少女「なん、で……?」男「……?」 (149)
なんで、と言われても困るのだが。なんでここにいるのか? ということか?
「なんで、ここにいるの?」
正解だった。
だが、どちらにせよ、何故ここに居ちゃいけないのだろうか。
いや、この少女は別に、ここに居ちゃいけないなんて、一言も言ってないけれども。
「えっと、誰……かな?」
と言った、言ってしまった。
それが、この少女を関心という苦しみに陥れてしまうことを、僕はまだ知らなかった。
どちらにせよ、プロローグではしっかりと説明をしなければいけないのだろうが。
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僕は町から嫌われている。
今も昔も、きっとこれからも、それは変わりようなのない現実だった。
無論、友人などという俗物は存在しない。
友人のどのあたりが俗物なのかは僕にも判断しかねたが、それも友人が存在しないことからくるものなのかもしれない。
友人どころか、知り合いの存在すら危ぶまれるのだ。それも理由もなく、だ。
――それは、まるで呪いのようだった。
いつごろからだったかは忘れたが、そもそも憶えていられるような年齢ではなかったのかもしれない。
町に住む人たちが、全員僕を嫌悪の眼で見るようになった。
まるで、汚物でも見るかのように。幼心でも、そう分かるくらいには嫌悪されていた。
それも、最近になって治まったが。
その代わりとしては、とても複雑に感じるけれど――僕は、町から存在を認知されなくなった。
まるで存在しないもののように扱われるのだ、これがまた。
腫れ物のように扱われることに比べて、大分ましだけれど、それでもやはりくるものはある。
これ以上を望むつもりはないが、少しばかり寂しいものはあったりもする。
そんな僕にも趣味はある。それくらいは持たせてくれてもいいだろう。
放課後、いつも少し離れた図書館に行ってはいるが、いかんせん僕が町から嫌われているのだ。やはり。
司書の女性に、本を借りようとするたびに嫌悪の目で見られると思うと、さすがに怖くなる。
図書館。そう、僕の趣味は読書だ。意外と時間も潰せるしちょうど良い。
まぁ、この話は関係ないだろうから省くことにしよう。
今、僕は数学の授業を受けているのだが。
やはり、僕が嫌われているのが要因だろうが、授業中に指名されることが皆無だ。
さらに、何をしても注意をされない。
何をしてもと言うと、また語弊が生まれるのだが。
つまり、授業中にヘッドフォンをつけて、机に突っ伏していても何も言われない位には、何をしても良いのだ。
ありがたいことに、プリントなどは、しっかりとまわってくる。
それが当たり前じゃないのが悲しいことだが。
おっと、気付けば授業も終わりみたいだ。
今日の数学は最後の時間だ。つまり、これが終わればホームルームということ。
今日もいつも通り、図書館に向かうとしようかな。
僕の行きつけの図書館は、少し入り組んだ田舎の方にある。
町のほうはダメだ。人が多すぎるから。
図書館までの道のりは、最後の瞬間まで一本道になっている。
図書館の一歩手前で、分かれ道があるのだ。
右が図書館、左が神社だったはずだ。
僕はもちろん真っ直ぐ――ではなく右に行く。目的地は図書館なのだから。
と、思っていたのだが。
――どこからか上のほう。
たぶん神社のほう。そうだ、これは神社の方だ。
何か声が聞こえるのだ。
声? いや、これは歌だ。誰かが神社の方で歌を歌っているのだろうか?
単純に考えて、上に人が居るからなのだろうが。
そこはやはり僕も人間なのだ、いらない話題も耳に入ってくることがある。
そう、つまり大嫌いな同級生たちの会話で、だ。
そいつらの話によると、その神社には神主が居ないらしい。
だからもう直ぐつぶれるだろう、と言っていたのだ。
そうなるのなら、最初からたてなければ良かったのでは? とは思うが、そんなのは今いっても無駄だろう。
誰も居ないはずの神社から聞こえる声。実に奇妙で興味深い。
ということで、行くことにしよう。神社の方へ。
意気込み、階段に足をかける。
それでは神社へ、レッツ・ゴー!
――結論、段数が多い。
冗談抜きで、だ。もしかしたら百段以上あるかもしれない。
そんなところに立てるから人が来ないのでは? とは思ったが、まぁそれは後にしよう。
十分近くはのぼっただろうか、そこには意外にも大きな鳥居があった。
もちろん端っこを通る。僕は場をわきまえる人間なのだから。
軽く見たところ、結構大きな本殿がある。
今すぐにでも見たいのは山々なのだが、僕は場をわきまえる人間なのだから。
まずは体を水で清める。もう、それは抜かりなく入念にだ。
それこそ、風呂で身体を洗う時くらいには入念だった。
これは神様もビックリしただろう。
ここまで、神を敬う人間がいたのかと。
もしかしたら、褒めてくれるかもしれない。
ほら! 僕はここにいるよ! おいでッ!
などと思っていた。少しは顔に出ていたかもしれない。
そしたら驚いていた。
おいでなさった。
それは神様というには、少しばかし問題があったが。
驚いていた。
「なん、で……」
聞きなれない声にビクリとする。
その声の方へと、おっかなびっくり振り向いた。
振り向いた先。
そこにいたのは、花柄の着物を身にまとった少女だった。
そして、冒頭に戻る。
期待していいの?
この少女の名前は、着物娘というらしい。
珍しい名前だと思った。もしかしたら、僕が疎いだけかもしれないが。そういう常識に。
何故、驚いたのかを訊くと。
ここに人が来るなんて思っていなかったから、らしい。
まぁ、確かにそうだと思うが。
そんな彼女に
「上から歌が聞こえてきたからきた」
と伝える。必死に、しどろもどろになりながらも伝えた。
軽く引かれたかもしれないが仕方がない。
僕の日常においては、そもそも人と話すこと自体がまれなのだから。
改めて考えたら、最近いつごろ他人と会話を交わしたのか、全く憶えていない。
まさかそんなことはないだろうが、この少女との会話。着物娘との会話が、初めての他人との対話になるのかもしれない。
否定できないのが、少し悔しい。
着物娘は、この神社を管理しているらしい。
同級生に非難を浴びせたいところだったが、話を聞くところに、一概に同級生が悪とは、断言できないようだった。
着物娘は、誰も管理してないこの神社を、一人でどうにかこうにかしていたようだ。
それもどうかと思うが。いいのだろうか、勝手に公共物に手を加えて。
「なんでそんなことしてるの?」
人のしていることを、そんなことと言うのは少しあれだが、まぁそこは置いておこう。
それを聞いた着物娘。俯きがちに、こう答えた。
「この神社は大切な場所だから。私が護らないと」
と言う。
何があったかはしらないが、護るらしい。大切な場所を――この神社を。
なんで護らないといけないのか分からなかったが、それは着物娘がこたえてくれた。
「私の、せいだから」
私のせい? 私のせいとはどういうことだ。
疑問がさらに疑問を呼ぶ。先ほどから気になってしかたがない。
しかしそれを訊くことを、僕はしない。
する権利がない、と思う。
「だから、私が護らないと」
まるで自分に暗示でも掛けるように、自分をあやすように、何度もそう言う着物娘。
それはとても辛そうで、今にも押しつぶされそうで。
儚く、散ってしまいそうだった。
だけれど――
完結までの目処はたってる。
昔書いた小説を、少し端折って書いてるだけだから。
「そっ、か……」
そうか、としか言えない。
だって、僕には分からないから。着物娘の気持ちが。考えが。なんでそこまで、この神社を護りたいのかが。
きっと――いや絶対に。僕にはできないから、そんなことは。
今の僕を護ることに精一杯で、もう余裕なんてこれぽっちも手元に残されていないから。
そんなこと、できないから。
ふと、着物娘と目が合う。
それはとても黒くて、暗くて、今にも吸い込まれそうで――悲しそうな目。
「うん、そう」
そんな目が、冷たい目が、冷ややかなそれが、僕を射抜く。まるで僕を責めるように――責める?
違う。これはそうじゃない。これはまるで、僕に……。
一つ息を吐く。短く。されど深く。息を、吐く。
確かに、僕にはなんにも出来ないけれど、そう自分でも分かりきっていたことだけど。
――それでも。
この少女に出来ることはないか、と考えてしまう。
これは僕の身勝手。
僕は誰よりも、何よりも現実を知っている自信が在る。
いたたまれない現実を。どうしようもなく愚昧で滑稽な現実を、知っている自身が――僕には在る。
だから――
――違う、だからじゃない。そこに法則性など、イコールなど存在しない。
なんの関連性も因果も繋がりもないのだ。
だから、だからは違う。
これは僕の自己満足なのだ。
それで彼女が救われると思った。思い込んだ。思い込もうとした、僕のエゴ。
だけど、だからこそなにかをしたかったのだろう。この少女に。着物娘に。
きっと、僕にも出来ることがあるはずだと。悩み。悩み。考え抜いて、可能性を探って。
そして僕は、こう言った。
「――お参り、しよう……」
そうだ。ここは神社なのだ。お参りをしないといけない。
別段、神社に来たからといって、お参りをしなければいけないわけではないだろうが、この時はそう思った。
そう、確信した。
何よりもそれが、彼女のためになるだろうと、そう思った。
おもった。
「君も、する?」
そんな僕の問いかけに、着物娘は首を横に振った。お参りはしないらしい。
もしかしたら。たとえ神様だろうとも、誰にも頼らずに自分の力で、この神社をなんとかしようと思っているのかも。
そうなのかも、しれない。
――ならば、僕はその意志を、覚悟を汲もう。
僕にしか出来ないことを。そう思い込んだことを。
しよう。全身全霊をかけて。
僕は本殿に、賽銭箱に向かう。ゆっくりと大地を踏みしめ、確かめながら。
財布を取り出し、百円玉を取り出す。
何を願うか?
そんなもの決まっている。僕は、横目で着物娘を確認する。
そして、一呼吸を置いて銭を投げ込む。もちろんのこと、お辞儀も忘れずに。
パンッパンッ、と。
僕の手を叩く音が響き亘る。風が揺れる。木々が吹き荒れる。
願う、神様に。願う。僕の思いを、僕のエゴを。
――彼女の願いを。
その時だった。聞こえた。声が。すぐそばから。
「…………――え?」
小さな少女の驚く声が。
何事かと思ったが、お祈りを、お参りを続行する。そして全てを確実に、完璧に終え。
少女――着物娘に向き直る。
先ほど、思わずといったように声をあげた時から。おそらく同じ顔のまま僕を見続ける着物娘を。
口を小さく開け、目を見開いている。
さっきの目とは違う。鮮やかな目。
一体、何に驚いたのだろうか? 目を見開き、唖然としている。
不思議に思い、悩んでいると。はたして着物娘は――
「あ」
と言った。いやしかし。「あ」とはなんだ。どうしたんだ。
「あのッ…………」
俯く。下を向いてしまった。
そんな着物娘に釣られて、僕も足元をのぞく。
そして、時間が流れる。そんな時間が、流れて消えて。
僕は、賽銭箱の手前の階段に座り込んだ。そんな僕を見て、着物娘も僕に倣い、座り込んだ。
また時間が、永遠のように流れた。
でも、もちろんそんなことはなくて。ゆっくりとだけど、確実に時間は確実に流れていって――いなくなった。
――陽が堕ち始めた。
いくら夏とはいえ、さすがにこの時間、もうあたりは暗くなり始めた。いつもならば、図書館を出ている頃くらいか。
「ごめんね、もう……行かなくちゃ」
最終的に、何も話さなかったけれど。
着物娘に、家に送っていくと申し出る。しかし着物娘は、いや当たり前なのだが、それを丁重に断った。
当たり前だった。出会って二時間程度の大人――ましてや男に憑いて来るはずもなかろう。
――まぁ、それは僕の勘違いだったのだけれど。
一応はそれでも、予想はついていたので大したショックも受けずに。分かった、とだけ返した。
そして、帰ろうと階段を十段ほど下りたときだった。
「――――あのッ!」
聞こえた。少女の声が。僕は振り返る。そして、首を少し上に向ける。
そこには着物娘の姿が、僕の目に映った。
着物娘が、僕の目の映える。
「あの、ねッ――!」
手をパタパタと動かす着物娘。まぁ、なんとも可愛らしい光景である。思わず、抱きつきたくなるくらいには。
僕は、それを見守る。静かに、そっと。
そして、息を吸い込む着物娘。
「――ありがとうッ!!」
と言葉を、思いを、放った。
それが僕を、奮わせる。
何か言い返すべきかと思ったが、何も語らずに、会釈だけを――それしかできずに、僕は階段を下りた。足早に。
――初めて見たのだ。
たった二時間弱という、短い時間だったけれど、初めて。
着物娘が、笑ったところを。
それは素直に嬉しいことだった。なぜお礼だったのかは、ともかくとして。
嬉しかった。彼女が笑ってくれたことが、何よりも。
もしかすると、僕の行いがそうさせたのだと思うと。
自然と、笑いがこみ上げて来る。
きっと、今はそれだけで十分だった。
僕は、姉と二人で暮らしている。
生活面に関しては、僕は姉を完全に頼りきりだった。依存と言ってもいい。
なんせこの姉。唯一僕に対して、普通に接してくれる存在なのだから。
町から嫌われている僕に対して。
唯一の味方だった。
思えば小さい時からそうだった。
何かがあるごとに姉を頼りにしていた。姉もそれを嫌々ではなく相手をしてくれる。
当たり前のことがありがたい。
僕の姉への感謝は、海より深く。山より高い。
いや、オゾン層を突き抜け、マントルの先ほどにまで達する勢いだった。
だから、僕はそんな姉に頭が上がらない。依存している。
そんな姉弟関係。でも僕はそれでいい、それがいい。
家に着いた。
ドアノブを引くと、ドアが抵抗もなく開いた。姉は、先に帰って来ているらしい。それもそうか、今日は遅かったから。
「ただいま」
と、言うと必ず返ってくる。
「おかえり」
が。そんな当たり前が。
そういえば、これは昔の事だが。
僕は、町から嫌われている僕は小学校の時。たしか五年生の時だ。
いじめを受けていたのだ。とても陰湿な。
例えばトイレで水を掛けられる。
例えば上靴がなくなる。
例えば教科書類がズタボロにされる。
など、列挙すればするほど挙がる。
だけど僕はそれに耐えた。姉には言わなかった。何よりもその姉自身に心配をかけないために。
――そんなある日のこと。
おまもりが壊された。
大事な大事な、姉に貰ったおまもりを、何も出来ずに目の前で壊されたのだ。
ズタズタに引き裂かれたそれを見て。姉に嫌われる、とそう思った。大事な姉からの贈り物を壊したから。
――それを護れなかった自分が、情けなくて。
僕はその日、泣きそうになりながらも、泣くまいとし家に帰った。
「ただいま」
と言う。それは弱弱しくて、今にも消え入りそうな声だったけれど。
それでも――
「おかえり」
返ってきた。いつものように。
それがきっかけだった。ストレスというかなんというか、それらが全部溢れ出して、とまらなくて。
その後のことは、それほど憶えていないのだが。相当の面倒を姉に持ち込んだんだろうと思う。
きっと苦労したのだろう、とも。
「今日は遅かったわね、なんかあったの?」
「いや、別に。強いていうなら神社に行ってきた」
「ふーん」
神社に対しては、何も思うところがないのだろう。適当な返事をする。
家の姉は、いつもこんな感じである。
「ほら、さっさと食べちゃって」
今日の夜食は、さばの味噌煮だった。
さばの味噌煮とは一見して地味だが、食べてみれば分かる。
姉の料理は全ておいしいのだ。
もしかしたら、僕の姉への愛情とかひいきが、そう感じさせているのかもしれないが。
それでも、誰がなんと言おうと、姉の料理はおいしいのだ。
ところで僕の姉だが、仕事はイラストレータをしている。
一時期は漫画家を目指していたらしいが。その姉曰く、
「漫画家は人を楽しませるもの。絵師はイラストを楽しませるもの」
らしい。
無理やりこじつけて考えれば、分からないこともない。つまり知ったかである。
「私は絵がかきたいの。それはけして人の為なんかじゃなくて。自分の、私の生んだ子供たちのため」
いつもそうだ。姉は、自分の描いた絵を、『子供』という。
それはつまり、それほどまでに熱の篭った仕事をしているということだろうか。
それでも、僕はその片鱗を見せられているのだ。受け入れざるをえないだろう。
「そういやさー」
と、唐突に言う。姉。
これもいつものことだ。。
突然に、突拍子もなく話を始めるのだ、家の姉は。
僕はもうなれたけれど。ほかの人はそうはいかないだろう。
「そういえばさー。アンタに訊きたいことがあったんだけどさー」
何を?
「人間になったら、擬人化したら一番可愛い動物って、なんだと思う?」
唐突に、唐突な事を問うてくる。我が愛しき姉。
顔を、今描いている絵に向けながら。
「あー、参考までに言うと。なるか分かんないけれど言うと。私はイルカだと思うね」
イルカ。ふむふむ。確かにイルカには愛嬌がある。
分からないこともない。知ったかではなく。愛くるしくて、愛でたい感じが、イルカには在る。
「で、あんたは?」
僕か。僕はそうだな……。
「ウサギかな?」
「ふーん、そうなんだ」
興味がないらしい。
いや、たぶん興味があったのが僕の考えであって、その理由には興味がないからだろうが。
絶対にそうだ。
こういうところが、姉の悪いところである。
興味のないものには、とことん興味がないのだ。
普通の人も、確かにそうなのだが。例えば、人から聞いた話題には、十中八九関心を持たないはずだ。
そういうところが、とても極端なのだ。家の姉は。
「つまりバニーが好き、と」
「おい」
なんでそうなるんだ。
「姉さんの中で、ウサギの擬人化した人間は、バニーガールなのか」
「そうよ。ウサ耳といえばバニーでしょ」
とく分からない基準だった。分かりたくもない基準だった。
確かにバニーガールたちは可愛いが、それが好きかと言われても、いいえと答えるだろう。確実に。
獣耳だったら、断然猫だ。
だが、人間になるのだとしたら、猫は却下となる。あいつら絶対めんどうくさいし。
一日中ごろごろしてそうだ。偏見かもしれないけれど。
「僕はバニーガールが好きなわけではない」
「大丈夫。あなたもお年頃だものね。心配しないで。お姉ちゃんはいつだって、あなたの味方だから」
「味方と言うのならば、その目をやめろ。突然丁寧になると傷つくだろ」
「いいえ。気にしないで。えぇ、本当に」
「あからさまに誤解をするな。話を聞け」
なんだ? 今日はやけに悪乗りしてくるじゃないか。ストレスでも溜まってるのか?
…………それは一大事だな。仕方がない。僕も人肌脱ぐとしようか。
「…………ねぇ、なんでそんなやり切った顔なの? ねぇ、どういうこと?」
「仕方がないな、姉さんは。全く……」
「あれ? 立場変わってない?」
「ははは、何を言うんだい姉さんは。そんな事はないよ、きっと思い違いさ」
「そ、そうかしら」
これは、ストレスが溜まっているというか、ただ疲れているだけなのではないか?
さっきまでは、面倒ながら僕の相手をしていたのでは? ありえそうで怖いな。
「…………まあ、そういうことにしといてやるか。全く、遠慮しなくてもいいのに」
まだ、何かをグチグチ言う姉だが、それはスルーだ。無視を決め込む。
ふと、姉の手元を見る。
姉の描いている絵を見る。
そこには着物を着た少女が描かれ、生み出されていた。
やはりここで思い浮かぶのは、あの少女。着物娘のことだった。
改めて冷静になるとあの神社、何が祀られているのだろうか?
もし、勉強の神とかだったらどうしよう。
全然関係ないこと頼んだんだけど。本当にどうしよう。
そもそも、僕。あの神社の名前を知らないんだが。
今度訊くことにするか。
彼女は自分のせいだと、そう言っていた。
それにあの目。あの冷ややかな目。
僕に伝えていたように思う。
「ごめんなさい」と。
きっと思い過ごしなのだろうけれど、それでもそう思えてならないのだ。
もし、そうであっても僕にはなにもできないのだろうけど。
そんな僕を見透かしたように、まるで分かっていたことであるかのように言う。
姉は。
「考えすぎはダメよ。それは愚考で愚行。無駄なことなんだから」
と言った。相も変わらず、絵に目を向けたまま。
「お風呂に入ってきなさい」
と言った。
僕は基本七時に起きる。
特に心がけているわけではないけれども、それでもいつもこの時間だ。目を覚ますのだ。
朝食は自分で作っている。
姉は朝早くに、ひいては六時半には家を出ているのだ。勤勉なものだ。
朝のニュースを見ながらパンをかじり、コーヒーをすする。
このパンは、駅前で買ったものなのだが、これが実においしいのだ。
だからと言って、それを報告してもどうしようもないのだが。
町の名前も明かしていないし、駅だってたくさんあるのだから。
とりあえず、おいしい。これだけを伝える。
そして七時半に、家をでる。
学校に行くのに、僕は電車を利用している。
人には嫌われている僕だが、運と動物には好かれている。愛されている。
何がいいたいかというと。つまり、僕は電車の中で立ったことが一度も無いということが言いたい。
これを総じて運がいいというのは、いささか不具合の生じそうな問題だったが。
動物に関してもそうだ。
野良猫に逃げられたことは一度も無いし。散歩中に犬は、飼い主を引き釣りながら僕に駆け寄ってくる。
さらに言うと、人差し指にトンボが止まるくらいには好かれているのだ。
もしかしたら豹に遭遇しても、無事で居られるかもしれない。
そんな体験、絶対にしたくないが。
絶対にしない。
学校には、大体八時くらいに着く。
場をわきまえる僕は、しっかりと後ろのドアから、文字通りのらりくらりと侵入、もとい入室する。
そして、自分の席に辿り着いたところで、ヘッドフォンを取り出す。
これから三時間目の終わりまで、つまり昼休みまで、この状態を保つのだが。
やはりというかなんというか、全然注意されない。
そもそもそこに誰かいるの? みたいな感じだ。
プリントはまわってくるが。
そういえば、僕の隣の席の生徒。実は不登校なのだ。
その彼、もしくは彼女は、一体なにがあったのだろうか。
僕のようにいじめを受けたか、それとも他に理由があるのか。
分からないものだ。人間と言うものは。
真実はいつも一つなんていうけれど、人の心はその限りではないのだ。
虚ろで空ろで移ろいゆくものなのだ。
その時々で変わるのだ。まるで人間のように。
そう思うと、あれもそうなのだろうか。
姉にイジメの解決を縋った次の日から。
始まりと同じように、唐突に。
イジメがピタリと止んだことなんて。
きっと、そんなものなんだろう。
僕はほぼ毎日を同じように生きている。
習慣づけている、一日を。
朝の七時に起きて、三十分後に家を出る。そして電車に座って乗って八時に登校完了。
昼休みまでを音沙汰も無く乗り切り。余計な思考に、嗜好に没頭して、ぎりぎりに教室へと戻る。
放課後は図書館。夜の七時に帰宅。御飯を食べ、風呂に入り、歯を磨いて、就寝する。
そんな僕の繰り返しが崩れた、いや、無くなったと言ってもいい。昨日、神社。
というより前言を否定する。
新しい繰り返しが生まれた。
そんな僕は今、あの地獄の階段を上っている。
マジできつい。
数えながら上っているが、今、九十八段目だ。そしてまだ先が、終わりが見えない。
途中、後ろを振り返ると壮絶だった。
町の先の方まで見えた、もしかすると地平線の彼方まで見えたかもしれない。
ハハハ。見ろ! 人がゴミのようだ!
そんな僕が一番ゴミである。
そして階段を登る。
何が百段くらいだ。二百二十四段もあったじゃないか。
ということで、辿り着いた僕。
相も変わらず端っこを通り、身を清めに行く。
そして辺りを見回す。
そう毎日来ている訳ないか、たぶん小学生くらいだろうし。
と思ったが。
「また来たの?」
突然声がかかった。
ギョッとして慌てて振り返る。
ビックリ仰天。後ろに居た。
昨日と同じ格好で。着物を着て、桶を持って。
もしかしたらこれがお気に入りの格好なのかもしれない。
そんなわけあるか、なんだよ桶を持つのがお気に入りのスタイルって。さすがの僕も引くぞ。
「うん、また来た」
今思うとヤト。いつも気配を出さずに僕の近くに現れていたと思う。
別に僕に人の気配を読む力があるわけではないが、そうだったと思う。
僕がヤトの接近に気づけたことは一度も無かった。
まるで一瞬でそこに現れたかのように、ヤトは僕のそばに居た。
「またお参り?」
と尋ねられた。
別にお参りに来たわけではないのだが。はて、僕はなんでここに来たのだろうか?
あの時はあんなことを言ったけど、改めて考えると、僕の一日が崩れた、書き換えられたからというのが理由だと思う。
新しい一日の過ごし方が生まれたから、というのが。
それでも僕はこう言った。
こう言った。
「ううん、君に会いに来たんだ」
と、こう言った。
正直言って、気持ち悪い。
傍から見ると、高校生が小学生を口説いているように見える。ロリコンにしか見えない。最悪なら警察沙汰である。
僕がそう言われる立場だったら、確実に逃げ出していた。
だけどヤトはその素振りを見せなかった。
気持ち悪いというような素振りを見せなかった。
そのかわり下を向き、唇を噛み締める。
まるで何かを思い出すように、犯してしまった罪をを憂うように。そのように見えた。
そのような素振りを見せた。
この考えは最終的には間違いではなかったけれど、そういう素振りを見せた。
そんなヤトに、僕はこう提案する。
「座って話さない? 立ってたら疲れるでしょ?」
と言う。いよいよもう完全に口説いているようにしか見えない。
ヘイ彼女、あっちで少し遊ばなーい? 的な感じ。
さらに言うと、疲れていたのは僕の方であった。
さすがに三百段以上の階段を登ったのは不味かった。
足が小鹿のように震えている、なんとか隠そうとしているけど。
幸いヤトはその案に乗ってくれた。
ということで僕達は賽銭箱の前に腰掛ける。賽銭箱に寄りかかって座り込む。
場をわきまえる人間の面影も無い。
賽銭箱に重みを預けていた。
ここで言い訳をさせてもらうと、あれは神様を信じていたからこその行動だったと言えよう。
神を信用していたからこそだと。
僕の背中を預けるに値する者であると。
何処の戦士だ、お前は。
まぁ実際後からなら何とでも言えるのだが
座り込んでから直ぐであった。
ヤトが僕に問いかけてきた。
「何で私に会いたかったの?」
と聞いてくる。
ここで己の失敗にはじめて気づく。
僕は詰まった。当たり前である。
なんせ適当、ではなかったが、良い加減でいい加減な事を言った僕に理由などあるはずもない。
事実無かったわけだったし。
やべぇ、貼り付けでやってたら、途中から名前変えるのわすれてたわ。
着物娘=ヤト。
できれば目を瞑ってほしい。
少し目が泳ぐ、答えを練り上げる作業に取り掛かる。
不思議そうに顔を覗き込んで来る着物娘。
やばい、なにか言わないと。と、思うには思うのだが、ぼっちスキルの本領発揮だった。
基本的に、というより完全に僕はぼっちである。
そのためアドリブが利かない、そんなことは全く出来ない。
それでも頑張ろうとする僕を、した僕を、今の僕は褒めて遣わしたい。
自業自得だけれども。吐いた唾が戻ってきたようなものだけれども。
吐いた唾がUターンしてきたようなものだったが。
そして最終的にこう言う。長い時間を掛けて、こう言った。
「なんとなく、かな」
そう、ぼっち愛用のなんとなく。である。
使ったことは一度も無いけれど、愛用してないけれども。
この台詞、意外にも使える。
生憎、人と話すことが無い僕に例を挙げることは出来ないが。
この時、着物娘との会話の時には功を奏したようで。
[そう、なんだ」
納得してもらえた。
次は僕のターンである。
会話に僕のターンもへったくれもないが。次は僕が問いかけた。
問いかけてしまった。
「この神社」
気になっていたことを、問う。
「この神社、何が祀られてるの?」
と問う。
やはりというかなんと言うか。
僕の言葉は何度も着物娘に突き刺さっていたんだと思う。
痛んで、いたんだと思う。
この何気ない一言も、着物娘の心に突き刺さっていたはずだった。
僕が着物娘と話しをすること自体が、そもそもが間違いだったのかもしれない。
と思うくらいには、着物娘を傷つけていたんだと。
本当に純粋な疑問を投げかけた僕に。
少し苦笑いをして。
着物娘は、こう答えた。
「なんでなんだろうね」
と、そう答えた。
僕の質問に、こう答えた。
この答え、意味不明な答えが、いろいろなものを物語っていたのだが。知る由も無い。
僕は知らない。
あるいは『彼』なら分かって、理解してあげられたのかもしれないがけれど、僕は『彼』とは違うのだ。
僕は知らない。
「ここには夜刀神が祀られているの」
夜刀神。聞いたことはある。というより読んだ事がある。
「疫病神みたいなものなんだけどね」
なんでそんなもの祀ってるのかな。とヤトは言った。
自傷気味に、言った。
確かになんでなんだろうか。
普通に考えると、災厄を防ぐためなのだろうが。
しかし偏屈な者が。
僕が考えるとこうなる。
圧倒的強者に人間が媚びている、のだと。
こうなる。
偏屈にも程がある。
普通はドン引きなのだが、着物娘はそうじゃなかったらしく。
笑ったのだ。くすくすと、笑ったのだ。
しばらく笑って口を開いた。
「そうなのかもね、人間って」
――私達が思うほど強くないから。
その通りだ、その通りなのだ。人間は弱いんだ。
ちょっとの事で立ち直れなくなる位には。
思い出を、簡単に忘れてしまう位には。
「人間って。あなた達って、何で生きてるんだろうね?」
この時僕は、その言葉におかしいところを見出せなかったのだが。おかしい事を言った着物娘。
いや、しかしこの言葉に感じるものはあった。
それは分かりにくくて、重石のようで、なんともいえない違和感。
それを見てみぬ振りをする、今までのように。
「たぶん、そんなもの無いんだよ。生きる意なんてさ」
自分で言ったが、そう思えてきた。なんとなく言ったのだけれども味なんて」
39の最後からはじめる。
自分で言ったが、そう思えてきた。なんとなく言ったのだけれども。
人に生きる価値なんて無いのかもしれない。
我ながら壮大なことを言ったものである。もはや人類への冒涜、挑戦状とも言える。
「そうなのかな? そうかもね」
着物娘は言う。
「地球温暖化なんて実際さ、困るのってあなた達だけでしょ? そう思うと人類って最低だよね」
――自分達でそうしておいてさ。
彼女の言葉にはたくさんの思いが含まれていた。
重たくて、冷たい思いが。
そんな事すら、知らなかったけれど。
「本当に地球が大事なら、自分達で滅んじゃえばいいのに」
いや、それは言い過ぎではないか?
確かにその通りではあるのだが。
人類が滅んだら、万事解決である。
「僕が読んだ話にこういうのが在ったんだけど」
ヤトも耳を傾ける。
「ある日地球に天使が舞い降りて来るんだけど、その天使がこう言うんだよ」
「『全世界の生物で多数決をして、もっとも多かった願いを叶える』って。」
「人間達は大騒ぎするんだよ。お金が欲しいやら、世界平和やら、なんやらとね。……君だったらどうする?」
着物娘は少し首を傾げ、こう言った。
「人間を世界から消してください」
と言った。
いきなり核心を突いた。
真顔で、何の疑いも無いような顔で。
物語の核心を突いた。
一旦終わりかな?
おつ
ヤトって聞くとノラガミの思い浮かべちゃうw
>>42 週刊ストーリーランドか
物売りの婆ちゃん好きだったな
再開する。眠いからもう直ぐねるけど。
「……そうなんだよ。人間は消えたんだ。世界から綺麗サッパリとね」
「人間以外の生物が頼んだんだよ、『人間を滅ぼしてください』ってね。そんな話」
この時ヤトは、自分の本心をそのまま口に出してたんだけど。
恐ろしいことを言う。しかも真顔で。
「そうなんだ、やっぱりか」
やっぱり。
分かっていたらしい。そうなると。
「あなたはどうなの? 何を願うの?」
大した事は、大それた事は願わないと思うが。どうなんだろう。
答えなんて出なかったけど、出せなかったというより、出さなかったけれど。
これは言えない。恥ずかしい。
きっと、あの時と同じ事を願うんだ。
たった一人だけの願いだと思うけれど、それでも――だからこそ、たった一人だけでもこの思いが届くように。
願うはずだ、きっと僕なら。
――そして『彼』も。
だけどやはり言えないのでこうする。
もう、ヤトでいいかな? みんな知っちゃったし。
「どうなんだろう、分かんないや」
と逃げる。
もちろん納得出来ないであろうヤトは――
「ずるい、それ」
と頬を膨らませて反論する。
可愛いだけなのだが。
とりあえず納得させられるような言葉を探す。
「きっと周りに流されるんだと思うよ、そして一緒に消えるんだ。跡形もなく、ね」
恐らくそうなのだろう。そうなのだ、きっと。
「そっか」
とだけ言う。納得はしたが理解はしていない、といった風。
そうだろう、僕自身も何が言いたいのか分からないから。
どれが本心なのか分からないから。
もしかしたら、それこそが人間なのかもしれない。
それが人間の本質。
何でも出来るのに何にもしない。
何でも知っているのに何にも出来ない。
それが人間だと。
そうだといいな。
そうだったなら、僕も。
「国同士の争いとか、国際問題って」
空を見上げて言う。
夕陽を見つめて言う。
「第三者から見ると、何してんだろう、馬鹿みたいだね。って思われてるんだろうね」
そうなんだろう。第三者。神様から見ると、馬鹿みたいなことなんだろう。
今、僕達が話していることも。
それは悲しい事だけど。
そんなものだったんだろう。
それでも僕は、繰り返しを繰り返す。
それから僕は、僕等はなんの話もせずに別れた。
心地よい沈黙の中で、一緒に沈む夕陽を眺め続けた。
彼女はどうだったか知らないがけれど、僕にとっては心地よいものだった。
なんとも言い表わし難い感情を抱いて。
ヤトの顔をこっそり見つめた。
だけど今なら、分かる。
それが何だったのか。
分かってしまった。
もう遅すぎたけれど。
きっと、それは。
懐かしさだったんだと。
本当に、遅すぎたけれど。
少年漫画などでよく目にする主人公の修行シーン。
だがそれはどうなのだろう。
主人公だって日常を送っているわけであって、いくら非日常に接しようと、それは覆せないものであるはずであって。
修行中の出席日数はどうするの、とか。
修行中の家族との時間をどうするの、とか。
たくさんの不都合が出てくるはずだ。
本当に先の巨悪との戦いが、今最も優先すべき事象なのか、見極めたうえで戦いをしているのか。争っているのか。
本当に考えて考えて考え抜いた結果なのだろうか。
つまり何が言いたいのかというと。
熱を出して倒れています、という事が言いたい。
全くもって意味不明である。支離滅裂である。
これも熱のせいか。などと責任を押し付けてみたりする。
ようするに暇なのだ、僕は。
大体夕方の五時位なのだが、暇で暇で暇なのだ。
そして何よりも気に掛かるのが。
つまり何が言いたいのかというと。
熱を出して倒れています、という事が言いたい。
全くもって意味不明である。支離滅裂である。
これも熱のせいか。などと責任を押し付けてみたりする。
ようするに暇なのだ、僕は。
大体夕方の五時位なのだが、暇で暇で暇なのだ。
そして何よりも気に掛かるのが。
ヤトの事だ。
知らないうちに僕の生活の一部にヤトが組み込まれているという事実も驚きだが。
ヤトに会えないというだけで、少し慌てている僕がいるのが尚更驚きである。
過保護すぎる。
もしかしたら勝手に、ヤトを見守ることに責任感を抱いているのかもしれない。
過保護すぎる。
あのヤトにしてみても、保護者が居る訳であって、そこに僕が介入する余地など、微塵も無いわけであって。
そう思うとヤト、いつも僕より遅くまで残っているが、家はどの辺りに在るのだろうか。
ここまで考えるとストーカーみたいだが、素直に、率直に知りたいこと、気になることである。
あまりにも遠いところだと、あの時間帯。
少女一人には危ないものだと思うのだが、どうなのだろう。
今度聞いてみるかな、と。
まさしく過保護である。
モンスターペアレントである。
それは嘘だが。
「お粥持って来たぞ」
と、姉が参上する。
威風堂々と、登場する。
なんと我が姉、僕の為に今日仕事を休んでくれたのだ。少し罪悪感があるが。
嬉しいものだ。ありがたやー、である。
僕がお粥に四苦八苦していると
「あんた、最近変わったね」
などと言う、姉。
「なんて言うか、次の日を楽しみにしてる感じ」
そうなのか、楽しみにしているらしい、明日を。
なんだ、少し気持ち悪いんだが。
悪寒が背中を走る。
お粥がのどを下る。
「あとは、――」
「ん?」
この時の姉の呟きは、僕にはよく聞き取れないほどのトーンだったのだが、恐らくこう言ったのだと、僕は推測している。
『彼』の物語を聞いた後だから分かったことだけど、きっとこう言ったのだと。
――七年前のようにならなければ、と。
言っていたのだと。
こう言ってたんだと、後悔している。僕は。
「何か言った?」
「いんや、何でもないよ」
後悔は後から悔やむものだと、思い知らされたわけだが、まだそれを語る時ではないだろう。
いや、後悔はしていなかった――僕がするべきではないから。
僕は、『彼』と彼女の物語を知らなかったのだから――否。
忘れてしまっていたのだから――僕か後悔することなど少しも無い。
それを言うのならば、後悔しているのは、一番悔やんでいるのはきっと『彼』なのだから。
眠いからおちる。
もしかしたら夜? 朝? に再開するかも。
再開。
「あんたもあんまり考えすぎちゃ駄目よ。前も言ったけど」
別に考えすぎているほど何かを考えていたわけでは無いのだが。
――そんな事は無かった。
すっげぇ考えてた、主にヤトのこと。
さすがに姉もそこまで見透かしていたわけではないのだろうが――いや、そうじゃないと怖すぎるんだけど……。
「実際、六日間働き詰めた神様だって、七日目は休んだわけだし――というか八日目から何してたんだろう? 神様」
話がコロッと変わった。
百八十度どころではない。もう別次元の話に変わってしまっている。
先の話題がどっかにぶっ飛んでる。
これが姉の悪いところだ。
完璧なまでに、自分のやりたい事や知りたい事以外に興味を持たないことが。
それは社会を生きていく中で、完全に不必要なものである。
これはつまり人の話にも興味をそそるものが無ければ聞かないわけであり、興味の無い仕事はやらないということだから。
もしかすると普段はそれを抑えているのかもしれないけれど。そうであって欲しい、お願いだから。
そんな事を言う僕も最悪なのだが。
最低なのだけれど。
僕の趣味、性癖とも言えるあれ――人間観察。
人の考えを読み取ろうとする癖。
自分は他人と関わろうとしないくせして――まぁ関われないのは一概にも僕に全面的責任があるわけではないのだけれど。
汲み取ろうとするくせに自分の考えは出来るだけ周りに知られないようにしていること。
普通の人たちもそのくらいのことはしているだろうけれど、僕はそのレベルではない。曖昧はあり得ない。
知られたくないことは絶対に教えてあげないし、悟らせてあげない。
僕の事を知りたがる人が居ないのが主だった理由だけれど……
――だが確かにその通りである。
何をしていたのだろうか? 神様は。
確か一回聖書を読んだことはあったはずなのだが、あれは分厚すぎるから殆んど憶えてないんだよな。
半分くらいから嫌々読んでたし。
七日目に休んだ後、アダムとイブを追放するんだっけ? じゃあそれをした後、何をしていたかだ。
まさか今この瞬間までずっと眠っているわけではあるまいし、全く分からないんだけど。
「私の今思いついた暴論だと――」
自分で暴論って言ったぞ。
何を言うつもりだ、我が愛しき姉よ。
「――人の人生勝手に弄くって遊んでたりとかしてんじゃない?」
暴論だった。
言い方が悪い。悪すぎる。
何だよ、人の人生を勝手に弄くってるって、それ聞いたらただのクズじゃん。最低な人じゃん。
そいつはきっと駄神である。
「人の不幸とか幸せとか勝手に決めてるとかしてそうじゃない?――こいつ最近可哀想だなー、よしちょっと弄くってやろう。的な感じの」
「いや、そこまで無いだろう、さすがに」
じゃあどこまであると言うのだろうか。
仮に、もしそうであったとしたら、僕はそいつを一発殴りたい。
僕のぼっち加減を見てそれをスルーしているなど、絶対に許さない。
ボッコボコだぜ!
たぶん返り討ちされるだろうが。跡形も残らないと思うが。
それこそ、あの天使の話のように、なんの痕跡も残さずに消え去るのだろう。
でも気分はそんな感じ。
「きっと何かしてるんだよ神様も……たぶん」
やばい、自分で言っておいて、そんな事が本当にあり得るのか心配になってきた。
神様今頃ニートしてるんじゃないだろうか、今日出来ることは明日も出来るだろう精神で。
それが幼女神とかだったら許しちゃうけど、あと一億年はそうしていてほしいけど。
見てみたい、その光景。
ごろごろしながらポテチを貪る幼女。
シュールすぎる。
「――まぁ、そうかもね神様にも色々あるんだよ。きっと」
などと、悟ったこと言う。
実際、悟っていると言うより、知っていると言う方が正しいのだろうが。
神様にも、色々あるんだと。
全員が全員幸せになることが不可能なように、神様だって、必ずしも幸せではないのだ。
とても当たり前のことに思えるけれど、そんな事を、僕が知っているわけもなかった。
たぶん、知っていたのは『彼』だけだ。
姉も、何かしらを知っていたのだろうけれど、それとは比べようも無いくらいの事を、『彼』は知っていたんだと。
それも、もう無くなってしまったけれど。
『彼』が何を思って、あんなことをしたのかは、定かではないけれど、僕ならきっと分かってあげられたかもしれない。
遅すぎて、本当に遅すぎたことだけれど、それでも出来たはずなのに。
なんで、僕は。
「いつか、後悔する時が来るかもしれないけれど――」
姉は少しトーンを下げた。
姉にもそれなりの思いがあったのだろうけれど、それこそ僕の知る処ではなかった。
その人の思いは、その人にしか分からないんだ。
どれだけ近い立場に居ようと。
どんなに寄り添って生きていようと、それは無理なんだ。
だから、僕も。
「良かった。もう来てくれないのかと思った」
これが、地獄を切り抜けた僕に対する、ヤトの洗礼であった。
あの階段、おかしいと思う。
設計の仕方が、人に優しくない。
たぶん、ここに来ているのがヤトと僕の二人だけなので、大した問題ではないかもしれないが。
でも、それでも本来は、それなりの人が来る予定で作られたはずなのだ、この神社も。
そう考えると、やはりあの階段は間違っている。
「あなたがまた来てくれて、嬉しい」
と言った。
いやこの台詞。
つまり端的に言うと、来てくれなくて寂しかった。
ということなのだが。
あまりにも極自然に発せられたその台詞に、一瞬呆けてしまった僕は全く悪くないと思う。
だって真顔だったもん、分かんないよ。
ちなみにヤト、やはり桶を持って登場した。
もしかしたらお気に入りのスタイルというのもあながち間違いではないのかもしれない。
ほら、あれだよ。猫耳少女が首輪つけてる感じ。あんなものなんだよ、きっと。
それに服装も同じだった。
紫の色に、花びらの着物。
いつもそれを身に着けていた。
それはとても綺麗なものだった。
一見豪華に感じるけれど、実はそうでもなく、とても質素なものだ。
花びらが大々的に描かれているけれど、それだけ。
それ以上の装飾はまったくされていなかったから。
後で知ったことなのだが、あの着物に装飾されたいた花びら。
名をシラン。
紫蘭というらしい。
名前の通りに、紫色の花なのだが、僕が驚いたのはそこではない。
驚いたと言うか、胸を打たれたと言うか。
これを見た時、はからずとも涙を流しかけた僕は悪くなかったはず。
それを『彼』に、言ってほしかったけれど、僕にも言ってくれなかったけれど。
それでもヤトの思いは、伝わったのかもしれない。僕を通して『彼』に。
そうであってほしい。
「えっと、そう昨日僕熱出しちゃって」
「そうなの? 大丈夫?」
大丈夫とだけ伝える。大丈夫だったし。
僕も、今まで一度も熱を出したことが無いというわけでもないし、それに熱と言えども微熱であった。
どちらかと言うと吐き気の方がきつかった。
お粥しか、のどを通らないくらいには吐き気があった。
それでも大丈夫だった。
今、生きてるし。
そういえば今日僕はある物を差し入れとして持ってきたのだが、それが驚きの事実の発覚の発端となる。
「なにこれ、初めて見た」
ヤトがこう言った、こう感想を述べた差し入れとは。
僕達に馴染みのあるあれ。
サイダー、だった。
「えっ? サイダー知らないの?」
衝撃である。
今日日サイダーごときの炭酸飲料を知らない子供がいるだなんて。
いや、この言い方はあれだが。サイダーが好きな人類に喧嘩を吹っ掛けている様にも聞こえなくない。
さらに突き詰めると、サイダーを開発したであろう偉大なる先人の冒涜にもなる台詞である。
僕にそんな勇気は無い。
ヤトに会って、感化されたわけではないだろうが、最近僕も、人類に対して辛らつになってきた気がする。
人のせいにするのはあれだけれど。
ところがヤト、知らないは知らないにしても、僕が思っているような知らないではなく。
「あぁ、これがサイダーなんだ」
という感じの知らないだった。
つまり知識としてのサイダーは知っていたけど、どのような物がサイダーなのかは知らなかった。といった感じ。
それもそれでおかしな話なのだが、そんな事は全く気にしなかった僕は、その不自然をスルーした。
「開け方分かる?」
と聞くと、頷くヤト。
なんでなんだろうか、サイダーは知らないのに缶の開け方は知っているというのは。
――まぁ、これにもれっきとした理由があるのだが。
それでもそれを知らない僕は、とても不思議に思う。
まさかペットボトルしか知らないのか? でもそれだと、サイダーを知らなかった説明がつかないし。
僕が嗜好に没頭しているところに、突然口を開いたヤト。
「サイダーって、というより炭酸飲料って可哀想だよね」
などと言う。
本当にこの子、大丈夫なのだろうか? クラスとかで浮いてそうなんだけど、この価値観の持ち方。
先んいやった、擬人化の話に比べるべくも無い、悪癖だったと言える。
炭酸飲料が可哀想って……。
「可哀想とは?」
「うん、だって炭酸飲料。二酸化炭素って水に溶けにくいものでしょ?」
それはそうだが、だからなんだと……
「なのに無理やりぎゅうぎゅうに詰め込まれて、可哀想かなって」
――まるで人間みたいだね。
やはりこの子、何かがずれている気がする。
まるで全く違う時代の価値観を持ってるみたいな感じ。
姉の興味の無さの極端さが姉の悪いところで。
僕の人間観察が僕の悪いところであるように。
ヤトの、なんでもかんでもを人間で表現しようとするのは。ヤトの悪いところなのだろう。
捻くれた価値観の持ち主である。僕達は。
こういうと自分達がまるで特別みたいに聞こえるのだが。
つまりこれは、気持ち悪い。ということなのだ。
だけど、気持ち悪い者は、気持ち悪い者同士で相性がいいのかもしれない。
それは、なんか恥ずかしいえれど。
「お金ってどう思う?」
「お金?」
「そう、お金」
僕達、気づかぬうちに討論を始めている様な気がする。
どちらかが話題を相手に振る形で。
「お金って例えば、純金を一グラム百円としようか。そして僕は純金を一キロ質屋で売り払うんだ」
「そして?」
「そして僕はその純金と引き換えに十万円を貰う」
「そうだね、そうなるよね」
「じゃあ、その後その純金はどうなるんだろうね? 本当に価値のある純金を、ただの紙切れに換えた後、その純金はどうなるんだろうか?」
ヤトも押し黙った。
ここまで来ると被害妄想も大概にしろと言うか。人間不信に過ぎると言うか。
ヤトも押し黙った位の偏屈さ。
全然誇れないけど。
実際、小学生を大人が論破したわけだし。褒められたものじゃないし。
ヤトも押し黙った。
ここまで来ると被害妄想も大概にしろと言うか。人間不信に過ぎると言うか。
ヤトをも押し黙った位の偏屈さ。
全然誇れないけど。
実際、小学生を大人が論破したわけだし。褒められたものじゃないし。
「そっか、そうだね。考えた事も無かった」
と愉快に笑う。
ケラケラと笑う。
出会って、五日も経ってないけど。
こんな感じに笑うのだと、ヤトも。
安心した。様な気がする。
やっぱり過保護、かな?
「昔なら良かったんだろうけどね、金貨を使ってた時代なら」
「そうだね、実際こんな紙切れで世界が回ってるんだし。神様にだって祈れるんだし」
「世知辛いね。この言い方も間違ってるかもしれないけど」
顔を見合わせて笑いあう。
とても楽しい時間だ。
「じゃあこの世で一番大事なものってなんだと思う?」
次はヤトの番。
「どうだろうか、これは悩むな。ヤトはどうなの?」
時間稼ぎをするつもりで返した質問だったのだが。
ヤトは一度考えた事があったらしく。
「思い出、記憶、かな」
と言った。
そうかもしれないな、思い出は大事なんだろう、素直にそう思う。
思い出は、人生の価値を決めるもので。
記憶は、人生の重みを決めるものだ。
僕にそんな事を語るほどの人生を送ってきたと、胸を張れる自信は欠片もないけれど。
じゃあ――僕は何のために生きているんだろう。
なんのためにいきているんだろう?
僕は
なんで?
きっと
なんのために?
そうだよ、決まってるじゃないか。
「僕が僕で在る事」
それが一番大事なんだ。
乙!
男は少女が神様だって知らないよね?
再開。
コロン。
と音がした。
僕の直ぐ隣から。
それはもちろんヤトのことなんだけれど、僕はヤトの方を見る。
――これが、もしかすると人生の転機だったのかもしれない。
これがあったから、僕は『彼』の事を知り、彼女の――ヤトの過去を、知ることになったのかもしれない。
本当は知りたくなかった気持ちもあった、まるでそれが自分の罪のように思えたから。
それは僕のせいとは、とても言い難いのだが。
それでも僕のせいだと思った。
『彼』と僕は別人だし、年も全然違う。
自分の気持ちは、自分にしか分からない。
それでも。それでもそれを分からなかった僕が、悪いのだと。
そうでもしないと、僕が僕で居られなくなるから。
そう在り続ける為に、思いこんで。
そんなことをしても無意味だというのに、思いこんだ。
自分の心に刷り込んだ。
それでも、僕は。
――僕の発言を聞いたヤト。
コロンと。
サイダーの缶を、地面に放り出した。
中からサイダーがこぼれ出てくる。
別に意図的にやったわけではない。
これは心が分かり合えない他人だとしても分かった。
ここで初めて、僕は後悔することになる。
これから後、たくさん悔いることになるけれど、これが最初の後悔だった。
もっとも、そのことを後悔した僕だけれど、『あの事』は僕もまだ知らないので、よく分からない後悔をしていた。
何にも分からずに、ただただ後悔した。
何でそうなったかは分からないが、何が理由でそうなったかは分かった。
それはもちろん、先の発言。
僕の一番大事なこと、が理由だったけれど。
僕が、自分の思いをそのまま口にした時。
ヤトはサイダーを、思わず放してしまった。
僕は、缶にではなく。
それを落としたヤトに、顔を向けた。
そして絶句する。
「――え?」
僕との会話の中で、たくさん笑っていたヤト。
少し、変だけれど、それでも笑いあったヤト。
最初はとても寂しそうだったけれど、いつのまにかそんな面影も見せなくなったヤト。
そんなヤトが。
幸せそうに見えていた、少なくとも僕にはそう見えていたヤトが。
目から、一粒の水を垂らした。
ヤトが――泣いていた。
ショックで一瞬呆けた僕だったけれど、直ぐに回復し、ヤトに声を掛ける。
「ど、うかしたの?」
僕のか細い声を聞き、ハッと我に返った様子のヤトは。
それでも笑顔を繕った――いや、泣いているのに気が付いていなかった。
無意識に、それこそ自分ではどうしようもない感情だったのだろう。
ヤトは、無理やりに笑顔を作った。
「どうしたの?」
心が痛むとは、こういうことだったのか。
胸が苦しくなる。
「何で、……泣いてるの?」
これは言わない方が良かったのかもしれない。
僕の本心としてはそうだった。
これを言ったせいで、ヤトの苦しみも、また大きくなってしまった。
僕もそれを背負おうとしたけれど、ほんの一握りでも、辛くないように背負ってあげようとしたけれど。
それでも、やっぱり駄目なんだ。
僕はヤトではないから。
背負っているつもりなだけなのかもしれない。
僕の言葉でやっと、自分が泣いているのに気付いたヤト。
目に手をやる。
「あれ? なんでだろう?」
それがきっかけだった。
次々と溢れ出す涙に、堪えられなくなったヤト。
少しずつ、顔が歪んでいく。
「おか、しいな。なん……でっ――」
――なんで今更。
止まらなかった。
今まで、塞き止められて、募りに募った思いを、また止めるだなんて。
そんなことできる筈も無かった。
擦っても、擦っても。
涙は止まらなかった。
「なんでぇ……ッ」
分からなかった。
なんで、なんでなのか。
どうすることもできない。
たった一人の女の子の涙さえ止めてあげられない。
なんで…………。
「ごめんなさい。ごめんなさい――……」
それらの言葉は、次第に謝罪の言葉に変わっていった。
ただひたすらに、ごめんなさいと謝り続けるヤト。
分からない。
分からない。
たった一つ、声を掛けてあげれば良いだけなのに。
でも、そんな簡単なこともできないで。
分からなかった。
ヤトの涙に、夕陽が光って消えた。
泣き続ける少女を、どうすることもできずに見ていた僕に。
ヤトはこう言った。
責めるつもりはなかったらしいけれど、それは僕の心に深く突き刺さって、もう直らない傷になった。
ヤトは悪くない。
『彼』も、そう思っているはずだ。
でも、そんな薄っぺらな言葉では、なんにも変わらない。
「きょう、は……かえって」
反論しようと、放っておけないと言おうとしたけれど、僕は口を噤んだ。
目の前に泣いている少女が居るのに、それをするのは無責任だけれど―――だけど。
それよりむしろ分かりもしないことを、分かった風に言うのは、もっと無責任だと思って。
僕は、口を噤んだ。
「分かった」
カバンを肩に担ぎ、階段を下りる。
太陽が、僕に背を向けた―――背を向けたのは。
目を逸らしたのは、僕の方か。
家の辺りは、もう薄暗くなっている頃だろう。
早く、帰らないと。
心なしか、歩くスピードも、徐々に速くなっていく。
早く、出来るだけ早く。
この場から立ち去りたかった。
同じ場所に、居続けるのは、駄目な気がして。
悶々と、わだかまる感情が、僕を蝕んで、犯していく。
「……なんで、なんだろうな」
何気なく口にした一言、無論、それを聞いている者などひとりも居ない――否。
居た。
居たんだ、一人。たった一人だったけれど。
それでも僕にとっては、それだけで十分な人が。
これを後々、偶然だったとは全く思っていないけれど。
全てを知った上で、あの状態の僕に話しかけてきた人物。
それを、もちろん僕は、このとき気づきもしなかったけれど。
「なにが、なんでなんだろう、なの?」
いきなり話しかけられたのに、ビックリした僕。
後ろを振り返ると、そこにはよく見知った顔が――姉が居た。
姉は――姉さんはいつも僕の味方でいてくれたけれど、今回はどうなんだろう。
よく分からないまま、一人の少女を泣かせてしまった僕を、どう思うんだろう。
呆れるのかもしれないし、怒るのかもしれない。
もしかしたら、また興味の対象外として、聞く耳を持たないのかもしれない。
それが、一番良いと思う。
僕にとっては。
「おーい。聞こえてる? 返事しろー」
僕の目の前で、手を振る姉。
なんか、あれだな……言っちゃあれだけど、すんごくうざい。
「……聞こえてるよ」
少し暗くなってしまった。
声も気分も。
「なんだ、聞こえてるなら返事しなさいよ」
それは確かにその通りだけれど……。
「で、あんたここで何してんの?」
「家に、帰ってる途中」
「ふーん」
これは嘘ではない。
多少、黄昏てたのは認めるけれど、僕は家にしっかりと向かっていたから。
そう言う姉はどうなのだろう。
仕事場がこっち方面にあるのか? それとも、他の用事でこっち側に来ているのか。
一瞬、迷ったけれど、直ぐに尋ねた。
「姉さんは、なんでここに?」
なんか、それなりに凄いことを期待していたりもしたけれど、姉の理由はそうでもないものであった。
それも、姉にピッタリというか、そんな感じ。
「絵の材料を探してたのよ」
絵の材料。
これを聞くと勘違いしそうになるが、材料というのは、絵の具や筆などの事ではなく、絵の被写体のことを指している。
それを探しにここまで来たらしい。
「良いのは見つかったの?」
「いんや、全然。無駄足だったぜ」
無駄足だったらしい。
「何を描くつもりだったの?」
「初心な少年少女を描きたかったんだがねぇ」
「…………」
それは。
いや、それはないだろう。ありえない。
「でも、失敗だったな。無駄足というより、取り越し苦労というか、なんと言うか」
取り越し、苦労? 何を言って…………。
「そういえばさー」
悩む間も、考える間もなく。
話を切り替える、姉。
ここまで、その行為にイラつきを感じたのは、初めてかもしれない。
「…………なに?」
「いやね。そこの道を真っ直ぐ行くとさー」
――その道を真っ直ぐ行くと?
その道って。
「その図書館? に行ける狭い道だよ。そこの」
図書館。図書館だって?
「その途中の分かれ道を右に行くとさ――」
――神社があるじゃない?
「じ、んじゃ……?」
「そうそう、その神社。なんだっけ? 何か、や、や……」
「…………夜刀神」
「おう、それだよ。それが祀られてある神社」
「それ、が。どうしたの?」
「いやー。懐かしいなと、思って」
懐かしいな、と思って?
ここで、やっと。
物語の転が終わる。そして、始まる。
長い長い、プロローグから。ここまで伸ばしてきた、物語に終わりが。
始まろうとしていた。
「七年前にさ――」
僕には、幼少期の記憶が殆んどない。
それを憶えていないのは、特段不思議なことではないはずだ。
だから、僕もそれを深く考えることはなかった。
だけど、今。
姉の言葉を聞いて、やっと分かった。
幼少期の記憶がない。
そう思っていた。なんて、鈍感なんだ。鈍いにも程が在る。
幼少期どころか。
――『七年前』の記憶すら、僕には残されていないじゃないか。
「七、年前?」
「うん。七年前にさ、あんた」
――その神社に、一回行ったことあるんだよね。
「一回、いった? いや、でも僕は――」
あれ? いや、七年前って。
一体僕はなにをしていたんだ?
「でも、その時は神社っていうよりも。社って感じだったけれどね」
神社じゃなくて、社。
大きさの規模が、段違いに違うということか?
いや、だからなんだ。
それでも、七年前のことを忘れるなんて、ありえないだろう。
七年前といえば、まだ僕が小四の時だぞ? 憶えていないなんて――
そこで、だった。
何かが、作り出される音がした――否。
何かが、壊れていくような。
思い出せ。
ヤトが、言っていたことを。
姉が言っていたことを。
思い出せ。思い出せ。
七年前に、なにがあった。なんで、僕は七年前以前の記憶がない。
なんで――
「――姉さん」
「…………なに?」
「先に、帰っててッ」
振り返り、走り出す。
分かった。分かったんだ。
意味が分かった。理由が分かった。
馬鹿みたいだ。なんで気付かなかったんだ。
ヤトの言ったとおりだ。
第三者から見れば、よほど馬鹿みたいだっただろう。
気付くのが、遅すぎるんだ。
いつも、僕は。
ヤトは。
この神社に夜刀神が祀られていることを言う前にも。
人間の将来やあり方についてのときも。
それに、僕と初めて出会ったときも――否。
・・・・・・・
再開したときも。
ずっと、ずっと言ってたんだ。
「ごめんなさい」
って。
振り向く寸前。
姉が笑っていたのを、僕は見逃さなかった。
慈愛に満ちた目だった、それを。
僕は目に焼きつけた。
――階段を駆け上がる。
膝は限界で、もう今にも折れてしまいそうで。
それでも、走って。
走って。
ものの五分程度か。
神社に着いた。辿り着いた。
鳥居の真ん中を通る。そんなこと、気にしている暇はない。
身体も清めない。
賽銭箱の前に、ヤトは居なかった。
周りを見渡す。だけど、見つからない。
居なかった。ヤトは。
いや、そんなはずはない。
この神社から町に向かうためには、僕の通った道を通らなければならない。
それに、ヤトにはそんなもの関係ないだろう。
賽銭箱に駆け寄る。その時だった――
――グスッ。
と、聞こえた。
確かに、僕の耳に届いた。
小さな女の子の泣き声を。
しっかりと、耳にして。
――あぁ、そうだった。
「なんで」
――昔はこうやって。
「忘れていたんだろうな」
「なんで泣いてるの、お姉ちゃん?」
ヤトを呼んでいたじゃないか。
憶えている。しっかりと。
思い出した。
僕の事。『彼』の事。
「泣いたらダメなんだよ。お母さんが言ってたんだ」
――泣いちゃったら、自分が自分でいられなくなるって。
「――え?」
「だから、泣かないで」
「なん、で……?」
「なんでなんだろうね。なんで――」
忘れていたのか。
「……本で読んだよ。夜刀神の呪いの話は」
「――っ!」
「一族が滅ぶんだって? なるほど、だから――」
僕には両親が居ないのか。
「あの時は聞けなかったけれど、今ならもう一度聞ける」
「な、なにを……?」
僕は不思議と笑って、こう言った。
「神様って、いつもなにをしているの?」
(完)
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(後日談)
「――姉さんは」
「ん?」
「姉さんは、なんで知ってたの?」
「あぁ、それ」
「そう、それ」
家のリビング。僕は姉と向かい合って座っていた。
食卓にはチャーハンが置いてある。
「どこまで知ってんの、あんたは」
「ヤトが昔、人に生贄にされたことは知ってる」
「そう。意外と知ってるんだね」
「調べたから」
ふーん、と。いつものように姉は興味なさげに相槌を打った。
僕はチャーハンをかき込む。
「蛇の呪い、だったっけ? それを恐れた人間が、村の麗しい少女を生贄に捧げたって」
「うん」
だから、あんなに人間に対して辛らつだったのだろう。それならば、納得はいく。
「そして、それを社を護る一族がいるってことも知ってる」
「あぁ、それ私んとこの血筋だわ」
「え?」
「えッ、なに?」
「…………まぁいいよ。それは後だ」
「そう、分かったわ」
あっさりと暴露されたから、驚いたけれど。それも想像の範疇だ。
大丈夫。
「僕は七年前に、ヤトに会ってる」
「そうだね」
「だから、僕の家族は全滅した。僕を除いて。そして――」
「――お守り、でしょ。それ、まだ持ってたんだ」
「持ってたよ。捨てるわけないだろう」
「ぼろぼろね、それも」
「ずっと持ってたから」
「あ、そう」
「――姉さんが関わっている、僕の不可解なところは全部分かった」
「ほう、例えば?」
「おまもりを壊された後に、イジメがなくなったこととか」
「…………」
「でも、そのおまもりなんだよ。それが分からないんだ」
「……どこが」
「おまもりが壊れて、イジメが起きたんなら分かるけど。おまもりが壊れてイジメが止んだのは、よく分からないところだ」
「……それは。アンタが、まだ呪いを受けていたからだよ。社が神社になって、お払いを済まされたその時に――」
「――おまもりが壊れた」
「そう。おまもりの効果は、のろいの軽減だけだから。町に殺される、を町に嫌われる、に弱めたから」
「だから、壊れてから、ね」
「それでも、呪いは消えなかった。いや、正確にはアンタからは消えたんだけどね」
「町には残った?」
こくりと頷く姉。
「アンタが、町からしてみればね。存在してはいけない者なのよ。だから、あたかも存在していないかのように扱われる」
――まぁ、物理的には無理だけど。
なるほど。
それでも、プリントだけがまわってきた理由にはなってないけれど。
「それはあれね。神と紙が掛かってんのよ。言霊ってやつ」
それは、なんかあれだな。
紙が、神と同類みたいで。
「で、その存在してはいけないってのは、アンタのその『記憶』に関してもそう」
「ヤトのことが残ってはいけないから?」
「そういうこと。だから憶えていなかった」
「そういうこと、ね。でも。分かったよ、大体は。だから、さっきの話を聞かせてもらおうか」
「さっき?」
「姉さんの血筋の話だ」
「あ。うん、まぁ」
「ごまかすな、はっきりと言え」
「なんというか、あれね。リストラとでも言うのかな? 神社になったからお役御免みたいな感じ」
「でも、あの神社には神主はいないけど……」
「それは国に言え」
「それもそうか」
気付けばチャーハンもなくなっていた。
僕は流し台に置き、財布と鍵をポケットに突っ込む。
「どっか行くの?」
「ヤトのところ。なんだかんだいって、特に何にもしなかったから」
「そう、いってらっしゃい」
「いってきます」
僕は、普段使っていない自転車にまたがって、走り出した。
ヤトが、サイダーの実物を知らなかったのに、缶を知っていたのは。
僕が七年前に、缶のオレンジジュースをヤトに差し入れしたからだった。
その時にサイダーのことも教えていたから、サイダーの名前だけを知っているという構図ができたわけだ。
ヤトの神社までは、大体数十分でつく。
三週間ほど行かなかったけれど、今日行く。
もう、僕も夏休みに入った。おとといのことだ。
自転車は加速し、あの地獄の階段が目に入った。
自転車に鍵をかけ、階段をあがっていく。
もちろん端っこを通り、身体を清める。
場をわきまえる人間の再来だった。
そして、賽銭箱に向かう。
一声。
「久しぶり」
「三週間ぶり」
ヤトは後ろに立っていた。
いつものように、いつもの格好で。
「座ろう」
「うん」
賽銭箱に身を委ねる。もう、そこは許容範囲内だ。
「僕も――」
「うん?」
「僕も、昔はやんちゃだったな」
「そうだね、まさか私のためにあそこまでしてくれるとは思わなかった」
「まぁ、失敗したけど」
「ううん。失敗じゃないよ」
「そっか」
そっか、失敗じゃなかったか。
それなら、良かった。
「――君のせいじゃないよ」
「え?」
「君のせいじゃない。僕が、いや『彼』が勝手にしたことだよ。少なくとも僕はそう思う」
「――でも……」
「もし、それでも君が何かをしたいと思うんなら、この神社を護るべきだと思うよ」
「…………」
「唯一残された、『彼』の足跡だ。たとえそれが失敗だったとしても、そうじゃなくても」
「…………うん」
『彼』はもう居ない。
僕も、それなりには知っているけれど、全てではない。
たぶん、まだ呪いが残っているんだろう。
記憶が全て戻ったわけではないのだ。詳しく知っているのは、たぶんヤトだけ。
だけど、もう終わりにしよう。
きっと、『彼』もそれを望んでいるだろうから。
僕は立ち上がる。
それに釣られ、ヤトも立ち上がる。
僕はポケットから財布を取り出し。また財布から百円を取り出す。
「またお参り?」
「うん」
また、あの時のように同じ事を――あれ?
ヤトはこの神社に祀られている神様で、僕はこの神社に祀られている神様にお祈りをして――
「? どうしたの?」
それはつまり、僕はヤトにお願いをしていたということか?
いや、待て。
そういえば、ヤトはこういっていたではないか。
「ありがとう」
と。お参りをして帰る途中で。
「――うわぁ……」
最悪だ。
めっちゃくちゃ恥ずかしい。
それに「ありがとう」の意味も分かった。なるほどだった。
「これは……」
馬鹿みたいだった。
滑稽だった。喜劇みたいだった。
――でも、それでも。
あの時と同じように。
手を叩く。
そして祈る。
――ヤトが神社を護っていけますように……
って。
(こんどこそ完)
乙乙
いい雰囲気だった
――×××
これは、僕がまだ、町に嫌われていなかった頃の事。
ヤトと出会う七年前の出来事だ。
とは言っても。僕自身、ヤトから聞いた出来事を、そのまま綴るだけなのだから、
胸を張って話すことはできないけれど。
僕自身の虫食いだらけで歪な記憶に、ヤトの補足を加えただけだから。
『彼』の考えは知らないし、思いも知らない。忘れてしまったのだから。
語るに落ちる。そんな物語。
そんな歪な、『彼』の物語を。
(*゚∀゚)ツヅキ?
僕がヤトに出会ったのは、まだあの神社が神社ではなかった頃。小さな社だった頃のことだ。
別に、そこに運命とかそんな、非科学的な関連性は無かっただろうけど、そこで出会った。
小学校五年生の春だった。
その頃は僕にも友達はいたらしい。放課後にはよく遊んでいたようだった。
だけど、僕がヤトとであった日に、僕は一人細々と図書館に向かっていたのだった。
それならば、僕が図書館に毎日訪れていたのは、それが原因ということで間違いないだろう。
何故、図書館に向かっていたのかは忘れてしまった。それほど大事ではなかったからかもしれない。
その頃にはまだ、道中に分かれ道は無かった。
右に少し、道が逸れているだけ。そんな道のりだった。
つまり、あんなある種初見殺しの階段は存在していなかったわけだ。
一人で道を歩く、そんな僕に、図書館への逸れた道が見えてきたのだった。
だからと言って、もちろん右に少し曲がり、図書館に向かったなんてそんなことは無かった。
右に向かおうとした僕に、それを阻止する声が聞こえきたのだ。
どこからか、森の中。緑の生い茂る暗闇の中から。
歌が聞こえてきたのだ。
うっかりしたら、鳥の声と間違えてしまいそうな声。
小さくて、綺麗な声だった。
歌のタイトルは知らなかった。きっととても古い歌なのだろう。
そこには道なんてものは無く。隙間すら見当たらないほどに、木々が生えている。
だけど、僕にはそれを確かめないという選択肢は存在しなかった。
歌の出所を確かめるべく。
僕は木々を分け、雑草を踏みしめ、森の奥深くへと足を進めた。
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