モバP「光」 (15)
大学4年、夏。俺はあほだった。
生来の怠惰な性格が災いし、周囲が就職活動や卒業論文やらに精を出し過程を経て結果を出しなどしているのを横目に俺は、コンビニエンスストアのアルバイトをずるずる続けたり、サークルの連中と馬鹿騒ぎをしたり、たまの休みに朝からボンベイサファイアの瓶を片手に自室をうろうろするなど、将来性のまったくない用事に忙殺されながらも危機感はなかった。
そんな俺でも教授から呼び出され、「お前、これからどうするんだ」なんて真顔で言われるとやはり心に来るものがあって、以降の俺はアルバイトも辞め、エントリーシートや論文の作成・添削といった地道かつ重要な作業をつぶつぶ始めたかというとそんなことはなかった。
ではどうしたかというと、なんてくだくだしい前置きをするまでもない。ただ俺は逃げたのである。
といって夢見がちな餓鬼たる俺のこと。一切れのパン、ナイフ、ランプ鞄に詰め込んで飄然と旅に出たわけではない。
土曜日の夕方、俺はジーンズの尻を叩いてポケットに財布があるのを確認すると、ウィスキーかなんかの強い酒を買いに出かけたのであった。
尻に火。
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酒屋もコンビニもスーパーマーケットも素通りした。なぜならこれらの店は一定程度取り扱う商品の種類が決まっているからで、酒を買うなどと言い条、実際は現実から逃れ気分が落ち着くまで時間を潰したいだけの俺にとって、買って帰る、という直線的な動作だけでことが済んでしまう店はあまりにも便利すぎた。
結局やってきたのは地上3階地下1階建ての大型ショッピングセンターだった。米国の様式を形だけ摸した空虚な店内には食品、雑貨、衣類、家電、眼鏡、畜類、書籍など実にさまざまな商品に特化した店が立ち並び、各々の店を見ていたらとても一日では回りきれない、という実に今の俺におあつらえ向きな不便さを持ち合わせていた。
休日とあって店内は親子連れやカップル、女子高生や暇な爺婆で浅ましいほど混んでいた。げしゃげしゃであった。
内心うんざりしたがここで帰るのも癪である。大抵酒の売り場は一階、もしくは地下にある。半ば自棄になった俺は3階に向かうことにした。
なんかうるせえな、と思っていたら2階に上がってすぐの所、しょぼいステージが設置されていて、書き割りっちゅうんだろうか、市街地が描かれた板の前、奇怪な格好をした男たちが2人蠢いていた。どうもヒーローショーをやっているらしい。
ステージの前にはご丁寧に客席代わりのパイプ椅子が並べられているのだけれども、ステージ前に蟠ってエキサイトしている小学生数人を除くと観客はほとんどおらず、1階の満員になったフードコートからあぶれた親子がここを先途と揚げ芋を食っていたり、自意識だけ高そうな背広姿のサラリーマンが営業をさぼっていたり、汚い爺がぼんやりとカップ酒を啜っていたりして、混雑する店内においてこのステージ前だけが閑散としていた。
それもそのはず、ステージ上でおめいている「仮面戦隊ショウテンガイ」はテレビでやっているような戦隊もの・仮面ものではなく、地元商店街の宣伝・客寄せの為に商店主のおっさん達がこさえたヒーローだったからで、そもそも知名度が皆無な上に貧弱な予算と壊滅的なセンス、少々のパクリによって形作られたショウテンガイと怪人デフレスパイラルの格好たるや激烈にださく、見ているだけで侘しい心持ちになった。
演技の内容たるや更にひどかった。通常、かかるショーにおいては役者と観客の間を取り持つ司会進行のお姉さんがつきもの、というか必須なのだが、予算の都合なのかステージ上にそれらしき人の姿はなかった。シナリオについても「じゃあとりあえず2人出て行って何か話したあととりあえず戦って、それで〆ましょう。とりあえず」くらいの打ち合わせしかしていないのだろう、ヒーローと怪人それぞれの主義や主張、存在意義といった説明は一切ないままに、ただ善と悪。デフレスパイラルがほのめかす、自転車のわき見運転や狭い道を複数人で横一列に並んでそぞろ歩くなどといったけちくさい悪事に対し、ショウテンガイが「なんて奴だ」とか「そんなことは止めるんだ」みたいな空虚な返事をする、というやり取りが延々と続いていた。当然台詞は全て棒読み、しかも片一方が何か言うたびもう片方が辻褄合わせの返事のため、律儀に黙って聞いているものだから会話のテンポは乱れに乱れ、その上役者のおっさんの生々しい吐息の音をいちいちマイクが拾うのでむさ苦しいことこの上なかった。
それでもせめて発起人というか主犯格たる商店街のおっさん達が、観客席で役者の演技に対し適宜合いの手や拍手を入れるなどすれば多少は盛り上がったことであろう。しかしながらそうしたおっさん達の姿はなく、ステージ前でくんくんしている子供達も、真剣に応援しているのは一人の女の子とその弟と思しき幼児のみ。他のド餓鬼どもたるやダイレクトに役者の心を壊しにかかるような、口汚い野次を飛ばす有様であった。
一人分空けて爺の横に座った俺、それでも感動していた。
目が覚めるようであった。
常識とは20歳までに集めた偏見のコレクションである、だなんて言った人があるが、その偏見の目で見ればまったくの無意味な、無内容なショーであるのはまず間違いない。しかしながらこの時の俺は、内容や意味を超越した、なにか崇高なものをこのショーに感じていたのである。
つまりこれが仕事というものなのだ。ステージ上のへぼ役者たちはこの、なんの意味もない、なんらの意義も見出せないしょぼくれた演劇に関わることで飯を食うのだ。
おそらく彼らは心中で泣いていることであろう。人として生まれて演技を覚え、こなす年齢になっても尚、誰からも省みられない仕事で他者への良心、自らの青春を殺してゆく。報酬といってわずかな給金と子供たちからの声援のみ、その純真な子供たちによって心から発された声援ですら、結局のところは自らのへぼな演技によって騙し取ったまがいものなのだ。
これほどの悲劇があろうか。でもこの程度の悲劇なんて社会のどこでも演じられていて、畢竟それが、働く、ということなのだろう。
感極まって軽くわなないていると、問答を打ち切った怪人デフレスパイラルと目が合った。
「はははは、茶番はもう終わりだ。これから俺はここにいる一般人を懲らしめてやるぞ」
デフレスパイラルによるひどく説明的で突飛かつ理不尽な台詞。俺はものすごく嫌な予感がした。
おそらく今、真っ直ぐ俺の目を見据えたうえでこっちに向かってくるデフレスパイラルのぼけなすは、観客の一人を人質に見立てて素人参加型のショーとすることで、場面および空気の転換を図ろうとしているのであろう。しかしながらその目論見たるや始める前から破綻しているのは明白である。なんとなれば全てが役者のアドリブ、というか思いつきで進行しているこの茶番において、わざわざ貴重な時間を割いてまで参加したがる酔狂な観客は一人もいないから。
確かに俺はさっきまで感動していた。しかしながらその感動というのは俺がこの茶番に関わらないことが大前提というか、俺の責任が及ばない範囲において好き勝手言える立場から見た感想みたいなものであって、個人的にこの場において何らかの役割を担うということは絶対に避けたい。
俺は周囲を見回した。ショウテンガイは「いったい何をするつもりだ」と言ったきり棒杭のように立っていた。小学生達が残酷な好奇心をもって俺を見ていた。愚鈍な親子はまだ揚げ芋を食っていた。リーマンは携帯端末に顔をくっ付けんばかりにして自己の精神世界に没入し、汚い爺は横目で俺を一瞥するとカップ酒を呷った。他に人質として使える人間はいなかった。俺は一人だった。
「さあ来い。俺はお前を懲らしめてやるぞ」
とうとう俺は捕まった。一体俺が何をしたというのだろう。少なくとも今までの人生において、不細工なはりぼてを着込んだあほに2回も懲らしめてやるなどと言われるような罪を犯した記憶はない。
そもそも日本語が間違っている。懲らす、とは悪事を起こした人を力でもって悔悟させることであって、懲らされる側による悪行が前提の、いわば副次的な行動である。何も知らない初対面の相手に用いる言葉ではない。しかしこの状況ではそんな議論をする余裕すらないのだ。
俺の肩を掴むデフレスパイラルの手つきは思いのほか優しかった。でも俺はその心遣いを、今ではなくはるか前、商店街のヒーロー制作に熱狂するおっさんを嗜めるために使ってほしかった。
「さあどうする、ショウテンガイ」
「こうなったら仕方がない。そこの君、力を貸してくれ」
ステージ上で腑抜けていた俺はぼんやりと、まだ増やすのか、なんて思っていた。でも仕方がないなら仕方がない。
「おおっ! アタシの出番だな!?」
ショウテンガイに請われてステージに上がってきたのは、ステージ前で一番熱心に声援を送っていた女の子だった。
マイクを通さずとも非常によく通る声であった。雰囲気が一瞬、明るくなった。
「おのれデフレスパイラル! 人質を取るなんて卑怯なマネは、この南条光が許さないぞ!」
もはや彼女が完全にこの場を支配していた。
不思議なことに、どんなまずい演劇であってもその劇固有の時間のようなものが流れているもので、それはこの茶番においても例外ではなかった。ところが彼女、南条光はこの、役者と観客が渾然一体となってげんなりするような時間および空間を一瞬で塗り替えたのである。
咄嗟に俺は叫んでいた。突破口はここしかない、と瞬時に悟ったためである。
「ヒカルー! 助けてぇー!」
懇願するような響きであった。
乳飲み子が母を慕って泣くような、心底から発せられた叫びであった。
「ああ、任せてくれっ! さあ行こう、ショウテンガイ!」
「応」
相変わらず役者の盆暗どもは棒読みだった。俺も基本的にやることのないポジションで棒立ちだった。
ただ光だけが嘘くさく、わざとらしいほどに輝いていた。
「すごくいい演技だったよ、ありがとうお兄さん!」
「いやいやこっちこそ。助けてくれてありがとう」
本心である。実際の話あの場に光がいなかったらどうなっていたことか、考えるだに恐ろしい。
「ステージの上でも名乗ったけど、アタシは光、南条光だ! この子は……」
かたい握手を俺と交わしつつ、光は弟と思しき子供の顔を見た瞬間「しまった」という表情になった。
「ああああそうだった! お兄さん、迷子センターってどこかな?」
「迷子センター?」
「うんっ、この子が迷子なんだ! それでアタシが一緒にいたんだけど……」
どうやらこの子供は光の弟ではないらしい。親とはぐれて泣いていた少年を見つけた光が、これを宥めつつ2人連れ立って親を探すうちにヒーローショーに見入ってしまったのだろう。なんとも微笑ましいコンビである。
「迷子センター……というかインフォメーションセンターなら1階だな。俺も一緒に行くよ」
「ありがとうお兄さん! よかったな少年、仲間が増えたぞ!」
少年はにこにこしていた。ステージを降りても光はヒーローだった。俺は一般人だった。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな!」
「名乗るほどの者じゃないよ」
「おおー! そういう紹介の仕方もあったか!」
他愛ない会話を交わしつつも何となく、こんな素直な子供たちに道案内できる俺は幸せ者だな、と思った。
ところが。
「なんですぐに連れてきて下さらなかったんですか!?」
インフォメーションセンターで待っていたのは迷子少年の母親による、のっけから喧嘩腰の、丁寧ながらも苛烈でヒステリックな問いかけであった。
激情によって破砕された母親の話を総合するに、どうも彼女が3階で婦人服を閲していたところつい夢中になってしまい、子供への注意が削がれたらしい。好奇心旺盛、何よりも退屈を嫌う年頃の男の子にありがちなことで、少年は広い店内を散策しだすとエスカレーターに乗り込み、ついには迷子となってしまったわけである。
つまりはまったくの不幸なめぐり合わせということで、一般的には主に子育てと縁遠い他人による「子供から目を離した母親が悪い」、そして主に経験者の「普段子育てに忙殺されている母親の気持ちもわかる」といった2つの見識・立場において議論が交わされるところであろう。そしてこの場合俺は前者に該当するわけなのだけれども、俺としてはその言に従うような、一般論を盾に母親と争うようなことはしたくなかった。
なんとなれば俺には母親を攻撃できるような、そうしてまで守るような自分というものがなかったから。
仮にそんな自尊心があったとしても、あのへぼ腐れた演劇においてすらお話にならないような人質役、いい年して小学生女児に助けられる一般人役の俺に舌足らずの声援を送ってくれた少年、その母親とはいかな理由でも争いたくはなかった。
「申し訳ありません。全て自分が悪いのです」
俺はただマジな、ガチな現実から逃れんとして、マッカラン12年か何かを買いにきたあほな大学生であった。
俺という個をいくら突き詰めたところで、結局のところそんなあほでしかないのだ。となればその役を演じきらなければならない。
「謝れば済む話じゃないでしょう? 私がどれだけ待ったと思ってるんですか!?」
「ちょっと待ってくれ!」
光だった。マイクを通さずとも非常によく通る声であった。
俺は悲しくなった。
だってそうだろう。今の状況、ヒステリックな女と虚無的な男との俗っぽい不恰好な大人の論争に加わるには、光はあまりにもまっすぐで眩しすぎた。
「この人は違うんだ! アタシがヒーローショーに夢中になって――」
「あなた、こんな小さな子まで騙したの?」
「小っちゃくない!! もうすぐ140cmになる!」
惨憺たるありさまであった。げしゃげしゃであった。
衆目に晒されつつ言い争う、母親とさっきまで優しかったお姉さんとお兄さんまたはおじさんの剣幕に怯えた少年が、声を放って泣き出したことによってこの騒動は終わりを告げた。
誰も何も得をしなかった。なんとも後味の悪い、情けない幕引きであった。
「なんかごめんな」
非常階段近くのベンチ、打ち萎れた様子の光にオレンジジュースを渡しつつ俺、努めて明るい調子で言ったつもりだったのだが、声はかすれて力なく、そんな自分に腹が立った。
「……アタシも、ごめん」
「謝るこたないよ。ありがとな」
「どうして?」
「だってさっきも助けてくれたじゃないか」
「……」
光は相当落ち込んでいるようで、ともすれば沈黙しがちだった。無理もない。おそらく十代になったばかりで、今まで善悪の二元論で物事を見てきた光にとっては、さっきの論争、双方が善となりうる状況の争いというものにはあまり縁がなかったのだろう。
「アタシ……ヒーローに憧れてたんだ。女子だけど」
「そっか」
「でもやっぱり……子供だったんだな」
「そりゃそうだろう。小っちゃいし」
「……うん、小っちゃいんだ、アタシ。もう中学生なのに」
「うそっ」
「……」
まずいことになった。
正直今の状況で言うのもなんだが、俺は光がせいぜい小学校中学年くらいだと思っていた。変な話、光はそれなりに胸はあるものの、それを損なってなお不足するほどに背が低かったからである。
逡巡したが光は俺の言葉に反論できないくらいに落ち込んでいるし、俺もこれ以上光を傷つけたくない。
尻の火が燃えて。
「そこは『小っちゃくない!!』だろ、光」
「……うん」
「小さくても、女の子でも、光は俺のヒーローだよ」
厳密には女の子の場合ヒロインになるのだろうか。でもまあおそらく和製英語みたいなもんだし、便宜上問題あるまい。
それよりも無性に恥ずかしかった。まったくもって俺は今日会ったばかりの少女に何を言っているのだろう。きっと俺は今後の人生、夜毎今のくっさい台詞を思い出しては一人、布団の中でのたうつのだ。うくく。
「……ありがとう、お兄さん」
「名乗るほどの者じゃないよ」
「ふふっ、なっ何も聞いてないのにっ……」
「ヒカルゥー! タスケトゥー!」
「ははははっ! なっ何それっ……あはははははっ!」
破れかぶれになった俺はその後酒を買うことすら忘れ、ただただ光の隣でふざけていたのである。
こんなあほな俺はヒーローになれないのだろうなぁ、なんて思いながら。
それから約一年。俺はアイドル事務所、CGプロダクションのプロデューサーとなって社会の荒海に漕ぎ出していた。
ヒーローを作りたいなどという抽象的な、子供じみた動機のもとで就職活動を始めた当時の俺も随分なあほであるが、それらの妄言を全て聞き入れた上で俺なんかを採用した代表もかなりのものである。
でもあの日以来俺の心にはいつも小さな光が灯っていて、俺は善も悪もない社会においてその光を絶やしたくなかったし、代表がそんな俺の話を理解してくれたことが嬉しかった。
俺はこの仕事で飯を食うのだ。
「キャーッ! たーすーけーてー!」
ステージの上では長年の宿敵、ショウテンガイを屠ったデフレスパイラルによって、俺の担当アイドル本田未央が羽交い絞めにされていた。
未央は必要以上にくねくねしていた。まったくもってなんちゅう演技をしているのであろうか。後で一遍、説教したらなあかん。
「ふははは、俺はこの小娘を懲らしめてやるぞ」
「……ふふっ。や、やっておしまい、デフレスパイラル!」
悪の女幹部リンリンを演ずるうちのアイドル渋谷凛が、あいかわらず盆暗のデフレスパイラルをけしかけた。
普段は何事もそつなくこなすはずの凛が、この日に限って薄く笑った上に台詞がつっかえたのは、おそらく未央の熱演のせいである。
「たいへーん! みんな、ヒーローの出番だよーっ! せーのっ!」
司会進行の島村卯月もうちのアイドルであるが、感性が常人とはやや異なるため些細なことには動じない。
席を埋め尽くす観客に埋もれぬよう、俺はあらんかぎりの大声でヒーローの名を呼んだ。
「ヒカルー!!! 助けてぇー!!!」
瞬間、ステージに小さな光が現れて、それは嘘くさく、わざとらしいほどに輝いた。
俺はそれを美しいと思っていた。
ザ・おわり
うーんこの^p^
文体は町田康のパクリです
すんませんでした
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