ちなつ「この交差点の向こうに君がいるとしたら」 (59)

どうしよう、ふわふわした気持ちが止まらない。
あれからもう何日も経ってるのに……
地に足がついていない、っていうのはこういうことなんだ、って、凄くよく分かる。
でも、しょうがないよね。
中学に入学して以来、ずっと夢見たことが叶ったんだから。

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ちなつ「結衣先輩……」


その日、私は結衣先輩に手紙を書いた。
ごらく部で毎日のように会ってるわけだから、直接話せばいいだけかもしれないけれど、やっぱりこういうのは雰囲気が大事だもんね。
放課後、校舎の裏に来てください、だなんて。
いつもより早く家を出て人のまばらなうちに学校に着いた私は、
少女漫画のような文面の手紙を少女漫画のように結衣先輩の靴箱に押し込んだ。
その日の授業は、なんにも頭に入ってこなかったなあ。
結衣先輩、来てくれるかな。
ちゃんと言いたいこと、言えるかな。
そんなことばっかり考えちゃって。

ちなつ「あの……」


だから、放課後、結衣先輩が一人きりで校舎の裏に来てくれただけで、私の胸は高まった。
それはもう、人生で一番心臓がドキドキしてるって分かるくらい。
うまく言葉を繋げられない私を見て、結衣先輩はちょっと戸惑ったような表情を見せる。


結衣「ちなつちゃん、大丈夫?」

ちなつ「はい……」

ちなつ「結衣先輩!」

ちなつ「知ってるとは思いますけど、私……」

ちなつ「私、結衣先輩のことが好きです!」

ちなつ「先輩、私と、お付き合いしてください!」

結衣「ええっと……」

少し困った表情で答えあぐねる結衣先輩。
はっ、危うく忘れるところだった。こんな時のためにあかりちゃんと練った作戦があるんだもん。


ちなつ「じゃ、じゃあ、こういうのはどうでしょう!?」

ちなつ「1週間、私と付き合ってくれませんか?」

結衣「1週間?」

ちなつ「はい!ひとまずはそれだけでいいですから」

ちなつ「1週間経ったら、そのときまた考えてくれませんか?」

ああ、またあの時のことを思い出してた。
あの時、真剣な面持ちになった結衣先輩が、ふっと微笑んで、顔をあげて、それで……
何度思い出してもちょっとだけ恥ずかしくて、でも凄く嬉しい、そんな気分になる。
熱くなった顔を両手で覆って、しばらくはその余韻に浸かっていたけれど、でも、ずっとそうしているわけにもいかないよね。
目の前にある、ごらく部の部室の扉に手を掛けた。なんだか久しぶりのごらく部。
あの日、ごらく部はお休みになった。まあ、私が結衣先輩を呼び出した時点で部員が半分出られないってだけなんだけど。
昨日もごらく部の活動は中止になったから、えーと、3日ぶり?
ちょっとドキドキしながら、扉を開いた。

ちなつ「お、おはようございます」

京子「おお、おっはよーちなちゅ!」


あああ。やっちゃった。放課後に「おはよう」はないでしょチーナ。


あかり「ちなつちゃん、もう午後だよ?」

ちなつ「うん」


先に来ていたあかりちゃんの真面目な返しに適当に相槌を打つ。
部室には、もう私以外の3人は揃っていた。結衣先輩の視線に気づき、なんだか照れちゃう。
手近なところに腰を下ろすと、あかりちゃんと目があった。

ちなつ「あかりちゃん」

ちなつ「明日ね、結衣先輩に告白しようと思うの」


あれは、確か3日前の帰り道のこと。
私はあかりちゃんにそう打ち明けた。


ちなつ「今回こそは本気だよ!」

あかり「そ、そうなの?」

ちなつ「でね、相談なんだけど……どんなふうに告白するのがいいかな?」

あかり「うーん……」

あかり「ちなつちゃんの気持ちを素直に伝えればいいと思うよ」


そう言って、あかりちゃんはにこっと笑った。
きっと1人では勇気が出ないと思うけれど、あかりちゃんに応援してもらえると不思議と大丈夫な気がしてくる。

ちなつ「直接言った方がいいのかな?それともお手紙の方が……」

あかり「それだったら、お手紙で結衣ちゃんを呼び出して、それで直接伝えたら?」

ちなつ「あっ、それロマンチックかも!」

ちなつ「校舎裏で『結衣先輩、ずっと前から好きだったんです』なんて……」

ちなつ「それで『私もだよ、マイスイートハニー』……って、キャー!!」

あかり「ち、ちなつちゃん?」

ちなつ「……でも、OKしてくれるかな」

あかり「えっと……」

ちなつ「あかりちゃんは、ダメだと思う?」

あかり「そんなことないけど、でも、いきなり言われても結衣ちゃん答えられないんじゃないかな」

ちなつ「そうよね、こんな大事なことすぐには決められないし」

あかり「ちゃんと考える時間があったほうがいいんじゃないかなぁ?」

ちなつ「そうね……」

ちなつ「あっ、じゃあ、こういうのはどうかな?」

ちなつ「結衣先輩に、1週間だけでいいから、って言って付き合ってもらうの!」

ちなつ「どう?それで、その間に結衣先輩をメロメロにしちゃえばいいと思わない!?」

あかり「あはは、うん、いいんじゃないかなぁ」

ちなつ「ふふ、そうと決まれば話は早いわ」

ちなつ「それじゃあかりちゃん、私急がなきゃ!」

ちなつ「結衣先輩にお手紙書かないといけないもん」

あかり「うん、じゃあね、ちなつちゃん」


あかりちゃんに手を振ってから、一目散に走って家まで帰った。
でも、全然疲れなくて、体に羽が生えてるみたいで。
考えることは結衣先輩のことばっかり。
どんなお手紙書こうかな、とか、何て言って告白しよう、とか。
それで、もし先輩がOKしてくれたら……

そうだ、まずは真っ先にあかりちゃんに伝えよう。
あかりちゃんはいつも私の話を聞いてくれて、相談に乗ってくれて、いっぱいお世話になったから。
だから、どんな結果でも真っ先にあかりちゃんには報告しなくちゃ。
そう思ったから、結衣先輩に告白した次の日、つまりは昨日なんだけど、
学校であかりちゃんと二人っきりになったタイミングを見計らって私は切り出した。


ちなつ「あのね、あかりちゃん」

あかり「なあに?」

ちなつ「その……結衣先輩のことなんだけど」

ちなつ「うまく、いったんだ」

あかり「本当!?」


あかりちゃんの表情がぱっと明るくなる。


あかり「良かったね、ちなつちゃん」

ちなつ「ありがとう、あかりちゃん。あかりちゃんのお蔭だよ」

あかり「ううん、ちなつちゃんが頑張ったからだよぉ」

ちなつ「あかりちゃんがいなかったら頑張れなかったの!」


そういって、あかりちゃんに抱きつく。
あかりちゃんは、ちょっと照れたような、困ったような笑顔で私を受け止めてくれた。

あかり「今日はなにする?」


ごらく部のメンバーが全員揃ったところで、あかりちゃんがそう言った。


京子「んー、そうだなー」


京子先輩がごそごそカバンの中を漁っている間、結衣先輩がちらりとこちらに視線を向ける。
それだけで、結衣先輩が言いたいことが分かった。やっぱり恥ずかしいけど―
それでも私は、結衣先輩の方を見て小さくうなずいた。

昨日はごらく部の活動がなくなっちゃって、本当は先輩と一緒に帰ったりしたかったけれど、
結局なんとなくあかりちゃんと向日葵ちゃんと櫻子ちゃん、っていうメンバーで帰ることになった。
だから、どうしても結衣先輩の声が聞きたくって、夜、私は結衣先輩に電話を掛けた。


結衣「もしもし」

ちなつ「あっ、結衣先輩ですか?今ご迷惑じゃないですか?」

結衣「うん、大丈夫だよ」

期待

ちなつ「先輩、今日の帰りは?京子先輩と一緒でしたか?」

結衣「いや、京子はなんか先生に呼ばれてるとか言ってたから一人だったけど」

ちなつ「そうだったんですか?だったら私がご一緒したのに!」

結衣「ちなつちゃんはあかりと?」

ちなつ「はい、あとは向日葵ちゃんと櫻子ちゃん」

結衣「そうなんだ」

ちなつ「今日はごらく部、なかったですもんね」

結衣「そうだね……」

ちなつ「?」

結衣「明日さ、ごらく部あったらさ」

結衣「あかりと京子にも伝えた方がいいのかな、このこと」

ちなつ「そうですね……」

結衣「ちょっと恥ずかしいんだけどね」

ちなつ「私も少し恥ずかしいですけど、でも」

ちなつ「やっぱり言った方がいと思います」

結衣「そうだね」

ちなつ「あ、あの、結衣先輩……」

結衣「なに?」

ちなつ「明日も、夜に電話していいですか?」

結衣「いいよ」

結衣「じゃあ、明日は私から掛けようか」

ちなつ「は、はいっ!嬉しいですぅ!」

結衣「今日とおんなじくらいの時間でいいよね。10時とか」

ちなつ「はい、待ってます!」

結衣「それじゃ、また明日」

ちなつ「はい、おやすみなさい」


電話を切って、携帯を抱きしめながらベッドに倒れこむ。
目を閉じるといつまでも、あの結衣先輩の優しい声が聞こえてくるような気がした。

結衣「あのさ、皆に話しておかないといけないことがあるんだ」

京子「なになに?私が美少女だってことについて?」

結衣「んなわけないだろ」

京子「何だと!?私以上の美少女がいるっていうのか!?」

ちなつ「もう京子先輩、ちょっと黙っててください」


茶化す京子先輩を抑えて、結衣先輩に目で促す。
静かになったごらく部の部室の中で、結衣先輩は小さくうなずいてから口を開いた。

結衣「その、私とちなつちゃん、さ」

結衣「付き合い始めたんだ」

京子「……うぇっ!?」

ちなつ「おととい、私が告白して、結衣先輩がOKくれたんですぅ!」

結衣「あれ、あかりは驚かないの?」

あかり「えへへ、あかり、実はもうちなつちゃんから聞いてたんだぁ」

ちなつ「言ってませんでしたっけ?」

結衣「いや、聞いてないと思うけど……」

ちなつ「あれ?そうでしたか?」


ちょっと舌を出して、可愛く誤魔化す。
あかりちゃんが知ってる以上、私から見たら単なる京子先輩への報告ってことになっちゃうんだけど、
それでも、この場所で、この4人でいるときに、どうしても言っておきたかった。
それだけこのごらく部は、私にとって大切なものだったから。
もしかしたら、4人の関係は少しずつ変わっていてしまうかもしれないけれど、
今までと同じように、隠し事なんてない私たちでいたかったから。

京子「はぁー、ちょっと前までおしめしてた結衣ちゃんも、もうお年頃なのねえ」

結衣「何だそれ」

京子「綾乃たちにも言いふらしに行こーぜ」

結衣「なっ、別にそこまでしなくてもいいだろ」

京子「おっ、照れてる照れてる」

結衣「やめろ」ビシッ

ちなつ「京子先輩はあいかわらずだね」

あかり「そうだね」


結衣先輩と幼馴染でずっと一緒だった京子先輩がどんな反応するかはちょっと心配で、
少し寂しそうにするんじゃないかと思ってたけど、京子先輩はやっぱり京子先輩だった。
それを見て、なんだか嬉しくなる。きっと、ごらく部はごらく部のままだ。

あかり「あのね、あかり、櫻子ちゃんにツイスターゲーム借りたんだ」

結衣「ツイスターゲーム?」

京子「へー、さくっちゃん、いいもの持ってんじゃん」

ちなつ「あかりちゃん、荷物多いと思ってたらそれだったのね」

あかり「うん、みんなでやろうよ」

結衣「そうだな」

京子「ふふん、このツイスター無敗の女歳納京子に勝てるかな?」

あかり「へぇー、京子ちゃん、そんなに強いんだぁ」

結衣「京子、やったことあんの?」

京子「ないよ?」

あかり「ないのっ!?」

結局、その日の放課後はずっとツイスターゲームで盛り上がった。
まるで、私たちが付き合い始めたことなんてなかったかのように、いつも通りのごらく部。
唯一違うところがあるとすれば、前の私なら「結衣先輩に触れるチャンスよ!」とか思ってたはずだけど、
今はわざわざそんな風に考える必要もなくなった、ってことくらいかな。
だって今の私は、いくらでも結衣先輩に触れていいんだから。

携帯電話を開く。画面には21:50と表示されていた。
結衣先輩が夜の10時に電話をくれると言っていたのが待ちきれなくて、
ちょっと前からベッドの上で正座して、携帯を閉じたり開いたりしている。
結衣先輩と電話で話せるというドキドキと、もしかしたらかかってこないんじゃないかという不安で、
1秒がとっても長く感じられた。

21:59の文字が22:00に変わってすぐ、携帯の着信音が鳴りだした。
急いで通話ボタンを押す。結衣先輩の声がすぐ近くで聞こえ、胸が幸せで満たされていくのを感じた。
しばらくは雑談をしていたけれど、結衣先輩は一瞬黙ってから、何故か改まった様子で切り出した。

結衣「ねえ、ちなつちゃん」

ちなつ「なんですか?」

結衣「ほら、明日休みだから、どこか遊びに行こうよ」

ちなつ「え、デートですか!?」

結衣「うん、ちなつちゃん、どこか行きたいところ、ある?」

ちなつ「えっと、私は結衣先輩と一緒ならどこでも……!」

結衣「うーん……じゃあ、買い物にでも行こうか。服見たりとか」

ちなつ「はい!」

結衣「あ、明日予定とか無い?」

ちなつ「もちろんです!結衣先輩とのデートなら毎日だっていいですぅ!」

結衣「あはは、じゃあ、明日の10時に、駅に集合でいい?」

ちなつ「わかりました」

結衣「それじゃ、おやすみ。楽しみだね、デート」

ちなつ「おやすみなさい、結衣先輩」


結衣先輩とラブラブデート!
しかも先輩から誘ってくれるなんて、私、こんなに幸せでいいの?
そうだ。こんなときのためにあかりちゃんと練習したんだもん。
絶対に楽しまなきゃ!

そうだ、あかりちゃんにも報告しよう。
携帯を取り出して、アドレス帳の一番上の「赤座あかり」のメールアドレスを選んでから、
ちょっと迷って戻るボタンを押した。電話番号の方を選択して、あかりちゃんを呼び出す。


あかり「ちなつちゃん?」

ちなつ「あかりちゃん、聞いて?結衣先輩がデートに誘ってくれたんだ!」

あかり「へぇー、よかったね、ちなつちゃん」

ちなつ「あかりちゃんが協力してくれたお陰だよ」

ちなつ「明日は最っ高のデートにするから!」

ちなつ「せっかくあかりちゃんが練習に付き合ってくれたんだもん」

ちなつ「その成果を出さないとね」

あかり「うん、ちなつちゃん、頑張ってね」

ちなつ「それじゃ、明日のために早く寝なくっちゃ。それじゃね、あかりちゃん」

あかり「おやすみ、ちなつちゃん」


ふう。一方的に喋っちゃったけど、あかりちゃんも喜んでくれてよかった。やっぱりあかりちゃん、優しいな。
これでやるべきことは全部済んだし、寝るわよチーナ!
なんてったって、夜更かしは美容の天敵だもん。
明日は一番可愛い私でいなくっちゃいけないんだから。

結衣「おまたせ、ちなつちゃん」


土曜日の朝、結衣先輩は時間ちょうどに待ち合わせ場所に現れた。
私は携帯をポケットにしまって、結衣先輩に駆け寄った。
睡眠もばっちり、お洒落もカンペキ。きっと結衣先輩も可愛いと思ってくれるはず!


ちなつ「いえ、私も今来たところですぅ!」

結衣「ちなつちゃん、服可愛いね」

ちなつ「そ、そうですか?」

結衣「うん、似合ってるよ」

ちなつ「えへへ」


ちょっと得意になって、結衣先輩に見つめられる中、くるんと一回転する。
結衣先輩とのデートの日を夢見て買ったワンピースのスカートが、ひらひらと揺れた。


結衣「じゃあ、行こうか」


そういって、結衣先輩は不意に私の手を取った。
そのさりげない仕草に、私の胸は急に高鳴り始める。
改札までのほんの10メートルくらいの距離が、まるで永遠に続くように感じた。

結衣「あ、ここ」


そう言って結衣先輩が服屋さんの前で立ちどまった。
お洒落で可愛い服が並ぶショーウィンドウに見覚えが……
あ、そうだ。たしかあかりちゃんと一度来たことがあったんだ。


ちなつ「あ……」

結衣「こないだ、この辺通りかかった時に見かけたんだ」

結衣「ちなつちゃん、こういう感じ好きそうかなって思ったんだけど」

ちなつ「え、は、はい!すごく素敵です!」

ドアを開け、店内に入っていく結衣先輩に後ろからついていく。
周りにはカラフルな服がところ狭しと並んでいて、まるでお花畑のよう。


ちなつ「でも、結衣先輩はここでいいんですか?」

結衣「ん?まあ私が着れるような服もあったら見てみるよ」


そんなことを話していたら、ふと思い出した。
あかりちゃんと前に来た時、普段の結衣先輩なら絶対着ないようなガーリーな服を見ながら
「結衣先輩のこういう服を着たところも見てみたいな」なんて話したんだ。
確かあれは、あかりちゃんを「デートの練習」とかいって無理やり連れだしたときだったはず。


結衣「あれ、もしかしてここ来たことあった?」

ちなつ「いえ!そんなことないです」

結衣「そっか。あ、ちなつちゃん、こんなの似合うんじゃない?」

ちなつ「あ、それ可愛いです!」

ちなつ「結衣先輩は……」

ちなつ「あ!これはどうですか?」

結衣「うーん、私にはちょっと可愛すぎるんじゃないかな?」

ちなつ「確かに結衣先輩はもっと大人っぽい服のがいいかも……」

ちなつ「でも、結衣先輩ならどんな服でも着こなせます!」

あれ?なんで私、嘘ついたんだろう……
結衣先輩と交互に服を当ててみながら、何となくモヤモヤした気持ちが続いている。
結局、さんざん服を見たわりには二人とも1着も買わずにお店を出た。
時計を見ると、もう12時をまわっていた。


結衣「そろそろお昼にしよっか」

ちなつ「はい」

結衣「ちなつちゃん、何食べたい」

ちなつ「結衣先輩と一緒なら何でも……!」

結衣「あはは、あ、この辺レストランとか多いんだね」

ちなつ「ほんとですね」

結衣「色々あるみたいだよ。おそば屋さんとか、イタリアンとか……」


イタリアン……
そういえば、あの日あかりちゃんと練習に来たときも、パスタを食べたんだっけ。


ちなつ「お、おそばにしましょう」

結衣「うん、いいよ。……なんか渋いチョイスだね」


そう言ってふわりと微笑んだ結衣先輩の視線から、私は何となく目をそらした。

結衣「それじゃ、ちなつちゃん」


空が茜色に染まる頃、私たちは待ち合わせした駅に戻ってきた。
結衣先輩は一言そう言うと、くるりと踵を返して歩き出す。


ちなつ「結衣先輩っ!」


私は反射的に結衣先輩の腕に飛びついた。少し驚いた表情で結衣先輩が振り返る。


ちなつ「結衣先輩……」


顔と顔が、息がかかるほどに近づいた。
心臓がドキドキいっているのがわかる。結衣先輩は何も言わず、真剣な表情になった。
チャンスよ、ちなつ!今こそ結衣先輩に―

ちなつ「ゆ、結衣先輩、今日は楽しかったです」

結衣「え、ああ、私も楽しかったよ」


でも、できなかった。
どうしてだろう、この1歩を踏み出してはいえないような気がして。
不意に掴んだ腕をほどかれた結衣先輩も、なんだかきょとんとした表情をしている。


ちなつ「先輩、それでは!」


そう言って結衣先輩に背を向け、一度も振り返らずに走っていった。
最初の角を曲がるまで、結衣先輩の視線を感じながら。

次の日も日曜日だからお休みで、でも予定は何もなかった。
お昼近くになって目が覚めて、そのままぼんやりと考え続ける。
昨日、何で私は逃げちゃったんだろう。
何で変な感じがしてたんだろう。
昨日のデート、絶対楽しくなるはずだと思ってたのに。
何で、同じ場所に行ったのに、あかりちゃんと一緒の時の方が楽しかったんだろう。
大好きな結衣先輩と一緒だった昨日よりも……
その日は一日中なんにも手に付かなくて、そんなことばっかり考えていた。

夜、毎週見ているテレビが終わって、自分の部屋に戻った。
時計の短針が10を指しているのが目に入る。
3日前は私が電話を掛けて、おとといは結衣先輩から掛かってきて……
順番からいえば私から掛けなくちゃいけないような気がして、携帯のアドレス帳の結衣先輩のページを開くけれど、
どうしても発信ボタンを押す勇気が出なかった。

月曜日、私は一人で登校した。
昨日考え事をし過ぎたせいか、先輩ともあかりちゃんとも何となく顔を合わせるのが怖くて。
教室に入ると向日葵ちゃんと櫻子ちゃんの顔が見えた。


向日葵「あら、吉川さん、おはようございます」

ちなつ「あ、おはよう、向日葵ちゃん、櫻子ちゃん」

櫻子「あかりちゃんは?」

ちなつ「今日は一人で来たから」

向日葵「珍しいですわね」

ちなつ「そっかな?」

向日葵「ええ、赤座さんと吉川さんはいつも一緒にいるイメージですわ」

ちなつ「そんな、向日葵ちゃんと櫻子ちゃんほどじゃないって」

櫻子「!?」///

向日葵「!?」///

向日葵「そ、それはたまたま家が隣なだけですわ!」

櫻子「そうそう、向日葵が朝弱いのがいけないんだよ!おっぱいでかいからって!」

向日葵「それは関係ないでしょう!?」

櫻子「おっぱい魔人は下僕らしくうちの朝ごはん作れよ!」

向日葵「何でよ!」

あかり「おはよう」

櫻子「いいからおっぱい削げ!取り外し可能にしろ!」

向日葵「意味が分かりませんわ!」

あかり「櫻子ちゃんも向日葵ちゃんも元気だね」

ちなつ「あ、あかりちゃん、いたんだ」

あかり「朝からみんないつも通りだね」


そう言われて、なんだかほっとした。
あかりちゃんに、「どうして今日は一人で学校来たの?」なんて聞かれたらうまく答えられなかったと思う。
でも、いつも通りのあかりちゃんがいてくれて、少し緊張がほどけたような、そんな感じ。
放課後にごらく部に行くかどうかちょっと迷っていたけど、やっぱり行かなくちゃね。
大好きな結衣先輩に会いに!

放課後、あかりちゃんとごらく部に行くと、先輩たちはもう来ていた。
ふと結衣先輩の視線を感じた。やっぱり、おとといのこと、怒ってるかな……
私がおずおずと顔を上げると、結衣先輩はにこりと笑ってくれた。よかった、怒ってないみたい。


ちなつ「お茶淹れますね」

京子「私マンゴースムージーなー」

ちなつ「ありませんよそんなの」


そんなやり取りをしながら台所へと向かう。
お湯を沸かしている間に4人分の湯呑を並べた。
京子先輩が用意した、私たちの名前が入った4つの湯呑。それを見ていたら、何故だか胸が痛んで……
私は棚から、普段は使わない来客用みたいな湯呑を取り出した。

ちなつ「お茶が入りましたー」

あかり「わぁい、ちなつちゃんありがとう」

結衣「あれ、今日はいつもの湯呑じゃないんだね」

ちなつ「えっと、気分転換ですよ、気分転換」

京子「綾乃とか千歳とかが来たときにしか、それ使わないもんな」


来客用の湯呑だけが4つ並んだ机は、なんだか見慣れなくて、
たったそれだけの違いでここがごらく部じゃ無いような気がしてしまう。

京子「今日もツイスターゲームやる?」

あかり「ごめんね京子ちゃん、もう櫻子ちゃんに返しちゃったんだぁ」

京子「てことは今は生徒会にあるのか」

あかり「そうだと思うけど」

京子「よしっ、乗り込むか!」

結衣「おい」

結衣「ていうか宿題出てただろ?」

ちなつ「そういえば、私たちも宿題結構あるよね」

あかり「早めにやっちゃおうか」

ちなつ「うん」

京子「しょーがないなあ、今日はとりあえず皆で宿題やるか」

ちなつ「珍しいですね、京子先輩がそんなこと言うの」

京子「そう?」

あかり「ねえ結衣ちゃん、ここ教えて?」

結衣「ああ、ここは現在進行形になってるから……」

京子「ちなつちゃーん、お茶おかわりくれー」

ちなつ「それくらい自分でやってくださいよ」

あかり「あっ、じゃあ、あかり持ってくるね」

京子「おお、さすがあかり」

あかり「えへへ、あかりもお茶もう1杯飲みかったんだぁ」

あかり「みんなの分、持ってくるね」

京子「……」

ちなつ「……」

結衣「……」


あかりちゃんが部屋を出て行ってから、何となく会話がなくなった。
結衣先輩のほうをちらりと見る。集中してノートにペンを走らせていた。
京子先輩は……
そう思って京子先輩の方を見ると、不意に目があった。
何だか気まずくなって目を逸らす。

あかり「お待たせ~」

京子「おおサンキュー」


あかりちゃんが戻ってきて、何となくほっとする。


あかり「はい、ちなつちゃん」

ちなつ「うん、ありがと」


そう言って、ちなつ、と名前の入った湯呑を受け取った。
さっきは避けてしまったこの湯呑がなんだか温かい気がして、ちょっとドキッとしたけれど、
考えてみればあったかいお茶が入ってるんだもん。当たり前だよね。

あかり「結衣ちゃん」

結衣「ああ、ありがと、あかり」

あかり「熱いから気を付けてね」

結衣「大丈夫だよ、これくらい」


そんなやりとりを横目で見ながら、前の湯呑にちょっと残っていたお茶を飲みほした。
あれ、急にお茶飲んだからかな?何だかトイレに行きたくなっちゃった。


ちなつ「あ、私ちょっとトイレ」


そう言って席を立った。

トイレから戻る途中、向こうに人影が見えた。
さらり、と長い金髪が揺れる。京子先輩だ。


ちなつ「京子先輩もトイレですか?」

京子「うん……」

ちなつ「?」

京子「ねえ、ちなつちゃん」

ちなつ「なんでしょう」

京子「何で、結衣と喋らないの?」

京子先輩の鋭い視線に、一瞬びくりとしてしまう。
確かに結衣先輩と喋りづらい気はしていたけれど、何で、だなんて……
ちょっとムッとして言い返す。


ちなつ「何でって……京子先輩も、今日は全然結衣先輩と喋ってないじゃないですか」

ちなつ「いつもの京子先輩と違いすぎます」

京子「……ちなつちゃん」

京子「ちなつちゃんはさ、結衣のことが好き?」

ちなつ「……当たり前です」


当たり前。そうだよね。
私は結衣先輩のことが好き。それが事実。
でも、即答できなかった自分に、何となくわだかまりが残った。
だからかもしれない。京子先輩を傷つけるようなことも頭に浮かぶままに言ってしまったのは。

ちなつ「京子先輩は……京子先輩は、恋、したことあるんですか?」

京子「……ちなつちゃんは?」

ちなつ「……どういうことですか」


はぐらかされることは分かっていたけど、答えなんて分かりきっていた。
京子先輩が、結衣先輩のことを好きだなんてこと、最初から気づいていたんだもん。
ただ、私はそれに気づかないフリをしていただけ。

京子「私は私の好きなようにするから」

ちなつ「いつもの京子先輩じゃないですか」

京子「だから、ちなつちゃんも自分の望み通りに行動してほしい」

ちなつ「……私だっていつもそうしてます」

京子「じゃあ私、トイレ行くから」

ちなつ「はい、先戻ってますね」


私が、恋をしたことがあるか?
いままさに恋してる……に決まってる、よね?
京子先輩が言いたいことが掴めずに、部室へ戻る道を歩きながら頭をひねる。
私が自分の好きなように行動してないってこと?
結衣先輩と付き合えて、望みは全部叶ってるのに。
それが私の望む全て……だったと思うんだけど。
引っかかるものを感じながら、部室に入っていった。

それから、ごらく部にいる間もずっと京子先輩に言われたことの意味を考えていた。
部活が終わって、家に帰って服を着替えていると、カレンダーが目に留まった。


ちなつ「あ……」


明日で、ちょうど1週間になるんだ。
結衣先輩に告白した時は、区切りがあるだなんてこれっぽっちも思ってなくて、
永遠に幸せが続くみたいに妄想していたけれど。
明日、結衣先輩に何か言われるかな。
言われるとしたら、結衣先輩は何て言うだろう。
……ううん、そうじゃなくて。
私は、結衣先輩に何て言えばいいのだろう。

結論が出ないまま、携帯を手にした。ほとんど無意識に電話を掛ける。


あかり「ちなつちゃん?」


あかりちゃんの声を聞いてはっとした。
ようやく自分があかりちゃんに電話してたことに気づいた、みたいな、そんな感じ。


あかり「どうしたの?」

ちなつ「ん……なんか、ね」

あかり「?」

ちなつ「あかりちゃんに聞いてほしいことがあるんだけど」

ちなつ「でも言いたくないような気もして……」

あかり「うん」

ちなつ「ごめんねあかりちゃん、何言ってるかわかんなくて」

あかり「ううん、気にしないでいいよぉ」

ちなつ「……ねえ、あかりちゃん」

ちなつ「恋ってなんだと思う?」


まるで独り言のようにつぶやいた。
さっき京子先輩が「ちなつちゃんは?」と聞き返すあの声が聞こえたような気がして、
その答えは考えれば考えるほど分からなくなってしまっていたから。
それに、あかりちゃんは、私の知らない私を分かってくれてるかもしれない。


あかり「恋……?」

ちなつ「そう。恋」

あかり「うーん、あかりには分からないかな」

あかり「でも、きっと幸せなものなんじゃないかなぁ」

ちなつ「幸せ、かぁ」

あかり「ちなつちゃんは、今、幸せ?」

ちなつ「んー……分かんないや」

ちなつ「ねえ、あかりちゃん、何でだと思う?」

ちなつ「どうして分かんないんだろう?」

ちなつ「あんなに大好きな結衣先輩と付き合えたのに」

あかり「ちなつちゃん、ずっと結衣ちゃんに憧れてたもんねぇ」

ちなつ「うん。なのに、どうしてこんな変な気持ちなのかな?」

あかり「あかりね、なんだかちなつちゃん、無理してるみたいに見えるんだ」

ちなつ「無理?」

あかり「うん。だからね、ちなつちゃんには自分に素直になってほしいんだ」

あかり「あかりの好きなちなつちゃんは、いつも素直で真っ直ぐだったから」

あかり「ちなつちゃんの素直な気持ち、聞きたいな」

ちなつ「私の気持ち……」

あかり「ちなつちゃんが好きなのは、結衣ちゃんなの?」

あかり「ちなつちゃんが見ていたのは、本当の結衣ちゃんなの?」


うん。分かってるよ、そうじゃないってことくらい。
ただ分かりたくなかっただけ。
それでも、あかりちゃんに言われたら、ストンと納得できたような気がする。

ちなつ「私が好きだったのは、本当の結衣先輩じゃなかったのかな」

ちなつ「うん、多分そういうことなんだよね……」

ちなつ「なんか、あかりちゃんと話して、ちょっとスッキリしたかも」

あかり「そう?」

ちなつ「ありがとう、あかりちゃん」

あかり「えへへ、どういたしまして」

ちなつ「なんか、ごめんね?」

ちなつ「私のせいであかりちゃんにも先輩たちにも迷惑かけちゃったな」

あかり「そんなこと……」

ちなつ「でも、あかりちゃんがいてくれたから明るくなれたと思う」

ちなつ「あかりちゃんは、私の一番の友達だよ」

あかり「……うん。あかりも、ちなつちゃんのこと、一番大事なお友達だと思ってるよ」

ちなつ「それじゃ、また明日ね」

あかり「うん、ばいばい」

電話を切って、ふぅ、とひとつため息をついた。
何だか、あかりちゃんには最初から全部分かってたみたい。
私がいつも目で追っていたのは結衣先輩ではなかったこと。
私が恋だと思っていたのは本当は恋なんかじゃなかったってこと。
私が好きだったのは、私じゃない“お姫様”と結衣先輩じゃない“王子様”の物語だったってこと。

だからって、簡単にやり直しがきくわけがない。
私はどうすればいいんだろう?
明日、どんな顔をして皆と会えばいいのだろう?
夕ご飯を食べていても、お風呂に入っていても、そんなことを考えていたけれど、
正解は分からないまま、いつの間にか眠りに落ちていた。

朝が来ても私はまだ迷っていた。
結衣先輩のこと。ごらく部のこと。
学校までの道を、考え事をしながら歩く。
結衣先輩に自分から告白しておきながら「やっぱり好きじゃなかったみたいです」だなんて言えないし、
ごらく部の空気を滅茶苦茶にしておいて「元のごらく部に戻りたい」なんて都合が良すぎるし。
この1週間が始まる前は毎日のようにごらく部の4人で歩いた通学路に、
今日はあかりちゃんも、結衣先輩も、京子先輩もいないことが心細く感じられる。
ふと、頭にあかりちゃんの顔が浮かんだ。
昨日電話越しに聞いた「ちなつちゃんの素直な気持ち、聞きたいな」という言葉を、
すぐそばから語りかけてくるような、そんな気がして。
両手で頬をぱん、と軽く叩く。
たとえ嫌な子だと思われても、仲良しでいられなくなったとしても、
それでも素直な私でいなくちゃ。
それが勇気なのだとあかりちゃんが教えてくれたのだから。

結衣先輩には、思ったままのことを話そう。
優しい先輩は私の恋愛もどきに付き合ってくれたけれど、きっとこれが恋じゃないことは分かってくれるはずだから。
だから今の私の気持ちを全て伝えて、結衣先輩の気持ちも全部聞いて、
二人とも笑っていられる関係にならないと、きっといつか後悔する。
京子先輩には謝らなくちゃいけないな。
誰よりもごらく部が大切で、結衣先輩のことが大切な京子先輩には、私の子供っぽい気まぐれで迷惑をかけた。
許してなんかもらえないかもしれないけれど、でも、私だってごらく部が大好きなんだと伝えて、
そしていつまでも楽しいごらく部の4人でいたい。
それから、私に何度も何度も勇気をくれた、あかりちゃんには……

「ちなつちゃん!」


交差点を渡りきった私を聞きなれた声が呼ぶのが聞こえた。
足を止めて振り返ると、ちょうど信号が変わって車が走り出していた。
行き交う車の陰に隠れて姿は見えないけれど、この先にあの人がいるのだと思うと
信号が変わるのが待ち遠しくて、ほんの数分が長く長く感じられた。

この交差点の向こうにいるあなたに、話したいことがあるから。

車の流れが途切れるまで、私は声のした方を見つめていた。



おわり

良かった


いいところで終わるなぁ

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