魔王が伝説を始める日(12)
曇天の空。
水気を多分に含んでいて、近いうちに雲の底が突き破れそうな予感がある。
湿った空気のにおいに、男はにんまりと邪悪に口元を歪ませる。
魔王「これより我が軍は山中に陣幕を張る悪徳皇帝・世解瀬フクの打倒を目的とし進軍する。おそらくこれが最後の戦となるであろう。ここまで僕に力を貸してくれた友たちよ、心から感謝をしている。ありがとう。愛してるぜ。さてさて、口上が長くなっちまったけれど、皆の衆、我が親愛なる友人たち、それでは行こうか、時代を切り開くために。後世の歴史家たちに魔王と呼ばれようとも、我らは我らが信ずるもののために闘う。たとえ世界を焦土に変えようと、美しい少女の涙を笑顔にするため立ち上がる。今宵、これより雨が降る。それに乗じて我ら夜霧に紛れ悪徳皇帝の首を獲る。さあ、楽しい戦の時間だ、僕は暴れ倒すぞ!」
後に魔王と呼ばれることになる男、間戒野ミカドが剣で天を突くようにかざせば、居並ぶ屈強な兵たちが怒号で返す。士気は十全。あとは作成決行に及ぶ最後の要素、雨が降り始めるのを待つばかり。
ぽつり。
ぽつり。
地面に黒い染みができる。最初は点。数多の点。そして、すぐに点と点の区別がつかぬほど黒い染みが拡がり、隈無く地面の色が変わる。
雨だ。
男たちが待ち望み焦がれていた雨だ。
さあ、ゆこう、今宵が帝政の終わりだ。
そして、明日の夜明けには世界は新しい秩序に満ちているであろう。
共和制だ。
魔王「これより伝説を開始する」
っていう、出だしだけ書いたから、あとは誰かよろよろ。
遡ること五年前。
帝都ネウシから西に外れること数百里の沿岸部にあるトラウタツ公爵領、さらにその最西端に位置する世解瀬邸の中庭に目的の人物がいた。
フク「おーい、ミカドー」
屋敷の住人である世解瀬フクは呆れ顔でいる。
彼の目線の先には一人の青年。
中庭に植わっている大樹に背を預け、青年は気持ち良さそうに寝息を立てている。長い前髪が顔に翳を落としているため表情は読めないが、僅かに上下する肩の動きが青年の穏やかな気性をあらわしている。
フク「おい、ミカド、起きろ」
フクが青年の頬をつねる。
ミカド「……いひゃい、フク」
堪らず青年が目を覚ました。
フク「あのさ、新年会が退屈なのは俺も認めるところだけれどさ、だからといって雲隠れしちゃうのは貴族の倅としてどうなのよ? 社交辞令でもいいから、愛想振り向かなきゃ。そんで飯をたらふく食らう。女を口説く。酒を飲む。お家の務めを果たすのはめんどくちゃいけれど、つまらんことばかりでもないんだから、バックレてんなよな」
ミカド「いやぁ、めんどくさいでしょ。僕、飯にも女にも酒にも興味ないし。昼寝してるほうがよほどいいよ。それかやっとうしてるほうがマシ。まあ、心配は有り難いけど、それには及ばないよ。うちは下級貴族、ましてや僕は三男坊なのだから、雲隠れしても誰も気付かんでしょ。堅物フクくん以外は」
フク「誰が堅物だ。いやいや、ばか、下級貴族の三男坊の分際で雲隠れするからまずいんだろうが。もうね、ほんと、ばか。ミカドんとこの親父さん、鬼のような形相で捜してたぜ? ほら、俺も一緒に謝ってやるからさ。さっさと戻ろう」
誰か続きよろ。
>>3
× 愛想振り向かなきゃ
○ 愛想振りまかなきゃ
スマホの変換ミス。訂正。
ミカド「鬼の形相で怒っていたなどと聞かされた日には、余計に戻る気が失せるというもの。よし、僕は決めたぞ、断固として決めた。今日は是が非でも戻るまい。そうしたわけでフクくん、今夜、僕を屋敷に泊める栄誉を君に授けようではないか」
フク「ぬかせ。何が栄誉なものか。いや、美貌にかけてのみ才覚を発揮している我が麗しのバカ姉上などは喜ぶだろう。ミカドが泊まっていくと聞けば喜ぶに決まっている。俺も歓迎するだろうさ。が、しかし、だ。ミカドのおまけに鬼の形相でいる貴殿の父君が付いてくるという懸念がある以上、その提案を手放しに肯んずることはできまい。まずは父君をまいてから当家に泊まってくれたまえ」
ミカド「なにいってるんだか。いいかい、フク。ぼかぁね、その父君とやらから逃げおおせたいがために泊めてくれと言っておるのだ。わかるかね。だから、君が僕の良き友人でありたいというのであれば、やることはひとつ。四の五の言わず僕を匿うことだね。ね?」
フク「はあ。どうなっても知らんぞ? 俺は責任をとらんからな。それで構わないなら好きなだけ泊まっていくがいいさ、怖ぁい男爵殿の三男坊くん」
ミカド「恩に着る。やはり持つべきものは良き友だ。あとそれから信仰心。僕のような敬虔な信者には神様も良き友人との縁をくださる」
フク「どうだろう。神様も悪戯がお好きなようだから、戯れて思わぬ苦難をふっかけてくるかもしれないぜ? ……そうだな、さしあたっては、今宵、ミカドは我が麗しのバカ姉上の玩具にされるのではないかな?」
ミカド「いやいや、それは望外の幸せというものだろう。フクの姉君ほどの器量持ちであれば、その扱いが玩具も同然であろうと望むところ。そういうものだろう、男というものは」
フク「性格がアレでもか?」
ミカド「美しさは全ての価値観の王だ。圧倒的な美しさの前には秩序の番人たる善悪の価値基準すらひれ伏すだろう。それに君の姉君の性格、おおいに結構じゃあないか。奔放な女性、僕は好きだよ」
フク「なるほど。お前が敬虔な信者であるわけだ。なにせ、神様というのは我が麗しのバカ姉上同様に奔放であらせられるからな。つまり、ああいうのが好みなわけかい。畏れ入る」
「誰の性格がアレなのです? 答えよ、愚弟」
うぞ、と思わず総毛立つほどの、確と輪廓を有した害意が唐突に降り注ぐ。綺麗な声。鈴が鳴るようなと形容しても過言ではない。が、そのなかに潜む剣呑さを見逃すことはできなかった。肌が粟立ち、体が芯から震えるのだ。頭が状況を把握するに先んじて、体が反応を示していたのであった。
警鐘。まずい。虎の尾を踏んだ、と。
我が親愛なる友は、虎の尾を踏み抜き、竜の鱗を剥がしてまわったらしい。つまり死んだ。たぶん死んだ。今日が命日だろう。
フク「おや。これはこれは。我が麗しのバ……バカみたいに慈悲深い姉上ではありますまいか。略してバカ姉上。どうなされました?」
姉「一度言葉を飲み込んだ思慮深さに免じて折檻にて許そうかと思いましたが、わざわざバカ姉上と言い直しましたね? 宜しい。是が非でも殺す。神に誓って殺す。悪魔よりも無道に殺す。が、貴方のお姉さまも人の子です。客人の前で、わけてもミカドくんの前で見苦しき振る舞いを為すこと躊躇あり。……だから、ちょっと、人目のつかない折檻部屋まで来いや、愚弟。戦争だよ、戦争。戦争すっぞ。なお降伏は受け入れぬ」
おもてぇ作品だぜ
フク「気分を害されたのであれば謝りましょう。申し訳ありませんでした、姉上。どうか御寛恕の程を賜りたく存じまする。我が額であれば、ほれ、この通り、今にも大地と接吻せんばかりにござります。これを以て寛大な慈悲を頂きたく。何卒」
姉「抜かせ。愚弟の軽い頭に下げるほどの価値なし。然らば、かような謝罪は無用のこと。天地神明に懸けて許さぬと申した以上、私は私の言を翻すつもりはないのだ。覚悟せよ、愚弟。姉の怒りのほど、その身を以て理解させてくれようぞ」
フク「……どうあっても鎮まりませぬか、その怒り」
姉「鎮まらぬッ! 貴様の頭蓋を粉砕するまでは!」
フク「では、やむを得ませぬな。……やはり争うしか道はありますまい、姉上ェ!」
ざっ、と後方へ跳びすさると、フクは臨戦態勢にて姉と相対する。即ち、左諸手上段。左拳を額の前に翳して上段の構えをとれば、それに呼応するが如く光の粒子がフクの周囲で渦を巻く。刹那の更に刹那。煌めき。光の輝きが、怪しい妖刀の輝きへと転ずる。瞬く間、フクの手には二尺五寸ほどの刀があり、切っ先は天を突かんばかりであり、これを以て完全無欠なる上段が完成したのである。
フク「姉上。姉上への謝罪の意思に偽りはありませぬ。が。痛いのだけはマジ勘弁。姉上の折檻は真面目に洒落になんねぇので、穏便に事が収まらぬとあらば、この愚弟め、全霊にて抵抗させて頂きたく。さあ、懸かってきませぃ、姉上っ!」
姉「抵抗とは生意気な。弟の分際で姉に手向かうとは何事ぞ。己の分を弁えるがいい。……しかし、この姉は慈悲深いからな、」
姉「愚弟の抵抗を認める」
姉に構えはない。
しかし、姉から漏れる殺気が、膨れ、拡がり、そして辺りに矢の如く突き刺さっていく。
びりり、と空気が震える。
頬に生暖かい感触。触れてみると、暖かなぬめり。血だ。姉の殺気に空気が戦慄き、軋みを上げて、気付けば傍観を決め込んでいたミカドの頬をも斬りつけていた。
……ほへぇ。
完全におったまげである。
姉「が、抵抗は認めますが、おそらく意味はないでしょう。……なぜならば、この姉は愚弟よりも遥かに強く、そしてお前はゴミクズのように弱いのだからなあッ!」
咆哮。
バキリッと不穏な音。
姉の一喝でフクの刀に皹が走った。
後生、これからの時代を生き延びた古老は、この三者を指してこう言い残す。
魔王と悪徳皇帝。世界の覇権をめぐり争った両雄が最も恐れたのは互いの存在ではなく、悪徳皇帝の実姉であった破滅聖女であったのだ、と。
蜘蛛の巣状に亀裂が走り、一塊であったはずの刃はついに砕けると、玉鋼の欠片と成り果て、ぼろぼろと大地に零れゆく。
フク「……化け物めが」
姉「あぅ。その言い種には流石のお姉さまも傷付くのですが。乙女的に化け物呼ばわりはちょっと堪えます。……こほん。これ、誰が化け物か、愚弟。己のゴミクズが如き弱さを棚に上げ、強くある者を謗るなどもってのほか。人として恥ずべき行いだと知りなさい。だから、わかったら謝るがいい。わりとマジで。お姉ちゃん、普通にダメージ受けてるんだから。謝って。早く。ね? お願い」
フク「あっ、はい。なんか、ごめん。正直、実の姉に対して化け物呼ばわりは酷かったなと自分でも思っておりました。しかし、姉上が為された事を考えますれば、化け物呼ばわりも致し方なきことかと思いますので、俺だけが責められるというのも道理から外れるのではないかと。だから、姉上も謝ってくださいませ。人間離れしていてごめんなさい。明日からは人類として生きることに努めますので、どうかこの度は御容赦の程を賜りたく存じます。と、咽び泣きながら土下座してくださいな」
姉「……あの、愚弟? 愚弟の言い様の方が道理から外れておりませんか?」
フク「いいえ。俺の言うことこそ道理にござりますよ。さあ、姉上、もう御託はたくさんです。耳が退屈をしておりますゆえ。早く! 謝罪を! 土下座を! さあ! お願いしますっ!」
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