乙哉「しえなちゃん、ただいま~!」 (68)
このssは悪魔のリドルの二次創作です。
キャラクターの崩壊、独自設定、独自解釈、シリアス要素が含まれています。
原作の雰囲気を重視される方はご注意ください。
乙しえです。赦しに満ちています。
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黒組が終わって数ヶ月後。
正確にはボクが退院してから数ヶ月後のこと。
夜中にコンビニから帰って、自分の部屋のドアを開けたときだった。
乙哉「しえなちゃん、おかえり~」
しえな「えっ……えっ!?」
ボクの部屋で快楽殺人鬼がくつろいでいた。
乙哉「ひさしぶりだねぇ。三ヶ月ぶりくらい?あはは」
しえな「え、なんで……」
乙哉「だめだよー、玄関の鍵は閉まってたけど部屋の窓が開いてたよ?変な人が入ってきちゃうよ?」
しえな「……それは目の前にいるけど。え?なにしてんの、お前……」
乙哉「脱獄してきた!!」
しえな「……それで、なんでボクの家にいるんだ?」
乙哉「久しぶりにしえなちゃんのムスッとした顔が見たくてさぁ、あ、あと正確には刑務所じゃなくて施設にいたから、脱走なんだけどー」
しえな「はあ……」
乙哉「お願いっ!かくまってー♪あとおさげもカットさせて♪」
しえな「通報する」
乙哉「えーひどーい、待ってよ、あはは」
しえな「帰れよ」
乙哉「そう言わずにさぁ。ほら、あたしすごい美人だし。いるだけでしえなちゃんの地味な部屋が見違えるほどはなやかに――」
しえな「……」
乙哉「ちょっ、ちょっ、しえなちゃん、ちょっとケータイしまってよ、ね?」
しえな「ふぅ……」
乙哉「ポテチなんて久しぶりに食べるよ、おいしいねぇ」
しえな「そもそもなんでボクの住所知ってるんだ?」
乙哉「んー、鳰に聞いたー」
しえな「ああ、そう……」
乙哉「歩いてきたから大変だったよー、何十キロくらいあったかなぁ」
しえな「お前方向音痴なんだろ、よく来れたな」
乙哉「えっ?」
しえな「えっ?」
乙哉「誰のこと~?あはは」
しえな「ん?お前ボクの眼鏡壊したときに言ってただろ」
乙哉「そうだっけ?別の人と間違ってるんじゃない?」
しえな「……」
なんだこいつ。方向音痴って自分から言い出したんじゃないか。
ボクの思い違いか?
乙哉「んーまぁ、積もる話もあるしさぁ、とりあえず今日だけ泊めてよ、ね?お願い♪」
しえな「えー……」
乙哉「おねが~い」
甘えるような声を出しながら顔をのぞきこんでくる武智。
しえな「……今日だけだぞ」
乙哉「ありがと~♪しえなちゃん大好き!」
しえな「ああ、そう」
乙哉「大好きだからシャワー借りていい?」
しえな「バスルームは出て右のドアだから」
乙哉「ありがとう!あ、あと着替え持ってないんだぁ、しえなちゃんの部屋着と下着借りていい?」
しえな「えー……」
乙哉「脱走してすぐ家に戻ったんだけど警官がウロついてて。お金とか必需品だけは持ってこれたんだけど、着替えまでは持ってこれなくってさぁ」
ボクにとっては見慣れた恰好だったから気にしていなかったけど、
言われてみれば武智は黒組のときに着ていた制服を着ていて、黒組のときみたくハサミがいっぱい入った鞄を腰から下げていた。
乙哉「明日買いに行くから今日だけ!お願い!」
武智は前にボクの眼鏡を壊したときみたいに、手を合わせていた。
こいつ、さっきは泊まるのは今日だけって言ってたのに、今の発言は明日以降も泊まる気満々じゃないか。
でもまぁいいか、下着とパジャマくらい。断るとうるさそうだし。
しえな「しかたないな、ちょっと待ってろ」
乙哉「さすがしえなちゃん、大好き♪」
満面の笑みで両手を広げる武智。
調子いいな、こいつ。
乙哉「それじゃさっそくシャワー浴びてくるね、なんだかんだで丸二日お風呂入れなかったんだ」
しえな「ああ、早く入れよ」
どたどたとバスルームに向かう武智を見送りながら、マウスをクリックしてスリープにしていたパソコンを起動させた。
何故か少しだけ嬉しかった。きっと久しぶりに人と話したからだろう。
とりあえずあいつにパソコンの中を見られないように、パスワードを設定しておこう。
*
しばらくしてから洗面所からシャカシャカ、という音が聞こえてきた。
武智のやつが歯磨きしてるのか。
……あいつ、歯ブラシ持ってなかったような……
まさか。
しえな「おいっ!」
乙哉「ん?ふぉーひたの?ひえなひゃん」
しえな「いや泡飛んでる飛んでる!一回すすげよ!」
乙哉「んー……ぺっ」
しえな「なにボクの歯ブラシとコップ勝手に使ってるんだよ!」
乙哉「大丈夫だよ?親御さんのじゃなくてしえなちゃんのを使ったから♪」
しえな「うわ、話がかみ合わない」
乙哉「気にしない気にしない」
しえな「気にするよ……ああもう、歯ブラシ買わなきゃ」
乙哉「あっ、お風呂入ったら眠くなっちゃったー」
しえな「自由だなお前……」
何を言っても無駄だと判断したボクは部屋に戻った。
*
乙哉「ねぇねぇ、しえなちゃんは寝ないの?」
しえな「……ボクは夜型の生活だから」
乙哉「そうなんだー、じゃああたし、しえなちゃんのベッドで寝るよ、っと」
そう言い終わらないうちに武智はボクの布団にダイブした。
しえな「おい、布団ならうちの親のがあるからそれを……」
乙哉「あ、しえなちゃんの匂いだ~」
しえな「聞けよ」
乙哉「しえなちゃん臭が今、あたしを包んでいる……!」
しえな「おい」
乙哉「だって二日も寝てないのに……二日も……」
しえな「うるさいな、もうわかったからさっさと寝ろよ」
乙哉「うん!ねぇねぇしえなちゃんさぁ」
しえな「今度はなんだよ」
乙哉「……好きな人いる?」
しえな「さっさと寝ろ!」
乙哉「あははは、面白いなぁしえなちゃんはー。それじゃあ寝るー……」
しえな「まったく……」
ふと部屋の隅を見ると、ハサミの入った鞄が無造作に床に置いてあった。
黒組の頃はすごく大切に扱ってたと思ってたけど。それだけ疲れてるのかな。
しえな「なぁ、あの鞄だけど……」
乙哉「スー……スー……」
しえな「寝るの早いな!」
ということは、やっぱり疲れてたんだな。
ハサミの鞄は放置しておこう。何に使ってたのかを知ってる今となっては触りたくもないし。
それにしても騒がしいやつだ。
*
深夜三時。
この時間はどこのスレも勢いが弱いなあ。
仕方ない。なにか適当に動画でも見て回ろうかな……
乙哉「んん~…んん~…」
しえな「……」
武智が唸りながら布団をかきむしっていた。
しばらくじたばたしていたけど、掛け布団を丸めて抱きつくとようやく落ち着いたみたいだった。
乙哉「んぅ……」
こいつめちゃくちゃ寝相悪いな。
パジャマがめくれて背中が丸出しじゃないか。
乙哉「……晴っち……ん~……刻ませて……」
パジャマを直してやろうとして、やっぱりやめた。
*
乙哉「しえなちゃん、しえなちゃん、起きてー」
しえな「……」
乙哉「しーえーなーちゃん!」
しえな「うう……誰……?」
乙哉「あたしだよー!」
しえな「ああ……そういえばお前いたんだっけ……」
乙哉「えー、ひどーい!ねぇねぇ、起きてよー」
しえな「うぅ……まだ十二時じゃないか……」
乙哉「もうお昼だよ、ねぇご飯作ってよー」
しえな「なんでボクが……うっ、体が……」
机に突っ伏して寝ていたから背中が痛かった。
乙哉「あっ、あたしが作ろっか?でもさぁ」
しえな「眼鏡どこだっけ……」
乙哉「あたしがご飯作ると大体台所が黒こげになっちゃうんだよねぇ」
しえな「……わかった、ボクが作るからここで待ってろ」
乙哉「うん!しえなちゃん大好きー♪」
本当に調子のいいやつだな……あとやっぱりこいつ、騒がしい。
*
しえな「ほら」
ご飯と味噌汁と目玉焼きだけの朝食……時間的には昼食だけど。
乙哉「おいしそう!いただきま~す」
しえな「いいよお世辞は」
乙哉「お世辞じゃないよ?炊きたてご飯と焼きたて卵なんて、施設じゃ絶対食べられないよ」
しえな「そうなんだ。そういうところのご飯って本当に冷たかったりするのか?」
乙哉「冷たくはないけどあったかくはないねぇ」
しえな「ふうん……」
乙哉「あ、この味噌汁、すごくしえなちゃんって味がするねぇ」
しえな「なんだそれ」
乙哉「なんていうか、すっごい無難な味!」
しえな「……褒めてないだろ」
乙哉「あははは!」
しえな「否定しろよ」
乙哉「ねぇねぇ、黒組、どうだった?」
しえな「どうだったって、なにが」
乙哉「何番目にリタイアしたの?しえなちゃんは」
しえな「四番目……」
乙哉「はやっ」
しえな「一番のお前には言われたくない」
乙哉「そうだねぇ、あはは」
しえな「黒組のあと、どうしたんだ?なんで施設に入れられたんだ」
乙哉「それがさー、鳰に警察に突き出されちゃってさー」
しえな「ふーん、妥当な処置だな」
乙哉「おつとめしてた!それで途中一回抜け出してミョウジョウにリベンジに行ったんだけど――」
しえな「え……なんで?」
乙哉「だってさぁ、どうしても晴っちを刻みたくて……」
しえな「うん、食事中だからやっぱりいい」
乙哉「でもまたやられちゃってさぁ、施設に逆戻りして、そんでまた抜け出したの」
しえな「ふーん……」
不屈の精神だな……脱走しすぎだろ。
乙哉「うふふ、そういえばしえなちゃんはさ~、何もできなかったんだって?」
しえな「……」
乙哉「予告状出そうとしたら毒でやられて即退場だったんだって?」
しえな「な、なんで知ってるんだよ」
乙哉「鳰から聞いた!」
しえな「あいつ……」
乙哉「ねぇねぇ、どんな気持ちだった?ねぇねぇ」
しえな「……」
乙哉「ねぇしえなちゃぁん、どれくらい悔しかった?」
しえな「通報してくる」
乙哉「あはは、ごめ~ん、しえなちゃん」
しえな「……」
乙哉「うふふふ、なんか楽しい~。あっ、しえなちゃん、それ!その顔!」
しえな「……なにが?」
乙哉「それそれ!そのムスッとした顔がずっと見たかったんだー♪」
しえな「……」
*
しえな「ん、お茶」
乙哉「ありがとー♪しえなちゃんあたしのお嫁さんになってよー♪」
しえな「うん、やだよ」
乙哉「それでしえなちゃんさぁ」
しえな「なんだよ」
乙哉「なんでひきこもりになってんの?いつから?」
しえな「……はっきり聞くなよ……」
乙哉「一人暮らしなの?」
しえな「関係ないだろ」
乙哉「そうだけどさぁ」
しえな「……」
乙哉「……」
……気まずいな。引き下がれよ。
武智は時間が止まったみたいにボクが話すのをじっと待っている。
なんで誰かといるときの沈黙はこんなに重苦しいんだろう。
ボクはすぐに耐えられなくなって折れた。
乙しえ!やった!
しえな「……お父さんが単身赴任。お母さんはついてった」
お父さんが単身赴任になったのは一年前。
それからはお母さんとボクの二人暮らしだった。
でもボクが学校に行かなくなって、お母さんは娘にどう接していいかわからないみたいだった。
だから、お母さんはお父さんと一緒に住んでいる。
乙哉「学校は?」
しえな「……行ってない」
乙哉「えー、なんでー?」
しえな「うるさいな。いいだろ、なんでも」
乙哉「ああ、そっか、しえなちゃんは学校でいじめられてるんだっけ」
しえな「お、まえ…………誰から!!」
乙哉「鳰ー」
しえな「っく……!なんでも教えるなあいつ……!」
乙哉「やっつけちゃえばいいじゃん、そんなの」
しえな「……」
乙哉「しえなちゃん?」
しえな「だめなんだよ……やり返そうって思うんだけど……どうしても、体が固まっちゃうんだ」
乙哉「ふーん」
しえな「……」
乙哉「あれ、でもしえなちゃんってなんかの組織入ってたんじゃなかったっけ」
しえな「ああ……」
乙哉「えーっと、登校拒否だっけ」
しえな「集団下校」
乙哉「そうそう、そんな感じのー」
しえな「どんな感じだよ」
乙哉「そんな感じの人たちはどうしたの?」
しえな「…………除名」
乙哉「え?何?」
しえな「退院したら除名されてた……よく話してた人とも連絡しようとしたけど、番号変えられてて……」
乙哉「あははははは!!」
しえな「なっ!普通笑うか!?」
乙哉「あははは!ごめんごめん、なんで除名されちゃったの?」
しえな「……笑うから言わない」
乙哉「ごめーんしえなちゃん、もう絶対笑わないからぁ」
しえな「……絶対だぞ」
乙哉「うんうん、指きりする?」
しえな「しない」
乙哉「えー、しようよー」
しえな「なんでだよ」
しえな「実際はそんなに本気なグループじゃなかったんだよ。SNSのコミュニティの延長線上のものだったみたいでさ」
しえな「学校で嫌なやつがいてさー、って愚痴を自由に言える場所で、そのうち交換復讐をはじめたみたいだけど」
しえな「人も殺してるなんて言ってたけど、本当は中学生相手に何人かでリンチしたりとか、その程度だったみたいだ」
しえな「そのなかでボクだけ暗殺者として殺し合いクラスに参加して、本物の暗殺組織の奴に猛毒で撃たれて入院、とかそんなことをやって……」
しえな「つまり、まぁ……ボクは引かれたんだ」
乙哉「あはははははははははははは!!!!」
しえな「くっ……こいつ……!」
お腹をかかえて爆笑する武智。
それだけでは飽きたらず、たっぷり一分くらいその場で笑い転げてから、ようやく武智が起き上がった。
乙哉「あはは、でもさぁ、かえって良かったんじゃない?」
しえな「あ?」
乙哉「そんな口だけの仲良しグループなんて、こっちから願い下げじゃん」
しえな「だって……」
ボクはうつむく。
やっとボクにも居場所ができたと思っていた。
ボクのことを笑ったりしないで、わかってくれて、同じ境遇の仲間ができたと思っていた。
みんなのためなら、自分にできることはなんでもするって思っていた。
それなのに。
乙哉「しえなちゃんさぁ」
しえな「なんだよ」
乙哉「みんなと一緒じゃなきゃ、怖い?」
しえな「……なん、だよ……それ」
思いもよらない武智の言葉に、ボクは何も言い返せなかった。
多分、図星だったからだ。
乙哉「うん!それじゃー、泊めてくれたお礼にさ」
武智がお茶の入っていたコップを手の中で回転させながら言った。
乙哉「その登校拒否さんたちの代わりに、明日あたしがそのいじめっこ達、やっつけてくるよ。あはは」
一旦ここまでです。
読んでくれた方ありがとうございます。
リドルss様がお見えになったぞ!
ありがたや~
ははー
乙しえしえん乙
*
乙哉「ねえねえしえなちゃ~ん」
しえな「なんだよ」
乙哉「そろそろ寝ようよ」
しえな「ボクはまだいいよ、夜型だから」
乙哉「じゃあ寝なくていいから、あたしの隣りで転がっててよ」
しえな「はあ!?」
乙哉「あたし、抱き枕ないと眠れなくてさぁ」
しえな「昨日は寝てたぞ」
乙哉「そりゃあ逃亡生活で丸三日寝てなかったからねぇ」
しえな「あー……」
あれ?確か昨日は二日寝てないって言ってたような気がするけど。
まあどっちでもいいや。
しえな「黒組でも抱き枕なかっただろ」
乙哉「あれはさぁ、すぐ帰るつもりだったし?」
しえな「……」
乙哉「おねが~い、しえなちゃん、このとおり!あたしを助けると思ってさ!」
昨日に引き続き、手を合わせて頼み込んでくる武智。
……危険だ。
こいつは連続殺人鬼だ。しかも自分の快楽のために、気に入った相手を無差別に殺すやつだ。
今まではボクに危害を加えてないけど、これからもそうとは限らない。
一緒に寝るなんて冗談じゃない。自殺行為じゃないか。
起きたらぐるぐる巻きにされてて、ハサミで少しずつ切り刻まれるかもしれない。
乙哉「あっ、しえなちゃんはそういう対象じゃないから大丈夫だよ」
しえな「は?」
ボクの考えを読んだみたいに、武智が手を振りながら言う。
乙哉「しえなちゃんはー、そのー、別に刻みたくならないからさぁ♪」
しえな「ああ……そう……」
殺される心配はどうやらなくなったみたいだ。
でも面と向かってボクは恋愛対象じゃない、と言われるとそれはそれで複雑な気持ちだ。
いや、恋愛じゃなくて欲情だっけ?どっちでもいいか。
というか恋愛って。女同士で、しかもこいつじゃないか、なに考えてるんだボクは。
乙哉「おねが~い」
なおも手を合わせ続ける武智。
しえな「今日だけだぞ」
乙哉「やった!しえなちゃん愛してる!」
だからそういう対象じゃないんだろ、調子いいなこいつ。
*
乙哉「おじゃましま~す♪」
しえな「……」
連続殺人鬼がボクの布団に入ってきた。
入ってくるやいなや、武智はボクの腰に手を回して思いきり抱きしめる。
しえな「っ」
乙哉「どうしたの?」
しえな「……別に」
どうやら平静を装うことができたみたいだ。
誰かに抱きしめられるなんて、覚えてるかぎりでは初めてだった。
乙哉「しえなちゃん、髪ふかふかだねぇ、いいなぁ」
しえな「……ただの天パだよ、そんないいもんじゃない」
乙哉「ふ~ん……」
ボクからしたら武智みたいなストレートの髪がうらやましい。
ボクの話を聞いてるんだか聞いてないんだかわからないけど、武智はボクの肩を抱いたり、腰に手を回したり、頭を胸にうずめたりしていた。
しえな「なにしてんだよ」
乙哉「ちょっと待っててね、今ベストポジションを探してるから」
しえな「なんだそれ」
乙哉「なにって、ふふ」
しえな「……早くしろよな」
乙哉「う~ん……」
うなりながらベストポジションとやらを探している武智をながめて時間を潰す。
……こいつ、落ち着いて見るとすごい美人だな。肌も綺麗だし、スタイルもいいし、髪もつやつやだし。
こういうのを宝の持ち腐れっていうんだろうな。
乙哉「よしっ、これかな!」
しえな「そうか……ってこれ」
ぼーっとしていたから気づかなかったけど、ボクの頭は武智の胸にあって、まるで母親が子供を抱きしめるようだった。
しえな「ち、近いんだけど」
身体は密着してるし、おまけにこいつ足もからめてきてるし。
乙哉「しょうがないねぇ、しえなちゃんメガネ危ないから外すよー」
しえな「いや、だってさ……って、おい!レンズに指紋付いてる、指紋!」
意に介さず、武智はボクのメガネを無造作に持ち上げた。
乙哉「大丈夫大丈夫。メガネどこに置く?」
しえな「……目覚ましの横。今度は壊すなよ」
乙哉「おやすみ~、しえなちゃん」
しえな「聞けよ……うわ、もう寝てるし……」
雑にメガネを置いた武智からはすでに、規則正しい寝息が聞こえてきていた。
ボクは寝るのが好きじゃない。
ボクはいじめにあうようになってからずっと、あまり眠れなかった。
布団に入っても、その日にあった嫌なことを思い出すだけで眠れなかったし、
ようやく眠ってもすぐに嫌な夢を見て飛び起きた。
起きた後は全力疾走した後みたいに心臓がバクバク鳴ってた。
だから眠くて仕方ないくらい眠くなってから寝るようにしていた。
自分の布団なのに他人の匂いがするなんて変な気持ちだ。
こんなぬいぐるみみたいに抱かれてなんて、最悪だ。
……久しぶりにぐっすりと眠った。
*
しえな「本当に大丈夫なのか?」
乙哉「うんうん、大丈夫大丈夫~♪昨日キュッって締めておいたから♪」
しえな「本当か?さらに復讐されたりとか……」
乙哉「そういう雰囲気じゃないかな~、あの子たち。どっちかっていうと優等生みたいなのが多かったしさ」
しえな「うん……」
乙哉「うふふ、震えたり泣いたりすごかったよ。とにかく反撃するようなガッツはないと思うよ」
しえな「本当に……?」
乙哉「本当だよ~、あっ、それより制服伸びてるかも」
しえな「ええっ!?あ、ほんとだ!」
久しぶりに朝に起きて、制服を着て。
しえな「まあこれくらいならいいか……じゃあ、行ってくる」
乙哉「行ってらっしゃーい」
そういえばいってらっしゃい、って言われるの久しぶりだな。
乙哉「大丈夫~?あたしが一緒に行ってあげよっか?」
しえな「バカにするな、学校くらい一人で行ける」
乙哉「知らない人に着いてっちゃだめだよ?信号渡るときはちゃんと左右を見て渡るんだよ?それと――」
しえな「うるさい!」
乙哉「あっははは、しえなちゃんが怒ったー♪」
*
しえな「……ただいま」
乙哉「おかえりー、しえなちゃーん。だめだよー、こういう動画パソコンで見てちゃ」
しえな「うわあああああ!!!」
ダッシュで武智からノートパソコンをひったくる。
乙哉「あー」
しえな「な、なな、なにやってんだよ!ボクのパソコンで!!」
乙哉「んー、インターネットの最近開いたページってのを順番に見てた」
しえな「やめろ!バカ!」
乙哉「しえなちゃんもやっぱり見るんだねぇ、エロ動画」
しえな「え、エロ動画って言うな!たまたまリンク踏んじゃったのが履歴に残ってただけ!」
AltとF4を連打してブラウザを閉じながら叫ぶ。
乙哉「え~、ほんとかなぁ~」
思いっきりノートパソコンをたたむ。
しえな「というかパスワード入力しなきゃ起ち上がんないようにしといたのに……」
乙哉「しえなちゃん、誕生日をパスワードにするのはやめたほうがいいよ?」
しえな「ぐっ……!そ、それにしてもよく知ってたな、ボクの誕生日」
乙哉「卒業アルバムに載ってたよ」
座っている武智の横には、押入れの奥にしまっておいたはずの小学校と中学校の卒業アルバムが無造作に転がっていた。
しえな「なっ、なっ、なに人のアルバム勝手に見てんだよ!」
アルバムに飛びついて回収する。くそ……なんで自分の部屋で走ったり飛んだりしなきゃいけないんだ……
乙哉「すごいジャンプ力だねぇ」
両手でノートパソコンと卒業アルバム二冊をかかえて武智に向き直る。
しえな「ど、どこらへんまで見たんだ!?」
乙哉「『しょうらいのゆめ、けんもちしえな、ボクはしょうらい、おしばいのきゃくほんをかくひとに……』」
しえな「やめろおおおおおおお!!」
*
乙哉「それでどうだった?学校」
しえな「ああ、本当に何事もなかったけど……お前、あいつらに何したんだ?全員松葉杖だったぞ」
乙哉「あはは、お願いしただけだよー?ジャンプしてみてよって」
しえな「ジャンプ?」
乙哉「二階から」
しえな「うわあ……なるほど」
乙哉「リーダーっぽい子をちょっと小突いたら、みんなおとなしくなっちゃってさ、それで……」
しえな「あ、ああ、いいや詳細は」
……一番影響力強そうな子を叩きのめして精神的支柱を砕いてから、一人ずつ足が折れる程度の高さから飛び降りさせたのか。
自分の意思で飛び降りさせることで恐怖感も植えつけられるし効率的……なのかな。
実際に実行するのは相当アレだけど。
乙哉「そう?大丈夫、ビシっと言っといたしさ」
しえな「なにを?」
乙哉「しえなちゃんをいじめていいのはあたしだけ!って」
しえな「いやよくないよ」
乙哉「あはは!そうなのー?」
しえな「学校着いたときから、みんなが遠巻きにボクを警戒してたよ、完全に危険人物だと思われてる」
乙哉「よかったねぇ、もういじめられないよ」
しえな「そうだな。その代わり卒業までぼっち確定だけどな」
乙哉「あははは!大丈夫大丈夫。ほらぁ、しえなちゃんは友達できるタイプじゃないからさ!」
しえな「…………ありがとう」
乙哉「えっ?あっ、うん……」
今日学校で今までボクをいじめていたやつらの様子を思い出した。
殴られた犬みたいな目をしていた。まるで自分たちが被害者のような目だった。
何か言いたいけど怖いから言えないような。
……今までボクの上履き捨てたり机にゴミ入れたりしてたくせに。
あんな連中と仲良くなんてできない。関わりも持ちたくない。
だからいい。
しえな「……」
乙哉「じゃあさ、助けてあげたお礼に一つだけお願い聞いてもらっていい?」
しえな「いいけど……ハサミで切られるの以外な」
乙哉「あ、しえなちゃんはそういう対象じゃないから」
手のひらをこちらに向けて即答する武智。
しえな「……ああ、そう」
やっぱり複雑な気分だった。
なんで複雑なんだ、と心の中で自分に突っ込む。
こいつは嘘つきだし、自分勝手だし、ひとの歯ブラシ勝手に使うし、なにより人殺しだし。
でもボクにない部分をたくさん持ってるから、そこに少しだけ憧れてしまってるのかもしれない。
それにボクの人生の一大問題を、こんなにあっけなく解決してくれたことは本当に感謝している。
……絶対本人には言わないけど。
乙哉「ね、キスしていい?」
しえな「…………は?」
乙哉「黒組終わってから、なんか変でさ」
しえな「なにが」
乙哉「ハサミ愛がなくなってるんだよねぇ」
しえな「なんだそれ」
乙哉「前はさぁ、ハサミなしじゃ落ち着かなかったんだよね。ハサミは身体の一部っていうか」
しえな「はあ」
乙哉「でも今ではお手入れも少し面倒になっちゃって。前は毎日やってたのにさ」
言われてみればこの数日で武智がハサミを触っているのを見たことがなかった。
それどころかハサミの入った袋はずっと部屋の隅に転がったままだ。
乙哉「あと街で綺麗なお姉さんを見ても切り刻みたくなくなってるんだよー!」
しえな「ふうん……知らないけど」
乙哉「いやいやしえなちゃん、大問題だって!この年で性欲がなくなっちゃったんだよ!?」
しえな「性欲言うな」
乙哉「でもなんかさぁ、他に楽しそうなこと見つけたからそれを試そうと思って」
しえな「何?」
乙哉「……」
しえな「?」
乙哉「んふふ」
しえな「え、そこでさっきの話につながんの!?」
乙哉「うん♪この二日間、一緒に寝たでしょ?起きたとき思ったんだよね。しえなちゃんとキスするの楽しそうって」
しえな「た、た、楽しそうだからとか、そんな理由で」
乙哉「えー、いいじゃん、キスくらい」
しえな「そ、そういうのはちゃんと付き合った人とじゃないと――」
乙哉「じゃあ付き合おうよ、しえなちゃん」
しえな「そういう問題じゃないっ」
乙哉「えー、いいじゃん」
武智がにやにや笑いながら、ゆっくりとにじりよってくる。
ボクはちょうど尻餅をついた体勢のままじりじり後ずさる。
乙哉「ねぇねぇ、いいじゃん」
しえな「よくない!」
猫なで声の武智にはっきり言ってやる。
それでも武智は止まらない。薄ら笑いを浮かべながらこちらに迫ってくる。
そのうちボクの背中が部屋の隅の壁に当たる。
冗談じゃないぞ。なんで自分の部屋で追い詰められてるんだ。
乙哉「しえなちゃん……」
耳元で囁かれる。
ゆっくりと武智の顔が近づいてくる。
まずい。このままだと、こいつ本気でやりそうだ。
しえな「おいっ、ん――」
乙哉「ん、ちゅ……」
しえな「……」
乙哉「んっ?んんっ?」
しえな「っはぁ、はぁ」
乙哉「あは、やばっ、これ楽しい!」
しえな「な、な、な……」
乙哉「だからもう一回!」
しえな「おい、んっ……」
乙哉「ぷはっ!うわっ、すっごい楽しい!なにこれ!」
しえな「……」
乙哉「しっえなちゃ~ん♪」
ボクが解放されたのは、何十回もキスした後だった。
しえな「お前ってその、こういう趣味だったっけ」
乙哉「うん?女性のほうが好きだよ」
しえな「そうじゃなくって、ええと、その」
乙哉「キスが楽しいなんて初めて!でも不思議ー、しえなちゃんは全然刻みたくならないのに」
しえな「……なんで急に変わったんだろうな」
乙哉「あたしのしえなちゃんへの愛が奇跡を起こしたんだよー、きっと」
しえな「お前のキスした理由、楽しそうだから、だろ」
乙哉「えー、そんなことないよー、誰が言ったのそんなこと」
しえな「一時間前のお前だ!……ったく、ご飯作ってくる」
乙哉「うん!あたしはがんばって待機してる!」
しえな「……」
黒組のとき、武智は快楽殺人鬼だった。実際に見たわけじゃないけどそれは確実だと思う。
でもなんで今は違うんだろう?
この数ヶ月の間に、武智になにかあったんだろうか。
*
鳰「これは仮説っスけど、ウチがかけた呪術の影響ではないかと思われるっス」
しえな「お前何言ってんだ?呪術?」
鳰「説明とかしないっスよー?面倒なんでー」
しえな「……わかった、それで?」
ボクは走りに電話をしてみた。黒組の調停者だったこいつなら、何か知ってるかもしれないと思ったからだ。
鳰「武智さんはもー、問題児っスから~、退学の際にウチへの恐怖心を植えつけておいたんスよ」
しえな「……恐怖心?」
鳰「そーですねー、壊れてもいい程度にー。それが変な感じに作用しちゃったんじゃないっスかねぇ」
しえな「そうか……呪術とかはよくわかんないけど……」
鳰「まー、今のままのほうが世の中のためなんじゃないっスかねー?」
しえな「そうだな」
鳰「でもまあ、いずれ元に戻るでしょうし」
しえな「え……」
鳰「記憶喪失みたいなものだと思いますんでー。明日か十年後かはわかんないっスけど?そのうち元に戻るかと」
しえな「……」
鳰「シリアルキラーを治す呪いなんて都合のいいものないですしー、ウチは知ーらないっス」
しえな「元に、戻っちゃうのか……」
鳰「そっスねー。記憶喪失みたくなんか強いショックでも与えてみればすぐ元に戻るじゃないっスか?」
しえな「……」
今日はここまでです!
読んでくれた方ありがとうございます。
乙しえ!
待ってます
乙←こ、これは乙じゃなくて武智のポニーテールなんだからな!勘違いするなよ!
*
しえな「武智。その、走りになにかされたのか?」
乙哉「う~ん、覚えてないんだよねぇ」
学校に行くようになってから数日が経った。
ボクは学校では何事も無くひとりで過ごし、家に帰ると武智にまとわりつかれたりキスされたりするのが日常になっていた。
しえな「え?最近のことだろ?なんで?」
乙哉「わかんない!気づいたらどっかの個室に閉じ込められててさぁ」
しえな「うん」
乙哉「三日くらいずっと震えが止まんなくてさ、ずっと寝たきりでトイレだけ這って行ってた」
しえな「いやいやいや!絶対まずいだろその状態」
乙哉「そうだよねぇ、その後少しずつ持ち直して、治った!って思ったら警察に突き出されちゃった」
しえな「なるほど」
多分あまりに強いストレスがかかって脳が辛い体験の記憶を消してしまったんだ。
そしてそのときの精神的外傷が武智の心に影響を及ぼした。そんなところだろうか。
快楽殺人趣味だったのが同性愛趣味に。
乙哉「そんなことよりさぁ、しえなちゃん」
武智が猫なで声を出した。
乙哉「キスしようよ」
しえな「……お前最近そればっかだな」
乙哉「えへへへへ、隙あり!」
しえな「ん、むっ……はぁ、隙有り、じゃないよ、バカ」
乙哉「んふふ」
しえな「……なんでボクの服脱がそうとしてんだ」
乙哉「え~?気のせいじゃない?」
しえな「じゃない」
乙哉「うん。じゃあしえなちゃん、しようよ」
しえな「は、はあっ!?」
乙哉「だめ?」
しえな「……だめ」
乙哉「だってさぁ、人生は短いんだよ?気持ち良いことは我慢することないよ!」
しえな「気持ち……と、とにかく、そんなふうに言われてじゃあしよう、ってなるわけないだろ」
乙哉「じゃあどんなふうに言えばいい?」
しえな「知らないよ」
乙哉「しえなちゃん、猫みたいだね。あっ、猫っていっても動物のほうね」
しえな「うるさいよ」
乙哉「こっちから構うとフギャーってなるところがね」
しえな「そんなことしてない」
乙哉「しえなちゃん可愛いなぁ。なんでだろ、全然好きなタイプじゃないのに」
しえな「おい」
乙哉「あっ、でも人を殺したことないのに黒組に参加するようなところはちょっとタイプかも」
しえな「は……?」
乙哉「しえなちゃんさぁ、ホントは処女でしょ、あっ、処女って言っても殺人のほうね」
しえな「……違う」
乙哉「別に隠さなくっていいよ。笑ったりもしないから」
しえな「……」
乙哉「殺したことないよね?」
しえな「……」
武智にじっと見つめられて、目をそらしてしまった。
乙哉「やっぱり!当たった♪」
しえな「なんで……」
乙哉「んー、なんとなくかな」
しえな「そんなことでか?」
乙哉「わかってないなぁしえなちゃん、生きるか死ぬかの状況だと、なんとなくってすっごく大事なんだよ?」
しえな「……」
乙哉「どうしたの?」
しえな「あのさ、自分は人だって殺せるんだって、普通の人間じゃないんだって、思いたかったのかも――」
乙哉「ふーん、それは置いといて、しようよ~♪」
しえな「えっ、ボク今、けっこう重要な話してるんだけど」
乙哉「えー、あんま興味ないー」
しえな「……なんていうか、なんか、なんなの?お前」
乙哉「ん~?」
ひとつわかった。
こいつは人を殺さなくなったけど、それ以外はなにも変わってない。
自分の快楽のためなら相手の気持ちや都合なんて考えない。
暗いほうへ暗いほうへ考えてしまうボクとは正反対だ。
……でもいつのまにか、何故かこいつのことが好きになっていた。
乙哉「大丈夫、しえなちゃんは何もしなくていいからね」
そう言って武智はゆっくりと、両手でボクの顔を包み込んでキスをした。
ボクが背中に両手を回すと、武智は嬉しそうにボクを布団に押し倒した。
*
乙哉「あー、ここまでしたのは生まれて初めてー、あはは」
しえな「はあ……?初めてってことはないだろ」
なんか手慣れてたような気がしたし。
乙哉「うふふ、本当だよ、やりたいようにやっただけだよ♪」
しえな「そんなさわやかに言う内容じゃないと思う」
乙哉「じゃあしえなちゃんは、ハサミで人を切ったことないの?」
しえな「そんなのあるわけないだろ」
乙哉「それと同じだよ。あたしにとっては今しえなちゃんが思ったくらいに理解不能な行為だったんだからさ」
しえな「そっか……」
乙哉「しえなちゃん、もう一回しよっか」
しえな「お前言い方とかさ……」
乙哉「えー、気持ちいいからいいじゃん」
しえな「乙哉さ……」
乙哉「あっ!」
しえな「な、なんだ」
乙哉「ねぇ今あたしのこと名前で呼んだ?」
しえな「……知らない」
乙哉「しえなちゃ~ん、もう一回呼んでよ、ねぇねぇ」
しえな「呼ばない」
乙哉「じゃあこんなことしちゃうよ?」
乙哉が身体をくっつけて首筋にキスしてきた。
身体と身体が触れ合う、暖かくて柔らかい感触。
それがとても心地よくて、ボクは乙哉に抱きつく。
乙哉「しえなちゃん、うへへ……」
変態っぽい笑い声をあげながら、乙哉は唇を重ねてきた。
*
それからしばらく経った日の学校での昼休み。
自分の席に座ったまま乙哉とのことを考えていた。
今日の夕飯は何にしようかとか、さすがに毎日毎日抱き合ったりするのはどうなんだろう、とか。
しょうがないヤツだ。なんであんなの好きになったんだろう。
あんまり許してばっかりだとつけあがるから……
『でもまあ、いずれ元に戻るでしょうし』
……走りの言葉を思い出してしまった。
あいつが黒組の頃のあいつに戻ったらどうなるんだろう。
今の状態は、あいつにとってどうなんだろう。
キスしたりするときなんか、すごく嬉しそうだけど。
ボクにとっては今のままでいてほしいけど、それはボクの勝手な願望なのかもしれない。
今のままでいる保証はない。ずっとこのままならそれが社会的には一番良いかもしれないけど。
どうすればいいんだろう。
走りの言ったとおり、いずれは元に戻ってしまうような気もしていた。
なら、早いほうがいいんじゃないか。
なにか強いショックを与えれば、と走りは言っていた。
ハサミで『モノ』を切り刻む快感を味わえば、元に戻るかな。
でも当然、ボクが殺されるわけにはいかない。ちょっと腕だけ切らせる、ってのも嫌だし。
……そういえば、あいつが切りたがっていたものがあった。
*
しえな「ほら」
学校から帰ってすぐ、ボクは乙哉にハサミを無理矢理持たせた。
乙哉は興味なさそうにハサミを眺めている。
乙哉「うーん……気が乗らないなあ」
しえな「ほら、こんなこと本当だったらありえないんだからな」
乙哉「いきなりおさげ切れって言われてもさぁ……しえなちゃん、おかしくなったの?」
しえな「お礼だよ。ボクが学校に行けるようになったの、お前のおかげだから」
乙哉「お気持ちは嬉しいんですけど……」
しえな「なんで丁寧語なんだよ」
乙哉「えー、ホントにやらなきゃだめー?キスしようよー」
しえな「だめ」
乙哉「なんでー?」
しえな「なんでも」
乙哉「しえなちゃんはよくわからないなぁ」
しえな「お前にだけは言われたくないよ!」
乙哉「ええ~……」
しえな「……わかった、じゃあ一緒に切ろう」
乙哉「ウェディングケーキ入刀みたいだね。初めての共同作業っていうかさ、あははは」
しえな「ほら、ハサミ持て」
乙哉「はーい」
しえな「じゃあ、せーのでいくからな」
乙哉「ふぁ~あ」
しえな「っておい!」
乙哉「んー、はーい」
乙哉の手を包むように握った手に力を込める。
さすがというかなんというか、こいつのハサミはすごい切れ味だ。
ほとんど何の抵抗もなく、ボクのおさげは切り落とされた。
乙哉「ほらやっぱり楽しく……あれ」
しえな「どうだ?」
乙哉「あー……」
しえな「乙哉?」
乙哉「なんか、思い出したかも」
しえな「っ……」
乙哉「あ、うん、楽しい!切るの、楽しい!」
乙哉は切り落としたおさげをザクザクと切っていた。
しえな「そうか……」
乙哉「思い出した~!これこれ!あははははは!!!」
しえな「……」
あまりに速く切り刻まれすぎて粉雪のようになった髪の毛が床に舞い落ちる。
乙哉は楽しくて嬉しくて仕方がない、という様子だった。
そうだよな。快楽殺人癖がなくなったわけじゃなくって、一時的に眠ってただけだったんだ。
走りの言うように、記憶喪失みたいにいずれは元通りになるものだったんだ。
ボクの分析が正しかったことが証明されただけだ。
乙哉「しえなちゃんさぁ……」
しゃかしゃかハサミを開閉しながら、乙哉が下心丸出しの顔でボクを見ていた。
そっか。
ボクはこれからこいつに殺されるのか。
お前、ちゃんとボクのこと好きだったんだな。
乙哉「動かないでね♪」
乙哉のハサミがボクの視界を横断した。
…………痛くない。
痛みを覚えないくらい鋭く切られたのかな。
乙哉「はいっ、終わったよ」
しえな「え」
乙哉「片方だけ切ったんじゃバランス悪いよ、ついでに自然な感じに揃えといたからね」
乙哉の手のなかで、おさげがくるくるとほどけていた。
乙哉「うーん、でもしえなちゃんはやっぱりおさげのほうがかわいいよねぇ」
しえな「なんで……殺さないんだ」
乙哉「え~?なんでって、なんで?」
乙哉にとってやっぱりボクなんて好きじゃないんだろうか。
しえな「戻ったんだろ、その……性癖がさ」
乙哉「戻ったよ?しえなちゃんチョキチョキしたいなぁ、あはは」
しえな「……」
乙哉「ん~、でもさぁ」
乙哉「こっちのほうが楽しいかな」
乙哉はそう言ってボクを抱きしめて、キスをした。
しえな「え……」
どういうことだ?
乙哉「ん~やっぱり!しえなちゃんは刻んじゃうよりこうしたほうがいいや」
しえな「乙哉……」
乙哉「ハサミで切り刻むのは好き。でもしえなちゃんとエロいことするほうが好き。他の人はどうでもいいんだけどさぁ」
しえな「そうか……そうなんだ……あとエロいことって言うな」
乙哉「しえなちゃんがいればさぁ、誰かを刻んだりしなくてもいいくらい好きだよ、しえなちゃん」
しえな「なんだよその文句……最悪なんだけど」
乙哉「しえなちゃ~ん、うへへ……あっ、よだれ垂れちゃった」
しえな「おいっ!」
*
乙哉「っていうことみたい」
鳰「うへぇ~……うわぁ~……聞きたくなかったっスねぇ~」
そりゃそうだ。
知り合いに『人を殺すことでしか快楽を得られなかったけど今では同性愛でも欲求が満たせるようになりました』と言われたらボクも同じリアクションをする。
鳰「ま~、だいたいわかったんでもういいっスよ」
乙哉「鳰聞いてよー、しえなちゃんってすっごい柔らかいんだよ?髪もふかふかでさぁ」
鳰「あ~……」
しえな「おい乙哉」
鳰「こっちはこっちでナチュラルに名前呼びですし……」
乙哉「しえなちゃん普段はムスッとしてるけどさぁ、ベッドの中ではすっごく可愛くってさ――」
鳰「あー……あっ、へぇ~、しえなちゃんもぉ、生田目さんのことは吹っ切れたみたいっスねぇぇぇ」
乙哉「は?えっ、は?何?何の話?なんで生田目さんが出てくんの?」
しえな「え」
というかなんでこいつが知ってるんだ……?桐ヶ谷が吹聴してまわったのか?それとも盗聴?
鳰「あっ、言ってなかったんスか~?いや~ごめんなさーい。てっきり隠し事はないものかとー」
乙哉「しえなちゃん?しえなちゃん?」
しえな「あ、の、その、違うぞ、なんでもないから」
予想もしていない事態に混乱し、誤解を招く言い方をしてしまう。
くそ。走り鳰……!やっぱりあいつは嫌いだ……!
乙哉「えっ、なにが?え?」
乙哉は笑顔のままだったけど、口許が引きつっている。
……乙哉がこんな表情をするのは初めて見た。
鳰「それじゃあウチはこのへんで~。二度と電話してこないでくださいねー♪」
乙哉「さすがしえなちゃん。あたし、こんな感情生まれてはじめて味わうよ」
しえな「だ、だから本当になんともないから。ハサミをしまえよ。な?」
通話の切れた電話を完全に無視して乙哉がボクに詰め寄った。
*
乙哉「な~んだ、ちょっといいなって思っただけかぁ」
しえな「だから、そう言ってるだろ。百回くらい言ったよ」
乙哉「あはははは、ごめ~ん、こういうの初めてだから」
しえな「ああ……」
乙哉「なんかね、あたししえなちゃんのこと好きみたい」
しえな「……うん。でも、なんで?」
乙哉「んー」
しばらく考えてから乙哉が口を開く。
乙哉「しえなちゃんだけなんだよねー、今までこんなにたくさん話した人」
そうか。こいつ、適当って言うかウソばっかりついてるし、今までみんな離れていってたんだろうな。
……ボクは自分のことで頭がいっぱいだったからだけなんだけど。まあいいや。
しえな「……ボクも大好きだよ」
乙哉「あはは、知ってるー♪」
しえな「うん」
ボクのほうから初めて手をつないでみる。
乙哉「だからさ」
乙哉は笑いながら、つないだ手をそっと離した。
乙哉「あたしは施設に戻るよ」
しえな「……は?」
乙哉「明日出発するよー、今までありがとうね」
しえな「いや、ちょっと。何言ってんだ?」
乙哉「ん?施設に戻るんだよ」
しえな「なんでだよ!なんでそんなウソつくんだ!」
乙哉「しえなちゃんさぁ」
しえな「……なんだよ……」
乙哉「だって一緒にいたいじゃん。これから出来るだけずっと」
しえな「……」
乙哉「一生逃亡生活なんて無理だよ。一人なら出来るかもだけど、しえなちゃんと、ってなるとね」
しえな「……」
乙哉「普通に表歩けるようになって、それにちゃんとした仕事もしなきゃいけないし……あはは、しえなちゃんのせいで人生狂っちゃったよ」
しえな「うん……」
乙哉「年齢的にもさ、いい子にしてれば何年かで出てこれると思うんだ。そしたら一緒に住もうよ」
しえな「うん……」
乙哉「うふふ、沈んだしえなちゃんも可愛い~♪」
しえな「……毎日面会に行くよ」
乙哉「あははは、毎日は無理だよー、週に一回くらいじゃないかなぁ」
しえな「じゃあ毎週行くよ、暇だからな」
乙哉「さすがぼっちのしえなちゃんだね」
しえな「うるさい」
乙哉がボクの頭を撫でていた。
*数年後
乙哉「しえなちゃん、ただいま~!」
しえな「おかえり」
乙哉「お腹すいたぁ、ご飯なに?」
しえな「今日は寒いからお鍋だよ」
乙哉「美味しそう!先にお風呂入ってくるね!」
しえな「うん」
乙哉「おいしい!」
しえな「ありがとう」
乙哉「おいしい、おいしい」
しえな「ああ、わかったからゆっくり食べろよ」
乙哉「うんうん、これさ、もしかして最後にラーメンできる?」
しえな「ああ、買ってあるから」
乙哉「さすがしえなちゃん!さすがあたしの嫁だね!愛してる!」
しえな「おおげさだな」
乙哉「しえなちゃんさぁ、この前応募したお芝居の脚本、どうだった?採用されそう?」
しえな「うっ……ダメだった……」
乙哉「もう諦めてあたしのお嫁さんになればいいのに」
しえな「そうもいかないだろ、せっかくそっちの専門学校行ったんだし」
乙哉「うーん、そうかなぁ……あっ、そういえばさぁ、明日からお店でカット担当させてもらえるようになったよ」
しえな「そうなのか」
乙哉「二年くらいひたすら髪の毛掃除したりビラを配ったかいがあったよー。美容院の下っ端卒業!」
しえな「良かったな」
乙哉「うんうん、良かったよー。まああたしよりカット上手い人なんていないしね!」
しえな「……だろうな」
乙哉「将来あたしが独立したら、しえなちゃん経営お願いね~♪」
しえな「えっ!?」
乙哉「だってさぁ、あたしカット以外の事したくないし~」
しえな「ああ、なるほど」
乙哉「いやー、でもさぁ、黒組に参加したときはこうなるなんて思ってもみなかったよ~」
しえな「それはボクもだよ」
乙哉「なんでも世界は赦しに満ちているらしいよ?」
しえな「なんだそれ」
乙哉「晴っちが渡しに来たでしょ?卒業証書。そんときに言ってたんだ」
しえな「ふーん……変なやつだな、あいつも」
乙哉「ふふふ、面白いよねぇ、生きてると何があるかわかんないから」
しえな「……そうだな。お前が美容師やってるくらいだからな」
乙哉「あははは!しえなちゃん、それでね……」
しえな「なんだよ、近いよ」
乙哉「しえなちゃん、大好きだよ」
しえな「うん……ボクもだよ」
乙哉「あはは、あっ、よだれ垂れちゃった」
しえな「おいっ!」
おしまい
読んでくれた方本当にありがとうございました!
ええ、とにかくハッピーな乙しえが書きたかっただけです。失礼しました!
乙しえ!乙しえ!
ハッピーエンド乙しええええ!!!
これは素晴らしい。
乙
乙しえ
乙
大分前に乙しえハッピーエンドってありか?ってスレで聞いてた人だろうか
乙しえ乙っスよぉぉぉぉ
しえなちゃんただいま~!で泣ける
乙、乙しえッス
これは光の乙しえやでぇ…
このSSまとめへのコメント
登校拒否ワロタ
ハッピーエンド光の乙しえ…よだれ垂れちゃいました…