猫物語 敗色 (130)

「猫物語黒」と「めだかボックス」のクロスです

「猫物語黒」「めだかボックス」のネタバレがありますので注意してください

のんびり書いていきます

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1360682969

「あたし志布志飛沫が羽川翼に出会ったのは、箱庭学園に転校する前、ゴールデンウィークの事だった」

「羽川翼」

「私立直江津高校始まって以来の才媛」

「眼鏡で三つ編みで委員長な優等生」

「小学生の頃から数えても、成績という点において人後に落ちたことが一度もない、当然のように勝ち続けてきた天才」

「しかしそれらを鼻にかけることもなく、誰にでも公平で誰よりも公明正大な善人」

「そんな化物みたいな人間がいるのかと言いたいところだが、彼女を抜きにしても現在あたしが在籍している箱庭学園にはそんな化物が堂々と君臨してたりする」

「そもそも化物、魔物(笑)、王、魔女、英雄、人外、ロボ、変態が揃い踏みとかキャラが濃すぎるだろ、あの学園」

「RPGでもつくる気かよ」

「そんな話を球磨川さんにしたら」

『主人公は魔物を退治した僕でいいんだよね?』

「とかほざいたから、腕の骨を叩き折っておいた」

「しかたないので蛾々丸に同じ話をふったら」

「『不慮の事故(エンカウンター)』のスキルホルダーとしてRPGには一家言ありましてね、そもそもこのネーミングは……」

「とか言い出したから、脚の骨を叩き折ってみたら球磨川さんが崩れ落ちた」

「さて羽川翼が我等が箱庭学園が誇る化物、黒神めだかと並ぶ化物かといえば、それは大きな間違いだ」

「黒神めだかと並ぶほどに聡明で」

「黒神めだかと並ぶほどに正しい」

「しかし」

「羽川翼には力がない」

「コンクリートを割ることも、骨折を一瞬で治すことも出来ない」

「特別なスキルを持つわけでもなく、死んだら死んだきりで、生き返るだなんて漫画みたいなことももちろん出来ない」

「体育の成績に5がつく程度の、黒神めだかと並べようとすることがそもそも間違いな、そんな普通の女子高生だ」



「断言しよう、羽川翼は化物じゃない」

「安心したか?」

「ならあんたは幸せ者だ」

「力のない人間が、力のある化物と並ぶほどの正しさを貫いているという異常に気づいていないのだから」

「黒神めだかは正しい」

「時に正しすぎると称されるその信念は、しかし彼女の持つ化物並みの力をもってして支えられている」

「立ちはだかる困難を、自身の信念で塗り潰していくことで彼女は気高き黒であり続ける」


「ならば羽川翼はどうなのだろう」

「信念を支える力を持たない彼女が、困難に塗り潰されないために、白くあり続けるために、いったいどれ程の色を失っていったのだろう」

「どれ程の負荷に堪え、どれ程の過負荷に堪えてきたのだろう」

「自称、ちょっと真面目なだけが取り柄の普通の女の子」

「普通よりも明らかに上に位置する特別な女の子」

「特別などでは説明できない異常な女の子」

「羽川翼」

「異形の羽を、持つ少女」

「誰よりも間違えることなく生きる、誰よりも正しい過負荷」


「あらゆる例外の上に成り立つ、存在しないはずの存在」

「それを指して人びとはこう言う」

「怪異、と」

喫茶店

球磨川『化物語のアニメだとさっきまでみたいな長い文章を凄い速さで映すけどさ、あれなんの意味があるんだろうね?』

志布志「いきなりメタから始めてんじゃねえよ!」

球磨川『いつも途中までしか読めなくて、もやもやするから困るんだよね』

志布志「しかも読んでるのかよ……」

球磨川『読めないと言えば安心院さんのスキル100連発なんかも凄かったよね』

球磨川『読みがふってあるんだろうけど、文字が潰れてたり小さかったりで読みづらいったらなかったよ』

球磨川『お年寄りへの配慮が足りないよね、本人が一番年寄りのくせにさ』

志布志「時系列がおかしくなるからいい加減にやめろ!!今はゴールデンウィークで、めだかボックスには安心院さんの『あ』の字も出てねえ!!」

志布志「そんな事より、それよりもだ球磨川さん、その『羽川翼』って奴はまだ来ないのか?朝からこの喫茶店にいるけどもう2時間はたつぜ」

志布志「進学校には詳しくねえけど、さすがにゴールデンウィークは休みだろ、待ち合わせ時間は何時だよ?」

球磨川『え?』

志布志「うん?」

球磨川『羽川さんとは待ち合わせなんてしてないよ』

志布志「はぁ!?その委員長サマをあたしに紹介するんじゃなかったのかよ!!」

球磨川『いやいや飛沫ちゃん、過去にほんの数週間在籍しただけの学校の、クラスメイトの女の子のメールアドレスなんてこの僕が知ってるわけないじゃないか』

球磨川『羽川さんとは待ち合わせなんてしてないし、そもそも僕らがこの町に訪れてることさえ彼女は知らないよ』

志布志「…………」

志布志「……」

志布志(堪えろ…、堪えろ志布志飛沫。ここで殺すのは簡単だけど、球磨川さん相手にいちいちムカついてたら話がいっこうに進まない!)

志布志(ここはあたしが大人になろう、志布志飛沫は高校生だ。こいつも高校生だけど)

志布志「……じゃあなんであたしたちは喫茶店にいるんだよ?校門の前とかで待つんじゃ駄目だったのか?」

球磨川『中学を卒業したばかりの飛沫ちゃんに高校生の時間の過ごし方を教えようと思ってね。どうだい、高校生にもなるとファーストフード店じゃなくて喫茶店で過ごすものなんだよ。まだ中学生気分の抜けない飛沫ちゃんには緊張する場所かもしれないけど、心配しないでいつでも僕を頼ってくれていいんだからね』

志布志「『致死武器』」

喫茶店が血まみれになったけど、あたしは悪くない

うむ

住宅街

球磨川『羽川さんは前に僕が通っていた学校、私立直江津高校でいろいろとお世話になった学級委員長なんだ』

当てもなく歩きながら、球磨川さんは喫茶店でも聞いた説明を繰り返す

ちなみに喫茶店の惨劇は、スタッフが責任を持たずに無かったことにしました

志布志「あと学年トップクラスの成績で、誰にでも公平に優しい優等生、だろ?」

志布志「何度も聞いたし、何度聞いても吐き気がするお話だな」

志布志「さぞやあたしらとは正反対の、幸せな毎日を幸せに過ごす甘ちゃんなんだろうよ」

球磨川『そうだね』

球磨川『僕たちみたいな負け組からしたら、声をかけることすら憚られる勝ち組だよ』

いつもの張り付いたような笑顔で球磨川さんは語る

志布志(……相変わらずこの人の考えはわからない)

志布志(特に今回はいつも以上に理解不能だ)

志布志(だって……)

志布志「だったらなんで『羽川さんを仲間にしよう』なんて話になるんだよ」

志布志「あんたエリートが嫌いなはずだろ」

志布志「それがどうしたらエリート抹殺のためのメンバーにエリートを入れようって結論になるんだよ!」

球磨川『……』

球磨川『飛沫ちゃんの言う通りだよ。自分でもおかしな事をしてるのはわかってる』

球磨川『多分これは僕の我が儘でしかないんだとも思う』

球磨川『けど信じてくれないかな』

球磨川『彼女を仲間にすることは、決して無意味なことじゃない。それほどまでに、彼女はあんな田舎の学校に通わせておくには惜しい人材なんだ!』

その顔は真剣そのもので、興奮のあまり目にはうっすらと涙が滲んでいて

志布志「……あんたがそこまで言うなら従うよ、あんたがリーダーなんだからさ」

あたしはそれ以上反論できなかった

球磨川『ありがとう飛沫ちゃん』

球磨川『理解ある後輩を持って、僕は幸せ者だな』

涙を拭って球磨川さんは吹っ切れたような笑顔になる

球磨川『楽しみにしておいてね』

球磨川『羽川さんは僕の数々の転校生活でも1、2を争う隠れ巨乳なんだから』

志布志「…………は?」

球磨川『歯じゃなくて胸だよ、巨乳だよ!いつも三つ編み眼鏡の委員長ファッションなせいで地味な女の子に見られがちな羽川さんだけど、実はかなりスタイルがいいんだよ。でも哀しいかなクラスの男子たちは日々あの巨乳を視界にいれておきながら、まったく気づく素振りもみせないんだ。僕?もちろん僕は転校初日に気づいたよ。やれやれ思い込みっていうのには困ったものだよね?おとなしい見た目の女の子は、スタイルもおとなしいだなんてテンプレはもう古いってのに。ああ、ゴールデンウィークが終わったら、またあの巨乳が誰にも気づかれることなく学園生活を送る毎日が始まるかと思うといてもたってもいられない!はやくあの悪の学校から開放してあげなきゃ!事態は一刻を争う。さあ飛沫ちゃん、急いで羽川さんを探そう!!』

飛沫「死ね」

死んだ

教室

安心院「おお球磨川よ、死んでしまうとは情けない」

安心院「というか情けないにもほどがあるぜ、球磨川くん」

球磨川『おかしいな、今回ばかりは自分でも何で死んだのかわからないや』

安心院「おかしいのは君の頭だよ、球磨川くん」

安心院「そんなんじゃ、週一でここにくるはめになるぜ」

球磨川『おいおい、僕を日曜午後7時に死にそうにな気分になる若者と一緒にしないでくれないかな』

球磨川『僕なんか逆にその時間帯は、学園生活が始まる月曜日が待ち遠しくてたまらない気分だってのに』

安心院「君は週刊少年ジャンプが待ち遠しいだけだろう、変わらないな球磨川くんは」

球磨川『そういえば、さっきから気になっているんだけど、どうして僕は死んでそうそう安心院さんにキャメルクラッチをかけられているんだい?背骨がミシミシと悲鳴をあげはじめたんだけど』

安心院「はっはっは、君と違って君の背骨は正直者だね、辛いときにちゃんと『助けて』がいえるなんて」

安心院「球磨川くんも見習いなさい」

安心院「それとこれはただ、うら若き3兆4021億9382万2311歳の乙女を年寄り扱いした不届き者を成敗してるだけさ、気にしないでくれてかまわないぜ」

安心院「ああ、お腹は空いてないかい?今なら安心院さんがラーメンを振る舞ってあげよう」

球磨川『僕はコミック派なんだ』

安心院「そうかい。だったらはやく生き返りなよ、ここは長居するような場所じゃないぜ」

球磨川『言われなくてもそうするよ』



安心院「やれやれ、手間のかかる……」

安心院「それにしても翼ちゃんか」

安心院「あの子はめだかちゃんや球磨川くんとは違った意味で、違った忌みで問題児だからなあ」

安心院「まあ球磨川くんにとっても良い経験に、いや悪い経験になるだろうぜ」

住宅街

志布志「そういや、球磨川さん。ちょっと気になってたんだけどよ」

球磨川さんが起き上がったので話を続ける

球磨川『なんだい?何でも質問していいよ』

球磨川『球磨川禊は24時間365日いつでも相談を受け付けるからね』

志布志「蛾々丸の野郎は何で呼ばなかったんだ?呼べば来るだろ、あいつ」

志布志(言い替えれば、呼ばなきゃ来ないんだけどな)

球磨川『うん、残念だけど今回は蛾々丸ちゃんを連れて来るわけにはいかなかったんだ』

志布志「へえ、そりゃまたどうして?」

球磨川『羽川さんが、誰にでも平等に優しいことはもう教えたよね?』

志布志「ああ」

球磨川『羽川さんが僕以外の男子に優しくしてるところを、僕は見たくない』



志布志(………気持ちわるっ!?)

歩き続けていい加減、足が痛くなってきた頃

球磨川『あ、羽川さんだ』

球磨川さんの声につられて前を見ると、そこにはいかにも優等生ですと言わんばかりの女が歩いていた

眼鏡に三つ編み、長めのスカート、巨乳。どこからどうみても委員長、といった感じだった。いや、胸は関係ないけど

ただ気になるのは

志布志(なんで休日なのに制服なんだ、あいつ?)

ちなみにあたしたち二人だって制服なので、人のことは言えない

しかもあたしと球磨川さんの制服はもちろん別の学校のものなので、(厳密に言えば、球磨川さんはどの学校でも同じ服を着ているという改造制服がかわいく思える所業をしているので、もはや私物の域かもしれないが)ゴールデンウィーク初日に3校合同のイベントが行われるのかと誤解されるかもしれない

あたしがそんな事を考えながら、じっくりと前を歩く女を、場合によっては味方に、また場合によっては敵となる相手を観察していると隣から急に大声がした

球磨川『おーーい、羽川さーーーーん!!!』

志布志(憚れよ!!)

羽川「もう、だめだよ球磨川くん。もうすぐお昼になるとはいえ、町中で大声出しちゃ」

羽川「近隣住民の皆さんにご迷惑だよ」

羽川翼の第一声はそれだった

どうやら優等生というのは本当らしい

そしてにこりと笑ったあとに

羽川「久しぶり、球磨川くん。元気してた?」

球磨川『おかげさまでね。羽川さんも元気そうでなによりだよ』

と何気ない挨拶を交わしたのだった



顔の半分を完全に隠すほどの、分厚いガーゼに左顔面を覆われながら

期待

すぐに気づいた

あたしはあれを知っている

嫌というほど知っている、嫌といえないほど知っている

あれは殴られた痕だ

大人に、男に、自分よりも強い存在に、力任せにぶん殴られた痕だ

もちろん、そんなことにいちいち注目するあたしじゃない、過負荷にとっちゃそんなものは空が青いのと同じくらい見慣れている

親から殴られ、先輩に蹴られ、教師に踏みつけられて育ったあたしには、あたしたちにはいちいち気にする方が馬鹿らしいものだ

でも、それでも

「お前」に「それ」があるのはおかしいだろう

「お前」は「それ」から一番遠いはずの人間だろう

幼い頃からスキルを使いこなすため、他者の傷に喜べるように自分を成長させてきたあたしがその時感じたものは喜びからは程遠く

形容しがたいその感情に戸惑うあたしを見て羽川翼は

「あ……」

と声をもらして、ばつが悪そうな、困った顔をしたのだった

球磨川『ねえねえ、羽川さん!その顔の傷どうしたの?』

志布志(いきなり聞いたーーー!?)

あたしのさっきまでの葛藤は何だったのか

羽川「大したことじゃないよ、気にしないで」

球磨川『大したことじゃないって、なに言ってるのさ!どっからどう見ても大したことじゃないか!!』

球磨川『そんな酷い傷、いままで見たことないよ!!』

球磨川『誰にやられたんだい羽川さん!女の子の顔に、ましてや僕の恩人の羽川さんにそんな乱暴する奴を僕は絶対に許さない!!』

志布志(……うさんくさいなあ)

一日に二度騙されるあたしではない

羽川はというと、さらに困ったといった顔をしていた

面倒だけど、話さなければもっと面倒なことになるんだろうなあ

みたいな顔だ

羽川「……誰にも言わないって約束してくれ『うん!』…球磨川くん?」

即答だった、その上いい返事だったのが羽川の冷めた視線をさらに冷たくしたようだ

でもこれは球磨川さん相手に約束なんて言い出す方が悪い気がする

球磨川さんを相手取って約束ごとなんて出来ると思ってるのか、こいつは

羽川「約束だよ……信じてるからね、球磨川くん」

球磨川『え、ああ、うん。もちろんだよ、羽川さん!』

前言撤回

赤くなるな、どもるな、意味もなく焦るな

ついでに先輩の好みのタイプが見えてきた気がするが、心の底からどうでもいい

羽川「志布志さんも約束してくれる?」

わざわざこっちにも確認をとってきたが、あたしは球磨川さんに従うだけだ

その球磨川さんは羽川の後ろで両手をあわせて、お願いのポーズをしている。先輩の痴態をこれ以上見たくなかったのもあり、答えた

志布志「約束するよ、だから教えてくれ」

羽川「じゃあ、歩きながら話そうか」

羽川の話をまとめるとこうだった

羽川の今の両親とは、どちらも血のつながりが無く、また家族としてのつながりも無いに等しい

幼いころからそんな家で形だけの家族として過ごしてきたが、今朝、父親の仕事に口を出したら殴られたのだという。母親は黙ってそれを見ていたのだという

なんだ、本当に大した話じゃなかったな

そもそも殴られたのは今日が初めてというあたりが、まだまだ幸せ者だ

ただ、どうして球磨川さんが羽川翼を仲間にしようとしているのかは、なんとなく分かった気がする


でも同時にどうしてもわからない事があるのであたしは聞く

志布志「なあ、どうしてグレようとか思わなかったんだ?どうせ子供ほっとくような酷い親なんだ、こっちからも酷いことしてやればいいじゃねえか。そうだ、今朝殴られたんだろ、だったら殴りかえしてやろうぜ!ちょうどこっちは3人いるしな、流行に乗ってお返しは3倍返しってのはどうだ!」

羽川「駄目だよ」

きっぱりと、羽川は言った

羽川「やられたからやりかえそうとするのは、駄目だよ」

今度は優しく諭すように、羽川は言った

志布志(正論だな。どうしようもなく、綺麗事よりも綺麗な、正しすぎる正論だ。ただ…)


志布志(それはやられた奴の、言葉じゃない)

羽川「複雑な家庭事情を持っているとさ、トラウマだったり、偏見の目で見られることがあるじゃない。そんな風に思われたくなかったから、だからその程度のことじゃ私は変わらないって、決めてた」

羽川「普通であろうって決めてた」

志布志(あんたのどこが普通なんだよ!普通を飛び越えて、とびっきりの優等生になっちまってるぞ!正しすぎるんだよ、馬鹿かお前は!)

褒めているのか、貶しているのかわからない罵倒が頭の中で浮かんでは消えを繰り返しながら、ふいに一つの思いが胸をよぎった

志布志(でも)

志布志(もしあたしがあの頃、同じようなことを考えてたら………、駄目だ!)

それ以上考えそうになる頭を横に振って止める

親に気味悪がられたのはあたしがかさぶたを剥ぐのが好きだったからで、他人の不幸を喜べる性格はあたしが自分でそうなるように成長したからで、不幸な境遇にいるのはあたしが望んだからで

いまあたしがあたしでいるのは、他ならぬあたし自身が選んだからだ

あたしは違う、こいつとは違う!こいつとは根本的に違う!!

ようやくあたしは理解した

羽川翼、こいつを仲間にするのは、ヤバい

この女のそばにいると、自分の駄目なところをどうしようもなく見せつけられる。半ば自嘲的に抱え込んでいる劣等感でさえ、あまりにはっきりと目の当たりにさせられて、正さなければいけない気持ちになってくる。出来るはずがないことを、やらなきゃいけない気持ちになって、やってしまいたくなってくる

そもそもあたしがこうやって大人しく話を聞いていることが、異常だ。いつものあたしだったら、出会いがしらに羽川の頭を蹴っ飛ばすぐらいのことはしている。でもしていない、そしてやらない。そんな気が湧いてこない

志布志(こんな奴を仲間にしたら、ましてや球磨川さんと組ませたりしたら、プラスもマイナスも関係なく、出来ないことをやろうとして誰もが取り返しのつかない大失敗をして不幸になっちまうのが目に見えている)

志布志(こいつを仲間にするのだけは不味い。そんな光景、想像するだけで恐ろしい。だから)

志布志(絶対に羽川翼を仲間にしよう)

だってあたしは、過負荷だから

志布志(それにしてもさすが球磨川さんだぜ、よくもこんな隠し玉を用意してたもんだ。あたしの足元にもおよばないほどに最低だ。それじゃあ見せてもらおうか、この天然優等生を見事に勧誘するさまを!………あれ?そういや、球磨川さんさっきから無言だけど、どうしたんだ?)

球磨川『羽川さんに…グスッ……そんな、つらい…グスッ…過去があったなんて……』

泣いていた

球磨川『ふう、ようやく落ち着いたよ』

球磨川さんが泣き止むまで結構かかった。球磨川禊、高校三年生

球磨川『それじゃあ羽川さん、ご両親に復讐しに行こうか!』

羽川「今までの話、聞いてた!?」

球磨川『あれ、ご両親にご挨拶に行くって話だったっけ?』

羽川「そんな話はしていません!」

球磨川『あれあれ、僕が羽川さんの家に行って『娘さんを僕にください』っていうイベントがそろそろくるはずなんだけど』

羽川「そんなイベントは存在しません!!」

球磨川『そうだね、娘を殴るような親にそんなこと言う必要ないよね』

羽川「…………」

球磨川『これでも僕はイラついてるんだぜ。君を殴ったクズにじゃない、そんなクズを庇おうとする君にさ』

球磨川『なにがやりかえすのは駄目だ、だ。そもそもやるのが駄目だろうに、そんな駄目な奴を庇うなんて、君らしくもない。理不尽な暴力こそ、君がもっとも許せないことだったはずだろ』

球磨川『今から僕は君の家に行く。そして自宅でのうのうと休日を優雅にすごすプラス達をこれ以上ないほど、いやこれ未満がないほどに酷い目にあわせる』

羽川「……やめて、お願い」

球磨川『嫌だね、止めるなら君だって倒して進む』

羽川「お願いします!」

球磨川『僕は悪くない』

羽川「私、なんでもするから!!」

球磨川『え!?マジで!?羽川さんが何でもしてくれるの!?やったあ!』

羽川「く……、球磨川くん?」

なんだ、これ

球磨川『うわ、どうしよう!こんなチャンス、滅多にないよ。どうしたらこの幸運を最大限に活用できるんだろう。ああ、なんで僕はこの状況を事前にシミュレートしてこなっかったんだ。結局僕はあの、羽川さんの隠れ巨乳に気付かない愚かな同級生たちと一緒だったってことか!!ああ、落ち着け僕!ねえ、どうすればいいかな飛沫ちゃん!』

あたしに振るな、それか死ね

羽川もあきれてるじゃねえか

球磨川『待てよ、羽川さんは願いの数を限定してない!つまり使いようによっては僕の願いを無限にきいてくれるということに!!』

羽川「ひとつです!」

羽川「なんでもひとつだけ、言うことをきくから」

最低の発想をする男がそこにいた。これほどの変態は世界広しと言えど、球磨川さんだけだろう。……だけであってくれ

球磨川『しまった、言わなきゃよかった。でも大丈夫、僕の幸福がなくなったわけじゃない、まだチャンスは残ってるんだ』



球磨川『ああ、でも困ったな』

球磨川さんは羽川の顔に手をのばす

球磨川『手をのばせば届くところに幸せがあるのに』

そして左顔面を覆うガーゼを指でつまみ

球磨川『自分の力で手にいれたものでなければ』

勢いよくガーゼを引っぺがした

球磨川『満足できないのが僕らなんだ』

初めて見る羽川の左頬には、初めからそうであったかのように、かすり傷ひとつなかった

球磨川『「大嘘憑き」』『顔の傷を』『なかったことにした』

そういえばマハラギさんも負けて勝つような男だよね

羽川「ありがとう」

羽川は礼を言った

球磨川『あはは、感謝されるようなことはなにもしてないよ』

球磨川『人として当然のことをしたまでさ』

羽川「それでも、ありがとう」

志布志(………)

羽川「『スキル』って言うんだよね、それ」

羽川「久しぶりに見たけど、何度みても不思議だね」

球磨川『さすが羽川さん、なんでも知ってるね』

羽川「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」

羽川「たまたま前にそういう不思議なことについて調べものをしたときに、ちょっと目にしただけだよ」

志布志(へえ、調べればそれなりにでてくるもんなんだな)

志布志「ちなみに、どんなものなんだい?そのスキルとやらは」

羽川「ええと……」

羽川は言葉を選ぶように逡巡し、答えた

羽川「行き過ぎた個性、かな」

羽川「普通の人と比べて異常な能力を持っている人達がいて」

羽川「そしてその『能力』をスキルと呼ぶそうなんだけど」

羽川「スキルの内容は人によって様々で、どうもその人の、なんて言えばいいかな……人格にあった性質になっているらしいの」

羽川「といっても他の人とは違った能力を持っているわけだから、スキルの影響でそんな人格になったのかもしれないけど」

羽川「そしてそんなスキルホルダーは常識では考えられない、ありえない現象を当然のように引き起こすの」

羽川「だから、個性と呼ぶには度を越した個性」

羽川「行き過ぎた個性」

羽川「こんなところかな」

羽川「あってる?志布志さん」

志布志「ああ、お見事だ」

志布志(こいつ……あたしのことも知っているのかよ!?)

球磨川『いやいや』

球磨川『大外れ。見当違いも甚だしいよ』

志布志(なんだ、この人!?)

球磨川『個性が能力として発現するだなんて』

球磨川『そんな非現実的な超能力が、この世にあるはずないじゃないか』

球磨川『漫画や小説じゃあるまいし』

志布志(うわー、この人はほんとにしょうもない嘘をつくなー)

志布志(あからさますぎて羽川も呆れて……あれ?)

羽川は呆れ顔ではなく、深く考えごとをするように真剣な顔をしていて

羽川「……非現実的、か」

小さくそれだけ呟いたのだった

くま

面白い

羽川「そういえば!」

志布志「なんだい?急に」

羽川「自己紹介がまだだったね」

志布志「…………あ!」

志布志(すっかり忘れてた)

そもそもこの町に来る前から話を聞いてるから、今さらって感じだ

羽川「私は羽川翼。直江津学園の3年生で、球磨川くんとは前に短い間ではあったけれどクラスメイトだったの」

志布志「あたしは志布志飛沫。箱庭学園の1年生で、球磨川さんの後輩だ」

志布志(まだ転入前だけど、別にいいだろ)

球磨川『僕は球磨川禊。箱庭学園の3年生で、野球部のキャプテンをしてるんだ』

羽川「ところで二人はどうしてこの町に?」

志布志(あ、ついに無視した)

優等生だからってなんでも拾ってくれるわけではないらしい

球磨川『いやなに、久しぶりに母校を見たくなってね』

球磨川『「僕が入った学校は潰れる」なんてジンクスがあるとかないとか、そんな失礼な話があるらしくてさ』

志布志(あんたは人類最強の請負人かよ)

球磨川『まったく人類最弱だとキャラが被るからって、この設定はいただけない』

球磨川『恐れ多くて頂けないよ』

球磨川『だからってあんなメイドフェチと同格にされてもたまらないけど』

このころすでに球磨川禊が裸エプロンに目覚めていたことは、誰も知らない

球磨川『そんなわけでさ』

球磨川『思い出のつまった愛すべき私立直江津高校は大事ないか、心配でいてもたってもいられなかったんだ』

球磨川『どうかな、僕らの学び舎は無事かい?』

羽川「ええと、昨日も授業があったし問題はない、かな?」

羽川「ただ体育倉庫が春休みのあいだに、ちょっと、その……壊れちゃって」

志布志(体育倉庫って壊れるものだったか?)

ちなみにあたしは壊せる

羽川「もう立て直したけど、一学期のあいだ先生方は大変だったみたい」

球磨川『まったく、男子たちの夢スポットを一学期間とはいえ使えなくするなんて!僕だったら犯人を許してはおけないな』

球磨川『でもよかった、校舎が潰れてるなんてことはなくて』

球磨川『直江津高校は僕の荒んだ高校生活で唯一、心の休まる憩の地だったからね。おかげで今日からはぐっすり眠れそうだ』

その後とりとめのない話をしながら(本当にとりとめのない話ばかりだった。球磨川さんが喋るのを羽川が聞くスタンスだったが、その内容はたい焼きの食べ方だとかものすごくどうでもいい話題ばかりだった)、歩き続けて数分したころ

あたしたちは猫の死体を見つけた


クルマにでも撥ねられたのだろう

白い、少し銀色がかったその猫に尾はなく、道のまんなかに誰でも気づくように死んでいた

つまりそれは、誰もが見て見ぬふりをして通り過ぎて行ったという意味で

そんな死体に真っ先に気づいた羽川は、あたしたちに別れを告げて死体を埋めにいったのだった

これは期待

ドーナツ店

球磨川『飛沫ちゃん、パンツの話をしよう』

志布志「は!?」

例のドーナツ店で健康的とは言い難い昼食をとっていたら、いきなりセクハラをされた

……聞き間違いだったらいいなあ

でもこの人の場合、聞き間違いだったらいいことに限って、本当に言ってるんだよなあ

志布志「……いま、なんて?」

球磨川『今から、じっくり、パンツの話をしよう』

やっぱりかーー!

球磨川『アニメでは省略されたけど』

球磨川『猫物語を語るにあたって、妹との約10ページにもわたって繰り広げられるパンツトークは外せないと思うんだよね』

球磨川『ただ残念なことに僕には妹がいないんだ』

球磨川『だから後輩女子で我慢しようとおもうんだけど、どうだろう』

志布志「どうしようもないな」

球磨川『うん、確かに他の選択肢がないわけだし、どうしようもないね』

球磨川『だから飛沫ちゃん、パンツトークしようぜ』

球磨川『て、あれ?志布志ちゃん何してるの?熱々のコーヒーを持ったりして』

球磨川『ちょっと待って、話し合おう!できればパンツを絡めながら!』

球磨川『というか最近、僕のことを壊れないサンドバックだと思ってないかい!?』

球磨川『「大嘘憑き」があるとはいえ、ホットコーヒーをぶっかけられたら熱いのは変わらないんだよ!?』

球磨川『落ち着いてよ、僕らは同じ目的に集った、硬い絆で結ばれた同志じゃ…』

志布志「ごめんなさい、もう二度と以下略!!」

あたしは悪くない

うっかり思いっきり球磨川さんにコーヒーをかけてしまったのでもう一度コーヒーを貰って席につく

それにしても

志布志「さすが田舎だな、全然人がいねえ」

休日の昼間にしてこの空き具合、田舎にしては大きいであろう店舗だというのに哀れである

客が来たかと思えば誰もが持ち帰りで、店内はあたし達の貸切みたいになってる

ついさっきも高校生がドーナツを持ち帰っていた

志布志「それとも、普通の奴らは休日のドーナツは家で家族と食べるもんなのかねえ」

家族の何がいいんだか

球磨川『想いをはせているところ悪いけど、原因は飛沫ちゃんだからね』

志布志「え、あたし!?なんでさ?」

球磨川『ここらは本当に田舎だからね、飛沫ちゃんみたいな金髪の不良スタイルな高校生は滅多にお目にかからないんだよ』

球磨川『言ってしまえば、飛沫ちゃんはこの町にとって、よくわからなくて怖いものってこと』

志布志「なんだそりゃ、幽霊かよ」

つまりあたしが店内にいるから誰も店で食べようとしない、ということらしい

球磨川『幽霊か、むしろ田舎人には幽霊のほうが親しみやすかったりしてね』

球磨川『そういえば、飛沫ちゃんは幽霊とか信じるタイプ?』

志布志「まさか」

志布志「幽霊だなんていったところで、結局は死んでるだけの人間だろ」

志布志「あたしが他人を信じるかよ」

球磨川『そっか、じゃあ神様とかも信じないのかい?』

志布志「まあな」

むしろこの境遇で神様を信じるほうがおかしいだろう

志布志「あ、でも初詣ぐらいはいくぜ。振袖は着ないけど」

球磨川『そうなの?てっきり飛沫ちゃん達は、そういうのがん無視で寝正月するタイプだと思ってたのに』

志布志「ああ、新年明けて心機一転がんばろうとしてる奴ら(プラス)の古傷を開くのが毎年の恒例行事なんだ」

志布志「たった一晩眠っただけでこれまでの1年間がリセットされて、身も心も清められるだなんて、そんなプラス思考は見過ごせねえだろ」

球磨川『あはは、それに付き合わされる蛾々丸ちゃんも大変だね』

志布志「いやいや、さっきから気になってるんだけどよ」

志布志「なんか誤解してないか?」

志布志「あたしと蛾々丸はよくつるんでるけど、別にいつも一緒なわけじゃねえぞ」

球磨川『そうなの?』

志布志「そもそも大晦日あたりは、蛾々丸はバイクでどっか走ってるらしいし」

ちなみに蛾々丸は「不慮の事故」を利用した、事故をまったく恐れない、自己をまったく守ろうとしない、限界までスピードをあげた危険な走りをするのでついていくには命がいくつあっても足りない

志布志(……ストレスでもたまってるのかなあ)

なんて冗談はさておき

志布志「そういう球磨川さんはどうなんだよ」

志布志「そもそも初詣とかの行事には参加しなさそうだけど」

球磨川『そうでもないさ』

球磨川『僕はこれでも色んな学校を転々としてきたけれど、そのほとんどの学校で生徒会長を務めていたんだ』

球磨川『むしろ率先して幹事をしてたぐらいだよ』

志布志「へえ、なら寂しいクリスマスとかとは無縁の学生生活を送ってきたわけか」

あれ、この人けっこうリア充?

球磨川『ああ、うん……』

志布志(なんだ?歯切れの悪い)

球磨川『生徒会長の僕が主催するわけだから、メンバーは生徒会役員になるわけだけど』

志布志(あれ?)

球磨川『僕は基本的に支持率0パーセントだからさ』

志布志(まさか……)

球磨川『僕以外に役員がいないことって、よくあるんだよね……』

志布志(セルフ幹事ぼっちパーティー!?)

志布志(いや、そもそも生徒会長しかいない生徒会とか大丈夫か!?)

志布志(それで学校はいいのかよ!)

その結果が廃校なので、よくなかったのだろう

志布志「そうだ、ちょっと興味あるんだけどさ」

志布志「学校潰すのってどうやってるんだ?」

球磨川『どうやるも何も、飛沫ちゃんは病院だって潰したことあるじゃない』

球磨川『僕よりずっと上手に出来るでしょ』

志布志「そりゃ物理的にぶっ壊すならいつでも出来るけどよ」

志布志「廃校にするってのはなんか違うだろ、あたしには出来る気がしねえ」

球磨川『うーん、僕なんかに尊敬の念を抱いてくれている後輩には申し訳ないんだけど』

球磨川『僕だって学校一つ廃校にするなんて出来る気はしないよ』

志布志「え?だって現にあんたは…」

球磨川『勝手に廃校になっただけさ』

球磨川『僕は何もしていない』

球磨川『そもそも僕は学校を潰そうなんてしたことないし』

球磨川『潰れてほしいと思ったことすらないよ』

球磨川『まだ幼馴染を甲子園に連れて行くことも』

球磨川『ライバルと甲子園で決着をつけることも』

球磨川『死んだ女の子の夢をかなえるために甲子園に行くことも』

球磨川『どれ一つ、まだ成し遂げていないんだから』

志布志「帰宅部が何を言う」

それと、ジャンプ愛読者の設定はどこに行った

球磨川『それなのに、行く先々で事件が起きるんだから、たまったもんじゃないね』

球磨川『まるで高校生探偵の気分だよ』

志布志「あんた本当にジャンプ派か!?」

過負荷チームに早くも亀裂がはしってしまった

球磨川『何言ってるんだよ、ネウロだって立派な高校生探偵ものじゃないか』

志布志「ああ、言われてみればそうだったな」

途中からバトル展開なので、立派かどうかはわからないが

球磨川『「真実はいつも一つ」ってコナン君の決め台詞っぽいけど、ぶっちゃけ使いどころないよね』

志布志「やっぱりサンデーじゃねえか!」

ジャンプを読んでいるだけで、ジャンプ一筋ではないらしい

志布志「でも確かに「江戸川コナン、探偵さ」ばっかり使ってるイメージがあるな」

球磨川『でしょ』

球磨川『せっかくいいセリフなんだからCM以外でも使うべきだよ』

志布志「たとえば?」

球磨川『殺された被害者を見つけた時とか?』

志布志「追い出されるわ」

被害者の死を受け入れられない関係者たちに向かって

「真実はいつも一つ」

容赦のない追い打ちになるのは確かだ

球磨川『なら犯人がパトカーに乗る時は?』

志布志「謎が全部解けた後にそれ言われてもなあ」

しかも犯人からすれば事件の謎を解いたのは毛利小五郎なので、小学生が別れ際によくわかんないことを言い出したようなしか聞こえない

志布志「痛すぎる……」

球磨川『真実って痛いものだよ』

なんかいい感じの言葉で締められたっ!?

すでに日は沈み、夜の帳も下りて、町を歩く人の数もめっきり減った時分

あたし達2人はどこにいるかというと、いまだドーナツ店にいた

球磨川『すっかり話し込んじゃったね』

あの後もあたし達は、自分たち以外の客がいない貸切状態の心地よさもあいまって時々コーヒーやドーナツを追加しながら、衝撃の過去話や壮大な伏線張りを交えた雑談に花を咲かせた

半泣きの店員に、閉店時間だからと店から出るように言われるまで

しかし店から出たはいいものの、事前に泊まるところなど考えておらず(そもそもあたしは日帰りだとおもっていた)、どこに向かえば24時間営業の店があるかも知らないあたし達は、いま出たばかりのドーナツ店の前で佇むのだった

球磨川『しかし都会暮らしの僕には想像つかなかったよ』

球磨川『まさか田舎のミスタードーナツが24時間営業じゃないなんて』

志布志「都会のミスタードーナツも24時間営業じゃねえよ」

あと、あたしがいちいち例のドーナツとかしてたのに、名前を出すな

球磨川『やれやれここで時間を潰しててもしょうがない』

球磨川『どこかお店を探しに行くとしようか』

ため息まじりに球磨川さんの言葉に従い、歩き出そうとしたその矢先に

それは、現れた

それは白かった

透き通るような白い髪に、病的なまでに白い肌

対照的に黒いブラジャーにショーツだけを身に着けた、女性

そしてあろうことか、頭にごく自然に猫耳が生えていた

あきらかに異常な光景が目の前に広がっている

そんな非日常にあたしが警戒していると、すぐそばから大きな声がした

球磨川『おーーい、羽川さーーーん!!!』

志布志(え、また!?)

羽川と呼ばれた女性は、球磨川さんの声に反応してこちらを向いた

いや、向いたと思った次の瞬間には、あたし達の目の前まで迫ってきていた

志布志(なんだこいつ、化物かっ!?)

距離を詰められたことで、さっきまで見えなかった顔が見えるようになる

ギラギラとした獣のような目

口元からのぞく荒々しい牙

今にも噛みついてきそうな凶悪な表情

どれ一つとして羽川翼とは一致しない、羽川翼を連想する要素がない

しかし女性はこう言った

「お前ら、ご主人の知り合いにゃのか?」

猫「にゃはは、そうだ思い出したにゃ。お前ら俺をご主人が見つけた時に一緒にいた奴らにゃ」

志布志(なんだ?こいつはいったい何を言ってるんだ?)

わからない、急展開すぎて頭の整理が追い付かない

球磨川『おいおい、羽川さん。いきなり何を言ってるのさ』

球磨川『羽川さんの至福の下着姿を拝めて、僕はもう死んでもいい気分ではあるけれど』

球磨川『それだけでなく猫耳に猫語尾だなんて、いったい君は僕をどうしたいんだよ』

球磨川『それ以上されると、幸せすぎて申し訳ない気持ちになってくるぜ』

猫「そうか、だったらこいつらの後始末をしてくれにゃいか?」

そう言って、羽川?は二つの塊を放り投げてきた

一目見ただけですぐわかる、それはどちらも人間だった

猫「にゃんかご主人の両親?とかいうやつらしいぜ」

猫「殺しちゃいねえし、ぐったりしてるだけだから別に死にはしにゃいだろ」

猫「じゃあ、あとは頼んだにゃ」

羽川?が後ろを向いて去っていこうとする、その時

球磨川『にゃんで殺さにゃかったんだよ。手加減にゃんてせずに殺せばよかったじゃにゃいか』

志布志(うわ、きめえ)

猫「……別に手心を加えたわけじゃにゃいにゃ。わざわざ殺すまでの価値もにゃい、いらにゃい存在ってだけにゃ」

猫「にゃんにゃらお前らで殺してもいいぞ」

キャラを真似られることは特に嫌ではないようだ

あばよ、といって踵をかえしたその背中に再度声がかかる

球磨川『どうしてそんなに急いでるんだよ、もっとおしゃべりしようぜ、羽川さん』

その瞬間、空気が変わった

球磨川さんの言葉に振り返ったその顔は、怒っていた

獰猛な肉食獣を思わせる、殺意のこもった視線をこちらに向けながら、怒っていた

猫「いいかげんにしろよ、学ラン」

猫「こっちはてめえらがどうでもいい奴らだから、手を出さにゃいでやってるんだ」

猫「これ以上邪魔するってんにゃら、容赦しねえぞ」

あたしは『致死武器』を叩き込んだ

志布志(こいつはどうやら羽川らしい)

志布志(それはいいけど、いやよくないけど、今はいい)

志布志(よくないのは)

志布志(こいつがあたし達を見下してることだ)

志布志(自分の強さなら、あたし達2人を倒すなんてわけないと思っていることだ)

志布志(強ければ、弱いやつを倒せるといい気になってることだ)

志布志(それだけは許せねえし、見逃せねえ)

志布志(あたしが直々に教えてやるよ)

志布志(窮鼠猫を噛むってな!!)

『致死武器』

球磨川禊にして『勝ちを計算できる過負荷』と言わしめる、例外的な過負荷

「他者の古傷を開く」このスキルの前では、虫歯や筋肉痛などの日常生活でうまれた些細な傷でさえ、致命的な弱点となる恐るべき過負荷

人であるならば、人である限り、このスキルを受けて無傷でいることは不可能である



そう、人であるならば

猫「……?にゃにかしたか?」

志布志(あたしの『致死武器』が効いてないっ!?)

『致死武器』は攻撃性に特化した、非常に危険なスキルではあるが対処方法がまったくないわけではない

例えば球磨川禊。彼ならば『大嘘憑き』で再生した傷をなかったことにできる

例えば蝶ヶ崎蛾々丸。彼ならば『不慮の事故』で再生した傷を誰かに押し付けることができる

ダメージを防ぐことはできないが、ダメージを抑えることに専念すれば『致死武器』をくらっても無事でいられる人間もいないことはない

しかし目の前の相手は違う。防ぐ防がないの前に、効いていない

志布志「……てめえ、いったいなんなんだ!」

腕を伸ばし、羽川の首を思いっきり掴む

いや、掴んだと思った瞬間、身体からどっと力が抜けて、あたしは地面に倒れこんでしまった

志布志(なにが起きた!?なにが起きている!?)

すぐに起き上がろうとするが、手足に力が入らない

どうにか顔の向きを変えて羽川の方を向くことはできたが、それだけだった

猫「そうそう、お前はもう寝てろ。俺がにゃにかにゃんて、お前には関係にゃいはにゃしにゃんだから」

さてと、と羽川は一息つくと

猫「……次は容赦しねえって言ったよにゃ」

球磨川『にゃんのことだか、わからにゃいにゃ』

球磨川『なんて、冗談は置いといて』

球磨川『羽川さん、話がある』

猫「そうかい、あいにく俺はご主人じゃにゃいし、ご主人もお前に用はにゃいだろうよ」

球磨川『僕たちと一緒に、箱庭学園に転校してくれないか』

猫「ああ?にゃに言ってるにゃ?」

球磨川『夏休み前に、僕たちは箱庭学園に転校する予定なんだ』

球磨川『そこには僕らとは違って、充実した輝かしい青春を謳歌する若者がたくさんいる』

球磨川『だから僕はそんな不公平な世の中を正すために、彼らを不幸にする算段を立てているところなんだけど』

球磨川『今は猫の手も借りたい状況でね、羽川さんにも手伝ってもらいたいんだ』

球磨川『一緒に来てくれないか、仲間として』

猫「にゃはははは、面白いこと言うじゃにゃいか。よりにもよって、にゃかまか。ご主人に向かってにゃかまだにゃんて言える奴がいるにゃんてにゃ」

猫「でも残念だったにゃ。もう遅いにゃ、お前じゃ駄目にゃんだよ」

猫「お前もそこの両親と変わらにゃい」

猫「ご主人から自由を奪って、縛り上げるだけ」

猫「だから俺は願われた。あらゆるものからご主人を解放するために」

猫「両親から、友達から、にゃかまから、ご主人自身からも!」

猫「俺は行くぜ、自由気ままに猫らしく。お前も勝手にどっかに行きにゃ。もう会うこともにゃいだろうよ」

球磨川『……やれやれ、ふられちゃったか』


球磨川『なんてね』

いつのまにか、羽川の胸に1本の螺子が突き刺さっていた

球磨川『大嘘憑き』『羽川さんの中にいる「君」を』『なかったことにした』

羽川は動かなかった

まるで時間が止まったかのように微動だにせず立っていたが、やがて

猫「…………俺を、にゃかったことにする、だと」

ぼそり、と呟いて球磨川さんの方に向きなおし

猫「調子のってんじゃねえぞ、人間が!!」

球磨川さんの上にのしかかり

猫「てめえに消せるようにゃ、やわにゃもんじゃねえんだよ!!」

その腕を、噛み千切った

全身の毛を逆立てて、口から血を滴らせる様は、いまさらながら、事の異常さをあたしに再認識させた

あたりに血が飛び散り、一面に血の海ができる。今日で2度目の光景だ

あたしは結局やりすぎて死なせちまったが、今回は腕を持っていかれただけなので、死んではいないようだ

それがいい事かどうかは、わからないが

羽川はどこかへ行ってしまった

追いかけたいが、身体に力が入らない

球磨川さんもあたしと同じように倒れている。どうして『大嘘憑き』をつかわないんだろうか

それにしても疲れた。緊張の糸がとけたのか、疲労感で意識が飛びそうになる

志布志(負けた……)

強い奴に勝つ弱さ、それがあたしの自慢

あたしは球磨川さんのように初めから負けるつもりでは戦えない。勝てるならば這いつくばってでも勝ちたい

まだ球磨川さんほど弱くはなれない

だからこそ、悔しい

戦って負けるのならまだしも、あたしは戦うことすらできなかった

戦うことすらできずに、負けた

志布志「……ちく……しょう」

意識が遠のくなか、そんなあたしの愚痴に返ってきた声は、あたしの心情とは正反対に飄々とした口調で



「元気いいなあ、何かいいことでもあったのかい?」

続きマダー?

廃ビル

目が覚めたら、知らない天井だった

志布志(ここは……)

ずいぶんとボロボロだが、机がバラバラに並んでいるあたり教室だろうか

球磨川『おはよう、飛沫ちゃん』

球磨川『といっても、もうお昼すぎなんだけどね』

志布志(うわあ、寝起きに嫌なもの見た……)

志布志(て、あれ?どうしてこうなったんだっけ?ええと、たしか羽川が猫になって……そして……!!)

志布志「そうだ!あの野郎、よくも!!」

起き上がろうとしたあたしの頭を球磨川さんが抑える

顔が、近い!!

球磨川『落ち着きなよ、それに羽川さんは野郎じゃないよ』

志布志「そんなことはどうでもいいんだよ!今すぐあいつを探して……あれ?」

あたしの視線は、頭を押さえている右腕にとまる

志布志「球磨川さん、なんで腕に包帯なんてしてるんだ?なんかお経みたいなのも書いてあるし、そんなんじゃまるで……あっ!」

志布志(腕にお経が書かれた包帯を巻く。これってアレだよな)

志布志(いわゆる中二病とかいう)

志布志(怪我なら『大嘘憑き』でなかったことにできるはずだし、やっぱり球磨川さんの趣味と考えるのが妥当だよな)

志布志(どうしよう、触れてやるべきなのか、触れてやらないべきなのか)

志布志(でもここで「なんだそれ、中二病かよ!」なんて直球で言ったら球磨川さん傷つくよなあ)

志布志(よし!)

志布志「なんだそれ、中二病かよ!」

球磨川『いまの(よし!)の意味は!?』

球磨川『中二病どうこうよりも、飛沫ちゃんが僕を傷つけることに容赦のないことの方が僕はショックだよ』

志布志「なんだよ、文句あるのか?」

球磨川『ううん、通常運転でなによりだ』

志布志「で、結局その包帯はなんなんだよ。『大嘘憑き』はどうした」

あたしの言葉を待っていたかのように、部屋の隅から声がした

忍野「そのことも含めて、あとは僕から説明させてもらうよ」

ずっとそこにいたのだろうか、胡散臭いアロハのおっさんが座っていた

忍野「はじめましてお嬢さん、忍野メメです」

忍野とかいうおっさんは自称、怪異の専門家らしい

いつもならば鼻で笑うような自己紹介も、今だけは笑えなかった

怪異。怪しくて、異なるもの

あたし達が昨夜出遭って、圧倒されたもの

あれに名前をつけるとしたら、なるほど怪異と呼ぶしかないだろう

志布志「でもなんだって、そんなものが……」

羽川に。と言う前に忍野が言葉を続けた

忍野「委員長ちゃんは」

志布志(?ああ、羽川のことか)

知り合いなのだろうか。それとも羽川の委員長ぶりは、こんなおっさんにさえ知れ渡っているのだろうか

忍野「あの子は出遭ったのさ、一匹の猫にね」

あたしが起きる前に球磨川さんから聞いた話とあたし達の症状から、あれは障り猫という怪異だろうと、忍野は判断した

障り猫

なんか長々と由来とか昔話を語ってくれたが、正直よく聞いてなかった。だって小難しそうだったし

恩を仇でかえす猫?とか言ってたような、言ってなかったような

そもそも

志布志「よく球磨川さんが正直に話したな」

忍野「嘘をつく余裕も無かったと思うよ。意識を保っていただけで驚異的さ」

球磨川『…………』

忍野「障り猫のエナジードレインをまともにくらったら、本来なら入院は確実だってのに」

志布志「エナジードレイン?」

忍野「障り猫の特性でね。障り猫に触られた相手は、精も根も吸い尽くされる」

忍野「経験した君ならよくわかるだろう?一晩寝たにもかかわらず、疲れが残っているのもその結果さ」

かたい床に寝かされていたから、ではなかったらしい

忍野「ついでに言うと、球磨川くんがかっこいい包帯を腕に巻いているのもそのせいだ」

忍野「僕が見つけたとき、かろうじて腕はつながっていたけれど重傷だったからね。霊験あらたかな包帯で治癒力を補っているのさ」

志布志(つながっていた、ということは『大嘘憑き』は発動したわけか)

志布志(でも不完全にしか発動しなかった、と)

志布志(つまりスキルの力も奪われるってことか、やっかいだな)

志布志「で、どうすれば障り猫とかいうのを退治できるんだ?」

忍野「乱暴だなあ、なにかいいことでもあったのかい?」

忍野「なんていつもなら言うところだけど、今回はバランサーの観点から見てもあんまりのんびりとしたことは言ってられないか」

なんせあの委員長ちゃんだからね、とこぼした

忍野「君たちは委員長ちゃんの知り合いのようだし、事態の収拾を計るためにやってほしいことがあるんだけど、いいかな?」

球磨川『もちろん!羽川さんを救うためなら、腕の1本や2本失っても惜しくないよ!!』

志布志(急に会話に参加してきたっ!?それと、1本はもう失われただろ!)

忍野「はっは、随分と頼もしいかぎりだね。なら……」



忍野「いますぐこの町から出て行ってくれるかい」

球磨川『わかった』

球磨川『飛沫ちゃんもそれでいいよね?』

志布志「ああ、もちろんかまわな…………は?」

志布志「お、おい!?なんでそうなるんだよ!いきなり出て行けとか、どういう意味だ!」

忍野「ここでノリツッコミとは、誰かさんにも見習わせたいセンスだよ」

志布志「うるせえ、あたしの質問に答えろ!」

忍野「まったく、『なんで』なんて、わかりきったこと聞くなよ。わかってんだろ」

忍野「君らが物事の収拾をつけたいと思ったら、何もしないしか他にはないってことぐらいさ」

忍野「それにこれはもう、専門家の領域だ。高校生にまかせていい話じゃない」

志布志「ちょっと待てよ!あいつにはまだ用が『飛沫ちゃん』

球磨川『あんまり忍野さんを困らせちゃだめだよ。この人は僕らの命をすくってくれた恩人でもあるんだから』

もう不要になったのだろう、腕にまかれた包帯を取り外しながらあたしを宥める

球磨川『そして今度は大人として、僕たち子供を危険な目にあわせないようにしてくれている』

球磨川『ここは忍野さんの言うことに従おう』

そういってあたしの手をひく球磨川さんにつれられ、あたしは廃ビルをあとにしたのだった

家の前

志布志「……球磨川さん、ここどこだ?」

球磨川『羽川さんの家だけど?』

志布志「この町を出ていくって話は?」

球磨川『そんな話したっけ?』

志布志(うん、こういう人だよな)

あの後、まっすぐあたし達はとある一軒家の前まで来ていた

表札には確かに「羽川」の文字がある

家族の名前も入っていて、三人目の名前が「つばさ」とひらがなで書かれているのが少し気になる

志布志「いい家住んでんじゃねえか」

別にあたしの家が貧しかったわけではないけど、お約束の文句を言ってみたり

志布志「で、羽川の家に来てどうしようってんだ?親への仕返しは、もう羽川本人がやっちまったぞ」

そもそも羽川の両親はあの後、善良な一般市民(忍野ではない)に呼ばれた救急車で運ばれて、現在入院中らしいので家にはいないはずだ

それにあの状態の羽川がまともに家に帰ってるとは、思えないので家は無人だろう

球磨川『ねえ飛沫ちゃん、僕は今憧れの女の子の家の前に立っていて、しかも家の中には誰もいないんだよ』

球磨川『だったら僕のすることは一つだ』

球磨川『羽川さんの部屋に、忍び込む!!』

そんな最低な宣言をするやいなや、球磨川さんは羽川家に向かって走り出した

志布志「て、おいっ!!待ちやがれ!!」

あたしも続けて走り出した

志布志「大丈夫かー、球磨川さん」

球磨川『…………』

ドアは当然だが施錠されていた

なので二階の書斎?の窓から入ることにしたのだが、そこまで上るのは球磨川さんには重労働だったようで、しまいにはあたしが手を貸してようやく部屋にたどり着いた

志布志(まさかここまで体力がなかったとは……)

志布志「えーと、水でも飲むか?」

球磨川『……おね……がい』

仕方がないので台所まで行き、冷蔵庫に入っていたペットボトルを持っていく

ついでに羽川の部屋も見ておこうと家の中をまわってから書斎にもどる

志布志「羽川の部屋、なかったぞ」

球磨川『あ、やっぱり?』

球磨川さんは予想していたようだが、この家に羽川翼の部屋はなかった

服もあるし布団もある、キッチンには自分用の調理器具もある。少ないが文房具などの私物もある

しかしどこにも部屋はなかった

志布志「なんでこんな家に住み続けるかね?」

これなら一人暮らしした方がマシだろうに

球磨川『そうしたほうが普通だからだよ』

球磨川『寮があるわけでもないのに高校生が一人暮らしなんて、変わってるでしょ』

志布志「意味わかんねー」

球磨川『ああ、まさに理解不能な普通だよ』

志布志(さてこれからどうするかな)

今あたしは一人で道を歩いている

羽川家を出た後、羽川を探すために球磨川さんの『ここは二手に分かれて探そう』という珍しくまともな意見を採用したからだ

球磨川『どっちが先に見つけても恨みっこなしだ』

まともな意見だと思った。思ったが……

志布志(ここ、どこだ?)

羽川がいそうな場所はおろか、さっきから自分がどこを歩いているのか全く見当がつかない

志布志(どうしたもんかなあ……、お、あれは)

公園が見えてきた

なかなかに広い公園で、遊具もよくわからないものが結構そろっている

にもかかわらず人っ子ひとりいないのはとても寂しげだった

志布志(今日って休日だったよな?)

今の子供は(あたしも絶賛今の若者だが)休日に外で遊んだりしないのだろうか

理由はどうあれ野球少女だった身としては物悲しい話だ

志布志(つっても公園で何して遊ぶのかなんて、知らねえんだけど)

野球の練習があるときは他の子供とも話をしたり遊んだりしていたのに、何もない休日となると誰もあたしと遊ぼうとはしなかった

志布志(あの頃のあたしはまだ『かさぶたを剥ぐのが好きな普通の女の子』だったはずなのになあ)

「小学生男子に、女子と休日に遊べというのが無理な話ですよ」とは後から聞いた蛾々丸の言葉

『小学生女子に、いつも男子と野球してるような女子と遊べっていうのも無理な話だよね』とは球磨川さんの言葉

志布志(よくわかんねえなあ)

そんなことを考えながらなんとなしにあたりを見渡すと、なぜさっきまで気づかなかったのだろう、でかいリュックを背負った少女が一人いた

そしてその少女が見つめているのは

志布志「地図みっけ」

地図を見て、とりあえず学校を目指しているあたしの足取りは重い

というのもさっき地図を見ようと近づいたら、あたしに気づいた少女にすごい勢いで逃げられたからだ

志布志(そういえばこの辺じゃ髪を染めてるだけで化物扱いだったな……)

別に子供は好きでもないし(というか嫌い)、意味もなく怖がられるのも慣れっこではあるとはいえ

志布志(理由が「髪を染めてるから」はねえだろ)

モノクルを爆笑されたときの蛾々丸の気持ちがわかった

志布志(今度会ったら謝っとこう)

たぶん忘れているだろうけど、あたしもあいつも

なにはともあれ学校についた

ここに羽川がいるかは不明だが、ほかに羽川と関わりのある場所をあたしは知らない

志布志(さすがにクラスはわかんねえな、順番に見ていくか)

ゴールデンウィークのおかげで誰もいない廊下を歩きながら、誰もいない教室を順々に開けていく

期待していないとはいえ、ここまできて徒労に終わりそうな予感にげんなりしながら何回目かの扉を開く

猫「ようやく来たか、待ちくたびれたぜ」

いた

猫「まったく、こちとら暇じゃねえんだからよ。余計な手間をとらせるにゃよ」

志布志「いきなり現れてなに言ってんだ。待ってただの手間だとか、何のことだよ」

猫「これだ、これ」

そういって羽川は何か大きいものを投げてよこした

志布志(あ、なんかこの流れ見覚えある)

案の定、それはぼろ雑巾のようにぼろぼろな球磨川さんだった

志布志「うわー……一応聞いてやるよ、何があった?」

球磨川『また……勝てなかっ……た』

そう言って球磨川さんは気絶した

猫「つうかこいつにゃんにゃんだよ、倒しても倒しても起き上がって挑んでくるもんだから、うっとうしいったらありゃしにゃい」

猫「20回だぞ20回!ゾンビのほうがまだ往生際がいいにゃ、殺さにゃいほうが大変だったにゃ」

志布志「殺さないようにって、この前はそんなの気にしてなかったじゃねえか」

あたしが学校にたどり着くまでに、凄まじい連戦が行われていたのは置いておく

志布志「球磨川さんじゃなかったら死んでたぞ、あれ」

猫「にゃはは、あの時はまだ俺もいらいらしてたしにゃ。そんにゃ状態で俺を消すだにゃんて的外れにゃこと言われたら殺意も湧くってもんにゃ」

失敗失敗、と猫は口元を笑みに歪ませる

猫「さすがに殺しまでするのはご主人の願いからはずれるからにゃ。一回ぐらいいいじゃにゃいか、と思うけれどそうもいかにゃいらしい」

猫「はじめの一歩がにゃにごとも肝心。それは踏み出すことの大切さとおにゃじくらい、踏み出さにゃいことの大切さにも言える」

猫「ご主人のマネにゃ、どうだ?」

志布志「いや、わかんねえし」

そんなネタを振られても困る

そんな小難しいことをいつも言ってるのか、あいつは

長老とよんでやろう

志布志「その羽川の願いってのは結局なんなんだ?お前は妖怪とか神様とかそういうのなんだろ?そんなオカルトに優等生は何を願ったんだ?」

あの羽川翼の願い事。興味ないといったら嘘になる、しかし

猫「ん?にゃんだ、知らにゃかったのか?」

猫「ストレスの発散にゃ」

その返答はあまりにもあっけなかった

志布志「ストレスの発散?そんなの好きに発散させればいいじゃねえか。ええと、公園で遊んだりとか」

猫「はあ」

志布志(ため息つかれた!?)

志布志(さすがにこの歳で公園はなかったか、高校生にもなって公園の遊具で遊ぶとか恥ずかしくてしかたないもんな……)

猫「お前みてえな奴にはわかんねえよ。お前らみてえな誰からも期待されにゃい奴らには」

猫「ご主人は願われてきた。頼られてきた。望まれてきた」

猫「弱いやつから。強いやつから。……自分自身から」

猫「お前ら、『過負荷』とか言うんだろ?ご主人は知ってたぜ。そんなお前らは弱い自分たちのことを誰よりも被害者だと思っているだろうが」

猫「俺から言わせりゃお前らだってご主人に期待する加害者にゃ」

志布志「おい!おとなしく聞いてれば随分な物言いじゃねえか。あたし達がいつ羽川に期待したってんだよ」

猫「お前さっきストレス発散に、公園で遊べとか言ったよにゃ?お前はストレスがたまったら公園で遊ぶのか?」

志布志「そんなわけねえだろ、普通にその辺の奴をぶん殴るわ」

猫「だったら!どうしてそう言わにゃい!」

猫「思ったんだろ?いや、思いもしにゃかったんだろ?優等生なご主人は、ストレス発散に人を襲うにゃんてありえにゃい。八つ当たりだにゃんて、そんにゃことをご主人が考えるはずが、願うだにゃんてことありえにゃい、と!」

猫「勝手にゃことを言うにゃ!」

猫「ご主人だってイライラするに決まってんだろ、ムカついて、暴れて、ぶっ壊したいと思うに決まってんだろ!ご主人は神でも怪異でもにゃい、人間にゃんだから」

猫「だから俺が救ってやるのさ、人間には救えにゃいご主人をにゃ」

そういって羽川は教室を出ようと、扉に手をかけた

志布志「お、おい。どこ行くんだよ」

猫「行ったろ?ストレス発散に行くんだ。とりあえず、その辺の人間を襲うところから始めてみるけど、まさか止めにゃいよにゃ『過負荷』?」

志布志「……ああ、止める理由はねえな」

志布志「止める理由はどこにもねえけど、これだけくらっていきな!!」

あたしは羽川の後頭部を掴み、『致死武器』を叩き込んだ

志布志飛沫は考える

なぜ昨夜『致死武器』が羽川に通用しなかったのか

あらゆる傷痕をふたたび開くこの最凶のスキルは、成長痛などの生きる上で避けられない傷にも対応する。たとえ羽川翼がタンスに指をぶつけたり、石ころに躓いて転んだりといった、誰もが一度は経験するような痛みを一切体験したことのない人間だったとしてもこのスキルから逃れられる道理はない

もしこのスキルが効かない相手がいるとしたら、せいぜい生まれたばかりの赤ん坊ぐらいのものだ

志布志(つまり、そういうことか)

現在の猫耳が生え、銀髪になり、獣のような爪を持っている羽川翼の肉体は、昨夜生まれたばかりなのではないか。羽川翼という人間の体から、障り猫という怪異の体へ。成長でも付加でもなく、変身

志布志(だったらどうすればいい。どうすればあの化物にダメージを与えられる?)

志布志(こいつは羽川のストレスを発散すると言ってた。なら記憶は羽川と同じものを持っているようだし、『致死武器』で心の傷を開くことが出来るかもしれない。でも……)

肉弾戦は身体能力に差がありすぎて勝ち目はない。頼みのスキルも体に傷を受けたことがないのなら意味がない。心の傷なら開けるかもしれないが、そのためには相手の頭を掴む必要があり、エナジードレインを持つ障り猫に触ることになるのでうまくいく保証はない。そもそも相手は人外であり、最初からスキルが効かない可能性もある。だとしたら自分からエナジードレインを受けにいっただけ、となるかもしれない。賭けにしても分が悪すぎる賭けだ

しかしそこまで考えたころには、すでに羽川の頭を掴み『致死武器』を発動させていた

志布志「この程度の不利、あたしにはなんでもねえんだよ!くたばれ化物!」

猫「にゃあああああああああ!!!!」

羽川は明らかに苦悶の叫びをあげている

志布志(よし、あたしは今ダメージを与えている。戦っている)

志布志(あたしは、勝てる!)

エナジードレインの影響ですでに腕をあげているだけで辛いが、それでも羽川の頭から指を離さない

一秒でも長く、相手に苦しみを与えるために

どれくらいの時間がたったのか。実際はほんの数秒でしかないだろう、とても長く感じる濃い時間が流れていた。だがついに
猫「やめろっ!!」

羽川は逃れるために、思い切り腕をあたしに叩き付けた

志布志「がっ!?」

怪異に力任せに殴られて、あたしは窓へと吹っ飛ばされた。そしてそのまま窓をぶち破って、あたしは空へと弾き飛ばされた

志布志(こんなに簡単に、人って、飛ぶんだな)

日も傾き赤みがかった空を仰ぎながら、ぼんやりと場違いなことに思いをはせる

さっきまでいた教室に目をやると、羽川が今にも殺してやるといった目でこっちを見ている

志布志(ひひひ、どうだ羽川翼。痛かったか?苦しかったか?あたしは今とっても痛くて苦しくて、今にも死んじまいそうだ)

実際もうすぐ地面に叩き付けられて死ぬわけだが

志布志(不幸だよなあ、あたしも、お前も。わかってるか?今あたしが辛いのはお前のせいで、今お前が辛いのはあたしのせいなんだぜ)

志布志(まったく、ここまで頑張っても勝てないんだもんなあ)

志布志(これだから、過負荷はやめられない)

こうしてあたしは、夕暮れ時の空を落ちて行った

私の事は誰にもわからないとか実に過負荷ちっくだよ羽川。

猫「よくもよくもよくもよくもっ!!」

羽川の怒りは収まらない

ストレスをなくすために怪異に願うまでしたというのに、願ったときと同等もしくはそれ以上のストレスを抱え込むことになったのだから当然である

割れたというよりも砕け散ったと表現すべき窓ガラスに空いた大穴から、グラウンドを見下ろす

部活動をしている生徒や、仕事をしている教師ももはやいない。視線の先にいるのは他校の制服を身にまとい、地面に横たわる一人の少女のみ

まわりにはキラキラと輝くガラスの破片が飛び散り、制服はところどころ破れている。体には無数の傷が見て取れ、痛々しい生傷から血が滲み小さな水たまりを形成している。さらに胸には深々と一本の螺子が刺さっており

球磨川『やっと隙を見せた』

猫「にゃ!?」

気づいたときには四肢に螺子を刺される形で、羽川翼の体は教室の壁に縫い付けられていた

球磨川『やれやれ、黒下着ネコミミなんて隙だらけも甚だしい恰好してるのに、相変わらず隙がないんだから恐れ入るよ』

球磨川『こんなに神経をすり減らしたのは、一昨日みんなで神経衰弱をしたとき以来だ』

猫「お前はっ!!お前はいったいにゃにがしたいんだよ!!」

猫「昼間から俺の前でうろちょろしやがって、弱いくせに俺の邪魔をして!!ご主人が一目置いてる珍しい人間だから殺さにゃいでやってたが、これ以上俺をイライラさせるってんにゃら容赦しねえぞ!!」

球磨川『何のため……ね』

球磨川『えーと、なんだったっけ?たぶん世界を救うためとか、戦争をなくすためとかじゃないかな?うん、なんだかそんな気がしてきたぞ!』

猫「死ね!!」

羽川が力づくで拘束から逃れようとする。あまりの力に螺子が外れるよりも先に壁が崩れていき、今にも球磨川目がけて飛びかかってくることは明白だった

しかしそのわずかな時間を球磨川禊は見逃さない

球磨川『さてと、そういえば僕は小学生のころ地獄先生に憧れていたんだった』

そんな戯言を呟いて、手に持った螺子を向かってくる羽川翼に投げつけた

球磨川『大嘘憑き』『羽川さんの願った怪異を』『なかったことに』

次の瞬間、螺子は羽川に届く直前で砕け散った

球磨川『……あれ?』

最後に球磨川禊が見たものは、自身の喉元に食らいつこうとする鋭い牙と、冷めた目で見つめる羽川翼の瞳だった

教室?

球磨川禊が死んだあと、いつものようにやってきた教室は、しかしいつもとは様子が異なっていた

まず部屋が暗い。電灯は点いているものと点いていないものがまばらで、点いているものに関しても力が弱く、今にも消えそうだ

次に机や椅子がなくなっている。教壇に設置された教卓はあるが、それ以外の生徒たちが使うものは見当たらず、教室はがらんとしている

そしてなにより、安心院なじみがいない。もしかしたらと隠れているのかと(実際彼女はそのような悪戯をよくする)教卓の内側を調べてみたが、見当たらなかった

不可解な光景に球磨川が首をかしげていると、備え付けられたスピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。その後

「あー、あー、マイクのテスト中、マイクのテスト中」

聞き覚えのある声が流れてきた

「やれやれ待ちくたびれたよ、球磨川くん。なんて僕はそこにいないんだけどね」

それは間違えようもなく、安心院なじみの声だった

「球磨川くん、いろいろと質問もあるだろうけど、まずは僕の話を聞いてほしい」

球磨川『…………』

「今すぐ飛沫ちゃんを連れて、この町から出ていきなさい」

球磨川『それは忍野さんが言うようにバランスが崩れるからかい?』

「まさか。人と怪異のバランスなんて僕にとってはどうでもいいし、どちらも等しく無意味だよ」

「ただ馴染み深い君が(なじみだけに)このまま犬死するのは見てられなくてね」

「げらげらげら、猫に殺されて犬死だなんて球磨川くんらしいっちゃらしいけど」

球磨川『…………』

「さてと、球磨川くん」

「はっきり言おう。君は負けすぎた」

「君に負けるな、なんて。なんて酷なことをと思うかもしれないけど、今回は相手が悪かった」

「エナジードレインの話は聞いたね?実際に体験もしたはずだ」

「あれは対象の力という力を吸い取ってしまう。それは異常や過負荷といったスキルも同様だ」

「本来の君なら腕を千切られたところで一瞬にしてなかったことにできるし、疲れだってなかったことにできる」

「一般家屋の二階部屋に忍び込むだけで、あそこまで苦戦する君じゃないだろうに」

「あと、なによりこの教室がいい例だ」

「この空間は君の心に僕がスキルを用いて作ったものだからね。エナジードレインの影響で綻び始めているのさ」

球磨川『だったらどうだっていうんだい?別にこの部屋がなくなっても僕はこまらないけどなあ』

「おいおい、つれないことを言うなよ。悲しくなってくるぜ」

「ただ、そうだね。大切なのはそこじゃない」

「重要なのは、もしも次に君が翼ちゃんに殺されるようなことがあれば、二度と君は生き返ることはできない。ということさ」

球磨川『それはつまり完全に「大嘘憑き」を使えなくなる、ってことかい?』

「半分正解。それだけなら他の人の手を借りれば生き返ることも可能だ。なんなら君の封印が解けた僕が、直々に生き返らせてあげてもいい」

「もう半分はエナジードレインで死んでしまったら、もうまわりも手の施しようがないってことだ。特に翼ちゃんのは障りだからね、死体にも半永久的に呪いが残り続けるかもしれない」

球磨川『なるほどね、よくわかったよ。これ以上こんな危ない町にはいられないな。ありがとう安心院さん、さっそく飛沫ちゃんと帰ることにするよ』

球磨川『お土産はなにがいいかなあ、この辺ってなにが名産だったりするの?』

「人を検索エンジンのように使うもんじゃないぜ」

「あと君が死にたいというのなら、止めたりはしないよ。勝手にしな、いやさ勝手に死にな」

球磨川『……さよなら、安心院副会長』

そう言い残して、球磨川は教室から出て行った

誰もいない教室で、スピーカーからの声だけが響く

「そういえば螺子が砕けた理由。球磨川くん、ちゃんとわかってるのかな?」

「まさかエナジードレインのせい、だなんて勘違いしてないよな?」

「まあ、勘違いしてようとなんだろうと、僕にはどうでもいいことなんだけど」

乙でいいのか?

続きはよ

球磨川が目を覚ましたのは、もうすぐで日が変わり新たな一日が始まりかけたころだった

忍野「ようやくお目覚めかい、球磨川くん」

球磨川『おはよう、飛沫ちゃんはどこ?』

忍野「彼女ならそこで眠っているよ」

忍野の視線の先には、前回と同じようにかたい床で横になっている志布志の姿があった

ずいぶんと寝苦しそうである

忍野「擦り傷切り傷はたくさんあるけれど、命にかかわるような怪我はしていないようだ。いや、いないことになってるようだ」

球磨川『……』

忍野「いやあ、それにしてもよかった。僕は怪異の専門家ではあるけれど、葬儀屋ではないからね。このまま死なれたら面倒なことになってたよ」

忍野「さて球磨川くん。僕は君たちに、この町から出ていくように言ったね」

忍野「あの時僕は、委員長ちゃんの強さと君の弱さが重なることで被害が大きくなることを恐れて、あくまでバランサーとしての立場で君にあんなことを言った」

忍野「はっきり言って、今回君たちは被害を出す側にまわると僕はふんでいて、君たち自身に被害がまわることを想定していなかった」

忍野「僕としたことが計算違いだった。委員長ちゃんの強さを見落としはせずとも、見くびっていた。プロとして、これ以上ない失敗だ」

忍野「だからこそ球磨川くん。この件から手を引いてくれないか?」

忍野「スキルとか関係なく、もう子供の出る幕じゃない」

球磨川『忍野さん……』

球磨川は泣いていた。涙を見せまいと、抑えようとはしているが、それでも涙はとめどなく溢れてくる

球磨川『あ、あれ…おかしいな、涙が……止まらないや』

球磨川『いままで…僕を、僕らを普通の…子供と同じように、扱ってくれた大人は…いなかったから……うれしくて…』

球磨川『螺子伏せたくて!!』

そういって球磨川は、忍野の額めがけて螺子を投擲した

が、忍野はそれを首を傾けることで事も無げに避け、話を続ける

忍野「もちろん君たちが不幸を望むというのなら、止めはしない。そこまで僕はお人よしじゃないからね。ただ怪異の専門家として、不用意にかかわるのはやめとくように、とは言っておくよ」

球磨川『いえせっかくの忠告、大事にさせてもらいますよ』

球磨川『ともあれ僕はちょっと夜風にあたりに散歩してくるね。飛沫ちゃんはもう少し寝かせといてあげて』

球磨川は教室の外に出ようとして、金髪の幼女が部屋に佇んでいたことに気付いた

そして同時に幼女の視線の先で眠っている、肩に包帯を巻いた少年の存在にも気付く

球磨川『あの、彼は?』

忍野「彼は委員長ちゃんの友達だよ。委員長ちゃんを助けようとして、手痛く振られてしまったところさ」

忍野「そうだ彼も委員長ちゃんのことを恩人、とか言ってたよ。まったく委員長ちゃんも罪な女だよね、将来は傾国の美女にでもなるのかな」

球磨川『羽川さんは、悪くないでしょ』

忍野「悪いさ、君とは違うんだ」

忍野「彼女は、君と違い強くて、君と違い正しい。君みたいに弱くなく、君みたいに間違えない」

忍野「君の存在は、まわりの人間を自分よりも劣ったものがいると安堵させる。彼女の存在は、周りの人間に自分がいかに劣っているかを見せつける」

忍野「君はそれを自覚して制御しているけれど、彼女は自分についてまったくの無自覚だ。性質が悪いにも程がある」

忍野「せめて彼女が内面にあっただけの異常な能力を持っていたとすれば、もっとも今がまさにその状態なんだけど。それだけの力も一緒に見せつけていれば、まわりも彼女を正しく認識して自分たちとは違う、比べてはいけない存在だと気づくことができただろうにね」

忍野「自分たちの延長線上に彼女がいると信じて、恐れて、不幸になる人がいることを彼女は知るべきなのさ」

球磨川『それもやっぱり、勝手に彼女と自分たちを比べる奴らが悪いよ』

忍野「そうかい?僕はさっきから君の話をしてるんだぜ」

球磨川『……』

忍野「あの子は確かに失っている。人として本来持っていなければならない、失ってはならないものをたくさん失っている」

忍野「でもあの子はそれと同じぐらい持っている。人として最低限持つべき、持ち続けるべきものを持ちすぎるほどにね」

忍野「本当に……気持ち悪い子だよ」

「うう……」

部屋の隅から声が聞こえる。幼女に見つめられていた少年が悪夢を見ているのか、それとも忍野の言葉に反応したのか、うめき声をあげたのだ

球磨川『あのさ』

球磨川『もし彼が起きたら、まず何をするかな?』

忍野「間違いなく委員長ちゃんを助けに行くだろうね。どうせ恩を返すとか、そんなことを考えてるんだろうけど」

球磨川『そう』

その声を契機に、球磨川は止めていた歩みを再開した

球磨川『だったら急がないと』

忍野「急いで君は何をしに行くんだい?」

球磨川『それはもちろん恩返しだよ』

忍野「君が先に委員長ちゃんを助けよう、ってのかい?」

球磨川『どうだろうね』

球磨川『ただ彼に負けるのだけは嫌なんだ』

球磨川『羽川さんは暦ちゃんの恩人である前に、僕の恩人だったんだから』

校庭

夜の校庭に、他校の制服を身にまとった一人の少年が立っている

少年はあたりを見渡し、大きく息を吸い、町中に広がるように

球磨川『はっねかーわさーーーん!!!!あーーーそーーーぼーーーー!!!!』

猫「うるせえ!!!!」

球磨川『あ、きたきた。こんばんは、羽川さん』

猫「てめえまだ生きてたのか!!この死にぞこにゃい!!」

球磨川『いやいや死んだよ、僕は。球磨川禊はあの時ちゃんと立派に殺された』

球磨川『今の僕は幽霊だ。君に復讐するためにあの世から還ってきた』

猫「にゃんと!?」

球磨川『嘘嘘、冗談だよ。幽霊なんているわけないじゃないか。このとおり、僕はちゃんと羽川さんのおかげで立派に生きている』

猫「いや、立派は違うだろ」

球磨川『それとありがとう、羽川さん。僕を殺さないでくれて』

猫「……にゃに?」

球磨川『あのとき僕はさすがに死を覚悟した。けれど死ななかった。それは何故か?』

球磨川『君が僕を殺すことをためらったからだろう?』

猫「にゃんだと!?」

猫「言いがかりにゃ、俺は確かにあの時ちゃんと殺したにゃ」

球磨川『おいおい、何を言おうと僕がここにいることが何よりの証拠さ』

猫「首を食いちぎって、頭を叩き潰して、窓から放り投げたはずにゃ」

球磨川『え、そこまでやったの?』

猫「あそこまでやっても生きてるにゃんて……怪異よりもやばい奴にゃ」

球磨川『うーん、それはどうだろう』

球磨川『でもさ、そこまでするならもっといい方法があったでしょ?』

猫「にゃ?もっといい方法?」

球磨川『エナジードレイン』

球磨川『どうしてあれでとどめを刺さなかったんだい?あれならどんな人間だって殺せるじゃない』

猫「普通の人間は喉を食いちぎられても死ぬはずだけどにゃ」

球磨川『それは理由にならないよ。僕のスキルは君もよく知ってる』

猫「まさか死んでも生き返られるにゃんて、誰が思う」

球磨川『思うよ、君なら』

球磨川『そして思うからこそ、僕を殺した』

球磨川『僕を殺しても、完全には死なないように、不完全にしか死なないように気を遣いながら殺した』

球磨川『ああ、勘違いしないでね。僕は感謝してるんだ』

球磨川『君のせいで僕のスキルは衰弱して、次に死ぬようなことがあれば二度と生き返られないようになってしまったけど』

球磨川『おかげで忘れかけてた命の大切さを思い出すことが出来たよ』

球磨川『本当にありがとう』

猫「……」

球磨川『ただね』

球磨川『おかしいんだよ、君が僕ごときを殺しそこねるなんて』

球磨川『飛沫ちゃんにしてもそうだ。どんなに殺意のこもった視線を向けようと君はあの子を払いのけようとはしても、殺そうとはしなかった』

球磨川『吹き飛ばした飛沫ちゃんを見下ろす君は、まるで死んでないか確認するみたいだったよ』

猫「にゃにが言いたい?」

球磨川『つまり』

球磨川『君は結局そういう人間なんだ』

球磨川『ネコミミ生やそうと、下着姿で深夜徘徊しようと、語尾ににゃをつけようと』

球磨川『どんなに怒ろうと、どんなにムカつこうと、どんなに殺意を抱こうと』

球磨川『過負荷一人殺せない、大人しくて真面目ないい子なんだ』

球磨川『残念だったね羽川さん、君は一生そのままだ』

球磨川『どんなにがんばっても君は変われない。どんな友達ができようと君を変えてはくれない。どれほど勝利しようと君は君のまま勝つだけだ』

球磨川『まわりはみんな君に君でありつづけるよう強制してくる』

球磨川『現状から逃れるためには、逃げるしかない。救われるためには、一生逃げ続けるしか他にない。今まさに、君が障り猫に逃げているように』

球磨川『そして』

球磨川は螺子を一本取り出し、見せつけるように掲げた

球磨川『その逃げ場も、今から僕になかったことにされる』

猫「……くだらにゃいにゃ」

球磨川『なにが?』

猫「お前がにゃ。お前は俺にスキルが通じにゃかったのを、もう忘れたのか」

猫「お前は怪異をにゃかったことにはできにゃい」

球磨川『それはどうかな?やってみなきゃわからないよ』

猫「やっただろうが」

猫「そしてわかるにゃ。お前は怪異を信じていにゃい」

猫「怪異を信じていにゃいお前には、にゃにも信じていにゃいお前には、怪異にゃんて初めから存在していにゃい」

猫「にゃいものは、にゃかったことにはできにゃい、当然にゃ」

球磨川『それはどうかな?ないものはなかったことにできない、と決めつけるなんてのは早計だと思うけど?』

猫「無理にゃ」

猫「もしそんにゃことが出来るのにゃら、お前はもっと満たされてるにゃ」

球磨川『なるほどね、確かにそうだ』

球磨川『すっかり忘れてたよ、僕がそんなプラスな事できるわけないってことを』

球磨川『僕なんかにできるのは、せいぜい在るものをなかったことにするだけだってことを』

球磨川は螺子を地面に刺して

球磨川『大嘘憑き』『障り猫の物語を』『なかったことにした』

球磨川『さて羽川さん』

球磨川『障り猫に憑りつかれた女の子から、ただのコスプレ少女になった気分はどう?』

羽川「そうだね、ちょっと時間がかかりすぎかな」

羽川「正直、いつになったらこの面倒な口調をやめられるのか不安だったよ」

羽川「球磨川くん、お手柄だね」

球磨川『どうだか。障り猫はもう存在しないはずなのに、君には立派なネコミミがついたままじゃないか』

羽川翼の姿は変わらない。髪は白く、牙は鋭く、頭には耳が生えている。ただ獰猛な獣のようなギラギラとした視線だけは、いつもの羽川翼のものとなっていた

羽川「それは仕方ないよ。これは障り猫をベースに作った、私オリジナルの怪異だし」

球磨川『なんだよそれ、結局僕の作戦は無意味だったんじゃないか』

羽川「そうでもないよ。おかげで私は障り猫に憑りつかれた女の子じゃいられなくなっちゃったんだから」

羽川「あ、でも私はまだ障り猫の話を覚えてるから、私が広めれば障り猫もまた復活するね」

球磨川『本当に無意味じゃないか……』

球磨川『はあ、なんだか釈然としないけど』

球磨川『まあいいや、羽川さん。君にずっと言いたいことがあったんだ』

羽川「ずっと?」

球磨川『うん。この町に帰ってきてから、ずっと』

球磨川『僕といっしょに箱庭学園に転校してくれないか?』

羽川「箱庭学園?確か能力でクラスを分けている学校よね」

球磨川『そう。そしてそこには優秀な能力を持って、毎日を幸福にすごしている学生が何人もいる』

球磨川『僕はそれが許せない。僕らがこんなに不幸で苦しんだ毎日を過ごしてる隣で、当たり前のように幸せに暮らしている奴らが、そんな不公平がまかり通る世の中が』

球磨川『あいつらに教えてやるんだ。僕らの存在を、恨みを、不幸を』

球磨川『そして僕らの居場所を手に入れる、僕らが僕らでいることが許される場所』

球磨川『羽川さん、一緒にきてくれないか。品行方正な優等生としてではなく、羽川翼として僕らの仲間になって欲しい』

球磨川『僕らは君に正しくあれなんて言わない、僕らは君にちゃんとしろなんて言わない』

球磨川『僕らにこんな仕打ちをする神様に神頼みするぐらいなら、僕らを、過負荷を頼ってくれ』

球磨川『僕はいつだって君の味方なんだから』

羽川「……ありがとう、球磨川くん」

羽川「とってもうれしい」

球磨川『だったら』

羽川「でも、ごめん。私は行けない」

球磨川『っ!?どうして、君は自由になりたくないのか?』

羽川「だって」

羽川「だって球磨川くん、本当は私を誘いたいだなんて思ってないでしょ」

羽川「球磨川くんは、私のこと嫌いだから」

球磨川『なに言ってるのさ!?好きだよ、すっごい好き!!結婚を前提に付き合ってください!!』

羽川「ねえ、教えてくれないかな」

球磨川『え、何を?告白の返事?もちろんオッケーだよ』

羽川「私にずっと言いたかったこと」

球磨川『それはさっき言ったじゃないか、一緒に転校してくれって』

羽川「ううん、それじゃなくて」

羽川「もっと前。この町に帰ってきてからじゃなくて、この町にきてから」

羽川「私に会ったときから、球磨川くんが私に言いたかったこと、教えて」

球磨川『……やれやれ、そういうところも含めて』

球磨川『君が嫌いだ。初めて会ったときから、ずっと気味が悪いと思ってた』

球磨川『気味が悪くて、君が悪いと思ってた』

球磨川『直江津高校に転入して、君と目を合わせたときに感じたんだ』

球磨川『この子とは分かり合えないって』

球磨川『その過酷な生い立ちに卑屈になって劣等感を抱くことも、誰からも認められる優等生という立場に驕り優越感を抱くこともなく』

球磨川『僕みたいにどうしようもなくダメな奴にも嫌悪感を抱くことなく、平等に話しかけて』

球磨川『飛沫ちゃんみたいに危ない奴にも危機感を抱くことなく、公平に接する』

球磨川『すごいよ、立派だと思う。まるで偉人、いや聖人だ』

羽川「そんなこと…」

球磨川『謙遜しないでよ、褒めてなんていないんだから』

球磨川『君の前では、君にとっては僕らの劣等感もプラスの優越感も意味がない』

球磨川『君は過負荷から、その存在理由も奪ってしまう』

球磨川『過負荷であることすら、君は奪ってしまう』

球磨川『怪異なんているかもわからないものよりも、僕は君のほうがずっと恐ろしい』

羽川「さっきから一方的に言いたい放題言ってくれちゃって」

羽川「酷いなあ、球磨川くんは私を可哀想だと思ってくれないの?」

球磨川『思わないよ』

球磨川『羽川さんだって僕を可哀想だなんて、思ってくれないじゃないか』

球磨川『自分がやらないことを人にさせようだなんて、ムシが良すぎるぜ』

羽川「あーあ、球磨川くんなら私の味方をしてくれると思ったのになあ」

球磨川『それはできない相談だね』

球磨川『僕はいつだって弱いものの味方なんだ』

球磨川『君は強い。だから君の味方にはなれない。そして君の仲間にもなれない』

球磨川『僕がなれるのは、君の敵だけだ』

羽川「私の敵、か」

羽川「じゃあ私の敵はいったい何をしてくれるのかな?」

球磨川『君と戦うよ』

球磨川禊は右腕を羽川翼に向かって宣言する

球磨川『この「大嘘憑き」で君がこれまで受けてきたすべての不幸な記憶を、一切なかったことにする』

球磨川『君が大事にため続けてきた不幸なんて、僕の過負荷で簡単になかったことにできるぐらい小さなものだと証明してみせる』

球磨川『羽川さん』

球磨川『僕の過負荷、受けてくれないか』

羽川「いいよ。でもさ……」

そう言った羽川の視線は以前の凶悪で獰猛なものへと変わっていた

爪は長く、牙は鋭く。四つんばいになった身体からは、野生の獣のような殺気が放たれている

それでいて口元は笑みに歪んでいて

羽川「敵だっていうなら、殺したりしてもいいのかにゃ?」

球磨川『いいよ』

球磨川『そういえば「相手のために死ねないのなら、その人のことを友達と呼ばない」だったっけ』

球磨川『これで死んだら、君は僕のことを友達と呼んでくれるかい?』

羽川「球磨川くんは私のために死んでくれるわけじゃにゃいでしょ」

球磨川『そりゃそっか』

球磨川『もしも違う出会いをしていたら、僕たちは友達になれたのかな?』

羽川「にゃは。なんだか漫画のセリフみたいだね、それ」

球磨川『……ばれた?一度言ってみたかったんだよ、こういうの』

球磨川『さてと、そろそろはじめようか』

羽川「そうだね、そろそろ終わらせようか」

球磨川『来なよ、勝ち猫。君は不幸なんかじゃないって教えてやるよ』

羽川「行くよ、負け犬。死んでも悪いのは球磨川くんだからね」

そして白い影が黒い影に向かって飛び出した

なにをされたのかは、見えなかった

たぶん噛みつかれたか、体当たりされたかのどっちかだろうけど、それはともかく

球磨川(さすがに、痛いかな)

僕の肩から腹にかけての右半身は、すっかり抉りとられていた

地面にうつ伏せのまま起き上がれないのは、エナジードレインのせいだけではないだろう

球磨川(心臓が左にあってよかった。じゃなかったら致命傷だった)

なんて冗談を言おうとしたけど、どうみても致命傷だ

もう『大嘘憑き』は使えない

もしかしたら死ににくくなっているかもしれないが、それでもあとはこのまま出血多量で死ぬだけだろう

あんな大見得切っておいて、なにやってんだか

本当に、どうしようもないなあ

あとはゆっくり、しずかに

「にゃ、にゃあああああああああああ!!!!」

うるさい

球磨川『静かに、してよ。人がせっかく死のうとしてるのに、さ』

羽川さんは頭を抱えて、地面をのた打ち回っていた

羽川「何を、何をしたの!?いったい私に何をしたの、球磨川くん!?」

うん、羽川さんの下着姿を見ながら死ぬのもいいな

球磨川『何って、僕は何もしてないよ』

羽川「嘘!!だったらどうして、どうしてこんな」

羽川さんの真っ白だった髪は、ところどころ元の黒色が戻りつつある

球磨川『そういえば僕の「大嘘憑き」は人からの借り物でさ』

球磨川『「手のひら孵し」という因果を逆流させるスキルを僕なりに歪めてしまったものなんだけど』

球磨川『もし仮に君が「大嘘憑き」を受けたときに、障り猫を改造したのと同じ要領で、「大嘘憑き」の歪みを矯正した。なんてことがあったとしても』

球磨川『僕は悪くない』

手のひら孵し

因果を逆流させるスキル

『悪平等』安心院なじみが球磨川禊に貸し出した、一京のスキルが一つ

この人外のスキルを使えば覆水を盆に返し、水がこぼれる前へと状態を巻き戻される

それはつまり、障り猫に祈ったことが原因で怪異となった羽川翼を、障り猫に祈る前の羽川翼へと巻き戻されるという意味であり

羽川「そんな!?スキルを貸し借りするだなんて」

羽川「個性を貸し借りするなんて!!」

羽川の髪は次第に黒髪の量が増え、白い髪は残り少なくなっていた

球磨川『信じられないかい?』

球磨川『僕に言わせれば、怪異なんて信じちゃってる君の方が信じられないよ』

球磨川『でもよかったね。まだ君にも知らないことがあって』

羽川「…………っ!!」

球磨川『きっと僕は君にそれを教えるために生まれてきたに違いない』

球磨川(とは言うものの)

球磨川(結局、僕の過負荷じゃ羽川さんに敵わなかったわけだ)

球磨川(命がけでも叶わない)

球磨川(やれやれ、それでは最期に言っときますか)

球磨川『また、勝てなかった』

このまま何事もなければ、『手のひら孵し』の効果そのままに羽川さんは元に戻るだろう

何事もなかったかのように、元に戻るだけなのだろう

あの終わりすぎている家に帰り、期待され続ける学校に帰り、ストレスをため続ける毎日に帰るのだろう

僕が命を落とすこのゴールデンウィークは、羽川さんにとっては時間を無駄に費やしたのと変わらない、何も得るもののなかった数日間となるだろう

でも、いいよねそれぐらい

人間は無意味に生まれて、無関係に生きて、無価値に死ぬものなんだから

だから君も、これからはひとりで

「にゃああああ!!にゃ、にゃあああああああああああああ!!」

え?

「にゃあああああああああ!!!!」

元通りの黒色に戻りかけていた羽川翼の髪が、一気に輝くような銀髪へと色を変えたかと思うと、爪と牙が前の鋭さを取り戻した

いや、前以上に鋭く、長く、凶悪に変化していく

更に手足からは獣のように白い毛が生えてきて、猫というよりも虎に近い雰囲気を醸し出している

球磨川(まさか、安心院さんのスキルに抵抗している!?)

規格外の人間である羽川翼といえど、規格外を盛り込んだ人外である安心院なじみのスキルに抵抗するなんて、はたして可能なのだろうか

球磨川禊の当惑をよそに、羽川翼の変形はとまらない

羽川翼、球磨川禊

この二人が揃っていて、何事も起きないはずがない

球磨川(そっか)

球磨川(また僕は失敗したのか)

球磨川(やっぱり僕が関わると、ろくな事にならないや)

球磨川(あーあ、羽川さんは僕の恩人。だなんて言っておいて、これじゃあ恩を仇で返したようなものじゃないか)

球磨川(って、いつも通りの僕か)

球磨川(なら気にすることないな。僕は悪くない)

球磨川(…………)

球磨川(違う)

球磨川(羽川さんは、これまで一度も僕に同情したりしなかった)

球磨川(どうしようもなく落ちている僕を、決して哀れんだり見下したりせずに対等に見てくれた)

球磨川(羽川さんは一度だって、僕に恩を売ったりなんてしなかった。だから)

球磨川(受けてない恩を、仇で返すなんて、できない)

「にゃあああああああああああ!!!!!!」

絶叫が夜の町に響く

球磨川(やめなよ、近所迷惑だぜ)

球磨川禊は左腕に螺子を持ち、首を傾けて羽川翼に狙いを定める

いつ意識を失っても、それどころかいつ死んでもおかしくない状況で球磨川禊の精神力はいまだ健在であった

球磨川(もう『大嘘憑き』が発動するかはわからない。むしろ発動しない可能性のほうがずっと高い)

球磨川(そしてなかったことにするのは『手のひら孵し』)

球磨川(まさか最期にこんなに分の悪い賭けをする羽目になるとは、ね!)

残った力を込めて、螺子を投げつける

放たれた螺子は、しかし羽川翼に届くことなくすぐ近くの地面に落ちた

球磨川(……最期まで、僕らしいや)

万策が尽きるともに力尽き、球磨川禊が目を閉じたその時

「羽川!!球磨川!!」

声が聞こえた

「頼む、二人を助けてくれ」

この声は……。それと他にもう一人?

「ごめん、図々しい頼みなのは承知している。でも」

いったい何の話だろう

ん?なんだろう、傷口になにか温かい、水?

……っ!?腕が治っていく!?

「ああ、次は羽川を頼む」

え?

ちょっと

ちょっと待ってよ、それは僕の役目だろ?

君がいったいなにをした

羽川さんと先に出会ったのは僕だ

羽川さんを先に理解していたのも僕だ

羽川さんが猫と出会うのに立ち会ったのも僕で、羽川さんが猫になって初めて言葉を交わしたのも僕だ

羽川さんに腕を千切られたのも僕が先だったし、羽川さんの家に行ったのも僕だ

そして今さっき羽川さんと命がけで戦ったのだって僕だ

全部、僕だ。君じゃない

なのにどうして君が持っていくんだ。どうして君が助けにくるんだ

どうして君が羽川さんを助けるんだ。どうして君は助けられるんだ。

球磨川「どうして……僕じゃ駄目なんだ」



その呟きに返ってくる言葉を聞くことはなく、球磨川禊の意識は途切れた

結局主人公には勝てないか。

後日談というか、今回のオチ

といってもあたし達は落ちつづけているわけだけど

廃ビルの固い床で不快な寝起きをした後、いいかげん帰ろうと思って駅に向かって歩いていたら球磨川さんが待っていた

志布志「なんだ、球磨川さん。わざわざ待ってくれてたのか、別にいいのに。本気で」

球磨川『おはよう飛沫ちゃん』『そんなこと言わないでよ』『飛沫ちゃんは女の子なんだから一人で歩かせるわけにはいかないよ』

志布志「っ!?」

ぞっとした

話し方、立ち振る舞い、雰囲気。すべてが昨日とは異なっている

志布志(なんだ!?前から感情が読めない人だったけど、ここまで何も感じない人だったか?まるで感情がないみたいだ)

志布志(何を考えてるのか、あたしでさえわからない)

球磨川『それにしても』『とても楽しい旅行だったね』『来年のゴールデンウィークにもまた来たいぐらいだよ』

志布志(一晩でいったい何があった?この人は何を失った?)

球磨川『こんどは蛾々丸ちゃんも』『誘ってあげなきゃね』『うん、きっと蛾々丸ちゃんもこの町を気に入ってくれるよ』『こんなに魅力あふれた町なんだから』

志布志(……いったいこの人は、どこまで落ちるんだ)

球磨川『ああ、でも』『その前に箱庭学園について考えなきゃね』『楽しみだなあ』『僕は転校前の緊張感が大好きでね』『そのために転校を繰り返してると言って』『過言じゃない』

志布志「あのさ球磨川さん。……雰囲気変わったな」

球磨川『そう?』『ここ何日か寝てばっかだったから』『背が伸びたのかな』『言われてみればそんな気がするかも』『制服新調しなくちゃ』

志布志(ああ、それでも)

志布志(こんなに駄目になって、頼もしい)

志布志「羽川とはどうなった?」

球磨川『それが聞いてよ』『誘っても断られたから』『週刊少年ジャンプよろしく殴り合いで仲良くなろうとしたのに』『全然うまくいかなくてさ』

志布志「それは男子どうし限定のイベントだからな」

球磨川『え、そうなの?』『なんだよ』『やられ損じゃないか』

志布志「あ、やっぱり羽川が勝ったのか」

球磨川『当然でしょ』『と、言いたいところだけど』『それはちょっと違うかな』

志布志「へ?球磨川さんが勝ったのか?」

球磨川『まさか』『そうじゃなくて』『僕も羽川さんも負けた』『って意味だよ』

志布志「両方負けって。それなら誰が勝ったんだよ」

球磨川『さあ』『たぶん』『通りすがりのスターみたいなやつじゃないかな』『敗北の星の下に生まれてきた僕を踏み台に』『僕の頭上で輝くような奴さ』

志布志「結局、今回はどんな話だったんだろうな」

志布志「過負荷とか異常とかだけで十分なのに、怪異とかよくわかんねえのまで入ってきたりしてさ」

球磨川『よくわからないものを』『わかろうとする必要なんてないよ』

球磨川『それに』『今回の話だって』『いつもと大して変わらない』

球磨川『いつも通り』『僕らの』『ほのぼの敗北物語さ』

球磨川『勝利を得ようとして』『勝利を得られず』

球磨川『仲間を得ようとして』『仲間を得られず』

球磨川『救いを得ようとして』『救いを得られない』

球磨川『黄金色に輝く日々の中で』『金色はおろか銀色になることも許されず』『輝こうとすればするほど』『ただ灰色を濃くすることしかできない』

球磨川『主役を輝かせるために』『常に敗色濃厚な』『絶対に公開されることのない』『後悔しか残らない』

球磨川『そんな僕らの』『負物語』

これで終了です。無駄に長引かせてすみませんでした。

読んでくださったかた、ありがとうございました。

いやクオリティ高いなこれ
乙?

クオリティ高いなあ
乙です

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