四章が出来ましたので投下させて頂きます。
一章
仕事を辞めた俺は超自然現象対策室に再就職した。 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1412704595/)
二章
仕事を辞めた俺は超自然現象対策室に再就職した 二章 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1413129484/)
三章
仕事を辞めた俺は超自然現象対策室に再就職した 三章 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1413548314/)
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1414866677
始める前に
注
すみませんまさかの超展開です
詰め込み過ぎてゴリ押しっぽくなってますが、今回は世界観の説明回と思って頂ければ幸いです。
なお、視点は龍一に戻ります。
ーー俺は深淵を覗いてしまった。
それは恐らく誰も、彼女自身でさえ知り得ない、彼女の秘密。
俺は知ってしまった。
彼女の秘密を。
咲夜雪子の全てをーー
「ーーおまたせ龍一! どう? 似合う?」
夏真っ盛り。
灼熱の太陽はジリジリと砂浜を焦がし、まるでフライパンの上。
火傷しそうなほどの砂上をサンダルで歩く。
俺達の二泊三日、小さな旅行は二日目を迎えていた。
昨日は情緒ある伝統的家屋の商店街や神社を巡り、その後都市部のショッピングモール等で遊び尽くして旅館に戻った。
予算の関係上部屋は一緒で、夜に部屋の窓際で酒をちびちびと煽り始めると桜子にガミガミ言われたが、以前の失敗があるのでさすがにセーブした。
前職を辞めた後に、その解放感から一人旅もしたことがあって、その時は一人が一番落ち着くと思っていたが、どうやら間違いだったみたいだ。
皆でワイワイやるのも、なかなかどうして面白いのである。
しかし楽しい時間は過ぎるのが早く、大変名残惜しいが、今日泊まったら明日にはまた地元に戻らなくちゃいけない。
まあ、だから今日も目一杯楽しみ、非日常を満喫しよう。
二日目。
今日のプランはそう、海だ。
更衣室で海パンに着替え、海スタイルに変身する。
そうして着替え終わって雪子と桜子を待っていたら、ようやく二人も更衣室から姿を現した。
この砂浜はあまり有名な方ではないようなので、他の海水浴客はそこまで多くはなかった。
穴場、プライベートビーチ…とまではいかないが、人目をそこまで気にしないで楽しめるだろうし、運が良かったみたいだ。
そんな砂浜に、二人が今降り立つ。
「ーーああ…まあ、似合ってると思うぞ…」
「まあ…って何よ? あ、もしかして照れてんの!? 見かけによらず!
恥ずかしーっ!」
「ーーるせぇ! はいはい似合ってますね…」
咲夜姉妹。
ひょんなきっかけで出会い、それから、これまた奇妙な縁で共に仕事をする関係になった。
それと同時に、俺は超自然現象という世界に足を浸からせる事にもなる。
俺も、自分でも未だに信じられないが「見える」体質だったようで、当初は恐怖等でいっぱいいっぱいだったが、慣れというのは恐ろしく、今ではこれが適職なんじゃないかとさえ思える。
が。
(ーー慣れないものもある)
今まで海にはほんの数回しか来たことがなかった。
だから気づかなかったが…
(海ってやっぱり…)
いいな…と考えてしまうのは男の生物学的上のさがなのか。
ーーシンプルイズベスト。
という言葉がある。
それは最もな基本形でもあり、単純明快だ。
しかし単純明快故に、複雑な小細工がない故に、そこで地力の差がはっきりと出てしまうのである。
これがその典型と言えるだろう。
ごくごく一般的な三角ビキニ。
色も白だけの一点のみ。
しかしそれを着ける桜子の地力が計り知れなかった。
見てみろ、他の海水浴客を。
無理して施した小細工の数々…
素材を活かせなければ、それらは何の意味も為さない。
いつも生意気で色々と対応に困る彼女だが、これは認めざるを得ない。
主張する部分は主張し、引っ込むところは引っ込む、一切の無駄がない完璧なボディ。肩ほどまでのショートヘアーと白のビキニはよく映えて、無垢でとても活発かつ魅力的に見え、なんとも可愛らしい。
健康的な美。
正にシンプルイズベスト。
(ーーいかんいかん…なんか哲学モードに入ってた…)
無心無心。
邪念を払う。
「ーーあんまりジロジロ見ないでよ…」
おい。
「ーー似合ってるか聞いてきたのお前だろ…」
お願いだから、見せびらかしてきて後から恥じらいを見せるな。俺の方もなんか恥ずかしいし罪悪感がヤバい…
そして。
「ーーあの…これ…大胆過ぎるような…」
「いいよお姉! やっぱり似合ってる! どう龍一? 私が選んだんだー!」
ダイナマイト!!
野郎共だけでここに来ていたなら、普段のキャラなど捨ててそう叫んでいた事だろう…
捨てども捨てども生まれる邪念が遂にその処理速度を上回り、俺の抑制機能はショート寸前だ。
こちらも至ってシンプルな黒一点の三角ビキニを身につける雪子。
しかし…
珠のように真白い肌によく映える黒のビキニ。セクシーで、大胆さが一層強調され、異常なほどに放出される妖艶さは全てを惹きつける。
涼しげな銀髪。
豊満な…その…各部位。
スラリと伸びた手足。
この世ならざる美…というような雰囲気。
正にパーフェクトを超えるパーフェクト。
ミスパーフェクト。
これはあかんて! 邪念よ去れ邪念よ去れ邪念よ去れ邪念よ去れ邪念よ去れ…
「ーー龍一…? 聞いてる?」
「ーーやっぱり…似合ってないですか…?」
「ーーハッ…!? い、いや、ににに似合ってるとおおお思うぞ?」
「そうですか…! 良かった…」
お願いだから、恥じらいながら特定部位を隠すようにモジモジするな…
お願いだから…
一旦冷却。
海の家からレンタルしたシートとパラソル。
その陰の下、何も考えずにだらしなく寝そべる。
あれから銘々で泳いだりビーチボールで戯れたりした。
もちろんそれらは十二分に楽しく愉快で、満足できた。
しかし日頃の運動不足が祟ったのか、体力がもたない…
(小学から大学までずっと運動部だったのに…情けない)
思えば大学を卒業し社会人となって、それからは運動なんて全くと言っていいほどしていなかった。
せいぜい通勤その他で歩くくらいだった。
「若いっていいな…」
俺もまだ二十代だけど。
遠くで戯れる二人を見て、そんな感想が溢れる。
若さは、それだけで貴重な財産なのだ。ガキの頃は早く大人になりたいなどと思ったりしたが、もっての外だ。
いつまでもネバーランドにはいられない。
だからその中にいられる期間こそ、年相応にそれを満喫すべきなのだ。
さもないと、俺のように捻くれた大人に…
「ーー龍一、何やってるの? 龍一も遊ぼーよ」
「ーーああ…いや、疲れたから一旦休憩だ」
「おっさんみたいな事言ってないで…あんたまだ二十代でしょ…?」
いけない…ぼーっとしてると感傷的になるのが癖になっているようだ…
だがな…「まだ」二十代ではなく、「もう」二十代なのだ。
二十代後半に差し掛かり、サーティーはすぐそこだ。
しかし、そうだな…何事も気の持ちよう。
青春は何も若者だけの物でもない。
「ーー分かった…今行こう…」
重い腰を上げる。
「ーーいや…待て」
「どうしたの…?」
「タバコ吸ってくる…」
「ーーあんたね… 向こうでお姉といるから早く来てよね」
踵を返し走り去った桜子を見届けながら、俺は海の家の喫煙所まで重い足を動かす…
「ーー今日も暑いしな…雪子はこれで桜子はこれで…」
こんな砂漠のような場所ではさすがに喉が渇く。
二人の分も飲み物を購入し、俺は彼女達がいる場所へ向かった。
「ーー確かここら辺に…いた」
二人は波打ち際に並んで立っている。
休憩だろうか…休憩なら自分達のパラソルに戻ればいいのに…
いや…
二人に近づくにつれ、大体の状況が把握出来た。
あちゃー…まあ、しょうがない?のか…あの二人だしな。
抑えきれない輩もいるだろう。
いわゆるナンパというやつに、どうやら二人は遭遇したらしい。
二人と向かい合う様にして、あちらも二人組の男が何やら必死に彼女らを誘っている。
まあ、一応俺がいるんだし…
諦めてもらうしかない。
「ーーすみません…三人で来ているので…」
「ーーいやー、どうみても二人でしょ? どこにいんの?」
「ーーだから、あなた達と一緒に遊ぶのは嫌って言ってるの!
それにもう一人…
ーーほら!
龍一! どうにかしてよ」
「ーーごめんなー…二人とも…三人で来てるからさ…
俺達は俺達で遊ぶ計画があるから」
見るからに「イケイケ」な感じの男二人。
あわや喧嘩に発展するのかと内心身構えたが、俺が現れるとそそくさと退散して行った。
「ーーもう、あんたのせいよ!」
「え…俺のせい?」
「当たり前よ! ちゃんと私達を守るのが下僕の役目…!」
どうやらまだ俺のランクは下僕らしい。
「ーーはあ、ごめんごめん。ほら、熱中症にでもなったらたまんないから。飲み物やるよ」
「ありがとうございます! 龍一さん!」
「ふん…まあ下僕として当然の行いね」
二人に飲み物を渡したところで。
「ーーさっき時計を見たら、もうお昼のいい時間だった。
飯にしないか…?」
「そうね…それじゃ一旦お昼にしよ!」
「そうですね…泳いだり動いたら、なんだかお腹が減ってきちゃいました」
腹をさする仕草をして見せる雪子。
思わず視線が…
やめてくれ…お願いだから。
ーーそうして、俺達は海岸のとある場所へと向かった。
肉、野菜、海鮮物。
それらが炭火に熱された鉄板の上で踊る。
この海岸にはBBQ会場があり、事前に予約して料金を払えば時間制で好きなだけ飲み食いできる。もちろん予約は完了済みだ。
用具一式もレンタルできるので、火さえ起こせば、後は向こうから運ばれて来る具材を焼くだけ…
「ーーそれじゃ、かんぱーい!」
カチン…! とグラスを打ち付ける。
なんとも気分良く、解放を象徴する鐘の音のように木霊するそれ。
「ーーあんた…ほんとビール好きよね…病気になるわよ?」
「んぐ…! それを言われると何も言い返せないが…好きなものはしょうがない。
ほら、肉焼けたぞ」
「ありがとー!」
「雪子も、ほれ」
「ありがとうございます!」
大きな屋根の下、俺達はBBQに興じる。
野外、砂浜、水着という事もあり、解放感はより一層高まって、テンションのボルテージは最高だ。
ひとしきり食べて、飲んで、騒ぐ。
単純に見えるかもしれないが、以前の俺なら決して味わえなかった楽しみがここにはあった。
「ーー私も、ビール飲もうかな」
「駄目! お姉は前回の事もあるし、酒弱いんだから!」
「しかし雪子はウイスキーボトルを半分まで開けたからな。
弱くはないと思うぞ? そこまで。
むしろ強い」
「あんたは黙りなさい!」
「私…おもてなしされる側だよねっ…!?」
「あっれー…お姉がいきなり強気に出た」
「ハハハ…! いいだろう。そうだな! 雪子の為に俺と桜子が企画したんだから。
雪子はゲストだ。持って来てやるよ!」
「…ありがとうございます!」
「お姉って実は腹黒い?」
「ーーそれってどういう意味?」
何と言うか…
今まで彼女達と共にして来て、雪子と桜子という人間が少しづつ分かって来た。
桜子は見ての通り強気、勝気な性格だ。
強情、頑固と思われるかもしれないが決してそんな事はなく、ちゃんと柔軟性も併せ持っている。
そして、しっかりとした芯がある。
しかし外面こそ強気だが、実は内面では寂しがり屋だったり、弱気な部分もあって危なっかしい時もある。
だが、それを乗り越える強さも彼女は持っている。
口は悪いが、それは彼女なりの照れ隠しで、実は誰よりも人を思いやれるほど優しい心を持っている事も俺は知っている。
そんな不器用さが、俺にとっては何とも愛らしく、可愛らしい。
ーーそして、雪子。
彼女は最初こそ気が弱く、どちらかと言えば内気な性格の人間だと思ったが、そんな事はない。
他人を思いやって、主張する時は主張し、そうでない時は見守る事に徹する。
無償の愛のように、人の為、人に手を差し伸べられる。
強い信念を持ちつつも、他人を深く受け入れる事ができる、大地のような心の持ち主だ。
時々天然のような発言や仕草を見せる事もあるが、それがなんとも可愛らしく、決して憎めない。
今ではこうして冗談のようなやり取りもするようになり、俺達の心の距離は縮まってきたのだと思う。
ーーその事実が、なんとも嬉しかった。
「ーーじゃー改めて雪子と乾杯!」
「はいっ! ありがとうございます!」
「二度目のかんぱーい…」
雪子の分のビールを手に入れて、彼女に手渡し改めて乾杯した。
苦笑気味の桜子…
大丈夫だ。俺はもう過ちは繰り返さない…
「ーーさくらこったら、ほんとはりゅーいちさんのことがすーー」
「ああああ…! お姉! だから飲んじゃ駄目って言ったのに! 龍一のせいだかんね…!」
駄目だこりゃ…
ジョッキ3杯目。 俺はまだまだ大丈夫だ。
酔ってるが、もう過ちは繰り返さない。
はずだった。
しかし、雪子が駄目だった…
「ーーさくらこって、としうえがたいぷなんだって! りゅーいちさん!」
「だからお姉! お願いだからもう飲まないで! もうこの際寝て!」
「そうなのか! この前の友達とかはどうなんだ? ほら、あの時の」
「斎藤は違うわよ…! というかあんた全然反省してないわね!」
「楽しいからいいじゃねぇか。お前も飲むか?」
「私は未成年!」
結局同じミスを…
まあ…もう楽しいからいいか。
こんな時しか発散する機会はないんだ。
酔ってるせいもあるだろうが、まるでガキの頃に戻ったように、下らない事がとても面白く、貴重に思える。
こいつらに出会えて本当に良かった。
最近ふとした時に、あのまま前の仕事を続けていたら…と考える事がある。
きっと、こんな気持ちを感じる事は絶対になかっただろう。
あの時の俺や、前の仕事それ自体を否定する気はないが、俺は今の方が楽しい。
もうそれでいいんだ。
ボーナスも、昇給もいらない。
代わりに…温もりが、生きている実感が欲しい。
「ーーりゅーいちさんはどんなひとがたいぷなんですかー?」
「そうよ…酔ってる勢いで言っちゃいなさいよ」
ふむふむ…ここは普段やりたい放題されてる分、仕返しをしてやるか。
「ーー俺は…実は、桜子が好きなんだ…」
「りゅーいちさん…! だいたんっ!」
「ーーは…? えっ…!?」
ハハハ…顔赤くして戸惑ってやがる!
こいつは愉快だ!
「ーーは…? 酔ってるからって調子に乗るんじゃないわよ…」
「ーー違う…酔いでもしないと言えない、俺の本心だ」
「ひゅーひゅー! おあついですなーふたりとも!」
「…う、嘘ついたって、だ、騙されないんだから!」
「ーーチッ…ばれたか…
嘘でーす!!」
「ーー殺すっ…!」
「やめろ!トングの用途間違ってるぞ…!」
でも、実は本心だったりする。
桜子だけじゃなく、雪子も。
俺は二人が好きだ。
俺の居場所をくれた二人。
「ーーでもな、俺は二人が好きだ…
これは嘘でもなんでもない。
いつもありがとう…こんな時しか言えないからな、俺は…」
そう。だから気分が乗っている今だからこそ言える言葉を、二人に言っておかないと。
「ーーあんた…」
「ーーりゅーいちさん! わたしもです!」
「ーーやめろ飛びつくな雪子! 危ない! 火傷する! 俺の心が!」
「何これ茶番?」
今、この時に生きる喜びを。
俺は精一杯噛みしめる。
「ーーお姉! 酔って海に入るのは本当に危ないからやめて!」
「いいじゃないさくらこ! いじわるー…わるいこにはおしおきよ!」
「悪い子はお姉の方…
ーーキャァァァァ!!」
「何だどうした!?」
「こっち見ないで変態!」
「ーーヘヴンッ…!」
それからは、もうカオスと言えば伝わるだろうか。
酔った雪子が暴走し、海にダイブしようとしたところを桜子が制止する。
しかしその際に桜子の上の水着の紐を雪子が解いて…ビキニが…
コラ…悪い子だな雪子は。
いいぞもっとやれ。
何だ。計画名通りポロリもあったな…
俺も酔っているのか…
思わず凝視しそうになった瞬間に桜子の渾身の右ストレートが飛んで来て数分間失神KOした…
「ーーわたしもぬいじゃおー!」
「お姉! もうやめてお願いだからあああ…!」
次第に遠くなる意識の中、最後に響いて来たのは桜子の悲鳴だった。
「ーーりゅーいちしゃーん…」
「…寝言言ってるな…」
「もう…旅行中だから百歩ゆずるにしても、今度お姉に酒飲ませたら許さないから…」
「今回は俺は飲ませてないぞ? 雪子の意志だ」
「それでもよ…今度から飲みたいって言っても飲ませちゃダメだから…分かったわね?」
「ーーサー、イエッサー…」
波乱を迎えた砂浜の馬鹿騒ぎはこうして幕を閉じた。
BBQを切り上げ、桜子に失神させられ、砂浜の上で目を覚ました俺は、潰れた雪子を背負って砂浜を後にした。
そうして旅館に戻って来たのである。
「ーーせっかくの最終日だが…雪子を置いて観光する訳にはいかないからな。
雪子が起きるまで俺たちも休むか?」
「そうね…私もあんた達のせいで疲れたから、少しお昼寝するね…」
「すまねぇな…
でもな、俺は本当に、桜子…そして雪子には感謝してる…
いつもありがとう…」
旅の雰囲気のせいなのか、はたまた酔っているからなのか。
もしくは両方からか。
普段言えない事も、自然に口をついて出る。
「ーーそんな事言ったって、許さないんだから…」
布団にだらしなくダウンする雪子。
窓の外の海を眺めながら呟く桜子。
何故か、その光景がまるで絵画の中の世界のように不思議で、そして美しいと思えた。
夢の中にいるような…
そんな感覚さえ覚える。
「ーー私も、あんたが来てくれて…感謝してるの。
ありがとう…」
どうやら、桜子も俺と同じような感覚の中にいるように思える。
「お姉ね…ずっと色んな事を一人で背負って来ていたみたいだから…
お姉のせいじゃないのに…」
「…ああ」
「だけど…龍一が来てお姉は変わった。妹である私でさえできないことを、あんたはやってのけたのよ…
ふふっ…嫉妬しちゃうくらいにね」
自嘲気味に、弱々しく笑う桜子。
「いや…俺の方こそ、お前達には感謝している…
お前達は俺に居場所をくれた」
「ーーだから、龍一」
「ーーおう」
少し開いた窓から、静かな潮騒の音色が届いて来る。
そんな優しい音と同じような桜子の声がそれに同調し、響いた。
「だから…どうかお姉を支えてあげて…
お姉はまだ一人で抱え込んじゃう部分があるから…」
「ーーああ…」
果たして俺がその役目を引き受けられるほどの存在かは分からないし、自信があるわけでもない…
だけど。
「ーー俺でいいなら…こちらこそ、これからも俺を頼む」
「…うん。龍一じゃないと駄目なの」
こんな俺に出来ることがあるならば、居場所をくれた二人の為に…
「ーーそれから、桜子も一人で抱え込む部分があるみたいだからな…
だから…お前はもっと誰かに甘えろ。
甘えていいんだ」
「なによ…下僕の癖に」
「もう下僕でもいい…お前も、お前が背負ってるものを俺達にも背負わせてくれ。
喜びも、悲しみも…全てみんなで背負って、共有しよう」
これは、俺の自分勝手なワガママだ。
「ーーありがとう…龍一。
そうね…龍一は私の下僕なんだから、これからもこき使ってあげる」
「おう…使われてやるよ」
「ーーふふっ…お休み」
だが、それを受け入れてくれる最高の存在が今の俺にはいるんだ。
この二人が背負う何かを…俺も背負えたら。
ーー俺は、彼女達にとっての居場所…「答え」になりたい。
「ーー本当に…すみません。私…」
「いや、気にするな。旅は楽しんだもん勝ちだ」
二日目も、もう少しで終わろうとしている。
あれから互いに昼寝から目を覚ました俺達。
夕食を済まし、宿の温泉に入り、部屋でくつろいでいた。
そして雪子の「少し外に涼みに行きたいのですが…どうですか?」という発言があって、こうして三人で再び歩いて海岸沿いまで来た。
満月の下。
昼間とは違う、海のもう一つの顔。
その幻想的な風景。
「ーー私、そこのコンビニ行ってくるね…トイレ行きたい」
「ああ…俺達はここにいる」
海岸線。
車の通りは少ない。
遠くで聞こえる街の喧騒と、引いては返す波の音…
海岸線の歩道で、俺と雪子はただ海を眺めていた。
月明かりが彼女をほのかに、優しく照らす。
旅館の浴衣を着た雪子。
綺麗な銀髪は後ろで一つに結わえられて、月明かりを弾いて輝く。おぼろげな朱色の瞳に映るのは、前方に見える海原か…
それとも彼方の満月か…
もしくは遠くにある記憶か。
「ーー私、凄く幸せです」
癒しの様な彼女の声音は、一つ一つ確かに紡がれて、聞く者の記憶を呼び起こし、全てを包み込む…
ーーそして、俺は思い出す。
(お父さん…! お母さん!)
(助けて…! みんな私のせいで!)
あの時、俺は見てしまった。
(雪子…すまない。こうするしかないんだ…)
(雪子、目を閉じて…)
ーー俺は、覗き見てしまった。
彼女の過去と、未来の夢に干渉してしまった。
あの記憶達が、雪子の声につられるように呼び起こされる。
「ーーだから、本当に…
二人には何と言えばいいか…本当に、本当に、ありがとうございます」
「ーー雪子」
「ーーはい…? どうしました?」
恐らく俺は前日…行きの電車で現象に遭った。
妙な睡魔に苛まれ、そうして眠りについた際に、最初は見覚えのない老いた紳士が現れた。
そいつに俺は夢を見させられた。
夢は俺の過去を巡った後、次は俺の未来へ飛んだ。確信はないが、確かそんな事を奴は言っていた。
その未来の夢には、息を引き取った雪子がいた…
そして夢の中で俺は彼女に触れた。
すると、そこで俺は見てしまったのである。
彼女の体に吸い込まれたかと思うと、次の瞬間に俺は垣間見た。
彼女の過去を。
そして彼女の未来を。
彼女の過去を巡って、未来の夢にも干渉してしまった俺は、彼女がその現象を封じ込めるのを手助けしたのだった…
ーーそして俺は秘密を知る。
それは恐らく、彼女自身も知り得ない秘密。
もし奴が見せた現象が本当なら…俺は…
(どうすればいい…?)
雪子はきっと、それを知れば計り知れない程の傷を受けるだろう。
しかしそれを知った今、改めて思うのは…
「ーー雪子、すまない…俺はお前の過去、未来の夢を見てしまった…」
「ーーえ…龍一、さん…?」
唐突ではあるが…正直に、告げられる部分は話しておかないといけないと、そう思った。
「ーーお前は俺が気付いていないと思っているかも知れない…
だが、俺達は昨日の電車の中で現象に遭った…そうだろ?」
俺を見つめる雪子の瞳は大きく見開いて、口はわずかに開いたまま、時間が止まったかのように静止して…
何も言えずに、少しの間沈黙が続いた…
やがて。
「ーーはい…私達は、私は…あの時現象に遭いました…」
「そうか…やっぱりな…それでーー」
「ーー龍一さん!」
彼女の叫びは、波の音に負けず空気を裂いて響き渡る。
「ーーあの時、私を助け、奮い立たせて下さった龍一さんは、本物の龍一さんだったのですね…!?」
唇を震わせ、少し掠れた声で投げかけて来る雪子。
「ーーああ…記憶はおぼろげだが、確かにあの時、俺はお前の未来の夢に干渉してしまった…本当に、もうしわけーー」
ふわりと、彼女の優しい匂いが香った。
その時ふいに、雪子は俺にその体を預けたのだ。
俺の胸には、雪子の頭がある。
両の手も、そこに添えられていた…
「ーー本当に…ありがとうございました…
龍一さんがあの時来てくれなかったら…私!」
俺の胸の中で泣きじゃくる雪子。
(抱きしめたい)
この脆く、儚い女を、守りたい…
しかし、俺は自身の腕を彼女に回す事が出来なかった。
俺には、その資格がない…
彼女が落ち着くまで、俺は自分の胸を彼女に貸した…
「ーーごめん…以前、気安く俺は実家に顔を見せてやれなんて言ってしまった…」
「ーー私の過去も…どういう訳か見てしまった…という訳ですね?」
「ーーああ…
俺も初めは自分の過去と、奴が言っていたところの俺の未来を見させられたんだ…
その未来には、倒れるお前の姿があった…
そのお前に触れた時に場面がいきなり切り替わって、どうやら俺はお前の夢に干渉してしまったようだ…」
もしかすると、全てはあの現象のでたらめかもしれない。
しかしあの夢には妙な現実味があって、完全には否定できない自分がいる…
「ーー本当にごめんな…雪子」
依然として俺の胸に顔をうずめる雪子。
「いいんです…龍一さんには何の罪もありません…
それよりーー」
そして雪子は顔を上げる…
泣いて充血した瞳…仄かに赤くなった頬。
「龍一さんは、私に言って下さいました…
未来は変えられるーー と。
だから私は過去を受け入れ、乗り越え、今を生きる事にしたのです…
そうすれば未来は少しづつでも変えられる…そう、ですよね?」
「ーー俺は…そう信じたいし、そう信じてる」
「なら、もう大丈夫です…
龍一さんの、あなたのその言葉があれば、私は生きていけます」
ーー彼女は、とても強かった。
絶望、悲しみ、永遠の別れ。
それらを経験して、しかし彼女は全てを受け入れ、前に進もうとしている。
俺は何も言えなかった。
「ーー私達はね…小さい頃、謎の集団の襲撃を受けたの」
刹那、桜子の声が背後から届けられ、俺は振り向く…
「ーー謎の…集団?」
「そう…後から知らされた事だけど、どうやら私達一族が祀っていた御神体を奪う事が目的だったみたい…」
狗神憑き…確かそう言っていた。
「ーー私達の一族は遠い昔、現在現象と言われている…しかもとても凶悪で強力なそれを御神体に封じ込め、ずっと祀って来たの」
「それを奪う目的の輩に、お前達は襲われたのか…?」
あの夢は…過去は、つまりそういう事だったのか…
「ーー私達は住んでいた村の外れまで両親に連れられ逃げていました…
集団は村ごと破壊し尽くし、遂に私達も見つかって…
桜子は負傷し気を失い、私もやがて…」
それで…
あの夢が今一度脳裏に映写される。
「奇跡的に私達は生きていた…
そして目を覚ますと、村は跡形もなく破壊され、ほとんどの方が亡くなり…お父さんもお母さんも…
そして襲撃した集団も、なぜか全員が亡骸と変わっていました」
「気を失っていた私達には真相は分からないけど、本部の人間に後から聞いたら、どうやら御神体の封印が解け、現象が暴走しそうなったと言っていたわ」
ということは…
「ーーその現象の行方は…?」
「ーー分かっていません…」
初めて聞かされた、二人の想像を絶する悲惨な過去…
「ーーその集団ってのは…」
「現象を従え、また、現象を新たに生み出そうと企む集団のようです」
そんな事が…
御神体を狙ったということは、そこに封じ込められた現象をそうする目的で襲撃したということか…
「私達は、その集団の行方も追っているの。
現在世に蔓延っている現象の中には、彼らが新たに創り出した物もあると言われているわ…」
「ーーだから、龍一さん」
二人が語る過去はとてもじゃないが、こうして淡々と話せる事柄ではない。
しかしそれを告げた雪子は、桜子は…
二人の瞳には、表情には、強い覚悟が刻まれている気がする。
その上、優しく微笑んでこうも言ったのだ。
「ーー龍一さんには重荷になってしまうかもしれません…
しかし、あなたがいて下さるそれだけで、私達は今こうしていられるんです」
「そう…だから、本当にありがとう、龍一。
この事を知って、あんたはそれでも私達の側にいてくれるーー?」
もし恐いなら…今からでも遅くはないから、この世界に背を向けて大丈夫だと。今まで黙っていて、なおかつこの世界に招き入れてしまってすまなかったと、そう言ったのだ。
俺は…
確かに初めこそ、頭を下げられ頼まれた事だった。
しかし、俺だって自分の意志をもって志願したのだ。
俺は自分がそうしたいから、彼女達の元にいる。
同情ではない…頼まれたからではない。
俺の意志だ。
彼女達は、俺に居場所をくれたーー
「ーー襲撃を受けて、それからお前たちは今までどうやって…」
「私達は、それからは養護施設で育ち、本部のボスに拾われ…
今こうしています」
過去を受け入れ、乗り越えようと二人は前を向いている…
それなら…俺は。
「ーー俺は…お前達に居場所をもらった。
そして俺は自分がそうしたいから、お前達の元で雇ってもらってる…
だからーー」
俺は。
「ーーこれからも、お前達の側にいさせてくれ」
彼女達が背負う、重い荷物を…
運命を…
俺にも背負わせて欲しい。
俺は、二人にとっての「答え」になりたいーー
雪子と桜子は月の光のように、優しく微笑んでいた。
「ーーさて、旅は帰るまでが旅だからな…!」
「先生じゃないんだから…分かってるわよ…」
「二人ともありがとう…! さあ、帰りましょう!」
空は晴れ渡り、日差しも強い。
そんな空を一度見上げてから、俺達は宿を後にする。
二人から壮絶な過去を告白され、俺はこれからも変わらず付いて行く事を誓った。
一つ覚悟を決めた俺と、全てを打ち明けた二人。
きっと彼女達の心は、この空のように晴れ渡っていることだろう…
(ーーだけど)
懸念が一つある。
それは晴れ渡る空にぽかりと浮かぶ一つの雲。
俺の中には、心には、そんな存在がある…
それは…
(きっと彼女は気付いていない)
俺が見た雪子の過去。
その中で、目を閉じさせられた彼女は「ある事」を父親からされて、気を失った…
その後謎の男達が押し寄せ、両親は小銃による凶弾に倒れる。
そして次に…襲撃的な事が起こった。
それは、恐らく彼女は気付いていないのだと思う。
もしくは、知りつつも隠しているか…
しかし俺が過去を見てしまった事を打ち明けたのだから、もし彼女がそれを知っていれば、昨晩俺に同時に告白していたはずだ…
だから、恐らく彼女は「あれ」を知らないーー
桜子については分からない…
しかし彼女でも同様の事が言えるはず…
衝撃の事実を…俺の世界を揺るがす秘密を。
深い闇を…俺は覗いてしまった。
結局それについて俺は言及するに至らず、とてもじゃないが聞けなかった…
だが、俺の気持ちは、覚悟は変わらない。
(ーーそれでも俺は…彼女達に付いて行く)
全てを見届ける。
「ーー龍一さん…どうしました?」
「龍一行くよー!」
「ーーすまん! 今行く!」
駅へ向かう二人の背を追いながら、俺は改めて一つ決心した。
「ーーあれ…雪子に桜子…偶然だね…どうした?」
「ーーあー! 咲夜さんじゃないっすか! チッす! 奇遇っすね!」
(ーー誰だ?)
名残惜しくもこの街を後にする俺達。
駅のホームで帰りの電車を待っていたところだった。
反対側のホームに電車が到着し、乗客がポツポツと降りていく。
その中の二人…半袖開襟シャツと黒のスーツパンツを着た、一見すると昨今流行しているクールビズ姿のオフィスワーカーな男女が、雪子と桜子に声をかける。
女の方は華麗な雰囲気を放ち、背筋は綺麗に真っ直ぐ伸びて、大和撫子と言えるような… まるで武人の家系を出ているかのような、そんな印象を受ける。
黒髪は後ろで一つに結わえられ、奥二重の目はくっきりと、それでいて鋭い。
一方男の方は、なんとも軟派な印象を受ける。
細目で、絶えず笑顔を顔に貼り付け、髪も鮮やかな茶色に染まっている。
シャツを胸元近くまで開けて、そこから銀色に輝くアクセサリーがチラつき、「遊び人」という言葉にぴったり収まるような雰囲気だ。
「ーーおはようございます…
天城さん、間山さん。
実は私達休暇で…」
「おはようございます、礼奈さん。
…それから、茶髪チャラ男」
どうやら雪子と桜子の顔馴染みらしい。
別の支部の人間とかか…?
「ーーなるほど休暇か…羨ましい限りだ。
私達はボスがうるさくてね…仕事でここまで来たんだ」
「ちょっと桜子ちゃん! チャラ男って酷くない…!?
いやー二人とも、相変わらずかわぁうぃーね!」
「聡太、少し口を慎め。チャラ男」
「礼奈さんまで酷いっすよ…!」
俺を置いて展開していく場…
少し気まずい…
「いやー…ここら辺は絶好のロケーションっすからね…
観光にはもってこいっすね!
羨ましいなー…
ーーあれ? ところで、こちらのナイスガイさんは二人のお友達っすか?」
そこで俺の存在にようやく気付くチャラ男…もとい、二人の顔馴染み。
さすがイケメン。話を振るのが上手い…よせやナイスガイとか照れるだろこのイケメン…
「ーーあ、紹介が遅れてすみません!
こちらは、私達の支部でお手伝いとして働いて下さっている、
神山龍一さんです」
挙動不振になる俺に代わって、雪子が紹介してくれる。
「ーーほう…君達の支部も人手不足で遂に手伝いを雇ったんだったな…
初めまして。私は超自然現象対策室の本部に勤める天城礼奈だ。
私達の手腕不足で色々と迷惑をかけて申し訳ない…
ーーそしてこちらが」
「ーー同じく、本部勤務の間山聡太っす。よろしくです!」
二人から手が差し出され、俺は二人と交互に握手を交わす。
「ーー二人の支部で手伝いとして雇ってもらっている、神山龍一です。
こちらこそよろしくお願いします…」
なんて反応すればいいか戸惑ったが、とりあえずそんな言葉をかけた。
「ーーところで、神山君…は、術者という事でよかったね…?」
「どんな術使えるんすかっ!?」
「ーーえ…? 術者…?」
聞きなれない単語が二人の口から発せられる。
どういうことだ…?
「ーー龍一は術者じゃないわよ」
口籠る俺に代わってそう答えたのは桜子。
「ーー何…! 雪子…どういう事だ…!?」
そこで天城礼奈という女の視線が鋭くなり、鋭利なそれは雪子を射抜く。
「ーーごめんなさい天城さん…
実は龍一さんは一般の方なんです…
ですが…! 私達を理解して下さって、私達の為にお仕事を手伝って下さっているんです!」
「龍一は一般人だけど、私達のように見える体質だわ…
本部に詳しい経緯や報告は提出してあるし、ちゃんとボスからの許可は下りているわよ?」
なんだか分からない状況だが、俺の事を庇ってくれている…のか?
「ーーそうか…それは知らなかった…すまない。
だが、ボスの許可が下りているとはいえ、一般人を巻き込んで良かったのか…?」
鋭い視線は、今度は俺に注がれる…
「ーー神山君…君は危険な領域に踏み込み、それを知ってしまった。
君はその事をちゃんと理解できているか…?」
そうだな…直接的な、命の危険はまだ経験していない…
軽口で覚悟はできてるなんてとても言えないが、少なくとも現象については今まで幾つか体験した。
だから。
「ーーはい…自分も現象を体験しました…
危険な状況はまだ経験していませんが。
しかし、二人は自分に居場所をくれました…だから、自分は彼女達にこれからもついて行きます」
しばらく、俺と天城は見つめ合う。
彼女の視線はまるで俺を値踏みし推し量っているかのようだった。
「ーーそうか…理解できているならば良いんだ…
しかし現象は危険な存在で、君もそれに狙われている事を常に心がけておいて欲しい…」
「ーーなんだかいいっすねー。
固い絆、みたいな!」
そうして天城は俺から視線を外し、雪子を見る。
「ーー雪子、最近奴らが妙な動きを見せている。
警戒しておいてくれ…
それでは、私達は仕事なのでな…そろそろ行く事にするよ。
それと、神山君にどこまで説明したかは知らないが、ちゃんと詳しく話しておいてくれーー」
「それじゃ雪子ちゃん、桜子ちゃん、それと神山さん、またねー!」
なんだか嵐のように過ぎた時間であった。
ボーッと、天城と間山の背中を眺めていると、ちょうど帰りの電車がホームへ滑り込んで来る。
そうして俺達の旅行は、妙な余韻を引きずったまま終焉へ向かっていった…
「ーーつまり術者とは…私達のように異質の力を持ち、現象に立ち向かう事ができる人の事を言います」
「そうね…術者は特殊な力を持っているの。
それは 妖力 と言う力のことよ」
「ーーなるほど分からん…」
帰りの電車の中。
俺は二人から、いわば「超自然現象に関する講座」とも言える話を受講していた。
概ねの行動理念等は理解していたが、確かに詳しい話については全く知らなかった。
(俺も一応知っておかなくちゃいけない事なんだよな…)
その世界に入り込んでしまった故の責任。
なんとか理解しようと意識を集中させ、少ない容量の頭をフルに稼働させる。
「ーーつまり妖力を持ち、それを術として使役できる奴を術者と言うんだな…?」
「なんだ…理解してるじゃない」
「そうですね…
ーー例えば、私が使っている聖典や、桜子が持つ呪符…
それらは、術者しか使う事ができません」
「なるほどな…」
それで、対策室は現象やそれに関する怪しい集団を取り締まる為の機関ということで…
まだまだ色々疑問はあるが、大体は把握した。
「ーーそれで…間山…だっけか。
あいつが言っていた術がどうとかってのは?」
「あれは…そうですね…」
「どんな術を使えるかってことでしょ?
簡単に言うなら、どんな魔法が使えるかって質問ね。チャラ男が言ってたのは」
「ああ…! なるほどな!」
「妖力を使った術には幾つか種類があります。
桜子のように、道具を媒介して武器や式神を具現化し現象に対抗するタイプだとか…
武器に妖力を直接注ぎ込んで対抗するタイプとか、人によって様々です」
「ーーまあ、魔法使いみたいなもんと考えてもいいわけか」
「そうですね…そうイメージして頂ければ分かりやすいと思います」
ほうほう…そういうことだったのか。
「ーー聖典を使ってパパッと封印…なんて事はできないのか?」
「ーー弱らせないと捕まえられない…なんてどこにでもある話でしょ?
それと同じよ」
「そうですね…諸説ありますが、少なくとも対象が勢力を奮っている内は封印できない事は分かっています…
しかし私達も完璧ではないので、まだ不明な点が色々ありまして…」
「まだ未知の領域があるってわけか」
まあ…超自然現象と言われるくらいだ。
論理では説明できない事象があっても当然だろう。
「というか、わざわざ封印しなくても、危ない奴らはその術とやらで消し去ってしまえばいいんじゃねぇか…?」
「そうね…勿論そう言う人もいるけどーー」
「相手は超自然現象ですから…封印し情報として聖典に残すことで、後世に対処法を受け継がせる事が大事なのです。ケースバイケースな時もありますけど…
また同じような現象が起きないとは言い切れませんから…」
「そうか…できるだけ後の世代の被害も抑える為というわけだな…
確かにそれは大事な事だ」
段々と二人が置かれる世界について掴めてきた。
「ーーまあ、ざっとこんなもんかしらね…
私達も説明しておく義務を怠っていたわ…ごめんなさい」
「いや…それは大丈夫だが…そうだ!」
「どうしました?」
「天城って人が…奴らがどうのって…」
「ああ…そいつらは恐らく私達を襲撃した奴らの事よ」
「そんな…すまん。思い出させちまった…」
場の空気を読めずに、ふと口走ってしまった。
二人の過去を思い出させてしまったかもしれない。
「ーーいいんです。彼らは依然として姿を眩まし、現象に関する事柄に暗躍しているようです…
私達は彼らを許すことはできません。現象同様取り締まる存在です」
「ーーそう。だから動き出したって聞いた時は不安になったけど…
警戒しておかないと…ね」
「そうだな…」
仇が討てれば…とも思ったが、今の俺には上手く彼女達にかけてやれる言葉が見つからなかった…
「それで…あの二人は本部勤務と言っていたが…どんな事をしてるんだ?」
沈黙に耐えかねて次の話題に移す。
「ーー天城さんと間山さんは、本部の中でも特別な課に属しているんです」
「二人は捜査班と言って、私達を襲った集団だとか、現象だけでなくそれに関わる人間が起こしたとされる事件も扱っているの。
精鋭中の精鋭ね」
そうだったのか…天城という女はともかく、あの軟派男でさえも外見にそぐわず実力者だったのか。
「ーーまるでFBI…というか警察みたいだな」
「実は警察とも連携しているんです」
「なんだと…」
「超自然現象は警察では対処できないから、そういう事件は私達に回ってくるのよ」
「そうだったのか…スゲーな」
「はい…公的な機関なんです。実は」
超自然現象対策室、恐るべし。
「ーーって言ってたら、もう乗り換え駅ね…」
桜子がボソリと呟く。
それを合図に、俺達は一つ目の乗り換え駅に降り立った。
やがて構内で休憩を一つ入れて、再び電車の中。
「ーーそれで…俺が一般人って分かったら、天城って人は良く思ってなかったみたいだが…」
対策室談義を繰り返す。
「もしかして、術者以外は勤められないとかって決まりがあるのか?」
実は、あれからそれがずっと尾を引いていた…
「ーーいや、そのような決まりは特にはないのですが…実際許可も下りた訳ですし」
「そうね。別に一般人でも本部や支部に勤務している人はいるわよ?」
それなら、何故…
俺をじっと見つめていた天城の顔が思い出される。
「ーー元々伝統的に、必然的に術者が多くなるので…」
「私達は、一般人を巻き込んでしまった…という概念を持っているのは確かだわ。
直接現象と対峙する人は特にね」
そういう訳か…
「そう…私達も…です。
だから龍一さん、本当にーー」
「ーーごめんなさい。とは言わなくていいぞ」
「龍一さん…」
「何度も言うが、俺が最初言った時と同じ。
断ることもできたし、お前から危険があるとは説明された。そして昨晩だって…
だけど俺は、俺がそうしたいからここにいる。それだけだ」
「ーーそうよ…こき使われるのが好きなんだって! 龍一は」
「お前はもうちょっと雪子の慎ましさを見習った方がいいと思うぞ?」
まだまだ謎は多いけど。
この旅は楽しさだけでなく、色々と大切な事も教えてくれた。
そして。
「ーーお姉、そういえば…
お姉は無期限飲酒禁止の刑ね」
「ーーなっ…! 桜子、それはどういうことっ!?」
「今回はまだ旅行だったから、私も最大限に広い心で譲歩したけど…
お姉が犯した罪状、ここで発表してあげようか?」
「ーーダメッ! 分かったから! 桜子やめて!」
「その一、私の水着を剥いだ。そして変態紳士龍一に私は裸を見られた」
「ーーなっ! あれは事故だ俺は不可抗力だ!」
「桜子やめてぇぇぇぇぇぇ!」
「ーー龍一も、あんたは私達のいる場所で飲んじゃ駄目だから」
「そんな…! 俺はもう過ちは犯さないから…!」
ーー俺達の心は、以前よりずっと近くなった。
そう思うし、実感している。
彼女達の過去。
俺のこれから。
二人は過去を乗り越え、今を生き、未来へ向かう。
それならば、俺はそんな二人を支えてやりたい。
願わくば、二人が俺に居場所を与えてくれたように…
俺も、雪子と桜子の居場所に、彼女達が行き着く終着に…「答え」になりたい。
やがて電車は二回目の乗り換え駅へ着く。
この駅から出る電車に乗れば、もう俺達の地元だ。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
しかし、その分とても濃密な非日常を味わう事が出来た。
名残惜しさは未だ拭えないが、生きているんだ。
またいつか行けるさ。
またいつか行こう。三人で。
俺達が誓い合った、思い出を共有出来た、心を通じ合えた、あの場所へ
またいつか行けるだろう。
さよならは言わず…
また会おう。
「ーーなあ、このまま帰りたくない…だろ?」
「龍一さん? どうしました?」
「どういう意味よ?」
「ーーやり残したこと、なんかないか?」
「私は特に…二人のおかげでとても幸せでした!
…でも、まだ確かにお昼ですし…」
「うーん…確かに早くに帰っても特にやる事ないのよね」
「ーーなら、ここを一旦出て、なんかしようぜ!」
「いいですね…!」
「そうねー…カラオケとか行きたいかも!」
「それ賛成だ! ロッカーに荷物入れて、早速行動開始だ!」
「ーーはい!」
ただ、まだちょっとこの喜びを長引かせたくて。
俺の、そんな苦し紛れの悪足掻き。
それに賛同してくれる大切な存在がいる。
この夏の思い出を。
新たに増えた宝物を。
俺は絶対に忘れる事はないーー
「龍一様、もうお昼ですよー?」
「もう俺は驚かないぞ? お前がデフォルトで部屋にいる事に…」
8月は中盤に入っている。
午前11時ほど。
気だるさに包まれた体を起こそうとした時、起床一番、俺の目に映るヤエの姿。
体を前屈みにして、眠っていた俺の顔を覗くような体勢だ。
「龍一様、旅行からお戻りになられて…!
ヤエは…寂しくて…寂しくて!
龍一様ぁぁぁぁ!」
「馬鹿野郎暑苦しいからやめろ!」
飛び付いてくるヤエをなんとか剥がし、俺はようやくベッドから出る。
二泊三日の小旅行が終わり、俺達は再びこの場所へ戻って来た。
頭をくしゃくしゃと掻いて、携帯を確認する。
(依頼は入ってないようだな…)
ということは。
「ーーだるーい…」
「龍一様! いつまでも寝ていたらダメよ! いくら休みだろうと…!」
ベッドにもう一度飛び込もうとしたところ、ヤエにそれを阻止された。
「ーーだってよ…何もやることないし」
「そんな事言ってたら、
ーーもっと休みを有意義に使っておけば…!
なんて後悔することになるわよ?」
化狸の癖に妙に人間じみてやがるな…というか、俺の休み事情とかの情報をどっから掴んできたんだ?
俺、こいつに言ったっけ?
ともかく旅行は終わったが、まだ俺達の支部は休みなのだ。
依頼もないので、仕事はない。
(だから…やる事もない)
なんというか…以前の俺に戻った気分だ。
定休なんてただの飾り文句で、幾度潰れた事か…
やっと手に入れた休日。その1日をどうやって過ごしていたかというと…
こんな感じだ。
昼過ぎまで眠り、起きても特にする事はなく、部屋でダラダラしていたら休みが終わっていた…
そして夜になり、死にたくなって…
「ーーおおっと…! 危ないところだった…」
「どうしたの…?」
せっかく充実した日々を送っていたのに、またダークサイドに落ちかけた…
やることはないが…
せっかくの休みだ。
以前ならできなかったことをしよう。
「ーーまあ…まずは飯だな」
これから考えるようにして、まずは空腹を満たすことにする。
「ーーふむ…誰もいないな…」
一階のリビング・キッチンに降りてきたが、両親はいなかった。
町工場勤務の父と、パート戦士の母であるが、お盆のシーズンで今日は休みであったはずだが…
冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注ぐ。
そうして腰に手を当て、一気に飲み干す。
と、その時。
「ーー龍一様、今朝は龍一様の兄夫婦とその娘さんがいらっしゃってたみたいよ?」
「ーーんごふ…!」
ヤエからの思わぬ一言で、牛乳を吐きかけた…
「ーーどうしてそれを知ってる!?
俺に兄がいた事はお前には言ってないぞ!」
「今朝私が来た時にご両親が教えてくれたわよ…?」
ん…? 待て…。
今なんかとんでもない言葉が…
「ーーそれから私、ご両親から伝言を預かっているの…
ーー龍一、私達は兄夫婦と娘さんと出かけてくるから、夜には帰るから勝手にしといて。あと、ダラダラしてないて彼女さんをどこかに連れて行ってあげなさいーー
だって…! もぉー彼女なんて恥ずかしいわーー」
待て…!
「ーーおい! お前俺の親に会ったのか…!」
「ーーお友達って言ったら上げて下さったわよ?」
「なんだとおおおお…!」
おい…親父にお袋…
「ーーもう…駄目だ」
何か色々と突っ込む気が失せた…
「ーーこのヒト科タヌキ系女子が…!」
「ーーこれで両親御公認のお友達ね…!」
起きて早々とんでもない心労を負った…
とりあえず食べて気を紛らわそうと、俺は昼食を「二人分」作った。
「ーーまぁ…! 龍一様って料理お上手なのね…!」
「あのな…まあいいや」
今朝の余りのご飯で適当に作ったチャーハンと、同じく適当に作った野菜炒め。
そして冷蔵庫に入れてあった惣菜の唐揚げ。
それを食卓で貪る俺と。
笑顔でうまそうに食べるヤエ。
もうこれ…どんな光景だよ…
「ーーところで、お前まさかいつもの姿で親に会ったんじゃないだろうな…」
「もちろん、ちゃんと清楚なお嬢様風の格好で来たわよ! 見る?」
「別にいいです…」
俺が作った適当な料理を頬張る彼女。
(こいつも…現象なんだよな)
ヤエを見ていると、ふと昨日の天城の言葉が蘇る。
現象は、危険な存在。
確かにそうかもしれない。
しかし、目の前のこいつを見ていると、全てがそんな訳ではないと思える。
確かにちょっとした悪戯はしたかもしれないが、人の命を奪ったり、重大な怪我を負わせたりはしていない。
だが、人に重大な危害を加えてないならどんな事をしてもいい…という訳ではないだろう。
(存在自体が許されない…という事か?)
いや、それは幾ら何でも…
横暴そのものだろう…
しかし…
(現象は危険な存在)
あの言葉、それを言った天城の表情が焼き付いて離れない。
雪子は見逃したが、もしこいつが他の奴らに封印されたら…俺は…
「ーー龍一様、どうしたの?」
「…いや! 何でもない…
うまいか? それ」
「凄く美味しいわ! さすが龍一様!
ありがとう!」
「ーーそうか。良かった…」
こいつが消えたら…きっと俺は深い傷を負い、後悔の念に苛まれる…
そんな気がする。
「ーーそれより、龍一様! 私も海に行きたかったんだけど…!」
「しょうがないだろ…俺達は俺達の計画があったんだからよ」
「ーーんぐぐぐ…私も龍一様とどこかへ行きたい!」
「分かったよ…後の休みに連れて行ってやるから、勘弁しろ…」
「ーーやった! 龍一様愛してる!」
いつもの如く、飛び付こうとするヤエを抑えていると…
「ーーメールか?」
携帯のバイブが食卓に響き、着信を知らせる。
どうやらそれはメールだったようで、送り主を確認し、内容も同様に確認して再び携帯を置く。
「ーー誰かからのお誘い?」
「ああ…大学の時の部活仲間…まあ、友人だ」
内容を確認すると、大学時代同じ部活だった友人からの連絡だった。
名は杉本と言って、寮で一緒の部屋だった事もあり、今でもこうして時たま連絡を取るくらいには親しい。
以前の俺同様、彼も都会で就職し、今でも1人暮らししながら仕事に励んでいるはずだ。
何の用だと思ったら、どうやらお盆で休みに入ったらしく、久しぶりに飲まないか? という事らしい。
「ーーどうするかなー…」
明日の夕刻から会おうということだ。
「ーーどうせ家にいても、ゴロゴロしてるだけでしょう?
せっかくの束の間の休息、行ってらっしゃいな」
「お前は俺のお袋かよ…」
ヤエから指摘を受ける…
確かに、こういう時以外は滅多に会う事はできないしな。
場所は都会…
つまり、東京であるらしい。
(こりゃーその日に帰って来るのは無理だな…)
「ーー東京って…あいつ少しは俺に気を使え…」
電車、新幹線を使って片道三時間ほど。夕刻から会う事を考えると、終電には間に合わないだろう。
どの道そうなったら俺も帰る気はないし、どうせ飲み明かすか二次会に及んで日をまたぐ確率は非常に高い。
(そういえば…あいつに仕事辞めて地元にいる事も言ってないしな)
しょうがない…ってやつだ。
「ーーそうだな。明日からまた行ってくるわ…」
「またお泊り?」
「ああ…」
「うわああああああん! 龍一様! また私を1人にするのね!」
「行ってこいって言ったのお前だろうが…」
とりあえず、ここにいない事は雪子に報告しておこう…万が一依頼が入ったら大変だしな。
そうして友人に返信し、雪子にも連絡を入れる。
(さてと…)
何かしようと思っていたが、そんなところでまさかの友人からの連絡。
明日があるし、今日はゆっくりしよう。
兄夫婦とその娘も来ているので、たまには一家団欒とするのがいいだろう。
今は俺一人しかいないが…
それからは主にヤエのわがままに付き合い、ヤエが帰って行ってからは(どこに帰ったかは知らないが)、夜は入れ替わりで戻って来た両親、兄夫婦・娘と団欒し過ごした。
「ーーよう杉本。久しぶりだな」
久しぶりに味わう人混み、喧騒。
高層ビル、マンション、コンクリートジャングル。
狭い空。
夜の顔がチラつき始め、段々と陰が増してきた夕刻。
ーー眠らない街、東京。
とある街中で、俺は久方ぶりに大学時代の友人と合流した。
雪子によると、依頼も仕事も特にないので休みを楽しんでとの事であったから、電車と新幹線を乗り継ぎ、こうして遥々東京まで来た。
久しぶりに都会に来てみると、まるで初めて訪れたかの様な感覚に陥りそうになる。
(まあ…結局何回来ても慣れないだろうけどな)
辺りでは飲み屋の看板、ネオンが煌々と灯り始め、眠らない街に夜の訪れを告げていた…
積もる話もあるだろう。
今夜は何のしがらみもなく、時間を忘れて仲間と語り明かそう。
(ーー俺、最近飲んでばかりだな)
まあいいか…
「ーー久しぶりだな龍一! 話したい事は山ほどあるけど、まずは店に入ろうぜ!」
杉本の陽気な声に誘われて、俺は居酒屋の暖簾を潜る…
「ーーそれじゃ、またいつかな!」
まるで祭りの後のような余韻。
昨晩彼とサシで飲んで色々と語り明かし、そしてはしご酒までしてテンションがハイになった俺達は、日をまたぎ朝までカラオケに興じて宴を締めくくった。
歳のせいか、学生の時の様にはいかず、オールという行為が厳しく感じる。
まだ二十代だけど…
それで朝ぼらけ…と言っても真夏なので日の出が早くもうその時ではないが…
そんな様子の繁華街。
飲食店前に出されたゴミ袋の山。
その周辺に降り立つカラス達。
通り過ぎるゴミ収集車。
懐かしくも感じる、そんな風景。
ここら辺は不夜城な店も多数軒を連ねているので、そこで働く者や客をターゲットに朝方までやっている店が複数ある。
その内の一つで締めのラーメンを食べ終え、俺達は解散したのだった。
時刻は6時を過ぎた。
すぐ新幹線に乗って帰ってもいいが、なんだかまだこの余韻に浸っていたくて、真っ直ぐ帰るのが躊躇われる。
(ここに戻って来る事は滅多にないだろうしな)
少し二日酔い気味の体。
眠さ、疲れはあるものの、まだここにいたいという気持ちがそれに勝る。
そしてまだ休み。
「ーーとりあえず、もう少しゆっくりするか」
繁華街をふらつき駅へと向かう中、ふとバーガーショップが横目に入った。
「ーーコーヒー飲みてぇ」
休みをフルに満喫しようと、俺は最後まで足掻き続ける…
バーガーショップでコーヒーを啜りながら、喫煙席でタバコをスパスパ吸って充分休止を入れ、俺は店を出た。
これからどうしようか?
久しぶりの東京だし、少し都内をふらついてから帰ろうか?
そんなこれからの算段を巡らせていたところだった。
時刻は7時前。
大通りは途切れる事なく車が行き交い、歩道には盆のシーズンとは無縁な、仕事に向かうオフィスワーカー達の姿が目立ち始めた。
(俺も以前はあの中の一人だったんだな…)
などと感慨に浸っていたら。
「ーーお兄さん助けて! この人達がーー!」
どうしてこうなった…
店を出た早々、俺の腕にしがみついてくる若い女。
二十代前半ぐらいだろうか?
髪は自然な金色、肌は非常に白く、彫りの深い整った顔立ち。高い鼻。そして何とも特徴的な灰色の瞳。ハーフだろうか?
格好は夏の女性らしくフリルが付いたTシャツにヒラヒラ、柄物のロングスカート。ヒール付きのサンダル。
それから、肩にかけるブランド物であろう黒のバッグ。
一見すると、土地柄からして仕事が終わった不夜城勤めのねーちゃん。
「ーーあの…どうしました…!?」
「ーーあの男たちがしつこいの!」
俺の背に隠れるようにしてから、女は一点を指し示す。
「ーー待ってよお姉ちゃん! ちょっと付き合ってくれてもいいじゃねーか…」
その指が指し示す先には、いかにも俺の様に一晩飲み明かした男二人組が。
しかもおぼつかない足取り。
いわゆる千鳥足だ。
(泥酔野郎か…余計にタチが悪いな)
もう7時だってのに。
こういう輩はせめて早朝までだろ…
(ーーどうしたものか)
この手の輩は絡んだら最後、とても面倒な事になる。
突っ伏して寝てる奴の方が何倍もマシだ。
幸い二人組とは幾らか距離がある。
こうなったら…!
「ーーすみませんお姉さん、少し走りますね…」
「ーーえ…? あのー…はい…!?」
女の手を引き、俺は駅の方向へ向かって小走りでこの場を走り去る。
逃げるが勝ち…だ!
「ーーあ…! 待てコラ!」
「待てコラ! タココラ!」
長○じゃないんだからタコとかやめろコラタココラ…
おい…! 泥酔してんじゃねぇのかよ!
泥酔者で千鳥足だから、まず追ってくるのは無理だろうとたかをくくっていた。
ところが奴らは、危なっかしい足取りながらも走って俺達を追って来た…
「ーーやべぇ…! ペース上げますよ!」
「ーーええええ!? ちょっと…!」
クソッ! なんでこんな事に…
どうやら俺は、悪運が強いのかもしれない…
「ーーはぁ…ここまで来れば大丈夫でしょう…」
膝に手をつき、乱れる呼吸を整える。
こんなに走ったのはいつぶりだろうか…
「ーーありがと…お兄さん」
女の方も肩で息をしながら、ようやくそう口にした。
駅周辺にある広場。
そこにあるベンチの前。
二人組はもういない…上手くまけたようだ。
やがて呼吸が完全に整うと、出し尽くしたかのように俺達はベンチに身を預けた。
「ーー痛っ…」
「どうしました…?」
お互いに何も言わずただ座っていたら、突如女が何やら声を上げ、自身の右足…踵をさするような仕草をし始めた。
「ーーああ…ごめんなさい…走って靴擦れしちゃいました?」
「そうみたい…だけど、大丈夫」
女の右足の踵が赤くなっている。
恐らく走って来た時に擦れたのか…
真白な肌だからそれは余計に際立っている。
そういえば。
肩に掛けたミニなショルダーバッグを漁る…
こういう時の為に…というわけではないが、何故かショルダーバッグの奥底に絆創膏が2枚ほど入っていた。
まるで発掘された化石のよう…これ、いつ入れたんだっけな…
バッグに入れっぱなしで、整理しようとしたら偶然に意外な物が掘り出される…よくある事だろ? 違うか…
「ーー右足、ここにのせてもらっていいですか?」
「ーーえ…どうして?」
ベンチから立ち上がり、俺が座っていた場所をポンポン、と叩いて示す。
「絆創膏あったんで…貼りましょうか…?」
踵じゃ上手く貼りづらいだろう。
「ーーあ…いいの?」
「はい。 俺が怪我させちゃったとも言えますから…」
「そんな…! 何から何までありがとう…」
女はヒールが付いたサンダルを脱ぎ、両の素足をベンチの上にのせた。
俺が座っていた場所に移動し、両足をその逆側、ベンチ上にのせる。
そうして俺から見て手前に右足が来るような配置になった。
ロングといえどスカートなので、その為…そして俺が貼りやすいように配慮してくれたみたいだ。
「それじゃ…失礼します」
「ありがとう…」
少し膝を立ててもらってから、俺は女の右足踵に無事、絆創膏を貼り終えた。
「ーーこれで大丈夫ですね」
そして右足のサンダルを持って、女にそっと履かせてやった。
いや、他意はないぞ…? 決して。
傷に触れて痛むと嫌だからな…
「ーー本当に、ありがとう…
なんだか私、シンデレラみたいだね」
クスッ、と一つ笑う女。
「いえ…ここら辺はあーゆー輩が多いですからね。
お仕事も大変でしょう?」
女の笑顔に吸い込まれそうになるが、理性を以てそれを制した。
いかんいかん…これは他者にも見せる営業スマイルだきっと…
俺って捻くれてるな…
「ーー仕事?」
「ーーあ、ええ! サービス業は大変ですよねー。ああいう面倒な客は特に!」
女の言葉で我に返ると、彼女はきっとお水な仕事人だろうという勝手な推定をしてそれとなく話を進行する。
「ーーサービス業…? ええと…」
俺が何を言っているか皆目見当つかない様子で困惑気味の女。
あれ? ひょっとして…
「ーーあ…そういうこと…」
女はようやく俺の言葉の真意を理解した様子。
「ーー私、キャバ嬢じゃないから…」
あ…やっちまった。
ーー人は見かけによらず。
「ーーそれで、たまたまあそこを通りかかったら絡まれたと…
本当に、勝手で失礼な解釈を…申し訳ございませんでした…」
うだるように暑い都会。
コンクリートは熱され、ビルの壁に阻まれ逃げ場がなく、ムンムンとこもる熱気。
まるで蒸し焼きにされているかのようだ。
厳しい日差しが差す広場。
そこのベンチに座る俺達二人。
ベンチ横に生えた木が作る木陰がなければ、とうにダウンしていただろう。
今日も午前中から焼けつくような気温だ。コンクリートのジャングルだから、その分体感温度も上がっているように思われる。
「ーーいいの… 助けてもらったし」
俺は失礼な勘違いを犯した。
人は見かけによらず…
女は、たまたまあの時あの場所を通りかかった際に、酔っ払い二人組に絡まれたという事だ。
それにしてもあの時間、あそこで働いてる人間でもないのに…
(女があんな場所通るか普通…)
俺のように飲んだ帰りか?
それとも飲食店のアルバイター?
それともそれとも…周辺に住んでてこれから仕事に向かおうとしてただけか?
ダメだ…十人十色、様々な人間がいるのだから、いちいち憶測するのは野暮ってもんだ。
「ーーこれからお仕事ですか…?
だとしたら、本当にすみません」
「いや、仕事じゃない。自由なの…」
自由…?
「それなら良かった…
俺のせいで遅刻なんてしたらどうなることかと…」
「大丈夫。 本当にありがとう」
横の女はそう言って、わずかに微笑んだ。
何故か、その横顔は儚げに見えた…
「ーーじゃ、俺はここら辺で…
本当にすみませんでした…」
長居するのも悪いし、もう役目は果たした。
そう思って立ち去ろうと、帰ろうとしたら。
「ーー私、夕月 っていうんだ」
立ち上がった俺の背に、突如声をかける女、夕月…
夕月…綺麗な名を、その名に負けない容姿の女が呟く。
その声は、不思議と俺をこの場に留まらせて、静止させる。
「ーーあなたは?」
俺の名前…?
「ーー神山龍一、です」
振り向いて答える。
「その口調、やめて」
指を振りかざし、微笑みながら首を傾げる夕月。
「お兄さん… 龍一…はきっと二十代後半ってところ…そうでしょ?」
「ーーは、はい…」
何故そんな事がわかるんだ…
全てを見透かされているような、そんな気にさせるグレーの瞳。
「それなら、私は歳下。 あなたは私より歳上。
敬語はなし、ね?」
「…は、はあ… 分かり…
分かった」
「ーーよろしい」
そうして。
「あなた、龍一はこれから仕事?」
「いや、休みだ…」
「ーーそれなら…」
女、夕月はすっくと立ち上がる。
「ーー龍一は、ガラスの靴を履かせてくれた王子様みたいな…?
だから、許された時間…私の自由な時間を楽しませて?
ーー魔法が解けるまで、ね?」
ガラスって… シンデレラじゃないんだから。
「シンデレラかよ…
それにガラスじゃなくてただのサンダルだろ?」
「ふふっ…! いいじゃん! どうする? 龍一」
気分良さげに夕月はロングスカートをヒラヒラと翻す。
今日初めて会った女、夕月。
名以外、何も知らない女。
見た限りは怪しそうには見えないが…美人局とかだったら…
いや、そうなったらトイレ行くふりして逃げよう…
幸いまだ休みだしな。
そして久しぶりの東京な訳だし。
「ーー分かった。付き合ってやるよ…
どこ行くんだ?」
「やったーー!
ええと…どこでもいいよ?」
「なんだそりゃ…」
「私、東京来たのこれが初めてなの…
龍一が案内して!」
「初めて…? それじゃ…分かった」
初めて会った女。
彼女、夕月に付き合わされ、俺は彼女を案内する。
自慢じゃないが…よく都内はほっつき周ってたからな…仕事辞めてから。
まるでガイドになった気分で、俺は夕月の手を引き都内を巡る…
(彼女の魔法が解けるまで…)
「ーーほら… コーヒーじゃ駄目だったか?」
「大丈夫! ありがとう…」
都内某所。とある広い公園。
十分な木陰の下のベンチ。
自販機で購入した缶コーヒーをベンチに座る夕月に手渡す。
ーーあれから、俺は夕月と様々な場所を巡った。
初めに彼女はカフェに行きたいと言ったので、オシャレそうな店を探し、そこでくつろぎながらあれこれ他愛もなく会話をした。
次に服を見たいと言った彼女を、俺は若者の街へ案内した。
今時のファッションショップを巡って、所々で試着して見せた彼女。
どの服もスタイルの良い彼女にはとても似合っていたが、何故か一着も購入するに至らなかった。
時は過ぎて正午。
ラーメンが食べてみたいという彼女を、俺的におすすめな店へ案内した。まるで初めてそれを食べたと言わんばかりに、終始彼女はとても幸せそうに顔を綻ばせ、ラーメンを頬張っていた。
お昼を過ぎ、今度は何かを眺めたいと口にした彼女。
俺は動物園を案内した…
そうして。
午後、夕時に入った頃。
とある公園。
帰りの新幹線の時間があるので、ここら辺で締めくくろうとしていた。
「ーーとっても楽しかった! ありがとね? 龍一」
「楽しんでくれたなら幸いだ」
「龍一は、楽しかった…?」
正直な話、昨日から一睡もしていないので体にこたえた。
しかし久しぶりの東京を、一人じゃなく誰かと周れた事は大変新鮮でもあり、楽しかったのも事実。
「ああ…楽しかった。
俺も久しぶりに東京に来たから、誰かと一緒に周れたのは良かったよ」
「そうなんだ…それなら良かった良かった…!」
安心した様子で、夕月はため息を一つ吐いてからそう答えた。
木陰に微風が吹き抜ける…
十分に話して出し尽くした様に、それからは沈黙が続いた。
遠くに見える噴水では幼子が水遊びに興じていて、傍では母親がそれを見守っている。
平和な休日の一光景。
広い公園。
木々に囲まれるこの場所は、いわば砂漠の中にひっそり佇むオアシス。
微風に揺られた木々の葉っぱが擦れて音を立てる。
それはまるで子守唄のようで、俺はついつい眠くなってしまう…
一睡もしていない体に、昨日と今日の分の疲れがドッと押し寄せて来て、睡魔が俺を襲っている。
「ーーねえ? 龍一」
そこで、吹き抜ける微風の様な優しい声音で、夕月は囁いた。
「ーーシンデレラみたい…って言ったけど、シンデレラのお話、龍一は知ってる?」
「ああ。なんとなくは覚えてるぞ?」
確か…
いじわるなおばさんと姉達に虐められていたシンデレラ。
そんなある日城で舞踏会が開かれ、姉達は着飾って出て行ったが、彼女にはドレスがなかった。
舞踏会に行きたくともそうできない彼女。
しかし彼女の前に魔法使いやら、そういう不思議な存在が現れて彼女をに魔法かけ、舞踏会に行かせる手助けをする。
12時には魔法が解けるので気をつけろと忠告を受け、彼女は無事舞踏会に参加する事ができた。
そしてそこで彼女は王子と出会う。
しかしいいところで約束の12時は目の前。
急いで会場から立ち去る彼女。
焦ってつまずき、履いていた靴を片方脱ぎ落としてしまう。
シンデレラに惚れた王子は靴を手掛かりに彼女を探す。
やがて王子は彼女を見つけ出す。
他の人々、姉達には合わなかった靴が彼女にはピッタリと合い、そこで王子は魔法にかけられ着飾っていた舞踏会の時の女がシンデレラであったと認識した。
そうして王子はシンデレラを妃として城に迎えた。
めでたしめでたしーー
「ーーこんな感じだろ?」
「…うん。そんな感じ」
俺はそんな話の内容を、拙い言葉や表現でポツリポツリと述べる。
それにしても、何故シンデレラの話を…?
「ーーガラスの靴じゃないけど…
ーーこれ」
そう言って夕月は突如、両手を首の裏に回す。
彼女は首にかかるネックレスを外したのだった。
胸元から姿を現した、リングが付いたネックレス。
それを外し、掲げて見せてから…
「ーー私ね…恐らく長くは生きられないの。
だから、これを私の代わりに持っていて欲しいんだ」
彼女は立ち上がって、そう語りながら俺の首に手を回す。
「ーーおい… どういう事だよ…」
「いきなり言われても困っちゃうよね…
でも、寂しくなっちゃって…
あなたになら言えるかもって」
誰かに不幸を押し付けるみたいだけど…もしあなたが良かったら持っていて…
更にそう付け加える彼女。
俺の首もとに、やがて下げられた彼女のネックレス。
突然の宣言で、俺は頭が真っ白。
どうすればいいか分からずに、固まったままだった。
夕月は一人語っていく。
その声は寂しげであり、少し掠れていた。
「初めて会った人にこんなことされたら迷惑だよね…
でも、あなた…龍一しかいないと感じたの」
何の事だ…?
「すまん…いきなり話を進められても…
良かったら、何があったのか話してくれないか?」
訳も知らずに、勝手に大事なものを受け取る訳にもいくまい。
「ーーそうだね…
私は訳あって、恐らく長くはもたない…」
「病気か…?」
「まあ…そんなもんかな。
私が私でいられなくなる日は、そう遠からず必ず来るの」
「そんな…」
どういう事だ…死ぬという意味か?
「ーー初めて龍一と会って、あなたは見ず知らずの私に付き合ってくれたよね…?
本当に嬉しかった…
こんな風に誰かと遊んだの初めてだったの」
彼女…夕月の目から、光る滴が滴り落ちる。
「だから… いきなり言われても困っちゃうと思うけど…
私の生きた証を、龍一に持っていて欲しいんだ」
待て…俺になぜそんな事を。
「俺じゃなくて、親とか兄妹とか…
恋人に送った方がいいんじゃないか…?」
もし何かの病気で長くは生きられないのだとしたら、その役目は他人である俺には務まらないだろう。
「ーー私、親も兄妹も恋人もいないの」
そんな事って…
なら今までどうやって…
「悪い…気に障る事言っちまった」
「大丈夫。龍一は悪くない」
広い公園。
日は次第に傾き、真っ赤な夕日が顔を出す。
夕凪の様な、静かな時間の中で。
「ーーもう魔法は解けちゃうから…
もし龍一が良ければ、持っていて。
あなたにならそれを託す事ができる」
「俺なんかでいい…のか?」
「うん。本当に今日はありがとう…」
魔法が解けるとは…?
「ーーそれと…あのね、龍一」
「…どうした?」
「ーーもし奇跡が起きるなら…
その時はそのネックレスを持って、私を迎えに来て…」
切なる願いを夕月が囁いたのを最後に、「魔法は解けた」
「ーー彼女を発見した…了解」
突如公園の林の中から姿を現した黒服達。
一人が姿を出すと、違う場所からも数人がぞろぞろと出現した。
黒づくめの男達。怪しいことこの上ない。
視線は夕月に全て向けられているように見える。
こちらにゆっくり向かってくる彼ら。
「ーー魔法、解けちゃったね。
龍一、ありがとう…
そして、さようなら。
逃げて…!」
「ーーこれは…一体どうなってるんだ!?」
立ち上がった俺を庇うように、夕月は前へ出る。
近づいて来る男達。先頭に立つ1人が拳銃らしきものを抜き放った。
おいおい…!
何だよこれは!
自分が置かれた状況がまるで理解できない。
男達は…
夕月は。
一体何者なんだ…!?
「ーー龍一…ごめんね。ありがとう…逃げて!」
「お前は一体何者なんだ、夕月…」
「ーー貴様ら、そこから動くな」
男は拳銃を夕月に向け、彼らは俺達から一定の距離を置き静止した。
「ーーターゲットを発見。任務を遂行する」
男達の一人が、無線機のような端末に何やら話しかけている…
俺は一体どうすれば…
男達の拳銃は夕月に向けられている。
彼女が何者かは分からない。
もしかして、「魔法が解ける」とはこの事だったのか? それとも…
「ーークソッ!」
小さく叫び。唇を噛みしめる。
俺は何かに巻き込まれたのか…?
だとしたら…俺は夕月の言う通りに逃げるのが最も賢明だ…だけど。
(長くは生きられない)
あの言葉は、この事だったのか?
なら。
死ぬかもしれない。しかし…
「ーー龍一! 早く行って…! ちょっと、 龍一…!?」
「ーー伊達にほっつき歩いてたわけでもなかったということか…」
俺を庇う夕月の前に、俺は出る。
「ーーちゃんと訳を話せ。いいな?
俺を巻き込んだ罰だーー」
彼女の手を引いて。
「ーー龍一! ちょっと!」
本日二度目の逃走劇。
仕事辞めて、伊達にふらふらしてたわけじゃないんだぜ?
ここら辺の地理はだいたい知り尽くしている。
「ーー待て…! 貴様!」
逃げるが勝ちだ。
夕月の手を引き、林の中に逃げ込む。
男は拳銃を懐にしまって俺達を追って来た。
(殺しはできないって事か…?)
発砲しないということは、それができない理由があるのかもしれない。
それなら幸運だ。
地の利は恐らく俺にある。
なんたってこの街は、何回もふらついてた場所だ。
無睡で疲弊しきった体に鞭を打って、夕月の手をキツく握り、男達から逃走する。
「ーー俺をなめるなよ…
はあ…逃げ切れたみたいだな」
「龍一…どうして…」
公園を抜け、大通りに出て人混みに紛れ、ビルの合間を縫い、小さな路地を幾つも抜けて…
とある小さな神社に辿り着いた。
人の気配は感じられない。
どうやらうまく逃げ切れたみたいだ。
「ーーさて、全てを話せ」
息を整え夕月と正面から向き合う。
そうして彼女が秘めた事情を知ろうと問い質す。
「ーー私は…」
言い淀み、やがて無言になる夕月。
「お前は一体何者なんだ」
「龍一は…全てを知って、そしたら…
私と一緒に、誰も知らない遠い場所に逃げてくれるの…?」
どういう事だ。
「ーーおい。俺の質問に答えろ。
奴らは誰だ? お前は何故奴らに追われていた?」
「ーーお願い…私を連れ出して…!」
「答えろ夕月…! 何があった!」
やがて夕月は静かに泣き始める。
これじゃ何が何だか、さっぱり分からない…
一緒に逃げる? 連れ出して?
何らかの理由で奴らから追われる身だという事は考えられるが…
「なあ、俺に何かできるわけじゃないかもしれないけど…
良かったら何があったのか教えてくれ。
これじゃ何もかも分からない」
依然として泣き続ける夕月。
子供の様に溢れる涙を両の手で交互に拭う。
そうしてようやく、嗚咽交じりで言葉を発した。
その時。
「ーー私はね…人間ーー」
「ーー夕月、答えなくてもいい」
背後から突如降りかかる男の低い声。
「ーーあんた…誰だ!」
境内へと続く細い一本道。
男はそこをゆっくりと歩いて来て、そして今、鳥居を潜る。
「それに答える義理はない」
俺の叫びを冷たく流す男。
「ーー来ないで…! 来たらあなたを殺す!」
まだ涙が溜まった目で男を睨みつけ、夕月は叫ぶ。
「今、俺を殺す為に力を使えばお前はお前の全てを失う。
自分が一番知っている事だろう?」
そして男は数メートル先で足を止めた。
黒髪、フレームがないメガネ、黒のジャケット、インディゴブルーのジーンズパンツ、茶色の革靴…という出で立ちの男。
さっきの黒づくめ、黒スーツの男達の仲間…という感じはしないが、彼もまた異様な怪しさを放っている。
どういう事だよ…
混乱に次ぐ混乱。
想像や予想を遥かに超えた想定外。
今日は何もかも狂っている。
「ーー夕月、バカな事はやめて帰るぞ」
「もう嫌なの! あんな所に戻りたくない!」
「何故だ? お前を奴らから救ってやったのは俺だ。俺達だ」
「だけど…! もう牢屋の中みたいな暮らしは嫌なの!」
「ワガママを言うな。お前の為だ。また奴らに捕まったらどうするんだ」
「私は自由になりたいの…!」
「お前が望む自由は、生まれたばかりの何も知らない草食獣がサバンナに放たれるのと同じ事だ」
俺を一人置き去りにして展開されていく。
「おい… 待ってくれ! あんたは、そしてこいつは…! 一体何なんだ!」
いくら聞けども返ってこないその答え。
「ーー夕月…一般人を巻き込んだのか…?」
「俺の質問に答えてくれ!」
「君には関係のない、踏み込まないほうがいい話だ」
「そんな…いや、俺はあんたらに関わっちまったんだ…!
さっきの黒服達といい、あんたといい、一体何なんだ!?
あんたも奴らの仲間か!?」
内に溜まったモヤモヤを声にのせてまくし立てる。
「ーー黒服…何の事だ?」
俺の追求の後、男は一瞬押し黙るが、「黒服」というワードに反応を示した。
やはり、彼は奴らの仲間というわけではないのか…?
「ーー君、先程黒服達と言ったが、どういう事だ?」
「どうもこうも、さっきまで俺達は怪しい黒服達に追われてたんだ!
拳銃まで持ってた…
なあ、一体どうなってるんだ!」
「ーーそうか…ならば急ぐぞ夕月…!」
「やめて…! 嫌!」
「おい! やめろ!」
男はそう言って一方的に夕月を連れて行こうと腕を掴む。
俺は二人の間に割って入る。
が。
「ーー君にかまっている場合じゃないんだ…
これは俺達の問題だ」
「俺を巻き込んでおいてそれか!?
俺の身はどうなる? 奴らに顔だって見られたんだ… 知る権利がある!」
「ーー分かった…
そんなに知りたいなら教えてあげよう」
数歩後ろに引いた男。
ジャケットの内ポケットに手を入れーー
「ーー君は今日、何も見なかった。誰にも会わなかった。
君はいつもの日常を見知った人と普段通りに過ごした。
職場で、学校で、いつもの居場所で」
二つに折られた白紙をそこから取り出す。
「ーー例えば君が知りたがっている世界は、こういうものだ」
ひらひらと扇がれ、紙片は元の一枚の状態へ開かれていく…
そして。
「ーーお…おい…あんたはまさか…」
刹那、紙片は光を放ち。
光の中から現れたのは…
(式神… ってやつか!?)
その姿を見た時、思わず桜子が思い出された。
狼のような四足の獣。
桜子がヤエを封じようとした際に呪符から放ったものと似ている。
「ーーあんた、もしかしてーー」
「ーー君は今日、何も見なかった」
光の中から出現した獣は、瞬間のうちに俺に向け飛びかかって来た…
「やめてぇぇぇぇぇぇ!」
夕月の叫びが響いて、それが彼女の悲鳴と気づいた直後に段々と声は遠くなり、次の瞬間には全てがプツリとシャットダウンされる。
(前にもこんな事あったな)
薄くなる意識の中で、なぜか場違いにも以前の記憶がよぎったのだった。
(俺、気絶してばっかりだな)
自分の力の無さに辟易する。
肝心な場面でそれははっきりと露呈して…
俺は力が欲しい。
人を傷つけるものではなく、大切な人を守る力を。
(だが…生き永らえている事にまずは感謝するべきなのか…?)
ーー俺は見知らぬ部屋で目を覚ました。
どうやら病院ではないようであるが…
無機質な部屋。そこのベッドの上。
(そういえば…最初もこんな感じだったよな)
数ヶ月前の出来事と重なり合い、妙な既視感を覚えた。
「ーーまさか君とこんなに早く再会するとはね…
おはよう、神山君。気分はどうだい?」
天井を眺めたまま一人あれこれ考えを巡らせていると、ふと声をかけられた。
この声は…確か。
「ーーあまき…さん?」
「礼奈で構わない。
外傷も特になくて良かった。まさか君がいるとはね…」
横になる俺の傍に立つ、数日前に初めて会ったばかりの対策室本部勤め、捜査班の天城礼奈。
「ーー礼奈さん…ここは?」
「ここは対策室本部の医務室だよ。外傷も特になかったから、君はここへ運ばれた。痛む所はないか?」
凛として、しかし優しく響く礼奈の声。
「はい…すみません、迷惑をかけました…」
「いや、私達の事はいい。君の身の安全が先だ」
「ーーそう言えば…俺は一体」
あれからどれくらい経ったのかは知らないが、確か俺は夕月を連れ逃走していた。
そして謎の男が現れ、彼が放った式神らしき獣の一撃で…
何故俺は対策室本部にいるんだ…?
そして夕月と男はあれからどうなったのか。
男はいわゆる術者であったのか?
だとすれば、彼は対策室の対策員なのか…?
「神山君…君はとある神社の境内で倒れていたところを私達に発見され、ここへ運ばれたんだ。
覚えている範囲で構わない…何があったか、良かったら教えてくれないだろうか」
「そうだったんですか…ありがとうございます…
そうですね…俺は昨日友人と会って遊んでいたんです。
そして今日、夜通し遊んで帰ろうとした時に、ある女に今日初めて会って…
それでそいつは誰かに追われていて…」
どこから話せば良いか分からない。
しかし内にある疑問を一部でもいいから早く解消したくて、俺は礼奈の諭すような声に導かれるまま述べ連ねていく。
「そうか…
君は警察署や一般の大病院ではなく、ここにいる。
この事の意味がわかるね?」
対策室にいるという事は。
「ーー現象に関する事態に遭遇した疑いがあるから。
そういう事だ。神山君」
俺が言葉を発する前に礼奈は言い切った。
「尋問という訳ではないが…
私達の、私の大事な仲間の一人として…何があったか、その続きを教えてくれ」
やがて礼奈はそう言って、片隅に立てかけてあるパイプ椅子を持ち俺の側に設置して静かに腰掛けた。
「ーー俺は…その女と会い、そして突如現れた黒服…恐らく彼女を狙っている集団からあの神社まで二人で逃げました…」
「そうか…それであの神社で何があったんだい?」
「黒服達から逃げ切って、それでそこで女が一体何者か、それを問い詰めようとしたんです。
そしたら1人の男が…メガネを掛けて黒いジャケットを着て、ジーパンを履いた男が現れて…俺は彼にやられてーー」
単語ばかりが頭に浮かぶが、それをなんとか文章にして、ありのまま起こった事柄を精一杯伝えることに努める。
「ーー分かった。ありがとう…」
そこで礼奈は会話を一旦中断させた。
「ーーあの…あの黒服達は一体…それからあの男は…!
式神らしきものを操っていました!
あの男はここの人なんじゃないんですか!?」
あの黒服達は、男は、夕月は何者なんだ…!
「ーーそうだね…私はそこにいたわけじゃないから、真実を言い当てる事は恐らくできない。
君にあげられるものは、あくまでも私的な見解だ」
礼奈は腕と脚を組み、そうして黙考する…
それでもいい。
俺は救済が欲しい…
「ーーどこから話せばいいか…
まずは君が言った黒服の男達の事だが…あれはーー」
礼奈は一つ、生唾を飲み込んだ。
「あれはーー」
その時。
「ーー我々対策室の対現象特殊強襲班の隊員だ」
医務室の未来的なデザインの自動ドアが開けられる。
「ーーボス…! お疲れ様です!」
礼奈の代わりに俺の疑問に答えたのは、部屋に入ってきた1人の大柄な男。
礼奈は男が現れると瞬時に立ち上がり、キレ良く一礼する。
ボスと呼ばれた男…
大柄な体。身長は180cmほどあるだろう。
短く、サイドが刈り上げられたワイルドな髪型。
武士の様な…歴戦の猛者の様な、相手をすくみ上がらせ射殺す様な鋭い目付きと雰囲気。
そして何より彼を特徴付けているのは、左目に掛けられた眼帯。
「ーーボス、どうぞお座り下さい…」
「すまないな天城…失礼する」
礼奈は先程まで自分が座っていた椅子を、ボスと呼ばれる男に譲った。
(ボス…という事は)
堂々とした姿勢で、男はパイプ椅子に腰掛ける。
「ーー君が最初に遭遇した黒服達は、我々超自然現象対策室傘下の特殊部隊の者だ」
「あ、あなたは…」
「おっと…! すまなかった。
前置きを飛ばすのが悪い癖でな…
私は超自然現象対策室を取りまとめる室長の、
山地泰介 だ。
みんなからは大抵ボスだとか部長だとか呼ばれている。よろしく」
ーー山地泰介。
超自然現象対策室の全てを取り仕切るヘッド…
「ーーあ…あの! 自分は、か、神山龍一です!
咲夜姉妹の支部の元でお世話になっている手伝いです…!」
「ああ…無理するな! ベッドから出なくていいから…
安静にしてくれ。体に障ると大変だからな」
組織のトップ、お偉い方が降臨し、彼の威厳さや雰囲気に恐縮して立ち上がろうとしたところをとどめられた。
数多くの戦場を生き抜き、地獄を経験した後帰還した兵士の様に、その顔つきは険しいが、年齢は40を過ぎた辺りであろうか…?
しかし若々しさがあり、声にもハリがある。
「ーー君の事は雪子から報告を受けている。
我々の世界に巻き込んでしまいすまないな…」
「いえ…! 自分で望んで入った事です! 決して巻き込まれた訳じゃありません!」
確かに最初こそ巻き込まれたと言えるかもしれないが、後は自分の意志で動いた結果だ。
何度も言った事だが、再び己の中で確認するように言い聞かせる。
どうやら数日前に雪子と桜子から聞かされた事は本当だったようだ。
(巻き込んでしまったという概念…か)
「ーーそうか…確か現象に遭ったとの事だが」
「はい。ですが雪子さんと桜子さんに助けられ、そして仕事を辞めた自分に居場所も提供してもらって…
本当に感謝してもしきれません…」
「なるほど。君も我々の為に尽力してくれている事は雪子からの報告で聞かされているよ。
こちらこそ感謝している」
そう言って山地泰介…ボスは座ったまま一礼した。
なんだか恐れ多く、いたたまれなくなったので、すかさず礼をし返す。
そして、彼はゆっくりと頭を上げて。
「ーーさて、本題に移させてもらいたい。
いいか…? 神山君」
ーーゆっくりとそう言ったボス。
彼の片目がギラリと眼光を放ったように見えた。
「ーー先程も言った通り、君が遭遇したのは我々の対現象の部隊だ」
「それは…一体」
超自然現象対策室のヘッド、ボスである山地泰介。
彼の低い声が静まり返った部屋に木霊する。
礼奈は何も言わず、ボスの傍らにしゃんと立って腕を抱え瞑目し、俺は彼の説明の言葉をただただ聞き入れる。
俺達…夕月を狙っていたのは対策室の人間…?
どういう事だ。
「ーー彼らから報告があった。我々が狙っている人物と一緒に一般人らしき男がいると」
一般人の男…それはつまり。
「それが君だった。神山君」
「…はい」
という事は、狙っている人物とは。
「ーー天城。写真を」
「ーーはい」
そこでボスは礼奈に何かを催促する。
礼奈はスーツのポケットから一枚の写真を出し、それを彼に手渡した。
「名は 夕月 、
ーー彼女は 現象 だ」
掲げられた写真。
誰かが隠し撮りしたようなアングル。
そこに写るのはどこかを一人歩く夕月。
夕月が現象だって…?
「ーー彼女が現象…? それはどういうーー」
「ーー正確には、現象になりつつある人間。 つまり半分が現象で半分が人間とも言える」
一体それは…
数時間前まで一緒にいたあの女が現象だって…? そんな馬鹿な。
「ーー彼女は凶悪、凶暴な荒神をその身に宿している。
我々は彼女を封印…いや、残酷な話ではあるが…
消さなくてはならない」
「そんなことって…! 彼女はどう見たって人間でした…」
荒神を宿している…?
夕月はどう見たって普通の女だった。
カフェで、ファッションショップで、ラーメン屋で、街中で…
隣にいた可憐な女が、現象だって…?
「ーー我々はこの数年間、彼女の行方を追ってきた。
そしてついに見つけ出し、彼女を消す為に部隊を送った。しかしーー」
突に告げられたにわかには信じがたい事実。
消す…ということは、人殺しではないか。
儚げな笑顔。泣顔。
人間そのものな感情表現。
不意に蘇る数時間前の瞬間、そのスライドショーたち。
「ーーそんなこと…人殺しではないですか…!」
「ーー君が彼女と共にいた…
君に危害を加える訳にはいかない。
止むを得ず我々は強攻策を取り君を彼女から切り離し、彼女を確保しようとしたところ、君は彼女を連れて逃走した。
君は…彼女と関係があったのか?」
「ーー神山君は今日初めて彼女と会ったそうです」
俺の投げかけには答えず、一方的に話を進めるボスと、横から補足を入れる礼奈。
「ーーそうか…
君は何も知らなかったのであれば、それでいい。もし以前から関係があったのであれば大問題であったが…
君に危険な思いをさせてしまってすまないな」
「待って下さい…彼女を消す…以外に方法はないのですか…!」
殺すなんて…
荒神だか何だか知らないが、それだけ消し去る方法はないのか…?
数秒の沈黙。
「ーーそうだな…」
そして、ボスは腕を組む。
「ーーこうなった以上、君にも説明しなければならないな。
少し昔話をしようーー」
ボスの過去話。一言も逃さないように、一声一声を耳に入れる。
「ーーどこから話したものか…あれはまだ若僧の頃の話だ。
私は天城の様に捜査班にいた。
君は、いわゆる 教団 と呼ばれる存在を知っているか…?」
教団…?
「ーー雪子から聞かされていなかったか…いや、いい。
超自然現象、現象には様々なものがある事は君も既に知っているだろう。
科学や理から逸脱した文字通り超自然的な事象であるが…
それを操り、また、欲望のもとに我が物にしようと企んだ者がいた…
その者が秘密裏に設立した、悪魔崇拝の宗教団体。
それを我々は 教団 と呼んでいる」
教団…現象を操る…
雪子や桜子を襲ったという集団の事か?
「そして、その教団であるが…
その設立者こそが、俺の同僚であった
榊右近 という男だ…」
「同僚って…一体何があったんですか…」
「ある日、我々がとある現象について捜査していた時の事だ…
奴は神道系列出身の術者… 寡黙で冷静な奴だったが…
一つの事に目が行くと我も忘れて執着するような部分があった。そしてーー」
ボスは一つ唾を飲み込んで。
「ーーある捜査中、我々は現象に遭遇した。
その現象は、悪魔を崇拝するものが創り出した呪いによるものだった…
最終的に現象を封印し、その悪魔崇拝者も牢にぶち込んでやったのだがな…」
虚空を眺めるボス、山地泰介。
「そこで榊…奴は恐らく知ってしまったのだろう…
現象は人間の手でも創り出せるーー と」
固唾を飲む。
榊右近… もしかしたらそいつが雪子や桜子を…?
「もしかして…雪子や桜子は」
「ーーああ。 私もその現場に赴いた… 教団が起こした事件だと思われる。
彼女達の一族が封印し、祀っていた荒神、現象を狙っていたみたいだな。
断定はできないが…幸か不幸か、現象の封印が解け暴走し、教団員もろとも葬ったと見られる。榊の姿は確認できなかった…
結果的には奴らの手に現象は渡らなかったようだが」
「そうだったんですか…それでは、その榊って人はまだ生きていると…」
「ああ。奴は信仰者を募って配下を増やし、教団の勢力を増やした」
そうだったのか…
そいつのせいで雪子や桜子が…
「ーー奴は現象について興味を持ってしまった…悪い方向にな。
そして、奴は…
対策室を去り姿を消したーー
俺は真理に辿り着きたい…そう置き手紙を残してな」
「それで…その後は…?」
「話した通り、己の欲望、研究の為に教団という研究場所を創った。
現象を創り出し、あわよくば支配して好きに動かそうとしている」
現象を創り出す…恐ろしい存在だ。
そして雪子や桜子を…
俺に何が出来るわけでもないが、榊右近…奴を許すことはできないだろう。
「ーーそして夕月、彼女の事だ」
ボスはそう言いながら脚を組んだ。
「捜査班であった私は、教団の行方を追っていた。
そしてとある廃墟となった教会が奴らの拠点の一つと睨んだ我々は、そこに部下と共に突入した…
そこは確かに奴らの拠点だった。
が、もぬけの殻だった…
徒労となり途方に暮れたが、奴らは重要な証拠を置いていった様だ」
証拠…?
「ーーその証拠こそが彼女、夕月だった…」
「ーー証拠って…彼女は一体」
「最初彼女を見た時は、死んでいるかと思った…
重傷を負い、息も絶え絶えだった彼女がそこに一人きりで倒れているのを発見した。
我々は至急救護班を呼び、彼女を病院へ運び込んだ後に対策室で保護した…」
そこで、段々とボスの顔が険しくなるのが分かった。
「奇跡的に回復し、彼女は復帰した。
やがて我々は彼女から事情を聞き出したのだがーー」
一層険しくなり、鋭くなる視線。
「ーーどうやら彼女の話から、彼女は榊たち教団の 実験体 とされていたようだ」
「実験体…そんな…」
ドシリ、とのしかかる真実。
流れる金髪、アンティークドールの様に綺麗な顔。吸い込まれそうなほどのグレーアイ。
あの流麗な女が実験体にされていた…だと…?
「言い表せないほどの惨たらしく凄惨な実験を受けた様だ…
彼女自身も心的ストレスから一部の記憶が抜け落ちていた様だが…
我々の動きを察知した教団は、何故か彼女を置き去りにして逃げて行ったとの事だ」
「実験…とは一体」
何なんだ…
「奴らが創り出した呪い、現象を人間に宿す…言葉通り、人間を現象のような化物に変える為の実験だ」
ーー言葉が出ない。
息を飲む。
今まで現象の片鱗を見てきて、きっとそういうものなのだろうとその気になっていたが。
(これじゃ人間の方がよっぽど…)
現象より恐ろしい。
「ーーそして彼女を調べる内に、さらなる事実が判明した。
その実験の数々によって、彼女は恐るべき脅威となってしまった。
夕月と名乗った彼女…その名は、現象の名であった…
その身に夕月と呼ばれる現象を封じ込められていた」
そんな…彼女は被害者であるのに、何も罪はないのに…
「ーーある言い伝えと文献を発見した…
夕月という大層凶暴な荒神がいて、高尚な聖職者が封じ込めた。
封じ込めた御神体に、その者は紋章を入れたという事なんだが…
その紋章が、なんと彼女の体に刻み込まれていた…」
更に…と続けるボス。
「それが決定的な事実となったのは…
彼女は妖力の様な異質な力を発現した。
ある日、彼女自身も制御できずに暴走して…死者は出なかったが、あわや惨事になりかけた。
…それがあって、それから彼女の今後、対処について話し合い、我々は遂に決断した」
「ーーもしかして…」
「ーーああ…彼女には何も非はない。しかし、危険な存在を宿した彼女を現象ごと消滅させると」
「そうです…! だから、その…現象だけを消す方法があるんじゃ…!」
幾ら何でも…そんなのはあんまりすぎる…
「ーー無理だ」
しかし、ボスは俺の提案を両断した。
「ーー我々もそれは試みた。
しかし無理だった。
様々な手は尽くした…」
「ーーでも…! まだ何か方法が…!」
「残念ながら…彼女の中の現象は待ってくれない。
暴走したという事は、いずれ彼女は現象に喰い尽くされ、封印が解かれた現象は災害規模の厄災を起こすだろう。
だから我々は大変心苦しいが、彼女もろとも消すと決めた。しかしーー」
何もかも、もう状況整理が追いつかない。
「ーー捜査班、私の部下だった男…
染谷喜一郎。
彼がその決断に異を唱え、反乱を起こした」
染谷喜一郎…?
今度は一体何なんだよ…
「染谷…彼は優秀な部下であったが…
彼は、彼女を連れて逃亡したのだ。
我々の判断は間違っている…とな。
そして同じような意見の者を対策室、本部や支部から募り…
第三機関 と名付けた団体を設立して姿を眩まし、彼女、夕月を匿っている。
ーー天城。写真を」
教団、榊右近…そして夕月。
それから、染谷喜一郎と第三機関。
もう…俺にはわからねぇ…
何だ? 俺は一体どうすれば。
俺には何ができる? どうしろってんだよ…
「ーーどうぞ」
混乱していると、礼奈は再びスーツから一枚の写真を取り出してボスに渡す。
「ーーこれが染谷だ」
掲げられた一枚の写真。
これもまた、どこかから隠し撮りしたようなアングルで取られていた。
そこに写るもの…
「ーーこの男は…!」
「彼を知っているのか…?」
数時間前、式神を操って俺に攻撃した男。
夕月に詰め寄った俺の前に現れた、メガネを掛けたあの男…!
「神山君は、メガネを掛けた男から式神を使った攻撃を受け気を失ったとの事ですーー」
「ーーそうか…間違いない。奴も来ていたか…」
俺の代わりに礼奈が代弁する。
だとすれば…奴がその、染谷喜一郎という男なのか?
「その時の状況はどのようであったか教えて欲しい…神山君」
「その男は…彼女…夕月をどこかへ連れ戻そうとしていました。
夕月は戻りたくないと反抗していましたが…
それで俺が二人の間に割って入ったら、彼に攻撃されーー」
「そうか…ありがとう。
ーー天城、応援を頼んで捜索人員を更に増員させる。
君も合流してくれ」
「ーー了解です」
待て…! 彼女が見つかってしまえば、対策室に拘束されれば、そうなったら今度こそ夕月は…!
「ーー夕月はどうなるんですか…」
「ーー我々の決断に変わりはない」
「そんな…!」
「神山君ーー」
夕月を捜索する為か、部屋を出て行く礼奈。
ボスはやがてゆっくりと立ち上がる。
「ーー君の手で決断を下さねば成らなくなった時…もうどうしても他に手段がなかったとして…
君は個を取るか、それとも全体を救うか…
どうするーー?」
残酷な響き。
「ーーそれでも…他の解決策を探します」
「それは確かに理想像だが、残念ながら時間は残されていない。
必ず、その日は遠からずに来る」
「全ての手段を尽くしたとは限らない…まだ何かあるはずです…!」
「ーー神山君。
現象とは危険な存在だ」
礼奈も言っていた、その言葉。
重く、重く響き渡り胸を打ちひしぐ。
「我々は現象を否定する。
どんな背景があろうと、存在を許してはならない。
さもないと我々が死ぬからだ。
これは戦いだ…生きるか死ぬか。
生きたかったら、大切な人を守りたかったら、戦わなければならない。
それが我々の使命だ。
これが超自然現象だーー」
決定打が決まる。
残響は波となり、何度も押し寄せる。
俺は、ただ甘かっただけなのか。
それとも…
一手伝い、ただの一般人にのしかかった現実。
この世界に足を踏み入れた責任。
俺は、強くなりたい…
これは甘い考えで過ごして来た俺への見せしめなのか。
軽い考えで、目先の判断で立ち入ってしまった俺への宿業なのか。
ボスは踵を返し、退室しようと一歩を踏み出した。
彼の背中が遠くなるほど、夕月の命はすり減っていくような…淡くなるような気がする。
彼女とは今日会ったばかりだ。
過去も何もかも知らない。
だけど、ボスの話が真実であるのならば、彼女と知り合ってしまった俺は…
このまま目を閉じて、耳を塞いで、俺は何も見なかったとするのか。
(ーーシンデレラみたいだね)
やめろ。そんな顔で笑うな。
(龍一は楽しかった?)
やめろ…!
(長くは生きられないの)
どうして。
(これを持っていて欲しいんだ)
俺の前に。
(もし奇跡が起きるなら、それを持って迎えに来て)
現れたんだーー!
俺の首に下がる、金色に輝くリング付きのネックレス。
何ができる訳じゃない。
むしろ何もできない…
己の無力さが、こんなにも絶望的だとは。
ボスの背中は遠くなる。
もう、ドアの目の前でーー
「ーーボス…! 彼女が発見されたとの事です…!」
瞬間ドアが開き、礼奈が再び現れる。
「ーー染谷氏もいる模様です…強襲班と交戦中。こちら側は負傷者数名。
…結界は既に設置済で、一般人との隔離は完了しています」
「分かった…私も行こう」
「ボスも…ですか…?」
「ーー神山君」
絶望に打ちひしがれる俺に、さらなる追い討ちがかかる。
「ーーこの事実を知った君に、見せたいものがある。
来たまえ…」
「…ボス! 神山君を連れて行くのは危険過ぎます! 彼は術者じゃありません!」
「ーー大丈夫だ。彼には指一本触れさせん。
厳しいことを言うようだが…この世界と関わるという事はつまり、こういう事なのだ。
それをこの機会に見て、知って、改めて感じて欲しい。今ならまだこの世界から手を引く事は可能だ。それからまたよく考えて欲しい」
更なる絶望、地獄への招待状。
見たくない。
行きたくない。
(ーー何で足が動くんだよ…!)
やめろよ…止まれよ…
こんな時に限って、何故かこのタイミングに。
意と反して体が起こされ、足を踏み出し、立ち上がる。
「ーーよし。急いで向かうぞ!」
俺の目は、俺の体は、俺の足は。
俺のもののはずなのに。
人形に様に操られたような。
ともかく… 生きた感じなどもうなかった。
どうして俺だけこんな…
他にも俺みたいに一般人はいるんだろ…?
俺の心は、死につつある。
本部は高層ビルの中にあった。
(こんなデカいなんて)
知らなかった。
屋上に連れられ、そこで俺を迎えたのは回転翼の轟音だった。
ヘリコプター。
羽が着いた剛鉄の駿馬は、ボスと礼奈、俺を乗せすっかり暗くなった夏の夜の都内上空を駆ける。
されるがまま、何も考えられず思考が止まっている。
巡り巡る景色。
瞬時の内にそれらは変わっていく。
やがて天馬は低空を滑空し、広大な空き地…海岸沿いのまっさらな埋立地に降り立った。
ーー地獄。
戦地に舞い降りた兵士達の心情は、もしかしたらこんな気分なのかもしれない。
完全武装した対策室の部隊の隊員達。
岸まで追い詰められる二人。
役目を終えたヘリは再び空に舞い上がり撤退していく…
戦地に降りた俺達。
吹き荒ぶ浜風と飛翔してったヘリの暴風。
やがて、風が止んだ時。
「ーー夕月…!」
何十メートルか先には、確かにあの女が…
眩しい金髪。見紛うはずもない。
そして…
「ーー久しぶりだな…! 染谷!」
戦場に響き渡るボスの声。
それを合図に全ての攻撃が止まった。
「ーー神山君、君はここで待っていたまえ」
「ーーちょ…! 本当にあなたは…!」
「全てを終わらせる」
死刑宣告。
「ーー天城、戦闘準備」
「ーーはっ!」
礼奈の手中に、淡い光を放ち日本刀が発現する…
(ーーこれが…対策室)
「ーーおっ! 礼奈さん…とボスまでいるんすかっ!?
すんません…! 中々手強くて」
いつか会った、礼奈と共にいた間山聡太。
先に隊員達と共に二人と戦っていたのか…
現代兵器で武装した隊員と、何匹か獣の式神を使役し、両手に両刃の槍を構える間山。
「ーーって… 確かあれ、神山さん…っすよね? いいんすか?」
「構わん。 我々の仕事を見せに連れて来た。間山は下がれ…念の為彼を守れ」
「ボス…! まだ俺戦えるっつーか…」
「消耗しているだろう。 回復したらまたこっちに来い」
「ーーラジャー…」
やがて間山が自嘲気味に笑って、俺の側へ小走りで寄ってくる。
(どうしてこんなことに)
俺は傍観者…
手を伸ばす者を振り払い、目と耳を塞ぎ、事が過ぎるのを待っている。
臆病者。
首から下がるネックレス。
拳をギリギリ…と握り込むが、そこにあるのは食い込んだ爪が伝える虚しき痛み。
「ーー染谷…! いずれ彼女は完全なる現象に変わる!
そうなってからは全てが手遅れだ!」
木霊するのはボスの叫び。
2メートルは越そうかという、仁王像の様な巨体の式神に守られた、メガネをかけた男…染谷喜一郎。
そして、夕月。
「ーー山地さん。
あなたは間違っている」
メガネを指で押し上げ、冷静に答える染谷。
「間違っているのは君だ、染谷。
我々は現象を取り締まる立場だ」
「現象…? 彼女は人間だ。 あなたがしようとしている事は人殺しだ」
「ーー君は、災厄が起きた時に出る多くの犠牲について責任が取れるのか…?」
彼の投げかけは、風に流される。
時間が止まったかのように静止する。
睨み合いが始まり、硬直する場。
ジリジリ…と間合いが図られていき…
(ーー俺は)
何も出来ない…
「ーー龍一っ!!」
止まった時を、夕月の声が切り裂く。
(奇跡が起きるなら)
このネックレスを持って。
迎えに行く…
俺の元に駆け寄って来ようとする彼女は、染谷によって阻まれる。
「ーー染谷、全てを終わりにするぞ…!」
それを合図にボスは拳を掲げ、構える。
奇跡が起きるなら…
このネックレスを。
「ーーゆうづきぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
叫ぶことしか、それしかできなかった。
首からネックレスを外し、高く掲げる。
「ーー必ず、こいつを返しに行く!」
「ーー龍一!!」
だから、お前は逃げろ!
こんな事、思ってはいけないんだろう。
対策室にいられなくなる。
だが、俺は彼女に死んで欲しくはない。
今日会ったばかりだ。
家族でも、友達でも、恋人でもない。
しかし、俺は彼女を知ってしまった。
そんな俺の、不条理で傲慢な運命に対するちっぽけな抵抗。
確かに彼女は危険な存在かもしれない。こんな事をしても、その場しのぎの現実逃避にしかならないのは分かっている…
全員が俺の方を振り返り、唖然として固まっている。
(ざまあみやがれ)
もう自分が何をしたいか分からない。混乱している。
ただ彼女に、今この場で死んで欲しくない。その一心だけで体が反応していたのだ。
「ーー待て! 染谷!」
二度止まった時が、再び動き出す。
俺の叫びで呆気に取られていたその隙に、染谷は夕月を連れて逃げる。
海辺の埋立地、その岸辺に突如複合艇が滑り込んで来た。
第三機関…染谷の配下と見られるボートの乗員が発煙弾を投げ寄越し、銃器によって二人を援護した。
それに妨害され、追撃に出る対策室はその場に釘付けにされる…
ボートは素早く踵を返し、水上を走り去って行った。
遠くなる二人。
遠くなる夕月。
そうして…
「ーーヘリで追跡させろ! 至急だ! 急げ!」
ボスのがなり立てる声が余韻を壊し、呆気に取られ立ち尽くす他の者を動かせる。
「ーー神山君…」
鋭く尖ったボスの視線。
「ーー俺は…彼女に約束させられた事を叫んだだけです」
悪意はない、邪魔したつもりはない。
その意思を込めて返す。
「君はーー」
「別に…第三機関だかなんだかに肩入れする訳じゃありません…
個人的な約束です。問題ないでしょう…?」
「ーー必ず彼女は暴走し、最悪な現象に成り果てる時が来る…
我々の指針は変わらない。
君は、どうするつもりだーー」
俺が妨害するようなら…
そういう意味だろう。
「ーー邪魔するつもりはありません…
俺にそんな力はありませんし…一般人ですからね」
「決して君に辞めろという訳ではないが…
この機会に、それでもこの世界に関わっていくのかを良く考えてみて欲しい…超自然現象とは、こういう世界だ」
「ーー分かりました」
やがて迎えの車が空き地に到着する。
すっかりと夜の闇に支配される地上。
遠くに見える、建ち並ぶビル達の障害灯が競い合う様に赤く点滅している。
ただただ、それを無心でぼんやりと眺めていた…
「ーー神山君…大丈夫か?」
「神山さん…」
礼奈と間山が声を掛けてきて、俺は我に返った。
「ーーはい…」
「私達は本部へ戻る…とりあえず君も乗せていくよ」
「ありがとうございます…」
礼奈に導かれ、俺は彼らの車両に乗せてもらった。
(ーー眠い)
昨日から寝ていない。 体は限界を迎えつつあった。
とりあえずそのような言葉が浮かぶのだが、しかし混乱に掻き回され、すぐに興奮状態に陥る。
今日は色々あり過ぎた。
今はまだ、とうてい整理できる状態ではないが、早く一人になって落ち着きたい。
黒塗りのSUVは都内を周り、やがて元の高層ビルの前に到着した。
(待っているから)
去り際の彼女…夕月の心の叫びが聞こえた気がした。
発車ベルが響き渡り、それは新幹線の車内の俺にも届けられる。
あれから翌日。当初の予定から大幅に外れて、ようやく俺は地元に帰る。
(早く帰りたい…)
昨夜、俺はボスや礼奈達の勧めで本部の仮眠室に泊めさせてもらった。
思いの外時間が経過していたらしく、終電がなかった為だ。
仮眠室は比較的広く、シャワーも付いていて快適に過ごす事ができた。
しかし、精神面はその限りではなかった。
(ーー夕月…)
教団、榊右近。
第三機関、染谷喜一郎。
超自然現象対策室、山地泰介。
そして夕月。
俺は超自然現象だけでなく、それに関わる者達や、そこにある闇を垣間見た。
夕月に会って、俺の中の何かの歯車が動き出したような…
そんな気さえする。
ーー夕月。
(ーー龍一って、何かお兄さんみたいだよね!)
(俺は次男だけどな)
筆舌に尽くし難いような凄惨な過去を抱えているはずなのに。
(この服似合ってるかな? かわいい?)
(おう… どれも似合ってるぞ… 買わないのか?)
(うん…いいんだ!)
何で、あんなに無邪気に笑える…?
過去は関係ない。今を生きろ。 自分で言ってた事じゃねぇかよ…
(私…こんなに楽しいの初めてかも! ありがと!)
(良かったな)
(龍一はさ… よくこんな見ず知らずの女に付き合ってくれたよね!)
(自分で言うなよ… 最初は怪しく思ってたが… まあ東京来たの久しぶりだしな。ついでだ)
自分に最後が迫っていると知って…
(龍一…! ごめん… 手、繋いでもいい?)
(ーーは? いや… 無理だろ)
(お願い…! いいじゃん別に! 今だけ!)
(おい…! お前ーー)
どうしてあそこまで健気にいられるんだ。
あれは彼女の唯一の、最後の願いだったのかもしれない。
俺じゃなくとも良かったのかもしれない。
だけど… 俺に持っていて欲しいと、俺しかいないと感じたと、彼女はそう言って泣いていた…
そして。
(ーー奇跡は起きるのだろうか)
金色のネックレス。
待つだけじゃ起きない、起きるのではなく己の手で起こせ。
分かってるさ。
だけど…俺にはその術がない。
妖力、術者… そんな超人的な力はない。
どうすればいい…
俺に何が出来る…!?
(ーークソッ!)
答えは誰も返してくれない。
俺が見つけ出すしかないんだ…
あまりにも大きな壁。
それにぶち当たった時、人はなすすべなく立ち尽くすしかないのか。
現象は危険な存在。
確かにそうだ。
だが… 全てがそうか?
ヤエの顔を思い出す。
確かに、危ないものは封印しなければならないだろう。
しかし、それ以外は?
存在するだけで悪なのか?
(人間の方がよっぽど悪質じゃねぇか…)
全てのものに権利があるなら、現象にもそれがあってもいいじゃねぇか…
整理に努めようとするが、頭の中は一夜を過ぎても混乱している。
できるか分からない… それでも俺は…!
(絶対に… このネックレスを持って)
お前を迎えに行く… 夕月。
車窓の外、景色は絶えず変わり続ける。
しかし俺の頭の中は縛られたまま、次のステップへ移ってはくれないーー
どうするかよく考えろ。
ボスの言葉が何度も蘇っては消える。
確かに、無理している必要はない。
命の危険だってある。
しかし… 雪子と桜子。
彼女達と誓ったんだ。
俺は居場所をくれた彼女達の為に。
そして夕月。
俺は何もできない… できないけど。
今更もう、引ける様な部分にはいない。
俺は超自然現象の世界にどっぷり浸かっている…
(自分で志願した事だ)
今更引けるかよ…
彼女達の為に。
そして。
(ーー絶対に、俺は雪子を… 彼女の秘密を守る)
ーー俺は咲夜雪子の、彼女自身でさえ… 誰も知らないであろう秘密を知ってしまったのだ。
夕月の過去を聞いて、そして。
(ーー雪子、あいつも夕月同様もしかしたら…)
ーー雪子も、 現象 になってしまうのかもしれない。
俺は見たのだ。
列車で遭遇した現象が見せた夢。
その中で俺は、どういう訳か雪子の過去も見た。
雪子の過去、それから未来に干渉してしまった。
ここまでは終わって解決した話。
しかし言えなかった事がある。
雪子は過去、教団から襲撃に遭った。
その際両親と逃げていたが、遂に教団に追いつかれた。
教団が雪子達を見つける前、話で聞いたところの「御神体」を…
凶悪な現象を封じ込めた御神体を。
ーー雪子の体の中に閉じ込めた。
苦肉の策かは分からない。
御神体が奪われないよう、雪子の親は彼女に目を閉じさせ、それを彼女の体に閉じ込めたのだ…
その後雪子は気を失った…
ーー俺は見てしまった。
雪子や桜子…対策室の山地は、御神体の封印が解けて暴走し、教団からの刺客も撃滅したと言っていたが。
違う。
雪子が、雪子自身が…
ーー教団からの刺客を皆殺しにしたのだ。
いや、正確には違う。そう思う。
ーー刺客を皆殺しにした雪子には、「耳」と「尻尾」 が生えていて…姿も白装束で大人な体つきに変化し、顔つきもまるで変わっていた…
気絶した雪子は、両親が刺客の凶弾に倒れた後に、「ソイツ」に変化して…
それでソイツが刺客を皆殺しにしたんだ…
ソイツが刺客を刹那の内に皆殺しにした後、何故か力尽きたように再び気を失い、元の雪子に戻った。
それから雪子は目を覚まし、あの光景を目の当たりにする…
ソイツに変化した時、雪子に意識があったかは分からない…
しかし、本人はその事について言及していない。
もし知っていたなら… 俺が過去を見たと打ち明けたなら、その際に何か反応を示したはず。
しかし何の素振りも見せなかった。
夢を見ても、見させられても、あの事実を自身は気づかなかったから… 気絶していたから。
だから分からなかった。
記憶にない部分だから、その部分は抜け落ちて夢には出なかった… もしかしたらそうなのかもしれない。
だから恐らく、雪子は未だその事実を知らない…
(ーー俺だけが知っている秘密)
そして俺は思い出す…
対策室の姿勢を。
ーー小より大を。
マイノリティよりマジョリティを。
確かにそれは正しいのかもしれない。
例えば沈没しそうな船が二つあって…
一つは少人数が乗る船。
もう一つは大人数の船。
救える船は一つだけ。
選ばれた船は必ず救われるという条件なら…
(ーー俺は)
夕月を救う方法は今のところなく、しかし時間の猶予はあまりないと思われる。
対策室は夕月… 小を切り捨てるなら。
(ーー雪子の秘密が対策室に知られれば)
その時は最悪、雪子も夕月と同じ立場になるだろう。
その時俺はーー
(ーーいや、現象が見せた夢だ!)
イカサマな、まやかしかもしれない。
むしろそうであって欲しい…
しかし、あの夢は妙なリアリティがあって。
ーー俺は… 俺は一体どうすれば。
景色は変わる。
新幹線は俺を乗せ、確実に地元に近づくーー
見過ごせない現実が、高い壁が。
俺の行く手を阻む。
雪子に知らせるか…?
いや、そんな事したら…
(私、とても嬉しいんです… 龍一さん)
俺の胸に飛び込んで来た彼女の温もり、匂い、微笑み…
雪子は… 消えてしまう。
(このまま秘密にして… もし夕月の様に暴走したらーー)
刺客を皆殺しにした恐るべき化物…
夕月に対する対策室の姿勢を見せられて… 雪子もああなってしまったら…
(どうすれば…)
その答えこそが超自然なのか。
決して導き出される事がないそれ。
宇宙の中をさまよう様に、1人暗闇に放り出される自分。
(とりあえずはーー)
今はまだ分からない。
俺に何が出来るのか…
居場所をくれた二人。誓いを交わした二人の為に。
約束をした一人の為に。
俺自身の居場所を守る為に。
時間はあまり残されていないかもしれないけど、俺は俺にできる事をするしかない。
まずは考えなければ…
彼女達を救う、その方法を。
「ーー龍一様! おかえりなさい! ヤエは寂しくてぇぇぇーー」
「ーーああ… ただいま」
なんだか随分家を空けていたような、久しぶりに地元に戻って来たような気さえする。
俺は家に帰って来た。
二階、俺の部屋で出迎えたのはヤエ。
いつものツッコミがない俺を、ヤエは不審な面持ちで眺めている。
(ごめんな… まだ整理できてないんだ)
「ーー龍一様… 何かあったの…?」
「いや… それより、東京土産だ」
「これは…! 東京に行ったけどとりあえず何を買えばいいか分からない人の大半が選ぶ東京土産…!」
「ーー何でそんな事知ってるんだよ… せっかく買って来てやって失礼な」
「ーー嘘よ… 龍一様、こちらへ」
そうして、ヤエは正座して膝をポンポンと叩く…
「ーーどういう事だ」
「龍一様、長旅でお疲れでしょ? 私の膝を枕にお休み下さいませ」
「何でだよ…」
「ほら! その間に私はお土産頂くから… ほらほら!」
「はあ… しょうがねえな」
もう、あまり他の事に労力を注ぎたくはなかった。
考えたい。
早く答えに辿り着きたい。
されるがままにヤエの膝に頭をのせて、俺は目を閉じる…
暗闇を駆けるのは、海での思い出。
月明かりの下の雪子。
心中を吐露した桜子。
そして、過酷な運命に翻弄される夕月。
「ーー龍一様…」
(ヤエ… お前はどう思う)
お前も現象… なんだよな…
「ーー龍一様」
「何だ…」
「龍一様は優しいお方」
「何だよ急に」
「龍一様がいるだけで、私は幸せーー」
俺に何が出来るのか…
自分の使命や運命が分かっていたなら良かったのに。
神なんて信じたくないが、もしそいつがいるのなら、なんと自分勝手で傲慢で…
誰一人救えやしないじゃないか。
クソッたれの神様。
「ーーだから… どうかあなたはそのままでいて。
あなたの存在が、いつか必ず誰かを救う」
「そうだといいけどな…」
「そうよ… それを必要としている人がいるんだからね…!」
俺の髪を撫でるヤエの滑らかで真白い指。
少し気恥ずかしい。
「ーー俺に何ができると思う…?」
「龍一様はどうしたいの…?」
俺は…
「ーー大切な人達を守れる力が欲しい」
「龍一様がそう思うなら、願うなら、きっとそうできるわ」
「どうすればいいーー」
「ーー上ばかり見てもダメよ」
上ばかり… か。
「ーー上を見て、下も見るの…
そうすれば見えてくるものがあるはずよ」
「あまり時間がないとしたら…?」
「焦っちゃダメよーー」
ヤエの顔が近づいて来て、俺の横顔を覗く。
「ーーだからまずは一眠りして、頭を空っぽにするの。
焦っていたら見えてるものも見落とすものよ?
詰め込んだ荷物を下ろして。
真っ白な方が、また色々描いていけるでしょ…?」
耳元で囁くヤエの声は、優しい旋律の様で俺を眠りへ誘う。
まどろみの中へゆっくりと落ちて行く…
ーー俺は、力が欲しい。
誰かを守る力。
ーー俺は、答えになりたい。
誰かの居場所に、誰かにとっての全ての答えに。
何が出来るだろうか。どうすれば良いのか。
投げたまま、投げ返される事はない答え。
今は、ヤエの言う通りに一旦真っ白になろう。
そうして、再び考えろ。
問いは茨となり、俺に絡みつく。
俺はそれに絡まったまま、一時は海の底に落ちて行く…
上を見て、下も見るーー
ヤエの言葉を何度も繰り返しながら、俺は眠りへ落ちたーー
四章・終
クソ長い駄文にお付き合い頂きありがとうございました…
もうこれ(誰がヒロインか)わかんねえな…
書き始めた者として、なんとか綺麗に風呂敷畳めるように頑張ります。
なお次回があれば普通に以前みたいに現象解決話にする予定です
本筋の話と絡ませながらできたら最高ですが…なんとか考えます
ゴリ押し超展開の長話、本当に失礼しました
以下いつもの感じで htmlしてきます…
今回も投下乙でした
内容盛り沢山で凄く面白い回だった
次回も楽しみにしてます
おつかれさまでした!
またまた続きが楽しみです。
乙。
今回も面白かったです。
次回を楽しみに待っています。
乙でした
ヒロインはヤエで決まっているから(震え声)
乙
待望の水着回!
雪子と桜子を描いてくれる神はドコー?
皆様毎度ありがとうございます…
こんな拙い文章、作品に期待して下さって感無量です…
>>89 実は私も見たいかなー… とか思ってたり… (チラ
こんなチラ裏駄文ですが、皆さんと一緒にそういう企画的な事もゆくゆくは楽しめたらいいなーとか… 図に乗ってます 笑
乙です
これからの展開に期待ですなぁ
しかしリアルタイムで出会った事がない……
ここで投下を続けるのも良いけど
「小説家になろう」等のサイトで書くのもアリだと思う
チラ裏駄文扱いで電子の藻屑に埋もれてしまうには
あまりにも惜しい面白さ
>>92
ありがとうございます
そうですね…
ここでならって部分もあるかもしれないです なろう はハードル高いような勝手な先入観が…笑
しかしそのように言って下さるのは本当にありがたい限りでございます…
一つの考えとして頭に入れておきます。
今後に関しては、まずはとりあえず本編を完結させて、それからどうするかかんがようかなと…
まだ未定中の未定ですが、完結後はスピンオフで新たな物語を展開していけたらなと思っております
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