君と貴方のことが好き (25)
俺には好きな人がいる。
大学で同じ専攻クラスにいる陽菜ちゃん。
そこそこ可愛くて、そこそこ話も合う。何度か二人で遊びに行って、悪い空気になることもない。
変な話、『この人を好きでいたら幸せになれそうな人』だと思う。
幸運なのかは分からないが、彼女も俺のことを悪く思ってないらしいということは友人を通じて聞いていた。だからたぶん、彼女のことを好きでいることは、少なくとも間違いではないはずなんだ。
それなのに、俺はあの子のことも気になってしまっている。……いや、好きなのかもしれない。
見込みが無いことは十分に理解した上で、それでも意識せざるを得ない。少なくとも、好意を寄せていることだけは否定のしようもない。
こういう時、俺はどうすれば良いんだろう。誰か、教えてくれやしないか。
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あの子と知り合ったのは、偶然か運命か。
友達がハマっているというバンドのライブに付き添いで行った先で、彼女に出会った。
聞いたこともないようなインディーズバンドの対バンで、一つだけ目を引く……というより、異色のグループが現れた。
楽器も持たずにダンスしながら歌う彼女たちが『地下アイドル』と呼ばれる存在ということは、後になって知ることになる。
見ているうちは、別に何と思うことはなかった。単に「ああ、ちょっと可愛い子たちが出てきたな」くらいのもので。
隣にいたロック好きな友達は、少し不機嫌そうな顔になってた。バンドミュージックを目当てにしてたのに、あんなポップなアイドルが対バンで出てくるなんて、って。
ただ一曲、何だか耳に残る歌があったんだ。それが耳に残ったのは、単にロックバンドじゃないから印象に残ったからかもしれないし、歌詞が好みだったからかもしれないし、理由なんて分からないけど。「これが好きだな」って思ったことだけは、はっきり覚えている。
全てのグループの出番が終わると、物販が始まった。友達は目当てのバンドのグッズを買いに行ったところで、俺は手持無沙汰になった。
どうして暇をつぶしたものかと思案したところで、彼女たちアイドルグループが物販を始めたのが目に入った。
CDも売ってるみたいだし、あの歌も入っているのだろうか。メンバーが手売りしているみたいだから、せっかくだしサインでも貰おうかな。
そんな気持ちで、俺は彼女たちの列に並んだ。
「あ、いらっしゃいませー」
そう言って接客してくれたのは、五人組グループだった彼女たちのなかでも中堅のような子だった。
五人組センターではないけど、端っこでもない。歌も下手じゃないし、ダンスも同様。特筆して可愛いわけじゃないけど、愛嬌はある。そんな感じ。
「あの、今日歌ってた歌が入ってるCDってありますか?」
「んとー、何種類かに分かれてるんだけど、どの歌ですか?」
思い出したフレーズを口ずさむと、「ああ、これですね」と、一枚のCDを差し出してくれた。500円。
「安いっすね」
つい、口にしてしまった。
「地下アイドルのCDなんてこんなもんですよー。あれ、お兄さん初めて?」
「友達の付き添いで。あのバンドが目当てみたいなんですけど」
アイツのいるほうを指さすと、ははーんと頷いた。
「人気ですもんねぇ。私から見てもかっこいいもん」
「そういうもん? 言っちゃって良いの?」
「良いの良いの。ほら、他のグッズとかCDは大丈夫ですか?」
「うーん、とりあえず。あ、サイン貰えます?」
「もちろんー。良かったら、応援してくださいね。あ、他の子たちのサインも欲しいですよね?」
その問いには頷いて返すと、横並びになっていた他のメンバーに歌詞カードを回してサインを促した。実に手慣れたものだ。
「そういえば、何でCD買ってくれたんですか? あ、今更やめたとかは無しですよ」
うふふ、と笑いながら問われた。何で、と言われても。
「いやー、何か耳に残って。単純に、良いなって思ったんで」
「わっ、本当ですか? 嬉しいなぁ。あれ、私が作ったんですよ。作詞作曲」
「えっ、マジで?」
アイドルの歌って、提供されてるものばかりのイメージだったのに。
「作ってもらえるほどのお金も無いですしね。昔取った杵柄じゃないですけど、ちょっと楽器やってたんで」
そう言って、彼女は照れたように髪を撫でた。
うーん、地下アイドル、侮りがたし。こうやって近くでみると、やっぱりちょっと可愛い。
「それじゃ、これ、CDです。おうちに帰ってゆっくり聞いてみてくださいね」
甘酸っぱいラブと青春の波動を感じた
続けたまえ
手渡されたCDには、ごちゃごちゃと落書きみたいなサインが書かれていた。
「えーっと……」
どれがこの子だろう。最初に書いていたはずのサインを目で追うけれど、こういうのって読みづらくて仕方がない。
「み……」
MIまでは読み取れた。それから後ろは……。
「ミユ。漢字で書くと美しい羽。ミウじゃなくてミユ、ここ大事」
「分かった?」と確認してきたから、軽い感じでオッケーオッケーって返しといた。ほんとかな、ってジト目で見られたのは気にしないことにしよう。
「良かったらまた遊びに来てよ。私たち、よくライブやってるから」
「そうなんだ?」
アイドルと言えば、グラビアとかテレビとか。
「他の仕事なんて無いしね。売れないアイドルの仕事はどさ回りと公演……って、相場は決まってるから」
アハハ、ってつい笑っちゃったよ。こんな愚痴、聞かせてもらって良いのかな。
「本当にそんな感じだから。もし気にかけてくれるなら、グループでホームページとかSNSやってるから、検索してみてよ。ライブ情報とか、そこで発信してるし」
「んー、気が向いたら」
「そこは嘘でもしときますって言うところじゃない?」
「嘘はつけない性格だから」
「はいはい……分かった。ま、本当に気が向いたらで良いから。ありがとね! また会えること、楽しみにしてる」
そう言って、彼女は他のお客さんの接客へ向かった。
CD片手に友達と合流したら、それを見られて茶化されちゃったよ。「お前、ああいうの好きなんだ」って。
「嫌いじゃないかな」とだけ、返しといた。
うん、嫌いではないんだ。今はただ、それだけ。
少し早く到着したせいか、教室にはまだ誰もいない。
適当な席に座り、SNSアプリを立ち上げる。『MOON』のアカウントで投稿された美羽ちゃんの呟き表示された。
『友達とランチ行ってきた! 今から授業受けて、終わったらレッスンだよー』
写真付きで、いかにも普通の女子が投稿する内容って感じ。
アカウントのフォローはしてみたけれど、それにコメントを送るほどの認識もない。
あれ以降も、時々ライブはやってるみたいだけれどタイミングが合わなくて行けずにいるし。……いや、タイミングがあったところで行くとは言ってないけれど。
「あれ、よーくんだ。今日早いね」
いきなり後から呼び掛けられて、慌てて振り返った。そこにいたのは陽菜ちゃん。たぶん専攻のゼミで……というよりは、大学で一番仲が良い女の子。
彼女は俺の隣の席に座って、俺のスマホを指差して問いかけてきた。
「何見てたの?」
「別に、何も」
隠すほどのことじゃないんだろうけどね。何かちょっと、恥ずかしいじゃん。友達に茶化されたのもあったし。
「ふーん……そっか」
それほど興味があって聞いてきたわけでもなかったのだろう。特に深追いすることもなく、彼女は話題を変えた。
「最近、遊べてないね」
「だね」
バイトとか、小テストとか。大きく何かに追われてるわけじゃないけど、暇をもて余しているわけでもない。
「週末さ、映画見に行かない? 見たいやつ、あるんだ」
「日曜なら。何てやつ?」
金曜の小テストで落ち着くし。ちょっとゆっくりしようと思って、バイトも日曜日は空けておいた。
俺の問いかけに、彼女は土曜封切りのコメディ映画をあげてきた。見たいと思いはしていたけど、一人で行くほど熱望してもいないかなってやつ。
「了解。詳細は連絡ちょうだい。日曜は丸々開けてるから」
そして来るは日曜日。
「いやー、楽しかったねぇ。映画、久しぶりに来たよ」
「俺も。見ようかなって思ってたけど、一人で来るほどでもないなーって作品多かったし」
「あ、そうなんだ。例えば?」
映画が終わってカフェに入った俺たちは、感想だったり最近のことだったりをだらだら話していた。どうやら彼女は今日の夜はバイトらしく、夕方くらいには解散しないといけないとのことだった。
明日から月曜日だと思うと、飲みたいって気持ちもさほどない。飲むのは好きなんだけどね。
「そういえばさ、今日の映画、主題歌も良かったよね」
「あれ、最近売れてるバンドの歌だったっけ?」
「そうそう。オシャレじゃない?」
「うーん、オシャレかどうかはわかんないけど」
ハイトーンの男性ボーカルが、少しポップな音に合わせて歌っていた。まあ、流行りの曲って感じ。
「音楽、好きなんだっけ?」
「自慢できるほどのもんじゃないよ」
ただちょっと、人より聞くのが好きってだけで。あとは、バンドも組めない程度に一人で遊び弾きしてるくらい。
「そうなの? 最近好きな歌手とかいないの?」
「最近……」
何聞いてるかな。バンドも聞くし、ポップな歌も嫌いじゃない。ジャンルにこだわりがないのは、どちらかというと歌詞に注目しているからなのかな。
あ、でもそういえば。
「最近、アイドルの歌も聞き始めたかな」
友達の付き添いで行ったライブでちょっと見て、と言い足したのは、やっぱり理由を説明しないと恥ずかしかったから。
「MOONってグループなんだけど。まだ全然、人気もないみたいだけど」
「アイドルとか聞くんだ。へぇー……意外だね」
意外? どういう意味でだろう。
「バンドとか好きな人って、そういうの好きじゃないイメージあったから」
「そんなことないよ。結構、有名なバンドの人が楽曲提供したりもしてるし。MOONの歌はメンバーが作ってるらしいけど、割と好きな感じ」
「そうなんだ。ちょっと今度調べてみよ」
うーん、何かこんな形で友達に宣伝みたいなことをすることになるとは。
全然、そんなに深いファンでもないのにね。勘違いされそうだから、ちょっとだけ言い足しとこう。
「あの、言ってもそんなに詳しくないからね。知ってる歌だって、その時ライブでやってたやつだけだし」
「分かった分かった、そういうことにしといてあげるから」
あーあー、余計に勘違いさせちゃったかな。
「それじゃ、よーくんの好みも分かったところで、そろそろ行こうか。時間かな」
腕時計を確認すると、確かにそろそろ良い時間だ。頷いて、席を立った。
「それじゃ、またね」
「ん、バイト頑張って」
別れの挨拶も済ませると、これからどうしようと思案する。せっかくだから買い物でもして帰ろうかな。とはいえ、欲しいものがあるわけじゃないからお金を浪費するのも何だか勿体ない。
イヤホンをはめて駅に向かいながら、SNSを立ち上げた。
『今日は××でライブです! MOONの出番は19時からを予定しています。当日券もあるよー。時間あったら見に来てね』
そんな投稿を目にしたのは、あまりに都合が良すぎる偶然だろうか。
そのまま地図アプリを立ち上げて会場を確認する。現在地から、10分くらいのところ。今から向かえば、まだ全然間に合う。
うーん。行くべきか否か。行ったら沼にはまってしまいそうな気がして少し躊躇うけど、ここで投稿を見たのも何かの縁な気もする。
悩んでいると、耳に流れてきたのはMOONの歌だった。背中を押されているみたいで、これは行けってことだろうか。
悩んでいても仕方がない。とりあえず行くだけ行って、着いてからどうするか決めよう。
言い訳じみた言葉を心の中で並べながら、俺の足はライブハウスへ向かっていった。
到着した時には、既にオープン時間を迎えていた。ライブハウスの外にはもう誰もいなかった。
対バンしているMOON以外のグループのことなんて知らないし、遅く入る分には特に問題もないけれど。いざ来てしまうと、やっぱり何か少し気恥ずかしい。
追っかけではないけれど……と思っている時点で、既に立派な追っかけになってるのかな。
自分でもよく分からない理由でライブハウスの前で悩んでいると、後ろから声をかけられた。
「あれ、おにーさん。久しぶりだね」
振り返った先にいたのは、美羽ちゃん……だったよね。うん。
「今日は一人? もしかして私たち見に来てくれたの?」
「あー……えっと」
来てみたはいいけど悩んでます、なんて言えるはずもなくて。
「まぁ、はい」
肯定せざるを得ないよね。まあ、悩んでいても仕方ないし、これはこれで行く決心がついて良かったかもしれない。
「えー、本当ですか! 嬉しいなぁ」
そう言ってニコニコされると、俺としても来て良かったなって思っちゃうよね。可愛い女の子にニコニコされて嫌な気持ちになる男って、そうそういない。
「ファンになってくれたら嬉しいなーって思ってたんですよー。あの日、私たちを気にかけてくれたのおにーさんだけだったし」
「そうなの? 他にもファンの人、いませんでした?」
「いや、新しく、って意味で」
ああ、なるほど。確かに、あの日のファンはどちらかといえばロックが好き……って人の集まりだったし。アイドル好きなバンドファンも少なくはないけれど、あの日の感じとはちょっと違ったかな。
「ていうかさ、おにーさん、何で私に対して敬語? 丁寧語? なの?」
「いや、何ていうかこう……」
変になれなれしくするのも無理だなー、って。
アイドルとファンだからとかって、どっちがどっちに一方的に寄っていくとか無理じゃない? 少なくとも、相手が敬語とか丁寧語だったら、合わせてしまうのは俺だけなのかな。
「いくつ?」
「今年20になる、けど、まだ19」
「じゃあ私の一歳上じゃないですかー! タメ口で! 他のファンの人もみんなそうだし」
果たしてそれは求められてすることなのか分からないけど。
「善処します……」
「ほら、それー」
「あーあーはいはい、善処する善処する、タメ口タメ口」
半分ネタで投げやりにそう返してやった。その言葉を聞いて、彼女は満足そうに頷く。
「そうそう、それで良いの。満点満点。よくできましたー」
「馬鹿にしてない?」
「まさか、大事な大事なファンに対してそんなことは」
してるよね。
ま、いいや。これはこれで楽しいし。
「あ、美羽いた。そろそろ準備しないと間に合わないよー」
ライブハウスのドアが開いて、何だか見覚えのある女の子が出てきた。えーっと。MOONのメンバーだったかな。名前覚えてないや、ごめんね。
「分かった、今行くー」と返事をして、改めて彼女は俺に向き合った。
「それじゃ、準備行ってくるね。コンビニ行ってきただけなのに、つい話し込んじゃった」
「ん、行ってらっしゃい」
「おにーさんも入るんでしょー。ほらほら、楽しみにしててよ」
そう言って俺の腕を引っ張ると、受付まで連れて行った。「このおにーさん、私たち目当てで来てくれてるから」とだけちゃっかりスタッフに告げてから、彼女も楽屋に向かっていった。
うーん、距離感が近いというべきか、親しみやすいというべきか。
何にせよ、嫌いじゃない。やばいな、こうやって沼にはまっていくのか。
乙
やはりというべきなのか、以前とは客層がかなり違う。
以前のライブ時は、他のバンド目当てなのか若い女性客が多い印象だった。けれども今日は、男性が多い。中年がちょっと多い…けど、俺と同世代くらいも結構いるのかな。結構って言っても客自体が少ないんだけど。
ステージの目の前まで進んで凄いコールをしている層と、後ろで眺めている層。
……うん、前まで行くのはちょっと恥ずかしい。
ここに来てる、見つかってる時点で、ファンだということは分かっているんだろうけど。前に行く勇気はまだ無くて。
MOONより一足先にステージに立っているグループの歌を流し聞きしながら、先ほどのことを考える。
一回来ただけで覚えてくれてるなんて、よっぽどファンが少ないのかな。それとも、あの子の記憶力が良いだけ?
何にせよ、少しうれしい気持ちになったのは変わりない。
こういうのを「神対応」とか言うのかな。しょっぱい対応のことを「塩対応」っていうのは、昔聞いたことがある。
アイドルオタクの気持ちが少しずつ分かってきた気がする。こういうの、何か嬉しいね。例えメジャーな人じゃなくても、ステージの上の人に覚えられて話すことができて……っていうの、嬉しいもんね。
今、ステージの上に立っている彼女達に話しかけられたとして、さっきみたいに嬉しくなれるかは分からないけど。
とりあえず今は、美羽ちゃんのステージが楽しみだ。余計なことを考えるのはやめよう。
音が止まったと思ったら、ステージ上から「ありがとうございましたー!」と揃った声が聞こえてきた。どうやら、彼女たちの出番は終わったらしい。
前列にいた人たちも、MOONにはそこまで興味を持っていないのか後ろの方に来たり、ドリンクチケットを交換したりと散っていった。
あれ、MOONって地下アイドルの中でもファン少ないのかな? 歌も結構よかったと思うんだけど。
緞帳が降りたステージの上に、メンバーが出てきたのが足音で聞こえてくる。
あんまり盛り上がっていないけど。
何だか後ろの方にいる俺が申し訳ない気がして、少しだけ前の方に出て行っちゃったよ。気持ちだけ前目に、って感じだけど。
俺より前には、この間のライブハウスで見かけた気のする、熱心そうなファンが三人くらいいるだけだ。皆さん、中年くらい。同世代ではないなって感じ。
そんなことを気にしていると、何の前触れもなく緞帳が上がった。
ポップで聞き飽きたようなメロディーに、軽い足取りのメンバーたち。歓声は、かなり小さい。
MOONのファンらしき人たちは、何やら謎のコールを始めた。そういえば、前も聞いた気がするな、これ。これがオタ芸ってやつなのかな?
流れている歌は前のライブではやってなかった気がする。結構持ち歌あるのかな。
「それじゃ、いっくよー!」
そんな煽りを入れながら、彼女たちは歌う。踊る。
目の前で踊る彼女たちは、テレビの前にいるアイドルのような遠い存在には見えなかった。
うーん……何ていえばいいのかな。文化祭でバンドやってる同級生みたいな感じ? 終わったら実際に話したりできるからかな。
身近にいそうだからこそ応援してる……っていうのは、何か違うのかな。
好きな歌があったからっていうのはあると思うけど、それなら他のアイドルにだって良いなって思う歌はある。その中で、敢えてMOONを追いかける理由って何なんだろう。
「……追いかけてるって程じゃないか」
とは、つい漏らしてしまったけど。ライブだってまだ二回目だしね。
聞いたことがあるような曲と、聞いたことがない曲を繰り返しているとあっという間に最後の曲になった。
「それでは聞いてください」
その後に続いた曲名は、俺が以前気に入った歌。美羽ちゃんが作ったらしい歌。やっぱり良いな、これ。
ふいに、美羽ちゃんと目が合った気がした。そして、ウインク。
あれ、俺に? いやいや、まさか。
こういうことで勘違いするのって何か恥ずかしいし。でも、ドキドキするのは確か。
うわ、何だこの気持ち。落ち着け、俺。……落ち着けって!
変な胸の高鳴りを感じていたら、歌を聞くのもダンスを見るのもそこそこに、彼女たちの出番は終わっていた。
それから何グループか出てきたけど、俺の頭には全く残らなかった。
終演後もしばらくぼーっとしていると、ステージの真後ろから物販の声が聞こえてきた。
「MOON、物販はじめまーす!」
その声に反応するのも、ごく少数だったけど。他のグループの物販は結構賑わっていたけれど、MOONは呼びかけてもお客さんはあまり近づいてこない。やっぱり、ファン少ないのかな。
熱心なファンは俺より前に並んでいて、メンバーにキャッキャ話しかけている。首にはMOONのタオル、着ているのはライブT。凄い熱量だなぁ。ここまではなれないんだろうなぁ、たぶん。
俺より先に並んでいた彼らは、名残惜しそうにメンバーの元から徐々に離れていった。弁えているというか何というか。
そんなこんなで、俺の順番が回ってくる。後ろには誰もいないから俺が最後なのかな。
名前も分からない子が、俺の顔を見てはっとした顔になった。
「あっ、お兄さん、前のライブもいませんでしたか?」
「え、分かります?」
あの時は美羽ちゃんとしか話してなかったし、よく見てるな……すごい。
「そりゃ分かりますよー。初めて来てくれたのにCDまで買っていってくれて嬉しかったから! あっ、私、詩織です。よろしくお願いします」
そう言って手を差し伸べられた。握手?
「よろしくお願いします……って、なんか変な感じですね」
軽く手を握ってみると、それをぶんぶん振られながら問い返された。
「そうですか? まあ、細かいことは気にせずに! どうでした? 楽しんでもらえましたか?」
「いやー、楽しかったですよ。知らない歌多かったけど。結構持ち歌多いんですね」
彼女……詩織ちゃんは、二重のパッチリした目を細めながら笑った。
「そうですねー、CDもミニアルバム何枚か出してますし。基本的に、美羽ちゃんが作ってくれてるんですけど」
「あっ、そうなんですか?」
綺麗に染まっている、ロングの茶髪を揺らしながら彼女は頷く。
「楽器やってましたしねー。ほら、そんな美羽ちゃんの作った音源、いかがですか?」
そう言って、彼女はテーブルの上に並べられたCDを手で示した。以前はあまり気にしていなかったけど、確かにそれは結構な枚数のようにも思える。
「あー、おにーさん、物販にも来てくれてる。やったー」
CDを眺めながら悩んでいると、後ろから声をかけられた。衣装からカジュアルな格好に着替えた美羽ちゃんが、テーブルの向こう側へ進む。
詩織ちゃんは「それじゃ、ありがとうございました。ごゆっくりー」と俺に一声かけて、楽屋の方に向かっていった。
「いやー、遅くなりました」
「ていうか、他の人みんな行っちゃったし?」
「いーのいーの、あの子たちはみんなしおりん目当てだから」
「そうなの?」
「私みたいなやつより、ああいうアイドルっぽく可愛い子のほうが推し甲斐あるでしょ?」
「そんなもんかなぁ……」
そんなもんなの、と彼女は冗談っぽく頷いた。
「そういえば、なんか欲しいものある? 一応仕事、しとかないとね」
ほらほら、とさっきの詩織ちゃんみたいにCDを指してきた。
「お勧めとかってあります?」
「えー、私のお気に入り? それともファンのウケが良いやつですか?」
「君のお気に入りの方」
その返答を聞くや否や、彼女は迷うことなく一枚のCDを手に取った。
「これですね。私が好きなのは三曲目」
「じゃ、それ下さい」
「はーい。ありがとうございます。1800円です」
財布からお金を出して彼女に手渡す。サインは? って問いかけには、お願いしますと返しておく。
「お兄さんもすっかりMOONのファンだね、ありがとうございますー」
そんなことない……っていうのは、恥ずかしかったり照れていたとしても失礼だよね。黙ってやり過ごそう。
サインを終えたCDを手渡されたので、三曲目のタイトルを確認する。
「えーっと……」
「『cats and dogs』ってタイトルの歌です。作った自分がいうのも何ですけど、好きなんですよね」
確か、意味は……。
「土砂降り?」
「そうそう。どんな歌かは、聞いてからのお楽しみってことで」
「ん、楽しみにしてる……って、ライブではこれやってないんだ?」
「あんまりしないですね。おにーさんが来てくれたライブではまだやってないし」
人気じゃないけど個人的に思い入れがある……みたいなものなのかな。何だかちょっと聞くのが楽しみになってきた。
CDをリュックに仕舞おうとしたところで、美羽ちゃんが「そういえば」と言葉を漏らした。
「いつまでもおにーさん、じゃ呼びづらいよね。お名前は?」
えっと。何だかここで改めて自己紹介するのって結構恥ずかしいな。いや、名乗らないのは失礼だから名乗りはするけどさ。
「ヨウ…太平洋の洋で。よろしくお願いしますっ」
照れ隠しで、勢いで頭も下げちゃったよ。ちょっと顔が熱い。
「あはは、ヨウくんね。あ、年上だっけ? ヨウさん?」
「それはどっちでも。言うほど差ないでしょ?」
「なにそれー、私が老けてるって?」
「言ってない言ってない」
この子、やっぱり会話のテンポが良いね。上手いというか何というか。
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