海未「私を見つけだして」 (49)
本当に必要としていたのは私の方だった。
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大学生というものになっておおよそ半年が過ぎた。季節は秋を通り過ぎ、すでに冬の顔を覗かせはじめている。
「暇、ですね」
空調の聞いた大学構内。さきほど授業を終え、教室を出たばかり。今日の授業はそれ一つだけ。この後には何も用事がない。
だからこその暇。どこかへ遊びに行くほど付き合いの深い友人もおらず、サークルにも入っていない。
前期に取れるだけの単位をとったため、後期の今受けている講義はほとんどない。
楽ではあるが……。
「暇なんですよねぇ」
もう一度呟く。
こればっかりは、自分でもどうしようもない問題だった。
ふらふらとあてどなく街を歩く。まっすぐ家に帰るのも憚られたためだ。
時刻は正午を過ぎたころ。空腹感はあるが行動に支障がでるほどではない。
「いけないとはわかっていますが……」
動けなくなるほどではない。そう判断しているとすぐに食事を絶ってしまう。家族と共に食べる朝食や夕食はそうでもないが、一人で摂ることになる昼食だけは頻繁に抜いてしまう。
高校の時はそうでもなかったため、私という存在は一人で食事をするのが嫌いらしい。
何かにつけて独り言を呟くのも、似たようなものだ。
私は一人でいることに耐えられない。だから、誰かに見つけて欲しくて言葉を発するのだ。
……いや、誰かに、ではない。私はきっとあの子に見つけ出してもらいたいのだ。
「あれー? 海未ちゃんじゃん」
「……穂乃果?」
高坂穂乃果に、こんな風に。
穂乃果と会うのは久しぶりのことだった。大学に入学してからというもの、高校の時のように毎日顔を会わせるということがなくなったのだ。
生活リズムが異なればそんなものだろう。家は近いが、わざわざ訪れることもない。それは私と穂乃果に限ったことではなく、ことりもそうだった。
それで私たちの関係性が変わったかといえば、そんなことは全然ない。
穂乃果はいつもと同じようににへらと笑い、
「久しぶりだねぇ」
とこちらに駆け寄ってくる。
だから私も同じように、
「お久しぶりです」
勢いよく飛びついてくる穂乃果を優しく抱きとめる。いつもと変わらない温もり。いつもとは少し違った匂い。
香水、だろうか。きついものではないが、少しだけ大人の色気を感じさせる。
「元気だった?」
「まぁ、そこそこです。穂乃果は……聞くまでもありませんね」
元気いっぱい。活力に溢れている。それだけはいつだって変わらない。
「穂乃果は今日、大学は?」
「今日の分はもう終わったよ! 海未ちゃんも?」
頷く。穂乃果も思いのほか暇なのだろうか。
「お昼ごはん食べた?」
「これからです」
「それじゃあ私の家に来ない? お昼、ご馳走するから!」
「あなたが作るんですか?」
一人暮らしを始めたとは聞いているが……大丈夫だろうか。
穂乃果は料理が下手というわけではないが、作るものが独創的過ぎる。いわゆるアレンジャーで、しかも気分屋。
まともなものができあがるときもあれば、酷いものを作る時もある。食べられないものを作らないのが救いか。
「む……。これでも上達したんだよ?」
「あ、いえ、疑っているわけではありませんが……」
「……まぁ、最初は酷かったけど今は大丈夫だよ」
期待できるような、できないような。まぁ久しぶりに一緒にする食事だ。多少味が悪くても文句はない。そもそも作ってもらう立場で文句なんて出せるはずもないが。
「それじゃあ、スーパー寄ってこうか。何か食べたいものある?」
「簡単なものでいいですよ。あー、その」
具体的なものが思い浮かぶわけではないのだが。献立に悩む主婦というのはこういうものだろうか。
「スーパー行ってから考えよっか」
そういって穂乃果は私の手を取り、歩き始める。軽く引っ張られる感覚に懐かしさを覚える。
これが、私と穂乃果だ。
スーパーは結構な人で賑わっている。いわゆる主婦と呼ばれる人々が買い物カゴを抱え、あるいはカートを押し品物を見定めている。
「んー、パスタにしよっか」
「パスタ、ですか」
「カルボナーラ」
「……大変じゃないですか?」
「簡単だよ。パスタは簡単」
そうだろうか。カルボナーラは調理実習で一度だけ作ったが、手間取った印象が強い。
料理に慣れていないことが原因だったのだろうか。
パスタ。イタリアン。なにやら本格的。
「ベーコン買わないと。やっぱりカリカリに焼くのがいいよねぇ」
「たまねぎは入れないんですか」
「邪道だよそれは」
スーパーを巡りながら適当な話をする。
成績はどうだとか、早起きがどうだとか。案の定というか、思った通りというか、穂乃果の成績はあまりよくないらしい。
単位を落としさえしていないらしいが、結構ギリギリなものが多いのだとか。
それに対して私はしっかりしてくださいとか、そんな感じの答えを返す。
高校の時に戻ったかのよう。そこに、どうしてか安心感を覚えてしまう。
「……海未ちゃんは、変わらないね」
不意に、穂乃果が呟いた。
「……そうでしょうか」
変われない、のほうが正しいのではないか。
私はあの頃から変われていない。成長できていない。穂乃果やことりと違って。
「そうかもしれませんね」
私は、いったいどこにいるのだろう。
「美味しい」
「でしょー? 見直した?」
穂乃果の家。穂乃果は買ってきた食材を手早く調理し、いっていた通りにカルボナーラを作り上げた。
柔らかなチーズの香りとクリーミィなソース。程よく茹でられたパスタ。
絶品、というわけではないが普通に美味しいといえる味だ。
家庭的な味。
「ええ、その、正直驚きました」
「ふふん」
それだけ努力した、ということなのだろう。シンプルな料理ほど腕が出るという。
穂乃果はパスタは簡単といったけれど、簡単といえるまでにそれだけの練習を積んだのだろう。
穂乃果は努力家だ。怠けやすい性格ではあるものの、自分で始めたことに対しては真剣で、真摯だ。
私と違って。
「ご馳走様です」
「お粗末さまです。片付けてくるね」
「何から何まですみません」
「いいのいいの、海未ちゃんはお客さんなんだから」
食器を持って台所へ向かう穂乃果を見送る。手持ち無沙汰になって、部屋の各所に視線をさまよわせる。
そしてある一点で目が留まる。部屋の隅に積まれた参考書。大学受験用のものだ。
赤い装丁の、いわゆる赤本と呼ばれるもの。それが何故ここにあるのだろうか。
疑問に思い、手を伸ばす。裏表紙の隅には黒いマジックペンで「西木野真姫」とあった。
「真姫の……?」
真姫の参考書が、どうして穂乃果の家に?
穂乃果が勉強を教えている……ということはないだろう。私にだって無理だ。
かといって、わざわざ穂乃果の家で勉強するということも考えにくい。真姫は、どちらかといえば一人で勉強するタイプだ。
いったいどういうことだろう。
首を傾げていると、穂乃果が戻ってくる。
「ああ、それ?」
私の手にある赤本を見て、朗らかに笑う。
「真姫ちゃん、今ここで暮らしてるんだ」
「……はぁっ!?」
え、一緒に? 同棲?
「ど、どういうことですか」
ぱさりと赤本を手から落とし、穂乃果に詰め寄る。途中、足の小指をぶつけて軽く体勢を崩す。
痛みに震えながら、言葉の真意を問いただす。
「8月の終わりくらいだったかなぁ。真姫ちゃんが家出してきて、それからそのまま」
「居ついたんですか?」
「許可は取ったよ」
詳しい話を聞く。
真姫の家出は、ひとまずのところ解決を見ているらしい。真姫が穂乃果の家にいるのは親元を離れて暮らす練習だとか。
……少しだけ、悔しい。
真姫が穂乃果を頼ったことも。穂乃果がそれを受け入れたことも。
私が何の関与もできなかったことが、どうしてか悔しかった。
「その、大変ではないですか。二人で暮らすというのは」
「ちょっとね。でも、楽しいよ。一人でいるよりかは、ずっとずーっと」
予想通りの答えだ。
穂乃果は、誰かと一緒にいれば苦を苦としない。彼女は常にだれかと何かをすることが大好きだからだ。
そこに、私も入りたかった。
「まぁ、真姫とあなたが納得しているのなら、私からいうことはありませんが……」
個人的なわだかまりはあるが、それは関係ない。
話を聞いている限りでは普通の生活をしているようだし、同居という点に目を瞑れば問題はないのだ。
「今度海未ちゃんも泊まりにおいでよ。狭いけど、楽しいよ」
「……機会があれば」
あるだろうか。そんな機会。高校のときのように毎日顔を合わせるわけでもないのだし。
……なんだろう、この違和感は。どういうわけか、私は穂乃果の家に泊まりたくないらしい。
当然、穂乃果が嫌いというわけではない。理由は自分でもわからないが、どうにも気が乗らない。
いったい、どうしてしまったのだろう。
「それでは、そろそろお暇させていただきます」
「えー? もう帰っちゃうの?」
「ええ、その……。やらなければならないことがありますので」
意味のない嘘を口にする。本当は居心地が悪いだけだ。
今までに感じたことのないもの。一刻でも早くこの家から、穂乃果から離れたかった。
「そっか。じゃあ、また今度遊ぼうよ。暇な時に」
「そう、ですね。また暇が出来たら連絡します」
「うん、待ってる」
笑みを浮かべる穂乃果を見て、ふと思う。
どうして私は、こうも嘘がつけるのだろうか。
連絡する? できるわけがない。少なくとも現時点で、しようとは思っていない。
「海未ちゃん」
玄関で靴を履く私を、穂乃果が呼び止める。蒼い瞳がまっすぐとこちらを射抜く。
なにもかも見透かされているようで、酷くバツが悪い。
「なんでしょう」
「……ううん、なんでもない」
「そうですか」
何事もなく一日が経過する。穂乃果と会ったこと以外はいつもどおり。
だけどそれは、確実に私に何かを残していった。
「サボってしまいましたねぇ」
今日の講義は午後から二つだけ。時計を見れば、あと数分で授業が始まる時間だった。
今いるのが大学から程遠い場所。どうやっても、間に合わない。
意図的に、そうしたのだ。止むを得ない事情など一欠けらもない。
そしてサボってまで何をしているかといえば、
「ここも変わってませんね」
卒業して一年と経っていない母校へ足を運んでいた。
ここは依然として変わらないままだ。
「授業中、ですよね?」
フェンス越しに見る校舎に動く人影は見当たらない。が、屋上に誰かが立っている。
昼休みはとうに終わっている時間帯。で、あれば何故屋上に人が。
それにどこか見覚えがあるような……。
「あれは……真姫?」
呟くと同時、屋上の人影がこちらを向く。特徴的な赤毛。間違いなく真姫だ。
ヴヴ、と携帯が振動する。取り出してみればショートメッセージが届いていた。
差出人は……真姫。
『何してるのよ』
『何、というわけではありませんが。あなたこそ授業中では?』
『私はサボったのよ』
思わず目を疑う。サボり……。あの真姫が? 信じられない。
『で、そっちこそ大学はどうしたのよ』
『サボりですが』
不意にメッセージが途切れる。どうしたのかと屋上を見上げれば、そこに真姫はいなかった。
「あなたが大学をサボるなんて、いったいどうしたのよ」
寂れた喫茶店の一角で、真姫はコーヒーをストローで啜る。よくもまぁ、そんな苦い汁を飲めるものだ。
あの後、真姫は鞄を持って私のところまでやってきた。体調が悪いと言い張り、早退をしたそうだ。
私はそんな彼女を連れて、この喫茶店に入ったというわけだ。
「まぁ、色々ありまして」
「ふぅん?」
カランとグラスの中の氷が揺れる。アメジストの瞳が私を映す。
随分と穂乃果に似た目をする。こちらの心まで見通されてしまうような、そんな目だ。
だから、穂乃果に抱いたのと似た居心地の悪さを覚える。
「それこそ、真姫がこうも簡単にサボるとは思いませんでした」
「今の時期、授業を受けてもあんまり意味がないもの。レベルの高い大学を志望する人は結構サボってるわね」
「そうなんですか?」
「そうよ。学校の授業って足並み揃えて進めるから、じれったく思う人が少なくないの。だから授業をサボって自分で勉強するの」
「……あなた、勉強していなかったですよね」
「息抜きよ。息抜き」
……どうにも煙にまかれたような感じだ。
「昨日、穂乃果に会ったんでしょう?」
「ええ、ばったりと」
「どうだったのよ」
「どう、とは」
質問が不明瞭……いや、真姫の思惑が不明瞭だ。
私が大学をサボったというのは、確かに珍しいことなのだろう。それだけ真面目に生きてきたという自負はある。
が、こうして真姫がこうして学校を抜け出してくるほどのことだろうか。真姫の言葉に嘘はないだろうが。
「例えば、よくわからない居心地の悪さがあったり?」
その言葉に、水の入ったグラスへ伸ばしかけていた手を止める。
改めて真姫の顔を見れば、してやったりといわんばかりに笑みを浮かべていた。
「私、穂乃果と違って優しいから教えてあげましょうか? その居心地の悪さの原因」
「……聞きましょう」
真姫が指を組み、椅子の背もたれに身体を預ける。わざとらしく足を組み、高圧的な姿勢を取る。
言い方は悪いが、見下されている。今この時点において、彼女は私よりも上の立場にある。
「お願いしますといってほしかったけれど、まぁいいわ。ズバリ、あなたは穂乃果に引け目を感じているの」
「引け目?」
「ええ。穂乃果、随分と大人っぽくなったでしょう? 雰囲気とか佇まいとか、高校時代よりもずっと、ずーっとね」
それは確かにそうだ。私の知る穂乃果は、化粧に興味を持っていなかった。最低限の知識はあったが、化粧品を自分から揃えたりすることはない。
ファッションにしてもそう。穂乃果自身が強い興味を示したところを見たことがない。それだけに、ことりが張り切ることが多かった。
今はどうだろう。すくなくとも、香水をつけるくらいにはなっている。私の知らないところで、穂乃果は変化している。
「それが引け目に繋がっていると?」
「まぁ、そうね。例え話になるけれど、あなたと穂乃果が同じ大学を目指していたとして、あなただけ滑ってしまった、みたいな感じよ」
「その通りだとすれば確かに引け目は感じるでしょうが……。ですが私たちは結局、別々の道に進んだ訳ですし」
「だから、例え話よ。この例えが間違っているとは思わないけれど」
「理由をお聞きしても?」
「あなた、穂乃果に会うのを避けていたでしょう」
真姫は疑問を投げかけるのではなく、そう断定した。自信満々、間違いだとは微塵も思っていない。
言葉に詰まる。否定の言葉を吐くことすらできない。
「あなたは逃げたのよ。穂乃果と一緒にいることから。穂乃果のためにも、自分のためにも、なんていい訳をして」
「そんなことは」
「ないとは言わせないわよ。電話やメールすらしていなかったらしいじゃない。あんなにべったりだったあなたたちが」
ぐうの音も出ない。
「あなたは失敗したのよ。それぞれが別の道に進めば、自ずと成長できるだろうとか思ってたんじゃない?」
「……そう、かもしれません。あなたの言うとおりに、私は」
穂乃果には私が必要なのだと思っていた。穂乃果に頼られることが嬉しかった。穂乃果を律することが私の役割だった。
そうでないと穂乃果は駄目になると思っていた。だからこそ、努めて大人であろうとした。
知っていたはずだ。穂乃果は一人でも生きていける。私がいなくとも、穂乃果は大人になれる。
なによりも近くで見ていたのだから。私が誰よりも知っていたはずなのに。
「辛気臭いのはやめにしましょ?」
不意に真姫が姿勢を崩す。ストローをくわえ、行儀悪く音を立てて飲み干す。
黒々とした液体が吸い込まれていく光景と、普段の真姫からは考えもつかない行動。
呆気に取られていると、鼻先にストローが突きつけられる。ぽたり、とコーヒーが落ちる。
「あなたは穂乃果に引け目を感じている。原因はあなたが大人になれていないから。それで、あなたはどうしたいの?」
私が、どうしたいか。私は、どうしたかったのだろう。
真姫は私が失敗したといった。恐らく、それは真姫の語った中で唯一の間違い。
そもそも、私は成功とか失敗とかそういうことを考えていなかった。ただなんとなく、そっちのほうがいいのだろうと、根拠なく進んでしまった。
挙句に迷って、どこにいるかもわからなくなって。なにを目指していたのかもわからない。
「私のしたいこと……」
「一回、穂乃果と話してみたら? 今までのこととこれからのこと。無駄にはならないと思うけど」
「……思ったんですけど、あなたも大概穂乃果のこと、その、信頼してますよね」
狂信といえるほどに。人のことを言えた義理ではないが。
「そう? ……あー、その、普通、じゃない? 親友、なら」
「え、そこで照れるんですか」
「うるさいわね」
親友、なるほど。穂乃果は真姫の親友なのだ。
私にとってはどうだろう。親友というのは違う気がする。もっと別の何か。
ああ、そうか。私は親友という域を過ぎてしまったのだ。
「真姫、ありがとうございます」
頭を下げる。穂乃果とあったことで生まれたしこりが解れ、朝起きた時よりも思考がクリアだ。
やるべきことも決まった。
「ん、まぁ、偉そうなこといったけど、私も似たようなものだったし。それに、あなただったら私が何も言わなくてもなんとかしたでしょうし」
「そうでしょうか」
「そうよ。というか、それくらい出来てもらわなきゃ困るの。この真姫ちゃんの親友なんだから」
そういって真姫が不敵に笑う。先ほどまであった照れがなくなり、何故か誇らしげ。
真姫も随分と大人になった。見違えるほどに強くなった。穂乃果の影響もあるだろうが、何よりも真姫が成長した証だ。
「それで、どうするか決めたの?」
「ええ、少し戻ってみようかと思います。私の知っている場所まで」
世の中には親友を越える関係がある。恋人だとか、家族だとか。
私と穂乃果と、そしてことり。私たちの関係性は親友という枠組みに収まっておらず、家族というものに近かった。
親、だったのだ。私は、穂乃果の親のような役割を担っていた。
ずっと、大人の振りをしてきたのだ。穂乃果のために、ことりのために。
被り続けてきた大人の仮面。私にはそれが必要だと思い込んでいた。
でも、そうじゃない。そんなものはいらなかった。
私はもっと、穂乃果に対して無関心になるべきだった。穂乃果がなにをしようが穂乃果の勝手で、私が口を出すことではない。
関わるのは、穂乃果が迷っている時だけ。例えば、真姫が私に対してしたように。
何事もほどほどに。行き過ぎれば毒となる。
毒は取り除かねばならない。
ふらり、ふらりと街を歩く。
この前とは違い目的はある。目的地、といったほうが良いか。
夕暮れ時。多くの人が混じりあう駅前。そこに近づくにつれて、聞きなれた歌声が届いてくる。
植木の前にできた人だかり。その中心に穂乃果がいる。
人だかりから少し離れた場所で耳を傾ける。穂乃果の声はよく通る。芯があるというのか、遠くまで届くのだ。
はっきりとした声が聞こえるというのは、それだけで印象が良い。こうして人が集まるのも無理はない。
穂乃果は、以前よりも増して輝いている。こんなところで、と思ってしまうのは贔屓目だろうか。
「ありがとうございましたー!」
その言葉を皮切りに、人がまばらに散っていく。中には穂乃果に声をかける者までいた。
熱心なファン。そういえば、μ'sの時にも、穂乃果はそういう人に恵まれていた。
一番と二番に大きな差があるファンだ。スクールアイドルというものはその活動期間の短さから、流行に左右されやすい。μ'sだって、今はそのグループ名だけが有名になっている。
今なお音ノ木坂に籍を置いている真姫や花陽、凛たちならばともかく、私はもうただの一般人だ。
それが今、穂乃果と同じように歌い始めたら。かつてのファンはいったいどれだけ応援してくれるだろうか。
μ'sの園田海未でなく、ただの園田海未を。
「お疲れ様です、穂乃果」
マイクとスタンドを片付け終えた穂乃果に声をかける。
「あ、海未ちゃん。来てたんだ」
「ええ、少し通りがかったものですから」
「そっか」
穂乃果がうっすらと上気した頬を緩ませる。疲れて息が上がっているのも相まって非常に色っぽい。
「一緒に食事でもどうです? この間のお礼をしたくて」
「そんな! 私が好きでやったのにお礼だなんて……」
「私がしたいんです。駄目ですか?」
「うぅん……。海未ちゃんがそこまでいうなら」
少しだけ値段の張るレストラン。チェーン店ではなく、それなりの格調があるところ。
かといって過度に上品というわけでなく。大学生の私たちでも気兼ねなく入れる場所だ。
雑談を交えながら料理を注文する。さっきの歌はどうだったとか、新しくできたファンのことだとか。
穂乃果はなんだって楽しそうに語る。つられてこちらまで楽しい気分になってしまう。
……いや、悪いことではないのだ。楽しいことの最中に自分を律する必要はない。自制は必要だが。
「ねぇ、穂乃果」
「ん、どうしたの」
「私、本当はあなたと同じ学校に行きたかったんです」
ぽつりと言葉を落とすと、穂乃果はスッと目を細める。笑みを浮かべていた顔が鋭いものに変化する。
「私は、あなたと一緒にいたかったんです。でも、それじゃ駄目だと思ったんです」
「うん」
「だから、進路のことも聞きませんでしたし、言いませんでした。その方が私たちにとっていいことだと思ったからです」
「うん」
「一人になって、私は駄目でした。上手くいきませんでした。あなたはどうです?」
「まぁ、順調かな」
「ええ、だと思いました。それは、何故です?」
問いかけると、穂乃果はプッと吹き出した。堪えるように笑い声をもらし、お腹を抱える。
「な、何故笑うんです」
「いやぁ、海未ちゃんらしいなぁって」
「わ、私らしい?」
「うん。海未ちゃんって結構早とちりなところあるよね」
「そうでしょうか」
「そうだよ。だって、私たちは一人じゃないでしょ?」
「……へ?」
「いつか、言ったでしょ? 私たちはずっと一緒だって」
確かに覚えがある。μ'sとしての活動が軌道に乗っていたこと。ことりに留学の話が来ていたときだ。
神田明神にて、ことりが私たちにいつまで一緒にいられるのだろうと問いかけたのだ。そして穂乃果がずっと一緒だと答えた。
「私たちは確かに別々の道に進んだけど、バラバラになっちゃったってわけじゃないでしょ?」
「しかし、電話も、メールもしていないのに」
「それが私たちのつながりじゃないでしょう? ただ同じ場所で生活することだけが、一緒にいるってことじゃないと思う」
「それは、そうですが」
「それとも、海未ちゃんは私と一緒にいたくない?」
「まさか!」
「うん、それでいいんだと思う。いつまで一緒にいられるかなんてわからないけれど、少なくとも一緒にいたいって思ってる間は一緒にいられるよ。それはきっとことりちゃんも同じ」
「一緒にいたいと、思っていいんですね」
「当然だよ。だって、私たちは友達でしょう?」
「……そう、ですね。私たちは親友です」
「それで、結局あなたの一人相撲だったってわけ?」
「まぁ、そうなりますね。あ、もうちょっと薄めの方が私は好きです」
一週間が経った。私は、穂乃果の家に足を運ぶようになった。
私はどこかで一人でやらなければと義務感に駆られていて、一人になろうとしていた。
でも、そんなことをする必要なんてなくて。以前穂乃果に誘われたとおりに泊まったりしている。
当の穂乃果は今バイトに行っている。帰ってくるまで、真姫の料理の練習に付き合っているところだ。ちなみに味噌汁。
「あなた、薄味好きね。……なんか、馬鹿らしくなるわよね。悩むのって」
「そんなものじゃないですか? 悩み事って」
あれこれ時間をかけて悩んで、解決するのは一瞬。それも何気ない言葉だったり、思いもよらないものから解決に繋がったりする。
「そんなものかしら」
「そんなものですよ、きっとね」
所詮、その程度の悩みだったということでもある。
私たちは目の前にある問題をいかにも大きなものだと認識してしまいがちだけど、実際はそうでもないのだ。
他人から見たらちっぽけなものかもしれないし、大きくてもひび割れたものかもしれない。
「ま、悩みが解決したのならそれでいいんじゃない。以前よりかは時間を有効に使えるようになったでしょう?」
「はい。……あー、いえ、暇であることには変わりありませんが」
「あなた、趣味とかなさそうだものね」
「その言い草は流石に酷すぎませんか」
否定はしないし、できもしないが。
空いた時間にひたすら書道をやる気にはならないし、読書も同じ。時間があれば活字を読むというほど猟書家ではない。
「何か、オススメはありますか?」
「そうねぇ。料理、やってみると意外と楽しいわよ? 後は楽器とか。あなた、作詞できるんだから作曲もできるようになればいいのよ」
「できるようになって、どうするんです」
「歌えばいいじゃない。嫌いじゃないんでしょう」
確かに、そうではあるけれど。しかし、人前に出るのは得意ではないのだ。
散々スクールアイドルをやってから言うことではないけれど。
「私は、あなたともう一度歌ってみたいって思ってるわ。穂乃果もきっと同じ。あなたはどう?」
「……吝かではありませんが」
もう一度一緒に歌えたらと思ったことがないわけではない。それほど楽しかったことだし、夢中になったことだ。
でも、いいのだろうか。穂乃果と、真姫と、一緒に歌っても。
「ならいいじゃない。歌いたい気持ちがあれば歌えばいいのよ。それが、私たちでしょう?」
「そう、でしたね」
やりたいのなら、やればいい。そうでないのなら、やらなくていい。
つまるところ、私は周りを見ていなかったのだ。だから、同じところをぐるぐると回り続けていた。
うつむいて、踏み出したところに地面があることを確認して。それで道に迷ったと情けなく呟いて。隣の人にも気づかず誰か見つけてと泣き喚いて。
前を向けばよかったのだ。たったそれだけのことを、私は忘れていた。
「バンドでも組んでみましょうか。みんなも誘って」
「バンド、ですか。九人で?」
「そう。適当に集まって歌いだけ歌うバンド。楽しそうじゃない?」
それは確かに、楽しそうだ。
「ですが、みんなやってくれるでしょうか」
「どうかしら。でも、どういう形であれもう一回集まってみるのはいいんじゃない。私たちはμ'sなんだし」
「もう解散したじゃないですか」
「それでも私たちはμ'sよ。……そうね、なら今度はMUSEとかでいいのよ。エム、ユー、エス、イー、MUSE」
「屁理屈じゃないですか、それ」
「屁理屈も理屈のうちよ」
「……まあ、そうですね。いいんじゃないですか」
一度解散しておいて今更かもしれない。
だけど、私はみんなといたい。もう一度みんなで歌いたい。
みんなもきっと同じだ。
だからこそ。
「MUSE結成、ですね」
了
本作品はラブライブ!板に投下した作品でシリーズ物の第二作目となります
ラブライブ!板のほうで作品を投下することが困難となり、板をまたいでシリーズを継続するのもどうなのかと思いこちらに転載いたしました
スクフェススレはよ
おつ
乙です
おっつん
乙
着実にメンバーが集まってきてるな
MUSEと聞くとどうしてもイギリスのバンドのイメージがww
次はよ!
なんでこっちに移ったんだ?
まあ続き書くなら読むが
誘導乙です
一作目よりつまらなかった
文章の雰囲気が好き
続き楽しみにしてる
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