る艦娘だ。

「神通さんか……すげえ」




 こんな暗闇の中をあの速度で張りついてる。衝突する危険もあれば誤射の可能性もあるのに恐れ知らずだった。
 舞風と野分の砲撃も次々とレ級に集中し行動を阻害していた。
 レ級が忙しなく首を巡らし狙いをつけようとするが、快速を生かした攻撃の前に翻弄されている。
 するとレ級が砲撃を受けながらも海域外から離れていこうとする。撤退しようとしているのは明らかだった。

「逃げるつもりですか? これだけ好き放題にしておきながら」

 神通の静かな声を嵐は聞く。
 それは同じ味方であっても背筋がひやりとする声音だった。
 追撃の手を緩めようとしない神通さんはレ級に追いすがろうとするが、舞の声が無線を振るわせる。

「新手が来ました! 赤いレ級!」

 続けて舞が示した方角に目をやると、確かに赤いレ級がいた。
 どうして……あいつは鳥海さんが相手をしてたはずなのに。あの人がやられるなんて思えない。
 野分の声が続く。

「雪風から入電。鳥海さんの救援には成功したようですが、赤いレ級は後退したとのことです」

 それでここに戻ってきたのか。
 その赤いレ級は遠巻きに神通を狙う。遠方からの砲撃だが精度はよく、神通が変針して砲撃を避けるよう動く。
 撤退を支援するための砲撃だと分かるが、かといって阻止する手立てもない。

「嵐と萩風の二人を護衛しつつ、一度雪風たちと合流します。追撃は諦めたほうがよさそうですね」

 俺も萩も命拾いしたけど、現状は何も改善されていないのかもしれない。
 怖いぐらいに冷徹な神通さんの声が、嫌でもそう認識させてくれた。




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 夜戦が終息してすぐに、鳥海は出雲型輸送艦に回収に来るよう無線を飛ばした。
 元から深海棲艦の数は少なかったので、一度立ち直ってしまえば劣勢をひっくり返すまでは早かった。
 後続艦隊を追った愛宕姉さんからも、迎撃に成功したとの一報が入ってきている。

 迎えが来るまでの間、夜の海を待ちぼうけるように漂う。
 結果として何人かの中大破を出したものの、未帰還は一人もいない。
 敵に与えた損害ははっきりしないものの、前衛だけでも何人かのレ級や取り巻きを沈めたという報告はある。

 だけど、それもマリアナからの増援があればの話で、そのまま単独の戦力だけで交戦していたら、どれだけの被害が生じていたのかは分からない。
 少なくとも嵐さんと萩風さんは帰ってこれなかったと、私は思う。
 重傷を負った二人から詳しい話を聞いて、戦い抜いてくれた二人には感謝した。本当に生きててくれてよかったと。
 助けに来てくれたマリアナの艦隊にしてもそう。
 彼女たちがいなければ、きっと私はここでも何かを失っていた。

 夜が明けるまで、あと六時間を切っている。
 そのあとに待つのは総力同士での決戦だ。
 もしかすると、この戦いで私たちが得るものなんて何一つないのかも。
 逆にただ失うばかりになってしまうかもしれない。

 それでも他に道はなかった。
 私たちにできるのは、ただ向かうだけだった。
 今も昔も、そのことはきっと変わってない。
 意識しようとしまいと、刻一刻と時間は迫ってきていた。


ここまで、乙ありでした
長々かかってしまったけど、次から決戦前における最後の日常会話みたいなやつになります。それが終わったら。あとはもうなるようにしかならんのです

乙です

乙なのです

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 夜戦を終えた艦娘たちが泊地に戻ると、すぐに艤装の修理に弾薬や燃料の補給が始まった。
 明かりを灯されたドック内の様相は、ある意味で戦場と変わらない。
 夕張と明石、あるいは整備課の人員や妖精たちが夜通しの作業を始めている。
 彼我のどちらが先手を取るにしても、できる限りの修繕と整備を行わなくてはならない。

 提督は夜戦の報告もそこそこに、艦娘たちには休息を取るよう命令している。
 この日ばかりは総員起こしは意味を成さず、残りの時間をどう過ごすのかは各々の自由にさせることにした。
 その彼自身は各所からの報告や進捗を取りまとめ、新たにいくつかの指示を出してから執務室に戻っている。

 時刻は二時を回っていた。
 トラック諸島の日の出は午前七時と本土と比べて遅いが、深海棲艦の動きがそれに合わせてとは限らない。
 いずれにしても五時までは作戦行動を起こさない方針を固め、準備に専念させていた。
 それまでは深海棲艦も大人しくしてくれているのを願うばかりだ。

 執務室には独特の静けさがあり、椅子に座ってしまうと睡魔があっという間に迫ってきた。
 舟をこぎだした提督を起こしたのはノックの音だ。
 はっと目を覚ました提督は自分の状態に気づくと、襟元をただしてから誰何の声を投げかける。

「誰だ?」

「夕雲です。少々よろしいでしょうか?」

「鍵なら開いてる。入ってくれ」

「それでは失礼しますね」

 執務室に入ってきた夕雲は提督の顔を見るなり、口元に人差し指を当てる。
 思案する仕種から出てきた声は、やはり問いかけだ。

「もしかしてお邪魔でしたか?」

「逆に助かった」




 眠気を払おうと頭を振りつつ提督は答える。
 目をしばたたかせるのは、完全に目が覚めたとは言いがたいためだ。
 いかにも疲れているという様子を見せるのは憚られたが、提督も秘書艦を務めている夕雲の前では脇が甘くなっていた。
 他の艦娘やコーワンたちの前にいる時とは違い、口調にも飾り気がなくなっている。

「それで何かあったのか?」

「そういうことではなく、これを提督にと。甘い物はお嫌いではなかったですよね」

 夕雲が提督の机に置いたのは、銀紙に包まれた板状のチョコレートだった。
 考えてみれば、昨日一日はほとんど何も口にしていない。夕時に間宮たちから配られてきた握り飯を食べただけと提督は思い出す。

「こいつはありがたい」

 すぐにでも口に放り込みそうな提督に、夕雲はすぐに制止するように声を出す。

「今は食べないで起きてからにしてください。眠れなくなってしまいますからね」

「俺は大丈夫だ。そういう心配ならいらない」

「指揮官だからこそ体を労わるのも必要です。疲れきっていては、とっさに正常な判断を下せないかもしれません」

「……はっきり言うんだな」

「なんでしたら添い寝もしましょうか? 提督がご所望でしたら夕雲は一向に構いませんよ?」

「勘弁してくれ……」

 より疲れたように提督が肩を落とすと、夕雲は小さくほほ笑む。

「冗談はさておき、提督に休息が必要なのは確かでしょう。私たちのためだと思って休んでください」

「それなら夕雲にも休んでもらいたいな。明日も長くなるぞ」

「では……一時間半ずつ休みましょうか。提督が先に休んでください」

 夕雲はそう提案する。
 悪くない案だと提督も思う。たとえ三十分程度でも寝れるなら寝たほうがいい。
 色々と気を遣われているのを察して提督は聞き返す。




「先に寝なくていいのか?」

「大丈夫ですよ、ちゃんと起こしますから。長く寝かせたら、あとで気にするのでは? それに私も……実は眠たいですし」

「やはり俺は後からのが……」

「そう言って不寝番をするつもりでは? ですから交代がいいんですよ。お互いに出来る最善、まさにベストオブベスト……なんですか、その顔は?」

「面白いこと言うやつだと思ったんでな」

「まあ、なんだか誤解されてる気がします」

 提督はどこかすねたような口調の夕雲をまじまじと見つめる。
 その視線は夕雲に気づかれる前に消えていた。

「いいだろう、君の提案を採用だ。どうせなら自分の部屋で寝させてもらうよ」

「分かりました。ちゃんと時間になったら起こしますから安心してくださいね」

「でないと夕雲が眠れないからな」

「そういうことです」

 提督が執務室から出て行こうとしてドアノブに手をかけると、夕雲がその背中に声をかける。
 ノブに手をかけたまま提督は肩越しに振り返った。

「一つ教えてくれませんか? どうして夕雲を秘書艦に選んだのですか?」

「……どうしてだったかな」

「話したくないなら、それはそれでいいですよ? 私を選んでよかったといつか言わせてあげますから」

 自信をたたえた笑顔を夕雲が見せると、提督もまた口角を上げて見返す。

「もう今でも思ってるよ」

「え……あの? 今のは……」

「あとで頼む」

 戸惑う夕雲をよそに、提督は部屋から出て行ってしまう。
 夕雲は閉まるドアの音を聞きつつ体の力を抜く。
 一言褒められたかもしれないだけで動揺していたかもしれないなんて。

「私もまだまだみたいですね……」

 余裕を持ってからかうように振る舞ってみたところで、単に子供のようにあしらわれてしまっているだけかも。
 夕雲はため息をつくと時計を見上げる。
 ひとまず一時間半はうたた寝することもなさそうだと彼女は思った。
 秘書艦らしく務めを果たしておきたかったし、何よりも平静を取り戻さないといけないために。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 萩風と嵐は野分と舞風との再会を喜んでいた。
 久々に第四駆逐隊として揃った一行は、嵐たちが使っている部屋で夜明けまで過ごそうとしている。

「今回ばかりはもうダメだと思ったよ……」

 萩風はあらかじめ作っていた手製のケーキを切り分けると、三人の前に出していく。
 自分の分も用意して丸いテーブルを囲むように座る三人に混ざると、萩風はふと自分の右手首をさする。
 帰投してすぐにバケツによる治療を受けたので、傷や後遺症は残っていない。
 それは嵐も同じなのだけど、見るとこっそりおなかを触っている。やっぱり噛まれたというのが気になっているためなんだと思う。

「ほんとにな。もう二人には足を向けて寝られねーや」

「私たちってば、やっぱ頼りになるでしょー? でも二人もすごかったじゃない」

 舞風に言われて嵐は互いに顔を見合わせる。
 お互いに苦戦してた印象しかなくて……すると野分が言う。

「二人ともよく支えてたじゃない。レ級の相手なんて簡単なことじゃないのに」

「そうなのかしら……」

「そうだよ。ちょっと会わない間に見違えちゃった」

 野分にそんな風に言われると急に恥ずかしくなってくる。

「なんか面と向かって言われると……照れるな」

「そうだね……」

 嵐も恥ずかしそうにしていて、話を変えたくなったのかもしれない。別の話を切り出す。




「そういや、マリアナ組はどうやってここまで来たんだ? あっちからじゃ全速でも丸一日はかかると思うんだけど」

「今まで大変で気にしてなかったけど、言われてみたら……」

 トラックからマリアナまで直線距離でも千キロ以上は離れている。
 水雷戦隊が最高速で進み続けても到着には二十時間はかかってしまう。それも無休無補給の上で、索敵警戒などを一切考えないという条件で。
 深海棲艦を発見したのが昼頃だったから、そう考えるとまだ戦闘が始まってから半日と少ししか経っていない。

「嵐ってば、それ聞いちゃうんだ……」

 舞風がげんなりした顔をする。野分もなぜか目を泳がせている。
 それまでとは、ちょっと違った雰囲気になっていた。

「もしかして聞いちゃまずかったのか?」

「あんまり思い出したくないっていうかさー……のわっちー……」

「まあ、隠すような話ではないから……ここまでは輸送機で来たのよ。それで戦闘海域から少し離れたところに降りたというか落とされたというべきか……」

「落とされた?」

「パラシュートをつけて降下だよ。ちゃんとした訓練もしてないのに、夜の海にね? すごく暗かった……」

「もうね、考えたやつはバカじゃないの……なんてね」

 体験はしてないけど、私もそんなことをやらされたら二人以上に怖がってる自信がある。
 ただでさえ夜の海は怖いのに。嵐でさえちょっと引いてる。

「大変だったんだね……」

 思わず同情すると舞風が大きく頷いてきた。
 だけど涙目になってる舞風はちょっとかわいらしい。




「それで別に落とされた艤装とかの装備を回収して、そこからは自力で航行してきたの。あとは知っての通りかな」

「へぇ……なんつうかむちゃくちゃだな」

「そうだね。でも、そうする必要があったのは分かるんだ。マリアナの主力もラバウルに釘づけにされたままだから、トラックで敵の攻勢をはね返すのは私たちや向こうの仲間を助けることにもなるのよ」

 野分の言葉になるほど、と思う。
 確かに私たちがトラック泊地から離れられないのは、前線にいる艦娘たちを支える必要があるからだ。
 もしかしたら野分と舞風のほうが、その辺りの実感は強いのかもしれない。

「でも、あんなのはもうこりごりだよ……」

「……ほんとね」

「……でも、その無茶にはちょっと感謝かな。こうしてまた舞とものわっちとも会えたんだから。萩もそう思うだろ?」

「うん。すごくほっとしてるよ。来てくれて本当にありがとう」

 野分が気にするなと言いたそうに首を振ると、舞風がケーキの皿を掴んで勢いよく立ち上がる。

「よーし、第四駆逐隊の再結成を祝して乾杯だあ!」

「おおっ! 次も俺たちで嵐、巻き起こしてやるぜ!」

「二人とも気が早いわよ。まったく元気なんだから」

 盛り上がりだした二人に野分もたしなめるような声をかけるけど、満更ではなさそうだった。
 まだ戦いは終わっていないけど……長い夜をようやく抜けたような、そんな気がした。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 武蔵が自身の艤装の点検を終えた頃だった。
 聞き覚えのある声が、言い争っているらしいのを聞いてしまったのは。
 そんな声を聞いてしまえば、何が起きてるのか確認しに行くのは当然だった。

 しかし、こんな状況で何をしているんだ。
 ケンカなら仲裁する必要があるし、そもそも戦闘を間近に控えているのに、こんなところで無駄な体力を使わせるわけにもいかない。
 もっと言うなら、ケンカなぞしている場合ではないだろうに。

 果たして武蔵が出くわしたのは清霜と夕張の二人だった。
 二人は何かを言い合っている。
 夕張は艤装の整備をしている途中のようで、油汚れの目立つつなぎを着込んでいた。
 清霜のほうは普段通りの格好だが、手に丸めて筒のようになっている紙を持っている。

 近づいて分かったのは、言い争うというよりは夕張に清霜が噛みついているようだった。
 どうにも単なる口ゲンカではなさそうだが。

「二人とも何をしているんだ」

 武蔵が声をかけると二人の顔が向く。
 夕張はほっとしたように一息つき、清霜は驚いてから武蔵と目を合わせないように視線を外してしまう。

「ちょうどよかった、ちょっと助けてくださいよ。清霜ったら無謀をやってくれって……」

「無謀なんかじゃないよ! これは絶対に必要になるんだから!」

「だから、どうしてそんな結論になるんですか! 戦艦になりたいって言うのと、これは全然違うんですよ!」

「待ってくれ、ちっとも話が見えてこないぜ」

「清霜ちゃんが艤装を改造したいって言い出したんですよ」

「なんでまた……」




 清霜がいつか戦艦になりたいのはよく知っているし応援もしている。
 ただ一朝一夕にできるような話ではないし、本人も承知の上で夢として語っていると思ってたんだが。
 そんなことを考えていると、清霜は設計図を差し出してきた。

「これは……清霜の重装化プランです。設計図も自分で引いてみました……」

「何が重装化よ。無理やり戦艦砲を載せてみようってだけでしょ」

「ただの戦艦砲じゃなくて武蔵さんと同じ四十六cm砲だよ!」

「なお悪いから! 重心とか復元性を甘く考えてるでしょ! 速力だってどのぐらい出せるやら……」

「夕張も少し落ち着いてくれ。頭ごなしに言うもんじゃないだろ?」

 少しばかり気が立っているように見える夕張をなだめる。
 夕張としても、今は清霜だけにかかずらってるわけにはいかないのだろう。そんな焦りを見ていると感じる。
 かといって俺に丸投げしないのは気にかけているからか。

「なあ、清霜よ。どうして改造したいんだ? 本当に今じゃないといけないのか?」

 清霜は言葉を詰まらせる。上目にこちらを見上げる顔は、何か葛藤しているようでもあった。
 いくらか落ち着きを取り戻したような夕張の声が続く。

「そうよ、主砲を載せられるのと扱えるのは全然違うんだから」

 その通りだ。清霜の艤装にだって載せられるだろう、戦艦級の主砲を。
 ただし、それが十全に性能を生かせるかといえば、そうはならない。
 あくまで積んで撃てるだけ。むしろ本来なら起こりえない問題を生じかねさせず、戦力として数えられるとは武蔵も思っていない。
 清霜にだって言われなくとも分かっているはずだ。

「何か理由があるんだろう?」

 そうさ、清霜はこういう駄々はこねない。
 無言を貫いていた清霜だが、やがて耐えかねたように口を開いた。

「私が考えてる相手は戦艦棲姫だから……今のままじゃ武蔵さんの力になれないよ……」

 清霜の視線と言葉に武蔵は我知らず後ずさっていた。
 ……下手な砲撃を受けるよりも、よっぽど衝撃だった。つまりだ。

「原因は俺か……」




 分かってしまえば単純な話だ。
 清霜はこの武蔵の身を案じている。それが今回の行動の引き金になっていた。
 ……清霜は聡い子だ。もしかしたら、俺が姫に対してどこか及び腰になっているのに気づいてしまったのかもしれない。

「……情けないな、俺は」

 そう、本当に情けない話だ。
 俺自身の弱気が清霜までを惑わせていた。
 らしくなかった。相手が強いから、なんだと言うんだ。そういう相手だからこそ力の振るい甲斐があるというのに。
 武蔵は清霜の両肩に手を置くと、視線を正面から合わせて受け止める。

「お前の気持ち、確かに受け取ったぜ」

「武蔵さん……」

 ならば。ならばこそだ。

「信じてくれないか、清霜。この武蔵を。俺は絶対に戦艦棲姫には負けない。だからお前はお前らしく、俺を助けてほしい」

 勝負事はやってみなくては分からない。
 それでも始まる前から負けるかもしれないなどと考えていては、勝てるものも勝てなくなってしまう。
 最後の一線で踏みとどまれるかは少しの気合いの差だったりする。
 そしてそれはほんの少し前の俺には欠けていて、清霜はそれを俺に分からせてくれた。

「……はい。清霜は、清霜もがんばります!」

 清霜は言い切ると、今度は勢いよく夕張へと向き直る。

「あの、夕張さん……こんな時にご迷惑をおかけしました!」

 敬礼でもするように背筋を伸ばして、清霜は頭を下げる。
 夕張はすぐに顔を上げさせると、自分も感情的だったと謝った。

「もういいのよ、二人のやり取りがちょっと分からないとこはあったけど丸く収まったんだし。それに……正直に言うと、私もこんな時じゃなければちょっとだけ主砲を積んでみたい気持ちはあったし」

「それって……じゃあ私もついに戦艦に?」

「ただ主砲を積んだだけでは、いいとこモニター艦ってやつじゃないのか」

「まあ課題は山積みですよね……せっかくですし無事に戻ってきたらやってみましょうか?」

 清霜と夕張はそんな話をして笑い合っていた。もちろん俺もだ。
 戦いの結果がどうなるかは分からない。
 それでもやつと雌雄を決するための心の用意はできたと、俺はようやく確信していた。


ここまで。決戦前のやり取りとしては半分ぐらい。全部書いてからと思ったけど、間が空きすぎてしまったので……
遅れがちで申し訳ないですが、乙ありでした

乙です

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 消毒液の匂い、というのはコーワンにとってなじみのない匂いだった。好き嫌い以前に。
 彼女は医務室に足を踏み入れてすぐに、目当ての相手を探す。
 医務室には扶桑が収容されていて、山城もそれに付き添っているはずだった。
 すぐに中ほどのベッドで寝ている扶桑を見つけ、その傍らでは山城も椅子に座ったまま寝息を立てている。
 そして扶桑を挟んで山城の向かい側に艦娘がもう一人いて、近づくと顔を向けてきた。

「アナタハ確カ……白露ノ妹……」

「時雨だよ。姉さんの妹だと候補が多すぎるね」

 時雨はどこか楽しげに、そして名乗るように言うと、自分の隣に丸椅子を置いて座るように促してくる。
 何をしにきたのかとは聞かない。すべて分かっているという感じだった。
 座るかどうか迷ったものの、おそらくは時雨の厚意に従う。
 コーワンはベッドに寝かされている扶桑を見る。見た目に異変はないのに目を覚まさない。

「扶桑ノ様子ハ……?」

「見ての通りだよ。ローマが言ったように、そのうち目は覚ますと思うけどね」

 時雨はコーワンを見上げていた。
 見返して思ったのは、確かに白露と目元が似ているような気がした。
 といっても彼女から受ける雰囲気は白露とは異なる。違った意味での穏やかさというか落ち着きを感じる。

「扶桑を心配してくれるのかい?」

「ソレニ……山城モ……」

 時雨に問われ、コーワンは頷く。
 私は確かに扶桑の身を案じていた。このトラック泊地に来てから特に世話になったのは艦娘は扶桑と山城の二人だから。

「そうなんだ。二人に代わってありがとう」

 時雨は屈託のない顔で笑う。こういうところも白露の妹を感じさせた。



 しばらく互いに無言で様子を見ていたが、時雨のほうが口を開く。

「なんだか変な感じだよ。ボクたちは前の提督を、君たちはワルサメをなくしている。それが今は一緒にいるんだから」

「二人ガ……巡リ合セテクレタノカシラ……」

「どうかな……けど、本当にそうだとしたらボクらはこう言うんだ。これは運命だって」

「運命……」

「二人が生きていた結果なのかも。きっと本当なら交わらないはずのボクらがこうして今を共有してるのは」

 時雨の視線を受け止める。彼女の言うことはもっとも。
 我々は二人の犠牲を足がかりに、この場にいる。本来なら忌んだり悲しむような出来事を経たからこそ成立した関係。

「……でも、これ以上は誰かを失いたくないものね」

 いきなり眠っていたと思っていた山城が言い出し、驚いてそちらを見る。

「あなたも来てたのね、コーワン」

「起コシテシマッタ……?」

「いいのよ、いつまでも寝てるわけにはいかないし」

 山城は椅子に座ったまま扶桑を見ていた。
 普段は物憂げな顔をしている時が多い彼女だが、この時は違った。引き締まった顔は凛としていた。
 まるで独り言のように山城は漏らす。

「……禍福あざなえる縄のごとし」

「ドウイウ意味……?」

「幸運も不幸も交互にやってくるという意味で……要はどちらにも終わりは来るということ。友人の言葉を借りるなら、雨はいつか止むかしら」

 ことわざ、というものだろうか。
 なぜか時雨がなんだか嬉しそうにしている。

「へえ……いいことを言う友達もいたもんだね、山城」

「そうね、そういうことにしておいてあげるとして」

 山城は時雨になんともいえない視線を向けているが、そこに含めれている意味は私には分からなかった。




「でも現実には終わらせようとしないと、いつまでも終わらないこともある……悪いことには特にね。今回は目に見える相手がいるだけ分かりやすくていいわ」

「山城ハ……何ヲスル?」

「何って決まってるじゃない。姉様に仇なすやつらがいるなら戦うだけよ。どんな相手だとしてもね」

 山城の意志が硬いのは口振りや表情を見ていれば分かる。
 ……どうしてだろう、もどかしさを感じる。
 その理由を考えている内に、時雨が山城に言う。

「無茶はしないでよ。君に何かあったら扶桑が困るんだ」

「……その言い方はずるいわよ、時雨」

「それならボクも困る」

 横目に見た時雨の表情は真顔だった。
 山城を諫めようとしている。もしかすると時雨は私が感じていない何かに気づいたのかもしれない。

「……なるようにしかならないわ」

 山城はそう言うと立ち上がる。時雨の言葉をはぐらかしてはいるが、同時に本心でもあるように聞こえた。

「私はそろそろ行くわ。いつ招集がかかるか分からないし、あなたたちも少しでいいから寝ておきなさい。今日も長くなるわよ」

「待ッテ、山城」

 思わずコーワンは呼び止めていた。
 もどかしく思ったのは、自分とホッポの関係を重ねてしまったからかもしれない。
 あるいは時として、行動には犠牲が付きまとうのを知っているからか。




「時雨ノ言ウヨウニ……無茶ハヨクナイ」

 山城はコーワンを見ると、問い返すように語り始める。

「……もしも自分の前に選択肢があったとするじゃない。右に行くか左に行くか、この部屋にいるかいないか。実際は二択どころか、もっと多くの可能性があるんでしょうけど、とにかく選択肢があるのよ。私の場合、大抵は何を選んでも不幸な目に遭うの」

「ソンナコトハ……考エスギデハ?」

「あるのよ、私の場合。何を選んでも不幸になるなら、それでもいいのよ。自分でやるべきと思った選択をして、そんな目に遭ってから言えばいいんだから。不幸だわって。それでおしまい。だから無茶はしないつもりだけど、その時々にすべきと思ったこと
をやらせてもらうわ」

 山城の言うことはよく分からない。
 悪いことが起きるという前提で動くこともないのでは。
 ただ、山城はこうと決めた基準を持っている。それはきっと外から誰かが口出しして、どうにかなる話ではない。
 時雨が悲しげに言う。

「……君はひねくれてるなあ。それとも逆にまっすぐすぎるのかな」

「なんとでも言いなさい」

 山城は苦笑いを浮かべてから部屋を辞した。
 止めることはできない、とコーワンは思った。部屋を出て行くのがではない。死地に向かうのだとしても。

「簡単にやらせはしないさ」

 時雨がコーワンに向かって言う。
 分かっていると言いたげな時雨に、コーワンもまた頷き返す。
 この時雨はきっと頼りになる。そう思わせるだけの気配がある。

 一方で自分の抱えたもどかしさが胸の内で膨らんでいくのも感じた。
 当事者でありながら状況に関与できていない。
 このままではいけないと思うも、打開するための方法が分からない。
 重石のようなのは心なのか体なのか、区別がつかなくなっていた、




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 深度二十付近の海中で眠っていたネ級は、やはり海中で目を覚ました。
 うっすらと目を開くも、夜の水中はとても暗い。
 水面からのわずかな月明かり、あるいは夜光虫やより深い場所を根城にする海洋生物が発する淡い光ぐらいしか光源がないからだ。

 いや。とネ級は己の考えを否定する。
 今はネ級も金色の光を発していて自らが光源になっている。露出を抑えようと思えば抑えられるが、完全には消えない。
 たまに光に誘われて近づいてくる魚などもいるが、ネ級の存在に気づくと警戒心を思い出したように逃げていく。
 運が悪ければ、腹を空かした主砲たちの口内に直行することになるが。

 海中で眠るのは、そのほうが安全だからだ。普段ならばさすがにここまではしないが。
 ネ級は近くで同じように眠っていたはずのツ級がいないのに気づく。
 どちらかが潮に流された可能性もあるが、互いにそんな間抜けはしでかさないはず。
 となれば上か。

 ネ級は眠ったままの主砲たちを起こさないまま海上へとゆっくり浮上していく。
 水面から顔を出すと夜空に出迎えられた。
 頭上には数えるのを放棄したくなるぐらいの星々が瞬き、月は左だけの半月に近い形をしている。青い光が網膜に焼き付く。

 頭を巡らせるとツ級を見つける。
 そして意外な先客もいた。飛行場姫だ。二人は水上に出ていて、何か話していたらしい。
 ツ級が私に気づいたのだろう、視線を下げてこちらを向く。おそらくは頭の動きから目が合った。
 先の戦闘で受けた傷の修復はすでに済んでいる。
 飛行場姫もこちらに気づいた。こうなると出ていくほかない。
 海面に立ち上がると、主砲たちも起きる。体を後ろへ伸ばしながら身震いして、水滴を振り落としていく。

「珍シイ……二人ガ話シテイルナンテ」

 出会い頭にかける言葉としてはどうかと思うが、これ自体は正直な気持ちだった。

「タマニハ……ソレモイイトナ」

 飛行場姫は妙に穏やかで、それでいてどこか寂しげに見える顔で笑う。




「……ヨクヨク考エルト……オ前タチト……アマリ話シテコナカッタ」

「……ダソウデス」

 付け加えるようなツ級には硬さが見て取れた。
 普段は必要以上に話さない姫との接触に戸惑っているのかもしれない。

「話デスカ?」

「エエ、話ヨ」

 そこで話が途切れた。
 いきなり話そうとしても思い浮かんでくる話題がない。
 私たちはそこまで多弁というわけではないようだ。

 代わりに頭の中に不明瞭な言葉が浮かんでくるが、ぼんやりとしているだけに正確な形にはならなかった。
 女三人集まれば……ぜかまし?
 どこか違う気がする。よくは分からないが。

「……静カナモノデスネ」

 ツ級が私と姫へ交互に顔を向けて言う。

「夜戦ガアッタノニ……私タチダケ切リ離サレテシマッタヨウデ」

「支援作戦ニ近イカラ付キ合ウ必要ハナイ。ソノ分ダケ休ンデ……朝ニ備エタホウガイイ」

「朝ニ……」

 詳しくは知らないが、人間たちとの交渉は物別れに終わったと聞いていた。
 それについては特に思うこともない。初めから、そうなる気がしていたから。
 しかし、こうなるともう戦うしかない。あの艦娘――鳥海と。
 総力戦である以上、戦域も拡大する。それに伴って遭遇する確率も低くなるはずだが、また出くわすという予感がした。




 ふと月を見上げる――月が綺麗だ。
 今は半月に近いが、あと一週間ほどで朔になるだろう。なぜか、今日の月が満月でないのが残念だった。
 次の新月を迎えられる保証はどこにもなかった。なんで、今まで月を見た時にそう感じなかったのだろう。
 気づいてしまえば、声が自然と出てくる。

「確カニ……何カ話スナラ今ダ。言ッテオキタイコトデアレ……抱エテイル秘密デアレ……次ノ夜ヲ迎エラレルカナンテ分カラナイ……」

 最後になるかもしれない、そんなに夜にできることならば。
 では、とツ級が声を発する。頭は飛行場姫を向いていた。

「ネ級ニハ話シマシタガ……私ハ艦娘デシタ。何者ダッタカマデハ分カリマセンガ……」

「ソウ……」

 飛行場姫はこともなげに言う。
 驚きはなく、あくまで静かな態度だった。

「驚カナインデスネ……」

「……ソウダッタトイウ話ハ聞カサレテイル。元ガ誰カマデハ分カラナイ……知リタイノ?」

「イエ、アマリ知リタクハ……分カッタトコロデ何モ変ワリマセン……ツ級デアルコトニハ何モ」

 仮面のような外殻の奥で、ツ級はどんな顔をしているのか。
 憤りは感じない。悲しむぐらいはしているかもしれないが、かといって嘆くような調子でもないのは確か。
 事実は事実として受け止めている。たぶん、そういうことなんだと思う。

「ツ級トシテ生マレ……ネ級ヤアナタニ会エテヨカッタト思ッテイマス。ソレダケハ言ッテオキタクテ……」

「私モ……最初ニ会ッタノガ……ツ級デヨカッタ」

 これは正直な気持ちだ。
 私たちの関係をどう表現するかは難しいところだが、どこかでツ級を守るのは当たり前に思っている。
 それもこれもツ級には沈んでほしくないからだ。
 この場で振り返ってみれば、出会ってごく最初に抱いた感情なのかもしれない。




「仲ガイイノネ……オ前タチハ」

 飛行場姫に言われ、確かにそうかもしれないと内心で認める。

「モチロン……姫ニモ感謝ヲ……アナタハ他ノ姫タチトハ……ドコカ違ウ」

「フン……違ウカ……マア褒メ言葉トシテ受ケ取ロウ」

 そんな話をしていたら主砲たちが体に巻きつこうとしてきた。
 意味が分からない。が、ひとまずじゃれる二つの頭を手で抑える。

「ソノ子タチモ……ネ級ヲ好イテル」

 ツ級がそんなことを言い出すと、同意するように主砲たちも短い声を出す。
 それを聞いた飛行場姫まで納得したように言う。

「ナルホド……私タチモ忘レルナト言イタイノカ」

 そうなのだろうか。
 疑問に答えるように、主砲たちはツ級と姫へ交互に短く鳴いた。
 甘えるような、高くて明るい声だった。

 心なしか、頬を緩ませたような飛行場姫が天を仰いだ。
 湿り気を帯びた夜風が海を渡っていた。
 うまくは言えないがいい風で、そんな風に誘われるように姫の声が波に乗って聞こえてくる。

「私ニモオ前タチノヨウニ仲ノイイ者ガイタ」

「コーワントヤラデスネ?」

 姫は視線を空から、こちらと同じ高さに戻す。何も答えないが肯定らしい。




「コーワンハ望ンデ艦娘ニ協力シテイル……シカシ……今デモコーワントハ戦イタクナイ」

「ダカラ……艦娘ヤ人間ニ停戦ヲ申シ入レタノデスカ?」

 ツ級の問いに姫は答えなかった。今回は肯定、というわけでもなさそうだ。
 そう感じたのは姫に緊張した雰囲気を感じたためだ。

「誰モガ極端ニ動イテイル……ドウシテモソレガ正解トハ思エナイダケ……コノママ戦ッテ勝テテモ……相応ニ消耗スルダケデショウシ」

 確かにそうなる可能性は大いにある。
 トラックの艦娘たちは手強くて粘り強い。単純に数で力押ししてどうこうできる相手ではなかった。

「タダ生キ延ビルダケナラ……今カラデモ戦闘ヲ放棄スレバヨイノダロウガナ」

 飛行場姫はどこか自虐めいた笑いを浮かべる。
 そんな顔を見ていると、ふと疑問が思い浮かぶ。

「コーワンタチト一緒ニ行ク気ハナカッタノデスカ? 仮ニ飛行場姫タチヘノ牽制ガ必要ダッタトシテモ……」

「艦娘ヲ何モ知ラナイノニ?」

 確かにその通りだ。コーワンたちにとって艦娘は敵ではないようだが、深海棲艦にとっては敵でしかない。
 だからこそ今の状況があるわけだ。
 飛行場姫はほとんど即答するような早さで答えたが、すぐに言い足す。

「今ナラ分カル……本当ハ恐レテイタ」

 飛行場姫は重々しさを伴って言う。

「コーワンヲ信ジル以上ニ……未知ナルコトヲ。守ロウトシテイタノハ……私自身モダ」

「艦娘ガ今デモ恐ロシイノデスカ?」

「恐ロシイノハ未知ダカラ……知ッテシマエバ……キットナンデモナイ」

 知ってしまえば。
 言うのは簡単だが、もしかすると一番難しいことなのかもしれない。
 飛行場姫はネ級をじっと見る。




「オ前ハ……ドウナノダ? 艦娘ヲドウ感ジル?」

「艦娘ハ……無視ノデキナイ相手デ……ヤツラモマタ私ヲ……無視シナイデショウ」

「ネ級ハ狙ワレテイマス……」

「ホウ……」

「確カニ……奇妙ナコトナラ言ワレマシタ……私ハ司令官……提督デアルノカト」

 ネ級は言ってから、かぶりを振る。
 今のは推測みたいで、正しい言い方ではない。

「以前カラ頭ノ中ニ……知ラナイ誰カノ記憶ガアルノハ感ジテイタ……ソレガ提督ナノデショウ」

「ソウ感ジルノカ……」

「快イトハ言エマセンガ……」

 頭の中にいる誰かを提督として明確に意識するようになったのは、鳥海と接触したからだ。
 司令官――どうやら提督をそう呼んでいるらしいが、あの艦娘の声と言い方は妙に頭に引っかかる。
 何かとても大切なことだったように。初めて出会ったはずなのに、奇妙な引力を持っていた。

「ネ級ハアノ艦娘ニ……モウ関ワラナイホウガイイ……」

「ソウモイカナイ……アイツハ必ズ私ノ前ニマタ現レル……ソレト言ッタハズ……鳥海ハ私ニ任セテオケバイイト」

 ツ級の諫言かもしれない言葉を聞き流す。
 鳥海との決着は避けて通れないという予感があって、それを全面的に信じている。
 それに私に言えたことではないが、ツ級もどういうわけか鳥海に執着しすぎているように思える節があった。
 先の交戦で執拗に攻撃を加えていたように思えて、今まで行動を共にしてきているとツ級らしからぬと感じられた。

「ハッキリトハ覚エテイナイガ……ソノ艦娘ハ提督ガ最期ニ会イタガッテイタ者カモシレナイ」

 飛行場姫の言葉に、きっとそうだろうという感想が出てくる。
 あの艦娘――鳥海は何か他の艦娘とは違う。




「ドンナ艦娘カ……モウ少シ踏ミ込ンデ聞イテオケバヨカッタカ……」

「イズレニシテモ……ヤツハ強敵デス……」

 ネ級が強敵として頭に思い浮かべるのは赤いレ級で、自身の高性能を存分に生かした戦い方をしてくる。
 対して、この鳥海はそれとはまた違う毛色の強敵だ。
 おそらくは、こちらの動きや性能を見極めた上で最適な行動を選択してくる。
 高い技術と豊富な経験に裏打ちされた戦い方というべきか。
 たとえば同じ兵装と同じ量の弾薬を持たせて同じ作戦目標を指示しても、他の艦娘よりも多くの戦果を挙げて帰ってくるようなやつ。

 そこまでネ級は考えて、今のは本当に自分の分析だろうかと疑問に思う。
 もしかすると提督の知識を、私が代弁しているようなものかもしれなかった。
 ……結局は提督だ。今の私は思考がそこに行き着いてしまう。

「姫……提督トハドノヨウナ人間ダッタノデスカ?」

「イササカ難シイ……私モアノ人間ニハ詳シクナイガ……」

 そう前置きしながらも、飛行場姫は提督がガ島にコーワンによって連れてこられた経緯と、その最期を話してくれた。
 提督のことを聞けばもっと何かを感じるかと思ったが、特に何かを喚起されることはなかった。
 姫が次に言うことを聞くまでは。

「提督ハ……ヤレルコトヲヤッタ……自分ガスベキト思ッタコトヲ……」

「……冗談ジャナイ」

 思わず姫に言い返していた。考えがあってではなく、ほとんど反射的な反応だった。
 驚いた顔を向ける姫を尻目に、急速に怒りが沸き上がってくる。
 私の頭に浮かんだのは、なぜか鳥海だった。

「……アノ艦娘ハ提督ヲ忘レテイナイ……スベキコトヲシテ……アレガ結果ナラバ……間違ッテイタトイウコト」

 こちらに話しかけ、攻撃をためらい、それでも撃つという選択をした艦娘。
 こんなはずではなかった。きっと提督ならそう思うに違いない。
 だからこそ腹立たしく感じるのか。分からない。そもそも私は何に怒りを感じたのか。

「コウナルナラ……アガクベキダッタンダ……最期マデ生キルノヲ」

 そうすれば万が一でも提督は生き延びたかもしれない。
 あの鳥海と再会して、彼女が私に妙なこだわりを持つこともなく。
 だけど、そんなのは仮定だ。私と鳥海の間の奇縁が消えたかは分からず、そもそも今の敵という関係が変わるわけでもない。

「ネ級……」

「私ハ……モット生キテイタイ……」

 二人の視線を振り払うように月を見上げる。
 また思い出す。月が綺麗だと――満月の夜に誰かがそう言ったのを。
 それはきっと提督が鳥海に伝えた言葉だ。使い古された殺し文句。
 だけど、それは二人には確かに大きな意味を持っていたはずだった。
 ……どんな意味があっても、生きていなくては無為だ。


ここまで。乙ありでした
前回分も含めて、かなりの難産。書いては没にしたシーンがいくつか。台詞だけなら後からでも使えるかもしれないですが
そして今更だけど、今までも深海棲艦しかいない場面は台詞も普通に書いた方が読みやすかったのかなって反省

乙です

乙乙
今のままでいいんじゃね

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 二月十九日。この日、トラック近海の天候は朝から思わしくなかった。
 晴れ間こそ覗いているものの、南方から厚く垂れ込めた入道雲が壁のようになって広がりつつある。
 発達した雲はどこかで豪雨が降りだすのを予感させ、いかにも一筋縄ではいかない天気に見えた。
 この戦いと同じだ。提督はそんな風に思う。
 与えられた時間の中で最善を尽くしたつもりでも、どう転ぶのかは分からない。

 提督は作戦室の窓からそんな空を見上げていたが、すぐに意識を現実へと戻す。
 時刻は九時を回っているが、泊地はすでに五百機からなる艦載機の空襲を受けていた。
 コーワンの配下たちが前日から引き続き防衛に就いているが、敵艦載機は彼女らを素通りして泊地施設を攻撃してきている。
 幸いにも今回の空襲でさほどの被害を受けなかったが、それだけに敵も艦砲などの方法も含めて更なる攻撃を仕かけてくる可能性は高い。

 そして前線の艦娘たちも、敵艦隊と接触したとの通信を入れてきていた。
 夜以来の索敵により敵は東方から襲来する可能性が高いのは分かっていたし、実際に進攻は東から行われている。
 しかし前日と敵の動きはまったく違う。

「偵察ヲ許サナイツモリノヨウデスネ……」

「ええ、どうも気に入らない。早急に全容を把握しないと取り返しのつかないことになるかもしれない」

 同じように作戦室に詰めているコーワンに返しつつ、提督は彼我の状態を示している表示板に目をやった。
 今までと違って、日が昇ってからは偵察に出している彩雲や二式大艇が迎撃を受けるようになり、索敵の成果が芳しくない。
 本来ならこれが当たり前の行動なのだが、昨日はあえて偵察を許していたように見えるだけに引っかかる。

 所在が分かっているのは飛行場姫と戦艦棲姫の二人で、先陣を切っているのは飛行場姫の艦隊だった。
 そのあとに戦艦棲姫が続く形で、二人の姫を取り巻く艦隊は合わせれば百を越えている。
 そして、おそらくより後方に控えているはずの敵の機動部隊や、何よりも空母棲姫と装甲空母姫の姿を確認できていない。

「モシ……密カニ動イテイルナラ……」

「狙いはここ……その時はあなたの配下たちを当てにするしかないでしょう」

 それも踏まえて泊地より七十キロから百キロ圏内を第一次防衛圏に、五十から七十キロ圏内を第二次防衛圏として定めての迎撃戦を展開している。
 航速や射程距離を考えると泊地からはかなり近いが、裏を返せば不測の事態が起きても艦娘たちが泊地へ取って返せる距離でもあった。
 しかし、あまり好ましい展開にはならないかもしれない。
 敵の動きを予測しながら提督は考える。

「この布陣も飛行場姫を無理にでも戦わせようとしてのものだ」




 飛行場姫はこちらに対して停戦のための交渉を持ちかけようとしていた。
 他の深海棲艦からすれば承服できるような話でもないのだろう。
 だから最前線において、戦わざるを得ない状況を作り出そうとしている。
 そうした判断そのものは理解できた。獅子身中の虫かもしれない相手の出方を見極めるには危険に晒してしまえばいい。

 艦娘たちには飛行場姫を自衛などの、やむを得ない事情がない限りは攻撃しないように伝えている。
 この戦力差では、いかに彼女たちが奮闘したところでじり貧にしかならない。
 泊地を守り抜くには、こちらが余力を残したまま敵艦隊には甚大な被害を与える必要がある――残る他の三人の姫級を沈めるような痛手を。

 飛行場姫を無視するのは、戦力上の負担を減らす意味でも効果はある。
 そうした戦果をあげた上で、停戦を持ちかけるなりして落としどころを用意する。それが目指す勝利の形だった。
 そのためには、そうした提案に応じるであろう飛行場姫の存在が不可欠となる。

「私ニ艤装ガ戻ッテイレバ……」

 コーワンが誰ともなく呟いたのを提督は聞き、そしてつい想像してしまう。
 もし、この姫が敵だったらどうなっているのだろうと。
 そう考えてしまうのは、自分と深海棲艦の接点が戦いの中にしかなかったからかもしれない。

 もう五年ほど前になる。日本が深海棲艦と接触して、一方的に敗れたのは。
 すでに存在が確認されていた深海棲艦に、従来の兵装がろくに通用しないことは知られていた。
 そんな中、深海棲艦の手はこの国の経済水域を侵すまでに至り、そうなれば行動を起こさないわけにはいかなかった。
 そうして戦闘は生起したが……とても戦闘とは呼べない有様だった。

 提督は疼くような感覚がして左手へ視線を落とす。今でもどうして生き延びたのか分からない。
 多かれ少なかれ、自覚があるかは別にして、今を生きる人間は何かを深海棲艦に奪われている。
 コーワンや彼女に連なる者たちが手を下したわけではないにしてもだ。

「今は信じるしかないでしょう。彼女たちなら上手くやってくれると」

「……ソウデスネ」

 コーワンはどこか不安げに、しかし何かを秘めたような顔で頷く。
 不意にそれまで思いつかなかった考えが提督の頭をよぎる。
 これは試練なのかもしれないと。何の、という具体的なことまでは分からない。
 過渡期というのは往々にして事変が起き、これもそんな出来事の一部ではないかと思わずにはいられなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海ら三人の重巡が放った一斉砲撃、合わせて三十近い砲弾がル級を打ちのめす。
 いかに戦艦であっても全身が堅牢ではない。攻撃目標となったル級は集中砲火によって物言わぬ躯になると、急速に海中に没していた。
 ――まるで何か見えない手に引きずり込まれるように。鳥海はそんな感想を抱く。
 主力艦を失いながらも残存する敵艦も戦意を失っていない。
 むしろ果敢に砲撃の合間を狙って駆逐艦たちが突撃してくるも――。

「通すわけねえだろ!」

 摩耶の主砲に機銃群や島風と長波の砲撃に煽られながら蹴散らされていく。
 四人いた改良型のイ級駆逐艦も二人が摩耶たちによって沈められ、砲火を一時は逃れた残る二人も追撃を受けて撃沈されていく。
 周囲の敵影が途切れた所で、摩耶が快哉をあげる。

「これで十! 当たるを幸いってか? 今日はなんか調子がいいや」

「朝ご飯がおいしかったからかしら。質素にお蕎麦なんて言ってたけどねえ」

「そんなわけ……ないとも言い切れないけど」

 摩耶の意見に同意するように愛宕姉さんの声が続き、高雄姉さんがちょっと困惑したように応じていた。
 確かに摩耶が言うように調子がいい。

 今の第八艦隊は通常編成と違って、ローマさんが主力へと抜けた代わりに愛宕姉さんと摩耶が入ってきている。
 島風と長波さんもいるし、この編成だといつかの第四戦隊を思い起こす。その時とは何もかもが違うけど。

「どうしたんだよ、鳥海。浮かない顔して」

「もしかして呆れられちゃってる?」

 摩耶と愛宕姉さんに声をかけられて、すぐに首を振る。

「あ……いえ。むしろ二人が自然体で頼もしいです。このまま飛行場姫への牽制を続けましょう」




 この戦闘の主目標はトラック泊地を守り抜くことであり、そのためにも姫級の撃破は不可欠な要素だった。
 その中でも飛行場姫のみは、自衛を除いて交戦を避けるよう言われている。
 だから、できることなら無視しておきたいけど敵の先鋒にいる以上は不本意でも放置できない。

 そこで主力艦隊は飛行場姫を取り巻く艦隊を迎撃しながら、後続にいる戦艦棲姫を目指している。
 私たち第八艦隊もその負担を減らすために、遊撃を行いながら飛行場姫の艦隊をできるだけ引きつけようとしていた。
 主力に向かう全ての相手を阻止できるわけではないにしても、それなりの戦果も挙げている。

 その甲斐もあってか、深海棲艦はここで足踏みしているようだった。
 このまま時間を稼げれば、その間に未発見の機動部隊を発見できるかもしれない。
 そうでなくとも注意を引き続けることができれば、主力はもちろんのこと迂回して後方から機を窺っているはずの木曾さんたちにも有利になるはず――。

「敵影見ゆ。あいつは……!」

 長波さんの声に、体が自然と反応する。鳥海たちはその場から逃れるよう散開すると、新たな敵の存在を見やった。
 複数の深海棲艦。護衛要塞を伴った艦隊で十隻以上いる。そして中心にいるのはネ級とツ級。
 見張り員を通して強化した視覚で見たネ級は、こちらを見返しているように感じられた。

「ネ級……やはりこうなるんですね……」

 万が一……言葉通りに万が一、もう出会わない可能性も考えていた。
 けれど出会った。ならば望むことは一つ。
 鳥海は声を発する。その顔は決然とネ級を向いていた。

「皆さんにお願いがあります。どうか私のわがままを聞いてください」

 一呼吸挟むと、鳥海の唇がかすかにためらったように震える。
 しかし、それも一瞬のことで当人でさえ意識していない。

「ネ級とは私一人だけで戦わせてください。勝手は承知しています……ですが、どうか……」




 鳥海はあえて視線をネ級たちから逸らすと、一同へと頭を下げる。
 最初に答えたのは高雄だった。

「いいわよ、行ってきなさい。あなたにはそう言うだけの、そうするだけの権利があるはずよ」

「姉さん……」

「鳥海たっての願いだもの。ちゃんと聞いてあげなくちゃねー」

「避けちゃいけない勝負事ってあるもんな。行ってきなさいよ、鳥海さん。今回も勝って帰ってくるんだろ?」

 愛宕と長波の声が続くと、摩耶と島風が鳥海の前に進み出てくる。

「ぎりぎりまで、あたしらで護衛する。それにどうせネ級の側にはツ級もいるんだし、そっちの相手もしてやらなくちゃ悪いからな」

「ほっといたら一人でも行っちゃいそうだもんね。そんなのはもうなしだよ」

 鳥海は自然と固く握り締めていた手をほどく。
 後押しされた、という感覚に自然と胸が熱くなるのを感じた。

「みなさん……ありがとうございます。くれぐれも無理だけはしないようにしてください」

 摩耶が背を向けたまま手を振る。気にするなと言うように。

「となると私たちは残りの相手ね」

「いいとこ見せちゃいましょうか!」

 高雄と愛宕、長波が別方向へと舵を切ると敵艦隊へと迫っていく。
 一方、摩耶と島風が鳥海を先導するように進んでいく。

 すると敵艦隊にも変化が生じ、鳥海たちの意を汲んだかのように二手に分かれる。
 ネ級とツ級だけが鳥海たちへと向かい、残りの護衛要塞らは前後列に分かれて高雄たちへと向かっていく。
 そうしてさらにネ級たちと距離が縮まったところで、ネ級がツ級と分かれる。
 というより増速したネ級がツ級を無理に引き離したように見えた。

「あいつも同じように考えてるんだ……」

「行ってこい! ツ級はあたしらで面倒見といてやるから!」

 摩耶が砲撃。それはネ級とツ級の間に着弾し、両者の距離をより大きくしたように見えた。
 ネ級は狙われてないと見たのか、さらに離れたところに私を誘導しようとしている。
 この誘いには乗るしかない。




 私たちは申し合わせたわけでもないのに、互いに一切の砲撃を行わないまま近づいていく。
 それもやがて減速して止まる。辺りからは砲撃の音が盛んに聞こえていた。
 姉さんたちも摩耶たちも砲戦を始めたということ。
 そして私とネ級の間隔は百メートルほど。肉薄といっても通じてしまう距離だけど、ここ最近はこんな至近距離に身を置くことが増えてしまった気がする。

「ネ級……」

「モウ……司令官トハ呼バナイノカ」

「……分からなかったんです。あなたが本当に司令官さんだったのか」

「今ハ分カッタノカ?」

「少なくとも、私の司令官さんはもうどこにもいません」

 感傷をごまかすように笑おうとすると、妙に乾いた声になってしまう。
 そんな私をネ級は見つめながら、己のこめかみに人差し指を当てる。

「アレカラ知ッタ……確カニ私ニハ提督ガ混ザッテイルソウダ……」

「……そうですか。それが真実なら、あなたは司令官さんの生まれ変わりのような一面もあるのかもしれませんね」

 ネ級は答えない。好きに解釈しろ、と言われているような気がした。
 肯定も否定もなければ、確かに自分の好きなように受け止めるしかないのかも。

「ただ……もしも、あなたが司令官さんの生まれ変わりなら、私はあなたを許せない」

「……ソレハソウカモシレナイナ」

「私を手にかけるのならまだいいんです。私は司令官さんを助けられなかったんですから」

 因果応報。そう言ってしまっていいのかは分からないけど、私の身に起きることに限ればそういった割り切りはできてしまう。
 だけど、そうじゃない。

「もっと早くに気づく……認めるべきでした。あなたは私以外も傷つける。司令官さんが大切にしてきたものを壊そうとする……だから私が終わらせます。それがあの人にしてあげられる最後の……」

「ソウカイ……私モ一ツ認メテオク。オ前ニトッテ……ネ級ガ特別ナ敵デアルヨウニ……私ニモ鳥海ハ特別ナ敵ダ」

 だから引かない。進むしかない。決着をつけるしかないんだ。
 それはきっとネ級も同じような気持ちなんだと思う。
 私たちにあるのは戦うという選択。
 そうして私たちは――決着を求めた。


ここまで。イカばっかりやってて申し訳ない……次は姫戦を一つぐらいは終らせたいとこ
間隔ばかり空いてますが、乙ありでした

>>820
書いてる自分は気にしてなかったんですが、読むほうは地味に負担になってたんじゃないかなと
ここまで来てしまいましたし、このままカナと漢字でやってきます

深海語は公式もカタカナだし気にならないよ

乙です

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 第一次防衛圏における主力艦隊は武蔵、ローマ、リットリオの三人の戦艦を核として、球磨と多摩にザラ、夕雲型と白露型の半数。そしてマリアナからの増援組を加えた三十人で構成されている。
 彼女たちは飛行場姫の艦隊に断続的な攻撃を受けながらも、その後続に当たる戦艦棲姫たちと接触しようとしていた。
 この頃になると状況も変化し、偵察機が深海側の機動部隊を発見し大まかな位置と艦載機による攻撃準備をしているのを知らせてきている。
 すぐに偵察機は撃墜されたのか、それ以上の続報はなかった。

「総員、合戦用意クマ! 武蔵、大物は頼んだクマ」

「願ってもない。この武蔵に万事任せておけ!」

 主力はあくまで三人の戦艦だが、艦隊の旗艦を預かっているのは球磨だった。
 より戦闘に集中できるのだから武蔵としては何も不満はない。
 あらかじめ戦艦棲姫には武蔵が当たって、ローマたちは他の深海棲艦を相手にするのは決まっていた。

 敵機動部隊の位置が発覚した段階で、このまま戦艦棲姫と交戦するのは危険という意見もあったが、球磨は危険を承知で混戦に持ち込むのを提案していた。
 仮に一時でも引いた場合、敵は艦載機でこちらを漸減することも可能で、そんな状態で迎え撃つ方が悲惨だとして。武蔵も同感だった。

 戦艦棲姫は艦隊の先頭に立ちながら近づいてきている。
 その後ろには護衛要塞を始めとした、様々な艦種が入り乱れた艦隊が続く。姫よりも高速の駆逐艦や巡洋艦でさえ後ろに従っている。

「自ら先陣を切るか……誘っているな」

 武蔵は相手の意図を察し、思わず笑みを顔に浮かべる。
 にやりと唇を吊り上げるが目が据わったままという、好戦的で不敵な笑い方だった。
 艦隊がそれぞれ動き始める中、清霜がすぐ隣まで近づいてくる。

「武蔵さん……どうか御武運を」

「そちらもな。清霜には感謝してる。お前がいなければ、戦う前から負けていたかもしれない」

 これは偽らざる本心というやつだ。らしくなかった自分に気づかせてくれたのは、他の誰でもない清霜なのだから。




「凱旋しようにも一緒に帰って喜んでくれる者がいないと寂しくなる」

 ただ無事でいてくれ、と言うだけでよかっただろうに、回りくどい言い方をしてしまう。
 清霜はそんなこちらを見て、胸を張ってみせた。

「心配しないで、武蔵さん。清霜だっていつかは大戦艦になる女よ?」

「ふむ……ならば先輩らしく振舞ってみせねばな」

 清霜の言葉は理屈になっていなくとも、こういう前向きさは頼もしく好ましい。
 呼び止めていたのはこちらだったが清霜に夕雲の声がかかる。

「清霜さん、遅れないでくださいね」

「ごめんなさい! すぐに行きます、夕雲姉様!」

 清霜は武蔵に向かって恥ずかしそうに舌を出して見せると、元の隊列へと戻っていく。
 そういえば夕雲が清霜と同じ艦隊にいるのは意外と珍しいような印象がある。
 普段の夕雲は機動部隊の護衛が多いからか。
 この大一番だからこそ、長女の夕雲がいるのは他の夕雲型にもいい影響を与えるのかもしれない。

 代わりといっていいのか、普段よく見かける気がする白露は後方の機動部隊に回っている。
 この辺はバランス感覚なのだろう。
 どちらにも、いざという時の要がいると安定感が違うものだ。

 そこまで考え、武蔵は目前に意識を集中しなおす。
 ほどなくして敵艦隊を目視できる距離まで進出する。
 目視といっても敵の姿はごく小さい。
 意識して水平線に目を凝らすと、ようやく人型らしい影を判別できる程度だ。

 それでも武蔵は砲撃する。すでに射程距離に入り、出し惜しみをするつもりもない。
 先制を期しての攻撃だが、ほぼ同時のタイミングで相手からも発砲の閃光が生じる。
 間違いなくやつ、戦艦棲姫だ。
 他の艦娘たちも砲撃を始めながら、互いの距離が近づきはじめる。
 それに連れて徐々にやつの姿もはっきりした形になっていく。
 黒衣の裾を風にはためかせ、豪腕の獣に手を絡ませている姫。




 戦艦棲姫以外からの砲撃は武蔵に来ない。
 仲間が守っているという以上に、深海棲艦たちが攻撃を控えているというほうが正しそうだった。
 覆せないほどの数字上の戦力差がここには厳然と存在している。

 今や砲撃のペースは戦艦棲姫のほうが少しずつ速くなっているが、先に命中弾を得たのは武蔵だった。
 獣の鼻っ面に一弾が直撃し、巨体が押し返されるように震える。
 逆に姫の砲撃は武蔵を未だに捉えてはいない。
 まずは幸先よしだ。

「イイワ……ソノ気ニナッテクレタ……!」

 姫の笑う声が風に乗るように聞こえてくる。
 無線に介入してきた声なのに、耳元で囁かれたように聞こえるのは奇妙で不安を煽るような薄ら寒さがあった。
 冷や水を浴びせるような声を振り払うように、武蔵は声を大にする。

「どうした! まさか、こんな小手調べで終わる貴様ではあるまい!」

「……モチロン」

 今まで手を抜いていたわけではないだろうが、次に飛来してくる砲撃の狙いは正確になっていた。
 武蔵は自分に向かって砲弾がまっすぐ飛んでくるのを見る。
 こういう風に見える時は直撃してしまうと考えて間違いない。

 身構えた武蔵の元で命中の閃光と衝撃とが生じる。
 戦艦棲姫の砲撃は主砲の天蓋部分を叩いて、そして海へと弾かれていった。
 装甲の厚い区画であるため貫通こそされないが、さすがに重い一撃で骨身に響く痛みが体をさいなむ。

「戦艦武蔵……冥海ニ沈ミナサイ!」

「ただではやられん!」

 そこから砲撃による殴り合いの応酬になった。
 主砲が命中しあうと艤装が削られ弾け、赤と黒の血が流れる。
 互いの体力を削り合い、しかしどちらも優勢を引き寄せるに足る一撃を得られないままでいた。
 そんな矢先に厄介な一報が舞い込んでくる。




「敵艦載機が接近中。接触までおよそ五分!」

「友軍機はどうしたクマ!?」

「向かっています! でも間に合うかどうかは際どくて……!」

 球磨と夕雲のやり取りを聞きつつ、内心でほぞを噛む。
 敵機にこんな間近まで迫られていたとは。
 このまま姫と撃ち合うのは危険すぎる。空海両面からの攻撃をさばく余力はない。
 それは戦艦棲姫も当然分かっているだろうに、やつは意外にも砲撃を止める。

「余計ナ真似ヲ……」

 戦艦棲姫が毒づくのが聞こえてきた。

「切リ抜ケナサイ……待ッテテアゲル」

「何を考えている!」

「アナタハ……私ダケノ強敵ダモノ……」

 戦艦棲姫が何を言いたいのか武蔵は悟る。
 あくまでも、やつは力比べをしたいのだ。ゆえに手を出さない。純粋にこの武蔵との決着を望んでいる。
 そこに余計な介入を望んでいない。
 あえて塩を送るような厚意に感謝すべきなのかもしれないが、それを示すのは口ではなく行動であるべきなのかもしれない。

 砲弾を三式弾に交換しつつ、主砲は空を仰ぐ。
 対空戦闘に集中できるのは好都合だが、他の者はそうもいかない。
 あくまで砲撃を控えているのは戦艦棲姫だけで、他の敵は攻撃の手を緩めたりはしていない。

 となると優先して狙うのは自身ではなく、他の艦娘にまとわりつこうとしている敵機。
 こちらが対空砲火を見せつければ敵機の狙いも引きつけられるかもしれず、それはそれで好都合と言える。
 ああ、そうさ。この武蔵が無視などさせなければいいのだ。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 秋島近海で待機していた木曾たちは夜が明ける前から行動を始めていた。
 敵機動部隊の位置は大まかにしか分かっていないが、発見してからでは戦場に間に合わない。
 逆探のみをアクティブにして彼女たちは北寄りの航路を取る。

 木曾が見る限り、一向に緊張している様子は微塵もない。
 二人の姉は普段通りのマイペースだし、天津風は海原を渡る風を一身に受けてご満悦。
 リベは踊るように海を進んでいる。ヲキューは……こう言っちゃ身も蓋もないが、何を考えてるのか分からない。

 それでも聞こえてくる通信に誰もが耳をそばだてていた。
 すでに交戦は始まっている。いつ何時、敵艦隊についての情報が入ってくるのか分からない。
 事態が動き始めたのは艦隊戦が始まるという知らせが入ってからだ。
 本体のほうはすでに捕捉されているのもあって無線封鎖を放棄している。

「そろそろ出くわしてもおかしくない頃ね……みんな、先制攻撃に注意して。ミイラ取りがミイラじゃ笑えないわよ」

 旗艦こそ北上姉が務めてるけど、実務の指揮は大体ほとんど大井姉がやってる。
 周囲に艦影はなし。逆探もジャミングの影響下というのもあってか反応なし。
 電探を使うという手も無論あるが、やはり効果には乏しく、逆にせっかく保っている隠密性を損なうことになりかねない。
 そんなことを思っていると北上姉がヲキューに顔を向ける。

「ねえねえ、オキュー。深海棲艦も電探を無視すれば、あたしらとそこまで索敵距離は変わらないんだよね」

「ソレデ間違イナイ。目視ハ目視……ドンナニ目ヲ凝ラシテモ水平線マデシカ見エナイ」

「そっか。となると、やっぱり目ざとく見つけるしかないね」

 自己解決したのか、北上姉はうんうん頷いている。
 そうして航行を続けていると、待ち望んでいた一報が飛び込んできた。
 敵機動部隊を発見したという内容で、すぐに現在地とのすり合わせを行い針路を微調整すると増速していく。

「およその座標位置は分かったか……こいつでまずは第一関門突破ってところか」

 あとは気づかれずに近づけるかどうかだ。奇襲であれ強襲であれ。
 なんとしても先制を取りたいところだ。
 水雷戦に偏重している編成である以上、強みを発揮して押しつけたい。




 空はあいにくというべきなのか鉛色をしている。
 晴れ間の見えない天気だが、天候が悪くなれば艦載機の動きも制限される。悪い話ばかりでもない。
 そうして決して穏やかとは言い切れない波間を進んでいくと、ついに黒い影を水平線付近に見つけることができた。
 幸か不幸か、主力艦隊が空襲に見舞われているという知らせが少し前に入ってきているくる。
 向こうには災難だが、こちらには好都合だ。突入時に空襲を受けないか、敵機がかなり少なくなってるのは間違いない。

「Veni, vidi, vici」

 唐突にリベが呟く。普段と違った言い回しに一堂の耳目が集まるが、当のリベはいつもと変わらない様子だった。

「ローマに聞いたんだけど昔の偉い人が言ったんだって。ここまで来たら負けないよ!」

「来た、見た、勝った……ってやつか。気は早くとも、その通りだな」

 こいつは実際、千載一遇のチャンスだ。
 三人の姫たちもそうだが、ここで機動部隊を叩けないと俺たちに勝ちの目はなくなってしまう。
 空振りに終わるか各個撃破の危険もあったが、こうして機会をものにできた。
 なればこそ、ここで最高の効果をもぎ取る。

「ヲキュー、上空からの支援は当てにさせてもらうわよ」

「……頼マレタ」

「一気に突入します! 狙うは空母、そして姫級です!」

 大井姉の号令に従って、天津風を先頭にした単縦陣を組むと突撃をかける。
 ヲキューもまた帽子のような口から艦載機を発進させていく。
 敵も後方から攻めてくるこちらの存在に気づいたのか、動きに乱れが生じる。
 明らかに混乱しているのか動きには統制がない。状況を理解したらしい護衛の一部が向かってくるが、個別に先行しているだけのように見える。

「見ツケタ……装甲空母姫ハ中心付近ニイル。陣形ハ輪形陣」

「それならこのまま中心を目指します。態勢を整えられる前に大打撃を与えるのよ!」

 主砲はともかく魚雷の数には限りがある。いくら重雷装艦が三人揃っていても全てをというのは不可能だ。
 できることなら雷撃は空母か姫相手に絞って叩き込みたい。
 ヲキューの艦載機は直掩機との交戦に入ったのか、上空に火線の赤い色が瞬く。
 その間にもヲキューは敵状をこちらへと伝えていく。
 装甲空母姫の姿は確認できた。敵のヌ級やヲ級も艦載機の数から想定されていた範囲の数。しかしだ。

「……空母棲姫はどこにいるんだ?」

 水をかけたように嫌な予感が胸の内に広がる。
 俺たちは重大な見落としをしていたのかもしれない。
 深海棲艦も俺たちと同じように別働隊が動いているのではないかと。


短いけど、ここまで。ここで何か書くと墓穴を掘ってるだけの気が
ともあれ乙ありなのです

乙です

乙乙なのです

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 トラック泊地の索敵網に空母棲姫の姿が発見された時には、すでに泊地から四十キロ圏内にまで侵入されていた。
 北から迫ってくる一団は二十八ノットで接近しつつあり、一ダースの護衛要塞とやはり同数の深海棲艦を伴った空母棲姫で構成されている。

 知らせを受けた提督はコーワンの配下たちに時間稼ぎの迎撃を命じる一方、機動部隊から戦力を抽出して泊地まで戻るように命令を下す。
 連携が取るのは難しくとも、二つの艦隊には協同して空母棲姫に対抗してもらうしかない。
 基地航空隊にも空母棲姫への攻撃命令を出しているが、向こうも相応の数の艦載機を要しているはずなので効果はあまり期待できなかった。
 決して良策とはいえないが、そもそもの戦力が足りていない。

 各個撃破の愚を犯しかねないのは承知だが、この局面で他に取れる手立てがなかった。
 事によっては泊地を直接砲撃されるのも考えなくてはならない。提督はそう判断している。
 早いうちに発見できれば他の手立てもあったはずだが、こうも近寄られてしまっては後手に回るしかない。

 ただし状況も悪くなってばかりではなかった。
 重雷装艦を中心とした別働隊は敵機動部隊への奇襲に成功したとの一報を寄越してきている。
 こうなってくると、あとはもう各々の健闘と戦果を期待するしかないのかもしれない。
 戦況は提督の手から離れた所で動き始めている。
 だからなのか、提督はコーワンに言う。

「ここはもういいから、ホッポに会ってきたらどうです?」

「シカシ……」

「じきにここは砲撃に晒される。そうなると、どこが本当は安全かなんて分かったもんじゃない」

 提督の言にコーワンは驚いたように息を詰めて見返してくる。
 深海棲艦の目というのは、思っている以上に感情を見せるらしい。
 それもあってか深海棲艦そのものには思うところのある提督も、コーワンに対しては嫌悪感も薄い。

「会える時に会ったほうがいい。私だってそういう相手がここにいるなら、今はそうするでしょうよ」

「アリガトウ……提督」

 コーワンの礼に提督は無言で掌を振る。
 彼女が部屋を辞していくのを見届け、提督は腕を組み直す。
 どこが安全か分からないなら、と自身の言葉を反芻する。

「俺は最後までここに留まるつもりでいたほうがいいな」

 作戦室、といっても今は司令所といったほうが適切か。
 戦況や被害状況によっては放棄も考えないといけないが、当面はここに踏み留まる。
 見届けられるなら最後まで見届けたいものだった。




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───────

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 コーワンがホッポを探しに向かったのは工廠だった。
 工廠は港沿いに面した一角にあり、泊地施設内でも重要拠点であるがゆえに守りも堅い場所である。
 そういう場所にいたほうが安全とコーワンは考え、戦闘時にはホッポにそこで待つように言っていた。

 ホッポはすぐに見つかり、夕張と一緒になって何かしている。
 二人の周りには工具が広げられ、そして艦娘の艤装――というよりも兵装が転がっていた。
 悪い予感がした。これはまるで身支度で、それも戦場に出るための用意のようで。

「ホッポ……何シテルノ?」

 聞かずとも察している。それでも聞かずにはいられなかった。
 コーワンの声にホッポと夕張がぎくしゃくした顔を向ける。しでかしを見咎められたような反応だった。
 そんな顔をされては、コーワンもかえって険しい顔にならざるを得なかった。
 ホッポの足元には駆逐艦用の主砲が置かれている。用途は武器以外に考えられない。
 コーワンの視線がホッポと夕張の間を行き来すると二人が口を開いた。

「使エルカ試シテタノ……着ケテミタイッテ……私ガ無理ヲオ願イシタカラ」

「えっと……使えるなら持たせたほうがいいと思ったのは私なんで。ホッポは言われるままにしてただけですから」

 互いにかばい合うような言い方に、コーワンは首を左右に振ると夕張と目を合わせる。
 コーワンのまとう雰囲気は重く、ある意味で威圧感になっていた。

「一体……ドウイウコト? ホッポヲ戦ワセルツモリ……」

「必要とあれば、そうなるかもしれませんね。あくまで最低限の自衛程度ではあっても」

 夕張はそう答えると、胸の内に詰めていた息を吐き出すように深呼吸する。

「この先、敵の攻撃の切れ目に明石や間宮さんたちを海上に逃がすことになるかもしれません。その時にせめて最低限の自衛ぐらいはできるようになっていてほしいんです」

「ホッポハ戦力トシテハ見テナイ……トイウコト?」

「ええ、私だって別に進んで戦わせたいとは思っていないので」




 コーワンはその答えに安堵したのか、まとっていた緊張感が緩む。
 戦況は何かのきっかけ一つで劣勢に転がり落ちかねない状態だった。
 夕張が言うように、いざとなれば攻撃の切れ目に、非戦闘型の艦娘たち海上に逃がすという選択肢は残っている。
 もちろん海上よりも内陸に逃げたほうが目標にされにくいが、それもトラック諸島を維持できるという前提があればの話だ。

 コーワンがそう考えているとホッポのほうから話しかけてくる。
 見上げる表情は真剣そのもので、眼差しはコーワンの目をしっかりと見ていた。

「コーワンハ私ガ戦ウノハ……ダメナノ?」

 その問いかけにコーワンは虚を衝かれ、すぐに答えられない。
 答えを探すように、ちらりと夕張を見ると彼女もまた今の言葉には驚いている様子だった。
 ややあってコーワンは絞り出すような声で聞き返す。

「ドウシテ……ソンナコトヲ言ウノ」

「戦ウノ……悪イコトナノ?」

「エ……」

「ヲキューモミンナモ……白露モ春雨モ戦ッテル……悪イコトヲシテルノ?」

 コーワンは即座に首を横に振っていた。そこだけはしっかり否定しないといけない。

「ソウデハナイノ……デモ……ホッポハ危ナイコトヲシナクテイイ」

「分カラナイ……分カラナイヨ、コーワン」

「今ハ分カラナクテイイ……アナタハ特別ナノ」

「ソウイウ特別ハ……イヤダヨ……」

「ワガママヲ言ワナイデ……」

 わがまま、そう言ってしまうのは簡単なのかもしれない。
 しかしホッポを戦わせたくないというのも、裏を返せば私のわがままであるとも。
 コーワンはそう考え、上手く伝えられないもどかしさに苦しむ。




「コーワンが言いたいのはね、ただ戦う以外にもできることがあるっていうことじゃないかな」

 夕張が口を出してくると、ホッポの質問の先も変わる。

「夕張ハ戦ウノ?」

「あら、いつだってそうよ。今回は最後の砦にもならないといけないみたいだけどね……」

 ホッポだけでなく、夕張は自分に言い聞かせるような含みがあるようにコーワンには聞こえた。

「……ソウナノ、コーワン?」

「……ホッポニハ戦ウ以外ノコトカラ始メテホシイノ……私ト同ジヨウニハナラナイデホシイカラ」

 今の言葉に嘘はない。ただ夕張の言葉がなければ、ここまでは言えなかったのも分かっている。
 深海棲艦には何か欠けているものがある……それはきっと自分たちだけでは埋めきれない。艦娘やあるいは人間がいて、初めて埋まる何か。

 そこまで考え、コーワンは不意にある思いに気づかされた。
 ここで何をしているのだろう、と己に投げかける。
 戦う以外の何かがあって、それを知るためにも戦いを遠ざけようとしていた。だけど、それは身近にまで追いついてきた。
 そもそも遠ざけていたのではなく、ヲキューたちや艦娘にさえ押しつけていたのではないか。
 一時の安寧のために犠牲を強いただけで、守らせてばかりで私は何をしている……?

「コノママデハ……何モ解決デキナイ……」

 失ったもの、奪ったものに対して何もできていない。
 姫と呼ばれた私にはまだ為すべき責務が残っているはずだと、胸の奥から悔いのような感情が湧きあがってくる。
 それを見て見ぬ振りなど到底できそうになかった。

「夕張……私ニ力ヲ貸シテホシイ」

 ここは工廠。そして夕張は艦娘の艤装に携わっている。
 この場において、これほど頼りになる者もそうは望めない。
 そして……私だけが血を流さないのはありえないことだ。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 海面に外れた砲撃により生じた水しぶきが鳥海の体を洗っていく。
 熱を帯びた主砲から蒸気が吹き出て冷まされるのを感じるけど、把手からじんわりと伝わってくる深奥の熱までは変わらない。
 放たれた砲弾がネ級に続けて命中していくも、そのいずれもが黒い飛沫と一緒に弾かれていく。

 反撃してくるネ級の主砲と副砲が火を噴くと、鳥海はその場から動きたくなるをぐっとこらえる。
 すると、いくつもの砲撃が左右と後方へと次々に落ちていく。
 回避しようと舵を切っていたら、必ずどれかには当たるような撃ち方だった。
 砲撃をやり過ごしたものの、唯一空いている正面からはネ級が突っ込んでくる。
 即座に鳥海が応射するとネ級の体に被弾の閃光が次々と生じた。しかしネ級は強引に鳥海へ肉薄しようと突っ込んでくる。

「こういう近づき方は!」

 鳥海もまた振り切れないと見て、あえてネ級へと向かう。
 互いに衝突しそうなコースを取っていたものの、間近のところで鳥海は舵を外に切る。
 ネ級はその動きに追従しきれないが、掴みかかろうと両手を伸ばしてくる。
 それを横から打ち下ろすように払うと、そのまま二人は交錯してすれ違う。

 すぐに鳥海が弧を描くような機動で振り返って主砲を向けると、ネ級も同じように向き直っていた。
 旋回性能の差なのか主砲が自立的に動けるからなのか、ネ級のほうが少しだけ砲撃に入るまでが速い。
 この少しの差が後々に響いてくるかもしれない――再度の砲撃の最中に鳥海はそう感じる。

 互いの主砲弾が行き交い、時に命中弾を出すが多くは外れていく。
 その状態に鳥海は思わず溜め込んでいた息を深く吐き出す。神経がすっかり張り詰めていた。

「サスガニヨク動ク……」

 感心なのか苛立ちなのか、聞こえてきたネ級の言葉にある真意は分からない。
 ネ級はどうにか至近距離での戦闘にもつれ込ませようとしている。
 実際に組みつかれたら私の力では敵いっこない。




 そういう意味では距離を取る必要がある。だけど容易には振り切れない。
 ネ級のほうが私より速度が出るし、そもそも初めから近づきすぎてしまっている。
 ううん、そうじゃない。近づかないと話ができなかったんだから、この距離はきっと仕方なかった。
 問題はとても振り切れそうにないこと……このままネ級のペースに付き合っていたら、勝ち目は薄くなってしまう。

 どちらかと言えば、私のほうが今は押しているのかもしれない。
 ただネ級はこちらの動きに対応してきているし、戦いの運びはネ級の流れにあると感じる。
 つまりはどちらも主導権を握れたとは言えない状態で、何かのきっかけ一つで大きく流れの変わる状態だった。

「やはり、あの体液をどうにかしないと……」

 命中率で言えばこちらのほうが優勢なのに、未だに有効弾を与えたという手応えはない。
 それもこれも砲撃の効果が薄いから。
 ネ級の情報はどうしても少ない。それでも木曾さんが立てた仮説から、有効になるかもしれない手段は考えている。

「この三式弾で……距離、方位よし!」

 三式弾を装填した五基の主砲がそれぞれ少しずつ異なる角度と方位を指向する。
 確実に当たるように放射状に砲撃を散らせるためだった。
 元より対空用の砲弾だから、徹甲効果はまったく期待できない。
 だけどネ級のまとう黒い体液には有効な可能性がある。
 そうでなくとも命中する面積を増やせば、それだけ体液の流出を促して消耗を早められるかもしれない。
 つまり撃ってみるだけの見込みはあるということ。

「主砲、一斉射!」

 計十発の三式弾が放たれ、次弾も同じく三式弾が装填される。
 発射された三式弾がネ級の面前で次々に弾けて、傘のような弾幕を形成していく。
 ネ級がそのまま弾幕の中に飛び込んでいき、抜けた時には体の所々から火が上がっていた。




 初めて受けた想定外の攻撃に、火に巻かれたネ級の足が急速に鈍り、頭を抑えるようにしてもがく。
 するとネ級の体から火のついた部分が、鱗が剥がれるようにこそぎ落とされていく。
 固まった体液による作用らしく、ネ級の体からは黒い体液がそれまで以上に染み出てきていた。

 本当に効いている。その実感を得た鳥海は、主砲の狙いを直前の放射状から一点集中へと変える。
 動きの遅くなったネ級の面前で三式弾が一斉に弾けていく。
 焼夷弾子の雨に打たれてネ級の体があっという間に火だるまになる。
 そのネ級は火にくるまれたまま素早く主砲で反撃するなり、海中に飛び込むと姿を消す。
 苦し紛れの砲撃だったかもしれないけど、それが右にある砲塔の一基に直撃すると砲身をでたらめに歪めて使用不能に追い込む。

「よくもやって……! その上、こういう逃げ方は想定外ですね……」

 すぐにいた場から後退しつつ、ネ級が消えた付近の海面を窺う。
 爆雷でもあれば追撃できたけど、初めから持ち合わせていない。これは計算外だった。
 どのぐらいの速さで水中を移動できるか分からないけど、あまり速くはないと考えたい。さすがにネ級は潜水型のような個体ではないはずだから。

 そのまましばらく手出しができないまま時間が過ぎていく。
 気を抜けないまま待ち構えていると、いつの間にか左手方向の海面すれすれの所にネ級の主砲たちが顔を出していた。
 考えていたよりも、ずっと近い位置。
 狙われてる、と感じたのと同時に砲撃を撃ち込まれていた。すぐに避けようと鳥海は舵を左に切り――そこをさらに狙われた。

「誘われた!?」

 ネ級が海上に飛び上がるように姿を現し、その時にはすでにいくつもの魚雷を放った後だった。
 八本もの雷跡が鳥海の回頭先めがけて白い尾を引きながら迫り、その雷跡を追うようにネ級も接近してくる。
 この反撃で一気にしとめたいという意思を感じた。

「ソロソロ……終ワレ!」

「お断りします!」

 避けようにも舵を切り始めた直後だったから、慣性を振り切って再転進するまでにタイムラグが生じている。
 雷速はかなり速い上に狙いもかなり正確で、これでは逃げ切れるか分からない。
 それなら……このまま反撃する。相打ちでもなんでも、ただやられる気はなかった。




 ネ級に向かって、こちらも酸素魚雷を投射する。
 四本の魚雷をネ級の左右に振り分け、残る四本はネ級へと直進する形に放つ。直進に撃った内の二発は雷速を遅く設定している。
 本当に跳んで雷撃を避けてくるのか知らないけど、それならその着地点も狙えるようにしておくまでだった。

 そうして放たれた魚雷は予想外の物に命中した。
 両者の間でくぐもった音を響かせ水柱が上がる。すると連続して水柱が海中から吹き上がっていく。
 魚雷同士が触雷したのか、明らかに連鎖的に誘爆を引き起こしていた。

「ナンダト!?」

「当たったの!? いえ……これは計算通りです!」

 魚雷同士の相殺なんて狙ってもできるようなことじゃない。それを分かっているのに言っていた。
 雷撃がお互いに無効化したことで、再び距離を保つような砲戦が再開する。
 互いの背中を取ろうと、大きな動きでいえば円を描いてるような動きを取る。
 ネ級は三式弾の影響もあってか、最初に比べると息が上がり始めているように見えた。

「見栄ヲ張ッテ……!」

「あなたが相手だからでしょうね……!」

 負けなくない。
 司令官さんがいた時は常にどこかで感じていた気持ちを、今はより強く意識できる。
 割り切っているつもりでも、どこかでネ級に司令官さんの面影を探そうとしてしまうからかもしれない。
 だからこそ負けるわけにはいかない。ネ級に対してだけは絶対に。

 鳥海は一転して、ネ級に砲撃を続けながら相対するように針路を変える。
 残る八門の主砲を集中させ、正面対決の形を取る。

「勝負をつけましょう、ネ級!」

「力押シカ……イイダロウ!」

 力押しですって? そう思うのは結構だけど……伊達酔狂で今まで戦ってきたわけじゃない。
 私は私にできることをする……あなたには負けたくないから。


ここまで。今回も乙ありでした
この辺からは好きなボス戦BGMとか流すといい感じかもしれませんね

ちなみにネ級戦における自分の作業用はこの辺
サントラだと後半に別のBGMも付きつつ、タイトルで壮大なネタバレをしているという https://www.youtube.com/watch?v=OsRz8x8n8qI

おつー
劇場版ガンダムの哀戦士が頭の中で流れてた

乙です

乙乙

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 摩耶は島風と一定の距離を保ちながらツ級に砲撃を加えていた。
 島風の背中には一基の連装砲がおぶさるようにくっついているが、残りの二基は水面上で自立機動を行いながら砲撃に加わっている。
 ツ級は砲撃を避けつつも先行した鳥海とネ級の後を追うような動きを見せていたが、いずれも摩耶の砲撃によって阻まれている。

「こいつを早いとこ片付けて、あたしたちも追うぞ」

「うん。鳥海さんを見届けるんだね?」

「ああ……ま、本当にやばくなったら助けるけどな」

「でも、それって……」

「あいつの本意ではないんだろうけどさ……鳥海を沈めさせる気はないよ。助けたことで一生恨まれたって構わない。水だろうが手だろうが、必要ならなんだって差してやるよ」

「摩耶は偉いね……私はたぶん鳥海さんの言う通りにしてると思う。それがつらいことになっても……」

 摩耶はツ級から視線をそらすわけにもいかず、島風の顔までは見ていない。しかし聞いた声音は深刻だった。
 考えた末の結論なのだろうし、逆に島風のほうが鳥海の意思を尊重しようとしているのだろう。
 どんな結果を迎えようと、鳥海の好きにさせると決めているんだから。

 あたしだって本当はそうさせてやりたいんだ。
 でも鳥海は今でもあいつを、提督を引きずってるんじゃないかって見えることがある。
 提督が絡むと、あいつは冷静さを忘れてしまう。目を離すわけにはいかない。

「……提督は死んじまった。でも鳥海は生きてる。どっちが大切かなんて考えるまでもないんだ、あたしには」

「それでも行かせてくれたんだね」

「妹のわがままだぞ。姉ならたまにはそのぐらい聞いてやらないとさ」

「お姉さんのことは分からないよ」

 島風が苦笑いのような響きを声に乗せているが、ツ級が砲声でそれも不確かになる。
 出足を封じられた形のツ級だったが、摩耶と島風を無視できないと見てか砲撃に移っていた。
 摩耶にしても、それは同じことだ。鳥海と合流するためにもツ級は邪魔だった。




「さあて! 二対一でも、やらせてもらうぜ!」

 摩耶と島風は散開するように離れると、左右から挟み撃ちにするように近づこうとする。
 すぐにツ級の砲撃も二人を追うように分かれた。
 元が対空戦を重視しているからか、かなりの速射だった。次々と高速で撃ち出された砲弾が摩耶たちに迫ってくる。
 熾烈な砲撃を前に簡単には近づけず、距離を取らざるを得なかった。

「敵ガ……何人イヨウトモ!」

 聞こえてきたツ級の声からは、ただならない戦意が伝わってくる。
 あいつも同じように退けない理由がある、と摩耶は感じた。
 だからと言って手心を加えるつもりはなければ余地もない。

 連射速度や精度から、すぐに侮れない相手だと悟る。
 航空機相手に弾幕となる砲火力は、特別装甲が厚いわけでもない二人に対しても大きな脅威だった。
 それでも摩耶たちにとっても砲戦距離であるのには変わらない。

 摩耶の砲撃がツ級の面前に着弾し、弾幕に綻びが生じる。
 それを皮切りに島風の連装砲たちも連携して砲撃を集中し、ツ級の体をつぶてのように叩いていく。
 砲撃は脅威でも、ツ級はあくまで軽巡であって堅牢というわけじゃないらしい。
 ツ級から艤装の破片がいくつも飛び散っていく。

 そのツ級もただやられてるだけでなく、二人に命中弾を与え始めていた。
 摩耶には艤装の左右に一弾ずつ当たる。
 右側にある対空機銃群の一角を台座ごと削り取り、左への一発は装甲の薄い箇所に飛び込むと破孔を穿って黒煙を生じさせた。
 島風に向けて放たれた一発は海上にいた連装砲の一基に直撃し、砲撃ができない状況に追い込む。
 すぐに島風が中破以上の損傷を負った連装砲を拾い上げると、背中に乗せて保護する。

「さすがに無傷ってわけにはいかないが!」

 摩耶の声に応じるようにツ級に更なる砲撃が降り注いでいく。
 頭部を始め命中の閃光がいくつも生じる。
 軽巡に耐え切れる量の命中弾ではないはずだった。
 しかしツ級は体の各所から出血や兵装の損傷こそ隠せないが、なおも耐え凌いでいた。
 両腕を重たそうにだらりと下げたまま、素顔の分からない顔が摩耶のほうを向く。まるで凝視するように。




「コノヨウナコトデ……倒レラレナイ……倒レタラ……遠クナル……!」

 ツ級の体から赤い光が漏れ始めると、力を失ったように垂れ下がっていた両腕が体を開くように振り上げられる。

「邪魔ヲシナイデ……私ハ……ネ級ヲ守ラナイト!」

「あいつ……ここに来て!」

 赤い光を発する深海棲艦は戦闘能力が上がっている。エリートなんて呼称される状態だ。
 元の状態を考えれば追い込んではいるのかもしれないが、それにしたって厄介なことになりやがった。
 撃たれると感じるよりも早く、身を翻してその場から離れる摩耶にツ級が砲撃を始める。
 左右交互に吐き出される砲弾が現在地と未来位置に、やはり交互に落ちていく。
 全てを避けることはできず、摩耶の艤装に次々と命中すると損傷が蓄積されていく。

「こいつ……!」

「それ以上はさせないよ!」

 横合いに回りこんでいた島風がツ級に砲撃を浴びせると、摩耶への砲撃も途絶える。
 ツ級は後退をかけながら目標を島風へと切り替える。
 被弾の影響でツ級は速度こそ遅くなっているが、砲撃力は未だに健在だった。
 島風は転舵を織り交ぜて器用に狙いを外していくが、それもいつまで続くかは分からない。

 今度はこっちが援護する番だ。そう思った摩耶は後方から砲声が轟くのを聞く。
 背筋を冷たいものが走り、その正体を確認するよりも前に体が自然と回避のために動きを取っている。
 ツ級に背を向けるのは危険と分かっていても、思い切って背を向ける形での取り舵を切る。
 高速で流れる視界の中に、二つの護衛要塞が並んでるのをはっきりと見た。
 それまで自分がいた場所を狙って砲弾が落ちる。弾が大きく散っているのを見ると、ツ級とは違って砲撃の精度はだいぶ甘く感じる。

「護衛要塞がニ……姉さんたちが取り逃がしたのか?」

 向こうは向こうで不利な戦力差での交戦なんだから、こういう漏れが出てきてしまうのは仕方ない。
 むしろ、そういった場合に対処できるように鳥海の護衛に就いていたんだから。




「摩耶、要塞をお願い! こっちは私に任せて!」

 島風が通信を入れてくる。
 一人で今のツ級を?
 無茶だと声に出かかるが島風の判断も一理あると気づく。
 挟み撃ちを受けながらツ級を相手にするより、個別に対処したほうがやりやすい。
 そして火力の問題が立ち塞がる。島風の砲撃力だと護衛要塞の相手は骨だ。

「……分かった。すぐ戻るから無茶すんなよ!」

「そっちこそ!」

 鳥海の邪魔をさせないためにもツ級の相手を引き受けたのに、今やあたしと島風が無事でいるための戦いだ。
 砲撃を避けたまま護衛要塞らを正面に見据えた形の摩耶は前へと増速。彼我の距離を縮めつつ砲撃を行う。
 そこまで怖い相手ではないが一発ニ発を当てた程度では沈められないし、かといって時間をかけていられる余裕もない。

 こんな時、鳥海ならどう立ち回る?
 昔は張り合ったりもしたけど、やっぱりこういう際どい局面の判断とか行動力には一日の長ってやつがある。
 きっと、あいつなら敵の戦力に当たりをつけて、どう動くのが最適か考えるはず。最適って言うのは、今回みたいな時は効率になるのか。

「どうするって……鳥海なら攻めるだろ。真っ向から突撃するに決まってる」

 摩耶は自分に言い聞かせるように声に出す。
 うちの妹はよく言えば果敢で……悪く言うなら脳筋っぽいところがある。
 でも今なら分かる。そうしないといけないから、そうするんだ。
 護衛要塞の弱点がどこかは分からないけど、どんなやつでも確実に弱いのは背後だろう。
 とはいえ、いくらこっちより機動力が低い相手でも、二体同時に相手をしながら背後を取るってのは難しい。

「あとは口の中だ」

 あいつらの主砲は口内にある。上手く狙えれば一撃で誘爆させて沈めるのも不可能じゃないはず。
 問題は狙える範囲が狭くて、正面からの攻撃に限られてくること。
 そして砲撃が激しいのは正面。装甲が厚いのも正面。相手の得意な領域で撃ち合わなくちゃいけない。

「クソが……当たらなきゃいいんだろ、要はさ!」

 つまり砲撃をかいくぐって、要塞が攻撃する瞬間に口元を狙う。
 堅実とは真逆の考え方だ。博打であって、しかも自分の力量に自信がないとできない考えであり行動だ。
 それだからこそ摩耶は不敵に笑う。

 あたしの艤装だって鳥海と同じ高雄型改二の艤装なんだ。
 特長が違うにしてもベースが同じなら、やってやれないことはない。うちの妹なら間違いなくそうする。




 摩耶は二体の護衛要塞に向かって疾駆する。
 護衛要塞は発砲後は砲煙が消えない内から口を閉ざしてしまう。口内を狙える機会というのは思いのほか短い。
 狙い澄ましたはずの砲撃も命中こそするが、目当ての場所には当たらなかった。

 あえて敵の正面に身を晒す摩耶は、まず右側の要塞に集中する。
 飛来する砲撃を左右に感じながらも、ぐんぐんと近づく。距離が近ければ、それだけ当てやすくもなる。

 護衛要塞は艦娘の優に倍はある巨体だが、海面からわずかに浮いたような状態だ。
 原理は分からないけど、あれのせいで雷撃の効果も期待できない。
 あれで護衛対象がいる場合は肩代わりするように当たるらしいが、今回はそれも望めなかった。

 護衛要塞が口を開くと見るや、摩耶はすかさず主砲を斉射している。
 入れ違うように要塞たちも砲撃した。三連装二基の主砲が二体で、十二発の主砲弾が迫ってくる。
 摩耶の放った斉射の内の数発が護衛要塞の口に飛び込むと、そのまま口腔を突き破るように内部にまで侵入し誘爆を引き起こした。
 護衛要塞が一瞬にして膨れ上がる火の玉に変貌し、その余波として衝撃波が周囲に広がる。
 片割れが衝撃に押し出されるのを見た摩耶にも遅れて爆圧が襲いかかる。

 思っていたよりも近づきすぎていたらしい。
 そう感じた摩耶は歯を食いしばりつつ、姿勢を崩さないようにしながらも煽る動きに逆らわなかった。
 視線はあくまで残る護衛要塞に向けられ追撃に備えている。

 摩耶からすれば危険な状態だったが、護衛要塞は攻撃してこなかった。
 より近くにいたために爆圧の影響を強く受けてそれどころではなかったのか、あるいは摩耶からの攻撃を警戒したのか。
 警戒、という判断が連中にあるのかは摩耶も分からない。ただ護衛要塞の行動は明らかに遅れた。
 摩耶は左舷側の三基の主砲を先制して護衛要塞の上顎に当たる箇所目がけて撃ち込む。
 撃たれてもなお護衛要塞は反撃に転じない。剥き出しの歯を閉ざして、攻撃に備えているようだった。
 あるいは僚艦の最期から不用意な攻撃に移れない、とでも考えているかのように。

 摩耶は構わずに今度は左の主砲と、交互に砲撃を浴びせていく。
 護衛要塞はここでようやく反撃に転じてきた。このままでは打ちのめされるだけだと気づいたかのように。
 もっとも、こうなると優勢に立った摩耶に敵うはずもない。残った護衛要塞は粘りながらも海底に没していく。
 一方の摩耶は被害らしい被害を受けなかったものの、苛立ちを露わにしていた。

「時間をかけすぎちまった……無視すりゃよかったのか?」

 それはそれでできない相談だった。放置していたら後ろから要塞たちに撃たれながらツ級とも戦わないといけなかったんだから。
 結果的に大して強い敵ではなかったが、そんな相手でも一方的に撃たれるとなると話は別だ。
 対処するしかなかったという判断はきっと間違いではない。ただ手順だとか中身のほうが問題であって――。

「ええい、考えるのは後だ! 今は島風を助ける!」

 摩耶は渇を入れるように自分の両頬を掌で叩く。
 きっと、あたしがこの場でやらないといけないのはそっちだ。
 鳥海のことも気がかりではあったが、それ以上に目の前のことからやっていかないと話にならない。
 摩耶は島風とツ級の姿を探す。もしかしたら二人の戦闘はすでに終ってしまったかもしれないと、そんな予感を抱きながらも。


ここまで。明日も頑張る
空いてしまいましたが乙ありなのです

>>851
その曲は荒野を走るドムの列という印象が個人的に強かったり

乙です

乙乙

乙乙



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───────

─────


 ツ級の砲弾は海面に落ちる前に空中で炸裂すると、破片による弾幕を形成して島風を捉えようとしてくる。
 対空用の攻撃手段でも、装甲の薄い島風にとっては十分に脅威だった。
 それも全ての砲撃がそうなるのだから、幕というよりも壁のような圧力を感じる。
 そのため回避するにはより大きく距離を取ったり回り込む必要があり、島風はツ級の砲撃をかいくぐれずにいた。

 しかし島風もただ劣勢に陥ってるわけではない。
 ツ級がいるのは島風の射程内でもあり、回避の合間に放つ砲撃は着実に命中を重ねている。
 痛打とはいかなくともツ級はあくまで軽巡なので、島風の砲撃でも損傷は蓄積していく。

「鬱陶シイ……粘ラナイデ……シツコイ……」

「島風から逃げようだなんて!」

 このツ級が何を考えているのかは分からない。
 ただ、摩耶が離れた途端に海域からの離脱を図ろうともした。
 すぐに追いついて阻止したものの、先に行かせたら鳥海の邪魔をされるという確信が島風にはある。
 そんな真似をさせる気はさらさらなかった。

「絶対に行かせるもんか!」

 島風の砲撃を受けて、ツ級は怯みつつも態勢をすぐに立て直す。

「邪魔ヲ……シナイデ!」

 反撃の砲火が開かれる。
 散弾の雨が次々に飛来してきて、島風はその多くを避けていく。しかし全てではない。
 島風は背中に衝撃を感じ、背中にいる連装砲たちが悲鳴をあげたのを聞く。

「連装砲ちゃんたち、怪我は? えっ……雷管をやられたの?」

 島風が連装砲たちに話しかけると、連装砲たちもすぐに被害報告を知らせてきた。
 この間にも砲撃は続いている。
 このままでは危険と感じて島風は左に舵を切ると、外に向かって旋回するようにツ級から離れていく。
 すると島風を追うように主砲も追ってくる。
 円を描くような軌道を取ると、後逸するように散弾の塊が落ちていく。




 島風は呼吸を整えながら再攻撃のタイミングを窺う。
 背中の五連装酸素魚雷は、すでに砲弾の破片を浴びたせいで使い物にならなくなっている。
 雷撃ができないとなると砲撃だけでけりをつけるしかなくて、肉薄して少しでも多くの砲撃を叩き込まないといけない。
 だけど簡単にはツ級も近づけさせてくれないし、至近距離まで無傷でたどり着けないのは直前の撃ち合いからも明らかだった。

「下ガリナサイ、駆逐艦……アナタニ興味ハナイ……今ナラ見逃シマス……」

「……ふざけないでよ。興味のあるなしで島風の生き死にを決めるつもりなの!」

 島風は言い返すが劣勢なのは内心で認めている。
 これで摩耶がいるならともかく、単独の戦いでは分が悪い。
 それでも後退はしても退避という選択は今の島風にはない。
 そんな気配を読み取ったのか、ツ級が島風を牽制するように声を投げかけてくる。

「艦娘……ナゼ……ソコマデスル……?」

「今になってそんなこと言われるなんて思わなかったよ!」

 島風の脳裏に戦闘とは別のことが過ぎり、知らず知らずの内に爪を立てるように両手を握りしめていた。
 頬をはたいた手。そして、はたかれた頬。
 私はいつだったか鳥海さんに頬をはたかれている。身勝手な私に怒ったからだった。
 そして、私も鳥海さんの頬をはたいている。提督をなくしたあとの、あの人の言葉が許せなくて……私を叱ってくれた人の言葉だと思えなくて。
 だけどね、あの時まで知らなかったんだよ。
 叩くほうだって本当は痛かったなんて……知らなかったんだよ。

「鳥海さんが言ってるんだ……提督かもしれないネ級と決着つけたいって……泣いてたあの鳥海さんが!」

 どんな想いで鳥海さんがネ級との戦いに臨んでるのか、私にも分かったなんて言えない。
 それでも提督のことで苦しんでいた鳥海さんを知っている。
 自分で決めたんだ。戦うって。それなら私にできるお手伝いなんて、これしかない。
 体の中に力がみなぎってくるのを島風は感じる。

「お前なんかが鳥海さんの! 私たちの邪魔をするなぁ!」

 吐き出した言葉にツ級がたじろいだように島風には見えた。
 言わないでもいいことなのに、ツ級にはなぜか言っていた。きっと私も自分の気持ちを何かにぶつけたかったんだ。
 でなければ、こんなことなんて言わない。ましてやツ級に。

「何ガアッタニセヨ……ソチラノ都合……私ニモ私ノ……」

「先には行かせない……余所見もさせてあげないんだから!」

 絶対に止めてやる。ここでツ級は食い止める……ううん、倒してみせる。
 強敵とか不利とか、そんなのは関係なかった。




「行くよ、連装砲ちゃん! しっかり掴まっててね!」

 出力を推力へと変えるべく缶が最大稼働。艤装が唸りをあげ始める。
 背中に乗せた連装砲たちがしがみつくのを感じながら、島風の体が風を切って前進。ツ級もまた全砲門で迎え撃つ。
 散弾の雨が弾幕として張られる中を、島風は縦横に駆けるように避けていく。

 ツ級は後進しながら砲撃を続ける。攻撃が思うように当たらなくなっている。
 砲弾や破片がかすめこそすれど、島風の勢いは止まらない。
 砲撃と一緒にツ級は苛立ちを隠せていない声を発する。

「ドウシテ当タラナイ……タカダカ四十ノット……ソノ十倍ダロウト……追エルノニ!」

 艦娘と航空機じゃ狙い方は変わってくる。速度も機動性も単純に比較できるようなものじゃないし、私たちは撃ち合いながらの行動になってくる。
 その感覚のズレをツ級はまだ掴みきっていないのかもしれない。きっと経験というのが浅いから。
 だから破片には当たっても直撃はしない。しないと自身に言い聞かせながら、島風は肉薄しようと少しずつ距離を詰めていく。

 できる限り速度を殺さないように、かといって直進が続かないように島風は水を切るようにツ級へと迫る。
 決して島風も無傷ではいられない。セーラー服や艤装は元より、両腕や頬も破片に切られて次々と傷ついていく。
 それでも島風は至近距離まで近づいた。戦意も速力も衰えないまま。
 島風の放った一発がツ級の右腕を反らすように弾く。ツ級の砲撃に明らかな切れ目が生じる。
 その隙に素早く島風は距離を詰められるだけ詰めた。

 連装砲たちが身を乗り出すようにすると一斉砲撃を浴びせていく。
 砲撃が吸い込まれるように命中していくとツ級がたたらを踏んで後ずさる。
 硝煙によってツ級の姿が覆い隠されても、島風はありったけの砲撃を撃ち込んでいく。

「ココデ沈ムワケニハ……私ハ……!」

 ツ級の反撃が来ると島風は感じ、その前に勝負を決めようとする。
 しかし次の瞬間には視界が閃光で埋め尽くされ、驚きによる叫び声も轟音に呑み込まれていく。
 島風の体が勢いよく吹き飛ばされて海面に叩きつけられる。

 何が起きたのか、当の島風にも咄嗟には理解できなかった。
 どこか朦朧としながらも、仰向けになった体だと自然と空を見上げる。ほのかに灰がかったような雲が空を覆い尽くそうとしているのをぼんやりと見る。

「直撃された……?」

 そうに違いないと覚束ないながらも悟ったが、状況に考えが及ぶ前に強烈な吐き気に見舞われる。
 まだ痛いとは感じないけど、こうして倒れてるのならそういうことなんだと思う。
 痛みの代わりなのか、嘔吐感をこらえて体を起こそうとするが両腕に力が入らない。
 それでも島風は海面に手をついて立ち上がろうとする。
 体が水面に反発するように浮いたままなのは、艤装の機能がまだ生きている証拠だった。




「確カニ……無視シテイイ相手デハナカッタ」

 島風が起き上がろうとしながら顔を上げると、ツ級が右腕に載せた主砲を向けていた。
 ツ級は満身創痍で体の所々から出血し、向けられた右腕からも黒い血が滴り落ちている。
 被り物のような仮面にもひびが入っていて、もう一押しすれば壊れてしまいそうな感じがした。

 しかし、この場で主導権を握っているのはツ級のほうだ。
 ツ級が砲撃したら助からない。自分を狙っている底なしの穴のような砲口を見つめてしまうと、そう実感するしかなかった。
 それでもまだ被弾のショックで感覚が戻っていないのか、不思議とツ級とこの状況を怖いと思えなかった。

 その時、島風の背中にいた三基の連装砲たちが、主砲を乱れ撃ちながら二人の間に割って飛び出す。
 短い両腕を広げ、すでに中破している一基も含めた三基は散開しつつも徒党を組むように立ち塞がる。
 ツ級は島風への狙いを解くと、砲撃を避けるために後退しつつ素早く首を左右に巡らす。連装砲たちとの位置関係を把握しようとしているようだった。

「連装砲ちゃんたち……やめて……みんなだけじゃ……」

「アナタタチモ……ソノ艦娘ヲ守リタイヨウダケド……」

 ツ級が両腕を広げると、両腕の両用砲がそれぞれに向けて仰角や向きを微調整する。
 連装砲たちも島風に追随できるように同程度の速度が出せるが、ツ級の相手をするには荷が重い。
 ツ級が反撃を始めると、たちまち三基の連装砲たちは弾幕に絡め取られて沈黙していく。
 だが双方にとっても予想外のことが起きた。

「お前の相手は一人じゃないんだよ!」

 割り込む声より速く、ツ級に別方向からの砲撃が見舞われる。
 20.3センチ砲による攻撃で、それは不意を突く形でツ級の左腕に命中した。
 その一撃でツ級の左腕の巨大な腕を模した艤装が割れるように壊れると、豪腕がもげるように落ちてツ級の白い左腕が露わになる。

「間に合ったみたいだな……ここからは摩耶様が相手するぜ!」

「邪魔ヲシテ……!」

 ツ級が残る右腕の主砲を増援に来た摩耶に向けて狙うが、またしても横から小口径の砲弾に撃たれて注意がそちらへと逸れる。
 島風の連装砲の内、始めに中破した一基が放ったものだった。
 この砲撃は当たるどころか大きく外れていたのだが、ツ級は摩耶から注意を一瞬とはいえ逸らすという隙を晒す。
 そのわずかな間に摩耶はツ級が予想していた位置よりも少しだけ離れ、砲撃までの猶予を与えていた。
 ツ級が照準を補正して撃った時には、摩耶もまた次の砲撃を終える。




 ほぼ同時に放たれた砲撃が行き交うと、摩耶の周囲にはいくつかの水柱が生じて散弾が飛沫のように降り注ぐ。
 咄嗟に身を守ろうとした摩耶だが、やはり全てを避けることは敵わず体に擦過傷を負っていく。
 艤装にも砲弾の破片が立て続けに当たり耳障りな音を立てるが、重巡ともなると大きな被害とはならなかった。

 そしてツ級は摩耶とは比べ物にならないほどの甚大な被害を受けた。
 複数の命中弾を受けて、残っていた右の両用砲群は発射不能に陥いると、足元付近に命中した一発が艤装の機関部に悪影響をもたらした。
 急速に速力を落としていくと、海面を這うような速度しか出せなくなる。
 何よりも頭に当たった一撃がツ級の戦闘能力を完全に奪った。

 仮面のような外殻が衝撃こそ吸収したものの、それも決して十分とは言えない。
 ツ級はかろうじて倒れこそしなかったが、今にも膝を崩しそうなほどに弱っていた。
 さらに彼女の仮面は砕け、素顔が露わになっていた。

「お前……その顔は!?」

 摩耶が息を呑む。島風もまた言葉がなかった。
 ツ級の素顔は二人がよく知る顔――鳥海と瓜二つだった。
 肌が深海棲艦らしくより白くて髪の長さも肩口までと短ければ、眼鏡ももちろんかけてはいない。
 それでも違いはそれだけしかなかった。

「オ前タチヲ退ケテ……今度コソ……ネ級ト……」

 ツ級はうわごとのようにつぶやくが、すでに限界に達しているのは明らかだった。
 その場で力尽きたように、両膝を海面に突くと前のめりに倒れた。
 こうなるとツ級の体が海中に沈み始めるまでは早く、波に浚われるように沈んでいく。

 その時には、遅れてきた痛みをこらえながら島風も立ち上がっていた。
 ツ級の元に駆けつけようとするが、島風の艤装は満足に動ける状態ではない。

「摩耶……助けてあげて!」

 摩耶はツ級が沈んでいくのを愕然としてみていたが、島風の声で我に返る。

「助けろって……あれはツ級だぞ!」

「だけど……ここで見捨てたらきっと後悔するよ!」

 根拠があって言ったことではなく、ほとんど直感だった。
 どうしてツ級が鳥海と似てるかは島風にも分からない。偶然なのかもしれないし、そうだと思いたかった。
 ただ、このまま何もしないのは間違っていると思えてしまった。

「そんなこと……!」

 摩耶は反発するようなことを口にしているが、すでに沈みゆくツ級の側まで近づいていた。
 このままではいけないと思っているのは摩耶も同じらしい。
 ほとんど間を置かず、摩耶は海中へと両手を伸ばす。
 水を掻き分けるようにしながら、やがて両腕で何かを引っ張るようにするのを島風は見た。

「何やってんだ、あたしは……」

 摩耶の引きつった声が――きっと顔も引きつらせながら、沈みゆくツ級の手を取って海上へと引き上げていた。


今夜はここまで、乙ありでした
ちょっと好みの分かれる展開かなぁ、などと思いつつ

乙です

おつ
大体みんな中の人は予想通りだったと思うw


そんな気はしてた



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 敵艦載機が撤収に移り空襲が止むとすぐに、武蔵は戦艦棲姫との砲戦を再開せざるをえなかった。
 武蔵は損傷を負った艤装を操りながら、姫に背後や側面に回り込まれないように動き始める。
 姫は空襲中は攻撃しないという口約束を違えていないが、それから待つ気はなかったらしい。
 複数の40cm砲が武蔵を駆り立てるように間近に着弾する。
 仕切り直しの初弾でも、さすがに狙いがいい。自分の背丈を優に越える三本の水柱に煽られつつ、内心で舌を巻く。

「無傷トハイカナカッタ……デモ……モウ待テナイ」

 姫の声が囁くように聞こえてくるが、距離はおそよ一キロほど離れていた。
 空襲の間に武蔵は二本の魚雷と五発以上の急降下爆撃を受けている。
 幸いにも爆撃は装甲の厚い箇所にばかり当たってほぼ無傷でやり過ごし、艤装には喫水下線の攻撃にも対策が施されているので雷撃を受けた割には被害は小さい。
 しかしながら機動性の低下は避けられず、先ほどから姫に付かず離れずの位置を――姫に取っては戦いやすいだろう位置を保たれている。

「味方の被害状況はどうなってる? ちっ、いつまでも敵に甘えてるわけにはいかないか……来い!」

 他の艦娘たちが砲撃戦を行っていたのもあって、艦載機に専念できた武蔵の対空砲火はよく目立っていた。
 こういう相手は徹底的に狙われるか、ひたすら無視されるかのどちらかになりやすい。武蔵の場合は前者になった。

 他の艦娘への航空攻撃を肩代わりできたのだから、武蔵としては願ったり叶ったりだった。
 とはいえ全てを引き受けられるはずもなく、味方にも被害が出ている。
 見聞きした限りでは致命傷を負った艦娘はいないはずだが、混戦である以上は詳しく分からない。
 何より戦艦棲姫を相手にする以上、こちらに集中しないと命取りになる。

 互いに距離を保ったまま主砲を撃ち合う。
 発射から目標到達までは一秒ほどだが、次弾装填までの時間は常と変わらない。
 撃ち返す形の武蔵の砲撃は姫の後方にまとまって着弾。遠すぎる。
 一度は砲戦を中断したため、どちらも命中弾を得るとこから始めなくてはならない。
 しかし姫のほうはすでにいい場所に狙いをつけているし、こちらは速力が落ちてるので敵弾を避けにくくなっている。

 やはりというべきか、最初に被弾したのはこちらだった。
 姫の三度目の砲撃が二番の主砲塔を叩く。当たったのは一発でも痛みを伴った激震が体中を貫いていった。
 巨大なハンマーで叩くというが、まさにそうされたような気分だ。
 この衝撃だけで体や艤装も壊れてしまいそうな気がするが、どちらも簡単に壊れやしない。

 武蔵は雑念を払うように深呼吸を一つ行う。
 この状況を踏まえて、まずは当てることだけに専念する。
 落ちたとはいえ元からそこまでの速度差はないのだし、これだけ距離があれば側面や後背を突かれる危険は少ない。
 それに互いに手負いではあっても一発ニ発では沈めない身であり、最終的には主砲による殴り合いになるのは変わらんのだ。
 ならば少しでも早く、その状況に持ち込めるようにするしかない。




 さらに数度の砲撃が交錯すると武蔵にも改めて命中弾が生じる。
 しかし、その頃には戦艦棲姫も斉射に切り替え、一回の砲撃ごとに着実に武蔵への命中弾を積み重ねていた。
 何度目かの直撃で武蔵の全身を揺さぶる衝撃が走り、熱と爆風を伴った目を焼く光が襲う。
 とっさに腕で顔を庇うが、殺しきれない閃光が激しく明滅する。
 戦艦棲姫の砲撃が艤装の一角に大穴を空けた際に生じた光で、破孔からは延焼を示す黒煙がたなびき始めていた。

 被害はそれだけに留まらず、バイタル・パートを徹甲弾が叩く。
 装甲に阻まれ貫通こそ防いだが、その衝撃は武蔵の体を苛むには十分だった。
 鼻の奥からこぼれてきた血を手の甲で拭って払う。

 それでもなお、武蔵が有する九門の主砲は周囲を圧する轟音と衝撃波を巻き起こしながら斉射を行う。
 未だに火力を維持できているのは幸運と呼ぶほかない。
 元より投げ出す気はないのだから、滅多打ちにされようが浮かんでいて撃ち返せるなら最期まで撃ち続けるまで。

 武蔵の放った砲撃も姫を食い破ろうと飛翔する。
 そのうちの一弾が姫本体に直撃する軌道を取っていたが、生体艤装が自らの左腕を盾代わりにして犠牲にする形で防ぐ。
 巨獣が苦悶の叫びをわめき立てる。
 46cm砲の直撃を受けた左腕はかろうじて原型を留めながらも、糸が切れたように垂れ下がっていた。

 これで姫を守る物はもうない。
 光明が見えたのも束の間、またしても激震が武蔵を襲う。
 二番砲塔に再び姫の主砲が命中していた。
 歯を食いしばって耐え凌ぎ、装填が終わるなり武蔵も反撃する。
 そこで武蔵は否応なしに今の被弾の影響の大きさを思い知らされた。

 二番砲塔から放たれた砲弾は、どれも姫からは明後日の方向に落ちていく。
 被弾の影響で何かしらの不具合を起こしているのは明らかだった。
 狙った位置に飛ばせないようでは主砲としては役に立たない。

「今のはまずいな……撃てるだけマシと見るべきか」

 劣勢。意気込みとは別にして戦況をそう認めざるを得なかった。
 これで火力は三分の二に減った……いや、まだ三分の二が残っていると考えるべきだろう。
 それに砲門数で言えば、これでも戦艦棲姫と変わらないんだ。

「劣勢もへったくれもないな……一門でも撃てれば挽回できる!」

「ソレデコソ……続ケマショウ! 血ヲ流シテ……生キテイル証ヲ刻ンデ……!」

 姫も興奮が入り混じった声を寄こしてくる。今にも笑い出しそうな響きが魔女の声に出ていた。
 やつはこの状況を楽しんでいる。それを非難する気なんてない。この武蔵にだって、その気持ちは多少なりとも共感できる。
 相応しい時に全力を尽くせるのは幸運だ。




 主砲の装填が済むまでの間、睨み合ったまま膠着する。
 その最中、武蔵は視界の端のほうで艦娘が姫の側面から回りこもうとしているのを捉える。
 横から高速で姫に近づいていくのは清霜だった。
 武蔵の見る限り損傷らしい損傷は見当たらず、姫への雷撃を狙っているようだった。
 戦艦棲姫もそれに気づいたのか、横目を向けるように視線を巡らす。

「駆逐艦……アナタハ相手ジャナイノ……ダケド言ッタハズ……武蔵ノ側ニイタラ沈メルト」

「できるものならどうぞ! 清霜にご自慢の主砲が当たるか試してみよう!」

 挑発するように言う清霜だったが、しかし姫は彼女を無視して武蔵に視線を戻す。
 あくまでも無視という対応に出た姫に対して、清霜は艦砲を撃ちかけるが姫の態度は変わらない。
 砲撃が当たろうが外れようが、涼しい顔をしてされるがままになっている。

「やつには近づくな、清霜!」

「武蔵さんがそう言っても、ここまで来ちゃったら雷撃の一つや二つはしないと!」

 反撃を受けないまま清霜は戦艦棲姫まで急速に接近する。
 抵抗がなければ、それだけ近づくのも速い。
 再装填はまだ終らない。武蔵はひどく嫌な予感がしていた。

「慕ワレテイルノネ……アナタハ期待ニ応エラレル……?」

 清霜はすぐに雷撃体勢に入るとセオリー通りに扇状に八本の魚雷を投射していく。
 雷跡が迫ってくるのを見てか、そこで戦艦棲姫が急に動き出した。
 ただし雷撃を避けるのではなく、投射された内の一本に向かって直進する。故意に当たりにいこうとしている動きだった。

「なんで自分から!?」

 唖然とする清霜に愉快そうに笑う姫の声が重なる。

「仕方ノナイ子……モウイイワ……撃チナサイ」

 姫が片手を振り上げると艤装が咆吼する。同時に獣の両肩に載った三連装主砲が火を噴く。
 清霜の体が林立する水柱に呑まれ、遅れて姫も触雷の水柱に弾かれるように押し出されていった。




「っぁ」

 清霜のか細い声が無線から漏れだし――それはすぐに絶叫に変わった。

「ああああ! ああああ!」

 水柱が落ち着つき始めてすぐに清霜の姿は確認できた。
 海面にうずくまっていたかと思うと、のたうつようにもがくのを武蔵は見た。
 清霜の左腕が、肘から先が吹き飛ばされている。

「ホラ……当タッタワ……アア、可哀想ニ……ナマジ避ケヨウナンテスルカラ……」

 雷撃を受けたはずの姫は何事もなかったかのように白々しく言う。
 うそぶくような言い方で、本当はこうなると分かっていたかのように感じてならなかった。
 武蔵のその感覚が正しいのを証明するように姫は続ける。

「コレモ前ニ言ッタハズ……武蔵ニハ誰モ守ラセナイト……」

 言いながら姫は武蔵を見ていない。とどめを刺そうと清霜を見続けている。

「マズハ……コノ子カラ水底ヘ帰ス……ソノ次ハ武蔵ノ番……」

「ふざけるな! 私と戦いたいなら、この武蔵だけを見ていればいい! 目を逸らすなどもっての外だ!」

 武蔵が吠える。怒りに満ちた指摘に戦艦棲姫がはっと視線を戻す。
 この武蔵との対決にこだわりながら、大事な時になぜ目を逸らしてしまう。
 驕りか侮りか、それとも迂闊なのか。

 武蔵は狙いを定めていた。怒りという激情を秘めたままでも頭の片隅は醒めている。
 頭の中で撃鉄を起こす。引き金を引く。ボタンを押す。そういったイメージを想起する。

 そろそろ主砲の装填が終わる。今は間を置いて交互に砲撃する状態になっている。
 つまり、次はこちらのターンというわけだ。
 もし、この砲撃で姫が健在のままなら、次の砲撃は武蔵と清霜のどちらを狙うつもりでいる?
 おそらく清霜が狙われる。そうなれば、もう動けない清霜は確実に沈められるだろう。
 だから、これを当てるしか――ただ当てるだけではなく仕留めなくてもならない。

 武蔵は息を吸うと体の内に溜めこむ。
 集中する、ということを意識せずに集中する。
 周囲から音が途絶え、目標である戦艦棲姫以外は目に入らない。清霜のことでさえ、その間だけは意識の外になる。

 砲撃一つでさえ多くに干渉される。
 大気圧に温度、湿度、重力、風向きに風速。潮の流れ。この武蔵の技量に調子、気分や心境。相手である姫のそれも同様に。
 大きい物から誤差とすら呼べないほど小さい事柄、考慮できることから考えても仕方のないこと、自分が知りえないことまで。

 それは我々も同じだ。
 一人のつもりであっても、実際は多くの者と関わって生きている。
 ……お前はどうなんだ、戦艦棲姫。生の実感がどうとか言っているが、本当にお前はそれを分かっているのか。
 きっと聞くまでもないことだろう。おそらく、それが武蔵と戦艦棲姫との違いだから。




 殺人的な衝撃波を巻き起こしながら六門の主砲が放たれた。
 武蔵の体感的には同時、実際には三連装砲の中央のみ左右の砲撃による干渉を避けるためにわずかに遅れている。
 大気を切り裂いた徹甲弾が戦艦棲姫を穿とうと落ちていく。
 二本の水柱に挟まれた姫は、それを知覚する前に激しい衝撃に襲われていた。

 姫の生体艤装にまず二発が命中する。一発は右肩の主砲塔に当たり、装甲を抉りはするが抜けきらずに弾き返される。
 もう一発が無貌の頭頂部に直撃し、半ばまで食い込む。
 これだけだったら重傷ではあっても致命傷にはならない。
 しかし三発目がすぐ近くに着弾すると話は変わる。
 すでに食い込んでいた砲弾を上から押し込む形になり、それが艤装を終わらせる決定打になった。
 内部に到達した艤装の中枢部を破壊し機能を喪失させる。
 そして最後の一発が姫と艤装の間に飛び込むと、両者を引き剥がすように弾き飛ばした。

 時間にすれば二秒に満たない間の出来事だった。
 その様子を見届けて武蔵は息を吐き出す。張り詰めていた気持ちは緩まず、浮かれる余裕もなかった。
 そもそも打ち勝ったという実感もなく、何よりも清霜のことが気がかりだった。

 武蔵は姫が確実に致命傷を受けていると確信して、すぐに清霜へと近づいていく。
 損傷が積み重なっている影響で普段以上に加速が利き出すまでが遅い。
 逸る気持ちとは裏腹に清霜の元に着くまで時間がかかってしまう。

 すぐに武蔵は屈むと清霜から全損している艤装を取り外し、さらしを千切って左腕の傷口を固く縛る。
 いくら艦娘と言えど、一刻も早くバケツを使う必要がある。
 傷は治るが、それまで清霜の体力が持つかは分からない。

「やられちゃいました……」

「すまない……あの一撃は清霜が代わりに引き受けてくれたようなものだ」

「私は清霜……いつか大戦艦になる女ですよ……あんなのぐらい……」

 血の気をなくした白い顔が言う。
 吹けば消えるようなささやきでも、ちゃんと耳に届いていた。
 強がりでも何でも言ってくれるのはありがたい。今はその言葉を信じて懸けるしかないんだ。
 武蔵は清霜を抱えて立ち上がり、すぐに気配に気づく。
 素早く後ろを振り返ると戦艦棲姫が立ち尽くしていた。

 武蔵は身構えようとするが、戦艦棲姫は艤装を失っていれば脇腹から大量の血を流している。
 何よりもその表情から戦う意思はないと察した。もう長くないのも。




「オ見事……ソウ言ワザルヲエナイワネ……」

 武蔵は無言で見つめ返す。
 姫は笑っている。愉悦とは違う、弱々しく儚げな顔で。
 それでもどこか満足げに見えてしまうのは……こちらがそう思いたいからではないはずだった。

「戦艦棲姫……わざと清霜の魚雷に当たったのか?」

「航空魚雷トハイエ……アナタハ二本……命中シテイタ……単純ニ比較デキナクテモ……コレデ帳尻ハ合ウモノ」

「あくまで公平に戦いたかったのか……」

「アナタナラ理解デキルハズ……背負ッタ期待ニ応エラレナイ無念ハ……戦ウベキ相手ト出会エナイ口惜シサハ……」

「……分かるさ。お前は厄介なやつだったが、こだわりたくなるのは同じだった」

「アナタハ……私ダケノ強敵ナノ……」

「……確かにお前との戦いは楽しかったよ。その楽しさもそう感じる私の本性も否定はできないさ。だが武蔵は……お前だけの強敵ではいられないんだ」

「残念……ソウ……残念。我々ニデキルノハ血ヲ流シテ……生キテイル証ヲ刻ムコトダケ……私モアナタモ同ジナノニ」

「そんなことをせずとも……生きていけるさ」

 そう思いたい。戦うだけしか能がないとしても……それで他の可能性を切り捨てたくはない。
 戦うのは手段であって目的ではない。艦娘だとしてもそう信じるのは構わないはずだ。
 結局、戦艦武蔵と戦艦棲姫は違うんだ。重なる部分はあるにしても、どうにもならない部分もある。
 だから対立するしかなかったのか……その答えは武蔵にも分からない。

「お別れだ、戦艦棲姫。彼の世で誇るといい。お前は私よりも強かった」

「ソンナトコロ……アルトイインダケド……」

 ほほ笑むような、すすり泣くような声音だと武蔵は思う。
 これが戦艦棲姫の最期だと理解していた。
 しかし武蔵はすぐに背を向ける。もう十分だった。


ここまで。あと二回ぐらいで六章は終われる予定。というわけで月内が目標
ツ級の正体は予想できてたようで安心しました。誰だよそれみたいなことになるのが、私の中では最悪に近いパターンかなって
今だから言えるのは、登場前は元のモチーフっぽいアトランタ級にするかで結構悩んでました


アトランタだとそれこそ誰それだからこれで良かったと思う
そして大戦艦抗争は清霜含めコテコテ王道展開で綺麗に着地

乙です



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 全部手遅れなのかもしれない。
 泊地の近海に戻ってきた白露が最初に思い浮かべた言葉はそれだった。
 彼女の目の前にある海原には、重油のような黒い液体や元の形を留めていない有機物や金属らしい残骸。
 周囲を海の濃さとは違う黒色に染めながら、それらは道筋のように転々と続いていた。
 潮風に混じって金鉄のようであったり、ゴムが焦げついたような独特の悪臭が漂ってくる。
 同じものを見ている春雨がつぶやく。その声はかすれるように震えている。

「これ……」

「……ここで戦ってたんだよ」

 白露は多くを言わない。そうしなくても春雨に通じるのは分かっていたから。
 泊地の防衛に回っていたコーワンの手勢と空母棲姫が率いる別働隊とが交戦したのは間違いない。
 そしてトラック泊地が艦砲射撃に晒されてるとの急報を知らせてきた以上、結果も明らかだった。

 空母棲姫が発見されてから、彼女たちはできる限りの速さで前線から取って返してきた。
 ここまで白露たち一団を輸送してきた輸送艦から降りて、自力で航行し始めてからおよそ十分。
 泊地が敵艦隊の編成などを知らせてきてからは、ほぼ三十分になろうとしている。

 敵艦隊の構成は空母棲姫とは別に十二体の護衛要塞とそれと同数の水雷戦隊で構成されているという。
 ここで起きた戦闘で消耗はしてるはずだけど、こっちより数で多いのは間違いない。

 白露は海上から視線を逸らすように空を見上げる。
 海は割りに穏やかだけど、雲行きはそんなによくない。
 午後には雨が降るという天気予報は的中しそうだった。
 航空機の行動が制限されるなら、そっちの戦力でも負けてるこっちには好都合なんだけど。

 この日、白露たちは第二次防衛圏で機動部隊として飛龍ら空母の護衛を務めていた。
 戦線が後退してきた時は遊撃隊としても動くつもりでいたが、空母棲姫が泊地近くまで侵入していたのが判明すると事情が変わってくる。
 泊地を防衛するために機動部隊から抽出されたのが、白露を始め時雨、春雨、海風、江風、涼風の六人の白露型に山城を含めた七人だった。
 戦力としては心許なくとも機動部隊の護衛も疎かにできず、そちらは他の夕雲型と大淀に託している。

 そんな白露たちの陣形は複縦陣ではあるが、上から見ると八の字になっている。
 互いに回避行動を取りやすい距離を保つためもあり、射線を僚艦によって遮られないようにするための並びでもあった。
 それぞれ白露と江風を先頭にして白露の後ろには春雨と時雨、江風には海風と涼風と続き、最後尾の中間点に山城が位置している。
 並びで言えば、ちょうど白露型と改白露型で左右に分かれていた。

「せめて重巡の方が一人でもいてくれたらよかったんですけど……」

「ないものねだりしても仕方ないよ、姉貴。江風たちがやれるだけやンなきゃ」

 海風と江風の話を聞きつつ、白露も口にこそ出さないがもう少し戦力がほしいと考える。
 泊地を守っていた深海棲艦と協調して空母棲姫と戦いたかったけど、それはもうできない。




「姉様は無事かしら……今ほど足の遅さを恨めしく感じたことはないわ……」

 山城は暗い顔でありながら険しい目つきで泊地の方角を見続けている。
 今はその彼女に合わせて二十四ノットで泊地に向かっていた。
 白露たち駆逐艦だけならもっと速く移動もできるが、ただでさえ戦力で劣っている。山城抜きで空母棲姫と当たっても押し潰されてしまうのが目に見えている。

「姉様にもしものことがあったら……」

「大丈夫に決まってるさ。艦砲射撃は短時間だと、あまり効果はないから……きっと扶桑は無事だ」

 時雨は励ますような言い方だけど真顔になっていた。
 きっと自分にもそう言い聞かせようとしてる。
 動じてないような顔をしてるときの時雨は本当は不安になってることが多いみたい。
 そういう気持ちを隠そうとするから、かえってポーカーフェイスみたいになる。時雨本人も気づいてるようだけど、簡単に直せないような癖。

「そうね……でもやっぱり心配だわ。艤装もなしに直撃を受けたら、いくら姉様でも……」

 元々、心配性が強すぎる山城さんだけど、やっぱり不安は拭えないようだった。
 とはいっても時雨の言葉は気休めだろうけど、あながち嘘でもない。
 たとえば山城さんが十分間で撃てるのは最高でも十五回。
 そして艦砲射撃が始まってからは、まだ三十分も経っていない。
 空母棲姫と護衛要塞が艦砲射撃をするとしても、そういった攻撃を想定していた泊地への対地攻撃としてはまだまだ不十分なはず。あたしもそう思いたい。

「対空電探に感あり! ざっと四十機……敵さんが近い!」

 涼風が警告の声を発すると、こちらの電探でも少し遅れて直掩機の存在を感知した。
 さらに遅れて水上艦の反応も認められるようになる。どうやら敵艦隊は前後の二列に分かれているらしい。
 時雨が真っ先に敵の存在を認めた涼風に声を向ける。

「ということは向こうもボクらに気づくだろうね。敵艦載機はどう?」

「今んとこ直掩の他は出撃してきた様子はねえかな? あたいらにはもったいねえとか思ってるのか?」

「消耗していて温存したいのかも……なんにせよ瑞雲もこれで品切れだから好都合だわ。このまま突入しましょう」

 それまでの暗い様子から一転、山城が張りのある声で言う。
 誰にも異存はなかった。ここまできて手をこまねいてるなんて選択肢はない。
 山城が残りの爆装した瑞雲を発艦させていく傍らで、白露も声を張り上げる。

「あたしたちは露払いとして水雷戦隊を叩きのめすよ! 山城さんは敵中枢をお願いします」

「ええ、まずは護衛要塞を減らすのを優先するわ。姫も大事だけど泊地を守れなくては意味がないもの」

 空母棲姫を沈められれば決着もつくだろうけど、護衛要塞はその姫を守ろうとしてくるに違いなかった。
 それを別にしても対地攻撃の要になっている敵なら、早めに対処しないといけない。




「無理はしすぎないでよ、山城。改二と言ったって君の防御力は相応なんだから」

「だったら相応じゃない部分を活用するまでよ」

 艦隊は初めから戦闘隊形を取っている。
 白露の手信号を合図に駆逐艦たちが加速しだすと、山城を引き離して前へ進んでいく。
 その上空を瑞雲たちが追い越していった。機数が機数だし敵の直掩のほうがずっと多い。成果は期待してなかった。

 近づくに連れて、電探の反応でしかなかった敵が黒い影という実像を得る。
 すぐにそれは艦種を確認できるようになる。敵のほうからも近づいてきていた。

 二隻のヘ級軽巡に八隻の改良型のイ級駆逐艦。合わせた数はこっちのほぼ倍。
 それぞれ軽巡を最後尾にしての二つの単縦陣というべきか、大きな複縦陣というべきかを組んでいる。
 その先には、あの空母棲姫がいる。周囲の護衛要塞はニ体。
 姫の一団の奥では、別の護衛要塞が対地攻撃のために横隊を組んでいる。その数は八と白露は判断すると一同に知らせていく。
 空母棲姫たちと水雷戦隊が迎撃をして、横隊の護衛要塞はあくまで艦砲射撃を継続するつもりらしい。

「始めるよ! 目標、敵先頭のイ級二人。各自に砲撃、始めー!」

 白露の言葉を号令として、すでに狙いを定めていた一同が砲撃を開始する。
 最初の砲撃はそれぞれの先頭に集中すると、早くも何発かが命中した。
 左右にいる先頭が撃たれている間に、後続の敵艦は砲火をまき散らしながら脇を抜けて突撃してくる。
 すぐに白露たちも散開するように回避せざるを得なくなり、その間に砲火を浴びてた元の先頭艦も後続として戦列に加わってくる。

 これはまずいやつだ。
 粒揃いの敵艦を揃えているみたいで、これは手強い相手たちだった。
 こういう区別があるのかは分からないけど、親衛隊という言葉を自然に連想する。

 白露たちは敵に包囲されるのを避けるように動きつつ、かといって山城に向かわないように砲撃も仕掛けていく。
 先制こそ取れても、すぐに砲戦は押され気味になっていく。
 数の不利よりも、敵も連携して相互に穴を埋めるような戦い方をしているのが理由だった。
 近づいてくるイ級に白露は砲撃を当てていくが、返礼とばかりに別のイ級たちから撃たれていき被弾する。

「あいたっ!」

「白露姉さん!?」

「くっそー! このぐらいでやられるもんかあ!」

 心配する春雨の声を背に、敵に向かって言い返す。
 実際に今のはそんなに痛くはなかった。
 それにここで弱気を見せたら、一気に押し込まれてしまいそうな気がする。そんな気持ちが自然と強がりになっていた。




 白露たちの後方で砲声が轟いた。
 雷がいくつもまとめて落ちたような音は山城による一斉射だ。
 山城は主砲として40cm連装砲五基十門を飛行甲板に合わせつつも強引に載せている。
 白露や水雷戦隊の頭上を飛び越えていった十の砲弾は、泊地を攻撃し続けていた護衛要塞に暴力を振るった。

 狙った先は一体ではなく五体。それぞれの砲塔が別々の護衛要塞を目標としていた。
 護衛要塞たちにほぼ同時に命中の爆発が生じていく。
 その内の二体は圧し折られて打ち砕かれると、あっという間に波間に消えていく。轟沈だった。
 残った三体も中破以上の損傷を受けたのは明らかで、白露はその光景に思わず固唾を飲む。
 たった一度の砲撃で、横隊の護衛要塞の戦力が半減していた。

「沈んだのは二つだけ……不幸だわ……避ける気のない固定目標なら、もっと上手に当てないといけなかったのに」

 山城さんは自虐めいたことを言ってるけど、海上でこれだけ距離があるんだから当てるだけでも簡単じゃない。
 今の砲撃が空母棲姫の警戒心を刺激したのか、護衛要塞たちの動きが一斉に変わる。
 微速で動き出しながら回頭を始めると、姫の一団も山城さんへの集中砲撃を始めた。
 押し殺した悲鳴が無線を震わせる。

「同じやり方はもう通用しない……各砲塔、交互射撃用意! 優先目標は健在な護衛要塞! 白露型のみんなにはこのまま護衛を頼みます!」

 山城さんの邪魔をさせるわけにはいかない。
 そして水雷戦隊もあたしたちを突破しようと攻勢に転じてくる。
 最後尾にいた二人のへ級がイ級たちを押し退けるように突破を図ってきた。

「へ級たちに集中砲火!」

 白露が令を下すと、各々の白露型も近い側のへ級に砲撃を集めていく。
 集中砲火を浴びて体力を削られ足が遅くなってもへ級は止まらない。
 へ級は囮になって攻撃を引きつけようともしている、という意図を白露は感じた。
 その間に後続のイ級たちも散ると砲撃を浴びせてきた。
 特に先頭に立つ白露は江風と共に多くの砲撃に晒される。

「こんのぉ……二人は後ろに来るやつをお願い!」

 言うなり、白露は砲撃を突き抜けてへ級の後ろに回り込む。
 速度が落ちているのもあって、背中を取るのはそんなに難しくなかった。
 砲撃に移る前に横目に反対側の江風を見ると、敵の砲撃を受けて落伍していくのが見えた。
 それを海風と涼風が守るために前面に進み出ていく。そんな二人に攻撃を仕かけているのは三人のイ級。一人は撃破したらしい。

 そこまで見ると背中を見せるへ級に意識を戻し、さらに左手側にいるもう一人のへ級にも目をやる。
 どっちもここで沈めないと山城さんに雷撃をされてしまう。




「……沈めるしかないんだよ、白露」

 ためらったり迷ったりしてるわけでないのに、そんな独り言が口から出てて驚いた。
 でも、その通り。山城さんを守るためにも、江風たちの援護に向かうためにも沈めなくちゃいけない。

 背中を取ったへ級に主砲を浴びせながら、四連装の魚雷発射管を開く。
 進行する相手に斜め後ろから追いかけるようなコース。
 向こうの速力が落ちてるのと雷速の速い酸素魚雷だから逃がさずに届く距離だった。

 だけど、頭の中で思い浮かべる軌道がどうしてか定まらない。
 こういう感覚がする時の雷撃は当たってくれた試しがない。
 大したことないと思ったけど、さっきの被弾の影響が艤装に出ているのかも。

 投射の誤差を減らすために、なるべく体の振動が少ない時間を作らないと。
 少しだけ速力を落としてへ級への砲撃も止める。
 狙いやすくなるから撃たれる危険もあるのは分かっていた。案の定、イ級が後ろから砲撃してきた。
 外れた砲撃が前方で弾けて水柱に変わるのを見る。
 投射が先か、当てられちゃうのが先か。

 それでも今度はいけるはず。思い描いた軌道で魚雷が進んでいくのが想像できる。
 魚雷を投射しようとして、爆風が背中のほうから吹き抜けていった。
 あたしが撃たれたわけじゃない。

「張り付こうとしてたのは、どうにかしました!」

 春雨の報告に感謝しつつも声に出さないで、今は雷撃に集中する。
 発射管から投射された魚雷が自走を始めるのを尻目に元の速度まで上げる。
 そのままへ級への砲撃を再開しようとすると、先んじて時雨と春雨の砲撃も行われる。
 いくら駆逐艦だからって、さすがに背後から三人分の砲撃をもろに浴びたら耐えられない。
 へ級が半ば沈み始めたところで、もう一人のへ級も水柱で姿が掻き消える。
 足元から伝わるお腹に響く震動は触雷の余波だった。

「よし、これで――」

 言いかけて、白露は砲撃に見舞われた。連続して弾ける至近弾に小柄な体が弄ばれる。

「残りのイ級か、ここはボクに任せて!」

 時雨が隊列から外れて反転すると、三人のイ級に砲撃を浴びせる。
 当たりはしなくても牽制になり、イ級たちが散る。
 白露と春雨もすぐに転回すると攻撃に加わろうとするが、そこに時雨の声が飛ぶ。




「こっちはいい。それより嫌な役を二人に頼みたい。空母棲姫の注意を引いてほしいんだ」

 二人の返事を聞く前に時雨はイ級たちへと撃ち返している。

「そんな……姉さんを一人にしてなんて!」

「ダメだ、このまま行くと山城は確実に撃ち負ける」

 叫ぶような春雨に対して、時雨は落ち着いた声で答える。
 白露は山城のほうを見る。まだ直撃は受けてないものの、向けられている砲撃の数が多くて砲撃に晒されている時間が長い。
 あれでは至近弾だけでも消耗してしまう。

「……そうだね。山城さんがいないと姫には対抗できない」

「ああ、そして姉さんと春雨なら空母棲姫は絶対に反応する」

「囮ってほんとに嫌な役なんだけど……」

 白露は難色を示しながらも、時雨の言うことに従ったほうがいいと感じ始めている。
 その一方で春雨はまだ迷いを見せていた。

「一対三なんて、いくら時雨姉さんだって……」

「できるさ。やってみせるよ。こいつらを引きつけておけば山城も安全だし、姉さんたちが動く余裕ができる。一石二鳥じゃないか。何よりも……ボクだってそのぐらいしないと面目が立
たない!」

 これはもう何を言っても聞き入れない。
 自分でも散々わがままを通してきた白露だからこそ分かる。

「春雨はあたしについてきて。最大戦速で姫に近づいて航過中は海風たちに支援砲撃もする、いいね?」

「でも……!」

「時雨を信じてあげて」

「まあ、そういうことだよ……佐世保の時雨は伊達じゃない」

 時雨は形だけの笑みを浮かべつつ、視線はすでにイ級たちの動きを把握するために白露たちを見ていない。
 単身で自分たちを相手取ろうとしている時雨の意図に気づいて、イ級たちがうわ言のように声を発する。

「チチ……シリ……フトモモ……」

「オ前様ヲ……マルカジリ……」

「なんだい、ボクを食べようって言いたいのかな? 愉快そうなやつらだね」

 笑ってはいるが、目は一切笑っていない。そんな顔をしている時雨に後を任せて、白露と春雨はその場を後にする。
 姫の近くにいた護衛要塞はやや離れた位置に移り、山城へ攻撃していた。
 その山城は集中砲火を受けながらも、二十ノットを維持して空母棲姫へと向かいながら砲戦を続けている。




「今なら空母棲姫の周囲も手薄になってる……このまま行くよ」

 白露と春雨も海風たちへの支援砲撃を済ませると空母棲姫へと猪突する。
 山城と交戦していた空母棲姫も接近してくる二人に気づき、前に立つ白露と視線が絡む。
 姫は遠目にも分かるような笑みを顔に張りつかせる。

「アノ時ノ小娘……ワザワザ来テクレテ……礼ヲシナクテハネ」

「覚えてたかぁ……忘れててほしかったんだけど」

 そうは言っても、あたしのほうだって忘れられない。
 宿敵なんてのは大それて言いすぎだけど、この姫とはワルサメを巡って因縁みたいなのがある。
 不意に空母棲姫の顔から笑みが消えた。
 その視線の先は言われずとも分かってる。春雨だ。

「ワルサメ? 沈ンダハズ……違ウ……艦娘カ?」

「私は春雨です……って言っても、あなたたちには分からないんですよね……」

「ソウ……化ケテ出タンダ……ソウヤッテ現レルナラ……今一度沈ンデイケ!」

 ワルサメを中心にした因縁は、今や春雨にだって飛び火している。
 ううん、飛び火というより最初っから中心なのかもしれない。
 そして姫の主砲はまだ山城さんを狙ったままで、口で何を言っていても後回しにされている。
 これじゃあ意味がない。ここまで来たからには注意を引かなくっちゃ。

 姫に狙いを定める。
 駆逐艦の主砲は豆鉄砲なんて言われるけど、飛行甲板に直撃させれば発着できなくするだけの被害は与えられる。
 注意を引いて狙いを変えさせるためにも、飛行甲板めがけて撃つ。
 その砲撃を甲冑を着込んだような姫の腕が叩き落とすと、細めた目があたしを見る。
 まずいやつかも、これ。

「本当ニ嫌ラシイ子……甲板ヲマッスグ狙ッテクルナンテ」

 それまで瑞雲の迎撃だけに留まっていた直掩機が飛来してくる。
 爆装してなくても装甲の薄い駆逐艦が相手なら機銃も有効な火器になる。
 二人はすぐに対空砲火を打ち上げ始めるが焼け石に水だった。
 乱舞する球状の艦載機が雲霞のように迫ると、白露と春雨を取り囲むように布陣する。




 四方に目をやり回避機動を取りつつ盛んに迎撃する二人をあざ笑うように、艦載機たちは全周から次々に襲いかかってくる。
 接近してくる何機かが対空砲火に絡め取られて四散するが、大多数はそのまま銃撃を浴びせてきた。
 体や衣服、艤装を銃撃が何度もかすめては時に直撃していく。

 なぶられながらも白露は空母棲姫の主砲が自分を狙っているのを見る。あるいは春雨かもしれない。
 どちらを狙っているのかまでを見定めている余裕は白露になかった。
 白露が艦載機の襲撃を避けようとする春雨と空母棲姫との間にまで進み出る。

 身代わりになろうという気は白露になかった。
 ただ空母棲姫が春雨を狙っているのなら、自分を狙わせた上で避けようと考えていた。
 そんな白露にも艦載機たちはまとわり続ける。
 度重なる襲撃に艤装が悲鳴をあげ始めたところに、空母棲姫の主砲が瞬く。
 横殴りの衝撃が白露を襲う。直撃はしなかったものの、白露は大きく横に跳ね飛ばされた。
 体勢を整えようとする間に艦載機がまたまとわりついてくる。

「アラアラ……粘ルワネェ……デモ、モット近ヅイテコナ――」

 余裕をほのめかすような空母棲姫の声が爆発に呑まれた。
 巻き起こった爆風を腕で振り払うようにすると姫が肩を怒らせる。

「ナンダ!? アノ鈍足カ……ヨクモ甲板ヲ台無シニ!」

 明らかに怒った声で姫は山城を睨みつける。
 白露に気を取られている間に直撃をもらった形だが、飛行甲板を除けば姫もその艤装も損傷は軽い。
 一方で山城は損耗していたが、それでも姫に向かって一路進んできている。

「オ前タチ! アノ艦娘ヲ早ク沈メナサイ!」

 姫の号令の下、残存する三体の護衛要塞たちが山城に更なる砲撃を行う。
 空母棲姫も白露たちを完全に無視して、山城だけを狙い始める。
 たちまち山城は被弾していき、複数の命中弾と至近弾により損傷が積み重なっていく。
 艤装にはいくつもの破孔による浸水が始まり、飛行甲板はいくつもの穴が開いたり切り裂かれたりして使用不能。
 紅白の巫女服には赤黒く染まり始めている。

「鈍足メ……私ノ邪魔ヲスルカラダ!」




 山城の主砲も次々と沈黙していく。
 それでも山城はひたすら前へと進み続ける。
 満身創痍ながら速力はあまり落ちていなかった。
 残り四門となった主砲が抵抗の砲撃をすると、再び空母棲姫に命中する。
 直撃を受けたにもかかわらず姫は健在で、逆に怒りに燃えた眼差しを向けていた。

「あなたたちは……下がり……態勢を立て直して……」

 白露は聞き耳を立てる。
 無線から聞こえる声は雑音混じりで音の高低も乱れていたが、聞き間違いようはなかった。

「山城さんはどうするの!?」

「空母棲姫は私がどうにかしておくから……」

「そんなの……!」

 言い返そうにも、白露も艦載機への対応に手を取られて動きようがない。春雨も手一杯になっている。
 山城さん一人で空母棲姫をどうにかできるとは思えなかった。
 後ろにいるはずの時雨や海風たちが加勢に来る様子もない。むしろ苦戦してるのが見えてしまう。

 姫と護衛要塞の砲撃が続き、山城を痛めつけていく。
 すでに傷ついていた山城が浮かんでいるのもやっとの状態になるまで時間はかからなかった。
 砲撃を受ける度に山城は倒れそうになるが、それでもなお前進を続ける。
 その様に空母棲姫も焦燥を隠せない。

「死ニ体デモ進ンデクル……早ク沈メテシマエ!」

 姫の号令に合わせて護衛要塞たちが大口を開く。覗く主砲が冷たい輝きを放っている。
 白露が空母棲姫へと主砲を向けるが、艦載機の銃撃によって逆に阻まれる。

「誰か! 誰でもいいよ! 山城さんを助けて!」

 為すすべもなく白露が叫んだ瞬間だった。
 突如飛来した砲撃が直撃し、護衛要塞が自らの火種により火の玉へと変じる。
 その事態に真っ先に反応したのが空母棲姫で、すぐに後ろへと向き直った。
 残り二体の護衛要塞も姫からの命令を受けたのか同じ方向へと転回する。

「姉様……?」

「違ッテ……スマナイ」

 消耗しきった声の山城に応じたのはコーワンの声だった。
 白露も姫たちの視線を追うと、海上に二人立っている。一人は夕張で、もう一人は確かにコーワンらしかった。
 はっきりしないのは艤装のせいだった。

「コーワン? でも、あれって扶桑さんの艤装……なの?」

 小山のような独特のシルエットは確かに扶桑型の艤装に見えてならなかった。
 それを証明するように瑞雲の編隊が、白露たちを襲っていた艦載機に向けて突撃してくる。
 機数でも性能でも劣っているとはいえ、こうなると直掩機も白露たちにかまけていられない。
 一斉に上空に飛び上がっていく敵を、瑞雲たちが頭を抑える形での空戦が始まった。

「……コレ以上……アナタノ好キニサセナイ」

「サッキカラズット……気配ヲ感ジテイタ! 邪魔シニキタワネ……≠тжa,,!」

「久シク思エル……ソノ名デ呼バレルノハ……今ハ誰モガ……コーワント呼ブ……ソレデイイト思ッテイル」

「人間ノ呼ビ方ガ? トコトン堕落シタヨウネ……!」

 厚い雲が垂れ込める灰色の空の下で、白と黒をした二人の姫が対峙する。
 彼女たちの衝突はいよいよ避けられなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 提督はトラック泊地を襲った惨状に息を呑んでいた。
 カメラに映る映像では、そこかしこから黒煙と白煙がたなびくのが見える。おそらく現場では焦げついた臭いが充満しているはずだ。
 宿舎は複数の直撃によりほぼ全損し、工廠や各資材庫にも被害が及んでいる。
 方々から被害状況が寄せられる一方で、提督は工廠などを優先的に消火や応急修理を始めさせていた。
 司令部施設への直接の被害は軽微だが、それでも通信網が断たれ基地施設としての機能は損なわれている。
 復旧を急がせている最中だが、もうしばらく時間を要するはずだった。

 驚愕を露わにしていた提督だが、すぐに硬い表情へと変わる。怒りをはらんだ険しい顔つきへと。
 泊地の主力かつ実働部隊が艦娘であり裏方として妖精たちがいる一方で、優に千を超える数の人間もまたトラック泊地に勤務している。
 何人が一連の砲撃で死んだのか。死傷者がゼロなどというのはありえない。
 被害の全貌を把握するには、あまりに時間と余力が足りなかった。

 自分を含めて、この泊地にいる人間は戦死の危険は承知の上で職務に就いている。
 だからといって、それを容認できるかはまったく別の問題だ。
 少なくとも自分の判断如何によっては、死なずに済んだ者もいたかもしれない。
 深海棲艦の別働隊を警戒し、もっと早い段階で発見できるよう動いていれば――。

「提督……怖イ顔シテル……」

 悔いを怒りに転化しようとしている提督に声がかかる。ホッポだった。
 一人だけの彼女は見上げていて、まっすぐで気遣わしげな視線に提督は気後れして視線を逸らしてしまう。
 居心地の悪さを隠そうとして出てきたのは分かりきった確認だった。

「……コーワンは行ったんだったな」

「ウン……夕張ト一緒ニ……」

 コーワンが出撃するという知らせは当人たちから知らされていた。
 扶桑とコーワンとの間に親和性があるのか、はたまた力業かは分からないがコーワンは扶桑の艤装を装備しているという。
 それで十全な力を発揮できる保証はないが、結局のところは戦力不足だ。
 泊地を守っていたコーワンの配下たちも潰走して機能しておらず、後衛から辛うじて抽出した艦娘も少ない。
 となれば問題が多少あったところで、投入できる戦力というなら今は当てにするしかなかった。

「提督……ホッポニ……ミンナト話ヲサセテ……」

 急にホッポがそう言い出すと、提督は怪訝な顔をする。

「話ス……違ウ……伝エタイノ……ホッポガ感ジルコトヲミンナニ……」

「何? みんなとは誰だ? 艦娘か、それとも深海棲艦のほうに……」

「両方……ミンナハミンナ……コーワンハ戦イニ行ッタ……ホッポモデキルコトヲシタイ……」

 つまり呼びかけたいと。
 伝えてどうする、とは提督も聞かない。
 それが意味のある行為なのか、何かを起こせるのかは提督にも分からない。
 ただ無条件の直感、いわゆる予感を信じるならホッポの好きにさせたほうがいいと思う。

「今は通信網を復旧させている最中だ。それが済んだら伝えさせよう」

 復旧には今しばらく時間がかかる。刻一刻と変わる戦況でこの口約束を守れる保証はない。
 それでも、このぐらいのことはしてやれる人間でいたいと、提督は胸中で思った。


ここまで。乙ありでした
遅れてる分はなんとかしたい

乙です

乙です

乙乙



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 交戦が始まってコーワンが最初に行ったのは、残り二体となった護衛要塞の排除だった。
 まずは敵の数を減らして山城への危険を減らしたかった。
 高速と高耐久を兼ね備えた空母棲姫よりも狙いやすかったという理由もある。
 空母棲姫の近くには白露と春雨もいるが、今のところ姫の注意からは逸れている。
 周辺では他にも交戦が続いているが、この場では二人の姫同士の砲撃戦に至っていた。

「イツカ……コウナルトハ思ッテイタ……私トアナタデハ感性ガ合ワナカッタモノネ?」

「我々ノ反リハ確カニ合ワナカッタ……」

 砲戦中でも空母棲姫が送ってくる声をコーワンは無視しない。
 コーワンの目は赤々と輝き、尋常ではない集中力を発揮していた。
 時間を引き延ばした感覚の中で、砲撃の軌道を的確に見極める。
 鈍重な扶桑の艤装であっても、薄皮を切らせるような被弾に留めていた。

「ソレデモ……私ハアナタトノ争イヲ望ンデハイナカッタ……ワルサメヲ沈メサセナケレバ」

「コウナッタノハ私ノセイ……トデモ言イタイノカシラ?」

「少ナクトモ……敵バカリ作ッテキテイル!」

「フーン……私ノ道ガ敵ダラケナラ……アナタハドウカシラ? 行ク先々デコトゴトク……死ヲ振リマイテイルノデハ?」

 内心で苦い思いを噛み締める。所詮は惑わせるためだけの言葉であっても。

「アナタニ従ッタ裏切リ者タチハ海ニ還ッタ…………艦娘モ残ラズ沈メテアゲル……」

「思ウヨウニサセナイ……!」

 互いの砲火が交錯し海面を弾けさせる。
 コーワンの集中力は攻撃にも影響し、早くも空母棲姫を直撃した。
 被弾に空母棲姫は顔を歪めるも、すぐに打ち消すと表情が嘲りの色を帯びる。

「艦娘ノ艤装ネ……ナンデソンナノヲ持チ出シタカ知ラナイケド……不慣レナ道具デ私ヲ仕留メヨウト?」

「……デキルトモ。コノ艤装ハ私一人デ動カシテイルワケデハナイ……」

「意味ガ分カラナイ!」

 扶桑の艤装はあくまで借り物でしかなく、本来の性能を発揮できているという感覚はない。
 動いてくれれば砲台代わりになれるという認識だったが、それ以上の動きもこなせている。
 こうなると元の所有者である扶桑が力添えをしてくれている、と感傷に近い思いも抱いてしまう。
 泊地を守ろうという扶桑の意志が艤装にも乗り移っているかのように。
 もちろん扶桑はまだ健在なのだが、こういう感じ方はやはり感傷と呼ぶ以外に思いつかない。




「ソウイエバ……アノ島ニハアノ子……ホッポモイルノヨネ……」

 コーワンはそれまでと違って、その声は無視する。
 ここに至って違和感を感じたからだった。
 狙いを定めつつ、空母棲姫の様子を注視して気づく。

「モシ無事ナラ助ケテアゲル……安心シナサイ……再教育ガ必要デショウカラネ……」

「サッキカラ……ヨク話ス……私ガソンナニ怖イ……?」

「……私ガドウシテ……アナタヲ怖ガラナクテハナラナイノ?」

 動揺、そして怒り。変わる表情を見て、コーワンは自分の予測が当たっていると悟った。
 戦いに際して、空母棲姫はあまりに饒舌すぎる。それが違和感の答えだ。

「負ケルカモシレナイ……ソウ思ウカラ……自分ヲ大キク見セヨウトシテイル……」

「言ッテナサイ!」

 互いの主砲が爆風をまき散らす。
 空母棲姫の砲撃が扶桑の艤装を縁から削り取るようにかすめ、コーワンの砲撃は再び空母棲姫を捉える。

「私ノ行動ニハ誰カノ死ガ絡ム……ソノ通リ……ダカラココデ終ワラセル……アナタデ最後ニスル……」

 空母棲姫の砲撃はコーワンをあと一歩のところで捉えられないのに対し、空母棲姫には徐々に直撃が増えていく。
 空母という名を冠してこそいるが、空母棲姫は並みの戦艦級よりも遥かに打たれ強い。
 それでも度重なる直撃を受け続けていては無傷ではいられなくなる。

 自身の砲撃よりも痛烈な直撃を前にして、コーワン同様に空母棲姫の目も燃えるような赤い色を灯す。
 それまでが手を抜いていたわけではないが、空母棲姫の砲撃も精度を増す。
 コーワンはさらなる命中弾を出すが、空母棲姫もついに直撃弾を得る。
 それはただの一発で左舷に大穴を穿つ。

「ヤッパリ装甲ガ薄イ……デモ……火力自慢ナノデショウ!」

 不正振動を押さえつけるようにしながら、コーワンは砲戦を続行。
 最低でも三発の40センチ砲の直撃に、空母棲姫が突き飛ばされるように弾かれる。




「チッ……護衛ハイツマデ雑魚ニ手間取ッテイル!」

 単独での交戦は不利と空母棲姫は見る。
 すでに護衛に戻るよう無線を飛ばしているが、先行して白露型と交戦していた水雷戦隊はそこから抜け出せなくなっていた。
 手負いになっていても海風以下の白露型は粘り強く戦い、加えて一度は打ち破られたコーワン手勢の残存艦も戦線に合流していた。
 さらに途上には救援に向かうため別れた夕張がいて、結果的に途上で立ち塞がる構図になっている。
 ここに至って戦況は艦娘たちに優勢へと変わり始めていた。

「潮時ヲ読ミ違エタヨウネ……空母棲姫」

「……ドウカシラ? ドノ道アナタサエ沈メレバ……残ルノハ消耗シタ有象無象ダケ……」

 その言葉をコーワンは事実と認めつつも、強がりでもあると判断する。
 今にも崩れそうな均衡の中、両者は近づきつつあった。
 空母棲姫も距離を取ろうとしないのは、おそらく短期決戦を求めているためだ。
 すでに対地攻撃に始まり山城との交戦を経て、弾薬をかなり消耗しているはずで艦載機も甲板を損傷しているので空に上がっている分だけで打ち止めとなる。

 もっともコーワンも決着を急ぎたいという気持ちは強い。
 味方の勢力圏深くに敵主力である空母棲姫がいるのは大きな障害になる。
 それに一撃を受けただけで大きな損傷を被るので、これ以上の被害を受ける前に終わらせてしまいたい。
 次の直撃を扶桑の艤装が耐えてくれる保証はどこにもないのだから。

 互いに必殺の念を込めたであろう砲撃を放つ。
 コーワンの砲撃はすでに使用不能になっていた飛行甲板に飛び込んで、基部から砕いてみせた。
 跳ね上げられた破片が空母棲姫の頬や左肩を切り裂き、黒い血を吹き出させる。
 別の主砲は足元ではじけ、姫の足を明らかに鈍らせた。

 一方でコーワンにも再び艤装の左側に徹甲弾が命中。
 装甲を貫通して内部も砕く一撃は激しい衝撃を起こし、コーワンの体を一回転させながら後方へ跳ね飛ばした。
 かろうじて踏みとどまったコーワンは艤装の左側が完全に機能停止したのを悟る。
 三連装一基、連装一基の計五門の主砲は微動だにせず、明後日の方向を向いて沈黙していた。
 内部で砲弾が誘爆しなかったのは不幸中の幸いなのかもしれない。

「フフ……脆イワネ……ソレダケ主砲ガアッテモ……ソンナ紙装甲デハ!」

「甘ク……見ルナ!」




 互いに申し合わせたわけでもないのに、二人は出しうる速力で近づき始めた。
 コーワンが十五ノットほどに対し、空母棲姫も速力が衰えたとはいえなおも二十五ノットほどの速力を発揮する。
 主砲がすぐに使えずとも両腕は使える。密着しての格闘戦に入るつもりだった。
 どちらの姫もそのつもりだったが、コーワンはそれだけではなかった。
 近づきながら飛行甲板の端を右手で掴むと、そのまま全力で投げつけた。

「ナッ!?」

 目を見開く空母棲姫に飛行甲板が円盤のように迫る。
 砲撃よりは遅い。だが、それ故に大質量の鉄の塊が回転しながら向かってくるのが見えてしまう。
 そして見えてはいても、すでに回避できる状態ではなかった。
 空母棲姫は左腕を盾代わりにして甲板を弾こうとする。
 受け止めた甲冑部にみしりと衝撃が走るのが重い音で分かる。
 肉を切り骨も断つような飛行甲板を、空母棲姫は必死の形相で弾き落とす。

「バカナノ、アナタ!?」

 空母棲姫が叫んだ時には互いの距離が十分に近づいていた。
 どちらも打撃の体勢に入っている。
 艤装の速度に乗せて、引いた右腕を相手へと捻りこむように突き出す。
 二人の姫の動きが重なる。同時に繰り出した右腕が激突しあい二人を弾き返す。

「グウッ!」

 飛行甲板を投げつけて気勢を削いだにもかかわらず、深手を負ったのはコーワンのほうだった。五指を砕かれ裂傷による出血が迸る。
 空母棲姫も強烈な痛みを感じこそすれ、コーワンに比べれば傷は浅い。
 その差で空母棲姫が先に立て直し、コーワンへ主砲を向ける。逆にコーワンは主砲を構えさえできていない。
 コーワンが撃たれるのを覚悟した瞬間、空母棲姫は砲撃の体勢を解くと同時に急速転蛇を行う。

「雷撃ダト!」

 いつの間にか接近していた雷跡に勘づき、いち早く気づいて射線から逃れる。
 その背に小口径砲による砲撃が撃ち込まれていく。

「アノ小娘カ!」

 空母棲姫が真っ先に思い浮かべたのは白露だったが実際は違う。
 姫が振り返るよりも速く、その背に組みついたのは春雨だった。
 コーワンとの戦闘に気を取られすぎて春雨の接近に気づいていなかった。




「油断しましたね!」

「ワルサメカ……離セッ!」

「あの雷撃を避けるなんて……でも、こうすれば身動きは!」

 春雨は空母棲姫を羽交い締めして抑えつけようとする。
 本来ならいかに不意を突いたところで姫の力には敵わないが、左腕を負傷した上に消耗しているとなれば話は別だった。

「コーワン! このまま撃ってください!」

 春雨が叫び、体勢を立て直したコーワンも残る主砲の照準を合わせる。
 しかし狙いを定めてすぐ、このままでは撃てないと思った。
 姫に密着している春雨まで巻き込んでしまう可能性が高いからだ。
 コーワンのそんな気持ちを察してか、春雨の声が飛ぶ。

「構わず撃って! 空母棲姫はここでなんとかしないと!」

「道連レニスルツモリカ……ワルサメ!」

「ワルサメワルサメってうるさいんです、あなたは! 私は春雨です! ワルサメの気持ちなんか分かりません!」

 一息に叫ぶ春雨を見て、コーワンも撃つしかないと覚悟を決める。
 少しでも春雨を巻き込みにくくしようと主砲の狙いをやや下に下げつつ、改めて照準を固定する。
 この艤装本来の持ち主である扶桑ならばどうするのか。コーワンの頭にふと過ぎる。
 答えは出なかった。仮にコーワンと違う選択をしたとしても、今のこの場にいるのはコーワンだった。

 発砲の前にコーワンは春雨と目を合わせる。
 せめて命中の直前に拘束を解いてでも、後ろに下がってほしい。そう願いながらコーワンは主砲を放った。
 右舷側の五門が火を噴くと、ほとんど時間差というのを感じさせずに着弾する。
 近距離で、しかも固定目標とほぼ変わらない相手であれば外すはずもなかった。

 二発が空母棲姫の艤装に直撃する。一発は装甲に阻まれ弾かれたが、もう一発は主砲の根本に直撃する。
 下からはね上げられたように主砲が浮き上がり、そして付け根から火炎を生じさせた。
 残る三発は空母棲姫の体を直撃し、特に腹部に続けて二発当たったのが大きい。
 一発だけなら耐えた可能性も高いが、姫の甲冑を砕いて深手を与えていた。
 春雨は最後まで空母棲姫の動きを押さえ込もうとしていたが、弾着の衝撃に後ろへ跳ね飛ばされていた。
 そして空母棲姫は膝から崩れるように海面へと倒れ込んだ。

 コーワンは溜め込んだ息を吐き出すと、空母棲姫を警戒しながらすぐに春雨の元へと向かう。
 さしもの空母棲姫と言えど、今のは致命傷になる。その確信こそあったものの、どうしても簡単に警戒は解けなかった。

「春雨……春雨……」

「つぅ……ちょっと痛いですけど大丈夫です……私のことより空母棲姫は……?」




 春雨の安否を確認するまでの間、空母棲姫はほぼ動かなかった。
 コーワンは春雨を起き上がらせると、ほとんど動かない空母棲姫へと近づく。春雨もその後に続いた。
 空母棲姫は大穴が開いたような腹部に右手を当てながら頭上を見上げていた。
 二人が近づくのに気づくと、弱々しくも笑ってみせる。

「ヨクモ……ヤッテクレタワネ……忌々シイヤツラ……」

「空母棲姫……」

「見エルワ……炎ガ全テヲ焼キ尽クシテイクノガ……赤ク、熱イ炎ガ何モカモ……ナメテ呑ミ込ンデイク……」

 どこか熱に浮かされたような言葉は不穏な内容で、春雨は眉をひそめる。
 すると空母棲姫はおかしそうに囁くような声で笑い出す。

「後悔スレバイイ……コノ世界ニ……オ前タチノ居場所ナンカナイ……全テ壊シテ自分タチデ築キアゲナイ限リ……」

「私ハ……ソウハ思ワナイ……」

 やんわりとコーワンは否定する。春雨の視線を横に感じながらコーワンは続ける。

「私ニハ何モ見エナイヨ……何モカモ……全テハマッサラナママ……何モ壊スコトナンテ……ナイノヨ」

 空母棲姫は答えなかった。
 瞬きを忘れたまま彼女は灰色の空を見上げている。
 コーワンの言葉が聞こえていたかどうかも分からないまま、空母棲姫の体はゆっくりと沈んでいく。

「居場所ならちゃんとあります……そして私は春雨です。春雨として生きて、春雨として死んでいく……きっとそれでいいんです」

 空母棲姫に、というよりも自身に向けて言うように春雨はつぶやく。

「……さようなら、空母棲姫」

 春雨は自らのベレー帽を姫の沈んだ辺りに落とす。
 彼女なりの手向けなのだろう。漂うベレー帽はやがて波に呑まれて消えていった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海とネ級、近距離で撃ち合っていた二人は共に砲撃が命中して体を打ち震わせる。
 被弾からいち早く立ち直ったのはネ級だった。
 衝撃を振り切るように海面を蹴ると、一気に鳥海との距離を縮めてくる。
 弱ってきているはずなのに、速力は未だ衰えを見せていない。

 鳥海も体をよろめかせながらも右側の主砲を向け直す。
 被弾数は相手のほうが多いのに、艤装が受けている損傷はこちらがより目立っていた。
 稼動する二基の主砲塔がネ級を指向する。このままだと懐に入り込まれる。

「この……止まって!」

 焦りを乗せた発砲よりもわずかに早く、ネ級は鳥海から向かって右へとさらに鋭く動く。
 そのわずかの差で砲撃が外れ、ネ級が左腕をしならせるよう伸ばす。
 第一砲塔の主砲のうち一つを掴むと、それをへし曲げながら身を引き寄せてくる。

「コレデ……捕マエタ……!」

 ネ級の目と目が合う。戦意に満ちた金色の瞳と。
 懐に入られてしまう――その瞬間を狙って鳥海は探照灯を放っていた。
 曇天とはいえ日中。それでもなお強烈な閃光がネ級の左目に突き刺さると、左目を抑えながら半狂乱の叫びをあげる。
 鳥海はのたうつようなツ級を振り払うと後進をかける。

「レ級に効くなら、あなたにも効くでしょう!」

 嵐さんと萩風さんの二人から夜戦での話は聞いていたので、あらかじめ懐に入り込まれそうになったら使うつもりでいた。
 これが通じるのは、この一回だけ。そしてネ級の主砲たちに通じないのも予測済み。
 後進しながら鳥海は一斉砲撃の構えを取ると、ネ級の主砲たちが射線を塞ぐように前へ出てくる。それも予想していた。
 こうなった場合は初めから主砲を狙い撃つつもりだった。

 もがくネ級の足は止まらなくても、辺りが見えていないせいか動きそのものは遅い。
 残る七門の砲撃が次々と主砲たちを直撃する。
 しかし主砲たちもただ撃たれているだけじゃなく反撃してきてくる。
 頭の近くを掠めた一発が探照灯を損壊させ、痛いというよりも熱い感覚が側頭部でうずく。
 破片がこめかみを裂いたらしく、出血しているのを肌に感じる。ただ、それを気にかけてる場合じゃない。

 再装填を済ませて追撃を行うも、主砲たちはなおも盾のようにネ級を守っていた。
 二度も斉射をもろに受ければ無事では済まない。
 それでもネ級を守ろうと鎌首をもたげている。





「もう抵抗しないで!」

 きっとそれはできない相談だ。分かっているのに、そんなことを言ってしまう。
 そこで気づく。主砲の陰になっていたネ級が右目にも手を当てている。右は甲殻に覆われて見えないはずなのに。
 何を、と思う間もなくネ級の右手が爪を立てて目を掻きむしりだす。
 違う、そうじゃなくて……張りついた甲殻を剥ぎ取っていた。

「アアァァアァ!」

 叫び。そして覗く。真紅の眼差しが白日の下に。
 久々に目の当たりにするだろう光に、ネ級の赤い瞳が四方へと忙しなく動く。

「見えてるの? それとも……」

 どの道、開けたばかりの目に光の刺激は強すぎるのかもしれない。
 変わらず鳥海は砲撃。そしてネ級の反応も直前までとは違う。
 主砲たちがを狙った砲撃に対し、ネ級は両腕を振り上げるように前へ突き出す。
 そうして両腕を駆使して砲撃をはたき落としていく。

「グゥ……コレ以上ハサセナイ……!」

 自身の手が傷つくのを厭わず、主砲を守るための動きだった。
 そのネ級は右目からにじんでくる黒い涙を拭うと、光を直視した左目も開く。
 金と赤、二つの目。その姿を目の当たりして、鳥海の体を悪寒が虫のように這い上がっていく。
 危険を感じた。手負いの相手が手強くなるのは、自分自身でよく分かっていたから。

 ネ級が横に動き出す、と同時に砲撃を放ってきた。
 すぐ後ろに一弾が落ちると足元が激しく揺れて、速度がいきなり落ちてしまう。
 スクリューを傷つけでもしたのか、不必要に水をかきながらも空回りしてるのが聞こえる。
 こちらの反撃もネ級に届かず、遅れて着弾していく。

「回頭が重い……もっと速く動いて……!」

 ネ級の速度が上がったわけじゃなくて、私がネ級についていけなくなってる。
 損傷を受けてない状態でも苦しかったのに、今は損傷による影響が如実に表われていた。
 多少は距離を取り直せたけど、これではすぐに近づかれてしまう。
 しかしネ級は少しずつしか近づいてこない。

 そうしないのは警戒しているから、だと思う。
 三式弾は弾切れ、探照灯ももう壊れて使えないけど、他にも何か隠していると考えてるのかも。
 だけど不意を突けるような装備はもう残ってない。
 あるのは純粋な実力。結局、最後はそこを競うしかない。




「今度コソ……」

 ネ級が呟くのが見える。動きが遅れてる以上は些細な挙動も見逃すわけにはいかず、よく見ていたから。
 彼女の動きは円そのものだ。速度差が大きくなり、振り切れない鳥海は相対的に中心点になる。
 砲撃を避けて時に針路も切り返しながら、少しずつ円を狭めてきていた。

 ネ級とて余裕がないのは明らかだ。
 肩を上下させて呼吸し、その息も荒くなっていた。
 砲撃を防いだ腕からは体液が漏れ出すように流れ続けているし、主砲たちも損傷がひどくて、うな垂れていた。
 元から継戦能力が低い可能性は指摘されている――残弾も少ないのか、鳥海が手負いなのに追撃をかけてきていない。

 ネ級の機動に振り回されるようにしながらも、鳥海は主砲の照準を合わせようとし続ける。
 彼我のおおよその距離と速度差を考慮すると、こちらももう無駄弾は撃てない。
 次発装填が間に合うかどうかは怪しく、下手に砲撃すると無防備になってしまう。

「一体どちらが有利なんでしょうね……」

 聞こえて構わない、と思いながら独り言を口にする。
 使用できるのは左の連装ニ基と右の連装一基を合わせて六門……それと片側を潰されているけど右の一門一発もあるから七発撃てる。
 一発当てれば倒せる、と言えないのが辛いところだった。
 それでも当てれば状況が大きく変わるのも確か。大事な一発になる。

 互いに手を出せない睨み合いが続く内、ネ級の荒い呼吸がにわかに穏やかになり双眸も心なしか光る。
 仕掛けてくる、とそう思わせる息遣いだった。
 搦め手が残されてないと踏んだのか、ネ級が姿勢を低くして左手側へ加速する。
 鳥海がネ級を視界へ捉え直すと、それを見計らったようにネ級が海面を打ちつけ逆へと体を急転回させる。
 左から右。フェイントを交えた動きに、ネ級の姿が鳥海の視界からごく一瞬とはいえ消える。

 こうも機動力が落ちていてはネ級の動きについていけない。
 だけど火力の落ちている右舷側から仕掛けてくるのは読めていた。
 浅く息を呑みつつ鳥海は右側の三門を即時射撃。ネ級の正確な位置は確認できないままでも撃つ。
 鳥海の視界がネ級を再び見据えた時、ネ級の左腕が火花を散らしながら砲弾を防いでいた。

「弾いたというより……!」

 あれは防ぐために左腕に当てるしかなかった、という風に映る。
 直撃を防いだネ級だけど、加速の勢いを殺がれて右手が海面を掴もうとするように掻く。転ばないように足踏みをするような、そんな動き。
 間に合った。回頭が進みながら左舷側の二基を向ける。
 照準も合わせる……もう外しようのないほど近い距離だった。
 金と赤のオッドアイと目が合う。複雑な感情が浮かんでいる、様な気がした。一瞬では読み取れない深い色が。
 ネ級は海面を叩く。間に合わないと分かりつつも進むしかない、とでも言うように。




「鳥海……!」

「あなたとの因縁も!」

 これまで……そのつもりだった。
 急に胸元が熱くなった。
 何が、という疑問を無視できずに主砲の発射が遅れてしまう。
 熱の正体はお守り代わりの司令官さんの指輪だった。そんなはずないのに、そうとしか思えなかった。
 自ら熱を発するような指輪は何かを訴えかけているようだった。
 どうしてこんな時に? 何かを言いたいんですか? 止まれと言うんですか?

 ……確かにそうしたほうがいいのかもしれない。
 刹那、そんなことを考える。
 それまでの執着も忘れて、ネ級と戦っているということさえ重大事でなくなってしまったように。

 そうして鳥海は機を逸した。渾身の力で飛びかってきたネ級に掴みかかられる。
 押し倒す、という言葉では生易しかった。
 ほとんど衝突と変わらない接触に、二人の体はもつれ合うように海面にぶつかり跳ねていく。
 波を砕きながら、下側になった鳥海の艤装も一緒に壊されていく。
 背中に刺さる痛みに耐えつつ舌を噛まないようにするのが、その間の鳥海にできる唯一のことだった。

 何度も海面に激突してから、ネ級が馬乗りになったまま二人の衝突も勢いを失い止まる。
 先に動いたのはネ級で、傷だらけの主砲たちが両顎を開いて伸びてきた。
 それまでの想いとは別に、もっと現実に差し迫った恐怖が押し寄せてくる。
 艤装ごと両腕に噛み付こうとするのを見て、鳥海は両腕を艤装から抜こうとして右だけが間に合う。
 右の艤装、そして左舷は腕ごと万力のような口が噛みつく。

 このままやられる。
 なのに、ネ級はすぐに動かなかった。ここまでしておきながら、私を見ながら何故か硬直している。
 理由は分からなくとも、抵抗するならもう今しかない。
 鳥海は首を狙って右腕を振り上げようとするが、我に返ったネ級がそれより速く動く。
 ネ級の左手が鳥海の右肩を押さえ込み、右手を軽く掲げた。
 しかし、ネ級は右腕をそのままに見下ろしてくる。

 ……私は最後の最後で負けたんだ。
 互いに息が上がり、言葉もないまま見つめ合う。傷だらけで黒く濡れたネ級の両手は温かい。
 考えてみれば、こうしてネ級の目を間近で見るのは初めてだった。そして、これが最後になる。
 沈黙という均衡を破ったのはネ級で、語気を荒げて聞いてくる。

「ドウシテダ! 撃テタノニ撃タナカッタ……オ前ノホウガ速カッタノニ……!」

「どうしてでしょうね……私にもよく分からないんですよ」

「分カラナイ?」

 鳥海の答えにネ級は驚いたように見つめ返す。
 あの時は撃ってはいけないと間違いなく思った。
 ただ、あの瞬間の確信めいた気持ちは説明できそうにない。私自身に答えようがないのだから。




「ここまでのようね……あなたは本当に強かったわ」

 この敵は強い。だからよくやった、なんて慰めにもならないのは分かってる。
 それでも、こんな時に湧いてきたのはネ級相手なら仕方ないという思いだった。
 いつか投げやりになった時とは違う、純粋な賞賛……なんだと思える。

「何ヲ……言ッテイル?」

「私の番が来た……きっと、そういうことよ」

 ネ級は押し黙ってしまうと、目を丸くするようにこちらを直視している。
 かといって、こちらを抑える力は強い。

「……やりなさい。私だって、ずっと精一杯やってきたんだから」

 体の力を抜く。
 もし司令官さんが健在なら、こんな風には考えなかったのかもしれない。
 もっと生きて抗おうとしたかも。でも、いいですよね。
 だから。だから怒らないでくださいね。

「……あなたならいいよ、諦めがつくもの。仕方ないわ」

「ソウイウモノカ……」

「私はたくさん壊して、たくさん奪って、大切な人もなくして……これが最後の帳尻合わせよ」

 ネ級に向かってほほ笑んでいた。
 私同様に、彼女もまたこの戦いに死力を尽くしていたのは傷の具合を見れば分かる。
 そんな相手なら悔いは……ない。きっと。

「司令官さんを失くしたあとでも戦って、重巡棲姫の最期だって見届けたのよ? 十分よ……私は十分に武勲を果たしたもの」

「ダカラ……モウイイノカ……今日ハ……死ヌニハイイ日カ……?」

 問いかけの意味は分かるけど、その答えまでは私にだって分からない。
 そんな彼女に否定も肯定もしなかった。
 ネ級は油断なく私を抑えてはいるものの、表情はどこか穏やかに見えた。

「私をここで沈めるんですから……ネ級は私よりも長く生きてくださいね」

 ネ級が戸惑ったような顔をする。私自身も予想外の言葉だった。
 彼女個人に恨みを持ってないのは確かだから、それがこんな言葉を引き出させたのかもしれない。




「ナラバ終ワリダ……鳥海……私ノ特別ナ……」

 沈黙をどう解釈したのか、ネ級が掲げたままの右手を握っては開く。
 首を絞められるのか胸を潰されるのか。
 少しだけ想像して、すぐに考えるのはやめた。

 代わりに浮かんだのは摩耶の顔で、高雄姉さんに愛宕姉さん、島風に木曾さんと顔が入れ替わっていく。
 摩耶と姉さんたちは悲しんでしまう。島風もきっと。木曾さんはたぶん怒る、そんな気がした。
 もう会えないんだ。それはとても……。

「やだ……やっぱりやだ……」

 覚悟は決まってたはずなのに。いつかこうなるって分かってたはずなのに。
 みんなの顔を思い出してしまう。
 白露さんやヲキュー、伊良湖ちゃんたちトラック泊地の仲間たち。
 さらに他の鎮守府に移っていった艦娘たちを思い出していく。
 頭を過ぎっていくこれが走馬灯なのかもしれない……そうして最後に司令官さんを思い出した。
 胸がずきりと痛む。何かがあふれそうな、切なくなるような痛み。

 最初に忘れてしまうのは声だという。次に顔。最後が思い出。
 まだ何も司令官さんを忘れてない。でも、いつかは忘れてしまうのかもしれない。
 ……もうそんな心配しなくていいのに。いつかは来ないのだから。

 そう、これで最期なんだ。
 司令官さんはどんな気持ちで最期を迎えたんだろう。
 それとも何かを考える余裕もなかったのかも。
 分からない。分からないけど私も司令官さんと同じように……消えてしまう。

「こんなところで……」

 どうしよう、死んでしまうのは怖くないはずなのに、すごく悲しかった。寂しかった。
 大切なものをなくして、それでも私はまだ生きていたい。
 沈んだら忘れてしまう。忘れられてしまう。もう誰にも会えなくなってしまう。

「私はまだ……! まだ!」

 ネ級を跳ね除けようと暴れる。
 力を込めるとネ級もそれ以上の力で押さえつけてきた。
 無言で歯を食いしばる顔が見える。
 力比べで敵わないのは分かっている。だから、ああして覚悟を決めてしまったのに。
 それでも生きてる内はもがく。そうでもしないとやり切れない。




 突然、右腕が自由になる。押さえつけていた腕が力をなくして離れていた。
 ネ級を押し返そうとして気づく。ネ級は目を見開いて驚愕した顔で鳥海を見ていた。
 呆然とも言える顔に、鳥海の腕も思わず止まる。
 鳥海は自分を見るその視線を追う。胸元。銀の輪が傷んだ服の上に飛び出している。
 もがいた拍子に司令官さんの指輪が飛び出してきたらしい。

「ナンダ……ソレハ!」

 ネ級が苦悶の声を発する。両手で頭を抑えて、今だったら簡単に振り落とせそうだった。
 しかし普通ではない様子に、鳥海はあえて指輪を突きつけるように手に取る。

「これは司令官さんが遺してくれた指輪です! 私たちを確かに繋いでくれた!」

「指輪……ダト!? ソンナモノガドウシテ……!?」

 叫んだネ級はそのまま頭を激しく振る。
 何かを否定するように――あるいは追い出そうとしているように。

「私ハオ前ナンカ知ラナイ……知リタクナイ……!」

 ネ級が鳥海の体から飛び退くと、よろめくように後ずさっていく。
 鳥海も遅れてふらつきながら立ち上がろうとする。
 艤装はかろうじて機能し浮力や電力は生きているものの、損傷は甚大で戦闘行動に耐えられる有様ではない。

 ネ級は完全に無防備になっている。砲撃できるなら格好のチャンスだ。
 もっとも今の鳥海にネ級を撃つという気持ちは霧散していた。
 震えながらネ級は黒い血を流していた。血の涙を。

「チョウ、カイ」

 名前を声に出す。響きを、言い方を確認するようなたどたどしい言い方。
 そして鳥海は感じる。自分の鼓動が高鳴るのを。

「司令官さん……?」

 それまでネ級からは一度も感じたことのなかった面影。
 頭を抑える指の間から覗く金と赤の眼。
 それは間違いなくネ級の両目なのに、その奥から提督の気配を感じる。

「何ヲシタ……私ハネ級ダ……ソレ以上デモ以下デモナインダゾ……」

 絞り出される声は惑い、怯えたように弱々しい。
 立ち上がりかけた鳥海は息を呑む。どう声をかけていいのか迷った。
 ネ級がたじろぎ、目元に涙を溜めて沈痛な表情を浮かべたまま鳥海から背を向ける。

「モウ無理ダ……オ前トハモウ……!」

「待って! 行かないで!」

 手を伸ばしても届かない。鳥海は何も掴めなかった腕をそのままに海面に倒れて、波に翻弄される。
 艤装はとうに限界を迎えていた。
 ネ級は鳥海から離れていく。その背に向けて手を伸ばし続けるが、ネ級はもう振り返らない。

「待ってよ!」

 呼び止める声が波間に消えて、鳥海は悔いを抱く。
 あのネ級が提督ではなくとも手を掴まなくてはいけなかった。敵という関係は抜きにしても。
 だから提督の指輪が反応したに違いない。そう鳥海は強く思う。
 それだけに何か大切なものがまた滑り落ちていくのを感じた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 溢れる。何かが抑えきれなくなっている。
 あの指輪を見てからというもの、鳥海の赤い瞳が濡れているように見えてしまう。
 胸も痛い。撃たれるのとはぜんぜん違う種類の痛みだった。
 私は狂ってしまうのか。
 海上を逃げ惑うように走っているのだから、やはり狂ったのかもしれない。

 ツ級の言う通りだった。あの艦娘の相手は他の誰かに任せてしまえばよかったんだ。
 そうだ、ツ級。ツ級はどうなった?
 ツ級の安否は分からず、その事実を意識すると胸が内側からじくじくする。
 これは今の自分を苦しめる感情に近い。
 近いのだが何かは違う。その差異をネ級は言語化できない。

 発端は鳥海の胸にあった指輪だ。提督が持っていた物だ。
 あれを見てから、私の中で変化が生じてしまった。

 ネ級である私には提督という人間の記憶が残っている。
 しかし、今まではただ記録を見ていたに過ぎない。
 提督という視点での記録。艦娘がいて、それにまつわる出来事をただ見ているだけ。
 だが、今はもう違う。
 
 記録に色がついてしまった。景色とでも言えばいいのか。
 淡々と流れる映像に、提督としての感情が混じってくる。
 記憶の景色が膨大な波になって、頭の中を押し流そうとしていた。

「提督ダッテ本当ハ……死ニタクナカッタ……」

 未来があると、そう信じていたのだから。
 提督の記憶の中で最も大きいのが、あの鳥海にまつわることだ。
 故に分かってしまう。提督が抱いていた気持ちが。
 感じてしまう。優しくて激しくて胸を衝くような、正体不明を。
 その全てをネ級は処理できない。生まれて日の浅い彼女にとって、それはあまりに大きすぎる感情だったから。

 押さえ込んでいては神経が磨耗する。発散させなければネ級は耐えられない。
 彼女は天に向かって吠える。
 口を開けば叫びは形となった。どうにもならない衝動に身を任せる。

「チョウカイ、チョウカイ! チョウカイィィィ! アアアアアアア!!!!!!!」

 知らなければよかったのに。あるいは思い出さなければよかったのに。
 もはやネ級にその区別はつかない。
 そして理解する。ネ級はもう元には戻れない。それまでの自分ではいられなくなってしまったのだと。
 ただ衝動に促されるまま彼女は啼く。
 獣の慟哭だけが彼女を保つ唯一の方法だった。




 終章に続く。


ここまで。というわけで次の章でラストになります。短いけどエピローグも入れたいけど、なんとかなるかな?
ものすごく遠回りやら時間をかけてしまいましたが、ここまで来てしまったのでもう少々付き合ってもらえればと思う次第です

乙です

乙乙、提督の自意識カモン

乙乙
大団円で終わると良いなあ



 私たちの望みは変わらない。過去も今も、きっとこれからも。


終章 空と海の狭間に


 トラック近海では正午を迎える少し前から、大粒の雨が鈍色の空より降りだしている。
 天候の悪化は予報されていたものの、一度振り出してからは急速に悪天候へと崩れていった。
 雨脚は強くなる一方で、所によっては雷すら観測されている。

 ほとんど嵐と変わらない天候に紛れて、艦娘たちは前線から撤退していた。
 トラック泊地の戦力は壊滅というほどに落ち込み、これ以上の継戦は困難と判断された。
 私たち艦娘に未帰還者は一人もいない。
 しかしコーワンに付き従ってきた深海棲艦たちは、四分の三に当たる十六名が戻らなかった。

 また艦娘も人的損失を免れただけで、ほとんどが艤装に大きな損傷を受けている。
 この身の負傷なら高速修復材を用いれば癒せても、艤装となれば話は別だ。
 予備の部品を使って修理しようにも、時間も人手も部品も足りなかった。

 最後まで空襲を逃れていた機動部隊も直接の被害はないものの、艦載機の損耗が激しいために空母陣はただの箱と変わらないという有様だ。
 たとえ艦載機が健在だとしても、この悪天候下では艦載機を飛ばせない。
 今となっては私たちに前線を維持する力は――ひいては泊地を守り抜くだけの戦力は残っていなかった。

 その一方で、深海棲艦に与えた被害では決して負けていない。
 空母棲姫、戦艦棲姫と二人の姫級を初め、多数の深海棲艦や護衛要塞を撃沈している。
 総戦力では今なお深海棲艦のほうが多いとはいえ、撃破目標である三人の姫級から二人を沈めているのは大きい。

『ホッポハ分カラナイ……ドウシテ傷ツケ合ウノ……本当ニ必要ナコトナノ?』

 泊地の全館、そして深海棲艦にも発信されているのは、たどたどしいホッポの声。
 ホッポは停戦のための話し合いを求めている。
 誰に言われるでもなく自分で考えたと思える呼びかけは続く。

『深海棲艦ハ艦娘トモ……人間トモ仲良クナレル……ダカラ……チャント話ソウ……怖クテモ……変ワッテイカナイト……』

 深海棲艦たちが応じてくるかは未知数で……そして私たちはうまくいかないのを前提に行動している。
 今なお戦闘は終息していないし、泊地では再出撃のための準備が進められている。
 各艤装の被害状況や艦娘の練度を考慮して、出撃するのは鳥海や摩耶といった一握りの艦娘だけだった。
 選抜された艦娘は修理に立ち会う者もいれば、限られた時間を使って休んでもいる。

 その中にあって鳥海と摩耶の二人はツ級と会っていた。
 収容されたツ級は捕虜として扱われ、今は監視付きで空き部屋に入れられていた。
 ツ級はベッドの上で膝を抱え、硬く口を閉じて鳥海にだけ視線を向けていた。
 摩耶は鳥海とツ級の顔を交互に見比べる。




「やっぱ似てるな……」

「血色なら私のほうがいいわ」

 素顔が露わになったツ級は、髪の長さや肌の白さという点を除けば鳥海と瓜二つだった。
 似ているとは聞いていたけど、ここまでとは思っていなかった。
 彼女は拘束されていない。そのための手立てがないためだ。
 もっとも、今のところは抵抗の意思がないのか大人しくしている。
 やがてツ級は打ちひしがれたように顔を下げる。

「鳥海……アナタガココニイルノナラ……ネ級ハモウ……」

「……ネ級は生きています」

 予想した答えではなかったからか、ツ級は赤い瞳を揺らす。
 少しだけ生気を取り戻した顔が急くように声を投げかけてくる。

「何ガアッタ……イエ……何ガアッタニセヨ……ネ級ハ生キテル……」

 ツ級は組んだ膝に顔を押しつけたので表情は分からない。
 しかし声音は心の底から安堵しているように鳥海と摩耶には聞こえた。

「ネ級が大事なんですね……」

 返事はなくてもツ級の反応で一目瞭然だった。
 ツ級は浅く顔を上げると、上目遣いに鳥海を見る。
 戦場であった時は敵愾心を向けられていたけど、今はそう感じない。

「私ハ……似テイルノ?」

「だから鳥海を狙ってたんじゃないのか?」

 ツ級の疑問に摩耶が手鏡を突き出す。
 映り込んだ自分の顔を見てから、ツ級は顔を背けてしまう。

「ネ級ハ……鳥海ヲ相手ニスルト変ワッテシマウ……ソレガ嫌ダッタ……」

「じゃあ……つまり、あんたはネ級のために?」

 ツ級は答えない。答えなくても、さっきの態度を踏まえれば正解で間違いなさそうと思える。
 鳥海ばかりを見ていたツ級は、ここで始めて摩耶と視線を合わせる。




「ダカラ……? アナタヤ……ソコノ二人ガ気ニスルノハ?」

「二人?」

 言われてツ級の目線の先を追う形で後ろを振り返る。
 すると立哨していた綾波と敷波が壁に隠れながら覗き込んでいた。
 二人は発覚に気づくとさっと隠れてしまう。
 別に隠れないで堂々と見ればいいのに。

 マリアナ組の二人も例に漏れず大きな被害を受けていた。
 再出撃の人選から漏れた二人は、こうして裏方としての任務に従事している。

「彼女たちにも思うところがあるんですよ」

 以前マリアナが襲撃された際に、もう一人の私は味方を助けるために囮になった末に帰らなかった。
 その時に助けられた中に彼女たちもいた。そしてツ級は奇しくも鳥海という艦娘に酷似している。
 となれば、彼女たちでなくても二人目の鳥海を知っていれば連想してしまう。
 ……実際のところ、関連はありそうに思えるけれど。

「自分ノ顔ヲヨク知ラナイ……知リタクナカッタカラ……」

「なんでまた?」

「私ハ艦娘ダッタ……ソレハ生マレテスグ……分カッテシマッタ」

「そいつは意外だな……前の記憶があったりするのか?」

 摩耶に対してツ級は控えめな動きで首を横に振る。

「理由ハ分カラナイ……ソレデモ私ハ艦娘ダッタトスグ理解シタ……」

「なんていうか……因縁ってやつか」

 摩耶が思わず、といった様子で呟く。

「ドウイウ意味……?」

「お前には鳥海、ネ級には提督の要素があって、そんな二人が一緒に行動してりゃさ」

「……仮ニ私ガ鳥海ダッタトシテ……ソウシテ何カト重ネルノハ勝手……デモ」

 私たちを見ていくツ級の目は真剣だった。

「私ハ……深海棲艦……ツ級トイウ名デナクトモ……ソレダケハ変ワラナイ……ソレハネ級モ同ジ」

 ツ級は断言する。迷いのような感情の揺れ動きは見受けられない。
 いくら同じ顔をしていても、その通りなんだと思う。彼女の出自がどうであれ、ツ級には彼女としての個がある。
 偶然、というにはとても皮肉な偶然だと思う。




「コノ後……私ハドウナル……?」

「さあね……あたしらの一存で決めることじゃないし。でも今は邪魔だけはしないでくれ。ホッポもさっきから言ってんだろ?」

 摩耶は頭の上で指を回して見せる。
 館内放送で流れるホッポの声は変わらず停戦を訴えていた。

『戦ウシカナイナラ……ホッポニ教エテ……ドウシテ仲良クナレルノニ……戦ッテルノ?』

「仲良ク……争ワナイナンテ……本当ニデキルト?」

「できないと決め付けるには早いですから……」

 口を出した鳥海にツ級は答えない。ただ決まりが悪そうにうな垂れた。
 いずれは深海棲艦とも違う交わり方ができる。その可能性は絶対にある。
 だけど、今はまだ戦いを軸にしないと深海棲艦たちとは関われない。
 想いや願いとは裏腹に。それもまた現実だった。

「鳥海……一ツダケ教エテホシイ……」

「……なんなりと」

「アナタハ……ネ級ヲドウシタイノ?」

 摩耶も視線を向けてくるのを感じる。
 これはもうツ級一人の疑問ではないということ。
 私の考えは決まっている。

「もし機会があるのなら言葉を交わして……彼女が何を考えて何を感じているのか。もっと彼女を知りたいです」

「戦ウシカナイ時ハ……?」

「その時は……受けて立ちます。彼女が戦うのを選ぶなら、この期に及んでその選択を無碍にするつもりはありません」

 次に戦う時は、ネ級がそうするしかないと決めた時。
 ツ級が言うようにネ級はあくまでネ級という深海棲艦であって、いくら面影が残っていても司令官さんではない。
 つらくないと言ったら嘘にしかならなくても、ネ級だってきっと迷っている。

「……気持ちを押しつけるだけが関係ではないでしょう?」

 迷った先の決断なら応えるしかない。望まない結果に繋がるとしても。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 長い夢を見ていたようだとネ級は思う。
 ネ級は気づいたら戦場を離脱して飛行場姫の側まで後退していた。
 自力で航行していたのは確かだが、どこをどう移動したかはよく覚えていない。
 それだけ自分を襲った衝撃は大きかった。

 弾薬の補給を済ませ、飛行場姫に戦闘の報告をすると現状を教えてもらう。
 もしかしたらと思ったが、ツ級は戻ってこなかった。私のせいだ。

 付近一帯に大雨が降り始めたのを契機に、戦闘は一時的に収束していた。
 後退する艦娘たちへの追撃はできていない。
 私個人はそれどころではなかったのだが、深海棲艦全体としても大きな混乱に見舞われていたからだ。

 前線にいた二人の姫――空母棲姫と戦艦棲姫の撃破が確認され、後方にいたはずの装甲空母姫率いる機動部隊も艦娘たちによる奇襲を受けた。
 これらのせいで指揮系統が乱れに乱れた。
 飛行場姫と奇襲を逃れてきた装甲空母姫の艦隊は合流し、今は雨に紛れてトラック泊地へと舵を取っている。
 そうしているとトラック泊地からある音声が傍受されるようになった。

「ホッポノ声……」

 飛行場姫はそう言うが、面識のない私にはもちろん知る由もない。
 まだ幼く聞こえる声は戦闘を中断するよう訴えかけていた。
 懇々と説く声は真摯だった。戯れ言などと無視しようという気にはならない……そう感じるのは姫の声だからかもしれない。

「戦ワナイ……アノ子ハソウ決メタノネ……」

「アルイハ……コウシテ戦ッテイルノカモシレマセン」

 思わず声に出ていた。
 しかし決して的外れではないと思う。この状況で戦わないと意思を示すのは、ただ戦う以上に勇気がいるのかもしれない。

「ナラバ……オ前ナラドウスル?」

 飛行場姫に問われる。
 こんなことを私に聞いてしまうぐらいに迷っているようだった。
 他の姫ならいざ知らず、彼女は深海棲艦すら巻き込む艦娘との交戦そのものに疑問を抱いている。

「モウ終ワリニシマショウ。コレ以上ハ意味ガナイト……姫ナラ分カルハズデショウ」

 そもそも始めに停戦を持ち出したのは飛行場姫だ。
 状況が変わったにしても、その提案が今になって甦ったと考えればいい話でもある。




「……アナタハ純情ナンダ。守ル立場ヤ状況ガアル一方デ……ソレヲ脅カス側ニナッテシマッタコーワンタチモ気ニカケテイル」

 言葉が自然と滑り出していく。
 似つかわしくない、と頭の片隅で感じるが思考に歯止めが利かない。

「深海棲艦ヲ守ロウトイウ目的ガアッテ……ソレトハ別ニコーワンタチヲ助ケタイト思ッテイル。タダ……アナタトコーワンノ理想ハ異ナル……ダカラ行動モ噛ミ合ワナイ」

 飛行場姫は軽い驚きを表情に出していたが、すぐにそれを打ち消す。そのまま続けて、と姫は促す。
 熱に浮かされたように、考えが浮かぶなりネ級はまくし立てるように言う。

「アナタハ空母棲姫ヤ装甲空母姫ノヤリ方デハ……破滅スルト考エテイル」

 同胞や外部の存在を別のモノに変えながら、自分たちは変容するのを拒み続けている。そこに未来はないと。
 敵ばかり作って、逆に自分たちの首を絞めるような真似は承認できない。

 一方でコーワンたちにも同じような見方をしている。
 彼女たちは争いを避けるためでも人間を受け入れようとしている――見ようによっては人間になろうとしているのかもしれない。
 しかし、そんなことはできないとあなたは分かっている、私たちは深海棲艦だから。
 あるいは人間や艦娘により近づくことはできるかもしれない。
 ただ、その変化に疑問を抱いている。その変化は不自然かもしれない――そう考えて。

 だから、どちらにも否定的なんだ。極端に感じて、その方向性を危惧している。
 あなたは……風見鶏じゃない。あるべき形を見定めて、賢明に舵を取ろうとしているだけだ。
 変わること、変わらないこと。今と過去を見つめて、未来を模索する。簡単じゃない、苦しい道だ。

「――ダカラ私ハアナタヲ信ジル」

 そこまで吐き出すように言ってから、目が覚めたように頭の中が晴れる。
 話した内容は思い出せる。それが自分の口を通して出たのは間違いない。
 そして、あれは確かに私の……ネ級の考えだ。ここまで明文化できたのは初めてだっただけで。
 私の考えを提督の知識で言葉にした、とでも言えばいいのだろうか。

「饒舌ネ……今ノオ前ハ提督デモアルノ?」

 姫はほほ笑み、しかし目は笑っているとは言いがたい。
 私の奥底、真意を測ろうとしているようだった。

「……ソノ人間ノ記憶ナラ思イ出セマス。アナタヲ憎ンデイナイノモ」

 姫の頬が震える。殺した提督に対し、まだ思うところはあるらしい。
 元より隠し立てするような話ではない。

「アレガ私ノ考エナノカ……提督トシテノ考エナノカ……境界ハアヤフヤカモシレマセンガ……ソレデイイノダト思イマス……アヤフヤナ私ガ私自身ナノデショウ……」

 鳥海と接触したことで、私の内は何かが変わってしまった。
 その変化が私に艦娘との和解を促しているのか、今となっては艦娘とは戦うのは難しいかもしれない。
 鳥海に限ったことでなく、今まで交戦した艦娘の名前が分かる。
 提督が彼女たちと今までにどんなやり取りをして、どういう相手だと思っていたのかまで分かってしまう。
 すでに彼女たちは単なる敵ではなく――見ず知らずの相手とは呼べなくなっている。

「スデニ多クヲ失ッテイル……提案ヲ呑ムノモ悪イ話デハナイ……」

 飛行場姫は意を決したのか他の深海棲艦に向けて、停戦の話し合いに応じたいと通信を発する。
 聞き耳を立てると困惑のざわめきが広がるのを感じる。
 そうして来たのは装甲空母姫からの明確な反発だった。




『手ト手ヲ取リ合ッテイキマショウ? 面白クナイ冗談……』

 通信でも呆れてると分かる声が吐き捨てる。

『君ハ分カッテイナイ……我々ニハ敵ガ必要ナンダ。艦娘モソレハ同ジ……認メヨウガ認メナカロウガ』

「シカシ……コチラノ消耗モ想定以上……」

『敵ニモ余裕ハナイハズ……ミスミス勝チヲ捨テニ行クナド……トテモ受ケ入レラレナイ……」

「ソレハソウダガ……アノ島ニハホッポモイル……」

 そこで互いに沈黙する。相手の出方を窺うような間が続くが装甲空母姫が端緒を開く。

『コウシヨウ……継戦ヲ望ムナラ私ノ元ニ……停戦ヲ望ム者ハ君ノ元ニ……ソレゾレガ独自ニ動ケバイイ』

 装甲空母姫はこの局面でこちらが二つに割れるようなことを言い出すのか?
 早まってしまった? 姫を後押しすべきではなかったのか……それとも今起こらなくても、いずれはこうなったのかもしれないが。

「……分カッタ……ソレデイイ」

 飛行場姫が提案を受け入れると、二つの艦隊が入り混じるように大きく動く。
 装甲空母姫の側から移ってくる者もいれば、こちらの艦隊を後にしていく者もいる。
 それぞれの判断があるのは確かなのだろうが、やはりと言うべきなのか装甲空母姫側のほうが数は多い。

 姫の側で周囲を見ていると、ほとんどの護衛要塞が留まったままなのに気づいた。
 あれはどちら側だ。建造したのは装甲空母姫と言うが、それなら今も近くにいるのは不自然ではないか。
 轟いた砲声がその疑念が正しかったのを証明した。
 当たりこそしなかったが、飛行場姫が水柱に包まれる。
 誤射などではなく、おそらくは威嚇という意図を持っての砲撃。

「ドウイウツモリダ!」

「深海棲艦ト艦娘ハ言ワバ鏡……決シテ相容レナイ存在……ソレヲ容認シヨウトイウナラ……』

「認メラレナイカラ……撃ツノカ! コノママデハ衰退シテイクト……ソウ教エタノハアナタデショウ!」

『戦ウノガ全テ……コノ点デハ私モ沈ンデ逝ッタ彼女タチト……同意見ダヨ』

 なんだ、これは。ひどく嫌な予感がする。
 こんなことでは提案に応じるどころの話ではない。




『君コソ考エ直サナイカイ……停戦ナド……今ナラマダ気ノ迷イトシテ……』

「散々考エタ……二度トモダ……ソレヲ迷イナドト!」

 飛行場姫は一喝するように声を大にする。
 彼女は意志を曲げる気はない。それは確かだった。

『本気ナンダ……ソウナルト艦娘ダケデナク……君ニモ退場シテモラウコトニ……』

「フン……受ケテ立ツ……」

 最後通牒と言うべきやり取りだった。
 それまで名の通りに姫を守っていたはずの護衛要塞たちが砲撃をしかけてくる。
 命中精度はさほどだから被弾はしないが、装甲空母姫が本気なのは認めざるを得ない。

 応射を始めた飛行場姫が、要塞の一体を最初の砲撃だけで巨大な残骸へと変える。
 なまじ護衛など必要ないように思えてしまうが、ここで姫を消耗させるわけにはいかない。
 それに彼女一人を守っていればいい状況でもなかった。
 ネ級は飛行場姫に接触して、肩を抑えるようにして言う。

「姫ハスグニ下ガッテ……味方ヲ呼ビ寄セテ!」

「何ヲ……アノ程度ノ敵ナド……」

「アナタナラソウデショウ……シカシ姫ガココニイルト……他ノ者ガ敵味方ノ区別ガツカナイママ戦ウ羽目ニナル……」

 姫同士が戦い始めた以上、深海棲艦同士の衝突も他で起こり始めている。
 乱戦ともなれば同士討ちの恐れはあるが、今はそれよりも性質が悪かった。
 自分以外は全て敵と疑わしい状態で放置されている。

「姫ガ下ガレバ同調シタ味方モ……アナタヲ守ルタメニ後退スル……」

「……全滅ヲ防ゲト言イタイノカ?」

「姫ハ生キルベキダ……イエ、我々ノ多クガ生キルベキ……デショウ」

 決断は早いほうがいい。
 こうなった以上、飛行場姫に賛同する深海棲艦が彼女まで辿り着けるかは怪しい。
 それでも疑心暗鬼のまま、闇雲に戦うよりも生存率は高くなるはずだ。




 飛行場姫はこちらの意を汲んでくれたのか、反撃をしつつも後退を始める。
 同時に賛同する者たちにも姫を守るよう命令の通信を飛ばす。
 これでいい。ネ級も自身の判断で動くために飛行場姫から離れていく。

「待テ……オ前ハドウスルツモリダ……」

「……時間稼ギヲシマス。味方ノ後退モ支持シナイト……」

 敵となった深海棲艦の内訳は分からないが、おそらくはレ級たちも装甲空母姫側にいるはずだ。
 あれが牙を剥くとなると碌なことにはならない。
 こうなれば少しでも多くの味方を助けるために動く。
 私の記憶の中では、と前置きする。

「提督ガ……艦娘ニコウ言ッテイル。仲間ノタメニ命ヲ使エト……私モソレニハ同感デス」

 そして飛行場姫もまた言っている。

「迷ッタ時ハ……御身ヲ第一義トシテ考エヨト……ソノ通リデス……アナタヲ守ルノガ私ノ指標デス」

 守るというのは何もそばにいることだけではない。繋がる行動であるなら離れていても、なんら問題ない。
 私は提督と混ざった自分の意味や深海棲艦の存在理由を知らないままだ。
 だからこそ姫には示してほしい。コーワンとも空母棲姫とも違う道を……この先に何があるのかを。

「……行ケ。オ前ヲ縛ルモノハナイ」

 姫の言葉に背を向けたまま頷く。
 動き出した歯車は止まらない。あるいはそう……賽は投げられた……提督ならそう言うのだろう。
 ネ級は主砲たちに声をかける。

「イイナ……オ前タチ。護衛要塞トソレニ同調スルヤツガ最優先……次ニ逃ゲルノヲ狙ッテ追ッテクルヤツ……ソイツラガ今カラ私タチノ敵ダ」

 これなら同士討ちの危険はかなり減らせるはずだ。
 厄介なのは自分を狙ってくるのが、本当に敵とは限らないということ。
 そしてもう一つ……艦娘すらろくに沈められないのに、同じ深海棲艦相手に戦えるだろうか。
 過ぎった不安を払うように主砲たちが短い声で何かを鳴く。

「励マシテクレルノカ……? イイ子タチダ……」

 撫でるように触ってやると、応えるように声を返してきた。
 ツ級を喪ったが、まだ私には仲間が残っている。




「……アリガトウ」

 他にこの気持ちを表現する言葉は知らないが、それでいいのだろう。
 進んでいくと雨風が頬を打つ。黒々とした雲から雨粒が音を立てて落ちている。
 急に理由のない苦しさが胸に広がった。

 きっと私は今日沈む。魂が天に昇るのだとしたら、体は海へと還っていく。
 そして今の私はどちらでもない……空と海の狭間にいる。
 まだ生きているから。だが、それも時間の問題だ。

「……ククク……私ハ愚カダナ……」

 面白くもなんともないのに、そんな笑い声が自然と出てしまう。
 提督も決して短くない期間、こういった笑い方をしていた。
 自虐や戒めに近いようで、それ以上に何かを忘れたくがないための行為だったようだ。
 理由までは分からないし、どうしてやめる気になったのかは分からない。
 ただ、そうしたくなる気分というのは、今の私になら少しぐらいは理解できる。

 沈むかもしれない。そんなのは今に始まった話ではない。
 予感は予感でしかなく、気にするのは無駄だ。沈むとしても姫のために戦うのは魅力的でもある。
 ならば、やるまでだ。私はネ級だ。ネ級らしく戦ってみせる。

 ふと鳥海を思い出す。
 提督の記憶としてではなく、生死を賭けて鎬を削った鳥海を。
 私の特別な敵……今はどうだろう。特別ではあっても敵ではないのかもしれない。

「モウ一度グライ……アイツニ会ッテミテモイイナ」

 会ってどうするだとか、何をしたいだとかはない。
 ただ純粋に会ってみたかった。
 そして、これもきっと叶わないのだろうとネ級はどこかで思う。


ここまで。今回も乙ありでした
区切りを考えると、エピローグ含めて残り二回か三回で完結まで持ってく予定です
自分の書いたり打ち込むのが想定以上なら二回で、おっそいなら三回とかそんな具合に



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 篠突く雨を浴びながら木曾は天を仰ぐ。
 まだ雨が降り出す前、別働隊として動いていた彼女たちは敵機動部隊への奇襲を成功させている。
 ヌ級の半数以上とその護衛を海の藻屑へと変え、彼女たち自身は誰一人として沈まずに追撃を振り切っていた。

「恵みの雨ってやつかな。とりあえず、これで空襲の危険は減ったな」

「っていうか、単に捨て置かれてるだけな気がしない?」

 北上姉は雨に打たれながらも、何食わない顔で応える。
 ただし艤装の上部は根こそぎ消失し、衣服の所々に煤けた焦げ跡がついている。

「北上さんを軽んじるなんて生意気な敵ですね!」

「いやいや、こんなとこで空襲されたら一たまりもないだろ……」

 妙なところで怒る大井姉に、ため息を自然とついてしまう。
 とはいえ、こういう窮地でもマイペースなままの姉二人がいると悲観しすぎないで済む。

 追撃を凌いだとはいえ、彼女たちとて無傷ではない。
 木曾とヲキューの二人が軽傷で済んだだけで、他の四人は損傷が大きく護衛が不可欠な状態だった。
 現在は十五ノットで戦線を離脱するために南下している。

「んー、まあ冗談抜きで相手にされてないんだと思うよ。深海棲艦もそれどころじゃないだろうし。だよね、ヲキュー?」

「……ウン。空母棲姫ト戦艦棲姫ガ沈ンダミタイデ……ソコデホッポノ通信デ二ツニ割レタミタイ……」

 ホッポの通信は内容も含めてこっちでも把握している。
 揺さぶりになるとは思ったが、まさか分裂するとは予想してなかった。

「うぅ……装甲空母姫に手出しできてれば……」

 リベが悔しそうに口を尖らせると、すかさず大井姉が口を出す。

「たらればの話はやめておきましょう。少なくとも敵機動部隊に大きな痛手を与えた。そこは確かなんだから」

「最高ではないでしょうけど十分に責任は果たしてる……そういうことよね」

「そーいうこと」

 天津風も同意を示すと北上姉さんも相槌を打つ。
 確かにそうなんだろう。俺たちは奇襲して成功した。敵を沈めて俺たちは沈んでない、大成功だ。
 限られた戦力に投機的な作戦ながら大きな戦果を挙げている。

 それでもリベの言いたいことも分かる。
 もし装甲空母姫を仕留められていれば、この時点で交戦は終わっていた可能性もあるんだから。




「スマナイガ……私ハ指揮カラ外レサセテモラウ……」

 木曾が振り返った時には、ヲキューは減速して隊列から置いていかれていた。
 明らかな異常事態に問い詰める。

「どういうつもりだ」

「アノ方ノ……飛行場姫ノ危機ヲ見過ゴセナイ……」

「だからって勝手なことを!」

「分カッテイル……デモ彼女ナクシテ停戦ハ成立シナイ……」

 木曾は止めようにも止める手立てがないと察してしまう。
 この中でヲキューに追いつける足を持ってるのは自分だけ。
 ヲキューが本気で離脱するのを止めるには実力行使に出ないといけない。が、そんなのは本末転倒だ。
 それにヲキューの言い分も内心では肯定していた。

「ちょっと待ちなさい。あなた一人でどうにかできる話じゃないでしょう」

 大井の声も飛ぶ。教練でよく見せる叱りつけるような声。

「確カニ……シカシ泊地モ動クハズ……ダトスレバ付ケ入ル隙モ……」

「……別に一人だけでやることはないだろ」

 気づけば、そう言っていた。
 この発言に一同の耳目が集まるのを感じる。

「まだ戦いは終わっちゃいない。行くなら俺も……」

「木曾まで何言い出すの!」

「俺が姉さんらを守らなきゃいけないのは分かってる……」

「そこなんだけどさー。このまま襲われたら、たぶん守りきれないよね?」

 口を挟んできたのは北上姉だった。
 それはないと木曾には言い切れない。
 ごく少数の敵ならともかく、統制の取れた艦隊や航空隊に襲撃されたら自分の身を含めて全員を守り抜く自信はなかった。

「北上さん、何を……?」

「あたしはありだと思うよ。行っても行かなくても、どっちにしたってリスクはあるんだし」

 意外な助け舟に大井姉は口を開け閉めする。何か言い返したいのに言葉が決まらないと、そんな感じだった。
 すると北上姉はこっちを見てくる。

「行ったら行ったで木曾たちが身代わりになっちゃうかも」

「その逆もありえるだろ」

「まー、そういうことだね。共倒れも十分ありえるし。ヲキューは何言っても行っちゃうんでしょ?」

「ウン……」

 ヲキューは律儀というべきなのか、まだ近くで待っている。
 彼女なりの罪悪感があるのか、真意は分からない。

「こうなったらもうさ、二人ともやれるだけやってきなよ」

 北上姉はあっけからんと言う。
 本当にいいのか、とも思ったがヲキューについていくと言い出したのは俺だ。
 それに装甲空母姫の撃滅はやり残し、とも言える。




「正直、北上さんの言うことでも納得しきれないんだけど……」

 大井姉は頭痛でもあるかのように額を手で抑えている。
 実際こいつは頭の痛くなる話なんだろうが、それでも答えは決まっていた。
 嘆息混じりに大井姉は聞いてくる。

「本当にいいのね?」

「ああ。行く必要ありだ」

「だったら五体満足で戻ってきなさい。でないと球磨姉さんに殺されるわよ」

 戻らなかったら殺しようがないのに。と思ったけど、無事で済まないのはこの姉二人という意味かもしれなかった。

「……責任重大だ」

「そうと決まれば残しておいた魚雷、預けるわ。姫用に温存してたけど撃ちそびれてたのよ」

 大井姉がそう言うと天津風も手を挙げる。

「だったら連装砲君も連れて行って。少しでも助けは必要でしょ?」

「いいのか?」

「いいも悪いも。あたしたちは次の襲撃を受けた時点でアウトなんだから、動ける二人になんとかしてもらわないと」

「そっちを助けることにもなるか。了解だ、相棒を預からせてもらう」

「リベも何か……」

「気持ちだけで十分だよ。ありがとな」

「えっと……ボナフォルトゥーナ」

 健闘や幸運を祈るってところか。確認しなくても言いたいことは分かる。
 こうしてささやかな兵装の受け渡しをしている間もヲキューは佇んでいた。
 そんな彼女には北上姉が声をかける。

「あんたもちゃんと帰ってくるんだよ?」

「ン……」

 ヲキューは曖昧な声で、しっかりと首を縦に振る。

「よし、待たせたな」

「……気ニシテナイ。行コウ」

 木曾とヲキューは揃って転進した。二人とも護衛の時とは違い速度を上げる。
 たかが二人。されど二人。
 行く末はたぶん明るくはないが、しかし間違えてるとも思わない。

 この戦いは最初からずっと無茶ばかりだ。
 それをほんの少しの幸運と偶然とが味方をしてくれて、今の結果に至っている。
 だから、もう一回ぐらい巡り会わせを当てにしてもいいかもしれない。

 黒い雲から落ちてくる雨が顔や体を叩いていく。
 速度を上げてると感覚的にはぶつかっていくにも近い。
 涙雨、という言葉を思い浮かべる。
 泣けない者のために空が代わりに泣いてるのだとしたら、一体これは誰のための涙なんだろうか。
 そんな感傷を引きずりながら戦場に戻ろうとしていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海はトラック泊地から選抜された自身を含めた十名の艦娘と、支援要員として二人のイ級を伴い西進していた。
 彼女を旗艦とした選抜艦隊はトラック泊地に残された事実上の総力でもある。
 状況もそれまでから変転している。

 仲間割れを始めた深海棲艦たちは、交戦しながらトラック泊地へと近づきつつあった。
 元から無視できないにしても、脅威は確実に近づいてきている。

 その中で彼女たちに下された命令は、装甲空母姫とその一派の撃破。
 戦場で孤立している可能性が高い別働隊や、ひいては飛行場姫を救い出すことにも繋がる。
 飛行場姫は停戦に応じる意思を示していて、ここで沈めさせるわけにはいかなかった。
 一行は弱まってもなお体に張りつく雨の中を進んでいく。

「前の艤装なんて、また懐かしいもんを引っ張り出してきたなぁ」

 摩耶が感心したような声で鳥海の格好を見る。
 鳥海は改ニ以前の艤装を装備していた。
 両腕に連装二基の主砲を取り付けた姿は特徴的で、二人にも思い入れのある姿だった。
 もっとも服装は改ニ仕様の翠緑のセーラー服から戻していないので、見ようによっては違和感を覚えるかもしれない。

「本当にそうね。この艤装を使う機会が今になって来るなんて思いもしなかったわ」

 ネ級との交戦で改ニ艤装はほぼ全壊という有様だった。
 当然修理をしている余裕はまったくなく、そこで旧型艤装の再使用が提案された。

 改ニ艤装に切り替わってからは使用する機会もなくなっていたけど、そこはやはり正式な装備。
 定期的に整備されていたので、急遽引っ張り出されての使用にも不備は感じられない。
 もう少し時間があれば主砲だけでも改修した砲に換装できたけど、そこは高望みが過ぎる。

「使える物はちゃんと使わないと。元々、ボクらはこうしてやり繰りしてきたんだからね」
 人で、自身もまた同じように改ニ以前の艤装を装備している。
 そんな私たちに声をかけたのは時雨さんと同じ白露型の春雨さんだった。

「時雨姉さんも鳥海さんもあまり無理はしないでください。使い慣れててもぶっつけ本番なんですし性能だって改ニと比べたら……」

 春雨さんの指摘はもっともだった。
 いくら適した艤装でも、改ニ艤装と比すると性能面で見劣りしてしまうのは否定できない。
 それでも体に馴染む感覚は強く、不足があるなんて言う気はなかった。

「心配ありがとうございます。こうして赴く以上は力を尽くしますし、性能を言い訳にするつもりはありません」

「そういうことだよ。それと春雨こそ無茶はしないこと。この中じゃ一番経験が浅いんだ」

 時雨さんは春雨さんの実力を懸念しているのを隠さない。
 ただし、それは邪険にしているからではなく心配しているため。彼女の人となりを知っていれば自ずと分かる。
 春雨さんも私以上に分かってるのだろう、大きな動作で頷く。

「……それでも私は艦娘ですから戦い抜いてみせます。白露姉さんや海風たちの分も」

「そこだけ聞くと姉さんたちが無事じゃないみたいだ」




 時雨さんはおかしそうに、だけど控えめな鈴を転がすような声で笑う。
 白露さんたちは無事で、今回の出撃に当たって春雨さんに自らの艤装から使える部品を提供している。
 そういう意味で今なら春雨さんは白露型の集大成とも呼べるのかも。
 時雨さんは柔らかな顔つきのまま言う。

「戦い抜くより生き抜くって言ってほしいところだけど、今は及第点としておくよ」

「時雨が生き抜けって言うと説得力がありますよね!」

「君がそれを言うのかい、雪風」

 時雨さんの声がそれまでと左右反対へと移る。
 併走しているのは雪風さんで、所属は違うものの彼女の実力は折り紙つきだった。
 先の交戦で艤装を損傷させていたので、トラック泊地にいる三人の陽炎型から部品を交換しての出撃となる。

「不沈艦と謳われたお二人の力、頼りにしてますよ」

「雪風にお任せください! それに神通さんもいますし百人力ですよ!」

「ええ」

 雪風さんに話を振られた神通さんは、どこか気のない返事を寄こしてくる。
 どうにも、らしくないような。

「どうかされました?」

「深海棲艦の救援なんて……こんな指令を受けるとは思いませんでしたから」

 おそらくは正直な気持ちを神通さんは口にする。

「深海棲艦同士の潰し合いなら放置してしまえ、とも考えてしまいます」

「ううん、変な感じがしちゃうのは確かですよね」

 雪風さんも同じように同調すると、どこか苦笑するように神通さんは続ける。

「こう言ってはなんですが作戦や目的に不服はありません。ただ……いくら話に聞いていてもなかなか……」

「まあ、あたしらもワルサメから始まって色々あったから。いきなり信用なんてのは、さすがにできないって」

 摩耶が答え、私も内心で同意する。
 艦娘でくくっても、やっぱり認識の違いは生じてしまう。

「つまり話せば分かる、ということでしょうか? 私や雪風にはそう言った機会がありませんでしたが……」

「それなら今度ゆっくり話してみてください。彼女たちは……意外と普通です」

 摩耶に代わって言葉を引き継ぐ。
 深海棲艦と本当に和解する道を模索するなら、そして成ったあとでも維持しようとするなら、そういう接触はどんどん必要になっていくはずだった。
 神通さんもそれは分かっているみたいで、しっかりと頷く。

「では鬼に笑われないようにしないといけませんね。まずはこの決戦で道を切り拓かなくては」

「今後の話もほどほどにね。楽観視できる状況じゃないし」

 釘を刺す言葉はローマさんからで、張り詰めたような顔をしていた。
 彼女は艦隊でただ一人の戦艦で、誰よりも艤装に一目で分かる傷跡がいくつも残されている。
 左側の第四砲塔があるはずの箇所など、所々を無塗装の鋼板で塞いで継ぎ接ぎにしていた。

 戦艦は主力であるが故に敵からも狙われやすい。
 午前の交戦でも各戦艦たちはそれぞれ奮戦し、今や再出撃に耐えられるのはローマさんだけになっていた。
 その状況が彼女を気負わせているのかもしれず、そうなるとあまりよくない。
 鳥海は口を開こうとして、先に夕雲の声が流れる。




「確かに予断を許さない戦況ですがご安心を。ローマさんの守り、つまり主力の護衛は夕雲にお任せください」

「……別に私は自分の護衛を心配してるわけじゃないけど」

「あらあら、そうですか。ちなみに主力の護衛は夕雲型の最も得意とするところですから遠慮せず私に甘えてくださいね」

「甘えるってあなた……」

 ローマさんは何か言いたそうにしたものの、夕雲さんの笑顔に負けたようだった。

「分かった、分かったわよ。私には夕雲みたいな余裕が欠けてた」

 苦笑いするローマさんは肩の力を抜こうとしているようだった。
 艦隊には他に巻雲さんと風雲さんと三人の夕雲型がいる。
 午前の交戦では空母の護衛に回っていたので、彼女たちだけは消耗しないままの参戦だった。

 しばらく、といっても体感でそう感じただけで、実際には五分も経たない内に水平線上で白っぽい光が瞬くのが見えた。
 戦場はすぐそこ。
 鳥海は艦隊に帯同している二人のイ級に意識を向ける。
 彼女たちには悪いけど、まだ見た目での区別がつかない。それでも不思議と確信があった。

「あなたたちはヲキューと一緒にいたイ級たちですよね。言葉を覚えようとしていた」

「ソウソウ!」

 二人のイ級はそれぞれイルカのような高い声を出す。
 記憶違いでなければ、あの時のイ級は確かに三人いた。
 もう一人がここにいない理由は……今はあえて触れない。

「あなたたちはできるだけ戦闘に加わらずに、私たちのことを飛行場姫たちに伝えてください」

 イ級たちを連れているのは、どうしても深海棲艦との連絡役、もしくは調整役が必要だったから。
 今の時点で相互連携なんて不可能と考えたほうがいい。
 むしろ互いにそれと気づかず妨害し合うような展開になりかねなかった。
 それを防いで調整できるのは、やはり深海棲艦に他ならない。

「あなたたちにしかできないことなんです……お願いします」

 念押しみたいになるけど正真正銘の本音でもある。
 二人のイ級は応答のように一鳴きした。
 交戦海域にさらに近づくとイ級たちが声を挙げる。

「繋ガッタ! 繋ガッタ!」

『……救援ニ感謝スル』

 二人のイ級を介して艦隊の無線に入ってきたのは飛行場姫の声。
 こちらの目的を把握しているらしく、単刀直入な切り出しだった。




「挨拶は抜きにしましょう。あなたを救出するためにも装甲空母姫を討ち取ります」

『ナラバ我々モ反攻ニ出ル……』

「協力してくれるんですか?」

『我々ノ問題デモアル……』

 飛行場姫は多くを語ろうとはしない。
 ただ彼女を守る必要があるとはいえ、その提案に反対はなかった。
 こちらだけで装甲空母姫を相手にするのは、控えめに言っても苦しいと言わざるを得ない。

「一つ……教えてください。ネ級はそこにいますか?」

『……イナイ。ネ級ハ後退ヲ支エルタメ……殿ニイル』

「無茶をして……」

 古今東西、退却する部隊は後背から攻撃を受けてしまうために脆い。
 それだけに真っ先に追撃してくる敵と接触する殿は危険であり重要だった。
 とはいえ、そんな場所に身を投じているのは、どうしてかネ級らしく思えてしまう。
 それに少し安心した。少なくとも今はネ級と戦うのは考えなくていいんだから。

 次いで、飛行場姫はいくつかの数字を口にする。
 その意味が分からないでいると、姫は付け足すように言う。

『周波数……声ガ届クヨウナラ……ソレデ話セルハズ』

「どうして教えてくれるんですか?」

『オ前ダロウ? ネ級ガコダワッテイタ艦娘ハ……私カラハ以上ダ』

 半ば一方的に通信を切られる。
 声が届くなら……か。
 思うことは色々あるけど、今はまず頭を切り替えよう。
 こちらの加勢に乗じて飛行場姫たちが反撃に転じるなら。

「鳥海より各員に通達。これより飛行場姫と協同し戦線を押し上げます! 最優先で狙うのは敵中核の装甲空母姫、ならびにレ級集団!」

 その二つを倒せば全て終わるなんて思わないけど、これが今の状況をひっくり返せる最低条件であり絶対条件だった。
 まずは反航戦の形で遠距離から横槍を入れつつ敵陣深くを目指す。
 敵のほうが数は多いから、こちらを順次迎撃してくるとも予測される。
 それを迎え撃ちつつ敵主力を撃破しなくてはならない。




「苦しい戦いになりますが皆さん……どうか……」

 最後まで言い切らない内に言葉が詰まってしまう。
 言いたいことははっきりしている。楽観的で勝手な言い分とも感じた。
 だけど言う。

「どうか……生き抜いてください」

 もしネ級と戦わなければ逆のことを言ってたかもしれない。
 だけど私は生きていたいし、生きていてほしかった。
 そうして応えたのは夕雲さんだった。

「問題ありません。主力オブ主力の駆逐艦……夕雲型の実力を見せましょう! 巻雲さんと風雲さんもいいですね?」

「もちろんです。がんばりますよぉ!」

「私もこの戦いを終わらせる……飛龍さんの命に賭けても!」

 風雲さんの言葉に巻雲さんが疑問を口にする。

「そこは自分の命とかじゃないの?」

「自分の命を賭すのは当然じゃない。その上で他にも何か引き換えにするなら、という意味よ」

「ほえー」

「……なんて言っても沈んだら守れなくなっちゃうから帰らないと。そういうこと、かな?」

 自問するような響きの風雲さんにローマさんが声を被せる。

「お喋りはここまでにしなさい。私はだいぶ狙われるけど護衛を任せていいのよね?」

 もちろんです、と答えたのは夕雲さん。

「時雨さんたちもいますが、それはそれ。護衛から露払い、水雷戦まで夕雲たちに全てお任せください」

「そう言われるとボクら白露型としても遅れを取るわけにはいかないかな」

「頼もしいこった……あたしたちもやってやろうぜ、鳥海!」

 時雨さんと摩耶の言葉の声も受ける。
 これが最後の戦いになるかもしれない。だから努めて静かな声で戦闘用意を告げる。
 過度の恐れも緊張もない。

 空は暗雲、海も沸き立つように荒れている。
 幸先は悪そうだけど、それは相手にとっても同じで吉凶とは関係ないはず。
 少なくとも、この戦場においては艦娘も深海棲艦も条件は対等だった。

「今度こそ終わりにしましょう!」

 胸元にかけた司令官さんの指輪が服の内側で揺れるのを感じる。
 この先に待ち受けてる結果がどうであれ、後はもう戦うだけだった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 雨とは別に砲弾が生み出した飛沫がネ級の体を打ち据える。
 もう一度や二度ではなく、今日だけで何度も何度も続いた出来事だった。
 時に飛沫だけでなく体を押し潰そうとする衝撃を受ける時もある。
 砲弾が直撃した時で、それも今日だけで何度も起きていた。

 ネ級は背後からリ級重巡の砲撃を浴びながら、護衛要塞へと突撃し彼我の距離を急速に縮めていた。
 前後からの砲撃に挟まれながら、同様に前後両方へ反撃もしている。
 主砲たちが後ろのリ級を狙い、護衛要塞には副砲で応射する。

 護衛要塞に次々と副砲が命中するが、目に見えるような被害は与えられない。
 全幅で言えば優にこちらの倍はある。
 耐久力も図体相応であれば、まともに撃ち合っていては砲弾を余分に消耗してしまう。
 まだ戦い続ける必要もある上に、敵だらけの海域でそれは望ましくない。
 魚雷もすでに使い切っているから温存は不可欠だった。

 副砲の撃ち方をやめ、両腕で頭を守りながら要塞の懐に飛び込んでいく。
 距離がある内に私を止められなかったのは失策だろう。
 こちらの接近に要塞も後進を始めようとするが、元々が巨体だからか動き出しが重い。

「モタツイテ……!」

 後ろに張り付いてるはずのリ級も含め、敵の反応や動きが鈍いと感じる。
 複雑な軌道を取っているわけでもないのに、こちらの接近を簡単に許している。
 狙いを定めて撃つのも回避に移るまでの動きも全てが遅い。

 あの鳥海ならこんなことはなかった。全力で食らいつかねば到底追えるような相手ではなかった。
 ……だから我々は勝てないのか? そんな疑問が一瞬とはいえ頭を過ぎる。
 一瞬の想念は背中から体の前面へと吹き抜けた爆風によって霧散する。

 被弾はしていない。
 振り返らずとも、背後から付け狙っていたリ級が逆に沈められたのが分かる。
 後ろの敵がいなくなってすぐに護衛要塞とも接触する。
 至近距離に迫られたことで、護衛要塞は主砲のある口を閉ざそうとするが、それより速く両腕を差し込む。

「オ――!」

 腕を噛み切られるという恐怖は欠片もなかった。
 護衛要塞の口を力任せに押さえつけ、開いたままの口内を狙って主砲たちが身をよじらせる。
 砲撃の直前に素早く腕を引いて離脱を図る。

 護衛要塞の内部に飛び込んだ砲弾が暴れ、内側から膨張するように爆発した。
 こちらを押し飛ばす衝撃に煽られつつ、姿勢を下げて体を安定させる。

 周囲から一時とはいえ敵影が消えて、体に溜め込んでいた息を吐き出す。
 手足の末端が痺れて体が重く感じるのは疲れのせいか。
 被弾はさして多くないが、どうにも神経が磨り減っている。




 それにしても皮肉だ。艦娘をろくに沈められないまま、同じ深海棲艦は沈めているのだから。
 交戦を始めてから片手では数えられない以上の数を屠っている。
 しかし口から出た言葉は逆だった。

「ヨクヤッタ……」

 状況が皮肉でも、これは正直な気持ちだった。
 主砲たちを労いつつ視線を周辺へと巡らす。
 雨に紛れるように空気の震える音が続いている。戦闘はまだ終わっていない。
 戦場を交錯する声に耳を傾け、殺気と呼ぶような気配に集中する。

「コレデ一角ハ崩シタ……次ハ……」

 狙うなら主力だ。後退するという考えはない。
 少し前に飛行場姫の号令の下、反攻に転じているのは分かった。しかも艦娘も介入してきているという。
 どちらにしても他の味方を後退させる余裕を作り出したかったのだから、やることは変わらない。

「敵ノ中核ハ……ドイツダ?」

 できることなら装甲空母姫、あるいは前線指揮官に当たる相手を狙いたい。
 しかし、あくまで希望であって相手を選んでいられる時ではなかった。
 ならば近くの敵から叩く。
 呼吸を整え、最も近いと思える交戦に介入すべく移動を始める。そうして気づいた。

「アイツカ……赤イレ級……」

 よりにもよってなのか、それとも望み通りなのか。
 姫を除けば、最も厄介なやつがいた。それも別のレ級まで一緒にいる。
 交戦中、というより一方的に追い詰められているのはタ級戦艦。
 すでに主砲は沈黙しつつあり、沈められるのは時間の問題に思えた。
 そしてレ級たちはこちらにまだ気づいていない。

 有効射程内ではあるが、このまま砲撃しなければ雨に紛れて接近できる。
 ことによっては肉薄できる距離での奇襲もできるかもしれない。
 だが、その場合はタ級は沈むと考えていいだろう。

 ネ級はすぐ判断を下す。
 通常のレ級のほうが近い。主砲による砲撃がレ級の背に命中していく。
 不意打ちにレ級たちが素早く向き直り、ネ級の存在を認知する。

「オ前カア……イツカハコウナル気ガシテタヨ!」

「私ハ……コウナルトハ思ッテナカッタゾ!」

 赤いレ級の叫びと共に砲撃が来る。
 こちらの背丈を越える巨大な水柱が前方や左方向にいくつも生じた。
 戦艦の肩書きを有するだけあって、レ級の砲はこちらの倍の大きさだ。
 そして実戦で戦艦クラスの砲で撃たれるのは初めてだった。

 当たったらただでは済まないが、これでいい。
 二人の狙いはタ級から、こちらに完全に移っている。
 レ級の妨害をしても、この混戦ではタ級が生き延びる可能性は……あまり高くないだろう。
 それでも仲間のために命を使うと言ったのは他ならないこの口で、それを違える気はなかった。




「砲撃ヲ惜シムナ……近ヅク!」

 今までは砲弾を温存したかったが、レ級たちが相手ではそうもいかない。
 というより、こいつらを相手に使わなければいつ使うのだと。
 機動力に主砲と副砲を合わせた手数がこちらの利点だ。

 赤いやつに比べれば普通のレ級はまだ相手にしやすい。
 次々と砲撃を送り込み、同時に射線を絞らせないようにレ級の横や後ろに回り込みながら近づく。

 今回も肉薄しなくてはならない。
 二対一では距離を取られたまま、一方的に撃たれ続けてしまう。
 だが接近さえしてしまえば、同士討ちを避けようと片方の砲撃は封じられる。

「艦娘トハ戦エナクテモ……アタシラトナラヤレルッテワケカイ!」

「ソウデハ……オ前コソ戦ウノヲヤメテシマエバ……」

「ハハッ! 戦イヲ取ッタラ何モ残ラナイダロ!」

 レ級たちの砲撃が至近弾となり、滝のような水流に衝撃波が体を苛んでいく。
 それを耐えて、至近弾で生じた水柱をかき割って全速前進。
 砲撃の合間に猛然と進む。
 対するレ級は後退するどころか前進してくる。

「向コウカラ来テクレル!」

 血気に逸っているのか、たかが重巡と侮ったのか。引き撃ちという考えはないらしい。好都合だ。
 両太腿にある副砲をレ級の頭を狙って撃ち込んでいく。
 頭を狙われては、さしものレ級も両腕で守りに回らざるをえない。
 一方で装填の終わらない主砲がじりじりとこちらを指向したままだった。

「撃タセルカ!」

 やはりこの機会を逃すわけにはいかない。
 姿勢を落として海面を両手で交互に叩く。掌の体液が海面と反発し、体を押し出していく。
 横からレ級に飛びかかり、引きずり倒したまま海上を疾駆する。
 右手で頭を鷲掴みにして、速度を落とさずに海面に何度も頭を打ちつける。
 そのまま主砲も撃ち込もうとするが、そこで横腹に激痛が走ると体を引き剥がされた。

「ナンダ!?」

 レ級の尾が腹を食い千切ろうと噛みついていた。
 牙がさらにめり込んだところでレ級に頬を殴られる。
 痛みをこらえ返礼とばかりに主砲と副砲を乱射した。
 至近距離で集束した火力にはさしものレ級も有効で、噛み付いていた尾が離れる。

 痛みの元が離れたところで息を整える。この期を逃すわけには。
 今一度飛びかかると、今度はレ級も同じように向かってきた。
 互いに正面から腕を組み合い押し合う。主砲同士たちも相手を抑えつけようと動く。
 そして、こうなれば私のほうが有利だ。




「今ナラ……私ノホウガ手数ハ多イ!」

 既視感を感じ、目覚めてすぐに赤いレ級に品定めされたのを思い出す。
 もっとも、こいつはあの時のレ級ではないが。
 主砲たちが連携しレ級の尾に噛みつき動きを完全に抑えると、右の主砲が尾から右腕へと噛みつき直し拘束する。

 これで右腕が自由になる。
 握り締めた拳を槌のようにレ級の胸へと振り下ろす。
 生身の肉を打ったとは思えない硬質な音が響く。ネ級の拳、レ級の唇からそれぞれ黒い飛沫が吹き出る。
 ネ級は腕が自傷するのも構わず、さらに二度三度と腕を振るう。杭を打ち込むような、拳そのものを埋め込もうとでもするような打撃。
 そこでレ級が耳をつんざく絶叫をあげる。

「ウテエエエェッ!」

 撃て、と言ってるのだと頭が遅れて認識する。
 失策に気づいた時には遅かった。
 赤いレ級が左に回り込んでいて、発砲炎が見えた。
 そこからの反応は咄嗟だった。
 拘束していたレ級を盾代わりにする。が、間に合うものではなかった。

 飛来した砲撃の大半はレ級の背に当たっていくが、一発はネ級の左脚に当たると体と副砲を壊しながら吹き飛ばした。
 海面を数度転がってからネ級はすぐに立ち上がる。
 艦砲が命中した直後は痛みを感じなかったが、すぐに体の左半分を焼かれる痛みに襲われ始めた。
 喉から出かかった悲鳴を噛み殺しながらも、その場から離れる。

「嫌ナ真似サセヤガッテ」

 聞こえてきた赤いレ級の声は静かで、それまでとは少し雰囲気が違う。
 怒りか悲しみか。楽しくなさそうなのは疑いようもない。

 通常のレ級は倒れ伏して動かなくなっていた。
 結果的にとどめを刺したのは私ではなかったらしい。
 赤いレ級は牙のような犬歯をむき出しにしていた。

「アンタモ送ッテヤル……アノ世ッテヤツニサア!」




 体から血液がこぼれ落ちていき、左足は深々と抉られてしまった。
 骨の内側から脈打つような痛みは、今や息苦しさも引き起こしている。
 自分の最期を想像したことはあるが、同じ深海棲艦と戦ってとは考えていなかった。

「ダトシテモ……体ノ動ク限リ!」

 最後の抵抗だろうとなんだろうと。
 それに取り巻きは沈めてやったんだから戦力は削いだ……後は誰かがなんとかしてくれる。

「誰カ……?」

 艦娘もすでにこの戦闘に加わっているというなら、その中の誰かが決着をつけてくれるはずだった。
 これが深海棲艦同士の戦いでも、最後に全てを終わらせるのは艦娘だという、ほぼ確信に近い予感がある。

 ……本当は誰か、なんて抽象的に考えてなかった。
 艦娘の中でも鳥海を真っ先に想起したからで、しかし彼女がこの海域にいるとは考えにくい。
 午前中に交戦した際に艤装を徹底的に破壊しているからだ。

 いずれにせよ私にやれるのは、ほんのわずかでも消耗させることだ。
 一発でも多く当て、一発でも多く砲弾を使わせる。
 そうすれば次にこのレ級と戦う誰かが楽になる。

 不自由になった体で、そこからさらに撃ち合う。
 体はともかく主砲は健在だった。
 続けて砲撃を命中させながらレ級へと向かい、そして反撃を受ける。

 身を守ろうと掲げようとした左腕が爆ぜた。
 爆風の衝撃で体が突き飛ばされて倒れる。右手と右足だけでどうにか立ち上がって、さらに接近を試みる。

 左腕が動かず痛みも感じなくなっていた。
 それなのに息はどんどん上がり、体の中にある核が狂ったように猛っている。
 やつに近づく。最早、近づく以外の考えは何もない。
 赤いレ級もまた急速に向かってきた。こちらの主砲を物ともせずやってくる。

『そこを離れてください、ネ級!』

 声が聞こえる。鳥海の声。呼びかけてくれている。
 幻聴だ。こんな時に声が聞こえるはずもない。
 それでも声は止まらない。




『もうあなたたちが見えてます! この先は私が戦いますから……』

 無視する。この期に及んで提督の記憶は私を惑わそうというのか。
 だがレ級に被弾の閃光と爆風が生じた。
 こちらの砲撃ではなく、レ級も注意が横へと逸れる。
 声が幻ではなく現実と証明するように。

『死に急がないでください!』

「……無理ダヨ」

 もう近くに来ているんだ。
 後事を託す――私の重荷を全部を投げてしまうには、これほど適任な相手はいない。
 別に仇を討ってほしいとかそんな話ではない。
 ただ、次に繋がる何かをしたかった。

 だから進む。今なら察してしまう。元から私の体は長くない。
 私には初めから未来なんてなかったんだ。

 レ級の間近に迫ると向こうもまた警戒をこちらに戻していた。
 体が重い。遅い。間に合わない。
 それでも右腕を伸ばす。突き出す。

「届……ケ……!」

 腕の一本や二本。いや、そこまで多くは望まない。
 指が触れる。
 コートのような装甲。その一部分だけでも持っていく。
 引き裂くように破り取る。

 そして――レ級の腕が胸に突き刺さっていた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は見る。

 レ級がネ級を刺し貫いた腕を引き抜く。
 べったりと墨のように体液がまとわりついて、手には何かの臓器を握っている。
 歯車のようにも見えたそれを、レ級は握り潰した。
 風船が割れるように飛沫が飛び散り、ネ級が膝から折れる。糸を切られた操り人形のように、体中から力を失って。
 その一部始終を鳥海は見る。何もできないまま見るしかない。

 何もかも、全てが遅すぎた。


ここまで。次でエピローグ含めてラストまで持ってきます
四月末日ないしは五月六日予定。間に合わなければ、以降の大安の日にでも

保守

待ってるぜ

まずはご報告を。つい先程全部書き終わりました。
しかし添削といった見直しがまったくできてない状態なので、勝手ながら六日ほど猶予をください
なので日曜になる八日の21時以降から最後の投下を行います
ちなみにペース配分間違えて、現時点で三万文字弱、千六百行ほどとなってます……長くなってますが四十レス内には収めようと思ってます
以上、報告まで

>>940
保守ありがとうございます。完全にそういうのを失念してました……感謝の限りです

>>941
ありがとうございます。もう五日ほど顧みる時間をください



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾の首筋にちりつくような感覚が走る。
 誰かに呼ばれたような気がして、後ろを振り返るが荒れた海原以外は何も見えない。

「なんだ、今の……?」

「木曾……?」

「悪い、なんでもない……どうも過敏になってるみたいだ」

 無表情な顔を寄こすヲキューに答える。
 奇妙な感覚は胸騒ぎを呼び覚ますが、正体については木曾自身も答えようがない。
 不審に思ってるかもしれないが、ヲキューはそれ以上の追求をしてこなかった。
 代わりに違うことを呟く。

「雨ガ強イ……」

「……だな。雨を吸ってマントが重くてな……この天気にはむしろ助けられてるって言っても」

「ソウナンダ……私ハ雨ガ好キ……濡レテルノガ好キトモ……」

「へえ……そういやヲキューのこと、あんまり詳しく知らないな」

「……ツマラナイ女ダヨ」

「そういう言い回しはどこで覚えてくるんだ」

 大方、飛龍か隼鷹辺りから覚えたんじゃないかって気はするが。

「……見ツカルダロウカ」

「装甲空母姫が?」

「無線ヲ傍受ハシテテモ……コウ錯綜シテルト正確ナ位置ハ分カラナイ」

 淡々とした語りだが、内心ではそれなりに焦りでもあるのだろうか。

「もし一人だけで探してたら、どうするつもりだったんだ?」

「……出タトコ勝負?」

「意外に無鉄砲なやつだな。俺が思うに思うに、姫は後方にいるんじゃないか」

「ソノ根拠ハ?」

「俺たちが仕掛けた時、さっさと逃げたからな。こっちはたった六人なのに護衛に任せっぱなしにして」

 襲撃直後は混乱してたからまだしも、すぐにこっちが六人だけの少数なのは分かったはずだ。
 にもかかわらず装甲空母姫は護衛や他のヌ級空母などを囮にするようにして逃走している。
 慎重といえば聞こえはいいかもしれないが、あまり適切な判断とは思えなかった。

「本当に安全を確保したいなら、多少の危険を冒してでも俺たちをあの場で沈めなきゃいけなかったんだよ」

 もっとも、そのお陰で俺たちは全滅しないで済んだとも言えるんだが。




「ナルホド……逆ナノカ。コレカラ火中ノ栗ヲ拾イニ行ク我々トハ……」

「本当にどこで覚えてくるんだ? それと火中の栗はちょっと違って、虎穴にいらずんば虎児を得ずのが合ってるな」

「……人間ノ言葉ハ難シイ」

 ヲキューはやはり表情を変えずに、そんな風に言う。
 やれやれと思いながら海原を進んでいく。
 幸いにも余計な戦闘に巻き込まれないまま戦闘海域を進んでいく。

「見ツケタ……ハズ。外側ニ絞ッテ聞イテイタラ……」

「よし、先導してくれ。違ったらまた探せばいいんだ」

 ヲキューは頷くと針路を変え、木曾もそれに追従する。
 雨粒が海面で弾けて白い飛沫が弾けては飲み込まれていく。
 さっきの感覚はなんだったんだろう。
 胸騒ぎ。あるいは悪寒や怖気の類だったのかもしれない。
 何かが引っかかるが、のんびり考えている時でもなかった。

「イタ……間違イナイ……コンナ所デノコノコト……」

 ヲキューの言うように護衛らしい複数の、三体のイ級駆逐艦を従えている。
 まだこちらの接近には気づいてないらしい。
 前線からはやはり遠い。
 空母という単位として考えれば何もおかしくはないのだが、他の姫級同様に砲戦能力が低いとも思えない。
 雨の切れ目でも狙って艦載機の発艦も意図しているのだろうか。

「まだ撃つな。気づかれるまで、このまま後ろから近づく」

 俺たちの火力で姫級を沈めるなら、やはり雷撃を直撃させなくちゃいけない。
 次善の手段としてヲキューに仮付けした重巡砲を至近距離から撃つという手もある。
 どちらも近づけないと話にならない。

 だが、さほど近づけない内に護衛のイ級たちが回頭する。
 もちろん、こちらを向いていた。姫たちに接近を感知されたのは明らかだった。

「撃ツ……モウ逃ガサナイ……」

 ヲキューが発砲するのとほぼ同時に、木曾の艤装が蹴りだされるように揺れる。
 それまで待機していた天津風の連装砲が自立機動を始めていた。
 元から天津風と協同できるように設計されているため、二人よりも足が速い。

「護衛を引きつけてくれ! 粘って時間だけ稼いでくれればいい!」

 無茶な要求とは思うが、連装砲のサイズは艦娘よりもさらに小さい。
 相手を沈めるのではなく、生存を目的としての行動なら勝算はあるはずだった。




 一方、装甲空母姫は後進しながら砲撃を始めた。
 さすがに今回ばかりはただ逃げるだけではいけないと判断したらしい。
 姫の砲撃で海が割れたように弾ける。
 命中こそしなかったが轟々と奔流が立ち上る。

「ちっ……言わんこっちゃない。こんだけ火力があるなら始めっから逃げなきゃよかったんだよ!」

 こちらを正面に見据えての後進で、姫の速力は十五ノット強といったところか。
 倍以上の速度を出せるから、そう遠くない内に追いつける。
 だが、それまでの間にあと何度砲撃に晒されればいい?
 重雷装艦はお世辞にも打たれ強くはない。
 たとえ直撃をもらわなくても、至近弾だけで何かしらの不具合を生じさせる可能性もある。
 その時、ヲキューが木曾の正面に移動してくる。

「後ロニ回ッテ……コレデモ硬サニハ自信ガアル……」

「盾になる気か! んなことは」

「艦載機ハ飛バセナイ……コレグライサセテ」

 立ちはだかるようなヲキューを無視しようにも、航速は彼女のほうがわずかだが速い。
 こちらの思惑とは逆に追い抜かせそうになかった。

 接近するまでただ撃たれっぱなしではいられない。
 ヲキューの頭上を飛び越えるように仰角をつけて砲撃開始。
 そんな微々たる抵抗をものともせず、ヲキューが姫からの砲撃に晒される。

 ヲキューの周りに弾着の水柱が炸裂し、後ろのこちらにまで飛散した海水と一緒くたになった衝撃波が襲ってくる。
 より砲撃の近くにいたヲキューだが速度を落とさなかった。
 背中からでは無傷かどうか分からない。

 ヲキューも反撃の砲火を放ち始めるが、やはり勝手が違うのか姫から遠い位置に外れていく。
 じりじりと姫には近づいているが、雷撃するにはまだ遠かった。
 それから数度の砲撃でも、正面のヲキューに砲弾が殺到し続ける。

 やがてヲキューの近くで海面が爆ぜた。
 直撃こそしなかったものの、巨大な奔流はそのままヲキューを押し潰そうとしているようだった。
 衝撃と水流に煽られて速度が落ちる。
 これ以上は危険だ。今度こそ追い抜こうとするとヲキューは再び速度を上げる。

「飛ビ出サナイデ!」

 一喝する声に気圧されて、飛び出すタイミングを逸した。
 針路を塞ぐように杖を横に伸ばしたヲキューは、こちらを振り返らずに前進を続ける。

「時間ガナイ……護衛ニ追イツカレル」

 言われて始めて気づいた。
 天津風の連装砲は一体のイ級と今も撃ち合っている。
 しかし他の二体は交戦から逃れて、こちらを追撃するよう接近してきていた。




「……木曾ガイルナラ任セラレル……自分デ倒スノニナンテコダワッテナイ」

「どうしてそこまで……飛行場姫を守るにしたって」

「火力ノ問題……私ヨリアナタノホウガ頼リニナルカラ……」

「だからってこんな……命を消耗させるやり方なんざ!」

 合理的判断とでもヲキューは言いたげだが、真意は別にあるように感じた。
 だから木曾は声を大にしていた。

 ヲキューは答えない。木曾は歯噛みして後を追う。
 いっそヲキューの前方に砲撃して止まらせるか、という乱暴な考えも過ぎる。
 しかし、そうするまでもなく次の砲撃がヲキューを襲った。

 突風のような爆風に木曾は反射的に顔を手で隠す。
 その中でヲキューの苦悶の声が聞こえた、ような気がした。

「おい、無事か!」

 怒鳴り返すと、空白のような間を置いてからヲキューの声が聞こえてきた。

「後悔シテタ……」

 ヲキューは確かに被弾していたが、それでも前へと進み続けていた。
 速度もどうしてかほとんど落ちていない。無傷なわけないのに。

「アナタタチカラ……提督ヲ……大切ナモノヲ奪ッタ」

「だけど、それは……」

「鳥海ハ許シテクレタ……アナタタチモ認メテクレル……デモ……アナタタチトイテ分カッタ」

 ヲキューはそこで言葉を切る。
 その背中は揺るがないまま進み続ける。

「贖イガ……報イガ必要ナノ……私ノタメニ」

 振り向くことなく言う。
 自分を犠牲にするのがヲキューにとっての埋め合わせ。
 罪滅ぼしだとでも言うのか? 認めた過ちを清算するための?

「そうじゃないだろ……」

 ヲキューの気持ちが分かる。不信によって提督を傷つけた俺なら。
 そういう意味では俺だってそうは変わらないし、むしろ性質が悪い。

「俺は提督を傷つけて……この手で危うく殺しかけたんだ」

 暗黙の内に皆が触れない事実。『事故』として処理された事案。
 なかったことのように振舞っても、当事者の心からは永久にこびりついて消えない。それが後悔というやつだ。

「そんな俺にあいつはこう言った! それを罪だと思うなら、最後まで仲間のために戦って沈めって!」

「ナラ……コレハ正シイ……」

「そうじゃない!」

 裂帛の気合を込めて叫ぶ。

「今なら分かるんだ……それでも生きていていいって言いたかったんだ! 俺たちはみんな間違える! 誰だってだ!」

「ソウカ……」

「だからもういい! 後は俺に任せろ!」

「アト……一撃ダケ……!」

 ヲキューはあくまで引き下がらなかった。
 頑固な意思だが、これ以上はもう何も言えない。
 言いたいこと。いや、ヲキューに伝えなきゃならないことは言った。
 考え直してほしいんじゃなく、自分の身を粗末にしないでほしいだけで。




 発砲炎がきらめいた。
 海面が奔騰し、鳴動する。そしてヲキューの杖が弾け飛ぶ。
 とっさに見えたのはそこまで。
 一瞬の内にヲキューの体は後方へと飛ばされてしまったから。

「どうしてこう……俺たちはさあ!」

 いつもこうだ。何かを手に入れては失って、失わないと何も手に入らなくなってて。
 もっと簡単でいいはずなのに。

 振り返らない。もう装甲空母姫は近い。
 作ってくれたチャンスを生かせなきゃ、それこそ顔向けできない。
 北上姉に託された魚雷は二十本。それを今は両舷の発射管に均等に積んでいる。
 姫級のしぶとさは話に聞いている。一本だって無駄にはできなかった。

 自然と息を詰めて、胸の内で滾る感情を押さえ込む。
 遠ざかろうとする姫を右手に見ながら回り込んでいく。
 回避行動も含めた相手の予想針路上に向けて、右舷の魚雷を順に投射していく。
 荒れる海に潜り込んだ十本の魚雷は航跡を見せずに海中を疾走する。

 発射を終えると、すぐに円を描くように方向転換。
 向きを変えた直後に姫の砲口が赤く瞬く。
 近くに砲撃が降り注ぎ、爆圧が体という体に襲いかかってくる。
 目には見えないそれを振り切って前に出ると、今度は姫を左に見る形で接近する。

 装甲空母姫も雷撃を避けようと回頭を始めているが、回頭そのものは遅い。
 直線を速く進むのと、軽快に針路を変えてみせる小回りは別物だ。
 一発でいいから当たれ。胸中で念じると、それに応えるように高々と水柱が吹き上がった。

「どうだ!」

 思わず叫んでいても、まだ足りないのは分かっている。
 当たったのは今の一発だけで後が続かなかった。
 今の被弾で姫の足は鈍っているから、もう逃がさない。

 ほんの少しの軌道修正をして残る魚雷を全て発射。風雨に波打つ海に漆黒の牙が飛び込んでいく。
 そのまま主砲による砲撃も続けながら、なおも接近する。

 姫の反撃も来る。
 巨大な圧力を伴った砲撃が間近で弾けていき、喉の奥から思わず悲鳴が飛び出しそうになるのを歯を食いしばってこらえる。
 振り切れないと悟ったのか、それまでよりも狙いの精度がよくなっている。
 水流に煽られて艤装が締め上げられたように傷ついていた。
 魚雷を撃ち切ったとはいえ被弾はできない。まともに当たったらただじゃ済まないのは分かっている。

「沈むためにここに来たんじゃない……そうだろ、ヲキュー!」

 いくら罪悪感を抱えてようとも生きてる間は投げ出せない。
 到達時間、と頭の中でも冷静な部分が囁く。
 二拍ほど置いて装甲空母姫の間近から轟音が生じた。
 大気と波を通じて、触雷による震えが体に伝わってくる。

 噴き上がった水柱は四つ。並みの相手なら魚雷を四発も受ければ、跡形もなく沈んでもおかしくない。
 しかし姫は並みの相手ではなかった。
 艤装の右側半分を消失させながら、なおも左側の三門の主砲が指向している。
 何より純粋な敵意の眼差しを向け続けていた。

「消エロ……消エテシマエ!」

 そういうわけにはいかない。
 サーベルの鞘を左手で押さえつける。やはりと言うべきか、白兵戦をしかけるしかない。
 元からこっちの足は止まっていないが、至近距離に入るまで一度は撃たれてしまう。




 姫の主砲が生き物のように蠢きながら、こちらを狙い定めているのが見えた。
 このままでは直撃する。と直感してしまう。

 姫が発砲する寸前に主砲を撃ち放つ。
 ただし、姫ではなく目前の海面を狙って。
 砲撃で砕かれた波が舞い上がると付け焼刃の目隠しになり、同時に体の向きもわずかながら右にずらす。
 外れてくれるかどうかの賭けだった。

 姫の主砲が放たれ、覆いとなる水柱を吹き散らす。
 熱と質量の塊が音より速く木曾に襲いかかった。
 木曾のすぐ左を複数の砲撃が擦過し、衝撃波の余波だけで転倒しそうになる。
 しかし木曾の意思が移ったかのように艤装は力強く前進を続けた。

「抜けた!」

 彼我の距離が急速に詰まり、木曾は居合いの要領で斬りつけた。
 首筋を狙った斬撃を姫は身を翻して避ける。
 木曾はそのまま白刃を立て続けに振るい、姫もまた必死の形相ですんでのところで避けていく。

「艦娘ナドイルカラ……我々ハ犠牲ヲ払ウ……! 戦イ続ケナクテハナラナイ!」

「てめえの味方と戦ってまで続けるようなことかよ!」

 木曾は叫び、その間も姫に距離を取らせず追い立てていく。
 姫は木曾の斬撃を避けきれずに生傷を増やす。

「私ガ沈ンデハ……深海棲艦ノ行ク末ガ……!」

 木曾は反撃に転じようとする動きを察して、機制を制して姫の右手を素早く斬りつける。
 肉を割き、骨に刃先が触れたのが手応えで分かった。
 二の腕を切り裂かれた姫がうずくまるのを見て、好機到来と見なす。
 とどめの一撃を見舞おうとして、木曾は目を剥いた。

 姫の飛行甲板から球状の艦載機が弾丸のごとく飛び出してくる。
 完全に意表を突かれた。
 艦載機はそのまま木曾に激突すると、満載していた爆弾ごと吹き飛んだ。
 膨れ上がった火球が、血のような燃料も機体を構成している鋼材も飲み込む。
 姫はすぐに第ニ第三の艦載機を射出し体当たりさせると、炎が花のように咲いていく。

「ヤッタカ……コレデ!」

 装甲空母姫が快哉を叫ぼうとした瞬間、木曾を包んでいたはずの火球が左右に割れる。
 右手を払った木曾は炎をかき分けて進み、左手に持ち直したサーベルを姫の胸に突き立てる。
 セーラー服やマントが焼け焦げ、なおも体を焼く炎に巻かれながらの反撃だった。




 装甲空母姫は胸を貫いた刃を驚いたように見つめる。
 木曾は姫が反応するより速く、刃を引き抜いて追い抜くように背中に回りこむ。
 そのまま背中を取った時には、サーベルを左手から右手へと持ち替え逆手に握っていた。

「うおおお!」

 白刃を後ろへと突き込むと、姫の背中から入った刃が胸元へと抜ける。
 傷口を押し広げるように手首を捻ると、刀身が体内に入ったまま半ばで折れた。
 黒々とした血を流す姫は喘ぐように口からも吐血する。
 深手を負った姫は憎悪も露わな尖らせた眼差しを木曾に注ぐ。

「終ワル……所詮ハ……コウナルノガ定メ……」

「あんたにはあんたの苦悩ってやつがあるんだろうけど!」

「艦娘……我々ハ戦ウシカ……ナイ……ドコマデ行コウト……」

 装甲空母姫はそこでついに崩れる。
 木曾はたじろぐように身を引き、力なく沈んでいく装甲空母姫を見ながら頭を振る。

「そう思いたくないんだよ……俺は……どんなに矛盾してたって……」

 装甲空母姫は戦いを望んでいたし、そのためなら味方の飛行場姫とも戦うようなやつだ。
 そんな相手だから野放しにはできなかった。
 分かってる。深海棲艦との和解を目指すなら障害でしかない。
 泊地を守るためにも倒すしかないやつ。

 まるで言い訳だ。そう気づいた瞬間、後ろから砲撃された。
 棒立ちだったから外れてくれたのは幸運としか言いようがなく、木曾は放心していた自分を内心で叱る。
 姫を沈めたところでまだ敵は残っている。

 二人のイ級が猛然と迫ってきているのが見え、次々に砲弾を撃ちかけてきた。
 反撃しようにも主砲は艦載機の特攻で潰されている。
 どうすると苦慮した矢先に、イ級たちを遮る声が響いた。

「モウ……ヤメナサイ……勝負ナラツイタ」

 ヲキューだった。傷だらけの彼女は杖を支えに海面に立っている。
 特に黒々とした血で汚れた左目はきつく閉じられていた。

「伝エテ……姫ハ敗レタ……モウ戦ウ必要ハナイ……ソレデモ本当ニ続ケタイナラ……アナタタチハ私ガ相手ニナル……」

 満身創痍のヲキューは杖を突きつけるように宣告する。
 イ級たちに従う理屈はないはずだが、ただならないヲキューの様子を察してか木曾への攻撃が止む。
 互いに顔を見合わせるような動きをすると距離を取り始める。
 天津風の連装砲と撃ち合っていたイ級も、砲撃を中断したのが分かった。




「生きてたのか……」

「言ッタハズ……硬サニハ……自信ガアルッテ……」

 ヲキューのほうから直接声が届く距離まで近づいてくる。
 よくよく考えれば撃たれたあとをちゃんと見てたわけじゃない。
 ヲキューは疲れを吐き出すように深々と呼吸する。

「……沈ミ損ネタ……生キテイイッテ……コウイウコト?」

「どうかな……無事でよかったと思ってるのは本当だけどな」

 ヲキューは頭の帽子じみた生き物と一緒にうな垂れる。
 木曾もまた雨の止まない空を、黒と白と灰の空を見上げた。

 これで終わったのか?
 目標の撃破に成功して、継戦を望む連中は後ろ盾を失った。
 それが伝播するのも時間の問題なんだろう。
 つまり俺たちは勝った……勝ったはずだけど実感はなかった。

「もっと……分かりやすいもんだと思ってたんだけどな」

 清々しさも余韻も湧いてこない。
 ……それもそうか。
 今この瞬間を乗り越えただけで、この先に起こる全ての難題が片付いたわけじゃない。
 そう考えてしまうと、これは序の口。なんとか今を繋いだだけなのかも。

「疲レタ……肩ヲ借リタイ……」

 ヲキューが全然考えてもいなかったことを言ってくる。
 軽く驚きはしたけど断る気にならなかった。
 肩を貸してやると、案外とヲキューは小柄なんだと思えた。頭のクラゲもどきのせいで分かりづらいだけで。

「気ヲ抜キスギ……ダロウカ……」

「今ぐらい、いいんじゃないか?」

 これが始まりで、まだ前途多難だとすれば……立ち止まるにも早すぎる。
 それでも常に走り続けていられるほど、俺たちは強くない。
 今をこの先へと繋げられた。大事なのはきっとそこだ。

「俺たちはまだ生きてるんだからさ……」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 見殺しにしてしまった。
 ネ級の命が奪われるのを止められずに見ているしかなかった。
 鳥海は知らず知らずの内に唇を噛み締めている。強く噛みすぎて血が流れ出したのにも気づかないまま。

 混沌とした戦場で、艦娘たちはそれぞれ混戦を余儀なくされていた。
 鳥海も例外ではない。立ち塞がる敵艦を倒しながら進みつつ、僚艦との合流よりもネ級との交信を試み続けていた。
 やがて声は届いた。だけど声が届いただけで、気持ちは通じていない。
 伝えたいことはたくさんあったはずなのに。

「ヨウ、マタ会ッタナ」

 含み笑い。
 無線から聞こえる赤いレ級の声は、旧知の相手に挨拶でも交わすような調子だった。

「夜戦デ出クワシタヤツダナ……ヨク覚エテルゾ」

「あなたは! ネ級はあなたと同じ深海棲艦でしょう!」

 激昂に猛る感情を抱いたまま、鳥海は戦う意思を改めて自覚する。
 どのみちレ級は倒さなくてはいけない。

 ある程度は近づきつつ砲撃を再開する。
 20cm砲でレ級の装甲を抜くには、どうしても近づく必要があった。
 といっても不用意に接近する気もさせる気もない。

 ここに来るまでの間に魚雷は使いきっていた。
 砲撃のみでレ級を相手にしなくてはいけない。ただ不幸中の幸いというべきか、レ級もいくらか消耗している。
 その点では対等、少なくともレ級が一方的に有利とはならない。

 レ級が一度の砲撃をする間に、こっちは少なく見積もっても三度の斉射ができる。
 そして狙うべき箇所もはっきりしていた。
 装填が済むなり両腕で把持した主砲を斉射していく。
 レ級に命中による閃光が続けて生じる。

「ヤッパリ当テテクル……チョット気ニ入ラナイナ」

 少し当てたぐらいでは怯んだ様子もない。
 視界の片隅に倒れて動かないネ級の姿が入る。
 いえ、つい見てしまったのが正しい。心が自然と騒いでしまう。

「どうしてネ級を……」

「ドウシテダロウナア……オ前タチガ戦ワナイ……ナンテ言イ出シタセイジャナイカ?」

 意外にも赤い目のレ級は真面目な顔をして答えてきた。

「アンタコソナンナンダヨ……艦娘ガ深海棲艦ノ心配カア?」

「いけませんか!」

「敵ノ心配ナンザ……艦娘様ハオ優シイコトデ!」

 皮肉混じりの笑い声に乗って砲撃が来る。
 今回は命中しなかったけど砲弾は包囲するように散っていた。
 あっちも狙いがいい。次は当てられるかも。




「ナア……教エテクレヨ」

 レ級は馴れ馴れしい声音で話しかけてくる。

「戦ウノヲヤメタラサ……ドウヤッテ生キテケバイインダ?」

「……好きなように生きればいいじゃないですか」

 答える必要ないのは分かっていても無視できなかった。

「好キナヨウニ?」

「戦争してなければしてみたいこと……あなたにだって何かあるんじゃないですか?」

 レ級は何も答えなかった。
 それまで無駄口と思えるぐらいには口を開いていただけに、少し不気味にも感じる。
 だからといって砲撃の手は止めない。
 一斉射を浴びながら、レ級ははっきりした声で笑い始める。
 余裕さえあれば両手でお腹を抱えだしそうな、そんな笑い声で。

「ソンナノナイヨ……アタシハ今ノママデイイ」

 姿勢を下げたレ級の両目が爛々と輝く。その姿は猛々しい野獣そのものだった。

「アタシガ好キナノハ……コウシテ戦ウコト! 撃ッテ撃タレテ……沈ムカ沈メラレルカ!」

 反撃の砲火が来た。
 避けきれずに一発がよりにもよって左の主砲に命中する。
 二門の砲身を根こそぎ奪い取りながらも、左手が無事だったのは幸運としか言えない。
 この主砲はもう使えない。
 火力はこれで半減してしまい、誘爆されても怖いので投げ捨てる。

「アンタモ同ジダロ! 艦娘ダッテ戦ウタメニ生マレテキテ……アタシラヲ滅ボスタメニイル!」

「……違います! 生きたいから戦うんです! 戦うために生きてるんじゃありません!」

 あのレ級とじゃ目的と手段が逆なんだ。
 確かに始まりがどうだったかは分からない。
 レ級の言うように、艦娘もまた戦うためだけに生まれてきてもおかしくない。
 だとしても、今はもう違う。

「使エル力ガアッテ敵モイル……戦イ合ッテコソダロ!」

 レ級は聞く耳を持たなかった。
 初めから説得しようとも言い負かしたいでもない。
 ただ私の考えが間違っているとは思いたくなかった。

「私たちはこうしてここに……存在していることに意義があるんです!」

 右手の主砲を放つ。二発の砲弾がレ級に直撃して――。

「ガッ!?」

 それまでと違って明確に痛みを示す声。
 レ級は左手で脇腹を押さえつけていて、手の隙間から黒い血の帯が垂れてきている。

「ズット狙ッテタノカ……」

「当てるのは得意ですから!」




 ネ級が最期に与えた傷。レインコートのような外套に開いた一点を中心に狙い続けていた。
 ごく狭い範囲に砲撃を重ねれば、装甲を少しずつでも削り取っていく。
 重巡の主砲と甘く見ていたか、レ級が被弾に無頓着だったお陰で思ってたより早く効いてくれた。

「装甲が厚いのは、その先が弱点だから……そこを狙えばやりようもあります!」

「ヤッテクレルジャナイカ!」

 レ級は顔を引きつらせていた。ただし怒っているというよりは笑い出しそうに見える。
 こんな時でも楽しんでる。
 残る右手の主砲で追撃を加える。
 二発とも命中。ただしレ級の両腕に阻まれ、傷口への追い撃ちとはならない。

「正確ナ狙イッテノモ考エ物ダヨナア!」

 レ級が吠えると尻尾の主砲もまた咆哮する。
 砲撃の直前に大きく舵を切る。
 照準を外すために動くも、目前の海が裂けて暴力に翻弄された。

 砲煙をまき散らした主砲により強烈な一撃に見舞われた。
 激震が全身を滅多打ちにし、天地の感覚を失いそうになる。
 衝撃になぶられながらも、なんとかやり過ごす。

 頭が揺さぶられて額が焼けるように熱い。
 出血していた。ポンプで押し出されるように血が流れていくのを感じる。
 流血が左目に沁みて生理的な反応で涙が流れてきた。

 艤装にも無数の傷が生じ、各所で歪みや浸水による不協和音を発していた。
 それでも、まだ戦える。
 荒い呼吸をそのままに右の主砲をレ級へ撃つ。
 レ級に砲弾が叩きつけられ、よろめくのが見えた。
 押し切ってしまいたかったけど、続けて放った砲撃は腕に弾かれたり装甲の厚い部分に阻まれる。

「こんなことで……」

 手早く左手で眼鏡を外して、目蓋を覆う血を拭い取る。
 眼鏡をかけ直しても目が霞んでいた。
 向こうも手負いだから、当たり所さえよければ流れを変えられる。
 事によっては一撃で決着がつく可能性だって。
 とはいえ負傷と半減した火力では分が悪い。撃ち合いからの消耗戦となったらなおのこと。

 再びレ級が砲撃する。
 今度も着弾点は近く、足元から押し倒されそうになった。
 荒れ狂った水流に足のスクリューが軋んで傷つくのを感じる。
 案の定、速力がいくらか落ち込んでしまう。

 それでも互いに決定打を得られないまま、さらに幾度かの砲撃を繰り返す。
 被弾しなくても集中力や精神は消耗していく。
 苦しい状態が続く、そんな時。
 艦娘と深海棲艦の無線がにわかに錯綜しながら、ある情報を伝播していく。

「装甲空母姫を……沈めた?」

 木曾さん名義で発信された報せはそう伝えている。
 真実なら最後の姫級を撃破したことになり、残ったのは停戦を持ちかけてきた飛行場姫だけ。




「ヨカッタナア……オ前タチノ勝チダッテサ」

 レ級が愉快そうに喉を鳴らす。
 同じ情報が深海棲艦にも伝わっているらしい。
 レ級は笑いながらも、鳥海を油断なく見据えている。
 その目つきで分かってしまう。赤いレ級にとって戦いはまだ終わっていない。

「アタシラノ姫様ハ……ミンナ沈ンジマッタ」

「それでも続けるんですか……?」

「本気デ言ッテルワケジャナイダロ……ソレトコレハ別ナンダヨ!」

 予期していたけどレ級は撃ってきた。
 戦艦砲が海面を叩き割り、大気を震わせる衝撃が体を苛みよろめかせる。
 こちらも反撃する。ここまで来ながら、私だって沈む気はない。
 放った主砲はレ級に命中していくものの堪えた様子がない。

 火力が足りない。
 改二の艤装なら、もっとやり様もあったのに。
 言い訳のような弱音を呑み込む。

「イイゾ! アタシハ艦娘ト……アンタミタイナノト戦イタインダ!」

「それで敵がいなくなったら――あなたはどうするの!」

 虚を突かれた、というようにレ級が硬直する。ただし、それは本当に短い間でしかない。

「勝タナキャ続ケラレナイ……ヤッパリ沈ンドケヨ!」

 レ級は唇を吊り上げて吠える。
 後先なんか何も考えてないらしい。

「都合の悪いことは無視なんかして……!」

 荒くなりがちな呼吸を律しようと左手を胸元にやり、そのまま首にかけた司令官さんの指輪へと手が伸びる。

「私は……もう諦めません!」

 不利かどうかは関係ない。せめて一矢ぐらい報いてみせる。
 どうか私に、立ち続ける力を。戦うことしか知らないレ級を止めるためにも。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 部屋の中に朱色の夕日が差し込んでいる。
 小さな窓の向こうには黄昏を迎えようとしている空があり、燃えるような太陽が海へ落ちようとしていた。
 視線を下げれば夕焼け色の波が穏やかに揺れながら、反射で鏡のように輝いている。

 ここはどこだ。
 初めて私は疑問を持つと、すぐ後ろで話し声が聞こえてきた。
 振り返ると鳥海と――提督がいた。
 何を話しているのかよく分からない。
 声は聞こえるが、話の内容が頭に入ってこないからだ。

 これは過去なのか空想なのか。
 提督の記憶が見せているのだけは確かだが。

 机と机。大きな扉。二人は何かを楽しそうに話している。
 こんな顔をするやつなのか。
 鳥海は楽しそうで、愛しげというのか?

「艦娘は俺にとって希望だった。いや、これじゃ言い過ぎか?」

 提督の声が急に明瞭になる。
 目が合う。明らかに私を認識しているようだった。
 提督は顎に片手を当て思案するように言う。どちらの指にも何もはめていないのが見えた。

「将来どうなっていくか、期待してたのは確かなんだ。一緒にいて楽しかったし充実してた。添い遂げようと思う相手もいたわけだ」

 自然と鳥海を見る。彼女は時間が止まったように笑顔のまま固まっていた。
 戦うだけしかない私たちでは見られない顔をしている。

「まあ……死が二人を分かつまで、だが。誓い通りだな」

 提督の声は少しだけ湿っているような気がした。寂しげに見えるのは二度と会えないからだろうか。
 生まれてすぐツ級と手を握ったのを思い出したが、感触だけは思い出せなかった。
 ……消えていくとは、こういうこと?
 提督に意識を戻すと、口元をかすかに緩めた顔がまっすぐ見つめながら問いかけてきた。

「君はどうしたかった?」

「誰カト……歩ンデミタカッタ……」

 どうしてか……素直に答えてしまった。
 そう、思えば始めから私の側には誰かがいてくれた。
 ツ級に主砲たち。それに飛行場姫もそうか。
 それに敵同士とはいえ鳥海や、間違ってなければ木曾という艦娘。あの二人は特に感情をぶつけて揺さぶられて。




「長ク生キラレナイノハ分カッテタ……自分ノ体ダカラ。ソレデモ……モット多クニ今ハ触レテミタイ」

 いいことばかりでないとしても、私自身がそうしてみたかった。
 提督は尋ねてきた時と同じ顔で頷く。
 奇妙な話だと思うが、その顔を見ると何故か落ち着く。

 もしかすると提督の気質のせいかもしれない。
 あるいは深海棲艦のネ級として向き合ってくれてるよう感じるから。
 たぶんそうだ。鳥海を始めとした艦娘たちに向き合うのと同じように。

 提督は艦娘を命ある存在と見なした上で……艦娘として見ている。
 人間とは違うと理解しながら、違うと認めた上で受け入れてた。
 それは深海棲艦に対しても変わらない。だからこそ艦娘と共にいる深海棲艦たちも現れたのでは。
 だから聞いてしまいたくなる。これがたとえ幻であったとしても。

「提督コソ……ドウシタカッタ?」

「きっと君と変わらないよ」

 きっと、というが正直な答えだろう。提督の記憶に触れてしまったから分かる。
 提督という人間は決して特別でなければ、強い人間でもなかったのだろう。
 だからこそ彼は提督でいられたのかもしれない。
 他者と寄り添えることを知っていたからこそ――。

 提督には思い出がある。生きていた痕跡がある。
 そのお前がいなければ、今の私もいなかったのかもしれない。
 実際は分からない。分からないが、提督の記憶などという欠片を持つことはなかった。
 別のネ級が生まれても、それはきっと私ではなくて。
 提督の記憶なんて余計な荷物だったのに。

「……始メテ……提督ガ羨マシクナッタ」

 お前は私が持てなかったものをたくさん持てたのだから。



─────────

───────

─────


 黒とも灰ともつかない空が揺れている。
 息を吸おうとすると喉が上手く動いてくれない。短く風を切るような音が漏れ出すばかりで。
 ネ級は息を吹き返すように小さく咳き込む。
 主砲たちが労わるように身を寄せてきていたのを肌に感じる。

 また心臓を抉られるなんて。
 ……またとはなんだ。記憶が混濁している。
 提督の最期と重なって感じてしまう。いや、やつは後ろからで私は前からだ。同じようで全然違う。

 意識を取り戻しても体が固まったように動かない。
 胸に風穴が開いてるのに痛みを感じなくなっている。
 もう体が限界を迎えてしまっているからだろうと、自然に納得してしまう。

 連続した砲撃音がこだまのように響いていた。
 まだ交戦が続いている。
 動かない体で無理を押して、首だけでもなんとか前へ曲げようとする。
 痛いとも苦しいとも思わないが、とにかく動きが硬く鈍い。

 かろうじて顔を上げて視線を動かすと、鳥海とレ級が距離を取ったまま撃ち合っているのが見えた。
 鳥海が高々とした水柱に囲まれたところで、首を支えられなくなって倒してしまう。
 劣勢なのは鳥海か。奇縁で結ばれた艦娘。

「守リタカッタンダナ……アイツ……鳥海ヲ」

 今なら心から理解できてしまう。
 私と提督は同じだ。何かをやろうとしたのに力が足りなかった者同士――いや、そうなのだが違う。
 主砲たちが砲塔の側面をネ級の体にすり合わせてくる。まるで犬や猫が愛情を示すために顔や体をすりつけるような仕種だった。
 ネ級の考えを悟ったように。それを許すかのように。

「イイノカ……オ前タチハ……」

 主砲たちが鳴くと、ネ級は精一杯の力で両腕を伸ばそうとする。
 もう力は弱々しいが、せめてもの感謝の気持ちを込めて抱きしめようとした。
 少しだけ腕は動いたが、力はほとんど入らなかった。

「ゴメン……私ハオ前タチモ……ゴメン……」

 見殺しにするしかない仲間……相棒や片割れとも呼ぶべき主砲たちにネ級は詫びる。

「私ガ……ヤッテヤル……感謝シロヨ、提督……」

 私たちには力が足りなかった。しかし望みを叶えるための手立てがなくなったわけじゃない。
 お前が深海棲艦を信用したのなら……私はあえて艦娘に望みを託してやろう。
 残る力で背中に腕を回し、主砲との接続を切り離す。

「オ前タチ……アイツヲ助ケテヤッテクレ……」

 自由になった主砲たちは体を震わせる。
 自立的に動くといっても、主砲たちはネ級の動力を基にして稼働している。それが絶たれたとなれば活動限界は短いはず。

 主砲たちもそれを理解しているからこそ最期の別れを惜しんだ。
 小さな一鳴きが済めば、それも終わりだった。
 意を汲んだ二つの主砲は海蛇のように海面を蛇行しながら進む。ネ級の最後の望みを叶えようと。

 独りになって空を仰ぐ。視界が霞み始めていた。
 目を閉じたらもう開けられないかもしれない。そんな予感を抱きつつも目蓋が自然と下がってしまう。

 暗闇になった視界の中、急に頭の中に言葉が思い浮かぶ。
 詩歌、とでも言うのだろうか。何かの一節。
 花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ。

「人ジャナイノニ……」

 だから人生とは違う。それでも失うだけが私の……短い生涯だ。
 何故だろう。それはとても悲しいのではないかと思えた。
 なあ、提督……司令官。私はお前の人生を悲しいとは思えない。
 私と違ってお前は……きっと失うだけじゃなかった。




レ級はやはりバトルジャンキーでなきゃな



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海はレ級の尾が自身をぴたりと狙っているのを感じる。
 本来の速度は出ず、仮に速度を出せていても狙いを振り切れるかは未知数だった。
 何度も砲撃を繰り返せば、レ級の狙いも正確になっていく。

「そうだとしても……!」

 正面にレ級の姿を見据え、右腕は常に前へ。
 左目が上手く開かないけど絶対に外しはしない。
 それを知ってか知らずか、レ級は装甲の破孔を腕でしっかり守っている。

 吊り上ったレ級の口は三日月を寝かせたようになっている。
 次で仕留める気でいるらしい。
 向こうからすれば守りながら撃てば勝てる相手、と考えているのだろう。

 実際、否定できない。
 相手の装填速度を踏まえると、こちらに残された反撃の機会は次で最後になると思う。
 直撃を避けても、艤装が持ちこたえてくるかは怪しい。

 分が悪くても、このまま一か八かで撃つしかない。
 そう考えた瞬間だった。

 レ級の横で飛沫が突然上がると、黒い影が躍りかかった。
 勝ち誇るような顔のレ級に驚愕の色が浮かぶ。
 巨大な海蛇……のように見えたのはネ級の主砲だった。

 飛びかかった主砲がレ級の首筋に噛みつく。
 万力のような口が首を締め上げると、予想外の奇襲にレ級が奇声をあげてもがく。
 ほぼ密着した状態で主砲も砲撃を行い、閃光とその後の爆風でレ級の姿が覆い隠される。

 一方でこちらの右腕、砲塔にネ級のもう一方の主砲が覆い被さるように絡みついてくる。
 使えと言いたいらしい。
 接合部だったらしい所からは、黒い体液が止め処なく流れ続けていた。明らかに普通の状態じゃない。




「どうして!? 助けてくれるの?」

 驚いたけどレ級から意識を逸らすわけにはいかなかった。
 噛み付かれたまま接射を受けていたレ級は、猛り狂って首筋から主砲を両手で引きはがす。
 そのまま力任せに両顎を掴んでこじ開けると、振り回すように二つに引き裂いた。

 左手に絡みついた主砲が歯を打ち鳴らす。怒りか悲しみか、相方の末期に反応してるのは間違いない。
 ただレ級は主砲を引き裂いた時に腕を大きく開いたままだった。狙うには格好の、そして最後の機会になる。

「落ち着いて……私の腕に合わせてまっすぐ撃って。当ててみせるから」

 右腕にいるネ級の主砲に語りかける。
 なだめつつも、すでに狙いはついている。
 主砲の砲身同士が近い。このまま撃つと砲撃同士が干渉するかもしれないから、こちらはほんの少しだけ砲撃を遅らせないと。

「三、二、一……今です!」

 ネ級の主砲が火を吹き、一秒にも満たない程度の差をつけてからこちらも砲撃する。
 四発の砲弾がレ級に飛び込むと、それまでとは比べ物にならない光量の閃光が生じた。
 強烈な輝きから遅れて熱風が吹き抜けていく。
 弾薬に引火したのか、熱と光が周囲に拡散していった。

 そうして膨れ上がった光が収まった時、体を燃やしながらレ級はまだ立っていた。
 左半身をほとんど失い、断面からは火が上がっている。
 それでもなお、焼け爛れた尾が不安定に揺れながら砲身を向けようとしている。

 これで限界なのは一目で分かった。
 このまま放っておいても沈むのは間違いなくとも、改めて狙いを定める。
 苦しみを長引かせる必要なんてない。

「ごめんなさい……あなたを否定しかできなくて」

 こうして戦場で沈むのはレ級にとって悪い話でないのかもしれない。
 そんな思いがふと頭に過ぎりながらも、私はもう一度砲撃する。
 そうして……彼女に止めを刺した。
 レ級の姿が完全に見えなくなったところで、ネ級の主砲が海面に滑り落ちる。

「あなた……ありがとう……」

 ネ級の主砲は小さな声で鳴く。
 その声を最後にその身を海底へと消していった。
 体に疲れが押し寄せてくる。それでも、まだやることが残っている。
 ネ級の所に行かないと。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 灰色の空を見上げていた。
 視界の端が少しずつ黒に、無に侵食され始めている。
 目蓋も重く、瞬きのために目を閉じてしまうと、次に目を開くまで時間がかかってしまう。
 かかる時間もどんどん長くなっているかもしれないが、確証はなかった。
 実のところ、時間の感覚が曖昧になっている。

 そうして空以外のものが見えた。鳥海が見下ろしていた。
 背中に手を回して体を起こされたのか、顔の高さが近くなる。
 もっとも確証はない。触覚がもうなかった。

 いずれにしても最期に見るのが、この鳥海なら悪くない。どころか僥倖というのだろう。
 私と彼女の間には奇縁という繋がりがあったのだから。

「ありがとう……あなたがいなければ私は……」

「役ニ……立ッタダロウ? 私ノ自慢ダ……」

 動かないと思っていた口が動き出す。それに合わせて千々になっていた思考がいくらかまとまるようになる。
 蝋燭と同じだ。消える前には強く輝く。

「ミンナイナクナッタ……主砲タチモ……ツ級モ……私自身モ……」

「……ツ級は生きてます。私たちで保護してます……」

「……本当ニ?」

 鳥海は頷く。本当のことだと素直に信じられた。
 生きている。ツ級が生きている。

「……ヨカッタ」

 心からそう思う。
 私は自分でも自分がよく分からない深海棲艦だが、ツ級や飛行場姫を守ってやりたいという気持ちは本物だ。

 今なら分かる。提督も守りたかったんだ。
 そのために生きて、そのために死んでいった。
 私が何者であっても、それは同じだ。

「少シダケ……自分ガ分カッタヨ……」

 どうしてだろう。
 私を見る鳥海は唇をきつく噛んでいる。何かを我慢しているようだった。
 まったく……私たちは敵同士だったというのに。

「聞ケ……鳥海」

 頭の中を言葉が渦巻いては消えていく。言いたいことは色々とあったはずだが、形になってくれるのは少ない。




「彼ノ感情ヲ正確ニ伝エル言葉ヲ……私ハ知ラナイ……ダケド、コウハ言エル……彼ハ幸セダッタヨ」

 鳥海が硬直する。そんな話を聞かされるなんて考えてもいなかっただろうから。

「私ニハ分カル……分カルンダ。他ノ誰ガドウ言オウト……君ガ信ジナクトモ」

 何故だろう、胸が痛い。もう何も感じないと思っていたのに。

「提督ハ幸セダッタンダ」

「なんでそんな……今話すようなことじゃ……」

 私はほほ笑む。ほほ笑んだつもりだが自信はなかった。

「今言ワナカッタラ……イツ言ウンダ……?」

「だって……そんなこと急に言われても……」

 鳥海は小刻みに震えてる。
 やっぱり今言うしかなかったじゃないか。
 目を閉じる。目蓋が張り付いてしまったように重い。

「君ニハ思イ出ガアルンダロウ? 彼ニモ思イ出ガアッタ……十分ジャナイカ。君タチハ生キテイタ……生キテイル」

 それは私にはないものだ。
 私は望まれて生まれたのではないかもしれない。
 それでも私が生きるのを望んでくれた者たちがいた。

「手ヲ……オ願イダ」

 鳥海は頷き、手を取ってくれた。ほのかな暖かさを感じる。
 目蓋を押し上げる。鳥海が見ている。もっとよく見ておけばよかったな。
 像がぼやけつつあった。

 もしも……ほかの可能性があれば、私もこうして誰かに触れられたのだろうか。
 そうであってほしい。可能性があれば十分で、それこそが希望だった。
 だから私も望もう。未来を。そこに私はいなくとも。

 灰色の空に切れ目が入る。ささやかな光が降ってくる。
 か細くも、それでも確かな光が。

「晴レタ――」

「ネ級?」

 目蓋を閉じても光の色は分かる。
 手を伸ばせれば、光さえ掴めそうな気がした。




─────────

───────

─────


「……はやすぎるんですよ。競争って言ってくれたのに私を、鳥海をちっとも待ってくれなくて」

「――」

 抱きかかえたネ級はもう何も答えない。
 彼女の顔はただただ安らいでいるようだった。
 最期まで戦い、そして私をも救ってくれた。命も、心も。

「ありがとう……あなたを絶対に忘れません……」

 彼女の亡骸を海に帰す。きっとそこが彼女のいるべき場所だから。
 私は忘れない。
 ネ級を。この海で起きたことを。
 司令官さんを。私を愛してくれた人を。

「司令官さん……私は決めました……決めたんです……」

 司令官さんを失ったら、全てが終わってしまうと思っていた。
 でも、残酷だけど終わりはそれでも来ない。
 生きている限りは終われないし終わりたくない。

 だから私は自分の道を歩まなくてはならない。
 この手につかんだものを大切にして、こぼれ落ちてしまったものを忘れず、決してそれらに溺れないようにしながら。
 全てを受け止めて、私は今もこれからもここにいます。

 あなたは幸せだったという。
 私もあなたと過ごした時間はかけがえのないものです。
 だから私は生きます。

 いつか望まれたように。私がそう望むために。いずれ訪れる最期の時まで。
 人が……艦娘や深海棲艦も交わるこの世界で。
 この空と海の狭間に。





 ――これは私と司令官さんのおわりとはじまりの話。




エピローグ


 抜けるような青空の下で、提督は司令部の屋上から周囲を見回していた。
 砲撃で跡形もなく破壊された建物や焼け焦げた木片、ほじくり返されて不自然な稜線を作っている敷地。
 瓦礫の撤去は始まっているが、今なお焦げ残った臭いが鼻を突く。
 戦火の傷跡も生々しい泊地の有様に人知れず渋面を作る。

 トラック泊地が深海棲艦の大攻勢を凌いでから二日。
 戦闘そのものは泊地側の勝利と呼べるが、受けた被害も甚大で基地としては機能しなくなっている。
 復旧作業を始めようにもトラックに残された資材や重機では限度があり、本土からの輸送船団を待つしかない。
 基地施設の惨状の割に人的被害は抑えられ、食料事情だけは悪くないのが、せめてもの慰めだった。

「こんな所にいたんですか。探しましたよ」

 声をかけられ振り返ると、秘書艦の夕雲が扉から近づいてくる。
 最終決戦に投入された夕雲は、他の多くの艦娘と同様に艤装を大破させ本人も重傷を負いながらも生還していた。
 自分では多く語らないが、護衛対象であったローマは夕雲型の奮戦を高く評価している。
 現にローマは中破程度の損傷と、狙われやすい環境にありながら他と比較して被害は小さかった。

「深海棲艦の残存艦隊はガ島に向かっているのをラバウル基地が観測しました。飛行場姫のお陰……なんでしょうね」

 報告してから夕雲は提督の表情に気づく。

「浮かない顔ですね? やはり深海棲艦の動向が気がかりですか?」

 飛行場姫が率いる形になった深海棲艦は、一日ほどトラック近海に留まっていた。
 その間に停戦の約定をひとまず交わし、泊地に捕虜として収容されたツ級の身柄を返してもらうとガ島へと撤収していった。
 負傷の大きい者たちがいるとはいえ、頭数としてはなおも二百弱の深海棲艦を擁した大艦隊になる。
 一時は分裂を起こし現在も決して一枚岩とは呼べないが、それでも飛行場姫の存在は大きくひとまずのまとまりを見せていた。

「俺は幸運だなと振り返ってたんだ」

 夕雲に直視されて、提督は視線を逸らすように泊地の全容を見直す。
 その場に留まったままの夕雲は提督の反応を待っている。

「こうして停戦にこぎつけたのも前任や周りのお膳立てがあってこそだ。でなければ実現できなかっただろうし、そもそも自分の力で提督になったわけでも……」

「運も実力の内、と言います。それでいいのではありませんか?」

 遮るように夕雲が言うと、提督は穏やかに頭を振る。

「巡り合わせの妙を感じてるだけで悲観してるわけじゃないぞ」

 提督は夕雲と目を合わせる。
 疲れをにじませた顔をしているが、表情そのものは暗くない。

「俺自身もこういう決着を望んでいたし……それはそうとして、お咎めなしとはいかないだろうが」

「え?」

 夕雲は予想してなかったらしい言葉にきょとんとする。
 自嘲するような、どこか他人事のような物言いが続く。




「勝手に敵と和解して停戦の話をつけようなんて、現場の指揮官が行使できる権限を越えてるからな。独断専行が過ぎる」

「ですが大本営とて和睦を目指していたはずです。だからこそ深海棲艦を受け入れようと……」

「上がそういう意図を持っているにしても正式な命令は出てない」

「では停戦は……」

「それは大丈夫だろう。泥沼を終わらせる機会をみすみす逃すほど上は愚かじゃない」

「……提督はどうなるのですか?」

「情状酌量ぐらいはしてくれるにしても、どこか遠方なり閑職に飛ばされるか……予備役も勧められるかもしれないな」

 提督の言に夕雲は押し黙る。
 思案を巡らせているであろう顔に提督は笑いかける。

「それはそれでいい。今まで生き延びてこられたのも、この結果を導くためだったかも……となれば俺は役目を果たしたんだろう」

「運命、ですか?」

「どうかな。自分でそれらしく言ってはみたが……生き死にはもっと理不尽だ」

 今度は提督が黙ってしまうが、次に口を開いたのも提督だった。

「一つだけ言えるのは、それぞれが力を尽くした結果が今というこの時だ。みんな、よくやってくれたよ」

「本当に……みなさんの活躍には頭が上がりません」

「おいおい、みんなの中には君も入ってるんだぞ」

「……もちろんです。だって夕雲型は」

「主力の中の主力なんだろう?」

「主力オブ主力ですよ」

「意味は同じじゃないか」

 顔を見合わせたまま二人は静かに笑い合う。
 そうして余韻が収まると、提督は姿勢を正して右手を軍帽のひさしに当てて礼をする。
 夕雲も反射的に答礼の形を取ると、提督の張りのある声が続く。

「よく戻ってきてくれた」

 厳かに敬意を払われていると夕雲は感じ、この二日の間に帰還の報告もきちんとできていなかったのを思い出す。
 提督をまじまじ見つめ、思わず言葉を詰まらせる。
 それでも平静を装って声を絞り出す。

「ただいま、戻りました」

 夕雲の耳には自分の声がかすれそうで水っぽく聞こえた。
 帰ってきたんだと、夕雲はようやく実感できた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 トラックでの海戦が終息してから三週間が過ぎ、三月も中旬に入ろうという頃。
 飛行場姫がツ級を筆頭に少数の護衛を伴って、トラック泊地へと再び訪れていた。
 停戦協定を結ぶためで、政府関係者や妖精も交えて交渉が行われた。

 協定は成立し、すでにラバウルやブインを包囲していた潜水艦隊も包囲を解いて撤収している。
 ただし飛行場姫たちとの停戦は成立しても、深海棲艦そのものとの停戦には至っていない。
 結局のところ飛行場姫たちはガ島を根拠地にした一艦隊でしかなく、深海棲艦の本拠地は北米大陸に存在している。
 それでも太平洋側の脅威がひとまず消えたのは確かで、将来的にも大きな前進なのは間違いない。

 協定では互いの戦闘行為を禁じ、またブイン基地の放棄も決定されていた。
 一方でラバウル基地の存続は深海側も認め、細部は未定ながら双方の交流を目指すという方針も定めている。
 停戦からさらに一歩踏み込んだ話なのは、深海棲艦の本流から背く形になった飛行場姫たちの事情に拠るところも大きい。
 そういった取り決めが済んだ後、広々とした応接室で飛行場姫はコーワンらと再会した。

「久シブリ……ソノ様子ダト悪イ扱イハサレテナカッタヨウネ」

 飛行場姫はあまり愛想を感じさせない様子でコーワン、そしてホッポに言う。
 コーワンたちのすぐ後ろにはヲキューが控え、さらに部屋の片隅では扶桑と山城の姉妹も場に立ち会っている。
 一方で飛行場姫の側にもツ級が護衛として立つが、以前と違い彼女は鳥海と酷似した素顔を隠していない。

「エエ……ヨクシテモラッテル」

 応じるコーワンは対照的に穏やかにほほ笑んだ。
 そんな彼女を飛行場姫が直視していると、困惑したようにコーワンが首を傾げる。

「ヲキューニ聞イテナカッタノ?」

「アノ時ハ戦場ヨ……ユックリ聞イテラレル時ジャナイ」

 やはり愛想の薄い声音で飛行場姫は応じる。
 その響きに何かを感じ取ったのが、コーワンは神妙に頭を下げた。

「……アナタニモ苦労バカリカケテシマッタ」

「……分カッテルナラヨロシイ」

 そこで初めて飛行場姫は少しではあるが相好を崩した。
 いくらか和らいだ雰囲気になった飛行場姫は、成り行きを見守るような扶桑姉妹たちへ視線を投げかけてからコーワンに問う。

「艦娘ヤ人間ト会エテ……ヨカッタ?」

「エエ……ヨカッタシ正シカッタトモ信ジテル……アナタモソウ気ヅイタカラコソ……」

「私トアナタハ違ウ……アナタホド楽観シテナイ」

 コーワンの言葉を飛行場姫は遮るとはっきり言うが、ホッポがそこに首を傾げる。




「ダケド……戦ウノヲ止メテクレタヨ?」

「ソレハ……歩ミ寄リモ必要ダト思ッタカラデ……」

 言い繕うとする飛行場姫にホッポは明るい顔で頷く。

「ヤッパリ分カッテクレテル!」

「ッ……私ノコトヨリアナタタチ! コレカラドウスルノ……島ニ帰ル気ハアルノ?」

 あからさまにごまかす物言いだが、ホッポはそれを気にした様子もなく答える。

「イツカハ帰ルヨ……デモ、ソレハ今ジャナイノ。島ジャ分カラナイコトガ……タクサンアル」

「ホッポ……私モ同感……我々ノ未来ハヨウヤク開ケタバカリ……白紙トソウ変ワラナイ……」

 コーワンが釣られたように話すが、言葉の最中で沈痛するように目を伏せる。
 それを飛行場姫は見逃さなかったが、あえて触れる真似もしない。

「私ハ白紙ヲ彩リタイ……」

「……アナタハドウナノ、ヲキュー?」

「私デスカ? 先ノ戦イヲ生キ延ビタノデ……モット艦娘ヲ知リタイデス……彼女タチハ面白イノデス」

「ソウ……触レレバ変ワルカ……」

 飛行場姫は後ろのツ級に振り返る。
 ツ級は儚く笑う。多くを語らないが、彼女もまた心境が変化してると確信できる。
 もっとも、ツ級には接触よりも喪失による変化のほうが強い影響を与えたのかもしれない。

「結局……ミンナシテ探シ物ガアリソウネ……」

 飛行場姫は言うと、ひざまずいてホッポを抱きしめる。
 しばらくそのままでいたが、それが済むと今度は立ち上がってコーワンに同じようにする。

「イツ帰ッテキテモイイヨウニシテオクカラ……離レタ所ニイテモ……アナタタチハ大切ダカラ……」

「ウン……絶対帰ルカラネ」

 久々の再会。そしてしばしの別れ。
 答えるホッポの目には雫がある。
 黒いはずのそれも、光の加減か輝いているように飛行場姫には見えた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 朝日の昇り始めた海原に快活な声が通る。

「それでは白露、並びに時雨。ガ島への交換留学に行って参ります!」

 白露の宣言に合わせて、他の白露型が思い思いの別れの言葉を一斉に言う。
 一言二言を異口同音、ではなく本当に好き勝手に言うものだから。

「ちょっ、みんな同時に言われても聞き取れないってば!」

「こういうところは白露型って感じだよね」

 時雨はしょうがないと言わんばかりだが、表情は満更でもなさそうだった。
 ガ島の深海棲艦と停戦してから半年が過ぎると、艦娘たちを取り巻く環境はまた大きく変わりつつある。
 その中で深海棲艦との交流も本格的に検討されて、それぞれが少数ずつ交換留学を行うと話が決まった。
 あたしは栄えある第一陣として真っ先に名乗りを挙げ、そのまま艦娘を代表とする留学生として承認されたのでした。
 さっすが、あたし。一番に愛されてるね。

「二人のことは二度と忘れないっぽい」

「や、たぶん正月とかには一旦帰ってくると思うからね?」

 夕立が冗談だと思うけど、本気っぽい顔して言う。
 すると夕立は不思議そうに首を捻った

「でも艤装とか持っていく許可は降りてるっぽい。護衛もついてるし危ないっぽい」

「あー、そこは一応は停戦中だしね。非武装にしたくても、まだ深海棲艦の本隊は敵のままだし……」

 艦娘も深海棲艦も留学生は共に艤装や兵装の持ち込みが認められてた。
 深海棲艦の主流とは未だに敵対してるし、ガ島の深海棲艦も主流からすれば裏切り者になる。
 なので交戦する可能性は残ってるし、そんな時に戦力にもならない、自衛もできないのはという話だった。

「……そこまで互いに信用できてないのもあるかも」

 時雨がそんなことを言う。
 ただ時雨の言い分が間違えてるとも言えないので、何も言い返さなかった。
 あたしとしては、そういう関係だからこそ橋渡しみたいにならないといけないと思ってるんだけど。
 なんてことを考えてると風呂敷を持った春雨が寄ってくる。

「白露姉さん、差し入れにマーボー春雨を作ったんです。濃い目に味付けしたので日持ちすると思います……それと乾燥春雨も。水で戻せば一杯に増えますから!」

「あ、ありがと……」

 勢い込んで渡されて、ちょっと引き気味になる。
 もちろん厚意なんだから、ありがたくもらっちゃうけど。
 受け取りながら、ちょっと気にかかってたことを尋ねる。




「春雨も行ってみたかった?」

「興味はあります……でも、今の私が行くのもなんだか違う気がして……」

「そっか。入れ替わりで向こうから来る子に優しくしてあげてね?」

「はい、任せてください!」

 眩しくなるような笑顔で言ってくれるんだから、本人の言うように大丈夫なんだなって思えた。
 他の姉妹たちにも改めて挨拶していって、残すとこは最後の一組というか一人になった。
 江風――の後ろに隠れるエメラルドみたいな髪をした妹。山風。

「姉貴たちにちゃんと挨拶してやってくれよ」

 江風は後ろに隠れる山風をそれとなく前に押し出す。
 山風は俯き気味に、だけど上目遣いに顔を合わせようとしてくる。
 つくづく思うのは、今まで姉妹にいなかったタイプだ。

 山風が着任して来たのは、ほんの一月前ぐらいだった。
 あんまり馴染めないままだったなーと白露は振り返る。
 積極的に話したりはしてたんだけど、どうもそういうのがあんまり得意な子じゃないらしい。
 江風には気を許してるようなので、孤立してるってことはないし安心はしてる。
 まあ、未だにちょっと警戒されてるような態度はちょっと寂しいけど。

「あの……あたし……」

「こういう時はね、行ってらっしゃいって言うんだよ」

「……行ってらっしゃい」

「うん、行ってきます」

 山風の頭を撫でてあげると、くすぐったそうに目を細めた。
 まあ警戒されてても、嫌われてはいないようだしそれでよしとしよう。

 言葉を直接交わしたのは妹たちだけだったけど、泊地の他の仲間も見送りに来てくれてた。
 その人たちにも手を振ってから、あたしたちは輸送船に乗船する。
 輸送船が出港してからも時雨と一緒に甲板に上がって、それぞれが水平線と地平線とに消えるまで離れようとはしなかった。
 完全に見えなくなったところで白露が時雨に笑いかける。

「しっかし時雨までついてくるとはねー」

「もしかして嫌だったかい?」

「まさか。頼りになるし来てくれて嬉しいよ。ほんと言うと、かなり意外だったけど」

「ボクも思うところはあるからね。それに姉さん一人でも心配だし」

「あたしのどこに心配する要素があるってのよー……あれ?」

 白露が何かに気づき、時雨も背後を振り返る形でそちらを向く。
 反対側の舷に妖精がいた。水兵帽を被って猫を連れている。




「妖精か。あんまり見かけないタイプな気がするけど」

 そんな妖精に白露が向かってつかつか歩いていく。
 時雨は不思議に思いながらも、そのあとを少し離れて追う。
 猫の腹を触っている背中に声をかける。

「あなたもガ島に……って、この船に乗ってるならそうに決まってるよね」

 話しかけられると妖精は猫から手を離して振り返る。

「その通りですよ、白露さん」

「あれ、名前知ってるんだ?」

「我々の中では有名人ですからね。後ろの方が時雨さんですよね。ご高名はかねがね」

 妖精は笑顔を崩さずに頭を下げる。
 その後ろで猫が興味あるのかないのか、寝そべりつつも上半身を起こして見ていた。猫はのどかそうな顔してる。

「あなた方は深海棲艦を受け入れたんですね?」

「そうなる、のかな? 色々あったし」

「コーワンたちが本気だったのは間違いないからね」

「っていうか、あなたもそういう気持ちがあるから、ここにいるんじゃないの?」

「……そうかもしれませんね。我々の場合、深海棲艦よりも彼女らに仕える小鬼に用があるのですが」

 小鬼かぁ。そういえば私たちにとっての妖精が、深海棲艦にとっての小鬼みたいな話をホッポがしてたっけ。

「今は停戦。行く行くは和解……上手くいくと思いますか? もしかすると知れば知るほど相容れない相手だと気づいてしまうかもしれません」

 妖精はほほ笑んだまま問いかけてくる。
 時雨は硬い顔で妖精を見ていた。もしかしたら、と考えているのかも。
 そして妖精の顔を見ていて、白露は直感的に思うことがあった。




「……不安なんだね?」

「そう見えますか?」

「だって上手くいくか分からないから。それに妖精たちが深海棲艦や戦争をどう考えてるのか、あたしは知らないし」

 妖精は何も言わない。笑顔を張りつかせたままの視線だけはこっちを見ている。
 あたしとしては思うように言うだけだった。

「よくなると思って、そうなるようやってくしかないんじゃない。足踏みしてても何も変わらないんだし」

「問題が起きてからでは遅い、とも言えませんか?」

「そりゃあ考えなしでいいとは言わないけどさ。まずは動いてみないと分からないことってあると思う」

 妖精は何も言い返してこない。別に言い負かそうとかそういうんじゃないけど。

「ただ闇雲に怖がったり避けようとするよりも、深海棲艦をもう少し信用してもいいんじゃないかな? あたしたちが今ここにいるのって、そういう気持ちがあるからだと思うんだよ」

 甘い考えなのかなとも思うけど、そうでなかったらトラックでの戦いの時点でどうにもならなくなってたんだし。
 だからあたしは信じたいし、信じてあげなきゃと思ってる。

「……ちょっと偉そうだったかな?」

「いえ、よく分かりました。すっきりするとは、こういうことなのでしょうね」

 妖精はそんな風に言う。本当にすっきりしたのかは、ちょっとあたしには分からない。
 この話はこれでお開きだった。
 あたしとしては自分で言ったことを自分から反故にしないようにしようと、ちょっぴり思った。
 そうして、いきなり頭に閃きが走る。思うままに時雨と妖精に向かって宣言した。

「あ、そうだ! 島には私が一番最初に上陸するんだからね? 抜け駆けは絶対になしだよ!」

「……当日はこの子が粗相をしないよう見張っておきますね」

 猫は眠たそうにあくびしている。なんというか……心強く感じた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 トラック泊地に海の見える高台があり、そこには慰霊碑が設置されていた。
 後々になって第二次トラック沖海戦と名づけられた海戦の戦没者を偲ぶためのものだ。
 その戦いでは決して多くないながらも人間、そして深海棲艦が死んでいる。

 海戦からはおよそ二年の月日が流れていた。
 正確にはあと一ヶ月でニ年が経つ。

「つまり、あんたが逝ってからはもう二年過ぎてるんだ……早いもんだよな」

 墓の前で木曾はそう声をかける。
 慰霊碑の置かれた区間には他にいくつかの墓があり、その内の一つがガ島で果てた初代提督の墓だった。
 あまり大きい墓ではないが、来るやつが多いのかよく手入れされている。
 それでも久々に来たのもあるし、墓石を掃除して酒を供える。

 墓といっても、ここに提督の体はない。
 海にまつわる慰霊碑や墓標なら往々にして起きる話だ。
 ただ、この墓には提督のしていた指輪が納められている。
 墓を立てるに当たって鳥海が提供した物だ。

「吹っ切ったってことなんだろうな、あいつは。あんたはそういうの寂しく思うのか……それとも喜ぶのかね」

 どっちか二つに一つなら喜びそうだな。そんな気がしてならない。
 それからしばらく近況報告する。
 自分のこと、姉さんたちのこと。トラック泊地の再編を機に、それぞれ異動先が二つに分かれてしまったけど上手くやっていた。
 ヲキューたち深海棲艦もだいぶ馴染んできて、少なくともどこの泊地でも現場レベルじゃ完全に受け入れられてる。

 一方で深海棲艦そのものとの交戦は未だに続いてるのも報告した。
 穏やかな二年だったけど、この半年は北方方面の動きが活発で迎撃戦も多かった。
 そうした動きもあってか、今年はこちらも大規模作戦を実行するのが決まっている。

 欧州への派兵だってさ。いつの間にこんなことになったんだろうな。
 深海棲艦との戦いはまだ続いているが、それでも終わりは見えてきたように思う。

 俺も作戦に参加しなくちゃならない。
 もしかすると、こうして墓前に来てやれるの今回が最後になるかもしれなかった。
 胸の内でそんなことを考えていると、後ろに人の気配を感じた。
 振り返ってみると摩耶がいた。摩耶はさわやかに笑うと片手を上げる。




「久しぶり。最後に会った時とあんま変わらないな」

「それはお互い様だろ。元気にしてたか?」

「まあな。あたしにも挨拶させてくれよ」

 半歩ぐらいずれると、手ぶらの摩耶は墓に向かって黙礼した。
 それが済むと摩耶と色々話すことになる。久々に会えば積もる話も多い。
 やっぱり北のほうって寒いのかとか向こうの魚って旨いのかとか、そんな取り留めのない話をしてから。

「木曾も遣欧艦隊入りだっけ?」

「来月にはシンガポール入りだよ。ということは摩耶もか?」

「うん。うちからはあたしと第八艦隊だな。藤波はどうにか理由つけて辞退したがってたけど」

「藤波?」

「そういや木曾は会ったことないんだっけ。夕雲んとこの妹の一人で」

「ああ、島風と競い合ってるってやつか」

 そう言うと、摩耶が不思議そうな顔をする。
 どうして知ってるんだと言いたそうな顔に、先に答えてしまう。

「実は鳥海と手紙のやり取りはしててな。なかなか気に入ってるみたいじゃないか」

 文面では抑え気味だが、慈しんでるような印象を受けた。

「まあ肩を並べて同じ戦場で戦う機会はなさそうなんだけどなあ」

「教導艦になったからな、鳥海のやつ」

「今じゃ深海棲艦の面倒も見てるからな……これも知ってたか?」

 頷き返す。
 第二次トラック沖海戦の後から現在もトラック泊地が要所であるのには変わりない。
 それに加えて深海棲艦の受け入れ先としても最も活発な場所になっていた。

 鳥海はどこかで戦う以外の自分を見つめていたのだろう。
 深海棲艦との交流が活発化したのを機に、教導艦として転進の道を歩み始めた。




「摩耶からしたらどうなんだ。鳥海の教導艦ってのは?」

「向いてるさ。なんたって鳥海だぞ」

「理由になってないな」

 思わず笑ってしまう。でも摩耶の言いたいことは分かる。
 戦うだけが全てじゃないと、鳥海は身を以って証明したいんだろう。
 ただでさえ、あいつは戦いの中で多くを見て多くを失ったとも言える。

「行き着くところに行き着いたんだろうな」

「……だろうな。鳥海のそんな姿を見せてやりたかったって、ここに来ると考えちゃうよ」

 摩耶は提督の墓標を見つめる。そんな摩耶に答える。

「……見なくても分かってたんじゃないかな。鳥海が戦う以外の道を見つけるってのは」

「だといいな……」

 あいつはどこかで戦後を考えていた。
 提督という立場なら当然なのかもしれないが、終わりの先というのを意識していたように思う。

 今の俺たちはその終わりの先に向かっている。
 あるいはもしかすると、すでにそこに進んでるのかもしれない。
 そして今の道には提督の残した足跡みたいなのが確かに存在してる。

「でもやっぱり……もっと俺たちを見ていてもらいたかったよ」

「木曾……」

 あんたがいなくてさみしいよ。
 ここに来た時ぐらいはそう思ってもいいよな……提督?




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ネーネー、ネネッネー」

 ハミングのような声が重なって聞こえてくる。
 そう聞こえるのは二人で声を出しているからで、声の主は二人のネ級だった。
 波止場で待ち合わせていた私に彼女たちは声をかけてくる。

「こんにちは、艦娘のお姉さん」

 挨拶してきた彼女たちの背はそれほど高くなく、二人とも表情にはまだあどけなさを残している。
 彼女たちはよく似た顔立ちながら、前髪の分け方が左右で違うし目の色も赤と金色と分かれている。
 左分けのほうが赤で、右分けが金色。あのネ級の赤と金の瞳を思い出す。

 彼女たちとは初対面だけど、あらかじめ来るのは知らされていた。
 私は彼女たちを笑顔で迎える。
 初めからそうするつもりだったし、会ってみたら自然とそうなっていた。
 驚いたのは、彼女たちの言葉が流暢だったこと。

「言葉が上手いって? 白露ねーさんとか時雨ねーさんが教えてくれたからね」

 赤い目のネ級が胸を張る。意外と大きそう。

「いっちばーんって言っててかわいいんだよ。え? 知ってるの?」

「前にお世話になった方と出立前に言ってたではありませんか」

「そうだっけ?」

「たまに思うんですけど、ネズヤって鳥頭ですよね?」

「むっ、方向音痴のネマノに言われたくないなあ」

 ほっとくとこのまま脱線しそうな二人を軌道修正。
 金目のほうのネ級が慌てた様子で謝ってくる。

「ごめんなさい……そういえばちゃんと名乗っていませんでしたね。私がネマノであっちがネズヤ。語呂が少々悪い名のような気もいたしますけど……」

「えー。せっかく白露のねーさんが考えてくれたのに?」

「それには感謝してますけど、もっとこう……エレガントな感じにしてほしかったんですの!」

「またそういう訳の分かんない感覚で話すー」

 茶化すように笑うネズヤに、ネマノは頬を膨らませる。
 白露さんがこういう名前をつけてしまった理由が分かったような気がした。
 そんなことを考えているとネマノがじっとこっちを見ていた。




「あの……以前にどこかでお会いしませんでしたか?」

「もしかして口説き文句?」

「どうしてそうなりますの!」

「でも、実はわたしもそんな気がしちゃうんだよね……これって運命?」

「そっちのほうがよっぽど歯の浮いた口説き文句ではなくて?」

 私が何か言う前に二人はどんどん話を進めていってしまう。
 あえて口を挟まないでいると、今度はネズヤのほうがこっちに気づいて叫ぶように言う。

「ほら、変な目で見られちゃってるじゃん!」

 どちらかというと、このネズヤのほうが身振り手振りと何かと動きのある子だった。
 思わず失笑しながら、そうじゃないと伝える。

「あなたたちは私が知ってるネ級とは、ずいぶん違うんだなと思って」

 そう言うと二人は驚き、それから顔を見合わせた。

「……姫様が教えてくれました。私たち双子の前にいたネ級は一人だけだったと」

「私たちもそのネ級……姉さんをなんとなく心に感じることがあるんだよ。夢で見るような……?」

「似てはいないんですね……分かってはいましたけど」

 それから二人は一転して黙り込んでしまい、声をかけづらい雰囲気になってしまう。
 やがて金色の、ネマノのほうが口を開く。

「あの……あなたのお名前よろしいですか? わたくしとしたことが大切なことを忘れていましたわ」

 確かに名乗りそびれていた。
 深呼吸一つ。実を言うと、ちょっと緊張してる。

「私は鳥海です。よろしくお願いしますね」

 よかった、ちゃんと言えた。
 ぶっきらぼうになってしまうんじゃないかと思っていたから。
 二人のネ級は声を揃えて言う。

「あなたに会えて、とても嬉しいです」

 満面の笑顔が向けられていた。
 見上げれば蒼い空。浮かぶ雲は筆で刷いたようなかすれかたで、太陽は温かく眩しくて。
 見下ろせば青い海。光を浴びて白く輝きながら、永遠に絶えそうにないうねりを見せて。

 良いことも悪いことも、この世界には多くがあふれている。
 ここが私の生きる世界。多くの日常と非日常が混ざり合う、空と海の狭間。
 忘れ得ぬ想いを胸に、私は今日もここにいます。





これにて完結です。長い間、お付き合いいただきありがとうございました。
ううん、何か最後だし書こうと思ったのですが、あんまり思い浮んでこないもんですね。
一つだけ言えるのはもう一年は早く完成させたかったけど、延び延びになっても完結まで持って行けたのはどこかのどなたがたが読んでくれたお陰だなと。
世辞でもなんでもなく本当に、ありがとうございました。またどこかでお目にかかれれば幸いです。

大作お疲れ様
スレ埋まりそうでずっと書き込みできなかったけどやっと書ける
いい作品をありがとう

おつ、読み終わった。
合計何文字くらいだったんですか?

>>978
ありがとうございます。いい作品になってくれてるなら、自分としても肩の荷が下りる感じですわ

>>979
おつありです。ざっくりですが四十九万文字ほど。なんで五十万弱ですね……こんなに書くことになるとは


これからのことなんですが、これをハーメルン辺りに持っていってみようかなと最近は考えてます
過去作でしか説明してない人間関係あったりとかで、実際にこれをこのまま持っていっていいかは悩みどころですが
なんにせよ、本当に移るならひっそりここでまた告知だけしようかとは思ってます

遅くなったけど乙でした
最初から追ってたけど読みごたえあって面白かった

>>981
最後まで付き合っていただきありがとうございます。面白かったって言うのは作者にとっては最高の褒め言葉だと思っております

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2017年12月19日 (火) 12:39:18   ID: GTO7nPnP

余分が多くて冗長だなあ
他作だと話の組み方上手いのに

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