モバP「天才発明家・池袋晶葉は揺らがない」 (92)


アイドルマスター・シンデレラガールズの、池袋晶葉さんのSSです。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1363922024


[ ??? ]



『へへん♪この天才少女の手にかかれば物言わぬ機械も生を得るっ!』

『ん?アイドル?面白いな、私の才能を世に知らしめるチャンスというわけか!』

『よし、ではプロデューサー、優秀なら助手にしてあげよう!』

『………』

『………もう1度————』









『—————————————もう1度、私の助手に』


[ プロデューサー side ]

池袋晶葉。

天才発明家、池袋晶葉。
彼女の頭脳から生み出される発明品は、確実に人の世を渡っている。
世に普及している電子機器、一般家庭で使われる些細なもの、部品。

そのうちの何割かは確実に彼女の柔軟な発想からくる発明品で占めている。
特許なども多数取得しており、働かなくても彼女は一生を過ごせるだけの富を持っている。

事の発端は、新たに企業と合同で開発したロボットAIの発表記者会見での事だった。
どこから紛れ込んだのかも分からない雑誌記者は言った。

「池袋さんは、アイドル活動も行っていらっしゃいますが」
「発明家として巨万の富を得ていらっしゃいますので、アイドル活動はお遊びではないか」
「そのような声も上がっていますが、池袋さんは、どのように思われますか」

へらへらと、口の端を吊り上げながら、小汚いボイスレコーダーを取り出して。
会場は沈黙した。誰もが彼女の一言を待つ。

ふざけるな。
小さな、けれど怒気をはらんだ声で言う。
少しずつ、少しずつ。確実に怒りと共に声量は大きくなっていく。

私は、私は!ずっとずっと昔から、アイドルがやりたかった!
確かにアイドル活動で輝かしい結果は出ていない、だが、私は本当に真剣に取り組んでいる!
…すまないが、私はもう帰ることにする。会見は中止だ、もうそんな気分ではない。

この契約は一切の白紙だ、企業が被った損害は全て私が補填する、それでは。

それだけを言い残して。
彼女は、その場を後にした。


その記事は大きく世間を揺るがした。
翌日のメディアの報道はほぼそのニュースで賑わっていた。
世界的な企業との契約をその場で白紙にしたのだから。

その日から来る日も来る日もプロダクションにまで電話があった。
当然、メディアは詳細を知りたいからだ。おもしろいネタになる、そう踏んだのだろう。
俺と共にアイドルを支えているちひろさんも連日の事務対応に追われていた。

はい、はい。その件に関しましては、お答えすることは。

契約を白紙にされて、損害を補填された企業からも、毎日、電話がかかってきていた。
池袋晶葉は天才だ。その才能をもう一度貸してほしい。あのような事があったことは我が社の落ち度だ。
老齢の、けれど世界的企業のトップの社長すら、自ら電話をとり、謝罪を繰り返した。

稚拙な人の悪意だけを載せた記事を書こうとした雑誌記者も、メディアの視線にさらされた。
さらにその雑誌社のスポンサーも次々と降りている。数ヶ月もしないうちに潰れてしまうだろう。
あの雑誌記者が表に戻ってくることはもう二度と無いだろう。裏ですら、生きていけるのだろうか。

その反面、彼女も当然、世間の話の種になっていた。
そこまで彼女が激怒した原因は何なのか、なぜそこまでアイドル活動に思い入れがあるのか。
世間の誰もがそれを尋ねたが、彼女の口が開くことはなかった。

そして、プロダクションは日々あまりにも忙しなく対応に追われ、
他の所属しているアイドルにも矛先が向いたというのに、誰も彼女を責めなかった。

彼女らにとって、それは当たり前の事だった。
日々取り組んでいる仕事。表面上では笑顔で仕事をしていて、楽しいだけの仕事と思われている。
だが、その裏では血の滲むような努力、アイドルになるまでの確固たる決意がある。

プロデューサーや事務員もまた、それを知っているのだから。

そんなある日、彼女はプロデューサーを呼び出した。
とても大事な話があるから、そう前置きをして。


「呼び出して、すまないな」

彼女は苦笑いをしながら言った。
いつも元気で活発な彼女でも、無理はない。責任を感じているのだろう。

「そろそろ、いい頃だ…教えておくべきだろう」
「君も気になっているだろう…私の、あの会見の、理由を」

ああ。短く簡潔に、そう答える。
すると彼女は、少しだけ嬉しそうな顔をして、一言。ついてきてくれ。

ついて行った先は晶葉の家だった。1度契約の更新で行ったことがあった。
部屋の中はロボット、ロボット、電子機器、電子機器、ロボット。
ありとあらゆるパーツ、工具…精密機械が揃っていた。

ちらりと発明品が並ぶ棚を見る。晶葉の天才的な頭脳の結晶が目を奪う。
ただ…その中に、1つだけ、空きがあった。

試作品、試作品、空き、完成品、完成品、というように、右に行くほど古くなっている。
試作品もいずれはその完成品に取って代わられるのだろう。
いずれ開発され、製品化され。それをここに飾るのだろうか。

発明された順番に、番号をつけてきちんと並べられているのに。
完成品もオリジナルとして個体に日付の装飾も施されているようだ。
1つだけ…どうして。俺は直感的な興味を惹かれた。

「ああ、すまない。麦茶しかなかったようだ」

かちゃりとドアを開け入ってくる晶葉。
いや、ありがとう。十分だよ。そう答え、真夏にはちょうどいい麦茶を一気に煽る。
頭の中に軽く走る痛みが心地いい。氷もからんと音を立て、コップも汗をかいている。

『晶葉…あれ』

『あそこの棚、1つだけ空きがあるけど…あれは、どうしちゃったんだ?』


「…あれは、今日、埋まるはずなんだ」

埋まる、はず?どういうことだ?開発途中…というわけでもないらしい。
まるで答えの意図が見えない。

「私が1番はじめに作ったのは、ボイスレコーダーだった」
「作った…その言い方は正しくないか、修理した、という方が正しい」
「今の私なら表面上を直す事は容易い…だが、中のデータは戻らない」

「大切な人にもらったプレゼント、それの…その中の答えを知ることは、もう、ない」

何がどう繋がってくるんだ。晶葉の真剣な表情、ならば明らかに意味がある。
必死に意図を探ろうとした。だが、見えない。

「ボイスレコーダーを、君は見たかな」
「作成された、日時を」

作成された日時?
1番はじめに作られたもの。きっと晶葉が小さい時だ。
だが、今出回っている最新の機種と同じデザイン。まさに時代を先取りしていた。

日時、日時。番号が小さくなっていくにつれ、どんどん日時は巻き戻る。
どこまでもどこまでも、巻き戻って、巻き戻って、その末に。

どうして。
言葉が出なかった。自分の目を疑った。こんな事が有り得るわけがない。
何で、どうして。晶葉が嘘をついていないとしたら、どういうことだ。
俺は一瞬、目の前が真っ白になった。何が起こっているのかわからなかった。

それは、そうだ。1番はじめにつくられた、最も古いはずの発明品だというのに。









ボイスレコーダーの作成日時が、今日、あと数時間後と記載されていたのだから。


言葉を失った。なぜ、どうして。
晶葉の表情を伺う。相変わらず、真剣な表情。
なら、なぜ?なぜ、未来の日時が記載されている?

これから未来にこのボイスレコーダーが作られて。
どうして、過去の晶葉がそれを持っているんだ?

そして、それを、修理した。答えを…知る、ために?
少しずつだが、繋がってきた。
けれど、直接的な答えにはまだ結びつきそうにない。

まだ、情報が足りない。

「驚いているようだが、あまり時間がない。続けよう」
「そのボイスレコーダーは、これから、私が作る」
「しかし…作るかどうかは、君に一任しよう」

「………」

「…だが、その前に…見せておくべき、ものがある」

「ここから先は、家族すら入れたことはない…ここで見たことは、決して口外してはいけない」

家族すら入れたことのない、場所?
決して口外してはいけない?
俺は、何を見せられる?

けれど、これが晶葉の答えに繋がるのなら。
まだ、何なのかも理解していない。けれど、力強く頷いた。


部屋はとにかく暗い。
ぱちっ、ぱちっ。電灯のスイッチを入れる音がする。
しばらく使っていなかったのだろうか、ところどころほこりが被っている。

とても14歳の女の娘が読むような本ではない、分厚い洋書や科学書がつまれている。
けれど、確かに読んでいるようで、折り目や付箋がつけられており、マーカーペンの色も伺える。
その中の一冊をちらりと見た。

そしてまた、少しずつ繋がってきた。

「…君の表情、見ればわかる。なかなか、勘がいいな」

「この奥だ」

なんだ、これ。
一般家庭の家に、あっていい装置じゃない。
何十台のパソコンに、計測器の針が忙しなく上下している。

ありとあらゆる配線の集まる先におかれた、黒塗りの、少し塗装のはげた椅子。
ああ、これが、こんなものなのか。

幾度と無く、テレビやドラマでも見た。
映画館でも、とても大きな装置としての認識がついていたけれど、現実はこういうものなのか。

「プロデューサー。君は、本当に勘がいい。さすが、私の助手だ」

ああ、これが。









タイムマシン、なのか。


これが、答えに繋がるのか?

「ああ…答えには、きっと行き着くはず…願望、と言うべきか」
「残念ながら、過去への物理的跳躍までが限界だが」

物理的に、過去へと時間跳躍?もう、驚くこともなくなってきた。
ああ、そうだ、ボイスレコーダー。あれは、どう絡んでくるのか。

晶葉が自ら作って、過去の自分に渡したのか?
何か、何かを伝えるために。

そして、その時間跳躍に俺が選ばれた。
そういうことか?

だが、判断を俺に委ねる、そう言った。
どういうことだか、分からない。
もう、単刀直入に聞くことにしよう。

『晶葉は、これを俺に見せて、どうして欲しい?』

「………」

何かを考えているようだった。
言葉を選んでいる…そうともとれた。


「ただ、知ってほしい」
「私の過去を…アイドルへのきっかけを」
「もし、願いが叶うのなら、答えが知りたい…ずっと、ずっと、昔の答えを」

「ボイスレコーダーは、知るための鍵といったところだ」
「このボイスレコーダーは、今日作られ、過去の私の手に戻る」
「そして、今日、そのボイスレコーダーが私の手に戻ることがなければ」

「今の私は、私でなくなってしまうだろう」

「なんとなくだが、わかるだろう」
「些細な事から、変化ははじまっていく」

「この現実も、あと少しで終わりだ」
「だが、何も心配することはない」

「このまま過ぎても、私は今の私でここにいるかもしれない」
「はたまた、この場から、この世界からいなくなっているかもしれない」
「プロダクションから、世界から私が居なくなっても、永劫不変に未来は続いていく」

「…誰も、気付かないままに。ただ、それだけだよ」

「未来から、ボイスレコーダーを受け取ったという確定した事実がある」
「けれど、ここでボイスレコーダーを作らないという決断をしたならば」
「過去の私の手に渡ることなく、異なる未来が生まれる」

「ま、平行世界論、と言ったところだよ。君には少し難しいかもしれないが」
「気にすることはない。どこかの平行世界できっと今の私は生きていることだろう」
「アイドルを目指しながら、ロボットを作って。そんな私がどこかにいるさ」

「だから、だから…」

「君が、責任を…感じることでは、っ…」


『………』

『行くよ』

『行くよ、過去へ』

『そして、晶葉を笑顔にしてみせる』

「な、何を言って…」

だって、泣いてるじゃないか。
気付いてないかもしれないけど、泣いてるじゃないか。
失った答えを取り戻したい。今の晶葉にそれが必要なら、俺はやるよ。

だから、そんな顔、しないでくれ。
どうしたらいいかもわからない。
失敗したらって思う恐怖だってある。

でも、嫌だ。晶葉が泣いてるのは、もっと嫌だ。
きっと答えを持って帰ってくる。きっと。

「…きみは、ばかだな」
「こんな小娘に、命をあずけることになるかもしれないんだぞ」

何言ってるんだよ。
何度、晶葉のロボットにやられそうになったことやら。
そっちの方がずっと怖い。たまに、天才発明家というより、天災発明家だよ。

そう言って、俺は笑った。

「ああ、本当に」

涙を流しながら、けれど、嬉しそうに彼女も笑った。

「きみは、ばかだな。むかしから」


俺は晶葉がボイスレコーダーを作っている間に、必要な資料を読み込んだ。
時間跳躍を行う際にやっていいこと、悪いこと。

過去の晶葉以外に未来から来たことを知られてはいけない。
俺の口から過去の晶葉にこれから起こる事を伝えてはならない。
ボイスレコーダーを受け取った、という事実を作ること。

これらは絶対に厳守しなければ、過去が変わってしまうとのこと。
他にも、時間跳躍の到達点が、晶葉が小学1年生のとき。
そのときとは比べて土地の開発が行われているので、当時の周辺の地図を確認。

近くの河川敷付近に出るらしい。
出た時に川の真上や土の中から出ないように、
その辺は上手く調節してくれるらしい。出土はしたくない。

跳躍時間は13時間の予定。それまでにはじめていた場所へと戻ること。
それを5分過ぎると強制的に現在へ戻されるらしい。これは危ないそうだ。

携帯電話や電子機器、当時存在しなかったものは全て没収されてしまった。
財布に入ってる現在の紙幣と貨幣も没収され、旧硬貨と紙幣をもらった。
使うことは絶対にないように、だが、一応。との念を押されて。


だが、ボイスレコーダーは構わないのだろうか?
現在の最新の技術だ。小型ながら、超のつくほどの高性能。
数年前とは言え、格段に性能が違うはずだ。

特定の動作をするとロックがかかって、再生しようとするとエラーを吐き出す。
盗難防止用に作られた機能もついていて、解除するときも特定の動作でしか開かない。
世界でたった1人だけ知るロックがかけられるということで、破ることは出来ないらしい。

便利な世の中になったものだ、と背中越しに説明を受けて感心する。

「ああ、それだけは構わないんだ」
「結局、私はそのボイスレコーダーを受け取ることは確定している」
「さらに、当時の技術から並外れた技術を当時の私は学んで、今の私がいるのだから」

なるほど。だから天才発明家・池袋晶葉だなんて呼ばれるようになったのか。

「よし、出来た」

はじめのボイスレコーダーと同じ作り、だが、こちらの方は新品だ。
時間跳躍の為にそれには作成日時の装飾は存在していなかった。
ちょうど、作られる時間と同時刻に作られていたらしい。ぴったりだ。

どうしてか、時間が経っているはずなのに、晶葉の目元は未だに赤かった。


「ここまで偶然が重なると、神を信じざるを得ない」

『信じてるのか?』

「ああ、昔から信じているよ。信じたくはないが、信じざるをえないんだ」

『そっか』

「さて、必要な事は覚えたか?もうすぐ、時間だ」

「ああ、渡すのを忘れていた。これを、大切に持っていてくれ」

「困った事があれば、そこに吹き込んでおいたのを再生するといい」

「ただ、私の手に渡ればいい。それだけで、構わない」

『あ』

『どうして、このボイスレコーダーは壊れちゃったんだ?』

「…受け取るときに、落としてしまったんだ…ほら、きちんと持て」

「せめて、渡すときに一声くらいあってもよかったと思うが…今は関係ないか」

『ありがとう』


「…礼を言うのは、私だよ」

『じゃあ、行ってくるよ』

「ああ、そろそろだ…作動させるぞ」

『きっと』

『きっとさ』

『答えを見つけて、戻ってくるから』

『きっと晶葉を、幸せにしてみせる』

彼は、光の中に消えた。
残された彼女は、ぽつりとつぶやく。

「ああ、またか」

「また…あのときと、同じように」

「君は、私にそう言うんだな」






「…私は、そう言ってくれたのだと、今でも信じているよ」


目が覚める。ええと、俺は。
なんだ?なんだか、身体が痛い。
ゆっくりと身体を起こすと、砂の上だった。

周りと見回す。川があって、うっすらと草も茂っていて。
どうして河川敷に?なぜ河川敷に…思い出した。

そうだ、やることがあるんだった。
腕時計をみる。軽くほこりを払う。
タイマーをセットする。残り13時間。

もう、後には戻れない。
既に過去に戻ってはいるけれど。
13時間で、晶葉の手にボイスレコーダーを掴ませないと。

これまで、一緒にやってきたんだ。
アイドル活動をしながら、懸命に発明にも手を伸ばして。
そんな晶葉の努力は俺が1番よく知ってる。

肩についた砂も軽く払って、メガネもかけなおして。
靴紐もきちんと締め直して、残り12時間56分。
多く見積もれば、13時間と1分。

未来を手に入れるために、過去を整合させる。
それが俺の、今、やるべきことだから。


今は何時だ?

結構明るい。そして今は何月何日だ?
時間跳躍をしたときの設定時刻で、腕時計がタイマーとしてしか作用しない。
どこかで時計を見つけて時刻を再設定しなければ。

その前に。晶葉はこの世界のどこにいる?
時間跳躍の表面上の情報しか入っていなかった。
だが、ここが跳躍先であったということには意味があるはず。

もう一度あたりを見回す。今度はある程度遠くまで。
ぎりぎりで見える距離だが、大きな時計がある建物が見える。
その時計を見ながら時間を合わせる。今は朝の8時5分くらいなのか。

ということは、タイムリミットは21時。

そういえば。あった。ボイスレコーダーが。これが絶対に役に立つ。
晶葉はとにかく頭が回る。きっとこの事にも対応してくれているはずだ。
俺の手にフィットする、銀色のスタイリッシュなデザインのボイスレコーダー。

色々なユーザーに配慮されているのか、録音と再生、停止ボタンの3つには
特徴的な点字のようなものが埋め込まれていた。

かちっ、と押すことが癖になりそうな小気味よい音と手触りでボタンが沈む。
「あー、あー。テスト、テスト」と、晶葉の声が再生され始める。

「ああ、過去の私は跳躍先の…ええと、近くに背の高い時計のある建物にいるはずだ」
「日時は6月10日、朝の8時になっている、とりあえずこれで困ることはないだろう」
「いいか、きちんと指定された時刻にはこの河川敷へ戻ってくるように」

かちっ。もう一度小気味よい音と、ほどよい弾力でボタンが浮いてくる。
なるほど、あそこにいるのか。困ったらまた再生すればいい。
また続きがあるようだから。

今は少しの時間も惜しい。俺は正確に時を刻む時計へ向かって歩き出した。
ゆっくりと、ゆっくりと、けれど確実に時計は針を進めていく。

ああ、俺のやろうとしていることは、それを歪曲させることなのに。


少しずつ視界に映る時計が大きくなっていく。
それにつれ、横の建物も確実に大きさを増していく。
目の前まで来て、ああ、なるほど。そう思った。

近代科学技術作品展。入り口にはそう書いてある。
つまるところ、当時のロボットや精密機器を展示しているのだろう。
同時にちょっとしたロボットを作ることの出来るコーナーも設けられているらしい。

入り口に設置されているパンフレットを1つ抜き取り、中をながめる。
建物の地図、どこに何が展示されているのか。情報は多い方がいい。
プロデュース業で慣れている記憶力で、それらはすぐに記憶として定着した。

よし、と一息いれて歩き出して、中に入った。どうにも無料らしい。

お金を使うことがなくてよかった。
もし使ってしまっては、この時代に同一の製造番号の紙幣が2枚存在することになる。
些細なこと、ではなかった。これに国が気付いたら。

本来は1枚しかないはずのものが2枚。当然、偽造を疑う。だが、どちらも本物。
となると、自分の持っている紙幣も偽造のものではないか、そう考えるのは自然だ。
それが各国に知られれば、日本の紙幣の存在価値が紙切れ同然になる。

異常なまでのインフレーションが起こり、日本経済は破綻、国家転覆の危機に。
たった1枚の紙幣を使うだけで、ここまでリスクを負うことになる。

時間跳躍とは、どうにもそういうことらしい。


建物の中は非常に天井が高く、ドーム状のガラス張りだった。
夜はここで作られた望遠鏡を用いて天体観測も行うことができるそうだ。
1つ1つの精密機器がショーケースに入れられていたり、実際に触れることができたり。

非常に精密で複雑である機械を、もっと親しみやすくしようとした結果のようだ。
その目論見は成功しているのか、こんな朝からでも多くの人が集まっている。

だが、この中から晶葉を見つけるのは相当に難しいことだ。
もしかしたら建物の外に居るかもしれない。その可能性だけはあってほしくない。
とりあえず、1つ1つ見て回りながら、晶葉を探そう。

当時の晶葉との会話のきっかけになれば。そう思って、1つずつに目を配った。

みたことのある、古い携帯電話の機種。
だが、これは当時の技術を凝縮して作られたものだ。
これでも当時は、折りたたみ式の携帯でも、とても価値が高かったものだ。

ずらり、と開発に加わった人間の名前が並ぶ。

今では精密機器や電子工学系産業のトップに立つ社長の名前が、部長として飾られている。
確かに時代の流れを感じさせる。他にも知っている名前が多数並んでいる。
そして、その最後に、記載されている名前が。

技術開発課・特別顧問、池袋晶葉だった。


あり得ない。
小学1年生、だぞ?
俺が小学1年生の頃は何をしていた?

友達と校庭に出て、サッカーをしたり。
給食の牛乳をかけてじゃんけんをしたり。
友達とただ、感情の赴くままに喜怒哀楽して。

その程度、だが、これが普通…のはずだ。
なのに。

技術開発課、特別顧問?
俺は科学の字すらも正しく認識などしていなかったというのに。
この頃から、晶葉は才覚を発揮していたというのか。

だが、驚いている暇はない。
よく見ると、どの精密機器にも晶葉の名前が並んでいる。
ここまで来ると、もう驚くこともできなかった。

今は、晶葉を探さなければ。

ひと通りショーケースと顔を合わせ終えても、晶葉を見つけることは出来なかった。
なら、どこにいる?どこなら、晶葉が居る可能性がある?
ああ、そういえば。

ロボットを作れるコーナーがあったはずだ。そこへ行ってみるしかない。


足を伸ばすと、老若男女を問わず、みなが開発に取り組んでいた。
開発というと複雑そうだが、説明書や係員の指示にしたがって組み立てている。
なかなか精巧なものが出来るらしく、作ることの出来る選択肢も多いらしい。

その中に、いた。

間違いない、あれが晶葉だろう。
髪をまとめて、ほのかに赤みがかった茶髪、きれいに切り揃えられた前髪。
そしていつもの逆ナイロールの、赤ふちのメガネ。

…だが、どうやって声をかければいい?
いきなり俺のような大人が小学1年生の晶葉に声をかければ明らかに不審者だ。
不信感を覚えてその場を離れられると困る。

あ。

俺のまじまじとした視線に気がついたのか、手を止めてこちらに歩み寄ってくる彼女。
どうしたらいい?どうすればいい。何と言えば正答になる?

「君…ずっとこちらを見ているが、何か気になることでもあるのか」

「…何を笑っているんだ?」

『ごめん、笑うつもりはなくて…ええと、あき…いや、君の作っている望遠鏡、他のと違うから』

晶葉はこの頃からこんな話し方だったのか。しかし想像に難くない。
当時からひとまわりもふたまわりも違う大人に指示を出していたのだろう。

「ほう」

「君は、分かるのか」

彼女はそう言って、不敵に笑った。
どうやら、これが正答だったようだ。


「とりあえず、座って話そう…よし、君は発明やらに興味があるのか」

『ああ、よく身近ですごいロボットを作る娘が居て、それで』

嘘はついていない。まさか初対面で自分の事を言われているとは思わないだろう。

「ほう…それも気になるが、ふむ…君はこれのどこが違うと思った」

ああ、これなら簡単だ。俺がどれだけ晶葉の開発を手伝わされていることか。
しかも晶葉の開発しているパーツの癖まで、覚えるほどだ。

『例えば…そうだな、ここのレンズ、本来なら、ここはもっと幅をとって、大きくなる』

『…けれど、それを…パーツの名前はわからないけど、こっちので代用して、軽量化している』

『他にも、ああ、ここだ。このパーツと、こっちのもそうだ、あとは…これだ』

『しかも、それを外観の一部として取り入れることも出来てる。持ち運びも容易で危険性が少ない』

『これで、どうかな』

説明を終えて晶葉の顔を見ると、絶句していた。

じっとこちらを見て、微動だにしない。
どうした?俺は何か間違えただろうか。次は、どう動けばいい。
ここでボイスレコーダーは取り出せない。明らかに不審な動きだ。

「…き、君は…」


「分かっているじゃないか!しかも、私のこだわりまで理解しているとは!」

…どうやら、これも正解だった、らしい…よかった。

「これも私の開発中のパーツだ…発明、とまでは未だに行き着かないが」

「ふむ…君は見どころがある、よし…決めたぞ」

「君を…」

「君を、私の助手にしてやろう!」

小学1年生の女の娘にそう言われる俺。
ああ、やっぱり晶葉は変わらない。池袋晶葉は、揺らがない。
高圧的な命令のようでいて、けれど、これは晶葉なりのお願い、だ。

嬉しくなって、俺も言う。

『ああ、よろしくな、晶葉!』

………。
やってしまった。
散々気をつけていたはずなのに。

「君、どうして私の名前を…」

ふと晶葉の服を見る。そして目に入った、特別顧問を記載するネームプレート。
我ながら、いい機転を効かせたと思う。

『ほ、ほら。ネームプレートに書いてあるだろ?だから』

「ああ、なるほど…確かにそうだな。よし、これからよろしく頼む」

そう言って、彼女は笑った。


時計を見る。10時28分。確実に時間は進んでいる。
時の流れだけは何者にも止めることは出来なかった。

「こら、君…私の話を聞いているのか」

我に返る。ああ、聞いていなかった。
すまない、ちょっと。すぐに戻るよ。
それだけを伝えて、俺は席を立った。

施設の外に出て、ボイスレコーダーを再生する。

「あー…テスト。ああ、そろそろ私に出会っている頃じゃないか」
「そうだな…ボイスレコーダーをどう渡すか、思案していると言ったところか」
「外に出てきたのは10時30分。そうだろう」

どうして分かるのか。天才ならではの推測なのか。
実はこの世界は晶葉に見せられてる夢で、それを晶葉は見ているんじゃないか。
そうとまで思えてしまう。だが、これは現実…のはずだ。

「さて…とりあえず、私に君への興味を抱かせてくれ」

興味を抱かせる?どうやって。晶葉はこの頃から天才で、大人の俺を軽く凌駕している。
その晶葉に、普通の俺が、晶葉が興味を持つ?

「きっと、俺にどうやって、だなんて思っているのだろうが…君は持っているはずだ」
「ずっとずっと、私の助手としてもやってきた…君は決して普通などではない」
「全てではないが、持っている。今の私の知識を、技術を…そのかけらを。そうだろう?」

「それらは当時の私ですら持ち得なかったものだ…だから、期待しているよ」

「私の、最高の右腕に」


ふう。溜息をつく。けれど、そこに悩みはなかった。
ああ、そこまで言われたら、やるしかないじゃないか。
そうだ。俺は晶葉の助手なんだから。期待に応えたい。

戻ろう。

『ごめん、ちょっと電話があってさ』

「そうか…うーむ」

晶葉は俺がいない間も開発に取り組んでいた。
熱心に、周りも見えなくなるほどに。だが、どうにも困っているようだ。
…これは、チャンスじゃないか?そう思って、声をかけた。

『あ、思うんだけどさ。今作ってるそれの…ええと、その角の。うん、そこ』

『また例えばで悪いんだけど…ほら、これを組み合わせてさ、ちょっとドライバー借りる』

『こうやって…ああ、はまった。こっちの方が見栄えもいいし、コンパクトにもならないかな』

「………」

「ふむ…なかなか」

「なかなか…いや、いい…いいじゃないか、やるじゃないか!」

「その発想はなかった…君は柔軟な発想を持っているんだな、褒めてやろう!」

よし、好感触のようだ。

「………」

「君がいれば…君がいれば、私も…何か、発明品を作れるかもしれないな」


そこからは上手く会話が続いた。どちらかと言うと、俺も会話を楽しんでいた。

科学技術関係の話がメインで、俺にも分かる話だった。
ただ少しだけ、俺の方が当時の晶葉より知識があったためだろうか。
晶葉も俺のこの時代から外れた技術を見て聞いて、質問攻めにもあった。

気になった点としては…いっさい、学校、家庭の話が出ないことだった。
よく考えれば、以前に晶葉の家に再契約に行ったときもそうだ。
ただ委任状を晶葉から受け取って、それだけ。

父親や母親の話は聞いたことがない。存在はしているのだが。
感じた疑問を取り消すことが出来ない。口は動いた。

『晶葉は…その、学校とか、家ではどうなんだ?』

会話が止まった。今まできらきらと輝いていた目に、影が差した。
ただの興味本位じゃない。何か力になれれば、そう思っていた。

「父も母も科学者で…忙しいらしく、ほとんど家には戻らない」
「週に何回か来る家政婦が家の掃除をして、私の食事を作る」

「…学校は、どういうわけか、話が合わないんだ」
「私は学業や科学技術の話がしたい…けれど、周りはテレビやアニメの話ばかり」
「それに…既に高校入学までの学習過程は終えている」

無理もない。周りはみな、平凡だらけ。
小さい頃から学習塾に通っている子供ですらも、晶葉の前では意味が無い。
どこまでもどこまでも、その子供ですらも晶葉からは平凡に映るのだから。

「…こどく、というものらしい」
「私は、いつも1人だ。教員ですら私に嫌な目を向ける」
「黒板の間違いを指摘したとき、思う通りに私が動かないとき…いつも、そうだ」

「だから————」


『…俺が』

『俺が、居るから』
『だから…もう晶葉は孤独なんかじゃない、そうだろ?』

「………」
「………ふ、ふふ」
「そうだな」

「天才はいつも孤独というが、君がそばに居てくれたら私は孤独ではないな…!」

『ああ』
『何かあったら、助手を頼ってくれればいい』
『そのために居るんだからさ』

「なんというか…きみは、ばかだな」
「こんな年端もいかない子供に、使われるかもしれないというのに、そんなに笑って」
「もしかして、そういう趣味でもあるのか、君は」

『そんなことはないけどさ』
『ただ…そうだな』
『晶葉の力になれるんだ、それだけでも、理由には…ならないかな』

「………」

「本当に、君は、ばかだな…」

「けれど…ありがとう」


「…そろそろ、昼を過ぎたか」
「ああ、君は昼食はどうするつもりだ」

『…どうしよう』

お金は無論使えない。
俺の空腹と国家転覆をとても天秤にはかけられない。
けれど、生きている限りお腹はすいていく。

「君…お金を持っていないのか」

『…うん』

正確に言うと持ってはいる。だが使えない。

「…仕方ないな、行くぞ」

着いて行くと、建物内でもいくつかの出店が確認できた。
ここで昼まで見学して、それから開発に取り組む人もいるらしい。
その間の顧客満足度を高めるために設置されたようだ。

「ええと…これと、これと…これをもらおう」

店員の女性がちらりと俺を見る。仕事柄、なんとなく会釈をする。
俺のことを父親と勘違いしたのか、お父さんのために偉い、なんて褒められていた。

「か、彼はおとう…いや、そうだ…お父さん、だ…」

そして、いくつかハンバーガーとドリンクを俺が運びながら、隣にいる晶葉は言った。

「否定するべきところだったが…違う、と答えればこの年齢差だ…明らかに不審だろう」

その通りだった。


「さて、席はこの辺りでいいだろう…君も食べろ」

俺も晶葉の対面に腰を下ろす。
プラスティック製の白い椅子だが、なかなかすわり心地がいい。

『ありがとう、いただきます』

「ああ、そうしてくれ…空腹で話が聞けないと私が困るからな」

少しだけ頬を染めて、そう言ってくれた。
しかし、なかなか気になるのは、晶葉の財布の中身だった。
さっきちらりと見えたけれど、子供が持つべきではない金額を持っていた。

『晶葉は…いつも、そんな大金を持ち歩いているのか』

「…これか、これは…私が稼いだ。ここのいくつかの精密機器の開発で」

「何かあったときのため、あった方がいい…急に思いつくこともあるからな」

ああ、確かに。たまに晶葉はいきなり思いついたのか、俺とパーツを買いに行く。
この頃からそうだったのか。少し微笑ましくなる反面、金額が金額で心配でもある。
けれど、お金の価値を自分で稼いで知っている晶葉なら、大丈夫だろう。

「…私だけ質問されるのも、あれだ…君の普段はどうなんだ」

「ほら、君はスーツだろう?そのメガネの素材も私が作ったもののはずだ」

「伸縮性のいい素材で作っているスーツだ、なかなか着心地がいいだろう」

なるほど。だから晶葉は俺のメガネやスーツについて調べずとも分かっていたのか。
自分の開発したものを使われているという心境はどのようなものなのだろう。


『俺は…アイドルのプロデューサーをしてるんだ』

「…君が、アイドルの、プロデューサー?何かの冗談…では、ないか」

『ああ、実際にシン…じゃなくて、プロダクションに雇われてる』

『その中に、晶葉みたいなすごい娘が居るんだ』

みたいな、ではなく晶葉そのものなのだが、とても言えない。

「ふむ、なるほど…プロデューサーがここに居るのは、その人のおかげか」

「なら、その人に感謝しなければな。こうして私と君が出会えたのだから」

『…ああ』

「その…アイドル、というのは楽しいのか」

『アイドルに、興味あるのか?』

「そういうわけではないが…ほら、助手のことだ、気にはなる」

そっか、と返事をして、口を開く。
普段のプロデュース業、アイドルがどんな生活をしているか。
けれど、詳細だけは伏せて。


「ふむ…なかなかに、おもしろそうだな」

「将来、私が発明家として名を馳せる事になれば…君と」

「………」

「ああ、そういえば…言っていた、ロボットの開発が好きな人の事を知りたい」

「その彼女が…君の、その…興味、を惹いているようだから」

「変な意味じゃない…ただ、その…ほら」

「わ、わかるだろう?」

あまりにも慌てている晶葉を見て、なんとなくおかしくなって、笑ってしまった。
普段の晶葉からは滅多に見れない光景だ。晶葉も、こんな顔をするのか。
頬を染めて、どこを見ていいか分からない視線を辿って、晶葉の目をみて。

『…それだけは、悪いけど…答えられない』

『約束、だから』

「………」

「そう、か」

「なら…いい」


本当は答えたい。晶葉は将来こうなって、こんなアイドルになる。
ああいう研究開発をして、天才発明家なんて呼ばれて、それで、それで。

でも、それは、決してやってはいけない。
想いを託してくれた晶葉を、裏切ることになってしまうから。

『ごめん』

ただ、謝るしかなかった。申し訳がなかった。
未来の晶葉のために…この晶葉を、騙していることにもなるのだから。
その中には、確実に後悔の気持ちも、反省の気持ちもこもっていた。

「構わない…誰にだって、答えたくないことだってある」

「だから…別に、構わない」

そう言ってくれる反面、彼女は寂しそうな目をしていた。
口に軽く入っていた髪の毛を払い、軽くストローを吸いながら。
この年齢の子供がする表情だろうか。

彼女はどこまでの孤独を味わってきたのだろう。

天才。
聞こえはいいが、確実に人と格差を生む言葉だ。
神童、鬼才。人は誰しも、表面上は誉めそやす。

けれど、確実に、それを快く思わない人間もいる。
出る杭は打たれる。平凡で、その才能を妬むがゆえの行動で。
それはいけないこと。けれど、確実に存在する事柄だった。

彼女に、そんな顔はさせたくない。
だから…俺は、言葉を選んで、紡ぐ。晶葉の過去を、未来を壊さないように。
ルールに違反して、世界が変わらないように。

世界を構築する、神の琴線に触れないように。


『…もし』

『…もし、だけど』

『俺が…未来から来た、って言ったら、晶葉は…どう思う、かな』

「それは…なんだ、喩え話か?」

『………』

「本気で…言っているのか」

「未来から、来たと」

『…そうだ』

「…馬鹿と天才は紙一重、というが…どうにも、そうらしい」

『………』

「本当に…本当に、そう、言うのか」

『…ああ』

「…なら、聞こう…何の、ために」

『答えを、見つけるために』





『君を、救うために』


「………」

「私を…救う?」

「私が…私が、何か…事故やらで、死ぬとでも言うのか」

『多くは言えない…けれど、信じてほしい』

「信じろ…そう言われても、根拠もなしに、か」

『ごめん』

「君は、謝ってばかりだな」

『………』

「それで…君は、私に何を望むんだ」

俺は間違っているのだろうか。彼女を笑顔にしたいと思う事が。
1人の女の娘と、世界が変わる危険性を天秤にかけて。
俺は、彼女の笑顔を選んだことを。

『これを、受け取ってくれればいい』

『ただ、受け取ってくれるだけで』

ポケットから取り出す。晶葉から晶葉へと受け継がれる、ボイスレコーダー。
問題なく動く。どこまでも精密に、狂いなく。晶葉はそれを手にとった。
受け取った、のだ。

「これは…ボイスレコーダー、か?」


「見たこともない形で、ロジックで…これが、未来では作られるのか」

『うん…それを、受け取って欲しい』

「………」

「受け取って…」

「私がそれを受け取って…君は、君は…どうなる」

『………』

『俺は、消える』

『この世界から』

『そして、帰るんだ』

『元の世界へ』

「わざわざ、これ1つを渡すために、未来から来た、と?」

『…うん』

「それは、誰のために?」

「その…彼女のためか」

『ああ』


「私を、利用すると?」

「その彼女とやらのために、私を」

『………』

「また、黙るのか」

答えられるところと答えられない部分の識別が難しい。
彼女にとっては答えを焦らされているように感じるだろう。
ごめん、と、また心のなかで謝って、顔を伏せる。

「そのために、私に近づいたのか」

彼女を幸せにするために、彼女を不幸せにする。

「…答えろ」

彼女への答えを見つけるために、彼女への答えを隠す。

「答えろ」

彼女の未来を正すために、彼女の過去を歪ませる。

「答えろ、と言っているんだ!」


…もう、俺の答えは決まっていた。

ゆっくりと、ゆっくりと、心を冷やして。
心の善意を、悪意に変えて。全てを、塗り替える。

表情を嘘で上塗りして、上塗りして、上塗りして。
どこまでもどこまでも嘘で、真実を嘘で塗り固めて。

決して剥がれぬ仮面を被って、顔を上げた。

『………』

『そうだ』

『俺は、その為に君に近付いた』

『ただ、1つの事実が生まれれば、経過はどうでもよかった』

『池袋晶葉が、未来からもたらされたボイスレコーダーを受け取った』

『それだけで、それだけを確認するだけでよかった』

『ああ、君にお礼を言わないといけない』

『ありがとう』





『俺の役にたってくれて、ありがとう』


[ 池袋晶葉 side ]

彼が、私を利用した?
確かに彼は現代の技術とは思えない異常なものや知識を持っている。
私からみても、彼は天才だ。世界の技術者も足蹴に出来るほどに。

してやられたというのか?この私が。
未来から来た。彼はそう言った。

とても信じられない。だが、このボイスレコーダー。

現在のものよりずっと軽量で、デザインもいい。
恐らく消費電力も最低限、外殻は傷がつかないような素材だ。
メモリーも現在の何十倍、何百倍と記録できるようだ。

難点があるとするなら、衝撃で内側のデータが壊れる可能性か。

ああ、今はそんな事を思案している場合ではない。
つい、いつもの癖が出てしまった、だが、今はまず。

頭では冷静になれと思っているはずなのに、手が動く。
大きな音を立てて、彼の頬を強く打った。

『………』

彼は何も言わなかった。敵意のこもった視線もなかった。
どうなっている?何がなんだか、わからない。
これを受け取って、未来がどうなるというのか。


それでも彼は答えない。彼の意思は揺らがない。
内に何を隠している?彼の表情は変わらない、無表情。

不気味だった。何が彼をそこまでさせるというのか。
その、彼女のせいだというのか。ああ、何だかストレスがたまる。
たった1人の女のために、命の危険も顧みず、過去へ飛ぶ?

どうかしている。

何がなんだかわからない。考える時間がほしい。
だが彼の存在が脳への信号をストップさせる。

何もかもがもどかしくて、彼に向かって叫んだ。

「君がそれだけ言うのなら、受け取ってやる」

「だが、だが…2度と、2度と私の前に現れるな!」

「君を信じた、私がバカだったというわけだ」

「私の力になる?私が孤独じゃない?ふざけるな」

「君は最初から、そうやって…腹の中で笑っていたんだろう!」

「………」

「君が、君が消えないのなら…私が消える」




「さようなら」


わけもわからず飛び出した。行くあてなどあるはずもなかった。
今まで友達との遊び方もわからず、ずっとロボットを作っているだけだったのだから。
両親もずっと帰ってこない。会話と言えば、家政婦と二言三言交わすだけ。

やっと、やっと孤独じゃない。私にも友達が出来た。
彼のような天才の、私の話がわかる人間が、私の助手になったんだ。

そう思っていたのに。

今までは、私の頭脳だけを目当てに大量の企業がすりよってきた。
私のような子供にあごで使われて、それでもへらへらと部品を製造して。
そんな生活に嫌気がさして、富を蓄え、好きなことをしていたというのに。

結局、私は最初から孤独だったんだ。
彼も、形は違えど目的のためには何でもする人間だったということだ。

ああ、いくところ、いくところ。どこにいけばいい?
このあたりの土地勘などほとんどない。
友達と遊びに行くことも、両親に連れて行ってもらうことすらなかったのだから。

知っているのはせいぜい、この建物の周りと、家までの道筋くらいだろうか。
外に出て、時間を確認する。そういえば時間など一切気にせず過ごしていた。

…悔しいが、楽しかったから。

今は何時だろう。ずいぶんと話していた。
もう空の色が変わり始めている。

ああ、もうすぐ、陽が落ちる。ならば。

「………」

「…そういえば、このボイスレコーダーには、何が入っているんだ?」


[ プロデューサー side ]

雲を眺めていた。

ただ自由に、どこまでも自由に流れる雲を、ただ、座って。
もといた河川敷。17時48分。タイムリミットまであと3時間12分。

彼女を傷つけてしまった。
彼女のため、といいながら、彼女を。
けれど、これで晶葉の言っていた条件は全てクリアしたはずだ。

晶葉以外に知られることもなく、晶葉の将来については口をつぐんで。
池袋晶葉がボイスレコーダーを受け取った、という事実を作った。

これで、彼女は救われる。
これで、彼女を。

過去へ来る前の会話を思い出して、整合性をとっていく。
うん、条件は1つ1つ上手くいっている。やりかたは、褒められたものではないが。

だが、全ては上手くいったんだ。全て、上手く。

これで、天才発明家へのステップが出来た。彼女は名を馳せる。
そして、彼女はアイドルになって…ボイスレコーダーの修理をして、答えを…

………。

確かに、条件は上手く行っている。

けれど。












そんな未来は、あり得ない。


あり得ない。

どうして、そこから晶葉はアイドルになる?
アイドルのプロデューサーと言い張る人間が、彼女に悪意をぶつけて。
彼女は当然、俺の事を軽蔑するだろう。そんな人間が、アイドルになるだろうか?

整合性が取れない。

ボイスレコーダーもそうだ。
俺は確かに晶葉にボイスレコーダーを渡した。
確かにその事実は確定して、そこに存在はしていた。

けれど。

そのボイスレコーダーについて、晶葉は言っていたじゃないか。

だが、どうだ?

明らかにおかしい。

このままでは、彼女がボイスレコーダーを修理することにはならない。

このままでは、彼女が答えを見つけることは出来ない。

このままでは、彼女が彼女でなくなってしまう。

だって。晶葉は言っていたじゃないか。




「受け取るときに、落としてしまった」って。


どうなっている。条件はクリアしたはず。
何を間違えた?俺は間違えたのだろうか。
答えを急ぎすぎたのだろうか。17時58分。

未来が変わる。彼女が救われない。彼女を、助けることが出来ない。

まさか。
ボイスレコーダーに、まだ、入っていたのか。
晶葉の、答えと取り戻すためのメッセージが、入っていた?

激しい動悸。めまいがして、息ができなくなる。
間違えた。俺は間違えた。最初に全て聞いておくべきだった。

過呼吸で激しい嘔吐感、のどに溜まったような粘液の香り。
どれもこれもが俺の思考を止めてゆく。

ああ、ああ、まずい。このままでは、このままでは。
彼女の希望が、未来が。何もかもが、失われてしまう。

今まで出会って、彼女が取り組んできたこと、何もかもが、失われてしまう。
たった1つの答えすら、彼女にあげられないと言うのか。

18時02分。確実に秒針は動いて、長針を動かしてゆく。
まわる、まわる、時計が、目の前が、ぐるぐると、どこまでも。

「————きみは、ばかだな」

「————さようなら」

彼女の一言一句が走馬灯のように駆け巡る。消えてしまうのか、このまま。
彼女の存在が、彼女の想いが、なにもかも、このまま。これでいいのか?

ダメだ。

そんな事はさせない。決めたじゃないか、俺は。
きっと、彼女を。そう、決めたじゃないか。

誰に責められようとも構わない。彼女を笑顔にすると決めた。
理由はそれだけで十分じゃないか。

世界のルールも、何もかも、知ったことじゃない。
俺は必ず答えを見つけ出す。ゆっくりと立ち上がる。

18時05分。

そっと、けれど、力強く。土を踏みしめる音がした。


[ 池袋晶葉 side ]

ああ、ここはいい。せっかく作ったかいがある。
空もまだ明るい。6月だから、まだまだ明るい。

結局、誰にも覚えられてはいなかった。私のことを。
ポケットの中には、携帯電話、そして、ボイスレコーダー。

携帯電話を開く。18時10分。

相変わらず、誰からの連絡も、着信もない。
本当に、誰も覚えてはいなかった。両親ですらも。

自然と涙がこぼれる。私の存在は何なのか。
これではただの人工知能と変わりないじゃないか。
ただ、与えられた問いに、返すだけ。

それまでは延々と知識の吸収を繰り返す。
どこまでも、どこまでも、どこまでも。

暇つぶしに作った、いくつかのロボットを取り出す。
稚拙なものだった。説明書通り作れば、誰でも出来るものだ。
それに少しだけ改良を加えただけ。

私の手にかかれば、物言わぬロボットも生を得た。
それがたまたま、企業の目に止まっただけ。

それだけだった。


ぼんやりと空を眺めていると、携帯のバッテリーが減っていることに気付く。
無駄にバッテリーを消費するこの携帯も改良を加えるべきか。そんな事を考える。

ぱたん、と携帯をしまって、ポケットへしまった。
今から夜までに、何をしようか。予定の時間としては、8時以降だろう。

それまで、暇つぶしになりそうなもの。
ポケットに入るサイズのロボットを幾つか取り出してみるが、暇つぶしにはならない。
あくまでも一定の動きを繰り返すだけなのだから。

ああ。

そういえば、あった。これなら、ちょうどいいじゃないか。
ボイスレコーダー。未来の技術が詰まった、ボイスレコーダー。

これがあれば、私は技術を磨くことが出来る。
彼の…彼の、頭脳のかけらでも、のぞくことが出来るかもしれない。

未来ではどんな技術が使われているのか。
どんな素材が好まれ、どんなデザインが好まれているのか。
外観や手にフィットする感覚に、私は目を奪われた。

分解してしまおうか?

ダメだ。もう少しきちんと観察しておきたい。
持っていたカメラで外観をくまなく、漏らさず撮影する。
ふむ、だいたいこんなものだろうか。

ああ、もう1つ。
これは、ボイスレコーダー。
この中には、何かメッセージがあるはずだ。

かちっ。その音と共に、再生がはじまった。


[ プロデューサー side ]

走っていた。
ボイスレコーダーを探して、晶葉を探して。
だが、俺を相手にしてくれるのだろうか?

今はそんな事を考えている時間はない。
どうしたらいい?走るしか無い。

展示場近くの公園、路地まで1つ1つ見まわっていく。
汗が吹き出す。6月だ。少しずつ気温もあがってきている。
息も切れる、肺が痛い、苦しい。

靴だってランニングシューズじゃない。爪も割れているだろう。
けれど、それでも、走った。晶葉、晶葉。そう叫びながら。

道行く人は俺を冷ややかな目でみていく。
今はそんな事を気にしている場合じゃない。晶葉、どこだ。

見つからない。

結局、もといた展示場へと戻ってきていた。
家も何度もチャイムを鳴らしたが、いる様子もない。

ここに居なければ、俺はもう間に合わないかもしれない。
18時46分。もう時間はない。迷っている暇もない。

展示場へ向けて、駆け出した。
閉館時間は19時。まさに、時間に追われていた。


ああ、お客様。走ると危険なので、走らないでください。

そんな声も無視して走り続けた。晶葉、晶葉。
閉館間際だというのにまだまだ人がいる。
晶葉にそっくりな子供に声をかけて、怒られた。

人とぶつかって怒られたりもした。
晶葉、晶葉。どこだ。

いない、いない、どこにも居ない。

何度だって見まわった。
何周も展示場を回って、探して、探して。

居ない。

ああ、俺は。俺は、ここまでなのか。
もう、動けない。

酸素が足りない。かろうじて椅子に座る。
そんな時間すら惜しいというのに、反して身体は休息を求めていた。

晶葉。どこにいるんだ。
そう思っても、答えが帰ってくるわけでもなかった。

気づくと、ここは晶葉とお昼にご飯を食べた席だった。
楽しかった。楽しかった。彼女の新しい顔も知った。

どんな顔で笑って、どんな顔で寂しがって。
彼女の過去だって知った。孤独だった、という過去を。

けれど、それすらも俺が壊して。


18時59分。閉館時間だ。もう、間に合わない。
あと2時間。あと2時間で何ができる?
晶葉の場所も分からない。なのに、2時間で全てを正せるだろうか。

不可能だ。この町は、未開発と言っても、広い。

どこまでもどこまでも土地が広がって、家屋も多い。
影に隠れられたり、未開発の原っぱなどに入られたら終わりだ。
小学生だ、そういうところの1つや2つ知っていてもおかしくない。

端から端まで探したとして、軽く半日はかかるだろう。
それを、2時間で。

どうしたら。

ああ、せめて。

晶葉。

せめて、晶葉の場所だけでも。

今なら神に祈れる。助けてくれ、助けてくれ、神さま。

俺のやってることは、神さまに対する冒涜だ、それでも、それでも。

今だけでいい。少しだけ。俺に力を貸してくれ。

たった1人の女の娘を、笑顔にして、それで。

どうなったって構わない。俺はどうなってもいい。けれど、晶葉だけは。

晶葉、だけは…!








「…あの」


顔をあげる。

お昼に食べたファーストフード店の店員さんだ。
なんとなくの会釈でも、仕事柄、顔は覚えている。彼女が、どうして。

「あの…お子さん、探してるんですか?」

お子さん?そう答えそうになって、慌てて口をつぐむ。
彼女はそう思っている。ここで時間を取るわけにはいかない。
間違いなく、彼女は何かを知っている。これに賭けるしか無い。

『そうです、晶葉が、居なくなってしまって』

「あきは…ちゃん、って、赤いメガネに、茶髪っぽい子、ですよね」

『知ってるんですか?あ、ええ、ええ。そうです、それが、晶葉です』

「その子なら…さっき、見ました。お店の片付けをしている時に」

『ど、どこで、どこで晶葉を見ましたか』

「そこの階段を、ずっと登って行きました」

「あの…ここの人には、上手く言っておくので、行ってあげてください」

「その…何があったか、わからないですけど」

「21時までは、私たちも後処理でいるので、それまでなら…だから」


『………』

『あ、あ…』

『ありがとう、ございます』

上手く声が出なかった。息も切れて、顔も熱い。
けれど、流れてくる涙が、熱くなった頬を冷やしていく。
ああ、神様。晶葉、俺も信じるよ、神様を。信じざるを得ない、な。本当に。

『ありがとうございます、ありがとうございます、本当に』

『あ』

『その階段の先って、何があるんですか』

「…知らないんですか?」

「今日は予定にはないので、19時で閉館ですけど…ここ、出来るんですよ」










「天体観測が」


螺旋のような、大規模な階段。
1段1段、息も切れて、足がなかなか上がらない。けれど、登ってゆく。
天井まではどこまでも高い。空へと届くかのように。

壁づたいに、どこまでも、どこまでも。
足も痛みすぎて感覚がない。爪が剥がれて、ソックスにまで血が滲んでいるかもしれない。

19時12分。半分も登りきれていない。
エレベーターは19時で停止されているらしく、動かない。
たった1人のことで動かせはしないのだろう。

けれど、あの人のおかげで、21時まで猶予がある。
残り2時間もない。けれど、それまでに、彼女を助ける。
そして、元の場所まで戻ってみせる。

こつ、こつ。
俺の靴音だけが響く。
本当に晶葉はこの先にいるのだろうか。

こつ、こつ。
空は近い。空へと続く階段も終わりが近づく。
さっきまであった雲も、どこかへ行ってしまっている。

こつ、こつ。
扉の前まで来た。
どうやら、今日は満月らしい。月明かりが扉の隙間から漏れている。


いくつか輝く星も見える。
今日の星は、きれいだ。
だから、晶葉は望遠鏡を作っていたのか。

さて。

はじめよう、天体観測を。


「………」

「きみ、か」

黄金の月を背に晶葉が映る。
彼女の顔は月明かりで見えない。

「きみは、ばかだな」

「本当にばかで、どうしようもなくて」

「私にどんな価値がある?」

「こんな子供らしくない子供に、何を賭ける価値がある?」

一歩、晶葉がこちらに進む。少しだけ、影が薄れる。
それでもまだ、彼女の顔は見えない。

「死ぬかもしれないというリスクを背負って、どうして」

一歩、また一歩。
ゆっくりと、月光の仮面は剥がされてゆく。
そして、俺の仮面も剥がされてゆく。嘘が、真実に塗り替わる。

「君は、どうして」

彼女が次に言うことはわかった。彼女は全てを知ったから。








「私のために、全てを賭ける?」


ああ、やはり。やはり彼女は、知ってしまっていた。
当然だ。未来の技術なんてものを、彼女の前に置いたから。
お腹をすかせた人の前に、ごちそうをおくようなものじゃないか。

そしていつかは答えに行き着いた。
きっと俺の知らないメッセージまで、全て聞いたのだろう。

19時18分。未だ霞むことなき黄金の月。

ポケットから、ゆっくりと取り出されたボイスレコーダー。
その、再生ボタンが押された。

『…あー…、そろそろ、テストは必要ないかもしれない、聞こえているだろう』

『私の予測では、ボイスレコーダーは池袋晶葉へ』

『…つまり私の元へと渡っているはずだ、今は天体観測をするため屋上にいる、そうだろう』

恐らく当たっているのだろう。晶葉の予測は、どうしてか外れない。

『18時14分…くらいか、恐らくな』

『空を眺めながら、ぼんやり…ああ、そんな話は求めてはいないだろうな』

『きっと、なんとなくわかってはいるんだろうが…』




『私は、池袋晶葉…ああ、8年後の、私だよ』


なおも音声は流れ続ける。

『今、過去の私…つまり、君はこう思ってる』

『どうして私にメッセージが回ってきたのか』

『ほら、既にいくつかの案を考えている…そのうちの1つは、当たりだよ』

『彼はアイドル活動をしている私のプロデューサーだ』

『あるとき、私は悩みを抱えた』

『今は天才発明家として名を馳せた…世界の企業、知らぬものすら居ないほどに』

『けれど…彼らは私の事を機械としか思っていなかった』

『もともとは世のため、人のため。そういう事で企業と協力してきた』

『そういうわけで、私の頭の中身だけが目的なら、くれてやる。そう思った』

『だから…ロボットAIを作った』

『私の全ての知識、発想、思想傾向…全てをインプットした、AIを』

『何故AIなのか、というのは、少し皮肉を込めたジョークでもあるんだ』

『私が欲しいなら、私そのものを作ってやる。そう思ったからだ』

『ロボットの、池袋晶葉』









『 Akiha Ikebukuro …ほら、AIだ』


『そうして、私はそれを作り上げたが…私の事を快く思わない人間が居た』

『アイドル活動が、お遊びではないか。そう言われた』

『私は、とある答えを求めて、とある約束から、アイドルになった』

『けれど』

『その答えは、今の私の世界では未来永劫、出ないのだから』

『だから…タイムマシンを作った』

『正確に言うと、ボイスレコーダーを受け取った、翌日から』

『何冊も何冊も本を読んで、何年もかけて作り上げた』

『もう1度、答えを知るために』

『プロデューサーも、わからないことだらけだろう…』

『答え合わせ、といこうか』


『今の私…8年後の池袋晶葉は、2度プロデューサーと会っている』

『はじめて会ったのは、8年前…6月10日。つまり、今の君たちの今日』

『次に会うのは、私がこのプロデューサーにスカウトされた日だ』

『当然、はじめてプロデューサーにスカウトされるまで、彼は私の事を知らない』

『過去の私は8年前に彼と会っていても、彼は時間跳躍をするまで過去の私を知らないのだから』

『けれど…彼は』

『…ああ、そして…彼に会い、アイドルとしてデビューした』

『プロデューサーは、気付いていないが…録音の日時表示に、8年後の跳躍の日が刻まれている』

『私はこれを見て、答えが知りたくて、この日まで待った』

『この日にしか、失敗した過去を辿り、もう1度繰り返して、答えを見つけられないから』

『そして、もう1つ、気になっていることがあるだろう』

『プロデューサーも、過去の私もそうだ…』

『どうして、行動が全て当てられているのか…この予測は、どうして当たるのか』

『それは』

『これが、予測ではないからだ』

『これは、予知…違うな、経験、だからだよ』

『つまり』







『わたしは、今起こっている出来事全てを、8年前に経験しているから、だよ』


だから。だからだったのか。
俺がちょっと、と言って晶葉の前から離れたとき。

晶葉は俺が出て行ったところを見ている。つまり、経験した。
ボイスレコーダーを渡す流れに入ったことも知っていたから。
全てを知っていたから、俺の思考までを詳細に読めたんだ。

ここでのボイスレコーダーの冒頭…これも、1度聞いていたから。
全く同じ音声をここで聞いたことがあったから。

ボイスレコーダーを聞く前に俺の口から将来の事を聞いていたら、
未来が変わっていたかもしれない。だから、彼女は俺に口止めをした。
今、正確に過去を辿る為に。

そして、思ったことを覚えていたから、全てを見通したような。
そうだったのか。1度失敗しているから。だから、全て知っていた。

なら、ここまで順調ということだったのか。
合っているなら、よかった。

けれど。

なら。

『プロデューサー、居るんだろう?そこに…これが、最後のメッセージだ』

『答えを見つけるためには、未来を変えなければならない』

『けれど、未来を変えずに未来を変えなければ、今の私には辿りつけない』

『つまり、今、この過去から、未来がはじまる』

『………』

『………』

『………』

晶葉の手から俺の手にボイスレコーダーが渡される。

音声は流れない。


[ 池袋晶葉 side ]

彼は、私の為に過去に来た。
1度失敗した私の答えを見つけるために。
こんな私のために、ここまでしてくれていた。

彼と会ってからの事を思い出す。
晶葉。彼は間違いなく私の事をそう呼んだ。
ネームプレートの事も嘘だった。私のことを知っていた。

彼が嬉しそうに語っていた女の娘の事も、全て私の事だろう。
私は自分に嫉妬していたのか。なんだか、恥ずかしいな。

8年後の私は決意していた。
アイドルになり、答えを見つけると。

命の危険も顧みず、彼は私の所まで駆けつけてきた。
彼はまっすぐ立つことすら困難な状況で、壁にもたれている。
こんな姿になってまで、そうしてまで、私のために。

彼は自分が憎まれようと、軽蔑されようと構わないとしていた。
私に打たれた頬も痛かっただろう。私は何も知らなかった。

8年後の私も、彼がそんな人だから。
そんな人だから、全てを彼に託したのだろうか。

8年という、長い期間をかけて、彼に。

だったら、だったら。

なら。

私も、彼と、未来の私の為に。

19時44分。

決意は固まった。


[ プロデューサー side ]

『————答えを見つけるためには、未来を変えなければならない』

『————けれど、未来を変えずに未来を変えなければ、今の私には辿りつけない』

どういうことだ。未来を変えずに、未来を変える?何かの謎かけだろうか。
違う。晶葉がこんな抽象的な物言いをするはずはない。なら、不確定なのだ。
これから起こる事柄に確信が持てない。だから抽象的に言わなければならなかった。

19時40分。

タイムリミットはあと1時間と20分。ここから河川敷までは約50分かかる。
足が動かない。今の俺ではそのぐらいはかかるだろう。

なら、残り30分。残り30分でどうすればいい。

時間は刻一刻と過ぎている。
晶葉は何やら思案しているようだ。

ボイスレコーダー。

そう、これだ。
これが全ての鍵をにぎっている。

これを、過去の晶葉が受け取るところまでは確定している。
では、今の晶葉はどうだ?

「受け取るときに、壊してしまった」だ。

これによって、内部のデータが破損し、エラーを出した。
だから、答えを得ることが出来なくなった。

未来を変えずに、未来を。

何か。何かが繋がりそうな感覚がある。ああ、もう少し、決め手がない。何かが。








『………』

『………』

『…プロデューサー、聞こえて、いるかな』


『近くに私が居れば…聞こえない位置まで移動してくれ』

続けて流れだす声。そういえばボイスレコーダーを切っていなかった。
だいぶタイムラグがある。意図的なものだろう。足を引きずりながら、ゆっくりと離れる。

『私からボイスレコーダーを受け取った…そうだな』

『はじめての時の私が記憶していることは、ここまでは確定している』

『だが…ここからだ、ここから未来が変わる』

『1つ、この後の私は共にあの河川敷へ戻り、そこで最後に君からボイスレコーダーを渡される』

『2つ、けれど、受け取ったボイスレコーダーは壊れていると私が認識すること』

『いいか、この未来を変えずに未来を変えるんだ』

『重要なのは、私の認識と、その後に起こることを予測することだ』

『その私は、君から受け取ったボイスレコーダーが壊れていると認識した』

『ボイスレコーダーのデータがエラーで再生できず、外殻も破損していたから』

『だから、私は答えを知ることが出来ず、タイムマシンを制作する』

『何かいい案があるわけじゃない…私もどうなるか分からない』

『………』

『伝えておきたいことがあるんだ』







『これが、最後かもしれないから』


最後?何でそんな事言うんだよ。
言ったじゃないか。俺は晶葉を。

『目が覚めて、そこに違う私が居たとしても、その私をよろしくしてやってくれないか』

何を言ってるんだよ。俺は必ず晶葉を救う。
だから、そんな事言うなよ。

『私はアイドルが好きだ。きっとその私もアイドルを懸命に頑張っていると思う』

知ってる。知ってるよ、そんな事。普段の晶葉を見てれば分かる。
俺が小さな仕事しか取ってこれなくても、晶葉は全力で頑張ってくれてるじゃないか。

『ここまでやってこれたのも、君のおかげだと思っている』

『これが最後になるかもしれない、だから、君に伝えておきたい…』

晶葉の声に熱がこもる。やめろ。最後なんかじゃない、聞きたくない。

『私は、君にはじめて会った、8年前から』

やめろ。

『ずっと、ずっと』

やめろ。もう、止めてくれ。

『君のことが』

俺の願いは、届かない。








『好き、だった』


『君が実感する記憶だと、半年もたってはいないだろうけれど』

『私にとってはとても長い夢…真夏の夜の夢のよう、だった』

『だが、夢はいずれ終わりを迎える』

永遠の別れを惜しむかのような、嗚咽混じりの声が俺の耳に響く。

『ああ、君と再会したとき、言ってくれた言葉…』

その時の俺は初めて晶葉を見つけたんだよな。
でも、覚えてる。覚えてるよ。

『本当に、私は嬉しかった』

『今まで、ありがとう』

今まで、じゃない。これからも、ずっと、ずっと、一緒のはずだろ?
俺と一緒に、トップアイドルを目指すって、言ってくれたじゃないか。
なのに、どうしてそんな事を言うんだよ。

『そして、さようなら』

『私の、最高の助手であり』

『………っ…』

『わたし、の…』

『私の』

『最高の』







『プロデューサー』


もう、音声は流れない。
データの終わりを告げるノイズだけが響く。
だから、だから、目元が赤かったんだ。この音声を、録音したから。

晶葉。

もしかしたら、なんてない。
そんなこと、起こるわけないんだ。

だから、心配しなくていい。
そんな声を出して、泣かなくてもいい。

晶葉は笑ったほうがずっとずっと可愛いんだから。

笑えないなら、俺が晶葉を笑顔にするから。
答えを見つけて、きっと晶葉のところへ戻るから。

そして、また、一緒にロボットを作ってさ。
パーツの買い出しに付き合って。
新しい企画の資料に一緒に悩んで。

何もかも、また、もう1度。

もしかしたら、なんてない。
だって。





俺が、晶葉の未来を、紡ぐから。


『…晶葉』

『ごめん』

「………」

「構わない」

「全て、私の為にやってくれていたこと」

「どうして、私がそれを責められる」

「その前に、やるべきことがあるだろう」

「君の謝罪は、それからでも遅くはないさ」

「この体格差で、肩を貸してやることが出来ないが…手ぐらいは引いてやる」

「エレベーターを使っていこう」

『…エレベーターは、閉館だから起動しないらしい』

「………」

「君は、私を誰だと思っているんだ?」

「未来の天才発明家・池袋晶葉だ」

「さて、これはなんだろうか」


晶葉が取り出した1枚のカードキー。
非常用の緊急エレベーターが作動する。

よく考えればそうだ。
小さな子供が1人勝手に閉館時間以降もうろつけるわけがない。
なら、どうしてか。それを認められているから。

それを認めさせるほどの多大な貢献をしているから、だ。

「大丈夫なわけもないが…少し我慢してくれ」
「くっ…どうにもエレベーターのボタンが押しにくい」
「これで…いい、君は手すりにつかまってもたれていろ」

エレベーター内の時計のランプが点灯する。
19時59分。タイムリミットは1時間。

全ては間に合うだろうか。

「ほら、つかまれ…というか、私がつかまっているような構図だが」

「ゆっくりでいい、辛いなら言うんだ…では、行こうか」

ああ、足が痛む。
半乾きになった血液が指の間を這いまわる。
けれど、顔に出してはいけない。

時間はもうありはしない。今は前に進まなければ。


とにかく足が傷んで、何度か膝を折る。
けれど、その度に晶葉が身体を貸してくれる。
ごめん、いいんだ。幾度となく同じやりとりを繰り返す。

何かを考えて痛みを紛らわさなければ。
考えるべきことは、晶葉の言っていたことだ。

どうしたらいい。未だにとっかかりも見えてこない。

もう1度言っていたことを正確に思い出す。
俺たちはこのまま河川敷へ戻る。これはこのままクリアできる条件だ。

そして俺は晶葉にボイスレコーダーを渡す。
それを、晶葉は壊れている、と認識した。

ボイスレコーダーを渡すことは出来る。
だが、晶葉が壊れていると認識するのは、主観的な事じゃないのか。

俺がいくらこれは壊れている、といったところで正常に動作すれば意味が無い。
そもそも壊れているの基準が違うのだから。

ならば俺がボイスレコーダーを壊せばどうだ?

ダメだ。それではこの時間跳躍が意味をなさなくなる。
上手く受け取れず落としただけでデータがエラーを出していたそうなのだから。
もしそれで、この晶葉が将来に向けて何かメッセージを残したとしても、再生できない。

俺は晶葉にボイスレコーダーを渡す。
晶葉はそれを壊れている、と認識した。

壊れている、と認識した。
壊れている。認識した。

認識した?


「ああ、だいじょうぶか。もうすぐ河川敷へ着く…階段が近い、気をつけろ」

『ごめん、ありがとう』

再び思考の海へ落ちる。

認識した。認識した、とは何だ?
もし壊れているとわかったのなら、俺ならこう言うだろう。

このボイスレコーダーは、壊れていると気付いた。

なのに、晶葉の言ったことは、認識した、だ。
何だ?この違いは。本質を理解したわけではなく、そう思い込んでいるかのような。

まるで、思い込んでいるのかのような。
思い込んで…

………。

ありがとう、晶葉。

晶葉のおかげで、案が生まれた。

もう、さようならなんて言わせない。

次に会うとき、晶葉が言うなら、こうだ。





おかえり、そう言わせてみせるから。


20時14分。河川敷への階段をゆっくりと降りてゆく。

さく、さく。生い茂る草を踏みしめる音だけが、ただ、響く。

最初に出てきた場所まで、あと数歩。ここまでくれば、大丈夫だ。

近くの坂に腰を下ろす。ああ、もう足が動かない。

見上げると、どこまでも着いてくる、黄金の月。

かすかに俺たちを照らしてくれて、照らして…

照らして。

何だ?

視界が狭まる。左目が見えない。

月の光は確かにそこにあるはずなのに、視認できない。

視界にノイズがかかるような感覚。

「きみ…!」

「自分の、手を見ろ」

手?俺の手が、どうかしたのか。
わけがわからないまま、軽く力をいれて腕をあげて、手を延ばす。

『………』





そこに、俺の右腕から下は、なかった。


20時17分。左目と右腕を失った。

左目も、右腕も確かにそこにある感覚。

なのに俺の身体の一部は、存在していなかった。

身体を確認する。

ああ。

身体に光が集まりはじめている。

少し早いが、8年という期間からすれば誤差だろう。

俺は、もうすぐ消えるんだ。この世界から、晶葉だけを残して。

「どうなっているんだ、これは!」

「右腕が、右腕が…ああ、こんなことに」

「もう少し時間があったはずじゃないのか」

『21時に消えるはずだった…ちょうど13時間の跳躍のはずだった』

『なかなか、上手く行かないな』

「ふざけている場合か!消えるんだぞ、君が!残された時間もない、どうしたらいい!?」

「どうしたら、君と、未来の私を救える!?どうしたら、どうしたら…っ」


20時20分。残った力も少ない。

右腕も存在していない。晶葉の顔も、よく見えない。
けれど、痛む足で支えて、立ち上がって、晶葉のほうを振り返る。

『晶葉はもう、何もしなくていい』

『あとは、これを晶葉に渡せば、全てが終わって、全てがはじまる』

晶葉が答えを見つけ出せなかった未来は幕を閉じて、彼女は新たな答えを得る。

『そういえば、今日は晶葉の誕生日だったよな』

『プレゼントは、用意していないから、これになるけど』

そっと、ボイスレコーダーを取り出して。

『誕生日、おめでとう』

俺を包む光が大きくなる。
月明かりで隠されていたが、もう、俺の光を隠し切れない。

川辺に映る俺の姿は、輪郭も既に定かではなかった。
映った俺の左手の人差し指も、そこには存在していなかった。

「おめでとう、じゃないだろう…!」

「本当に君は、このまま…消えるのか」

「消えて…もう、会えないのか」


『永遠の別れってわけじゃない』

『だから、そんなに気にすることはないさ』

『8年後に、また会える』

「………」

「いや、だ」

「嫌だ…8年、だぞ」

「どれだけ長いと思ってる」

「私が気変わりすると思わないのか」

『しないさ』

『また会いたいと、思っててくれさえすれば』

『アイドルとしてでも、普通の女の娘としてだって』

『きっと、じゃない。絶対に、また会える』

「君は———————」

ああ。もう彼女の声も聞こえない。
彼女は必死に俺に何かを叫んでいる。けれど、何も聞こえない。
彼女も気付いたのだろう。それでも、叫ぶのをやめない。

ごめん。もう何も聞こえない。

このまま、俺が消える前に。彼女に、最後に伝えたい。
自分の声すら聞こえない。けれど、懸命に叫ぶ。
俺の声も、彼女には届いていないらしい。

なら、これは賭けだ。


20時25分。ボイスレコーダーのスイッチを入れる。
全てのメッセージを消去して、俺の声で上書きをする。

もう1度、呟いた。彼女への想いを。

そして、停止ボタンを押して、そっとボイスレコーダーをロックして。
ああ、もう指の感覚がない。間に合った。残った手のひらだけで、彼女に差し出す。

差し出された事に気付いて、慌てて手を延ばす。
その瞬間に俺の腕は消えてしまって、ボイスレコーダーは滑り落ちる。

軽く下を転がる小さな石にぶつかったらしく、外殻が少しだけ破損する。
この程度なら、大丈夫だろう。それを彼女が拾い上げる。

これで、全てが終わった。

ボイスレコーダーのロックの解除方法を彼女は知らない。
それは未来の彼女ですら知ることが出来ない、俺だけのパスワード。
だから、音声が再生されることはなく、エラーを吐き出し続ける。

そして外殻にもいくつか傷がつき、晶葉はこれが原因で破損していると認識する。
未来の晶葉がそうだったように。同じ結果を、違う経過で生み出した。
パズルのピースは埋まるべきところに、全て埋まった。

残りは、完成した絵を見るだけだ。

もう、足の痛みも消えていた。
相変わらず、彼女は俺に何かを伝えようとしてくれている。
けれど、それを知る術はない。もう、かすかにしか光を感じないんだ。

ごめん。

口だけで、そうつぶやく。
この声が届いているかもわからない。
けれど、俺が消えるまで。消え去る、その一瞬まで。


[ 池袋晶葉 side ]

彼の腕が消え、指が消え、残ったものはこのボイスレコーダー。
どうやら、もう前も見えないらしい。私は目の前にいるというのに。

こんなに近くにいるのに、どうしてこんなにも遠いのだろう。

私はここにいる、私はここにいる。何度叫んでも、彼には届かない。
もっと話したいことがあった。もっと君のことが知りたかった。

未来の私はどうで、こんなことをしている。
もっと、もっと、もっと。私は君と話したかった。

でも、君は言ったな。8年後には、会えると。
きっとではなく、絶対だと。

なら、そうしよう。
まだまだ話していないことは山ほどある。

それに次に会うまで、8年もあるんだ。
そのときには、いつまでも話に付き合ってもらうとしようじゃないか。

君はアイドルのプロデューサーだそうだな。
なら、私もいずれアイドルになり、私の才能を知らしめる。

そして、いつまでも、君と。


彼の口がかすかに動く。
何かを伝えようとしている?

ご、め、ん。

ごめん、だって?
ああ、今は謝らなくていい。
この借りは、私をトップアイドルにして返してもらおうか。

き、っ、と。

き、み、を。

きっと、君を?

む、か、え、に。

…なら、それまで、待っているとしよう。
必ず迎えに来ないと、私から行くからな。

彼の身体が消えていく。

それでも、最後まで彼は私に何かを伝えようとしている。

き、っ、と。

あ、き、は、を。

し、あ、わ、せ、に。

ああ、もう間に合わない。

や、く、そ、く。

20時32分。








彼は、光とともに消えた。


[ プロデューサー side ]



「おかえり」

目が覚める。聞き慣れたこの声。
たまらず嬉しくなったが、もしものことがある。

『池袋晶葉、14歳。天才発明家で、アイドルをしてる』

『俺との出会いは俺が晶葉をスカウトした』

ふふふ。彼女は笑う。
ああ、この不敵な笑みだけで十分だ。俺は、やったんだ。

『答えを持って帰らせるために、俺は時間跳躍をした』

「…けれど、ボイスレコーダーは未だに動かないんだ」

『だいじょうぶ』

「………」

「君は…」

『ああ』

晶葉の手からボイスレコーダーを受け取る。
俺の記憶だと、数分前のことなのに。

停止ボタンを2度押して、録音モードで時間を合わせる。
パスワードとなる時間は、06分10秒。そしてもう1度、停止ボタン。

Unlocked.
画面にはそう表示されて、たった1つのメッセージが表示される。
録音時間、24秒。

この24秒を求めて、晶葉は8年間を過ごしたのか。


『ほら』

ボイスレコーダーを、晶葉に手渡す。

『もしかしたら、望んだ答えじゃないかもしれない』

「………」

『もし、そうだったら————』

「そんなことはない」

「私が求めていたのは、約束された、この答えだよ」

再生ボタンを押す。8年越しのメッセージが再生されはじめる。
また、あのときの光景が俺の中で鮮明に映し出される。

『………』

『………』

『………』

『ごめん、晶葉』

『8年間、お別れだ』

『でも、きっと、また会える』

『きっと、君を迎えに行くから』

『待ってる。8年後』

『シンデレラガールズ・プロダクションで』

『それでまた、アイドルになって』

『その…俺はまだまだ力不足かもしれないけど』

『いつか、きっと晶葉を笑顔にして、さ』

『約束だ』







『きっと、晶葉を幸せにしてみせるから』


また、あのときの同じノイズが流れる。
けれど、そこには不快感はなかった。

ただ、晶葉の涙のみが流れる。

「……っ……」

「…っ、やはり…信じていた、通りだった」

「わたしの、私の8年間は…決して無駄ではなかった」

「わたしは、君と出会えて、よかった」

「………」

「プロデューサー」

「………」

「あの…いや、なんだ、呼んだだけだ」

「違う、そうじゃない…」

「いいか、1度しか言わないから、よく聞いてくれ」

「プロデューサー、私と、ずっと」






「ずっと、ずっと…ずっと一緒にいて…?」


その言葉の真意を読み取る。

もちろん、分かっている。俺も、だ。
だから、それも含めて、こう答えた。

『………』

『当たり前だろ?』

『俺は、ずっとそばにいるから』

『俺は晶葉の助手だから、離れるわけにはいかないしな』

「………」

「そう、か…そうか、そうか」

「ふふっ」

「そうだ。君は私の助手なのだから」

「隣に居なければ…許さない」

「………」

「2度も、君を助手にしたのだから」

『はじめて会ったとき、驚かれた理由が今になってわかったよ』

『それは、そうだよな』

『あのときは、確か—————』


[ 池袋晶葉 side ・ 過去 ]

そのときの私は秋葉原まで出てロボットのパーツを買いに来ていた。
とにかく、人が多い。東京はそういうところだと分かっていたのに。

私は14歳になった。天才と呼ばれる人間ですら、私を天才発明家と呼ぶ。
何もかも、言う通りになったわけだ。

言う通りになった…いや、違う。私が、そうなるようにしたのだから。

ああ、今日は暑い。まだ夏には時間があるというのに。
白衣を着て来るべきではなかったのかもしれない。

おかげで、様々なキャッチに引っかかる。
私はベンチの影で小型ロボットに改良を加えながら休憩していた。

すみません、1枚いいですか。私はコスプレイヤーではない。
池袋晶葉さん、握手お願いします。芸能人というわけでもない。
ああ、君、可愛いな。モデルとか興味ない?私が興味があるのは、アイドルだけだ。

『あの、ちょっと、すみません。アイドルに…』

いい加減しつこい。どれだけの人間が私に声をかけてくる。
私に声をかけていいのは、彼だけなのだから。
暑さでストレスも溜まっていたので、振り返って、叫んだ。

「いい加減にしないか!私がアイドルになるときには、彼…が…かれ、が………」

「………」

「き、きみ…」

「どうして、私に声をかけた?」

『えーっと…なんというか、直感…っていうか』

『アイドルになるにふさわしい、と思う人だったから』







『だから、迎えに来た、って感じかな』


「………」

「君は、覚えて…」

「いや…そんなはずは、ないのに」

そんなはずはない。彼はあの日までは私のことを知らない。
それをわかってはいたのに、涙がこぼれそうだった。
ああ、神様。偶然だとしても、必然だとしても、ありがとう。

これだけの人の中で、また再会できたのだから。

ふと彼を見ると、時計を見ながら困っているようだった。
どうやら、故障して動かなくなってしまったらしい。

「…きみ、その時計を貸してみろ」

『え?う、うん…はい』

この程度のこと、慣れたものだ。
数秒としないうちに、息を吹き返し、もういちど時を刻みだす。

私の未来はここからだ。ならば、仕切り直しをしよう。

「へへん♪この天才少女の手にかかれば物言わぬ機械も生を得るっ!」

『ああ、ありがとう!すごいんだな、助かったよ。俺、アイドルのプロデューサーをしてて」

『それで、君、アイドルには…』

「ん?アイドル?面白いな、私の才能を世に知らしめるチャンスというわけか!」

「よし、ではプロデューサー、優秀なら助手にしてあげよう!」

「………」

「………もう1度————」









「—————————————もう1度、私の助手に」


[ プロデューサー side・現在 ]

「ああ」

「その通りだ」

「でも、君はもう、思い出している…その、理由を」

「正確には、経験してきた、というべきだろうけれど」

『そうだな』

「………」

「答えを手に入れた私の道を、ふさぐものは何もない」

「このまま、私はこの才能を生かし、トップアイドルになる」

「その為には、君が必要なんだ…プロデューサー」

『もちろん、どこまでも着いて行くよ』

「当たり前だ。君は私の助手だろう」

「ふふふ」

「では、まずはパーツの買い出しからだ」

「ほら、何をしているんだ。行くぞ」

そう言って晶葉は歩き出す。
その一歩一歩は小さいけれど、そこには確かな決意があった。

過去をみて、現在をみて、未来をみて。
全てを通して彼女が出した答えがこれだった。

なら、俺はどこまでも着いて行く。
もう、心配することなんてないのだから。

もともと、心配なんてしていないのかもしれない。
晶葉はいつも不敵に笑って、何もかもを成し遂げる。
ただ、少しだけ俺が手を貸しただけ。それだけだ。

「プロデューサー、はやく来ないと置いていくぞ」

俺も彼女の隣に並んで歩き出す。
ここから先の未来は、誰も知らない。

どうなるかだってわからない。
でも、そこには不安なんてない。

晶葉と一緒なら、俺はどこでだってやっていける。

晶葉が俺を支えてくれて。
俺が晶葉を支えてあげるから。

だから、彼女は。








天才発明家・池袋晶葉は、揺らがない。

                     おわり


以上です。ありがとうございました。
html化依頼を出させて頂きます。

後々間違いを見つけた場合、補足修正を行わせて頂きます。

何がすごいって伏線回収がすごい
他何か書いてる?あったら読みたい 久々に面白かった

楓さんのホワイトデー書いた人じゃないか?


>>89 さん >>90 さん

伊織「さようなら」
夏樹「星空の輪郭」
高垣楓「ホワイトデーのおくりもの」

その他、台本形式のアイドルマスターSSを4つほどを書かせていただきました。

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