レシプロ時代の最後を見た男の話 (38)
1944年2月2日。
彼はその時、リパブリック社のテストパイロットとして、XP-72のコクピットにいた。
『はじめまして、パイロット』
「はじめまして、ベイビー」
このような会話があったかどうかは定かではない。
生まれて間もない“ベイビー”はこれより、初の試験飛行に入るのだ。
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同社の名機、P-47「サンダーボルト」をベースに試作された高速迎撃機、XP-72。
それの見た目は相も変わらず“太っちょ”なままだった。
だが、その重厚な守りに固められた姿が、搭乗者に一種の安心感を与えてくれることもまた事実だった。
なにより、男は誇りに思っていた。
何故ならこいつは、「ライトフライヤー」の初飛行から数えて約40年。
恐竜的進化を遂げ続けたレシプロ機の“極限”となるべく、生み出された機体だったから。
荒野に囲まれたこのだだっ広い自社飛行場の片隅で、誘導員の“回せ”という指示に従い、作業員が慌ただしく機体に取りつく。
一人が手でプロペラに回転を与えると、もう一人がコクピット後方の慣性始動機に突き刺さったクランクを思い切り回した。
しばらくして、前方の作業員が自身の手で“グッド”の形を作り、それを確認した男は顔に笑みを浮かべる。
その後、彼は作業員が下がった頃合いを見て、プロペラ軸と慣性始動機を直結させた。
P&WのR-4360星形28気筒エンジンがブルンと唸りを上げる。
やがて、巨大な四翅プロペラが力強くはためくと、アスファルト上の塵屑が一斉に宙を舞った。
『ねぇ……怖いよ』
「大丈夫だ、俺がついてる」
命を吹き込まれたそれは、やがて大地をゆっくりと滑り出した。
優れた搭乗者の手によって、操縦桿がゆっくりと引き倒される。
XP-72はその大きな首を起こし、自身を青い空に向かって、思い切り蹴り上げることに成功した。
背後の工廠施設と飛行場が、精巧なミニチュアのように小さくなってゆく。
ベイビーの手が、大空に届いた瞬間だ。
薄雲が、あっという間に眼前まで迫る。
そのずば抜けた上昇速度に、男の胸は高鳴った。
『僕、すごい?』
「あぁ、おまえはきっとすごい奴さ」
やがて、試験飛行高度に到達したXP-72。
男の右手で温まった重いスロットルレバーを、そのまま奥に向かって押し出した。
未知の速度領域に踏み出す時、彼は決まって口ずさむのだ。
「最高だ」
……と。
………………
…………
……
「746km/h」
上記の数値は、同時代の多くのレシプロ機を凌駕する数値だった。
だが、飛行場でXP-72の帰りを待っていた多くの社員は落胆した。
過給機の無い試作機とはいえ、最終目標値である「811km/h」には到底及ばない数値であったからだ。
当然、これには報告をした男自身も落胆していた。
『ごめんね』
「なに、こっちの力不足のせいだって」
「気に病むなよ、まだ終わりじゃないさ」
そう言って、男はジュラルミンがむき出しとなったボディに向かって、握り拳をコツンとあてた。
XP-72は飛行場に併設された格納庫で、しばしの眠りにつくこととなる。
速くなって、再び空を飛ぶことを夢見て……。
……
…………
………………
時は流れ、1944年6月26日。
男はあの時と同じ、XP-72のコクピットにいた。
……だが、かつてのベイビーの鼻先についていたプロペラは、その数を増していた。
エンジンの改良、それに伴う高速化を効率的に行うため、二重反転プロペラを採用したXP-72の新しい姿だ。
『ハロー、久しぶり』
「ハローハロー」
「前より、ハンサムになったな」
『ふふん』
「今日こそ頼んだぜ」
『うん、任せてよ』
バブルキャノピーの前面で、アメリカンクラッカーのようにはためく異形のプロペラ。
前からではなく、男の背中で響き渡る未知の振動。
こういったあらゆる要素が、彼の経験を過去のものとしている。
だが、男にとってはそれでも良かった。
パパパパパパッ
レシプロエンジン特有の、軽快な音がそこにある限り。
陽の光を遮るものはなく、頭を覆う丸い飛行帽には熱がこもっていた。
だが、男はそれを意にも介さず、真剣な眼差しで空を睨んだ。
空は、綺麗だった。
戦争の真っ只中、敵の気配など微塵も感じさせない大空。
迎撃のために生み出された極限のレシプロ機は今まさに、滑走をスタートしたところだ。
そして、かつてのベイビーは再び大地を蹴り上げ……空を飛んだ。
極限の速さへの、二度目の挑戦のために。
グースの群れを、はるか眼下に望む。
広大な荒野のむこうで、地平線がこの星の形に沿って美しい弧を描いている。
男がスロットルを倒すと、XP-72はかつてない伸びを見せた。
ジュラルミンとエンジンの怪物が、蒼穹を往く一筋の弾丸となった瞬間。
男は思った。
これなら「いける」と。
「まったく、最高だ」
『へっへん』
『……ねぇ』
「ん、なんだ」
『あれは、何?』
『一番速いのは、僕じゃなかったの?』
男は自機の斜め前方に、かすかな白い機影を見た。
“プロペラの無い”そいつは、彼らをあっという間に置き去りにしていったのだ。
男は声も出なかった。
それが、何かの間違いだと思いたかったから。
……
…………
………………
この時、「789km/h」という“レシプロ機の”水平飛行最速記録を叩きだしたXP-72.。
だが、当機が陸軍に採用されることは、結局最後までなかった。
理由はふたつあった。
ひとつは、戦争が優勢に傾いていたアメリカにとって、「迎撃」の対象となる敵がいなくなりつつあったこと。
そして、もうひとつは……あの時の白い影だ。
白い影の正体……ロッキード社が開発したアメリカ初の実用ジェット戦闘機「P-80」の成功は、既に確実視されていた。
それは、XP-72の二度目の飛行に先んじた、同年の6月11日にまで遡る。
試作一号機「XP-80」はこの時、初飛行にも関わらず、低空で「890km/h」という優れた記録を打ち立てるに至った。
これは、従来のレシプロ戦闘機との性能格差を示すには、あまりにも十分すぎる結果だった。
bf-109やfw-190といった極めて高性能な戦闘機を擁していた敵国ドイツにおいても、ジェット戦闘機は既に実戦投入にまでこぎつけている。
となれば、終戦後の先進を担うことを目指したアメリカが、これを取り入れない手はなかったのだ。
新たな空の時代の幕開け。
ジェット機という分野はついに黎明期を迎え、ここから更なる発展が見込まれた。
しかし、既にそれに劣っていながらも、進化の袋小路に立たされてしまったレシプロ機に、もはや未来はなかった。
『僕はもう、みんなに必要とされていなかったんだね』
「…………」
『……でも、短い間だったけど、楽しかったよ』
『ありがとう』
「…………」
暗く、静かになった格納庫の片隅で、男はただ震えていた。
握り拳を作っては解き、作っては解き。
スクラップを待つのみとなったベイビーに、彼はただ寄り添うことしかできなかった。
こうして、時は流れてゆく。
戦争に導かれ、目まぐるしく移り変わる航空史の1ページとして、彼らもまた綴じられゆくことを受け入れなければならなかった。
……だが、男にはそれが出来なかった。
……
…………
………………
1964年12月22日。
あれから20年の時が経つ。
大戦における戦勝国となったアメリカはこの頃、ソビエト連邦を盟主とする共産主義との戦い、ひいては泥沼のベトナム戦争へと踏み出していた。
航空史においても、1953年にベル社のロケット実験機「Ⅹ-1」が、人類史上初の水平飛行による音速突破を果たしている。
これを皮切りとした航空機の発展は、大変目覚ましいものがあった。
だが、そこにレシプロ機の伸びしろなど、ほとんどなかった。
大戦後、ジェット戦闘機「F-105」を世に送り出していたリパブリック社に、フェアチャイルド社による買収の手が迫っていた。
一線を引いていた男は、かつての格納庫に足を踏み入れる。
あの頃と変わらない静けさ。
見る影もなく老け込んでしまった彼は、格納庫の片隅で埃を被ったそれを見つけた。
『久しぶり、パイロット』
「久しぶり、ベイビー」
この日、彼が呼び寄せたのは、かつての会社の仲間達。
社に記念保管されていたXP-72改めXF-72(空軍発足のため)も、博物館行きを免れてずっとここにいた。
そんな同機を燦々と照る太陽の下に晒し出した彼らが、胸に秘めた思いはひとつ。
「今日はお前に、本当の極限を叩き出してもらう」
「わが社が消え、ここがなくなる前に……」
「レシプロ機の最後の意地を見せてくれないか」
『……相変わらずなんだね』
『でも、いいよ』
『僕だって、あのままじゃやりきれなかった所さ』
「くくっ、決まりだな」
男はしばらくぶりの笑顔を見せた。
……
…………
………………
荒野に囲まれたこのだだっ広い自社飛行場の片隅で、あの時の誘導員のせがれが“回せ”という指示を出し、かつての作業員が慌ただしく機体に取りついた。
アル中となった作業員が手でプロペラに回転を与えると、ジジイとなったもう一人がコクピット後方の慣性始動機に突き刺さったクランクを思い切り回した。
しばらくして、前方の作業員が震える手で“グッド”の形を作り、それを確認した男は顔に再び笑みを浮かべた。
あの後、さらなるチューンを加えた特製のP&WのR-4360星形28気筒エンジン改がブルンと唸りを上げる。
やがて、巨大な計六翅のプロペラが力強く交互にはためいた。
あの時のように、アスファルト上の塵屑を一斉に宙へと舞い上げながら。
くすんだジュラルミンが鈍い光を放ち、その大きな機体は雑草がぼうぼうと生えた滑走路を滑りだす。
年老いても尚衰えない、男の操縦技術。
その華麗なテイクオフに、地上の皆は歓声を上げた。
陽を浴びながら宙に浮いた機体はそのまま足を閉じ、なだらかな弧を描きつつ、やがて再び空を目指す。
そう、彼らはこの時……非公式に“幻の三度目”に挑戦しようとしていたのだ。
風を切り、雲を切る。
見渡す大地は以前と様変わりし、至る所で開発が進んでいた。
だが、男の目線は常にコクピットの速度計と、XF-72の向く先を見つめていた。
『ねぇ、行こう?』
「あぁ、行こうか」
この時のXF-72は、速かった。
かつてのライバル社のエース、P-51よりも。
ドイツが生み出した、Ta-152よりも。
そして……。
「789km/h」を叩きだした、かつてのXP-72よりも。
『パイロット』
『……ありがとう』
やがて、コクピットの速度計は本機が「869km/h」に到達したことをお知らせした。
男は吠えた。
時代の進歩と、自分と、こいつが成し遂げた大記録に。
それはレシプロ機に出せる“真の極限値”に、ほぼ間違いはなかった。
古いカテゴリーの中で生み出した記録が、音速の突破にも等しい感動を彼に与えた。
「やったぞ!おい、聞いてるか!?」
『……』
だが、XF-72の声はこの時を以て、ピタリと聞こえなくなってしまった。
男は察する。すべてをやり切ったこいつが、本当に逝く時が来たのだと。
昔からずっと使い続けてきたゴーグルの中で、やがて一筋の涙が流れ落ちる。
そんな中、限界飛行を止めて漂うように飛んでいた彼らの上空を、大きな“黒い鳥”が飛び去った。
あの時と同じロッキード社が生み出した、マッハ3級の試作機が記念すべき初飛行を迎えたのだ。
だが、あれもやがては旧式の烙印を押され、人々の記憶の隅に追いやられることとなるのだろう。
これから先、この空はどうなってゆくのか。
……男はそんな未来に想いを馳せつつ。
事切れようとしていたXF-72をゆっくりと駆り、みんなの待つ滑走路を目指すのであった……。
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戦後~70年代のアメリカ航空史、すげえ面白かったゾ~
見とけよ見とけよ~(迫真)
ここまで読んでいただいた方、楽しく書かせていただきありがとうございました。
おつ
おつ
おっつ
乙
エンテ型でやって、どうぞ
乙乙
乙ー
これはちゃんと終わってよかった
いい
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