千早「Blue Bird」 (27)

二度目の全国ツアーを終え、二日間に及ぶ打ち上げの翌朝、
後部座席の千早にどう話を切り出したものかと俺は考えあぐねていた。
……だが、言いかたはどうあれ、伝えなければいけない内容は変わらない。

「……なあ」

「なんですか」

まだ疲れの残った声で、千早が応える。

「千早はさ、もっと多くの人に自分の歌を聞いてもらいたいとは思わないか」

「そんなの、当たり前じゃないですか」

間髪を入れない返事。

「だよな……」

「はい」

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「俺も、千早の歌をもっと多くの人に聞いてもらいたいと思ってる」

「……」

「千早の声には、言葉が伝わらない人たちすら魅了してしまうような力がある」

「……」

「千早には、それだけの価値がある」

「……」

「俺は、そう信じて……」

「回りくどいです」

千早が俺の言葉を遮る。

「なにが言いたいんですか」

……こうなってしまっては、もはや引き返せない。

「……実は、社長の知り合いにアメリカで音楽プロデューサーをしている人がいるんだが」

「……はい」

これだけでもう、話の大筋を察知したのだろう。
千早の反応が真剣なものに変わる。

「この人がかなりの大物でさ、日本でも名が知れてるアーティストを数多くプロデュースしてるような人なんだ」

「……はい」

「その人が、千早をアメリカで売り出したいって言ってるんだよ」

「……そうですか」

「すごい話だよな」

「ええ……」

流れる、何とも言えない空気。
俺はどう伝えたら良いのかいまだによくわかってないし、
千早もどう反応すべきか迷っているのだろう。

「あの……」

「うん」

「詳しく、聞かせてください」

「そうだな……」

俺がその人に初めて会ったのはちょうどこのツアーが始まる前。

「社長の紹介でな」

まったく……あの人の人脈はいったいどうなってるんだか……
そこでされた話は、今伝えた通り。
騙されてるんじゃないかと思ってそのプロデューサーについて色々調べてみたが、
考えていた以上に大物だという情報がごろごろ出てくるんだこれが。
そんな人が千早の実力を買ってくれたんだ。
これはチャンスだよ。

「ただし、すぐに答えが欲しいらしい」

千早もわかってるだろうが、この世界は水物だ。
どれだけ実力があっても、タイミングが悪ければ簡単に失敗する。
一度掴んだ成功だって、どこまで長続きするかはわからない。

「今アメリカに来てくれるなら、成功させる自信はあるけど……」

「……」

「一年後じゃわからない」

「……」

「俺は、二ヶ月待ってくれって言った」

「な、なんでですか」

少し慌てた様子で千早が問う。

「ツアーが終わるまで千早を動揺させたくなかったから」

「でも……」

「それに」

「……」

「俺は、誰よりも千早の実力を信じてるからな」

一年経ったら忘れ去られるような、そんなやわな実力じゃないって。

「……」

「安心しろよ、向こうだってそれを承諾してくれたんだから」

つまり、あちらさんも千早の実力は疑ってないってことだ。

「ただし、二ヶ月後絶対に答えをくれって言われてるんだ」

「それって、いつなんですか」

「このオフの終わり……二週間後だ」

「……もし行くって答えたら、どうなるんですか」

「すぐ向こうに飛ぶことになる」

残念だが、この国の言葉はグローバルでは通用しない。
言葉はいちから学ばなければいけないし、
文化や価値観の違いは、現地で生活しなければ分かり得るものではない。

「世界で成功したければ、今のキャリアを捨てるつもりで来いってさ」

中途半端な気持ちで来られても困るってことだ。
自分から話を持ちかけておいて勝手なことを言うが、
それだけ向こうの競争は苛烈を極めるものなのだろう。

「住む場所や、現地のプロダクションは、その人が準備してくれる手はずになってる」

「現地のプロダクション……」

「ああ、まあ日本のアイドルプロダクションとはかなりシステムが違うみたいだが」

「移籍する……ってことですか」

「まあ、有り体に言えばそういうことになるかな」

うちのプロダクションはただの中小企業であり、当然海外部署など存在しない。

「あの……」

「なに」

「こんな言いかたをすべきではないのかも知れませんけど……」

「うん」

「私って、稼ぎ頭じゃないんですか」

「ああ、うちのドル箱だよ」

千早の言葉を打ち消すように、より下劣な言葉を返す。

「困らないんですか……その……私がいなくなって……」

「困らないって言ったら嘘になる」

千早はその背負った過去から、『いなくなる』という言葉には人一倍敏感だ。

「でも、この話はそもそも社長を介して持ちかけられたんだ」

「……」

「社長も、会社の収益より千早の将来に期待してくれてるんだよ」

「……」

「……」

場を支配する沈黙。
まだ二十歳を過ぎたばかりの女の子には、重すぎる選択。

「……プロデューサーは……」

「……」

「どう……思ってるんですか……」

「……俺の考えは、一番最初に言った」

「……」

「決めるのは、千早自身だ」

「……」

「せっかくの長い休みなんだから、ゆっくり考えなよ」

「……」

車はもう、とっくに目的地に停車している。

「プロデューサーは……」

「ん」

「いえ、なんでもありません」

「そっか」

「……また、二週間後」

「うん、またな」

遠ざかる後ろ姿を眺めながら、俺はひとつ溜め息をついた。

待ち合わせ場所に指定された噴水の縁に腰掛けながら、
さっきから何度も腕時計を確認しているのだが……

「時間、聞き間違えたかな……」

電話をかけても繋がらないし、メールの返事も返ってこない。
千早はいたずらでこういうことをするタイプではないので、
なにかトラブルに巻き込まれているのではないかと不安になる。

ことの始まりは昨日、事務所にかかってきた一本の電話だ。

「明日一日、私に付き合ってください」

「明日って……」

「どうしても、行きたい場所があるんです」

「ちょっと話が急すぎるんだけど……」

「お願いします」

「仕事が……」

「お願いします」

「……」

一歩も譲る気はないといった語調。

「……わかったよ」

あれから調整に調整を重ね、なんとか丸一日休めるようにしたのだが……

「……」

オフの間に千早がなにをしていたのかについて、俺はほとんどなにも知らない。
千早と仲の良いアイドル達から聞こえてきたのは、
連絡は取れるが、会おうとはしてくれないという話。
春香など自宅前まで押し掛けたが、中には入れてくれなかったらしい。
ただ、ドアノブに下げておいたクッキーは翌日には消えていたとのことだ。

なにか事情を知らないかとアイドルたちに詰め寄られたが、
俺はなにも知らないと答え続けた。

「明日か……」

明日からの千早のスケジュールはいまだに白紙。
ありがたいことにオファーは多く頂いているが、どれも保留にしたままだ。

「……デューサー」

聞き慣れた声が耳を掠め、俺は振り向く。

「千早……」

そこに立っていたのは間違いなく千早……なのだが……

「遅くなってすみません」

「あ……うん」

「じゃあ、行きましょう」

さっと踵を返し、歩いていこうとする後ろ姿を呼び止める。

「ちょ、ちょっと待って」

「……なんですか」

振り返らずに尋ねる千早。

「車、そっちじゃない」

あっちだ。

「ああ……ここかぁ……」

言われるがままに目的地を入力し、ナビの案内で辿り着いたのは郊外にある遊園地。

「懐かしいなあ」

「はい」

俺と千早は、前に一度ここに来たことがある。

「大人ふたりで」

チケットを購入し、ゲートをくぐるとそこは……

「変わってないなあ」

「そうですね」

むしろ、あの頃より寂れかたが増している気がする。
人もまばらで、夢の国とはほど遠い世界。

「で、どうするの」

「なにか食べましょうか」

「ああ、もう昼過ぎかあ」

「ええ」

出発が遅れたのもあるが、ここに辿り着くまで随分と車を走らせたからなあ。

「遊園地で売ってる食べ物って、どこも代わり映えしないよな」

「そうなんですか」

「うん」

こぢんまりとしたフードコートで軽食とドリンクを購入し、外に出る。

「今日、晴れでよかったね」

「そうですね」

座りごこちの悪いプラスチックの椅子に腰掛け、
丸いテーブルの対面にいる千早に話しかける。

「千早は、プライベートでこういう所来るの」

「テーマーパークなら春香たちと何回か行きましたけど……」

「うん」

「こう言う遊園地は家族で来たのが最後です、仕事以外だと」

「そっか」

まあ友達と行くなら、相場は舞浜で東京を詐称してるあそこだろうからなあ。

「それで……どこから回るの」

「いえ……」

「……」

「……」

「え、終わり」

「なにがですか」

「いや、乗りたいアトラクションとかないの」

「特に……」

「……しょうがないなあ」

手早くふたり分の包み紙とカップをまとめ、ゴミ箱に捨てて戻る。

「行こう、せっかく来たんだから楽しまなきゃ」

「……」

千早はまだ、座ったまま。

「ほら」

手を差し出す。

「……」

黙って、千早が俺の手を取る。

「じゃあ、まずはあのジェットコースターだ」

「……あの観覧車で最後にしようか」

「はい」

もう、日は随分傾いている。
家に着く頃には真っ暗だろうな。

千早をエスコートするように、動き続ける個室に乗り込む。
係員がドアをロックする、地面が段々と遠ざかっていく。

「……今日は、楽しかったです」

目線を外へ向けたまま、呟くように千早が言う。

「俺も……なんか、昔を思い出すよなあ」

こうしてふたりでどこかに出掛けたりするのは、いつぶりだろうか。
千早がデビューしたての頃は、よくこうしてふたりで出掛けたっけ。
まあ、ほとんど俺がむりやり連れ回してただけだったが。

あの頃の俺は、どうしてもこの子の笑顔が見てみたかったんだ。

「今日、ここに来た理由……なんとなくわかるよ」

「……」

「あそこだよな……」

「……はい」

俺たちの目線の先には、おんぼろの野外ステージ。

鳴かず飛ばずだった頃の千早に舞い込んだ、初めての百人規模の営業。
だが、結果は惨憺たるものだった。

「「「はじめましてー、新人アイドルの如月千早でーす、よろしくおねがいしまーす」」」

人っ子ひとりいない客席。
たまに立ち止まる人はいても、すぐに立ち去ってしまう。
俺はてっきり、この無愛想な娘は途中で仕事を投げ出すと思った。
だがその壇上で、千早は予定の四十五分間きっちりとパフォーマンスを続けたのだ。

「「「ありがとうございましたー、またよろしくおねがいしまーす」」」

その時俺は思い知った。
俺がこの子のことをなにも知らないということを。
笑顔を見てみたいという言葉の裏で、担当アイドルをなにも信じていなかったということを。

「よく、頑張ったな」

舞台裏に帰ってきた千早の涙腺は、俺のひと言で一気に崩壊した。
俺は痛感した、アイドルを笑顔にするのも泣かせるのもプロデューサー次第なのだ。
千早の知名度や、ここの立地を考えれば、そもそも賭けにすらなっていない。
失敗して当然の舞台で、当然に失敗しただけだ。

「ごめん、俺のせいで」

何回も謝罪の言葉を重ねながらも、俺は確信していた。
この子は本物だ。
絶対にトップアイドルにしなければならない。
それが俺にとって、最も正しい責任の取り方だと。
だから、こうお願いしたんだ。

「俺に、もう一度だけチャンスをください」

「……あのあとも結局、失敗だらけでしたけどね」

「そうだったな……」

「でも、あの時のプロデューサの言葉で、私もプロデューサーを信じてみる気になったんです」

「……」

「それまで私、プロデューサーなんて邪魔な存在だとしか思ってなかった」

「……」

「勝手に方針を決めて、それを押し付けてくる……」

「……」

「だから、叱られると思ってたんです、あの時……『何やってるんだ』って」

「……」

「でも、『よく頑張ったな』って言われて……私、ひとりじゃなかったんだ……って」

「……そっか」

「あの……プロデューサー……」

「なに」

「もし、私がアメリカに行って、成功して、世界的なアーティストになれたとしたら……」

「……」

「プロデューサーは……喜んでくれますか」

「当たり前だろ、俺は世界で一番の千早のファンなんだから」

「……そうですか」

「うん、絶対に」

「……」

「……」

「……私は、多分無理です」

「……なにが」

「だって……私がここまで頑張って来れたのは……」

「……」

「あなたが……いたから……」

「……」

「ねえ、プロデューサー」

「……ん」

「わたしはまだ、765プロのアイドルですよね」

「まあ……明日答えを出すまではな」

「じゃあ、勝手に髪を切ったりしたら、ルール違反ですよね」

「……まあ、あんまりばっさりやると、イメージが変わっちゃうからな」

「……」

「……そんな理由で短くしたのか」

「……私が勝手な行動を取れば……プロデューサーの監督不行き届きだから……」

「……残念だけど、そうはならないよ」

「……なんでですか」

「だって……とても似合ってるから」

「な……」

「……」

「こんな時に、冗談なんて……」

「冗談なんかじゃない、綺麗だよ、とても」

「……」

「こんなに、綺麗だったんだな……」

地平線に、太陽が沈みゆく。

ワールドツアーの最終公演が日本だったのは、たまたまじゃない。
今じゃ生活の拠点はアメリカだけど、心の拠点はやっぱり生まれ育ったこの国なのだろう。
連絡はしょっちゅう取ってるけど、直接会うのはずいぶん久しぶりだ。

式を前日に控えた、忙しいはずのスケジュールのなかで、
ただ私と会うためだけの時間を作ってくれた。
そのことが単純に嬉しいし、今も大切な友達だと思ってくれてるんだなと感じる。
もちろん私にとっても、ずっと大切な友達……仲間。

花の咲く昔ばなしを遮るように、携帯の呼び出し音が鳴る。

「あ……ちょっとごめんね……もしもし」

千早ちゃんの表情で、誰からの電話なのかは一目瞭然だ。
本人の前では気のないふりをするくせに、電話越しだとこぼれる笑顔。
昔から変わらない。
『あの人』はいつからそのことを知っていたのだろうか。
それとも、いまだに知らないのかもしれない。

「うん、今春香といるから……うん、あとでね……」

少なくとも、敬語を使うことはやめたみたいだ。
そりゃそうだよね。

「ごめんね春香」

電話を切り、ちょっと申し訳なさそうな顔。
でも、名残惜しいのかな、携帯は握りしめたまま。

「ううん、気にしないで」

「……」

「……」

なんとなく、お互いに微笑み合う。

ただ言葉を交わすだけなら、地球の裏側からだって一瞬で出来る時代。
人々がわざわざ誰かと会おうとするのは、誰もが気付いてるからだ。
言葉とテクノロジーには限界があることに。

私はふと、携帯を持ったままの左手を見やる。
そこに光るものは、約束された幸せの証。

「指輪、似合ってるよ」

「……うん、ありがとう」

愛おしそうに薬指を見つめる姿に、私も自然と表情が緩む。

「おめでとう、千早ちゃん」

どこかで、鳥の羽ばたく音がした。

終わりです。
ありがとうございました。

乙!青い鳥のくせに失恋してないやないか!!

おつおつ!
ちーちゃんお幸せに…

泣いた

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