綾「山茶花の生垣」 (64)

カレン「アヤヤって、なんだか古風でお堅い感じするデス」

私の隣を歩いていたカレンが、こちらを向いて言った。

綾「どうして」

カレンのすぐ横を、赤いコートを着て犬の散歩をしている中年女性が通り抜けた。
再び歩き出したカレンに、私は歩調を合わせる。普段どおりの通学路を、二人で歩く。
茶色くなったアレチヌスビトハギが群生している空き地の、ゴミのポイ捨てを禁じる背の低い看板が錆びている。

カレン「ほら、今頭の中で堅い言い回ししマシタネ?」

綾「うーん、そうかしら」

ぴゅう、と寒風が吹き抜けて、私は腕を組んだ。いよいよ寒気がその本腰をあげ始めたようである。

カレン「ヨーコは学校遅刻かも知れマセンネ」

朝布団から出るのを躊躇いだす季節。布団の呪縛から逃れられなかった陽子が、八時ごろ私にメールで遅れる旨を伝えてきた。陽子と二人で登校するのが常であるが、今日はそういう事情でカレンと共に通学路を辿っている。

カレン「いよいよ、今週デスネ」

綾「そ、そうね」

カレンは嬉々とした表情で私に話を振ってきた。その快活さを私も見習えばよいものか分からないが、今は顔を赤く染める事しか出来ない。


カレン「きっと大丈夫。ヨーコもOKしてくれマス!」

綾「うん」

ほう

私の陽子に対する恋慕。その感情をカレンが洞察したのは、かなり以前の事だと言う。
ちょうど一週間前カレンに指摘された時にはひどく驚いた。
カレンは私に、週末陽子を誘い二人して出かけ、そこで告白をするよう言った。
勢いに押されて承知してしまったことを少しばかり後悔している。

カレン「私、応援してるデース!」

綾「あ、ありがと」

冷たい風が心地よく感じられるほどに私の顔は熱を帯びていた。
気恥ずかしくて、カレンよりも先に立って歩いた。

支援

カレン「それにしても、寒いデスネー。アヤヤは大丈夫デスカ?」

話題が逸れたことに深く胸を撫で下ろす。陽子の話題はどうも緊張してしまっていけない。

カレンはとてとてと私の横についてきて、英国国旗柄のパーカーの袖に両手をすっぽり覆い隠す。
綺麗な金髪が澄んだ秋の陽光に濡れて光っている。
しきりと左右を気にしながら歩くカレン。
何にでも興味を覚える子供のようで、私は微笑んでしまう。

カレン「あっ、あんなところに公園があったんデスネ!」

カレンが指差したのは、普段は直進する交差点を右に折れた方向だった。
歩道に植えられた銀杏並木を目で数えていくと、その先に古びたプラスチック製の滑り台が見えた。

カレン「ちょっと遊んでいきマショー!」

支援

私の反応を待たずに、カレンは駈け出している。携帯で現在時刻を確認すると八時十分だった。
ここから学校まで十数分はかかるので遊んでいる余裕はない。
けれどもカレンにそう言ったところで止める事は出来ないだろうと諦め、彼女を追いかけた。

カレン「わーい! 寒さなんてぶっ飛ばすデース!」

滑り台、ベンチ、鉄棒、それと一メートル四方ほどの砂場だけの、小さな公園だった。
出入り口を除いて、生垣がフェンス代わりに四方を囲んでいた。

私は生垣に近づいた。
深緑の鋸状の葉の中に、淡い色の蕾が幾つか浮かんでいて、薄いピンク色の花弁を覆い隠しているのが分かった。
触れてみると、しっとりとした感触がある。

滑り台に喜んでいたカレンが私の様子に気づいて近づいてきた。

カレン「アヤヤ、これ何の花デスカ?」

支援

綾「山茶花よ」

カレン「サザンカ? えーと、分かんないデス」

綾「そうね、椿の仲間よ」

カレン「ツバキ、ツバキ……oh,camelliaデスカ!」

私の周りを、甘いシャンプーの香りが漂った。
カレンがずっとそばに近づいてきて、同じように蕾を触っている。

綾「かわいいわよね」

カレン「camellia、私も好きデース!」

しばらく、生垣全体を見て回った。
蕾の様子から推して測るに、すぐにでも咲いておかしくなかった。
可憐な花が咲いている様子を、目に焼き付けたいと思った。

カレン「今何時デスカ?」

はたと気付いた。生垣の観察に夢中になっていて、時間的余裕がない事をすっかり失念していた。

綾「八時、二十分……」

カレン「アヤヤ、ダッシュデース!」

カレンは私の手を無理に引っ張って駈け出した。足が付いていかず、私は盛大に転んだ。

綾「はあ、はあ……」

なんとかHRが始まるまでに着席をすることが出来たが、カレンの健脚ぶりをまざまざと見せつけられた気分だ。
私は呼吸を整えながら、そう言えばカレンは運動が得意だったと思い出していた。
そして、もうひとつ不可解な事、すなわち私が教室に入って来た時、既に陽子は着席していた事についても考えた。

HRが終わると、陽子がこちらへやって来た。
既に週末の約束は取り付けてあったこともあって、陽子を見るだけで体が強張ってしまう。

陽子「なんで朝私より遅かったわけ……」

綾「逆に、なんで私たちより陽子のほうが早いのよ」

陽子「ダッシュ。一日十キロランニングで鍛えた足が役に立ったな」

陽子「何かしてたの?」

綾「カレンと近くの公園で遊んでて――」

陽子「ぷっ、高校生二人が公園で遊んでた? あはは、何してんの」

綾「カレンがいきなり行こうっていったから」

陽子「ああ、そっかカレンだもんな、あり得る」

陽子は緩んでいた白いソックスの端を引っ張る。
相当走りこんでいるのだと見ただけで分かる、引き締まった太腿。

陽子「……なんで、脚なんか見てるのよ」

私の熱のこもっ視線に気づいたのか、陽子が指摘した。

綾「ご、ごめん。ちょっとぼーっとしちゃって。朝から体動かし過ぎちゃったかも」

それは本心が半分で、もう半分はそのフォルムに対する思慕であった。
陽子のような脚を持ってすれば、家から学校までの距離を駈ける程度、いとも容易いことなのだろう。
ランニングでも始めてみるのも一興か。
そうなると、ランニングを始めたことが陽子に悟られるだろう。
そして、ゆくゆくは二人一緒に走る事が叶うかも知れない。――

陽子「どうしたの? 顔赤いよ」

綾「な、なんでもないわ」

陽子は私の反応をしばし訝っていたが、自分の席に戻るらしく振り返った。
その時やや茶色がかった髪が靡くのを、私はぼんやりと眺めていた。
嗚呼、私は本当に、陽子に恋をしてしまっている。

カレンが私のそばにいることに気付いた。いつからいたのか。

カレン「完全に見とれちゃってマスネ」

綾「なによ!」

忍「え、綾ちゃん、何を見てたんですか?」

アリス「私も気になるよー!」

自席に座っていた二人が、こちらへやってきて言った。

綾「な、なんでもないわよ」

カレン「それは、アヤヤにとってとても大切なものデース」

アリス「それは、何?」

カレン「内緒デース。ね、アヤヤ?」

綾「え、ええ」

私が陽子の事を好いていると知っているのは、カレンだけだった。カレンには他の人に、それを伝えないよう言ってあった。

忍「陽子ちゃんとか?」

綾「そそそそそんなこと、ないわよ」

忍「そうですかー。まあ、いいです。それよりアリス、――」

一限目は理科で、移動教室だった。
そろそろ移動しようという頃合いになり、教室のドアを開けると寒風が吹きこんできた。

陽子「うわ、さむー」

教室は人の熱で暖まっているが、廊下は別だ。
冬に迫って来ると、移動教室はこういう理由で苦痛となる。嫌な気持ちを抑えて、廊下に出た。

陽子「綾ー」

綾「え?」

陽子「ぎゅー」

一瞬何があったか判断がつきかねた。
須臾の間の後、背中の柔らかく温かい感触から、陽子に抱きつかれたのだと気付いた。
気づいてから私の頬に熱が宿っていくまでは早かった。

綾「な、なにするのよ!}

陽子「綾暖かいかなーと思って」

陽子は悪びれる様子もなくさらりと言った。

陽子「いいじゃん。ほら綾も私に抱きついていいんだよ」

綾「そんなこと――。陽子のバカ!」

陽子「え、私なんか悪いことした?」

カレン「あらあらー、デス」

カレンの声が聞こえたような気がしたが、無視して移動先の教室まで走った。

授業中先生の話を聞きながら、私の脳裡には陽子の姿が焼き付いて一時も離れなかった。
陽子の感触。思い出しただけで、顔面の紅潮は避けられなかった。
このような調子で、週末陽子に思いを伝えることなど出来るだろうか。
――二人して歩いていて、大切な話があると打ち明ける。
陽子はきょとんとした顔でこちらを見つめている。
その陽子の目を、じっと見つめ返しながら、愛の言葉を口にする――。
それは困難に近いように感ぜられた。
しかし、先だってカレンには告白をすると誓ってしまっていたのだ。
己を律するために折角立てた誓いを破るということは、したくない。
ずっと頭をそのことに働かせていたものだから、先生に当てられたことが分からず、暫く教室が妙な空気になった。

午前中の授業が終わり、昼休みに私、しの、アリス、陽子の四人で弁当を食べることにした。
陽子は早弁をしていてその残りを三分で平らげた後、おかずを恵んでくれるよう周りに頼み始めた。
しのが唐揚げを差し出すと、陽子は犬のようにがっついて面白かった。

陽子「で、綾、週末の予定は決まってんの?」

綾「そ、それがあんまり決まってなくて」

綾「まずいつもの本屋さんを目指しながらお店を見て回って」

綾「その後新しくできたペットショップを見に行って、それが終わったらカフェで一休みするところまでしか考えてないわ」

陽子「お、おう、結構決まってんだな……」

陽子は圧倒されたようにのけぞった。

忍「陽子ちゃんと綾ちゃん、お出かけするんですか?」

アリス「私たちも連れていって!」

陽子「いやそのつもりだったんだけど、綾が二人きりで行きたいって言うんだよ」

忍「えー、どうしてですか?」

綾「ちょっと、ごめんね」

それ以上の事を言う訳にはいかなかった。

アリス「シノ、二人でどこか行こうよ!」

忍「そうですね!」

忍の詮索を遮ってくれたアリスに内心で感謝した。

放課となり、五人で帰る。他愛もない会話を交わしながら、のんびりと歩いた。
いつもの交差点でカレン、アリス、しのと別れ、陽子と二人で家路を辿る。

陽子と二人、くだらない会話を交わしながら歩いた。
他愛もない会話を交わすだけでも、私には甚大な疲労が押し寄せてくる。
陽子の息遣い、言葉の強弱すべてを感じ取ろうとしてしまい、また自分が何を言っていいか深く考えてしまうからだ。

陽子「じゃあね、綾」

私の家へ通じる曲がり角で、陽子は立ち止まって言った。

綾「うん、さよなら」

陽子「あそうだ、綾」

綾「ど、どうしたのよ」

陽子が真剣な顔をして言った。

陽子「明日から朝起きたらメールしてくんない? 私寝てるかもしれないからさ」

綾「自分で起きなさいよ……」

陽子「そう言わずにさ。空メールでもいいんだよ」

陽子が手を叩き合わせて背をかがめた。

綾「わかった、わかったわよ……」

陽子「ありがと。んじゃ!」

陽子は笑顔を見せながら歩いて行った。
陽子の体が夕日の色に染められ、白い歯がその中で非常に映えていた。

その日から先、やはりどの数瞬を切り取ってみても、私の脳内では陽子のことを幾らか考えていたようである。
朝起きてから、夜の枕上に至るまで。
そして毎朝陽子に挨拶する時は手に汗を握ったし、二人きりで登校する事にも慣れる事なく、常に心臓は乱打していた。
約束の日に近づくにつれ私の緊張は日増しに高まるばかりで、カレンに大丈夫かと心配される事もあったほどだ。

その日の朝、私は最高潮の緊張と共に目覚めた。
陽子の夢を見ていた。
二人で学校の廊下を歩いている。突然立ち止った陽子が、私に言う。私、実はずっと綾の事が好きだったんだ。恋愛対象として。
陽子のやや照れを隠すような微笑み。私は茫然として佇立する他なかった。
陽子もそういう思いを抱きながら、これまで私と接していたのかという驚き。そして予想を遥かに上回る幸福感が、私を包んで――

返事をする場面が来る前に、目が覚めた。部屋は寒かったが、汗で布団がしっとり濡れていた。
緊張しちゃだめだ。これを吉兆と信じて、今日は頑張ろう。

待ち合わせの時間午後二時まで、気が気でなかった。
食事を落ち着かない気分で取り、なんの意味もなく自室をぐるぐる歩きまわったり、一階と二階を頻繁に行き来したりしているうちに時間が過ぎた。

告白の時が近づいてきているのを実感するにつれて、喉の奥になにかしこりようなものの存在が感じられるようになった。
きっと、これは陽子に伝えたい思いが凝り固まったものだろう。吐き出したい。今日はこれを吐き出すのだ。

一時半に待ち合わせ場所の広場に到着した。
うちで待っているほうが落ち着かない。
が、身を切るような寒さに、その判断は誤りであったと思いなおす。首をすくめて水色のストールに顔をうずめる。
もう少し長い丈のスカートを穿いてくるべきだったと後悔しながら、広場の中心にある葉が枯れかかった躑躅の植え込みをぼんやりと眺めていた。

陽子が来た頃には、私の体はすっかり冷え切っていた。

陽子「ごめんごめん。待ったよね」

綾「二十分遅れです」

陽子「悪いって」

陽子はさして悪気がなさそうに軽く首を動かした。全く……

ちょっと用事
あれなら落としてくれ

ほしゅ

陽子「行こっ」

陽子は私に言った。ベージュのパーカーに、デニム地のホットパンツという普段どおりの格好だった。
私が今日お洒落をしてきている事にはきっと気付いていないだろう。

陽子「いいマフラーだね。似合ってるよ」

予想通りの間違いだったので驚くことはなかった。襟巻にしている時点で判別は難しいものだが。

街の往来にコートを羽織っている人の数が増えていた。
そろそろ一日のうちで最も気温が高くなる頃ですら、この寒さだから不思議ではない。
そう言えば、陽子は年中ホットパンツで寒くないのだろうか。

陽子「秋も深まって来たって感じだねー」

陽子は私の隣を歩きながら、空を見上げている。
からりとした空気に、淡い青色の空。太陽が控えめな光線を送って来ていた。

広場を出て駅とは反対の方向へと、いつもの本屋を目指して歩いた。
この通りは街の中でも比較的栄えているほうで、ガラス張りになっている店舗も多い。
左右を気にしながら、時折立ち止まりながら行く。
途中小物屋で子猫の置物を買った。陽子は置物に必要性を感じない人間だったので、なにも買わなかった。

本屋に辿りついたのは十分後だった。店に入った。特有のしんとした空気が心地よい。
私は文庫の新刊コーナーへと足を運ぶ。

陽子「綾についてってみよう」

わざと私に聞こえるように大きめの声で陽子が言った。

お気に入りの作家の恋愛小説が先日文庫化されていた。
目当ての物があるか確かめる。平棚の手前右端にそれを見つけ、手に取る。

陽子「なんの本?」

綾「恋愛小説。この人の本はオススメよ」

陽子「ふーん」

陽子は私の手から本を取り上げてぱらぱら捲った。

陽子「うわあ、ちょっと見ただけですごい胸焼けが」

陽子は私に本を返した。良さが分からないのか、可哀想に。
実は、願わくばこの作家の本のような恋愛を、陽子と楽しんでみたいという期待を持っていた。
甘い甘い、そして濃い恋愛。
陽子は私のそばを離れ、雑誌のある一角へと向かった。

陽子が適当に掴んだ雑誌のある特集に案外興味をそそられ、二人で立ち読みしていて、本屋ではかなり時間を消費した。
店を出た時、時刻は三時ちょうどだった。再び広場の方向を目指し、今度は駅へと向かう通りを歩いた。

ペットショップが見えてきた。新しく出来たという話題性の為か、結構な盛況ぶりだった。
家族連れの姿が目立ったが、カップルらしい二人組も何組か見かける。
そこで陽子に目をやり、妙に意識をしてしまった。

私は子犬のコーナーへ陽子を連れて行った。
全部で十匹ほどの子犬が、透明のプラスチックのケースに一匹ずつ入れられている。
トイプードルがまるでこちらに物をねだっているように、透明の壁に前足をついていた。

綾「ほら陽子、かわいいわよ。こっち見てる」

陽子「ホントだ、かわいー」

陽子は笑顔を見せた。陽子とのお出かけはまだまだ先が長いが、とりあえず笑顔を見る事が出来ただけで天にも昇る思いだった。

あっややー!

陽子「いやー、子犬を見てると思い出すねえ」

綾「なにをよ」

陽子「中学の頃の綾。ほら、このうるんだ眼、あの時の綾にそっくりだよ」

綾「――っ!」

驚きと気恥ずかしさで、私の頬が染まっていく。

綾「そんな昔のこと、早く忘れてって言ってるでしょ!」

陽子「忘れるわけないじゃん。可愛かったなーあの時の綾」

読んでないけど後書きに期待できそう

追い打ちをかけられた気分で、私はさらに顔を火照らせる。
店内の暖房も相まって、暑くて仕方がない。
半ば怒りのような感情と共に、私は店を後にする事にした。

陽子「あ、綾、待ってよー」

陽子が私を追いかけてくる。

陽子「なんで怒ってんの」

すぐに後悔と反省が脳内を占めた。
――どうして私は、照れると怒ったような行動を取ってしまうのだろうか。

綾「なんでもない!」

ペットショップからカフェまでは近く、五分ほど駅の方へ向かったところにある。
私は陽子よりも少し早足で歩いた。

カフェに着くと、私は紅茶、陽子は珈琲を頼んだ。二人とも、何も話さずに時間が過ぎた。
暫くして、私たちのもとに飲み物が運ばれてきた。
ダージリンティーのマスカットのような香りが辺りに漂った。
橙色の液体に口づけると、爽やかな味わいが染みていく。

陽子「ここのコーヒー意外と美味しいんだよね」

陽子は上機嫌でカップの中の液体をすすった。本当に美味しそうに、大事にその琥珀色の液体を啜っている。

陽子「ところでさ、なんでもない訳ないだろ、話してよ」

そう、なんでもない訳ではなく、ただ本当の事を陽子に伝えるのも恥ずかしいだけだった。
ただ意地を張っているだけだと。
窓際の席だった。少し気にしないうちに、太陽は予想以上にその高度を下げていて、店の中ほどまで光が差し込んでいる。
素直にならなければ。素直にならなければ。己の中で何度も念じる。
陽子に告白して付き合うことになったら、尚更そうだ。

綾「……ごめんなさい」

陽子「え? どうしたの」

綾「私、怒ってるように見える……よね」

綾「実は私、全然怒ってないんだ」

綾「むしろ、その……嬉しいのよ」

陽子は私を無言で見つめていた。きょとんとした表情。
やがて、合点がいったかのように頷いた。

陽子「ああ、分かった。照れ隠しってやつだな?」

顔の紅潮を感じながら頷く。

陽子「あはは、照れなくていいのに……。可愛い」

そこで沈黙が下りた。
私は陽子に言われた、可愛い、という言葉を脳内で何度も反芻した。
そして、何故かふつふつと沸き上がって来る怒りの感情を抑えつけ、にっこりと微笑んで見せた。

綾「ありがと」

おお、いいぞー

陽子「ところで、この後どうすんの?」

綾「それが実は決めてなくて」

陽子「あらら……」

陽子の返事を待ってから、私の脳裡に一つの光景が浮かんだ。
それは今、そうなっているであろう光景。

綾「そういえば、お花、どうなったかしら……」

陽子「お花?」

綾「こっちの話よ。陽子、予定が決まったわ」

陽子「え? いきなりだな、おい」

カフェで二十分ほどくつろいだ後、二人であの公園へと向かう。
陽子に行き先を告げた時、怪訝そうな表情を返してきたが、無視することにした。
見れば分かると思った。

歩きながら、私は記憶の海から一つの情報を引っ張りだしてくる。
なんとも陳腐だが、それは私を鼓舞激励する言葉であった。
すなわち、「困難に打ち勝つ」、「ひたむきさ」。山茶花の花言葉である。
告白、するのよ――。絶対。

陽子「あそこ?」

古びた滑り台が目に留まったらしく、陽子は黄色く色づいた銀杏並木の先を指差した。
私は頷きを返す。私の期待していたものが、ここからでも見える。

公園に辿りついた。私の注意は、花に引き付けられる。
花が咲いていた。美しい花弁が、全身で存在を主張するかのように堂々と開いていた。
おしべの黄色が、淡いピンク色の花弁に対照的で際立っている。

私は陽子と一緒にベンチに腰掛けた。

陽子「たまには公園とかでぼーっとするのも、確かにいいかもね」

綾「そ、そうでしょ?」

小さな男の子の三人組が砂場でなにか作って遊んでいた。
その様子をベンチから眺め、懐かしい記憶を想起させられた。

陽子「花、きれいだね」

なおもしきりと生垣の方を気にする私に気付いたのか、陽子が声をかけて来た。

陽子「なんて花?」

綾「山茶花よ」

陽子「山茶花か……ああ」

何か思いついたように陽子は両手を叩き合わせた。

陽子「さざんかさざんか、さいたみち……」

陽子が口ずさんだのに、意表をつかれた。
童謡など、まともに聞いたのはいつぶりだろうか。

陽子「ハイ続き、綾!」

綾「え、ええ!? ……たきびだたきびだ、おちばたき……」

陽子「うん、綾やっぱ音痴だね」

綾「なによ!」

陽子「ごめんごめん。……なんか、懐かしい感じ。胸がぽかぽかしてくるね」

子供達は砂遊びに飽きたのか、今度は滑り台に寄ってたかってわいわいと騒いでいる。
私達にも、あんな頃があったのだ。私と同じように、陽子もその様子を眺めていた。

陽子「なんかさ、こうして見てると、私達保護者みたいだよね」

陽子「綾がお母さん、私がお父さん、なんてね」

綾「な、なななに言ってるのよ!」

陽子の言葉にうろたえ、あわあわと両手を振りながら返事を返した。
陽子と、夫婦だなんて――。そんな、早すぎるわよ。

暫くベンチに座って過ごした。
こういう風に贅沢に時間を消費するのもたまにはいいと感じた。
普段感じないが案外忙しい高校生活の中で、こうして浩然の気を養うのも乙なものだ。

そうしているうち、日が傾いてきた。辺りが橙色のベールに覆われ、子供たちが帰り支度を始めた。
ばいばーい。また今度遊ぼうね。口々に叫び合って、子供達は帰って行った。

陽子「仲よさそうだね」

陽子は朗らかな笑みを浮かべて言った。私の心は、温かみで満ち満ちていた。
その時。
ふわり、と風が吹いて、山茶花の芳香が辺りに漂った。
甘い甘い、蜜の香り。
私は誘われるように、生垣の一角へと足を運んでいた。
麗しく咲き誇る山茶花の花弁に顔を近づけた。
馥郁たる香りが脳を駈けまわって、立ちくらみを起こさんばかりだった。

陽子「かわいい花だな」

陽子が私のすぐ隣に追いつくと、その花弁をすべすべとした手で触った。
呼吸が聞こえるほどの距離。
今しかないような気がして、それでも逡巡した。
いいえ、綾、覚悟を決めるのよ。
私は陽子の手の上に、自分の手を重ねた。

陽子「え――どうした」

綾「陽子、あのね」

そこで一呼吸置き、深呼吸を二回ほど行った。言う、言うと決めたのだ。
こちらを向く陽子の目を見つめる。照れくさくて目を逸らしたくなる気持ちを必死に抑えながら。

綾「――好き」

全身全霊を振り絞って、なんとか一つの言葉を紡いだ。

陽子「――それは、友達としてじゃなく、もっと深い意味で?」

陽子の言葉に、私は頷く。頷く事しか出来なかった。
そこで、二人とも黙った。決まりが悪く、私は陽子から手を離した。

陽子「そっか、私の事好きか」

私の手を一度陽子は何故かしみじみといった口調で呟いた。

陽子「なるほど。毎朝あんなメール送って来るぐらいだもんね」

陽子の言葉の意味が分からず、私は首を傾げた。
堪らなくなったというように、陽子は噴き出す。ますます意味が分からない。

陽子「綾、考えてみてごらんよ」

陽子「毎朝起きたら『陽子、朝よ。起きて。今日も学校で会えるのね。楽しみ』ってメールが入ってんだよ?」

綾「っ、それは――」

陽子「こんなの毎朝送られちゃ、私に気があるんじゃないかって誰でも思うよ」

綾「陽子がそうしろって言ったんじゃない!」

ぶひぶひ

陽子「いや、空メールでいいからって言ったじゃん」

綾「……」

そう言えばそうだった。私は顔に熱を感じた。
きっと今は耳まで茹でだこの如く赤く染まっているのだろう。

陽子「それで、どうしたいの?」

陽子はこちらを向き直り、真剣な表情で言った。

綾「その、私と、――付き合って下さい」

陽子「はい、よく言えました」

陽子は途端に相好を崩し、私の肩をぽんと叩いた。

陽子「さて、返事だ」

陽子は私を見つめ、少し照れくさそうに頬を掻いた。

陽子「私も、まだよく分かんないけどさ」

陽子「毎朝メール貰って嬉しかったし、ちょっとだけドキドキしたりした」

陽子「多分綾の事、好き、なんだと思うから」

陽子「良いよ。こちらこそ、よろしく」

ぞくぞくするほどの幸福感が私の全身を包んで、どこか遠くの楽園に運ばれたような心地がした。
全身が喜びに震え、胸の内が烈火のごとく燃え盛った。

この陽子やりおる

――その後。徐々に暗くなってきたので、家路につくことにした。

綾「あのね、陽子」

陽子「なに?」

綾「わたしたち、これで恋人同士なのよね」

陽子「――うん」

綾「じゃあ、手を繋いで帰ろ?」

陽子「そうだな」

陽子はこちらに白い歯を見せた。
白い歯が太陽の光を反射してとても輝いて見えた。
そこに、再び風が吹いた。
このオレンジ色の美しい風景の中の、陽子の眩しいほどの笑顔を、また甘い甘い蜜の香りを、私は一生忘れないだろう。

山茶花の花のの上で重ね合った手が、再び触れ合い、二人の熱が手の内にこもって暖かい。
私たち二人で作り上げたその熱は、徐々に冷えていく秋の外気にいくら晒されたところで、失われはしない。

おわり

大変良いものを見せていただいた


文才あるな読みやすかった

支援、保守ありがとうございました
秋の花には凛とした美しさがありますね

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom