どっちかというと官能小説です。
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『止まない雨はない』
どこかの小説や歌謡曲で使い古されたようなこのフレーズを、私は好いていない。
天気という人間の力ではおよそどうにもならない現象に対して、いつ止むのかを明言しなければ、止むまでの現状打破の方法も教えてくれない。無責任に輪をかけた身勝手な物言いだと思っている。
現に今だって雲から滴った雨粒が地面を叩き、私を含めたアイドル数人が水瀬家のお屋敷にカンヅメになっていた。
窓とカーテンを閉めてある状態では外の雨音はほとんど聞こえないが、明朝に帰宅できるかどうか雨足を確認しようと、うっすらと窓を開けたとたんに庭の草木に水滴が叩きつけられる音が入り込んでくる。
これだけの遮音ができているので、かなりしっかりとした防音環境が整っているようだ。深夜にさしかかる手前だから廊下を歩く人の気配もないし、仮に誰かが歩いていたところで絨毯敷きの床だから足音もほとんど聞こえないはずだ。
かすかに漏れ聞こえる雨音に耳を傾けながら、今日の経緯を思い返す。
ここしばらく都内を覆っている雨雲はスクール生の私たちが765プロの先輩たちと合同練習をしていた今日の日に限って、いっそう勢力を強め公共交通の不通を引き起こして帰宅困難者を発生させた。
タクシーで帰宅できるほどの稼ぎを持っていない私たちなので、いっそ近場のビジネスホテルにでも泊まった方が安上がりになるだろうかと考えていたところ、もう時間も遅いからと765プロの先輩二人が実家への宿泊を提案してくれて、そのお言葉に甘えることになった。
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練習に参加していたスクール生六人を含めた全員を片方の家に泊めることは難しいとのことで二手に分かれることになり、
星梨花、百合子、杏奈が萩原先輩の家へ、私と美奈子さん、奈緒さんが水瀬先輩の家にやっかいになることになった。
765プロの練習についていけている組と、そうでない組。
意図的にこの組み合わせになったわけではない。このグループ分けにしようと申し合わせをしたわけでもない。
振り付けが身についていた私たちは響さんや真さんに細かな表現を実践で教わっていて、百合子たちは雪歩さんたちに振り付けの身につけ方を講義してもらっていたタイミングで、交通機関マヒの件を伝えられ帰宅の流れとなったからだ。
先輩の家に泊めてもらうという話がトントン拍子で進んで、「じゃあ三人ずつね」と言われて近くにいたスクール生同士が顔を見合わせれば、自然の流れでその組み合わせになる。
それがどう先輩たちの目に映ったかは定かでないが、結果的に私たちのグループが水瀬先輩の家、百合子たちが萩原先輩の家に振り分けられたことを考えると、私たちにとって話しやすそうな先輩をあてがってくれたようにも思える。恐縮してしまうほどのおんぶにだっこ感は私たち自身の力のなさの現れのようにも感じた。
「それにしても……本当に広いお屋敷ね」
向こうの家に泊まるメンバーは三人でひとつの部屋になってしまうかもしれないと雪歩先輩が説明していたから、きっと合宿のときのように川の字になって寝ているのだろうけれど、なんと私たちには個室がそれぞれ用意されていた。
ユニットバスや湯沸かし器などの設備はもちろんないけれど書き物机と室内鏡は用意がある。卓上の電話機は内線用のものだろうか。
下手なビジネスホテルよりもよっぽど広々とした室内に上質のベッドと落ち着いたインテリアのこの部屋はお屋敷自体の豪華さもあいまって、都内のシティホテルに換算したら一泊一万円では到底済まないだろう。
もちろん最初は「ダンサーの私たちは三人一部屋で十分です」と遠慮をしたのだけれど、「部屋が余ってるんだから使われない方が損よ」と水瀬先輩に押し切られてしまった。
美希さんが「ダンサーの子たちが一緒の部屋で寝るなら、ミキはでこちゃんの部屋で寝るの!」と主張したことも個室があてがわれた要因のひとつかもしれないけれど。
家主である水瀬先輩を除いて、七人もの人数が天候不良で急遽訪れたはずなのに部屋のすみずみまで清掃が整っていることを考えると、この客室の維持にどれだけの費用がかかっているのか想像できない。
やよいさんが「伊織ちゃんのお家は博物館みたいにおっきいんだよ」と説明してくれて、私は最初それを誇張表現だと受け取ったわけだが、ほとんど言葉通りだった。
急なお泊まり会。ダンスレッスンの後に着替えをする予定だったから、下着の用意をしてあったのは幸いだった。
レッスン用のジャージを寝間着代わりに寝るつもりだったのだけど、お風呂を貸してもらって、脱衣所に戻ったときにはもう私たちの洋服はお手伝いさんたちに回収されてしまっていて、かわりにバスローブが用意されていた。
当たり前のように大人数名が同時に入れる広さの浴室へ一緒に向かった奈緒さん美奈子さんと顔を合わせて苦笑いしてしまったのは、気恥ずかしさからだろうか。
洋館とも言えるようなお屋敷の中、異常に広いお風呂から上がってバスローブに身を包むなんて、これまで経験があるわけがなかった。
書き物机の上には液晶テレビの用意もあったけれど、この異世界感を大切にしたくてテレビをつける気にはなれなかった。
ただそうすると食事もお風呂も済ませてしまったから、もうあとは寝るだけ。
室内に時計が見当たらなかったのでスマートフォンで確認すると、もう一時間ほどで日付が変わる時刻だった。意外と長い間先輩たちとおしゃべりをしていたらしい。
「……いえ、おしゃべりというような気軽さではなかったわね」
スマートフォンをベッドの上に放り投げてうつぶせに自分も倒れ込む。ベッドの軸が迷惑そうにきしみ音を鳴らしながらも、私の身体を受け止めてくれる。
もう何日、可奈の姿を見ていないだろう。地方での合同合宿が終わって、ミニライブに参加させてもらって。
……そこで大きな失敗をしてしまって、それを週刊誌に取り立てられてしまって。
私自身もミニライブで百パーセントのパフォーマンスができていたかと問われれば、答えはノーだ。
だけどステージ上でつまずいて他の子まで巻き込むという失態を犯した可奈の、楽屋での態度を許すことができなくてキツく当たってしまった。
「みんなで一緒にがんばろう、なんて……」
プロとして本番までに仕上げてこなければならなかったはずのダンスをトチり、あまつさえ他の子まで巻き込んで転倒した可奈が発言していい内容ではなかった。
間違ったことを言ったつもりはない。それでヘコんでダメになるならあの子の熱意もそれまでだったというだけの話。
そのはずなのに765プロの先輩たちはみな、可奈のことを気にかけている。正直理解できない。
彼女自身に失敗を取り戻そうとする意欲があるのなら、まだ救いがあった。
二、三日余分に休息を取るぐらいで目くじらを立てるつもりはなかった。試行錯誤する姿勢を見せてほしかった。
「もういらないから、なんて……」
コンコン。
足音もなにもなしに部屋の扉がノックされ、体をびくつかせてしまった。
寝る時間には少々早いとは言え、人様の家で部屋をノックされるとは思わなかったから来訪者を警戒して身体が固まってしまう。決して驚きとか恐怖とかが私の心を占めていたからではない。
「私よ。まだ寝てなかったら、ちょっと話、しない?」
「水瀬先輩?」
低い声だと感じた。普段テレビやラジオで聴かれる可愛さを詰め込んだ声とは違う、落ち着いたもの。
合宿初日、水瀬先輩の中にある冷静さを目の当たりにしたときは、中身だけ別人に入れ替わったのかと思ってしまったほど。
「……少しだけ待ってもらえますか。今開けます」
お説教の続きだろうか。先輩を迎えるにあたって居住まいを正しながら、ぼんやりと来訪理由を想像する。
数日前、可奈に関する騒動で天海先輩に対して声をあらげてしまい、それを水瀬先輩に咎められた。
そのときは後に仕事も控えていたから深く追求はされなかったけれど今なら十分に時間がある。
正直一番顔を合わせづらい人物であったから、寝たふりをしてコンタクトを回避することもできた。
それでもドアを開けるのに応じたのは自分の中でけじめをつけておきたいという理由もあった。
「こんばんは。中へどうぞ……というのもおかしいでしょうか」
先輩を招き入れてから、その当人が家主であったことを思い出す。
「自分の部屋と思って使ってくれていいわよ。ウチの連中なんてホテルかなにかに泊まりに来たみたいにはしゃいじゃってるんだから」
言いながら水瀬先輩は書き物机に添えてあったイスの背を入れ替え、ベッドの方へ膝の先を向けるように腰を下ろした。
「まあ、座って」
ベッドに腰掛けるべきか、床に正座すべきか。自分では判断できなくて先輩の表情を伺うと、彼女はじれったそうに片眉を上げて人差し指をベッドへ示した。
床に正座でお説教を受けるわけではなさそうなことに安堵しながら着席し、そのまま腰を折る。
「先日は、失礼しました」
「……何の話かしら。春香に対してのイザコザのことなら春香に直接話するべきだし、”それ以上言うな”をきちんと守った志保に謝られるような謂われはないわ」
あんなにも無礼な態度をとったにも関わらず、黙認してくれたことにもう一度頭を下げる。
普段テレビで見る”水瀬伊織”の姿はどこにもなく、それこそ大物芸能人のように片足を組み、どっしりと構えていた。
「はあ……、そこまでかしこまられても肩痛くなるわ。逆よ。今夜はアンタのグチを聞きに来てあげたの」
「グチ……ですか……?」
「普段クールに構えようとしてるアンタがあんな大声出すほど、いろいろたまってるんでしょう?」
先輩の指摘に身体を堅くしてしまう。ミーティング中に声を荒げてしまったから鬱憤がたまっているだろうという分かりやすい部分ではなく、
アイドルとして必要なとき以外は冷静沈着を心がけていたはずなのにそれを虚栄と見抜かれてしまったことが心に刺さった。
「分かりますか……?」
「まあ、ウチにも似たようなのがいたから。人と関わりたくないなんて表情してるくせに、心の内にはものすごい情熱抱えてるのがね」
先輩が過去形で語る人物とは誰のことだろう。以前に所属していたアイドルだろうか。
「状況改善のための意見提案と、ただただ頷いて話を聞くだけと、どっちがお好み?」
「一方的に話を聞かせるだけの相談、あまり好きでは……。いえ、でも。先輩にグチを聞いてもらうなんて、失礼になりますから」
「あらそう? ウチなんて年齢ゲーレキ関係なくグチにつきあいつき合わされよ? 律子はともかく、もう一人のプロデューサーがヘンタイでヤクタタズだからいやになっちゃう」
大げさに肩をすくめて身内の文句を言う水瀬先輩の声色には、信頼と優しさが含まれていた。
思えば、765プロのアイドルをここまで立派に育てて、ハリウッドからへの研修も予定しているプロデューサーだ。
先輩たちからの信頼も置かれているようだったし、ヤクタタズであるわけがなかった。
「765プロでもグチの言い合いがあるんですか? ……なんとなく、水瀬先輩は想像がつくんですけど」
「案外言うじゃない……。そりゃあ女の子だらけの職場だもの、トーゼンにあるわよ。
どっちかというと感想戦とか反省会と言った方が正確かもしれないけど。
それから、伊織でいいわ。水瀬の名前で呼ばれるのは好きじゃないの。先輩ってのも学校や部活じゃないんだから気恥ずかしいわ」
「あ……。えっと、それじゃあ、伊織さんで」
「そうしてちょうだい」
伊織さんは鼻から短く息をもらし、天井を見やった。
「まあ、この苗字のおかげでアンタたちを泊めてあげられてるんだけどね」
姿勢を戻して自嘲気味に髪を撫でる姿は合宿中にも見たことがないものだった。
「親御さんと喧嘩されてるんですか?」
「そーゆーわけじゃないわよ。単にこっちの問題だから気にしない……。いえ、そうね。私がグチを漏らしたら、アンタも話す?」
「話したくないことなら無理に聞きませんが……」
「そ。じゃあ聞きなさい。先輩命令よ」
それはつまり、私もグチを漏らさなければならないということだろうか。
「ウチの兄たちの出来がよすぎてね。父が私のことを比較してばっかりだから見返してやろうと思ってアイドル始めたワケ。
なるべく親には頼りたくないんだけどね。……ま、ただの反抗期よ」
自分で自分のことを反抗期と表現できる人はもうその時期は終わっていると聞いたことがある。伊織さんなりの意地の張り方なのかなと思う。
「そっちはどうなの? こういう仕事、反対する親も少なくはないけど」
……答えづらい質問だ。スクールの子たちはまず聞いてこない。とは言え親切で話を振ってくれている伊織さんの好意には応えないといけない。
「母と弟は、応援してくれています」
うそをつくのも忍びないと考え、事実を事実のままに告げることを選んだ。
「……? お父さんは反対しているの?」
まあ当然この質問になるだろう。
「父は、いないので」
どうしていなくなったのか、いつからいなくなったのかは説明から省いた。伊織さんならその意味を理解してくれるはずだろう。
「……それ、触れない方がいい?」
「できればそうしてください」
「そう。……じゃあ、家族は見に来てくれるんでしょう?」
父親は見に来ないではなく、家族が見に来てくれる。欠落があることを上手に隠してくれる言い回しに好感が持てた。
私が口に出すのを未だに渋っているグチは話せと言うのに、父親の件には踏み込んでこないでくれているのがありがたい。
「そうですね。家族も来てくれると言ってます。……それにダンサーであれども、アリーナです。全身全霊をもってステージに立ちたいんです」
プロとして成長するために。誰でもできることをできるようにやるだけじゃお遊びにしかならない。
「伊織さんは、できない方に合わせる側……ですよね?」
あの日春香さんが提案した、『演出を変える』という選択肢に納得はせずとも同意していたはずだ。
「違うわ。みんなでひとつのステージを作る側、よ。
ソロで舞台に立つならいくらでも難易度あげても構わないけれど、今回みたいな全員で歌う曲は別物。
追いつけない子がいるなら、ランクを下げるのは仕方ないとは思うわ」
一対一で話をして変わるような主張ではなかったか。でも、別の方向から話をすれば伊織さんは耳を傾けてくれるかもしれない。
かねてから疑問に思っていたことをここではっきりさせておきたかった。
「もし、可奈が戻らなかったら……。ダンスのレベルはどれだけ下がってしまうんでしょうか」
「具体的にはこれから決めるけど、年少組が追いつける程度にはなるでしょうね」
「……じゃあ、仮に可奈が戻ってくるとして。その可奈が戻ってきたのがライブの三日前とかだったら、どうなるんですか?
可奈のレベルに合わせる? あの子が自主レッスンしているかもわからないのに?」
スケジュール通りにレッスンが進んだと過程して、三日前の復帰はゲネに一回参加できるかどうかというところ。しかもいきなりそこに放り出す形になる。
「……私なら、出演させないわ」
「春香さんなら?」
間髪入れず質問を重ねた。伊織さんは僅かに口をつぐんで、視線を切った。
「一曲でも振りつけを覚えさせて出させる、と言うでしょうね」
「話になりませんよそんなもの……」
自分でも意地の悪い質問だと自覚していた。今このタイミングで姿を見せないのであれば、直前になって戻ってくるわけがない。
ライブに間に合わせるためのタイムリミットはもう目前だった。
そもそも、どうして可奈がダンサーチームに選ばれたのだったっけ。たしか、スクール内でメンバーが集められて……。ああ、そうだ。
「私たち、スクールの中では上にいるつもりだったんです」
「ダンサーに選ばれるためのオーディションでもしたのかしら。今のメンツが上位七人ってこと?」
「それなのにみなさんの後ろをついていくのがやっとで……実力の足りなさを、歯がゆく思っています」
765プロのみなさんは私たちより一年以上、先輩だ。
現場で培った実力を一ヶ月程度の合同レッスンで埋められるとは到底思っていなかったけれど、ここまで差を見せつけられるとも予想していなかった。
同等かそれ以上の量のレッスンをこなしている先輩たちは、さらに私たちの先を行っているようにすら感じられる。
でも、先輩の頑張り方をこの目で見ることができる。何かを学ぶには十分すぎる環境だ。それを私たち七人は手に入れたはずなのに。
「私は正直、可奈を許せません。勝手にあきらめて辞めてった。
それなら代わりの子がレッスンを受けて、ステージに立ててもいいはずなんです。
他の子のチャンスを潰してまで勝ち取った舞台なのに。それを放り投げようとする可奈を応援するのは、間違っていると思います」
「資格を手に入れたんなら、責任も持て?」
「そうです」
「可奈はきっと責任を持ちすぎちゃってると思うのよね。
あの子、春香のこと気に入ってるみたいじゃない。自分の実力以上のことをやろうとした結果、空回りしちゃってるように見えるわ」
きっぱりと言い切ったはずなのに、私の言葉はあまり伊織さんの心を打たなかったようだ。
実力が足りないのであればレッスンに参加して補えばいい。それなのに。
「空回りした結果が、あのパンダですか?」
先日765プロのみなさんと合同練習の場に持ち主知らずで現れた、Tシャツを着用してアニメチックにデフォルメされたパンダの、手のひらサイズのマスコット。
そのおなかには天海春香のサインが書かれていた。
「大切な人からもらった宝物を突き返すような、そんな子が責任持ってるんですか?
あの子、私にまで自慢してきたんですよ? それなのに簡単に放り出して……。
責任も一緒に放り出してるとしか思えません。放り出された方の気持ちを何も考えてない……」
今更になってダンスの難易度を検討しなおさなければいけない煩わしさ、それにともなう先輩たちへの負担、全体の士気への影響。迷惑以外の何物でもない。
「とにかく、戻ってくるつもりのない子のことを考えている時間が無駄なんです。それを話し合う時間で少しでもレッスンを重ねたいんです」
萩原先輩の家に泊まっているダンサー組の面々は体力が足りていなさすぎる。
スクール内でのオーディションでは”総合力”を評価されてメンバーに抜擢されたはずだったが、今必要とされているのはダンスの実力だ。
歌唱力や演技力ではない。そこで脚を引っ張っていたら本末転倒にもほどがある。
「志保、あまりダンス得意じゃないわよね」
「……わかりますか?」
「具体的に指摘する?」
「れ、レッスンのときにお伺いします。さすがにこの時間から練習もできませんので」
自覚は多々ある。たとえば合宿でミニライブ用のダンスレッスンをしていたとき、テンポを先走る美奈子さんにつられて私もリズムを崩してしまっていたし、あのとき汗をほとんどかいていなかった奈緒さんと比べて私はボロボロに汗を噴いていた。
ダンスができる組に振り分けられているとはいえ、練習量でなんとかカバーしているだけだ。
「ま、見てればね。ウチにも苦手だった子がいたから」
合宿初日、練習の疲れと先輩がいる緊張から食事が進まなかった私たちに声をかけてくれた萩原先輩の言葉を思い出す。
萩原先輩自身は足を引っ張っていたと自称していたが、今の私たちはそのレベルにすら追いついていない。
「それなのにみんなの前で厳しいこと言っちゃった手前、気を抜けないわよね」
「……はい」
プロならばやれることを、できるようになれなければプロではない。それは可奈だけではなく私自身にも言えること。
私自身も今のパフォーマンスに追いついていけると、はっきりは宣言できない。
「……私はやりきるつもりでいます。だから、難易度を下げていいとは……」
「別に、難しいパフォーマンスをしないと評価されない世界ではないわよ? 一生懸命やっている姿や、演者の一体感がファンのみんなの心を動かすんだから」
「違うんです!」
先輩の言葉を遮って声を荒げるのはこれで二回目だ。
頭のどこか冷静な部分が自分を俯瞰しているのに気がついて、また短気を起こしてしまったことを知った。
レッスン場でもない、話し合いの場でもない。
人様の家で真夜中に大声を出した自分自身を、それでも抑止することができなかった。
「違うんです……。私たちは、まだ、765プロのみなさんのレベルに追いついていない……。
練習を重ねて、だんだん上手になっていくことが評価されるのであればなおさら、次のライブで私たちダンサー組のためにパフォーマンスのランクを落とせば、それこそファンが残念がるに決まってる……!
それが765プロのせいになるかもしれない、私たちのせいになるかもしれない! 誰も幸せになれない!
なんでそれにみなさんは気づいてくれないんですか! 私たちはプロなんです。悔いしか残りませんよそんなもの!
いっそ、私たち全員を切り捨ててくれればいいのに!」
いつのまにか、椅子に腰掛ける伊織さんを見下ろす態勢になっていた。
じっとこちらを見上げる彼女の表情は、驚くでもなく呆れるでもなく、後輩の訴えをただただ正面から受け止める真剣なものだった。
他に訴えたいことがあるならもっと続けろ。真一文字に引かれた唇がそう伝えていた。
これで私が抱えていた鬱憤はすべて吐き出せているだろうか?
先輩を見下ろしながら自問すると、じわりじわりと他の鬱積が染み出してくるのを認識してしまい、心が次の叫びを上げようと深呼吸をさせる前に再びベッドへ腰を下ろした。
伊織さんの視線から逃げるように頭を垂らして自分の膝頭を睨みつけた。
舌腹を上顎へ押しつけ、なおも感情を暴れさせようとする心を押さえつける。
叫びたくない。冷静でありたい。
声を出せば出すたび、自分の心に積もっている感情をオモテに外に漏らして自覚してしまうたびに、己の不安が浮き彫りになっていくのが怖い。
それならば感情を押し殺して心が動揺していない演技をしていれば、それで自分を騙せるはずだ。
他の人から見た北沢志保はクールで物おじしない人物なのだから、自分自身もそうであれるはずだ。
そうに違いない。そうでありたい。そうでなければならない。そうしていれば不安を隠すことができる。
怖いものなど何もない。ライブもすべて成功する。輝かしい未来が待っているはずだ。
そのはずなのに、両の二の腕を自分自身で抱えてしまっているのはなぜだろう。
きちんと空調が効いているはずなのに身体を縮こませていないと背筋が震えてしまう。
悪寒が全身を巡り、肌が粟立っているにも関わらず背中と額にびっしょりと汗をかいていて不快感で顔がゆがむ。
「志保……?」
なにものかに私の肩が掴まれた。タオル地のバスローブの上から触れてきた”それ”は、ぬらりぬめりと死人のような生ぬるさで私を引き寄せようとしてくる。
「いやぁ!」
得体のしれないものを振りほどいてベッドの上を後ずさる。一メートルほどの距離を取ってようやく、私の肩に触れたものが伊織さんの手のひらだと理解できた。
差し伸べられた手の体温に違和感を覚えたのは私がかいていた汗のせい。
引き寄せられる感覚は抱き寄せてくれようとした証拠。そんな単純な状況把握すらできなくなっている?
「落ち着きなさい、志保」
ベッドの中央に座り込む私の元へ、先輩が歩み寄ってくれた。
「落ち着いて……ます……。大丈夫です……」
「青白いカオして説得力ないわよ。ほら、ゆっくり深呼吸して」
「………」
黙って首を振った。年下の先輩の優しさに従ってしまえば、そのまま私の弱さが溢れてしまいそうで、短い呼吸を繰り返すことしかできなかった。
「怖いものを怖いと認めるのは、勇気がいるわよね……」
伊織さんの腕に肩を抱かれた。暖かさに触れてしまうのを嫌って身体をよじらせてみても、細腕が私の腰に回されるばかりで逃げようがない。
ついには後頭部をそっと支えられ伊織さんの鎖骨に鼻先を押し当てる形に固定された。乱れた呼吸が直にぶつかっているのに先輩はより強く私を抱き寄せる。
「さ……。辛いこと怖いこと不安なこと、全部吐き出してしまいなさい」
「イヤ……ヤダ……言いたくない! 言いたくない! 怖いわけない! これぐらい乗り越えられなきゃ一人前になんてなれない!」
まるで癇癪を起こした女児のよう。
自分以外の体温を感じるたびに心の壁が剥がれていって、既に声も涙混じりとなってしまっているのに虚栄を張り続けようとしてしまう。
「乗り越えていくことは必要よ。でも、みんなで乗り越えていけばいいの。アンタはひとりじゃない。私だって春香だって、全員そうしてきたんだから」
「だって……だってぇ……」
「自分の弱さを露わにするなんて、誰だって心が荒むに決まってる。でも、誰にも相談せず自分一人で抱え込んでる方がもっとしんどいのよ」
後頭部を優しく撫でていてくれた手のひらが、頬に当てられた。
「不安でしょう。怖いでしょう。……安心なさい。その分の苦しさは、私がしっかり癒してあげるから」
正面に見据えられた伊織さんの表情に厳しさはどこにもなく、泣きはらす子供をあやす母親のような慈愛に満ちた微笑みがあった。
視界がにじむ。頬に添えられた先輩の手のひらを私が流した涙がつたう。
喉元までこみ上げている負の感情を吐き出してしまっても、目の前の人は笑っていてくれるだろうか。
自分自身でも受け止めきれないはずの量をぶちまけてしまったあとに先輩は私を救ってくれるだろうか。
融通が利かなくて頑固で意地っ張りな私のために気を揉んでくれる人はこの先現れないかもしれない。この人を失いたくない。
「わたし……イヤなこと、いっぱい言っちゃいます……。呆れさせて、うんざりさせるに違いないです……。
吐き出させたら、きっと止まりません。伊織さんが耳をふさいでも止めないと思います……」
先輩にメリットはひとつもない。実力不足の後輩が抱えている問題を全部投げつけるだけの負担しかかけない行為。
私が支払える対価はなにもない。私の全部を受け止めてくれる義理はない。悪条件しかない。
「それでもわたしを、あいしてくれますか……?」
何かを要求できる立場ではないのは理解している。でも、それでも。私の弱いところを受け止めてくれるという確証が欲しかった。
「トーゼン。誓いの口づけだってしてあげられるわ」
口づけ。はにかむ伊織さんの言葉は冗談なのか本気のものなのか。真意は定かでないものの、それが先輩の提示する確証ならば、受け入れたいと思った。
「……お願い、します……」
まぶたをそっと閉じ、身をゆだねた。まなじりにたまっていた涙があふれ、さらに頬をつたった。
暗闇に閉ざされた視界の向こう、頬に触れられた手指が一瞬だけこわばったように感じた。
数秒の間があり、小さなため息が聞こえた。体重移動とともにベッドのきしむ音。
「あとからファーストキスだったとか文句言われても知らないから」
唇の先端に他人の吐息が触れた直後。重ね合わされた口端から小さな水音が漏れた。
口づけを交わすという直接的で最大級の愛情表現をこの身に受けたのはいつぶりのことだろう。
閉ざした視界で過去の記憶が呼び起こされる中、幼き日の母と、――父を視た。
安心。優しさ。信頼。愛情。私がこれから口にしようとしている汚いものと真逆のぬくもりがじんわりと身体中に染み渡ってくる。
穏やかさを欲していた心はすぐさまそれに飛びつき、どす黒く染まった汚泥のような感情を吐き出させようとする。
「さ。これで素直になってくれるかしら?」
「あ……あぅ……う、うああ……っ!」
話したいことは山ほどある。なにから話していいのか分からなくて、どの話題も一番最初に話してしまいたくて、考えがまとまらない。
「夜は長いわ。まずは泣きたいだけ、泣きはらしなさい」
「ふ、……っく、うわあああああああ!!」
私よりも小さくて華奢な身体に必死にしがみついてわんわん声を上げることを、この人は許してくれる。これを幸せと呼ばず、なんと言おうか。
@
「私よ。水と氷と……布巾を二、三枚持ってきてもらえる? そ、志保の部屋にね」
薄暗い室内の隅の方から声が聞こえて、ゆっくりと目が開いた。
見覚えのないインテリアと肌触りの良すぎる寝具に違和感を覚えて、ようやくここが自室でないことに気がついた。
伊織さんに私がため込んでいた汚いものを吐き出し続けるのに疲れて、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「起こしちゃった?」
書き物机の上の電話に受話器を置いた伊織さんが私の隣に腰掛けた。額に手を当てて頭を撫でてくれるのがとても心地よい。
先輩が隣にいるのだから身体を起こしていなければ失礼にあたるはずなのに、その心地よさに心が甘えてしまって、手のひらに頬ずりをしてしまう。
「ずいぶん、楽になったように思います……」
涙で濡らしたバスローブの乾き具合を見るに、一時間も寝ていないはずだ。日付はおそらく変わったあとだろう。
昨日も遅くまでダンスレッスンをしていた。それにたっぷりと涙を流した。
短い睡眠では体力の回復が追いついていないはずなのに、昨日までの鉛のような身体の重さはなく、全身をマッサージしてもらったあとのような穏やかな疲労感に包まれている。
「伊織ちゃんの献身なサポートには満足してもらえたかしら?」
飼い猫のノドをくすぐるように、先輩の指が私の輪郭を撫でる。それで目を細めても、今は涙はこぼれなかった。
いくばくかの睡眠を取ってそれなりに気力は回復した。体力はきちんと休めば元に戻るだろう。それでも何かが物足りない。
「足りない……です……」
つい一刻前まで必死にふりほどこうとしていた先輩を、自らぎゅっと抱きしめてしまう。
「……まるで、昔の私よね」
腰に抱きついて、伊織さんのお腹に顔をうずめるようにしていた私が聞き取れない程度の声量で一言つぶやかれた。
「え?」
「なんでもない。……足りないのはグチを漏らすことかしら? それとも、キスの続き?」
意地悪っぽく指摘されると頬に血がのぼってしまう。体力が尽きる直前まで、呪詛にも似た言葉を声に変えられなくなるたびに口づけで愛情を注いでもらい、膿を絞り出していたのだ。
「…………キスを、ください」
ひとしきり汚い感情を吐き出しきった私の心は愛情に飢えている。だからこそ先輩を抱き寄せたのだし、たっぷり甘えたかった。
最初にそうしたように、まぶたを閉じると伊織さんが私を仰向けに転がした。吐息が頬を撫でたあと、しっとりとした感触が唇に触れ―――
コンコン。
「!」
部屋の扉がノックされた。今が何時かは定かでないが寝る前の時間に伊織先輩と話し込んでそれから一眠りしたあとだ。
夜明けはまだのようだが、深夜もいいところ。私のあげた泣き声が周りから苦情がくるほどだったのだろうか。
それよりもなによりも、アイドルの先輩に身体をゆだねている状況で人が訪れるのはまずい。
私自身が応対するにも散々泣きはらしたあとなので人に見せられるものではないし、ただの客室の来訪者を家主の伊織さんが応対するのもおかしいだろう。
「お嬢様。先ほどご所望されたものをお持ちしました」
「……メイドさん、ですか?」
「ああ、さっき頼んだのよ。あれだけ喋ったんならノド乾いているでしょ? 入って」
深夜の客室に女の子二人。家主が客人と同衾状態であるという、どうしたって言い訳のきかない状態であるにも関わらず、伊織さんが来室を許可してしまった。
「や……っ、人に、見られる……」
「かまやしないわ。客人のウワサ話をよそでするような躾られ方、ウチのメイドはされてないから」
「失礼します」
せめて布団の中に隠れようとするもそれより早く、主人に忠実なメイドさんは部屋の扉を開けてしまう。
シルバー色をしたラックに水差しとアイスバーレルが載せられているのを確認したところで、伊織さんに覆い被さられて視界を塞がれた。
記憶が途切れる寸前まで触れ合わさっていた唇の感覚がどこか懐かしい。
そうすることが当然と言わんばかりに伊織さんの舌先が私の口唇を割ってきて小さくバタ足を繰り返す。
先輩が口内ではしゃぐせいで異物を警戒した粘膜器官が唾液の雨を降らせて、結果的に侵入者を喜ばせてしまう。
ベロ同士が触れ合って唾液のカクテルを作る横で、メイドさんがコップに水を注ぐ音が聞こえてくる。
こちらを向いて一礼をしたような衣擦れが耳に入った。私の口を塞いだままの伊織さんはそちらに対してなにもリアクションをせず、むしろ余計に舌先をねじ込んできた。
上顎のつるつるした部分を舌の先端で円を描くようにまんべんなく触れ、そのまま歯の裏側まで味見にやってくる。
歯の間を磨き残しを確認する母親のように一本一本丹念に触れて確かめたあと、ピアノの白鍵を弾くように左右に激しく往復を始める。
動きの激しさにたまらず口を開けると、みだらな液体音が、コップに注いだ水が跳ねる音よりもよっぽど大音量で部屋に響いた。
「明朝、片づけに参ります」
女の子同士が身体を重ねあうという明らかな異常事態にも関わらず、動揺の色すら見せないメイドさんが退室していってようやく、私の拘束が解除された。
「はぁ……はぁ……」
寝ぼけ眼で見た夢か何かだと思いたかったのだけれど、伊織さんがどいてくれて開けた視界のすみにはしっかりと先ほどまで用意がなかった水差しが鎮座していた。
「完全に見られちゃったじゃないですか……。ここ、私の部屋だって、メイドさんも知ってるでしょうし……」
あまりの恥ずかしさに手の甲で視界を覆ってしまう。
「メイドの顔は見ていないでしょ?」
「見れるわけないじゃないですか……」
声の感じから小柄ではない女性であることは知り得たけど、人相もわからなければ髪型も分からない。
「なら、誰にも知られていないのと一緒よ。アンタは向こうの顔を知らない。向こうはなにも見ていない」
そういう問題じゃないです、と唇をとがらせたときにはもう、伊織さんはこの話題を打ち切ってしまっていた。
「まったく、未成年の客室だってこと忘れてるんじゃないの? ロックをたしなむわけでもないのに……」
トングで中を探っていた伊織さんは、四、五センチほどの直径の氷を選び出して布巾にくるみ、こちらに手渡してきた。
「すこし腫れてるわ。これで冷やしときなさい。朝になってから直すよりかは目立たないわ」
「………はい」
言われたとおりの場所に布巾をあてがう。確かに腫れぼったくなっているようで、冷気で血管が収縮するのが心地よい。
「って、違うわよ。唇じゃなくて、目の周り!」
「え?」
言われてそちらの方に氷を当ててみると、指先で触れて実感できる程度にむくんでしまっていた。
夜泣きしたことを伊織さん以外に知られるのは恥ずかしいので、言われたとおりに片目に当てておく。氷が溶けてきたら逆側も冷やそう。
「声、かすれてるわ。水も飲んでおきなさい。……起きれる?」
先ほど伊織さんに押し倒されてから、ずっと仰向けに寝転んだままなのを心配してくれているようだ。腹筋を使って一息に起き上がれるほどの体力はまだ戻っていなかったので、身体の脇を下にするように向きを変えて、もぞもぞと身体を起こすことにする。ローテンションのときの杏奈のようだ。
片手片肘を支えに身体を起こそうとしたとき、こちらを見つめる伊織さんの背後にミネラルウオーターの入ったコップを見つけて、イタズラをひとつ思いついてしまった。
「やっぱり起きられません……」
「ウソでしょ。もう半分以上起きてたじゃない」
脱力してベッドに崩れ落ちる私に伊織さんは呆れ半分だった。
「しめた!っていやらしいカオしてから寝直したってバレバレよ。……ったく。なにをしてほしいの?」
「……お水、飲ませてください」
握りこぶし程度のサイズのコップは飲み口が広く、浅く傾けただけで中身がこぼれてしまうだろう。
仰向けに寝ている人物に水を飲ませようとするなら、ガラス容器を頬に当てて口の側面から傾けるか、顎の方から注ぐかの方法が考えられる。
しかしどちらもコップを傾けすぎると寝具や寝ている人の顔を水浸しにしてしまう。
で、あるならば。残された方法はひとつ。
「このヘンタイ」
意図はきちんと伝わったようで悪態をひとつついてから伊織さんは自分の口に冷水を含み、私の上に覆いかぶさってくれる。
狙いがブレないように頬を支え、まずは唇の先端だけを触れ合わせた。
寝起き直後の私の唇はすこしばかりカサついていて、伊織さんの瑞々しい唇がそれだけで癒やしを生む。
口内の水分が重力にしたがってしまわないようにピッタリと閉じられたところから、ベロが顔をのぞかせて露払いをするかのように私の口を左右に割り開いた。侵入者が一度引っ込み伊織さんの唇がうっすらと開けられたことで、いよいよ甘露が降り注ぐこととなる。
「ん……っ」
いささか緊張した様子の鼻息が漏れた次の瞬間、伊織さんの口の中でほのかに温められたミネラルウオーターが私の口内に流し込まれた。ほんのりと伊織さんの唾液の味が感じられ、心が満たされる。
すぐに飲み込んでしまうのはあまりにももったいなくて、液体の中で舌を泳がせてオレンジに似た香りを堪能したあと、口をすぼめてみせる。
唇は合わせたままだったからその変化を伊織さんは敏感に察して何事かと目を見開いた。
まぶたを冷やしておけと渡された氷嚢を脇において、先輩の首筋から後頭部までをぎゅっと抱きしめ、後退を阻んでから唇をすぼめて容積が少なくなった口内の水分を舌腹で押し出していく。
「アンタが飲まなきゃ意味ないでしょ……」
唇同士を触れ合わせながら私にだけ聞こえる声量でぼやいた伊織さんは、堪忍した様子で私からの贈り物を受け取ってくれた。
いったん顔を離した先輩は、瞳と眉で「これ、どうしたらいいの?」と訴えてくる。
「くちゅくちゅ、もごもごってして、返してください」
甘えた口調で要求したところ、目の前のお嬢様の眉間の皺が深くなったように見えた。多分気のせいだろう。
伊織さんは鼻息で器用にため息をついて見せて、それから言われたとおりに頬とあごを動かし始めた。
お互いの口内を一往復して体温を奪い合ったミネラルウオーターは、もう常温に戻ってしまっているだろう。
唾液そのものを交換し合った仲であるはずにもかかわらず遠回りなものを介して戯れるのは、奇妙な優越感に浸れて顔がほころんでしまう。
私の上にうつ伏せに寝転んでいる伊織さんが、額を私のそれにくっつけた。用意ができたらしい。
わざとアヒル口を作って受け取りの合図を送ると、伊織さんの頭の重みが私の口に集められた。
ちょろろ……。
ミネラルウオーターと伊織さんの唾液と私の唾液の混合物が重力に従って、湧き水のように口腔へ流し込まれる。
二回目の受け取りはとてもスムーズに行われて、一秒もしないうちに中身が移し替えられた。
案の定生温くなった液体はおそらく伊織さんの体温と同じ温度。
一度目に味蕾を刺激した伊織さんの味もあからさまに濃厚になっていて、一息に飲み込んでしまうのは、やはりもったいないという想いが生じてしまう。
「……早く飲んじゃいなさい」
ゆっくりと味わっていたところ、伊織さんが身体を離してしまった。これではもう一往復させるのは難しそうだ。
ミネラルウオーターにしては少々粘度が高く感じられるそれを、舌の腹や裏側、頬の内側までしっかりと行き来させて、名残惜しいながらも喉を通過させる。
舌先を上顎にくっつけて、舌のつけ根を盛り上げる。
こくり、こくり――。
「ぷ、は……」
鼻を抜ける香りにわずかに伊織先輩のにおいが残っているのが、全身を支配されているようでゾクゾクする。
「水をたった一口飲むのに何分かけるつもりよ……。そんなので喉の渇き、癒えるの?」
「全然足りないので、もっとください」
「自分で飲めっ」
みぞおちのあたりにコップの底面を押しつけられ、手に握りこまされた。
伊織さんがそっぽを向いてしまったので仕方なしに身体を起こし、ガラス容器に口をつけた。
味気のない液体は確かに喉を潤してくれるが、オレンジ風味の残滓すらも洗い流してしまうのがいささかやっかいだ。
その不満顔をどうとらえたのか、伊織さんが私の唇を見つめてくる。
「そういえば、唇、痛いの?」
「ヒリヒリするってほどじゃないですけど……。その、伊織さんが吸ったり甘咬みしたりしたので……」
「それじゃあ私と一緒ってことね」
同じことを私もしていたらしい。二人して唇に指を触れさせて笑いあった。
「それなら、冷し合いっこしませんか?」
「うん?」
「こうやって……」
私が目を覚ましたときに伊織さんがそうしていたように、氷の入った容器から小さめのものを取り出して口に入れる。
上下の前歯で軽くホールドして半分ほどをせり出させ、彼女の下唇に押しつけた。
「冷た……」
あまり気に入ってくれなかったらしく、顔を背ける伊織さんを追いかけるうちに、今度は私が上になる形で先輩を押し倒していた。
「……はあ。次はそれで遊ぶの?」
リップクリームを塗るように、唇の端から端まで氷を往復させる。
二人の体温が触れ合っているせいで氷はどんどん溶けてしまい、三分の一ほどが水に変わってしまった。
唇を這った水分はシーツへと流れてしまっているが、少量なので特には問題ないだろう。
小さくなってきた氷をいったん口に含み直し、中で転がしてから伊織さんの唇の間へ押し込む。きちんとホールドされたことを確認してそれを預けた。
先輩からも同じことをしてもらおうと、唇を少々引き結んで待機していたのだけれど伊織さんは氷を自分の口内に落として、奥歯で噛み砕いてしまった。
「あ……っ」
「半分、返すわ」
露骨に残念そうな顔をした私を気遣ってかもともとそうするつもりだったのか小指の先ほどのサイズになってしまった氷のプレゼントがあった。
喜んで口内に収めてみるも、予想していたよりも伊織さんの味がしない。
きちんと唾液はまぶしてくれていたはずなのだけど、氷が持っている水分の方が多すぎたのだ。それに氷はすぐに溶けていってしまう。
ミネラルウオーターを与えてもらったときと違って、明確に形が変わってしまうのがすこし寂しかった。
それでも最後まで伊織さんからの贈り物を楽しもうと、アメ玉のように口の中を転がしていると
「氷の使い方が間違ってるのよ」
氷をひとつつまみ上げ、手の中でにぎにぎと遊ばせたのち、空のコップに放り投げた。カランと小気味良い音が響く。
「これは、こうするもの」
「ひゃあん!」
バスローブの袂を割って、氷に冷やされた伊織さんの指先が私の脇腹をくすぐった。突然の温度差に腹筋が収縮し、身体が小さく跳ねた。
たまらず身体を捻って逃げ出そうとするも、体力が枯渇ぎみの現状では背中から回された腕を振りほどくことができない。
じたばたしてホコリを飛ばしているうちに息が切れてきて、伊織さんに抱きかかえられる形となってしまう。
身体を動かしているうちに温まったのか、氷で冷えた指先が最初の数十秒だけで済んだのは幸いだった。
バスローブの袂を割って、氷に冷やされた伊織さんの指先が私の脇腹をくすぐった。
突然の温度差に腹筋が収縮し、身体が小さく跳ねた。
たまらず身体を捻って逃げ出そうとするも、体力が枯渇ぎみの現状では背中から回された腕を振りほどくことができない。
じたばたしてホコリを飛ばしているうちに息が切れてきて、伊織さんに抱きかかえられる形となってしまう。
身体を動かしているうちに温まったのか、氷で冷えた指先が最初の数十秒だけで済んだのは幸いだった。
「はぁ……っ、はぁ……」
横になりながら身体を暴れさせたため着崩れてしまったバスローブの隙間を伊織さんの指が這い始める。
最初にイタズラされた脇腹を、今度は”くすぐり”にならない程度にやさしく撫で上げられる。
「身体触られるのは、嫌?」
「ヤじゃない……です……」
先ほどの運動でわずかに汗ばんだ肌を、先輩の五指が圧力をほとんど感じさせない繊細な手つきで脇腹を腰から胸の側面まで滑ってゆく。
一拍おいて肌がこそばゆさを自覚し、思わずそちら側に”伸び”をしてしまう。続いて側面攻撃で油断している背中に人差し指があてがわれる。
指の腹をぺったりと触れさせ、じんわりと汗をかいた肌と指紋の摩擦を確かめるようにジグザグな動きを与えられた。
どこで折り返すかは伊織さん次第なため、触れてもらえなかった部分のもどかしさで実際に触れられた部分がより強調される。
折り返し地点でいちいち指先を垂直に近くされるものだから爪の先端が「の」の字を描き、ピリっとしたアクセントを加えられ、たまらず私は短く息を吸ってしまう。
腰元からおなかにかけては既にもう片方の手のひらが侵略しにきていた。背中にしたのと同じようにおへその下からみぞおちのあたりまでを指の腹がすり足で進んでいく。
ただしこちらは親指から小指まですべてを使われているのでまんべんなく甘い愛撫を加えられることになる。
背中を這い回っていた指が尾てい骨まで到着し、脚のつけねから進軍を開始しアンダーバストまで、
伊織さんの指に触れられていないところがなくなるころには、氷の冷たさにもがいて生じた汗とは別の湿り気で身体が覆われていた。
総面積で言えば全身の三分の一ほどしか触られていないはずなのに、太ももの内側や胸の谷間すらじっとりとしてしまっている。
それでいて敏感な部分はおあずけのままだ。太ももをこすりあわせたり五指がみぞおちのあたりまでやってきたタイミングで胸を反らしてみたりと、
ひそやかに自己アピールをしているのに伊織さんはそれに気づいてくれない。いや、もしかして気がついているのにわざと焦らしているのだろうか。
「あ、あの……」
「なぁに?」
背後に声をかけたのをきっかけに、伊織さんの前半身が私の背中にくっつけられる。
脇を通った腕がおへそのあたりでクロスさせられて、ぴったりと密着する。
先輩と一ミリの隙間もないのは嬉しいのだけれど、お腹の前で伊織さんの手首が交差しているため、絶妙なタッチを与えてくれる指先は私の身体に触れていない。
「もっと……触ってください……」
伊織さんに抱きすくめられてからの短時間で、私の身体は触れてもらえるのが当たり前と認識するように作り変えられてしまっていた。
「こんなに抱きしめてあげてるのに、不満?」
伊織さんは私の要望をことごとく曲解してくれる。身長差もあって背後の表情は伺えないが、きっと悪い笑顔をしているだろう。
私の口から欲求を吐き出させるために。
「ふ、触れられるのとぉ……さわっ、触られるのは別なんです……!」
切なさは私の理性を軽々と削いでしまう。胸の先端や脚のつけ根。大事な部分を愛を与えてくれる人に触ってもらいたい。
焦らされ、高まりきった官能を解消させる目的で自分自身で触れてしまうにはあまりにももったいなさすぎた。
「伊織さん、触ってください。おっぱいと、アソコ、触ってくださいぃ……!」
伊織さんの右手がクレバスへ、左腕は私を逃さまいと拘束するように右胸の膨らみへとあてがわれる。
両局部はかたやぷっくりと充血して自己主張をし、かたや汗ばんだ全身以上に蜜を漏らし、さらなる刺激を今か今かと待ち構えている。
私の心を解きほぐしてくれた先輩のぬくもりが神経の塊とも言える場所へ直に接してしまったら、私はどうなってしまうのだろう。
今さらその自体に気がついて緊張感で息を飲んだ瞬間。
ニチニチグチュクニュクニッ!
「く―――うぅぅ……っ!?」
小陰唇を素早くタップする二指が淫らな水音を響かせて愛液の存在を強調し、腰元だけではく耳からも官能を注ぎ込む。
親指の爪は陰核の周囲をなぞり、強烈すぎる刺激を与えられるかもしれないという戦慄をイメージづけてから親指の腹で優しく押しつぶされ、へこへこと腰が引けてしまう。たまらず太ももで伊織さんの手を挟み込んで動きを抑制しようとするも、あまり肉付きの良くない私の脚ではそれが適わない。背筋を駆け抜けて脳へ流し込まれる快楽信号は私のおとがいを反らさせ、気の抜けた声しか発せられなくなる。
片手だけでこれほどの愉悦を発生させているという現実が、胸の膨らみへつきつけられる。
陰核に対してはいくぶん遠慮しているような手つきだったのに、乳房の先端を襲う指術は最初から全力だった。
親指の腹と人差し指の側面に乳輪が挟み込まれ、長いストロークで転がされる。
残りの指は下房から先端へ絞り上げるような動きを繰り返して、先端部へ熱を集中させ、感度を高めていく。
ときおり乳頭のくぼみに爪が突き立てられ、トゥースピンのような掘削が行われる。
胸の先端に針を刺すような痛みが生じるものの、伊織さんによってぐにぐにと形を変えさせられている乳脂肪の部分へ伝わるころには痺れるような甘刺に変わってしまっていて、性感だけを弄ばれてしまう。
私がその性技を受け入れられる余裕があることを確認したらしく、伊織さんの拘束が少しだけ緩み、左の胸にも同じカリキュラムで性感を学ばせてくれる。
「……サイズ、いくつ?」
母乳を絞りだすようにおっぱいのつけ根から指を順番に折りたたんでいた伊織さんが、先端部を爪弾きながら訊ねた。
「あう……、は、はちじゅうさんです……」
「千早の気持ちが少しだけわかった気がするわ」
若干不機嫌な声色で乱暴に乳首を捻り上げられても、私の口からは嬌声しか漏れない。
下腹部でピチャピチャと音を鳴らしていたバタ足が、上下にこすり上げる動きへと変化した。
一番上まで登ってきたときに陰核にちょっかいをかけられるたび、私の眉はハの字を描く。
「はじめては、まだ?」
「―――!」
耳元に息を吹きかけられながらの問いかけ。それが意味するものはひとつしかない。
現時点で完全に身を任せてしまっているのだから、伊織さんのさじ加減ひとつで私の身体を自由にできるのに、わざわざ質問をしてきた理由はなんだろうと疑問を浮かべてしまう。
どちらの回答をしたところで一分も経過しないうちに真実が判明してしまうのであれば、と正直に答えることにした。
===========
夏コミで5部ぐらい有料頒布した同人誌の抄録なのでここらで終わりだよ~(o・∇・o)
かろうしぴー
良いいおしほを見つけたと思ったらご覧の有り様だよ!
くそぅ・・・
ちなみに在庫たっぷり(40部ぐらい)あるので冬コミ受かればそこで再販するよー(ダイレクトマーケティング)
は?しねばいいのに
いおしほいいゾ~
わっふるわっふる
は?
わっふるわっふる
冬コミ受からなくてもオンリーとかで再販すればよいのではないかな!な!
ちょっと生殺しすぎんよー
年下の先輩ってなっとるけど、志保は14歳だから伊織のが年上やで
志保のが背高いから誤解されがちやけど
しまった。>年下の先輩
年齢もプロフィールも把握してるつもりだったのに。猛省してもしきれない。
本文データから引っ張ってきてるから、印刷もこれで出てますわ。
体躯の小さい先輩とかに読み替えてください。
おい!おい!!
動画&ブロマガ見たで
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