妹「お兄ちゃんは誰にも渡さない」(164)
「え?」
いつものように、まだ布団にくるまっているであろう
お兄ちゃんを起こしに行ったら、冷たくなっていた。
呼吸もない。
脈もない。
試しにつねってみても反応なし。
「お兄……ちゃん?」
悪ふざけなんでしょう? そうでしょう?
私は心の中で何度もそう呟く。
でも、お兄ちゃんは目を覚まさない。
私はふらふらとベッドによじ登り、目を覚ましてくれない
お兄ちゃんの上にまたがる。
そして、そっと唇を重ねた。
「……ん」
時間にして1分くらいだっただろうか?
私のファーストキスはお兄ちゃんに捧げられたのだ。
けれど捧げてみたものの……それはやっぱり、それだけだった。
私のキスなんかで目を覚ましてくれる筈もなく、相変わらず
お兄ちゃんは冷たいまま。
「どう……して?」
涙が頬を伝う。
どうしてお兄ちゃんが死んでしまったのか……頭の中はそればっかり。
昨日の晩御飯が上手く作れなかったからだろうか?
お兄ちゃんの部屋を勝手に掃除したのがいけなかったのだろうか?
それともお兄ちゃんの巨乳コレクションを全て妹ものに変えたから?
それとも……お兄ちゃんの彼女を殺してしまったから?
違うよね……?
あれは仕方なかったんだよ、お兄ちゃん。
あれはあの女が悪いんだよ?
私からお兄ちゃんを引き離そうとしたあの女が悪いんだ。
お兄ちゃんの笑顔は私だけのモノなのに。
お兄ちゃんの唇は私だけのモノなのに。
お兄ちゃんの身体は、声は、存在は私だけのモノなのに。
それを横から奪っていこうとするあの女が悪いんだよ?
私はちっとも悪くない。
むしろお兄ちゃんがあの女に誘惑されないようにするために、
私は頑張ったのに。
それなのにお兄ちゃん、この世の終わりみたいな、絶望した
顔するんだもん。
私、悲しかったなぁ。
そりゃ、私だって本当は殺したくなかったんだよ?
でも、あの女がお兄ちゃんとは絶対に別れない、諦めないって
言うから仕方なかったの。
だからね、お兄ちゃん。
私はちっとも悪くない。
悪いのはあの女。
そしてお兄ちゃんが死ぬ必要なんてまるでなかったの。
だからお願い。生き返って?
もう一度私に笑顔で「おはよう」って言ってよ、お兄ちゃん。
私にはお兄ちゃんが必要なの。
お兄ちゃんじゃなきゃダメなの。
お願い、お願い、お願い! ……お願い、だから目を開けて。
けど、どれだけ私が願っても、どれだけ時間が経っても
お兄ちゃんは 目を開ける事はなかった。
お兄ちゃんのベッドの中で、冷たいお兄ちゃんに寄り添いながら、
長い間、私は泣き続けたんだった。
――それからどのくらいの時間が経ったのか、正確には覚えてはいない。
でも、きっと丸二日くらいは、飲まず食わずそのままの状態だったんだろう。
私は、ふと起き上った。
お腹がすいたんだった。
くきゅるるるると、なんとも可愛らしくお腹も鳴っている。
なにか食べよう。
横を見る。
兄がいる。
「……って、だめだよぉ!」
自分で自分を諌める。
そう、いくらお兄ちゃんが素敵すぎるからと言って、食べて
しまうのはいただけない。
楽しみは、デザートは後に取っておくものだ。
そんなワケで、外に出る事にした。
お風呂に入ってないので、少し匂いが気になるかもだけど
そんな事言ってはいられない。
多分、今シャワーを浴びたら倒れる自信がある。
私は近所にあるコンビニに向かった。
歩いて10分も掛からないうちにコンビニに到着。
さすがはコンビニ。良い仕事をしていらっしゃる。
とりあえず、温めたり、お湯を沸かす必要のなさそうな物から
片っ端にカゴに放り込む。
「これと、これと、これ……あと、これも」
そうして、あらかた直ぐに食べれそうなものを見繕ってレジへ。
早く食べたい。
と、
「…………へ?」
レジにカゴを置いて店員の顔を見た瞬間、私は驚愕した。
「……お兄、ちゃん?」
死んだはずのお兄ちゃんが、そこにいたのだ。
――気がつくと私は走っていた。
手にはコンビニの袋をぶら下げて。
家に向けて全力疾走中である。
お腹が減ったとか、泣き過ぎて疲れていたとか、そういうのは
すっかり消え失せてしまっていた。
なんで、なんで、なんで!?
何度も頭の中で繰り返す。
なんでお兄ちゃんが生きてるの!?
確かめないと!
「ただいま!!!」
私以外にはもう生きている人間がいない、つまり返ってくる返事なんて
そもそも存在しない家に向かって、私はそう叫んだ。
「…………」
やっぱり返事はない。
ガチャリと、玄関の扉を閉め、家の中を確認する。
お母さんは台所で包丁が突き刺さっているし、お父さんも書斎で
紅くなっている。
問題ない。
問題なのは――
「お兄ちゃん、入るよ?」
――お兄ちゃんだけ。
でも――
「…………いない?……そんな」
お兄ちゃんは――忽然と、その姿を消していたのだった。
「う……」
「うふっ……うふふふふふふふふふふふふふふ」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふっ」
私は笑った。
笑わずにはいられなかった。
お兄ちゃんが生きている!
何故だか分からないけど、お兄ちゃんが生きているのだ!
それだけでもう、死んでも良いくらい嬉しかった。
――それから。
とりあえず私は、食べることにした。
お兄ちゃんに会う前に体力をつけて綺麗にしておかなければ
と思ったからだ。
こんなボロボロな状態の私じゃ、お兄ちゃんに嫌われてしまう。
先程コンビニで買ったパンやお菓子の袋を無造作に開ける。
本当なら今すぐにでも、さっきのコンビニに走って行きたい
のだけれど、そう思い直し私は食べ漁った。
がつがつむしゃむしゃ。
うーんデリシャス♪
いつもなら美味しいなんて、全然まったく、これっぽっちも思わない
コンビニ弁当だけれども、お兄ちゃんから手渡されたモノだと思うと、
とても美味しい。
食べ終わったら次はお風呂場へ。
汗臭くて、血生臭くて、死体臭い妹じゃ嫌われちゃう。
ごしごし、念入りに洗わなきゃ。
ごしごし、ごしごし♪
それから、3時間ほど。
たっぷりとお風呂に入って、匂いもすっかり取れた私は
意気揚々と自室に向かう。
せっかくお兄ちゃんが生き返ったのだ。
お洒落してお出迎えしなければ。
「ふふっ♪」
あっと、念のため下着は勝負下着にしておこうかな。
なにかの間違いがあっても大丈夫なように。
「ふんふふふふん♪」
軽く口笛を口ずさみながら、鏡の前でポーズを決める。
――――そして。
「さてと……」
ご飯も食べたし、お風呂も入った。
服もお兄ちゃんをお出迎えするのにバッチリだし、
お化粧だってお兄ちゃん好みのナチュラルメイク!
勝負下着でいつでもオッケー♪な完璧妹は世界中探したって
私しか いないと思えるほどに準備は整った。
「じゃ、行ってくるね?」
「いってらっしゃい」と誰も言ってくれない家に背を向けながら、
家を出る。
目指すは近所のコンビニ! いざゆかん!
「人生における致命傷とはなんですか?」
という質問があったら、間違いなく私は「あの女です」
と答える事だろう。
それほどまでに、私はあの女が嫌いで、憎くて、殺して、
壊してしまいたかったのだ。
コンビニに到着した私を待っていたのは、この上ない喜びと、
そして絶望だった。
お兄ちゃんはちょうどシフトが変わる時間帯だったのか
既にレジにはいなくて、裏口から出て来る頃だった。
私は生きているお兄ちゃんに再び会う事が出来て、嬉しさの
あまり手を振りながら
「お兄ちゃ~~~ん!」
と駆け寄ったのだが……だが、それは呆気なく阻止されて
しまったのだ。
そう……あの女に。 あの女に!
殺した、はずなのに。壊したはずなのに!
お兄ちゃんどころか、あの女まで生き返っていたのだ。
「…………え?え?」
それからの私は、二人がただただ、嬉しそうに手を繋ぎながら
歩いて行くのを見送るだけ。
声を掛ける事も……お兄ちゃんの視界に入る事も、なかった。
「……どうして?……なんで?」
お兄ちゃんは、私よりあの女の方が好きなの?
「そんなワケ、ないよね?」
絶望を噛みしめながらその場に立ち尽くす私の心を、
突然降り出した予報外れの天気雨だけが優しく包み込む。
小さい頃泣き虫だった私を優しく抱きしめてくれた、
あの頃のお兄ちゃんのように。
――――意気消沈したまま家に帰った私を待っていたのは、
相変わらず口をきかない死体だけだった。
お父さんと、お母さん。
お兄ちゃんと一緒になるためには邪魔だった二人。
私が殺した二人。
もう戻ってはこない二人。
いや……可能性はあるのか。
生き返る可能性は。
なんせ、死んだはずのお兄ちゃんも、あの女も生き返ったのだ。
お父さんやお母さんも、ひょっこり生き返っても不思議じゃない。
殺しても、生き返る。
「…………っ!」
ぎり、と歯ぎしりが聞こえる。
自分の身体から出た音だ。
……ああ、この世界はなんて思い通りにならないんだろう。
邪魔な奴は消せば良いと思ったのに。
消したら終わりだと。
殺したらお兄ちゃんは私だけのものになると思ったのに。
まさか生き返るとは思わなかった。
人間の身体は脆い。
それは私も良く知っている。
だから人は簡単に怪我をするし、ころっと死んでしまう。
でも……でも!!!
まさか生き返って来るとは思ってもみなかった。
お兄ちゃんが生き返ったのは、
お兄ちゃんが生き返ったのだけは、
私の願いが通じたからだと、
哀れで可哀想な私に神さまがささやかなプレゼントを
くれたんだと、そう思っていたのに。
まさかあの女まで生き返るなんて!
しかも、やっぱり私からお兄ちゃんを奪っていくなんて!
お兄ちゃんは私だけのモノなのに!
目から大粒の涙がこぼれる。
こぼれても何にもならないけど。
どうしようもならないのだけれど。
それでも涙は止まらない。
期待
と、肘にリモコンが当たって、TVの電源が入ってしまった。
さっきまで映っていた私の泣き顔が、明るい画面によって
かき消される。
「……」
大きな音がTVから流れる。
どうやらニュース番組のようだ。
殺人事件があったらしい。
「殺しても……生き返るのにね?」
馬鹿みたい、と私は笑う。
人は殺しても生き返ってしまうのに、どうして
テレビ画面の向こう側にいる犯人達は殺したり
なんかしたんだろう?
大人のくせに、生き返る事も知らないのか?
私ですら知っているのに。
殺しても生き返って来るということを、子供の私
ですら知っているのに。
それとも。
それとも、殺しても生き返らない方法をこの犯人達は
知っているのだろうか?
心得ているのだろうか?
もしそうなら……。
「もしそうなら、私にも教えてよ!」
そうしたら、今度こそちゃんとあの女を始末してあげるから!
けれど、画面の向こうの容疑者たちは、私の質問に
答える事もなく車に乗り込んで連れて行かれる。
所詮、私とは住んでいる世界が違うのだ。
仕方のない事だった。
きたい
――――翌朝。
疲れた体にごめんなさいと謝りながら、私はお兄ちゃんのベッド
から身体を起こす。
身体は腐卵臭に包まれており、寝覚めは最悪だ。
それでも私は、「うーん」と伸びをしながら「おはよう、お兄ちゃん♪」
と無理に笑顔を作って、お兄ちゃんの部屋を後にする。
洗面所で顔を洗い、台所に向かう。
ちらっと時計に目をやると、もうお昼過ぎ。
「…………」
お兄ちゃんが死んでから丸二日以上、飲まず食わず
で泣き続け、さらに昨日は天国から一転、地獄に叩き
落とされたのだ。
寝坊するのも仕方ないのかも。
「てへっ♪」
軽く舌を出しながら、昨日コンビニで買ったシリアルを
お皿に入れて牛乳を注ぐ。
「馬鹿みたい」
幻聴が聞こえる。
「馬鹿みたい」
まただ。
また幻聴だ。
台所を見渡してみる。
なんにもない。
誰もいない。
気のせいだ。
気のせいに決まってる。
「…………え?」
心臓の鼓動が、早くなる。
「誰も……いない?」
「お母さんは……?」
そう。台所に『ある』はずの、母の死体がない。
「うそ……でしょ?」
「あ、あははっ?」
「あははははははははははははははっ!?」
まさか、お母さんも生き返ったの?
「あはははははははははははははははははははははははははははは!?」
そんな。
確かに昨日……もしかしたらお父さんとお母さんも
生き返るかもねとは思ったけど。
でも、それはほんの冗談で……。
だから、生き返る筈なんて絶対になくて……。
「……っ!?」
私はまだシリアルの残っているお皿をドンとテーブルに
置くと、一目散にお父さんの書斎に向かって走った。
お母さんが生き返ったのだとすると、お父さんも
生き返っている可能性があるからだ。
予感は、的中した。
書斎にある筈のお父さんの死体も、無くなっていたのだ。
「ふふっ!?」
なんてこと。
人は殺しても生き返るのか。
それとも殺し方が甘かったのか。
私には分からない。
今置かれている状況も、なにも。
ふらふらとした足取りで台所に戻る。
テレビは点いたままだ。
――――と、
「あなた、誰?」
先程私が食べていたシリアルを、黙々と口に運ぶ少年の姿が
そこにあった。
「どーも。はじめまして」
見た感じ、年は七、八歳くらいだろうか。
少年はニコッと私の方に顔を向けて微笑んだかと思うと、
ぺこりとお辞儀をしながらそう言った。
「どうやって……」
でも、そんな男の子の言葉をよそに、私は訊ねる。
「どうやって入ったの?」
そう、鍵は掛けておいた筈なのに、どうやって?
「どうと聞かれても、玄関から入ったんですけどね」
「鍵は?」
「開いてましたよ」
「……」
ウソだ。
私は鍵をかけたはず。
お父さんとお母さんを殺した日から。
あの女を殺した日から毎日掛けていたんだ。
入れるはずない。
となると、ピッキング?
泥棒なのか、それとも……。
「……」
「やだなぁ。睨まないで下さいよ」
「何か……うちに用でも?」
「そうですね。お姉さんとお話しする為に」
「私と?」
「ええ、そうです」
意外な言葉――。
まさか私と話をするために、こんな朝早くから不法侵入するなんて。
いやいやいや、こんなの間に受けてどうすんのよ。
でも……。
普段なら、こんなおかしな子、ソッコーで追い出すところ
なんだけど、お母さんとお父さんのこともある……。
「なんの話?」
この子が何か知ってるかもしれないと思った私は、とりあえず話を
合わせてみる事に。
この子、なんか変――。
なにか――知ってる?
知ってるんなら、なにを……。
「そうですね。じゃあまず、確認から……」
「確認?」
「はい。お姉さんは、人殺しですよね」
「――――っ!?」
「自分の実の父親と、母親、お兄さんの彼女と、それからお兄さん。
あっと、お兄さんは自殺だから殺したのとは違うか」
「なっ……」
「でも、自殺に追い込んだのは他ならぬお姉さんですし、
これはもう殺したと言っても差し支えありませんよね?」
「なっ……何を言って……」
警察なら、分かる。
警察に疑われるのならまだ分かる。
でも、なんでこんな幼い子供に――。
「あなたは、誰?」
「僕ですか?見たまんま、子供ですよ。ちょっと普通じゃありませんけど」
「…………」
「怖い顔しないでください。僕はお姉さんの味方ですから」
「証拠は?」
「ないです」
「…………」
「やだなあ。だからそんな目で見ないでください。惚れちゃう
じゃないですか」
「じゃあ、目的を言いなさいよ」
「もう言いましたよ」
「?」
「お姉さんの味方だって」
「意味分かんない」
「そうですか?僕はお姉さんが望むであろう願望を叶えに来てあげたのに」
「ナニ言って……」
「やり直し」
「やり直し、したいんですよね。この世界を」
「!?」
なに、この子。
「出来ますよ。僕なら」
この言い草……まるで。
「まるで神様みたいな言い方するのね」
「僕は神様じゃないですけどね。それより、どうします。
やり直しますか?しませんか?」
「そんなの……」
そんなの決まっている。
「やり直したいに、決まってるじゃない」
「そうですか」
でも、そんなこと出来る筈が……。
「良かったぁ。これでやっと実験が再スタート出来ます!」
「…………え?」
「あれれ~?もしかして疑ってました?やり直せる筈なんてないって」
「出来るんですよ、僕になら」
男の子はそう言うと、にいっと表情を崩しながら『包丁』を手に取った。
手に取って、そして……。
「じゃ、逝ってらっしゃい♪」
私の胸に目がけて、『ソレ』を突き刺した。
――――目を開けると、見慣れた天井がそこにあった。
「生きてる……の?」
むくりと起き上り、パジャマを脱ぐ。
鏡で確認してみるものの、血は出てないし、傷跡もない。
まったくの、無傷。
「――刺されたよね、私?」
本当に過去に戻ったのだろうか?
いや、そんなバカな話――。
と、そんな事を考えていると
「おーい、まだ寝てんのかぁ?いいかげん起きないと遅刻……」
「え?」
お兄ちゃんがノックもせずに部屋のドアを開けた。
「おわっ!?おまっ、なんで裸なんだよ!?」
「え、えぇっ?ふえぇぇぇぇぇっ!?」
「ちょっとお兄ちゃん!妹の部屋にノックもせずに入って
来ないでよねっ!」
「わ、わるい!」
顔を真っ赤にして背を向けるお兄ちゃんを尻目に、私は慌てて
パジャマを羽織った。
「…………って、お兄ちゃんがいる?」
「うん?」
お兄ちゃんが家にいる。
しかもいつも通りの、あの女を殺す前の、元気なお兄ちゃんが。
「なんだよ、俺が家にいちゃおかしいか?」
「ううん!そんなこと……」
そんなこと、全然ない。ある筈がない。
「……それよりさ、お兄ちゃん」
「ん?」
「今日って何月何日?」
「一月二十四日。なんだ、寝ぼけたのか?」
「平成二十六年の?」
「平成二十六年のだよ」
間違いない。戻ってる。
「おい、おまえ本当にだいじょう……」
「大丈夫♪ありがと、お兄ちゃん」
「あ、ああ」
「それより着替えるから出てって!学校遅れちゃうじゃない」
「はいはい。ったく」
やれやれと溜息を吐きながら階段を降りるお兄ちゃんを
眺めながら、 笑みで顔が歪んでいく。
それくらい私は嬉しさやら何やらで胸が張りさけそうだったんだ。
――学校にて。
どうやらこの世界は本当にやり直しの世界のようだった。
友達も家族も、あの時のまま。あの日のまま。
事件なんて、起きてすらいない。
そう。
ここは、バレンタインにあの女がお兄ちゃんにチョコを渡して、
お兄ちゃんと付き合ってしまう前の世界。
帰ってきたんだ、あの日に。
「…………」
あの子供が何故私を過去の世界に飛ばしたのか、飛ばせた
のかは分からない。
でも、もう良い。
もう良いの。
だって私はここにる。
この世界に、この時間にいるんだから。
未来なんて、いくらでも変えられる。
「まずは、あの女にお兄ちゃんがチョコを貰わないようにしなくちゃね♪」
真っ赤な舌を出しながら、ケータイを手に取る。
まずは下準備を、と思ったからだ。
第一幕 完
「この世には、目には見えない闇の住人達がいる」
「奴らは時として牙をむき、彼女に襲いかかる」
「俺は、そんな奴らから彼女を守る為に、地獄の底
からやってきた、正義の使者なのかもしれない」
なーんて、当たり前の台詞を頭の中で反芻する。
くくくっ、当たり前すぎる!
なんせ、俺はヒーローだかんね!
「いや、馬鹿だろ」
「んなっ!?」
「正義の味方ぶるのも大概にしとけよ」
「んななっ!?なんで俺が正義の使者だと?
……まさかお前、地獄の住人!?」
「さっきから声に出てるよ。大馬鹿野郎」
「えっ?」
「ほら、周り見てみろ」
「えーっと……」
みなさん、怪訝そうな顔でこちらを見ている。
「えっと……。あ、う……す、すみません」
謝るのは嫌いだが、なんとなく謝らなければいけない
気持ちに駆られて、ぺこりと頭を下げた。
「分かれば良いさ」
親友がすっげー良い笑顔で俺の肩に手を置く。
「もうすんなよ?」
どうやら、ぶち切れ一歩手前だったみたい。
「う、うん……」
飼い主にこっぴどく叱られた子犬のようにシュンとなる俺。
そう、俺は青春真っ盛りの中学二年生。
いわゆる、厨二病患者と呼ばれる男子だった。
――――学校からの帰り道。
「結局、あいつには告ったのかよ?」
親友は事もなげに俺にそう言い放った。
「あいつって誰よ」
俺も負けじと応戦する。
「あいつはあいつだろ、お前がいつも『守ってやる!』とか言って
ストーキングしてる……」
「ストーキングって言うな!木陰からひっそり見守ってると言え!
見守ってると!」
「だからそれがストーキングって言ってんだよ、ストーカー」
「ぐっ……」
「だいたいお前、中学生になっても正義の味方とか
頭のネジ飛んでんじゃないのか?」
「守るからって一体何から守るんだよ」
「それは、悪魔とか地縛霊とかから……」
「はいはい。妄想妄想。いるわけねーだろ、そんなん」
「い、いるよ!」
「どこに?」
「え、えっと……お、お前の後ろに!」
「はいはい」
「ぐっ……」
親友はいつもと同じように、俺を現実に引き戻そうとする。
こいつはいつもそうなのだ。
俺が少し?変わったこと言うと、いっつも「んなわけないだろ」
とか、「妄想妄想」とか否定すんだ。
初めて会ったときからそうだった。
俺がまだサンタクロースの存在を疑いもせずに信じ切っていた
ピュアーな少年時代に、「そんなのいない」と言い放ったんだ!
「……」
「なんだよその顔は」
「べっつにー」
くそっ。今思い出しても腹が立つぜ!
まあ、だったら何で今でもこいつとつるんで、あまつさえ
親友と呼んでるのかと言われそうだが……
俺はこいつに、恩があるんだった。
「ところでストーカー」
「だからストーカーじゃねえって!」
「まだ告ってないんだったら忠告しといてやる。『あいつ』は
やめとけ」
「……」
「お前があいつのどこを好きになったのかは分かんねーけど、
あいつだけはやめとけ」
「まーた、いつものお説教かよ」
「そうだよ」
「あいつは根っからのブラコンだ。お前だって知ってんだろ?」
親友は表情を変えずに言う。
「そりゃ知ってるさ。毎朝兄貴と登校してんの見てんだから」
俺も表情を崩さずに答える。
「だったらフラれるって分かるだろ?」
おっしゃる通りでございます。
でもさ……。
「ふううぅぅ……」
俺は一つ、大きくため息を吐いて
「そいつは無理な注文だぜ、親友」
と、言った。たぶん真顔で。
俺のターンは続く。
「だってさ、人を好きになるのに理由なんかいらねえだろ。
俺は彼女が好きだから好きなんだよ」
「ブラコンだって構わない。ブラコンなのも含めて彼女が
好きなんだ!」
「……それは、まあ、そうだとは思うけどな」
「だろ!?」
「でも、やっぱりお勧めできないな。あいつに告ってフラれて
いった奴を何人も見てるから」
「……う」
「しかもどんなフラレ方をしたのかは分からないけど、どいつ
も酷く落ち込んで、まともに口が聞けるようになるまで一週間は
かかったんだぞ?」
「…………うぅぅ」
「そんな化け物みたいな女が、お前みたいな妄想だけが
取り柄の厨二病に振り向いてくれると思ってんの?」
「…………」
「どうよ?」
「う、うるせー!良いんだよそんなの!どーせ初恋は上手く
いかねーって分かってんだから!」
「だったら」
「だから!別に告白したりしないって!」
「俺は彼女が好きだけど、恋人になりたいわけじゃないの!
木陰からひっそりと見守れればそれで十分なんだよ!」
「どぅーゆーあんだすたん!?」
「……ストーカー」
「ストーカーって言うなし!」
「はあ……」
親友は足を止めてため息をつくと
「だったら、せいぜい木陰から覗きでもやってろ。ストーカー」
と、そっぽを向きながら、そう言った。
いつの間にか、俺たちは交差点に差しかかっていたのだ。
「ふん!」
俺も親友と同じようにそっぽを向く。
これが最近いつもしている、俺たちの別れのやり取りだった。
――――次の日。
今日は2月13日ということもあって、男子はみんな、
朝からソワソワしていた。
それもそのはず、明日はバレンタインだからだ。
もしかしたら明日チョコが貰えるんじゃないかと期待
を込めて、男どもが女子に積極的に話しかけている。
バカバカしい。
え、俺?
俺はこんな浮ついたイベントになんか興味ないから!
「ウソつけ」
朝っぱらから親友の冷たい台詞が俺の胸に突き刺さる。
「チョコレートが欲しいですって顔にかいてあんぞ」
「……ぐっ」
なんでこいつには俺の考えが分かるんだ!?
エスパーなのか!?エスパーなんですかぁ!?
「マミじゃねえけどな。分かりやすいんだよ、お前は」
「ああ、そうかよ!」
俺の机に腰をかける親友はどこからどう見ても嫌な奴だ。
なんでこんな奴が毎年大量にチョコもらえるんだ!?
「こっちはいいから、そっちはどうした?っていうか、
なんで遅刻してんだよ、お前は」
「……仕方ねえだろ。いつまで待っても彼女が来なかった
んだから」
そう。俺はバレンタインを明日に控えたこんな大切な日に
あろうことか遅刻してしまったのだ。
これじゃあ女子の好感度だだ下がり↓↓
クラス全員の前でこっぴどく担任にしかられたんだから、
当たり前っちゃあ当たり前なんだけど。
「ふーん」
けど、親友は特に興味もなさそうに適当に相槌を打つ。
「ふーんってお前、他に感想とかねーの?」
「ない」
「ああ、そう……」
親友はいつにも増して興味のなさそうな顔をする。
だったら聞くなよと思う。わりと本気で。
けど……それにしてもやるせない。
今日も今日とて、彼女が家から出てくるのをずっと
待っていた俺なのだが、なぜか一向に出てくる気配がない。
彼女の兄貴はいつもと同じように、いつも通りの時間に
出てきたのに、彼女は一緒じゃなかった。
まあ、たまにはこんな時もあるのかと思い直し、さらに
一時間粘ってみたけど結局現れず。
んなわけで俺はめでたく遅刻。
で、もしかして先に学校に来てるのかとも思って、さっき
確認してみたが、やっぱりいない。
どうやら休みのようなのだ。
はあ……。ほんとーに!やるせない。
そんなこんなで、俺は憂鬱な一日を過ごすことに
なったんだった。
……ま、とうとう下校の時間になっても彼女は
登校してこなかったから、憂鬱な気分は取れず
じまいだったんだけどね。
は~~~、憂鬱だ!
だってそうだろ? 彼女が明日も学校を休んだら、
貰えるかもしれないチョコレートが貰えなくなる
かもしんないんだからさ!
「相変わらず、自分のことしか考えてねーのな。
フツー自分よりも休んだ相手を心配するだろ。そこは」
親友は相変わらず冷たい台詞で俺を追い立てる。
うるせー。中学二年生はそこまで頭が回らねーんだよ!
「つーかさ。心配しろって言ってくれてるお前が一緒に
来てくれないのは何でよ?」
親友の入れ知恵のおかげで、彼女のお見舞いに行こうと
思いついたんだが、なぜか肝心の親友が着いてきてくれないのだ。
「あほか。クラスも違うし、喋ったこともほとんどねー
よーな奴のとこに誰が見舞いに行くんだよ」
「俺」
「……」
さっきからこんなやり取りが続いてる。
そんなに変なこと言ってんのかな、俺。
「とにかく、お前一人で行って来い。こっちは勝手に
帰らせてもらうから」
「えー……」
「えーじゃないって。んじゃな」
親友は俺を置いてさっさと帰ってしまった。
薄情な奴!タンスの角で足の小指ぶつけちまえ!
「って言われてもなあ。どうすっかなぁ……」
親友に見捨てられた俺は途方に暮れた。
それもその筈。
俺は親友の前でこそ堂々と喋れるが、一人になると途端に
ファビョってしまうのだ。
特に相手が女子とかもうファビョりまくり!
どうしていいのか分からねえ!!!
――――という訳で、いつものようにこっそりと木陰から
家の中の様子を窺う俺。
ストーカーじゃないからな?
もっぺん言っとくけど、断じてストーカーじゃないからな?
「…………」
何度も心の中でつぶやいたが、誰の返事もなかったので
そのまま家の中を拝見する。
彼女はどこに居るのかなっと?
「あれ?」
いつもなら彼女は2階にある自分の部屋に居るはず。
つーか、病気で寝込んでるんなら部屋のベッドで寝てるはず。
なのに、いない。
「あれ?」
木によじ登ったままの態勢で俺は首をかしげる。
もしかして病欠じゃなかったのか?
学校休んで家族で旅行とか……?
いやいやいや、兄貴が登校してただろ。
兄貴だけ旅行ハブられるとかどんな罰ゲームだよ。
「……となると」
アレか?アレなのか?
もしかして来ちゃってますか、俺の時代!?
「!」
――――と、彼女が帰ってきた。
手にはやっぱり……買い物袋!!!
キターーーーーーー!!!!!
間違いない!
チョコレートの材料を買うために学校を休んでたんだ!
なんて恥らしい!なんて可愛らしいんだ!
ラーラララー。ラーラーラー。
ああ、天使の歌声も聞こえる。
ありがとう、ありがとう、ありがとう!
俺なんかのためにわざわざ厳選食材を買いに集めてくれたんだね!
ありがとう!!!
嬉しさのあまり、思わず木から手を離してしまいそうになる。
慌ててしっかり掴み直したが。
はぁ~~~。でもこれで安心!
俺の明日は保障されたも同然だ!
これから先のお楽しみは明日のために取っておくか!
なーんて有頂天になって木を降りていく。
HAHAHA!ってな気分だぜ、ひゃふーい!
「…………って、え?」
けど、その有頂天ぶりも束の間だった。
もしも、このときの俺の心境を表すとすると、この言葉が
ぴったりだろう。
学校で習ったけど絶対に使わないだろうなと思ったこの言葉。
晴天の霹靂。
彼女が買い物袋から取り出したのは、チョコレートの材料
なんかじゃなく……人の頭だった。
――――次の日。
三度の飯よりも妄想が好きな俺なのだが、昨日のあれは
流石に堪えた。
毎日欠かさず彼女の登校時間に合わせて家を出てたけど、
それも流石に今日はなし。
彼女を待つことなく学校に到着。
「どうしたんだよ。こんなに早く」
親友も朝早くから教室にいる俺を珍しがって話しかけてくる。
「たまには良いだろ」
俺はそっぽを向いたまま答える。
どうせ、話しても信じちゃくれない。
当の俺自身ですら信じられないんだ。
こいつが信じてくれるはずがない。
けど、
「いいから話せって。何かあったんだろ?」
今日に限って親友がしつこい。
放っておいてほしいのに。
そんな訳で、
「いや……」とか「まあ……」とか、
最初のうちは何度も断り続けていたけど、とうとう
根負けして
「誰にも言うなよ?」
と釘を刺して俺は話を始めたのだった。
昨日、親友と別れてから一人彼女の家に向かったこと。
恥ずかしくてインターホンを鳴らせなかったこと。
そのまま木によじ登って彼女の部屋を外から覗いたこと。
彼女が病欠じゃなかったこと。
それから、買い物袋をぶら下げて帰ってきたこと。
袋の中はチョコレートの材料ではなく、人の頭だったこと。
そして、それを見た俺が一目散に木から飛び降りて、
そのまま家に直行して一晩中震えてたことなんかを。
話していて、酷く嘘っぽい作り話だと思った。
説明すればするほど、現実的じゃない。リアリティの欠片もない。
そう思えた。
けど……。
けど親友はいつものように「お前の作り話だろ?」と言って
笑ってはくれなかった。
腕を組んで、真剣な顔をしながらうんうんと頷く。
「おい、まさか信じるのかよ?」
俺は怖くなって親友に問いただす。
「信じるさ」
「でも、俺の言葉だぜ?」
「お前の言葉だからだよ」
親友は相変わらず真剣な表情のままだ。
「お前が嘘ついてるのか本気で言ってるのかなんて
目を見りゃ分かるさ」
「……」
「お前は嘘なんかついてないよ。保証してやる」
……ああ。こいつは変わらない。
全然ちっとも変わらない。
あの頃から、何も。
親や教師、友達、クラス中から嘘つき呼ばわりされた俺を
最後まで信じてくれたあの時のままだ。
俺を救ってくれたヒーローのままなんだ。
親友に話したせいなのか、ほっとして大粒の涙が
こぼれ落ちる。
「やれやれ」
親友は俺の頭に手を置いてわしゃわしゃ撫でる。
あの時からなにも変わっちゃいなかった。
――――それから随分と時は流れて。
俺たちは歩き回った。
調べまくった。
所謂、探偵ごっこをした。
親友曰く『危険』か『安全』かを見極める作業らしい。
たしかにこんな話を警察にしても無駄だ。
中学生の妄想と笑われて終わりだろう。
しかも、それがもし彼女の耳に入ったら、こっちも
殺されるかもしれないのだ。
下手な手は打てない。
そんな訳で探偵ごっこ。
彼女は何をしてるのか。
家族はそれを知っているのか。
不審な点は、オカシな点は見当たらないか。
気づかれないように。
ひっそりと、こっそりと。
俺たちはひたすら証拠を探した。
『俺が安全か』を確認するため。
……そう。俺は気が気じゃなかった。
自分が死ぬんじゃないかと、殺されるんじゃないかと
四六時中怯えまくっていた。
なんせ、あの日。2月13日。
俺は、買い物袋から生首を取り出した彼女と目が合って
いるのだから。
あの日、彼女が生首を買い物袋から取り出す様を見ていた
俺は、驚いて木から手を離してしまったんだ。
そして、なんとか着地は成功したものの……彼女としっかり
目があった。お互いの姿を確認しあったのだ。
その後、そのまま逃げるように家に帰ったけど……。
家に帰ってからも何度もあれは夢だった、現実じゃなかったと
言い聞かせた。
でも、それでもやっぱり嫌な思いが拭いきれない。
俺が嘘を吐いているんじゃないとすると。
俺が見たアレが夢じゃないんだとすると。
俺は彼女に殺されるかもしれない。
そんな訳で、探偵ごっこ。
彼女は目撃された相手が俺だと分かっているのか。
そもそも本当に人を殺していたのか。
あと、彼女はいったい今どこにいるのか。とか。
「それにしても遅いな……」
一人、家の前で呟く。
親友に話をしてからというもの、俺たちはいつも一緒だった。
登校するのも下校するのも。
学校のトイレですら、一緒に行ったほどだ。
怯える俺に、親友が気を利かしてくれたのだ。
なのに……。
「…………」
今朝はいやに遅い。
もしかして、俺を忘れて先に行っちまったのか?
それとも風邪で寝込んでたり?
「…………」
いくら待っても、親友が来る気配はなく、
仕方なしに、一人で学校に行くことに。
――――学校にて。
案の定というか予想通りというか、親友は学校には
いなかった。
心細い。
早く来てくれ。
祈るように目をつぶる。
ガタガタと手が震えてるのが自分でもわかる。
不安な気持ちに押しつぶされそうだ。
それもそのはず。
彼女も学校に来ていないのだから。あの日から。
あの日から、俺が目撃した日から彼女は学校に来ていない。
……彼女だけじゃない。
ここ最近、彼女の父親も会社に行ってないし、母親も外出
した気配がない。
彼女の兄貴ですら登校していないらしい。
みんな、どこにいるのか分からない状態だ。
その事実が、より一層俺を不安にさせる。
彼女が毎日学校に来ていたら、彼女の父親が、母親が、兄貴が、
外で顔を見せていたら、こんなにも不安にはならないだろう。
あの家の中でいったい何が起きてるんだ。
何故誰も何も言わない。
一家全員行方知れずなのにどうして警察は動かない。
子供の俺たちが少し調べただけでも直ぐに分かったのに。なぜ!
アレか?アレなのか?
誰かが通報しないと捜査すら始らないのか!?
「くそっ!」
頭を机に突っ伏したまま舌打ちする。
――――と、
「おい、知ってるか。昨日から行方不明らしいぞ。あいつ」
「マジかよ?家出じゃねーの」
「違う違う。『出かけて来る』って家の人間に言ってから
いなくなったんだと」
「へー……」
俺の席のすぐそばで、クラスの男子が話しているのが耳に入った。
「お、おい!」
俺は飛び上がって、話をしている男子に訊ねる。
「行方不明って、こいつが?」
親友の席を指さしながら。
「ああ、そうらしいぜ」
男子は言った。
「昨日の夜からな」――――と。
学校からどうやって家まで帰ってきたのかは分からない。
たぶん授業は全部受けてはいるんだろう。
鞄の中にプリントはあるし。
でも、記憶がない。
今日、なにがあったのか思い出すこともできない。
思い出せることと言えば、親友が行方不明になったこと。
クラスの男子に話を聞いてすぐに担任の所へ向かって……。
向かって、担任の口から、親友が昨日の晩から行方不明に
なったとハッキリ聞いて。
……それで……それだけか。
一応、親友の家に電話はしてみたけれど、おばさんが心配
そうな声で受け答えしてくれただけ。
それだけだ。
「なんで……」
「なんでだよ!!!」
手元にあった枕を投げ飛ばす。
奴当たりだ。
親友がいたからこそ落ち着くことができた。
親友が励ましてくれたからこそ、俺はいつも通りの生活
ができた。
けど、だけど……。
俺は弱い。
あいつがいなくなっただけで、こんなにも落ち着かない気分
になるなんて。
頭から足先まで布団にすっぽりと入りこむ。
入り込んで、ガタガタ震える。
「明日から俺はどうすればいい?」
「一人でどうやって調べればいい!?」
「調べる!?何を?」
「もう分かり切ってる。彼女にばれてる!」
「じゃあ、どうすりゃいい?!」
なんて、取り留めのない単語を呟きながら。
――――気が付いたら、窓の外はすっかり暗くなっていた。
ぐるっと部屋を見渡してみると、机の上に置いてある時計
の針は、既に夜中を指している。
帰ってから今まで、ずっと震えていたのか。
それにしても……
「腹、減ったな」
こんな時だというのに、俺の身体は「栄養を補給しろ」と
警告する。うざったい。
飯なんか食ってる場合じゃねえだろ……。
しかし、食べておかないと、いざ何かあったときに体が動かない
のも不味いかと考え直し、台所に向かう。
「そういや、晩飯食べてなかったな」
家族も全員布団に入り、寝静まった台所で、一人冷蔵庫に
手をかける。
「……」
何もなかった。
どうやら俺の分は、みな食べ切ってくれたようだ。
「はは……」
炊飯器の方も見るが空。
「あーあ」
もう一度冷蔵庫の中を探す。
「何かねーかな……」
――――と、
「これって……」
冷蔵庫の中に、チョコレートが一つあった。
「あっ……」
そうだ。これって……2月14日。バレンタインデーに
「どうせ誰にも貰えないだろうから」って親友から貰った
んだっけ。
「……」
無造作にチョコを掴んで、噛り付く。
「苦ぇ……」
ビターチョコだった。
ほろ苦いチョコを齧りながら俺は泣いた。
俺がバレンタインにチョコを貰おうだなんて思わなければ!
俺が自分のことしか考えていなかったから!
俺が親友の忠告を無視したから!
俺が……俺が……!!!
「ははっ。『俺』ばっかりだ」
自嘲気味に肩を揺らしながら言う。
親友にも言われたっけ。
『相変わらず、自分のことしか考えてねーのな』
って。
そうだよな。
俺は自分のことばっかりだ。
自分のことしか考えてない。
親友がいなくなったっていうのに、自分がどう
したらいいかしか考えてねえ。悩んでねえ。
「――――ガッ!!!」
右手を握りしめて、思いっきり自分の顔をぶん殴る!
まだだ!
「――――ぎひっ!!!」
二発。三発。四発。
鈍い音が自分の体から放たれる。
そして、
「ははっ!」
「ははははははははははははははははっ!」
口の中から血があふれるくらい自分を殴ってから、俺は笑った。
笑って、泣いた。
……俺は、馬鹿だ。
親友がいなくなったからと言って、何で親友が殺されたと
思ってるんだ!
誰かが死体を確認したのか!?
誰かが殺されるところを目撃したのか!?
「してねえだろうが!」
「甘ったれんなよ。甘ったれてんじゃねえよ!」
腹をくくれ!!!やれる奴は自分しかいないんだ!
俺は自分に言い聞かせるように二度三度そう呟いて家を出た。
当然、向かう場所は決まってる。
俺はこの事件の始まった場所、この事件を知る事になった場所。
彼女の家に、一人向かった。
彼女の家に着くころには、空もだいぶ白けて来ていた。
夜が終わり、朝が来る。
「だからどうしたって事でもないけどな」
家の周囲を窺う。
「…………」
……大丈夫。誰もいない。
新聞の配達も、朝早くにゴミ出ししている人もいない。
「へへっ。思う存分、家探しできるわけだ」
庭の方に回り込み、中の様子を探る。
カーテンとカーテンの隙間から覗きこむ。
「……親友」
リビングに人の気配はない。
それから台所。書斎。寝室。トイレ。風呂場。
一階をくまなく調べまくった。
しかし、
「…………いない」
人っ子一人、いなかった。
彼女の父親も母親も。
誰もいない。
いや、そもそも。
「人の気配がない?」
そう、この家にはおよそ、人が住んでいる気配、生活臭が
微塵もしなかったのだ。
「…………」
俺は顎に手を当て、考える。
生活臭がしないって事は、この家に彼女はいないってことか?
だとすると、彼女はいったい何処にいるんだ?
彼女の家族は?
何処に行った?
死んでるにしても、死体は普通あるだろう?
「…………」
女の細腕で誰にも見つからずに死体を運べるものだろうか。
3人分だぞ?
今まで危険すぎて直接調べれなかった彼女の家だが、いざ
調べてみると不可解な点が浮き彫りになっていく。
つまり、それは――――俺が見たもの、見てきたものが全て
嘘だらけという可能性。
あの日俺が見た生首も。
毎朝彼女と登校していた兄貴も。
そして、彼女自身も。
全部が嘘っぱちに思えてくる。
少なくとも、この家の一階部分を見た感想としては、そうと
しか思えなかった。
もし、嘘じゃないなら。
「きっと、二階に答えが待ってるんだろうなあ」
意を決して玄関のドアを開ける。
「…………」
鍵は掛っていなかった。
「本気で人住んでなさそうだな」
窓を割って入るしかないと思っていたのに拍子抜けだ。
まあ、おかげで楽に忍び込む事ができたけど。
「……こっちがリビング。こっちが台所」
初めて入る彼女の家は、想像していたよりずっと広い。
一部屋一部屋順番に、丁寧に見て回る。
見て回るけど、やっぱり
「……生活臭がしない」
外から見た通り、家の中に人の気配はない。
俺は壁に背を向けたまま今度は家の中から外を見る。
――――と、
「ん?」
外を見て、気がついた。
「あれ。このガラスって……」
窓ガラスには自分の顔が映し出される。
映し出されて……映し出されただけ。
「…………え?」
あれ、これって。これって確か……
「マジックミラー?」
だよな?
どうなってる?いったい何でこんなとこに……。
というより、普通の一般家庭の窓ガラスがマジックミラー
だなんて、どう考えてもおかしい。
やっぱりこの家は何かある?
俺は緊張感を高めて、周囲を警戒する。
来るなら来い!俺は簡単には殺されねえぞ!
はよ
そして、緊張感が高まると同時に、俺の頭もフル回転で
動き出す。
マジックミラー。
片方からは透過してガラスのように見えるが、もう片方
からは鏡のように反射して向こうが見えない特殊なガラス。
「…………!!!」
いま、この家から外が見えずに、外から家の中から見える
ということは……!?
俺は慌てて外に出る。
外に出て、辺りを確認する。
「…………」
「誰も、いない、か」
ほっと胸をなでおろす。
中から外は見えないが、外から中は丸見えなのだ。
もし彼女が外にいたら、俺が家探ししているのなんて
バレバレだったろう。
しかし、幸いにも彼女は家の外にはいなかったようだ。
「……ん?」
けど、ここで新たな疑問が。
いつから、マジックミラーだったんだ?
もし、俺と目があった日にすでにマジックミラーだったと
するなら、俺は彼女と目が合ったと思っていたけど、実は
合っていなかった?
いや。
いやいや。
いやいやいやいやいや。
そんな訳……。けど、実際この窓ガラスは……。
腑に落ちない事ばかりだ。
人の気配が全くない家。
マジックミラーの窓ガラス。
どうなってる?どうなってやがる!?
こんな時、親友がいてくれたら……。
「そうだよ。だったら、なんで親友がいなくなったんだよ!?」
あの時からこの家の窓ガラスがマジックミラーだったなら、
彼女は俺の姿を確認してないはず。
俺たちが彼女を調べてたときも、気づかれないように細心の
注意を払っていた。
俺たちが何かを知っているなんて、彼女が分かるはずがない。
じゃあ、なんで。なんで親友はいなくなった?
俺の中で、何か得体の知れない薄気味悪い感情が混みあがってくる。
不安で、胸が押しつぶされそうになる。
誰か、教えてくれ!いったい、どうなってやがるんだ!
……けど、俺がどんなに願っても、答えてくれる人はいなかった。
「一旦、帰ろう……」
どうしたらいいのか、何が起こっているのか分からなくなって
途方に暮れた俺はぽつり、そう呟いた。
そうだ。一度親友の家に行こう。
もしかしたらひょっこり帰ってきてるかもしれない。
俺は立ち上がり、庭から出ようとした。
が、俺が立ち上がりかけた、その矢先、誰かが来た。
「っ!?」
俺は慌てて木陰に身を隠す。
誰だ?彼女か!?
いや、
「…………子供?」
年は見た感じ、七、八歳くらいだろうか、男の子が
大きなバッグを携えて、家の門をくぐって来る。
「…………」
少年は、とくに何も気に留めずに悠然とドアを開け家の中へ
入っていく。
「お、おい。おいおいおい」
どうなってんだ?
なんでこの家に子供が?
親戚の子だろうか?
いや、だったらチャイムくらい鳴らすだろう。
じゃあ、泥棒?
あんな子供が?
訳の分からない事が次から次へと起って、もう頭はパンク寸前。
「と、とにかく確認するしか……」
俺はカーテンの隙間と隙間から再び家の中をのぞく。
覗いた先には、
「!!!」
彼女の姿があった。台所だ。
「い、たのか……」
散々人がいないと思っていたこの家だが、彼女はちゃんと
いたようだ。
となると、やっぱり二階?
「…………」
俺は食い入るように二人を見た。
彼女は先ほど家に入った少年と言い争っている。
何を言っているのかは分からないが大体の想像はつく。
彼女の態度からして、やはりあの子供は顔見知りじゃないんだろう。
だとしたら何なのかと聞かれたら答えに困るが……。
とにかく、あの子供は彼女の知り合いじゃないのは確かなようだ。
――――と、
「…………え?」
彼女と少年が言い争っていたかと思うと、ふいに少年が台所
にあった包丁を手に取り――――刺した。
彼女を。彼女の胸を。
思いっきり、刺した。
「…………え?え?」
突然の出来事だった。
あっという間の出来事だった。
あまりにも、呆気ない出来事だった。
少年が包丁を手に取り、俺が「え?」と言うほんの
少しの間にそれは軽々と、淡々とやってのけられたのだ。
彼女の胸から血が噴き出して、
辺り一面、血の海に染まっていく。
その光景を、茫然と立ち尽くしながら、俺は眺めていた。
ずっと好きだった彼女。
生首を鞄から取り出した彼女。
殺されるかもしれないと思った彼女。
色んな思い出が、頭の中を駆け巡る。
「なんで……」
目から大粒の涙が零れ落ちる。
しかし、そんな俺をよそに少年は無表情のまま……いや、
泣いてるのか?
少年は、機械のような顔のまま、無表情のまま、一筋の涙
を流している。
涙を流しながら、淡々と作業を行っている。
それが何の為の作業なのか、俺には到底分からないが。
少年は彼女を抱きかかえると、持ってきていたバッグから大きな
人形を取り出した。
そして、それを死体になった彼女に抱きかかえさせる。
抱きかかえさせて、そして、その人形ごと彼女をバッグに入れる。
無理やり押し込めて、そして。
何処かに持っていくつもりなのか、それともそのまま死体を
隠すのか。
どちらにせよ、およそ人のする事じゃあない。
こいつは、人間じゃない。
もしかしたら、この家の人間も。
彼女の父親や母親、兄貴もこの少年に殺されたのかも。
俺の頭の中に、そんな考えが沸き起こる。
そうだよ。もしかしたら親友もこいつに……!
俺は拳を握り締めた。
今ならこっちは気づかれちゃいない。
しかもマジックミラー。
一気に襲いかかれば……!
が、俺のそんな考えはいともたやすく崩れ去った。
少年は涙を流したまま、気持ちの悪い笑顔を俺の方に
グリンと向けた。
目と目が合う。
「おいおい。これ、マジックミラーだよな……?」
しかし、少年は俺の方に歩き出す。
一歩、二歩、三歩……。
窓に手をかけ、開けながら言う。
「こそこそ人を付け回すのは趣味が良いとは言えないなぁ」
手には包丁が握られている。
そして、そのまま包丁を振り上げて……。
「あ、あぁぁぁぁっ……!?」
ごめん、親友。
俺、頑張ったけど、やっぱりヒーローにはなれ………………。
…………………………。
……………………。
………………。
…………。
……。
第二幕 完
何の為に生きてるかと聞かれたら、
念のために生きてるんだとわたしは答える。
生きてる意味なんて何処にもないし、
生きてる価値なんて欠片もないのに。
わたしは死んでた筈だったのに。
たまたま生き残ってしまった。
一人だけ。
一人ぼっちのクリスマス。
一人ぼっちのお正月。
一人ぼっちのバレンタイン。
そして、一人ぼっちの誕生日。
わたしは、一人だ。
学校から帰ると、暗いマンションがわたしを出迎えてくれた。
「ただいま」
マンションに向かって帰宅のあいさつをする。
「……」
当然、返事はないが。
そんなことは分かり切ってる。
わたしはそのまま無造作にスーツを脱ぎ棄てて、ソファ
に放り投げる。
「……ビールでも飲むか」
なんて、呟きながら。
「……ぷはぁぁぁぁぁぁ!!!」
キンッキンッに冷えたビールを冷蔵庫から取り出して、
一気に喉に流し込む。
夏場と違って、真冬の冷たいビールは頭に響く!
「でも、もう一杯!」
わたしは冷蔵庫から二本目の缶ビールを取り出す。
「ぷはぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
効くぅ~~~~~~!!!
冷えた身体にコレは堪える!
堪らずエアコンの温度を最大に設定して、スイッチを
入れた。
節電?知ったこっちゃない。
今はわたしの体を温める方が先決だ。
このままだと風邪を引いちゃう。
「……ま、お母さんたちも飲みなよ」
わたしは飲みかけの缶ビールをコップに注ぐと、
家族でいつか撮った集合写真の前に置いた。
「今日はわたしの誕生日なんだからさ」
そう、今日はわたしの誕生日。
23歳の誕生日なのだ。
――――去年の2月。
大学卒業を間近に控えたわたしを祝う為に、家族が
旅行を計画してくれた。
1泊2日の温泉旅行。
ちょっと豪華においしいものでも食べてこようか、
なんて他愛な会話で盛り上がって。
それなのに、みんな死んじゃって。
「ほんと、ついてないよね」
わたしは、ナハハと笑った。
写真立ての向こうのみんなも、笑ってる。
あの日は雪が降っていた。
わたし達はちゃんと車にチェーンを巻いて滑らないように
していったけど。けど、わたし達だけが気を付けてても
ダメなわけで。
雪道でスリップしながらトラックが突っ込んできたんだった。
奇跡的にわたしは無傷だったけど。
家族は即死。
お父さんもお母さんも弟も。
車とトラックに押しつぶされてグッチャグチャ。
目を背けたくなるような光景だった。
――――いや。
きっと、わたしは目を背けたんだろう。
目を背けて、現実から、家族が死んだという事実から
逃げ出したのだ。
だから、このマンションから出て一人暮らしをする予定
だったのに、内定をもらった会社に行く予定だったのに、
わたしは現実から目を背けて、引き籠った。
ここから一歩も外に出なくなった。
家族の葬儀が終わった後。
すべての手続きが完了した後。
放心状態で、何もすることが出来なくなってしまっていた。
丁度、そんな時。
わたしが何をしても、何をするのもダメなとき、親戚のおじさん
が言ってくれたんだ。
「やることがないなら、教師やってみないか?」って。
最初はもちろん断った。
今のわたしにやれるはずがない。
子供の手本になんてなれないし、子供の将来のためにも良くない
からと、何度も断ったんだ。
でも、それでもおじさんは毎日ここに来てくれて、
「お前が必要なんだ。お前じゃなきゃダメなんだ」
とわたしを励まし続けてくれた。
そして、とうとう根負けして引き受けたんだった。
そして、今。
わたしはおじさんが経営する私立中学の教師として
学校に勤めている。
これからする話は、その中学で実際に起った奇妙な
事件と、わたしの身に降りかかった異常な出来事に
ついてである。
「おはよーございまーっす」
「はよーざいまーす」
「ざーす」
今日も今日とて、朝から子供たちの元気な挨拶が
教室に響く。
「おはようございます」
わたしも生徒たちに向かって大きな声で挨拶する。
「では、HRを始めましょうか。日直」
「はーい!」
「きりーつ!れーい!着席ー」
「うん。みんなちゃんと来てるわねー?」
「はーい!」
ほんとに元気だ。
出席簿に目を通しながら、全員いるか確認をする。
「うん。全員いるわね♪」
自慢するわけじゃないけど、うちのクラスは出席率が良い。
他のクラスは風邪を引いて休んでいる子も多いというのに、
うちのクラスは、今月に入ってもまだ欠席者が出ていない。
ちなみに遅刻もゼロだ。
わたしが大学時代に教育実習しに行ったクラスも、遅刻は
するわサボる奴がいるわで大変だったから、こういうクラス
は素直にうれしい。
真面目なクラスというのは面白みが少ないかもしれないが、
担任を受け持つとなると注意や指導もしなくていいので
正直楽だ。
面倒事はない方がいいに決まってる。
面倒なことがあるとすれば……
「この世には、目には見えない闇の住人達がいる。
奴らは時として牙をむき、彼女に襲いかかる。
俺は、そんな奴らから彼女を守る為に、地獄の底
からやってきた、正義の使者なのかもしれない」
「いや、馬鹿だろ」
「んなっ!?」
「正義の味方ぶるのも大概にしとけよ」
「んななっ!?なんで俺が正義の使者だと?
……まさかお前、地獄の住人!?」
「さっきから声に出てるよ。大馬鹿野郎」
「えっ?」
「ほら、周り見てみろ」
「えーっと……」
「えっと……。あ、う……す、すみません」
それは、あの子くらいのものだろう。
彼は妄想壁が強く、よくああして思っていることが、
そのまま口から出るのだ。
顔はそんなに悪くないのに、あれの所為で随分と損
してるだろうなと思う。
まあ、わたしには関係のないことだけれど。
そうして、いつものように妄想を垂れ流し、いつも
通りに彼の友人に窘められて、彼は席に着いた。
さて、
「委員長。なにか他に報告は?」
わたしから伝えることは何かなかったかと、一通り
思い出してみるも、今日は特になかった様な気がする。
「ないです」
そんな風にして、
「そう。それじゃあ朝のHRはこれでおしまい。みんな
頑張ってね」
「はーい」
そんな感じで、わたしの一日は始まった。
昨日までと、同じ始り方だった。
この中学は、他の中学とは違うところが三つある。
一つは私服。
一応、制服もあるらしいのだが、私服も認められていて、
卒業式などの学校の行事を除いて、生徒はほぼ皆私服
で登校している。
二つ目は授業が選択制ということ。
自分で好きな授業を選んで、好きな授業を受ける
事が出来るシステム。
とは言っても、全部が全部選択科目と言う訳ではない。
必須科目と選択科目が存在し、当然、必須科目の単位
を取らないと卒業は出来ない。
簡単に言えば、大学の単位システムと同じシステムだ。
中学は義務教育であり、必須科目だらけということもあって、
ほぼ意味をなさないシステムなのだが、生徒の自主性を重んじる
学校として、このシステムは保護者からの評判は良いようだ。
私には商売は良く分からないが、私立だし、他の学校と
違う特色を打ち出すというのは、多分に必要なのだろう。
そして最後の一つは――――アレ。
「やっべ。家にカード忘れてきたー!」
「あーあ。科学室入れねーじゃん」
「特別申請カード借りてくるわ……」
この学校の生徒手帳――学生カードは、ICチップが埋め込まれて
おり、学校のパソコンで個人情報が管理されている。
つまり、駅の自動改札よろしく、カードをかざさないと
中に入れない仕組みになっているのだ。
何故そんな変なシステムが導入されているかと言うと……
「あなた、これで3回目ですよ。次忘れたらお金が掛りますからね?」
「はーい……」
生徒が自分で自分の事をよりよく考えるようにする為なのだとか。
これも自主性を育むという、この学校のうたい文句の一つである。
確かに最近の子供は、
「教えた事しかできない」 「自分で考えることをしない」
とよく言われてはいるけれど。
しかし、それにしてもちょっとやり過ぎな気がしないでもない。
なんせ、このICカード。
生徒だけじゃなく教師のカードもあるのだ。
そう、教師もカードを無くしたら再発行してもらわない
といけないし、忘れたら生徒と一緒。
ああやって特別申請カードを借りに行かなければいけないのだ。
っと、そんなことを考えているともう一人……。
「……先生?」
「はい。実は……」
「はぁ……。そんなんじゃ生徒の模範になれませんよ?」
まったく、おっしゃる通りでございます。
わたしも、ああならないように気をつけなくちゃ。
そんなふうに、体育の保健阪(ほけんざか)先生が、
特別申請カードを借りていくのを横目で見送りながら、
わたしは職員室にさっさと入った。
「おはようございます。先生!」
「おはようございます!」
職員室に入ると同時に、元気のいい女の子の声が降りかかる。
「どうしたのよ。いったい」
「えへへ~。実は~♪」
ああ、はいはい。そんな顔しないで。その顔でもう分かったから。
「今度の期末テストの範囲なんですけど~♪」
やっぱり。
この時期に職員室に来るとなると、話題はそれでしょうね。
自分も学生時代にはよく、職員室にこうやってテスト範囲の
確認に行ったものだ。
「この前ちゃんと言ったでしょ?」
わたしは群がる女生徒達を前に、ジェスチャーを交えながら
この話題をさっさと終わらそうとする。
「あれって範囲だけじゃないですかー」
「もうちょっと、こう、どの問題が出るのかなー、なんて」
だからそれを言ったら、テストの意味がないでしょう。
「ねー、せんせー!」
「教えてくださーい♪」
昔はわたしも似たような事をしていたものだけど、いざ自分が
される立場となると結構うざったい。
こんなの、聞くまでもないというのに。
聞くまでもなく、どこがどう出るかなんて分かるだろうに。
まあ、
「ねー、せんせー!」
この子たちには分からないかもしれないなあ……。
「……はぁ」
わたしは小さくため息を一つ吐くと、自分が出題するだろう
問題によく似た例題を指さし、
「こことか、出すかもね」
と、言ってあげた。
すると、それを聞いた女の子たちは満面の笑みで
「ありがとーございます!」
とお辞儀をして職員室から駆けていく。
ほんと、子供は元気だ。
「うふふふ」
「……なにか?」
「いえ、生徒の扱いが上手いなあと」
「そんなことないですよ」
保健阪先生が、隣の席に座りながら嬉しそうに
話しかけてくる。
どうやら、無事にカードを借りられたみたいだ。
「いいなぁ。あたしも生徒にああやって質問されて
ビシッ!と決めたいですぅ」
「はぁ」
体育の教師じゃ多分この先もないとは思いますけど。
「あ!いま体育の先生じゃ無理だって思ったでしょ?」
「そんな事ないですって」
「ほんとですか~?」
「もちろん♪」
そうだと思ってます。
――――お昼休み。
午前中の授業を全て終えて、わたしは学食にお昼ごはん
を食べに来ていた。
この学校、中学校のくせに学食まで完備してあるのだ。
さすが私立。
小、中、高と、田舎の公立校にずっと通っていた、わたし
にとっては驚くことが実に多い。
――――とか感心していると
「はーい。せんせい!何にしますか?」
店員のおばちゃんが注文を聞いてきた。
「うーんと……」
メニューが多すぎるのも案外困りものだ。
わたしは自分の後ろが混雑しているのを気にしながら、
「じゃあ、日替わり定食で」
無難そうなメニューを頼んだ。
「…………」
絶句。
まさに絶句。
わたしの目の前には、高々と積み重ねられたチョコレート
パフェがそびえ立っていた。
あと、ドーナツとミルフィーユ。おまけにクッキーと杏仁豆腐
まで付いている。
「……え?」
ちょっと待って。
ねえ、ちょっと待って。
わたし、日替わり定食頼んだよね?
なんでこんなチョモランマみたいなパフェがやってくるの!?
「あれあれ~?もしかして日替わり定食初めてだったんですか?」
保健阪先生が笑いながら、握り寿司をトレイに乗せて、わたしの
向かい側の席に座る。
いや、あなたの寿司も存外おかしいでしょう。
「この学校の日替わり定食は特殊なんですよねー。あたしも初めて
頼んだ時はビックリしましたぁ。ちょっと変わってますよねぇ」
ちょっとどころじゃない。
こんな日替わり定食、認めてたまるか。
「あの……ちなみにそっちの寿司は?」
「あ、コレですか?これはN定食です」
「…………」
なに?Nって。
どんだけメニューがあるのよ、この学食。
「N定食のNは『握り』のNです」
「ああ、そう……」
もう、好きにして。
わたしが学食のメニューに呆れていると、
「それにしても……」
保健阪先生は一度短く言葉を切ってから、
「先生ってホントすごいですよね~」
と言った。
「え?」
「だってだって、まだこの学校に来てからそんなに時間も
経ってないのにぃ、生徒たちから信頼されてるしぃ」
「……そう、見えます?」
そんな自覚はまるでないんだけど。
「見えます見えますぅ!それに生徒だけじゃなくて、他の先生
も先生を頼りにしてるっぽいしぃ」
これは、お世辞なのだろうか?
まあ、世辞でもなんでも話は合わせた方が無難かな。
「そんな、頼りだなんて……。みなさんに良くしていただいてる
から、何とか形だけは保ててるんですよ。わたしの方こそ、他の
先生方には頼りっぱなしで……」
「首相ですねぇ」
それを言うなら殊勝だろう。
ホントにこの人は天然なのか何なのか。
「でも、それを言うなら保健阪先生も生徒たちから人気ある
じゃないですか」
おべっかばかり言われるのもむず痒いので、わたしも
負けじと持ち上げてみる。
「えへへ~♪こう見えてもあたしモデルの経験とかあったんで♪」
「へ、へぇ……」
虚しく不発に終わったけど。
「むさ苦しいジャージ姿もこう、ボディラインを強調して、
胸元をちょーっと開けて谷間を作ると……こう!こうです!」
「…………」
「こうやってると男子生徒からは喜ばれるんですよねー」
そりゃそうだろう。
そりゃそうだろうけど、教師が生徒を誘惑してどうする。
「あと、男性教諭もイチコロです☆」
…………ああ、そう。
「でも、女生徒や他の女性教諭からはなぜか目の敵にされる
んですよねぇ」
当たり前だ。
「だから先生が来てくれて、久しぶりにガールズトークで
盛り上がれるかと思ったらあたし舞い上がっちゃって!」
ああ、そうだったの。
何でわたしにこんなにも話しかけて来たのかと思ったら、席が
隣だからという訳じゃなく、単に話し相手がほしかったのね。
……他の女性教諭からは嫌われてるんだろうなぁ。
わたしは、うんうんと心の中で大きく頷く。
頷きながら思った。
出来たらこれ以上はあまり関わりたくない、と。
だってそうでしょう?
保健阪先生といつも仲良くしていたら、わたしも同類だと
思われかねない。
他の先生方からハブられるとか想像しただけでも恐ろしい。
「えへへ~♪」
でも……。
「そう、ですね。わたしもガールトークは楽しみかも」
それでも別に構わないか。
どうせ職員室でも席となりだし、同じ学年団だし。
それに、変わった友人がいるというのも、案外楽しいもの
かもしれないし。
「お?先生もガールズトーク好きなんです?」
「興味はありますね」
「じゃあ早速しましょう!やりましょう!」
「いいですよ」
「えへへへへへ♪それじゃあ聞きますね?先生はオナニー
するときは乳首派ですか?それともクリトリス派ですか?」
「…………」
前言撤回。
こいつとは絶対、関わらない。
なんかおもしろい
すごく期待
――――それから。
保健阪先生のガールズトーク、もとい猥談に振り回され
ながらも、なんとか今日一日の責務をわたしは全うした。
途中、胸を揉まれたりはしたが。
途中、スカートを脱がされそうになったりしたが。
途中、トイレの鍵を壊され、強引に中に入って来られたりしたが。
「…………」
まあ、一応終わった。
いろんな意味で。
で、学校からの帰り道。
冬至が過ぎたとはいえ、まだまだ日が暮れるのも早い今日この頃。
バレンタインを明後日に控えたともあって、商店街は見渡す限り人
だらけ。
「お菓子会社の陰謀とは言っても、みんな楽しそうだよねぇ」
デパートのお菓子売り場に所狭しと並ぶ女性たちを見て、
そう思う。彼女たちは皆、どのチョコレートがいいか議論
に花を咲かせている。
おそらく友チョコとか自分用に買いに来たんだろう。
これは、バレンタインという日を大切な一日と思い込んで
いる日本の男子諸君にはとても言い難いものだが、そういうもの
なのだ。
女の子にとって、バレンタインは自分のためにチョコを買う日
でしかない。男の子のために必死になっている子もいるが、
そんなの全体から見ればごく少数。
大半の女性は、バレンタインにはおいしいスイーツが店にたくさん
並ぶから、どれを食べるか迷う日なのだ。
男の子のためではなく。
自分のため。
告白用には買うけれど。
一応、義理チョコは用意するけれど。
一番美味しそうで、高級そうなチョコは自分が食べる。
「……甘いものが苦手な人をのぞいて」
自分でうんうんと首を縦に揺らしながら、わたしもデパートの
扉をくぐる。
自分のために。
「あれっ?」
学校の先生方の義理チョコを買うためにデパートに入った
わたしだったが、思いがけない人物を見つけ、足を止めた。
「相楽(さがら)くん?」
わたしが担任しているクラスの生徒。
妄想壁の友人をいつも嗜めてる男の子。
「!?」
わたしが声をかけると、相楽くんはびくっと肩を竦めながら
こちらを振り向いた。
「あ……先生」
「こんばんは」
「……こんばんは」
ぺこりと頭を下げる相楽くん。
「奇遇だね。こんなとこで」
珍しいこともあるモノだ。
「そう、ですね」
「どうしたの?チョコでも買いに来た?」
「えっと……まあ。それより先生こそどうしたんです?」
「わたしは学校の先生用にチョコ買いに来たの。ほら、
社会人は職場の人に義理チョコ配らなきゃだし」
「なるほど」
「うん」
「じゃあ、僕はこれで……」
「え?チョコ買いに来たんじゃないの?」
「違いますよ。どうして僕が買わなきゃいけないんですか」
「あ……それも、そうか」
「じゃ、これで……」
「う、うん」
どうやらわたしと一緒にいるのは嫌らしい。
彼はバツが悪そうな顔でそそくさとデパートから出ていく。
「…………」
う~~~ん。
どうも、わたしは彼からあまり良い印象は持たれていないみたい。
保健阪先生は、わたしを生徒の扱いが上手いと言ってくれたけど、
やっぱりそんなことはない。
わたしが教師になってからまだ半年も経っていないけど、彼の笑顔
は見たことがないし、見れそうもない。
「綺麗な顔、してるのにな」
笑わないなんて、もったいないよ相楽くん。
「なぁんて、わたしが言えた義理じゃないけどね」
すでに彼のいない、ただただ沢山の人が行きかう喧しい
デパートの中で、わたしは一言、そう呟いたんだった。
――――翌日。
「はぁぁぁぁ……」
朝早くから職員室で大きな溜息を吐く。
「どうかしました?」
隣から嬉しそうに保健阪先生が話しかけてくる。
「別に……大した事じゃないですよ」
「だったらそんなに大きな溜息吐かないでしょう?」
「まあ、それはそうですけど」
「悩みだったら相談に乗りますよ!」
エヘンと威張る保健阪先生。
まあ、別にそんなに隠す必要もないかと思い直し、
「実は今朝、遅刻した生徒を思いっきり怒っちゃいまして」
と答えた。
「なーんだ。そんな事でしたか。てっきりオナニーの話だと
思ったのに……」
「…………」
どうしてわたしの自慰の話をあなたにしなきゃならないんだと
ツッコミを入れたかったが、最初から何も期待してなかったので
「そうなんですよ」
と短く言うに留めておいた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
暫しの沈黙が訪れる。
「それで、何を頭抱えてんですか?怒り過ぎて自己嫌悪
って奴ですか?」
先に沈黙を破ったのは保健阪先生の方だった。
一言も謝らずに話を続けようとする彼女の神経には
なかなか感心させられるものがある。
「それもありますね。今月は欠席も遅刻もまだなかった
ので、それが破られたことに少し腹を立てたんです」
「しかも欠席より先に遅刻者が出たから、なんだかな~って」
「あ~、たしかに」
保健阪先生が頷く。
「でも、こんなのでイチイチ腹を立てるとか小さい人間
だなって自己嫌悪してたんですよ。遅刻で怒るのは間違
ってなくても、自分の気分が悪いからって必要以上に怒
るのはオカシイって」
「ふむふむ」
「で、溜息吐いてたんです。失敗したなぁって」
「なるほどね~。真面目だね」
「真面目なんでしょうか、これって」
「真面目じゃなけりゃ何て言えばいいの?馬鹿?アホ?」
「も、もうちょっとオブラートに包んで……」
「包茎!」
それは包まない方がいい。
いや、そうでなくて……。
「ま、それならその子に謝ったらいいんじゃない?
怒り過ぎてごめんねごめんね~って」
「…………」
「なに?謝りたくないって?」
「いえ。違うんです。もう謝ったんですよ。さっきのは怒り
過ぎた、ごめんなさいって」
「?」
「でも、彼の友達がわたしを睨んだままなんですよねぇ……」
「友達って誰さ」
「相楽くんって知ってます?」
「相楽くん?……あぁ、相楽さんのこと」
「相楽さん?」
「あれ、もしかして先生は知りませんでした?相楽さん
って女の子ですよ」
「えぇぇぇぇっ!?」
「まあ、他の先生も知らない方多そうですけどねぇ。ほら、
この学校って基本私服ですから」
「……」
「あの子、可愛い顔してるのに男の子っぽい格好ばっかり
してるし」
「え、でも……あれ?どんなに男の子っぽい格好しても
女の子は女の子で、授業でもふつう男女別の授業だって……」
と、疑問を口にしたところで思い出す。
「そっか、選択授業だったっけ」
そう、この学校は授業が選択制。
といっても、他の中学校と同じく、ほとんどの授業に出る
必要はある。義務教育だし。
でも、そうだった。
『体育』だけは、最低限やっておくべきもの以外、どれを
やるかは本人が勝手に選べる。
仮に相楽さんが隠す気がなかったとしても、こっちが勝手
に勘違いしたまま気付いてない可能性も十分ある。
あの子が選んでたのって、確か今剣道だっけ。
「ほら、あたし体育担当だし」
保健阪先生が胸を張る。
「それにあの子から、男子と同じように扱ってくれと言わ
れてるし、ね」
「……どういうことです?」
「詳しくはあたしも知りませんよ。ただ、なんでも小さい頃
から、男の子として育てられてきたって」
「男の子として育てられた……。家庭の事情ってやつですか?」
「さぁ。どうなんでしょうね」
……。
もしかして古い家のしきたりか何かだろうか。
男の子が生まれたと思ったのに、女の子だったから男の子
として育てられた、とか? 家督がどうの、とか?
うーん。分かんない。
けど、一つだけ分かった。
相楽くんは女の子。
そして、きっと誰かにチョコを渡そうとしているんだろう。
デパートのチョコ売り場でわたしに遭遇した時の彼女の反応。
あれは恋する乙女の反応に間違いない。
とすると、相手は誰だろう、と思いを巡らせたところで気がついた。
ああ、そういうワケね。
相楽さんが好きなのは、いつも一緒に行動してるあの子、
薫(かおる)君だったわけだ。
そして今朝がた遅刻してきた薫君をこっぴどくわたしは怒った。
その結果、彼女に睨まれてる。
好きな相手が誰かに怒られてるのを見るのは、腹立たしいものだ。
わたしだって彼女の立場なら、嫌な思いをしてるはず。
単純な三段論法。
……それにしても、
「相楽くんが女の子、ねぇ」
いくら中途半端な時期から学校に勤め始めたとはいえ、担任の
くせに知らなかったというのも、情けない話だ。
女の子だったんか…
てっきりツンとしてるチャラ男を想像してた
とにかく期待
期待
続きはよおおおお!!!
いや、ゆっくりでもいいから絶対に完成させてくれよ
このSSまとめへのコメント
続きはよ