闇霊使いダルク「恋人か……」 � (1000)

このSSは遊戯王OCG(オフィシャルカードゲーム)に登場するキャラクターを扱った
オリジナル要素満載の二次創作ファンタジーです。恋愛・バトル描写あり。
更新速度は普通のSSより遅めです。まったりお待ちください

前スレ
(本編レスまとめは>926)

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【前スレまでのあらすじ】

 自身が育った「闇の世界」から、初めて「外の世界」へ独り立ちした少年ダルク。
 闇の霊術を扱うダルクは、独り立ちの日から一週間と経たず、
 それぞれ水・風・炎・地・光の霊術を扱う女の子たちと出会う。
 
 その折で外の世界では、『闇』に属するものは極めて敬遠されがちであることを知る。
 とりわけ光の加護を受けている「町」では、『闇』に対して厳しい取締りが行われていた。
 
 独り暮らしを初めて三日目。必要なものを買い出しに「町」へ出かけたダルクは、
 光の使徒に目をつけられたものの何とか目的を達成し、無事に家へ帰りつく。
 
 『闇』のことはさておき、人里離れた森の一軒家にて、ダルクの本格的な根下ろしが始まる――。


 闇霊使いの少年が「町」から家へと帰り着いてから、次の夜――すなわち次の活動時間。
 
(着いたか……)
 
 ダルクは家を出て森の奥へ進んだ先にある、広い湖へ足を運んでいた。
 その手には、町で買ったばかりの水がめの取っ手が握られている。
 となれば当然ここに来た目的は、生活に必要な水の調達に他ならない。
 
「……」
 
 ダルクにとってこの泉には、浅からぬ因縁があった。
 茂みの陰から緊張した面持ちで、用心深く泉の様子をうかがっていく。
 
(よ、よし。今夜はいないようだな……)
 
 波紋一つ立たない閑けさを確認すると、ダルクは抜き足差し足でほとりへ近づいていった。

 
 
 以下回想。


 
 数日前の夜、この泉にはハダカの女の子がいた。
 ダルクはその女の子――水霊使いエリアが水浴びしている様を、半ば偶然にものぞいてしまった。
 直後、彼女の使い魔によってその場で昏倒させられたダルクだったが、
 その後はエリアの家に運ばれ、エリア本人から献身的な看護を受けたのだった。
 
 そこまでは良かったが、寝込んだダルクが次に目覚めたときにハプニングは起きた。
 エリアの使い魔とのいざこざもそうだったが、問題はその後。
 何を血迷ったか余計な気遣いを起こし、イスで眠っていたエリアを抱え、ベッドへ運んだのだった。
 その時エリアが目覚めたタイミングと、ダルクのいた位置が最悪だった。
 それは第三者が見れば、あたかもダルクが無防備な女の子に悪質なイタズラをしかける直前といった構図。
 枕を抱きしめ、ベッドの上で後ずさるエリア。パニックになるダルク。
 
 満足に弁解も謝罪もできず、ダルクはそのままエリアの家を飛び出してしまった。
 つくづく誤解を招く別れ方だったと後悔せずにはいられない。
 そうして――そのまま今に至るまで、互いに顔は合わせていない。

 
 以上回想終わり。

 
 
 エリアの家は、この泉からすぐ近くにあった。

 夜更けとはいえ、前回と同じように当人と鉢合わせしてしまう可能性は十分にある。
 
 ダルクはどちらかというと、この泉に来るのは乗り気ではなかった。
 謝らなければ、きちんと誤解を解かなければとは思う一方で、
 自分がエリアにした仕打ち、彼女の怯えた表情を思い浮かべると、いま一歩足を踏み出せなかった。
 エリアとのけじめをつけるには、まだ時間を置いておきたかった。
 
 しかし、越したばかりのダルクの家にはまだ飲み水がなかった。
 一応町で購入した小瓶の飲み物はあるが、なけなしのお金で買った貴重な物をおいそれと飲むわけにはいかない。
 そうでなくとも水は生活に不可欠なもの。
 常に家の中に置いて然るべきで、備えは自由に動けるうちに済ませたほうがいい。

 そしてこの泉は、ダルクの師が出立の際に教えてくれたスポットの一つ。
 地図による漠然とした位置しか教わらなかったが、そこは住まいから最も近くにある安全な水場とのこと。
 外の世界に出たばかりのダルクは他の場所を知らず、しばらくはどうしてもここを頼らざるを得ない。
 
 というわけで背に腹は変えられず、ダルクは起きて早々苦い思い出の地へおもむいたのだった。
 

 暗闇のベールが下りた木々の奥に、ひっそりと隠されたような広い湖。
 湖面は余すところなく月星の光を受け、水面の揺れに伴いきらきら照り返している。
 
 あちらこちらで夜虫の唄が忍ばれているものの、湖一帯は静かなものだった。
 周囲には人影どころか、夜行性モンスターの一体も見当たらない。

 もっともダルクにとっては、水色の長髪を持つ水霊使いの女の子さえいなければ十分だった。
 前回の二の舞にならず、まずは一安心……とはいえ、ちょっぴり寂しい気がしないでもない。
 
(よし、今のうちに……)
 
 ダルクは硬い砂地になっている水際まで近づくと、ゆっくりと腰を下ろした。
 手にした水がめを、そっと水の中に沈めていく。
 
 ひらけた場所での目立つ給水作業だったが、ちゃんと保険はかけてある。
 ダルクのコウモリ型の使い魔・ディーが、高所で目を光らせているのだ。
 ディーは万が一のことが起こった際には、すぐに主人に危険を知らせる態勢を取っていた。
 小さいながらもいざとなったら戦いの助けにもなる、ダルクの心強い相棒だ。
 
 しかし――さしものディーも、水の中だけはケアできなかった。
 ダルクも、まさかそんなところから何かが現れるなど思ってもいなかった。
 
「!?」
 
 ダルクが異変に気づいたのは、水を汲んでいる視界の上部の動き。
 水面に映し出された月のゆらめきが、ひときわ大きく膨れ上がったように見えたのだ。
 
「うわっ!」
 
 静かな水音とともに水柱がのぼり、おもむろに形となって現れたのは――亡霊。
 全身白一色の亡霊だった。
 人型のシルエットをしており、顔はのっぺらぼうで表情は分からない。

(アンデッド族か!)
 
 なぜこんなところに。
 とにかくこの至近距離では危険だ。
 
「ディー!」
 
 ダルクは素早く合図しながら、水際から一足飛びに飛びのいた。
 舞いおりた使い魔を宙にはべらせ、杖を突き出して身構える。
 
「……」
 
 亡霊の方に動きはない。水上に出てきて、佇んでいるだけだ。
 しかし油断はできない。ダルクは距離を保ちつつ、注意深く亡霊を観察する。
 
 よく見ると亡霊の白影は、長髪の女性をかたどっていた。
 さらにその背中には、薄桃色をした蝶の翅のようなものが大きく開いている。
 また胴体から下はドレスのように広がっており、それはさながら泉と一体化しているような印象を受けた。
 
(……敵意がない……)
 
 ダルクは杖を下ろした。
 もしかすると、何か大きな勘違いをしているのかもしれない。
 この亡霊には多くの亡霊型モンスターと違い、確固たる存在感がある。ないでも希薄でもない。
 そしてそれは、この泉全体から受ける印象と全く同じだった。
 
『――あなたは泉に害を及ぼすものですか? それとも無害なものですか?』
 
 不意に亡霊が語りかけてきた。
 周囲の空気と共鳴するかのような、優しい女声だった。
 

 
 ダルクは肩の力を抜いた。
 
「害を及ぼすなんてとんでもない。オレは水を汲みにきただけだ」
 
 片腕を斜めに下げ、ディーに周囲警戒に戻るよう指示する。
 そのまま臨戦態勢を解き、ダルクはゆっくりと水際に近づいていった。
 
 先の言葉からして、この亡霊はおそらく泉の主か何かだろう。
 前回のエリアの際は、ダルクは直接泉に干渉しなかったから、きっと現れなかったのだ。
 見立てどおり泉を守護する者であれば、丁重に応じて挨拶をしておかなければならない。
 
「はじめまして。オレは……オレは闇霊使いのダルク。数日前にここに移り住んできた」
 
 ダルクは少しためらったが、あえて『闇』の名を冠して名乗った。
 「町」では自分でタブーとしていたが、この森ではすでにエリアに名乗った前例がある。
 下手に隠すのは逆効果かもしれず、そのうちバレるならいっそここで明かしておきたかった。

『ダルク――あなたはもしや、エリアのお知り合いの方ですか? それとも別人の方ですか?」
 
 亡霊の声が少しだけ柔らかくなる。
 エリアの名を耳にしたダルクは一瞬はっとし、すぐに納得した。
 エリアはここで堂々と水浴びをしていたので、この亡霊と何らかの繋がりがあっても何も不思議ではない。
 
「ま、まぁ、知り合いというか、エリアとはまだ会ったばかりだ」
『エリアの知る方であれば、信用しても良いでしょう』
 
 亡霊は両手を胸に当てた。
 泉全体に、亡霊を中心に大きな波紋が広がる。
 
『はじめまして。私は「泉の精霊」。この湖を守護するものです』
「は、はじめまして」
 
 ダルクは丁寧に一礼したが、その胸中には焦りが生じ始めていた。
 この泉の精霊がダルクのことを知っているということは、当のエリアから何か聞き及んでいるということ。
 そう思い至るやいてもたってもいられず、ダルクは気がつけば口に出していた。
 
「あの……エリアはオレのことを、何か言っていたか?」
『はい。私はエリアから、あなたに関する出来事を詳しく伺いました』
「……そ、それでエリアは?」
『そうですね』
 
 泉の精霊はいったん言葉を切り、すぐに慣れたような口調で続けた。
 
『あなたはエリアが怒っていたと思いますか? それとも怖がっていたと思いますか?』
「えっ?」
『あなたは、私からの口づてでエリアへの対応を決めるのですか? それともそれは影響しないのですか?』
「な、何を……」
 あなたは……いまここで、答えを知るべきと思いますか? それともご自身で確かめるべきと思いますか?』
「! ……そ、そうか」
 
 ダルクは気付かされる。
 エリアがいま自分に対しどんな感情を抱いているか……それを当人のいないところで事前に知る。
 そんなこずるいやり方は、断じて自分でけじめをつけたとは言えない。
 それにどの道どんな対応をされても、きっちり謝るのは変わらない。男なら腹をくくるべきだ。
 
「……ありがとう。エリアの件はこちらでカタをつけておくよ」
 
 とは言ったものの、本当に怒っているか怖がっているかであれば、何とも顔を合わせづらい。
 この泉の精霊はたびたび独特の二択を問いかけてくるが、常にどちらかが正解なのだろうか……?

 ダルクが顔をうつむけたその時、先ほど置きっ放しにした水がめが目に入った。
 そうだったとばかりに、いそいそと砂地に転がっていたそれを拾い上げる。
 
「ところで、今夜ここに来たのは水汲みが目的だったんだが、どうかここの水を分けてほしい」
『もちろん構いませんよ。ただし』
「?」
『できればこの泉を使うときは、私に何か小話をしていってくれませんか?』
「こばなし?」
『はい。なにぶん私はこの泉から出られないゆえ、ろくな楽しみもままならないので』
 
 泉の精霊に顔はなかったが、ダルクはその微かな動きから、何となく微笑んでいるような印象を受けた。

「いきなり小話と言われてもな……」

 ダルクが腕を組んだ直後だった。
 
『!』
 
 泉の精霊があさっての方向に顔を向けたかと思うと、同時に全身の輪郭を大きくぼやかせた。
 まるで綺麗に張っていた水面が、突然何者かにかき乱されたかのように。
 
「どうしたんだ」
 
 ダルクも一瞬で異変を悟り、声をひそめて泉の精霊の視線をたどった。
 ダルクは夜目が利くが、視線の先は岸辺に近い水面。さすがに水中の様子までは分からない。
 
『どうやらあの子を起こしてしまったようです。急いで水を汲んだほうが良いでしょう』
「あの子?」
『はい、この泉に住まうモンスターです。根はいい子なのですが……』
 
 息つくまもなく、使い魔のコウモリ・ディーが慌ただしくしく舞い降りてきた。
 ダルクの耳元で警告の羽ばたきを打ち鳴らす。
 敵性モンスターを感知したときの反応だ。

 ダルクは手早く水がめを引き上げ、蓋をはめ込んだ。
 泉の精霊とディーの反応で、何となく相手の察しがつく。
 
「泉の精霊、ありがとう。小話はまたの機会に――」
 
 静寂を破り捨てる荒々しい水音!
 高く打ち上げられる水柱と、ほとばしる飛沫。
 
「うわっ!」
 
 予期せぬ登場に驚倒しながらも、ダルクはすばやく体勢を整え杖を構えた。
 そのモンスターは水面から飛び上がった跳躍をもって、そのままダルク達の目の前に着地した。
 コケが張りついた浅い緑の身体に、葉脈のように水が滴り落ちていく。

「やはりお前か」

 月に照らされ、ヤツの姿が明らかになる。 
 肩から腕にかけて生えている小さなトゲトゲ、両ヒザから突き出た大きな一本トゲ。
 つま先、手先の爪は鋭く、むき出されたキバは見るものを威嚇する。
 敵意をむき出しにした赤一色の爬虫類の目――。
 
『ギコ!』
 
 泉の精霊の響き声と共に、エリアの使い魔は荒々しいわめき声を上げた。
 ギゴバイトと呼ばれる、二足歩行の肉食恐竜のようなモンスターである。
 ただしサイズは小柄で、単体であればさして脅威にはならない。
 だがその身体に有している武器はあなどれず、本気で襲いかかられたらただのケガでは済まないだろう。
 
「う……寝起きが悪いようだな……」
 
 そして今まさに、ギコは本気でダルクに襲いかかろうとしていた。
 低いうなり声を上げつつじりじりと位置取り、自然にダルクの退路を塞いでいく。
 ダルクの後ろには湖が広がっている。背水だ。
 言うまでもなく、相手が得意とする水中に逃げ込むわけにもいかない。
 
『ギコ、おやめなさい。この方は水を汲みに来ただけです』
 
 ダルクを挟んで泉の精霊が呼びかけるも、ギゴバイトの興奮は収まらない。
 親のカタキと言わんばかりダルクを睨みつけ、一触即発の様子で殺気立っている。
 
 いや、あるいは親のカタキかもしれない。
 ダルクにはギゴバイトの気持ちが分からないでもなかった。
 
 ギゴバイトにしてみれば、親代わりのエリアの裸体を覗き、初対面で自分を無理やり眠らせ、
 あげくにエリアがショックを受けるようなことをやらかして逃げた男、それがダルクなのだ。
 その姿を確かめたなら例え夜中であろうと、眠気を忘れて怒り心頭に発するというもの。
 
『ギコ。この方を傷つけても、エリアは喜びませんよ』

 泉の精霊の制止ももはや耳に入らないようで、ひたすらダルクに憎悪を集中させている。
 こうなってはもう穏便に収まりそうにない。

 
『申し訳ありません、せめて湖の中であれば、私も打つ手はあるのですが……』
 
 泉の精霊のすまなさそうな声に、ダルクは口元を綻ばせて首を振る。
 
「ありがとう。だがここは自分で何とかするさ」
『どうかお気をつけて』
「ああ、大丈夫だ」
 
 ダルクはギゴバイトと向き合い、右足を一歩引いた。
 相棒のディーの位置を確かめ、杖の後端を地面につける。
 対峙する爬虫類族モンスターと闇霊使いの少年。プラス彼の使い魔のコウモリ。 

 泉の精霊はもはや戦いは避けられないと知るや、
 
『私はエリアを起こして参ります!』
 
 と言い残し、音もなく一瞬で水の中に溶けこんでいった。
 聞き捨てならぬ言葉に慌ててダルクが振り返る。
 
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 大丈夫だ、今エリアに会うのは――」
 
 それが均衡を破るきっかけとなった。
 ギゴバイトは唐突にわめき声のような雄叫びをあげ、一直線にダルク目がけて突進した。
 キバ、ツメ、間接部のトゲがギラリと光り、瞬く間に距離を縮めていく。
 
「ディー!」
 
 杖を地面に引きずるダルクは、空いた方の片腕を斜めに下げた。
 ディーは土壇場でのダルクの指示に戸惑う。
 それは「退け」「周囲警戒に戻れ」の合図。この危険が迫っているときに。
 
「いいから!」
 
 ダルクが言い放つと、ディーは素早く飛び立っていった。
 岸辺に取り残されたダルクだったが、その足は動かない。
 ギゴバイトの勢いであれば、引きつけて真横にかわせば盛大に湖に突っ込みそうなもの。
 しかしダルクは腰を落とし、左肩を突き出して歯を食いしばっていた。ギコのタックルを迎え撃つ態勢だった。
 
 当前ながらデス・カンガルーの真似事などできる訳がない。
 また物理攻撃を受け止められるほど、肉体の守りに自信があるわけでもない。
 ダルクの腹の内は、ギゴバイトが現れたときから決まっていた。
 
「うぐっ!」
 
 瞬間、鈍い打撃音があがり、それはすぐに湖の静寂に吸い込まれていった。
 
 たまらず主人を振り返るディー。わずかに困惑した動きを見せるギコ。
 鋭い痛みを苦笑いで覆う隠すダルク。

「……はは……」

 ぽたぽたと滴り落ちる鮮血。 
 
 ダルクの左肩から前腕にかけて、ギコのツメ・ヒザのトゲが食い込んでいた。

 ローブの下に防具など仕込んでいるはずもなく、生身で受けたも同然だった。
 
「そ……相当怒ってたんだな……これはなかなか痛いぞ……」

 主の危機に、たちまちディーが馳せ参じた。
 よくも主人をと言わんばかりに、その一つ目に魔力を注ぎ始める。
 得意技『ダーク・ボム』をギゴバイトに撃ち込むつもりだ。
 すぐに「やめろ」と静かにそれを制するダルク。
 
「オレは外の世界に、争いをしにきたわけじゃないんだ……」



 ディーの襲来に、ギゴバイトの闘争本能が呼応したらしい。
 ギコはダルクに食い込んだトゲを引き抜こうと、身をよじるような動きを始めた。
 
「ぐっ……い、今まで、すまなかったな」
 
 その額に玉汗が浮かぶ。呼吸も荒くなり始める。
 にも関わらず、ダルクは気が気でならない様子のディーに、周囲警戒に戻るよう強く合図した。
 そうして間近のギコに訥々と語りかける。
 
「これで……うぐっ……お前との件は、水に流してはくれないだろうか……?」
 
 これはダルクなりの、ギコとのけじめのつけ方だった。
 ダルクは新居の近隣に住むエリアと、いずれは(下心ナシに)仲良くなりたかった。
 であれば、彼女の使い魔といつまでも揉め事を起こしているわけにはいかない。
 
 また、単純にギコとのやりとりに留まらず、これはダルクの決意表明でもあった。
 『闇』は町で忌み嫌われる。
 それを身に染みて感じたあとだからこそ、せめて自分の住まいの周りでは、不和を生じさせたくない。
 
(ここで……生活していくんだ……)

 
 
 
 しかし、血を見たギゴバイトはますます興奮し、なおも暴れ、引っかき、噛み付こうとする。

 その仕草が、まだ道理が分からない子供であることを強調させ、主人への依存心を覗かせた。
 
「はは……情けないが……オレも頑丈じゃない。これ以上の落とし前は勘弁してくれ」
 
 ダルクが右手に握った杖で、地面に引いた線を結びきる。
 ちょうどギゴバイトの足元に描かれた模様は――陣。
 一つの円形の中に、二つの正三角形を上下に重ねた魔方陣。
 
 下準備が仕上がると、ダルクは杖に意識を集中させ、自らの魔力をこめた。
 そして霊力が十分に満ちるや、瞬間的に強く息をついて霊術を発動させる。

「ふっ!」

 闇霊術――『六芒星の呪縛』。
 魔方陣と闇の力で、描かれた円の上にいる生物の動きを封じこめる術。
 本来はさらに二重に円を囲み、空いたスペースに特殊な術式の文字を書かなければらないが、
 ギゴバイトのような低級のモンスター相手には即席の簡易方式でも十分効果がある。
 
 六芒星が杖に共鳴して紫色のオーラを上げると、果たしてギゴバイトの動きはみるみるうちに鈍くなった。
 ギコはダルクの腕から剥がれると同時に、何かに押さえつけられたかのように魔方陣に張りついた。
 ギゴバイトの苦しそうな、そして何やら不満そうな唸り声が湖畔に響き渡る。
 
「ぐっ……つつ……」
 
 ダルクは安全を確かめると、どさりとギゴバイトの隣に尻餅をついた。
 腕に深く食い込んでいたものが急に離れたので、たちまち衣服に赤黒いものが滲み出していく。
 
 本来負う必要はなく、ともすればまるきり無意味なケガ。
 自己満足なのは分かりきっていたが、少しでも事態が好転することを望んで被った痛手。
 ダルクは、たまに自分は利口なのか馬鹿なのか分からなくなるときがあったが、ちょうど今がその気分だった。
 
「何やっているんだろうな」
 
 その時、ディーが三度ダルクの元へ舞い降りてきた。
 行ったり来たり忙しい使い魔だったが、それも今回で終わりのよう。
 ディーの羽ばたきは、「敵意ないもの・未確認のものの接近」を示していた。
 
「ギコ君! ……ダルク君!!」
 
 外の世界に独り立ちして初めて聞いたヒトの声が、遠くダルクの耳に聞こえた。

 
 

とりあえず支援

>>1です。諸事情あって今月は精神的にかなり参っています。少し時間をください
次の更新の見通しはまだ立っていません
あまりに日を置くようでしたら、スレッドのHTML化>建て直しも考えます
楽しみにしてくださっている方には本当に申し訳ないです。しばしお待ちください

>>23
この一枚絵は今まで見たことがなかったのですが、まさか描き下ろしでしょうか?
すぐに保存させていただきました。素晴らしすぎるイラストをありがとうございました

遅ればせながら明けましておめでとうございます

調べてみてまだ一ヶ月経っていませんでしたが、一応生存報告しておきます
12月より状況がかなり回復しているので今月中に再開する予定ですが、断言はできません

無理な場合はできるだけ早めに判断してHTML化依頼しておきます
楽しみにしてくださっている方々には申し訳ありません

お待たせしました、ご迷惑おかけして申し訳ありません
そして温かいご声援ありがとうございます。では再開します

 
「ギコ君、ダルク君、大丈夫!?」

 まるで幾重にも波紋の輪が広がるような、動的ながらも透明感を帯びた美声。
 聞き間違えるはずもない。
 ダルクは出血でにじむ片腕を必死で押さえながらも、できる限り居住まいを正した。
 再会はまだ先送りする予定だったので、いささか観念する気持ちで彼女の到着を待つ。
 
 ダルクの使い魔のコウモリ型モンスター・ディーも、森の木々に紛れて気配を殺した。
 『六芒星の呪縛』に捕らわれていたギゴバイトのギコも、ぴたりとうなり声をやめる。
 
 夜闇にローブが馳せ、水色の長髪がなびいた。
 大きな杖を抱えた少女が、泉の精霊に先導されるように岸辺を駆け、こちらに向かってくる。
 あの長い透いた髪。焦燥した顔つきでさえ画になる、あの整った容姿。
 一足ごとに危うくはためく、あのミニスカート――はいいとして、もはや間違いなかった。
 夜目の利くダルクは、数日前に知り合ったばかりの女の子の姿を、はっきりと捉えていた。
 
「エリア……」

 ダルクは彼女の名を口にしたとたん気恥ずかしくなり、無意識に口を結んで目を伏せた。
 自分の脈拍を強く感じるのは、果たして腕に負ったケガの所為ばかりなのだろうか。

「な、何があったの?」
 
 やがて少女はダルクの元に駆けつけるが早いか、「大変!」とすぐそばに屈みこんだ。
 
「腕から血が!」
「だ、大丈夫、こんなの大したことは――」
「これを使って!」
 
 エリアは素早く懐から手ぬぐいを取り出すと、有無を言わさずダルクの傷口にかぶせた。
 ダルクは戸惑いながらも短く礼を言い、手ぬぐいを受け取るように傷口を押さえ込んだ。
 たいそうな言い方をするなら直接圧迫。原始的ながら立派な止血手段だ。
 それをエリアが知っていて手ぬぐいを渡したのかどうかは、しばらくして明らかになっていった。
 
「切ったの? 刺さったの? もしかしてまだ何か刺さってるの?」
「い、いや。刺さって、抜いただけだ」
「何が刺さったの? 毒とか呪いとかはない?」
「それは……」

 ダルクは少し気が引けたものの、その渓流のような問いかけに流されるようにギコを示した。
 拘束状態にあったギコは、エリアの驚いたような視線に気まずそうに頭を抱えた。
 ギコのツメ、ヒザのトゲには、言い逃れできない量の血糊がついている。
 エリアは瞬時に状況を理解すると――哀しそうに目を細めた。

「ごめんなさい。またあの子の仕業なんだね」
「い、いや、エリアが謝ることはない。これはオレがあえて受けたケガで……」
「ごめん、詳しくはあとで聞くから、先に手当てを」

 エリアは杖を持ち直し、その先端を手元に寄せた。
 巨大な雫をリングで囲んだようなデザインの杖先が、仄かな光を漂わせている。
 
「たぶんすぐに治せるけど、水の霊術を使っても大丈夫?」
「えっ? わ、分からない」

 『治す』『霊術』という単語を聞いて、ダルクはすぐにライナの治療術を思い浮かべた。
 同時にそのときの激痛が思い起こされ、反射的に背筋が打ち震えてしまう。
 あの、身体の一部がただれて溶かされような痛みは、金輪際味わいたくはない。
 
「ちょっとごめんね」
 
 するとエリアは突然、両手でダルクの片手を取った。
 エリアのひんやり冷たい手が、ダルクの手首から前腕にかけてを握り伝っていく。

 そのときだけダルクは痛みを忘れ、間近に座った女の子を急に意識し始めた。
 垂れ込んだつややかな細い青髪。首元に大きくはだけている鎖骨。うなじ。
 走ってきて間もないエリアのかすかに荒い息遣いが、どうしようもなく扇情的だった。
 


「ダルク君も私と同じ、普通の『ヒト』で間違いない?」

 ダルクの手を何やら確認しつつ、出し抜けにエリアが尋ねた。

「えっ?」
「この血の色は、元から赤いの?」
「あ、ああ」
「あと一応、身体が灼熱でも土砂でもないよね?」
「も、もちろん」
「ならきっと大丈夫」
 
 エリアはダルクの手を優しく地面に置くと、代わりに杖を取り上げた。
 杖先のデザインに、みるみるうちに水脈が流れゆくかのような錯覚。
 ダルクはすぐに、杖に募る霊力の高まりを感じた。
 
「水は、幾多の生き物に流れる『生』の源――。安心して。私は水の霊術使い」
 
 杖先に水脈が満ちた。
 幻想的な水色の光とともに、エリアの髪が、ローブがわずかに浮き上がる。
 
「ダルク君、傷口を」
 
 エリアにすっかり見とれていたダルクは、慌てて我に返り手ぬぐいをどかした。
 たちまち傷口から血がにじみ出し、衣服を赤黒く染めあげていく。
 
「大丈夫」
 
 エリアが穏やかに呟き、杖の先を向けた。
 水霊術――『エレメントの泉』。
 水の力を借りて大半の生物の外傷を浄化し、痕も残さずその傷口を塞いでしまう。
 回復魔法そのものは、霊術使いとしては初歩的なものである。
 しかし『エレメント』――すなわちあらゆる属性・種族に対し、
 一定の効果をもたらすという汎用性まで持たせるには、相応の修練を要する。
 
「す、すごい……」
 
 ダルクは息を呑んだ。
 肩口から腕にかけてを、流水のようなオーラが包み込んでいく。

 と同時にぴたりと出血が止まり、ギコのツメ・トゲがくいこんだ部分に変化が生じた。
 キズが塞がっていく。目をつぶっていても、ケガが治癒されていくのを感じる。
 しかも、しみたり痛んだりしないどころか、冗談のように気持ちいい。
 まるで患部がツボになり、ピンポイントでマッサージされているような感触……。
 
「はい、終わったよ」
 
 エリアが杖を引っ込めたとき、少々名残惜しかったぐらいだった。
 ダルクは改めて傷口を見ると、驚きの声を上げた。
 衣服にべっとりついていた血糊までなくなっている。
 さっきまでそこをケガしていたという痕跡は、もはや服に空けられた穴だけだった。
 
「す、すごいなっ。完璧に治ってしまった!」
「うん。大したケガじゃなかったからね」
「あ、ありがとうっ」
「ううん、私がちゃんとギコ君をしつけてなかったから……」
「! そうだった」
 
 エリアの使い魔は、先ほどから頭を抱えてうずくまったままだった。
 主人のいる手前、もうむやみに乱暴狼藉をはたらくこともないだろう。
 ダルクは自分の杖を手に取ると、小さな霊力をこめながら地面に描かれた魔法陣を崩した。
 
「……あれっ」
 
 拘束を解いたというのに、ギコは同じ体勢のまままったく動こうとしない。
 慌ててもう一度『六芒星の呪縛』の解除を試みたが、やはりギコはすでに解放されている。
 
「ギコ君……」

 エリアはゆっくりと立ち上がると、自分の使い魔の方へ一歩ずつ近づいていった。
 

 
「顔をあげて? ギコ君」
 
 ギゴバイトの正面に屈みこんだエリアは、やわらかく使い魔に呼びかけた。
 ギコがそろりと顔を上げ、先刻と打って変わって淡くなった赤目を向ける。
 
「ギコ君、私は哀しいの」
 
 そばにいたダルクまで、心の底からの悲哀が伝わってくるような口調だった。
 
「ギコ君がこういうことばかり続けていたらね。ギコ君は一人ぼっちになっちゃうよ」
 
 ギコは爬虫類のような驚きの声をあげた。
 一人ぼっちという言葉に反応したのかもしれない。
 
「ううん、私はギコ君とずっと一緒だよ。でもね。心が一人ぼっちになっちゃうの。
 心が一人ぼっちだと、誰かがそばにいても、一人ぼっちなのと変わらないの。
 ――うん、よく分かんないよね。じゃあこれだけ。もう勝手に誰かを傷つけないこと」
 
 エリアが「分かった?」と念を押すと、ギゴバイトは承諾したような鳴き声をあげた。
 それを受けてエリアは、「うん、いい子」と微笑んだ。
 
「もう暴れちゃダメだよ。ちゃんと泉の精霊さんの言うことも聞いてね」
 
 そういえば『泉の精霊』の姿が見当たらない。いつの間にか泉に引っ込んでしまったようだ。
 エリアに任せておけば憂いなしと判断したためだろうか。
 この広い湖を統べる『泉の精霊』にまで信頼されきっているとすれば、やはりエリアはただものではない。
 
 エリアが頭を軽くなでて「じゃあ、おやすみ」と言うと、ギコは元気よく泉に飛び込んでいった。
 今までダルクが相対してきたギゴバイトとは、まるで別のモンスターだった。

 あの見るからにどうもうな爬虫類族を、彼女はどうやって手なずけたのだろうか――それは愚問だった。
 先のエリアの、あの母性にあふれた包容力を見て、果たして納得できない男がいるのだろうか。
 そしてその静謐な魅力に惹かれない男など、果たしているのだろうか……。
 
「さてっと。ね、ダルク君」
 
 当のエリアが、いまだ座り込んでいたダルクに手を差し出した。
 思わず心音高くなるような、澄んだ微笑み。
 
「ちょっとうちに寄っていかない? 少し話したいことがあるんだけど」
「え……」
 
 いや、いいよ、と言おうとしたところで、自分もエリアに話があったことを思い出す。
 ダルクは今の今まで、すっかり頭から抜け落ちていた。エリアに謝るべきことを。
 
「あ、ああ、実はオレも話があるんだ」
 
 ダルクは差し伸べられた手を「大丈夫」とやんわり断り、自力で腰を上げた。
 別段卑屈になった訳ではないが、自分ごときがエリアの手を握るのは大いにはばかられた。
 まるで触れるだけで、高嶺の花を黒く染めあげてしまいそうで――。
 
「そ、そうなんだ」
 
 やや詰まった声。差し伸ばした腕を曲げ、胸元に寄せるエリア。
 ダルクは何となく気まずくなり、自分の使い魔を呼んでごまかした。

 ディーは待ってましたとばかりに闇から現れ、主人の肩にちょこんと止まった。
 それを見てくすりと噴き出すエリア。つられて口を綻ばせるダルク。
 
「じゃ……行こ。こっちだよ」

 
 二人の霊使いは、湖のほとりに沿ってゆっくりと歩いていった。
 森の湖は、さっきまでの喧騒が夢であったかのように、穏やかな夜の時間を取り戻していた。
 

ご支援ありがとうございます
これからヒマあらばちょくちょく投下しますね

 長いはずの夜も、気がつけば折り返しに差し掛かっていた。
 
 エリアの家は一軒家で、ダルクの家とよく似たデザインの木造建築だった。
 この森林区域を専門とする大工でもいるのだろうか、と思索するダルク。
 
 もっともエリアの家は、泉のすぐ近くにあるせいか、湿気――というより瑞々しさを感じさせ、
怪しげな雰囲気を醸すダルクの家よりも、かなり違った印象を与えた。
 家の外観によって、その住人の気質が知れる節があるのかもしれない。
 
「どうぞ」
 
 エリアが施錠を解き、家の扉を開いてみせる。
 ダルクは使い魔のディーを外に放すと、いささか緊張気味にエリアの家に入った。
 知らない家に踏み入るだけでも恐縮なのに、それが可愛い女の子の家とくればもう――
 
「どうしたの?」
「い、いや」
 
 一度ここで世話になったことがあるから分かるが、室内もやはりダルクの家と似ていた。
 広い居間の一室から、いくつかの小さなスペースが枝分かれしているような構造だ。

 通された居間にははっきりと既視感があり、ダルクが横たわったベッドも目に入った。
 前回は気がつかなかったが、ベッドの一部にはなにやら巻貝のようなデザインがなされており、
その他にも各所に『水』を彷彿させる趣向が垣間見え、エリアの好センスがうかがえた。
 
「――はい、どうぞ」
 
 テーブルに着席した後、エリアは奥から二人分の飲みものを持ってきてくれた。
 そのコップからは湯気が立っているので、飲めばきっとぬくもりが胸にしみこむに違いない。
 
 ダルクは礼は言ったものの、しかしすぐに手をつける気にはなれなかった。
 何より先に、彼女に例の一件について謝らなければならない。
 
 しかしエリアはダルクのことを覚えていながら、怒ったり怖がったりする様子はみられない。
 それどころかあんなことが起こった後でさえ、くだんの張本人を家の奥に通すというのだから、
もしかしたらとっくに許してくれているのかもしれない。

 だが、ダルクの決意は揺るがなかった。
 
「エリア。ごめん」
 
 甘えてはダメだ。けじめをつける機会は今しかない。
 今を逃せば、誤解を招いたあのときのエリアの怯えた顔は、一生自分の中で消えることはないだろう。
 
「? 何が?」
 
 エリアがコップに口をつけながら、きょとんした顔を見せる。
 
「初めて会ったとき、その……誤解を招くようなことを、してしまって」

 ダルクはテーブルに額をぶつける勢いで頭を下げた。

「本当にすまなかった!」

 不意に訪れる沈黙。
 時間にしてほんの数秒だったが、ダルクにしてみれば堪らなく長いひとときに感じた。
 

 やがて――エリアがコップを置く音が、コトンと響いた。

「……もしかして、ずっと気にしてたの?」
「……ああ」
「そうだったんだ……」

 頭を下げながらも、ダルクはなんだかいたたまれない気持ちになっていた。
 誤解を招いた場面が次々と思い起こされ、もう今やどうすればよいのか分からない。
 
 そんな彼に、エリアは意外な言葉を投げかけた。

「私の方こそ、ごめんね」
 
 ダルクが「えっ?」と顔を上げると、そこには申し訳なさげに伏せられた眼があった。
 
「あのとき私も勘違いして……怖がっちゃって……」
「えっ、じゃ、じゃあ誤解だというのは……」
「うん、もちろんすぐに分かったよ」
 
 エリアは座ったまま手を伸ばし、そばにあった棚の引き出しを開けた。
 中から取り出したものを、テーブルに置く。紙切れだ。

「それは」

 手にとって確かめるまでもない。
 最初にこの家を発つ直前、ダルクがしたためた書き置きだった。
 内容は帰宅の旨と適当な謝辞、そして返礼の約束――。
 
「ここで座って寝てた私を、寒いだろうからって、わざわざベッドに運んでくれたんだよね」
「そ、そうだ」
「ごめんね。それを私、勘違いしちゃって」
「いや、いいよ。誤解が解けたんならそれで。オレの方こそ、怖がらせてしまって……」
「ううん、私が早とちりしてしまったから……」
 
 互いに謝り、それを許しあう。
 そんなやりとりが二、三度繰り返され、最後には笑いがこぼれ落ちた。
 ダルクの胸の中にあったもやもやが、すーっと晴れていくのを感じる。
 これでこの件は完全に落着した。
 
 エリアが理解ある常識人でよかった。
 これで当分は枕を高くして眠れるというもの。
 紆余曲折はあったが、今夜水汲みを敢行したのは正解だった。
 
「……それで、ダルク君の話っていうのは?」
「ああ、今ので終わりだよ」
「そ、そっか。じゃあ次は私の番ね」
 
 ダルクは意外に思った。
 エリアから「話がある」と聞いたときは、瞬間同じ話題だと決め込んでいた。
 もうこれ以上、自分と関わりある話題など思いつかない。
 
「……あのね……えと……あっ、それ、冷めちゃうよ」
 
 ダルクは促されるままにコップを手に取りながら、内心首をかしげた。
 それほどエリアが言葉につまるような話が、果たして自分にあっただろうか。
 
 コップの中に入っていたものは極上のスープで、飲むとやはり胸の芯から温まりゆくのを感じた。
 しかし話の腰を折るのも躊躇われたので、ダルクは小さなリアクションだけでそれを示し、
黙ったままエリアの言葉を待った。
 
「えと……ダルク君は……」
 
 急に声をひそめたので、ダルクまで妙に緊張し始めた。一体何の話か見当もつかない。
 エリアはそれからまた口ごもっていたが、やがて意を決したらしく、ついにそれを尋ねた。
 
「ダルク君は、小さいとき、女の子を助けたことって、ある?」
 

 ダルクは。
 つかの間を置いて。
 
「ある」
 
 と答えた。
 途端に「本当に?」と目を輝かせたエリアだったが、ダルクは正直に事実を続けた。
 
「正確には、あるかもしれない、だ」
「えっ? ど、どういうこと?」
「……師匠がそう言ったんだ」
 
 ダルクは、コップを握っている自分の手に目を向けた。
 その手首には、無骨に取り付けられた分厚い手錠がはめられている。
 ゆえあって、決して外すわけにはいかない手錠――。
 
「オレは、自分がどうやって生まれたか分からないんだ」
「えっ? お父さんとお母さんは?」
「分からない。気がついたら、牢屋の中につながれていた」
「……そんな……」
「ずっと長い間、陽も差さない牢屋で育ってきた。
 今にして思えば当たり前だ、そこは闇の世界だったんだから」
「!」
 
 ダルクはコップを煽った。
 冷めたスープは、あっという間に空っぽになってしまった。
 
「でもある時、師匠がオレを拾ってくれた。
 オレを世話していた奴と取り引きをして、オレを解放してくれたんだ」
「……」
「そのあと、すぐに師匠がオレに尋ねたんだ。
 オレが女の子を助けたのを覚えているか、って。
 オレは正直に『知らない』と答えた。
 だって、長年牢屋の中にいて、一体どうやって誰かを助けられる?」
「……」
「それ以降、師匠はまったくその話題に触れることはなかった。
 オレも詳しく聞きだすのがなんだか怖くて、それについては黙ったままなんだ」
 
 ダルクはそこで言葉を切り……「それで終わりかな」と身の上話を打ち切った。
 
「だからきっと、エリアは他の誰かと勘違いしているんだと思うぞ」
「……やっぱりそうかな」
「そうだよ。だってオレが外の世界に出たのは、師匠と日帰りで実地実習に来たときだけだ。
 もちろんその時は女の子を助けた覚えなんてない。
 大体そんな子がいたら、外界に慣れないオレなんかより、真っ先に師匠が助けそうなものだし」
「……そっか……」
 
 エリアのどこか残念そうな顔が気の毒に思われ、ダルクは話題をエリアに移した。
 
「そのエリアのいう女の子っていうのは、やっぱりエリアか?」
「う、うん」
「じゃあ、エリアを助けた人っていうのは、オレに似ていたりするのか」
「……うん。男の子で……ダルク君にそっくり……」
「えっ? 何だって?」
「で、でもっ、やっぱり違うの。初めてダルク君に会ったときから、違うって確信していたの」
「そ、そうだろうな」
「何ていうのかな……たとえば人を探していて、似た後ろ姿の人を見つけて、呼び止めたとするじゃない?
 そうして振り返った顔がぜんぜん違う顔で、ああ別人だったんだ、ってはっきり確信するじゃない?
 それにすごく近い感じなの。はっきり別人だって、分かっちゃっている状態……」
「だったら、別にそれでいいんじゃないのか?」
「うん……でも……」
 
 神妙な顔つきで、自分の指先をいじるエリア。
 その最中、ちらりとダルクの顔を盗み見る。
 ちょうどダルクと目が合ってしまい、ばつが悪くなる二人。
 
「でも、なのにすごくヘンな感じなの。……ダルク君じゃないって、確信はあるのに……」
「ま、まあ結局思い過ごしじゃないのか? きっと考え込むだけ損だ」
「……うん……そうかな。ホントなんなんだろ……」

 
 
 
 ――そのときだった。

 まったくの突然に、この室内に何者かの気配を感じた。
 ダルクは相手をみとめるより早く、とっさに自分の杖へと手を伸ばした。
 

ありがとうございます。決して無理はしていませんので悪しからず

 
「あれ」
 
 こもった声はベッドからだった。
 杖を手に取ったダルクは驚いて振り返り、弾かれたようにイスから立ち上がる。
 布団がもぞもぞと動いている。中に何かいる。結界を張っている家にどうやって。
 
「エリィがいない」
 
 そうして「むくり」と起き上がった姿をみて、ダルクは目を疑った。
 ポニーテールを解いた、ぼさぼさで緑色の髪の毛。
 閉じているのか開いているのか分からない寝ぼけ眼。
 首回りを広くさらけ出した、しわくちゃ真っ白のブラウス。
 そこから突き出した、意外とボリュームのあr――はいいとして。
 
「あぁウィンちゃん、起こしちゃった?」
「ウィ」
 
 やっぱり果たして案の定、どうしようもなくウィンだった。
 数日前、ダルクの家に(やましいことは一切なしに)一晩泊まった、風霊使いの女の子だ。
 まさかと思いベッドをよく見ると、てっきり巻貝と思っていた装飾は使い魔のプチリュウだった。

「ふああ」

 どうやら今の今まで、エリアの家のベッドで眠っていたらしい。まるで気がつかなかった。
 そういえば眠ることで気配を消した素人が、プロの傭兵三人を返り討ちにしたとかいう話を聞いたことがある。
 
「ウィンちゃん、まだ夜明けだよ」
「ふあい」

 とにかくエリアの様子をみると、少なくとも二人はとっくに面識のある様子だった。
 ダルクは戸惑いながらも、エリアに「知り合いなのか?」と確認する。
 
「えっ、もしかしてウィンちゃんを知ってるの?」
「あ、ああ。この間知り合ったばかりで……」
 
 そう、ダルクの家に一晩泊まらせたばかりだった。
 ダルクは、ウィンが今まさにベッドから身を起こしている姿に、激しいデジャヴを覚えていた。
 ついでに不慮の事故だったにしろ、彼女がいる布団に潜ってしまったことまで思い出してしまう。
 
「あ」
 
 家主とは別の声が耳に入ったためか、ウィンの無気力な目がダルクへと向けられた。
 ほとんど開かれないその目が、パチパチと点滅する。
 冷や汗が垂れる思いでひるんでしまうダルク。
 
「ダル君だ」
「……ど。どうも」

 ダルクがどう返したら良いやら反応に困っていると、またしてもウィンは意表をつく行動に出た。
 亀が歩くような、こっちも釣られてあくびでも出そうなくらいゆったりした口調で、

「そのせつは、どうもありがとうございました」
 
 と、もごもご言いながら頭を下げたのだった。
 そのまま上体のバランスが崩れ、自然な動きでパタンとベッドに沈み込むボサボサ頭。
 あとは何事もなかったかのように再び眠りにつき、起きていた二人は取り残される形になった。
 
「……なんでウィンがエリアの家で寝てるんだ?」
「えっ? えっと、ウィンちゃんとは友達で、結構長い付き合いなんだ」
「そうだったのか」

 ウィンは以前、この近辺に友人がいるとか話していたが、どうもエリアのことだったようだ。
 ダルクが知り合った女の子二人が友人だったと知り、何となくくすぐったいような気分になる。
 


「ウィンちゃんはよくここに泊まりに来るの。最近はあまり来てなかったけど、今日は久々に」
「なんか前に、『甘えているのは何だか悪い』とか言ってたぞ」
「えっ、本当? 別に気にしなくていいのにな」
 
 親しき仲にも礼儀あり……という言葉をウィンが知っているかどうかはともかく、
ウィンはああ見えて、周囲に迷惑をかけながら生きているという訳でもなさそうだった。
 
「気にしなくていい、っていうのは寝泊りすることに関して、だけど」
「? どういうことだ?」
 
 とたんに雲行きが怪しくなる。
 
「あの子、いつも私のベッドに潜りこんでくるの」
「えっ」
「一台しかないから仕方ないけど、私はベッドじゃなくても大丈夫って言っても聞かないし」
「……じゃあいつも二人一緒に寝てるのか?」
 
 少しだけ頬を染めながら頷くエリア。
 それを見たダルクの方も、まるでとんでもない秘密を聞いてしまったかのように耳を赤らめた。
 また気まずい空気が流れるのを避け、ダルクは慌てて話を動かす。

「じゃ、じゃあそろそろ帰るよ」
「そ、そう? もうちょっとゆっくりしていっても」
「もう夜明けだし、陽が昇る前に家に帰らないと」
「そ、そっか。ごめんね」
「い、いや」
 

 
 ――玄関口。
 外に一歩出ると、ひんやりした明朝の空気が素肌をなでていった。
 地面や木々の色が、ほんのり浮き出している。太陽が昇るのも時間の問題だろう。
 
「今日はケガさせたりして本当にごめんね」
「いいよ、こんなに綺麗に治してもらったし」
「また何かケガしたら、いつでも寄ってね」
「ありがとう。エリアはすごいな。料理もできるし、医術も心得ているし――」
「そ、そんな。大したことないよ」
「いや、大したことだよ。自信を持っていいと思うぞ」
 
 エリアは肩身を狭め、もじもじしながら「そうかな」と呟いた。
 ダルクは気恥ずかしくなるのをごかますため、使い魔のコウモリを呼んだ。
 すぐにディーはどこからともなくパタパタ舞い降り、主人の元へ馳せ参じた。
 
「……ディー君って言うんだよね」
「ああ。よく覚えていたな」
「うん。何ていうかね、ここまで怖くないって感じるモンスターも珍しいな、って思って」
「だろう。こいつはお利口さんなんだ」
 
 ディーは自分が褒められていると知り、クルクルと宙を回った。
 それを見てくすりと噴き出すエリア。つられて口を綻ばせるダルク。
 つくづくディーは、いい場つなぎ役を務めてくれる。
 
「じゃあ……最後に」
 
 エリアは視線を落としたまま、おずおずと手を差し伸ばした。
 握手を求めている。

 ダルクは、果たして自分がこれに応じてよいのかどうか迷った。
 自分は、多くの人々から忌み嫌われる『闇』。
 対してエリアは、きっと多くの人々に好かれ、慕われ続ける才媛。

 釣り合わない、釣り合ってはならない格差。
 ダルクとエリアの立つこのわずかな距離に、巨大な溝が走っているのだ。

 しかしエリアの次の言葉は、ダルクの心を大きく揺さぶった。
 
「友達になろ?」
 
 ダルクはゆっくりと伸びる自分の手を、自制することができなかった。
 その透き通るような細い指に、飛びつき、すがりつかずにはいられなかった。
 友達だ。
 友達に――。
 
「――」

 
 
 エリアの手は思ったより小さく、ひんやりしていて、とても温かかった。

 

 
 ――。
 
 それから幾日が経った。
 ダルクはしばらく大きな遠出もせず、森の中での生活に落ち着いていた。
 
 ダルクの一日。
 日没後にベッドから目覚め、まずは一通り支度を済ませて外に出る。
 そこで家の周りの地理を把握したり、動植物の生態などを好奇心まじりに調べていく。
 また周囲に迷惑がかからないように、闇霊術を鍛錬、研究したりもする。
 
 ダルクの住む森には、たまに雨も降った。
 本降りの日はよほどのことがない限り外出せず、家の中に閉じこもる。
 最初のうちは町で買いだめしたものを整理整頓しつつ、食糧も少しずつ楽しんだものだが、
最近では師匠の元から持ち込んできた魔道書を読みふけったり、できない料理に挑戦してみたり。
 
 そうこうしているうちに朝が訪れると、今日の発見や学んだことを適当にノートに記し、眠りへと就く。
 基本的にはこのサイクルだった。
 ダルクは日々を楽しみ、外界での一人暮らしが日常化することに満足を覚えていた。

 
 
 そんな中、ダルクは大義名分をかこつけては、よく湖に足を運んだ。

 その度ごとに「もしかしたらエリアに会えるかも」と足取り軽く、みずがめを運んでいった。
 エリアと握手を交わして以降、陽が沈まないうちに外に出ることが珍しくなくなっていた。
 
『――それでそのあと、どうなったのですか?』
「だ、だから大したことはないって」

 森の湖の主、『泉の精霊』と対話する機会も多くなった。
 水を汲むときはこの泉の精霊となにか小話をするという、軽い取り決めがある。
 しかし小話とは名ばかりで、泉の精霊はもっぱら同じ話題を聞きたがった。
 すなわち、ダルクが今まで知り合った女の子との出会い、いきさつ、果てはどう思っているかまで。
 
 ダルクはその度にごまかし、はぐらかせ、まともでない回答を考えるのに必死だった。
 そういった類のウワサ話が大好きだなんて、つくづく若々しい精霊だな。と呆れ返るものの、
泉から出られないゆえの儚いあこがれと思えば、少々胸が痛んだ。
 この精霊の境遇に比べたら、ダルクははっきりと恵まれていた。
 
「あっ。ダルク君、また遊びに来てくれたんだね。泉の精霊さん、こんばんは」
 
 泉の精霊と小話をしていると、時折エリアがやってきた。
 ダルクにとってはこの泉が、唯一エリアとの交流ポイントとなっていた。

 エリアとは友人関係にあったが、ダルクは未だにエリアの家の戸を叩いたことはなかった。
 まだそこまでするのは気後れしてしまうというか、一旦「迷惑かもしれない」と思うともうダメだった。
 なので、エリアの方から足を向けてくれるのはありがたかった。
 
『こんばんは、エリア。いまちょうど、ダルクの話で――』
「い、いや! ちょうど良かった! ちょっとエリアに聞きたいことがあって」
 
 別に泉の精霊との会話はエリアに聞かれて困るものでもなかったが、余計な誤解を招く恐れがあった。
 あたふたするダルクに、きょとんとした顔のエリア。
 そんな二人の様子を、泉の精霊は面白がっている風に見えた。
 
 ダルクは泉から避難し、散歩がてらにエリアと並んで話をした。
 エリアは、ダルクの話――主に外の世界のことや、霊術についてよく付き合ってくれた。
 彼女はなんでも、かの有名な『氷結界』一族の分派出身らしく、高い学識も備えていた。
 よくダルクの話についていき、また自分の考察や意見をよどみなく答えた。

「――そろそろ暗くなってきたし、良かったら私の家に来ない?」
「えっ? い、いや、それはちょっと」
「あ、ごめん、ダルク君は夜は平気だったね。えと、ダメだったらいいけど」
「ダメじゃないっ。行くよ、喜んで」

 またエリアは勉学のつきあいのみならず、しばしばダルクを家に招きいれ、食事をふるまった。
 エリアの作る料理は、そのほとんどがダルクの口に合った。
 健康的な食材を多用しているらしく、家庭的といえばいいのか、確かに何とも身体に良さそうな味だった。
 
 ダルクが町で食材を買い出したことを言うと、素人でも調理できるようなレシピも教えてくれた。
 まったくエリアには、お礼を言っても言い足りないくらいだった。
 

 
「いいにおいがする」
 
 と、隠れ兵のごとくいきなりウィンが現れ、相伴にあずかることも珍しくなかった。
 なんだかんだ言って、ウィンはエリアの世話を受けながら生活しているようだった。
 曰く、二人は幼いときから知り合っている、親友関係にあるらしい。
 
 それなら「エリアに頼り過ぎる」なんて言い方もないのかな、とダルクが思っていると、
ある雨の夜、突然ダルクの家におしかけてくるなんてこともあった。
 どうも状況に応じて、エリアとダルク双方の厄介になっているようだった。

「このごおんはかならずお返しします」
 
 とまで言われなくても、特に断る理由はない。
 夜間を活動時間とするダルクは、空いたベッドを快く貸し出した。
 もっとも、いつまでたっても女の子が自宅で寝るという状況には慣れなかったが、
使い魔のプッチ君の見張りもあって、毎回なんとか過剰に意識することなく乗り切った。

 
 
 そうして毎日を楽しく過ごしていたダルクだったが、唯一にして最大の心残りがあった。


 アウスのことだ。
 陽が昇っているうちに外出するときは、いつも『闇のペンダント』の世話になっている。
 ダルクはこれを受け取る代わりに、アウスに闇の世界について語る約束をしていたはずだった。

 闇の話をするのは三日後でも七日後でもいい、とアウスは言ったが、あれからすでに一週間は過ぎた。
 義を重んじるダルクは、すぐにでももう一度町に行き、彼女との約束を果たしたかった。
 
 しかし、ライトロードの件があった。
 あの出来事が起こってから、まだそれほど時間が経ってない。
 あの一件で、闇属性であるダルクはかなり目立ってしまった。
 次に見つかったら、切り抜けられる自信はない。
 安全を期すなら、少なくともひと月、できれば彼らが天界に帰るまで待つべきだろう。
 下手に会いに行こうものなら、アウスまで火の粉が及ぶかもしれない。
 
 ただ、待っている間、アウスに誤解を抱かせてしまうのが辛かった。
 「所詮は闇に生きる輩」「貴重なアイテムを持ち逃げされても仕方ない」
 ペンダントを通してアウスの心の声が聞こえてくるようで、装備するたびにそれらが重くのしかかった。
 
 あの聡明なアウスなら、きっと事情を理解してくれているはず。
 そんな他人任せの思考に逃げてしまいそうになる。
 確かにそうかもしれないが、音信不通のまま時間が経っていることには変わらない。
 一度、ウィンに町の様子を見に行ってもらおうかとも思ったが、これはダルク自身の問題で、
それに万一ウィンまで危険にさらす可能性も考えると、とても頼めなかった。

 今はまだ手段がない。ゆえに動くときではない。時間が経てば状況も変わるだろう。
 アウスには本当に申し訳ないが、当分町に行くのは保留だ。
 それがダルクの結論だった。

 
 
 また話は変わるが、ダルクは他の霊術使いの女の子――ヒータとライナのことを思い出すこともあった。


 ヒータに関しては間違いなく悪印象を与えてしまい、さらに戦いにまで及んだので(しかも勝ってしまった)、
リスクを負ってまで会いに行こうとは思わなかった。次に出会った時は、いきなり黒コゲにされるかもしれない。
 必然バーニング・ブラッドの温泉も、しばらくはお預けだった。
 
 ライナに関しては文字通り雲の上の存在だった。
 元気いっぱいにダルクとの買い物に付き合ってくれたが、最後の別れ際に『闇』であることがバレてしまった。
 ライトロードに囲われている以上、もう一度会おうとするのは自滅行為だろう。

 『闇』属性のダルクは、『光』属性のライナとの付き合いは、生涯であれっきりだと割り切っていた。
 自分には自分の、ライナにはライナの生き方がある。
 それは交わるどころか、進む方向だってねじれの位置。
 立場は正しくわきまえなければならない――。

 
 
 
 最後は湿っぽくなってしまったが、以上をもってとりあえず一切の不備はなし。

 いま現在の外での生活そのものは、全てが順風満帆。
 ダルクは自信を持って、日々の営みを経ていった。

 
 
 
 しかし。

 
 ダルクの全く気付かないところで、確実にひずみは生じていた。
 

読んでいただきありがとうございます。おかげで元気になれます
で。
ストーリーの腰を折ってしまい申し訳ないですが、今回皆さんに尋ねたいことがあります

投下の仕方についてなのですが、一回の投下は

①さっくりで多くレスがあった方がいいか
②1レスにぎちぎちがいいか(もちろん空白行も多用する)

どちらも文字数は変わらないので、自分のやりやすい方というのはありません
今回は②で投下してみましたが、いかがでしたか。気が向きましたら回答をお願いします

どちらかというと最初の頃に比べて次第に1から2に変わっていった、という感じなので
むしろ気付く気付かないというか、今更な話だったと思います

最近1レスに文を詰めすぎてるかなとちょっと気になっていたのですが
読むづらいどころか気付かないということでしたら、気兼ねなく書けますね
わざわざ答えて頂いてありがとうございました

では筆者がでしゃばるのは今回までにして、今後はなるべく息を潜めさせて頂きます
次回から××編に入りますので、生暖かく見守ってやって下さい

遅ればせながら乙
1レスの分量が増えてたのは知ってた。ちょっと上の文章を読み返す時、1レスにぎっちり詰まってるとどこなのか分からなくなる事が多いから

>>110
乙ありがとうございます
そのレスは一応参考にさせて頂きますが、しばらく自分の安定スタイルで書こうと思います
その中でどうしても読みづらくなった場合は、遠慮なく仰ってください

 ダルクの住む森の中には、実に様々なモンスターがいた。
 
 林を疾走する馬がいると思ったら、上半身がヒトである『ケンタウロス』だったり、
首をあげると、まれに『素早いモモンガ』が木々を飛び移る様子が観察できたり、
しかし上ばかり向いていると、足元にいたアルマジロ型モンスター『プリヴェント・ラット』につまづきそうになったり。
 
 さらに幾多の樹木が生い茂る環境は、昆虫族の楽園でもあった。
 まだ成熟していない『共鳴虫(ハウリング・インセクト)』の合唱は、もはや夜間の森の背景だったし、
いも虫型モンスターの『プチモス』『ニードルワーム』が青葉を食む光景もすっかり目になじんだものだし、
また一度など、『黄金の天道虫(ゴールデン・レディバグ)』が間近で飛び去って腰を抜かしたこともあった。
 
 他にも鳥獣族や岩石族、また湖では(『泉の精霊』が安全だと判断した)一部の水属性のモンスターもいた。
 ごくごくまれに、修行盛りの魔法使い族や、流浪の戦士族なども訪れた。

 
 
 ダルクの遭遇するモンスターたちに言えることは、概して凶暴な性格を持たないことだった。

 下層の食物連鎖はあったが、人喰いや破壊狂といったダルクにとって危険な生物は皆無に等しかった。
 これは偶然ではなく、そういった区域を予め知り得て、かつ紹介してくれた師による賜物だった。
 
 そしてもちろんダルクの方も、決して自分から争いを起こすことはなかった。
 森を歩くときは常に細心の注意を払い、それでも何か起こった際は、極力平和的に解決しようとした。
 
 以上のことから、住むヒトの少ない森の中にあって、ダルクはすこぶる平穏な暮らしを享受することができた。
 
 ところが、そんなダルクを執拗に攻撃しようとするモンスターが一体。
 たった一体だけいた。

 
 
 
「痛つっ!」

 
 ダルクは、瞬発的に身を防いだ片腕を押さえた。
 押さえた下には真新しい裂かれ傷があり、たちまち地面に鮮血がポタポタこぼれ落ちていく。
 
 そのすぐそばで、低い唸り声が響く。
 エリアの使い魔のギゴバイト・ギコだ。ツメ攻撃での奇襲だった。
 この爬虫類族モンスターだけは、いまだにダルクに露骨な敵愾心を向けている。
 
 普段はエリアに従って大人しくしているが、主人のいないところでは度々ダルクに不意打ちをしかけた。
 それも威嚇程度ならまだいいが、完全に殺気を放って襲ってくるのだから始末に負えない。

 エリアもしょっちゅう説き伏せてはいるが、それも彼女が不在の場では全く効果が見られない。
 最近では、ダルク自身もギコと分かり合おうとすることをすっかり諦めていた。
 「幼さゆえに物事の判別がつかないのだろう」「せめてエリアのいない水辺では用心しておこう」、と。
 
「ギコ君っ!」
 
 それに仮にケガをしたとしても、決まってエリアが血相を変えて飛んできてくれた。
 彼女が起きている間は、離れていても使い魔の状態が把握できるのだろう。
 だからダルクは、エリアと出会えるという点では、ギコが攻撃してくれるのはむしろ有り難かったりする。
 
「ご、ごめんねダルク君っ、またケガさせちゃって!」
「い、いや、こんなの平気だ」
「すぐに治すから!」
 
 エリアは何も言わずとも、すぐさま水霊術――『エレメントの泉』をかけてくれた。
 これがなんとも気持ちいい。心身ともに癒してくれる至高のマッサージだ。
 ダルクの隠れた楽しみであったが、何となく下劣なので自粛すべきだろう。
 
「……ギコ君。私とあれだけ、あれだけ約束したよね」
 
 このあとは例によって主従間の説教タイムだったが、今回は少しだけいつもとは様子が違った。
 エリアの顔は見えないが、ギゴバイトの戸惑い方がどことなく尋常ではない。
 
「……ギコ君っ」
 
 刹那、鋭い声とともにエリアの平手が虚空を舞った。
 

 思わず目を細め、顔をわずかに反らせたダルクだったが――
 
「……」

 振り上げられた平手は、宙に浮いたままだった。
 
 ギコは固く目をつぶり、両手で頭を抱えていた。
 ツメにはまだダルクの血がついていたが、その格好は暴力に怯える幼子と何も変わらなかった。
 
「…………」
 
 エリアは叩こうとした手を、そのままゆっくりとギコの顎元へ運んだ。
 心なしかエリアの背中は震えているように見える。
 
「……ギコ君」
 
 ギゴバイトの目が徐々に開かれ、同時にそろそろと手が解かれていく。
 
「どうしてダルク君を傷つけるの? もうやめよう。ね?」
 
 つかの間、凍りついたように固まるギコ。
 そして。
 
「!」
 
 主人の背後にいたダルクを、ギラリと睨みつけた。
 激しい憎悪を抱いた赤い瞳。
 さすがのダルクも、無意識に杖を握り締めてしまうほどだった。
 ――直後。
 
「あっ!」
 
 とエリアが叫んだ時には、ギコはすでに泉へ飛び込んでいた。
 時間差で激しい水しぶきが立つ。
 二人の霊術使いは、ただ呆然と泉を眺めることしかできなかった。

 
 
 
「――ギコ君はね。もとは私の故郷で、みんなに迷惑をかけていたモンスターだったの。

 必要以上に食べ物を荒らしたり、大人しい水棲モンスターにいつもケンカをしかけたり」
 
 テーブルについたエリアは、沈んだ顔で訥々と語りはじめた。
 
「でも、本当は寂しかっただけなの。親もいないみたいだったから……」
「……」
「それである時、私の周りでギコ君を退治しよう、って話になって……」
「!」
「私、ギコ君が独りぼっちなのを知っていたから、必死にあの子を庇おうとしたの。
 そうしたら、だったら迷惑をかけないようにしてくれって言われて……だから……」

 ダルクはまさかと、思わず口に出す。

「そ、それでギコと契約を交わしたのか!?」

 半永久的に霊術使いの生涯を共にする、簡単には解消も交替もできない、大切なパートナーを。
 たったそんなことで。
 
「うん。もちろん猛反対されたけど、それだけ逆に、私の意志も伝わるかなと思って」
「……そういえばエリアは『氷結界』の分派出身だって言ってたけど、もしかして本当は……」
「うん。れっきとした魔法使いの血統なんだ」
「!」
「でも、そんなの関係ないの。私は霊術使いになったことに、一度も後悔したことはないよ」
 
 霊術使いは、本来魔力を持たない者が、それでも魔道の道を歩むためになるような亜流の手段。
 使い魔や杖の補佐を受け、自然に呼びかけることで初めて術を成すものだ。
 
 ところが、魔力に関して元から素養が備わっているものは、わざわざそんな回りくどいことはしない。
 自身の魔力を、直接そのまま術に変換できるからだ。使い魔も、杖までも必須ではない。

 また霊術使いは、一度使い魔と契約してしまうと、使える属性も魔力の質も強制的に固定・制限されてしまう。
 魔法使いの血を持つ者にとっては、もはや不要どころか枷さえ付きまとう下位互換、というのが定説だった。
 
 しかしエリアはその道を選んだ。
 たった一匹の問題児を救うために――。

 
「……それからずっと一緒に過ごすようになって……私の言うことをよくきくようになったんだけど」

 小さなため息が漏れる。
 
「ダルク君と会ってから、ちょっとヘンなの」
「オレと会ってから?」
「うん。こんなに私の言いつけを何度も破るなんて、初めて」
 
 ダルクは少し意外に思った。今まで抱いてきた印象と違う。
 てっきりギコは、いろんなところで散々主人の手を焼かせているのが常とばかり思い込んでいた。
 
「……私も、さっきみたいに叩こうとしたのも初めて」
 
 エリアは、今にも泣き出しそうな顔をいっそう伏せた。
 ギコはもとより、一度も暴力に頼らずしつけてきたエリア自身も、相当のショックだったことだろう。
 ダルクが居合わせたあの場面は、これまで両者が築いてきた絆を揺るがす、非常事態だったのだ。
 
「……どうしよう……私、あの子を傷つけちゃったかもしれない……」
「だ、大丈夫だ。そんなことはない」
 
 ダルクは慌てて声を出した。それに乗じて、自分の考えを口にした。
 
「ギコが言うことを聞かないのは、きっとオレのせいなんだ」
「えっ……?」
「というより、ギコが言うことを聞かないことって、オレを攻撃するなってことだけだろう?」

 それを聞いたエリアは目線をずらして少考し、やがてすっとダルクの目を捉え直した。

「うん。そういえばそうかもしれない」

 やはりそうだったか。
 その事実を知り、ダルクは疑念は確信に至る。

「ギコは多分、母親代わりのエリアが、オレに取られてしまうと勘違いしているんだ」
「取られる……?」
「あっ、いや、取るとかそんなこと有り得ないんだけど、つまり、母親を守る防衛本能ってことで」
 
 エリアの視線から必死で目を反らし、慌ててよく分からないジェスチャーをするダルク。

「そう、エリアを母親に見立てているんだよ。だから邪魔者がくっつくのが許せないんだ」
「そんなこと……それに、ギコ君はウィンちゃんには何もしないよ?」
「それはウィンが女の子だからだよ」
「えっ? それが関係あるの?」
「母親を取られる、の意味合いが違うってことだよ」
「?」
「ま、まぁ要するに」

 ダルクは苦手な方向に話がこじれそうだったので、ひそかに用意していた結論を急いだ。

「要は、オレがエリアに近づかなければいいってことだ」
 
 言った。言い切った。
 そして口に出すと、もはや一刻も早くエリアから離れなければならないような気がした。
 
「そ、そういうわけだけだから、そろそろ帰るとするよ」
 
 早々に席を立つダルクに、エリアは「えっ?」と顔を上げる。
 

 
「ど、どうしてそうなるの?」
 
 エリアの狼狽したような口調は、ダルクを留めようとする響きがあった。
 ダルクは、もしかしたらエリアはもっと自分に相談に乗って欲しかったのかもしれない、と邪推する。
 しかし、もう後には引きたくなかった。

「当分、エリアとは距離を置くよ。泉に来るのも水汲みの時だけにしておく」
「えっ? な、なんで?」
「それが一番現実的な解決法と思う。オレも、これ以上エリアとギコの関係をかき回したくないしな」
「ちょっと待ってよ、ダルク君は関係ないよ」
「……ごめん、今日はこのあと用事を控えているんだ」

 決して不貞腐れているわけではない。
 けれども、やはり自分という存在は、周囲に不和しか生まないのだ。
 これはそれを回避するための一手段。
 カッコつけているつもりも、いじけているつもりもない。
 
 そもそも、自分とエリアは最初から――。

 
 
 
「ダルク君!!」

 
 エリアの今日最も大きかった声に、戸口にかけられたダルクの手は止まった。
 
「ダルク君」

 エリアの細い声は、半ば悲痛な叫びのようにも聞こえた。

「私とダルク君は、友達だからね?」

 ダルクはその言葉に振り返ってしまう自分を、なんと弱いのだろうと思った。
 しかし振り返った先には、今にも壊れてしまいそうな、か弱い憂い顔があった。
 ダルクは思わず、安心させるような笑みを無理に送った。
 
「分かってるよ」
 
 たちまち安堵に包まれるエリアの顔。
 緊張が解けた拍子にこぼれる、はかない微笑み。
 
「また、遊びに来てね」
 
 ダルクははっきり「ああ」と答え、ゆっくりとエリアの家を後にした。

 
 
 
 
 
 
 ――エリアの家からそう遠く離れていない、森の小路。

 
 
 
「うぐひ」

 
 夜道をふらふらと一人さまよう、小柄な人影があった。
 
「うぐひひひひひ」
 
 その影は、まるでよだれが垂れていそうな低い笑い声をあげながら、ベタベタと木に触ったり、
両手で一枚の葉をしきりにいじり回したりと、とにかく奇行を繰り返していた。
 
「素晴らしいぞぉ~。高純度の原生サンプルがよりどりみどりだあぁ~」
 
 その男は心から楽しげに両手を広げると、自前の不気味な笑い声を周囲はばからず響かせていった。
 

そろそろ2/14
バレンタインネタとか……

……無いな

申し訳ないです、リアルの予定が立て込んでいます
更新は今しばらくお待ちください

>>122
一発の番外季節ネタみたいなことすごくやりたいですが
まだ本編で全然キャラが煮詰まってないので、奥歯をかみしめる思いで断念します……

無事です!
最近、某賞取った知り合いが本出したのでテンション上がってます。自分も書きたいです
でもまとまった時間がなかなか回ってきません。日々何らかのフェイズスキップを強いられてる気分です
申し訳ありませんが、やっぱり今しばらくお待ちください

更新が遅れて本当に申し訳ないです
あと少しで連続更新できるような時期に入れますのでしばしお待ちください

本当にごめんなさい
リアルの都合がこの先どうなるか分からない状態になりました

いつまでも更新しないスレをのさばらせておくのも申し訳ないので
3月中に本編が更新できないことが分かったら、一度html化しようと思います

ただ今まで重ね重ね繰り返してきたように、打ち切りにしてでも完結させる気はあります
お粗末ながら設定の引き出しはまだありますし
ダルクが女の子とイチャイチャする場面とか全然書き足りないです

ただ完結する日が1年後になるか、2年後になるか、もっとかかるか……それは分かりません
とりあえず今回は依然3月中に更新するつもりではありますが、どうか以上の旨はご了承ください

ご意見助かります
お言葉に甘えまして、しばらくは現状を維持させて頂きます

少し胸のつかえが取れた気分です。ありがとうございました

ご支援いただき本当にありがとうございます

そして申し訳ない
当初更新予定は3月中にとのことですが、やはり無理でした
4月は今月よりは楽になりますので、時間が余り次第ぽつぽつ書いていこうと思います……

ようやくリアルの都合が一段落つきました
長らくお待たせして申し訳ありません。また長らく待って下さりありがとうございます
本日より更新を再開しようと思うので、よろしくお願いします

 ダルクが最後にエリアの家を出てから、数日が経った。
 エリアに告げたように、あれ以来ダルクは湖には近付いていない。
 当然ながら本人とも一切顔を合わせておらず、彼女の近況はまったく知れずにいる。
 
 この家の居場所ははっきりとは教えていなかったが、放浪無宿少女ウィンのツテがある。
 万が一にもエリアがこの家を訪ねるようなことがあったら、どんな顔で出迎えればいいのか。
 
「はぁ……」
 
 ダルクは仰向けになったベッドで、まとまらない考えをこねくり回していた。
 エリアに近づかなければいい――
 どうしてあのとき自分は、後先考えずに突っ走ってしまったのだろう。

 自分がいるために、エリアと使い魔のギコとの関係に不和が生じてしまう。だから離れた。
 ここまではいい。勢いに任せたとはいえ、すべて納得尽くで決めたことだ。

 しかし――では一体、どうすれば解決するのか。
 
「解決……」
 
 このままずるずる時間を費やしても、状況が進展するとは思えない。
 かといって潔く出ていった手前、おめおめと顔を合わせるのも見苦しいだろう。

 それに湖まで行ったところで、またギコにツメを向けられるのはごめんだし、
そのことでまたエリアが怒らなければならない図式は、きっと事態を悪化させるに違いない。
 
 当のギコは、エリアを心から守りたいと思っている。
 ゆえに言いつけを破ってまで、エリアに親しもうとする男は全て攻撃するのだ。
 
 ダルクとしては、ギコとは早いところ打ち解けたい。
 が、もはや殺気に匹敵するあのような敵意を向けられては、うかつには接触できない。
 
「うーん……」
 
 あれこれ考えてはみたが、ダルク単体でどうにかできそうな方策は思い浮かばない。
 情けないとはいえ、今の時点では先方からのアクションを待つしかなさそうだった。
 
 エリアは、ダルクのことを「友達」だと言った。
 その言葉だけが、一縷の望みだった。

 
 
 
 ダルクは仰向けの体勢から、半分だけごろりと寝返りをうった。

 ベッドに寄せたサイドテーブルには、もう何度も復習してきた魔道書が横たわっている。
 
 手を伸ばし引き寄せ、ペラペラとページをめくっても、鬱屈な気分は紛れない。
 ためいき一つでパタンと本を閉じ、気晴らしに散歩でも行こうかと起き上がったとき。

 
 
 「コン・コン」と、家の戸を小さく叩く音が聞こえた。

 一瞬びっくりしたが、すぐに思い至ってベッドから降りる。
 この時間、この家に、そしてこんな叩き方をする客人など一人しか思いつかない。
 

 
「こんばんわ」
 
 扉を開けると、視点の少し下に眠そうな眼があった。
 身体は首元からすっぽりコートに覆われ、その全容は風来坊かなにかを思わせる。
 
「おじゃまします」
「こらこら」
「おじゃましていい?」
「いいけどな」
「おじゃまします」
 
 風霊使いウィンはペコリと頭を下げた。
 勢いよく伸びている緑のポニーテールが、おかしな方向に垂れていった。

 風霊使いウィン。
 風の精霊に呼びかける理を持つ、魔法使い族の少女。
 
 今は故郷を出てあちこちを旅しているらしく、寝泊りはもっぱら野宿。
 ただし最近は半ば居候気味に、エリアかダルクの家で一夜を明かすことが多い。
 激しく強調しておくと、少なくともダルクの家では誤解されるような事実は一切ない。
 
 いつも無表情を貼り付けており、そのゆっくりマイペースが崩れたところは見たことがない。
 何を生業としているのやら、食べたいとき食べて眠たいとき寝る自由奔放っぷり。
 しっかり者というイメージとは程遠いが、意外にも礼儀正しいので余計人物像がつかめない。
 
 使い魔はプチリュウのプッチ。
 これまた挙動が乏しく、主人に似て何を考えているやら見当もつかない生物。
 現在居間のイスにまとわりついているが、瞬きもせずただただじっとしている。生きているのか。
 
 そんな連中が押しかけてきたおかげで、ダルクの沈んだ気持ちは少しは晴れていった。
 代わりによく分からない空気が部屋に満ちていく。
 
「ダル君」
「なんだ」
「今日はおなかすいてないよ」
「そうか」
 
 ウィンはもっぱらテーブルに寝そべってくつろいでいた。
 テーブルの上に置いてある小物をいじったり、自前の杖を手入れすると見せかけて遊んでたり。
 あまりに退屈そうだったので、ダルクが本を一冊貸し与えると、かじりつくように読み始めた。
 そして次にダルクがウィンを見たとき、それは枕になっていた。
 
「ねえダル君」
「なんだ」
「エリィとなにかあったの」
 
 唐突に正確に急所を突かれ、ダルクは魔道書を眺めた格好のまま凍りついた。
 ウィンはエリアと親友なので、例の一件について何か聞いていてもおかしくない。
 ウィンが訪れた時点で真っ先に気付くべきだったが、すっかりペースに飲まれてしまっていた。
 
「……エリアから何か聞いているのか?」
 
 ダルクは魔道書を読み続ける素振りを装い、何ともなさげにページをめくった。
 
「んーん。なにも」
「そうか。最近遊びに行ってないのか?」
「うん。いそがしくって」
「忙しいって何がだ」
「実はべつにいそがしくないのでした」
「知っている」
 
 ダルクは一瞬、ギコの件について相談してみようとも思ったが、すんでのところで思い直す。
 とんだ逆恨みとはいえ、今回の件もやはり自分の問題、第三者を巻き込むのはよくない。
 まかり間違ってウィンがギコに傷つけられでもしたら、ウィンは勿論エリアにも申し訳が立たない。
 それに……この能天気なふわふわ少女が、事態を解決に導く相談相手になるとも思えない。
 
 ふと何気なくウィンを見ると、枕にされたはずの本がまた開かれていた。
 一瞬感心しかけたが、すぐさま開く方向がテーブル上であることに気付く。

「積み木にするな。読まないなら返してくれ」
「じゃあよむ」
 
 これまで何度かウィンを家に置いたまま外出したことはあったが、
ウィンの本の扱いを見て今日は特に不安を感じたので、結局夜の散歩はあきらめた。
 
 雨も降ってないが、一日くらい家に閉じこもる日があっても悪くないだろう。
 ダルクは読書に戻る。
 そのままウィンが突然「ねむたい」とこぼすまで、ゆっくりした時間を過ごしていった。
 

 
 
 
 ――草木も寝静まった真夜中の森。

 比較的見通しの良い小路にて、草地を踏み進む足音が、不規則にあがっては消える。

「うぐひひひひひ」

 暗闇の中で、月光を受けた眼鏡が一瞬ギラリと光った。
 
 その白衣の男は、血色のない極めて青白い肌をしていた。
 のみならず、両こめかみより少し上の部分からは、悪魔のような角が一対生えている。
 その通り、この「コザッキー」という名の学者は、『闇』に属する正真正銘の悪魔族だった。
 
 ここは昼間には柔らかい陽光が差し込む、自然の恵み豊かな森林。
 悪魔族など場違いも甚だしい存在で、現に彼らがこの地を踏むことなど滅多に無かった。

 ところがどういうわけか、コザッキーは森にいた。
 それもただ通り過ぎるでもなく、あらゆるものにベタベタ触りながら周囲を徘徊している。
 端から見れば化学者の生態調査といった図だが、どうもそのような自然なものには見えない。
 不自然の理由は、猫背を揺らした不気味な歩き方のせいか、時折あげる下品な笑い声のせいか――
 それとも、本物の『闇』をまとう悪魔族特有の禍々しさのせいか。
 
「うん?」
 
 やがてコザッキーは進路方向とは別に首を向けたまま、足を止めた。
 ここからあまり離れていないところに、まばらに生えた木々が急に途絶えている一帯がある。
 森の風景の主役である樹木が、綺麗さっぱりくり抜かれている場所――。
 
「――おおっ」
 
 果たしてそこには、天上の星々を映しかえす美しい湖があった。
 ほとんど濁りのない、まるで生まれたばかりの泉のように清澄、清潔、清冽。
 たちまちコザッキーの品のない笑みは更に広がり、汚いよだれがアゴを伝った。
 
「素晴らしいぃ~」
 
 コザッキーは足早にふらふら泉に近づいていく。
 
 水は全ての生態系において必要不可欠な存在。
 いくら闇の住人である悪魔とはいえ、生命を維持する以上はどうしても無視できない。

 また新鮮な水は科学にも化学にも大変汎用性があり、これを用いれば実験の幅も一気に広がる。
 外の世界が不慣れなコザッキーにとっては、水場の確保は大変な意味があった。
 
「うぐひひ、まずはどれ、水質はいかがかなぁ~?」
 
 と、コザッキーが水辺まであと数歩を残したとき。
 
 今の今まで氷のように張り詰めていた水面が、いきなり激しい猛りとともに破れ裂かれた。
 水しぶきの迫力に「うおっ!?」とコザッキーは尻餅、そのままじりじり二三歩退く。
 
「な、なんだぁ?」
 
 泉から何者かが飛び出したのだと理解した時には、それは湿った音とともに陸地に着地していた。
 シルエットは思いのほか小さい。コザッキーは即座に観察眼を働かせる。

 獣――いや恐竜――いや、どちらかといえば爬虫類。爬虫類族の子供。
 甲羅をもっていないのでタートル・タイガーの類ではない。
 獰猛そうな風格はクロコダイラスを思わせるが、顔の骨格が異なるし、かたいうろこもない。
 恐竜のような風貌、きわだつ赤目、両ヒザから生えた鋭い一本トゲ。
 このモンスターは――
 
「ギゴバイトか!」
 
 コザッキーの発した声に応えるように、ギコは低い唸り声をあげた。
 

 
 ギゴバイト――ギコにとって、闇霊使いの少年ダルクが湖に近づいたことは、記憶に新しい。
 自身の主人を奪わんとするダルクを、絶対にエリアに近づけさせるわけにはいかなかった。
 かような執念あって、ギコは例え眠っていても、闇の気配だけはすっかり敏感になっていた。
 
 いま目の前には、確かに闇属性の生き物がいる。
 ダルクとコザッキーの見分けぐらいつきそうなものだが、幼いギコはすでに冷静さを失っていた。
 もはや誰であろうと、エリアに近づく『闇』はすべて攻撃対象だった。
 
 尻餅をついた無防備なコザッキーに、今まさに飛びかからんとするギゴバイト。
 もはや数秒後には、コザッキーの下品な悲鳴が周囲に響くこと請け合いだった。
 
 ところが。
 
『待て!』
 
 コザッキーの一声で、ギコの動きはぴたりと止まってしまった。
 魔術の類でも、脅迫の種を押し付けられたからでもない。
 コザッキーはただ一言、待てと言っただけだった。
 ただし――ギゴバイトに通じる言葉で。
 
『落ち着け! 腹が減っているなら食べ物を用意してやる!』
 
 それは第三者が聞けば、果たして声なのかどうかすら怪しい、雑な低音の羅列。
 しかしギコにとっては、同種の仲間同士が通じる明確な「言語」だった。
 
『腹が減っているわけではなさそうだな。落ち着け、私は敵ではない』

 コザッキーはギゴバイトが戸惑っている様を見て、にんまり笑った。
 白衣を払いながら立ち上がるも、逃げ出す素振りもなくその場に留まる。
 
 コザッキーは元々優秀な言語学者だった。
 今まで自分が研究した生物となら言語で自由に意思疎通が図れる、という離れ業を持っていた。
 
『さぁ、何をそんなに怒っているのか話を聞こうじゃないか。相談に乗ろう――』
 
 露骨に怪しい持ちかけ方だが、ギコは何といってもまだ幼かった。
 守り抜くべき主人エリアや、最大の仇敵ダルクと同じ、相手はヒト型のモンスターだ。
 事情を話せば、もしかしたら今の状況を何とかしてくれるかもしれない。
 
 気付けばギコは、自分の言葉をそっと漏らしていた。
 とたんに大仰に反応するコザッキー。
 
『もちろんだとも! 私はお前のような元気なモンスターが大好きだからなぁ!』
 
 歯止めをかけるものは誰もいない。
 ギコは拙い説明で、いま自分が抱えている事情をすべてコザッキーに話した。
 
『なるほど……主人を守りたいとな! しかしなぜかいつも主人に怒られてしまう……』
『しかし自分が守らなければ、主人をその男に取られてしまうかもしれない!』
『素晴らしい忠義! なんという主人思い! ここは私が人肌脱いでやろうではないか!』
 
 コザッキーの表情が、あまりの喜色に歪んでいく。
 
『そう、お前に必要なものは力だ! 力さえあれば何者も寄せ付けない!』
『力さえあれば、主人に手を出す輩など確実に蹴散らせる! 永遠に主人を守り通せるのだ!』
 
 ギコの表情が、わずかな疑心と大きな憧れに染められていく。
 
『お前が望むなら――すぐにでも力を与えてやろう』
『礼や見返りは要らん、私が好きでやることだからな』
『さぁどうする? こんな機会、めったにないぞ……?』
 
 両腕を広げたコザッキーを前に、呆然としたように立ち尽くすギコ。
 よだれが垂れるのも構わない下品な笑いが、ひときわ湖に響き渡っていった。

 
 

 
 
 
 朝。

 森に朝が訪れた。
 小鳥は心地よくさえずり、木々の隙間からはカーテンのように日射しが零れている。
 また地表には淡いモヤが一面に漂っており、見るもの全てが清涼な空気で染められていた。
 
 湖。
 鬱蒼とした樹林の奥深くに産み落とされた、鮮烈で大胆な潤いを与える広い湖。
 
 そのすぐそばに、ひっそりと一軒家が建てられていた。丸太を組んだ小さなログハウス。
 自然と一体化したかのように質素を極めており、周囲の風景に違和感なく溶け込んでいる。
 
「ん……」
 
 その家の家主――水霊使いの少女は、一瞬まぶたを強張らせた。
 ……ほどなくして、彼女の青眼がうっすらと開かれていく。
 
「……」
 
 ぼんやりした意識の中、しばし横たわった格好のままじっとする。
 明るい。鳥の声が遠く耳に入ってくる。
 
「……朝……」
 
 やがて自分にも聞こえないような小さな囁きと共に、エリアは腕に力を入れた。
 横向きの細身が、まるで清艶な絵が動いたかのように緩やかに起きあがっていく。
 ずり落ちる毛布と一緒に、さらさらと青い長髪が流れていった。
 
「ふあ……」
 
 ひざを曲げ、ベッド上にまたがるように座り直したエリアは、小さな欠伸を片手で覆った。
 その手で目をこすりながら、もう片方の手を大きく天井に伸ばす。
 寝ている間にすっかり固くなった身体が、微細なきしみとともに気持ちよくほぐされていく。
 
「ユメかぁ……」
 
 ストレッチの勢いで漏らした自分の肉声に、エリアは思わず自分でハッとした。
 おぼろげに頭の中でよみがえる、たったいま見ていた夢の断片。
 
 エリアは大きめのふかふか枕を両腕で抱き寄せると、顔の下半分をそれにうずめた。
 頬には、ほんのり朱色が差し始めている。
 
(久しぶりにあの夢見ちゃったな……)
 
 久しぶりの夢。
 あの男の子の夢。
 自分が森の中で道に迷い、樹木のウロに隠れて泣いている時に、あの男の子が助けてくれる夢。
 それは決してエリアが生み出した憧憬ではなく、紛れもなく過去に起こった出来事の追想だった。

 
 
 
 当時まだ幼かったエリアは、孤独という恐怖に全てを飲み込まれていた。

 隠れている場所から出れば、恐ろしいモンスターに襲われるかもしれない。
 しかし非力な自分を守ってくれる存在は、この瞬間だけは世界のどこにもいなかった。
 
 独りぼっちは耐えられないけれども、今ここを離れたらもっと怖い目に遭うかもしれない。
 おなかも空いた。家族のもとに帰りたい。誰かに元気付けて欲しい。

 誰もいない。
 独りで縮こまり、震えながらすすり泣くしかなかった。
 
 そうして延々とその場に縫い付けられ、この世から取り残されたままなら、自分はどうなるのか。
 いつこの状況が終わるのか全く見通しがつかない。命が助かるかどうかさえも分からない。

 その幼さではとても負いきれない酷な仕打ちに、彼女は心身ともに限界を迎えようとしていた。

 
 
『誰かいるのか?』

 
 
 そんなとき、あの男の子は来てくれて――

 
 

 
 
 
 
 ダルク達が住んでいる森と闇の世界との境目あたりに、割と奥行きのある洞窟があった。

 まったくどういうわけか、その洞窟の最奥部には「実験室」があった。
 ただの実験室ではない。
 そこにはダルク達が知る世界観を、根幹から覆すような技術が用いられていた。
 
 電気が走っている。
 その明るさは、ローソクやガス灯とは比較にならない。
 キャビネットの上には、街中でも見たことがないような計器、実験器具、箱型電脳。
 テーブルに散らばっている書類には、誰も考え付かないような計算式が書き殴ってある。

 また一番奥の壁には、この施設内でもっとも目を引く大きさの異様な円柱ガラスがあるが、
 果たしてこれが「培養カプセル」という名であることを知っている者が何人いようか。
 
「素晴らしい、素晴らしいぞっ!」
 
 その培養カプセルの近辺で、唯一の研究者――コザッキーがしきりに興奮していた。
 室内をせわしなく行き来し、複数のモニタ付きコンソールを器用に叩き回っている。
 
「ギゴバイトのポテンシャルにはかねがね目をつけていたが……まさかここまでとはっ!」
 
 カプセルの中には、多くのコードが繋げられた爬虫類の生物がうずくまっていた。
 水霊使いエリアの使い魔、ギコだった。

 だが、その姿は既に変わり果ててた。
 ギゴバイトに比べて背丈がぐんと伸びており、頭身も数段増えている。
 トゲのついたフォルムもシャープなものになり、尾もやたらと太く長く成長している。

 今やギコは、ギゴバイトの進化した形態――ガガギゴへと姿を変えてしまっていた。
 
「サンプルは最高だっ! 私の計算したデータにもほとんど誤りはないっ!」
 
 コザッキーは狂ったように笑い、よだれを撒き散らした。
 
「『レベル変換実験室』プランは成功するっ!」

 
 
 
 コザッキーが外の世界に出た最大の目的は、未知の科学への追究だった。

 生態、医療、物理、工学、天文、ジャンルは問わない。
 とにかく科学に関するあらゆる未踏の領域を、どんな手段を使ってでもつまびらかにする。
 
 そんな野心を志して外の世界に飛び出した初日に、いきなりギゴバイトと遭遇した。
 モンスターのレベルを著しく変換する装置の開発――
 及び、人為的強化によるギゴバイトの形態変化――を同時に研究できる機会を得たのだ。
 
 すでに実験の第一段階はクリアしていた。
 取得済みのデータではあるが、ギゴバイトからガガギゴへと進化させる実験は無事に成功。
 ここから先はお楽しみ、未踏の領域への開門だ。
 
 外の世界に出て早々、幸先が良すぎる。
 実験はいまのところ順風満帆。
 コザッキーの笑い声はとどまるところを知らなかった。
 
「さぁ被験体350300よ! お前の持つ、私の『未知』を見せてみろ! いぎひひうぐひひひい!」
 
 コザッキーがレベルの引き上げ操作を、着々とこなしていた最中だった。

 
 
 
 カプセル内のギコの両目が、まったく唐突に見開かれた。

 
 直後に培養液の中で暴れ回り、自身に繋げられたコードを次々と引きちぎっていく。
 
「な、なんだ!?」
 
 装置から高音のアラームが鳴り響き、それぞれのモニタに警告表示が飛び出していく。
 コザッキーには何が起こったのか分からない。麻酔投与にぬかりはなかったはずだった。
 
 慌てて制御装置に飛びつこうとするコザッキー。
 何かは分からないがこれはまずい。とにかく実験を中止するしかない。
 しかしそう決断した時にはすでに、カプセルのガラス面には亀裂模様が走っていた。
 

毎度更新遅くてごめんなさい
投下します


 悪魔の天才科学者は、想定外の事態を前に汗だくになっていた。
 
 研究サンプルのガガギゴには、貴重な麻酔をふんだんに打った。
 繋ぎとめていたコードだって、ちょっとやそっとで千切れる代物ではない。
 いまヒビの入っている培養カプセルだって――
 
 直後、そのガラス面のヒビの数が、一瞬でクモの巣状に広がった。
 同時に爆発したかのような強烈な勢いで、明るい音とともにガラスが粉砕された。
 
「ぐひっ」
 
 制御装置のそばにいたコザッキーは、たまらず室内の隅へ転がるように逃れた。
 壁にぶつかり焦点がブレる視界に、緑色の培養液が床を這っているのが見える。
 それをズンと踏みつける、しなやかな筋肉と鋭いトゲを有した爬虫類の太脚――。
 
「はひっ!?」
 
 培養カプセルを脱したガガギゴが、両の足で立っていた。
 そうして大きな伸びをするように身体をくねらせ――ひときわ大きな咆哮を挙げた。
 
「あひっあひっ」
 
 コザッキーは自身の危機を感じ取るや、白衣のポケットを狂ったように漁り始めた。
 急ごしらえの研究所の設備では、とても暴走したガガギゴを食い止めることなどできない。
 こうなってはもう、奥の手も切り札も出し渋ってはいられない。
 どんな手を使ってでも我が身の安全を確保しなければ――
 
「……」
 
 ところがガガギゴは、コザッキーの動向など一切気にかけていなかった。
 激情を放つように吼えはしたが、その炯々とした赤目はまるでどこか遠くを見定めている。
 
 様子がおかしいことに気付いたコザッキーは、すんでのところで動きを止めた。
 その指先は、ポケットから取り出した小型スイッチにかけられている。
 数あるコザッキーの切り札の一つで、コザッキー自身にもリスクのある手段だったが……
 
「…………」
 
 ガガギゴは一瞥もなく、もう一吼えしたかと思えば、たちまちその身を弾けさせた。
 向かう先は研究所の出口。
 研究所に扉などなく、距離はあるものの外までは吹き抜けだった。
 ガガギゴは身を屈めて矢のように駆けていき、あっという間に森の奥へと姿を消した。

 
 
 
 研究所に一人取り残されたコザッキー。

 甲高い警告音は鳴り止まず、カプセルから漏れた培養液はすでに床の半分以上を舐めていたが、
 コザッキーは床にへたりこんだまま、しばらく身動きひとつ取れずにいた。
 
「……た、助かった……」
 
 自分の頭脳をもってしても何が起きたのか理解不能だったが、とにかく怪我一つなしに済んだ。
 研究所内は荒れたものの、切り札は温存されたままであるし、大きな損失はない。
 
「いや……損失だ!」
 
 コザッキーは片手で床に鉄槌を打った。
 せっかく手に入れた絶好のサンプルに、まんまと逃げられてしまった!
 しかもあと少しで、研究が未知なる領域に達しようというところで――。
 
「ぬぐぐっ……あと少しで! あと少しだったのに! ぐうぅ……」

 コザッキーの頭に、命あっての物種などという見方は微塵もなかった。
 つい数分前にあった危機感はもはや失せ、今は研究パーツを失った怒りに満ちている。
 悔しげに何度も床に鉄槌を下す。鉄槌。鉄槌。鉄槌。痛くなったのでやめる。
 
「こんな消化不良で……次の研究に移れるものか!」
 
 言うなり床から跳ね起きると、散らかった惨状には目もくれず、乱暴にテーブルへ向かった。
 備え付けの引き出しをガラガラ開けまくり、次々にレポート紙を引っ張り出す。
 
「私は諦めんぞぉっ!!」
 


 
 夕方と呼ぶにはすでに暗すぎる頃、エリアはようやく家まで帰り着いた。
 出ていったときと同じ格好ではあったが、その顔色は疲労を伴って青ざめていた。
 
(ギコ君……どこ行ったの……?)
 
 今日当たった場所は、すべて使い魔と共に出歩いた覚えのある場所だった。
 しかしそのいずれにも、ちょっぴり乱暴で寂しがりやのギゴバイトの姿はなかった。
 ここはと思う地点では必ず声を上げてギコの名を呼んだが、結局何の収穫も得られなかった。
 
 そうこうしているうちに日が沈み、気付けば夜にさしかかっていた。
 やむなく捜索を切り上げて帰路につくも、一人きりの帰宅はこれまでにない寂しさがあった。
 
「……泉の精霊さん、いる?」
 
 家に入る前に、そばに広がる湖に声をかける。
 小さな呼び声だったにも関わらず、泉の精霊はすぐに水面にヒト型を浮かばせた。
 
『エリア。こんな時間まで……心配しました』
「ごめんなさい。ねぇ、泉の精霊さん、ギコ君は……」
『いいえ。残念ながら』
「そう……」
『……結局、見つからなかったのですね』
「うん……」

 目を伏せたエリアは、握った杖の頭を哀しげになでていく。

「変なの。ギコ君は無事でいるって分かるのに、呼んでも出てきてくれないの。
 こんなこと、今まで一度もなかった……」
『きっと大丈夫ですよ。あの子ほど気丈なモンスターは他にいません』
「でも……」
『ギコのことも勿論ですが、私はあなたのことも心配です。ひどく疲れていませんか』
「ううん、私は平気」
『いいえ、顔に出ていますよ。ひとまず今日のところは、ゆっくりお休みなさい。
 エリアが無理を冒すことも、決してギコの本意ではないでしょう」
「うん……そうだね」
 
 エリアは泉の精霊に別れを告げ、家に入った。
 淡い期待はあったが、やはり家はもぬけの空で、使い魔の気配など皆無だった。
 
 着替えを済ませて軽食を取るも、それさえも食べきれないほど食欲も沸かない。
 明日の捜索に備え、早々にベッドに入る。
 しかし疲れているはずの身体は、なかなか寝つきを受け入れてくれない。
 
 ただぼんやりと、仰向けに天井模様を眺める。

 
 
 独りぼっち。

 ああ、独りぼっちって、やっぱり寂しいな。
 
 ギコ君も、きっとどこかで独りぼっち。
 こんなに寂しい思いを、いつまでもさせておいてはいけない。
 
 明日はウィンちゃんと、そしてウィンちゃんに頼んでダルク君にも手伝ってもらおうかな。
 みんなで探せば、きっとすぐに見つかるし――
 
 私も寂しくないし……――

  
 
 
「!!」

 
 突然エリアの目が開かれた。
 寝床に持ち込んでいる杖を通して、感じる。
 
「ギコ君」
 
 すごいスピードで、こちらに近づいてくる。
 感じ取れるエネルギーが少し大きい気がするが、これは間違いなくギコ君だ。
 
 エリアは仰向けの身体を起こし、壁の一面を見つめた。
 来る。もう、すぐそこに――
 
「……ギコ君?」
 
 轟音。
 丸太組みの厚い壁は、いとも容易くぞんざいに突き破られた。
 建材の屑霧に紛れ、威圧を思わせる長躯の影と、理性の疑わしき赤い眼光が浮かび上がった。


 
 
 
 緑のポニーテールの少女は、ふと何かを感じ取ったように頭をあげた。

 
「エリィ」
 
 ぽつんとつぶやいた名は、親友の愛称。
 彼女は見晴らしの良い高所から、エリアの住まう泉の方面を見下ろした。
 すでに夕刻を過ぎた景色は薄暗いベールに覆われ、その目では正確な位置は測れない。
 
 風霊使いウィンは、現在エリアの家から数キロ離れた山地にいた。
 風に乗って飛び回った末に、ひときわ高い広葉樹の天辺に座り込んでいた。
 何をしていたかといえば、使い魔のプチリュウの毛づくろいの真っ最中だった。
 
 つい先の瞬間、胸騒ぎがした。
 エリアの身に何かが起きたのかもしれない。

 ウィンは毛づくろい中と変わらぬ無表情のまま、呆けたようにじっと風を受けた。
 生暖かいとも寒いともいえぬ風が、ほんの強めにエリアの前髪を吹き上げていく。
 
 風を業とする風霊使いは、この手の勘や第六感を外したことがほとんどない。
 この世界で起きた万象は風から風へと伝わり、いつかはウィンのような風の使い手をも通り過ぎる。
 そのとき断片となって流れゆく情報が、風の使い手当人にとって関わりあるものほど、
 風は妙に濃く感じられるのだ。明確な理屈はなく、独特の感性が為す特技である。
 
「……」
 
 毛づくろいが中断されたために、首をかしげて主人を見上げるプチリュウ。
 を抱えあげ、コートの内側にしまいこむウィン。
 まるで小道具のように収納された使い魔だが、なぜかコートがかさばることはない。
 
「いってみよ」
 
 ウィンは立ち上がるなり、広葉樹の頭からトンと飛び離れた。
 優に20メートルは超える高さを、身投げも同然にあっけなく落下していく。

 と思いきや、その風圧にもまれていた華奢な身体は、樹木の半ばほどでぐりんと持ち上がった。
 まるで角度のついた滑り台が空中に浮かんでいたかのように、滑らかに、優雅に飛翔していく。
 
 ウィンはみるみるうちに高度を上げ、あっという間に山地の木々を目下に置いた。
 落下でつけた勢いに更なるスピードを上乗せし、疾風となった体躯はぐんと伸びていく。
 目的地は、久々の訪問となるエリアの家。
 
 さいわい夜空は天気で風もよく吹いていたので、すぐに山地から森へと差しかかった。
 同時に泉に近づくほどに、心なしか不穏な空気がじわじわと強まっていくような感触を覚える。
 ウィンは飛行したまま、ゆっくり目を閉じた。

「……」
 
 何となく――いつもの平穏な森の雰囲気に、何か別のものが混じっている気がする。
 正体は分からないが、少なくとも好ましいものではない。
 悪い。冷たい。危ない。そんな言葉が頭をよぎっていく。
 
 とにかく今は、何よりもエリアの無事が気になる。
 目を開いたウィンはますます速度を上げ、矢のごとく泉へ向かっていった。
 


 
 闇霊使いのダルクは、ちょうどその頃夜間の森を散策していた。
 晴れた夜は毎日のように家を出て探検に乗り出しており、外の世界での見分に努めている。
 
 が、さすがにこの森に住み始めて1ヶ月以上も経った今では、家周りはすでに庭のようなもの。
 最近はずいぶん行動範囲も広げており、見慣れないものは少なくなっていた。
 
「! あれは……」
 
 ところが、今日は見慣れているのに見慣れないものが視野に入った。
 はっとして顔を上げると、夜空を駆ける緑色の流星が一筋――。
 夜目の鋭いダルクは、それが頭上を横断する間に正体を見破る。
 
「……ウィン?」
 
 見えなくなるまであっという間だったが、とりあえずあのシルエットはウィンのものだった。
 見間違うとすればそっくりさんしか考えられないが、本命はウィンとして良いだろう。
 
 ものすごいスピードだった。
 ウィンが空を飛ぶ様子は何度か目にしたことがあるが、あそこまで速いのは初めて見た。
 何を急いで、どこに向かっているのか。
 
 ダルクはすぐにピンとくる。
 向かった方角は、エリアの家がある湖だ。
 風霊を司るウィンは、おそらくエリアの身に何かあったことを察知したのではないか。
 
 ダルクの思考がそう流れたのには理由がある。
 今日は泉の方で、気のせいとばかり思い込んでいたが、かすかに――
 集中しなければ分からないほどに――『闇』の気配を感じ取っていたからだった。
 
 もっともそんなことは今までもあった。
 そんな微かな『闇』の気配などしょっちゅう自然発生するし、そのほとんどは無害なもの。
 また使い魔のディーが放っていた場合もあったりで、さしたる懸念には至らなかった。
 
 だが今回感じ取った位置は「エリアのいる泉」方面で、そこへ「ウィンが急いで」向かったのだ。
 偶然が重なりすぎている。
 
(泉で何かが起きている……?)
 
 ダルクはすぐさま自分も向かおうと思ったが、急ぎかけた足はすぐに重くなった。
 これがもし、自分の勘違いだったら。

 エリアとは、ギコの件で非常に顔を合わせづらい状況にある。
 散々こねくり回した議論だが、しばらく会わないようにしようと言い出したのはダルクだ。
 自分から会いに行くのは、明らかに言行不一致ではないか。
 
 そう考え出したダルクの歩幅は、みるみるうちに縮まっていく。
 何事もなかったとして、エリアにどんな顔をしてどんな言葉を交わせばいいのだろう。
 泉の方角だって、今日散策する予定のコースとは大きく反れているし……。

 
 
 
 そのとき、ダルクの頭の中に、一滴の雫が軽やかに落ちていった。

 
『私とダルク君は、友達だからね?』

 そうだ。確かにエリアはそう言った。
 友達の危機を感じてすぐさま駆けつけることは、何も不自然ではない。
 ウィンを見ろ。あれほど寸秒争うように飛び急ぐ様子を見たあとで、自分は何を履き違えている。
 
「ディー!」
 
 ダルクは使い魔の名を呼んだ。
 周囲を警戒していた一つ目コウモリは、たちまち主人のもとへパタパタ馳せ参じた。
 それを待たずして、ダルクはコートを翻しながら駆け出す。
 
 下らない逡巡に時間を割いてしまった。
 何が待っているにしろ、とにかく今ここで走るということ自体に友情の意味はある。
 
「急ぐぞ!」
 
 一刻も早くエリアのもとへ。
 夜は闇が支配する時間。ダルクの身体は軽く、霊力もみなぎっている。
 暗闇に浮かんでいた少年とコウモリの陰影は、静まった林道を跳ねるように過ぎ去っていった。
 

いつも読んでいただき、ありがとうございます

さて突然ですが、これから執筆スタイルを変えていこうと思います
現状でははっきりいって、何年かけても完結できるペースではありません

なので今週から、今までのような書き溜め→大量投下 のスタイルではなく
1~2日に短い1~2レス更新とさせていただきます
イメージとしては新聞の連載小説のような感じです

一発一投下が不安だったり、スレの消費も早くなりそうなので敬遠していた手段ですが
もうそうもいってられません。書ける時間のあるうちにどんどん書いていこうと思います

もしかするとクオリティが落ちたり矛盾がのさばったりするかもしれませんが
どうかご容赦ください。またそれらがありましたら、遠慮なくご指摘頂けると幸いです
こんな体たらくですが、どうぞこれからもよろしくお願いします

なお、あまり書けていませんが、次の投下は今日の深夜にしようと思います

 闇に染められた細かな地形を見極めつつ、息せき切って走りゆくダルク。
 その風圧に揺れる黒髪の隣に、並走するようにパタパタ飛びゆく使い魔。
 一人と一匹が目指す先は、嫌な予感が絶えない湖。水霊使いエリアの元へ。
 
 久しく足を運んでいなかったが、道筋はよく覚えている。
 ダルクが初めて外に出て、水浴びしていたエリアを覗いてしまうまでの道のりだ。
 
 今にして思えば、この道からダルクの出会いは始まった。
 この世界の始まりのあの日、エリアという少女に繋がるただ一つの道。
 月日を置いた今でも、そう簡単には色あせない記憶。
 初めての出会い、初めての対話、初めての……
 
「!?」
 
 木の根。
 地面から盛り上がった木の根が、ワナのようにダルクの足を待ち構えていた。
 
 勢いの止まらないダルクは、そのまま木の根に足を取られ、派手に倒れ――るはずだったが、
 注意が一瞬間に合い、タイミングの合わない姿勢から辛くも飛び上がった。
 果たして見事にワナは飛び越えられ、不安定な着地ながらも勢いそのままに駆け足は続いていく。
 
 今の木の根には、一度つっかかって転んだ覚えがある。
 あれは忘れもしない、最初にエリアに誤解を与えた直後、逃げるように家まで走り帰ったときだ。

 その記憶が呼び覚まされ、とっさに体の反応が追いついたのだ。
 ダルクのあの日への思い入れが、遠回しながらも形となった瞬間だった。
 
「よし」
 
 駆けゆくダルクはそのことに小さく満足し、同時に自信が沸き上がるのを感じた。
 今夜の自分は調子がいい。使い魔のディーだって、飛び方を見る限り好調だ。
 もしエリアの身に何か起こっていたとしても、きっとその問題もすぐに解決できるに違いない。
 
 群生している森の木々が、急に途絶えている空間が前方に見えてきた。
 あそこが湖だ。もうそう遠くない。
 ダルクは走りながら杖を持ち直し、心ごと引き締めるようにグッと握った。

 
 
 
 
 
 やがて少年とその使い魔は、湖にたどり着いた。

 
 ダルクは湖に着くまで、エリアの件に関してあくまで「嫌な予感」「胸騒ぎ」という認識しかなかった。
 だから今回のことは、本命では単なる思い過ごしで、ただの肩透かしが待っているとばかり思っていた。

 それどころか、エリアと久々に出会えて、ウィンも交えて話ができるかもしれない、
 なんてズレた期待をほのかに抱いていたりもしていた。

 
 
 
 湖に着いて、エリアの家に目を向けて。

 
 ダルクは、いかに自分が浮かれていたかを思い知った。
 
「……あ……」
 
 絶句。
 二の句が次げなかった。
 淡い期待だの、嫌な予感だのどころではなかった。
 そこには、想像からあまりにかけ離れた光景があった。
 
「…………」
 
 ダルクは一気に顔色を緊張に染め、小さな合図でディーを肩口にとまらせた。
 周囲に気を張り巡らせ、杖を構え直す。
 
 そうして足音を消し、ゆっくりとエリアの家に近づいた。
 まだ動揺が収まらないが、確かめなければならないために、エリアの家に近づいた。

 
 
 破壊の限りを尽くされ、無残な惨状を露呈するばかりの瓦礫の山となった、エリアの家に。

 


 ダルクは湖をぐるりと周り、エリアの家、いや家だった瓦礫の前まで来た。
 
(酷い……)
 
 近くで見てみると、より痛ましさが感じられた。
 敷地の上はぐちゃぐちゃに潰され、高さがなくなった分地面に残骸が転がり広がっている。
 枠組みや柱がいくつも斜めに突き出しており、屋根と思しき建材にはいくつも殴ったような穴がある。
 
 その屋根を見て、ダルクはさらなる危険を感じた。
 この壊され方は、モンスターの怪力によるものだ。
 それも硬い丸太を組んだログハウスを打ち壊すほどの。

 その上、ダルクの住まいもそうだが、この森の家々には魔よけの結界が敷いてあるはずだった。
 それを押し破って蹂躙を尽くせるモンスターなど、ダルクは少なくともこの森では見たことがない。
 
 加えて気になる点もある。
 屋根が落ちている状況なら、すでに家は壊されるはずである。
 なのにさらに屋根が殴り壊された跡があるということはつまり、執着している。
 この家を破壊するということに。
 単なる腹いせか……もしくは、もはやこんな家など必要ないと言わんばかりに……。
 
「……」
 
 目を凝らし耳をすませ、瓦礫の山をぐるりと一周してみる。
 が、エリアがいる気配はない。
 そもそも、エリアがこの家の下敷きになっているなどという可能性は、最初から排除していた。
 
 そんなことは考えたくもないという気持ちもあったが、事実としてエリアの気配がない。
 たとえ最悪の事態になっていたとしても、無条件で「気配が何もない」ということは在り得ない。
 
 ダルクは「死」と深い関わりを持つ「闇」の精霊使い。
 それを踏まえた上で、こんな静かな深夜での、しかもコンディションが優れている状況である。
 「死」の気配があれば、それに気付かないはずがない。

 
 
 ……それでも念のためディーを放ち、残骸の隙間に潜り込ませてみる。

 案の定、エリアの姿は影も形もなかったようだ。
 
 まずは一安心……といいたいところだが、そうもいかない。
 
 エリアが不在時にこの家が破壊されたのなら幸いだが、もし居合わせていたら。
 この家は残骸の湿り具合から、おそらく壊されてから半日も経っていない。
 半日を遡ってみても、自分のかつての記憶上では、エリアはほぼ在宅している時間帯である。
 
 となると、エリアは逃げ出したか、さらわれたという可能性で行動すべきだ。
 偶然家に不在だったり、逃げ出している場合なら、一刻も早く合流しなければならない。
 さらわれているのなら……一瞬でも早く探し出し、助け出さねばならない。
 
(エリア……)

 
 
 
 ちょうどその時、一陣の風が斜め上から吹き寄せてきた。

 途端につむじ風が巻き起こり、そばの瓦礫を騒がせていく。
 
 強風と共に、何者かが夜空からダルクの元へと降りていった。
 ダルクは片腕で顔を覆い――その少女の着地を待った。
 
「ダル君。これ」
 
 風霊使いのウィンは地に足着けるなり、過程をふっ飛ばしていきなり眼前に「それ」を差し出した。
 
 エリアの杖だった。

ありがとうございます!
とりあえず続けられるだけ続けてみるとします

 
 白い薄地のブラウスに、ベージュのローブを軽く引っ掛けた少女の名は、ウィン。
 風の精霊をつかさどる力を持ち、自在に空を飛び回ることができる。
 
 彼女のそばに浮遊している、羽の生えたヘビのような使い魔は、プチリュウのプッチ。
 珍しく翼を広げて主人に随伴しており、その瞳には心なしかやる気を感じさせる。
 
 ウィンは、いつもは大人しかったりずうずうしかったり礼儀正しかったり、しかも口数少なく
 無表情を貫いているので、心情を読み取ることが非常に困難な女の子である。
 だがこのときばかりは、さすがにダルクにもその胸中が痛いほど伝わった。
 
「エリィがいないの」
 
 平坦な口調ながらも、わずかに――
 よく見ないと分からないほど、ごくわずかに額をしかめている。
 
 ウィンと顔を合わせることの多いダルクだからこそ分かる、色濃く現れた強烈な不安。
 初めて目にする、ウィンの動揺。懸念。焦燥。
 ダルクも改めて事の重大さを認識し、じわじわと心が揺れてしまいそうになる。
 
「大丈夫だ」
 
 ダルクは自分にも言い聞かせるように、落ち着いた声で言った。
 そう、まずは落ち着いて状況を整理しなければならない。
 気持ちの高ぶりやストレスは、冷静な判断の大敵だ。まずは深呼吸して。
 
「ウィン、話を聞かせてくれ。この杖はどこに手に入れた?」
「……そこ。エリィの、家」
 
 ウィンが指さした先は、瓦礫の山の中央だった。

 
 
 話によると、ウィンは夜中にふと胸騒ぎを感じ、エリアの元へ向かってみた。

 しかしその時には既に、エリアの家はこの有様となっていた。
 血相を変えて瓦礫の中を探したものの、彼女の姿はない。
 代わりに、使い魔のプッチがこの杖を探し当てたらしい。
 
 自力の魔力に乏しい霊術使いにとって、「杖」は身を守る「手段」。
 杖無しの単体の霊術使いなど無防備も等しく、そんな状態で真夜中の外にいるのは極めて危険。
 
 ウィンは慌てて彼女を探しに四方数キロを飛び回ってみたものの、いかんせん時は深夜。
 空を飛ぶから鳥目という訳ではないが、ウィンは常人並に夜目がきかない。
 こんな時間帯では、とてもこの広大な森から女の子一人を探し出すことなど無理をきわめた。
 
 やむを得ず、いったん異変のあった現場に戻って手がかりを探そうとしたところに――
 顔なじみの少年がいた。
 
 以上がウィンから得た情報の全てだった。
 参考になった部分もあるが、事態の進展にはまだ遠いというのがダルクの本音だった。
 
「そうか……」
「ダル君。エリィ、はやく探しにいかなきゃ」
 
 ウィンがほんの微かに声を震わせ、付け加える。
 
「このままだと、すごくいやな感じが、する」
 
 いやな感じ――。
 その言葉を聞き、ダルクの顔がより強張る。
 風霊使いの勘の鋭さは分かっているつもりだった。
 
「それは……まずいな」
 
 おそらく、エリアは無事ではないのだ。
 しかもこのまま放っておくと――取り返しの付かないことになる。
 そんな状態なのだ。
 
 根拠はウィンの言葉だけ。
 だが一度その通りだと思えば、もうそんな気がしてならない。
 
「大丈夫だ」
 
 深呼吸。
 ダルクには、最初から考えていた有力な手がかりがあった。
 この湖には、ウィンの話には出てこなかった、もう一人の重要参考人がいるではないか。
 
「『泉の精霊』に話を聞こう」
 
 目の前に広がるこの湖の主なら、間違いなく今回の件に関して何かつかんでいるはずだ。
 ダルクは軽やかにローブを翻すと、湖のほとりへと足を向けた。

 
 水際までは十歩もかからなかった。
 無表情のウィンが見守る中、ダルクは慎重に湿地へ腰を下ろす。
 右手には自前の杖、左の肩には使い魔のコウモリ。万一への備えは万全だ。
 
「ん……?」
 
 夜空に浮かぶいくつもの白光を、湖面は惜しげもなく投影している。
 それは既に見慣れた光景だったが、今日の水面には違和感があった。どこかいつもとは違う。
 
 よくよく観察すると、視覚的にその正体が分かった。
 さざなみだ。微細ながら震えている。湖全体が。
 様子がおかしい。
 
「……『泉の精霊』……いるのか?」
 
 ダルクのささやきが、思いのほか誇大に場の空気を揺るがす。
 
 が、返事はない。
 出した声が湖面へ吸い込まれたかのように、じっと静寂が伸びるばかり……。
 
「泉の精霊、いるなら返事をしてくれ。エリアが大変なんだ」
 
 雰囲気に飲まれないように、今度はやや語気を強くして呼びかける。
 同時に空いていた左手を、水面にかざすように被せた。
 冷たい湖水が、瞬時にダルクの手のひらを浸していく。
 
 彼女(?)は外の世界に憧れているのだ。
 普段なら呼びかけるまでもなく、ダルクとの対話を楽しみに勝手に姿を現しそうなものだ。
 
「……」
 
 なのに反応はない。
 ここまでして彼女が姿を現さなかったことなど、今まで一度もなかった。
 
(どうなっているんだ……)
 
 執拗に破壊されたエリアの家。
 杖を残して消えたエリア。
 返事がなく、いるのかさえ定かでない泉の精霊。
 
 結びつかない。結び付けられない。
 圧倒的に情報が足りない。
 
 しかしまだ、これで全てではない。
 最後に気になることが一つある。
 
 今ダルクの肩には、一つ目コウモリのD・ナポレオンがとまっている。
 振り返った先にいるウィンの隣にも、翼を広げたプチリュウが浮遊している。
 そう、全ての霊術使いには、杖の他にコレなしでは語れないものがある。
 使い魔だ。
 
 しかもエリアのそれは、我が身を挺するほどに主人思いの守護者だったはずだ。
 だが今夜はその姿どころか、その場にいた痕跡さえ目にしていない。
 
(……ギコは一体……)
 
 考えてみれば不自然な話だ。
 エリアの家が破壊され、エリアが杖さえ取り落とす状況にあって、血痕一つなかった。
 ギコの血痕さえ、だ。
 
 あの血気盛んな性分の使い魔が、主人を危機に追いやった厄難に対し、
 果たして何の抵抗もしなかったのだろうか。
 
 当時不在だった?
 それともエリアを守りきれなかったような、特殊な事情があった?
 
 ……いや……もっとしっくりくる考え方が……

 
 
 
 そのときだった。

 音もなくさざなみを寄せていた湖面に、急に反応があった。
 次の瞬間から、ダルクの抱えた謎は一気に半分以上解けることになる。
 

1レス更新なのに意外ときついです、書ききれません
ごめんなさい、また明日…

 
「!」
 
 ダルクはすぐに異変に気づいた。
 
 夜の湖畔が、唐突に落ち着きを失った。
 さざなみが割り増し、周囲に濃厚な存在感が満ちていく。
 
「これは……」
 
 気配は一部に留まらず、湖全体から伝わってくる。
 ほぼ間違いなく、この湖の主である『泉の精霊』のものだ。
 ダルクの顔がいくぶん綻んでいく。なんだ、ちゃんといるじゃないか。
 
 同時に、夜間の幻想的な湖面に、音もなく青白い光が浮かび上がった。
 『泉の精霊』が水面に姿をあらわす際の、前兆のような現象だ。

 青白い光……しかし。
 それは淡く、弱々しく、間近にいるダルクでさえ希薄に感じる、かそけき光だった。
 
「……?」
 
 さらに妙なことには、やや時間を置いても水上に出てくる様子がない。
 たちどころに不安を感じたダルクは、身を乗り出して青白い光を覗き込んだ。
 直後――

 
 
『ダル  ク  』

 
 あの泉の精霊の声が、ダルクとウィンの耳に入った。
 はっとして杖を握るダルク。大した反応も見せずマイペースに湖を見つめるウィン。
 
「泉の精霊! 大丈夫か!?」
『 リ  が この  に います』
「えっ?」
『  のま  では  い変  ことに』
「な、何の……」
『 やく  けな  と』
 
 何を言っているのかはっきり分からない。
 湖のか細い光が明滅しており、おそらく言葉を発することすらやっとの状態らしい。

 それよりダルクは、泉の精霊が伝えようとしている内容が気になった。
 一瞬だが、「エリア」という単語が聞こえた気がする。
 そのうえ言葉尻から、何か急を要することが、今まさに起こっているかのような――。
 
「エリアが、エリアがいるのか!?」
『 ま   たしの力  んとか  てい す』
「じゃ、じゃあすぐにでも……」
『あ   っ だめ す   いま  ちらに』
「? な、何だって?」
 
 瞬間、泉の精霊の余力を振り絞った叫びと。
 
『逃げて!』
 
 ダルクが湖に不穏な陰影をみとめたのは、ほぼ同時だった。
 
「うわっ!?」
「ダル君」
 
 耳をつんざく水しぶき。
 嘘みたいに高くのぼる、太い水柱。
 
 不意打ちも同然に、何ものかが水上へと飛び出してきた。
 泉の精霊ではない、これは何というか、もっと物理的な出現。
 決定的に異なる点は、それが湖の縁を越え、着陸したこと。目の前だ。
 
「こ……こいつは……」
 
 すでに水際から大幅に距離を取っていたダルクは、完全に臨戦態勢に入っていた。
 一つ目コウモリのディーも、主人の合図に従ってパタパタと上空に位置取る。
 
 ダルクの横隣にいたウィンも、意外にも機敏な動きで杖を構え、半身に応じた。
 使い魔のプッチも、気のせいか毛を逆立てて相手を睨んでいるように見える。

 
 
 相手。

 それは、夜闇に敵意むき出しの赤眼を灯した、獰猛然たる長身の爬虫類だった。

 
 頭から幾筋の湖水をしたたらせる、青緑の身体。
 肩、ひじ、膝から生えている、ナイフのような鋭いトゲ。
 我を忘れて攻撃的な紅蓮に染まった、映るものすべてを射抜くような切れ目の双眸。
 
 ダルクはその風貌もさることながら、それが醸し出す雰囲気や自分に向けられた敵意に、
 真っ先にあるモンスターを思い浮かべた。
 
「ギコ……なのか……?」
 
 エリアの使い魔のギゴバイトだ。
 感覚的な印象も含めて、もろもろの特徴に類似点があり過ぎる。
 
 しかしながら、かつての姿から思えば何倍もでかい。
 大の大人の身長は優に超えており、その中腰の姿勢でも2メートルは下らない。
 
 主力の武器であったトゲは、長身になったことで相対的に縮小したように見えるが、
 かえってコンパクトになったことで、小回りが利いて使いやすくなっているのかもしれない。
 トゲの色合いもより硬質なものになり、微かな光の照り返しはさらなる尖鋭を思わせる。
 
 が、何よりも注意すべきは、その見るからに発達した筋肉だ。
 腕っぷしも胸筋も大腿部も、以前とは比べ物にならないほど膨らみ、かつ引き締まっている。
 しっぽも野太い付け根から始まって細々した先端までえらく長く、可動域が広がっている。
 
 その腕で殴られたり尾で叩きつけられれば、下級の霊術使いなど一二撃で終わるだろう。
 さらに体型は縦長にすらりとしているので、恐らく機敏な動きが可能なはずだ。
 極めつけに、このモンスターは完全な敵意を持ってこちらを補足している。一触即発だ。
 
「く……」
 
 数秒で一通りの観察を終えると、ダルクはじりりと下がった。
 手強いどころではない、完全に手合い違いだ。
 泉の精霊の言葉も気になるが、ここは一旦退き、改めて湖を調べ直すしか……。
 
「ギコ君。そこどいて」
 
 えっ? とウィンの方を見た瞬間、猛烈な突風がダルクの顔面を吹き上げた。
 
「うあっ!」
 
 瞬発的に両腕で頭を覆い、腰を入れて足元に踏ん張る。
 ウィンがいきなり目の前のモンスターに霊術をかましたのだ。
 
 風霊術――『一陣の風』。
 並の戦士の兵装を吹き飛ばしてしまうほどの、強力な風圧のかたまりである。
 風霊術でも下位の魔法とダルクは聞いていたが、その余りの勢いから冗談としか思えなかった。
 
 水際に立っていたギコはもろに『一陣の風』を受け、大きく後方へ体勢を崩した。
 がしかし、ギコは一声呻いたかと思うと、あっという間に身体を持ち直した。
 そのまま前傾姿勢で受けに入ると、まるで石のように動じずその場にとどまった。
 いやそればかりか――
 
「!?」
 
 風の音にも負けぬボリュームで低く吼えたかと思うと、左足からズンと踏み込んだ。
 一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。
 『一陣の風』が通用していない。
 
「ウィン、いったん退くぞ!」
「きゃ」
 
 ダルクはすばやくウィンの手を取るが早いか、駆け足でもと来た道を引き返した。
 ウィンには少し乱暴気味だったが、彼女は浮遊していたので存外楽に引っ張ることができた。
 ディーもプッチも空高く飛び、主人たちに追従する。
  
「ダル君、エリィは」
「気持ちは同じだ、でもここは出直す!」
 
 ダルクは走りながら、靴の裏に自分以外の振動を感じた。
 ディーがパタパタと舞い降り、警告を促す。
 背筋が凍った。
 
 追ってきている。
 あの凶悪なモンスターが、自分たちの背を追ってきている。
 
 ダルクはウィンの小さな手を握り締めると、全速力で樹林地帯を目指した。
 

 
 地面から伝わる一歩一歩の振動は大きいくせに、その間隔は早い。
 振り向くまでもなく、凶獣はぐんぐんその距離を詰めてきているのが分かる。
 ダルクはウィンの手を引きつつ、慣れない走駆にありったけの運動神経を注ぎ込んだ。

「はっ……はっ……」
「わー」
 
 幸い浮遊状態のままのウィンは馬鹿みたいに軽く、大して走る負担にはなっていない。
 おかげで追いつかれるより早く、どうにか樹林に紛れこめそうだ。
 その前に、息を切らしながらウィンにある一案を伝える。
 
「ウィン、森の中に入ったら、いったん空に飛んでくれ」
「んー」
「二手に分かれるんだ。あとでディーを飛ばして合流する」
「んー」
「エリアを助けるためだ。分かったか?」
「んー。ダル君。もういっかい」
「……森の中に入ったら、いったん空に――」
 
 足が少し遅れたせいで、ギコはもうすぐそこまで迫っていた。
 しかし、ダルク達が森の中に駆け込むほうが五、六歩先だった。
 
「よしっ!」
 
 そのまま足を止めず、ダルクは頃合を見てウィンの手を放す。
 するとウィンは、真上の枝葉めがけて上昇気流のごとく舞い上がった。使い魔も一緒だ。
 
 続けてダルクは、左手に握った杖を、前方になぎ払うように振った。
 霊力のこめられた杖から、霧のような黒いモヤがふんだんに噴出される。
 
 闇霊術―『漆黒のトバリ』。
 周囲の暗闇よりも濃い『闇』を生み出す術で、単体では殺傷能力はない。
 だが目くらましを始めとした様々な用途・汎用性があり、ダルクの十八番のような霊術だ。
 
 『漆黒のトバリ』を放った瞬間、ダルクは空いていた手で使い魔に合図を送っていた。
 二本指をそろえて素早く場所を指定する仕草は、緊急の『攻撃』のサイン。
 
 上空で俯瞰していたディーは正確にそれを読み取り、パタパタと急降下して位置につく。
 間髪を入れず、一つ目コウモリの目玉が紫色に妖しく光り、禍々しいエネルギーが集中していく。
 やがて力が蓄えられた目玉から、不安定な紫色の『球体』が飛び出した。
 
 D・ナポレオンの唯一の闇属性攻撃にして最大の技、『ダーク・ボム』である。
 その名の通り爆弾で、何かに当たれば大きな爆発と同時に強烈な闇エネルギーが放出される。
 まともに喰らえば、自身と同レベルのモンスターなら一撃で勝負を決めてしまう火力を持つ。
 
 『ダーク・ボム』は、ダルクが指定した通りの箇所へ落下していった。その数二発。
 投下した場所には『漆黒のトバリ』が広がっており、闇の相乗効果でボムの威力は増幅される。
 
 そんなところへ、タイミングよくギコが突っ込んでいった。
 
「グオオッ!?」
 
 という声を背中に聞き、自分の狙い通りに攻撃が当たったことを知る。
 しかし振り向くことなく、ダルクは『漆黒のトバリ』をばらまきながら森の奥へと駆け続けた。
 命中を知ってからは一直線の逃亡をやめ、木々の間を右へ左へジグザグに走り抜けた。

 『漆黒のトバリ』は噴出した場所から広がる性質がある。
 ダルクとギコが踏み込んだ樹林は、瞬く間に濃厚な『闇』に包まれた。
 幾多の樹木が地面から突き出ているため、ただでさえ見渡しの悪い地形である。
 こうなっては、無策の水属性のモンスターが、森歩きに慣れたダルクを追う事は不可能だった。
 
 この時点で既に、背後の気配も足音もなくなっている。
 そこから更にひとっ走りしたところで、ダルクは完全に追っ手を振り切ったことを確信した。
 
(よし……)
 
 ダルクは余裕を持って小走りになり、『漆黒のトバリ』の放出を打ち切った。
 ほどなく息を弾ませながら完全に歩行に入り、ゆっくりと自身に杖をかざす。
 途端に、ダルクのシルエットの輪郭が薄くなり、気配が極端に希薄になる。
 ダルクのもう一つの得意な闇霊術――『うごめく影』。
 暗闇と部分的に同化し、周囲の背景に迷彩を図る。
 現在最も効果的な夜間のため、そこらのモンスターにはちょっとやそっとでは見つからない。
 
 ダルクは手頃な切り株を見つけ、そこにゆっくりと腰を下ろした。
 間を置かず、上空に随伴していたディーを呼び、ウィンをここまで連れてくるように指示する。
 ディーが了解して夜空に飛び立ち、それを見送ってはじめて、ダルクは一呼吸をおいた。
 

「……とりあえず……なんとかなったか……」

 ――
 
 ダルクの荒れた呼吸が整わぬうちに、ディーはパタパタと帰ってきた。
 糸で引かれたように、一緒になって風霊使いプラス使い魔も空から降りてくる。
 
「暗くてなんにもわかんなかった」
 
 というウィンは、『ダーク・ボム』の音を聞きつけて付近の上空を飛び回っていたらしい。
 勝手にあのモンスターに攻撃をしかけていないか少し不安だったが、心配は無用だった。
 月と星々ぐらいしか明かりがない森の、しかもそれらの光さえ届かない、樹林の只中である。
 自身で火も光も出せず、特殊な地属性でもない者など、暗中何も判別できないのが当然だろう。
 
 そして、あのモンスターもそれに該当する。
 
(あれは間違いなく、水属性モンスターだ)
 
 逃げ出す前に湖畔でじっくり観察したため、姿かたちはよく覚えている。
 あれはギゴバイトの成長したモンスター、『ガガギゴ』としか思えなかった。
 闇の世界で読んだ、どこぞの研究本に載ってあったような気がする。
 その強引な手段の研究内容がどうにも好きになれず、読み込みが浅かったのが悔やまれる。
 
「ダル君」
 
 ふわりと風が吹いた。
 息一つ切らさず、汗ひとつ垂らさず。
 両手で杖を抱くように持ったまま、ウィンはいつもの眠そうな無表情を向けた。
 
「何だ?」
「どうしてギコ君から逃げたの」
「……やっぱり、あれはギコなのか」
 
 先刻、ウィンが「ギコ君」と断定口調で呼びかけていたことから、少し気になっていた。
 ダルクも類似点があるとは思っていたが、あまりの変貌ぶりにまるで信じられずにいた。
 あの小柄だったエリアの使い魔が、どうして急にあんな姿で出てくるんだ。
 
「ギコ君だよ」
 
 しかしウィンは軽く言い切る。
 根拠を尋ねると、けろっとした風に「だってギコ君だもの」などと答える。
 
「ちょっと変だったけど」
「ちょっと? あれが??」
 
 とにかくギコの顛末より、優先して考えるべきことは別にある。
 エリアの救出だ。
 
 泉の精霊の断片的な情報によれば、どうもエリアはあの湖の中にいるらしい。
 さらに、そのまま放っておくには危険な状態にあるらしい。
 
 ダルクには、エリアは水中で気を失っているのではないかという懸念がある。
 杖こそないが、湖の中とくれば、霊術で御すべき対象の『水』しかない環境。
 意識があれば、彼女が脱出できないはずがない。
 杖もなく、意識もなければ――生身のヒトも同然だ。すぐに溺れてしまうだろう。
 
 恐らくその状態を保護しているのが、泉の精霊というわけだ。
 詳しいことは分からないが、どうもギコの手によって深手を負っているようだ。
 エリアを陸地へ送り出そうとしたところを、ギコに止められた?
 
 なぜギコがそんな行動に出るのか。
 エリアを危険な目に遭わせているという自覚がないのか。
 ありえるかもしれない。
 身体は成長したとしても、精神年齢はギゴバイトのままだったとしたら、その思考回路は――。
 
「とにかく」
 
 考え方を切り替える。
 これはきっとエリアを救うために必要な情報ではない。
 いま分かっていることは、エリア救出の目的には、あのガガギゴを出し抜く必要があるということ。
 自分やウィンの戦闘能力では、まっこうから太刀打ちできる相手ではない。
 
「できるよ」
「えっ?」
 
 ダルクが予想外の答えに頭を上げると、ちょうど小さなあくびを片手で覆ったところだった。
 あくびを終えたウィンは、いくらか顔つきがマシになったような気がしないでもない。
 
「ギコ君、やっつけちゃおう」
 

 ダルクは「そんな無茶な」と答えようとして、口をつぐんだ。
 考えてみれば、ウィンが一体どれほど戦えるのか、まだはっきりしていない。
 以前にもその手の話題に関して尋ねたときも、あまり乗り気になって答えてくれなかった。
 見た目のふわふわした印象だけで、勝手に戦力を決めつけていた節は確かにある。
 
「――ウィン。ウィンは本当に、あのギコをやっつけられるのか?」
「たぶん」
「……任せていいのか?」
「たぶん」
 
 なんて答え方をされては、不安で仕方がない。
 無論エリアのことは心配だが、ウィンにだって万が一のことがあってはならない。
 
 とはいえダルク一人では、ギコを出し抜いてエリアを助けるには時間がかかることだろう。
 事態は急を要しており、ウィンの力はどうしても借りざるを得ない。
 しかしウィンの正確な力量が分からない以上、安易にギコを任せるわけには――。
 
 そこでダルクは、手っ取り早くウィンの能力を知るための質問を思いついた。
 
「ウィンは『一陣の風』のほかに、どんな霊術を使えるんだ?」
 
 以前ダルクがウィンと話をしたとき、『一陣の風』が下位の魔法であることを知った。
 見たとおり『一陣の風』は想像よりも遥かに強力で、あのギコの身体さえのけぞらせていた。
 ということは、それ以上の術を駆使できるようであれば、ギコと対等に戦えるかもしれない。
 
「んー。早くエリィ助けに行こうよ」
「三分でいい。エリアを確実に助けられるかどうかがかかっているんだ。頼む」
「んー。えーっとー」
 
 ウィンのマイペースでたどたどしい説明と、ダルクの要所を抑えた質問によって、
 きっかり三分でざっとウィンの持ち技が判明した。
 
 『突風』……『一陣の風』よりも高い風力をもつ風。攻撃というよりは、相手を吹き飛ばす術。
 ただし好きに風向きを操れる『一陣の風』と違い、こちらは真正面方向からしか撃てない。
 
 『サイクロン』……その場に渦巻き状の風を停滞させ、巻き込んだものを切り刻む。
 発動させたときの霊力次第でサイズが変わる。空中に設置するようにも使えるとか。
 
 『ツイスター』……ごく局地的に竜巻を起こし、強烈な旋風で触れるものをズタズタにする。
 速度は遅い方だが、かなり攻撃性の強い飛び道具らしい。ただしこれを撃つと少し疲れるとか。
 
 『砂塵の大竜巻』……対地用の風霊術で、砂塵に限らず地表にあるもの全てを大体吹き飛ばす。
 攻撃力はそこまではないが、範囲は広域に渡り、地形次第では甚大な影響を与えることも。 

「……それだけ揃っていれば、確かに何とかなりそうだな」
「まだあるけど」
「まだあるのか!」
 
 ウィンが嘘をつかない性格は知っていた。したがって霊術の話は信用できる。
 ウィンは自分が思っている以上に強いのかもしれない。
 いや、元々はこの森より危険な世界(そと)を旅して回っている風来坊だ、弱いはずがない。
 ならば、作戦は立てやすい。
 
「よし、セオリー通りいこう」
 
 まず、ウィンができるだけ目立つように湖に近づく。
 そうして湖から現れたガガギゴと交戦しつつ、森の奥へ引き込む。
 それを待って、別の経路で湖に近づき身を潜めていたダルクが、湖へ入ってエリアを助け出す。
 エリア救出に成功したら、使い魔を通してウィンに合図を送り、のちにダルクの家で合流する。
 
 ……本当はダルクが囮役を買って出たかったが、ウィンには致命的な問題があった。
 
「わたし、足がつかないところだと、泳げない。水の中って、風がないから」
「あぁなるほどな」
「ダル君は泳げるの」
「人並みにはな」
「今度おしえてね」
「えっ」
 
 そんなこんなで準備は整った。
 
 合図と同時に、ボサボサ気味の緑のポニーテールがひらめいた。
 ウィン達は風圧に揉まれ、右寄りに湖を目指して空を切っていった。
 
 灰色のローブが跳ね除けられる。脇に従えるは使い魔のコウモリ。
 ダルクは短い小走りから始まり、左寄りに湖を目指して駆け出した。
 
 今度こそエリアを助け出す。
 ダルクの瞳に、強い意志が凛と走った。
 

 
 
 
「ついた」

 
 ウィンが湖に到着するまで、五分とかからなかった。
 そこらに生えている樹木ぐらいの高さにとどまり、風を受けながら湖方面を見下ろす。
 使い魔もともに浮遊し、斜め上から主人の動向を見守る態勢だった。
 
「……」
 
 感情の読み取れないウィンの薄い緑眼は、ボロボロにされたエリアの家を捉えていた。
 ウィンが何度も遊びに行った家だった。
 
 笑顔のエリアと語らい、おいしい料理を作ってもらい、快く寝泊りさせてもらった家だった。
 最近はダルクも遊びに来るようになって、三人と三匹でちょっとした所帯ができあがっていた。
 そうして少しずつ人が増えていって、いっそう賑やかな空間になるかもしれない場所だった。
 
 でも、もう粉々だった。
 廃屋。残骸。瓦礫の山。
 
 扉を開けたときの馴染みの景色も、炊事に勤しんでいるエリアの後ろ姿も、もう見られない。
 いとも簡単に、当たり前だと胸に閉じていた日常が、無理矢理思い出に変えられてしまった。
 
「……」
 
 ときどき瞬きをするウィンの眼に、感情は浮かばない。
 表情も仮面のように固定されたまま。
 
 ただ、ウィンの持つ杖に、付近の空気がゆっくりと収束し始めた。
 目に映るような空気の流動。巻き上げられる森の匂い。夜風の高い音。
 風の霊力がじわじわと高まっていく。
 
 まるで恐れをなすように、湖がさざなみを立て始めた。

 
 
 
 
 
 同刻ダルクは、ウィンとは正反対の方角から湖へ接近していた。

 そこそこ距離を縮めたので走るのはやめ、今は足音を消せる徒歩での潜行だった。
 
 隠密行動に欠かせない闇霊術――『うごめく影』はすでに施されており、ダルクの存在感は希薄。
 使い魔のディーもパタつく音ひとつ響かせず、木々の間を目立たぬように巧みに飛び移っている。
 夜間の森の中である。
 この態勢に入ったダルク達を見逃さないモンスターなど、もはや同じ闇属性でしかなかった。
 
 今夜のダルクはすこぶるコンディションがいい。
 これから無沙汰だった水中遊泳をしなければならないが、不思議と不安はない。
 
 水中での身体の動かし方は、バーニング・ブラッドでの温泉の体感が残っている。
 また水の中では視界がぼやけるものだが、今は夜。つまり水中まで闇が降りている。
 ダルクなら闇を介せば、自由に視界は開くことができる。
 水質そのものが濁ってでもない限り、エリアを見つけ出せる自信はある。
 
 いや、100%見つけ出し、救い出す。
 危機に陥った友人を、助け出す。
 この目的は揺るがない。できる。
 
 ダルクが決意を確かめ、ひときわ大きな木の根を渡り越えた、そのときだった。
 
「!?」
 
 ほんのり強めの風が、ダルクの身体に吹き寄せてきた。
 風向きは真正面。
 つまりここから進んだ先にある湖の、およそ対岸に当たる方角。
 
(始まったな)
 
 ウィンによる、ギコへの陽動の影響だ。
 これだけ離れた位置まで風が伝わるのだ、きっと現場では大荒れ模様だろう。
 
 ギコが湖から出ていくのを見届けるには、付近で待機する必要がある。
 ダルクは急ぎ足を早めた。
 

従来の方も最近知った方も、お付き合いいただきありがとうございます
たくさんレスつけてもらって書き甲斐を感じます。ありがとうございます

今回は更新が遅れました、申し訳ありません。基本毎日更新を心がけていますが、
リアルの都合上、今後このようなことが時々起こるかもしれません。どうか悪しからず
では2レス分投下します

 
 森の空気が一段と冷えてきた。
 ウィンが起こしている風が原因か、それともいつの間にか更に深くなっていた夜闇のせいか。
 
 湖に近づくにつれ、ダルクにぶつかる風もビュンビュン勢いを増していくようだった。
 ダルクはしかめた薄目で、道ならぬ道をひたすら突き進んでいく。
 ヒトが歩きやすいようなルートではなく、急勾配や岩木の通せんぼも珍しくない。
 だからこそ、ここから湖に抜け出た位置は、ギコのマークから幾分外れやすいというものだ。
 
(――よし到着)
 
 ほどなくしてダルクは、湖のすぐそばに出た。
 急に視界がひらける光景は、どの経路から湖に向かっても同じだ。
 
 ウィンは絶好調のようで、正面からの向かい風はすこぶる強い。
 それも絶え間なく押し寄せてくるので、ダルクの黒髪はどうしようもなく逆立ちっぱなしだった。
 木の葉や何やらが顔元に飛んできたり、手を放せば着ているものがすぐに暴れようとしたり、
 とにかく深夜の湖という静かなイメージとは対照的に、異常な騒々しさが場をかき乱していた。
 
 ダルクは依然として気配を消しつつ、最後のひと歩きで広い茂みに行き着いた。
 屈みこめば身を隠すぐらいの高さはあり、強風で草葉がサワサワと揺れっぱなしだ。
 ダルクは使い魔にサインを送ると、音を立てないようにゆっくりと腰を下ろした。
 
 いまダルクが片ひざをついている茂みが、森と湖畔の境界ライン。
 ここから湖のほぼ全貌を見渡すことができる。
 
(ウィンは……)
 
 いた。
 遠くに人影のようなものが宙に浮いているのがチラチラ見え、動き回っている。
 ――と、その影が、湖に向けて何かを放つような仕草をした。
 時間差で強烈な風圧がダルクの元まで届き、前髪とローブが跳ね上がった。
 
 今のは『砂塵の大竜巻』だろうか、『突風』の余波だろうか。
 こうして目でみるまで、ウィンがこれほどまで「使える」術者だとは思わなかった。
 その気になったら災害の一つぐらい楽に起こせるのではないだろうか。
 
(……それにしても)
 
 妙だった。
 あれだけ挑発的に湖を刺激しているのに、どうも目的のギコがまだ現れていないようだった。
 ウィンはダルクよりも早く到着しているはずで、先刻通りに血の気の多いギコであれば、
 ダルクがここに居る頃にはすでに陽動が完了しているものと思っていた。
 水際まで近づかないと、ギコは外敵を感知できないのだろうか。
 
 と勘ぐったところで、思考が伝わったかのようにウィンが地表まで降りていった。
 着地した湖の縁で何をするのかと思えば、いきなりバシャバシャ水音を立て始めた。
 おそらく霊術で、よりダイレクトに水面へ風をぶつけているのだろう。
 
(お、おい……)
 
 ダルクは慌てて身を乗り出した。
 いまウィンがいる位置は、今夜最初にギコに遭遇した場所。
 ギコが再び出現するとすれば、一番可能性の高いポイントだった。
 
 なのにウィンは水辺に近づきすぎている。
 あんなに派手に煽っては、ギコを過剰に刺激しやしないだろうか。奇襲は避けられるのか。
 他ならぬウィンの行動とあっては、どうにも危なっかしく見えて仕方がない。

 
 
 
 直後だった。

 
 ガラスをぶち破るように、ついにギコが湖から姿を現した。
 ダルクの目の前に。
 
「なっ」
 
 挑発を仕掛けたウィンの方ではなく、熟練の隠れ兵のごとく身を潜めていた、ダルクの前に。
 目の前だ。間合いは四、五歩と離れていない。
 思わず足がすくむ。あまりに予想外だった。
 
 ずぶ濡れで陸地に足をつけたギコは、獲物を襲うような格好で上体を屈めた。
 暗闇に光るその赤目は、確かにダルクを捉えていた。
 
「なんで――」
 
 威嚇するような低い唸り声。
 刹那ひと吼えと同時に、ギコは有無を言わさず飛びかかった。
 強靭な脚でタメを作ったひとっとびは、ダルクまでの距離を一瞬で消し去った。
 

 「くっ!」
 
 とっさの判断で茂みを飛び出て、左へ転がった。
 ギコが飛び上がりながら、右腕を振りかぶるのが見えたからだ。
 
 かわせた。
 すんでのところで。
 あと少し遅れていたら、ギコの太い腕に殴り飛ばされていた。
 右に避けていたら、薙ぐように振り回された右腕の延長線上に当たっていたかもしれない。
 
 ダルクは転がった体勢から素早く立ち上がった。
 ぶれる視界に、ギコの斜め後ろから見たシルエットが映る。
 大技を振った直後の隙だ。
 そう思った瞬間。
 
「ぐあっ!?」
 
 左のわき腹に何かがねじり込んだ。
 こん棒が真横から薙ぎ払われたような圧力。
 
 それは質量があり、ただならぬスピードだった。
 ダルクの細い身体は簡単に吹き飛んだ。
 受け身も取れず、近くの樹木に背中から激突する。

「がふっ!!」
 
 ダルクは樹皮を引きずるように倒れこんだ。
 衣服が破れる。杖を取り落とす。せきこむ。
 待っていたような重い激痛が、わき腹をはじめとした全身に走り渡る。
 
「ぐ……」
 
 ダルクは苦悶の表情を浮かべながらも目線をあげ、必死にギコの姿に焦点を当てた。
 そこでようやく、何が起きたのかを理解する。
 
 わき腹を殴りつけたのは、ギコのしっぽだった。
 ギコは右腕での攻撃が空振ったのを見極め、勢いそのままにしっぽを回したのだ。
 遠心力のかかった柔軟な尾は、すっかり油断していたダルクに強烈な一撃を与えた。
 
(まずい――)
 
 しかもしっぽに押し出された位置は、ほとんどギコの正面。
 敵はすぐそこにいるのに、身体が起こせない。
 
 ガガギゴはしゅるりとしっぽをしならせ、ゆっくりとダルクの方を向いた。
 追撃がくる。
 
 しかしその間隙を逃さず、ギコに『ダーク・ボム』が降り注いだ。
 使い魔のD・ナポレオンが、主人の危機に独断で援護を施したのだった。
 
「ディー!」
 
 闇の爆弾『ダーク・ボム』の多くはギコに命中し、低い音とともに次々と爆発した。
 たまらずギコは両腕で頭を守り、うめきながら数歩退いた。
 
 その間にダルクは取り落とした杖を立て、ゆっくりと立ち上がった。
 歯を食いしばるほど痛くてかなわないが、今は休める状況ではない。
 『ダーク・ボム』は魔力消費が激しい上に、やはりギコには大したダメージになっていない。
 
 とにかく、すぐにこの場を離れなければならない。
 ダルクはただちに自身の杖に霊力をこめ、闇霊術――『闇のトバリ』を展開した。
 濃厚な闇が杖先から噴出し、みるみるうちに周囲に広がっていく。
 最早ギコにはどれだけ効果があるかは分からないが、何もしないより足しにはなるだろう。

「ダル君っ」

 その時、タイミングよくウィンも飛来してきた。
 眼前の岸辺を挑発しながらも、湖全体に気を配っていたのだろう。
 異変を感じてからの急行は、ダルクも内心驚く早さだった。
 
 けれども、夜目の利かないウィンには何が起こっているか分からない。
 とりあえず『ダーク・ボム』の音がした方向に、風霊術――『突風』を浴びせることにする。
 
 ウィンの杖が振り下ろされた途端、猛烈な勢いの風がダルクとギコの間になだれこんできた。
 甲高い風音が耳をつんざき、まともな呼吸すら許さない風圧が両者に押しつけられ、
 地表の草が一斉にのけぞり、樹木が枝をしならせて大量の葉を手放し、一帯は大混乱となった。

 
 
 ――やがて時間を置いて騒ぎは収まった。

 だが、ギコが満足に周囲を見渡せるようになった時には、すでに誰の姿も残っていなかった。
 

ありがとうございます。お言葉に甘えて、更新速度はマイペースとさせて頂きます

 ――。
 
 ダルクとウィンは再び、湖から離れた森の中で落ち合った。
 ダルクはうなだれるように地面にへたりこみ、痛むわき腹を片手で抑えていた。
 正面に突っ立っているウィンが、相変わらずの無表情でダルクの身を案じる。
 
「大丈夫?」
「……なんとか」
 
 激しい当たりだったものの、ギコのしっぽは運良く綺麗な入り方をした。
 おかげで一時的な重い痛みと引き換えに、体内の大事には至らずに済んでいる。
 むしろ、木の幹にしたたか打ちつけた背中の方が不安なくらいだった。
 今夜こうなることが分かっていたなら、服の下に防具を仕込んでいたのに。
 
「……ふー……」
 
 作戦は失敗に終わり、またしても仕切り直さなければならない羽目になった。
 いや、仕切り直す機会が与えられているだけ幸運と考えるべきだろう。
 ギコが執拗に追跡してくる態勢だったら、今夜エリアを救出するのはかなり厳しかったはずだ。
 
 今は追ってはこない。
 二度も三度も水中から現れたことから、ギコは十中八九湖の中に引き返したのだろう。
 結局、状況そのものは振り出しに戻っている。
 
 ただ失敗したとはいえ、ギコについて確信を得たことがある。
 あのガガギゴが攻撃をしかける本命は――
 
「オレだったんだ」
「ダル君なの」
「ああ。あいつは、オレがエリアを……。……エリアに害を及ぼすものと、誤解したままでいる」
「そうなの」
「間違いない」

 最後にギゴバイトの形態で出会ったときでさえ、ダルクは目の敵にされていた。
 身体は大きく成長しても、その感情が根強く続いているのは不思議ではない。
 根拠として、ダルクと同じように湖に近付いたウィンには見向きもしなかった事実がある。
 いや、見向きもしなかったというよりは――。
 
「……ウィンが一番最初に『一陣の風』を浴びせた時、ギコがよろめいたのを憶えているか?」
「わすれた」
「今にして思えば、不意打ちとはいえ、あの程度の霊術を真正面から放たれて、
 あそこまで体勢を崩すのは不自然だったんだ。現にそのあと向かってきたしな」
「ふうん」
 
 それだけなら別段おかしくはなかった。引っかかったことはもう一つある。
 
「そして、ウィンと手をつないで逃げたときだ」
「それはおぼえてる」
「あのときオレは手を引いて逃げていたから、追ってくるギコと距離が近かったのはウィンだった。
 そのウィンが森に入ってすぐにギコの前で飛び上がったのに、ギコはまっすぐオレを追いかけた」
 
 ピクリとも反応せずに。
 普通、追いかけているものが目の前で急に飛び上がったりしたら、反射的に目で追ってしまうものだ。
 その狙いもあって、ウィンに逃亡を兼ねた目くらましを頼んだのに、まるで効果がなかった。
 相手が単純思考で血の気の多いギコだからこそ、そのことに違和感を覚えた。
 
「つまり見えていないんだ。ウィンの姿が」
「そなの?」
「ウィンだって再三『暗くて何も見えない』って言ってただろ。ギコも同じ状態なんだ」
「そなの。でもだったら、なんでダル君は?」
「そこがはっきり分からない。けど、ギコが『闇』に反応して襲ってきているのは確かだ」
 
 ウィンの姿が見えないのに、暗闇に紛れるダルクだけはしっかり判別できている。なぜか?
 これはダルクの想像だが、ギコが短期間で『ギゴバイト』から『ガガギゴ』に姿を変えたのは、
 おそらく『闇』の力によるものではないだろうか。
 その折で、『闇』を察知する能力がついたのではないだろうか。
 加えて「主人に近付こうとする邪魔な闇霊使い」を排他するという執念も、要因の一つかもしれない。
 
「とにかく、時間がない」
 
 ただでさえエリアの容態が分からないのに、もう夜明けが刻一刻と迫っている。
 日が昇ってしまえば、ダルクはおおっぴらな行動は取れず、直射日光の水中にもいられない。
 ウィンに至ってはカナヅチなので、結局また夜になるまで、エリア救出は断念せざるを得ない。
 
「ウィン」
「なに」
 
 しかしダルクは、ギコの性質を看破したときからすでに、次の作戦を思いついていた。
 基本的に相手のことが分かれば、そして材料がそろっていれば、打開策は導ける。
 
「次で決めるぞ」

 
 
 
 森の湖は外周を一周しても、海へと通じる河川などは伸びていない。

 どちらかというとため池のような構造をしているが、源水は主に湧き水だった。
 湧き水である以上は「泉」と呼ぶべきだが、泉にしては珍しく広大な面積を有している。
 というのも「泉の精霊」という存在により、ある時期まで水かさが増え続けていたためだ。
 この湖は「泉の精霊」の持つ湧水能力で、長年少しずつ広げられた楽園だった。

 
 
 また「泉の精霊」は、優れた浄水能力を持ちあわせている。

 湖には様々な森の生き物が訪れ、口をつけて喉をうるおし、身体を沈めて肌を清めていく。
 その過程でどうしても湖の水が汚れてしまうことがあるが、そういった汚水は「泉の精霊」により
 優先的に気化させたり、大地に付着・吸引させたりし、自然循環より早く湖から排出されている。
 
 減水した分は「泉の精霊」のもたらす湧水によって、すぐに清浄な水が補われる。
 「泉の精霊」がいる限り、たとえ多量の毒性物質が湖にバラまかれたとしても、
 ものの一時間と経たないうちに元の飲み水へと浄化される。
 よほどのことがない限り、生けとし生けるものは全て、この湖に親しむことができるのだ。

 
 
 しかし今、そのよほどのことは起こっていた。

 強い悪性の「闇」が染み付いたモンスター――ガガギゴが、湖の核心部へ潜り込んだのだ。
 とても浄化が間に合わない量である。
 野放しにしておけば、この湖は翌朝には完全に「闇」によって汚染されてしまう。
 そうなると水を飲むものはもちろん、触れたものでさえ悪影響を及ぼす可能性がある。

 
 
 通常このようなケースでは、「泉の精霊」は実力行使によって汚染要因を湖から追い出す。

 だが今回ガガギゴは、泉の精霊の「友人」を湖に一緒に連れ込んでいた。
 水霊使いの少女、エリアである。
 まるで状況は不明だが、なぜか気を失っている。
 とにかく生身の彼女をそのまま水中で放っていたら、たちまち溺れてしまう。

 
 
 とても見捨てることなどできず、「泉の精霊」はガガギゴを追い出すことより、

 エリアの生命を保つことを優先させた。
 魔力で生成した大きな泡状のマクで包み、体温低下を防ぎながら空気を送り込む。
 ただしこの手法を用いれば他に手が回せず、湖の浄化はおろか、ガガギゴの相手すらできない。
 
 ――ばかりか、そう長くももたない。
 本来水棲ではない生物を、水中の膨大な量の空気をかき集めて延命させているのだ。
 つきっきりでエリアを守っても、もって三日間――
 いや、その間に湖が「闇」に汚染されてしまうので、その影響で実際はもっと短くなるだろう。
 
 状況は極めて悪い。
 もはや「泉の精霊」は一人ではどうしようもなかった。

 
 
 
 そこへ、異変を感じたエリアの友人達がかけつけてきてくれた。

 湖に声を投げかけてくれた。
 「泉の精霊」は無理をおして、彼らに精一杯助けを呼びかけた。
 
 だが同時に、エリアのそばに佇んでいたガガギゴをも呼び起こしてしまった。
 湖の縁から伝わる「エリアを連れ戻す」という意思に、ガガギゴは凶悪な敵意を向けた。
 「泉の精霊」がしまったと思ってもどうすることもできず、ガガギゴは湖を飛び出していった。
 せめて、あの霊術使いの少年と少女が、危険な目に遭わないことを祈るしかなかった。

 
 
 また「泉の精霊」は、ガガギゴがいなくなった湖からエリアを外に送り出そうともした。

 しかしガガギゴがここへ戻ってきたときのことを考えれば、安易に手を出せなかった。
 
 エリアを外へ出すには、いま泡で包んでいる状態を解除しなければならない。
 そうするとエリアの衰弱は必至である。
 それでも一度湖の外へ出せば命に別状はないだろうが、問題はガガギゴが戻ってきた場合だ。
 ガガギゴが岸辺に寝かされたエリアの姿を見れば、再びその身体を湖に沈めるに違いなかった。
 そうなると結局エリアの衰弱だけが損となり、状況はかえって悪化する。

 
 
 いい案は思い浮かばない。

 結局「泉の精霊」は、信じるしかなかった。
 誰かが――あのガガギゴ相手に立ち回り、エリアを助け出してくれることを――。

 
 

 
 
 
 
 ときおり、弱々しい気泡が二、三、のぼっていった。

 
 いま、湖のおよそ中心に当たる水底に、エリアはいた。
 水の中で目を閉じ、ひざを抱えるようにうずくまった格好で、ふんわりと浮かんでいる。
 身の回りは「泉の精霊」によって生み出されたマクに包まれ、暗闇の中でほのかな光を放っていた。
 
 ローブやスカートとともに、透くような長い青髪が、水流で広がってはなびき、幻想的な優美さを誇る。
 意識を失い標本のように水に漂うエリアは、ただそこにいるだけで、完成された芸術の様だった。
 
『……』
 
 そのエリアの前に、大きなモンスターの影があった。
 暗い水中で灯るその灼眼は、しかし今日一日でもっとも柔らかい色をしている。
 
 エリアの使い魔のギコは、眼前の少女を長いしっぽで包みこむようにそこにいた。
 マクに触れることもなく、じっとエリアを見つめている。
 そこに留まることが至福の時間であるかのように、ただただ居座り、見守っていた。
 
 「泉の精霊」がマクを張らなければ、エリアの命が続かないことを知ってか知らずか、
 あるいは、「泉の精霊」がエリアの命を繋いでくれることを当然と思い込んでのことか、
 ギコはこの水の世界へ主人を連れ込んだ。
 
 ギゴバイトからガガギゴへ急成長を遂げた今、水の中ならギコは無敵だった。
 何が襲ってこようとも、ここならエリアを守り通すことができた。
 そしてここなら――ギコとエリアは、二人きりになることができた。
 
 ギコは喜ぶでもなく、悲しむでもなく、ただ穏やかにエリアのそばにいた。
 細目で正面のエリアの寝顔を眺め、彼女を包むように回した長い尾を、緩やかに上下に揺らす。
 獰猛な外見からは考えられない、慈愛に満ちた出で立ちだった。

 
 
『……』

 
 
 ギコはエリアの顔を見つめながら、初めてエリアと出会ったときのことを思い出していた。

 まだギコが名もない野生の荒くれで、エリアの里の者に迷惑をかけていた時期。
 
『ねえ、わたしとお友達になろうよ』
 
 ギゴバイトが聞く耳持たず突っぱねても、エリアは何度も呼びかけた。
 
『今日はサラダをつくってみたの。食べてみて!』
 
 あるとき、ギゴバイトのツメがエリアの腕を裂いたことがあった。
 目立つほどの血が流れ、エリアの服が赤く染まった。
 しかし、「ついに里の者にケガ人が出た」などと騒ぎになることはなかった。
 
『前に比べたら、ずっとお利口さんになったね。いい子いい子』
 
 だがエリアに心は許すようになっても、相変わらず周囲への乱暴狼藉は絶えなかった。
 ほどなくして、ついにギゴバイトに処置が下されることになった。
 里の手練れがギゴバイトに近付く中、一人の少女が飛び出し、割って入った。
 
『それなら、私が面倒を見るのだったら……この子が私の使い魔だったら、問題ないでしょう?』
 
 トントン拍子で主従の契約は結ばれてしまった。
 エリアは優秀な『魔法使い』の資質があり、里の次代を支えるにふさわしい器量があった。
 それを棒に振り、『霊術使い』という下位互換の道を選んでまで、ギゴバイトと契約を結んだ。
 『霊術使い』となっては容易に解約もできず、また他の使い魔を従えることもできない。
 ギゴバイトは成り行きなど分からなかったが、エリアの強い決意表明だけは伝わった。
 
『今日から君は私の使い魔だよ! 一緒にがんばろうね、ギコ君!』
 
 「ギコ」と名づけられ、生まれて初めて本当の自分を呼ばれたような気がした。
 天涯孤独だったギコは、ここから第二の人生の一歩を踏み出せた。

 
 
 
『……』

 
 この少女だけは何があろうと守り抜く。
 エリアに近付こうとする輩は、誰が相手であろうと自分が立ち塞がる。
 
 ギコは胸は燃え盛った。
 その執念の炎は、今日まで一日たりとも色褪せたことはない。

 やがてギコとエリアは、里を離れてこの森にやってきた。
 一人前になるための修行の意味合いもあるが、主たる目的はギコの連れ出しだった。
 
 ギコはエリアを守ると誓ったときからより攻撃的な性分になり、特に里のオスには容赦なかった。
 エリアの言いつけはよく守ったが、幼いゆえに長くは続かない。
 エリアも前々から独り立ちを考えていたこともあり、移住まではごく自然な経緯だった。
 
『ここが新しい家! そばに湖もあるし、素敵なところだね!』

 
 
 それから幾月が経ち――

 ギコの目線で、エリアに明らかな異変が見られたのは、つい最近のことだった。
 その男は『闇』の使い手だった。
 
 あろうことか、ある晩その男は、主人の水浴びを覗き見していたのだった。
 ギコは怒り狂って立ち上がり、その男をとっちめた。
 
 そのあと色々あったが、『闇』の男はそれ以後、湖を訪れることはなかった。
 ギコはいい気味だと思ったものだが、どうもエリアは、あの男を嫌っている節がなかった。
 いやそれどころか――
 
『……ダルク君、もう来ないのかな。あんな態度取って、悪いことしちゃったな……』
 
 まるでまた会いたいと言わんばかりに、そんなことを漏らしたりした。
 
 ギコは恐れを抱いた。
 今までエリアが、同じ年頃のオスに「会いたい」などと口走ったことはなかったからだ。
 
 そうして不安は現実となった。
 あの覗き見男が、再び湖に顔を出すようになったのだ。
 ばかりか、エリアはそれを喜んで迎え入れ、家に入れて談笑したり、食事でもてなしたりした。
 
『あ……そろそろダルク君が来る時間かな!』
 
 ギコには理解できなかった。
 覗き見の前科を持つ下心まるだしの怪しい男を、なぜエリアは待遇よく接するのか。
 かといってその男に攻撃をしかけたら、エリア当人に尋常ではなく怒られる。
 
『……ギコ君。私とあれだけ、あれだけ約束したよね。……ギコ君っ』
 
 ぶたれはしなかったものの、エリアが手を上げたことなどギコの記憶になかった。
 あの男が来てからというもの、今までの自分の経験ではありえないことばかりが続いた。
 
 ギコは幼い頭で考えた。
 きっとあの『闇』の男は、エリアに何やら術をかけたのだ。
 ギコ自身もあの男に、不思議な術で眠らされたり、動きを封じられたりしたことがある。
 
 一旦思い込めば、間違いなくそうとしか考えられなかった。
 エリアは、主人は、まだ自分があの男にたぶらかされていることに気付いていないのだ。
 
 自分が、守ってやらなければならない。
 主人を守れるのは、自分しかいない。そして――
 あの男だけは、決して許してはおけない。
 
『……』

 
 
 ギコは、ダルクとは過去何度か合間見えて、そのすべてで遅れを取ってしまっている。

 しかし今は、以前までのギコではない。
 あの親切な白衣の男に、ガガギゴという力を与えてもらった。
 
 力は強大で、エリアの家をたやすく打ち壊すことができた。エリアさえも我が物にできた。
 なんと思いもよらず例の男がエリアを奪い返しに来たが、もはやギコの敵ではなかった。
 仕留めそこなってはいるものの、今の時点で二度も追い払っているのだ。
 
 この力さえあれば、永遠にエリアを守り抜くことができる。
 何者が何度襲ってこようとも、跳ね返すことができるのだ。

 
 
『……!!』

 
 
 唐突に顔を上げるギコ。

 外から感じる『闇』の気配。性懲りもなく、あの男がまたやってきたのだ。
 ギコの目が憤怒に燃え上がる。あの男だけは、いつか八つ裂きにしなければ気が済まない。
 
 ゴボッと大きな泡を吐き出したかと思うと、ギコは湖底を蹴り、バネのように飛び上がった。
 
 あとに残されたエリアの青い髪が、水流に押されてカーテンのように浮き上がる。
 エリアの顔は静謐な表情を湛えたままだったが、その口元から、またいくつかの気泡が零れていった。

このギコ君は『アイスバーン』に繋がっていくのだろうか・・・?
それとも『ゴギガ・ガガギゴ』になってしまうのか・・・

 ――
 
 一体のガガギゴの影が湖中を泳ぐ、いや飛んでいく。
 乱暴に腕かき足跳ね、ギコはぐんぐん斜めに伸び、まっすぐ岸辺へ近付いていった。
 向かう先は、水中からでも感じる濃厚な『闇』の出所。
 今度もエリアを守り抜き、また今度こそ仇敵を倒さんと、ギコは勇んで四肢を躍動させた。

 
 
 ギコは、ダルクが予測したとおり、コザッキーのレベル変換実験によって『闇』に侵されていた。

 幼いギコがここ最近でいっそう強まった一途さ、横暴さといった感情が『闇』につけこまれ、
 自我が「負」に染まる原因となってしまったのだ。
 
 ギコを変えた張本人、コザッキーも別に意図したわけではなく、言うなれば実験の副作用だった。
 コザッキーの実験にはほぼ「闇」を主体とした資材が扱われるゆえの、一影響に過ぎない。
 
 とにかく『闇』を身体に取り込んだギコは、『闇』を感知する能力に目覚めていた。
 ただの副作用で、ここまではっきりした能力の発現は通常ありえないことだが、
 ギコに限っては『闇であるあの男から』『主人を守る』といった執念に合致したもの。
 稀有ではあるが、不思議ではなかった。

 
 
 ほどなくして閑静な湖に、水と大気の境界が突き破られる音が響いた。

 重くへばりつくような着地。葉脈のように滴りゆく水。
 ――爬虫類の低い唸り声。ギコが再び地上に降り立った。
 
「グルル……」
 
 ギコは紅蓮の炯眼で、ぐるりと周囲を見渡した。
 感じる。強い『闇』が、ギコの触感を伝ってくる。
 
 ギコが得たのはあくまで『闇』を感知する能力。
 闇属性モンスターそのもののように、暗闇で目が利くようになったわけではない。
 従ってギコの視界はほとんど真っ暗で、月明かりによってうっすら地形が判別できる程度だった。
 
 だがそれで何も問題なかった。
 ギコは数歩のしのし前に進み――呼吸の整えと共に、ダッと駆け出した。
 あまり離れていないところに、いる。
 今日すでに二度感じた気配と同じものが、あの茂みを越えた先にある。

 
 
 事実、その地点には闇霊術の『漆黒のトバリ』が展開されてあった。

 暗闇の中でさらに濃厚な『闇』を生成する術だが、今のギコには何の意味も持たない。
 
 その前傾姿勢での疾走は、あっという間に茂みを越え、木々を抜け、目標地点へと迫った。
 もうすぐ目の前、すぐそこに、『漆黒のトバリ』が漂っている。
 ギコは意にも介さず、唸り声と共にそれに飛びかかった。
 
 が。
 
「!?」
 
 太い腕は、虚空を薙いだ。
 拍子に体勢を崩し、危うく転びかけてしまう。
 
 あの男の気配のかたまりが――あの男が、真上に飛んだ。
 背の高いギコの腕から逃れるほどの、人並みはずれた跳躍。
 いや……跳躍ではない。降りてこない。飛んだまま落ちてこない。
 
 そこでようやく、ギコは何かが羽ばたくような音を耳に聞いた。
 だがその時にはすでに、
 
「つれたつれた」
 
 ウィンの放った『突風』が背後に迫っていった。
 甲高い叫びのような音とともに、木々をしならせる暴風がガガギゴの背中を押し込んだ。
 ギコはなすすべなく、前のめりに吹き飛ばされるようにすっ転んだ。
 
「ディー君、プッチ。あとはウィンちゃんにまかせて」
 
 ウィンの言葉で、D・ナポレオンとプチリュウはたちまちいずこへ退散した。
 ダルクの杖と、それにひっかけたローブを、二匹仲良く持ち上げて。
 
「!? !?」
 
 ギコにはまるで状況が分からない。
 突然の攻撃的な風。周囲は視界不良。手がかりの『闇』の気配は、みるみるうちに上空へ昇っていく。
 
 混乱するギコをよそに、ウィンは湖の方へちらりと目をやった。
 
「ダル君がうまくいきますように」

 
 いい風が吹いていた。
 森に漂う澄んだ空気は、いつまた吹き荒れるともしれない不穏な夜風に流されるがままだった。

 
 
 足を縦に揃えるように宙に立つウィンは、ギコの背丈のざっと4倍ほどの高さにいた。

 長旅でくすみが見られるベージュのローブや、幅の広いフレアからなる紺色ミニスカートは、
 周囲の風向にはまるで準じず、穏やかにフワフワ波打っている。
 
 ウィンはもちろん今の位置より更に高く飛ぶこともでき、加えてその攻撃手段はほとんどが飛び道具。
 ギコのように空も飛べないモンスターが対策もないままでは、その対戦図式は一方的であった。
 
 とはいっても、ウィンは夜闇を見通すことができない。
 加えて幾重にも伸び上がった樹木に相手が紛れているとなれば、匙を投げたいぐらい面倒でやり辛い状況である。

「……」

 ところが、その少しばかりのやる気が感じられなくはない瞳は、正確に暗中のギコを捉えていた。
 先ほど突風を受けて横転したガガギゴは、両手を地に着けて起き上がろうとしている最中。
 そんな不安定な体勢を知ってか知らずか、ウィンの杖は再びすっと振り上げられた。
 
「ギコ君」
 
 銀の飛龍を象った杖先が、ためらいなく振り下ろされる。
 
「おしおき」
 
 杖先から再び『風霊術――突風』が怒号とともに飛び出し、唸りをあげてギコを目指した。
 一塊の強烈な風圧は、茂みを越え、木々を抜け、ウィンの視線通りに目標に大命中した。
 
「!?」
 
 比較的細さが目立つギコの体幹を、横殴りに勢いよく突風が突き抜ける。
 ギコはたまらず横倒しに吹き飛び、面白いようにゴロゴロと二、三転し、近くの樹の根本に激突した。
 一泊置き、一斉に大小の木の葉がひらひら舞い降りていく。
 
「ん。いいかんじ」
 
 ウィンは「ほう」と一息つくと、首元に提げたアクセサリーを片手できゅっと握り締めた。
 最初にギコに『風霊術――突風』を命中させたのは、決して当てずっぽうではなく――
 このペンダントのお陰だった。
 
 その正体は、つい先刻までダルクが装備していた『闇のペンダント』。
 ダルクが『町』にて、地霊使いのアウスから借り受けたものである。

 
 
 
『ギコが闇に反応するのなら、それに関わるものを全部おとりにすればいい』

 
 ダルクは自身の杖を、使い魔のディーに委ねた。
 コウモリ型モンスター1匹では持ち上がらないかもしれないと不安だったが、
 ウィンの使い魔のプッチがフォローに回ることで問題は解決した。
 ちなみにこのプチリュウ、自ら進んで無言での助力である。相変わらず思考が読めない。
 
『あと、このローブもだ。運べるか? よし、杖に引っかけたら大丈夫だな』
 
 着ているものやズボンに入れているものを一気にディーに預け、シャツ一枚となったダルクは、
 最後に自分の胸元に当たる硬い感触に気付いた。
 
『これも一応外しといたほうがいいだろうな』
『なにそれ』
『闇のペンダントだ。借り物なんだ』
『ちょっとかして』
『い、いいけど、別にウィンが付けても効果がないと思うぞ』
 
 ウィンは首にかけると、顔色ひとつ変えないながらも「ちょっと気持ちわるい」と呟いた。
 ダルクが慌てて取り返そうとするのを、しかしウィンはつい、とかわす。
 
『気持ちわるいけど――』

 
 
 
 少しみえる。

 
 本来風属性であるウィンにわずかなりとも効果があるのは、少々異常なことではある。
 風属性の気まぐれな気質が、闇のペンダントに適応したのだろうか。
 
 とにかく、少しだけでも闇の中を見通せるなら、風の流れと『勘』で敵の位置は把握できる。
 ウィンは距離の離れたガガギゴをまさに追い、滑るように宙を飛び進んだ。

 
 

 
 ウィンの役割はギコを倒すことではなく、あくまで湖に近付かせないようにすること。
 そのため位置関係は、常にウィンが湖側にいなければならない。
 いかな圧倒的優位を誇るウィンとて、相手に水の中に入られたらほぼ打つ手がなくなってしまう。
 
 したがってギコを湖から離れさせるほど望ましいが、森の奥に逃げ込んだギコをあまり深追いすると、
 隙を突かれて湖に戻られる危険が増す。
 そうなればエリアを救出するために湖を遊泳中のダルクは、ギコの格好の餌食となるだろう。
 その事態だけは防がなければならない。
 
「……」
 
 ウィンはまだ何とか、ギコの位置を把握できていた。
 二回に渡る『風霊術――突風』により、ひとまず十分にギコを湖から離したものの、
 同時に森の入り組んだ地形まで追いやってしまった。
 仕方がないとはいえ、ウィンの優位性は少々揺らいでしまう。
 
「ふ」
 
 ウィンはある程度ギコに近付くと、付近の太い枝にちょこんと降り立った。
 高所からギコを見下ろし、その動向を薄く見開いた眼で見守る。
 追撃は加えない。
 この入り組んだ地形で下手にダイレクトアタックすれば、今度は見失う可能性がある。
 
 ギコはギコで跳ねるように起き上がり、完全に臨戦態勢に入っていた。
 突風が飛んできた方角へ前傾姿勢で構えるが、やはりウィンの姿を捉えている様子はない。
 更にギコからしてみれば、本命である『闇』の気配もすっかり感じられなくなっている。
 
「グルル……!」
 
 ギコは不機嫌そうに一声上げると、軽くうねらせていたしっぽを地面に押しつけた。
 ゆっくりした動きで腰を落とし、両ヒザを曲げてタメを作る。
 直後――
 
「お」
 
 ウィンの焦点から、一瞬ギコの姿が消えた。
 しっぽの弾力も合わせた、これまでで最高速の跳躍だった。
 斜め方向へグンと伸び上がり、あっという間にウィンがいる高度近くまで達する。
 
 そのまま腕を伸ばして木の枝を掴み、前に進む勢いのまま、サルのように次の枝へと飛び跳ねた。
 これまでにない動きである。ギコもその巨体の使い方を学習しつつあるようだった。
 
「そっちいっちゃだめ」
 
 ウィンは今立っている位置からとん、と後ろ向きに跳んだ。
 背中から落下しつつ、ギコが通り抜けようとする真横に向かって杖を振った。
 杖先から術が発動すると同時に、ポーズがかけられたかのようにウィンの動きが空中に静止する。
 
 『風霊術――サイクロン』
 
 杖から出た風が螺旋を描く。
 見る間に中程度の大きさの渦巻きが生まれ、木々の合間の空間に滞留した。
 それは高い風音を轟かせながら、木の葉を巻き込み、枝を巻き込み、そして――
 
「グオッ!?」
 
 木々を跳び移っていたギコをも巻き込んだ。
 たちまちピシピシとサイクロンの制裁を受け、全身にまんべんなく擦り傷が与えられていく。
 数秒風の渦にもみくちゃにされた挙げ句、ギコは受け身も取れず地面に叩き落されていった。
 
 大きな異物を巻き込んでしまったサイクロンは勢いを弱め、やがて霧散した。
 だがその頃には既に、ギコの進路方向にはウィンが回りこんでいた。
 
「とおさない」
 
 ウィンは微かに目に映る陰影を見逃さず、ギコが湖へ引き返すことを阻止しなければならない。
 ギコとしてはここに用がない以上、見えない敵が放つ風の妨害を突破し、湖に帰りたいもの。

 
 
 漆黒の降りた森林に展開された、風霊使いと爬虫類族モンスターとのそれぞれの意志のぶつかり合い。

 その特殊な攻防は、まだまだ終わる気配はない――。
 

やだこのガガギゴ エクシーズバニラなんてかっこいい

申し訳ありませんが、諸事情により次回更新は8月以降となります
しばらくお待ちください

お待たせしました更新再開です。これからまたちょくちょく投下していきます

 ――
 
「よし……」
 
 ウィンがギコを足止めしていた頃、ダルクはまんまと湖の縁まで近付いていた。
 作戦は成功。思った通り、あのガガギゴは闇の発する霊力に釣られていった。
 直接ダルクの姿かたちを追っていたわけではなく、あくまで『闇』の気配を感知していたのだ。
 
 ダルクはあらかじめ上着、杖、闇のペンダント――できる限り『闇』の要素となるものを外していた。
 これでギコに対しては、とりあえず隠れ蓑になっていることだろう。
 とはいえリスクは甚大だった。
 
 今のダルクは、ゆったりした黒いランニングシャツに、ポケットがすべて空の半ズボンといった軽装で、
 何より霊使いの必携装備である「杖」を手放している無防備状態だった。
 使い魔のディーでさえ囮に向かわせて手元にいないので、外見上はただの年相応の少年そのもの。
 こんなところを敵に襲われたらひとたまりもなく、さほど鍛えていない体力で逃げきれるかどうかも怪しい。
 
 だが、今回は無事にダルクの読みが的中した。
 最大の障壁・ギコさえ湖から遠ざけてしまえば、あとはエリアを救うまで一直線だ。
 
「……ん」
 
 そのとき、不意に強めの風が一帯に寄せられ、ダルクの黒髪が吹き流された。
 おそらくウィンの風霊術による余波だ。彼女はいま、あのガガギゴ相手に頑張ってくれている。
 
 もたもたしてはいられない。
 ウィンが怪我をしたり、ギコがこちらに戻ってきては一大事だ。
 ダルクは風に押されるように、水際のギリギリまで足を進めた。
 
 すっと屈みこみ、湖面にそっと手を触れる。
 もしかしたらと思ったが、先刻のような『泉の精霊』からの反応はない。
 また、水温はやや低い。
 低いが……冷たいというほどではない。これならいける。
 
「いくぞ」
 
 この中にエリアがいる。沈められている。
 助けなければ。
 
 ダルクは両足を水に沈めた。
 途端に靴や足首に巻いている包帯に、冷たい水が襲いかかる。
 構わず下半身まで身体を落とし込む。ズボンの中まで一瞬で水が雪崩れこんできた。
 思い切って肩まで浸かる。ダルクの身体は、完全に湖の世界に飲み込まれてしまった。
 
 ダルクは潜る前に、ちらりと周囲を確認する。
 自分を見咎めるものは何もなく、向こう側からは相変わらず強い風が吹き付けている。
 
「いくぞ」
 
 ダルクはもう一度同じことを口にした。
 今度は最後だ。水の中に潜ってしまえば、もう言葉が発せられない。
 微かな音とともに、口いっぱい空気を吸い込む。
 頂に達したところでぐっと口を結び、間を置かず頭を水中に突っ込んだ。
 続いて岸辺の壁を思い切り両足で蹴り、十分な推進力を得て湖中の深部へと向かう。
 
 冷たい。頭が冷やされるようだ。
 そして、見える。水質は濁っていない。
 真夜中の暗さだからこそ、ダルクにとっては視界が開ける……と思ったが、それだけではない。
 
 なぜかかなりの濃度の『闇』が水中に溶けている。ギコによる影響だろうか。
 紫電のようにエリアの容態が危ぶまれる。
 この『闇』は何かエリアに害をもたらしてはいないだろうか。
 
 急げ。
 ダルクは不器用に水をかきわけながら、斜め下へ潜り進んでいった。
 
 湖は思ったより深めだったが、構造自体は単純なうえに、あまり隠れるところも多くない。
 水の中では、湖の地形のほとんど全てが一望できた。
 
 そのうえ――暗闇の中で淡い光を放つものでもあれば、たちどころに目につく。

(あれは……!)
 
 距離は遠めだが、直感でも分かった。
 あの淡い光に包まれているものは、女の子のシルエットをしている。

 
 
『エリア!!』

 
 ダルクは空気が漏れるのも構わず、大声で呼びかけた。

 ――
 
 湖底でうずくまるエリアの身体は、確実に衰弱しつつあった。
 しかし意識は鮮明に澄み切っており、その所在は今でも褪せない「あの日」の回想に置かれていた。
 
 ――――
 
 こんなつもりはなかった。
 ただありとあらゆるものが珍しかったから、ついちょっと遠くまで足を伸ばしただけだった。

 
 
 今日は姉が「儀水鏡」を使った大事な儀式を行うというので、家族ぐるみで遠出していた。

 幼いエリアには具体的にどんなことをするのかさっぱり分からなかったが、置いてけぼりが嫌なのと、
 未踏の地への好奇心から自分でついていくと言い出したものだった。
 
 しかし一旦儀式が始まってしまうと、エリアはほこらから追い出されてしまった。
 家族も部族内での話し合いがあるといい、多くの眷属とともに洞穴の集会所にこもってしまった。

 
 
 大人しくしているよう命じられたエリアだったが、当時の彼女は好奇心旺盛なお年頃。

 加えて箱入りに可愛がられてきたので、危険というものを知る機会はまだ少なかった。
 
 遊び相手はいない。話し相手すらいない。
 そんな退屈の中、周囲には魅力的な『大樹海』が広がっていた。
 
 『大樹海』――。
 ここはエリアの里から離れた、昼でも薄暗い森林だった。
 森林といっても、丘陵のような地形に高木が乱立している不安定な環境で、洞穴や湿地も多い。
 
 その中に、一部の魔法使い族が集うスポットがある。
 エリアの一族が特別な儀式を執ったり、同胞との密議の際に集う、隠れ家のような場所である。
 一族にとっては既に馴染みだったが、今回エリアがここを訪れたのは、初めてだった。
 
 エリアは、最初はほこらや洞穴の周囲を探索していたが、30分と経たないうちに飽きてしまった。
 それでも、まだ姉の儀式も親の会合もまるで終わる気配がない。
 エリアはつまらなさそうにため息をついた。
 
 ちょうどそのとき、少し離れたところで、変わった虫の鳴き声が聞こえた。
 ここに来るまでに何度か耳にした、エリアの里では聞けない不思議な音色。
 鳴き声はこの領域の外からである。しかしこのタイミングで気になりだせば止まらない。
 
 最初は憚られたが、ここから十歩だけ進んだらすぐ引き返そうと考え、足を踏み出した。
 そうして十歩進んだ先の樹木に、果たして『共鳴虫(ハウリング・インセクト)』はへばりついていた。
 
 一瞬身をすくめて驚いたエリアだったが、綺麗とも不気味とも言えるその鳴き声が面白く、
 恐る恐る近付いてまじまじと眺めた。
 
 大型のコオロギのような身体は青く、それが震えるたびに波紋が起こるような錯覚を感じる。
 エリアの里には、こんな昆虫族モンスターは一匹もいなかった。
 物珍しいものは見ていて飽きないもの。エリアはしばらく呆けたようにそこにいた。
 
 ……やがて共鳴虫は突然鳴くのをやめたかと思うと、
 
「きゃっ」
 
 ピョンと跳び上がってその場を離れた。
 そのまま茂みに着地し、ピョン・ピョンとどこかへ跳び去ってしまう。
 エリアは名残惜しそうにそれを見送った。
 
 はっと我に帰って、後ろを振り向く。
 気がつけば、とっくに十歩以上足を踏み出していた。
 
 しかし、目に映っている元の場所に帰る気にはならなかった。
 戻ったところで、まるで新鮮味に欠けた退屈な時間が待っているだけ。
 それに――
 
 エリアは樹海の方へ身体を向き直す。
 この先に進めば、もっと面白いものが見られるかもしれない。
 そうだ、里のみんなのために、自分なりの土産話を作っておこう。
 その方が楽しみがあるし、何より自分が退屈しない。

 
 
 不運にも、幼いエリアを止める者はいなかった。

 たった一人で、武器どころか道具すら、樹海の知識すら持たない。
 そんな女の子は一歩、また一歩と、深淵に誘われるように樹海に踏み込んでいった。
 

 
 
 
 エリアが帰路を見失うまでは、驚くほどあっという間だった。

 
 樹の海である。
 もともと道らしい道もない上に、一歩ごとに景色が変わるかのような入り組んだ地形。
 高低差のある樹木や深い茂みが乱立しているさまは、さながら天然の迷路だった。
 さらに鬱蒼とした濃い空気や、昆虫族の遠近問わない不協和音は、漂泊者の平衡感覚を狂わせる。
 
 狩人でさえ用心を上乗せしながら歩く、複雑にして険しいフィールドである。
 幼い少女が好奇心を満たすためだけに足を踏み入れるには、とても分不相応な難所だった。
 
「……あれ?」
 
 最初にエリアが来た道を振り返ったときには、すでに拠点へ戻る手がかりはなかった。
 慌てて来た道を引き返すも、見慣れない風景が延々と続くばかり。
 いや、方向感覚さえも怪しい、果たして本当に引き返しているのかどうかも分からない。
 
「ここ、どこ……?」
 
 乾いた布を水に浸したように、エリアの心は一瞬で不安に染め上がっていく。
 しかし時すでに遅く、大樹海の深みに飲み込まれたという現実だけが無情に広がっていた。
 
 歩いてももう自分の位置が分からない。
 帰るどころか、逆に姉たちから遠ざかってしまうイメージが拭えない。
 
 しかし動かなければ、この危なげな空間にいつまでも置き去りである。
 実際もし危険なモンスターに出くわしたりすれば、どうすることもできない。
 
 たちまちエリアの目には涙が浮かび始め、家族を呼ぶ弱々しい声が口から漏れる。
 直後、すぐ近くで騒がしい虫の鳴き声が上がり、驚いて身をすくめる。
 同時に自分の声に反応したのかと思い、慌てて両手で口を塞ぐ。
 
 下手に声を上げれば、周囲に自分の在り処を教えるようなもの。
 身内と再開できるよりも、先に怖い目に遭いそうな気がしてならない。
 
 鼻をすすりながら頼りない足取りで帰ろうとするも、もはや五里霧中ならぬ五里樹中。
 そうこうしているうちに、エリアの体力と日没までの時間は確実に削られていった。

 
 
 ――それから何の進展の兆しも得られず、小一時間がたった。

 
 空の色は夕刻を示しており、その頃にはエリアはすっかり疲れ果てていた。
 そのとき偶然、太い根が絡み合っている場所に、樹洞のような広めのスペースを見つけた。
 中には昆虫モンスターも獣族モンスターもいないようだ。
 
 エリアは幸いとばかりに、その小さな身体を隙間に潜り込ませた。
 中は存外狭かったが、一休みするには申し分ないほどの居心地の良さはあった。
 そのまま外向きにうずくまり、後ろにもたれながら両膝を抱える格好で、やっと一息つく。
 
(……これからどうしよう……)
 
 小さく固まったエリアには、休息の地を得ても安堵する余裕はなかった。
 足はジンジンして、もう今まで歩いてきた距離を折り返せる自信はない。
 お腹も空いた。最後に何か食べてから、いったいどれだけの時間が経ったのだろう。
 
 しかしいつまでもこんな場所に隠れていては、到底家族に見つけ出してもらえそうにない。
 かといって無闇に出て行っても疲れるだけ。怖い目に遭うだけ。
 
 こんなことになるなら、面白いものなんて見られなくてよかった。
 退屈のままでよかった。我慢すればよかった。
 ずっとあの場所に、みんなのところにいれば、よかった。

 
 
 八方塞がりの状況に、エリアの精神は再び追い込まれていく。

 赤く泣き腫らした目に、再び涙が溢れかえる。
 
「……クスン……おかあさん…………ヒック……おねえちゃん……」
 
 鼻をすする音と、小さな嗚咽が樹の洞から漏れる。
 周囲に凶悪なモンスターでもいれば、聞きつけられるかもしれない。
 それでも、まだ小さなエリアにはとても耐えられなかった。
 
 今まで自分が泣けば、誰かが寄り添ったり、ヨシヨシと頭を撫でてくれた。
 その記憶がすすり泣きに拍車をかけるが、今は誰もいない。
 十分経っても、半時間経っても、延々と自分の鳴き声が身の回りに響くだけ。
 
 独りぼっち。
 そんな言葉が、ようやく頭に浮かんだ。

 
 
 ぼやけた視界の下半分は、自分の膝と腕で占められていた。

 残りの上半分は、朽ちた樹皮で縁取られた、穴から覗いたような小さな樹海の背景。
 
 今はまだ外は明るいが、遠くに見える樹木のこずえはすでに橙色に染まっていた。
 このままだと日が暮れ、辺りは闇に包まれることだろう。
 それだけでも怖いのに、森に住まうモンスターの多くは夜行性だと聞く。
 もしその中に、凶暴な種が混じっていたら。
 こんな逃げ場のない場所で、見つかってしまったら。
 
 エリアはまだ日中にも関わらず、ガタガタと震え出した。

 
 
 怖い。誰か助けて。  誰もいない。

 独りぼっちはいや。  誰の気配もない。
 誰かそばに来て、ずっと一緒にいて。  心の叫びは、身の内にこだますばかり。

 
 
 ぬるりと、嫌な感情がエリアの中に湧きだす。

 ひとり。
 本当に自分ひとり。
 
 助けてくれる者も、叱ってくれる者もいない。
 自分がいかなる行動を取ろうとも、呼んでも泣いても、誰も応えてくれない。
 エリアはこのとき初めて、真の『独りぼっち』を体感しつつあった。
 
 世界に隔絶されたかのような。どこかに吸い込まれそうな。
 飲み込まれそうな。ぼやけてしまいそうな。気を抜くと消えてしまいそうな。
   絶えてしまいそうな。

 
 
「あ……うぁ…………」

 
 ぐるぐる渦巻く心の起伏に、次第に心音が高まっていく。
 呼吸も鼻から口のそれへと変わり、ある種の錯乱状態へ陥っていく。
 
 怖い。
 自分がどうかなりそうなのが怖い。
 独りぼっちが怖い。怖い。
 
 誰か助けて。
 助けてくれなくてもいいから、そばにいて。
 一時でもいいから、独りぼっちにしないで。
 
 独りぼっちはいや。いやだ――。

 
 
 
 エリアがぎゅっと目を瞑ったそのときだった。

 不意に一筋の希望が流れこんだ。
 
 誰かの声。
 それも自分を呼ぶような声。
 自分を!

 
 
 エリアは無意識に顔を上げ、片腕を伸ばしていた。

 
 誰かが来てくれた。
 もしかすると助けではないかもしれない。何かの罠かもしれない。
 そんな考えはまるでなかった。
 独りぼっちを解き放ってくれるその存在だけが、この時のエリアのすべてだった。

 
 
 腕を伸ばし、束の間虚空をさまよった手は――

 途切れた糸が繋がったように、ぴったりと握り締められた。

 
 
 
 
 
『エリア!!』

 
 意識を失っていたはずのエリアの瞳が、うっすらと開かれた。
 
(ダルク……君……)
 
 エリアの伸ばした手には、手錠が嵌められた男の子の手が結ばれていた。
 水中にいながら、そこからは芯から染みるような温もりが感じられた。

落雷で地域一帯の電線に支障が出た影響で、自宅のPCでのネット環境がご臨終になりました…(訪問サポートもお手上げでした)
一応制約つきで繋げることはできるのですが、手間も兼ねて頻繁には無理です

また10月末まで、リアルでの忙しさが激化することも確定しました
詳細は割愛しますが、ちょっと弱音吐きそうな日程になってます

というわけでもう書く方すら見飽きた定型文ですが
→更新は今しばらくお待ちください

こんなこと書いてるヒマあったら続き書けって話ですが、自分は1レス書くのにもかなりエネルギー使ってしまうので、まとまった時間とモチベがないと執筆出来ないのです
恐らくは多くの書き手がそうであるように、シナリオや設定なんかはポンポン頭に思い浮かぶんですけどね…

本当、申し訳ない

SS速報の外では意外とあったりしますよ
1レスだけ更新

 

(い、意識があるのか?)
 
 いまダルクが伸ばした手を、確かにエリアの方からも手を上げて握ってくれた。
 先ほど水中で思わずエリアに呼びかけてしまったが、もしやそれで目覚めたのだろうか。
 しかし一瞬反応があったようにみえたエリアは、直後にがくんと脱力し、頭をうなだれてしまった。
 
(エリア!)
『大丈夫です』
 
 ダルクのいる空間全体に、透明感のある声が振動する。
 今までずっとエリアをつきっきりで救護していた『泉の精霊』だった。
 また、ダルクが無事に湖に入れたことを知るや、水流操作や空気確保など主要なサポートに回ってくれている。
 
『そのままエリアの手を握っていてください。水上まで送ります』
(分かった、頼む)
 
 もはやエリアは全身の力が抜けており、なすがままの状態で水中に漂っている。
 いまこの結んだ手を繋ぎとめていられるのは、自分しかない。
 
 ダルクは握力のなくなったエリアの手を、固く握り直した。
 拍子に――手首に纏っていた手錠が少しずり落ち、ダルクの手に軽く当たった。
 理屈は分からないが、ダルクには妙にその手錠が意識された。

 
 
 ほどなくして、周囲の水の流れが渦を巻き始めた。

 それは二人を囲むように勢いを増し、やがて一定のスピードを越えたとき、二人の身体はゆっくりと上昇していった。
 湖は最深部でも10メートルに満たない。
 垂直に昇ってみれば、水面までは面白いほどあっという間だった。

 
 
「――ぷはっ」

 
 やがて二人の頭は、水と外との境界線からはみ出た。
 ひんやりした夜風が、ダルクの濡れた顔に吹き付けていく。
 
 ダルクはぐったりしたままエリアをすぐに手元に寄せ、自らの背に負うように固定させた。
 浮き袋も持ってないダルクがそんな不安定な姿勢で沈まないのは、
 いまもなお水面下で浮力を生み出してくれている『泉の精霊』の助力のおかげだった。
 
 これでエリアの顔に水が浸かることはなく、とりあえずは水の世界から解放させたといって良いだろう。
 また、年頃の女の子を背負う体勢になったことで、ダルクの肩甲骨下部には瑞々しくやわらかい感触g
 
(いまはそれどころじゃない!)
 
 頭を振って煩悩を退け、周囲を見渡す。
 幸いにも、最大の障壁であるギコの姿はどこにも、気配すら感じられない。
 森にいるウィンの誘導と足止めがうまくいっているようだ。「よし」とこぼすダルク。
 
「泉の精霊、外は大丈夫そうだ。一番近い岸まで頼む」
『お安い御用です』
 
 エリアを負ったダルクの周辺が柔らかく発光する。
 その水色の光とともに、一方向への不自然な水流が生じる。
 水流はダルクをゆっくり押し流し、みるみるうちに岸へ近づけさせた。
 
 その間、ダルクは必死だった。背中の感触だ。
 意識せずにはいられないのに状況はそれどころじゃないのに、そういえばエリアをこうして背負うのは
 二回目だなとか、過去に自分の腕に押し付けられたライナのよりは少し大きいかもしれない、などと不謹慎な発想が
 頭の中でチラついては悶えたくなりそうな葛藤がぐるぐる渦巻き、そうこうしてるうちに湖の岸に到着。

 
 
「――よ、よし着いた。ありがとう」

『? どうかしましたか』
「いや」
 
 ダルクはまず、エリアを岸辺へ寝かせるように引っかけた。
 続いて陸地に上がり、エリアの両脇を抱え、完全に湖から引き上げた。
 そうして彼女の髪、衣服が汚れないように工夫して寝かせ、片膝を立ててそばに寄り添った。
 全身ずぶ濡れで水が滴り落ちていくが、ズボンを絞るより優先すべきことがある。
 
「エリア、大丈夫か。エリア」
 
 地面に仰向けに横たわったエリアは、ピクリとも動かない。
 先刻水中でダルクの手を取ったのがまるで幻だったように、目を閉じて固まったままだ。
 
 ダルクは不安に眉をひそめ、繰り返し小声で彼女の名を呼び続ける。
 反応はない。
 

 
「エリアが目を覚まさない」
 
 ダルクが呟くように焦りを吐露すると、泉から仄かな光が明滅した。
 
『長時間水に浸かりすぎたのです。身体が外の空気に慣れるまで、時間がかかると思います』
「水を飲んだりしてないか? なにか処置は?」
『不要です。もともと彼女の身体は水には強いはずです。空気さえ確保できればきっと大丈夫』
「それじゃあ、エリアはこのままで無事なのか?」
『ええ、自然回復を待った方が無難です。しばらく温かいところで寝かせるとよいでしょう』
「そ、そうか」
 
 ダルクは心の底からほっとする。
 意識不明とあって気が気ではなかったが、思いのほか大事ないようで一安心だ。
 
 同時に、年頃の男の子の立場としてもほっとする。
 もし救急救命の必要があればどうなっていたことだろう。
 
(……)
 
 水辺から引き揚げたばかりのエリアは、全身の衣服がほとんど肌身に張り付いていた。
 ソックスもミニスカートもインナーもぴっちりで、その耽美なボディラインを限界まで強調させている。
 
 目をこらせばうっすら下着の色合いさえ判りそうな胸元に、両手を押し当てて心臓マッサージ?
 水滴の残る、今更ながら端麗な顔立ち――小さく開いた瑞々しい唇を自分のそれで奪う、人工呼吸?
 
 思わず頭をブンブン振る。
 とてもとても、ダルクには千本ナイフを飲んだ方がマシなくらい無理だった。不可能。在りえない。
 エリアにその手の処置の必要がなくて本当に良かった。
 とにかく、今はそんなことより――
 
(急いでエリアを運び出そう)
 
 先ほどからウィンの霊術と思われる風がここまで吹き付けているが、そろそろいつまでもつのか心配だ。
 ダルクは、ガガギゴとなったギコと闇のペンダントを持たせたウィンとでは、ウィンに分があると踏んでいた。
 しかし戦いに予想外のことは付き物であり、ウィンが無傷で今夜を乗り切れるとは決して断言できない。
 
 そうでなくとも「エリアを救出するまでの足止め」という役割を全うすることさえ本来は困難であるかも知れず、
 ウィンに直接ダメージがなくとも――

(!? あ、あれは……)
 
 恐れていた事態にはなり得る。

 
 
 微かながら草から飛び出すような物音。長い尾が目立つ爬虫類の影。

 キョロキョロと首を振る様子がわかる、闇に灯された一対の灼眼。
 
(ギコ!?)
 
 瞬間、ウィンがしくじったことを悟る。
 姿の見えない彼女の安否も心配だが、今はそばにいるエリアが危険だ。
 ダルクは『泉の精霊』に小さな静止の合図を送り、緊張を宿した面持ちでさっと周囲を確認した。
 
 幸い距離は遠い。エリアを引いて森に身を隠すくらいの余裕はある。
 まだギコがこちらの位置に気がついてない今なら、慎重に行動すれば……

 
 
 
[[ ……ガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラ ガラ ガラ ガラ ]]

 
「えっ?」
 
 何の音。装甲車輌の音。
 地響き。地鳴り。木が倒されていく。
 来る。近い。すぐそば。本当にすぐそこに――出てくる!!
 
「湖だああああああっ!!」
 
 聞き覚えのあるような声が、拡声スピーカーからギャンギャン湖一帯にこだました。
 C字のアーム、ドリル、ハンマー、悪趣味なデザインの巨大な顔、その上に乗った闇属性モンスター。
 ダルクはその姿と対面するのは初めてだったが、闇世界でその肖像を目にしたことはある。
 彼こそは、闇魔界の科学者で屈指の筆頭たる権威――
 
「……ドクター・コザッキー……」
 
 なぜここに。こんな時に。
 ダルクは無意識に、横たわったエリアの前に片腕を伸ばしていた。

 
 

 夜明けも近い静かな湖畔に、数刻早い目覚ましが地鳴りとともに響き渡った。
 今までこの湖で起きたことが霞んでしまうような、とてつもない迫力、存在感、空気の読めなさ。

「ストッップだあぁ!!」

 やかましい拡声器の叫びが響き、まるで場違いの大型車輌は、最後の木を轢き倒すと同時に急停止した。
 ガタガタと駆動音を散らしながら、数カ所の排出口からバカみたいに蒸気を吐き出していく。

 ダルクとエリアがいる真正面での停車だった。
 あと5秒も進んでこられたら、危うく轢かれるところだった。

「あ……危な……」
 
 ダルクは、エリアを庇う体勢を取るだけで精いっぱいだった。
 もっともそんな行動は何の意味もない。
 何せ相手は、直立したガガギゴの優に3倍はありそうなスケールを誇る巨大マシーン。
 間近で見ると、改めてその規模に唖然とさせられる。もはや家だ。

 『G(ジャイアント)・コザッキー』のベースは、白いドーム状の大きな半球から成っていた。
 そのやや上部に、吹きさらしのコックピットが設けられた不細工な頭部がある。
 コックピットの操縦桿を握るのはもちろん、先刻からの耳障りな騒音の主「コザッキー」である。

 さらにドームの円周より少し上の位置にかけ、ぐるりと等間隔に腕が生えている。
 手前2本の腕は単に物をつかむ形をしたC字のアームだが、わきの左右に生えたアームの先端には
 それぞれ回転ドリル、ハンマーといった物騒な武装が施されていた。

 土台下にはキャタピラがついており、動きを見る限り全方向へシフトできるようだ。
 その圧倒的重量と推進力で、森に多く茂った
高木すら物ともせず薙ぎ倒していった。
 真っ先に目に飛び込むアームの武器を用いるまでもなく、絶大な制圧力を有している。


「被験体350300がこの湖に関連している確率、なんと97コンマ8! うぐひひひひ」

 拡声スピーカーから、全く遠慮のないバカでかい爆音が鳴り響き、下品な笑い声も垂れ流される。
 ダルクは顔をしかめて両手で耳を塞ぎながら、G・コザッキーの頂点を見上げた。
 コザッキーは手元の制御卓に執心しており、眼下のダルクたちにはまるで気づいていない様子。
 ダルクたちの前で急停止したのは、まったくの偶然だったようだ。
 となると、この場にいたままではーー

「ではただちに水質調査開始いいいいぃ!」
「!?」

 ダルクの予測は即座に的中した。
 眼前のG・コザッキーが、再び駆動音を荒げ始めたのだ。
 直後ガタンと動き出したかと思うと、そのまま二人の位置へガラガラと迫っていった。

(まずい!)

 やむを得ず、少々乱暴気味にエリアの身体を起こす。
 が、眼前のG・コザッキーの進路から横へ逃れるには、今からでは到底間に合わない。
 ならば湖に引き返すしかない。
 意識を失ったままのエリアを手早く引っ張り、背に追うダルク。

 しかしG・コザッキーのキャタピラは明らかに加速しており、みるみるうちに距離を縮めてくる。
 容赦のないスピード。果たしてあのコザッキーは、湖の縁までの距離が測れているのだろうか。
 この速度では、よしんばダルクが湖まで届いたとしても、接触を免れることができるかどうかーー。

(急げっ!!)

 エリアを負ったまま、身体ごと引きずるように湖に向かう。
 だが、真後ろに迫りくるG・コザッキーのスピードが予想以上に速い。

 間に合わない。
 その言葉が脳裏をよぎった瞬間、ダルクは背負っていたエリアを下ろしつつ、湖の方へ押しやった。

 その動作に時間を費やしたことで、もう、少なくとも、ダルクの後ろ足が巻き込まれることが確定する。
 いい、それでもいい、エリアだけでも無事に。
 ダルクは背中に受ける無機質な圧力に対し、奥歯を噛みしめて覚悟を決めた。



「ーーな、何だああああああぁぁぁぁ!?」

 突如コザッキーの間抜けな声、と同時に鳴り響く、けたたましい別の轟音ーー異音。
 キャタピラが……キャタピラが近づいてこない。
 何かに引っかかっている。何かに。

 ダルクは前方へ逃れながら、ゆっくり背後を振り返った。
 仁王立ちのガガギゴが、全霊をこめて車輌を受け止めていた。

 
 『G・コザッキー』の底部のキャタピラが、ギュルギュルと土砂をほじくり返す音。
 これ以上前進できないことに不満を上げるような、くぐもった機械音。
 ツギハギ装甲が、真正面からの抵抗によってミシミシと軋んでいく音。
 それらが一斉に不調和に合唱され、一帯はただならぬ喧騒に包まれた。

「進めええぇ! 進まん!! 何なのだああぁ!?」

 ギコが飛び出していた。
 先ほどまで遠い地点にいたはずのギコが、いつ間にか脱兎のごとく駆け出し――
 今まさに巨大マシーンがダルクとエリアを轢き倒さんとする間際、我が身を盾に進撃を止めたのだった。
 
 両手を限界まで広げ、足を大きく股開き、首まで使って真正面から受け止めている。
 長いしっぽは力強く背後の地面に埋め込まれ、ちょうど三本足で体躯を支えているような体勢だ。
 しかし完全に押さえ込めているわけではなく、その両足としっぽは徐々に地面に引きずりの跡を作っていく。
 見るからに長くはもちそうにない。
 
「ギコ」
 
 ダルクは、少なくともギコが自分達を助ける形で現れたことを知るや、すぐさま次の行動に移った。
 マシーンの動きが止まっている以上、進路方向から真横に逃れるくらいの余裕は十分ある。
 ダルクは自分の肩を貸すようにエリアを持ち上げ、ぎこちない動きながら5秒とかからず窮地を脱した。
 
 ギコは果たしてそれを見届けたのか、ゆっくり腕力を抜いていった。
 当然ずるずる後方に押し流されるが、その分生じた余力を使い、直後真上に飛び跳ねた。
 
「うおおおおおっ!?」
 
 力任せで押し進もうとした『G・コザッキー』は、突然障害が消えたことに対応できない。
 高出力のエンジンの勢いそのままに、あれよという間に湖に突っ込んだ。
 あわれ鋼の巨体は、盛大に水しぶきをあげながら湖の奥底へ沈没して――
 
「たまるかあああぁぁぁ!!」
 
 操縦席のコザッキーは、湖の縁ギリギリで一瞬早くボタンを押していた。
 仰々しく『No Entry!!』と記されたボタンを。
 
「くぬおおおぉぉぉ!」
 
 ボタンはただちに機能し、『G・コザッキー』は全ての動力を緊急停止に注いだ。
 するとこれまでの勢いからは考えられない減速力を見せ、その巨体はコンマ数秒の間に完全に固まった。
 急激なブレーキは功を奏し、なんとか湖へのダイブは免れる。
 だが、もはや車体の三分の一は湖にはみ出しており、今にも落ちそうなほど前のめりになっている。
 
「でぇい!」
 
 コザッキーは小さなレバーを2、3、弾くと、つかんだ操縦桿を大きく横へ回した。
 途端『G・コザッキー』の上体部がうなりととも180度回転し、重心の移動によって機体の姿勢が安定した。
 また湖に背を向ける体勢になったことで、自然、ダルク達の方へ向き直る形になる。
 そこで初めて、コザッキーはこの場にいる面々の姿を把握した。
 
「んんん? なんだお前たちは……んん!? お、お前は!!」
 
 前傾姿勢で臨戦の構えを取っているガガギゴを見つけるや、コザッキーはみるみる喜色満面となった。
 
「被験体350300! お前の方から来てくれたか! よしよしいい子だ! うぐひひひひ」

(被験体……?)
 
 眉をしかめるダルク。
 ということはやはり、このドクター・コザッキーが、ギコをこの姿に変えた張本人――。
 
「さぁ、私のところへ戻ってくるのだ。今よりも強力な、更なる力を与えてやるぞ……」
 
 コザッキーの甘やかな口調がスピーカーから流れ、C字のアームが抱擁を求めるように広げられる。
 だがギコは一際不機嫌な声を上げると、ばちんと尾を地面に叩きつけた。
 その赤い瞳は鋭く細められ、上から見下ろす科学者を射殺すように睨みすえている。
 
 当然だ。さきほどこのマシーンは、エリアを押しつぶそうとした。
 誰にもはっきり目に分かるような形で、危機に晒した。
 その所業はギコにとって、ダルクさえ差し置いてでも決して許しておけるものではなかった。
 
「ふむ、何か気に障ったのか? ぐひひひ、では仕方あるまい……」
 
 一対のC字アーム、ドリルアーム、ハンマーアームがそれぞれ威嚇するように持ち上がる。
 
「力ずくでも帰ってきてもらうぞおおおぉぉッ!!」
 
 ドリルが甲高い音とともに回転する。低いエンジン音が響き出す。
 『G・コザッキー』が攻撃態勢を示した。

以下自己満足のゴタクなので、めんどくさい人は一番下の文だけ読んでターンエンドで十分です



まず、自分としてはレスがついていると嬉しいし、日々の中での楽しみでもあります
なので誰かに露骨に迷惑をかけない程度なら、脱線が盛り上がっても全く構わないと思います
個人的な経験としては、こうした場では人がいるうちがハナと考えてます(荒らし除く)

また更新後の乙は、出来ればもらえたら嬉しいです
恐縮ながら、プチ感想やネタも添えていただければもっと嬉しいです
スレのほとんどが(荒らし除く)読者のレスで埋まるというのは、書き手にとっては幸せな現象です

スレを早く消費してしまう件については
ここはVIPと異なり何度も新レスを建てられる点で(まどろっこしいながら)問題ないと思います

また51レスしかなかったのは自分でも驚きましたが、その分1レス1レスを詰めてるので
通常の台本形式で換算すれば、多分200~250レスくらいの文章量になります
これは一般的なSSの更新レスとそれ以外のレスに関して、違和感ない比率と思います

つまり、一見読者のレスがやたら偏ってるように見えますが、意外とバランスは合ってると思います
ところでアニメ遊戯王で好きなデュエリストは、初代から順にマリク・ヘルカイザー亮・鬼柳・Ⅳ様です

あと、いつの間にかsage進行が推奨になってますが、自分としてはどちらでも構いませんよ
ageることで更新したと勘違いする人のことを考えれば、sageの方がいいのかもなー程度です
ただ、この件でスレの空気が悪くなるのは避けて欲しいです

最後にSSのストーリー進行が遅い件については、平謝りの次第です
書き始めた当初はもっとサクサク書けるだろと思いましたが、正直地の文形式を舐めてました
時間は豊富にはありませんが、何とか一歩ずつ完結に向けて書き上げようと思います



長くなりましたが
スレがなくなったら立てますので、ご自由にレスして下さい。では、次回更新までお待ちを。いつもみんなありがとう

長期に渡り更新できずに申し訳ありません。生存報告だけしておきます
依然、更新の意志はありますので悪しからずお待ち下さい

生存報告だけ

あけましておめでとうございます
正月を迎えてしまいましたが、霊使いの女の子ってみんな和服似合いそうですね

長らく更新が凍結状態で申し訳ありません
今月中には再開いたしますので、いましばらくお待ち下さい

大変お待たせしました
今日からぽつぽつ再開します

>>418


 夜明けも間もない森の湖を、圧倒的な回転ドリルの音が飲み込んでいく。
 重機を強引に動かす低音のエンジンがうなり、異常者の品のない笑い声が小さく混じる。
 
 行き過ぎた文明を凝縮させたマシンを駆る、悪魔の天才科学者『コザッキー』。
 美しい自然の秩序を悪びれず崩壊させる存在が、そこにいた。
 
 対峙するは、数段サイズは劣るも強靭な痩躯をそなえた爬虫類族『ガガギゴ』。
 主人を危険な目に遭わせた巨大マシーンを前に、物怖じもせず怒りに震え立っている。
 
 コザッキーによるギコへの捕獲劇は、すでに幕開けとなっていた。
 
「でええいいっ!!」
 
 まずコザッキーは、不可解な気合を発しながら大きく操縦桿を引き倒した。
 『ジャイアント・コザッキー』の最前部に備えられた一対のC字アームが、軽い駆動音と共にぐんと伸びる。
 狙う先はガガギゴの腕と脚、誰の目にも分かりやすい形で一気に捕獲に迫る。
 アームの動きは、すでに避難を終えたダルクの目からも予想外に素早かったが――
 
「グルルッ!」
 
 やはり真正面からの一直線な攻撃では、ギコの反応と身のこなしには及ばない。
 短く屈伸するモーションが見えた次の瞬間には、ギコの身体は鮮やかに後方へ飛びずさっていた。
 その地点へワンテンポ遅く到達したアームは虚空をつかみ、そのまま地面に突っ込み砂土を跳ねあげる。
 
「逃がさんぞぉっ!」
 
 しかしアームは瞬時に元の位置へ引っ込んだかと思うと、今度は先ほどより速く、長くギコへと伸び上がった。
 ギコは器用に右へかわし、左へかわし、勢いを乗せたしっぽでアームを叩き落とした。
 暗闇の中でよく攻撃が見えており、それに身体がついていけている。
 ついさっきまで小さな一つ星モンスターに過ぎなかったのに、やけに見事な立ち回りである。

 
 
「よっ……と」

 
 絶えず様子を窺っていたダルクは、ちょうどエリアを肩から下ろすところだった。
 結構な距離を空けたこの茂みの陰なら、安全を確保しつつ戦いを傍観することができる。
 
 ここに至って、ダルクはようやく考える余裕を与えられた。
 先刻まで事態が矢継ぎ早に急変していったせいで、エリアを守るという最優先事項で精一杯だった。
 
(いったい何が起きているんだ)
 
 ダルクは『G・コザッキー』の頭部にいる、持ち上がった回転ドリルに隠れた操縦者を遠目に見る。
 闇の世界でもその名は知られた、ひときわ異彩を放つ白衣の科学者『コザッキー』。
 なぜそんな大物がここに現れたのか。
 
 経緯の限りでは、コザッキーがギコを強引に進化させたということは分かっている。
 そこから己が研究欲を満たすためにこの森へ侵入した、ということも推察できる。
 あとの問題は、なぜ今このタイミングなのか。
 
 コザッキーが高名な識者であることは、『闇の世界』の界隈ではほぼ常識といえた。
 しかしその割には、彼による外の世界に関する研究などというのは、あまり聞いたことが無かった。
 強いて理由を考えるなら、外の世界に興味がなかったとか、闇の世界だけで十分だったとか、そういった認識だった。
 
 けれどもその当人を目の当たりにすると、これまでの話とは齟齬があるような気がしてならない。
 今のコザッキーは、この世界に興味が無いどころか、嬉々として走り回っているようにみえる。
 となれば、今までは単に出て来れなかっただけ、と考えた方がよほどしっくりくる。
 まるでやっと檻から解き放たれたかのように。
 
 檻とは何か? 誰の手によって? なぜ今?
 疑問は尽きないのに、ダルクには何一つ見当もつかない――。

 
 
「グオォッ!」

 
 不意にギコの声が耳に入り、瞬き一つでダルクは意識を切り替える。
 とにかく今はコザッキーの経緯が判ったとて、目の前の状況は好転しない。
 
 ギコは頭に血が上っている。決して逃げようとしない。
 エリアが無事にその場を離れたところはギコも見ていたはずだが、それで終わろうとしない。
 主人に危険を及ぼすものは、何が何でも制裁を与えないと気が済まないのだ。
 
 しかし別の視点では、その姿勢こそがここの環境を救っている。
 相手の狙いがギコそのものなので、仮にギコが逃走すれば構わず巨大マシーンは追跡するだろう。
 先刻のように樹木を轢き倒しながら移動されては、この森は壊滅の危機に晒されてしまう。
 これ以上の森の破壊を防ぐためには、この『G・コザッキー』とはこの場で決着をつけるしかないのだ。
 
 だが――
 
「これでもか! これでもかァ!」
 
 攻撃の要領をつかんできた二本のアームに、ギコは防戦一方だった。
 一度に二人を相手にしているようなもので、避けたり弾いたりは見事だが、その先がなかなか続かない。
 まれに何とか隙を突き『G・コザッキー』本体に攻撃をしかけようとするも、頑丈な合金ボディはびくともしない。
 それどころか近付けばたちどころに――
 
「でええいいっ!!」
 
 ズン! と地面を通して胸に響くほどの威力を持った、左腕の巨大ハンマーが振り下ろされる。
 リーチはないがその分小回りが利き、さらに単純な上下運動ゆえに攻撃スピードは速い。
 『G・コザッキー』のボディに接近する者はすぐさま、モグラ叩きのように鉄槌を下されてしまうのだ。
 
 ハンマーが睨みをきかす限り、『G・コザッキー』の左半身に死角はない。
 なら右半身はどうか。
 しかしこちらには、嫌でも目を引いてしまう回転ドリルが待ち構えている。
 まだ攻撃には加わってないが、その高音を緩めることなく、先端部を向けて威嚇し続けている。
 触れるだけでも大怪我しそうなのに、あんなもので突かれたらひとたまりもないだろう。
 
「ガッ……グオォッ……!」
 
 攻め手をあぐねているうちに、ギコの体力はどんどん奪われてしまう。
 ろくに休む間もなく回避行動を取り続けているために、遠くからでも息が上がっているのが分かる。
 そのくせ未だにまったく退く気配がみられず、通らない攻撃を意固地になって繰り返そうとしている。
 
 一方コザッキーは、躍起になりながらも確実にギコの動きを学習しており、アームの精度は高まりつつある。
 しかも『G・コザッキー』は疲れ知らずの上に、これまでまともな損傷さえ受けていない。
 もはやギコが捕獲されてしまうのは時間の問題だった。

 
 
「ギコ……」

 
 傍観者であるダルクの胸に、果たしてこのままでいいのかと疑問が投げかけられる。
 元をたどれば、今夜の騒動の発端はギコである。
 ギコこそが、エリアの家を破壊し、エリア本人を湖底に沈め、その命を危険にさらした張本人である。
 ギコはそんな自分を棚にあげ、エリアを轢こうとした『G・コザッキー』に敢然と立ち向かっている訳だが――。
 
 もしこのままギコが捕獲されることになれば、ダルクにとっては一件落着ともいえる。
 主目的のエリア救出はすでに済んでいるし、実行犯であるギコがどこぞへ連れて行かれるならもう不安は無くなる。
 あのコザッキーだって、お目当ての研究材料さえ取り戻したなら、ひとまずは森を無意味に荒らすこともないだろう。
 
 何よりも、今のダルクは丸腰だった。
 杖がない。使い魔のディーもいない。
 ギコをおびき寄せるために荷物を囮に使ったせいで、今のダルクは半ズボンと黒シャツだけだ。
 攻守ともにゼロの状態で、どうやってあの戦いをどうこうするというのか。
 
(せめて杖さえあれば……)
 
 そういえばディーが戻ってこない。
 ウィンもどうなったのか分からない。こちらもさっきから気になっている。
 ここはひとまず――エリアを連れ、ウィンと合流するのが先決なのかもしれない。

 
 ダルクの思考が揺らいだその時。
 
「グア……!」
 
 ガガギゴの悲痛なうめきが聞こえた。
 見ると、もはやギコの動きにキレはなく、執拗に襲ってくるアームを一回撃退するのに精一杯という有り様だった。
 もう、捕まる。あのギコが捕らえられてしまう。
 
(ギコ)
 
 その姿を目にし、前触れもなくダルクの脳裏が一閃された。
 ギコが捕まった後は、どうなる。
 
 エリアが哀しむ。
 
(……そうだ。エリアが哀しむ)
 
 ギコにいくら曲解があろうとも、エリアにとっては本物の契約を交わした無二の使い魔なのだ。
 ギコがいなくなったと知れば、エリアはどれほど哀しみ、心細くなることだろう。
 自身の使い魔に置き換えてみても、ダルクにとってディーがいない日常など考えられない。
 霊術使いにとってパートナーを失うことがどれだけ辛いか、まるで想像もできない。
 
 やはりこのまま何もせず終わっては、よくない。
 後回しでは間に合わない。今しかないのだ、ギコを救うチャンスは。
 ダルクの心に、新たな炎が点火された。

 
 
(ギコを助けなければ!)

 
 
 意志が固まってしまえば、次々と名分が浮かび上がる。

 ギコが『G・コザッキー』の車体を受け止めた時、エリアのついでにしろ、自分をも助けてもらった。
 形はどうあれ、自分にとっても命の恩人であることに違いはないのだ。
 助けてもらったばかりの恩人をすぐさま見捨てるほど、闇に堕ちこんではいない。
 
 あのコザッキーだって、自然を破壊することに最初から何のためらいもなかった。
 ギコの研究が終わってしまえば、また何が犠牲になるかも分からない。
 この森に彼を、あの『G・コザッキー』を野放しにする限り、平穏な日常などいつまでも帰ってこないだろう。
 
 ギコを助ける。
 そのために、この場で闇世界の権威を倒す。
 
 ダルクは奥歯を噛みしめ、立ち上がりかけた。
 そのとき。
 
「……!」
 
 それはほんのわずかな、衣擦れで振り払えそうな力。
 自分のズボンの裾が、弱々しく何かに引っ張られる感触。
 
「エリア」
 
 横たわったままエリアの左手が、一番近くにあったダルクの一部をつまんでいた。
 いや、つまむというよりも、ほんの偶然引っかかった程度にしか見えない。
 エリアは依然気を失ったままで、恐らく自分がどんな状況に置かれているのかもまだ分からない。
 
 だがダルクにはすぐに、それがエリアの無意識に発した意思表示だと悟った。
 
 一人にしないでほしい。
 そばにいてほしい――。

 
 
「大丈夫だ」

 
 ダルクは膝を落とし、裾を引いた指に優しく片手を置いた。
 少しでも温もりを残せるように。
 
「すぐに済む」
 
 そう、すぐに済む。
 勝負は一瞬だ。
 
 ダルクは、ただぼんやり成り行きを眺めていた訳ではない。
 これまで観察していて、終わり際になんとか突破口になりそうな一点を見出すことができた。
 
 あの『G・コザッキー』には……正確には操縦者であるコザッキーには、大きな死角がある。
 それをギコに伝えることができれば。
 
 目を戻せばギコももうフラついており、いよいよ限界間近のようである。
 ダルクは未練を残さず立ち上がった。

温かいお言葉痛み入ります
できる限りの範囲でじっくり更新していこうと思います

 
「うぐひひひひ! もう終わりか?」
 
 鳴り止まぬ回転ドリルの高音に、コザッキーの声が紛れる。
 
「よくぞ逃げずに戦った! おかげで手間が省けたぞぉ!」
 
 ギコは肩で息をしながら、口の端からよだれを垂らしていた。
 全身のあちこちには擦り傷ができ、アーム攻撃を捌いた手足にはアザのようなものも浮かんでいる。
 ギコは身体能力こそ売りだったが、もう残りの体力は吹けば消し飛ぶほどしか残っていなかった。
 
 しかしどれだけ敗勢が色濃くなろうとも、ギコには逃げたり降参するといった選択肢はなかった。
 身体は急成長を遂げても、その精神年齢は、まだ進化する以前のギゴバイトの外見相応。
 もはや当初の動機を忘れ、負けず嫌いの性分が意地を張り通そうとしているようにもみえる。
 いずれにせよ、とにかくギコの徹底抗戦を貫く姿勢は崩れなかった。
 
 それを確かめ、コザッキーの笑みがさらに広がる。
 普通の野生モンスターなら、これだけ力量差を見せ付ければ十中八九逃走するところ。
 こんな時のために追跡手段もいくつか用意していたが、相手が逃げないのなら何ひとつ無駄に使わずに済む。
 無駄なのはガガギゴの方である。無駄なあらがい。無駄なちから。無力!
 
「うぐひひひひっ、無力の証明だあっ!」
 
 C字のアームがパクパク開閉し、『G・コザッキー』の車体がずいと距離を詰めていく。
 接近してアームの命中率を高め、次の攻撃で一気に決めにかかる態勢だった。
 
 対するギコも残った力を振り絞り、身を屈めて最後の攻撃へと備えた。
 策も何もあったものではなく、もはや捨て身特攻の覚悟にありったけの闘志を注ぐ。
 狙いはロボの最上部、吹きさらしの操縦席にいるコザッキーただ一点。
 
「……」
 
 両者が間合いを確かめつつ、最後の一撃のタイミングを見計らった、その――
 
 その間際。

 
 
 
「ギコ!」

 
 石つぶてが二、三、コザッキーの操縦席にパラパラと投げ入れられた。
 
「あたっ、なんだぁ!?」
 
 頭に一石コツンと的中したコザッキーが、左45度を振り返ってその姿をみとめる。
 5メートルほど離れた地点に、どこからか現れた少年が一人。
 石を片手に持っており、何やら口を動かしているのが見えた。
 何か叫んでいるようだが、コザッキーからはすぐ右隣の回転ドリルの音にかき消され、全く聞こえない。
 
 しかし少年はコザッキーの方を見上げていた。
 石を投げつけて何か言葉を発している様子をみると、おそらく文句や非難を浴びせているのだろう。
 
 コザッキーはフンと鼻を鳴らし、不機嫌そうにダルクを見下ろす。
 騒音に起こされた森の原住民の言葉などに、耳を貸す必要はない。
 
「邪魔をォ、するな!!」
 
 アームを一本使い、少年の方へ突き入れる。
 瞬発力が及ばなかった少年は、哀れコザッキーが実験で使う木人のように軽々と吹き飛んでしまった。
 まるで問題にならない。
 
「さて! ……ん?」
 
 ところが問題はその後だった。
 横槍を入れた少年にかけた時間はわずか三秒足らずだったが、コザッキーが前へ向き直ったそのときには。
 
「……どこにいった?」
 
 ガガギゴの姿が消えていた。
 慌てて前後左右を素早く見回す。
 『G・コザッキー』は地面に接地したドーム形状のため、頂点から見下ろせばどこにも死角はない。
 なのに見当たらない。
 ついさっきは今にも襲いかかろうとする格好をしていたのに、突然雲隠れしてしまった。
 
 この機体のどこにも接近しておらず、かつ姿が見えないということは……。
 
「おのれ逃げおったか!?」
 

 
 
 
 『G・コザッキー』のアームに吹き飛ばされたダルクは、茂みの中へ背中から突っ込んだ。

 群生する野草に重たいものがガサリと放り込まれる音、同時にそこにいた小虫が何匹か飛び去っていく。
 
「いつつ……」
 
 不安定な仰向けから起き上がるのに四苦八苦のダルク。
 茂みがクッションとなり大きな衝撃はなかったものの、突きを直接受けたみぞおちは痛む。
 
 傍目から見るとそこまで大したことないように思えたが、あのアームは予想を上回るスピードだった。
 避けられるものなら避けたかったが、とっさに両腕で顔面を守るぐらいしかできなかった。
 よくあんなものを幾度もいなしていたものだと、ダルクは身をもってギコの身体能力を思い知る。
 
 『G・コザッキー』は、そのギコが苦戦する相手だ。
 武器も持たない今のダルクでは、到底かなうはずもない。
 
 しかし厳密に考えれば、今ギコが戦っている相手は『G・コザッキー』そのものではない。
 それを駆るコザッキーである。
 付け入る隙があるとすれば、巨大マシンの方ではなく、操縦者のコザッキーにある。
 他人の思考や心理を探るのは、火力に乏しい闇霊術で戦うダルクにとっては基本分野だった。

 
 
 
 回転ドリル。

 『G・コザッキー』の右腕に搭載された主力武器である。
 
 ダルクの常識ではあまり馴染んだ物ではないが、あれに突かれれば穴が空くくらいのことは知っていた。
 その威力や凄まじく、金属の硬度次第ではそこらの岩石にも簡単に穴を開けられる代物だ。
 あんなものを生物に食らわせようものなら、たちまち鮮血飛び散り致命傷のダメージを与えることであろう。
 
 ところが今回この武器は、コザッキーの目的にはそぐわないものだった。
 なぜならコザッキーの目的は『ガガギゴの捕獲』であり、対象を無闇に殺傷してしまっては本末転倒だからだ。
 大怪我を負わせたガガギゴを手に入れても、その後の実験、研究には支障をきたすに決まっている。
 
 だがそれは左腕部のハンマーにも同じことがいえるのではないか。
 否、ハンマーはあくまでも打撃である点で相違する。
 仮に攻撃が命中したとしても、対象の原型を留めやすさでははっきりドリルより勝るだろう。
 ハンマーを振り下ろすことと、ドリルで突くことは意味合いが違う。
 
 現にダルクが観察する限り、『G・コザッキー』には一度もドリルによる攻撃が無かった。
 あれだけ回転音高く響かせているにも関わらず、そもそも攻撃する意思がない。
 位置も、コザッキーがいる操縦席のそばで固定されたままである。

 
 
 攻撃しないにも関わらず、その脅威をアピールする――。

 その理由を探ったとき、ダルクの違和感は一本道に解消された。
 あのドリルは攻撃手段ではなく、防御手段だったのだ。
 
 まずコザッキーの操縦席は、ガラスも何もない吹きさらしである。
 敵が『G・コザッキー』の有する兵器を突破してきた場合を考えると、割りあい危険な構造をしている。
 万全を期すには、何かで守らなくてはならない。
 それがこの場合、回転ドリルなのだ。
 
 つまりこれ見よがしに音を立てて威嚇することで、捕獲対象の接近を抑制していたわけだ。
 実はいままで常に操縦席近辺に留まっていたのだが、アームとハンマーによる連撃でうまく迷彩されていた。
 離れた位置で傍観していたダルクだからこそ、その意図を見透かすことが出来た。

 
 
 
 ではそれが分かったところでどうするか?

 コザッキーの注意を引きつつ、余力のあるギコに「ドリルは攻撃してこない!」と伝えるのだ。
 結果は、いま目の前で展開される。
 
「なぁっ!?」
 
 コザッキーの悲鳴にも似た驚きの声と同時に、ギコが回転ドリルの陰から躍り出た。
 これまで鉄壁と思い込んでいたその位置こそ、意識から外れた盲点となる――!
 

よく見ると、元から微妙にツインテールぽくもある

 
 
「ギコ!」と呼びかけて始まったダルクの言葉は、


「左から攻めろ! そのドリルは攻撃してこない!」

 だった。
 ギコから見て左手側は、『G・コザッキー』の右上肢部。例の回転ドリルがある方の腕である。
 
 ギコがその言葉の真意を汲み取ったのか、あるいはこれまでの攻防から本能が告げたのかは分からない。
 しかし仇敵であるはずの少年の声を聞いた次の瞬間には、ギコはドリルへ向かって飛び出していた。
 
 つかの間に動きを止めたアームをすりぬけ、マシン右側面の陰に入り、そこからためらわず跳躍。
 ドリルに繋がっている腕の関節部をつかみ、自らの腕力と尻尾のバネで一気にそこへ飛び乗る。
 
 ドリルの猛りが至近距離でギコの聴覚を襲ったが、まったく動かない。殺気が感じられない。
 この瞬間、ギコの中でその凶悪兵器は、ただ触れなければどうということはないハリボテと化した。
 あとはほんの鼻先で焦燥に陥っている、無防備な操縦者のもとへ飛び込むだけだった。
 
(よし、いいぞギコ!)
 
 茂みの陰からダルクの眼がのぞく。
 痛む節々、攻撃された胸の辺りをやんわりさすりながら、ダルクは再び傍観する態勢に戻っていた。
 
 ここまでの膳立てがうまくいったのは、ダルクが陽動と助言を同時にこなしたためだった。
 コザッキーの脇には回転ドリルが常にうなりを上げていたので、ダルクは自分の声は聞こえないだろうと踏んだ。
 そこで堂々とギコに『G・コザッキー』の突破口を伝えたのだが、その際に小さな工夫をした。
 
 すなわちギコの方にはほとんど視線を送らず、ひたすらコザッキーの方を見上げていたのだ。
 するとコザッキーからしてみれば、あたかも自分に何か言葉を発しているように見える。
 つまり突然乱入した第三者を演じることで、ダルクがギコの支援者であることを見破りにくくしたのだった。
 結果的に特に怪しまれることなく、ギコに要点を伝えることができた。
 これがもし、ダルクがギコに駆け寄るような形だったなら、たちまちコザッキーの警戒心は強まったことだろう。

 
 
 
「うおあああああァァっ!?」

 
 思わぬ位置からの奇襲を受け、コザッキーは命を絞るような甲高い叫びを上げた。
 手元のボタンをモーレツに叩きまくるも、もうすぐそこにガガギゴの影が伸びている。とても間に合わない。
 ギコは口を開いて吼え上がり、容赦なく操縦席に乗り込んだ。
 
「わ、私を誰だとおおォォーッ!!」
 
 狭い操縦席にガガギゴの巨体が押し入り、おしあいへしあい大混乱……になっているらしい。
 ギコの呻きとコザッキーの抵抗が耳に入るも、下から見上げるダルクには、中がどうなっているのか全く把握できない。
 
 だが、それと同時に。
 
「うわっ!」
 
 『G・コザッキー』のアームが、ドリルが、ハンマーが、それぞれデタラメな方向にのた打ち回った。
 エンジン音が不規則に乱れ、あちこちから変な煙が漏れていく。
 操縦席の取っ組み合いのせいで、『G・コザッキー』が暴走気味に狂い始めたようだ。
 
「これはまずいな」
 
 ダルクは慌ててエリアの元へ戻った。
 自分の肩を貸す形で、寝かせた身体をゆっくり抱え上げる。
 もしあれが爆走でもしようものなら、無用の巻き添えを食らってしまう。
 エリアを軽く引きずりながら、『G・コザッキー』との距離をさらに大きく広げる。
 
(ギコは大丈夫か……?)
 
 騒がしい音が気になって後ろを振り返っても、もはやとても近づけない。
 マシン全体が、ただごとではない動きでガタガタと前後左右に震えている。
 搭載武器もいよいよバカになっており、ハンマーはブンブン振り回され、ドリルは火花を散らして車体に穴をほがしていた。
 
(ど、どうなるんだ)
 
 ダルクは密着しているエリアのやわ肌を意識する余裕もなく、固唾をのんで趨勢を見守った。
 

 さて当の操縦席の中では、コザッキーが喚きながら最終手段に踏み切ろうとしていた。
 この『G・コザッキー』は、製造中だった機体をガガギゴを捕らえるために無理に完成させた急ごしらえのマシーン。
 装備は武器や捕獲兵器ばかりに力を注いでおり、防衛機構は必要最低限のものしか組まれていなかった。
 
 しかしその必要最低限こそが最終手段でもあり、この絶体絶命の危機にあっても機能し得るものだった。
 
「やむを得んかあああァァ!!」
 
 コザッキーは近接したガガギゴ相手にもみくちゃになりながら、左手の鉄槌で小さな非常ガラスをかち割った。
 そこに閉じられていた大きな赤いボタンが押されると、途端に操縦席の土台がガタンと斜めに傾いた。
 
「!?」
 
 直後、シュルシュルとワイヤーが射出され、そこにいたギコの身体をがんじがらめに縛り上げた。
 これはあくまでボタンを押した者を固定するためのもので、ヒトの身体の各所にセットされるように計算されている。
 つまり本来はギコではなく、コザッキーにセットされるべきシートベルトだった。
 
「ああァっ!?」
 
 『強制脱出装置』。
 コザッキーが念を入れて作り上げた緊急プログラムで、一旦起動されれば取り消しや修正は効かない。
 そしてたちどころに操縦者を固定し、あらかじめ指定された座標地点までその対象者を――射出する!
 
 しかしワイヤーは10割コザッキーを装着することはなく、9割方がガガギゴに縛り付けられた。
 残った分が文字通りコザッキーを巻き込み、同時に操縦席のモニタが一斉に信号を発した。
 
「ち、違ああああァァァ――!!」
「グオオオオォッ!?」
 
 計器の針はどれも振り切れており、画面表示はバグだらけで真っ赤に明滅されている。
 こんな状態では、指定しておいた座標に正確に射出されるはずがない。
 コザッキーは半狂乱になりながらもがいたが、ワイヤーが白衣に絡まり抜け出すことも出来ない。
 いきなり捕縛されたギコもうめきながら暴れるも、『G・コザッキー』との戦いで疲労は限界だった。
 
「アアアアアアァァァ――ッ!!」
「グルオオオォォーッ!!」
 
 有無を言わさずその刹那。
 花火が打ち上がったような、バシュンという快音がひときわ炸裂した。
 
 内部に組み込まれていたロケットモーターが、ギコとコザッキーを操縦席ごと上空に吹き飛ばしたのだった。
 その勢いすさまじく、ダルクがはっと見上げた時には、すでに噴射の軌跡が夜空を割いていくところだった。

 
 
「ギコ!?」

 
 エリアを負ぶっていたダルクは、桃色がかった一筋の閃光を呆然と見送った。
 相当高度を上げているにも関わらず、星々の中をぐんぐん横断していく。冗談かと思うほど速い。
 ものの数秒で、樹木の陰で見えなくなってしまった。
 
「ギ、ギコ……」
 
 しかしダルクが考えるヒマもなく、次に耳に入った音は。

<ピピピピピピピピピ……>
 
「えっ?」
 
 『G・コザッキー』の方から漏れた、不審な音波。
 ボロボロの『G・コザッキー』は動作の半ばで一時停止しており、いつの間にか振動も消えていた。

 ダルクが嫌な気配を感じた次の瞬間。
 
「あ――」

 
 
 
 
 その大爆発は、森に訪れていた明け方を、一気に真昼に進めたかのような明るさを撒き散らした。

 
 ――――――
 
 ――……

黒光りするG「私もいるよ」

黒光りするG「私もいるよ」カサカサ

ちょうど今朝目覚めたところにGが……
そんなことよりいままで『黒いペンダント』のことを『闇のペンダント』だと勘違いしてました。ごめんなさい

 
 

 
 エリアは目を覚ました。
 分厚い毛布が被さっていた。
 目の前には見たことのない天井が広がっていた。
 
「……」
 
 朦々とする意識で思考が組み立てられるより先に、ふと隣に気配を感じた。
 
 ダルクがいた。
 ダルクがイスの背もたれに身を預け、腕を組んだまま頭をもたげて寝ていた。
 
 ゆっくり引き伸ばされたおおらかな寝息が、微かに耳に入ってくる。
 なんとなく、長い間ずっとそこでそうやって寝ているようにみえる。
 エリアは、胸の底から温もりが湧き上がるのを感じた。

 
 
「……!」

 
 エリアはハッとして、おもむろにベッドから起き上がった。
 その拍子に自分の服が着替えられていることに気付く。
 自分が意識を失う前と、なにか様子が違う。すばやく周囲を見渡す。
 
「ここは……」
 
 まるで見知らぬ部屋だった。
 自分がいつも寝ている場所とは違い、全体的に暗く、陰気が漂っている。
 それなのに嫌悪感はまったくなく、むしろ落ち着いた空気が安らぎさえ与えてくれる。
 
 しかし家具も少なく、インテリアらしきものもない。
 適度に片付けられてはいるが、雑多にアイテムが転がっている箇所もあって景観はよくない。
 壁も床も、よくみるとホコリや塵あくた、細かい汚れやキズが残っている。
 綺麗好きなエリアは、つい掃除をしたい衝動に駆られてしまう。いや、今はそれどころではない。
 
「……ん……エリア?」
 
 エリアの動きに気付いたのか、そばにいたダルクの目がうっすら開かれた。
 はたと目が合わさると、ダルクは慌てて目をこすってベッドへ身を乗り出した。
 
「起きたのか!」
「ダルク君……」
「具合は? 何か気分が悪くなったりしてないか?」
「ううん、平気。ほら」
 
 エリアはいつも寝起きに自分がするように、上体を軽く天井に伸ばしてみせる。
 腕が持ち上がったことで無意識に胸のラインが強調され、ダルクは急速で目のやり場を探す。
 
「そ。そうか。よかった」
 
 考えてみれば、二人がはっきり顔を合わせるのは、エリアの家で別れて以来だった。
 非常事態の隠れ蓑になってるとはいえ、どうしてもどこかバツが悪いような空気が漂ってしまう。
 自分の苦手な流れを避けるべく、ダルクは早々に話を切り出した。
 
「えっと……まずここは、オレの家だ」
「えっ?」
「あっいや、色々事情があって!」

 
 
 ダルクは昨晩に起こった全てのことをエリアに語り始めた。

 ウィンを見かけてエリアの家へ急行したこと。
 エリアの使い魔であるギコに起こった異変のこと。
 なぜか闇世界の住人であるコザッキーが現れたこと。
 そのコザッキーの駆る、巨大マシンとの戦いのこと――
 
「今はもう昼を過ぎてるけど、昨晩は本当に色んなことがあったよ」
「……そうだったんだ……」
「それで、そのマシンが大爆発を起こしたあと――」

 
 
 そのとき、ダルクの家の戸をノックする音が話をさえぎった。

 ダルクは「ごめん」と断り、手元に置いてあった杖を握ってドアの方へ向かった。
 

 
「誰だ?」
「だれでしょう」
「入っていいぞ」
 
 緑のボサボサポニーテールの少女が、招き入れられた。
 相変わらず眠そうな無表情を貼り付けていたが、エリアの姿をみると微かに感情を表に出した。
 
「エリィ」
「ウィンちゃん!」
 
 ウィンはトコトコとベッドに駆け寄るなり、静かにエリアを抱きしめた。
 エリアは照れ笑いを浮かべながら、その頭をなでなでする。
 まるで生き別れた姉妹の再会といった絵面に、ダルクはしみじみと目のやり場に困る。
 
「ウィン、もう具合は大丈夫なのか?」
 
 ダルクがおずおずと尋ねると、ウィンはダルクの方を振り向き、じっと目線を合わせた。
 そうしてスッ……と音もなくゆっくりピースサインを繰り出す。
 大丈夫のようだ。
 
「そうか。ウィンも調子が戻ってよかった」
「そういえば、ウィンちゃんには何があったの?」
「あぁ。さっきの話の続きだけど、マシンが大爆発を起こしたあと、オレは――」

 
 
 操縦者を失った『G・コザッキー』が爆散する直前、エリアを背負ったダルクは大樹の陰に避難していた。

 それなりに爆風は凄まじいものであったが、無傷で凌げたのはひとえに幸運だった。
 しかし自分達は無事でも、ウィンや使い魔たちの安否が危ぶまれてならない。
 
 やがて爆発の煙が収まった頃に、ダルクは湖をのぞきこんだ。
 湖畔は冗談のように閑けさを取り戻しており、もはや危険だと思われるものは何も見当たらない。
 
 すぐさまエリアを背負ったまま、ウィンが担当した経路まで早歩きで向かう。
 ちょうどその時、ダルクの使い魔のコウモリ、『D・ナポレオン』のディーと遭遇した。
 ディーは想定外の事態が起きたため、すぐには主人とコンタクトが取れなかったらしい。
 ダルクは不安に思いながらも、ディーの案内するままにウィンの元へ向かった。
 
 ウィンとはすぐに合流できた。
 ただし、そのときウィンは――
 
「倒れていたんだ」
「えっ? 何があったの?」
 
 エリアが胸元にいるウィンに尋ねると、ウィンは黙って人差し指を立てた。
 そのままその一本指を、ダルクに向かって指し示す。
 
「えっ? ダルク君のせいなの?」
「うっ……ま、まぁオレの責任になるかもな」
「ちがう。ダル君じゃなくて、それ」
 
 ウィンが指さしたのは、ダルクがいま首に提げている『黒いペンダント』だった。
 当時のウィンは、倒れ込んではいるが意識はあるというダウン状態にあった。
 血相を変えて駆け寄ったダルクに対しての第一声は、「これがきもちわるい」。
 
「……これは闇属性専用アイテムの『黒いペンダント』。ウィンに貸していたんだ」
「闇のアイテムを? どうして?」
「だって大丈夫だったから」
 
 しかし大丈夫ではなかった。
 風属性であるウィンが長時間その力に頼っていたために、体調を崩してしまったのだ。
 不意に気分の悪くなったウィンは地上に落下してしまい、結果ガガギゴの突破を許すこととなった。
 
 ダルクが密かに懸念していたことの一つだった。
 闇のアイテムは、それ以外に属する使用者に副作用をもたらすことが多々ある。
 今回はペンダントだったおかげで体調不良で済んだが、これが本格的な呪具などであれば、生気を奪われたり、アイテムそのものに取り込まれたりと一大事だったことだろう。
 
「という訳で、これはもうウィンには貸さないことにする」
「大丈夫。次はうまくいくから」
「適当なことを言うな」
 
 ともあれ、ペンダントを外したウィンの回復を待ち、いったんダルクの家に集合することになった。
 ちなみにウィンの使い魔の「プッチ」は、主人の危機にも関わらず、大人しく翼をたたんでじっと座りこんでいた。
 ウィンが大事に至ってないことを悟っていたのか、ダルクの到着でもう安心だと判断したのか、相変わらず何を考えているのかさっぱり分からないプチリュウである。
 

 
 かくしてダルク、ウィン、エリアの三人は、ダルクの家に集った。
 使い魔には休息と周囲警戒を命じ、外に放っている。
 
 まず最初にダルクがやろうとしたことは、まだ水で濡れていたエリアの着替えだった。
 『泉の精霊』からは「温かくして寝かせるとよい」との助言を受けたので、ベッドに寝かせる前にどうしても必要な作業だった。
 
 もちろんダルクが自らの手で女の子の着替えなどできるはずもなく、着替えは全部ウィンに任せきりだった。
 その際ウィンは「みる?」とか「かわりたい?」とか散々ダルクをからかった。
 
「ダ……ダルク君がいるところでやったの?」
「そだよ」
「い、いやエリア、絶対見てないから! 本当に、誓ってもいい!」
「ダル君。うそはいけないよ」
「えっ!?」
「こ、こらウィン! 怒るぞ!」
「ごめんなさい。うそはいけないというのはうそでした」
 
 ――その後、ウィンはとある目的でダルクの家を出た。
 エリアの使い魔である、ギコを捜索するためだ。
 ダルクは、ギコとコザッキーが飛んでいった方角を覚えていたため、ウィンに距離制限をかけてひとっ飛びしてもらったのだった
 
「……どうだったの?」
「どうだったんだ、ウィン」
「えっと。えっとね」
 
 珍しくウィンが口ごもる。なにやらひどく言いづらそうだった。
 それを察したエリアは、微笑みながら「私なら大丈夫だから」と頭をなでて先を促した。
 
「わからなかった」
「分からない?」
「うん。風にきいてもわからなかった。すごく遠いところまで行っちゃったみたい」
「……そっか……」
 
 一瞬見せた蔭りがダルクの胸を痛ませたが、エリアはすぐに取り繕って言った。
 
「うん、大丈夫。ギコ君は、まだどこかで元気でいるよ」
「……分かるのか?」
「うん。まだ私の霊力の中に、主従の契約が続いてる。だから、その……元気かどうか、ぐらいは分かるから」
 
 ダルクは神妙な面持ちを隠せない。
 確かに霊術使いの主従契約は、自分の身の内で確かめることはできる。
 しかしそれはあくまで「次の契約が可能かどうか」という点で、それを通してやっと使い魔の「生死」を知ることができる程度なのだ。
 見方を変えれば、辛うじて安否を知る機会が与えられた、残酷な一本綱である。
 いくら平然を装っても、彼女の心中は穏やかではないだろう。
 
「エリィ」
 
 ウィンの声に、エリアは気を取り直したように「なぁに?」と笑いかけた。
 
「エリィはこれからどうするの」
「えっ? えっと……どうしようかな。あ、じゃあ」
 
 それは、ダルクにとってはあまり気が進まない提案だった。
 もしかしたら、エリアが余計に哀しい気持ちになってしまいそうで。
 しかしエリアは、事もなげにダルクにも笑いかけた。
 
「一度、湖に帰ってみたいな」

 
 

生存報告。すみません、もちっと待ってて下さい

本当にお待たせしました再開します

 
 
 
 三人の霊術使いと二匹の使い魔は、やがて湖に到着した。

 すでに夕方に差しかかった湖畔には、西へ沈もうとする日輪の橙色がじんわり照りつけていた。
 
 湖では、潤いを含んだ空気が透き通るように溢れ、訪れる者の鼻腔から肺までを爽やかに満たしていく。
 夕日のオレンジを被せた若緑がサラサラと揺れ、高木の遠近あちこちで小鳥達がのどかに囀っている。
 森の楽園は、昨晩の騒動など忘れ去られたかのように、ゆっくりした時間が取り戻されていた。

 
 
 ただし、ドカンと塗りつぶされた馬鹿でかい焦げ跡と、そこら中に散らばってる有象無象の残骸が無ければ。

 
 
「……これがダルク君の話にあった、例のマシーンなの?」

「そうだ。もうガラクタになってるけど」
「すごい散らかってる」

 初めてこの光景を目にしたエリアは、惨状を嘆くというより呆気に取られていた。
 昨日まで絵に描いたような平穏があった空間に、唐突にこんな痕跡を置かれても、確かに現実味は薄いだろう。
 
 ついでにウィンも見るのは初めてのはずだが、いつも通りその眼に何を感じ取っているかは不明である。
 と思った直後のあくび。
 
「……こんな物、今まで見たことないよ」
「だろうな。機械なんてこっちじゃ全然見かけないからな」
「わたしは結構ある。えへん」
「本当か? どこで?」
「わすれた」
「そうか」
 
 ダルクは一歩前に進むと、残骸の一つを手にとって確かめた。
 手のひらに伝わる硬質な感触――そのうちに秘められた、特有の冷感。
 微かながら、『闇』に通ずるエネルギーが流れている。
 
 この素材は恐らく、闇世界のどこかにあるという、『闇の量産工場』で作られたものではないだろうか。
 コザッキーが工学分野をも網羅していた点も踏まえ、あの工場と繋がりがあるような気がしてならない。
 そして、だとしたらこのパーツは、本来この世界にはないものだ。
 
「……」
 
 ダルクは顔をしかめて、その黒い破片を眺める。
 闇世界のアイテムが「こちら側」に多少流れ込むことは、別にそこまで悪いこととは思わない。
 用途や扱い方に問題がなければ、むしろ両世界の交流発展にさえ役立つとダルクは考えている。
 
 しかし今回に関しては、昨晩の出来事がある。
 この一片の元となった巨大マシーンは、結局この森を蹂躪し、荒らすだけ荒らして終わりだった。
 闇世界でもそこまで起こらないような狼藉沙汰が、この表世界の静かな湖畔で起こったという事実。
 この一件は自分が思っているよりも、絶対にあってはならないことだったのでは。
 
 ダルクは「こちら側」に流れ込んだその異物に、腑に落ちない嫌な胸騒ぎを覚える。
 果たして今回の件は、コザッキーの思い切ったフィールドワークだったと結論して良いのだろうか。
 本当にこれで落着として、また平和な日々が続くと信じて良いのだろうか……?

 
 
 
「ダル君」

「うわっ」
 
 自分を呼ぶ声にはっと顔を向けると、ウィンがすぐ隣で屈み込んでこちらを覗きこんでいた。
 視線を合わせるように小首をかしげ、不思議そうにダルクを見つめている。
 
「ダル君。こわい顔してる」
「ああ、別に」
「? ウィンちゃん、どうしたの? ダルク君?」
「あっいや、何かに使えそうな物はないかなって」
 
 ダルクはまるで問題ない風に、手にしたパーツをすとんと地面に置き直した。
 この場で二人の不安を煽る必要はまったくない。
 当て推量を語ったところで、今後何も起こらなければマイナスしか残らないだろう。
 
 それに……エリアに関しては、ただでさえ使い魔を失い、その胸中は傷んでいるというのに、これから尚、
 非情な現実を確かめに行かなければならないのだ。

 
 
「それじゃあ……そろそろ私の家に帰ってみようかな」

 

 
 エリアの家へは、急ぐことなく歩いて向かった。
 エリア当人の目には、離れた位置からすでに、自分の家がどうなっているのか目視できたはずだった。
 それでも歩調を乱さず一歩一歩を進める様は、とっくにその現実を受け止める覚悟ができていたのかもしれない。
 
 ダルクもウィンも押し黙ったままエリアについて行くも、決して晴れ晴れしい気分ではない。
 この穏やかな環境音に包まれた湖の散歩道。
 その終着点がどうなっているかをすでに知っているから。
 
「……」
 
 ほどなくして、先頭のエリアの足が止まった。
 目の前には、エリアの住まいがあった。いや、住まいだったもの。
 そのログハウスは力に任せて粗雑に破壊され、木材の廃棄場のように広がっていた。
 
 ダルクの視界からは、エリアの表情は分からない。
 ただ先刻エリアは、「自分の家に帰る」という言い方をした。
 それはあらかじめダルクから話を聞いていたにも関わらず、わずかな希望を抱いていた表れではなかっただろうか。
 
 一晩のうちに使い魔を失い、住む家も失い、この少女の心はどれほど打ちのめされていることだろう。
 背に伸びるその青髪に、ダルクは何と声をかけていいか分からず、小さな鼻息とともに目線を落とした。
 
「エリィ」
 
 しかしそのとき、ウィンが代わりに進み出た。
 間を置かず、呆然と立ち尽くしているかに見えるエリアの背中に、抱きかかえるように寄り添う。
 
「元気出して」
「ウィンちゃん」
 
 振り返ったエリアの顔を垣間見て、ダルクは意外に思う。
 その青い瞳には涙を浮かばせることもなく、表情には大して落胆も失意も見られない。
 しかしその平然が、込み上げる感情を押し殺した果てと思えば、かえって痛ましくもみえる。
 
「ありがとう。私は平気だよ」
 
 片手でウィンの頭を軽くなでながら、エリアは決まり悪そうに笑った。
 そうして自分の家に目を戻し、おどけたように「あ~あ」と小さく漏らした。
 
「これじゃあ、もう仕方ないね……」
「これからどうするの?」
「どうしよっか。ギコ君もいなくなっちゃったし、困ったね」
 
 その流れで、ダルクはたまらず一歩踏み出した。
 
「か、帰ってしまうのか?」
「えっ?」
「その、エリアは、エリアがいた里に」
「それは……ええっと……」
 
 エリアの口ごもる様子を見て、瞬時に安心するダルク。
 どうやら即答しないあたり、エリアは帰郷することに乗り気ではないようだ。
 それさえ確認できればと、ダルクは勇んで自分の案を展開した。
 
「なら、何か別の手段があるかもしれない」
「別の手段?」
「家を建て直したり、別の住まいを見つけたりさ。ウィン、何かこの辺でそういう心当たりはないか」
「んー……」
「頼む」
 
 続いてダルクは湖の淵へ歩み寄り、屈みこんだ。
 水面に手をかざし、この一帯の主である『泉の精霊』を呼ぶ。
 彼女(?)は未だに闇に汚染されている水質の浄化に忙しいが、この際は致し方ない。
 
『お呼びですか?』
 
 しかし幸いにも、『泉の精霊』はすんなり姿を現してくれた。
 あれから大した影響もなく、湖の浄化は滞りなく進んでいるようだった。
 
『ああエリア、ご無事で何よりです』
「うん、もう平気。泉の精霊さんも助けてくれたんでしょう? ありがとう」
 
 ひと言ふた言再開の挨拶が交わされた後、エリアの住居についての相談に入る。
 他に住めそうな家はないか。家を建て直すことはできないか。あるいはその他の手段は。
 
『――それでしたら、便利屋に掛け合ってみると良いでしょう』
「便利屋?」
『はい。ここから少し離れた場所に、この森を専門としている便利屋がいるのです。
 少々変わってはいますが、穴掘りが得意だったり、危ない物を取り除いたりしてくれるのですよ。
 確か、住居の建築なども請け負ってくれたはずです――』

 『泉の精霊』の示した地点は、ダルクの持っている地図には載っていなかった。
 すぐにでも向かいたかったが、歩いてはどれだけかかるか分からない。
 そこで、ウィンが持ち前の飛行術でひとっ飛びすることになった。
 ウィンなら一往復するにも半日とかからないだろう、というダルクの判断より先に、ウィンは自ら名乗りを挙げていた。
 ウィンとて、エリアの住まいを何とかしてあげたい、という気持ちはダルクと変わらない。
 
「いってくる。便利屋さんつれてくる」
「い、いや、無理に連れてこなくてもいい、話をつけてくるだけでいいからな」
「ウィンちゃん、ありがとう」
「おやすいゴヨウ」
「気をつけてな」
「うん。あっ、ダル君」
「ん?」
「――」
 
 最後の言葉は風音でかき消され、同時にウィンの身体はふわりと宙を舞った。
 
「行ってきまーす」
 
 羽根のように風に乗ったウィンは、その場に重い風圧をひとつ落とし、高音とともに飛び去っていった。
 その後ろ姿に「行ってらっしゃーい」と手を振るエリアと、なぜかやや赤面気味でそれを見送るダルク。
 
「……ねえダルク君」
「な、何だ?」
「よく聞こえなかったんだけど、ウィンちゃんは最後になんて言ったの?」
「えっ? あ、ああいや、大したことじゃない。なんでもない」
「? そう」

 
 
 すでに『泉の精霊』は、湖の浄化作業のために姿を消していた。

 沈みかけた陽の光を宝石のようにかき集め、静かにゆらめく湖面。
 気付けば野鳥の声もずいぶん遠のいてしまっており、ただ妖精の風がそっと吹き流れている。

 
 
 湖畔に残された二人。二人きり。

 意図せずして、気付けば妙な雰囲気が出来上がってしまっていた。
 
 ダルクはふと、エリアを盗み見た。
 
 下ろした両手を組むようにして杖を握るエリアは、ウィンが飛んでいった夕空を見つめていた。
 上体はゆったりした大きめのローブが被さっているものの、まるで重みを感じさせない。
 その背になだらかに伸びている、魅入りそうなほどに透いた水色の長髪。
 下体は、かさばった上体から一転して身軽に備え、ミニスカートに素肌を見せた足が伸びている。
 
 ダルクの目には、その少女のシルエットが奇跡的な芸術を生んでいるように思えてならない。
 のみならず、元々整った顔立ちを持つエリアの、仄かに憂いを帯びた目。ブルーサファイアの瞳。
 
 自分ごときが隣に立つなど、なんて恐れ多い。
 そんな重圧に心が押しつぶされそうなくらい――じっと佇んだエリアは繊細で、優美だった。

 
 
 ああ、それなのに言わなければならない。

 言わずにいられる方法があるなら、いますぐこの湖にだって飛び込めるのに。
 素でそんなことをしたら風邪を引くかもしれないが、それはこの森で野ざらしで一晩寝ても同じだろう。
 
 とにかく今のエリアには、寝床がないのだ。
 
「エリア」
 
 エリアがこちらを向く。
 せっかく最高の画が出来上がっていたのに、自分の言葉で台無しにしてしまった。
 そんな気後れと特大級の気恥ずかしさをまとめて押さえ込み、涼しさを装った声を絞り出す。
 
「もし良かったら、しばらくウチで寝泊りしていけばいい」
「えっ?」
「その、便利屋ってのが家を建て直してくれるのも、時間がかかるだろうしさ」
「そんな。悪いよ」
「いいよ。ウィンなんかしょっちゅう泊まってるし。あっ、もしイヤじゃなかったら、だけど」
「……それじゃあ……」
 
 髪を片手でかきわけながら、エリアのはにかんだような微笑みがこぼれる。
 
「ちょっとの間だけ、お世話になろっかな」
 
 そのとき、横槍を入れるようにウィンの言葉が脳裏を横切った。
 
『エリィのこと、しっかりね』
 
 「よろしく」ならまだ分かるが、いったい何を「しっかり」しろというのだろう。
 ブンブンと頭を振るダルクの様子がおかしく、エリアは意味も分からずくすりとふき出した。

投下しまーす

 
 こうして二人は、再びダルクの家にとんぼ返りすることになった。
 
 湖を経った時点では日が沈んで間もなかったが、半分ほど折り返した頃にはすでに夜が迫っていた。
 加えてここは、上を向けばどこまでも枝葉が生い茂っている森の中。
 昼間でも日光を過半は遮るのに、まして月や星々の光などどれだけ差し込まれようかという環境である。
 夜闇に強いダルクはともかく、人並みの視力のエリアにとってはすでに暗中模索の状態だった。

 
 
 
「きゃっ」

 
 やがてついに、道の起伏にエリアの足が取られた。
 幸い杖をついていたおかげで転ぶことはなかったが、数歩よろめいた先にちょうどダルクがいた。
 少しぶつかり気味に身体が当たってしまい、ダルクは心臓が飛び上がりそうになる。
 
「だ、大丈夫か?」
「ご、ごめん。ちょっと足元が見えなくて」
 
 その言葉でようやくエリアへの配慮が足りなかったことに気付き、ダルクはすぐさま「ごめん」とオウム返しする。
 
「気付かなかった」
「ううん、気にしないで。私も、暗いところに慣れておけばよかったな。あんまり夜中は出歩かなかったから……」
 
 もう見えなくなっていたのか、とダルクは自分の認識の甘さを悔いる。
 闇の世界に比べたらまだ明るい方だが、昼間に生きる住人にとってはこれが別世界に見えるのだろう。
 
 さて、エリアへの配慮不足に気付いたダルクだったが、こんな場合、気を利かせるにはどうすればよいのか。
 答えは考えるまでも無かったが、それはそれはダルクにとっては大それたことだった。
 できれば避けたい行為ではあるが、連れの女の子の不自由を放置するというのはあまりにデリカシーがなさ過ぎる。
 
 時間を置けばそれだけ不自然さも増すだろう。
 いや、それは次にエリアがつまずいたときに持ちかければ問題ない。
 いやいや、もしそのときエリアが転んで怪我でもしたらどうするのか。
 
 一瞬で思考が巡った末に、最後の決め手となったのはウィンの言葉だった。
 ああ、「しっかりね」とはこのことだったか、と解釈した瞬間、ダルクの手は伸びていた。
 
「ほら」
 
 手錠の鎖がずれる小さな音。
 エリアの目の前に差し出された、ダルクの左手。
 
 エリアはわずかに「えっ?」と戸惑うも、すぐにその意図を察する。
 そうしてこそばゆいように笑いながら、おずおずと自身の杖を持ち替えた。
 
「ありがとう」
 
 エリアの開きかけた右手が、ダルクの気遣いをそっとつかむ。
 ほどよい加減で握り合わされるダルクの左手、エリアの右手。
 互いの手のひらに、自分ではないものの肌ざわりと温もりが伝わる。
 
「……」
「……」
 
 無論ダルクの内心は恥ずかしさで潰れてしまいそうだったが――その裏で、その感触にどこか懐かしさを感じた。
 温かくて、心地よくて、鼓動に見舞われる胸の奥に、何かが呼び起こされるようで……。
 
 しかしそんな身の内は絶対に悟られまいと、エリアの足元に過剰に気を配る。
 
「ここ、少し気をつけて」
「うん」
 
 二人とも他方の手には杖が握られている。もう転ぶ心配はない。
 にも関わらず、ダルクはどうしようもなく無闇にエスコートを続けるしかなかった。
 何か別のことに集中していないと、どうしてもエリア自身のことを意識してしまいそうになる。
 
 ダメだ、と別の心が叫ぶ。
 自分とエリアとでは、何もかも釣り合わない。
 エリアは由緒ある魔法使い族の末裔。自分は拾われた身の、何の血筋もない闇世界の住人。
 そして生い立ちはともかくとしても、『闇』の多くは、それ以外の種族に不幸を振りまくといわれている。
 
 自分とエリアとは、あくまでも同種の魔法使い族という繋がりの友人関係にある。
 絶対にその線を越えた、何かの間違いがあってはならない。
 
 それに――
 勝手に決め付けていた節はあるが、まだエリアに意中の誰かがいないと決まったわけではない。
 もし当の誰かがいたなら、こうして手をつなぐことすら不遜でおこがましい行為。
 決して浮かれてはいけない。身の程はわきまえなくてはならない。

 
 
 
「なんだかね」

「!」
 
 そんな折にいきなり声をかけられたものだから、ダルクはまたも心臓が止まりそうになった。
 エリアは足場を確認しながら、素直に手の引かれるまま歩いていた。
 その伏せられた顔は心なしか火照っており、口元もなんとなく緩んでいる。
 
「こうしてると、あの時を思い出しちゃうな」
「あの時……?」
「うん」
 
 次の言葉は、良い意味でも、あるいは悪い意味でも、ダルクの気負いを消し去るものだった。
 
「私が小さい頃、知らない男の子に助けてもらった時のコト」
 
 エリアの口調は、どこか夢見心地だった。
 
「ちょうどこんな感じで手を引いてもらって……家族のところまで、帰してくれたんだよ」
「……その男の子は?」
「うん、そのあと名前も言わずにどこかに行っちゃって、それっきり。……また会えたら、お礼を言いたいな」
 
 ダルクはまるで思い知らされたかのような、また「良かった」と胸をなでおろすような、複雑な感覚に溺れた。
 
 やはりエリアには、想いを寄せる相手がいた。
 それは幼少の頃、自身を救ってくれた少年だった。
 ダルクにとっては、それが判っただけで全てが十分だった。
 
「また会えるといいな」
「……うん……」
「……。おっと、ここ気をつけて」
「う、うん。ありがと」
 
 ダルクの中の大波小波は去り、静まり返った水面が揺蕩うようだった。
 もうエリアに対して特別な迷いはない。
 自分がすべきことは、一人の友人として、精一杯手を貸すだけだ。
 
 握った手に、ほんのわずかに力を加える。
 それは自分の位置づけが定まった上での、新たな決意の証。
 エリアが「その少年」に会える日までは、友である自分が一人ぼっちにはさせない――。
 
「……」
 
 握りが強まったことを敏感に察したエリアは、それをどう受け取ったのか、伏せた顔をますます赤らめた。
 
「……ねえ、ダルク君」
「ん?」
「あのね……私……。……」
 
 ダルクは歩きながら一心に耳を傾けたが、エリアは言葉が詰まったまま、なかなか口を開かない。
 しばし地面や落ち葉を踏みしめる足音が、静かな夜道に重なり響く。
 
「……その……ダルク君に、湖の中で助けてもらったとき……」
 
 ようやく続いた言葉は、しかし、ささやきつぶやくような小声だった。
 はっきり聞き取れなかったダルクは、慌ててエリアの方を見やる。
 
「えっ? ご、ごめん、よく聞こえなかった」
「あっ、えっと」
 
 慌てて口ごもった末に、エリアは「何でもないよっ」と会話を打ち切ってしまった。
 ダルクには、エリアの意図が全くまるで掴めない。
 一体何を言いかけたのか気になって仕方なかったが――
 ここで無理に踏み込むのも無粋かもしれないと思い始めては、もう喉から先へは言葉が出なかった。
 
「あ、もうすぐ着くんじゃない?」
「そ、そうだな。もう屋根が見えてきた」
「あ、そうなんだ。私には全然見えないけど……」
 
 そのうえエリアが完全に話題を逸らしたため、結局聞き出せずに終わってしまった。
 エリアの口ぶりから、何か大事なことを言おうとしたことは確かなのだが、語句の一つも拾えなかったのが悔やまれる。
 
 果たしてこれで良かったのか、悪かったのか。
 結局悶々と答えに詰まったまま、ダルクは自宅へと到着してしまった。
 

 
「――ただいま」
「お邪魔します」
 
 使い魔への指示を確認した後、二人してダルクの家に入る。
 これまで主人の付近を周回していたディーも、勝手に家の中まで入ってくることはない。
 
 これからいよいよ本格的に、一つ屋根の下に男女が二人きりになってしまう。
 先刻も同じ状況ではあったが、エリアが眠っているのと起きているのとでは話も変わってくる。
 
 思えばウィンが泊まる場合は、常にその使い魔のプチリュウも一緒だった。
 それにウィンはどちらかといえば、世話をしてあげるべき妹のようなイメージが強まっている。
 加えて寝泊りの回数が増すに連れ、最近では当初よりさほど緊張することもなくなっていた。
 
 しかし今晩単身で泊まりに来る女の子は、まともに会話するだけでも気を遣ってしまうあのエリア。
 同じ年頃で似た格好をしている霊術使いとはいえ、風と水ではまるで訳が違った。
 
「適当にくつろいでていいぞ」
「うん。お構いなく」
 
 帰宅直後特有の、荷物を片付けたりランプを灯したりといった騒がしさで、多少は時間稼ぎできる。
 しかしその後、どうやって場を繋いだものか分からない。
 とりあえずウィンにいつもやっているように、何か飲みものを出して――
 
「ダルク君」
「な、なんだ?」
 
 不意の呼びかけに動転し、ダルクは戸棚に手を伸ばしたまま振り返る。
 そこには、前に垂れ下がった長い青髪。
 上体をこちらに折り曲げたウィンの姿。
 
「しばらくの間、ここでお世話になります。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
 
 その言葉で、やっとお辞儀をしていたのだと知る。
 同時に、本気のウィンに負けず劣らずの礼儀の良さに感心しながらも、狼狽を隠せずにはいられない。
 
「い、いや、いいよ! そんなことしなくてもさ」
「ううん、こういうことはちゃんとケジメをつけとかないと」
「そ、そうか」
 
 もしかしてウィンに礼儀作法を教えたのはエリアなのかもしれない、とダルクが悟った束の間、エリアと目が合った。
 同時に目を逸らしてしまったが、かえって気まずい空気が流れてしまう。
 
「えっと……それでね……」
 
 その雰囲気で、横へ視線を投げかけながら、エリアが何やら言いづらそうに切り出した。
 
「さっそくなんだけど……お願いがあるの……」
 
 背中に手をやり、横に顔を逸らしたまま、「えっと」と、もじもじそわそわするエリア。
 
「私、これから居候する身だから……その……」
 
 ダルクの鼓動が高まっていく。
 汗が垂れる。唾を飲み込まずにはいられない。
 
「ダメだったらいいんだけど……ダルク君がイヤじゃなかったら……」
 
 エリアの熱っぽい顔。唇から漏れる吐息。
 身体の輪郭を縁取るインナー。
 ミニスカート――。

 
 
「そこ、掃除してもいい?」

「えっ?」
 
 伸ばされた人差し指をたどる。
 よく見ると、あぁ、そのへん少し掃除した方がいいかも、程度の汚れ――。

 
 
「……これ、こっちに置いてていい?」

「ああ」
「あ、ここもちょっと片付けるね」
「ああ」
 
 エリアはこなれた様子できびきび動いた。
 後から聞いた話では、エリアはここで目覚めたときから気になって気になって仕方なかったらしい。
 
 イスに座ったダルクは、意気揚々と清掃に勤しむ女の子を眺めながら、すっかり脱力感に打ちひしがれていた。
 ともあれ、何かの大事に至らなかったことにホッとする自分がいるのも確かだった。

乙!
ダルク煩悩にまみれてるなww

>>770
> 上体をこちらに折り曲げたウィンの姿。
これエリアの間違いだよな?

>>774
なんと初歩的な推敲事項を……すみません、仰る通りです
その一文はエリアに変換でお願いします。ご指摘いただきありがとうございました

もう4年なのか
見始めたのは2年前からだけど
何はともあれこれからもがんばって

確認してみたところ前スレ>>1の日付が 2010/05/30 となっていました
GEP時代からもう3周年なのに、全然ストーリーが進んでいないじゃないですか!

【女の子たちとの馴れ初め】>【最初の章】>【次の章】
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>↑イマココ!

なんだこれは本当に申し訳ありません
そして>>786のレスなども含めて皆さん本当にありがとうございます
話はまだ続く予定です。しばしお待ち下さい

諸々の事情あって次回更新は8月頭くらいになると思います
理由というか言い訳を並べるのは簡単ですが、それは控えさせていただき
何よりお詫び申し上げます。しばらくの間お待ちください

>>1です
8月上旬には、投下と一緒に生存報告しようと思ってましたが無理でした
時間はあるのですが、SS書くのはどうしても優先順位が下になってしまいます
8月中には一回は更新するつもりでいるので、どうか今しばらくお待ち下さい

逃げません。打ち切ってでも完結させる気はあります
更新が止まってから最長となってしまい申し訳ありませんが、続きは書きます
いましばらくお待ち下さい

すみません、長く更新できていない現状に少し焦っていたので。
それ以前に生存報告も遅かったですね。申し訳ありません
また8月中に更新する予定という言も守れなかったことも、この場を借りてお詫びします


そしてありがとうございます
一人でも待っている限り必ず書き上げます
最終回を迎える日まで、気長にお待ち下さいますようお願いします

荒らし「おっ、5年前に一回荒らしたスレじゃんwwwwww」
闇霊使いダルク「恋人か……」 Ⅹ
( : ゜Д゜)
ありそう

申し訳ありません。生存報告しておきます
もっともっと時間が欲しい…

なんとか生きてます。
励ましありがとうございます。そしてこの体たらく申し訳ありません

このスレは区切りのいいところまで話を進めて
次スレと共に新編を始めようと思います。しばしお待ち下さい

他人事のような言い方になりますが、ここまで更新できないとは思いませんでした
正直いえば時間はあります。でもSSを書く優先順位が下になってしまうんです
完結させたい意志とモチベが矛盾しています。一週間くらい休暇欲しいです。ごめんなさい

このスレもろくに投下できずに900まで来てしまいましたので
やはり余裕が出来た頃に同じスレタイで立て直し、一斉にコピペ投下するべきでしょうか


【泉の精霊登場】
>>3-8

【エリアとウィンと】
>>72-74 >>85-87
>>93-94 >>99-100

【ギコの葛藤~失踪】
>>112-115
>>204-207
>>216-217 >>219 >>233

【ガガギゴ登場】
>>234-236
>>252-253 >>258
>>263 >>268 >>270 >>273
>>279 >>290 >>301 >>311-312
>>318 >>329 >>338-339
>>345 >>352->>353 >>372

【エリア回想~救出】
>>376 >>379 >>381
>>401 >>407

【G・コザッキー襲来】
>>412 >>418 >>615-617
>>628-629 >>642-643

【翌日】
>>674-676
>>756-758
>>768-770

これまで何度も繰り返してきたように、完結させる意志はあります
ただ、空いた時間に執筆するモチベが出ない
甘えていることは認めますが、これは矛盾していないんです

このスレはこのまま落とそうと思います
頃合いを見てHTML依頼を出します

2月までお待ち下さい
2月にプライベートの環境が大きく変わります
そのとき新スレを立てると共に更新の再開を約束します

ごめんなさい。ありがとう。ではまた

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