二宮飛鳥「キミに捧げる処方箋」 (31)
割れんばかりの大歓声の中で、二宮飛鳥は歌い、そして踊っていた。
スポットライトに照らされた彼女の顔は、自信に満ち溢れている者特有の表情をしていて。
普段のアンニュイな表情の彼女を知っている俺は、「ああもうすっかりトップアイドルだなあ」だなんてそんなことを思いながら、いつも通り舞台袖から彼女を応援していた。
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そうして最後の曲が終わり、彼女が観客に手を振りながらこちらに戻ってくる。スタンドからはいつまでも鳴り止まない拍手と歓声。
舞台袖に消えた彼女はいつも通り俺の場所を探し当てると、彼女の細い体躯が軋んでしまうのではないかと心配になるくらいの勢いで抱きついてきた。
火照った身体、乱れた呼吸、紅潮した肌。その全てが、今宵のライブの盛り上がりを物語っていた。
「P、ただいま」
「ああ、おかえり。頑張ったな」
そうしていつも通りのやり取りを終えた俺たちは、互いの身体を寄せ合わせたまま、未だ立ち消えぬ興奮と熱気に身を委ねる。
会場では、一段と声の大きい前列のファンが「愛してるー!!」だなんて叫んでいて、それを耳にした飛鳥は、照れ臭そうな様子で微笑んだ。
場内からはいつまでも鳴り止まない拍手。拍手の音から湧き出るように、アンコールを求める声が少しずつ大きくなってくる。
「……えと、飛鳥。そろそろアンコール、行かないとだな」
「うん、理解っているさ。でも……もう少しだけこのままでいさせて」
ふと、胸の中にいる彼女と目が合った。猫のような瞳。思えば遠い場所に来たものだ、とふいに俺は思う。
始めて会った時は何処にでもいるフツウの少女だった彼女は、今こうして、大勢のファンの前で光り輝いているのだ。
彼女は俺の元を離れると、星が煌めくステージへと戻っていった。
一段と大きくなる歓声。マイクを握る彼女。そして――
目が覚めた。
枕元にある目覚まし時計が、カチカチと秒刻みで自己主張を続ける。
上半身をベッドから持ち上げると、ベッドとは反対側の壁にかけてあるカレンダーを一瞥し、最新の日時を脳内にインプットし直した。
今日は水曜。現在時刻は昼の2時。
普段であれば会社にいる時間帯だ。
しかし今日に限っては身体の様子が『普段』とは少し違っていて。
ようするに、俺は今日風邪で寝込んでいたのだ。
ふと、思い出したように額に手を当ててみる。
熱は大分下がったようだ。この様子なら、明日は普段通り出社できるだろう。
長年買い替えていないスマートフォンを手に取る。
パスワードを打ち込んで起動し、電話帳のページを開くと、発信履歴の一番上にある番号にダイアルした。
『はい、346プロダクション、千川です』
電話口の向こうから聞こえるのは、優しさに満ち溢れた声。
彼女――千川ちひろさんは俺よりの幾つか年上(と勝手に推測している)の社員で、庶務というか、アシスタント的な役割で俺の仕事を手伝ってくれている人だ。
「ちひろさん、えと、俺ですけど」
『あらプロデューサーさん、体調は大丈夫ですか? 私、すっごく心配してたんですよ?』
「熱はもう下がったので、明日は出勤できそうです。今朝は色々ご迷惑お掛けしましてスミマセン……」
『ふふ、いいのよ? プロデューサーさんにはいつも随分頑張ってもらってますし。じゃあ……明日は元気な顔を見せてくださいね?』
「はい、そのつもりです。では」
『――あ、あと、そのうち可愛い宅配便屋さんが来ると思うから、楽しみにしててくださいね。じゃあまた明日』
「ちひろさんっ? それってどういう」
返事の代わりに聞こえたのはツーツー、と回線の切れた音。
可愛い宅配便屋さん……? 特に何か、配送を頼んだ記憶はないんだけど。
そんな事を思っていると、ジャストタイミング。玄関からチャイムの音が聞こえてきた。
そうして慌てて玄関まで移動し、ドアを開けた先にいたのは――夢の中で会った少女だった。
「やあ……こんにちは、だね。風邪を引いたって聞いたけれど、思ったよりも元気そうで安心したよ」
彼女は普段通りのアンニュイな表情のままで、さえずるようにそう言った。
二宮飛鳥。俺の初めてにして、たった一人の担当アイドル。
でも、あれ? 何故彼女がここにいるのだろう。
「いやちょっと、お前学校はどうしたんだよ」
今は平日の午後2時。マトモな中学生はまだ学校に通っている時間帯だ。
彼女――二宮飛鳥はちょっと普通ではない人間だけれど、平気で学校をサボるような人間ではない。
「今日は創立記念日で学校は休みだよ。暇だから事務所に顔を出してみたら、キミが風邪で倒れているっていうじゃないか」
「ぐう……面目ない」
「そんな訳でキミがとても心配だったから、どうしてもお見舞いに来たかったのさ。はいこれ、ちひろさんから」
そう言って彼女は左手に持っていたビニール袋を手渡した。
中身はスタミナドリンクが半ダース。ありがとうちひろさん。
「なるほど……可愛い宅配便屋って、飛鳥の事だったのか」
「何それ……ちひろさんが言ってたのかい?」
呆れたような表情で尋ねる飛鳥。
「うん、さっき丁度体調報告の電話をしてな。『可愛い宅配便屋さんがくるから楽しみにしてて』って」
「まったく……ちひろさんも変なところでノリが軽いんだから」
彼女ははぁ、と小さなため息を一つつくと、改めて俺に向き合い、こう切り出した。
「で、もし良かったら少しだけキミの看病をしたいのだけれど」
「だめ」
即答する俺。
「……理由を聞いてもいいかな?」
「俺の風邪移すと駄目だから」
若い少女から看病されるというのは男として光栄だけれど、しかし彼女は普通の少女ではなく、アイドルなのだ。
彼女の担当Pとして、体調を崩す可能性がある選択を許す事は出来なかった。
「そういうと思った。じゃあ申し訳ないけど――実力行使させてもらうね」
そう言うや否や、彼女は俺の脇を通って室内へ突入を開始していた――!
「あっおい、飛鳥っ!」
慌てて室内へ戻る俺。リビングでは飛鳥が室内を一望し、評価をつけているところだった。
「へえ、どうやら思ったよりキレイにしているみたいじゃないか。キミの事だからもう少し散らかしていると思ったんだけど」
「なあ飛鳥、今日は大人しく帰ってくれ。明日いくらでも相手してやるからさあ」
「少しだけ看病したら帰るさ。さあ、キミはベッドで横になっててよ。病人なんだから……ああそうだ、キミお腹は空いてないかい?」
言われて始めて、自分が空腹であることに気付く。
朝食は体調が悪くて食べれなかったし、その後ちひろさんに電話してすぐに眠り、目覚めたのがつい先程のこと。
ようするに今日はまだ何も口にしていないという訳で。
「空いてるけど……まさか、お前が作るのか?」
「流石に失礼な物言いじゃないかい? まあ、ボクが料理をするというイメージが無いのは理解るけどさ」
不満げに眉を顰める彼女。
だって仕方がないじゃないか。いつも一緒にいる蘭子なら兎も角、飛鳥が料理をしている様子がどうしてもイメージ出来ない。
料理というか、家事全般というか……
そんな不安げな様子の俺を横目に、
「まあ見ててよ。ボクの新たな可能性をキミに示してあげるよ」
彼女は意気揚々とキッチンに向かうのだった。
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トントンと小気味よい音がキッチンから聞こえてくる。
それは彼女が包丁の扱いに慣れていることの証左でもあって。
(料理が出来るっていうのはあながち嘘でもなかったって事か……)
飛鳥とはもう結構長い付き合いになるけれど、未だに俺は彼女の全貌を把握しきれてはいないらしい。
担当プロデューサーだというのに。
しかしまあ、その辺りのミステリアスな部分が彼女の魅力でもあるのだろう。
そんな事を思っていると、何時の間にか包丁の音が奏でる軽やかなリズムは止んでいて、彼女は台所からこちらへ戻ってくるところだった。
「とりあえず下ごしらえは済んだよ。あとはお粥が炊けるのを待つだけさ」
彼女はベッドの縁に腰掛けると、どこか誇らしげな声色でそう話す。
俺はそんな彼女の様子を、横になったまま見上げるような体勢で観察していた。
長い睫、シャープな目鼻立ち、薄い唇。陶器のように白い肌。
うん、やっぱり最高に可愛いな、俺の担当アイドルは。
そうしているうちに、こちらを見つめ返す彼女の視線が交錯する。
見上げられるような視点で自身を観察されていたことに気付いた彼女は、頬を僅かに紅潮させると、ぷいとそっぽを向いて恥じらいを誤魔化した。
「――そんなにジロジロみないでよ、恥ずかしいじゃないか」
「む、すまんな。でも照れてる飛鳥も可愛いぞ」
「……Pのばか」
恐らくは照れ隠しであろう、彼女は手元にあったポケットティッシュの袋を掴むと、それを俺の顔に投げつけた。
そうして投げつけられた物体は、ぱふ、と間抜けた音とともに俺の頬に襲来する。
「……暴力反対だぞ」
「恥ずかしい台詞禁止。まったくもう、キミって奴はどうしていつもそう……」
ぶつぶつと呟き始める飛鳥。
彼女は動揺すると口数が多くなる傾向があるのだ。それはきっと、彼女自身も知らない癖だと思うけれど。
「そういえばさっき、飛鳥の夢を見たんだけど」
ふと、俺は先刻の夢を思い出す。トップアイドルとなった二宮飛鳥が大舞台で光り輝く夢。束の間の最果ての光景。
「ん……ボクの夢、かい?」
「おう。飛鳥がトップアイドルになって、大きなステージで楽しそうに謳う夢だったよ」
「それはまた光栄だね。何より、キミが夢に見るほどまでにボクの事を考えてくれているというのが嬉しいな」
「当たり前だろう、俺はお前の担当Pだし……いや、担当だとかどうとかは関係なく、お前の事を一番に思っているんだからな」
我ながら気障ったらしい台詞だと思う。でもこれが本心なのだから仕方がない。
一拍置いた後、ぽふ、と再び頬に何かが当たる音。緑色のその物体は、以前飛鳥とゲームセンターに遊びに行った時にゲットした不細工な人形だった。名をぴにゃこら太という。
「――恥ずかしい台詞は禁止って言ったよね」
一段と声を張り上げてそう話すのは投擲手。その顔色は先程までと比較にならない程に朱に染まっていて。
これではいったいどちらが風邪を引いているのか分からないな、なんて俺は呑気にもそんなことを思う。
「でも、そうだね」
彼女はこほん、と咳払いを一つすると、自分自身に言葉を刻みつけるようにこう呟いた。
「どれくらい先になるかは理解らないけれど、でも、いつの日かきっと見せてあげるさ。星光の舞台《スターライトステージ》で輝くボクの姿をね」
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そうして暫く交わしていた俺たちの他愛のない雑談は、炊飯物の完成を告げるメロディによって遮られた。
「どうやらお粥が炊けたようだね、食事の準備をしてくるから、ちょっと待っててくれないか」
再び台所へと移動する飛鳥。
その後ろ姿は完全に新妻だった。
(新妻飛鳥……うん、結構いいかもしれないぞこれ)
今度の撮影会では飛鳥にエプロンを着させてみようと俺は密かに決意するのだった。
忘れないうちに明日にでもちひろさんに衣装の斡旋を頼んでみよう……
そんな俺の不穏な視線に気付かず、淡々と調理を続ける飛鳥。
普段の斜に構えた態度とは明らかに異なる様子の彼女に、俺は率直に言ってギャップ萌えを感じていた。
「ふう……ほらP、お粥出来たよ」
ようやく戻ってきた彼女が俺に差し出したのは、仄かに香辛料の香りがするお粥。
「む、これは俺が思い描いてたお粥とは微妙に違うな」
「これは中華粥だよ。冷蔵庫に生姜と鶏肉が残ってたから作ってみたんだ。中華スープの素で味付けしてあるのさ」
そう言ってスプーンでお粥をかき混ぜる飛鳥。
鶏肉と生姜に加え、薬味として加えられた青ネギが食欲をそそる色合いを作り出している。
彼女はれんげに一口大の量のお粥を掬うと、それを俺の前に差し出した。
「ほらP、食べなよ」
「……はい?」
「ほら、あーんして」
「……っ!」
「ねえ、早くしないと冷めちゃうよ」
言われるがままに口を大きく開ける俺。
飛鳥は母性を感じさせる表情で俺の口へスプーンを運ぶ。
「どう? 美味しく出来てたかな?」
キョトンと僅かに首を傾げてこちらの様子を窺う飛鳥。
「ねえP、何とか言ってくれないと理解らないじゃないか。あ、もしかしてあまり口に合わなかったとか……?」
「いやっそうじゃなくてっ! 予想外の事態に脳が混乱してしまってだな……」
「?? 変なPだなあ……まあ、それでこそボクの相方が務まるのかもしれないね」
目を細めてくすりと笑う飛鳥。この飛鳥が見れただけで、風邪を引いて良かったと思ってしまった俺がいた。
「ほらP、冷める前に全部食べなきゃダメだよ」
――こうして、至福の時は続いていく。
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「じゃあ、ボクはそろそろ帰るとしよう」
「おう、何だかんだ長居させてしまって悪かったな」
「気にすることはないよ。ボクが好きでやったことだしね。……それじゃ、明日は事務所で元気なキミに会える事を期待しているよ」
「……ああ。じゃあまた、明日」
そうして彼女は最後にとびきりの笑顔をプレゼントすると、くるりと背を向けて家路に戻っていった。
外はもう大分暗くなっていたから出来れば送っていきたかったのだけれど、飛鳥に固く断られてしまった。
部屋に戻る。
リビングには彼女のつけていた淡い香水の香りが漂っていて、俺は思わず口元を緩ませてしまった。
(ありがとな、飛鳥)
中学生にしてアイドル活動を両立させている彼女の生活は、一般人とは比べものにならない程忙しいはずなのに、それでも彼女は今日、貴重な休日の時間を割いて他ならぬ俺のためだけに時間を作ってくれたのだ。
「……さて」
熱は既に下がっていた。不快感も、全くない。
身体全体が暖かい温もりに包まれているのは、中華粥に入っていた生姜による影響だけではないはずだ。
二宮飛鳥――俺に温もりを与えてくれた少女をトップアイドルにするために。未だ見ぬ光景を見せてあげるために。
明日からまた頑張ろうと、俺は改めて誓うのだった。
以上です
飛鳥に看病されたいだけの人生だった
SS書き終わったら連休終わってしまってた……
おつ
年に数作程度のペースでちまちま書いています
二宮飛鳥「Pのエロ本を見つけてしまった」
モバP「聖夜にて、飛鳥と」
モバP「飛鳥と戯れるささやかなひととき」
あたりもよろしければどうぞ
エロ本の人か
あれは素晴らしいSSだった
乙
エロ本はよーおぼえてるわww
乙乙
乙
ちょっと他作品も見てくる
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